約 43,104 件
https://w.atwiki.jp/tenjohai/pages/51.html
https://w.atwiki.jp/mtgflavortext/pages/1900.html
それは何千年も前に大地に芽吹いた。そして、戦いの呼び声に目を覚ましたのだ。 t has germinated in the earth for thousands of years. Finally it wakes to the battle s call. 第8版 【M TG Wiki】 名前
https://w.atwiki.jp/yuiui/pages/368.html
いつの世も変わらず仲良くほほえましいな -- (名無しさん) 2011-02-20 17 08 45 22世紀では普通に女同士で子供産めるようになってるんだなw -- (名無しさん) 2011-02-20 22 53 16 兵士ww激しく同意しよう -- (名無しさん) 2011-02-24 18 32 31 そのままずっと仲良くいてください -- (名無しさん) 2011-02-26 15 19 08 心がホカホカしたわ ありがとう また勉強頑張ろう -- (名無しさん) 2011-03-09 18 47 05 何べん何回生まれ変わっても姉妹なわけですな? 安心した -- (名無しさん) 2011-03-16 14 35 12 クソSS読んだ後だから、涙出る程 和んだ… -- (名無しさん) 2011-04-06 00 50 50 良い… 癒されるよ -- (名無しさん) 2011-04-12 03 59 03 仲良き事は美しき哉… はこの姉妹に為に有る言葉だね -- (名無しさん) 2011-04-30 07 52 50 これ読んでて、欧州、南米、中東、日本、と国ネタを思い付いたが文章に出来ない無能さに泣いた。 -- (名無しさん) 2011-07-10 02 56 24 大丈夫だ…おめえさんの気持ちは 伝わったぞ↓ -- (うむ) 2011-11-03 07 21 23
https://w.atwiki.jp/c21portal/pages/126.html
その名の通りマニモナイフの強化版、見た目はレッサーマニモのアホ毛に酷似している。作成するにはポイーンのポンジャバ宇宙港に居るNPCから クエストを受領しマニモBD2を8個、マニモナイフ5個を渡す必要がある。 …しかし待って欲しい、このクエストには奇妙な点がいくつかある。 ・何故他のパーツ作成クエストのようにドクターハテックに会う必要がないのか? ・何故クエストの受領場所が魔境の奥地なのか? ・武器の作成の為とはいえ、何故あれほど多くのマニモのパーツ・・・残骸が必要となるのか? ・微弱とはいえ、何故スロウの付加効果があるのか? その答えは簡単である、マニモナイフ2の作成方法とは通常の『素材合成』ではなく、『呪術的、儀式的な方法で精製される』からに 他ならないためである。 このクエストにおいて多数の素材を収集・提出させること自体さして意味はなく、むしろ素材を集める過程で多くのマニモを殺戮し、その魂を 贄と捧ぐことこそがこのマニモナイフ2という武器を作成するに当たって重要なのである。 ではあのポンジャバ宇宙港に立つ人物は何者なのか?思い出して欲しい、貴官はかつて彼の地である人物と出会い交戦しているはずだ。即ち あの人物の正体ないしそのバックにいるのはダークs ―――データファイルの破損のため、これ以上のテキスト復元は不可能だった、原始の森で朽ち果てていた彼は、果たして何を知り何を 伝えようとしたのだろうか?
https://w.atwiki.jp/waikei2008/pages/35.html
相応部経典 因縁篇 12.15 カッチャーヤナ 〈 和 訳 〉 あるとき、世尊は、サーヴァッティーに滞在していた。 その時、尊者カッチャーヤナ姓の者は、世尊のもとへ赴いた。 赴いて、世尊に礼拝して、一方の隅に坐った。 一方の隅に坐った尊者カッチャーヤナ姓の者は、世尊にこのように言った。 「 尊師よ、「 『 正しい見解、正しい見解 』 といわれますが、尊師よ、どのような点で、正しい見解なのですか? 」 カッチャーヤナよ、実に、この世間の多くの人々は、「 有る 」 と 「 無い 」 の 二つの見解 に依存している。 カッチャーヤナよ、 世界の生起 を、あるがままに、 正しい智慧 によって見るものには、世界において 「 無い 」 ということはない。 カッチャーナよ、 世界の滅 を、あるがままに、 正しい智慧 によって見るものには、世界において 「 有る 」 ということもない。 この世間の多くの人々は、カッチャーヤナよ、近寄り、掴み取り、執着して、縛られている。 だが、かの者 ( 仏弟子 ) は、近寄ること、掴み取ること、心に確立すること、執着すること、 煩悩を潜在させることに、近寄らず、執取せず、『 わたしの我がある 』 などと確信 ( 確定 ) することはない。 生じつつあるその苦しみを 「 生じている 」 と、滅しつつあるその苦しみを 「 滅している 」 と、 疑うことなく、躊躇うことなく、他を縁とせずに、ただ、これについての智慧 だけが、ここにある。 カッチャーヤーナよ、これだけで、正しい見解 なのである。 「 一切は有る 」 というこれは、カッチャーヤナよ、一つの 極端な見解 である。 「 一切は無い 」 というこれもまた、一つの 極端な見解 である。 カッチャーヤナよ、これら 二つの 極端な見解 に近づくことなく、如来は、中 ( 道 ) によって法を説く。 すなわち、 無明を縁として行がある。行を縁として識がある。識を縁として名色がある。名色を縁として六入がある。 六入を縁として触がある。触を縁として受がある。受を縁として愛がある。愛を縁として取がある。 取を縁として有がある。有を縁として生がある。生を縁として老死があり、愁・悲・苦・憂・悩が生ずる。 このように、これら すべての苦の集まりの集起 がある。 無明を残りなく離れ滅するから、行の滅がある。行の滅から識の滅がある。 識の滅から名色の滅がある。名色の滅から六入の滅がある。六入の滅から触の滅がある。 触の滅から受の滅がある。受の滅から愛の滅がある。愛の滅から取の滅がある。取の滅から有の滅がある。 有の滅から生の滅がある。生の滅から老死の滅があり、愁・悲・苦・憂・悩が滅する。 このように、これら すべての苦の集まりの滅 がある。 〈 和 訳・おわり 〉
https://w.atwiki.jp/waikei2008/pages/17.html
■相応部経典 六処篇 44.第10無記説相応 10阿難 〈 和 訳 〉 ヴァッチャ族出身 の 普行沙門 ( 出家者 ) が、世尊 が 滞在している処 へと 赴 ( おもむ ) いて、次のように 尋ねました。 「 ゴータマ尊 よ、我 (アートマン ) は 有る ( 存在する ) のでしょうか? 」 ── この 質問 に、釈尊は、黙したまま 何も 答えません。 「 それならば、ゴータマ尊 よ、我 (アートマン ) は 無い ( 存在しない ) のでしょうか? 」 ── この 質問 に対しても、釈尊は、黙したまま 何も 答えません。 計三度 尋ねても、釈尊 は 三度とも 黙して答えなかった ので、その 普行沙門 は 立ち去って しまいました。 この ヴァッチャ族出身 の 普行沙門 が 立ち去ってから しばらくして、 尊者アーナンダ は 釈尊 に、次のような 質問を しました。 「 大徳よ、どうして世尊は、先の ヴァッチャ族出身の普行沙門が質問したこと に、返答をされなかった のですか? 」 「 アーナンダよ、もし 私が 彼に 『 我は有る ( アートマンは 存在する ) 』 と 答えていたならば、 彼は 常住論 に陥っていたであろう。 ── しかしまた、もし 私が 彼に、『 我は 無い ( アートマンは 存在しない ) 』 と 答えていたならば、 断滅論 に 陥ることに なったであろう。 そして、アーナンダよ、さらに、もしも『 我は有る 』 と 答えたならば、 〔 一切法は無我である 〕 という智慧の発現の障害となっていたし、 『 我は無し 』 と 答えたならば、愚かな ヴァッチャ族出身 の 普行沙門 は、 『 先にも 今も、我は 無し 』 と考えて、ますます 迷妄 に 陥ったであろう。」 ── と、このように、釈尊 は 説明 を されたのです。 〈 和 訳・おわり 〉 ● 解 説 ののの 〈 編集中 〉
https://w.atwiki.jp/waikei2008/pages/15.html
■増支部経典 6集 第3 無上品 28 〈 和 訳 〉 ある時、多くの長老比丘たちが、バーラーナシーのサールナート〈仙人堕処・鹿野苑〉に滞在していました。 彼ら長老比丘たちが食後、乞食〈頭陀行〉から戻って食堂に坐して集まった時に、彼らの間である議論が起きました。 「諸賢たちよ、意を修する〈心の修行・瞑想修行をしている〉比丘に、 謁見する〈会いに行く〉ために詣でる〈訪れる〉べき時は、何時であろうか?」と。 このように言われたときに、ある長老比丘は、次のように言いました。 「意を修する比丘が、食後、頭陀行から戻って、足を洗って、結跏趺坐をし、身を部屋の隅に置き、 前面に対して念を住する、その前の時こそが、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時です」と。 すると、一人の比丘が、先の比丘に次のように言いました。 「賢者よ、それは、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時ではありません。 賢者よ、意を修する比丘が、食後、頭陀行から戻って、足を洗って、結跏趺坐をし、身を部屋の隅に置き、 前面に対して念を住しようとするその時は、遊行の疲れも未だ落ち着かず、食事の悩も未だ落ち着かず、 それ故に、比丘が念を住する前の時は、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時ではありません。 賢者よ、意を修する比丘が、補時〈申の刻、午後四時頃、あるいは夕暮れ時〉に、 宴坐〈座禅〉より起って、部屋の影の中で結跏趺坐をし、身を部屋の隅に置き、 前面に対して念を住する時こそが、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時です」と。 すると、また一人の比丘が、先の比丘に次のように言いました。 「賢者よ、それは、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時ではありません。 賢者よ、意を修する比丘が、補時〈申の刻、午後四時頃、あるいは夕暮れ時〉に、 宴坐〈座禅〉より起って、部屋の影の中で結跏趺坐をし、身を部屋の隅に置き、 前面に対して念を住する時は、日中に思惟した三摩地の相〈定相〉が、彼に現行するのです。 ですから、その時は、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時ではありません。 賢者よ、意を修する比丘が、夜が明ける頃に結跏趺坐をし、身を部屋の隅に置き、 前面に対して念を住する時こそが、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時です」と。 すると、また一人の比丘が、先の比丘に次のように言いました。 「賢者よ、それは、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時ではありません。 賢者よ、意を修する比丘が、夜が明ける頃に結跏趺坐をし、身を部屋の隅に置き、 前面に対して念を住する時は、彼の心身は精気に満ち、彼は諸仏の教えを思惟して安楽なのです。 ですから、その時は、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時ではありません」と。 そのように言われた時、マハーカッチャヤーナ長老は、次のように比丘たちに告げたのです。 「私は、世尊より、実際に次のように聞き、実際に教えを受けました。 ── 曰く、比丘よ、これらは、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき六つの時です。 何を「六」とするのか? 比丘よ、ここに比丘が居て、心が欲貪に纏〈まと〉われ、欲貪に制されるままに住し、 また、未生の欲貪を如実に出離することを知らざる時は、 その意を修する比丘に謁見するために詣でて、次のように語るべきなのです。 『賢者よ、私の心は欲貪に纏〈まと〉われ、欲貪に制されるままに住し、 また、未生の欲貪を如実に出離することを知りません。 具寿〈尊称の一種、大徳・尊者など〉よ、願わくば私に、欲貪を断つ法を説きたまえ』と。 意を修する比丘は、欲貪を断つ法を説説いてくれるのです、── 比丘よ、 これが意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時の、第一なのです。 また次に、比丘よ、ここに比丘が居て、心が瞋恚に纏〈まと〉われ、欲貪に制されるままに住し、 また、未生の瞋恚を如実に出離することを知らざる時は、 その意を修する比丘に謁見するために詣でて、次のように語るべきなのです。 『賢者よ、私の心は瞋恚に纏〈まと〉われ、瞋恚に制されるままに住し、 また、未生の瞋恚を如実に出離することを知りません。 具寿〈尊称の一種、大徳・尊者など〉よ、願わくば私に、瞋恚を断つ法を説きたまえ』と。 意を修する比丘は、瞋恚を断つ法を説説いてくれるのです、── 比丘よ、 これが意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時の、第二なのです。 また次に、比丘よ、ここに比丘が居て、心が惛沈と睡眠に纏〈まと〉われ、 惛沈と睡眠に制されるままに住し、また、未生の惛沈と睡眠を如実に出離することを知らざる時は、 その意を修する比丘に謁見するために詣でて、次のように語るべきなのです。 『賢者よ、私の心は惛沈と睡眠に纏〈まと〉われ、惛沈と睡眠に制されるままに住し、 また、未生の惛沈と睡眠を如実に出離することを知りません。 具寿〈尊称の一種、大徳・尊者など〉よ、願わくば私に、惛沈と睡眠を断つ法を説きたまえ』と。 意を修する比丘は、惛沈と睡眠を断つ法を説いてくれるのです、── 比丘よ、 これが意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時の、第三なのです。 また次に、比丘よ、ここに比丘が居て、心が掉挙と悪作に纏〈まと〉われ、 掉挙と悪作に制されるままに住し、また、未生の掉挙と悪作を如実に出離することを知らざる時は、 その意を修する比丘に謁見するために詣でて、次のように語るべきなのです。 『賢者よ、私の心は掉挙と悪作に纏〈まと〉われ、掉挙と悪作に制されるままに住し、 また、未生の掉挙と悪作を如実に出離することを知りません。 具寿〈尊称の一種、大徳・尊者など〉よ、願わくば私に、掉挙と悪作を断つ法を説きたまえ』と。 意を修する比丘は、惛沈と睡眠を断つ法を説いてくれるのです、── 比丘よ、 これが意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時の、第四なのです。 また次に、比丘よ、ここに比丘が居て、心が疑に纏〈まと〉われ、 疑に制されるままに住し、また、未生の疑を如実に出離することを知らざる時は、 その意を修する比丘に謁見するために詣でて、次のように語るべきなのです。 『賢者よ、私の心は疑に纏〈まと〉われ、疑に制されるままに住し、 また、未生の疑を如実に出離することを知りません。 具寿〈尊称の一種、大徳・尊者など〉よ、願わくば私に、疑を断つ法を説きたまえ』と。 意を修する比丘は、疑を断つ法を説いてくれるのです、── 比丘よ、 これが意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時の、第五なのです。 また次に、比丘よ、ここに比丘が居て、 相に依り、相を思惟して、無間に〈絶え間なく〉諸漏〈諸々の煩悩〉が尽きることがある。 この相を知らず、見ざる時は、意を修する比丘に謁見するために詣でて、次のように語るべきなのです。 『賢者よ、相に依り、相を思惟して、無間に〈絶え間なく〉諸漏〈諸々の煩悩〉が尽きることがあります。 しかし私はこの相を知らず、見ることもありません。 具寿〈尊称の一種、大徳・尊者など〉よ、願わくば私に、諸漏を尽くす法を説きたまえ』と。 意を修する比丘は、諸漏を尽くす法を説いてくれるのです、── 比丘よ、 これが意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時の、第六なのです。 〈 和 訳・おわり 〉 ● 解 説 この経典は、「有尋有伺定」と「有尋無伺定」を説明するために訳出しました。 ポイントは、二か所あります。 一つ目は、最初の「意を修する修行」の説明の二番目、 賢者よ、意を修する比丘が、補時〈申の刻、午後四時頃、あるいは夕暮れ時〉に、 宴坐〈座禅〉より起って、部屋の影の中で結跏趺坐をし、身を部屋の隅に置き、 前面に対して念を住する時は、日中に思惟した三摩地の相〈定相〉が、彼に現行するのです。 この中の、〈 日中に思惟した三摩地の相〈定相〉が、彼に現行する 〉という説明部分。 つまりこれは、日中に〈 思惟した 〉「 有尋有伺定 」 によって育成された 「 三摩地の相 」 が、 補時の 「 無尋有伺定 」 を行う時に、「 彼に現行する 〈 憶念によって、定相が現前する 〉」 のです。 実際に体験しないと、経典を読んだだけでは意味が分からないので、今まで誰も説明が出来なかったのでしょう。 二つ目は、最後の「第六の時」の説明で、 また次に、比丘よ、ここに比丘が居て、 相に依り、相を思惟して、無間に〈絶え間なく〉諸漏〈諸々の煩悩〉が尽きることがある。 この相を知らず、見ざる時は、意を修する比丘に謁見するために詣でて、次のように語るべきなのです。 『賢者よ、相に依り、相を思惟して、無間に〈絶え間なく〉諸漏〈諸々の煩悩〉が尽きることがあります。 しかし私はこの相を知らず、見ることもありません。 具寿〈尊称の一種、大徳・尊者など〉よ、願わくば私に、諸漏を尽くす法を説きたまえ』と。 この中の、〈 相に依り、相を思惟して、無間に〈絶え間なく〉諸漏〈諸々の煩悩〉が尽きることがある 〉 〈 しかし私はこの相を知らず、見ることもありません 〉という説明部分。 ここで言う「相」とは、「厭逆想」や「不厭逆想」を指しています。 この訓練によって、中部経典152経で説かれている「感官の最高の修習」が可能となるのです。 〈 編集中 〉
https://w.atwiki.jp/waikei2008/pages/9.html
■中部経典 第4経 「恐怖経」 〈 和 訳 〉 ── このように私は聞きました。 ある時、世尊は、サーヴァッティ近くの「ジェータ王子の林」にある、 祇園精舎〈アナータピンディカ僧院〉に住んでおられました。 ある時、ジャーヌッソーニ・バラモンは、世尊がおられるところへ近づいて行きました。 行って、世尊と喜びの挨拶を交わし、喜ばしい印象に残る話を取り交わすと、一方に座りました。 そして、一方に座ったジャーヌッソーニ・バラモンは、世尊にこう言いました。 「ゴータマ尊よ、この良家の息子たちはゴータマ尊を指定し、信仰により、家を捨てて出家しています。 ゴータマ尊は、彼らの先導者です。 ゴータマ尊は、彼らの援助者です。 しかもその人々は、ゴータマ尊の見解に従っております。」 「バラモンよ、それはその通りです。バラモンよ、それはその通りです。 バラモンよ、かの良家の息子たちは私を指定し、信仰により、家を捨てて出家しています。 私は、彼らの先導者です。 私は、彼らの援助者です。 しかもその人々は、私の見解に従っております。」 「ゴータマ尊よ、森や山林の遠く離れた臥坐所は、実に耐え難いものです。 遠離 は行ない難いものです。 専一に楽しむことは難しいものです。 諸々の林は、禅定を得ていない比丘の心を奪うように思えます。」 「バラモンよ、それはその通りです。バラモンよ、それはその通りです。 バラモンよ、森や山林の遠く離れた臥坐所は、実に耐え難いものです。 遠離 は行ない難いものです。 専一に楽しむことは難しいものです。 諸々の林は、禅定を得ていない比丘の心を奪うように思えます。」と。 「バラモンよ、私も、成道以前の悟りを得ていない菩薩であった時に、次のような思いが生じました。 〈 森や山林の遠く離れた臥坐所は、実に耐え難いものだ。 専一に楽しむことは難しい、諸々の林は、禅定を得ていない比丘の心を奪うように思える。 〉と。 1.身による行為浄められずに 〈 身の戒 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、身による行為が清められずに、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、身による行為が清められない欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、身による行為が清められずに、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は身による行為が清められている者である。 私は、実に身による行為が清められて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの身による行為が清められていることを自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 2.語による行為浄められずに 〈 語の戒 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、語による行為が清められずに、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、語による行為が清められない欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、語による行為が清められずに、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は語による行為が清められている者である。 私は、実に語による行為が清められて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの語による行為が清められていることを自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 3.意による行為浄められずに 〈 意の戒 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、意による行為が清められずに、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、意による行為が清められない欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、意による行為が清められずに、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は意による行為が清められている者である。 私は、実に意による行為が清められて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの意による行為が清められていることを自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 4.生活が浄められずに 〈 戒の護持 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、生活が浄められずに、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、生活が浄められない欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、生活が清められずに、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は生活が清められている者である。 私は、実にこの生活が清められて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの生活が清められていることを自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 5.欲貪にして諸々の欲に強く染まり 〈 貪欲蓋の滅 … ここから、五蓋の滅が説かれている 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、欲貪にして諸々の欲に強く染まり、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、欲貪にして諸々の欲に強く染まっている欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、欲貪にして諸々の欲に強く染まり、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は欲貪のない者である。 私は、実に欲貪がなく、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの欲貪がないことを自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 6.怒りの心と邪悪な思いをもって 〈 瞋恚蓋の滅 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、怒りの心と邪悪な思いをもって、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、怒りの心と邪悪な思いがある欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、怒りの心と邪悪な思いをもって、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は慈心のある者である。 私は、実に慈心があり、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの慈心を自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 7.沈鬱〈ちんうつ〉と眠気に纏〈まと〉わり付かれて 〈 惛沈睡眠蓋の滅 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、沈鬱〈ちんうつ〉と眠気に纏〈まと〉わり付かれて、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、沈鬱と眠気に纏わり付かれている欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、沈鬱と眠気に纏わり付かれて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は沈鬱〈ちんうつ〉と眠気から離れている者である。 私は、実に沈鬱と眠気から離れて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの沈鬱と眠気から離れていることを自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 8.浮つきと静まらない心をもって 〈 掉挙悪作蓋の滅 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、浮つきと静まらない心をもって、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、浮つきと静まらない心がある欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、浮つきと静まらない心をもって、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は心が静まっている者である。 私は、実に心が静まり、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの心の静まりを自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 9.疑いと惑いをもって 〈 疑蓋の滅 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、疑いと惑いをもって、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、疑いと惑いがある欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、疑いと惑いをもって、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は疑惑を超えている者である。 私は、実に疑惑を超え、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの疑惑の超越を自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 10.自分を誉〈ほ〉め、他人を貶〈けな〉して 〈 慢を捨てる・平等心 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、自分を誉〈ほ〉め、他人を貶〈けな〉して、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、自分を誉め、他人を貶す欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、自分を誉め、他人を貶して、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は自分を誉めず、他人を貶さない者である。 私は、実に自分を誉めず、他人を貶さず、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの自分を誉めないこと、他人を貶さないことを自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 12.恐れ戦〈おのの〉いて 〈 平静・平常心 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、恐れ戦〈おのの〉いて、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、恐れ戦く欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、恐れ戦いて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は身の毛のよだちを離れている者である。 私は、身の毛のよだちを離れて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの身の毛のよだちを離れたことを自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 13.利得や尊敬や名声を求めて 〈 少欲・知足 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、利得や尊敬や名声を求めて、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、利得や尊敬や名声を求める欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、利得や尊敬や名声を求めて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は少欲の者である。 私は、実に少欲にして、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの少欲を自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 14.怠惰にして精進なく 〈 努力精進 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、怠惰にして精進なく、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、怠惰にして精進のない欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、怠惰にして精進なく、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は努力精進の者である。 私は、実に努力精進して、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの努力精進を自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 15.失念し正知せず 〈 正念正知 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、失念し正知せず、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、失念し正知しない欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、失念し注意がなく、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は専念している者である。 私は、実に専念して、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの専念しいることを自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 16.心が安定せず散乱して 〈 専念・禅定の成就 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、心が安定せず散乱して、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、心が安定せず乱れている欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、心が安定せず散乱して、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は禅定が成就している者である。 私は、禅定が成就して、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの禅定の成就を自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 17.無知蒙昧〈むちもうまい〉にして 〈 慧を備える 〉 バラモンよ、またその私には次のような思いが生じました。 〈 どのような沙門・バラモンであれ、無知蒙昧〈むちもうまい〉にして、 森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむならば、無知蒙昧の欠点のゆえに、 その尊敬すべき沙門・バラモンたちは、必ず不善の恐怖を招くことになる。 しかし私は、無知蒙昧にして、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのではない。 私は慧を備えている者である。 私は、実に慧を備えて、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しむ聖者たちの一人である 〉と。 バラモンよ、私はこの慧の備わりを自己の中でよく観て、 森に住むことにいよいよ安らぎを覚えました。 恐怖の到来 バラモンよ、そこで私は次のように考えました。 〈 さあ、私から、半月の14日・15日・8日と特定されるそのような夜に、 恐ろしい身の毛もよだつ、諸々の霊園・霊林・霊木といったそのような臥坐所に住んでみてはどうであろうか。 おそらく私は、その畏怖を見ることが出来るであろう 〉と。 そこでバラモンよ、私は後刻、半月の14日・15日・8日と特定されるそのような夜に、 恐ろしい身の毛もよだつ、諸々の霊園・霊林・霊木といったそのような臥坐所に住みました。 バラモンよ、そのような処に住む私のもとへ獣が来たり、孔雀が木切れを落としたりしました。 風が落ち葉を吹き上げたりもとました。 そこで私に、 〈 この来ているものが、その畏怖なのだ 〉 との思いが生じました。 バラモンよ、またその私に、次のような思いが生じました。 〈 いったい何故、私は恐れを待って住んでいるのか? むしろ私から、その恐怖が私にやって来る通り、その恐怖をそのままに取り除いてはどうであろうか 〉と。 バラモンよ、瞑想歩き〈経行〉をしているその私に、その恐怖がやって来ました。 そこでバラモンよ、私は、瞑想歩きをしているまま、 その恐怖を取り除かないうちは、立ち止まることも、坐ることも、臥すことしませんでした。 バラモンよ、立ち止まっているその私に、その恐怖がやって来ました。 そこでバラモンよ、私は、立ち止まっているまま、 その恐怖を取り除かないうちは、瞑想歩きををすることも、坐ることも、臥すことしませんでした。 バラモンよ、坐っているその私に、その恐怖がやって来ました。 そこでバラモンよ、私は、坐っているまま、 その恐怖を取り除かないうちは、臥すことも、立ち止まることも、瞑想歩きををすることもしませんでした。 バラモンよ、臥しているその私に、その恐怖がやって来ました。 そこでバラモンよ、私は、臥したまま、 その恐怖を取り除かないうちは、坐ることも、立ち止まることも、瞑想歩きををすることもしませんでした。 迷妄の無い生ける者が世に現われている バラモンよ、ある沙門・バラモンにして、夜を昼であると思い、昼を夜であると思う者たちがいます。 バラモンよ、私は、夜を夜であると思い、昼を昼であると思います。 バラモンよ、もし語る者がいて、 『 多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世界への憐みのために、 人天の目的のため、利益のため、安楽のために、迷妄の無い生ける者が世に現われている 』 と語ろうとするならば、それは私について、 『 多くの人々の利益のために、多くの人々の安楽のために、世界への憐みのために、 人天の目的のため、利益のため、安楽のために、迷妄の無い生ける者が世に現われている 』 と語る場合にのみ、正しく語ることになります。 四禅定 バラモンよ、また私の努力精進は不動であり、念は現前して失われず、 身は軽安〈軽快〉にして激することなく、心は安定して統一されていました。 バラモンよ、それ故、私は諸々の欲〈主に五蓋を指す〉を確かに離れ、諸々の不善の法を離れ、 大まかな考察のある、細かな考察のある、遠離 〈五蓋から離脱したこと〉から生じた喜びと楽のある、 第一の禅定に達して住みました。 大まかな考察、細かな考察が消え、内心が清浄の、心の統一された、 大まかな考察、細かな考察の無い、心の安定より生じた喜びと楽のある、 第二の禅定に達して住みました。 喜びをまた離れていることから、平静を備え、念を備え、正知を備えて住み、楽を身体で感じ、 聖者たちが『平静を備え、念を備え、楽に住む』と語る、 第三の禅定に達して住みました。 楽を断ち、苦を断ち、以前にすでに 喜び と 憂い〈 = 心の苦しみ 〉 が消滅している ことから、 苦も無く楽も無い、平静による念の清浄 のある、 第四の禅定に達して住みました。 夜の初分、宿明智の獲得 このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、 付随煩悩を離れ、柔軟になり、行動に適し、確固不動のものとなると、 その私は、過去の生存を想起する智〈宿命智〉に心を傾注し、向けました。 その私は、種々の過去における生存を、例えば、一生でも、二生でも、三生でも、四生でも、五生でも、 十生でも、二十生でも、三十生でも、四十生でも、五十生でも、百生でも、千生でも、十万生でも、 また、数多〈あまた〉の破壊の劫でも、数多の創造の劫でも、数多の破壊と創造の劫でも、次々思い出すのです。 『そこでは、これこれの名があり、これこれの姓があり、 これこれの食べ物があり、これこれの苦と楽を経験し、これこれの寿命があった。 その私は、そこから死んで、ここに生まれ変わっているのである』と。 このように、具体的に、明瞭に、種々の過去における生存を思い出すのです。 バラモンよ、これが、夜の初分に私が証得した第一の明智です。 怠けることなく熱心に、自ら励み、住む者にふさわしく、 無明は滅ぼされ、明智が生じたのです。闇は滅ぼされ、光が生じたのです。 夜の中分、死生智の獲得 このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、 付随煩悩を離れ、柔軟になり、行動に適し、確固不動のものとなると、 その私は、生けるものたちの死と再生の智〈死生智〉に心を傾注し、向けました。 その私は、清浄にして超人的な天の眼によって、生けるものたちが、 劣ったもの・優れたものとして、美しいもの・醜いものとして、 幸福なもの・不幸なものとして、死に変わり生まれ変わりしているのを見て、 生けるものたちが、その業に応じて行くのを知るのです。 『友らよ、実にこちらの生けるものたちは、 身による悪業があり、語による悪業があり、意による悪業があって、 聖者を誹謗し、邪な見解を持ち、邪な見解による業を引き受けている。 彼らは、身体が滅ぶと、死後、苦処・悪道・破滅の地獄に生まれ変わった。 しかし、あちらの生けるものたちは、 身による善業があり、語による善業があり、意による善業があって、 聖者を誹謗せず、正しい見解を持ち、正しい見解による業を引き受けている。 彼らは、身体が滅ぶと、死後、善道の天界に生まれ変わった。』と。 このようにして、清浄にして超人的な天の眼によって、生けるものたちが、 劣ったもの・優れたものとして、美しいもの・醜いものとして、 幸福なもの・不幸なものとして、死に変わり生まれ変わりしているのを見て、 生けるものたちが、その業に応じて行くのを知るのです。 バラモンよ、これが、夜の中分に私が証得した第二の明智です。 怠けることなく熱心に、自ら励み、住む者にふさわしく、 無明は滅ぼされ、明智が生じたのです。闇は滅ぼされ、光が生じたのです。 夜の後分、漏尽智の獲得 このようにして、心が、安定し、清浄となり、純白となり、汚れなく、 付随煩悩を離れ、柔軟になり、行動に適し、確固不動のものとなると、 その私は、諸々の煩悩を滅する智〈漏尽智〉に心を傾注し向けました。 その私は、 『これは苦である』と、如実に知りました。 『これは苦の生起である』と、如実に知りました。 『これは苦の滅尽である』と、如実に知りました。 『これは苦の滅尽に至る道である』と、如実に知りました。 『これは煩悩である』と、如実に知りました。 『これは煩悩の生起である』と、如実に知りました。 『これは煩悩の滅尽である』と、如実に知りました。 『これは煩悩の滅尽に至る道である』と、如実に知りました。 このように知り、このように見るその私には、 欲の煩悩からも心が解脱し、生存の煩悩からも心が解脱し、無明の煩悩からも心が解脱しました。 解脱したとき、解脱したという智が生じました。 『生まれは尽きた。梵行は完成された。為すべきことは為された。もはや、この状態の他にない』と知ったのです。 バラモンよ、これが、夜の後分に私が証得した第三の明智です。 怠けることなく熱心に、自ら励み、住む者にふさわしく、 無明は滅ぼされ、明智が生じたのです。闇は滅ぼされ、光が生じたのです。 バラモンの帰依 ところでバラモンよ、そなたにこのような思いがあるかも知れません。 〈沙門ゴータマは、今でも、貪りを離れていないのではないか。 怒りを離れていないのではないか。愚痴を離れていないのではないか。 だから、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのだ〉と。 しかし、バラモンよ、これはそのように見られるべきではありません。 バラモンよ、私は、二つの意味をよく見て、森や山林の遠く離れた臥坐所に親しんでいるのです。 すなわち、自己の現世の楽住をよく見ること、そして、後に続く人々を憐れむこと、の二つからなのです」と。 「確かにこの後に続く人々は、阿羅漢である正自覚者による通りに、ゴータマ尊から憐みを受ける性質の者です。 ゴータマ尊よ、素晴らしいことです。ゴータマ尊よ、素晴らしいことです。 例えば、ゴータマ尊よ、倒れたものを起こすかのように、 覆われたものを取り除くかのように、迷った者に道を教えるかのように、 『眼の見える者たちは、諸々のものを見るであろう』と、暗闇に燈火を掲げるかのように、 まさにそのように、ゴータマ尊は、多くの方法で法を説いてくださいました。 この私は、ゴータマ尊に、また法に、比丘僧団に帰依いたします。 今より以後、生涯、ゴータマ尊は、私を帰依する者として、お認めくださいますように」と。 〈 和 訳・おわり 〉 ● 解 説 ののの ( 編集中 〉
https://w.atwiki.jp/twitterfatetrpg/pages/781.html
千日太夫 【クラス】キャスター 【真名】千日太夫 【容姿】錫杖を携えた、修験者スタイルの女性。 【願い事】布教活動。 【その他】混沌・善 人属性 【英雄点】35点(ステ19点・スキル16点):令呪1画消費 【HP】40/25(+15) 【筋力】E++:3 【耐久】C++:5 【敏捷】E++:3 【魔力】A+:6(7) 【幸運】E :1 【スキル1】陣地作成:- 10点:移動フェイズに陣地を作成出来る。 陣地内では魔術攻撃と物理防御と魔術防御と奇襲防御時、補正値5を得る。 また、遠距離攻撃フェイズで受けるダメージを無効にする。 【スキル2】呪術:A 05点:魔術攻撃時、補正値5を得る。相手の対魔力を無効にする。 【スキル3】天狗の験力:B 01点:最大HPを15増やす。 【宝具】『飯縄之法』(いづなのほう) 1/1 【ランク・種別】ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:1〜50 最大捕捉:75人 【効果】任意の陣営の前衛全てに魔術攻撃を行い、補正値5を得る。 相手のスキルによるダイスのプラス補正を無効にする。 +2019/01/01版 +20の質問 質問1 真名と現界年齢と性別を教えてください 「」 質問2 身長と体重を教えてください 「」 質問3 出身地を教えてください 「」 質問4 好きな色、自分を象徴するような色はありますか 「」 質問5 特技はなんですか 「」 質問6 好きなものはなんですか 「」 質問7 嫌いなものはなんですか 「」 質問8 天敵とかいますか 「」 質問9 属性について教えてください 「」 質問10 現代での生活について自由に話してください 「」 質問11 貴方の宝具、乗騎、戦術について自由に話してください 「」 質問12 貴方の外見について自由に話してください 「」 質問13 ざっくりとあなたの性格を教えてください 「」 質問14 自分の日本での知名度をどう思いますか 「」 質問15 貴方の適合クラスを教えてください 「」 質問16 聖杯にかける望み、あるいは聖杯戦争参加の経緯を教えてください 「」 質問17 親しい人間について自由に話してください、空欄でも構いません 「」 質問18 自分のマスターをどう思いますか、空欄でも構いません 「」 質問19 理想のマスター像を教えてください。それに対して今のマスターは何点ですか 「」 質問20 なにかこちらに質問はありますか 「」 今回はありがとうございました。あなたの望みが叶うことを願います +セリフ集 ●サーヴァント名 一人称: 二人称: マスター: キーワード : : 召喚 「」 レベルアップ 「」 霊基再臨 「」 「」 「」 「」 戦闘セリフ 戦闘開始 「」 「」 スキル 「」 「」 カード 「」 「」 「」 宝具カード 「」 アタック 「」 「」 「」 EXアタック 「」 宝具 「」 ダメージ 「」 「」 戦闘不能 「」 「」 勝利 「」 「」 マイルーム会話 「」 「」 「」 「」 好きなこと 「」 嫌いなこと 「」 聖杯について 「」 絆Lv.1 「」 Lv.2 「」 Lv.3 「」 Lv.4 「」 Lv.5 「」 イベント 「」 誕生日 「」 サーヴァント・マトリクス 【元ネタ】史実 【CLASS】キャスター 【真名】千日太夫 【性別】女性 【身長・体重】秘密 【属性】混沌・善 【ステータス】筋力D 耐久C 敏捷E 魔力A 幸運D 宝具B 【クラススキル】 陣地作成:- 「魔術師」のクラス特性。魔術師として自らに有利な陣地「工房」を作成可能。修験者として一生を山で生きた彼女は「有利な環境を作り上げる」のではなく、「凡ゆる環境を味方に付ける」ことに長ける。 道具作成:D 「魔術師」のクラス特性。魔力を帯びた器具を作成可能。修験十六道具の他に、験力を帯びた器具を作成可能。 【固有スキル】 天狗の験力:B 修行によって身に着けた数々の体術や法術、察言観色の能力など。飯縄智羅天狗に由来するもの。 呪術:A 古来からアジア、中東、南米などに伝わっている魔道。あるいは古典的呪術の類。この場合は「飯縄法」と呼ばれるものである。 忍術:C 飯縄原始忍法の使い手。忍術の源流の一つでこそあるが能力はさほど高くはない。 信仰の加護:A 一つの宗教に殉じた者のみが持つスキル。加護とはいっても最高存在からの恩恵ではなく、自己の信心から生まれる精神・肉体の絶対性。修験道の修行は非常に激しく、信仰に支えられた強靭な精神と肉体を持つものでなければ成し遂げられない。 【宝具】 『飯縄之法(いづなのほう)』 ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:1~50 最大捕捉:75人 「飯縄」あるいは「管狐」と呼ばれる使い魔を作成、使役する術。憑き物と呼ばれる技術の一種。 これによって未来を予知したり他者に呪いをかけたりするのが本来の使い方。 キャスターの場合、手持ちの竹筒から膨大な数に増殖した管狐を解放し、敵対者に襲い掛からせる。 【Weapon】 『験力』 『使い魔』 それぞれスキルと宝具参照。 【解説】 千日太夫とは、飯縄信仰の長である。 事の起こりは鎌倉時代。伊藤兵部太夫豊前守忠綱が飯縄山に入山し、その山頂にて飯縄権現を祭ったことが発端である。 そして忠綱の子盛綱もまた入山し、修行の果てに荼枳尼天の法を修得、さらに忠綱から飯縄の法と呼ばれる使い魔を操る術を受け継ぎ、自らを「千日太夫」と称した――これが千日太夫の始まりである。 以降は飯縄信仰を全国に広めるとともに飯縄原始忍法を確立し、代々千日太夫の名を受け継いでいくこととなった。 その中の一人がこのキャスターである。 あくまで代々の中の一人であるため、同様の名や技術を持つ人物は他にも存在する。 +絆レベル 【キャラクター詳細】 キャラせつめい 【パラメーター】 筋力 ■■■■■:A 耐久 ■■■■■:A 敏捷 ■■■■■:A 魔力 ■■■■■:A 幸運 ■■■■■:A 宝具 ■■■■■:EX 【絆Lv1】 身長/体重:cm・kg 出典: 地域: 属性: 性別: 一言説明 【絆Lv2】 来歴せつめい 【絆Lv3】 サーヴァントのスタンスせつめい 【絆Lv4】 ○スキル名:ランク スキルせつめい 【絆Lv5】 「宝具名」 ランク: 種別: レンジ: 最大補足: ほうぐるび ほうぐせつめい 【「クエスト名」をクリアすると開放】 こまかいせつめい 関連人物 生前 死後
https://w.atwiki.jp/cthulhu/pages/39.html
金枝篇 実在の文化人類学書(民俗学書)。根本的には、キリスト教の起源を原始宗教・古代文明とし、キリスト教の絶対性を否定している。 イギリスの社会人類学者ジェームズ・フレイザーによって著された、未開社会の神話・呪術・信仰に関する研究書。完成までに40年以上かかり、フレイザーの半生を費やした全13巻から成る大著。 書名の由来 金枝篇という書名は以下に示す伝承に由来する。 金枝とは、イタリアのネミの村の、切り立った崖の真下に在るアリキアの木立と呼ばれる聖なる木立に生える聖なる樹(ヤドリギ)の枝の事である。 この樹の枝(金枝)は誰も折ってはならないとされていたが、逃亡奴隷だけは折る事が許されていた。 此れは、「森の王」になる為に許された事であり、「森の王」とは、ディアナ・ネモレンシス(森のディアナ)を称えた、アリキアの木立とネム湖という聖所の祭祀である。 逃亡奴隷だけがこの職につく事ができ、「森の王」になる為に金枝を取って来て、現在の「森の王」と対決し、此れを殺した奴隷にのみ「森の王」が受け継がれたのだ。 解説 1890年当時、世界の支配層である欧米にとってこの著書は衝撃だった。というのもキリスト教を土台に文明を築き上げてきた彼らにとって、キリスト教は道理・洗練であり、異教は無教養・野蛮というのが常識だった。それが文化人類学という道理によって一遍にひっくり返されたのである。 ヨーロッパのみならずアジア、アフリカ、アメリカなど世界各地で見られる様々な魔術・呪術、タブー、慣習など、フレイザーが史料や古典記録、あるいは口伝から収集した夥しい例と其の考察が示されている。 1890年に初版である上下巻が刊行され、以後版を重ねるごとに増補が繰り返され1900年には3巻本の第二版、1911年に決定版として第三版が11巻本としてまとめられ、1914年には索引・文献目録、1936年に余論補遺巻を刊行し、全13巻の大著として完成した。 「クトゥルフの呼び声TRPG」にて魔道書に指定され、読むと正気度を失うとされた。 登場作品 『斬魔大聖デモンベイン』、『機神飛翔デモンベイン』 『クトゥルフの呼び声TRPG』 本 日本では岩波文庫の要約版全5巻の他、ちくま学芸文庫の初版上下巻版、国書刊行会から完訳版が3巻迄発売中で、東京書籍の図説に拠る解説本も在る。