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「さぎちょう」は正月に毬《まり》を打って遊んだ毬杖《ぎじよう》を真言院から神泉苑へ出して焼き上げたのがもとである。「法成就《ほうじょうじゆ》の池にこそ」と囃すのは、神泉苑の池をいうのである。
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堀川の太政大臣|久我基具《こがもととも》公は容貌の美しい快活な気風の入がらで、何かにつけてちょっと奢りを好まれた。御子の基俊卿を検非違使《けびいし》別当にして庁の事務をとらせたが、役所に備えつけの唐櫃が見苦しいというので立派に改造しようと命ぜられたが、この唐櫃は大昔から伝わっているもので、いつからあるものとも知れない。数百年を経たのである。代々の公用の御器物というものは古くすたれたこのような古物をモデルにしている。むざむざとは改造できませんと古実に通じた官人らが申したのでそのことはそのままに沙汰止みになった。
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何事につけても昔がとかく慕わしい。現代ふうはこの上なく下品になってしまったようだ。指物《さしもの》師の作った細工物類にしても昔の様式が趣味深く思われる。手紙の文句なども昔の反古《はこ》が立派である。口でいうだけの言葉にしたところが、昔は「車もたげよ」「火かかげよ」と言ったものを、現代の人は「もてあげよ」「かきあげよ」などという。主殿《とのも》寮の「人数《にんじゆ》立て」というべきを、「たちあかししろくせよ」(松明《たいまつ》を明るくせよ)と言い、最勝講《さいじようこう》の御聴聞所《ちようもんじよ》は「御講の盧」というべきを「講盧《こうろ》」などと言っている。心外な事であると、さる老人が申された。
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家の造り方は夏を専一にするのがよい。冬はどんな所にも住まれる。暑い頃の悪い住宅と来ては我慢のならないものである。深い水は涼しげでない。浅くて流れているのがずっと涼しい。微細なものを見るには遣戸《やりど》のなかのほうが蔀《しとみ》の部屋よりも明るい。天井の高いのは冬寒く燈火も暗い。造作は無用のところを作っておくのが見ても面白く万事に都合がいいと、人々が評定し合ったことであった。
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ある人が小野道風が書いた和歌朗詠集を所有していたのを、さる人が御相伝のお品でいいかげんなものとも存ぜられませぬが、四条大納言が選ばれたものを道風が書いたのでは時代に錯誤がございましょう。変なものですなと言ったところが、それだからこそ珍重なのでございますと一そう大切に保管した。
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四十の坂を越した人が好色の心をひそかに抱いているのは致し方もなかろう。言葉に出して男女の情事を他人の身の上にもせよ言い戯れているのは、歳にも似合わず見ぐるしいものである。だいたい見ぐるしく聞きぐるしいものは、老人の青年らにうち雑って、面白がらせるつもりで話をすること。つまらぬ身分でありながら、世にときめいた人を懇意らしく言いふらしていること。貧家のくせによく酒宴をもよおしお客を呼んで派手にやっていること。
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人が話し出した歌物語のよくないのは困ったものである。多少その方面の心得のある人ならば面白がって話さないはずであろうに。いったいに半可通のする話というものは、そばで聞いていても笑止千万で聞き苦しいものである。
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物事を人と争わず、自分の意志を屈して人の意向に従い、自分の身のことは後にして、人のことを先にするのが何よりである。 いろいろの遊戯でも、勝負を好む入は勝って愉快を得んがためである。自分の技のまさっていることに満悦するのである。それだから、負けるとつまらぬ思いがするのは、もちろんである。自分が負けて人を喜ばせようと考えたら一向《いつこう》に遊戯の興味はあるまい。人につまらぬ思いをさせて、自分が愉快を感ずるなどは徳義にかなわない。 親しい間がらでふざける場合にも、人をたぶらかして自分の智のすぐれているのを面白がることがある。これも非礼である。それだから、はじめは座興に起ったのに長い恨みを結ぶようなことがよくあるものである。これらはみな、勝負を好むところから起る失策である。人に勝《まさ》ろうと思うならば、学問をしてその智で人に勝ろうと考えたらよかろう。道を学んだならば、善に誇らなくなり、仲間之は争うべきものではないということがわかって来るからである。時には高位大官をも辞し、利益をも捨てることができるのは、ただ学問のおかげである。
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いつもわけ隔てなく馴れ親しんでいる人が、何かの拍子に、わけへだてがましく容子ぶっている有様をしているのは、今さらそんなことをするでもあるまいという人もあるかも知れないが、やはりきちんとした好い人だなあと感じられるものである。平素あまり親密でもない人が打ち解けたことを話し出したりするのも、それから好きになったりするものである。
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めなもみという草がある。蝮《まむし》に刺された人が、その草を揉んでつけると即座に癒えるとのことである。おぼえておくとよかろう。