約 177,410 件
https://w.atwiki.jp/sengoku-taisen/pages/3994.html
武将名 だてぼんてんまる 若き独眼竜 R伊達梵天丸 後の伊達政宗。幼いころは内気だったが、十歳年上の小姓・片倉景綱は彼を「鳳凰の雛」と評し、世継ぎに強く推した。やがて虎哉宗乙や喜多の教えを受けた梵天丸は聡明に育ち、いかめしい不動明王を見て「外に厳しく内に優しく、戦国大名の手本だ」と言ったという。「外に厳しく内に優しく…… 梵天丸もかくありたいものだ」 出身地 出羽国(山形県) コスト 2.0 兵種 騎馬隊 能力 武力6 統率5 特技 魅力 新星 計略 昇竜の采配 【超新星】(新星レベルが上がると効果が追加される)伊達家の味方の武力が上がる。新星3:更に移動速度が上がり、槍足軽であれば城攻城力が上がる。 必要士気6 Illustration 赤賀博隆 幼名である梵天丸の名前で初登場の幼き頃の独眼竜。 共宴持ちである自身と共に伊達家初の騎馬隊である。 新星持ち故開幕時は少々頼りないスペックだが新星レベル3で2.5コストの自分に匹敵するスペックとなる。 昇竜の采配は伊達家としてはこれまた初の超新星。 レベル2までは士気6で味方の武力を+4するだけだが超新星で爆発力が跳ねあがる。 武力+4に加え移動速度が上がり槍足軽ならば城攻撃力が上がる。 槍足軽を城に突っ込んで武力と速度が上がった自身が後ろから突撃する戦術が単純にして強力。
https://w.atwiki.jp/sengoku-taisen/pages/2933.html
武将名 えんどうなおつね 姉川の特攻 R遠藤直経 浅井氏譜代の家臣。伊賀の忍者と関係深く、諜報活動も担った。姉川の戦いで浅井軍の大敗が濃厚となった際、味方の武将の首を刎ね織田方の武将に成りすまして信長の首を狙ったが、直前で竹中半兵衛に見抜かれて斬殺された。「俺は、俺の信念に殉じる!」 出身地 近江国 コスト 2.5 兵種 騎馬隊 能力 武力8 統率7 特技 忍 計略 忍法斬影剣 武力と移動速度が上がる。さらに特技「忍」の敵部隊と敵城から発見されるまでの距離と、姿を現してから再び消えるまでの時間が短くなる。 必要士気5 Illustration 松野トンジ 2枚目となる遠藤直経は2.5コストの忍騎馬という変わった性能。 浅井朝倉家には2.5コスト騎馬自体がスターター(戦国大名)のUC浅井長政しかいなかったので、盟約系デッキも含め様々な編成の幅が広がるだろう。 一方でスペックの優秀な槍の自身と併用できないのは残念。 計略の「忍法斬影剣」は長時間の自身強化。 武力+3、移動速度+30%に加えて特技[忍]の性能が強化される。 効果時間は22.9c、統率依存は2.1c。(以上 2.12D) 忍強化は、敵部隊・敵城・敵大筒エリア・櫓や柵などの障害物に接していなければ姿を消していられる。 ただし、タッチ突撃中は通常の忍同様に姿を現す。
https://w.atwiki.jp/sengokutaisenark/pages/47.html
章別リスト 織田伝( 第一章 | 第二章 | 第三章 | 第四章 | 第五章 ) 武田伝( 第一章 | 第二章 | 第三章 | 第四章 ) 上杉伝( 第一章 | 第二章 | 第三章 ) 豊臣伝( 第一章 | 第二章 | 第三章 | 第四章 ) 雑賀伝( 第一章 | 第二章 ) 浅井伝( 第一章 ) 北条伝( 第一章 | 第二章 ) 毛利伝( 第一章 | 第二章 | 第三章 ) 島津伝( 第一章 | 第二章 ) 伊達伝( 第一章 | 第二章 ) 徳川伝( 第一章 | 第二章 ) 長宗我部伝( 第一章 | 第二章 | 第三章 ) 今川伝( 第一章 ) 真田伝( 第一章 | 第二章 | 第三章 ) 関ヶ原伝( 西軍の章 | 東軍の章| 東北の章 | 九州の章 ) 大阪の陣( 豊臣の章 | 徳川の章| 土佐の章 ) 武将列伝 無二伝 帰蝶伝 望月千代女伝 立花誾千代伝 島津家久伝 甲斐姫伝 北条早雲伝 武田信虎伝 朝倉宗滴伝 黒田官兵衛伝 織田信秀伝 斎藤道三伝 前田慶次伝 長尾為景伝 龍造寺隆信伝 藤堂高虎伝 井伊直虎伝 明智光秀伝 補足説明 勝利条件について 「群雄伝」には勝利条件があり、その条件を満たさないと敗北となる。 また勝利条件に関係なく、敵城を落城で勝利、自城が落城で敗北となる。 ■ 通常勝利 自城より敵城(COM)の城ゲージを多く削る。 通常の全国対戦と同じ。 ■ 落城 敵城(COM)の城ゲージを0にする。 時間切れとなった場合は敗北。 ■ 生存 自城の城ゲージが0にならないようにする。 自城が落城さえしなければ、敵(COM)城ゲージは関係なく時間切れで勝利。 もちろん敵城を落城させてもOK。 難易度について 「~伝の○章」の最終話をクリアすると、次回以降のプレイからクリア済の「~伝の○章」で難易度が選択出来るようになる。 最初にプレイしているものは「易」。クリアすれば「難」が追加される。 登録武将コストの上限について 登録できる武将コスト合計の上限はステージによって異なる。 Ver2.0からはステージ選択画面で確認できるようになった。 以下は各章第一話における登録可能コストである。 |織田伝第一章:10 第二章:10 第三章:10 第四章:11 第五章:11 武田伝第一章:10 第二章:10 第三章:11 第四章:11 上杉伝第一章:10 第二章:10 第三章:11 豊臣伝第一章:10 第二章:10 第三章:12 第四章:11 雑賀伝第一章:10 第二章:11 浅井伝第一章:10 北条伝第一章:10 第二章:11 毛利伝第一章:10 第二章:10 第三章:11 島津伝第一章:11 第二章:11 伊達伝第一章:11 第二章:11 徳川伝第一章:11 第二章:11 長宗我部伝第一章:11 第二章:11 第三章:11 今川伝第一章:11 真田伝第一章:9 第二章:9 第三章:9 関ヶ原伝 西:11 東:11 東北:11 九州:11 大阪の陣 豊臣:11 徳川:11 土佐:11 武将列伝第一章~第十五章:11 第十六章~第十七章:9 イベント必要武将について イベントを達成するのに必要な武将は基本的に互換などはなく、たとえ同名の武将であってもカードの通し番号(織田001など)が違うとイベントが発生しない。SR馬場信春(武田031)とR馬場信春(武田048)、SR前田利家(織田033)とSS前田利家(戦国数奇004)など アップデートにより排出停止になった戦国数奇のイベントは該当する武将で発生できるようになった。 上記の例外として、通し番号が「戦国大名○○○」「戦国鬼札○○○」となっているカードは、それぞれ対応した特定の武将の代わりとしてイベント発生条件を満たすことができる。UC織田信長(戦国大名001):SR織田信長(織田007):SJ織田信長(戦国鬼札001) UC武田信玄(戦国大名002):SR武田信玄(武田021):SJ武田信玄(戦国鬼札003) UC上杉謙信(戦国大名003):SR上杉謙信(上杉007):SJ上杉謙信(戦国鬼札004) UC羽柴秀吉(戦国大名004):SR羽柴秀吉(織田025):SJ羽柴秀吉(戦国鬼札002) UC浅井長政(戦国大名005):SR浅井長政(浅井朝倉002):SJ浅井長政(戦国鬼札006) UC雑賀孫市(戦国大名006):SR雑賀孫市(本願寺005):SJ雑賀孫市(戦国鬼札007) UC北条氏康(戦国大名007):SR北条氏康(北条024):SJ北条氏康(戦国鬼札008) UC毛利元就(戦国大名008):SR毛利元就(毛利030):SJ毛利元就(戦国鬼札009) UC島津義弘(戦国大名009):SR島津義弘(島津025):SJ島津義弘(戦国鬼札010) SR豊臣秀吉(豊臣025):SJ豊臣秀吉(戦国鬼札011) SR伊達政宗(伊達021):SJ伊達政宗(戦国鬼札012) 特典について クリア内容によって新しい兵士カラーが取得できる。 イベントを一定数達成する事で宝箱などを入手できる。達成回数は20回の時と25回の時があり、20回の時は宝箱、25回の時は馬印か兵士カラーを入手できる。 旧バージョンで達成したイベント分の宝箱は得られない。ただし、新バージョンで最初に群雄伝を行ったプレイの後に馬印・兵士カラーを纏めて入手できる。 獲得報酬一覧 + ... イベント達成数 報酬 15 宝箱 35 宝箱 55 宝箱 80 馬印「とんぼ」 100 宝箱 120 宝箱 140 宝箱 165 兵士カラー「上級足軽・黒」 185 宝箱 205 宝箱 225 宝箱 250 馬印「風車」 270 宝箱 290 宝箱 310 宝箱 335 兵士カラー「鎧武者・水色」 355 宝箱 375 宝箱 395 宝箱 420 馬印「飛車」 440 宝箱 460 宝箱 480 宝箱 505 兵士カラー「下忍・深緑」 525 宝箱 545 宝箱 565 宝箱 585 宝箱 610 馬印「百足」 630 宝箱 650 宝箱 670 宝箱 695 兵士カラー「鬼・黒」 715 宝箱 735 宝箱 755 宝箱 780 馬印「刀」 800 宝箱 820 宝箱 840 宝箱 860 宝箱 885 兵士カラー「絢爛女侍」 905 宝箱 925 宝箱 950 馬印「風車・多翼」 970 宝箱 990 宝箱 1010 宝箱 1030 宝箱 1055 兵士カラー「女剣士・紫」 1075 宝箱 1095 宝箱 1115 宝箱 1140 馬印「錨」 1160 宝箱 1180 宝箱 1200 宝箱 1225 兵士カラー「上級くノ一・橙」 1245 宝箱 1265 宝箱 1285 宝箱 1310 馬印「千鳥」 1330 宝箱 1350 宝箱 1370 宝箱 1395 兵士カラー「絢爛上級足軽」 1415 宝箱 1435 宝箱 1455 宝箱 1480 馬印「錫杖」 1500 宝箱 1520 宝箱 1540 宝箱 1565 兵士カラー「赤獅子」 1585 宝箱 1605 宝箱 1625 宝箱 1650 馬印「真剣」 1670 宝箱 1690 宝箱 1710 宝箱 1735 兵士カラー「南蛮武者・銀」 1755 宝箱 1775 宝箱 1795 宝箱 1820 馬印「手裏剣」 1840 宝箱 1860 宝箱 1880 宝箱 1905 宝箱 1925 兵士カラー「山伏・黒」 1945 宝箱 1965 宝箱 1985 宝箱 2005 宝箱 2030 馬印「」 イベント発生条件について ■ 開幕 戦闘が始まる前のシナリオシーンで発生。 イベント参加武将をデッキに入れておけば必ず発生。 ■ 戦闘開始 戦闘開始直後に発生。 イベント参加武将をデッキに入れておけば必ず発生。 ■ 戦闘勝利・落城勝利 戦闘勝利、もしくは落城勝利直後に発生。 イベント参加武将をデッキに入れて勝利すると発生。もちろん落城勝利の場合は敵城を落城させること。 また、特定のイベント武将に落城させる必要があるものも存在する。 ※「戦闘勝利」の中には「落城させずに勝利」が条件のものも存在する。 ■ 終幕 戦闘勝利後のシナリオシーンで発生。 イベント参加武将をデッキに入れて勝利すると発生。 ■ 一定時間 戦闘開始から一定時間経過後に発生。 イベント参加武将をデッキに入れておけば、戦闘中盤あたりで発生。 イベントによっては開幕わずか数カウント経過と早い段階で発生するものもある。 あまりに早く敵を落城させてしまう、もしくは落城負けしてしまうと発生しないこともある。 「一定時間」には「○c~○cの間」というような区切りがあるようで、その時間内にイベント武将が撤退してしまうと、復活しても所定の時間が過ぎていたためイベントが発生しないということもある。 ■ 計略使用 イベント参加武将の計略を使用することで発生。 イベント参加武将が複数の場合は、そのうちのひとつがイベント発生となる計略。 その他のイベント参加武将の計略は関係ない。 また、「戦闘開始から一定時間経過後に計略使用」、「計略を○回使用」等の条件も存在する。 イベントの効果が士気上昇の場合、先に増えてから計略の必要士気を消費する。満タンに近いと無駄になるので注意。 ■ 撃破・特定敵撃破 イベント参加武将でいずれかの敵を撤退させることで発生。 また、敵を撤退させる数が一定数を超えないと起きない場合がある。 特定敵撃破の場合は決められた敵を撤退させること。 ■ 接触 イベント参加武将と特定の武将を触れさせることで発生。 イベント参加武将同士や特定の敵など、相手は様々。 ■ 一番乗り イベント参加武将が自軍で最も早く攻城に成功すると発生。 ■ 攻城 特定の武将で敵の城に直接攻城をすると発生。大筒では発生しない。 イベント参加武将が複数の場合、攻城する際に全員が生存していないといけない。 ■ 攻城ダメージ 敵の城に一定のダメージを与えると発生。大筒、及び舞いによるダメージでも構わない。 一定のダメージを与えた時に、イベント参加武将が生存していればよい。 ■ 大筒占拠 イベント武将によって大筒を占拠すると発生。 ■ 撤退 イベント武将のうち、特定の武将が撤退すると発生。 戦闘で敵軍に撃破された場合は勿論だが、味方の計略効果で該当武将が撤退しても発生する。 非常に珍しい条件であり、豊臣伝第一章第二話のイベント7(C菅沼定盈)と織田伝第三章第四話イベント8(UC林秀貞)のみこれに該当する。 ※全てのイベントに言える事だが、複数のイベント参加武将がいる場合は、1人でも撤退中だとイベント達成にならない。 ただし、イベント参加武将の復活がイベントの有効時間内であれば、武将の復活直後にイベントが発生する。 敵軍および敵軍武将について 敵軍武将は、家宝は一切装備していない。 こちらは家宝を装着できるので、コストオーバーの壁もさほど苦にはならない。 ただその代わりに、戦闘中のイベントにより士気や武力などを上げてくることがある。これらは効果を消す事が出来ないので注意。 その他 各章のオープニングおよびエンディングとスタッフロールはスタートボタンでスキップできる。 各話のプロローグとエピローグ、一度達成したイベントもスタートボタンでスキップできる。時間短縮に利用可。 攻略のコツ いると便利な武将忍持ち:端攻城をすると敵将がそちらへ向かっていく。対ワラワラに便利。雲隠れ持ちならなおよし。 焙烙持ち:低統率が多い一般兵の掃討に有効 SR斎藤道三:槍弓など瞬発力のない編成に滅法強いのがコレ。 R高坂昌信:攻城、殲滅、伏兵掘り、統率差による押し出し、超高武力武将からの逃走、瀕死武将の回収など縦横無尽の活躍が出来る。 SR山県昌景など速度上昇計略持ちの高コスト騎馬 槍が少なければ単騎で殲滅可能。 R諏訪姫:勝利条件が落城のステージで敵の守りが堅い時、直接攻城の必要回数を減らせる。 SR(SS)松永久秀:勝利条件が生存のステージで自爆し続ける。 火遁の罠持ち:武力や統率に関係しない固定ダメージなので、イベントなどで能力値の跳ね上がった敵に対して有用。 SR華姫・BSS松姫:上杉家・織田家の武将による特定敵撃破イベント用に。特に足の遅い槍足軽での特定敵撃破に便利。 SR鬼小島弥太郎:イベントなどで武力の跳ね上がった敵に対しての抑え。 SR甘粕景持・R真柄直隆・R山田有信:難易度「難」などで部隊数差が大きい時に効果が大きい。 敵軍CPUの習性基本的にはこちらの最寄の部隊に攻撃を仕掛けるか、前進して攻城を取りに来る。(勝利条件が「落城」のステージは例外的に守城重視)これを利用し、敵軍が自城に張り付いてきた時は全部隊を一旦城に戻してから両端で入出城を繰り返すと、敵軍はそれに釣られて右往左往し攻城ゲージが溜まらない。 幾つかの落城ステージでの習性として、味方が城に引っ込んでれば敵は戦場に現れないと敵が戦場にいない時に舞踊しても攻めて来ないがある。 この習性を利用して、士気を最大まで溜めてから攻める事や諏訪姫だけ出して落城を狙う戦法も可能。 兵力が一定以下(50%以下?)になると、城へ戻り兵力回復を図る。 攻城:こちらの部隊が攻城エリアに入った場合、その部隊から一定範囲内の敵は攻城妨害に集まる。 大筒:敵軍の占領下ではない状態の時は、たとえ攻城準備中であっても積極的に確保に向かう。(弓足軽が確保に向かうことが多い) 虎口:それほど積極的には狙ってこないが、無防備であれば入ってくる。 計略:使用頻度に大きな傾向があり、メインとサブの二種類程度。 槍足軽:敵軍エリアに入った騎馬隊に向かってくる。 騎馬隊系:通常速度であれば槍を避けずに向かってくる為、簡単に迎撃が取れる。速度上昇計略を使用すると槍を避ける行動を取る場合もある。 [[コメント]] *編集が苦手な方はこちらへ訂正指摘等々、お願いします 名前 コストアップの都合、いると便利な武将に共振系・枚数参照系も入りますね - 名無しさん 2017-01-16 16 44 41 長尾為景伝の敵普請、1話、4話:大筒 5話:米蔵でした - 名無しさん 2016-03-16 19 11 25 武将列伝第十六章 流浪の士 第一話 姉川の戦い ①開幕 浅020 R藤堂高虎 ②開幕 浅020 R藤堂高虎 浅031 C阿閉貞征 ③戦闘開始 浅002 SR浅井長政 浅020 R藤堂高虎 ④一定時間 浅020 R藤堂高虎 浅031 C阿閉貞征 ⑤撃破 浅020 R藤堂高虎 ⑥攻城 浅020 R藤堂高虎 ⑦接触 浅020 R藤堂高虎 浅009 UC磯野員昌 ⑧撤退 浅010 R遠藤直経 浅020 R藤堂高虎(遠藤が撤退して発生) ⑨計略 浅002 SR浅井長政 浅020 R藤堂高虎(長政が計略発動) ⑩戦闘勝利 浅002 SR浅井長政 浅020 R藤堂高虎 ⑪終幕 浅020 R藤堂高虎 浅031 C阿閉貞征 ⑫終幕 浅020 R藤堂高虎 ■相手デッキ構成 易 織017 SR柴田勝家 織014 R佐久間信盛 織039 R森可成 織013 C坂井政尚 鉄 C一般兵 2/4 難 坂井と一般兵の代わりに 織025 SR羽柴秀吉 織002 R池田恒興 - 名無しさん 2016-01-22 03 25 16 Ver.3.0において登録コストが大幅に変更されている模様。北条伝しか見てないけど全ての章が今までの+2コストぐらいになってます。 - 名無しさん 2014-09-27 03 26 47 早雲伝も11コストまでOKでした 公式が過去群雄伝は+2したと書いてたような - 名無しさん 2015-03-11 04 07 50 今日確認したら北条伝一章は10コストまでだった - 名無しさん 2015-04-11 21 34 09 毛利伝三章一話 6 熊谷信直で大友撃破 統率up - 名無しさん 2014-06-21 13 22 42 yn
https://w.atwiki.jp/sen-d/pages/239.html
武将名 あさいひさまさ UC浅井久政 浅井家の二代目当主。初代・亮政の死により家督を継ぐが、武力に冴えず求心力が弱かったこともあり、浅井家の弱体化を招いてしまう。子・長政の代になると、その手腕から浅井家は活気を取り戻し、久政は陰ながらわが子を支え続けたという。「これでよいのだ。もはや、年寄りの出る幕ではないわ」 出身地 近江国 コスト 1.0 兵種 弓足軽 能力 武力2 統率4 特技 計略 封印の罠 【罠】(敵からは見えない罠を設置する。敵味方のどちらかが踏むことでカウントダウンが始まり、一定時間後に発動する。罠は一つまでしか設置できない)敵と味方の計略を使用できなくする。 必要士気3 Illustration 小城崇志 六角家に従属的な姿勢を取る等をした為に「暗愚な君主」と言われた、浅井長政の父親。1コスト弓でレア未満のカードは 彼のみ。スペック相応の数値を備えており、1コスト弓で資産のない場合は非常に助かる。 計略の封印の罠は読んで字の如く、罠が発動すれば掛かった部隊の計略を使えなくするもの。統率の差には関係無く、 一律で約8カウント持続する。 範囲が火遁の罠よりも広く、他の罠同様に既に部隊がいるところに罠を設置してもカウントが始まらず、範囲外から 部隊が範囲に進入するとそこから計略発動へのカウントダウン(7秒)が始まる。大筒をとってからのマウントで 出て来る相手の位置に仕掛けたり、守城時は待ち受ける形で仕掛けていきたい。 但し、これまた他の罠計略と同様に味方にも計略効果がある事、また封印が災いして浅井家の御家芸である流転計略と やや噛み合わない事に対しても注意が必要である。 因みに求心力が無く暗愚な印象がある彼だが、六角家に従属した理由というのは六角家の庇護を受けて周りの勢力を 牽制し、かつ領国の経営に専念して国力を蓄え、戦国大名としての浅井家の基盤を築き上げる事が目的であったり、 また灌漑事業にも成功を収めたり、六角家から独立する為にわざと息子の長政に家督を譲る等、実際は外交や内政に 長けていたのではないかと再評価を受けている。
https://w.atwiki.jp/hikoushiki/pages/50.html
+はじめに はじめに 将軍家の没落に伴ない台頭する戦国大名が織り成す時代をこの巻で記述している。 (Jiyu) +流浪する将軍 流浪する将軍 公家の収入は荘園からの年貢によるものであった。崩壊に直面していた荘園を立て直すために、幕府は将軍の権威を立て直す必要があった。将軍義尚は近江の守護六角高頼を討伐することによって幕勢を回復しようと試みた。将軍のお膝元である近江に従わない守護がいるとなると、幕府の権威にかかわる。 義尚の出陣によって寺社公家の領地は回復されたが、完全ではなかった。彼は押領した領地を自分の近臣に与えてしまう。その結果近臣らの専横を許し、義尚自身の生活も乱れていった。出陣から二年足らず、義尚は二十五歳の人生を終えた。 次代将軍は義尚の養子の義材に決まった。義材の父の義視はこれを機に新政を始める。富子はこれを不満に思い、細川政元に接近した。その噂を聞いて義視は富子を攻めるが、細川政元と対立するのは賢くないと考え、優遇した。 義視は翌年死亡した。義材は義尚の遺志を継いで、再び近江出陣を試みた。これは成功だった。勢いに乗じて、次は河内を攻める。畠山政長と畠山義就が東西に別れてまだ争っていたのである。これは政元のクーデターによって失敗し、第十一第将軍義高が就任する。義材は義尹と名を改め、流浪の日々を送ることになる。 (Jiyu) +守護大名の没落 守護大名の没落 細川政元は細川家の官僚の嫡男だったにも関わらず、四十になっても女性を近づけようとしなかった。「常は 魔法 を行って近国や他国を動揺させていた」といわれている。この魔法というのは山伏集験の道である。細川政元は奇行と専横が目立った。子を作らず、天狗の業の修行に励み、養子を二人とって細川家分裂の危機を招いた。このような態度が家臣の謀反心を招き、魔法の練習を行っている最中に政元は殺された。跡継ぎは養子の細川澄元となった。 義尹は細川政元の死を聞き、大内義興に助けられて上洛を画策した。細川側は義興と和平してこれを阻止しようとするが、和平交渉の中心人物であった高国が澄元に反して義興と手を組んだので失敗する。守護大名出身で、澄元より五歳年上だった彼は、自分も細川宗家を継ぐ資格があると考えたのである。義尹は十四年ぶりに上洛し、一条室町の吉良屋敷に落ち着く。義尹は従三位、権大納言、征夷大将軍の地位を得て、細川高国を右京大夫におき、大内義興を左京大夫においた。義尹は実験を持たず、高国と義興の傀儡であった。 大内氏と細川氏は、このご中央権力を巡って対立する。彼らはともに傀儡将軍を奉じた。これは勘合貿易を行うためである。両者が争ったのも、その利権が原因であった。貿易を行うためには、将軍=日本国王の権威が必要なのである。後に義尹は義稙と改名し、五十七歳で流浪の人生を終えた。 (Jiyu) +北条早雲の登場 北条早雲の登場 関東では、一四三九年、幕府に反抗した関東公方の足利持氏が、関東管領の上杉氏にほろぼされてしまうと、しばらくは上杉氏の下で平和が保たれていた。しかし、その十年後、持氏の子の成氏が京都から迎えられて関東公方になると、成氏が父持氏の旧臣だった豪族たちと手を結んで、上杉氏と反目するようになった。 一四五四年、成氏が上杉憲実の嗣子憲忠を誘殺すると戦火はまたもや燃え上がった。山内上杉氏の家宰だった長尾景仲らは憲忠の弟房顕を擁して成氏に対抗し、幕府も駿河守護今川範忠に命じて成氏を討たせようとした。範忠は鎌倉を攻めてこれを焼き払い、成氏は下総古河にのがれ、ふたたび鎌倉に帰ることがなかった。これ以後古河公方と呼ばれる。 そのころ管領上杉氏は山内家と扇谷家の二流に分かれていた。勢力の点では山内家のほうが断然優勢であったが、両上杉氏とも、実権は家宰が握っていた。山内家では長尾氏が、扇谷家では太田氏が家宰である。豪族の支配から離れた小領主・国人たちが長尾氏・太田氏と結びつくことにより安全を確保し、また長尾氏・太田氏はそれにより勢力を増大させたのである。 劣勢だった扇谷家は太田道灌とその父(資清)の努力によって、山内家と肩をならべるまでにのしあがった。山内上杉氏がこれをこころよく思うはずもなく、両上杉氏の対立は表面化することとなる。 一四七六年に、主君の山内顕定にそむいた長尾景春は古河公方成氏に通じ、鉢形城に立てこもった後に反乱を起こしたが、道灌により掃討された。道灌の名声は高まり、扇谷家の勢力はさらに大きくなった。 こうして成氏は景春とともに幕府に和睦を申し入れ、山内上杉顕定の父房定を仲介者として、室町将軍と古河公方の間にいわゆる「都鄙(とひ)の合体」が成立した。これで平和が回復したかのように思われるが、扇谷上杉方の定正や道灌らは山内上杉方の推進したこの合体策に賛成ではなく、江戸・河越両城をいよいよ固めて、古河公方や景春にそなえていた。 一四八六年、道灌は、かれの存在を上杉氏への敵対とみた主君定正により暗殺された。道灌の死により、道灌に従っていた多数の国人衆などはただちに定正を離れ、顕定の側に集まってきた。 孤立した定正は古河公方成氏とその子政氏や長尾景春と連合したが、定正の死後、顕定と古河公方政氏が和睦し、このため扇谷上杉家の立場はますます苦しくなっていった。 堀越公方政知が両上杉家の抗争のさなかの一四九一年四月三日に死んでしまうと、そのあとは嫡子の茶々丸が継承することになったが、政知の旧臣らは、この茶々丸に心服せず、伊豆国は混乱状態におちいった。 伊豆一国をのっとろうと待ち構えていた隣国駿河国の興国寺城主北条早雲は、すかさずこの混乱に乗じ、伊豆に攻め入った。伊豆の北条はたちまち早雲によって占領されてしまった。 早雲は、ただ伊豆北条という重要拠点を領しただけでなく、そこに住む百姓や職人の掌握にも心をくだいた。 では、この北条早雲とはどこの生まれのどういう人物なのか。 伊豆侵攻以前の早雲については、史料不足ゆえ行動も実名もはっきりしない。入道してからは早雲庵宗瑞と号したが、いつ入道したかもわからない。 生国についてはいろいろな説があり、定まった説がない。有力な説は伊勢説と京都説であり、新たに備中説がでてきている。 早雲は五十六歳、一四八七年ごろには駿河国に下向していたと考えられ、妹の北川殿の縁で今川氏に従い、興国寺城主となった。 早雲は伊豆に侵入してからの三年間、もっぱらその領国支配に専念していたが、一四九四年に扇谷方の三将(扇谷定正・大森氏頼・三浦時高)が亡くなると、それは早雲に関東進出の道をひらくこととなった。 早雲は小田原城を守る大森藤頼に近付いて親しみを深め、一四九五年、夜討ちによって小田原城をのっとり、関東進出の第一歩を踏んだ。以後早雲は、小田原周辺の領有・安定のために十年の歳月をかけたのである。 一五〇四年、七十三歳になった早雲は扇谷朝良を助けて、山内顕定を討とうとした。しかし、それは上杉氏を討つための早雲の計略であった。翌年には、両上杉氏は漁夫の利を占めるのは早雲だと気付いたのであろう、手を握って早雲にあたろうとしたが、時すでに遅かった。 一五〇七年と一五〇九年、早雲は今川氏親を助けて三河に出撃した。それは自領伊豆の背後の駿河の安全をはかろうとして、尾張の織田氏と連絡するためであった。 早雲は顕定が関東を留守にしてしまったあいだに、相模の土豪らに蜂起をよびかけるとともに、長尾為景や景春らと連絡して出陣した。早雲の率いる伊豆・相模の兵は相模高麗寺に陣し、扇谷朝良の家臣上田政盛をして権現山城に反旗をひるがえさせた。 しかし、一五一一年、権現山城は両上杉氏の軍勢によって落ち、このたびは早雲の完全な失敗に終わった。 早雲は相模国を平定するには、その最大の豪族である三浦氏を倒さねばならぬと考えた。 一五一二年、八十一歳の早雲は三浦義同の岡崎城を攻め、鎌倉に入った。義同は翌々年に鎌倉へ攻めてきたが早雲に撃退され、新井城に逃げ込んだままとなる。 そして一五一六年、江戸城の扇谷朝興が義同救援のために玉縄城へ攻めかかったが、早雲はこれを撃退すると共に新井城に攻めかかり、三浦氏は滅亡した。こうして早雲は、小田原占領以来、三浦氏討滅まで実に二十ヵ年をついやしたのである。 一五一八年、八十七歳の早雲は、三十二歳の嫡子氏綱に家督をゆずって隠居した。翌年八月十五日、早雲は伊豆韮山城で生涯をとじた。 早雲は、戦国の群雄のうち、最初にその名をあげただけあって、慎重さとすぐれた時代感覚を持ち合わせていた。 早雲以後の後北条四代、氏綱・氏康・氏政・氏直については、氏綱は父の後をよく守り、氏康は名将であった。氏政・氏直の二十年間は後北条氏の守勢期であったが、ともかくもその支配を維持できた。 (Shade) +信虎と信玄 信虎と信玄 武田氏の戦国大名としての歴史は、信玄の父信虎の代にはじまるといえる。 一五〇七年、十四歳で信虎は父の死にあって武田の家督をつぎ、この国のあるじとなった。 武田氏は一族を甲府盆地の縁辺部いっぱいまで分散配置してこの国を支配してきた。宗家から分かれた一族は、武田とは名乗らず、みなそれぞれの在所名を姓として、その土地に根を生やした領主となっていった。甲斐の戦国は、宗家を中心とした一族の相克という形で展開していったのだった。 信虎が家をついだころは、そのような情勢のもっとも激した時代であり、かれは油川氏や、大井・栗原などの古い一族の連合を打ち破った。 その後かれは、もっぱら室町将軍家と連絡を保つと同時に、駿河の今川氏と積極な連合をはかった。一応の国内統一を完成させ、甲駿同盟などによって四囲の強敵との交戦の必要もなくなると、信虎は戦国大名として家臣らを統御していくためにも、外征を必要とした。そこで信虎は信濃に攻め入り、一五四一年にはその一応の攻略を成し遂げた。 しかし、帰国した信虎は、十日後に嫡子晴信(信玄)のために突然駿河に追放されることとなった。 信玄は一五二一年十一月三日に生まれた。信玄の母は甲斐の国人大井信遠の娘であり、信虎にとっては旧敵の娘ということになる。だから、その出生はそれほど祝福されたものではなかったであろう。 一四三六年、かれは元服し、将軍義晴より晴の字をとって晴信と名乗った。やがてかれは京都の公家から正妻を迎えた。この結婚の年月は不明であるが、おそらく元服の年かその翌年であろう。この結婚は、武田氏が京都を指向していたことを如実に物語るものである。 一五四一年、佐久平の出陣から帰国した信虎は、その十日後に駿河の今川義元のもとに出かけた。信玄は、甲斐と駿河の国境をとざし、父を駿河に追放してしまった。 この追放事件の真相として取り沙汰されてきたのは、大別すると次の三つに要約できる。 (一)父子の性格の相違・対立説 (二)今川義元を討つための父子共謀説 (三)信虎の不行跡および領国経営の失敗説 第一説は『甲陽軍鑑』によるものであり、第二説は『松平記』の見かたであるが、どちらにも疑問がある。そこで、第三説が真実に近いものと思われる。 その後の信虎は、二十五年も今川義元の世話になり、信玄の存命中はもちろん、死後も甲府に入ることは許されず、八十一歳の生涯を高遠で閉じた。 信虎の追放により、戦国大名武田氏はその内部的な危機を回避した。 信玄が直面した領国支配の矛盾とは、武田氏のかける軍役の過重さによる経済的な危機だったと考えられる。信虎追放の六年後に信玄の定めた『甲州法度之次第』という法令には、武田の家臣たちの知行地売買・質入れや、借財に関する取り決めが多く見られる。 地頭と呼ばれる家臣たちが、過剰な軍事負担にも抵抗しなかったのは、大名権力によって地頭層の領主支配権が保証されていたからである。 しかし、大名の側にも家臣の経済的危機を救うための抜本的な対策がなければ、みちは領土拡大、つまり対外侵略ひとつに限られてくる。そこで信玄も信虎のいのちとりとなった信濃出兵を引き継いでゆかざるを得ないのだった。 信玄の第一目標は、南信濃の諏訪・伊那両郡に勢力のあった諏訪一族の制圧であった。 一五四五年、信玄は三たび伊那郡に兵を進め、この年、諏訪・伊那地方は信玄の制圧下に入った。 信玄の第二、第三の攻撃目標は、信濃守護家の小笠原長時と北信の雄村上義清であった。 信玄は上田原、戸石城攻めなどで敗戦を喫しもしたが、一五五一年に小笠原長時を、翌年に越後の上杉謙信のもとに追い出してしまった。こうして信玄の十二年間にわたる信濃制圧は一段落となった。 信濃を侵略し、領国とするためには、信玄はつねに南の今川氏と結んでいなければならなかった。今川義元にとっても、甲駿同盟は三河に出兵し、織田信長の勢力と対するのに重要であった。 ところが、義元の三河出兵の留守を狙って相模の北条氏康が駿河東部の下方荘に侵入してきた。義元は氏康と戦ったが、戦況ははかばかしくなかった。そこで駿河の善徳寺において、信玄・義元・氏康が集まり、甲・駿・相の三国同盟が成立した。この三人は、いずれもここ二、三年のあいだ合戦が討ち続き、それぞれ背後に強敵を持っていたからである。 こうして信玄は、三国同盟を十分に利用して、一五七〇年、西上野を武田領としてしまったのである。 一五六〇年、今川義元の桶狭間の戦いでの戦死は、三国同盟の破綻を招く第一歩となった。 一五六七年、信玄は今川氏との親和論を唱える長男の義信を自殺させ、駿河侵略を断行した。 かくして一五七〇年、信玄はついに駿河府中を占領し、今川義元の遺児氏真を伊豆に追って、駿河一国を制圧した。 信玄のうえには天下の反信長勢力の期待が集まることになり、一五七二年の秋、信玄の京都をめざした西上の大遠征が開始された。そして翌年、信玄は病によってその生涯を閉じたのであった。 (Shade) +上杉謙信 上杉謙信 上杉謙信は、越後守護代長尾為景の子として春日山城に生まれた。為景は、1507年に守護上杉房能を倒し、越後の主導権は守護代が握るものと示した。守護には房能の従兄弟定実をつけ、3年後には房能の兄で関東管領の顕定を下し、傀儡の守護定実の元に集まった前守護家一族、その重臣ら反為景戦線を壊滅させた。為景は越後の中郡地域を制圧したが、敵は依然国内の中郡、奥郡地域に立ちふさがっていた。彼らの正体は定実の一族、さらに彼らに味方した奥郡の豪族層(揚北衆)であった。為景は対外侵略を行って、彼ら国内の敵との対決は避け続けた。 さて、為景は守護房能を倒した後、房能の従兄弟定実を守護の位に就け、彼の傀儡とした。 反為景戦線を壊滅させた後も為景は定実を幽閉しつつも生かしておいた。 というのも、為景は守護家の、一国から反銭を取り立てる権限に目をつけ、これを利用する為であった。政治的・軍事的に為景に敵対する揚北衆も、この取立てには応じた。というのも、この取立ては守護職権に基づくもので、豪族層も守護職そのものを否定できなかったからである。この取り立ての権限を持つのは守護家の「御公銭方」と呼ばれる財務機関で、為景はこれを手中に収めることで収入を得ていた。 このように、この越後では、権力と軍事力をもつ為景によって、強烈な上克下が行われていた。 1536年に謙信の兄晴景が家督を相続し、43年に父為景が亡くなると、上田長尾氏や揚北衆などが攻め寄せ、国内は荒れた。また、晴景と謙信は以前より仲が良くなかったが、これが表面化し、定実の仲介の元、謙信が晴景の養子となり、家督を相続した。 謙信は国内平定の為、己が府内長尾氏を中心に、上田、古志、三条に散らばる長尾氏を連携させようと策謀をめぐらせていた。家督相続以前、栃尾城主だったときに古志・三条両長尾氏は掌握していたので、残る上田氏を服従させ、国内は一応の統一を完成した。 謙信は息つく間もなく、北条氏に攻め立てられた関東管領上杉憲政に頼られ、三国峠を越えて関東へ出陣、更に武田軍に追われた村上義清、小笠原長時を匿って善光寺平に武田軍と刃を交えた。こうして北条、武田を敵に回し、更に敵は甲・駿・相三国同盟を結び、謙信を取り巻く情勢は不利になった。 謙信と三国同盟側は一進一退の様相だったが、1558年、再び関東管領上杉憲政が逃れてきた際、また将軍義輝に関東管領を進められた際に、律儀な謙信はこれを感謝しつつも辞退している。 1560年、今川義元が没し、三国同盟が揺らいだ隙を狙って謙信は11万の兵を以って小田原城を攻め立てた。しかし中々落ちず、長陣を不利と見て退却したが、この際正式に憲政より関東管領を譲られ、上杉を名乗るようになった。謙信はこれ以降、関東鎮定は自分の責任と考えたのか、得るものも殆ど無いのにほぼ毎年出兵した。 信玄との川中島合戦(1553~1564)は、歴史的意義はさして高くないものの、近世以来の歴史家によって名はよく売れている。互いに大義名分があるので引くに引けず、知られているように5度善光寺平にて対峙した。 謙信は1572年に信玄が西上した頃越中方面に進撃しており、その勢力は加賀、能登に達し織田信長の勢力とぶつかり始めていた。 1578年謙信は脳卒中に没し、越後一国は家督争いの為混乱し、今後織田信長の勢力に取り込まれてゆくこととなった。 (NINN) +奥羽大名、伊達氏五代 奥羽大名、伊達氏五代 1563年の幕府の御家人名簿を見ると、幕府の重職者400余名連なる後に、当時の戦国群雄が外様衆、関東衆として登場する。ここに見える奥羽の者の名を見ると、7名が挙がっているが、著しく南奥州に偏っている。東北は元々馬養を基盤に成り立っていたが、中世より、東国に近く開拓農場主としての武士を多く迎え入れた南奥の農業生産性が高くなり、北奥との格差が生まれた。 先ず北奥だが、南部・津軽氏や、2氏に追われて蝦夷地に逃げ、やがて出羽へ復帰した安東氏の他、幾つかの勢力がそれぞれ2、3郡ずつを占拠するといった状況で、後の豊臣政権下において初めて統一を見る。 対して南奥では、強大な支配者達が割拠していた。多くの有力者が一郡規模で支配圏を形成していたが、先述の御家人名簿にそれぞれ特産品を有する伊達、蘆名氏、奥羽探題の斯波氏が土着化した最上氏、大崎氏、の他、馬の産地を抱える相馬氏、南部氏らが大名として挙げられており、彼らによって奥羽の戦国は争われた。 1483年、伊達成宗が多くの貢物を持って上洛した。彼はすぐさま政界の要人に挨拶周りをしている。伊達家では成宗の父の代から当主が必ず参勤し、将軍から諱を頂戴する慣わしとなっていた。 伊達家の努力は稙宗の時に実を結んだ。当時奥州探題によって統治され、陸奥国には守護が無かったが、稙宗はその陸奥国守護に任じられた。こうして伊達家は頼るべき公権を得た。さらに稙宗は戦国大名制の樹立の為に奔走する。1536年には塵芥集という分国法を制定し、当時直面していた問題に対処した。刑事犯罪、民事の規定を始め様々の項目171カ条に渡るが、「地頭と百姓の間のこと」について書かれた項目では、年貢を納めないことは盗人と同じように処す旨、そして他領への移動を繰り返し禁止している。これは伊達氏の領内の基礎が不安定だったことを物語っており、先の武田氏に似た問題を抱えていたようである。また、当時の百姓は一家が大農業経営体をなしており、地頭も彼らの支配に苦労していたようで、領主とともに支配を進めることとなった。 また、伊達氏の収入は他の大名と同じく守護職の課徴権を受け継いだものが基盤であり、一反210文の反銭を柱としていた。 家督は天文の乱で稙宗から長子晴宗に移った。稙宗が次男実元を上杉家に婿入りさせるに当たって植宗が晴宗に幽閉されたためである。 この父子の間の不仲は周辺大名にも拡大し、7年に渡って争われた。 この争いに勝利した晴宗は米沢に本拠地を移して、400名に及ぶ知行の再編成を行った。 結果晴宗は家臣団の編成を領国内に承認させることが出来た。また伊達氏は対外的にも婚姻関係を強制させてきたので、周辺の大名にも伊達化を進めることが出来た。 1565年には輝宗が家督を継ぎ、南奥羽統一への戦乱に巻き込まれていく。次代の独眼流政宗にはどのように領国を発展させるかという近世大名としての使命が課された。 (NINN) +家臣団と軍事力 家臣団と軍事力 戦乱の時代にあっては、同族・家臣といえどもすべてが主君に対して絶対の忠誠心を持っていたわけではない。それゆえ、戦力の土台となる家臣の編成や武力の強化は、どの大名にとっても困難な過程だった。この時期に特有のものとして現れてくる、自分の名の一字を文書にあらわして与える「一字書き出し」の文書も、同族・主従の契りを強調することがいかに大切であったかを示している。 大名の家によって様々な差異こそあれ、戦国大名の家臣には、おおよそ次のような四つの類型があったと見てよい。 第一の上級家臣は、一門衆・一族衆などと呼ばれる大名と血縁関係のある人々である。家の所領が分散しないよう分割相続制がやめられて、嫡子が全所領を単独相続するようになるという十四、十五世紀における相続形態の変化によって生まれた家臣である。彼らは一族ではあるが、もはや主君と同列の地位にはない。 第二の家臣は譜代と呼ばれるグループで、血縁関係が遠く一門衆に数えられなくなった庶流や、早くから直臣化した非血縁の人々が含まれる。大名から本来の所領を安堵されたり新たに給地を与えられたりで、相当の所領を持っている安定した家臣である。 第三は外様である。大名の領土拡大過程で服属こそしたが、依然同盟関係に近い状態にあり、軍事関係以外ではほとんど大名からの制約を受けず、寝返りも当然という観念を持ったグループである。 第四は直臣と呼ばれる、大名の直轄地から所領を与えられたり禄米を与えられたりしているグループである。家臣団ではいちばん格下に位するが、主家の親衛隊の役目を持っている、旗本直参的な存在である。 これらの家臣が、即座に戦時の編成となるよう組織されていたのが、合戦を本分とする戦国大名の家臣組織の特徴と言える。戦国大名の民政が、軍政と切り離して考えることのできないひとつの理由である。 では家臣たちが、戦国大名に従っていた理由は何だろうか。端的に言って、武士が主君をいただくのはその保護を受けるためであり、主君が従者を持つのはその援助を求めるためである。すなわち御恩と奉公の封建的主従関係である。戦国大名とその家臣の場合も、御恩の内容が本領安堵や新恩所領の宛行いであることは他の時代と変わらない。しかし知行の形態は、土地を管理する職務に一定の経済的収益権が付帯していた鎌倉・室町時代とは異なり、所領はその土地面積によって表現されるようになっている。戦国大名の家臣たちは、彼ら自身が明確な土地の領有者となっているのである。 一方の奉公は、軍役の義務を負うことである。戦国大名の家臣にあっては、軍役は知行高の規模に応じて賦課される。貫高基準と呼ばれ、基本的には軍役の多寡は所領からとれる年貢を銭で表した数値、つまり土地面積に比例していた。これは戦国時代になってはじめてはっきりする形式である。このような方式で定められる軍役の実際を示す資料は少ないが、動員兵数や武装状況の具体的なあらましは、上杉謙信の軍役帳簿『軍役帳』に詳しい。 (Shiraha) +軍略と軍規 軍略と軍規 戦国時代に入ると合戦は大人数を動員する総力戦的様相を帯びるようになり、軍略や兵法・軍規はいよいよ重要となった。戦いの場において大量の軍勢を動かす役を持つ者は軍配者と呼ばれ、その手際の優劣は戦の勝敗に大きく影響した。そのため戦国大名たちは有能な軍配者を諸所から求め、重用したという。初期の軍配者はまだ吉凶の占いや儀式の主宰が主要な任務であり、その学問的背景は易学・占筮術など、どちらかといえば非合理的なものであったが、文献上の知識と実践上の経験を織り交ぜたような雑多な知識は、やがて集成して兵法となり、後の軍師の誕生へとつながっていった。 しかし戦いの規模が際限なく大きくなるにつれ、やがて古典的な易と兵学だけでは戦を勝ち抜けなくなり、戦国大名たちは新たな戦力・兵器を求めはじめた。そうした要請に沿ってこの時期に出現するもののうち、もっとも注目に値するのが忍びの者と鉄炮である。 忍びの者は伊賀と甲賀とが発祥地と言われる兵科で、敵の場内へ忍び込み、敵情を窺い、密事を見聞きし味方に知らせるなど、戦の裏側で暗躍する者たちである。動員数に対して効果は目覚しく、争乱が激しくなるにつれて、忍びの者は全国的に跳梁した。 またこの時代に登場し、後の戦術を大きく変化させた新兵器として、鉄炮の存在は見逃せない。種子島銃がポルトガル人によって伝来されるとまもなく全国へ普及し、実戦に使用されはじめた。鉄砲隊はやがて不可欠の部隊として組織され、農兵はいままで以上に徴発されるようになる。侍も百姓も、百姓仕事を離れて軍事に邁進しなければならなくなり、兵農分離が急速に進んで行く契機となった。 (Shiraha) +大名と農民 大名と農民 戦国大名は家臣に所領を封じることで家臣に軍役を賦課した。それゆえ、家臣の所領から年貢を取り立てることはできなかった。しかし領国体制の強化のため、家臣から所領の詳細を指し出させ、領土全体へ一定の税を賦課した。これは指出検地といい、これによって戦国大名は土地と農民の直接支配を行った。 検地では軍役を賦課される者、年貢を賦課される者を分けて数え、そのことによって兵農分離が推進されることになった。その土地単位は貫文によって表され、その数値に従って百姓たちは貨幣で年貢を払うことになった。またその年貢以外にも様々な形で税が賦課された。これは守護大名の一国平均役に由来するもので、一国の公的支配権を表すものであった。 このような画一税制を組み立てるのは非常に難しいことであった。中世の税制とは複雑を極めるもので徴収される物も多岐にわたり、これを大きく改革する必要があったからだ。 これらの税は主に銭によって収められた。しかし銭は悪銭も多く価値が一定しない。そこで、次第に税は穀物で収めさせるように変化していった。 また労役も課せられていた。大きく陣夫・普請役・農兵と三種あるが、孰れも大きな負担であった。 戦国大名は、勧農政策を行って農民を愛護する一方、その軍役などで農民を縛りつけた。そのことによって自由闊達だった農民の動きは制限されてゆくのである。 (Spheniscidae) +領国の経営 領国の経営 戦国大名は領国を安定化させるために領国経営へ力を入れた。治水事業や鉱山事業がまず上げられ、これらは領国からの収入増加を齎した。また、この時代の製鉄技術も著しく進歩し、戦国末には画期を迎えていた。そしてこれらの鉄を用いて作られた鉄砲は新兵器として重要度を持ち、故に各地でこれを巡る駆け引きが行われていた。その中でも信長は、堺の商人を取り込むことで鉄砲の威力を見せつけることになる。 また敵への物資流入を止める荷留も行われた。謙信による塩送りの逸話は、東海関東方面から塩の荷留を行われた武田氏に、越後の商人が塩を大量に売りつけたことから由来すると考えられる。また戦国大名に付属する御用商人も活躍していたが、彼らには武士的な側面も非常に強かった。 交通政策については宿駅制が行われていたが、これは東国に限られたといっていいだろう。 職人把握も行っており、武器の製造などを行わせていた。彼らの生活は貧しいもので、地位は決して高くはなかった。 (Spheniscidae) 後編 へ
https://w.atwiki.jp/sengokutaisenark/pages/320.html
武将名 おだのぶなが 第六天魔王 SR織田信長 戦国の世に君臨した魔王。尾張一国から、瞬く間に勢力を拡大する。幾度も敵対する大名に包囲網をしかれるも、不屈の精神力と果敢な決断でこれを撃破。自ら「第六天魔王」と称した。天下統一を目前に、明智光秀の謀反により本能寺を急襲され、自刃した。「紅蓮の炎に包まれるは 貴様か、はたして俺か……!」 出身地 尾張国(愛知県) コスト 4.0 兵種 槍足軽 能力 武力11 統率11 特技 制圧 魅力 計略 是非に及ばず(ぜひにおよばず) 味方の武力と統率力が上がる。ただし統率力が徐々に下がり、対象の味方の統率力が一定以下まで下がると撤退する。 必要士気8 Illustration 杉浦善夫 計略効果 カテゴリ 士気 武力 統率 速度 兵力 効果時間 その他 大名采配 8 +5 +12-1/0.917c (2.2秒) - - -c 統率0で撤退 信長自身は約21cで撤退、素の統率が1の部隊ならば約12cで撤退する。 (以上3.10J) (最終修正3.10J) 解説 第六天魔王、信長その人の歴史上最後のカード。 全勢力で3人しかない4コストという重さからくる11/11制圧・魅力という超スペックを誇る。 雪斎や元就あたりが相手でない限り押し合いを気にせず好きなように動けるし、ここまで武力が高いと+4家宝のみで蘭丸が目覚める。 攻城力も非常に高く、兵糧庫攻めが通ってから城門攻城が1回入れば筒戦デッキに対しては試合を決めかねないリードが取れる。 「是非に及ばず」は武力+5で統率が極めて大きく上がるが、時間経過で統率が減っていき、0になった部隊は撤退する采配。 撤退するまで効果が続くので、統率がある限りは基本的に効果時間は無限と考えてよい。 よほどの事がない限りは素統率が高い信長自身が最後に撤退する。 15c前後続く武力+5采配と考えると士気8のパフォーマンスはあるかは微妙な所で、武力アップ自体は大きくないためフルコンには勝てない。 敵の攻めを凌いで士気差を作り、マウントを取る形で相性のいい他計略と合わせて叩き込みたい。 もちろん統率下げ効果を持つ計略で撤退する可能性はあるので注意。 コスト含め基礎スペック自体が極めてアクが強く、 採用する場合はこのカードを中心として他のシナジーを積むデッキにならざるを得ない。 そのためデッキ構築の段階からして難しく、使用率は低迷を続けていたが、Ver3.xにて転機到来。 普請システムの搭載で、矢倉による後方支援、米蔵による兵力維持など、 長時間采配をバックアップできる態勢が整ってきたこと。 他の采配や強化陣形の効果時間が軒並み低下し、相手の攻勢を凌ぎ易くなったこと。 さらに、低コストの攻城力低下で、コスト4槍兵の攻城ダメージを挽回され辛くなったこと、など、 追い風となるシステム変更を受け、相対的に使用率が上昇。 Ver3.1xに至り、織田家の全体強化の中では一番手となるほどの躍進を遂げた。 段階的ながら全軍撤退が前提であり、前のめりで攻城を取りにいくピーキーな戦略になる事を避けられないが、 城門一発で城ゲージ1/4弱を持っていく豪快さは魅力。 使用士気の重さからくる、数少ないチャンスを確実に通していこう。 備考 戦国大戦の(SS除く)歴史上最後の信長。 もはや魔王と化したイラストは劫火に猛る本能寺での一幕。 計略は奇しくも光秀の"本能寺にあり!"の全体版のような趣で、そちらと違いどう繕っても撤退が確定している。 2.01A 統率上昇値増加(+12→+13) 3.02A 統率力低下間隔延長(0.83c→1.0c) 3.02G 武力上昇値増加(+5→+6)、統率力低下間隔短縮(-1/1c→-1/0.846c) 3.10B 統率上昇値減少(+13→+12) 3.10F 統率力低下間隔延長(-1/0.846c→-1/0.917c) 3.10J 武力上昇値減少(+6→+5) 台詞 \ 台詞 開幕 紅蓮の炎に包まれるのは、貴様か俺か 計略 是非に及ばず、一戦あるのみ タッチアクション - 撤退 死のうは一定 復活 我、君臨せん 伏兵 - 虎口攻め 滅するが運命よ └成功 地獄の業炎に焼かれ、灰となれい 攻城 滅せよ 落城 魔王として乱世に君臨せん…… 熟練度上昇
https://w.atwiki.jp/sengokutaisenark/pages/1713.html
武将名 かにさいぞう 笹の才蔵 武断派 R可児才蔵 福島家臣。正則に仕えるまで、転々と主君を変えていたが、才蔵の有名な剛勇さから常に歓迎された。関ヶ原の戦いでは17の首級を挙げて、それら全てに笹を挿して目印としたため「笹の才蔵」の異名をとった。宝蔵院流槍術の開祖・胤栄に師事した槍の名人。「死と隣り合わせの戦場でこそ 生を実感できるというものだ……!」 出身地 美濃国(岐阜県) コスト 2.0 兵種 槍足軽 能力 武力8 統率7 特技 疾駆 忠誠 計略 笹の首級(ささのしるし) 武力と槍撃ダメージが上がる。さらに敵を撤退させるたびに兵力と忠誠度が上がり、カードをタッチすることで一定距離を高速移動できるようになる。 必要士気5 Illustration RARE ENGINE 計略効果 カテゴリ 士気 武力 統率 速度 兵力 効果時間 その他 槍強化 5 +3 - - +15%/1撃破 10.0c(統率依存0.13c) 槍撃ダメージ+2高速移動距離、1.5部隊分忠誠度+25%/1撃破 高速移動は最短で1.85秒ごと。 高速移動中は迎撃される。 高速移動中は"挑発"系の効果によらず移動できる。"誘導"は要検証。 速度が下がっていると、移動距離も短くなる。 (以上3.10J) (最終修正3.10B) 解説 武断派の2コスト槍の中では文武両道枠。 8/7に疾駆持ちと2.5コスト級。脳筋が多めな武断派の中では安定感が嬉しい。 素でスペック要員として十二分に採用価値あるが、計略も輪をかけ優秀。 Ver.3.0から導入されたタッチによる突撃移動槍。効果時間中何度でもカードタッチで騎馬突撃のように高速移動可能。 (他に「首おいてけ」SS島津豊久も。移動毎に台詞があるため騒がしい) 士気5で10c高速移動が出来る上、武力+3に槍撃ダメージ上昇、そして敵撃破で忠誠さらに兵力回復も付く。大山盛。 "槍の鈴"へさらにいろいろ付加効果がついたようなもので特に敵が下がろうとする時のカウンターでその強さを発揮する。 単体強化家宝との相性も良く、相手の足並みが揃っていなければ単身で戦場全体を暴れ回ることができる。 騎馬超絶強化にはタッチ移動で粘着、突撃出来なくして封じ込めることが可能。突撃ボイスを聞いてから乱戦抜け→迎撃の択もあるので相手からするとかなりやっかい。 また、"挑発"系計略の移動制限を振り切って好きに移動することができる。通常移動中はもちろん引っ張られるが、タッチ移動で稼ぐ距離の方が大きいため逃げ切れる場合が多い。 注意点としては、素の能力が優秀とはいえ武力+3でしかないこと。あくまで「荒らし」向きの計略。 そしてタッチ移動は迎撃される。甘え突撃であっさり退場、誤っていたのはこちらの引き時だった、ということにならないように。 備考 本名可児吉長。戦国無双をガチでやったお人。 いわゆる大部隊率いる「武将」ではなく、自身の槍働き次第が全ての一兵士として生涯戦場を駆けた人。 それでありながら当時から知名度高く、前田慶次や本多忠勝といった著名な豪傑よりも個人の武勇は秀でるかもしれない。 名前的に、ゲームアニメに限らず正子公也(コーエーの武将ファイルなどで口絵イラストを描いている方)氏の諸作などでも「蟹」にあやかったキャラにされやすいのだが、 これまで数多の武将をネタにしてきた戦国大戦では、意外にも(?)笹の才蔵らしいまっとう格好良いイラストに描かれている。 3.02A 効果時間短縮(18.1c→15.6c) 3.02B 武力上昇値減少(+3→+2)、高速移動後、次に高速移動できるまでの間隔延長(1.33秒→1.85秒) 3.10B 効果時間短縮 (15.6c→10.0c)(統率力依存値減少(0.2c→0.13c))、武力上昇値増加(+2→+3)、槍撃ダメージ減少(+?→+2) 台詞 \ 台詞 開幕 死と隣り合わせの戦場……故に生を実感できる 計略 さて、武功の稼ぎ時が到来したか 高速移動 倒れよ! 撤退 退き時を誤ったか…… 復活 さて、次はどいつだ 伏兵 - 虎口攻め 俺は何も恐れんぞ └成功 この槍、折れる者は無い 攻城 首は十分取った。次は城だ └忠誠度回復 我が槍の穂先に、錆は無し! 落城 勝敗など、俺ごときが考えるものではない 熟練度上昇 笹の才蔵、ここにあり!
https://w.atwiki.jp/sengokutaisenark/pages/2162.html
武将名 せんひめ 逃亡の姫君 豊臣家 EX千姫 豊臣秀頼の正室。秀頼と共に大坂城に入っており、大坂夏の陣にて命の危機に瀕したが、豊臣・徳川両家にとって重要人物であるため落城寸前に救出された。夫・秀頼の助命は叶わなかったものの、義娘・奈阿姫の命は守りその後養女として育てた。「さようなら、秀頼さま…… そして、共に過ごした日々……」 出身地 山城国(京都府) コスト 1.5 兵種 騎馬隊 能力 武力4 統率6 特技 制圧 魅力 計略 天樹の祈り 【裏計】(この計略は自身が城内にいる時のみ使用できる)自身と城内の最も武力の高い豊臣家の味方の武力と速度が上がり、一瞬で戦場に移動させる。その効果は対象の味方に傑集している部隊の武将コストの合計値が高いほど大きい。 必要士気5 Illustration hakus 計略効果 カテゴリ 士気 武力 統率 速度 兵力 効果時間 その他 傑集采配 5 +1+傑集コスト端数切捨て、最大+5 - +10+結集コスト×10%最大+50% - 7.5c(統率依存0.2c) 自身と他の対象武将が一瞬で戦場に移動 戦場への出現位置は、縦が自陣中心よりカード1/2前、横は計略時の城内位置。 傑集の算定基準は2人合計、武力上昇量は2人同一(例 片方は傑集0、もう一方が傑集コスト1で2人共武力+2)。 速度上昇はコスト4傑集時でも槍が迎撃されない。 (以上3.10F) (最終修正3.10F) 解説 SR毛利勝永の廉価コスト版。裏計効果付きの自身ともう一部隊を対象とする傑集采配持ち。 本人能力は統率寄りコスト1.5騎馬。傑集系デッキに合う制圧を持つが、総合的には平均やや下か。 計略はなぜか真田家の裏計要素を持ち、自身が城内にいる時のみ使用可能。 自身と自城にいる最大武力の2人を「宵闇の強襲」と同じく戦場自陣中央やや前へ出現させる。 武力上昇は傑集させているコストに応じ増加。最低+1でコスト1.0傑集が増えるごとさらに+1、最大コスト4傑集の+5。 傑集コストは計略対象2人の合計値を参照。武力上昇値は2人同一。 速度も傑集に応じて上昇する。 士気5に対して武力上昇はさほど高くない。 「勇士の采配」を主力2部隊で打った時のような火力は期待できないが、 「宵闇の強襲」が士気7で武力+4/速度+30%であるのと比較すると見方が変わる。 自身が能力控えめとは言え豊臣傑集に貴重なタッチ騎馬であることも評価材料。 誰と組みどちらにいくつ傑集をつけるか、裏計効果を上手く利かせられるか、 扱いは難しいが、常に敵の足並みを揃えさせず荒らしていく傑集系デッキの新たな一枚として期待できる。 備考 2015/08/06-2015/08/31に行われた「戦国大戦 EXカードキャンペーン第6弾」で配布されたカードの一枚。 計略の「天樹の祈り」は戒名の「天樹院」から。 肩書きは「逃亡の姫君」となっているが、カードテキストにあるように救出されたのであって逃亡したわけではない。 もっとも虎口や落城台詞、4/6騎馬と戦場に無縁の女性としては中々の能力も見ると、イラスト印象と異なる一面があるのかも。 R千姫同様に夫・秀頼に関する台詞が多いが、性能での相性も上々。 姑の「女帝の天声」淀の方や義娘の奈阿姫と組ませても面白い。 台詞 \ 台詞 開幕 誰かが……愛するものを奪うのですね 計略 私には、あの人がいる。もう少しだけ時間を…… タッチアクション 早く! 撤退 さようなら、秀頼さま…… 復活 いかなくては! 伏兵 - 虎口攻め こうなっては、もはや └成功 脱出するしかないのですね 攻城 戦とは、悲しいですね 落城 ああ、城が崩れていく……思い出と共に…… 熟練度上昇
https://w.atwiki.jp/sengoku-taisen/pages/1238.html
亀甲に梅鉢 - 名無しさん 2016-04-08 18 07 27 R武田晴信で武田菱・赤、062SR真田昌幸で真田銭・赤の獲得を確認 - 名無しさん 2016-02-24 16 50 47 SR木村重成でも隅み立て四つ目・橙を取れる事を確認 - 名無しさん 2016-01-19 22 21 46 森鶴の丸・橙はSR毛利勝永で取れます - 名無しさん 2015-12-28 20 02 53 向かい蝶・橙はSR大谷吉継でも取れます - 名無しさん 2015-12-20 21 59 49 徳川80UC酒井忠勝で「剣片喰・緑」を確認 - 名無しさん 2015-12-11 23 52 42 豊臣UC 大野治房で「大文字・橙」の獲得を確認 - 名無しさん 2015-11-23 18 19 28 豊臣UC 青木一重で「富士山形・橙」の獲得を確認 - 名無しさん 2015-11-23 18 17 55 丸に違い矢 - 名無しさん 2015-11-12 21 40 42 徳川C土井利勝で六つ水車・緑で確認 - 名無しさん 2015-11-08 02 01 05 宴131 SR松平信綱で 三つ扇・緑を確認 - 名無しさん 2015-11-01 19 30 32 毛利のC佐野道可で三盛り左三つ巴・翠 確認 - 名無しさん 2015-10-26 18 52 34 佐野道可 下り藤に内の字・翠 でした。 - 名無しさん 2015-12-04 01 31 35 宴 清水景治で 下り藤に内の字・翠を確認 - 名無しさん 2015-10-26 18 47 37 新バーの情報求む! - 名無しさん 2015-10-06 20 30 50 上杉UC 上泉泰綱で「片喰・灰」の獲得を確認 - 名無しさん 2015-06-21 18 55 53 宴R 大須賀康高で「七曜・緑」の獲得を確認 - 名無しさん 2015-06-20 00 06 33 宴R・香川親和(長宗我部家)で「九曜巴・藤」の獲得を確認しました。 - 名無しさん 2015-01-27 17 53 10 宴R 宇都宮国綱で右三つ巴・黒の獲得を確認 - 名無しさん 2015-01-23 04 23 08 宴R 宇都宮国綱で右三つ巴・黒の獲得を確認 - 名無しさん 2015-01-23 04 22 14 宴SR 長尾景春で九曜巴・黒の獲得を確認 - 名無しさん 2015-01-23 03 48 23 あと、真田家は、小山田、幸村以外の熟練度上げましたが、真田銭以外の獲得はありませんでした。バージョン3.0としては真田家の家紋は2種類でおしまいですね。 - 名無しさん 2014-12-02 21 53 11 真田銭・紅、SR真田信幸で獲得しました。 - 名無しさん 2014-12-02 21 47 32 上杉84 SR前田慶次で梅鉢・灰を獲得。編集出来る方お願いします。 - 名無しさん 2014-11-17 21 56 43 豊臣・SR島左近で、「三つ柏・橙」獲得。ちなみに家紋の確認をした際に「島左近 等」となっていたので、他のカードによる獲得もある模様。 - 名無しさん 2014-11-17 17 21 30 すごく今更ですが、豊臣R堀秀政で「釘抜き・橙」獲得しました。 - 名無しさん 2014-11-08 20 34 35 他家の家紋の項目、「丸に細桔梗・黒」R太田資正とSR太田道灌がさ、別々になってます。 - 名無しさん 2014-11-03 11 02 04 本日確認したら、八本矢車・緑を獲得していました。現在、家紋入手設定の無い武将でLv.1以上なのが鵜飼・天海・半蔵の3武将なので、このいずれかによると思われるのですが、入手武将を確認された方情報をお願いします。 - 名無しさん 2014-10-23 22 34 41 徳川027服部半蔵で獲得しました。カード登録画面の家紋では「服部保長 等」、名義でした。徳川の服部家武将での獲得なのかと思います。 - 名無しさん 2014-10-24 16 26 05 家紋の編集をしてくれた方有り難うございます。後、浅井朝倉051 R京極高次で平四つ目・桃獲得。引き続き編集していただける様ならお願いします。 - 名無しさん 2014-10-15 21 57 47 真田007 UC真田昌親で真田銭・紅。編集出来る方お願いします。 - 名無しさん 2014-10-04 02 36 27 徳川055 UC高木清秀で高木鷹の羽・緑。徳川048 C伊奈忠次で二つ巴・緑獲得。毛利049 C熊谷元直で抱き寓生に鳩・翠獲得。編集出来る方お願いします。 - 名無しさん 2014-10-03 03 23 40 織田089 C木造長政で武田菱・青獲得。上杉079 C志駄義秀で竹に対い雀・灰獲得。上杉083 C藤田信吉で繋ぎ五つ目・灰獲得。毛利051 C宍戸元続で花州浜・翠獲得。豊臣054 UC明石全登で竹丸に桐・橙獲得。豊臣084 C平塚為広で亀甲の内梅鉢・橙獲得。豊臣092 UC前田利政で梅鉢・橙獲得。伊達042 UC石川昭光で対鶴・蒼獲得。長宗我部044 R津野親忠で丸に一の字・藤獲得。真田002 UC小山田茂誠で立ち沢瀉・紅獲得。編集出来る方お願いします。 - 名無しさん 2014-10-01 05 44 15 SR太田道灌で丸に細桔梗・黒の獲得確認。 - 名無しさん 2014-09-28 23 28 01 豊臣063 C織田有楽斎で織田瓜・橙獲得。豊臣066 R可児才蔵で丸に違い笹の葉・橙獲得。豊臣074 R小早川秀秋で中輪に違い鎌・橙獲得。徳川44 C青山忠成で青山銭・緑獲得。徳川69UC柳生石舟斎で柳生笠・緑を獲得。他家123西 C有馬晴信で有馬瓜・黒獲得。編集出来る方お願いします。 - 名無しさん 2014-09-28 07 10 18 織田090 C斉藤徳元で二波波・青 、北条52 板部岡江雪斎で丸に片喰・黄を獲得出来ました。編集出来る方お願いします。 - 名無しさん 2014-09-26 04 06 18 織田090 C斎藤徳元、「二頭波・青」の間違いでは? - 名無しさん 2014-10-23 22 20 46 豊臣044 C長束正家で花菱・橙を獲得確認。編集できる方お願いします。 - 名無しさん 2014-09-09 19 50 39 豊臣044 C長束正家で花菱・橙を獲得確認。編集できる方お願いします。 - 名無しさん 2014-09-09 19 50 30 豊臣044 C長束正家で花菱・橙を獲得確認。編集できる方お願いします。 - 名無しさん 2014-09-09 19 50 13 毛利037 UC益田元祥で九枚笹・翠を獲得確認。編集できる方お願いします。 - 名無しさん 2014-08-26 20 02 59 大道寺太郎で大道寺政繁と同じ揚羽蝶・黄取れました - 名無しさん 2014-07-24 23 25 30 自分で見つけた豊臣家の池田恒興と増田長盛を追加。ついでに下の2人の方の分も追加しました。ただ、なにぶん初めてなので間違いなどありましたら修正お願いします。 - 名無しさん 2014-07-16 00 38 39 他家121 R柳生宗厳で「柳生笠」・黒獲得 今川 52C冷泉為和で片喰・紫獲得 後、武田69 C小山田虎満で十六剣菊・赤獲得を確認。 編集出来る方お願いします。 - 名無しさん 2014-04-28 23 30 04 豊臣048 R山内一豊で山内土佐柏・橙の獲得確認 - 名無しさん 2014-04-22 19 54 03 北条家のタイトルが、文字と後ろの色が被って消えています。修正できる方お願いします - 名無しさん 2014-04-16 15 52 32 宴62 SR山名宗全で「糸輪二つ引き両・黒」を獲得出来ました。 - 名無しさん 2014-04-06 04 04 21 毛利046 R渡辺通で渡辺星・翠を取得出来ました。 - 名無しさん 2014-04-03 23 53 20 徳川013 C高力清長で向かい鳩・緑、長宗我部007 R香宗我部親泰で四つ割菱・藤を獲得確認。丸に二つ引き・藤は長宗我部004 R吉良親貞では獲得できませんでした。 - 名無しさん 2014-04-03 21 27 28 C本泉寺で西六条藤・鶯が出ました。 - 名無しさん 2014-04-03 18 05 49 上杉063 UC須田満親で鶴の丸・灰の獲得確認 - 名無しさん 2014-04-02 19 31 41 編集途中で間違えて送ってしまったので再度、他家西110 大祝鶴姫で折敷に三文字・黒 織田家86 山口教継で花菱・青が取れました。 - 名無しさん 2014-03-17 01 00 29 他家西110 大祝鶴姫で折敷に三文字・黒 織田家86 山口教継で花菱・青ga - 名無しさん 2014-03-17 00 56 27 他家西 洞仙院で二引両に左三つ巴・黒が取得できました。 - 名無しさん 2014-03-16 08 22 53 結び雁金・緑は平岩親吉で獲得できます。 - 名無しさん 2014-03-03 00 37 56 北条のR伊勢新九郎で「北条対い蝶・黄」を確認しました - 名無しさん 2014-02-26 00 43 26 右三つ巴・鶯、宴・土橋守重で確認しました。付け加えると本願寺のカラーは黄緑ではなく、鶯(うぐいす)です。 - 名無しさん 2013-12-23 10 50 43 じゃーウグイスに変えてください - 名無しさん 2013-12-31 18 42 08 どなたか土井清良の家紋知りませんか? 熟練度上がっても家紋もらえなかったので、誰かと一緒なのかな? - 名無しさん 2013-10-06 00 09 52 土居だった… - 名無しさん 2013-10-06 00 20 18 丸に笹竜胆・緑は石川数正でも可。丸に片喰・緑をSR酒井忠次で獲得。 - 名無しさん 2013-09-23 23 19 05 ここまで編集しました。 - 名無しさん 2013-08-19 14 49 34 UC結城秀康について、当方も熟練度1ですが結び雁金・緑は未獲得でしたので追加は見送りとしました。 結城秀康・板倉勝重・石川家成で 丸に笹竜胆・緑、九曜巴・緑、右三つ巴・緑のどれかを1つずつ獲得できているので、可能な方がおりましたら確認をお願いします。 - 名無しさん 2013-08-19 14 56 34 結城秀康・内藤正成・鳥居忠広で 右三つ巴・緑、下がり藤・緑、鳥居笹・緑を確認しているのでUC結城秀康は右三つ巴だと思われます - 名無しさん 2013-08-19 18 44 55 R長宗我部元親、R福留親政について、七つ方喰か六つ方喰かが既に報告されているのと逆になっていたので、一旦保留にしました。確認したら編集してみます。 - 名無しさん 2013-08-19 15 01 44 下で河野とかと一緒にR元親、R福留の報告をした物だが、多分元親のほうが七つで福留のほうが六つで合ってると思う。名前の似た二つの家紋を同時に習得したもんだからごっちゃになった、すまん - 名無しさん 2013-08-20 03 07 33 R福留で「六つ方喰」取得を確認。 - 名無しさん 2013-08-20 21 59 04 R鬼庭左月斎で重ね剣菱・蒼の獲得確認 - 名無しさん 2013-08-19 01 22 06 丸に右互い重鷹羽・黒をUC甲斐宗運、六つ片喰い・藤をR長宗我部元親、七つ片喰い・藤をR福留親政、折敷に三文字・藤をUC河野通直でそれぞれ習得確認しました - 名無しさん 2013-08-18 00 14 39 本多立ち葵・緑はUC本多重次でも可。 - 名無しさん 2013-08-01 01 55 02 R甘利虎泰でも花菱・赤は取れます。 - 名無しさん 2013-07-24 01 47 40 R浅井政元でも三つ盛り亀甲花菱・桃を修得可能なことを確認 - 名無しさん 2013-07-21 01 56 18 徳川家 徳川002 UC安藤直次 安藤藤・緑 徳川003 R井伊直政 丸に橘・緑 徳川011 UC奥平信昌 奥平団扇・緑 徳川018 SR榊原康政 榊原車・緑 徳川030 SR本多忠勝 本多立ち葵・緑 徳川032 R松平信康 徳川葵・緑 徳川033 UC結城秀康 結び雁金・緑 徳川034 C渡辺守綱 渡辺星・緑を確認しました。 - 名無しさん 2013-07-13 18 45 37 あ、SR尼子経久でも、「平四つ目・黒」取れるよ。 - 名無しさん 2013-06-25 01 14 37 ここまで編集しました。同レアリティでの同名武将の追加も必要かとは思いましたが今回はやめにしました。 - 名無しさん 2013-06-23 22 59 11 R豊臣40 後藤又兵衛:下がり藤・橙 R豊臣47 森長可:森鶴の丸・橙確認しました - 名無しさん 2013-06-22 17 39 38 Rm真壁 橘・黒 反映されるようになりました。家紋選択可能確認しました。 - 名無し 2013-06-22 01 31 43 C大西頼包 - 名無しさん 2013-06-20 23 42 43 途中送信してしまった。C大西頼包:変わり鳳凰の丸・藤 C佐竹親直:佐竹扇・藤 UC福留儀重:六つ片喰・藤 - 名無しさん 2013-06-20 23 45 35 R本山親茂:檜扇・藤 UC吉田貞重:三つ引き両・藤 UC吉良親実:丸に二つ引き・藤 - 名無しさん 2013-06-20 23 47 40 相馬盛胤で九曜・黒確認しました - 名無しさん 2013-06-20 03 51 50 最上義光で丸に太二つ引き・黒確認しました - 名無しさん 2013-06-19 18 19 53 R真壁の「橘・黒」2.1になったらちゃんと獲得できるように修正が入るね - 名無しさん 2013-06-13 18 42 11 本能寺明智 桔梗・青 確認 - 名無し 2013-06-10 15 17 37 是非長 織田瓜・青 確認 - 名無し 2013-06-10 15 15 55 風林火山継承 高坂 九曜・赤 確認 - 名無し 2013-06-10 15 14 39 UC大崎義直で丸に太二つ引き・蒼を獲得確認 - 名無しさん 2013-06-06 19 55 25 R森蘭丸で森鶴の丸・青を獲得 確認 - 名無しさん 2013-06-04 23 43 48 C芦名義広で九つ割三つ引き・黒 獲得確認 - 名無しさん 2013-05-21 10 26 57 UC石川高信 対鶴・黒を確認 - 名無しさん 2013-05-19 17 48 01 宴 吉見正頼で丸に二つ引き・翠獲得できることを確認 - 名無しさん 2013-05-14 21 38 45 C畠山義継で丸に太二つ引き・黒、SR蒲生氏郷で対鶴・橙を確認 - 名無しさん 2013-05-14 18 53 17 宴伊達正宗 竹に雀・蒼 確認 - 名無し 2013-05-12 22 40 51 必要こばん枚数とは? - 名無しさん 2013-03-20 00 12 55 SR伊達成実で竹に雀・蒼獲得確認 - 名無しさん 2013-03-03 23 35 30 SR片倉小十郎でも九曜・蒼が取れることを確認 - 名無しさん 2013-03-02 22 26 49 宴 戸沢盛安で石持ち地抜き九曜・黒が取れることを確認 - 名無しさん 2013-02-06 00 09 12 宴 渡辺 了 渡辺星・桃 - 名無しさん 2013-01-28 19 59 21 ここまでのコメント分追加+α …なんだけど、豊臣SR利家は「梅鉢」じゃなくて、ほんとに「五七桐」だったの?と疑問が浮上。当方未所持につき、お持ちの方確認を求む。 - 名無しさん 2013-01-24 18 22 02 すでに五七桐・橙を所持した状態で利家の熟練度を上げても梅鉢・橙を取得できていないので、おそらく間違いないかと - 名無しさん 2013-01-27 08 20 10 SR前田利家(豊臣家)で五七桐・橙を獲得したことを本日確認致しました。 - 名無しさん 2013-02-01 19 04 10 UC氏家定直でも左三つ巴・黒が取得可能なことを確認 - 名無しさん 2013-01-20 19 18 30 現状、本編獲得家紋リストには没データや未実装と思わしきものが含まれているので埋まりません - 名無しさん 2013-01-19 09 50 00 うむ。 .NETのカスタマイズ→家紋設定→本編獲得家紋リスト→???のページを開いた際、アドレスの下2桁が05なら未設定、00~12ならたぶん現verで取得可能な家紋と思われる。 - 名無しさん 2013-01-19 20 52 33 SR朝倉宗滴でも三つ盛木瓜・桃が修得可能なことを確認 - 名無しさん 2013-01-17 21 24 03 豊臣家・SR前田利家にて五七桐・橙が取れました。 - 名無しさん 2013-01-16 22 35 20 ここまで編集しました。R真壁の家紋も一応追加としました。 - 名無しさん 2013-01-13 23 32 13 真壁で獲得出来る橘・黒、本編獲得家紋リストに載りません(所持数には反映される)。また、.NETショップの橘が獲得済みの表記になりますが、実際には使用できません - 名無しさん 2013-01-10 09 57 24 蛇の目・橙は加藤嘉 - 名無しさん 2013-01-04 23 25 53 蛇の目・橙は加藤嘉明、丸に出十字久留子・黒は波多野秀治でも可 - 名無しさん 2013-01-04 23 27 30 リストに載っていますが、EX真田幸村では家紋取れなくないですか? - 名無しさん 2012-12-02 21 29 35 いや、幸村は例外的に取れるよ。ここで証明するのは無理だが俺は実際に幸村で真田銭・赤取ったし - 名無しさん 2012-12-02 21 33 46 武将旗の手に入れ方を教えてください…。シリアルとほかに方法はありませんか? - 名無しさん 2012-11-28 00 16 43 ver2.0以降から織田家を使ってないんだけど、いつの間にか三つ盛木瓜・青を獲得していました。(15XXまでの既存武将のどれかに新しく追加されてる?ver2.0までにはなかったことは確認済み) という現象の報告 - 名無しさん 2012-11-27 20 14 39 ググったら荒木村重の家紋が三つ盛木瓜らしいが、熟練度1以上なもので確認できず - 名無しさん 2012-11-29 23 23 49 荒木村重で三つ盛木瓜・青取れることを確認 - 名無しさん 2012-12-05 18 26 44 SR蒲生氏郷が対鶴・橙…だったはずなんだが、同じ日に複数人の豊臣系家紋ゲットしちまったもんでちょいと確証ががが - 名無しさん 2012-11-23 14 23 59 C平野長やすで丸に三つ鱗、右三つ巴は別所吉親でも獲得 - 名無しさん 2012-11-11 21 53 15 ここまで編集 + 波多野秀尚 を追加しました。 - 名無しさん 2012-11-20 21 55 50 ジェイソンことSR朝倉義景で三つ盛木瓜・桃, - 名無しさん 2012-10-27 20 39 37 途中送信orz 脇坂安治で輪違い・橙、R鬼庭綱元で重ね剣菱・蒼獲得。 …豊臣の色が「燈」ってあるけど「橙(だいだい)」の間違いだと思う。 - 名無しさん 2012-10-27 20 41 03 確認してきたけど確かに「燈」じゃなくて「橙」だった。完全な見間違いだすまないorz - 名無しさん 2012-10-28 02 46 37 ここまで編集 + 赤井直正を追加しました。 - 名無しさん 2012-10-27 19 49 27 三つ盛木瓜・桃はC朝倉景紀でも修得可能です - 名無しさん 2012-10-23 02 59 32 SR豊臣秀吉で五七桐・燈、UC加藤嘉明で蛇の目・燈、UC奥村永福で九枚笹・燈、C田中吉政で釘抜き・燈をそれぞれ確認 - 名無しさん 2012-10-23 00 49 14 UC宇喜多秀家で児の字・燈を確認 - 名無しさん 2012-10-21 01 08 46 SR北条綱成で北条鱗・黄 獲得できました - 名無しさん 2012-09-24 05 59 43 瀬田のSR信玄で武田菱・赤獲得。ほか、反映されていなかったものを追加 - 名無しさん 2012-07-04 21 05 07 UC来島熟練度1、C福原熟練度0 の状態では片喰・翠を取れないことを確認しました。獲得リスト修正願います - 名無しさん 2012-07-03 18 28 01 編集しました。 - 名無しさん 2012-07-03 23 43 35 SR立花道雪/抱き花杏葉 確認 - 名無しさん 2012-06-26 12 55 05 SR毛利元就でも毛利三ツ星・翠とれました。 - 名無しさん 2012-06-23 04 36 52 UC尼子誠久で平四つ目・黒を獲得。一覧にはないが、経久でもとれるはず… - 名無しさん 2012-06-19 00 33 35 毛利009 口羽通良、他042 甲斐宗運、他052 鍋島直茂 を追加。 - 名無しさん 2012-06-02 23 09 09 島津010 C鎌田政年 で、「丸に一つ引き・空」を獲得。編集可能な方、追加お願いします。 - 名無しさん 2012-05-27 01 13 23 ここまで編集+α。 - 名無しさん 2012-06-01 22 54 09 宍戸隆家 夕顔・翠 - 名無しさん 2012-05-26 14 19 08 自分も宍戸の熟練度1になっているのですが、獲得できていない家紋でした。可能でしたらご確認お願いします。 - 名無しさん 2012-05-26 16 33 39 失礼しました。 南条宗勝です。 - 名無しさん 2012-05-26 18 32 01 島津001 赤星統家 熟練度1になりましたが、リスト記載の「対鶴に若松・空」獲得できませんでした。赤星氏が「並び鷹羽」と考えれば、別な武将ではないでしょうか? - 名無しさん 2012-05-24 02 59 53 赤星が対鶴に若松と編集したものです。今日確認してきたら、肝付兼盛でした。同じ日に熟練度とったために勘違いしてしまった模様、申し訳ない - 名無しさん 2012-05-25 20 17 29 R巻姫でも「丸に立て三つ引き・黄」を獲得。成田氏親・長泰はどうだろう - 名無しさん 2012-05-21 20 11 55 成田長親で「丸に立て三つ引き・黄」を獲得。リスト追記しました。 - 名無しさん 2012-06-10 01 49 30 八咫烏・黄緑はC鈴木重泰でも取れます - 名無しさん 2012-05-15 23 22 41 ここまで編集+α。来島に関してはほんと苦し紛れの表現に… - 名無しさん 2012-05-19 02 33 04 編集乙。誰がうまいこと言えとwww - 名無しさん 2012-05-19 07 56 19 「平四つ目・黒」R尼子晴久でも取れました - 名無しさん 2012-05-14 22 56 02 UC来島通康で片喰・翠は取れないみたいです。当方UC来島の熟練度1ですが持っていないので…。(C福原は熟練度0) - 名無しさん 2012-05-11 14 40 41 上杉043 UC上条政繁 でも上杉笹・灰がとれました - 名無しさん 2012-04-21 11 16 00 ここ - 名無しさん 2012-05-04 14 40 08 ここまで編集 + 一部家紋を追加しました。 - 名無しさん 2012-05-04 14 41 04 毛利004 C桂元澄 二の字に三つ星・翠 が取れました - 名無しさん 2012-04-09 12 33 26 SR龍造寺隆信で十二日足・黒を確認 - 名無しさん 2012-04-07 21 35 09 他家 R陶晴賢でも 山口菱・黒 が取れました。 - 名無しさん 2012-04-03 20 54 15 毛利家 R安国寺恵瓊 武田菱・翠 が取れました - 名無しさん 2012-04-02 08 13 18 comに負けた - カイト 2012-03-30 18 53 23 それは家紋のところに書くことじゃない - 名無しさん 2012-03-30 18 57 08 SR小早川隆景で左三つ巴・翠です - 名無しさん 2012-03-13 18 58 38 毛018 UC志道広良で蛇の目・翠、毛008 SR吉川元春で九つ割り三つ引き・翠。 - 名無しさん 2012-03-09 10 59 00 ここまで編集 + 一部家紋を追加しました。 - 名無しさん 2012-03-10 18 47 29 一部追加・編集しました。 - 名無しさん 2012-03-08 20 09 31 UC大内義隆で山口菱・黒取れました - 名無しさん 2012-02-28 00 58 15 カード追加に伴い新勢力枠追加 + 一部家紋を追加しました。 - 名無しさん 2012-02-27 16 14 54 足利二つ引き・黒はR足利義昭でも取れました - 名無しさん 2012-01-23 16 12 16 今更ですがSS秋山信友では家紋取得できず。SSは無理なんですね - 名無しさん 2012-01-05 02 02 53 UC下間頼旦でも桔梗・黄緑取得できました。 - 名無しさん 2012-01-05 01 59 58 織田の梅鉢・青は慶次でも取れます - 名無しさん 2011-12-31 00 40 51 って言う情報 - 名無しさん 2011-12-31 00 47 25 ランキングとかでみるんですが、蝶の家紋、池田ぁの他に誰(or何処)で入手できるんですか? - 名無しさん 2011-12-11 01 22 36 池田備前蝶なら池田のみかと思います。 - 名無しさん 2011-12-11 13 35 37 うん、池田蝶は取りました。それ以外のがわからなくて - 名無しさん 2011-12-15 01 04 54 記載が中途だった.NET家紋を記載しました。蝶だと「唐花胡蝶」「桔梗胡蝶」「飛蝶」辺りではないでしょうか。 - 名無しさん 2011-12-15 03 13 13 UC新発田重家で三星・灰取得 - 名無しさん 2011-11-27 13 08 05 「八咫烏・鶯」→「八咫烏・黄緑」等、戦国.NETの表記に修正 + 一部家紋を追加しました。 - 名無しさん 2011-09-16 19 00 56 初めてです。本日R板垣信方で花菱・赤を取りました。馬場は持ってないので…。 - 名無しさん 2011-09-01 21 56 27 どうやって変更するんですか? - 明智光秀 2011-08-30 10 43 33 .net家紋は戦国大戦.netのページに表があるので、省略・誘導でいいんじゃない? - 名無しさん 2011-08-19 18 35 55 つまり大戦.NETに加入してない人はしろってことですね - 名無しさん 2011-08-27 11 11 01 「戦国大戦.net内のページ」じゃなくて、このwiki内の「戦国大戦.NET」のページでしょ - 名無しさん 2011-08-27 13 32 09 林さんの家紋は平井でも取れます。 - 名無しさん 2011-08-19 18 07 22 平井じゃないよ、平手だよ - 名無しさん 2011-08-19 18 14 07 デフォ設定の「丸に違い鷹の羽・黒」は便宜上他家として書いて良かったのですかな? - 名無しさん 2011-08-17 08 56 47 武将から獲得するものじゃないからその他にしといた - 名無しさん 2011-08-17 14 30 35 あれって本来は誰の家紋なんだ? - 名無しさん 2011-08-19 05 36 51 それは雑談ページでやれ、という話だがあえて答えると有名所では大谷吉継なんかそうだな。 - 名無しさん 2011-08-19 07 36 56 編集議論スレで要望があって自分でも欲しいと思ってたから作った。獲得家紋はカードリストからコピペしたものだから間違いとか抜けがあったらそっちの訂正も頼む。本編獲得で力尽きたから.NETはまた今度。 - 名無しさん 2011-08-17 04 42 14
https://w.atwiki.jp/retrogamewiki/pages/9429.html
今日 - 合計 - 第4次スーパーロボット大戦Sの攻略ページ 目次 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 名前 コメント 選択肢 投票 役に立った (0) 2012年10月09日 (火) 17時10分43秒 [部分編集] ページごとのメニューの編集はこちらの部分編集から行ってください [部分編集] 編集に関して