約 1,746,734 件
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/16.html
前:1-2 東京女性財団のパンフレットと報告書 1-3 「ジェンダーフリー」の広がり このようにして「誕生」した「ジェンダー・フリー」という用語に関は、主に行政関係と教育分野を中心に啓蒙活動が進んでいった。同時に、いくつかの新聞で大きく取り上げられたこともあり、男女共同参画の啓発活動の一端として「ジェンダー・チェック」を取り入れて行く自治体も見受けられた。その間、「起源」を離れ、和製英語として使用されていく中で、「ジェンダーフリー」の間の「・」が取れた表記が多く見られるようになる。 ジェンダーフリーという言葉は95年頃から、教職員団体や自治体の啓発活動のなかで使われていく。97年頃から地方の自治体が啓発活動の一環として、「ジェンダー・チェック」のバージョンを様々に変えてパンフレットやワークショップなどで配布される機会が増えていく。例えば98年には青森県ほかで、99年には高知県や岐阜県、山口県ほか、多くの自治体で配布されるなど、ジェンダーフリーという言葉と「ジェンダー・チェック」は行政の関係者と教育関係者の間で広がっていっていき、「ジェンダー・チェック」は少なくとも数十の自治体で採用された。 1999年に男女共同参画基本法が制定された後は、啓発の手段やスローガンとして同語を使用する自治体も目立つようになる。熊本、埼玉、宮崎、徳島など、「男女共同参画計画」などで「ジェンダーフリー」という言葉を盛り込んだり、議会や啓発用資料などで言及する自治体も登場。それは、具体策がほとんど提案されない状態で、パンフレットやフレーズによる啓発という低コストのパフォーマンスであるがため、選択が容易であったことが理由と考えられる 。その他HPなどのコンテンツとしても多くのバージョンが各自治体によって作られた。 一方で、「ジェンダーフリー」という言葉を用いずとも、東京女性財団の形式を模倣したものが多く、「ジェンダー」という言葉は多用されていた。北京会議の影響もあってか、90年代から出版物などでも「ジェンダー」という用語が用いられる機会が激増していたが 、パンフレットや「ジェンダー・チェック」においては主に否定的なニュアンスの元に「ジェンダー=見直されるべき内面」として語られることが多い 。その手法に対しては後に多くの反発を招くことになる 。 90年代後半の教育分野においては、次のような展開がみられた。ジェンダーフリーというタームを、既存の社会学や経済学、教育学、および女性学の枠組みにひきつけて論じはじめる者が現れた(それら論者の中には、「バックラッシュ」以後に「ジェンダーフリー」概念を積極的に擁護するパフォーマンスを選択する者も現れる)。具体的には、以下のような著作が出版された。 小川真知子、森陽子編『実践ジェンダーフリー教育』(明石書店、1998) 『ジェンダー・フリー社会をめざす若者セミナー報告書』(若い世代と築く男女協動社会・実行委員会、1998) 伊田広行『シングル単位の社会論―ジェンダー・フリーな社会へ』(世界思想社、1998) 国立婦人教育会館女性学ジェンダー研究会『女性学教育・学習ハンドブック―ジェンダー・フリーな社会をめざして』(有斐閣、1999) 百瀬靖子『ジェンダーフリーの時代へ―家政学原論・生活経営学』(創成社、1999) 亀田温子、舘かおる『学校をジェンダー・フリーに』(明石書店、2000) 村瀬幸浩、高橋由為子『ジェンダーフリーの絵本(1)こんなのへんかな?』(大月書店、2001) 橋本紀子、高橋由為子『ジェンダーフリーの絵本(2)生きるってすてき』(大月書店、2001) 朴木佳緒留、もりお勇『ジェンダーフリーの絵本(3)働くってたのしい』(大月書店、2001) 中嶋みさき、もりお勇『ジェンダーフリーの絵本(4)女と男 これまで、これから』(大月書店、2001) 伊田広行、堀口悦子、石橋富士子『ジェンダーフリーの絵本(5)いろんな国、いろんな生き方』(大月書店、2001) 田代美江子(編)『ジェンダー・フリーの絵本(6) 学びのガイド』(大月書店、2001) 金井景子『ジェンダー・フリー教材の試み―国語にできること 早稲田大学教育総合研究所叢書』(学文社、2001) 学びを行動にうつす女たちの会『ジェンダーフリーを共同で学ぶ―「実践」につなぐ講座の記録 シリーズ「女性問題をまなぶ」』(新水社、2001) 草谷桂子『ジェンダー・フリーで楽しむこどもと大人の絵本の時間』(学陽書房、2002) 草谷桂子, 鈴木まもる『ぼくはよわむし? ジェンダー・フリーってなあに』(大月書店、2003) 草谷桂子, 鈴木まもる『おきゃくさんはいませんか? ジェンダー・フリーってなあに(2)』(大月書店、2003) 草谷桂子, 鈴木まもる『プレゼントはたからもの ジェンダー・フリーってなあに(3)』(大月書店、2003) 山梨県立女子短大ジェンダー研究プロジェクト『0歳からのジェンダー・フリー―男女共同参画・山梨からの発信 私らしく、あなたらしく*やまなし』(生活思想社、2003) 伊田広行『はじめて学ぶジェンダー論』(大月書店、2004) 「ジェンダーフリー」という用語を用いた刊行物の概ねの特徴は、(1)「ジェンダーフリー」を実現させるための方法、環境などを模索する議論のテーブルへと読者を誘致しようとするもの、(2)多様な性差のあり方について読者を啓発するもの、(3)多様な性差のあり方を、授業中に簡単なワークショップを行うなどによって学習させていくための方法案を提示するもの、の3つの類型に大きく区分できよう。内容は、科目で言えば道徳学習や社会科のそれに近いといえる。 ジェンダーフリーというタームに対し、フェミニズム理論によって肉付けを行っていく学者があらわれる中、そこで構築される歴史観は、「(1)学校教育を対象に(2)制度面ではなく態度・意識面の問題として(3)それまでの女性運動の歴史を捨象しながら(4)啓蒙的に扱う」という『Gender Free』の特徴を反復する。例えば「ジェンダーフリー」を積極的に擁護する、日本女性学会幹事である伊田広行は『はじめて学ぶジェンダー論』(大月書店、2006)にて次のように述べる。 私が使う「シングル」という言葉は 、独身ということではありません。前近代、あるいは近代社会において皆が信じていた「男とはこういうもの、こうすべきもの、女とはこういうもの、こうすべきもの」というイメージ、役割、アイデンティティ(つまりジェンダー)から離脱した、自立した人のことをいいます。そしてこれからの社会は、そうした人が社会の基本単位とするようなシステムを作るのが合理的だという主張をしているわけです。だから「シングル」という言葉には、「独身」や「単なる個人」という意味合いが入ることもありますが、私の主張の中では基本的には「ジェンダー・センシティブ、ジェンダーフリーという新しい感覚を持った個人」という意味です。(…)不断にできるだけその再生産に加担しないように意識し続けるスタイルです。 (…)可変的で、大幅に男女で重なり合う部分が大きいにもかかわらず、身体的・肉体的・生物学的差異に過剰な意味づけをして、それが『自然で不変』とし、性別でキレイに二分化してしまう『思考の偏り』『思考の癖』を見直そうというのが、ジェンダーの視点なわけです。その観点に立って、現実の性差別/人権侵害を減らしていく具体策を考え、実行していくのがジェンダー(ジェンダー・フリー)の立場なのです。 伊田のかような定義は「ジェンダーフリー」に対する定義の中でも独特のものだが 、「人として」の「スタイル=生き方」や「感覚」についての啓発を、「ジェンダーフリー」という言葉をフックにすることによって行うこと、それを学者が肉付けして補強することで、「(5)行政の主導する啓発」に直接的・間接的にコミットしたということを意味する。 「ジェンダーフリー」に基づく「啓発」内容の検討は、主に学校教育を対象として展開された。学校教育運動であるジェンダーフリー教育の具体的な実践として、男女を制度的、あるいは評価的に区別せず、そのうえで多様な選択肢を受け入れる制度設計および情操教育を行うというものだ。制度、環境に関しては、男子も家庭科を必修にする、男女を根拠に行う衣服・教材の区別を縮減する、両性とも「さん」付けに統一する、男女混合名簿の導入など、「隠れたカリキュラム」の是正をするというもの。評価面においては、生活指導や進路指導の場面において不必要な性差区別の導入を行わないこと、固定的な役割分担を定めないこと(常に男子が学級委員、女子が副委員、書記等と固定化をしない、運動部のマネージャーを女子のみに限定しない)など、「性差に捉われず個々の個性に基づいた評価・進路指導を行う」例がいくつかあげられる。制度・慣行に存在する性差に基づいたバイアスについて検討しつつ、その制度・慣行によって学習されるバイアスの形成、内面化を行わないようにすることが共通の特徴だといえるだろう。 これらの実践の多くは、「ジェンダーフリー」という概念が用いられる以前から検討、実践されていたものを多く含むが、「ジェンダーフリー」の元に語られる機会も増えていく。このほか、「ジェンダーフリー」の実践的な試みの中に、TG(トランスジェンダー)当事者を招致して授業を行ったり、性教育との関連について論じるものなどの例もいくつか含まれる。 こうして、現場での教育において「ジェンダーフリー教育」を取り入れていく団体や教師も増えていく。日本教職員組合(日教組)は、「ジェンダーフリー教育」「ジェンダー平等」のための取り組みとして、「小学校を中心に男女ともに『さん付け』で呼ぶとか、整列の仕方の混合、教室の座席の混合、運動会の混合徒競走、靴箱の混合、ロッカーの混合、入学式や卒業式での座席や呼び名順、男女で赤と黒などの色分けをしない、健康診断で視力や歯科などでは男女を分けない、などの取り組み」 を行っていく。 また、数冊の教科書には「ジェンダーフリーという考え方もある」などの記述が行われた。開隆堂の家庭科教科書『家庭総合』(2004)には、次のような記述がある。 【セクシュアリティ】 人間のセクシュアリティ(性意識や性行動)のあらわれ方は、男女によって、また個人によって、その差は非常に大きく、また多様であり、自分が他の人と違っていても、不思議ではない。 人間には、両性の中間的な性の人や、身体的性と心理的性、社会的性が異なる(性同一性障害)人もいる。 また、同性カップルの存在に対する社会的な理解も広がりつつある。 【ジェンダーに気づく】 自分の将来の生活や進路、仕事を思い描くとき、自分のしたいことが.これまで耳にしていた「女らしさ」「男らしさ」と一致しないと感じたことはないだろうか。 人間はもって生まれた性別(sex)の上に、育てられる過程で、「女らしさ」「男らしさ」を周囲から期待され、それを意識する・しないにかかわらず、社会的・文化的につくられた性差や性別意識を身につけていく。これをジェンダー(gender)という。たとえば「男なら泣くな」と言われて感情を抑えたり、個人差や得意・不得意にかかわらず、「男なら力仕事」「女なら家事」などと強制されたりするのがこれに当たる。 しかし、自分とは何かを真剣に考えるとき、こうした固定的なジェンダーの枠組みに疑問をもったり不白由を感じたりするのは、ごく自然なことである。固定的なジェンダー(ジェンダー・バイアス)にとらわれず、そこから白由(ジェンダー・フリー)になる生き方について考えてみよう。 また、一ツ橋出版の家庭科教科書『これからの家庭基礎』(2004)には、次のように記述されている。 私たちは高校生になったばかり、将来にどんな夢を描いているのでしょう。「こんなことをやりたい」「何になりたいか」を考えるとき、どこかに男だから、女だからという意識がひそんでいないでしょうか。 私たちの周りでは、赤ちゃんが生まれたとき、女の子には擾しくかわいらしい名前とピンクの洋服を、男の子には元気な雄々しい名前とブルーの洋服が用意されていることから始まって、「女だから当然」「男だからあたりまえ」というように、役割や行動様式が無意識のうちに決められ、期待されて育てられていないでしょうか。幼い頃感動し、今も心に残っている物語や絵本のなかには、女らしさや男らしさが描かれ、その主人公に共感を覚えて育つ。このことは、人生の最初にジェンダー意識を再生産する役割を果たすようです。 ある生徒は、このようなジェンダーにとらわれない幼児に育ってほしいと、だれもが知っている『桃太郎』のお話を『ももからうまれたももこちゃん』と改題してジェンダーフリー(1)な絵本を創り、保育所の子どもたちに読んでもらったそうです。それは幼児の心のなかにどんな響きを与えたでしょうか。また、絵本づくりのなかで、強い桃太郎、鬼の暴カなどに葛藤した生徒は、周囲のジェンダーバイヤス(2)をどう感じるようになったでしょうか。 (1) 女だから、男だからという理由で、人間の生き方や可能性が制限されない状態。 (2) 性による偏見。 このように、ジェンダーフリーという言葉に関する議論は、90年代後半から主に教育分野の関係者の間で行われていた。一方、2000年前後に差し掛かると、「男女共同参画」という言葉の登場と共に、行政分野でも用いられる機会が増え、同語を巡る情況も大きく変化していくこととなる。 続き:1-4 「男女共同参画」の誕生
https://w.atwiki.jp/directors/pages/1506.html
ジェフ・マクタニッシュをお気に入りに追加 ジェフ・マクタニッシュのリンク #blogsearch2 ジェフ・マクタニッシュとは ジェフ・マクタニッシュの83%は鉛で出来ています。ジェフ・マクタニッシュの17%は赤い何かで出来ています。 ジェフ・マクタニッシュ@ウィキペディア ジェフ・マクタニッシュ ジェフ・マクタニッシュの報道 gnewプラグインエラー「ジェフ・マクタニッシュ」は見つからないか、接続エラーです。 ジェフ・マクタニッシュのキャッシュ 使い方 サイト名 URL ジェフ・マクタニッシュの掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る ページ先頭へ ジェフ・マクタニッシュ このページについて このページはジェフ・マクタニッシュのインターネット上の情報を集めたリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新されるジェフ・マクタニッシュに関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
https://w.atwiki.jp/aaarowa/pages/236.html
バニッシュボム 障害物(岩や氷など)を消し去る爆弾。 人体には効果はない。 ※以下、ロワ内でのネタバレ +【アイテム追跡メモ】 【アイテム追跡メモ】 [支給された参加者] ルシオン [所有者] ルシオン(36話、51話) ↓ クリフ(51話、72話、77話、88話、96話、103話(1)(2)(3)、110話(前)(後)、113(前)(中)(後)) ↓ ボーマン(113(後)、120話(前)(後)、127話、130話、132話、144話) [メモ] ルシオンの初期支給品だが初登場は51話。5つ支給される。 同話でルシオンの死体からクリフが回収。 113話(後)でボーマンの手に渡り、以降ボーマンが所持。 支給品一覧に戻る
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/52511.html
【検索用 うぁにっしゅ 登録タグ 2022年 KAITO VOCALOID う ぐちり 暇 曲 曲あ 有栖川繭歌 藍瀬まなみ】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:ぐちり 作曲:ぐちり 編曲:ぐちり ギター:シシド マスタリング:有栖川繭歌 絵:暇 動画:藍瀬まなみ 唄:KAITO 曲紹介 「或る朝、何事も、無かったかのように」 ー自己と意識の消失ー 曲名:『ヴァニッシュ』 どうも、ぐちりです。愛とは難しいものですね。(作者コメより) 歌詞 (本人ブログより転載) 浅い眠り呆けた眼(まなこ)午前2時 ぽつり 暗い部屋独り泣いた 膝抱えた椅子の上 齧(かじ)る爪 ささくれて荒れた指を切った 窓の外 ふと手招いている悪魔 「オニサンコチラ テノナルホウヘ」 心地よい声に乗せられたら最期 「もう二度と還ることはできないぞ」 「知らぬ存ぜぬなど通用しない 未来もない 救いもない 此処に意味なんてないさ」 ところでそこの君は誰? ジリジリドク ジリジリドク 胸の鼓動と雑音(ノイズ)に埋もれゆく世界で 溺れ沈む 脳と影 ジクジクドク ジクジクドク 毒々と脈を打つ 夢の花は咲いた 底には何も残らないように 吸い尽くしたい 窓の外 ほくそ笑んでいる悪魔 「オニサンコチラ テノナルホウヘ」 人の苦しむ姿 嘲笑うような顔をして何を期待しているの そんなことは知ったことじゃないが もう何もかもがどうでもいい これで終いさ ジリジリドク ジリジリドク 胸の鼓動と雑音(ノイズ)に埋もれゆく世界で 溺れ沈む 脳と影 ジクジクドク ジクジクドク 毒々と脈を打つ 夢の花は咲いた 底には何も残らないように さぁドロドロに溶け合って 混ざり合ってひとつになりましょう 脳髄から伝う景色が足の先まで全てを満たすのさ チクチクタク チクチクタク 進みゆく時間(とき)の中 夢の花は枯れていた チクチクタク チクチクタク 一人だけ何処にも進めない ここまでみたいだ 「ばいばい」 ジリジリドク ジリジリドク 胸の鼓動と雑音(ノイズ)に埋もれゆく世界で溺れ沈む 脳と影 ジクジクドク ジクジクドク 毒々と脈を打つ 首の筋を裂いた 窓辺に一輪 花が咲いていた さぁドロドロに溶け合って 混ざり合ってひとつになりましょう 脳髄から伝う景色で満たされた杯を飲み乾すのさ 吸い尽くしたい 愛し尽くしたい コメント KAITOさんとは思えないくらいの高温で一瞬「これマジで?」と概要欄を見返してしまった………好きすぎる… -- エムドットコム (2023-07-03 11 43 32) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/gods/pages/116043.html
フェンニンゲン バイエルン国王の系譜に登場する人物。 男爵。 関連: ジェーンディグビー (ジェーン・ディグビー、妻)
https://w.atwiki.jp/jojotuyosa/pages/31.html
EXEXEX 空条 承太郎(くうじょう じょうたろう((星の白銀・世界・天国(スタープラチナ・オーバーヘブン(ザ・ワールド)))) 天国に到達したDIO(世界・天国(ザ・ワールド・オーバーヘブン) EXEX 空条 承太郎(くうじょう じょうたろう(星の白銀・世界(スタープラチナ・ザ・ワールド))) DIO(世界(ザ・ワールド)) EX 空条 承太郎(*1) DIO(ザ・ワールド(素手、時止めなし)) SSS DIO(隠者の紫(ハーミットパープル)) SS 空条 承太郎(くうじょう じょうたろう(素手)) ヴァニラ・アイス(クリーム) 再起不能となったジャン=ピエール・ポルナレフ(銀の戦車・鎮魂歌(チャリオッツ・レイクイエム)) S モハメド・アヴドゥル(魔術師の赤(マジシャンズレッド)) 花京院 典明(かきょういん のりあき(法王の緑(ハイエロファントグリーン) ジャン=ピエール・ポルナレフ(銀の戦車(シルバーチャリオッツ)) ペット・ショップ(ホルス神) ダニエル・J・ダービー(ダービー兄(オシリス神)) アヌビス神(ジャン=ピエールポルナレフ) AAA 空条 承太郎(*2) ジョセフ(波紋・隠者の紫(ハーミットパープル)) イギー(愚者(ザ・フール)) ラバーソウル(黄の節制(イエローテンパランス)) エンヤ婆(エンヤ・ガイル(正義(ジャスティス))) J・ガイル(吊られた男(ハングドマン)) ミドラー(女教皇(ハイプリエステス)) ンドゥール(ゲブ神) アヌビス神(カーン) ケニーG(ティナー・サックス) AA 呪いのデーボ(悪魔(エボニーデビル) グレーフライ(灰の塔(タワーオブグレー)) 偽キャプテン・テニール(暗黒の月(ダークブルームーン))フォーエバー(力(ストレングス)) ホル・ホース(皇帝(エンペラー)) ネーナ(女帝(エンプレス)) ズィー・ズィー(運命の車輪(ホウィール・オブ・フォーチュン)) 鋼入りのダン(スティーリー・ダン(恋人(ラバーズ))) アラビア・ファッツ(太陽(サン)) マニッシュ・ボーイ(死神13(デス・サーティーン(悪夢世界(ナイトメア・ワールド))) カメオ(審判(ジャッジメント)) オインゴ(クヌム神) ボインゴ(トト神) アヌビス神(チャカ) マライア(バテスト神) アレッシー(セト神) テレンス・T・ダービー(アトゥム神) A ヌケサク 大統領(ラブトレイン) プッチ(MIH) ジョナサン ジョルノ(GER) 究極カーズ BBB 空条 ホリィ(くうじょう ほりぃ(茨(癒しの能力))) ディアボロ ディエゴ・ブランドー(THE WORLD(ザ・ワールド(オレだけの時間だぜ))) ジョニィ(Act4) ジャイロ(BB) 吉良 大統領 BB ウィルソン・フィリップス上院議員(車)ウェザー ディエゴ・ブランドー(恐竜(スケアリー・モンスターズ)) B 空条 貞夫(くうじょう さだお) 仗助 カルネ 露伴 重ちー CCC ワムウ 音石 ローゼス ウィルソン・フィリップス上院議員(素手) カーズ 猫草 CC チョコラータ イルーゾォ アン(家出少女)シェリー・ポルナレフ ソフィー マレーナ エシディシ C リゾット サーレー セッコ スージーQ・ジョースター DDD ブチャラティ ギアッチョ ポルポ 定助 DD 定助 サンタナ ホルマジオ アナスイ D ウンガロ ズッケェロ EEE ミスタ トリッシュ 形兆 EE オエコモバ ホルマジオ ドナテロ 噴上 E ラングラー F・F サウンドマン 吉廣 ジャンケン小僧 FFF リキエル ジョンガリ・A ヴィヴァーノ ドナテロ 康一 FF フーゴ エルメェス マックイイーン ケンゾー グッチョ 億泰 F ヴェルサス GGG マイクO GG ナランチャ G ブンブーン HHH 虹村さん(京) HH リキエル ラングラー H メローネ アンジェロ III 11人の男 ホットパンツ II シュトロハイム ウェカピポ I アクセルRO マジェント JJJ ジョセフ JJ スポーツマックス J ジャイロ KKK プロシュート アバッキオ リンゴォ KK DアンG ペッシ K ミューミュー LLL マライア LL ミラション L スクアーロ MMM 未起隆 MM プッチ M エニグマの少年 NNN グェス 定助 ディスコ NN マウンテンティム N フェルディナンド博士 OOO ブラックモア OO ジョニィ O ポークパイハット小僧 由花子 PPP プッチ PP ジャイロ P ルーシー 間田 QQQ ティッツァーノ 玉美 QQ トニオ ネズミ RRR カーズ RR ジョルノ
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/22.html
前:1-7 ジェンダーフリーの「誤配」 1-8 ジェンダーフリーの実践と、その問題点 ジェンダーフリーという言葉は、以上のような流れで生まれ、広がっていった。ここで、ジェンダーフリーの問題点について、いくつか簡単に指摘しておこう。 まず、かように拡散したジェンダーフリーという概念を再定義することは難しいだろう。というのも、ジェンダーフリーは「ジェンダーに関する自由」を掲げつつも、その「ジェンダー」自体のあり方を価値づけるための言葉でもあり、あるいは「ジェンダー・バイアスが縮減された状態」を指す言葉でありながら、そのような状態を実現させるための実践にコミットするために「男性基幹労働者+専業・兼業主夫」以外のモデルをオルタナティブとして擁護するという身振りに示されるように、メタ概念と言説実践が背反することが起こりうるからだ。例えば「ジェンダーに関する自由がもたらされた状態」というメタ概念としてのみ定義した場合、あるライフスタイルの見直しをジェンダーという視点から迫るというロジックは「ジェンダーフリー」からは導くことが困難になる。 例えばその困難さは、「ジェンダー・チェック」という手法において症候的に現れる。ジェンダーに関する選択自由が保障されている状態を目指すための実践が、「ジェンダーにいかに縛られていないか」という尺度で人を測定、評価するという手法を選択するのは論理的な矛盾を内包する。そのような手法は、即「ジェンダーに縛られない」というジェンダー価値にどれほどコミットしているか、という価値判断へと反転するからだ。それが仮に「ジェンダーに関する選択自由が保障されていない状態」から「保障されている状態」へと組み替えていくためのプラグマティックな積極的是正のための実践だとしても、それが行政や教育などの「権力」として機能する場合では社会的機能が変化する。特に、赤川学が指摘するように 、男女共同参画行政のいくつかの実践が「新たなライフモデル」を暗に前提しているような場合 、性に関する特定のサンクション(賞罰)が与えられない社会状況の設計に反する機能を持つだろう。 「隠れたカリキュラム」の撤廃や共通科目の設計など、社会制度におけるジェンダーに関わる変数を縮減、再構築するという方向性と、「ジェンダー公正的に振舞う特定の価値観」の伝達の問題は厳密には区別されなければならないが、「ジェンダーフリー」に関する議論ではその差異についてはあまり議論が行われていないばかりでなく、議題設定の性質上、本質的に両者が混同されやすい。特に「ジェンダーフリー」という概念自体が、「(1)学校教育を対象に(2)制度面ではなく態度・意識面の問題として(3)それまでの女性運動の歴史を捨象しながら(4)啓蒙的に扱うために(5)行政主導の言葉として」誕生したことが、その意味付けの試みをさらに困難なものにさせている。東京女性財団の報告書のスタンスのように、ジェンダーフリーな状況を実現させるために、ジェンダーバイアスのより少ない価値観を啓蒙するという方法を取ることは是か非かということだ。 また、赤川が指摘するように 、ジェンダーフリーに関する議論では「ジェンダーからの自由」をめぐる議論が展開される中、「ジェンダーへの自由」の問題がまったくといってよいほど論じられていない。赤川のかような指摘の背景にはアイザイア・バーリンの「消極的自由/積極的自由」の概念が想定されていると思われるが、当然ながら「『性への自由』と『性からの自由』を等価に選択可能であること」 が実現可能かどうか、性に関する「積極的自由」を「消極的自由」と同様に語ることができるか否かは精緻な議論を要する。但し、TGなどの「当事者」の間で大きく評価が分かれる理由の一端に――そもそも「当事者」に伝達されることが「誤配」であったのだが――、ジェンダーフリーに関する議論があまりにこの点を見落としていることは指摘できるだろう。東京女性財団の報告書や「ジェンダーチェック」など、ジェンダーフリーの実践の中には、「ジェンダー」という阻害要因を取り払いさえすれば「平等」や「自由」が実現するという楽観的なビジョンが透けて見えるのも、同様の問題が指摘できる。 またこれまで述べてきたように、一部のフェミニストが「ジェンダーフリー」という用語に頼ったことなどに表されるように、「ジェンダー主流化」や「ジェンダー史観」の流れの中、「男女平等」の定義づけ、社会問題化が行われにくくなったことも「ジェンダーフリー」の問題点と深く関わる。山口智美は、「官製「ジェンダー」が下りてきた!」 において次のように述べる。 男女平等教育では特性論を超えられないという論は、女性運動の歴史を考慮にいれていないものであるといってよい。女性差別撤廃条約の批准、そして家庭科共修の実現を経て、制度的には男女特性論は消えたはずだ。これは、女性運動の成果だ。そして、現在「ジェンダー・フリー教育」運動の一部としてくくられがちな男女混合名簿運動は、80年代から続く息の長い運動だ。男が先、女が後の名簿という、毎日学校で使われ、学校生活のあらゆる場面で影響を与える、明らかに性差別的な慣習を撤廃しようという、男女平等教育にむけての運動であったはずだ。このように女性運動が推進してきた男女平等教育は、当然ながら特性論など超えたものであった。もし男女平等は性別特性論に基づくなどと文部省が言っていたとしても、行政の提示する言葉の定義にそのまま従う必要があるとは思えない。「その定義は違う」と言い、それに変わる定義を提示すればいいことだ。 「ジェンダーフリー」という、行政と、行政に密着した学者が発案した、上から下りてきたカタカナ言葉に逃げず、「男女平等教育」の意味を変革していくという方向もあったはずなのだ。 これは、フェミニズムが「成熟」 し「権威」と化すことで、社会運動による定義づけから大幅に撤退しつつあることを意味する一方、「権威」化された「(官製)ジェンダー」の一人歩きが進み、応答すべき「主体」(フェミニスト)が想定できない状態であったことが、「男女平等」ではなく「ジェンダーフリー」の定義合戦へとステージが構築されることの前提にあったことを意味するだろう。 ジェンダーフリーという概念自体は、かように様々な問題を含んでいた。そして、ジェンダーフリーという言葉が広がる傍らで、バックラッシュ言説も広がっていく。 続き:2-1 「バックラッシュ」の発生
https://w.atwiki.jp/sentai-soubi/pages/6484.html
「お前は美味しい獲物ってことだ」 【名前】 デスパニッシュ 【読み方】 ですぱにっしゅ 【登場作品】 仮面ライダー龍騎スペシャル 13RIDERS 【分類】 必殺技/ファイナルベント 【使用者】 仮面ライダーベルデ 【AP】 5000 【詳細】 仮面ライダーベルデの必殺技。 ファイナルベントのカードをバイオバイザーへと読み込んで発動。 遠方に出現したバイオグリーザが伸ばした舌で自身の脚を掴み、振り子のように標的の足の部分を掴んで、更に空中に放り投げてからパイルドライバーを決める。 高空から頭部を地面に叩きつけ、非常に殺傷能力が高く、ライア、ナイトの2大ライダーはこの技で致命傷を負い命を落とした。
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/24.html
前:2-1 「バックラッシュ」の発生 2-2 「バックラッシュ」の起源と広がり 「ジェンダーフリー」「男女共同参画」への批判は、遅くとも1998年から1999年の春頃にはローカルな媒体などを通じて徐々に行われていた。山口県に本部を持つ日本時事評論社の発行している『日本時事評論』は、98年1月1日の時点で「日教組に加入している教員が、性差をなくす(ジェンダーフリー)教育を展開しているのもこの一環だ」という表現を用い、男女混合名簿を批判している。日本会議の機関紙『日本の息吹』の「平成11年4月号」(保守系のメディアは西暦ではなく年号を用いるものが多い)には「男女共同参画基本法案の非常識 「男女平等」で人は幸福になれるか」という記事が掲載されている(書き手は久保田信之学習院女子大学教授、当時)。記事のキャプションには、「夫婦別姓、ジェンダー・フリーなど推進してきた家族解体、社会解体運動の新たな一手、男女共同参画基本法案。その問題点とは何か―。家裁現場十年の実績者が語る「男女平等」の悲劇」と書かれている。また、1998年11月12日には、東京都文教委員会にて古賀俊昭都議(当時)がジェンダーフリーおよび日本女性財団、「男女混合名簿」に批判的な質疑を行っている。 以後、日本会議(1997年に設立、全国9ブロック47都道府県に組織をもつ日本最大の保守系組織)の『日本の息吹』(約2万5千部)、日本政策センター(1984年に設立された保守系シンクタンク)の『明日への選択』(約3000部)、『日本時事評論』(保守系の仏教団体「新生佛教」の会員や社会への啓蒙活動の一環として発行されている。約3万部)、『国民新聞』(国民新聞社、自称5万部)、『世論』(日本世論の会、約3000部)などの保守団体の会報などで徐々に触れられていく。各冊子は、会員に配布されるほか、熱心な会員がコピーして戸別配布を行ったり街頭で配布したり 、勉強会にてロジックを共有するためのレジュメに用いたりするケースも多い。また、記事のレポートや読者投稿欄の白熱ぶりなどから、男女共同参画批判などをテーマにした講演会や集会がこの頃から徐々に行われつつあったことが伺える。 産経新聞、『諸君!』(ex:「山口県大泉知事の恐るべき思想を糾す! ファシズム化するフェミニズム」)、『正論』(ex:「家族はもういらないのか」(2000年3月号)、「フェミニズムにひた走る地方自治体の危機 男女共同参画なんてカルトじゃないか」(2000年12月号))などの保守メディアも、2000年前後から「男女共同参画」に対する批判的な記事に取り組みだす。但し、各メディアは2002年頃まで、「ジェンダーフリー」よりはむしろ、「夫婦別姓」の問題を主眼に置き、男女雇用機会均等法批判の延長線上において批判を展開していた。この頃、「女性問題」に関連する社会問題構築のためのクレイム申し立てとして好んで用いられていたのは、「ジェンダーフリー」ではなく「夫婦別姓」や「男女雇用機会均等法」「セクシュアルハラスメント」等の問題であった。しかし、情況は2002年頃から大きく変化する。 男女共同基本計画が2000年12月に閣議決定され、2001年にはフェミニズム寄りの論者が「男女共同参画」に関する議論を展開する一方、各地で条例の策定に関わる議論が進んでいく。「ジェンダーフリー」も啓発用の用語として言及される機会が増えた。この頃から、男女共同参画基本計画(第二次)が閣議決定されたのが2005年12月までの間は、おもに「ジェンダーフリー教育」と「男女共同参画」を標的にしたバックラッシュが一部のメディアで熱をおびだす。 たとえば「統一教会」(世界基督教統一神霊協会)系の新聞、世界日報は2002年5月20日に「教育現場に浸透する『ジェンダー・フリー』」という記事を掲載して以降、ジェンダーフリー・バッシングの特集を行う。その特集記事は、後に数冊の小冊子 や、書籍 にまとめられた。また、産経新聞は、2002年4月14日の一面トップにて、ジェンダーフリーに批判的な記事を掲載して以降、社説や識者コラムなどでも関連ニュースを繰り返し批判的に取りあげる(例えば日本政策センターの小冊子、『これがジェンダー・フリーの正体だ』を2003年6月23日、7月7日の二度に渡って紹介するなど、他の保守系メディアに呼応することも多々見受けられる)。あるいは、産経新聞社のオピニオン雑誌『正論』(公称10万部)も、2000年ごろには既に男女共同参画批判の論文を断続的に掲載していたが、2002年5月号以降は、ほぼ毎号のようにジェンダーフリーなどへのネガティブ・キャンペーンを展開した。 ジェンダーバッシングを展開する宗教団体としては、統一教会のほか、キリストの幕屋が有名であり、しばしば男女共同参画に関わるシンポジウムや保守系の集会に「動員」される模様が観測される 。また、日本会議に親和性の高い宗教団体として、神道政治連盟、国柱会、仏所護念会、霊友会、成長の家、神社本庁、モラロジー研究所、念法眞教、生長の家、神道青年会など多くが指摘されている 。 ジェンダーフリーや男女共同参画、ときには男女平等自体をバッシングする本も多く出版され、TVでも何度か取りあげられた。ウェブ上にもそれらの言説に啓発されたブログやホームページ、掲示板での書き込みなどが数多く見うけられ、数多くのメーリングリスト、メールマガジンにおいても議題として採用されていき、例えば「反フェミニズム通信」(300部前後)、「「日本国の刷新・再生」―21世紀研究会―(読者参加型)」(1200部前後)、「ひのまるなび」(500部前後)など、百~数千単位の読者登録数を持つメールマガジンが、少なくとも百件以上「男女共同参画」「ジェンダーフリー」等に否定的な言及をしていく 。 当時最も注目を集めていた保守団体「新しい歴史教科書をつくる会」は2001年8月15日、中学校教科書の採択結果発表を迎える。結果は歴史の採択率は0.039%、公民は0.055%。つくる会もまた2002年頃からジェンダーフリー問題に熱心に取り組み出す。斎藤美奈子はその変遷を「ポスト歴史教科書問題」(『物は言いよう』、平凡社、2004)と名づけた。 上野陽子・小熊英二『〈癒し〉のナショナリズム草の根保守運動の実証 研究』 (慶応義塾大学出版会、2003年)では、上野陽子が担当したエスノグラフィーにおいて、次のように書かれている。 採択の結果が思わしくなかったことなどを受けて、「つくる会」では、どんどん「運動支持派」層が脱会している。「運動推進派」の担い手が宗教団体「キリストの幕屋」の信者たちに移り変わりつつある。教科書採択、というフィールドではもはや限界がある、と見切った「運動支持派」は興味の矛先を「夫婦別姓問題」にシフトしている。 O氏(28)はアンケートにこのようにコメントしている。 「私にとって「歴史」はすでにメインテーマではありません。これからは夫婦別姓とフェミニズムです。(2002年1月29日)」 T氏(44)も次のように述べる。 「保守系は「活動家」が少なく、ほとんどは一般人です。「つくる会」の会員も、(自分も含め)大部分は心情的な支援者で、「活動まではちょっと・・」という方がほとんどでしょう。そのような方を上手く組織化して、抵抗感の少ない形で運動に参加してもらうように誘導していくことが、今後必要と思います。(2002年2月20日)」 草の根保守運動の言説は、社会不安に対して特定の「(外)敵=的」を名指し続けることで、「生活感覚」の保守、および「憂国」コミュニケーションの継続を担保するという機能を持つ(4章)。以後詳述するように、2002年頃まではフェミニズム、男女共同参画、ジェンダー概念などに対する批判的言説は様々な個別の論点(夫婦別姓、セクシャルハラスメント、アファーマティブアクションの是非など)に分かれていたが、2002年頃より、それまでの個別に批判されていた問題が「ジェンダーフリー」「男女共同参画」の名の下に一挙に収斂されていく。その変化は突如として起こったものではなく、2001年までの段階で、後に構築されることになる論点のほとんどは準備されつくしていた。それら「ジェンダーフリー」のイメージが実際のフェミニスト、男女共同参画批判の動機付け、「敵=的」のイメージとして採用されることで、バックラッシュが拡大していく。 それらの言説実践に平行し、争点として構築された「男女共同参画」をめぐって各地条例案をめぐって攻防が展開される。国政でも「ジェンダーフリー」「男女共同参画」に関する答弁が、保守メディアの定義パターンを踏襲した形で展開される。また、自民党が「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」(以後自民党PT)を設置、男女共同参画基本法に対する批判を展開するなど、文字通りの政治的な焦点として位置づけられていく。 続き:2-3-1 「バックラッシュ」の言説史 1997年~2002年
https://w.atwiki.jp/lucs/pages/2888.html
《バニッシュ・リアクター》 速攻魔法 自分のカードがゲームから除外された時に発動できる。 自分の墓地から魔法カード1枚を選択して手札に加える。 原作・アニメにおいて― 「IVvsナッシュ」戦においてIVが使用。 《ギミック・パペット-シャドーフィーラー》の除外をトリガーに発動し、《RUM-アージェント・カオス・フォース》をサルベージした。