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屏風や襖などが絵にしろ文字にしろ拙劣な筆致でできているのは、そのものが見苦しいよりも、その家の主人の趣味の至らぬのがなさけないのである。いったいその所有の日用品によっても、その人柄を軽蔑することはあるものである。それほど上等のものを持つべきであるというのではない。破損しては惜しいというので品格のない見にくいものにしておいたり、珍奇なのがよいというので無用な装飾があったり、繁雑な好みをしているのをよくないというのである。古風に大げさでない高価にすぎぬもので品質のすぐれたのが好もしいのである。
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唐の物は薬のほかは無くとも不自由はあるまい。書物にしたって、わが国に多くひろまっているから筆写することもできよう。唐船の困難な航海に、無用なものばかり積荷してどっさり持ちこんで来るのは、馬鹿馬鹿しいことである。「遠方の物を宝としない」とも、また、「手に入れにくい宝は尊重しない」とも書物に書いているということである。
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もう一つ仁和寺の法師の話。寺にいた童子が、法師になる記念にと、知人が集って酒盛を催したことがあった。酔っぱらって興に乗じてそばの鼎《かなえ》を取って頭にかぶり、つっかかって、うまく入らないのを、むりやりに、鼻をおしつぶして、とうとう顔をさし入れて舞ったので、一座の人々が非常に面白がった。しばらく舞ってから、鼎を抜こうとしたが、どうも抜けない。酒宴の興もさめて、どうしたものかと当惑していた。そのうちに頸のあたりに傷ができて血が流れ出し、だんだん腫《は》れ上ってしまって、息も詰まって来たから、割ってしまおうとしたけれど容易には破れない。響いて我慢ができない。手に負《お》えず仕方がなかったので、三つ足の上へ帷子《かたびら》をかぶせて手を引き杖をつかせて京の医者のところへ連れて行ったが途中では不思議がって人だかりがする。医者のところへ行って対座した時の様子は定めし異様なものであったろう。物を言ってもこもり声になっていっこう聞えないし、こんなことは書物にも見当らず師の教えにもなかったから、治療ができないと言われて、また仁和寺へ帰って親友や老母などが、枕もとにより集って泣き悲しんだが、聞えているかどうかも判らない。こうしているあいだに一人が言うには、たとい耳や鼻が切れてしまおうとも命だけは別条ありますまい。力のかぎり引っぱってみようと、藁の心を鼎の周囲にざしこんで金の縁《ふち》とのあいだをへだてておいて首もちぎれるほど引っぱったので耳や鼻は欠けてとんだが鼎は抜けた。危い命をやっと助かったが、長いあいだ病気をしていたものであった。
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老年になったら仏道を心がけようと待っていてはならない。古い墳《つか》の多くは少年の人のものである。思いがけない病を得て、ふいにこの世を去ろうとする時になって、やっと過ぎて来た生涯の誤っていたことに気づくであろう。誤りというのは他事ではない。急を要することをあとまわしにし、あとまわしでよいことをいそいで、過ぎて来たことがくやしいのである。その時に後悔したって聞に合うものでもあるまい。 人間はただ無常が身に切迫していることを心にはっきりと認識して、瞬間も忘れずにいなければなるまい。そうしたならば、この世の濁りに染まることも薄く仏の道をつとめる心もしんけんにならずにはいまい。昔の高僧は、人が来てさまざまの用談をしかけた時、「ただ今火急の要事があってもう今明日に迫っている」といって、相手の話には耳も貸さないで念仏して、ついに往生をとげたと永観律師の往生十因という書物にある。心戒といった聖僧はこの世がほんの仮りの宿のようであると痛感して、静かに尻をおろして休むこともなく、平生ちょっと腰を曲げてかがんでばかりいたそうである。
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亀山上皇の離宮のお池に、大井川の水をお引き遊ばそうというので大井の村の者に命じて水車をお作らせ遊ばされた。多くの金銀をたまわって、数日で仕上げて流れにかけて見たけれど、ほとんど廻らなかったので、さまざまに直して見たけれどついに巡らずにただ立っているだけであった。そこで宇治の里入を召して作らせられたところが、わけもなく組み立てたが、思うように巡って水を汲み入れることに効果があがった。何かにつけてその道の心得のある者は尊重すべきである。
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権勢栄華にときめく家に冠婚葬祭などがあって人々が多く訪問する際、その中に出家法師が入交って、案内を乞い門のあたりに立っているのは、よせばいいのにと思われる。相応の理由はあるにしても、法師というものは人との交わりは遠ざかっていてほしい。
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さしたる用事もなくて人のところを訪問するのはよくないことである。用事があって訪問してもそのことがすんだら、早く帰るのがいい。長くいるのはこまる。人と応対すると、言葉も多く、体もくたびれ、心も旛ちつかず、万事にさしつかえが多くて時間をつぶす。双方にとって無益なことである。客を嫌うようなことを言うのもよくない。気|急《ぜわ》しいことでもある場合などはかえってこのわけを言ったほうがよかろう。会心の人で、対談を希望する人が、退屈して「もう少し」、「今日はゆっくりと」など言うような場合はこのかぎりではなかろう。常に白眼の阮籍《げんせき》が気に入った客を迎えた時にした青眼の場合も誰しもあるものである。なんのためということもなく、人が来て、のんびりと話して帰るのは、よいものである。また、手紙も「あまり御無沙汰していますから」とだけ、言ってよこしたのなど大へんに嬉しいものである。
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徳大寺右大臣公孝卿が、検非違使の別当であられた頃、検非違使庁の評定、すなわち裁判の最申に、役人|章兼《あきかね》の牛が車を放れて、役所の中に入り、長官の席の台の上へ登り込んで、反芻をしながらねていた。異常な怪事というので牛を占のところへやってト《うらな》わせようと人々が言っているのを、公孝卿の父の太政大臣実基公が聞かれて、牛にはなんの思慮もない、足があるのだからどこへだって登って行くのがむしろ当然である。微賎な役人が、偶然出仕に用いたつまらぬ牛を取り上げてよいものではなかろうー・しいうので、牛は持主に返し、牛がしゃがんだ畳はとりかえられた。別段なんらの凶事も起らなかったということである。怪事を見ても怪しいと思わない時は、怪事が逆に壊れてしまうともいわれている。
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芸能を身につけようとする人は、それに達しない間はなまなかに人には知らせないで、内々によく習い覚えてから人中へ出るのが奥ゆかしくてよいとは人のよくいうところではあるが、こんな考えの人は一芸も習い得るものではない。まだぎごちなく未熟な中から上手な人の問に雑って嘲笑をも恥じずに構わずやり通して行く人が、生れつきにその器用がなくても途中で停滞することもなく、放慢に流れることもなしに年期を入れたら、器用でも不勉強なのよりはかえって上手になり、徳もおのずと備わり、人にも許されて、無比の名声を博することがあるものである。天下に知れ渡った上手でも、はじめは下手という評判もあり、ひどい欠点もあるものである。しかしその人がその道の道筋を正しく守って身勝手をつつしみ、努力して行ったなら世の物識りともなり、万人の師として仰がれるようになるのは、諸道みなその軌を一つにしている。
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九月二十日時分のこと、ある方のお誘いのお供をして、夜のあけるまで、月を見歩いたことがあったが、お思い出しになった家があるというので、案内を受けておはいりになられた。庭の荒れている露の多いところに、とくにというのではなくふだんから焚いているらしい薫香《たきもの》がしっとりと匂うている。世を忍んでただならぬ方.の住んでいるらしい様子が、まことに風雅である。自分の一緒に行った方はいいかげんおられて出て来られたが、自分は之との優美に感心して、ものかげからしばらく見ていたら、家のなかの人は妻戸をすこしおし明けて月を見る様子であった。客を送り出してすぐ奥にひっこんでしまったとしたら、うちこわしであったろう。まだ見ている人がいようなどとは知るはずがあるものではない。これらのことはただ日常の心がけによってなされたものであろう。彼女はその後聞もなく死んだと聞いた。