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五月五日、加茂の競馬を見物に行ったが、車の前に、雑人《ぞうにん》どもが多数立ちはだかって見えなかったから、一行はそれぞれ車を下りて埓《らち》のそばへすり寄ったけれど、特別に人が混雑していて割りこまれそうにもなかった。 こんな折から樗《おうち》の木に坊主が登って、木の股のところで見物していた。木に取っつかまっていて、よく眠っていて落ちそうになると目をさますことが度々であった。これを見ている人が嘲笑して「実に馬鹿な奴だなあ、あんな危い枝の上で、平気で居眠りしているのだから」と言っていたので、その時心に思いついたままを「われらが死の到来が今の今であるかも知れない。それを忘れて、物を見て暮している。この馬鹿さかげんは、あの坊主以上でしょうに」と言ったので、前にいた人々も「ほんとうに、そうですね、最も馬鹿でしたね」と言って、みな後をふり返って見て 「こちらへお入りなさい」と場所を立ち退《の》いて呼び入れた。 このくらいの道理を、誰だって気がつかないはずはなかろうに、こういう場合思いがけない気がして思い当ったのでもあろうか、人は木石ではないから時と場合によっては、ものに感ずることもあるのだ。
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死後に財宝をのこすようなことは智者のせぬところである。よくないものを蓄えておくのも品格を下げるし、立派なものは執蒼のほどを思わせるので趣味性ならぬ、人生観を浅薄に思わせる。ましてさまざまなものがごたごたとあるのはいよいよいけない。自分が手にいれたいという人々が現われて、争いになるのは不体裁である。後に誰に譲りたいと思うものがあるなら、生存中に譲るべきである、毎日欠くべからざるものは無くてはなるまい。それ以外のものはなに一つ持たないでいたいものである。
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その物に附着して、その物を毒するものが無数にある。例えば、人体に虱、家に鼠、国に盗、小人に財、君子に仁義、僧に法など。
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明日は遠国へ旅行すると聞いている人に対って、落ちついてしなければならない用事を、頼む者があろうか。切迫した大事に着手しているとか、切実な悲歟に暮れている人などは、他人のことなど耳に入れず、他人の喜びや悔みごとにも行かない。行かないからといってうらみとがめる人もあるまい。それ故、年もだんだんとって来たり、病身になっていたり、ましてや出家している人などももちろん、同じことであろう。人間の礼儀、何が無視できないものがあろうか。世間がうるさいからといって何事も、義理で仕方がない、これを果そうと言っていたら、願望は増すし、身体は苦しむ、心は忽忙になる、 一生涯は世俗の些雑な小さな義理に妨害されてむなしく終るであろう。日が暮れたが前途がまだ遠い、わが生ももはやよろめく力なさである。一切の世俗関係をうっちゃらかしてしまうべき時機である。約束も守るまい。礼儀をも気にかけまい。この心持を感じない人は、われを狂人と言うならば言え、放心者、冷血漢などなんとなりと思え。そしられたって苦にはしない。誉めたって耳に入れるがものもない。
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衰えた末の世ではあるが、それでも雲の上の神々しい御様子は世俗を離れて尊貴を感じるのである。 露台、朝飼《あさがれい》、何殿、何門などは立派にも聞えるであろう。下々《しもじも》にもある小蔀《こじとみ》、小板敷、高遣戸《たかやりど》などでさえ高雅に思われるではないか。「陣に夜のもうけせよ」というのはどっしりしている。夜御殿《よんのおとど》をば「かいともし、とうよ」などというのもまた、有難い。上卿《しようけい》の陣で事務を執《と》っておられる様は申すにおよばぬこと、下役の者どもが、得意振った容子《ようす》で事務に熟達しているのも興味がある。すこぶる寒い頃の徹夜にあちらこちらで居睡をしている者を見かけるのがおかしい。「内侍所の御鈴の音はめでたく優雅なものです」などと、徳大寺殿の基実太政大臣が申しておられる。 (一) 節会の折の諸卿の席ハ陣)に燈火の用意を命令する言葉である。 (二) 主上の御寝所をということをただ「掻燈疾うよ」といっていることをさしている。
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ある人が清水へお詣りをした時、年寄りの尼に道つれになったことがあったが、尼は途中「くさめ、くさめ」と言いながら歩くので、「尼さん何をそんなに言っていらっしゃるのですか」と問うたけれど返事もせずに、やはり言いつづけていたのを、たびたび問われて腹を立てて、「え、鼻のつまった時に、このおまじないをしないと死ぬと言いますから、乳をお飲ませ申した方が比叡山に児《ちこ》になっておいで遊ばすのが、今日でもお鼻をつまらせてはおいでにならぬかと思ってこういうのですよ」と言った。めずらしく殊勝な志ではないか。
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葉室《はむろ》中納言光親《みつちか》卿が後鳥羽院の最勝会の講式の奉行で伺候して邸前へお召しがあって、お膳部を出して御馳走をたまわった。食い散らしたお重をそばの御簾の中へ押し入れて御前を退出した。女房たちは「まあ汚ならしい、誰に残しておいてくれようとでもいうのか知ら」と言い合ったので、院は「古式に古実の心得のあるやり方の立派なものである」と繰りかえし繰りかえし御感心なすったということであった。
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比叡山にある大師|勧請《かんじよう》の起請文《きしようもん》というのは慈恵《じえ》僧上が書きはじめられたものである。起請文ということは法律家のほうでは無かったものである。古の聖代には、本来起請文などによって民を信用させた上で行う政治などは無かったはずのものを、近ごろになってこのことが流行になったのである。またついでながら、法令には水火には穢《けがれ》を認めていない。水火の入れ物には穢もあろう。水火それ自体に穢があるはずもない。
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奥山に、猫又というものがあって人を食うものであるとある人がいうと、山でなくともこの辺にも、猫の年功を経たものが猫又に成り上って人を取ることはあるものですよというものもあったのを、何阿弥陀仏とかいう連歌をする法師が、行願寺の附近に住んでいたのが聞いて、ひとり歩きをする身分だから、用心しなければと思っていたところから、ある所で連歌で夜更かしをしてただ一人で帰って、小川の端を通りかかっていると、噂に聞いていた猫又が果してこの坊主の足許へふと寄って来るとすぐさま掻きのぼり、頭のあたりに喰いつこうとした。胆をつぶして防ぐ力さえ失せ、足も立たず小川へ転び入って、助けてくれ猫又だ、助けてくれと叫ぶので、あたりの家々から松明《たいまつ》などつけて駆けつけて見ると、近所に顔見知りの坊主であった。これはどうなされたと川の中から抱き起して見ると、連歌の賭物《かけもの》に取って来た扇や小箱などを懐中していたのも水に浸ってしまっていた。不思議と命は危うく助かったらしく、ようようのことに家に帰り入った。飼い犬が、暗中にも主を知って飛びついたのであったそうである。
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赤舌日《しやくぜつにち》ということは、陰陽道にも定説のないものである。昔の人はこの日を忌まなかった。近ごろ、何者が言い出して、忌みはじめたのであろうか。この日にすることは成就せずと説いて、この日に言ったこと、したことは目的を達せず、得たものも失い、企てたことも成功しないというのは愚劣なことである。吉日を選んでしたことで成就しないのを数えてみたってまた同様の統計を得られよう。その理由は、常住ならぬ転変の現世では、目前に在りと思うものも実は存在せず、始めあることも終りがないのが一般である。志はとげぬ勝ちである。欲望は不断に起る。人間の心そのものが不定であり、物もみな、幻のように変化して何一つしばらくでも止っているものがあろうか。この道理がわからないのである。吉日にも悪事をしたらかならず凶運である。悪日に善事を行うのはかならず吉であるとかいわれている。吉凶は人によって定まるもので日に関係するものではない。