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村田春樹_創氏改名は差別ではない! <目次> ■はじめに ■創氏改名のきっかけ ■日本人の名前と朝鮮人の名前の違い ■「創氏」について ■「改名」について ■創氏改名の届出についての告知ビラ ■満州で差別されていた朝鮮人からの強い要望がありました ■「改名」は完全な申請制でした ■補足 ■参考文献 ■ブログランキング応援クリック ■はじめに | 前総理大臣である麻生太郎氏は 以前「創氏改名は朝鮮人が望んだものだった」と発言されたことがあります。 もちろん、韓国・左翼など反日勢力に非難されましたが、 真実は麻生氏の言う通りなのです。 ■創氏改名のきっかけ | 日韓併合によって朝鮮人は念願の日本国民になることができましたが、1つ問題がありました。 それは「日本国民だ」と言っても名前を言えば一発で朝鮮人とバレてしまい、 支那人に馬鹿にされてしまうということです。 そこで朝鮮人は日本政府に自分たちが日本風の名前を名乗ることを認めるよう要求しました。 そして日本政府は1940年2月11日にこれを朝鮮・台湾で認めました。 これが「創氏改名」です。 ■日本人の名前と朝鮮人の名前の違い | 私たち日本人の名前は「氏」と「名」から成り立っていますが、 朝鮮人の名前は「族譜(一族の名前)」と「名」から成り立っています。 「族譜」というのは日本でいえば、「源氏」・「平氏」のようなもので、 例えば「源氏の足利尊氏」ならば、 「族譜」が「源」、「氏」が「足利」、「名」が「尊氏」になります。 ■「創氏」について | 創氏改名の「創氏」とは、朝鮮人の名前に新たに「氏」を加えることです。 「創氏」であって「改氏」ではないのはこのためです。 ただ、この「氏」を日本風にするかどうかは任意で、届け出を出さなければなりませんでした。 例えば「李○○」という名前の人が届け出を出さなければ、この人の「氏」は「李」となります。 また朝鮮人の「族譜」は、彼らの伝統を尊重して戸籍に残しました。 ちなみに「創氏」は無料でした。 ■「改名」について | 日本風の「名」に「改名」するかどうかも任意でした。 しかも、「創氏」と違って「改名」をするのは有料でした。 ■創氏改名の届出についての告知ビラ ※クリックすると拡大されます | 強制制ではなく申請制だったことがわかります。ひらがなの横には読めるようにハングルでも書かれています。 期限は刻々に迫る 八月十日限り 今熟慮断行の時 認識を誤って悔いを子孫に残さぬよう △好機を逸さぬよう! △即刻届け出しましょう! 1. 創氏届け出は八月十日までです。その後創氏届けはできません。名の変更には期限がありません。 2. 八月十日までに氏の届けをなさぬ者は従来の戸主の姓がそのまま氏となる結果、戸主の姓が金なれば、金が氏となり、妻尹貞姫は戸主の氏に従い金貞姫となり、子婦の朴南祚は金南祚となり、紛雑するおそれがあります。 この結果は内地式を設定しなかったことをかえって後悔することになるだろうと思われます。 3. 氏と姓とを混同する向きがあるようですが、氏は家の称号であり、姓は男系の血統を表するもので、両者の性質は全然異なっております。 4. 氏を設定すると従来の姓がなくなるという誤解があるようですが、氏設定後においても姓および本貫はそのまま戸籍に存置されますから心配ありません。 5. 門中または宗中は同一の氏を設定しなければならぬと考えられている人もありますが、大いなる誤解であります。氏は家の称号であるがゆえに、各家異なる氏を設定するのが当然であります。 6. 氏選定について熟慮中のようですが、考えすぎるとかえって迷うおそれがありますから、速やかに簡明なものに決定するのがもっとも理想的であります。 7. 期限も迫りました。不審の点は早く府面邑または法院へお問い合わせください。 大邱地方法院 府面邑--- 市町村 http //ameblo.jp/worldwalker2/entry-10009074492.html ■満州で差別されていた朝鮮人からの強い要望がありました 日韓併合当時、満州には150万の朝鮮人がいた。 彼らは絶えず漢人から圧迫され、摂取され、 農奴に近い生活を強いられていた。やがて朝鮮人狩りが起こる。 朝鮮人を最も嫌っていたのは張作霖で、 「満州には朝鮮人を一人も入れさせない」 と息巻いていたほどである。 この朝鮮人迫害は漢人、韓人たちの満州資源争奪の争いを助長した。 このような歴史背景下で、朝鮮人たちの唯一の救いは、 当時世界五強のひとつであった大日本帝国の臣民となることだった。 唯一、中国に対抗できる切り札であったため、 朝鮮人たちはすすんで創氏改名を強く要求したのである。 日本こそが朝鮮人にとって合邦国家の民族の誇りであり、 中国人の跋扈に対抗できるただひとつの勢力だったのだ。 韓国は日本人がつくった (WAC BUNKO) ■「改名」は完全な申請制でした 「改名」については義務化されず、完全な申請制で、 申請手続きには手数料も取られている。 実際には、強制ではなく、あくまでも自己申告制の「任意」であった。 朝鮮総督府への申告というのは、つまり、 被治者が治者側と同階層になれるというものであり、 「日本人と同じになりたければどうぞ」という寛大な措置で、 本来ならば上流階級にのみ与えられるべき一種の特権であった。 当時、半年の届け出期間中、 朝鮮人の約八割もが創氏改名(法定創氏以外)を行っている。 創氏改名のきっかけとなった理由のひとつに、 満州へ移住した朝鮮人からの要求があった。 日本からみて朝鮮は、合邦相手国である上に、 日鮮同祖論という親近感があり、 創氏改名は一種の同胞意識の表れだったといえる。 一方、台湾は合邦というより新領土であり、改姓名は簡単には許されず、 むしろ改名は「高嶺の花」であった。 日本の植民地の真実 ■補足 | 今まで書いてきたように、朝鮮人が日本風の名前にするかどうかは任意でした。 朝鮮人の軍人で最も出世した人に 洪思翊陸軍中将 がいますが、 彼は日本風の名前に変えてはいません。 つまり、日本風の名前に変えなくても差別されることはなかったのです。 ■参考文献 『日本人として最低限知っておきたい近現代史の必須知識』渡部昇一・水野靖夫、PHP研究所 ■ブログランキング応援クリック | 真実を国民に知らせるために ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (人気ブログランキングへ)
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万宝山事件(まんぽうざんじけん)とは、1931年7月2日に満州内陸に位置する長春の北、三姓堡万宝山の朝鮮人農民を、中国人農民が水利の利害関係より襲撃、さらに日本の警察官とも衝突した事件。この事件を契機に朝鮮半島で中国人排斥の暴動が発生し、多くの死者重軽傷者がでた。 原因と経緯 この事件の経緯については、中国、朝鮮語版とも全く異なる解説をしているので、中立の立場からすべて翻訳し、記述した。確認は詳細を見られたい。中国、朝鮮語版では侵略の口実を作る日本の陰謀であるとしている。 なお、アジア歴史資料センターの資料によれば、中国語版WIKIPEDIAの記述内容は、中国共産党の宣伝パンフレットの内容に一致している。また、朝鮮語版WIKIPEDIAに関しては外部リンク(韓国語)の内容と一致している。 ref name= shibun 参看 亜細亜歴史中心 資料 Ref.B02030177800 8頁 [1]具体的には、虚偽の報道を流し暴動を扇動し、その報道を行なった朝鮮人記者を口封じのために殺したとしている。 ref name= konkyo 両国のWIKIPEDIAでの記述は以下の通り。 中国語版WIKIPEDIA 朝鮮語版WIKIPEDIA 中国語版での解説 朝鮮語版での解説 日本語 日本の画策で発生した中朝の衝突事件。東北3省を横領するために世論操作の為に起こした。 日本の謀略で朝鮮人農民と中国人農民の間に水路問題で起こった流血事件。 偶然的事件。 詳細 年代 中国語版での記述 朝鮮語版での記述 アジア歴史資料センターによる内容 1931年 中国人の郝永德が長農稲田会社を設立(無許可営業) 日本が中国人郝永德を買収し行なった事業。日本が会社の資金提供。日本が郝永德をマネージャとして任命。 中国新聞報道に記載 ref name= B02030177800-1 アジア歴史資料センター Ref.B020301778002画像目。内容は中国版と一致。無許可については県の許可ありの記述無頼の徒、郝永德は某国人と長く相往来し、自ら私利を量り貨殖を心切なるを以って遂に今春 巧に長春租界内に長農稲田公司を設立して。。 ref name= B02030177800-13 アジア歴史資料センター Ref. B02030177800 13画像目 在吉林日本領事館記録 1931年4月16日 郝永德が万宝山付近12戸の中国人の土地を騙し取る。郝永德は騙し取った土地を違法にも朝鮮人 李升薰等188名に又貸し耕作をはじめさせた。 4月16日郝永德が蕭翰林等周辺11戸の土地の10年間租借契約を結んだ。(県政府の承認が無ければ無効であった)県政府の正式承認を得ないで、この土地を朝鮮農民李昇薫等8人に10年間賃貸契約を締結し、さらに李昇薫はこの契約を根拠で朝鮮農民180余人をこの地方に移住させて開拓に取り掛かった。 上記新聞報道で確認するも12戸ではない。 これらの朝鮮人は『馬家哨口』から『姜家窝堡』まで関を設けて堤を作って水渠を20里(1里=約500m)にわたって掘った。(写真) 朝鮮農民は最初に伊通河に通じる潅漑水路工事(長さ約 2,000余里、幅約9メートル)をおこなった。 同左 1931年5月20日 5月20日 馬家哨口の農家200人余りが上告をした。吉林省政府は第1273号《指令》を出した。指令は『朝鮮の移民は当局の許可をまだ得ていないのに勝手に農村に入り、約束を違えているので、県の役所に指令を出し、公安警察を出動させ、中止させて、朝鮮人農民を追い出す。』というものであった。朝鮮人はすぐさま立ち退く様子でこれで事態が終わろうとした。 この水路開拓と堤防築造が他人の土地である近所農地に影響し被害が多くなった。このために土着中国農民たちは反対運動を起こして現政府に嘆願申請をし、工事進行を強制停止させた。 p 契約書上では、現政権の承認がなければ日本の代理人である郝永德と中国人地主間契約が無効になり、朝鮮人農民たちの開拓作業も根拠が消える。 しかし、そこに日本の駐長春 田代重德領事が、「朝鮮人保護」の為に日本の警察を現場に派遣し、朝鮮人の立ち退きを制止し、しかも7月5日までの期限で築渠を完成するように命じた。 日本領事館所属警官6人がこの工事を強行し、日本警察60人が中国農民の反対を武力で抑圧した。水路工事は1931年6月末に竣工した。 7月1日 中国農民約 400人余りが共同で、溝を埋めて、堤を壊した。 中国農民約 400人余りが7月1日に一揆を起こし、潅漑水路約2里を埋沒する事件が発生した。現場にあった朝鮮人農民、日本領事館警察と中国人地主、住民の間に衝突が起きた。この時日本警察は中国人農民に無差別発砲し、多くの被害を出し、中国政府側はここに強硬に対抗したが日本は何らの誠意を見せず、曖昧な態度だった。 7月2日 日本の警察は中国農民を鎮圧し、双方は対峙した。後に日本武装警察を増やし、日本軍が警察を保護し工事は7月5日に完成した。 日本は朝鮮日報の記者 金利三を通じて、ニュースを捏造し、200人余りの朝鮮人が万宝山で殺され、さらに後の報道では、殺された朝鮮人が800人以上であるとした。これによって、朝鮮半島では大規模な中国人排斥運動が発生した。現地で142人が殺され、546人が負傷し、91人は行方不明となった。さらに財産の損失は限りなかった。 朝鮮内各新聞は同族を愛して同情する朝鮮民族の純粋な民族感情を刺激して朝鮮内に居留する中国人を敵視する運動を挑発させた。 アメリカ-イスパニア戦争時のように歪曲されたマスコミ報道で民族感情を刺激するのだ。このために仁川を筆頭で京城・原産・平壌など各地で中国人排斥運動が起き、 平壌では日中に中国人商店と家屋を破壊して殴り・虐殺する事件が何日間続く残忍な暴動で拡散していった。 朝鮮総督府と日本警察はこの事態を座視する一方、 形式的に制止の態度を見せたが極めて消極的で冷淡だった。しかしこの暴動が沈むと総督府政府は断固たる態度で広範囲な検挙を始めた. 7月14日 金利三は「吉長日報」の紙面で「謝罪声明」を発表し、自分が嘘の報道を行なったことを認め、自分が日本の領事館に愚弄されたこと発表した。日本は、これらの露見することをおそれ、吉林日本の警察署の朝鮮人の巡査 朴昌厦 に 金利三 を暗殺させ、口封じをした。 メモ 日本の主張 - 郝永德は以下の租借契約を結んだ。 これら朝鮮人が取水口から20里にわたる用水路を作った。(朝鮮語版では作成したのは日本) 7月2日、武装した満人農民約四百人と対峙した日本警察約60人が暴徒に対して発砲 中華民国資料 死者0 日本の主張 共匪資料では死者十名 7月2日に朝鮮日報長春支局記者金利三が200人が万宝山で死亡の報道 その後死亡者数を800人以上と報道の号外 7月5日平壌在住支那人が襲われ、死者37名、重軽傷者93名 ref name= B02030167400-1 アジア歴史資料センター Ref. B02030167400 画像1枚目 7月14日 朝鮮日報長春支局記者金利三、誤報であったとして謝罪訂正記事発表。 7月15日 金利三、日本警察巡査(朝鮮人 朴昌厦) ref name= B02030180500-1 http //www.jacar.go.jp/cgi-bin/image.cgi?image=2 refcode=B02030180500 page=1 magnification=100に殺害さる。 脚注 外部リンク および参考文献 太平洋戦争への道 日本国際政治学会太平洋戦争原因研究部 朝日新聞社 万宝山事件(中国語 簡体字) 万宝山事件(中国語 繁体字) ハンギョレ新聞 2001/03/13-350 万宝山事件(朝鮮語) 聖公会大学校 教授 한홍구 専門 韓国現代史 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月5日 (金) 21 42。
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宮中顧問官(きゅうちゅうこもんかん)は、皇室または王室制度が存在する国の官職。多くの場合名誉職的な意味合いが強い。 日本の宮中顧問官 日本では、大日本帝国憲法下で宮内大臣の諮問に応じる職であった。 内閣制度創設の際に、明治18年太政官達第68号により内閣とは別に宮内大臣・内大臣と並んで設置された。名称中に「宮中」とあるように、戦前の日本では皇室・皇族関連を宮中、内閣以下政府を府中とし、宮中の制度に政府は関与できなかった。勅任官で、国家に勲功のあった者の中から選ばれた。1945年11月24日に廃止された。 主な任官者 池田謙斎(陸軍一等軍医正男爵医学博士、侍医局長) 伊地知正治(伯爵、修史館総裁、一等侍講、宮内省御用掛) 伊藤博文(内閣総理大臣、枢密院議長:1889年10月30日~1891年6月30日?) 井上馨(侯爵、大蔵大臣、明治20年9月-明治21年7月) 井上通泰(貴族院議員、芸術院会員、御歌所寄人) 岩倉具綱(従一位参与、宮内省掌典長、岩倉具視の養子) 岩倉具経(男爵、岩倉具視の子) 岩佐純(男爵、宮中侍医) 岩村通俊(男爵、会計検査院長、北海道庁長官、農商務大臣) 大木喬任(伯爵、枢密院議長、文部大臣) 岡玄卿(男爵医学博士、侍医頭) 小笠原長生(海軍中将功四級子爵、宮内省御用掛、学習院御用掛、香取艦長、東宮御学問所幹事:1921年4月21日~1945年11月24日) 尾崎三良(男爵、法制局長官、元老院議官) 桂潜太郎(従三位勲二等、東宮主事、東伏見宮別当、富美宮御養育掛長、泰宮御養育掛長、爵位局主事、宮内書記官) 加藤弘之(男爵、東京帝国大学総理、元老院議官、貴族員議員、帝国学士院院長、枢密顧問官) 楫取素彦(正二位勲一等男爵、元老院議官、群馬県令、貴族院議員) 川田甕江(漢学者、東宮侍講、東京帝国大学教授、華族女学院校長、帝室博物館理事、貴族院議員) 川村純義(海軍大将、枢密顧問官) 木戸孝正(侯爵、東宮侍従長) 清岡公張(子爵、元老院議官、図書頭、枢密顧問官) 清棲家教(伯爵、山梨県知事、茨城県知事、新潟県知事、伏見宮邦家親王第一五王子) 国分三亥(朝鮮総督府高等法院検事長、久邇宮家宮務監督) 小牧昌業(文学博士、内閣書記官長、奈良県知事、帝室博物館長、貴族院議員) 佐佐木高行(参議兼工部卿、枢密顧問官、皇典講究所所長、國學院大學学長) 佐藤正(陸軍少将従二位、広島市長) 佐野常民(伯爵、農商務大臣、大蔵卿、枢密顧問官、元老院議長、内国勧業博覧会副総裁:1885年12月~1888年) 税所篤(子爵、元老院議官、奈良県知事、枢密顧問官) 品川弥二郎(子爵、農商務大輔、御料局長、枢密顧問官、内務大臣:1876年6月~?) 白根専一(男爵、愛媛県知事、愛知各県知事、内務次官、逓信大臣) 副島種臣(伯爵、参議、外務卿、内務大臣、枢密院副議長、枢密顧問官:1886年~1888年) 園田安賢(男爵、警視総監、北海道庁長官) 高崎正風(男爵、御歌所長、枢密顧問官:1889年~1895年、國學院大學学長) 伊達宗陳(侯爵、宇和島伊達家第10代当主) 田中光顕(陸軍少将男爵、宮内大臣、内閣書記官長、陸軍省会計局長、警視総監、元老院議官) 堤正誼(男爵、宮内次官) 寺島宗則(伯爵、参議、外務卿、元老院議官、駐アメリカ公使、枢密院副議長、枢密顧問官:1885年~1888年) 長崎省吾(日本赤十字社理事、式部官、宮内書記官、宮内大臣秘書官、調度頭、閑院宮附別当) 鍋島直大(麝香間祗候、元老院議官兼式部頭、式部長官、貴族院議員、イタリア公使、佐賀藩第11代藩主、國學院大學学長) 奈良原繁(男爵、日本鉄道会社社長、元老院議官、沖縄県知事、錦鶏間祗候) 西村茂樹(従三位、華族女学校兼任) 二条基弘(公爵、摂家) 橋本綱常(陸軍軍医総監従四位勲三等子爵医学博士、東京帝国大学医学部教授) 花房義質(子爵、ロシア公使、伏見宮別当、宮内次官、帝室会計検査局長、日本赤十字社社長) 原恒太郎(従三位勲二等) 土方久元(伯爵、内閣書記官長、元老院議官、農商務大臣、宮内大臣、帝室制度調査局副総裁、臨時帝室編修局総裁、皇典講究所所長、國學院大學学長) 船越衛(男爵、千葉県知事、宮城県知事、貴族院議員) 北条時敬(貴族院議員) 穂積八束(東京帝国大学教授、貴族院議員、枢密院書記官、法典調査会査定委員) 三島毅(東京帝国大学教授、東宮侍講、大審院判事、新治裁判所長、二松学舎創設者:1830年~1919年) 三室戸敬光(子爵) 平山成信(男爵、内閣書記官長、枢密顧問官、日本赤十字社社長、行政裁判所評定官) 福岡孝弟(子爵、司法大輔、元老院議官、文部卿、参議、参事院議長、枢密顧問官) 福羽逸人(正三位勲一等子爵農学博士) 藤波茂時(子爵) 真木長義(海軍中将男爵、海軍裁判所長、海軍機関学校長) 松浦寅三郎(女子学習院長:1932年8月~1945年11月) 三浦梧楼(陸軍中将子爵、西部監軍部長 陸軍士官学校長、学習院長、朝鮮公使、枢密顧問官) 元田永孚(男爵、枢密顧問官、侍講、皇后宮御用掛) 柳原前光(伯爵、枢密顧問官、元老院議長) 山尾庸三(子爵、工部卿、参事院副議長、有栖川宮別当、北白川宮別当:1885年12月23日~1888年2月7日(法制局長官を兼任)) 芳川顕正(東京府知事、文部大臣、司法大臣、内務大臣、逓信大臣、枢密顧問官、紙幣頭、皇典講究所所長、國學院大學学長) その他の宮中顧問官 諸外国にも、宮中顧問官制度が存在した。 オーストリアでは、王室制度の無くなった現在でも敬称として使用されている。 哲学者・科学者として有名なG.W.ライプニッツは、プロイセン王国の宮中顧問官に就任していたことがある。 関連項目 宮内省 - 宮内庁 内大臣 - 内大臣府 枢密院 - 枢密顧問官 栄典 - 位階 - 勲章 - 爵位 麝香間祗候 - 錦鶏間祗候 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月6日 (木) 08 21。
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トップページ>韓国>韓国近現代史研究 『韓国近現代史研究』40、2007.3 研究論文 呉瑛燮「開化期安泰勲(1862-1905)の生涯と活動」 朴鍾隣「1920年代社会主義思想の受容と一月会」 魏志江「中山大学と韓国独立運動の関係」 이상의「1930年代朝鮮総督府殖産局の構成と工業化政策:商工課を中心に」 朴潤栽「1930-1940年代趙憲泳の漢医学認識と東西折衷的医学論」 姜英心「終戦後中国地域「日本軍慰安婦」の行跡と未帰還」 朴二俊「玄俊鎬の資本形成過程と親日行為」 批評論文 韓哲昊「独島に関する歴史学界の時期別研究動向」 李信澈「日本の右傾化路線強化と韓・日歴史論争:安倍政権を中心に」 『韓国近現代史研究』39、2006.12 研究論文 李憲柱「1880年代初盤姜瑋の連米自強論」 鄭求先「開港後(1876-1894)日本の治外法権行使と韓国の対応」 梁弘錫「開港期(1876-1910)アメリカの治外法権適用論理と韓国の対応」 成淑璟「甲午改革以降(1894-1899)成均館の近代的再編」 河智姸「渋澤栄一資本の朝鮮工業株式会社設立と経営実態」 崔丙桃「満州同胞問題協議会の結成と解体に関する研究:1930年代初国内民族運動陣営の動向と関連して」 『韓国近現代史研究』38、2006.9 研究論文 韓哲昊「ジョージ・L.ショー(George Lewis Shaw)の韓国独立運動支援活動とその意義:逮捕・釈放過程を中心に」 金春善「朝鮮共産主義者達の中共加入と「二重使命」研究」 禹大亨「日帝下朝鮮におけるアメリカ技術政策の展開:移植から育種へ」 金周溶「満州地域韓人「安全農村」研究:営口、三源浦地域を中心に」 黃善翌「解放後台湾韓僑協会設立と韓人の未帰還」 呂聖九「解放後在日韓人の未帰還事例と性格」 批評論文 金勝一「サハリン韓人未帰還問題の歴史的接近と提言」 書評 蔡永国「中国東北地域の中の韓国近現代史を自信をもって暴いた力作:장세윤『중국동북지역 민족운동과 한국근현대사』명지사、2005年」 『韓国近現代史研究』37、2006.6 特集論文:解放直後海外韓人の未帰還 蔡永国「解放直後未帰還在日韓人の民族教育運動」 崔季洙「サハリン抑留韓人の国籍帰属と法的諸問題」 孫艶紅「中国北京地域韓人「犯罪者」処理と未帰還」 研究論文 具仙姫「清日戦争の意味:朝・清「属邦」関係を中心に」 金祥起「1906年洪州義兵の洪州城戦闘」 朴敏泳「韓末義兵の対馬島被囚経緯についての研究」 金性玟「1920年代後半光州地域学生運動組織の発達」 金英喜「国民総力朝鮮連盟の事務局再編と官辺団体に対する統制(1940.10-1945.8)」 梁正心「米軍政・李承晩政権の済州4・3抗争についての認識」 『韓国近現代史研究』36、2006.3 特集:解放直後国内民族運動勢力の活動と路線 李圭泰「解放直後建国準備委員会の活動と統一国家の模索」 高珽烋「解放直後大韓民国臨時政府の路線と統一運動」 李賢周「朝鮮共産党の権力構想と「朝鮮人民共和国」」 研究論文 李承烈「韓末日帝下京城の銀行家趙鎮泰・白完爀研究:伝統的商人のブルジョアジーへの転換に関する考察」 韓詩俊「李奉昌義挙についての中国新聞の報道」 韓相禱「中国管内地域独立運動勢力の韓国近代詩理解一端」 金志勲「中国の歴史課程標準高等学校実験歴史教科書の韓国関連叙述」 『韓国近現代史研究』35、2005.12 研究論文 張暎淑「西洋人の見聞記を通じて見た明成皇后の政治的位相と役割」 呉瑛燮「高宗側近沈相薫と堤川地域義兵運動との関係」 金淳碩「韓龍雲と白龍城の近代仏教改革論比較研究」 尹善子「日帝の経済収奪と開城の蔘業」 金泰国「「満州国」における日帝の植民支配論理」 金光載「「上海居留朝鮮人会(1933-1944)研究」 李完範「朝鮮共産党の信託統治路線変化過程(1945-1946)」 任松子「1950年代中・後半大韓労総中央組織の派閥対立様相とその性格」 書評 韓相禱「大韓民国臨時政府の学術の砦:金喜坤『大韓民国臨時政府研究』知識産業社、2004年」 『韓国近現代史研究』34、2005.9 研究論文 金賢淑「開化期政府雇用西洋人達の雇用実態と日常生活」 崔起栄「韓末崔光玉の教育活動と国権回復運動」 朴杰淳「扶餘長亭晋州姜氏門中の大倧教信仰と民族運動」 禹英蘭「1920年代後半日帝の経済侵略と間島地域農業の産業化」 張圭植「日帝下アメリカ留学生の近代知識受容と国民国家構想」 高珽烋「ハワイ中韓民衆同盟団(1938-1945)研究」 黃善翌「解放後大韓地域韓人社会と帰還」 書評 朴敏泳「韓末湖南義兵研究の新起源:홍영기『大韓帝国期湖南義兵研究』一潮閣、2005年」 『韓国近現代史研究』33、2005.6 特集:安重根義挙に対する認識 申雲龍「安重根義挙に対する国内の認識と反応」 尹善子「安重根義挙に対する天主教の認識」 韓相權「安重根義挙に対する在米韓人の認識:『新韓民報』を中心に」 金春善「安重根義挙に対する中国人の認識」 研究論文 金洋植「忠北線敷設の地域史的性格」 梁寧祚「6・25戦争時中国軍の持久戦戦略と軍事改革:朝中連合軍司令員彭徳懷の戦略を中心に」 辛珠栢「日本中学校歴史教科書2005年度検定本分析:日帝強占期と現代韓国関係を中心に」 書評 許東賢「崔起栄『韓国近代啓蒙思想研究』一潮閣、2003年; 崔起栄『식민지시기 민족지성과 문화운동』한울 아카데미、2003年」 資料紹介 柳子明「日本軍国主義復活を戯言と思ってはいけない」 趙庸旭「日本内韓人の「帰還」と韓国内日本人の「送還」に関する解放直前米国側資料」 『韓国近現代史研究』32、2005.3 研究論文 金喜坤「崔松雪堂(1855-1939)研究」 金容達「京畿道抱川地域3・1運動の展開と性格」 潘炳律「金立と抗日民族運動」 林鍾明「麗水・順天事件の再現と暴力」 研究動向 金ゲルマン「ロシア学界の「近代韓人の海外移住」に関する研究動向」 資料紹介 金炯睦「鄭在洪の活動と関連資料」 趙庸旭「中国内韓人に関する解放直前米国務部資料」 『韓国近現代史研究』31、2004.12 研究論文 孫湞淑「中韓米国臨時代理公使フーク(George C. Foulk)研究(1884-1887)」 呉瑛燮「驪江閔氏戚族と韓末義兵」 金祥起「韓末日帝下洪城地域儒林の形成と抗日民族運動」 金寿泰「韓末日帝強占期内浦地域の天主教」 金素伶「龍岩浦事件に対する大韓帝国の危機意識と対応」 金性玟「1920年代後半ソウル地域学生運動の組織と性格」 金寿子「李承晩の与党結成と活用」 趙成勲「6・25戦争以前韓国指導者の中国情勢変化認識と対応」 張泳敏「政府樹立以後(1948-1950)アメリカの宣伝製作」 資料改題 金賢淑「大韓帝国期米国顧問官文書解題」 『韓国近現代史研究』30、2004.9 研究論文 尹善子「李灌鎔の生涯と民族運動」 孫艶紅「1910-1920年代中盤北京韓人社会と民族運動の特徴」 韓知憲「1920年代初盤朝鮮総督府の大韓民国臨時政府に対する認識と政策」 朴賛勝「1920年代渡日留学生とその思想的動向」 金基承「裵成龍と安光泉の国家建設思想」 朴賛殖「北韓の「済州4・3事件」認識」 資料 韓圭茂「極東人民代表会議に参加した「朝鮮イエス教代表会」玄楯の「委任状」と彼が作成した「調査表」」 潘炳律「第2次世界大戦当時死の鉄道韓人捕虜監視員の運命」 Worawut Suwannarit「第2次世界大戦当時死の鉄道韓人捕虜監視員の運命」 『韓国近現代史研究』29、2004.6 特集 蔡永国「解放後BC級戦犯となった韓国人捕虜監視員」 李賢周「解放直後仁川の帰還戦災同胞救護活動:『大衆日報』記事を中心に」 鄭恵瓊「解放以後強制連行生存者の社会適応過程」 崔季洙「在外同胞法と在中韓人の法的地位」 研究論文 金淇周「開港期朝鮮政府の対日留学政策」 尹素英「韓末期朝鮮の日本近代化論理の受容:「和魂」論と「国魂」論の比較を通じて」 申奎燮「1920年代後半日帝の在満朝鮮人政策:「鮮満一体化」の挫折と「三矢協定」」 李鍾範「「5・18抗争」証言に表れた「基層民衆」の経験と生活」 『韓国近現代史研究』28、2004.3 研究論文 張圭植「開港期開化知識人の西欧体験と近代認識:アメリカ留学生を中心に」 金祥起「1908年唐津小蘭芝島義兵の抗日戦」 潘炳律「海外における大同団の組織と活動」 張世胤「満州地域韓人抗日武装闘争勢力の食生活と保険衛生」 任松子「1946-1952年大韓労総の内部葛藤とその性格」 辛珠柏「地方史研究方法、実際、歴史教育:光州・全南地方の民族運動史を中心に」 特集 金春善「光復後中国東北地域韓人の定着と国内帰還」 徐行「戦後華北地区韓僑の安置と送還:天津韓僑の管理と送還を中心に」 徐行「戦後華北地区韓僑の安置と送還:天津韓僑の管理と送還を中心に」(中) 張錫興「解放直後上海地域の韓人社会と帰還」 金勝一「台湾韓僑の歴史的遷移状況と帰還問題」 廉仁鎬「6・25戦争と延辺朝鮮人社会の関連性に関する一考察」 『韓国近現代史研究』27、2003.12 研究論文 朴銀淑「甲申政変主導勢力の参与層捕捉と武力動員」 申昌均「民族運動による伝統名家の社会経済的変化:安東義城金氏川前門中の場合」 韓詩俊「漢城政府の樹立と洪震」 盧鏞弼「1930年代「韓国社会に及ぼした天主教の影響」議論:主要日刊紙の報道内容を中心に」 金泳燡「韓国戦争期南韓内敵色パルチザンの再建と消滅(1950.10.5-1954.4.5)」 韓哲昊「北韓の歴史教育と近代史認識:「門戸開放」を中心に」 説林 趙東杰「国号・国旗・国家・国花はいつ、どのように作られたのか」 金正仁「日帝強占期思想史研究の現在と未来:張圭植『日帝下韓国キリスト教民族主義研究』혜안、2001年」 解題 金度勲「日帝の臨時政府動静報告資料」 『韓国近現代史研究』26、2003.9 研究論文 金允嬉「三国共栄論の経済発展方案と京仁地域大資本家の経済的志向(1894-1905)」 徐珍教「大韓帝国期政治支配勢力と政局運営:軍備強化策の推進と権力構造の変化を中心に」 張圭植「日帝下鍾路の民族運動空間:侵略と抵抗の対峙線」 朴杰淳「李源台の生涯と歴史認識」 鄭昞旭「日帝下個人貸金業と戦時経済:『不動産抵当個人間貸借金利調』(1929-1943)を中心に」 特集論文 廉仁鎬「解放後中国延辺朝鮮人社会の変動と学校教育」 研究論文 梁寧祚「韓国戦争期海外軍事経歴者の再編過程と政治化」 潘炳律「ロシア最初の韓人村地新墟」 『韓国近現代史研究』25、2003.6 特集論文 張錫興「解放後帰還問題研究の成果と課題」 呂聖九「全南咸平・長城郡帰還生存者の口述事例研究」 韓詩俊「大韓民国臨時政府の還国」 蔡永国「解放後在日韓人の地位と帰還」 金勝一「中国海南島に強制連行された韓国人帰還問題:朝鮮報国隊を中心に」 李平来「第2次世界大戦後モンゴルに連行された日本捕虜研究:韓人身元確認のための試論」 崔季洙「日帝強占期人的収奪に対する被害保障訴訟とその法的検討:民事法を中心に」 南潤三「ドイツ・ナチ政権下強制労働者の賃金請求に関する法的考察」 尹素英「1870年前後朝鮮の対日認識と政策」 申世羅「鄭淳萬の生涯と民族運動」 崔元奎「日帝土地調査事業における所有権査定過程と裁決」 李成雨「籌備団の組織と活動」 曺世鉉「1920年代前半期在中国韓人アナーキズム運動:韓・中アナーキストの交流を中心に」 金喜坤「安東出身社会主義運動家李準泰研究:1920年代労農運動を中心に」 李圭洙「布施辰治の韓国認識」 李英華「崔南善の文化史観と歴史研究方法論」 崔起栄「白水鄭烈模の生涯と語文民族主義」 高珽烋「太平洋戦争期アメリカの大韓民国臨時政府についての認識と不承認政策」 李剛秀「反民特委特別裁判部の組織と活動」 許宗「反民特委慶尚南道調査部の組織と活動」 李培鎔「韓国女性生活と意識変化についての現代史的考察:1948-1970年代を中心に」 書評 韓圭茂「天主教会史と民族運動史、そして共通分母探し:尹善子『일제의 종교정책과 천주교회』景仁文化社、2001年;尹善子『한국근대사와 종교』国学資料院、2002年」 鄭杜煕「口述史を通じた多様な暮らしの復元:Hildi Kang, Under the Black Umbrella Voices from Colonial Korea, 1910-1945(Ithaca London Cornell University Press, 2001」 資料 金容達「不ニ西鮮農場小作相議調査報告」 『韓国近現代史研究』24、2003.3 研究論文 金賢錫「甲午改革期日本の朝鮮保護国化政策と日本人顧問官の活動」 尹慶老「西欧の「停滞論的」韓国像:オリエンタリスト的な認識を中心に」 尹善子「日帝下宗教団体の経済的基盤確保過程」 金寿泰「安在鴻の新民族主義と社会史研究」 金仁植「宋鎮禹・韓国民主党の「重慶臨時政府絶対支持論」」 金度亨「解放前後ジャワ地域韓国人の動向と帰還活動」 李浩龍「解放以後アナーキストの組織と活動」 金興洙「世界教会協議会(WCC)の韓国戦争声明と共産圏教会」 書評 朴潤栽「韓国近代史の地平拡大のための遅くなった、しかし豊富な回答:李萬烈『韓国キリスト教医療史』아카넷、2003年」 『韓国近現代史研究』23、2002.12 研究論文 趙宰坤「褓負商文書の運営体系と活用方案」 韓詩俊「内蒙古地域の韓国独立運動」 張錫興「1910-20年代モンゴル地域において展開された韓国独立運動」 辛珠柏「1920、30年代北京における韓人民族運動」 金明赫「解光金思国の生涯と民族解放運動」 説林 朴孟洙「東学農民革命軍名誉回復をどうするべきか:東学農民革命軍遺族関連問題を中心に」 金炯睦「韓末忠北地方の私立学校設立運動」 『韓国近現代史研究』22、2002.9 研究論文 金性玟「江華地域3・1運動の展開と性格」 李萬烈「島山安昌浩とキリスト教信仰」 李明花「興士団遠東臨時委員部の人的構成とその性格」 韓哲昊「1930年代前半期韓中連帯と抗日運動」 金容達「海公申翼煕の家学と民族教育運動」 金英喜「国民精神総動員運動の展開形態とその浸透」 尹喜子「維新体制下汎国民民主化運動宣言文」 『韓国近現代史研究』21、2002.6 研究論文 裵亢燮「第1次農民戦争時期農民軍の行動様態と志向」 洪英基「韓末湖南倡義会盟所についての一考察」 呉星「韓末-日帝時期開城の時辺制」 金度亨「3・1運動とハワイ韓人社会の動向」 金日洙「1920年代大邱地域学生運動の展開と性格:大邱高等普通学校を中心に」 金喜坤「金南洙(1899-1945)と安東地域社会主義運動」 韓詩俊「大韓民国臨時政府の国内進入構想:解放直前海外武装勢力との連係を中心に」 辛珠柏「北韓の近現代研究における反侵略闘争史」 資料 金炯睦「夜学校舎賃貸に関する文書」 1-20 21-40 41-60 61-80
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村田春樹_創氏改名は差別ではない! <目次> ■はじめに ■創氏改名のきっかけ ■日本人の名前と朝鮮人の名前の違い ■「創氏」について ■「改名」について ■創氏改名の届出についての告知ビラ ■満州で差別されていた朝鮮人からの強い要望がありました ■「改名」は完全な申請制でした ■補足 ■参考文献 ■ブログランキング応援クリック ■はじめに | 前総理大臣である麻生太郎氏は 以前「創氏改名は朝鮮人が望んだものだった」と発言されたことがあります。 もちろん、韓国・左翼など反日勢力に非難されましたが、 真実は麻生氏の言う通りなのです。 ■創氏改名のきっかけ | 日韓併合によって朝鮮人は念願の日本国民になることができましたが、1つ問題がありました。 それは「日本国民だ」と言っても名前を言えば一発で朝鮮人とバレてしまい、 支那人に馬鹿にされてしまうということです。 そこで朝鮮人は日本政府に自分たちが日本風の名前を名乗ることを認めるよう要求しました。 そして日本政府は1940年2月11日にこれを朝鮮・台湾で認めました。 これが「創氏改名」です。 ■日本人の名前と朝鮮人の名前の違い | 私たち日本人の名前は「氏」と「名」から成り立っていますが、 朝鮮人の名前は「族譜(一族の名前)」と「名」から成り立っています。 「族譜」というのは日本でいえば、「源氏」・「平氏」のようなもので、 例えば「源氏の足利尊氏」ならば、 「族譜」が「源」、「氏」が「足利」、「名」が「尊氏」になります。 ■「創氏」について | 創氏改名の「創氏」とは、朝鮮人の名前に新たに「氏」を加えることです。 「創氏」であって「改氏」ではないのはこのためです。 ただ、この「氏」を日本風にするかどうかは任意で、届け出を出さなければなりませんでした。 例えば「李○○」という名前の人が届け出を出さなければ、この人の「氏」は「李」となります。 また朝鮮人の「族譜」は、彼らの伝統を尊重して戸籍に残しました。 ちなみに「創氏」は無料でした。 ■「改名」について | 日本風の「名」に「改名」するかどうかも任意でした。 しかも、「創氏」と違って「改名」をするのは有料でした。 ■創氏改名の届出についての告知ビラ ※クリックすると拡大されます | 強制制ではなく申請制だったことがわかります。ひらがなの横には読めるようにハングルでも書かれています。 期限は刻々に迫る 八月十日限り 今熟慮断行の時 認識を誤って悔いを子孫に残さぬよう △好機を逸さぬよう! △即刻届け出しましょう! 1. 創氏届け出は八月十日までです。その後創氏届けはできません。名の変更には期限がありません。 2. 八月十日までに氏の届けをなさぬ者は従来の戸主の姓がそのまま氏となる結果、戸主の姓が金なれば、金が氏となり、妻尹貞姫は戸主の氏に従い金貞姫となり、子婦の朴南祚は金南祚となり、紛雑するおそれがあります。 この結果は内地式を設定しなかったことをかえって後悔することになるだろうと思われます。 3. 氏と姓とを混同する向きがあるようですが、氏は家の称号であり、姓は男系の血統を表するもので、両者の性質は全然異なっております。 4. 氏を設定すると従来の姓がなくなるという誤解があるようですが、氏設定後においても姓および本貫はそのまま戸籍に存置されますから心配ありません。 5. 門中または宗中は同一の氏を設定しなければならぬと考えられている人もありますが、大いなる誤解であります。氏は家の称号であるがゆえに、各家異なる氏を設定するのが当然であります。 6. 氏選定について熟慮中のようですが、考えすぎるとかえって迷うおそれがありますから、速やかに簡明なものに決定するのがもっとも理想的であります。 7. 期限も迫りました。不審の点は早く府面邑または法院へお問い合わせください。 大邱地方法院 府面邑--- 市町村 http //ameblo.jp/worldwalker2/entry-10009074492.html ■満州で差別されていた朝鮮人からの強い要望がありました 日韓併合当時、満州には150万の朝鮮人がいた。 彼らは絶えず漢人から圧迫され、摂取され、 農奴に近い生活を強いられていた。やがて朝鮮人狩りが起こる。 朝鮮人を最も嫌っていたのは張作霖で、 「満州には朝鮮人を一人も入れさせない」 と息巻いていたほどである。 この朝鮮人迫害は漢人、韓人たちの満州資源争奪の争いを助長した。 このような歴史背景下で、朝鮮人たちの唯一の救いは、 当時世界五強のひとつであった大日本帝国の臣民となることだった。 唯一、中国に対抗できる切り札であったため、 朝鮮人たちはすすんで創氏改名を強く要求したのである。 日本こそが朝鮮人にとって合邦国家の民族の誇りであり、 中国人の跋扈に対抗できるただひとつの勢力だったのだ。 韓国は日本人がつくった (WAC BUNKO) ■「改名」は完全な申請制でした 「改名」については義務化されず、完全な申請制で、 申請手続きには手数料も取られている。 実際には、強制ではなく、あくまでも自己申告制の「任意」であった。 朝鮮総督府への申告というのは、つまり、 被治者が治者側と同階層になれるというものであり、 「日本人と同じになりたければどうぞ」という寛大な措置で、 本来ならば上流階級にのみ与えられるべき一種の特権であった。 当時、半年の届け出期間中、 朝鮮人の約八割もが創氏改名(法定創氏以外)を行っている。 創氏改名のきっかけとなった理由のひとつに、 満州へ移住した朝鮮人からの要求があった。 日本からみて朝鮮は、合邦相手国である上に、 日鮮同祖論という親近感があり、 創氏改名は一種の同胞意識の表れだったといえる。 一方、台湾は合邦というより新領土であり、改姓名は簡単には許されず、 むしろ改名は「高嶺の花」であった。 日本の植民地の真実 ■補足 | 今まで書いてきたように、朝鮮人が日本風の名前にするかどうかは任意でした。 朝鮮人の軍人で最も出世した人に洪思翊陸軍中将がいますが、 彼は日本風の名前に変えてはいません。 つまり、日本風の名前に変えなくても差別されることはなかったのです。 ■参考文献 『日本人として最低限知っておきたい近現代史の必須知識』渡部昇一・水野靖夫、PHP研究所 ■ブログランキング応援クリック | 真実を国民に知らせるために ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (人気ブログランキングへ)
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トップページ>韓国>韓国民族運動史研究 『韓国民族運動史研究』60、2009.9 신운용「安重根の対日認識」 김주용「東天申八均の独立運動研究」 황민호「1920年代初国内言論に現れた臨時政府の抗日独立運動」 성주현「天道教青年会地方組織の設立と運営」 김권정「1920-1930年代劉載奇の農村運動とキリスト教社会思想」 崔鳳春「国立中山大学朝鮮留学生研究:1930年代を中心に」 박강「菊地酉治の阿片麻薬問題に対する認識と救済活動」 윤휘탁「中国の档案資料所蔵現況と収集の問題点:韓国独立運動史資料を中心に」 한규무「『韓国近現代史』教科書の「民族文化守護運動」叙述についての検討」 『韓国民族運動史研究』59、2009.6 조병로「日帝植民地時期の道路交通についての研究(Ⅰ):第1期治道事業(1905-1917)を中心に」 김광식「法井寺抗日運動の仏教史的意義」 강혜경「日帝時期性病の社会問題化と性病管理」 윤은순「1920-30年代キリスト教節制運動の論理と様相:禁酒禁煙運動を中心に」 손경희「日帝時期慶尚北道慶州郡西面水利組合の財政運営」 정혜경「戦時体制期常磐炭田関連名簿資料を通じて見た朝鮮人労務者の死亡実態」 표영수「海軍特別志願兵制度と朝鮮人強制動員」 양동숙「解放後女子警察制形成と活動研究(1945-1950)」 정용욱「北韓統一政策の歴史的変遷」 書評 이현희「김원모『영마루의 그름』檀国大学校出版部、2009年」 『韓国民族運動史研究』58、2009.3 박환「日帝強占期韓国新聞の変貌様相:「親日」と「民族」」 최혜주「1930年代のハングル新聞に現れた総督政治」 洪宗都「1930年代『東亜日報』の国際情勢認識:社会主義及び全体主義関連記事を中心に」 황민호「日帝下ハングル新聞の満州地域抗日武装闘争に関する報道傾向」 성주현「1930年代以後ハングル新聞の構造的変化と記事の動向:『東亜日報』と『朝鮮日報』を中心に」 張暎淑「『内下冊子目録』を通じて見た高宗の開化関連書籍収集実相と影響」 김인식「李昇馥と新幹会創立期の組織化過程」 이순자「日帝強占期地方古蹟保存会の活動についての一考察:開城保勝会を中心に」 김은정「日帝の朝鮮無煙炭株式会社設立と朝鮮石炭資源の統制」 조혜정「親日映画に刻まれた親日談論の様相と「国民統合」イデオロギー研究」 이완범「金性洙の植民地権力に対する抵抗と協力:「協力的抵抗」から「抵抗的協力」へ」 유상수「韓国反共連盟の設立と活動」 『韓国民族運動史研究』57、2008.12 이방원「1900年代初中枢院主要構成員の政治活動:「照会原本」の政治関連建議書を中心に」 辛珠柏「日帝強占期「伊藤博文射撃事件」を巡る安重根に関する国内外朝鮮人社会の記憶」 김권정「1920-30年代李大偉のキリスト教社会運動」 이상의「日帝下戦時体制期の賃金統制と朝鮮人労働者」 김인호「中日戦争期朝鮮における廃品回収政策」 韓相禱「中国管内地域独立運動勢力の東北地域独立運動認識」 임상혁「日帝強占期の司法官僚に対する一研究:検事崔大教を中心に」 許東賢「6・3学生運動の歴史的背景に関する研究」 朴賛勝「6・3学生運動の理念」 박환「新しいテーマを夢見て:満州への回帰と地域史、留学史」 『韓国民族運動史研究』56、2008.9 韓哲昊「甲午改革・露館播遷期(1894-1897)日本の治外法権行使と朝鮮の対応」 박노자「快男児、天才、英雄の育て方:1910-30年代朝鮮における児童・青少年訓育談論の展開」 조성운「1910年代植民地朝鮮の近代観光の誕生」 성주현「日帝強占期民族宗教の秘密結社と独立運動資源の募金運動」 정혜정「国民徴用令と朝鮮人人力動員の性格:労務者と軍属の枠組みを超えて」 황병주「1960年代朴正煕体制の「脱後進近代化」談論」 권인숙「1950-70年代青少年の男性性形成と国民創造の性別化過程:青少年雑誌分析を中心に」 나윤경「1960-70年代開発国家時代の学生雑誌を通じて見た10代女学生の主体形成と関連する談論分析」 『韓国民族運動史研究』55、2008.6 이철「改新教宣教初期平壌地域民の宣教師認識研究:1894年平壌キリスト教迫害事件と清日戦争を中心に」 白東賢「大韓帝国期韓国民族主義の形成とその特性:知識人層の民族談論分析を中心に」 오영섭「安重根の獄中文筆活動」 박환「姜宇奎の義烈闘争と独立思想」 조규태「1920年代沿海州地域天道教人の民族運動」 한규무「1920年代中盤朝鮮飢饉救済会の組織と活動」 최덕규「ロシアの東アジア政策と移住韓人政策(1891-1910):アジア連帯論とヨーロッパ連帯論を中心に」 박강「華北移住韓人と阿片麻薬の密売」 김주용「満州地域間島協助会の組織と活動」 김인식「「八月テーゼ」の「進歩的民主主義」国家建設論」 『韓国民族運動史研究』54、2008.3 신운용「安重根の義兵闘争と活動」 권대웅「清道郡の3・1運動」 김광식「韓龍雲の大衆仏教・生活禅と教世主義・八泥八水」 이기훈「1920-30年代普通学校と地域社会」 하지연「日帝強占期日本人会社地主の小作制経営実態:朝鮮興業株式会社(1904-1945)の事例」 정혜경「朝鮮総督府の労務動員関連行政組織及び機能分析」 황민호「日帝下国内言論のソ連に対する認識と在露韓人問題」 신용옥「米軍政・李承晩政権期国家資本としての帰属財産の役割」 박정신「民族運動史の視角から見た1907年代復興運動のテクストとコンテクスト」 書評 趙恒来「이현희『愛国志士趙東祜評伝』솔과학、2007年」 『韓国民族運動史研究』53、2007.12 김형목「韓末水原地域啓蒙運動と運営主体」 안종철「3・1運動、宣教師そして米日間の交渉と妥結」 이정은「最初の近代開業医安商浩の生涯と活動」 박강「ロシア移住韓人と阿片問題:ウスリースク市付近地域を中心に」 조규태「1920年代慶北清道人の民族運動」 김인호「海外親日朝鮮人の反西欧・反帝国主義談論と侵略便乗の類型」 塚崎昌之「解放直後の済州道の政治情勢:日本軍電報文を通じて」 塚崎昌之「解放直後の済州道の政治情勢:日本軍電報文を通じて」(日) 김무용「韓国過去清算の制度化と国民統合路線の展望:韓国戦争前後民間人集団虐殺問題を中心に」 박영석「私の人生に深い因縁と影響をくれた師匠:蘭史鄭在覚」 『韓国民族運動史研究』52、2007.9 강효숙「第二次東学農民戦争時期日本軍の農民軍鎮圧:ソウル以南地域を中心に」 최재성「日帝強占直後韓国皇室親姻戚の行跡と日帝の優待」 박종연「春郊柳東説の独立運動と軍事活動」 오영섭「上海臨時政府内李承晩通信員の活動」 전성현「1920年代朝鮮商業会議所連合会の産業開発「四大要項」と政治活動」 조세현「1920年代在中臺湾人のアナーキズム運動:韓人アナーキストとの交流に注目して」 尹海東「親日・協力者調査の倫理学」 성주현「党員成績一覧:天道教青年党」 박환「中国大連学術会議の成果と課題(2007年7月18日~22日)」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100
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トップページ>韓国>東方学志 『東方学志』167、2014.9 企画:「近代韓国」構想の思想的/制度的省察 류충희「開化期朝鮮の民会活動と「議会通用規則」:「議会通用規則」の流通と翻訳様相を中心に」 정덕기「為堂鄭寅普の実学認識と学問主体論:「陽明学演論」を中心に」 論文 김진희「時調の定形律」 윤경진「三韓認識の淵源と統一戦争期新羅の天下観」 남윤덕「碩斎尹行恁の陸王学批判に対する認識形成の背景とその目的」 엄태식「韓国古典小説の『剪燈新話』受容研究:伝記小説と夢遊録を中心に」 신규환「帝国の科学と東アジア政治:1910-11年満州ペストの流行と防疫法規の制定」 박소정「現代環境倫理の展開と東アジアの生命思想」 최기숙「新自由主義と心の考古学:郷愁を超えて省察へ、失われた心/行動/態度に対する責任の人文学」 書評 김항「社会人文学と媒介的普遍の模索:「企画書評」백영서『사회인문학의 길』창비, 2014年」 『東方学志』166、2014.6 김항「核の現前と日本の戦後民主主義:「現実的理想主義」の系譜と政治的深淵」 이필렬「韓半島における原子力が持つ解放者:救援者イメージとその結果」 이승률「「亨」の原義」 김선민「西晋杜預の諒闇論研究」 이경록「高麗後期医学知識の系譜:『備預百要方』と『三和子郷薬方』の前後関係再論」 이윤석「坊刻本『趙雄伝』の源泉」 李炫植「「好哭場」、『熱河日記』の隠された序文」 정안기「1930年代電力国策、「朝鮮送電(株)」の研究」 박진영「中国文学翻訳の分岐と二元化:翻訳家梁建植と朴泰遠の遠近法」 이은희「1940年代前半植民地朝鮮の闇市場:生活物資を中心に」 권신영「「愛国班と隣組」:1940年代朝鮮総督府の戦時帝国主義と呼称の政治学」 김소남「1970年代原州地域災害対策事業委員会の農村信協運動研究」 『東方学志』165、2014.3 강진원「高句麗祭天大会の成立時期とその推移」 蘇淳圭「『新増東国輿地勝覧』土産項目の構成と特徴」 김선희「朝鮮の文明意識と西学の変奏」 김병문「近代啓蒙期漢字訓読式表記についての研究」 문백란「セブランス病院建立をめぐる宣教師たちの葛藤と宣教政策修正」 김효진「近代小説の形成過程と言文一致の問題(1):李光洙初期短編小説を中心に」 辛珠柏「観点と態度としての「内在的発展」の分化と民衆的民屋主義歴史学の登場:民衆の再認識と分断の発見を中心に」 강명숙「H.H.アンダーウッドの『Modern Education in Korea』と日帝時期韓国教育史研究」 企画 「『創作と批評』、『文学と知性』を語る:김병익、염무웅、招請対談」 『東方学志』164、2013.12 特集:儒教伝統の中の公共性 나종석「朱熹の公概念と儒教的公共性理論についての研究」 백민정「朝鮮知識人の王政論と政治的公共性:箕子朝鮮及び中華主義問題と関連して」 박영도「儒教的公共性の文法とその民主主義的含意」 論文 이동주「『三国史記』屋舍条に見える唐瓦の実体:文献的接近」 박경안「高麗時代土地所有の欲望と実際:土地論を中心に」 김중섭「「朝鮮時代白丁」の起源についての歴史社会学的考察」 김수연「愛国啓蒙期民族道教と古小説:新資料「夢見帝釈」の紹介をかねて」 金度亨「1920-30年代民俗文化運動と延禧専門学校」 이혜령「植民地セクシュアリティと検閲:「桃色」と「赤色」、ふたつのレッド文化の植民地的アイデンティティ」 박진영「中国文学及び日本文学翻訳の歴史性と想像力の接変」 韓モニカ「1948年大韓民国政府樹立と駐韓米軍の政権移譲過程及び意味」 심보선「芸術同好会の政治:私的でありながら同時に公的な主体化の舞台」 『東方学志』163、2013.9 特集:定住と移住の間の東アジア 오미일「日帝強占期京城の中国人街と「魔窟」イメージの政治性」 金仁徳「日帝強占期大阪朝鮮村の食文化」 한성훈「中国朝鮮族のドイツ移住研究」 論文 이승률「『周易』蹇卦の原義と儒教経典化過程:地下の書籍と紙上の書籍を通じて見た『周易』六十四卦卦爻辞の形成と展開Ⅰ」 김진희「李衡祥の『芝嶺録』第六冊に書かれた「平調・羽調・界面調」の意味」 이형식「『馹迅隨筆』序文、清国中華論のための学問論」 임경석「国民代表会議閉幕以後創造派の動向」 기유정「京城帝大政治学講座と植民地朝鮮における意味:戸澤鉄彦と奥平武彦の思想分析を中心に」 조태린「国外韓国学関連カリキュラム分析:フランス主要大学の韓国学カリキュラムを中心に」 임경화「「民族」から「人民」へ向かう道:고정옥『朝鮮民謡研究』の普遍と特殊」 企画 「社会人文学の対話:「中国」を会議し啓蒙する:中国文学史研究者銭理群」 『東方学志』162、2013.6 김상현「三国遺事古版本とパルン本の位相」 도현철「朝鮮初期檀君認識と『三国遺事』刊行」 남권희「パルン本『三国遺事』の書誌研究」 河日植「『三国遺事』パルン本と壬辛本の比較検討」 윤혜신「韓国古代女神の類型と歴史的先後関係:神格獲得方式を基準に」 김선민「魏晋南北朝喪礼における閏月の問題と法制化過程」 김지수「法と感情:朝鮮初期の特性論争における忠と孝の緊張」(英) 이화자「白頭山定界の標識物:黒石溝の土石堆についての新しい考察」 김종복、박준형「『大東歴史(古代史)』を通じて見た申采浩の初期歴史学」 박진한「植民地時期「仁川大神宮」の空間変容と在仁川日本人:遊楽と紀年の場所から植民支配の動員の場へ」 企画 「社会人文学の対話6:他者に対する応答と人文学の責任:高橋哲哉との対談」 『東方学志』161、2013.3 特集:混成的歴史構成体としての「韓国」:グローバル秩序と韓半島 이나영「グローバル/ローカルのジェンダー秩序と韓半島女性の身体:日本軍「慰安婦」と米軍基地村「洋公主」」 박명규、백지운「21世紀韓半島発平和人文学の模索」 박준형「「雑居」の歴史、韓国華僑と向い合う」 김항「「交易圏」から「主体の革命」へ:近代超克、未完の法企画、そして韓半島」 김대중「鄭道伝の『錦南雑詠』研究」 임채우「『乱中日記』擲字占の易学的意味:版本と典故問題についての文献考証的分析を通じて」 최윤오「磻渓柳馨遠の封建・郡県論と公田制」 高東煥「朝鮮後期沿岸航海と外洋航路の開拓」 차승기「帝国のアッサンブラージュと事件の政治学:村山知義と朝鮮」 Anthony Fung、쵝숙「TVドラマにおける感性:『花より男子(꽃보다 남자)』の韓中比較を中心に」 이윤석「金台俊『朝鮮小説史』の検討」 企画 「社会人文学の対話5:辺境から這い上がった脱中心の人文学:Tessa Morris-Suzukiとの対談」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140 141-160 161-180
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朝鮮学校無償化問題 / 北朝鮮 / 総連 +クチコミ検索 #bf +ブログサーチ #blogsearch +ニュースサーチ ライナーズの新人さんいらっしゃ〜い!2021-2022 File3 文裕徹(ムン・ユチョル)選手 - http //w-higa.com/ 広島への修学旅行が激増 春から延期、海外代替も(写真=共同) - 日本経済新聞 大賞に平川東京大学名誉教授 第37回正論大賞・正論大賞特別賞発表 - PR TIMES <ペット考現学>(23)飼育できないハリネズミ/「特定外来種」にご用心 - 河北新報オンライン 東京第9初級でクリスマス会/乳幼児ら対象に | 朝鮮新報 - 朝鮮新報 [いわきFC OfficialSite] MF 金大生選手 契約満了のお知らせ - いわきFC 北朝鮮を襲った「深化組」事件と、ある家族に降りかかった悲劇(2021年12月10日)|BIGLOBEニュース - BIGLOBEニュース 韓国コロナ連日の最多水準 “K防疫が崩壊”政府批判強まる 日本人学校で感染者も(日本テレビ系(NNN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 〈それぞれの四季〉「原点」/李慧娘 | 朝鮮新報 - 朝鮮新報 イカゲーム流入説の北朝鮮「敵対勢力、新世代に文化的浸透策動」(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 岸田政権は北京五輪ボイコットで対中対決姿勢を表明すべき!中国人権事情水墨画展! #葛飾区議会 - 鈴木信行(スズキノブユキ) | 選挙ドットコム - 自社 心の成長過程、一目で/2021年度在日朝鮮学生美術展 東京展 | 朝鮮新報 - 朝鮮新報 昼時に姿を消した「ハス子さん」-太平洋戦争と細倉鉱山の朝鮮長屋(上) - 河北新報オンライン 第6回千葉県日朝教育研究会、千葉初中で | 朝鮮新報 - 朝鮮新報 韓国を植民地支配したことの重さ 日本はまだ十分理解していない | | 内田雅敏 - 毎日新聞 <独自>朝鮮学校補助金 下げ止まり 令和2年度2・1億円 見直し機運低下 - 産経ニュース 京都 ウトロ地区放火疑い逮捕 朝鮮半島出身者の歴史資料焼失|NHK 関西のニュース - nhk.or.jp 五輪柔道で銅、在日3世・安昌林が引退表明 日韓両国での「差別体験」告白でも注目(J-CASTニュース) - 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Yahoo!ニュース ● 朝鮮学校〔Wikipedia〕 ● 東京朝鮮中高級学校へようこそ ★ 大阪朝鮮学園の敗訴確定 大阪府市の補助金認めず 「産経新聞(2018.11.30 18 43)」より / 大阪府内で朝鮮学校を運営する学校法人「大阪朝鮮学園」(大阪市)が、補助金の支給を打ち切られて学ぶ権利を侵害されたとして、府と市に不支給決定の取り消しなどを求めた訴訟で、最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)は学園側の上告を退ける決定をした。学園側の訴えを退けた1、2審判決が確定した。決定は11月28日付。4裁判官全員一致の結論。 判決によると、府は橋下徹知事時代の平成22年、補助金の交付にあたり、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と一線を画すことや、北朝鮮指導者の肖像画を教室から撤去することなど、新たに4項目の交付要件を順守するよう学園側に要請。学園は23年度の補助金の支給を申請したが、要件を満たしていないとして府は不支給を決定し、市も同様の対応を取った。 2審大阪高裁判決は「要件を満たさないから交付しなかったに過ぎず、学園の教育を制限するものではない」と指摘。請求を棄却した1審大阪地裁判決を支持、学園側の控訴を棄却した。 ★ 大阪朝鮮学園の敗訴確定 大阪府市の補助金認めず 「産経新聞(2018.11.30 18 43)」より / 大阪府内で朝鮮学校を運営する学校法人「大阪朝鮮学園」(大阪市)が、補助金の支給を打ち切られて学ぶ権利を侵害されたとして、府と市に不支給決定の取り消しなどを求めた訴訟で、最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)は学園側の上告を退ける決定をした。学園側の訴えを退けた1、2審判決が確定した。決定は11月28日付。4裁判官全員一致の結論。 判決によると、府は橋下徹知事時代の平成22年、補助金の交付にあたり、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と一線を画すことや、北朝鮮指導者の肖像画を教室から撤去することなど、新たに4項目の交付要件を順守するよう学園側に要請。学園は23年度の補助金の支給を申請したが、要件を満たしていないとして府は不支給を決定し、市も同様の対応を取った。 2審大阪高裁判決は「要件を満たさないから交付しなかったに過ぎず、学園の教育を制限するものではない」と指摘。請求を棄却した1審大阪地裁判決を支持、学園側の控訴を棄却した。 ■ 日本国民の良識の勝利!最高裁、朝鮮学校への補助金支給打ち切りを認める 「反日ハンター goo猟友会(2018-12-01 09 04 19)」より (※mono....前後略、詳細はサイト記事で) / 最高裁による朝鮮学校への補助金の支給打ち切り公認は反日教育や犯罪行為を続ける朝鮮学校の無償化適用を許さないと声を上げた 日本国民の良識の勝利です! 私が何度も 韓国民団と朝鮮総連は在日韓国・朝鮮人からなる「自由北朝鮮軍」を編成し、北朝鮮人民を金一族の圧政から解放するために北朝鮮に攻め込め! 韓国民団と朝鮮総連は「北朝鮮開拓団」を編成し、荒れ果てた北朝鮮の国土再建のために全ての在日韓国・朝鮮人を連れて行け! 我々は売国の「二百三高地」、全国の朝鮮学校、朝鮮総連、韓国民団の敷地を奪還するぞ! と書けば、 愛知県民の良識の勝利!名古屋地裁、朝鮮学校側の無償化適用の訴えを退ける で この判決を見て 大阪も まああかん 終わっとる たるくさい 食い倒れとる 名古屋はええよ!やっとかめ ■ 反日主義者のたどる道69 ~瑞鳳轟沈!南武朝鮮学校長、盗撮容疑で現行犯逮捕さる 「反日ハンター goo猟友会(2018-04-08 18 13 09 )」より / 反日ハンター・神功正毅です。 南武朝鮮初級学校の校長、梁瑞鳳が県迷惑防止条例違反(盗撮)容疑で現行犯逮捕されました。 毎日新聞/盗撮 南武朝鮮学校長を容疑で逮捕 中原署 /神奈川 https //mainichi.jp/articles/20180407/ddl/k14/040/086000c <引用開始> 中原署は5日、南武朝鮮初級学校(川崎市高津区)校長、梁瑞鳳容疑者(53)=横浜市保土ケ谷区=を県迷惑防止条例違反(盗撮)容疑で現行犯逮捕した。 逮捕容疑は5日午後0時40分ごろ、川崎市中原区の武蔵小杉駅の連絡通路に設置された上りエスカレーターで、高校2年の女子生徒(16)のスカートの中をスマートフォンで撮影したとしている。 同署によると、梁容疑者は「好奇心で撮ろうとした」などと供述。警戒中の警察官が盗撮行為を目撃し、現行犯逮捕した。 <引用終了> 彼は現行犯で逮捕され、一応「好奇心で撮ろうとした」などと容疑を認めているようで 逮捕されたらザパニーズと名乗る 濡れ衣差別といつもの言い草 (中略) / 日本国民である我々は [韓国人必見!! 日本人に反省を迫る中国人!! ] 中国人から日本人に忠告します。 「韓国人は犬だと思って付き合いなさい」。それが韓国人のためでもあります。 謝ってはいけません。 筋の通らない理屈を言ったら、100倍制裁をしなさい。 感謝の気持ちは、王が家来に褒美を与える様に接しなさい。 正論や理屈は意味がありません。強制と命令で動かしなさい。 裏切りにたいして、温情は絶対にいけません。 実行できない無理な命令を出して、出来ない事を責め続けなさい。 [米軍による韓国兵の扱いマニュアル] 1.韓国人には強気で押せ。抵抗する場合は大声で命令しろ。 2.命令を聞かない場合は身体で解らせろ。 3.同じことをくり返す場合、犬のように何回でも同じ様に叱れ。こちらが上と言うことを身体で解らせろ。 4.理由は聞くな。どうせ大したことは言っていない。 5.身体で解らせた場合、根に持つ場合があるので、後で身辺には気をつけて行動しろ。 但し、徹底的に解らせる迄、手を抜いてはいけない。 6.相手を3才児と思い、信用したり頼りにはするな。重要な仕事は任せるな。 [併合時の日本政府から朝鮮総督府への通達] 一、朝鮮人には対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心掛けること。 一、朝鮮人には絶対に謝罪してはならない。勝利と誤認し居丈高になる気質があり、後日に至るまで金品を強請さるの他、惨禍を招く原因となる。 一、朝鮮人は恩義に感じるということがないため、恩は掛け捨てと思い、決して情を移さぬこと。 一、裕福温厚なる態度を示してはならない。与し易しと思い強盗詐欺を企てる習癖あり。 一、朝鮮人は所有の概念について著しく無知であり理解せず、金品等他者の私物を無断借用し返却せざること実に多し。殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える傾向あり、重々注意せよ。 一、朝鮮人は虚言を弄する習癖を持っているので絶対に信用せぬこと。公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。 一、朝鮮人と商取引を行う際には、正当なる取引はまず成立せぬことを覚悟すべし。 一、盗癖があるので、金品貴重品は決して管理させてはならない。 一、職務怠慢、手抜きは日常茶飯事であるので、重要な職務は決して任せてはいけない。食品調理、精密機械の製作等は決してやらせぬこと。 一、遵法精神がなく規則軽視、法規無視は日常の事である。些細な法規違反でも見逃さず取り締まること。 一、朝鮮人には日常的に叱責の態度で接すること。勝利感を持つと傲岸不遜となるので決して賞賛せぬこと。 一、朝鮮人を叱責する際は証拠を提示し、怒声大音声をもって喝破せよ。 一、朝鮮人は正当なる措置であっても利害を損ねた場合、恨みを抱き後日徒党を組み復讐争議する習癖があるので、最寄の官公署特に警察司法との密接なる関係を示し威嚇すること。危険を感じたる場合、即座に通報すること。 一、朝鮮人と会見する場合、相手方より大人数で臨むこと。武術等の心得ある者を最低二名から数名は随伴すべし。婦女子が単身及び少人数で会見することは、強姦及び秘密の暴露を言い立てての脅迫を受け、隷属化を招く危険があるので絶対に避けること。武術心得あるか、大柄強面にして強気なる男子を必ず複数名随伴同席せしむること。 一、争議に際して、弁護士等権威ある称号を詐称せる者を同道せる場合がある。権威称号を称する同道者については、関係各所への身元照会を行うこと。 一、朝鮮人との係争中は戸締りを厳重にすべし。子女の独り歩きは厳に戒めて禁ずべし。交渉に先立ち人質を取る習癖あり。仲間を語らい暴行殺害を企てている場合が大半であるので、呼出には決して応じてはならない。 一、不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので、関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させること。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。 一、不当争議に屈せぬ場合、近隣や職場等周辺に誹謗中傷する例多々あり。 隣人と職場に不審者との係争を周知し、流言蜚語により孤立せらるることなきようにせよ。 一、差別、歴史認識等の暴言に決して怯まぬこと。証拠を挙げ大音声で論破し、沈黙せしめよ。 一、無理の通らぬ場合には器物を破損し暴れ出す習癖があるから、日本人十名で一名の朝鮮人を包囲し制圧せよ。 これらの韓国人・朝鮮人使役術を熟知、周知徹底して女性が性犯罪に遭わないようにしなければなりません。 (※mono....以下略) ■ 朝鮮人の宝の反日朝鮮学校は、朝鮮に返します 全文を見れば分かるマスゴミによる捏造編集の実態 「はやぶさのブログ(2016.2.20)」より / 【話題】李信恵「朝鮮学校は日本の宝」©2ch.net 1 :動物園φ ★:2016/02/19(金) 13 54 31.66 ID CAP_USER 昨日はテレビのニュースを見てて、取材も受けた。「待ってました、って感じに見えた。マスコミも煽りすぎ」「沖縄上空を通過と、沖縄をことさら強調する報道が目についた。沖縄の基地は必要だと、正当化させたいからのように思えた」「朝鮮学校無償化除外への言い訳を作られたくない」などと答えた。 — 李信恵 이(리)신혜 (@rinda0818) 2016, 2月 8 (※mono.--以下略) .
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報知新聞 1933 延吉で見た事 延吉は領事館の所在地、また満洲国公署がある、人口約二万、間島における唯一の支那色の濃厚な市街だ。日本人は昨年春頃二百名内外だったが、満鉄の工事開始以来急激に増加し三千人に近いそうである。 旅館前の支那遊郭に向き合った往来に黒山のような人だかりがしている 好奇心に駆られてのぞいて見ると 泥酔した素っ裸の土工風の男が二人、数名の支那巡警にとりかこまれて袋だたきにあっている 聞いて見ると一人は日本人、一人は朝鮮人らしい 近くの料理屋でしたたか飲んだ揚句、遊郭に繰り込み管をまいたので巡警が駆けつけたのだという。巡警も乱暴でこの酔漢の髪の毛をつかんで引きずり廻した揚句、革帯でピシリピシリなぐるのである、鼻血が流れて凄惨な光景を呈していた、日本人の方はそれでも往来の真ん中に大の字に寝そべり『さあ殺せ、台湾中隊にいた○○を知らんか』とか何とかたんかを切っている、こういう市井のいざこざはよくあることらしい 旅館の番頭−鮮人だが− の話によれば支那の巡警は実に偏頗で、先達支那人が数名旅館になぐり込みをかけて玄関のガラス戸をめちゃくちゃにこわした、その時には支那巡警は見て見ぬふりをしたが 日本人や朝鮮人と見るとああいう乱暴な事をやるという だが日本人を笠に着て横車を押すのもみっともない話しで、こんな酔漢のお蔭でどれほど日本の威信を損うか知れない、市井の小さい出来事だが、対満政策の根本義に触れる問題ではないだろうかと私は思ったのである 鮮農の圧迫 いまや全く解消 恐るべき間島の共産軍 満洲事変をきっかけに、辺境間島の地は政治的に、また経済的に一大転回を遂げたこと御想像通りである 延吉に着いた夜、浴衣のままブラリと町に出た私は領事館に足を向けた、館の内外は厳重な警戒だ、暗にきらめく銃剣の光、三度誰何された後漸く許されて館内に入る、霞ケ関切っての間島通といわれる田中領事に面会、快談数刻 民族争覇のるつぼ 間島の面積一、八二〇方里、先ず四国と広島県を合せた程の区域だが、北はソヴイエトロシアに、南は図們江をはさんで朝鮮に接する、東洋歴史の大立物女真族隆盛なりし頃から諸民族闘争のるつぼであり、所属不明の地帯であったが、明治四十二年の間島協約で清国の領土と認められ、その代り特別区域として朝鮮人の居住、土地所有の自由を認めた、由来間島の地は肥よく豊じょう『二十年施肥を要せぬ』といわれる、北鮮のやせ地を食いつめた鮮農は、年毎に潮の如く『土地を求めて』間島に渡った、□春、延吉、和竜、汪精四県の住民約五十万、内四十万は朝鮮人である 間島の開拓者は朝鮮人である 旧支那官憲の迫害 旧張学良政権の鮮農迫害の事実はあまりにも有名だ 支那側は鮮農移住を以て日本帝国主義による覆面の攻撃であると断定した 鮮農迫害の事実をまとめただけでも立派な文献になる、鮮人の入籍手続を中止したり、教育機関を廃止する位は朝飯前、不逞鮮人の取締を口実に不法検挙を行い、連日のように罰金を強制していた、昭和五年だけで二百数十件に達したという、鮮農は塗炭の苦しみに会った、満洲国の成立によって鮮農が支那官憲の圧迫の手から完全に解放されたことはいうまでもない、現に七年末の調べでは六年末にくらべて支那人が八千人を減じているに反し鮮人が約一万程増加しているのもこの現れであろう 間島の共産軍 間島最大の悩みは共産党乃至赤色パルチザン隊の活躍であろう、日韓併合以来間島は朝鮮民族運動の根拠地であったが、ここ数年来は共産主義の洗礼を受けていちじるしい異色を帯びて来た、その勢力約四万と号す、ひの数字が正しいとすれば間島の住民四十万として十人につき一人の割合でその影響下にある訳昭和二年十月以来日本領事警察の数回にわたる検挙で中枢組織を破壊されたが翌年九月以後各派の再組織が行われ朝鮮共産党満洲総局及び高麗共産青年同盟満洲総局に統一されたがもともと火曜派、ソウル派、エム・エル派、上海派などの寄合世帯で各派の対立抗争がはげしくゴタゴタしていた。 しかるに昭和五年三月これらの各派が完全に解消し、中国共産党満洲委員会延込党部の下に統一指導されるに及んでガッチリとした組織をきずき上げた、例の五・三〇事件として知られる暴動は実に新生共産党の指導によるものであって、破壊隊、爆破隊、放火隊の三班を組織して一斉に蜂起し、天図鉄道の鉄橋、電信電話線の破壊、電燈公司の襲撃、学校、朝鮮人民会の放火等戦慄すべきテロに訴えている。満洲事変後もしきりに暗躍を続け昨年の秋には土地闘争のため各地に農民暴動を起している。 これに対し日満軍隊、領事警察は共同作戦により集団パルチザン隊の徹底的掃蕩に当った、平地にあるいはゆるソヴイエット区域(二、三百名の集団部落)の中には部落の焼討をうけて全滅し、山嶽に退却して穴居生活を余儀なくされているものが多い、拉子溝、石人溝、王隅溝など各方面にはかなり頑強な反日陣地を固守しているものがあるという【写真は空から見た間島二道溝市街……匪賊襲撃中】 鮮農の生活権 擁護が第一の急務 栄えゆく図們 間島の共産軍はパルチザン戦術の経験豊かなことに特色がある 『どうも宣伝と掠奪の上手なことは説教強盗以上ですよ』と田中領事もいっている。 特にその遊撃隊は規律が厳重で出没自在、鮮農や自警団員に化けて早朝都会の膝元に入込んで来て夕方には素早く逃亡するので検挙に骨が折れる。パルチザン戦術が最も得意で、強力な討伐軍に遭遇すると直ちに四散し、虚をねらって薄弱な部隊を襲撃する、武器の大半はこの手段で満洲国軍から掠奪したものである、討伐軍がある山嶽地方で有力な敵部隊を発見したので、ソレッとばかり猛射を浴せたところ一向反響がない、不思議に思って近づいて見ると木を黒く塗った擬銃を立て並べてごまかし、討伐隊が用心をしている間に主力がまんまと逃げていたという話『楠公の兵法には参ったよ』とこれは討伐隊に参加したある下士の直話である 鮮農の生活を守れ 最近では息もつがせぬ討伐と大検挙の嵐を受けて、さすがに帰順者も多く、今年になってから八百名以上に上り、いわゆる解党派が続出している、領事警察ではこの解党派を逆用して巡回講演を行わしめいちじるしい成績をあげていると称しているが、この間島共産軍が民衆の間に深く根をおろしている最大の理由は、鮮農それ自身の経済的窮迫にある『鉄鎖以外に失うべきものがない』というその現実に生活苦にある、かかる基本的な原因が除かれない限り、間島鮮農の胸深く食い入っている思想は容易にはく離しないと思う、朝鮮総督府は模範農場を各所に設置して平和郷建設に邁進している、だがまだまだ姑息の範囲を出でない、朝鮮、間島を一貫する、より基本的な拓務行政の確立が必要であろう
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朝鮮総連本部落札にソフトバンクが絡んでいた事が発覚! 坊主の秘書の正体を特定! http //ameblo.jp/marbulusagi/entry-11548963454.html 池口恵観氏の朝鮮総聯落札問題――断念の“裏側”を秘書が初告白 http //megalodon.jp/2013-0630-2015-53/www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=3341 池口恵観氏(鹿児島市内の宗教法人「最福寺」法主)は、なぜ朝鮮総聯(在日本朝鮮人総聯合会)本部購入を断念したのか。四五億一九〇〇万円という巨額で落札した池口氏。約四〇億円の納付期限となった五月一〇日、池口氏は「正式断念」を表明した。三月九日に落札した池口氏は全額納付に自信さえ見せていたが、実際は資金調達はことごとく頓挫していた。 その全容を池口氏の秘書で資金調達の中心人物とみられていた東勝也氏が重い口を開いた。東氏が語った四五億一九〇〇万円の資金調達の全容はおよそ次のようになる。 そもそも池口氏には資金があったのか、あるいは資金調達のメドがあったのかという筆者の問いに東氏は「池口さんにはまったく資金はなかった」と明言。では、約四〇億円の納付資金調達はできていなかったのかという問いには「資金は調達できていた。ただ邪魔が入った」のだという。 東氏の資金調達は三月から始まった。落札時に納付した五億三〇〇〇万円は池口氏の信者などから集めている。残る約四〇億円は、最初にメガバンクA銀行との間で池口氏所有の最福寺別院の江の島大師で二万体の永代供養霊廟を一基一〇〇万円で販売、二〇〇億円で販売する事業計画を合意したという。A銀行はこれをファンド証券として担保化し融資を決定。二〇〇億円を一時的に保管しておく別段預金に入れた、という。もしそうならば資金調達問題など起きないはずだが、東氏によると「A銀行の行為に金融庁が介入してきた」結果、四月一六日頃には融資が不可能になったという。この頓挫を受けてA銀行がB銀行を紹介したがこれも進まず、さらにA銀行はC商社を紹介した。 C商社は北朝鮮のレアメタル資源開発権の取得を前提に全額融資を決定したが融資金利と一〇年間返済という条件が折り合わず、これも頓挫。さらにA銀行は別のファンド会社を紹介するが、これも合意に至らなかったという。最後はA銀行がDゼネコンを紹介した。 筆者も五月八日の時点でこのゼネコン融資情報を警視庁から入手していた。そのゼネコンとはT建設だったが、東氏はこれを否定。東氏は知り合いのゼネコンだと説明したが企業名は明かさなかった。 しかし東氏の説明は実にリアル。このゼネコンは八日夜に臨時取締役会を開いて三分の二以上で四八億円の融資を決定したのだという。そして九日、東氏はこの資金振り込みを確信してA銀行の役員と昼食をとっていた。そこにA銀行の関係者から「大変な事が起きている」と連絡が入った。 大変な事とは、A銀行に金融庁から三人の人間が来て大もめになっている、という内容。東氏がA銀行に行くと、怒声のような話が聞こえたという。 筆者は東氏に「金融庁の誰が来ていたのか」と詰問したが、東氏は「金融庁の人間らしい人物がいた……」としか説明しない。筆者は、安倍晋三総理が今回の融資に関与している可能性があるのかとも聞いてみた。東氏は「池口氏は安倍総理に訪米の三日前に『四五億円で売ってくれないか……』というメールを打っている。返事はなかったが……」と説明した。 さらに「今回の融資を妨害したのは間違いなく内閣官房の情報官あたりだった。金融庁も内閣官房の意思、結局、安倍総理の意思で全ては頓挫したことは間違いない……信じないかもしれませんが」と言うのだ。 インタビューの最後に、筆者は資金調達に奔走したという東氏が、前述のA、B、C、Dの間で交わしたと主張した金銭消費貸借契約書(借用書)の現物を見せるよう繰り返し要求した。その数カ所と交わした契約書こそが資金調達の事実を示せるというのに、なぜか「コピーしかないが、迷惑がかかる人がいるから死んでも話さないし、見せないし、明日にでも破り捨てる……」と言う東氏。 朝鮮総聯中央本部をめぐっては六年前の元公安調査庁長官の緒方重威氏逮捕事件もあった。結局は今回も利権騒動という側面は否定できない。 東氏は近く、池口氏の秘書という立場から離れる模様だ。 (成田俊一・ジャーナリスト、5月17日号) 9:名無しさん@13周年:2013/06/09(日) 10 05 39.69 ID iUSEgwNq0 http //www.mc-medio.com/company/index.html 社名 : エムシー・メディオ株式会社 代表取締役 東 勝也 所在地 : 京都市南区西九条寺の前町 2-4 Tel. 075-672-5980 Fax. 075-692-3291 営業拠点 : SoftBank八条西口 京都市南区西九条寺の前町 2-4 Tel. 075-672-5990 Fax. 075-692-3291 ソフトバンク系列の朝鮮企業です。 195:名無しさん@13周年:2013/06/09(日) 11 01 26.78 ID p6KZE0eq0 9 やっぱ売国ハゲ絡んでるんだなw 226:名無しさん@13周年:2013/06/09(日) 11 16 16.32 ID Cc6SareOP 9 ソフトバンクて冗談抜きに反日企業だよな 251:くろもん ◆IrmWJHGPjM :2013/06/09(日) 11 25 25.27 ID 400rZz9j0 226 ソフトバンクが反日なのはCMで明らかだね・・ 水間政憲さんによる解説 488:名無しさん@13周年:2013/06/09(日) 18 04 52.63 ID LLR+pD9d0 9 あらあ…ソフバンが裏で動いてたの…w 544:名無しさん@13周年:2013/06/10(月) 02 58 59.19 ID 9Gk7zNkgO 9 ソフトバンクwww ズッブズブじゃないですかヤダーwww 140:名無しさん@13周年:2013/06/09(日) 10 38 08.15 ID JUloSXmh0 安倍とズブズブとかいってたブサチョン憤死wwwwwwwwwwwww 167:名無しさん@13周年:2013/06/09(日) 10 48 23.42 ID 1XCD5Kp0 本当だとしたら安倍サイドはいい仕事してる。 185:名無しさん@13周年:2013/06/09(日) 10 56 32.01 ID p6KZE0eq0 朝鮮人アホスw そもそも圧力があろうと無かろうと北に関わりがあると思われる糞坊主の思惑は頓挫した訳だ。 本当なら安倍Gjだし。 間違ってても胡散臭い奴に総連ビルが買われなくてよかったとなるだけ。 よろず相談21世紀法人像研究会 (NPO)よろず相談21世紀法人像研究会 東京都港区新橋5-12-1 越田ビル 2F http //megalodon.jp/2013-0805-1611-54/www.peeep.us/3f0aef6e 理事長 飛谷安宣 元 富士ソフト(株)監査役 関連項目: 芋づる式か? 元 大蔵省課長 副理事長 滝本豊水 関連項目: 保険法改正接待疑惑 弁護士(西村あさひ法律事務所) 元 大蔵省審議官 (株)西京銀行 取締役 元(株)イズミ 監査役 (株)フューチャーフィナンシャルコンサルタンツ 顧問弁護士 専務理事 東垣外洋三 元 北海道開発局官房長 (一財)法人支援機構おおくら 理事 常務理事 村山眞人 (株)文教ニュース社 取締役企画部長 理事 東勝也 (有)ケープランニング 専務取締役 日本予防医学会 専務理事 関連項目: 怪しい日本予防医学会 エムシー・メディオ(株)代表取締役 (NPO)日本パラリンピック支援機構 常任理事 関連項目: 不透明な募金活動で厚生労働省により行政処分 池口恵観 秘書 理事 荒畑実 富士ソフトサービスビューロ(株)監査役 理事 縄田 允 元大蔵省主計局 ダイエープロビス(株)顧問 理事 兵藤廣治 税理士 (一財)法人支援機構おおくら 理事 元 放送大学理事 元 四国財務局長 理事 中田唯之 元 防衛施設庁監査官名古屋局長 元防衛施設庁施設部施設取得第一課長 理事 大久保 信亞 元防衛庁航空自衛隊1等空佐 理事 藤原正龍 (株)佐藤工業 相談役 理事 中原徹 (株)フューチャーフィナンシャルコンサルタンツ 代表取締役社長 (一財)法人支援機構おおくら 評議員 元 長期信用銀行部長 理事 柏木 修次 ミャンマー交流援護会副理事長 元献血供給事業団部長 関連項目: 献血供給事業団 理事 浅野 修一 元日本長期信用銀行部長 監事 山内 勲 元財務相 監事 米村 達明 元(株)佐藤総合計画取締役 監事 對馬和也 公認会計士 元 あずさ監査法人 監事 米村達明 元(株)佐藤総合計画 取締役 顧問 田中 浩治 木村看板(株)顧問 元大蔵省官房会計課 http //megalodon.jp/2013-0630-2050-12/timetide.way-nifty.com/jprofile/2013/06/index.html (一財)法人支援機構おおくら 評議員:杉井孝:弁護士 関連項目: 接待王 元大蔵省主計局次長 http //megalodon.jp/2013-0805-1606-47/www.ookura.or.jp/index.files/directors.htm 日本予防医学会 関連項目: 怪しい日本予防医学会 理事長:池口恵観 内閣府認証 NPO法人公共政策支援団 理事長 一色 浩三 元 ㈱日本政策投資銀行理事 いすゞ自 動車㈱常勤監査役 副理事長 和田 勝 福祉社会総合研究所所長 国際医療福祉大学教授 元厚生省審議官 理事(支援団団長) 杉井 孝 杉井法律事務所・弁護士 一般財団法人財政金融企画事務所理事長 元大蔵省主計局次長 理事(支援団副団長) 岩下 正 ㈱ローン・スター・ジャパン・アクイジッションズ会長 関連項目: ローンスター 元 大蔵省国際金融局長 http //megalodon.jp/2013-0806-1717-23/www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/477.html 理事(事務局長) 金田 敬次 元 財務省審議官 東北財務局長 理事(事務局次長) 大越 信行 財団法人厚生年金事業振興団事務局長 元 社会保険庁課長 監事 藤井 清彦 税理士 元 東京国税局調査第三部長 監事 丸山 正司 税理士 元 東京国税局課長 http //megalodon.jp/2013-0806-1708-31/ppsa.or.jp/organization-information.html 大蔵省(財務省)腐敗の記録簿 (1998年3月6日以降分) http //members.tripod.com/atsushi_hisano/oukura2.htm 1998年3月6日 東京地検は、収賄容疑で次の大蔵官僚等を逮捕した。 (1)榊原隆(38歳) 大蔵省証券局総務課課長補佐(キャリア組) (2)宮野敏男(51歳) 証券取引等監視委員会上席証券取引検査官(ノンキャリア組) 1998年3月7日 大蔵省は金融検査汚職事件で、2人の官僚が逮捕・起訴されたことを受けて、2被告の上司であった者の処分を行なった。 (1)武藤敏郎官房長: 戒告 (2)涌井洋治主計局長(前官房長):減給20%3ヶ月 (3)原口恒和金融検査部長:戒告 関連項目: イオン 大物官僚OB受け入れ (4)中川隆進日銀政策委員(前金融検査部長):減給20%2ヶ月 (5)岡田康彦環境庁企画調整局長(元金融検査部長):減給20%1ヶ月 (6)東正和金融検査部管理課長(前金融検査部審査課長):減給10%1ヶ月 (7)村木利雄札幌国税局長(前金融検査部管理課長):減給20%3ヶ月 (8)森田好則名古屋国税局長(元金融検査部審査課長、元同部管理課長):減給20%4ヶ月 (9)日下部元雄国際復興開発銀行顧問(元金融検査部管理課長):減給20%1ヶ月 関連項目: 世銀とIMF 1998年4月28日 大蔵省接待汚職で112人を処分した。主な処分者は、次のとおり。 【停職】4ヶ月 (1)杉井孝 (銀行局担当審議官) 辞表を提出し、受理された。 関連項目: 接待王 【減給】20%・6ヶ月 (2)長野あつし (証券局長) 辞表を提出し、受理された。 関連項目: 接待追及 (3)墳崎敏之 (近畿財務局長) 関連項目: 【遂に】在日韓国人系信用組合「関西興銀」【破綻】 【減給】20%・4ヶ月 (4)滝本豊水 (証券取引等監視委員会事務局総務検査課長) 関連項目: 保険法改正接待疑惑 【減給】20%・2ヶ月 (5)窪野鎮治 (銀行局担当参事官) (6)中井省 (銀行局担当審議官)1968年東大法学部卒 (7)中村明雄 (主計局主計官) 1978年東大法学部卒、証券局当時JT株割り当てに関して職務権限を持っていた。(別冊 宝島「大蔵官僚の暴落」118ページより) (8)福田誠 (銀行局保険部長) (9)道盛大志郎 (金融監督庁設立準備室主任室員) 【減給】20%・1ヶ月 (10)崎山正夫 (金融監督庁設立準備室上席室員) (11)花岡裕之 (中国財務局理財部管理審査課長) (12)幅崎秀一 (北海道財務局理財部金融第二課調査官) (13)村木利雄 (札幌国税局長) (14)吉村幸雄 (国際通貨基金理事) 関連項目: 外資日本進出 世銀とIMF 【減給10%・1ヶ月】 (15)石井学 (金融検査部金融証券局長) (16)河村健三 (金融検査部上席金融証券検査官) (17)田上律児 (金融検査部金融証券検査官) (18)山口公生 (銀行局長) 1967年東大法学部卒 【戒告】 (19)勝栄二郎 (主計局主計官) 1975年東大法学部卒、主計局主計官 建設、公共事業担当 (20)河上信彦 (関東財務局東京証券取引所監理官) (21)楠寿晴 (近畿財務局金融安定監理官) (22)榊原英資 (財務官) (23)竹田正樹 (大阪国税局総務部長) (24)椿原伸生 (金融検査部審査課課長補佐) (25)西川聡 (国税庁国税審議官) (26)西村善嗣 (証券局証券業務課投資管理室長) (27)藤田利彦 (理財局総務課調査室長) (28)松尾良彦 (大阪税関長) (29)森信親 (米州開発銀行財務局次長) 関連項目: 日本政府という会社があるらしい (30)山本晃 (証券局担当審議官) 1969年東大法学部卒、 証券局業務課長、東北財務局長、東京証券取引所監理官を経て、現職。 (31)岩下正 (在アメリカ合衆国日本国大使館公使) 関連項目: ローンスター (32)神崎康史 (OECD日本政府代表部一等書記官) 【官房付きなどに更迭】 (1)墳崎敏之 (近畿財務局長) (2)滝本豊水 (証券取引等監視委員会事務局総務検査課長) (3)道盛大志郎 (金融監督庁設立準備室主任室員) (4)村木利雄 (札幌国税局長) (5)森博彰 (福岡財務支局理財部長) http //megalodon.jp/2013-0630-2104-08/members.tripod.com/atsushi_hisano/oukura2.htm http //www.rondan.co.jp/html/news/roran/ http //megalodon.jp/2013-0630-2118-33/www.rondan.co.jp/html/news/roran/ http //megalodon.jp/2013-0803-1651-43/www.rondan.co.jp/html/news/roran/ 金沢市のパチンコ景品交換業者の課税処分を巡り、国税当局への対応を依頼された業者から巨額の報酬を受け取りながら、一部しか申告しなかったとして、 東京国税局OBの村山文彦(69)、市岡冨士雄(68)両税理士が同国税局から計約8500万円の申告漏れを指摘されたことがわかった。 両税理士は当初、「報酬ではなく、預かり金だ」と主張する一方で、業者側の返還要求には応じておらず、税理士倫理の面でも問題になりそうだ。所得税は業者が源泉徴収して納めなければならないため、両税理士の追徴税額は過少申告加算税を含めて数百万円になる見通しだ。両税理士は修正申告に応じたという。 複数の関係者によると、村山、市岡両税理士は2005~06年、 元大蔵省銀行局審議官の杉井孝弁護士(61)や他の税理士ら計6人と 「杉井プロジェクト」と名付けたグループを結成。 金沢国税局から巨額の所得隠しを指摘され、重加算税を含めて約38億円を追徴課税されたパチンコ景品交換業者(死去)の異議申し立て手続きにあたった。 業者からグループには、06年3月に着手金5000万円、10月に報酬の中間金として2億5000万円が支払われた。いずれも両税理士が窓口となって受け取り、杉井弁護士らに分配。うち両税理士はそれぞれ7000万円強、杉井弁護士は約6500万円を受け取った。しかし、異議申し立てでは、グループに支払ったのとほぼ同額の3億円しか減額されず、「不当に高い報酬を支払わされた」とする業者側と対立していた。 読売新聞が今年1月、異例の高額報酬を報じたことを受け、東京国税局は税務調査を開始。杉井弁護士と他の税理士らは受け取った報酬を06年分の収入として申告していたが、村山、市岡両税理士は約3000万円ずつしか申告していなかったことが判明した。 両税理士は、調査に「残りは業者との間で精算が済んでいない預かり金で、収入ではない」と主張したが、同国税局では、異議申し立て手続きの業務が07年には終了し、業者側にも報酬として支払った意図があったと判断。それぞれが受け取った金額から申告分を差し引いた計8500万円を06、07両年分の収入として申告すべきと指摘したという http //blogs.yahoo.co.jp/nb_ichii/26270018.html 第一勧業銀行利益供与事件における大蔵省の検査の甘さが総会屋への焦げ付き融資拡大になった問題が浮上したことがきっかけで、東京地検特捜部は捜査を開始(総会屋利益供与事件)。特捜部は過去の強制捜査や任意提出で都市銀行、長期信用銀行、大手証券会社などから業務日誌や接待伝票を把握した。 1998年1月18日、東京地検は日本道路公団の外債発行幹事証券会社の選定に際し野村證券から贈賄があったとして、公団経理担当理事(大蔵省OB)と、野村証券の元副社長らを贈収賄容疑で逮捕。 1月26日、東京地検はあさひ銀行・第一勧業銀行・三和銀行・北海道拓殖銀行から収賄を受け検査日程を漏らしていたとして、大蔵省検査官を2名を逮捕。 3月5日、東京地検は大蔵官僚2名を野村証券への便宜供与と収賄にて逮捕。 3月11日、東京地検は日本興業銀行・三和銀行から収賄を受け機密情報を流出させたとして、日銀証券課長を逮捕。 4月27日、大蔵省は民間金融機関に関する内部調査の結果を公表し、銀行局審議官の杉井孝を停職、証券局長の長野庬士らを減給とする等、計112人(停職1人・減給17人・戒告14人、訓告22人、文書厳重注意33人、口頭厳重注意25人)に対する処分を行った。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%94%B5%E7%9C%81%E6%8E%A5%E5%BE%85%E6%B1%9A%E8%81%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6 逮捕 日本道路公団 経理担当理事(大蔵省OB) 関連項目: 井坂研究 大蔵省 証券局総務課 課長補佐 榊原隆 大蔵省 証券取引等監視委員会 上席証券取引検査官 宮野敏男 大蔵省 金融検査部金融証券検査官 室長 大蔵省 金融検査部管理課 課長補佐 日本銀行 営業局証券課長 自殺 大蔵省 銀行局 金融取引管理官 日本銀行理事 鴨志田孝之 (1998年5月2日) 第一勧業銀行元頭取(元会長) 宮崎邦次 関連項目: 総会屋利益供与事件 野村証券利益供与事件 辞任 大蔵大臣 三塚博 日銀総裁 松下康雄 大蔵省 事務次官 小村武 大蔵省 銀行局局長 大蔵省 銀行局担当審議官 杉井孝 大蔵省 銀行局保険第一課 課長補佐 大蔵省 証券局長 長野庬士 大蔵省 財政金融研究所 所長 中島義雄 他多数 関連項目: 大蔵同友会 霞桜会 利益供与事件での自殺者 宮崎 邦次 元第一勧業銀行 会長 1997年6月29日 東京の自宅 首吊り自殺 大月 洋一 大蔵省銀行局 金融取引管理官 1998年1月28日 東京の官舎 首吊り自殺 吉田 一雄 道路施設サービス 社長 1998年1月30日 首吊り自殺 新井 将敬 衆議院議員 1998年2月19日 東京・品川のホテル 首吊り自殺 杉山 吉男 大蔵省銀行局中小金融課 課長補佐 1998年3月12~14日 自宅 首吊り自殺 鴨志田 孝之 日本銀行 理事 1998年5月1日 東京・板橋の分譲団地(実家) 首吊り自殺 前略 今をときめく大蔵省高級官僚の接待行政に関して情報を提供いたします。 近畿財務局長・墳崎敏之と信用組合 関西興銀 理事長・李 勝載との関係です。 関西興銀といえば、1993年、神戸、滋賀、奈良、和歌山の 4商銀を合併して普通銀行への転換を図ったことはご記憶にあろうかと思います。 その時の近畿財務局長が 長野 厖士 でした。長野 厖士 に対する接待攻勢も凄いものがありました。 今、西日本の韓国系信用組合の統合を図って生き延びようとする在日僑胞の敵、李一族の墳崎に対する接待も、目を見張るものがありました。 接待の場所は、大阪・ミナミの「大和屋」、北新地のクラブ「有馬」、祇園の「富美代」、先斗町の「初の家」、それと一族が経営するゴルフ場「コマ・カントリー」です。 週に一、二回は必ずと言っていいほどの頻度だったようです。お調べ下さい。十万円単位の「お車代」や「お土産」は当たり前。なんと墳崎の方から要求していたとのことです。 ものはついで。「李 勝載 の独白」と題した文章があります。ご一読下さい。 李 勝載は昨年末に 韓信協副会長を解任されたといってますが、先月(1月)19日、韓信協総会で表面化しました。関西興銀理事長の肩書も「休職」となったようです。これらも、簡単に確認できるのではありませんか。 「有志」の名前で一文を差し上げましたが、意のあるところを汲んでいただき、単なる怪文書として御見捨てなさらぬようお願いします。 1998年 2月 有志より http //www.rondan.co.jp/html/news/kanryo/kogin.html 李 勝載 独白 ~~関西興銀 理事長が語る 関西興銀は 1997年 11月末に死にかけました。11月26日 午前9時、全店長を集め、「28日はやっていけない。韓国系信組から 80億円が流出してしまう。もうダメだ。」と告げました。だが、今はラクになってます。次の危機は5月。それまでの資金手当は、読めてます。 12月2日、近畿財務局長に呼び出されました。 これで関西興銀もおわりやなと思いました。正午の呼び出しでしたが、午後1時に変更してもらい、思いっきり寿司を食べてから行きました。 「親父(李 煕健)も早よ死んでたら、ええ葬式できたのに。 なまじ長生きして、老害を振りまいて、関西興銀が倒れてしもて、81歳の男が(特別背任などの罪で)逮捕される。 なんで1年前に死なへんなんだんや」とつくづく思いました。 近畿財務局長の 墳崎 敏之 は、私、李 勝載 とは駿河台高等予備校の同級生。大学も東京大学で一緒でした。いわば、親友の関係です。 その墳崎が 「11月28日、金曜日、この月末をもって、大阪商銀、京都商銀がデフォルトに入った。 追加資金は無条件で、大蔵の要請を受け、日銀特融を付ける。ついてはこの2つを引き受けてはくれないか」 と切り出しました。 僕は、すかさず「ノー」と答えました。何故だと食い下がる墳崎に対して 「大阪商銀で 1,400億円、京都商銀で 300億~500億円とした回収不能額の計算は甘い。大阪商銀は貸出額 2,300億円のうち 2,000億円、京都は 1,200億円のうち 990億円。これが真相でっしゃろ。 京都商銀については、5年前からの預金流出状況を知ってる」 と言うたりました。 翌週、また墳崎に呼び出されました。2度目ですわ。 墳崎は 「2つの信組の不良債権額は、お前のいうとうりやろ。 だが、大蔵発表の検査結果を信用してくれ。 俺とお前は親友同士。 お前とこ、関西興銀は潰さない。 で、合併の発表から実際に合併するまでは 全信組連からの融資を付ける。合併後は日銀融資に変えてやる。これでどうだ」といいよりました。 僕は、 「融資なら要らない。預金にしてくれるなら OK だ。考えてもみてくれ、預貸率逆転しとって、2,000億円も借り入れしている銀行を誰が信用しまっか。発表した翌日、関西興銀は倒れてしまいまんがな」 と言うてやった。 それでまた、物別れになりました。 3度目に会うたんは、その3日後でしたか。 墳崎は「預金にしてやる」と言いました。 ここまでの交渉については、親父も「ようやった」と褒めてくれよりました。「何があいつら東大出や。お前かて東大出やないか」 と喜んどりました。ところが、ここで、僕が欲を出したんですわ。 大阪商銀の 1,400百億円、京都商銀の 500億円、これを検査し直したら、少なく見積もっても 2,500億円になる。そこに、10年間面倒みてやるという 2,000億円。併せて 4,000億円もあったら、という計算で、「福岡商銀、山口商銀も面倒見ます」と言いました。 墳崎は「お前、いつから気狂うて欲張りになったんや。大蔵の足元見るんか」と言い出した。 怒って親父に電話して「お前とこの息子、エエ加減にさせい。友情を逆手にとって、欲張りやがって」と告げ口しよったんですわ。 それで親父が、僕を気違い扱いしだした。 親父は 「12月20日の土曜日の深夜、大蔵省が記者会見して、京都、大阪、福岡、山口、埼玉、北海、静岡、三重、島根、佐賀商銀の破綻処理について同時発表するやろう。大阪、京都商銀の内容を発表されたら、関西興銀も潰れてしまう」と怒りました。 僕は、 「分かってまんがな。そやけど、ここが頑張りどころと違いまっか。近畿だけ救うて、福岡や山口を潰させていいんですか。全部を掏いとるか取りこぼすか、勝負所でっしゃろ」 と言いました。 親父は「お前気違いや」というばかりですわ。 そこで、僕はキンスマン副会長に「僕が動く」と言うて、病気の振りをして西に行ったんです。12月12日、賢島CC でやった(関西興銀の)部店長コンペの会場から、鈍行で福岡に行った。 福岡、佐賀、三重、長崎、大分、熊本、山口商銀の理事長に、1時間ずつ間をあけて会いました。 その場で、「自主再建を断念します。関西興銀に事業譲渡されることを切望します」とあらかじめ用意した文書を示し、各県の知事と西日本安定管理官宛に出せるよう判子を押させたんです。皆が同意してくれたのに、福岡のオジンがゴネて、8人で7時間半かけて説得しました。その福岡にも最終的に判子を押させ、そこで初めて、「対等合併、出資金安全」の条件を示したんです。 しかし、対等合併でやれるはずがない福岡商銀については「事業譲渡」と書いておいたんです。それを見た福岡が、「これでは判子押せん」と言い出し、結局流れてしまいました。 やってみる価値、言うてみる価値のあることをやろと思いましてん。大蔵省に対して「西日本は全部出来てます。まとまってます」ということを示して、流れを変えることできんか、と思たんですわ。親父は「出すぎたことを。追放や」と、またまた怒りよりました。 福岡から帰った 12月15日、大阪商銀理事長の大林さんに会うため、新幹線の京都駅にいたら、松田(関西興銀副理事長、李 正林)と 吉本(同専務理事、朴 忠弘)と山村に捕まりました。吉本は「お前、会長の息子や思うから遠慮してたが、もう許さん」と、駅の喫茶店で、午後2時から6時まで 4時間にわたってボコボコにどつかれたんです。僕についていた秘書室長の木山が3人をどつき倒し、店の人が 110番しました。ピコピコとサイレンが鳴りだしたとき、僕は悔しさで心臓発作を起こしてしまいました。病院に運び込まれて、一時停止していた心臓が動き出して助かったけど、そこから4日間、注射をうたれて、寝かされてしもたんですわ。 12月20日は、本当にXデーやったんです。 大蔵省は日本国中の信組、韓国系だけやなく、全部の信用組合を一斉に業務停止にしようと図ってたんです。 ところが、現実にはそうならなかった。自民党が「潰す方が生かすより十倍の費用がかかる。大蔵案は机上の空論」と反対したからです。 どうやら、橋本首相は三塚の力で、金融機関を潰さない方向に変わりよったんです。 その直前、元大蔵次官を2年やった大物政治家と話したんです。彼は、 「流れが変わったんだ。本当は、大蔵は、不良金融機関を潰して、いい所にぶっつけて、公的資金をつぎ込む積もりだった。ところが、大阪府が『そんなに倒されたら、やっていけない』と泣きついた。国が出す金の半分か 3分の1は府県負担。大阪には潰れる信組が6つもある。どこよりも多い。全部潰されたら、ノックは府議会を乗り切れない、ということですよ」 と話した。 その人は、個人的に私を指導してくれる方だが、「いい流れではない」と苦慮しておられた。 そんなことがあって、僕は 12月25日、韓信協の副会長を解任されました。仕方がないから、僕自身が、自分で解任願を書いたんです。 僕は今、さすらいの身です。女房と2人で、伊勢や白浜や山中温泉やとか、関西興銀の保養所を5日間ずつ、転々としてます。 それでもね、僕は親父とは通じているつもりです。いまでも親父は、5日ごとに 50万円とか、送ってきてくれます。逃避先から僕が送った不老長寿の水を「おいしい」というて飲んでくれてるそうです。僕が親父に対して頭に来たんは、山口商銀の保証のことだけなんやから。それが、親子というもんやと思てます。 山口商銀への保証とは、「山口商銀が全信組連から借り入れた分と、山口商銀の経営問題の、あらゆる損害を一切保証致します」という内容です。 そこに、「韓信協(在日韓国人信用組合協会)会長 李 煕健」の印鑑をついているんです。 ウチの息子3人は「韓信協に法人格はないで。金もないで。李 煕健、個人の責任やとなれば、ウチの家がやられてしまうで」と心配していたんですわ。 幸い、パチンコ、ボーリングは兄弟3人名義。韓国の新韓銀行の株も僕の名義になってるから大丈夫やとしても、大和、新韓、興銀に併せて 40数億円の預金がありますねん。これをやられてしもたら、どもなりません。 山口商銀は毎日 何億円単位で預金がジャジャ漏れですがな。不良債権がボコボコになってしもてる。僕ら兄弟は、個人の 李 煕健 ではなく、韓信協の会長の責任や、と逃げまっせ。関西興銀が逃げ切ったところで、大蔵省や全信組連が「そしたら、やはり韓信協さんの責任じゃあーりませんか」と言い出したら、東京商銀と大阪商銀が受けるしかないでしょう。 こんなばかげたことを、僕が解任した次の日にやってしまいよったんです。さらには「息子は追放した。理事長がおらんようになったからには、松田、吉本、お前ら頑張ってくれ」と言うたようです。こいつらも、親父が保証するのん、横で見とったんですよ。こいつら、親父の金玉を掴んどるんですわ。人に見せられない融資、ヤクザ関係の 何々組や 元何々組に 6億円とか 5億円とかちゅう融資をね。僕の仕返しが怖いから、親父にすがりついとるんですけど。 その松田が僕のおらん間に、本部担当の山村や木山ら 20人ほどに、1ヶ月の自宅謹慎を命じよったんです。山村らは、僕の命令やと思いこんでいたようです。 1月4日に初めて気付いて、そこから反撃開始です。9日迄に全部の事情が分かりました。1月13日、「松田、吉本をやっつける会」やということで、会長以外の全役員に召集かけました。僕が 5階、松田らは 6階に籠もりよった。最終的には 10対2。10人がウチに来ました。2人を除いての全員会議を持ちました。 「クーデターを図った松田、吉本の粛清をやってしまわないかん」と。 そこで考えたのが次の案です。1回では実らんかもしれません。僕の方が負けてしまうかも分かりません。そやけど、1ヶ月後、3ヶ月後と何遍でも挑んでみます。僕ら、あのクリントンと同い年でっせ。80歳も越えたような人は、棚の上にあがって貰わなあかんのです。 http //megalodon.jp/2013-0630-2259-51/www.rondan.co.jp/html/news/kanryo/kogin.html 関連項目 新韓銀行借名口座問題 【遂に】在日韓国人系信用組合「関西興銀」【破綻】 第120回国会 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号 ○竹村泰子君 次に、那覇軍港の返還問題 についてでありますけれども、この施設は一九七四年の安保協で移設を条件として全面返還が合意されておりますが、いまだに返還されておりません。那覇軍港は都市開発上非常に重要な場所にあり、沖縄の産業振興を図る上からも大きな障害となっております。しかしながら、安保協での合意から既に十七年を経過した現在において、沖縄の土地利用状況にかんがみれば、ほかの地域にこれだけ広大な港の適地を求めるのは不可能ではないか、私はそう思います。したがって、移設を条件とすることはほとんど返還はあり得ないに等しいのではないかと思うのです。十七年前の合意を見直して、移設条件なしの全面返還に向けて外務省と防衛施設庁は米側と協議にとりかかるべきだと思いますが、いかがでしょうか。 ○政府委員(川島裕君) お答え申し上げます。 日米安保条約に基づきます米軍の駐留は、我が国の安全とそれから極東における国際の平和と安全の維持に寄与しておりまして、沖縄における米軍施設、区域の円滑な使用を確保することは、こうした安保条約の目的達成のために非常に重要だと考えておるわけでございます。ただ他方、沖縄におきまして米軍施設、区域の密度が高く、その整理統合について強い要望があることも十分承知しております。したがいまして、施設、区域の整理統合につきましては、従来同様引き続き米側と粘り強く調整していく所存でございます。 そこでお尋ねの那覇港湾施設でございますけれども、昭和四十九年一月の安全保障協議委員会で全部移設条件つきということで返還が了承されたわけでございます。そこで以来日米間で検討を進めておりましたけれども、なかなか移設先の見込みが立たないということが御指摘のとおり問題でございます。 ただ、移設先がないまま撤去できるのかということになりますと、これは何と申しましても、那覇港湾施設は沖縄に駐留しております米軍の補給物資の積みおろし等、補給のために不可欠な港湾施設となっておりますので、それにかわるものがないままこれを撤去ということで進めるということはちょっと難しいというふうに考えております。 ○竹村泰子君 今のお答えでは全然満足できませんけれども、今すぐずばりと答えを出せといってもこれは無理でしょうから、また引き続き追及していこうと思います。 米軍用地の強制使用代行問題なんですけれども、来年五月に期限切れとなります米軍用地使用契約の未契約地主に対して、国による強制使用の手続が進められております。現在、使用裁決申請書の公告、縦覧を知事が代行するか否かが焦点となっているわけですね。これは基本的には知事がお決めになることでありますけれども、仮に知事が代行拒否という判断を下された場合に、国としては今後どのような対応をおとりになるのでしょうか。特に、代執行手続を簡略化する地方自治法の改正がつい先日成立いたしました現在の段階におきまして、この地方自治法に基づく手続をおとりになるのかどうかお答え願います。 説明員(中田唯之君) 御説明いたします。 防衛施設庁といたしましては、県知事による裁決申請書の縦覧等の代行は法律に定められました手続でありまして、速やかにこれを実施していただくよう沖縄県知事の御理解をお願いしているところでございまして、知事がこれを拒否された場合のことについては考えておりません。 まとめ(オリンパスショック) オリンパス 売上-連結9,808億 従業員数-連結36,503人 2007年 ジャイラス(英医療機器メーカー)売上500億円 ↑2,000億円で買収 その際「AXES」と「AXAM」という英ケイマン諸島の2社にアドバイザリー報酬として700億円支払う 「AXAM」は3ヶ月後に消滅(登記抹消) 2008年 アルティス(資源リサイクル)売上2億 ヒューマラボ(化粧品・健康食品販売)売上9億円 ニューズシェフ(電子レンジ調理容器製造)売上6億円 (3社とも同一住所) ↑計734億円で買収 井坂公認会計事務所(井坂公認会計士)が第三者機関として買収額を公正と判断 2011年 4月 マイケル・ウッドフォード、グループ会社社長がオリンパス社長に就任 7月 社長、雑誌月刊FACTAの告発記事を見て初めて上記2つの事実を知り、不振に思い独自にPwC(4大監査)に調査を依頼する 10月 多くの問題点が報告されたため社長は菊川会長及び副社長に書簡で引責辞任を促すもその三日後解任される 10月14日の社長解任で数々の問題が明るみになり14日→21日で株価は2482円→1200円台に マイケル・ウッドフォード元社長「身の安全に不安を感じる、警察に保護を求める」 ブルームバーク「エンロンとワールドコム超えた」 匿名 さんのコメント http //tokumei10.blogspot.jp/2011/10/blog-post_7791.html ICF (Orben) ? 2001年12月 翼システム、オーベン(旧:アイ・シー・エフ)の筆頭株主となる 2002年04月 小野高志氏がオーベン社長に就任 2003年10月 佐藤克氏がオーベン社長に就任 2004年01月 翼システム、梁山泊グループのビタミン愛に保有株の大半を売却 2005年06月 元公安調査庁長官の緒方重威氏がオーベン監査役に就任 2006年01月 オリンパス傘下のITXが翼システムのパッケージソフトウェア事業を買収 2006年08月 大蔵省(現:金融庁)証券取引等監視委員会総括調整官、ソフトバンク常務を歴任した江口隆氏がオーベン社長に就任 2007年06月 緒方重威氏、朝鮮総連ビル詐欺事件で逮捕される 2008年02月 梁山泊グループによる株価操縦事件で佐藤克オーベン元社長、梁山泊グループの豊臣春国代表、 小野高志オーベン元社長、元港陽監査法人所属の田中慎一逮捕 佐川肇と濱田雅行が繋がったら後は崇仁協議会やオウム真理教や後藤組や朝鮮総連や北朝鮮関係の闇へまっしぐらw 2011年10月25日 1 34 http //megalodon.jp/2013-0804-0022-07/tokumei10.blogspot.jp/2011/10/blog-post_7791.html 朝鮮総連と結託している売国奴達 http //tokumei10.blogspot.jp/2011/08/blog-post_25.html http //megalodon.jp/2013-0805-1551-50/tokumei10.blogspot.jp/2011/08/blog-post_25.html http //tokumei10.blogspot.jp/2012/01/blog-post_06.html http //megalodon.jp/2013-0805-1554-41/tokumei10.blogspot.jp/2012/01/blog-post_06.html http //tokumei10.blogspot.jp/2009/08/blog-post_12.html http //megalodon.jp/2013-0805-1555-38/tokumei10.blogspot.jp/2009/08/blog-post_12.html 損失穴埋め目的で買収した情報通信事業会社ITX 破滅は自明の理だった!? オリンパスが“負の遺産”を売却 オリンパスは、携帯電話販売など情報通信事業の子会社、ITX(東京・港)を530億円で投資ファンドの日本産業パートナーズ(東京・千代田)に、9月28日付で売却する。 ITXは、携帯電話の販売代理店を全国に500店運営し、業界では第3位。スマートフォン(高機能携帯電話)の販売が好調で、12年3月期の売上高は2294億円、最終損益は33億円の黒字だった。売上高はオリンパスグループの4分の1を占めるが、旧経営陣が巨額の損失隠しの発覚を防ぐためにITXを利用していたこともあって、売却することでけじめをつける。 ITXは日商岩井(現双日)の情報通信部門が前身で、オリンパス光学(現オリンパス)が2000年3月、50億円を出資した。名目は新規事業の開拓。旧経営陣の菊川剛・元社長、山田秀雄・元監査役、森久志・元副社長(いずれも金融商品取引法違反で起訴)らは、 98年当時、財テク失敗による損失が1000億円弱に上ったため、海外ファンドなどへ損失の飛ばしを開始していた。 そこで、ITXの上場によるキャピタルゲインを損失の穴埋めに使うことを計画。250億円を投じて連結子会社にした。 巨額損失の穴埋め策を指南したのは、野村證券の事業法人部門でM Aを手掛け、新宿支店長をやった経営コンサルタント会社・グローバル・カンパニー(GC)の横尾宣政代表(詐欺罪で起訴)。 オリンパスがITXへの出資を本格化させた頃のITXの社長は横尾昭信氏。GCの横尾氏と兄弟だった。 01年6月には、菊川剛氏がオリンパスの社長に就任。一方ITXは、同年12月にナスダック・ジャパン(現ジャスダック)に上場した。だが、ITバブルはすでに崩壊し、株価は低迷。評価損が発生し損失の穴埋めどころか、損失はむしろ拡大した。このためオリンパスはITXの上場によって得られるつもりでいた利益を損失穴埋めに充てることを断念した。 オリンパスがファンドに飛ばした損失は03年時点で最大1177億円に拡大していた。 06~08年にかけて国内外合計4社の買収や買収に伴う成功報酬の名目で1348億円を捻出し、これを損失の穴埋め資金とした。 ITXは当初、ベンチャーキャピタルのような投資事業で収益をあげることを計画した。この間、「不可解な買収」といわれ株式市場を賑わしたことがある。06年1月のことだ。翼システムのパッケージソフト事業を172億5000万円で買収した件である。同事業の受け皿としてITX翼ネットを設立。早期に株式上場を目指して、買収後、商号をブロード・リーフに変更した。 翼システムは自動車の整備・板金・塗装業者向けのパッケージソフトを開発していた。そのノウハウを生かした「カーコンビニ倶楽部」を立ち上げ、全国展開に乗り出した。歌手・美川憲一の「突っつくわよ」のテレビコマーシャルで話題となった自動車板金補修の全国チェーンである。 ベンチャーがらみの事件が起こる度に、翼システムの名前が取り沙汰されるようになった。 http //megalodon.jp/2013-0805-1538-25/biz-journal.jp/2012/08/post_611.html 翼システムは01年、裏口上場の狙いで東証マザーズ上場(上場したのは00年10月)のネット関連会社、アイ・シー・エフ(ICF)を買収した。 ICFには重田康光社長の光通信、藤田晋社長のサイバーエージェントなどが出資していた。 仲介したのは、あの村上ファンドの村上世彰氏である。 翼システムは上場会社を子会社に組み入れて経営権を握ったが、翼システム自身が資金繰りに窮したため、ICFを売却しなければならなくなった。 翼システムが04年、ICFを売却した先が、パチンコ、パチスロの攻略法の情報提供サービスを行っていた梁山泊グループ。 同グループの実質的な経営者は、指定暴力団山口組の幹部だったといわれる人物だ。株価操作でICF株を高騰させ、高値で売り抜け、多額の利益を得たとされる。この人物は別の株価操縦事件で逮捕されている。 ITXが、このようないわくつきの会社の翼システムの一部門を買収したことに関して、さまざまな見方がされた。翼システムから買収したブロード・リーフは09年10月、米投資会社カーライル・グループに譲渡され、ITXから完全に切り離された。 ITXは11年3月、オリンパスの完全子会社になったことに伴い上場廃止になった。オリンパスは一連の事件を受け、内視鏡など医療事業、デジカメなど映像事業、顕微鏡などライフ・産業事業の3つに経営資源を集中する方針を打ち出した。だから、携帯電話販売など非中核事業を担うITXの売却先を探していた。 もともと損失穴埋めのためのハコとして買収したITX。今回の譲渡で旧経営陣の負の遺産の処理に、ようやくケリをつけたことになる。 http //biz-journal.jp/2012/08/post_611_2.html http //megalodon.jp/2013-0805-1540-10/biz-journal.jp/2012/08/post_611_2.html 関連項目: 芋づる式か?