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天皇、皇后両陛下が訪問する「忘れられた戦場」 - ハフィントンポスト ● ペリリュー島の戦い〔ノイズレスサーチ〕 ● ペリリュー島の戦い〔blog Google検索〕 ● ペリリュー島の戦い〔Youtube検索〕 +一本の動画 ■ 絶対に知っておきたい歴史:ペリリュー島の戦い 1 「アメリカから見た日本(September 30, 2019)」より / (※mono....詳細はサイト記事で) ーーー ■ 絶対に知っておきたい歴史:ペリリュー島の戦い 2 「アメリカから見た日本(September 30, 2019)」より / (※mono....詳細はサイト記事で) ■ 帰還兵が語るペリリュー島の激闘、そして生還 「iRONNA- 『月刊正論』 2015年6月号」より / 土田喜代一(元大日本帝国海軍二等兵曹) 聞き手:井上和彦(ジャーナリスト) 3月21日、靖國神社遊就館で開催された雑誌『正論』主催講演会の内容を再構成したものです。 「杖にすがっても行きます」 井上 この4月8日、9日、天皇皇后両陛下がパラオ共和国を公式訪問され、ペリリュー島に渡られます。かつて土田さんが、米軍と戦われた場所です。 土田 去年の9月15日、米軍ペリリュー上陸から70周年の日米合同記念式典に孫と参加したときには、これが現地訪問の最後の機会と思っていました。その後に陛下がペリリュー島を行幸啓されると知り、びっくりしました。パラオ、ペリリュー島は非常に交通の便が悪く、お年を召された両陛下にとってはご訪問なさるのは大変なことです。あの地で散華され、靖國神社に祀られる一万余柱の英霊は、両陛下がペリリュー島に来ていただけるとは、夢にも思っていないと思うんですよね。実際に来られたら、どんなに嬉しいことか。是非両陛下と会ってもらいたい。私も杖にすがってでも現地に行って、英霊たちに両陛下と会ってもらいたいと思うようになり、再び現地を訪れる気になりました。 井上 明日(3月22日)は皇居に招かれ、両陛下にお会いになるそうですが。 土田 陛下がどんな質問をなさるのか心配で、頭がくらくらしております。 井上 実は私も土田さんに「陛下のご質問にどう答えたらいいのか」と電話で聞かれたんですが、さすがに私にもなんとお答えしたらよいか分かりませんでした(笑)。 先の大戦での激戦地、ペリリュー島から生還した土田喜代一・元海軍上等水兵(左端)、永井敬司・元陸軍軍曹(左から2人目)から話を聞かれる天皇、皇后両陛下=3月22日 皇居・御所「応接室」(宮内庁提供) 井上 ここで少し、ペリリュー島について説明させていただきます。大東亜戦争の大激戦地としては、ガダルカナルやラバウル、島嶼部の硫黄島、サイパン、テニアンなどが有名ですが、パラオの「ペリリュー島」は聞いたことがない方がいらっしゃると思います。 パラオは日本から真南に約3000キロのところに位置しており、したがって時差もなく、直行便で約4時間半ほどで行けます。 第一次世界大戦で、日本はドイツ領であったパラオを占領しました。戦後の1920年、国際連盟からパラオを含むミクロネシア(南洋群島)の委任統治が認められます。サイパンもテニアンも同じです。ですから、第二次世界大戦では、もともと国連の信託委任統治の日本領土に、米軍が侵攻してきたということになります。 土田さんが戦われたのが、現在、首都があるバベルダオブ島から南西に50キロほど行ったペリリュー島です。南北9キロ、東西3キロの本当に小さい、カニの爪のような島です。 太平洋の島々をめぐる攻防戦でマリアナ諸島のサイパン、テニアン、グアムを落とし、日本の絶対国防圏の内側に入ったアメリカは、次いでフィリピンに照準を合わせます。さらに北上して台湾を攻め、沖縄を攻め、本土を攻めるルートを確保するためです。 フィリピンに照準をあわせた米軍の前に立ちはだかったのが、西カロリン諸島最大の飛行場を持つペリリュー島でした。その日本海軍の十字滑走路を奪取するため、米軍は5万の大軍を差し向け、昭和19年9月15日から11月24日まで「ペリリュー島の戦い」が行われました。日本軍戦死者は約1万名、米軍の戦死傷・行方不明者約8000名(戦死者約1800)という激戦でした。 米軍の上陸部隊である第一海兵師団のウィリアム・ルパータス少将は戦闘前、「three days maybe, two」と豪語していました。「こんなところは3日間くらいで落とせる。2日ですむかもしれん」と。実際には73日間の激戦となり、米軍最強の海兵隊といわれた第一海兵師団は日本軍に滅多うちにされて撤退し、隣のアンガウル島を攻めた陸軍第八一歩兵師団と交代するという屈辱を味わったのです。 迎え撃つわが軍は、中川州男(くにお)大佐率いる水戸の歩兵第二連隊を中心とするペリリュー守備隊。満州で鍛え上げた精強部隊、現役兵の集まりです。そして、海軍西カロリン航空隊ペリリュー本隊が加わっていました。ペリリュー島では陸軍の戦いとみられがちですが、そもそもペリリュー島には海軍基地があり、そこを守るために陸軍一四師団の一部がやって来たんです。土田さんは、海軍部隊の一員として陸上戦闘を戦われました。陸海軍総勢1万1000名。米軍5万対日本軍1万1000の戦いでした。 それまでの南方戦線、太平洋の島々の戦いで日本軍は、「バンザイ突撃」という総攻撃をかけ、敵弾に次々と斃れていました。ペリリューの戦いでは、こうした消耗の激しい戦法を改め、徹底持久戦の方針をうち立てます。中川大佐は、「戦は、つまるところ人と人との戦いである。戦う意志と力をもつものがいるかぎり、戦いは終わらず、勝敗も決まらない。陣地を守る事はその戦いぬくための手段のひとつ。問題はできるだけ多数の敵を倒し、できるだけ長く長く戦闘をつづけることにある。それには守る陣地が多いほどよい」というふうにおっしゃっています。 米軍が上陸する海岸付近には、巧みに配置されたトーチカ陣地を築き、引きずり込んだ内陸の山岳部では500以上の洞窟を掘った「複郭陣地」に潜んで迎え撃つ、二段構えの戦法です。こうした戦法は、その後の硫黄島の戦い、沖縄戦に引き継がれていきます。ペリリュー島は隆起珊瑚でできた非常に硬い島です。複郭陣地構築は、大変に苛酷な作業でした。 凄まじい戦いぶりに、天皇陛下が毎朝、「ペリリュー島は大丈夫か」とご下問なさったという話も残されております。11回のご嘉賞(お褒めの言葉)にもあずかりました。それだけ陛下がお心をかけておられたということで、「天皇の島」と呼ばれたのです。 (※mono....以下5ページ分は略、詳細はサイト記事で) ■ ペリリュー島を知っていますか 「赤塚高仁ブログ(2014.08.12)」より / 白地に赤く日の丸染めて・・・日本の国旗の歌ですが、青地に黄色い月の丸をデザインした旗をご存知でしょうか。 それは、西太平洋に浮かぶパラオ共和国の国旗なのです。 スペイン、ドイツ、日本、米国と統治されたパラオが独立する際に、太陽(日の丸)に照らされ輝く満月のような国となろうという願いを込めて生まれた国旗だと現地の人から聞かされました。 日本は31年間のパラオ統治時代、電燈を灯し、道路を敷き、病院や学校を作りました。 島の人々は、日本を愛し、今も多くの人が日本語を話します。 ところが、我が国の代表は、日本が悪いことをしたと自虐的な懺悔ばかり繰り返し、マスコミも祖国を愛することは罪だとばかりに、ネガティブなキャンペーンを続けています。 朝日新聞が、従軍慰安婦は捏造したデマ記事だったと発表したが、 どれほどの国益を損なったのかよく考えるべきだと思います。 祖国を誇れないほど、みじめなことはありませんから。 そんな自虐史観の中で、パラオのことが知らされることはほとんどありませんでした。 松阪市飯高に水屋神社という樹齢千二百年の楠を御神木に抱く聖なる宮が在ります。 宮司の久保憲一氏はパラオと親交深く、諸島の一つペリリュー島にある神社にさざれ石を寄贈したことでも知られています。 五年前のこと、パラオの16回目の独立記念日に合わせ久保宮司を団長に、縁ある仲間数名でパラオ共和国を訪ねました。 (※mono....中略) / ペリリュー神社の石碑にこう刻まれていました。 「諸国から訪れる旅人たちよ、この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕したかを伝えられよ・米太平洋艦隊司令長官 CWニミッツ」と 戦いの前に、日本軍は軍艦で島の住民をすべて安全なパラオ本島に避難させました。 中川大尉は、日本の為に戦うという島民たちを説き伏せ、彼らを守るため避難させたのです。 戦い済んで島民たちがペリリュー島に戻ってみると、そこには海に水漬き、山に草生した一万二千の日本兵の屍がありました。 米国は米兵の遺体を収容しました。しかし、我が国は英霊たちの遺骨を顧みることはありませんでした。 ペリリューの島の人たちが、日本兵の遺骨を拾い集め、墓を作り葬ってくれたのです。 中川大尉が自決した洞窟には、今も花が絶えることがありません。 島の人たちが、勇敢に戦った日本軍に敬意を表して花を手向けてくださっているのです。 思わず、鼻の奥がツンとなりました。 英霊たちは、観光団ではありません。 祖国日本のために戦い、大切な人、大事なことを守るため日本から遥か3000キロも離れた南の島で死んでいったのです。 どんなにか帰りたかっただろう、ふるさと日本に。 英霊たちの願いは、今日本の人々に届いているでしょうか。 ジャングルを歩くと、朽ち果てた零戦がありました。 主翼にうっすら日の丸が見えます。 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) ■ [証言記録 兵士たちの戦争]ペリリュー島 終わりなき持久戦 ~茨城県・水戸歩兵第2連隊~ 「NHK 戦争証言アーカイブ(2008年5月26日)」より / (※mono....動画など詳細はサイト記事で) ーーー ■ NHKスペシャル 狂気の戦場 ペリリュー~“忘れられた島”の記録~ 「NHKアーカイブス(放送期間:2014年)」より / (※mono....動画など詳細はサイト記事で) ■ パラオの大和魂 「heavenese内検索記事」より / (※mono....詳細はサイト記事で) .
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1724年ハルゼイのモンタク侵攻 年月日:1724年1月18日〜1727年1月1日 場所:ダクラーシュ、モンタク 結果:ハルゼイ帝国の事実上の勝利惑星ボルガード併合 交戦勢力 ハルゼイ帝国ベリオン共和国 モンタク中央共和国ダクラーシュ民族評議会モンタク・タプナパキ王国フォンタルク・ユーエツィスィラ氏国自由盟約騎士団 指導者・指揮官 ハルゼイ帝国・スキェヒーヌス2世・ペヌス・ヒュィウプスィウ・ヴヌス・フトェボーグルベリオン共和国・アレア・プヴァルツ・メシュトル・マーデンクロッツ モンタク中央共和国・セロ・スコロイアダクラーシュ民族評議会・カウニーヌス・ヒャルグトボーグルモンタク・タプナパキ王国・バシャ・タンギマ・バシャ・トゥシャ・ヌポラフォンタルク・ユーエツィスィラ氏国・シャルカンナーツ・シャラシュエワーエ自由盟約騎士団・ダーナ・ファロ・アスクリオル 戦力 N N 損害 N N 1724年ハルゼイのモンタク侵攻 N 1724年ハルゼイのモンタク侵攻、通称モンタク侵攻は、シンテーア暦1724年にハルゼイ帝国がモンタク宙圏連合に開始した軍事行動である。 目次 背景第四次モンタク宙圏連合の成立 モンタク独立支援グループの引き上げ 開戦宣戦布告 戦争の長期化 講和へエルミアの介入 アレスキウ・トール条約 各国の戦後の動きハルゼイ モンタク エルミア ヴァルエルク 逸話とか小噺とか 関連項目 背景 第四次モンタク宙圏連合の成立 旧ボルガード宙域は、長年を通じて政治的に不安定な地域である。1709年には、経済破綻を引き起こして大宇宙連合会議の委任統治領となっていたが、1709年に独立し、第四次モンタク宙圏連合が成立した。しかし、かねてより旧領奪還を主張するハルゼイ帝国が接していることから、国家承認委員会は、大宇宙連合会議国家承認委員会モンタク独立支援グループを組織し、同地域に駐屯を続けていた。 モンタク独立支援グループの引き上げ 国家承認委員会は、1723年11月1日、独立からちょうど15年の節目を迎えた日、かねてより協定で定められていたように、星系ダクラーシュ及びモンタクからモンタク独立支援グループを引き上げることを確認した。しかし、自由盟約騎士団やフォンタルク・ユーエツィスィラ氏国の識者を中心として、ハルゼイ帝国から国家を守るためにも、より長期の駐屯を認めるべきだという強硬な意見もあったが、ユーエツィスィラはモンタク内で新参であって発言力が弱かったことと、多数派でなかったし、認められなかった。 開戦 上記の識者の目論見は的中し、ハルゼイ帝国はモンタクへの侵攻の準備を進めていた。単純な武力増強のみならず、ポーグを用いて国内のボルガード民族主義者を煽動し、ハルゼイ帝国による支配の受け皿とした。また、ベリオンから軍事顧問団としてメシュトル・マーデンクロッツを含む有力な軍人を派遣してもらい、計画立案に立ち合わせるなどした。 宣戦布告 1723年14月、ベリオンは、旧ボルガード宙域の治安維持の強化の一環として、メレンノ・ハルゼイを招き、惑星ラヴェルトに近い無政府宙域で大規模な艦隊演習を行った。モンタクはこれを挑発と受け取り、強く非難した。 そして1724年1月18日、ハルゼイはモンタクに宣戦布告し、ここに正式に戦争が開始された。技術力や兵士の練度の差が露呈していくとジリ貧になるという考えから、ハルゼイが採用した戦争計画は、ボルガード人固有の強さを用いた電撃的な侵攻であり、惑星ボルガードをわずかな期間のうちに陥落させた。 戦争の長期化 しかし、地上以外の戦いではボルガード人の体格が活かせないことや、開戦から時間が経ち、ボルガード側も体制を整えたこと、自由解放連合諸国やドルムント、エルミアがモンタクに支援を開始したこと、ボルガード人が故地である惑星ボルガードを手にしたことで満足しだしたことなどの要因が重なり、惑星ダクラーシュ周辺で前線は停滞。戦争は膠着し、装備を充実させたモンタクが徐々に押し返していく形となっていった。 講和へ エルミアの介入 戦線の膠着は長期に及び、開戦から3年が経過しようとしていた。戦争を早期に終結させたいと考えていたヴァルエルクは、エルミアに働きかけて終戦工作を開始させ、エルミアは両国に講和勧告を打診した。もとより早期終結を狙っていたハルゼイとベリオンはこれ以上戦争を長期化させることを望まず、モンタクとしても、これ以上の消耗を防ぐため、両国ともに受け入れることとなった。 アレスキウ・トール条約 エルミアの斡旋により、自由盟約騎士団の首都である、惑星フォレトフィリムのアレスキウ・トールで交渉の席についた両国代表は、エルミアの提案である、現状追認による講和、すなわちモンタクはハルゼイに惑星モンタクを割譲するということを受け入れ、停戦合意が成立した(アレスキウ・トール条約)。 各国の戦後の動き ハルゼイ 事実上、戦争に勝利したハルゼイは、故地である惑星ボルガードに速攻で遷都し、首都をボイエ・バスグ・バハ(Beewe Bassg Baħ)と定めた。また、新たに国内に非ボルガード人が増えたため、彼らを国外に放逐し、拒否したものは殺害した。ボルガード人である反帝国主義者も殺害された。 ハルゼイの歴史的名門家であるヴァム・エンシェルンブラウド家を筆頭にした、アレスキウ・トール条約に納得しない国内タカ派の政治家グループが存在し、帝国内で様々な活動を行ったが、彼らは粛清された。ここに、ヴァム・エンシェルンブラウド家は没落していくことになる。 モンタク 滅亡しそうになったところを、事実上エルミアに救われた形となったモンタクは、エルミアとの関係を改善しようという運動が盛んになり、国交正常化が達成された。これにより、エルミアとのモンタク産希少資源の貿易協定締結が締結された。 エルミア モンタクとのの関係を改善しようという運動が盛んになり、国交正常化が達成された。これにより、エルミアとのモンタク産希少資源の貿易協定締結が締結された。また、ヴァルエルクとの関係も改善し、連携緊密化が加速した。これは、続くアクース内戦、マーカス内戦への布石になる。 ヴァルエルク 「自由主義の裏庭」という、国内周辺の安定化構想を掲げて介入したヴァルエルクだが、自らの介入斡旋により戦争を終結させたことによって、それに成功した。 逸話とか小噺とか 惑星ボルガードまでの電撃侵攻の計画立案に大きく関わったのはマーデンクロッツであった。彼は、当然ボルガード人の体格をも含めて計画していたが、予想以上の進軍速度に驚きを隠せなかった。 当時のモンタク中央共和国の再統一委員長であったセロ・スコロイアは、ボルガード系初の委員長ということもあり、ボルガード系住民から大きな期待を寄せられたものの、あからさまなボルガード人格差是正政策が逆差別に繋がり求心力低下を招いた。スコロイアのリーダーシップはいまひとつだったものの、人材活用はピカイチだった。侵攻前は、以上の理由から支持率は低く、政権崩壊直前だとも言われていたが、侵攻時の奮闘が国内外に伝わり印象が向上、支持率は爆増した。 1724年、メレンノが保有するアスクロート・ゼー・フレーナ宇宙港に普段停泊しているメレンノ精鋭艦隊「アスクロート艦隊」がいなくなっていることがエルミアのRDCの調査によって明らかになり、その情報を掴んだディガイナが「女帝艦隊、出撃!」と報道し、国際社会は騒然となった。しかし、同艦隊はすぐに再び女帝フレーナ宇宙港に停泊しているところを目撃された。近代化改修のために付近のドックに入れられていただけだったのである。 関連項目 大宇宙の歴史 ハルゼイ帝国 モンタク宙圏連合 モンタク代理政府
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はじめに 2023年10月、ガザ地区にハマスが進行して・・・というような報道が流れてきて話題になったので、パレスチナ問題が入試などに出る可能性は極めて高い。だが、この地における対立は非常に複雑なので、歴史を深く遡っていく必要がある。 ポイント ① パレスチナ地方は今は大半がY民族の国、一部がA民族の国 ② 今ニュースになっているのはA民族同士の戦い(YとAの争いではない!) ③ YとAは1993年に一旦和平が成立している ④ パレスチナ地方はもとはAが持っていたが、第二次世界大戦後に国連の意向でAとYで半々に分かれた ⑤ Yはもともと国を持っていなかったのでこのことに大喜びだが、Aは不満=中東戦争 解説 ①について Y民族=ユダヤ人、A民族=アラブ人。 Yの国が「イスラエル」 Aはイラン、イラク、サウジアラビアなど、西アジア一帯にいる民族のこと パレスチナ地方にいるA民族のことを「パレスチナ人」と呼ぶ パレスチナ地方でAが持っていた土地は2ヶ所しかなかった →一つはヨルダン川西岸地区(三重県と同じくらいの面積)、もう一つはガザ地区(福岡市より少し小さいくらいの面積) ②について Aの中の過激派が「ハマス」 ハマスが暴れてガザ地区で暴動を起こしたのが今回のニュース ③について 和平を結んだのが「オスロ合意」。別名、パレスチナ暫定自治宣言 イスラエル(Y)の首相ラビンと、PLO(A)の議長アラファトの間で結ばれた PLOとはパレスチナ解放機構という組織で、1964年にできた オスロとはノルウェーの首都。つまりノルウェーが介入して両者の争いを止めてくれた その争いとは1987年から発生していた「第一次インティファーダ」(民衆蜂起) →ガザ地区でAが突如暴れ出し、Yに石を投げつけた →それをYが徹底的に弾圧し、1300人以上の死者が出た その様子が全世界に報道されて、諸外国の注目を浴びた 第二次インティファーダは2000年以降で、ハマスはこの時に生まれた ④について 古代まで遡れば、確かにYの故郷は確かにパレスチナの地なのだが、紀元前後に他国に支配され、追放された そのため、歴史的に見ればAが持っている期間が圧倒的に長かった Yはヨーロッパ諸国で迫害を受けていた。特にナショナリズムの高揚していた19世紀は酷かった。その中で起こったのが、パレスチナに安住の地を築こうという「シオニズム運動(思想)」 そんな中、第一次世界大戦が起き、パレスチナはトルコとイギリスの戦場にはった。この時、イギリス(の首相バルフォア)がYに財政的な支援を求めて、その際「支援してくれたらこの地に郷土を作る」と約束してしまった。これがバルフォア宣言 それが形となったのが第二次世界大戦後の1948年=イスラエル建国 実際、ナチスによる迫害(1930年代)もあり、第一次〜第二次世界大戦の間にこの地へのユダヤ人の入植が急増していた ⑤について 第二次世界大戦後、1947年に国連がパレスチナ分割案を出して、パレスチナをAとYで半々に分けることにしたわけだが、Aからすれば、いきなりYに国をつくられて不満しかない 建国後、A人諸国がすぐさまイスラエル(Y)に対して宣戦布告した 中東戦争は1948年、1956年、1967年、1973年の4回 「世は殺されて虚しく難民」 3回目のタイミングで、Yがパレスチナの全土を占領してしまった まとめ なぜ、イスラエルとパレスチナは対立し続けるのでしょうか。その歴史は約2000年前、イスラエルとパレスチナの地に住んでいたユダヤ人が、アラブ人に侵略され故郷を追われたことに始まります。以来、ユダヤ人たちは戻りたいと思いながらも叶わずにいました。 ところが、第二次大戦後、イスラエルが建国されると、今度は逆にアラブ人たちが故郷を追われる立場になってしまいます。反発したアラブ人たちは4回にわたる中東戦争を起こしましたが、いずれも敗退。いまやヨルダン川西岸とガザ地区の狭い居住地域に追いやられています。 東京23区より狭いガザ地区で、人々は苦しい生活を強いられています。この監獄のような地区を実効支配するのが、イスラム原理主義組織ハマスです。 練習問題 ※解答はこのページの一番下 1896・・・( ① )思想が生まれる 1914・・・( ② )が勃発 1917・・・( ③ )が結ばれる 1920・・・パレスチナが( ④ )の委任統治領となる 1947・・・国連がパレスチナ分割案を決議 1948・・・( ⑤ )が建国される。第一次( ⑥ )が勃発 【 A 】 1956・・・第二次( ⑥ )が勃発 1967・・・第三次( ⑥ )が勃発 【 B 】 ( ⑦ )・・・第四次( ⑥ )が勃発 【 C 】 1987・・・第一次( ⑦ )が発生 1993・・・( ⑧ )を締結 2000・・・第二次( ⑦ )が発生 中東問題の起源となったのが( ③ )の締結。それが紛争となって始まったのが1948年から。緊張が緩和したのが( ⑧ )以降。 問1 空欄( ① )〜( ⑧ )に入る語を答えよ。 問2 ( ① )思想が生まれる背景と結びつくものを以下の中から一つ選べ。 ア 民主主義 イ 国民主義 ウ 資本主義 エ 共産主義 問3 ( ② )から第二次世界大戦の間、ユダヤ人がパレスチナに流入するきっかけと最も関連している国を以下の中から一つ選べ。 ア イギリス イ アメリカ ウ ドイツ エ ロシア 問4 「パレスチナ解放機構」について以下の問に答えよ。 1)この組織の成立は【 A 】〜【 C 】のどこに入るか。 2)この組織の議長の名前を答えよ。 3)2の人物と和平交渉を結んだ( ⑤ )首相の名前を答えよ。 4)3は、和平交渉が成立した翌々年に暗殺されている。西暦何年か。 問5 以下の文が正しければ○、間違っていれば×と答えよ。(2011年・センター試験) イスラエルは、建国と同時にアラブ諸国の承認を受けた。 余談 入試に出るか微妙な内容であるが、「イェルサレム問題」というのを知っているだろうか。せっかく和平交渉が成立したパレスチナ地方であったが、それをまた揺るがす事態が2018年頃に起きた。そのきっかけを作ったのは、イギリスではなく、アメリカだ。まず前提として、エルサレムを知っているだろうか。イェルサレムとはパレスチナ地方にある、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の聖地である。第2回中東戦争の時にイスラエル(ユダヤ人)がイェルサレムを占領していたが、国際的にはずっと認められてこなかった。実際、イスラエルの大使館は全てイェルサレムではなく、イスラエルの最大都市テルアビブに置かれていた。そんな中で、アメリカのオバマ首相が2017年12月、エルサレムをイスラエルの首都と認め、翌年2018年に大使館の移転が行われた。背景としては、そもそもアメリカ人とユダヤ人は歴史的に見ても仲がよく、イスラエルのバックには常にアメリカがいた。つまり、イスラエルからの圧力で起こった出来事だと言える。実際、アメリカ最大の宗教勢力であるキリスト教福音派には、ユダヤ寄りの考えを持つ人が多数いて、彼らの指示を得たくてとった行動であり、という政治的な判断だった、と言われている。いずれにせよ、トランプはアメリカに無用の混乱を招いてしまったのだ。 【練習問題の解答】 問1 ①シオニズム ②第一次世界大戦 ③バルフォア協定 ④イギリス ⑤イスラエル ⑥中東戦争 ⑦インティファーダ ⑧オスロ合意 問2 イ 問3 ウ 問4 1)B 2)アラファト 3)ラビン 4)1995年 問5 ×(承認を受けているなら中東戦争なんて起こっていない!)
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本記事は、sint.2000時点でシェロースレセナン惑星合同自治議会が統治している、サゲオヌオス-アディオラズオヌオス宙域を中心とした歴史的なできごとの一覧である。 ※サゲオヌオス-アディオラズオヌオス宙域以外に関する情報や年代は正確でない可能性があります。各国・各できごとの個別記事を参照するようにしてください。 主要関係国・地域旗一覧 ヴァルエルク サーヴァリア ジエール エルトリア プトーキオン 惑星レーウス、レーウス4(+1)大国 アクース エルミア べリオン グロスクロイツ ニーネン・シャプチ アポラ星系国際連盟、アポラ帝国 レセスティア 大宇宙連合会議、国際組織 GSV時代 CËL時代 元首 年(sint.) サゲオヌオス-アディオラズオヌオス宙域 レーウス宙圏 大宇宙 革命時代 惑星調査期 D.B.メアノスコス 1601 レーウス協定国解体 L.エンゾン 1606 ベリオン・リーエス戦争勃発 1609 レーウス星系・トラドヴァ入植 1612 シンテーアのヒューヴル併合 1613 マルラー講和条約ベリオン・リーエス戦争終結 G.W.ドゥオヴォルク 1615 ヒェルニエ併合 1616 ニルヴァエカヴォノス星系・スィルトゥオク入植 1617 ジエール帝国連邦成立 1618 神国同盟成立 シ=ギーラム事変 連合会議時代 L.N.ノスコス 1623 大宇宙連合会議創立 F.N.ヴェロン 1628 ノスカ星系・ブルエノ入植 N.ノスカ 1633 弩級戦艦スムルタファイカル就役建艦競争の開始 V.ズインフォス 1637 ベデオソス星系・フィアネ入植 ハルゼイ帝国成立 ゴルギア時代 F.F.ウィノスコス 1641 第二次レーウス連合 国承委員会、ゴルギア反社認定 ゴルギア戦争 1642 第二次モンタク宙圏連合独立 1643 レーウス同時多発テロ L.ヴァルクエン 1644 対ゴルギア・レーウス条約機構軍発足 1645 第二次モンタク連合滅亡 ハルゼイ、連合会議加盟 1647 大宇宙連合会議委任統治領モンタク代理政府設立 H.F.ウィノスコス 1652 人格AIコア発明 P.ニルヴァエケプティス 1657 プルスティア、連合会議加盟 R.N.ウィノスコス 1659 ウィロディオンセルオス占拠事件 1660 ツーンカ、コンクーナ掃討戦ゴルギア戦争終結 ロマプルスのディアスポラ 経済戦争時代 1661 メルエル、フリア細胞技術発明 ︵前期︶第一植民期 1662 ウィロディオンセルオス開発計画 ツーンカ・バブル 第三次モンタク連合独立 L.ニルヴァエケプティス 1666 ヴァエカヴォスコス星系・ウィガクロントス入植 N.クレストル 1669 NEA景気 スレフィエ、暫定政府樹立 K.N.ノスコス 1678 メルエル乙女革命 ︵後期︶第一植民期 E.N.ヴェロン 1679 ツーンカ・バブル崩壊、ダーケフオス危機 第三次モンタク連合崩壊 1680 レーウス経済戦争 ガニュー経済体制協力機構設立 16?? ロマプルス夏風種来訪 1682 ヴァルエルク領スレフィエ成立 1683 ジエール・サーヴァリア戦争 第一次宇宙大戦 D.ゼオスフォス 1684 第一次グロスクロイツ・ベリオン戦争 E.N.ウィノスコス 1689 ブラーメル終戦協定第一次グロ・ベリ戦争終結 1693 リーファイ平和友好条約ジ・サ戦争終結 エルトリアのヒューヴル購入 通信時代 R.G.ヴェロン 1695 「ディガイナのラジオ放送」演説 1696 メルエル国、連合会議加盟 1697 ウィロディオンセルオス入植 辺境期 E.N.ウィノスコス 1701 メロー紛争勃発 1702 サッコレ公害事件 シャグマ=ラゴン星系発見 エントロピー思考AI発明 1703 プレアーノ条約、南北メロア停戦 メロア成立、連合会議加盟 メレンノ独立、連合会議加盟 N.N.ノスコス 1705 アポラ・メロアと同盟 アポラ、連合会議加盟イヴェルローク友好条約、ヴァルエルク保護国連合加盟 ラタモソス星系・ギプテ入植 メロア、ヴァルエルク保護国連合加盟 F.N.ヴェロン 1709 第四次モンタク連合成立 1710 サーヴァリア革命勃発 ギゼヴトラ・ZHL条約 ヴァルエルク・プルスティア、チャンタと接触 惑星ハルトシェーガル発見 RSC設立 ゴホチュ・チョマドゥ戦争 1711 ルリスティア・プルス共和国成立 1712 スモラク宙軍軍縮条約 G.L.エレメオン 1717 スレフィエ国成立、連合会議加盟 1718 スコゼマ星系・パグロス入植 F.N.ウィノスコス 1719 革命終結、企業連合成立 スレフィエ、自由解放連合加盟 ヴァルエルク保護国連合、自由解放連合に改称 1721 ウビウリ、連合会議加盟 スラーン宙圏調査競争開始 1723 シルア、連合会議加盟 E.ニルヴァエケプティス 1724 ハルゼイ、モンタクへ侵攻 グロスクロイツ・シルア友好通商航宙条約 ウビウリ、第一次アポラ経済支援 1725 第一次ルリスティア内戦 アンドロイド時代 1726 エゴイズム思考AI発明 1727 戦闘思考AI発明 N.アルゼオノス 1729 アイロームアンドロイド導入 1730 アイロームアンドロイドアイドル抹消事件 アルナ フリナ設立 1731 スティアと接触 スラーン諸国発見 ファルトクノア、連合会議加盟 ミルドネジア、連合会議加盟 スティア大同連合、ヴァルエルクと接触 1733 エメルダ、新政府樹立宣言アクース内戦勃発 国際アンドロイド協会(OEF)設立 アク|ス内戦 K.スコゼマエ 1734 タアルニア設立 1735 エルゲンの勝利宣言アクース内戦終結 フレイル設立 スラーン宙圏調査競争終了 中央会議選出討論会「心論争」 刻印主義思想の興隆 1736 第二次アクース革命 第五次モンタク連合成立 アイロームアンドロイド採用 リヴァダーアンドロイド採用 ラノー条約 アクース・ニーネン・シルアアンドロイド宣言 1737 国際アンドロイド人権宣言を提唱 OEF、アンドロイド標準規格提唱アンドロイド標準規格採用 グラユィーヌ、自由解放連合参加 1738 三曜会にドゥオウォルク大統領参加 三曜会発足 ヴォドルソス星系・メクト入植 第二次ルリスティア内戦 リカルネ独立戦争介入 リカルネ独立戦争勃発 S.ボントヌオス 1739 三曜会にイーレン・テンレシフォス参加 国際アンドロイド人権宣言 アンドロイド市民権法可決 惑星スラーンの流星災害ながれぼし事件 第一次チャンタ内戦 リカルネ独立戦争終結 三国間経済交渉 1740 チャンタと同盟 チャンタ管理主義学術領導独立国成立 マ|カス内戦 ディガイナによる赤字国債暴露、デフォルト ウビウ・アポラ国際国有銀行設立 航宙・軍需産業民営化 エールナラー虐殺事件マーカス内戦勃発 1741 マーカス内戦介入 マーカス内戦介入 ウビウリ、第二次アポラ経済支援 エルミア、スレフィエ経済危機支援 チャンタ地域安定化会議亡命政府設立 メロー国境紛争 「配信の自由」暴動 1742 マーカス内戦介入第5艦隊派遣 マーカス内戦介入 星連崩壊マーカス内戦撤退 第三次タアルニア・フレイル会談 1743 イェスタ紛争介入 マーカス内戦介入 アポラ動乱勃発 イェスタ紛争 第三次ルリスティア内戦 R.イェダ 1744 レセスティアと同盟 レスリア会議、レセスティア連邦成立連合会議加盟自由解放連合加盟 マーカス内戦介入 第四次ルリスティア内戦 1745 アイローム派・デクトリア派協力体制 第五次ルリスティア内戦 ガダック工業体制 1747 ジエール・サーヴァリア同盟成立 動乱終結 運命の6時間マーカス内戦終結 マーカス臨時政府樹立 リャテ同盟成立 1748 国際国有銀行経営破綻、デフォルト 48年炎上事件第六次ルリスティア内戦 C.ウィノスコス 1749 レーウス機械反乱 フェレネ共同声明、第一連邦政成立 サイバ|時代 自治確立期 1750 ディギネオン・スムルトス自治議会共和国創立FVCW加盟 1752 第二次雷鳴蜂起、軍政成立 1756 電脳仮想空間技術開発 CQD体制成立 1759 電脳仮想空間を全世界へ公開 サイバ|戦争 1760 ヴィッテンクレイル人障害事件 1761 仮想空間流失事件 1762 サーヴァリア・ヴァルエルクサイバー戦争? グロスクロイツ・ベリオンサイバー戦争 1765 連合会議からのアポラ除名動議 アポラ、連合会議から除名 1766 ペゾノロス星系・フォルバ入植 ディガイナ情報自由国独立宣言 1768 第一次スラーン宙域紛争勃発 1769 第一次スラーン宙域紛争終結 1771 ファルトクノアのチャンタ併合 1775 天嶺企業クーデタ 1779 ディガイナ滅亡 反動時代 1785 第一次ジエール・ヴァルエルク戦争 シャグマ=ラゴン戦争 第二次宇宙大戦 レセスティア戦争(仮称) 第二植民期 1790 セティスカトールプ講和条約ファールリューディア講和条約 1792 サクトマンク無血革命 1798? ファルトクノア内戦 1800 協商連合成立? 1804 GSV-JL時空錨誕生 1809 チャンタ独立戦争 1810 チャンタ民主戦線共和国独立 1811 チャメド問題発生 1824 ペゾノロス星系・イェダ入植 1830 第二次ジエール・ヴァルエルク戦争 狂識時代 1835 ジエール内戦勃発 1837 新型ストラコウィルス感染症 XX軍政期 1840 第二ディガイナ独立宣言 1850 メアノスコス事件フォルバ、パグル、イェダ独立 1851 XX暴動 1853 大プトーキオン成立 1855 内戦終結、ロヅロナ・エミュンス成立 185? 自治政府崩壊 スコゼマ・ベゾノロス反乱 1857 レーウス第一次大戦 レガンティオン期 1859 レガンティオン前衛共和国成立 186? レーウス生命保護条約機構 18?? 人類主権協約 188? レーウス大戦 新生時代 吾帝期 1??? アポラ帝国チャンタ総督府・ハロン共和国設立? 1??? モースホクシェフェール臨時自治議会開会 1??? フェンテフロー臨時自治議会開会 独立共和国期 1??? シェロースレセナン惑星合同自治議会建国宣言 関連項目 シェロースレセナン/歴史 シェロースレセナン惑星合同自治議会 シェロースレセナン/記事一覧 ヴァルエルク/歴史 ヴァルエルクの歴史 アポラ星系国際連盟/歴史 大宇宙の歴史
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●天皇制11-14 から 最新の記事は●天皇制へ 150409 天皇の慰霊 歴史見つめる機会に(社説) [朝日] 150408 巡視船宿泊、ペリリュー島で慰霊 両陛下が強く願い実現 [朝日] 150408 「美しい島々で悲しい歴史」パラオ訪問の陛下お言葉全文 [朝日] 150409 天皇の慰霊 歴史見つめる機会に(社説) [朝日] あの戦争は何だったのか。身近に考える機会にしたい。 戦前、日本が統治し、太平洋戦争で激戦地となったパラオ共和国を、天皇、皇后両陛下が訪ねている。戦後70年に合わせた「慰霊の旅」である。 多くの戦死者が出たペリリュー島にきょう渡り、日米それぞれの犠牲者の碑に赴く。 「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」。天皇陛下は出発にあたり、こう述べた。 天皇の慰霊の旅が印象づけられたのは、戦後50年の95年の夏に、長崎、広島、沖縄、東京都慰霊堂を訪ねたときだ。 戦後60年には、海外での初の慰霊の旅として米自治領サイパンを訪ねた。日本人が海に身を投げ集団自決した「バンザイクリフ」などに赴き、元日本兵が話す当時の様子に耳を傾けた。 その年の誕生日に際した会見で、「61年前の厳しい戦争のことを思い、心の重い旅でした」と語っている。 パラオ訪問は当時も検討されたが、交通状況などで断念した。今回は海上保安庁の巡視船をホテル代わりにする異例の措置で実現した。ペリリュー島へは巡視船からヘリで向かうといい、80歳を超える両陛下にとって、たやすい道行きではない。 風化しがちな戦争の歴史と向き合わねばならないという、強い思いが込められている。 天皇陛下は今年の年頭の感想で「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくこと」の大切さに触れている。 当時の語り部や、その伝承に取り組む人びとの声に耳を傾け、歴史と謙虚に向き合い、戦禍を二度と繰り返さない。それは、国民一人ひとりが続けねばならない営みだと感じさせる。 今ではダイビングで知られるパラオを約30年間日本が統治し、日米双方が多くの命を失ったことはあまり語られない。 戦後、94年まで国連の米信託統治領だった。ほかの太平洋諸島より独立が遅れたのは、画期的な非核憲法を81年、住民の手でつくったからだった。 米国は、その憲法を長く疎んじ、最終的に非核条項を凍結することで独立を認めた。パラオは防衛権を米国にゆだね、代わりに経済援助を受け続けるという苦しい選択をしたのだ。 終戦後もなお、安全保障などをめぐり大国との関係に翻弄(ほんろう)されてきた、その歴史から考えさせられることもまた多い。 150408 巡視船宿泊、ペリリュー島で慰霊 両陛下が強く願い実現 [朝日] 太平洋戦争の激戦地・パラオ共和国に向かった天皇、皇后両陛下。現地での宿泊先に選ばれたのが、海上保安庁の巡視船「あきつしま」だ。通常は領海警備などにあたる船で、船内の設備は宿泊には適していない。異例の措置がとられた背景に、両陛下の戦没者慰霊への強い思いがあった。 両陛下、パラオに出発 「美しい島々で悲しい歴史」陛下お言葉全文 「あきつしま」は全長150メートル、総トン数6500トンで世界最大級の巡視船だ。2013年11月に就役。沖縄・尖閣諸島の警備や東南アジアでの海賊対策や中国漁船によるサンゴ密漁の取り締まりといった重要任務を担っている。 実は、両陛下のパラオ訪問は10年ほど前に検討されながら、断念した経緯がある。日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」があるペリリュー島はパラオ中心部から南に約50キロ離れた小島。両陛下と随行員、警備関係者ら一行を乗せた旅客機が離着陸できる空港がなく、船で行き来するにも片道1時間以上かかる。両陛下への負担や安全面の問題が立ちはだかった。 そこで浮上したのが海保巡視船に搭載されているヘリコプターだ。「あきつしま」には最大21人乗りのヘリ「スーパーピューマ225型」が2機搭載されている。両陛下が「あきつしま」に宿泊し、船から直接ヘリでペリリュー島に向かう計画によって、今回の慰霊の旅が実現することになった。 だが、旅行用の客船ではないため、高齢の両陛下が宿泊するには不安もある。船内には段差や仕切りが多く、転倒する危険性が拭えない。貴賓室などはなく、両陛下は船長室に宿泊するが、そこに向かうには急な階段を上がらなければならない。お世話をする職員や侍医が待機する部屋も離れた場所だ。 今回、両陛下用に船内に手すりをつけたり、通常は1人用の船長室内のレイアウトを変えたりするなどの対策が講じられた。決して快適とは言えない状況だが、両陛下は納得の上で計画を受け入れたという。宮内庁幹部は「戦没者慰霊を実現させたいという両陛下のお気持ちの表れでしょう」とみる。 前侍従長の渡辺允さん(78)によると、天皇陛下は折々に「南太平洋に慰霊に行くことはできないか」との意向を述べていた。南太平洋とはパラオ、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦。今は観光地となっているが、陛下は「美しい海でどれだけ多くの犠牲者が出たか思い出して欲しい」とも話したという。 今回、慰霊碑にはこの3カ国の大統領夫妻も同行し、ともに拝礼する。 巡視船の運用をめぐっては、尖閣諸島周辺での領海警備の必要性が高まり、やり繰りが厳しい状態が続いている。宮内庁の風岡典之長官は会見で「(業務に)支障が無いということで利用させていただくことになった」と説明し、「戦後70年の特別な陛下のご訪問。大きな目的のために使うのは許されるのではないか」との見解を示した。別の宮内庁幹部も「巡視船からヘリで移動するのが一番円滑に日程をこなせる。ヘリがなければ今回の訪問は実現しなかった」と話している。(中田絢子、工藤隆治) 150408 「美しい島々で悲しい歴史」パラオ訪問の陛下お言葉全文 [朝日] 天皇陛下は8日午前、パラオへの出発に先立ち、おことばを述べた。全文は次の通り。 ◇ 本年は戦後70年に当たります。先の戦争では、太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ、数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことが深く偲(しの)ばれます。 私どもはこの節目の年に当たり、戦陣に倒れた幾多の人々の上を思いつつ、パラオ共和国を訪問いたします。 パラオ共和国は、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島共和国と共に、第一次世界大戦まではドイツの植民地でしたが、戦後、ヴェルサイユ条約及び国際連盟の決定により、我が国の委任統治の下に置かれました。そしてパラオには南洋庁が置かれ、我が国から多くの人々が移住し、昭和10年頃には、島民の数より多い5万人を超える人々が、これらの島々に住むようになりました。 終戦の前年には、これらの地域で激しい戦闘が行われ、幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで、この戦いにおいて日本軍は約1万人、米軍は約1700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います。 この度のパラオ共和国訪問が、両国間にこれまで築かれてきた友好協力関係の、更なる発展に寄与することを念願しています。私どもは、この機会に、この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに、パラオの国の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に、慰霊碑や墓地の清掃、遺骨の収集などに尽力されてきたことに対し、大統領閣下始めパラオ国民に、心から謝意を表したいと思っております。 この訪問に際し、ミクロネシア連邦及びマーシャル諸島共和国の大統領御夫妻が私どものパラオ国訪問に合わせて御来島になり、パラオ国大統領御夫妻と共に、ペリリュー島にも同行してくださることを深く感謝しております。 終わりに、この訪問の実現に向け、関係者の尽力を得たことに対し、深く感謝の意を表します。
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187 :ひゅうが:2016/08/11(木) 19 07 33 神崎島ネタSS――「1937年6月」 ――1937(昭和12)年6月23日 神崎島鎮守府 作戦室(中央指揮所隣接) 「今次作戦の要綱を説明する。」 神崎提督は、ずらりとならんだ幕僚および現場指揮官たちを見渡しながらいった。 長卓の左右にタフブックとともに多くの書類を持った幕僚(妖精さん)と、各艦隊を統べる指揮「艦」たち、そして基地航空隊の妖精さんたちがならぶ。 長卓とは別の「島」には、帝国高等弁務官府からのオブザーバーとして参謀級将校をしたがえた二人の高等弁務官――堀と山下の両中将――が着席。 提督の席となる上座に準じる形で会議を見守る態勢をとっていた。 この作戦室は中央指揮所とガラスごしに隣接しており、いわば劇場の三階席といったところだった。 そのために指揮所のモニターに描かれた神崎島や日本列島の地図、そしてその上に描かれたいくつもの光点がここからも一目のもとに確認できる。 先の連合航空艦隊演習(秘匿名『シラトリ』)においてはGFだけでなく見学の参謀たちや文官もここから推移を見守っていた。 「今次作戦は、米国による陸上機を用いた太平洋横断航路の作成にあたって日本帝国がいかなる影響と干渉を行えるか、それを米政府に対し示すことにある。」 「すでに水上機による横断航路はできていると思うが?」 「いい質問だ。長門。」 神崎はいった。 「我々は史実の太平洋戦争の記憶を持つために陸上機による本土空襲を所与のものとして想定を行える。だが、今現在のことを考えるなら、それはほとんど不可能なのだ。」 「飛行艇は不時着水という手段が使える上に、滑走路の整備が必要ないために給油拠点さえあれば航路の整備は容易だからな。」 実際、我が国も南洋航路をそうして展開・拡張させている、と山下。 「そのかわり、離着水という衝撃に艇体が耐えられるように機体は頑丈。 引き込み脚のようにフロートを格納できないことなどもろもろの無理があるため、速度や搭載量において陸上機に大幅に劣る。」 「ゆえに、陸上機が大洋の間を横断するようになれば、それはすなわち大量航空輸送の時代が幕を開けることにもなる。まぁB747ジャンボジェットを見ればこれは自明だな。」 そして今回、あの女流冒険飛行家はこの太平洋間を陸上機を用いて横断しようとしている。 しかも赤道上を使って。 つまりはアメリカ・オーストラリア・フィリピンが一本の航空路で繋がるのだ。 そのど真ん中に位置する帝国の委任統治領南洋諸島を無視してフィリピン、そして中国大陸へと道はのびる。 この戦略的な意味を理解できない人間はここにはいなかった。 「しかし、この試みは史実においては失敗した。おそらくは米国政府か軍の息のかかった装置を搭載したがゆえに。」 女流冒険飛行家であるアメリア・イアハートはこの7月にも南太平洋上において遭難。 70年以上たった21世紀になってようやく機体の残骸らしきものが発見された後も遺体は回収されていない。 その原因として考えられているのが航法ミス。 最新の電波式航法装置がうまく誘導電波を拾えずにマーシャル諸島へ向かう途中で力尽きたのだ。 そしてそこに搭載されていた装置は、当時の最新鋭のものよりもさらに一歩進んだ代物であったらしい。 それこそ、電波情報を収集・記録できるような… そのため、遭難後は日本による撃墜説がささやかれたりもしており、伝説化に拍車をかけていた。 真相は明らかにはなっていないが、彼女が最後に残した交信記録で指定した周波数は当時のいかなる市販の装置とも異なるものを示していたことは確かである。 冒険飛行には多額の資金が必要であるし、そのために軍あたりからの「ちょっとしたお願い」を聞いたというのは十分あり得る可能性なのだ。 188 :ひゅうが:2016/08/11(木) 19 08 35 「しかし、今回は我々がいる。」 神崎はいった。 「我々が連合航空艦隊演習で長距離渡洋爆撃なんてものを行ったおかげで、日本帝国の航空航路整備は史実よりも大幅に進んでいる。 手始めに進められたのが――」 「辺境地域での電波灯台設置。内南洋はもはや電探の巣と化しているからなぁ。これもおたくが大量にばらまいたためですよ。」 堀が揶揄するようにいう。 その手続きのためにだいぶ苦労していたのが彼だったためだ。 「技術的には量産はともかく、今の日本でも十分作れる代物ですよ。あれは。」 「だからです。おかげで技術者たちが悲鳴を上げていますが――まぁこれはここ数ヶ月いつものことですね。」 「陸軍の方も同じですな。交換部品が大量にあったからよかったものの、下手をすれば一気に全土へ配備なんて地獄を見るところでした。」 要するに、もったいない精神を発揮した軍は技術者のキャパシティを超える配備を行って一気にコワしてしまうところだったのだ。 それをおしとどめたのが堀と山下。昨日まで闇夜の提灯だのなんだのといっていた連中が、電探電探と変な薬でもきめたような様子で連呼するのはいささか精神衛生に悪い光景だった。 「つまり、遭難しようがありません。すでに英連邦を通じて民間用電波灯台の設置は通知済みですから。」 「豪州がうるさいからなぁ…」 「大日本航空と満州航空が使えるのだからうちも、といわれると軍機で突っぱねるのは厳しいですからね。」 そういうことだった。 豪州は伝統的な白豪主義から太平洋上唯一の列強である日本を警戒(というよりは嫌悪)していたし、国内の飛行艇航路用に電波灯台を設置したとなれば同じく英国海外航空もそれを使いたがるのは道理だった。 まして、日英は現在接近中。新京には大英帝国の公使館が設置され、満州国の広義の承認を内外に示していたし、それに負けじとアメリカも領事館を設置するなど雪解けムードが演出されていた。 そこでこの申し出を断る選択はないのだった。 「そして、アメリア・イアハート女史はわが神崎島を表敬訪問するとのことだ。おそらくはルーズベルト大統領の親書をたずさえて。」 「米国の立場ではそうするでしょうなぁ。」 参ったと首を振る堀。うなる山下。 「まだ超大国の業に染まっていない頃ですから、なかなかかの国はしたたかですからね。」 と大淀。 「それでも真珠湾への艦艇出入りが加速していますからねー。」 と、はっちゃんこと伊8。 「話を戻そう。吉田さんからも先方が『よろしく』と礼を尽くしていることは伝えられている。こちらとしても受けざるを得ない。」 「まぁ平和の使者ならいいんじゃないですか?」 と、千代田。姉が本土へいっているため少々投げやりである。 「平時における情報収集は、まぁ公開情報が大半だから」 と加賀。ただし相当不快だったらしく眉がわずかによっている。 「ゆえに――わが島は全力で『歓迎』しようと思う。」 「本土でも同様ですね。北京と上海でかすかですが不穏な動きがありますから。」 山下がいった。 「わが軍をのぞき見しにきたのです。しかもルーズベルト大統領に直接報告できるような女流飛行家が。ならば、わが国の正当性をつぶさに見ていただきましょう。」 「防空識別圏侵入と同時にエスコート、歓迎晩餐会、そして本土へ。本作戦を『竜宮作戦』と呼称します。」 「え?草案の頃はおもてな――」 「それいじょうはいけない。」 189 :ひゅうが:2016/08/11(木) 19 09 09 【あとがき】――というわけで、歓迎!アメリア・イアハート御一行様!!
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786:194:2023/10/22(日) 19 30 29 HOST KD106155011143.au-net.ne.jp 現代日本大陸化&銀連神崎島クロスSS ある日、日本が『超』大陸と化してしまった件フォースシーズン?その36 愚者共と反日麻薬漬けな国家の顛末 命令に反してのN6ミサイル発射に顔を青くする中韓両国だったが、すぐさま出来うる限りの手を打つ事にした。 当然だろう。一部の馬鹿共の暴走で世界の敵として吊るされる等、堪った物では無いからだ。 必死に声明を全世界に発すると共に、即応状態だった特殊部隊を派遣して基地に立て籠もる馬鹿共を制圧。それ以上の発射の阻止に成功している。 因みに制圧と書いたが、いざという時の人身御供として犠牲にする必要も有って、殺す事無く確保している。 その時の、ベース334の様子を見て見よう。 馬鹿A「ガハッ!!」 馬鹿B「グハッ!!」 馬鹿C「グホッ!!」 馬鹿共が立て籠もる部屋にスタングレネードが炸裂した直後、特殊部隊が突入。 非致死性のゴム弾で無力化して、手際よく拘束する。 しかし馬鹿共は、尚もアレコレ叫びながら自己正当化を図ろうとする。 馬鹿A「クソッ!!小日本と異星人共に尻尾を振る売国奴共が!!」 特殊部隊隊長(以下隊長)「売国奴?非常時に『交戦状態に無い国に戦略兵器をぶち込む』という愚行をやらかした愚か者が、何を言ってるんだ」 馬鹿B「黙れ!俺達は愚か者じゃない!日本鬼子と異星人の悪影響を排する義士だ!」 隊長「愚か者で無ければ、唯の卑怯者だ。死力を尽くして人類の宿敵を討ち果たした友邦を、騙し討ちで葬ろうとしたのだからな」 馬鹿C「何が友邦だ!奴等を放置すれば、何れ必ず我が国を滅ぼそうとするに決まっている!現に他の並行世界の我が国を滅ぼしているんだ!あいつ等なんか、信用出来るか!」 隊長「自分達のやらかしがどの様な結果を招くか分からないとは・・・我が国の人材も堕ちた物だな」 馬鹿A「黙れ漢奸め!我等の義挙を邪魔するな!」 787:194:2023/10/22(日) 19 30 59 HOST KD106155011143.au-net.ne.jp 最も言ってはならない言葉をぶつけられ、我慢の限界を超えた隊長が馬鹿Aを殴りつける。 馬鹿A「グハッ!?」 隊長「いい加減にしろ!貴様達は自分達が何をしたのか、まだ分からんのか!卑怯な騙し討ちで、友邦や罪の無い民間人達を吹き飛ばそうとしたんだぞ!」 隊長「我が国を滅ぼしかねない愚行を義挙だと!?よくも言えたな!!」 馬鹿A「グゥゥッ・・・!・・・お、俺達は・・・正しい事を・・・・・したんだ・・・」 隊長「正しいだと!?これの何処が正しいというんだ!!」 馬鹿A「日本鬼子は人間じゃない!!異星人ともつるんでいる以上、何時我が国を滅ぼそうとするか、分かった物じゃない!!だから先にこちらが奴等を滅ぼして、何が悪いというんだ!!」 隊長「・・・貴様は!!」 もう一度殴りつけようとした隊長だったが、副官に止められた。 特殊部隊副官(以下副官)「おやめ下さい。これ以上は、何を言っても無駄です」 隊長「・・・・・そうだな、熱くなり過ぎた。この馬鹿共を連れていけ」 冷静さを取り戻した隊長が、馬鹿共の連行を命令する。 尚も喚く馬鹿共が連れて行かれる中、隊長が思わず呟く。 隊長「・・・・・もっとまともな人材を配する事は、出来なかったのか?」 副官「・・・残念ながら、この国で反日教育を受けていない人間の方が、珍しいのですよ。俗にいう『三つ目の人間の国に迷い込んだ、二つ目の人間』って奴です」 隊長「・・・何だそれは?」 副官「『三つ目の人間の国では、二つ目の人間の方が異常である』という話ですよ。この国で反日教育を受けていない人間というのは、その様な存在なんです」 隊長「・・・分かりやすい例えだな」 そう言いながら、深々と溜息をつく隊長。 この様な連中のせいで、我が国は事実上『人類の敵』扱いが不可避となってしまった。 こんな屑共のせいで・・・我が国の民が再び苦難と屈辱の道を歩む羽目となるのか。 この後に待ち受けている祖国の悲劇を予感し、隊長は悲嘆に暮れるしか無かった。 788:194:2023/10/22(日) 19 31 32 HOST KD106155011143.au-net.ne.jp その後の展開だが、予想以上に酷い有様となった。 それはそうだろう。何せ地球史上最悪の存在その物だった煉獄の王『エクス・グラウコス』を撃破した直後に、まさかの味方撃ちをしてきたのだ。 それも連絡不行き届き等ではなく、明らかに悪意を持っての攻撃なのだ。 両国政府は『現地の反乱兵による暴走』と必死に弁明したのだが・・・正直な話、余り信用されなかった。 何せ普段の言動が言動である。日本国民の多くは、彼等の話を信じなかった。普段の言動は、本当に大事なのである(戒め) 当然ながら、日本及びEDFは激怒。両国に詰め腹を切らせるべく、直ちに行動を開始する。 両者は連名で要求を送る。その要求だが 今回の攻撃に関して、正式な謝罪と賠償 責任者達の即時引き渡し 両国内に残っているN6ミサイルの即時引き渡し※回収はティ連が行う 両国固有の軍事力の指揮権の完全譲渡 これ等の条件を飲まなければ、両国を『人類の敵』と認定し、N6ミサイルによる大規模攻撃を行うとまで言い切った。 回答時間は1時間。完全な最後通告だった。 本当ならば『直ぐにでも攻撃すべし』という声も強かったのだが、流石に反乱兵による独断と暴走という事情がある以上、いきなり戦略兵器による攻撃は憚られた。 両国政府はその条件を呑むしかないと思っていたのだが・・・ここで最悪の展開が発生する事に。 具体的に言うと、どこからかこの要求を呑む事を知った両国国民の不満が爆発し、事実上の内乱状態となってしまったからだ。 そして両国民達の勢いは凄まじく、何と政府首脳を吊し上げたのだ。その上で要求を拒否し、徹底抗戦の構えを見せたのだ。 最早コードNもやむなしと思われたが・・・・・そこにプライマーが狙い澄ましたかの様に激しい攻勢を開始。 しかも新たにトップに立った連中が、軍事に関してはずぶの素人だった事も災いして、あちこちで敗退。あっと言う間に劣勢に陥ったのだ。 止む無く助力する事となり、何とか攻勢を食い止めたが・・・両国共にまともな統治能力を喪失。 南キムチは委任統治領に。共産支那は幾つもの軍閥が割拠する戦国時代へと突入する羽目となったのだった。 なお、辛うじて踏み止まった北はというと、プライマーの攻勢直後に 「拉致被害者の即時解放と核兵器の放棄を行いますので、助けて下さい!!」 と平身低頭しながら要請してきたので、辛うじて国家の崩壊は免れる事に成功している。 とはいえ、『キムチと共産支那よりはまし』な程度であり、その後も戦時下の中でのたうつ羽目となったが。 そんな訳で、コードNを強硬に主張した三国は程度の差こそあれ、皆等しく悲惨な目に遭ったのだった。 789:194:2023/10/22(日) 19 32 04 HOST KD106155011143.au-net.ne.jp 以上です。自分で書いておいてなんだけど、何とも酷いオチとなってしまいました(汗) え?割かし手緩い?ハハハ、ご冗談を(すっとぼけ) あ、N6ミサイルですが共産支那の核弾頭共々、ドサクサに紛れてティ連がしっかり回収しておきました。 なので、自棄を起こした馬鹿共による、テロ同然な攻撃を受ける心配は無くなりました。 最後に何とも酷い展開となりましたが、どうかご容赦の程を。 さて次回ですが、再びウマ娘の方に戻ろうと思います。ちょいとネタ切れというのも有りますので(ヲイ) それでは。 wiki掲載は、自由です。
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ここに国旗 基礎データ 国名 大ツワナ共和国(Republic of great tswana) 国歌 我らの大地(Blessed be this noble land) 通貨 プラ(TWP) 首都 プレトリア(行政府所在地) 政体 議会制民主主義 主な産業 鉱業(金・ダイヤ等) 人口 780万人 概要 ツワナ人のツワナ人によるツワナ人のための国家である。 歴史 イギリスの保護 文明の中心から遠く離れた南アフリカ内陸部地域は、他の巨大な宗教や帝国と接触する機会がなく、非常に緩やかに独自の文化を発展させていた。しかし、近世におけるヨーロッパ人のアフリカ進出により、この地に住まう8つの部族は特に、海岸部に植民地を築いたオランダ、ポルトガルに対して非常に強い危機感を覚えていた。 一方のイギリスは他の西ヨーロッパ諸国に比べて植民地拡大がやや遅れ気味であり、オランダやポルトガルとの貿易面での対立が激化していた。その上、ドイツまでもが南西アフリカ沿岸に保護領を設置したことで、南アフリカ地域における勢力圏の確保を急いでいた。 そんな時世にイギリスに対して8部族の首長が共同で保護を求めたことから、イギリス保護国ベチュアナランドが成立することになるのである。 ベチュアナランドが成立した後に発見されたダイヤの鉱脈は、ダイヤ加工の技術が発展するにつれてこの地に巨万の富をもたらした。政府はそれを元手に宗主国イギリスからの技術誘致や教育の推進を行い、アフリカの中では比較的早期の近代化への道を歩んだ。 金山への進軍 西ヨーロッパで戦争が勃発し、オランダ本国がフランスに占領されると、南アフリカ海岸部を支配していたオランダ南アフリカ会社は、築いた植民地の維持、経営が徐々に困難になっていった。オランダ植民地のヨハネスブルグにある金山に以前から目を付けていたイギリスは、オランダが当の戦争で同盟国であるにも関わらず、このチャンスを逃すまいとどさくさに紛れたそれの略取を企てたのである。 保護国でありながら国軍を持つことを許されていたベチュアナランドは、ここぞとばかりにイギリス植民地省に同調し、オランダ領南アフリカ東部にイギリスとの連合軍を派遣した。本国からの支援が途絶え破綻寸前であったオランダ南アフリカ会社に抵抗する力はなく、あっさりとヨハネスブルグは占領され、ベチュアナランドに組み込まれることとなった。 海岸線の獲得 その後オランダ植民地だったケープタウン周辺を占領したフランス軍と、隣接するイギリス、ドイツ保護領の連合軍は睨み合いを続けることになるが、ヨーロッパでフランス本軍がイギリス、ロシア連合軍に大敗北したことにより終戦。南アフリカ地域はケープタウンをはじめとするほぼ全域がベチュアナランドに組み込まれ、そこからイギリス人を除く白色人種は追放されることになったのである。 その後時代は大きく進み、第一次世界大戦。ベチュアナランド軍はアフリカやヨーロッパ西部戦線での連合軍の勝利に貢献し、終戦後ドイツ南西アフリカ保護領を委任統治下に置くこととなった。 こうして、現在の国土が完成したのである。 独立 第二次世界大戦後、ヨーロッパの各国は弱体化し、世界中に散らばる植民地の維持が困難になっていった。フランスではベトナム戦争、アルジェリア戦争を契機にアフリカ植民地が一斉に独立するというイベントが発生し、それはイギリス植民地にも大きな波となって押し寄せた。 かなり多くの権限が認められていたベチュアナランドにおいても独立機運の高まりは留まることを知らず、ついに宗主国イギリスはその独立を認めることとなる。その際に唯一求められた条件が、現在の首長を中心とする貴族政を廃止し、完全な民主化を行うというものであった。 当初は政体が変わるということに対して多少の混乱が起こるものと見られていたが、絶対権力者であった首長たちが粛々と新体制への権限移譲を進めたことにより、平和的に新体制大ツワナ共和国が成立することとなった。こうして無事に独立国家としての道を歩み始めたのである。 現在 南西アフリカ地域に属する三ヶ国で南西アフリカ条約を締結、南西アフリカ条約機構(South West Africa Treaty Organization, SWATO)の一員として国際社会に関わっている。 大ツワナ共和国政府概要 大統領府 大統領は国民の直接選挙によって選出され、三権に様々な介入をすることができる。しかし、その分制限も多い。大統領府はハボローネに置かれる。 内閣(行政府) 行政の中心となる内閣はプレトリアに設置され、内閣首相は国民院より選出される。首相は各庁の長を務める閣僚を指名する権限を持つ。大統領は内閣の解散を国民に提案することができる。 大ツワナ会議(立法府) 8部族の首長及び彼らから推薦された3人ずつの計32議席からなる首長院(上院)と、各小選挙区から選挙で選ばれた計50議席からなる国民院(下院)で大ツワナ会議が構成されている。所在地はケープタウンで、憲法の規定により下院は上院に優越する。新法案は両院で審議が行われた後に、大統領の署名によって発布される。 裁判所(司法府) ブルームフォンテーンに置かれた最高裁判所を筆頭とする三審制の司法制度を有する。また、それとは別に大統領は自らを裁判長とする憲法裁判所を設置することができる。 地方自治 大ツワナは14の州と4つの特別市からなる。 番号 名称 州都 1 南ボツワナ モレポロレ 2 中央ボツワナ フランシスタウン 3 北ボツワナ マウン 4 ハンツィ ハンツィ 5 西ケープ ステレンボッシュ 6 北ケープ キンバリー 7 東ケープ ポートエリザベス 8 クワズール ダーバン 9 レソト マセル 10 ハウテン ヨハネスブルグ 11 スワジ ムババーネ 12 リンポポ ポロクワネ 13 北ナミブ スワコプムント 14 南ナミブ ウィントフック a ハボローネ (特別市) b ケープタウン c プレトリア d ブルームフォンテーン 開発庁 道路建設局 建設費用合計 4万 中核都市管理局 開発費用合計 2850万 その他 大ツワナ共和国開発庁 交通物流庁 大ツワナ鉄道公社 大ツワナ鉄道公社 港湾整備局 名称 開発費用 ケープタウン港 200万 空港管理局 貿易流通管理局 国内貿易センター 国際貿易センター 名称 投資費用合計 ケープタウン貿易センター国際貨物取扱部 40万 世界都市振興局 我が国が誇る世界都市ケープタウンはアフリカ最南端の地である喜望峰からほど近く、喜望峰を経由する大型船が頻繁に補給に訪れます。寄港する大型船は様々な場所でお金を落とし、それらは大ツワナの経済発展に大きく貢献しています。 ケープタウン貿易センター 産業庁 資金欄に×がついているのは構想段階のものです。 第一次産業課 名称 本社所在地 生産物 援助費用 大ツワナダイヤモンド貿易会社(Diamond Trading Company Great Tswana, DTCGT) ハボローネ ダイヤモンド鉱石 500万 ゴールド・フィールズ社(Gold Fields) ヨハネスブルグ 金鉱石 500万× プラチナ鉱石 500万× 大ツワナ農業組合(Great Tswana Farmers Union, GTFU) ヨハネスブルグ コーン 400万× マカダミア 200万× 第二次産業課 名称 本社所在地 生産物 援助費用 大ツワナダイヤモンド貿易会社(Diamond Trading Company Great Tswana, DTCGT) ハボローネ ダイヤモンド加工品 1000万× ゴールド・フィールズ社(Gold Fields) ヨハネスブルグ 金インゴット 1000万× プラチナインゴット 1000万× 大ツワナ農業組合(Great Tswana Farmers Union, GTFU) ヨハネスブルグ ワイン 400万× 第三次産業課 名称 本社所在地 サービス 援助費用 ヨハネスブルグ証券取引所(Johannesburg Securities Exchange, JSE) ヨハネスブルグ 証券取引 400万 ハボローネ証券取引所(Gaborone Stock Exchange, GSE) ハボローネ 証券取引 200万× 財務庁 公庫 現在の資金 0 その他 大ツワナ共和国財務庁 外務庁 総合外交管理局 多国間条約 ジャンル 締結国 南西アフリカ条約 軍事同盟 ンドンゴ イフェ その他 大ツワナ共和国外務庁 観光局 ランドマーク管理部 広報部 大ツワナ国防軍 陸軍 種別 基礎型/発展型 数 その他 海軍 種別 基礎型/発展型 数 その他 空軍 種別 基礎型/発展型 数 その他
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トップページ>韓国>韓国近現代史研究 『韓国近現代史研究』71、2014.12 一般論文 梁尚鉉、朴素妍、劉永美「グリフィス・コレクションに所蔵されている韓国近代写真資料の学術的価値についての考察」 朴淳燮「1920-1930年代金燦の社会主義運動と民族協同戦線」 孫洛亀「1934年朝鮮総督府税務官署の設置経過と制度的特徴:大韓帝国・日本・解放後税務機構との比較を中心に」 韓詩俊「カイロ宣言と大韓民国臨時政府」 呉大禄「解放後『独立新聞』の続刊と性格」 朴潤栽「解放後韓薬の変容と韓医学」 金載雄「「女性」「子供」「セックス」を通じて見た解放後北韓の家族文化」 その他 「歴史学界の韓国史教科書国定化反対声明書:教育部は韓国史教科書国定化の試みを中断しろ」 「韓国史教科書国定化に反対する歴史研究・教育者宣言:政府は韓国史教科書国定化の試みを中断しろ!」 『韓国近現代史研究』70、2014.9 研究論文 姜貞遠「韓末日帝の山林調査と山林法の性格」 沈哲基「1905年元容八義兵の倡義と運動方略」 李承允「後期義兵期日本軍の寺刹弾圧」 徐東一「星州思道谷邑の創氏実態と儒林金昌淑の反対論理」 趙徳天「カイロ会談の交渉と進行に関する研究」 金成恩「解放後任永信の国際情勢認識と大韓民国建国外交活動」 『韓国近現代史研究』69、2014.6 尹善子「韓国独立運動と権基玉の飛翔」 朴鍾隣「1920年代社会主義思想の受容とマルクス主義原典翻訳:『ユートピアから科学への社会主義の発展』を中心に」 金明燮「1920年代前半期北京地域韓人のアナーキズム受容過程と活動」 蔡貫植「満州事変前後国内民族主義系列の在満朝鮮人国籍問題提起と民族認識の論理」 文ミラ「『延辺民報』を通じてみた解放直後延辺人民民主大同盟の成立と活動」 王燕「豊徳邑のセマウル運動の推進主体と組織基盤」 崔僖庭「韓国近代化と自助精神:南韓のセマウル精神と北韓自力更生論の淵源」 『韓国近現代史研究』68、2014.3 研究論文 徐泰貞「大韓帝国期日帝の動物園設立とその性格」 朴慶穆「日帝強占期西大門刑務所女收監者現況と特徴」 金度亨「安昌浩の委任統治請願関連資料の検討」 孫科志「国民代表会の主要遺跡地の位置考証」 金鍾文「金弘壹の生涯と独立運動」 白政潤「「周保中日記」を通じてみた東北抗日聯軍第2路軍朝鮮人隊員の活動(1936-1941)」 張泳敏「「ボイス・オブ・アメリカ(Voice of America)韓国語放送」の変化とその原因(1953-1973)」 『韓国近現代史研究』67、2013.12 企画論文:解放以後大学内韓国人文・社会学の分科学問化 姜明淑「大学の制度的基盤形成と学術与件(1945-1955)」 鄭駿永「解放直後大学社会形成と学問の制度化:学科制導入の歴史社会学的意味」 李俊植「解放後国語学界の分裂と対立:言語民族主義と「科学的」言語学を中心に」 辛珠柏「史学科の編制と人、そして教材(1945.8~1950年代)」 朴鍾隣「解放後~1950年代哲学科の設置・運営と教養哲学の講義」 研究論文:韓国の近代国家形成と女性 朴銀淑「分院磁器場の存在様相と開港後の変化」 金恒基「甲午改革期(1894-1896)民事訴訟制度の施行と「私権」伸張」 金素伶「大韓帝国期「国民」形成と女性論」 金成恩「新女性尹貞媛の現実認識と社会活動」 研究論文:日帝の植民政策と統治 金度勲「1920年代前半期ハワイ故国訪問団の推進と性格:日帝の海外韓人懐柔政策を中心に」 盧鏞弼「1920年代韓国農村の肥料実況と日帝の肥料取締令施行」 文智炫「戦時体制期朝鮮総督府の新宗教に対する政策と新宗教団体」 金相奎「戦時体制期(1937-1945)朝鮮駐屯日本軍の陸軍兵事部設置と役割」 曺健「日帝強占末期朝鮮駐屯日本軍の朝鮮人捕虜監視員動員と連合軍捕虜収容所運営」 朴賛勝「田保橋潔の近代韓日関係史研究についての検討」 研究論文:独立運動と独立運動家 朴敏泳「勉菴崔益鉉の上疏抗日闘争とその歴史的意義」 韓詩俊「新興武官学校と尹琦燮」 金建實「龍淵金鼎奎の著述と歴史認識」 潘炳律「洪範図将軍の抗日武装闘争と高麗人社会」 尹相元「ロシア革命期極東解放戦争と韓人部隊の活躍」 金祥起「尹奉吉の修学課程と抗日独立論」 崔起榮「姜永韶の在米民族運動と経済活動」 梁志善「張伯苓の天津地域韓国独立運動支援活動」 研究論文:解放後韓国社会変動と延辺朝鮮族社会 崔惠軫「解放空間の民族主義と伝統文化:民族音楽議論を中心に」 朴性淳「還国以後梵亭張炯の社会教育活動」 趙成勲「6・25戦争停戦協定時漢江河口共同水域設定の意味に対する再照明」 任松子「1961年5・16以後国土建設事業と国土建設団運営の実態」 廉仁鎬「朝鮮族弁士海元の活動分析を通じてみた1960年代上半期延辺朝鮮族社会と韓半島との関係」 資料紹介 張泳敏「韓国戦争勃発直後の李承晩大統領のラジオ特別放送関連資料」 学会創立20周年を迎えて 金喜坤、金容達「韓国近現代史学会の昨日と今日、そして明日」 『韓国近現代史研究』66、2013.9 研究論文 許洙「教祖伸冤運動期東学教団と政府間の談論闘争:儒教的側面を中心に」 張錫興「満州独立軍の形成と洪範図の大韓独立軍」 朴慶穆「1930年代西大門刑務所の日常」 曺銘根「朝鮮銀行重役人事の実態と重役陣構成の特徴」 趙銀景「解放後中国広東省広州地域韓人社会と帰還」 金載雄「解放後北韓の親日派と日帝遺産剔抉」 尹詳絢「1950年代エリート知識人達の国家主義的民族主義談論」 許宗「1969年大邱地域三選改憲反対運動の様相と性格」 『韓国近現代史研究』65、2013.6 研究論文 韓哲昊「日本海軍水路部の隠岐測量と独島認識」 申真姫「義城地域郷村支配層の東学農民軍鎮圧」 南金子「大韓帝国期閔泳徽の忠州一帯土地所有と経営事例」 李良煕「日本軍の3・1運動弾圧と朝鮮統治方案:『朝鮮騒擾事件関係書類』を中心に」 金光載「李溟玉・李孝相父子の独立運動と家族史」 鄭秉峻「解放直後駐韓米軍共産主義者グループとアリス・ヒョン(Alice Hyun)」 趙奭衍「麻薬法制定以後韓国の麻薬問題と国家統制(1957-1976)」 『韓国近現代史研究』64、2013.3 研究論文 李相燦「乙巳条約反対上疏と五大臣の反駁上疏に現れた乙巳条約の問題点」 尹善子「1925年の韓国天主教殉教者諡福と奎章閣資料」 趙栄得「1930年代慶州地域の赤色農民組合運動」 金喜坤「独立運動と民族統一」 李姸淑「解放直後新国家建設と国旗制定」 黄善翌「連合軍総司令部(GHQ/SCAP)の在日韓人帰還政策」 書評 韓圭茂「105人事件の臣民会、再び論争の舞台に引き出される:尹慶老『(改訂増補版)105인사건과 신민회 연구』漢城大学校出版部、2012年」 『韓国近現代史研究』63、2012.12 研究論文 姜英心「金淳愛(1889-1976)の生涯と独立運動」 金光載「上海時期玉観彬密偵説に対する批判的検討」 河智姸「小田省吾の韓国近代史研究と植民史学」 企画 呉鎮錫「1910-1920年代電力産業政策と電力業界の動向」 研究論文 崔僖庭「1930年代「自力更生」論の淵源と植民地支配イデオロギー化」 尹鍾文「米軍政初期韓国学生のアメリカ派遣政策とその性格」 任賛赫「解放後中国延辺地域における民族区域自治が実現する制度的過程についての考察」 金正仁「1960年代近代化政策と大学」 金栄美「ある農民の生活世界と維新体制」 書評 金栄洙「駐日韓国公使を通じて見た韓日関係の照明:韓哲昊『한국근대 주일한국공사의 파견과 활동』푸른역사、2010年」 『韓国近現代史研究』62、2012.9 企画:韓国戦争期南北韓の占領政策とその遺産 奇光舒「韓国戦争時期北韓の南韓地域土地政策」 鄭秉峻「韓国戦争期北韓の占領と地方社会の変化:京畿道始興郡の事例」 梁寧祚「南韓とUNの北韓地域占領政策構想と統治:妥協と現実の乖離」 韓モニカ「韓国戦争前後「修復地区」における農地改革法適用過程とその意味」 金甫穎「UN軍の海上封鎖・島嶼占領とNLL」 李龍哲「衡平社の性格変化と衰退」 研究論文 許宗「米軍政期大田地域の政治動向と国家建設運動」 『韓国近現代史研究』61、2012.6 研究論文 張暎淑「『集玉斎書目』分析を通じて見た高宗の開化書籍収集実相と活用」 申栄祐「北接農民軍の報恩到着と北実戦闘」 朴杰淳「安浦の現実認識と自靖殉国」 金나아「1930-1931年大田期成会の忠清道庁誘致運動」 研究動向 韓哲昊「日本学界の安重根研究争点と課題」 金喜坤「李陸史の独立運動に対する研究成果と課題」 資料紹介 金宙鉉「申采浩が北京で発刊した雑誌『天鼓』3号」 1-20 21-40 41-60 61-80
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ヤーディシア共同体憲章(やーでぃしあきょうどうたいけんしょう)とは、7607年4月2日に署名された条約である。発効は、立憲王政アーカルソン=リペルニアが批准書を付託した7608年1月17日となっている。この憲章は、ヤーディシア大戦の惨禍を受けた連合国側が今後の戦争開始を不可とせんとした理想を掲げて、連合国の中心メンバーであった立憲王政アーカルソン=リペルニア、レオネッサ王国、ソフィア王国の代表が当時ヤードとの講和条約を審議していたスタックバラにおいて締結した条約である。本憲章によって、世界規模の平和維持組織である「ヤーディシア共同体」が誕生する運びとなった。 現在は、合計5カ国の加盟国が存在する。 立憲王政アーカルソン=リペルニア レオネッサ王国 ソフィア王国 シンファナ=タンクレート共和国連合 ハダカンボ王国 スルガ 条約の内容 条約は、前文と10章45条からなる。 第一章は、総則の規定であり、ヤーディシア共同体設立の目的と ヤーディシア共同体加盟国の守るべき原則が規定されている。 第二章は、ヤーディシア共同体加盟国の地位に関するの規定であり、加盟に際しての規定と脱会の規定が存在する。 第三章は、ヤーディシア共同体の機関に関する規定である。ヤーディシア共同体憲章によって総会、理事会及び事務局が設立された。総会は、ヤーディシア共同体の加盟国の代表によって構成されるヤーディシア共同体の最高議決機関である。理事会は、共同体の常置機関として、共同体の事務を速やかに遂行させるために設置されている。事務局は、総会及び理事会の事務を遂行するために各国政府から独立した職員を持つ国際機関である。ヤーディシア共同体本部は、スタックバラに設置されている。 第四章は、ヤーディシア共同体による国際の平和のための行動の規定である。軍縮に関する規定や軍需私企業に関する規定がおかれている。 第五章は、ヤーディシア共同体による紛争の平和的解決に関する規定である。紛争が発生したとき及び紛争が発生すると予見されるときは、理事会が中心となって紛争の平和的解決を図るための手段をとるよう規定されている。 第六章は、委任統治に関する規定である。 第七章は、常設国際司法裁判所に関する規定である。常設国際司法裁判所は、ヤーディシア共同体加盟国通しの紛争を法律的観点から解決するために7608年10月1日に開かれた裁判所である。この裁判所は、特設ではなく常設の裁判所となっている。総会や理事会に対して法律的側面からの助言を与えることが出来る。 第八章は、雑則規定であり、条約の登録制度やヤーディシア共同体職員に対する外交官特権の付与などが規定されている。 第九章及び十章は改正や捕捉の規定である。憲章の改正は、総会の過半数と全ての常任理事国を含む理事会の過半数の賛成が必要である。憲章の規定に反対した場合は、その後ヤーディシア共同体に留まる権利を失う。これを「自動脱会」と証し、任意の脱会と区別している。 条約正文 前文 レオネッサ王国国王陛下、ソフィア王国国王陛下並びに立憲王政アーカルソン=リペルニア皇帝陛下は、 国際協力を推進し平和と安全保障を達成するためには、 戦争による解決を行なわないこと、諸国間に公開された正当な名誉ある関係を樹立すること、諸国間の行動への実際的規律として国際法理解を創造すること、そして互いに組織された国民を扱うに際して条約の責務を尊重し正義が維持されることが重要であることを理解し、 ここに、この理念に基づく国際組織を新たに創設することを希望せり。 ここにヤーディシア共同体憲章を締結することを決し、之が為左の如く其の全権委員を任命せり。 レオネッサ王国国王 特命全権大使 ピエトロ・パカプカ 立憲王政アーカルソン=リペルニア国王 外務大臣 ジョン・スミス ソフィア王国国王 ルイ・ソフィア・クラリッサ・フェンタジネット 外務大臣 カルロス・ゴーン シンファナ連邦共和国大統領 外務大臣 ラルス・フェーエンベルガー ザルバチ海岸共和国革命評議会議長ミハイル・U・ティモシェンコ 第1章 総則 第1条 ヤーディシア共同体の目的は、以下の通りである。 一 国際社会における平和と秩序を維持し、そのために、ヤーディシア共同体はあらゆる国際紛争に、武力を使用せずに解決する方法を斡旋すること 二 国際社会における各国家間の友好関係を発展させ、国際協力を堅固なものにすること 三 経済的、社会的、文化的又は人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること 四 これらの共通の目的の達成に当って諸国の行動を調和するための中心となること 第2条 ヤーディシア共同体とその加盟国は、第1条の目的を達成するにあたっては、次の原則に従わなければならない。 一 加盟国は、そのすべての加盟国に対して主権平等の原則を適用し、これを尊重しなければならない。 二 加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。 三 加盟国は、ヤーディシア共同体がこの憲章に従ってとるいかなる行動についてもヤーディシア共同体に援助を与えるよう最大限の努力を払うべきものとする。 四 この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限をヤーディシア共同体に与えるものではなく、また、その事項をこの憲章に基く解決に付託することを加盟国に要求するものでもない。 第2章 加盟国の地位 第3条 ヤーディシア共同体の原加盟国は、7606年2月15日のレオネッサ王国国王陛下、ソフィア王国国王陛下並びに立憲王政アーカルソン=リペルニア皇帝陛下によってスタックバラにおいて協議され、その後7607年4月2日に署名されたこの憲章の署名国及びヤーディシア共同体憲章の付属書であげられた他の国家とする。 第4条 付属書にあげられていないいかなる独立国、自治領、植民地もヤーディシア共同体の加盟国になることを妨げられない。ただし国際的義務を誠実に遵守することと陸海空軍およびその装備に関するヤーディシア共同体により定められた規則を承諾することについての実効的な保証が与えられねばならない。 第5条 加盟国の地位は対等である。但し、この憲章に定めるところにより、権利の得喪及びその停止を定めることができる。 第6条 共同体のいかなる加盟国も1年の事前通告のあと脱会することができる。ただし脱会の時点で国際的義務及びこの憲章における義務は全て履行されていなければならない。 第3章 機関 第7条 この憲章にもとづくヤーディシア共同体の行動は理事会若しくは総会又はこの両者を通して決定される。ヤーディシア共同体の行動のために常勤の事務局をおく。 第1款 総会 第8条 総会はヤーディシア共同体の全ての加盟国の代表によって構成される。二項 総会ではヤーディシア共同体の加盟国は1票を保有し、代表を三人以内出席させることができる。 三項 重要問題に関する総会の決定は、出席し且つ投票する構成国の3分の2の多数によって行われる。重要問題には、国際の平和及び安全の維持に関する勧告、理事会の非常任理事国の選挙、新加盟国のヤーディシア共同体への加盟の承認、加盟国としての権利及び特権の停止、加盟国の除名、信託統治制度の運用に関する問題並びに予算問題が含まれる。 四項 その他の問題に関する決定は、3分の2の多数によって決定されるべき問題の新たな部類の決定を含めて、出席し且つ投票する構成国の過半数によって行われる。 第9条 総会は、この憲章の範囲内にある問題若しくは事項又はこの憲章に規定する機関の権限及び任務に関する問題若しくは事項を討議し、このような問題又は事項についてヤーディシア共同体加盟国若しくは理事会又はこの両者に対して勧告をすることができる。 第10条 総会はヤーディシア共同体本部または決定された場所で必要なときに応じてまたは定期的な間隔をもって開催される。二項 総会は、理事会の要請並びに加盟国の4分の1以上の要求があったとき、事務総長が招集する。 第11条 総会は、その手続規則を採択する。総会は、その議長を会期ごとに選挙する。 第12条 総会は、その任務の遂行に必要と認める補助機関を設けることができる。 第2款 理事会 第13条 理事会は、-第三条前段に挙げられた原加盟国およびヤーディシア共同体の加盟国中の5ヶ国の代表から構成される。5ヶ国の代表は総会において時に応じて任意に選任される。二項 理事会においては理事会出席国のいずれも1票を保有し、3名以下の代表を派遣することができる。手続事項に関する理事会の決定は、8理事国の賛成投票によって行われる。その他のすべての事項に関する理事会の決定は、常任理事国の同意投票を含む8理事国の賛成投票によって行われる。 三項 ヤーディシア共同体の加盟国の個別利害に関連することについて非理事国であるヤーディシア共同体のいずれの加盟国も理事会に代表を派遣することができる。この代表の規定に関しては前項の規定を準用する。 第14条 理事会はヤーディシア共同体の行動に関することまたは世界平和に影響を与えることについて取り扱う。 第15条 総会の三分の二を越える賛成により理事会は常任理事国を追加的に指名することができる。 第16条 理事会は必要な時に応じてまたは少なくとも年一回共同体本部または決定された場所で開催される。 第17条 理事会は、議長を選定する方法を含むその手続規則を採択する 第18条 理事会は、その任務の遂行に必要と認める補助機関を設けることができる。 第3款 事務局 第19条 常勤事務局が共同体本部に設置される。事務局は事務総長と必要な局員により構成される。二項 事務総長は理事会によって任命される。 三項 事務総長は、総会の承認を得て事務局長は局員を任命する。 第20条 事務総長は、総会及び理事会のすべての会議において事務総長の資格で行動し、且つ、これらの機関から委託される他の任務を遂行する。事務総長は、ヤーディシア共同体の事業について総会に年次報告を行う。 第21条 事務総長は、国際の平和及び安全の維持を脅威すると認める事項について、理事会の注意を促すことができる。 第22条 事務総長及び職員は、その任務の遂行に当って、いかなる政府からも又はこの機構外のいかなる他の当局からも指示を求め、又は受けてはならない。事務総長及び局員は、この機構に対してのみ責任を負う国際的職員としての地位を損ずる虞のあるいかなる行動も慎まなければならない。二項 ヤーディシア共同体加盟国は、事務総長及び職員の責任のもっぱら国際的な性質を尊重すること並びにこれらの者が責任を果すに当ってこれらの者を左右しようとしないことを約束する。 第4章 ヤーディシア共同体による国際の平和のための行動 第23条 ヤーディシア共同体の加盟国は国際的義務を果たすための共通行動の実行と国家の安全保障に適応するための最低水準まで国防力を低下させる必要があることを認める。このために理事会は幾つかの政府の行動や指針のための軍縮計画を策定する。二項 軍縮計画は少なくとも10年毎に見直され修正されるものとする。幾つかの政府によってそのような軍縮計画が採用されたあと、軍事制限は固定化され総会の了承を得ることなく、制限が拡大されることはない。 第24条 ヤーディシア共同体の加盟国は私企業による武器の製造と戦争準備は国際平和の安定を損ねるために厳重に規制されねばならないことに同意する。二項 理事会はそのような武器製造が悪い影響を及ぼすことについていかに防止するかについて勧告を行なう。その際自国の安全に必要な準備と武器の製造ができない場合についても考慮される。 三項 ヤーディシア共同体の加盟国は戦争目的に使用されうる産業の状態、陸海空軍の計画、装備の状態について十分に率直に情報を交換することを約束する。 第25条 -第1条と-第23条の措置を担保し全般的な陸海空軍の問題について理事会に勧告するため常設の委員会を設置する。 第26条 ヤーディシア共同体の加盟国は全ての共同体加盟国の既にある政治的独立と領土保全について尊重しかつ維持することを約束する。共同体加盟国による侵略が発生した場合及び侵略の危険または脅威が発生した場合理事会はこの防止義務を実現させるための手段を勧告する。 第27条 いかなる戦争や戦争の脅威も、それがヤーディシア共同体の加盟国に直接的影響があろうとなかろうとヤーディシア共同体にとり重大な関心事であることを宣言し、ヤーディシア共同体は諸国間の平和を維持するための賢明かつ効果的とみなされる行動をとるべき義務が存在する。 第28条 総会は時に応じてもはや実際的でない条約についてヤーディシア共同体の加盟国に再考を勧告し、またその継続が世界平和を危機にさらしかねない国際的取り決めを考慮することを勧告する。 第29条 ヤーディシア共同体の加盟国はこの条約と整合しないいかなる条約や共同理解をも廃棄し今後この条約と整合しない契約には入らないことを約諾する。ヤーディシア共同体に加入する前にこの条約と整合しない条約上の責務を課せられれているならば、そのような条約上の責務から離脱するための手続きを直ちにとらなければならない。 第五章 ヤーディシア共同体による紛争の平和的解決に関する規定 第29条 ヤーディシア共同体の加盟国は破局に導かれるような係争が発生した場合、仲裁裁判若しくは理事会の査察による平和的解決を図るべき努力をしなければならない。 第30条 前条に従って仲裁に持ち込まれないが、破局に導かねない係争がヤーディシア共同体の加盟国の間で生じたとき、加盟国はその件を理事会に提訴することに同意する。二項 この条項に関するいかなる係争についても理事会は総会に報告する。 第31条 前二条の条文に違反し、ヤーディシア共同体の加盟国が戦争に訴えた場合、それは事実上他の全てのヤーディシア共同体の加盟国に対する戦争行為を犯したものとみなす。 第32条 理事会は、ヤーディシア共同体加盟国に対して、第30条の規定に該当する国家との間に直ちに通商及び金融関係を切断し、国民との交流を禁止し、全ての金融、通商、個人的交際の防止措置を速やかに実施するよう勧告を発することが出来る。但し、本条において採用される金融および経済的手段はそれに伴う損失および不便を最小限のものとするようにしなければならない。二項 本条の規定は、ヤーディシア共同体の加盟国でない国に対する措置にも準用される。 第33条 理事会は、前条の規定を遵守させるため、及び条文違反国がヤーディシア共同体の加盟国に特別な手段を講じてきた場合の対抗措置として、効果的な陸海空軍を組成し軍隊を使用を勧告することができる。二項 本条の勧告に対して、加盟国は理事会の勧告を受諾し、勧告内容の実施に努めなければならない。 第34条 ヤーディシア共同体憲章の条文に違反した加盟国は他の加盟国の賛同を得て理事会の議決により除名を宣告される。 第35条 ヤーディシア共同体の加盟国と非加盟国、あるいは非加盟国同士の係争に際して、非加盟国もその係争に関連して、理事会が設定したヤーディシア共同体の加盟国の義務を受け入れることを条件に招請される権利を与えられる。 第六章 非自治地域に関する宣言 第36条 この戦争の結果として以前統治していた国家が統治を停止しまた近代社会の困難な条件の下で独力で立つことができない人々により居住されている植民地または領土に対しては繁栄し発展した民族が文明の崇高なる信託を形成し発展させるという原則が適用される。二項 この信託の成果の保証は、この原則を実際的な効果に高めるまでに至る最良の方法は、資源や経験また地勢上の理由によりこの責任をもっとも良く果たせることができる先進国にこの後見役を任せることである。 三項 それらの先進国は喜んでこの役を引きうけ、後見役は共同体に代わって委任統治者として委託される。委任の性格はその民族の発展度合い、領土の地理的状況、経済的状況などなどにより異なる。 第37条 前条の規定を実施するために、その方法を理事会に勧告するため常設の委員会を設置する。 第七章 常設国際司法裁判所に関する規定 第38条 理事会は常設国際司法裁判所の設立計画についてヤーディシア共同体の加盟国に立案し提示する。 第39条 裁判所は提訴された国際的性格をもつ係争について公聴し審決できる能力をもつものとする。 第40条 裁判所は、理事会または総会によって付された、法律にかかわる係争または疑問について意見を与えることができる。 第八章 雑則 第41条 全ての条約と国際的取決についてヤーディシア共同体の加盟国はヤーディシア共同体事務局に登録しなければならない。二項 前項の条約又は国際的取決協定規定に従って登録されていないものの当事国は、ヤーディシア共同体のいかなる機関に対しても当該条約又は取決を援用することができない。 第42条 ヤーディシア共同体の加盟国の代表及びヤーディシア共同体の事務員は外交官特権と免責特権が与えられる。ヤーディシア共同体やその事務員またはヤーディシア共同体の会議に使用される建物及び動産は不可侵権を有することを加盟国は了承する。 第九章 改正 第43条 この憲章の改正は総会を構成するヤーディシア共同体の加盟国の過半数の賛成及び理事会を構成するヤーディシア共同体の加盟国のうちの過半数の賛成が行われ、且つ批准された時に、すべてのヤーディシア共同体加盟国に対して効力を生ずる。二項 効力発生以降、改正に反対したいかなるヤーディシア共同体の加盟国も修正後の憲章に拘束されることはない。但し当該国のヤーディシア共同体の加盟国として地位は消滅するものとする。 第十章 捕捉規定 第44条 この憲章は、署名国によって各自の憲法上の手続に従って批准されなければならない。二項 批准書は、立憲王政アーカルソン=リペルニア政府に寄託される。同政府は、すべての署名国及び、この機構の事務総長が任命された場合には、事務総長に対して各寄託を通告する。 三項 この憲章は、レオネッサ王国、ソフィア王国並びに立憲王政アーカルソン=リペルニアの過半数が批准書を寄託した時に効力を生ずる。批准書寄託調書は、その時に立憲王政アーカルソン=リペルニア政府が作成し、その謄本をすべての署名国に送付する。 四項 この憲章の署名国で憲章が効力を生じた後に批准するものは、各自の批准書の寄託の日にヤーディシア共同体の原加盟国となる。 第45条 この憲章は、レオネッサ語、クラリッサ語、アトリオン語及びヤード語の本文をひとしく正文とし、立憲王政アーカルソン=リペルニア政府の記録に寄託しておく。この憲章の認証謄本は、同政府が他の署名国の政府に送付する。 以上の証拠として、第三条前段に挙げられた者は、この憲章に署名した。 7606年4月2日にスタックバラにおいて作成した。 付表 条約の署名者でもあるヤーディシア共同体の原加盟国 立憲王政アーカルソン=リペルニア・レオネッサ王国・ソフィア王国・シンファナ連邦共和国