約 1,161,794 件
https://w.atwiki.jp/teamarrowhead/
このページはサークル「Team Arrow-Head」が製作している同人ボードゲーム、「R-TYPE Table Strategy」を紹介、ダウンロードできるwikiサイトです。 現在誠意製作中。
https://w.atwiki.jp/nanohass/pages/3835.html
閃光と衝撃。 光子弾の奔流が眼前の壁面を掻き消すと同時、スラスター出力を最大へと叩き込む。 砲撃後の僅かな粉塵は晴れずとも、各種センサーがその向こうに位置する構造物の消滅を告げていた。 光子弾単発のサイズは親指程度、掃射時間は僅か1秒足らずだが、1度の砲撃によって放たれる総弾数は20万を優に超える。 波動粒子に対する抵抗性を獲得したバイド汚染体でもない限り、雪崩を打って迫り来る光子弾の壁を前にして存在を保つ事など不可能だ。 行く手を遮る物が何ひとつ存在しない事を確信し、壁面に穿たれた巨大な穴に向かって加速。 そして突入と同時、リフレクト・モードへと移行した光学兵器の閃光が空間を埋め尽くす。 機体周囲の全方位から爆発と生命反応の消失に際しての各種エネルギーが無数に検出され、それらの情報がインターフェースを通じて意識内へと流れ込んだ。 更にシステムをサーチ・LRG・モードへと移行、誘導性を有するレーザーを5秒間に亘って掃射。 逃走を図ったか、遠ざかり始めた反応源を殲滅する。 直後、システムを再度リフレクト・モードへ移行、反射制御ナノマシンの増殖・供給を停止した上で掃射開始。 選択式対物反射機能を失ったレーザーの嵐は、既に破壊されつくした周囲の構造物を更に微塵と化し、漂う粉塵すらも巻き込んで全てを消滅させた。 後に残るは半径600mにも及ぶ、巨大な球状の空間のみ。 数ある空間制圧型光学兵器の中でも群を抜く高性能にして、前線の部隊からは「凶悪」とすら評される、R-9Leoシリーズのマルチプル・レーザー・システム。 地球文明圏が有する全光学技術を、文字通り全て注ぎ込んで開発された光学兵器運用特化型フォースは、同一プロジェクトに於いて開発された「サイ・ビット」との連携によって破壊的な制圧力を発揮する。 大型装甲目標すら数秒の連続照射によって破壊可能な極高出力レーザー、更に高密度レーザー弾体をフォース及びサイ・ビットより放つクロス・モード。 ナノマシンによる超高速演算とレーザー触媒機能により、照射後のレーザー自体が選択的に対物反射機能を発動させるリフレクト・モード。 同じくナノマシン制御により、偏向誘導性を持たせたレーザーを掃射するサーチ・LRG・モード。 専用ビットであるサイ・ビットは基本的にフォースと同一のレーザーかサブ・レーザーを照射する為、その通常掃射は瞬間火力こそ特化型波動砲には劣るものの、総合火力では標準型波動砲のそれを凌駕すらしている。 更にサイ・ビット本体もまた攻撃能力を有し、波動粒子の充填後には近接防衛火器としての機能を発現。 その強大な打撃力は迎撃のみならず、機体を中心とした2000m以内の敵性体に対する積極的攻撃能力すら有している。 友軍以外の全てに襲い掛かり、波動粒子を纏っての突撃を以って喰らい尽くすのだ。 その攻撃行動は充填された波動粒子が尽きるまで停止する事はなく、単一の敵性体排除後には次々に目標をシフトしながら特殊戦闘機動を継続する。 フォース及びビットシステムの攻撃性特化と引き換えに波動砲の出力こそ低下したものの、その驚異的な空間制圧力は他のR戦闘機、及びあらゆる機動兵器の追随を許さない。 スペックだけに注目するならば、正に究極にして理想のR戦闘機。 しかしシリーズ初代となるLEOの実戦配備後、前線から上がったのは痛烈な批判の声だった。 構想段階からして余りにも攻撃に傾倒し過ぎたシステムは、Leoシリーズと他機種の同一戦域への同時投入をほぼ不可能にしてしまったのだ。 その最大の要因となったのは、リフレクト・モードの無差別性にあった。 Leoシリーズ最大規模の攻撃手段であるこのレーザーは敵性体のみならず、時に友軍機すら巻き込んでの過剰破壊を引き起こす。 IFFによるナノマシンを通じての反射角制御機能はあるのだが、友軍機による想定外の機動を始めとした各種現象の全てを反射・着弾までに演算処理するとなると、その総情報量はナノマシン群の処理能力を僅かに超えていた。 更にR戦闘機が度々投入される半閉鎖空間に於ける戦闘では、レーザーの空間密度が飛躍的に増加する為、必然的にナノマシンの負担は増加、友軍機への誤射が相次ぐ事態となる。 無論、被害以上の戦果は得られたのだが、運用する艦隊側としてはパイロットに単独行動を強いる結果となってしまったのだ。 以降のLeoシリーズは単機による殲滅作戦にのみ用いられる事となったが、それを受けた開発陣が自身等の技術を処理速度の向上へと振り分ける事は終ぞなかった。 如何なる理由か、彼等は機体運用に於ける汎用性向上には僅かな関心も示さず、新たに開発されたナノマシンの有り余るキャパシティを只管にレーザー出力の増大へと注ぎ込んだ。 結果、Leoシリーズの実態は当初の機体構想から大きく外れ、単独運用を基本とした戦術級殲滅兵器へと変貌を遂げる。 こうして実戦配備へと至った後継機「R-9Leo2」は、LEO以上に扱い難い機体となってしまった。 問題となっていたリフレクト・モードの総合火力が更に増大してしまった為、僚機の随伴はおろか施設奪回目的での運用すら不可能となってしまったのだ。 だが、ある程度の運用期間を経て、例外的に僚機を随伴させるケースも現れ始めた。 半閉鎖空間戦闘に於ける戦闘経験を豊富に有し、尚且つ限定条件下に於いて威力を発揮する波動砲を有した機体を補助に付ける事で、物量と耐久性を恃みに襲い来るバイド体を容易に殲滅する事が可能となる為だ。 今作戦に於いても、LEOⅡを運用する彼に対し僚機が与えられている。 「R-9DV2 NORTHERN LIGHTS」、コールサイン「ウラガーン」。 圧倒的密度を誇る光子弾幕により、群体型汚染体に対する大規模制圧射を行う機体。 操縦するのは4度に亘る大規模施設への突入・制圧の実績を持つ、第17異層次元航行艦隊に於いても古参に当たるパイロットだ。 R-9DV2が有する重装甲・大出力を活かしての一撃離脱を得意とする彼は、艦隊でも数少ないフォースの装備を必須としない人物でもある。 高機動にて敵性体群を攪乱・誘導した後に光子弾幕を叩き込み、再度攪乱へと移行しつつ充填を開始するその戦法は、対バイド戦線に於ける掃討戦を熟知したもの。 本作戦に於いてもその技能を遺憾なく発揮し、全方位より迫り来る汚染体群、及び侵食組織体を見事な戦闘機動で誘導した上で、光子弾の掃射により殲滅していた。 無論、管理局員に対しても同様である。 その上でこちらの攻撃時には安全圏まで脱し、収束と同時に攻撃を再開する機体運用は見事なものだ。 汚染拡大によりバイド係数検出機能を除く長距離センサーの殆どが沈黙し、同じく長距離通信すら断たれた現状ですらなお、ウラガーンとの相互支援行動は僅かな綻びも見せてはいない。 『反応消失、進路クリア』 『了解。HLRTへのアクセスハッチを確認、突入する』 物資輸送用大型リニアレール路線へと続く巨大なハッチが、レーザーにより抉り取られた空間の端、破壊され途切れた輸送路の奥から覗いている。 波動砲の充填を開始すると同時に機首を旋回させ、低集束砲撃によりハッチを破壊すると間髪入れずに機体をその先の空間へと滑り込ませた。 暗闇の中へと直線に連なって浮かび上がるは、光を失った無数のリニアレール路線警告灯。 至近距離に大型バイド体の反応は存在しないものの、彼は警戒を解く事なくレーザーをサーチ・LRGへと切り替える。 『バイド係数、最大値検出源まで約5700m。道中に障害物及び敵影は確認できない』 『了解、本機は後方に着く。エグゾゼ、前進せよ』 サーチ・LRGを2秒照射、サイ・ビットへと波動粒子を充填しつつ加速。 レーザーは屈折する事なく直進、暗闇の奥で爆発が起こる。 待ち伏せはない。 ザイオング慣性制御システム及びスラスターを低出力駆動、5700mの距離を一瞬にして移動した後に右旋回、目前の壁面へとビットを撃ち込んだ。 波動粒子を纏った2基のビットは一瞬にして壁面を打ち砕き、それでも足りぬとばかりにその奥へと飛び込み構造物を抉ってゆく。 破壊音と震動が機体を揺らす中、機体側面へと滑り込んだウラガーンが充填済みの波動砲を解き放った。 閃光と共に放たれた光子弾幕は、通常砲撃時よりも弾体散布界を絞られている。 サイ・ビットにより穿たれた壁面の穴、その更に奥へと突き立った20万の弾体は射線上の全てを呑み込み破壊し、数瞬後には円錐状に拡がる巨大な通路を形成していた。 崩落と粉塵が視界を覆い尽くしているものの、近距離センサー群が健常である以上、進攻には何ら問題はない。 『エグゾゼ、前進する』 そう告げるや否や、彼はリフレクトへと切り替えたレーザーを掃射しつつ加速する。 ナノマシン制御により機体へと直撃する軌道を除いて対物反射を繰り返すレーザー群は、一瞬にして空間を覆い尽くした。 反射毎に分裂を繰り返すメイン・レーザー、分裂機能こそ持たないものの同等の出力によって照射されるサブ・レーザー。 双方を照射するフォース、サブ・レーザーのみを高速連射するサイ・ビットによって、レーザー弾幕の密度は減衰を上回る速度で上昇してゆく。 数瞬後には愛機であるLEOⅡ「エグゾゼ」を除く空間の全てが青い閃光により埋め尽くされ、対物反射機能の枷より解き放たれる瞬間を待ち受けていた。 そして遂に、インターフェース越しに最後の障壁が浮かび上がる。 目標である高バイド係数検出源へと続く即席の侵攻路、その最後の障害となる構造物。 崩壊した階層の山が、数百mもの絶壁となってレーザーを反射している。 即座に彼は、前方の壁面に対する対物反射機能を解除。 万を超えるレーザー弾体の壁が一斉に牙を剥き、分厚い構造物の壁を瞬時に食い破る。 だが破壊はそれだけに留まらず、構造物の向こうに拡がる空間へと拡大した。 レーザー群は構造物を細分化して尚、集束を保ったまま空間そのものを粉砕したのだ。 光の暴風としか形容できない破壊が過ぎ去った後、センサー上へと出現したのは巨大なバイド生命体、そして無数の局員より発せられる生体反応だった。 前方ではレーザー群に呑み込まれたのか、数隻の次元航行艦の残骸と思しき破片が散乱し炎上している。 局員は空間全域へと散開しているが、レーザー群の通過痕である400m前後の範囲には不自然な空隙が生じていた。 周囲に存在する局員の位置から推察するに、幸運にも数十名の魔導師を巻き込んだらしい。 非戦闘員を含めれば、次元航行艦の残骸から推測して500名は下らないだろう。 レーザーに呑まれる事のなかった局員達は暫し呆然としていたが、程なくして状況を理解したのか、一様にデバイスを構え攻撃態勢を取った。 レーザーをリフレクトよりクロスへ移行、射軸を右側面80度に傾けた状態で照射を開始し、瞬時に左側面80度まで水平稼働。 同時に機体を左側面へと旋回させ照射範囲を更に高範囲へと拡大、レーザーの直撃と余波で以って周囲に滞空する魔導師を薙ぎ払う。 更にサイ・ビットより連続して放たれる高密度レーザー弾体が着弾と同時に高熱を撒き散らす力場を形成し、着弾地点を中心とする15m以内の構造物を真球状に抉り抜く。 直後、進行方向に対し機体右側面を向けたウラガーンが後方を突き抜け、移動を止めぬまま砲撃。 前方に存在する局員、そして次元航行艦の全てに対し光子弾幕を叩き付ける。 クロス・モードによる掃射からウラガーンの砲撃、一連の行動が収束するまで3秒足らず。 その間に、後方に位置する者を除く魔導師の大半と次元航行艦3隻がレーザーに、それを掻い潜った局員と11隻の次元航行艦が光子弾幕によって存在を消し去られていた。 抉られた構造物が凄絶な破壊痕を曝し、次元航行艦の残骸は炎を吹き上げ続けている。 危うく弾幕を凌いだ艦も其処彼処を穿たれ、少なくとも4隻が明らかな航行不能、2隻が機関部付近から炎を上げていた。 局員の姿に関しては、次元航行艦の陰より現れた無傷の20名ほど以外には確認できない。 負傷者の姿及び死体が確認できないのは、完全に消滅してしまった為だろう。 『前方、上層から下層へ貫通する崩落跡を確認。検出源と思われる』 局員生存者から魔導弾が撃ち掛けられるが、彼の注意は既に其処にはなかった。 狙うは唯1つ、上層より現れ下層へと落下していったであろう、大型バイド汚染体。 その正体は程なくして判明した。 『解析終了。「BFL-128『GOMANDER Ver.17.1』」幼生体及び「BFL-126『IN THROUGH Ver.32.9』」6体を確認、管理局部隊が交戦中』 『確認した。これより対A級バイド掃討戦へと移行する』 魔導弾を無視して前方へと加速、レーザーを切り替えサーチ・LRGを照射、同時に波動粒子の充填を開始。 絶え間なく放たれるレーザー群は、崩落地点の上で次々に屈折し垂直に下層へと降り注ぐ。 インターフェースを通じて伝わる、確かな空間の揺らぎと衝撃。 目標はその規模から幼生段階であると判別でき、未だ外皮が硬質化し切らぬ現状ならば構造的弱点を狙う必要はないと思われた。 寄生体との直接戦闘は避け、同一箇所への集中砲火のみで事足りる。 更に好都合な事に崩落跡を通じて強襲を掛ければ、直上からの攻撃は狙わずとも敵性体の構造的弱点へと直撃する筈だ。 崩落地点直上へと至るや、機首を直下へと旋回。 70m下方、粉塵と血煙の間から覗く砕けた水晶体へとクロス・レーザーを撃ち込み、更にサイ・ビットを射出する。 赤い軌跡を空間へと刻みつつ、レーザーは砕けた水晶体の中央を射抜き汚染体の体内へと突き立った。 汚染体の各所から爆発と見紛わんばかりの勢いで血液と肉片が吹き出し、更にサイ・ビットが体内へと突入した数瞬後、側面部位が内側より粉砕されて跡形もなく吹き飛ぶ。 直前まで醜悪な肉塊が存在していた空間を突き抜け機首を起こすと同時、敵性体に押し潰される様にしてツァンジェンが大破している事実が判明した。 パイロットのシグナルが消滅している事を確認すると、彼はそれ以上の注意は不要と判じ並列思考の大部分を目前の敵性体へと集中させる。 展開する無数の局員と、20隻以上の次元航行艦。 局員は一様に驚愕の面持ちでこちらを見つめ、一部は既にデバイスを構えて攻撃態勢を取っている。 周囲の状況から推測するにツァンジェンと汚染体の攻撃により、局員は既にかなりの被害を受けているらしい。 しかし次の瞬間、横殴りに襲い掛かった魔導弾幕により、局員の姿が掻き消える。 既に汚染体からの攻撃を予期していた彼は、フォースを盾に危なげなく弾幕を凌ぐと即座にサーチ・LRGの掃射を開始した。 レーザー群は魔導弾幕を正面から切り裂き直進、屈折して2体の汚染体、その長大な胴部へと殺到する。 球状の肉塊が次々に消し飛び、遂には汚染体の頭部までもが吹き飛ばされ消失。 重力制御による浮力を失った400mもの長躯が床面へと叩き付けられ、衝撃により血液が撒き散らされ豪雨の如く一帯へと降り注ぐ。 残存汚染体、計4体。 背後で光子弾幕の壁が垂直に叩き付けられ、A級バイド汚染体の残骸が更に細分化された。 降り注ぐ光子弾幕が、床面ごと敵生体を粉砕した事をインターフェース越しに認識しつつ、彼はウラガーンの合流を待つ。 全方位を映し出す電子処理された視界の中に浮かび上がる、障壁を展開し魔導弾幕を凌いでいた局員の姿。 彼等は残る汚染体とこちらとを同時に相手取るという状況に混乱しているのか、攻撃態勢を取る者の姿はあれど集団的な反撃行動へと移行する素振りはない。 とはいえ、上層階でこちらが取った敵対行動に関する報告が届けば、すぐにでも攻撃が開始されるだろう。 ウラガーンによる光子弾幕とレーザーの掃射を以って、汚染体もろとも速やかに殲滅する事が望ましい。 その時、背後で青い光が瞬いた。 彼はその光をウラガーンのスラスターが放つものであると判断し、IFFと視界に映る機影の双方を以ってその正しさを確認する。 ウラガーンは左側面後方の位置で停止、波動砲の充填を開始する。 局員も状況を理解したのだろう、ほぼ全員がデバイスの切っ先をこちらへと突き付けた。 そして彼もまたウラガーンの砲撃を待ち、リフレクト・モードによる殲滅を実行せんとする。 『本機は魔導師の殲滅に当たる。ウラガーン、艦艇を狙え』 誘導型・高速直射型を織り交ぜた魔導弾幕、そして砲撃と拘束用魔力鎖。 襲い来るそれらを躱し、撃ち砕き、或いはフォースに喰らわせる。 機体直下に発生した魔方陣より間欠泉の如く噴き上がる緑と褐色の魔力鎖を前方への急加速によって回避し、2発のミサイルを展開する局員の中央へと撃ち込んだ。 吹き飛び四散する魔導師の肉体を認識しつつ、彼は僚機へと指示を飛ばす。 『砲撃だ、ウラガーン』 応答はない。 更に局員より放たれた金色の砲撃魔法を水平方向への移動によって躱すが、右側面へと回り込む様に放たれた誘導弾と左側面からの汚染体による魔導弾幕が、左右より挟み込む様にして迫り来る。 彼は後方へ退く事はせず逆に前方へと加速、一瞬にして局員の頭上へと機体を滑り込ませ機首を反転し、追い縋る誘導弾群をクロス・レーザーの掃射で薙ぎ払う。 そして一向に砲撃実行の様子を見せぬ僚機を訝しみ、そちらへと意識を集中した矢先の事だった。 IFF消失、被ロック警告。 視界の一角で、金色の閃光が爆発した。 左側面スラスター最大出力、瞬間的に右側面方向へと200m移動。 光子弾幕が機体を掠め、衝撃と共に警告表示が視界を埋め尽くす。 ザイオング慣性制御システム損傷、機能回復措置完了まで約600秒。 光速巡航及び高次戦術機動、不能。 キャノピー内慣性消去機構、停止。 回避行動とほぼ同時、彼は些かも躊躇う事なくクロス・レーザーを照射した。 目標は濃緑色の機体、僚機であるウラガーン。 一瞬で10mほど上昇しレーザーを回避、レールガンを連射し弾幕を張る。 通常と比して緩慢な動きで辛くもそれを躱し、サイ・ビットへの波動粒子充填を開始。 何故こちらが攻撃を受けるのか、等と思考する事はなかった。 突然のIFF消失、僚機に対する無警告での攻撃。 考え得る理由は1つしかない。 汚染されたのだ。 だが、それよりも優先して対処すべき問題がある。 ザイオング慣性制御システムの停止。 背後に管理局部隊が展開しているこの状況下、慣性制御が不可能であるという事実は致命的だった。 慣性制御を用いた高機動は勿論の事、キャノピー内部へと掛かるGの消去すら不可能となってしまったのだ。 機体各所のスラスターを用いれば、正常時と同等ではないにせよ高機動を実行する事は可能である。 しかし発生するGを打ち消す事ができなければ、パイロットの身体は僅かに20m移動しただけでピューレの様に弾けてしまうだろう。 強化措置を施され、耐Gスーツとキャノピーに満たされた耐Gゲルによって護られた身体は理論上15Gまで耐える事が可能だが、それでも通常の様な瞬間的加速は不可能だ。 この状況下で汚染体と局員の双方を相手取る事は、無謀以外の何物でもない。 此処は局員に対する攻撃を控え、システムの回復を待つべきだろう。 こちらがウラガーンへの攻撃に集中すれば、自然と局員は汚染体への対処を優先させる筈だ。 無論、こちらから注意を外す事はないだろうが、システムが回復すれば問題はない。 高機動さえ可能となれば、抵抗すら許さずに殲滅できるだろう。 そして、彼は視界に映り込むウラガーンへと意識を集中した。 一見すると、その機体に異常は見当たらない。 しかし、センサー群は明らかな異常を伝えている。 バイド係数異常増大、パイロット生体シグナル消失。 どうやらA級バイド汚染体の残骸より侵食を受けたらしく、拡大表示されたエンジンユニット近辺から異常なまでの高バイド係数が検出されている。 だが、どうにも理解できない。 高度な対汚染防御が施されているR戦闘機が何故、僅か数秒の内に中枢まで侵食されたのか。 撃墜するのではなく機能を保ったまま汚染するとなれば少なくとも数十時間、侵食特化バイド体であっても数分は掛かる。 一体、何がこの短時間汚染を可能としたのか。 疑問が解消されるまでに、それ程の時間は掛からなかった。 ウラガーンの後方、既に生命活動を停止していた筈の肉塊。 一部は伸長し、ウラガーンの機体後部へと直結している。 増殖を繰り返し見る間に膨れ上がるその中に、濃紺青の光を放つ無数の結晶体を確認したのだ。 照合の結果、視界へと現れる見慣れない表示。 『High energy focusing material detected. LOST-LOGIA「JEWEL-SEED」』 瞬間、周囲の空間に満ちる魔力素の検出値が数十倍にまで膨れ上がった。 魔力素の集束によって形成された無数の力場が、触手の様に空間を侵してゆく。 本来ならば不可視であるそれらは、各種センサー群を介する事によって可視化され彼の視界へと映り込んでいた。 後方の局員達も、見えはせずともリンカーコアを通じて異常を感じ取ったのだろう。 ウラガーンへと視線を固定したまま、不可視の圧力に押される様にして後退してゆく。 そして遂に、ウラガーンの装甲の一部が内部より弾け飛んだ。 大きく抉れた機体からは黒々とした肉腫が泡の様に噴き出し、宛ら癌細胞の如く機体を覆い尽くしてゆく。 しかしその中にあっても、ウラガーンは波動砲の充填を開始していた。 汚染体はウラガーンの全兵装を制御下へと置いているのだ。 幾度目かの金色の奔流が、彼の視界を埋め尽くす。 幸いにして光子弾幕は別方向の艦艇を狙ったものだったが、しかし彼は気付いていた。 後方の局員達、その一部が不審な動きを見せている事に。 波動粒子を纏ったサイ・ビットが肉塊へと撃ち込まれ、血肉に混じり青い結晶体の欠片が降り注ぐ中、金色の髪を揺らす魔導師が欠片の1つを手にしている事に。 だが最早、彼の手の内に選択権はなかった。 彼が取り得る行動は、汚染された僚機との戦闘のみ。 意識内へと響く警告音だけが、状況の支配権が失われた事実を無機質に告げていた。 * * 「・・・複製だって?」 呆けた様なアルフの声を耳にしながら、フェイトは無言で自らの手の内にある青い結晶体を見つめていた。 もう、10年以上も前になる。 母の望みを叶える、ただ只管にそれだけを望み、違法活動を繰り返した。 管理局との敵対、管理外世界の少女との闘いがあった。 母に捨てられ、新たな家族と掛け替えのない親友を得た。 全ては21の宝玉、計り知れない力を秘めたロストロギアを巡って起きた事だった。 『そうだ。あれはオリジナルのジュエルシードじゃない。良く見れば分かる筈だよ』 ロストロギア「ジュエルシード」。 願いを叶える宝石。 次元干渉型エネルギー結晶体であり、極めて不安定な性質を持つ人造鉱物。 外部からの魔力干渉によって容易く暴走し、特定条件下に於いては周囲に存在する生命体との融合を果たし物理干渉力を増幅させる事すらある。 単体で次元震を引き起こす程の膨大な魔力を秘めながら、歪な形でしか願いを叶えられなかった奇蹟の石。 「・・・確かにナンバリングは無いけど・・・でも、どう見たってジュエルシードじゃないか」 『知っての通りジュエルシードの総数は21だ。現存しているものは12個、そのうち本局にあるものに至っては8つ。ところが検出された反応数は40を超えている』 乗り越えた筈の過去が今、悪夢となってフェイトの眼前へと具現化していた。 光学兵器と波動砲の波状攻撃を浴びながらも、損壊を上回る速度で増殖を繰り返す肉塊。 金色の弾幕を放つ濃緑色の機体は、既に半ばまで肉塊に呑まれている。 電磁投射砲を連射している所を見ると、どうやら機能中枢を奪われたらしい。 肉塊によって半ば固定されている為、波動砲の射界がほぼ固定されている事は幸運だった。 射軸が壁面寄りに傾いている為、次元航行艦への被害は最小限に抑えられている。 だが徐々にではあるが、肉塊は機首をこちらへと向ける様に、表層部での不自然な脈動を繰り返していた。 『反応は今この瞬間も増え続けている。ジュエルシード自体が増殖と分裂を繰り返しているんだ』 「まるでジュエルシードが生きているみたいな言い方だね」 『生きているんだよ。ジュエルシードは取り込まれたんじゃない、それ自体がバイド化したんだ』 残るR戦闘機からの攻撃を受ける度に、肉片と共に周囲へと飛び散る青い結晶体。 自身が、管理局が、歴史上の幾多の文明が争い、全てを掛けて手に入れようと試みた21の宝石は、そんな人間達の苦悩と葛藤を嘲笑うかの様にその数を増し続ける。 肉腫の隙間より覗く結晶が青く瞬く度に、肉塊はその体積を爆発的に増大させるのだ。 既に汚染体の体積はR戦闘機による攻撃を受ける前と比して、3倍以上にまで膨れ上がっている。 「何の冗談だい・・・!」 『冗談なんかじゃない。ジュエルシードは自己の生命と生存欲求を獲得している。だからこそ肉の鎧が剥ぎ取られないように再生を促し、また自己の存在を残す為に分裂を続けているんだ』 「ロストロギアが子孫を残そうとしてるってのか。そんな馬鹿な」 閃光。 聴覚が麻痺し、光弾の奔流が100mほど離れた空間を薙ぎ払う。 衝撃が全身を襲うが、フェイトは片膝を突いたまま微動だにせず、弾幕の通過した痕跡へと視線を向ける事すらしなかった。 ただ一言、無感動に呟いただけ。 「使えるの?」 衝撃を避ける為か身を伏せていたアルフと局員、双方が自身へと視線を投げ掛けた事を感じ取りながらも、フェイトがそちらへと振り返る事はない。 手の内にある紺青の結晶体から視線を外し、肉塊へと取り込まれつつあるR戦闘機を見据える。 R戦闘機は肉塊によってほぼ固定されてしまった為か、電磁投射砲を連射してはいるが照準調整ができないらしい。 先程の砲撃もあらぬ方向へと放たれ、壁面を破壊して施設内部へと消えていった。 掃射型波動砲の威力は脅威だが、あれでは牽制程度にしか使い様はあるまい。 「ユーノ、このジュエルシードは使えるの?」 再度の問い掛け。 アルフや周囲の局員は言葉を発しない。 数秒の後、僅かに戸惑いを滲ませた声がウィンドウ越しに返される。 『反応を見る限りは、オリジナルとコピーとの間に違いはない。でも実際には汚染の可能性が・・・』 「もう1分は接触状態を保っているけど、何も異常はない」 幾度目かの壮絶な破壊音の後、足下へと転がった結晶体の欠片を更に1つ拾い上げると、フェイトは立ち上がった。 2つのジュエルシードを手に、汚染体への攻撃を続けるR戦闘機の機影を睨み据える。 バルディッシュをライオットブレードへ移行、全方位へと念話を発信。 『ハラオウン執務官より全局員へ。飛散したジュエルシードを可能な限り回収、一個所に集めて。但し肉体への接触は厳禁、魔法を使用して回収する事』 「フェイト!?」 アルフが、信じられない言葉を聞いたとばかりに叫ぶ。 しかしフェイトは、自身ですら驚く程の冷静さを保ったまま指示を出し続けた。 『持ち主が死亡したストレージデバイスと「AC-47β」も一緒に回収して。次元航行艦は順次出港を・・・』 『フェイト、馬鹿な真似は止すんだ!』 ユーノの叫びと共に、背後からフェイトの手首が掴まれる。 振り向けば手首を握ったアルフが、怯えを含んだ表情で自身の主を見つめていた。 恐らくはフェイトの意図を理解したのだろう、低い声色で問い詰めるアルフ。 「まさかそれ、使うつもりじゃないだろうね」 「他に方法は無いよ、アルフ」 「馬鹿言うんじゃないよ! それはもうアタシ達が知ってるジュエルシードじゃない、バイドそのものなんだよ!? そうやって持ってるだけでも、いつ汚染されるか分かったものじゃないんだ!」 「魔力の殆どはあの汚染体に供給されている筈。対汚染防御を施されている筈のR戦闘機を数秒で取り込んだんだから間違いない。これが機能している以上、こっちを汚染する事はできない」 言いつつ、フェイトはバルディッシュを掲げてみせる。 そのカートリッジシステムに直結した、明らかに後付けと判る歪なユニット。 「AC-47β」魔力増幅機構。 飛行資質を有さない魔導師にさえ翼を与え、バイドを含めあらゆる汚染に対する防御機能を強化する異界の技術。 「でも!」 「母さんの時に比べれば、ささやかな願い事だよ」 「そんな問題じゃ・・・!」 アルフの言葉が終るより早く、光学兵器の閃光が視界を覆う。 濃紺青の機体より放たれた無数のレーザー弾体が壁となり、巨大な肉塊を覆い尽くしたのだ。 衝撃音により聴覚が麻痺するが、その報告は念話を用いる事で問題なくフェイトの意識へと伝わった。 『ハラオウン執務官、ジュエルシードの欠片を確保した。30個はあるが、これでいいのか?』 『ストレージデバイス、14基を回収しました。全て「AC-47β」を装着しています』 周囲へと視線を走らせ、200mほど離れた地点に集積されたジュエルシードとデバイス、それらの傍らへと待機する局員達の姿を視界へと捉える。 体調にも魔力にも異常はない。 短時間の魔法行使程度ならば問題はない筈だ。 「ユーノ、クアットロ。魔力炉を暴走させられる? 数は多ければ多いほど良い」 『何を・・・』 『勿論できます。それで、何をさせるつもりなのかしら』 思わぬ言葉に問い返したのであろうユーノの言葉を遮ったクアットロが、答えを返すと同時にフェイトへと問い掛ける。 フェイトは結界の外、無数の光が瞬く隔離空間へと視線をやると、気負いもなく言い放った。 「転送を。全ての次元航行艦を管理局艦隊の許へ。本局内部に存在する、汚染を逃れた全ての生存者をその艦内へ」 「無茶よ!」 叫んだのは周囲に居た局員の1人。 彼女は興奮を抑えようともせず、フェイトへと食って掛かる。 「外ではアルカンシェルが乱発されているんですよ!? これだけ空間歪曲が発生している中で転送なんか行ったらどうなるか、貴女だって良く知っているでしょうに!」 「普通ならね。でも、これがある」 そう言葉を返しつつ、フェイトは自らの手の内にあるジュエルシードへと視線を落とした。 紺青の結晶体は、ただ冷たい光を放ち続けている。 「これ1つでも次元震を誘発できる。30個もあれば空間歪曲を突破できるだけの出力は十分に確保できる筈」 『君が言っていたんだぞ、そのジュエルシードは汚染体に魔力を供給し続けていると! たとえ全てのジュエルシードを同時に使用しても、それで十分な出力が得られるとは限らない!』 「ただ使っただけなら、そうかもしれない。でも」 床を蹴り飛翔、集積されたジュエルシードの許へと飛ぶフェイト。 同じ地点へと集められたストレージデバイスの1つを手に取るや、そのコアへとジュエルシードを収納する。 そして、言い放った。 「これを暴走させれば、魔力なんて幾らでも供給できるでしょ?」 ユーノは答えない。 否、余りに予想外の言葉に、返す言葉すら思い付かないのかもしれない。 フェイトは彼の返答を待たず、別の人物へと念話を飛ばす。 『どう思います、スカリエッティ』 『悪くはない。これまでに解析されたジュエルシードの特性から見ても、理論上では問題なく機能する筈だ』 突然の問い掛けに、肯定的な意見を返すスカリエッティ。 その声には常より纏う嘲りの色など微塵もなく、只管に無感動な冷たさだけがあった。 無理もない。 つい先程、彼の娘の1人であるセッテが目前で凄惨な最期を迎え、さらにトーレの死までもが知らされたのだ。 オットーとディードの死を知った時も、彼は全ての感情を取り落としたかの様な表情を見せていた。 押し隠してはいるが、恐らく彼の内面には溢れんばかりの憤りと、地球軍とバイドに対する憎悪が渦巻いているのだろう。 『だが失敗すれば本局も、先程出港した艦艇も唯では済まない。たとえ成功したとしても、本局は跡形もなく消し飛ぶだろう』 『成功すれば皆が助かる。試す価値はあります』 更に2つのジュエルシードを、ストレージデバイスへと収納するフェイト。 彼女の視界の端に、デバイスの1つを手に取る人物の姿が映り込む。 その武装局員はフェイトに倣い、デバイスへとジュエルシードを収納すると汚染体へと向き直った。 彼に続く様に、周囲の局員が次々にデバイスへと手を伸ばし、同じくジュエルシードを収納すると自らのデバイスを構える。 無言のままにその様子を見つめるフェイトへと、直後に複数の声が掛けられた。 「貴女1人では無理ですよ、執務官」 「時間がない。一斉に掛かるぞ、ハラオウン」 「蛇野郎の方は任せて下さい。執務官、デカブツを頼みます」 遥か前方、蛇状汚染体からの攻撃を遮っていたユーノの結界が、魔導弾幕の掃射が途絶えると同時に解除される。 直後、彼等は弾かれる様に前進を開始した。 床面擦れ擦れを飛翔魔法により滑空する者もあれば、魔力供給によって強化した筋力で以って駆け抜ける者もある。 後方からは砲撃が汚染体へと撃ち込まれ、魔導弾掃射ユニットとなっている肉塊を次々に破壊し迎撃を阻止せんとする。 その様子を横目に、フェイトもまた行動を開始した。 右手はライオットブレードを逆手に構え、左手にはストレージデバイスを携える。 汚染体の一部、肉塊より突出したR戦闘機のキャノピー先端を見据え意識を集中。 そして光学兵器の掃射が止んだ一瞬の間隙を突いてソニックムーブを発動、一気にキャノピー周辺を目指す。 しかし加速直後、肉塊の一部から霧が噴き出した。 「こ、のッ!」 フェイトは瞬間的に軌道を逸らし、霧の弾体を掠める様にして再度ソニックムーブを発動する。 結果として直撃は免れたものの、左の手首から先に痺れる様な痛みが奔った。 溶け落ちた訳ではないが、恐らく皮膚は跡形もないだろう。 しかし彼女は自身の負傷箇所を一顧だにせず、続けて襲い来る霧の弾体を機動力に物を言わせて回避し続ける。 『テスタロッサ、伏せろ!』 突然の警告に従い身を伏せると、巨大な炎の壁が頭上を突き抜けた。 シグナムだ。 相次いで放たれる炎は霧を掻き消し、フェイトの進路を切り開く。 次いで宙を翔けるは、魔力によって構成された猟犬の群れ。 それらは次々に汚染体へと牙を突き立て、魔力の過剰供給による爆発を起こし肉塊を抉りゆく。 すると今度は、汚染体の一部が触手の様に伸長し、数十mもの頭上まで鎌首を擡げた。 『そのまま進みな、フェイト!』 アルフからの念話。 触手は粘液と血液を周囲へと振り撒きつつ、大気を割いて垂直にフェイト目掛け振り下ろされる。 だが、彼女は進路を変えない。 振り下ろされる触手の軌道上には、僅か数瞬の間に数百本もの緑と褐色の魔力鎖が張り巡らされていた。 迫り来る巨大な触手は数十本もの魔力鎖を打ち砕き、しかし俄に動きを止める。 粉砕した数、その5倍以上もの物量の魔力鎖によって完全に拘束され、空中に静止したのだ。 『行け!』 急かされるまでもなく、フェイトは爆発的な加速を掛けていた。 張り巡らされたバインドの隙間を擦り抜け、汚染体へと肉薄する。 すると眼前の肉壁が裂け、無数の穴が穿たれた膜らしき部位が露わとなった。 酸の噴射口だ。 この至近距離では、どう足掻いても躱す事はできない。 だが、フェイトは噴射口の存在を気にも留めなかった。 緑光の魔導弾が、その中央へと突き立つ瞬間を目にした為だ。 銃弾は微かな光と共に弾け、直後に膜上の全ての穴から鮮血が噴き出す。 フェイトはその中央を蹴り、弾力を利用して上へと跳躍。 幾度目かのソニックムーブと共にブリッツアクションを発動し、右腕のみで以ってライオットブレードを肉塊へと突き立てる。 その位置は当初の狙い通り、僅かに露出するR戦闘機のキャノピー、その至近距離だった。 「バルディッシュ!」 『Riot Zamber』 フェイトの叫びと共にライオットブレードの細身の刀身が、ライオットザンバー・カラミティの巨大な刀身へと変貌する。 ほぼ全ての刀身が呑み込まれたその状態から更に捻りを加え、フェイトは汚染体の損傷個所を更に広く深く抉り始めた。 有機繊維が千切れる際の耳障りな音と感触、そして全身へと噴き付ける鮮血を無視し抉り続けること数秒。 唐突にフェイトは、有りっ丈の力でカラミティを引き抜いた。 反動でしなやかな身体が反り返り、弓の如き曲線を描く。 右手のカラミティを手放し、左手に持つストレージデバイスの柄を両手で固定。 「ッああぁぁぁぁッッ!」 そして絶叫と共に全身のばねを爆ぜさせ、垂直に構えたデバイスの矛先を振り下ろした。 カラミティによって刻まれた傷の中央へと突き立ったストレージデバイスは、肉壁を容易く割りつつ鮮血と共に内部へと呑み込まれてゆく。 程なくして1m50cm程のストレージデバイスは完全に肉塊へと呑まれ、フェイトの視界よりその全容が消えた。 「やった・・・!」 デバイスが完全に肉塊内部へと沈み込んだ瞬間、フェイトは全身を返り血に染めたまま我知らず歓喜の声を漏らす。 デバイス内のジュエルシードには、既に転送プログラムへの魔力供給を実行せよとの「願い」が込められていた。 後は、バイド体との接触により「AC-47β」内部の魔力蓄積率が臨界値を突破、暴走する瞬間を待てば良い。 暴走により齎される膨大な魔力は、デバイスを通じてジュエルシードへと流れ込む。 現在のジュエルシードは汚染体への魔力供給により、こちらの「願い」を叶えるには魔力量が圧倒的に不足している為、複数の「AC-47β」を暴走させる事で不足分を補うのだ。 そしてフェイトは今、デバイスと汚染体との接触状態を生み出す事に成功した。 後は暴走の瞬間を待ち、ユーノとクアットロが本局の機能を介して転送魔法を発動させるだけだ。 『退がれ、フェイト!』 ユーノからの警告。 咄嗟に重力に身を任せ、背後より迂回する様に襲い掛かる触手を回避。 途中、肉壁に突き立っていたカラミティの柄に手を掛けると、全身を縦方向へと回転させて刀身を振り抜く。 肉塊を切り裂き、そのままカラミティを回収。 ライオットブレードへと変貌させ、アルフ達の許へと急ぐべくソニックブームを発動せんとする。 だが、フェイトの心中を占めていた作戦成功による達成感は、局員からの警告によって打ち砕かれた。 『何か射出されたぞ!』 咄嗟に背後へと振り返ったフェイトの顔へと、細かな血飛沫が降り掛かる。 何事かと頭上を見上げた彼女の視界に、奇妙な血塗れの鉄塊が映り込んだ。 円柱状、長さ2m程の鉄塊。 余程の勢いで射出されたのか、明らかに推力発生機構を有していないにも拘らず天井面にまで達し、其処に衝突して弾かれると自由落下を開始する。 その正体が何であるかは、すぐに推測が付いた。 「爆発物・・・!?」 『退避を!』 警告とほぼ同時、緑光の魔導弾が鉄塊を撃ち抜く。 瞬間、閃光と共に鉄塊が爆ぜた。 やはり爆発物だったかと納得したのも束の間の事、これまでとは全く性質の異なる衝撃がフェイトを襲う。 巨大な構造物が崩落する際にも似た、しかしそれよりも遥かに重々しく暴力的な振動。 機関銃の如く連続する細かな振動が、雪崩を打って全身を打ち据える。 そして一瞬の後、振動が一際激しくなったその時。 フェイトの身体は大きく後方へと弾き飛ばされていた。 「・・・ッ!」 フェイトは見た。 爆発物の炸裂点から扇状に拡がり迫る、閃光の瀑布を。 無数の小規模爆発が連なり、1つの巨大な奔流となって流れ落ちる様を。 「今のは・・・!」 『ナパームだ! 執務官、戻って下さい! 其処は炸裂範囲内です!』 念話が飛び交う間にも、肉塊は次々に爆発物のポッドを射出する。 R戦闘機への搭載は明らかに不可能であると分かる総数のそれらは、バイドの有する模倣能力による産物か。 立ち込めるオゾン臭からして、内部に充填されている物は可燃性物質などではあるまい。 あのナパームもまた、何かしらのエネルギー集束技術を応用した爆弾なのだ。 『撃ち落とせ!』 体勢を立て直すや否や、フェイトはバインドを張り巡らせるアルフ目掛け必死に加速した。 ヴァイスを始めとする数少ない狙撃特化型の魔導師がポッドの迎撃を開始してはいるが、射出数が余りに多い為に対応し切れない。 迎撃されたポッドは緑掛かった光を放つ爆発の奔流を生み出すが、その流れは床面へと接触すると地形に沿って平行移動を開始するのだ。 即ち、炸裂点が空中ではなく床面ならば、爆発は一息に生存者達を呑み込んでしまう事となる。 これ以上の非戦闘員殺害を許す訳にもいかない為、ヴァイス等の狙撃は次元航行艦の方向へと向かうポッドに集中。 結果として蛇状汚染体への攻撃を成功させた魔導師達は、迎撃の手を擦り抜けたポッドの洗礼を受けてしまう事となった。 「逃げて!」 思わず零れた悲痛な叫びすらも、膨大なエネルギー輻射に伴う轟音によって掻き消される。 フェイトを信頼し、自らの生命の危険をも顧みずに蛇状汚染体へと挑み、見事使命を果たした勇敢なる局員達。 十数名の彼等は、仲間達の待つ安全圏まで後200mと迫り、しかし辿り着く事なく光の瀑布に呑まれた。 連続する爆発が彼等の姿を掻き消し、その存在の痕跡すらも残さず拭い去る。 周囲から幾つもの絶叫が上がる中、噛み締められたフェイトの唇からは少々とは言い難い量の血が流れていた。 そして、叫ぶ。 「ユーノ、まだなの!?」 『まだだ! もう少し、もう少しで・・・!』 『もう1機が逃げるぞ!』 背後に視線をやると、濃紺青の機体が側面を曝し逃亡する様が視界に入った。 先程の攻撃で何かしらの異常が発生したのか、常ならば瞬時に雷光の如き速度へと至る機動性を見せる事もなく、緩慢な加速で外部空間を目指す。 恐らくは「AC-47β」より発せられるバイド係数の増大を検出した為であろうが、管理局側が自滅するならば長居は不要と判断したのかもしれない。 いずれにせよ、脅威の一端が去った事に違いはなかった。 『魔力蓄積率、臨界値突破! 全てほぼ同時に暴走する!』 『全艦艇、エアロック封鎖完了しました!』 『艦外の者は5人から10人の集団を作れ! できるだけ密集しろ!』 「フェイト、こっちだ!」 無数の慌しい念話に混じり届いた、アルフの声。 彼女の許へと飛び込んだフェイトは、そのまま両の腕に強く抱き止められる。 「アルフ!」 「伏せなフェイト! 大丈夫だ、みんな此処に居る!」 アルフの言葉通り、其処にはフェイトの家族が集まっていた。 未だ意識の戻らぬリンディ、クライドのポッド。 フェイトはアルフに抱かれたままリンディの身体に腕を回し、3人でクライドのポッドに寄り添った。 『10秒前・・・』 ユーノからの通信に、フェイトを抱くアルフの腕が微かに強張る。 失敗すればどうなるか。 ユーノの腕は確かだが、ジュエルシードがこちらの意図通りに機能するとは限らない。 真空中に放り出される可能性もあれば、同じ領域に転送された次元航行艦の艦体と同化してしまう可能性もある。 最悪の場合、何処とも知れぬ空間へと転送されるか、転送自体すら起こらずに消滅してしまう事すらも考えられるのだ。 だが、今は信じるしかない。 ユーノの並外れた情報処理能力にクアットロのサポートが加われば、全ての次元航行艦と生存者の転送先座標を精確に設定できるだろう。 だが結局のところ、成否を決めるのは人間ではない。 全てはジュエルシード次第なのだ。 『5秒前!』 『多過ぎる、防ぎ切れない!』 突如として響いた衝撃音に、頭上を見上げる。 視線の先では20以上ものナパーム・ポッドが天井面へと反射し、艦艇群を目掛け自由落下を開始していた。 フェイトは瞬時に、自身等には打つ手が無い事を理解する。 数が多過ぎる事もあるが、それ以上にこの距離では今から迎撃に成功したとしても、拡散する爆発が艦外の生存者達を呑み込む事は明らかだった。 彼女にできる事は目を閉じ、リンディの身体を確りと抱き締める事だけ。 そして爆発を示す眩い閃光が、閉じられた瞼を貫いて視界を埋め尽くす。 『転送!』 爆音すらも消え去った、生と死の境界に満ちる静寂の中。 ユーノの声が、脳裏へと響いた様な気がした。 * * 自身の肩を揺さ振る何者かの存在により、リンディの意識は闇から浮上した。 徹夜明けの様に重々しい瞼を上げ、視界へと飛び込んだ光の刺激に耐え切れず再び目を閉じる。 そのまま暫く目を押さえていたリンディだったが、肩を叩かれた事により無理やり瞼を見開いた。 僅かながら光に慣れ始めた視界の中、浮かび上がった人影は赤銅色の髪を揺らしている。 すぐさまその正体に思い至り、その名を声にして呼ぶリンディ。 ところが、幾ら声を出しても自らの声が聴こえない。 そればかりか、何事か語り掛けるアルフの声すらも聴き取れないのだ。 混乱し掛けるリンディだが、アルフはその様子に何事か思い至ったらしい。 両手をリンディの両耳に宛がい、御世辞にも使い慣れているとは思えないたどたどしさでフィジカルヒールを発動する。 頭部を両側面から包む優しい温もりに暫し身を任せていたリンディだったが、やがて聴覚が完全に回復した事を感じ取った。 「ありがとう、アルフ」 「済まないねぇ。リンディの鼓膜も破けてるだろうって事、失念してたよ。さっきまでフェイトに付きっきりだったからさ」 フェイト。 義娘の名を聞いた瞬間、リンディは自らの内に湧き上がった衝動に身を任せアルフの肩を掴んだ。 そして驚きに目を見開く彼女に、矢継ぎ早に質問を浴びせ掛ける。 「アルフ! フェイトは、フェイトはどうなったの!? 崩落は・・・!」 「ちょっと、落ち着きなってリンディ!」 慌てるアルフに詰め寄ろうと、リンディは大きく身を乗り出した。 だが次の瞬間、彼女の身体は重心を崩し右へと倒れ込む。 右足に違和感。 何が起きたか分からずそのまま床面へと叩き付けられそうになった彼女を、咄嗟に伸ばされたアルフの腕が抱き止めた。 そしてアルフに支えられたまま自身の右足へと視線を落とした彼女は、其処にあるべきものが無いという事実に気付く。 「え・・・」 「リンディ・・・」 右脚の足首から先が無い。 その事実を理解した瞬間、僅かな時間ながらリンディの思考は停止した。 自身の肉体の一部が欠損しているのだから、無理もない事だろう。 しかし彼女は聡明であり、同時に並外れた意志の強さを併せ持っていた。 何より彼女の母親としての慈愛は、自身の負傷を気に掛ける思考を大きく上回っている。 「アルフ、フェイトは何処に? あの娘は無事なの?」 先程の取り乱し様とは打って変わり、落ち着いた口調で問い掛けるリンディ。 アルフは面食らった様な表情をしていたが、やがてゆっくりと口を開く。 「フェイトは大丈夫さ。本局から脱出する時にちょっと無茶してね、今はぐっすり寝てるよ」 そう言って彼女が指差した先に、フェイトの姿があった。 床の上で毛布に包まり、何処か重圧から開放された様な安らかな表情で眠り続ける義娘。 左手に幾重にも包帯が巻かれてはいるが、それ以外に目立った負傷の痕跡は見受けられない。 その姿を確認するや否や、リンディは全身の力が抜けてゆくのを感じた。 深く、深く息を吐き、常ならぬ弱々しい声を漏らす。 「良かった・・・本当に・・・良かった・・・!」 アルフへと凭れ掛り、肩を震わせるリンディ。 優しく肩を叩くアルフから、更に言葉が掛けられる。 「勿論クライドも無事だよ、今はラボで分析を受けてる」 奇跡の様なその言葉に、リンディは小さく声を漏らしながら歓喜の涙を流した。 今度は無言のまま、アルフの手が彼女の背を撫ぜ続ける。 2分ほどそうしていただろうか。 顔を上げたリンディは漸く、周囲に存在する人影が数百人にも及ぶ事実に気付いた。 其処彼処で生存を祝う、或いは死者を悼む悲痛な声が上がっている。 場所はかなりの広さを持ったホールで、壁際には観葉植物が生い茂り、数件のカフェ・レストラン等が壁面に埋め込まれる様にして店を構えていた。 反対側には設置型空間ウィンドウの出現箇所である事を示す警告表示が、10m前後の間隔で連続して壁面へと貼り付けられている。 今はオフラインだが、本来ならば外部のパノラマ映像が映し出されるのだろう。 「此処は・・・」 「第6支局さ。脱出した艦艇とヴィクトワールからの連絡で、生存者の救助に来たんだ」 「救助に?」 「正確には汚染とR戦闘機を警戒して接近しあぐねていた所に、アタシ達が転移してきたんだけどね」 思わぬ言葉に、リンディはアルフの顔を覗き込んだ。 アルフは無理もないと云わんばかりに肩を竦め、リンディの背後を指す。 「その2人のおかげだよ」 振り返ると其処には、車椅子に座する人物とそれを押す人影があった。 右腕以外の四肢が無い金髪の男性と、亜麻色の長髪を揺らす女性。 ユーノ、そしてクアットロだ。 「ユーノ君・・・」 「リンディさん、御無事で何よりです」 ユーノはリンディの傍らへ車椅子を停めさせると、何処か疲れた様に息を吐いた。 そして手にしていたファイルをリンディへと差し出し、幾分事務的な声で報告を始める。 「ジュエルシード・コピー計31個、及び「AC-47β」14基の同時暴走を利用した強制転送により約46000名が脱出に成功。当該宙域には現在、膨大な魔力とバイド係数として検出される未知のエネルギーによる巨大な力場が形成されています」 「46000・・・あの状況を考えれば奇跡かしらね」 「上層部の被害も深刻と言わざるを得ません。キール元帥は中央区での戦闘指揮中に地球軍が使用した化学兵器により死亡。フィルス相談役はAブロックで民間人の避難誘導に当たっておられましたが、例の可変機による襲撃を受けAブロックの総員もろとも消息不明。 クローベル議長は転送による脱出に成功しましたが、既に胸部と腹部に背面まで貫通する致命傷を負っておられました。転移直前に汚染スフィア群からの砲撃を浴びたとの目撃情報あり。その後、手術室への搬送の途中で・・・」 「亡くなられたのね・・・」 「ええ」 場に沈黙が満ちる。 周囲では相変わらず喧騒が渦巻いているが、リンディ達4名は奇妙な静寂の中にあった。 それを破ったのは、新たに姿を現した2名の声。 「御三方とも、最後まで局員としての責務を果たしての殉職です。悔いは無かったと信じましょう」 「生存者の殆どは、武装局員による抵抗が時間稼ぎとなって避難に成功した者です。彼等の死は決して無駄ではありません」 ゆっくりと歩み寄る桃色の髪の女性と、その肩に乗った人形の様な小さな人影。 手を引かれ杖を突きつつ歩く、両目を包帯に覆われた緑髪の男性。 シグナムとアギト、そしてヴェロッサだ。 「お久し振りです、ハラオウン統括官」 「シグナム・・・ええ、本当に久し振りね。意識のある貴女と会うのは」 「お恥ずかしい限りです。私もアギトも、敵の脅威の程を見誤っていた。あの時に撃ち果たしていれば、この様な事態には・・・」 俯き、震える程に拳を握り締めるシグナム。 アギトも同様に、ロードの肩の上で黙り込んだまま俯いている。 彼女等にしてみれば、自らが撃ち漏らした敵によって本局内の人間が殺戮されてゆく様は、憤怒と屈辱と悔恨とに塗れた光景以外の何物でもなかったに違いない。 実際のところ、彼女達があのR戦闘機の撃墜に成功していたからといって本局が惨劇を回避できたとは思えないが、リンディは後悔に打ち震える彼女達へと掛ける言葉を見付ける事ができなかった。 その言葉を齎したのは彼女ではなく、これまで一言も発する事なく佇んでいた人物。 「思い上がりも甚だしい。たった1機墜としたところで、地球軍が襲撃を諦めるとでも? 逆に投入される機体が3機から6機に増えただけでしょうねぇ」 「・・・テメェ」 クアットロだ。 その挑発的な物言いに、アギトが気色ばむ。 「アギト、止せ」 「だってよ・・・!」 「そうなればバイドを含めた三つ巴という状況を考慮しても、こんな風にそれなりの長時間に亘って本局が持ち堪えられたか怪しいものだわ。状況がより悪化する事はあっても、その逆は決して起こらなかったと思いますけど」 「お前ぇ!」 見下す様な言葉に、遂にアギトが激昂した。 その小さな両手に炎を宿し、そちらを見ようともしないクアットロの横顔へと突き付ける様に腕を突き出す。 だが、シグナムの手が彼女の正面へと翳され、射出直前の火球の射線を遮った。 「其処までだ、アギト」 「何でだよ! コイツが・・・」 「要するに気にするなって言ってるのさ、クアットロは。随分と回りくどい言い方だけれどね」 そのユーノの言葉に、アギトの抗議の言葉が止む。 彼女は奇妙な物を見る様な目でクアットロを見やるが、当の人物はもはや興味がないとばかりに全く別の方向を見ていた。 だがリンディからは、ユーノの言葉と同時に色付いた耳が丸見えである。 恐らく内心では余計なフォローをしたユーノに、有りっ丈の罵詈雑言を浴びせ掛けている事だろう。 思わぬ人物の思わぬ一面を垣間見た事で、リンディの顔に微かな笑みが浮かぶ。 陰鬱な空気が和らぎ周囲の喧噪も徐々に落ち着き始めた頃、壁面全体に外部空間の映像が表示された。 「おい、見ろ!」 その声にリンディは、反射的に映像のほぼ中央を見やる。 巨大な空間ウィンドウには、隔離空間内部の映像が鮮明に映し出されていた。 無数の世界が隣り合う様にして密集する異様な光景の中、戦闘による無数の閃光が其処彼処で瞬いている。 その中でも、一際強力な閃光を放つ箇所があった。 惑星群とは反対の方向を映し出した映像、遥か彼方に光る恒星を背に浮かぶ人工天体。 更にその手前に映り込んだ巨大な光球、不気味な闇色の波動を放ち鼓動する異形の臓腑。 「あれが、本局です」 「え・・・」 「あの光球の中心が、本局艦艇の最終位置です」 ユーノの説明に誰もが言葉を失い、沈黙のままに光球を見つめる。 映像の手前、即ち周囲には無数の管理局艦艇が漂い、光球から遠ざかる為に移動を続けている様だ。 恐らくは本局の直衛に就いていた管理局艦隊だろう。 良く見ればこの第6支局以外にも複数、支局艦艇の艦影が空間内に浮かび上がっている。 「・・・あの力場は、何時まで持続するのかしら」 「不明です。魔力のみでの計算ならば、消滅まで80時間といった処です。しかし極めて高いバイド係数が検出されている事もあり・・・」 リンディの疑問にユーノが答え始めた、その数秒後。 映像の其処彼処に映るXV級の内1隻が、唐突に爆発した。 喧騒が一瞬の内に静まり返り、赤い光がウィンドウの一端を照らし出す。 「何が・・・」 直後、空間に1条の赤い線が刻まれた。 その線は周囲に無数の光弾を纏い、一瞬にして2隻のXV級を頭上より薙ぎ払う。 数瞬の間を置き、2隻のブリッジ近辺が閃光と共に弾け飛んだ。 その光景にリンディは、何が起きているのかを理解する。 「追撃・・・!」 「あの機体だ! あの青い奴が追ってきた!」 誰かが叫んだその言葉とほぼ同時、更に1隻のXV級と2隻の小型艦艇が無数のレーザー弾体によって撃ち抜かれていた。 艦首から艦尾まで徹底的にレーザーを撃ち込まれた3隻は艦全体から火を噴き、XV級は半ばより折れる様にして爆発、小型艦は小爆発を繰り返しながら崩壊してゆく。 既に空間は無数の魔導弾によって埋め尽くされているが、それらが敵機を捉える様子はまるで無い。 此処にきて漸く状況を理解したのか、生存者の一部から悲鳴が上がり始めた。 しかし大多数はもはや逃げ場がない事を理解しているのか、騒ぎもせずに呆然と映像を眺めている。 リンディもまた静謐を保っていたが、それは諦観によるものではない。 彼女は嘗て提督として培った経験を基に、冷静に戦況を評価しようと試みていた。 そして、気付く。 「・・・浅異層次元潜航?」 「恐らくは。攻撃時に潜航状態を解除し、目標を撃沈後に再度潜航しているみたいですね」 いずれの管理局艦艇も、まるで狙いが定まらぬ様に魔導弾を乱射していた。 それこそ誤射の危険性すら無視し、只管に弾幕を張り続ける。 それは即ち、敵機を捕捉できていないという事実に他ならない。 其処から導かれる、考え得る中で最も可能性が高く、且つ最悪の予想。 浅異層次元潜航機能を使用しての一撃離脱。 「不味いですね。異層次元に潜られると、こちらは全く手出しができない」 「出現する瞬間を狙えば・・・」 「不可能よ。あれだけ小型で常識外れの機動性を持つ移動体を狙い打つ機能なんて、管理局の艦艇には備わっていない」 言葉を交わす間にも、2つの光球が光の尾を引きつつXV級へと襲い掛かった。 その艦は必死に弾幕を張るが、光球は被弾を意に介さぬ様に艦体を蹂躙してゆく。 外殻を裂いた光球が、内部へと侵入を果たした数瞬後。 ブリッジと推進部を内部より引き裂き、光球は外部へと帰還を果たした。 崩壊する艦体を掠める様に飛来する影と合流した光球は、空間へと溶け込む様に姿を消す。 「・・・やはりね」 間違いない。 敵機は浅異層次元潜航を使用している。 こうなれば、管理局側に打つ手はない。 数隻ずつ徐々に撃沈されるか、或いはこちらへと向かっているであろう地球軍の増援に纏めて消し飛ばされるか。 「ついてないなぁ」 溜息と共に零されたユーノの言葉こそが、リンディの内心を代弁していた。 本当に、ついてない。 詳細までは知らないにせよ、フェイトが命を掛けユーノが持てる能力を振り絞った結果、多くの生存者が脱出に成功したのだという事は分かる。 しかし脱出に成功しても、直後に抵抗すら儘ならぬ脅威に直面するとは何たる不運。 否、不運ですらないのだろう。 局員の脱出を許した時点で、その収容先ごと抹消する心積もりであった事は間違いない。 敵機がこの場へと現れた事は、不運などではなく必然なのだ。 「・・・義母さん?」 「フェイト・・・」 背後より掛けられた義娘の声に、リンディは振り返る。 其処には毛布を羽織り、心細げな表情を浮かべたフェイトが佇んでいた。 リンディは義娘を近くへと寄らせ、その身体を優しく抱き締める。 フェイトは暫くされるが儘にしていたが、やがて自らも腕を伸べると義母の手に自身のそれを重ねた。 ウィンドウ上では更に4隻が火を噴き、閃光と共に爆散するか緩やかに崩壊を始めている。 周囲は再び静まり返り、リンディは静寂の中で唇を噛み締めた。 自身ができる事は何もない。 義娘やその友人は自身を救ってくれたというのに、今この状況に於いて自身が彼女達を救えないという事実は、リンディの心を容赦なく責め立てた。 迫る最悪の終焉を前に、偽りの安心を娘に与える事しかできない。 「ごめんね、フェイト」 「・・・何か言った? 義母さん」 既に疲労が限界に達しているのか、フェイトは意識を保つ事も辛いらしい。 少しでも安心させようと、リンディは彼女の髪を撫ぜる。 返り血だろうか、不自然に指へと絡み付く髪を解しながら、閉じられてゆくフェイトの瞳を見つめていたリンディ。 しかし彼女は、ふと顔を上げて本局の存在していた宙域、禍々しい光を放つ光球を見やる。 それは長い時を過ごした場所が有する、掛け替えのない記憶を脳裏へと刻み付けようとの、無意識下の行動だったのかもしれない。 だが、その視界へと映り込んだ光景は決して感傷を齎すものではなく、それどころか現実としての脅威と驚愕を叩き付けるものだった。 「・・・え?」 本局を呑み込んだ光球。 それが、消えていた。 あれだけ眩い光を放っていた魔力と未知のエネルギーによる球体が、跡形もなく霧散していたのだ。 代わりにその宙域へと現れていたのは、本局のそれに酷似した巨大な影。 「嘘・・・」 「おい、残ってる・・・本局が残ってるぞ!」 誰もが食い入る様に映像へと見入る中、影は周囲に纏う闇色の光を徐々にではあるが振り払い始めていた。 角度の問題か、巨大な十字架の様にも見えるその影は、恐らくは破損した対宙迎撃用魔導砲身展開機構の残骸であろう、環状構造物の残骸を纏っているらしい。 中心部からは無数の針状構造物が伸び、その先端付近には円を描く様に幾つかの残骸が付着している。 奇跡的に残った、本局艦艇の残骸。 未だ残る力場の影響か鮮明な映像を捉える事はできないが、少なくともリンディはそう判断した。 その考えが間違っている可能性になど思い至りもしなかったし、もし至ったとしてもすぐさま否定しただろう。 「見ろよ! あの暴走にも持ち堪えて・・・」 「待って、何か変よ・・・」 本局以外には有り得ない。 あれだけの巨大建造物、見紛う事なき形状。 あれが本局でなければ何だというのか。 「リンディ・・・あの棘、動いてないかい?」 「・・・いえ、私には」 「待って・・・動いてる、動いてるわ」 アルフの疑問に、クアットロが答えた。 常人より遥かに優れた彼女の眼は、その異常を鮮明に捉えたのだろう。 彼女は徐に影を指し、微かに震える声で一言。 「あれ・・・鼓動して・・・!」 まやかしが、拭い去られた。 力場の残滓が完全に消失し、揺らぎの下に隠れていた影の全貌が露わとなる。 偏光の殻が取り払われた後には、異形としか言い様のない存在が出現していた。 死骸にして生命。 無機物にして有機的。 それは最早、リンディ達の知る本局という巨大構造物でも、その残骸でもなかった。 周囲の環状構造物は跡形もなく、中心から全方位へと棘皮動物にも似た鋭い棘状構造物が無数に延びており、それら全てが生命体の如く不気味に揺らめいている。 同じく中心部から前後4対、計8基のバーニアらしき長大なユニットが延び、その先端には複数の歪なノズルが備えられていた。 嘗ては其々の方向へと延びていた巨大な6つのブロックは内2つが消失し、その抉れた箇所からは巨大な青いレンズ状の結晶体が覗いている。 「嘘だろ・・・」 「アルフ?」 「嘘だよ・・・あれ、あれは・・・」 何事かに狼狽するアルフ。 見れば彼女だけでなく、ユーノまでもが凍り付いた様に異形を見つめていた。 アルフが、叫ぶ。 「あれ、全部・・・ジュエルシードじゃないか!」 瞬間、異形が弾けた。 少なくともリンディには、そうとしか認識できなかった。 一瞬、全ての棘状構造物が振動したかの様に見受けられた直後、何らかのエネルギーの壁が異形を中心として爆発したのだ。 可視化する程の高密度エネルギーは、瞬時にリンディ達が搭乗する第6支局にも到達。 轟音と共に襲い掛かった凄まじい衝撃に、リンディの身体は腕の中のフェイトごと1m近くも跳ね上げられた。 無数の悲鳴。 そして彼女は背中から床面へと打ち付けられ、鈍い音と共にその口からは呻きが漏れる。 咳き込むリンディの腕の中、完全に意識が覚醒したらしきフェイトは、明らかに動揺した面持ちで周囲を見回していた。 警報。 警告灯が点滅し、周囲からは呻きと助けを求める声、鋭く指示を飛ばす声が入り乱れて響く。 リンディもどうにか身を起こし、直前の現象についての疑問を口にした。 「今のは・・・?」 「あの本局だったものが使用した、極広域戦略兵器でしょう・・・ごめん、手を貸して・・・撃沈というよりは艦艇内部の人間を狙った、間接的な攻撃手段かも」 クアットロに助け起こされながらも、淀みなく答えるユーノ。 彼の言う通り、警報こそ鳴り響いているものの艦体に重大な損傷は皆無の様だ。 しかしクルーを狙ったにしても、この程度の衝撃で死に至る者は多くはあるまい。 「見ろ、見ろ!」 突如、生存者の1人が叫び、ウィンドウを指した。 周囲の人間、リンディまでもその叫びにつられて映像を見る。 そして、絶句した。 「な・・・」 漂う残骸と拡がりゆく炎の波。 ウィンドウ上へと大写しになっていたのは、完全に破壊された濃紺青の機体。 十数秒前まで艦隊を執拗に攻撃していた、あのR戦闘機だった。 「あっちにも・・・!」 それだけではない。 良く見ればその機体以外にも、更に2機の機体が破壊され空間を漂っている。 いずれも巨大な力によって粉砕されたかの様な惨状だが、特徴的な形状のキャノピーとノズルの残骸から辛うじてR戦闘機であると判断できた。 恐らくは増援として艦隊への攻撃に加わろうとした、その矢先に撃墜されたのだろう。 だが、現れた残骸はR戦闘機のものだけに留まらなかった。 「嘘・・・」 「あれは・・・地球軍の艦だ!」 その残骸は、嘗て第97管理外世界へと赴いた3隻のXV級を攻撃した、恐らくは駆逐艦か巡航艦クラスの艦艇のもの。 やはり浅異層次元潜航により姿を隠していたらしいが、何らかの要因により破壊されたのだろう。 艦体は見るも無残に中央から割れ、更に弾薬が暴発したのか、凄まじい光を発して破片すら残さずに消滅する。 「浅異層次元潜航・・・」 その呟きを、リンディは聞き逃さなかった。 声が発せられた方向を見れば、傍らへとウィンドウを展開したユーノが何らかの操作を行っている。 すると大型ウィンドウ上に映し出される映像が、目まぐるしく変わり始めた。 次から次へと移り変わる映像上へと浮かび上がるのは、いずれも破壊されたR戦闘機と地球軍艦艇ばかり。 画面右下には対象との距離が表示されているが、その桁も数千から数百万と様々だ。 此処に来てリンディは、到る所で地球軍戦力が撃破されている事実を理解する。 しかし同時に、損傷を受けた様子など全くないR戦闘機と地球軍艦艇の数も多い。 そして、ユーノが発した言葉の意味に気付く。 「潜航中の地球軍に対する攻撃・・・?」 その思考へと至った瞬間、全ての疑問が解決した。 何故、複数の地球軍戦力が撃破されているのか。 何故、バイドは本局を襲ったのか。 何故、ジュエルシードを核として本局を変貌させたのか。 「まさか・・・!」 浅異層次元潜航を封じる為の存在を生み出す、その媒体として本局を選び。 極広域空間干渉を実行する為のエネルギー源、その供給源としてジュエルシードを複製し。 短時間での侵食拡大の為に必要な膨大なエネルギーの解放、その引き金として局員によるジュエルシードの暴走を誘導する。 フェイト達が人工天体脱出に際して使用する次元航行艦を発見した、その瞬間からバイドの計画は実行段階に移行していた。 管理局の必死の抵抗も、そして地球軍による本局での無法さえも。 多くの血を流し汚染体の排除と脱出に成功した事実にも拘らず、バイドによる計画の域を脱する事はできなかったのだ。 考え過ぎだろうか。 果たしてバイドに、これ程までに高度な人間集団の行動予測、そしてそれを利用した戦略の立案ができるものだろうか。 否、こうして悩む事、それ自体が間違っている。 既にバイドはそれを成し遂げ、最大の成果を上げているのだから。 恐らく浅異層次元潜航中の地球軍戦力は残らず撃破され、彼等は切り札の1つを失った。 常軌を逸した打撃力と神出鬼没の機動力・隠密性を併せ持つ事こそが、地球軍が最大の脅威たる理由である。 しかし今、彼等は浅異層次元潜航という隠密の盾を奪われ、絶対的少数にも拘らず地球軍が最大勢力として戦場に君臨している要因、その一端を切り崩された事となる。 この事態から予測できる変化、それは。 「均衡が・・・崩れる・・・!」 嘗ては本局であった異形、その周囲に無数の影が現れる。 それらは初め、小さな点に過ぎなかった。 しかし数秒後、それらの点は爆発的に膨れ上がり、無数の巨大な肉塊へと成長する。 赤黒い醜悪な肉塊は異形をほぼ完全に覆い尽くし、その僅かな隙間からはジュエルシードによって形成されたコアが放つ青い光が覗いていた。 肉塊に覆われた異形の周囲に、可視化した無数の揺らぎが発生する。 揺らぎは異形を中心として拡散を続け、ウィンドウに映る範囲全体へと拡大した。 画面に映る殆どが揺らぎ始め、全く遠近感が掴めない状態となる。 そしてある瞬間、揺らぎの中に影が浮かび上がった。 無数に発生した揺らぎの中、影は次々に浮かび上がりその数を増してゆく。 揺らぎが影によって掻き消えた後、其処にあったのは空間を埋め尽くす程の艦艇の影。 管理世界、バイド、地球軍。 所属を問わず密集した、無数の艦艇。 先程までとは比較にならない、それこそ映像上の全てを埋め尽くす数の汚染艦隊の全貌だった。 「まさか・・・この為に本局を?」 「正面から押し潰す気なんだ。浅異層次元潜航が使用できない以上、地球軍は圧倒的不利に・・・」 「ねえ、あれ!」 ウィンドウを埋め尽くす艦艇群の中、周囲の艦艇とは明らかに異なる巨大構造物の姿があった。 リンディの目は、自然とその構造物へと引き寄せられる。 巨大な2つの環状構造物を繋げた形のそれは、出現直後から微かに光を放ち始めたのだ。 ユーノがウィンドウを操作し、その構造物を拡大表示する。 「スペースコロニー?」 「いえ・・・これは・・・」 拡大表示されたそれは、見るからに奇妙な構造物だった。 直径は約8km、全長はその倍以上はあるだろう。 どうやら環状であるのは前部構造物のみであり、後部構造物には底部が存在するらしい。 周囲には円柱型のユニットが2つ付随し、前部と後部の構造物間にはそれなりの距離が開いている。 少し離れた地点に配置されている十数基のユニットはソーラーパネルだろうか。 前部と後部は其々が逆方向へと回転しており、光は後部構造物の底部中央へと集束している様だ。 その光が何を意味するのか、思い至るものは1つしかなかった。 「砲撃だ!」 光が炸裂し、衝撃が意識を掻き消す。 吹き飛ばされたのか、叩き付けられたのか、引き裂かれたのか。 意識が回復するまでの数秒の間、リンディは我が身に何が起こったのかまるで理解できなかった。 ただ朦朧とする意識の中、避難を呼び掛けるアナウンスに紛れる様にして、複数の聞き逃せない言葉が響いた事だけは覚えている。 決して忘れ得ぬ、無限の狂気による蹂躙の始まりを告げた言葉だけは。 『第61管理世界、崩壊! 敵砲撃、射線上の惑星を複数貫通! 第52観測指定世界、第12管理世界、第38管理世界、いずれも崩壊が進行中!』 『汚染艦隊、進攻開始! 陽電子砲の充填開始を確認!』 『地球軍、第97管理外世界周辺宙域へ向け撤退を開始・・・』 戦況が、傾く。 * * 白い清潔な天井、窓とシェードの間から差し込む麗らかな陽光。 意識を取り戻したギンガが最初に目にしたものは、自身の置かれた状況を暫し忘れさせるものだった。 数秒ほど呆けた様に天井を眺め、次いで跳ねる様に上半身を起こす。 自らの半身を覆う清潔なシーツに程良い硬さのベッド、纏っているのは医療機関の患者服。 額へと生じた違和感に手をやると、指先が張り付けられたシールタイプのものに触れた。 ストラーダによって切り裂かれた傷を、何者かが手当てしたというのか。 他にも擦り剥いたらしき身体の各所に、適切な医療措置が施されている。 室内を見渡すが、どうやら此処は個室らしい。 閉じられたドアの向こうからは、微かな喧騒が聴こえてくる。 ベッドから身を乗り出し窓のシェードを上げると、白い雲が浮かぶ青空と眼下の緑が視界へと飛び込んできた。 自然に零れる、現状への疑問。 「此処は・・・?」 ドアの開く音。 咄嗟に振り返り拳を構えるも、その左腕にリボルバーナックルは無かった。 しかし、扉を潜り入室してきた人物の姿を捉えるや否や、ギンガの意識は完全にその人物へと釘付けになる。 その人物、彼女は記憶の中のそれよりも随分と伸びた桃色の髪を揺らし、柔らかく微笑んだ。 「良かった、意識が戻ったんですね」 思考を支配した驚きに、言葉を紡ぐ事もできないギンガ。 その目前で、彼女は手にしていた薬品の箱を近くの台上へと置くと耳元へと手をやり、既に装着していたインカムを通じて何処かへと報告を行う。 随分と慣れた動作だった。 「614、患者が覚醒しました。危険はありません」 その光景を呆然と見つめるギンガの目前で、彼女は耳元から手を離すと改めてギンガへと向き直った。 そして、再会の言葉を紡ぐ。 「お久し振りです、ギンガさん」 時空管理局辺境自然保護隊、第61管理世界スプールス駐在班所属。 キャロ・ル・ルシエ二等陸士の姿が、其処にあった。
https://w.atwiki.jp/nanohass/pages/3843.html
約15分。 衝突警報の発令、そしてコロニー全体を強烈な衝撃が襲ってから、これまでに経過した時間だ。 警報音が鳴り響き、赤と黄色の回転灯の光に埋め尽くされた、ベストラ内部セクター間連絡通路。 其処を、居住区シェルターより脱したなのはを含む数名の魔導師達は、自身等が発揮し得る最高速度で以って翔けていた。 大型車両での通行を想定して建造されているのであろう通路は、魔導師が飛翔魔法によって高速飛行するに当たり最適な空間である。 構造物が崩落している地点は多々在れど、それらもなのは程の技量を有する空戦魔導師の前には、全く障害たり得なかった。 しかし、物理的障害は存在しないも同然であるとはいえ、彼女達の飛行経路は平穏という表現から程遠い状況である。 『一尉、これは・・・』 『考えるのは後だよ。飛行に集中して』 戸惑う様に発せられた念話に、なのはは鋭く応答した。 彼女の視界には、崩落した構造物の残骸と共に散乱する無数の肉片と、床面から天井面までを赤黒く染め上げる大量の血痕が映り込んでいる。 そして、壁面に穿たれた無数の弾痕、明らかに砲撃魔法によるものと判別できる大規模な破壊痕。 何らかの恐ろしい力学的干渉により無惨にも引き裂かれた、人体であったものの成れの果て。 それら全ての周囲に散乱する、ランツクネヒト装甲服と多種多様な衣服の一部、質量兵器とデバイスの破片。 『しかし、一尉。明らかにこれは、ランツクネヒトと魔導師による交戦の跡です。これまでに確認した痕跡から判断できるだけでも、間違いなく数百人は死んでいる』 『我々が察知し得ぬ内に、ランツクネヒトと被災者の間で大規模な衝突が在った事は間違いない。此処に来るまでランツクネヒトは疎か、魔導師の1人とさえ遭遇しなかった事も異常だ。一体、戦闘要員は何処へ消えたんだ?』 前方から後方へと過ぎる、破損した大量の臓器と骨格が積み重なって形成された、肉塊の小山。 通路上に数多の血流を生み出すそれを明確に視認してしまったなのはは、腹部より込み上げる嘔気を必死に堪える。 周囲の魔力残滓と構造物の損壊状況から推測するに、恐らくは非殺傷設定を解除した近代ベルカ式による攻撃を受けた人間達の成れの果てだろう。 これまでに幾度となく向き合い、時に敵対し、時に教え導き、時に良き戦友であった者達が有する戦闘技術。 敵対すればこの上なく恐ろしく、味方であればこの上なく頼もしい、近代ベルカ式という近接戦闘主体魔法体系。 気高く義に満ちたその技術が、非殺傷設定という制約を解いた、唯それだけの事で目を背けたくなる程に凄惨な殺戮を生み出したというのか。 或いは、あの肉塊は魔導師によって生み出されたものではなく、逆にランツクネヒトが運用する質量兵器群によって殺戮された魔導師達のものなのだろうか。 『きっと、外殻に出ている。衝突警報が出たって事は、要因は外に在るんだもの』 『其処に誰かが居たとして、それは本当に味方なのか? 次元世界の連中ならば未だしも、敵対を選択したランツクネヒトだったら?』 余計な思考を振り払おうとするかの様に発した念話は、更なる疑問によって上塗りされる。 果たして、外殻には誰かが居るのか。 何物かが存在したとして、それはこちらにとって味方か、或いは敵対する者か。 なのはとて最悪の事態、それに遭遇する可能性を考えなかった訳ではない。 外殻に展開する勢力がランツクネヒトであり、彼等がこちらに対し明確に敵対を選択しているとすれば、魔導師達は忽ち質量兵器による弾幕に曝される事となる。 際限が無いと錯覚する程に魔導資質が強化され続けている現状でさえ、ランツクネヒトが有する携行型質量兵器群、そして何よりR戦闘機群は、未だ魔導師にとって絶対的な脅威そのものなのだ。 散弾と榴弾の暴風に呑み込まれる事も、波動砲の砲撃によって跡形も無く消し飛ばされる事も、どちらも御免であった。 しかし現段階では、外殻の様子を知る術が無い。 如何なる理由か、こちらからの指示に対し、システムが全く応答しないのだ。 システムが沈黙した訳でない事は、鳴り響く警告音と明滅する回転灯群の光が証明している。 汚染の可能性も考えはしたが、それを確かめる術すら無かった。 そして如何なる理由か、居住区シェルター内部からの指示ならば、システムは正常に応答するのだ。 この事実が意味するものとは、何か。 『何で、私達はあそこに居たんやろうな』 『・・・はやてちゃん?』 はやてからの念話。 呟く様に放たれたそれに、なのはは問い掛ける様に彼女の名を呼ぶ。 B-1A2によるコロニー襲撃時、はやては自身の左前腕部と共にザフィーラを失った。 その直前にはシャマルまでもが死亡しており、彼女の精神が危うい処まで追い詰められている事は、誰の目にも明らかだったのだ。 だからこそ、なのはは彼女にシェルターへ残るよう言い聞かせた。 この場に残る被災者達を護って欲しいと頼む事で、負傷者であるはやてを可能な限り前線から遠ざけようとしたのだ。 だが、そんななのはの願いは、当のはやてによって拒絶された。 広域殲滅型魔法の行使に特化した自身が、戦線に加わらないという訳にはいかない。 バイド、又は地球軍を相手取るならば、手数は少しでも多い方が良い。 そう主張し、はやてはなのは達と共にシェルターを発った。 リインと融合し、夜天の書を胴部に固定した上で、残された右腕にシュベルトクロイツを携えたその姿。 そんな鬼気迫るはやての様相に、なのはは圧倒されていた。 幽鬼の様な無感動さで戦場へと赴かんとする彼女は、思わず目を背けたくなる程の鬼気と、今にも崩れ落ちそうな危うさに満ちている。 『ヴィータは、シェルターに居らんかった。キャロも、エリオも、セインも』 続いて放たれる念話。 唯、事実のみを続けるその内容に、なのはは疑問を覚えた。 一体、はやては何を謂わんとしているのか。 『魔導師にせよ兵士にせよ、あのシェルター内に居った戦闘要員の数は100名足らずやった。そして、そのほぼ全員に共通する点が在る』 『共通の・・・?』 『皆、ランツクネヒトとの協調体制に肯定的やった』 瞬間、後方のはやてを見やるなのは。 前方認識はレイジングハートに一任している為、障害物へと激突する心配は無い。 彼女の視界の中央には、シュベルトクロイツを携えて宙を翔けるはやての姿。 虚ろな紺碧の双眸がなのはを、或いはその先に存在するであろう何かを、射抜く様に見詰めていた。 なのはの身体を奔る、冷たい感覚。 はやては、続ける。 『この場に居るのは、ランツクネヒトと・・・延いては、第97管理外世界との敵対を選択する事に、否定的な見解を示していた人間ばかりや』 数瞬ばかり、なのはは思考へと沈んだ。 そうして、はやての言葉が正しいものであると気付く。 確かに、この場に存在する面々は協調体制を重視し、被災者達の間に蔓延していた第97管理外世界に対する強硬論について、否定的な立場を取っていた者達だ。 結論に至るまでの経緯は各々に異なってはいるであろうが、第97管理外世界との戦端を開く事が事態の解決に結び付くものではない、との思想は全員に共通している。 だが、それだけでは理解できない点も在った。 『アンタ等はどうなんだ。少なくとも、第97管理外世界に対する強硬論に反対している様には思えなかったが』 1名の魔導師が、なのはが抱いていた疑念そのものを念話として放つ。 はやての推察が正しいのならば、何故なのはと彼女までもが、あのシェルターに「隔離」されていたのか。 当たっていて欲しくはない推測が、なのはの思考を占めてゆく。 だが、はやては無情にその答えを述べた。 『私達が、第97管理外世界の・・・地球の出身者だからやろ』 知らず、唇を噛み締めるなのは。 聞きたくはない言葉、認めたくはない推測。 だが、はやての言葉は続く。 『このベストラで「誰か」が「何か」をしようと企んだ時、私達はソイツ等の目に邪魔な存在として映ったんや。ランツクネヒトと地球軍を肯定的に見ている人間、地球を故郷とする人間・・・だから、あのシェルターに私達を隔離した』 『邪魔っていうのは、どういう意味での事だ。護る為に手間が掛かるという事か、それとも潜在的な脅威となるって事か』 言うな、聞きたくない。 そんな声ならぬ声が、念話として紡ぎ出される事はない。 なのはの意思の外、交わされる念話が無機質に、淡々と事実を浮き彫りにしてゆく。 『前者なら「誰か」はランツクネヒトね。なら、後者は・・・』 『シェルターに居た連中を除く被災者達か。じゃあ「何か」ってのは何なんだ?』 前方、新たな肉塊の集合体。 その周囲に大量の薬莢が散乱している事を確認し、なのはは叫び出しそうになる自身を必死に抑える。 自身達が知り得ぬ間に、このベストラで発生した「何か」。 なのはは既に事態についての推測、その内容に対する確信を得ていた。 だからこそ、自身の後方にて交わされる念話を、何としても遮りたかったのだ。 『この死体の山を見れば解るやろ? 結論を出したんや・・・私達の、知り得ないところで』 轟音が、振動となって肌へと響く。 レイジングハートを強く握り締め、通路の先を睨むなのは。 振動は更に大きくなり、防音結界を突破した騒音が微かに鼓膜を震わせる。 『結局、連中は私達と・・・』 その瞬間、なのはの前方約100m。 構造物の全てが崩落し、床面下へと呑み込まれた。 顔面を襲う、強烈な風圧。 『止まって!』 咄嗟の制止。 危うく崩落地点へと突入する、その寸前で一同の前進が止まった。 唐突に眼前へと現出した惨状に、なのはは唖然と周囲を見回す。 「何が起こったの・・・?」 「おい、あまり近付くな」 崩落跡は、惨憺たる有様だった。 連絡通路に沿う形で数十m、更に両側面方向へと100m以上もの範囲が完全に崩壊していたのだ。 デバイスを用いての走査により破壊の規模は判明したものの、粉塵が周囲を覆い尽くしており、視覚的に崩落箇所の全貌を捉える事ができない。 そして数十秒ほどが経過して、漸く破壊痕を詳細に観察する事が可能となった。 「上は・・・何も見えないな。真っ暗だ」 「何処まで続いているの?」 ベストラは居住型に見受けられる様な、円筒形型の構造を有するコロニーではない。 17層もの層状構造物が重なる様にして構築され、更にそれらの間隙を埋める様にして無数の各種構造物が配されている。 外観的には、巨大な箱型構造物という形容が最も相応しいだろう。 第1層上部より第17層下部まで15.8km、最小規模である第4層の面積が291.6平方km、最大規模である第12層の面積が543.4平方km。 表層部の至る箇所に無尽蔵とも思える数の防衛兵装を配し、各種センサーを始めとする機能構造体が無数に突出した、一見するとデブリの集合体にも見える軍事コロニー。 なのは達の現在位置は、第4層のほぼ中央だ。 第1層上部から現在位置までは、3km前後もの距離が在る筈である。 「外殻から此処まで貫通してる・・・なんて事は、ないよね・・・?」 「だとしたら、その原因なんて考えたくもありませんね」 「おい、あれ!」 何かを見付けたのか、1名の魔導師が声を上げた。 見れば、彼は足下に拡がる空間、崩落した構造物が積み重なる其処を覗き込んでいる。 なのはは彼が指し示す先、其処彼処から白い煙が立ち上り続ける地点の中心へと視線を移した。 そして、それを視界へと捉える。 「・・・戦闘機?」 「R戦闘機か」 「いや、違う・・・見た事も無いタイプだ。バイドの新型かも」 「待て、待ってくれ・・・目標、魔力を発しているぞ。何だ、これは?」 崩落跡の最下部に横たわる、白に近い灰色の装甲。 損壊した表層の其処彼処から内部機構を露にし、大量の火花を散らす金属塊。 無惨に折れ飛んだ三角翼が、数十mほど離れた地点で業火を噴き上げている。 形状からして、明らかに戦闘機類に属する機動兵器であると判るも、しかし何処か確信する事を妨げる半有機的な外観。 そして何より異常な点、その戦闘機から膨大な量の魔力が検出されているという事実。 「例の、クラナガンの機体と同類か?」 「何とも言えませんが・・・何だ? 振動して・・・」 更に、異常な点。 灰色の機体が、微かに霞んで見える。 見間違いかとも思われたが、そうでない事はすぐに解った。 落下した構造物の破片が機体に触れるや否や粉砕され、一瞬にして細かな粒子となって消失したのだ。 機体表層部、超高周波振動。 良く見れば、機体下部の構造物も徐々に粉砕が進んでいるのか、機体は少しずつ瓦礫の中へと埋没してゆくではないか。 その光景を目にしたなのはの脳裏に、在り得る筈のない可能性が浮かぶ。 「・・・振動破砕?」 「あれを知っているのか?」 先天的固有技能「振動破砕」。 即ち、なのはにとって嘗ての教え子であるスバル、彼女が有するISである。 四肢末端部から接触対象へと振動波を送り込み、対象内部にて発生する共鳴現象によって目標を破壊するという、実質的に防御不可能とも云える格闘戦特化型ISだ。 それによって為される破壊の様相と、眼下の不明機によって構造物が粉砕される様相。 双方が、余りにも似通っていた。 片や戦闘機人とはいえ魔導師、片や所属不明の戦闘機。 共通点など在ろう筈もないというのに、何故こんな事が思い浮かぶのだろうか。 「ランツクネヒトと地球軍の連中が、スバル達の解析結果を流用して作り上げた機体、とは考えられんかな」 「まさか。こんな短期間の内に?」 「在り得ない事とは思わんけどな。連中の事なら、何をやっても不思議とは思わへんよ。寧ろ・・・」 「足下、退がれ!」 突然の警告。 反射的に後方へ飛ぶと同時、数瞬前まで立っていた床面が、呑み込まれる様にして階下へと消えてゆく。 なのはは驚愕に目を見開きつつ、20mほど後方の地点へと降り立った。 そして、新たな崩落地点を見据える。 奇妙な感覚だった。 崩落の前兆となる振動どころか、崩落の瞬間でさえも衝撃を感じなかったのだ。 宛ら流砂の如き静かさで、床面は下方へと呑み込まれていった。 通常の破壊ならば、断じてあの様には崩れまい。 一体、何が起こったのか。 その疑問に答えたのは、警告を発した者とは別の魔導師だった。 「あの崩落際・・・何なんだ?」 その言葉に、なのはは気付く。 崩落地点周囲の破壊された構造物、その断面が飴細工の様に溶け落ちているのだ。 状況からして高熱による融解かと思われたが、しかしこれといって熱は感じられない。 ならば何故、構造物が溶解しているのか。 其処彼処から白煙の立ち上る崩落跡を見つめつつ、一同は焦燥を含んだ言葉を交わし始める。 「どういう事だ、未知の攻撃か? これも、あの不明機がやったのか」 「あの煙は炎じゃありませんね。もしかすると、酸かも」 「酸か。酸で溶ける様な材質なのか、此処の構造物は?」 「知りませんよ。波動粒子か何かが関係しているのでは?」 なのはは周囲で交わされる言葉を意識の片隅へと捉えつつ、白煙を上げ続ける崩落跡を見据えていた。 何をどうすれば、この様に奇怪な様相の破壊を齎す事ができるというのか。 粉砕とも、消滅とも異なる、溶解という余りにも異常な破壊。 魔導師がこの様な破壊を起こすとは考え難く、よって地球軍かランツクネヒト、或いはバイドが関わる攻撃の結果であろう。 そんな事を思考しつつ、彼女は視線を天井面へと投じる。 其処で漸くなのはは、天井面へと拡がりつつある染みの存在に気付いた。 5mほど前方、不気味に泡立ち始める構造物。 新たな崩落か、と身構える彼女の眼前、天井面が4m程の範囲に亘って溶け落ちる。 そして、その異形は姿を現した。 「え・・・」 衝撃。 穿たれた穴から零れる様に落下したそれは、前方の床面へと叩き付けられた。 溶解した構造物の成れの果てに塗れ、生々しい音と共に構造物から跳ね返る異形。 床面で弾んだ後に静止した落下物を視界へと捉えたなのはは、その余りにおぞましく醜悪な全貌に言葉を失う。 それは、巨大な胎児にも似た存在だった。 母親の胎内、人間としての姿を形作る途上のそれ。 しかし、そうでない事はすぐに解った。 先ず、その異形には四肢が存在しない。 両腕部が存在する筈である箇所からは、抉れた表層部の下より電子機器の集合体らしき金属部位が覗いているのみ。 両脚部も同じく存在せず、下部からは蛇腹状の尾らしき器官が延びていた。 胎児ですらない、発生初期の胚としか形容できぬ異形。 だが、その存在は更に、胚としても在り得ぬ奇形を有していた。 前後へと不自然に伸長した2mは在ろうかという頭部、その至る箇所へと埋め込まれた金属機器。 胚には在る筈のない口腔、無数に並んだ鋭く歪で不揃いな歯。 前側頭部に穿たれた巨大な眼窩、本来は其処に存在していたであろう眼球が消失し、今は黒々とした闇だけが満ちている。 そして何より、眼窩より40cmほど離れた位置に穿たれた貫通痕、20cm程も在るそれが実に6箇所。 止め処なく噴き出し続ける赤黒い血液、脳漿らしき液体に圧され流れ出る肉片。 異形は、既に絶命していた。 異形の死骸、その余りに凄惨な様相。 なのはは、無意識の内に後退っていた。 彼女が怯んだ要因は、何も視覚的なものばかりではない。 死骸より漂う鼻を突く刺激臭、酢酸臭と死臭を混ぜ合わせたかの様なそれ。 眼窩の奥に泡立つ漆黒の液体、強酸に蝕まれた傷口の様な口腔。 それら全てが生理的嫌悪感を煽り、物理的とすら思える不可視の圧力となってなのはを遠ざける。 しかし直後、それらの嫌悪感はより現実的な脅威となり、なのは達へと襲い掛かった。 「う・・・!?」 知らず、声が漏れる。 死骸が、痙攣を始めていた。 否、痙攣などという生易しいものではない。 宛ら何かに突き動かされているかの様に、四肢の無い胴部を中心として繰り返し床面から跳ねているのだ。 反射的にレイジングハートを構えるなのはの背後で、他の面々が同じく各々のデバイスを構えた事が分かった。 総員が警戒する中、異変は更に進行する。 「ぐ、うっ!?」 「今度は何だ・・・?」 死骸の胸部から、大量の血液が噴き出したのだ。 分厚い肉質を内側から「何か」が突き上げ、腐肉の塊にも似た表層部が裂け始めていた。 死骸の胸部が不自然に膨らむ度に、何かが千切れる異音が周囲へと響く。 そんな事が数度に亘って続いた後、卵が割れる様な音、そして噴き上がる大量の血飛沫と共に、死骸の胸部を喰い破ったそれが遂に姿を現した。 鮮血と肉片を纏い、死骸の内より現れた、それは。 「ッ・・・! 退がってッ!」 死骸のそれをも凌駕する異形、もうひとつの「頭部」だった。 「ひ・・・!」 「あの化け物、寄生されていたのか!?」 「警戒を・・・ッが!?」 直後、死骸より現れた頭部が、鼓膜を破らんばかりの絶叫を上げる。 それは猛獣の咆哮にも似て、しかし同時に女性の金切り声にも似たものだった。 断末魔の悲鳴、或いは赤子の産声とも取れるそれは、頭蓋の内を反響しているかの様になのはの意識を蝕んでゆく。 防音結界など、何ら用を果たしていない。 一瞬でも気を緩めれば即座に意識を奪い兼ねない絶叫が、崩落跡を中心とする一帯を完全に支配していた。 掌で耳部を押さえ、必死に耐えるなのは。 そんな彼女の視界に、こちらへと向けられた異形の頭部が映り込む。 瞬間、全身の血が凍ったかの様な錯覚。 胸部より現れた寄生体の口腔、並んだ歪な歯牙の間から、赤黒い泡が溢れ出している。 吐血しているのか、との思考は一瞬にして掻き消えた。 血泡の量が数瞬の内に膨れ上がり、死骸の周囲を埋め尽くしたのだ。 漆黒の泡は、成長する細胞群の如く爆発的に増殖、瞬く間に周囲の構造物を侵蝕し始める。 異様な刺激臭を放ちつつ、恐るべき速度にて溶解してゆく構造物。 その光景になのはは、崩落の原因は眼前の異形であると悟る。 異形の口腔より溢れ返る血泡は、恐らくは未知の極強酸性液体なのだ。 無数の血泡が弾ける音と共に、異形の口腔を中心として赤黒い塊が膨れ上がる。 前進の血が凍ったかの様な悪寒を覚え、なのはは2歩、3歩と後退さった。 レイジングハートの矛先は、血泡を吐き出し続ける口腔へと向けられている。 彼女には、予感が在った。 異形が何らかの攻撃行動を起こすという、確信めいた予感が在ったのだ。 そして、その予感は直後に的中する。 『起きた・・・化け物が起き上ったぞ!』 死骸が、その体躯を起こしていた。 頭部に穿たれた貫通痕から夥しい量の血液と脳漿を溢しつつ、尾のみを床面へと接した状態で佇んでいる。 否、それは立っているのではない。 何らかの方法、恐らくは重力制御によって、3mは在ろうかという巨躯を浮かばせているのだ。 だが、その現象は明らかに、死骸の意思によって制御されているものではない。 死骸の胸部に宿る、異形の寄生体によって操られているのだと、なのはは確信していた。 寄生体の口腔より溢れ返る血泡が、更にその量を増す。 赤黒い奔流は、今や通路の床面を覆い尽くさんばかりに拡がっていた。 そして数瞬後、血泡に覆われた範囲の床面が、音も無く溶解し崩落する。 反射的に身を強張らせるなのはの眼前で、微かな音と振動のみを残し、床面が跡形も無く消失したのだ。 その下の構造物を含めた何もかも、破片さえも残さずに全てが溶け落ちてしまった。 異様な光景を前に、湧き起こる怖気を抑え込もうと腐心するなのはだったが、新たに視界へと飛び込んできた異変が彼女の意思を挫く。 血泡が、球状に膨脹していた。 口腔より零れ落ちる事なく、その前面に止まり膨れ上がる、赤黒い球体。 注視すると、その球体は赤黒いだけでなく、黄金色にも似た色彩の水泡をも含んでいる。 それが、宛ら魔力集束時に形成される魔力球の様に、異形の口腔前の空間に浮かびつつ膨張しているのだ。 異形が、何をしようとしているのか。 この場に存在する誰もが、恐らくはなのはと同様の結論に至った事だろう。 『逃げて!』 砲撃だ。 『壁を!』 なのはを含めた数人の叫びと念話が、総員の間を翔け抜ける。 咄嗟に放ったショートバスターと、同じく他の面々が放った砲撃が壁面を破壊。 一同が飛翔魔法を発動させ、壁面に穿たれた穴へと飛び込むとほぼ同時、背後の通路を赤黒い奔流が埋め尽くす。 轟音、衝撃、異形の絶叫。 恐怖に抗うかの様に歯を食い縛りつつ、なのははベストラが幾度目かの悪夢に襲われている事を理解する。 飛び込んだ隣接する連絡通路、その薄闇の中に外殻へと続く扉の存在を願うも、視界へと映り込むは延々と続く通路壁面のみ。 背後、何かが蠢く異音。 『追ってきた・・・!』 『構えて! 此処で迎撃するよ!』 崩壊した壁面跡へと振り向き、レイジングハートの矛先を突き付ける。 壁面に穿たれた穴の奥から近付く、排水口が詰まった際にも似た耳障りな異音。 なのはは掌に滲む汗ごと、レイジングハートの柄を固く握り締める。 闇からの脱出口は、未だ見出せなかった。 * * 4体目の異形、その胸部にストラーダを突き立てた時、エリオはそれを目の当たりにした。 矛先に貫かれた寄生体の頭上、異形の頸部から胸部に掛けて、虫食い痕の様な無数の穴が開いている。 これまでに得た情報から推測するに、恐らくは極強酸性の体液を噴霧する為の器官であろう。 エリオはストラーダを引き抜く為の動作を中断し、即座にサンダーレイジを発動。 瞬間、ストラーダの矛先を中心として、雷の暴風が吹き荒れる。 否、それはもはや暴風などという生易しいものではなく、雷光の爆発と呼称するに相応しいものだった。 時間にすれば、僅か3秒足らず。 巨大な紫電の球体が掻き消えた後、其処にはエリオとストラーダを除き、何物も存在してはいなかった。 『Watch your back』 ストラーダからの警告。 エリオは咄嗟に、矛先を頭上へと向けて魔力噴射を実行する。 ブースターノズルより噴き出す圧縮魔力の奔流、視界の一部を埋め尽くす金色の閃光。 急激な加速により、弾かれた様に頭上方向へと移動するエリオ。 その足下の空間を、背後より飛来した2条の赤い奔流が貫いた。 泡状極強酸性液体による砲撃。 サイドブースター推力偏向、作動。 瞬時に後方へと振り向くエリオ、その視界に映り込む2体の異形。 四肢の無いそれらが、もがく様にして宙空を漂っている。 そして発せられる、聴く者の鼓膜を破壊せんばかりの絶叫。 金切り声と呼称するに相応しいそれを聴くエリオは、何をするでもなく無表情のまま。 彼の視界は既に、異形の背後より振り下ろされる巨大なハンマーヘッドを捉えていた。 直後、異形の1体が風船の如く弾け飛ぶ。 加速された大質量の鉄塊は、対象を吹き飛ばすだけに止まらず、その存在を微塵に打ち砕いたのだ。 大量の血飛沫と肉片とが、無重力の宙空内へと花火の如く拡がってゆく。 残る1体が背後の敵の存在に気付いたか、相も変わらず緩慢な動きで前後を入れ替えんとしていた。 だがそれよりも、ハンマーヘッドが横薙ぎに振るわれる動作の方が、圧倒的に早い。 1体目の異形に続き、2体目もまた鮮血の爆発となって消失する。 遠心力によってハンマーヘッドから振り払われる、大量の血液。 伸長した柄の先、それを振るっているであろう人物までを視界に捉える事なく、エリオは頭上へと視線を移す。 彼の視界に映るは、ベストラ第5層側面、外殻構造物。 表層には数十機の機動兵器が展開し、絶え間なく誘導型質量兵器と長距離砲撃とを放ち続けていた。 それらの攻撃はエリオ達から幾らか離れた空間を突き抜け、彼の足下に拡がる広大な闇の中へと消えてゆく。 その数瞬後、彼方にて無数の閃光が炸裂するのだ。 機動兵器群による長距離迎撃は、順調に機能している。 そして、エリオを始めとする魔導師達の任務は、迎撃を掻い潜って接近してきたバイド体の撃破だ。 『E-11より応援要請。複数のバイド体が外殻に取り付いている』 念話を受けた直後、エリオは金色の閃光と化した。 ブースターノズルより圧縮魔力を噴射、一瞬にして最大推力へ。 推進機関に火の入ったミサイルの如く、緩やかな曲線軌道を描きつつ加速する。 2秒と掛からずに音速を突破したエリオが向かうは、応援要請を発した外殻E-11。 ベストラは完全独立型自己推進機能を有する、超大型の宙間軍事施設である。 通常艦艇とは比べるべくもない鈍足ではあるものの、搭載された102基もの大規模ザイオング慣性制御システムにより、あらゆる空間中に於いて柔軟な機動を実行する事が可能だ。 施設内外に対して偏向重力場を発生させる機能をも有しており、施設中心から80km以内の空間に於ける重力作用は完全制御下となる。 更に、外殻には各種長距離迎撃兵器が無数に設置されており、それらの弾薬についても核弾頭を始めとする各種弾頭が供給されていた。 そして、施設は通常航行時に前方となる側面を北として、東西南北に区画が設定されている。 応援要請を発した部隊の位置は、第11層の西部区画だ。 目標地点到達までの所要時間、約60秒。 サイドブースターの間欠作動により進路を微調節するエリオの視界に、自身の後方より現れた複数の白い影が映り込む。 それらの影は一瞬にしてエリオを追い抜き、輝く青い粒子の尾を引いて彼方へと消えた。 一拍ほど遅れてエリオの全身を襲う、衝撃と轟音。 体勢を崩すという事はなかったが、当初の進路より僅かに軌道が逸れていた。 すぐさま進路を修正し、彼方へと消えた影に思考を巡らせる。 影の正体は、所属不明の機動兵器だ。 殆ど白に近い灰色の装甲に覆われた2機種の戦闘機、ランツクネヒトとの交戦中に突如として出現したそれら。 流石に警戒を解く事こそないものの、エリオ達がそれらを敵ではないと判断するに至るまで、然程に時間は掛からなかった。 戦闘機群は先ず地球軍とランツクネヒトが有するR戦闘機群へと襲い掛かり、圧倒的な物量を背景とする濃密な弾幕、そして魔力素と波動粒子とを用いた砲撃の一斉射によって、波動砲を放つ暇さえ与えずに潰走させたのだ。 恐らくは、ほぼ同時に被災者達がアイギスとウォンロンの制御を奪取した事も影響してはいたのであろうが、R戦闘機が為す術も無く逃亡する様は、俄には信じられない光景であった。 所属不明戦闘機群は更に、ベストラからの脱出を図るランツクネヒトと第88民間旅客輸送船団の艦艇、及び強襲艇群への攻撃を開始。 被災者達に奪取されたウォンロンに対する攻撃を阻止し、更に敵艦および敵機を瞬く間に殲滅して退けた戦闘機群は、その後もベストラ周囲に留まり続ける。 明らかにベストラを守護せんとするそれらの行動に、被災者達は不審を覚えつつも頼らざるを得なかった。 何よりも、蜂起に際して最大の障害となっていたR戦闘機群を排除した事実が在る為、味方であると断ずるには到らないが明確な敵でもない、との認識が被災者達の間に定着している。 更には不明戦闘機群が有する武装の性能が、被災者達が有する如何なる戦力のそれをも凌駕していた事も、判断に大きな影響を齎していた。 数千機の所属不明戦闘機群という、圧倒的な物量による強襲で以って排除された、ランツクネヒト及び地球軍艦艇、そしてR戦闘機群。 ウォンロンの制圧とアイギスの制御権奪取、更にはベストラ内部に於ける第97管理外世界人員の殲滅に成功した事も在り、状況は順調に推移しているかに思われた。 しかし、比較的優位であった状況は、実に呆気なく崩れ去る。 中央管制室に立て篭もっていたランツクネヒト隊員が、最後の抵抗として非常推進系を稼働させた上でシステムをロックしたのだ。 設定された進路は、あろう事かシャフトタワーを通じ、人工天体の更に深部へと向かうものだった。 自身等の敗北を悟ったらしきランツクネヒトは、被災者達をベストラ諸共バイドに喰らわせんと試みたのだ。 無論、被災者達は状況の打開を図った。 システムの再掌握、更にはウォンロンによる推進系の破壊まで、ベストラの航行を止める為にあらゆる手段を模索。 だが、それらの試みは、全て失敗に終わった。 システムの制圧は成らず、全102基ものザイオング慣性制御システムの内21基を破壊したところで、航行に微塵の支障も生じはしなかったのだ。 遂にはシャフトタワー侵入口の破壊による物理的阻止すら試みたものの、衝突の際にベストラが崩壊する可能性が在る為、結局は断念せざるを得なかった。 その後、ベストラは第4層を通過、第4空洞へと侵入。 更に第5・6・7・8・9層を通過した時点で、汚染された機動兵器が徐々にベストラへと群がり始めた。 だが、ベストラの航行阻止に際しては無力であったウォンロン、そして不明戦闘機群がそれらの接近を見落とす筈がない。 敵の大半が全領域対応型機動兵器「CANCER」を中核とした集団であった事もあり、迎撃は比較的容易に進行した。 敵機動兵器群による防衛線突破は成らず、ベストラは脅威を乗り切ったかに思われたのだ。 しかし、第12層通過直後。 シャフトタワー構造物が途絶え、ベストラが広大な空洞内部へと侵入した瞬間に、それは現れた。 彼方より放たれた無数の砲撃、瞬く間に400機前後の不明戦闘機を撃墜したそれら。 即座にウォンロンが反撃を開始し、闇に潜む何者かへと魔導砲撃を撃ち込む。 更に不明戦闘機群の砲撃が放たれ、彼方にて無数の閃光が炸裂した。 強烈な光を背に浮かび上がる、無数の小さな影。 そして、砲撃の合間を縫う様にして、それら影の内1つがベストラへと取り付いた。 四肢の無い胎児、奇怪な形状の頭部。 醜悪という言葉以外に表現する術の無い、おぞましい外観。 悲鳴の様な咆哮と共に極強酸性の体液を撒き散らし、更には胸部に宿した寄生体の口腔から、同じく極強酸性体液による砲撃を放つ異形。 周囲の構造物を溶解させつつ、のたうつかの様に荒れ狂うその異形の姿に、エリオは見覚えが在った。 今は無きリヒトシュタイン05コロニーにて、ランツクネヒトより提示された情報の中に、その存在についての報告が在ったのだ。 「BFL-011 DOBKERADOPS」 22世紀の地球に於いて対バイドミッションが発令された後、地球人類が最初に遭遇したA級バイド。 環境適応力および進化多様性に富み、これまでに14もの変種が確認されている。 無機物を素材として短時間の内に発生した個体も在れば、既に死滅した細胞群を再活性させた上で、腐食したまま活動を再開した死骸そのものの個体も在った。 そして、更には地球軍により撃破された個体の残骸を回収し、蘇生させた上で戦略級機動兵器として重武装化と機動力の付加を施された個体まで存在するという。 なのは達と交戦したという個体、即ち「ZABTOM」だ。 ベストラへと取り付いた個体もまた、大きさこそ3m程度とはいえ、外観の特徴からしてドブケラドプスの一種である事は疑い様が無かった。 施設に残されていた研究記録から、現在はドブケラドプスの幼体であろうと看做されている。 外殻へと取り付いた個体は19、その全ては機動兵器群および外殻へと展開した魔導師達によって、瞬く間に排除された。 しかし、その後も敵性体の飛来が止む事はなく、それどころか飛来数は秒を追う毎に増加し続けている。 必然的に、防衛線を突破し外殻へと到達する個体数も増加し、魔導師達と機動兵器群は休む間も無く戦闘を続行する事となった。 ベストラ外殻に配備された防御兵器群の起動に成功した事で、一時は窮地を脱したかに思われたものの、敵性体の飛来数が更に増加した事で結局は危機的状況が続いている。 不明戦闘機群とウォンロンも凄まじい迎撃戦闘を展開してはいるのだが、しかし全方位より飛来する敵性体群の殲滅には至っていない。 一方で、ベストラ内部では朗報も在った。 施設機能の完全奪取を模索していたチームが、コロニー航行機能の掌握に成功したのだ。 彼等は即座に航行設定を破棄し、ザイオング慣性制御システムを用いてコロニーの減速を開始した。 これ以上、人工天体内部へと進攻する事態を避ける為に。 しかし、その努力も完全に報われた訳ではなかった。 漸く減速を開始した矢先、進行方向上にて網目状に張り巡らされた、巨大有機構造体の壁面が確認されたのだ。 ベストラに搭載されたザイオング慣性制御システムは、大規模施設に搭載されるタイプとしては極めて柔軟かつ、大出力による機動を可能とするものである。 しかし、飽くまで大型艦艇にも及ばぬ機動性であり、当然ながらR戦闘機群のそれとは比較にもならない。 況してや、瞬間的な減速や静止など不可能である。 余りにも巨大な質量より発生する慣性を、瞬時に0へと引き戻す事など出来得る筈もない。 よってベストラは、衝突によって致命的な損傷を受ける速度ではないものの、北部区画より有機構造体へと突入する事態となってしまったのだ。 突入後に判明した事実だが、壁面はニューロン状の巨大有機構造体、腐食した肉塊の如き色のそれが無数に連なって形成されたものであり、更に幾重にも折り重なる様にして分厚い層構造を構築していた。 数十から数百mもの穴が至る箇所に開いてはいるものの、それらの奥には網目状に拡がる有機構造体、そして迫り来る無数のドブケラドプス幼体以外には何も確認する事ができない。 すぐにでも離脱したいところではあったが、しかし信じ難い事に有機構造体は既に外殻へと侵食を始めており、ザイオング慣性制御システムの最大出力を以ってしても引き剥がす事は叶わなかった。 そして、有機構造体は柔軟性と耐久性に富み、膨大なベストラの質量をいとも容易く受け止める程に強靭である。 更には常軌を逸した再生能力を有しているらしく、不明戦闘機群とウォンロンが幾度となく砲撃で以って破壊せんと試みてはいるものの、それらは損傷する端から高速増殖を繰り返しては、数十秒程度で構造体の修復を成し遂げてしまうのだ。 前方へと突破する事もできず、後方へと離脱する事もできず。 ベストラの機動を完全に封じられたまま、被災者達は決死の迎撃戦を展開する事となった。 際限なく押し寄せる敵性体の群れを前に、徐々に沈黙してゆく防御兵器群。 魔導師を始めとする人員の被害も、既に40名を超えた。 このままでは徒に戦力を消耗するばかりであり、何らかの方法で状況を打開せねば生存は望めないだろう。 しかし現状では、有効な打開策を見出すに至っていない。 『E-11、バイド体の殲滅を完了した。不明戦闘機群による攻撃だ』 『第1層上部外殻中央付近、敵性体と不明戦闘機が施設内部に突っ込んだ。約200秒前だ。仕留め損ねたのかもしれん』 状況の変化を伝える念話を受け、エリオはE-11へと向かう進路を変更、第1層を目指す。 現在位置から最大速度で向かえば、40秒程度で不明戦闘機の突入地点へと到達できるだろう。 ストラーダの矛先を足下へと向け圧縮魔力を噴射、再加速。 弓形の軌道を描き、金色の魔力残滓による軌跡を曳きつつ空間を引き裂くエリオ。 そして、第1層へと到達するや否や身体の上下を反転させ、足下を外殻へと向ける。 ストラーダを介し、不明機体突入地点を視界へと拡大表示。 第1層上部外殻中央付近、直径20mを超える歪な形状の穴が穿たれている。 不明戦闘機は高速かつ、何らかの方法で構造物を破壊しつつ突入したのだろう。 穴の縁は工作用機械で以って切り取られたかの如く、不自然なまでに整然としていた。 突入した不明戦闘機とは恐らく、特殊突撃機能を備えたタイプなのだろう。 三角翼と鋭利な針にも似た砲身を備えたその機体が高速で敵性体へと突撃し、体当たりで以って目標を完膚なきまでに粉砕する様子が、これまでに幾度となく確認されている。 その映像を確認した技術者達による解析結果は、機体表層部を高速振動させる事により攻撃対象の構成材質を分解しつつ破壊しているのであろう、との事であった。 そして、その報告こそがエリオに、とある確信を抱かせるに至ったのだ。 あれは、あの不明戦闘機群は、スバル達だ。 彼女達は見付けたのだ。 自身本来の肉体を奪われ、R戦闘機という歪な戦略級戦闘特化個体へと変貌させられながら、バイドと地球軍を打倒する術を見出したのだ。 不明戦闘機群を建造した存在とはバイドでも地球人でもなく、双方が有する技術を吸収したスバル達である可能性が高い。 突撃時に観測される機体表層部の高速振動は、恐らくはスバルのISである振動破砕を応用した技術であろう。 そして、不明戦闘機群の砲撃は波動粒子のみならず、それ以上に大量の超高密度圧縮魔力を用い放たれている。 間違いない。 彼女達は遂に、次元世界が生存する為の糸口を掴んだのだ。 『管制室よりライトニング01、現在位置を知らせよ』 『ライトニング01より管制室。現在位置、第1層上部外殻。不明機体突入地点へと向かっている』 『ライトニング、其処に魔導師の一団が居ないか? 厄介な連中が迷い出たかもしれん』 管制室からの念話。 エリオは突入地点の周囲に、複数の人影を認める。 不明戦闘機の突入跡から次々に現れ、20名前後にまで数を増すそれら。 魔導師だ。 『・・・確認した。第2シェルターの人員だ』 集団の中になのはとはやての姿を認め、居住区シェルターに隔離されていた一団が現状を認識したのだ、と判断するエリオ。 接近する彼に気付いたのだろう、集団の中の1名がこちらを指し、何事かを叫んでいる。 エリオはストラーダの矛先を後方へと向け、メインノズルより圧縮魔力を噴射。 自身の全身運動に急制動を掛け、集団から50m程の距離を置いて宙空に静止する。 『エリオ、聞こえてる? これはどういう事、何が起こっているの?』 『あの化け物と戦闘機は何だ? バイドの襲撃を受けているのか!』 『下に在った死体の山は、あれは何や! エリオ、答えんか!』 自身へと向けて放たれる複数の念話、その悉くを無視しつつ眼下の集団を見下ろすエリオ。 質問に答える暇も、状況を説明するだけの猶予も無い。 何より、説明を行ったとして、彼等がそれを受け入れるという確証すらも無い。 最悪、地球人に対する殲滅を実行したこちらに反発し、敵対を選択する事も在り得る。 此処は彼等からの呼び掛けを無視し、敢えて何も知らせぬまま敵性体との戦闘に引き摺り込む事が、最も望ましい展開だろう。 『エリオ!』 『エリオ、答えて! 聞こえているんでしょう!?』 眼下の一団から視線を外し、エリオはストラーダを介して周辺域に対する索敵を行う。 ドブケラドプス幼体は極強酸性体液による砲撃こそ脅威ではあるものの、それを除けば霧状体液の散布以外には、取り立てて見るべき攻撃手段を有してはいなかった。 不用意に接近すれば、噛み付かれるか尾に打たれる事も在り得るのであろうが、当然ながら無意味にそんな事を実行する者は居ない。 精々、エリオを含むベルカ式魔導師が、近接攻撃を繰り出す為に接近する程度のものだ。 そして、彼等が標的への接近に成功したのであれば、既に戦闘の趨勢は決している。 幼体は満足な迎撃も反撃も行えぬまま、アームドデバイスによる一撃を受けて絶命するのだ。 形勢は未だ予断を許さないものの、幼体に対する攻略法は既に確立しつつあった。 周囲に敵性体が存在しない事を確認し、エリオは再び眼下へと視線を落とす。 飛翔魔法を発動したなのは達が、すぐ其処にまで迫っていた。 その場より離脱すべく、エリオは幾度目かの魔力噴射を実行せんとする。 直前、管制室より念話が飛び込んだ。 『管制室より総員、緊急! 新たな敵性体と思しき複数の反応が接近中、北部区画外殻到達まで80秒!』 エリオは咄嗟に、ストラーダの矛先を北部区画の方角へと向け、メインノズルより圧縮魔力の爆発を推進力として解放。 驚愕の表情を浮かべるなのは達を置き去りにし、瞬時に音速を超え北部区画を目指す。 そんな彼の視界へと、ストラーダを介して表示される映像。 其処には、網目状に拡がる有機構造体の間を縫う様にしてベストラへと迫り来る、巨大な異形の全貌が映し出されていた。 未知の敵性体、全長200m前後の多関節生物型。 長大な体躯先端および尾部に、頭部らしき部位が存在している。 左右へと鋏状に位置する巨大な牙、上下に位置する複眼らしき一対の巨大な器官。 体躯側面には極端に小さな、多足類の脚にも似た器官が無数に並んでおり、その数は優に1000を超えるだろう。 蛇の如く身体を捩りつつ宙空を進むそれは、しかし然程に高速ではないらしい。 『バルトロより管制室、敵性体の排除に向かう』 『管制室よりバルトロ、攻撃は不許可。目標の詳細不明につき、接近を禁ずる。総員、現在位置にて待機せよ』 管制室からの指示。 妥当な判断だと、エリオは内心にて納得する。 バイド生命体の異常性には、これまでにも幾度となく辛酸を舐めさせられてきた。 確固たる対策も無いまま迂闊に手を出せば、こちらが多大な犠牲を払う事となる。 先ずは敵性体の特性を見極め、それを熟知してから反撃に臨むのだ。 約30秒後、第1層上部外殻北端付近へと到達するエリオ。 彼の視界には既に、網目状有機構造体の奥より接近する、複数の敵性体の全貌が映り込んでいた。 個体毎に大きさが異なるのか、全長30m程度の個体も在れば、優に400mを超える個体も存在している。 2箇所に位置する頭部の内1つをこちらへと向け、徐々にベストラへと接近してくるそれら。 自己保存など微塵も考慮していない突撃、施設への体当たりによる突入か。 『目標、体当たりを仕掛けてくる模様。遠距離攻撃手段を用いる様子は無い』 『接触時に特殊な攻撃手段を用いる可能性も在る。外殻への接触を待ち、攻撃行動を観察せよ』 周囲に現れる、複数の魔導師の姿。 後方を見やれば、其処には1km程の距離を置き、魔導師と機動兵器が続々と集結を始めている。 今頃は第17層下部外殻北端、そして東部および西部区画外殻にも、同様に魔導師と機動兵器が集結している事だろう。 更には、無数の白い影が周囲の空間を飛び交っている。 不明戦闘機群もまた、有機構造体の周囲へと集結しているのだ。 準備が整った事を確認し、エリオは前方へと視線を戻す。 敵性体は、数秒で外殻へと到達する位置にまで迫っていた。 『目標、接触!』 敵性体群の一部が、有機構造体に面した北部区画外殻へと喰らい付く。 僅かに遅れて届く、衝撃と振動。 上部外殻末端部はエリオの足下から緩やかな斜面となっており、其処彼処に各種センサー群を始めとする構造物が存在していた。 現在、迎撃機構は意図的に停止されており、兵器群は外殻内部へと収納されている。 それらは敵性体に対する情報収集が完了した後に展開され、一斉砲火による弾幕を浴びせ掛ける事だろう。 外殻装甲および封鎖されたハッチ等の上、数十体の異形が牙を突き立てている。 膨大な質量を活かした突撃は、しかし外殻を突破するには至らなかったらしい。 無数の鋭い脚による攻撃も、僅かに装甲を傷付ける程度だ。 予想外の光景に我知らず眉を顰めるエリオ、交わされる念話。 『何をやっている?』 『外殻装甲を突破できなかったんだろう・・・多分。こいつら、失敗作か?』 『こちら管制室。目標に特異な変化は見られるか』 『管制室、見ている通りです。連中、這いずり回るだけで特に何もしてこない。攻撃しますか?』 即答は無い。 管制室にしても、判断を下し難い状況なのだろう。 事実、エリオ個人の思考としても、眼前の光景は理解し難いものが在った。 これまでに遭遇してきたバイド生命体は、外観こそ醜悪なだけの歪な存在であったものの、一方で単一機能面を徹底的に突き詰めた非常に合理的な脅威でもあったのだ。 スプールスにて交戦した生命体群を例に挙げれば、攻撃を受ける事によって体内に存在する無数の寄生体を散布し、それらの物量で以って周囲の生命体群を圧倒し汚染するといった具合である。 よって、眼前にて外殻上を這い回る敵性体についても、何らかの特性を有していると思われた。 しかし、その特性が発現する様子、それが無い。 無様に外殻へと張り付き、牙と脚を忙しなく動かすだけのそれらは、とてもではないが脅威であるとは思えなかった。 『外殻に重大な損害は確認されない。目標、低脅威度と認識。距離を置き、長距離砲撃にて攻撃を実行せよ。管制室より総員、攻撃を許可する』 管制室、攻撃許可。 エリオの左右、砲撃魔導師達が自身等のデバイスを構える。 甲高い異音と共に集束する魔力素、魔法陣の中心へと形成され肥大してゆく魔力球。 様々な色の光球が膨れ上がる様を暫し見つめ、エリオは眼下の敵性体群へと視線を戻す。 相変わらず単なる蟲の様に這い回るそれらは、こちらへと接近するでもなく外殻への攻撃、意味の無いその行動を継続していた。 『・・・呑気な奴等だ』 エリオの右隣、念話にて呟きながらも照準を定める砲撃魔導師。 彼が手にしているデバイスの先端では、白色の光球が破裂せんばかりに膨れ上がっている。 視界の殆どが複数色の閃光に染め上げられる中、エリオの意識に攻撃の引き金となる言葉が木霊した。 『撃て!』 閃光。 衝撃と轟音が壁となって襲い掛かり、左右からエリオを圧迫。 思わず細めた目、狭められた視界の中で、胴部中央に砲撃の直撃を受けた敵性体が、体躯を半ばから切断される。 直後、砲撃そのものが分散炸裂し、無数の魔力爆発が外殻上を覆い尽くした。 外殻そのものを破壊せぬよう、貫通力に特化した砲撃魔法ではなく、範囲殲滅型のそれを選択したのだ。 数秒ほど爆発が続き、それらが発する閃光と轟音が掻き消えた後には、光り輝く魔力残滓のカーテンのみが残されていた。 業火の如く立ち上るそれらはエリオの視界を覆い尽くし、その先に拡がる光景を完全に遮断している。 だが、これ程の規模での一斉砲撃を受け、その上で敵性体が生存しているとは考え難い。 暫し無言のまま、眼前の光景を睨み据えていたエリオであったが、やがて緊張を解くと息を吐く。 『反応消失・・・敵性体は全滅だ。皆、良くやってくれた』 周囲の砲撃魔導師達が、大きく息を吐いた。 彼等もまた、緊張に曝されていたのだ。 構えていたデバイスの矛先を下ろし、周囲を見渡す。 幾ら索敵を実行しても、生存している敵性体を発見する事はできなかった。 僅かな痕跡すら残さず、消滅してしまったのだろう。 『管制室より総員、所定防衛地点に戻れ。北部区画外壁への配置については追って連絡する』 『第2シェルターの連中はどうする?』 自身の意識へと飛び込んだ問いに、エリオは後方の一団に紛れ込んだ、嘗ての上官達を見やる。 断片的にではあるが、状況を理解し始めているのだろう。 彼等は、困惑と猜疑の滲む表情を浮かべ、周囲を見回していた。 管制室は、其処に居るキャロ達は、如何なる対処を取るのか。 『管制室より総員、連中には手を出すな。状況説明も不要だ。ウルスラ、彼等をW-01物資搬入口へ誘導せよ』 『始末するのか? 今なら格好の状況だが・・・』 『いや、こちらから部隊を向かわせる。説得は彼等が行うそうだ』 説得とは何とも可笑しな話だと、なのは達を見据えつつエリオは思う。 その様な生易しい状況でない事は、誰の目にも明らかである。 デバイスの矛先と質量兵器の銃口、そして迎撃兵装の砲口を突き付けて行う状況説明を説得などとは、平時であれば口が裂けても言えはしまい。 だが今は、それが必要とされる状況なのだ。 『ライトニング01より管制室、S-04に・・・』 『管制室よりライトニング01、W-02へ向かえ。不測の事態に備え、指定地点にて待機せよ』 『・・・了解』 自身の所定防衛地点に戻ろうとするエリオへと、新たな指令が下される。 どうやら管制室は彼を、なのは達に対する説得時の保険として配備する心算らしい。 魔導資質強化の結果、現時点でエリオはオーバーSランクに匹敵する魔力保有量、瞬間最大出力、変換効率を備えるまでに至っている。 とはいえ、元々がオーバーSランクである上、極めて強力な砲撃魔法を有する魔導師が2名以上、それらを同時に相手取るのだ。 果たして、近代ベルカ式を用いる自身の戦術が、何処まで通じるものか。 冷静に思考しつつ現在位置を離れんとするエリオだが、すぐに動作を中断し有機構造体の方角を見やる。 危機的状況は、未だ過ぎ去ってはいないらしい。 『管制室より総員、警告! 新たな敵集団が接近中、警戒せよ!』 有機構造体の遥か奥、視界へと拡大表示される蠢く影。 また、あの敵性体だ。 多足類そのものの体躯を波打たせ、徐々にこちらへと接近してくる。 視認可能総数、約30体。 『またか。管制室、敵性体総数は?』 『総数183体。余り多くはないな、各地点に於いて多くても30体前後の計算だ』 『迎撃する』 『いや、こちらで高出力光学兵器による狙撃を行う。総員、現在位置にて待機せよ』 外殻各所にて、警告灯の黄色の光が明滅を始める。 開放されてゆくハッチ、迫り出す迎撃兵器群。 一見するとミサイルコンテナの様にも思える形状のそれらは、複数種の大出力光学発振機を内蔵している。 砲口となる前部装甲板上に照射用の力場を形成する事により、脆弱な内部機構を外部へと曝す事なく砲撃を可能とした超長距離狙撃型純粋光学兵器群。 そして数瞬後、有機構造体の方角へと向けられた兵器群の力場形成面に、微かな光が灯った。 超高出力光学兵器の砲撃は、余りにも強烈かつ一瞬である。 砲撃が実行された、その瞬間には焦点温度1400000Kの光条が目標を貫いているのだ。 砲撃対象は疎か、距離を置いて観測する第三者であっても、光条そのものを視認する事は不可能に近い。 攻撃照準波を検出する、或いは予測回避を実行する等の対策は存在するものの、実質的に完全な回避を確約する手段は存在しないのだ。 尤も、目標装甲素材の耐熱限界値が焦点温度を上回っていた事例、各種障壁からの干渉により光条が拡散してしまう欠点などが存在する為、今や純粋光学兵器の殆どは主力兵器の座から転落している。 事実、このベストラ外殻に配置された迎撃兵器群の主力は、純粋光学兵器ではなく電磁投射砲だ。 純粋光学兵器群が有する問題としては、アンチレーザー・コーティングが施されている目標に対しては殆ど無力、空間歪曲を用いた防御手段に対しては全く為す術が無いという点が挙げられる。 発振または集束時の触媒に波動粒子を用いる事で各種干渉手段の突破は可能となるものの、そんな対策を取るよりは初めから波動兵器を用いた方が効率も良い。 更に付け加えるならば、光学兵器による攻撃に波動粒子を付加するよりも、実体弾頭に対してそれを実行する方が遥かに容易かつ実用的である。 例外として、フォースを介しての出力増幅を用いるR戦闘機群が存在するが、あれらが実装する光学兵器は他のそれらとは根本的に異なる代物だ。 光としての性質そのものが変容する程の波動粒子を内包した光条と、通常の純粋光学兵器群より照射される光条が同一のものである筈がない。 ほぼ回避不能という攻撃能力を有しながらも複数の対策が存在し、それらを実装している目標に対しては徹底的に無力となってしまう兵器群。 それが、純粋光学兵器群だった。 だが、今回の様な有機敵性体に対しては、絶大な威力を発揮する事だろう。 『射線上からの人員離脱を確認。砲撃まで5秒』 背後に出現した砲台を一瞥した後、彼方の敵性体群を見据えるエリオ。 それらがベストラへと到達するまで、あと15秒というところだろうか。 どうやら、先程よりは速力を増しているらしい。 迫り繰るそれらが蒸発する様を観測せんと、エリオが微かに目を細めて。 『照射』 瞬間、後方へと弾き飛ばされた。 「ッ・・・!?」 肺より圧し出される空気、瞬間的に麻痺する感覚。 直後、更なる衝撃。 視界が赤く染まり、全身が激しく打ち付けられる。 四肢を引き裂かんばかりの強大な力、エリオの身体を翻弄するそれ。 数瞬か、或いは数秒か。 2度に亘り襲い掛かった衝撃を経て、エリオは漸く自身が静止した事を認識した。 視覚が、聴覚が機能していない。 身体の何処かしらを動かす事もできず、声を発する事すらできない。 唯、痛覚だけは徐々に回復していた。 全身を襲う、痺れにも似たそれ。 漸く回復した感覚に従い、エリオは身体を動かそうと試みる。 瞬間、全身を奔る激痛。 「ッぎ・・・!」 零れる呻き。 自身の声を認識した事で、エリオは聴覚の機能が回復した事を知る。 視界が閉ざされているのは、瞼を閉じている為だろう。 顔面の筋肉を引き攣らせつつ、エリオは閉ざされていた瞼を徐々に見開いた。 先ず、視界へと映り込んだものは、赤黒い液体。 視界の殆どを埋め尽くす、血溜まりだった。 何処からか溢れ返る血液は、黒に近い鈍色の構造物上にて不気味に波打っている。 自身が外殻上に、うつ伏せの状態で張り付いている事を、エリオは漸く理解した。 そして、身体の右側面に感じる、冷たく硬質な金属の感触。 外殻上に突出した、何らかの構造物か。 恐らくは、衝撃によって弾き飛ばされ外殻装甲へと打ち付けられた後、宙空へと放り出される途中で突出した構造物に衝突し、それが幸いして外殻上に留まる事ができたのであろう。 「ぐ、うッ!?」 外殻に手を突き、軽く力を込めるエリオ。 僅かな力ではあったが、低重力下ではそれで十分だった。 反動で身体を浮き上がらせると同時に、球状となった血液が周囲へと拡散する。 右手に、金属の感触。 視線を右手へと落とせば、其処にはストラーダの柄が確りと握り締められていた。 どうやら、衝撃に翻弄されながらも、自身のデバイスを手放す事態は避けられたらしい。 その事実に僅かな安堵を覚えつつ、エリオは周囲へと視線を巡らせる。 そして、絶句した。 「何だ・・・」 外殻が、抉れている。 否、抉れている等という、生易しい程度の破壊ではない。 外殻が、完全に崩壊していた。 クレーターに酷似した巨大な穴が其処彼処に穿たれ、それら全てから異様な白煙と、破壊された構造物の残骸が噴き上がっている。 視界を巡らせるも、人影は無い。 全員が退避したのか、或いは吹き飛んだのか。 周囲の空間は漂う無数の残骸に埋め尽くされており、それらの中を飛行できる状態ではない。 人間の頭部ほどの大きさも在るそれらは明らかに、飛翔魔法発動時に展開する障壁程度で弾ける代物ではなかった。 無論、それはエリオにとっても同様であり、現状ではストラーダによる高速移動など望むべくも無い。 そんな真似を実行に移せば、彼の身体は瞬く間に挽肉となる事だろう。 「くそ・・・!」 何が起きたのか。 全身を襲う激痛に呻きつつ、思考を加速させるエリオ。 新たに出現した敵性体について脅威度は低いとの判断が下された事、管制室により超長距離狙撃型純粋光学兵器群を用いての砲撃が実行された事は覚えている。 だが、其処までだ。 その後に何が起こったのか、全く理解できないのだ。 砲撃の瞬間、彼の身体は一切の前兆もなく、唐突に吹き飛ばされていた。 その事象が、強烈な衝撃波によって引き起こされたものであるとは理解しているが、では何処からそれが発生したのかが解らない。 何らかの攻撃が外殻に着弾したのか、或いは光学兵器群の異常か。 エリオは咳込みながらも、ストラーダのノズルより微弱な魔力噴射を行い、外殻へと降り立つ。 構造物表層から僅か2mの作用域とはいえ、外殻上には0.2Gの人工重力が存在していた。 エリオの脚部に掛かる荷重は、通常の20%程度。 しかし、明らかな重傷を負っている彼の身体にとっては、その程度の荷重でさえ危険なものであった。 「ぐ、あ!」 接地の瞬間、自重に耐え切れずによろめく身体を、咄嗟に突き出したストラーダの柄を杖とする事で支えるエリオ。 荒い呼吸を繰り返す彼の頭上を、衝撃波を撒き散らしながら通過する存在。 何とか持ち上げた視線の先、闇の奥へと消えゆく複数の白い影。 不明戦闘機群だ。 少なくとも数機は、先程の状況を掻い潜る事に成功していたらしい。 その光景を認識し安堵の息を漏らすと同時、エリオの意識へと飛び込む念話。 『・・・応答を・・・聴こえるか・・・誰か・・・』 「・・・管制室か?」 『被害状況・・・駄目だ、応答が無い・・・呼び掛けを・・・』 「こちら、ライトニング01・・・管制室、聴こえるか?」 『・・・応答せよ・・・状況不明・・・』 応答せよとの言葉、こちらからの呼び掛けに対する無反応。 エリオは、管制室が外殻の状況を把握していないと判断する。 先程の衝撃、恐らくは爆発によるそれが発生した際に、外部観測機器の殆どが沈黙したのだろう。 他方面の外殻でも、同様の事態が発生しているのだろうか。 「誰か、誰か居ないのか? 聴こえるなら応答を・・・」 エリオは自身の傍らへとウィンドウを展開し、音声にて全方位通信を試みる。 受信の確立を少しでも高める為、念話ではなくこちらを選択したのだ。 だが、ウィンドウ上に表示されるはノイズのみであり、音声に関しても正常に接続される様子は無い。 当然ながら、未だ呼び掛けを続ける管制室が、エリオからの通信に気付く様子も無かった。 回線は、受信のみが辛うじて機能している。 エリオは震える手で暫しウィンドウを操作し、やがて諦観と共にそれを閉じた。 管制室からは、変わらず呼び掛けが続いている。 恐らく彼等は、外殻の人員が全滅したのでは、との危惧を抱いているのだろう。 こちらの存在を知らせる術が無い以上、このまま現在位置に留まる事に意味は無い。 軽く外殻を蹴り、身体を浮かばせ重力作用域を脱した、その直後。 『撃つな!』 突如として意識へと飛び込んだ全方位通信に、全身を強張らせるエリオ。 知らず、彼は周囲を見回す。 人影は無い。 他方面の外殻より発せられたものか。 『攻撃中止! 攻撃中止だ! 総員、撃つな!』 再び飛び込む、全方位通信。 殆ど絶叫と化したその様相に、エリオは再び身体を強張らせる。 様子がおかしい。 攻撃を中止せよとの指示は、如何なる理由により発せられたものか。 恐らくは繋がるまいと思考しつつも、エリオは状況確認の為に呼び掛けを試みる。 「こちらライトニング01、応答を・・・」 『撃つなと言ってるんだ、撃つな! あれは生体機雷だ!』 唐突に意識中へと飛び込んだ聞き慣れない名称に、エリオは続く自身の言葉を呑み込んだ。 生体機雷。 言葉通り、生体組織を用いて形成された、炸裂式の範囲制圧兵器なのであろうか。 彼の思考に浮かぶ疑問を余所に、通信は続く。 『W-12、サルトンより警告! 敵性体、有機質機雷としての性質を有している! 起爆条件は頭部に対する攻撃だ!』 通信越しに放たれる、緊迫した叫び。 エリオは反射的に、そして無意識に周囲へと視線を巡らせている。 敵性体、視認できず。 『まるで地雷だ! 1発でも頭部に着弾すると、次の瞬間には体節が砲弾みたいに突っ込んでくる! 速過ぎて視認も回避もできない!』 「・・・畜生」 悪態を吐くエリオ。 彼方を睨む彼の視線の先に、複数の長大な影が蠢いていた。 先程の敵性体が群れを成し、三度ベストラへと接近しているのだ。 『射撃および単純砲撃による攻撃は避けろ! 範囲殲滅型魔法か、空間制圧型兵器による攻撃で消滅させるんだ! 体節の1つでも残ったら、それが突っ込んできて爆発するぞ!』 敵性体群、加速。 同時に、エリオの遥か頭上を翔け抜ける幾つかの光条、白亜の光を放つ砲撃魔法。 それらは高速にて敵性体群へと突入し、直後に閃光を放ち炸裂した。 無数の魔力爆発が連なり、空間を埋め尽くしてゆく。 恐らくは、古代ベルカ式直射型砲撃魔法、フレースヴェルグ。 少なくとも、はやては無事であったらしい。 かなり後方まで吹き飛ばされた様だが、直射型砲撃を放てる程度には健在なのだろう。 「流石・・・」 無数の白亜の爆発、瞬く間に視界を埋め尽くしたそれに、エリオは微かに声を漏らす。 はやても、先程の警告を受信していたのだろう。 その内容を直ちに理解し、範囲殲滅型砲撃魔法を放ったのだ。 指揮官という立場上、前線に出る事は稀である筈の彼女ではあるが、咄嗟の状況認識力と判断力は突出しているらしい。 しかし残念ながら、敵性体の殲滅には至らなかった様だ。 消えゆく魔力爆発、その先より迫り来る数十体の影。 「くそッ!」 悪態をひとつ、エリオはストラーダより魔力噴射を実行。 軋む身体を無視し、瞬時に200mほど上昇する。 眼下を見回すものの、周囲に他の人員は見当たらない。 遥か彼方で閃光が瞬いているが、あれらは不明機体群が敵性体との戦闘を行っているものであろう。 後方から砲撃が放たれる様子も無い。 はやてが砲撃を連射できる訳ではない事はエリオも承知しているが、なのはは何をしているのだろうか。 もしや、戦闘への復帰が不可能な程に負傷しているのか。 圧縮魔力再噴射、敵性体群へと向け加速を開始。 比較的小型の1体に狙いを定め、軌道修正と共に更に加速。 迫り来る異形の頭部、不気味に光を照り返す巨大な牙と複眼。 左右に開閉を繰り返す異形の顎部を見据えつつ、エリオは思考する。 頭部への攻撃は、致命的な反撃を誘発してしまう。 極めて強力な範囲殲滅型の攻撃で以って、跡形も無く消滅させてしまえば問題は無いが、自身はそれに分類される長距離攻撃手段を有していない。 しかし、後方から新たな戦術級砲撃が飛来する様子は無く、周囲に他の人員の存在を見出す事もできない。 不明戦闘機群は遠方にて大規模な戦闘を展開しており、こちらに対する支援は望むべくもないだろう。 だが、それでも眼前の敵性体群、それらとの交戦を回避する事はできない。 施設外殻は先程の爆発によって既に、其処彼処に巨大な穴が穿たれている。 それらの内の幾つかは、施設内部の大規模アクセスラインにまで達している事だろう。 其処に敵性体が侵入すれば、どれ程の被害が発生するであろうか。 間違い無く、凄惨な事態となるだろう。 仮に、敵性体の侵入後に施設内の戦闘要員が迎撃に当たったとして、攻撃が敵性体の頭部へと直撃してしまえば、更に凄惨な被害が齎される事となる。 最悪の事態を回避する為にも、自身が此処で敵性体群を排除せねばならない。 策と呼べる程のものですらないが、考えは在った。 頭部への攻撃が起爆の条件であるのならば、胴部へのそれはどうか。 1箇所を切断した程度で、バイド生命体が活動を停止する等という甘い思考は有していないが、ならば絶命するまで斬り刻むまでだ。 胴部の切断が起爆の条件を満たしてしまう虞は在るが、眼下の外殻上に人影が認められない以上、大して問題は在るまい。 精々、自身が消し飛ぶ程度のものだろう。 ブースター、出力最大。 メインノズル、最大推力へ。 対空気抵抗・対衝撃魔力障壁、展開。 あらゆる感覚が研ぎ澄まされ、急激に引き延ばされる体感時間。 加速する思考の中、エリオは改めて敵性体の胴部中央に狙いを定める。 「着弾」まで、1秒。 「・・・ッ!」 衝撃。 視界を埋め尽くすまでに接近した敵性体の体表面が、紫電を纏ったストラーダの矛先によって穿たれる。 異形の強固な体組織を瞬時に気化させ、分解してゆく鋼の牙。 瞬間、最大出力での放電。 リンカーコアの強化に伴い、劇的に増大した魔力容量および瞬間最大出力、機械の如く精密化した制御能力および変換効率。 それら全ての機能を限界まで発現させ、発生した膨大な電力を破壊槌と成し、敵性体へと打ち込む。 メインノズルより噴出する圧縮魔力は業火を発し、更に高圧の電流を帯びる破壊的な奔流と化していた。 エリオに纏い付くそれは周囲のあらゆる存在を瞬時に焼き尽くし、更に超高速機動に伴い発生する衝撃波が全てを粉砕する。 今やエリオは、標的へと向け飛翔するミサイルそのものであった。 防音障壁により無音となった意識の中、視界を遮る存在が消滅してなお、エリオが速度を緩める事はない。 急激な軌道修正を行い、魔力残滓による放物線状の軌跡を描きつつ、次なる標的へと向かう。 全身の負傷など、既に意識外へと追い遣られていた。 エリオの思考を埋め尽くすは、敵性体の排除という目的のみ。 業火と紫電を撒き散らし、往く手を阻むもの全てを滅ぼす、金色の魔弾。 巨大なバイド生命体でさえ、その進攻を止める事は叶わない。 全長数十mにも達する異形の体躯、それらの中央部を次々に貫き、蒸発させてゆくエリオ。 時に弧を描き、時に稲妻の如く折れ曲がる軌跡。 荒れ狂う雷撃による無慈悲な蹂躙が終焉を告げたのは、敵性体の全てが体躯を分断された直後の事であった。 「・・・ッく!」 ストラーダの矛先を進行方向の逆へと向け、メインノズルより圧縮魔力の噴射を行うエリオ。 急激な減速と共に、彼の全身を覆っていた魔力の暴風、業火と紫電によって形成されていたそれが、凄まじい衝撃波と化して拡散する。 膨大な量の圧縮魔力、極限まで凝縮されていたそれが一瞬にして開放され、炸裂したのだ。 エリオを中心として巻き起こる、巨大な魔力の爆発。 周囲に浮かぶ構造物、或いは敵性体の残骸が残らず消し飛び、後には高熱に揺らぐ大気のみが残された。 虚無と化した空間の中心、エリオは荒い呼吸を繰り返す。 手応えは在った。 ストラーダは確実に敵性体を穿ち、その体躯の一部を消滅せしめたのだ。 確認した敵性体の総数は34体。 その全てを貫き、引き裂き、焼き払った。 衝撃波による周囲への副次効果も考慮すれば、敵性体が生命活動を維持している可能性は極めて低い。 恐らくは、体躯の両端に位置する2箇所の頭部、その周辺を除く殆どの部位が消失している事だろう。 「ストラーダ!」 『Impossible to detect』 ストラーダに索敵を命じるエリオ。 しかし、高密度の圧縮魔力が炸裂した余波か、生体探知機能が動作しない。 魔力素を介して索敵を行うデバイス類に対し、魔力爆発は最も効果的な撹乱効果を発揮するのだ。 舌打ちをひとつ、エリオは周囲を見回し索敵を行う。 ある程度ベストラから離れた為か、周囲は薄暗く視界が利かない。 それでも彼は、無駄とは理解しつつも、敵影を探さずにはいられなかった。 せめて、自身が撃破した敵性体の残骸、その程度は確認したかったのだ。 「駄目か」 だが、それは叶わない。 先程の様に其処彼処に光源となる爆発が発生している訳でも、ベストラから照明弾が放たれている訳でもない。 外殻から2kmも離れてしまえば、其処はもう漆黒の闇の中だ。 現在位置からは外殻上の各種光源を薄らと視認する事が可能だが、更に500mほど離れれば完全にベストラを見失う事だろう。 これ以上の単独行動は危険であると判断し、エリオはストラーダの矛先をベストラへと向ける。 だが、直後。 「・・・これは?」 エリオの意識へと飛び込む、奇妙な異音。 鋏の刃を打ち鳴らしているか様な、金属的なそれ。 微かではあるが、その音が幾重にも連なり、周囲の空間に響いている。 デバイスによる集音機能が、微かな音を拾い上げているのだ。 咄嗟に周囲を見回すが、それらしき異音の発生源は見当たらない。 だが、この瞬間も耳障りな金属音は、確かに発せられ続けている。 そればかりか、徐々にその音量と数を増し続けているのだ。 「誰か・・・この音が聴こえるか? 誰も居ないのか!」 全方位通信。 だが、応答は無い。 闇より迫り来る音は、更にその数を増している。 湧き起こる焦燥感に圧され、知らず声を荒げるエリオ。 「こちらライトニング01! 誰でも良い、何か・・・!?」 しかしエリオは、その呼び掛けを中断した。 せざるを得なかったのだ。 彼の意識は、視界へと映り込んだ何かに集中していた。 「今のは・・・」 その輪郭を、明確に捉えた訳ではない。 だが、確かに見えたのだ。 闇の奥に蠢く、奇妙に歪んだ無数の影。 ベストラ外殻上より発せられる光、それを微かに照り返す褐色の生体表層。 金属音が更に数を増し、音と音の間隔までもが徐々に短くなる。 音源、接近中。 「ストラーダ!」 『Sonic move』 迫る危険を察知し、エリオはソニックムーブを発動。 下肢に奔る、微かな痺れ。 一瞬にして加速し、僅かに4秒前後で外殻へと到達する。 推力偏向ノズル稼動、逆噴射実行。 エリオは両脚部を進行方向へと突き出し、接地に備えた体勢を取ると同時、それに気付く。 「あ・・・」 彼の右脚、膝部から先が無かった。 『Watch out!』 「ッ!?」 ストラーダからの警告。 意識中に生じた空白は、瞬間的ながら致命的なものであった。 接地まで1秒、姿勢制御が完了していない。 最早、手遅れだった。 「ッ・・・ガ、ァ!」 残された左脚、そして左腕を突き出し、最低限の接地体勢を整える。 だが、それも衝撃を軽減するには、貧弱に過ぎるものだった。 接地の瞬間、エリオの全体重を受けてしまった左脚部は、一瞬の内に捩れて折れ曲がる。 足首が捩れ爪先と踵部の方向が入れ替わり、張り裂けた皮膚と筋肉から噴き出す血液。 三箇所で折れ曲がった下腿部、皮膚下から飛び出す骨格と筋組織。 膝部までもが可動範囲を大きく超えて捩曲がり、断裂した筋組織と粉砕された骨片が四散。 そして、瞬時に崩壊した左脚部を支点として、速度を保ったままにエリオの身体が前方へと倒れ込む。 突き出された左腕部。 左脚部の接触によって幾分か速度は落ちたものの、エリオの身体は未だ高速にて移動している。 そんな状態下で構造物へと接触した左腕部が、やはり左脚部と同様に折れ曲がった。 否、折れたのではない。 エリオの左腕部は、肘部から先が失われていた。 外殻表層に突出した無数の構造物、その内の1つへ接触すると同時に千切れ飛んでしまったのだ。 その際の衝撃により、エリオの身体は錐揉み状態へと陥る。 回転する視界、消失する平衡感覚。 直後、全身を粉砕せんばかりの衝撃。 数瞬か、或いは数秒か。 エリオの意識が、確かに闇へと沈んだ。 「う・・・」 開ける視界。 意識が、急速に浮かび上がる。 だが、身体を動かす事ができない。 仰向けのまま、全く動かせないのだ。 両脚部、左腕部が存在するべき箇所には微かな痺れが奔り、それ以外の一切の感覚が抜け落ちている。 「あ・・・」 しかし1箇所だけ、エリオの意思に従い稼動する部位が在った。 右腕部だ。 最早、痛覚とも呼べない微かな痺れに支配されたそれは、辛うじて未だ彼の制御下に在った。 震えるそれをぎこちなく動かし、掌部を構造物に突いて身体を傾ける。 鋭い痺れが全身を貫いたが、エリオは最早それを意にも介さなかった。 感覚の異常など、気に留めるだけ無駄である事は、既に理解していたのだ。 頭部から出血している事にも気付いてはいたが、無視して瞼を押し上げる。 低重力下である事が幸いし、血液が眼球上へと伝う事は無かった。 そしてエリオは、薄らと霞む視界の中に、無数の蠢く影を見出す。 「・・・蟲?」 放たれた呟き。 エリオの視界に映り込む存在について表現するならば、正しくその言葉こそが適当であった。 微細な脚部を無数に蠢かせ、高速かつ不規則な軌道を描く無数の生命体。 余りにも醜悪な外観を周囲へと見せ付けながら、巨大な顎部を打ち鳴らしつつ群れるそれら。 エリオは唐突に、その正体に気付く。 あれは、先程の敵性体だ。 自身は、致命的な反撃を誘発する敵性体頭部への攻撃を避け、目標の胴部を切断。 それでは飽き足らず、放電と推進炎による焼却までも実行した。 一連の攻撃により、敵性体群は残らず絶命したものと判断していたのだ。 甘かった。 敵性体は、生命活動を停止してなどいない。 胴部を幾箇所にも亘って切断され、それらの内の殆どを消滅させられてなお、生命活動を維持していたのだ。 そして今、敵性体群は信じ難い程におぞましい外観へと化し、自身の視界を埋め尽くしている。 「ッ・・・! 化け物が・・・!」 切断された敵性体は、絶命したのではない。 体節毎に複数の個体へと分裂し、1個の長大な個体から群体へと変態したのだ。 先程に自身が切断した敵性体、恐らくはそれらの内の殆どが。 「くそ・・・この襤褸め」 悪態を吐くと同時に右腕部に込められていた力が霧散し、エリオは身体を支え切れずに再び背を外殻上へと預けた。 見上げる彼の視線の先、切断された敵性体の一部が無数に、宛ら蜂の群れの如く密集している。 牙を有する個体、切断面から体液を撒き散らす個体、生体機能の維持限界を超えたらしく唐突に群れから遊離する個体。 既に痛覚すら麻痺した身体を横たえたまま、呆然とそれらを見つめるエリオ。 彼は自身が置かれた状況を客観的に、そして冷徹に分析していた。 自身がやれる事は、全てやり遂げた。 恐らくは他方面でも、敵性体の特性に気付いた事だろう。 これ以上にできる事は、何も無い。 キャロの事は気掛りだが、最早どうしようもないのだ。 自身の生命維持機能は、既に限界を迎えつつある。 今更、何をする程の事もない。 後の事はキャロが、彼女に賛同する者達が、上手く片付けてくれる事だろう。 考えてみれば、彼女と自身が離れる為にも、丁度良い機会だ。 このまま、意識を失ってしまえば良い。 体温が急速に失われていく事を、エリオは自身の感覚で察していた。 出血が激し過ぎる。 無数の小さな傷はともかく、四肢の内3箇所が失われているのだ。 今更、止血をしたところでどうにかなるものではないという事も、彼は既に理解していた。 幸運にも味方に発見され、AMTPへと搬入される事が在れば、或いは生き長らえる事も可能かもしれない。 だがエリオは、そんな幸運が起こる事を期待する程、楽観的な思考を有してはいなかった。 吐血混じりの激しい咳を繰り返しつつも、徐々に静かになってゆく呼吸音。 その変化を自身で認識しつつ、彼は静かに瞼を下ろす。 しかし、直後に意識へと飛び込んだ通信音声は、彼が安息の眠りに就く事を許しはしなかった。 『・・・展開を完了した。味方の姿は確認できない・・・外殻は酷く破壊されている』 『ライトニング02、我々は現状維持を?』 『こちらライトニング02。現在S-02第1予備アレイ・ハッチ、作業員運搬リフトにて移動中。外殻到達まで40秒です』 途端、エリオは瞼を見開く。 開かれた視界の中に、敵性体群の影は無い。 あれ程に群れていた蟲共が、1体すら残さずに姿を消していたのだ。 軋む身体に鞭打ち、頭部を回らせて南部区画方面へと視界を向ける。 渦を巻く様に蠢き、遠ざかりつつある異形の群れ。 敵性体群、南部区画へと向け進攻中。 「・・・馬鹿な!」 『こちらデニム、了解した・・・呼び掛けに対する反応が無い。誰も居ないのか』 「何を・・・何をやって・・・!」 『誰か応答を・・・聴こえますか? こちらライトニング02、外殻の状況を・・・』 咄嗟に右腕部を動かそうとするも、それが実行される事はない。 エリオの身体は、微かに揺れ動いただけだ。 霞み始めた視界は、彼に残された時間が余りにも少ないという事実を、雄弁に物語っている。 敵性体との交戦など、望むべくもない。 だからこそ、せめて敵性体の情報を伝えようと、エリオは念話の発信と共に声を振り絞る。 ベストラ内部から新たに展開したのであろう、キャロを含む友軍部隊。 考えたくもない事ではあるが、彼等は敵性体の特性を知り得ていない可能性が在る。 光学兵器群による狙撃実行後に発生した、敵性体の拡散と自爆。 それ以降、管制室が外殻からの情報を遮断された状態に在った事は、想像に難くない。 そして状況を確認する為に、キャロを含む新たな部隊が外殻へと展開する事も、予想されて然るべき事態であった筈だ。 だがエリオは、その可能性を失念していた。 敵性体の排除に意識を傾け過ぎ、外部情報を遮断された内部の人員が如何なる行動に出るか、その予測を怠ったのだ。 「来るな・・・来るんじゃない! 敵が向かってるぞ!」 『もうすぐ外殻です・・・こちらライトニング02、外殻の状況を・・・』 「来るなと言ってるんだ! 駄目だ、戻れ!」 『外殻に到達・・・ヴォルテール?』 『散れ!』 「ライトニング! 応答してくれ、ライトニング・・・キャロ!」 通信越しに飛び込む、ヴォルテールの咆哮。 記憶の中のそれとは異なり、明らかに苦痛の色を含んでいると判る。 続いて、困惑した様に自らの守護竜の名を叫ぶキャロの声、他の隊員達の絶叫。 『くそ、何なんだ! 総員、警戒せよ! 高速飛翔体多数、完全に包囲されているぞ!』 「撃つな、撃つんじゃない! 駄目だキャロ、逃げろ! 逃げてくれ!」 『信じられん、こっちの機動に・・・』 「交戦するな、逃げろ!」 『大型敵性体、接近!』 『頭部を狙え!』 「止せぇッ!」 『撃て!』 攻撃を止めるべく、エリオは絶叫する。 だが、その叫びは届かない。 轟音とノイズ、それらを最後に途絶える通信。 「あ・・・う、あ・・・!」 零れる声は、意味を成さず。 闇により視界が閉ざされゆく中で、エリオは全てが手遅れであった事を理解する。 キャロ達は敵性体への攻撃、何としても避けるべき頭部へのそれを実行してしまったのだ。 その結果として何が起きるか、起こってしまったのか。 エリオは、身を以って知り得ている。 「キャロ・・・返事を・・・キャロ・・・!」 救えなかった。 もう、手遅れなのだ。 衝撃波と異形の破片、襲い掛かるそれらの瀑布に、何もかもが呑まれて。 「畜生・・・畜生・・・ッ!」 呪いの言葉。 傷という傷から生命の証を止め処なく溢し続けながら、エリオは嗚咽と共に絶望の声を吐き続ける。 怨嗟の念を叫ぼうにも、最早それだけの力など残されてはいない。 死が、すぐ其処にまで迫っている。 「畜生・・・!」 闇に満たされゆく視界の中、虹色の光が弾けた様な気がした。 エリオはそれに対し、何ら関心を見出せない。 彼は、出来得る限りの事をやり遂げた、との納得を得たままに逝ける筈だった。 だが今や、その様な感情は欠片さえも残されてはいない。 「役立たずめ・・・!」 自身を罵倒しつつ、エリオは宙空を仰ぎ見る。 視線の遥か先、闇を引き裂く複数の白い影。 恐らくは不明戦闘機群だろうと、エリオは焦点が定まらぬ思考の片隅で推測する。 今となっては如何でも良い事と、その情報を意識の外へと押し遣らんとした、その時。 眩い2条の光線が、宙空より闇を切り裂いた。 「・・・っ!」 閃光は一瞬。 外殻の彼方、数瞬ほど遅れて噴き上がる、巨大な爆炎の壁。 約1秒後に到達した衝撃がエリオの身体を舞い上げ、続けて襲った轟音が聴覚と意識を苛む。 そのまま数十mを吹き飛ばされ、外殻上へと戻る事なく宙空を漂うエリオ。 彼の思考は既に、状況の変遷を理解していた。 奴等だ。 遂に、戻ってきたのだ。 地球軍。 先程に目にした白い影は、不明戦闘機群などではなかった。 あれは、R戦闘機だ。 不明戦闘機群の強襲により、ベストラから逃亡したR戦闘機群。 それらがバイドを、被災者達を殲滅すべく、この施設へと戻ってきたのだ。 「お終いか・・・」 無重力中を漂いつつ、エリオは瞼を下ろす。 地球軍が戻ってきてしまった以上、事態の好転など望むべくもない。 一時は状況を支配したかに思えた叛乱も、結局はバイドという強大かつ不確定な要素によって瓦解してしまった。 その後の混乱を打開する事も出来ず、しかもバイドの殲滅を旨とするR戦闘機群の襲来。 既にパイロット達にとっては、被災者の殲滅など二の次に過ぎないのかもしれない。 この場に存在するバイド生命体群の殲滅に成功したのならば、その時にはベストラなど塵も残さず消滅している事だろう。 深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。 失われた四肢からの激痛は、既にその殆どが薄らいでいた。 大量の失血に伴う、痛覚の麻痺だろう。 自身に残された時間は長くはないと、エリオは他人事の様に思考する。 そんな彼の意識へと、微かな音が飛び込んできた。 聴き慣れた魔力噴射音。 そして、エリオに残された唯一の四肢である右腕に、冷たい金属の質感が接触する。 そちらへと視線を遣り、エリオは息を呑んだ。 「・・・ストラーダ?」 其処に在ったそれは、彼の相棒。 先程の衝撃によって吹き飛ばされ、主から引き離されて尚、自らの意思でエリオの許まで戻ってきたのだ。 天体内部への転送以降、度重なる違法改造を経た鈍色のそれは全体に無数の傷が刻まれてはいるものの、機能に障害は生じていない。 そして、寡黙なそのデバイスとしては極めて珍しく、ストラーダは自ら言葉を発した。 『Watch this』 その言葉と共に、エリオの傍らへと展開されるウィンドウ。 其処から更に、ベストラの立体構造図が投影される。 恐らくは、ウォンロンのシステムを介しての、超広域魔力走査。 ベストラの異常に気付いたウォンロンが、自らの危険をも顧みずに直接支援を開始したのだろう。 そして、投影されたベストラ構造図の各所、表示される無数の魔力反応。 それらは不規則に、だが極めて激しく明滅を繰り返している。 エリオは双眸を限界まで見開き、友軍の魔力反応を示す光点、青色のそれらに見入っていた。 「生存者・・・まだ、残って・・・!」 『Watch』 再度に言葉を放つストラーダ。 拡大表示される画像、外殻S-02。 新たに生存者のコールサインが複数表示される中、その見慣れた名称が在った。 「キャロ・・・!」 ライトニング02。 他1名の反応と共に高速で以って移動しつつ、周囲に無数の直射弾を放ち続ける光点。 周囲では複数の反応が高速機動と攻撃を継続しており、更にそれらの反応は徐々に同一点へと集結しつつあった。 彼等は、まだ戦い続けている。 彼女は、今この瞬間も生きて、そして戦っているのだ。 ならば自身にも、まだやるべき事が在る。 『Get up Master. Go』 「ああ・・・行こう、ストラーダ」 その言葉と共に、エリオの右手がストラーダの柄を掴む。 相棒へと呟く彼の目には最早、諦めの色は無い。 既に痛覚が麻痺している事実でさえ、今となっては好都合とすら思えた。 ストラーダのサイドブースターを作動させ、姿勢を安定状態へと推移させる。 先程まで、僅かばかり身体を動かしただけでも全身を襲っていた激痛が、嘘の様に消え失せていた。 死が近付いている事の証明かとエリオは思考するが、それでも残された右腕、そして肘部から先が失われた左腕の名残は、異常など無いかの様に軽快に動く。 脚部も同様で、大腿部のみが残された右脚、膝部以下を粉砕された左脚も、残存する部位は問題なく動かす事ができた。 独りで立つ事も、満足に物を掴む事も不可能だが、どちらの行動も無重力中では然程に必要あるまい。 身体機能の確認を終え、エリオは独り宣言する。 「ライトニング01、これより生存者救援に向かう!」 爆発。 金色の魔力光が炸裂し、エリオとストラーダが雷光と化す。 光の尾を引き、魔力光の残滓を闇へと飛散させつつ、護るべき者の許へと突き進む金色の流星。 その往く手を阻む敵性体群が、雷光に触れるや否や欠片さえも残さずに消滅する。 身体、そしてリンカーコアに対するあらゆる負荷を無視し、闇を引き裂き翔けるエリオ。 微かな希望に、意識を奪われた彼は気付かない。 失われた四肢の断面からの出血が、既に止まっている事実に。 肘部が、膝部が、半ばまで再生されている事実に。 今この瞬間でさえ、リンカーコアの出力が増大している事実に。 生存者の情報を齎したウィンドウが、ウォンロンからの干渉によって展開されたものではないという事実に。 雷光の騎士にも、その相棒たる鉄槍にも気付かれる事はなく。 緩やかに、しかし確実に。 「現実」が、歪み始めていた。 * * 光学兵器群による狙撃を実行した直後、管制室を襲った微かな振動。 その瞬間から、外殻との連絡は完全に途絶えた。 回復を試みはしたものの、システムは沈黙したまま。 復旧には時間が必要であると判明した際に、偵察を目的とする部隊の編成が提案された事は、実に自然な流れであった。 そして、今回の武装蜂起に於ける事実上の指揮官であるキャロもまた、自身の外殻上への展開を望んだ。 無論の事、反対の声は大きかった。 指揮官が自ら前線に出る事は、可能な限り避けるべきであると。 それらの意見に対しキャロは、今となっては自身が指揮官たるべき理由は無い、と反論した。 武装蜂起は成功し、地球人とバイドの真実は生存者のほぼ全てに知れ渡った。 自身が担うべきは其処へと至るまで、そして至った後の責任を負う事であり、生存者全体の指揮を執る事に関しては自身以上の適任者が幾らでも居る。 そして自身は竜召喚士であり、絶大な火力を有する使役竜および真竜を使役できる、現状に於いては唯一の人材である。 その火力を死蔵するべきではなく、その余裕も無い筈。 外部に如何なる脅威が存在しているかを観測できない以上、現有の最大火力で以って事態の収拾に当たるべきではないか。 そうして反対の意見を封じたキャロは、すぐさま部隊を編成し南部区画へと向かった。 S-02外殻へと通じるアレイ・ハッチ、其処へと直結する大型リフト。 外殻への移動手段として其処を選択した理由は、ヴォルテールを外殻上に展開させる為だ。 ベストラ内部に待機していたヴォルテール、それを外部へと移動させる為には巨大なハッチが必要となる。 直径90mを超える、巨大な非常用星間通信アレイアンテナ。 それを外殻上へと展開させる為の大型リフトとハッチは、正にヴォルテールの移動に最適な設備だった。 他方面については、既に16名の魔導師から成る別動隊が、W-07外殻へと向かっている。 彼等はキャロ達よりも先に外殻へと到達し、外部状況に関する報告を齎す筈であった。 更にはフリードが、キャロの命によって彼等の援護に就いている。 いずれにしても、偵察隊としては規格外の戦力だ。 アクセスラインを通じてヴォルテールを移動させ、大型物資搬入口を通じてリフトまで誘導。 アレイアンテナ未搭載のリフト上、ヴォルテールを配置。 だが此処で、予想外の問題が発生した。 リフト上に防護服を着用していない人員が存在する状態で上昇を実行すると、システム全体が強制的にシャットダウンされてしまうのだ。 アンテナからの輻射による健康被害を避ける為の措置なのだろうが、バリアジャケットを纏った魔導師達からすれば無用の措置でしかない。 仕方なく、キャロ達はヴォルテールのみを大型リフトで外殻上へと運搬させ、自身等は隣接する作業員運搬用リフトへと移動した。 幾分かは簡潔であるこちらのシステムへとオーバーライドし安全回路をキャンセル、先行して上昇中のヴォルテールを追い掛ける形で上昇。 既に外殻への展開を終えた別動隊からは、味方の姿が確認できないとの報告が齎される。 キャロもまた、自身の声と念話で以って呼び掛けを行うも、ウィンドウ越しに返されるのは沈黙のみ。 最悪の事態を想像しつつも、彼女は外殻への展開を止めようとはしなかった。 止めた処で、事態が好転する訳ではない。 「もうすぐ外殻です・・・こちらライトニング02、外殻の状況を・・・」 そしてヴォルテールに遅れる事4秒、キャロ達は外殻上へと到達した。 リフトを降りエアロックへと侵入し通過、次いで外殻上へと繋がる耐爆扉を開放。 鼓膜へと突き刺さる真竜の咆哮、同時に彼女達の視界へと映り込んだそれは。 「外殻に到達・・・ヴォルテール?」 怒り狂う「右前部翼の無い」ヴォルテールの姿だった。 「散れ!」 誰かが叫ぶと同時に、キャロの身体は抱え上げられ、強制的に移動を開始していた。 回転する視界、金属の構造物を削る凄絶な異音。 何が起きているのかを理解するよりも早く、全方位へと放たれた念話が意識中へと飛び込む。 『くそ、何なんだ! 総員、警戒せよ! 高速飛翔体多数、完全に包囲されているぞ!』 其処で漸く、キャロは気付いた。 自身等の周囲、無数の「何か」が渦を巻く様にして飛び交っている。 それらは高速かつ不規則な機動で飛翔している為、その姿を鮮明に捉える事はできない。 だが、少なくとも敵性存在である事だけは確かだ。 『蟲だ、蟲共が・・・!』 『信じられん、こっちの機動に喰らい付いてくる! 』 散開した隊員達より飛び込む、緊迫した様相の念話。 彼等は、飛翔体からの攻撃を受けているらしい。 すぐさまキャロは、自らの使役する真竜へと呼び掛ける。 『ヴォルテール! 空間制圧、無制限!』 400mほど離れた地点、爆発する紅蓮の光。 ヴォルテールによる砲撃、ギオ・エルガ。 閃光が宙空を埋め尽くし、一瞬ではあるが周囲に存在する異形群の影を浮き上がらせた。 「何、これ・・・!」 多過ぎる。 砲撃の瞬間、ヴォルテールの周囲に位置していた無数の影が、魔力爆発の余波によって跡形も無く消し飛んだ。 しかし、ヴォルテールを中心とした約200m以内を除く、ほぼ全ての空間が飛翔体の影によって埋め尽くされていたのだ。 そして、断続的に鳴り響く、無数の金属音。 『来やがった!』 キャロを抱える隊員、彼が念話を発するとほぼ同時、再度に視界が激しく揺さ振られる。 急激な加速、回避行動。 慣性により上下左右へと振り回される感覚の中で、キャロは自己の内に沸き起こる焦燥を抑え込む事に必死だった。 ヴォルテールが上げる苦痛の咆哮が、彼女の内で絶え間なく響き続けているのだ。 そして、その咆哮はヴォルテールの身に起きている異常を余す処なく、詳細にキャロへと伝えていた。 ヴォルテール、右前翼部喪失。 更に右脚部および左腕部切断、脱落。 直立姿勢保持不可、宙空浮遊状態へと移行。 『大型敵性体、接近!』 『頭部を狙え!』 至近距離から響く金属音の破壊音、ほぼ同時に飛び込む念話。 キャロは必死に視界を廻らせ、周囲の状況を把握せんとする。 輪郭を鮮明に捉える事はできないが、何やら蟲にも似た異形が飛び交っているらしい。 更に遠方へと目を凝らせば、薄闇の奥からはより大型の異形が接近中であると判る。 だが既に、散開した隊員達は迎撃態勢を整えていた。 そして、攻撃。 『撃て!』 直後、一切の前触れ無く襲い掛かってきた衝撃に、キャロの身体は木の葉の如く吹き飛ばされていた。 強烈な圧力により、肺の内より圧し出される空気、暗転する視界。 微かに意識へと響いた念話は、自身を抱える隊員のもの。 『畜生!』 どうやら彼は、あの衝撃の中でもキャロの身体を離す事なく、吹き飛ばされるままに回避行動へと移行したらしい。 身体に掛かる圧力の方向が、不規則かつ連続的に変化している事を認識しつつ、キャロは反射的に閉じられていた瞼を開く。 眼前、凄まじい速度で以って視界の下方へと流れゆく、外殻構造物の壁。 回避行動継続、高速飛翔中。 『今のはやばかった! 何だ、何が爆発しやがった!?』 『クリン03より全調査隊員! 誰か、無事な者は居る!?』 爆発。 意識中へと飛び込んできたその言葉に、キャロは何が起きたのかを悟る。 敵性体からの反撃、広範囲爆撃だ。 『こちらライトニング02。クリン03、敵による攻撃がどんなものだったか、分かりますか?』 キャロは、念話を発した隊員へと問い掛ける。 彼女の位置からは、反撃の詳細が掴めなかったのだ。 しかしながら、ある程度の予想は付いていた。 『ライトニング02、これは自爆攻撃です! 敵は攻撃を受けた直後に外殻へ突入、爆発しました!』 そして報告の内容は、彼女の予想と殆ど違わぬもの。 では、起爆条件は何か。 直前までの情報を纏めつつ、総数16もの高速並列思考によって、キャロは瞬く間に解へと辿り着く。 『起爆条件は、頭部への被弾である可能性が高いですね』 『恐らくは。大型の敵性体は、生体機雷の様な役割を果たしているのでしょう』 『待て、小型の奴と大型の奴は、同類じゃないのか? 全長が異なるだけで、外観もそれ以外のサイズも殆ど同じ・・・』 『前方、敵性体14!』 念話を交わしつつ、進路上に敵性体を確認したキャロ。 咄嗟にウイングシューターを放ち、敵性体の撹乱を試みる。 しかし、彼女の意思の下に放たれた直射弾幕は、当人の想定をも超えた閃光の瀑布となって敵性体を呑み込んだ。 小型敵性体14、殲滅。 自らが為した事ながら、俄には信じ難い光景に唖然とするキャロ。 霧散してゆく魔力残滓の中心を貫いて飛翔した後、確認の意味を込めて念話を発する。 『また、出力が増大している・・・何処まで上がるの?』 『有り難い事じゃないか、バイドの仕業でなければ』 念話を返しつつ、キャロを抱える隊員が更に飛翔速度を上げた。 外殻壁面が視界中を流れゆく速度が増し、自身等を覆う対風圧障壁が更に堅固となった事を実感するキャロ。 そんな彼女の意識に、自身の守護竜と使役竜からの念話が飛び込む。 ヴォルテール、部位欠損の重大損傷を受けるも、戦闘継続に問題なし。 フリードリヒ、友軍と連携し周囲の敵性体を殲滅中。 そうして念話を交わす間にも、多方面から次々に報告が飛び込んで来る。 『やっぱりだ、小さい奴は起爆しない。自爆するのは大型だけだ』 『ニンバニより総員、緊急! ウォンロンが此方の事態に気付いた! 不明戦闘機群の増援と合流、ベストラへ急行中!』 『良い知らせだ、気付いてくれたか!』 『こちらメレディン02、生存者との合流に成功しました。総数17名、現在は敵性体群と交戦中です』 『ボルジア、負傷者を収容した。現在、最寄りのハッチへ向かっている。此処に来るまでにも、幾つかのグループと遭遇した』 『良いぞ、生存者の数は予想より遥かに多い。大多数が爆発から逃れている』 遠方、巨大な魔力爆発。 ヴォルテールが再び、ギオ・エルガを放ったのだ。 闇の中、照らし出される敵性体群の影。 周囲に群がりつつある無数の小型敵性体を確認し、キャロは直射弾幕を間断無く展開し続ける。 その間にも乱れ飛ぶ、無数の念話。 並列思考の半数を念話の傍受、そして分析思考へと傾けつつ、キャロは戦闘を継続する。 だが、それらの論理的思考とは別に、どうしても削除できない感情的思考が在った。 ともすれば、他の並列思考をも喰い尽くしかねない、半ば制御下を離れつつある思考。 キャロは冷静を装いつつも、しかし全霊を以ってしてその思考を抑え付けていた。 暴走させてはならない、そんな事を考えている暇は無い、現状でそんな思考を持つ事に意味は無いのだと、必死に自身へと言い聞かせる。 だが、唐突に飛び込んできた1つの念話が、そんな彼女の努力をいとも容易く打ち砕いた。 『第1層上部外殻、生存者と合流。爆発の直前まで同地点に居た、ライトニング01の消息が不明との事だ』 瞬間、キャロの意識を支配した思考は、唯ひとつ。 エリオ・モンディアル。 自身にとって最大の理解者、唯1人のパートナー。 何物にも代えられず、他の何よりも大切な存在。 彼は無事なのか、生きているのか。 「ライトニングは・・・!」 思わず口を突いて出そうになった言葉、それを強引に中断し呑み込むキャロ。 辛うじて、周囲から敵性体の影が消えた事を確認すると、彼女は我知らず俯いて唇を噛み締める。 微かに震える、固く握られた小さな拳。 キャロとて、疾うに理解している。 エリオは、彼女のパートナーであった少年は、その言葉が発せられる事を望んではいない。 彼女が彼の身を案じる事など、欠片も願ってはいないのだ。 否、或いは心の内で、それを望んでいてくれるのかもしれない。 だが、少なくとも表面的にはそれを窺わせず、更には彼の身を案じるキャロに対して憤りを、それ以上に不快感を抱くのだろうと。 彼女は、そう確信していた。 スプールスを襲った、バイド生命体種子の落着に端を発する悪夢。 醜悪な汚染生命体へと成り果てたタントとミラ、そして彼等の子供、未だ胎児であったそれを含む3人。 彼等であったものを殺めた彼に対し、理不尽な恨みと憤りを抱き、歩み寄る事を拒んだのは自身だ。 一方的に距離を置き、道を分かったのも自身である。 それでも彼は、自身への批難は疎か、弁解さえもしなかった。 自身が突き付けた心無い無言の拒絶を、ただ静かに受け入れたのだ。 そうして、漸く自身の間違いに気付いた時には、既に2人の間には歩み寄りなど望むべくもない距離が存在していた。 歩み寄ろうと試みる自身を、今度は彼の方から拒み始めたのだ。 分かっている。 彼が自身の心を気遣う余り、傷付けまいとして距離を置こうとしている事も。 恐らくはタントとミラ、更にその子供を殺めたとの自責から、自身と距離を置こうとしている事も。 武装蜂起直前にセインへと語った通り、彼は此方への配慮と自責の念に基き、更に自身から離れてゆく事だろう。 以前の様に共に歩む事など決して望みはせず、自身とは完全に異なる道を選択し歩んでゆくのだ。 分たれた線は、二度と交わりはしない。 交わる事すら、望んではいないのだ。 一方の線がそれを望んでも、残る一方はより離れる事をこそ望んでいるのだから。 『・・・生存者の探索を続行。大型敵性体に対しては、範囲殲滅型の攻撃のみで対処を』 だからキャロは、彼の名を呼ばなかった。 彼がそれを望まない、望んではいけないと考えているからこそ、呼ばないのだ。 キャロの為であれ、或いは彼自身の為であれ、それが彼の選択であるからこそ尊重する。 彼女にとって他の何物よりも彼が大切であるからこそ、彼女と離れる事を選んだ彼の意思を尊重するのだ。 パートナーとして、或いは家族として。 そして、彼に対して好意を寄せ、叶うならば未来を共に歩みたいとまで望んでいた、最も近しい異性として。 彼が何よりも救いを必要としていた時期、自身にはできる事が、すべき事が幾つも在った筈だ。 それにも拘らず彼を避け、その心を癒すどころか引き裂いてしまった自身に、彼の選択を批難する権利など在りはしない。 どれ程までに狂おしく想おうとも、自身が彼の傍に寄り添う事はできない。 それは決して叶わない望み、それ以前に許される事のない望みなのだ。 エリオが、自身に望んでいる事。 それはパートナーとして共にある事ではなく、有能な指揮官として状況の推移を掌握し続ける事だ。 生存者を導く者として、敵対勢力に損害を与える者として。 エリオは自身に、有能な「機構」たれと望んでいるのだ。 それ以外には、何も必要ない。 必要とされてはならない。 彼の本意がどうであろうとも、自身は「それ以上」を望んではならないのだ。 そんな事を望む権利は疾うに、自ら放棄してしまったのだから。 『良いのか?』 『何がです。それより周囲を警戒して下さい。敵性体は、まだ残存しています』 キャロを抱える隊員、彼が気遣う様に放した念話。 彼女は即座に、それを刎ね付ける。 その思考に迷いは、既に存在しない。 『ヴォルテールを、敵性体の密集地に移動させます。各員、周囲の状況を確認後・・・』 『逃げろ!』 それは、突然の事だった。 キャロの念話は、味方の発したそれによって遮られ、次いで閃光と衝撃が全身を襲う。 全身が硬い物質に叩き付けられる感覚、激しく揺さ振られる脳と臓器。 数瞬ほど意識が闇へと沈み、次いで覚醒する。 何も見えず、何も聴こえない。 だが、全身を襲う激痛と共に回復した感覚から、自身が中空を漂っている事だけは理解できた。 視覚および聴覚、未だ回復せず。 『誰か・・・おい、誰か! 聴こえるか? 今の爆発を見たか!?』 『ミサイルだ、今のはミサイルだぞ! ウォンロンのじゃない、速度が速過ぎる! 敵性高速誘導弾、S-04に着弾!』 『E-08、レーザーの連続照射を受けている! 現時点で東側外殻の47%が融解、爆発!』 飛び込む念話、加速する思考。 回復しつつある視界の機能を確かめつつ、キャロは現状の把握に努める。 バイドの新手が出現したのか、或いは。 『バイドじゃない、地球軍だ! R戦闘機を視認した! R-11Sだ!』 『有機構造体、爆発炎上中! ヤタガラスです! R-9Sk2 DOMINIONS、確認!』 地球軍。 その名称を認識すると同時、全ての感覚機能が正常化される。 再び、全身を襲う激痛。 身体を見下ろせば、バリアジャケットの其処彼処が赤く染まっている。 そして彼女の胴部、抱え込む様にして回された右腕。 バリアジャケットの一部を掴む掌から上部へと視線を辿らせれば、その先には上腕部の断面が露となっていた。 恐らくは先程の衝撃によって、キャロを抱えていた隊員の腕部が千切れてしまったのだろう。 鮮血を噴き出す腕部の断面を、暫し呆然と見つめるキャロ。 次いで彼女は、何時の間にか自身の傍らへと展開されていたウィンドウ、その存在に気付いた。 反射的に目を凝らせば、視界を通じて飛び込んでくる生存者の位置情報。 恐らくはウォンロンから直接、ケリュケイオンへと干渉し表示されたものだ。 生存者を示す無数の光点、そしてコールサイン。 それらの内、自身を抱えていた人物のバイタルが健在である事を確認し、キャロは知らず安堵の息を吐いた。 しかし直後、別の疑問と焦燥が彼女の思考を支配する。 1度は完全に抑制した筈のそれ。 未だ燻り続け、ともすれば容易く燃え上がる感情。 それに流されるがまま、キャロはその言葉を口にせんとして。 「エリオ君・・・ライトニング01は・・・ッ!?」 直後、キャロの身体は紙の如く吹き飛ばされた。 彼女の華奢な身体に掛かる、明らかに負荷限界を超えた風圧、そして遠心力。 突然の事態に思考が停止するも、視界の端に映り込んだ光景がそのまま記憶へと焼き付く。 青白い閃光の爆発、恐らくはR戦闘機の波動砲による砲撃。 キャロは、その砲撃の余波を受けたのだ。 そうして数秒、或いは後十秒後。 飛翔魔法により漸く身体の回転が収まった頃、キャロの身体は其処彼処に深刻な損傷を負っていた。 右上腕部、感覚麻痺。 胸部に鈍痛、呼吸困難。 咳込むと同時に口部へと当てた掌には、瞬く間に鮮血が溢れ返る。 臓器損傷、それもかなり深刻な度合いらしい。 折れた肋骨が、肺に突き刺さっている可能性が高い。 「は・・・あ、が・・・!」 言葉を口にしようとするも、声を出す事ができない。 そればかりか呼吸を繰り返す度、徐々に胸部が内側より圧迫されてきている。 間違い無い。 肺に開いた穴から空気が胸腔内へと漏れ出し、他の臓器を圧迫しているのだ。 緊急性気胸。 再び咳込むキャロ。 その際の苦しさは、先程の比ではなかった。 呼吸ができない。 喉の奥から血が溢れ、赤黒い飛沫となって無重力中へと吐き出される。 苦しさの余り、何時しかキャロの双眸からは、涙が止め処なく零れていた。 明確に迫り来る、死という終焉。 だが状況は、彼女がショック死するまでに要する僅かな時間、それすらも与えてはくれなかった。 閃光に照らし出される闇の奥、群れを成し渦と化した、数十体もの小型敵性体の影が浮かび上がる。 巨大な挽肉機と化したそれが、キャロを呑み込むべく徐々に迫っていたのだ。 彼女はしかし、十数秒後には自身を微塵と化すであろう刃の壁を、回避する素振りすら無く諦観と共に見詰めていた。 キャロは冷徹に、回避の為の行動を起こすには、既に手遅れであると判断。 飛翔速度は負傷により大幅に減ぜられ、縦しんば回避を実行したとしても、敵性体群は軌道を僅かに修正するだけで事足りる。 逃れる術など、もう残されてはいない。 「エリオ、君・・・」 期待に、応えられなかった。 共に在る事が許されないのならば、せめて期待された役目は果たさねばと誓っていた。 なのに、それさえも果たせなかった。 何処までも惨めで、無意味で、愚かしい。 笑える程に滑稽な最期だ。 パートナーに対する裏切者には、相応しい終わり方かもしれない。 でも、これだけは。 せめてこれだけは、祈らせて欲しい。 大切な人に全てを押し付けてしまった、馬鹿な自分に残された、たった1つの願い。 どうか、幸せになって欲しい。 全てが終わったならば、役立たずの事など忘れて。 今度こそ、本当に信頼できるパートナーと共に。 そして、出来得るならば直接、自らの口で伝えたかった言葉。 「ごめんね・・・」 眼前まで迫った、敵性体群の渦。 キャロは咳込みながらも、静かに瞼を下ろす。 そして衝撃、閉ざされた視界の内に白い光、次いで雷鳴の様な轟音。 自身が吹き飛ばされている事を実感し、考えていた程のものではないな、と訝しく思うキャロ。 身体は、まだ激しく揺さ振られている。 だが、胸部と背面に何かが触れている事を感じ取れた。 知らず安堵を覚える温かさを備えたそれは、宛ら人の身体であるかの様に感じられた。 流れ出た血液の温度を誤認しているのかと、キャロは僅かに瞼を押し上げる。 「・・・え?」 そして、開かれた視界に映り込んだもの。 見慣れたバリアジャケットの肩口、鮮血に塗れ、黄金色の魔力残滓を纏ったそれ。 自身が目にしているものを信じられず、キャロは驚愕に目を瞠った。 同時に、心底より湧き上がる仄かな期待と、それを遥かに上回る恐怖。 相反する2つの思考が、彼女の意識内で鬩ぎ合う。 これは、きっと彼だ。 本当に、そうなのだろうか。 このバリアジャケット、間違いない。 彼が来る筈がない。 来てくれた、嬉しい。 共に在る事など許されないと、そう自身に誓った癖に。 もう一度、最期にもう一度だけ、彼の顔を。 止めろ、見るな、もし彼でなかったら。 「キャロ」 その声が聴覚へと飛び込んだ瞬間、其処が限界だった。 堪え切れず、キャロは顔を上げる。 果たして其処には、此方を見下ろすエリオの顔が在った。 声にもならぬ震えた吐息を漏らすキャロに、エリオは感情に乏しい眼差しを向けている。 そして、続く言葉は。 「ごめん」 直後、キャロの胸部には、ストラーダの矛先が突き立てられていた。 「エリオ・・・」 「ごめん、キャロ」 軽い衝撃、そして胸部から拡がる鈍い痛み、鉄の臭い。 だがキャロは、安堵と共にエリオの名を呼び、その顔に淡い笑みを浮かべる。 同時に彼女は、エリオが満身創痍としか形容できない、余りにも凄惨な傷を負っている事に気付いていた。 左右の脚部が半ばから切断、或いは原形すら残さずに破壊されている。 背面に回されている左腕も、感触からするに半ばより先が失われているのだろう。 それに気付いたからこそ、彼の行動を僅かな疑問すら無く受け入れる事ができたのだ。 エリオは、これ程までに傷付きながらも、自らの任務を放棄しなかった。 なのに、自身は役目を果たせず、こんな処で死の淵に瀕している。 そんな役立たずは、必要無いという事だろう。 否、彼の事であるから表層は兎も角として、内心はそうではないだろう。 恐らくは此方を放っておけず、しかし救う手段も無い事から、せめて苦しまずに逝かせるべきと考えたのかもしれない。 どちらにせよ、有り難い事だ。 バイドや地球軍に殺される事に比べれば、何と幸せな最期だろうか。 どうせ、数分の内に消える生命なのだ。 報いを受けられた事は、望外の幸運である。 このまま、意識を閉じて、そのまま。 「もう大丈夫」 エリオの声。 ふと、キャロは違和感を覚えた。 胸腔内部より生じていた圧迫感が、唐突に消え失せたのだ。 胸部の鈍痛こそ残ってはいるものの、既に呼吸の際に伴う苦痛は大分に薄れている。 「・・・手荒なやり方でごめん。ストラーダで胸部穿孔をやったんだ。大丈夫、臓器は外してる・・・素人治療だけど、他に方法が無かったから」 「何で・・・」 「喋らないで、まだ胸に穴が開いてる・・・小指くらいの。医療魔法で、傷を塞いで。今なら瞬きする間に治る」 エリオの言葉に従い、霞み掛かった意識ながらも医療魔法を発動させるキャロ。 但し、医療対象は自身ではなかった。 彼女が対象と定めた存在は、満身創痍のエリオ。 キャロは自身の治療よりも、エリオの負傷を癒す事を優先したのだ。 だが、その結果は全く予想外のものとなった。 「あ・・・」 「凄いな」 エリオ単体に対して発動した筈の医療用結界が、完全に2人の周囲を覆ってしまったのだ。 結果、完治はしないまでも、急速に癒えてゆく双方の身体。 やはり、異常な治癒速度だ。 数秒の内に胸部の鈍痛、そして違和感までもが消え去り、全身の細かな傷までもが忽ちの内に癒える。 リンカーコアの出力が増大している、それだけでは説明の付かぬ現象だ。 だが、如何なる理由であろうと、身体の違和感が大幅に減じた事だけは確かである。 微かに咳込み、口許の血を拭うと、キャロは改めてエリオを見やる。 自然と零れる、疑問の言葉。 「どうして・・・此処に?」 「管制室との連絡が途絶えてから、外部の状況が其方に伝わっていない可能性を考えたんだ。あの敵性体の情報も伝える必要が在る、と思ったんだけど」 エリオは言葉を切り、視線を上げる。 つられて彼と同じ方向を見やれば、闇の彼方に浮かび上がるベストラの外殻。 闇の中で巨大構造物を照らし出す光源は、外殻の至る箇所より撃ち上げられる直射弾と魔導砲撃、更には無数の質量兵器群が放つ砲火、そして無数の爆発。 その中でも一際巨大な紅蓮の閃光は、ヴォルテールが放つギオ・エルガだ。 だが直後、外殻から幾分手前の空間で、紫電の光が爆発する。 衝撃、そして防音結界が意味を成さない程の轟音。 エリオがストラーダによる姿勢維持を行っている為か、2人は僅かな距離を吹き飛ばされる程度で済んだ。 再度に視線を向けた外殻上では、撃ち上げられる攻撃の密度が明らかに低下している。 先程の閃光、恐らくは波動砲による砲撃であろうが、外殻を狙ったものではなかったらしい。 しかし、その余波は外殻上に展開する此方の戦力、それらを害するには十二分なものであったのだろう。 直接的に狙われたのであろう敵性体群は、文字通り塵すらも残されてはいまい。 「思い上がりだったみたいだ。これ以上なく上手くやっているよ・・・地球軍さえ出てこなければ、もっと良かったんだけど」 「どうして?」 「だから、情報を・・・」 「どうして・・・?」 其処で漸く、エリオも気付いたのだろう。 キャロが、今にも泣き出しそうな表情をしている事に。 余程に想定外の事であったのか、戸惑いの表情を浮かべるエリオ。 だがキャロには最早、彼の動揺を気遣うだけの余裕は無かった。 どうして、来てしまったのだ。 共に在れないから、傍には居られないから、自らの意思で歩み寄る事を諦めたというのに。 どれ程に望んでも叶わぬ願いだから、二度と陽の当たらぬ奥底へ封じ込めてしまおうと思っていたのに。 彼と共に在れない事を考えるだけで、彼の心を踏み躙ってしまった事を思い出すだけで。 それだけで、死んでしまいたいとまで思った事すら在るけれど。 それでも、如何なる形であれ、彼が自身に生きる事を望んでいるのだから。 せめて、彼の望むキャロ・ル・ルシエとして。 自身の生命すら秤に掛ける事のできる、優秀で冷徹な指揮官であろうと誓ったのに。 「キャロ・・・?」 「どうして・・・っ!」 今なら、間に合う。 一言、たった一言。 自身が望む言葉を、言ってくれるだけで良い。 否、同じ意味なら、どんな言葉でも良い。 指揮を執れ、味方と合流しろ、竜達を動かせ、迎撃を続行しろ。 此処に居るな、戦場に向かえ。 そう言ってくれれば、1人でも戦える。 彼がそう言ってくれるのならば、たった独りでも歩んでいける。 彼が、そう願うのならば。 「どうしてッ!」 「キャロ」 頭頂部に置かれる手。 エリオの右手だ。 思わず言葉を止めるキャロの目前、困った様な笑みを浮かべているエリオ。 そして、彼が告げた言葉。 「間に合って、良かった」 滲み、ぼやけるエリオの顔。 もう、耐えられなかった。 大粒の涙が頬を伝い、零れ落ちている事を感じながら、キャロは声を上げて泣く。 戦場の直中に在りながら、周囲は異様なまでに静かに感じられた。 無数の閃光が爆発し、リンカーコアに異常な負荷が掛かる程の魔力の余波を感じ取りながらも、それら全てが存在しないかの様に泣き続ける。 自身が何かを叫んでいる様にも思えたが、如何なる言葉を紡いでいるのかは当のキャロにも分からない。 ただ、胸中に渦巻いていたあらゆる感情、その全てをぶつけているのだという事だけは理解していた。 エリオは、何も言わない。 彼は無言のまま、自身の胸に顔を埋めて叫び続けるキャロ、その髪を撫ぜ続けていた。 何時かのスプールス、タントやミラと共に過ごした優しい時間。 その時に触れたものと寸分違わぬ、優しい手。 だからこそキャロは、更に声を上げて叫び続ける。 彼の表情、彼の目、彼の言葉、彼の声。 其処に込められた真意を理解してしまったからこそ、更に増す涙と共に泣き続ける。 彼は、自身が指揮官である事など、望んではいない。 殺し合いの直中に身を置く事など、望んではいないのだ。 彼が望んでいる事は、余りにも優しく、しかし余りにも残酷な事。 生きていて欲しい。 それがキャロに対する、エリオの願い。 出来得るならば戦いの場を離れて、幸福に生きて欲しい。 何ともありふれた、しかし如何にも彼らしい、優しく温かい願い。 何時か2人が共に願った、何時か未来に訪れるであろう日々を想う、幸せな祈り。 嘗てと同じそれを、彼は今も願い続けていてくれたのだと、キャロは悟った。 だが、その願いは優しくも、同時に最も残酷な形へと変貌を遂げていたのだ。 エリオが思い描く、自身の幸福。 その傍には、彼が居ない。 彼の存在が、何処にも無いのだ。 此方の幸せを願いながら、その隣に彼自身が寄り添う事など有り得ないと、そう結論付けてしまっている。 それが、此方を疎ましく思っての結論ならば、どれ程に救われた事か。 此方を見やる、彼の目。 その眼差しは嘗てと何ら変わり無く、未だに自身を、護るべき人、大切な人として捉えているそれ。 それ程に此方を想ってくれている癖に、此方が彼を想っている事すら知っている癖に。 彼を傷付けてしまった事を悔いている事にさえ、疾うに気付いている癖に。 彼は、それを受け入れられない。 彼は、恐れている。 共に在る事を受け入れてしまえば、二度と槍を振るう事など出来ぬと。 タントやミラ、その子供の生命を奪いながら、それを悔いる事も出来ぬ自身。 家族同然であった人々の死を悼む事すらできぬ自身が、大切な人の想いを受け入れる事が出来ようか。 縦しんば想いを受け入れ、自身が彼等の生命を奪った事を悔いてしまったならば、それ以後に槍を振るう事など出来る訳がない。 そうなれば自身は、間違い無く過去の罪に押し潰される。 自身の槍を振るい、大切な人を護る事すら出来なくなる。 その恐怖に、彼は全霊を以って抗っているのだ。 だからこそ、彼は。 護る為に。 只管に、護る為に。 「キャロ・ル・ルシエ」を護る槍、それを振るい続ける意思を失わないが為に。 「エリオ・モンディアル」はいずれ、自分の傍から消える心算なのだ。 「・・・ごめんね、キャロ」 優しい声。 これまでの距離を埋めようとするかの様に、キャロはエリオの胸で泣き続ける。 不思議と彼女には、今のエリオの胸中が我がものであるかの様に理解できた。 そして同時に、エリオもまた自身の心を覗いているのだと、そう確信している。 理由は解らないが、知ろうとも思わない。 離れていた心は繋がった。 だが、其処に浮き彫りとなったものは、決して共に歩む事の出来ぬ未来だけ。 2人が離れる未来を、エリオは納得尽くで受け入れているのだ。 だが、キャロはそうではない。 納得などしておらず、する心算もない。 2人の想いは、擦れ違ってなどいないのだ。 ならば何故、離れなければならないというのだ。 そんな答えなど、納得できる筈がない。 だからこそ、彼女は誓う。 波動粒子にも似た青い光の粒子が舞い踊る中、言葉にならない嗚咽を零しながらも、涙に濡れた目で以ってエリオを睨み据えるキャロ。 そうして、驚いた様な表情を浮かべる彼に向かい、宣言する。 声と、念話と、繋がった心と。 それら全てで以って「宣戦布告」を行うのだ。 「槍なんて振るわなくていい! 護る事だってしなくていい! ただ傍に居てくれれば、それだけでいい!」 「キャロ・・・?」 「エリオ君は何も悪くない! タントさんやミラさんの事だって、誰の所為でもない! 何もかもみんな、あの星と管理世界から始まった事なのに! ずっと未来の、まだ生まれてもいない人達から始まった事なのに!」 「キャロ、落ち着いて・・・!」 『離れなきゃ護れないのなら、護らなくていい! そんな幸せ要らない! 貴方を傷付けながら生きて往くくらいなら、此処で死んでしまった方がいい!』 双方の声は次第に、音とは異なるものへと変貌してゆく。 だがキャロは、気付かない。 熱に浮かされた様に叫び続ける彼女は、周囲の空間そのものが歪み始めた事ですら、知覚の外へと追い遣っている。 急激に高まる、空間中の魔力密度。 火花の如く弾ける、青い魔力素の光。 『そうでなければ駄目なの!? 誰かが戦わなければ、他の誰かが幸せになる事すら許されないの!?』 『キャロ、止めるんだ!』 『そんな世界なんて要らない! 誰かが不幸にならなきゃ存続できない世界なんて、護りたくない! そんな世界、私は絶対に認めない! そんな、そんな・・・!』 其処で、何かに気付いたのだろう。 エリオは、その表情に焦燥の色を浮かべ「両手」でキャロの肩を掴んだ。 彼が目にしている光景、それはキャロにも「伝わって」いた。 彼の視覚が、聴覚が、意識が。 余りにも鮮明に、宛ら我がものであるかの如く、キャロの意思へと投影されている。 より広範囲に亘り可視化する空間の歪み、キャロの周囲へと集束する青い光の粒子。 何らかのエネルギーが、彼女を中心として集束を始めていた。 周囲を埋め尽くす、青白い光。 その光景は、余りにも似過ぎている。 波動砲、波動粒子の集束。 此処だけでなく、背後のベストラ外殻上、その其処彼処でも同様の現象が起こっているらしい。 外殻上の数十ヶ所で、青白い光が膨れ上がっている。 異常な光景を視界へと捉え、驚愕と焦燥の念を抱くエリオ。 そしてキャロもまた、エリオの意識を通じて、その光景を認識していた。 それでも、彼女の言葉は止まらない。 彼女の「願い」は止まらない。 そして、極限まで圧縮された魔力素、無数の青い魔力球が周囲の空間を埋め尽くした、その瞬間。 『そんな世界、壊れてしまえばいい!』 閃光と共に、世界が「壊れた」。 * * 閃光と共に消滅する、ドブケラドプスの幼体。 自身の背後に位置していたその個体は、遠方より放たれた直射魔導砲撃の直撃を受け、僅かな塵すら残さずに消失したのだ。 光条が消え去った後、残されたものは僅かに漂う魔力素の粒子のみ。 僅か1秒にも満たぬ事態の推移を、彼女は咄嗟に背後へと振り返ろうとした姿勢のまま、呆然と見つめていた。 『・・・大丈夫だったか?』 意識へと飛び込む念話。 砲撃を放った魔導師からのものだ。 此方を気遣いつつも何処かしら戸惑いの色を含んだそれに、彼女もまた若干の混乱を滲ませた念話で以って返す。 ただ、その内容は問い掛けに対する返答ではなく、相手に対する新たな問い掛けだった。 『どうやって、気付いた?』 それが彼女、ヴィータの脳裏に浮かんだ疑問。 急激な魔力出力の上昇、それに伴う一時的な感覚の混乱。 その現象は、彼女に致命的な隙を生じさせるには、十分に過ぎるものであった。 そうでなくとも、ベルカ式魔法の使い手であるヴィータは、高速にて飛翔する小型敵性体群への対処に手間取っていたのである。 僅かな集中の乱れは、遂に最悪の事態を招いてしまったのだ。 背後、排水口が詰まった際のものにも似た、不快な異音。 頭部を廻らせ、視界の端にそれを捉えた時には、既に事態は手遅れだった。 ドブケラドプス幼体、背後に占位、砲撃態勢。 しかし、極強酸性体液の奔流が、ヴィータを襲う事はなかった。 突如として空間を貫いた、直射魔導砲撃。 なのはのディバインバスターにも匹敵するそれが2発、僅かに数瞬の差異を以って飛来したのだ。 幼体は先ず下半身を、次いで残された上半身を消し飛ばされて消滅。 そうして、ヴィータは砲撃が飛来した彼方へと視線を遣り、今に至る。 気付く筈がないのだ。 ヴィータは念話を発しつつ戦闘を行っていた訳ではなく、咄嗟に援護を求める事など不可能であった。 そして、周囲の其処彼処で戦闘が行われてはいたものの、混乱の中で味方との連携など保たれてはいなかった。 偶然にヴィータの危機を目にしたのだとしても、それこそ彼女と殆ど同時に敵性体の存在に気付かなければ、あのタイミングでの砲撃など不可能である筈だ。 だが、彼は気付いた。 信じ難い事ではあるが、彼はヴィータとほぼ同時に敵性体の存在を察知し、反射的に砲撃を放つ事で彼女を危機的状況より救い出したのだ。 本来であれば、戦闘の最中に起こった幸運な偶然で片付けられる、その程度の出来事。 しかし、それが決して偶然などではない事に、ヴィータは気付いていた。 『お前、さっき「避けろ」って言ったか?』 『アンタ「ヤバい」って叫ばなかったか?』 双方より同時に発せられる問い。 その内容に、ヴィータは独り納得すると同時、驚愕を覚える。 やはり、気の所為などではなかった。 砲撃の主はヴィータの意識を読み、ヴィータもまた相手の意識を読み取っていたのだ。 『何だ、こいつは。念話の術式が暴走でもしたか?』 『そんなの聞いた事も無い。やっぱり、この青い魔力素が原因か』 念話を交わしつつ、ヴィータは周囲へと視線を奔らせる。 自身の周囲へと纏わり付く、青白い光を放つ魔力素の粒子。 何時からか身体へと帯び始め、次第に密度を増しゆくそれに対し、しかし何故か警戒感を抱く気にはなれなかった。 それどころか、密度が高まるにつれリンカーコアの魔力出力は更に増大し、更には全身の傷までもが癒え始めたのだ。 『本当に何なんだ、コレ・・・リンカーコアの出力増大も、ひょっとしてコイツが原因なのか』 『知るか、そんな事。大体、悪影響どころかこっちが有利に・・・敵機、接近!』 瞬間、またしても混濁した意識中に映り込む、白い機体の影。 「R-11S TROPICAL ANGEL」 ランツクネヒトの機体、ヴィータの背後から突進してくる。 「くそッ!」 悪態をひとつ、反射的に飛翔魔法を発動、瞬時に20m程を移動し衝突を回避するヴィータ。 巨大な風切り音と共に、宙空を突き抜けてゆくR戦闘機。 ヴィータは衝撃に吹き飛ばされながらも、咄嗟に鉄球を構築しグラーフアイゼンを叩き付ける。 シュワルベフリーゲン。 常ならば4個までである鉄球の同時構築数は、瞬間的な生成にも拘らず30を優に超えていた。 それらの鉄球はハンマーヘッドが打ち付けられるや否や、ライフル弾の如き速度で射出されR戦闘機を追う。 R戦闘機群の機動は、妙に鈍い。 真相は定かではないが、何らかの制約が掛かっているかの様に、以前の常軌を逸した機動性が鳴りを潜めている。 しかし、如何にR戦闘機群の機動性が異様なまでに落ち込んでいるとはいえ、鉄球の速度はR-11Sへと追い縋るまでには到らない。 瞬間的に亜光速へと達するような異常極まる機動こそ行わないものの、閉所ですら音速の数倍で飛行可能という信じ難い速度性は未だに健在なのだ。 鉄球が苦も無く引き離され、瞬く間に振り切られた事を確認するや否や、再度ヴィータは悪態を吐いた。 「くそったれ!」 『諦めろ。あれを撃ち墜とすには最低でも極超音速クラスのミサイルを用意するか、さもなきゃクラナガンみたいに砲撃魔法の乱れ撃ちでもするしかないぜ』 「じゃあやれよ! お前も砲撃魔導師だろうが!」 『たった1人で乱射なんぞできるか。こっちは機械じゃないんだ、タイミングを合わせるのだって一苦労なんだぞ』 「だからって・・・ああ、クソ!」 またもや、闇の彼方に白い影。 防音結界をも無効果する程の轟音が周囲を埋め尽くし、至る箇所で波動粒子と魔力素の青い光が爆発、明滅を繰り返している。 どうやらR戦闘機群は有機構造体の奥より押し寄せる無数のバイド生命体群を殲滅しつつ、折を見てベストラへと攻撃を加えているらしい。 詰まる所、此方との交戦は片手間で事足りると判断されているのだ。 その事実が、ヴィータには面白くない。 「畜生どもめ・・・」 忌々しげに呟き、自身の頭部を上回る大きさの鉄球を構築する。 コメートフリーゲン。 炸裂型の大型鉄球を打ち出し、制圧攻撃を行う中距離射撃魔法。 だが、嘗てはあらゆる敵に対し暴威を振るったこの魔法も、R戦闘機が相手では分が悪い。 幾らリンカーコアが強化されていようとも炸裂範囲の拡大には限界が在り、それこそ超高速性と高機動性の双方を有するR戦闘機群に対しては、半ば運任せで起爆する以外には運用の手立てなど無いだろう。 「もっと派手に吹っ飛ばせりゃあ・・・」 知らず、零れる呟き。 更なる爆発力、効果範囲が欲しい。 巨大な、それこそ空間を埋め尽くすほどの爆発を起こせるのならば、撃墜には到らずとも1機か2機の敵機に損害は与えられるだろうに。 「え・・・?」 瞬間、自身の周囲、膨大な量の魔力が集束する感覚。 突然に襲い掛かった異常な感覚に驚き、ヴィータは周囲を見回す。 何も変わりは無い、阿鼻叫喚の戦場。 今の感覚は何だったのかと、視線を正面へと戻す。 「何だ・・・」 それは、気の所為であったのか。 宙空に浮かぶ鉄球、自身が生成したそれが、青白く発光していた様に見えたのだ。 しかし、それも一瞬の事。 幾ら凝視しても、其処には何の変哲もない黒々とした鉄球が浮かんでいるだけだ。 「まさか、だよな・・・?」 恐る恐る、自らが生み出した鉄球へと触れる。 冷たい。 その単なる鉄球からは、自身が込めたそれ以外には魔力を感じ取る事ができなかった。 次の瞬間、頭上から襲い掛かる爆音。 反射的に上を見やれば、どうやら第17層外殻周辺にミサイルが着弾したらしい。 外殻上から噴き上がる業火、散発的な魔導弾の応射。 そして、外殻上を舐める様にして飛行し、次いで離れゆく白い影。 その光景を目にし、ヴィータは自身の迷いを強引に振り払う。 「あの野郎ッ、逃がすか!」 瞬時に鉄球から距離を置きつつ、グラーフアイゼンをギガントフォルムへと移行。 闇の奥に浮かび上がるR戦闘機の機影は、再び外殻上へと接近しようとしている。 此方の行動に気付かない事など有り得ないのだが、特に回避行動へと移行する様子は無い。 直撃などする筈もなく、縦しんば炸裂型であったとしても、効果範囲に捉えられる虞は皆無。 そう、判断されたのだろう。 ヴィータの意識を塗り潰す、憤怒と殺意。 彼女は、その負の感情に駆られるがまま、圧倒的質量の鉄槌を振り被る。 そして、咆哮。 「くたばれぇぇェェッ!」 魔力により強化された渾身の力で以って、巨大なハンマーヘッドが振り抜かれる。 大気を押し退けて空を引き裂いたそれは、鉄球を打撃面の中心へと的確に捉え、火花と轟音とを撒き散らしつつ砲弾の如く打ち出した。 ヴィータの魔力光による赤い光の尾を引き、闇の彼方へと消えゆく鉄球。 しかし、質量兵器の弾速には到底及ばぬ速度のそれを、R-11Sらしき影は苦もなく回避し、更に爆発効果範囲より容易に脱してしまう。 判り切っていた結果とはいえ、悔しさに表情を歪めるヴィータ。 その、直後。 「な、うあッ!?」 核爆発もかくやという閃光が、ヴィータの視界を完全に覆い尽くした。 「うあああぁッ!」 意識を破壊せんばかりの爆音、襲い来る巨大な衝撃と圧力の壁。 ヴィータは数百mに亘って吹き飛ばされ、漸く姿勢の安定に成功する頃には、既に意識が朦朧としていた。 だが、その意識を覆う霞さえも異常な治癒速度によって、身体異常と共に数秒で拭い去られてしまう。 そうして、再度に覚醒したヴィータは、改めて眼前に出現した爆発の残滓へと意識を向けた。 其処で、気付く。 「おい、まさか・・・」 視界を覆い尽くす、爆炎の残滓。 それは、想像していた様な紅蓮の炎ではなく、波動粒子にも似た青白い炎によって形成されていた。 そして、物理的な痛覚すら伴ってリンカーコアを圧迫する、余りにも膨大に過ぎる量の魔力素。 時折、残された業火の間を奔る紫電の光は、炎と化した青白い魔力素が結合して発生した魔力性の放電らしい。 そして、何よりも信じ難い事実。 周囲へと拡散する爆炎の一部、青白い光を放つ魔力残滓。 それらは紛れもなく、ヴィータ自身の魔力を内包していた。 青白い光を放つ粒子が消えゆく際に、明らかにヴィータの魔力光と判る、赤い光の残滓が拡散しているのだ。 「アタシが・・・やったのか? あの爆発が?」 呆然と、周囲を見回すヴィータ。 明らかに混乱していると分かる念話が間を置かずに飛び交い、現状を把握しようと各方面から報告が押し寄せる。 全方位へと発せられるそれらを拾いつつも、ヴィータは行動を起こすでもなく硬直していた。 『今の爆発は魔力か、誰がやったんだ!?』 『R戦闘機が爆発に巻き込まれたぞ! 誰か、敵機の状態を!』 『報告! R-11S、1機の撃墜を確認! バラバラだ、跡形も無い! もう1機が爆発に巻き込まれた様だが、そっちは逃げられた!』 R-11S、1機を撃墜。 その事実が、混乱へと更に拍車を掛ける。 だが状況はヴィータに、何時までも呆けている事を許しはしなかった。 『後ろだ、馬鹿!』 三度、意識の混濁。 ヴィータの背後、R-11S接近中。 相も変わらずの高速性だが、先程と比較すると幾分か遅く感じられる。 装甲の破片を撒き散らしている事から推測するに、恐らくはコメートフリーゲンによる爆発に巻き込まれたという、もう1機のR-11Sなのだろう。 幾分か速度が落ちている事から、回避は可能であろうと思われた。 だが、飛翔魔法を発動した直後に、予想外の衝撃がヴィータを襲う。 「あ、がッ!」 『おい!?』 電磁投射砲だ。 R戦闘機に標準装備されている、機銃型兵装。 波動砲への警戒が先行し、この兵装の存在を失念していたのだ。 そう思い至った時には、ヴィータの背面はバリアジャケットごと切り裂かれていた。 直撃ではなく、弾体通過の余波によるものだ。 縦しんば弾体が直撃していれば、今頃ヴィータの身体は粒子にまで細分化されていた事だろう。 「う・・・う・・・!」 『後ろに飛べ!』 念話での警告。 ヴィータは背面の激痛に呻きながらも、警告に従い咄嗟に後方へと飛ぶ。 直後、眼前を掠める、余りにも巨大な青い砲撃。 轟音に聴覚が麻痺し、撒き散らされる衝撃波によって更に後方へと弾かれつつ、ヴィータはそれが波動砲による砲撃であると判断する。 しかし、違和感。 何故、R-11Sとは反対の方向から、波動砲が放たれたのか。 他のR戦闘機による砲撃であったとして、波動粒子弾体が突き進む方向には、先程ヴィータを攻撃したR-11Sが飛行中である。 これでは、宛らR戦闘機を狙っての砲撃ではないか。 心中に浮かんだ疑問にヴィータが行動を起こすよりも早く、その答えは味方からの念話によって齎される。 『R-11S、更に1機の撃墜を確認! 今の砲撃は何だ、誰が放ったんだ?』 『さっきの爆発と同じ魔力光だ!』 『魔力残滓が緑色よ。爆発の時とは別人だわ』 それら念話の内容にヴィータは数瞬ほど呆け、次いで砲撃が飛来した方向へと視線を向けた。 その方向には、先程からヴィータとの間で意識の混濁を生じている砲撃魔導師、彼が居る。 推測ではなく、確信だ。 意識の混濁は続いており、半ば混乱している彼の思考までもが、この瞬間もヴィータの意識中へと流入しているのだから。 『・・・今の、お前の砲撃か?』 『その言葉からすると、さっきの爆発はアンタで間違い無いんだな?』 交わす念話は、それだけで済んだ。 同時に互いが、一連の現象について確信を得た事を知る。 コメートフリーゲンの爆発も、先程の砲撃も。 第三者からの介入によって、本来ならば有り得ない爆発力の付与、射程および破壊力の増大が為されていたのだ。 あの大量の魔力素、誰のものでもない青白い魔力光。 『・・・もう退がった方が良い。背中をやられてるんだろ? 治癒能力が向上しているとはいえ、医療魔法も無しじゃ遠からず死ぬぞ』 『要らねえよ。アタシは他人とは、ちょっとばかり身体の造りが違うんだ』 『成る程。ヴォルケンリッター、魔法生命体か』 自身の正体に関する発言。 だが、ヴィータは動じない。 意識の混濁が更に深部へと及び始めている現状、いずれは知れる事と予測していたのだ。 更に言えば、相手の素性もまた、ヴィータの知る処となっている。 隠蔽しようと望めば、恐らくは可能なのだろう。 だが、相手は特に隠す処も無く、情報を曝け出している。 ならばヴィータも、自身に関する情報を隠す気にはならなかった。 何より、この状況下で互いの素性を知った処で、其処に何の意味が在るというのか。 『そういうお前は、反管理局組織か。潜入工作とは恐れ入るぜ』 『元、だけどな。今となっては宿無しだよ。それよりアンタの身体、今じゃ殆ど人間と同じになってるんだろ。さっさと戻って治療を受けろよ』 『要らねえって言って・・・おい、どうした?』 突然、相手の意識がヴィータから逸れる。 互いの意識が剥離した事から推測するに、どうやら高次元での意識共有を維持する為には、常に互いの存在を認識しておかねばならないらしい。 そして数秒後、再度に意識が共有される。 『ああ、その・・・たぶん、問題発生だ』 『何がだ・・・いや、いい。こっちにも見えてる。確かに大問題だ』 『だろ?』 ヴィータは背後へと振り返り、巨大有機構造体の壁を見やった。 共有される視界、総合的に齎される各種情報。 無数の念話が、慌しく奔り始める。 『あれは・・・嘘だろ、何でこんな時に!』 『警告! 総員、直ちに北部外殻近辺より退避せよ! 未確認大型敵性体、接近中!』 『未確認? 新種の敵性体か?』 闇の中に蠢く、赤い光。 鋼色の異形が時折、構造物の陰より覗く。 ヴィータは、確かにそれを見た。 何かが、此方を覗き込んでいる。 有機構造体の奥、得体の知れない存在が、此方の動きを窺っているのだ。 『おい、何なんだ!』 『分からない。だが、あの奥に何かが居る・・・くそ、幼体だ! 幼体の群れが出やがった!』 『私達にも見えています! 砲撃が来る!』 『射線上の連中、こっちの考えは通じているよな? 其処を退け、撃つぞ!』 無数に交わされる念話、それらの内容。 やはり其処彼処で、味方間での意識共有が発生しているらしい。 そして、外殻上より放たれる、無数の魔導砲撃。 それら全てが青白い光を放ち、Sランクの砲撃魔導師ですら在り得ない程の、魔導兵器による砲撃にも匹敵する魔力の奔流となって、敵性体群へと襲い掛かる。 更に数秒後、着弾した砲撃が連鎖的に炸裂。 信じ難い範囲での魔力爆発が、有機構造体すらも細分化してゆく。 その光景を前に、ヴィータは堪らず叫んでいた。 「何なんだよ、これは! アタシ達に何が起こってるっていうんだ!?」 『知らねえよ! クソッたれ、身体が魔力炉にでもなった気分だ!』 『敵性体、更に接近中・・・駄目です、多過ぎる!』 魔力爆発によって殲滅された幼体群。 だが構造体の奥からは、更なる敵性体群が迫り来る。 その総数は、これまでに撃破した敵性体の総数、それすらも上回るだろう。 バイドが有する、無尽蔵の模倣能力。 その脅威が、眼前へと迫り来る。 R戦闘機群は2機が撃墜された事により、バイドと此方を潰し合わせる方針へと移行したのか、何処かへと消え事態を傍観しているらしい。 魔導資質が強化されているとはいえ、既に状況は生存者の手による対応が可能な範囲を逸脱していた。 『退却だ! 総員、ベストラより離脱しろ!』 『それで何処へ行けっていうんだ? ウォンロンはどうした、外部からの救援は?』 『ウォンロンは後方より出現した敵性体群と交戦中、外部艦隊による救援は絶望的だ!』 『おい、聞いてなかったのか? 向こうは駄目だ、挟み撃ちになってしまう!』 『それなら何処へ!?』 ヴィータは、ハンマーフォルムとなったグラーフアイゼンを肩に担ぎ、深い溜息を吐く。 彼女は、疲れていた。 これからどうすべきかと思考し、主の許へと戻ろうかと思い立つ。 事態が好転する様子など無く、この場を生きて切り抜けられる可能性は限りなく低い。 ならば最後くらいは、はやてと共に在ろうかと考えたのだ。 だが、その思考は思わぬ声によって中断する事となった。 「随分と悲観的な考えですね、副隊長」 背後から響いた声に、ヴィータは咄嗟に振り返る。 其処に、彼女は居た。 無重力中に漂う、赤味掛かった栗色の髪。 右手には拳銃型のデバイス、白と黒の配色が施されたバリアジャケット。 醒めた様に此方を見つめる、紺碧の瞳。 「気弱になっているんですね。似合いませんよ」 嘗ての部下、ティアナ・ランスターが其処に居た。 「ティアナ、お前・・・」 「ああ、キャロから聞いているんですね。御蔭さまで無事、戦線に復帰できました」 ヴィータの声に対し、身動ぎすらせずに答えるティアナ。 彼女の素振りに重傷を負っている様子は無く、キャロから聞かされていた負傷は既に完治しているものと思われた。 だが、それとは別の違和感が、ヴィータの胸中へと生じている。 「お前、何で・・・」 「私の意識が読み取れない理由ですか? 簡単です。この現象を起こしているのは、他ならぬ「私達」だからです」 「私達?」 轟音、絶叫。 有機構造体の方向へと振り返るヴィータ。 先の砲撃によって構造体の一部が千切れ、其処から無数の敵性体が此方へと押し寄せて来る。 宛ら洪水の様に迫り来る敵性体群の影に、ヴィータは他の念話を全て無視してティアナへと叫ぶ。 「訳の解らない事ばかりだけど、話は後だ! とっとと此処からずらかるぞ!」 「いいえ、その必要は在りません」 思い掛けない否定の言葉。 思わずその場に留まり、ティアナの顔を見つめるヴィータ。 相変わらず、感情の読めない瞳で以って此方を見やるティアナは、何処かしら作り物めいて見える。 余り愉快ではない想像を振り払おうとするヴィータに対し、ティアナは続けて言葉を紡いだ。 「そうですね、ある意味では作り物といえるかもしれません。私自身はもう、これがハードウェアという訳ではありませんから」 「お前、さっきから何を言ってるんだ? 良いから逃げろ、死にたいのか!」 此方の思考を一方的に読みつつ、現状を無視するかの様な発言を繰り返すティアナに、ヴィータは苛立ちと不安感を募らせる。 目前の人物は、本当に自身が知るティアナ・ランスターなのか。 そんな疑問が、脳裏へと浮かんでは消えてゆく。 だが、彼女はそんな思考を振り払うと、強引にティアナの腕を掴んだ。 「来い! はやて達と合流して逃げるぞ!」 「ですから、必要ないと言っているんです。救援は、もう到着していますから」 救援は到着している。 その言葉を耳にし、ヴィータは一瞬ながら動きを止めた。 ティアナの言葉、その意味する処を理解する事ができなかったのだ。 そして直後、視界の全てを埋め尽くす、白光の爆発。 「があッ!」 全身が砕けんばかりの衝撃。 奪われる視界、麻痺する聴覚。 数秒、或いは十数秒後であろうか。 漸く視覚が回復してきた頃、ヴィータは目元を覆っていた手を退かし、周囲を見渡す。 そして目にしたものは、信じ難い光景。 「何が・・・どうなってんだ?」 ベストラの周囲を埋め尽くす、100隻を優に超えるXV級次元航行艦。 「言ったでしょう。「救援」だって」 「まさか・・・救援要請は・・・」 「ええ、成功しました。彼等は本局の防衛に就いていた、管理局の艦隊です。救援要請を受けて、被災者を救助する為に此処まで来たんです。本来は合流まで、あと数時間は掛かる筈でしたが」 完全に消失した巨大有機構造体、そして敵性体群。 つい先程までそれらが存在していた空間を見据えつつ、ヴィータは何が起こったのかを理解した。 先程の閃光、恐らくはアルカンシェルによる戦略魔導砲撃だ。 あんなものを受ければ、バイド生命体とて一溜まりも在るまい。 接近中であったドブケラドプス幼体群は、文字通りに塵も残さず消滅したのだ。 飛び交う念話、歓喜に満ちたそれら。 だがヴィータには、喜びを分かち合う事よりも、更に気に掛かる事柄が在った。 「ティアナ。お前、アタシ達に何が起こっているのか、知っているのか」 「ええ」 「それは、お前がやっている事なのか」 「はい。「私達」がやっている事です」 「「私達」ってのは、誰の事だ」 「私とスバル、ノーヴェの3人・・・「3機」の事です」 ティアナへと視線を移すヴィータ。 彼女は相変わらず、無表情のままに其処に在る。 歯軋りをひとつ、ヴィータは更なる問いを投げ掛ける。 「艦隊の到着は、本来ならあと数時間は掛かると言ったな。あれはどういう意味だ」 「そのままの意味です。彼等はまだ、第10層を通過している最中だった。それを、貴方達が此処へ「呼んだ」んです」 「・・・さっきから訳が解らない事を。呼んだってのはどういう事だ、何を意味してる? お前等は私達に、いいや・・・「何に対して」何をしたんだ!?」 ティアナの眼を正面から鋭く睨み据え、幾分か声を荒げるヴィータ。 ティアナとスバル、そしてノーヴェは「何か」をしている。 その「何か」は個人の魔導資質および魔導機関を無差別に強化し、魔法技術体系にとって有利な状況を作り出しているのだ。 だが、如何にしてそれを成し遂げているのか、そして「何か」とは具体的にどの様な事なのか、核心たる情報が一切に亘って齎されていない。 心強さよりも不信感が勝る事は、自然な成り行きと云えた。 だからこそ、自身の胸中に蟠るそれを払拭しようと、ヴィータは更に問いを投げかけようとして。 「少し、世界に干渉しただけです。皆の「願い」が叶う様に」 ヴィータは、続く言葉を呑み込んだ。 「願い」。 そのティアナの発言に、彼女は呆気に取られて黙り込む。 だが、続くティアナの言葉は、忽ちの内にヴィータを覚醒させた。 「ジュエルシードって、御存知ですよね?」 「・・・ああ、勿論」 「所有者の「願い」を叶える宝石。スクライア族が発掘し、次元航行艦の事故によって第97管理外世界へと拡散した後、次元犯罪者プレシア・テスタロッサ・・・フェイトさんの実母によって奪取されたロストロギア」 「お前・・・ッ!」 何故それを、何処まで知っているのか。 激昂し掛けるヴィータであったが、何とか今にも掴み掛かろうとしていた自身の手を下ろす。 無駄だと悟ったが為の、諦観を含んだ抑制。 恐らくティアナは、此方の記憶を仔細漏らさず把握しているのだろう。 ならば、何を知っていても不思議ではない。 「プレシアは、娘であるアリシア・テスタロッサの死体を蘇生する為に、ジュエルシードを欲した。彼女の「願い」を叶えようとしたんです。結局は邪魔されて、実現されなかったけれど」 「・・・アイツ等が間違っていた、とでも言うのかよ」 「まさか。どんな要因が絡んだのであれ、プレシアは制御に失敗した。それだけが事実です」 ティアナが頭部を傾け、背後の管理局艦隊へと横目に視線を投じる。 同じくヴィータも其方を見やれば、XV級に紛れた数隻の支局艦艇から無数の魔導師が飛び立ち、此方へと向かっていた。 その中に、見慣れた黒いバリアジャケットと赤い髪を見出し、彼女は僅かな安堵と共に息を吐く。 接近する魔導師達へと視線を固定したまま、言葉を紡ぐティアナ。 「僅か9個のジュエルシードでは、直接的に彼女の「願い」を叶える事はできなかった。では逆に21個のジュエルシード、その全てが彼女の手元に在ったのなら? 彼女の「願い」は、問題なく叶えられたと思いませんか?」 「・・・いい加減に黙れよ、テメエ。それとも」 「全てのジュエルシードが在れば、リインフォースを救えたとは思いませんか」 瞬間、ティアナの頭部付近から、甲高い衝突音が響く。 無表情のまま微動だにしないティアナ、驚愕に眼を瞠るヴィータ。 ティアナの左側頭部を狙って振り抜かれたハンマーヘッドが、一切の前触れ無く空間中に現れた、青い薄層結晶構造体によって進行を遮られていた。 衝突音は、結晶構造体とハンマーヘッドが接触した際に発せられたものだ。 想定外の事態に硬直するヴィータを余所に、ティアナは表情を変えないまま左耳部に掌を当てる。 「非道いですね。鼓膜が破れましたよ」 「お前っ、それ・・・!」 「気付きましたか。そうです、これはジュエルシードですよ」 言いつつ、ティアナはグラーフアイゼンによって砕かれた薄層結晶構造体の一部、指先ほどの大きさとなった欠片を手にした。 それを、ヴィータへと差し出す。 呆然と、思考すら殆ど停止したまま、それを受け取るヴィータ。 次いで、自身の手の内に在るそれへと視線を落とし、彼女は背筋に怖気が奔った事を自覚する。 間違い無い。 オリジナルより遥かに小さく、また不格好ではあるが、紛れも無くジュエルシードだ。 この瞬間でさえ、自身のリンカーコアへと圧力を掛ける、指先ほどの大きさしかない青の結晶体。 ティアナはジュエルシードの薄層構造体を「発生」させ、それを防御壁としてグラーフアイゼンの一撃を防いだのだ。 そして、彼女の一連の発言。 その意味が、不鮮明ながらも理解できた。 彼女は、彼女達は、恐らく。 「お前等、ジュエルシードを・・・!」 「はい、複製しました」 どうやって、という問い掛けは発せられなかった。 その問いを発する以前に、ヴィータは現状に対して答えを導き出してしまったのだ。 そして、そんな彼女の思考を読んだのか、ティアナが言葉を繋げる。 「私達のシステムが本格的に起動した直後、誰かがこう願った。「地球軍のインターフェースに匹敵する、瞬間的な情報通信技能が欲しい」と。システムはその「願い」が有用であると判断し、それを叶えた」 2人の周囲、幾人かの魔導師が集まり始めた。 ヴィータを含む、それら全員の意識が共有され始める。 これが「願い」の結果。 「次に、彼女が願った。「大切な人が傷付く世界なんか要らない、壊れてしまえ」と。不利な制約を壊して再構築する事は既に始めていたので、システムは負傷者の治癒能力を例外なく向上させる事で、別方向からその「願い」を叶えた」 自身の肩に手をやるヴィータ。 背面の負傷は、何時の間にか痛覚が消失していた。 感覚が麻痺したのではなく、完全に治癒してしまったのか。 これも「願い」の結果。 「そしてこれは、魔法技術体系に属する、あらゆる人々が願った。「もっと出力を、容量を、射程を、威力を」。既にシステムはそれを成すべく活動していましたが、更にジュエルシードの魔力を供給する事で「願い」を叶えた」 波動粒子にも似た、青い光を放つ魔力素。 だがそれは、波動粒子などではない。 ヴィータは気付く。 これは、ジュエルシードの色だと。 これもまた「願い」の結果。 「それでも、押し寄せる敵性体群を前に絶望した人々が、救援の手を求めた。「救援を、1秒でも早く救援の到着を」。システムは緊急性の高い案件と判断し、人工天体内部の管理局艦隊をベストラ周辺にまで転移させる事で「願い」を叶えた」 周囲の管理局艦隊を良く見やれば、全ての艦艇が青い光を放つ魔力素の残滓を纏っていた。 恐らくは転移の際に、ジュエルシードより供給される魔力によって、機関最大出力を数十倍にまで増幅されたのだろう。 艦隊に纏う魔力素は、その際にバイド及び地球軍からの干渉を避ける為に展開されたのであろう、大規模次元障壁の残滓らしい。 この信じ難い現象もまた「願い」の結果。 「一体・・・どれだけのジュエルシードを・・・」 「数を訊いても、意味は在りません。恒久的に動作する「願い」を叶え続ける為のシステムですから」 「その、システム・・・ってのは、ジュエルシードの事じゃないのか?」 ヴィータは、それが気になっていた。 周囲の魔導師達も、同様なのだろう。 疑問が渦となり、共有された意識へと浮かび上がる。 「少し違います。全てのジュエルシードを統括する存在、世界への干渉を制御する中枢機構です」 「その、中枢ってのは、何処に?」 『後ろだ!』 突然の念話、警告。 ヴィータは周囲の魔導師が、一様に此方へとデバイスを向けている事に気付く。 だが、彼等の狙いはヴィータではない。 彼等は彼女の背後、其処に忽然と出現した「何か」に驚愕し、各々のデバイスを向けているのだ。 そして、ヴィータの背後より叩き付けられる、余りにも強大な魔力。 徐々に呼吸が乱れ、全身の感覚が麻痺してゆく。 視界の端で明滅する、青い光。 ティアナが右腕を上げ、徐にヴィータの背後を指した。 「「それ」が、システムの中枢」 錆び付いた機械の様に緩慢な動きで、ヴィータは背後へと振り返る。 徐々に視界を埋め尽くしてゆく、青く眩い魔力光。 そして数秒後、漸く「それ」を視界の中心へと捉えた瞬間、ヴィータの意識へと膨大な量の情報が流入する。 その結果、彼女は眼前の存在、その「異形」の正体を、正確に理解した。 理解してしまった。 否、させられたのだ。 青い魔力光を放つ、その巨大な結晶体。 余りにも異様かつ、決して許容できぬ存在としての外観を備えた、その「異形」。 「「それ」が、皆の「願い」を叶えてくれる「魔法の宝石」です」 ジュエルシードによって構築された、R戦闘機。 「そして、今の「私達」の中枢でもある」 反射的に、ティアナへと振り返る。 同時に、空間中へと響く、異様な咆哮。 全ての人員が視線を前方へと投じる中、ヴィータはティアナと向かい合ったまま、ガラス球の様に無機質な彼女の瞳を見つめていた。 怖いと。 恥じる事もなく、ヴィータは思う。 目の前に居るティアナが、とても怖い。 恐ろしく無機質、恐ろしく冷徹、恐ろしく希薄。 その身に纏うのは、人間としての温かみではなく、機械の様な冷たさ。 しかし圧迫感を感じる訳ではなく、それどころか眼前に佇んでいるというのに、其処に何も存在していないかの様に希薄な気配。 実態ではなく、立体投写画像であると言われれば納得してしまいそうな、得体の知れない存在。 それは僅かに視線を上げ、実際の発声であるのかすら疑わしい、音としての言葉を紡ぐ。 「私達は、この奥へと進む必要が在ります。其処に、バイドの中枢が在る」 「バイドの?」 「ええ。バイドが宿る殻、単一個体として完成された存在「R-99」が」 飛び交う無数の警告。 艦隊の全艦艇が、一斉に魔導砲撃を放つ。 青と白の光の奔流が、轟音と共に「何か」へと殺到。 だが、ヴィータは振り返らない。 砲撃が着弾したのか、魔力爆発の光が周囲を埋め尽くし、爆音が響く。 支局艦艇からの報告、攻撃失敗。 大型敵性体、健在。 目標、急速接近中。 「此処は、バイドにとっての最終防衛線です。此処を突破すれば、空間歪曲を利用して一気に中枢まで肉薄できる」 「正念場、って事か」 「ええ。当然、バイドも必死です。此処を通過する為には、防衛の要となっている敵性体を撃破する必要が在る」 ティアナが、視線でヴィータを促す。 徐に振り返り、魔力爆発の中心を見やるヴィータ。 そして、その異形を視界へと捉えた。 息を呑むヴィータ、無感動に言葉を紡ぐティアナ。 「可能かどうかは、また別の話ですが」 異形が再度、咆哮を上げる。 コロニーで提示された記録映像、なのはのレイジングハートに記録された映像。 いずれの外観とも異なる、更なる進化を遂げたらしきそれ。 節足動物のそれと酷似した下半身は脚部を取り払われ、慣性制御機構らしき5基のユニットが連なった、昆虫の幼生の如き外観へと変貌している。 片部から背面に掛けては、後方へと伸長する3連ユニット。 肩部からは前上方へと伸長する、左右対称のポッド型構造物。 主腕部の他に追加された、胴部に2対、脚部ユニットに1対の副腕。 上半身と下半身の接続部左右側面、突き出した1対の砲身。 修復された頭部装甲、更に巨大化した額のレリック。 周囲に纏う、虹色の魔力の暴風。 聖王の鎧、カイゼル・ファルベ。 此方を見据えるかの様に、空間中の一点へと留まる、その存在。 「今度ばかりは、データは在りません。全てが未知数ですので、其処は覚悟して下さい」 「BFL-011 DOBKERADOPS TYPE『ZABTOM』」 「・・・クソッたれが」 吐き捨て、グラーフアイゼンをギガントフォルムへ。 ザブトムの周囲、転移によって無数のドブケラドプス幼体が出現する。 恐らくザブトムは、同種生命体群の中枢として機能しているのだろう。 推測に過ぎないが、これまでに得られたバイド生命体群に関する情報を基に判断すれば、的を射ている可能性は高い。 バイドの適応能力を考慮すれば、中枢たるザブトムを撃破したところで種全体の絶滅には到らないであろうが、数時間に亘ってドブケラドプス種の戦力を大きく殺ぐ事ができるだろう。 数十名と共有された意識の中、結論は下された。 この場に於いて、ザブトムを撃破する。 それ以外に、選択肢は存在しない。 「やるしかねえんだろッ!」 咆哮。 2個の大型鉄球を生み出し、頭上の宙空へと放る。 ヴィータはグラーフアイゼンを振り被り、身体全体を大きく傾けて宙空の鉄球を睨み据えた。 共有意識を塗り潰す、壮絶な殺意。 もはや抑制など叶わず、その必要性すらも感じない。 意識の奥底より沸き起こる、漆黒にして激烈なる感情。 諦観、嫌悪、哀情、憎悪。 視線の先の存在、そして背後に位置する存在。 巨大なバイド生命体、そして嘗ては「ティアナ」であった、理解し難い存在に対するそれ。 強烈な衝動によって突き動かされるがまま、彼女は叫ぶ。 「要は、アレをぶっ殺すしかねえって事だろ!? ティアナ・・・いいや!」 己が否定と拒絶とを形と成し、決して認められぬそれらへと叩き付けんが為に。 決して相容れぬ異質なる存在、その全てを否定せんが為に。 有らん限りの殺意を爆発させ、破壊の象徴たる鉄槌を振り抜く、その直前。 ヴィータは、あらゆる負の感情を込め、絶叫した。 「この「化け物」め!」
https://w.atwiki.jp/teamarrowhead/pages/2.html
メニュー トップページ R-TYPE Table Strategy とは ルール 用語集 機体データ置き場 地球サイド ユニットページテンプレ置き場 マップ リンク @wiki @wikiご利用ガイド wikiの編集方法についてはこちら 左メニューの編集方法についてはこちら ここを編集
https://w.atwiki.jp/nanohass/pages/3828.html
間に合った。 血塗れの小柄な身体に腕を回し、施設構造物内を泳ぎながら、セインは内心で安堵の声を洩らした。 彼女に抱えられたその女性が纏う衣服は、ほぼ全ての部位が真紅に染まっている。 バリアジャケットではない。 彼女が纏っていた純白と漆黒のそれは既に、維持すら儘ならずに解除されていた。 危険な事だが、そうでなければセインが彼女を救出する事はできなかったであろう事を考えれば、バリアジャケットの解除は幸運だったといえるかもしれない。 構造物の内、安全な地点を目指して、セインは只管に前進し続ける。 幾度か、感覚が麻痺せんばかりの衝撃が周囲に反響し彼女を襲ったが、多少に気が遠くなる事を除けば特に被害は無い。 本来ならば最も被害を受けていたであろう聴覚は、R戦闘機より放たれたミサイルが爆発した時点で、その正常な機能を喪失していた。 鼓膜が破れたのだ。 念話がある為に隊員との意思疎通に問題はないが、しかし状況把握には幾許かの支障が生じるだろう。 耳の奥を襲う激痛を堪えながらも、機械的強化を施された三半規管を襲う衝撃に耐えながら、セインは120秒程で安全圏へと離脱した。 浮上しつつ、念話を送る。 『ティアナさん、聞こえる?』 『セイン! 何処なの!?』 『今、そっちへ向かってる! 重傷者1名確保! 出るよ、医療魔法の準備を!』 直後、セインは構造物内より床面上へと躍り出た。 彼女の纏うスーツは至る箇所が破れ、そのほぼ全てから血が流れ出している。 荒く息を吐き佇む彼女を気遣ってか、すぐさま数名の攻撃隊員が駆け寄ってきた。 彼等は何事かを叫ぶが、鼓膜の破れたセインがその声を拾う事はない。 すぐさま、彼等にも念話を送る。 『ごめん、聴覚をやられてる。念話でお願い。それと・・・』 言葉を紡ぎつつ、セインは腕の中の女性を彼等の眼前へと突き出し、その身を委ねた。 零れ落ちる雫が床面に紅い模様を描きゆく中、彼等は一様に表情を凍らせて息を呑む。 セインは、言葉を続けた。 『すぐに、手当てを』 微かな悲鳴。 口元を押さえる女性隊員の眼前、セインの腕に力なく抱えられている血塗れの女性は、数分前まで事実上の指揮官として指示を下していた人物。 八神 はやて、その人であった。 「ッ・・・はやてッ!」 「はやてさんッ!」 全身を文字通りに引き裂かれたはやての姿に、同じく全身に無数の傷を負ったヴィータとスバルが、悲鳴の如き声を上げつつ駆け寄る。 その後方ではティアナがクロスミラージュを手に、少なくとも外面は冷静さを保ちつつ無残なはやての姿を見つめていた。 視線を少しばかり右へとずらせば、意識の無いザフィーラとシャマルが、2名の隊員による医療魔法を受けつつ血溜まりの中に横たわっている。 2人共に、意識は無い。 更に少し離れた地点では、ノーヴェが別の隊員と共に治療を受けていた。 その左腕は肘の辺りが大きく抉れ、大量の血液を噴き出している。 彼女は零れそうになる悲鳴を歯を食い縛って堪え、急速に再生してゆく有機組織を睨み付けていた。 彼女達を含め、この部屋には18名の隊員が存在する。 内3名は、セインが運搬した。 程度の差こそあれ、皆一様に全身へと傷を負っている。 R戦闘機より放たれた6発のミサイルと、「何か」が床面へと撃ち込んだ1発のミサイル。 それらの炸裂によって、攻撃隊は甚大な被害を受けた。 少なくとも2名が死亡し、更に4名が行方不明となっている。 生存している隊員も、はやて等を含め5名が意識不明の重体だ。 つまり、実質上の現有戦力は13名となる。 R戦闘機と正体不明の怪物を相手取るには、余りにも心許ない戦力だ。 「・・・大丈夫? 聴こえる?」 「・・・うん、治った。ちゃんと聴こえる・・・有り難う」 鼓膜が再生された事を確認し、セインは自身へと医療魔法を掛け続けていた傍らの隊員へと礼を言う。 彼女はその言葉に軽く首を振って応えると、すぐさまはやての治療へと加わった。 回復した聴覚に、悲鳴とも怒号とも付かぬ声が幾重にも響く。 どうやら、はやての容態は予想以上に危険な状態にある様だ。 「セイン・・・」 「・・・至近距離から砲撃される直前だったよ。間一髪で床に引き摺り込んだけど、砲撃の余波と砲弾の衝撃波までは回避できなかった。デバイスは・・・」 気遣わしげに語り掛けてくるティアナに、セインは脇の下に抱え込んでいた魔導書と一振りの杖を差し出す。 それらを目にし、ティアナが息を呑んだ。 「・・・この通り」 それは、はやての力の証、その成れの果て。 どす黒い血に塗れ、元の装飾すら判別不能となった魔導書。 煤け、捻じ曲がり、柄の半ばより先が融け落ち、原形すら留めてはいない騎士杖。 それらの持ち主が如何に凄惨な状況に曝されたのか、それを窺わせる程に変わり果てた2つのデバイスだった。 「・・・酷いわね」 「添え木代わりには使えるかもね。骨折してる人は?」 「1人、居るけど・・・」 ティアナが振り返り、セインも釣られてその方向を見やる。 其処には、隊員の1人が仰向けに横たわる別の隊員の顔に手を翳し、その瞼を閉じている場面があった。 ティアナは数瞬ほどその光景を見つめ、次いでセインへと向き直ると、何かを堪えんとしているかの様に低い声を放つ。 「・・・今、必要なくなったわ」 その言葉にセインは天井を仰ぎ、額を掌で覆うと息を吐いた。 そして自らの吐息の音が僅かに震えている事を自覚し、彼女は内心にてうろたえる。 どうやら自身でも気付かぬ程に、この異常な状況に心身を蝕まれているらしい。 「それで、どうするの? 化け物はR戦闘機と交戦しているけど」 「何とかこの施設を脱出して、他の攻撃隊員と合流したいところだけれど・・・」 轟音。 周囲の構造物、その全てを通して衝撃が走り、室内の誰もが体勢を崩す。 幾つかの悲鳴が上がり、身体が床面へと倒れ込む鈍い音が鼓膜を震わせた。 すぐさま体勢を立て直したセインとティアナは周囲を見回し、視線を合わせるや軽く息を吐く。 「・・・負傷者を抱えて通路に戻るのは自殺行為ね」 「化け物と擬態する砲台の群れ、おまけにR戦闘機を何とかしないといけない訳か・・・」 諦観の滲む言葉と共に、セインは壁際へ歩み寄ると腰を下ろし、その背を壁面へと預けた。 極度の緊張と急激な運動、更には激痛に耐える事を余儀なくされていた身体は、速やかな休息を要求している。 今にも闇へと沈みそうになる意識を辛うじて繋ぎ止めるセイン。 瞼を下ろし、代わりにより鮮明となった聴覚に複数の声が飛び込む。 「駄目・・・傷が深過ぎる・・・このままじゃ、とても・・・」 「そんな・・・! おい、何とかならねぇのかよ!」 「外傷と臓器の損傷は修復したけれど・・・血液の流出が激しい。2時間以内に処置を行わなければ」 「じゃあ!」 「相応の機器がある医療施設での話よ。此処では無理」 微かな鈍い音。 瞼を見開くと、血溜まりに横たわったはやての傍ら、ヴィータが放心した様に床面へと膝を突いていた。 グラーフアイゼンは彼女の手より滑り落ち、今は床に倒れている。 その隣ではスバルが立ちながら俯き、硬く握った拳を震わせていた。 両者ともに自らの無力さに打ちのめされ、絶望している様がありありと伝わってくる。 しかし、その2人より数mほど離れた位置に佇むティアナの反応は、彼女達のそれとは懸け離れたものだった。 「つまり、猶予はいいとこ1時間ってところね」 その言葉が響き渡るや否や、意識を保っている隊員の全てが、一斉にティアナへと視線を注ぐ。 彼女は十数分前に別の隊員がしていた様に、クロスミラージュから延びるコードの先端を開かれた床面のパネル内ジャックに差し込み、空中に展開した端末を操作していた。 表示されているのはやはり、この施設の構造図。 ティアナはその一画、巨大な貨物用エレベーター、そして上層階の物資二次集積所、両者の表示を見据えている。 そんな彼女の様子をどう捉えたのか、スバルが掠れた声を掛けた。 「ティア・・・何を・・・?」 その声には答えず、ティアナは声を張り上げる。 諦観と死の気配に満ちた室内に、力強い声が響き渡った。 「誰か、さっきのR戦闘機の映像を記録した人は!?」 数秒後、2名の隊員が戸惑いつつも答え、自らのデバイスからデータを呼び出す。 ティアナの行動が何を意味するのか、漸く気付き始めたらしいスバルは驚愕の面持ちも露わに、再度彼女へと声を掛けた。 「ティア、まさか・・・」 「どの道、あの化け物を片付けない限り此処から出るのは不可能よ。それに・・・」 言葉を紡ぎつつ、クロスミラージュを手の中で回転させるティアナ。 その瞳には怯えでも諦めでもなく、苛烈なまでの闘志と、冷徹なまでの策謀の光が灯っていた。 離れた位置よりその瞳を視界へと捉えたセインは、思わず息を呑む。 そうして、クロスミラージュの回転を止めたティアナは、ゆっくりと周囲の面々を見渡した。 「やられっぱなしってのも、面白くないでしょ?」 彼女は腕を伸ばし、銃口を突き付ける。 構造図の一画、奈落の底へと。 「教えてやるのよ」 無機質な殺意を壁の、構造図の向こうに蠢く異形へと向け。 ティアナは報復の始まりを告げる。 「どんな存在に喧嘩を売ったのか。嫌ってほど思い知らせてやる」 鈍色の銃身が、薄暗で無慈悲に光った。 * * 6発の大型ミサイルが着弾すると同時、目標が爆炎と粉塵に呑み込まれる。 間髪入れずに3条の雷光が粉じんの中心へと撃ち込まれ、再度強烈な爆発が発生。 しかしその爆発は、目標の無力化を示すものではなかった。 粉塵の中、青い光が瞬く。 緊急回避。 電磁投射砲弾飛来、数十発。 フォースすらも容易く貫くそれらは、目視による回避など不可能だ。 亜光速の砲弾が発射される際に観測される複数種の反応を、第17世代量子コンピューター2基が各種センサーを用いて認識。 砲弾が発射口より射出される前に予測飛来軌道を割り出し、機体を射線より外すべく機動を開始する。 パイロットがすべき事は回避への尽力ではなく、回避後に取る次の行動の決定だ。 3段階に分けての回避行動が終了するや否や、彼は即座にトリガーを引く。 電子化された視界の中で、光が爆発した。 ハイパードライブモード、第一段階。 充填された波動粒子の一時解放、再凝縮。 周囲の粉塵、破片の一切合切が消滅する。 「STANDBY」の表示が浮かぶと同時、彼は再度トリガーを引いた。 全ての表示が赤く染まり、文字が「DRIVE」へと変化する。 直後、振動と轟音が連続して機体を揺さ振った。 ハイパードライブモード、第二段階。 スタンダード波動砲、即ち通常タイプの波動砲の約70%程度に凝縮された波動粒子砲弾が、機銃の如く連射される。 砲弾と砲弾の間隔すら判別不能なまでの濃密な弾幕が、粉塵の中に潜む目標へと襲い掛かった。 小爆発が連鎖して起こるが、それらは目標体そのものの破壊によるものではなく、砲弾炸裂の余波に過ぎない。 事実、爆発に際して起こる発光は、全て波動粒子の青い光だ。 彼はトリガーを引く指の力を緩める事なく、掃射を継続する。 しかし数瞬後、コックピット内に警告音が鳴り響いた。 被ロック警告。 波動粒子砲弾の弾幕を擦り抜ける様にして、2基のミサイルが迫り来る。 彼は、退かなかった。 逆に前進し、目標との距離を詰め、更に弾幕の密度を高める。 ミサイルが接近、キャノピーへの直撃コースに入った。 しかしそれらは、機体の周囲を高速にて旋回する2基の防御機構によって迎撃される。 波動粒子を纏った、2基のビット。 ハイパードライブモード、第二段階の発動と同時に展開された高速旋回するビットの壁は、迫り来るミサイルを鋼と波動粒子の暴風へと巻き込み引き裂いた。 弾頭炸裂の余波ですら、壁を越える事もできずに掻き消される。 直後、彼は更に攻勢を激化させた。 フォトンASM発射、支援兵装シャドウユニット再展開、オールレンジ・レーザー掃射開始。 白光を放つフォトンミサイル2発、そしてフォースとシャドウユニットより連続して掃射される、数条の青い光線。 未だ続く波動砲の連射とも併せ、破滅的な砲火の嵐が粉塵の中へと降り注ぐ。 更に僚機よりミサイルと波動砲が撃ち込まれ、直後に視界の全てが白く爆発を起こした。 ホワイトアウト、センサーダウン。 システム、強制冷却モードへ移行。 通常モード移行まで4秒。 コンマ数秒後、センサーが機能を回復。 即座に機体を後退させ、施設構造物の陰へと身を潜める。 まるで人型機動兵器の如き戦術機動だが、第8世代重力制御機構と量子コンピューターによる高度な姿勢制御を可能としたR戦闘機にとっては、戦場に於いて高頻度で使用されている戦闘技術だ。 巨大施設内部での戦闘も多々ある為、こうした機動は必須技能である。 そのまま、彼は全てのセンサー感度を最大まで引き上げ、目標の観測を開始した。 更に僚機と交信し、より高精度の情報を得るべく言葉を交わす。 しかしやはり、其処に発声という人間本来のプロセスが介される事はない。 静寂のままに、精密機械の如き無音の意志のみが交わされる。 『「ホルニッセ」より「パルツィファル」、目標の状態を確認できるか』 すぐさま、応答が入った。 彼の僚機であるTL-2B HERAKLES、コールサイン「パルツィファル」からの返信だ。 『こちらパルツィファル。目標は外殻装甲に重大な損傷を・・・』 『パルツィファル、どうした』 途切れる言葉。 次いで返されるであろう報告の内容を半ば予想しつつも、彼は状況を問い質した。 そして、予想に違わぬ報告が意識へと飛び込む。 『目標健在、移動再開を確認した・・・熱源感知。ミサイル、来るぞ』 『回避する』 フロント・サイドスラスターを稼働、一瞬にして400mを後退。 波動砲、再充填開始。 しかし直後、前方より明らかに異質な反応が検出される。 魔力素反応、増大。 『こちらホルニッセ、目標近辺より魔力素を検出。パルツィファル、そちらの・・・』 その交信が完了する事はなかった。 前方、粉塵の壁を突き破って出現する、褐色の機体。 TL-2B HERAKLES。 全く予期しなかった僚機の機動に面食らう彼を置き去りにし、傍らの空間を突き抜け飛び去る巨大な機体。 しかし、真に彼を混乱させたのはその機動ではなく、センサーとレーダー、双方に存在する2つの反応だった。 『・・・ホルニッセよりパルツィファル、貴機の位置を確認したい』 『こちらパルツィファル。現在位置、第4カーゴ待機所。目標より500mだ』 彼は電子的に高度並列化された思考の一部を以って、後方へと飛び去ったTL-2Bの反応を分析する。 程なくして、異常が発覚した。 機体より高濃度魔力素検出。 該当データあり。 コールサイン「ベートーヴェン」による交戦記録、時空管理局諜報活動結果。 ティアナ・ランスター執務官補佐。 魔法によるデコイ・ユニットの複数同時展開を可能とし、同時にそれらデコイに対し質量すら付与させる事ができる、正に規格外の存在。 機器による解析こそ可能ではあるが、その為に費やされる一瞬にも満たない時間こそが戦場では命取りだ。 彼等パイロットにとっては、行儀良く足を止めてから砲撃を放つ魔導師達よりも、こういった撹乱系の能力こそが警戒の対象だった。 そもそも、生身の人間が質量を持つデコイを発生させるという現象そのものが、地球軍からすれば理解の範疇を超えた異常な事象なのだ。 彼等が同じ現象を人為的に発生させようとするならば、最低でも大出力ジェネレーター1基、波動粒子制波装置2基、量子コンピューター3基が必要となる。 それら機器の総重量は20tに達し、もはや大型生体兵器を除けば生命個体が単体にて運用できるものではない。 事実、デコイ・ユニット発生兵装を搭載したR戦闘機は、TL-2Bにも匹敵する巨体を持つ事を余儀なくされた。 それ程までに実現困難な現象を、生身の人間が自身の意思で自在に操れるというのだ。 情報を各自分析したパイロット達は驚愕し、次いで恐怖した。 幻術魔法と呼称される、管理世界においても希有な魔導スキル。 この魔法を修めた魔導師が戦域に1人存在するだけで、相対する勢力は常に対象が幻影であるか否かの警戒を余儀なくされる。 彼等は、特に戦闘機動が制限される閉鎖空間に於いて、地球軍に対し最悪の脅威となり得る存在なのだ。 しかし、彼はどうにも理解できなかった。 あのTL-2Bのデコイを形成していた魔力素は、紛う事なくベートーヴェンと交戦した魔術師、ティアナ・ランスターのそれと合致するパターンを示していたが、何故彼女はこの場面で幻影魔法を使用したのか? 管理局本局艦艇内部に於ける戦闘により、幻影がベートーヴェンによって解析済みである事は、彼女も承知の筈である。 或いは、こちらの解析能力を過小評価しているとでもいうのだろうか。 確かにパターンの細部は変更されているものの、それが解析過程に及ぼす影響は微々たるものだ。 事実、デコイであるとの認識に要した時間こそ5秒程であったが、パターン解析自体に要した時間は2秒に満たない。 不意を突いての攻撃であるならば十分に有効かもしれないが、唯こちらの側面を通過しただけという機動についての説明がつかないのだ。 一体、彼らは何を企んでいるのか? 『パルツィファルよりホルニッセ、目標がそちらへ向かっている』 考える暇はなかった。 目標が、彼の機体を目指し迫り来る。 咄嗟に機体を横に滑らせ、主要輸送路から研究区搬入口へと侵入。 即座に各種撹乱装置の出力を最大まで引き上げようとして。 『ホルニッセ、待て!』 僚機よりの警告に、プロセスを中断した。 ほぼ同時、巨大な鋼の怪物が、主要輸送路を轟然と振動を響かせて通過する。 目標、資源輸送システム改修型大型機動兵器「RIOS」。 正確には、それを模した超高度擬態型生態兵器統括機構体。 識別コード「BFL-209『PHANTOM-CELL』MODE『RIOS AIRBORNE-ASSAULT』」。 第三次バイドミッションに於いて、R-9/0 RAGNAROK-ORIGINALを撃墜寸前にまで追い詰めた、最悪の敵。 有機物・無機物を問わず数々のバイド体へと擬態し、その攻撃能力までをも完璧に模倣する、幻影の細胞。 今現在その悪魔が模している存在は、第二次バイドミッションに於いてR-9C WAR-HEADに対し、絶望的な追撃戦を展開する事を強要した、悪夢の鉄塊。 その絶望的なまでの戦闘能力を誇る怪物が、こちらに見向きもせずに主要輸送路を通過してゆく様に、彼は思わず呆気に取られた。 明らかに、目標はデコイのTL-2Bを追撃している。 管理局にとっては幸運な事に、バイドは未だ幻影魔法への対処機能を獲得してはいなかったらしい。 では、管理局部隊は何をするつもりなのか? まさか、目標を撃破するつもりなのか。 一体、どうやって? レーダーを確認。 メタ・ウェポノイドの反応はない。 擬態型生態兵器群、殲滅。 『ホルニッセ、応答しろ。ホルニッセ』 僚機からの問い掛けに、彼は数瞬ほど返信を躊躇い、しかし次いで明確に意思を示した。 猜疑と警戒と、しかしそれらを上回る程の好奇の思考を秘めて。 『こちらホルニッセ。管理局部隊が、目標に対する何らかの作戦行動に出た。目標を追跡し、これを観測する』 * * 『目標、ポイントBまで10秒!』 『了解!』 幻影のR戦闘機より、同じく幻影のミサイルが射出される。 サイドスラスターより噴き出す青い炎までをも忠実に再現されたそれは、射出直後に180度反転するや否や、輸送路上部構造物へと突進を開始。 そして着弾と同時、轟音と共に上部構造物が崩れ落ちる。 直後、念話がティアナの意識へと飛び込んだ。 『ポイントB、爆破! 目標、崩落物と接触! 進行速度低下!』 その言葉通り、後方より新たに轟音と震動が響き渡る。 ティアナは別の隊員が操る人員輸送用小型反重力カートの上で、後方を飛ぶ幻影のR戦闘機を必死に制御しつつ、計画が今のところ順調に推移している事を確認した。 目標は幻影をR戦闘機と誤認し、こちらを追跡している。 バイドが既に幻影魔法を解析しているのか否か、それは危うい賭けだった。 ティアナが作戦を実行するに当たって問題となったのは、これまでに幻影魔法とバイドが相対したケースが存在したか否か、そして地球軍の情報管理体制は強固か否か、この2つ。 幻影魔法が既にバイドによって解析されているのならば、考えるまでもなく作戦は失敗する。 地球軍の情報管理が甘く、バイドに情報が奪取されているならば、やはり本局での交戦データから幻影魔法の詳細が漏れていると考えたほうが良い。 しかし、考えている暇は無かった。 一刻も早くこの施設を脱し医療体制の整った場所へと搬送しなければ、はやてを含めた重傷者達の命はない。 R戦闘機に任せておけば良いとの意見もあったが、しかしティアナを含め攻撃隊の半数以上がその意見に反対した。 地球軍の連中はまともではない。 こちらを対等な人間として捉えてはいないし、それを積極的に改める事もないだろう。 このままバイドが撃破され彼等がこの施設を制圧したならば、こちらの存在を完全に無視して戦域を離脱すると考えられる。 非常に不本意ではあるが、ティアナとしては彼等に負傷者移送への協力を求めたかった。 R戦闘機の戦闘能力は、この状況下では非常に魅力的だ。 彼等を護衛にこの施設を脱し、管理世界の施設を捜索し転送ポートを見付け出す。 ポートを起動し、負傷者を支局艦艇へと転送した後、地球軍との非敵対的接触を開始。 でき得る限りの情報を引き出し、更には地球軍艦隊との直接交渉を狙う。 それが、考え得る限り、最も理想的な展開だ。 その為にも、R戦闘機のパイロット達に示す必要がある。 管理局魔導師が交渉に値する存在である事、その力が強大なバイドを打倒し得るものである事を。 尤も、非敵対的接触が叶わなかったとして、それはそれで構わなかった。 ティアナとしては地球軍を出し抜く手段も構築済みである上に、必要とあらばバイドの撃破後にR戦闘機を排除する事も視野に入れている。 彼等はこちらを対等に捉えてはいないが、こちらも彼等を対等の存在と捉えてなどいない。 その必要性があるとは思えなかったし、そもそも過去にそんな意志が自身あったとしても、それはクラナガンの惨状を目にした瞬間に消え失せている。 今この瞬間に思考すべきは、彼等との和解ではない。 この状況下に於いて、2機のR戦闘機をどう利用し、どう生き延びるか。 それこそが最も重要な問題なのだ。 『こちらポイントC、接触まで10秒!』 再び、幻影のミサイルが放たれる。 着弾、爆発。 構造物、崩落。 『ポイントC、爆破! 目標速度、更に低下!』 何故、幻影である筈のミサイルが爆発するのか。 答えは、実に単純だ。 上部構造物を破壊しているのは、各ポイントに控える隊員達であった。 予め構造物を崩落寸前にまで破壊し、幻影の着弾と同時に最後の仕上げを行う。 芸術的なまでの破壊により上部構造物は、ほぼ原形を保ったまま落下。 後方より迫る目標と接触し、その進行を遮る。 こうして、圧倒的に劣る速力にも関わらずティアナ等は目標との距離を稼ぎ、同時に目標の追跡行動を誘発していた。 『ポイントDまで10秒!』 果たして、バイドが幻影を解析するまでに要する時間は如何程か。 ティアナは本局でのR戦闘機との交戦経験から、4分前後と予測した。 既にフェイク・シルエット展開より、190秒が経過している。 残り、約50秒。 『目標、ミサイル発射!』 ポイントDからの警告。 咄嗟にR戦闘機の幻影を急速上昇させ、次いで急降下させる。 ミサイル、飛来。 視認すら困難な速度で接近したそれは幻影のR戦闘機、その背面を掠めて遥か前方へと飛び去った。 幻影、消滅。 即座に新たな幻影を生み出すものの、一瞬後に襲い掛ったミサイル通過の余波に制御が乱れる。 幻影に不自然な乱れ。 修復、通常機動へ移行。 「まずい・・・」 思わず口を突いて出る、苦渋の言葉。 先ほど幻影に生じた乱れは、目標による解析を加速させるかもしれない。 そうなれば、作戦の遂行はより困難となる。 果たして、目標地点まで誘導できるだろうか。 『ポイントE到達まで10秒!』 三度、幻影のミサイルが発射される。 数秒後に後方より響く轟音、そして振動。 目標、減速しつつポイントEを通過。 同時にカーゴは3つの輸送路が交差する地点へと到達し、その内の1つへと侵入。 そのまま500mほど前進。 『止まって!』 ティアナ、カーゴを操縦する隊員へと停止を命じる。 反重力カーゴ、停止。 ティアナは降機し、後方を見据える。 念話を用い、目標の状態を確認。 『ポイントF、目標は?』 『こちらポイントF、目標が下方を通過! いいぞ、そちらの軌跡を追っている!』 直後、周囲一帯に振動が響きだす。 地鳴りの様な、それでいて遥かに凶暴な力による振動。 それは次第に大きくなり、遂には姿勢を保つ事すら困難なまでに達した。 ティアナは額に薄らと汗を滲ませ、目標の出現を待つ。 そして遂に、それは現れた。 巨大な無限軌道、幅数十mはあろうかという巨体。 壁の様にも、戦車にも見える異形の機動兵器。 中央部に位置する電磁投射兵装、外殻装甲上に設置された無数のレール上を動き回るミサイル発射機。 少なくともティアナが知る限りの、如何なる分類上にも位置しない未知の巨大兵器が、其処にあった。 その装甲はR戦闘機との交戦によってか、一部がひどく破損している。 『来やがった・・・!』 カーゴを操縦していた隊員が呻く。 ティアナは答えず、目標機動兵器を睨み据えていた。 さあ、来い。 そのままだ、そのまま前進すれば良い。 お前が撃破すべき目標は此処だ。 さっさと前進し、止めを刺せ。 ミサイルを撃て、その巨体で押し潰せ、確実に撃破する為に距離を詰めろ。 相手はR戦闘機だ、慎重に越した事はない筈だ。 さあ、距離を詰めるが良い。 『早く来い・・・!』 ティアナの思考を代弁するかの様な言葉が、隊員より発せられる。 目標は無限軌道の位置を器用に調節し、中央本体の水平を保ちつつ高速で接近していた。 幅15mはあろうかという無限軌道が側面方向に2つ並んだユニットが通過した跡からは、破壊された壁面の破片が雨の様に降り注いでいる。 本能的に沸き起こる恐怖を堪えつつ、ティアナは機動兵器の目標地点への到達を待った。 しかし。 『・・・そんな!』 機動兵器は、唐突にその進行を止める。 忽ちの内に速度を落とし、遂には完全に停止してしまった。 ティアナの脳裏に、最悪の予想が過ぎる。 『・・・解析された!』 遂に、恐れていた事態が発生してしまった。 目標地点への到達を待たずして、バイドは幻影魔法を解析してしまったのだ。 最悪の事態に舌打ちするテァイナ。 その視線の先、機動兵器の外殻装甲上でミサイル発射機が稼働し、ある地点で停止した。 発射態勢だ。 「逃げてッ!」 叫ぶティアナ。 直後、2発のミサイルが発射された。 一瞬にして超音速を突破し、人間には反応など到底不可能な速度で以って、幻影のR戦闘機とティアナ等へと突進する。 回避の試みを行う暇さえ、僅かなりとも存在しなかった。 そして、2本の鋼鉄の矢が、無慈悲に彼女を襲う。 1発目。 それは幻影を貫き、遥か後方の壁面へと着弾した。 合金製の構造物が吹き飛び、炎と破片が輸送路を埋め尽くす。 2発目。 それはティアナともう1人の隊員へと襲い掛かり、その身が僅かに後退する暇すらも与えずに吹き飛ばした。 常軌を逸した弾速の為か、2人の身体は一瞬にして消し飛び、次いで炸裂する弾頭の炎と衝撃に呑まれて完全に消失する。 幻影と魔導師、双方の撃破を確認した為か、機動兵器は後退を開始した。 無限軌道が不気味な音を周囲へと撒き散らしつつ、これまでとは逆方向へと回転を始める。 そうして、機動兵器が20mほど後退した、その時。 『今よ!』 「ティアナ」の念話が、待機中の隊員たちの間へと走った。 『爆破しろ!』 機動兵器の後方より、上部構造物内で続け様に爆発が発生する。 多種多様な光を放つそれらは、魔力による破壊の証。 上部構造物が次々に崩落し、機動兵器の後方より金属の雪崩となって襲い掛かる。 機動兵器、後退中断。 無限軌道、逆回転。 前進を再開。 崩落は見る見る内に加速し、巨大な金属の怪物を呑み込まんとする。 しかし機動兵器は瞬く間に速度を上げ、崩落を上回る速度で安全圏へと脱した。 左右両壁面へと接した無限軌道が、僅かに回転速度を緩める。 そして400mほど前進し、崩落が収まった、その瞬間。 唐突に、機動兵器は「落下」していた。 壁面という支えを失い、無限軌道の回転が空しく空を切る。 駆動ユニット可動部を最大幅まで展開するも、その金属の爪が本来あるべき合金の壁に触れる事はない。 そればかりか、何時の間にか床面すらも消え失せ、下方には漆黒の闇が巨大な口を開けていた。 大質量の金属が擦れ合う異音を周囲へと響かせながら、鋼鉄の怪物は全てを冥府へと誘う闇の底へと墜ちてゆく。 巨大な全貌が完全に闇の中へと沈んだ、その数秒後。 衝撃が全てを揺るがし、闇の奥より雷鳴の如き音が轟いた。 『目標落着!』 『スバル! ノーヴェ!』 『任せてッ!』 直後、頭上の構造物に開いた巨大な穴より、轟音が連続して響く。 そしてティアナ達の眼前を、無数のタンクやコンテナが落下し、奈落の底へと消えていった。 上層階、物資二次集積所にてスバル達が確保した、ありとあらゆる爆発性の物資だ。 『退避!』 爆発音。 無数に連なり、施設を揺るがす。 開口部より噴火の如き爆炎が噴き上がり、上部構造物を舐め尽くした。 咄嗟に床面へと伏せていたティアナ達であったが、余りの大音響と衝撃に一瞬ながら意識が掻き消える。 それでも何とか身を起こし、背後の巨大な縦穴へと振り返るティアナ。 其処からは未だに業火が吹き出し、宛ら悪夢の如き光景が拡がっていた。 ゆっくりと立ち上がり、噴き上がる炎を見つめる。 『やったか!?』 ノーヴェからの、歓声混じりの念話。 テァイナは答えない。 幻影魔法の複数同時使用によって、臨界点にまで達した「AC-47β」内部のエネルギーを排出する事もなく、クロスミラージュの銃口を炎の壁へと向ける。 衝撃、轟音。 炎が膨れ上がり、次の瞬間には穴の奥底より巨大な影が現れる。 全体を業火に覆われ、にも拘らず未だに健在である機動兵器だ。 どうやら駆動ユニットには、反重力発生機構が組み込まれていたらしい。 電磁投射兵装部の装甲が開き、発射口に光が宿る。 だが、それを目の当たりにしても、ティアナが動揺する事は僅かなりともありはしなかった。 ただ一言、短く念話を発しただけ。 『副隊長』 その瞬間、巨大なハンマーヘッドが、炎の壁を突き破って振り下ろされる。 唯のハンマーヘッドではない。 一方の面には高速にて回転する鋭利な衝角が出現し、残る一方からは、推進機構より魔力が噴射剤として爆発的な勢いで噴き出されている。 グラーフアイゼン・ツェアシュテールングスフォルム。 現状で攻撃隊が有する最も破壊的にして、装甲目標に対し最も有効な攻撃手段。 それが炎の壁を割り、真上から機動兵器へと襲い掛かる。 そして、激突。 周囲に閃光が走り、鼓膜が破れんばかりの衝撃音が空間を震わせた。 衝角の先端は、R戦闘機の攻撃により傷付いた装甲に、僅かながら食い込んでいる。 それは機動兵器の機能に重大な損傷を齎すものではなかったが、しかしその攻撃行動を中断させ、巨体を穴の縁へと叩き付けるだけの威力は十二分にあった。 またも周囲一帯を巨大な衝撃が襲い、施設の全体を揺るがす。 しかし、ティアナはそれを堪え、冷徹に標的へと銃口を向けた。 レーザーサイトの赤い光が、電磁投射兵装発射口の表面へと小さな光点を走らせる。 「ファントムブレイザー」 銃声。 直射弾と見紛わんばかりに圧縮された砲撃が、クロスミラージュの銃口より放たれた。 タイミングをずらし、2発。 砲撃魔法をすら上回らんばかりの弾速を以って、全く同じ箇所に続けて着弾する。 1発目が着弾し、間髪入れずに2発目が着弾。 電磁投射兵装が、大量の火花と僅かな破片を散らして沈黙した。 直後、ティアナは念話を発する。 『今よ!』 幾度目かの振動。 数瞬後、上部構造物の穴の奥から、耳障りな金属摩擦音が響きだす。 機動兵器は再び、反重力発生機構により穴の直上へと浮かび上がっていた。 誘導システムに異常が発生したのかもしれない。 ミサイル発射機が稼働し、その発射口が直接ティアナ等へと向けられる。 だが、彼女はうろたえない。 クロスミラージュの銃口を下げ、醒めた目を機動兵器へと向けるだけだ。 異音が徐々に大きくなる。 そして、遂にミサイルが発射されんとした瞬間。 幅80m、厚さ30mはあろうかというエレベーターユニットが、機動兵器を押し潰していた。 「ッ・・・!」 衝撃、振動、轟音、大量の破片。 襲い来るそれらを身を屈めて耐え抜き、ティアナは10秒ほどその場を動かずにいた。 金属構造物が崩壊する異音は、未だに周囲へと響き続けている。 漸く立ち上がり視線を向けた先では、落下してきたエレベーターユニットによって寸断された機動兵器の一部が、完全に沈黙した状態で火花を散らしていた。 全ては、ティアナの計画通りだったのだ。 幻影が解析された事も、機動兵器が目標地点を前に停止した事も、爆発物による攻撃で目標を破壊できなかった事も。 そのいずれの事態も、彼女の予測を上回るには至らなかった。 ティアナは初めからバイドを二重三重に欺き、着々と罠の中へと誘っていたのだ。 幻影魔法は被使用者による解析に対応する為に、幾つかの対抗手段を持つ。 その中でも最も単純にして効率的な方法が、魔力組成のパターン変更による時間稼ぎだ。 根本的な解決には至らないものの、パターンを変更するだけで、解析に要する時間を大幅に増す事ができる。 今回、ティアナが用いた方法もそれだった。 幻影のR戦闘機を構築し、更に自身等にオプティックハイドを掛け光学的・熱力学的に姿を消し、R戦闘機とは異なるパターンを用いて構築された自身等の幻影を150m前方に配置する。 バイドはR戦闘機の幻影を解析する事に成功したものの、残る一方の解析には至らなかった。 それを為すには時間が圧倒的に不足していた上、早々と攻撃してしまった為に解析自体が行われたか否かも怪しい。 こうして、バイドはティアナの掌の上で踊り続ける傀儡と化した。 後は単純だ。 上部構造物内にて待機していた隊員達の手により崩落が発生、バイドは前方へと追い遣られ、貨物用エレベーターのシャフトへと近付く。 幅80m、長さ140m、厚さ30mのエレベーターユニットは最上層部へと上げられており、床面のシャフト開口部にはやはりティアナ等の幻影と同パターンの幻影魔法による疑似床面が形成されていた。 更に両側面の壁は砲撃魔法により抉られ、本来の輸送路より30mほど横幅を増している。 その抉られた壁面は幻影魔法によって正常な壁面へとカモフラージュされ、其処へと至った機動兵器は機動ユニットが壁面を離れ、シャフト内へと落下するという訳だ。 更には上層部よりスバル等が爆発物を投下し、それでも這い上がってくるであろう機動兵器にヴィータがツェアシュテールングスフォルムを叩き込む。 止めにエレベーターユニットのブレーキを破壊し、大質量物体落下による致命的な攻撃を実行。 機動兵器は床面とエレベーターユニットの間へと挟まれ、既に外殻が酷く損傷していた事もあろうが、結果的に中央部から寸断され機能を停止、撃破へと至った。 常に数手先の状況を想定した上で、作戦を立案したティアナ。 「AC-47β」による魔力増幅、そして並列思考能力の強化があってこそ可能となった荒業ではあったが、しかしそれすらも彼女の計算の内であった事は言うまでもない。 作戦開始後の状況は全て彼女の手の内にあり、ただ一度たりとて其処から脱する事はなかった。 「ティア!」 背後より掛けられる声。 その声の主が誰かを知るティアナは振り返ろうとしたが、その行動よりも早く抱き付かれ振り回される。 目まぐるしく動く視界に酔いそうになりながらも、彼女は上機嫌な相棒へと苦言を呈する事を忘れなかった。 「ッ・・・この、馬鹿スバル! 急に抱き付くんじゃない!」 「やった! やったやったやったぁ! ティア、凄いよティア! 本当にあの化け物をやっつけちゃった!」 「いいから落ち着きなさい、この馬鹿!」 ティアナとスバル、2人がじゃれている間にも、他の隊員達が集まってきては歓声を上げる。 皆が皆、強大なバイド攻撃体を打ち滅ぼしたという実感に酔い痴れ、各々が勝利の歓喜に沸いていた。 ティアナはスバルに振り回されつつも、何処か遠くその光景を見つめていたが、暫くして漸く実感が湧くと、勝利の笑みが表情へと浮かぶ。 「・・・やったんだ」 自身が、他ならぬ自身が立案した作戦が、強大な敵を打倒した。 皆がそれに従い、完全な戦果を齎してくれた。 指揮官として、現状で最大の戦果を導き出す事ができた。 嬉しい。 こんなに嬉しい事はない。 「ティアナさん!」 「やったな、おい!」 思わず感慨に浸るティアナに、セインとノーヴェが走り寄る。 彼女等はスバルと同様にティアナの首に腕を絡めると、喜びもそのままに3人掛かりで彼女を振り回した。 ティアナは幾つか文句を零したが、その表情は笑みを浮かべたままだ。 だがそんな騒ぎも、ヴィータの言葉と負傷者を乗せたカーゴの到着によって収まる事となる。 「早く此処を出ようぜ! ポートを探さねえと!」 「・・・八神二佐、他1名の容体が急変。もう一刻の猶予もないわ」 隊員達が、一様に静まり返った。 カーゴの上には、医療結界に覆われた4名の姿。 内2名には、更に二重の結界が掛けられている。 全体を覆う結界と比較して更に強い光を放つそれは、重傷者の生命活動を強化する為のブースターだ。 それが用いられているという事は、彼等の容体は既に生命維持の限界点にまで近づいていると推測できた。 ティアナは施設構造図を開き、指示を飛ばす。 「エレベーターシャフトを伝って最上層部まで行く。負傷者1名につき2名で運搬に当たって。残りは結界の維持に・・・」 「ティアナ!」 ヴィータの声。 彼女が何を言わんとしているのか、ティアナは尋ねるまでもなく理解した。 耳障りな高音、デバイスを構える隊員達。 クロスミラージュを手に、素早く後方へと振り向く。 「・・・畜生」 「御出座しって訳ね」 攻撃隊より200mほど前方。 2機のR戦闘機が、空中に静止していた。 1機は褐色の機体がフォースの陰より大きく覗いており、残る1機は緑の光を放つ見慣れないフォースを装備している。 両機共にキャノピーはフォースの陰に隠れているが、向こうからはこちらが鮮明に見えているのだろう。 油断なく銃口を両機へと向けつつ、ティアナは最善の行動を思考する。 どう行動するか、どう利用するか、どう排除するか。 既に完成している複数の計画の内より、最適と思われるものを取捨選択してゆく。 そして数秒後、結論は導き出された。 彼等は、こちらの戦闘を観測していた。 ならば、こちらがバイドを打倒し得る戦力を有している事実を、その身で理解した事だろう。 此処からは武力による思想の対立ではなく、相互理解による意思疎通を行うべき局面だ。 即ち交渉、言葉による戦闘の開始である。 クロスミラージュの銃口を下ろし、ティアナは前へと進み出た。 スバルを含む幾人かがそれを止めようとしたが、逆に彼女はそれらを抑えて歩み続ける。 そうして、20mほど前進した地点で足を止め、彼女は口を開いた。 状況を新たな局面へと進行させる、力ある言葉を紡ぐ為に。 そして。 「こちらは、管理局・・・!?」 言葉は、其処で途切れた。 「な・・・!?」 後方より襲い来る衝撃と轟音。 体勢を崩しつつも背後へと目をやったティアナの視界へと飛び込んだ光景は、倒れ伏す隊員達と奇妙な物体だった。 「なに・・・?」 それは半ばより千切れた、元は球体であったのであろう、奇妙な有機体。 その灰色の物体は、1本だけ巨大な触手が伸び、先端のレンズ部をこちらへと向けている。 どうやら先程の衝撃は、レンズより放たれた砲撃によるものであったらしい。 しかし、ティアナの意識を捉えたのは砲撃されたという事実ではなく、その触手の外観そのものだった。 「あれ、は・・・!」 その触手は、はやて等によって撃破された筈のバイド体、あの女性型の上半身にも似た部位を持つ、異形のもの。 それだけではない。 見ればその物体の各所に、先程の機動兵器のミサイル発射機や数珠繋ぎに連なった10基前後の砲、更には巨大な蛇の様な生物を半ばまで呑み込んだ有機質器官までもが存在していた。 それらは各々に蠢き、のたうち、周囲を無差別に攻撃し始める。 ティアナは咄嗟に、エレベーターシャフトの縁へと視線を向けた。 機動兵器の残骸が、無い。 その瞬間、彼女は理解した。 「擬態・・・生物や、兵器に・・・能力まで・・・!」 直後、青い光が視界の中で爆発する。 それが波動砲による砲撃であると理解した時には、ティアナの身体は宙を舞っていた。 視界の端、砲撃を受けた物体が爆発・四散する。 床面へと叩き付けられ、かなりの距離を転がるティアナ。 その動きが停止した時、彼女は身体を動かす事こそできなかったが、意識は保っていた。 口の中に滲む鉄の味と、胃の奥より込み上げる鉄の臭い。 不快だ。 とてつもなく不快だ。 だが、それを吐き出す事ができない。 咳き込めば吐き出す事もできるだろうに、身体はその欲求に従おうとしないのだ。 意識が朦朧とする。 どれだけの時間が経ったのだろう。 1分? 2分? それとも5分? 10分は経っていないだろう。 靴音が聴こえる。 誰かが自身の傍に歩み寄ってきたようだ。 隊員の誰かか? 『こちらニコルス。デコイ・メーカーを発見した』 くぐもった声、電子的発声。 その声が紡いだ言葉が意識へと飛び込むや否や、ティアナの意識は唐突に覚醒した。 脳裏を占める思考は、唯1つ。 これは「地球軍」だ。 「ぁ・・・つ、あッ!」 反射的に身を起こそうとするも、途端に走った激痛に全身が硬直する。 此処で漸くティアナは、自身がかなりの重傷を負っている事を自覚した。 それでも身を起こそうと試みる彼女の姿をどう捉えたのか、再び音声外部出力装置を通してのくぐもった声が響く。 『意識がある様だ・・・デバイスよりバイド係数検出。射殺許可を』 ティアナは鉛の様に重い瞼を上げ、自身の傍に立つ人物の全貌を視界へと捉えた。 霞む視界に映り込む全貌は、黒い。 全身を漆黒のアーマーに包み、その手にある物体は恐らく質量兵器。 輪郭より推察するに、銃口はこちらへと向けられているのだろう。 先程の言葉通り、射殺するつもりか。 ティアナの脳裏に、恐怖が宿る。 しかし直後、目前の兵士は銃口を下ろし、アーマーの肩部より小さな金属筒を抜き出した。 『・・・了解、確保する』 「う・・・あ・・・ぁ・・・」 その兵士は金属筒の底部を捻り、ティアナの傍らへと膝を突くと、その先端を彼女の首筋へと宛がおうとする。 ティアナは自身の意思に従わない身体を必死に動かして逃れようともがくが、実際には僅かに身動ぎする程度が精々であった。 当然ながら突き出される手より逃れる事など叶わず、冷たい金属の感触が首筋へと生じる。 合金製の床面を削る耳障りな異音、そして聴き慣れた叫び声がティアナの意識へと飛び込んできたのは、その時だった。 「ティアに・・・触るなああぁぁぁッ!」 兵士が金属筒を棄て、質量兵器を構えつつ背後へと振り返る。 その瞬間、彼の身体は宙を舞った。 視界に映る、見慣れた相棒のデバイス、リボルバーナックル。 スバルだ。 「ティア、起きて!」 彼女は拳を振り抜いた体勢から屈み、ティアナの腕を取る。 体を引き起こされると同時に、またも全身を衝撃にも似た痛覚が襲うが、ティアナはスバルに余計な心労を掛けまいと、零れそうになる悲鳴を堪えた。 スバルはティアナの肩の下から腕を回して担ごうと試みたが、唐突に聴覚へと飛び込んだ銃声と同時に振り返る。 そして、悲鳴を上げた。 「ノーヴェ!?」 ティアナからは、何が起こったかを窺い知る事はできない。 頸部を動かす余力も無ければ、身体ごと振り返る事も不可能。 故に、聴覚より状況を察する他なかった。 しかし彼女は既に、十二分に状況を理解している。 銃撃だ。 ノーヴェは地球軍に、質量兵器によって攻撃されたのだ。 「スバル・・・アタシは、良いから・・・逃げ・・・」 「嫌だ!」 俯きがちな視界の中に、青い光が拡がる。 ウイングロード、展開。 背後より響く断続的な銃声が、鼓膜を叩き続けている。 「安全な場所へ! ティアナを移したら、すぐに戻る!」 「馬鹿な事・・・言ってんじゃ、ないわよ・・・すぐに・・・逃げ・・・」 「嫌だ! 置いてくもんか! 置いてなんか・・・」 その瞬間、ティアナは空中へと放り出された。 何が起こったのか、全く理解できない。 ウイングロードの展開されていた3m程の高度から、彼女は金属の床面へと叩き付けられる。 衝突の瞬間、テァイナの意識は漆黒に覆われた。 肩から落下したのだが、痛覚が無い。 余程に酷く打ち付けた為だろうか、遂に感覚すら無くなってしまった様だ。 そして、ティアナは思い至る。 スバルもまた、後方より銃撃されたのだと。 『・・・3名を射殺、鎮圧した。なお、生態兵器と思われる個体を3体確保。内2体は敵対行動に移行した為に破壊、機能停止状態・・・』 あの靴音が、また近付いてくる。 金属音、そして小さな電子音。 やがて地球軍兵士の全貌が、視界へと浮かび上がった。 金属筒を片手に、残る手で油断なく銃口をこちらへと向けている。 そしてティアナの傍へと至ると、彼女の手元に転がるクロスミラージュを蹴り飛ばした。 耳障りな音を立てつつ、2つのデバイスが床面を滑りゆく。 ティアナは最後の力を振り絞って頭部を動かし、クロスミラージュの行方を目で追った。 其々5m程で停止する2つのデバイス。 しかし、その後を追っていたティアナの意識を捉えたのは、全く別の光景だった。 「・・・スバル?」 それは、微動だにせず横たわる親友の姿。 その周囲には紅い光沢が徐々に拡がり、少しばかり離れた位置には彼女のデバイス、リボルバーナックル、そしてマッハキャリバーの一方が転がっている。 だがそれは、デバイスだけが転がっているのではなかった。 「え・・・?」 無骨な手甲の装着部から、白い肌が覗いている。 同性の自身ですら羨む程の、純白の肌が。 常ならば健康的な白さを誇っている筈のそれは、飛沫の様に噴き掛かった真紅の斑点によって汚されている。 ローラーブレードも同様で、履き口からは引き締まった脚が伸び、膝上の辺りで唐突に途絶えていた。 こちらは全体が更に赤く塗れ、不気味な痙攣を続けている。 そして、スバルは。 「嫌・・・」 スバルはこちらへと背を向けたまま、微動だにしない。 その右腕は肘の先で途切れており、右足に至っては大腿部の先が無く、其々の断面より大量の血液が吹き出していた。 傍らには1人の兵士が立ち、大型の散弾銃と思しき質量兵器を手に警戒を行っている。 「嫌ぁ・・・!」 ティアナは必死に、まるでスバルを引き寄せようとするかの様に手を伸ばした。 無論の事ながら、届く筈もない。 だが今のティアナには、理性的な判断をする余裕など無かった。 親友が、目の前で死に掛けている。 自分の所為だ。 自分を助けようとしたから、彼女は死に掛けているのだ。 助けねば。 絶対に助けねば。 「ぎ・・・あ、が・・・ッ」 ティアナの指が床面を引っ掻き、少しでも身体を移動せんと奮闘する。 しかし無情にも、彼女の全身は僅かなりともその場から動きはしない。 そして、漆黒のグローブに覆われた手が、ティアナの頭部を押さえ付けた。 触れられた箇所を襲う異様な感触は、何らかの人工素材による分厚いグローブだ。 その手は頭部を固定し、首筋を露わにさせる。 先程と同じく、金属筒が押し付けられる冷たい感触。 ティアナは恐怖と絶望、そして無限とも思える敵意と憎悪を以って、頭部を固定するグローブの持ち主を睨んだ。 憤怒か、屈辱か、諦観か。 いずれとも付かぬ感情が溢れ、熱い雫となって瞼の内より零れ出す。 頬を伝うそれを拭う事もできない己が身体に、ティアナはより絶望を深めるだけ。 それでも、最後の抵抗を試みる。 無意味な行動だとは知りつつも、それをせずにはいられなかった。 視線をずらし、何時の間にか輸送路に展開している地球軍兵士達、その更に奥の空間に浮かぶ、白色と褐色の機体を視界へと捉える。 碌に動かず震える指を動かし、拳を形作ると中指を立て、狂い猛る意思に反して震える声で以って言い放った。 「くた・・・ばれ・・・!」 首筋で起こった小さな電子音と共に、ティアナの意識は闇へと沈む。 最後に意識へと飛び込んだ音声は、変わらず無機質な響きを保っていた。 『デコイ・メーカー、確保』
https://w.atwiki.jp/nanohass/pages/3837.html
ウィンドウの向こう、巨大な戦艦を中心とした総数12隻から成る艦隊が、港湾施設より出港してゆく。 微速航行するそれら艦艇の所属は、管理局から各次元世界、そして地球軍まで多岐に亘っていた。 その殆どは人工天体内部へと転送され、バイドによる模倣の基となっていたオリジナルである。 艦隊旗艦に抜擢された全長1830mにも達する巨大な戦艦は、第148管理世界に於いて管理局への通達を行わずに建造された違法艦艇、空母型戦闘艦「ウォンロン」だ。 第148管理世界本星ではなく衛星上の基地にて秘密裏に建造されたこの艦は、アルカンシェルに匹敵する戦略魔導兵器のみならず、核弾頭を始めとして膨大な数の質量兵器と艦載機を搭載する戦略艦だったらしい。 此処十数年に亘って違法艦隊を保有しているのではないかとの疑惑が囁かれてきた当該世界だが、これ程までに強大な戦闘艦を有している等という事実は管理局の知るところではなかった。 それだけに、厳重な情報統制が為されていたのだろうと予測できる。 第148管理世界にとっての不運は、次元世界に於ける試験航行中にウォンロンが隔離空間へと転送されてしまった事だろう。 ランツクネヒトが提示した生存者の証言記録によれば、転送は26日前の事らしい。 そして混乱の最中、艦は中枢系に異常を来し始めた。 先ず緊急用隔離壁が作動、乗組員は艦内各所にて孤立。 動力系統がダウン、循環システムの停止により全乗組員の2割が窒息死する。 残る乗組員はエリア毎の非常用電力供給システムの起動に成功したが、その後に彼等を待ち受けていたのは更なる脅威だった。 都市部等で運用する対人掃討機、即ちマンハンターが起動し、艦内の人間を狩り始めたのだ。 その他にも艦自体のセキュリティ、更には対BC防御システムまでもが生存者に牙を剥いた。 結局、アイギスによってウォンロンの出現を察知したランツクネヒトが艦内へと突入した時、生存していた乗組員の数は全体の1割にも満たない僅か52名。 内6名は後に、この時の負傷が原因となって死亡してしまう。 ランツクネヒト、そしてコロニー群に身を寄せる生存者にとっては、ウォンロンの転送は思わぬ幸運だった。 旗艦となり得る主力戦闘艦がL級次元航行艦1隻という状況下で、戦略兵器を満載した大型戦闘艦が現れたのだ。 彼等はウォンロンの生存者を収容した後に艦内を制圧し、一部制御系統を破壊する事で除染に成功。 生存者の協力の下に、カタパルトを始めとする各種設備の改修を経て、艦をコロニー防衛艦隊へと組み込んだ。 そして今、ウォンロンは無数の機動兵器と22機のR戦闘機を搭載し、脱出艦隊の旗艦として作戦行動に当たっている。 「・・・これが3時間前の映像だね」 ウィンドウを閉じ、自身の隣へと視線を移す。 青の髪、赤の髪。 無言のままにウィンドウを見つめていた2人へと、彼女は気遣わしげに言葉を掛ける。 「・・・大丈夫?」 返す視線は、何処か虚ろだった。 1人はウィンドウの消えた中空から、もう1人は自身の掌から視線を外して彼女を見やる。 どうやら聞こえていなかったという訳ではないらしく、返答は確りとしたものだった。 「私達は大丈夫です。それよりも、なのはさんはどうなんですか? 軽い怪我ではなかったと聞きましたけど」 逆にこちらを気遣う言葉に彼女、なのはは苦い笑みを浮かべる。 彼女が目覚めたのは約21時間前、目前の2人より12時間遅れての覚醒だった。 完治までに要したその時間は、彼女が負った傷の重大さを意味している。 しかし状況の把握と前線への復帰については、2人よりもなのはの方が早かった。 無数の検査を受けねばならなかった2人とは異なり、彼女の場合は30分で全ての検査が終了してしまったのだ。 結果として2人の前線への復帰は約2時間前の事となり、今はこうしてなのはから状況の説明を受けている。 「大丈夫、もう完璧に治ったよ・・・ちょっと違和感はあるけどね」 「あはは、良く解ります」 そう言って朗らかに笑う彼女、スバル。 だがなのはは、その笑顔が作られたものだと見抜いていた。 その表情の裏に、色濃い苦悩が渦巻いているのだと。 無理もないだろう。 ナノマシンによる高速復元を受けただけのなのはでさえ、自身の身体が数十時間前のそれと同一のものか否か、判然としない感覚を味わっているのだ。 況してやスバルとノーヴェは、脳髄を除く全身を再構築するという、治療とも呼べない異常な方法で生命を取り留めている。 長年に亘り苦楽を共にしてきた身体を本人達すら知り得ぬ間に奪われ、意識が回復した時には全く新しい身体が与えられていたというのだから、彼女達の受けた衝撃は如何ばかりのものか。 驚く程に違和感はないと語ってはいたが、その事実は何ら救いとはなり得ない。 彼女達がこれまでの人生を刻み込んできた本来の身体は、もはや永遠に失われてしまったのだ。 変わらぬものは、自身ですら認識する事が叶わぬ脳髄だけ。 極論してしまえば、それすらも本当に自身のものであるか否か、確かめる術は無いのだ。 そして彼女達が苦悩しているのは、その事実だけではあるまい。 現在は脱出艦隊と共にある、計9機の無人R戦闘機。 その制御中枢として用いられたという、スバルとノーヴェの体組織を用いた培養体。 戦闘機人として有する無機構造物との高度癒着性ゆえ、脳髄のみの存在として生み出された彼女等は自己の意識を持つ事すら許されずに加工され、唯バイドと戦う為だけの生命として変貌させられたのだ。 否、地球軍の例を鑑みるに、生物個体としての認識があるか否かも怪しいものだろう。 良いところ、単なるR戦闘機の一構成部位という認識かもしれない。 自分自身、或いは姉妹とも云えるそれらが単なる部品として扱われているという事実をどう受け止めれば良いのか。 2人は導きだせる筈もない答えを探し出そうと、必死に思考の闇を掻き分けているのだろう。 「・・・それで、アタシ達は此処で何をすれば良いんだ?」 暗く沈みゆく思考を引き上げるかの様な、ノーヴェの声。 彼女は自身達をこの場、即ちコロニー外殻へと運んできた強襲艇、そのタラップを降りるランツクネヒトの人員を見やっていた。 その声には怒気も敵意も感じられなかったが、常からの彼女の苛烈さを知っている身としては、逆にそれが良からぬ傾向に思える。 彼女もまた、自己の同一性について苦悩しているのか。 「外部からの救出部隊が到着するまでコロニー群を護る事、それが私達の役割だね。宙間戦闘はR戦闘機や艦艇の土壇場だから、私達は此処に取り付く小型から中型の機動兵器を排除する」 「防衛衛星は?」 「アイギスの兵装は威力が大き過ぎて、コロニーに取り付いた敵を撃つ事はできない。其処で、小回りの利く魔導師と小型機動兵器の出番って訳」 「ランツクネヒトのR戦闘機部隊はどうしているんです」 「「ヴィルト」隊と「ドロセル」隊は脱出艦隊の方。「シュトラオス」隊はアイギスと一緒に宙間防衛任務に就いているよ。此処に居るのは「ペレグリン」隊の4機、後は「ヤタガラス」だね」 言葉を紡ぎつつ、なのははランツクネヒト所属のR-11Sと、約26時間前に新たに合流を果たした地球軍所属のR戦闘機の映像を表示してみせる。 だが地球軍のR戦闘機の映像を目にするや否や、スバルとノーヴェの視線が剣呑な光を帯びた。 スバルは驚愕に、ノーヴェは敵意に満ち満ちた眼で、ウィンドウ上に映る黄色の塗装を施された機体を見据える。 そしてなのはにとってもその機体は、決して好ましくはない記憶と共に脳裏へと刻み込まれたものだった。 機体各所に張り巡らされたチューブ、複数の放熱機とタンク、キャノピー下部のノズル。 忘れはしない、忘れられる筈もない。 「R-9Sk2 DOMINIONS」 主天使の名を冠されし異形、業火を支配する機体。 嘗て第4廃棄都市区画を焼き尽くし、その炎によってなのはをも追い詰めたそれ。 3本の脚を持つ烏のエンブレムが刻まれたその機体は今、映像の中のそれと寸分違わぬ姿を彼女達の頭上に現わしていた。 航空機の尾翼を思わせる3つのコントロールロッド、各々のロッド左右に位置する計6枚の翼状放熱フィールド、それらを備えた巨大なフォース。 9つもの翼を広げる異形の影は、成程、日本神話にあるという三本脚の烏を思わせるものと捉えられるかもしれない。 神話の八咫烏は太陽の象徴であるとの事だが、こちらもまたトカマク型核融合炉を内蔵した機体だ。 だが同じ原理、同じ力を司る神の名を冠されているとはいえ、その機体の全貌からは神々しさなど全く感じられず、寧ろ禍々しさと質量兵器特有の無機質さが際立っている。 何よりこの機体の存在を認め難い理由は、複数の同型機がクラナガン西部区画に対し、無差別砲撃を繰り返していた事実が記録映像より判明している事だ。 それらの砲撃は撃墜した汚染体の焼却が目的だったらしいが、クラナガン市民の生命を完全に無視したその凶行によって、少なくとも4万人が行方不明となっている。 死者よりも行方不明者の数が圧倒的に多い理由は、5,000,000Kにも達する超高温の炎によって、犠牲者の身体が区画ごと消滅してしまったからに他ならない。 どうやらなのはを砲撃した際には数千度にまで熱量を抑えていたらしく、更に西部区画でのそれについても最大出力での砲撃であったかは疑わしい。 何せあの機体には、熱核融合炉が搭載されているのだ。 熱核融合の励起には100,000,000K以上もの熱が必要である事を考慮すれば、最大出力での砲撃時には他のR戦闘機をすら凌駕する圧倒的、破滅的な破壊を齎すものと予想できる。 否、砲撃に波動粒子をも用いている事を考慮に入れれば、破壊の規模はその予想をすら上回るかもしれない。 「・・・このコロニーごと焼き払うつもりですか、彼等は」 「流石に出力は制限されているって話だよ。まあそれでも、巻き込まれたら一巻の終わりなのは変わりないけれど・・・私達も、ランツクネヒトもね」 ウィンドウを閉じ、息を吐く。 空洞内部は無重力だが、大気が在る為に呼吸は可能だ。 現在地であるコロニー外殻は人工重力が発生しており、その影響範囲は外殻から200m以内の宙間にまで及ぶ。 よって魔導師や歩兵、各種陸上機動兵器は、通常の感覚で行動する事が可能となっている。 なのは達は此処で、アイギスと艦隊、そしてR戦闘機による防衛網を突破し、外殻からコロニー内部へと侵入を図る汚染体を迎撃するのだ。 「それにしても・・・敵は本当に、あの防衛網を突破してくるんですか? 核弾頭とレーザー、おまけに電磁投射砲と波動砲にアルカンシェルですよ」 「それでもかなりの数が突破に成功するみたい。敵の物量が圧倒的過ぎて、どんなに少なくても3%近くがコロニーに取り付くらしいよ」 「具体的にはどれ位なんだ」 「小型の汚染体が300から400、50m級が約20、稀に100m以上が1体から2体」 「・・・3%でそれかよ」 うんざりとした様子で呟くノーヴェを横目に、なのはは頭上のヤタガラスを見上げ、次いで外壁の彼方を飛ぶ小さな影を見据える。 このコロニーは直径6km、全長は54kmに達する円筒形だが、彼女達の現在地はその端部だ。 その影が飛んでいるのは外殻中央、約27km離れた地点の筈だが、微かに視認できるその影はR戦闘機と同等か、或いは一回りほど大きい。 しかしその飛び方は、どちらかと云えば有機的な物を感じさせた。 悠々と宙を舞う影の傍には、それよりも少し小さな影が寄り添う様にして付き従っている。 「ヴォルテールとフリードですね」 スバルから掛けられた言葉に、なのはは無言のままに頷く。 真竜ヴォルテール。 第6管理世界、アルザスの守護竜。 竜召喚士であるキャロの命によって召喚され、彼女の障害を打ち砕く黒き竜。 「あれ、ルーお嬢の白天王をやった黒い奴か? 何で此処に居るんだよ」 「召喚したのは隔離空間が拡大した後だったんだけど、アルザスに戻す事ができないらしいよ・・・キャロが言うには、アルザスか第6管理世界全域に何かあったんじゃないかって・・・」 『警告。第4層より敵機動兵器群接近。出現ポイントA-74からJ-55。アイギス、交戦開始』 『第3層より敵機動兵器群接近。出現ポイントC-03からW-92。シュトラオス隊、交戦開始』 なのはの言葉を遮る様にして、全方位念話での警告が飛ぶ。 咄嗟に宙空を見上げれば、闇の彼方に無数の光が瞬き始めた。 同時にヤタガラスが緩やかに上昇を始め、そのまま人工重力の影響範囲外へと脱すると、青い燐光と轟音、そして衝撃波だけを残しその姿が掻き消える。 どうやら、反対側のコロニー外殻へと向かったらしい。 頭上の宙空は無数の閃光によって完全に覆い尽くされているが、距離の関係から此処までは未だに一切の音が届いてはいない。 レイジングハートを通じてバリアジャケットの防音設定を変更しながら、なのはは無言で激しい宙間戦闘の光景を見上げる。 『やっぱり、気になりますか?』 そんな中、スバルからの念話が届いた。 今にも轟音が届くとも知れない中での、音声での会話は危険と判断したのだろう。 下手に防音設定を解除すれば、突然の轟音で聴覚を損なう恐れがある。 本来はデバイスが適度に調整してくれる為、これまでは特に気にも留めなかった。 しかし聴覚への被害の恐ろしさについては、つい数十時間前に身を以って体験したばかりだ。 少しばかりプログラムを強化し聴覚の保護に努めねば、まともに戦闘を行う事すら危ういだろう。 そんな事を思考しつつ、なのはは念話を返す。 『何の事?』 『例のカイゼル・ファルベを操ったっていう汚染体の事です。ザブトム・・・でしたっけ。R戦闘機の追撃を振り切って、第4層に逃げ込んだんですよね』 その言葉を受けたなのはの脳裏へと浮かぶのは、あの鋼色の異形の全貌。 40mにも達する全高に、全長が70m程もある節足動物の様な下半身。 人が認識し得る、ありとあらゆる負の感情が凝縮されているかの様な、醜悪な形相。 その額へと埋め込まれた、直径4mを超える赤い結晶体、レリック。 コードネーム「ZABTOM」。 逃げ切っていたのだ、あの戦域から。 砲撃によりなのはが意識を失った後、あの異形は浅異層次元潜航を用いて離脱を図ったらしい。 無論、目標と交戦中だったR-9C「メテオール」は追撃に移ろうとしたが、周囲の残存艦艇、その全てがオンラインとなった為に断念せざるを得なかったのだという。 メテオール、そして辛うじて意識を保っていた攻撃隊員達は、戦闘に気付いたランツクネヒトが応援に駆け付けるまでの約3時間、正に全滅と紙一重の戦闘、正確には逃走劇を継続。 最終的に、汚染艦艇群はペレグリン・ドロセル両隊とアイギス群の集中砲火により殲滅され、攻撃隊は意識の無いなのは共々ランツクネヒトに保護されたのだ。 戦域からの離脱に成功したザブトムの行方は、未だに判明していない。 『・・・全く歯が立たなかった訳だし、あれがまだ健在って事は此処も襲われるかもしれない。警戒しておくに越した事はないよ』 『できる事なら脱出艦隊の帰還まで、何処かで大人しくしていて貰いたいですね』 『できる事なら、ね』 その時3人の傍らに、警告音と共にウィンドウが展開される。 通常とは異なる赤い画面に、黒い「WARNING」の表示。 同時に質量兵器及び魔導兵器群による長距離砲撃が開始され、外殻の其処彼処から砲撃と誘導弾体が宙空へと放たれ始めた。 魔導師よりも射程の長いそれらが、迎撃の先鋒を担っているのだ。 続いて念話が脳裏へと響く。 『警告、敵機動兵器群の一部が防衛網を突破。「リボルバー」281体及び「キャンサー」149機、タイプ「ギロニカ」18体』 『管制室より全隊、照明弾を射出する』 「AIFS activated」の表示がウィンドウ上に現れると同時、コロニー外壁の各所より無数の火柱が上がり、数百ものロケット弾が宙空へと放たれた。 それらは微かに白い尾を引きつつ、瞬く間に闇の中へと消える。 そして、閃光。 強烈な白い光の中、コロニーへと近付く全ての影が明確に浮かび上がる。 敵、接近中。 『魔導師隊、迎撃を開始せよ』 その念話が伝わり切るよりも早く、無数の砲撃と魔導弾の弾幕が撃ち上げられる。 閃光の中に浮かぶ影は随分とその数を減らしてはいたが、それでも蜘蛛の様な大型の影が複数、砲撃のカーテンを物ともせずに降下してくる様が見えた。 異様な光景に軽く息を呑むと、なのははレイジングハートを構えて背後の2人へと指示を飛ばす。 『迎撃するよ、スバル、ノーヴェ! 単独行動はせず、周囲の魔導師隊と協力して・・・』 その言葉が言い切られる事はなかった。 宙空に巨大な業火の線が刻まれ、大蛇の如く蠢くそれが影を次々に呑み込んでいったのだ。 小型の影は跡形もなく消滅し、大型のものは爆散し炎を纏った僅かな破片となって降り注ぐ。 忘れもしないその光景、ヤタガラスの砲撃だ。 だがそれでも一部の大型敵性体は、途切れた砲撃の合間を縫って降下を続ける。 激しい迎撃によって2体が宙空で四散したものの、未だに5体が健在だ。 降下軌道から予測される落着地点は、恐らくは外殻中央。 『おい、あそこって!』 『なのはさん!』 『分かってる、行くよ!』 落着地点に位置するエリオとキャロを援護すべく、なのははスバル達を引き連れ外殻中央へと向かう。 長距離砲撃は新たに防衛網を突破した一群の迎撃へと移行した為、降下中の5体を狙い撃っているのは魔導師と、質量兵器によって武装した歩兵のみ。 中央周辺にははやてとヴォルケンリッター、少し離れた位置にはギンガや他のナンバーズも居るが、速やかに大威力の砲撃を放てる者ともなればその数は限られる。 はやての砲撃は強力だが、詠唱に時間が掛かる為に敵性体の落着以前に発動する事は困難だ。 無論、他にも多くの戦闘要員が配置されているが、援護が来るまでの短時間とはいえ5体もの大型敵性体を相手取るには、エリオ達と数名の魔導師では不安が残る。 すぐにでも駆け付け、可能な限り速やかに攻撃に移らねばならない。 そんななのはの思考を嘲笑うかの様に、遥か前方の外殻に紅蓮の閃光が奔る。 爆発と見紛うばかりのそれに一瞬、最悪の事態がなのはの脳裏を過ぎるも、直後にその意識は閃光の内より放たれた2条の砲撃に引き付けられた。 周囲の大気をすら消し飛ばしつつ放たれた、紅蓮の業火を纏う2発の大規模砲撃魔法。 それらは降下中の異形2体を呑み込み、一瞬にしてその巨躯を四散させる。 砲撃の余波は他の1体にまで及び、その6本の脚の内2本を消し飛ばした。 降下姿勢を崩し、錐揉み状態に陥る異形。 その存在を無視するかの様に、金色の閃光が異形の傍らを突き抜ける。 魔力光の残滓を引きつつ、衝撃波を撒き散らして宙空を貫く雷光。 直後、如何なる理由か、残る2体の異形が降下姿勢を崩す。 3体の異形は姿勢回復を試みる様子もなく、人工重力に引かれるままに降下を続け、そして。 『ギロニカ、落着3。機能停止2』 そのまま、外殻へと叩き付けられた。 第一派迎撃開始より、実に1分12秒。 余りにも短時間の攻防だった。 * * 『馬鹿げている・・・!』 チンクより発せられた念話は、眼前の戦闘を目撃したほぼ全ての魔導師の内心を的確に言い表しているだろう。 少なくともはやてとしては全く以って同意であり、目の前で繰り広げられた戦闘は彼女が良く知る少年と少女の行う戦いではなかった。 4体の大型敵性体を僅か6秒で撃破し、更に1体を行動不能に陥らせた攻撃。 簡潔に言ってしまえば、ヴォルテールのギオ・エルガに続いて、エリオのメッサー・アングリフによって連続的に攻撃を実行したに過ぎない。 しかしそれは、個々の攻撃の規模こそ桁違いではあるが、はやての知るエリオとキャロの連携と異なる箇所は無いのだ。 異常なのは其々の攻撃精度と威力、そして速度である。 ギオ・エルガが降下中の2体を精確に捉え一瞬で破壊した事は勿論だが、はやてにとってはその後のエリオの攻撃こそが理解の範疇外だった。 何しろ、一部始終を目撃していたにも拘らず、彼が何をしたのか全く視認できなかったのだ。 それでも、突如として宙空に出現したエリオの手に握られたストラーダが紫電の光を纏っていた事から、メッサー・アングリフを発動したのだろうという事は辛うじて理解できた。 解らないのは、彼がそれで何をしたのかという事だ。 『・・・ザフィーラ、見えた?』 『ええ、何とか』 『エリオは、何を?』 自身の家族にして守護獣であるザフィーラへと問い掛ければ、彼はエリオの行動を視認できたという。 はやてには彼の魔力光と、全てが終わった後に現れた彼の姿しか視認できなかった。 一体、エリオは何をしたのか。 『刺突です』 ただ一言。 ザフィーラが放ったのは、それだけだった。 数秒ほどはやては彼の背を見つめ、呆然とした様子を隠しもせずに再度の問いを放つ。 『刺突が、どうしたん?』 『ですから、エリオのした事です。メッサー・アングリフによる突進からの刺突、彼がしたのはそれだけです』 はやては理解できなかった。 先ず、あの大型敵性体を単なる刺突で以って撃破したという言葉だ。 ストラーダに異様な改造が施されている事は既知であったが、それを考慮に入れたとしても異常である。 確かに、魔力付与を用いて放たれるエリオの刺突・斬撃は、師の1人であるシグナムのそれとまでは行かずとも強力だ。 だが、あれだけ大型の機動兵器を一撃で撃破できる程かと問われれば、はやては否と答える。 ガジェット程度なら未だしも、相手は幅50mにも達する機動兵器。 如何に強力とはいえ、飽くまで対人及び対小型機動兵器戦闘を想定して構築されたエリオの近代ベルカ式魔法では、それら規格外の存在を単独にて打倒する事は困難を極める筈だ。 更に理解できない事は、単体でさえ苦戦する筈の大型敵性体が2体存在し、それらがほぼ同時に機能を停止したらしき事である。 少なくとも、他方面からの攻撃が降下中の2体へと届いた様子は無かった。 であれば、それらを撃破したのはエリオ以外には有り得ない。 それともランツクネヒトか地球軍辺りが、こちらの知覚範囲外より何か仕掛けたのだろうか。 『エリオだ、はやて』 そんなはやての内心を察したのか、ヴィータからの念話が届く。 見れば彼女は、グラーフアイゼンを肩へと担いだまま、遥か前方を舞うフリードの影を見据えていた。 そして、険しい表情から滲む警戒の色を隠そうともせず、言葉を紡ぐ。 『どっちもエリオがやりやがった。一瞬だ』 『一瞬って・・・』 『ストラーダから一瞬だけ馬鹿デカい魔力刃を展開して1体目を貫いた後、その図体を蹴って殆ど減速なしで2体目をブチ抜きやがった。フリードの背中を飛び立ってから2秒も掛かっていない』 『おまけに魔力刃を敵に突き立てた後、サンダーレイジを放っています。内部から敵兵器の制御中枢を焼き切ったのでしょう』 ヴィータ、そしてザフィーラの言葉に、はやては改めてエリオの影を見やった。 彼は人工重力の影響範囲外へと脱した後、宙空より眼下の敵性体残骸を見据えている。 その時はやては、残骸と化したかに見えた一体が、未だ活動を続けている事に気付いた。 『・・・あかん!』 それは、ギオ・エルガの余波により姿勢を崩した1体。 どうやら外殻との衝突を経ても機能を保持していたらしく、残る4本の脚で姿勢を正すと同時に歩行を開始した。 良く見ると敵性体の表層は有機組織に覆われており、恐らくは半有機系機動兵器の一種であると思われる。 そして上部の機械部位より、発光する気泡が間欠泉の如く放たれ始めた。 その数は数十などという生易しいものではなく、明らかに1000を超えている。 僅かに下降して同高度に留まる無数の気泡は、不気味な光の帯となって周囲へと拡散を始めた。 『警告。ギロニカ、多目的浮遊機雷の放出を開始』 『敵兵装MFM-805、有機系空間制圧機雷。弾体は強酸性及び爆発性のガスを内包』 『こちらライトニング、目標を攻撃します』 管制室からの警告が届いた直後、聞き慣れたコールサインと共に別の念話が発せられる。 見れば、何時の間にかヴォルテールが敵性体へと接近しており、その背に乗る小柄な人物からは嵐の様に激しい弾幕が敵性体へと撃ち込まれていた。 その弾幕は記憶の中のそれよりも遥かに密度が高いが、恐らくはキャロのウイングシューターだろう。 攻撃はそれだけに留まらず、フリードが敵性体の周囲を旋回しており、矢継ぎ早にブラストレイを目標周辺へと撃ち込み続けていた。 弾幕と噴き上がる爆炎が気泡状の浮遊機雷を片端から焼き尽くし、更に敵性体の脚部を覆う有機組織までをも剥ぎ取ってゆく。 次の瞬間、目標は全ての機能を停止していた。 可視化した衝撃波と金色の閃光がはやての視界を閉ざした後、再度視線をやった先には、敵性体上に立つエリオの姿。 その手に握られた異形のストラーダは敵性体の体躯に深々と突き刺さり、微かに紫電を放った後に呆気ないほど軽く引き抜かれた。 カートリッジシステムに装着された「AC-47β」から、大量の圧縮魔力が高圧蒸気の如く噴出する。 エリオは周囲の炎を気にも留めずに跳躍、低空を滑空する様にして接近してきたフリードの背へと飛び乗った。 フリードは上昇、頭上で待機していたヴォルテールと並び旋回を始める。 『ギロニカの撃破を確認。外殻クリア』 『アイギス及び防衛艦隊、敵の殲滅に成功。外殻展開中の各部隊は現状のまま待機、指示を待て』 呆然と2騎の竜を見つめていたはやては、管制室からの念話によって漸く戦闘が終結した事を理解した。 そうして、気付く。 自身がこの場に於いて、如何に無力であったかを。 何もできなかったのだ。 防衛網を潜り抜けて降下してきた敵の殆どは、各次元世界の兵器とR戦闘機によって大きくその数を減じ、僅かに落着した大型敵性体はエリオとキャロの2人が完膚なきまでに殲滅してしまった。 やや離れた地点に位置するティアナ達、そしてギンガとナンバーズは数機の小型敵性体を撃破した様だが、自身等は交戦にすら至らなかったのだ。 自身も、自身の家族達も、短時間の内に発動できる長距離攻撃魔法を持ち得てはいない。 ザフィーラやヴィータ、今は負傷者の治療に当たっているシャマルは勿論の事、シグナムのシュツルムファルケンでさえ射程と発動時間の面では些か心許ない。 自身は大威力・長射程の砲撃魔法を有してはいるものの、やはり発動時間の面で絶対的な不利がある。 故に、この迎撃戦に於いては、全くの戦力外だったのだ。 条件は同じだった筈である。 ヴォルテールの砲撃が如何に強力であるとはいえ、魔力の充填にはそれなりの時間が必要。 エリオの機動性が如何に優れているとはいえ、射程の絶対的な不足は覆し様のない事実。 にも拘らず、2人は実に見事な手際で、5体もの大型敵性体を撃破して退けた。 果たして、自身等に同じ芸当が可能だろうか。 恐らく不可能だろう。 あのタイミングで砲撃するには、敵性体落着までの時間を正確に予測せねばならない。 あの機雷を射出する異形の表層へと取り付くには、敵性体の行動を読み切らねばならない。 そのどちらについても、自身達には実行できるだけの下地が無い。 何故か? 「・・・決まっとるやん」 自身等には経験が無い。 自身の五感を通して収集した敵性体の情報も無ければ、攻撃実行を決断できるだけの要素も無い。 だがあの2人は、そして一月に亘りこのコロニーで生き抜いてきた者達は、それを自らの経験として獲得している。 彼等にしてみればこの程度の戦闘など、これまでにも幾度となく繰り返してきた事なのだろう。 キャロは砲撃のタイミングを知り尽くし、エリオは何処を攻撃すれば効率的に敵を屠れるかを知り得ている。 だからこその、あの手際、あの結果だ。 同様の戦果を叩き出す事など、現状でできる筈もない。 少なくともこの戦場で自身等は、あの2人と比して考えれば新兵も同然なのだ。 『管制室より外殻展開中の各部隊へ。敵増援は確認できず。魔導師及び歩兵部隊は順次コロニー内へ退去せよ』 『ライトニング隊、第3通信アレイ・ハッチへ』 はやて達の頭上を、黄色の塗装を施されたR戦闘機が悠々と飛び越えてゆく。 その後を追う様に白と黒の竜が飛び去った後、彼女は力なく首を振ると、傍らの2人を促して歩き始めた。 少し離れた位置を、同じ様にして歩くギンガ達の姿を視界の端へと捉えながら、彼女は遅々とした歩みでハッチを目指す。 一息に飛んで移動する気には、到底なれなかった。 * * 解り切っていた事ではあるが、40000を超える人員の全てを同時に脱出させる事は不可能だった。 コロニーごと移動してはどうかという意見もあったが、コロニー自体の防衛能力及び耐久性の貧弱さ、そして何より移動速度が問題となり却下されたらしい。 そもそも浅異層次元潜航が不可能となった時点で、独力での脱出の望みは潰えた様なものだったのだ。 では何故、この段階で脱出作戦が決行されたのかと問われれば、それには大まかに3つの理由があった。 1つは、当初の想定を超える戦力が揃った事だ。 ウォンロンという大型戦闘艦のみならず、総数8機ものR戦闘機との合流。 そしてスバルとノーヴェを解析して得られた情報、それらを基に培養された制御ユニットを搭載する事で、無人制御が可能となった9機のR戦闘機。 これらが揃った事で、浅異層次元潜航を使用せずとも正面から敵戦力を突破できるのでは、という可能性が出てきたのだ。 更に、総数900基を超える防衛人工衛星アイギスの約半数を随伴させる事により、大規模艦隊戦にすら対応できる程の戦力を送り出す事が可能となった。 艦隊を構成する各艦艇の巡航性能、そして敵の迎撃等を考慮すれば光速航行など望むべくもないが、それでも11時間以内に何らかの結果が齎されると思われる。 現時点で艦隊の出撃より4時間が経過している為、作戦が順調に進行すれば7時間以内に脱出艦隊、若しくは救援部隊がこの第3空洞へと現れる筈だ。 2つ目は、時間的猶予の消失である。 現状で判明している外部の状況は、決して好ましいものではない。 時間が経過するにつれ、バイドの物量は確実に他の勢力を圧倒してゆく。 最悪、地球軍を含む各勢力が遠方へと撤退する事態も考えられた。 そうなってしまえば、救援など望むべくもない。 よって、何としても短期の内に、外部との連絡を取る必要があったのだ。 既に、コロニー群の防衛戦力はそれなりに充実していた。 脱出艦隊の12隻を除いても、L級を筆頭として構成された7隻の戦闘艦による防衛艦隊。 ペレグリン・シュトラオス隊を含む11機のR戦闘機、450基を超えるアイギス。 数十機にも達する大型の質量・魔導兵器、1700名以上もの魔導師。 襲い来るバイド群を撃退するには、確実とは言えずとも十分な戦力である。 最早、作戦実行を躊躇う必要性は何処にも無かった。 このまま籠城戦を続けていたとしても、いずれはバイドの物量によって圧殺される事となるのだから。 そして、3つ目。 これまでに幾度となく、生存者達を悩ませてきた問題があった。 幾度か事態の改善を図ったものの、今に至るまで解決されてはいないその問題とは。 「またか・・・」 不規則に点滅した後、エリオの呟きと共に落ちる照明の光。 停電である。 このコロニー、元々は水星及び金星の公転軌道上に浮かぶ発電衛星群からの送電によって電力を得ていたらしく、完全自律発電機構としては非常用の原子炉が2基、それもコロニー建造当初の旧式型しか備えられてはいなかった。 無論、それで防衛系統を含む全システムへの電力供給が事足りる筈もなく、苦肉の策として第88民間旅客輸送船団の輸送艦2隻を第4ドックへと固定し、その動力である常温核融合炉を使用して電力を得ているのが現状である。 しかしそれでも、電力喰らいの防衛システムを維持した上で他系統への電力供給を網羅するには到底足りず、こうして不定期に何処かの区画が停電を起こすのだ。 電力供給に用いる輸送艦の数を増やしてはどうかとの意見もあったが、資源の輸送やコロニー間に於ける物資の流通等を考慮すると、これ以上は稼働状態にある艦数を減らす訳にはいかなかった。 結果、こうして現在もエリオ達の居る区画が停電するに至っている。 復旧までの時間もまちまちで、30秒程で回復する場合もあれば、2時間近くも停電が続いた事もあった。 元々が急ごしらえのシステムなので、異常の発生箇所もほぼ毎回に亘って異なるのだ。 こうなると大気循環システムまでもが停止してしまう為、各区画の隔壁は常に開放されている。 何時だったかランツクネヒトの隊員がエリオに、対バイド戦に於いては致命的な事だとぼやいていたが、停電で窒息死するよりはましだというのが大方の意見だった。 「今度は何時まで掛かるかな・・・」 「今回は早いと思うよ。原因はG-08のマス・キャッチャー格納区だって」 隣から掛けられた声に、そちらへと視線をやるエリオ。 其処には暗闇の中に浮かぶウィンドウを前にして操作を行なっているキャロ、その肩で翼を休めるフリードの姿があった。 彼女はウィンドウを閉じ、照明代わりの魔力球を浮かべる。 「空調も停止してる。少し暑くなるかも」 「良いんじゃないかな、このエリアって少し寒い位だし」 自らの使役竜の顎下に手をやり撫ぜるキャロと、微かに目を細めるフリード。 一見すれば微笑ましい光景だが、以前のそれとは僅かに異なるものである事をエリオは知っている。 キャロの表情に笑みはなく、フリードも以前の様に声を発する事はない。 それが何時からの事であるかも、エリオは良く覚えている。 六課解散後、キャロと共に自然保護隊所属となったエリオは、彼女の元上司である2人の局員から大いに世話を焼かれたものだ。 ミラ、そしてタント。 彼等は上司としての指導に当たる傍ら、キャロとエリオを自身の妹と弟の様に可愛がり、どちらかといえば娯楽に疎い2人の為に様々な遊びを教えてくれたりもした。 エリオも彼等を姉や兄の様に想っており、2人が交際を始めた事を打ち明けてきた時も、キャロと共に我が事の様に喜んだものだ。 2ヶ月前にミラの妊娠が発覚した際も、喜びの余りタントが彼女を抱き締める傍らで、2人共に心中へ次から次へと浮かんでくる喜びと祝いの言葉を送り続けた。 そうしてあの日も、検査の為に仲睦まじく街へと向かう彼らを乗せた車を、巡回前にキャロと並んで手を振りつつ見送ったのだ。 スプールス全土へと「何か」が落着したのは、その3時間後だった。 狂った生態系が猛威を振るう地獄の中を死に物狂いで逃げ惑い、襲い来る異形の生命体群を片端から屠る。 救援を求めても答える者は無く、近辺の生存者を集めると状況に流されるがまま籠城戦が始まった。 こちらが優勢だったのは、最初の2時間のみ。 後は尽きる事のない物量によって徐々に圧され、初めに1人、次に10人、次に100人と、秒を追う毎に犠牲者数が増えていった。 だが、真に生存者達を追い詰めたのは、その事実ではない。 スプールスに生息する生物の大多数は、リンカーコアを有している。 それらは個体識別に利用する事ができ、更に対象の同意を経て付与される識別用マーカーにより、120時間毎に自然保護隊の施設へと24時間のバイタル送信を行うシステムが構築されていた。 そのシステムは住民にも任意で適用され、雨期には比較的大規模な自然災害が多発するスプールスの環境から、彼等を効率的に守る為に利用されていたのだ。 そしてあの日もまた、バイタル送信の実行日だった。 原生生物のバイタルに紛れる様にして複数の人間のバイタルが存在する事に気付いたのは、近代ベルカ式という戦闘スタイル故に最前線でストラーダを振るっていたエリオだ。 一部の敵が住民のバイタルを複数に亘って有している事を確認したエリオは、しかしそれを熟考する暇さえなくストラーダで対象を貫いた。 切迫した戦況下での咄嗟の行いだったが、実感を以ってその事実を振り返る事ができたのは4時間程が経過してからの事だ。 休息を取っていたエリオは、自身が「人であったもの」を殺めたという事実を反芻し、恐怖した。 嘔吐し、震え、水を飲み、また嘔吐する。 恐ろしい事実に彼の心は軋みを上げ、悔恨が意識を締め付ける。 だが、其処で膝を屈するにはエリオの意思は屈強であり過ぎ、思考は聡明であり過ぎた。 彼はキャロや他の生存者に余計な心労を負わせまいと、自身を叱責して再度前線へと向かう。 そして襲い来る「人であったもの」達を、自身の心を殺しつつ屠り続けたのだ。 その頃になると、生存者達は皆が気付いていた。 押し寄せる異形の生命体群の中に、人間を基とする個体が少なからず存在する事に。 無論、キャロも例外ではなかっただろう。 フリードの放つブラストレイは徐々に大型の敵のみを狙い始め、その砲撃頻度も時間を追う毎に減少していった。 施設のシステムは暴走し、敵性体へと接近する度に対象の個人名が表示される様になってはいたが、エリオは強靭な意志でそれらを無視する。 認識してしまえば、槍を振るう事などできなくなってしまうから。 意志の力を振り絞って、表示されるウィンドウを意識の外へと追いやり、悲鳴を上げる肉体とリンカーコアを無視して、敵を屠り続けた。 只管に突き、抉り、薙ぎ、穿った。 悲鳴も、咆哮も、血飛沫も、負傷さえも無視した。 戦闘以外に関する全ての思考を抑え込み、突き殺し、焼き殺し、踏み潰した。 一瞬でも攻撃の手を緩めれば、その立場となるのは自身達であると理解していた。 皆を護る為に、自身が生き残る為に、絶対の暴力たらんとした。 それでも近接戦闘である以上、強制的に視界へと飛び込む情報もある。 対象へとストラーダを突き立てた瞬間に、眼前に表示されたウィンドウ上の名が目に入ってしまう事は幾度となくあった。 だがそれすらも無視し、エリオは押し寄せる無毛の鳥類にも似た異形を屠り続ける。 肉片と鮮血と共に敵の体内に巣食う無数の寄生虫が降り注ぐ中、彼は数十体目の異形へと突進、スタールメッサーで両脚を叩き斬り、落下してきた胴体へとストラーダの穂先を叩き込んだ。 その瞬間、噴き出す血潮の中で展開されたウィンドウを通し、彼の視界へと飛び込んできた人物名。 「タント」 「ミラ」 「胎児レベル 個人名未登録」 其処からのエリオの記憶は曖昧だ。 ただ、大量の魔力を消費した事と、耳を覆いたくなる様なキャロの悲鳴だけは覚えている。 後に記録映像を見たところ、彼は電気変換された魔力による暴走を引き起こしていた。 サンダーレイジの効果域を超える広範囲に亘って紫電の光が爆発し、周囲のありとあらゆる生命体を死滅させたとの事だ。 そして意識を失った彼はその後、5時間に亘って眠り続ける事となる。 尤も、彼自身は後に映像を見るまで、そんな事実があった事すら認識してはいなかった。 気付いた時にはベッドで仰向けになり、屋外より響く戦闘の音を耳にしつつ呆けていたのだから。 ただ、止める局員やキャロをすら振り切ってすぐさま戦闘へと復帰した際、異様に思考が落ち着いていた事だけは覚えていた。 後は機械的に敵性体を処理し、適当に敵を密集させた後にサンダーレイジで感電死させる作業を繰り返していた記憶はある。 そうこうしている内に人工天体内部へと転送され、ランツクネヒトによって保護されたのだ。 絶望的な籠城戦を生き延びたエリオ等だったが、その頃からキャロは全くといって良い程に笑わなくなった。 時折見せる笑顔は明らかに繕ったものであり、以前の様に自然な笑みを浮かべる事は決してない。 更に、今でこそこうして会話もできるが、保護された直後は顔を合わせる度に、まるで逃げる様にして彼の前から立ち去る事を繰り返していたものだ。 キャロが何を考えているのか、ある程度はエリオにも想像できた。 「ミラとタントであったもの」を殺してしまったエリオに対する制御できない憤り、それを抱く自身に対する憤怒と嫌悪、エリオに手を下させてしまった事に対する後ろめたさといったところか。 実質、あの時点でミラとタントという人間は死亡したも同然である事、殺害以外に方法が無かった事は、キャロも理解はしているのだろう。 だがそれでも、納得などできる筈もない。 直接に手を下したエリオを恨み、その役割を押し付けてしまったと自身を責め、しかし余りにも残酷な2人の死を受け入れる事は容認できず。 その優しさゆえにキャロは、エリオに対し憤りと罪悪感とを抱きつつも、否応なしに迫り来る状況に対応する中で一時的に精神が摩耗してしまったのだろう。 それで良い、とエリオは考えていた。 許さなくて良い、恨んでくれれば良いと。 そうでなければ、彼は正気を保つ自信が無かった。 いずれ、キャロの精神は回復するだろう。 彼女は強い。 残酷な現実も、何もかもを受け入れて、その上で前へと進む事ができるだろう。 だが、自身は以前と同じには戻れそうもない。 全てが終わった後、自身はこう考えてしまったのだ。 2人を、確実に殺せたのだろうか、と。 ストラーダを振るい「人であったもの」を屠り続けている最中、ふと脳裏へと浮かんだ疑問があった。 或いは自身のこの行いは、この異形へと変貌した人々にとっては「救い」なのだろうかと。 彼等はきっと、2度と人としてあるべき姿へとは戻れない。 異形の化け物と化し、同じ人間を襲い喰らう様からは、正常な人間の知性というものは全く感じられなかった。 このまま人を喰らい、無数の寄生虫を体内に宿しつつ狂気に侵されたこの世界を練り歩く事が、彼等にとっての幸福となるのだろうか。 違う。 此処で彼等を生かしておく事は、決して慈悲とはなり得ない。 真に彼等を想うならば、その変わり果てた生を許容する事なく、人間である者の手で断ち切る事こそが救いなのではないか。 それは、単に罪悪感から逃れる為の言い訳に過ぎなかったのかもしれない。 だがその時の自身にとっては、震えそうな腕に槍を振るう為の力を与えてくれる、正に天啓とも云うべきものだったのだ。 このコロニーへと保護された後、治療を受けている最中に思考を占めていたのは、自身は2人を「救う」事ができたのかという、結果に対する疑問だけだった。 2人、否、3人の殺害は不可避のものであったと、既に自身の中では結論が導き出されてしまったのだ。 卑怯な事だとは思う。 自身がこの問題で悩む事は、恐らくは2度と無い。 キャロが3人を殺害する役割を自身に押し付けたというのならば、自身は3人の死を悼む役割をキャロに押し付けている。 彼女はいずれ、この隔たりを埋めようと歩み寄りを試みる事だろう。 だが、自身がそれに応える事は、恐らくない。 彼女と同じく死者を悼んでしまえば、自身は2度と槍を振るえなくなってしまうから。 異形と化した者の境遇を想ってしまえば、背後に護るべき者があるにも拘らず、その生命を奪う事を躊躇ってしまうから。 自分が殺し、キャロが悼む。 それで良い、それこそが最良なのだ。 全てが終われば、互いに2度と交わらぬ道へと分たれる事になるかもしれない。 歩み寄ろうともしない自分に失望し、死者の魂を厭わぬ内面を軽蔑し、キャロ自身の意思で自分の前から去るのかもしれない。 だとしても、この意志だけは覆すつもりはないのだ。 人が、或いは「人であったもの」が、この先もまた自身等の前に立ちはだかるというのなら。 キャロには、誰1人として殺させない。 その責は、全て自分が負ってみせる。 「・・・戻ったみたいだね」 空調からの風が髪を擽るとほぼ同時、キャロの呟きが漏れた。 直後に照明が次々に点灯され、通路は元の明るさを取り戻す。 「Air circulation system activated」との人工音声アナウンス。 「・・・行こうか」 「うん」 キャロを促し、歩み始めるエリオ。 と、その左肩にそれなりの重みが掛かる。 見れば、フリードが其処に止まり、翼を休めていた。 以前は頻繁にあったが、あの日からは1度として無かった事だ。 驚き、キャロを見やると、彼女は何処か怯える様にしながらも、エリオの手元へと自身の手を伸ばそうとしていた。 だが彼女は、自身を見つめるエリオの視線に気付くと、暫し迷う様な素振りを見せた後にその手を引き戻す。 咄嗟に手を握りそうになる自身を何とか抑え、エリオはキャロより視線を外して歩み始めた。 自身の名を呼ぶ、掠れる様に小さな声を意図的に無視し、平静を装って無機質な通路を進む。 その肩にはもう、小さな竜の姿はなかった。 * * 「復旧しない?」 小奇麗に清掃されたレストランで食事を取っていたシャマルは、同じ店内から発せられた声にそちらへと振り返った。 彼女がこの場に居る理由は、何も職務を放棄した訳ではない。 シャマルが負傷者の治療に回された背景には、彼女が医務官の肩書きを持つだけが理由ではなく、能力が間接支援向きである為に迎撃戦には不向きと判断された事もあった。 無論、彼女自身もそれを承知していた為、特に問題はなく医療任務に就く事となったのだが、予想外な事に彼女がすべき仕事が殆ど無かったのだ。 だが、少し考えれば納得もできた。 重傷者は「AMTP」と呼称される第97管理外世界の医療ポッドか、各次元世界の被災者が持ち込んだ治癒結界展開装置を用いて治療する事がこのコロニーでの通例だ。 それが時間的に最短の方法であるし、元より外科手術を行える人員の数は限られている。 生存者達にとって全てをオートメーションで実行してくれる機械類は、医療に携わる同じ人間よりも遥かに信頼性が高かったのだ。 問題は電力である。 医療ポッドに治癒結界、いずれにしても稼働時には大量の電力を消費する物だ。 電力事情の悪いこのコロニーでは、全てのポッド及び結界を常時稼働させる事など不可能。 以前は比較的広域の結界を常時展開しており、軽傷者は自力でその中へと入って治癒を行っていたらしいが、被災者の数が膨れ上がるにつれ電力消費も跳ね上がり、結界を維持する事が不可能となってしまったのだ。 其処で、今度は医療魔法を使用できる魔導師が脚光を浴びる。 短時間で負傷を癒す事のできる彼等の能力は軽傷者の治療に打って付けだったが、その活躍も長くは続かなかった。 アイギスの配備数が増大し防衛戦力が強化される事で、散発的な戦闘の発生件数が激減した為だ。 周期的に発生するバイドの大規模侵攻では、防衛網を突破した強大な戦力との戦闘である事が多く、担ぎ込まれるのは重傷者か死体ばかり。 即ち医療ポッドを使用するか安置所送りかの2通りであり、個人の有する医療魔法が必要となる場面そのものが激減してしまったのだ。 シャマルも例外ではなかった。 彼女が治療を施したのは、保護された時点で負傷していた民間人4名のみ。 一応の精密検査は行ったものの、特に異状もなく全ての検査が終了した。 その後も医療施設内部で待機していたのだが、局員の1人に休憩を勧められ、施設から少し離れた位置で食事の提供を始めたレストランへと足を運んだのである。 元々はこのレストラン跡を覗いた数人の被災者が、自身等が料理を供する職業であった事も手伝って、生存者の精神的なケアを目的に始めたものだという。 その意図は見事に実を結び、昼時までは少し早い時間帯である現在も、店内には十数人の人影があった。 これが食事時ともなれば、屋外のテラス席までが満席になるという。 シャマルのオーダーはマフィンにコールスローという軽食だが、元が合成食品とは到底思えない程に美味なものだった。 マフィンは、生ハムの塩気とトマトの酸味がチーズのまろやかな甘みと相俟って絶妙な塩梅となっており、それが容易に噛み切れる程度の固さに焼き上げられたマフィンと見事に調和している。 少し強めに利かせたドレッシングの胡椒も、しつこくない程度に刺激的なスパイスとなっていた。 マヨネーズではなくレモン風味のソースで仕上げたコールスローも、マスタードがアクセントとなって新鮮な味わいがある。 そして何よりシャマルが気に入ったのは、食後にオーダーしたコーヒーだ。 ふくよかな豆の香りはこれまでに嗅いだ事のないものだったが、その香ばしさは彼女の好みにぴたりと当て嵌まった。 口に含むとブラックでも仄かに甘みがあり、それが口の中の油分を爽やかに押し流してくれる。 時間があれば、何処の世界の豆を使っているのか、店の者に尋ねてみるのも良いかもしれない。 『G-08エリアです。供給ラインの迂回により他のエリアでは復旧が確認されたのですが、当該エリアの電力はダウンしたままです』 「エリアを使用しているのはメイフィールド近衛軍だったな。通信は?」 『不通。向こうからの接触もありません。隔壁が閉鎖されたのか、或いは・・・』 「他に向かえる部隊は?」 『既に4小隊が向かっていますが、時間が掛かります』 「すぐに向かう、魔導師を寄越してくれ。探査系に優れた者が良い」 「此処に居るわ」 カップの中身を飲み干しナプキンで口許を拭くと、席を立ち通信を続ける彼等へと歩み寄るシャマル。 驚いた様に彼女を見る彼等だったが、すぐに魔導師であると悟ったのか、同じく席を立つと足早に歩み始めた。 カウンターの奥に声を掛け、食事の礼を言うとそのまま店を出る。 シャマルもそれに倣い、店の人間に礼を言いつつ屋外へと歩み出た。 「オルセア正規軍・第203陸戦隊、指揮官のビクトル・アロンソだ。正規軍って組織はオルセアに山ほど在るが、それについては勘弁してくれ。現在の隊員数は19名」 「管理局医務官、シャマルです。そちらに魔導師は?」 「いや、居ない。だが全員が対機動兵器戦を想定した武装を有している」 地下、即ち構造物内部へのアクセスポイントは市街の至る箇所にあり、シャマル達はその1つを目指す。 緊急用アクセス・ハッチの前には既に他の隊員が集合しており、各々が手にした質量兵器を点検していた。 そしてハッチが開放されると、全員が滑り込む様にして内部へと姿を消す。 後を追ってハッチ内部へと踏み込むと、其処には既にトラムが到着していた。 円柱状のレールから3本のアームが伸び、それらの先端に車体が接続された全方位可動式車両。 全員が車内に乗り込みドアが閉じると、トラムはすぐに発車する。 マス・キャッチャー格納庫までは3分だ。 「聞いた通りだ。我々はG-08エリアに向かい、周辺を調査する。当該エリアはメイフィールド近衛軍が機動兵器の保管に使用しており、特に大型マス・キャッチャー格納区は無重力状態が保持されている。 侵入する際はマグネットをオンにしろ。ドクター、飛翔魔法を使う際は重力下と感覚が異なるので注意を」 「了解」 やがて、トラムが減速を開始する。 車両が停止しハッチが開くと、其処はG-08エリア第2トラムステーションだった。 第203陸戦隊の面々が先に降車し、暫し安全確保をコールする声が続いた後、アロンソに促されてシャマルは車外へと歩み出る。 非常灯の明かりのみが照らし出すステーション内部。 薄闇の中を奔る赤い光、十数本のレーザーサイト。 シャマルはウィンドウを開き、アクセスを試みる。 「・・・駄目ですね。メインの電力は完全に落ちています」 『隔壁の閉鎖を確認。警戒して下さい』 「203了解。総員、格納区へ向かうぞ」 2名の隊員が通路を先行、やや離れて続く本隊。 後方にも2名が着き、隊は前後を警戒しつつ広大な通路を前進する。 やがて、閉鎖された隔壁が視界へと入った。 エリア各所へのアクセスルート、幅15m、高さ4mの通路を封鎖する、分厚い金属の壁。 隊員の1名が壁際のパネルを開き、内部のコンソールを操作する。 「駄目だ、全く反応が無い」 「管制室、電力を回してそちらからオーバーライドできないか?」 『了解、待機して下さい』 十数秒後、パネルに幾つかの光が点った。 すぐさま操作を再開する隊員。 そして彼はシャマルの名を呼び、コンソールの前にデバイス用のアクセスポイントである魔力球を発現させた。 「管理局のメカニックが構築したシステムなので問題は無い筈です、ドクター」 「ありがとう」 クラールヴィントをリンゲフォルムへと変貌させ、それを嵌めた指で魔力球へと触れる。 途端、隔離区画内の情報が、洪水の如く意識へと流れ込んできた。 システムの補助を得てそれらを整理し、並列思考で以って高速処理を行う。 「バイド係数2.62、複数探知。総数9」 「そいつは近衛軍の機動兵器だ。魔力増幅の為に「AC-47β」を模倣したシステムが配備されている」 「あとは・・・生命反応は確認できません。システム自体が沈黙しています」 「バイド係数の検出源は9ヶ所のみなんだな?」 「ええ」 暫しの沈黙。 シャマルは再度の探査を掛けるが、特に新しい情報は無かった。 何とか生命反応だけでも探知できまいかと試行錯誤していると、沈黙を打ち破ってアロンソの声が響く。 「マテオ、隔壁を開放しろ」 丁度その時、ステーションへとトラムが到着したらしい。 30名程の人員、魔導師やランツクネヒトを含むそれらが、こちらへと追い付いてくる。 どうやら通信越しに先程までの会話を聞いていたらしく、アロンソが続く言葉を紡ぎ出す事を待っている様だ。 「検出源の数は兵器数と一致している。先程の戦闘で損失があったとの記録も無い。という事は、こいつは純粋なシステムトラブルである可能性が高い」 「万が一という事もあるのでは? 例えば、格納区内部にバイドが侵入しているとか」 「コロニー内部へ侵入するものは何であれ、全て記録される。24時間以内にこのエリアから外部へ出入りしたのは、メイフィールドの機動兵器だけだ。それに・・・」 アロンソは溜息を吐き、手にした質量兵器の銃身で軽く肩を叩く。 その素振りが何処か呆れを滲ませている様に感じられるのは、気の所為ではあるまい。 「正直なところ、原因は分かっているんだ。連中が使っている防護結界だよ。待機中は9機の機動兵器、その全てに結界を施しているんだ」 「何だ、それは」 初耳だったのだろう、新たに到着した人員の1名が怪訝そうに問う。 だが、どうやらランツクネヒトの小隊指揮官は既にその事実を承知しているらしく、無言のまま僅かに肩を竦める素振りを見せていた。 「近衛軍兵士の能力は非常に優秀だが、同時にプライドも並外れて高い。軍全体から選び抜かれた精鋭の中の、更に一握りが近衛軍に所属できる。能力だけでなく、王家への忠誠心も問われるんだ。 連中の兵器は他の軍団とは異なり、王家から直々に授けられたもの、という事になっている。連中はそれに傷が付く事を敬遠するんだ。だから、普段から防護結界を展開して厳重に管理している」 その話は、シャマルも知っている。 メイフィールド王朝を有する第71管理世界は、旧暦に於いて親ベルカ勢力国家だった。 真偽こそ定かではないものの、メイフィールド王家は一部聖王の血筋を引いている、との歴史的見解すら存在する程度には密接な繋がりがあったのだ。 その見解を裏付ける様に、第71管理世界は古代ベルカに良く似た、或いはその発展形とも取れる専制君主制が敷かれている。 一方で軍の大部分はシステムの近代化が進んではいるものの、これが近衛軍ともなると未だに兵士というよりは騎士としての性格が色濃く残されていた。 彼等の使用する兵器は王家より授けられ、王家より賜った命を果たす事にのみそれを使用するのだ。 それらが戦場に於いて損傷する事に関しては納得せざるを得ないであろうが、戦闘以外の要因で傷付く事は極力避けたいというのが彼等の本音だろう。 「結界の電力を外部から供給しているのか」 「結界そのものが外部に構築されたものだ。連中、マス・キャッチャーの保管ユニットに機体を格納して、表層に結界を展開したシャッターを下ろしているんだ」 「それが停電の原因か」 だが、その信念も時と場所を弁えて欲しいものだ。 シャマルは騎士として共感を覚えると同時に、そんな相反する思考をも抱いてしまう。 彼等にしたところで、現状でのその行いは最善でない事など疾うに承知している筈だ。 それでも信念を変える事ができないのは、誇りある騎士としての融通の利かなさ故か。 「これでもう3度目だよ。確か第97管理外世界じゃ、何とかの顔も3度まで、って言うんだろ?」 「仏の顔も、よ。それも一部地域限定」 「何だって良いさ。こいつを開けて、中に入ろう。窒息でもされたら貴重な戦力が減っちまう」 「同感だ」 マテオと呼ばれた隊員が、三度コンソールを操作する。 「Quarantine lifted」との音声の後、隔壁が天井面へと収納され始めた。 未だに照明は落ちたままだが、ドア等の操作は可能となったらしい。 「前進」 アロンソの指示と共に、総数50名近くにもなった歩兵と魔導師の混成部隊は、警戒を緩めずにエリア深部へと向かう。 行く先々で隔壁を開放し近衛軍人員を探索するものの、その姿が照明の落ちた闇の中に浮かび上がる事はなかった。 だが同時に、最も恐れていたバイド係数の変動、検出源の増加なども起こってはいない。 係数2.62、総数9。 『リフレッシュルーム、クリア。やはり誰も居ない。何処へ行った?』 『機体の整備中だったんだろう。格納区へ行くぞ』 エリアに散っていた隊員が集まり、一丸となって格納区へと続く通路を進む。 やはり照明が落ちている以外にこれといった異常はなく、しかし万が一の事を考えるに警戒を緩める訳にはいかなかった。 バイドの脅威は此処に居る全員が身を以って経験しているであろうし、楽観的な予想を口にしたアロンソでさえ周囲警戒を怠る様子はない。 一同は、人に向けるには明らかに過剰な威力を有するであろう質量兵器、或いはデバイスを構え、足音を忍ばせる様にして移動を行っていた。 シャマルはバリアジャケットのデザインから徒歩で彼等の歩調に合わせる事を早々と諦め、今は飛翔魔法を用いて床面より僅かに浮かび上がり移動している。 そして通路を進むにつれ、右手の壁面に「MC HANGER BAY 01」との表示が施された隔壁が現れた。 「此処が格納区?」 『近衛軍が使用しているのは第4格納庫、もう少し先だ』 部隊は更に前進する。 200mほど進んだ頃、漸く「04」の表記が闇の中に浮かび上がった。 隔壁の前に展開した隊員達が質量兵器とデバイスを構え、無数のレーザーサイトの光が闇を切り裂く中、無機質な合成音声が響く。 『Quarantine lifted』 隔壁、開放。 次いで通常のドアが開放されると、その向こうには完全な闇が拡がっていた。 天井面と床面の非常灯が幾度か明滅した後に点灯し、漸く最低限の視界が確保される。 幅及び高さは50m程、奥行きは300m以上か。 シャマルは格納庫内部をサーチ、各種反応の位置を探る。 「バイド係数検出源、特定。此処だわ」 『壁面に格納ユニットの隔壁が並んでいるだろう。連中の機体はその中だ。確か、外殻から直接此処へ輸送される筈なんだが・・・』 『マス・キャッチャー・ユニットの格納用ラインがあるんだ。今は近衛軍が使用しているが、外殻ハッチ内部に機体を固定すれば、後はオートで格納ユニット内部まで運搬される』 ランツクネヒト隊員の説明を耳にしながら、シャマルは左右の壁面に並ぶ計10ヵ所の非常用隔壁を見渡した。 縦横60m程のそれら内部は、本来ならば近衛軍が設置した防護結界によって保護されているのだろう。 しかし今は完全に閉鎖され、その内部を窺う事はできない状態となっていた。 数名が各所の隔壁開放を試みるも、その結果は芳しいものではなかった。 『システムが操作を受け付けない。此処だけ独立している様だ』 『本当か?』 『詳しい事は解らないが、アクセスが拒否された。管制室、そちらからオーバーライドできないか?』 『試みましたが、失敗しました。先ずはエリアの電力供給を回復して下さい。その後で、再度オーバーライドを試みます』 『203了解。隊を2つに分けるぞ。我々はこのまま前進、アンタ方は此処の警戒を頼む。残っているのは大型マス・キャッチャー格納庫だけだ』 そして部隊は2つに分かれ、シャマルは第203陸戦隊と共に大型マス・キャッチャー格納庫を目指す。 目的地は第4格納庫を抜けた先、全ての格納庫へと繋がるドアが集合した通路の突き当たりにあり、逆方向のメインホールへと繋がるドアは破損している為に機能していないとの事だ。 進むこと数分、シャマル等は「LMC HANGER BAY」の隔壁へと辿り着いた。 「この先は無重力だ。ブーツの設定変更を忘れるな」 「電力が落ちているのに、無重力状態が維持されているの?」 「このコロニーは今、回転して遠心力を生み出している訳じゃない。急ごしらえの重力制御システムで、外殻へと向かって重力を発生させているんだ。無重力状態や重力偏向状態が必要な区画には、その影響が及ばない様になっている」 隊員がコンソールを操作し、隔壁を開放する。 その先に現れた通常のドアを前に、シャマルはシステム越しに内部を探った。 生命反応、多数。 システムエラーにより、詳細な数は不明。 「生命反応はあるけど、数は分からないわ。でも、彼等は此処に居る筈よ」 「マテオ」 アロンソの合図と共にドアが開かれる。 隊員達の質量兵器に取り付けられたフラッシュライトが内部を照らし出すと、微かな呻きが上がった。 照らし出された先に、パイロットスーツを纏った幾人かの人影。 どうやらペンライトの明かりを頼りに端末を覗き込んでいたらしく、向けられるフラッシュライトの光を遮る様に掌で目を庇っている。 「オルセア正規軍・第203陸戦隊、停電の調査に来た。全員無事か?」 「・・・ああ、良く来てくれた、助かるよ。この通り、みな無事だ」 答えつつ、年配の男性が幾分ぎこちない足の運びで歩み寄ってきた。 ブーツのマグネットにより、足裏が床面へと吸い付いているのだ。 シャマル達もまた倉庫内に踏み入ると、途端に襲い来る無重力感。 飛翔魔法など用いていないにも関わらず、床面より浮かび上がる身体。 床面に突いた足の反動により、予想以上の勢いで浮かびそうになったシャマルは、慌てて飛翔魔法を発動し制動を掛けた。 アロンソの言葉通り、重力下とは異なる勝手に些か戸惑いながらも、何とか通常と同じ視点の高さを保つ。 何とか平静を装いつつ、彼女は近衛軍の指揮官らしき男性に問い掛けた。 「それで、停電の原因は判明しているんですか」 「ああ。恥ずかしい限りだが・・・「アンヴィル」を格納庫に戻した直後、いきなり隔壁が閉鎖されたんだ。停電はその際に起こった。どうやら、結界維持に電力を喰い過ぎたらしい」 アンヴィルとは、第71管理世界に於いて運用されている機動型魔導兵器である。 縦幅及び横幅は約50m、高さ15m程のそれは、外観からは上下に圧縮された騎士甲冑の様にも見える代物だが、その運用方法たるや空間移動砲台とも云うべき兵器だ。 機体の四方には高出力魔導砲、更に上部には円盤状の旋回砲塔を備え、全方位への攻撃を可能としている。 この旋回砲塔は多くの魔導兵器同様に砲身が存在せず、発射口のみが砲塔側面に穿たれている為、非常に高い耐久性能を誇っていた。 更に、内蔵されている戦術級魔導砲は次元航行艦クラスのそれと比較しては劣るものの、Sランクに相当する魔導砲撃を約8秒間に亘って持続し、更にその砲撃間隔たるや僅か10秒強という異常な性能を誇っている。 加えて、砲撃の持続時間を短縮し砲弾の様に形成する事で、0.3秒間隔での連射を40秒間に亘って継続する機能をも有し、現行の魔導兵器としては最も優れた機種であるとして、管理局内部でもその危険性を指摘する声が絶えなかった。 しかしこの状況下では、これ程に頼もしい戦力もあるまい。 「パイロットは?」 「まだ機内の筈だ。本来、格納されているマス・キャッチャーは無人だからな。隔壁を開放してやらねば、降機する事もできない」 「なら、早く出してやらないとな。マテオ、ルート再設定。ルペルトはマテオを補佐」 「了解」 そうして各々の作業に移る各員を、シャマルは展開したウィンドウ越しに眺めていた。 何度サーチを繰り返しても、バイド係数と検出源の個数、位置に変化はない。 それでもなお、シャマルには気になる事があった。 「何故、隔壁が作動したのかしら」 「魔力増幅用バイド体の所為だろう。あれは強力なシステムだが、実装されてから日が浅い。管理局で使用しているものみたいにエネルギーの蓄積で暴走する事はないが、妙に不安定になる時があるんだ」 「不安定に?」 「急激なバイド係数の上昇、そして下降だ。改善しようと思えばできるらしいが、増幅率を優先して目を瞑っているっていうのが現状だよ。恐らく、今回の停電もそれが原因だろう。 急激に上昇したバイド係数に反応したシステムが、安全の為に隔壁を閉鎖したんだ。それで電力不足に陥ったと」 成る程、とシャマルは納得し、ウィンドウを閉じる。 ほぼ同時に格納庫内の照明が回復し、広大な空間を光で満たした。 先程までの闇の中では気付かなかったが、遥か頭上に100名以上の人員が居る。 彼等はブーツの磁力により壁面に立ち、周囲と言葉を交わしつつ各々の作業へと戻ってゆくところだった。 他にもかなり大型の機材が壁面に固定、或いは太いチューブに繋がれた上で空間を漂っている。 先程の指揮官らしき男性がこちらへと向き直り、改めて礼の言葉を紡いだ。 「協力に感謝する。ありがとう。此処はもう大丈夫だ」 「なら良いんだ。じゃあ、我々は撤収する。他の連中を待たせているんでな」 「第4格納庫を通るのなら、パイロット達に此処へ戻るよう伝えてくれないか。どうにも先程の停電で通信システムがやられたらしい」 「何だって?」 男性の言葉にアロンソが第4格納庫に残った隊員達との通信を試みるものの、聴こえてくるのはノイズばかり。 暫し操作を続けるものの、状態が回復する事はなかった。 第4格納庫、通信途絶。 「まいったな。ぼろコロニーめ、1ヶ所直すと2ヶ所壊れやがる」 悪態を吐きながらも、アロンソは隊員を呼び戻して帰投する事を告げた。 二言三言、指揮官と言葉を交わし、互いに敬礼して無重力圏を後にする。 シャマルもその後に続き、しかし通路との境を跨いだ瞬間、回復した重力に体勢を崩しそうになった。 何とか踏み止まるも、右足首に鈍い痛み。 すると、一部始終を目撃していたらしい隊員から、気遣う様な言葉が掛けられる。 「大丈夫ですか、ドクター?」 「あ、ええ・・・」 それは、マテオと呼ばれていた隊員だった。 大丈夫だ、との意思を込めて苦笑を返すも、直後に奔った再度の痛みに表情が揺らぐ。 傍にあった休憩用のベンチに腰を下ろし、シャマルは軽く息を吐いた。 「・・・ごめんなさい、少し捻ってしまったみたい。私は此処で治療していくから、貴方達は先に戻って」 その言葉に、シャマルを待っていたアロンソは何事かを考え始めた様だ。 暫くして彼は、シャマルの傍に付いていたマテオへと指示を出す。 「マテオ。ドクターの治療が終わるまで、傍に付いていてやれ。俺達は先に戻って、今回の件を報告する。ステーションに2人ほど残して行くから、彼等と合流して何時もの店まで来てくれ」 「了解」 それだけを言うと、部下を率いて通路の奥へと消えてゆくアロンソ。 初めは断ろうとしていたシャマルだったが、まだ勝手が良く解らない事もあり、折角の配慮だと厚意に与る事にした。 足首に治癒魔法を掛け、捻挫による軟部組織の損傷を癒すシャマル。 マテオは無言のまま、治療が終わるのを待っていた。 「見たところまだ10代みたいだけれど、貴方はどうして軍に?」 暫くして治療が終了すると、シャマルは足首の具合を確かめながらマテオへと問い掛ける。 彼の方もそういった問いには慣れているらしく、特に言い淀む様子もなく答えを返してきた。 「内戦で両親が死にまして。自分の街を焼き払った連中に復讐する為と、家族を食わせる為です」 「家族が居るの?」 「妹が1人。2年前にリンカーコアがあると判明して、それを頼りにオルセアから逃がしました。その4ヶ月後に、無事に管理局に入ったとの連絡が」 「そう・・・妹さんは何処の訓練校に?」 その時、マテオの視線が僅かに伏せられた事を、シャマルは見逃さなかった。 嫌な予感を覚えつつも、彼女は続く言葉を待つ。 果たして、語られたのは非情な現実。 「・・・第二陸士訓練校」 シャマルには、返す言葉が見付からなかった。 第二陸士訓練校はクラナガン西部区画郊外に位置し、バイドによるミッドチルダ襲撃時、ガジェット群の攻撃を受けている。 迫り来る数十機ものガジェット群に対し、教導官達は訓練生を地下へと避難させた上で迎撃を開始した。 訓練生を除いた全ての魔導師が、壁となって迫り来るガジェット群を魔導弾幕で以って撃墜せんとしたのだ。 結果、第二陸士訓練校は周囲6kmの土地と共に、ミッドチルダの地表から消滅した。 生存者は疎か、遺体すら1つとして発見されなかった。 行方不明者、2059人。 内、1634名が訓練生だった。 「・・・もう行きましょう。皆が待っている」 そう言って促す彼に、ぎこちなく頷きを返す。 先導する様に先を歩くマテオの少し後方を、無言で着いてゆくシャマル。 やがて第4格納庫の前へと辿り着くと、マテオは其処で足を止めた。 訝しむシャマルに、彼は語り始める。 「ドクター」 「・・・なに?」 「妹は死んでしまいましたが、自分は後悔していません。オルセアに残っても、きっとアイツは遠からず戦火に巻き込まれて死んでいた」 背後のシャマルを振り返る事なく、マテオは言葉を続ける。 シャマルも、口を挟むつもりはなかった。 「それだけじゃない。何時かアイツも自分と同じ、戦場で誰かを殺す様になっていた筈です。銃の代わりにデバイスを手にして、見知らぬ誰かを殺す事に。アイツは、訓練校で友達ができたと言っていた。 そんな経験ができたのも、管理局に入ってミッドチルダへ行ったからなんです」 振り返り、シャマルの目を見据える。 その眼光の強さに、シャマルは息を呑んだ。 「自分はバイドを許すつもりはありません。奴等が目の前に現れるなら、その全てを殺し尽くしてやる。1匹だって逃がしはしない。此処に居る連中は皆そう思っている。貴方達はどうなんです?」 「マテオ・・・」 「管理局は、バイドを裁けますか?」 真っ直ぐに自身の瞳を見据えるマテオの問いに、シャマルは拳を固く握り締める。 シャマルとて、バイドは憎い。 数え切れぬ数の生命を奪い去り、踏み躙り、喰らい尽くした。 できる事ならば、存在の一片すら残さずに消し去ってやりたい。 しかしその憎悪の一部は、バイドのみならず地球軍へと向けられている事も事実である。 何せ、クラナガンでの犠牲者の3割近くは、地球軍の攻撃により発生したものだ。 更に云えば、バイドとは異なり意志の疎通が可能であるにも拘らず、それを承知した上で非人道的な作戦行動を実行したという事もあり、ある意味で地球軍に対してはバイド以上に純粋な憎悪を抱いているとも云っても過言ではない。 マテオはそれを承知した上で、シャマルへと問い掛けているのだ。 その地球軍への憎悪をも呑み込んだ上で、バイドに対し鉄槌を下す意志が、管理局にはあるのか。 そう、問うているのだ。 シャマルは、それを理解した。 だからこそ、答えるのだ。 「・・・勿論よ」 その言葉に、マテオは何を思ったのか。 再び格納庫のドアへと向き直り、掠れた声で何かを呟く。 その声は確かに、シャマルへと届いた。 彼女は小さく笑みを浮かべ、穏やかに声を掛ける。 「・・・行きましょうか。皆が待っているわ」 マテオは微かに頷き、ドアを開放した。 そして1歩、格納庫内へと踏み入り。 瞬間、その姿が掻き消えた。 「あ・・・」 呆けた声を漏らすシャマル。 ほんの一瞬の事であるというのに、マテオの姿は跡形もなく掻き消えてしまっていた。 彼が其処に居たという痕跡は、何処にも無い。 壁面を見ると、全ての隔壁が開放され、その奥にはアンヴィルの巨体が鎮座していた。 其処にすら、彼の影は無い。 「マテオ・・・?」 ふと、シャマルは違和感を覚えた。 それは、ともすれば気の所為と断じてしまえる様な微々たるもの。 だが、確かに存在する感覚だった。 先程の無重力圏の様な、身体が浮かび上がる感覚。 無重力よりもはっきりと感じられる、自らの身体を引き上げんとする力。 否、上方へ「落そうと」する力。 バリアジャケットのポケットから、小さなケースを取り出す。 その中からアンモニアのアンプルを取り出し、掌に乗せてドアの外から格納庫内部へと突き出した。 アンプルは掌の上で奇妙に震え、直後に何かへと吸い込まれる様に掻き消える。 シャマルは迷わずケースを掴み、中のアンプルを全て取り出した。 そしてそれら全てを、通路と格納庫の境である、ドアレール付近へと撒き散らす。 今度は、視認する事ができた。 十数本のアンプルは徐々に、しかし確実に目で追える程度の加速で、ゆっくりと上方へ「落ちて」ゆく。 その軌跡を追い、シャマルはゆっくりと視線を上げた。 そして、それを目にする。 「う・・・あ・・・」 遥か50m上方、全てを染め上げる赤い染み。 天井面へと「落ちて」叩き付けられ、潰れて拉げた人間の成れの果て。 凡そ数十人分の、拉げた肉と骨の山。 「あ、あああぁぁぁぁッッ!?」 シャマルは叫んだ。 叫んだという自覚は無かったが、有りっ丈の声を振り絞った。 恐怖に歪む顔を取り繕うという思考すら持てず、アロンソやマテオ、その他の50名近い人間だったものの残骸を視界へと捉えながら、金切り声を上げ続けた。 と、その視界の端に、蠢くものが映り込んだ。 反射的に視線を投じると、それは格納ユニットの1つ、その中から延びる影だった。 何かがユニット内部で蠢き、這い出そうとしている。 そしてシャマルは、その正体を目にした。 「うそ・・・」 それは、アンヴィルだった。 否、アンヴィルであって、同時にアンヴィルではなかった。 外観には何ら異常は無い。 しかし決して味方では有り得ないと、シャマルには分かった。 何故なら、そのアンヴィルは上下が逆転した状態のまま、砲口をこちらへと向けているのだから。 瞬間、シャマルは飛んだ。 飛ぶこと以外の全てを思考より捨て去り、元来た道を全速力で逆行した。 背後で光が溢れ返り、轟音と熱風が全身を襲ったが、それすらも無視した。 只管に、ただ只管に大型マス・キャッチャー格納庫を目指す。 そうして「LMC HANGER BAY」の表示が記されたドアが目に入る頃、シャマルは唐突に全てを理解した。 何て事だ。 停電の原因となった隔壁の閉鎖は、機器の誤作動などではなかったのだ。 アンヴィルは汚染されていた。 バイドに汚染されていたのだ。 或いは、アンヴィルに擬態したバイド体なのか。 いずれにせよ、敵性体は狡猾にも、アンヴィルに内蔵されていた魔力増幅システムと全く同じバイド係数を保ち、アンヴィルそのものと成り切って侵入に成功したのだ。 そうとも知らず、管制室はアンヴィルをユニットへと格納してしまった。 だが、人間達が取り返しのつかない過ちを犯して尚、コロニーのシステムは正常に動作したのだ。 バイドを探知し隔壁を閉鎖、汚染の拡大を防ごうとしたに違いない。 だがそれも停電と判断ミスにより、あろう事か生存者自身の手で無力化されてしまった。 生存者達の最後の砦、その内部でバイドが解き放たれてしまったのだ。 「誰か・・・!」 大型マス・キャッチャー格納庫のドアを開き、シャマルは助けを求める言葉を放たんとした。 だが、その声は意味のない音となり、宙へと消える。 シャマルの眼前には先程と同じ、床一面の紅い花が咲いていたのだ。 「ひ・・・!」 思わず後ずさり、そのまま体勢を崩して倒れ込む。 格納庫内は、既に無重力ではなかった。 数十トンはあるだろう、巨大な機器が片端から落下し、それら拉げた金属の塊の下からは夥しい量の血液が溢れ返り、小さな流れを作っている。 飛び散る血痕は床面を完全に赤一色で覆い尽くし、壁面には数十mに亘って何かを引き摺った赤い筋が十数条も刻まれていた。 特に密集した血溜まりの中には、限りなく平面に近い状態となった肉塊と、その中から突き出す白い骨格の破片が無数に重なっている。 そして格納庫の中空には、濃群青の装甲を膨大な量の血で黒く染め上げたアンヴィルが、傲然とその巨体を浮かべていた。 「うあ・・・ああ・・・!」 呻く事しかできないシャマルを見下ろすかの様に、アンヴィルは微動だにせず其処に在る。 だが、シャマルは気付いていた。 自身を圧迫する、異常なまでの物理的重圧を。 音を立てて軋む骨格、強大な圧力に悲鳴を上げる体組織。 眼前の存在が重力を意のままに操っている事を、シャマルは完全に理解する。 そうして、彼女の左眼窩の奥で、何かが割れる音が聴こえた瞬間。 アンヴィルの下部装甲を突き破り、無数の触手が床面を貫いた。 警報。 「QUARANTINE!」の表示が、残されたシャマルの右眼、その視界を覆い尽くす。 残された力を振り絞って上げた叫び、魂すら吐き出さんばかりのそれを聴き止めた者は、誰1人として存在しなかった。
https://w.atwiki.jp/nanohass/pages/3830.html
金属と金属の接触による重々しい衝撃音に、ディエチは反射的にイノーメスカノンの砲撃態勢を取る。 彼女の目前でゆっくりと開かれたハッチが、床面へと接しやや急角度のスロープを形成。 次いでモーター音が鳴り響き、ハッチより1台の軽装甲車両が姿を現す。 即座に砲口を向け、トリガーを引こうとするディエチ。 だが、脳裏へと届いた念話が、その行動を押し止める。 『待て、俺だ!』 その念話にディエチは、トリガーに掛けていた指を離した。 装甲車というよりは大型のバギーに近いそれは、ディエチの目前へと滑り込む様にして停車する。 そしてドアを開けて現れた顔に、彼女は呆れた様に話しかけた。 「何をしに行ったんですか、貴方は」 「生存者の捜索。で、見付けたのはこれだけ」 皮肉の言葉に対し男性、ヴァイスはハンドルを叩きつつ答えを返す。 ディエチは、装甲車が出てきたハッチへと視線を投げ掛け、短く問う。 「全滅?」 「分からん。血痕すら無かったが、どうやら相当慌てて艦を放棄したらしい。一切の作業が途中で放棄されている。だが、それから余り時間は経っていないらしい」 「と、いうと?」 「食堂で見付けたスープがな・・・湯気を立てていた」 その言葉にディエチは、無言で装甲車の外殻へと足を掛けた。 上部に備えられた砲座らしき窪みに乗り込み、イノーメスカノンを据える。 そして、砲座の縁に溶接された金属板、その表面に刻まれた異世界の言語に気付いた。 「これって・・・」 『気付いたか?』 ヴァイスからの念話。 すぐさま、ディエチは問い掛けた。 『この装甲車って、まさか』 『そのまさかだ。何処で回収したのか知らないが、第97管理外世界の車両だよ。取っ払われちまってガレージの中に転がってたが、対空誘導弾の発射機が其処に据え付けてあったらしい』 ヴァイスの言葉に複雑な感情を抱きつつも、ディエチは黙り込む。 此処で管理局法がどうこう言おうと、そんな事には意味が無い。 何より、胸中を満たす濁りを帯びたそれが何であるのか、聡明な彼女は良く理解していた。 それは、僅かな諦観。 クラナガン西部での救助活動以降、周囲が自身に対して向ける奇妙な視線、その意味に気付いた時に生まれたものだった。 彼女のISたるヘヴィバレルとは、固有装備イノーメスカノンへのエネルギー供給を経て放たれる砲撃の事を指す。 エネルギーモードならば幾分長いチャージ時間を経てSランク魔法に相当する砲撃を放ち、実弾モードならば炸裂弾から鉄鋼弾、特殊弾を含む各種砲弾を発射するそれは、半質量兵器とも呼べる代物だ。 外観からして無反動砲と呼ぶに相応しいそれは管理局による回収後、幾分「魔法的」な所のある他の姉妹達の固有装備とは異なり、碌に解析もされぬまま解体・保管されたのだ。 確かに、魔力とは異なるエネルギーを用いていた事を考えれば、あれは正しく質量兵器であると云えるだろう。 だが何故、管理局は他の固有武装とは異なり、イノーメスカノンのみを短期間の内に分解したのか。 ディエチはその理由を、質量兵器に対する拒絶によるものと考えていた。 外観のみならず機能すら質量兵器と酷似したイノーメスカノンは、局員の心理的な理由から碌に解析も為されず、保管という名目での封印を為されたのだと。 そして今、ディエチの手には「2代目」となるイノーメスカノンが握られている。 ヘヴィバレルより供給されるエネルギーを純粋魔力へと変換するそれは、発射される砲撃が直射または集束型魔法と化した以外には「先代」と大した違いは無い。 外観に関しても同様だ。 それ故か否かは判然としないが、イノーメスカノンを携えてのクラナガン西部区画への臨時派遣以降、局員が彼女へと向ける視線は少なからず拒絶と侮蔑を滲ませたものだった。 質量兵器に酷似した外観の固有装備と、その運用に特化したIS。 機動六課ヘリ撃墜未遂、地上本部へのエアゾルシェルによる砲撃、聖王のゆりかご内部での高町 なのはとの砲撃戦など、JS事件当時の記録とも相俟って、大多数の局員は彼女の現場への配属に否定的であったのだ。 他の姉妹達が徐々に受け入れられてゆく中、彼女達を除いてディエチに対し理解を示したのは、ゲンヤ・ナカジマとその娘ギンガ・ナカジマ、そして高町 なのはの3名のみ。 彼女は唯1人、孤独を噛み締めていた。 だが、転送事故により同一地点に送られた男性、旧機動六課に於いてヘリのパイロットを務めていたヴァイス・グランセニックは違った。 イノーメスカノンと同じく、質量兵器である狙撃銃を模したデバイス、ストームレイダーを操る彼は、他の局員の様な侮蔑の視線など欠片も見せはしなかったのだ。 同じ狙撃手としての共感か、はたまた彼自身もディエチと同じ経験を持つのか。 いずれにせよ、彼と同じ地点へと飛ばされた事実は、ディエチにとっては予期せず訪れた幸運だった。 多くを詮索する訳でもなく、かといって無関心でもない。 煩わしい視線を投げ掛けるでもなく、一切を無視するでもない。 こちらを信頼し、その上で気遣い、狙撃手の先達としての観点からアドバイスを齎す。 襲い掛かる汚染体の脅威を、決して恵まれているとはいえない魔力資質、そしてディエチの想像すら及ばぬ膨大な鍛錬と経験とに裏打ちされた技術によって悉く排除。 状況の変化に対し融通が利くとは言い難いISと武装のディエチを庇いつつ、同じく汎用性に乏しいストームレイダーを用いながら、遭遇する全ての敵性体を殲滅する。 何時しかディエチは、彼に対して畏敬と信頼、そして確かな親近感を抱いていた。 だからこそ彼女は、ヴァイスが何気なく言い放った言葉の裏を勘繰ってしまったのだ。 もしやこの男性も、内心ではこちらを質量兵器そのものであるかの様に捉えているのではないか。 そんな疑い、そして不安が脳裏を掠める。 だが、続く念話は、そんな彼女の懸念を掻き消した。 『運転、できないだろうと思ったんだが・・・余計だったか?』 『・・・いえ』 念話を返し、ディエチは軽く息を吐く。 何の事はない、ただ単に運転に慣れているから、彼女を砲座に着かせただけの話だった。 確かに、知識としての車両操作方法はインプットされているが、実際にハンドルを握った事など皆無である。 ならば経験豊富な者が運転席に着き、そうでない者が砲座に着くのは当然の事。 結局、ディエチの懸念は単なる被害妄想だった。 安堵と自嘲の溜め息を吐く彼女を余所に、装甲車はゆっくりと走り出す。 タイヤと床面の間で響く、油膜の剥がれる異様な音でさえも、今は軽快な環境音として捉えられた。 『いやぁ、こいつは快適だ。歩く度に靴底と床で糸を引く事も、慣れない飛行魔法で墜落死する心配も無い。モービル様々だな』 『良いんですか? 第97管理外世界の物でしょう。管理局法に抵触するのでは?』 『良いんだよ。砲塔部は外されてるんだし、今じゃこいつは唯の車だ。第一、移動の足に使うくらい大目に見てくれても良いじゃないか。こちとら根っからの陸戦タイプなんだぞ』 ヴァイスの愚痴る様な念話。 次いでエンジンが唸りを上げ、輸送路へと突き進む。 あっという間に速度が時速80kmを突破し、2人を乗せた装甲車は小型次元航行艦が鎮座する広大な空間を後にした。 『もう1隻の艦はどうなったのでしょうか』 『さあな・・・だが、碌な事にはなっちゃいないだろうよ』 念話を交わしながらも、ディエチは油断なく索敵を行う。 作戦開始時より未だ1発の砲撃も放ってはいないイノーメスカノンを手に、強化された視覚と聴覚、各種センサーを用いて得られた情報を分析。 敵性体、若しくは要救助者の反応を拾うべく、処理速度を更に上昇させる。 その時、ディエチの聴覚に破壊音が飛び込んだ。 『止まって!』 瞬間、装甲車が急制動を掛ける。 油膜に覆われた床面を数十mに亘って滑走し、車体が横向きとなった頃、漸くその動きが止まった。 すぐさま、ヴァイスからの念話がディエチの意識に響く。 『どうした!』 『待って・・・前方、約1600・・・右の通路から大規模な破壊音です。複数種の魔法発動音を確認。それと・・・』 『何だ?』 問い掛けるヴァイスの念話に、ディエチは一瞬ながら返答を躊躇った。 しかし、すぐに思考を落ち着かせると、事実を告げる。 聴覚へと飛び込んだ異音、その正体を。 『照合終了・・・クラナガン西部区画にて記録された聴音データに酷似・・・波動砲集束音2種、確認』 * * 『波動砲、来ます!』 『回避!』 閃光、衝撃と轟音。 異なる2種の光の奔流が解き放たれ、空間の其処彼処を埋め尽くし、蹂躙してゆく。 一辺が5kmを超える、余りにも巨大な空間。 砲撃と雷光に撃ち抜かれた壁面が、一瞬遅れて周囲数百mの構造物ごと跡形もなく吹き飛んだ。 黄金色の砲撃と無数の雷光、爆炎によって照らし出される下方の闇。 其処に浮かび上がるは、有限の存在とは思えぬ程の廃棄物の山、山、山。 汚染され、侵食され、圧縮され、粉砕され。 腐食し、溶解し、圧壊し、断裂した、軍用・民用を問わず無数の機械群の残骸。 更には明らかに有機物と分かる肉塊、機械か生命体かの判別が不可能なまでに入り混じった醜悪な物体など、凡そ人間が想像し得るあらゆる死の具現が其処にあった。 広大な、余りにも広大な集積所に充満する強烈な異臭は、下方に積もるそれらより漏れ出る有害物質だろう。 正常な生命の存在を否定し、人の手により創造されながらその制御を離れ、未だ正常な機能を保つ存在すら死の彼岸へと引き摺り込まんとする、悪意と害意に満ち満ちた機械仕掛けの墓穴。 必死に逃げ惑う生ある者達をその只中へと墜とし込まんとするは、魂なき鋼鉄の異形。 廃棄物を吸い上げては吐き出す、資源回収システムらしき3機の大型機械。 そして、死体が操るR戦闘機。 『大型敵性体、ゴミを吸い上げた!』 『迎撃用意!』 無数の鉄塊が擦れ合う際の、鼓膜を引き裂かんばかりの異音。 同時に異形の1体、その上部より大量の廃棄物が噴火の如く吐き出される。 30m近くも打ち上げられたそれらは空中に放物線を描き、雪崩を打って攻撃隊へと襲い掛かった。 『来るぞ!』 魔導弾と砲撃の嵐が吹き荒れ、襲い来る落下物を粉砕せんとする。 だが、幾ら強力な高速直射弾及び直射砲撃とはいえど、10t近い鉄塊までをも完全に粉砕するのは不可能だ。 何より、直射弾はともかく砲撃となれば、簡易型であれ連射できる者は限られる。 この場に於いては、それは1名しか存在しなかった。 フェイトの戦闘スタイルは接近戦に比重を置いており、砲撃魔法を使用するには少々の時間を必要とする。 オットーは射撃戦主体ではあるが、ISレイストームの威力は鉄塊を破壊するには至らない。 残る4名のうち3名も同様で、2名は砲撃魔法を使用できるものの、発動までに10秒以上の時間を必要とし、とても現状況下で使用できるものではなかった。 結局は簡易砲撃魔法を習得していた1名が迎撃の主体となり、それこそ獅子奮迅ともいうべき奮戦を継続している。 しかし、それも長くは続かないだろう。 彼が無理をしている事は、誰の目にも明らかだった。 何せその脚は、膝下から先が無いのだから。 あの機械とも生命体ともつかぬ、巨大な蟲が生み出す鉄柱に挟み潰されたのだ。 『回避成功! 攻撃を・・・』 『おい、あそこ・・・また吸い上げた! こっちに来るぞ!』 『総員退避! 押し潰される!』 降り注ぐ鉄塊と有害物質の雨を何とか凌いでも、次なる廃棄物の雪崩が襲い掛かる。 攻撃隊は、この一方的な状況の循環から逃れられない。 膨大な質量が頭上より降りかかるという事態が呼び起こす原始的な恐怖、廃棄物という生理的嫌悪感を呼び起こす存在が脅威となって襲い来るという事実が齎す本能的な恐怖。 それらがフェイトの精神を揺さ振り、その行動を妨げんとする。 他の隊員達も、同様の恐怖を覚えているのだろう。 皆、一様に表情が引き攣り、目には明らかな怯えが浮かんでいた。 何より恐ろしいのが、着地が一切できないという現状である。 スキャンの結果、眼下に拡がる廃棄物の海は大量の有害物質と、よりにもよって放射性廃棄物までをも内包している事が判明した。 各員のデバイスが告げた放射線量計測値に、戦闘中にも拘らずフェイトを含めた全員が絶句したものだ。 幾ら広大であるとはいえ閉鎖空間にも拘らず、確固たる足場が存在しないどころか、地表面に近付けば汚染による死は免れないという事実。 唯でさえ追い詰められた状況である上、更に精神的な面からの圧迫までもが加わり、攻撃隊は既に瓦解寸前だった。 それでも、フェイトと彼等は反撃を試みる。 目標は3機の大型機械。 降り注ぐ廃棄物さえ止める事ができれば、戦況は有利になると考えたのだ。 だがその試みも、今のところ成功しているとは云い難い。 それを妨げる存在が、この空間には存在していた。 『R戦闘機、波動砲再充填開始!』 空間の全てを、強大な魔力が侵食してゆく。 それを感じ取る事のできる魔導師、その誰もが信じ難い重圧に息を詰まらせる中、微かな紫電の光が空間を切り裂いた。 瞬間、フェイトは叫ぶ。 「散ってッ!」 念話を併用し放たれる言葉。 ほぼ同時、鼓膜を劈く轟音と共に無数の落雷が周囲へと降り注ぐ。 下方に積み上がる廃棄物の山が根こそぎ消し飛び、次いで集積所の其処彼処から爆音と共に業火が噴き上がった。 廃棄物より漏れ出ていた可燃性のガスが、引火により連鎖的に爆発したらしい。 眼下に拡がる廃棄物の山が内部から爆発すると同時、フェイトはそれを理解した。 飛来する破片に全身を打ち据えられながらも、瞬間的に背面方向へと飛翔した為に、彼女は致命的な負傷を免れている。 だがそれも、状況を乗り切る決定打とはなり得ない。 彼女の視線の先、燃え上がる廃棄物の山が宙へと浮かび上がり、200mほど上方に位置する異形、大きく口を開けたその下部へと吸い込まれる。 「ッ・・・また・・・!」 そして異形が、ゆっくりと移動を開始した。 低速ながら、着実に攻撃隊との距離を詰めてくる。 すぐさまカラミティを構え直し、先制攻撃の実行に備えるフェイト。 しかし直後、彼女は咄嗟に身を翻して下降する。 頭上、直前まで彼女が身を置いていた空間を突き抜ける、1基のミサイル。 衝撃波がフェイトの身を打ち据え、聴覚を麻痺させる。 微かな呻きを漏らしつつ、視線を動かしミサイルの機動を逆に辿れば、其処には幾分青み掛かったキャノピーを持つR戦闘機の姿。 上下逆転した視界の中、フェイトは閉じゆくミサイルユニットを睨み舌打ちする。 まただ。 また、あのR戦闘機が邪魔をする。 こちらが攻撃態勢を取るや目敏く反応し、もう1機のR戦闘機と交戦中にも拘らず、自身の安全を省みる素振りすら見せずに照準を変更、質量兵器による攻撃を仕掛けてくるのだ。 一度など、敵機のそれと同時に発射された波動砲が雷撃を掻き消した後に進路を変更、攻撃隊から然程に離れてはいない位置を通過した程だった。 幸いにして、弾速の問題から攻撃隊を直撃する軌道までの修正は間に合わなかった様だが、それでも以降の波動砲充填中にこちらの動きを抑制するには十分な成果だ。 このままでは、埒が明かない。 視線の先、漆黒のキャノピーを持つR戦闘機が放った連射型の質量兵器が、ミサイルを放ったR戦闘機の外殻装甲を穿つ。 被弾したR戦闘機は、瞬間的に側面方向へと長距離移動。 しかし、その回避運動を予測していたのか、移動先に散布する様にして放たれた弾幕、その内の1発がキャノピーを捉える。 吹き飛ばされる機首。 だが、その機体は何事も無かったかの様に戦闘機動を継続し、あろう事か再度充填していた波動砲を放つ。 対するもう1機のR戦闘機は、敵機の砲撃と同時に前方への爆発的加速を敢行。 巨大な機体の姿が視界より掻き消える程の加速を以って、弾体誘導限界を超える敵機至近距離へと接近を図る。 無論、波動砲を放った機体も別方向へと加速し距離を置いたが、波動砲の誘導自体には失敗した。 弾体は誘導限界の更に内側へと距離を詰められ、軌道修正を図ったままの歪な放物線を描き、廃棄物の只中へと着弾する。 爆発、引火、更に爆発。 砲撃を回避したR戦闘機が、またも膨大な魔力の集束を開始する。 雷撃が来るか、と身構えるフェイトだったが、バルディッシュからの警告がその予想を打ち砕いた。 『I detect distortion of the space. It is supposed that it is a high rank summon magic』 「召喚魔法?」 フェイトは目を凝らし、R戦闘機の機首を見据える。 そして、気付いた。 機体前方、明らかに空間が揺らいでいる。 どうやらあのR戦闘機は、異なる次元より何かを喚び出すつもりらしい。 そして、警戒するフェイトの視線の先で次の瞬間、紅蓮の光が炸裂した。 全身が打ち砕かれんばかりの衝撃が彼女を襲い、その身体を後方へと弾き飛ばす。 聴覚が麻痺する中で視界ばかりが機能を継続し、目まぐるしく回転する場景を映し出す中、フェイトは必死に姿勢制御を試み続けていた。 だが、その奮闘も空しく、再びの衝撃波が彼女を更に異なる方向へと吹き飛ばす。 爆発、それもかなりの規模だ。 それが何処で発生したのかは判然としないが、恐らくは波動砲の着弾によるものである事は容易に想像できる。 強烈な光が熱となって皮膚を炙り、鋼鉄の壁が衝突したかの様な衝撃が全身を打ち貫いた。 更に数瞬後、三度目の衝撃と共に、その意図せぬ機動は終わりを告げる。 オットーと1名の隊員が、彼女の身体を受け止めたのだ。 ふらつく意識を何とか立ち直らせ、感謝の言葉を紡ごうとするフェイト。 しかしそれより早く、オットーが警告を発した。 「頭上、来る!」 またも響く、鉄塊の擦れ合う壮絶な異音。 咄嗟に上方へと視線を向けるフェイトの左右から、無数の高速直射弾とレイストームの緑の光条が放たれる。 貫かれ、粉砕され、或いは反動によって落下軌道を逸らされる、廃棄物の雨。 しかしそれらの陰から、中型車両に匹敵する巨大な鉄塊が現れた。 レイストームが突き刺さり、直射弾が炸裂するも、鉄塊は砕ける事も軌道を外す事もなく落下してくる。 「せあッ!」 フェイトは即座に上方へと躍り出ると、裂帛の気合いと共にカラミティを振るった。 刃ではなく刀身側面を、鉄塊の側面へと叩き付ける。 轟音が鼓膜を劈き、衝撃がカラミティの柄を掴む手の表皮を引き裂くが、同時に鉄塊は3人へと直撃する軌道を僅かに逸れ、掠める様にして燃え上がる廃棄物の山の中へと落下していった。 それを見届け、フェイトはカラミティを振り抜いたままの体勢で荒い息を吐く。 その腕は衝撃に震え、皮の破れた手は柄との間から血を零し続けていた。 「執務官!」 「大丈夫・・・でも・・・」 隊員の声に答えつつ、フェイトは遥か彼方のR戦闘機を見やる。 目を離していた僅か数秒の間に壁面近辺にまで移動したその機体は、連射型質量兵器による弾幕を形成しつつ、敵機から放たれる同種の兵装による攻撃を回避すべく戦闘機動を継続していた。 流れ弾を警戒し視線を逸らさないまま、フェイトは背後へと問い掛けた。 「さっきの攻撃は?」 「詳しい事は・・・空間歪曲が発生した直後に、炎を纏った何かが飛び出して来て・・・」 「視認できたのは其処までです。我々も、貴女程ではないにしろ衝撃波を浴びたので」 「そう・・・バルディッシュ、解析できた?」 次いでフェイトは、自身のデバイスへと問う。 回答は、すぐに得られた。 『I confirmed the movement of the heat source of the hyperpyrexia. As a result of collation, it is supposed that the object is a meteorite』 「隕石だって!?」 バルディッシュの言葉を聞いた背後の隊員が、信じられないとばかりに声を上げる。 フェイトもまた、バルディッシュの言葉をすぐには信じる事ができなかった。 通常、召喚魔法とは使役対象となる生命体、または魔力によって構築された物質を喚び出す技術である。 具体的には、キャロの用いる錬鉄召喚や竜騎召喚、ルーテシアのインゼクトや地雷王召喚などがそれに該当する魔法だ。 それ以外の物質を喚び出すとなれば、最適な技術は召喚魔法ではなく転送魔法となる。 無論、両者の中間となる技術も存在はしているが、余り実用的ではない。 術者に転送魔法の適性が皆無である場合、事前に指標済みである対象を召喚魔法の応用で喚び出す事ができる、といった程度のものだ。 大きめの魔力消費量と比して転送可能な質量は余りに少量であり、実戦で用いるにはリスクが大き過ぎるのである。 恐らくは無機物である隕石、しかも高速移動中であるそれを喚び出すとなれば、召喚魔法よりも転送魔法の方が適している事は明らかだ。 だがバルディッシュは、あの隕石は召喚によって喚びだされたものであると告げている。 従来ならば、解析に何らかの落ち度があったのではと考えるだろうが、フェイトは自身の相棒を心底より信頼していた。 バルディッシュの能力を、バルディッシュを組み上げた師、リニスの腕を。 フェイトは、心から信頼しているのだ。 そして事実、バルディッシュは他のデバイスと比して、一線を画す性能を有していた。 バルディッシュが言うのならば間違いは無い。 あのR戦闘機が隕石を召喚する際に用いたのは、紛う事なき召喚魔法だ。 だが何故、より効率に優れた転送魔法ではなく、召喚魔法を用いるのか? 考えられる可能性は2つ。 あの隕石は、魔力によって構築されたものだった。 それならば、錬鉄召喚と同じ原理での説明が付く。 もうひとつは、ただ単に地球軍が完全な魔法技術体系の解析を成し遂げていない、という可能性だ。 この場合、無機物転送に最適な魔法の選択ができなかったとしても不自然ではない。 だが、そのどちらの可能性も問題の本質ではない事は、フェイト自身も気付いていた。 フェイトが、あの攻撃を召喚魔法であると信じ切れない、その最大の理由。 詰まる所それは、魔導師としての常識によるところだった。 有り得ない、有り得る筈の無い魔法。 「宇宙空間」から物質を、況してや「隕石」を召喚する魔法の存在など、聞いた事もない。 地表から宇宙空間への転送ならば、幾度か事例があった。 12年前の闇の書事件に於いても、ユーノ、シャマル、アルフの3名により、闇の書の闇に対する静止軌道上への転送が行われている。 だがそれは飽くまで転送魔法、それもその分野のスペシャリストが3名同時に、発動後の魔力残量を一切考慮せずに転送を実行した事例だ。 他の場合も同様で、中にはリンカーコアの崩壊を招いた事例も存在する。 転送ですらこれであるのに、召喚など以ての外だ。 況してや、宇宙空間を秒速数十kmなどという常軌を逸した速度で翔け続ける隕石、そんなものを転送するなど不可能。 第一にそんな魔法が存在するのであれば、嘗て次元世界に存在したどの古代文明も軍事用のロストロギアなど造り出しはしない。 オーバーSランクの魔導師が1人存在すれば、戦略級の攻撃を実行できるのだから。 尤も、実際に隕石が召喚されてなお、この空間に存在する全員が生き長らえているという事は、召喚できる隕石のサイズには限界があるらしい。 破壊された壁面に視線を投じつつ、フェイトはそう思案する。 彼女の視線は積み上がった廃棄物の上、露出している分の面積だけでも凡そ2,000,000平方m超という途方もなく広大な壁面、そのほぼ中央に開けられた直径500mはあろうかという「穴」に注がれていた。 今なお、活火山の火口と見紛うばかりの業火と黒煙を吐き出し続ける、その「穴」。 破壊は壁面に留まらず、その向こうに拡がる施設構造物にも及んでいるらしい。 「穴」を通して集積所内に響く警報と爆発音が、途切れる事なく鼓膜を打つ。 態々確認するまでもなく、その「穴」を穿ったのは召喚された隕石である事を、フェイトは理解していた。 「・・・冗談じゃない」 無意識の内に零れる言葉。 幾ら隕石のサイズに限度があるとはいえ、これ程までに常軌を逸した破壊を齎す魔法を、フェイトは他に知らない。 純粋魔力による砲撃ではなく、被召喚物による質量攻撃。 非殺傷設定などあろう筈もない、殺意の結晶。 アルカンシェルに代表される大型艦艇搭載型戦略魔導砲ならばともかく、兵器とはいえ艦艇とは比べるべくもない単体のそれが、それこそ戦術級魔導兵器にも匹敵する破壊力を秘めているなどと、管理世界に於いて予測し得る者が存在するだろうか。 気象を操作し、落雷を誘発し、隕石を召喚する漆黒の機体。 正しく異常、悪夢から抜け出し具現化した、御伽話の怪物の如き存在。 遠い存在である質量兵器ではなく、より明確な脅威として感じられる魔導の力を以って迫り来る、信じ難いまでの脅威。 「執務官・・・」 「分かってる」 何時までも思考に沈んではいられない。 フェイトは決断する。 このままでは2機のR戦闘機によって副次的に行動を制限され、頭上より津波の如く襲い掛かる膨大な量の鉄塊に押し潰される事となる。 R戦闘機か、大型機械か。 どちらかを早急に撃破し、状況を打開せねばならない。 何より現状では、確かめるべき事があるというのに、その確認の為の行動が取れないのだ。 あの魔力を操るR戦闘機のパイロット、それが誰であるのか。 フェイトとしては一刻も早くそれを確認したいのだが、迂闊に動けば即座に波動砲が飛来し、更には鉄塊が降り注ぐという状況下では、それが叶う筈もなかった。 そういった点からも、早急な脅威の排除が望ましい。 フェイトは、攻撃隊各員へと念話を飛ばす。 『総員、大型機械の動きに注意して。誘導型波動砲の発射と同時に仕掛けます。砲撃準備。R戦闘機への牽制は・・・』 『任せて下さい。貴女はあの機械どもを』 念話での交信を終えるや否や、フェイトの背後で3つの魔力が集束を始めた。 長距離砲撃の準備だ。 R戦闘機に対する牽制の役目は、彼等が担ってくれる。 残る1名とオットーの役目は、落下してくるであろう廃棄物の迎撃だ。 そしてフェイトの役目は、R戦闘機が攻撃態勢を整えるまでの間にオットー達が切り開いた道を辿っての、大型機械に対する近距離からの直接攻撃。 コアらしき部位を破壊し、脅威の一端を突き崩すのだ。 幸運な事に3機は今、其々のコアを中心に向かい合う様にして編隊を組み、下方より廃棄物を吸い上げつつこちらへと接近している。 3機は其々、側面に小型の近距離迎撃砲を有してはいるが、一方でコアの露出している面に武装が無い事は確認済みだ。 それらの中心に飛び込む事さえできれば、カラミティによる一撃で3機を纏めて撃破できる自信が、フェイトにはあった。 『R戦闘機、両機共に波動砲の充填を開始! 発射まで5秒!』 『敵性機械、頭上まであと僅か!』 そして遂に、その機会は訪れる。 膨大な魔力の爆発と共に隕石と雷撃が同時に放たれ、それらを迎撃すべく誘導型波動砲が放たれた。 紫電と紅蓮、金色の光を視認するや否や、フェイトは頭上の異形を目掛け突撃を開始する。 『今だ!』 誘導型波動砲を射出したR戦闘機が、フェイトの機動に気付いた。 隕石と雷撃とを迎撃した波動砲弾体の消失と同時、側面方向への回避運動を実行しつつ2基のミサイルを放つ。 だがそれらは、隊員の放った同じく2発の集束砲撃魔法により撃墜された。 弾体加速前に狙撃されたそれは、慣性の法則により母機と平行移動していた為、爆発に機体そのものをも巻き込む。 自らが放ったミサイルの爆発による巨大な圧力に押され、R戦闘機は大きくバランスを崩した。 其処へ撃ち込まれる、もう1機のR戦闘機からの連射型質量兵器による弾幕。 主翼、垂尾、左エンジンユニットが吹き飛び、更には残る1名の隊員が放った牽制の為の砲撃が、予期せずキャノピーの中央へと突き立つ。 R戦闘機は、機首右側面及び機体後部左側面のサイドスラスターを作動、瞬間的に機体中心を軸とする駒の様な回転運動を成し遂げ、砲撃を受け流そうと試みた。 結果、砲撃に機体を正面より貫通される事態は避けられたもののキャノピーを根こそぎ吹き飛ばされ、黒煙を噴き上げつつ高度を落とし、音速に達する速度もそのままに燃え上がる廃棄物の山へと突っ込む。 轟音、飛び散る廃棄物。 フェイトは波動砲発射時の衝撃に煽られながらも突撃を継続しつつ、バルディッシュを通し一連の推移を認識していた。 僅かに一瞬の攻防、その結果として得られた想定外の戦果。 驚異の一端が完全に消失した事を確認し、彼女はカラミティを握る手により一層の力を込めると、頭上に点る3つの緋色の光を睨む。 バリアジャケット、真・ソニックフォームへ。 敵性大型機械、エネルギーコア。 目標までの距離、約180m。 『ゴミだ!』 隊員からの警告。 目標、上部より大量の廃棄物を放出。 廃棄物のサイズ、最小は1m前後から、最大で5m弱。 対象数過多により、総数は即時計測不能。 進攻軌道上の対象数、約11。 『左へ!』 隊員からの念話に従い、左側面へと3m移動。 直後、空間を貫く簡易砲撃魔法2発、レイストームの束。 フェイトへと直撃する落下軌道を取る11の廃棄物、内9つへと直撃、粉砕する。 廃棄物、残り2つ。 共に5mサイズ。 カラミティを腰溜めに、刃の先端を後方へと向けて構える。 そしてフェイトは更に加速、2つの廃棄物の落下予測軌道を見極めるや否や、それらの交差する点を目掛け決定的な加速を敢行した。 ソニックムーブ、発動。 歪む視界、迫り来る廃棄物。 それらの間隙を擦り抜ける際、フェイトの背に灼熱の感覚が生じる。 「ッ・・・!」 背面を切り裂く、鉄片の感触。 大型機械によって吸い上げられる直前まで炎を纏っていたそれは、未だ拡散する事のない高熱を以って傷口を焼いた。 肌を切り裂かれ、肉を焼かれる苦痛に、フェイトの咽喉を悲鳴が込み上げる。 しかし彼女はそれを呑み込み、更に速度を上げた。 背後からは、2つの鉄塊が接触した際の衝撃、そして轟音が響く。 一瞬でも加速を躊躇えば2つの鉄塊に挟まれるか、若しくは頭上を塞ぐ様に落下してくる双方の廃棄物によって押し潰されていただろう。 だが、フェイトはその危機を切り抜けた。 不屈の意志と不退転の決意を以って、迫り来る脅威を打ち破ったのだ。 そして今、フェイトの視線の先、約30m。 彼女にとっては正に目と鼻の先である距離には、目標たる3機の大型機械のコアがあった。 フェイトがこの後に為すべき事は、単純にして明確だ。 距離を詰め、カラミティを振り、3つのコアを破壊すれば良い。 フェイトは事前予測に基き、その攻撃行動を取り行おうとした。 「ぁあああああッッ!」 自身の速度と合わせ、脅威的な速度で以って振るわれるカラミティ。 掬い上げる様な刃の軌道が、中空に黄金色の残像を生じさせる。 再度のソニックムーブ発動と共に、フェイトとコアの距離は一瞬にしてゼロへと近付き、そして。 「な・・・!?」 コアの傍ら、腐食した外殻へと刃が突き立った。 『執務官!?』 必殺の一撃が目標を外れた事に、隊員達から悲鳴の様な念話が飛び込む。 フェイトは答えない。 唯々、呆然と大型機械の外殻に突き立つカラミティ、自身の血に濡れたその柄を見やる。 彼女の手は、カラミティを握ってはいなかった。 主の手を離れた大剣、それだけが虚しくもコアの2mほど横、化学物質により侵食され爛れた肉壁の如き様相を晒す外殻、その表層へと突き立っている。 何故、自身は攻撃の最中にカラミティを手放した? 自問するフェイト。 その疑問は、彼女の左腕を伝い滴る、熱く、粘性を持った液体の存在により氷解した。 錆びた鉄の臭い。 フェイトは、自身の肩を見やる。 「あ・・・ああ・・・」 其処に「穴」があった。 親指ほどの直径の「穴」が、彼女の肩に開いていたのだ。 微かな白い煙を上げるそれは、詰まりの取れた排水管の如く血の塊を吐き出す。 遅れて意識へと伝わる、想像を絶する激痛。 堪らず悲鳴を上げようとするフェイトだったが、それより早く右大腿部に熱が奔った。 「うあぁッ!?」 その瞬間、フェイトは視認する。 後方より自身の脚を貫く、青い光線。 貫かれ、血を噴き出す脚を気遣う暇も無く、彼女は後方へと振り返る。 其処に、それは居た。 「・・・ガ・・・ジェット?」 フェイトは、その兵器を知っている。 ガジェットⅢ型。 球状のボディを持つ、嘗てジェイル・スカリエッティによって尖兵として生み出された、無人兵器。 それが、無限とも思える廃棄物の山の中から現れ、レーザーの砲口をこちらへと向けていた。 だが、フェイトが驚愕したのは、不意を突かれた事に対してではない。 信じ難いのはガジェット自体、その外観だった。 他の隊員達も同様の念を抱いたのか、念話にて呟きが漏れる。 『何・・・あれ・・・』 そのⅢ型は、機体上部が大きく抉れていた。 巨大な力によって叩き潰され、破壊された部位を跡形もなく削り取られていたのだ。 捩れ剥がれた外殻装甲の下からは内部機構が露わとなり、鈍色の機械系統が表層を覗かせる。 全体は黒ずんだ油膜と汚染物質により覆われ、外殻の其処彼処が蝕まれては腐食し、細かな穴が無数に開いていた。 それらの隙間より細いケーブルが零れ落ち、宛ら内臓の様に機体下部へと垂れ下がっている。 明らかに、機体制御に異常を生じているであろう様相。 致命的な損傷を受け、金属を腐食させる複数種の化学物質の混合液に浸され、そのままかなりの時間が経過していた事を窺わせる、凄絶な姿。 だというのに。 明らかに機能停止レベルの損壊と汚染にも拘らず、眼前のガジェットは機能していた。 僅かに残ったセンサー類に光を点し、レーザー砲に化学触媒を供給し、1本だけ残されたベルトアームを振り翳して攻撃態勢を取る。 垂れ下がった無数のケーブルの先端から汚染物質を滴らせ、本来の機体性能を大幅に下回る速度で接近してくる様は、正に亡霊を思わせた。 そして、呆然とその姿を見やる、フェイトの視界の中。 その砲口に、またも青い光が宿った。 「く・・・!」 レーザーが来る。 そう判断したフェイトは、咄嗟に回避運動を取ろうとした。 だがその直前、突如としてⅢ型のベルトアームが力を失い、垂れ下がる。 何が、と警戒するフェイトの目前で、Ⅲ型のセンサーが光を失い、機体が重力に引かれ落下を始めた。 呆気に取られてその様子を見守る攻撃隊。 機能停止したⅢ型は廃棄物の山に紛れ、すぐに区別が付かなくなった。 それを見届け、腑に落ちないながらもフェイトは、大型機械へと視線を戻そうとする。 その行動を遮ったのは、オットーからの念話だった。 『ガジェット・・・違う! 敵性機械、更に出現! 20、30・・・数え切れない!』 呆然と、ただ呆然と見やる事しか、フェイトにはできない。 廃棄物の山、その至る箇所から亡者の如く這い出す、無数の機械達。 ガジェット、作業機械、兵器類。 軍用・民用を問わず、あらゆる機械類が廃棄物の中より息を吹き返し、その砲口を、腕を、特殊作業用パーツを攻撃隊へと向けている。 それらの機械群に共通する点は、唯1つ。 本来ならば機能停止状態となっているであろう、重大な損傷・欠損。 内部機構を露わにし、無数の内蔵ユニットとケーブルを零し、汚染物質と合成油を滴らせながら動く、鋼鉄の亡霊達。 中には自らを焼く業炎を纏ったまま、消化する素振りさえ見せずに上昇する機影もある。 それらは徐々に高度を上げるも、しかし中途で力尽き、機能停止しては落下する影も少なからず存在した。 動かずにいれば自己保存の可能性もあるというのに、それを完全に無視して敵対者に対する攻撃態勢に入っているのだ。 保身を一切考慮しないその自殺的な行動に、明瞭し難い恐怖がフェイトの意識を蝕んでゆく。 だが彼女には、自身が恐怖している事実を認識するどころか、肩と大腿部の負傷を確認する暇さえ与えられなかった。 突然の浮遊感が、彼女の全身を襲ったのだ。 「なっ・・・!?」 『執務官?・・・いけない!』 『逃げて下さい! ハラオウン執務官!』 肉体を統括する意思を無視し、徐々に上昇しゆくフェイトの身体。 咄嗟に飛行魔法を中断するも、身体の上昇は止まらない。 訳の分からない現象に、フェイトの意識は混乱する。 だが続けて放たれた隊員の念話に、フェイトは自身に何が起こっているのかを把握した。 『大型敵生体、機体下部開放! 執務官が吸い込まれる!』 反射的に、頭上へと視線を投じる。 其処に、闇があった。 「・・・嘘」 大型機械の1体、機体側面にコアを備えたそれが、フェイトの遥か頭上、200m程の高度に位置している。 機体下部の外殻が大きく開放され、その中に漆黒の闇が口を開けていた。 それが何の為に存在するものであるのか、フェイトは既に理解している。 廃棄物回収用の吸入口。 彼女の身体は偏向重力場に捉えられ、今まさにその穴へと吸い込まれようとしているのだ。 「く・・・!」 焦燥も露わに、フェイトは改めて飛行魔法により下方へと降下を試みる。 だが、偏向重力による吸引力は、明らかに飛行魔法の推力を上回っていた。 徐々に上方へと引き摺られる、フェイトの身体。 「くぁ・・・ぁ・・・!」 『執務官、横へ! 横へ飛んで下さい!』 意識へと飛び込んだ念話に、フェイトは自身の斜め上方を見やる。 其処には、コアの傍らにカラミティの刀身を突き立てられたまま、廃棄物を吸い上げている大型機械の姿があった。 その高度は、フェイトを吸い上げようとしている機体から、60mほど下方に位置している。 それを理解するや否や、彼女はソニックムーブを発動した。 進行方向は下方ではなく側面、水平方向への移動を意識して加速。 しかしその瞬間、より吸引力を増した偏向重力により、彼女の身体は曲線を描く様にして斜め上方へと向かう。 だがその事態は、彼女にとって予測の範疇だ。 偏向重力により加速しつつ辿り付いた先には、ライオットザンバー・カラミティを突き立てたままの異形が存在していた。 フェイトは、その化学物質に侵された外殻を掠める様にして飛翔し、カラミティの柄へと手を伸ばす。 そしてその指は、確かに届いた。 右手の握力を振り絞り、確りと柄を握り締める。 自らの手に戻った相棒と短い意思の疎通を行い、異常の無い事を確かめると、フェイトの胸中に僅かながらも希望が生じた。 「いけるね? バルディッシュ」 『Of course』 その頼もしい答えに、フェイトは僅かに笑みを浮かべる。 しかし次の瞬間には、彼女はその瞳に怜悧な光を浮かべ、自身の傍らで光を放つコアを見据えていた。 外殻に着いた足に力を込め、一息にカラミティを引き抜かんとする。 先ずは、此処で1機。 最初の目標を定め、渾身の力を込めて外殻を離れようと試みた、その数瞬後。 フェイトの身体は、上下が入れ替わっていた。 「な・・・ッ!?」 『Sir!?』 一体、何が起こったのか。 それを理解する為には、数秒ほどの時間が必要だった。 異形の外殻に突き立ったカラミティ、その柄を掴む右手を支点に、フェイトの身体は上下が反転していたのだ。 瞬間的に吸引力を増した偏向重力によって、周囲数十m以内の重力作用方向が完全に逆転してしまっている。 それどころか、その吸引力は徐々に増してさえいた。 フェイトは右腕1本で、カラミティの柄を支えに「宙吊り」となっているのだ。 「うぁ・・・ぁ・・・ぁぁ・・・!」 凄まじい重力負荷の中、フェイトの全身から汗が噴き出す。 通常の倍にまで達した重力場の中、全体重を繋ぎ止める右腕の筋肉は今にも千切れんばかりに収縮し、限界を知らせる小刻みな痙攣を起こしていた。 肩部と大腿部より溢れ出す血液は、下方ではなく上方へと筋を描き伝い、大量の空気の流れと偏向重力に攫われて「穴」の中へと消える。 フェイトは、デバイスの柄から手を離す事ができない。 数十、或いは数百トンもの廃棄物を吸入する、漆黒の穴。 其処に吸い込まれた人間が如何なる末路を辿る事になるのか、フェイトは微塵たりとも知りたいとは思わなかった。 それが碌な結果にならない事は容易に察する事ができた上、余りのおぞましさに意識が考える事を放棄したという事もある。 フェイトは全身の神経を右腕へと集中させつつ、しかしある瞬間、ふと足下を見た。 見てしまった。 その結果、唯1つの感情が、彼女の意識を満たす事となる。 「ぁ・・・!」 「穴」は、すぐ其処にあった。 吸入を継続している機体が降下してきたのか、或いは自身がカラミティを突き立てている機体が上昇したのか。 どちらかは分からないが、現実に「穴」は彼女の足下から、僅か30mにも満たない位置にあった。 此処まで接近して漸く、フェイトは敵性機械の正確な大きさを知る。 自らが接触している機体については、距離が近過ぎる事もあり正確なサイズの把握は困難だったのだ。 上方の機体についてもそれは同様なのだが、彼女を吸い込もうとする「穴」のサイズから推測する事ができた。 長方形に近い形状のその「穴」のサイズは、全長20m、全幅40mを優に超えている。 其処から察するに、機体全長は40m、全幅は60m以上あると考えられた。 「穴」の中は漆黒の闇に閉ざされており、凄まじい勢いで流入する大気が立てる轟音、そして耳元の風切り音だけが、亡者の呻きの如くフェイトの鼓膜を震わせる。 「墓穴」より響くその音に、フェイトの精神は完全に支えを失った。 恐怖。 今や、彼女の心中を占めるのは、唯それだけ。 『砲撃を・・・援護して!』 攻撃隊に対し、必死に援護を要請するフェイト。 しかし返された答えは、彼女以上に切羽詰まったものだった。 『機械群の猛攻撃を受けている! 支援は不可能! 繰り返す! 支援は不可能!』 『来たぞ!』 約200m下方、フェイトにとっては「頭上」となった其処では、砲撃と直射弾、レイストームの嵐が吹き荒れている。 押し寄せる損壊したガジェットと作業機械の大群を、攻撃隊は必死に形成した弾幕で以って食い止めていた。 しかしそれも、徐々に綻びが生じている。 何しろ彼等の足下を埋め尽くすのは、何時動き出すとも知れぬ廃棄機械の山なのだ。 事実、円陣を組む様にして全方位に対する迎撃戦を展開する彼等の直下より時折、先端の欠損したベルトアームやらマニピュレーターを用いて廃棄機械が表層へと姿を現し、攻撃隊への突撃態勢に入る。 その都度、それを察した隊員が簡易砲撃を叩き込むのだが、それらの出現は止む事がなかった。 そして更に、状況の悪化を知らせる念話が発せられる。 『そんな・・・蟲です! またあの蟲が出た! こっちに来る!』 『迎撃を・・・くそ! 「AC-47」臨界値突破! 強制排出に移る!』 『こっちもです!』 R戦闘機によって破壊された壁面から、大量の蟲が現れた。 隊員の脚を潰した、あの鉄柱を生み出す鋼鉄の蟲である。 40体前後のそれらは、鉄柱の尾を引きつつ攻撃隊へと接近。 彼等を包囲し、物理的に圧殺せんとする。 最早、攻撃隊にフェイトを支援する余裕など無い事は、一目瞭然であった。 あの機体は? 魔力を操る機体、義父が搭乗している可能性がある、あのR戦闘機はどうしたのだ。 バイドと敵対しているであろうあれは、一体何をしているのだ? 無我夢中で視線を廻らせれば、雷光を以って迫り来る機械群を薙ぎ払う、漆黒のR戦闘機の姿がフェイトの視界へと飛び込む。 信じ難い威力を秘めた波動砲を備えるその機体はしかし、無限の廃棄機械群による絶対包囲と蟲どもの突撃によって、徐々に押されつつある様に見受けられた。 雷光が発せられる度に包囲は崩れ、廃棄物の山は消し飛ぶのだが、それこそ1秒と経たぬ内に新たな廃棄機械が動き出し、壁面より現れる蟲の群れが襲い掛かる。 撃ち掛けられる無数のレーザーとミサイル、迫り来る幾条もの鉄柱に、R戦闘機は隕石を召喚する為の満足な充填すら許されず、只管に雷撃とミサイルによる迎撃を繰り返していた。 大型機械の1機がその頭上へと接近しているが、それに対応する余裕すら無いらしい。 以上の情報を統合して得られた、無情な解答。 自己のみによる状況打開手段、皆無。 救援可能戦力、皆無。 心中の恐怖が、絶望が、より一層にその濃さを増す。 知らず、声が漏れた。 「嫌・・・いや!」 逆転した重力の中、首を振り怯えの宿った眼で「穴」を見下ろし、拒絶の言葉を放つフェイト。 膨大な大気の濁流、その只中で彼女は、足下に拡がる闇より逃れようと、その腕に有りっ丈の力を込める。 しかし、辛うじて彼女を生ある世界へと繋ぎ止めているそれ、バルディッシュ・ライオットザンバー・カラミティという名の楔は、己の意思に反してその役目を放棄しつつあった。 大型機械の外殻に突き立つ刃先が、強力な偏向重力によって外れ掛かっているのだ。 バルディッシュは「AC-47β」によって増幅された魔力を用いて刃先を拡大し、何とか外殻からの剥離を防ごうとするも、化学物質によって腐食の進んだ外殻はいとも容易く損傷個所を拡げてしまい、最早これ以上の拡大は不可能だった。 「嫌だ! 嫌ぁ!」 徐々に、徐々に、フェイトの握力が弱まる。 バルディッシュの柄を握り締める手、その小指が解け、僅かに全身が「穴」へと近付いた。 彼女は尚も抵抗するものの、偏向重力が弱まる様子は無い。 「バル・・・ディッシュ・・・ごめんね・・・!」 胸中を占める絶望と滲み出す諦観に、フェイトは自身の道連れとなるであろう相棒に謝罪の言葉を発する。 それに対しバルディッシュが何らかの返答を行ったらしいが、彼女にはそれを聞き取る事ができなかった。 確実に念話であったにも拘らず、彼女の意識は既にバルディッシュから離れていたのだ。 フェイトの意識を打ったのは、絶望的な迎撃戦を展開している攻撃隊、オットーからの念話。 『ゴミが・・・執務官!』 フェイトは足下の「穴」ではなく、頭上の廃棄物の山を見上げる。 その中から無数の廃棄物が浮かび上がり、こちらへと迫り来る様が視界に飛び込んだ。 10m級が複数、明らかに直撃軌道。 もう、術など無かった。 このままでは、廃棄物に押し潰される。 かといって手を離せば、眼下の「穴」に吸い込まれる事となる。 打開策はなし。 もう、何をやっても無駄なのだ。 迫り来る鉄塊。 フェイトは、何処か穏やかですらある思考のままにそれを認識し、終焉の訪れる瞬間を待つ。 せめてもの抵抗として、自身を押し潰すであろう鉄塊を睨む彼女。 そして遂に、鉄塊との距離が20mを切った、その時。 唐突に、偏向重力が消失した。 「・・・え?」 違和感。 突如として正常状態に復帰した重力作用方向に、フェイトは咄嗟の判断を行う事ができなかった。 頭から落下を始め、しかしバルディッシュにより強制的に発動された飛行魔法によって浮遊、逆転していた天地が元に戻る。 呆けた様に自身の相棒を見つめ、次いでふと眼下へと視線を投じれば、その先には落下してゆく鉄塊の影。 此処にきて漸く、フェイトは状況を理解した。 偏向重力が消失した事により、自身は危ういところで生命を繋いだのだ。 しかしそれを理解しても、彼女の胸中に歓喜の念が湧く事はない。 それよりも遥かに、現状に対する疑問の方が大きかった。 何故、重力操作が止んだ? あと一歩で自身を排除できたというのに、何故ここにきて攻撃を中断するのか。 頭上の敵性機械に、何が起こったのだ? そんな彼女の疑問は、頭上から響いた衝撃音によって掻き消された。 何らかの機械が停止する際にも似た、鋼鉄の鼓動が途絶える音。 反射的に上へと向く視線。 彼女の視界を覆い尽くす、腐食した灰色の外殻。 それが迫り来る大型機械であると理解した瞬間、彼女は回避行動へと移行した。 「バルディッシュ!」 『Sonic Move!』 バルディッシュの刃先が、大型機械の外殻を抉り離れる。 それを確認するや否や、フェイトは瞬間的に加速、側面方向へと逃れた。 そんな彼女を掠める様にして、大型機械は廃棄物の只中へと落下してゆく。 爆発も、何かしらの破壊音も立てる事もなく、山と積み重なった廃棄物を押し潰す様にして落着する大型機械。 一体、何が起こったというのか。 フェイトには、まるで状況が理解できなかった。 『Behind sir!』 バルディッシュからの警告。 我に返り背後へと振り返れば、先程まで自身が張り付いていた大型機械が此方へと迫りくる様が視界に飛び込んだ。 咄嗟にバルディッシュを構えようとして、左腕と右脚が機能していない事実に思い至るフェイト。 だがそれでも、戦うしか道は残されていない。 覚悟を決め、右腕のみでバルディッシュを振り被る。 瞬間、大型機械のコアに穴が穿たれた。 「・・・え?」 三度、呆けるフェイト。 大型機械は彼女から20mほど離れた位置を通り過ぎ、やがて落下を始める。 先程の機体と同じく、爆発も起こさず、破壊音すら響かせる事なく、瞬間的に機能が停止したかの様に、自由落下へと移行したのだ。 眼前で起こった現象を理解できずに、フェイトはその軌跡を目で追う。 その先、突き当たりの壁面の、遥か上部。 其処に、橙色の光が集束していた。 「あれは・・・?」 次の瞬間、その光が爆発する。 リンカーコアを通じて知覚される、強大な魔力による圧迫感。 先程までの状況もあり、思わず身を竦めるフェイト。 だが発射された光の奔流は、攻撃隊を襲う蟲の群れと廃棄機械群を纏めて貫いた。 明らかに、SSランクに匹敵する集束砲撃魔法。 数百もの廃棄物群を一瞬にして消し去り、着弾地点で起こった炸裂は堆積するそれらを山ごと粉砕する。 その砲撃に救われた攻撃隊ではあったが、自身等を包囲する廃棄機械群の半数近くが一瞬で掻き消えた事により、歓喜よりも驚愕と混乱とに支配されている様子であった。 しかし彼等の、フェイトの混乱は、更に加速する。 「何が・・・!?」 『ガジェットが・・・ガジェットが止まっていく! 機能停止だ!』 『味方の攻撃か? 一体何処から!?』 『攻撃が見えない・・・何をしているんだ!?』 次々と機能を停止し、物言わぬ鋼鉄の躯へと戻る廃棄物群。 それらが一体、何を為された結果として機能を停止しているのか、攻撃隊には理解できない。 だが、フェイトは理解していた。 この攻撃が何であるのか、それを実行している人物が誰であるのか。 眼前で大型機械のコアに穿たれた、自身の拳よりも一回り小さな穴。 微かに見えた、緑の魔力光。 この攻撃、一方的にして絶対的な攻撃の正体とは。 『超高密度魔力集束確認・・・壁面、通路です!』 狙撃だ。 『砲撃、来ます!』 再び、橙色の砲撃が放たれる。 R戦闘機を執拗に狙っていた最後の大型機械はその砲撃により半壊、攻撃行動を中断したところへ撃ち込まれたミサイルがコアを直撃し、機能を停止した。 上空の脅威が消えた事で機動性を確保したR戦闘機は、廃棄物の山より放たれるレーザーを回避、或いは装甲で受けつつ、波動砲の充填を開始する。 その様子を目にしたフェイトは、全方位へと向かって念話を放った。 『退避!』 魔導師達が、中空へと逃れる。 直後、召喚された隕石が集積所の中央、廃棄物の只中へと着弾した。 壮絶な衝撃と熱が轟音と共に攻撃隊を襲い、その身体を上空へと撥ね上げる。 実に5秒以上にも亘って意図せぬ空中機動を強いられたフェイトは、漸く態勢を立て直すと、朦朧とする意識を何とか引き締め、眼下へと視線を投じた。 廃棄物の山は、無い。 否、あるにはあるのだが、それらはもはや別個の存在ではなかった。 衝撃によって粉砕され、高熱によって溶解し、炎を噴き上げる液化金属となっていたのだ。 恐らくその下では、未だに隕石が燻っているのだろう。 時折、連鎖的に小爆発が繰り返され、液化金属が上方へと撥ね上げられる。 集積所の隅は辛うじて溶解を免れてはいるが、衝撃によって吹き飛ばされた廃棄物が積み上がり、今にも崩壊しそうだ。 これが、あの波動砲の最大出力か。 余りの惨状に、フェイトの口から無意識の言葉が零れる。 「狂ってる・・・」 『全くですね』 突然の念話。 フェイトはゆっくりと、その視線を壁面へと移した。 攻撃隊が集積所への侵入に用いたものと酷似した通路が口を開け、その縁に何やら動くものが見える。 それが誰であるのかを念話によって確信したフェイトは、疲労を隠そうともせずに思念を送った。 『危ないところだった・・・もう少し遅れてたら、今頃は挽肉になってた』 『間に合った様で良かった。奴さん、こっちにはまるで気付いてなかった様でしたんでね。存外に装甲が脆くて助かりましたよ。おかげで簡単にブチ抜けた』 『・・・凄い皮肉だね、それ・・・ディエチも其処に居るの?』 『はい、ハラオウン執務官』 『そう・・・助かったよ。貴方達の援護が無かったら、間違いなく全滅してた』 『御冗談を』 交わされる念話に、隊員達も漸く状況を理解したらしい。 2kmほど先の壁面を指差しつつ、信じられないとでも云わんばかりの表情で言葉を捲し立てている。 フェイトにしても、俄には信じ難い事柄だった。 2kmという距離からの狙撃、しかも砲撃でもない単なる直射弾の一撃で、大型機械2機を撃破せしめたヴァイス。 短時間の内にSSランク相当の砲撃を2回も行い、1000に迫ろうかという廃棄機械群を殲滅したディエチ。 いずれにしても、通常の魔導師の常識を大きく逸脱している。 ディエチはフェイトの発言を謙遜として捉えたらしいが、実際には本心からの言葉だった。 其々、常軌を逸した技術と能力を持つ、2人の狙撃手。 彼等が現れなければ今頃は間違いなく、彼女も含めて攻撃隊は全滅していただろう。 『グランセニック陸曹長、ディエチ』 その時、オットーからの念話が発せられる。 すぐさまヴァイスが反応し、言葉を返した。 『ヴァイスで良いぜ。何だ?』 『ディードを・・・ディードを見掛けませんでしたか?』 『双剣使いの? いや、見ていないが・・・』 『オットー、ディードがどうしたの?』 ディエチの問いに、オットーはディードが行方不明となった経緯を説明する。 しかし彼等は、ディードの姿を見た覚えは無いと答えた。 落胆するオットー、そしてフェイト。 この汚染された施設内で単独行動となれば、その危険性は計り知れない。 一刻も早く探し出さねばならないが、その前にやるべき事があった。 フェイトは念話で、ヴァイス等へと指示を与える。 『ヴァイス、ディエチ』 『何です』 『狙って』 『了解』 たったそれだけの言葉に、ヴァイスは何をすべきか悟った様だ。 返答は無かったが、その傍らに居るディエチも同様だろう。 溶鉱炉の如き炎と熱気の上昇気流の中、フェイトは甲高い異音の発生源へと向き直った。 R戦闘機、ホバリング状態。 「お待たせしました」 その言葉に対する反応は無かったが、間違いなく聴こえているとフェイトは確信する。 R戦闘機は逃げるでもなく、かといって攻撃に移るでもなく、ただ其処に浮かび続けていた。 フェイトは次いで言葉を発し掛け、しかし何を言ったものかと思案し口を閉ざす。 クライド・ハラオウンの名を以って呼び掛けを続ける? 駄目だ、反応の無い事は確認済みであるし、何よりも攻撃隊各員が不審を持ち始めている。 投降を促す? 地球軍が、管理局によるそれに従うなど想像できない。 虚を突いて攻撃? それこそ下策中の下策、10秒と経たずに雷撃と隕石によって全滅させられる事は間違いない。 フェイトが思考する間にも、R戦闘機は微動だにしなかった。 攻撃隊が周囲を包囲し、デバイスを突き付けても同様だ。 それが、フェイトには不気味で堪らない。 何らかの策略による沈黙か、或いはこの程度、瞬時に殲滅できるとの余裕か。 結局、判断は付かなかった。 しかし、フェイトは思う。 この機体には、間違いなく義父が深く関係しているのだ。 何としても此処で情報を手に入れ、義母と義兄の下へと届けたい。 それ以上に、捕虜となったパイロットの証言が本当ならば、この機体の搭乗者が義父本人であるかもしれないのだ。 何としても拿捕、それが無理ならば艦隊への同行という譲歩を引き出さねばならない。 何せ、ただ単に撃墜するよりも、遥かにメリットが大きいのだ。 R戦闘機が攻撃の意思を見せてはいない以上、たとえ表面的ではあっても意志の交換による交渉を行うならば、今しか機会はない。 その判断に基き、フェイトはバルディッシュの刃先を下ろす。 双眸は油断なくR戦闘機を睨み据えたまま、隊員達にもデバイスを下ろすよう指示。 幾分ながら戸惑いつつも全員がそれに従った事を確認し、フェイトは言葉を紡ごうとして。 「・・・避けてッ!」 その眼前で、R戦闘機は機体後部を抉り取られた。 『な・・・!』 驚愕する攻撃隊の眼前、黄金色の弾体が下方から上方へと突き抜ける。 エンジンノズル1つを残し、機体後部構造物の全てを失ったR戦闘機は、サイドスラスターを駆使しつつ集積所の隅、溶解が及んでいない廃棄物の堆積する地点を目指し落下していった。 無理矢理に視線を機体から引き剥がし直下へと目を向ければ、超高熱液化金属の海より覗く、元はR戦闘機のキャノピーであった部位。 それは、燃え盛る液化金属の波に呑まれつつも、機首へと光の集束を始める。 波動砲、再充填開始。 『まだ・・・動いて・・・!』 オットーが自身の驚愕を伝えるが、フェイトとてそれは同じだ。 嫌悪と、驚愕と、恐怖とが入り混じった、混沌の感情。 それは彼女の眼下、業火の海でのたうつR戦闘機に対するものであり、その存在を創造した地球軍に対するものであり、それをすら汚染せしめるバイドに対するものであった。 溶解した金属の只中へと沈み、なお動き続けるR戦闘機。 恐らくはバイドにより汚染されていたのであろうが、元となる機体を創り出したのは地球軍だ。 この様な常軌を逸した兵器、創り上げた彼等の狂気とは如何程のものか、想像すら付かない。 そして、これ程の力を持つ兵器群を大量に投入し、なお打倒すること叶わぬバイドとはどの様な存在なのか。 R戦闘機をすら汚染せしめ、その力を嘗ての友軍へと向ける事を強要する、悪夢の様な存在。 そんなものが一体、何処から現れたのか? 攻撃隊の眼下、波動砲の充填は滞り無く進行する。 しかしフェイトは思考を優先させ、特に動く事をしなかった。 そんな必要が無い事を、重々に承知していたのだ。 R戦闘機のから僅か1m側面、液化金属の海面に穴が穿たれ、飛沫が飛び散る。 直後に波動砲の充填が止み、R戦闘機は全ての機能を停止したらしく沈降を始めた。 集積所壁面に、微かな緑色の閃光が奔ってから、僅かに数秒。 R戦闘機は完全に液化金属に没し、二度と浮かび上がる事はなかった。 『仕留めましたかね?』 『・・・多分ね』 ヴァイスからの問いに、フェイトは無感情に返す。 そして、集積所の端に墜落したR戦闘機へと視線を移すと、そちらへと移動を始めた。 『2人、私に着いて来て。R戦闘機を調査、パイロットを確保・・・!?』 『何だ!?』 だが直後、集積所内に巨大な金属音が響く。 何事か、と周囲を見渡すが、特にこれといった変化はない。 混乱と警戒とに満ちゆく思考はしかし、ヴァイスからの念話によって状況を把握するに至った。 『上だ! シャッターが開くぞ!』 その言葉に上部構造物を仰ぎ見れば、其処には巨大な半球状のシャッター、直径200mはあろうかというそれが無数に並んでいるではないか。 それらは中心から8つに分かれ、徐々に外側へと開きつつある。 何が始まるのか、と警戒する一同の意識に、隊員の1人が放った念話が届く。 『廃棄ダクトだ・・・』 その見解が正しい事は、直に証明された。 大きく口を開けたそれらの奥、警告灯に照らし出された終わりの見えない深淵の中から、無数の廃棄物が降り注ぎ始めたのだ。 突然の事に反応し切れずに、フェイトを含め攻撃隊の初動は遅れてしまう。 潰される、と何処か冷静に判断する思考。 だが、三度放たれたディエチの砲撃が、鉄塊の雨を跡形もなく消し飛ばす。 『こっちへ、早く!』 ディエチの念話に、攻撃隊は即座に退避行動へと移った。 しかしフェイトは通路へは向かわずに、廃棄物の雨を危ういところで回避しつつ、壁面沿いにR戦闘機を目指す。 『アンタ、何やってる!? こっちへ来い、死ぬぞ!』 『執務官! 戻って下さい!』 『駄目だ! 先にパイロットを確保する!』 隊員達の制止を振り切り、フェイトは遂にR戦闘機の許へと辿り着いた。 バルディッシュが、直下の廃棄物群より放たれる放射能の危険性を知らせるが、彼女はそれすらも無視。 墜落時の衝撃か、罅の入ったキャノピーをカラミティで切り裂き、自らの魔力光を以って内部を照らし出す。 そして、遂に「それ」を目にした彼女の胸中に。 「・・・嘘だ」 闇が、溢れた。 * * 「車を使え! ナビに従って次元航行艦まで戻るんだ!」 「そんな! アンタ達はどうするんだ!?」 「執務官が来るのを待つ! 先に脱出の準備を頼む!」 「待って、1人足りない!」 通路へと退避した隊員達に対し矢継ぎ早に指示を飛ばしていたヴァイスは、その声を受けて背後へと振り返る。 フェイトの事を言っているのかとも思ったのだが、しかしすぐにそうではない事に気付いた。 ディエチが隊員の1人へと、切羽詰まった様子で何事かを尋ねていたのだ。 念話を用い、問題が生じたのかと問う。 『どうした、何があった?』 『陸曹長・・・オットーが・・・』 『確か・・・妹だったか? 彼女がどうしたんだ』 『此処へ来る途中で止まっちまって・・・ゴミに邪魔されて、助ける事もできないんです!』 その言葉にヴァイスは、咄嗟にストームレイダーを構えると、スコープ越しに攻撃隊が退避した軌跡を辿る。 果たしてその途中、凡そ600mの地点に、廃棄物の山の直上へと佇む、一見すると少年にも見受けられる少女の姿があった。 何かを胸元に抱え、俯いたまま動く気配が無い。 ヴァイスはとにかく、その情報をディエチへと伝えた。 『見付けたぞ! データを渡す、そっちで確認してくれ!』 『了解・・・確認しました! オットーです!』 その言葉も終わらぬ内、ヴァイスは狙撃を開始する。 オットーへと直撃する可能性のある落下物を狙撃し、機動を逸らしているのだ。 だがそれにも限界はある上、貫通力に特化した魔導弾では、大型の落下物に対して無力。 傍らのディエチが、砲撃でサポートを行う。 その間にも隊員やディエチが、念話でオットーへと退避を促し続けていた。 『聞こえないのか、こっちへ来るんだ!』 『早く! 早くして!』 『オットー、何をしているの!?』 その念話を意識に挟みつつも、ヴァイスは確実に落下物への狙撃を成功させていた。 スコープへと映り込む対象を次々に変更し、トリガーを引き続ける。 ガジェットの残骸、作業機械のアーム、機動兵器搭載兵装の一部、大型車両のタイヤ、何らかの制御盤と撃ち抜き続け、次の標的へと狙いを変更し。 「ッ・・・!?」 視界へと映り込んだ物体に、ヴァイスは凍り付いた。 落下するそれはオットーの傍らへと叩き付けられ、大量の液体を撒き散らしつつ弾ける。 その正体こそ看破は容易であったが、理解する事は困難以上の問題だ。 だが、続いて落下してきた同種の物体、数百体にも及ぶそれが、否が応にも現実を認識させる。 ディエチや隊員達もまた、同様の光景を目にしているらしく、念話を通して複数の悲鳴が届いた。 赤い飛沫を散らしながら、廃棄ダクトより無数に零れ落ちるそれ。 見紛う筈などない、見慣れたその造形は。 「人間」だった。 そして、ヴァイスは気付く。 オットーの足下、廃棄物の只中に転がる、半ばより溶け落ちた真紅の刃。 胸元から零れる、流れる様な栗色の髪。 慈しむ様に、両腕で抱え込まれたそれ。 ディードの「頭部」。 悲哀か、絶望か。 ディエチが絶叫する。 だがそれすらも、オットーの意識には届かない。 必死の銃撃を、砲撃を嘲笑うかの様に、降り注ぐ死体と廃棄物の雨は激しさを増す。 直上にダクトの存在しない壁面沿いの地点に落着したR戦闘機内にて、何かを発見したらしきフェイトが念話を用いて叫んではいるが、少なくともヴァイスにはそれを聞き留める余裕などありはしない。 落下物を撃ち、砕き、貫き、弾き。 まだ続くのかと、まだ終わらないのかと、微かな絶望が脳裏を掠めた、その時。 全長50mを超える次元航行艦の残骸、消息不明となっていたそれが、ダクトより現れる。 知らず、此処には存在しない何者かへの怨嗟が、小さな呟きとなってヴァイスの口を突いて出た。 呪いの言葉が誰へと届く事もなく掻き消え、より一層に悲痛なディエチの悲鳴が響く。 そして、直後。 オットーの姿は、次元航行艦の影に呑み込まれて消えた。 特異な過程によって生まれ、特異な道を歩み、特異な戦いを経て、光の下へと踏み出した姉妹。 自らの生を歩み始めたばかりの双子は、機械仕掛けの墓穴に呑まれて消えた。 それを見届けた者達の悲哀も、憎悪も、絶望も。 その一切が、墓守たる存在へと届く事はない。 未だ閉じる事もなく、鋼鉄の屍を吐き出し続ける無数のダクトだけが、犠牲者達の尊厳を辱め続ける。 1000を超える死者、そして無数の鋼鉄の骸を共に、2人は光の下を去った。 奪われた未来、踏み躙られた尊厳を取り戻す術を、生者は持ち得ない。 無力感と憤怒に打ち震える彼等の声が、死者に届く事はない。 彼等は。 脅威を打倒し、危機を切り抜け、自らの生存を勝ち取ったにも拘らず。 彼等は、紛れもない「敗北者」だった。
https://w.atwiki.jp/nanohass/pages/3834.html
意識が戻ると同時、最初に視界へと飛び込んだ色は鮮烈な赤だった。 軋む身体に鞭打ち、漸く持ち上げた視線の先には、揺らめく別種の赤い光。 それが迫り来る業火の光だと気付いた瞬間、彼女は反射的に声を張り上げ、周囲を見渡す。 「フェイト! フェイト、何処だい!?」 耳鳴りこそ止まぬものの、彼女の聴覚は正確に自身の音声を拾い上げていた。 そして同時に、何処からか響く無数の呻き、絶叫までもが意識へと飛び込む。 脳裏を焦がすそれらに戦慄しつつも、アルフは只管に主の名を叫び続けた。 「フェイト! 返事しな、フェイト・・・!?」 だが彼女は、その呼び掛けを中断する。 せざるを得なかったのだ。 積み重なる瓦礫、その隙間から延びる緑の髪を視界へと捉えてしまったのだから。 「リンディ!」 それまで以上に悲痛な叫びをひとつ、アルフはリンディの傍へと駆け寄ると、猛然と瓦礫を除け始める。 幸いにして、彼女の手に余る様な巨大な瓦礫は存在しない。 しかし、大きいものでは成人男性の頭部に匹敵する瓦礫もある。 考えたくはないが、積み重なるそれらの下に埋もれたリンディが無事であるとは思えない。 事実、アルフの手によって退かされる瓦礫は、数を追う毎に表面の紅い染みが拡がってゆく。 それは徐々に露わとなる髪も同様で、常ならば新芽を思わせる淡い緑の髪はどす黒く染まり、それに触れるアルフの手もまた赤く濡れていた。 そうして瓦礫を取り除く事、数十秒。 「・・・ッ!」 漸く露わとなったリンディの身体は、血に濡れていない箇所を探す方が難しい有様だった。 変色した制服は其処彼処が破れ、その内より無残にも抉れた傷跡を露わにしている。 瓦礫の直撃を受けたのか、左腕は肘部と前腕部であらぬ方向へと捩じ曲がり、露出した骨格が噴き出す鮮血に染まっていた。 髪を束ねていたバンドは既に無く、四方へと拡がった長髪は、濡れたその表面から赤黒く光を照り返している。 頭部からの出血も酷く、閉じられたその双眸の上を傷から溢れる鮮血が覆っていた。 そして何より、彼女の両脚を押し潰す様に圧し掛かった3m程の瓦礫が、アルフの焦燥を駆り立てる。 「く・・・この・・・!」 すぐさま、彼女はそれを除きに掛かった。 瓦礫の端に指を掛け、全身の筋肉を極限まで収縮させる。 常人ならば僅かたりとも動かす事などできはしないだろうが、其処は狼の使い魔。 人間離れした膂力を以って、徐々にではあるが瓦礫を浮かび上がらせてゆく。 そして咆哮が上がると同時、遂に瓦礫はリンディの身体から撥ね退けられた。 間を置かずにアルフは彼女の介抱に移ろうとするも、視界へと映り込んだ惨状に行動を凍り付かせる。 右足が、潰れていた。 リンディの右足首より先は、膨大な質量によって圧潰していたのだ。 完全に原形を失った肉塊と白い骨格の破片が、血を噴き出す足首の先にほぼ完全な平面となって存在している。 僅かばかりの肉片が付着したビニールの様な皮膚だけが、未だリンディの右足に残る全てだった。 「畜生・・・ユーノ! ユーノ、見えてるだろ!? 返事しな!」 最早、自身の扱える治癒魔法で対処可能な域を超えている。 慣れないフィジカルヒールをリンディへと掛けながらも、アルフは声を振り絞って、管制室から現状を把握しているであろうユーノへと支援を求めた。 これ程の重傷ともなると、先程ユーノが展開したラウンドガーダー・エクステンドと同等の治癒魔法が必要となる。 あれだけ治療に特化した魔法ともなると、失われた血液や肉体の欠損部位を修復するまでには至らずとも、負傷面の癒着による止血や大概の傷の治癒は瞬時に実行できるのだ。 「ユーノ、何で返事しない!? どうしたってんだい!」 だが幾ら叫ぼうとも、あの緑色の魔力の奔流は現れない。 周囲には鉄と鉄がぶつかり合う轟音、構造物が軋む異音とが響き渡っているが、その中で先程まで響いていた無数の悲鳴だけが消失していた。 その事実にはアルフとて気付いてはいたが、常にそれを警戒していられるだけの余裕が無い。 内心で募りゆく焦燥感もそのままに、彼女は叫び続けた。 「返事しろってんだ! ユーノ・・・」 「アルフ・・・?」 その時、背後から聞き慣れた声が響く。 振り返れば、其処にはアサルトフォームへと移行したバルディッシュを杖代わりに、やっとの事で立っているフェイトの姿があった。 意識を失う直前まで彼女を守り続けていた記憶はあるが、流石にあの崩落に巻き込まれて無傷である筈もなく、右肩からは夥しい量の出血が見受けられる。 だが、生きている事には変わりがない。 アルフは安堵しつつ、しかし鋭く声を発した。 「フェイト、無事で良かった・・・でもゴメン、休んでる暇がないんだ。魔力は大丈夫かい?」 「・・・ちょっときついかな。増幅できるから、まだマシだけど」 「じゃあ、ちょっと手伝っておくれ・・・フィジカルヒール、使えるかい?」 「何を・・・!?」 其処で漸く、血溜まりの中に横たわるリンディの姿を捉えたのか、フェイトの表情が強張る。 悲鳴が上がるかと思われたが、アルフが視線で制するとその意図を酌んだのか、すぐに彼女の傍らへと移動し膝を突くとフィジカルヒールを発動した。 そして金色の魔力光がリンディの身体を覆い始めると、アルフは己の主人へと問い掛ける。 「他の連中は?」 「・・・私は5分くらい前に気が付いたけど、此処に来るまで誰とも会わなかった。アルフは?」 「さっきまで悲鳴が聴こえてたんだけど、今は・・・」 その時2人の傍らに、突如としてウィンドウが出現した。 驚く2人を余所に、周囲にはラウンドガーダー・エクステンドが展開される。 自身を含めた全員の負傷が急速に癒え始めた事を確認し、アルフは安堵と喜びを隠そうともせずにその名を呼んだ。 「やっとかい、ユーノ!」 「ユーノ、状況はどうなっているの? 他の生存者は? 義父達は何処なの!?」 『・・・接近し・・・時間・・・』 だがウィンドウにはノイズが奔り、発せられる音声も途切れ途切れで要領を得ない。 これも先程のR戦闘機から放たれた攻撃の影響かと、アルフは歯噛みしながら声を発する。 「接続が悪過ぎる、良く聴こえないよ」 『・・・接近・・・回線を・・・聴こえるかいフェイト、アルフ?』 「良いよ、良く聴こえる様になった。それで・・・」 『聞いて、2人とも。もう時間が無い』 通信状態が回復すると同時、放たれたのは何かを押し隠したユーノの声。 時間が無いとの言葉に緊張するアルフ達へと齎されたのは、想像を超える凶報だった。 『Eブロック汚染区画から救難信号が発信された。XV級パトリツィアがこれを受信・・・』 「まさか!?」 『そのまさかだよ。パトリツィアは本局への接近中に、汚染された迎撃システムにより撃沈された。艦隊は本局が完全に汚染されたと判断している』 その報告に、アルフは自身の顔から血の気が引いた事を自覚する。 見れば、フェイトも同様らしい。 管理局艦艇が本局の迎撃システムによって撃沈され、残存艦艇はこちらを敵性体として捉えている。 となれば、艦隊が採るであろう行動はひとつ。 『既にXV級ヴィクトワールが本局に接近中。30分以内に応答がない場合か、本局からの更なる攻撃を確認次第、アルカンシェルによる攻撃を行うと通告してきた』 「なら返信しな! こっちの状況を教えてやれば良いだろ!」 『できないんだ。機能しているのは受信のみ、こちらからの発信は全て妨害されている。迎撃システムの方はオーバーロードで爆破したけど、このまま返信できなければ26分後にアルカンシェルが撃ち込まれる』 「地球軍の連中は馬鹿かい!? このままじゃ自分達も・・・!」 『妨害は汚染区画からだよ。バイドの仕業だ。地球軍も通信障害が発生している可能性が高い』 「どうして?」 『この状況が地球軍に伝わっているのなら、とっくに核を残して脱出しているだろうからね。未だに爆発が起こっていないという事は、彼等も正確な状況を把握できずにいるって事だよ』 ユーノの推測を理解すると、アルフは自身の並外れた聴覚を用いて周囲の音を確認する。 銃声は、無い。 周囲に地球軍が存在しない事を確認しつつも、彼女は息を潜める様に言葉を紡ぐ。 「・・・だとしても、一部を生け捕りにしないと不味いんじゃないかい? 奴等がバイドに殲滅されたら、その瞬間に核が起爆しちまうだろ」 『その事態は侵食を利用して回避できる。君達が車両内で見た通り、侵食に巻き込まれた人間は強制的に「生かされて」いる。つまりバイタルサインが途切れないんだ。幾つかのサインで確認してみたけれど、どれも異常なし。 つまり地球軍がバイドによって浸食されれば、途絶える事のないバイタルサイン発信源を確保できる』 「その口振りだと、もう侵食された地球軍を確認しているみたいだね?」 『取り敢えず5人ほどバインドで捕獲して、侵蝕組織体に投げ込んでみた。経過は良好だよ』 気負う様子など欠片も見せずに放たれた言葉。 しかし、その言葉にフェイトは肩を震わせ、アルフもまた胸中を切り裂かれる様な痛みを覚えた。 ユーノがまた一歩、自身等から遠ざかったかの様な感覚。 だが、今はそれに感けている暇が無い。 「じゃあ起爆の可能性は、今のところは無いんだね?」 『確実とは言えないけれどね。外部からの介入が可能なら、コードを書き換えられる可能性もある。一刻も早く脱出しなければ』 「他の生存者達は?」 『200mほど離れた交差路に150人程を確認した。ハラオウン提督も、スカリエッティもその中に居る』 アルフはリンディの腕を肩に回し、その身体を背中へと担ぎ上げる。 脚に手を回して固定すると、フェイトを促して歩き始めた。 傍らへと展開された立体構造図、その誘導に従い他の生存者との合流を目指す。 「周囲の状況は何処まで解るんだい?」 『汚染進行の影響で、殆どの機能がバイドに奪われた。君達と生存者の位置を捉えてはいるけれど、他についてはさっぱりだ。区画全体をサーチする事ができない』 「何かあっても近付くまで分からないって事か」 思わず舌打ちするアルフだったが、それで状況が好転する訳でもない。 地球軍、若しくは汚染体と遭遇する事があれば、フェイトやリンディを護れるのは彼女しか居ないのだ。 一分、一秒でも早く、他の生存者達と合流せねばならない。 「居た!」 瓦礫を掻き分けつつ歩き続ける事、数分。 逸れた生存者達の集団が、視界へと映り込む。 ユーノの言葉通り、生存者達の中にはスカリエッティの姿、そしてクライドのポッドとそれを運搬していた局員の姿もあった。 一瞬、幾人かの武装局員が警戒する素振りを見せたが、既にユーノから連絡を受けていたのか、すぐにデバイスの矛先を下ろす。 そして合流するや否や、真っ先に口を開いたのはフェイトだった。 「状況は?」 「余り良くはありません、執務官。既に71名の死亡を確認、260名以上が行方不明となっています・・・R戦闘機による攻撃の直後、我々は崩落した第2階層構造内へと落下しました。恐らくは皆、瓦礫の下に・・・」 其処で、言葉が途切れる。 ふと周囲を見渡せば、上半身全体に制服が掛けられ、顔を覆われている亡骸が数十体も横たわっていた。 床面にはそれらから流れ出した血液が、小さな流れを幾筋にも生み出している。 半数ほどの遺体の傍らでは生存者が小さな嗚咽、或いは慟哭を漏らしており、交差路には宛ら葬儀の際にも似た空気が漂っていた。 沈痛な面持ちで唇を噛み締めるフェイトを横目に見留めながらも、アルフは極力冷静を装ってユーノへと問い掛ける。 「それで、今度は何処へ行けば良いんだい。こんな状況じゃあ、此処の脱出艇もぶっ壊れちまってるんだろ?」 『取り敢えずCブロックへ向かって。地球軍が侵入した形跡はあるけれど、汚染が及んでいないのは其処だけだ。運が良ければ、港湾施設に艦艇がまだ残ってる筈だよ』 「運頼りかい・・・嫌な予感しかしないよ」 そう言いつつ、アルフが背中のリンディを担ぎ直した、その直後。 重低音と共に通路全体の照明が落ち、次いで暗闇に回転灯の黄色の光が点滅を始めた。 突然の事にアルフは思わず身を竦ませたが、周囲はそれ以上に混乱している。 戸惑いの声と三拍子の小さな警報音が周囲を満たす中、フェイトが自身も動揺を滲ませた声で尋ねた。 「ユーノ、何が起こったの? この警報は一体?」 『警報?』 「この音だよ・・・聴こえるでしょ?」 『ちょっと待って・・・これ、警報なのかい?』 フェイトとユーノの会話を聞いていたアルフは、何かがおかしい事に気付く。 ユーノは管制室からこちらの状況を窺っているにも拘らず、まるで今の今まで警報が鳴っている事に気付いていなかったかの様な口振りだ。 警報が発令されれば、当然ながら管制室にもその情報が伝わる筈。 だというのに、彼は警報の事を知らなかった。 一体、何故か。 そんな事を思考する間も、状況は加速度的に変動してゆく。 更に大音量の警報が鳴り響き、複数のアナウンスが同時に流れ始めたのだ。 訳も分からずに混乱する生存者達を置き去りにしたまま、合成音声が無情に警告を発する。 『火災を検知しました。8区1-3から4-4までを緊急閉鎖します。当該区画内の局員は直ちに避難を開始して下さい。繰り返します・・・』 『第2階層構造内部全域に於いて異常気体の充満を検知しました。避難完了後300秒経過を以って緊急排気を実行します。避難完了を確認。排気開始まで300秒・・・』 『中央区画全域に於いてクラス4の生物災害が発令されました。中央区画を緊急閉鎖します。局員は一般市民の避難誘導に当たって下さい。開放中の避難所は第1から第12・・・』 幾重にも木霊する警告。 その数は秒を追う毎に増え、異常減圧を伝えるものから放射能汚染域の拡大を告げるものまでが、次々に通路へと反響し始める。 これだけの警報が同時に発令されるなど、明らかに正常ではない。 「何が起きてる? 放射能だって?」 「隔壁が閉じて・・・おい!」 「くそ、消化システムが!」 そして天井面より、大量のガスが噴射される。 消火剤だ。 窒息を避ける為に、交差路の其処彼処で結界が展開される。 「ユーノ、消火剤を止めて! このままじゃ・・・!」 『こっちには何の表示も・・・駄目だ、異常は何ひとつ検出されていない!』 「じゃあ何で!?」 『其処のシステムそのものが、既に汚染されているとしか考えられない!』 「見ろ、壁が!」 職員の叫びに、アルフはウィンドウから視線を外し、通路の壁面を見やった。 噴出する消火剤の白煙に霞む様にして、回転灯の黄色の光によって照らし出される合金製の壁面。 斑点状の染みが複数、其処に浮かび上がる。 「・・・何だ?」 回転灯の明かりでは良く見えないが、その不自然な漆黒の染みは、壁面の下から浮かび上がってきた様に見えた。 見間違いではないか、などと考えた時間は数秒にも満たない。 壁面を見つめる生存者達の目前で、それらの染みは爆発的な勢いで壁面全体を侵食し始めたのだ。 急速に面積を拡大しゆくそれを凝視する内、局員の1人がその正体に気付く。 「錆だ・・・」 「何だって?」 「あれは錆だ! 壁面が腐食している!」 その叫びとほぼ同時にアルフは、周囲に濃密な鉄の臭いが充満している事に気付いた。 足下に生じる違和感、砂を踏み締めた際にも似た感覚。 咄嗟に足を除け、その下の床面を見やると、其処にも黒々とした染みが拡がり始めているではないか。 慌てて飛び退くや否や、その錆の染みは一気に周囲の床面を蝕み始める。 堪らず、アルフは叫んだ。 「何だこれ? 何なんだよ!?」 「構造物が腐食してゆく・・・ユーノ、そっちでは観測できないの!?」 『待って・・・確認した。Dブロック、Eブロックでも同様の現象が起きてる・・・構造物の劣化、腐食を確認! 更に進行中!』 次の瞬間、回転灯の光が落ち、同時に消火剤の噴出が止まる。 突然の暗闇に困惑の声が上がるが、しかし数秒後には再度、回転灯に光が点った。 すぐに換気が始まり、通路からガスが完全に排出された事を確認すると、結界を展開していた魔導師達は術式を解除する。 だが直後、生存者達の眼前に拡がった光景は、信じ難いものだった。 「・・・遺体は?」 それなりに広い交差路、その床面に横たえられていた60を優に超える数の遺体。 それらが全て、霞の如く消え去っていた。 異常なその事実に気付くと、生存者達は一様に騒然となる。 「何処に消えた!?」 「まさか消火剤が噴出されている間に・・・2分も無かったのに!」 「血の跡が・・・」 床面には夥しい量の血液と、数十もの何かを引きずった跡だけが残されていた。 紅い液面に引かれた無数の線が、消えた遺体の行き先を物語っている。 すぐに武装局員の1人から、念話による指示が飛んだ。 『約50m前方、メンテナンス・ハッチだ』 床面に設けられた縦幅1m、横幅2m程のメンテナンス・ハッチ。 血の海に引かれた痕跡の行き着く先は、開放されたそのハッチの縁だった。 アルフはバルディッシュを構えて歩み出そうとするフェイトを制し、彼女にリンディを託すと他の武装局員達と共にハッチへと向かう。 フェイト達の身の安全確保はユーノに任せ、自身はハッチへと向かう局員達の補助を行おうと考えたのだ。 だが、それだけではない。 アルフは嘗て無い不安と恐怖に侵されながらも、そのハッチの中に存在するであろうものを確かめねばならないという、一種の強迫観念に囚われていた。 それが何であるのかは判然としないが、強烈な血臭に混じって得体の知れぬ臭いが、無視できない圧力となって彼女の意識へと殺到しているのだ。 彼女自身の存在、その根幹を侵す何かが、あの中にある。 『・・・聴こえるか?』 『ああ』 その念話が何について交わされているものか、アルフはすぐに悟った。 呻き声だ。 ハッチの中から、無数の呻きが響いている。 近付くにつれ、より大きく反響するそれは、明らかな苦悶の色を含んでいた。 遺体だけではなく、生存者までもが引き摺り込まれているのか。 『・・・行け!』 指示が下されると共に、アルフはハッチを目掛け跳躍した。 15m程の距離を一息に跳び、バインドの展開に備え掌をハッチへと翳す。 周囲には8名の局員が、同じく各々のデバイスの矛先を開放されたハッチへと突き付けていた。 そして9つの魔力光が、各々が異なる光でハッチ内部を照らし出す。 だが、闇の中より浮かび上がったそれらを目にするや否や、彼等の強靭な意思は錆びゆく構造物さながらに瓦解した。 「あ・・・あ・・・」 「聖王よ・・・これは・・・こんな・・・!」 気道から漏出する空気の音、無数に重なる苦悶の声。 噴き上がる黒ずんだ血飛沫、滑りを帯びた肉塊と肉塊が擦れ合う湿った異音。 骨格が粉砕され、肉体が弾ける際の水気を含んだ破裂音。 通路下部に拡がる空間に蠢く、その存在は。 「どうして・・・!」 成人の胴回り程もある触手の集合体。 それに呑まれゆく、数十体の「生きた死体」だった。 「嘘だ・・・」 それらの遺体は「生きて」いた。 確かに生命活動を停止し、物言わぬ骸となった筈の死者達。 骨格を砕かれ、四肢を断たれ、心肺を潰され、頭部を失い。 抜け殻となった、生命なき身体の群れ。 にも、拘らず。 蠢く触手の狭間に巻き込まれ圧搾されゆくそれらは一様に、見開かれた瞼の下より覗く眼球を不自然に揺らがせ、紛れもない恐怖に引き攣り擦れた声を上げながら全身を潰されてゆく。 彼等の身体を引き摺り込むものの正体は、全身へと突き立った微細な触手。 リニア車両内にて局員達を襲った物と同様のそれが、彼等の身体を隈なく貫通している。 その光景を、アルフは戦慄と共に凝視した。 忘れる筈もない。 あの触手に貫かれた者達は、通常ならば明らかに即死しているであろう状態にも拘らず、その生命を永らえさせられていた。 死ぬ事すら許されずに、想像を絶する苦痛の最中へと心身ともに縫い止められていたのだ。 それは、生命あるものに許された最後の安寧すら奪い去る、正に悪魔の所業。 だが、まさか。 まさかバイドの能力は、去来する死を拒絶するだけに留まらないのか。 既に死が訪れた存在でさえ、死によって安穏の地へと旅立った者でさえ、バイドは。 「ふざけるな・・・」 自身の脳裏を過ぎった思考に、アルフの口から低い呟きが漏れる。 続いて紡がれるのは、渾身の力で歯が軋り合わせられる、僅かな異音。 無意識の内に握り締められた拳は小刻みに震え、指の間からは赤い雫が滴り落ちている。 だがアルフには、それらを気に留めている余裕など無い。 プレシア・テスタロッサは最愛の娘アリシアを生き返らせる為に、禁忌の研究「プロジェクトF.A.T.E」の技術を用いてフェイトを生み出した。 モンディアル夫妻は失った愛息を取り戻すべく同様の技術を用い、息子の複製とも云える現在のエリオを生み出した。 ジェイル・スカリエッティは手駒の確保とレリックのデータ収集を目的に、死せる騎士ゼスト・グランガイツを蘇生させた。 しかしエリオを除き、これまでに確認されている死者蘇生については、いずれも何らかの異常が発生している事が確認されている。 フェイトはアリシアとはなり得ず、ゼストは能力と基礎生命機能の劣化を免れ得なかった。 その他の確認済み事例に於いても、死者蘇生に成功したという情報は存在しない。 唯一の成功例であるエリオに関してでさえ、将来的にその生命機能への異常が生じる可能性が皆無であるとは言い切れないのが現状なのだ。 だというのに。 バイドは既に生命活動の停止した肉体を、いとも容易く蘇生した。 死体を醜悪な肉塊の一部とする、唯それだけの事で一旦は失われた生命を呼び戻したのだ。 生命は尊い。 それは少なくとも、次元世界の大部分に於いては普遍的な倫理観だ。 だが徹底的に感情論を排し、只管に、冷酷なまでに科学的な見地から一個の生命体を紐解けば、或いは単なる物質の寄り集まった機能構造体に過ぎないのかもしれない。 言うなれば機械と同様だ。 壊れたのならば、修理すれば良い。 情報さえ残っているのならば、物質部位など幾らでも替えが利くだろう。 だが医療技術が発達し、再生医療すら可能となった現代に至っても、生命とは掛け替えの無い尊ぶべきもの、唯一無二のものであるという認識が主だ。 たとえ生命蘇生すら容易に成し遂げられるとなっても、多くの人々は決してその価値を認めはしないだろう。 人は、生命は機械ではない。 機械と同様であってはならない。 簡単に壊れ、壊し、修復され、交換されるものであってはならない。 何故なら生命とは神秘であり、神聖な存在だから。 少なくとも人間にとっては、そうでなければならないからだ。 そんな認識の中でフェイトは、エリオは生み出された。 それは、禁忌とは知りつつも、掛け替えの無い存在を取り戻したいという強い願いがあったからこそだ。 アルフは狼としての生命が終わる際に、フェイトによって新たなる生命を授けられた。 この絆も、使い魔としての生命も、アリシア・テスタロッサの死から始まった、悲しい物語の結果として生まれたものだ。 ハラオウン一家との強い絆も、生命と死の尊さ無しには決して育まれはしなかった。 だが、バイドは。 バイドは、そんな生命の根幹すら凌辱した。 フェイトとエリオの誕生に至る軌跡、死者を想い禁忌を犯すに至った者達の意志を侮辱した。 大切な存在の死から始まった、幾つもの絆まで嘲笑った。 自身の、フェイトの存在さえ否定した。 「ふざけるな・・・!」 そう、バイドにとっては、生命も機械も大差ないのだ。 尊ぶべきもの、況してや神秘から成るものでなど決してなく、単なる自律機能を有した構造体。 脳髄に収められた情報、またはリンカーコアさえ残っているのならば、蘇生など幾らでもできると。 たとえそれらが失われていたとしても、残された身体機能のみの「再起動」すら成し遂げるだろう。 バイドにとって生と死の概念とは、恐らくはその構造体機能が「活性」であるか「非活性」であるかの区別を付ける為の指標に過ぎないのだ。 眼前で苦悶と絶望の声を上げ続ける彼等は、つい先程まで「非活性」だった。 その原因となる箇所をバイドは修復、或いは新たに機能を付与し、再び「活性」へと移行。 機能を回復した上で改めて彼等を摂り込み、その全てを喰らい尽くす。 彼等のバイタルサインは再び生命の鼓動を伝え始め、それは彼等が肉塊に呑まれ消えても「正常」な信号を送り続けていた。 地球軍パイロットが何故、あの様な手の込んだナノマシンタイプの毒物を携帯していたのか。 つまりは、そういう事なのだ。 単なる生命機能の喪失では、バイドより逃れる事は叶わない。 死者は安寧の狭間より引き摺り出され、強制的に生命体としての機能を回復された後に、存在の全てを凌辱される。 そうして、いつ終わるとも知れぬ苦痛と恐怖、絶望の中でいずれは摩耗し、遂には生命としての個を失い、果ては自らを貪る存在であるバイドと同一の存在となるのだろう。 肉体そのもの、及び身体の有する全情報の徹底的な破壊を以ってして漸く、生命はバイドという悪夢の手を逃れる事ができるのだ。 だから。 ただ「死んだだけ」の彼等は、今。 この下、足下に拡がる闇の中で、彼等は。 「ふざけるなぁぁぁッ!」 「撃てぇェェェッ!」 9つの絶叫と共にバインドが、直射弾が、砲撃がハッチ内部へと叩き込まれる。 噴き上がる肉片と血飛沫、魔力の残滓。 だがそれらさえも、更なる高密度・高出力の魔力の奔流によって掻き消されてゆく。 頭上より放たれる死の奔流を前に、望まぬ蘇生を強いられた死者達は、恐怖の中にも隠しきれぬ歓喜を内包した叫びを上げた。 荒れ狂う魔力の爆炎、一帯を揺るがす衝撃と轟音。 しかし、ハッチ内の生命が次々に消失するにつれ、反比例するかの様に周囲の構造物を侵食する錆は、爆発的にその面積を増してゆく。 その事実に、そして後方から退避を促すフェイト達の叫びに気付きながらも、アルフはバインドで肉塊を絡め取り、引き裂く動作を止める事はできなかった。 犠牲者のものとも、バイドのものとも付かぬ鮮血が頬へと付着する中、傍らに展開したウィンドウ越しの叫びを捉える事ができたのは、幸運としか云い様がない。 その声はこの絶望的な状況に於いて、最後の希望とも取れる報告を告げたのだった。 『Cブロック緊急港湾施設、全ての艦艇がオンラインになっている! 生存者の集結を確認した!』 * * 戦闘は徐々に収束へと向かっていた。 複数もの結界を容易く撃ち砕き、一瞬にして物影に潜む局員達を遮蔽物ごと細切れの肉片と化す、重火力質量兵器の一斉射撃。 地球軍部隊の攻撃は確かに強力且つ圧倒的ではあるが、それでも総数60を超える空戦魔導師と驚異的な速度で展開され続ける障壁、その双方を同時に相手取るには数的に不利である事は否めない。 更に空戦魔導師ともなると、高速での三次元機動による戦闘展開が可能である。 たとえ圧倒的連射速度を誇る質量兵器と正確な照準技術を有していようとも、高速移動する目標と発射点の間に展開された複数の障壁、それらを破壊するまでの僅かなタイムラグは致命的だ。 予測射撃によって放たれた銃弾の運動エネルギーは障壁破壊時に減衰し、続く掃射は空戦魔導師の有機的な機動を捉え切れずに空を切る。 そして障壁が破壊されるや否や、間髪入れずに魔導師からの直射弾の嵐が地球軍を襲うのだ。 しかし、彼等が纏う装甲服はこちらの予想以上に堅固なのか、非殺傷設定を解除されているとはいえ、直射弾を受けただけでは即死には至らない。 着弾の反動に弾かれ崩された体勢を持ち直すと、攻撃を再開すべく即座に質量兵器を構える。 だが、その隙を見逃す魔導師ではない。 態勢が整うまでの僅かな隙に簡易砲撃が放たれ、地球軍兵士の姿が次々に魔力光の放流に呑み込まれて蒸発してゆく。 兵の数が減るにつれ質量兵器の弾幕も薄れ、更に戦闘の最中に加わった管制室からの援護である業火の洗礼が、地球軍が展開する周辺を蛇の様に舐め尽していた。 魔力の炎によって遮蔽物の陰から炙り出された兵士達は、全身を炎に覆われながらも熾烈な反撃を加えてきたが、それも忽ちの内に砲撃と高密度直射弾の嵐に呑み込まれて消滅する。 そして遂に、このブロックでは最後の地球軍兵士であろう5名が砲撃によって消滅した事を確認し、彼女は暫し周囲を警戒した後に念話を発した。 『周囲警戒。出港まで気を抜かないで』 指示を終えた彼女、第四陸士訓練校学長ファーン・コラード三佐は周囲に気付かれぬよう、小さく息を吐く。 所用で訪れた本局にて参戦する事となった十数年振りの実戦は、全敵対勢力の殺害という後味の悪い結末を迎えた。 同僚や犯罪者、果ては戦闘に巻き込まれた民間人の死を幾度となく目にしてきた彼女ではあったが、45名もの人間を殺害する現場に居合わせる等という経験は、流石にある筈もない。 況してや、その殺害を為した者が自身を含めた管理局局員であるともなれば、尚更の事だ。 ファーンは前方に転がる大型の質量兵器、消滅した地球軍兵士が使用していたそれを見つめながら、心底より湧き上がる怖気を抑える事に腐心していた。 質量兵器を相手取るのは、何も初めての事ではない。 だが、嘗てこれ程までに殺意に満ちた質量兵器による攻撃を受けた事が、自身の局員としての戦いの歴史の内にあっただろうか。 教え子達に対し、自身が繰り返し問うてきた「強さの意味」。 質量兵器という存在は正しく、その問い掛けの求める答えとは対極に位置する「強さ」を追求したものだ。 如何に効率良く破壊し、如何に効率良く殺すか。 執拗なまでにそれらを追い求め、遂には世界すら滅ぼす領域へと至った忌まわしき技術。 現在の管理世界にも、非合法に質量兵器を運用する勢力はある。 だが彼等が使用するそれなど、この地球軍が運用する質量兵器に比べれば玩具に等しい。 展開される障壁を貫通し、合金製の構造物をコルク板の如く穿ちつつ、暴風雨の如く連射される銃弾。 僅かでも身体を掠めようものなら四肢が飛び、直撃すれば胴が消し飛ぶ程の威力。 そんな携行型質量兵器が存在するなど、少なくとも今までには聞いた事も無い。 しかし現に、周囲には弾幕に呑み込まれ細切れとなった局員達の肉片が散乱している。 45名の非魔導師を殲滅する為に、AAAランクすら含む28名もの魔導師が犠牲となったのだ。 管制室からの支援が無ければ、犠牲者の数は倍に膨れ上がっていただろう。 これが魔導資質を有せず、質量兵器のみを己が牙として研磨し続けてきた世界の軍隊、それと相対した結果か。 『コラード三佐、77番から114番まで出港準備が整いました』 『上層階の艦艇は?』 『負傷者の搭乗に手間取っています。出港までは10分ほど必要です』 『了解しました。乗り込みが終了次第、出港して下さい。我々は警戒に当たります』 『御武運を』 「AC-47β」を装着したデバイスを手に、ファーンは背後へと振り返る。 完全な人工物の内部とは思えぬ広大な空間の中、彼女の視線の先には小型の次元航行艦が停泊していた。 その数たるや、1隻や2隻ではない。 左右に視界を巡らせれば、数十隻もの小型艦が出港の時を待っていた。 戦闘の終結と共に、各所のハッチより姿を現した非戦闘員の数は数千人にも上る。 艦内に乗り込んだ者、そして施設構造物内部の人員を合わせれば、実に35,000もの人間がこの施設内で脱出の時を待っているのだ。 このCブロック外殻に沿って設けられた3800m級階層構造式港湾施設は、新暦3年から始まったCブロック建造時に、後の次元航行部隊保有艦艇数の増加を見込んで建造されたものである。 当時運用されていた主力艦艇で116隻もの同時入港が可能となる巨大施設ではあったが、実際には艦艇性能の上昇と支局艦艇の建造により、訪れる事の無い非常時に備えた緊急用港湾施設として、長らく無用の長物と化していた。 L級以降の管理局主力艦艇はこの港湾施設の収容能力を考慮せず、新たに建造されたDブロック港湾施設と支局艦艇のそれを基準に設計・建造された為に尚更だ。 しかし今回、対バイド攻勢作戦が発令されるに当たり、隔離空間内部にて救出されるであろう大量の民間人を安全な各世界へと送り届ける為の中継地点として、建造から74年目にして初めてこの施設が全力稼働する事となった。 結果、人員輸送用の小型次元航行艦、実に152隻が施設内へと集結。 艦隊からの出動要請に備え、各艦艇が待機状態にあったのだ。 ところが今、これらの艦艇は局員の脱出に使われる羽目となっている。 本局中枢が汚染された結果、通信によって救援を呼ぶ事もできなくなった為、これらの艦艇で脱出する以外の方法が無くなってしまったのだ。 しかし、この瞬間まで艦艇が1隻たりとも出港しなかったのは、本局迎撃システムが汚染されていた為だった。 接近中のXV級パトリツィアすら撃沈したそれを、単なる小型輸送艦が掻い潜れる筈もない。 だが今や、管制室からの干渉により、迎撃システムは完全に沈黙。 更に地球軍が通信障害に陥っている可能性が高い今こそが、最小の被攻撃リスクで本局を脱するチャンスであると、嘗て次元航行艦へと乗り組んでいた猛者達は異口同音に主張した。 小型艦のクルーも同様の見解を示し、民間人と負傷者を優先的に艦艇へと搭乗させると、出港時の安全確保を武装局員へと指示。 その僅か数分後、彼等の予想は的中した。 出港を阻止せんと攻撃を仕掛けてきた地球軍部隊を相手取り、武装局員との間に熾烈な戦闘が展開されるに至ったのだ。 そしてつい先程、漸く地球軍部隊は完全に排除された。 脱出の妨げとなるものは、少なくとも今この瞬間には存在しない。 『77番から第2港湾管制室、出港する』 『こちら第2港湾管制室、了解。物理障壁を開放する。78番から114番、77番に続け』 横3800m、縦500m、高さ80mもの広大さを誇る施設内部。 ファーンの見つめる遥か先で、物理障壁が上下ヘと引き込まれてゆく。 露わとなった半透明の障壁、空気の漏出を防ぐ為に展開されているそれの向こうには、隔離空間内に浮かぶ惑星と爆発の光が無数に瞬いていた。 最端に位置する77番艦が前進を開始し、78番艦以降もそれに続く。 徐々に加速するそれらは数秒で障壁を透過し、破滅の光が煌めく隔離空間へと脱した。 そして8000名を超える民間人と負傷者を乗せた38隻の小型艦は、各々が障壁透過から3秒ほど経過するや順次、推進部へと明りを点して急加速を掛ける。 周囲の局員達が歓声を上げる中、ファーンもまた薄らと笑みをその表情へと浮かべ、安堵の息を吐いていた。 その傍らに歩み寄る、桃色の髪を棚引かせる人影。 ファーンは軽く視線を投げ掛け、穏やかな声で語り掛ける。 「汎用デバイスの扱いはどうかしら、セッテさん?」 「問題ありません。嘗ての固有武装には比べるべくもありませんが、これはこれで高機動での射撃戦に向いている」 戦闘機人No.7、セッテ。 局員によって独房より解放された彼女は、状況を簡潔に説明した上で避難を指示すると、自身も戦闘に協力すると申し出たらしい。 無論、局員はその進言を断ったが、戦闘が可能な人材が不足している状況では仕方がないとの結論が下されるまで、然程の時間は掛からなかった。 生存者の1人が殉職した局員のストレージデバイスのデータを改竄すると、それを受け取ったセッテは巧みな空戦術で汚染されたオートスフィアを翻弄しつつ殲滅し、合流した生存者達をこの港湾施設までへと導いたのだ。 その卓越した戦闘技術は先程の戦闘でも発揮され、彼女は地球軍部隊の頭上を翔け回っては攻撃を引き付け、思うが侭に彼等を翻弄した。 結果として、戦闘初期で死亡した28名を除く他の局員は、安全に地球軍部隊へと攻撃を集中する事ができたのだ。 彼女は独房より解放されこの場所へ至るまでの僅かな時間で、自らの力と意志を以って局員の信頼を勝ち取っていた。 そして彼女を信頼するに至ったのは、ファーンとて例外ではない。 「ありがとう。貴女が協力してくれなければ、もっと多くの局員が死んでいたでしょう」 「・・・私は姉妹の仇を討っただけです」 表情を変える事もなく言い放たれた言葉に、ファーンは悲しげに目を伏せる。 セッテの姉妹であり同じく本局内に収容されていたNo.3トーレは、逃げ場など無い小さな独房の中、僅かな抵抗すら許されずに壁面ごと質量兵器によって撃ち抜かれ、下半身を完全に粉砕されて殺害された。 独房内の映像を確認した局員がその場へと駆け付けた時、残されていたのは左足首と大量の血痕、散乱する機械部品と肉片のみだったという。 警備の任に就いていた局員は1人残らず射殺され、残されたトーレの半身は地球軍が持ち去ったらしい。 その事実を聞かされた際、セッテは表情こそ変えなかったものの無言で地球軍を迎え撃つ準備を始めた。 敬愛していたのであろう姉の死は、彼女に少なからぬ衝撃を与えたらしい。 「・・・それでもよ。彼等が無事に出港できたのは、貴女のお蔭でもある」 「それは・・・ッ!?」 無表情ながらに、言葉を返そうとするセッテ。 その言葉が最後まで紡がれる事はなく、衝撃と轟音がファーンと彼女を襲った。 突然の事に驚愕しながらも、ファーンは衝撃の発生地点と思われる方向へと視線を移す。 炎を噴き上げているのは、物資輸送用連結カートの停車場だった。 其処には1088航空隊が集結していた筈だが、今は巨大な火柱が全てを覆い尽くしている。 咄嗟に駆けだそうとするファーン、続くセッテ。 その視界の端、壁面が光を発したのは1歩目を踏み出すと同時だった。 閃光、破裂音。 少なくともファーンには、そうとしか認識できなかった。 壁面が弾けた瞬間、彼女は長年の経験から左腕で視界を覆う。 強烈な閃光を遮り、麻痺する聴覚を無視してデバイスを構えるも、直後に全身を襲った再度の衝撃波に吹き飛ばされた。 しかし彼女の身体が、床面へと叩き付けられる事はない。 空中で軽やかに身を翻すと、ファーンは年齢を感じさせない動きで前後を入れ替え、後方へと向き直った形で着地する。 先程の衝撃波が、大質量の物体が通過した際に発生したものである事を、彼女は既に見抜いていた。 だが、デバイスを構えた先に浮遊する物体を目にするや否や、彼女は自身が判断を誤った事を理解する。 「な・・・!?」 それは、フォースだった。 フォースだけが宙へと浮かび、不規則に回転している。 同時に背後より響く振動と金属音、そして何らかのエネルギーが充填される音に、ファーンは状況を正確に把握した。 彼女は、嵌められたのだ。 『撃って!』 咄嗟に念話を放つが、間に合わない。 彼女の側面20m程の位置を、巨大な人型が床面を擦りつつ高速で駆け抜けた。 非戦闘員の、数千もの悲鳴。 全体を支える脚部は床面へと強固に接したまま動かず、代わって背面に備えられた2基のバーニアが、轟音と共に青い業火を噴き出している。 膨大な推力は鋼鉄の巨躯を強引に前進させ、両の足は大量の火花を散らしつつ床面を抉っていた。 手にした巨大な砲は港湾施設の艦艇出入口、その遥か前方に位置する38隻の小型艦へと向けられている。 砲口には青い光を放つ粒子が集束し、明らかに充填が終了しつつある事を窺わせた。 濃緑色の巨人、人型への変形機構を有する重武装R戦闘機。 TL-2A2「NEOPTOLEMOS」。 『させるか!』 局員の咆哮と共に、数発の簡易砲撃が放たれる。 それらは一様に砲身を狙ったものであったが、しかし唯の1発も意図した箇所へと突き立つ事はなかった。 R戦闘機の周囲を旋回する2基の大型ビットが、全ての砲撃を防ぎ切ったのだ。 球状バイド体の殆どを重装甲に覆われたそれらは、簡易式とはいえ砲撃魔法数発を同時に受け止めたにも拘らず、全くの無傷だった。 「シールド・・・!」 嘗ての交戦時には確認されなかった兵装。 しかし、嘗て本局に侵入したTL-2A2というR戦闘機が近接戦闘に特化したフォースを装備している事実、そしてビット・システムという汎用支援兵装の存在は疾うに判明していたのだ。 ならばあの機体が、防御に特化したビットを装備可能であるという事実は、予測されて然るべきだった。 管理局の、自身の迂闊さを呪いながら、ファーンはビットを引き付けるべく射撃を開始する。 僅かでも防御に穴を開け、砲撃魔法を直撃させる為に。 その時、隔離空間と施設内部を隔てる障壁の更に手前に、緑光を放つ障壁が幾重にも展開する。 第7管制室、ユーノ・スクライア無限書庫司書長による援護だ。 障壁で波動砲を防ぎ切れる可能性は低いが、万が一の事態には少しでも砲撃の軌道を逸らす為の保険だろう。 そしてR戦闘機の背後には、尋常ならざる速度で移動したセッテを始めとする局員十数名の姿があり、彼等はファーンと同じく一様に射撃及び砲撃態勢を取っていた。 更に頭上からは、明らかに異常な魔力密度によって形成された炎の壁が、雪崩を打ってR戦闘機へと襲い掛かる。 シグナムの援護だ。 攻撃は三方から、ビットは2基。 いずれかの攻撃は直撃し、波動砲による砲撃は中断される事だろう。 だが、その思考を読んでいたかの様にフォースが後退し、上方より襲い来る炎の壁を一瞬にして喰らい尽くした。 更にR戦闘機の背面より4発のミサイルが放たれ、それらは機体を迂回するかの様な軌道で天井面、そして床面へと着弾する。 過去の戦闘に於いて確認されている通り、ミサイルの弾速は魔導師と云えど人間の反応速度で対応できるものではなく、その炸裂の際に生み出される衝撃波と炎はバリアジャケットでは軽減すらできない。 巨大な爆発によって木の葉の様に吹き飛ばされ、鼓膜を劈く轟音に耐えながらも、ファーンは意識を刈り取られぬよう堪える事で精一杯だった。 そして炎と破片の壁の合間に霞む様にして、R戦闘機が砲身を前方へと突き出している様が視界へと映り込む。 『止めろ!』 それが誰の叫びだったのかなど、知る由も無い。 次の瞬間、ファーンの視線はR戦闘機が手にする砲へと釘付けとなっていた。 砲口周辺の空間そのものが揺らぎ、強烈な光と共に爆発する様を目にしたのだ。 そして視界の端で、砲口のそれよりも更に強力な光が炸裂する。 その光が意味するものを、彼女は正確に理解していた。 『第2港湾管制室より全艦、及び全局員へ・・・』 港湾管制室からの通信及び念話。 その思念は抑え切れぬ感情に揺れ、震える声となって意識へと伝わる。 ファーンとて、自身が念話を発すれば同様だったろう。 眼前に拡がる光景はそれ程までに非情で、受け入れ難いものだったのだから。 『84番、91番、106番、107番を除く艦艇の反応が消失・・・第一陣、34隻の喪失を確認・・・』 瞬間、無数の絶叫と共に砲撃が、直射弾が、バインドがR戦闘機へと襲い掛かる。 一切の慈悲も容赦も無いそれらは、正しく感情の爆発であった。 純粋な憎悪と殺意。 およそ管理局局員にあるまじき感情と共に放たれたそれらは、しかしフォースとビットによる鉄壁の防御を前に危なげもなく防がれてしまう。 だが、その結果を前にしても、局員の攻撃が止む事はなかった。 「殺せッ!」 ファーンの背後より放たれる、肉声による絶叫。 それは、単独にて放たれたものではなかった。 数十もの声が一様に同じ言葉を、各々の感情を剥き出しにして叫んだものだ。 眼前にて8000名にも迫る非戦闘員を虐殺されたという事実が、無限とも思える憎悪を全局員へと齎していた。 『殺せッ!』 同じ言葉が、念話でも繰り返し叫ばれている。 同時に、誤射の危険性すら無視した全方位からの砲撃と直射弾による弾幕が、更に密度を増した。 未だ停泊中の艦から、或いは施設の各所から。 300名を超える魔導師が現れ、幾重にもR戦闘機を包囲していた。 彼等は広大な空間を活かし、各々に射線を確保すると即座に攻撃を開始。 秒を追う毎に密度を増す弾幕にR戦闘機は、まるで人間そのものであるかの様に激しい挙動でのた打ち回る。 砲身を携えた右腕は固定したまま、左腕はカメラアイを庇うかの様に構え、機械兵器とは思えぬ機動で以って暴れ狂っているのだ。 『殺せェッ!』 『第一陣残存艦艇、離脱しろ! 接近中のヴィクトワールに攻撃の中止と援護の要請を!』 『こちら122番、敵機の離脱を塞ぐ! 各艦は互いの間隔を詰め、奴の行動範囲を潰せ!』 『逃がすな! 此処で撃墜しろ!』 『胸部を集中的に狙え! 其処がコックピットだ!』 殺意そのものの怒号が響く中、R戦闘機は反撃も儘ならずに四肢を振り回している様に見える。 だが、真相がそうでない事はすぐに解った。 荒れ狂う機動と共に振り回されるフォース、不規則な軌道で以って周囲を旋回するビット。 それらは一見すると意味の無い機動であるかの様に思えるが、実際には弾幕の大部分を正確に受け止め吸収していた。 事実、現在のところR戦闘機本体へと着弾しているのは、ごく僅かな直射弾のみ。 砲撃は全てフォースに吸収されるか、シールド型ビットによって防御されていた。 『くそ、当たらない! 位置は殆ど変わらないのに!』 『こちら第7管制室、敵機の拘束を試みます! 9番搬入口の前を開けて下さい!』 そんな状況の中、局員による包囲網の隙間を縫う様にして緑と褐色のバインドが十数条、R戦闘機へと殺到する。 それらは楕円状の軌道を描き敵機へと肉薄、その周囲を取り囲んだ。 直後に全てのバインドが先端を敵機へと向け、一斉にその矛先を突き立てんとする。 そして遂に、殆どバインドを囮にフォースとビットの防御を突破した2条が、R戦闘機の右腕と右脚へと絡み付いた。 『今だよ!』 ファーンは、その念話を発した人物を知っている。 嘗ての彼女の教え子の中でも、突出した才能を有していた少女の使い魔だ。 彼女達がこの場へと辿り着いた事に感謝しながら、ファーンは自身も敵機へと直射弾による攻撃を開始する。 R戦闘機は2基のビットを急激に旋回させ、何とか致命的な砲撃の着弾を防いではいた。 しかしバインドによって本体の動きを大きく制限された為、結果として空間を埋め尽くす程に乱射される直射弾についてはかなりの数が着弾している。 驚異的な堅固さを誇る装甲により、直射弾程度では眼前のR戦闘機を撃破するには至らない。 それでも敵機は無数の細かな破片を撒き散らし、着弾の度に大量の火花を周囲へと撒き散らしている。 このまま攻撃を続行すれば、いずれは墜ちる事は間違いない。 更に、褐色のリングバインドが四重に展開され、旋回するビットの1基を数瞬ながら空中へと固定すると同時、砲撃魔法を扱える局員のほぼ全てが攻撃。 同時に、魔力によって形成され可視化された猟犬の群れ、そして炎の壁が頭上より襲い掛かる。 リングバインドを形成する魔力は、忽ちの内にビットを形成するバイド体により喰らい尽くされ、その効力を失った。 しかし、ビットが空中へと静止した数瞬の間に生じた防御の空白は、R戦闘機にとっては十二分に致命的だ。 決着する。 ファーンですら、そう信じて疑わなかった。 直後にR戦闘機が取った、その行動を見るまでは。 「な・・・!?」 『フォースが・・・!』 フォースがR戦闘機の至近距離に位置する場合、光学兵器を主とする間断ない掃射が可能である事は既知だった。 眼前のTL-2A2に関しては、エネルギー輻射を用いて形成したブレードを使用しての、近距離格闘戦を展開するとの情報がある。 金色の燐光を纏う長大な刀身が、前方を薙ぎ払う様に振るわれるというのだ。 この瞬間も、その情報と同じくエネルギーの刀身が展開された。 但し、その刀身の纏う光は金色ではなく、眩い青の燐光。 それがアームより伸びると同時、フォースが横軸方向へと回転を始める。 R戦闘機は回転するフォースを左腕の甲へと接続したまま、その腕を機体の右側面へと振るった。 先ず刀身が、R戦闘機の右脚を絡め取るバインドを切断。 次いでその刀身より放たれた同じく青い光弾が、右腕のバインドを打ち砕く。 一瞬の事だった。 誰もが反応すらできない中、R戦闘機は自ら床面へと倒れ込み、胸部を狙って放たれた全方位からの砲撃を回避する。 目標を失った数多の砲撃は互いに空中で接触、干渉を起こして巨大な魔力爆発を起こした。 その炎と衝撃により、接近中の猟犬が跡形もなく消滅する。 シグナムの炎は爆炎を切り裂きR戦闘機へと肉薄したが、続く敵機の行動により完全に消失した。 R戦闘機の上半身が床面へと接触する直前、背面のブースター付近で閃光が爆発したのだ。 シグナムの炎は衝撃波に掻き消され、僅かな残滓のみを残して消滅。 全身を打ち据える衝撃と共にファーンの聴覚が麻痺し、咄嗟に腕を翳し閃光から庇った視界の端には、人型から戦闘機型へと変形して高速で施設を後にするR戦闘機の姿が映り込む。 敵機は閉じゆく物理障壁の隙間を潜り抜け、光の尾を引きつつ外部の隔離空間へと脱した。 先程の衝撃波がR戦闘機のブースターから生じたものであると、ファーンがそう理解したとほぼ同時に無数の怒号が響く。 『敵機、逃亡!』 『被害状況を確認しろ! 管制室、バイタルを確認してくれ!』 未だ殺意も醒めやらぬ局員達は、口々に憎悪の言葉を紡ぎながらも周囲警戒へと移行。 他のR戦闘機による支援が無かった事から、地球軍侵入部隊に通信障害が発生している可能性は一層に高まった。 しかし何時、侵入が確認された他の2機が襲ってくるとも知れぬ今、警戒を緩める訳にはいかない。 ファーンもまた、傍らに降り立ったセッテと共にアルフ達が辿ってきた通路へと、デバイスの矛先を向ける。 少し離れた地点では男性武装局員とナンバーズの1人が共に膝を突き、狙撃銃型のデバイスと固有武装を構え、ファーン達が狙う箇所とは異なる通路を警戒していた。 そして負傷者の介抱が始まった事を確認すると、ファーンは管制室へと念話を発する。 『管制室、第2陣の出港準備はどうなっていますか? 状況次第ではすぐに・・・』 『物理障壁外部、高速移動体接近!』 自身の問いに対する答えからは懸け離れた内容の叫びに、ファーンは疑問の声を上げる事もなくデバイスを構えて背後へと振り返った。 一瞬、閃光が施設内を埋め尽くす。 咄嗟に左側面へと視線を投じると停泊中の艦が2隻、巨大な力によって引き裂かれ、更に吹き飛ばされる様が目に入った。 距離、約1700m。 俄には反応し切れず、呆然と事態を見つめるファーンの視線の先で、新たなる惨劇は加速度的に規模を増していた。 膨大な質量を持つ無数の金属の破片が壁となって局員達を襲い、非戦闘員を含めた百数十名が微塵となって壁面へと叩き付けられる。 更に、粉砕された2隻の艦体の一部、幾分ながら原形を留めている残骸が後を追う様にして壁面へと叩き付けられ、次いで爆発を起こした。 遅れて聴覚へと飛び込んだ轟音は更なる轟音に呑まれ、炎と衝撃波が舐める様に施設と人々を薙いでゆく。 ファーンは衝撃波によって、周囲の局員もろとも後方へと押しやられたが、しかしその影を見落とす事はなかった。 膨大な質量など無きが如くに吹き飛ぶ、次元航行艦と物理障壁の残骸。 2つに割れた艦体の間から1機のR戦闘機が高速にて出現し、一瞬にして巨砲を携えた濃緑色の人型へと変形する。 巨人は浮遊する2基の盾を左右後方へと随え、自身の進路前方に一際巨大な球状の防御兵装を据えていた。 機体下部より展開された両脚を床面へと接触させ、膨大な量の火花と破片を巻き上げて構造物を抉りつつ、100m以上もの距離を滑走する。 それは紛う事なく、この港湾施設を離脱した筈のR戦闘機、TL-2A2だった。 『戻ってきやがった・・・!』 敵機は、逃亡した訳ではない。 単に攻撃を回避する為だけに本局を離脱し旋回、位置を変えて再突入してきたのだ。 波動砲によって物理障壁もろとも2隻の艦艇を破壊し、飛散するそれらの破片をさらに上回る速度で以って強行突入。 瞬時に人型へと変形し接地、急激な制動を掛けつつ姿勢制御を行い、フォースと砲口を周囲の局員と艦艇へと突き付けている。 フォースに備えられたアームの先端に点る、赤い光。 「散開!」 全方位へと念話を飛ばしつつ、ファーンは叫ぶ。 大多数の局員は即座に反応したものの、敵機の攻撃は彼女の予想を上回る程に激しいものだった。 先程の青いブレードと同じく、これまでの戦闘では未確認の赤いブレード。 伸長したその刀身が振り抜かれると同時、卵の殻を割る際のそれにも似た音がファーンの意識を揺らした。 だが直後、その微細な音は金属構造物を引き裂く異音と、膨大なエネルギーの炸裂が引き起こす衝撃音へと変貌、聴覚を破壊せんとする。 余りの弾速に形状こそ認識できなかったものの、ブレードが振り抜かれる瞬間に刀身より放たれたのは、赤いエネルギー弾体だった。 それが一瞬にして3名の局員を蒸発させ、1名の膝下より先を消し飛ばしたのだ。 弾体は更に直進、積み上げられていた複数の物資輸送用コンテナを切断し、壁面へと接触して炸裂音と共に消滅。 着弾箇所に残されたのは、幅6m程もある巨大な溝のみ。 余程に高威力なのか、溝は肉眼では視認できないほど壁面深くまで刻み込まれている。 恐らくは刃状、切断に特化した射出型エネルギー弾体だ。 『射撃型だ!』 『回避、回避だ! 動き回れ!』 フォースは狂った様にアームを振り回し、四方へと赤い斬撃を乱射していた。 防御の全てをビットに委ね、只管に弾体を放ち続ける。 R戦闘機は左腕の甲をフォースに添えたまま、右腕の砲で電磁投射砲弾による掃射を行っていた。 構造物を容易く抉る砲弾が、軽機関銃もかくやという速度で連射され、施設構造物と艦艇外殻に30cm程もある弾痕を穿ち続ける。 更には、R戦闘機の背面より4発のミサイルが放たれ、それらは上方へと展開していた局員の一団もろとも、天井面を完全に粉砕した。 降り注ぐ瓦礫が下方の局員を襲い、崩落から必死に逃げ惑う彼等を電磁投射砲弾とエネルギー弾体が襲う。 無論、ファーン達も黙ってやられていた訳ではない。 R戦闘機の放つそれを優に超える密度の弾幕が全方位から敵機を襲い、同時に40発を超える砲撃が粉塵の中心へと撃ち込まれる。 しかし、此処で全力の砲撃を放てば、艦艇と非戦闘員までもが炸裂の余波に巻き込まれてしまう。 結果として砲撃は出力を落とさざるを得ず、しかも敵機の絶妙な回避行動によって殆どが躱され、縦しんば直撃軌道にあってもビットによって防がれてしまうのが現状だった。 対してR戦闘機の攻撃は秒を追う毎に苛烈を極め、更にバイドによる各種機器に対する妨害を受けている為か、狙いも付けずに連射される攻撃は弾幕となって周囲へと降り注ぐ。 構造物を貫通するそれらは武装局員のみならず、構造物内部に避難している非戦闘員までをも巻き込み消滅させてゆくのだ。 『131番、艦内生命反応消失!』 『総員退避! 繰り返す、総員退避! 機関部に被弾、メインヒューズが吹き飛んだ! 安全装置が作動しない! 117番、機関部が爆発する!』 『2053隊員の全滅を確認!』 敵機再突入より、約30秒。 局員のバイタルサインは見る間にその数を減らしゆき、消滅したバイタル数は既に70を超えていた。 悲鳴と怒号が飛び交う中、港湾管制室から新たな報告が飛び込む。 『局員のバイタルが多数、本施設へと接近中! 生存者の増援だ! 26番通路、総数719!』 その報告は、ファーンの胸中に微かな希望を宿した。 現状に於けるそれの倍近い戦力が、増援としてこちらへと接近中だというのだ。 彼女と同様に周囲も勇気付けられたのか、轟音に紛れて其処彼処から歓声が上がる。 『聞いたか、味方がこっちへ向かっている! 到着まで持ち堪えてみせろ!』 『1089、2015は敵機の側面へ! 奴を誘導しろ! 26番通路に背を向けさせるんだ!』 『やり過ぎるな。また逃げられては元も子もない』 無数の念話か飛び交い、局員の攻撃がより一層に激しさを増すと、R戦闘機はフォースによる攻撃を中断した。 攻撃は電磁投射砲のみが担い、フォースはビットと併せて3基で以って弾幕の吸収に当たる。 局員の数が減少しているにも拘らず、攻撃の密度が増した事実に戸惑っているかの様だ。 更に、砲撃を躱し数十mを移動した敵機に、思いも寄らない攻撃が襲い掛かった。 『武装隊、退がれ!』 施設そのものを揺るがす轟音と共に、小型艦とはいえ膨大な質量を持つ艦体が、R戦闘機へと圧し掛かる様にして衝突したのだ。 安全装置を自ら破壊したのであろう、艦体の安全を考慮しない決死の突撃。 構造物を抉りつつ最大加速で以って敢行された次元航行艦の体当たりは、弾幕への対処に気を取られ反応の遅れたR戦闘機を、実に200m以上にも亘って弾き飛ばした。 恐らくは至近距離に於ける各センサー、及び光学的視認のみが機能していたのだろう。 バイドによる妨害の存在しない状況下ならば、危なげもなく躱せたであろう後方からの突撃。 それを敵機は、僅かなりとも回避の素振りを見せる事なく、直撃を受けてしまったのだ。 『やった!』 『130番、艦体に亀裂! 艦橋、機能喪失! 戦闘収束まで艦内にて待機せよ!』 体当たりを敢行した130番艦は、施設内での決死の加速によって床面へと衝突、小爆発を繰り返していたが、奇跡的にも乗員は無事だったらしい。 対するR戦闘機は、局員の思惑通りに26番通路付近の壁面へと叩き付けられ、正面より襲い来る弾幕を凌ぐ事に全力を傾けていた。 フォースからはエネルギー弾体が、砲口からは電磁投射砲弾が間断なく放たれ続けてはいるが、流石にこの密度の弾幕を前にしては、機能の殆どを封じられたセンサー類には荷が重いらしく、照準補正すら儘ならないらしい。 更にミサイルの射出口が備えられた背面は壁面によって封じられ、戦闘機型へと変形して離脱しようにも、その瞬間に四方より砲撃が放たれるのは明らか。 敵機は最早、此処から逃げる事はできない。 しかし、余裕が無いのは局員側も同様だ。 このまま弾幕を吸収され続け、フォースへのエネルギー蓄積が臨界を迎えれば、次に来るのは嘗ての戦闘に於いてB5区画を消滅させた、あの破滅的な戦略攻撃だろう。 こちらが生き残る為には、エネルギーが臨界を迎える前にR戦闘機を撃墜するしかない。 『管制室、味方の到着はまだなの!?』 『あと20秒! 20秒で到着する! 26番通路だ!』 『2059より管制室。もう一度、増援の数と通過中の通路を確認してくれないか』 『第2港湾管制室より2059! 増援の数は719、到着は26番通路だ!』 誰もが増援の到着を心待ちにする中、再度その味方の数を問う念話が発せられる。 ファーンもまた、状況を再確認するつもりでその言葉を聞いていたが、しかし続く問答に何かが引っ掛かった。 何かを見落としているかの様な、微かな違和感。 『管制室、26番通路というのは間違い無いのか』 『・・・何が言いたい?』 再度、確認を要求する2059航空隊。 その、何かを警戒するかの様な問い掛けに、ファーンもまた奇妙な事実に気付く。 咄嗟に視線を、増援が到着するという26番通路へと向けるも、其処には封鎖された隔壁のみがあった。 そして、続く2059航空隊からの指摘に、彼女の意識が凍り付く。 『700人もの魔導師が分散もせずに、あんなに細い連絡通路を一丸になって進んでくるのか?』 瞬間、即座に退避へと移る事ができたのは、果たして全体の何割か。 26番通路隔壁を中心に、約10mの範囲で壁面が膨張した。 それは有機的な膨張ではなく、巨大な力による金属壁の歪曲。 壁面へと走る罅に、しかし敵機への攻撃に固執する局員達は気付かない。 だが、彼等の攻撃を受け続けているR戦闘機は、背後の壁面の奥深くより迫りくる脅威に気付いたらしい。 機体への被弾も顧みずビットのみを前面の防御に残し、機体正面へと構えたフォースもろとも壁面へと振り返ると、壁越しに存在する「何か」へとエネルギー弾体を撃ち込み始める。 敵機が見せた突然の機動に、攻撃に意識を囚われていた局員達も、漸く何かがおかしいと認識したらしい。 だが、遅かった。 『逃げなさい!』 『馬鹿、退がれ!』 ファーンを含めた後方からの砲撃、そして直射弾が壁面へと突き立つ。 しかし急激な事態の推移に、攻撃を中断したばかりの局員達は状況を把握できずに次の行動を選択しあぐねていた。 その僅かな時間こそが、彼等の終焉を決定付けてしまう。 壁面が更に膨張、そして破裂。 無数の鉄片が衝撃波と共に飛来、鋭利な刃と化して局員を襲い、その身体を引き裂いてゆく。 身体そのものを揺るがす轟音に誰もが身を竦ませる中、崩落する構造物と爆炎の中から奇妙な物体が姿を現した。 炎を纏いつつ、膨大な瓦礫の内より這い出たそれを目にするや、局員の間から悲鳴が上がる。 「蛇・・・!?」 「にしては、随分と巨大ですが」 それは、一見すると蛇にも似た、赤黒い生物らしき存在だった。 但し、セッテの言葉にも表れている通り、蛇と呼称するには余りにも巨大に過ぎたが。 何せ目測ではあるものの、胴周りは明らかに20mを超えているのだ。 更には、壁面から現れた部位は既に100m近くにも達しているが、未だに胴が途切れる様子が見受けられない。 次から次へと、巨大な球状の組織体が連なって形成された胴部が、詳細すら解らぬ粘液に塗れつつ出現を続けていた。 何よりもファーンの意識を捉えたのは、醜悪という表現に尽きるその外観だ。 眼も口も存在しない頭部、その後に連なる無数の肉塊。 それらは球状に成形され、表面には装甲板としての機能を果たす物か、肉塊を形成する際に取り込まれたらしき金属構造物が鈍く光を反射していた。 浮き上がった血管系らしき組織は脈動を繰り返し、所々には植物体の気孔にも似た器官が数十に亘って密集、開口部より肉塊の内部を僅かに覗かせている。 そして、漸く全ての肉塊が姿を現し終えた時、異形の全長は400mを優に超えていた。 『増援のバイタル発信源を特定』 呆然と、宙に渦を描く肉塊の全貌を見上げる局員達。 想像を絶する異形の出現に、ファーンですら言葉もなく宙を見つめるだけだった。 そんな彼女達に、第7管制室のクアットロから信じられない言葉が齎される。 『大型生命体の胴部・・・繋がった球状の肉塊、1つ1つが複数のバイタルを発しています・・・あれは・・・あれは・・・!』 その先を聴く余裕は無かった。 20数個もの肉塊、その全てから魔力が溢れ出し、数瞬の間を置いて全方位に対する魔導弾の掃射が始まったのだ。 既に防御結界の展開を終えている者は、意外にも魔力密度が然程に高くはない弾体を、危なげなく防ぎ切っている。 だが、反応の遅れていた者達は、例外なく凄惨な死を迎える事となった。 魔力密度こそ低いものの連射される魔導弾の数は、空間を埋め尽くす、との表現が最適と云える程である。 彼等はバリアジャケットのみを以ってその掃射を受ける事となり、忽ちの内にその防御を破られると、後は抵抗すら許されずに数千発もの低集束魔導弾によって嬲り殺されたのだ。 約5秒間にも亘る全方位無差別制圧射に曝され、徐々に削り取られてゆく自身の肉体を認識し、想像を絶するであろう苦痛に絶叫しつつ息絶えてゆく局員達。 掃射が止んだ後に残されたのは、人間がその地点に存在していたという証、床面に染み付いた数十の黒い影のみ。 空中で掃射を受けた者に至っては、その影すら残せずに消滅している。 視界を覆い尽くす閃光が燐光に、燐光が魔力の残滓に、残滓が霞と消えた後。 施設内に残るは、互いへの害意を孕んだ3つの勢力だった。 当初の半数にまで数を減じた局員と、異形の放つ弾幕により表層部を焼かれた数十隻の艦艇。 フォースを構え防御態勢を取り続けるR戦闘機、宙にのたうつ異形。 『港湾管制室、上層階艦艇の出港に備えろ』 だが、この状況は好機でもあった。 R戦闘機の注意は完全に異形、即ちバイド汚染体へと向けられている。 必然的に攻撃の矛先も、汚染体へと集中する可能性が高い。 そして、当の汚染体による攻撃が次元航行艦の外殻を撃ち抜ける程の威力を有していない事は、数千もの着弾箇所から魔力残滓の煙を上げつつも、特に目立った損傷を受けた様子もない艦艇群の状態を見れば明らかだ。 つまりこの汚染体は、局員の殲滅を目的とするR戦闘機に対し、非常に効果的なデコイとなり得る。 敵機が汚染体との交戦に入った隙を突き、艦艇群は施設を出港するのだ。 『敵機、攻撃態勢!』 そして遂に、待ち侘びた瞬間が訪れる。 防御態勢の最中から波動砲の充填を行っていたらしきR戦闘機が、その砲口を汚染体へと突き付けたのだ。 ファーンは咄嗟にセッテを背後へと庇い、同じく前面へと進み出た局員4名と共に結界を展開する。 直後に、閃光が爆発した。 シグナムから剣を奪い、8000もの生命を虐殺せしめた、悪夢の兵器。 管理局にとっての未知にして、最大の脅威たる質量兵器、波動砲。 既に複数タイプの存在が認識されている中、眼前のTL-2A2が備える波動砲については、地球軍の機動兵器に標準装備されているという異層次元航法推進システム、それを応用し広域空間爆発を引き起こす範囲殲滅型であると確認されている。 恐らくは、目標機構内部へと直接的に波動粒子を集束させ、内部から敵性体を爆破するという運用を想定して開発された波動砲。 それが、管理局の分析結果だった。 シグナムは運が良かった。 敵機は彼女の体内を狙わず、彼女の遥か後方に炸裂点を設定していたのだ。 充填率も、ほぼ最少だったのだろう。 それは殺害を避け、より多くの情報を得る為の選択だった。 だが、今は違う。 目標はバイド、周囲の局員は明確な殲滅対象。 R戦闘機が余波を気に留める筈もなく、恐らくは艦艇群を撃破した際と同じく、最大充填率での砲撃となるだろう。 『散れ!』 その念話と共に局員が一斉に後退し、艦艇は互いの接触と艦体の損傷すらも無視して、少しでも汚染体からの距離を取らんと機動を開始。 汚染体と艦艇群の間には、管制室によって巨大な障壁が無数に展開される。 少しでも余波を減じようと、ユーノが展開したものだ。 そして直後、宙に渦を巻いていた汚染体の内部から、膨大な光が溢れ出す。 展開されていた結界が瞬時に砕け、ファーンの身体は膨大な圧力と衝撃波によって弾き飛ばされた。 聴覚は何度目かの麻痺を起こし、脳を揺さ振る衝撃が意識を朦朧とさせる。 だが、床面へと叩き付けられると思われた彼女の身体を、何者かが受け止めた。 彼女はすぐに、その正体を察する。 『セッテ?』 『・・・汚染体は内部より爆破されました。骨格が剥き出しとなっていますが、未だ健在です』 聴覚が麻痺している為、念話を用いて呼び掛けると、状況を報告する簡潔な言葉が返ってきた。 翳された腕によって閃光から庇われ、正常な機能を保持していた視界を正面へと向ける。 そしてファーンは、セッテの言葉が正しいものである事を知った。 「まだ・・・生きて・・・!」 宙を舞う巨大な生命体。 汚染体は、まだ生きていた。 20を超える球状の肉塊で形成された胴部を波動砲の炸裂によって消し飛ばされながらも、僅かに残った骨格らしき芯部でその身を繋ぎ止め、苦痛に身を捩るかの様にして何処かへと逃走を図る。 既に施設内部は赤黒い血液に染め上げられ、炸裂の瞬間に飛び散ったらしき大量の肉片が、壁面と云わず天井面と云わず、視界に映る全てにこびり付いていた。 艦艇の白い塗装もまた血液と肉片によって染め上げられ、赤い液体が小雨の様に局員達のバリアジャケットを濡らし続けている。 誰も彼もが赤く染まり、噎せ返る様な鉄の臭い、そして腐臭にも似た異様な臭気に覆われていた。 髪を伝い、頬を流れ、口内へと入り込む汚染体の血液。 それを吐き出す事すら忘れ、ファーンは血濡れのままに念話を発する。 『出港は!?』 『既に始まっています! 1番から38番は既に加速を開始、39番から76番は・・・』 『第7管制室より第2港湾管制室へ! 上層階に於いて異常質量検出!』 その瞬間、明らかに異常な振動がファーンの身体を揺るがした。 見れば、周囲の局員もまた一様に体勢を崩し、突然の衝撃に戸惑いを隠せずにいる。 いずれの方向へと視線を投じようと、それは同じ事だった。 状況を理解している者など、唯の1人も存在しない。 一方でR戦闘機は、執拗なまでに汚染体への攻撃を続行していた。 施設の端を目指し逃げゆく汚染体を追い、速力を活かして先回りすると、砲撃により半壊した頭部へと攻撃を集中。 電磁投射砲弾とエネルギー弾体、ミサイルが嵐の如く撃ち込まれ、周囲へと降り注ぐ血液の量は既に豪雨も斯くやと云わんばかりだ。 血液を噴き出し、肉片を散らしながらも前進を止めない汚染体は、徐々にその頭部を削り取られてゆく。 このまま攻撃が続けば、数秒と待たずに汚染体が活動を停止するであろう事は、誰の目にも明らかだった。 『R戦闘機、波動砲充填開始!』 R戦闘機の手に携えられた砲、その砲口へと波動粒子の集束が始まる。 青い燐光の流れは徐々に速度を増し、遂には可視化された空間の歪みとなって解放の瞬間を待つに至った。 そして、左腕が砲身へと添えられ、R戦闘機は砲を肩の高さにまで持ち上げ固定する。 狙うは汚染体の頭部、その潰れた箇所から覗く内部組織。 そして、ファーンが衝撃が襲い来る事を予期し、幾度目かの結界を展開すべくデバイスを構えた、その瞬間。 天井面の崩落と共に現れた巨大な肉塊が、直下のR戦闘機を押し潰した。 「な・・・」 余りにも突然の事に、意味の無い音が零れる。 雷鳴の様な轟音と共に天井面が崩落し、其処から数隻の艦艇と共に巨大な肉塊が落下してきたのだ。 その肉塊の大きさは、傍らの次元航行艦の実に数倍はある。 それは下方で砲撃態勢を取っていたR戦闘機の頭上へと落下し、敵機が逃げる暇さえ与えずに大質量を以って押し潰した。 瞬間、至近距離で爆弾が炸裂したかの如き衝撃が局員を襲い、その身体を床面より1m程の高さにも弾き上げる。 その自身の意思を離れた跳躍に、ファーン等は為す術なく落下し床面へと身体を打ち付けた。 全身を襲う衝撃と痛感に呻きつつも、何とか身を起こした彼女は肉塊の全貌を見やる。 其処に彼女は、異常な光景を見出した。 「ッ・・・あれは・・・!」 「・・・汚染体の収容、修復機能を併せ持った生体プラントと思われます」 R戦闘機の攻撃を受け、致命的な損傷を負った汚染体。 それが、肉塊の表面に存在する複数の孔状器官、そのひとつへと潜り込んでゆく。 肉壁を掻き分け、粘液の泡立つ音を立てながら巨大な汚染体が肉塊へと沈み込んでゆく様は、それを見る者の胸中に生理的嫌悪感を湧き起こさせた。 そしてその上部、肉塊より突き出た複数の管状器官のひとつからは、完全に修復された汚染体が、粘液の糸を引きつつ吐き出され続けている。 先程まで機能停止寸前の状態であった事実など、微塵も窺わせぬ健常な様相。 あの肉塊は、僅か数秒で生体組織を増殖、修復させる能力を有しているらしい。 だが、脅威はそれだけに留まらなかった。 『そんな・・・また・・・!』 『内部から別の汚染体が出てきている! まだ増えている!』 『2体・・・いや、3・・・4・・・6体だと!?』 修復が完了したと思しき汚染体が完全に排出された後、肉塊各所の管状器官より、次々に汚染体の頭部が姿を現したのだ。 粘液に塗れつつ、球状肉塊の連なる身体を続々と引き摺り出す汚染体群。 それらの胴部を構成する肉塊、その全てからは疑い様も無い局員のバイタルが発せられている。 汚染体群は粘液を滴らせつつ、宙を泳ぐ様に移動を開始。 外見に反した高速で以って艦艇群と艦艇出入口の間へと割り込み、その胴部へと魔力の光を宿す。 その様を見詰めつつ、ファーンは状況を悟った。 この怪物を排除しない限り、残る艦艇の脱出は絶望的だ。 第一陣の残存艦艇4隻を含め、これまでに離脱に成功したのは44隻。 10,000名以上の非戦闘員が脱出に成功した事になるが、この施設内には未だ70隻以上の艦艇と20,000名近い生存者が残されているのだ。 此処で汚染体の排除が為されなければ、いずれ訪れるであろう汚染の瞬間、或いは地球軍によって齎される死の瞬間を、只管に怯えながら待つ事となるだろう。 生き残る為には何としても、この異形の生命の息吹を断たねばならない。 『汚染体、攻撃態勢!』 艦艇群と汚染体群の間に障壁が展開され、壁となって襲い来る魔導弾幕を受け止める。 しかし、弾体の総数は数万発にも上るのだ。 その余りにも膨大な魔力の奔流を阻止する事は叶わず、20を超える障壁は唯一度の斉射で完全に粉砕された。 僅かに残った弾体を結界で受けつつ、ファーンは念話を発しつつ叫ぶ。 「ベルカ式と結界魔導師を前衛に、他は援護射撃!」 汚染体が用いる戦術は分かり切っていた。 唯々、圧倒的な弾幕で全てを呑み込む。 長大な胴部と数を活かし、敵性勢力を包み込んだ上で全方位からの一斉射撃で殲滅する。 無論、敵からの攻撃を受ける確率も跳ね上がるだろうが、たとえ破壊されても生体プラントが健在ならば幾らでも修復が利くのだから、問題は無い。 そんな化け物を排除するには、如何なる戦術が有効か。 答えは、1つしかない。 「目標、バイド生体プラント! R戦闘機が此処を嗅ぎつける前に破壊せよ!」 その叫びに呼応し、あらゆる射撃・砲撃魔法が肉塊へと襲い掛かる。 局員達が上げる、恐怖を押し隠す為の咆哮。 狂乱の攻撃は秒を追う毎に密度を増し、空間を埋め尽くしてゆく。 対する肉塊は、圧倒的な攻撃を受けながらも特に反応を見せなかった。 しかし、数発の砲撃魔法が孔状器官の内部へと突き立った瞬間、確かにその巨体が揺れ動く。 効いている。 そう確信し、ファーンは更に直射弾の密度を高める。 ベルカ式を扱う局員、約30名が敵性体へと肉薄する様を見やりながら、ファーンは如何なる反撃にも対応せんと意識を尖らせた。 「・・・コラード三佐」 「何かしら」 「敵生体プラント上部、表層の一部が開きました。内部に球状らしき部位が確認できます」 自身の右後方からのセッテの報告に、ファーンは目を細めて肉塊の一部分を見る。 確かに、肉塊上部に突き出た複数の管状器官、それらの中央に位置する部位が開かれていた。 まるで瞼の様に開放されたその下からは、黒ずんだ青いレンズ状の器官が覗いている。 それを確認するや、ファーンは即断した。 「あそこを狙いましょう。セッテ、もう少し距離を・・・」 『目標に異変!』 その瞬間、ファーンの右肩を霧の壁が掠める。 風圧に髪が靡き、攻撃の音が消えた。 目標の表層部各所より溢れ出した霧が、一瞬にして接近中のベルカ式魔導師達を包み込み、同時に複数の霧の集合体が四方へと放たれたのだ。 それは攪乱を意図してのものだったのか、霧に包まれた者達の姿を窺う事はできない。 ファーンは警戒しつつも、後方に位置するセッテの安否を確かめるべく、背後へと振り返ろうとした。 「セッテ、今のは・・・?」 だが、首を右へと回した瞬間、彼女は異様な物を目にする。 それは白く、細い物体だった。 所々に赤い染みがあり、幾つかの接続箇所を持つその物体は、彼女の動きに合わせて奇怪に揺れ動く。 同時に彼女は、右腕に妙な痺れが走っている事を自覚した。 それは肩口から指先までを覆っているのだが、奇妙な事に幾ら指を動かそうとも、痺れという感覚以外の全てが遮断されたかの様に一切の反応が感じられないのだ。 疑問を感じた彼女は視線を落とし、自身の肩口を見やる。 「あ・・・」 其処には、深紅と白があった。 紅い肉壁の内より突き出す、白い物体。 模型や解析図等で見慣れたそれは、人間であれば誰しもが体内へと持つものであった。 「あ・・・あ・・・!」 それは、骨格。 常ならば肉の鎧に覆われ、決して露わとなる事があってはならない器官。 右腕部のそれが完全に露出し、ファーンの肩部より力無く垂れ下がっていた。 骨組織表面の其処彼処からは小さな赤い煙が上がり、同じく小さな泡が断続的に湧き起こり続けている。 「あ・・・セッテ・・・セッテ・・・!?」 そして、彼女は思い至った。 骨格が露出したのは右腕。 それが、自身を掠めた霧の集合体によって引き起こされたものである事は、もはや疑い様がない。 そして、セッテは。 セッテが位置していたのは、自身の「右後方」だ。 「あ・・・あああああああぁぁぁぁぁぁッッ!?」 振り返り、自身の足下に横たわる「それ」を目にするや否や、ファーンは絶叫した。 入局より数十年、長きに亘って忘れ去っていた声。 初めて仲間を失った時、守るべき者を守れなかった時に、彼女の意思を介せずに放たれた呪いの声。 数十年の時を経て、その声が彼女の意識を塗り潰した。 初対面の自分に、僅かながらも心を開いてくれた。 感情など無きが如く振る舞いながら、死した姉妹を悼んでいた。 自ら非戦闘員の護衛を買って出で、局員の信頼を勝ち取った。 つい十数秒前まで、共に言葉を交わしていた。 彼女は、生き残るべき人物だった。 自らに心がある事を、彼女自身に自覚は無くとも、その行動で証明していた。 未来がある筈だった。 生命ある姉妹と共に歩む、輝かしい未来がある筈だった。 短い時間だが、行動を共にする中で、そう確信していた。 それなのに。 それなのに今、彼女は。 掌へと掬える程に小さな、鉄片混じりの僅かな肉塊となって、自身の眼前で赤い煙を上げているのだ。 錆による侵食が始まった巨大港湾施設に、苦悶と怨嗟の絶叫、悲哀と絶望の慟哭が幾重にも響く。 魔力と爆発の光によって照らし出された施設内には、機能を喪失した矮小な生命体の残骸が無数に散乱していた。 泣き叫び、同胞の生命を奪った存在への呪いの言葉を吐き続ける、脆弱な高次生命体の群れ。 無数の叫びと嘆きを前に、彼等を基礎構造体として発生し、更に糧として肥大化した肉塊は、特に動きを見せる事もなく鎮座し続ける。 その最上部、露わとなった青いレンズ状器官。 意志なき巨大な瞳だけが、血を吐かんばかりに叫び続ける生命体群を無機質に、そして無感動に見つめていた。
https://w.atwiki.jp/nanohass/pages/3824.html
銃声に次ぐ銃声。 薄闇の中より迫り来る異形の影が、その奇怪な形状の頭部へと銃撃を受け、苦痛による絶叫を上げる。 その更に後方よりもうひとつの影が現れるが、頭部やや右側面へと銃撃を受け、傷を庇う様に右へと回頭。 しかし直後、今度は頭部左側面の視覚器官らしき部位へと連続して3発の銃撃を受け、こちらも絶叫を上げつつ銃撃から逃れようと回頭を続行する。 そして前後2体、異形の影が重なった瞬間、1発の多重弾殻魔導弾が両者の頭部を撃ち抜いた。 巨大な爪が上部構造物より離れ、緑の蛍光色を放つ体液を周囲へと撒き散らしつつ、力なく落下しゆく2体の異形。 それらが暗く淀んだ水面へと叩き付けられ、暗黒の水底へと沈みゆく様を見届けた後にディエチは一言。 「・・・凄い」 ただ1発の砲撃さえ放つ事のなかったイノーメスカノンの砲口を下ろし、半ば呆然と呟いた。 彼女の数m横では、先程の銃撃の主であるヴァイスが射撃体勢を解き、ストームレイダーを手に周囲へと視線を走らせている。 やがて、周囲に敵影が存在しない事を確認したのか、彼はディエチへと歩み寄りつつ呟いた。 「ツイてないな。よりにもよって陸戦型、しかも機動性ほぼ皆無の2人が」 一旦、言葉を止め、もう一度周囲を見渡す。 漆黒の闇の中に、照明により施設の全貌が浮かび上がっていた。 人工地下水路に面した小規模輸送物資集積施設。 「空戦魔導師と逸れた上、同じ場所に転送されちまうとは」 そして言葉を続け、溜息を吐く。 ディエチは言葉もなくそんな彼を見つめていたが、やがてこちらも溜息をひとつ、感嘆の念と若干の呆れを込めて声を発した。 「・・・あれだけ巨大な生命体を11体も、しかも接近すら許さずに射殺できる貴方が、それを問題にするんですか?」 その言葉にヴァイスが肩を竦めるが、ディエチとしてはそれが偽らざる本心である。 転送直後、未確認生命体による上方からの襲撃を受け、即座に反応・迎撃を行ったヴァイス。 1体を撃破するや否や、地下水路の奥より迫り来る生命体への群れに対する狙撃を開始、ディエチがISヘヴィバレルによるイノーメスカノンへのチャージを終える猶予すら与えず、瞬く間に殲滅。 その間、僅か1分足らず。 「AC-47β」による魔力増幅の結果、弾体形成時の集束所要時間短縮により速射性が向上している事実を考慮に入れても、異常としか云い様のない腕前である。 牽制として放った魔導弾により生命体の行動を制限・誘導し、射線上に複数体が重なった瞬間に高圧縮多重弾殻魔導弾を撃ち込んで止めを刺す。 戦闘機人たる自身であっても容易ではない一連の過程を、この短時間に5回に亘って繰り返し、しかし微塵の疲労も窺わせる事のないこの人物。 旧機動六課に於いてはヘリのパイロットを務めていたという話ではあったが、その狙撃手としての腕はディエチから見ても遥かな高みにあった。 そして狙撃の腕だけではなく、魔力による弾体形成技術も相当なものだ。 保有技能は高速直射弾形成及び多重弾殻射撃のみであるとの事だが、しかし弾体毎の魔力圧縮率が尋常ではない。 単発の威力・貫通力だけに着目するならば、それこそ並みの集束砲撃魔法すら凌駕する程の高圧縮魔導弾。 非殺傷設定という縛めより解き放たれたそれらが、全長10mを優に超える異形の生命体を次々に射殺してゆく様は、何処か薄ら寒いものをすら感じさせる。 もし2年前、この男性と戦う事となっていたならば。 同じ狙撃手としての立場から、銃火を交えていたならば。 敗れていたのは、恐らく自分。 一方的に狙撃され、自らが敗れた事にも気付かずに、戦線から退く事となっていたに違いない。 そして、オーバーSランク相当の砲撃と、Bランク魔導師による直射弾。 常であれば考えるまでもなく砲撃が勝るであろうが、この男性の放つ銃弾はその常識を覆す。 単発の弾体としては考えられないまでの魔力密度、それに伴う弾速・貫通力。 こちらと正面から撃ち合ったとして、恐らくは砲撃の中心を貫き突破してくるであろう、緑光の銃弾。 射程・速射性・精密性・威力、いずれの面から見ても、自身からすれば高町 なのは以上に分が悪い相手だ。 それは高町 なのはにとっても同様である筈で、移動しつつ使用できる長距離攻撃魔法を有していない以上、防御をほぼ無効化できる弾体による狙撃を駆使するこの男性は、エースオブエースを墜とし得る数少ない人物の1人であるといえるだろう。 魔導師ランク、そして魔力保有量が全てではない、実戦の恐ろしさを体現するかの様な存在である。 「しかし・・・何だ、コレ?」 思考に沈むディエチを余所に、当のヴァイスは集積区のほぼ中央、転送直後に射殺した未確認生命体の死骸へと歩み寄り、銃口でそれを指した。 ディエチもまた死骸へと目をやり、蛍光色を放つ体液に沈む異形の全貌に眉を顰める。 胴部全長、凡そ10m。 4mを超える巨大な前脚。 背面に浮き出した、人間の肋骨にも似た骨格。 胴部へと覆い被さる様に伸びた、ほぼ同じ全長の巨大な頭部。 無数の複眼が寄り集まった、何処か幾何学的な模様にすら思える視覚器官。 全体を覆う部位の無い口部に、ずらりと並んだ巨大な歯牙。 全身の複数箇所に埋め込まれた、鈍色の光沢を放つ機械部品。 「これが、汚染体・・・?」 「だと思うんだがなぁ・・・」 嗅覚を苛む異臭に顔を顰めつつ、2人は注意深く死骸の観察を始めた。 とはいえ、生物学の専門家でもない2人に詳細な分析などできる筈もなく、外観から探れる事は探ろうという程度のものである。 しかし彼等の予想に反し、然程に時間を掛ける事もなく、複数の異常な点が浮かび上がった。 光沢がありながらも、腐乱した死体の様な色の外皮。 前脚と比較して、余りにも小さ過ぎる後脚。 胴部下方へと折り畳まれた、無数の副脚。 如何なる目的かも判然としないながら、しかし完全に生体組織と融合した機械部品。 「人工生命体・・・?」 「・・・汚染体だろ? そんなもの、誰が弄るっていうんだ」 「でも、このインプラントは・・・」 戦闘機人と同じ、機械部品による生体強化ではないのか? そう言い掛けて、ディエチは云い様のない嫌悪感を覚えた。 自分と、この化け物が同じ? 冗談ではない。 死人の肌の様な外皮を纏い、異臭を放つ粘液に塗れた蟲か爬虫類かも判然としないこの生命体が、強化されているとはいえ人としての意思と肉体を併せ持つ自身ら姉妹達と同類である筈がないではないか。 自らの思考を、理性と感情の両面から否定するディエチ。 彼女の内面にて沸き起こる葛藤に気付く事もなく、ヴァイスは死骸の各部より覗く機械部品へと顔を近付け、呟いた。 「・・・どうも端から移植を目的として製造された物じゃないらしいな。ほら」 ヴァイスに促され、ディエチもまた死骸の一部へと顔を寄せる。 生体組織の合間から覗く機械部品の表面には、僅かな錆と黒い油、そしてミッドチルダ言語の羅列があった。 その文字列を目で追い、彼女は訝しげに声を発する。 「LD-3304・・・加重限界5000kgまで・・・?」 「はっきりとは解らないが・・・これ、汎用ロボットアームか何かの部品じゃないか? 骨格の間にあるやつは多分、小型水上船のシャフト基部だ。それもかなりボロボロ、ゴミ同然のやつ」 「廃棄物を取り込んでいる・・・?」 「多分な」 言葉を返しつつ、ヴァイスは死骸の後方へと回り込んだ。 ディエチは前方へと歩を進め、改めて後部に並ぶ歯牙へと注目する。 やはり、似ている。 遥かに巨大ではあるが、この汚染体らしき異形の歯牙は、人間のそれと余りにも酷似しているのだ。 何らかの原住生物を基に発生した事は疑い様が無いが、しかし此処まで人類に酷似した歯牙を有する生物が、果たしてこの隔離空間内へと取り込まれた世界のいずれかに存在していただろうか? まさか。 まさか、この生命体は。 この汚染体の素体となった「生物」とは。 「おい、大丈夫か?」 掛けられる声に、ディエチはふと我に返った。 目前には、何処か気遣わしげな表情のヴァイスの顔。 思わず後退り、意味の無い声を洩らしてしまう。 「あ・・・え?」 「何か思い悩んでいたみたいだが・・・問題ないか?」 「あ、はい・・・」 何とか答えを返すディエチ。 そんな彼女の様子に未だ納得しかねているらしきヴァイスであったが、ややあってディエチに背を向けると、何処かへと向けて歩み始めた。 戸惑うディエチに、次の行動を促す声が掛かる。 「取り敢えず、此処の管制ログを調べてみようぜ。此処の連中が何処に消えたのか、って事だけでも明らかにしなきゃあな」 言いつつ、ストームレイダーの銃口を管制塔へと向けるヴァイス。 その言葉に納得し、ディエチもまたイノーメスカノンを担ぎ直し歩き出す。 管制塔まではそう距離がある訳でもなく、数分で到達できるだろう。 巨大なコンテナの間を歩きつつ、2人は現状についての意見を交わし合った。 「しかし、本当に人っ子1人居やしねぇ・・・この1ヶ月の間に、何があったんだ?」 「まず此処が何処の世界かも判りませんし・・・少なくとも第61管理世界ではなさそうですが」 「隔離空間内のどれかではあるんだろうけどな。まあ、それもログを見れば判るだろ。ついでに此処で何があったのかも」 「・・・あまり良い事態ではなさそうですが」 唐突に足を止め、コンテナが積み重なる集積区の一画を指すディエチ。 同じく足を止めたヴァイスも、それを目にするや否や諦観の滲んだ溜息を吐く。 「・・・納得」 2人の視線の先には、数十個の潰れたコンテナと無数の車両、そして夥しい量の血痕が残されていた。 「・・・10人や20人じゃないな。100人・・・いや、それ以上か」 「抵抗した形跡が無い・・・一般人だった様ですね」 完全に圧壊した自家用車及び輸送車両、コンクリート舗装面に撒き散らされた黒ずんだ液体の染み。 それはこの場所に於いて、凄惨な殺戮が繰り広げられた事実を示していた。 既に相当の時間が経っているのか、本来ならばこの場に漂う筈の鼻腔を突く鉄の臭いも、既に掻き消えている。 臭いだけではない。 本来ならば此処に存在する筈のものが、1つとして見当たらないのだ。 「死体は・・・?」 「死体」が無い。 犠牲者達の亡骸だけが、忽然とこの場より消え失せている。 圧壊した車両の隙間を覗いても、人体の欠片すら見付ける事はできなかった。 「捕食されたのでしょうか?」 「・・・ま、全滅したと決まった訳じゃない。生存者が居るかどうかも調べりゃ判るだろ」 再び歩き出すヴァイス、そしてディエチ。 やがて管制塔へと辿り着いた2人は、コンソールを操作し過去1ヶ月のログを確認。 表示される記録は、そのいずれもが絶望的な状況を物語っていた。 第151管理世界、総人口4900万のこの世界を襲った惨劇。 人工衛星の消失より始まった一連の事態は、生態系の激変という通常では考えられない現象へと加速し、遂には地表域に於ける次元断層の連続発生による他世界との空間干渉及び接続という、最悪の事態が発生。 電子制御系の暴走、電力供給用魔力炉の爆発、変異生態系による都市部への生体汚染拡大。 都市及び主要施設間の長距離移動は不可能となり、各地では集団消失現象が多発、逆に他世界の住民が突如として出現する事態も発生し、既に隔離空間内に於ける各世界の区別は無きに等しいとの事。 地上にて観測された人工天体は日を追う毎に巨大化し、それが各世界の人工建造物を取り込んで形成されている事が判明した数日後には、この施設までもがその天体内へと転移していたのだという。 つまり此処は人工天体の複合建造物内部であり、既知の座標は機能しない。 次元間転移事故被災者を保護し、調査隊を編制して施設周囲の調査を行ったものの、その殆どが行方不明となってしまう。 更には未知の生命体群により度重なる襲撃を受け、6度目の交戦では集積区の車両内にて生活していた206名の被災者が全滅する事態となった。 そして遂に、戦闘可能な魔導師が10名を切る状況へと至り、遂には施設の放棄を決定。 地下水路を8kmほど進んだ地点に発見された、廃棄物処理場への移動を敢行。 汚染物質の流出を避ける為の多重隔壁と強固な施設外壁を頼りに、管理局の救出部隊が駆け付けるまでの篭城戦を行うとの事。 幸いにして輸送用小型次元航行艦2隻を確保できた為、艦体ごと処理場内部へと侵入し汚染を避ける事ができる。 食料も1ヶ月分は貯蔵があり、救出部隊の到着までは耐えられると判断したらしい。 最後に、施設を訪れるであろう管理局部隊へのメッセージを残し、ログは途絶えていた。 「廃棄物処理場・・・」 「嫌な予感しかしないな」 ログの確認を終え、溜息を吐く2人。 一連の事態による被害は、管理局の予想を遥かに上回っていた。 この状況では、現時点に於いて要救助者の何割が生存している事か。 「・・・取り敢えず行ってみるか。御誂え向きにボートもある」 「でも、ヴァイス陸曹。このログ・・・」 「解ってる」 そして、常軌を逸した数々の現象が綴られるログの中、明らかに際立って異常と解る2つの記録。 人工天体への転移直前、そして転移6日後。 他の現象とは異なる、奇妙な記録。 「俺達や汚染体以外にも、招かれざる客が居るみたいだな」 そう言うと、ヴァイスはコンソールへと背を向けた。 ディエチもそれに倣う。 要救助者が存在しない以上、此処に留まる意味は無い。 入手した情報に基づき、彼等が身を潜めているであろう廃棄物処理場へと向かうだけだ。 管制塔を出る2人の背後、コンソールの僅かな明かりだけが、無人の室内を淡く照らし出す。 モニターに表示された無数のログの中、2つの記録だけが他とは異なる赤い色を放っていた。 「77.12.22 施設地上部より緊急連絡。2251時、東部地平線に複数の強烈な閃光を確認したとの事。直後、震度6相当の揺れを感知。2時間後、隣接する管理局拠点より入電。首都方面にて高濃度の放射能検出との事。警報発令。地上部より職員を退避させ、隔壁を封鎖」 「77.12.28 調査隊、水路内にて所属不明の小型船艇と遭遇。接触を試みるも、不明生命体群の襲撃を受け交戦。戦闘中、所属不明船艇は質量兵器と、複数の小型無人兵器を用いていたとの事。 戦闘終了後、船艇は高速にて当該域を離脱。船体が宙に浮いていた事から、反重力駆動方式と推定」 * * 金色の閃光が空間を薙ぎ、異形の頸を切り飛ばす。 瞬間、宙を翔ける漆黒の影。 降り注ぐ血の雨をも掻い潜らんとするかの如き速度で突き抜けたそれは、上方へと6つの光弾を放つ。 遥か上方へと撃ち上げられたそれらは放物線を描き、一拍の後に砲弾の如く汚染生命体群の頭上へと降り注いだ。 連なる6つの爆発音、そして無数の絶叫。 『DOSE 50%』 粉塵と血煙の中から、数体の異形が血液を振り撒きつつ金切り声と共に影へと突進を開始する。 しかし、生存本能によって突き動かされるがままに開始された突進も、高速にて飛翔する影と擦れ違った、その瞬間に終わりを告げた。 閃光。 上下に二分される、13体の異形。 『DOSE 60%』 血が、内臓器官が、異形の体内に存在する無数の寄生体が、豪雨となって回廊へと降り注ぐ。 その惨状を尻目に、影は中空へと制止。 同時に巨大な魔法陣が展開され、黄金の光が周囲を埋め尽くす。 そして響くは、凍て付く感情を秘めし声。 『Phalanx Shift』 「アルカス・クルタス・エイギアス。疾風なりし天神、今導きのもと撃ちかかれ。バルエル・ザルエル・ブラウゼル」 影の周囲へと浮かぶ、38の光球。 余りにも眩いその閃光に反応したか、薄闇の奥から無数の叫びと異音が多重奏となって空間へと響く。 蚊のそれにも似た羽音、無数の脚が擦れ犇く音、枯れ枝を踏み折る様な音。 闇より迫り来るそれらの一切を無視、影の腕はゆっくりとその先を指し。 「フォトンランサー・ファランクスシフト」 そして、トリガーを引いた。 「ファイア」 瞬間、全ての光球が射撃を開始する。 単発ではなく、連射。 全てを埋め尽くさんばかりの弾幕が、闇の先に犇く異形の群れへと襲い掛かった。 着弾、炸裂、絶叫、破裂音、水音、爆発音。 それら全てが混然となり、空間を支配する。 炸裂する光の中に浮かび上がる、焼かれ、貫かれ、引き裂かれ、打ち砕かれ、断末魔を上げる無数の生命体の影。 その光景を前にしながら、僅かながらの揺らぎも見せずに人形の如く佇む人物。 左手に携えられた、黄金の刃に雷纏う片刃の長剣。 刃の周囲を旋回する、一筋の赤い光。 『Caution. DOSE 70%』 「排出実行」 『Exhaust DOSE』 刃の付け根、歪に突き出したドラム型マガジンから、高圧蒸気にも似た圧縮魔力が噴出する。 響き渡る噴射音、約8秒間。 それが止んだ時、長剣は戦斧状の杖となって其処にあった。 『・・・ハラオウン執務官』 『汚染体は殲滅しました。前進します』 後方に待機するディードからの念話。 ただ簡潔に敵の殲滅完了を伝え、前進する旨を告げる。 彼女からの反論は、特に無い。 意見しても無駄であると理解しているのだろう。 XV級次元航行艦が余裕を持って通過できる程の、広大な金属回廊。 その壁面は得体の知れぬ生体組織に侵されており、鈍色の光を放つ壁面の隙間からは黒ずんだ肉腫が覗いている。 鋼鉄の殻に覆われた肉壁、その合間から無数の汚染体と思しき生命体が湧き出したのが数分前。 ディードの他にオットー、そして他の攻撃隊員4名が居たのだが、大群を相手取る戦いには不利と判断、生体組織による侵蝕の及んでいない区画にて待機させていたのだ。 『無理はなさらないで下さい。敵の力は未知数です』 『分かってる』 続くオットーからの念話に答えを返しつつ、彼女、フェイトは己がデバイスへと目を落とす。 バルディッシュ・アサルトフォームの側面、カートリッジシステムから突き出したドラム型マガジン。 それを見つめつつ、彼女は思考する。 ライオットブレードの状態でファランクスシフトを展開したというのに、違和感が一切存在しない。 身体への負担も、それ以上に魔力の消耗感すら感じられないという、異常な感覚。 魔力消費量が段違いであるライオットブレードを常時展開して尚、リンカーコアによる魔力素吸収速度が消費量を上回るという信じられない状態。 「AC-47β」。 あの憎むべきR戦闘機群によって齎された、禁断の技術。 次元世界の理を外れた、歪な技術体系によって構築された魔力増幅触媒。 「・・・大丈夫」 呟き、バルディッシュの柄を強く握り締める。 それは、自己に対する暗示だった。 これなら、勝てる。 必ず、必ず打倒できる。 忌まわしき漆黒の番犬、雷光を纏う悪魔の機体。 エリオを、キャロを、家族を取り戻し、脱出する。 そして、ユーノから四肢を奪った罪人に、然るべき報いを与えるのだ。 その為に、自身はこのシステムを受け入れた。 管理局の理念に相反する思想の下に生み出された技術、それを応用し構築されたシステム。 常ならば決して認めはしなかったであろうそれを受け入れた理由は、敵の強大さも然る事ながら、贖罪の意味合いもある。 自身が判断を誤ったが為に、ユーノの四肢、延いては幾多の可能性を奪ってしまった。 彼は今も意識の戻らぬまま、本局医療区の一画にて自らの生命を脅かす死の足音と戦っている。 自身が彼の為にできる事は、怨敵を打ち倒し、その報告を彼へと捧げる事だけだ。 フェイトには確信があった。 バイド鎮圧後、地球軍との交渉の場を設ける事を望む上層部。 彼等の見解とは異なる、独自の確信が。 22世紀の地球は、決して管理世界と同じテーブルに着く事はない。 感じるのだ。 あの漆黒の機体から、捕えられたR戦闘機パイロット達から。 管理世界の人間を、決して自らと同じ存在とは看做していない事を。 ケージ内のモルモット、或いは路傍の石を見るかの如き、無感動な視線を。 彼等が管理局に対し、積極的敵対行動を取る事はない。 彼等にとって、管理局には敵対する程の価値など存在しないのだ。 R戦闘機群が管理局部隊と遭遇したとして、あちらから戦闘を仕掛ける事はないだろう。 彼等は、管理局の一切を無視する。 目前で汚染体と魔導師が戦闘を行っていようと、彼等にしてみれば割り入るべき理由が存在しないのだ。 彼等が管理局部隊に対し戦闘を展開するとなれば、それはこちらから仕掛けた場合に他ならない。 本局及びクラナガンを襲撃した際とは異なり、既に彼等は十分な情報を得ているだろう。 こちらがバイドではないと知り得ているのならば、可能な限り交戦を避けようとする筈だ。 それは人道的な面からの配慮などではない。 不必要な戦力の消耗と、管理局による地球軍に対する情報収集を避ける為だ。 即ち、全ての行動が自らの生存の為であり、管理世界の人間に対する配慮の一切が欠落している。 彼等は未だに、こちらを「人間」であるとは捉えていないのだ。 恐らくは、義母や義兄も気付いている。 彼等の異質な認識、人間としての共通意識の欠落に。 地球軍にとって、管理世界の住人は「人」ではない。 だがそれは同時に管理世界の住人にとっても、地球軍を構成する人員は「人」ではないとの証明に他ならないのだ。 共存など以ての外、相互理解の構築など決して実現し得ない「未知」の存在。 ならば、自身がすべき事はひとつだ。 彼等の「本性」を暴き、管理世界全ての目前へと曝せば良い。 決して解り合えぬ存在であると、知らしめれば良い。 彼等の目的はバイドの「殲滅」。 管理局が「制圧」及び「確保」を目的として行動する限り、いずれは敵対する事となるのだから。 そして、その時こそ。 自らの雷光にて、漆黒の番犬へと「断罪」を下すのだ。 『ハラオウン執務官、応答を!』 突然の念話。 その焦燥を含んだ念に、フェイトは我へと返る。 『どうしたの?』 『回廊の奥から巨大な・・・巨大な浮遊体が、高速にて接近してきます!』 瞬間、フェイトはバルディッシュをライオットブレードへと変貌させた。 身を翻し、ディード等の待機地点へと向かうべく、高速で宙を翔ける。 『浮遊体の特徴は? 機械? 生命体?』 『何らかの機械です! 大きさは・・・15m!』 その報告に、フェイトは僅かに眉を顰めた。 敵が大き過ぎる。 15mといえば、R戦闘機以上の大きさだ。 クラナガンを襲った、ゲインズとかいう人型機動兵器だろうか? 『浮遊体、頭上を通過!』 『特徴は?』 『塗装は黄色、後部に重力制御機関らしき赤いコアを確認! そちらに向かいました!』 新たな報告も終わらぬ内、フェイトの視界に巨大な鉄塊が映り込む。 成程、黄色の塗装を施された全高15m、全幅9m程の浮遊体が、高速でこちらへと突進してくるではないか。 その速度は、並みの空戦魔導師に勝るとも劣らない。 ライオットブレードの柄を握り直し、フェイトもまた突進を開始した。 「はッ!」 裂帛の気合と共に、擦れ違い様に一閃。 浮遊体の下部が切り裂かれ、轟音と共に回廊床面へと落下する。 しかし。 「ッ・・・!」 下部を切り裂かれた浮遊体は減速する事もなく、空気を押し退ける轟音と共に回廊の奥へと消え去った。 闇の中に消え往く赤いコアの光を呆然と見送りつつ、しかしフェイトは奇妙な事に気付く。 何故、攻撃が無かった? あれだけの速度で突進してきて、何もせずに彼方へと飛び去った巨大な浮遊体。 弾幕を張るなり誘導兵器を放つなり、幾らでも手はあるだろうに、何故? よもや、戦闘を目的としたシステムではないとでもいうのだろうか? 『執務官!』 そんなフェイトの予想を裏付けるかの様に、またも念話が飛び込む。 オットーだ。 彼女らしからぬ焦燥の感じられるそれに、フェイトが警戒を強めた、直後。 『浮遊体接近・・・総数18! 回廊を塞ぐ様に・・・』 巨大な影が、彼女の側面を掠め飛んだ。 「な・・・!」 驚愕と共に、全身を襲う風圧に抗い姿勢を立て直す。 背後より襲い掛かったそれは、確かに先程の浮遊体と同型のものだった。 回廊の奥へと消え往く赤い光を見据えながら、フェイトはディード等へと念話を繋げる。 『こちらも接触した! そちらの状況は?』 『何とか回避しました・・・しかし第2波が接近中、数が多過ぎます!』 その報告に対し新たな指示を出そうとしたフェイトであったが、彼女の視界に先程切断した浮遊体下部構造物が映り込んだ事により、それを中断した。 彼女の意識を捉えたのは、塗装面の一部に刻まれた第97管理外世界の言語。 「LV-220 Resource mining colony Transport System D-7.885」 「輸送・・・システム?」 呆然と呟くフェイトの背後、薄闇の中から、無数の重々しい風切り音が轟きだす。 11年間の時を経て、侵入者を悪夢へと誘う鋼鉄の行進曲、鋼鉄の回廊が、再びその鼓動を響かせ始めた。 * * 「止まらないで! 突き当たりまで走って!」 「一尉、後ろです!」 咄嗟に振り返り、狙いも定めずにショートバスターを放つ。 光の奔流が闇を貫き、その先に潜む機械仕掛けの魔物へと突き刺さった。 爆発。 グレーの装甲が四散し、周囲に展開する同型機、そしてガジェットの装甲へと傷を刻む。 即座に爆炎の向こうから応射が返され、質量兵器の弾体が周囲の壁面へと弾痕を刻んだ。 煉瓦の様に砕け散る灰色の壁面は、魔力による多重コーティングを施された特殊防御壁である。 Sランク攻撃魔法の直撃にも耐え得るそれが、一切の魔力を含まぬ砲弾によって抉られてゆく様は、なのはの胸中に云い様のない悪寒を呼び起こした。 「一尉!」 叫びと共に数本のナイフが宙を翔け、なのはと敵の間にて爆発を起こす。 その粉塵に紛れ、身を翻して敵から距離を取るなのは。 目前へと現れた角に飛び込み、通路の奥に蠢く異形の様子を窺う。 それは、奇妙な造形を持つ機動兵器だった。 反重力駆動式の台座に人型の上半身を備えた、全高8m程の機体。 しかしその頭部は、御世辞にも人に近いとは言えない。 前後へと伸長したそれは、バイザー状の視覚装置と相俟って、第97管理外世界での映画に描かれる異星の生命体を思わせる。 両腕部の肘より先は連射型の質量兵器となっており、攻撃隊は転送直後より容赦の無い弾幕に曝されているのだ。 外観に反し装甲が薄く、撃破が容易であった事は不幸中の幸いであったが、しかし通路を塞がんばかりの巨体と閉所での弾幕射、行く先々で現れるグレーの装甲とカメラアイの赤い光は、攻撃隊の精神を徐々に圧迫してゆく。 既に20機近くを撃破しているにも拘らず、未だに出現を続ける機動兵器。 其処から導き出された量産機であると予想も、なのは達の不安を煽る要因であった。 「一尉、高町一尉」 「チンク」 背後からの声。 息を潜める様に発せられたそれに、なのはは振り返る。 其処には、銀髪の小さな影。 戦闘機人が1人、チンクだ。 先程、ISランブルデトネイターにより、なのはが後退する為の隙を作った人物でもある。 「ウェンディが非常通路を見付けた。周囲の機動兵器とガジェットは、既に砲撃魔導師により排除済みだ」 「解った。こっちは敵が多過ぎる。スターライトブレイカーで一掃するから、チンクは先に行って」 「了解だ」 会話を終え、なのはは通路の先へと向き直った。 敵が前進する様子はない。 しかし此方を排除するべく、前進の機会を窺っている事は明らかだ。 レイジングハートの柄を握り締めるなのはであったが、しかし未だ背後に佇むチンクの存在に気付き、再び振り返る。 「どうしたの?」 皆の許に戻ろうとしない彼女に、なのはは訝しげに声を掛けた。 チンクは何処か躊躇う様に、何かを言い掛けては口を閉じるを繰り返す。 しかしやがて、意を決したかの様に声を発した。 「高町一尉・・・貴女は、どう考える?」 「・・・何を?」 「この船・・・「聖王のゆりかご」についてだ」 沈黙。 なのはは押し黙り、チンクの隻眼を見つめる。 その瞳は、困惑と不安に揺らいでいた。 常日頃の彼女からは考えられない、弱々しい姿。 チンクの言葉通り、なのは等が転送され、異形の機動兵器群と戦闘を繰り広げるこの空間は、嘗て彼女自身が突入した古代の戦船、聖王のゆりかご内部であった。 2年前と寸分違わぬ内装とガジェットの群れ、そして自動防衛機構。 何もかもが模造され、オリジナルとの区別が付かぬまでの存在として空間を支配していた。 否、或いはこの船こそが、2年前に虚数空間へと消えたオリジナルであるのかもしれない。 「続けて」 「・・・従来のアルカンシェルに欠陥があった事も、虚数空間へと跳ばされたゆりかごがバイドに汚染されたのだという事も解っている。しかし、そのゆりかご自体を模造するなど、余りに異常だ。この船は唯の戦艦ではない。 古代ベルカの技術の粋を集めて建造された、世界を支配する為の船だ」 「・・・そうだね」 「だからこそ、彼等は聖王なき状態ではこの船を起動できぬよう、幾重にもプログラムの防壁を築いた。私達は聖王のコピーにレリックを埋め込み、起動の為の鍵としたんだ。だが・・・」 なのはに促され、途切れた言葉を再開したチンクであったが、しかし再び途中で声を区切り、沈黙する。 だが、彼女が何を言わんとしているのか、なのはは正確に理解していた。 「・・・ヴィヴィオ、だね?」 チンクは頷く。 クラナガンでの戦闘後、本局医療区にて目覚めた瞬間から、その疑問はなのはの脳裏にも燻っていた。 「鍵となる聖王が存在しなければ、ゆりかごは起動しない。無論、ゆりかごのプログラムを意のままに改変できるだけの技術力があれば、そんな問題は如何様にもできる。だが、最も効率が良いのは・・・」 「聖王を複製し、玉座に据える事」 「そうだ。聖王のコピーさえ制御下に置けば、間接的にゆりかごの全てを支配できる」 「つまり今、玉座の間には・・・」 爆音。 即座にレイジングハートを構え、通路の奥へとショートバスターを撃ち込む。 爆発、そしてまた爆発。 2機の機動兵器が数十体のガジェット共々、爆炎の中へと沈む。 「一尉・・・」 「行こう、玉座の間へ」 レイジングハートの矛先を下ろし、なのはは言い放った。 その目に浮かぶは、母としての毅然とした光。 玉座の間。 其処に、未だ見ぬヴィヴィオの妹、もしくは弟が居る。 邪悪な存在に操られるがまま、意に沿わぬ力を振舞い続けている。 救わねば。 必ず、救い出さねば。 ヴィヴィオの姉妹・兄弟ならば、我が子も同然だ。 子を救えずして、何が母か。 『Starlight Breaker』 レイジングハートから発せられた音声と共に、桜色に輝く魔法陣が展開され、4機のブラスタービットがなのはの周囲へと布陣される。 集束する光。 嘗ては自らの命さえ賭して放たれた希望の光は、その身体へと一切の負担を強いる事なく破滅的な魔力を球状集束体として形成。 5つの魔力球が玉座への道を切り開くべく、より一層に眩い光を放つ。 クラナガン西部区画、鋼鉄の巨獣を討った際と同じく、レイジングハートを振り被り。 「スターライト・・・」 空間を薙ぎ、魔力球の中心へと突き付けられる矛先。 周囲の全てが桜色の輝きに支配された、その瞬間。 「ブレイカー!」 なのはの声と共に、砲撃は放たれた。 終結するガジェットと機動兵器を次々に飲み込み、突き当たりの壁へと衝突する5条の光。 しかし、Sランク攻撃魔法にさえ耐え得るそれすらも、「AC-47β」による無尽蔵の魔力供給を受けるなのはにとっては障害たり得ない。 「ブレイク・・・」 そして、立ち塞がる全てを排除せんと、なのははトリガーボイスを紡ぐ。 悪しき者を打倒し、未来へと進む為のトリガー。 「シュート!」 一際巨大な魔力の奔流と共に、大規模砲撃が放たれる。 幾重もの防御壁を貫通し、群れ為すガジェットを蹂躙し、立ちはだかる機動兵器を粉砕し。 玉座の間へと到る扉へ着弾したそれは数瞬、強固なる多重防御結界と拮抗し、魔力光を迸らせ。 「いっけぇぇぇぇッ!」 なのはの叫び、そして無意識の内に零れたチンクの声と共に。 「・・・ッ!?」 「な・・・!?」 結界の内側、突如として迸った「虹色」の魔力光によって、跡形もなく掻き消された。 「馬鹿な・・・!?」 絶句するなのは。 チンクもまた驚愕に目を瞠り、呆然と呟く事しかできない。 2人の視線の先、「虹色」の魔力光は渦を巻き、扉へと溶け込む様にして消え去った。 後には、何も残らない。 「・・・うそ」 なのはは知っている。 あの「虹色」の光を、「虹色」の魔力光を。 2年前、ゆりかごの玉座の間、其処で目にした圧倒的な輝き。 新たに結ばれた絆と共に、自らの記憶へと刻まれた鮮烈な光。 愛しき我が子の光。 「カイゼル・・・ファルベ・・・!」 轟音。 スターライトブレイカーによって抉られた、巨大な破壊の傷跡。 その半ば、下部構造物が吹き飛び、周囲へと無数の破片を飛散させる。 我に返り身構えるなのはとチンクの視線の先で、全高18m前後の人型機動兵器が姿を現した。 恐らくは艦内の被害拡大に伴い、大型の機動兵器による侵入者撃退実行を、防衛機構が許可したのだろう。 それは即ち、艦の機能維持態勢を半ば放棄したと同義だ。 玉座の間を守りつつ、しかしゆりかごそのものを犠牲にしてでも侵入者を排除せんとする、矛盾したプログラム。 これが、バイドによる汚染の結果という事か。 「チンク!」 「解っている、ゲインズだ! 波動砲がくるぞ!」 なのはもチンクも、パイロットの尋問により齎された、敵兵器に関する情報は聞き及んでいる。 ゲインズ。 R戦闘機群とほぼ同等の威力を持つ波動砲を装備し、複数のバーニアによる優れた姿勢制御と高機動、内蔵された大型ジェネレーターによるエネルギー供給を受けての波動砲の連射、両者を用いての戦術攻撃を行う機体。 クラナガン西部区画を襲い、新たな廃棄都市区画へと変貌させた兵器のひとつ。 大型波動砲を肩に担いだ旧型、波動砲を陽電子砲へと換装した戦略型、波動砲が左腕部と一体化した新型など、複数の型が存在するとの情報もある。 しかし現在、彼女達の眼前に出現したゲインズは、そのいずれにも当て嵌まらぬ外観を持っていた。 なのはは思考を満たす困惑を、そのまま声に乗せる。 「波動砲が、無い・・・?」 内部構造物を破壊し躍り出た、漆黒のゲインズ。 その外観には何故か波動砲が見当たらず、両腕部には盾の様な機構が備えられている。 一体、この機体は何なのかと警戒するなのはとチンクの目前で、右腕部の盾から3m程の突起が出現。 そして、一瞬の後。 「・・・ッ! そういう事・・・!」 突起の両側面から、全長20m以上ものエネルギーの刃が2つ、並行して展開された。 「接近戦型・・・!」 呻き、レイジングハートを構えるなのは。 その隣では、チンクがスティンガーを構えている。 2人の背後からは、ウェンディと攻撃隊の皆の声 どうやら状況を察し、加勢の為に引き返してきたらしい。 そんな彼女達を嘲笑うかの様に、漆黒のゲインズは脚部と背面のバーニアを一瞬だけ煌かせ、ブレードを展開した右腕部を腰溜めに構え。 直後、その背後で、バーニアの青い光が爆発した。 爆発的な推進力により突進してくる漆黒の巨躯を、無数の魔導弾と砲撃が迎え撃つ。 古の戦船、その腹の中で、侵略者たる魔導師と王を守護せし騎士による狂宴が幕を開けた。 * * 「メタ・ウェポノイド・・・またけったいなもの研究しとったもんやなぁ」 目前のコンソールを操作しつつ、はやては呟く。 転送直後に目覚めた其処は、巨大な施設の内部。 ヴォルケンリッターの3人はすぐ傍に居たものの、他の攻撃隊員の姿はなく、孤立したかと肝を冷やしたのが30分ほど前の事だ。 幸運な事に同施設内に転送されていたセインにより発見され、自身等の他に20名ほどの攻撃隊員、そしてティアナとスバル、ノーヴェ等が付近に存在する事が確認された。 すぐに合流できるかと思われたのだが、各所に存在するゲートの解放に手間取り、攻撃隊は未だ複数のエリアに散開している状況である。 しかし、ザフィーラが発見した壁面のナビゲーションシステムを起動したところ、第4管制室と表記された部屋が付近に存在する事が判明した。 それを受け、はやては独自に情報収集を行う事を提案。 結果として融合を解いたリィンを含む5人は、管制室にてコンソールと向き合う事となった。 引き出されてゆく情報。 強固なプロテクトの存在が予想されたのだが、何故かそれらは既に解除されていた。 この施設の職員達がプロテクトを解いたらしいが、当の彼等が何処へ消えたのか、各管制室への入室ログが無いにも拘らず如何にしてDNAによる認証をパスしたのか等、プロテクト解除までの経緯に不可解な点が余りにも多い。 兎にも角にも、ログの解析と情報収集は順調に進んだが、しかし得られた情報の内容は到底、はやて達にとっては理解し難いものであった。 「有機質兵器開発・・・ヒトDNAの軍事利用・・・クローン胚の大量生産・廃棄・・・胎児レベルに於けるインターフェース移植経過観察・コントロールロッド応用理論・・・」 「・・・墜ちる所まで墜ちたって事やな」 「・・・狂ってる」 余りにもおぞましい言葉の羅列。 人としての倫理、その一切を切り捨てた、正しく「人でなし」による悪夢の研究。 無数の生命を侮辱し、尊厳を踏み躙るその所業。 理解などできない、できる筈もない。 やはり、彼等は。 「地球人」は、自らの知るそれからは懸け離れた存在となってしまったらしい。 「この施設1つで、最終処分場も兼ねていたみたいですね。隣接するバイド生命体研究所から比較的大型のバイド体を運搬し、実戦形式での有機質兵器運用試験を行った後に、実験兵器もろとも殺処分していた様です」 「酷い・・・」 「兵器やバイド体だけではない様です、主。西暦2166年8月に、バクテリア状のバイド体による汚染が発生。272名の職員が隔離調査の後、処理場にて処分されています」 呻き声。 振り返れば、ヴィータがコンソールの前で俯いている。 その右手は口元に当てられ、肩は小刻みに震えていた。 彼女の隣に浮かぶリィンもまた、コンソール上の空間ウィンドウから目を逸らし、両の掌で口元を押さえている。 はやては2人へと歩み寄ろうとしたが、それより早くウィンドウ上に何かを見出したザフィーラがコンソールへと歩み寄り、全ての表示を閉じた。 ウィンドウ、消滅。 ヴィータの背を撫ぜつつ、ザフィーラははやてとシャマルへ視線を送る。 「主、シャマル」 「・・・リィン、おいで」 「はやてちゃん、リィンちゃんをお願いします。私は有機質兵器の詳細について、もう少し探りを入れてみます」 「分かった、宜しゅうな」 はやてはリィンを連れ、管制室を出た。 この施設は大型物資輸送用の巨大な通路が縦横無尽に張り巡らされてはいるが、研究区等の生身の人間が立ち入る区画の設計は管理局本局と大差ない。 長く続く通路の奥へと目をやった後、はやてはリィンの小さな背を優しく撫ぜ始めた。 「大丈夫か、リィン? 落ち着いて深呼吸するんや。何にも心配要らん」 「・・・はやてちゃん」 自身の名を呼ぶ声に、はやてはリィンへと耳を寄せる。 すると彼女ははやての髪を掴み、震える声で以って語り始めた。 「・・・怖いです」 髪を通して伝わる、微かな震え。 何時になく弱々しいリィンの様子に、はやては穏やかに彼女の名を呼ぶ事で応えた。 「・・・リィン」 「此処、怖いです。きっと此処に居た人達は、リィンには解らない思考を持った人ばかりだったんです」 「リィン」 「あんな、あんな事・・・「人」にできる筈がありません。今まで見てきた次元犯罪者だって・・・あんな事、してる人達なんて、居なかった」 「リィン」 「「人」じゃない。「人」があんな事、できる訳がないんです。できちゃいけないんです。そうじゃないなら、リィンは「人」じゃないから理解できない・・・」 「私にも解らへんよ。墜ちた人間の思考なんか、解りたくもない」 はやての言葉に、リィンは俯いていた顔を上げる。 その涙に濡れた顔を見つめつつ、はやては自身が今どんな顔をしているのだろうと考えた。 恐らく、侮蔑と嫌悪に歪んだ表情をしているに違いない。 「はやてちゃん・・・?」 「解らんでええ。解る必要なんて無いんや。「人」としての尊厳を捨てた連中の思考なんか、理解の仕様がない。そんな事、するだけ無駄や。私達自身がそうならん様に、心に刻んでおくしかないんや」 リィンが何を見たのか、はやてには分からない。 しかし今、リィンにそれを思い出させるつもりはない。 どの道、収集した情報は事態の収束後に目にする事となるであろうし、緊急を要する事象についてはシャマルが調査している。 リィンの口から引き出すべき理由など、存在しない。 何より、態々訊ねずとも想像は付く。 この施設にて行われていた数々の研究は、そのいずれもが常軌を逸した非人道的なものばかりである。 ヒト・クローン胚を大量生産し「研究資材」として扱うに止まらず、胎児レベルにまで育成した個体を観察対象とする実験、そして「解体」による生体部品摘出など、目を覆いたくなる程の凄惨な研究・実験が行われていたのだ。 それら全ての研究目的は、突き詰めれば2つの存在へと集約される。 新たなフォース・コントロールシステム、そしてメタ・ウェポノイドと呼称される有機質兵器の開発。 これらの研究区は各々に独立しており、しかし制御系の相似から共同開発に到る事も多く、隣接する区画へと創設された。 各々の研究により得られたデータ及び技術を自らのそれへとフィードバックし、それを繰り返す事によって更なる技術躍進が起こる。 そうして数々の有機制御系及びフォースを生み出した両機関であったが、西暦2168年1月、有機質兵器研究区にて汚染体漏洩事故が発生、全施設が緊急閉鎖されるという事態が発生。 汚染は隣接区にまで及び、職員の殆どは退避する暇もなく施設内へと隔離された。 脱出艇の殆どは使用されないままに施設内へと残され、しかし目立った混乱の形跡もない。 殲滅戦が行われたのか、施設構造物の被害は甚大なのだが、その中に取り残された職員の混乱によるものと思える被害が存在しないのだ。 より大規模な異常事態に呑み込まれたか、或いは混乱する間もなく汚染されたのか。 いずれにしても、はやてからすれば因果応報としか思えなかった。 「はやてちゃん」 「・・・シャマル」 背後からの声に、はやては振り返る。 其処にはログの解析を終えたらしきシャマル、そしてザフィーラに付き添われたヴィータが佇んでいた。 「どうやった?」 「駄目です。どういう訳か、有機質兵器の詳細に関する情報だけが、完全に削除されているんです。現存する研究ログでは2167年11月19日のものが最後ですが、その時点での研究対象がメタ・ウェポノイドと呼称される存在である事、それ以外は全く・・・」 「さよか・・・」 その報告を受け、暫し黙考するはやて。 しかし現状では結論を導き出す事は不可能との判断に至り、決断する。 「一先ずは此処までや。攻撃隊との合流を第一に行動、合流後に改めて施設内の探索を行う。質問は?」 「ありません」 「同じく」 「分かったよ」 「了解です」 全員からの答えにはやては頷き、自らの騎士服、その腰部に固定されたポーチ状の装備品へと目を落とした。 「AC-47β」。 はやてやシャマル、ザフィーラといった、カートリッジシステムまたはデバイスを使用しない魔導師の為に開発された、魔力増幅機構・デバイス非介在型。 増幅された魔力をリンカーコアへと直接供給するという、少なからず危険を伴うシステムではあるが、敵の強大さを考えれば許容範囲内のリスクであるとはやては考えている。 何よりこのシステムが無ければ、AMF展開状況下に於ける行動は著しく制限されてしまうのだ。 この施設の所有者達である、22世紀の第97管理外世界に於いて開発された技術を用いて製造されたという事もあり、はやて個人としては受け入れがたいものではあったが、AMFによる行動の阻害と魔力の枯渇という最大の懸念を回避できる以上、強行に拒む事もできなかった。 しかし同時に、それが齎す絶対的な力はバイド・地球軍の区別を問わず、敵に対する脅威となり得る事を彼女は理解している。 要は、使いこなせるか否かだ。 「リィン」 「はいです」 再びリィンと融合し、シュベルトクロイツ、夜天の書を手にはやては凛と告げる。 一切の淀みなく澄んだ、青い瞳。 騎士達が、呼応するかの様に姿勢を正す。 「行くで、皆」 夜天の王としての号令。 漆黒の翼を翻し、通路の先へと振り返った、その先に。 「・・・ッ!?」 「はやてッ!?」 巨大なレンズが、無機質にはやてを見つめていた。 「おおああぁぁッ!」 雄叫び。 その場の誰よりも早く動いたのは、ザフィーラだった。 一瞬ではやての前面へと躍り出ると、その研ぎ澄まされた爪を以ってレンズ、そして後方へと続く長大な胴へと襲い掛かる。 しかし、振り抜かれたザフィーラの爪が胴を断ち切らんとする寸前、先端のレンズから眩い光が迸った。 「くっ・・・!」 「あああッ!?」 線状に射出された高圧縮魔力。 ザフィーラの胴を薙ぎ、更にははやてをも射界に収めたそれ。 しかし純魔力攻撃であった事が幸いし、「AC-47β」からの膨大な魔力供給により鉄壁の防御を更に強固なものとしたザフィーラ、そして攻撃の大部分を彼によって遮られたはやてには、傷ひとつ刻まれてはいなかった。 直後、2人の後方よりヴィータが飛び出し、気合の叫びと共にグラーフアイゼンを振り被る。 「らああぁぁぁッ!」 全力を以って振り下ろされたハンマーヘッドは、しかし目標を打ち据える事はなかった。 間一髪で身を引いたそれは激しくのたうち、轟音と共に通路の到る箇所を破壊しつつ遥か先の闇へと引き込まれてゆく。 淡いレンズの光がひとつ瞬き、通路には静寂と破壊の跡だけが残った。 誰も、口を開こうとはしない。 はやては呆然と佇み、ヴィータは床面へと叩き付けたグラーフアイゼンもそのままに殺意を滾らせて通路の奥を睨む。 ザフィーラは一切の感情が抜け落ちたかの様に佇み、シャマルは驚愕に口元を覆いつつ目を見開いている。 それ程までに彼等は、今しがた自身が目にしたもの、その存在が信じられなかった。 褐色の表皮。 有機物としての動きを見せながら、無機物としての特徴をも併せ持つ外観。 先端部に備えられた巨大なレンズ。 有り得ない、あってはならないのだ。 「あれ」が未だ健在である事態など、決して許されない。 許してはならないのだ。 「ザフィーラ、シャマル、ヴィータ」 感情の感じられない、冷徹な声。 未だ嘗てはやての口から発せられた事など無かった、合成音の様に無機質な声が通路に響き渡る。 3人の騎士は微動だにせず、続く言葉を待っていた。 「今の、見たか?」 「ええ、主。はっきりと」 「間違いありません。私も・・・見ました」 「・・・忘れるもんかよ」 常より更に無機質な声、そして明確な負の感情を内包せし声。 各々より返されるそれらに、はやては俯いた。 何故、「あれ」が此処に存在する。 あの時、確かに消滅した筈なのに。 皆と共に、悪夢を終わらせた筈なのに。 「彼女」が、あの優しい魔導書が、その身を犠牲にしてまで、「あれ」の復活を防いだのに。 「なんで・・・なんで・・・ッ」 小さな、消え入るほど小さな声で、ヴぃータが呟く。 その声を耳にしつつ、自身も驚く程に醒め切った思考の中、はやては事実に思い至った。 アルカンシェルの欠陥。 対象の反応消滅ではなく、虚数空間への強制転送を以って破壊と為していた事実。 もし「あれ」が、虚数空間にてバイドによって回収されていたのであれば。 その消滅を待たずして、汚染されたのだとすれば。 「何処まで・・・」 何処まで、一体何処まで。 地球軍もバイドも、何処まで「彼女」を侮辱すれば気が済むのか。 どれほど「彼女」の決意を辱め、嘲笑えば満足するというのか。 「彼女」の死を、意思を、その記憶を。 全てを否定して、なお足りぬというのか。 「リィン・・・」 『分かっています、マイスター。許すつもりはありません』 鉄槌の騎士が、憤怒と共に立ち上がる。 湖の騎士が、怜悧なる光を瞳に宿して下命を待つ。 盾の守護獣が、無機質な殺意を宿して闇の果てを見据える。 彼等を従え、夜天の王は「戦」の始まりを告げる。 「夜天の王が命じる。「あれ」を生かしておく事は許さん。何としても討ち滅ぼせ」 応を返す騎士達。 足が床面を離れ、宙へと浮かび上がる白き影。 薄闇の通路に、王の声が朗々と響き渡った。 「「リインフォース」の遺志を穢した、その罪。死を以って償わせたる」 通路の奥、闇の中に、無数の光が点る。 禍々しき光、穢れた魔力の光。 耳障りな破壊音と共に、先端にレンズを備えた無数の巨大な触手が、周囲の構造物を破壊しつつ我先にと押し寄せ、王と騎士達を目掛け襲い来る。 「防御プログラム」。 度重なる改変により異常変質、遂には暴走した憐れなる存在。 全てを喰らい尽くさんと、津波となって王の許へと向かう。 宛ら、12年前の様に。 12年前のあの日、曇り空の下。 彼女、リインフォースと共に戦った、最初にして最後の日。 12月24日、あのクリスマス・イヴの様に。 八神 はやては、「闇」との再会を果たした。
https://w.atwiki.jp/nanohass/pages/3826.html
結論から云えば、投降を促そうとするギンガの目論見は失敗した。 目前の武装勢力人員へとデバイスを突き付け、その罪状を告げる。 其処までは良かった。 何も問題はなく、状況は彼女の望むままに進行する筈であったのだ。 だがひとつ、彼女は見誤っていた。 否、彼女のみならず、管理局員の全てが見誤っていたのだ。 彼等が、第97管理外世界の人間が、どれ程までにバイドに対する恐怖を抱いているか。 どれ程の敵意を、そして憎悪をバイドへと向けているのか。 ギンガは、そして攻撃隊は、それを見落としていた。 「AC-47β」起動の直後、目前の人物より僅かに声が発せられる。 ただ一言、忌まわしき存在の名称。 『・・・バイド』 「・・・え?」 その瞬間、ギンガの視界が白い光に覆われ、聴覚が轟音に満たされた。 スタングレネードと呼称される、非殺傷型質量兵器か。 炸裂地点はギンガよりも攻撃隊に程近かったらしく、彼女への影響は微々たるものだった。 眩む視界、麻痺する聴覚。 数瞬後、機能回復。 同時に鈍い衝撃がギンガを襲う。 朧気な視界の中に浮かび上がる、彼女に向かって脚を突き出すアーマーに身を包んだ人物の姿。 どうやら彼女を蹴り付けようとして、バリアジャケットに阻まれたらしい。 一瞬ながら怯んだその人物は、しかし次の瞬間にはギンガの鼻先へと銃口を突き付けていた。 咄嗟に身を逸らし、ブリッツキャリバーでの蹴りを放つ。 発砲はほぼ同時。 3発の銃弾が、ギンガの肩を掠め飛ぶ。 切り裂かれるバリアジャケット。 同時に蹴りを放った脚が目標人物へと接触、防御の為に翳された腕、その骨を砕く衝撃がギンガへと伝わる。 異様な感触に顔を顰める彼女であったが、直後に放たれた再度の銃撃に反応、瞬間的に爆発的な加速を行い目標人物の懐へと入り込むと、リボルバーナックルの一撃を見舞った。 加減こそされてはいたものの、戦闘機人の膂力で殴り飛ばされた彼の身体は約10mにも亘って宙を舞い、更に地面へと叩き付けられた後に数mを転がって漸く停止。 動き出す様子が無い事を確認し、次いでギンガは周囲から無数の銃声が鳴り響いている事に気付く。 攻撃隊及び武装勢力、交戦中。 「・・・しまった!」 小さく己へと毒吐くと、ギンガはブリッツキャリバーによって駆け出した。 拠点外部、闇の向こうからは無数の誘導操作弾、高速直射弾が撃ち放たれ続けている。 同時に拠点内からは質量兵器による応射が始まっており、状況が完全な戦闘状態へと移行した事が見て取れた。 最悪の展開に歯噛みしながらも、ギンガは思考を廻らせる。 あの時、目標人物は「AC-47β」の起動に反応しバイドの名称を口にした。 恐らくは活動を開始した「AC-47β」内部のバイド体からの反応を検出し、こちらを汚染体と判断して攻撃行動を実行したのだろう。 明確に人間である事を確認しておきながら、反応検出と同時に射殺を試みる武装勢力。 正しく異常としか云い様がない。 しかし、少なくとも他の武装勢力人員は、バイドの反応を検出しつつも攻撃を躊躇っていた様だ。 だが先程の銃声が、戦闘の引き金を引いてしまった。 スタングレネードを使用したのは攻撃隊に近い武装勢力人員であったが、その後に戦闘を展開する意思があったか否かは定かではない。 戦闘が開始された決定的な要因は、間違いなく自身へと向けて放たれた銃撃だ。 ギンガは自身の肩部、銃弾に切り裂かれたバリアジャケットへと触れた。 無残に千切れたそれは、銃弾に秘められた恐るべき威力を如実に表している。 対人用の銃弾ならば十分に防げると踏んでの攻撃実行だったが、予想に反して銃撃は容易くバリアジャケットの防御を貫いた。 弾頭に特殊な処理が施されていたのか、それとも単に貫通力が高過ぎるのか。 いずれにしても、危険な事には変わりがない。 攻撃隊は今まさに、その弾雨の前へと曝されているのだ。 可能な限り速やかに、武装勢力を背後より強襲しなければ。 ギンガは更に加速、風の様に武装勢力の一団を目指した。 彼等は4つか5つの天幕の向こうに布陣し、遮蔽物に隠れながら質量兵器により攻撃隊へと応戦している。 天幕を迂回しようと進路を変更するギンガであったが、その動きが唐突に停止した。 上空、耳障りな高音。 反射的に見上げた視線の先を、白と黒、2つの機影が過ぎる。 「・・・ッ、あれは・・・!」 漆黒の影は強襲艇、そして白い影は見覚えのあるものだった。 決して忘れ得ない、記憶の深層までへと刻まれた機影。 「R戦闘機・・・!」 機首に左右一対の先尾翼を備えたその機体は、強襲艇と共にギンガの頭上を低速で通過。 しかし直後、大気の壁を打ち破る轟音と共に、その姿が掻き消える。 R戦闘機、超高速戦闘機動。 衝撃波がギンガの身体を打ち据え、後方へと弾き飛ばす。 「く・・・ッ!」 地面へと叩き付けられる直前、ギンガは体勢を立て直し着地。 攻撃隊の交戦域へと目を遣ると、丁度その上空にてハッチを開く強襲艇の姿が視界へと飛び込んだ。 すぐさま地上より直射弾が放たれるが、彼方より飛来した2発のミサイルが攻撃隊の布陣する地点へと着弾。 直撃こそしなかったものの、強大な炸裂の余波が攻撃隊を散り散りに吹き飛ばす。 直後、ミサイルを発射したと思しきR戦闘機が、再び上空を突き抜けた。 地上から撃ち上げられる弾幕が途絶え、その隙に強襲艇は機首を回頭させて離脱を図る。 その陰から、ひとつの人影が空中へと躍り出た。 「・・・え?」 瞬間、ギンガは駆け出そうとしていた事も忘れ、食い入る様にその人影を凝視する。 呆然とした声を洩らし、強化された戦闘機人の視力を以って対象を拡大。 しかし、その結果は理解できない現実をギンガへと叩き付ける。 それは、有り得ない人物。 此処に存在する事、それ以上に武装勢力の強襲艇より降下する、その事実こそがあってはならない人物。 嘗ての戦友にして、弟の様な、しかし1人の戦士として肩を並べ戦った人物。 「何故・・・!?」 薄汚れた白色のロングコート。 嘗てとは異なり、踝までを覆うスラックス。 2年前より僅かに伸びた深紅の髪、既にギンガをも追い越さんばかりに伸びた背丈。 その手に握られた、記憶の中のそれよりも更に長大となった、白亜と群青の槍型アームドデバイス。 瞬時に深紅の稲妻と化した、その人物は。 「何で貴方が其処に・・・!?」 エリオ・モンディアル二等陸士。 「エリオッ!」 混乱のままに叫ぶギンガを余所に、エリオは空中にて身を翻すと頭部を地表へと向け、そのままストラーダの矛先をも下方へと向ける。 直後、爆発音といっても過言ではない程の凄まじい推進用魔力噴射音と共に、エリオの身体が地表へと突撃を開始。 武装勢力の機体より現れた、バリアジャケットに身を包んだ人物の姿に、唖然と頭上を見上げるばかりの攻撃隊、その中央にエリオは「着弾」する。 付近に展開していた局員4名が振動と粉塵に怯んだのも束の間、直後に彼等の身体は横薙ぎの一撃によって、宛らボールの如く吹き飛ばされた。 薄れゆく粉塵の中央には、ストラーダを振り抜いた体制のまま佇むエリオの姿。 その凶行にギンガを含め、攻撃隊員が息を呑む暇さえなく。 ストラーダより生み出される爆発的推進力によって、エリオの姿が掻き消える。 ギンガが我へと返った時には既に遅く、新たに6名の局員がストラーダによる強烈な打撃を受け昏倒していた。 同じく我へと返った周囲の局員達が、エリオの影を追う様にして射撃魔法を展開するものの、誰1人としてその速度を捉える事ができず、逆に1人ずつ着実に人数を減らされてゆく。 更に武装勢力、そして三度上空に現れたR戦闘機による激しい質量兵器の弾幕が攻撃隊の行動を阻み、彼等はまともな抵抗も許されずに無力化されていった。 「どうして・・・どうしてッ!」 そして、約2分後。 総数20名を超える攻撃隊はギンガを残し、完全に制圧された。 揺らめくミサイルの爆炎、その周囲には意識の無い局員達が、ある者は眠る様に、またある者は吹き飛ばされた先で構造物に叩き付けられて、死んだかの様に横たわっている。 しかし質量兵器による直撃弾は皆無であったらしく、全員が五体満足のままに地へと伏せていた。 武装勢力は、意図して直撃を避けたのか。 いずれにせよ、残るはギンガ唯1人。 「エリオッ! どうして・・・どうしてこんなッ!」 絶叫するギンガ。 その声に気付いたか、倒れた局員達の間に佇むエリオが、ゆっくりと彼女の方へと顔を向けた。 燃え盛る炎を背後にしたエリオの表情を窺う事はできず、ただ躊躇う素振りすらなく構えられたストラーダの矛先が、ギンガの叫びに対する彼の答えを表している。 「AC-47β」、出力最大値へ。 左腕のリボルバーナックルが唸りを上げ、ブリッツキャリバーが突撃の瞬間を待ち受ける。 獲物へと飛び掛からんとする猛獣の如く身を屈め、全ての力を標的へと叩き付けんと構えるギンガ。 最早、彼女の視界にはエリオの姿しか映り込んではいない。 頭上のR戦闘機も、質量兵器の銃口を彼女へと向ける武装勢力も、エリオ以外の一切が意識より除外されている。 今やギンガのその瞳は生来の澄んだ碧ではなく、戦闘機人の証たる金色の光を放っていた。 そして、数瞬後。 「ッエリオオオオォォォォッ!」 その膂力・魔力の全てを用いて、ギンガはエリオへと突撃を開始。 ブリッツキャリバーが火花を散らして地を削りつつ、凄まじい加速で彼女をエリオの許へと導く。 振り上げられた左腕、リボルバーナックルが破滅的な力の解放に備え、その唸りを増した。 幾重もの思考の壁がギンガの意識を阻み、しかし彼女はその全てを粉砕しつつ突撃を継続する。 何故、エリオが此処にいるのか。 何故、武装勢力の側に付いたのか。 何故、自分達を襲うのか。 そんな事は、最早どうだって良い。 唯、殴る。 殴らねば気が済まない。 全力で、有りっ丈の力で殴り、その目を覚まさせてやらねば気が済まない。 「ッアアアアァァァァァッ!」 咆哮と共にエリオへと襲い掛かるギンガ。 その視界の端で、無数の光が瞬いた。 武装勢力、発砲。 無数の銃弾がギンガの足下を穿ち、その数発がブリッツキャリバーのローラーを弾く。 ギンガは体勢を崩し、しかし即座にそれを立て直すと、先程を上回る速度で突撃を再開した。 エリオは動かない。 今度は前方、視線の先で光が炸裂する。 噴射炎。 何時の間にか、R戦闘機がエリオの頭上へと移動していた。 機体下部よりミサイルが放たれ、ギンガが反応する間もなくその側面の空間を貫き後方へと着弾、天幕の1つを完全に吹き飛ばす。 ミサイルが通過した際の衝撃波、そして後方からの爆風にギンガは、今度こそ体勢を立て直す事もできずに前方へと倒れ込んだ。 それは、エリオから僅か数mの距離。 それでも何とか、彼へと渾身の一撃を叩き込もうとして。 瞬間、掬い上げる様に振るわれたストラーダの柄の先端が、彼女の顎を捉えていた。 「が・・・ッ!」 脳を揺さ振られ、ギンガの意識が混濁する。 余りの衝撃に跳ね上げられた身体は、戦闘機人の耐久力を以ってしても動かす事は叶わなかった。 仰向けに地へと倒れ全てが逆さまとなった彼女の視界に、後方より歩み寄る武装勢力人員の影と、ホバリングするR戦闘機の側面に刻まれた「POLIZEI」の文字が飛び込む。 突然、その眼前にデバイスの矛先が突き出された。 ストラーダ。 事故修復機能を備えている筈のそれは、表層に無数の深い傷が刻み込まれ、更に白亜の塗装は殆どが剥げ落ちてしまっている。 しかし、それを目にしたギンガの脳裏を過ぎったものは、どれ程に酷使すればこの様な状態になるのかという疑問ではなく。 眼前のデバイスが彼女の額を掠めた際に、その肌を「物理的」に切り裂いたという事実に対する戦慄だった。 熱い液体が自身の額を伝い落ちる感覚に、ギンガは身震いする。 ストラーダ、非殺傷設定解除状態。 「な・・・ぜ・・・」 声を振り絞るギンガの周囲を取り囲む、複数の武装勢力人員。 何とか頭を持ち上げ、彼女は自身にデバイスを突き付けるエリオの表情を視界へと捉える。 そして、ギンガは息を呑んだ。 作り物じみた無表情。 感情の窺えない双眸。 ガラス球を思わせる程に冷淡な2つの眼球が、無機質にギンガを見下ろしていた。 直後、ストラーダから一筋の電流が迸る。 衝撃が全身を駆け巡ると同時、僅かな抵抗すら許されず、ギンガの意識は闇へと沈んだ。 * * 強烈な青い光の奔流が、拡散しつつゆりかご前部を襲う。 ゆりかごは艦体外殻及び断裂面の至る箇所で爆発を起こし、無重力空間内に無数の破片を飛び散らせて炎を噴き上げた。 無重力であるため炎はすぐに掻き消えるが、連鎖的に発生する爆発により、結果として巨大な炎の壁がゆりかごを取り巻いている。 しかし、爆発によって崩壊してゆくゆりかごを目にしてもなお、魔導師達は攻撃の手を緩めはしない。 誘導操作弾を、高速直射弾を、砲撃を爆炎の中心部へと叩き込み、より一層その密度を増しゆく。 そして同時に、爆炎の中から放たれる弾幕も、魔導師達の攻撃密度上昇に合わせるかの様に激しさを増すのだ。 脅威は、未だ消え去ってはいない。 「スターライト・・・ブレイカー!」 他の攻撃隊員によりなのはの正面へと張られていた障壁が、異形より放たれ続ける弾幕によって破られる。 しかしその瞬間、桜色の光が爆発し、迫り来る弾幕をも呑み込んで集束砲撃がゆりかごの断裂面、異形の存在へと向けて放たれた。 「ブレイク・・・シュート!」 直線上の空間に存在する全てを呑み込み、粉砕し、轟然と突き進む5条の光。 巨大なゆりかごの破片をも貫通したそれは異形の額、巨大なレリックへと突き立つかに見えたが、その直前に現れた虹色の魔力光によって形成された壁が砲撃を掻き消す。 「また・・・!」 『DOSE 70%. Danger』 「・・・ッ! 排出実行!」 『Exhaust DOSE』 ブラスタービット4基を用いての砲撃すら容易く防がれ、苦しげに声を洩らすなのは。 しかし、次いで発せられたレイジングハートからの警告に、致し方なく「AC-47β」内に蓄積されたエネルギーを圧縮魔力へと変換・放出するプロセスの実行を命じる。 「AC-47β」より噴き出す圧縮魔力の残滓を空間に引きつつ、なのははブラスタービットを引き連れ後退。 排出実行の間は他の局員が魔力弾の迎撃と援護に当たり、強制排出が終了するや否や彼女は再び前進し異形と対峙する。 なのはを含め、主力となる砲撃魔法を使用する5名の攻撃隊員は、数分前からこの行動を繰り返していた。 巨大な異形の甲冑、その攻撃は凄絶の一言に尽きる。 低速ではあるが、それでも魔導師の飛翔速度を大幅に上回る、無数の誘導操作弾。 額のレリックより間断なく放たれる、低誘導性ながら高速の大威力エネルギー弾。 そして胸部装甲の内に格納された黄金色の球体、時折展開されるそれより放たれる、虹色の魔力光を放つ大規模砲撃。 砲撃は誘導性能が無い為、攻撃隊を襲うのは専ら誘導操作弾と高速弾ではあったが、その密度が尋常ではない。 そもそも回避自体が困難であり、現状では攻撃に当たる者を他の攻撃隊員が防御魔法でバックアップし、「AC-47β」内のエネルギー蓄積率が臨界に近付くと控えの人員と入れ替わり強制排出、といった手段を採る他ないのだ。 そうして目標へと撃ち込まれた集束砲撃の数は、既に10発を超えている。 しかしそれらの砲撃の内、有効打は唯の一撃も無かった。 その全てが虹色の魔力光「カイゼル・ファルベ」によって掻き消され、霧散してしまったのだ。 『一尉! 前方、約3000!』 隊員からの念話に、なのははレイジングハートを構えつつ、遥か前方を飛翔する白い影を睨む。 突如として現れ、ゲインズを消滅せしめたR戦闘機。 その機体が放つ波動砲は想像を絶するものであり、光の雪崩と呼称しても遜色のないものであった。 既に3度ほどその砲撃を目にしてはいたが、無数の光弾が拡散しつつ巨大な壁となって目標へと襲い掛かる様は、単一の戦闘機が独自に実行した攻撃とは思えぬ、正しく戦略攻撃と呼ぶに相応しいものだ。 それが発射される度に、ゆりかごの艦体は大きく抉られ、その巨体の其処彼処から爆炎を噴き上げる。 しかしそれでも、決定的な打撃を与えるには至らないのが現状であった。 外殻を破壊しても、艦内へと砲撃が届かないのだ。 それにはカイゼル・ファルベによる自動防御だけでなく、もうひとつの要因があった。 R戦闘機を執拗なまでに狙う、機動兵器の大群である。 「うじゃうじゃと・・・何処から湧いたんスか!」 なのはの隣、バックアップに就いているウェンディが吐き捨てた。 ランディングボードの砲口より放たれる光弾は誘導操作弾を迎撃する合間に、R戦闘機を包囲せんとする機動兵器をも攻撃する。 着弾と共に巨大な爆発が連続して起こるも、機動兵器の数は一向に減りはしない。 否、寧ろ増加してすらいた。 周囲の艦艇群の陰、そしてゆりかごの断裂面より際限なく現れ続ける機動兵器の総数は、既に数百を数えている。 それらは魔導師の攻撃、そればかりか存在すらも完全に無視し、只管にR戦闘機へと集中砲火を浴びせ掛けているのだ。 無論、R戦闘機も幾度か反撃を試みている。 フォース先端より連続して放たれる弾頭が凄まじいまでの炸裂を起こし、膨大なエネルギー輻射と衝撃波が空間を埋め尽くす度、数十機の機動兵器が跡形もなく爆散していた。 しかし全方位より撃ち掛けられる弾幕と、圧倒的物量による完全包囲を打ち破るには到らず、敵中枢らしき異形に対する砲撃の狙いも定まらぬまま、フォースを盾に空間を縦横無尽に翔け続けている。 それでも先程の様に、ゆりかごの異形に対する砲撃を敢行してはいるのだが、それらの攻撃は直前に放たれた機動兵器の砲火を躱す為の機動により狙いを逸れ、いずれも外殻に着弾して減衰した後、カイゼル・ファルベにより掻き消されていた。 何故、機動兵器は攻撃隊を放置してまで、R戦闘機を執拗に狙うのか。 恐らくは異形に対し、あの波動砲を撃たせない為だろう。 今のところ直撃はしていないが、単一目標に対する至近距離からの砲撃が実行されれば、カイゼル・ファルベとて耐え切れるものではない。 事実、ゲインズ撃破に続く波動砲の発射直後、明らかに低集束の砲撃が放たれたが、それはカイゼル・ファルベの防御を突破し、異形の頭部へと着弾している。 流石に打撃力は不足であったか、目標を撃破するには至らなかったそれではあるが、結果としてひとつの事実を攻撃隊へと認識させる事となった。 高集束波動砲による極近距離砲撃。 カイゼル・ファルベを突破し、更に巨大な異形を滅ぼし得る、最も確実にして唯一の手段。 自らが持ち得るあらゆる攻撃を試し、その全てが通用しないと判明した今、面白くはないがそれだけが攻撃隊に残された現状打破の方法であった。 事実、R戦闘機が繰り返し目標への接近を試みている事からも、その推測は的を射ていると考えられる。 よって、目標への直接攻撃を繰り返しつつも、同時にR戦闘機を狙う機動兵器群の排除に当たる攻撃隊ではあったが、しかしその異常な物量と目標からの激しい弾幕により、状況の進行は順調とは云い難い。 機動兵器群からの反撃が無い事は救いではあったが、しかし攻撃隊の半数は常に目標に対する牽制と迎撃に当たらねばならない為、戦力は絶対的に不足していた。 「ッ・・・スターライト・・・ブレイカー!」 幾度目かのスターライトブレイカーが放たれ、R戦闘機へと照準を合わせていた機動兵器群を呑み込む。 直線上の30機前後が撃破された筈だが、しかし残る機動兵器群は高速にて飛翔するR戦闘機を追撃するばかりであり、背後より空間を貫く集束砲撃魔法を意に介する様子すら無い。 「ブレイク・・・シュート!」 直後に砲撃の規模が膨れ上がり、更に20機前後の機動兵器が光の中へと消える。 しかしそれでも周囲の機動兵器群は、なのはへと警戒を向ける事さえしなかった。 只管に質量兵器を乱射し、R戦闘機との距離を詰めんとする。 『馬鹿にしてッ!』 攻撃隊を完全に存在しないものとして対応するその機動に、念話を通じて隊員の悪態が放たれる。 なのはとしてもそれは同意であったが、言葉にはせず続けて直射砲撃の発射体勢に入る事で応えた。 しかし、当の砲撃が放たれる事はない。 なのはは途絶える事のない機動兵器群の増援、そして無尽蔵の魔力弾を放ち続ける異形を前に、次の行動を選択し倦ねていた。 「何処を・・・何処を狙えば・・・!」 呟き、周囲の状況を再確認する。 数百機の機動兵器はR戦闘機との交戦状態にあり、時折放たれる波動砲と炸裂弾により大きく数を減らすも、すぐさま現れる増援により損失を補う為、戦況は膠着状態にあった。 R戦闘機は機動兵器群への対処に追われ、ゆりかごの異形に対する砲撃を実行できない状態にある。 攻撃隊は異形への攻撃を試みているが、いずれは弾幕と砲撃に押し潰される状況が目に見えていた。 況してや、この状況下でR戦闘機が撃墜される様な事があれば、機動兵器群の砲口は攻撃隊へと向けられるだろう。 異形よりの砲撃と、数百機の機動兵器群からの一斉射撃。 その悪夢の様な事態を回避する為には、一刻も早く機動兵器群を排除するか、ゆりかごの異形を攻撃隊の独力で撃破する必要があった。 「高町一尉、ちょっと良いッスか」 「何、ウェンディ?」 バックアップのウェンディから掛けられた声に、なのはは視線を機動兵器群より逸らさないままに答える。 ウェンディはランディングボードに乗りなのはの横へと移動すると、再び射撃体勢を取り言葉を繋げた。 「ゆりかごを見るッス。あの前半部分、今は緊急用の補助ブースターで姿勢を制御してるッスよね?」 「・・・そうだね」 ウェンディの言葉通り、異形を内包したゆりかご前部は、艦体各所のブースターにより姿勢を制御し、その断面を攻撃隊へと向けている。 その事実を確認し、なのはは続く言葉を待った。 「で、ゆりかごの武装はその運用理念上、艦体後方と下方が死角になってるッス。つまり、あのブースターでやっと動いてるポンコツの下に回り込めれば・・・」 「外殻を破壊して、後方から目標を襲撃できる・・・!」 思わぬところから齎された妙案に、なのはは僅かに興奮した声を零す。 ウェンディの言葉通り、ゆりかご下方からの艦体越しの攻撃は、現状で採り得る最良の手段に思えた。 もし、カイゼル・ファルベによって砲撃が掻き消されようと、ゆりかご自体に打撃を与える事は無駄にはならない。 上手くいけば、艦内からあの異形に対する、何らかのエネルギー供給を絶つ事も可能かもしれないのだ。 「ウェンディ、何処からそんな策を?」 「えへへ・・・伊達に更生施設で戦術を勉強してた訳じゃないッスよ!」 「成程・・・!」 言葉を交わしつつも、機動兵器群へと砲撃を叩き込む2人。 ある程度、機動兵器の数を減らす事で道を作り、あわよくばR戦闘機をもゆりかご艦体への攻撃へと誘導しようと考えたのだ。 更に、2人は攻撃隊へと念話を送り、作戦の内容を伝える。 『こちら高町。皆、少しで良いから目標の注意を引き付けて! 私とウェンディはゆりかご下方へと回り込んでの攻撃を行います!』 『チンク姉、負傷した人達を頼むッス! アタシはちょっくらデカブツに嫌がらせをしてくるッス! 行くッスよ、一尉!』 全方位への念話を発し、返答を受け取るや否や、2人はゆりかごへと突撃を開始した。 2人の目前へと迫る弾幕の悉くが、後方より飛来した高速直射弾と数条の砲撃魔法によって消滅する。 異形もまた2人の思惑を察知したのか、ゆりかご各所よりバーニアの噴射炎を煌かせ、何とか死角を補おうと巨大な艦体を振り回し始めた。 しかしそれでも、メインエンジンを内蔵する艦体後部を失った巨大艦艇が、機動力に優れた空戦魔導師の追撃を振り切れる筈もなく。 弾幕を潜り抜けた2人は、数分と掛からずにゆりかご下方へと滑り込む事に成功した。 なのはは艦体へと向き直りレイジングハートを構え、ウェンディは彼女をバックアップすべくランディングボードを手に周囲を警戒する。 「敵影なし! それじゃ一尉、ゆりかごの姿勢が変わる前にブチ抜くッスよ!」 「分かってる!」 ゆりかご艦底と平行に身体を浮かべ、なのははレイジングハートを振り被った。 彼女の正面、そしてブラスタービットへと桜色の光が集束を始め、周囲を眩く染め上げる。 膨れ上がる5つの光球。 「スターライト・・・」 その1つ、一際巨大な光球へと、レイジングハートの先端が突き付けられる。 眼前では、ゆりかごが艦体を側転させ回避行動を開始していたが、もう遅い。 爆炎と射撃・砲撃魔法の光に照らし出される濃紺青の艦体を見据え、なのはは幾度目かのトリガーボイスを紡いだ。 「ブレイカー!」 爆発。 そう形容するのが相応しいまでの閃光、そして轟音の炸裂と共に、5条の砲撃が1つの巨大な奔流と化してゆりかごへと襲い掛かった。 それは一瞬にして艦体外殻を貫き、内部構造物を根こそぎに破壊しつつ異形へと向かう。 そしてなのはは、更なるトリガーボイスを発した。 「ブレイク・・・シュート!」 瞬間、砲撃の出力が増大し、更に大規模な破壊がゆりかごへと齎される。 内部構造を呑み込みつつ膨れ上がる砲撃は遂に異形の背面へと到達し、その鋼色の装甲を打ち破らんと魔力の牙を突き立てた。 レイジングハートを介してその様を捉えたなのはは、カイゼル・ファルベの発生が一瞬ながら遅れた事を確認する。 勝機が、見えた。 ヴィヴィオの時には確認する余地など無かったが、あれの発動には何らかの認識が必要であるらしい。 否、自動防衛機構ではあるのだろうが、それでも魔法である以上、対象を術者が認識しているか否かによって、発動までのタイムラグが大幅に異なるのだ。 あの異形の認識能力が人間と同様のものか否かは判然としないが、少なくとも不意を突かれれば認識に遅れが出る事はあるらしい。 ならば、採れる手段はひとつ。 異形の前後より挟撃を仕掛け、カイゼル・ファルベを打ち破るのだ。 こちらは、直接的に異形を狙う必要はない。 異形の背面より伸びる、無数のケーブル及びパイプ。 この角度より観察して気付いたが、それらはゆりかごの艦内、その深部にまで張り巡らされているようだ。 即ちそれらは、あの異形の活動維持に、何らかの形で密接に関わっていると推測できる。 その推測が正しければ、異形は艦体への被害拡大を無視できる筈がない。 しかし、如何にカイゼル・ファルベといえど、異形とゆりかご艦体の双方を同時に防御する事は難しいだろう。 必ず、いずれかの防御に綻びが生じる筈だ。 その瞬間こそが、勝機。 『こちら高町、奇襲成功! 目標に攻撃を集中して!』 『了解した!』 念話を終えるや否やゆりかご断裂面の方角にて、凄まじい魔力と爆炎の光が炸裂し、轟音が響き渡る。 それを確認し、なのはとウンディは再びゆりかごへと向き直り、各々の得物を構えた。 狙うは異形の背面、そして其処より伸びる無数のケーブルを呑み込む艦内構造物。 機動兵器群は未だにR戦闘機を追撃している為か、周囲にその姿は見当たらない。 2人は集束を開始し、照準を合わせる。 「骨董品はそろそろ退場するッスよ・・・!」 「スターライト・・・」 膨れ上がる光球群。 そして遂に、それらが解き放たれようとした、その瞬間。 『危ない!』 攻撃隊からの念話と共に、衝撃と轟音が2人を襲った。 堪らず吹き飛ばされ、悲鳴を上げるなのは、ウェンディ。 「くあッ!?」 「ッ・・・ぅああぁぁぁッ!?」 回転しつつ吹き飛ぶ身体の制御を漸く取り戻した頃、なのははウェンディと共に再度ゆりかごを視界へと捉えた。 同時に、彼女等は己が目を疑う。 「なん・・・スか? これ・・・」 「何が・・・」 彼女達の眼前に拡がる、常軌を逸した光景。 それは。 「冗談じゃないッスよ・・・!」 メインエンジンを点火し、ゆりかごの「前部」へと衝突した「後部」、そして衝突の反動によって弾き飛ばされる「前部」、双方の巨体だった。 「そんな・・・完全に割れているのに・・・!?」 「・・・こいつ、戦艦のゾンビッスか? 流石にもう笑えないッスよ!」 『一尉、ウェンディ! 無事か!?』 異常な状況に混乱する2人の脳裏へと、チンクからの念話が飛び込む。 焦燥の滲むその思念に対し、2人はほぼ同時に答えを返した。 『チンク姉、無事ッスか!?』 『チンク、そちらの状況は!?』 すぐさま、チンクからの返信が入る。 しかしその思念は、やはり隠し様もない焦燥と混乱とに満ち満ちていた。 『くそ・・・気付くのがもう少し遅ければ全滅していた! 突然、ゆりかご「後部」が突進してきたんだ! 負傷者が4名、衝突面に巻き込まれた! あれでは・・・』 念話が、唐突に途絶える。 同時に周囲へと轟き始める、不気味な炸裂音。 何事か、と周囲を見回す2人の脳裏に、再びチンクからの念話が飛び込んだ。 『聞こえるか・・・一尉、ウェンディ、応答を!』 『チンク、何があったの?』 瞬間、2人の頭上より轟音が響く。 彼女達が反射的に視線を跳ね上げると同時、チンクが状況の更なる悪化を告げた。 『ゆりかご「前部」・・・兵装が稼動を始めた! 全兵装、オンライン!』 その言葉を聞き終える前に、なのはとウェンディは全速力でその場を離脱する。 直後、彼女等が身を置いていた空間を、無数の光弾が貫いた。 「な・・・!」 2人の視線の先、ゆりかご「前部」。 それは、衝突のエネルギーとブースターの推進力を用い、ほぼ垂直に90度回転。 艦首を2人の方向へと向け、艦体上部に配置された魔導兵器及び質量兵器を乱射していた。 辛うじて射角外へと逃れる事に成功した2人であったが、次いで飛び込んだ攻撃隊からの警告に、自身等が未だ危機を脱してはいない事を理解する。 『ゆりかご「後部」、再突撃! 回避!』 2人の視界、その端へと映り込むゆりかご「後部」の巨体。 断裂面を進行方向へと向け、メインエンジンの大出力を以って高速で突撃してくるその艦影を捉えるや否や、2人は死に物狂いで宙を翔け、攻撃隊との合流を目指す。 そして数秒後、巨大な衝突音と衝撃波が、背後より彼女等を襲った。 またも吹き飛ばされる2人。 それでも体勢を立て直し飛翔し続けた結果、彼女等は数十秒後に攻撃隊生存者との合流を果たす事ができた。 数を減らした負傷者と戦闘継続可能な隊員達は皆が皆、蒼白な面持ちで2人を迎える。 彼等は2人が無事に帰還した事に対する喜びを口にするでもなく、ただ沈黙のままにその背後を見据えていた。 なのは、そしてウェンディもまた、自身の背後で起こっている事態を突如として轟いた爆音から察し、戦慄をその表情へと浮かべつつ後方へと振り返る。 「・・・次は、何?」 爆発。 なのはの視線の先、攻撃隊の目前で、「前部」と接触した「後部」上方が内部より爆発し、その構造物の大部分を吹き飛ばしていた。 無数の破片が攻撃隊を襲い、しかし片端から射撃魔法により迎撃されてゆく。 漸く破片の飛来が収まった頃、ゆりかご「後部」は劇的なまでにその姿を変えていた。 「あれは・・・?」 「・・・何のつもりだ、化け物が」 上部構造物の殆どが消滅し、内部へと大きく陥没した異様な全貌を曝す「後部」。 その巨体の影から、メインエンジンの青白い光とは異なる、真紅の光が漏れ出している。 徐々に光度を増すそれは、やがて同色の光弾による周囲への無差別攻撃を開始した。 その光弾の数、もはや人間の認識が及ぶものではない。 壁としか云い様のない密度を以って放たれる弾幕は、R戦闘機を追う機動兵器群、衝突により離れ行く「前部」、果ては光弾を放つそれを搭載する「後部」自体をも破壊しつつ、あらゆるものを排除すべく空間を埋め尽くす。 そして、3度「前部」と「後部」が接触し、それらの角度に変化が生じた瞬間。 攻撃隊は、光弾を放ち続けるそれの正体を目の当たりにした。 ほぼ立方体の形を取る、真紅の光を内包した巨大な結晶体。 本来は強固な防御区画に護られていたであろうそれは、今やその全貌を外部へと曝し、外敵は疎か自身を内包する構造物に対してまでも破滅を齎す、完全な殲滅機構と化していた。 古代ベルカの民が生みし、究極の質量兵器「聖王のゆりかご」。 その巨躯へと膨大な量の魔力を供給する心臓、ゆりかごを究極たらしめる力の集束体。 本来ならば決して、敵に対する攻撃手段とはなり得ない、なる筈のない機関。 ゆりかご「駆動炉」。 「自分から心臓部を曝すなんて・・・まともじゃない!」 「まともな戦艦は真っ二つになった時点で轟沈してるさ! あれはもう戦艦ですらない!」 「ゆりかご、発砲!」 攻撃隊員達が口々に罵倒の言葉を叫ぶ中、4度目の接触を起こした「前部」及び「後部」は其々、艦体上部と駆動炉を攻撃隊へと向け、質量兵器と光弾の弾幕を放つ。 轟音と共に空間を貫くそれらを、攻撃隊は各々が出し得る最高の速度を以って飛翔し回避。 しかし「前部」が更に回転し、その断裂面が攻撃隊へと向くや否や、隊員の1人より警告が飛ぶ。 『砲撃、来るぞ!』 攻撃隊の方角から見て、上下真逆となった異形。 その胸部より黄金色の球体が覗き、周囲には虹色の魔力光が吹き荒れている。 直後、散開した攻撃隊の間を突き抜ける様にして、虹色の大規模砲撃が空間を貫いた。 回避行動も空しく、1人が砲撃範囲外への離脱叶わず、光の奔流へと呑み込まれる。 肉体がデバイス諸共に消滅し、砲撃跡には僅かな虹色の魔力残滓のみが残された。 残存攻撃隊員、11名。 「くぅ・・・!」 『駄目だ! 一尉、此処は退こう! このままでは全滅だ!』 隊員からの念話に、なのはは判断を余儀なくされる。 飽くまで戦闘を継続するか、この場を脱し安全圏へと退避するか。 この場に残れば? 恐らくはそう遠からぬ内、高密度の弾幕と砲撃により全滅する事となるだろう。 魔導・質量兵器を満載した「前部」と、暴走する駆動炉を搭載した「後部」、そして「前部」断裂面へと露出した異形。 これらを同時に相手取り、生還する術など想像も付かない。 では、退却を選べば? 先ず、何処へ逃げるというのだ? 周囲の広大な空間には、無数の次元航行艦が漂っている。 上手くいけば、それらを盾に離脱する事ができるかもしれない。 しかし同時に、それらの機能がオンラインにならないとも限らないのだ。 第一に、ゆりかごの攻撃を掻い潜って遠距離へと脱する事、それ自体の成功が疑わしい。 一体、どちらの選択こそが最善なのか? 「どうする、一尉?」 傍らより、チンクが問い掛ける。 すぐには答えず、なのはは視線の先に集束する虹色の光を見据えた。 そして数秒後、遂に彼女は決断する。 「・・・撤退します! 次の砲撃を回避後、後方の次元航行艦へと向かって飛んで! 艦艇を盾に、この空間を離脱します!」 異形の胸部装甲が解放されると同時、攻撃隊はなのはの指示を実行した。 散開し砲撃を回避するや否や、後方へと飛翔を開始。 「AC-47β」より齎される魔力の幾許かを自らのリンカーコアへと供給し、出し得る限りの速度を以って次元航行艦を目指す。 後方からの追撃はない。 このまま離脱できるか。 『振り返るな、飛べ!』 『行け、行け、行け!』 飛行速度の遅い者、「AC-47β」によって飛行が可能となってからの時間が短い陸士などの3名には、高速飛行可能な者が2人ずつ飛行補助に就く。 結果として時速200kmを超える速度での移動を可能とした攻撃隊であったが、翔けども翔けども目標艦艇へと辿り着けない。 実際にはかなりの速度で近付いているにも拘らず、既に数十分も飛翔している様な感覚に襲われるなのは。 しかも2つに割れているとはいえ、其々の全長が優に3kmを超えるゆりかごである。 その巨体から見れば、時速200kmばかりの速度で飛翔する魔導師の一団など、地を這う蟻に等しいだろう。 それでも漸く、目標艦艇まで数kmの位置にまで接近する事に成功した、その時。 『A dimension quake is detected! Evade!』 レイジングハートが警告を発すると同時、目標艦艇が爆発した。 「・・・ッ!」 襲い掛かる衝撃波と炎熱に、なのはは満足に悲鳴を上げる事もできずに吹き飛ばされる。 やや後方を飛んでいたウェンディと隊員の1人が彼女を受け止めたものの、3人はそのまま制御を失い数百mに亘って無重力空間を舞った。 暫しの後に漸く体勢を立て直し、衝撃に霞む視界もそのままに目標艦艇を探すものの、その艦影は忽然と消え失せている。 奇妙な事に、十数秒前に視界を埋め尽くしていた筈の爆炎も艦艇の破片も、その一切が消失し、無だけが空間を支配していた。 其処で漸く、なのはは目標艦艇爆発の直前に発せられた、レイジングハートからの警告へと思い至る。 「次元・・・震・・・?」 背後へと振り返るなのは。 ゆりかご「前部」は、ゆっくりと垂直方向へ回転している。 「後部」は艦底をこちらへと向けたまま、特に動きはない。 しかし数秒後、その陰より禍々しい真紅の光が漏れ出す。 光は際限なく膨れ上がり、やがてゆりかごの2つに割れた艦影すらをも呑み込まんとした頃。 「前部」艦首が閃光を発し、同時に周囲の艦艇が次々に爆発、四散した。 「な・・・!」 驚愕と共にその光景を見つめるなのは、そして攻撃隊員。 彼等の視線の先では爆発した艦艇群の破片と爆炎が、視認すら可能なまでに具現化した空間歪曲へと呑み込まれ、消滅してゆく。 何が起きているのか、それを理解したなのはの隣で、チンクがその思考を代弁した。 「次元跳躍攻撃・・・こんな至近距離で・・・!」 呆然と周囲を見やる間にも、次元震は続々と周囲の艦艇群を破壊してゆく。 ひとつの次元震が収束するや否や、新たな次元震が発生。 既に周囲の空間は、常時40を超える数の次元震が絶えず発生し続け、汚染艦艇群すら無差別に消滅してゆく危険空域と化していた。 次元震発生の間隔は衰える事なく、そればかりか徐々に時間を短縮すらしている。 これが、これこそが。 古代ベルカが生みし、禁断の質量兵器。 「聖王のゆりかご」が秘めし真の力、「戦船」の真の姿か。 「危ない!」 意識すら引き裂かれんばかりの異音。 脳髄を揺さ振る高音は、至近距離にて空間歪曲が発生した事を示す。 辛うじて影響範囲からは外れていたらしいが、攻撃隊員は一様に肝を冷やした。 即座に隊員の1人が、数分前に発せられたなのはのそれとは相反する指示を飛ばす。 『戻れ! ゆりかごから距離を離すと危ない! 次元跳躍攻撃の最小射程より内に入るんだ!』 反論の声はなかった。 このままゆりかごより距離を取り続ければ、次元跳躍攻撃の最小射程内へと到達してしまう。 先程とは反対に、攻撃隊は必死にゆりかごへと追い付くべく宙を翔けた。 しかし。 「・・・ッ! こっちの思惑はお見通しか・・・!」 『畜生、離されるな! これ以上距離を取られたら死ぬぞ!』 そんな彼等の行動は予測済みであったのか、ゆりかごは「前部」及び「後部」共に、其々メインエンジンと補助ブースターにより、攻撃隊とは反対の方向へと加速を始めたのだ。 双方の距離は縮まる事なく、それどころか攻撃隊は徐々にゆりかごから引き離されてゆく。 『速い・・・!』 『後方、次元震接近! 影響範囲到達まで70秒!』 隊員からの念話に後方を見やれば、その言葉通り次元震が徐々に接近してきているではないか。 虚数空間より零れ出す異様な光と、歪んだ空間場景が迫り来る様に、なのはは脊椎を氷の手によって掴まれたかの様な錯覚を起こす。 同様に後方を振り返っていたウェンディが表情を青褪めさせ、なのはと共にチンクの身体へと回していた腕により一層の力を込めると、更にランディングボードの速度を上げた。 同じくチンクの飛行補助に付いているなのはもまた速度を上げ、攻撃隊はゆりかごから距離を取る際、それ以上の速度を以って濃紺青の艦体を目指す。 だが、間に合わない。 次元震が迫る。 悲鳴。 微かに漂っていた艦艇の破片が、空間歪曲に飲み込まれる。 その距離、後方僅か300m。 更に速度を上げる。 しかし、ゆりかごもまた加速。 背後より迫る次元震の接近速度が、更に跳ね上がる。 影響範囲到達まで200m。 ゆりかご「前部」より光学兵器、「後部」駆動炉より光弾、飛来。 簡易砲撃魔法、5発。 弾雨の壁を貫き、攻撃隊の道を切り開く。 影響範囲到達まで100m。 「前部」及び「後部」衝突、「前部」断裂面が攻撃隊へと向く。 2秒後、砲撃。 攻撃隊、散開によりこれを回避するも、飛翔速度は大幅に低下。 影響範囲到達まで50m。 「駄目・・・!」 これ以上の加速は不可能だ。 迫り来る空間歪曲を振り返りつつ、なのはは自身の胸中を絶望が覆い始めた事を自覚する。 最早、打つ手はない。 見れば、ウェンディやチンク、他の隊員も同様の認識らしく、恐怖と諦観の入り混じった表情を浮かべていた。 そうして遂に、万物を虚数空間へと誘う奈落の穴が、魔導師達を捉えんとした、その時。 レイジングハートが三度、警告を発した。 次元震の接近とは異なる、異常な警告。 『Warning! A high energy reaction is detected! It distinguished from the nuclear fusion reaction!』 瞬間、ゆりかごの更に前方、闇に閉ざされた空間にて、轟音と共に光が爆発する。 脳髄による精確な理解が全くできない、異常な音。 次元跳躍攻撃のそれとも異なる、人間の意識には決して解析できない異音。 しかし、唯ひとつ。 唯ひとつだけ、理解できる事がある。 あれは「破滅」の音だ。 「破滅」そのものが放つ、魂それ自体をも侮辱し破壊する、虚無の音だ。 あれの発生源に近付く事は、それ即ち存在の「消滅」を意味する。 青白い雷光と爆発が、2つに割れたゆりかごを単なる漆黒のシルエットと化した。 余りにも巨大な青き爆発は、周囲に残る艦艇を次々に呑み込み、その悉くを消滅させてゆく。 爆発はひとつではなく、広範囲に亘り連鎖的に発生しているらしい。 約4秒間に亘り続いたそれは、発生時と同じく唐突に収束した。 「な・・・今のは・・・!?」 「核融合・・・ですって・・・?」 呆然と呟くなのは、そして隊員。 彼等の視線の先では、ゆりかごがその艦体各所より爆炎を噴き上げ、質量兵器と光弾の弾幕を周囲へと展開しつつ急激な戦闘機動を開始している。 「前部」及び「後部」が互いに接触を繰り返しつつ、何かから逃れようとするかの様にあらぬ方向へと進路を変更。 気付けば、攻撃隊へと迫っていた次元跳躍攻撃までもが、何時の間にか完全に停止していた。 そして、その殲滅行為を為した存在は、レイジングハートからの4度目の警告と共に姿を現す。 『Annihilation that all reactions of Mobile Arms disappear』 「殲滅された!? あの機動兵器群が!?」 「一尉、あれを!」 ゆりかごの向こう、闇の中より現れ出でる、白き影。 過度な進化を遂げた科学技術と、未知なる強大な存在への恐怖から生み出された、狂気の翼。 鈍いオレンジの光を放つ球状兵装を機首へと接続し、高速にて割れた艦体へと突撃する、忌まわしき質量兵器。 「R・・・戦闘機!」 攻撃隊が行動を起こすより遥かに早く、R戦闘機はゆりかご「前部」へと肉薄、フォースより十数発の弾頭を発射する。 それらはゆりかご外殻へと接触すると同時、炸裂する無数のエネルギー爆発と化して上部14箇所の砲門を破壊し尽くした。 速度を緩めぬまま外殻に沿って飛び続け、断裂面へと至るやミサイル2発を同時発射。 発射直後に急激な方向転換を行ったミサイルは、そのまま断裂面に佇む異形の頭部へと着弾。 僅かに残った装甲が跡形もなく吹き飛び、膨大な量の赤い血が噴き出すと同時、異形の絶叫が空間へと響き渡る。 更にR戦闘機はフォースを射出、「後部」駆動炉へと直撃させた。 フォースは駆動炉へと激しく衝突、その強固な結晶体へと罅を刻む。 直後、フォースと駆動炉の双方から、凄まじい弾幕が放たれ始めた。 零距離より駆動炉へと猛烈な連射を叩き込むフォース、抗うかの様に真紅の弾幕を以ってフォースを呑み込まんとする駆動炉。 一切の防御行動が存在しない熾烈な衝突はしかし、フォースが赤い光を放った事で唐突に終わりを告げる。 急激な機動で駆動炉より離れ、「後部」の周囲を旋回するR戦闘機の許へと飛翔するフォース。 先程とは異なり赤い光を纏ったそれには、損傷らしき損傷を負った形跡すら無い。 対照的に駆動炉は、結晶体の表面へと無数の罅を走らせ、内部よりガス状の高圧縮魔力を漏出させていた。 「一尉、好機だ!」 呆然と、R戦闘機とゆりかごの交戦を見やっていたなのはは、横合いより掛けられたチンクの声に我へと返る。 見れば、彼女とウェンディ、そして攻撃隊員の殆どがデバイスを構え、攻撃の体勢へと入っているではないか。 なのはは瞬時に彼等の言いたい事を理解し、レイジングハートを構えると同時に宣言する。 「・・・総員、突撃!」 その言葉が放たれると同時、魔導師達は雷管に撃鉄を打ち込まれた弾丸の如く、弾かれた様に目標へと向かって飛び出した。 ゆりかごはR戦闘機との交戦に全力を注いでいるのか、接近する攻撃隊への迎撃を行う様子はない。 狙うは「後部」、傷付いた駆動炉。 「構えてッ!」 そして、遂に。 遂に彼等は、真紅の結晶体を射程へと捉えた。 R戦闘機は「前部」と交戦中、当の「前部」は補助ブースターを破壊され、最大の打撃力を有する異形を攻撃隊へと向ける事ができない。 砲撃魔導師が集束砲撃の準備へと入り、他の魔導師が防御体勢へと移行する。 駆動炉は彼等を排除すべく、これまでを超える密度にて弾幕を形成。 重い振動音と共に、空間に赤いカーテンが出現する。 発射弾数が多過ぎるだけでなく発射点との距離が近い為、光弾と光弾の間隙が見えない。 しかし魔導師達は、ほぼ完璧とも云える連携によって強固な防壁を築き、その全てを遮断する事に成功していた。 それでも次々に粉砕されゆく複数の結界を見やりつつ、なのはは集束を終える。 「これで・・・終わらせるッ!」 5名の砲撃魔導師。 なのはの5つを含め、総数18もの魔法陣と魔力集束体が解放の時を待ち望み、その暴発せんばかりの魔力の矛先を駆動炉へと突き付けていた。 やがて、駆動炉より放たれる弾幕を受け止めていた結界が、最後の2つを残して消滅する。 「スターライト・・・」 更に1つが消滅し、駆動炉が更に輝きを増した。 内部にて暴走する魔力に耐え切れないのか、結晶体は徐々に崩壊を始めている。 しかし、このまま自然崩壊を待つつもりなど、攻撃隊には欠片もありはしなかった。 「ブレイカー!」 そして遂に、光は解き放たれる。 ゲインズとの戦闘では放たれる事のなかった、5名の砲撃魔導師による全力での集束砲撃。 弾幕を掻き消し、空間に存在する全てを呑み込みながら結晶体へと直撃する18条の光。 それらは結晶体の罅を突き破り、内部の魔力集束体へと突き立つ。 瞬間、暴力的としか云い様のない圧力が砲撃を押し返し、一瞬ながらなのはを怯ませた。 しかし彼女は、そして4名の砲撃魔導師達は、すぐさまトリガーボイスを紡ぐ。 全ては目前の脅威を打倒する為、古より蘇りし亡霊、憐れなる船を冥府へと葬り去る為。 「ブレイク・・・」 希望の、正義の光は放たれた。 「シュート!」 そして、絶望と憎悪の光もまた、同時に。 「ぎッ・・・ああぁああぁぁぁッ!?」 轟音。 視界を埋め尽くす、虹色の光。 全身を焼く魔力の熱に、なのはは絶叫した。 腕を誰かが掴んでいる様に感じたが、それすらも夢か現か判然としない。 何が起こっているのかは理解できないが、やがて回復した視界へと映り込んだものが何かは、辛うじて認識できた。 駆動炉を含め、構造物の殆どが消滅したゆりかご「後部」。 そして直上よりそれを見下ろす「異形」。 巨大な赤と碧のオッドアイが、冷然となのはを見下ろしていた。 そして彼女は、意識が完全に覚醒すると同時に、更なる絶望を目撃する。 それは、異形の全貌。 安穏なる「ゆりかご」より完全に剥離したそれは、常軌を逸した狂気そのものの造形を現していた。 四肢が存在しないと思われたそれは、胴部と同色の装甲に覆われた左右一対の巨大な腕部、そして節足動物を思わせる無数の体節と腹脚を併せ持った下半身を備え、轟然と無重力空間を漂っている。 下半身の全長は70mにも達するだろうか。 腹脚の数は最早数え切れず、それらが忙しなく蠢いては体節を上下左右へと揺らしている。 そして、それら体節の間隙より、血液の飛沫が噴き出すと同時。 解放と真の生誕に、異形は歓喜と怨嗟の咆哮を上げた。 未完の悪夢が、9年の時を経て蘇る。