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365 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2009/10/11(日) 20 36 19 ID Fh07qOuG *** お父さんが死んだ。 車に撥ねられて死んだ。 お父さんはもう居ない。 もう何もお話はできない。 酔っぱらったお父さんの愚痴を聞くこともできない。 家族全員でご飯を食べることもこれからはない。 もう、二度と。 白と黒がいっぱいの部屋。そして私も白くて黒い。黒くて白い。 たくさんの人が居る。見たことがある人も居る。知らない人も居る。 私はただ座ってる。今、どんな顔をしているのかしら。 無表情? 泣いてる? 怒ってる? それとも、顔から目以外の全部のパーツが抜け落ちちゃったのかしら。 それでも、別に、構わないわ。 もう、全部おしまいなんだから。 お父さんは死んだ。私が殺した。 あの雨の日、置き去りにしちゃったせいで。 大好きだった。お父さんもお母さんも弟も妹も。 みんなとずっと仲良く暮らしたかった。 でも、もうそれは叶わない。 お母さんとお父さんは一生離ればなれ。 弟と妹はどこかに行っちゃった。 私は、ひとごろしの私は、もう誰とも一緒に居られない。 ――そう。 私を必要としてくれる人なんて、どこにもいない。 だからもう、私なんか。 私なんか、潰れちゃえ。 367 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2009/10/11(日) 20 37 04 ID Fh07qOuG *** 「もう俺のことは放っておいてくれ」 ぶっきらぼうに言い放つと、正面の席に座る彼女の顔が曇った。 「どうしてそんなことを言うの? まだわからないじゃない。まだ、諦める必要なんかない」 「……わかってないんだな」 そう、彼女はまだ信じている。 俺の折れた腕が治ると。また、以前のように動かせるようになるのだと。 それどころか、俺が必ず復帰するのだろうとすら思っている。 いいや、思っているだけではない。 今までの彼女の口ぶりからすると、確信しているのだ。 俺がまた、ロードレースで勝利するのだと。 「やめたんだよ、俺は」 「やめたって、何を? はっきり言わなくちゃわからないよ」 「……ロードレースをだ」 「レースが何?」 「だからっ!」 わかっているくせにとぼけた振りをする。 こいつの考えなんかわかってる。 俺を煽って、俺の負けん気を起こさせようというのだ。 そんな手には乗らない。 もう二度と復帰はできないんだから。 「治らないなんて、お医者さんは言ってなかったんでしょう?」 「動かせるようにはなる、ただ以前と同じようにはいかない。 ……そう言っただろ、俺が、自分で! お前に!」 腹が立つ。 なんでこいつはここまで俺にかまうんだ。 幼なじみだからか。 まだ俺が諦め切れていないって、見抜いてるっていうのかよ。 「復帰したって、もう以前みたいに走ることなんかできない。 遅いんだよ、俺は! お前が知ってる俺じゃないんだ! あのレースはベストの状態だった。それでも全国じゃアイツに負けた! もう、自転車に乗ったって――」 ――勝てない。 その決定的な一言を言おうとして―― 368 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2009/10/11(日) 20 37 30 ID Fh07qOuG 「勝てるよ、私にはわかるもの」 ――そんな、何の疑いも持たない幼なじみの言葉が聞こえてきて、口が止まった。 「あなたが誰よりも自転車が好きだって知ってる。 誰よりも速くないといけない、自分より速い人間なんて許せない。 私は知ってるよ、あなたの気持ち。 そして、今の遅い自分を許せないってことも、わかってるつもり」 どうしてわかってるんだよ。 いつもすっとぼけた顔してるくせして。 「勝ちたいんでしょう。だったらまだ続けて。 今のあなたより強い人がいても、必ずあなたはその人より強くなる」 ああ、そうだよ。まだ終わりたくない。 もっと勝ちたい。勝ちを譲りたくない。 もう負けない。他の誰にも負けたくない。 「あなたが自分を信じられないなら、代わりに私があなたを信じてあげる。 あなたは、強くて、そして――速いわ」 この女は、いったいどこまで俺のことを―――― 369 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2009/10/11(日) 20 38 38 ID Fh07qOuG 「さっきからなにぶつぶつ言ってるのさ、ジミー?」 少女に小声でそんなことを言われ、向かい合って座っている俺の顔が曇った。 「邪魔しないでくれないか。今いいところなんだ」 「いや、あそこのお兄ちゃんとお姉ちゃんの話のナレーションをしてるのはわかるけど。 恥ずかしいよ、それ。ジミーってばもしかしてチュウニビョウ?」 「意味分かって言ってるのか知らないけど、小学校も卒業してない玲子ちゃんに言われたくはないな」 たしかに同席している人間としては突っ込まざるを得ない行動だったかもしれないが。 俺と玲子ちゃんがいるのは、先日入院した病院の待合室である。 退院したからといって二度と病院に行かなくていいわけではない。 怪我の治り具合を見るために医者に来るよう言われれば、行かなくてはならない。 それは別にいいのだ。 俺だって自分の腕が元通りになるなら何度でも病院に足を運ぶつもりだ。 検査の終わった後に寄った待合室で玲子ちゃんと会うのだって構わない。 この病院に来たからには、この子と遭遇したって何ら不思議はない。 しかし、目の前で青春ドラマのワンシーンを実演してもらうのは困る。 俺と同じく、白い三角巾で腕をつるした同年代の男に注意を向けてしまったのがまずかった。 さっさと立ち去って帰路に着いていれば、妙な空間になった一室から去るタイミングを逃さずに済んだのに。 あるもんなんだな、目の前で青春されることって。 席を立つことも許されてない感じがしたよ。 だから、理不尽に感じた俺がついつい勝手なナレーションを入れてしまっても何も悪くないはずだ。 どうせあの二人には俺らなんか眼中にないだろうから。 370 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2009/10/11(日) 20 39 32 ID Fh07qOuG 約五分後、絶賛青春中カップルが立ち去り、再び待合室は俺と玲子ちゃんだけとなった。 紙コップに注がれたぬるいコーヒーを喉を潤し、話しかける。 「……で、どこまで話してたっけ?」 「えーっと…………あれ、ボクのお母さん、いやジミーのことだっけ、あれ?」 「いいや、玲子ちゃんの話だったな」 「え? ボクそんな話してた?」 「うん。あそこまで堂々と自分のパンツについて語ってくれるとは思わなかった」 「え? ええ? えー……」 玲子ちゃんが思い出すように天井を見上げ、顎に人差し指を当て、最後に俯いた。 コーヒーをもう一度胃に流し込む。少し苦い。 コップを机に戻した途端、玲子ちゃんが立ち上がり叫んだ。 「言ってないし! ジミーにボクのパンツの色なんか教えないし! それ教えてボクに何の得があるの!」 ――ふうむ。 「見られたいという欲求を叶えてくれる?」 「無いってば!」 「実は黒を穿いているのに白と言っておくことで、 俺にサプライズを提供する喜びを得られる、とか?」 「ジミーを喜ばせても別に嬉しくない!」 「うーん、じゃあさっきは白と言っていたけど実は――」 「今日のは白だって! さっきからしつこいよ、ジミー!」 「ほうほう、玲子ちゃんは白を穿いているのか」 「……………………あ」 しまった、という顔を浮かべる玲子ちゃん。 そしてわなわなと拳を揺らし、椅子に乱暴に腰掛けた。 「学校でもスカートの中見られてないのに……」 「高校生に口で勝とうなんて言うのが甘いんだよ。 玲子ちゃん、わかりやすいからなあ。熱くなりやすいし」 「ううう~。こないだからジミーに見られてばっかり。 もうボクお嫁さんにいけない……」 「安心して。いざとなったら俺がもらってあげたりしないから」 「あはははは、なんだかすっごくむかつくよ、ジミー」 371 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2009/10/11(日) 20 40 28 ID Fh07qOuG コーヒーもなくなったので、玲子ちゃんいじりはそろそろやめて本題に入ることにした。 「さっきの話の続きだけどさ。ほら、俺に玲子ちゃんのお母さんと会ってくれないか、って」 「うん、そう。……やっぱりダメ?」 「ダメ」 「どうしてさ。お母さんどうしても連れてきて、ってボクに言ってたんだよ。 それぐらいジミーに会いたがってたんだから」 「悪いけど、本当にダメなんだ」 会いたくないんだ。 せっかく昔のことを無かったことにできそうなのに、いまさら蒸し返したくない。 伯母がどんなことを言ってきても、耐え続けることはできそうにない。 愛想笑いを浮かべながらの会話を続けていられるまで、気持ちの整理がついていない。 ふとした拍子に堪忍袋の緒が切れて、怒りをぶつけてしまうかもしれない。 何も知らない玲子ちゃんを前にして、そんなことはしたくない。 この子にとっては、きっと良いお母さんなんだから。 「理由を言ってよ。ボク、ちっとも納得できない」 「聞いても納得できないと思うよ、君には」 「いいから言ってよ。それから判断するから」 そのまま話せば長くなる。けど、短く言うこともできる。 俺は玲子ちゃんのお母さんが嫌いなのだ、と。 しかし、それをこの子に伝えてしまっていいのか。 母親が嫌われているなんて、子供にとっては嬉しくなんかないだろう。 おそらくだが、昔の俺だって母を悪く言う人は、良く思っていなかった。 どうすればいい? なんて答えればいいんだ。 372 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] :2009/10/11(日) 20 41 40 ID Fh07qOuG 「……ねえ、ジミー。もしかして」 悲しそうな目で玲子ちゃんが見つめてくる。 目に力がこもっていない。 「ボクの、お母さんのこと」 一言ずつ、絞り出すようだった。 次に来る言葉がなんであるかわかっている。 母親思いの純真な少女に言わせるべきではない、そんな台詞。 けれど静止の声は出ない。 止めて、俺の口から言ったところで、この子が傷つく結果は変わらないのだから。 「嫌い、だった……?」 もしかしたら俺は、嘘でも否定しておくべきだったのかもしれない。 もっとも、そのことに気付いたのは玲子ちゃんの問いに対して頷いた後でのことだったのだが。
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ヤンデレP やんてれひい【登録タグ クリエイター 作や】 曲一覧 哀撃貴鋼-Aigekikikou- 雨弾凶奏-Udankyousou- 激嬢想歌-Gekijyousouka- 重恋歌-Jyurenka- 鮮血誓歌-Senketsuseika- 旋律王姫-Senritsuouki- 続・魔王嬢-MaoujyouⅡ- 氷葬歌-Hyousouka- 重恋歌-Heavy Love Song- 魔王嬢-MaoujyouⅠ- コメント 名前 コメント
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341 :ヤンデレの娘さん 転外 びぎんずないと ◆yepl2GEIow:2011/11/05(土) 21 31 28 ID p/z9kw42 4年前 「それは、きっと……」 「おー、居た居た居たぜ」 その日、九重と話している最中、俺がそう言いかけた時、そう声をかけられた。 寝ころんでいた体を起こすと、俺達のいる屋上の扉が開かれ、3人の生徒たちが入ってくる。 生徒、俺と同じ夜照学園中等部の中学生たちである。 俺に声をかけてきたのは葉山正樹。 幸か不幸か俺と同じクラスになどなった揚句、無愛想な俺に積極的に話しかける奇妙で奇矯な男である。 「……」 招かれざる客を引き連れた、これまた招かれざる葉山に俺はジト目をくれてやった。 「ンな目で睨むなよ。別にお楽しみ中だった訳でもあるまいし。なぁ、九重?」 そう言って、葉山は俺と一緒にいた九重にも声をかけた。 つくづく、馴れ馴れしい男だ。 まったく…… 「その手の冗談、女の子の前で言うのはお勧めしないかもー?」 対する九重は、へらりとした笑顔で葉山の言葉をかわす。 「ああ、レバーに銘じとくぜ」 「大げさだねー。たかだかただのクラスメート、縁もゆかりも無い相手にー」 「いやいやいや。縁もゆかりもシソも無ぇってのは水臭いぜ、ダチ公達よ」 「ダチコ?」 「親友って意味だ」 「ボクとはやまクンの間にそんな設定あったっけー?」 「寂しいこと言うなよ!」 ちなみに、俺はそのやり取りに口をはさめず、ただ横で眺めているだけ。 当時の俺は、あまり口数の多いキャラクターでは無かったのだ。 「そうは言ってもー、珍しくはやまークンがこんな寂れたところに態々来てくれたって言うのは何か用事があってのことでしょー?しかも知らない人たちも一緒にー?」 「そうそう、俺は下心有り有りアリーデヴェルチ……って違う!まぁ、ちょい頼みごとがあるのは確かだがよ」 「って言うか知らない人扱い?わたしら知られてない訳?マイナーマイナーどマイナスター?」 葉山の後ろから現れた、快活そうな印象のポニーテイルの生徒が口をはさんだ。 「こちらの一原百合子会長はつい先日生徒会選挙で生徒会長に就任された2年生なのですが」 そう補足したのは、もう1人のショートカットに眼鏡の生徒。 「あ、そーだったんですかー?すみませんー、ボクら世の中に疎くて」 「くー!学園のアイドルの道は険しい!」 九重(と横で頷く俺)に対して漫画チックに拳を握りしめるポニーテイルの生徒改め一原先輩。 どうやら、かなりテンションの高い人のようだ。(って言うか、学園のアイドルって何だ) 「でー、その学園のアイドル志望な生徒会長さん直々に、この友達いないコンビに何か御用ですかー?」 「ンな固く考えなくて良いわよ」 と、気軽そうに手をヒラヒラと振る一原先輩。 「って言うか友達いない言うなよ!ここにいるじゃンかマイベストフレンドが!」 と、自己主張するマイベストフレンド(自称)葉山。 そして、葉山はツカツカと俺たちに歩み寄り、ポンと肩に手を置く。 「面子が足りねーンだ。参加してくれ」 「面目がどうかしたのー?」 「メンバーって意味だよ、このバアイ」 半分はわざと言っているであろう九重に対して、律儀にツッコミを入れる葉山。 彼には芸人の才能がありそうだ。 「メンバーって言っても、何のー?」 「生徒会の」 葉山が当然のように答えた。 ……って生徒会だって? 「知ってるだろ、っつっても知らねーか。今期(ウチ)の生徒会、今ソコの一原会長と氷室副会長、プラス俺以外にメンバーがいなくて役員絶賛募集中なンだよ」 ンなアホな。 いくら夜照学園の生徒会選挙が、基本的に生徒会長を決める選挙だと言っても、それで役員が集まらないと言う話は前代未聞だ。 342 :ヤンデレの娘さん 転外 びぎんずないと ◆yepl2GEIow:2011/11/05(土) 21 31 53 ID p/z9kw42 「なんだか、部活動に昇格したい同好会の新人勧誘みたいだねー」 「人事みたいに言うなよ。たった3人じゃどーしよーも無くて困ってンだ」 「だって、自分事ってわけでもー?」 「だから人事じゃねーし」 そう言って俺達に向かって手を合わせる葉山。 ついでに、後ろの2人の先輩も揃って手を合わせる。(練習でもしたかのようにピッタリだった) 「つーわけで頼む!」 「生徒会に入って!」 「頂きます」 葉山、一原先輩、眼鏡の氷室先輩が順に頭を下げた。 「んー、そんなこと言われましてもー」 と、困ったように小首をかしげる九重。 一方、俺は内心かなり驚いていた。 誰かに何かを頼まれたことなんて、それが初めてだったから。 誰かに自分たちが必要とされたことなんて、本当に初めてだったから。 「この通りだ!頼む!」 「お願いぷりーず!へるぷみー!」 「ここは、犬にでも噛まれたと思って」 何だか、氷室先輩だけ温度差を感じるけど。 「んー、でもー、ボクらそのセイトカイ?の経験とかスキルとか無いですよー、多分ー」 「大丈夫!私もだから!」 全くフォローにならないことを力説する会長。 それにしても、生徒会長とかに立候補するからには、小学生時代からその手の活動をしているものだと思っていたが、世の中そんな人ばかりでも無いらしい。 「うわ、何だかすごい偏見を持たれていた気がする……」 俺に向かって嫌そうな声で言う一原先輩。 この先輩、妙な所で鋭い。 「ま、そーゆー訳で手伝ってくンね?」 「差し当たり、九重後輩が書記で、御神後輩が庶務という体で考えていないことも無いのですが」 葉山と氷室先輩が頼み込む。 熱心な葉山と氷室先輩との間に微妙な温度差があるような気がしないでも無いが、気のせいだろうか。 「書記ー?」 「ダベッた内容をメモするだけの簡単なお仕事よ」 小首をかしげた九重に、死ぬほど酷い説明をする一原先輩。 取り合えず、この人は全国の書記さん一同に謝るべきだと思う。 「んー、でもー……」 「頼む神様仏様イエス様九重様御神様!」 平身低頭、頭を下げる葉山。 「ちょっと聞きたいんですけどー、何でボクたち何ですかー?生徒会選挙の立候補者ってー、他にもいたと思うんですけどー?」 九重の言うことは、俺も気になっていた。 確かに、夜照学園の生徒会長は生徒会役員の人事権も持っているが、だからと言って俺たちを役員にする必要は無い。 例年は、選挙の立候補者の中で最も票を集めた者が生徒会長となり、それに次ぐ票を集めた上位数人を生徒会役員に選抜することが慣例となっている。(と、一年生にして生徒会選挙に立候補した葉山に、聞いてもいないのに説明されたことがある。) 「確かに、候補者だけならいたのですが……」 「なんかさー、ドイツもコイツもフランスも頭固いコばっかでね。悪いんだけど正直、あの面子と生徒会(チーム)組むのはちょっと無いわ」 まいったぜ、と言わんばかりにゲンナリした表情をする一原先輩。 どうも、他の候補者にも会いはしたものの、好印象を受けなかったらしい。 「もっとも、彼らにとっても『無いわ』だったのでしょう。選挙演説で『学園のアイドルに、アタシはなる!』と言って会長に就任した女生徒というのは」 と、氷室先輩が補足した。 どうやら、好印象を受けなかったのは、お互いさまだったらしい。 「それで、生徒会選挙で仲良く喧嘩したもとい競い合った葉山くんに『面白いヤツらがいる』って聞いてきたら大当たりだったってワケ」 「―――」 「……」 それは、つまり俺達は一原先輩たちに、チームを組んで良いって思ってもらえた訳で。 「特に九重ちゃん。アナタ、わたしの好みのどストライクベントよ」 「おい」 ナチュラルに九重の頬へ手を当てた一原先輩に対して、俺はツッコミを入れざるを得なかった。 343 :ヤンデレの娘さん 転外 びぎんずないと ◆yepl2GEIow:2011/11/05(土) 21 32 09 ID p/z9kw42 「や、やーねー。冗談よ冗談。って言うか間髪入れずに突っ込んだわね、御神ちゃん。聞いてた通り面白いわ、アナタ」 手を引っこんで慌てて釈明する一原先輩(怪しい……) それよりも、葉山の奴は先輩たちに俺のことをどう説明していたのだろう。 「だから睨むなよ!」 一瞥をくれただけで抗議の声を上げる葉山。 「別に、睨んでない」 「あー、悪ぃ」 大声を出した割に、あっさり引っ込む葉山。 良く分からない奴である。 「え、今の睨んで無かったの?」 「アイツ、目ぇ鋭いから、誤解されやすいんスよ」 一原先輩と葉山が小声で話している。 丸聞こえである。 葉山の奴は本当に分かったようなことを言う。 まったく……ありがたい。 「まー、ボクは大丈夫ですよー、ヒマですからー」 「ホント!?さんきゅーありがとーあぶりがーどー、らぶりーまいえんぜるかなえタン!」 「タンとか言うな」 九重に向かって、目を輝かせて世迷言をのたまう一原先輩、俺が横やりを入れた。 所謂オタクである俺だが、九重が他人にそう言う呼ばれ方をされるのは好きではない。 「それでー、千里はどうするのー?」 かなえタン呼ばわりされたことを動じることなく俺に話を振る九重。 「お前が良いなら、俺も異論は無い」 「ボクが良く無くても、キミに異論は無かったクセにー」 何故か意味深にクスクスと笑う九重。 いや、分かってるけどね。 奇妙で奇矯で、馴れ馴れしくもありがたい男友達に頼みごとをされて、俺が断れる訳が無いことくらい。 「じゃ、これで決定ね!って言うか結成ね!今期夜照学園中等部生徒会!」 そう言って、俺と氷室先輩の肩に腕をかける一原先輩。 「お、やりますか?」 「それっぽいでしょ?」 「やれやれですね。ですが、嫌いじゃありません」 「何ですかー?」 と、口々に互いの肩に手を組む俺達。 「結成記念の気合入れ。お約束の円陣よ!」 「オ、良いですね。それで、なんて言いって組みます?」 「あ、考えてなかった」 「昔から、本当にノリだけで動きますね、一原会長は……」 一原先輩に向かって、氷室先輩が呆れた声を出す。 どうやら、せっかく円陣を組んだのに何を言うのか考えていなかったらしい。 しかも、誰もそのアイディアを持っていない。 「……じゃあ、ナンバーワンとか?」 「良いわね、ナンバーワン。何かいかにもビッグでジャイアンツってカンジ!」 俺が言った台詞に、一原先輩が意外な喰いつきを見せた。 割と適当に言ったのだが。 「じゃあ、行くわよ!夜照学園中等部生徒会ー……」 「「「「「ナンバーワン!!!」」」」」 344 :ヤンデレの娘さん 転外 びぎんずないと ◆yepl2GEIow:2011/11/05(土) 21 33 18 ID p/z9kw42 と、ここで終わっていればイイハナシなのだが、そうそう綺麗に終われれば苦労はしない。 生徒会発足から数日後。 役員不足という前代未聞のトラブルを乗り越えて、慌ただしくも何とか引き継ぎを終えた俺達ひよっ子生徒会も、ようやく軌道に乗り始めた。 分からないことだらけで失敗の多い不格好な生徒会だったが、 時に助け時に助けられつつ、少しずつチームとしての体裁が整ってきたような気がしてきた。 むしろ、トラブルが多かったからこそチームとして団結したと言えるかもしれない。 生徒会に入ってまず驚いたのは、葉山が会計だったことだろうか。 どれだけ驚いたかと言うと、俺達の間で 「葉山、お金の計算とかできるの?」 「失礼な!コレでも金銭感覚はちゃんとしてるつもりだぜ!まぁ、今は氷室先輩に半分くらい手伝ってもらってるけどな!半分くらい!」 「殆ど全部を『半分』って言うの?」 というやり取りがあった程だ。 降格と、もといこう書くと葉山の株を落とすようだが、実際実務面で氷室先輩は非常に頼りになった。 5人という生徒会としてはギリギリの人数の中で、彼女が全体のとりまとめをしていたと言っても過言ではない。 一原先輩が難しいことは殆ど氷室先輩に丸投げしていたように見えるくらい。 もっとも、実際はそう見えるだけで、一原先輩も生徒会の為、学園の為に尽力していた。 どんなにキツい状況でもお気楽極楽な笑みを絶やさず、俺が手酷いミスを犯して落ち込んだ時も、笑って励ましてくれた。 実務面では氷室先輩に救われ、精神面では一原先輩に救われた。 そう、救われたのだ。 もっとも、一原先輩が九重に対して妙に馴れ馴れしいのはムカついたが。(スキンシップで九重の胸揉むんだぜ、あの女) とは言え、そんな先輩でも救われたことは事実な訳で。 まぁ、多少感謝の念を示すのが年長者に対する礼儀と言う奴だろう。 そんな訳で、そんなある日の生徒会室。 俺達は今日も今日とて雑務を処理するべく、放課後長いこと忙しくしていた。 「うーん、今日も働いたわねー。これだけやれば、今から一年間は怠けても良いわよね!」 夕日に照らされる長机で、大きく伸びをしながら、一原先輩は言った。 「いや、その理屈はおかしいッス」 葉山が間髪いれずにツッコミを入れた。 「細かいことは言いっこなし」 「細かくねーですよ」 「てへ!」 「かぁいく言ってもダメです」 ボケ倒す一原先輩に葉山のツッコミが次々に決まる。 「ま、それはともかくみんなお疲れー」 と、解散宣言をした一原先輩の前に、俺は無言である物を置いた。 「何これ、庶務ちゃん?」 不思議そうに問いかける一原先輩。 ちなみに、その頃の先輩は、相手を役職名にちゃん付けで呼ぶのがマイブームになっていた。 「クッキーです」 「クッキー?」 「みんなの分もある」 そう言って、俺は他の面々の分も彼らの前に置いていく。 ラッピングしてあるリボンの色がそれぞれ違うのは、どれが誰の分か分かりやすいように、というのは個人的な工夫。 「お前が料理するのは知ってたがよ、こんなん作るたぁ一体どーゆー風の吹きまわしだ、御神?」 「そうそう。お菓子なんて作るような遊び心、無いじゃんー」 葉山と九重が不思議そうに言った。 「別に。ただ何となく作って見ただけ」 「へーん」 「嫌なら、捨てて良い。九重が言ったように、お菓子作りなんて、あんまりしたこと無いから、その……」 美味しくないかも、と言いそうになったが、俺がそこまで言うことは無かった。 345 :ヤンデレの娘さん 転外 びぎんずないと ◆yepl2GEIow:2011/11/05(土) 21 34 28 ID p/z9kw42 「食べる食べる。丁度甘いものが欲しかったところだし!」 そう言って、俺が良い終わるのも待たずにラッピングをほどく一原先輩。 「まぁ、胃に入っちまえばどれもおんなじだしな」 「わっはー、はやまクン身も蓋も無いねー」 「幸い、下校時刻まではまだ時間もありますし」 と、他の面々もラッピングをほどいて行く。 「てーねーなラッピングだから、解くのもちーと惜しい気もするけどな」 と、葉山が言ってくれたのが嬉しかった。 「「「「いただきます」」」」 そして、皆がクッキーを口の中に入れる。 「オ!」 「ふぃーん」 「これは……」 「わお!」 四者四様のリアクションを見せる。 「どうです?」 俺は恐る恐る4人に問いかけた。 「「「「美味しい」」」」 即答され、俺はホッと胸を撫で下ろす。 その時の俺は、他人の為に何かを作ったことなんて無かったから、正直自信が無かったのだ。 「って言うか、アレ?コレ、チョコが入ってる奴もあるの?」 2個目に手を付けた一原先輩が言った。 「それ、当たりです」 「らっきー!あ、ひょっとしてわたしの為とか?」 「……」 適当に言った冗談であろうその言葉に、図星を突かれて俺は目をそらした。 「ありがと、庶務ちゃん!」 そう言って一原先輩先輩は笑った。 その笑顔は、俺でも思わずドキリとするほどに美しかった。 346 :ヤンデレの娘さん 転外 びぎんずないと ◆yepl2GEIow:2011/11/05(土) 21 34 48 ID p/z9kw42 その後、俺達は和気藹々とそれぞれの家路に着いて行く。 今日の疲れなど感じさせない、明るい表情で。 「クッキー、作って良かったな」 家路を1人、俺はポツリと呟いた。 みんなに、そして一原先輩に何かお礼をしたくて、自信が無いながらも作ったものだったけれど、思いのほか好評で一安心だった。 一安心? それだけではない。 俺の不器用な働きをみんなが喜んでくれたのが、この上無く嬉しかったのだ。 それは、生まれて初めての感情だった。 「不愉快ですね」 と、俺の想いに冷や水を浴びせるような声がかけられた。 目の前には、いつの間にか氷室先輩がいた。 その目に、氷のような冷たさをたたえて。 「氷室……先輩?」 その様子に訝しさを覚え、俺は恐る恐る声をかける。 「私のゆーちゃんに馴れ馴れしくする後輩、私のゆーちゃんに笑顔を向けられる後輩。全く持って――――不愉快です!」 とん、と先輩は一瞬で間合いを詰め、一瞬で俺の制服を切り裂いていた。 その手には、どこに隠していたのか小ぶりなナイフ。 「……避けないんですか?」 夕日に赤く染まる刃を手に、氷室先輩は言った。 「理由は分かりませんけれど、先輩に不快な思いをさせてしまったのですから」 ならば、報いは受けるべきだろう、道理として。 元より、痛みには慣れているし、自分の身に守るだけの価値は無い。 「不愉快ですね」 そう吐き捨てて、氷室先輩は俺の腹に重い蹴りを見舞った。 蹴りは抵抗する間も無い俺の腹に突き刺さり、俺は思わず地面に膝を着く。 「自己保身に走る者も見苦しいですが、無抵抗も逆に不愉快」 俺の首筋にナイフを当て、氷室先輩は言葉の針を投げつける。 「よく言われます」 それに対して、何の感慨も抱くことなく、俺は当り前に答えた。 実際、お前虐めてもつまんない、とか小学校時代に言われた事があるし。 「九重書記も、同じことを言うのでしょうかね」 「……え?」 唐突に出た名前に、俺は呆けた声を上げる他無かった。 「何しろ、あなたたちは判で押したように良く似ていますから。……ああ、御神後輩。ひょっとしてこんな目に会うのが自分だけだと思っていましたか?」 首筋に当てたナイフを手放すことなく、淡々と先輩は言った。 「冥土の土産に教えて差し上げますが、最初は私とゆーちゃん、つまり一原会長だけで生徒会をやるつもりでした。生徒会を、2人だけの愛の巣にするつもりでした」 淡々ととんでもないことを言う氷室先輩。 「その為に、他の生徒会役員候補の皆様にご退場願ったのですから」 つまり、例年通りに生徒会役員が集まらなかったのは、氷室先輩が手をまわしたから、ということだろうか。 たった2人の生徒会を実現するために。 1人2人でほぼ全ての役職を兼任するなんて、西尾維新の漫画じゃないんだから、というツッコミは色々な意味で出来ない。 「そのことを、一原先輩は知っているんですか?」 「知っていたら、あなたたちのような邪魔者を入れる筈が無いでしょう」 氷室先輩は淡々と言った。 ナイフを握る氷室先輩の手の力が強くなった気がした。 それこそ、手の中のナイフを砕かんばかりに。 「それが彼女の望みならと、私も今まで甘受し続けていました。けれど、今日彼女があなたに最高の笑顔を向けているのを見て……!!」 氷室先輩の中で、何かが外れてしまったのだろう。 「ゆーちゃんが笑いかけるヤツは殺す。ゆーちゃんに胸を揉まれる奴は殺す。ゆーちゃんと楽しそうに話す奴は殺す。私のゆーちゃんを取るあなたたち3人は全てこの手で殺す……!」 目に涙を溜めて、氷室先輩は遂に叫んだ。 その言葉は、度は過ぎていたが俺にも理解できるものだった。 なぜなら。 俺も恋をしているから。 けれども。 否。 だからこそ。 347 :ヤンデレの娘さん 転外 びぎんずないと ◆yepl2GEIow:2011/11/05(土) 21 35 20 ID p/z9kw42 「……させません」 「は?」 「させないと言った!」 そう叫び、俺は跳ね起き、拳を振るう。 首筋のナイフ? そんなもの怖くもなんともない。 怖いのは、俺の友と片思いの相手が、俺のせいで傷つくことだ! 「甘いですね!」 しかし、俺の視界は瞬時に反転し、気が付くと俺の体は地面に叩きつけられていた。 投げられた!? 俺よりもずっと小柄な相手に!? 「殺すと言ったはずです!」 視界に映るのは、先輩が躊躇なく振り下ろす銀のナイフ!? 「うおおおおおお!?」 情けない声を上げ、俺は地面を転がってナイフをギリギリで避けた。 「待ちなさい!?逃げ……」 「ませんよ!!」 出来得る限り高速で地面から起き上がり、先輩に手を伸ばす。 「この!!」 「こっちの台詞!!」 ナイフを振り回す先輩の腕を、俺は両腕でがっちりと固定する。 恐らく、氷室先輩は喧嘩の経験、技術なら俺より遥かに上だろう。 どうやら、合気道のように相手の力を利用して投げるような技も体得しているようでもある。 けれども、単純な腕力、体格差はいかんともしがたく、俺の手を振り切ることができない。 「失礼します!」 ゴン、と俺はそのまま先輩の頭に頭突きを見舞う。 「痛……!!」 正直、こっちも痛い。 けれども。 「やらせてたまるか!傷つけさせてたまるか!殺させてたまるか!」 「殺す!殺す!殺す!私からゆーちゃんを奪うモノ全て殺す!!!!!!!!」 自分よりもずっと大きな頭で叩きつけられながらも、氷室先輩の心は折れる気配が無い。 「なら止めない!俺も絶対止めません!」 「なぜ!?」 「だって!俺の好きな奴らに!俺の大好きな人に!誰よりも好きな人に!死んでほしくないから!!」 だから、どれだけ心と体が痛くても、止める訳にはいかない!! 互いに額から血を流しながら、俺はもがく氷室先輩の体を押さえて頭突きを見舞い続ける。 「うーちゃん!?」 その時、助け舟がやってきた。 一原先輩が、息を切らして駆けつけていたのだ。 348 :ヤンデレの娘さん 転外 びぎんずないと ◆yepl2GEIow:2011/11/05(土) 21 35 55 ID p/z9kw42 「いやー、何となく道の途中で別れた副会長(フク)ちゃんの様子が気になって戻ってきたんだけど……」 そう言って一原先輩は俺達を見下ろし、 「で、どう言う状況、コレ?」 と、詰問した。 ちなみに、喧嘩を一原先輩に止められた俺達は揃って道路の上に正座させられている。 誰にも見られないで良かった。 「恋路の邪魔を排除しようとしたら抵抗されました」 「友達を殺されそうになったので抵抗しました」 先輩と俺が背中を丸めながら言った。 「だからと言って庶務ちゃん、頭突くこと無いでしょ。相手は女の子なんだから、顔がどうにかなったらどうするの?」 「……すみません」 確かに、非常時とはいえ、あれはやりすぎだった。 頭に血が上って、カッとなってやった。 今は反省している。 と、言うより猛省している。 氷室先輩に対しても、「ごめんなさい」と頭を下げる。 「まぁ、庶務ちゃんは正直仕方ないわよね。そんな気にすることは無いわ。問題は……」 ビクリ、と小さくなる氷室先輩。 「うーちゃん。あなたはとてつもなくいけないことをしました。何だか分かる?」 「……後輩を揃って天国行きにしようとしたこと」 「それもある。って言うかそれが一番だけど、わたし的にもっと許せないことがあるの」 珍しく真面目な顔で一原先輩は言った。 「わたしを信じてくれなかったこと」 「……」 一原先輩の言葉に、氷室先輩は心底驚いた顔をした。 「わたしが他のコと楽しそうにしてて、それでアナタへの愛情が変わると思った?心が離れてくと思った?ンな訳無いじゃない!全然!全く!世界の中心で愛を叫べるくらい、私はいつだって1分1秒欠かさずうーちゃんを愛してるわ!」 「……ゆーちゃん」 堂々とした一原先輩の宣言に、氷室先輩は俯き、肩を震わせた。 「……ごめんなさい」 そう呟いた彼女の足元には、滴が滴り落ちていた。 先輩の行動は、本当に度が過ぎていて、俺の逆鱗に触れたけれども、動機の根幹は、嫉妬心と、それ以上に好きな相手への不安だったのだろう。 共感できる想いだけに、憎みきれない。 「分かれば良いのよ。大丈夫だから、うーちゃん」 そう言って、優しく氷室先輩の肩に手を置き、一原先輩は全てを包み込む様な穏やかな笑みを向けた。 氷室先輩は、それに対して無言で頷いた。 「じゃあ、この話はこれでおしまい!帰りましょうか!」 パン、と明るく手を叩き、話を切り上げる一原先輩。 俺は制服の埃を払いながら立ち上がり、氷室先輩は俯いたまま、半ば一原先輩に寄りかかるようにして立ち上がった。 「今日はゴメンね、御神ちゃん。ウチのうーちゃんが」 本当に申し訳なさそうに、一原先輩は言った。 「いえ、俺は対して気にしてませんから」 「そっか、ゴメンね」 「いえ」 「ゴメンついでに、今日のことはまるっと全部他言無用でお願いできる?あと、あんまり深く追求しないでくれると嬉しいかな」 追求、というのは言うまでも無く先輩たちの関係だろう。 前々から仲が良すぎるほど良いとは思っていたのだが。 「分かりました。先輩たちがそうしたいと言うなら、それに従います」 「そっか、ありがと」 安堵の笑みを浮かべる一原先輩。 思えば、シリアスな表情の先輩を見たのは今日が初めてだったかもしれない。 「クッキー、美味しかったわ。今度また作ってくれない?当たりは全員の分にいれて」 「はい、是非」 そう言って、その日俺達は別れた。 尤も、俺と氷室先輩との戦いは、それから先何度も繰り返されることになってしまうのだけれど。 我ながら、ホント綺麗に終われないなぁ。 349 :ヤンデレの娘さん 転外 びぎんずないと ◆yepl2GEIow:2011/11/05(土) 21 36 22 ID p/z9kw42 現在 「あー、あったあったそんなこと」 自室のベッドの上で、ボンヤリと4年前のことを思い出し終えて、俺は呟いた。 葉山たち相手に大立ち回りを演じたその夜のことだった。 数日の監禁生活中、三日が食事の世話などをしてくれた間以外、俺は完全に独りだった。 窓も無く、時間も分からない部屋での孤独な状態は、精神的に負担をかけ、元々急ごしらえだった俺のキャラクターを崩壊させるのに十分だった。 もっとも、そのお陰で一度自分のキャラを捨てて悪役に徹することができたのだが、さすがに明日から平和的に学校にいく以上そう言う訳にもいかない。 あんな簡単に悪役になれる精神状態のままでは、今後自分も他人も傷つけかねないだろう。 正直、友人を躊躇なくボコボコにしたことに遅まきながら遅すぎる後悔をしているところだ。 そんなわけで、自分のキャラクター、と言うより自分その物を作り直し、精神的に安定させる一環として、俺は過去の出来事をつらつらと思いだしていたのだ。 昔ならそんなことにも無自覚で、自覚してもどうでも良いと思っただろうが。(ナイフで切りかかられてビビらないアホよ?) 今は、こんな自分を大切にしてくれる人もいるし、自分で自分を大切に出来るようになった。 いやホント、極端な話、俺無しで三日の奴が当り前に生きてる図がもう想像できない。 そんな訳で、アイツの為にも自分の為にも、俺は俺の思い出を回想することで、俺をメンタルを安定させる作業を行っていた。 4年前のことを思い出したのは、あれが今の自分を形作っていると感じていたから。 言わば、俺と言う人間の本当の始まり。 「考えてみれば、アレが好きな人を守る為に初めて体を張った経験だっけ」 騎士(ナイト)のように格好良く、とはいかなかったけれど。 しかしながら、逆に言えば、あの日があったから俺は葉山を、それ以上に九重を好きだと言う想いを強くすることが出来たのだろう。 そう、俺は九重が好きだ。 今でも、好きだ。 「アイツ、元気してると良いなぁ」 そう呟くと、自然に愛おしげな笑みが浮かぶ。 できることなら、九重が今どうしているか知りたいものだ。 知って、そして会いたいものだ。 「愛たい、ものだな」 後から思えば、この夜そんなことを思い出したことこそが、翌日の伏線になっていたのだろう。
https://w.atwiki.jp/agptagpt/pages/7.html
ヤンデレ属性を持つカードが場に出たとき、自分がコントロールするクリーチャー1体を対象とする。 対象がブロックされる場合、ブロックしたパーマネントを破壊する。 対象が場にいなくなったとき、このカードを生贄に捧げる。 この効果は対象かこのカードが場から離れるまで続く。 かわいいぜ(0) インスタント ~は赤である あなたがコントロールしていないすべてのクリーチャーは、ヤンデレ属性を得る。 (この効果はターン終了時に終わらない。)
https://w.atwiki.jp/i_am_a_yandere/pages/1667.html
16 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/06/27(日) 20 03 21 ID 5P1OH2qA ***** 俺の家には4人が同時に暮らしている。そして、一人を除いて他の全員が何かしらおかしい。 まず、考え方や行動が最もおかしいと言える人物を挙げるなら、両親だ。 両親のどちらがよりおかしいかというと、どんぐりの背比べみたいな感じで断じにくい。 両親のおかしいところ。 二人は血の繋がった兄妹なのに、近親相姦し、俺ら兄妹を生み、育てた。 戸籍謄本までは確認していないが、両親を育てた祖母が言うのだから、間違いないだろう。 兄妹で子供を作った時点でどっちも犯罪レベルのおかしさだ。 それでもあえて順をつけるなら、おかしい順に、母親、父親となる。 理由はまあ、いろいろある。 夜中にトイレへ行こうとして起きると、両親の部屋から母の嬌声が聞こえてくるとか。 父が社員旅行で撮影してきた写真が、現像した翌日には女性の顔だけマジックペンで黒く塗りつぶされているとか。 父の帰りが遅くなった夜、携帯電話に向かって独り言を言う母が玄関に座り込んでいるとか。 そういうわけで、俺の目には母が最も変人として映っている。 次が、変人の母に対して臆面もなく「好きだよ」と言ってのける父だ。 そして、次に来るのは、俺になる。 嘘ではない。両親のどちらに聞いても、弟に聞いても、妹に聞いても――心の中で、そう言うだろう。 自分が過去にやったことは覚えている。 後悔はしていないけれど、行動の結果、俺が人を傷つけたのは確かなのだ。 妹を守るため。弟を守るため。誰の手も借りず、凶器を手にとり、憎い相手に憎しみをぶつけた。 その件について、俺が誰かから責められたことはない。 身内の誰一人として、友人の誰一人として、俺を責めなかった。 むしろ、両親からは謝られ、弟と妹からは感謝された。 俺が傷つけた相手さえ、少しの年月を空けて謝ってきた。 事の起こった場に居た友人、いや幼なじみは、俺の行動を誉め称えた。 周囲の人間がそう言ってくれても、俺のやったことは無くならない。 他人に全治数ヶ月の怪我を負わせたのは事実として残っている。 家族の中で、三番目におかしい人間は間違いなく俺だ。 唯一普通と言えるのは、俺の妹だけだ。 過去から今まで、妹が他人に迷惑をかけたとか、異常行動をしたといったことはない。 未だに俺に対して「私、将来絶対お兄ちゃんと結婚するんだからね!」と言うぐらい純粋なのだ。 中学三年になってまでそんなことを言うなんて、うちの妹は本当に子供っぽい。 体は年齢相応なのに中身が幼いままでは、兄としては妹の将来が心配でたまらない。 まあ、子供っぽいからといって、両親や俺みたいにおかしいわけではない。 今後もそのまま健全に育ってほしいと俺は願う。 同居している家族四人で、テレビのニュースをBGMにしながら朝食をとる。 日本人の出生率が低下したというニュースから話が発展し、伯母が昨日女の子を無事出産したと父から聞かされた。 帰ってきたら女の子の名前を教えてもらうという小さな約束を父と交わし、食器を流し台へ持って行く。 その後、自室で家から出る準備をしている最中、妹から話を振ってきた。 初めての子供は男の子と女の子のどっちがいいか、というお題だった。 一姫二太郎が同時に生まれたら賑やかで楽しいよな、とか思い付きで答えてみる。 なにやら腕を組んで悩んでいる妹を後にして、玄関から表に出る。 辟易するほどの夏の暑さも、朝のうちならまだ大人しい。 ――さて、今日もあいつと一緒にやるとするかな。 17 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/06/27(日) 20 04 27 ID 5P1OH2qA ***** 僕が住み慣れた家を出て、遠くの高校に通うことにしたのには理由がある。 一言で言えば、夢を叶えるため。もうちょっと現実的に言えば、将来就きたい職業のためだ。 スーツアクターと呼ばれる俳優。僕はその仕事に就きたいと考えている。 スーツアクターは、ただアクションができればいい、という仕事じゃない。 物語上に登場する人物を演じる俳優。彼らと同じレベルの演技力がなければ務まらない。 だから、スーツアクターと言うより、アクション俳優と呼んだ方が正解に近い。 友達や先生から将来就きたい仕事を聞かれたら、必ずそう説明している。 そうすると、顔を出せる俳優一本の方が楽じゃないの、そっちの方が見てみたい、お願いだからそうしてくれ、と言う人が出てくる。 でも僕は、ドラマや映画に出てくる登場人物になりたいんじゃない。 特撮ヒーロー番組に出てくるヒーローや、モンスター役を演じたい。 初めて魅せられてから今まで、ずっと憧れているアクション俳優になりたいんだ。 高校の進学先を選ぶ時、兄さんに問われて、僕は初めて自分の夢を自覚した。 僕は兄さんに感謝してる。 進学先を選ぶ時に一番熱心に相談に乗ってくれたのは兄さんだった。 僕が家を出ることに絶対反対の姿勢だった母さんを説得出来たのは、兄さんが味方をしてくれたからだ。 昔から、兄さんには世話になりっぱなしだ。 いくら感謝しても、しきれないと思っている。 これまで受けた恩は、もはや返しきれないほど。 僕にとって、兄さんはヒーローだ。 兄さんみたいに強くなりたい。圧倒的な恐怖を相手に戦えるような人になりたい。 僕と妹のために戦ってくれた時から、テレビの中のヒーローよりも、兄さんに強く憧れるようになった。 もしかしたら僕は、兄さんみたいなヒーローを演じたいのかもしれない。 18 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/06/27(日) 20 06 32 ID 5P1OH2qA 「――って感じの理由かな。僕が剣道部と空手部の強い高校に入ったのは。 ほら、ヒーローや怪人のスーツって通気性ものすごく悪いから、夏場は体力がないともたないし。 その点、空手とか剣道は色々着て他人と試合するから、暑さにも慣れるし、動きも身につくし、一石二鳥。 この町の高校はさ、県大会でも成績良くないって兄さんが言ってたし」 「……うるさい。勝ち逃げしといて」 道場の隅っこで壁に背中を預けて座り、肩で息をしながら、ききちゃんはそう言った。 ききちゃんと違う高校に通う理由を問われたから答えてみたけど、果たしてちゃんと聞いていたんだろうか。 姿見の前に立ち、今朝の特撮番組で見た立ち姿の真似をしてみる。 うーん、いまいち様にならない。やっぱり身長が欲しいな、あと十センチぐらい。 まだ身長は伸びると思うけど、このまま止まったら、演じられる役が絞られそうな気がする。 戦隊ものの女性隊員役とかね。 「あなた、ちょっと強くなりすぎ。私と差が開きすぎてるじゃない。 私だってあれからいっぱい稽古してるのに、なんで私がこの様で、あなたがピンピンしてるのよ……」 「それはまあ、全国大会常連の空手部には練習相手が豊富だから。 普段から近いレベルの人と試合してると、ついつい負けん気が出てきてさ。 負けないようにしようとするから、練習のモチベーションも続くし」 「だからってあれはおかしいわよ!」 ききちゃんが突然立ち上がり、僕の鼻先に指をつきつける。 「絶え間なく打ってるのに全部はらわれるとか、躱されるとか、おかしいでしょ、変でしょ! 近距離で足刀が届かないとかおかしいでしょ、上段をしゃがんでかわすとか何よ! あなたの高校の空手部、一体どんな練習してるのよ!」 「近くの大学の空手部の人とマンツーマンで一時間組み手したり、とか。 あ、月に二回ぐらい警察のベテランの人達の練習に混じったりもしてる。 部活がない日は、僕は剣道の練習をたまにしてるけど――」 今ではすっかり慣れてしまった空手部と剣道部の練習メニューを説明していく。 実は一日に一回ぐらい練習中に倒れそうになることは黙っておく。 水を無理矢理たらふく飲まされてから先生と組み手をしたときの失敗談をしようとしたら、ききちゃんが手を上げて静止した。 「もういいわ、ごめんなさい。そりゃ強くなるわよね。 あなたがこの道場で稽古してた時よりハードだわ。 やっぱりやってる人はやってるのね、それぐらいのことは」 「そうだね。ハードな練習してる人がみんな強いってわけじゃないけど、強い人はみんな厳しい練習をこなしてるよ。 葉月先生の言うとおり。努力を積むことで真の強さは得られる、ってね」 「ええ。私もそう思う。その言葉は真理だわ。 ……でも、どうしてでしょうね、疑いたくなってしまうのは」 ききちゃんが、窓の向こうへ視線を向ける。 今まで待っていたみたいに、蝉たちの大合唱が始まった。 窓枠からは蒼穹と白い雲だけが見える。太陽は高い位置にあって、今は見えない。 道場に差し込んでくる太陽の光は一つもない。 「お父さんが、もう居ないから、なのかしら」 19 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/06/27(日) 20 09 22 ID 5P1OH2qA ききちゃんが遠い目をしていたので、「葉月先生まだ生きてるでしょ」というツッコミを躊躇った。 現在この道場内に居ない、という意味ならその台詞は正しいのだ。ききちゃんの言い方は紛らわしい。 葉月先生は健在だ。今朝久しぶりに道場を訪ねていったところ、玄関で竹箒片手に掃除をしている先生に出会った。 近況を話し合っていたところに、ききちゃんがやってきて、どういうわけか勝負を挑まれた。 煙に巻いてもよかったのだけど、先生の手前、それは躊躇われた。 結局、勝負の申し出を受けてしまい、道着に着替えて待つことになった。 けれど現れたのはききちゃん一人で、先生は姿を見せなかった。 「先生は今どこに? 何か用事があったの?」 「うん。急な用事で知り合いから呼び出されたから、ちょっと出てくるって。 帰りは遅くなるとも言ってたわね。残念ね、あなたも積もる話があったでしょうに」 「話をしたいっていうか、手合わせをしたかったな」 そう。今日葉月道場に訪ねていったのは、先生と手合わせするためだった。 空手部での三ヶ月の練習の成果を、先生相手に確かめてみたかった。 三ヶ月程度で埋まるような実力差ではないから、勝てないことはわかりきっている。 それでも、春までの自分より善戦できれば、成長したことを実感できる。 強豪空手部の内側にいると、感覚がマヒして、自分の実力がわからなくなってしまうのだ。 「あなたは強くなってるわよ、さっきも言ったけど。三ヶ月前に比べて、明らかに。 前は運が良かったり調子が良い時しか、私に勝てなかったでしょう」 「うん、まあ……そうなのかな」 「なによその反応。えーえー、どうせ私じゃあなたの相手は務まりませんよ-、ふん」 「いや、拗ねないでよ。そういうつもりじゃないんだから。 ききちゃんと久しぶりに試合できてよかったって思ってるよ、僕」 「……ふうん、そう」 二人して道着から普段着に着替えて、ききちゃんの家にお邪魔することになった。 すると、ききちゃんのお母さんが昼食を準備して待っていた。僕の分まで用意されていた。 御膳立てされて断るわけにはいかず、昼食をいただくことにした。 食卓を囲むのは、ききちゃん、ききちゃんのお母さん、僕の三人。 運動後の渇いた喉に、麦茶と冷やしそうめんはありがたい。 「いただきます、おばさん」 「どうぞ召し上がれ。おかわりしたければ言ってね、あの人の分もあるから」 はい、と返事してからそうめんを口に運ぶ。 ううん。ただのそうめんなのに、どうして母さんが作るそうめんより美味しいんだろう。 久しぶりにおばさんの料理を食べたから、美味しさが増している気がする。 ついつい箸が進み、おかわりまでしてしまった。 おばさんの料理をいつも食べられるなんて羨ましい、とききちゃんに話すと、こんな返答があった。 「私の家の味が好きなんだったら、うちにずっと住んでいればいいのよ」 「そうねえ。いっそのこと、うちの子になってみない? 娘をお嫁さんにもらってちょうだい」 「ちょっと、お母さん!? べ、別にそう言う意味で言ったんじゃないって!」 じゃあどういう意味で言ったんだろうか。 夏だからききちゃんは薄着を来ている。 久しぶりに会ったせいか、その服装のせいか、より身体が成長したように見える。 加えて、さっきのききちゃんの台詞。 もしかしたら誘われているんじゃないか、なんて邪な考えを持ってしまう。 でも、きっとききちゃんみたいに可愛い女の子には彼氏がいるだろうと思ったので、その場は苦笑してごまかすことにした。 20 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/06/27(日) 20 10 57 ID 5P1OH2qA また明日も道場にお邪魔することを約束してから、葉月家を後にする。 僕は今日から一週間ほど、この町で過ごす。 空手部の練習は、先生達がお盆休みで帰郷するため、それに合わせて休止する。 自主練習することまでは禁じられていないけど、僕はせっかくなので実家に帰ることにした。 高校入学してから今まで、一度も実家に帰っていなかったからだ。 平日は練習があるし、休日は体力回復と一週間分の授業の内容を復習したりで、帰る余裕ができなかった。 本音を言うと、月に一度ぐらいはこの町に帰ってきたい。 理由は簡単だ。 家族の身が心配なのだ。特に、兄さんの安否が。 僕が特別に心配性なわけではない。でも、ここまで心配しているのはおそらく僕だけだろう。 なぜならば。 兄さんがどれだけモテているか、そして、兄さんが女の子の好意に気付かない鈍感だ、ということを知っているのが僕だけだからだ。 兄さんは鈍いわけじゃない。むしろ、感性は鋭い方だ。 しかし、自分に向けられている好意を受け取るアンテナだけは折れている。おそらく撤去済みだろう。 それがいけないのだ。兄さんは女の子の好意に気付くことがない。 そのくせに、相談してくる人間は誰であっても真剣に相手をする。 結果として、相手からの好感度は右肩上がりなのに、兄さんの向ける好意がほぼ一定値のままというグラフが生まれる。 せめて、グラフに描かれる棒が二本だけなら救いはある。 春の時点では、僕が知っている限りで五本存在していた。 少なくとも兄さんは四人の女の子から好かれ、それに気付いていない。 もしかしたらだけど、僕の居ない間にまた違う女の子から好かれているかもしれない。 そろそろ兄さんの鈍さに女の子が痺れを切らす頃じゃないだろうか。 季節は夏だ。装いが薄着になるのと同じように、心の壁まで薄くなる。 男も女も大胆になる季節。 何かが起こる予感が、大挙して押し寄せてくる。 21 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/06/27(日) 20 12 56 ID 5P1OH2qA ききちゃんの家から僕の家までの道程。 角を曲がったところで、自宅とは正反対の方向へ向かう兄さんの後ろ姿を見た。 Tシャツとジーンズとスニーカーという、ラフな格好だった。 兄さんはファッションに関してなんらかのこだわりを持っている人じゃない。 兄さんのこだわりというと、趣味のプラモデル作りぐらいだったと思う。 どれぐらい凝り性かというと、プラモデルをおもちゃと言い違えただけで、 口調を変えて「プラモデルは模型だ、ホビーだ」ということを相手に熱弁するぐらい。 僕も説教されたことがある。本当にこの人は兄さんなのか、別人じゃないのか、と疑うほど変貌する。 説教モードの兄さんを相手にして一歩も引かなかったのは、シンナーの匂いが嫌いな母さんぐらい。 プラモデル作りを愛する兄さんは、バッグ片手にどこかへ向かっているようだった。 昨年の行動パターンから予測すると、おそらく兄さんの行き先は女友達のところだろう。 兄さんと同じぐらい、あるいは兄さん以上にプラモデル作りに情熱を注ぐ人、藍川京子さんの家のはずだ。 僕の考えでは、兄さんから最も好かれている人は藍川さんだ。 二人が知り合うきっかけは、当時中学一年生の兄さんと一年先輩の藍川さんが特別授業で同席したことらしい。 兄さんが嬉々として「すっげえ先輩と会ったぞ!」と口にする姿が思い出される。 二人はそれからの付き合いだから、もう四年ぐらい付き合っていることになる。 付き合っているとは言っても、兄さんは親友程度にしか思っていないはずだ。 反対に藍川さんは、どうにかして兄さんと恋人同士になりたいようだけど。 事実上の恋人みたいなものなんだけどねえ、兄さんと藍川さん。 しょっちゅう藍川さんと二人きりで買い物に出かけるし、一ヶ月に一回は必ずどちらかの家に泊まってるし。 でも、泊まってすることというと、色気のあることじゃなくて、プラモデルに色を塗ることだけ。 下着姿で誘惑すればさすがの兄さんも理性に負けると思うから、そうすればいいのに。 このままのペースでいくと、兄さんと藍川さんは結婚して夫婦になるんじゃないかな。 それはそれで見てみたい気もする。 もっとも、そうなるには藍川さんの敵が減る、もしくは敵が何のアクションも起こさない必要があるため、実現するかは未知数。 藍川さんの敵、つまり兄さんに好意を抱く人は、いつだって兄さんの周囲にいる。 今だって――ほら。 自動販売機や塀を壁にして兄さんを尾行している女の子がいる。 僕にはバレバレな尾行だけど、肝心の兄さんにはバレていないから、あの子にとってはこれでいいのだろう。 22 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/06/27(日) 20 15 47 ID 5P1OH2qA 「木之内さん、こんにちは」 「ぅひっ!?」 近づいて後ろから声をかけてみた。 悲鳴を上げても咄嗟に逃げないのは、一応尾行中だという意識があったからなのか。 木之内さんが振り向いて、怪訝な顔で僕の足下から頭まで観察してきた。 「……あ、も、もしかして、弟さん、ですか?」 「そうだよ。木之内さんは兄さんに何か用?」 「い、いえ、用はあるというか、でも、何ていうか」 「見てるだけじゃ、兄さんは木之内さんには気付かないと思うよ。 何か用があるなら、兄さん、呼んでこようか?」 「えぇっ! だ、駄目です! まだ心の、心の準備が出来てないので! い、いきなり告白されても困りますから! いえ、告白されるのは全然問題無いんですけど、今日はまだ駄目です! ひ、日が良くありません!」 「え……?」 兄さんを呼んできて、どうして木之内さんが告白されるんだ? 因果関係がわからない。それとも僕の知らない間に二人の関係が飛躍していたとでも? それはそれで構わないけど、進展してるならどうして木之内さんは尾行してるんだ? クエスチョンマークが浮かんだまま消えない。 相変わらず言動が不審な女の子だ。 「と、とにかくいいですから。 今日は偶然お兄さんを見かけて、ちょっとだけ観察したくなっただけですので」 「そう。まあ、そう言うならいいけど」 「そ、それじゃさようなら。ご、ごきげんよう」 そう言うと、木之内さんは兄さんの進んだ道とは逆方向へ小走りで去っていった。 彼女の名字は木之内。名前は……すみこ、だったかな。 兄さんに好意を向けている女の子の一人で、兄さんを取り巻くハーレムの中では新メンバーに当たる。 と言っても、もう一年以上は兄さんをああして追っかけているから、新メンバーと呼ぶのはふさわしくないかも。 僕が知る限り、彼女の行動パターンは登下校中と休日の兄さんを追いかけるぐらい。 そう、木之内さんは兄さんのストーカーをしている。 実害がこれまで発生していないから、僕にはさっきみたいに追い払うしかできない。 兄さんと木之内さんが知り合ったきっかけは、中学時代の兄さんの新聞配達のアルバイトで、木之内さんの家が配達先の一つだったこと。 兄さんの説明では、木之内さんの家に新聞の集金に行ったら、木之内さんに新聞勧誘の男がしつこくつきまとっていたので追い払ったところ、 泣きながら何度も感謝されてしまった、ということだった。 僕の考えでは、この説明には、一部に誤解が混じっている。 木之内さんに新聞勧誘の男がしつこくつきまとっていた、という部分。 たぶん、その男は、実は新聞勧誘の男ではない。 ちょうど同じ時期に、この町にて婦女暴行未遂で逮捕された男。 兄さんは木之内さんの家に集金に来た時、その男と邂逅したんじゃないか。 木之内さんの視点では、兄さんは婦女暴行魔に襲われそうになっているところを助け出してくれたヒーローに見えているんじゃないか。 そう考えると、木之内さんが兄さんに惚れてしまう理由に説明がつく。 というか、恋の始まりとしては文句の付けようもないほど理想的だろう。 犯罪の被害者になりそうになった人がストーカーになるっていうのはおかしいけど。 ちなみに、兄さんのハーレムで好感度のランクをつければ、彼女は最下位に位置する。 好感度を稼げているのかどうかも怪しい。 たぶん兄さんは、木之内さんの顔の見覚えはあっても、なんらかの感情を覚えることはないはずだ。 藍川さんや幼なじみみたいに一緒に遊んでいれば別だけど、木之内さんは兄さんに声をかけたりしない。 そんなことで鈍感な兄さんが木之内さんを気にかけるなんてありえない。 まあ、僕は兄さんじゃないから、絶対とは言えない。だけど、かなり的を射てるはずだ。 今日兄さんが家に帰ってきたら、木之内さんのことを覚えているか聞いてみよう。 23 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/06/27(日) 20 18 39 ID 5P1OH2qA 自宅。実に三ヶ月ぶりに帰ってきた。 新生活の慌ただしさと、空手部の練習の密度のせいで、一年ぐらい家を空けていたような気になった。 合い鍵を玄関の錠に差し込み、右に回す。 あれ、手応えがない。鍵が開いてるから、妹か母さんが家にいるのかも。 扉を開けると、屋内に閉じ込められた夏の熱気が肌を覆った。 外にいるとき以上のペースで汗が噴き出してくる。 クーラーを求め、靴を脱ぎ捨ててリビングへ飛び込む。 ――ああ、涼しい。 やっぱりこの家はこれがあるからいい。実家に帰ってきて良かった。 学校の寮じゃクーラーを置いている部屋が食堂だけだもんなあ。 風の当たる場所でシャツの胸元を広げたまま立ち尽くしていると、廊下の方から足音がした。 妹あたりだろうと見当を付けて、リビングの扉を開ける。 「妹? 久しぶり、帰ってきたよ――」 「おかえり、アーニキーっ! 待ってたよーっ!」 突然飛び出してきた黒い何かに反応できず、僕は声の主――幼なじみの女の子に押し倒された。 幼なじみは僕の顔も確認せずに、胸元に頭をぐりぐりとこすりつけてくる。 こいつ、もしかして僕と兄さんを勘違いしてる? 「ちょっと、こ、こら!」 「恥ずかしがるなってえ。アニキだって嬉しいんだろー? 私に抱きつかれてさー」 嬉しいと言うか、それを通りこして幸せだ。 特に相手の胸を押しつけられている部分。 生地が薄いせいで柔らかさがダイレクトに伝わってくる。 というか、柔らかすぎる。もしかして、これって――? 「ほれ、こうしちゃる、こうしちゃる」 とか言いながら、より強く抱きついてくる。 視線を下にずらし、幼なじみの胸元を観る。 やっぱりそうだ。こいつ、ブラジャーしてない、ノーブラだ。 白いシャツの中で双丘がひしめきあってる。 こ、こぼれてポロリといっちゃうんじゃないのか、これ。 でかいっていうのは知ってたけど、まさかここまでとは。谷間が深すぎだろ。 ただの肉体の一部なのに、ちょっと近くで見ているだけなのに、どうしてここまでエロスを感じてしまうんだ。 「どーよ? いつも子供扱いするけど、私の身体はこんなに大人なんだよ? この間の測定結果聞きたい? 聞きたい? んー、どしよっかなー?」 まずい。早くこいつを止めないと。 僕の身体がやばい。下半身的な意味ではなく、もっと奥の、命に関わる部分で。 今は暴走しっぱなしだからいいけど、もしも冷静になったら、こいつは僕の命を刈りかねない。 「アニキが私の言うこと聞くって言うなら、教えてあげてもいいんだけどなー?」 しかし、この状況でなんて声をかければ僕は状況を切り抜けられる? 一つ間違えればゲームオーバーだぞ……! こうなったら一か八か、一撃でこいつを昏倒させて―― 24 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/06/27(日) 20 22 27 ID 5P1OH2qA 「あら? あれ、あら、あらら? 花火ちゃん、兄さんになにしてるのかしら? お兄ちゃんから、兄さんに乗り換えたのかしら? それはよかったわ、嬉しいわ、おめでとう」 聞き慣れた声と、拍手の音。 次に、僕の身体に圧力をかけていた幸せ感触が消え失せた。 「な……ア、アニキじゃない……」 押し倒してきた犯人は、予想した通り花火だった。 わなわなと震えながら、僕を見下ろしている。 僕と兄さんを間違うなんて、花火のレーダーも鈍ったな。 心配していた花火の攻撃もなく、僕は花火の下から解放された。 その代わり、怒りの矛先は別方向へ向けられる。 「ちっさい妹、お前、図ったな」 「ふん。花火ちゃんがお兄ちゃんを好きなのがいけないのよ。フフフフフ」 「アニキと同じ匂いがしたから、てっきりアニキだと思ったら……」 僕だった、と。 僕と兄さんって同じ匂いがするのかな。友達からはあんまり似てないって言われてるのに。 それとも、花火が僕の匂いを兄さんの匂いと勘違いしたのか。 花火が兄さんと遊ぶ時は、結構僕も一緒してたから、それも無いとは言えないな。 「ちくしょう、弟、金だせ! サービスしてやったんだからサービス料!」 「花火はいつのまにヤのつくお仕事に就いたのさ……」 勝手にサービスしといてお金取るとかありえないよ。 「あらあら花火ちゃん、みっともないわね。そんなことで取り乱すなんて」 ちっさい妹こと、僕の妹が花火を挑発する。 花火の顔が不機嫌に歪む。 どうして花火の顔って、傷一つ無いくせに、怒ると任侠映画に出てきそうな感じに変貌するんだろう。 空手部の先輩だって顔だけでここまで威圧感は出せないよ。 「あ? ちっさい妹の分際で調子に乗って生意気なことぬかしてんじゃねえぞ」 「花火ちゃんが騙されるのがいけないのよ。 お兄ちゃんが今日一日家にいるなんていう情報、私が教えてきた時点で疑って然るべきじゃなくて?」 「そうだな……お前はアニキを独占したくてしょうがないんだもんな。実の妹のくせして」 「実の妹? 妹がお兄ちゃんを好きなのがおかしいの?」 「詭弁をぬかしやがる。アニキと私が付き合いだしたら、ちっさい妹、お前はアニキに絶対近づけさせないからな。 家の中に閉じ込めてでもだ。アニキの妹は私一人で充分だ。大は小を兼ねる、ってな」 「本当に花火ちゃんは夢見る少女なのね。お兄ちゃんが私以外の女を選ぶことなんて、あり得ないのに」 「自惚れてると、足下をすくわれることになるぜ……ククククク」 「そうね、さっきの花火ちゃんみたいにならないようにしないと……フフフフフ」 このように、花火と妹は兄さんのことが大好きだ。 兄さんを慕う女の子のうちの二人は、言うまでもないけど、花火と妹にあたる。 どちらが有利かというと、それは難しい話になってくる。 花火は容姿の面で有利。幼なじみだから、妹と違って、いざ付き合おうという段になって兄さんが気後れすることもない。 妹は、妹であること自体が有効な武器となる。兄さんは妹想いだから、妹が切実なお願いをしてきたら断らない。 この二人の闘いは、決定打がないと決着が付かないと思う。 リスクを恐れた小さな攻撃ではなく、捨て身の一撃。 果たして先に賭けに出るのはどちらか。賭けを成功させるのはどちらか。機会を誤らないのはどちらか。 まあ、藍川さんや木之内さんもいるから、二人だけの勝負っていうことにはならないだろうね。 25 :ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms :2010/06/27(日) 20 24 30 ID 5P1OH2qA 家の固定電話が鳴り出した。 言い合いを続ける二人を置き去りにして、電話機の元へ向かう。 受話器を手に取る。聞こえてきたのは、兄さんの声だった。 「あれ、お前帰ってきてたのか。行ってくれたら迎えに行ったのに」 「いいよ、気を遣わなくても。兄さんだって何か用事があるんでしょ」 たとえば、藍川さんと二人きりで一夜を過ごすとかね。 こんな台詞、兄さんに言ってもあっさり肯定されるだけで面白くないから、言わないけど。 「ああ、まあな。……で、今日はお前ずっと家にいるか?」 「うん。今日から五日か、六日ぐらい家にいるつもりだけど」 「それなら良かった。悪いんだけど、今日は藍川先輩の家で作品の仕上げを徹夜でするから、お前が妹の面倒を見てやってくれ」 「いいよ。別に面倒みるようなことも……ないけど」 食器の割れる音が背後からしたり、ソファーのひっくり返るような振動が伝わってきたけど、放置。 ああ、二人がやり合った後でのリビングの片づけも、ある意味妹の面倒見なのかな。 花火と妹って、兄さんが留守の時に限ってやり合うもんな。 兄さんの目の前じゃ、やり合いたくないのか、大人しくしてるし。 一度ぐらい兄さんもあの二人の醜い争いを見てくれたらいいのに。 「そんじゃよろしくな。金は立て替えといてくれ、後で返すから。 明日の昼頃には帰ってくるから、吉報を待ってろよ」 通話が終わり、兄さんの声が聞こえなくなる。 受話器を置いて一息つくと、幼なじみと妹の声がよりはっきり聞こえてきた。 「ちっさい妹は不幸になーれ、葵紋花火は幸せになーれ!」 「お兄ちゃんが居る限り、私の幸せは約束されたようなものなのよ! アッハハハハハ!」 今が平日の昼でよかった。この言い争いを近所に聞かれずに済む。 ちょっとお菓子でも買ってこよう。 エネルギー不足になった女の子を放っておくと僕に矛先が向きかねない。 靴を履いて、玄関から外に出る。 空は突き抜けるほど晴れていて、ますます勢いづく太陽と一緒に夏を盛り上げる気満々だった。 暑いし、二人にはアイスでも買ってきてあげようっと。
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284 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 31 20 ID Dpu7A0J3 ***** 「葵? 葵じゃん。何しに来たんだよ、こんなとこに」 暇をつぶしにやってきた体育館裏には先客がいた。馴れ馴れしく私に呼びかけてくる。 相手は、二年の愛原とかいう軽薄な男だった。 入学して一ヶ月ぐらいしてから告白してきたから、かろうじて覚えている。当然、断ってやった。 この手の下半身男は、たいてい私の体を目当てにして近寄ってくる。 胸がでかければ誰でもいいんだろう。虫酸が走る。視界の隅に入り込むだけで不快になる。 今の愛原がやっていることに対してもそう。 人目につかない場所で一年の女子とじゃれ合っているなんて、変態の最たる行いだ。 見ると、女子は上の制服を喉元までめくりあげていた。緩んだブラと乳の隙間に愛原の右手が入り込んでいる。 左手は女子のスカートの中に入り込んでいた。ショーツは膝まで下がっている。 女子は内股になって膝を寄せ、震わせている。立つこともできないのか、背中を壁に預けている。 顔は紅潮していて、嫌がっているようにも、興奮しているようにも見える。 無理矢理連れ込んだのか、それとも恋人なのかは知らないが、こんな奴に捕まった女子は気の毒としか思えない。 気の毒には思うけど、私はめんどくさいから何も言わない。 馬鹿二人となるだけ離れ、体育館の壁を背にして座り込む。 好きにすればいい。愛を語らおうとセックスしようと、どうぞご自由に。 今日はたまたま用事があって学校にやってきただけだ。 そうじゃなきゃ、わざわざ日曜日に人がたくさん集まる文化祭になんかくるものか。 自慢じゃないが、私は学校にまじめに通っていない。 毎日学校に来ているけど、教室でやる授業なら出るけれど、ほとんど上の空で過ごしている。 授業なんか聞き流していてもテストで点は取れる。中間テストなんか教科書を読み直しただけで七八割取れた。 体育の時間は色々と面倒だから全て見学しているか、さぼっている。 女も男も私の姿を残念そうに見る。胸が揺れるところでも見たいんだろ、思春期まっさかり。 どだい、私には体育でやる運動なんて準備運動にもなりゃしない。 自分ちでストレッチでもしている方がずっとマシだ。ぬるすぎてあくびが出る。 あいつがこの学校に通わなければ、高校だって行くつもりはなかった。 あいつと一緒に居たかったから、面倒な受験まで受けたんだ。 なのに、受かってみたらこの通り。 私とあいつは別のクラスになってしまうし、複雑な相手が一つ上の学年にいるし。 それ以上に不愉快なのは、あいつが同学年の女子連中から人気があることだ。 一緒のクラスにいる女子が、あいつの名前の付いたファンクラブに入った、と騒いでいた。 ――はん。馬鹿馬鹿しい。 好きならとっとと告っちまえばいいんだ。集まってワーキャー喚きたいだけならあいつに近づくな。 本当は告白もさせたくないけど、どうせ軒並み断られるんだ。特別に許してやる。 と、言っても。私も人のことは言えない。 あいつと学校の中で二人きりになる機会は多いのに、一度も好きだと言ったことがない。 向き合うと、緊張してどもってしまう。本来の自分とは違うしゃべり方になってしまう。 そんな感じで接しているのに、あいつが私に会いに来てくれるのは――たぶん、私のことが好きだからじゃないか、と思ってる。 あいつの方から告白してくれないか、ってのは都合のいい考えなのかな。 285 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 32 05 ID Dpu7A0J3 なんとなく見ていた目の前の地面に、足が四本乗っかった。 黒い制服に包まれた足が二本、白い素の肌をさらけ出した足が二本。 見上げると、愛原と名前の知らない女の顔があった。 愛原の目線は私の足下に向けられている。もう一人の女は、愛原の腕を抱いてすり寄っている。 なんだ、こいつら恋人同士か。でもこの男だったら他にも女はいるだろうな。そこな女、ご愁傷様。 だから私を睨むなよ。睨んだって私の機嫌を損ねるだけで、良いことなんか何一つ起こらないよ? 「おい、葵」 愛原が何か言っている。あー、聞きたくないけど耳をふさぐのも億劫だ。 「体育座りなんかしてっから、パンツが見えてるぞ。見せてんのか? 誘ってんのか?」 見せてるつもりはない。あいつが胡座をかくのはやめてくれって言うからこうしてるだけだよ。 見たければ見ればいい。お前らは頭の中で私を好きにしてるんだろ? オカズになっていいじゃねえか。 けど、私の体には一切触れさせない。あいつ以外の人間には、絶対に体を許さないと心に誓っている。 隣に愛原が座ってきた。ヤニくさい臭いが鼻につく。立ち上がり、その場を後にする。 体育館裏に来たのは、人に会わずに過ごせる場所だったからだ。 目的に添ってさえいればどこだって構わなかった。この場所にこだわる理由は特になし。 きっとあいつは、私がどこに行ってもなんのヒントもなしに見つけてくれる。 たぶん、行動パターンを見切っているんだろう。 いつも通りに行動してさえいれば、必ず見つけ出してくれる。今日だって、そうに違いない。 「おい、待てって。この間の話、考えてくれたか?」 何の話かわからない。ついてくる愛原を無視する。ひたすら歩む。 「悪いようにはしないし、後悔もさせねえって。どうせ、いつも暇なんだろ?」 こういう台詞を吐けば女が落ちるとでも思ってるんだろうか? ……思っているんだろうな。 悪いのはお前の性格、後悔するのは頭のねじが緩くて腰が軽い女。突っ込みたいけど、余計な手間だからやらない。 ま、暇っていうのは合ってるけどさ。あいつと一緒じゃない時の私はいつも暇を持て余している。 ハア、あいつに抱きつくのに一生懸命になりたいなあ。 しがみつきたい。甘えたい。くっつかれたい。抱かれたい――性的な意味で。 とっとと見つけてくれないかな、あいつ。 286 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 32 49 ID Dpu7A0J3 ***** 純文学喫茶の仕組み、および営業方針、並びに店員の業務内容について触れてみよう。 まず、純文学喫茶とは、店内に大量の小説本を置き、客自らの手で本を手にとってもらい読んでもらうサービスを 売りにした喫茶店である。喫茶店であるため、軽食を注文することもできる。 利用料金は六百円で時間は無制限。コーヒーと日本茶を常備している。ジュースは置いていない。 利用料金とは別に、軽食にはお金を払わなければならない。 チョコレート、クッキー、ビスケットのいずれかを注文できる。もちろん全て注文してもらっても構わない。 喫茶店の営業方針は、お客様に快適な読書空間を提供し、一人でも多くの方に文学に興味をもってもらうこと。 決して、担任の夢を叶えるためであるとか、担任に堂々と一日中読書してもらうためだとかではない。 現在の客の入りを見ている限り、営業方針に添って喫茶店は稼働している。 教室内が静かなので、町立の図書館よりも読書することに適している。 時折ものを食べる音、陶器を机に置く音、ページをめくる音がするだけで、話し声は一切無い。 客の回転率はすさまじく悪い。一日目もだったが、開店してから閉店するまでずっと入り浸る客までいた。 中には十分と経たないうちに帰る人間もいる。葉月さんや担任やクラスメイトの袴姿を拝むだけの人間だ。 ウェイトレス達と、ひたすら読書するだけの責任者がいなければ、赤字になることは間違いなかった。 高橋と西田くんを始めとする男子が、給仕役は袴を着用してくれ、と頼み込んだおかげだ。 男子、特に高橋は担任と共に純文学喫茶を正式にオープンしてもやっていけると思う。 いっそのことそのまま二人でゴールインしてくれ。 また一つ学校の伝説が生まれる。二人を主人公にしたドラマができてもおかしくないぐらいのサクセスストーリーだ。 きっと、見晴らしのいい高台に建つ青山に永住しているような人生を送れるよ、高橋、篤子先生。 給仕役の業務内容は、来店した客を席に案内し、店の仕組みを説明し、たまに注文された菓子を運ぶだけである。 それ以外の業務はまったくと言っていいほどしない。むしろ、やる機会がないと言える。 なにせ、トラブルが一切起こらないのだ。気まずさを感じるほどに静かなのだ。 店内にいる客は誰もがじっと座り込んで本を読んでいる。 ウェイトレスを呼んで菓子を注文しようにも、空気を震わせることが憚られて言えない、息の詰まる空間。 控え室にいるクラスメイトも声を漏らさない。喫茶店の利益が黒字になっても、これでは楽しくない。 文化祭でやる喫茶店って、もっとこう、ワイワイガヤガヤしつつやるもんじゃないのか? 担任は指示を出さずに窓際の席に座り本で顔を隠しているし、高橋は時折ため息をつきながら担任の姿を 網膜に焼き付ける作業に没頭しているし、振袖姿のウェイトレスは半数以上が姿を消している。 まじめに喫茶店の営業活動に取り組んでいるのは葉月さんを含んでも五人しかいない。 かく言う俺は、クラスメイト全員から押しつけられた待機命令を律儀に守り、教室に残っている。 手伝おうにも、そもそも客からお呼びはかからない。手伝おうとしたらなぜか葉月さんに止められる。 昨日は皆の望んでいることだと聞かされて納得したが、もう限界である。 逃げてやる。目指すは弟のクラスだ。 俺のつくった衣装がいかに着こなされているか、この目で確かめに行かなければならない。 制作者の一人として、確認する権利も、義務もあるはずだ。 287 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 34 05 ID Dpu7A0J3 抜足でドアまでたどり着き、こっそりと教室から出ようとしたら、背後にいる男の声に止められた。 「どこに行くのかな、保護監察対象者」 いちいち気に障る代名詞で呼びかけてくるのは高橋しかいない。 振り向かずに返事する。もちろんドアに手をかけたまま。 「……トイレに行ってくる」 「それは許可できないな。君がトイレに行く時は私を呼びなさい、という葉月嬢のお達しを破ったら 一体どんな目に遭うかわからない。彼女が『二番』に行っている以上、君を止めるのは僕の役目なんだ。 よって、君の身勝手な行動を黙過することはできない。席に戻るんだ」 「我慢できないんだ。ここで間違いを犯すわけにはいかないだろう」 「確かにそうだ。ならば僕がついていこう。僕は男子だから、君がトイレの窓から飛び出さないか監視することもできるしな」 こいつ、読んでいやがったか。 変に気の合う友人の存在も考えものだ。裏をかくのが難しい。 葉月さんが『二番』――トイレに行っている隙に俺が脱走しようとすることまで予測されていた。 高橋の気を逸らすには、この男の恋愛対象である篤子女史をけしかけるしかない。 だが、耽読状態にシフトした担任を動かすのは容易ではない。 現に、ウェイトレスの一人が湯飲みを落っことして割った時も無反応だった。 高橋が昼飯に誘ったときだって視線を微動だにしなかった。 もしや、篤子女史は休日も今日のようにじっと本を読んで過ごしているのだろうか。 俺でさえ模型作りしている最中は腹が減るから食事はとっているというのに。 担任のエネルギーは無尽蔵か? 本から精気を吸い取って生きているのか? 世界が食糧不足の危機に陥っても、担任は水と本だけあればつやつやした肌を保っていそうだ。 なんという珍獣。道理で結婚できないわけだ。 いや、担任を皮肉っている場合じゃない。 「どうしたんだ? トイレに行くんじゃなかったのか?」 急がねば。葉月さんが戻ってくるまでもう時間がない。 「しょうがないやつだ。ほら、肩を貸してやる。だからここで、溜まっているものを爆発させるなよ?」 俺に構うのをやめろ、高橋。篤子先生と同じ机に座りながら一方的に愛を語っていろ。 ――ふむ? 今、何か面白フレーズが浮かんだような。 高橋と、担任。二人の名字と名前がくっついたら。 もしそうなったら……俺は面白い。そんな名前になった担任を想像するだけでクスリと笑える。 高橋の意識を逸らすには弱いような気もするが、駄目もとで言ってみようか。 「なあ、高橋。意見を聞かせてくれないか?」 「うん? 別に構わないぞ。近々高騰するであろうオススメの先物から、君の子供の孫から見た祖父母の名前まで、 なんでも占ってやろう。」 「そこまで大層なことじゃない。あのさ、高橋篤子っていい名前だと思わないか?」 「…………………………な?」 288 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 35 34 ID Dpu7A0J3 高橋の顔が歪んだ。眼鏡の向こうにあるまぶたがいつもより大きく広がっている。 どうやら、不意打ちは成功だったらしい。 こいつだって、自分と担任が結婚したらどういう名前になるかを考えなかったわけでもあるまいに。 「な、に、を……言っているんだ。君ってやつは。はは。高橋……あつ、篤子先生。 僕の後輩達が呼んで、同僚の先生方が呼びかけて、退職の挨拶の時に呼び出される、名前……」 どこまで空想を飛ばしているのだろう。 プロポーズのステップをすっ飛ばして名前が変わっているようだ。 俺からすれば、高橋と担任が恋人同士になった画なんてまったく想像つかない。 どちらも変人――あえて言えば担任がレベルが上――だから、一般的な恋人のようにはならないのかも。 非凡な恋人関係ってどんなのだろう。 わからん。……あ、わからないから非凡と言えるのか。納得した。 「ねえ、ポストにはなんて書こうか? 名字だけ? 僕は二人の名前を入れたいんだけど……」 あと一分待っていれば子供の名前まで聞かせてくれそうだったが、今は聞いている余裕はない。 時間に追われている。葉月さんがいつトイレから戻ってきてもおかしくない。 「また本棚を買うのかい? そろそろ床が抜けそうだからやめてもらえると……ああ、ごめん! 謝るから怒らないでくれ! 出て行かないでくれ! 私にはニャーと鳴く猫がいればいいなんて言わないで!」 高橋を残し、教室から出て音をたてないようドアを閉める。 弟のクラスに顔を出すより妄想状態の高橋をからかっている方が面白いかも、と気づいたのは二階の階段を 降りている最中のことだった。 289 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 36 56 ID Dpu7A0J3 一階に降り立つ。弟のクラスへと向かうため、右へ折れる。 進行方向から、見慣れた人物像を確認した。弟を誰よりも愛していると態度で語る俺の妹である。 「あ、お兄さん。……こんにちは」 「おう。こんにちは」 兄妹なのに他人行儀な挨拶をする妹。反射的に同じ反応をとってしまった。 まるで道ばたでばったり会った親戚の従妹との会話みたいだ。喩えがぴったり嵌るのが嫌になる。 他人行儀な喋りをするな、と説いてやろうかと思ったが、妹の表情を見て改めた。 一見して不機嫌とわかる表情だった。しかし廊下で俺にばったり会ったことが原因ではなさそうだ。 向かい合っている最中も、脇を通り抜ける人へと目を泳がせる。 誰か探してるのか? って、妹が真剣になって探すような相手は一人しかいないな。 「弟と一緒じゃないのか? 向こうから来たってことは、あいつのクラスには行ったんだろ?」 「もちろん。だけどお兄ちゃんはいなかった」 「そういえばあいつ、今日はクラスの手伝いはしないって言ってたっけ」 「私だってそれは知ってる。だから、今日は朝からずっと歩いて探し回ってるのに、見つからない。 お兄さんも……知らないよね。お兄ちゃんがどこに行ったか」 「予想を裏切れなくて悪いが、イエスだ。知らない」 最初から期待していなかったのだろう。妹は表情を変えない。 つい、と顔を逸らし横をすり抜ける。 「お兄ちゃんを見つけたら、ケイタイに電話して。じゃ」 即座に言うべき台詞が浮かんだのだが、振り向いたときにはすでに妹の姿はなかった。 頭の中の妹へ向けて告げる。同時に口でも喋る。 「お前は俺にアドレスはおろか番号すら教えていないだろう……」 先に弟を見つけてしまったとして、また妹に鉢合わせしたら、どうして連絡しなかったのかと責められてしまうのか? 反論したら、どうして妹の番号も知らないのよ、とか言われそうだ。 そういや、なんで知ろうと思わなかったんだ。こんなんじゃ妹に冷たくされて当然だ。 弟を見つけたら、忘れないうちに妹の番号を聞いておかないと。 弟は今クラスにいない、と妹は言っていた。 今日一緒に登校した点、学校をエスケープする人間ではない、という要素から鑑みて、弟は校内にいると考えられる。 妹の弟探知能力を駆使しても見つからないということは、弟はよほど見つかりにくい場所にいるのだろう。 それか、普段の弟からは考えられない行動パターンをとっている、だ。 そもそも、今年の文化祭における弟の行動はおかしい。 一日目だけクラスを手伝い、二日目は自由行動するところから変なのだ。 何か隠しているのか? もしや、いつぞや口にしていた好きな女の子と逢い引きするつもりか? だとすれば、邪魔するのは野暮だな。 兄として、弟にはノーマルでいてほしいのだ。 両親のように、ご近所には決して教えられない関係を兄妹間で結んで欲しくない。 そのためには、弟が妹以外の女の子と交際する必要があるのだ。最後には無事ゴールインまでしてほしい。 木之内澄子ちゃん。葉月さんの一方的な猛攻を受けても無事だった。しかも今日は学校を休んでいない。 タフなあの子なら妹を相手にできそうだ。しかも、弟に深く恋している。 条件のみを見るならば、澄子ちゃん以上の逸材はいない。 だけど――弟は選ばないだろう。澄子ちゃんはそれをわかっている。弟の真実を受け入れているから。 290 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 37 56 ID Dpu7A0J3 弟は一体誰に恋しているんだろう? ヒントは、年上、同じ学校に通っている、俺の顔見知り、の三つ。 条件にあてはまる対象は葉月さんか、篤子先生に絞られる。だが、どっちも考えにくい。 葉月さんを好きだったら、俺と葉月さんの仲を応援しないはず。 担任に恋していたら、うちのクラスに顔を出すはずだ。 どちらでもないとすると、もう俺にはお手上げだ。 俺と弟に共通の知り合いは残りゼロ。弟の同級生は何人か知っているが、中には留年している者はいなかった。 俺が昔知り合っていて、今では忘れている人間、とかじゃないよな。 最近、弟妹に揃って自分の健忘ぶりを遠回しに、あるいは直接言われているから有り得る。 『妹をいじめないで』、という台詞を聞いて恐怖を思い出すこと。 昔の俺が妹をいじめていた、という妹からの告白。 でも弟が言うには、昔の俺は弟と妹をかばっていたらしい。 頭がこんがらがる。弟か妹、どちらかが嘘をついていなければ、つじつまが合わない。 ――――弟かな。嘘をついているのは。 あいつは優しい。小さい頃の俺が犯した間違いを悟らせまいと、かばっているのではないか。 聞かないとわからない。けど、聞ける勇気は俺にはない。 情けない願いだけど、弟の方から教えてくれないもんかな。 本当に馬鹿なことをしでかしていたのなら、拳骨で教えてもらいたい……ってのも甘えだな。 弟のクラスを見るつもりだったが、気が変わった。弟探しに目的を変更する。 校内の地図を頭に広げ、弟になった気分で行動をトレースする。 今日は文化祭が開かれている。どこかの教室に入るだけでも身を隠せる。例、二年D組の純文学喫茶。 だが、ひとところに留まっているならば既に妹が見つけている。 午前中から探していたのなら全ての出し物を見て回ったはずだ。 電話をかけても繋がらない。ということはメールを送っても返信しないだろう。 お手上げじゃないか。校内のどこにもいないってどういうことだ。 世界的に有名なボーダーを来たおっさんだって本のどこかに隠れているんだぞ。 妹に見つけられないなら、俺に見つけられるはずがないじゃないか。 でも意外と、こうやって歩いていると見つかったりして。 ただ、兄妹が絶妙なニアミスを繰り返していて巡り会っていないだけ、だったりしてな。 「兄さん」 そうそう。ちょっとコースを変えてみれば、こんな感じに弟に声をかけられたりだって……へ? 歩きながら思考していたら、校舎と体育館を結ぶ渡り廊下にたどり着いていた。 正面には妹が血眼の目を剥いて(イメージ)、必死に探し回っている弟がいた。 「兄さんは出し物を見て回っているところ?」 「あー、うん。まあ、そんなところかな。ははは……」 いいのか、こんなに簡単に見つけてしまって。 妹の立つ瀬がないじゃないか。あいつ、あんなに弟を好きなのに、かすりもしないだなんて。 可哀想になってきた。慰めようがないから声もかけられない。 弟と妹の仲を認めないつもりではいたけど、兄妹で仲良くするのは構わなかったのに。 「お前、もしかして妹のこと嫌いじゃないよな?」 「ううん。全然。嫌いな相手なら一緒にお風呂に入ったりしないよ」 「そういや、そうだよな。いや、すまん。なんとなく聞いただけだったんだ。気にするな」 思春期を迎えた兄妹で風呂に入るのも変な話だが、仲が良いのは兄として嬉しい事実だ。 これからも二人でそうやって仲良くして――――欲しくはないな。 291 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 39 08 ID Dpu7A0J3 仲良く風呂に入るな、風呂に。 弟は妹を前にして全裸をさらけだしているのか? 俺には絶対無理だ。高橋と銭湯に行ったとしても局部だけは桶で死守する。 血の繋がった家族とはいえ、女に見せるなんて恥ずかしくてできん。 妹も弟と同じだ。ひょっとしたら弟を興奮させるためにやっているのかもしれないが、俺は許さんぞ。 お前ら二人が風呂に入っているとき、あえぎ声でも聞こえてきたら即飛んでいって止めてやる。 その後で妹の手によって半殺しの目に遭うかもしれないが、ともかく、駄目だ。 しかし、弟は何で妹と風呂に入っているんだろうな。強硬に断れば、妹のことだから諦めてくれそうだが。 あえて自分をさらけだすことで父性をアピールしているつもりか? 逆効果だぞ、弟。 話題を変える。風呂については別の機会に会議を設けるとしよう。 「どこに行ってたんだ? 妹がずっとお前のこと探してたみたいだぞ」 「ああ、実は人を探していたんだ」 「人、っていうと……」 「今日はその人と一緒に見て回るつもりだったからさ。 約束もしてたんだけど、会う場所を決めてなくてずっと探していたんだ」 「ははあ……例の、コレか?」 右手の小指を立てて弟に見せる。弟は平然と答える。 「うん、そうだよ。前に兄さんに聞かれて答えた、僕の好きなひと」 「へ、へえ。そりゃすごい。うん、すごいよ、お前……」 堂々と好きな人がいるって告白できるって、かっこいい。すごい。 葉月さんへの気持ちに自信が持てない俺とは大違いだ。 俺とは違って恋愛経験が豊富なのかも。だから、好きだっていう気持ちに自信が持てるのかもしれない。 咳払いを一回。声の調子を整え、呼吸を落ち着ける。 「それで、お前の想い人は見つけられたのか?」 「まだ。行きそうなところはあちこち探し回っているんだけどね。あっちこっち行き来してるみたいで見つかんない」 こういうところ、兄妹そっくりだ。好きな相手は見つからないのに、探すつもりのない俺とは簡単に遭遇する。 くじびきでハズレたときにもらえるティッシュみたいだな、俺。 「特徴を教えてくれないか? 俺で良ければ一緒に探すよ」 「えっ……兄さん、が?」 「ああ、別に困ったことなんかないだろ? 安心しろ。見つけたらすぐに立ち去るから」 「んー、うーん……」 弟が悩んでいる。俺の協力を拒むか受け入れるかという問題ごときで悩むのか? ポイントがずれてるだろ。もっと別のところで悩め。妹の積極的なアタックをどうやって断ろうか、とか。 「それじゃあ、協力してもらおうかな。でも、見つけたらすぐに僕に教えて。そして脇目もふらずに逃げて。 絶対に振り向いちゃ駄目だよ。僕のことは置いていっていいから」 なに、この死亡フラグを立てるような台詞。 「そんな言い方をされるとものすごく気になるんだが。一体どんな化け物なんだ。 ――あ、すまん。化け物って言い方は失礼だな」 「気にしないでもいいよ。でも、会いたくない相手という意味では同じことなのかもしれない」 「さっきからすっきりしない言い方だな。はっきり言ったらどうだ? 名前は? 髪型とか身長はどんな感じだ?」 「引かないでね、特徴を聞いても」 ああ、と返事する。弟は静かに口を開く。 292 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 41 14 ID Dpu7A0J3 「髪は金色。金髪だよ」 ほうほう、金髪ね――え、黄金色? 「ああ、欧米からの留学生なのか。地毛で金色なら仕方ないよな」 「違うよ。染めてるんだ。誰がどうひいき目に見ても金色だから、わかりやすいと思うよ。 身長は兄さんと同じぐらい。あと、無口。話さないとわからないけど」 つまり、弟の好きな女性は、ふりょ――良くない人? ビッグリーグに所属し、アメリカはニューヨークに本拠地を置くかの有名なチームと同じ名前の属性? 待て待て、早とちりするな。 ただ髪を金色に染めることにひとかたならぬこだわりを持っているだけかもしれないじゃないか。 あれ、そんなタイプの人間を不良とか呼称するんだったっけ? いや、弟が好きだというなら、あえて何も言うまい。 付き合ってみればどんな人間にもいいところが見えてくる、と言う人もいるし。 「それで、名前は?」 「名前、名前は………………やっぱり、言えないよ。ごめん、兄さん」 「なんで言わないんだ? 別に教えてくれてもいいだろ」 「でも、それは。せっかく兄さんは忘れているんだから、思い出さなくてもいいかもって……」 「なあ、いい加減に教えたらどうなんだ。俺が昔のことを忘れているとかなんとかってやつ。 大事なことならはっきり言え。そういうもやもやした感じ、苦手なんだよ」 「前も言ったとおりだよ。兄さんは忘れたままの方がいい。だから、やっぱり探すのは無しにして。 お願い。この通りだから」 弟が両手を合わせて謝った。そこまでして教えたくないのか、昔のことを。 くそ、謝られたら余計に気になったじゃないか。 やっぱり、弟が嘘をついているのか? 妹の言っていたことが真実なのか? 俺が妹をいじめていて、弟が妹をかばっていたのか。 弟の好きな女の子。彼女はそのとき現場にいて、俺が妹に乱暴するところを見ていたとしたら。 気を悪くさせないため、俺と彼女を会わせないよう、弟が苦心するのは当たり前だろう。 弟に問い詰めてまで過去の罪を思い出すべきか悩んでいた、その時だった。 「……見っけ」 背後から、短いつぶやき声が聞こえた。 振り向くと、眩しい金色の髪を伸ばした女子生徒が立っていた。 金髪、俺と同じぐらいの身長。この子が弟の好きな女子に間違いない。 ただ、弟はひとつだけ伝え忘れていることがあった。 女子生徒はやけに体の発育がよかった。特に胸部。 自己主張する胸の膨らみを制服で無理矢理押さえつけている。しかし押さえきれていない。 むしろ、しわが浮かんでいるせいで二つの円形をはっきりと意識してしまう。 失礼にならない速度で顔を背ける。見続けていたら下へと目線が移動してしまいそうだった。 だが、ちらっと見た限りでは胴は細かった。足にはニーソックスを履いていた。 きっと、未だに一度も目にしたことのない絶対領域がそこにある。 一歩下がり、弟と並ぶ。この子を相手にするのは俺の役目じゃない。 「どこ行ってた? ずっと」 女子生徒の台詞は弟には理解できるらしい。快活な声で答える。 「ずっと探してたよ。朝からずっと」 「……そか。なら良い」 見ていないからわからないが、声から察するに金髪の子は機嫌を直したようだった。 293 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 43 22 ID Dpu7A0J3 彼女は警戒していたほどの危険人物ではなさそうだ。 気とられぬうちに立ち去ろうとして、振り向く。 「花火はどこにいたんだ? どこにもいなかったじゃないか」 そして、弟の声を聞き固まった。 女子生徒がどんな返事をするか聞きたかったわけじゃない。 名前だ。花火、と弟は言った。 何の脈絡もなく夏の風物詩の行方が話題に上るわけがない。女子生徒の名前は花火だ。 ――花火。 聞いたことがある、気がする。 昔、小学校からの帰り道が楽しくて仕方がなかった頃の光景が頭に浮かぶ。 俺と、弟と、妹と、あともう一人、誰かがいる。一緒に遊んでいる。 女の子の名前を聞いて、昔を思い出した。 ということは、この子が俺たち兄妹と遊んでいたもう一人なのか? 「おい、お前」 不意に、ぶしつけな声によって現実に引き戻された。 「そこの一年、お前の葵の何だ? 彼氏?」 弟の前に立って睨んでいる男がいる。名前は――愛原だったと拙く記憶している。 うちのクラスの西田君と並んで女子生徒の間で有名な男だ。 ただし、西田君は女子全般から好かれているが、愛原は違う。 悪い方面でよく噂される。愛原に振られたとか、愛原に触られたとか、他にもよくない噂を色々聞く。 葉月さんも愛原に告白されたことがあるらしい。すぐに振ってやったが、しつこく話しかけてくる、と言っていた。 まとめると、スケベなところが女子から嫌われている男、ということになる。 それでも顔が良いので、やはり愛原の周りに女子は集まっている。 不条理な。男は顔じゃない。どの部位が肝心なのかは知らないが。 弟は愛原に詰め寄られている。襟を掴まれ、弟が目を細める。 「僕は花火の彼氏じゃありません。花火に聞いたらわかるはずです」 「だったら、なんでこいつのこと呼び捨てにしてんのよ? 俺が言ったらニラんでくるのに」 「それは、僕が……花火と、昔から友達だったからです。小学校に入る前から」 弟と幼なじみだった。ということは俺、妹両方にとっても幼なじみになる。 さっきの回想に出てきたもう一人は、やっぱり花火という名の少女だ。 だが、さっきから愛原は彼女を葵、と呼んでいる。ニックネームか何かか? 「ちっ、面白くねえ。なあ、彼氏じゃないんなら、こいつに近づくのやめてくれねえ?」 「な……っにを」 愛原と弟の顔が近づく。鼻と鼻が触れそうな距離で、二人の双眸が正面からぶつかり合う。 「俺、こいつのこと狙ってるから、お前みたいなやつがいると邪魔なんだ。だから、諦めてくれよ。な?」 「そんなの……」 「いいから、言えよ。もう二度と近づきません。だから花火もボクに近づかないでくれ、って――――」 愛原の言葉が最後まで続くことはなかった。 喉を締め付けられていたのだ。横から割り込んだ手によって。 294 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 44 45 ID Dpu7A0J3 「名前を呼ぶな」 「お……ぇ、ぅ…………ぁ、ご、ぃ……」 「お前には、許可していない」 弟の制服が解放された。愛原は首を持って引きずられ、地面にはたき倒された。 続けて、無防備な腹が踏みつけられる。一回一回の音が重い。手加減無しだ。 「ご、ぐっ、がぁ! おい、や、めぇっ! う゛げ、……が」 「顔だちは普通だな」 踏みつぶす目的で行われていた蹴りが止んだ。愛原は既に声も出していない。 腹を両手で押さえ、空を仰いだまま口を開閉する。 女子生徒が、口を開く。足は愛原の頬を踏みつけている。 「こんな目に遭いたくないだろ。だから台無しにしてやる」 愛原の顔がまたたく間に焦燥に彩られる。だがもはや、強者の目には映らない。 何の言葉もなく、膝が上がる。愛原の目が閉じる。 足が振り下ろされる。踵が直撃する――直前に、動作が止まった。 弟が彼女を抱いて止めていたのだ。 「やめてくれ、花火! お願いだから、もう……こういうことをするのは」 「この男、お前を掴んだ。襟……」 「平気だって! 制服なんかどうでもいいから。だからやめてよ……ね?」 「わかった」 あっさりと少女が足を下ろした。腰に巻き付いている弟の手に自らの手を添える。 「…………ん」 微笑んでいた。ようやく得られた温もりを堪能するように、目を閉じる。 隙をついて愛原が逃げ出した。ただし、中腰の姿勢で、何度もつまずきながら。 姿が見えなくなったところで、ようやく俺は周りに意識を向けられた。 文化祭の最中に起こった暴力沙汰を教師や生徒を始め、来校者に見られてはまずいことになる。 しかし、幸いにも周りに人の姿はなかった。その場に残されたのは俺と、抱き合った二人の男女だけだった。 抱擁を解いたのは弟だった。二人揃って名残惜しそうな表情になる。 「もう落ち着いた? 花火」 「ああ。でも、もう少し」 「それは、ちょっと…………」 「遠慮なんか要らないぞ」 「いや、だって……人前じゃちょっと」 弟が俺を見た。言っているとおり、やはり俺の前で抱きついているのは恥ずかしいようだ。 揚げ足をとるようで悪いが、俺の前じゃなければまだあの状態でいたのだろうか。 どうなんだろう。女の子の方も満更ではなさそうな顔だったけど。 「……ああ、確かに」 金髪の女子が、樹木に向けるような目で俺を見た。本当に忘れていたらしい。 この子、最初からずっとぽつぽつとしか喋らないな。 これほど無口な少女を相手に弟は会話を成立させていたのか。 髪の毛の強い印象のせいで判別できないのかもしれないが、やはりこの子は見たことがない。 ――あ、今気づいた。女の子の右頬に肌色の絆創膏が貼られている。 頬全体を覆い隠しているせいで、整った顔の形がどこか不格好に見える。 295 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 46 00 ID Dpu7A0J3 俺の視線が気になったのか、女子生徒は顔を顰めた。後ろにいる弟に振り返り、短く言う。 「悪い。ちょっと話がある。二人で。だから」 「……やっぱり、こうなっちゃったのか」 弟の口からため息が漏れる。 「ごめんね、花火」 「謝るな。悪くなんかない」 「兄さん、ごめん」 また謝られた。今度は合掌していないが、表情が見える分、より謝罪の念が伝わった。 「なんで謝るんだ? お前にとって幼なじみだっていうなら、俺にとっても幼なじみだろ」 「そう、だけど。いろいろとごめん。これから何が起こるかわかるけど、僕には止めることはできないから。 花火。君がどうしたいか、僕は知ってる。でも……止めない。止めないから、あんまり」 「大丈夫。軽いから」 「うん。…………兄さん、また家で」 言い残すと弟はきびすを返した。校舎の方へと向かっていく。 弟の姿を見送って、俺は女子生徒と向き合った。 そしていきなり、左から殴られた。 体が傾く。倒れる寸前で膝に力を入れて持ち直す。 舌で鉄の味を味わわされた。頬の裏を舐めると鋭い痛みが走る。傷が長い線を描いていた。 「お前! 何をす、るんだ………………」 憎しみの籠もった目は、妹に向けられて慣れているつもりだった。 だが、俺は甘かったようだ。誰も、目の前の女の子のように、一心に強い負の感情を向けてくることはなかった。 怨まれている。俺の存在そのものを憎んでいる。彼女の目が俺に、消えろ、消えてしまえ、と叫んでいる。 ようやく思い出した。 目がそっくりそのままだ。俺が最後に見た彼女の瞳の色から、少しも翳っていない。 金髪の女の子の名前は花火。俺が知っている彼女は昔黒髪だった。 触り心地が良くて、何度もいじった。いじる度にはたかれた。 右の頬。本当は左頬と同じように、傷一つ無かった。今では絆創膏を貼っている。 絆創膏の下にあるものが何か、見せてもらわなくても想像がつく。 296 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 46 52 ID Dpu7A0J3 もう、疑う余地はない。 昔と違い、かなりイイ感じに体が成長しているが、間違いない。 ――こいつの名前は、葵紋花火だ。 弟とは、半身を分けたように仲の良い幼なじみだった。 俺にとっては、妹以上に可愛く思っていた妹的存在だった。 すでに過去のことだ。取り返すことも、やり直すことも、修復することもできない。 過去の俺がやったことは、花火との仲に決定的な亀裂をいれた。 花火の体と人生を、最悪の形で台無しにしてしまっていた。 花火の右手が、右頬を完全に覆っていた絆創膏をおもむろに剥がしていく。 隠されていた肌が、顎から鼻へ向けて少しずつ露わになっていく。 花火の顔が自由になる。右手が下る。左手が頬に当たる。 左手の人差し指が、頬の傷痕を撫でた。右目の下から顎へ向けて一直線に伸びている。 それをやったのは俺だ。花火の頬に残された創は、俺がつけたものだ。 五寸釘を打ち込まれたように、脳が痛む。あふれだした膨大な情報量に耐えかね、頭が悲鳴をあげた。 両手に感触が甦る。包丁の柄の感触だ。俺が、――を傷つけるために、持ち出した包丁だ。 視界が脳裏に浮かんだ光景と切り替わる。 妹が自らの肩を抱いて震えている。弟が妹を包むように抱きしめている。 母が口元を両手で覆い床にへたり込んでいる。父はしゃがみ込み、何か叫んで、いや、呼びかけている。 父が呼びかけている相手は、――だ。小さい頃の俺がもっとも嫌悪していた相手だ。 ――は倒れたままで、自ら起きる気配を見せない。小さい俺が、ざまあみろ、と呟いた。 ふと振り返る。視線の先に花火がいた。 横向きに倒れ、右の頬を両手で押さえている。流れ出す血が絵の具を薄めた水みたいだ。 花火が泣いている。痛みと、あと、俺が恐ろしかったからなんだろう。 血と涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、花火が呟いた。 小さな体に沸いた、堪えきれない憎悪を滲ませながら――この、ひとごろし、と。 包丁を取り落とした。床が急速に近づく。逃れられず、鼻をぶつけた。 回想から目が覚めた。俺は自分の膝に手をついて、どうにか立っている状態だった。 吐き気が脳を不安定にさせる。気を緩めたらそこで終わりそうだった。 たった今思い出した過去の情景。それを血で彩ったのは俺だ。 どうして包丁を持ち出したのか、なんで妹のように思っていた花火を傷つけたのか、いったい誰を憎んでいたのか、 細部は少しも思い出せない。だけど、俺がやったことだけは間違いない。 首を持ち上げて、花火の顔を見上げる。 不自然に浮いた傷痕は、すでに絆創膏によって覆い隠されていた。 297 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 47 37 ID Dpu7A0J3 ***** 「久しぶり。アニキ」 アニキ――本名は口にもしたくない――は、今にも倒れそうなほどふらふらになっている。 私に殴られたダメージを引きずっているわけじゃなさそうだ。 昔自分のしでかしたことを思い出したらしい。私の傷を見た途端に体をぐらつかせたのが証拠だ。 「なんとか言いなよ。久しぶりとか、元気だったかとか。喋れないほど口の中、切れてないだろ?」 アニキは口を少しだけ開けた。けど、半開きのまま固まった。 何も言いたくないのか、言うべき言葉が無いのか、言うべきか躊躇っているのか。 じゃあ、こっちから一方的に言わせてもらおう。 「よくも私の前に顔を出せたね。しかも、今更。何年も経って、ようやく会う決心がついた? 赦されている頃だとでも思っていた? 無いよ。絶対に無い。アニキが赦されることなんか無い。 私の傷は消えないんだから、それぐらいの仕打ちは当然だろ。歯を根こそぎへし折られないだけマシだと思いなよ。 それより、まだ兄貴面してアニキの役を演じてるわけ? 気持ち悪いよ――なんで生きていられるの? ああ、そういえばあいつ、言ってたっけ。アニキは昔のことを忘れているって。だからまだ生きてんだ」 「俺は――」 アニキがようやく口を開いた。ただし、顔は俯いたまま。 「お前に傷を負わせた。その、右頬に」 「ようやく思い出したね。じゃあ次は、言い訳してみる? なんで私に傷をつけたのか」 「わからない。俺は……誰かを嫌っていて、それで」 「そのとばっちりで、私の頬を切ったんだ。憎んでもいない女の顔にねえ。 アニキってさあ……汚いよね。私はあれがあったせいで一年も学校を休んだ。誰にも顔を見せたくなかったから。 なのに、普通に学校行って、あいつとちっさい妹の兄貴分をやってる。自分が恥ずかしくない?」 唐突にアニキが頭を下げた。続けて言われるだろう台詞が私の頭に浮かぶ。 「すまない! いや、ごめん!」 ……ほら、予想通りだった。 アニキみたいに空っぽな人間の頭なんて、何回下げられても誠意を感じられないよ。 「赦さないって言っただろ。何の真似?」 「謝らせてくれ! 俺は、ひどいことして、ましてや自分でやったことを忘れていて! 今の今までずっと謝っていなかった。だから……ごめん!」 ――遅いよ、アニキ。 なんで今更謝るんだよ? 全部手遅れだよ。 すぐに謝ってくれていれば、同じ気持ちを持ち続けていられたのに。 アニキとあいつとちっさい妹と私の四人、ずっと仲良しのままだったはず。 なんか、馬鹿馬鹿しくなってきた。 いつまでもアニキなんかにこだわってたら、あいつと遊ぶことができなくなる。 声をかけず、その場を後にすることにした。 「待ってくれ! 花火!」 呼び止められた。しかも名前まで呼ばれた。 ま、いっか。アニキと会うのはこれっきりだ。二度と会うこともないだろう。 足を止めて、振り向かずに言う。 「……なんか用? 私今から用事があるんだけど」 「俺がお前にできることは何か、ないのか? できることなら、なんでもやる」 「じゃあ、逆に聞くけど、アニキは何ができる? まだ高校生だろ。自立してもいないじゃん。 できることが限られている人間にそんなこと言われても、私が得することなんかないよ」 そういう意味では、私だって人のことは言えない立場だけど。 私があいつにできることは、ずっと傍にいてやること。 あと、あいつが求めてくることに精一杯応えること。それぐらいだ。 「そうだね、一つだけあるかな。アニキにできそうなこと」 「ホントか?!」 「ああ。――今日を最後に、二度と私の前に姿を見せないでくれ。それだけ。じゃね」 言い残して、立ち去る。アニキが追ってくるような足音はしない。 最後のアニキの顔、どんなんだっただろ。 傑作な泣き顔になっていたら嬉しい。でもむせび泣く声は聞こえなかった。 声を殺して、涙ぐらいは流してたかもしれない。 298 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 48 20 ID Dpu7A0J3 校舎の角を曲がったところで、あいつは待っていた。 私の姿を確認して、複雑な顔をしながら近づき、目の前で止まる。 「花火。…………もう話は終わった?」 「うん」 声で返事した。でも聞こえなかったかも。一応、頷きもしておく。 こいつと話すとき、私はどうしても声を張れなくなる。 だから今のように、言葉を短く切って喋らなければいけない。 アニキに対して普通に話していたのは、嫌われてもかまわない相手だからだ。 でも、こいつは違う。こいつに嫌われたら、私はもう生きていけない。 一年間のひきこもり状態から外に出た日。久しぶりに見たこいつの顔にどれほど癒されたことか。 あの笑顔を一年間も見ていなかったことは、私の人生にとって大きな損失だった。 こいつは、それからも事あるごとに世話を焼いてくれた。もはや一生尽くしても恩を返しきれない。 返しきれないけど、生きているうちはこいつのためだけに動こうと決めている。 アニキに近づくなと言ったのは、こいつのためでもある。 いつまでも兄弟だからって一緒にいたら、悪い影響を受けるに決まってる。 こいつの邪魔になる者や心を汚す者は、すべて排除する。 奪おうとする人間は消してやる。私は絶対にこいつを放さない。こいつから離れない。 肩を並べて歩く。こうやってゆっくり過ごすのは久しぶりだ。 文化祭の準備とかでずっと会えなかったから、もう二週間ぐらいになる。 だから、二週間分今日は甘えようと思う。と言っても、腕を組んでひたすら歩き続けるだけ。 「いいか? 腕」 「うん。もちろん」 許可をいただいた。腕をとって、両腕で抱き込む。胸に埋め込むつもりで強く、強く抱きしめる。 この時だけは、自分でも邪魔に思うくらい大きい胸に感謝したくなる。 こいつだって表情こそ平静だけど、しっかり反応している。顔は紅くなるし、歩き方もぎこちなくなる。 可愛いよなあ。私、こいつが好きだよなあ。 早く私をモノにしてくれないかな。いくらでも汚してくれて構わないからさ。覚悟はとっくに済ませているんだ。 299 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2007/12/22(土) 19 49 03 ID Dpu7A0J3 「どこか行きたいところとかある?」 「いいや」 「なら、今から学校を出よう。妹がこんな姿を見たらものすごい剣幕で怒るに決まってる」 「…………わかった。いい」 ちっさい妹。まだお前はこいつを狙っているのか。 昔からそうだったな。ずっとこいつにくっついていた。そういや、あの頃はアニキにも懐いていたっけ。 もう諦めるんだな。私とこいつの間に割り込めるスペースは一切残されていない。 風呂にも一緒に入っているらしいな。話の最中に口を滑らせたとき、しっかり耳にしたよ。 何もされていないんだろう? 全裸を見せても、押し倒されたことはないだろう? 当然だ。所詮、妹。欲情の対象にはならない。 私の胸の柔らかさを知っているこいつにとっては、ちっさい妹の体など小学生にしか見えない。 ロリコンだったら話は別だが、これまた残念、こいつの性的嗜好は私の体にマッチしている。 大きい胸、くびれたウエスト、整った尻、なめらかな足。全てを私は併せ持っている。 年々成長しているから、まだまだ差はつくぞ。 誰にも声をかけられることなく、校門を出た。 これからずっと、制限時間までくっついていられる。 けれど、時間はあっという間に過ぎていく。こいつといると、いつもこうだ。 時間が止まってしまえばいいのに。時間制限なんか無視して、くっついていられればいいのに。 ――制約を強いるやつらなんて、全員いなくなってしまえばいいんだ。 「花火」 「なんだ」 「こんなお願い、ずるいんだけど」 「ん?」 「僕のこと、嫌いにならないでいてくれるかな?」 「……もちろん」 何があったって、私はお前を嫌ったりしない。命の続く限り、お前を愛する。 お前が死にそうなときは私の命を分ける。もし死んでしまったときには、自らの命を絶って添い遂げる。 私はお前と一緒にいたい。いつだって願いは変わらない。 お前も、もし私を好いていてくれるのなら――ずっと、一緒にいてくれ。
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367 :28 ◆MCTXn0LJMQ :11/08/11 03 11 38 ID sMIhVfd8 ネタ出し 本スレでヤンデ霊の話が出てたので ・ツンヤンデ霊 毎晩決まった時間に金縛りにあう主人公。 ラップ音とか胸への圧力とか低い男の声とか ベランダに男の影とかもろもろの怪現象が怖くてお守り買ったり お経唱えたり塩撒いたりするけど効果はあまりない。 でも実は幽霊がツンデレのヤンデレでツンなあまりに 愛情がうまく伝えられず金縛りとか怖い目にあわせてしまう。 でも思いが伝わらない苦しさからだんだん病んだ部分が 増幅していき最終的には主人公の魂を奪ってしまう。 分岐で犯人はストーカー√(ベランダの影)など。 368 :28 ◆MCTXn0LJMQ :11/08/11 03 13 29 ID sMIhVfd8 金縛りとか怖い目にあわせてしまう →金縛りとか怖い目にあわせてしまっているだけ です。ごめんなさい。
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743 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 01 56 23 ID 2qzBLu79 「んー……こんなもんかな?」 ボールペンを机の上に転がし、便箋を右手でつまんで持ち上げる。 B5サイズの便箋には彼へ向けたアタシの想いが綴ってある。 現国の課題で作文用紙に感想文を書かされる時はすっごく悩むのに、これを書いている間は悩む暇も無かった。 って言っても、悩まなかったのは文章だけ。 要点を押さえながら、不必要な部分を省く方が難しかった。 「アタシはあなたを助けたいの」って部分は残しておきたかったんだけど、頭の痛い女だと思われるかもしれないから、渋々削除した。 文章って難しい。もうちょっと真面目に授業を受けたり、本を読んだりしておけばよかった。 これから勉強する暇も無くなると考えると、損をした気分になる。 でも、いっか。 損した分を補って余りあるものがもうすぐ手に入るんだから、少しは我慢しないとね。 便箋を折りたたんで封筒に入れる。そしてラブレターらしく、ピンク色のハートのシールで封をする。 あとはこれと、アタシの愛が凝縮したチョコレートを彼の靴箱の中に入れれば、事を行う準備が全て整う。 チョコは今日の夕方にようやく完成した。 作り始めたのは何日も前からなのに時間がかかったのは、理想通りに仕上がらなかったから。 アタシの血とか愛液とか入れると必ず失敗するのよね。 おかげでチョコレートを溶かして固めただけのバレンタインチョコしかできなかった。 でも、我慢しよう。明日の今頃には、彼はアタシを食べているはずだから。 「そして、アタシも…………ふひひひひ」 告白の舞台は完璧に整っている。彼の性格を考慮に入れた作戦もできている。 彼がやってきて、告白されてどんな顔をして何を言うのか、手に取るように分かる。 そして、アタシに抱きつかれても彼が受け入れてくれないということも。 椅子から腰を浮かせて、ベッドの上に身を投げ出す。音も立てずにベッドがアタシの体を受け止めた。 このベッドで眠るのが恐ろしくなくなったのは、彼に出会って癒されてから。 それ以前は自分の部屋に入るだけで吐き気がして、その度に胃の中身をもどしてた。 彼にもしも出会っていなければ、アタシはずっとあのままだったに違いない。 今では、どうしてあそこまであの男の影に怯えていたのかすら思い出せない。 あの男はアタシの件を含めたいくつもの罪で懲役中。少なくとも十年は出てこないはず。 死刑になっちゃえばいいのに。日本の司法の甘さにはほとほと呆れる。 「あー、やめやめ。バカバカしい」 いくら考えたって過去は過去。決定したものは覆らない。 今みたいに世の中の理不尽さを恨んだところで何も変わらないんだ。 それよりも前を見よう。明日のことを考えよう。 どこまで考えてたっけ? ――そうそう、彼の返事のところまでだった。 きっと彼はこう言うはず。「ごめん。僕は他の人が好きだから、君とは付き合えない」。 台詞は違っても、返事に込められた意味は同じ。 ――アタシを受け入れることはできない、アタシなんか要らない、ってね。 「ハ……アハハ………………ッハハ、ハハハハハ、アハハッ……」 乾いた笑いが勝手に漏れ出た。満たされない虚しさが心に広がっていく。 分かってるよ。あなたが自分の想いをねじ曲げたりしないなんて、重々理解してる。 だけど、アタシだって気持ちを変えたりしない。 あなたが拒否しようと、逃げようと、アタシを強引にねじ伏せようと、諦めない。 どうしてか? ――好きだからに決まっているじゃない。 あなたの好きな黒い仮面を被ったヒーローさん。 ヒーローはどうして戦うのかしら? 仕事だから? お金のため? 誰かの命令? どれも違うでしょう。守りたい人がいるから戦うの。 力尽きてもボロボロに傷ついても死にそうな時でも、死を恐れずに立ち上がる。 アタシも同じ。無条件にあなたが好き。だから諦めない。挑み続ける。 どうして好きなのか、なんて無粋な質問はしないでね。 好きだから好きなの。好きになるのに理由なんて必要ない。 744 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 01 57 05 ID 2qzBLu79 ごめんね。こんなに思いこみの激しい女で。 最初はこんなに好きになるつもりじゃなかったの。 あなたが優しくしてくれたから、ほんのちょっとの間だけすがろうと思っていたの。 救いがどこかにあると信じて生きてきて、ちょっと疲れた時に立ち寄った小さな休憩所があなた。 からかって遊んで、アタシの台詞でどぎまぎするあなたの顔を見るだけのつもりだった。 あなたは時々顔を赤くした。けど、アタシに気があるような素振りを少しも見せなかった。 その理由はあなたの行動を観察しているうちに判明した。 葵紋花火。別のクラスに居る一見して不良っぽい女。 でも実際は髪が金髪なだけで、成績はとても優秀。 目立つ金色の髪の毛と大きな胸のおかげで男子のウケはとてもいい。先生たちも時々いやらしい目で見てる。 あなたが有象無象の男共と同じだったらまだ良かった。 それなのに、よりによって幼なじみで、しかも惚れているだなんて。 面白くなかった。捜し回ってようやく見つけたおもちゃ屋がもうすぐ取り壊されると知ったときみたい。 この時点で、すでにあなたにのめり込んでいたんでしょうね。 後はずるずるとはまっていった。気づけば、あなたが葵紋花火の方を見ているだけで歯ぎしりをするようになってた。 あんなすました女のどこがいいの? いつもむっつり黙り込んで愛想も見せないのに。 あいつより、アタシの方がずっとあなたのことを愛してる。アタシならあなたをもっと幸せにすることができる。 アタシだけを見て。アタシの目はあなただけしか見てないの。 見てくれないと、寂しくて泣いちゃうよ? 「本当に、寂しいんだから……毎日毎日、もうヤダよ……」 呟いた途端に涙腺が緩んだ。涙が零れる。 いくら泣いても無駄なのに。あなたは手に入らない。少しも寂しさは紛れない。 心の中から寂しさを永遠に無くす方法はたった一つ。 ちっとも冴えてない泥臭いやり方だけど、これしかない。 あなたを二人だけの世界へと連れて行く。 他の手段はない。あなたの心を動かせない以上、無理矢理奪うしかないの。 責任をとってあなたの面倒は一生見るから。いいえ、見させてもらいますから。 明日からアタシは、あなたの良き妻となります。 あなたとだけ体を重ねて、あなたのためだけにご飯を作って、あなただけを愛する存在になる。 重ね重ね、ごめんなさい。好きになってしまって、ごめんなさい。 でも、こうなってしまった以上、もう仕方がないの。 自分では抑えがきかない。あなたを独占しなきゃ、この疼きは収まらない。 壁にかけている時計を見る。 まだ夜の十時か。明日が待ち遠しいなあ。 早く二人っきりで会いたいな。その時から、アタシとあなたの物語が始まるんだから。 745 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 01 58 17 ID 2qzBLu79 ***** 毎年二月十四日になると思う。バレンタインデイって無意味だな、と。 こう思うのは、毎年学校の女子や家族からチョコをもらえないからではない。 また、帰宅した弟が持ち込んだ大量のチョコレートを妹に見つかったら処分されるからという理由で 俺の部屋に運搬され、貴重なスペースを占領されることに腹を立てているわけでもない。 男としての感情を抜きにして、無意味だと思うのだ。 そう思うのは、女性が想いを込めた贈り物をするのが珍しいことではないという認識が働いているから。 うちの両親は兄妹でありながら子供を作った。妹は弟に過剰なまでの好意を向けている。 どちらも世間の常識に反しているのだが、その想いだけは本物の好意だと言える。 この二組と同居している俺は、母と妹がチョコレートを差し出す様子を毎年見ている。 昨日はキッチンでにぎやかにしていたから、今年もチョコレートを送るのだろう。 だが、それがなんだというのであろうか。 我が家では母が父への愛を込めた鼻歌を歌いながら調理に励むのは当たり前だし、 妹が弟の目を気にしながら鍋をかき混ぜるのも当たり前。ほぼ毎日繰り返されていることだ。 バレンタインデイなど、贈り物がチョコレートに変わるだけの日でしかない。 それが俺の認識である。 俺は、告白するなら何も今日でなくとも構わないと思う。 告白したいときに告白すればいいし、贈り物をするならいつでもいい。 受ける側が困るということなどないだろう。 恋人がいたり、人から施しを受けるのが嫌いな人間以外なら喜ぶはずだ。 バレンタインデイのいいところは、男に小さな期待を抱かせるところ。 もしかしたら大好きなあの子が告白してくれるかも、なんて思ってしまうのが俺ぐらいの年頃の男だ。 俺の経験で語るならば、告白されるかもなんて考えている男は告白されない。 もしくは、好きでも嫌いでもない女子に告白される。現実はそんなものだ。 まあ、たかが毎年やってくる慣例的なイベントである。 特別なことを期待せず、どっしりと構えているのがよかろう。 朝起きたときにそんなことを考えて自分に言い聞かせ、部屋を覆う冷気に辟易しながら学校へ向かう準備をした。 その後で朝食を食べ終えて、弟と一緒に登校しようと玄関へ向かった。 ここまでは良かった。昨日と何ら変わりない朝の光景だった。 しかし、今日は違った。俺と弟が玄関から出ようとするのを阻む者がいたのである。 746 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 01 59 33 ID 2qzBLu79 「おはよう、お兄ちゃん」 バスケットのディフェンスみたいな構えで玄関の扉の前に立ち、弟に向けて挨拶をしたのは妹だった。 妹は来年度から俺と同じ高校に入学することが決まっている。 兄二人と同じ高校を選んだ理由は弟と同じ高校に通いたいからだろう。聞いていないけどそれぐらい分かる。 今朝の妹は俺に挨拶するどころか視線さえ向けない。 それ自体は毎度のことなのだが、今朝はどうも様子が違う。 弟を険しい目で見つめたまま黙り込んでいるのだ。 弟の顔を見る。疑問符を頭の上に浮かべそうな顔つきをして、人差し指で頬を掻いていた。 「おはよ。朝ご飯食べてなかったのは、ずっとそうしてたから?」 「そうよ」 「なんでさ?」 「決まっているじゃない。お兄ちゃんを学校に行かせないためよ」 妹に止められたから今日は学校を休みます、という言い訳は果たして教師に通用するのだろうか。 医者ならともかく、妹に止められたではさすがに苦しいと思われる。 「……なんでさ?」 再度弟が問う。俺も同じ問いをしてやろうかと思ったが、妹の反応が怖いのでやめた。 「今日はバレンタインよね?」 「ああ、うん。そうだけど」 「はい、お兄ちゃん。ハッピーバレンタイン」 妹が差し出したのは黒い紙と赤いリボンでラッピングされた四角い箱だった。 中身はカカオを主としてその他諸々を練り固めたお菓子、いわゆるチョコレートだろう。 ……チョコレート、か? 形はそうだとしても中身はチョコレートの材料だけなのか? アイドルの追っかけがやりそうな変なモノ入りのチョコだったりしないか? もしそうだったとしても食べるのは弟だから俺に害はないのだが、さすがに引いてしまう。 髪の毛は入れないはずだ。食感でやばい物だということがすぐに分かってしまう。 血液もないだろう。湯煎している最中に水分が入り込んだら上手く固まらない。 待てよ、凝固させていれば大丈夫かな? 数日前から一滴ずつ容器の中に垂らしていき、固まったら次の一滴を、とかしていったらなんとかなりそうだ。 ――考えるのはやめよう。怖くなってきた。 心配無用だと考えることする。妹がそこまでイカれていないと信じよう。 「今年もくれるんだ。ありがと」 「当たり前でしょ。私の本命はお兄ちゃんだけなんだから。本命の人以外には絶対にあげないもん」 妹よ。今の台詞の後半は俺に向けて言っていたな? こっちだってもらえるなんて思っていないぞ。 妹にもらっても数のうちに入らないからありがたくもない。 そう。ありがたくなんかない。繰り返して言うが、ありがたくなんかないんだ。 「――でもね、お兄ちゃん」 妹が突然声を低くした。チョコレートは手に持ったままで、まだ弟に渡していない。 「なに?」 「お兄ちゃんは学校に行ったら誰かにもらうよね? そして、家に持ってくるよね?」 「うん。もしもらったら、だけど」 「もらうに決まってるじゃない。お兄ちゃんのことを好きな人、学校に一杯いるんでしょう? ファンクラブがいるんですってね? しかも何人も」 「それは兄さんの嘘だって言っただろ」 「下手な嘘はやめてよ、お兄ちゃん。お願いだから、本当のこと言って? ……ね?」 「だから、嘘なんかじゃないって」 「嘘吐かないでってば!」 747 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02 01 27 ID 2qzBLu79 妹が玄関に拳を叩きつけた。朝の静けさとは異なる沈黙が玄関を支配した。 「どうして黙ってるの? どうして本当のこと言わないの? 私、ファンクラブがあることぐらいじゃ怒らないよ。だって、お兄ちゃんがかっこいいのは事実だから、 惹かれる女の子がいたっておかしくないもん。 私が怒っているのは、お兄ちゃんのせい。お兄ちゃんが本当のことを言ってくれないから悪いの。 もう一回聞くね。お兄ちゃんの、通っている高校には、お兄ちゃんのファンクラブが、あるの?」 朝から妹が嫉妬心全開で怒っている。 一体どうしたのだ。バレンタインデイで気持ちが浮かれているせいで、頭まで熱に浮かされたのか? この状態の妹に対して、弟はなんと答える? イエスと言ってもノーと言っても逃げられそうな感じがしない。 「どうなの? お兄ちゃん」 「……いるよ。詳しいことは知らないけど、そういう人たちがいるってことは知ってる」 「やっぱり、そうなんだ。……ふうん」 「ちゃんと答えたろ。そこ、どいてくれないか?」 「嫌よ。お兄ちゃんを狙っている女共がいるところに行くのを、みすみす見逃すと思う?」 思わないな。きっと弟も俺と同じ認識を持っているはず。 なるほど。弟を学校に行かせたくないから、朝から玄関の扉を死守している訳だ。 ううむ。弟が学校をサボることについては構わないのだが、模範的な生徒としての行動を 心がけている俺としては早く学校に行きたいところだ。 どうしてやろうか。このまま強行突破――してもいいんだけど後が怖いな。 何か使えそうなものは無いかと玄関を見回す。 置いてあるものは靴箱と傘とドライフラワーと、対女人用決戦兵器の弟のみ。使えそうなのは弟だけだ。 障害物はブラコンを超えたブラコン、頭の中が弟のことで一杯の妹。 仕方がない。最初から俺は何もしていなかったが、この場は弟に任せるとしよう。 弟がうつむいた。妹にばれないよう、横目で俺にアイコンタクトを送ってきている。 なになに――――ちょっとギリギリなことをやってもいいか、だと? 瞬きを素早く繰り返す。――――何をする気だ、弟。 弟が小さく首を振る。――――心配するようなことじゃないよ、か。 ……ふむ。何をやらかすつもりか知らないが、俺がいる状況で暴力を振るったりはしないだろう。 それにゆっくりしていたら学校に着いてからまったりぼんやりする時間が無くなってしまう。 よし。異常な状況をつくった張本人は身内だが、緊急事態には変わりない。いいだろう。 大きく一回頷く。承認の合図と受け取った弟が首を持ち上げ、妹と対面した。 「お兄さんと何の話をしていたの? 逃げる相談?」 「ううん、そうじゃないよ。妹がそこまでするんなら今日は学校を休んでいいか聞いただけ」 あれ、アイコンタクトを読み違えてたか? 弟は逃げる作戦を立てていたはずではなかったのか? 「……本当に? 今日は家に居てくれるの?」 「もちろん。高校ではたまにサボっても大目に見てくれるから平気さ」 でまかせを言うんじゃない。無断で欠席なんかしたら放課後に居残らせて反省文なんか書かせるような高校だぞ。 今の発言を信じた妹が来年サボりの常習犯になったらどうするつもりだ。留年だぞ、留年。 弟、お前だって同じだ。俺が勉強を教えていなければ高校は受からなかったし、テストだってクリアできなかっただろう。 弟と妹が同時期に卒業するなんてあっちゃいけないことだ。 学校ぐらい平凡に卒業してくれ。非凡なのは家庭の事情だけで十分だ。 748 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02 02 26 ID 2qzBLu79 妹の顔から少しだけ険しさが消えた。代わりに疑惑の色を浮かべている。 「証拠は? 今日一日中家に居てくれる証拠を見せて」 「何を見せたら信じてくれるんだ?」 「そうねえ。お兄ちゃんが制服から私服に着替えたら信じてあげてもいいよ」 「うーん……別なやつじゃダメかな」 「証拠になるんだったらなんでもいいよ。他にあるのなら、ね」 「じゃあ、代わりは――――僕の気持ちでもいいよね」 「え?」 なに? なんだそのうすら寒い台詞。 弟が言うから様になっているが、俺の気持ちを見せてあげる、なんて俺が言ったらほとんどの人間は卒倒するか逃げ出すぞ。 「本当は今渡すつもりじゃなかったんだけど、せっかくだから渡すとするよ」 「え、え? 渡すって何?」 弟が学生鞄の中に手を突っ込んだ。 隠されていた手がその全容を見せたとき、長方形の物体も同時に姿を現した。 「うそ……それって。もしかしなくても、やっぱり……」 妹の考えていることは当たっている。 俺だって、ワインレッドの包装紙に包まれた箱の中身を九分九厘当てることができる。 ――そう。 それは、黒ずくめのカカオ菓子。 それは、情念の凝縮した姿。 我々(俺を含む一部の男)が求める、高貴なる存在。 その名も―――――― 「バレンタイン、チョコレート……」 「そう。タイミングを見計らって渡そうと思って持っていたんだ」 なんて奴だ。座っているだけで山のような数のチョコレートをもらえるくせに、 一個でも数を増やすために身銭を切って用意しているなんて。 そこまでして、見栄を張りたいのか――――って、それはないな。 「なんでお兄ちゃんがチョコレートなんか持っているの……? 今日はお兄ちゃん、もらう側でしょう?」 そうだ。何でチョコなんか鞄の中に入れてやがる。 まさか本当に妹に渡すつもりでいたのか? いや、そんなはずがない。 いくら鈍感アンド天然な弟でも、妹のむき出しの好意に気づいているだろう。 妹からチョコレートをもらえることは予測していたはずだ。 でも、現に弟は目の前でチョコレートの入っているらしき箱を手にしている。 ということは、やはり妹に渡すつもりで? 「男が渡すのってやっぱり変かな?」 「変っていえば変だけど、でもあげるのはその人の自由だから。 ……でも、お兄ちゃんからもらうんなら、やっぱりホワイトデイの方が私は嬉しいな」 妹はそう言いながらも嬉しそうである。弟からもらえるものならなんでもいいのだろう。 弟の作戦は妹に餌を与えて油断させ、その隙に登校するものであったようだ。 そうか。ならば早く渡すがいい。すでにいつも出発する時間より十分オーバーしてしまっている。 バレンタインデイに遅刻なんかしたら高橋に誤解されかねん。 「チョコレートの食べ過ぎで体が重いのかい、ハハハハハ」なんて言われたら何も考えず蹴ってしまう。 そうならないためにも、ホレ、弟よ。妹に早くチョコレートを譲渡するんだ。 749 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02 03 55 ID 2qzBLu79 「お兄ちゃん、私……今すごく感動してる。だってそれ、本命なんでしょ? ちゃんと味わって食べるから、その後でお兄ちゃんにも…………してあげるよ。 ねえ、早く頂戴?」 「あれ。僕、妹に渡すなんて言ったっけ?」 「もう、今更照れなくても……」 「違うって。これは妹のやつじゃなくって」 弟が言葉を切った。 ああ、なんだろう。また嫌な予感が湧いてきた。 なんとなく読めてきたぞ。弟が何をしようとしているのか。 さっきのアイコンタクトの通り、これは色々ギリギリだわ。俺の安全の確保が。 兄妹三人しかいないこの状況下で、妹以外にチョコレートを渡す相手は、一人しかいないもんな。 弟が俺と向かい合い、胸元に箱を押しつけた。 まだわからない。まだ弟の意図ははっきりしていない。 もしかして、このチョコレートを同じクラスの葉月さんや高橋に渡してくれ、と言いたいのかもしれない。 頼む。俺に向けた贈り物ではないと言ってくれ、弟! 「これは、兄さんの分だよ」 「なん…………です、って?」 「兄さん、受け取ってくれるよね?」 あー。 はっはっはっ。 へーえ。やっぱり。 そうだったんだねえ。 ………………弟のド阿呆。 750 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02 08 33 ID 2qzBLu79 * * * 「やあ、おはよう。どうしたんだい今日は。遅かったじゃないか。 もしかして、チョコレートの過剰摂取のせいで体が自分のものではないように重いのかい?」 高校の教室に辿り着いて机に座った途端高橋から話しかけられた。 返事する気力は残っていない。朝のホームルーム前のわずかな時間は体力回復に使わなければならない。 ハンカチを机の上に広げて、その上に頬を軟着陸させる。 机がひんやり冷たくて気持ちいい。このまま眠ってしまいたい気分だ。 「むう。返事することもできないほどに疲労しているのか。 こんな気持ちのいい日の朝から一体何をやっていたんだね、君は」 「…………妹に追いかけられた」 「なんと! 世の妹好きの男から羨ましがられるような朝の過ごし方だね。素敵だ。 妹の居ない僕としては一度でいいから君みたいに追いかけられたいものだよ」 ああ。確かに羨ましく聞こえるだろうさ。追いかけられるだけだったら俺だってそれなりに楽しめたんだ。 だけど俺の妹は違うんだ。傘を全力で振り回し、聞くに堪えない罵詈雑言を叫び散らしながら追撃してくるんだ。 そもそも弟が悪い。妹にさんざん期待させたのは反動で我を忘れさせるほど怒らせるためだったのだろうが、やり過ぎだ。 結果的には逃げられたが、俺と妹の間にはより深い溝が生まれてしまった。 今日家に帰ったら今朝の続きが待っているだろう。 帰りたくねえなあ、ちくしょう。 「それほど仲がいいからには、妹からチョコを貰えたのだろう? それとも、帰ってから渡されるのか?」 「…………おそらくは」 渡されるのはチョコレートでなく、引導だと思うけど。 高橋から振ってくる話をぼんやり聞きながら相づちを打っていると、チャイムが鳴った。 途端に高橋は自分の席へと戻る。奴にとっては今この時から一日が始まると言っても過言ではない。 その理由は単純である。高橋が恋する男子高校生だから。恋のお相手が担任だから。 したがって、ホームルームが始まる前には絶対に席に着かなければならないのだ。 ほどなくしてカーディガンとロングスカートという相変わらずの格好をした担任の篤子女史が教室にやってきて、 朝のホームルームが始まった。 751 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02 10 36 ID 2qzBLu79 * * * 本日の一時間目となる体育では、ボールを足蹴にしていじめる競技、柔らかく言うとサッカーをすることになった。 ちなみに屋内でやるサッカーの簡略版みたいな競技はフットサルと言う。 五人ほどのチーム二組が小さなコート上で試合を行う。ボールもゴールも小さい。 サッカーと言った場合は、人数もコートもボールもゴールも、全てがひと回り以上大きいものを指す。 よって、サッカーの試合場はとても体育館の中には収まりきらない。 当然、やる場所は寒風吹きすさぶ屋外ということになる。 運動場の一角で準備運動をする俺の横では、高橋が腕組みをして立ち尽くしていた。 視線はゴールを一直線に見据えている。早くもドリブルでの切り込み方をシミュレーションしているらしい。 体前屈をしている最中に話しかけられた。 「鉄壁のディフェンダー君」 「なんだ? エースストライカー殿」 「いいか。寒い、と言ったら負けだぞ」 「冷える、と言ったら?」 「それも無しだ。ともかく、でっちあげの理由をつけて途中で動きを鈍らせるのはダメだぞ」 「わかってるって。一点も相手にやらねえよ。お前こそ本気でやるんだぞ」 「言われるまでもない。始まると同時に一気に攻めて敵の戦意を削いでやるさ」 力強く言い残し、高橋はコートへ向けて歩き出した。 ――うむ。お互いにできもしないことを誓い合う会話は不毛だ。 高橋は中盤より前、いわゆるフォワードの位置に立つのを好むが足が遅いので点取り屋としては役不足。 俺は敵が攻め込んできたら無様に立ちふさがり、ほとんどの場合突破されるダメな壁の役。 お互いにその事実を理解し合っているのに格好付けた会話をしたのはなんでだろう。 手足が冷えて寒いから、バカな会話をして少しでも熱くなりたかったのかもしれない。 そんなことをしても暖かくなるわけがないんだけど。 お隣のC組とのサッカー対決は、冬の寒さにも関わらず、意外に白熱した。 動いていると体は自然と温まる。朝から全力疾走していたというのに、俺は飽きもせずグラウンドを走り回った。 俺だけでなく、やる気のある人間は皆サッカーを楽しんでいた。 いつもはいまいちキレのない高橋でさえナイスアシストをして、チームの得点に貢献した。 試合自体は一点差で惜しくも敗れてしまったが、所詮は体育の授業。あまり悔しくない。 少しだけ欝だった気分が晴れて気持ちいいぐらいだ。 752 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02 13 24 ID 2qzBLu79 一時間目終了後、暖まった体が冷えないうちに校舎へ戻り制服に着替える。 俺の所属するD組とC組は隣同士なので、体育の時間は合同で行う。 よって、男女それぞれ別々の教室で着替えることができるのだ。男子はC組で、女子はD組で。 D組に隠しカメラでも仕掛けておけば女子の生着替えを録画することができるが、実行する人間はいない。 俺だって退屈な思考がたまたまそんな不埒なことを浮かべただけで、やろうとは思わない。 というか、あまり見たくない。嫌いなD組男子の机にいたずらをしている光景とかが映っていたら女性不信になってしまう。 仮に、もしもいたずらされているのが俺だったりしたら、登校拒否になってしまうかもしれない。 人気者の葉月さんと仲良くしているため一部の女子に目を付けられているから、全くあり得ないとは言えないのだ。 そんなこともあり、同級生の女子の着替えシーンには触れないことにしている。 そもそも盗撮自体が犯罪だ。俺は犯罪者になりたくない。 女子の着替えが終了してから、教室へと戻る。 自分の席を見てみる。変わったところは見受けられない。良かった。 安堵の吐息を小さくついてから席に着く。 二時間目は国語。高橋にとって一日のうちで最も幸せになれる時間である。 教科書とノートを出すために鞄に手を伸ばし――――あることに気づいた。 家を出る際に弟のヤロウがとち狂って渡してきたチョコレートが、鞄の中に入ったままだった。 菓子類の摂取に消極と積極の中間的な態度をとる俺にはチョコをゴミ箱へ放り込むことができなかったのだ。 たとえ弟から渡されたものだとしても、だ。 弟がどんなつもりでチョコを用意していたのかは、朝のゴタゴタのせいで聞けなかった。 真実はわからないが、俺のために用意していた、という答えはあり得ない。あっちゃいけない。 そういうことにしておこう。 異物が混入しているとはいえ、教科書とノートを取り出さないわけにはいかない。 膝の上に鞄を乗せ、クラスメイトに見られないようにして開ける。 ペンケースと、教科書とノートが数冊と、バレンタインチョコが入っているらしきオレンジ色の箱が入っていた。 さしあたって必要としている筆記用具と国語の教科書とノートを机の上に並べる。 そして腕組みをして高橋のアイドルが到着するのを待って――――いられれば良かったのだが。 「…………箱が、変わってた?」 今気づいた。箱の色が変化した事実を自然にスルーしていた。 呆けていたわけではない。弟からもらった箱の存在を無いものとして捉えていたからつい見過ごしてしまっただけだ。 だけど、もしかしたらチョコを求める本能が生み出した幻視だったかもしれない。 もう一度鞄の中身を確認する。 「ふうむ……」 やはり入っている。弟がよこしたワインレッドの箱の代わりにオレンジ色の箱が混入している。 さて、俺はこの事実をどう受け止めるべきだろう。 753 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02 15 44 ID 2qzBLu79 一つ目。殺気だった妹の攻撃を知らぬ間に鞄で受けていて、箱の色が変わった。 ポケットの中に入っているビスケットを叩いたら増えていくのと同じ理屈である。 しかしあの歌はそうであったらいいという願望を歌ったものだ。 もしくは叩いたら割れてしまったというもの悲しい出来事を努めて明るく表現しただけだ。 鞄の中に入っている箱は色だけでなく大きさも違う。 弟のものと比べるとオレンジの方は二倍ほど大きい。潰れたのならもっと不格好になっているはずだ。 よって、一つ目の思いつきは却下。 二つ目。あらかじめ俺がオレンジ色の箱を入れていた。 事実であった場合、弟に渡された箱はどこかに紛失したということになる。 そろそろバレンタインチョコレートを頂戴した数を表わしたグラフに波を作りたい俺の気持ちが無意識のうちに体を動かし、 自腹でチョコを購入して鞄の中に入れたとは考えられないだろうか。 もしそうだったとすれば、このオレンジの箱は俺が用意したものだとは言えない。 純粋に貰ったものとしてカウントしてもいいだろう。俺が意識して用意したのではないのだから。 だが、俺は認めたくない。チョコレートに飢えた男なんて格好悪い。 俺はやっていない。俺はここ数日間チョコレートなんか買っていない。貰えなければそれで構わないんだ。 よって、二つ目のひらめきも却下する。断じて却下する。 三つ目。一時間目の授業中から着替え終わるまでの間に誰かが箱を入れていった。 これが一番妥当な予測だ。十分に納得できる理由がある。 それは、席の配置。俺の席は偶然にも男子の席に囲まれている。野郎の頭越しでしか黒板に書かれた文字を拝めない。 男子の席が集中していると、誰も座っていない状態では机の主の判別がつかなくなる。 あこがれの男子の席がどこか分からない女子はだいたいの見当をつける。 席の一つや二つ分見当が外れてしまっても仕方がない。人間だもの。間違いくらいある。 狙って俺の席に入れたということもあり得るが、これまでの実績からいって可能性は低い。 男子の席を把握していないということを考慮に入れると、他のクラスの女子が贈ったということになる。 おそらく、着替えに来ていたC組の女子だ。 C組の誰かさんは誰にチョコレートを渡すつもりだったのだろう。 前の席に座るクラス一背が高い椎名君か、後ろでひそひそと話す声まで大きい剣道部所属の木村君か。 右翼を固めるバイク好き中野君や、左の席にて常習的に居眠りをする藤田君、ということも考えられる。 しかし、困った。四人のうちで誰が女子に一番好かれているかなんてわからない。 脳内の仮想スプリントではノッポの椎名君が一位だったが、二位の木村君とは僅差だった。 四席のいずれかに座っているのが我がクラス一のイケメンである西田君だったらここまで困らないのに。 何かヒントは無いかと思い、鞄の中で箱を手にとって観察する。 手に取った手応えは、軽いか重いかで言わせれば重い方。板チョコ三枚分はあろう。 表面は長方形、高さは三センチほど。B5ノートを真ん中で折りたたんだものがすっぽりと収まりそうだ。 どの面を見ても差出人の名前や宛先などは書かれていない。メッセージカードも付属していない。 はて、間違って届けられたチョコレートはどこに預ければいいんだろうか。 交番、職員室、生徒会室、弟の机、高橋の靴箱、怒れる妹の手の中……いずれも然るべき対応を期待できない。 ――保留しよう。手の施しようがない。 間違いに気づいた送り主が取りに来るまで待つことにする。 もし放課後になっても誰も尋ねてこなかったら……その時に考えよう。 754 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02 18 02 ID 2qzBLu79 * * * 頭が痛い。悩んでいるから。 肌寒い。座っている場所が屋上のベンチの上だから。 結局、放課後になってもオレンジの箱について問い質してくる人間は誰一人いなかった。 慌てながら捜し物をする生徒の姿は一度も目にしなかった。 手にはオレンジ色の箱に包まれたバレンタインデイの贈り物。今日は一日中こいつに悩まされることになった。 もう校内にいる生徒は部活に所属している人間だけ。今から誰かがこの箱を取りに来たりはしないだろう。 どうしたものか。捨てるわけにはいかないし。一番簡単なのは俺が貰う、ってのだけど。 「……なんだか悪い気がするなあ」 こういう贈り物って念がこもっているみたいに思えるから扱いにくい。バチが当たりそうだ。 でも、明日になって持ち主を捜してもどうせ見つからないだろう。 箱を鞄の中に入れる。判定はグレーだが、鞄に入れられていたのだから貰ったものとしてカウントしよう。 腰を浮かせて立ち上がる。鞄を左脇に挟んで両手をポケットの中に突っ込み、屋上の出口へ向かう。 ポケットから手を出し扉のドアノブに伸ばす――――と、すさまじい勢いで勝手に扉が開いた。 この高校は前衛的な趣向を凝らした作りをしていない。自動ドアなど校内のどこにも存在しない。 勝手に扉が開いたのは、俺以外の人間が扉を開け放ったからだ。 「ったく! どこに逃げたって一緒なんだから大人しく耳から血を…………って、あ、れれ?」 姿を現したのは葉月さんであった。 俺と顔を合わせた途端吊り上がっていた目が平常に戻った。 俺の顔には鎮静剤的な効能でもあるのだろうか。妹に対しても有効だったら嬉しい。 「葉月さんは、屋上に何か用でも?」 「ううん。ちょっとドラね――じゃなくて、探している人がいて」 「そうなんだ。もう五時過ぎだけど、見つかった?」 「三回見たよ。一回目は屋上、二回目は一年の教室、三回目は靴箱の前。逃げ足だけは毎回素早いんだから」 「逃げ足? 探しているんじゃなくて、追いかけてるの?」 「あ」 葉月さんが口に手を当ててひるんだ。まずった、という感じの顔をしている。 「ち……違うの! 私は別に怒っているわけじゃなくて、ただ聞きたかっただけなの! 本気なのかどうかとか、朝は家から走って飛び出していったのにどうやって渡せたのか、とか! 私、朝からずっと見張っていたんだからそんな隙はなかったはずなのに!」 「はあ」 要領を得ない説明に対しては力の無い返事しかできない。 主語を用いない会話をする時は相手の理解度をあらかじめ把握しておいて欲しい、なんて思った。 「それで、葉月さんは今からまた探すの? もうすぐ暗くなるよ」 「え? そういえば、そうだね。うん…………もう別にどうでもいいかな。 探すのはやめる。ねえ、一緒に帰ってくれる?」 「もちろん」 断るはずが無い。無駄なことに頭を使ったので癒しが欲しかったところだ。 755 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02 20 02 ID 2qzBLu79 葉月さんと談笑しながらの帰り道は、葉月さんの豪邸に着いたことで終わることになった。 ここまで来てもチョコレートのチョの字も会話に出なかった。 ひょっとしたら葉月さんから貰えるかも、なんて期待ははずれてしまった。 でも、二人で歩きながらの帰り道が楽しかったので悔いはない。 物より思い出。食欲より心を満たそう。 「それじゃあ、葉月さん。また明日」 「うん。……そうだ。一つ聞いてもいいかな?」 「いいよ。何?」 「今日、バレンタインのチョコ、貰えた?」 「う………………………………………………ん、貰った」 頷いて嘘を吐く。鞄の中にチョコレートが入っているからまるっきり嘘ではないけど。 何者かが鞄の中に入れていたものを我が物にした、という事実は隠す。 「そうなんだ。悩むってことは、やっぱりアレを、ってこと…………だよね」 「え?」 「だよね!」 「いや、だよねって、何が」 「だ、よ、ね?!」 「…………はい。そうです……だよ、ね」 よくわからないが押し切られてしまった。今日の葉月さんの勢いはやけに強い。 それになんだか上機嫌だ。何かいいことでもあったに違いない。 「じゃ、また明日。そうだ、朝から尋ねていってもいいかな?」 「いいよ。葉月さんが来るまでずっと待ってるから」 「うん。絶対に行くからね。それじゃあ、バイバイ!」 別れの挨拶の後、葉月さんは身を翻して門の向こう側へと歩いていき、門の手前に着いたところで鞄の中から鍵を取り出した。 その時、くしゃくしゃになった物体が地面に落ちた。 「え……あ! しまった!」 葉月さんが慌てている。落としてまずいものだったのだろうか。 あれは何だ? 暗くていまいちわからないが、紫に近い色合をしているような。 そういえば、弟に貰った箱の色はワインレッドだった。 紫とワインレッド。どっちも濃色だから今ぐらいの時間だと判別がつかなくなる。 じっと目を凝らしていると、葉月さんが両手を横に振る、いわゆる否定の動作をし始めた。 「ち、違うからね! これはその――教科書だから! 変に勘ぐらないでね!」 そう言いつつ詳細不明の物体を回収し、家の中へと入っていった。 756 名前: 名無しさん@ピンキー [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02 23 37 ID PmDa2ZlT 支援 757 名前: ヤンデレ家族と傍観者の兄 ◆KaE2HRhLms [sage] 投稿日: 2008/02/28(木) 02 23 38 ID 2qzBLu79 葉月さん宅からマイハウスまでの歩いて十分少々の道のりは体には甘く、心には険しかった。 妹という鬼が待っていると思うと、足が自然に止まってしまう。何度友人宅に外泊しようと考えたことか。 朝の出来事から十時間が経過しようとしている今でも妹の怒りが持続しているのかは、ようとして知れない。 弟が妹の怒りを諫めてくれていれば、軽傷で済む可能性もある。 朝のことは水に流してやる。帰っててくれ、弟よ。 わずかな望みにすがり、玄関のドアノブを掴む。 深呼吸をする。鼻から入った外気が脳まで冷やしてくれた。吐息は少しだけ白くなって掻き消えた。 喉を鳴らして唾を飲み込み、覚悟を決める。 「……よし」 行くぞ! 勢いよくドアを開け放つ。そして叫ぶ。 「いるか弟! 今朝のことを悪いと思っているのなら今すぐここに来て――く、れ?」 言葉が止まった。 玄関を開けて最初に目にしたものは人間の頭頂部だったのだ。 よく観察してみるとその髪は滑らかで艶があった。この髪は妹のそれだ、と見当をつける。 妹はうつむきながら震えていた。前髪が垂れていて目の色を伺えない。 玄関で待っていたということは、俺に暴行を加えるつもり満々だということ。 ああ、もう終わりだな――――と、さっきの勢いを霧散させ、あっさり生きることを諦める。 だが、いつまで経っても拳や足技や凶器の類が襲いかかってこない。 刺激しないよう、優しく声をかける。 「ど、どうかしたのか?」 「……お兄さん。お兄ちゃんなら、帰ってきてないよ。帰ってこないんだよ。ずっと、ずっと……待ってるのに。 まだ、チョコ、渡してないのに」 「どういう意味だ?」 「そのまんま。メール、見たら?」 妹はゆっくりと後ろを向き、ふらつきながら自室へ入った。 帰ってきてない? いや、帰ってこない? 高校生なんだから帰りが遅くなることもあるだろうに。そこまで消沈しなくても。 携帯電話を見ると、メールが一件届いていた。 送り主は弟。思い出してみれば弟からメールが送られてくるのはこれで二回目だ。 初回はアドレス登録するための空メールだった。 ということは、用件を伝える目的のある今回のメールこそが初めてのものである、と言える。 記念すべき弟からの初メール。ちっともドキドキワクワクすることなく開封する。 『兄さん、今までありがとう。 僕は兄さんの弟に生まれて幸せだったよ。 さようなら』 弟からの初メールは、お別れを告げるものだった。 これがいたずらではないことを、バレンタインデイが終わる時刻になってようやく理解できた。 弟は、帰ってこなかった。
https://w.atwiki.jp/kensakukinshi_kamina/pages/251.html
ヤンデレ GIF ToHeart2に登場するキャラクターがヤンデレになったら…と言う話。
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889 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 45 19 ID SkP7eOPU [2/20] 4年前 「キスシーンってあるじゃない?」 「ふぶっほ!?」 「って、どうしたのさ。いきなりむせて」 「なんでもない。続けて」 「そうそう。キス。この際セックスでも良いんだけど、アレって危なくないのかな?」 「・・・・・・妊娠の危険性という意味なら、キスで赤ちゃんはできない」 「やだなぁ、千里。赤ん坊はコウノトリが運んでくるんだろ?身体的接触なんかでできるわけないじゃない」 「・・・・・・」 「いや、冗談だって。本気で心配そうな顔をしないで。保健体育の授業は真面目に受けてるから」 「男子の前で『セックス』とか公言する女子を見れば誰だってそうなる、俺だってそうなる」 「キミが男子だってこと、意識したことないからなぁ・・・・・・。それで、その手の身体的接触の話だけど」 「そう言うロマンチックな行為を味気ない言葉でまとめるな」 「ロマンとかその手の幻想は取っ払っときなよ、無意味だから。ボクが今から話そうとしてるのは、もっとリアルなことなんだし」 「・・・・・・リアル?」 「そう。接触、ということは互いの距離がゼロになる、それがどれだけ危ないことか、みんな理解してるのかなってコト」 「・・・・・・ゴメン、俺馬鹿だから全然分かんない」 「つまりね、それって『殺せる距離』ってことだよ」 「殺せる距離?」 「そう。その気になれば相手に確実に必殺の一撃を入れられる距離」 「確かに、長距離の方が殺しやすいのは、ゴルゴみたいなスナイパーくらいだとは思うけど・・・・・・」 「ゼロ距離なら、確実に相手を殺せる。凶器は何でも良い。ナイフでも良いしロープでも良い。素手で首を絞めれるならそれでも良い。それでなくても、殴る蹴るには悪くない距離だ」 「最後は多少、間合いがほしいところだけど」 「あ、そうなの?でもどっちにせよ、とても殺しやすい距離だって言うのは確かだよね」 「無防備な状態、というのは同意するけど」 「だね。無防備。それが一番適切な表現かも。そんな状態に、そんな自分のテリトリーに、他人なんかをいれちゃぁいけないぜ。長生きしたかったら、さ」 それは、今思えば、叶うことの無い忠告だったのかもしれない。 890 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 45 40 ID SkP7eOPU [3/20] 現在 葉山正樹と明石朱里は付き合っている。 当事者たちを半ば置いてきぼりにして、その噂は事実そのものと化していた。 事実無根にも関わらず、その真実を噂が完全に逆転させていた。 一応、俺のほうからも『噂は噂』とかなり積極的に話を流してはいるのだが、状況は一向に変化する様子は無かった。 「御神氏」 その日の朝休み、クラスメートの李忍は、三日と話していた俺に向かって囁きかけるように言った。 隣にいる三日がそれに聞き耳を立てているのが困りものだったが・・・・・・。 一応、数日前の一件は軽く説明して、やましいことが無いと言った筈なんだけどなぁ。 それはさておき。 「先日、御神氏が話題に出していた噂の件でござるが、やはり改めて調査してみたのでござる」 「あ、調べてくれたんだ。ありがとう」 いや、本当にありがたい。 今度何か御礼をしないと。 お菓子でも作ってあげるか・・・・・・って気のせいか嫉妬の視線を感じますよ? 「調べたのは良いのでござるが、やはりどうやっても噂の源は掴めなかったのでござる」 「掴めなかった?」 「そうでござる。誰かが流したということも、流れるような理由があったということも、何一つ」 この手の噂は、誰かが何か(この場合は『葉山と明石が2人きりでいた』とかそういう出来事)を誰かが誤解して・・・・・・というパターンから派生しそうなものだが、李はそれさえも掴めなかったという。 と、具体的に言うのは、俺もかつてそういう誤解にあったことがあるからなのだが。 いや、あの件は本当に痛かった。精神的な意味でも、刺殺的な意味でも。 「力になれず、申し訳ないのでござる」 「いや、調べてくれただけで大感謝。本当にありがとう」 そもそも、能力、人脈共にイロイロな意味で規格外な李がマトモに調べて何も分からないと言う事態自体が異常なのだ。 「前生徒会役員が総出で動いていれば結果は変わっていたかも知れぬでござるが・・・・・・」 「3年の先輩が受験勉強だからね。そんな時にむやみやたらと甘える訳にはいかないよ」 今まで散々学校の問題、他人の問題に邁進してきた人らである。 現在、自分の問題に邁進しても罰は当たるまい。 だから、今回に関しては一原先輩の助力を求めるつもりは最初から無かったし、そもそも助力を受けられないだろうと踏んでいた。 先輩たちの見せ場は、9月の鬼児宮邸での大アバレが最後なのである。 「・・・けれど、それって良いことなのではありませんか?」 と、隣で耳をそば立てていた三日が俺たちに、というより俺に言った。 「・・・今まで朱里ちゃんが望んでいた事が、噂として、というより事実として認識されて。・・・それは、良い事だと思います。だから、噂の流布にどうこう言ったり、どうにかする理由は無いのではないですか?」 納得できる理屈ではある。 望ましい事柄であっても校内に嘘がまかり通っているのが許せない、などという正義感はこの場合非生産的だ。 ただし、 「全面的に明石の視点に立つなら、ね」 「・・・葉山君の方は違う、とでも?」 三日の言葉に、俺は嘆息した。 「アイツは今、完全にビビッてる。好きとか嫌いとか、考える余裕無いよ」 「・・・葉山君がそれを考えてくれれば万事解決なんですけど」 件の『ビビッてる相手』は明石だ、とまでは言わなかったが。 「それが、一番の問題なんだよなぁ」 と代わりにそう答えた。 噂にせよ何にせよ、結局はエンディングに関係の無いサブイベントでしかない。 この物語において、この恋愛において一番重要なのは、葉山正樹が明石朱里の気持ちに対してどのような答えを出すか、そしてそれに対して明石朱里がどう応じるか。 それだけだ。 肝心の葉山は、今小動物のように震えて答えを出すどころではないのだが。 「って言っても、こればかりはサブキャラが口を出したところでどうしようも無いことでもあるしなぁ」 「恋愛というのは、やはり当事者同士の問題でござるからな」 「・・・そんな、人事みたいな」 「人事だよ」 珍しく不満そうに言う三日に、俺は嘆息しながら言った。 「俺もお前も李も、アイツら2人がどんな結末にどんな落とし所になってもほとんど困らない、けれど当人達には非常に切実で、当人達にしかどうしようもない、ごく当たり前の人事」 軽薄な言葉かもしれない、けれど、どうしても軽薄には言えない。 「それが、人事なのが、今一番歯痒い」 そう言いながら、俺はいつの間にか強く握りこんでいた片手から、熱い血が流れ出るのを感じた。 891 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 46 06 ID SkP7eOPU [4/20] いくら外野が歯痒いといったところで、当事者たちにとってはそれどころではない。 葉山正樹にとっては、特にそうだった。 同じ日の昼休み、『自分と朱里が付き合っている』という噂が前提となった、虚構に現実が支配されるような悪夢じみた現実から抜け出したくて、彼は教室を出た。 「ったく、一体全体何がどうしたって言うんだ」 校舎の隅で1人になると、葉山は1人呟いた。 全ての始まりはあの日のこと。 朱里の奇妙な告白を受けてから。 それから全てが狂い始めていた。 朱里が狂い、現実も狂った。 葉山自身はここ数日、それを否定しようとは思っているのだが、それが叶うことは無かった。 否定しようにも、常に明石が一緒にいる為、何か言おうとすると底冷えするような威圧感と共に遮られる。 そうでなくても、日を追うごとに噂が定着していく。 「お釈迦様の掌で鬼ごっこしてるみてーだ」 「追いかけてるのが鬼なのか仏なのかわかんないね、ソレ」 葉山の独り言に、応じる声があった。 驚いて声のしたほうを見ると、 「朱里・・・・・・?」 スラリと長く美しい足を覗かせる少女が、こちらに笑いかけていた。 「やほー、まーちゃん。イキナリ教室を出て行くから、カノジョさんが寂しがってるよん。ってアタシなんだけど!」 1人で勝手にノリツッコミをして、からからと空しく笑う明石。 「いや、彼女とかにはなって、ないだろ・・・・・・?」 「でも、みんなはそう言ってるよ?」 「俺は……何も言ってない」 明石から目をそらして、葉山は消え入るような声で答えた。 現実から目をそらすように。 「みんなが言ってるんだし、付き合っちゃおうよ、このまま」 スイ、とごく自然なしぐさで、朱里は葉山の隣に近づいた。 「アタシは……私は、そのつもりだよ?」 それは知っていた。 何しろ明石は、校内の噂に悪乗りするような形で、数日前大胆にも葉山家に『結婚を前提にお付き合いしています』と挨拶に来たのだから。 誰もそんなことは言って無いはずなのだが。 「流されていこうよ。このまま、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずーっと2人一緒に。私達、揺り篭の中から一緒だったようなモンだし、だったらこのまま一緒に墓場まで一緒に、ね」 ごく自然に、まるで恋人のように腕を絡め、明石は彼の耳元で囁いた。 誘惑するような、それでいて有無を言わせぬ声音で。 ソレに対して、葉山はマトモな抵抗ができない。 「・・・・・・良いだろ、別に」 葉山は何とか言葉を搾り出した。 「お前が墓場まで行くのは、別に俺と一緒でなくても・・・・・・」 「駄目」 全て言い終わる前に、強い口調で明石が否定した。 「駄目よ駄目駄目全然駄目。私は正樹が良いの。正樹と一緒じゃなきゃ駄目なの。正樹と一緒じゃなきゃ意味が無いの」 鬼気とした言葉を明石は葉山にぶつけた。 絡めた腕の力が、強くなる。 「・・・・・・何で、俺なんだよ」 ぶつけられた言葉から逃げるように、葉山は返した。 「理由が要る?」 明石は即座に答えた。 いらないでしょう、と言外に言っている。 「要る・・・・・・だろ・・・・・・」 ゴクリ、と生唾を飲み込みながら、葉山は何とか言葉を吐き出した。 「理由が欲しいなら・・・・・・」 いつの間にか、明石が正面にいた。 真正面。 キスができるような距離に。 殺しさえできるような距離に。 「私が作ってあげる」 その距離から、明石は葉山を一気に押し倒した。 葉山の視界が一瞬で変わる。 女性らしい細くしなやかな身体の感触と、人1人分の重みが、葉山を襲う。 「……あは」 押し倒したままの姿勢で、明石はシュルリと葉山のネクタイを外す。 そして、1つずつボタンを外す。 1つ、2つ・・・・・・。 妖艶にも見えるそのしぐさに、彼は何もできない。 金縛りにあったかのように。 恐怖が、全身を縛り上げている。 「これで、ラスト」 ブレザーとワイシャツのボタンが、全て外される。 そして、明石の細い指が葉山のベルトにかかった時――― 「ストップ!!!!!」 と、御神千里の声が―――俺の声が遮った。 遮ることが、できた。 892 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 46 45 ID SkP7eOPU [5/20] その時まで。 葉山が昼休みの教室から出て、それを追うように明石も教室から出て。 俺と三日はどうにも心配になり、(と、言うより親友2人が昼休みに消えて単純に寂しかったのもあり)さらに2人を追いかけて、探していた。 それでようやく2人を見つけたのが。 端的に言って、葉山が明石に犯されかかってる瞬間だった。 「ストップ」 そう、努めて冷静に、俺は明石に言った。 言っていた。 反射的に出た言葉だった。 「何よ、御神千里」 明石はこちらを振り向いて言った。 姿勢は、葉山に馬乗りになったまま。 「恋人同士の営みを邪魔するつもり?」 「邪魔はしないが、止めに来た」 「同じことでしょ?」 殺気に満ちた視線をぶつける明石。 少女は目で殺す、とはよく言ったものだ。 いや、明石は糸屋の娘でも魔法少女でもないが。 「真昼間からやることじゃないだろ、そういうの」 「恋を時間が邪魔するとでも?邪魔をするなら私は時間とだって戦うわ」 明石は剣呑な声で言った。 戦って倒してしまいそうな勢いだった。 「大体、恋人同士はさておき、同意の上には見えないけど?」 「何で?」 質問に質問で返す明石。 「正樹が抵抗していない。それだけで十分同意の上に見えると思うけど」 それを言われると否定しようが無い。 怖くて何もできないだけだ、と言っても聞き入れないだろうし。 「どっちにせよ、今日はその辺にしておいた方がいい。俺達みたいに誰か来ないとは限らないし。気がついたら午後の授業に戻れないくらい足腰立たなくなってましたーじゃ洒落になんないじゃん?」 「どうしても邪魔したいみたいね」 「違う違う。こういうことは邪魔にならない場所で、お互い余裕のある時にやった方が楽しいんじゃない、っていう、親切心からの親身な忠告」 あくまでも提案、忠告、という態度で、俺は言った。 「・・・・・・」 俺の言葉に納得したのかいないのか、渋々と言った風に葉山の上から離れる明石。 「ひ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」 拘束を解かれた葉山は、明石を押しのけるように跳ね起き、こちらの方に駆け寄って俺の後ろに隠れた。 「!?」 その様子に絶句する明石。 ―――な、ん、で?――― 明石の唇が、そう動いた気がした。 絶望的な表情で。 対峙する俺と明石。 その後ろに隠れる葉山。 まるで、俺達が敵同士のような構図。 「……あは」 その構図に、絶望的な表情を浮かべていた明石は口元を歪めた。 「そっか、やっぱりそうなのね。『あの人』も言ってた通り、やっぱり、誰よりも粉砕して圧砕して排除しなくちゃいけないのは―――」 ゾッとするような視線をこちらに向け、俺の横を素通りする明石。 この娘は、ここまで敵意に満ちた眼ができる娘だったのだろうか。 殺意と、敵意と、あらゆる負の感情が詰まったような眼が。 そして、俺の隣にいた三日に向かって「後で、2人だけで話したい事があるから」と小さく言って、明石は去っていった。 その言葉を、俺は聞き逃してしまったけれど。 聞き逃すべきでは、無かったのだろうけれど。 893 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 50 11 ID SkP7eOPU [6/20] 乙女には秘密の1つや2つは付き物だ。 それは、緋月三日にしても同じことだ。 彼女は御神千里に全幅の信頼を置き、心を許してはいるけれど、しかし、未だ秘密の一から十まで全てを開示しているわけでもない。 今日、この日の出来事も、そんな秘密の1つとなりそうだった。 と、言うより秘密になることが確定した。 言えるわけがない。 一番の親友から脅迫を受けた、などと。 「しっかしまぁ、良く撮れてると思わない、コレ?」 その日の放課後、話したいことがあると校舎の一角に三日を呼び出した親友、明石朱里はそう言って三日に自分の携帯電話の画面を示す。 動画だった。 男性向け18禁ウェブサイトにありそうな(偏見)類の動画。 1人の若い女性が、自分の身を慰めている様をこれ見よがしに扇情的に映した動画。 もっとも、映された本人としてはそうした意図は全くなく、ただただ生物として抑えきれない愛欲を慰めているだけなのだが。 間違っても公開しようなどと、ましてや一番の親友である明石朱里に見せようなどという意図は全く、一欠けらも、これっぽっちも、無い。 断言していい。 断言できる。 なぜなら、その画面に映っているのは、緋月三日本人なのだから。 中学生くらいから、ささやかな罪悪感にかられながらもはじめ、高校に入って恋を知ってからは常習化していた自分の自慰行為。 音声こそ入っていないものの、その様子が一から十まで映っていた。 「・・・なん、で」 なにこれ、とは言わなかった。 それが自分の姿であることは明白だったからだ。 これ以上なく身に覚えがある。 だから、問うべきはなぜ親友の手にこんな動画があるか、だ。 自分で撮った覚えはないし(そんな趣味は無い)、それを親友に渡した覚えなどかけらも無い。 「良く撮れに撮れててさー、このオンナのだらしなーい顔がよく、見える」 しかし、親友は三日の問いに答えることなく、言葉を続けた。 「キモいよねーこの顔。だらしなくてさ。イキ顔って言うのかな?アヘ顔って言うのかな?ホンット気持ち悪くて、18歳以上でもとても人様にお見せできないよねー」 そう言って、朱里は意地悪く笑う。 こんな顔を自分に向けるような少女だっただろうかと、三日は思った。 実は、目の前にいる朱里はモンスターか何かの化けた偽者で、本物はもう死んでいる。 そんな与太話のほうがまだリアリティがある気さえした。 「ぶっちゃけ、その気になれば人様に見せることはできるんだけどね、アタシ。ネットの動画サイトにアップするまでもなく、添付ファイルにして学校中のメルアドにババーっと流したりさ。いい考えでしょ?」 「・・・なんで、朱里ちゃん・・・・・・」 三日は、先ほどと同じ言葉を繰り返した、それ以外のことが、それ以外の言葉がとても出てこなかった。 「なんで、って言うのはどういう意味かな、みっきー。なんでアタシがこの動画を持ってるのかってこと?何でそれをあなたに教えるのかっていうこと。それとも―――『なんでこんなヒドいこと言うの』って意味?」 意地悪く笑って、朱里は言った。 「でも、ソレってそんな重要なことじゃないよね?重要なのは、アタシがあなたのキモ動画を持ってて、それを好きにできるってコト」 そう言って、朱里はヒラヒラと携帯電話を振る。 三日のあられもない姿が映ったモノを。 894 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 50 42 ID SkP7eOPU [7/20] 「コレが世界中に、って言うか学校中に撒かれたら、アナタみんなから引かれるわねー。嫌われるわねー。学校生活メチャメチャよねー。御神千里なんてドン引きして二度とアナタに近づかない」 「・・・!?」 最後の一言に、三日は息を呑んだ。 「ああ、やっぱりコレが一番効いたか。じゃ、いい加減用件を言うから良く聞いてね、みっきー」 悪魔的なまでの笑顔で、朱里は言った。 「これからずっと、アナタは私の言うことを何でも聞くこと。従うこと。服従すること。屈服すること」 それは、まかり間違っても親友に対する言葉ではなかった。 少なくとも、三日は朱里にそんなことを言われる日が来るなんて思っても見なかった。 「この場合の何でもって言うのは、本当に何でも。小さなことから、大きなことまで。その代わり、この動画は外部に漏らさないであげる。ましてや、御神千里には絶対見せない、触れさせない、匂わせない」 「・・・」 「悪くないギブ・アンド・テイクだと思うわよ。もっとも、アナタに選択肢は無いと思うけど?」 「・・・なんで、そんなこと言うんですか」 朱里が言いたいことを言い終えたとき、ようやく三日も一文を振り絞ることができた。 「・・・脅すようなことを言わなくても、朱里ちゃんの頼みなら何でも聞きます。さすがに、『千里くんを渡して』というのは無理ですけど、それ以外なら何でも。・・・だって・・・」 と、言葉を搾り出す。 「・・・友達、じゃないですか」 これ以上なくシンプルで、しかし真摯な言葉だった。 しかし、それに対して朱里は、 「は?」 と、馬鹿にしたような、軽蔑したような、そんな声を上げた。 「アンタさぁ、イマドキ『友情』とかマジで信じてるわけ?バカだねー。言っとくけど、私はそんな目に見えない物人生で一度として信じたことないわよ」 「・・・え、でも」 「大体さ、忘れたの?私たちの『友情』は、互いの恋を成就させるために生まれたモノ。つまり打算に満ちた口約束。それ以上でも以下でもないわ」 「・・・」 「アタシ、最近そんな口約束ぐらいじゃどうしようもないシリアスなコト考えてるから、アンタを使いたかったのよ。確実に。だから取引した。そっちの方がマトモで、賢明で、フツーでしょ?」 朱里の辛辣な言葉に、三日の中で大切なものがガラガラと崩れていくような感覚を覚える。 「答えは無いみたいね。じゃ、また明日」 そう言って、ヒラヒラと手を振りながら明石朱里は去っていった。 彼女に対して、もう、『三日の一番の親友』という肩書きはつかないのだろうけれど。 その後姿を瞳に映す三日には、朱里の姿どころか、外からしとしとと聞こえてきた雨音さえ、認識されてはいなかった。 895 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 51 08 ID SkP7eOPU [8/20] 一方、俺は葉山を家まで送っていた。 部活動の無い日だったこともあるが、それ以上に彼が心配だったからだ。 明石がいくら強弁したところで、明らかなレイプ未遂だったことは明白だ。 葉山が動揺していたことは明らかだった。 「じゃ、また明日」 「・・・・・・おう」 そんな短い会話で、俺たちは葉山家の前で別れた。 こんな落ち込んだ姿を見せられれば、誰も軽々しく「美人なら逆レイプもアリだろ」とは言えなくなるだろう。 俺は半ば沈んだ気持ちで、折りたたみ傘を打つ雨音を聞きながら家に向かって歩き出した。 あんな酷い目にあっても、決められるのはアイツだけなんだよなぁ・・・・・・。 手伝えるものなら、肩代わりできるものなら、俺が何とかしたいところだけど、そういうわけにもいかない。 明石だって俺の友達には違いないし。 友達だと思いたいし。 ・・・・・・うん。 「はやまんから『みかみん、明石をやっつけてくれ』って言われたら、そうするしか無いのかなぁ」 やだなぁ。 そうは言っても、俺にできることなんて、悲しいまでに少ないのだけれど。 そんなことを考えながら、俺はいつものようにマンションのエレベータに乗り、自分の家の前まで来る。 「・・・・・・ウン?」 家の前に、何かが置いてあった。 闇の中に置かれたまっ白な何か、否、誰か。 酷く濡れている。 闇に見えたのは、鴉の塗れ場色をした黒髪。 黒髪の上の白も濡れていて、布地が透けている。 透けた先には可愛らしい下着と白い肌が・・・・・・ってオイ。 「三日ぁ!?」 家の前に倒れていたのは三日だった。 何やってんの!? ってかどうしたの!? 「ちょ、大丈夫!?起きてー!」 家の前に置いて、ではなく倒れていた三日の体を起こし、ガクンガクンと揺する。 「・・・あは、千里くん。・・・千里くんだぁ」 死んだような眼で、三日が呟いた。 とりあえず、意識はあるらしい。 「・・・千里くん、お願いがあるんですけどぉ」 「何、っていうかその前に濡れた服を何とかしないと!?」 「・・・私を、犯してください」 ・・・・・・ナンデスト? 「・・・あ、間違えた」 間違いなのか。ああ良かった。 「・・・私を、壊してください」 良くなかった。 「・・・犯して、壊して、目茶目茶にしてください」 「そんな不穏当な台詞をこんなところで吐くな!」 ほかの住人に聞かれたら、さすがにいたたまれない、というか居られない。 フツーにこのマンションで暮らせなくなる。 とりあえず、俺は家の鍵を開け、三日を家の中に招き入れた。 いかがわしい犯罪の証拠だか証人だかを隠しているように見えなくも無いが、幸い近くにほかの住人はいないようだった。 「ええっと、とりあえずその濡れた制服、脱いで」 「・・・私のお願い、聞いてくれるんですね」 嬉しい、と俺に抱きつく三日。 見た目に似合わず妖艶とも言える動作だったが、ドギマギすることは無かった。 正確には、ドギマギする前にそんな邪念を打ち消された。 濡れた感触と、冷え切った肌、それに震える三日の体に。 三日は、心身ともに弱りきっていた。 そんな女の子にいかがわしいことをするなんて、弱みに付け込むような真似をするなんて、俺にはとてもできなかった。 896 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 52 08 ID SkP7eOPU [9/20] 「そうじゃない」 俺は、しかし優しく抱き返していた。 少しでも彼女の体を、心を温めようと。 「今のは、誤解されるような言い方をした俺が悪かった。でも、何よりもその服を何とかしないと。風邪引いちゃうよ」 「・・・かぜぇ?」 どこか舌足らずな、虚ろな口調で、三日は言った。 「・・・大丈夫ですぅ。・・・私がかぜをひいたくらいで心配してくれるような友達なんて、もうどこにもいませんよぉ」 「俺が心配する!」 あまりにも自分をないがしろにした言葉に、俺は思わず怒鳴っていた。ウン、こればかりは素直に認めよう。 思わず、抱きしめる腕にも力がこもってしまう。 あまりに強くて、痛かったかもしれないな、と思い直して、と言うか我に返って腕を解いた。 「とにかく、ちょっとシャワー浴びてきなよ。今のままじゃ、ホント、心配」 噛んで含めるようにそう言うと、三日は渋々と、ではなくフラフラと浴室に向かって歩き出した。 程なくして、シャワーの水音が聞こえてくる。 「ったく、一体全体何がどうしたって言うんだ」 リビングのソファにどっかりと腰を下ろし、俺は1人ごちた。 葉山と一緒に帰ったせい、では無いからだ。 むしろ、用事があるから先に帰ってて下さい、と言ったのは三日の方だった。 どんな用事かは知らないが。 何かあるとしたらその辺りに事情がありそうだが。 何にせよ、あんなに弱りきった三日は始めてみた。 嫉妬に狂ってくれたほうがまだ良いくらいだ。 と、そんな思考をブチ壊すように、携帯電話が鳴った。 「もしもし」 『大体の所は・・・聞カセテ・・・もらったよ』 「どこからだどうやってだボケ」 緋月月日さん、三日のお父さんだった。 『勿論、最初から最後まで…と、それはともかく千里くん。今夜は三日をキミの家に・・・泊メテヤッテ・・・は如何かな?」 「何だ、その超展開」 『・・・イヤイヤ・・・極めて理路整然とした展開だよ?』 俺の乱暴な口調にも動じることの無い月日さん。 相変わらず腹立たしいまでに飄々とした人だ。 それはいつものことだし、だからこそついついこっちもツッコミがキツくなるのだが。 『第一に、あそこまで落ち込んだ三日に二日のスパルタ教育は・・・逆効果・・・』 なるほど、確かに叱咤激励されて奮い立つ元気は今の三日には無さそうだ。 ・・・・・・あれ、叱咤激励? 『第二に、私は落ち込んだ女性を見ると・・・ボッk』 「そっから先は言うな、この変態性欲者」 俺が本気で引きながらも入れたツッコミは、しかし月日さんに華麗にスルーされる。 『第三に、今の三日とレイちゃんが接触するとどのようなことになるのか・・・マッタク・・・未知数』 未知数。 未知への恐怖。 『このように、緋月家はどん底まで落ち込んだ多感な年代の少女を帰らせるには・・・キワメテ・・・不適切なんだよ』 「不適切なのは月日さんの性癖な気もしますけどね」 まあ、言いたいことは分からなくも無い。 「つまり、落ち込んだ三日にどう接していいか分からないから俺に丸投げするわけですね」 『…良イ…んだよ、キミがやりたくないというのなら別に。その時は三日がこの世の地獄を見ることになるだけだから』 「素直に泊めろと言え」 ホント、ひねくれてるよなぁ、月日さん。 何でこの人の遺伝子から三日みたいな娘が生まれたのか。 「分かりました。娘さんは責任を持ってお預かりします」 『・・・ムセキニン・・・でも良いけどね。こんなときだからこそ・・・ヨワミ・・・に付け込んで―――』 「存在レベルで18禁ですよね、あなた」 897 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 52 36 ID SkP7eOPU [10/20] ところで、と俺は話題を切り替えた。 「三日がああなった理由、ご存知ありませんか?」 『・・・キグウ・・・だね。私もソレを聞きたかったのだが。キミも知らないのかい?』 「ええ、俺にもちょっと分かんないです」 『・・・イガイ・・・だね。恋する乙女というのは、恋愛対象に対して一喜一憂するもの、なのだろう?』 「自分の娘を『恋する乙女』なんて一面的な記号だけで見ないで下さい。アイツにはアンタら家族も居れば友達も居るじゃないですか。そうした人たちのために一喜一憂できるコですよ、アイツは」 友達。 人間関係。 どうも繋がりそうな気がしてきたぞ。 『まぁ、キミが・・・知ラナイ・・・というならこれ以上は聞かないさ』 「ですね」 『キミが三日から根掘り葉掘り言葉攻めして聞き出せば良い』 「それ質問って言うか尋問を通り越して拷問じゃないですか」 『まぁ、拷問でも何でも、しなくてもどっちでも同じことさ』 「って言うか、そんな無理に聞くことも無いでしょうね、今は」 そう言ってから、俺は「それでは月日さん、失礼します」と言って通話を終えた。 「・・・お電話ですか?」 と、後ろから三日の声が聞こえた。 どうやらシャワーを浴び終えたらしい。 「ああ、お前のお父さんから。今夜お前をウチに泊めて欲しいっていうヘンな話で・・・・・・」 そう言いながら振り返り、俺は絶句した。 後ろには、真っ白な肌色があった。 黒髪が映える、雪のような真っ白な肌肌肌肌肌。 それを覆い隠すものは何一つ無く。 ありていに言って、三日は全裸だったのだ。 すっぽんぽんだったのだ。 しかし、一度見たとはいえ、改めてみると目を奪われる。 エロいとか興奮するとか以前にキレイだ。 さすがに、胸から腹にかけての傷跡こそ目立つものの、それさえ全体から見れば美しさを際立たせるアクセントでしかない。 それを除けばシミなんてほとんど見当たらない。 スラリとした手足と長いストレートロングの髪が絶妙なバランスで調和している。 こんな美しいものが、今さっきまでゴミのように無造作に我が家の前に放り出されていたかと思うと、怒りさえ沸いてくる。 誰だ、こんな宝物をぞんざいに扱ったのは。 じゃ、なくて。 「服を着ろ・・・・・・でもなくて」 考えてみれば、着替えなんて用意してなかった。 ホスト役として手落ちにもほどがある。 「悪い、着替えを用意してなかった」 と、素直に頭を下げた。 そして、改めて前を向く。 なるべく彼女の裸体が目に入らないように。 男として当然のマナー。 「とはいえ、ウチには女の子にかせる着替えって言うと親の位しか無いけどそれで「・・・千里くん」 俺の言葉を遮り、服のすそを掴んで(いるらしい)すがるように三日は言った。 「・・・千里くんの服が、良いです」 898 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 53 19 ID SkP7eOPU [11/20] それからしばらくして。 俺は暖かいシチューを食卓に用意していた。 三日の制服は洗濯を終え、今はリビングに部屋干ししている。 明日の朝までには乾かさなければいけないため、季節はずれの扇風機が忙しく働いていた。 「それじゃ、冷めないうちにいただきますかー」 「・・・いただきます」 互いに手を合わせて、食事を取る。 ちなみに、今の三日の服装は俺のワイシャツ一枚。 俺と三日との体格差のせいで、ゆったりとした丈の短いワンピースのような着こなしになっている。 三日にあう下着が我が家に置いてあるわけも無く、名実共に裸ワイシャツという奴である。 言い訳をさせてもらえば、本当は俺のパジャマをかすつもりだったのだが、「・・・ズボンが入りません」というわけでこうなった。 他の服も言わずもがな。 決して、俺が裸ワイシャツで興奮する変態だとか、状況にかこつけてセクハラを敢行したとかそういうわけではないので念のため。 ・・・・・・ホントウデスヨ? 「少しは体、温まった?」 シチューを食べながら、(そして三日の太股を『極力』意識しないようにしながら)俺は三日に問いかけた。 それに対して、三日はコクンと頷いた。 「それは重畳」 「・・・でも」 と、ポツリと三日は言った。 「・・・でも、体は温まっても、心の方はまたすぐに冷えていくような気がして。・・・おかしいですよね、こんなの」 「いーや」 俺は首を横に振った。 「俺もあるんだよねー。一度落ち込むと、中々テンション上がんなかったりとか」 「・・・千里くんでも?」 「そ、俺でも」 俺も根っからの根明というわけでもない。 人並みに悩むし、人並みに落ち込む。 厄介なことに、そういうときほど1人でいると思考が悪いほうへ向かっていくものだ。 そういえば、彼女はどうだったのだろう。 俺たちと一緒にいながらも、それを『無関係』と呼んだ彼女は。 「・・・他の女のことを考えてませんか?」 「おお、いつもの調子が戻ってきたね」 こういうパターンで安心するというのも妙な話だが。 とはいえ、「中等部時代の思い出を回想していただけだよ」、とはフォローを入れた。 「ま、こういう時はちゃんと飲んで食べてバカ話するだけでも変わるモンだよ。話するだけでも、変わる」 あえて、繰り返した。 もっとも、何を話して、とは言えないけれど。 強引なのは逆効果になることもあるし。 葉山と違って繊細っぽいし。 しかし、 「・・・友達だと、思ってました」 と、三日は小さく言った。 「・・・友達だと思っていたのに、そうじゃない、友情すら存在しないって言われて。・・・それに落ち込んでいる自分が自分らしくなくて良く分からなくなって」 「らしくないなんてこと、無いだろう」 友達は大事だ。 少なくとも、俺には三日がそういう女の子に見えた。 そんな女の子が友達に否定されるなんて、大事だ。 一大事だ。 「…ねぇ、千里くん。…友情なんて、無いんでしょうか?」 こちらの方を、すがるような眼で見る三日。 「…本当の友情なんて、本当の絆なんて、本当は無いんじゃないでしょうか?」 彼女の言葉に、俺は息を詰まらせた。 俺は、友情を、愛情を、絆をひたむきに求める彼女の姿を素晴らしいと思っていたのだから。 かつて、『彼女』との関係を、絆を本当の意味で築くことに失敗したから。 けれども、いや、だから、かな。 「分からない。俺にも分からないよ、三日」 俺は正直に、そう答えていた。 899 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 53 44 ID SkP7eOPU [12/20] 「絆は、想いは、目に見えないから。見たくても聞きたくても触りたくても嗅ぎたくても味わいたくても確認して確信したくても、悲しい位、出来ないものだから」 だから、人はすれ違う。 すれ違い、想いが、行為が、報われないことがある。 『関係』なんて、絆なんて存在しない、とさえ言うことが出来る。 俺の言葉に、三日の表情が絶望に染まりかける。 「でもね、三日」 絶望に染まり切る前に、俺は言葉を続けた。 「絆っていうのは、それを信じることが大切なんじゃないかな。信じようとする気持が、大切なんだと思う。目に見えないからこそ、目に見えない『信じる』気持ちで。だから―――」 それは、三日にとっては酷な答えだったかもしれない。 けれども、それは俺の偽らざる本音だったから。 「頑張って、三日。俺も、頑張るから」 俺の言葉に、三日は小さくうなずいた。 その動作一つにどれほどの勇気が必要だったのか。 それが、三日にとってどのような意味を持つのか。 それは、俺の想像をはるかに超えていた。 想像するべきだったのに。 理解するべきだったのに。 後悔する、その前に。 その後、食事を終えて勉強(学生の本分・・・・・・なんだけど、そのカリキュラムは8割方三日が組んでる。すげぇ効果的だったりする)を追え、気晴らしに軽くTVゲームをしているうちに時間は過ぎていった。 「・・・もうこんな時間ですか」 「キリが良いし、そろそろ寝ようか。寝室は前に使った・・・・・・」 と、俺が言いかけると、パジャマの端をキュッと掴まれた。 「・・・一緒じゃ、駄目ですか?」 控えめに、けれど袖はすがるようにしっかりと掴んで、三日は言った。 「・・・千里くんと一緒に寝ては、駄目ですか?」 そう言って三日は、上目遣いにこちらを見た。 「いや・・・・・・その・・・・・」 実のところ、以前にも三日は我が家に泊まってもらったことがある。 その時はもちろん裸ワイシャツでは無かったし、無理を言って客間で寝てもらったのだが。 「・・・今日は、心細いのです。・・・すごく、心細いのです」 ここまで言われたことは無かった。 「分かった」 折れるしか無いわ、これ。 「おいで、三日」 俺は三日の手をとり、自分の部屋に案内する。 「・・・千里くんの部屋、少し落ち着きます」 「自分のとレイアウトが似てるから?」 「・・・千里くんの匂いがしますから」 「・・・・・・」 この状況下で理性を保つのには、{TETSU}の意志が必要かもしれない。 「2人だと、ちょっと狭いかもしれないけど」 「・・・大丈夫です」 三日に先にベッドに入ってもらい、俺がそれに続く。 つーか、男女で同じベッドとか、コイツ意味分かってるんだろうか。 ・・・・・・分かってないんだろうなぁ。 そんなことを考えていると、三日が俺の片腕に体を寄せてきた。 シャツ越しに、彼女のぬくもりと柔らかさを感じる。 三日の存在を感じる。 うわぁ。 愛しさと切なさと心強さ・・・・・・ではなく性欲がないまぜになる。 自分の心臓がドクドク言ってるのがわかる。 心臓が獣の叫びを鳴り響かせてる。(オオカミ的な意味で) 「・・・すぅすぅ」 隣では、三日が安らいだ寝息を立てていた。 無防備にも程がある。 眠れねぇ。 今夜は絶対眠れねぇ。 隣の三日(の感触)を意識しないようにすればするほど、目がさえてくる。 何か、違うことを考えよう。 そう、例えば―――今直面してる問題のことを。 900 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 54 28 ID SkP7eOPU [13/20] いや、違うか。 今葉山たちが直面してる問題のことか。 俺は、直面していない。 中等部時代、友達の恋愛相談まがいのことを請け負ったことがあったが、アレも結局当人同士が決着をつけた。 結局その友達はハッピーエンドに終わったが、それは単なる結果論でしかない。 俺のおかげ、でもなければ俺のせいでもない。 俺がしたことは話をややこしくすることと、その後始末だけだった。 まったく。 我ながらあの時から全く学習していない。 結局、決めるのは彼らで。 俺は何でもないのに。 何も、できないのに。 「あー、ダメだ」 考えが悪いほうに向かっていく。 水でも飲んで頭をリフレッシュしたい。 「ちょっと、待っててね」 すやすやと眠る三日にそう呟き、俺はダイニングに向かう。 「あれ?」 ダイニングには明かりが灯っていた。 「あら、セン。ただいま」 そう言ったのは、俺の親である御神万里だった。 どうやら、思ったより早く仕事を上がれたようだった。 「おかえり、シチューあるよ」 「今食べてる」 「それは重畳」 「ところで・・・・・・」 にんまり笑いながら、スプーンで壁にかかった女子制服を示す親。 「アンタがオタクなのは知ってたけど、女子の制服と下着を買っちゃうくらい筋金入りだとは思わなかったわよ、セン」 「誤解だ!」 「どっちが?」 「後者が!」 「まぁ、分かってたけど」 「確信犯!?」 と、馬鹿なやり取りを終えてから、俺は今日三日が泊まってることを説明した。 「まぁ、急だったから連絡入れるのも忘れてて、ゴメン」 「良いわよ。で、三日ちゃんは?」 「さっき寝かしつけたとこ」 「同じ学年の女の子に、すごい表現するわね」 クスクスと笑う親。 「なんだか、兄妹みたいねぇ。まぁ、私としては子供が2人になったような物だから、似たようなものなのだけれど」 「兄妹っつーかまぁ・・・・・・」 家族みたい、とは言わず。 からかうような親の言い草に、言葉を濁す俺。 「こんくらい近い距離感だと、一番楽っつーか、分かりやすいんかねぇ」 俺はそう結んだ。 「まるで、分かりにくいことが別にあるみたいね」 親にそう切り替えされて、俺は自分が無意識のうちに引き比べていたことに気がついた。 三日のことと、葉山たちのことと。 自分の問題と、他人の問題を。 「分かりにくいことが、あるんだよ」 と、俺は口に出していた。 「いや、すげーシンプルなのかな。でも、それは俺の問題じゃなくて。アイツらの問題で」 取り留めの無い言葉だった。 「決めるのはアイツらだから、俺は、きっと何もできない。何もしないほうがいい。できる何かなんてそもそも分からないし。でも・・・・・・」 言ってる内に、想いがハッキリしてくる。 「何かしたいとか、何とかしたいとか、ンな馬鹿なわがまま考えてる」 本当に、俺ってすっごい馬鹿だ。 なんだかんだと言いながら、自分のことしか考えてない。 901 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 54 48 ID SkP7eOPU [14/20] 「まぁ、良く分かんないけどさ」 と、俺の言葉を聴いた親は言った。 取り留めの無い言葉への、当然の対応だろう。 俺だって、良く分からない。 分からないなら、きっと何もしないほうが――― 「けど」 と、意外にも、予想外にも、親は言葉を続けた。 「我慢すんな」 え? 「でも、親。コレ、ホントに俺のわがままで・・・・・・」 「それでも、そこで我慢しちゃ駄目でしょ」 ピッと指を立てて、俺の言葉を遮る親。 「センがどういうコトに首突っ込んでるのかはしらないけど、そこまで理屈でがんじがらめになるくらい考えたい、思いやりたいことなんでしょ?そこで足止めてどうするのよ」 「でも、これは頼まれてもいないことで。本当に、俺のわがままで」 「わがままで良いじゃない。世の中、わがままじゃないことの方が多いわよ?」 ウインク1つ。 「悩んだって始まんないわよ。悩むくらいに、どうしても何かしたいんでしょ、その『アイツら』のために」 「でも・・・・・・」 それが誤りだったら、間違いだったら、傷つけて、しまったら。 「誤りだったら、しかったげる。間違いだったら、止めたげる。傷つけちゃったら、謝れば良い。だから、やりたいなら四の五の言わずにやりなさいよ」 そう、彼は言った。 「お父さん・・・・・・」 「そう呼ばれたの、何年ぶりかしらね。まぁ、『お母さん』でも良いんだけど」 「それだけはやだ。でも、ありがと」 「どういたしまして」 「少し、元気が出た気がする」 「それは良かったわ。センがヘコむと、私もヘコむ」 自分を心配してくれる人がいる。 その事実を改めて自覚し、たまらなく嬉しくなる。 「じゃ、先に寝てるわ」 「ええ、おやすみなさい」 そう親子らしいやり取りをして、俺は部屋に戻っていった。 どうやら、ぐっすり眠れそうだった。 ・・・・・・いや、そんなことは全然無かったんだけどね。 902 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 56 37 ID SkP7eOPU [15/20] 「―――ウン、ウン。頼まれていたのは用意できたよ。ウン、詳しくはあとでパソコンの方に送るから」 『ありがとうございます、零日さん。駄目で元々のつもりだったんですけど、お願いしてみるものですね』 「フフ…お姉さんに任せなさい…なんだよ、明石さん」 『いや、零日さんはお姉さんなんてお歳じゃ「何か言った?」『ごめんなさい』 「それじゃ、頑張ろう…ね」 そう言って、緋月零日は明石朱里との通話を終えた。 携帯電話を置き、満足げな笑みを浮かべる零日。 もっとも、彼女の内心など誰にも理解できるものではないだろう。 そんなことを思いながら、緋月月日は隣でベッドに横たわっている妻の顔を見ていた。 「どうしたの…月日お兄ちゃん?」 「いや、何でも無いよ?」 不思議そうな零日に対して、話し方を意識しない、素の口調で答える月日。 今の月日は、普段の鉄仮面を外し、学生時代には浮名を馳せた美貌の素顔を晒している。 彼女に対して、自分はどのような表情をしてしまったのだろう、と月日は考え、それを打ち切った。 恐らく、意味の無いことだ、と。 「ところで、今回のこの一件、三日のお友達のお手伝い。これはどういう不幸に繋がるのかな?」 口調だけは平然として、月日は恍惚とした表情を浮かべる零日に語りかける。 月日は、零日が明石朱里と邂逅し協力していることを簡単に聞いている。 聞いているだけで、何もしていない。 彼はあくまで傍観者に徹していた。 「ふこ・・・う?誰も不幸にはならない・・・よ?」 不思議そうな零日。 月日とは違って、零日はこれが素の口調だ。 元々、零日は話が得意な性質では無いのだ。 「まぁ、そのつもりだろうね」 苦笑するように、月日は言った。 自分の力は他人を不幸にする。そう規定する月日は自分の全能力を積極的に不幸のために使い、幸福のためには使わないことにしていた。 もっとも、ごく一部には『不幸の可能性』というリスクを呑んだ上で彼に協力を仰ぐ酔狂な者もいるにはいるが。 ともあれ、月日が傍観者に徹している理由はそこにあった。 自分が関わって幸福になることなど、どこにも無いのだから。 「もし、明石さんの思い通りにコトが進めば、あの娘は幸せを手に入れる・・・私と同じ種類の、ね」 「ほぅ・・・」 答えながら、月日は自分の首を拘束する首輪の重さを意識する。 それと同じ目にあう男がいるのなら、それはご愁傷様だと月日は思った。 思うだけだ。 見ず知らずの男のために涙を流せるほど情に厚い人間ではないと、月日は自分を規定していた。 だから、月日は零日や明石という少女を止めるつもりも協力するつもりもなかった。 故にこその傍観者である。 「それに・・・幸せを手に入れる女の子は明石さんだけじゃない・・・よ?」 「誰だい?」 明石という少女以外にも、零日が気を回している娘がいるとでもいうのだろうか。 月日に言わせれば、零日が誰かに協力するということからして、とてつもないレアケースなのだが。 「三日ちゃん・・・だよ?」 「!?」 零日の答えを聞いて、月日は、なぜか、絶句した。 「驚かなくても良いじゃ・・・ない?だぁって、明石さんは…三日のお友達。お友達のために何かするのは良いこと…でしょう?良いこと・・・らしいじゃない」 「それが、・・・狙イ・・・かい?」 平静を保とうとして、思わず他所行きの口調になる月日。 明石朱里を通して、三日を巻き込み、自分たちと同じ状況へ持っていくこと。 それが、零日の目的! 「狙いじゃない・・・よ。まぁ、そうなったら良いな・・・くらいに思ってたらそうなったみたい・・・だよ?」 「だろう・・・ね」 零日は月日のため以外のことで積極的に動くことがないことを、月日は長い付き合いで知っていた。 ただ、今回は積極的『でなく』動き、彼女が望む結果を得られたということのようだ。 「運が良いのか悪いのか・・・」 903 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 56 54 ID SkP7eOPU [16/20] 「何か・・・言った?」 「いいや。でも・・・ナンデ・・・なんだい?」 「え?」 月日の問いに、心から分からないという顔をする零日。 「レイちゃん、君だって千里くんのことは認めていたようだったじゃないか。それを、僕と同じ状況に持っていく必要がどこにあるんだい?」 「え?…え?」 月日が噛んで含めるように説明しても、零日の不思議そうな顔は変わらない。 「三日ちゃんは『私の続き』なんだよ?私の幸せは三日ちゃんの幸せで、三日ちゃんの幸せは私の幸せ・・・でしょ?そこになんで『必要』とか『必然性』とかがいるの?」 きょとんとした顔で、零日は言った。 逆に、月日は得心がいった。 『僕たちと同じ在り方が・・・シアワセ・・・ね。レイちゃんはナチュラルにそう感じてるわけだ』 きっと、月日をこうして拘束している状況が、零日にとって極めて当たり前に『幸せな状況』なのだろう。 一家団欒が幸せだ、健康であることは幸せだ、とかいうのと同じレベルに。 尤も、見方を変えれば自分の生き方を子に強いているとも言えるが。 『親のエゴ・・・ね。まったく、レイちゃんも随分当たり前に母親としての勤めを果たしているじゃないか』 と、月日は皮肉交じりに、自嘲交じりに思った。 「どうした・・・の?」 その様子を見た零日が、不思議そうに言った。 恐らく、月日の気持ちを説明しても、零日は理解できないだろう。 この娘とは根本的に分かり合えない、いや、分かり合えないように『してしまった』のだから。 「・・・イヤ・・・。ただ、レイちゃん。君はいま・・・シアワセ・・・かい?」 月日の持って回った言い回しに零日は、 「幸せ・・・だよ」 と即答した。 「お兄ちゃんがいてお兄ちゃんがいてお兄ちゃんがいて、零日は今とっても・・・幸せ」 そう言って、零日は月日の白い肌を強く抱きしめた。 痛いくらいに。 拘束するように。 「ああ、僕も・・・シアワセ・・・だよ」 ソレに対して、月日は零日の最も望むであろう言葉を発した。 緋月月日、緋月零日、2人は今日も当り前に壊れていた。 「何を考えているのかしらね、あの女」 同時刻。 つい先ほどまで会話していた相手に向かって、明石朱里は呟いた。 「ま、良いけどね、別にどうでも。私に協力してくれるっていうなら」 携帯電話を弄びながら、明石は独り言を続けた。 所詮は人事。 相手にどんな思惑があろうと、自分にとって、そして自分の望みにとっては何の関係も無い。 「ともあれ、舞台も役者も準備万端。あとは、撒き餌を捕らえるだけ、ね」 そう言って、明石は歪な笑みを浮かべる。 「その撒き餌の役、あなたにやってもらうわよ、御神千里。誰より無駄で邪魔なことはなはだしく腹立たしいけど、アナタも『親友』の幸せのためなら泣いて喜ぶわよね?」 そう笑いながら、携帯メールを作成し始める。 送信相手は、緋月三日。 904 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 57 12 ID SkP7eOPU [17/20] 翌日 どうにか何事もなく(本当にどうにか!)一夜を終えた、俺と三日は、いつものように登校路を行く。 いつものように隣を歩く彼女の歩幅を意識しながら、俺は昨夜何事も無かったことに心底安心し、自分の理性に万雷の拍手を送っていた。 頑張った、良く頑張ったぞ俺の理性! 自分で自分を褒めてあげたいという台詞は理性(おまえ)のためにある! そんな、他者からの同意をあまり得られそうに無いことを考えていると、いつも通り見慣れた2人の背中が見える。 その2人、葉山と明石にいつも通り合流。 明石は、葉山に密着し、とにかく一方的にしゃべりかける。 葉山は、それに対して「ああ」とか「うん」とかしどろもどろに受け答えをする。 おびえているのは明らかだったが、それを決して口に出すことは無い。 いつも通りに。 今まで一度として、一瞬たりとも口に出すことは無かった。 恐ろしいから。 恐ろしい相手と、捉えているから。 極めて不愉快な光景である、と明言しよう。 居心地も悪ければ、見心地も悪い。 「おはよ、はやまん」 俺はひょい、と手を上げて言った。 「あ、ああおはよう、みかみ「それでね、まーちゃん!」 葉山の言葉を遮り、無理やりに自分の方を向かせる明石。 葉山の目が助けを求めていたようにも見えたが、助けない。 助けられない。 葉山の口から、一度たりとも「助けて」と言われたことが無いから。 言ってくれなきゃ分からない。 言ってくれなきゃ、伝えたことにはならない。 だから、一晩考えて――――こっちから言うことにした。 「はやまん、葉山」 俺は努めて冷静に、葉山に向かって言葉を投げる。 「え、あ「まーちゃん、でねでね」 強引な明石に恐れ、逆らえない葉山。 いや、逆らおうともしていない。 「お前、そのままで良いの?」 俺は、そう言葉を続けた。 葉山に答えられるかは分からない、けれど伝えることはできる。 これが、助けて、とも言われていない、何も頼まれていない第三者(モブ)でしかない俺ができる唯一のことだろう。 「ソイツに何も言えず、何も言わず、ただ唯々諾々と流されて。それを恐れるばかりで何もしないで。そんなの・・・・・・」 「うるさいわね」 と、そこで初めて明石が俺に向かって言葉を投げかけた。 「アタシたちは今、すっごく幸せなの。そうでしょ、まーちゃん」 その強制力のある言葉に、葉山は、 「あ、ああ・・・・・・」 と頷いた。 頷きやがった。 「だから、さ。アタシたちの幸せの邪魔しないで」 ドスの効いた声で、明石は言った。 「ねぇ、明石」 と、俺は平然と言葉を続けた。 「『それで良いの?』って言うのは葉山だけじゃなくて、お前にも言いたかったのよね」 「はぁ?」 侮蔑するように応じる明石。 けれど、俺はそれに動じない。 『この程度』には動じない。 かつての孤独や、最初に愛した少女に比べればどうということは、無い。 「お前、最近外堀を埋めるばっかで、肝心の内堀が―――葉山の想いを疎かにしてるようにしか見えない」 「……知った風なことを言うのね」 叶うのならば俺を今すぐにも殺したい、そんな目で明石は俺を睨みつけた。 「でも、そうね。確かに私はまだ外側しか手に入れてない。でも―――」 今にも喰い殺さんばかりに口元を歪め、明石は言葉を続ける。 「想いも手に入れるわ。必ず」 そう言って、明石は葉山と先行した。 後から思えば、その言葉の真意を、俺は欠片も理解していなかったのだろう。 905 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 57 36 ID SkP7eOPU [18/20] 昼休み 「…やるんですね、本当に」 明石朱里から改めて説明を受けた緋月三日は、確認するようにそう言った。 「勿論。って言うか、この程度でオタオタされても困るけどね。所詮は今後の布石だし」 サラリとそう言うと、明石は歪な笑顔を浮かべる。 「さぁ、御神千里を狩りましょう」 放課後 「あれ?」 いつものように三日と連れだっているつもりで下校路を歩いていると、俺は違和感に気が付いた。 片手が寂しい。 そう思って隣を見回すと、三日の姿が見当たらない。 更に、周囲を見回しても彼女の姿は影も形も無い。 ふむ。 ふむふむ。 今日三日と離れたのはお手洗いくらいなモノだが(そう言えば昼休みのは随分長かったが。明石も一緒だったし)、その後いつも通り一緒にいたはずだ。 俺にしても三日にしても、離れる時は一言言っとくようにしているのだが。 校門までは一緒にいたし、てっきりいつも通り連れだって下校している物と思っていたのだが。 我ながら迂闊だね。 今までいつも通りだからって、今日もいつも通りだと思い込んで、すっかり三日へのセキュリティが疎かになっていた。 ましてや、昨日はあんなことがあったばかりだと言うのに。 読者の皆様に指差して笑われても文句は言えない。 「いつの間に、はぐれたんだ……?」 思わず、苛立った声が出る。 普段居て当り前の奴がいきなりいなくなるというのは、思いのほか落ち着かない。 「つっても、夏の時と違ってお互いケータイがあるのが救いだよな」 そう呟き、俺は鞄から携帯電話を取り出し、三日の番号にダイヤルする。 コール音がひどく長く感じる。 『…もしもし、三日です』 「三日、今どこー?」 思わず、挨拶をすっ飛ばして聞いていた。 『…あの、少しお願いがあるんですけど』 「何さ、改まって」 『…部活動の前に、来て欲しいところがあるのですけれど』 「ゥン、どこー?」 『…学校の近くの……』 そう、場所を説明される。 「分かった。今行く。あと……」 俺は、念のために確認した。 『…何でしょうか?』 「お前は、そこにいるんだよね?」 『……はい』 「分かった、ンじゃまた後で」 そう言って、俺は電話を切った。 後から思えば、悪い予感はしていたのだろう。 けれど、昨日の出来事に引き続いての、突然の三日の不在。 それは、俺から冷静な判断力を奪うほどの効果があった。 そう。 俺はこの時、欠片も冷静では無かった。 無防備でさえ、あった。 狩る側にとっては、この上無く格好の獲物だったのだ。 「三日!」 学校近くの、人毛の無い道路。 俺は彼女の姿を確認して、呼びかけた。 「…千里くん」 俺の呼びかけに振り向く三日。 「どーしたよ、いきなりいなくなって」 「…ごめんなさい」 そう言って、三日はガバリと抱きついてきた。 キス出来る距離に。 殺せる距離に。 「あ、いや、別にそんなに気にしちゃいないけど……」 密着され、三日の女性らしい身体の感触やシャンプーの匂いにドギマギする俺。 「…それに、もう1つごめんなさい」 え? それはどう言う意味――― 「だっ!?」 その瞬間、俺の身体に衝撃が走った。 有無を言わせず全身を硬直させる感触には覚えがある。 スタンガン―――それも三日の抱きついている腹部と、更に背中からの二段構え! 不意打ちで受けた激痛に、俺は三日から離れ、グラリと倒れる。 「思った通り、ちょろいわね」 気を失う瞬間に見たのは、髪に表情が隠れた三日と、酷薄な笑みを浮かべた明石。 スタンガンを持った2人の少女の姿だった。 906 名前:ヤンデレの娘さん 朱里の巻 part3 ◆yepl2GEIow[sage] 投稿日:2011/10/05(水) 17 57 55 ID SkP7eOPU [19/20] おまけ 気を失った御神千里を2人の少女が見降ろしている。 緋月三日 明石朱里 そして更にもう1人。 「遅いですよ、零日さん」 その場に駐車した車から降りてきた女性に向かって、明石が言った。 「ゴメン…ね。これでも、多忙な身…だから。これでも急いできた…んだよ?」 その女性、緋月零日は苦笑しながら答えた。 「…お母さん?」 怪訝そうな声を出す三日。 「言わなかったっけ?他に協力者がいるって」 何でも無いように、明石が言った。 確かに、そんな説明を明石からされた気がするが、それが母だとは三日は思っても見なかった。 「…これから、千里くんを車に運び込むんですよね」 「そーよ」 三日の言葉に、鬱陶しげに明石が答えた。 「それで、誰が車の中に放り込むの…かな、彼のこと」 「…」 「……」 零日の言葉に、2人は無言になる。 目の前には、激痛で気を失った千里の体躯。 ただでさえ背が高い上に、痩せぎすでは無く良く見ると相応に鍛えているようにも見える。 つまり、有体に言って重そう。 それに対して、こちらはかよわい女性が3人ぽっち。 「ど、どうしましょう……かね?」 改めてその姿を見て、反笑いになる明石であった。 その後、3人は誰が彼を車内に運び込むかで多少揉めることになるのであった。