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大鎧 大鎧(おおよろい)は、日本の甲冑・鎧の形式の1つ。馬上で弓を射る騎射戦が主流であった平安 - 鎌倉時代、それに対応すべく誕生・発達し、主に騎乗の上級武士が着用した。 地位が最も高い正式な鎧とされ、室町時代ごろには式の鎧、式正の鎧(しきしょうのよろい)、江戸時代には本式の鎧と呼ばれた。あるいは胴丸や腹巻などと区別して、単に鎧ともいう。また古くから着背長(きせなが)という美称もあった。 目次 [非表示] 1 歴史 2 特徴・構造 2.1 鎧 2.2 大袖(おおそで) 2.3 栴檀板(せんだんのいた)・鳩尾板(きゅうびのいた) 2.4 脇楯 2.5 草摺(くさずり) 2.6 兜 2.7 その他 3 用語 3.1 小札(こざね) 3.2 威毛(おどしげ) 3.3 絵韋(えがわ) 4 国宝の大鎧 5 ギャラリー 6 関連項目 7 外部リンク 歴史 [編集] 大鎧を着た武士たち(『平治物語絵詞』) 大陸の騎馬民族の鎧の影響が伺え、挂甲から発展したと考えられているが、仏具の制作技法が用いられるなど平安時代の国風文化の中で日本独特の甲冑として確立した。大陸風の挂甲から日本独特の大鎧形式への変化の過程やその正確な時期については、遺品が乏しく明らかでないが、おおむね平安時代中期頃にその基本形式が確立したと考えられており、馬上で弓矢を撃ち合う合戦形式が中心であった平安 - 鎌倉時代に主に騎乗の上級武将が着用する鎧として普及した。 南北朝時代頃に集団戦・接近徒歩戦が盛んになると、対応するべく大鎧の形状も変化してくるが、むしろ大鎧に代わって上級武士の間では胴丸・腹巻が多く用いられるようになった。それにつれて次第に実戦から姿を消していき、武威の象徴や奉納・贈答品としての性格を帯びてくるようになる。さらに室町時代末期になると当世具足が生まれ、ほぼ完全に実戦から駆逐された。 だが、その外見の華美さから絵画の中では当世具足の代わりに描かれることもあった。また戦乱のなくなった江戸時代には、復古調の鎧として大名家などで象徴的に用いられた。だがそれら江戸時代において新造されたものは当世具足の形状が入ったものが多く、大鎧ではなく、大鎧を模した当世具足として分類されることがある。 特徴・構造 [編集] 黒小札紅絲縅大鎧(明治時代の複製品) 兜・鎧(胴)・袖の3つの部品で一揃えとし、腹巻や胴丸と同じく多くの部分が小札(こざね、後述)により形成されている。平安時代の戦闘は一騎駆けの騎馬戦が主であり、馬上から敵を左に見て矢を射掛けるのが基本であった。そのため大鎧は矢の攻撃に対する防御を重視した構造となっており大袖(おおそで)・鳩尾板(きゅうびのいた)・栴檀板(せんだんのいた)等の部品が付属し、兜の吹返しも大きい。 鎧 [編集] 馬上での防御に重点を置く乗馬戦闘のための鎧で、徒歩戦には向かない構造である。胴の腰部は絞られておらず台形状の外見をしているため、鎧の重量は大部分が肩にかかる。大鎧を着て立つと肩で重量を支えることになるが、馬上では鎧の重量は鞍にかかって安定する。時代が下るにつれて、徐々に台形状から腰部を絞った形になっていった。 鎧本体は平面状の構造をしており、広げると一枚の板になる。(着用者から見て)正面~左側面~背面までの3面が一続きとなり、空いた右面は脇楯(わいだて)と呼ばれる別部品により覆われる。また背面には鎧の構造を柔軟にするための逆板(さかいた)を設け、肩に掛ける肩上(わたがみ)の上には障子の板(しょうじのいた)を垂直に立て、袖が着用者の頭部や首に当たることを防いだ。腰部には大腿部を守る草摺(くさずり)が付属する。 鎧の下には鎧直垂(よろいひたたれ)という細身に仕立てた直垂を着用する。 大袖(おおそで) [編集] 鎧の胴の左右に垂下し、肩から上腕部を防御する楯状の部品。胴と同様に小札で作られ、通常6段の小札を使用するが、鎌倉時代には7段となった。飛来する矢を防ぐため、後世の袖に比べ大きい。左の袖を射向の袖(いむけのそで)、右の袖を馬手の袖(めてのそで)と呼び、敵対する左の袖の方をより堅牢に作ってある。 栴檀板(せんだんのいた)・鳩尾板(きゅうびのいた) [編集] 弓を射る時に開く脇と胸部を防御する楯状の部品。鎧の胴の前面に垂下する形で付属する。右脇が栴檀板、左脇が鳩尾板。右の栴檀板は、弓を引く際に屈伸可能なよう、3段からなる小札で構成され、急所に近い鳩尾板は1枚の鉄板とする例が多い。元来は両板とも栴檀板と呼ばれていた。 脇楯 [編集] 体の右に当てて、鎧の間をふさぐ部品。壺板(つぼいた)とよばれる鉄製の板の下に、革製の蝙蝠付(こうもりづけ)を付け、そこから草摺を垂らした構造をしている。壺板は、脇や胴体になじむように曲線を描いた形状で作られている。 草摺(くさずり) [編集] 草摺は前後左右の4枚からなり平面的な形状である。上述のように右の1枚のみ脇楯から下がっている。5段の小札で作られ、騎乗の際に邪魔になるので前部の前の草摺(まえのくさずり)と後部の引敷の草摺(ひっしきのくさずり)の最下部は左右2つに分かれている。またそのためか、前・後が4段で作られた例も少数ながらある。左部のものを弓手の草摺(ゆんでのくさずり、「太刀懸の草摺」・「射向の草摺」とも)、右部のものを脇楯の草摺(わいだてのくさずり)と呼ぶ。 兜 [編集] 乱髪の武士。他の部分にも後期(南北朝時代ころ)の様式が混じった大鎧姿。 主に星兜、のちに筋兜が大鎧とともに用いられた。いずれも鉄板を張り合わせた兜鉢の裾に、小札で構成した「しころ」(漢字は「革」扁に「毎」)を付ける。大鎧に付属する兜は、顔面の両側を防御する吹返(ふきかえし)が大きく張り出しており、顔面への矢に対する防御が図られている。 兜の下には捼烏帽子(なええぼし)という軟らかい烏帽子を着用し、後の時代には鉢巻も同時に着用するようになった。毛髪は髻(もとどり)として、烏帽子とともに頂辺(てへん、兜の頭頂部)の穴から出していたが、鎌倉時代中期ころから髻にせず乱髪(らんぱつ)にして烏帽子をかぶるようになった。 その他 [編集] 通常、籠手は左手のみに着用する片籠手(かたごて)という様式をとり、右手は直垂の袖口を絞り弓懸(ゆがけ)という皮手袋を着ける。両手に籠手を着用する場合は両籠手(もろごて)と呼ばれた。脚部は脛巾(はばき)という脚絆の上に臑当を着け、足袋と貫(つらぬき)という毛皮の靴を履く。 以上に、太刀と腰刀、弓、矢を入れた箙(えびら)、予備の弦を巻きつけておくためのドーナツ形の器具弦巻(つるまき)を身に着け、大鎧の正式の姿になるとされる。 用語 [編集] 小札(こざね) [編集] 大鎧の主体部は小札と呼ばれる牛の皮革製、または鉄製の短冊状の小さな板で構成されている。小札には縦に2列または3列の小穴が開けられ、表面には漆が塗られている。これを横方向へ少しずつ重ねながら連結した板状のものを、縦方向へ幾段にも繋ぎ合わせる(威す・おどす)ことにより鎧が形成されている。こうした構成により、着用者の体の屈伸を助ける。なお、重量軽減のため、革小札を主体として、要所に適宜鉄小札を混じえる例が多い。これは金交(かなまぜ)と呼ばれる。 威毛(おどしげ) [編集] 上述の小札を、色糸やなめし革の紐を用いて縦方向に連結することを「威す」といい(「緒通す」がその語源とされている)、連結したものを縅と言う。小札の穴を通して繋ぎ合わせる組紐(絲)や韋(かわ)。威の色・模様・材質等により紺絲威(こんいとおどし)、匂威(においおどし)、小桜韋黄返威(こざくらがわきがえしおどし)等と呼ばれ、色彩豊かな国風の鎧が形成された。 絵韋(えがわ) [編集] 鎧や兜の吹返し表面に張られた鹿の皮革。「画韋」とも記される。斜めに交差する線を基調とした襷格子(たすきごうし)柄や獅子、不動明王等の模様が型染めで描かれた。胴前面には弓の弦や腕が小札に引っかかるのを防ぐ為に弦走韋(つるばしりのかわ)と呼ばれる絵韋が張られ、平面状に仕上げられている。 国宝の大鎧 [編集] 製作年代については、研究者や文献により若干の違いがある。また、「糸」「絲」の表記は便宜上前者に統一した。 平安時代前期 沢潟威鎧(大山祇神社蔵) 平安時代後期 赤糸威鎧(武蔵御嶽神社蔵) - 伝・畠山重忠奉納 小桜韋威鎧 兜・大袖付(菅田天神社蔵) - 武田家伝来 紺糸威鎧(厳島神社蔵) - 伝・平重盛奉納 小桜韋黄返威鎧(厳島神社蔵) - 伝・源為朝所用 紺糸威鎧(大山祇神社蔵) - 伝・河野通信所用 赤糸威胴丸鎧(兜欠)(大山祇神社蔵) - 伝・源義経奉納 赤韋威鎧(岡山県立博物館蔵) 鎌倉時代前期 紫綾威鎧(兜欠)(大山祇神社蔵) 鎌倉時代後期 赤糸威鎧(菊金物)(櫛引八幡宮蔵) 赤糸威鎧(梅鶯金物)(春日大社蔵) 赤糸威鎧(竹雀虎金物)(春日大社蔵) 白糸威鎧(日御碕神社蔵) 浅葱綾威鎧(厳島神社蔵) 南北朝時代 白糸威褄取鎧(櫛引八幡宮蔵) - 伝・南部信光奉納 ギャラリー [編集] 『後三年合戦絵詞』の中の大鎧。 『蒙古襲来絵詞』の中の大鎧。 絵画における威儀的表現としての大鎧(池田恒興の肖像)。 明治時代に描かれたとされる大鎧の武者絵。臑当が新しい様式をしている。 関連項目 [編集] 弓術 騎射 参照:wikipedia「大鎧」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%8E%A7#.E5.A4.A7.E8.A2.96.EF.BC.88.E3.81.8A.E3.81.8A.E3.81.9D.E3.81.A7.EF.BC.89 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販
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2012年9月14日 http //hayabusa.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1347540696/ 82 名前:金沢のなのは ◆nanoh5.jz2 [] 投稿日:2012/09/14(金) 01 14 27.37 ID cModhmFb0 [2/23] ピピさん「あれ?どこからうpしてなかったっけ?」 俺「昨日の朝の分すらうpしてないよ」 ピピさん「さっさとうpしまっしーね」 俺(なんで金沢弁なん?) http //i.imgur.com/xKCBI.jpg ピピさん「おう、これはこの間もあった自転車のやつだな?」 俺「うん、エラー吐いてるけどwwwwwww」 俺「でも自転車はあったよ、エラー吐いてて借りれなかったけど」 http //i.imgur.com/lUGub.jpg ピピさん「お、これまた古そうな塔だな」 俺「蓮池門口から入ったすぐの瓢池(ひさごいけ)にある奴で、名を海石塔(かいせきとう)と言います」 俺「金沢のどこかにあったのを、前田利常が見つけて兼六園に移設させたとか色んな説があるよ」 ピピさん「傘が6枚ってのは珍しいらしいな?」 俺「うん、大多数のは奇数枚らしいから、珍しいみたいよ」 http //i.imgur.com/GPU1A.jpg ピピさん&俺「しかし早朝に来ると、ビックリするほど人が居ないもんだな」 92 名前:金沢のなのは ◆nanoh5.jz2 [] 投稿日:2012/09/14(金) 01 33 29.12 ID cModhmFb0 [5/23] 88 Oh...wwwwwww http //i.imgur.com/EZtTA.jpg ピピさん「白加賀?」 俺「梅の種類だよ。梅干しや梅酒なんかに使われる品種で、ぼちぼち有名らしいよ?」 http //i.imgur.com/TZj5p.jpg ピピさん「何か偉そうな奴が居るな。コイツが前田利家か?」 俺「違うんだな、それが」 俺「詳しくはhttp //i.imgur.com/u9VhF.jpgを見て頂きたい」 ピピさん「なるほど」 http //i.imgur.com/bkrPP.jpg ピピさん「切られたのは残念だな」 俺「まぁ500年超えてるってだけでも凄い気がするよね」 ピピさん「ところで、肝心の切られた方が見えないぞ」 俺「これは失礼したhttp //i.imgur.com/zcDZi.jpg」 95 名前:金沢のなのは ◆nanoh5.jz2 [] 投稿日:2012/09/14(金) 01 44 13.62 ID cModhmFb0 [6/23] http //i.imgur.com/BKjdZ.jpg ピピさん「これぞ兼六園」 俺「むしろ石川県=金沢市=これみたいな感じになってるよね」 俺「水面を照らすための雪見灯篭の亜種の様なもので、名をことじ灯籠と言います」 俺「因みに灯籠の足は元々同じ長さだったけど、折れたから石で支えてるんだよ」 ピピさん「ほうほう、今も灯籠としては使われてるの?」 俺「全くwww」 http //i.imgur.com/64l9D.jpg ピピさん「なにこれ」 俺「ことじ灯籠をガン見してるカメラとか色々」 ピピさん「さすが文化財は扱いが違うな」 http //i.imgur.com/BirY1.jpg ピピさん「噴水だ!!ポンプ!ポンプ!」 俺「そんなものは付いていないぞ」 ピピさん「なん・・・だと?」 俺「はいhttp //i.imgur.com/zwjXW.jpg」 ピピさん「さっきから看板に頼りすぎだろ・・・」 100 名前:金沢のなのは ◆nanoh5.jz2 [] 投稿日:2012/09/14(金) 02 01 12.99 ID cModhmFb0 [8/23] 俺「橋渡って金沢城の方行くよー」 ピピさん「実は天守閣とかは燃えて無いんだよね。」 俺「そうね」 http //i.imgur.com/xwJt4.jpg ピピさん「で、肝心の石川門は?」 俺「http //i.imgur.com/CdI8W.jpg」 ピピさん「Oh...鉄骨...」 俺「運悪く、金沢城は大規模な工事中でした」 http //i.imgur.com/ygC9L.jpg 俺「復元された五十間長屋だよ。石川門とかから入った場合、必ずここの前を通らないと城本体に辿りつけないので、防衛拠点となる建物だよ」 ピピさん「ところで、お前の影なんか変じゃない?」 俺「・・・。」 102 名前:金沢のなのは ◆nanoh5.jz2 [] 投稿日:2012/09/14(金) 02 15 31.87 ID cModhmFb0 [9/23] http //i.imgur.com/0gykq.jpg ピピさん「また門か」 俺「そう言うなよ、今みたいに戦闘機やMDシステムがあるわけでもないんだ、物理的に侵入が出来る場所を制限するしか方法がないんだよ」 ピピさん「これは当時の現物か?」 俺「残念、復元だ。実はなんと石垣は明治時代に”撤去”されてるんだ。発掘された遺跡や僅かに残された資料から復元されんだってさ」 俺「因みに、この綺麗な石垣は切石積みと言って、特別な技法らしいよ。重要な場所にはこの技法が使われてるのが金沢城の特徴だよ」 http //i.imgur.com/PkrCD.jpg ピピさん「城内進行」 俺「誰がうまいこと言えと・・・いやこれ進行できないし」 俺「でも途中まで行けたので、写真を撮ったお」 http //i.imgur.com/PEJOb.jpg ピピさん「下の小さな公園みたいなのは?」 俺「金 沢 城 公 園」 ピピさん「Oh...」 俺「ショボいとか言ってやるなよ、どちらかと言うとサブな扱いなんだから」 106 名前:金沢のなのは ◆nanoh5.jz2 [] 投稿日:2012/09/14(金) 02 28 49.59 ID cModhmFb0 [11/23] http //i.imgur.com/YLFt8.jpg ピピさん「相変わらず人居ないな」 俺「この時点で大体7時ちょい前くらいだよ」 http //i.imgur.com/6bb9v.jpg ピピさん「いやこれ最初にうpれや」 俺「正直スマンかった」 ピピさん「つーかさっきのミニ公園、何か名前ついとるやん」 俺「本当だ、知らなかった(テヘッ」 ピピさん「おい」 http //i.imgur.com/hibd6.jpg ピピさん「これも城の一部?」 俺「いや、これは明治時代に建てられた旧第六旅団司令部と言って、軍の施設だよ」 ピピさん「和風じゃないな」 俺「明治の建物だから洋風建築の文化が入って来てるんだね」 http //i.imgur.com/SNu5o.jpg ピピさん「なんだこのトンネルは?」 俺「はいhttp //i.imgur.com/CAAdT.jpg」 ピピさん「でた看板」 107 名前:金沢のなのは ◆nanoh5.jz2 [] 投稿日:2012/09/14(金) 02 38 55.53 ID cModhmFb0 [12/23] http //i.imgur.com/W1qb7.jpg ピピさん「この倉庫が重要文化財?」 俺「おうよ、1848年に建てられた武具を保管する蔵で、鶴丸倉庫と言います」 俺「このような倉庫の中では日本最大だよ。しかも文献もしっかり残ってる、貴重なものらしいよ」 ピピさん「後は帰るだけか」 俺「そうだね、細かいところまでは回れなかったけど、大体こんなもんだと思うよ」 俺「兼六園・金沢城は以上です。えっ?アレは?的なのがあれば随時回りますので教えてください」 ピピさん「おい」 116 名前:金沢のなのは ◆nanoh5.jz2 [] 投稿日:2012/09/14(金) 03 26 33.97 ID cModhmFb0 [17/23] http //i.imgur.com/gVz51.jpg 俺「能登にやって参りました」 ピピさん「これで国道沿いだからびっくりだ」 俺「ずっとこんな景色なので、千里浜へ移動します」 http //i.imgur.com/cxEjF.jpg 俺「なんか記念碑的なのがあるね」 ピピさん「千里浜って結局何なん?」 俺「日本で唯一、一般車や観光バスが波打ち際を走れるという謎スポットだよ」 ピピさん「ほうほう」 俺「はい看板http //i.imgur.com/GmBPK.jpg」 ピピさん「疾走・・!!!VQ35の本領発揮だな」 俺「昔は砂浜に制限30の看板刺さってたよ」 http //i.imgur.com/mXHXa.jpg 俺「ウソみたいだろ。2WDなんだぜ。これ。」 ピピさん「Oh...」 http //i.imgur.com/cE9MC.jpg 俺「しっかりと路面が固まった中央部はこうなってます」 ピピさん「完全に道路じゃねーか」 俺「でもこれ人工じゃなくて殆ど自然なんだぜ?」 117 名前:金沢のなのは ◆nanoh5.jz2 [] 投稿日:2012/09/14(金) 03 36 02.08 ID cModhmFb0 [18/23] http //i.imgur.com/oAxRH.jpg ピピさん「外に出てみました」 俺「舞い上がる砂などがかからないように、屋根からだよ」 ピピさん「交通量少ないね」 俺「わざと少ない時狙ってんだよ」 http //i.imgur.com/kU1WU.jpg ピピさん「イカ団子キター!!」 俺「千里浜名物だね、ここに来る人は大体買っていく人気メニューだよ」 俺「因みに一本150円です。実は財布を忘れてこの時点で残金270円だったのは内緒だ」 http //i.imgur.com/xcy2v.jpg ピピさん「こいつはすげぇ」 俺「砂浜からちょっと離れた駐車場に何かあったよ」 ピピさん「これ何なん?」 俺「看板がなかったからよく分からないんだけど、観光協会的なのが作ってるみたい」
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カレーとは imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 カレー(英 Curry、カリー)は、複数の香辛料を使って野菜や肉などのさまざまな食材を味付けした料理。インドとパキスタンなどその周辺国(インドの一部はイギリスの統治下にあった。イギリス料理を参考)で作られていた料理をもとに発展し、現在では国際的に人気のある料理のひとつとなっている。 日本では、明治時代にイギリスから伝わった。インド風のIndian curry、タイ風のThai curryと同じく、日本のカレーも独自の料理となり、カレーライス(ライスカレーとも)は国民食と呼ばれて、日本でカレーといえばカレーライスを指す場合が多い。(wikipediaより抜粋) 作り方の一例 材料 牛肉・・・・・・・・300グラム 玉ねぎ・・・・・・・2個 にんじん・・・・・・1本 バター・・・・・・・20グラム おろしニンニク・・・大さじ1 塩・胡椒(粗引き)・適量 市販のカレールー・・約一箱(200g) 水・・・・・・・・・900cc サラダ油・・・・・・適量 手順 1、フライパンにバターを溶かしニンニクを香りが出るまで炒め玉ねぎを投入する。 2、焦がさいないように火加減に注意しながら玉ねぎが飴色になるまで炒める。 3、玉ねぎが飴色になったらサラダ油を入れ温め、その後肉と人参を入れ炒める。 4、水を入れ煮たせてアクを取る。長時間煮込む場合は水を多めにするといいだろう。 5、各種隠し味を投入する。正直タイミングはどこでも良いのでベストのタイミングを各自見つけよう。 6、火を消してカレールーを投入し溶かす。各種カレールーを混合してみても面白いだろう。 この時火を消さないと焦げ付いたりする場合があるため気をつけよう。 7、あとは焦げ付かないように煮込んで完成。 好みでジャガイモを加えてみたり豚肉や鶏肉などにしてみたり、隠し味としてローリエ、ウスターソース、はちみつ、りんご、トマトジュースなどを加えてもいいだろう。 この辺は各家庭によって様々なのでこれが王道という材料は存在しない、家庭の数だけカレーがあるのだ。 トロンスレでの扱い パスタ、ラーメンと並ぶトロンスレにおける夜食のフィールの代表格で、インヴェルズ型トロンスレ民が夜食のフィールと共に話題にすることがある。 またインヴェルズトロンスレ民もカレーに対しては一枚岩ではなくジャガイモを入れる派、入れない派、隠し味や煮込み時間など各家庭のこだわりから内ゲバを始めることすらある。 時にカレーの話題だけで100レス以上を消費しスレをインドに染め上げ、時に飯テロ画像として深夜に小腹の空いているトロンスレ民にダイレクトアタックを敢行する非人道兵器にもなる。 カレーは奥が深い 今日の夕飯はカレーなコメント 特に記事にする必要ないよね、何故作ったし -- 名無しさん (2014-02-08 23 53 28) 賛同を得てない削除だったので差し戻し。記事削除したい場合はトップページで相談してからにしてほしい。 -- 名無しさん (2014-02-09 03 12 50) いや、流石に関係ないだろう…… 最近関連性が希薄なページがやたら多いじぇ -- 名無しさん (2014-02-09 06 33 27) 寧ろページ作る際に相談してくれ いい加減勘弁してほしい -- 名無しさん (2014-02-09 07 10 56) よかれと思って記事を作ってくれるのはいいけど相談してくれ -- 名無しさん (2014-02-09 10 39 01) 削除に賛同。関係なさ過ぎ -- 名無しさん (2014-02-09 12 05 33) なら一緒にカブトボーグとかカービィとかの項目も消そうぜ、関係ない項目ばかりだし -- 名無しさん (2014-02-09 14 13 10) うちはイタチも月島さんも消そうぜ! -- 名無しさん (2014-02-11 02 13 53) それらはネタとして確立していた時期があるから…… -- 名無しさん (2014-02-11 09 31 30) つまり定時ネタのカレーもいいってことじゃん! -- 名無しさん (2014-02-12 10 36 08) 名前 コメント
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2013年10月18日(金) 夜ストリートであばら骨強打&深夜サイクリング 金曜日の夜なので、23時過ぎてたけど夜ストリートしに戸山公園へ。 最近グッと気温が下がったので、パーカーを着ていったけど、乗り始めたらすぐに暑くなってTシャツになった。 バニーホップ360を練習中。 鋭いプッシュと、ペダルのしゃくりがポイントっぽいけどなかなか難しい。 そこで、バニーホップ180でそれを練習してたところ、コケた。 バイクと絡まって、あばらを前輪に強打、悶絶。 その後しばらく乗ってたけど、痛くなってきたので24時過ぎに切り上げた。 やばいなー、あばら骨ヒビいっちゃったかなあ・・・ 不完全燃焼なので、クロモズからスートラに乗り替えて、この前(2013-10-08)みたいに夜サイクリングへ。 晴海ふ頭まで行ってきた。 皇居外苑を抜けて銀座方面へ。 夜の皇居外苑って暗くて、人がいなくていいんだよなあ。 ストリートでは暑くて必要なかったパーカーだけど、サイクリングだとちょっと寒い。 馬場先門通り。三菱一号館が復原されて、明治時代にレンガ造の建築が立ち並び、一丁倫敦(ロンドン)と呼ばれた頃がしのばれる。 昭和通り沿いを走っていて目に留まった近代建築。 昭和初期に建てられたであろう、スクラッチタイル貼りの3階建てビル。 こじんまりしたビルだけど、いいプロポーション。 丁寧に改修されてギャラリーとして使われているみたい。すばらしいです。 歌舞伎座が建て変わってから初めて見た。 国登録有形文化財だった先代歌舞伎座は取り壊されてしまったけれど、意匠を承継している。 ここで、想定外の雨。雨降るなんていう予報だったっけ? 近くのビルの軒下で雨宿り。寒いのでホットのミルクティーを飲みながら。幸い15分くらいでやんだ。 勝鬨橋。かっこいい。 橋の途中に、橋が開くときのための信号が今でも残っている。 橋の真ん中。立ってるとけっこうゆれるのがわかる。 深夜2時。晴海ふ頭公園までやってきた。 水産庁の漁業調査船、開洋丸が停泊していた。 その向こうに東京タワー。 レインボーブリッジやお台場方面の夜景。 海に開けてていい公園だなあ。 公園にたどり着くまで、木のしげった暗ーい道を通るけど。 初めて来たけど、昼間はたくさん人がいるんだろう。 帰りの勝鬨橋。深夜でも稼動している築地市場と、東京タワー。 築地四丁目交差点。 この新しく建ったっぽいビジネスホテルのところ、前は昭和初期のスクラッチタイル貼りの渋いビルが建ってたなあと思い出した。 ここでアイフォン電池切れ。 この後、国会議事堂、市ヶ谷を通って最短ルートで深夜3時前に帰宅。 関連項目 2013-10-08 2013-11-23 2013年度/行った所写真 勝鬨橋 晴海ふ頭公園 この項目のタグ 2013年10月18日 サイクリング 中央区 千代田区 夜サイクリング 日記 東京都 タグ「2013年10月」がついた項目 アートブレッドファクトリー東京店 / I-Kousya / 勝鬨橋 / 浪花家江戸川橋 / 晴海ふ頭公園 / マティーニバーガー タグ「日記」「サイクリング」がついた項目 2008-04-26 / 2008-04-27 / 2009-03-16 / 2009-04-06 / 2010-04-19 / 2010-04-30 / 2010-05-02 / 2010-05-03 / 2010-06-25 / 2010-07-01 / 2010-07-14 / 2011-06-04 / 2011-06-05 / 2012-04-07 / 2012-06-24 / 2012-06-26 / 2013-10-18 / 2014-01-25 / 2015-04-23 / 2016-09-25 / 2016-10-14 / 2017-01-21 / 2017-01-29 / 2017-03-05 / 2017-06-22 / 2017-09-18 / 2017-09-30 / 2017-10-17 / 2017-11-03 / 2018-02-12 / 2018-04-24 / 2018-04-30 / 2018-05-14 / 2018-09-09 / 2018-09-18 / 2018-12-04 / 2018-12-13 / 2018-12-15 / 2019-01-06 / 2019-01-11 / 2020-11-21 / 2020-11-27
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16: 303 ◆CFYEo93rhU :2017/02/08(水) 06 10 50 ID 54bd7AQo0 投下終了です。 ノイリート要塞陥落を日本で例えると、敵が南西から攻めてきて、九州南部や四国を防衛線にしていたら、いきなり佐渡が占領されて このままでは新潟から関越道で東京まで一直線じゃないか、新潟からなら空中給油なしでも戦闘機の航続距離も足りるし、みたいな感じです。 ちなみに、距離とか角度とか相当あやふやですが、この方面の簡易地図はvol.24の 777にあります。 厳密な意味での領土だけでなく、およそその勢力圏にある地域も含まれます。 現実で言えば、リヒテンシュタインをスイス領としているような感じです。 11 契約したのに全然働かない、とかではありませんから。 ギルド独自ルールはあっても、その範囲内で真面目に働くのがギルドです。 だからこそ勅許状があるし、安易に潰せない組織になってるのですが。 粛清という程の荒療治ではないと思いますが、リンド王国軍が壊滅したので、それの再編に傭兵ギルドを突っ込んで、合併させて解消。 という案をリンド王国が画策し、皇国も密かに支持しています。 やり方が不味いと王国軍の連隊なのに実質は傭兵隊のようになりかねないので、あくまで主導権は 王国軍側としたいけれど、兵員不足で困っているのは王国軍側だから、傭兵ギルドに強気に出られず難しい。 そして仮にある傭兵隊を第777連隊として既存の第66連隊と合併させると、「第66=第777軽歩兵連隊」みたいのが大量に生まれる予感。 連隊旗(傭兵隊旗)も既存のままか新しくするか、デザインで揉めそう。 傭兵ギルドは異世界版PMCとして存続の道を歩めるか!? 12 昭和10年代に40代くらいの年齢の方々は、生まれた時には明治時代で、江戸時代の風俗とか各地にまだ残ってはいるものの、 基本的には明治以降の教育を受けて明治以降の制度の中で暮らしてきた人達ですから、実感としては分からないでしょうね。 それより若ければ明治末とか大正生まれも居るので、幕末から明治初期はもう祖父か曽祖父世代の出来事です。 皇露(日露)戦争経験者くらいが現役の限界で、西南戦争経験者なんてもう80~90代ですよ。 しかも明治維新のやり方を参考にしても上手く行くかどうか……明治維新自体が近代史の奇跡みたいなものですから。 13 傭兵隊長とかは貴族や騎士、平民富裕層の二男や三男だったりするので、何か別の職を斡旋してやらないと路頭に迷います。 長男に全てを相続させる為、相続権放棄に同意する代わりに手切れ金として幾らか纏まった金を貰い、それを元手に傭兵業やる、とかですね。 商人やる人もいれば、学がある人なら医師とか学者になる人もいるでしょうし、傭兵ではなく王国軍の士官になる人も居ます。 勿論、そういう家系の女性も傭兵として居るでしょう。ファンタジーだから! 結婚相手が嫌な奴で私は自由に生きるんだと、持参金持ち逃げしてしれっと傭兵隊長してる元貴族令嬢の女戦士とか。 下っ端傭兵は、皇国が港湾建設事業、鉄道建設事業の人手として雇うとかで一時的には 失業者対策になるかも知れませんが、日雇い仕事ですし、皇国基準の作業ができるかですね。 杭一本打つだけでも「もっと丁寧にやれー馬鹿者ー!」とか、そういう職場に耐えられるか。 元傭兵「傭兵として鞭で打たれてた方がまだマシだった。なんだこのブラックな職場」
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原作『夢話悲恋幻想奇譚』のドラマCD化。 大筋は原作通りだが、話の構成がやや異なる。 ▽登場人物 二 真犯人はあなたです! 殺人事件の解明 原作にないオリジナルのシーン。「マツユキ」という男と呪いの人形の絡んだ殺人事件らしい。 詳細は明かされず、いきなり解決シーンから始まる。 犯人「ショウダユキオ」役のCVは……。 右近 右近が飛び出してきたようにショウダから左近を守ったかのようなシーンが入る。 三 謎の布 右近の故障 二を受けて、右近の腕を修理しようとするシーンに入る(原作では単なる補修中?)。 その際、左近の年齢が16歳である事が示されている他、左近が自分が自ら事件に介入する事への疑問を感じる描写がある。 左衛門への相談 布が出てきたのは原作では左腕、ドラマCDでは右腕。血で書かれたものかもしれないと左衛門は推測する。 左衛門が繰人村の住所を探すのに自身の日記を用いている。 四 地図にない村 村の場所 原作と異なり、繰人村の所在地は見つからず、左近は村があったと思しき近くの村へ赴き、老婆に話を窺っている。 また、村自体ダムの底に沈んでいるとされている。 霧に迷い込んだ左近 着物姿の少女の幻影を追いかけている最中に崖から転落。原作では少女の幻影の描写はなし。 五 繰人村の倫助 倫助との遭遇 倫助は山菜と薬草を取りに来たとなっている。この時点では警察に追われる身ではないため、この後すぐに村へ行く事になる。 村の様子 村やそこで暮らす人々の描写がある。明治時代ではないかと左近が考える描写がある。 六 人形師・三代目小泉卯之助 小泉邸にて 春香とはここで出会う。原作では一本杉まで倫助を追いかけてきている。 倫助と春香の関係 倫助は春香との身分(主人と使用人)を気にしている模様。 また、小説では倫助と春香の他に弟子や使用人、通いの賄い婦がいたが、CDでは倫助と春香の二人のみ。 七 惨劇 黒川登場 黒川と轟の姿を左近が見ている。彼らが屋敷や春香、倫助に貶めの言葉を吐く描写がある。 尚、黒川は官軍に媚びて村の長になったという設定が追加されており、轟も「警察署長」から「黒川の部下になった役人」に設定変更されている。 左近と黒川 原作と展開が異なるため、黒川が左近に忠告をする場面がある。 また、小泉邸に弟子がいないのは、黒川の嫌がらせによるもの。 本題 貸した金と利息の返済を求める黒川。しかし、先日では「利子の一部」になっていたはずであるらしい。 原作では「お貸ししていた金」。 殺人 倫助逃亡までは原作とおおよそ同じ流れ。 八 犯人は君なのか!? 倫助が逃げた先 一本杉まで逃げてきた原作の展開がここに挿入される。倫助が春香や彼女の作る人形について語る描写がある。 獄中での会話の描写が一部こちらに移動。尚、倫助は春香の目の前で轟に連行されている。 和尚 小泉家と懇意の和尚の話。神仏分離令について言及されている。 彼曰く、轟は数年前は倒幕を唱える志士であったが、戦で足を負傷し、村に戻ってから性格が一変したとの事。 九 牢獄の二人 牢獄にて 左近と倫助ではなく春香と倫助の会話。この後、左近と倫助の会話になる。 倫助の話をヒントに推理をした原作とやや異なり、倫助と共に推理していく展開。 十 カラクリは解けた! 犯人断定 倫助は脱走ではなく和尚の口添えにより釈放されている。 轟の混入した薬については「苦味」から「刺激」に変更。 十一 生まれ変わるなら… 発砲後 倫助は左近を庇って負傷? 左近の倫助に対する呼び名が「倫助くん」から「倫助」に変わるのもこのトラックから。 十二 右近の恋物語 目覚め 左近が目覚めた場所は繰人村の話を聞いた家(原作では崖下で、序盤に人形師がいないと答えた中年女性に声を掛けられている)。 帰宅後 オリジナルの追加シーンで、左衛門との会話。 左近を呼びに来た薫子の元へ行くところで物語は終了。原作最後のコマの倫助の台詞の反復はカット。
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会場内の、とある山の中。 赤っ鼻がひときわ目立つ一人の男が、しかめっ面で歩を進めていた。 「誰の鼻がひときわ目立つって、この野郎ーっ! ……って、空耳かよ。 やべえなあ、おい。あんまり静かすぎて、あり得ない声まで聞こえてきちまったぜ」 ぶつくさと呟きながらも前進を続けるこの男の名は、バギー。 「千両道化」の異名を持つ海賊であり、口八丁と悪運で大海賊時代における海賊の頂点の一つ「王下七武海」に成り上がった男である。 当初は殺し合いに参加させられたことに怒りを爆発させていたバギーだったが、自らに宝の地図が支給されていることに気づくと一転して上機嫌になった。 しかし、それも長くは続くない。 迷わず地図の示す地点へと向かい始めたバギーであったが、そこまではかなりの距離があった。 慣れない山道を歩かされ続け、すっかり不機嫌になってしまったのだ。 「このバギー様を散々歩かせやがって……。 しょぼい宝だったら承知しねえぞ……」 なお地図が示しているのはあくまでこの殺し合いを有利に運ぶための武器のありかであり、 バギーが求める金銀財宝ではないのだが、本人はまだそれに気づいていない。 「いいかげん、着いてもいい頃だろ……。 道を間違えでもしたか?」 一度立ち止まり、地図を確認するバギー。 次の瞬間、彼は自分に強烈な殺気が叩きつけられたことに気づいた。 「なんだぁ!?」 慌てて振り向くと、そこにはこちらに向かって飛びかかってくる奇妙な身なりの男の姿があった。 その手には、鎌のようにも見える異様な形状の刀剣が握られている。 とっさに迎撃しようとするバギーだったが、反応が間に合わない。 刃が振るわれ、バギーの首が胴体から切り離された。 「まずは一人……」 首を失って地面に倒れ込むバギーの体を見ながら、男は狂気に満ちた笑みを浮かべる。 男の名は乙和瓢湖。明治時代の日本からこの地に連れてこられた、裏社会の住人だ。 この男を一言で表現するならば、「快楽殺人者」。 ゆえに彼は、この場でもためらいなく殺戮を行う。 生き残るためでなく、快楽を得るために。 「しかしこんなへんぴな山の中では、そうそう人はいないか……。 目指すとしたら、街だな……」 そう独りごちると、乙和はその場を去って行った。 ◆ ◆ ◆ 「やってくれたな、あの野郎……。 俺じゃなかったら死んでたぞ」 乙和が立ち去った後、おもむろにバギーの生首がしゃべり出す。 生首は宙を舞って体の元に戻り、何事もなかったかのようにまたくっついた。 バギーは超人系に分類される悪魔の実・「バラバラの実」の能力者。 おのれの体を好きな箇所で切り離し、遠隔操作することができる。 この能力ゆえに、バギーは斬撃によるダメージを一切受けないのである。 本来は殺されたと見せかけて奇襲で相手を返り討ちにするつもりだったのだが、 うっかり地面の石に頭をぶつけてしまい1分程気絶していたせいで失敗したのはここだけの話だ。 「まあ、あんな小物どうでもいい。 もしまた会うことがあれば、派手にぶち殺してやるってだけだ。 それよりお宝を……ん?」 ふと、バギーは気づく。 体から首を切り離せるのなら、首輪など簡単に外せるのでは? と。 「まあなんかの対策は取ってる気がするが……。 いちおう確認しておくか」 バギーは今一度首を切り離し、首輪を引っ張ってみる。 「あだだだだ! やっぱりダメか。 接着剤かなんかで、強引にくっつけてやがるな……」 むろん、運営側もその可能性に気づかない程アホではない。 バギーの首輪に関しては、外れないよう特に念入りに固定してあるのだ。 「力かけ過ぎて、誤作動でも起こしたらシャレにならねえし……。 とりあえず、首輪のことはいったん置いとくか。 今はそれより、お宝だーっ!」 すぐさま思考を切り替え、バギーは再び歩き始めた。 【0100 山】 【バギー@劇場版 ONE PIECE STAMPEDEノベライズ みらい文庫版(ONE PIECEシリーズ)@集英社みらい文庫】 ●大目標 とりあえず、生き残るのを優先 ●小目標 地図の場所に行き、お宝を手に入れる 【乙和瓢湖@るろうに剣心 最終章 The Final映画ノベライズ みらい文庫版@集英社みらい文庫】 ●大目標 殺しを楽しむ ●小目標 街へ向かう
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逸鬼夜行 鬼宿 桐 ■キャラクター名:鬼宿 桐 ■ヨミ:タマホメ キリ ■性別:転向性α女性 ■武器:・PK 第六感を超越した彼女の周囲で還流するテレキネシス波動は剣(つるぎ)も同然。 一切衆精を祓う魔性の刃。 ・鬼の剛力 骨も皮膚も頑強。熱に対して完全な耐性をもつ。 だけど、服は守れないので本人はしょっちゅう全裸になる。 特殊能力『鬼子母神前大殺界(きしぼじんだいさっかい)』 斬(kill)モード。 鬼宿桐のフェイタリティ。 第七感応領域(セブン・センシズ)。 普段抑制している半神である人喰い鬼の攻撃性や欲求不満がツキイチの発情期(ヒート)になると2500年の時を越えてまろび出る大鬼神の暴力装置。 単純な念動力としての性能も莫大な質量を広範囲にわたって複数同時にかつ精密に操り、炎の生成、読心、あらゆる環境の適応など応用も効く攻防一体の戦闘スタイル。 ガンマ線や熱操作とは特に相性が良い。桐本人も溶岩に入浴できるレベルの頑強だ。むしろ自分ごと燃やす。 天国の光────。 地獄の焔────。 実はそのどちらも、よく相似ているようで────。 設定 誇り高く何者にも傅かない天上天下唯我独尊。 大胆かつカリスマ性に溢れたパーフェクトなお嬢様。 全寮制カトリック・ミッションスクール“聖カスティエル女学院”に通う二年生(飛び級)。だが、本人は浄土真宗。 実家の鬼宿家の古くは呉服業で豪商の三本指の一つに数えられ、明治時代に入ると海外貿易・蘭学など多岐に渡って発展。戦後、鬼宿家は政財界と繋がり、設立されたグローバル・シンクタンク“九条能力開発研究所”は現在、魔人能力開発研究の第一線で目覚ましい活躍を遂げる総資産は10億ドルを越える。 彼女が時々起こす謎の強権発動に教師生徒たちから『嵐の女王』『十六夜様』『天橋立の鉄火女(スケバン)』などと様々な二つ名で畏怖されている。 ────しかし、鬼宿桐にはもう一つの姿がある。 彼女は文字通り正真正銘、悪鬼羅刹の末──── 西日本を統括す“姫纈家”現当主。すなわち鬼の頭領であったのだ。 αの特異体質による慢性的発情期と家の事情の為、勉強ができる静かな場所を求めてカスティエルに入学した16歳。 好きな男性のタイプはふた回り年上のオジサン。 そのため付き人の城華獅郎とは背徳的な主従関係にある。 発情に入ると鬼の子孫を残すため、隙あらば彼とガチ勝負を繰り拡げる。 身長160cm 体重45㌔ スリーサイズは89/51/84 下着は黒 ノーブラ派。何着てもエロい大和撫子である。 好きなものは猫。 嫌いなものは学食の空豆のスープ。 城華 獅郎 ■キャラクター名:城華 獅郎 ■ヨミ:タチバナ シロウ ■性別:Ω男性 ■武器:・徒手空拳 鋼すら撃ち抜く拳武と超人的な秘技を誇る。 ・勁気闘法 人体操作・聴勁の感知をはじめとする多彩な術。 ・左目 実はもう治っている。只はポーズだった。 彼が本気になると目は開く。ついでに相方も濡れる。 特殊能力『一閃天(カミソリ)』 城華獅郎の振るう神業(かみわざ)。 触れたものを光子変換して、どんな物質も例外なく消滅させる。 コマ伝師の下、勁気闘法を極め多元宇宙の法則を織った彼は危険なこの能力を完全に制御することに成功した。 時空間を湾曲・切断できるほどのこの力を利用し城華獅郎は多次元宇宙を巡る旅をしている。 設定 鬼宿桐の付き人兼用心棒。年齢不詳。 その左目は奇縁により出会った当時11歳の彼女に抉られ失明している。 現在は時給166万6890円で雇われ、抱かれても死なないで側にいられる鬼宿桐の形而上の愛人。 普段は太平楽の常識人。だが、その正体はかつて流浪の拳師(けんし)とし、数多の異世界を旅した勁気闘法の達人。重度の修行マニアでもある。 彼の身の内に隠している闘争本性は桐とは比肩出来ないほどの激しいものだ。 奉(たてまつ)られたまたの名を────『殺破狼(シャー・ポー・ラン)』 ──────只、ひたすらに闘を求め異世界を歩みつづける一匹の化物(ケモノ) プロローグSS
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本田透は自分が「三次元」では恋愛できないことを強調し、「二次元」での純愛を称賛する。「おたく」とは関わりはないが、小谷野敦も恋愛できない人たちの存在を強調し、片思いを推奨する(小谷野 1999)。どちらも愛されることはできないが、愛することはできるということである。小谷野が強調するように、愛することなら誰にでも可能かもしれないが、愛されることはそうではない(小谷野 1999)。容姿や話術といった属性(能力)が必要になる。恋愛ができないことは人によっては大きな悩みになるが、それはいつの時代にも見られた問題である。 愛されないことは仕方ないという、このような当たり前のことを強調しなければならないのは、現在では、恋愛といえば双方の思いが調和するものだという暗黙の想定があるだろうからである。その証拠に、広辞苑の「恋愛」の項目を参照すると、「(loveの訳語)男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい。[傍点は引用者]」(新村編 1998)となっている。そこでは端から片思いという状態は排除されているのである。しかし、実際の経験に照らし合わせれば、そのように双方の思いが調和しないこともあることに多くの人が気づくだろう。双方の思いが調和するという前提に合わせるためには、いかに愛されるかが重要になる。愛されてこそ、双方の思いが調和するという恋愛になるのである。 そのことをはっきりさせるために、「恋愛」という語の歴史を参照しよう。 柳父章によると「恋愛」という語は英語のラブ(love)の訳語として作り出されて明治期に浸透し、万葉の歌に見られるような日本古来の心と肉体とを切り離さない「恋」、「愛」、「情」、「色」などとは違い、ロマンス(romance)とも通じる「深く魂より愛する」といった意味合いであった(柳父 1982 89-97)。小谷野の別の言い方では、「恋」は遊郭を連想させたので「恋愛」という新しい語が発明されたのである(小谷野編 2003 123)。例えば水野尚が言うように、一般にこのような意味での恋愛は、12世紀のヨーロッパで見られた宮廷恋愛に由来しているとされている(水野 2006)。 その後、北村透谷を始めとした進歩的な人々が恋愛を賛美したが、明治時代に恋愛は一般的ではなかった。その後恋愛結婚が一般の人々の理想とされるようになった。このことについては次節で詳しく述べる。また、セクシュアリティとの関係で恋愛が称揚される傾向が強まる。これも次節で述べる。 こうして、現在では結婚やセクシュアリティの前提として恋愛が要請されるため、恋愛が若者に重視されるわけである。ところで、「恋愛」という語は現代でも「深く魂より愛する」といったような意味で用いられているのであろうか。こうすれば恋愛がうまくいくと細かい技術指導をする雑誌の記事などを読んでいるととてもそうとは思えない。山田昌弘の、「恋愛は、もっとも広義にとった場合、特定の相手と心理的、身体的コミュニケーションをとりたい欲求と位置づけられる」(山田 1994 122)といった定義のほうが現状に即しており、「恋愛と呼ばれる感情は主観的に構成される」(山田 1994 120)のである。また、明治期の意味合いとの相違点を強調して、宮原浩二郎は次のように述べている。「現在の日本語では、「個性に執着」しなくても、相手を「純化」「理想化」しなくても、また「対等の人格」や「精神的愛」を前提にしなくても、とにかく相手が「すき」であれば、「恋愛」感情があると言う。「恋愛」は、「すきだ」とか「つきあっている」という主観的な口言葉を、客観的な書き言葉に置き換えた言葉なのである」(宮原 1998 126)。 恋愛ができない人がいることは問題ではあるが、その対策は難しい。職業生活と違って、恋人を再配分するわけにはいかない。しかし職業生活にはない有利さもある。金銭は基本的に多ければ多いほどよく、誰かが得をすれば誰かが損をするというゼロサムゲームの様相を呈する。愛情生活では、多様な好みがあり得るので、うまくすれば多くの人が満足できる。 社会的な対策は難しいが、当人の気の持ちようで楽になる部分も大きいだろう。「やむを得ず型」の「おたく」たちは、恋愛ができないことそのものよりも、恋愛ができないと人間としての価値はないといった観念に苦しんでいるのかもしれない。先に見たように、恋愛では双方の思いが調和して、誰もがうまくいくといった仮定のもとでは、恋愛ができない人など存在しないことになっている。そうした観念に苦しんでいる人たちには、恋愛はいつでも誰にでもできるものではないと強調することが救いになるかもしれない。
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無量大数(むりょうたいすう) 今昔物語3巻:全31巻1040話(平安時代後期1120年頃) 「無量無辺不可思議那由他・・・・・の国土を過ぎ行きて」 那由他(なゆた)・・・古代インドの数の単位。 仏典では那由多、那述、那由佗、などと 音写される。 ┫10⁻⁶²┣1.43x10⁻⁶²弱い力の定数 ┫┣ ┫10⁻⁴⁴┣10⁻⁴⁴秒 宇宙の始まり ┫┣ ┫10⁻³⁴┣6.63x10⁻³⁴プランク定数 ┫┣ ┫10⁻³¹┣9.11x10⁻³¹電子の静止質量(Kg) ┫┣ ┫10⁻²⁷┣1.67x10⁻²⁷陽子の静止質量(Kg) じょ┫┣ 一 分の1┫10⁻²⁴ヨクト(y)┣ ┫┣1.38x10⁻²³ポルツマン定数 がい┫┣ 十垓分の1┫10⁻²¹ゼプト(z)┣ ┫┣ けい┫┣ 百京分の1┫10⁻¹⁸アト(a)┣2x10⁻¹⁸ハッブル定数 ┫┣ ┫┣ 千兆分の1┫10⁻¹⁵フェムト(f)┣ ┫┣ ┫┣ 一兆分の1┫10⁻¹² ピコ(p)┣ ┫┣6.67259x10⁻¹¹重力(万有引力)定数 ┫┣ 十億分の1┫10⁻⁹ ナノ(n)┣ ┫┣ ┫┣ 百万分の1┫10⁻⁶マイクロμ┣ ┫┣ ┫┣ 千分の1┫10⁻³ ミリ(m)┣ ┫10⁻²センチ(c)┣ ┫10⁻¹デシ(d)┣ ゼロ(零)┫ 0┣ 十(拾)┫10¹ デカ(da)┣ 百(壱百)┫10²ヘクト(h)┣ 千(壱千)┫10³ キロ(k)┣ 万(萬)┫10⁴┣ ┫┣ ┫10⁶ メガ(M)┣ 水素原子 ┫┣1.09737315X10⁷リュードベリ定数(H) 億┫┣2.99792458X10⁸m/s光速 ┫10⁹ ギガ(G)┣6.5x10⁹総人口 ┫┣6.6x10¹º総鶏(ニワトリ)数 ┫┣1.49600x10¹¹m天文単位(AU) 兆┫10¹² テラ(T)┣ ┫┣ ┫┣ ┫10¹⁵ ペタ(P)┣1.4x10¹⁵g/cm³中性子星の平均密度 京┫┣ ┫┣ ┫10¹⁸エクサ(E)┣ がい┫┣ 垓┫┣ ┫10²¹ ゼタ(Z)┣ ┫┣10²²地球上の砂の数 じょ┫┣6.022x10²³アボガドロ数 ┫10²⁴ ヨタ(Y)┣10²⁴星の数、地球上の微生物の数 ┫ ↑┣ ┫ (SI単位の接頭語)┣ ┫10²⁷┣5.974x10²⁷g 地球質量 穣┫┣ ┫┣ ┫10³º┣ ┫┣ 溝┫┣ ┫10³³┣2x10³³g 太陽質量 ┫┣ ┫┣10³⁵インフレーション 澗┫10³⁶┣空間が30桁以上膨張 ┫┣ ┫┣ ┫10³⁹┣ 正┫┣10⁴º宇宙と電子の大きさの比 ┫┣電磁気力と重力 〃 ┫10⁴²┣ ┫┣ 載┫┣ ┫10⁴⁵┣ ┫┣ ┫┣ 極┫10⁴⁸┣ ┫┣ ┫┣ ┫10⁵¹┣ 恒河沙┫┣ ┫┣ ┫10⁵⁴┣ ┫┣ 阿僧祇┫┣ ┫10⁵⁷┣ ┫┣ ┫┣ 那由他┫10⁶º┣ ┫┣ ┫┣ ┫10⁶³┣ 不可思議┫┣ ┫┣ ┫10⁶⁶┣ ┫┣ 無量大数┫┣ ┫10⁶⁹┣ ┫┣ ┫┣ ┫┣ ┫┣ ┫┣ ┫┣ ┫10⁸º┣10⁸º宇宙に存在する核子の数 ┫┣(核子:陽子と中性子の総称) ↑ 1627年 江戸時代の数学者塵劫(じんこう)が考案。 塵劫記(じんこうき) 江戸時代初期の通俗算学書。吉田光由(1598~1672)が表し 寛永4年(1627年)に刊行した。 当時の和算書としては著者不明の「算用記」(1610年頃)と 毛利重能の「割算書」(1622年)に次ぐものであった。 光由は京都二条にあった毛利の家塾に学んだがそれにあきたらず 宗家の角倉素庵(1571~1632)に教えられて「算法統宗」を 習った人で「塵劫記」は当時としては最高の内容を平易に説明した 入門書であった。 光由はさらに寛永18年(1641)にそろばんを利用した算法の説明 などにも工夫をこらした新編「塵劫記」小型3巻本を出版し その下巻の巻末に遺題12問を提出した。 「塵劫記」は実用書として歓迎され版を重ねるとともに 「・・・・塵劫記」と称する通俗算書が江戸時代から明治時代までに 400~500種が出版された。 恒河沙(ごうがしゃ) Gan ga‾-nadi‾-va‾luka 恒河沙、恒水辺流沙などとも訳され恒沙、江沙と略して用いられる こともある。 ガンジス川の砂という意味で仏教の経典中に 「数え切れないほど多い」ということのたとえとしてたびたび用い られている。 「諸仏の数は恒河沙のごとく多い」 阿僧祇(あそうぎ) サンスクリット語(古代インドの文学語)。 asam.khyaの音写仏教用語。 数えられないとの意から無理無数を意味する。 無数(むしゅ)、無央数(むおうしゅ)と漢訳される。 まとめサイト作成支援ツールについて @wikiにはまとめサイト作成を支援するツールがあります。 また、 #matome_list と入力することで、注目の掲示板が一覧表示されます。 利用例)#matome_listと入力すると下記のように表示されます #matome_list