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宿《しゆく》河原という場所で虚無僧《ぽろぽろ》が多数集合して九品《くほん》の念仏をとなえていたところへ、外から虚無僧が入って来て「もしや、このなかにいうおし坊と申す梵論僧《ぼろぼろ》はおられますまいか」とたずね,たので、群集のなかから「いろおしはわたくしです。そう言われるのはどなたですか」と答えた。すると虚無僧は「自分はしら梵字というものです。わたしの師匠の某という人が、東国でいろおしという人に殺されたと聞いておりますから、そのいろおしという人に会って仇をとりたいとたずねております」という。すると、いろおしは「よくもたずねて来た。たしかにそんなことがありました。ここでお相手をいたしては、道場をけがす虞《おそ》れがありますから前の川原でたち合いましょう。どうぞ、みなの衆、どちらへもお加勢は御無用に願いたい。多人数の死傷があっては仏事の妨害になりましょうから」と言い切って、二人で川原へ出かけ合って、思う存分に相手を刺し傷つけ合って、両人とも死んだ。ぽろぽろというものは以前はなかったものらしい。近ごろになって梵論字《ぼろんじ》、梵字、漢字などという者がそれのはじめであったということである。世を捨てたようでいて、我執《がしゆう》が強く、仏道を願っているようでありながら、闘争にふけっている。放逸な無頼漢みたいだけれど、死を軽んじて生死に拘泥しないのを気持のいいことに感じているから、右の話も人の話したままを書きつけたものである。
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十月を神無月と呼んで神事には憚るということは、別に記したものもなければ、根拠とすべき記録も見ない。あるいは当月、諸社の祭礼がないからこの名ができたものか。この月はよろずの神々が大神宮へ集まり給うなどという説もあるが、これも根拠とすべき説はない。それが事実なら伊勢ではとくにこの月を祭る月としそうなものだのに、そんな例もない。十月に天皇が諸社へ行幸された例はたくさんにある。尤もその多くは不吉な例ではあるが。
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永いあいだ訪れもせぬが怨んでいるであろう。自分の無精のせいと申しわけもない気持がしていると、女のほうから「手のすいた召使をひとりよこしてください」などと言ってくるのは、有難くうれしい。「そんな気風のがいい」とある人が語った。同感のことである。
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蟻のように集まって、東西に急ぎ、南北に奔走している。高貴の人もあれば卑賤の人もある。老人もいるし、若者もいる、出かけて行く場所があり、帰って来る家庭がある。みな、夜には寝て、朝になれば起きて働く。営[々と労苦するのはなんのためであるか。死にたくない。儲けたい。休息する時もない。身を養って何を待つのであろうか。待つのはただ年をとって死ぬだけのことではないか。死期の来るのは速いもので、一秒一秒の間でさえ近づいて来ているのである。これを待つ間にどんな楽しみがあり得るか。眩惑されている者はこれを恐れない。名聞や利慾に惑溺して冥途の近づくことを顧慮しないからである。愚人はまた徒《いたず》らに死の近づくのを悲しむ。人生をいつまでもつづけたいと願って変化の法則を悟らないためである。
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犯罪者を笞《むち》で打つ時は拷器《こうき》へ近づけて縛りつけるのである。拷器の構造も、縛りつける作法も、今日ではわきまえ知っている人はないということである。
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静かに思うと、何かにつけて過去のことどもばかり恋しくなって来て仕方がない。人の寝静まってのち、夜長の退屈しのぎにごたごたした道具など片づけ、死後には残しておきたくないような古|反古《ほこ》などを破り棄てているうちに、亡くなった入の手習や絵など慰みにかき散らしたものを見つけ出すと、ただもうその当時の心持になってしまう。今現に生きている人のものだって、いつどんな機《おり》のものであったろうかと考えてみるのは身にしみる味である。使い古した道具なども、気にもとめず久しいあいだ用いなれているのは、感に堪えぬものである。
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賀茂の岩本、橋本は、業平《なりひら》.実方《さねかた》である。(岩本は在原業平、橋本は藤原実方である)世人がよくとり違えているから、ある年のこと、参詣をして、年寄りの宮司の通りかかったのを呼びとめて質問したところ、「実方は御水洗《みたらし》に影のうつる所と言われていますから、橋本のほうが一そう水に近かろうかと存じております。吉水《よしみず》の僧正(慈鎮和尚)が「月をめで花をながめしいにしへのやさしき人はここにあり原」とお詠《よ》みなされたのは岩本の社であったと聞きおよんでおりますけれど、私どもなどより、かえって、よく御存じでいらっしゃいましょう」と、大へん謹直な態度で言ってくれたのには感心した。 今出川院近衛といって撰集などに歌のたくさん入れられている人は、年の若かった頃に、いつも百首の歌を詠んで、前述の両神社社前の水で浄書して奉納していた。尊い名誉を得て、この歌は人口に膾炙《かいしや》したものが多い。漢詩文をも巧みに書く人であった。
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ある人が、法然上人に、「念仏の時に睡くなってし.まって行《ぎよう》ができませんが、どうしてこの障害を防いだらよろしゅうございましょうか」と言うと「目が覚めたら念仏をなさい」と答えられた。じつに尊かった。 また往年は確実なものと思えば確実、不確かと思えば不確かであるとも仰せられた。これも尊い。また疑いながらでも、念仏をすれば往生するとも仰せられた。これもまた尊い。
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友達にするのによくないものが七つある。一には高貴な身分の人、二には年少の入、三には無病頑健の人、四には酒の好きな人、五には武勇の人、六には虚言家、七には慾の深い人。善い友は三つある。一にはものをくれる友、二には医者、三には智恵のある人。
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斎宮《いつきのみや》が野宮《ののみや》におらせられるおん有様こそ至極優美に興趣のあるものに感ぜられるではないか。経、仏などは忌《い》んで、「染め紙」「中子《なかご》」などと言うのもおもしろい。元来が、神社というものはなんとなく取柄のある奥ゆかしいものだ。年を経た森の景色が超世間だのに、玉垣をめぐり渡して榊《さかき》に木綿《ゆう》をかけてあるところなど堂々たらぬはずはない。わけてもすぐれているのは伊勢、加茂、春日《かすが》、平野、住吉、三輪、貴船、吉田、大原野、松の尾、梅の宮である。 (一) 伊勢の大神宮に奉仕される内親王が嵯峨の有栖《ありす》川の御殿で潔斎される時のことをいうのである。