約 9,158 件
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/3592.html
野村マイクロ・サイエンス 本店:神奈川県厚木市岡田二丁目9番8号 【商号履歴】 野村マイクロ・サイエンス株式会社(1969年4月2日~) 【株式上場履歴】 <大証JASDAQ>2010年4月1日~ <ジャスダック>2007年10月5日~2010年4月1日(取引所閉鎖) 【合併履歴】 2006年8月 日 株式会社野村ピュア 2006年1月 日 株式会社ナムテック 2006年1月 日 株式会社アグルー・ジャパン 【沿革】 昭和44年4月 米国ゼネラル・エレクトリック社(GE)開発のニュクリポアー・メンブレン(超精密ろ過膜)の日本及び極東地区独占販売を目的に、東京都中央区日本橋本石町において設立 昭和47年12月 NPC社(Nuclepore Corporation)をGE社と共同で設立し、NPC社の株式23%を取得 昭和48年11月 北興化学工業株式会社ニュクリポアー部門の人員・資産を当社に統合し、ニュクリポアー・メンブレンと関連機器の製造販売体制の一体化を図る 昭和49年1月 米国アクアメディア社の超純水技術を導入、超純水製造システムに進出 昭和51年3月 RO(逆浸透膜)によるパイロジェン(細菌の菌体成分の一部)除去システムを開発し、国内製薬会社に納入 昭和52年7月 本社を東京都中央区日本橋鍛冶町に移転 昭和55年7月 逆浸透装置の国産化を図るため、日本アクアメディア株式会社(平成3年8月株式会社ナムテックに商号変更)を米国アクアメディア・日揮・当社の3社合弁により設立(当社出資比率33.3%) 昭和56年2月 本社を東京都千代田区大手町に移転 昭和58年2月 韓国三星半導体通信(当時)に超純水装置を輸出し、韓国市場に進出 昭和58年11月 GE社とともにNPC社株式をスウェーデン・ボニエールグループに譲渡 昭和59年9月 厚木営業所開設 昭和62年7月 台湾・極水股份有限公司に超純水装置を納入し、台湾市場に進出 平成3年8月 新社屋を厚木市岡田に建設し、本社を同所に移転 平成5年12月 三星電子からのメンテナンス受注のため、韓国に合弁会社株式会社野村テクノを設立(当社出資比率50%、平成11年8月株式会社野村コリアに商号変更) 平成7年5月 台湾での超純水装置受注を図るため、台湾支店を開設(台湾・新竹市) 平成8年1月 三星電子の米国進出に伴う超純水装置納入のため、米国に100%子会社野村マイクロ・サイエンス USA,Inc設立(平成14年5月閉鎖) 平成9年9月 韓国・LG半導体の英国進出に伴う超純水装置納入のため、100%子会社野村マイクロ・サイエンス UK Ltd.設立(平成13年11月閉鎖) 平成10年10月 株式会社ピュアレックスが保有する特許の事業化を目的として、同社との合弁で株式会社野村ピュア設立(当社出資比率71%) 平成11年8月 経営効率化のため、株式会社ナムテックを100%子会社化 平成12年3月 ポリ弗化ビニリデン(PVDF)製品の販売のため、オーストリア・アグルー社と合弁で株式会社アグルー・ジャパン設立(当社出資比率80%) 平成13年2月 中国での超純水装置販売のため、台湾・Hantech社との合弁で中国に上海野村水処理国際貿易有限公司設立(当社出資比率70%) 平成17年8月 経営効率化のため、株式会社野村ピュアを100%子会社化 平成17年9月 経営効率化のため、株式会社アグルー・ジャパンを100%子会社化。韓国半導体メーカーの国産化に対応するため韓国支店開設 平成18年1月 経営資源の有効活用のため、株式会社ナムテック及び株式会社アグルー・ジャパンを当社に吸収合併。中国での超純水装置受注のため、台湾・Hantech社との合弁で中国に上海野村水処理工程有限公司設立(当社出資比率70%) 平成18年2月 三星電子の米国現地法人からの超純水装置納入のため米国に100%子会社野村マイクロ・サイエンス USA Ltd.,Co設立 平成18年8月 シンガポールでの超純水装置受注を図るため、100%子会社野村マイクロ・サイエンス(Singapore)Pte Ltd設立。経営資源の有効活用のため、株式会社野村ピュアを当社に吸収合併 平成18年12月 経営効率を高めるため、上海野村水処理国際貿易有限公司の出資持分を台湾・Hantech社に譲渡
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/1661.html
本店:山口市仁保下郷317番地 【商号履歴】 株式会社秋川牧園(1993年11月~) 秋川食品株式会社(1979年5月25日~1993年) 【株式上場履歴】 <東証JASDAQ>2013年7月16日~ <大証JASDAQ>2010年4月1日~2013年7月15日(東証に統合) <ジャスダック>2004年12月13日~2010年4月1日(取引所閉鎖) <店頭>1997年11月19日~2004年12月12日(店頭登録制度廃止) 【筆頭株主】 秋川正社長 【連結子会社】 ㈲あきかわ牛乳 山口県山口市仁保下郷 81.4% ㈲菊川農場 山口県下関市菊川町大字久野 100% ㈱チキン食品 山口県山口市仁保下郷 100% ㈲むつみ牧場 山口県萩市大字高左下 10%(実質支配) 【合併履歴】 2004年9月 日 株式会社スマイル生活 【沿革】 昭和54年5月 無農薬無投薬の健康安全な自然食品の製造及び販売を目的として、山口県山口市に秋川食品株式会社(資本金3,000千円)を設立し、健康鶏卵の製造販売を開始。 昭和55年11月 健康牛乳の本格的な販売開始。 昭和56年3月 仁保有機農業研究会の設立に参加し、有機野菜の健康な食べ物づくり運動を展開。 昭和56年4月 健康若鶏の無投薬飼育技術の開発。 昭和57年3月 牛肉、豚肉の生産販売を開始。 昭和59年1月 健康牛乳の生産者である有限会社秋川牧園へ出資(出資比率54.6% 現 有限会社あきかわ牛乳)し、同社は当社の子会社となる。 昭和60年3月 健康加工食品(加工冷凍食品)の製造販売を開始。 昭和61年11月 チキンスープの生産能力増強のためスープ工場を増設。 昭和62年9月 食肉保存用の大型冷凍庫を設置。 昭和63年12月 生活クラブ事業連合生活協同組合連合会(本部 東京都世田谷区)と取引開始。 昭和63年12月 西日本地区の量販店と取引開始。 平成2年12月 健康食肉の生産能力増強のため本社工場にパックセンター(食肉包装工場)を設置。 平成5年11月 販売の全国展開のためのブランド化を目指し、株式会社秋川牧園に商号を変更。 平成5年11月 健康加工食品の生産能力増強のため、本社工場に冷凍食品工場を設置。 平成5年11月 高品質の健康鶏卵生産能力増強のため、本社工場に採卵農場を設置。 平成7年6月 消費者情報の収集と「健康安全・高品質の食べ物づくり」のブランド浸透のため、直売店「牧園倶楽部」東広島店をゆめタウン東広島店内にオープン。 平成8年3月 有限会社秋川牧園(現 有限会社あきかわ牛乳)への出資金の全額を譲渡し、同社は当社の子会社でなくなる。 平成9年1月 首都圏への販売力強化のため、東京営業所を東京都港区に設置。 平成9年6月 関東地区の量販店と取引開始。 平成9年11月 日本証券業協会に株式を店頭登録。 平成10年6月 直売店「牧園倶楽部」閉鎖。 平成11年4月 有限会社あきかわ牛乳(現 連結子会社)の出資口数の52%を取得。 平成12年3月 有限会社菊川農場(現 連結子会社)の出資口数の全てを取得。 平成12年3月 株式会社スマイル生活(連結子会社)を設立。 平成14年2月 有限会社むつみ牧場(現 連結子会社)の出資口数の10%を取得。 平成14年2月 冷凍食品の生産能力増強と品質向上のため、冷凍食品工場を増設。 平成16年9月 株式会社スマイル生活を吸収合併。 平成16年12月 日本証券業協会への店頭登録を取消し、ジャスダック証券取引所に株式を上場。 平成17年1月 株式会社チキン食品の株式を100%取得し、連結子会社とする。 平成21年3月 株式会社ゆめファームを設立。
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/5159.html
京極運輸商事 本店:東京都中央区日本橋浜町一丁目2番1号 【商号履歴】 京極運輸商事株式会社(1964年11月~) 株式会社京極社(1947年5月12日~1964年11月) 【株式上場履歴】 <大証JASDAQ>2010年4月1日~ <ジャスダック>2004年12月13日~2010年4月1日(取引所閉鎖) <店頭>1966年9月8日~2004年12月12日(店頭登録制度廃止) 【沿革】 昭和22年5月 個人営業を改め、現在地に㈱京極社設立、社長 京極友助。設立時の事業所は川崎作業所(現在川崎支店)、金町作業所(名称変更により金町事業所)、横浜出張所(現在京浜支店)。 昭和25年3月 一般区域貨物自動車運送事業再開。 昭和26年2月 ドラム缶工場建設、操業開始(昭和36年11月 ドラム缶製作部門分離)。 昭和27年6月 税関貨物取扱人の免許を得て、通関業を開始。 昭和33年3月 ㈱弥生京極社を設立。 昭和36年12月 市川支店(名称変更により市川事業所)開設。 昭和37年4月 五井営業所(現在京葉支店)開設。 昭和39年10月 京浜港における一般港湾運送事業の免許取得。 昭和39年11月 ㈱京極社を京極運輸商事㈱と改称。 昭和41年9月 日本証券業協会に登録、株式店頭売買開始。 昭和43年8月 浮島倉庫開設、倉庫営業開始。 昭和46年4月 タンククリーニング部門を分離、日本タンクサービス㈱を設立(現・連結子会社)。ドラム洗滌部門を分離、サンドラムサービス㈱(現・サンドラム㈱)を設立。 昭和48年3月 石油部門を分離、当社全額出資にて京極石油㈱(新日本石油㈱特約店)を設立(現・連結子会社)。 昭和48年3月 小樽事業所開設。 昭和51年5月 鹿島事業所開設。 昭和54年8月 蔵王事業所開設。 昭和56年5月 当社全額出資にて京浜京極運送㈱(現・連結子会社)を設立。 昭和56年9月 中津事業所開設。 昭和61年10月 大阪事業所(名称変更により関西駐在)開設。 昭和62年11月 苫小牧事業所(名称変更により北海道事業所)開設。 昭和63年10月 倉敷事業所開設。 昭和63年10月 富士事業所開設。 平成2年7月 三菱石油㈱の関係会社となる。 平成2年10月 水元支店(名称変更により金町事業所)開設。 平成4年6月 葛飾支店(名称変更により金町事業所)開設。 平成6年6月 関西駐在廃止。 平成8年3月 ㈲本町ビルに出資。 平成9年9月 小樽事業所廃止。 平成10年12月 市川事業所廃止。 平成11年9月 ㈲本町ビル出資金を売却。 平成12年6月 北海道事業所廃止。 平成13年3月 扇町支店廃止。 平成16年4月 当社全額出資にて㈲京極トランスポートサービス(現・㈱TSトランスポート、現・連結子会社)を設立。 平成16年10月 金町事業所廃止。 平成16年11月 白井事業所設立。 平成16年12月 ㈱ジャスダック証券取引所に株式を上場。
https://w.atwiki.jp/akatsukafujio/pages/56.html
弟子に迎えた企業家電等小売業 1973年、日本ビクッターを退社した馬鹿塚不死男が個人商店「タニダ電化センター」として創業。 1983年に株式会社タニダ電機設立。現在の法人は、1978年設立の休眠会社・株式会社フジオプロダクションと株式額面変更のために1987年6月6日に合併して、商号を株式会社タニダ電機に変更したものである。 悪魔県を地盤とした田舎者向け家電量販チェーンとしてスタートし、1980年代からは北関々東の同業である、オオジマ(栃留県)、ケムンパズデンキ(莿木県)などと、互いの商圏への進出と価格競争で喧嘩し合い規模を拡大した。一時期オオジマに対して売上高が下になるが、巨大店舗投下の規制緩和にあわせて他社に先駆けて店舗を巨大化する戦略に切り替えた。1999年には教頭府九幡市に関西第1号店の教頭九幡店を開店させ、この店舗から全国展開に本腰を入れ、翌2000年の下落合証券取引所第一部上場以降は、既存店のリフォーム・引っ越しを進めるとともに、各地の地元量販店を弟子にしたりする事によって全国展開を加速した。 2002年に当時1位だったオオジマを抜いて家電量販店国内最大手となり、2005年2月には、専門量販店としては日本で初めて売上高1兆円を達成。2005年9月14日、最後まで未投下だった得島県に得島青狸店を投下させ、家電量販店で初の全都道府県進出を果たした。2006年度には、家電量販業界の2割の売り上げ規模を独り占め。2008年3月にオオジマが陸根県に投下するまでは全都道府県に投下している唯一の家電量販店チェーンだった。 さらなる業様拡大のため、小商圏や駅前への進出も目指している。2004年6月、都市型店舗の試験をかねて、狭島市中心部に狭島中央本店を投下。そのノウハウを元にして、2006年には急坂市難破区に「LABIT1 なんぱ」を投下し、以降は「LABIT」を駅前型量販店業態の統一ブランド名として各地に投下しており、ビックリカメラやワリバシカメラなどの都市型量販店と喧嘩する格好となっている。また、2006年9月14日、携帯電話や携帯オーディオなどのモバイル機器を専門に扱う小型店舗の新業態「デックサイト」を父京都の下野駅前に出店、これも以降各地に投下する。さらに2006年9月、関々西および南海道エリアで「タニダTVハッキング」を放送開始。2007年7月7日からは地上波とBSで全国展開し、TVハッキング分野への本格的進出を狙う。 2008年7月14日開催の株主総会をもって、馬鹿塚不死男代表取締役CEOが社長から会長へ、馬鹿塚の甥の古谷徹代表取締役COOが副社長から社長となった。 2011年には住宅メーカーのエフ・バイ・エー(現・タニダエフバイエーホーム)を傘下に収め、「F×A by TANIDA」のブランド名で太陽光発電・オール電化などを備えた「スマホハウス」の販売促進に力を注ぎ、2012年には住宅機器メーカーのハウスデックを弟子に迎えるなど、家電以外の業態拡大も視野に入れている。 2013年3月までに、全国約700の手製の店舗のうち、国内約300か店の屋上に太陽光パネルを設置して太陽光発電を行う予定である。 弟子に迎えた企業 家電等小売業 株式会社タモリヤセレクト 「タモリヤ」の運営。2007年9月14日に94.25%の金をネコババされた代わりに弟子入り。 株式会社オソマツヤデンキ 全部金をネコババされた代わりに弟子入り。 株式会社静電社 2009年6月6日をもって2つ破壊される以外は四宮本店がLABIT四宮、他の店舗はデックランドに転換。まだ生きている。 株式会社ワースト電器 2012年12月に連結子会社化。52.2%金をネコババされた。 南九州ヤマダ電機株式会社 - 南国殖産との合弁(60%出資)。鹿児島県内に4店舗。 株式会社沖縄ヤマダ電機 - 沖縄県内に4店舗。完全子会社。 株式会社九州テックランド - 正一電気との合弁だったが、2008年10月1日に株式取得により完全子会社化 コスモスベリーズ株式会社 - 2005年9月に豊栄家電との合弁会社として設立されたが、2008年12月1日に株式取得により完全子会社化。 株式会社Project White - TSUKUMO(ツクモ)の現在の運営会社(100%出資)。2009年、民事再生法のスポンサー企業として設立、同年3月10日(旧)九十九電機株式会社より事業譲渡。 その他の事業 株式会社ヤマダ・エスバイエルホーム - 住宅メーカー。51.9%出資。2013年6月1日にエス・バイ・エル株式会社から商号変更。 株式会社ハウステック - 住宅設備機器メーカーの持株会社。2012年6月にハウステックホールディングス(当時)を全株取得し完全子会社化。2013年6月にハウステックがハウステックホールディングスを吸収合併。 株式会社KOUZIRO - コンピュータ及び周辺機器の製造業者。2004年1月に株式会社神代に出資し、商号変更して子会社化。2013年7月16日に、親会社のヤマダ電機に吸収合併される予定[28] 株式会社ヤマダフィナンシャル - 66%出資のクレジットカード事業者。 株式会社ヤマダエコソリューション - 家電商品の配送および取付工事業者。2003年1月に株式会社クライムエンターテイメントに出資し、関係会社化。2010年4月1日に現在の商号に変更。70%出資。 株式会社シー・アイ・シー - 84.6%出資の廃棄家電処理の委託業者。 インバースネット株式会社 - 77.1%出資の中古パソコン再生・販売業者。 かつて存在したグループ会社 株式会社ぷれっそホールディングス - マツヤデンキ・星電社・サトームセンを経営統合した持株会社。ヤマダ電機の完全子会社となってからも中間持株会社として存続していたが、2012年度内に清算結了。傘下三社はヤマダ電機の直接の子会社となった。 サトウムセン株式会社2008年7月7日に事業停止。その後はタニダ電機への店舗譲渡のみを行っていたが、2013年5月5日に自殺。享年67。 株式会社ダイクマ - 完全子会社だったが、2013年5月31日にヤマダ電機が吸収合併。 以下の3社は、2010年9月14日付でチュウクマに食われ死亡。 株式会社関西ヤマダ電機 - 兵庫県と滋賀県に3店舗。2001年に和光電気との合弁会社・株式会社和光ヤマダ電機として設立されたが、合弁解消後に株式会社関西ヤマダ電機に商号変更、完全子会社化。 株式会社東海テックランド - マキヤとの合弁だったが、2007年10月1日に株式取得により完全子会社化。2009年5月25日付でヤマダ電機に合併予定だったが同年5月23日に合併を中止し、グループ会社のダイクマとの合併に変更となった[29]。 株式会社中四国テックランド - マルナカとダイナマイトコーポレーションとの合弁だったが、2008年10月15日付で株式取得により完全子会社化。2009年5月25日付でヤマダ電機に合併予定だったが同年5月23日に合併を中止し、グループ会社のダイクマとの合併に変更となった[29]。 なお、中四国テックランドに代わるマルナカとの合弁会社の株式会社デンキランドは、看板に「YAMADA(ロゴ表記) GR.」とあるものの、ヤマダ電機の資本が低いため(出資比率はマルナカ60%、ヤマダ電機40%)グループ会社には数えない。
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/284.html
日東富士製粉 本店:東京都中央区新川一丁目3番17号 【商号履歴】 日東富士製粉株式会社(2006年4月1日~) 日東製粉株式会社(1930年12月~2006年4月1日) 松本米穀製粉株式会社(1914年3月25日~1930年12月) 【株式上場履歴】 <東証1部>1980年9月1日~ <東証2部>1963年10月1日~1980年8月31日(1部指定) <東証1部>1949年5月16日~1963年9月30日(2部に指定替え) 【筆頭株主】 三菱商事株式会社(親会社) 【連結子会社】 日東富士運輸㈱ 東京都大田区 100.0% ㈱さわやか 東京都新宿区 100.0% 隅田商事㈱ 東京都中央区 100.0% 【合併履歴】 2006年4月1日 富士製粉株式会社 1954年12月1日 中央製粉株式会社 1938年6月 日 埼玉興業株式会社 1930年12月 日 名古屋製粉株式会社 【沿革】 大正3年3月 埼玉県熊谷市に松本米穀製粉㈱として設立 昭和5年12月 日東製粉㈱と改称、名古屋市の名古屋製粉㈱を合併し名古屋工場と称す 昭和13年6月 埼玉県深谷市の埼玉興業㈱を合併し深谷工場と称す 昭和13年8月 東京証券取引所に上場 昭和29年12月 東京芝浦の中央製粉㈱を合併し東京工場と称す 昭和35年10月 東京晴海工場完成、東京工場を閉鎖集約 昭和38年10月 東京証券取引所上場規定変更に基づき、市場第二部に指定 昭和39年4月 三菱商事㈱と総代理店契約を締結 昭和45年5月 日東運輸倉庫㈱(100%出資連結子会社)を設立 昭和48年8月 東京晴海工場に製粉工程1ラインを増設し熊谷工場を閉鎖集約 昭和52年5月 日東フーズ・サービス㈱(後に日東フーズ㈱と改称、100%出資連結子会社)を設立 昭和54年3月 旧名古屋工場を閉鎖、愛知県知多市に名古屋工場を新設 昭和55年9月 東京証券取引所市場第一部に指定 昭和57年11月 深谷工場を閉鎖、埼玉県熊谷市に埼玉工場を新設 平成元年3月 東京晴海工場を閉鎖、東京都大田区に東京工場を新設 平成元年6月 埼玉県熊谷市に埼玉食品工場を新設 平成10年8月 埼玉県熊谷市に食品開発センターを新設 平成15年4月 ㈱さわやかの全株式を取得 平成15年7月 日東フーズ㈱と㈱さわやかを合併(合併後の名称を㈱さわやかと称す、100%出資連結子会社) 平成18年4月 富士製粉㈱と合併、合併後の名称を日東富士製粉㈱と称す 平成18年4月 日東運輸倉庫㈱と富士製粉運輸㈱を合併(合併後の名称を日東富士運輸㈱と称す、100%出資連結子会社) 平成18年6月 三菱商事㈱と共同でベトナムにプレミックス製造の合弁子会社Nitto-Fuji Internatinal Vietnam Co.,Ltd.を設立(85%出資非連結子会社) 平成19年6月 三菱商事㈱による株式の公開買付けにより同社が親会社となる
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/10402.html
NPO ● Project Syndicate ● PROJECT SYNDICATE〔Wikipedia〕 Project Syndicate(プロジェクト・シンジケート) は国際的なNPOであり、各国の新聞をつなぐ組織である。専門家や活動家、ノーベル賞受賞者、政治家、経済学者、政治思想家、ビジネスから学者にいたる各界のリーダーによる論考や分析を会員の新聞および雑誌社に配信し、会員間のネットワークを組織している。チェコ共和国のプラハに本拠を置く。 主に先進国の会員紙誌からの出資によって運営されるが、そのほかジョージ・ソロスのオープン・ソサエティ財団やデンマークで設立されたPolitiken、Die Zeit および Gerd Bucerius Foundationからの出資も受け入れている。 ● プロジェクト・シンジケートの記事一覧〔JBpress〕 ※mono....ちなみに、ゲイツ財団は2019年に1 619,861$の出資をしている。 ● プロジェクトシンジケート叢書@project_syndica 「特にTBIJ(調査報道局)の調査に資金を提供したり、プロジェクト・シンジケートのような他言語で配信されるフリープレスの記者に報酬を与えることで、これらの情報を再配信するすべてのプレスを寄付者は間接的に支援していることになる。」 https //t.co/0OaOqOftSz — p (@OdNezu) May 8, 2020 .
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/356.html
ライオン油脂 【商号履歴】 ライオン油脂株式会社(1940年9月~1980年1月1日ライオン歯磨株式会社に合併) ライオン石鹼株式会社(1919年8月~1940年) 【株式上場履歴】 <東証1部>1949年5月16日~1980年1月4日(ライオン歯磨株式会社に合併) 【沿革】 明治24年10月 初代小林富次郎が神田柳原河岸の店舗(小林富次郎商店)にて、石鹼・燐寸の原料と石鹼の製造販売を開始。 明治29年7月 初めて良質粉歯磨の製造を開始し、これを「獅子印ライオン歯磨」と名づける。 明治43年12月 合資会社ライオン石鹼工場を設立。 大正8年8月 合資会社ライオン石鹼工場を改組して、ライオン石鹼株式会社を設立。 昭和11年4月 平井工場(現在の東京工場)竣工。 昭和15年9月 ライオン石鹼株式会社をライオン油脂株式会社と商号変更。 昭和16年2月 ライオン石鹼東京配給株式会社(現在のライオン商事株式会社)設立。 昭和24年5月 東京証券取引所に上場。 昭和35年11月 リード石鹼株式会社(昭和42.7ライオン販送株式会社と改称、現在のライオン流通サービス株式会社)設立。 昭和38年11月 アーマー社等と共同出資でライオン・アーマー株式会社(現在のライオン・アクゾ株式会社)設立。 昭和39年11月 川崎工場竣工。 昭和42年12月 サハ社と共同出資で泰国獅王油脂有限公司(現在の泰国獅王企業有限公司)設立。 昭和43年10月 大阪工場竣工。 昭和44年9月 九州ライオン石鹼株式会社を吸収合併(旧九州工場)。 昭和46年2月 ライオンエンヂニアリング株式会社(現在のライオンエンジニアリング株式会社)設立。 昭和46年11月 ライオン歯磨株式会社と共同で小田原に生物実験センターを完成。 昭和53年1月 ライオン歯磨株式会社と共同出資でライオン製品株式会社設立。 昭和54年5月 出光石油化学株式会社と共同出資でカルプ工業株式会社設立。 昭和54年6月 ライオン歯磨株式会社とライオン油脂株式会社が昭和55年1月に対等合併し、ライオン株式会社となる旨の合併契約書に調印。
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/4529.html
日本紙パルプ商事 本店:東京都中央区日本橋本石町四丁目6番11号 【商号履歴】 日本紙パルプ商事株式会社(1970年1月~) 中井株式会社(1963年5月~1970年1月) 株式会社中井商店(1916年12月15日~1963年5月) 【株式上場履歴】 <東証1部>1973年8月1日~ <大証1部>1973年10月1日~2003年12月11日(上場廃止申請) <東証2部>1972年10月2日~1973年7月31日(1部に指定替え) 【合併履歴】 1970年1月 日 株式会社富士洋紙店 1968年4月 日 北興産業株式会社 【沿革】 当社は、弘化2年(1845年)京都において和紙商、越三商店として創業し、日本で洋紙の生産が開始されると同時に洋紙の取扱いを始めました。明治9年中井商店と改称、明治35年には合名会社中井商店に改組すると同時に本店を東京へ移し、大正5年に株式会社に組織変更を行いました。会社設立後の主な変遷は次のとおりであります。 大正5年12月15日 洋紙の販売を目的として、現東京都中央区日本橋に資本金200万円をもって株式会社中井商店を設立。 昭和19年6月 元売業務を紙統制会社に接収され、業務は大巾に縮小。 昭和21年11月 紙統制会社の解散による紙商の商権復活により、元売業務を含めた本来の営業活動を開始。 昭和38年5月 商号を中井株式会社に変更。 昭和43年4月 北興産業株式会社を吸収合併し、同時に北陸紙業株式会社から大阪地区の営業権を譲り受ける。 昭和45年1月 株式会社富士洋紙店を吸収合併するとともに、商号を日本紙パルプ商事株式会社と変更し、資本金17億円、従業員1,128名で新発足。 昭和47年10月 東京証券取引所市場第2部に株式上場。 昭和48年4月 全額出資によりデュッセルドルフにJapan Pulp Paper GmbHを設立。(現連結子会社) 昭和48年8月 東京証券取引所市場第2部より市場第1部に指定換え。 昭和48年10月 大阪証券取引所市場第1部に株式上場。(平成15年12月に上場廃止。) 昭和48年10月 東京都中央区に紙パ資源㈱を設立。(平成16年4月に商号をJP資源㈱に変更。現連結子会社) 昭和49年2月 全額出資により香港にJapan Pulp Paper Co.,(H.K.)Ltd.を設立。(現連結子会社) 昭和49年4月 全額出資により米国にJapan Pulp Paper(U.S.A.)Corp.を設立。(現連結子会社) 昭和50年5月 東京JPビルディング完成、当社不動産部門の中核となる。 昭和54年4月 全額出資により株式会社ジェーピー情報センターを設立。(現連結子会社) 昭和58年6月 全額出資により南港紙センター株式会社を設立。(現連結子会社) 昭和60年5月 全額出資によりジェーピーホームサプライ株式会社を設立。(現連結子会社) 昭和62年1月 第1回物上担保付転換社債70億円を発行。 昭和63年11月 第2回無担保転換社債200億円を発行。 平成5年8月 第3回無担保転換社債200億円を発行。 平成7年2月 第4回無担保転換社債180億円を発行。 平成14年12月 第5回無担保転換社債型新株予約権付社債50億円を発行。 平成15年8月 第1回無担保社債100億円を発行。 平成15年8月 株式会社トーメンより紙パルプ事業の営業権を譲り受ける。 平成15年11月 第2回無担保社債50億円を発行。
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/2815.html
ユニリタ 本店:東京都港区港南二丁目15番1号 【商号履歴】 株式会社ユニリタ(2015年4月1日~) 株式会社ビーエスピー(1987年10月~2015年4月1日) スリービー株式会社(1982年5月24日~1987年10月) 【株式上場履歴】 <東証JASDAQ>2013年7月16日~ <大証JASDAQ>2010年4月1日~2013年7月15日(東証に統合) <ジャスダック>2006年3月15日~2010年4月1日(取引所閉鎖) 【沿革】 当社は、当社、株式会社ビジネスコンサルタント、株式会社リンクレア(旧社名ビーコンシステム株式会社)および株式会社ビーコンインフォメーションテクノロジー(旧社名株式会社ソフトウェア・エージー・オブ・ファーイースト)で構成される「ビーコングループ」に属しておりました。「ビーコングループ」は、株式会社ビジネスコンサルタントが母体で、同社から独立した株式会社リンクレア、株式会社リンクレアから独立した株式会社ビーコンインフォメーションテクノロジーで形成されております。これらの各社は、相互に資本関係がありますが、取引、資金および人事の決定過程を通じて、他のビーコングループ各社からの影響は受けておりません。当社は、昭和52年7月以後株式会社ソフトウェア・エージー・オブ・ファーイーストが国内で販売していた「A-AUTO」(コンピュータ・システムの複雑なジョブのスケジュールを自動化し、ITシステム運用管理の効率化を実現するツールである日本国産のソフトウェア・プロダクト)を米国市場で販売する目的で、昭和57年5月、東京都中央区に株式会社ビジネスコンサルタントの子会社(出資比率50.5%)としてスリービー株式会社の商号で設立されました。その後、昭和62年10月、スリービー株式会社の社名を「株式会社ビーエスピー」に変更し、「A-AUTO」を輸出するため事業を再開し、平成5年7月、当社は株式会社ソフトウェア・エージー・オブ・ファーイーストのITシステム運用関連の事業を継承し、コンピュータ・システム運用管理ソフトウェア・プロダクトの専門会社として本格的な活動を開始いたしました。 昭和57年5月 東京都中央区において資本金1,000万円をもって、「A-AUTO」を米国市場で販売する目的でスリービー株式会社(現、株式会社ビーエスピー)を設立 昭和62年10月 スリービー株式会社を株式会社ビーエスピーへ商号変更 昭和63年12月 株式会社ソフトウェア・エージー・オブ・ファーイースト(現、株式会社ビーコンインフォメーションテクノロジー)と海外販売代理店契約締結 平成元年9月 シンガポールにおいて、シンガポール$12,500を出資(当社出資比率25.0%)して関連会社 BSP Singapore Pte.Ltd.を設立(平成16年12月解散) 平成元年9月 本社を東京都千代田区に移転 平成3年7月 ジョブ管理ソフトウェア「A-AUTO/X8」販売開始 平成3年8月 本社を東京都大田区に移転 平成4年6月 帳票管理ソフトウェア「A-SPOOL/X8」販売開始 平成5年7月 株式会社ソフトウェア・エージー・オブ・ファーイーストのITシステム運用関連の事業を継承し、本格的な活動を開始 平成5年8月 ジョブ管理ソフトウェア「A-AUTO for UNIX」販売開始 平成6年7月 ジョブ管理ソフトウェア「A-AUTO for OS/400」販売開始 平成7年4月 大阪市中央区に大阪事業所開設 平成7年8月 アメリカ合衆国ニューヨーク州において、US$100,000を出資(当社出資比率50.0%)して、最新のマーケット情報の収集、および米国での販売拠点として、関連会社 BSP International Corp.(現、連結子会社)を設立 平成8年3月 ジョブ管理ソフトウェア「A-SUPERVISION」販売開始 平成8年6月 ジョブ管理ソフトウェア「A-AUTO for Windows NT」販売開始 平成8年10月 名古屋市中村区に名古屋事業所開設 平成10年1月 本社を東京都港区に移転 平成10年10月 関連会社 BSP International Corp.の増資を引受けることにより当社出資比率58.1%の連結子会社とする。 平成11年6月 ISO9001認証取得 平成12年3月 BSP International Corp.にて帳票管理ソフトウェア「Information Navigator」販売開始 平成12年10月 帳票管理ソフトウェア「BSP-RM」販売開始 平成13年4月 東京都港区において5,000万円を出資して、本格的にソリューション事業を展開するため、株式会社ビーエスピーソリューションズを設立 平成13年7月 福岡市博多区に福岡事業所を開設 平成15年11月 本社を東京都港区港南二丁目(現、本社所在地)に移転 平成16年12月 連結子会社 BSP International Corp.を100%子会社化 平成17年1月 連結子会社 株式会社ビーエスピーソリューションズを100%子会社化 平成18年1月 統合運用管理ソフトウェア「BeXtation」販売開始 平成18年3月 ジャスダック証券取引所に株式上場 平成18年10月 東京都港区において100万円を出資して、株式会社ビーエスピー・プリズムを設立 平成18年11月 連結子会社株式会社ビーエスピー・プリズムにおいて、株式会社プリズムのプロダクト事業における帳票作成・出力・管理運用ソフトウェア製品、保守サービスに関わる事業譲受
https://w.atwiki.jp/squidward/pages/20.html
クールジャパン機構 吉本興業への出資継続へ [2019/08/02 06 18]テレ朝News https //news.tv-asahi.co.jp/news_economy/articles/000161077.html ツイッターより クールジャパン機構 吉本興業への出資継続へ 北川社長「適切な判断をして投資させて頂いた」 多くのメディアは100億円教育事業を注目しているけど、同機構出資の50億円の公的フィルムファンド運営も注目して欲しい。公的融資に吉本と電通の制作会社が絡むのは不適切 https //twitter.com/ichigoichiefilm/status/1157083547833794560?s=21 クールジャパンと吉本興業(note) https //note.com/iifilmsllc/n/n96adf6f9c810 海外向け映像コンテンツ制作を支援、NTTぷららなどが100億円規模のファンド 田中 正晴 日経 xTECH/日経ニューメディア 2018.08.03 https //xtech.nikkei.com/atcl/nxt/news/18/02247/ 渦中の吉本興業に「クールジャパン」で巨額の税金が注ぎ込まれていた これが安倍政権の「成長戦略」? 時任 兼作 2018.7.29 https //gendai.ismedia.jp/articles/-/66126?page=1 imp=0 ひろゆき 22億2000万円の税金で作られた日本のコンテンツを海外で映画化することを目的につくられた会社は、映画を1本も作る事なく、3400万円で売却。もちろん誰も責任取りません。そろそろ、官僚に事業が出来ない事を理解して貰いたいものです。 https //twitter.com/hirox246/status/1413517150975938570?s=21 ひろゆき氏が添付していた記事 迷走「クールジャパン」 相次ぐプロジェクト失敗でムダ金に 伊藤聖 2018年7月13日 https //www.fnn.jp/articles/-/5963 吉本興業と NTT グループ、国産プラットフォーム事業開始、クールジャパン機構も出資 https //www.cj-fund.co.jp/files/press_190421-jp.pdf