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粗末な竹の編戸の中から、ごく若い男が、月光のなかでは色合ははっきりしないが、光沢のある狩着に、濃い紫色の指貫《さしぬき》を着け、由緒ありげな様子をしているが、ちいさな童子をひとり供につれて遠い田の中の細い道を稲葉の露に濡れながら歩いて行くとき、笛をなんともいえぬ音に吹きなぐさんでいた。聞いておもしろいと感ずるほどの人もあるまいにと思われる場所柄だから、笛の主の行方が知りたくて見送りながら行くと、笛は吹きやめて山の麓に表門のある中に入った。榻《しじ》に轅《ながえ》を載せかけた車の見えるのも市中よりは目につくような気がしたので、下部《しもべ》の男に聞いてみると「これこれの宮様がおいでになっていられるので、御法事でも遊ばすのでしょうか」と言う。 御堂の方には法師たちが来ていた。夜寒の風に誘われて来る空薫《そらだき》の匂も身にしみるようである。正殿から御堂への廊《ろう》を通う女房の追い風の用意なども、人目のない山里ども思われず行きとどいていた。 思う存分に茂った秋の野は、置きどころのないほどしとどな露に埋まって虫の音がものを訴えるように、庭前の流水の音がしずかである。市申の空よりも、雲の往来も速いように感ぜられ月の晴れたり曇ったりするのも頻繁であった。
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当世ふうの事物のめずらしいのを言いひろめているのもまた了簡《りようけん》が知れない。陳腐になってしまうまで新らしいことを知らないでいる人は奥ゆかしい。はじめての人などがいるのに、自分の方で言い慣わした話題や、物の名などを知っている同志が、ほんの片端だけ言い合って顔見合せて笑ったりして、意味のわからぬ人に不快を与えることは、世間慣れないたちのよくない人のあいだではよくあることである。
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御譲位の御儀式がすんで、三種の神器を新帝にお渡し遊ばされる時は、ひどく心細く感ぜられるものである。花園上皇が高御座《たかみくら》を御譲り遊ばされたつぎの春、お詠《よ》み遊ばされたとやらうけたまわるー とのもりのとものみやつこよそにして はらはぬにはにはなぞちりしく 新帝の御代の務の忙しいのにかまけて、上皇の御所には参る者もないというのはまことに淋しいことではある。こういう場合に人の心の真実は現われもしよう。 (一) 主殿寮の下司どもは自分のほうをすてておいて掃除も行きとどかない庭は花の散り敷くのにまかせている。
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世間で当人が言いはやす事柄を、関係するはずもない人がよく様子を知って人に説明したり、自分でも人に質問したりしているのは、合点の行かないことである。ことに片田舎の坊主などは、世間の人の身の上をわがことのように知りたがって聞きたずね、どうしてこうもくわしく知っているのかと思われるまでさまざまに吹聴《ふいちよう》する。
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呼子《よぶこ》鳥は春のものであるとばかり説いて、どんな鳥だとも確実に記述したものはない。ある真言の書のなかに、呼子鳥が鳴く時、招魂の法を行う式が書かれてある。これで見ると鵺《ぬえ》のことである。万葉集の長歌に「霞立つ長き春日の……」とあるところに「ぬえこ鳥うらなきをれば……」とある。この鵺子鳥と呼子鳥とは様子が似通うているようである。
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「道心さえあるなら住所などどうでもよかろう。家庭に住んで社会にまじっていても、後世《ごせ》を願うに困難なことはあるまい」というのはいっこうに後世を理解しない人である。ほんとうに現世をつまらぬと感じ、ぜひとも生死を解脱《げだつ》しようと思っているなら、なんの甲斐があって毎日君に仕えたり、家庭を顧慮したりする業にはげみが出ようか。入の心は外界の事情に影響されるものであるから、静かな境地でなければ道の修行はできまい。 器量は古人におよばず、たとい山林に入ってみても餓を救い暴風雨をふせぐ方便がなくては生きていられないものであるから、自然と社会的の欲望を貪るに似たようなことも、時によってはないとも言えまい。それだからといって「そんなことでは世を捨てた甲斐はない。出家の生活をしながら利慾の念に動かされるほどなら、なぜ世を捨てたか」などというのは無茶なことである。一たび仏道に入って世を厭うたほどの人であってみれば、たとい多少の利慾の念があっても権勢を追う人の旺盛な貪慾にくらべものにはなるまい。紙の夜具、麻の衣、一鉢の用意、藜《あがざ》の吸物などの望みが、人にどれほどの費《ついえ》をかけようや。要求は簡短で、欲望も容易に満足するであろう。 それにわが身の入道の姿の手前もあるから、人並みの慾があったにしても、悪には遠ざかり、善に近づくことが多い。入間と生れた以上はなんとかして遁世するようにしたいものである。いっこうに貪慾を事としイ丶真理の智恵に従わなくては一般の動物となんの選ぶところもないではないか。
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経文などの紐を結ぶのに上下から襷《たすき》のように交錯させてその二筋のなかからわなの頭を横へひっぱり出しておくのは普通のやり方である。しかるに華厳《けごん》院の弘舜僧正はこの結び方を見て解《と》いて直させ、この結び方は近頃の方法ですこぶるぶざまである。いいのは、ただくるくると巻きつけて上から下へわなのさきを押しはさんでおくのであると申された。老人でこんなことに通じた人であった。
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勅勘を蒙った家に靱《ゆぎ》をかける作法は、今では知っている人がまるで無い。天子の御病気のおん時とか疫病の流行する時には、五条の天神に靱をお掛けになる。鞍馬に靱の明神というのがあるのも靱をかけられた神である。看督長《かとのおさ》(検非違使の下役、巡査部長の類)の負うていた靱を勅勘の者の家に掛けると人がその家へ出入りしないようになるのである。このふうが絶えてから後は封を門戸につけることとなって今日におよんでいる。
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箱の刳《えぐ》ってあるところに紐を着けるのにはどちら側につけるものかとある故実家に質問したところが、その入は.軸(巻物の左)につけるのも表紙(右)につけることも、両方の説があるところから、どちらでも差しつかえはありますまい。文の箱の場合は多く右につけ凋手箱には軸につけているのが普通のようです」と言った。
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諒闇《りようあん》の年ほど悲しいことはない。倚盧《いろ》の御所の有様にしたところが、板敷を下げて葦で編んだ御簾をかけ、布の帽額は粗野に、お道具類も粗略になり、百官の装束や、太刀、平緒までが平素と異っているのはただごとではない思いをさせる。