約 117,510 件
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/
サイトを移転しました。 新生人工言語論は「人工言語の作り方」と「人工言語学」に分離しました。 人工言語学研究会 人工言語アルカ 人工言語の作り方 人工言語学 .
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/61.html
ほとんどの人工言語作成者は人工言語だけを作っています。 ですが、言語というのは文化のひとつです。よく言語文化と言われるので横並びと考えられがちですが、その民族の絵画や建築技術などと同じく文化のひとつです。 文化は言語を包みます。風土と並んで言語の土台となります。 『エスペラントの話』三宅(昭51 大学書林)のp13によれば、「人間種族の平和と幸福とをもたらすためには、公平な共通語を持たなければならない」とあります。 ですがザメンホフは語彙の源泉に西洋語を選びました。文化は事実上西洋のものを拝借しています。 これは本当に公平でしょうか。公平でないとどういうことが話者間で定められなくなるのか、ちょっと言語の作成者に聞いてみましょう。 1 貴方の言語で太陽は何色ですか? 2 貴方の言語で虹は何色ですか? 3 貴方の言語で牛と米を表わす単純語はいくつありますか? 4 貴方の言語にオーロラやスコールはありますか? 5 貴方の言語で兄弟は男女や長幼で分けますか、それとも分けませんか? 6 貴方の言語の調理動詞は焼く系と煮る系のどちらが細かいですか? 7 貴方の言語で高貴な色は何色ですか? 8 貴方の言語で狼は何を象徴しますか? 9 貴方の言語で林檎は赤いものですか? 10 貴方の言語でプロトタイプの鳥は何ですか? 大体の人工言語ではこれらが不定です。話者・作者によってまちまちです。考えなくとも決まってるからです。 そう、それは西洋文化か自分の文化です。これは公平ではないし、話者間で誤解も招いてしまいます。 文化は言語に影響します。数式などを除いて剥離できません。 ゆえに文化は言語を補完します。文化は言語に恩恵を与えます。 文化について考えなかったり無視することに対して私は警鐘を鳴らしました。 これまでの人工言語は形態論、統語論、音韻論、果ては文字論といったレベルをメインに考察していました。言語そのものの内面的なシステムです。 しかし、それを取り囲む環境という部分には触れていませんでした。 いえ、正確には触れる段階に達していなかったのでしょう。 個人でなさってる場合、5年10年ほどやってようやく辞書や概説書がまとまればいいほうです。文化まで手が回らないというのが実情でしょう。 自言語がどの文化・風土に依拠するかはきちんと設定しておきましょう。そうでないと話者間の誤解が絶えませんから。 依拠するのは自然文化でも人工文化でも構いません。 ただ、普及型は政策上、特定の文化を選べない立場にある点でジレンマを抱えているので即決はできないという問題があります。
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/59.html
筆者の人工言語に関する体験談をまとめたものです。 新語の補充と普及 人工文化による警鐘 自文化の排他 人工言語は世界語になれるか 実際に人工文化を使って単語を作ってみる 表意文字の思い出 英英と英和、どっちを先に作るべき? 最小対語の処理法 人工言語で感情を起こせる? ピクトグラム 人名について 語の音が卑語に似た場合 高級語の命名法 人工言語は簡単か 自然物以外の高級語 ゼロから語彙を作るには 人工言語の素質と経験 エスペラントとアルカ エスペラントの声 言語に優劣の差ってあるの? 人工言語とRPGツクール
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/2.html
メニュー よくわかる人工言語 トップページ 人工言語 作り方 もっと知りたいかた 人工言語2 言語学的に矛盾しない人工言語の作り方 回顧録 人工言語学 2008/09/16~
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/40.html
『言語学大辞典』の「人工語」によれば、ドゥリンチェコは人工言語を次のように分類した。 先験語――哲学的言語 後験語――図式派:エスペラントなど 自然派:インテルリングワなど 先験語とはアプリオリ言語と同義で、後験語とはアポステリオリ言語と同義である。 同辞典によると先験語すなわち哲学的言語とは「人間がもっている論理は人類全てに共通であるからこれを基盤として言語を構築すれば コミュニケーションの手段として機能を発揮しうるという発想から生まれてきた言語案」である。 先験語は人工言語の歴史のわりと始めごろ、ベーコン、デカルト、ライプニッツらによって考察されてきた。(注 本論では先験語=哲学的言語ではない。これはあくまで辞典の分類である) 対して後験語は先験語に少し遅れて発達し、19世紀にザメンホフの台頭で一世を風靡した。後験語とは実際に使われている言語に手を加えたものを指す。図式派とは自然言語の持つ不規則性や例外を排したものである。対して自然派とは自然言語の持つ不規則性や例外を多少認めたものである。 ドゥリンチェコの分類は全ての人工言語を分類しきれないという欠点を持っているが、先験語と後験語に人工言語を大別したことは有益である。人工言語を先験語と後験語に分けた上で自然言語と対比すると、人工言語と自然言語はデジタルな違いではなくその間に異物の存在を許すアナログなものであることが分かる。 後験語は自然言語を基盤とした言語で、図式派も自然派もそれは共通する。図式派は言語の持つ不規則性や例外を認めないが、自然派はそれらを認める。したがって、上記の図で最も自然言語から遠いのは先験語であり、最も自然言語に近いのは自然派である。同じ人工言語でも後験語のほうが先験語より自然言語に近い。同じ後験語でも自然派のほうが図式派より自然言語に近い。ゆえに、人工言語と自然言語の間にはより人工言語らしいものとより自然言語らしいものがあるといえる。以上を図示すると以下のようになる。左に行くほど人工言語の度合いが強い。 先験語>図式派>自然派>自然言語 また、上掲の混成言語をこの中に加えると、上の図は以下のようになる。 先験語>図式派>自然派>混成言語>自然言語 このように、人工言語は自然言語を対極としながらも、その間にはグラデーションともいうべき中間物が存在しているといえる。人工言語は孤立した存在ではなく、自然言語と密接に関わりながら、しかも自然言語との間に中間物を挟むものである。
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/48.html
原初の人工言語は暗号で、約4000年前に遡ることができる。暗号としての用途は国家規模から個人の日記に至るまで、広く使われてきた。また暗号ではなく言語改革として人工文字が作られることもあった。その場合しばしば文字は歴史的背景を背負うこととなった。神代文字のように現代でも民族意識を背景に論じられているものもある。それを考えると文字という要素は人工言語において最も長く論じられてきたものといえる。 では文字以外に視点を向けてみるとどうなるか。そもそも人工言語は自然言語と同じく言語の一種であるから、音韻や語彙や文法を持ったものが本来的である。そういう視点で人工言語を見ると最古の人工言語は12世紀に見ることができる。尤もこれは現存している文献から見たものにすぎないため、人類の歴史ではそれより前に人工言語が作られていた可能性が十分考えられる。 最古の人工言語と目されているのはビンゲンのヒルデガルトによるLingua Ignota(未知なる言語)である。ヒルデガルトは女子大修道院長であった。 Lingua Ignotaの文字はアルファベットを元にした23字からなる後験性表音文字である。彼女はLingua Ignotaの語彙集を残しており、そこには1011の単語が記されていた。注釈にはラテン語などが使われ、説明が施されていた。語彙は驚くべきことに先験語であったが、修道院長でもあったことから神学的な語が多い。 名詞は神や天使などを頂点にした階級性を持った順序で陳列され、徐々に親族語などの人間を表す語に下っていく。たとえば神はAigonzであり、辞書のヒエラルキーの頂点に位置する。キリスト教徒であった彼女の発案であるため、この神は勿論一神教の神――キリスト教の神――を表している。神の次に来るのは天使を意味する Aieganz である。 Aigonz に近い語形を持っており、アプラウト(母音交替)しているだけの違いという点が興味深い。この造語の仕組みは当時のゲルマン語を反映しているが、彼女の出自のビンゲンはいまのドイツにあるからもっともらしく感じられる。母は Maiz といい、義理の母は Nilzmaiz である。この点を鑑みるに複合概念は合成語で表すことができた。また合成語は右側決定則にしたがっている。この造語感覚についても当時のゲルマン語との類似性が指摘できる。 ただ、文法についてはラテン語を意識した屈折を持っている。ラテン語の使用は彼女の社会的階級や出自、そして実際の語彙集における注釈からも濃厚に示される。こういったことから Lingua Ignota は人工言語学の類型論においてラテン語・今日のドイツ語を参照言語とした後験語であるといえる。ただ語彙が先験性を帯びているため、エスペラントと同じ感覚で後験語に篩うことはできない。したがって語彙については先験語だが文法その他については後験語であったと定義するのがより正確である。 尚、Lingua Ignota の語彙を1011とするのは誤りである。これは彼女の残した語彙集に収められた語の数であり、彼女が作った例文にはこれに含まれない単語がある。したがって Lingua Ignota の語彙は1011よりも大きい。 宗教改革もルネサンスも起きていないこの時代においてキリスト教は世界観そのものであった。その点でヒルデガルトが階級的な名詞の序列を定めたことや、ラテン語やゲルマン語からアイディアを得たのは不可避である。 Lingua Ignota の目的は何か。色々な議論がなされているが筆者は暗号型であると考える。エーコは Lingua Ignota を夢状態にあって発せられる言語と分類しているが、神秘主義や或いは異言に結びつけるよりも用途で見て暗号型に分類するのが妥当と考える。(注 エーコは異言と明示していはいないものの、夢状態にある言語の下位区分にしている) 恐らくこういった人工言語はヒルデガルトに起因するものではない。彼女でなければ作れなかった理由はない。 修道院長という高い立場とそれに由来する深く広い知識というのは確かに一般の農民にはないものだった。しかし彼女以外に識者は存在したし、有閑なものも中にはいただろう。彼らが暗号型として人工言語を作らなかった保障はどこにもない。それは西洋だけでなく地球の至るところでもいえることである。 暗号型が人工言語を占める中、他の型はどのような黎明を迎えたのであろうか。最も種類の多い普及型の兆しについては少なくとも13世紀に見ることができる。ではまず、このころの普及型人工言語は何を背景にしていたか。それはまずキリスト教の普及である。上述のキリル文字を考案したキュリロス・メトディオス兄弟も9世紀に宣教師としてロシアに赴いた。キリルというのは彼のロシア名である。この時代の人工言語の普及はキリスト教の普及に裏打ちされたものである。 勿論キリスト教は実際には自然言語を用いて普及されたが、ここで作られた人工言語が目的としたものがキリスト教の普及であることは重要である。 具体的にこの時代に作られたキリスト教の普及を目的とする人工言語は何か。 13世紀の修道士ライモンドゥス=ルルスを例に挙げよう。 歴史的背景として、この時代は十字軍におけるキリスト教徒とイスラム教徒の時代である。彼が生まれた1235年ごろはヨーロッパ側がエルサレムを支配した希少な時期である。 15世紀まで続いた名目上の十字軍を度外視すると、事実上の十字軍遠征はこのころ終わる。事実上の十字軍が終わるこの時代に生まれた彼の生誕地はちょうど宗教のサラダボールであり、キリスト・イスラム・ユダヤが混在していた。 したがって、彼が非キリスト圏の言語や文化に通じていたことは容易に想像できる。 とはいえ彼はキリスト教の修道士であったため、非キリスト教徒をどう改宗させようかと考える。多くの宣教師と異なり、こうして本論に取り上げられるに至ったのは、彼が"Ars magna"などで哲学的言語を試みたことに起因する。この言語の目的は異教徒の改宗である。 彼の言語は我々がエスペラントなどからイメージするものとは異なっており、数学的な結合を用いた方法だった。9個の文字を幾何学的に組み合わせて「善は偉大である」といったような命題から数多くの問題まで表現する。幾何は星型のもの、階段状のもの、円状のものなどがある。有名なのは円状のもので、これは3つの同心円から成る。使われる文字は9字で、BCDEFGHIKである(最後はJではなくK)。この3枚の円盤を回転させることによって任意の3文字の組み合わせを作る。更にこの3文字のどこかにTを挿入し、4字1組を作る。この組み合わせから適宜命題や問題を得る。 慣れ親しんだ自然言語の方法からは想像しにくいもので、数学的な要素が濃い哲学的言語である。この機械的な方法だと善と貪欲を組み合わせることもできる。善と貪欲は受け入れられない組み合わせであるのに算出されてしまう。したがってどの要素とどの要素が結び付けられるかといったことを使い手が知っていなければならないというのが問題視される。しかしそれは思想上の問題であって言語上は大きな問題でない。日本語でも「丸い四角」「貪欲は善である」などという表現が可能であるが、そのことを以って言語上の問題とはされない。ヒルデガルトと違い、ルルスは改宗のための普及型人工言語を目指した。更にその手法は語学的なものではなく極めて数学的な方法で、内容も神学的・哲学的なものであった。さて実際この手法の効果であるが、極めてゼロに近い。その上ルルスは14世紀の初頭アフリカで布教中イスラム教徒の投石により殉死している。こうして原始的な普及型は失敗に終わるが、彼の思想はこの後も受け継がれることになる。 さてルルスが殉死した14世紀前半は十字軍国家がイスラム教徒に殲滅されたころでもある。西洋人は西アジアから撤退。同時にドミニコ会らによりアラビア語の文献が流入される。続いて15世紀に東ローマ帝国がオスマン帝国に滅ぼされたのを期にギリシャ文献が西欧に流入される。まとめると、13~15世紀の間にアラビア文献とギリシャ文献が西欧に流入したことになる。このことは自然言語における語の翻訳や借用を含意する。 このような歴史的背景にあって言語はどのように変化していたか。当時東欧がギリシャ語圏であるのに対し、西欧はラテン語圏であった。ラテン語は19世紀まで学位論文の言語でもあり、現代でも専門用語に多く取り入れられている。その地位と格式の高さは歴史的に上下はしつつも、決して無くなりはしなかった。ただ保持されてきたのは文語としての或いは学問の言葉としてのラテン語であり、口語ではない。 12世紀にはラテン語は西洋の共通語としての地位を復活させた。但しそれは旧ローマ帝国時代とは異なり、学問や教育の上という限定付きである。口語としてのラテン語は崩れ、土着語を生む土壌となった。 12世紀にはカタロニア語が生まれ、南仏ではプロヴァンス語が生まれる。プロヴァンス語はフランス・イタリア・スペインの一部で共通語の様相を呈する。しかしその後フランスではカペー王朝のフランス語によって退けられる。但し実際南仏では19世紀までプロヴァンス語は日常語であった。また13~14世紀に近代イタリア語が成立する。これはいわばラテン語の嫡男であり、口語としてのラテン語がとうに廃れていたことが見て取れる。そのころスペインのほうではカスティリャ語、ガリシア語などが既にあり、 14世紀中葉ではポルトガル語が成立する。 このようにしてラテン語の崩壊によりロマンス語などの土着語が西欧を占めていく。(当然土着語についてはゲルマン語も忘れてはならない) また文化面において西洋は主に14世紀から16世紀にかけてルネサンスを迎えた。復活という語源にふさわしく、それは抑圧され失われた人間性の復古であった。それとともにローマ・ギリシャの古典の復興が起こる。 結果、大量の古典単語が西洋語に咲き返ることとなった。島国のイギリスではルネサンスは遅れて16世紀ごろに始まり、そこで英語は古典単語を吸収した。この流れに反対が起こり、古典語を英語から排斥しようとするチークらの運動が起こったが、それでも尚古典語は学識の象徴から動かなかった。ラテン語が英語に関わったのはルネサンスだけではない。そもそもキリスト教典の伝来とともにangelなど400強の語彙が流入し、ノルマンコンクエストまでの古英語に影響を与えてきた。また、中期英語には上述のようにアラブ圏の言葉がラテン語に大量に翻訳されたため、結果的にこのことが英語にも影響を与えることになる。 そしてもうひとつ述べておきたいのが非西洋圏との関わりである。古代ギリシャの世界観にとって世界とは地中海周りとオリエントを意味していた。しかしアレキサンダー大王の東方遠征によって世界観はアジア(インドや中国)にまで拡張される。後にシルクロードによって東西間でやり取りがされるがその範囲は極めて限定的であった。時代が下って11世紀に始まった十字軍が結果的には東西交易を促進させた。この公益で利益を生んだ結果、余裕の生まれたイタリアでルネサンスが起こった。経済を下敷きに文化が発展してきた。 13世紀ごろモンゴル帝国がイスラム勢を征服したことで西洋は東アジアへ進出。ここで西洋は極東と出会うが、ここで出会った漢字という存在がその後の人工言語の運命を大きく変える。 15世紀にモンゴルが弱まるとオスマン帝国が優勢を極める。東西の中間に位置したため、オスマン帝国は交易品に重税をかける。既に交易品無しには暮らせない精神に陥っていた西洋人はルネサンスで磨いた科学技術を利用し、東洋への海路を開こうとした。海岸国のスペインやポルトガルがいち早くこれに着手できた。危険な航海ではあったが利益が大きく一攫千金が狙えることから航海熱が起こる。更にこの動きにローマ教皇が協賛する。対プロテスタントを目論み、新天地での信者獲得を期待したためでもある。したがって商人以外にも宣教師らが同乗した。 こうして大航海時代を向かえ、アフリカ、アジア、アメリカなどを発見するに至る。これにより西洋人の世界観は広がっていった。 社会・言語・文化・経済、これらの観点から中世を雑感した。こうした時代背景は人工言語にどのような影響を与えたか。それは一言でいえば共通語の需要である。ラテン語は西欧の共通語であるとともに知識の象徴でもあった。つまり共通語・象徴という2面性を持つ。後者は現代にも色濃く残る性質であるが、前者は中世で既に廃れていた。 17世紀でもラテン語はいまでいう英語のような高い地位を占めており、習うべき言語とされていた。識者はラテン語によって辛うじて意思疎通を図ることができた。つまり不完全ではあるものの共通語としての機能は死滅したわけではなかった。 しかし、である。ラテン語は問題が山積みであった。まずラテン語の習得の難しさ。これは特にラテン語そのものよりもその教育に批判が向けられた。だがいずれにせよラテン語が学びにくいという点で批判を受けていたのは変わらない。そして共通性の問題。ラテン語は西欧とりわけロマンス語の中では共通語の意識が強く持たれるが、東欧やアラブ圏ましてアジアに至ってはまるで通用しない。西洋人の世界観が広がるにつれ、ラテン語は共通語としての性質を弱められていった。そしてルネサンス以前に起こっていたラテン語の崩壊とそれに端を発する土着語の普及。これらの複合的な要因によってラテン語は共通語としての価値を弱められ、そのことが同時に別なる共通語の需要を高めた。 特に言語的に見て重要なファクターは土着語の普及と台頭であろう。上述13世紀のルルスは俗語と呼ばれていた土着語で学術書を書いたし、同世代のダンテは『俗語論』を著している。その後も続々と土着語で文献が作られていく。このころの著作は写本によって広まっていたが、15世紀にドイツのグーテンベルクが活版印刷を実用化したことにより事態は激変する。 要するに彼は土着語が急激な勢いで広まるための要因を作ったということである。 16世紀前半に同じドイツのルターが宗教改革を行い、聖書をドイツ語に訳したことも土着語の急激な頒布を示唆している。文章が各々の土着語で書かれることの弊害は何より翻訳の手間を必要とすることである。ラテン語で書かれていればどの国の人間にも難しい反面、どの国の人間にも読める。しかし土着語は違う。母語で書くのは簡単でも受け手がそれに対応していない。翻訳は大きな手間であったし時間も長く待たなければならなかった。これも共通語が欲された原因のひとつである。 以上のような要因で西洋では共通語の必要性が高騰してきた。これらの要因が重なったからこそ16, 7世紀に普遍言語論争が起こったといえる。したがってこれら社会・経済・文化などの要因は外すことができない。この時代の人たちは始めからエスペラントのような人工言語を作ろうと意図していたわけではない。始めは共通の書字を作ることが目的であった。それは真正文字や普遍文字などとも呼ばれたもので、概ね万人に通ずる共通の文字を意味していた。本論では代表として主に普遍文字という言葉を使う。こう聞くとオリジナルの文字を作ろうとしたように聞こえるが必ずしもそうではない。むしろオリジナルの文字を作ったロドウィックやウィルキンズは例外的で、アルファベットや数字を使ったもののほうが多い。 普遍文字は誰にでも読めるというのが前提なので、主に2つに分かれる。1つは字は同じだけれどもその読みは各国語で読むというもの。もう1つは共通の字に固定の読みを与えるものである。前者はとりわけヒエログリフや漢字から影響を受けている。死滅してしまったヒエログリフに比べ、当時ライブで使われていた漢字は西洋人にとっては開眼的なものであった。上述の西洋と東アジアとの交流により漢字の使用状況が西洋に伝えられた。中国人や日本人は互いの言葉が異なるにもかかわらず漢字という共通の文字で意思疎通をしているという報告が西洋に広まった。これはセンセーショナルであった。ベーコンは漢字を激賞したことがある。(ルルス→ベーコン→ライプニッツらの繋がりは哲学的に重要) まさにこれこそ普遍文字であると大急ぎで西洋では研究が行われた。 しかし研究を重ねるにあたり、徐々に漢字にも問題が見つかった。ヒエログリフも同様で、他の字についてもあれもだめこれもだめという結論に落ち着いていった。更には既存の自然文字だけでなく、速記に使われる文字なども試された。速記文字は本来は速記という目的で使われたが、なにせ読める人間が限られているので同時に秘密文字の性質も持っていたし、意図的に秘密文字の性質を帯びさせられることもあった。そしてその秘密文字が逆説的にも普遍文字の材料として分析された。文字だけに終始するイメージがあるがそうとは言い切れず、読み方が定められた文字もあった。このころは普遍文字ができれば人類にとって非常に有益であるという論調が盛んで、次々と言語案が提案された。 この論争は特にこの16, 7世紀に栄え、ベーコン、デカルト、ライプニッツ、パスカル、メルセンヌなど、この当時の高名な識者が大なり小なり関わりを持っている。 ところで普遍文字の探求は目的の上でおおまかに2派に分けることができる。ひとつはウィルキンズやライプニッツのように普遍文字を哲学的に分析した派である。彼らにとって普遍文字ひいては普遍言語は哲学上の問題であった。後にドゥリンチェコがライプニッツを哲学的言語に分類したのはその思想背景によるものである。 一方、もうひとつは普遍文字を神学上・宗教上の問題と分析した派である。この宗教というのは勿論キリスト教のことであるが、なぜ宗教が普遍言語に絡むのだろうか。 聖書の『創世記』では神がアダムに生き物の命名をさせ、そのアダムの名付けがそのままそのものの名前になったというくだりがある。つまりアダムは唯一の言語を持っていた。(と少なくとも当時の一部の人間は考えていたし、細かな聖書の矛盾もどうにか解釈で都合をつけている)ところが大洪水のあと、人間が天に届くバベルの塔を作る。それに怒った神が塔を崩壊させ、罰として人間の言語をばらばらにしてしまう。聖書のこの話は言語の単一紀元説を表している。単一だったアダムの言語が罰によってばらばらにされ、言語の複数性が生まれたのだとする説である。そして当時の一部の人間はこれを信じていた。 教徒の中にはアダムの言語を発見しようという試みをするものがいた。この思想は16, 7世紀の普遍言語論争以前から存在していた。2世紀ごろの神学者オリゲネスは既にバベル以前の言語がヘブライ語であったろうことを示唆していた。これらの神秘主義者はアダムの言語を発見すべく古典語の探求にいそしむ。研究された言語は主にヘブライ語である。 無論その研究は現代言語学の成果とは比肩できるものではないが、かなり長きに渡って研究されてきたことであることは否めない。この神秘主義は普遍言語論争にあって更に動きを高めた。アダムの言語の発見だけでは飽き足らず、アダムの言語への回帰を目指した。つまりアダムの言語の普及によって世界をバベル以前の秩序に引き戻そうとしたわけである。 この時代にアダムの言語への回帰意識きが高まった理由は何か。ちょうど普遍言語論争の時代であったというのも一因であるが、プロテスタントの出現も大きく関与している。プロテスタントは教会が聖書の解釈に介在することを厭ったため、彼らの間では聖書を直に読もうという意識が高まっていた。尚、教会が認めているラテン語訳でさえ彼らは拒絶している。それゆえの祖語ヘブライ語への回帰、アダムの言語への回帰である。更にこの思想を細分化していくと話が言語から遠ざかりすぎるためここで打ち切るが、このように神秘主義によるアダムの言語としての普遍文字や普遍言語というものが存在していた。 つまりこの時代の普遍言語論争では大きく分けて哲学的理由の一派と神学的理由の一派があったといえる。ただ両者は明確に区別されるとはかぎらない。グレーゾーンにいる作成者をどちらに分類するかは難しい。神学派と混同されて激しく相手であるウェブスターを非難したウィルキンズのようなものもいた。ともあれこのような背景を元に数々の人工言語が作成されたことは留意すべきである。ここで作られたのは普及型に分類される。従来の暗号型を追いやるかのような破竹の勢いで普及型は増えてきた。 では次に、具体的にどのような人工言語案が作られたのかを見ていこう。
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/84.html
文化 人工言語は文化を持ちます。 作者が文化を作らなかった場合は、作者かユーザーの文化が自動的に設定されます。 従って、文化の有無の問題ではなく、文化設定の有無の問題になります。 文化は、その文化がオリジナルか否かで、アプリオリとアポステリオリに分かれます。 文化設定がない場合、その言語が持つ文化は自動的にアポステリオリになります。 例えばエスペラントはヨーロッパ文化をアポステリオリとして持ちます。 言語 言語は、その文化がオリジナルか否かで、アプリオリとアポステリオリに分かれます。 組み合わせ 表内に具体例を入れました。 アルカとエスペラントは対極に位置しており、違いが明確になります。 文化設定あり(アプリオリ文化) 文化設定あり(アポステリオリ文化) 文化設定なし(アポステリオリ文化) アプリオリ言語 アルカ BABM(ボアーボム) アポステリオリ言語 アルベド語(日本語参照) エルフ語(古ケルト語・ヨーロッパ文化参照) エスペラント アルベド語はFF10(ファイナルファンタジー)の言語です。 FFは西洋を意識していますが、CG技術が進むごとに徐々にオリジナルの世界観を持つようになりました。 FF11のヴァナディールはもちろん西洋文化を参考にしてはいるものの、流用ではなくオリジナルの世界なのでアプリオリです。 上の表の長短 長所:文化と言語の観点で人工言語のバリエーションが読める。 短所:人工言語の作成意図が見えない。普及型や演出型が同じセルに入りうる。 言語内変動 アルカは表の左上にありますが、言語内で変動しました。 古アルカはエルフ語と同じ位置にありました。 制アルカになるにつれ、徐々にアプリオリ言語・アポステリオリ文化に近づきました。 新生アルカで現在の位置にいます。
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/33.html
●人工言語制作依頼 人工言語・架空言語の制作依頼を受注しています。 20年以上の経験を持つ人材が、無料でどのような種類の言語も制作致します。こちらのページからご連絡ください。 ●言語作成ツール 言語を作成する際の支援ツールがあります。 この中のいくつかは筆者も使っています。 レトルト人工言語のソフト層ユーザーにはLangMaker。 自作の言語が世界のどの自然言語に似ているかを判断してくれるLanguage Identifier。 これはちょっとお遊び感覚ですが、本来は謎言語を判定するためのものですから、このような使用法はお楽しみということで。 自言語の辞書を作るならPDIC。 英辞郎で有名な辞書ツールです。フォントを自由に設定できるので、自言語の文字を搭載したフォントを表示することができます。 単語はほぼ無限に登録できます。検索機能もかなり充実しています。用例の全文検索もできるので、英和を作れば和英を作る必要がありません。 自言語の文字を作るにはTTEDITがお勧めです。 true type のフォントが作れ、既存の文字に組み込むことができます。 自言語の文字がqwertyキーボードでは打ちにくいと思った場合、自作のキーボードレイアウトを作ることができます。 Microsoft Keyboard Layout Creatorをお使いください。 「自分の言語は完全に異世界のもの。qwerty キーボードを使うこと自体許せない」というコアな方。 キートップを完全に自由自在に作ることができるキーボードがあります。 Ergodex社のDX1 Input Systemは平らな板に好きな配列でキーを並べられます。 キーの配置を円形にしようが方形にしようが自由自在です。星形でもいけそうです。 .
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/41.html
自然言語と違って人工言語は意図的に作られたものであるから、そこには目的がある。自然言語ができたのは人間が生きる上で必要としたからに他ならないが、人工言語はそれぞれ異なった目的や機能を持つ。 たとえば世界がひとつの人工言語を採択した場合どうなるか。人工言語を異民族間で使うことによって言語の壁を崩すことができる。英語による支配が消え、日本人は英語を学ぶ時間を他の勉強に充当できる。支配と被支配者の言語が同じになることにより、言葉による差別が消滅する。翻訳の必要性がなくなり、学術論文をいち早く書き、読むことができる。これは人工言語のひとつの機能であり、目的である。 ザメンホフは少年時代に人類共通の言語を夢見た。 それは特定の民族の言語であってはならない。特定の民族の言語を人類全体におしつけることは公正でない。三宅(昭51) エスペラントの創始者は異民族間の言語差別を受けるにあたってこのような思想に至った。彼は人工言語に人類共通の言語としての目的を望んだ。 このように、まず人工言語における機能は世界の共通語である。これは先に述べた様々な言葉で表される。国際語、国際補助語、世界共通語、人工国際語など、枚挙に暇がない。 いずれにせよ、これらに共通しているのは広範囲に渡って多民族間で使われることを目標とすることである。そのためには普及が必要である。普及という言葉さえ流布、浸透など色々な呼び方で呼ぶ人があるが、本論では取りまとめて普及と呼び、普及を目的とする人工言語を普及型と呼ぶ。英語は自然言語なのでどれだけ普及しても普及型とは呼ばないので注意。 普及型の普及規模は言語によって異なる。全世界をあまねく統べようとするものが理論上最大規模である。だが、それは実践的な手段でないため、普及型の多くは全世界の全人口を対象としないのが一般的である。また、人工言語を普及させたら元々存在していた自然言語を食いつぶすといったことも一般的にしない。自然言語との共存を望む言語が多く、エスペラントはまさにその好例である。 「人工言語を世界中に普及させ、全ての人間に使用させ、自然言語を滅ぼす――それが人工言語だ。」というのは誤謬である。 また、人工言語は作られた時点では関係者以外誰もその言語について知らない。それゆえ、暗号目的として作られることがある。これは殆ど知られていない自然言語を使っても同じ効果が期待できる。 第二次世界大戦中、米軍はナボホ語を暗号として使用していた。当時ナボホ語を理解できる言語学者は殆どいなかったため、採用された。人工言語は関係者以外知らないので、使用者が文法と語彙を記憶できれば暗号として機能する。一般の暗号は最新式のものであれ、解読してしまえば自然言語か数字列に変換される。ところが人工言語を暗号にした場合、解読しても人工言語のままなので、翻訳資料がないと見破れない。このように、人工言語には暗号としての目的もある。この目的の言語を暗号型と称する。 暗号と聞くと組織や軍隊を想像しがちだが、それがもっと小規模かつ仲間内の合言葉のように使われた場合は何と呼ぶべきだろうか。若者言葉や女子高生言葉や社内の隠語の類はその集団に属する成員の帰属意識を高める効果がある。その集団に属しながらその言葉を使わないと倦厭される傾向にある。集団への帰属意識を高めるための言葉は暗号ではなく符牒と呼ぶのが適切である。女子高生言葉は自然言語に他ならないが、もしこれが人工言語ならば、また違う目的を持った型と呼べる。集団の帰属意識を高める目的の人工言語を符牒型と称する。女子高生言葉は自然言語の一位相なので排他性は弱く、帰属意識を高める効果も比例して弱い。だが、人工言語の場合はひとつの言語なので排他性が高く、帰属意識を高める効果は強い。 人工言語を小説などの著作物に利用することもできる。小説で異民族や異世界を創造したとき、見知った自然言語がそこで話されているのは不自然である。小説の世界のリアリティを高めるために人工言語を作ることがある。トールキンの『指輪物語』では、作中で人工言語が登場するが、将にこのタイプである。こうした世界観の演出を目的とする人工言語を演出型と称する。 これに対して学問の研究資料として作られた人工言語もある。ヴィトゲンシュタインの人工言語学派の考えで産出された人工言語はこれに当たる。研究資料として作られた人工言語には、言語学的に破格と言われている言語構造を敢えて作り、それが人間にとって利用可能であるかを考察するためのものがある。 他にも開音節ばかりの言語と閉音節ばかりの言語を作り、日本人に聞かせ、どちらがより聞き取れるかを調べるために作られた一過性の言語もある。これらの言語は日常的な運用を求められておらず、学問上の実用を求められている。こうした目的の人工言語を研究型と称する。 また、語学好きが高じ、人工言語を作る作業そのものが好きで作った趣味や遊びとしての人工言語も研究型に含まれる。研究対象が人工言語そのものになっているだけだからである。研究型は大抵破格的であり、実用される言語とは性格が異なることが多い。 つぶさに分類すれば他にも型はあるだろう。また、ひとつに型に収まらずに複数の型の性質を持つものもあるだろう。ただ、人工言語を目的に応じて分類するとこれだけの型に分けることができる。 一般的に言って普及型が最も自然言語に近い。というのも広めるには人間が慣れ親しんだ、そして実用可能な構造を持っていなければならないからである。エスペラントやイドやインテルリングアなどといった普及型はいずれも自然言語によく似た後験語である。一方、その対極にあるのが研究型である。日常的な運用を始めから考慮していないので、破格な性質を持ちやすく、そのため最も非自然言語的である。 三宅忠平(昭51)『エスペラントの話』大学書林13pp.
https://w.atwiki.jp/lideldmiir/pages/50.html
●まず架空言語の実例をご覧ください。 人工言語アルカ ウィルキンズのような人文系の百科全書的な人工言語がある一方で、ライプニッツのような理数系のコンピュータ的な人工言語が存在した。いずれにせよ哲学的言語であり、普遍言語である。この区別でも厄介なのにましてもってアダムの言語という神秘主義が加わる。しかも全員がアダムの言語を夢想するというのであれば話は早いのだが、事情は入り組んでいて、人によってはそのような神秘主義を否定していた。人工言語学上の分類としては数学的か百科全書的かといったような言語の構造については注目すべきである。一方アダムの言語が意図されたかどうかは動機にすぎないので、致命的に重要というほどではない。勿論動機を知ることでなぜそのような言語に至ったのかを知ることができ、その意味では重要であることを加えておく。 ところで当時はウィルキンズらのような普及型の人工言語しか存在しなかっただろうか。否。たとえば暗号型は速記文字の開発などの形で行われていた。まして当時は剽窃が多かったため、暗号は必要善であった。他方でこのころの西洋人の世界観の広がりが新たな人工言語を生んだ。演出型である。異邦人の言語に関する興味は古くから存在してたものの、それが爆発的な流行になったのは西洋人の世界観が広がってからのことである。アジア、アフリカ、アメリカなどが発見されるにつれて異邦人の言語や文化が西洋に知られるようになる。旅行者や行商や宣教師から伝え聞いたり、或いは自分自身で見聞したことを基に小説を書く。この中で述べられる異国はしばしば誇張されたり人伝ゆえに空想的なものであった。小説で述べられる言語はしばしば実際のものとは異なっていたし、場合によっては作者はそうと知りつつあえて書いていた節もあった。 この風潮が広まるにつれて、ジャーナルとしての言語ではなく始めから空想世界の言語というものが考案されるようになった。当時まだ発見されていなかったのはオーストラリアであったから、ここはよく舞台に使われた。また、月やその他の惑星もよく舞台に使われた。知的生命体がいると一部に考えられていたためである。これらの架空言語や架空世界は西洋人の期待や夢から生まれたものであるため、通常は理想言語や理想世界であった。トマス=モアに代表されるようなユートピア思想の一環である。これに当時の普遍言語論争が併行していたため、理想言語は概して簡単な文法を持ちすぐに習得できる言語と捉えられていた。 このユートピア思想は19世紀末のブルワー=リットンごろの反ユートピア思想まで優勢であった。 尚、オーストラリアはアリストテレスやプトレマイオスのころに想像された「南の大陸」であった。これは大航海時代1600年台初頭に発見された。したがってたとえばフォワニーの『アウストラル大陸発見』(1676)のときは厳密にいえば未発見ではない。地理上の発見以前から未知の大陸オーストラリアについての想像は多く行われ、実際に発見されてからもすぐに情報が詳しく伝わるわけではないのでやはり摩訶不思議な世界として考えられてた。ちなみにこれは月も同様で、当時は鳥の渡りの原因が知られておらず、鳥は月に渡るものと考えられていた。そういうわけで月はオーストラリアと同じく未知の世界で、架空言語の格好の舞台であった。他の惑星についても概ね同様である。 著書『ユートピア』で有名なトマス=モアは理想化された世界の中に理想的な言語をも置いた。理想の世界の言語、言い換えれば想像や架空の中の言語に足を踏み入れた彼は前衛的な存在であった。ただ、彼の創作した架空言語は後験語ではあるものの、基になった言語はギリシャ語などの西洋語であった点に注意する。 ゴドウィンの『月世界の人』(1638)は小説の中で自言語を展開している。大きな普遍言語論争の渦中であったため、演出型とはいえ、彼もまた哲学言語を構想していた。そのためこれを完全な演出型と述べることはできないが、大まかに分類するのなら演出型であろう。ゴドウィンが中国語から影響を受けていたのは明らかで、実際作中で主人公は中国に赴いている。ここで中国語は音楽的な言語という定義を受けている。そして月世界はというと、ここではたったひとつの普遍言語が使われていた。アダムの言語を彷彿させるユートピアな設定である。月世界の言語は音楽的であり、ここに中国語の影響が見られる。音声においてゴドウィンの言語が中国語を参照言語にしていることは明らかである。しかも主人公は2ヶ月で月の言語を習得している。このことは普遍言語の特徴である「覚えやすさ」を当然のこととして受け入れていることを示唆する。 シラノ=ド=ベルジュラックもまた月世界の言語を小説で展開している。ゴドウィンと異なるのは唯一の共通語があるというのではなく、社会的地位という位相で言語が二分されているという点である。上流階級はやはり中国語を意識した音楽的な言語を話し、下層階級は身振りの多い言語を用いている。 身振り言語をどう見るかというのはこのころ人によって異なっていた。たたとえば『セヴァランブ族物語』(1677) の著者ドニ=ド=ヴェラスは身振り言語について否定的である。そのヴェラスのセヴァランブ語であるが、これは意外にもエスペラントの走りともいえる言語である。というのも、自然言語から論理的であると考えられた要素を寄り集めている後験語だからである。ただ論理的過ぎてしばしば格変化などの文法システムはむしろ自然言語より細分化されている。かといってそれを一々覚える必要はなく、規則に基づいて推測可能である。 エスペラントと異なるのは自然を強く意識し、その性質を言語システムに取り入れている点である。存在を有生・無生ならびにオス・メスに分け、その区別は動詞にまで及んでいる。つまり主語が有生であるか無生であるかによって動詞が異なった屈折をするということである。したがって「石が憎む」というような恐らく考えられない文においても「憎む」は一々無生用の変化をするということである。憎むのように有生しかできなさそうなものであってもこの屈折は及ぶので、動詞の活用形の総数は悪戯に増える。尚、音については母音が10で子音が30である。そこに多重母音が加わる。更に音調などを表す6個の記号が使われた。これらの音素は筆記文字で表された。 身振り言語について肯定的ではないヴェラスとは対照的に、ガブリエル=フォワニィはむしろ言葉は抽象的なことや難解な議論といったものを表すだけのものとされ、他は身振りで代替するとしていた。それは南方大陸すなわち今日のオーストラリアの言語について執筆した際に明らかになっている。フォワニィは普及型の普遍言語の影響を受けており、概念については分析を元に命名をしていた。たとえば母音は火、空、塩などの単純な要素を与えられた。子音は明るい、熱いなどを与えられた。分析に基づいた文字の組み合わせで単語を表現していた。勿論この過程で発音しづらい単語が算出されることはいうまでもなく、フォワニィの言語は実用的とはいえなかった。語彙については完全に先験語である。また彼は文字も作っており、アルファベットと字形の異なった筆記文字を作っている。 ティソ=ド=パトは彼らに後続して『ジャック・マセの冒険旅行』(1710)で自言語を展開した。コンセプトは規則性と簡潔性である。音は母音が7種で子音が13種である。文字はアルファベットを使用する。文法はラテン語よりは簡単だが、複合完了や分詞がある点でやはり西洋語が参照言語になっている。パトで特筆すべき点はヴェラス同様自然言語を参照し、それを易しくしたことにある。動機は異なるものの、この点でやはりエスペラントの着想に近い。 一般的に架空言語の作者は普遍言語の作者ほど厳密ではない。普遍的な完全言語を作るという目的の下では科学的な手法やミスや漏れのない正確さや厳密さが重要視される。記憶術に関連して徹底的な語彙圧縮を行い、習得の容易さを訴える。それに比べて演出型の架空言語や空想言語はそれほど深刻ではないので「簡便なラテン語」などといった着想に至りやすい背景を持っていた。それが原因で、中にはエスペラントに似たものが生まれた。彼らが求めたのは創造性や工夫であり、面白味である。 その結果、普遍言語の手法に比べて奇抜なものが出てくる土壌にあった。その点で人工言語学としては興味深い。