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大気圏に突入する日 避難民シャトルの間で 子供たちの声の遠い残響 二人で聞いた 失くしたものプライド 疼くもの傷跡 この手に抱きしめて 現在(いま)は砂漠を彷徨(さまよ)い行くの 足つきの潜む砂漠の太陽 出会わなければ 塔矢アキラでいられた 不死なる耐久力持つキラ様 治さないで 俺の顔 この復讐するため追い続けてきた 一万年と二千年前から疼いてる 八千年過ぎた頃からもっと疼いてきた 一億と二千年たっても疼いてる 貴様を知ったその日から俺の傷に疼きは絶えない ストライクウウウウ! 戦争が終わる前に 生命(いのち)が終わる前に 眠る嘆きほどいて 貴様のストライク破壊したいよ 耳すませたらニコルの記憶 失意にのまれ立ち尽くすアスラン 思い出せ 記憶の彼方のミゲル 殺されないで ディアッカ 怒り宿しながら追い続けてきた 一万年と二千年前から疼いてる 八千年過ぎた頃からもっと疼いてきた 一億と二千年たっても疼いてる 貴様を知ったその日から俺の傷に疼きは絶えない ストライクウウウウ! 貴様にくり返しあしらわれて 何度も何度も返り討ちにあって ヘタレた俺が眠れない俺がくしゃくしゃになったとしても 貴様のことを殺すために… 一万年と二千年前から疼いてる 八千年過ぎた頃からもっと疼いてきた 一億と二千年たっても疼いてる 貴様を知ったその日から (腰抜けぇぇ!) 一万年と二千年前から疼いてる 八千年過ぎた頃からもっと疼いてきた 一億と二千年たっても疼いてる 貴様を知ったその日から俺の傷に疼きは絶えない ストライクウウウウ!
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黙7 1 この後、わたしは大地の四隅に四人の天使が立っているのを見た。彼らは、大地の四隅から吹く風をしっ かり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹きつけないようにしていた。 黙7 2 わたしはまた、もう一人の天使が生ける神の刻印を持って、太陽の出る方角から上って来るのを見た。この 天使は、大地と海とを損なうことを許されている四人の天使に、大声で呼びかけて、 黙7 3 こう言った。“我々が、神の僕たちの額に刻印を押してしまうまでは、大地も海も木も損なってはならない。” 黙7 4 わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中か ら、刻印を押されていた。 黙7 5 ユダ族の中から一万二千人が刻印を押された、ルベン族の中から一万二千人、ガド族の中から一万二千 人、 黙7 6 アシュル族の中から一万二千人、ナフタリ族の中から一万二千人、マナセ族の中から一万二千人、 黙7 7 シメオン族の中から一万二千人、レビ族の中から一万二千人、イサカル族の中から一万二千人、 黙7 8 ゼブルン族の中から一万二千人、ヨセフ族の中から一万二千人、ベニヤミン族の中から一万二千人が刻 印を押された。 黙7 9 この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも 数えきれないほどの大群衆が白い衣を身に着け、てになつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、 黙7 10 大声でこう叫んだ。“救いは、玉座に座っておられるわたしたちの神と、小羊とのものである。” 黙7 11 また、天使たちは皆、玉座、長老たち、そして四つの生き物を囲んで立っていたが、玉座の前にひれ伏 し、神を礼拝して、 黙7 12 こう言った。“アーメン。讃美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、威力が、世々限りなくわたしたちの神にありま すように、アーメン。” 黙7 13 すると、長老の一人がわたしに問いかけた。“この白い衣を着た者たちは、だれか。また、どこから来たの か。” 黙7 14 そこで、わたしが、“わたしの主よ、それはあなたの方がご存じです”と答えると、長老はまた、わたしに言 った。“彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。 黙7 15 それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、こ の者たちの上に幕屋を張る。 黙7 16 彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも。彼らを覆うことはない。 黙7 17 玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐ われるからである。”
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編集 武帝八校尉は、前漢の武帝が長安城の内外に新設した八つの部隊と、その指揮官。 史書では、この八校尉が一個の軍団として行動した記録はなく、互いに独立した部隊だったと考えられるが、後漢の北軍五校尉や西園八校尉と区別して、当事典ではこのように呼称する。城門校尉はこの八校尉に数えない。 各々校尉丞、司馬を有す。詳細は個別の項にて。 中壘校尉 一人、秩二千石。 北軍壘門内を掌り、また外には西域を掌る。 屯騎校尉 一人、秩二千石。 騎士を掌る。 步兵校尉 一人、秩二千石。 上林苑の門屯兵を掌る。 越騎校尉 一人、秩二千石。 越騎を掌る。 越人内に附き、以って騎と為すなり。 別説に、(胡人の)その材力の超越を取るなり、とも言う。 長水校尉 一人、秩二千石。 長水宣曲胡騎を掌る。 長水は、胡の部落の名。宣曲は、観の名。宣曲観に胡騎の屯があった。 胡騎校尉 一人、秩二千石。 池陽胡騎を掌る。常には置かず。 胡騎が池陽に屯すものである。 射声校尉 一人、秩二千石。 待詔射声士を掌る。 射に工(たくみ)な者なり。冥冥中、声を聞き則ちこれに中てる、因り以って名とすなり。 須く詔の命ずる所、而して射る。故に曰く待詔射なり。 虎賁校尉 一人、秩二千石。 軽車を掌る。 所属項目(タグ) 二千石 官制 尉 校尉 武官 武帝 武帝八校尉 関連項目・人物 長水校尉 越騎校尉 虎賁校尉 胡騎校尉 武帝八校尉 步兵校尉 屯騎校尉 射声校尉 中壘校尉 編集 -
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駒がくり返し罠にハマって 何度も何度も発で散って 近寄る僕が壁に跳ぶ僕がピンボールになったとしても 元就様に従うために… (* 。 )<一万年と二千年前から駒してるー (* 。 )<八千年過ぎたころからもっと捨て駒になってー (* 。 )<一億と二千年後も駒してるー (* 。 )<元就様と出会ってから僕の世界に幸せが絶えない~ 元就さまと光合成したい (2) 世界の始まりの日 オクラの樹の下で 捨て駒達の声の遠い残響 二人で聞いた 失くした駒すべて 愛したものすべて その身に背負って 今は何を目指し行くの 答えの潜む緑のオクラ 出会わなければ 捨て駒にならずにいられた 不死なる瞬き持つ日輪 傷つかないで 僕の殿 この気持ち知るため生まれてきた 一万年と二千年前から捨て駒です 八千年過ぎた頃からもっと捨て駒になった 一億と二千年後も捨て駒です 殿を知ったその日から僕の地獄に音楽は絶えない 世界が終わる前に 生命が終わる前に 眠る欲望解いて 殿の兜(オクラ)抱きしめたいよ 耳すませたさざ波の音色 荒波にのまれ立ち尽くす長曾我部軍 照射せよ 永遠に涸れぬ光 汚されないで 殿の夢 祈り宿しながら生まれてきた 一万年と二千年前から捨て駒です 八千年過ぎた頃からもっと捨て駒になった 一億と二千年後も捨て駒です 殿を知ったその日から僕の地獄に音楽は絶えない 殿が繰り返しオクラ被って 何度も何度も戦へ行って 戦う僕が眠れない僕がくしゃくしゃになったとしても 毛利家を守る為に… 一万年と二千年前から捨て駒です 八千年過ぎた頃からもっと捨て駒になった 一億と二千年後も捨て駒です 殿を知ったその日から 一万年と二千年前から捨て駒です 八千年過ぎた頃からもっと捨て駒になった 一億と二千年経っても捨て駒です 殿を知ったその日から僕の地獄に音楽は絶えない (3) 戦の始まりの日 厳島の下で 捨て駒達の悲鳴 遠い断末魔みんなで聞いた 使えない駒すべて 失敗した駒すべて その手で斬り捨てて 次はどこを 攻めにいくの 答えの潜む 琥珀の日輪 出会わなければ ただの人間でいられた 緑色なる輝き持つ兜 傷つかないで元就様 あなたを守るため生まれてきた (* 。 )<一万年と二千年前から駒してるぅぅぅぅぅ (* 。 )<八千年過ぎた頃から もっと捨て駒になった (* 。 )<一億と二千年後も駒してるぅぅぅぅぅl 元就様を知ったその日から 僕の世界に幸せは絶えない 州*゚д゚)<これより先、そなたらのうちただの一人であろうと・・・ 州*゚д゚)<我が知略が死なせはせぬ!!!  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ○ ゚ 州゚д゚)<今ならば西海の鬼の言葉が少しだがわかる気がするわ・・・・
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世界の始まりの日 生命(いのち)の樹の下で ワムウたちの声の、遠い残響 一人で聞いた 失くしたものすべて 愛したものすべて この手で抱きしめて 今は宇宙(そら)を、彷徨い行くの? 答えの潜む エイジャの赤石 出会わなければ 殺戮の天使でいられた 不死なる瞬き持つ宝石 傷つかないで、僕の仮面 この気持ち知るため 生まれてきた 一万年と二千年前から 探してる 八千年過ぎた頃からもっと恋しくなった 一億と二千年あとも 考えない 宇宙(そら)に飛んだその日から 僕の地獄に音楽は絶えた HEEEEYYYY ァァあァんまりだァァアァ 世界が終わる前に 生命(いのち)が終わる前に 眠るなげきほどいて 君の薫り抱きしめたいよ 耳澄ませたサンタナの記憶 失意にのまれ立ち尽くす麗しき男 蘇れ 永遠(とわ)に涸れぬ命 汚されないで 俺の夢 祈り宿しながら 生まれてきた 一万年と二千年前から 探してる 八千年過ぎた頃からもっと恋しくなった 一億と二千年あとも 考えない 宇宙(そら)に飛んだその日から 僕の地獄に音楽は絶えた 君が繰り返し戦士になって 何度も何度も波紋を浴びて 見守る俺が、眠れない俺が、 くしゃくしゃになったとしても 石仮面を被るために 一万年と二千年前から 探してる 八千年過ぎた頃からもっと恋しくなった 一億と二千年あとも 考えない 宇宙(そら)に飛んだその日から 一万年と二千年前から 探してる 八千年過ぎた頃からもっと恋しくなった 一億と二千年たっても 考えない 宇宙(そら)に飛んだその日から 僕の地獄に音楽は絶えた 原曲【創聖のアクエリオンOP「創聖のアクエリオン」】 元動画URL【http //www.nicovideo.jp/watch/sm795754】
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011 満貫のアクエリオン 歌手 AKINO 作詞 岩里祐穂 編詞:なっち 作曲 菅野よう子 半荘始まりの日 14の配牌で 孔雀たちの声の遠い残響 二人で聞いた 加えた牌すべて 鳴かせた牌すべて この手に抱きしめて 現在(イマ)は何を待ちにしてるの? 1索の潜む良形の待ち ドラがなければ 安めで我慢してられた 不死なる瞬き持つ5筒 降りてこないで この待ちに この場で和了るため生まれてきた 一万点と二千点さっさと振り込めよ 八千点じゃない事からもっと危険視された 1索と5筒手にあったら振り込めよ 君が切ったその日から僕の半荘は確実に飛ばない 東場が終わる前に 親番流す前に 眠る嘆きほどいて 君のリー棒いただきたいよ 耳すませた海底(ハイテイ)の記憶 失意にのまれ立ち尽くす麗しき月 よみがえれ 永遠に涸れぬ光 汚されないで 君の夢 祈り宿しながら生まれてきた 一万点と二千点さっさと振り込めよ 八千点越えた頃から高め恋しくなった 一億と二千年あとも振り込めよ 1索(カミ)を待ったその日から僕の麻雀に敗北は見えない 君がくり返し1索切って 何度も何度も僕が和了って 見守る北家終わらない局が 君の飛びになったとしても 直撃を奪うために… 一万点と二千点さっさと振り込めよ 八千点過ぎた子の6翻気付けば染めになった 一億と二千年あとも君が飛ぶ 君狙ったその日から 一万点と二千点さっさと振り込めよ 八千点過ぎた頃から高め恋しくなった 一億と二千年たっても振り込めよ 君狙ったその日から僕の手牌に1索は絶えない 曲目リストへ戻る 歌唱履歴 2018.02.07 050曲目(骨) 履歴へ戻る 010 012
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21 - 創聖のアクエリオン / AKINO 一万年と二千年前から愛してるぅぅぅぅぅ【愛してる】 八千年過ぎた頃からもっと恋しくなった 一億と二千年あとも愛してるぅぅぅぅぅぅ 君を知ったその日から僕の地獄に音楽は絶えな(い) 替え歌案リスト 案1 (友好の始まりの日 ニコニコの樹の下で オタクたちの声の遠い残響 日本で聞いた 失くしたもの全て 愛したもの全て この手に抱きしめて いまはどこをさまよいいくの 答えの潜む他国の太陽 出会わなければ 殺伐な天使でいられた 不死なる輝き持つ魂 傷つかないで 無知な声 この思い伝える為生まれてきた) 一万年と二千年前からともだちだ 8千年過ぎた頃からもっとなかよくなった 一億年と二千年あともしんゆうだ 君を知ったその日から僕の国で台湾は絶えない 案2 八月の一日深夜から あいしてる 返事をと決めたときから もっとこいしくなった この歌を返したそのあとも あいしてる 君を知ったその日から ぼくの 部屋の 壁にインリンオブジョイトイ 案3 一万年と二千年前から愛してる 八千年過ぎた頃からもっと恋しくなった 一億と二千年あとも愛してる 君も僕を愛して ずっとずっと仲良しでいたいの < 前の歌詞へ | 次の歌詞へ > 投票所
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編集 秩石とは、 漢代以降に用いられた官吏の俸給の禄高。容量の単位石(斛と同義)で表わし、その数字が名目的な年俸となる。支払いは「半穀半銭」。半額は穀物の現物で、半額は銭で支払われたというが、異説が出されてもいる。 また、その俸給序列制度のこと。後漢代では、中二千石から左史まで十六等級に区分され、さらにその上に三公・大将軍らが存在した。 目次 目次 実際の禄高 半穀半銭 前漢の俸禄 資料 所属項目(タグ) 関連項目・人物 参考 その禄高の高低は実報酬のみならず、官吏の位階序列を示す指標ともなり、輿(車馬、輿、従者)や服(衣冠、印綬)等で構成される礼秩の基本要素となった。 特に前漢代では、官吏の秩石と、帯びる衣冠や印綬の種類の間には明確な対応関係があった。 後漢代に官署の長の印綬が令と同じ銅印墨綬となり、魏代に施行された九品官人法の品秩(官品)の影響が衣冠に現れるなど複雑化が進み、秩石のみでは単純な序列の判断が難しくなるが、礼秩の基本はあくまでも秩石に置かれ続けた。 諸官吏の秩石は名目上は固定されているものの、実際に受け取る禄高は守(試用期間)官の間や執務上の過誤等で減俸されることがある。前漢では郡太守が秩二千石を号するが、実際には千石や八百石しか受け取れなかった例があったという(*1)、また、候官の隊長の受け取った俸給にバラつきがあることが確認されている(*2)。 数字の頭に付く比は、「~に匹敵する」「~に準じる」の意味。禄数は千石と比千石、六百石と比六百石、というように真官と比官が二つ一組になっており、比官には郎官、大夫、謁者、博士等の決裁権を持たない官や掾属が多いという特徴がある。 ただし、実際に受け取る俸給の上では比官が真官に「匹敵する」わけではなく、中二千石から左史まで均質な階梯を形作っている。 後漢における秩石と主な職官 秩石 吏 (万石) 上公・三公 中二千石 九卿・河南尹・太子太傅 (真)二千石 執金吾・大長秋・太子少傅・将作大匠・度遼将軍・太守・王国相 比二千石 中郎将・校尉・都尉 千石 尚書令・県令・三公長史 比千石 九卿丞・謁者僕射 六百石 州刺史・諸令・博士祭酒・従事中郎・北軍中候・度遼将軍長史、司馬 比六百石 博士・議郎・中郎 四百石 小県県長 洛陽県丞・県尉 比四百石 侍郎、公府東西曹掾・中黄門 三百石 小県県長・諸令の丞 比三百石 郎中・羽林郎 二百石 諸令の丞 比二百石 節從虎賁 百石 州従事・郡督郵、功曹 斗食 左史 実際の禄高 漢魏代の一斛は約20リットル。つまり秩百石の官吏には穀2000リットルの年俸が支払われる名目になるが、実際の俸給額とは開きがあった。 漢代秩石制の実際の俸給額は、『漢書』『後漢書』に複数の記述があり、それぞれ誤脱が見られる。宇都宮淸吉・ 藪内淸両氏が『續漢志百官受奉例考』でこれを補正し、後漢代の官吏の報酬額を明らかにしたものがある。 後漢代官吏の俸給額諸説(月俸) 秩石 A.漢書百官表注 B.百官志百官奉 C.光武帝紀注 宇都宮・薮内説 十二ヶ月換算 (万石) 350 350 350 (350) (4200) 中二千石 180 180 180 180 2160 二千石 120 120 120 120 1440 比二千石 100 100 100 100 1200 千石 90 80 90 90 1080 比千石 80 - 80 80 960 六百石 70 70 80 70 840 比六百石 60 50 55 60 720 四百石 50 45 50 50 600 比四百石 45 40 45 45 540 三百石 40 40 40 40 480 比三百石 37 37 37 37 444 二百石 30 30 30 30 360 比二百石 27 27 27 27 324 百石 16 16 16 16 192 斗食 - 11 11 11 132 左史 - 8 8 8 96 備考 師古曰く、漢制 補正後の後漢代俸給額は、『漢書』注にある顔師古説に最も近い。 漢代の俸給額は光武帝の建武二十六年に改定されて「その千石以上は西京旧制より減じ、六百石以下は旧秩より増した」はずであるが、『漢書』百官表の顔師古]注の説と、『続漢志』百官志の説の間にはその変化が見られない。顔師古が自己の引用を「漢制」と曖昧な書き方をしていることから見ても、顔師古の説は実際は後漢代のものであったと推定できるのである。 半穀半銭 このように俸給は月奉制であったが、全額が穀物で支払われたわけではない。一般に漢代の俸給は「半穀半銭」で支払われたとされている。 百官志注には、荀綽の晋書注が引用されており、殤帝延平年間の制として、俸給の穀物と銭の支給割合が載せられている。しかしこの俸給額も、秩二千石の穀での支給が中二千石の半額と激減しているにも関わらず、以下秩比千石までの額が不自然に接近しているなど不審な点が多い。 宇都宮・薮内両氏は、 建武二十六年以降、後漢代を通じて、月棒額が改定されたとの記録は無い その月棒額を「延平中」の制に当てはめると、月俸のちょうど三割が穀建てで支払われていた秩位が多い その場合、1斛当たりの穀物価格は71.42銭で計算されていた ことから、この記述にも補正を加え、 百官志注による「延平中」の穀・銭支給額とその補正 月俸 D.延平の制 補正後 中二千石 180斛 72斛 9000銭 54斛 9000銭 二千石 120斛 36斛 6500銭 36斛 6000銭 比二千石 100斛 34斛 5000銭 30斛 5000銭 千石 90斛 30斛 4000銭 27斛 4500銭 比千石 80斛 30斛 4000銭 24斛 4000銭 六百石 70斛 21斛 3500銭 21斛 3500銭 比六百石 60斛 18斛 3000銭 四百石 50斛 15斛 2500銭 15斛 2500銭 比四百石 45斛 13.5斛 2250銭 三百石 40斛 12斛 2000銭 12斛 2000銭 比三百石 37斛 11.1斛 1850銭 二百石 30斛 9斛 1000銭 9斛 1500銭 比二百石 27斛 8.1斛 1350銭 百石 16斛 4.8斛 800銭 4.8斛 800銭 斗食 11斛 3.3斛 550銭 左史 8斛 2.4斛 400銭 ^ ^ ^ 補記 三公・大将軍 350斛 105斛 17500銭 としている。 簡易な補正で整然とした配分を実現できる事から、この補正には説得力があると思う。 また、この殤帝延平年間以後、後漢は飢饉の続発による穀価の暴騰や財政難に悩まされることになるが、俸給を支払う際に穀・銭の換算レートを調整すれば、伝統的な月俸額を変えずとも時勢に合った俸禄を官吏に支払うことができただろう。或いは、俸給を穀物と銭に分けて支払うのは物価の乱高下に対応するためのものだったのかもしれない。 前漢の俸禄 前漢でも俸給が穀と銭に別れていたことは、東方朔伝の記述から分かる。 朱儒は長三尺余で一囊の粟と銭二百四十を奉じ、臣朔長は九尺余でまた一囊の粟と銭二百四十を奉じ…… しかし、漢書やその諸注は専ら銭での額のみ記し、穀量に触れない。或いはこの時期には、穀での支払いは秩位に関わらず一定で(*3)、銭払いのみが実質の俸給であったのかもしれない。 如淳曰く、「律に、丞相・大司馬大将軍は銭月六万を奉じ、御史大夫は月四万を奉じるなり。」(成帝紀注) 如淳曰く、「諸侯王の相は郡守の上に在り、秩真二千石。律に,真二千石は俸月二万、二千石は月に万六千。」(史記汲黯伝) 如淳曰く、「律に、百石は月六百を奉じる。」(宣帝紀神爵三年注) 拜して諫大夫と為り、秩は(比)八百石。銭月九千二百を奉じ、また拜して光禄大夫と為り、秩は(比)二千石、銭月万二千を奉じ……(貢禹伝) 時期と物価の問題もあり単純には言えないが、同じ如淳の説によると、百石と丞相・大司馬の間にはその俸給に100倍もの開きがあり、後漢代の百石と三公との差、約22倍よりも更に大きな格差が存在したことがわかる。 前述の光武帝期の俸給改正や、宣帝神爵三年の、 秋八月、詔に曰く「吏が廉平でなくば則ち治道は衰える。今、小吏は皆事に勤めるのに、而して奉禄が薄い。その百姓を侵漁する毋(なかれ)をを欲するのは、難なり。その吏百石以下の奉、十の五を益せ。」 と、百石以下の小吏の俸給を五割増しにする詔勅のように、格差是正の努力が続けられていたのだろう。 資料 A.漢書 百官公卿表第七上 師古曰:「漢制, 三公號稱萬石,其俸月各三百五十斛穀。 其稱中二千石者月各百八十斛, 二千石者百二十斛, 比二千石者百斛, 千石者九十斛, 比千石者八十斛, 六百石者七十斛, 比六百石者六十斛, 四百石者五十斛, 比四百石者四十五斛, 三百石者四十斛, 比三百石者三十七斛, 二百石者三十斛, 比二百石者二十七斛, 一百石者十六斛。」 B.後漢書光武帝紀建武二十六年注 續漢志曰:「 大將軍、三公奉月三百五十斛, 秩中二千石奉月百八十斛, 二千石月百二十斛, 比二千石月百斛, 千石月九十斛, 比千石月八十斛, 六百石月七十斛, 比六百石月五十五斛, 四百石月五十斛, 比四百石月四十五斛, 三百石月四十斛, 比三百石月三十七斛, 二百石月三十斛, 比二百石月二十七斛, 百石月十六斛, 斗食月十一斛, 佐史月八斛。 凡諸受奉,錢穀各半。」 C.続漢志百官志/百官奉 百官受奉例:大將軍、三公奉,月三百五十斛。 中二千石奉,月百八十斛。 二千石奉,月百二十斛。 比二千石奉,月百斛。 千石奉,月八十斛。 六百石奉,月七十斛。 比六百石奉,月五十斛。 四百石奉,月四十五斛。 比四百石奉,月四十斛。 三百石奉,月四十斛。 比三百石奉,月三十七斛。 二百石奉,月三十斛。 比二百石奉,月二十七斛。 一百石奉,月十六斛。 斗食奉,月十一斛。 佐史奉,月八斛。凡諸受奉,皆半錢半穀。 D.続漢志百官志/百官奉 注 荀綽晉百官表注曰:「漢延平中, 中二千石奉錢九千,米七十二斛。 真二千石月錢六千五百,米三十六斛。 比二千石月錢五千,米三十四斛。 一千石月錢四千,米三十斛。 六百石月錢三千五百,米二十一斛。 四百石月錢二千五百,米十五斛。 三百石月錢二千,米十二斛。 二百石月錢一千,米九斛。 百石月錢八百,米四斛八斗。」 所属項目(タグ) 官制 石 礼制 礼秩 関連項目・人物 「秩石」をタグに含むページは1つもありません。 参考 宇都宮淸吉・ 藪内淸氏『續漢志百官受奉例考』 東洋史研究11(3) 編集 -
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イスラエル十二部族は、ヤコブ(イスラエル)の十二人の子を起源とする部族であり、以下から構成される。 ルベン族 シメオン族 レビ族 ユダ族 ダン族 ナフタリ族 ガド族 アシェル族 イッサカル族 ゼブルン族 ヨセフ族(マナセ族、エフライム族) ベニヤミン族 聖書では、まずヤコブの十二人の子供たちの名として表れる。 出エジプト記1 1-5 ヤコブと共に一家を挙げてエジプトへ下ったイスラエルの子らの名前は次のとおりである。 ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、ベニヤミン、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル。 ヤコブの腰から出た子、孫の数は全部で七十人であった。ヨセフは既にエジプトにいた。 部族と名としては、民数記に初めて現れる。(幕屋と宿営地を参照) ヨハネの黙示録にも十二部族の名は現れる。 黙示録7 4-8 わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。 ユダ族の中から一万二千人が刻印を押され、 ルベン族の中から一万二千人、 ガド族の中から一万二千人、 アシェル族の中から一万二千人、 ナフタリ族の中から一万二千人、 マナセ族の中から一万二千人、 シメオン族の中から一万二千人、 レビ族の中から一万二千人、 イサカル族の中から一万二千人、 ゼブルン族の中から一万二千人、 ヨセフ族の中から一万二千人、 ベニヤミン族の中から一万二千人が 刻印を押された。 イスラエル十二部族の出自 父:ヤコブ、母:レア(ラバンの娘)から生まれた6子 長兄ルベンの末裔ルベン族 次兄シメオンの末裔シメオン族 三男レビの末裔レビ族 四男ユダの末裔ユダ族 五男イサカルの末裔イサカル族 末弟ゼブルンの末裔ゼブルン族 父:ヤコブ、母:ジルパ(レアの下女)から生まれた2庶子 兄ガドの末裔ガド族 弟アセルの末裔アセル族 父:ヤコブ、母:ラケル(レアの妹)から生まれた末子 ベニヤミン の末裔ベニヤミン族 父:ヤコブ、母:ビルハ(ラケルの下女)から生まれた2庶子 兄ダンの末裔ダン族 弟ナフタリの末裔ナフタリ族 父:ヨセフ(ヤコブとレアの妹ラケルの子)、母:アセテナ(エジプトの祭司ポティ・フェラの娘)から生まれた2子 兄マナセの末裔マナセ族 弟エフライムの末裔エフライム族 十二部族の数え方 以上を合計すると13部族となってしまうが、これについては特に対処せず13部族すべてを数え上げる場合と、切れの良い12に直すため以下の4通りの処理の仕方がある。 レビ族を数えない場合 一番よく見られる方法で、民数記冒頭の人口調査でも「イスラエルの各部族の長12人(=部族数は12)は人口調査をした」とした後に「レビ人は調べられなかった」とあり、「各部族」にレビ族が入っていないと分かる。(民数記1 44-47) ヤハウェに仕える祭司職であるレビ族については領土が無く各地に分散して暮らしていたため、これを数えず他の部族で12とする。 マナセ族とエフライム族をまとめて「ヨセフ族」と数える場合 例として申命記のゲリジム・エバルの両山に祝福と呪いをする際にそれぞれの担当の部族名が列挙されているが、エフライムもマナセも呼ばれずヨセフの名が呼ばれている。(申命記27 12-13) 両族はヨシュア記でも「ヨセフの家」とまとめて呼ばれるなど、結びつきが強いものとされた。 なお、後述のヨハネの黙示録ではエフライム族の事をヨセフ族と呼んでいる(マナセ族の名前は別に出てくる)。 シメオン族を数えない場合 申命記最後の各部族へのモーゼの祝福でシメオン族が名前を呼ばれていない。(申命記33章) シメオン族は領土自体はあったがユダ族の中で飛び地状態で、次第にユダ族に吸収され早いうちに消滅したため、これを数えずにレビを入れて12とした。 ダン族を数えない場合 ヨハネの黙示録に見られるもので、「イスラエルの子らのすべての部族」として列挙される中にダン族の名前がない。(黙示録7 4-8) 理由ははっきりしないが、現在は偽典とされている『十二族長の遺訓』にダン族は反キリストを生むものとされていたためという説がある。