約 319,248 件
https://w.atwiki.jp/karasama/pages/88.html
- 【イモリの惚れ薬】 まあいまではダレも信じないだろうが、昔の日本では イモリの黒焼が絶対の惚れ薬として人気があった。 明治時代になってなお、『うそと思ひて使用してききめが有て 今更に願ひ叶ひし嬉しさに恥ずかしながら御禮申上候と 徳川家某氏より其他禮状澤山あり』という広告が新聞に載ったほどである。 “うそと思ひて”というところがマア、正直でよろしいが。 このイモリの黒焼は必ず、雌雄二匹を共に焼かなくてはならない。 竹筒に二匹を入れて焼くと、この二匹はからみあってクロコゲになっている。 それを用いる、とモノの本にある。使うときにはこれを相手に気づかれないように 頭の上にパラパラとふりかける、とモノの本にある。 もっとも、他の本によるとこのまじないは中国から伝わったもので、 もともとヤモリを用いるとなっていたものを日本で誤訳してイモリとなった、 とあるから、ハナから効かなくてアタリマエ、と言われてもしょうがない。 処方がまちがっているのである。 『薬局通』P.180〜181 長々と引用してきたが、実はこの文章自体は間違っていない。 イモリの黒焼きは惚れ薬として有名だし、作り方も正しい。 さらに中国ではもともとヤモリが用いられていたこともおさえている。 若干舌足らずの部分はあるが、十分な説明であると言っていい。 では、何故この文章をわざわざ取り上げたかというと、 後年になって唐沢がイモリの黒焼きについて語っていることが 『薬局通』での文章と比べて明らかに劣化しているからだ。 岡田斗司夫『東大オタク学講座』第十二講「愛と誠の変態講座」に ゲストとして呼ばれた唐沢はこのように語っている (なお、今回は取り上げないが「愛と誠の変態講座」で唐沢が語っている内容は ガセが混入しているうえに、まことに尾籠なものである。 東大の品位を汚しているとしか思えない)。 イモリの黒焼きが精力増強の薬に用いられるのも、水中で腹と腹を向かい合わせて、 人間と同じように正常位で交尾する動物だからなんです。 人間と同じ形でセックスするからそれにあやかろうって発想ですね。 なぜ、「惚れ薬」のことを「精力増強の薬」と言うのか。まるで別物じゃないか。 しかも、イモリが「人間と同じように正常位で交尾する動物」だなんて 余計なガセネタを付け加えている (テレビ東京で放送された深夜番組『給与明細』でもこのガセを語っていた。)。 『薬局通』のオリジナルになっている『ようこそ、カラサワ薬局』(徳間書店)が 刊行されてから「愛と誠の変態講座」まで10年も経っていないのに、 どうしてこんなに劣化してしまうのか。 ただ、このような間違いをした理由は推測できる。 唐沢は『薬局通』P.180でこのように書いているのだ。 精力剤、というとナンとなく(というよりモロに)ヒワイだが、 媚薬、というとロマンチックになってくる。 『媚薬』というシャレた映画があったっけ。 惚れ薬、となるともうオトギ話の世界になってくるかもしれない。 いずれにしても、クスリの力を借りて積極的に愛を燃え上がらせよう という願いがこめられている。 結局、唐沢がここで「精力剤」と「媚薬」と「惚れ薬」をゴッチャに していることが劣化の原因になっているわけだ (しかも、この章のタイトルは「精力剤も「惚れ薬」と呼べば 恋のトリコに」とやはり「精力剤」と「惚れ薬」をゴッチャにしている)。 wikipediaの「媚薬」には次のようにある。 媚薬(びやく)とは狭義には催淫剤と呼ばれ勃起不全の治療に使われる薬を言う。 広義には性欲を高める薬、恋愛感情を起こさせる惚れ薬、肉体的な性機能の改善 を目的とした精力剤、強壮剤も含まれる。 つまり、「精力剤」と「惚れ薬」はともに「媚薬」ではあるが、 それぞれの効果はまるで別物ということなのだ。 粗雑な考えがせっかく正しく理解していたことを誤った方向に 導いてしまったというわけである。 検証blog
https://w.atwiki.jp/wikiwiki2/pages/170.html
『知に歴史あり 岩波新書・中公新書・講談社現代新書』 2011末 「 」 内は、当該新書を含む新書マップのテーマ 2012.12現在 なお、含まない場合は、(参考)として関連するテーマを記載 1.岩波新書・小田野選 (中公新書) 石光真人編 『ある明治人の記録』 「明治時代」「読書ガイド」 山室信一 『キメラ 満州国の肖像』 7FS222.5ヤ 「満州」 佐藤俊樹 不平等社会日本 県立 7FS361.8ナ 市立 大学361.8.Sa85 「格差社会」「読書ガイド」 (講談社現代新書) 池上俊一 『動物裁判』 「中世ヨーロッパ」 橋爪大三郎 はじめての構造主義 県立 7FS116.3ハ 大学旧 「構造主義」「読書ガイド」 福岡伸一 『生物と無生物のあいだ』 「生命科学」 2.中公新書・白戸選 (講談社現代新書) 池上彰 相手に「伝わる」話し方 県立 7FS809.2イ 市立 「プレゼンテーション術」「読書ガイド」 玉野和志 創価学会の研究 7FS188.9タ 市立188.9タ 「新宗教と新新宗教」「読書ガイド」 佐々木敦 『ニッポンの思想』 (岩波新書) 原彬久 『岸信介 権勢の政治家』 7FS289.1キ 大学旧 鎌田慧 『ドキュメント屠場』 県立 8F郷土資料A916カ 市立 大学旧 「部落差別」 吉見俊哉 ポスト戦後社会 県立 7FS210.7ヨ 市立210.7ヨ 大学文庫080.2A.1050 「戦後」 3.講談社現代新書・岡本選 (岩波新書) 鶴見良行 『バナナと日本人』 県立 7FS625.8ツ 市立 大学旧 「食べ物で考える日本人」 中村雄二郎 述語集 県立(著作集) 9F 市立 「哲学入門」「読書ガイド」 太平健 豊かさの精神病理 県立 7FS304オ 市立 大学旧 「精神病理学の視点」「読書ガイド」 (中公新書) 本川達雄 『ゾウの時間 ネズミの時間』 「人とネズミ」 臼井隆 『コーヒーが廻り世界史が廻る』 県立 市立 大学596.7U95 「コーヒー」 岡田暁生 『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』 県立 7FS762.3オ 市立 大学762.3.O38 「クラシック音楽入門」 <これぞ岩波新書> 代表的ロングセラー・ベストセラーより 1.『零の発見』 吉田洋一 県'79 9F 大学旧'39 「数学の歴史」 2.『自由と規律』 池田潔 県立 9F 大学旧 「イギリスの教育」 3.日本の思想 丸山真男 県立 9F 市立(岩木) 大学旧 「丸山真男」 4.『ヒロシマ・ノート』 大江健三郎 「原爆」「読書ガイド」 5.名画を見る眼 高階秀爾 県立 7F書庫 市立 大学723Ta54 「絵画の見方、絵画論」「読書ガイド」 6.『バナナと日本人』 鶴見良行 県立 7FS625.8ツ 市立 大学旧 「食べ物で考える日本人」 7.豊かさとは何か 暉峻淑子 県立 7FS304テ 市立 大学332.1TE77 「豊かさ」「読書ガイド」 8.文章の書き方 辰濃和男 県立 9F 大学旧 「文章の書き方」「読書ガイド」 9.共生の大地 新しい経済がはじまる 内橋克人 県立 7FS332.1ウ 市立 大学旧 10.『やさしさの精神病理』理 大平健 県立 7FS146.8オ 大学旧 「精神病理学の視点」 11.禅と日本文化 鈴木大拙 県立 9F 大学新書庫121.9Su96.11 「禅」「読書ガイド」 12.『論文の書き方』 清水幾太郎 「論文・レポートの書き方」 13.私は赤ちゃん 松田道雄 県立'67 9F'79 大学旧'60 14.歴史とは何か E.H.カー 県立 7FS204カ 大学旧 (参考)「歴史学」 15.栽培植物と農耕の起源 中尾佐助 県立(全集) 7F書庫S615ナ 大学612N41 16.『日本人の法意識』 川島武宜 県立 9F 市立 大学旧 「民法、法律相談」 17.羊の歌 わが回想 加藤周一 県立 8階壁書架918.6カ14(?) 市立'79 大学旧'79 18.音楽の基礎 芥川也寸志 県立 7F閉架書庫 市立 大学761A39 「クラシック音楽入門」「読書ガイド」 19.術語集 中村雄二郎 県立 9F 市立 「哲学入門」「読書ガイド」 20.『外国語上達法』 千野英一 (参考)「日本人と英語」 21.子どもの宇宙 河合隼雄 県立 7FS371.4カ 市立 大学旧 「子どもに教える」 22.『ボランティア』 もうひとつの情報社会 金子郁容 県立 7FS369.1カ 市立 大学旧 23.昭和天皇の終戦史 吉田裕 県立 7FS210.7ヨ 市立 大学旧 「昭和天皇」 24.大往生 永六輔 県立 7FSエイ 市立 大学旧 「永六輔」「読書ガイド」 25.『日本社会の歴史』(上) 網野善彦 26.『日本社会の歴史』(中) 網野善彦 27.『日本社会の歴史』(下) 網野善彦 28.マックス・ヴェーバー入門 山之内靖 県立 7FS361.2ヤ 市立 大学旧 (参考)「マックス・ヴェーバー」 29.『生命と地球の歴史』 松山茂徳 磯崎行雄 「地球科学・物理学」 30.子どもの危機をどう見るか 尾木直樹 県立 7FS371.4オ 市立371.4オ 大学371.42O25 (参考)「子どもの危機」 (これぞ中公新書) 1.『発想法』 川喜田二郎 県立 7FS141.5カ 大学136 2.『ある明治人の記録』 石光真人編 「明治時代」「読書ガイド」 3.理科系の作文技術 木下是雄 県立 7FS816キ 市立 大学407Ki46 (参考) 「文章の書き方」 4. 『胎児の世界』 三木成夫 県立 大学495.6MI24 5.『ゾウの時間 ネズミの時間』 本川達雄 「人とネズミ」 6.「超」整理法 野口悠紀雄 県立 7FS014.9ノ 市立 大学旧 「情報整理法」「読書ガイド」 7.『英語達人列伝』 斎藤兆史 「日本人と英語」 8.『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』 岡田暁生 県立 7FS762.3オ 市立 大学762.3O38 「クラシック音楽入門」「読書ガイド」 9.『入門!論理学』 野矢茂樹 「論理的思考」 10.競争と公平感 大竹文雄 7FS366オ 市立366オ 「格差社会」 11.『アーロン収容所』 会田雄次 12.肉食の思想 鯖田豊之 県立 7FS361.5サ 大学新書庫362.3Sa11 13.詭弁論理学 野崎昭弘 県立 9F 「論理的思考」 14.対象喪失 小此木啓吾 県立 7FS141.6オ 市立 大学旧 15.地政学入門 曽村保信 県立 市立 「現代の帝国主義」「読書ガイド」 16.儒教とは何か 加地伸行 県立 市立 大学新書庫124.1KA22 「儒教」「読書ガイド」 17.『物語アメリカの歴史』 猿谷要 県立 市立 「アメリカ史」「読書ガイド」 18.『物語 イタリアの歴史』 解体から統一まで 藤沢道郎 7FS237フ 市立 「イタリアとイタリア人」 19.『仏教とは何か』 山折哲雄 「仏教入門」「読書ガイド」 20.『サブリミナル・マインド』 下條信輔 「無意識」 21.『物語ドイツの歴史』 阿部謹也 県立 7FS234ア 市立 大学旧 「ドイツの歴史」 22.戦略的思考の技術 梶井厚志 県立 7FS331.1カ 市立 「ゲームの理論」 23.「超」文章法 野口悠紀雄 県立 7FS816ノ 市立 大学816N93 「文章の書き方」「読書ガイド」 24.ユーモアのレッスン 外山滋比古 県立 7FS901.7ト 市立 25.『教養主義の没落』 竹内洋 「教養」「読書ガイド 26.マグダラのマリア 岡田温司 県立 7FS702.3オ 市立 大学旧 「聖母マリア」 27.『働くということ』 ロナルド・ドーア 市立366ド 「日本の雇用」「読書ガイド」 28.カラー版 『絵の教室』 29.日本の統治構造 飯尾潤 県立 7FS312.1イ 市立312イ 30.戦後世界経済史 猪木武徳 県立 7FS332.0イ 市立332イ 大学文庫080C64.2000 (これぞ講談社現代新書) 1.タテ社会の人間関係 単一社会の理論 中根千枝 県立 7FS361.3ナ 大学361.4N38 「1979年以前の日本人論」「読書ガイド」 2.知的生活の方法 渡部昇一 県立(正続) 7FS019ワ(正続)'80 市立(続) (参考)「大人の勉強法」「読書ガイド」 3.『森田療法』 岩井寛 4.ハプスブルク家 江村洋 県立 7FS230エ 「ハプスブルク家」 5.哲学の謎 野矢茂樹 県立 7FS104ノ 市立 大学104N97 6.<子ども>のための哲学 永井均 県立 7FS104.9ナ 市立 大学104N14 7.じぶん・この不思議な存在 鷲田清一 県立 7FS104ワ 市立104ワ 8.相手に「伝わる」話し方 池上彰 県立 7FS809.2イ 市立 「プレゼンテーション術」「読書ガイド」 9.『生物と無生物のあいだ』 福岡伸一 「生命科学」 10.『ふしぎなキリスト教』 橋爪大三郎 大澤真幸 7FS190ハ 市立190ハ 「キリスト教入門」 11.論語 貝塚茂樹 9F 「中国哲学」 12.美しい日本の私 その序説 川端康成 県立 7FSカワ 市立 13.本はどう読むか 清水幾多郎 県立 9F (参考)「読書」 14.創造の方法学 高根正昭 県立 7FS301.6タ 大学新書庫301Ta46 15.家族関係を考える 河合隼雄 県立 8F人文科学140.8カ14(著作集) 大学旧 (参考)「家族の問題」 16.はじめての構造主義 橋爪大三郎 県立 7FS116.3ハ 大学旧 「構造主義」「読書ガイド」 17.ローマはなぜ滅んだか 弓削達 7FS232ユ 市立 「ローマ帝国」「読書ガイド」 18.『今こそマルクスを読み返す』 廣松渉 県立 7FS134.6マ 大学134.5Ma59 「マルクス」「読書ガイド」 19.『オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」』 鈴木董 県立 7FS226.6ス 市立 大学226.6SU96 「トルコ」「読書ガイド」 20.身分差別社会の真実 斎藤洋一 大石慎三郎 県立 7FS210.5サ 市立 「部落差別」 21.「世間」とは何か 阿部謹也 県立 7FS210ア 市立 大学302A12 「世間」「読書ガイド」 22.「複雑系」とは何か 吉永良行 県立 7FS404ヨ 市立 「複雑系」 23.子どものトラウマ 西澤哲 県立 7FS146.8ニ 「児童虐待」「読書ガイド」 24.『無限論の教室』 野矢茂樹 県立 7FS410.1ノ 市立 大学112N97 25.『知の編集術』 松岡正剛 県立 7FS002.7マ 市立 「情報デザイン」「読書ガイド」 26.『日本の公安警察』 青木理 県立 7FS317.7ア 市立317ア 大学旧 「日本の警察」「読書ガイド」 27.『動物化するポストモダン』 東浩紀 「オタク文化」「読書ガイド」 28.『まんが パレスチナ問題』 山井教雄 県立 7FS227.9ヤ 市立 大学227.9Y38 「パレスチナ」 『続 まんが パレスチナ問題』 「アラブの春」と「イスラム国」 山井 県立 7FS227.9ヤ2 市立 29.『発達障害の子どもたち』 杉山登志郎 県立 7FS378ス 市立378ス 「子どもの脳」 30.『不機嫌な職場』
https://w.atwiki.jp/ssfate/pages/457.html
No.3071 流れ星 前のサーヴァント:ジャンヌ・ド・ベルヴィル 次のサーヴァント:李定国 データ 関連項目 登場歴 データ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:ライダー ┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┓ 【真名】:流れ星 【属性】:中立・中庸 ┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━┓ 【筋】:E(10) 【耐】:E(10) 【敏】:D(20) 【魔】:B(40) 【幸運】:B(40) 【宝】:A++ ┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ _, 、 , _ , r ''"´ `''.‐、 _, 、 - 、 ,.r'" `´ `i ,r' ,ィ . .. ;r' ,i.' ‐、 .i'"| . 'i ;r' ,、-! .lii|. .liiiツ . }, ,.r''" ...!; i .'; | ';;;;;;;;;' .. } ( ''' '' r‐、~ .. ,! .ヽ, ... . ノ、 ~ "' '"\ . ノ ~''i, , 、 r‐'ヽ、 ....... ;r' 'i, r' "''‐、 ; r i'" .i .,.、、、r‐' '" ' ' " " " " " "~ " ' ' " ~ " '" " " " " "" ' ' '' ‐ ‐ -〟,_ r''"´ `' ) ., 、rゝ ..... ....... '"‐ 、_ . ( ' ' . . . ....... .... . . . . . . . ;,;') `"''‐-- 、,, ___ . . ;;;、 r- ‐' " `" '' ' ' ' ' ‐ - - - - - - - - - - - - - ‐ ‐ '' '' '' " " ´~ 代理AA:カービィ(星のカービィ) ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【クラススキル】 ◆対魔力:C 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。 ◆騎乗:C+++ 生物・非生物を問わず、乗り物を乗りこなす能力。 大抵の乗り物を十全に乗りこなすことができ、 また、宝具に対する騎乗はEXランクにも匹敵するほど卓越している。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【保有スキル】 ◆魔力放出(星光) B 武器・自身の肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出する事によって能力を向上させるスキル。 ライダーの場合、星の輝きの如き光が魔力となって使用武器に宿る。 ◆願望の現し身 C 見る人の理想を投影するスキル。 実体を持たない、人々の願望の写し身にして映し身たるライダー故の特性。 ◆吉凶の表顕者 A 味方に幸運をもたらし、敵に不運を示すスキル。 古来より吉兆や凶兆の前兆とされてきたライダーの能力。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】 ◆『天翔る星の煌き( Shooting star ) 』 ランク A++ 種別:対城宝具 レンジ:1~99 最大補足:1000人 人々の「こうあって欲しい」という願いが宙に蓄えられ、星の外部にて精製された 神造兵装『流れ星』に同化し放つ、万物を貫く流星の突撃。 使用者の魔力を、同化した『流れ星』が星の輝きの如き光に変換し、増幅、集束、加速させ、 放出することによって人為ならざる神速の突貫を可能にしている。 その速度は約時速252,000kmにも達し、草の根一つ残らないほどの大破壊力を発揮するが、 同時に、驚異的なそのスピードは使用者の身すら削る。 ◆『星に願いを( When you wish upon a star )』 ランク A++ 種別:対人宝具 レンジ:- 最大補足:1人 神造兵装『流れ星』の本来の機能。 周囲に残留した『天翔る星の煌き』による大量の魔力と 『流れ星に三回願い事を唱えると、願いが叶う』という人々の信仰によって、 擬似的な聖杯として機能し、召喚者の願いを叶える。 ただし、あくまで急ごしらえの擬似的な聖杯なのでライダーの召喚者の本来の願い事までは叶えられない。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【weapon】 『神造兵装「流れ星」』 人類の無垢な願いの結晶。星の鍛えし神造兵装。 人々の「流れ星が願いを叶える存在であってほしい」 という願いによって精製された、願望を成就させる願いの叶え手。 決まった形は無く、見る人によって形を変えるが、大抵の人には星のような形にみえる。 また、込められた魔力を変換し、流星のごときスピードを生み出すジェット噴射も可能。 普段は流星として過ごしながら、集まった信仰を元に人々の願いを叶えている。 余談だが、そもそもこれそのものが流れ星という概念であり、 ライダーはこれを効率よく運営するため、召喚者の願いを元に作られた仮想人格にすぎない。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【来歴】 流れ星。 人々の「流れ星が願いを叶える存在であってほしい」という願いが結晶した願望の体現者。 召喚者の願いによって召喚され、願いの成就のためだけに存在し、願いで構成された概念体。 触媒は「流れ星に、聖杯でもなければ叶えられない願い事を三回祈る」こと。 願った時期は問わず、幼い子供のときだったとしても、今でもその願いが胸の内にあるのなら、 願いを叶えるために必ずライダーは召喚される。 また、依り代は召喚者の願い事であるため、召喚者が死亡すると自動的に消滅してしまう。 ┝━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【聖杯への願い】 聖杯でもなければ、叶えることのできない召喚者の願いの成就。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【性格】 無垢で無邪気、そして欲望に忠実な幼い子供。 しかし、一度戦闘になれば死すら厭わない不屈の戦士になる。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【備考】 流れ星は古来より世界中で様々な解釈をされてきた。霊魂、黄金を運ぶ竜、悪魔に対する礫、天狗、など。 召喚地が日本ということもあり、そんな流れ星に対する日本の見方を説明していこうと思う。 まず、意外に感じるかもしれないが日本でもっとも有名であろう伝説「1つの流星が輝いている間に 願い事を3回唱えると、その願いが叶う」は最近、現代になってから広まったものである。 古代~江戸時代では、流れ星は吉凶の前兆としてとらえられており、それもどちらかというと凶としての 見方が強い。これには中国の影響が大きいだろう。 中国では流れ星は神(天帝)のお使いであり、天帝が人間に対して発する警告・怒りと解釈された。 また、それに伴い流 星は人の死に結び付けて考えられた。『史記』や『三国志演義』にもその影響が窺える。 これが星占いなどを介して中国から伝来した結果、流れ星は不吉の象徴とされたのだ。 しかし、流れ星が珍しいという側面から吉兆との受け止め方もあったことも事実である。 明治時代になると科学的見方が普及し、流れ星と星占いの関係が棄て去られ、民間伝承と融合して 新たな伝説が作られた。その傾向としては、今まで社会全般の凶兆とされてきた流れ星が 個人的な吉凶の前兆に変わっていったことが目立つだろう。 また、このときから「流れ星を見てそれが消えないうちに言葉を発して願う」という伝説が生まれ始めた。 この起源は定かではないが、恐らく欧米で広く信じら れているウラル・アルタイ系語民族の伝承 「流れ星は神様が地上の様子を見るために「天の扉」を開いたときに洩れた光であり、 願いごとを唱えれば、その希望は神の耳に届き、神は願いをかなえてくれる」が民間伝承と 合わさり生まれたものと考えられる。時期も本格的に西洋文化が流入した明治時代ということもあり、 そこまで的外れではないはずだ。そして、この伝説が今に至るにつれて変化し、現在の 「1つの流星が輝いている間に願い事を3回唱えると、その願いが叶う」という伝説になったと思われる。 ちなみに、流れ星自身の速度は約秒速40kmで、地球の自転速度が約秒速30kmのため、 流れ星の進入角度によって流れ星の速度は約秒速10~70kmに変化する。 秒 速70kmは時速に直すと時速252,000kmにも達し、ベルレフォーンの速度が時速400~500kmである ことを考えるとペガサスの対魔力などもあるので単純比較はできないが、ベルレフォーンの 約500倍のスピードの突貫が生み出す破壊力がどれほどのものになるかは想像に難くは無いだろう。 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 関連項目 登場歴 【R-18】鯖鱒wiki等で聖杯戦争【あんこ】(未完) (780~) (AAをイレイナ(魔女の旅々)に変更して登場) 【二次創作聖杯戦争】暇つぶしに記憶を取り戻す聖杯戦争【鯖鱒wiki】 1 2 (AAをイレイナ(魔女の旅々)に変更して登場)
https://w.atwiki.jp/bakutechbakugan/
秘密結社八咫烏とは古代氏族の賀茂氏の一部が日本における神道、陰陽道、宮中祭祀を裏で仕切っているとされる実在する秘密結社。正式名称は八咫烏陰陽道。 概要 八咫烏の代表者とされるエノクナギによると八咫烏は賀茂氏の祖とされる吉備真備が天平十六年十一月(西暦744年)に藤原氏の朝堂独占に対抗するために聖武天皇の密勅により丹波国で結成したのが始まりという。 八咫烏は天平時代から幕末にかけて主に迦波羅(かばら)と呼ばれる秘術を核とした神道、陰陽道、宮中祭祀を執り行い、京都御所における食事や掃除、湯浴みに至るまで天皇や内廷皇族の日常的な事柄を一手に引き受けていたとされる。 その他、天皇の身に危険が及ぶ自体が起こった場合、聖護院に連れて行き自体が収束せずに更に危険が拡大すれば聖護院からあらかじめ決められた極秘の道に従って神社や寺等を点々として、最終的に天皇を奈良吉野に逃がす役割を担っていた。この間に滞在する神社と寺の主はすべて八咫烏の構成委員またはその血族者で固められていたという。 八咫烏は下鴨神社境内にある糺の森河合神社を仮本宗と位置づけており、組織内では八咫烏神、賀茂建角身命、秦伊呂具、役小角、 聖武天皇 八咫烏開祖の吉備真備を祭神として奉っている。また八咫烏は大烏と呼ばれる3人の実質的指導者がいるとされ、三位一体で金鵄という称号で呼ばれ、俗称で裏天皇ともいわれているとされる。 近代の八咫烏 八咫烏は江戸後期、徳川家定の時代から幕府や朝廷が次第に陰陽道や八咫烏の祭祀儀礼に頼らなくなっていったことから、八咫烏の影響力は退潮傾向にあった。幕末に孝明天皇父子が暗殺され、替え玉として長州藩出身の大室寅之祐が明治天皇としてすり替えられて即位したことで、宮中祭祀と天皇・内廷皇族の葬式の分野を除いて朝廷や皇室における八咫烏の影響力は殆ど失われたとされる。 続く明治時代では八咫烏とは縁が無い土肥薩長出身者が主導する明治藩閥政府が神仏判然令や神社合祀令、天社禁止令、修験禁止令等の形で直接間接の弾圧を行ったことで、大日本帝国憲法が公布される頃には解体寸前まで追い込まれるほど衰退の危機に瀕した。 しかしその後も八咫烏は存続し、岡山県総社市上原や高知県香美市で上原大夫やいざなぎ流と呼ばれる陰陽師村を築いたり、頭山満や内田良平などの人物を代理人として反体制的な政治活動をさせることで勢力拡大を図ったとされる。 戦後の八咫烏 戦後、GHQ占領軍の神道指令や境内地の接収、国家主義団体とみなされた結社の解散などの社会政策や神社本庁創設による神社界の締め付けが原因で八咫烏の財力や影響力は戦前よりもまして大きく削がれ零細化したとされる。現在八咫烏は天皇・内定皇族の葬儀を担う八瀬童子の大半、皇室の際し実務を担う内定職員の一部、上賀茂神社、下賀茂神社の非公式神職や民族派団体幹部の一部にメンバーがいたとされる。 特に21世紀になってから八咫烏は存続を図るために、スターシードと呼ばれる独自に「神童」とみなした青少年を少人数スカウトして神道学を基本として特殊な教育を受けさせており、任意で次世代のメンバーに登用しているとされ、その中から2011年10月に八咫烏の代表者(但し指導者ではない)に補命されたエノクナギが「sound.jp/yatakarasu/」のURLで未完成の八咫烏の公式サイトを開設している。 外部リンク アセンションプロダクション アセンションプロダクション-プロフィール アセンションプロダクション-声優出演情報 中村春香FaceBook アセンションプロダクション-muzie アセンションプロダクション-OKMUSIC アセンションプロダクション-インディーズバンド試聴サイトAudioLeaf おもしろフラッシュの館 八咫烏陰陽道公式サイト 愛国公党 ツイッター ASCENSIONPRODUCTION(kuronashiraichi)onTwitter 野沢あや(mitsukunimito)onTwitter 中村春香(nakamura_haruka)onTwitter 廣重綾(hiroshigeaya)onTwitter 藤井裕之(fujiikin)onTwitter ENOCHNAGI(enochnagi)onTwitter 出典 予言・預言対談飛鳥昭雄×五島勉(学研パブリッシング) 若き代表者が語る八咫烏とカッパーラ 陰謀・秘密結社対談飛鳥昭雄×ベンジャミン・フルフォード(学研パブリッシング) 八咫烏と闇の世界権力の真実 八咫烏(ヤタガラス)の「超」日本史皇后を輩出し続けた一族「賀茂氏と三輪氏」で全ての謎が解ける(ヒカルランド) 明治政府は「八咫烏の系譜」封印を画策した ユダヤと天皇家の極秘情報と闇の権力中丸薫飛鳥昭雄(文芸社) 神道の裏に潜む八咫烏 神国日本VS.ワンワールド支配者 飛鳥昭雄ベンジャミン・フルフォード菅沼光弘(ヒカルランド)正統は南朝にあり 公安情報から読み解くユダヤと天皇家の極秘情報飛鳥昭雄北芝健(文芸社) 復活を目指す八咫烏 月刊ムー2012年2月号(学研) 肉を喰らう神々と魑魅魍魎がうごめく“日本神話”真実の姿 月刊ムー 2012年3月号(学研) コラム八咫烏代表者・林裕之への衝撃インタビュー 月刊ムー2012年6月号(学研) 日本神話の秘密とは 月刊ムー 2012年7月号(学研) コラム八咫烏の実像を語る
https://w.atwiki.jp/rinseidou/pages/161.html
平成19年8月31日 京都 これまで京都を訪れたことは3回あります。 しかし3回とも、自分の意志で観光できる状況ではありませんでした。 今回は奈良の観光が主の目的ですが、初日は京都散策を行うという、少し贅沢な行程を選びました。 京都市内はバスでの移動が中心になります。 観光地図を見て、どのバスに乗るのかまず迷い、バス停がどこにあるのか次に迷うというような調子でしたが、まずは最初の目的地である、賀茂別雷神社に到着しました。 一般的には上賀茂神社と呼ばれている、山城国一之宮です。 京都市内からバスで40分近くかかりました。 本殿と権殿が左右に立ち並ぶ珍しいつくりで、初穂料を納めるとより近い所まで上ることができ、特別参拝をさせていただきました。 またバスにのって賀茂御祖神社へ。 こちらは下鴨神社と呼ばれる神社です。 同じく山城国一之宮。 ふたつの神社は、賀茂氏に大変かかわりが深い神社で、賀茂氏は八咫烏となった賀茂建角身命を始祖とします。 天皇の即位の中心的な儀式である大嘗祭を取り仕切るのが賀茂神社であるということは、あまり知られていません。 賀茂神社には、日本の原点を知る手がかりがあるのと同時に、まだ表に出ない神道の極意が秘められているような、壮大な浪漫が感じられます。 古代の山背原野の名残りをとどめる糺の森は、視界が緑一色になるような壮大な森。 また食事をするのも忘れて、一日を過ごしました。 平成19年9月1日① 橿原神宮 翌日、奈良に向けて出発しました。 まずは橿原神宮へ。 初代天皇の神武帝を祀る橿原神宮は、皇居があった所に明治時代に御創建されました。 そのために明治天皇は、京都御所の賢所と神嘉殿を、本殿・拝殿として下賜されたそうです。 神武天皇はが、その祖先である天つ神をお祀りしたのと同じように、明治天皇も祖先の神武天皇をこの地にお祀りしたのです。 それは他ならぬ、我々国民と国家の安寧を願ってのことでした。 少し歩くと神武天皇御陵へ行くことができます。 そちらへも手を合わせに参りました。 平成19年9月1日② 大神神社・石上神宮 次に大和国一之宮の大神神社へ。 昭和天皇御在位60年を記念して建てられた大鳥居が聳えますが、社殿はそれよりさらにかなり歩いた先にありました。 それにしても参道にあふれる人、人、人… 観光客という感じはしません。 みな地元の崇敬者たちなのでしょう。 非常に活気のある神社だと思いました。 大神神社は本殿がなく、御神体が山であるということで有名です。 拝殿の奥にある三ツ鳥居(大きい鳥居と、その両脇に小さい鳥居を配した三輪鳥居)を見たいと思ったのですが、あいにくこの目で確認することはできませんでした。 この三ツ鳥居も賀茂神社同様、何か秘密が感じられます。 西に少々歩くと摂社狭井神社があります。 ここから更に「山の辺の道」という遊歩道が次の目的地である石上神宮まで続いていますが、今回は時間の都合上車での移動なので古道の逍遥は次の機会に。 次に天理市にある石上神宮へ。 和風か中華風かよく分からない似たような建物が沢山立ち並んでいますが、それらはすべて天理教の施設でした。 石上神宮は物部氏の総氏神で、日本最古の神社の一つです。 物部氏は“もののふ”の語源にもなった程で、古代日本の軍事をつかさどっておりました。 大神神社同様、もともとは本殿はありませんでした。 こちらでは鶏が神のつかいとして、大切に飼育されています。 平成19年9月2日 春日大社 奈良市内にある春日大社を参拝しました。 奈良というば鹿ですが、そもそも鹿は春日大社における神のつかいで、御祭神の武甕槌命は白い鹿に乗っていたという伝説が由来なのだそうです。 手水舎も鹿の石像でした。 こちらも特別参拝をすることができました。 晩夏の緑と、建物の朱が、おたがいを引き立て合い、みごとな風景を作り上げています。 回廊の南西の角は、地形の起伏に合わせて垂木をねじって造られており、非常に美しい曲線を描いていました。 帰りに鹿みくじを引きました。 ひとつひとつが手作りの、木彫りの鹿におみくじを咥えさせたものです。 木彫りの鹿は、自宅へのみやげに持って帰りました。 帰りの便の都合もあるので、奈良見学はこれで終了。 まだまだ見たいものはたくさんあるし、次は吉野まで足を伸ばしたいという思いもあります。 これまで、日本人の教えと関わりのある史跡を巡ることが多かったのですが、今回は更に歴史をさかのぼり、神道の神秘に触れられそうな所まで行くことができたような気がします。
https://w.atwiki.jp/baribarikun/pages/71.html
大鎧 大鎧(おおよろい)は、日本の甲冑・鎧の形式の1つ。馬上で弓を射る騎射戦が主流であった平安 - 鎌倉時代、それに対応すべく誕生・発達し、主に騎乗の上級武士が着用した。 地位が最も高い正式な鎧とされ、室町時代ごろには式の鎧、式正の鎧(しきしょうのよろい)、江戸時代には本式の鎧と呼ばれた。あるいは胴丸や腹巻などと区別して、単に鎧ともいう。また古くから着背長(きせなが)という美称もあった。 目次 [非表示] 1 歴史 2 特徴・構造 2.1 鎧 2.2 大袖(おおそで) 2.3 栴檀板(せんだんのいた)・鳩尾板(きゅうびのいた) 2.4 脇楯 2.5 草摺(くさずり) 2.6 兜 2.7 その他 3 用語 3.1 小札(こざね) 3.2 威毛(おどしげ) 3.3 絵韋(えがわ) 4 国宝の大鎧 5 ギャラリー 6 関連項目 7 外部リンク 歴史 [編集] 大鎧を着た武士たち(『平治物語絵詞』) 大陸の騎馬民族の鎧の影響が伺え、挂甲から発展したと考えられているが、仏具の制作技法が用いられるなど平安時代の国風文化の中で日本独特の甲冑として確立した。大陸風の挂甲から日本独特の大鎧形式への変化の過程やその正確な時期については、遺品が乏しく明らかでないが、おおむね平安時代中期頃にその基本形式が確立したと考えられており、馬上で弓矢を撃ち合う合戦形式が中心であった平安 - 鎌倉時代に主に騎乗の上級武将が着用する鎧として普及した。 南北朝時代頃に集団戦・接近徒歩戦が盛んになると、対応するべく大鎧の形状も変化してくるが、むしろ大鎧に代わって上級武士の間では胴丸・腹巻が多く用いられるようになった。それにつれて次第に実戦から姿を消していき、武威の象徴や奉納・贈答品としての性格を帯びてくるようになる。さらに室町時代末期になると当世具足が生まれ、ほぼ完全に実戦から駆逐された。 だが、その外見の華美さから絵画の中では当世具足の代わりに描かれることもあった。また戦乱のなくなった江戸時代には、復古調の鎧として大名家などで象徴的に用いられた。だがそれら江戸時代において新造されたものは当世具足の形状が入ったものが多く、大鎧ではなく、大鎧を模した当世具足として分類されることがある。 特徴・構造 [編集] 黒小札紅絲縅大鎧(明治時代の複製品) 兜・鎧(胴)・袖の3つの部品で一揃えとし、腹巻や胴丸と同じく多くの部分が小札(こざね、後述)により形成されている。平安時代の戦闘は一騎駆けの騎馬戦が主であり、馬上から敵を左に見て矢を射掛けるのが基本であった。そのため大鎧は矢の攻撃に対する防御を重視した構造となっており大袖(おおそで)・鳩尾板(きゅうびのいた)・栴檀板(せんだんのいた)等の部品が付属し、兜の吹返しも大きい。 鎧 [編集] 馬上での防御に重点を置く乗馬戦闘のための鎧で、徒歩戦には向かない構造である。胴の腰部は絞られておらず台形状の外見をしているため、鎧の重量は大部分が肩にかかる。大鎧を着て立つと肩で重量を支えることになるが、馬上では鎧の重量は鞍にかかって安定する。時代が下るにつれて、徐々に台形状から腰部を絞った形になっていった。 鎧本体は平面状の構造をしており、広げると一枚の板になる。(着用者から見て)正面~左側面~背面までの3面が一続きとなり、空いた右面は脇楯(わいだて)と呼ばれる別部品により覆われる。また背面には鎧の構造を柔軟にするための逆板(さかいた)を設け、肩に掛ける肩上(わたがみ)の上には障子の板(しょうじのいた)を垂直に立て、袖が着用者の頭部や首に当たることを防いだ。腰部には大腿部を守る草摺(くさずり)が付属する。 鎧の下には鎧直垂(よろいひたたれ)という細身に仕立てた直垂を着用する。 大袖(おおそで) [編集] 鎧の胴の左右に垂下し、肩から上腕部を防御する楯状の部品。胴と同様に小札で作られ、通常6段の小札を使用するが、鎌倉時代には7段となった。飛来する矢を防ぐため、後世の袖に比べ大きい。左の袖を射向の袖(いむけのそで)、右の袖を馬手の袖(めてのそで)と呼び、敵対する左の袖の方をより堅牢に作ってある。 栴檀板(せんだんのいた)・鳩尾板(きゅうびのいた) [編集] 弓を射る時に開く脇と胸部を防御する楯状の部品。鎧の胴の前面に垂下する形で付属する。右脇が栴檀板、左脇が鳩尾板。右の栴檀板は、弓を引く際に屈伸可能なよう、3段からなる小札で構成され、急所に近い鳩尾板は1枚の鉄板とする例が多い。元来は両板とも栴檀板と呼ばれていた。 脇楯 [編集] 体の右に当てて、鎧の間をふさぐ部品。壺板(つぼいた)とよばれる鉄製の板の下に、革製の蝙蝠付(こうもりづけ)を付け、そこから草摺を垂らした構造をしている。壺板は、脇や胴体になじむように曲線を描いた形状で作られている。 草摺(くさずり) [編集] 草摺は前後左右の4枚からなり平面的な形状である。上述のように右の1枚のみ脇楯から下がっている。5段の小札で作られ、騎乗の際に邪魔になるので前部の前の草摺(まえのくさずり)と後部の引敷の草摺(ひっしきのくさずり)の最下部は左右2つに分かれている。またそのためか、前・後が4段で作られた例も少数ながらある。左部のものを弓手の草摺(ゆんでのくさずり、「太刀懸の草摺」・「射向の草摺」とも)、右部のものを脇楯の草摺(わいだてのくさずり)と呼ぶ。 兜 [編集] 乱髪の武士。他の部分にも後期(南北朝時代ころ)の様式が混じった大鎧姿。 主に星兜、のちに筋兜が大鎧とともに用いられた。いずれも鉄板を張り合わせた兜鉢の裾に、小札で構成した「しころ」(漢字は「革」扁に「毎」)を付ける。大鎧に付属する兜は、顔面の両側を防御する吹返(ふきかえし)が大きく張り出しており、顔面への矢に対する防御が図られている。 兜の下には捼烏帽子(なええぼし)という軟らかい烏帽子を着用し、後の時代には鉢巻も同時に着用するようになった。毛髪は髻(もとどり)として、烏帽子とともに頂辺(てへん、兜の頭頂部)の穴から出していたが、鎌倉時代中期ころから髻にせず乱髪(らんぱつ)にして烏帽子をかぶるようになった。 その他 [編集] 通常、籠手は左手のみに着用する片籠手(かたごて)という様式をとり、右手は直垂の袖口を絞り弓懸(ゆがけ)という皮手袋を着ける。両手に籠手を着用する場合は両籠手(もろごて)と呼ばれた。脚部は脛巾(はばき)という脚絆の上に臑当を着け、足袋と貫(つらぬき)という毛皮の靴を履く。 以上に、太刀と腰刀、弓、矢を入れた箙(えびら)、予備の弦を巻きつけておくためのドーナツ形の器具弦巻(つるまき)を身に着け、大鎧の正式の姿になるとされる。 用語 [編集] 小札(こざね) [編集] 大鎧の主体部は小札と呼ばれる牛の皮革製、または鉄製の短冊状の小さな板で構成されている。小札には縦に2列または3列の小穴が開けられ、表面には漆が塗られている。これを横方向へ少しずつ重ねながら連結した板状のものを、縦方向へ幾段にも繋ぎ合わせる(威す・おどす)ことにより鎧が形成されている。こうした構成により、着用者の体の屈伸を助ける。なお、重量軽減のため、革小札を主体として、要所に適宜鉄小札を混じえる例が多い。これは金交(かなまぜ)と呼ばれる。 威毛(おどしげ) [編集] 上述の小札を、色糸やなめし革の紐を用いて縦方向に連結することを「威す」といい(「緒通す」がその語源とされている)、連結したものを縅と言う。小札の穴を通して繋ぎ合わせる組紐(絲)や韋(かわ)。威の色・模様・材質等により紺絲威(こんいとおどし)、匂威(においおどし)、小桜韋黄返威(こざくらがわきがえしおどし)等と呼ばれ、色彩豊かな国風の鎧が形成された。 絵韋(えがわ) [編集] 鎧や兜の吹返し表面に張られた鹿の皮革。「画韋」とも記される。斜めに交差する線を基調とした襷格子(たすきごうし)柄や獅子、不動明王等の模様が型染めで描かれた。胴前面には弓の弦や腕が小札に引っかかるのを防ぐ為に弦走韋(つるばしりのかわ)と呼ばれる絵韋が張られ、平面状に仕上げられている。 国宝の大鎧 [編集] 製作年代については、研究者や文献により若干の違いがある。また、「糸」「絲」の表記は便宜上前者に統一した。 平安時代前期 沢潟威鎧(大山祇神社蔵) 平安時代後期 赤糸威鎧(武蔵御嶽神社蔵) - 伝・畠山重忠奉納 小桜韋威鎧 兜・大袖付(菅田天神社蔵) - 武田家伝来 紺糸威鎧(厳島神社蔵) - 伝・平重盛奉納 小桜韋黄返威鎧(厳島神社蔵) - 伝・源為朝所用 紺糸威鎧(大山祇神社蔵) - 伝・河野通信所用 赤糸威胴丸鎧(兜欠)(大山祇神社蔵) - 伝・源義経奉納 赤韋威鎧(岡山県立博物館蔵) 鎌倉時代前期 紫綾威鎧(兜欠)(大山祇神社蔵) 鎌倉時代後期 赤糸威鎧(菊金物)(櫛引八幡宮蔵) 赤糸威鎧(梅鶯金物)(春日大社蔵) 赤糸威鎧(竹雀虎金物)(春日大社蔵) 白糸威鎧(日御碕神社蔵) 浅葱綾威鎧(厳島神社蔵) 南北朝時代 白糸威褄取鎧(櫛引八幡宮蔵) - 伝・南部信光奉納 ギャラリー [編集] 『後三年合戦絵詞』の中の大鎧。 『蒙古襲来絵詞』の中の大鎧。 絵画における威儀的表現としての大鎧(池田恒興の肖像)。 明治時代に描かれたとされる大鎧の武者絵。臑当が新しい様式をしている。 関連項目 [編集] 弓術 騎射 参照:wikipedia「大鎧」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%8E%A7#.E5.A4.A7.E8.A2.96.EF.BC.88.E3.81.8A.E3.81.8A.E3.81.9D.E3.81.A7.EF.BC.89 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販
https://w.atwiki.jp/tetsudoutetsuzin/pages/19.html
以下は、N○R○様が桐生市の市議会議員に送信したメールであり、この議員の公式サイトに掲載されていたものである(別館に日記が再現してあります)。この議員はN○R○様のメールに感銘を受けていたようであるが(リップサービスの可能性も否定できませんが)、送ってきた人間がニートだと知ったらどう思うでしょうか。 桐生市議会議員 ○○様 こんにちは。以前にも意見を出させていただきました桐生市○○町在住の者です。 さて、○○市議さん、今日(1/7)付けの機関紙がポストに入っていたので読ませていただきましたが、欄外に「わたらせ渓谷鐡道が大変です。より多くの皆様の乗車協力をお願いします。」という記載があったのですが、これについてぜひ知っていただきたいことや意見したいことがありましてメールしてみました。 まず、以前にも○○市議さんにメールで意見を出しましたが、もうすでに市民の皆さんに対してただ「わたらせ渓谷鐡道に乗ってください。」とお願いしているだけではもはや事態の収拾はつかないところまで状況は悪化しています。 私も地元桐生在住の鉄道ファンの一人として地域交通問題を見ていますが、もう、わたらせ渓谷鐡道だけでなく地域全体の交通体系の再編・再構築をしないと町や地域もいくら直しても発展しないことが分かりました。それは、交通は町・地域の元気や活気の牽引役であるからです。ただ町や地域だけ華やかにしても、その街へやってくるための交通の整備がなされていなければ、町・地域を利用するものにとって不便ということになり、どんどんその町・地域から離れていってしまうのです。 現状の桐生・みどり市地域は、交通状況が明治時代の交通ニーズである旧態依然の「貨物輸送」主体のまてで、現在の旅客輸送主体のニーズに合致していないというところより ○フリークエントサービス 公共交通機関の最大の使命である拠点間および起点から目的地を「早く・安価に・定時に・頻繁に」結んで行き来すること。が出来ず、著しい不便を被っているから、地域住民が自分の移動に便利な自動車を多用してしまっている状況なのです。そこから問題が始まり、元々桐生は織物・製糸関連を桐生駅から出し入れしていただけでなく足尾銅山の輸送中継基地だった言わば「鉄道の街」なのですが、そこからいまだに脱却できていないため、自動車利用にとって著しい不便な状況なのです。 こんな状況下において、中通り大橋が開通しても自動車の中心街利用をより便利で使いやすくするようにより多くの立体駐車場を整備したり、他の鉄道をはじめとする公共交通との連携を出来るような「パーク&ライド」を含めた桐生駅前再々開発が全くなされないので、公共交通・自動車交通双方にとって不便で使いにくい町・地域になってしまっているのです。 鉄道は明治時代の敷設状態と旧態以前の設備のまま、その鉄道が最短コースを取らないことで鉄道空白区間が広すぎてしまったため、本来ならばモノレールやAGT(新交通システム)などの中型(中量)輸送システムを導入しなければならないのにそれを安価に導入できるからということでむやみやたらに路線バスを多用しすぎてしまったことで、路線バスの短所である「長距離輸送に向かず、多くの利用者を裁けない。他の自動車交通や信号などの道路状況に左右されやすく、速達・定時発着が難しい。」という部分が大変色濃く出てしまったため、またもや「路線バスを利用するよりも自分で自動車免許を取得して自動車を運転した方が便利だ!」という考えから自動車の過大利用が急激に増加してしまったのです。そうなれば路線バスもこれまで東武鉄道の路線バスが走っていても利用者がいなくなるのは当然です。 撤退して現在のおりひめバスが走るようになりましたが、おりひめバスを含むこの両毛地域の代替路線バスは各自治体が交通連携を全く考えずにやみくもに路線設定をしてしまったりしていることで、交通体系の構築が全く取れていない状況になってしまっているのです。 そればかりか、現在のお年寄りの皆さんがそれまで自動車免許を取得してきた人ばかりで自動車の利便性からなかなか離れられず、一部の人では自分本位にしか路線バスの路線設定を考えない人が出てきてしまったことで、路線設定に難癖やクレームを出す人が出てきてしまっている状況なのです。 さらに山間地や桐生市の中心街においては狭い道もあるのですが、その場所において不釣り合いなバスの車輛を用いてしまっているためにこれまた路線バス利用に悪影響を与えてしまっているのです。 こんな状況ではとても良好な路線バスの交通体系を構築することは出来ません。 だから、桐生地域の皆さんは公共交通に対してすでに愛想を尽かしてしまっている状況で、「自動車さえあれば生活や仕事に困らないから、公共交通は知ったこっちゃない。公共交通を整備するだけ無駄だから道路を整備するなど良くしてくれ。」というような言わば「自動車安楽主義」になってしまっている状況なのです。これは桐生市の市議さん達にも蔓延してしまっている状況なのです。 だから、自動車交通ばかりに便利な街になってしまい、校外に大型ショッピングセンターなどが出来てしまって中心街が衰退。そのあおりを受けて地域経済にも暗い影を落としてしまっている状況なのです。そこへこのデフレ大不況が襲ってしまっているというダブルパンチの状況になってしまっているのです。 こういった交通体系や交通も町・地域作りに対する重要な要素のひとつであるということを考えずにただ自動車利用に便利な状況にしてしまったり、市議さんや亀山市長さんをはじめとする桐生市の上役の皆さん、そして桐生市民が「自動車安楽主義」になってしまっていることで、交通機関に対する知識情報が著しく不足しているだけでなく半ばこのことに対して無関心だったために問題解決に対する対策をやっても的外れなことをやってしまったり、こういった状況を知らないがためにただ「乗ってください。」とお願いするだけでなんら手段を講じてこなかったことで状況がどんどん悪化してしまって、悪循環になってしまっているのです。 その影響がわたらせ渓谷鐡道に出るのはむしろ当たり前。いや、それだけでなく、桐生市・みどり市地域の交通全体に対して病状が悪化して致命傷になりかねないところまで来てしまっているのです。 そういった状況を○○市議さん、ご存知でしょうか?。以前にもメールで書いたのですが、忘れてしまわれているのでしょうか?。 これではいけないということで、危機感を感じた私は地元鉄道ファンの一人として交通改革の実現に向けた市民活動を開始しております。 鉄道の古い設備を取り替えたり、JR・私鉄問わず地域の利用や利便性に合致した鉄道の輸送体系を構築すること、そしてそれに連携する路線バスをはじめとする全ての交通体系の再編を実施する ○インターモダリティ(Intermotorlity) 現状の公共交通が原因で地域振興発展に問題が発生している場合、その問題になっている原因の根源を調査考察し、その根源の解決をさせるために全ての多種多様な公共交通機関の中から各公共交通機関毎の長所や利点を活用して適材適所に各公共交通機関の中から最適であるという内容を導入および改革整備して『フリークエントサービス』の回復をさせることを実施して、公共交通の速達利便性と連携を強化させて、全体的な公共交通の利便性を底上げし、なおかつ自動車交通も含めた交通全体にとって便利で使いやすい桐生市の中心街を再構築することで自動車の過大利用を下げ、必要に応じて自動車交通・公共交通双方を使い分けられる町・地域を作っていくことがこれからは必要なのです。 そこで、私と「2015年の公共交通を考える会」「わたらせ渓谷鐡道再生市民協議会」代表の○○○○さんで話し合った結果、同じ交通改革の実現へ向けて考えに賛同して共同してくれる方を募集していくことになりました。 わたらせ渓谷鐡道の利用者を増やすには渓谷線内の交通利便性の問題だけでなく、これに連携する他の鉄道をはじめとする交通全体の再構築・再編が必要です。 ですから、自動車よりも便利で使いやすい公共交通機関にしなければ、いくら「乗ってください。」とお願いしても地域住民の皆さんはそう簡単には乗ってくれません。 これであと1年ほどで北関東自動車道が全通しますが、そうなってしまったら桐生市の発展は大変危機的な状況に直面すると考えています。 一番の問題が両毛線の衰退です。北関東3県を最短で結んでいた両毛線・水戸線はただでさえ最速は「急がば回れ」で東北新幹線・上越新幹線・常磐線の「特急スーパーひたち」「特急フレッシュひたち」に奪われてしまっているのに北関東自動車道が全通することで速達優位性が最下位になってしまうんです。 そうなってしまったら、両毛線・水戸線だけでなくこれに接続する全ての公共交通の交通体系が大打撃を受けてしまう可能性が高いのです。そうなれば間違いなく、わたらせ渓谷鐡道の廃止は免れないでしょう。 ですので、全体的な交通体系の再構築が必要なのです。ぜひ○○市議さん、この交通体系の再編・再構築による交通改革の実現に向けて動いてもらえないでしょうか。 関連の資料を送付しますのでよろしくお願いします。 (ZIPファイルで圧縮してありますので解凍して見てください。) 〒376-・・・・ 桐生市○○町・・・・・・・ 豊臣家康(注:名前は議員の手により偽名になっています。豊臣家康より、金正男の方がしっくりくるのは私だけでしょうか?)
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/1209.html
越後国 魚沼郡 小千谷組 千谷(ちや)村 大日本地誌大系第34巻 85コマ目 小千谷陣屋の北に当り行程16町余。 家数92軒、東西1町26間・南北6町16間。 東は信濃川に傍ひ西南北は田圃(たんぼ)なり。 東3町28間、公領本郡薭生村に界ふ。 西7町37間山谷村の界に至る。その村まで22町20間余。 南2町20間西千谷川村の界に至る。その村まで12町20間。 北4町36間三佛生村の界に至る。その村は寅(東北東)に当り9町30間余。 また 未(南南西)の方1町37けん平沢新田村の界に至る。その村まで6町50間余。 戌(西北西)の方3町36間小粟田村の界に至る。その村まで8町余。 山川 信濃川 村の寅(東北東)の方4町余にあり。 薭生村の境内より来り、3町20間余北に流れ三佛生村の境内に入る。 関梁 橋 村の巳(南南東)の方にあり。 長8間・幅1間、千谷郷川に架す。 長岡に通る街道なり。 神社 熊野宮 祭神 熊野宮? 草創 不明 村の寅(東北東)の方にあり。 鳥居あり。 神職 西方但馬 安永中(1772年~1781年)但馬定趙という者神職となる。 今の但馬定政が祖父なりという。 山王神社 祭神 山王神? 鎮座 不明 村の辰巳(南東)の方にあり。 村民の持なり。 伊勢宮 祭神 伊勢宮? 勧請 不明 村北2町にあり。 村民の持なり。 寺院 長樂寺 村西1町余にあり。 千谷山と號す。曹洞宗、小粟田村潮音寺の末寺なり。 文明中(1469年~1487年)益公という僧創立し、弘治中(1555年~1558年)潮音寺第2世廣尭という僧再興すという。 弥陀を本尊とし客殿に安ず。 『泰器盛安大姉』の霊牌あり。稲葉刑部某の妻なりとぞ。 慶長5年(1600年)稲葉新平某この人の冥福を薦めん為に田畝を当寺に寄附せしという。 鐘1口あり。径2尺5寸、『越後國魚沼郡藪神荘千谷村千谷山前総持長樂寺九世本名代求之也寶暦八戊寅天』と彫付けあり(寶暦8年:1758年)。 薬師堂 境内にあり。 寶物 古文書 1通。その文如左(※略)。 観音堂 村中にあり。 草創の年月をしらず。 小千谷村慈眼寺これを司る。 十王堂 村中にあり。 創立の時代詳ならず。 村民の持なり。 墳墓 稲葉刑部妻墓 長樂寺の申(西南西)の方2町10間にあり。 5間四方計の壇にて、石塔なくただ空輪1を存す(長樂寺の条下と照らし見るべし)。 Google Map千谷 有明橋茶郷川(千谷郷川)に架かる橋。 熊野宮 - なし祭神は櫛御氣野命(くしみけぬのみこと)(須佐之男命(すさのおのみこと)の別名)で熊野大神とも言われ、出雲(島根県松江市出雲)熊野大社の祭神です。会津地方に沢山ある熊野神社は紀伊国(和歌山県)の熊野三社権現の方。 明治43年9月30日に日吉神社へ合併。 日吉神社(山王神社)祭神は大山咋命(おおやまくいのかみ)で、明治時代に熊野神社を合併し櫛御氣野命も合祀。 神明宮(伊勢宮) - 見当たらず神社明細帳に登録はありますが見当たりません。旧住所は北魚沼郡千田村大字千谷字下原。祭神は天照皇大神です。 長楽寺 観音堂? 十王堂? 稲葉刑部妻墓? 見照院 - 日吉神社の北 お堂? 余談。 寺院明細帳(52-1)を見ると、千谷には見照院・大瀧院・長楽寺と3つの寺院があるようです。 長楽寺は風土記にも記載があるのですが、観音堂・十王堂と見照院・大瀧院が一致しません。さらに大瀧院は所在地も不明です。 見照院と大瀧院は本尊が不動明王です。十王の1番目である秦広王の本地は不動明王なので十王堂と重ねることは出来なくはないですが、多少こじ付けが過ぎます。同様に十王の8番目である平等王の本地は観世音菩薩ですが、こちらは不動明王と離れてしまいました。 観音堂と十王堂はどこに行ってしまった、もしくはどうなってしまったのでしょう。 補足:十王信仰について。 中国発祥の信仰で、日本では地蔵菩薩と結びついて広まりました。十王とはあの世で生前の罪を判断する裁判官のことで、有名所に閻魔大王という方がいらっしゃいます。本地とは大雑把に言えば本来の姿のことで、例えば閻魔大王の本地は地蔵菩薩です。 名称 本地 第一 秦広王(しんこうおう) 不動明王 第二 初江王(しょこうおう) 釈迦如来 第三 宋帝王(そうていおう) 文殊菩薩 第四 五官王(ごかんおう) 普賢菩薩 第五 閻魔王(えんまおう) 地蔵菩薩(六道能化) 第六 変成王(へんじょうおう) 弥勒菩薩 第七 太山王(たいざんおう)(泰山王) 薬師如来 第八 平等王(びょうどうおう) 観世音菩薩 第九 都市王(としおう) 勢至菩薩 第十 五道転輪王(ごどうてんりんおう) 阿弥陀如来
https://w.atwiki.jp/jfsdf/pages/499.html
750 :303 ◆CFYEo93rhU:2009/04/28(火) 19 50 11 ID SWQMu5qI0 743 確かに現代のような国民国家の概念は希薄ですが、「私はライランス人」という概念がゼロかといえば、そうでもありません。 現代日本(東京都)で例えるならば、「私は日本人であるが、それ以前に東京人だ」と考える人が多いのです。 人々に「愛国心」のようなモノは存在しますが、その愛する「国」というのは、自分の故郷だって事です。 また、王への忠誠心よりも、自分の故郷を治める貴族への忠誠心の方が直接的で強いです。 王の名前や肖像画は知っていても、直接目にした事は無いという人が殆どですから。 746 自動小銃(半自動小銃)は「なんちゃってガーランド」、短機関銃は「なんちゃってトンプソン」を想定しています。 ライセンス生産品ではなく、購入したガーランドやトンプソンをモデルに皇国人の体格に合わせた改良型です(ただし弾薬は共用可能)。 百式小銃の量産は進められていますが、配備されているのは近衛師団と機甲第一師団くらいで、小銃の数的主力は未だに明治時代の三八式歩兵銃(ボルトアクション式)で、派遣軍も装備する小銃は全て旧式の三八式です。 短機関銃はそれ以上に量産されていなくて、陸軍の空挺部隊や海軍陸戦隊の一部が試験的に装備するくらいで、派遣軍では1丁も装備していません。 754 :303 ◆CFYEo93rhU:2009/04/30(木) 23 00 00 ID SWQMu5qI0 751 下級兵士も奴隷に売り飛ばされない上に士官並みの待遇 イルフェスに派遣されている情報収集担当の武官や文官からの進言もあって、 皇国と言えどライランスの兵卒に対してそれ程良い待遇での捕虜生活はさせていません。 しかし強制労働も無く、朝晩にはパン(主にライ麦パン)か麦粥(オートミール)、温かいスープ(屑肉や魚、屑野菜入り)が出るのですから、上々の生活である事は確かです。 捕虜の貴族や上級将校に対しては、イルフェスのコックを雇って、それなりの質と量の料理を提供しています。勿論、パンも小麦を使った白パンです。 下手な皇国一般市民よりも良い生活ですが、貴族や騎士に対してはこれくらいの待遇でないと“捕虜虐待”になってしまう恐れがあるのです。 皇軍も史実帝国軍と同様に銃弾の切り替えが途中で補給に苦しみそうな時期に召喚された とは言え、今のところは「全面戦争」ではないので余力も十分あり、銃と弾の更新にそれ程混乱は出ていません。 ただ、「戦時には米軍から弾薬の支援がある」とアテにしていた(そのための弾薬共通化)のが、全部自前で生産せねばならなくなったのが痛いでしょうか。 弾薬消費量の多くなりがちな自動小銃の弾を、全部自前で生産するというのはかなり大変な仕事です。 銃弾だけで見ても、他に拳銃や機関銃などの弾も生産せねばならないわけですし。
https://w.atwiki.jp/zannen/pages/10.html
「経済で読み解く日本史 明治時代」飛鳥新社 2019年 天津条約を一方的に破られた日本は激怒し、軍を朝鮮半島に派遣します。仁川に上陸した日本軍は清軍を蹴散らし、あっという間に漢城は陥落しました。そして、混乱の元になった閔妃を追い出し、大院君を政権の座につけました。(141・142頁) 〔コメント〕日本軍と清軍が交戦したのは、閔氏政権を追い出した後。日清戦争の開戦経緯が理解できてない。 1894年7月23日 日本軍が朝鮮王宮景福宮占領、閔氏政権転覆し傀儡政権樹立。 7月25日 日清戦争開戦 これら朝鮮人民が日本人浪人と日本軍守備隊を誘い、これに朝鮮親衛隊、朝鮮訓練隊、朝鮮警務使が合流して宮殿を襲撃しました。(144頁) 〔コメント〕閔妃殺害事件後現地に派遣された小村寿太郎は「此事件の主謀者は三浦(梧楼)公使にて」と報告。 「経済で読み解く日本史 大正・昭和時代」 「南京大虐殺」や「従軍慰安婦強制連行」といったありもしない話をでっち上げ、ひたすら自虐的なウソの歴史を刷り込んでいる朝日新聞のような反省しないメディア(5頁) 〔コメント〕でっち上げ?事実です (資料)◎(極秘 田中大尉よりの通信) “捕虜や敗残兵を処分してゐる所を見て来ました、下関の揚子江に突出してゐる桟橋の端で斬殺及び銃殺してゐましたが物凄いものです、あたり一面血だらけで「大きな俎板」にびっくりします、下の河には又あるある首のない奴、首ばかりの奴何百と浮きつ沈みつしてゐます、斬られる奴は泣き喚くもの、あきらめてゐるもの、見てゐるとかなり昂奪〔ママ〕します”( 1-2画像目) ◎スマラン事件判決文要旨 “依而被告池田省一を「強制売淫の為の婦女子の連行」「売淫の強制」「強姦」なる戦犯行為に依り懲役15年に判決す”(5枚目) 「軍部の台頭」というファンタジー(20頁) 実は、「ファシズム」に最も近いものを目指したのは、当時国民から圧倒的な支持を受けていた近衛文麿首相をはじめとする「革新」派でした(20・21頁) 「植民地」は「海外投資」である(32頁) ちなみに、この体制はドイツという国家よりもナチスという政党が上にあるのでファシズム体制といいます。現在でも北朝鮮や中華人民共和国は国家の上に党を置いているのでファシズム体制で。朝鮮労働党や中国共産党はコミュニスト(共産主義者)であると同時にファシストであると言えます。(180頁) 北一輝は随所に天皇を持ちだして国粋主義を偽装していますが、私有財産制の否定や国家による市場介入の正当化など、その本質は単なる共産主義の劣化コピーでしかありません。これは明治天皇の御誓文を完全否定するものです。歴史教科書では、「青年将校たちは、〝国粋主義者〟であり〝右翼〟だった」というような記述がありますが、これは正しくありません。彼らは「共産主義者」であり、「左翼=偽装右翼」であったということです。(185頁) フィリピンは植民地でありアメリカの領土ですらありません。(201頁) 〔コメント〕何言ってんだ。英領インド、仏領インドシナ、オランダ領東インド(現インドネシア)などの呼称でわかるとおり、植民地は領土の一種(但し本土本国ではない) 〔資料〕官報1903年07月25日 東京府士族伊東祐正をして米領フィリピン群島に於て業務代理を為さしむることを本月ニ十二日外務省に於て許可せり(469頁) 日本を対米開戦に導いたソ連は…(211頁) 大東亜戦争の敗北は…政府の外交方針の転換に端を発するものです。そしてその方針転換は日露講和反対に燃え上がる民意に配慮して採用されたものであり、民意を煽ったのは新聞です。…いくら天皇が頑張ったところで、民衆が我を忘れて熱狂すれば止めることはできません。(273頁) 日本の歴史は2000年以上。気が付いたときにはそこに国がありました。その国には万世一系の天皇と民が暮らしていました。天皇はひたすら民のために祈り、民は天皇に感謝し供物をささげる。その関係は歴史が歴史として認識された時にはすでに存在し、現在も脈々と続いています。この天皇と民の関係こそが日本の国体です。(270頁) 占領下の憲法改正はハーグ陸戦条約違反ですし(271頁) 「経済で読み解く日本史 平成時代」 後世に害悪しか残さなかった村山談話です。・・・村山首相は大東亜戦争が侵略戦争だったというのでしょうか?(70頁) 〔コメント〕誰が見ても侵略 資料:◎大東亜政略指導大綱 (1943.5.31.御前会議決定)「マライ、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスは帝国領土と決定し」