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概要 萃橋支社北のターミナル駅。 ● 萃橋線・ ● 二千線が乗り入れる。 運行上の要衝でもあり、当駅が八九寺支社と萃橋支社の境界駅でもある。 奈須線の分岐は2駅先の相良野駅だが、快速が停車しないこともあり、この駅が八九寺支社と奈須支社からの玄関口となっている。 駅名標 準備中... 運行本数 種別名 運転区間 本数 特急ハイランドエクスプレス 奈須高原〜佐亦高原温泉 0.5本 特別快速 りんくうタウン〜越和 0.5本 奈須・海熊直通快速 王府園〜越和 0.5本 八九寺・海熊直通快速 大宝寺〜豊宿 0.5本 八九寺線直通快速 千石〜恋文 0.5本 萃橋線普通 千鳥〜半月秋庭 0.5本 咲花線直通普通 千鳥〜平坂 1.0本 八九寺・海熊直通普通 大宝寺〜豊宿 0.5本 阿良々木線直通普通 十三湊〜恋文 0.5本 片道当たり、停車列車が1日5本、通過列車が1本で計1日6本です。 乗り場案内 乗り場 路線名・行き先 備考 1番線 旅客列車無し 貨物通過線 2番線 萃橋線 相良野・千鳥方面/二千線 八九寺・大宝寺方面 主に二千線 3番線 萃橋線 相良野・千鳥方面/二千線 八九寺・大宝寺方面 主に萃橋線 4番線 萃橋線 萃橋・豊宿方面/二千線 天竹・恋文方面 主に二千線 5番線 萃橋線 萃橋・豊宿方面/二千線 天竹・恋文方面 主に萃橋線 配線図 名所・ランドマーク X-DAY CITY かゞみや北埼店 ちゅるや百貨店 元ネタ 太鼓の達人より、“きたさいたま2000”。
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イスラエル十二部族は、ヤコブ(イスラエル)の十二人の子を起源とする部族であり、以下から構成される。 ルベン族 シメオン族 レビ族 ユダ族 ダン族 ナフタリ族 ガド族 アシェル族 イッサカル族 ゼブルン族 ヨセフ族(マナセ族、エフライム族) ベニヤミン族 聖書では、まずヤコブの十二人の子供たちの名として表れる。 出エジプト記1 1-5 ヤコブと共に一家を挙げてエジプトへ下ったイスラエルの子らの名前は次のとおりである。 ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、ベニヤミン、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル。 ヤコブの腰から出た子、孫の数は全部で七十人であった。ヨセフは既にエジプトにいた。 部族と名としては、民数記に初めて現れる。(幕屋と宿営地を参照) ヨハネの黙示録にも十二部族の名は現れる。 黙示録7 4-8 わたしは、刻印を押された人々の数を聞いた。それは十四万四千人で、イスラエルの子らの全部族の中から、刻印を押されていた。 ユダ族の中から一万二千人が刻印を押され、 ルベン族の中から一万二千人、 ガド族の中から一万二千人、 アシェル族の中から一万二千人、 ナフタリ族の中から一万二千人、 マナセ族の中から一万二千人、 シメオン族の中から一万二千人、 レビ族の中から一万二千人、 イサカル族の中から一万二千人、 ゼブルン族の中から一万二千人、 ヨセフ族の中から一万二千人、 ベニヤミン族の中から一万二千人が 刻印を押された。 イスラエル十二部族の出自 父:ヤコブ、母:レア(ラバンの娘)から生まれた6子 長兄ルベンの末裔ルベン族 次兄シメオンの末裔シメオン族 三男レビの末裔レビ族 四男ユダの末裔ユダ族 五男イサカルの末裔イサカル族 末弟ゼブルンの末裔ゼブルン族 父:ヤコブ、母:ジルパ(レアの下女)から生まれた2庶子 兄ガドの末裔ガド族 弟アセルの末裔アセル族 父:ヤコブ、母:ラケル(レアの妹)から生まれた末子 ベニヤミン の末裔ベニヤミン族 父:ヤコブ、母:ビルハ(ラケルの下女)から生まれた2庶子 兄ダンの末裔ダン族 弟ナフタリの末裔ナフタリ族 父:ヨセフ(ヤコブとレアの妹ラケルの子)、母:アセテナ(エジプトの祭司ポティ・フェラの娘)から生まれた2子 兄マナセの末裔マナセ族 弟エフライムの末裔エフライム族 十二部族の数え方 以上を合計すると13部族となってしまうが、これについては特に対処せず13部族すべてを数え上げる場合と、切れの良い12に直すため以下の4通りの処理の仕方がある。 レビ族を数えない場合 一番よく見られる方法で、民数記冒頭の人口調査でも「イスラエルの各部族の長12人(=部族数は12)は人口調査をした」とした後に「レビ人は調べられなかった」とあり、「各部族」にレビ族が入っていないと分かる。(民数記1 44-47) ヤハウェに仕える祭司職であるレビ族については領土が無く各地に分散して暮らしていたため、これを数えず他の部族で12とする。 マナセ族とエフライム族をまとめて「ヨセフ族」と数える場合 例として申命記のゲリジム・エバルの両山に祝福と呪いをする際にそれぞれの担当の部族名が列挙されているが、エフライムもマナセも呼ばれずヨセフの名が呼ばれている。(申命記27 12-13) 両族はヨシュア記でも「ヨセフの家」とまとめて呼ばれるなど、結びつきが強いものとされた。 なお、後述のヨハネの黙示録ではエフライム族の事をヨセフ族と呼んでいる(マナセ族の名前は別に出てくる)。 シメオン族を数えない場合 申命記最後の各部族へのモーゼの祝福でシメオン族が名前を呼ばれていない。(申命記33章) シメオン族は領土自体はあったがユダ族の中で飛び地状態で、次第にユダ族に吸収され早いうちに消滅したため、これを数えずにレビを入れて12とした。 ダン族を数えない場合 ヨハネの黙示録に見られるもので、「イスラエルの子らのすべての部族」として列挙される中にダン族の名前がない。(黙示録7 4-8) 理由ははっきりしないが、現在は偽典とされている『十二族長の遺訓』にダン族は反キリストを生むものとされていたためという説がある。
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B ディアボロ D ドッピオ B 初めて目を開けた日 焔(ほむら)の風の中で 苦痛と惨劇の遠い悲鳴二人で聞いた 憎んだ者すべて 愛した者全て 此の手で壊して 今は何処を 彷徨い行くの 答えの潜む血筋の子供 出逢わなければ 殺戮の帝王でいられた 愛することない似通う魂 揺るがさないで俺の地位 この位置を得るため 殺してきた 一万年と二千年前から 憎んでる 八千年過ぎた頃から 膝をかかえて生きた 一巡と二千年後は ひとりきり お前を得たその日から 俺の地獄に慈しみは絶えない D 世界が終わる前に 命が終わる前に 眠る身体ほどいて あなたの背を 確かめたいよ 耳すませた携帯の記憶 失意にのまれ 倒れ伏す黒衣の男 のびあがれ永久に果てぬ頂き 傷つかないで僕の希望 祈り宿しながら 生まれてきた 一万年と二千年前から 傍にいる 八千年過ぎた頃から もっと近くなった 一巡と二千年すぎても 待っている 生まれ出たその日から 僕の地獄にコールは絶えない D 僕が繰り返し涙を流し B 何度も何度も罵声を浴びて 見守る俺が D 頼りない僕が くしゃくしゃになったとしても お前(あなた)の名を呼ぶために… ☆一万年と二千年前から愛してる 八千年過ぎた頃から もっと恋しくなった 一巡と二千年あとも愛してる 君を知ったその日から B 死の煉獄に捕らわれても 忘れない D 二度と逢えなくたって 魂は繋がっている ☆一巡の世界の果てでも 愛してる 別れ立った雨の日から 俺の(僕の)傍に あの温もりはない 元曲【創聖のアクエリオン】 アニメ「創聖のアクエリオン」OP曲
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編集 屯騎校尉は、前漢武帝期以降に置かれた朝廷の職官。いわゆる武帝八校尉、北軍五校尉の一。 前漢では騎士を掌って京師(首都)に駐屯した。 後漢に到ると光武帝が再び置き、北軍に組み込まれた。 後漢以降は宮中に宿直する宿衛兵を掌ったため、外征に出る官ではないが、後漢外戚諸氏や魏の曹氏、司馬氏の有力者が任官した例が多い。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏 所属項目(タグ) 関連項目・人物 歴史 武帝が置く。 中興して驍騎校尉と改める。 光武帝建武十五年、再び屯騎校尉とする。 位 (前漢) 一人、秩二千石。 (後漢) 一人、秩比二千石。 (魏・西晋) 一人。 秩比二千石、四品官か。(宋書より) 職掌 (前漢) 騎士を掌る。 (後漢) 宿衛兵を掌る。 (魏・西晋) 営兵を領す。 属吏 (後漢) 司馬 一人、秩千石。 員吏 七十三人 領士 七百人。 (魏・西晋) 司馬 功曹 主簿 営兵 所属項目(タグ) 二千石 北軍五校尉 宿衛 屯騎校尉 校尉 武官 武帝八校尉 比二千石 職官 騎士 関連項目・人物 屯騎校尉 編集 -
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150 :風と木の名無しさん:2007/06/03(日) 19 45 33 ID gEaC+SsI0 流れ読まずに シベ超←VIP(←運営) で替え歌 今日も始まりの朝 専ブラを立ち上げ 気がつけば今日も規制くらってた テラワロス 規制されたものすべて アク禁されたものすべて 運営に文句言って VIPPERは何処を彷徨い行くの kskの潜む安価の海 出会わなければ ただのヒッキーでいられた 果てないクオリティの潜むスレ 叩かないで 僕のレス この祭りするため生まれてきた 一万年と二千年前から草生やしてるwww 八千年過ぎた頃からあるある…ねーよwww 一億と二千年後も人生\(^o^)/オワタ スレを立てたその日から僕の専ブラにブーンwwwは絶えない このスレが尽きる前に 規制が解けなくても へこまないよ、でも シベリアに癒されたいよ 151 :風と木の名無しさん:2007/06/03(日) 19 46 16 ID gEaC+SsI0 耳澄ませば運営の哄笑 失意にのまれ立ち尽くしへこむVIPPER 大丈夫 規制はいつか解ける なくならないよ 君のスレ 少し 過疎板の中、休めばいい 一万年と二千年前からつかれたお… 八千年過ぎた頃からシベリアに行きたくなった 一億と二千年後もまたくるお 君を知ったその日から僕の心のwktkが絶えない 僕が繰り返し規制をされて 何度も何度もシベリアへ行くと 暴れる僕に優しく君がくしゃくしゃと頭なでる (シベ超)「あまりスレ立てないでね…」 一万年と二千年前から安価 5 八千年過ぎた頃からシベリアとアッー 一億と二千年後も突撃だ スレを立てたその日から 一万年と二千年前からやらないか 八千年過ぎた頃からすごく…大きいです… 一億と二千年後もやらないか スレを立てたその日から僕の専ブラにアッーは絶えない 色々スマソ
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ルール概要 ハンデ無しの互い戦で、同じ相手とは黒白一局ずつ。連戦も可。 持ち時間は両者同意の下に変更してもよい。 期間は 七月一日~八月三十一日の二ヶ月間とする。 最終的には勝ち星の総数で明確な順位を決める。 第一部リーグ成績表 ハンドルネーム イシモト、 二千 KillerCold 引力 みみたん 六夜 Gogoジャグラー うー イシモト、 白13目半勝 白中押勝 黒中押勝 二千 黒13目半負 白中押勝 白中押勝 黒5目半勝 白中押勝 白時間切勝 KillerCold 黒中押負 黒中押負 黒時間切勝 引力 みみたん 黒中押負 六夜 白中押負 白5目半負 Gogoジャグラー 黒中押負 白時間切負 うー 黒時間切負 第二部リーグ成績表 ハンドルネーム イシモト、 二千 KillerCold 引力 みみたん 六夜 Gogoジャグラー うー イシモト、 黒中押負 二千 KillerCold 引力 みみたん 六夜 白中押勝 Gogoジャグラー うー
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574.權奸黷賄 震澤長語,正德中,劉瑾籍沒時,金二十四萬錠,又五萬七千七百兩,元寶五百萬錠,銀八百萬,又一百五十八萬三千六百兩。(以上金共一千二百五萬七千八百兩,銀共二萬五千九百五十八萬三千六百兩。箬陂繼世記聞,劉瑾時,凡有賄賂,一千曰一千,一萬曰一萬,後漸增至幾千、幾萬矣!)留青日札,嘉靖初,籍沒錢寧,金七十扛,共十五萬五千兩,銀二千四百九十扛,共四百九十八萬兩。鴻猷録,江彬籍沒時,入公帑者,黄金七十櫃,櫃一千五百兩,銀二千二百櫃,櫃二千兩。繼世餘聞,嚴嵩籍沒時,金銀、珠寶、書畫、器物、田房,共估銀二百三十五萬九千二百四十七兩餘,又直隸巡按御史孫丕揚所抄嵩京中家産,亦不減此數,而所估價,又不過十之一,即如裘衣,共一萬七千四十一件,僅估銀六千二百五兩零,帳幔、被褥,二萬二千四百二十七件,僅估銀二千二百四十八兩零,則其他可知也,計其値,不下數十倍。此外又行賂於權要者十二、三,寄頓於親戚者十三、四云。(明史嚴嵩傳,嵩籍沒時,黄金三萬餘兩,白金百餘萬兩,他珍寶不可數計,蓋猶少言之也。) 前頁 『廿二史箚記』巻三十六 次頁 明代宦官先後權勢 574.權奸黷賄 明代科場之弊
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編集 歩兵校尉(步兵校尉)は、前漢武帝期以降に置かれた朝廷の職官。いわゆる武帝八校尉、北軍五校尉の一。 前漢では上林苑門の屯兵を司った。 後漢に到ると光武帝が再び置き、北軍に組み込まれた。 後漢以降は宮中に宿直する宿衛兵を掌った。後漢代で征伐に従った記録はみえないが、はしばしば外戚諸氏の有力者が任官した。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説 歴史 武帝が置く。 以後、漢魏晋ともに置き続ける。 位 (前漢) 一人、秩二千石。 (後漢) 一人、秩比二千石。 (魏・西晋) 一人。 秩比二千石、四品官か。(宋志より) 職掌 (前漢) 上林苑門の屯兵を掌る。 (後漢) 宿衛兵を掌る。 (魏・西晋) 営兵を領す。 属吏 (後漢) 司馬 一人、秩千石。 員吏 七十三人。 領士 七百人。 (魏・西晋) 司馬 功曹 主簿 営兵 所属項目(タグ) 上林苑 二千石 北軍五校尉 宿衛 校尉 武官 武帝八校尉 歩兵校尉 比二千石 職官 関連項目・人物 步兵校尉 詳説 後漢では、宿衛兵を掌る地位から、外戚の与党が就任して皇帝を守護したり、儒士が宮中に出入りするための官として多く記録に残る。 外戚としては馬豫、梁冀、竇紹。また竇憲の与党として鄧磊が任官している。 儒士としては桓焉、劉愷(*1)の名が見える。 編集 -
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編集 「郎内諸官を主る。故に曰く郎中令。」(臣瓚) 「光は、明なり。禄は、爵なり。勳は、功なり。」(応劭) 「禄臣、光を司る、敢えて執経に告ぐ。」(揚雄官箴) 「勳なお、閽也、易に曰く『為閽寺』。宦寺、殿宮門戶の職を主る。」(胡広) 光禄勲(光禄勳)は、朝廷の職官である。九卿の一つに数えられ、現代の大臣に相当する。宮殿・門戸に宿直して天子を親衛し禁中の出入りを防ぎ天子の外出に随行する郎官を司った。また、天子の顧問応対や議論、使者を担う謁者、大夫、議郎らも下に置いた。 目次 目次 歴史 地位 職掌 属吏丞 員吏 郎(前漢)議郎 中郎 侍郎 郎中 期門郎 虎賁郎 羽林騎 郎(後漢)五官中郎将 左中郎将 右中郎将 虎賁中郎将 羽林中郎将 流馬菀 四中郎将 謁者(前漢)謁者僕射謁者 謁者(後漢 文属)謁者僕射常侍謁者 謁者 給事謁者 灌謁者郎中 属官(後漢に文属)大夫中大夫 光禄大夫 太中大夫 諫大夫(前漢) 諫議大夫(後漢) 中散大夫(後漢) 議郎(後漢) 奉車都尉 駙馬都尉 騎都尉(後漢) 所属項目(タグ) 関連項目・人物 歴史 郎中令は故の秦官。漢もこれを継ぐ。 武帝太初元年、更名して光禄勳と為す。 名称に諸説あるが、宮中に出入りする者の禄勲を明(光)らかにして資格無き者の出入りを防ぐ故ともいう。 地位 (前漢) 卿、一人。秩中二千石。 (後漢) 九卿、一人。秩中二千石。 職掌 (前漢) 宮殿・掖門戸を掌る。 (後漢) 宮殿・門戸に宿衛することを掌り、典謁(賔客の告請の事を主る)する。 署郎は更直(輪番当直)して戟を執り、門戸を宿衛して、その徳行を考え、而してこれを進退す。 郊祀の事には、三獻を掌る。 大夫、郎、謁者が有り、みな秦官である。 属吏 丞 (前漢) 有り。秩千石。 (後漢) 一人。秩比千石 員吏 四十四人。 その十人が四科、三人が百石、一人が斗食、二人が佐、六人が騎吏、八人が学事、十三人が守学事、一人が官医。衛士八十一人。 郎(前漢) 郎は、門戸を守り、車騎の出充を掌る。議郎、中郎、侍郎、郎中が有り、皆無員、多きは千人に至る。 中郎に五官、左、右の三将有り、秩皆比二千石。 郎中に車将、戶、騎の三将有り、 秩皆比千石。左右車将は、左右車郎を主る、左右戸将は、左右戸郎を主る也。秩皆比千石。 また、武帝期に期門郎(のちの虎賁郎)と羽林騎を増設する。 議郎 無員、秩比六百石。 中郎 無員、比六百石。 省中の郎の意。以下の三将を持つ。 五官中郎将 秩比二千石。 左中郎将 秩比二千石。 右中郎将 秩比二千石。 侍郎 秩比四百石。 郎中 秩比三百石。 以下の将を持つ。 郎中車将 秩比千石。 郎中戸将 秩比千石。 門戸を直主する。 郎中騎将 秩比千石。 期門郎 無員、多きは千人に至る。その秩は郎に比す(比三百石か)。 兵を執り送従を掌る。 「ともに門下に期して以て微行す、のち遂に以て官を名づける。」 武帝建元三年、初めて置く、平帝元始元年、更名して虎賁郎とする。 後漢には置かず。 期門僕射 秩比千石。 期門郎を監す。 虎賁郎 無員、その官位は郎に比す。 平帝元始元年、期門より更名する。 一説に、前漢に於いては「虎奔」と作った。王莽が古の勇士孟賁が有るを以って、故にこれを名とした。顔師古曰く、「賁、讀は奔と同じく、猛獸の奔の如くと言う」。公安国曰く、「若虎賁獸、その甚猛を言う。」 虎賁中郎将 一人、比秩二千石。 虎賁を主る。 羽林騎 天子の送従を掌って、期門に次ぐ 「其れ羽の疾きの如く、林の多の如くと言う也。一說、羽の所以は王者の羽翼と為す也。」 武帝太初元年、初めて建章營騎を置く、更名して羽林騎。 從軍死者の子・孫を取り、羽林官にて養い、五兵を以て教えて、號して曰く羽林孤兒。 羽林令 羽林騎の長。。 中興以後省く。 羽林丞 中興以後省く。 騎都尉 秩比二千石。 宣帝が令して羽林を監す。一時の権か。 郎(後漢) 後漢においても、郎官は光禄勲に職属する。ただし、議郎は文書の上で所属するのみで、天子に直属する傾向を強めたようである。 およそ郎官は皆更直・執戟を主る。諸殿門に宿衛し、車騎を出充す。ただ議郎は直中に在らず。 五官郎、左署郎、右署郎を以って曰く、三署郎。 五官中郎将 一人、比二千石。 五官郎を主る。 五官中郎 無員、秩比六百石。 中郎とは、省中の郎である。 郎の年五十を以て五官に属す、故に曰く六百石。 五官侍郎 無員、秩比四百石。 五官郎中 無員、秩比三百石。 左中郎将 一人、秩比二千石。 左署郎を主る。 中郎 無員、比六百石。 侍郎 無員、比四百石。 郎中 無員、比三百石。 右中郎将 一人、比二千石。 右署郎を主る。 中郎 無員、比六百石。 侍郎 無員、比四百石。 郎中 無員、比三百石。 虎賁中郎将 一人、比秩二千石。 虎賁を主り宿衛す。 左僕射 一人、比六百石。 虎賁郎の習射を主る。 右僕射 一人、比六百石。 虎賁郎の習射を主る。 左陛長 一人、比六百石。 虎賁を直に主り、朝會にて殿中に在る。 右陛長 虎賁を直に主り、朝會にて殿中に在る。 一人、比六百石。 虎賁中郎 無員、比六百石。 虎賁侍郎 無員、比四百石。 虎賁郎中 無員、比三百石。 節從虎賁 比二百石。 以上四郎、みな父死して子が代わる。宿衛・侍従を掌り。節從虎賁より久しき者転遷して、才能差高きは中郎に至る。 羽林中郎将 一人、秩比二千石。 「其れ羽の疾きの如く、林の多の如くと言う也。一説、羽の所以は王者の羽翼と為す也。」 武帝太初元年、初めて建章營騎を置く、更名して羽林騎。 羽林郎を主る。 府、虎賁府に次ぐ。 羽林左監 一人、六百石。 羽林左騎を主る。 孝廉郎のうちの有材者が為り、羽林九百人を主る。また、左右二監の官屬・史吏はみな羽林中から出す。 丞一人。 羽林右監 一人 六百石。 羽林右騎を主る。 丞一人。 羽林郎 (後漢) 無員(百二十八人とも)、秩比三百石。 宿衛侍從を掌る。 漢陽郡、隴西郡、安定郡、北地郡、上郡、西河郡凡そ六郡良家より常に選び補す。もとは便馬を以て武帝の猟に従い、還りて殿の陛巖下室中に宿す、故に號して巖郎。また、その厳厲整鋭を言うなり。 羽林郎は、出でては三百石丞、尉に補す。 流馬菀 漢陽郡に有り。前代の牧師菀の残か。 羽林郎を以て監領す。 四中郎将 漢末に有り、皆師を帥して征伐した、何時の置か知らず。 謁者(前漢) 「謁は、請なり、白なり。」(應劭) 賓讚・受事を掌る。 謁者僕射 秩比千石。 謁者 賓讚・受事を掌る。 員七十人、秩比六百石、 謁者(後漢 文属) 後漢に至ると、謁者は光禄勲には文書上のみ属す。 賓贊、受事、及び上章、報問を掌る。将、大夫以下の喪に、使して弔を掌る。 謁者は皆、孝廉の年五十を用い、威容厳恪、賓に能う者これに為す。 府の丞、長史、陵令として出る、皆、儀容端正を選び、使者に任奉する。 明帝詔曰:『謁者乃ち堯の尊官、舜を試して四門に賓し、四門穆穆とす所以なり。』昔、燕太子、荊軻を使して始皇を劫かし、變、兩楹の閒に起きる、その後謁者匕首を持ち腋を刺す、高祖、武を偃(やす)めて文を行い、故に板を以てこれを易し。」 謁者僕射 一人、比千石。 謁者臺を率す、謁者を主り、天子出づれば奉引す。 常侍謁者 五人、比六百石。 殿上、時節威儀を主る。 謁者 合わせて三十人。 以下の二者がある。初め灌謁者と為り、歳満ちて給事謁者となる。 また、二人は六百石を持って使して公府掾となる。 給事謁者 四百石。 灌謁者郎中 比三百石。 属官(後漢に文属) 後漢に至ると、光禄勲には文書上のみ属すようになる官。 大夫 (前漢) 論議を掌る。 無員、多くは数十人に至る。 (後漢) およそ大夫は、みな顧問応対を掌る。 常事無く、ただ詔命の使う所となる。 中大夫 武帝太初元年、更名して光禄大夫と為す。 後漢には置かれず。 光禄大夫 (前漢) 比二千石、無員。 武帝太初元年、中大夫から更名する。 (後漢) 比二千石、無員(或いは三人) およそ諸国の嗣の喪、則ち光禄大夫が弔を掌る。 太中大夫 (前漢) 無員、秩比千石。 (後漢) 無員、秩千石(或いは二十人、秩比二千石)。 諫大夫(前漢) 無員、秩比八百石。 武帝元狩五年、初めて置く。中興後、諫議大夫と為る。 諫議大夫(後漢) 無員(或いは三十人)、秩六百石。 中興後、諫大夫から改称す。 中散大夫(後漢) 無員、六百石(或いは三十人、秩比二千石)。 中興後に置かれる。 議郎(後漢) 無員(或いは五十人)、六百石。 無員、顧問応対を掌る。 奉車都尉 無員(或いは三人)、比二千石。 御乗輿車を掌る。 駙馬都尉 無員(或いは五人)、比二千石。 駙馬を掌る。 騎都尉(後漢) 無員(或いは十人)、比二千石。 もとは羽林騎を冠す(後漢では管轄せず)。 所属項目(タグ) 九卿 光禄勲 卿 職官 郎 郎中令 郎官 関連項目・人物 騎都尉 駙馬都尉 諫議大夫 羽林騎 奉車都尉 四科 光禄勲 編集 -
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編集 馮は、輔也。翊は、佐也。(張晏) とは、前漢中期以降に置かれた地方長官(府知事)に相当する職官、またその管轄する郡相当規模の地域である。長安の所在する京兆尹の左地(東方)に位置し、右扶風と共に首都圏三輔の一角を担って、特に前漢では一般の郡太守を越えた地位と職責を有した。史書では馮翊と呼称される事も多い。 漢代には司隷に属し、魏以降は雍州に属した。 目次 目次 歴史 位 職掌 属吏丞 属官(前漢)左輔都尉 廩犧 左都水 鉄官 雲壘 長安四市 県城(前漢) 県城(後漢) 県城(晋) 所属項目(タグ) 関連項目・人物 詳説 歴史 内史は周官。秦はこれを継ぐ。 高帝元年には義帝によって塞国に属し、楚漢戦争中の二年には渭南郡と改称される。 九年に渭南郡を罷め、内史を復す。 景帝二年、左内史、右内史を分け置く。 武帝太初元年、左内史の名を左馮翊と改める。 中興し洛陽に遷都すると、高陵県に治所を置も、陵廟を有すことから独特の号を保つ。 魏晋はその号を廃し、馮翊郡とする。 位 (前漢) 一人、秩二千石(百官志では秩中二千石)。 (後漢) 一人、秩二千石。 職掌 (前漢) 長安城内に府を構え、諸県を分治する。左馮翊を治すことは、太守と同じく。 また、朝請に奉じ(奉朝請)、朝議に参与する(*1)。 (後漢) 民を治め、賢を進め、功を勸め、訟を決し、姦を検めることを掌る。 他、太守と同じく。 属吏 丞 (前漢) 二人、六百石(左馮翊が秩中二千石ならば丞は秩千石)。 (後漢) 一人、六百石? 属官(前漢) 左輔都尉 (前漢) 一人、秩比二千石。 高陵県に治す。武帝元鼎四年に置く。元帝建昭三年、秩二千石に増す。 後漢には都尉は置かず。 廩犧 廩は蔵穀を主り、犧は養牲を主る。みな所以供祭祀に供す所以なり。 廩犧令 廩犧丞 廩犧尉 左都水 都水が京兆尹に、右都水が右扶風に属す。 左都水長 左都水丞 鉄官 鉄官長 鉄官丞 雲壘 雲壘長 雲壘丞 長安四市 長安四市長 長安四市丞 県城(前漢) 平帝元始二年、戶23万5101、口91万7822。 二十四城 高陵県 egion 櫟陽県 翟道県 池陽県 夏陽県 衙県 粟邑県 谷口県 蓮勺県 鄜県 頻陽県 臨晉県 重泉県 郃陽県 祋祤県 武城県 沈陽県 懷徳県 (褱徳県) 徵県 雲陵県 万年県 長陵県 陽陵県 雲陽県 県城(後漢) 戸3万7090、口14万5195。 十三城 高陵県 池陽県 雲陽県 祋祤県 頻陽県 万年県 蓮勺県 重泉県 臨晉県 郃陽県 夏陽県 衙県 粟邑県 県城(晋) 戸7700。 八城 臨晉県 下邽 重泉県 頻陽県 粟邑県 蓮勺県 郃陽県 夏陽県 所属項目(タグ) 三輔 二千石 内史 卿 司隷 左内史 左馮翊 職官 郡国 関連項目・人物 左馮翊 詳説 編集 -