約 1,243 件
https://w.atwiki.jp/forest_road/pages/158.html
標識と周辺の写真 奥武蔵1号線の標識 奥武蔵1号線の様子 奈田良線より県道172号線と奥武蔵1号線の分岐地点 ルート #alpslab_route 林道の説明 主要地方道11号線の定峰峠から奈田良線を通り、白石峠から刈場坂峠の間を走る舗装された林道で、奥武蔵グリーンラインと呼ばれる外秩父の稜線上を走る林道群の一部です。 奥武蔵1号線と接続する林道として、奈田良線、定峰線、大野峠線、丸山線、奥武蔵支線、刈場坂線があります。 (2008 01/14/) 関連する林道 ときがわ町 丸山線、奥武蔵支線 刈場坂線 埼玉県 大野峠線 奈田良線 奥武蔵1号線 奥武蔵2号線 奥武蔵グリーンライン 定峰線 横瀬町 舗装林道 コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/forest_road/pages/168.html
標識と周辺の写真 梅本線の標識 梅本線の様子 奥武蔵2号線と梅本線の分岐地点 梅本線の起点標識 梅本線の起点付近の様子 ダート地点 ルート 林道の説明 越生町にある曹洞宗の関東三大寺筆頭の龍穏寺付近より、梅本地区を経て奥武蔵2号線に至る林道で、外秩父の稜線上を走る奥武蔵グリーンラインに接続する林道群の一つです。 支線として林道梅本支線があります。 (2008 01/14/) 2008 03/11追記 起点付近と途中の写真を追加しました。 龍穏寺を過ぎ薄暗い杉林の中を登り、左の沢に右の沢が合流する地点に起点標識があります。 関連する林道 ダート 埼玉県 奥武蔵2号線 奥武蔵グリーンライン 完抜 梅本支線 梅本線 舗装林道 越生町 飯能市 コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/wangel/pages/424.html
参加メンバー:L岡田稚彦 SL進藤大聖 M池田桃、坂平仁美 OS石切山幹 幕営地 :奥多摩小屋 メインピーク: 雲取山(2017m) 天候 :晴れ 危険個所 :七ッ石小屋から先の道が狭くすれ違う際注意が必要 留意事項 :テン場は稜線上にあるため風の強い日はテントが飛ばされる恐れがあり注意 テン場から水場までは少し距離がある (徒歩5分ほど) ゴールデンウイーク中は登山客が多いので到着が遅いと場所の確保が難しくなる 使用した交通機関:JR中央線 実際のコースタイム: 行き【4 30】 帰り【4 30】 記載した医療機関: ①奥多摩町国民健康保険奥多摩病院 ②川辺医院 登山届けを出した場所:奥多摩駅 感想 : 今回の山行は楽しみながらも読図や天気図の練習もでき、とても有意義な山行となった。 今回見つかった改善点を修正して今後の山行に繋げていきたい 報告者 :進藤大聖 岡田稚彦
https://w.atwiki.jp/ova-v/pages/347.html
意識に厚い靄が掛かっていた。 耳鳴りが酷く、三半規管は洗濯機に放り込まれてもみくちゃにされた後みたいに狂い、全身が鈍痛を訴え、自分がどんな状態にあるのさえ分からない。 至近弾を受けたせいだと、ムーシェは数十秒にも数分にも数時間にも感じられる、無限にまで引き延ばされた時間の中、ぼんやりと思った。砲弾が炸裂した際に生じる爆圧や爆風などが、人間の感覚器官を狂わせているのだ。 しばらくすると、ムーシェは自分がうつぶせに横たわっていることに気づいた。それから、ゆっくりと手足を動かし、五体満足の状態であることを確認し、腰のベルトに下げているナイフシースとホルスターの中味に触れる。 愛用の45口径半自動拳銃『ガヴァメント』は、カイデックス製のオープントップ型ホルスターに挟み込まれていた。ステンレスブレードのマチェットナイフは、片刃の剣でも収納できそうな合成繊維製ナイフシースにすっぽりと収まっている。 オーライ、良い子だ。それでこそ俺の相棒ってもんだと、ムーシェは砂だらけの口元を引きつらせた。何故なら同時に、もしかしたら、お前らが俺の末路に華を添えることになるかもしれないがと、そう思っていたからだ。 「く、そが……」 悪態をつき、頭に張り付いているデザートパターンのジャングルハットを放り投げ、棒きれみたいになった両腕に力を込めてなんとか起き上がる。 まるで生まれたばかりの小鹿みたいだと、ムーシェは揺れる視界の中で思った。脳の命令を聞かない足にいら立ちながら、必死になって両足を踏ん張って直立し、首元を覆うシュマグをうっとおしそうに引き千切る。 乾き切った砂漠の風が露出した肌を撫で上げる。それはまるで、これから味わうことになる血みどろの報復と対になっているかのようだ。肌に突き刺さる砂の粒子は、砂漠を戦場にしたことに対する自然の抗議だろうか? なんにせよ、俺の勘は当たっちまった。俺はやはり、任務に私情を挟むと必ず手酷く失敗する性質らしい。 「……いや、今回は、まだ良いか。ただ、俺が死ぬだけだ」 諦め切った顔で、ムーシェは曇天を見上げ、ふうと息を吐き出す。 そうだ。ただ、俺が死ぬだけなんだ。この前みたいに、また大事なものを亡くすわけじゃない―――。 「―――ディナ。俺も、そっちに行く」 自分と同じ、旧約聖書の女性の名を持つ妹にぽつりと呟くと、ムーシェは数カ月振りに声を上げて笑った。 もう、どうしようもない。きっと、苦しい最期になるだろう。骨は尽く粉々になり、肉は抉られ、目は潰され耳は突き刺され、流れ出した血は砂を潤すだろう。 だがそれでも、その先に穏やかな日常が、まだ待っていてくれると言うのなら、耐えられる。家族の温もりを、あの声を、何気ない団欒を、もう一度送ることができると言うのなら。 もしそうでなければ、神などいないと地獄で叫ぼう。死後も続く理不尽に、身も心も焼かれ続けながら、呪詛を唱え続けよう。 孤独な男の寂しげな笑いは、酷く一瞬で終わった。 笑った後、ムーシェはホルスターからガヴァメントを引き抜いた。その表情には、諦めなどという軟弱な言葉は見出せない。 すべての責任は行動を起こした自分にある。それを始めから認識しているなら、焦燥に駆られ、過ちをもみ消そうとはしないだろう。 その最後がたとえ自らの死であったとしても、甘んじて受け入れなければならない。行動を起こすと言うことは、即ちそのようなことなのだから。 「さぁ、やってやろうじゃないか」 誰に向けたものでもない台詞を吐き、最期の抵抗とはよく言ったものだと思いつつ、ムーシェはエンジン音が砂丘の向こう側から迫ってくるのを聞き、膝を下ろして両手でガヴァメントを構えた。 艶消しの黒一色に塗装されたガヴァメントは、自走式対空砲に吹き飛ばされた狙撃銃と同じく、ムーシェの良き相棒であり、ムーシェを死神へと変貌させる小さな凶器だ。装填された弾丸直径11.5㎜のホローポイント弾は、いつも彼に味方する。 組み込まれたパーツはムーシェが自費で購入したもので、官給品ではない。軽量化された撃鉄は引き金を引いてから発砲までのタイムラグを縮め、手に吸い付くようなラバーグリップは銃の制御を容易にする。 ホワイトダットが塗装されたノバックリアサイトは照準し易く、集光ファイバーを埋め込んだフロントサイトはどんな状況であっても視界に入り込んでくれる。緻密な作業を得意とする職人が作り出した各種内部パーツは、スムーズかつ完璧な動作を保証していた。 これこそ、プロフェッショナルが持つ銃だ。繊細な作業工程を経て生み出された部品は、堅牢な作動機構と剛性に富んだフレームの一部となり、それらは強力な45口径の弾丸を放つためだけに存在している。その銃が今、ムーシェの手に握られている。銃こそが、彼の強みであり、最強の守護天使と言えた。 「……エル、すまん。帰れそうにない」 生きて帰ればそこにあっただろう日常を夢見ながら、ムーシェはぽつりと呟き、突撃銃を抱えて稜線を越えて出てきた痩せっぽっちの無法者にフロントサイトをぴたりと合わせると、滑らかに引金を引き絞った。 ガヴァメントの咆哮と共に無法者の意識は脳髄より解き放たれ、砂上に空しくぶち撒けられる。続いてやって来た男にも照準を合わせて引金を引き、反動を制御しながら次の標的を探す。引金を引き、銃口から飛び出す45口径HP弾は、アドレナリンで痛みが分からなかろうが、躊躇うことなく人体を引き千切った。 手早く三人を地獄送りにした後、ムーシェは叫び声をあげながら砂丘を跳ぶように駆け下りてくる男に照準を合わせ、火薬と鉛の鉄槌を下し、男の死体と一緒に転げ落ちてきたAK突撃銃を足元に引き寄せる。 続いて稜線上で散弾銃を構えていた男を小気味よく二連射で撃ち倒し、素早くマガジンを排出して、腰の予備マガジンを装填。下卑た笑顔を張りつかせた黒人の男に照準を向けようとし―――ガヴァメントを支えていた左腕が弾き飛ばされる。 火で熱した鉄の棒を無理矢理捻じ込まれたような激痛と、アドレナリンの過剰分泌で神経が鈍る感覚が一緒くたになって脳を直撃し、混乱した命令系統は最善の選択からどんどん遠ざかっていく。 右手がしかと握っていたガヴァメントで黒人の頭を吹き飛ばし、両膝を地面から放して稜線を駆けのぼる。 自走式対空砲のエンジン音に近づいていくのは、自殺行為でしかなかったが、四連装二十三ミリ対空砲から逃れるにはそれしかない。 砂丘を回り込んだピックアップが背後で急停車する気配を感じながら、ムーシェは稜線を今まさに越えようとしていた十代半ば程の子供を、反射的に撃ち殺した。 隣で子供を元気づけていたそばかす顔の白人は、一瞬目を白黒させたが、すぐに抱えていた短機関銃の銃口を上げてムーシェに狙いをつけ、引金を引こうとした。 だが、一瞬だけでも唖然としたのが命取りだった。すでに銃口は白人の額に照準されており、引き金は撃鉄のロックを解除し、撃針が雷管を叩き終え、銃口から弾丸が飛び出ていた。 「ぅげ」 踏み潰された蜥蜴のような声を上げ、頭を大きく仰け反らせて砂上に倒れた白人に見向きもせず、ムーシェは駆けだす。 自走式対空砲の近くで片手に突撃銃をぶら下げていた馬鹿ども四人は、やっと突撃銃を構えはじめたばかりで、発砲まで数秒程かかるに違いなかった。 その数秒で対空砲が狙いをつけませんようにと、ムーシェは願い、随伴歩兵の真似事をしていた馬鹿者にガヴァメントを撃ちまくりながら、敵中に突貫する。 「ひ、ひぃっ!?」 拳銃一丁で突っ込んでくる気の触れた男に戦慄し、一人は逃げ出し、あとの三人は目を見開きながら突撃銃のストックを肩にあてて、引金を引こうとしていた。 しかし、動作の一つ一つが遅すぎる。スライドを後退させたまま物言わぬ鉄となったガヴァメントに別れを告げ、ムーシェは腰からマチェットナイフを引き抜くと、体当たりでもするかのように、三人の内の一人に斬りかかる。 無意識のうちに上げていた獣のような雄叫びに、精神的な支柱を崩された男は顔面の神経を引きつらせ、ジーザスという男の名前を呟いて突撃銃から手を放した。 自走式対空砲は誤射を恐れて発砲できず、ただただ砲塔を左右に振るだけで何もできない。やってやったと、ムーシェがマチェットを振りかぶった時だった。 突如、ムーシェは背後から突き飛ばされたかのような衝撃を右肩に受けた。前のめりになって下降していたムーシェはバランスを崩し、勢いよく砂に顔面を突っ込んで、もくちゃにされながら砂丘を転げ落ちていく。 ようやく身体が自由になると、ムーシェは右肩から生暖かい液体が漏れ出しているのに気付き、右手が満足に動かせないことを知り、唖然とした。右肩は血で赤く染まり、骨が砕けたのか、白いものがちらりと見える。 両腕が使い物にならなくなり、もはや自決することも叶わず、ムーシェは呆然と顔を上げ、稜線の上に立つ男を見た。 無精髭を生やして、政府軍官給コートを羽織った痩せた男。顔立ちは老けきっており、年齢は人生の転換期に差し掛かる四十代半ばだろうか。 男は、片手に艶消し黒色に塗装された大型の拳銃を持ち、何者の指図も受けるものかと言う雰囲気を滲み出している。それはまるで、指導者のような立ち姿だ。 奴をどうして最初に殺さなかったんだと、ムーシェは自分を責めた。奴を殺せば、俺は銃殺で済んだ筈なのに。 そして案の定、ムーシェを銃殺したがっている男たちの足元に拳銃を撃ち放ち、その男は堂々と宣言した。 「奴を殺すな。殺した分だけ、罪を償ってもらう」 何が罪だ、畜生、さっさと殺しやがれと、ムーシェは思い、両足を踏ん張って立ち上がり、叫び声をあげてやろうと口を開く。 しかし、ムーシェが叫ぶことはできなかった。男の声に感化された無法者どもがムーシェに向って走り、まるで棍棒のような使い方をして突撃銃のストックを腹部に叩き込んだからだ。 込み上げてくる激痛と胃液に、疲弊した神経と意識は耐えられず、一人の女の為にけじめをつけようとした馬鹿な男は、力なく砂上に倒れ伏した。 NEXT 投稿者:狛犬エルス 登録タグ:狛犬エルス
https://w.atwiki.jp/hazama/pages/573.html
【 ←前回 / 次回→ 】 タグ 編集/ クリックするとキャンペーン関連記事を一覧表示します 20011020 20020209 20020420 20020622 20020907 20021019 20021207 20030215 20030405 20030517 20030621 20030719 20031025 20031220 20040327 20040529 20040717 20040821 20041113 20050129 20050402 20050730 20050910 20051119 20051217 キャラクターズ マスターメモ 第10話:龍龍 セクソスの街から闇にまぎれて逃亡。 ロープース宅はトロウルに襲撃された模様。大八車を徴発。 夜中、ザーカストが左腕に痛みを訴えて飛び起きる。「サリンディーネが!」 ゲラーフとキートンが先行。夜明けに山のふもとに着きキャンプ地へ。全員姿が見えない。 逃亡した後を追い、トロウル1体を道連れに崖から落ちたジャロミウスの遺体を発見。 後発部隊到着。稜線を回り込むような形で追跡をすると、リュナロンと遭遇。 ふもとに見張りに残ったカル、ルナーの追っ手2人と遭遇。ひとりは死んだはずのバルミーリアであった。 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/113.html
Template Battlebox? 張鼓峰事件(ちょうこほうじけん)は1938年(昭和13年、康徳5年)の7月29日から8月11日にかけて、満州国東南端の張鼓峰で発生したソ連との国境紛争。ソ連側は、これをハサン湖事件(ハーサン湖事件)と呼んだ。 背景 張鼓峰は満州領が朝鮮とソ連領の間に食い込んだ部分にある標高150メートルの丘陵であり、西方には豆満江が南流している。当時ソ連は国境線は張鼓峰頂上を通過していると考え、日本側は張鼓峰頂上一帯は満洲領であるとの見解であった。いずれにしても、この方面の防衛を担当していた朝鮮軍第19師団は国境不確定地帯として張鼓峰頂上に兵力を配置していなかった。 戦闘の経過 1938年7月、張鼓峰頂上にソ連兵が進軍し、兵力は次第に増強された。朝鮮軍第19師団がこれを撃退したところ、8月6日になってソ連軍大部隊は張鼓峰頂上付近に総攻撃を開始した。その北方の沙草峰でもソ連軍が攻勢を仕掛け、両高地をめぐって激しい争奪戦が展開された。ソ連軍がこの時期に大攻勢に出た背景は色々と取り沙汰されてはいるが、はっきりした結論は得られていない。以下に戦闘の経緯を詳述する。 7月12日、ソ連軍は張鼓峰に侵入、占領し、峰一帯に陣地を構築し、13日、これを監視中の松島伍長を不法に殺害した。日本政府は15日、西代理大使を通してソ連政府に至急撤兵を要求し、満洲国も14日に同様の抗議をおこなった。しかしソ連側は、現地はソ連領であるとして譲らず、外交交渉は物別れに終わった。現地では、18日、軍使をもって、煙秋警備司令官に撤兵を要求したが、なんら回答はなかった。ソ連軍は29日、峰北方の沙草峰にも越境し、陣地を構築しようとして日本守備隊に撃退された。30日夜半から31日にかけて、張鼓峰および沙草峰付近に大挙してソ連軍が来襲してきたが、これに対して日本側守備隊は反撃を加え被占領地を奪回して満洲国領土を回復した。しかし、ソ連側はさらに兵力を増強し、執拗に侵攻を企て、朝鮮の古城、甑山などを砲撃した。さらに8月1日からは航空隊も出動し、日本側の第一線に爆撃を行い、さらに編隊を組んで朝鮮の洪儀、慶興、甑山、古城などを爆撃した。これに対して、日本側はソ連軍の猛攻に損害を受けつつも奮戦し、なんとか国境線を確保した。結果的にはソ連軍も大きな損害を被ることとなった。 重光葵、マクシム・リトヴィノフ両氏の会談によって8月11日になってモスクワで停戦が合意された。その結果、第19師団が両高地頂上を死守していた状態での停戦が決まった。 停戦 停戦合意における協定は次の通りである。 ソ連沿海州時間11日正午、双方戦闘行為を中止する 日ソ両軍は、ソ連沿海州時間11日午前零時現在の線を維持する 実行方法は現地における双方軍隊代表者間において協議する。 現地では、11日午後8時ごろ、日本軍代表長勇大佐がソ連極東軍参謀長シュテルン大将と張鼓峰方面のソ連軍陣地内において会見し、停戦が実現した。翌12日の午後9時30分、文書をもって次のような現地協定覚書を交換した。 張鼓峰稜線北部における現状につき、さしあたり両国政府に報告すること。 日ソ両軍指揮官は、軍事行動停止に関し、両国政府の決定により、今後張鼓峰付近においてはいかなる事件も発せざるため、万全の処置を取ることを保証す。 1938年8月12日午後8時より、日ソ両軍は張鼓峰稜線北部において、日ソ両軍主力を稜線より80m以上の線に後退せしむべし。 かくて、現地調査の結果、ソ連軍は日本軍が張鼓峰頂上を確保していることを確認し、協定通り双方部隊の後退を完了した。これをもって戦闘状態は終熄した。 結果と影響 この激しい紛争で日本側は戦死526名、負傷者914名の損害を出した。この事件は、第一次世界大戦の激戦をほとんど経験しなかった日本にとって、日露戦争後では初めての欧米列強との本格的な戦闘であった。日本軍は日露戦争とシベリア出兵の経験から、ロシアの軍隊を過小評価していたが、ノモンハン事件と共に高度に機械化された赤軍の実力を痛感する結果となった。しかし、当時支那事変の真っ只中であった日本陸軍にとっては、貧弱な国民党軍が主敵であったため、あまり積極的に機械化を進めようとしなかった。そのため、後のノモンハン事件、太平洋戦争(大東亜戦争)に於いて、機械化が進んだ欧米列強に苦戦を強いられることとなった。 戦後の戦史研究では、ノモンハン事件と同じく張鼓峰事件も日本側の一方的な大敗であるというのが定説であったが、冷戦終結後になって公開されたソ連側の資料によればソ連軍も戦死792名、負傷者2,752名という日本側を上回る損害を出していたことが明らかになった。これにより、張鼓峰事件が日本の一方的敗北という見方は改められることとなった。 なお、この戦闘に加わった歩兵第75連隊の連隊長はインパール作戦での抗命で知られる佐藤幸徳大佐であった。 外部リンク 満ソ国境紛争1/乾岔子島事件、張鼓峰事件 関連項目 ノモンハン事件 ソ連対日参戦 ヴァシーリー・ブリュヘル 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年9月21日 (日) 03 39。
https://w.atwiki.jp/forest_road/pages/161.html
標識と周辺の写真 猿岩線の標識 猿岩線の様子 奥武蔵2号線と猿岩線の分岐地点 猿岩線の起点標識 猿岩線の起点付近の様子 ルート 林道の説明 主要地方道61号線の黒山温泉付近から黒山三滝を経由し花立松ノ峠に至る舗装された林道で、外秩父の稜線上を走る奥武蔵グリーンラインに接続する林道群の一つです。 (2008 01/14/) 2008 03/11追記 起点標識と起点付近の写真を追加しました。 主要地方道61号線の火の見下バス停付近を曲がり道なりに登って行くと、梅ノ久保集落から来た道が合流する地点に起点標識があります。 関連する林道 埼玉県 奥武蔵2号線 奥武蔵グリーンライン 猿岩線 舗装林道 荒川右岸 越生町 飯能市 コメント 素晴らしい -- (リア) 2009-09-03 14 43 48 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/utauuuta/pages/3287.html
きょくやのぱれーど【登録タグ き メメント・もり蔵 曲 雪歌ユフ】 作詞:メメント・もり蔵 作曲:メメント・もり蔵 編曲:メメント・もり蔵 唄:雪歌ユフ 曲紹介 静かな夜の行進曲。アンビエントミュージック 歌詞 (投稿動画より転載) 極夜の稜線に雪が降り積もり 閉ざされた町の色彩は消えて 彼方の墓標には名前が刻まれて 帰りを待つ人は祈りを奉げる 教会の鐘の音が 冬の空 静寂に鳴り響く夜 空に舞う星達は明滅を繰り返し 聖なる夜の町に喜びを照らした "the longest night will have an end. so that the end comes in your sorrow " ひしめく群衆と祝祭の旗影は 閉ざされた町の通りを綾なす 冬を往くパレードは 諸人の願いを引き連れて歩く 空に舞う星達は明滅を繰り返し 聖なる夜の町に喜びを照らした やがて光が射して極夜の夜は明ける 幸せな結末が訪れる日の為に コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/wiki11_twc/pages/128.html
山荘アルバイト体験記 ピピッ 朝3時45分に目覚ましが鳴る。 眠い。 そうかそうか、山の上にいるんだっけ。 首に巻いていたヘッドランプを頭にはめ、寝床から這い出して、山荘の厨房に向かう。 朝一番の仕事は、お客さんの朝食の準備。 ほかのスタッフたちも眠そうな顔をして厨房に集まってくる。 まだまだ日は昇らないけれども、歯を磨きながら窓の外を眺めると、稜線が黒々とそびえている。おおー。 おはようございます。 さてさて、今日も一日働きますか。 夏休みの前半の一ヶ月間、北アルプスの冷池山荘でアルバイトをした。 北アルプスの真ん中の、爺ヶ岳と鹿島槍ヶ岳の間のコルにある山小屋で、標高は2400mのところにある。2年前の縦走のときに通っていい所だと知っていたから、この山小屋で働いてみようと思った。 一日の仕事 山小屋の仕事は、主には山に上ってくるお客さんに寝床を提供し食事を出すことだが、それ以外にも小屋を維持していく上でやらなくてはいけない仕事はいっぱいあった。 朝は4時か6時に起床。4時に起きなくてはならないのはその日の「早番」で、宿泊客の朝食の準備をする。「遅番」に当たった時には2時間遅れて6時に起きてくればよく、起きてすぐ早番の人が作ってくれた朝ごはんを食べることができるので楽だった。朝食のあと、一日一回のミーティングをして、客室の掃除に入る。布団を畳んで、部屋を掃除して、また布団を敷く。そのときに「本日の布団体制」というのがあった。曜日や時期によって、入るお客さんの数が違うから、それにあわせて布団も準備しなければならない。7月のはじめなんかは、1日に10人しか入らないなどという日も多かったが、夏休みの時期に入ると100人200人が当たり前になり、特に土日は300人近く入った。300人もお客さんが見込まれるときには、「布団体制」は「敷布団1つにつき、2名」になる。廊下とかテラスにも布団を敷く。そうなるとお客さんはとても窮屈だと思う。でも、自分は一度富士山で布団1枚に3名詰め込めれたことがあるから、それよりはましだ。 客室の準備が整ったら、館内の廊下やロビーの掃除をする。箒ではいて雑巾がけをする。毎日入念に掃除するので、山荘内はいつもきれいだった。トイレはその日のトイレ掃除当番が掃除する。(厨房にトイレ掃除当番のルーレットが掛けられていた。小学校みたい(笑))ちなみに、冷池山荘のトイレはなんと水洗だ。雨水で流して、排泄物は特別な土壌成分で分解するようになっている。山小屋のトイレとしてはかなりきれいだった。それでも、やっぱりトイレ当番は少し憂鬱だった。 10時ころには大体掃除が終わって、スタッフは再び厨房に集まって顔をあわせる。お茶を飲みながら今後の仕事の指示を受け、そのあとは休憩に入ったり、お客さんの対応に当たったりする。 3時ころから、もう夕食の準備が始まる。食事のメニューはいつも同じで、おかずは主に冷凍食品を使っていた。山小屋はお客さんの人数が予測しづらく、使える食材も限られているからだと思うが、それでも結構考えられていて、見た目にもおいしそうだし実際おいしい食事だった。食堂の定員は80人だったので、夕食は入れ替えで複数回の食事時間が必要だった。多いときには4回目まであった。僕らはこれを「1ラウンド、2ラウンド」とか「3回戦」「4回戦」とかいっていた(お金を払って食事を食べるお客さんにちょっと失礼ではないかとも思ったが…)。4回戦にまでなると、食事の準備・食卓のセット・片付け・食器洗いという一連の作業を5,6時間連続でやることになり、少々しんどかった。洗うお皿も毎日1000枚はあったと思う。さすがに、洗い物をする手つきも日々洗練されていった。最終ラウンドがようやく終わってひと段落すると、従業員の夕食が始まる。従業員には、ちゃんと肉も野菜も魚も使った手料理が出された。山荘のメンバーはみんな料理が得意だったので、毎日の食事は楽しみで仕方なかった。 ご飯の後片付けが済んだら、一日の仕事はおしまいで、後は就寝だった。7時半にはもう終わっているときもあるし、9時までかかるときもあった。 その他の仕事 登山道の整備も、山小屋の仕事だった。登山道に伸びている草の刈り取り、ハイマツの切断、石の除去等々を行った。これらの作業は、客の少ない平日に小屋の男衆が駆りだされて行われた(小屋の支配人は本当に「男衆」、「女衆」という古風な言葉を使っていた)。7月中は登山道上に雪が残っていたので、雪渓の上に道や階段を作りに行った。今まで、何気なく通っていた道も、小屋の人の絶え間ないメンテナンスのたまものなのだということがよく分かった。 山小屋への物資はヘリコプターで上がってくる。自分の就業中には、2回の荷揚げ作業があった。一回の飛行で、ヘリは5往復ぐらいする。小屋の前の展望台に降ろされた荷物を、従業員総出で小屋の中へと運び入れる。30kgの米俵や、20kgのビール樽や冷凍食品やその他もろもろが次々とあがってくる。ヘリの荷降ろしはひと仕事だった。最後の便で、200kgの灯油が入ったドラム缶が上がってきた。この灯油を使って発電機を回して小屋の電気をまかなっている。このドラム缶を運ぶのが、またえらかった。 ヘリがあるとは行っても、「歩荷(ぼっか)」という言葉は現役で使われていた。ヘリで運び忘れたものを運んだり、同じ会社でやっている隣の種池山荘までの荷物運びがしばしばあった。自分は、この種池山荘までの歩荷が、山荘の仕事の中で一番好きだった。なにせ仕事で北アルプスの稜線を歩けるのだ。天気に恵まれれば、鹿島槍、爺、針の木と緑色に連なる稜線と、西側の、まだ雪の残る剣、立山連峰が見渡された。「中継歩荷」といって、種池山荘のほうからもスタッフが歩いてきて、出会ったところで荷物を交換するという形式だったので、なるべく長く稜線歩きを楽しみたいがために、行きは急ぎ足になった。「じゃあ、丸山君、歩荷行ってきて」という指示が出ると、「やったぜ」と心の中で思う。 小屋の人々 小屋のスタッフは、支配人を除いては一応みんなアルバイトということになっているらしい。途中で増えたり減ったりしたものの、従業員の数は15,6人くらいで、年齢やバックグラウンドがいろいろだった。学生、専業主婦、元消防士、フリーター、等々。7月後半には高校生も一人入ってきた。5年から10年くらいの山小屋でのキャリアをもつ30代の4人が中心的メンバーで、あとはその上下の世代が脇を固めている、という感じだった。みんないい人たちだった。1ヶ月を共にした彼らともう会えないかもしれないと考えると、とても寂しい。 支配人のMさんは、35歳で、僕から見ると、山小屋の支配人を天職とする人だった。小屋の経営を一手にしているだけでなく、電気が点かなくなれば電気工事をし、水道が詰まれば配水管工事をし、とにかくなんでもできる人だった。本人いわく、「子供のころから遊びの天才だった」。大変な博識でもあって、あらゆるトピックについて、語り続けることができた。少し暇なときには、支配人自らが料理の腕をふるってピザを焼いてくれたりした(これが絶品だった)。山荘の経営を自分でも楽しんでいたし、ほかのスタッフを楽しませることができる人だった。理想的な上司だった。Mさん、どうもお世話になりました。 どんなに仕事で疲れても、ちょっと一服小屋の外に出れば、雄大な景色のなかに身を浸すことができる。それが最高だった。これは、ちょっとやめられませんよ。
https://w.atwiki.jp/forest_road/pages/42.html
標識と周辺の写真 国道299号線側終点看板 国道299号線側の林道金山志賀坂線の様子 国道299号線側よりすぐの崩落現場 ルート #alpslab_route 林道の説明 国道299号線側の入口は志賀坂トンネルの脇にあり、県道210号線側入口は 中津川林道との分岐を右に行き日窒鉱山を過ぎた付近にあります。 上武国境にある諏訪山(1207.1m)の埼玉側の山腹を通り、両神山の北西に 続く西岳(1613m)の稜線下を八丁トンネルで潜り、日窒鉱山に至る舗装林 道です。 眺望が良い所は八丁トンネルの国道299号線側の広場くらいしかありません が、秋の紅葉や日窒鉱山の廃墟群等がありますのでさほど気にならないで しょう。 (2007 08/07 14 00 00) 関連する林道 中津川林道 埼玉県 林道上野大滝線 林道西秩父線 林道金山志賀坂線 秩父市 舗装林道 荒川左岸 コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る