約 1,243 件
https://w.atwiki.jp/kuac/pages/17.html
北アルプス後立山連峰 唐松岳雪上訓練合宿報告書 マッキンリー遠征準備合宿 ホワイトアウトに翻弄され、烈風の洗礼に肝冷やし、力量不足を痛感する 宮 守 健 太 (理学部生物学科四年) 車内泊の後、朝一番のゴンドラに乗り込むべく8時半頃にゴンドラ乗り場へ向かったが、強風のため動き出したのは9時、リフトを二回乗り継いで八方山荘前へ。しかしガスのため視界が極めて悪く、小屋の裏手に回るのに左右どちらから行ったら良いものかも分からないような状態であった。小屋の右手から裏の広場に回るが相変わらず地形がさっぱり分からない。春に谷川岳でホワイトアウトの中雪庇を踏み抜いて以来、こうした状況には言い知れぬ恐怖を感じる。これでは動けない。時折ガスが風に流され稜線が見えるものの、このまま行動するには状況が悪すぎると判断、前進を諦める。朝一番での行動も無駄になった。 冗談半分で渡辺君を小屋とケルンが目に入らない位置に立たせ訪ねてみる。 「どうだ、この状況で動く勇気があるか?」 「いや、無理です。」 「そうだな。冬山ってこんなもんさ。」 図らずも冬山の危険、厳しさを初っぱなから教え込む事になった。 しかし実際にはもっと悪い状況なんていくらでもある。気温が高くて風がないだけまだマシだと思っていたが、夜になってこの油断は一瞬にして恐怖に変わる事になる。 とりあえず荷物を下ろしキャンプ候補地に赤旗を立て雪上訓練を行う。アイゼン歩行を一通りやった後、小屋にテントを張る由伝えに行ったが断られてしまった。まぁ予想はしていたが。張るならもっと上でやってくれと言われたが、それができないから頼んでんじゃない…しかしゲレンデのすぐ脇にテント張らせろというのも確かに非常識な話だ。戻り際に宿泊料金も聞いておく。素泊まりで六千円。いざという時にはそれも仕方ない。とりあえず全員にその旨を報告し、テント場を探す。雪上訓練の際に立てた赤旗を頼りに稜線上に上がり、およそ三〇m毎に赤旗を立てながら進む。その程度しか視界が利かないのだ。途中一本だけ雪面から突き出ていた枝にも赤布を巻き付けておく。それからしばらく後に稜線が狭くなってきた。テントを張る事はおろか、前進する事も難しくなってしまった。 仕方ないので引き返す。それまでしんがりについていた自分が先頭に立ち、赤旗とトレースを頼りに戻るが、すぐにトレースが消え、ルートを見失ってしまった。マズい。谷川岳で転落した時と全く同じ状況ではないか。背筋に冷たいものが走ったが、すぐに冷静さを取り戻した。一度そういう体験をしていると、同じような危険に対しては強くなる。以前と違い今回は赤旗を立てている。それを探せば良いのだが、見つからない。後方にその旨を伝えたら、菊池さんが先頭に立ってルートを探してくれた。その姿を見失わないように厳重に見張る。すぐにルートは見つかり事なきを得た。気まぐれに枝に結び付けておいた赤布が役に立ってくれた。雪上訓練の際に立てた赤旗の近くにテントを張る事にする。ゲレンデからいくらも離れていないがこの際仕方無い。足場を平らに整地して踏み固め、テントを張り張り綱もしっかり張る。一段落ついた所で視界が開けて来た。ふざけた話だがまぁよくある事だ。 もうしょうがないのでキャンプ設営を続行する。皆が張り綱を整備する中、一人水作り用のブロックを切り出し始める。あまり大きな声では言えないが(言ってもいいけど)自分はこのブロックを切り出す作業が好きなのだ。ただどうしてこの時、切り出したブロックで防風壁を作る事を思いつかなかったのか、今でも悔やまれる。 テントを張り終えて一息つき、まだ明るいが四時頃から夕食の準備に取り掛かる。今回初めてゴアテックスのテントを使ったが、お湯を沸かしてもテントの内側が全く結露しない事に皆して感動した。十数万の価格とちょっと重めの重量の分だけの価値はあると言う結論に満場一致で達した。しかしこのテントがその真価を発揮したのは夜になってからであった。寝袋に入りようやく深い眠りを得られた頃、菊池さんに叩き起こされた。どうも様子が只事ではない。見るとテントが強風で大きく歪んでいるではないか。おおっ!マズい!!新品のテントをいきなりぶち壊したら落合さんに怒られるではないか。いやそれよりテントごと吹き飛ばされたらコトだ。半身を寝袋に突っ込んだままテントの隅に突撃する。手でグランドシートを抑え、頭でポールを支持している間、いつでも脱出できるよう交代で荷物をまとめる。 しかし幸いにして小屋がすぐ近くにあるとはいうものの、実際テントを放棄しなければならない程の強風の中でどれだけ行動できるものであるか不安であった。何とかしてテントを守りたい。自分の番が来て速攻で荷物をまとめ、再びテントの隅に飛び付く。風がグランドシートの下に回り込んだら最後だ。こんな状況がもしかしたら一晩中、いやもっと続くのかと考えるとゾッとした。それでも風は一時間ほどで止み、静けさを取り戻した。テントに損傷ななく、張り綱もしっかりしていた。大した耐風性である。防風壁を作ってやればかなりの風にも耐えられるだろう。ほっと一息ついたところで、菊池さんが日本酒を燗し始める。それを一口飲んだらぐっすり眠れた。 遠くで立川さんが6時起床にしようよ、と呟く、もう六時半なんですけど、のろのろと起き出して朝食を摂り出発の準備をする。多少風があるものの雲一つ無い快晴。絶好の冬山日和、とこの時は思った。 そうこうしているうちに後続の落合さんが着いてしまった。随分とのんびりしてるじゃぁないですか、と軽くたしなめられる。何と西田さんも一緒だった。スキーで元気に登って来る。落合さんの差し入れ、ステーキ肉とキムチをテント前室の雪の中に埋め、西田さん差し入れのパンとチョコレートをザックに詰めて出発。 昨日あれだけ手こずった道も視界さえ開けていれば何でもない。しんがりについてのんびり進む。シャッターの下りた公衆トイレを通過し、ケルンに着いた頃からまた風が強くなり始める。ケルンの影で防風装備を施し再び前進。強風、雪上下での行動に慣れていない渡辺君が遅れ始める。風に煽られて風下に曲がって行ってしまうのを引き戻し、突風の折には昨日復習した耐風姿勢を取るよう念を押しておく。文句一つ言わず黙々とついてきてはいるが体力的にも精神的にも結構きついようだ。気合いを入れようと部歌など歌ってみたが聞こえちゃいない。 先輩方も休んでいるであろう次のケルンまで行きたかったが仕方無い。そのちょっと下にバケツを掘って休憩する。何か口に入れてお湯を飲むだけでも少しは元気が出るだろう。五分休んで出発。先輩方の姿はもう遠い、と思っていたがしばらくして追い付いた。風が強くなり凍傷になる危険も出てきたのでもう下りようかと検討していた。正直自分は少々不満であった。対マッキンリーを想定としては理想的な天気ではないか。この位の天気なら行動できなきゃ登頂は遠くなる。しかし実際この先稜線は狭くなるし風もあるし、渡辺君が不安であった。軽い凍傷ならともかく今怪我でもしたらシャレにならない。それも仕方ないだろう。落合さんと西田さんは頂上を目指すつもりらしい。少し迷ったが、自分も行く事にした。前夜発のメンバーが誰も登らなかったんじゃあまりにも情けないではないか。そんなこんなで別れて出発、雪もだいぶクラストしてて固い。左手に五竜岳が間近に見える。 続行を決意したのはあの山での撤退という苦い思い出もあったからだ。しばらくして西田さんが手を大きく交差させ、下を指差している。強風下ではちょっと離れればお互いの声も聞こえず、コミュニケーションはボディーランゲージに頼る事になる。西田さんはもう下りるつもりらしい。先頭をゆく落合さんのもとに駆け寄り、その旨を伝え先に進もうとすると、西田さんが慌てて再び手を大きく交差させ、下を何度も指差している。どうやらもうやめておけと伝えたかったらしい。ボディーランゲージではこうした行き違いが起きてしまうから怖い。とりあえずその場で昼食にパンをかじりつつ座談会。 結局落合さんと自分だけ頂上を目指す事にする。頂上は見えるが、まだずいぶん遠くに感じる。落合さんはもうそんなに遠くないと言うがそんなもんだろうか。斜面がクラストしてて怖い。時折、その堅い雪面を踏み抜いて膝あたりまで潜る。そのたびに肝を冷やす。何しろひとたび滑ったなら麓まで止まれそうにない堅くて急な斜面なのだ。そんな事を考えていたら両足で雪面を踏み抜いた。そのまま無理やりラッセルするようにして進んでいたらついに腰まで潜る。雪上に足をかけるもそのまま滑り出して行きそうで怖い。動けない。泣きたくなって来た。その脇を落合さんが何事も無いようにさくさく進んでゆく。どうしてこの状況でそうも軽々と動けるのだろう。自分は結局引き返して所々岩の突き出ている稜線の上を進む。 ついに主稜線に合流。ずっと我々に先行していたスキーヤーをここで抜かして山頂一番乗りを果たす。景色がとにかく美しい。風もだいぶ弱まっていた。それでもじっとしているとかなり寒いが。前方に全身くまなく白い雪化粧を施した剣岳が大きくそびえている。五月にはあそこに登るのかと考えるとゾクゾクする。一年生の五月、別山乗越からあの山を眺めた事が山にのめり込むきっかけになったのだ。しかしそれ以前に無事に帰る事を考えねばならないのだが。あまりじっとしていると寒いので何枚か写真を撮って帰路につく。 やっぱり下りの方が怖い。先に行く落合さんとの差がどんどん開いてゆく。自分ももっと雪上での訓練を積まなければならないようだ。第三ケルンへの下りの所に急な斜面がある。そこを落合さんが尻セードで行こうかと提案した。しかし実際には斜面はかなり堅く、尻セードにはちょっと危険なようだった。結局落合さんは歩いて下まで下り、自分はそのころ斜面の中腹あたりにいた。このままではどんどん差が付くばかりだ。ここからなら仮に滑落しても大きな事故にはならないだろうと判断し、ピッケルに持ち替えて尻セードの姿勢に入る。これが間違いだった。滑り始めて二秒でもう制動不可能なスピードが付いた。「やっぱ無理!」そう思ってももう遅い。何とか石突きを雪面に刺そうとするが誤ってアイゼンの爪を引っ掛けてしまい、そのまま縦に一回転する。ピッケルを放してしまい、何とか腕で制動をかけようとするが利かない。左手でピッケルバンドを手繰り寄せ、右手でピッケルを掴みピックを力任せに叩き込む。ザックに差し込んでおいたストックが吹っ飛んで行ったが生きるか死ぬかの瀬戸際だ。そんな事にかまっちゃいられない。スピードが弱くなった所でアイゼンの爪を無理やり雪面に刺してやっと止まった。稜線の一〇メートル位下まで滑落していた。痛みをこらえて立ち上がり登り返す。見上げるとさらに一〇メートルほど上にストックが引っ掛かっている。うっちゃっても良かったが、こんな事で修理に出したばかりのストックを無くしてしまったら泣くに泣けない。痛む足を引き摺って取りに行く。ヤッケのズボンが大きく裂けている。そこから風が吹き込んでケツがスースーする。結局新しく装備を買い直さなければならないようだ。ストックを回収して下りると腹の虫が鳴り、猛烈に腹が減っている事に気付いた。足が痛い上に腹も減っているんじゃやれんな、と一人呟いて休める所を捜す。あらかじめ目星をつけておいた大きな窪みの所まで来たが、そこにはもう誰かが小便の黄色い穴を開けていた。落胆しつつその先にあった小さな窪みにザックを下ろしその上に座り、ヤッケの内ポしケットからエネルギーバーを取り出す。キャラメルに良く似た板状の食品で六〇グラム二百キロカロリー、一枚二百円。高所での栄養補給手段としてはかなり有効だと思う。ただし寒気で硬くなってしまうのが玉にキズで、この時もかなり硬くなっていた。ヤッケの内ポケットにカイロといっしょに入れておくのが良いかもしれない。齧り取ったバーをお湯で喉に流し込む。顎が疲れたが足の痛みもだいぶ引いてきたので出発。第三ケルンの所で落合さんが待っているのが見えたので急いでそちらへ向かう。さっきまですぐ後ろにいたのに姿が見えなくなったのですごく心配していた。見通しの利く稜線上でいきなり姿が見えなくなったと言うことは滑落して怪我で動けなくなっているか、下手をすれば死んでいると言うことを意味する。そんな心配をかけているときに本人は呑気に飯を食っていたと言うのだからひどい話だ。今回も色々あったけどとにかく無事にキャンプまで辿り着いた。 西田さんはもう帰ってしまっていたが皆でビールを回し飲みして乾杯。のんびりと辺りの景色を楽しむ。夕食は、先ずたっぷりと水造りに時間を費やす。そして海鮮サラダ、乾燥食品を使ったカレー、まずまずの出来栄えで、これに差し入れのステーキを焼き、キムチをつついて落合さんの誕生日を祝いささやかな宴を開き、食事をする。 翌朝、日が昇ってから起床。今日も絶好の天気である。カニ雑炊を食べてからテントを撤収する。竹ペグを回収する際、その利き方に改めて感心する。テントもあの強風の中でしっかり守ってくれたし、水の供給をすべて雪に頼る食料計画体制もとりあえず上手く行った。風は強かったが凍傷にもなる事無く、現在どの程度まで動けるかを知る良い機会にもなった。ただ余裕を持たせていたせいもあるが燃料はだいぶ余った。遠征においては燃料計算を慎重に行う必要がありそうだ。スコップが一丁壊れた。硬い雪面にも対応できる強力な奴がほしい。現地で借りることができればそれがベターだが。赤旗は風ですぐに取れてしまった。結び方に工夫が必要である。視認性も考えてもっと大きなものを作っておくべきだろう。反省点も多くあるが、対マッキンリー対策の合宿として実りの大きなものになったと思う。様々に反省の思いを巡らしつつ荷物をまとめ帰路に着く。温泉に入り、途中拾ったフリースのネックウォーマーを解凍する。ヤッケを破いた損失についてはこれでチャラにしようと思ったがネックウォーマーはとりあえずもう持っているので渡辺君にあげた。
https://w.atwiki.jp/1942_fhsw/pages/829.html
名称 駆逐戦車E-10 略称 弱点 側面、背面、上面 1番席 PaK39 48口径75mm戦車砲 (装甲貫徹力) HEAT(Klw) → 160mm 2番席 StG44、近接防御兵器(NW) 3番席 デサント席 4番席 デサント席 概要 ドイツ軍の駆逐戦車。大戦後期に登場する車両としては砲の威力が控えめだが、車体が小柄で機動力は高め。 1番席では上下キーで車高の調整が可能。ただし単純に車体を上げ下げするのみで前後に傾けることはできず、稜線射撃には向いていない。 0.7以降使用する弾種が従来のAP/APCR弾からHEAT(Klw)弾に変更になり、装甲貫徹力が向上した。 コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/wangel/pages/433.html
裏銀座 参加メンバー L.岡田 SL.小池 M.北川 佐藤 幕営地 濁沢キャンプ場、野口五郎小屋、三俣山荘 メインピーク 野口五郎岳、水晶岳、鷲羽山、三俣蓮華岳 天候 晴れ-雨-雨-晴れ ・危険箇所 ブナ立尾根や鷲羽急登の様にアップダウンによる体力消耗が激しいところあり。 留意事項 稜線上の行動に気をつけたい。雷や風など。 岩に手をついたときに切りやすいのでところによりグローブをつける。 感想 きわめて長いコースであったが、皆ついてきてくれてよかった。水晶岳の眺めや三俣蓮華岳での御来光など、自然も満喫出来た。お花畑や岩稜帯の美しさは裏銀座でしか体験できない部分もあるので、現役のうちに一度訪れることをオススメする。 報告者 岡田
https://w.atwiki.jp/kusataro/pages/453.html
ライズ オブ ザ トゥームレイダー クリア(・∀・) 2016/12/24 クリア! 最後の戦闘はどうかと思いますが非常に面白かったです。 2016/12/23 ベースキャンプ:要塞の広場まで進みました。 2016/12/21 ベースキャンプ:旧ソ連の施設まで進みました。 2016/12/18 ベースキャンプ:気象観測所まで進みました。 2016/12/17 ベースキャンプ:稜線まで進みました。 2016/12/10 ベースキャンプ:崖の見張所まで進みました。 2016/12/06 ベースキャンプ:パンテオンの回廊まで進みました。 2016/12/05 ベースキャンプ:通信塔まで進みました。 2016/12/04 ベースキャンプ:鉄道操車場まで進みました。 2016/12/03 クマを倒して氷の洞窟まで進みました。
https://w.atwiki.jp/forest_road/pages/105.html
標識と周辺の写真 林道牛喰線の標識 林道牛喰線の様子 主要地方道53号線と林道牛喰線の分岐 ルート #alpslab_route 林道の説明 主要地方道53号線の松枝バス停の先に入口があり、武川岳(1052m)に 向かって登って行き武川岳と焼山(850m)の稜線を走り社営林作業道焼 山線と接続するダートです。 (2007 09/08 12 32 44) 関連する林道 NTT無線中継所への林道 ピストン林道 埼玉県 林道八ヶ原入線 林道南沢線 林道大栗沢線 林道永井谷線 林道牛喰線 林道菖蒲ヶ入線 林道西名栗線 横瀬町 社営林作業道焼山線 舗装林道 荒川右岸 コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/wotrainee/pages/22.html
このページは? ここはWoTに置ける防御のテクニックの基礎や応用を解説し、生存時間の向上を目指すページです。 試合中長く生きれば生きるほど攻撃のチャンスは増え、結果として火力も上がりスコアも伸びます。 とはいえ、生き残るだけならベースの後ろの茂みに篭ってれば誰でも長生きできます…… なので、ここでは前線で戦いながら生き残る為の秘訣を勉強していきましょう。 撃ち合いの基本は昼飯の角度 攻撃テクニック色々の項目でも軽く触れましたが、こちらのページで本格的に取り扱います。 「避弾経始」というものをご存知でしょうか? 理論的なことはWikipediaで調べていただけると助かります。要は装甲を傾斜させ、砲弾のエネルギーを分散させ弾き返すという概念です。 その概念に則り、敵の砲撃に対して装甲を傾けることで防御力を向上させることを「昼飯の角度を取る(昼飯する)」といいます。 さて、やり方ですがとてもシンプル! 敵車(攻撃される方向)に対して、車体を11時か1時の方向に向けるだけです! これが「昼飯」という名前の由来ですね。 厳密にはこの角度は車両毎に最適な角度が異なります。 この画像を見てみましょう。 一見すると正面装甲にかなりの角度をつけることで防御力が上がっているように思えます…… ですがこれが罠!車体を傾けすぎて傾斜が甘くなった貧弱な側面装甲が撃たれてしまいます! 車体側面にも十分な装甲があるソ連のKVシリーズや、ドイツのEシリーズ重戦車なら弾ける可能性もあります。 このように障害物や曲がり角を使うことで、きつい角度をつけた正面を晒しながら側面は撃たせないポジショニングができます。 都合、ここでは角昼飯と呼んでおきます。これが顔出しの基本! 画像ではM4A3E8というバランスの取れたデザインの車両ですが、砲塔が極端に前にある車両なら更に角度をつけながら撃てます。 システム的なお話をもう一つ。とても重要なので我慢して覚えてください! それは一定以上の衝突角(70度)以上で被弾した場合、砲撃を必ず弾くことができるということです。 あまりにも敵車の砲性能に対し、装甲が貧弱な場合はそれでも貫通してしまいますが……そんな場面は少ないです。 これは後ほど説明する豚飯の角度において重要なファクターになります。 昼飯の応用サンダードリフト走行! これは別に正式名称やそういうあだ名があるわけではありませんよ…… 敵車両に対して、真正面ではなく軽く車体を傾けたほうがいいことは理解できたはず。 これを敵車両に接近する際に応用して見ましょう。 もはやなんなのかわからない画像ですがお許しください。イメージだけ掴めれば十分なので…… はい、敵車両に接近する際、真正面にまっすぐ向かっていくと当然ボコスカ撃たれてしまいます。 そこで比較的緩い角度で蛇行しながら移動しましょう。 こうすることで、昼飯の角度を取りつつ前進することができます。 (この際、砲塔も相手の方角を見ておくことで砲塔側面への被弾を防ぎ、HPを残したり弾薬庫を守ることができます。) 自車の速度が早い場合はこれによる回避効果もいくらか期待できるでしょう。 敵車が見えない場合や陣地転換の場合も、敵がいる場所を予想し、その方向に対し昼飯の角度を取れるように移動しましょう。 一見基本のように思えますが、このような細かい技術の連続が生存時間を高めます。 無意識でもできるように練習しましょう。 裏メニュー豚飯の角度! さて、昼飯の角度とその有用性、そして弱点は理解できたでしょうか? 実はもう一つ!「豚式昼飯(豚飯の角度)」という技術があります。 この技術は初心者の内は必要ありませんが、上級者ならば誰もが知るまさに裏メニューのようなテクニック! ちなみに海外では「Side-Scrape」と呼ばれます。 これは「角昼飯の逆で、きつい傾斜をつけながらバックし、正面を隠しながら側面を晒して攻撃を誘う」という技術です。 「側面は柔らかいからダメなんじゃ?」と思った貴方は半分正解です。 ですがこの画像を見てください。 ※素晴らしい画像は2ch有志の方の作成です。管理人とのセンスの違いが泣けてきますね……いっぱいかなしい。 このように極めて浅い角度で被弾するように晒すことで、実装甲厚の1.5~3倍、あるいは強制跳弾の角度に持ち込めます! 画像の車両では砲塔が後ろについているので、攻撃を弾きながらこちらから攻撃することもできます。 「じゃあ、砲塔が前に付いている車両は豚飯しても意味ないの?」はい…攻防一体、という意味ではないです…… ですが!きつい傾斜のついた側面装甲で攻撃を弾けるのは事実です! とりあえず豚飯で相手を釣って「先に攻撃させ、無力化してから砲塔を出して攻撃する。」という択に使えます。 市街地じゃなくてもこんな感じで…… 敵を釘付けにする遅滞戦術との相性も◎! 「じゃあ豚飯最強じゃないか!やったぜ!」うーん……悲しい事実をお知らせしなくてはいけません…… 豚飯にもいくつかの弱点があります。 それは ・物陰から大きく離れて姿を晒す為、自走砲の攻撃が当たりやすい ・曲がり角を使う場合、通路を封鎖してしまい味方の邪魔になる=味方の援護を受けにくい ・傾斜角度はHE(榴弾)に対して効果が薄く、実装甲が薄い側面には強制跳弾の角度以下だと結局大なり小なりダメージを受ける という三つの点です。 これらのリスクを考えた上で、快適な豚飯ライフを楽しみましょう! パリィ!パリィ!パリィ! 昼飯と豚飯を覚えたことで、貴方の防御力はおおよそ3割増! ですが、そもそも装甲が薄い弱点を狙われたら生存力は3割減です…… そこで重要な技術、フェイントで弱点狙いの狙撃を逸らしてしまいましょう! ちなみに管理人はパリングと言ってますが、僕以外で言ってる人は見たことありません……だって呼び方ないんですよこのテク…… さてどんなテクニックかというと「相手のリロードタイミングを予測して車体や砲塔を動かし、弱点狙撃を逸らす」というもの。 このゲームは絞り込みの時間は完全に静止していないといけない為、棒立ちで睨み合う初心者をよく見かけます。 完全に静止している目標に対しては(距離が近ければ)ほぼ確実にキューポラや車体下部に叩きこまれてしまいます。 この昼飯の角度だと正面の機銃口以外は抜けません。オラッ! 赤丸は弱点の機銃口です。ほぼストレートに突き刺さっていることがわかるはず。 そこで、なにもやらないよりやったほうがマシの根性で、とにかく車体や砲塔を動かしましょう! どう動かすかは自分の車両次第ですが、車体の弱点(機銃口等)を隠す場合は昼飯の角度を往復する形で不規則に旋回します。 発射直前に(パンター視点で左に)旋回されたことで狙いが逸れました。俺のAPCRを弾いただと!? 赤丸は機銃口です。対して青丸は実際の着弾地点です。ほんの少し振られることで弾かれました。 車体下部を撃たれないようにする為には、車体を昼飯の角度、即ち敵車に対して斜めにしてから前後にフェイントをかけましょう。 キューポラ狙撃を回避する場合も同じく斜めに前後移動するか、砲塔を細かく左右に振って狙いを絞らせないようにするとグッド! リロード中はもちろん、あえて先制を放棄して車体(砲塔)を動かし、敵の先制攻撃を弾いてから後の先を取るというのもアリ! 改良型射撃装置(ガンレイ)や砲垂直安定装置(スタビ)を積んでいると、弾き終わった後のカウンターの精度が多少上がります。 敵のリロードタイミングがわからなくても、なにもしないよりは動いていたほうが弾く可能性は上がります。 (大きく動かしすぎて、側面に撃ち込まれないよう注意しながら)ブンブン振り回してやりましょう! 相手の狙いを逆手に取って防御力を水増しできるようになったら撃ち合い初心者卒業です! 攻防一体ハルダウン 「ハルダウン(英語ではHulldown)」というテクニックをご存知でしょうか。 ※画像は海外WoTWikiのものです。 Hullとは船体、即ち車体のことで、要は「車体を落として隠しながら、砲塔だけを出す」というテクニックです! 車両により異なりますが、一般的に戦車は砲塔正面に防盾があり、最も装甲が厚い箇所となっています。 攻撃テクニック色々の項目で弱点を色々説明していますが、砲塔にはせいぜいキューポラ程度の弱点しかありませんね。 建物の窓枠や崩れた土砂、なだらかな稜線等の地形を活用し、相手に対して弱い場所を見せない、究極の防御行動とも言えます。 図解では二次元ですが、実際は三次元で上手く稜線を活用しましょう。 ↑の画像は砂の川南のハルダウンのテンプレートの内の一つ。 奥行きも上手く使って車体を隠した状態で…… このように狙い撃ちます。 このマップは家を破壊しないと積極的に撃ちこむことはできませんが、画像ではIS-6とST-Iが勝手に押してきました。 厳密には「稜線を使って車体を隠す」というものですが、WoTでは「障害物や土砂を使って砲塔だけを出す」という意味でも使われます。 また、ハルダウンは敵車に対して自車の投影面積を最低限にするという効果もあります。 硬い場所を晒して防御力を上げているだけでなく、的を小さくすることで回避力も上げているわけです。 これはかなり極端な例。 赤枠が投影面積、青丸が実質の弱点です。 うーん……中距離以遠の砲撃戦では打つ手がありません…… (ここにハルダウンしている相手の画像) この画像を見てください。お手法のような綺麗なハルダウンの体勢を取っていますね! こうなってしまうと、キューポラを狙撃するか、味方の自走砲の援護を待つしか打つ手がありません…… (大口径のHEがあれば、爆風を車体や砲身に当てて僅かながら削り、モジュールを破壊することもできますが……) さて、テキストの赤文字っぷりからハルダウンのスゴさがわかってもらえたと思います。 ですが、そんな強力なハルダウン。いくつかの条件と弱点があります。 条件 ・何もない平地ではできない 当然、車体を隠す為のファクターがなにかしら必要になります。 主になだらかな稜線・建物の窓枠・小さな岩・敵味方の死体の四つの内のどれかが必要です。 重要なのは死体で、マップによってハルダウン出来る・出来ないポイントがありますが、死体はその試合毎のアドリブで使っていけます。 ・砲俯角 「俯角」というのは主砲がどれだけ下方向を向けるか、というステータスです。 この俯角の値が大きいほど砲は下を向くことができます。 ハルダウンの項目、一番上の画像を見てみましょう! この図では稜線を使ったハルダウンを行っていますね。 下り坂に車体を沈めるということは、砲塔も傾斜の分だけ上方向に向いてしまいます。 この時、正面の敵を狙う為に「俯角」が必要になってきます。 ドイツ車両やソ連・中国車両のような可動範囲の狭い砲の場合、天を仰ぐだけで何も生み出せません…… 話が逸れますが、アメリカの車両はゲーム中でも特に優秀な俯角と砲塔の正面装甲を持っていることが多く「アメ車と言えばハルダウン」というのもここから来ています。悪名高きT29のハルダウンは強烈の一言! 弱点 ・ポジショニングが読まれやすく、無視されやすい 先ほど「ハルダウンはマップによって出来るポイント出来ないポイントがある」と書きました。 つまり、慣れているプレイヤーは敵味方のハルダウンポジションを熟知しています。 ハルダウンは地形を使った「待ち」に特化したテクニックです。 なので、向かってくる相手がいない場合や、迂回して回り込まれる場合には効果が薄くなります。 モチロン硬いことには変わりありません。一本道や主戦場の真ん中でハルダウンできれば無視されることはありませんよ! ・自走砲や榴弾砲に弱い 先程ハルダウンは待ち特化のテクニック、と言いましたね。 このゲームにはボー……っと突っ立ってるマヌケに無慈悲な制裁を加える車種があります! そう、自走砲です。 彼らの砲撃は遥か彼方から大きな弧を描き、上空から着弾します。 この「上空から」というのがミソで、ハルダウンは平面上の相手に対しての防御力は圧倒的ですが、上空への効果は一切ありません。 また、稜線を使うハルダウンは周りに障害物があることが少なく、障害物を使う場合は周りに退避のスペースがあることが少ないです。 ほげえええぇぇぇ!? どちらにせよ、発見された状態で静止して待つことが多いハルダウンにとって、自走砲は天敵となります。 つまり? ハルダウンは強力なテクニック!活用できる場面、活用できる車両ならばどんどん使いましょう! 特に要所要所での前線維持や遅滞戦術を取る時は特に有効! 多くの車両に乗って、多くの稜線に触れてみて、各マップとその強ポジへの理解を深めましょう!他人のリプレイを見るのもグッド! でも自走砲だけは勘弁な!マッチングリストを開幕にしっかり確認し、迂回してきそうな車両や自走砲がいる場合は注意しましょう!
https://w.atwiki.jp/hana11re/pages/21.html
唐松岳・・・肩の小屋は快適だった 1988年7月 霞沢岳・・・足下から雪崩が次々と 1989年5月 五竜岳~唐松岳・・・死に神の誘いを振り切って 1991年3月 唐松岳1988年7月 東京地方は青空の快晴です。あまりに良い天気なのでかえって明日以降が心配になります。ただし、天気情報では南からの高気圧の影響で、この二、三日は良い天気が続くという事です。列車が松本から大糸線に乗り入れるころから少し曇り始めました。それでも沿線の山並みは雪をつけて見るものを飽きさせません。しかし、背後のもっと高い山々は上部を霧でまとい、その勇姿を見せてくれません。白馬駅からはタクシーでゴンドラリフト乗り場アダムへ。ところが何と、ただ今運転見合わせ中と看板に大きく書いてあります。山は強風が吹き荒れて今日は動きそうにもないとのことです。出鼻をくじかれた格好でがっかりしました。 歩いて白馬駅まで戻りました。せっかくタクシー一〇〇〇円もかけたのに…。さてどうしたものか、思案にくれます。信濃大町まで戻って、そこからタクシーで扇沢へ行き、爺ケ岳をやろうと一旦は決めてキップまで買ったのですが、八方で民宿に泊り明日リフトに乗れたら乗ろう、だめだったら歩いて登ろうと考え直しました。白馬駅の宿泊斡旋所で六〇〇〇円でクーポン券を買い、再びタクシーにのって宿へ直行です。宿の女主人にすすめられて夕食までの間、近くの温泉で汗を流すことにしました。八方温泉第一郷の湯にはいりましたが、他にまだ二か所の大衆温泉浴場があるそうです。 夕食後月が出て明日に期待を寄せたのですが、果たして翌朝は雨でした。それでも登るということで女主人に車で送ってもらい、ゴンドラに乗り込みました。風はずいぶんと収まってリフトに乗る分には何ら危険はありません。ただ、雨のため見通しがきかないのが残念です。ゴンドラリフトの終点でヤッケに身を包んでアルペンリフトに乗ります。ようやく雨も小止みになり、八方池山荘に着く頃には殆ど上がりました。そのかわりガスがかかって視界が良くききません。 塾年夫婦が昨日一日閉じ込められたと言って、スキーをはいて出て行きました。そのまま下山するのだそうです。私も無理はしないで引き返すべき時は躊躇しないよう心に決めました。雪はしまっていて歩きやすく、冬期とちがってラッセルに苦しめられることは無さそうです。この分では行程もかなり捗るのではないでしょうか。目の前のピーク八方山に苦もなく到着。続いて第二ケルンへと慎重に周囲に目を配って歩いて行きます。ガスに巻かれた時、どう動くかを常に念頭に入れているのです。 八方ケルンに着く頃には下界の方は晴れ出しました。西の空が明るくなっています。どうやら天候は回復しだしたようです。しかしまだ、唐松岳やその稜線は見えて来ません。雪に覆われて形状のわからない八方池を過ぎてヤセ尾根をたどります。下の樺を過ぎ上の樺まで来ますと次第に雪が深くなり、先程付けたアイゼンをはずしてツボ足で進みます。 丸山ケルンで中食を取ることにしました。風が強く冷たいですが、視界はだんだんと広がり、この分では唐松山荘まで行けそうです。時間もたっぷりありますし、気分も落ち着いています。ここからアイゼンを装着して出発です。ヤセ尾根が続き、強風で雪煙りが上がっています。突風に気をつけてバランスを崩さないようにしなければなりません。急斜面とヤセ尾根を何度かクリアーして、ようやく稜線に出ました。足下には山荘です。しかし、眼前に剱岳が待っているはずでしたが、あいにくのガスで何も見えません。時刻は一四時。登り切ってみると、それ程難しい登行ではなかったように思えます。それでも快哉を叫びたくなるほど、一仕事成し遂げた気分です。ここのところ、どうも負け犬でした。八ヶ岳では一度ならず二度までも敗退しています。 小屋の周りをぐるりと回ってみてツエルトが張れそうな場所を探したのですが、なかなか良い場所はありません。適当な所で妥協して強い風の中、やっと張り終えて一息ついたのが二時間半後の四時半でした。雪洞を掘ったわけでもないのに時間をかけすぎています。頂上往復の時間もなくなってしまいました。雪を融かして夕食の準備を始めます。風が一段と強くなってきました。テント内空間が次第に狭くなってまいります。 夜中依然として風は衰えません。それでも新しく買ったばかりのモンベルのツェルトはこの風に耐えています。月が出て明るく照らし始めました。外に出て景色をみたいところですが、風が強いので起き上がる気にもなれません。 朝五時、もう外は白み始めました。あわててシュラーフをまるめ、水作りです。簡単な朝食を済ませて、七時には唐松岳頂上めざして出発しました。文句言い様のない快晴、そして大展望。剱岳、立山連峰が白く連なっています。三〇分後には頂上に到着しました。白馬三山、反対側に五竜岳がどっしりと構えています。南に妙高、火打・・・。 ようやく風も穏やかになり、良いお天気に恵まれました。おとといなどは強風の中ゴンドラリフトが動かなくて、登山中止とまで思っていたのがウソのようです。唐松岳頂上から見ると、白馬三山への縦走はそうむずかしそうに思えません。ただ、不帰峰一、二、三があり、これをどう乗り越えるかです。遠見尾根の五竜岳へはどうでしょう。最後のツメの部分が難しそうですが、何とかなりそうな気もします。来年のこの時期には遠見尾根を五竜まで往復してみようと思います。 いつまでも展望に飽きませんでしたが、三〇分位で降りることにします。山荘に戻ってツェルトをたたみ、九時には稜線に別れをつげました。下山は慎重に慎重に、急斜面やヤセ尾根は特に注意して通過します。時間は充分あります。大パノラマをたっぷり満喫しながら、そして写真を撮ったりしながらゆっくり降りて行きます。 丸山ケルンまで来るとアイゼンを脱ぎ、まず無事に戻って来れたことを喜びます。第二ケルンを過ぎてから若い男女がスキーをかついで登ってきました。山麓で民宿を営んでいるそうです。名刺をもらいました。石神井ケルンではスキーヤーが大勢休んでいました。ここから先はもう下界です。スキー場の左脇を尾根づたいにグリセードを楽しんでいましたら、ゴンドラリフトの乗り場を大きくそれてしまい、登り直しが辛いものとなりました。 八方の第二郷の湯で四〇〇円支払い入浴。 トップへ 霞沢岳1989年5月 5/8(月)晴れ。仕事明け直行。一〇時あずさ、一六時一五分上高地着。 ゴールデンウィークを過ぎても河童橋は若人に人気がある。予定通り小梨平でテントを張る。さすがにテントは数張りしかなかった。ここから眺める穂高の景観は圧巻である。キャンプの届出を済ませて食堂で夕食。野菜イタメを注文する。すごいボリュームだが値段も八二〇円と安くない。満腹になってテントに戻りすぐ横になる。日中は暑かったが、夕刻になってからは過ごしやすい温度。七時にはシュラーフにくるまって眠ってしまった。 5/9(火)曇り後雨。四時一四分起床。外は既に明かるい。野鳥のさえずり・・・。明け方はやはり寒かった。それでもズボンをはいただけでフリースジャケットまで着ることもなかった。 出発は六時。明神六時四五分。早朝の散歩者数人。バードウォッチャーも。徳本峠への道に入って暫くで働き盛り中年の四人パーティを追い越す。私より年は若そうだが、特に急ぐ事もなく落ち着いた山歩きを楽しんでいた。上に行くにつれて雪の量も増す。去年訪れた時と殆ど変わらない量だ。心持ち少ないといった感じである。最後の急雪壁の登りもたいして苦しむことなく、徳本峠に八時四五分到着。小屋で五〇〇円也のビールを買ってベンチで中食。 九時四〇分出発。小屋のお兄さんの話しだと、殆どの人がジャンクションピークまでいって戻ってしまうそうで、霞沢岳までは足を延ばさないようだ。小屋のすぐ上の展望台は雪に埋まっていたが、大きな双眼鏡だけが掘り出してあった。いよいよ、かすかに残る踏跡を追って稜線づたいに進んで行く。今回は薄曇りでも見とおしがきくのでルートは分かりやすい。去年はガスで視界がえられず、敗退の理由のひとつだった。しかし所々トレースは消えペンキやリボンも見当たらない。かまわず稜線どうしに下って登りかえすとようやくペンキマークが目に入ってきた。時々深い雪に足を取られ、呼吸が一段と荒くなる。島々側が急崖で雪庇ができており、右の斜面を幾分トラバースぎみに登って行く。丁度二時間で当面のピーク、ジャンクションピークに達した。しかし、ここでルート探しに大変苦労することになってしまった。島々側の見通しは良いのだが、目指す霞沢岳の見当がつかない。樹林越しに見える青白くそびえたつ峰々が、何時の間にやら穂高の峰と区別がつかなくなっていた。まさか、あんな遠くのあんな高い山が我が霞沢岳ではあるまいと・・・。突破口を求めてあっちをウロウロ、こっちをウロウロ。地図とにらめっこして大きなため息をつくこと三〇分、コンパスを持ってこなかったことを後悔したりで、もうさんざん。わずかに来た道を引き返してみたら、雪面すれすれの木の根もとに赤いペンキ印しがあるではないか!! あんなに遠くのあんなに高い山が実は霞沢岳そのものだったとは。しかも雪を沢山まとって何と近寄りがたいことよ!! ここからはペンキ印しが随所に見え、かすかにトレースもある。全体に下降が続き尚かつ小さなピークを三つ四つ上下すると、霞沢岳がぐんと近づいてきた。霞沢源頭と黒沢源頭の鞍部あたりにテントを張るつもりだったが、午後二時を過ぎて雨がポツポツ落ちてきた。どうやらその鞍部の二つ手前の小ピーク上の適当なところで幕営することになった。樹林帯のちょっとした斜面に素晴らしいテントサイトができた。目の前には穂高が高い。テントの中で一杯飲って横になっていると、突然ものすごい雷様。ピカーッと光って、すぐに大きな轟き。大粒のみぞれ。生きた心地がしなかった。三〇分も暴れまわってようやく通過していった。 5/10(水)晴れ。四時半起床。なんと快晴のお天気!! まだ明けやらぬ二時頃、オシッコで起きたときは闇夜で星一つなかった。それに昨夜の天気予報では曇り時々晴れ、午後雷雨と言う事だった。心が踊るうれしい登山日和。六時出発。一〇分ばかりで左霞沢右黒沢の源頭に到着した。左右が切れて狭い頂稜を行く。目の前の小高い台地を乗っこすのにひと汗かいた。 いよいよ六百山から霞沢岳に続く白一色の稜線が姿を現し始めた。狭い稜線を辿る長い道程に見える。果たしてあそこまで行きつくことが出来るのだろうか? アイゼンを履き左側の雪庇に注意して主に右側をトラバースぎみに徐々に傾斜を強めて行く。ようやく核心部にかかって、闘志が湧いてきた。まず稜線に乗っこすまでのルートを目で追ってみる。三ケ所が要注意箇所だ。 急な雪壁に取り付いて1ピッチ無事通過できた。滑落したら深い谷底へアウトだ。フランス製のサングラスを今回始めてつけてみた。それほど暗くならず、まぶしさも感じない。まあまあというところか。第二ピッチ。ますます傾斜がきつくなる。一歩一歩慎重にのぼる。もう、ここまで来たらビビッてはいられない。ピッケルとアイゼンワークに全力集中だ。これを過ぎるとようやくあと一ピッチで稜線に出られる。傾斜は更に増してきた。しかし、これに近い登行はつい先日八ヶ岳で経験してきた。意を強くして、さあ前進。わずかの雪庇を崩して頂上に踊り出たのが八時。テントを出てから二時間もかかっていた。 看板にK1ピークとあった。風が強い。目指す霞沢岳は、このK1を下ってまだはるか先だ。急に闘志がなくなって、これで満足しようかとも思う。すでに体はだるくなって動きもにぶい。三六〇度のすばらしい展望が得られたというのに、満たされた気分になれず、緊張感が解けない。小休後、結局行ける所までいって引き返そうと立ち上がった。気持ちとは裏腹に足はどんどん先へ行く。急な雪壁のくだりを難無くクリアーすると、それがまた自信になって更に先へ進む。どうやら闘志もわいてきたようだ。 狭い雪稜がつづき右側の斜面をトラバース登行して行く。下は急傾斜の谷である。夏道の露出した岩のピークを右側から巻くと、ようやく霞沢岳頂上と書いた看板が見える所まできた。しかしながら、ここからが頂上になかなか着けないのだ。実際には時間的にたいしてかかっているわけでは無いのだが、疲労が激しく焦りも手伝って時間が長いように感じたのだろう。 何度かゆるんだ雪に足をとられ激しい呼吸を繰り返して、ようやく待望の頂上にたった。九時六分、感激の一瞬である。四方に万歳を叫ぶ!!穂高はもちろんのこと焼岳が目の前に大きくその奥に笠ケ岳が懐かしい。あの長い稜線を去年の夏歩いたのだ。乗鞍岳も全山白一色だ。細長い頂上を先端まで往復し四〇分の休憩で下山開始。疲れてはいるがK1までは難無く通過。固くしまった雪にアイゼンが心強い。只、K1ピーク直前で両足がつってしまった。回復するまでの苦しかった事といったら無かった。再びK1の頂上にたって、今度は幾分かの余裕で展望を楽しむ。帝国ホテルと上高地温泉ホテルの赤い屋根が小さく見える。すごい高度感だ。 K1の下降が一つのポイントである。足下の小さな雪が崩れて次第に大きな雪崩になって行くのを目の当たりに見る。恐ろしい。一歩一歩慎重に下っていった。この後更に二つ三つ雪崩を誘発してしまった。いずれも表層雪崩で、通過した跡は爪痕のようであった。この時刻になると雪もやわらかくなり、滑落の危険も大きくなる。朝アイゼンを装着した場所に戻って初めて今回の成功を喜ぶことができた。あらためてトレースしてきたルートを見上げると、実に恐ろしい。急傾斜のあんな高い所まで点々と続いているではないか!!良くやったものだ。由美子、由起夫、久美子チャン、ありがとう!!自然と涙が出てきた。 テントに戻って祝杯をあげる。一二時半にもどったから、六時間半の長いアタックだった。今日はゆっくり休むとしよう。 videoプラグインエラー 正しいURLを入力してください。 5/11(木)雨の中テント撤収。アタックの昨日が快晴だったのには神に感謝せねばならない。徳本峠小屋のお兄さんに登頂の報告。 トップへ 五竜岳~唐松岳1991年3月 3/21(木)7時00分発特急あずさ一号神城駅十一時下車。みんなスキー客ばかりです。さて、タクシーはと見ると一台もありません。客待ちしているマイクロバスの運転手さんに聞いて見ました。テレキャビンに乗る人はどうぞ乗ってください、バス代無料ですよと教えてくれました。有り難い、遠慮なく乗せてもらうことにします。 五竜、遠見スキー場に着きました。テレキャビンを降りると黒菱平です。スキーヤーで一杯のゲレンデ。思いザックを背負ってピッケルを持った私の格好は、どう見ても場違いな感じで落ち着きません。ずいぶんとガスッていてリフトの上の方は見えないのに、みんな怖くないのでしょうか。まずはレストランで腹ごしらえとしましょう。カレーライス 700円也、結構いい値段ですね。 もう一本リフトに乗るとわずかで地蔵の頭直下まで来ました。リフトは緊張しました。下から五メートルくらいあるんですから。スキーヤーは平気のようです。急な雪の斜面をゆっくり登って行きますと地蔵の頭のケルンです。さすがに三月の山はまだ雪が多い。去年は五月だったですが、この辺は地肌が出ていました。スキーをはいたツァー組みが仲間の到着を待っています。 雑木林の五〇メートルばかりの急登を頑張ると、ゆるやかな上りとなり、いよいよ遠見尾根を行くことになります。小遠見山が見えます。とりあえずそこまで頑張りましょう。雪の上のトレールには新しい足跡がついていました。山岳用のスキー靴です。しばらく高度をかせいだ後、急に視界がひろがりました。眼前に五竜、唐松の稜線が姿を現したではありませんか!! 雲は低くたれこめて、スキー場を覆っていたのです。さすがにまだ三月、稜線は白一色です。去年五月の連休にこの五竜をめざした時は悪天のため登頂を断念しました。飛雪を伴った強い風に負けてしまったのです。今回はそのリターンマッチです。良い天気が続きますよう。 前方にスキーをつけて登って行く人がいます。いつのまにか足跡がなくなり二本のトレールが続いていました。今日はこの人と一日を共にすることになりそうな予感がします。でもなるべく彼の山旅を邪魔しないようにしたいと思います。 小遠見山の山頂につきました。すばらしい眺めです。鹿島槍ヶ岳がすごい迫力です。北の方を見ますと、妙高がその特徴ある山頂をのぞかせています。その左に真っ白に化粧して寄りそっているのが火打山です。そして焼山、雨飾山と続きます。この二つの山はまだ登っていません。登山禁止の焼山はとにかく、雨飾山は深田百名山のひとつであり、いずれ登ることになるでしょう。実は入山口と下山口にそれぞれ温泉があり、ひそかに私の胸の内に温めている山なのです。妙高の右には乙妻山、高妻山が目の前に大きく見えます。こうして並べて見ていますと、あの時更に足を延ばして登っておけばよかったなと悔やんでしまう山が一つ二つ必ずあるものです。でも何時か登れる楽しみにしておくのも悪くはないでしょう。 スキーの君は既に中遠見山の登りにさしかかりました。小遠見の山腹をトラバースして先を急いでいるかに見えます。私も遅くならないうちに、少なくとも大遠見に着いていなければなりません。優れた展望台から降りることにします。 中遠見山の山頂は平で広くなっていました。雪に埋められて平になったのでしょう。その平な一角で一所懸命雪を掘っている人がいました。先刻のスキーのお兄さんでした。おや、どうしたのでしょう。まだ二時前です。行動を打ち切るにはもったいない時間です。立ち止まって話しを聞きました。実はこの場所は鹿島槍の北壁を撮影するのに最高なのだそうです。特に朝日がさしてきた頃の効果が最も素晴らしいと言います。北壁に対峙して写真に夢中になるというのも、悠々自適というものです。ところが私は山に来てまで先を急ごうとしています。どうしても山を縦に走り抜けたいのです。気持ちが若いというのではなく、未熟ということなのでしょうか。 彼の話しによりますと、西遠見山まで行けば鹿島槍の双耳峰が見えるそうです。まだ時間が充分あるから行ける、見た目ほどには遠くないと言います。そしてお天気も明日の午後までは保証してくれました。午後から崩れるのでしたら、今日のうちに出来るだけ高度を稼いでおきたいものです。明日悪天で行動したくないからです。いま暫く鹿島槍の天狗尾根や東尾根の話しなどして彼と別れました。 大遠見山の去年の幕営地は雪でうまっていました。二重山稜だったのが、まん丸になっていました。途中二つのテントが張られていました。時刻は四時をすぎてます。私もキャンプサイトを探さねばなりません。でも、そこは雪山です。夏山ほど難しくはありません。鹿島槍南峰が見える平坦地でザックを下ろすことにしました。 3/22(金)今朝はまずまずの天気です。六時きっかりにテントをたたむことが出来ました。西遠見山の登りでは雷鳥を見ました。グエッグエッと声は悪いのですが、白一色の羽に眉毛を赤くして実にかわいらしい鳥です。冬毛の雷鳥は三、四年前に乗鞍岳で見て以来です。大いそぎでザックからカメラを取り出してパチリ。うまく撮れたでしょうか。高校生らしい二人パーティに追い抜かれました。ずっとワカンを履いてきて、白岳の急な登りでもそのまま押し通していました。雪は適度にしまっており、ワカンの必要はないのではと思いますし、急な斜面で、もしバランスをくずして転倒でもしたら足下の自由がきかなくなります。転滑落の危険がきわめて大きいと言わねばなりません。それならばむしろ何もつけない方がずっと安全でしょう。もちろん私の場合は西遠見の下りからアイゼンをつけました。今回の山行でワカンを携行するかどうか迷いましたが、いかに豪雪地とはいえ春山シーズン・インの北アルプスです。しかも連休とあって、きっと学生を初めとして多くの岳人が入山しているに違いないと考えて持って来なかったのです。多少のラッセルは覚悟していましたが、思った通り殆どその必要はありませんでした。 出発して一時間ほどで白岳の山頂に着きました。ずいぶん苦しい登りでした。高校生パーティは一人がかなり遅れています。縦走路を確認したあと、すぐに五竜山荘に向かいます。きゅうな下りをアイゼンをきかして降りて行きますと、山荘は雪深く半ば埋まっていました。念の為、冬季解放小屋があるかどうか探してみましたが、やはり完全に戸締まりされています。北アルプスでは登山者はマナーが大変悪いと言われております。羽目板は剥がして燃やしたり、そこいらじゅうに汚物はたれほうだい。何のために山に来るのか分かりません。有名山地には大勢の人が集まりますので仕方のないことかも知れませんが、悲しい事ですね。それはとにかく、少々疲れました。屋根裏の適当なスペースで一休みです。後から三人パーティがやってきました。顔付きを見るとベテランのようです。思わずプロの方でしょうかと聞いてしまいました。それぞれ職を持った社会人ですよとの答えです。若い女性がメンバーの一人で、なかなか足と腕のそろった実力あるパーティです。 三十分ほど休んだ後、ザックはその場所にデポし、カメラだけを持ってさあ出発です。でも足がなかなか動きません。どうも体調が良くないようです。すぐにあの三人パーティに追い付かれ、道をゆずることになります。五竜岳の登りは急雪壁のトラバースから始まりました。はるか下は谷です。怖くないはずはありません。さすが三千メートルの稜線です。冷たく強く吹き付ける風に足もとはクラストしています。しかしアイゼンの爪は良くきいています。滑り落ちることは先ずありません。岩やズボンのすそに引っかけて転ばないように注意すれば良いのです。続いて急な登りです。ピッケルのピックを雪壁に突き刺して手掛かりにし、足をけりこんで体をずり上げます。ゆっくり動作を行わないと長い行程を続けることは出来なくなります。そうは言っても、垂直に近い壁を登っているという意識が働いて、自然と早まってしまうものです。何度も呼吸を整えた後、またトラバースを経て最後に最も急な雪壁を登りきると、やっと頂上に飛び出しました。狭い頂稜の一角です。鹿島槍がすごい。今日これから行く唐松岳への稜線も手にとるように見えます。そして、おお! 北に立山、剱岳が浮かんでいるではありませんか。とにかく素晴らしいの一言です。 三十分も眺めていたでしょうか、それでも飽きることはありません。ただ、今日はまだ先があります。そろそろ降りなければなりません。さて、下りは登り以上に注意が必要です。手掛かりと一歩一歩を確実に、そしてリズミカルに降りて行ければたいしたものです。最近はどうも恐怖感が少し薄れ気味で、確実さを無くしている傾向がなきにしも非ずです。あらためて気をつけたいと思います。 登り一時間半が、下りは三十分で小屋に戻ってしまいました。我ながらうまく下りたようです。小屋の脇で昼食休憩とします。出発を十一時に決めて、小一時間の憩いです。たつた今下りてきた五竜岳を仰ぎ見て、あんなに険しい所をたどったのを、いつもの如く人間の力はすごいなあと驚嘆するのです。まもなく、三人パーティが姿を現しました。豆つぶのようです。 五竜の登頂に大満足した後は、白岳の山腹を左にトラバースして縦走開始です。稜線漫歩といきたいところです。しかし、ちょっと甘かったようです。白岳と五竜の登りでかなり疲れてしまってます。長い休憩をとった割に疲労は回復していません。逆に冷えたせいか両足がつってきました。そろそろ天気もあやしくなってまいりました。剱岳にガスがかかってきています。痛みをこらえて先を急がねばなりません。大黒岳を越えて牛首山の登りにかかる所は多少ラッセルがあり、エネルギーを消耗します。そして、これをクリアすると次に岩稜の登降です。多少難しい岩場の通過でも、ふだんならばかえって刺激になって山行を豊かにするのですが、疲労が激しい今日はなんとなくいやな感じがします。疲れで足があがりませんと、何でもない岩にアイゼンのツァッケを引っ掛けてしまったら大変なことになります。それにしても牛首山はすぐ目の前なのに、何度も小さな登降をくりかえしても山頂に届きません。とうとう雪が吹きつけてきました。視界もぐっと悪くなってきています。今や焦りを通り越して投げやりな気分が台頭してきました。ハァーハァーと荒い息にまじってため息も出てきます。こうした状況が一番危険な時なのです。急なガケを降りる時なぞ手掛かり足掛かりがはっきりしない内に体を移行させてしまいました。下は千侭の谷だというのに、もう落ちてもいいやと一瞬思ったりします。恐らくこんな時に遭難してしまうのでしょう。山登りに一番必要なのは、考えられるあらゆる手を尽くした後は目的を達成するんだという強い精神力、あるいはちょっとおおげさにいえば必ず生きて帰るんだという強い意欲だと思います。 肩で荒い息を繰り返しながら、やっとのことで牛首山の山頂に着きました。ここまで来ればもう唐松岳山荘小屋に着いたも同然です。この山は山荘との高度差があまりないのです。五分もくだればOKです。既に二時を回っていました。三時間も苦闘したわけです。予想以上の苦しい縦走でした。 前回は山荘の西側にツェルトをはりましたが、今回は反対側に風を避けました。テントの中で息をついても、食欲は全然出て来ません。山で極度に疲労すると、何を食べてもおいしく感じません。喉を通らないのが普通です。気分が悪く吐き気がずっと続くようでしたら、なるべく早く下山するにこしたことはありません。高山病にかかっていると思われるからです。平地に戻って一晩眠ればすぐに直ります。食欲も戻ります。しかし、そのまま高山に滞在しますと、たとえ一晩眠って休息十分でも食欲は出て来ないのです。高山病にかからないようにする為には、一気に高度差を稼がないことは言うまでもありませんが、極端な疲労を招くほど行動しないことです。 雪は夜になってかなり激しく降ってきました。テントのまわりは五、六十センチも積もってこのままではテントがつぶされてしまいます。濡れたダブルヤッケ上下を着て思い切って外に飛び出しました。両手をスコップにして雪かきです。これまた重労働です。 再びシュラーフにもぐりこんでヤレヤレと思っていたら、皮肉なことに雪は雨に変わりました。夜半に雪が雨になるなどとは初めての経験です。三千メートルの稜線ならではのことでしょう。とにかく、テントが雪に埋まる心配はなくなりました。存分に眠ることができます。 朝はゆっくりと六時に起きました。いつもなら、テントをたたみおわって出発している時間です。雨は小降りになっています。八方尾根の偵察に出てみました。降り積もった雪の下はアイスバーンとなっているので、面倒でもアイゼンをつけます。山荘の裏を上り切って、尾根への下降口まできました。視界は五十メートルぐらいです。不安ですが少し歩いてみて、行けそうな気がします。コースを間違っても日程に余裕がありますので、戻ることができるでしょう。 雪を溶かして水を作り、紅茶にしてテルモスに入れます。大福一つと紅茶一杯を胃袋にやっと流し込んで、出発は八時になりました。唐松岳山頂はガスで見えません。残念ですが今回は登頂をあきらめました。もし下山でルートを失い、体力をよけいに必要とした場合を考えて余力を残しておこうと思ったからです。 ラッセルを覚悟していたのですが、夜半からの雨のせいか結構しまっています。その上昨日まで大勢の人が往復したトレースがところにより残っています。なによりも要所要所に竹ざおが立つていて大助かりです。思い切ってテントを抜け出して正解でした。それでも慎重に歩を進めて、とうとう丸山ケルンまで降りてきました。ここまでくれば、もう安心です。ザックをおろして大休憩とします。雨もほとんどあがりました。見上げると、私のつけたトレースが一本の線となってガスの中に消えてゆきます。 上の樺を下山中、中年の三人パーティとすれちがいました。下の樺ではテントが張られています。ようやく尾根全体が姿を現しました。でも上の方はまだ深いガスの中です。陽が差してきました。第二ケルンで濡れたテントをかわかすことにします。このまま下界におりてしまうのが名残惜しく思えたからです。五竜岳に登って唐松岳まで縦走した感激をもう一度反芻してみるのでした。 videoプラグインエラー 正しいURLを入力してください。 トップへ
https://w.atwiki.jp/forest_road/pages/151.html
標識と周辺の写真 奈田良線の標識 奈田良線の様子 主要地方道11号線の定峰峠と奈田良線の分岐地点 奈田良線より見た風景 ルート #alpslab_route 林道の説明 主要地方道11号線の定峰峠から白石峠に至り、奥武蔵1号線に繋がる舗装された林道で、奥武蔵グリーンラインと呼ばれる外秩父の稜線上を走る林道群の一部です。 終点の白石峠付近で白石線が合流します。 (2008 01/14/) 関連する林道 埼玉県 奈田良線 奥武蔵1号線 奥武蔵グリーンライン 東秩父村 白石線 舗装林道 荒川右岸 コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/wangel/pages/161.html
2010年8月12日(木)~17日(火) 北アルプス(表銀座) 猛暑・猛暑・猛暑…と騒がれる中、山の稜線での気温はやはり寒かった。 風が強く、強く雨が降りしきる経験ができたことはよかった。 個人的な体感温度は10度前後ではないかと思ったほどである。 3000m近い地点では一般的に下とは15度違うと言われている。 だがしかし… 雨に打たれ冷え切った身体を温かい仲間とともに支えあった。 なんてメルヘンなことはないけども!笑 ワンダーフォーゲルは全員登山を前提している。 あいにくの天気 部員の体調不良・・・等 やはり山は難しい。 大天井・常念岳の断念は我々の勇気ある決断だと誇りに思う。 同じ北アルプスでの遭難事故 他大学の沢での鉄砲水死亡事故が騒がれる中で 全員無事に帰ってこられました。 みんなお疲れさまでした。 今回帯同してくださった、前原監督、山口先輩、工藤先輩に感謝と見送りに来ていただいた各先輩に無事下山したことをここに報告させてもらいます。 ☆活動報告☆(体調不良者に関して個人名を出すことは控えさせてもらいます。) 12日 曇→雨。順調に出発。雨が降り出す中、中房温泉テン場到着。テントを張ってここに泊まる。20時就寝 13日 曇。4時起床。燕岳を目指し6時出発。燕岳登頂に成功。標高2762.9m。この過程で体調不良者Xが出る。 L集で明日以降のシミュレーションを確認し、20時燕山荘のテン場にて就寝 14日 雨。4時起床。常念岳を目指す。体調不良者Xの点滴を待って出発を90分遅らせる。7時30分出発。 60分くらいの稜線歩きの途中でXの体調の悪化に伴い、引き返す。この日も燕山荘のテン場にて宿泊。 L集で明日以降のシミュレーションを立てる。20時就寝 15日 曇。4時起床。低気圧の接近とXの体調不良に伴う人手の不足から中房温泉のテン場に下りることをメンバーに伝える。 中房温泉テン場到着。統一食当を行う。20時就寝 16日 曇。4時起床。7時に貸切バスに乗り込み、小梨平キャンプ場に移動。上高地周遊する。 夕飯は統一食当。反省会をやり、キャンプファイヤーをする。就寝時間はなし。 17日 晴。7時起床。朝から統一食当。その後河原で解散式をやり、バスでホテルに移動。 チェックインを済まし、パーティごとに分散打ち上げ、21時30分から全体で打ち上げをする。 ☆以上活動報告概要☆ トップに戻る P1写真(9月掲載予定) P2写真(掲載済み) P3写真(9月掲載予定) P2写真(掲載済み) トップに戻る
https://w.atwiki.jp/wotrainee/pages/30.html
このページは? 文字通りLTについての雑学をつらつらと書いていくページです。 主に偵察や視界、隠蔽関連の記事がメインになります。 他のページに比べ、内容が前後することもありますがご了承ください。 軽戦車のターニングポイントはTier4! Tier1~3までの軽戦車は対応したTier帯に置ける主力戦車として扱われます。 しかし、Tier4以上の軽戦車(AMX40を除く)は主力として組まれることもありますが、基本的には上位Tierの偵察枠になります。 これまでのように無策に突っ込んで機関砲をポンポコしてると一瞬で撃破され、味方からはSuiScoutと煽られるでしょう…… Tier4以降の軽戦車は自分が華になることを忘れ、偵察や自走砲狩りに専念すべきです。 偵察色々 置き偵察 偵察行動の最も基本のスタイルです。 最前線や敵の侵入経路を見れる位置にある茂みに身を隠し、位置情報を送り続けます。 茂みの隠蔽効果を最大限に活かす為、発砲は絶対に避けてください。 主に前線に向かってくる敵や、発砲補正がかかっている敵を狙ってスポットします。 重要となるのは、マップ知識です。 このページだけでは補完しきれないので、リプレイを参考にしながらポジションを開拓していきましょう。 走り偵察 文字通り、最前線付近を走り回って敵の配置を探ります。 主に、置き偵察では発見できない茂みの隠蔽を活かしている敵や奥まったポジショニングをしている敵を狙ってスポットします。 当然、死のリスクは最も高くなりますが、適切な走り偵察は置き偵察よりも一層強力な偵察手段と言えるでしょう。 開幕に敵陣に向かって走ってそのままお亡くなりになる軽戦車は走り偵察ではなく、"SuiScout"と言われるゴミです…… マリノフカの開幕西側等では戦果を上げることもできますが、結局のところそれはただの運がよかっただけです。 たまたま敵が油断して、たまたま甘い狙いの弾が外れて、たまたま味方の甘い弾が当たっただけに過ぎません。 WoTを上手くなりたい、活躍したいと思っているのであれば、開幕特攻は絶対に止めましょう! 軽戦車の走りが本当に必要になるのは開幕ではなく、ある程度お互いの戦力が欠けた後、即ち試合の中盤以降です。 軽戦車だからと言って命を適当に使うのではなく、より効果的に敵の格上を食うのに使いましょう。 稜線偵察 前述の走り偵察の中でもリスクを極力抑えたものが、この稜線偵察です。 後ほど詳しく説明しますが、このゲームでは戦車の視界は大体砲塔の頂点、キューポラの辺りから伸びます。 なので、切り立った稜線をなぞるように走ると、ちょうど頭の先端だけを見せながら敵の動きを探れます。 この稜線偵察はリスクの割にリターンが高い行動ですが、走れるマップが多少限られています。 プロクポロフカ中央・砂の川中央北側・聖なる谷北側の崖等が有名です! 視界と隠蔽色々 視認距離と隠蔽率の計算 このゲームでは車両ごとに視認距離と隠蔽率というステータスが設定されています。 前者は言わずもがな、視界の長さです。 後者は「敵車両の視界の長さに対する防御壁」のようなものです! 視認距離に入ったら無条件で発見されるわけではなく、敵車両の隠蔽率により多少薄められてしまいます。 (ここに計算式) 言うまでもなく、発砲した場合は発砲補正により隠蔽率が悪化し、かなり遠距離でも発見されてしまいます…… 移動中の場合は更に下がりますが、軽戦車は車両特性により移動中の隠蔽率悪化がありません。 つまり「茂みを盾にするように前進してそのまま茂みの中に居座る」という行動が他の車両よりやりやすいです。 発見可能距離 (ここに計算式) 視界はどこから伸びる? 戦車の視界の始点を意識したことがありますか? このゲームでは基本的に戦車の砲塔の頂点、キューポラ付近から視界が伸びます。 なので、塹壕や建物の窓から頭の先っぽを見せるだけでも視界を通すことができます。 前述の稜線偵察はこの仕様を利用した、安全性の高い走り偵察の一種です。 逆に言えば、敵から見て頭の頂点がこちらに対し遮蔽物等で隠れている場合、敵車両はこちらを発見することができません。 身体隠して頭隠さず 上の一文を利用し、曲がり角や建物の裏に入ろうとしている車両がいるとします。 すぐに撃ち込むのではなく、敵車両の砲塔が物陰に隠れた瞬間に車体側面後部等を攻撃することで、スポットを避けることができます。 敵車両は既に頭を隠してしまったので、はみ出てるケツを蹴り上げられてもその様子を見ることができないのです。 自走砲狩り 高隠蔽と快速を活かして敵陣の最後衛の自走砲を狩るのも軽戦車の仕事です。 マッチングに対して戦力になりにくい軽戦車は、時にリスクが高い行動を他の車両の代わりに行うこともあります。 自走砲は基本的に足も遅く、HPも低いので、一度絡んでしまえば敵ではありませんよ! 経路選択 さて、当然狩るべき敵が潜んでいる場所を知るべき! これに関してはマップ毎の定石でも触れていく予定です。 マップ毎に自走砲が潜んでいる場所に目星をつけたらサァ突撃……ではありませんよ! いくら軽戦車が小さくて早いと言っても、本気で待ち構えている敵の砲撃を全て避けるのは至難の業……というか運です。 なるべく敵の目が少ないところを侵入経路にしましょう。 といっても15台も車両が構えているのに目が少ないもクソも…… 時を待つ ということで、いきなり自走砲狩りに行くのではなく、開幕はリスクの少ない偵察に徹して時を待ちましょう。 この時、常にミニマップと敵の配置には常に注意すべきです。 味方との交戦によって外周等の僻地の敵が殲滅されたのを確認したら、自慢の快足でそこを侵入の足がかりにしましょう。 後述の「前線に絡む動き」もそうですが、軽戦車で重要なのは焦らずに時を待つこと、と言えます! 前線に絡む動き 市街地マップや軽戦車過多の編成の時、軽戦車は開幕特攻して死ぬしかないのでしょうか。 否!軽戦車だからといって命を無闇に投げ捨てている内は万年初心者です! たしかに、マッチングする車両群に対しては貫通力もありません……装甲だって紙っぺらです…… ですが低くても立派なHPがありますし、なにより機動力があります!(AMX40君はそこで座ってて) どうせ死ぬのなら、何も成し得ない死よりも味方を勝たせる死を選ぶのが一流の戦車兵です! LTのHPも立派な盾 「LTは装甲が薄いから盾にはなれない」というのは間違えです。 Tier9以上の試合での偵察や、105mm榴弾砲相手では一撃即死も十分にありえますが、大抵の場合は一発程度ならば耐えることができます。 (Tier帯の平均単発ダメージを軽く調べておきましょう) これを活用し、瀕死の味方が前に出れない場合に、あえて敵重戦車や駆逐戦車の的になり彼らのリロード時間を作ってあげましょう。 もし回避に成功した場合は後述の「後ろを向かせる動き」を狙ってみたり、一度下がって相手の的を絞らせないようにします。 このゲームの撃ち合いを理解している味方ならば、きっと貴方の作った時間を有効に活用してくれるでしょう! 相手に後ろを向かせるという行為 正面からではまともに貫通させられない軽戦車でも、背面からなら十分にダメージを与えるチャンスがあります。 貫通さえしてしまえば、履帯ハメやモジュール破壊等も狙うことができます。 同格戦車同士が睨み合っている場面では、一発受けるのを覚悟で脇をすり抜けて敵車両の背面に回りこみましょう。 相手が削りやモジュール破壊を嫌がって貴方を狙う為に砲塔を回せば、睨み合っていた味方が安全に貫通させることができます! 与えられたダメージは近接戦闘ボーナスや観測ダメージボーナスとして貴方の経験値にも繋がりますし、なにより勝ちに繋がります。 相手の車両に「こんな奴撃ってる場合じゃねぇ!うぜぇ!」と思わせるように、数の有利を作っていきましょう。 偵察潰し 敵チームで撃たずに隠れているスポッターの軽戦車や中戦車に思いっきり接近するのも有効です。 当然死亡のリスクは高くなりますが、敵チームの一方的な攻撃が続く場合は思いきってゲームの流れを変える必要があります。 敵が潜んでいるであろう茂みや建物にベタ付きし、50m補正で発見してやりましょう! 相手が嫌がって逃げたり発砲した場合、隠蔽率が低下しそれはそれで発見することができます。 まとめ とにかく敵が貴方を排除することにリスクを負わせるようにしましょう。 開幕特攻や味方が全滅してからの特攻ではただの的になるだけでなにも変わりません…… 相手に対し、理不尽なトレードを持ちかけるのが前線軽戦車のコツ! 敵チームの後衛の数や配置を予測し、前線で浮いている敵や味方に絡んでいきましょう。 前述の「時を待つ」ということも常に頭に入れておいてください!