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竹島紛争 / 竹島 韓国の独善主張を論破せよ、「竹島」が日本領である証拠を集め続ける島根県の「努力」…“竹島問題100問100答”で啓蒙図る地元の“意地” http //sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140108/wlf14010807010001-n1.htm 日本固有の領土でありながら、韓国の不法占拠が続く竹島(島根県隠岐の島町)。昨年8月の李明博大統領(当時)の不法上陸や、現在の朴槿恵(パククネ)大統領の対日非難などから注目される中、同県が韓国側の主張の論破に懸命だ。県は「日本の領土である『証拠』を提示することが重要」として、竹島を日本領とした古地図などを収集。今春に一般向け啓発本「竹島問題100問100答」も発行するなど、固有の領土に対する理解度アップを図る。 (坂田弘幸) 日本領とする根拠など解説 「100問100答」は研究者らでつくる島根県の竹島問題研究会が、竹島の日(2月22日)にあわせて発行する。 研究会の委員16人を中心に専門分野ごとに分担。これまで収集、蓄積してきた竹島問題に関する地図や古文書などをもとに、1問1答形式で「竹島問題のいろは」を解説する。中身は明らかにされていないが、竹島の概要など基本的事項から日韓の主張の違い、日本に帰属する根拠などを分かりやすく解説したものになるとみられる。 竹島は日本領という事実を認識していても、詳しい背景までは知らない人らも多い。「100問100答」は、正確な知識を持ってもらえるよう工夫された内容になりそうだ。 江戸時代の日本地図にも竹島 「100問100答」の下地となるさまざまな歴史的資料。その中でも、今年度に確認された、竹島を描いた最古とみられる日本地図2点はとりわけ貴重だ。 2点は、江戸時代中期(1760年代)に作製された「日本図」と明和5(1768)年の「改製日本扶桑分里図(ふそうぶんりず)」。ともに、水戸藩の地理学者、長久保赤水(1717~1801年)が手掛けた。 2点はこれまで、竹島が記された最も古いとされる日本地図「改正日本輿地(よち)路程全図」(1779年初版)よりも約10年古く、同全図のもとになったとみられる。 同全図も長久保の作製で、江戸時代に日本が竹島の領有権を確立していたことを示す重要な証拠のひとつとされてきた。2点の日本地図は、こうした同全図の下図と原図とみられることから、長久保が早くから竹島の存在をはっきりと認識していたことを裏付ける。 竹島問題研究会は「竹島が日本領であることを補強する資料。江戸時代から(竹島の入った)正確な地図も作られていた」とし、日本の主張の正当性を改めてアピール。啓発本にも反映していく方針だ。 竹島漁労の功績消すな 島根県は昨年、8月末で期限切れを迎えた竹島周辺の漁業権について、9月以降の10年間もこれまでと同じ内容での更新を認めた。 隠岐島漁業協同組合連合会に交付され、漁場は竹島の岸から500メートル。対象はアワビ、サザエ、ワカメ、イワノリ、テングサ。 もともと、竹島周辺は「豊穣の海」と呼ばれるほどの好漁場だったといわれている。隠岐諸島の北西157キロ沖の日本海にあり、海産物のほか、アシカも捕っていた。 アシカ漁については、島根県と竹島を結び付ける重要な要素となったことが知られている。 明治36(1903)年、竹島でアシカ漁を始めたのが隠岐の水産業者、中井養三郎(1864~1934年)。中井は、アシカの乱獲防止のため竹島の領土編入と貸与を政府に願い出、同38年に竹島が島根県に編入されるきっかけを作った功績者だ。 竹島問題研究会による住民への聞き取り調査では、中井より前の同30年ごろ、竹島でアワビ採りやアシカ漁が行われていた実態も分かってきた。中心となっていたのが地元の漁師、石橋松太郎(1863~1941年)で、その存在がにわかにクローズアップされるようになった。石橋らはアシカ漁などで同36年に700円、翌年に2088円の黒字を出していたという。 昨年10月の竹島問題研究会の会合で山崎佳子委員は「石橋は竹島漁労のパイオニア。アシカ漁の経験が豊富だったので利益を出していたとみられる」と報告。石橋をそう位置づけるとともに、明治時代の竹島漁労の実態からも日本領としての竹島の姿がしっかりとうかがえることを示した。 竹島周辺での操業は戦前まで続いていたという。ところが戦後の昭和27年、韓国は竹島を含む海域を取り込んで一方的に「李承晩ライン」を設定。こうした不法占拠もあって、県水産課によると、29年5月の漁を最後に竹島周辺で操業ができない状態が続いている。 それにもかかわらず、島根県は竹島周辺の漁業権を昭和28年に設定して以来、10年ごとの切り替えを継続している。その裏には、「竹島は日本固有の領土」という強い思いがあるためといい、県水産課は「いつでも漁を再開できるよう必要な行政事務は当然進めていく」という。 「100問100答」はこうした歴史的内容も反映されるとみられ、関係者も完成を期待している。 .
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鵺、鵼、恠鳥、奴延鳥(ぬえ)は日本で伝承される妖怪や物の怪である伝説の生物。この意が転じて、得体の知れない人物をいう場合もある。 概要 『平家物語』などに登場し、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビで(文献によっては胴体については何も書かれなかったり、胴が虎で描かれることもある。また、『源平盛衰記』では背が虎で足がタヌキ、尾はキツネになっており、さらに頭がネコで胴はニワトリと書かれた資料も存在する。)、「ヒョーヒョー」という、鳥のトラツグミの声に似た大変に気味の悪い声で鳴いた、とされる。一説には雷獣であるともいわれる。また、出現したのは一般には平安時代後期とされるが、平安時代のいつ頃かは、二条天皇の時代、近衛天皇の時代、後白河天皇の時代、鳥羽天皇の時代など、資料によって諸説ある。 元来、鵺とは夜に鳴く鳥のことであり、『古事記』『万葉集』にも名が見られる。この鳥の正体は、現在ではトラツグミのこととするのが定説である。この鳥の寂しげな鳴き声は平安時代頃の人々には不吉なものに聞こえたことから凶鳥とされ、天皇や貴族たちは鳴き声が聞こえるや、大事が起きないよう祈祷したという。 『平家物語』にある怪物はあくまで「鵺の声で鳴く得体の知れないもの」で名前はついていなかった。しかし現在ではこの怪物の名前が鵺だと思われ、そちらの方が有名である。映画「悪霊島」(原作・横溝正史)の有名なキャッチ・フレーズ、「鵺の鳴く夜は恐ろしい」とはこの事である。描写される姿形は北東の寅(虎)、南東の巳(蛇)、南西の申(猿)、北西の戌亥(犬とイノシシ)といった干支を表す獣の合成という考えもある。 鵺退治 『平家物語』や摂津国の地誌『摂津名所図会』などによると、鵺退治の話は以下のように述べられている。平安時代末期、天皇(近衛天皇)の住む御所・清涼殿に、毎晩のように黒煙と共に不気味な鳴き声が響き渡り、二条天皇がこれに恐怖していた。遂に天皇は病の身となってしまい、薬や祈祷をもってしても効果はなかった。 側近たちはかつて源義家が弓を鳴らして怪事をやませた前例に倣って、弓の達人である源頼政に怪物退治を命じた。頼政はある夜、家来の猪早太(井早太との表記もある)を連れ、先祖の源頼光より受け継いだ弓を手にして怪物退治に出向いた。すると清涼殿を不気味な黒煙が覆い始めたので、頼政が山鳥の尾で作った尖り矢を射ると、悲鳴と共に鵺が二条城の北方あたりに落下し、すかさず猪早太が取り押さえてとどめを差した。その時宮廷の上空には、カッコウの鳴き声が二声三声聞こえ、静けさが戻ってきたという。これにより天皇の体調もたちまちにして回復し、頼政は天皇から褒美に獅子王という刀を貰賜した。 退治された鵺のその後については諸説ある。『平家物語』などによれば、京の都の人々は鵺の祟りを恐れて、死体を船に乗せて鴨川に流した。淀川を下った船は大阪東成郡に一旦漂着した後、海を漂って芦屋川と住吉川の間の浜に打ち上げられた。芦屋の人々はこの屍骸をねんごろに葬り、鵺塚を造って弔ったという。鵺を葬ったとされる鵺塚は、『摂津名所図会』では「鵺塚 芦屋川住吉川の間にあり」とある。 また江戸初期の地誌『芦分船』によれば、鵺は淀川下流に流れ着き、祟りを恐れた村人たちが母恩寺の住職に告げ、ねんごろに弔って土に埋めて塚を建てたものの、明治時代に入って塚が取り壊されかけ、鵺の怨霊が近くに住む人々を悩ませ、慌てて塚が修復されたという。一方で『源平盛衰記』『閑田次筆』によれば、鵺は京都府の清水寺に埋められたといい、江戸時代にはそれを掘り起こしたために祟りがあったという。 別説では鵺の死霊は1頭の馬と化し、木下と名づけられて頼政に飼われたという。この馬は良馬であったために平宗盛に取り上げられ、それをきっかけに頼政は反平家のために挙兵してその身を滅ぼすことになり、鵺は宿縁を晴らしたのだという。 また静岡県の浜名湖西方に鵺の死体が落ちてきたともいい、浜松市北区の三ヶ日町鵺代、胴崎、羽平、尾奈といった地名はそれぞれ鵺の頭部、胴体、羽、尾が落ちてきたという伝説に由来する。 愛媛県上浮穴郡久万高原町には、鵺の正体は頼政の母だという伝説もある。かつて平家全盛の時代、頼政の母が故郷のこの地に隠れ住んでおり、山間部の赤蔵ヶ池という池で、息子の武運と源氏再興をこの池の主の龍神に祈ったところ、祈祷と平家への憎悪により母の体が鵺と化し、京都へ飛んで行った。母の化身した鵺は天皇を病気にさせた上、自身を息子・頼政に退治させることで手柄を上げさせたのである。頼政の矢に貫かれた鵺は赤蔵ヶ池に舞い戻って池の主となったものの、矢傷がもとで命を落としたという。
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凡例 一、採録した方言は、主として既刊未刊の方言集から信頼するに足ると判断した報告を引用したものであって、これに編者の直接採集によるもの若干を加えた。 一、方言集からの引用には文献名を注すべきであるが、便宜上おおむねそれを省略した。たゞし、江戸時代の文献によるもの及び明治時代の南島文献によるものは書名を注した。 一、使用上の便宜を考えて、見出しをなるぺく多く立てる方針をとった。学問的には一項目にまとめるべきものを數箇所に分散掲出したこともあるが、その場合には必要に応じて他を参照し得るように↓印をもって関係語彙を指癇することに努めた。 一、同じ語原に由来すると考えられる語、同じ語の意味変化と考えられるものは、なるべく一項目におさめ、語義の違うごとに①②③の番号をつけて区別した。その番号の語義を有して語形の少しく相違している語がある場合は、同じ番号の下に見出しと同じ太字体をもって掲げた。 一、慣用句は、索出の便宜のために、おおむね冒頭の一語の位置に排列し、その語のみ太字で示すことにしたが、時に全句をもって排列したこともある。 一、語彙の排列は、方言を表音式に書き表わしたものの五十音順による。たゞし、「てぃ」は「て」、「とぅ」は「と」に準じたが、「くゎ」は「か」の位置に置いた。時に「ぢ」「づ」を用いた場合もあるが、現代語に於ては殆ど「じ」「ず」と区別の無いことが多く、排列には全く「じ」「ず」と同じ取扱いをした。長音符は、第一音節につく場合のみおおむね第一音節と同じ母音として取扱ったが、そのほかの揚合はそれが無いものと同様に排列した。 一、品詞は略符 [代][動][形][形動][副][連][接][助][助動][接頭][接尾]をもって示した。[形動]は形容動詞、[連]は連体詞の意である。単語でないものはおおむね[句]としたが、時に用法に従って[副][動]などと示したところもある。品詞名の注記を欠くものは、品詞の所属が不明であるか、又は名詞の場合であって、その際には訳語と同じ品詞の語を用いることを心懸けた。 一、語原又は語の構成を、括弧の中に漢字によって注したものもあるが、多くの不明のものと共に誰にでも直ぐ考えつかれるようなものにはこれを省略した。 一、努めて例をあげて語の用法を示すことにしたが、これによって品詞名注記の欠を補うこともでき、動詞の活用の種類を推察することができる時もあるであろう。たゞし、この場合その語の前後はおおむね普通語によって、分りやすいようにした。 一、関係語或いは原形などを知り得るように、↓印をもって、努めて参照すべき項目を指示することにした。 一、使用地域は、古文献によるものを先にあげ、次に現代の分布を、いずれもおおむね東北から西南への順序で示した。 一、現代の方言の使用地域は、おおむね郡名をもって示し、広く通用していると思われるものは県名(鹿児島県の一部及び旧沖繩県は「南島」とした)、極めて限られていると思われる場合は町村名を示した。国名はなるべく避けて県名に従ったが、古文献によるものは勿論、現代の地域についても、必要に応じて国名をもって示したこともある。郡名及び国名は、巻頭に添えた地図によってその位置を知り得るようにした。地図は最近の郡名を頭二字の略記によって示したが、本文中には時折旧郡名をも用いているから、必ずしも一致しないことがある。 一、現代方言として採録したものも、明治後期から昭和までの報告調査によるものであるから、使用地域として示した地方でも既に廃語となって、今日通用していないことがあるであろう。 一、使用地域として記した地名は、それらの地方で使われることを示すものであって、それらの土地だけにしか行われないという意味ではない。 一、書名を注記して引用した古文献は、慶長年間の日葡辞書以後、物類称呼を初めとして三十部以上になるが、それらのうち略称によって示したものだけを左に示す。括弧内が使用略称。 重訂本草綱目啓蒙(重訂本草) 仙台言葉以呂波寄(以呂波寄) 方言達用抄(達用抄) 堀田正衡・仙台方言(方言考) 大里源右衛門・仙台方言(仙台方言) 浜荻仙台部補遺(浜荻補遺) 新撰大阪詞大全(大阪詞大全) 菊池俗言考(俗言考) 南島八重垣(八重垣) 浜荻(はまをき)と名づけられた書物は、東北の庄内及び仙台と九州の久留米との三種を採り用いたが、いずれもその地名によってどの浜荻であるかは直ちに分るであろう。特に他地方の言語についての資料とした場合は例えば「庄内浜荻」というように断った。 一、古文献のうち、俚言集覧、常陸方言、久留米浜荻の三書には、明治に入ってからの増補が加えられている。これらの増補はむしろ現代方言として採録すべきであったが、いちおう「俚言増補」「常陸補遺」「浜荻補足」と明記して古文献中に併載した。 一、方言表記以外の一切の仮名遣は、現代かなづかいを守ったが、当用漢字及びその音訓は全く顧慮することをしなかった。当初、当用漢字の範囲内で書こうと試みたが、とうてい不可能であることを知ったからである。
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登録日:2012/09/17 Mon 04 49 45 更新日:2023/02/06 Mon 06 16 01NEW! 所要時間:約 4 分で読めます ▽タグ一覧 奥山線 廃線 浜松 軽便鉄道 遠州鉄道 遠州鉄道奥山線 鉄道 静岡県 遠州鉄道と言えば、運行本数の多さ、ナイスパス、そして赤い電車と地方私鉄の優良路線として印象の強い人が多いかもしれない。 だが、かつて遠州鉄道にはこの路線以外にもう一つの鉄道路線を有していた事を知る人は、今となっては少ないだろう。 昭和39年(1964年)、新幹線が開通した年に営業運転を終えたその路線こそ、遠州鉄道奥山線である。 ◎概要 浜松北方の地方は国鉄二俣線(現在の天竜浜名湖鉄道)開業以前は近代交通網が整っておらず、また茶や桑などの貨物需要も見込まれた。そこで、浜松軽便鉄道(後に浜松鉄道と改称)が蒸気機関車を使用した路線を建設、1914年に開業した。 線路の幅は762mmの「軽便鉄道」である。ただ、その後経営難などで路線名である奥山まで全通したのは1923年であった。 戦前は近くの陸軍基地などもあってまだ需要が多かったという。国鉄二俣線開業後は交差部分に陸橋をかけて線路をまたぐようになったが、この陸橋は廃止後現在に至るまでそのまま残っている。 この鉄道が遠州鉄道に合併し、奥山線になったのは1947年。その後1950年には途中駅までの電化が行われ、その後蒸気機関車が全廃されて気動車・ディーゼル機関車に切り替わった。 その後も電化~非電化区間の直通運転、高速化、運転本数の増加など様々な施策を打ち出していった。 だが、全盛期(?)もここまで。 762mm軌間には建設費が安価、気軽に建設が出来るというメリットがある一方、1067mmの国鉄路線との乗り入れが出来ない、高速化が難しいなど様々なデメリットが存在していた。特に貨車の場合は載せ替えの必要性が生じ、非常に不便である。 また奥山線は沿線の人口も少なく、貨物輸送と同様旅客輸送も低調でずっと赤字体質だったのだ。 そこに戦後の自動車の発展によるモータリゼーションが襲いかかり、さらに赤字が進む結果となった。部分廃止を経て、奥山線が全廃したのは1964年である。 ◎車両 主に1950年代以後の状況を記載する。 塗装はお馴染みの赤色…ではなく、茶色(いわゆるぶどう色)であった。 電車 開業当初は蒸気機関車による運転だったが、戦後に電化した路線には1950年にモハ1001~1004の4両の電車が投入された。 蒸気機関車時代から使用されていた客車をそのまま牽引した他、なんと気動車と連結し非電化区間にも乗り入れていた。 JR北海道の731系とキハ201系の遠い先祖である… と言いたいが、そちらとは違い総括制御では無いため、非電化区間では実質客車同然の扱いだった。時代が時代なので仕方ないかもしれないが。 気動車 戦前にもガソリンカーが投入されていたが、戦後初の新車は1950年に投入されたキハ1801・キハ1802である。 この2両の外見は上記の電車と似ていたが、その後増備されたキハ1803とキハ1804はそれぞれ異なる車体を持ち、前者は前面窓を少し大きくした外見となり、後者は俗に言う「湘南型」の二枚窓となっている。 単独運転、客車牽引以外にも前述とは逆に電化区間の乗り入れ運用もあり、電車との連結運用もあった。 近代化と同時に進む合理化の中で、様々な運用をこなしていたのである。 廃車後はキハ1803とキハ1804が他社へ譲渡された。その際、尾小屋鉄道は新型のキハ1804を狙ったものの別の会社が既に予約してしまい、古い方を選んだと言われている。 だが、引き抜かれたキハ1804は移籍後は全く仕事が無いニートとなりそのまま廃車解体された一方、キハ1803は活躍を続け、今も動態保存されている。 運命と言うのは不思議なものである。 ディーゼル機関車 1952年にDC1901が投入されているが、車歴を遡れば元は蒸気機関車であり、車輪などの足回りを流用して製造されたという変わった経歴の持ち主。 客車・貨車牽引に活躍していた。 客車 蒸気機関車引退後も車号を「サハ」に変え、引き続き活躍していた。 なお、あの赤い電車こと遠州鉄道鉄道線も、元を辿れば蒸気機関車による軽便鉄道として明治時代に開業した過去を持つ。しかし、その後大正期に1067mmに改軌の上電化、その後の大発展の礎を築く事に成功した。 もしもこの奥山線の近代化が鉄道線と同様の1067mmの電化路線に生まれ変わると言う方法で成されていたとしたら、その後のモータリゼーションも乗り越え、今も赤い仲間として走っていたのかもしれない。 追記・修正は近代化の一環としてお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 名前 コメント
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登録日:2022/04/07 Thu 19 33 10 更新日:2024/06/01 Sat 22 00 55NEW! 所要時間:約 10 分で読めます ▽タグ一覧 80年代テレビアニメ 83年夏アニメ 84年秋アニメ CAT'S EYE アニメ キャッツアイ シティーハンター パチスロ化 パチンコ化 ミケール・ハインツ ルパン三世 レオタード 何故かなかなか立たなかった項目 北条司 実写化 徳間書店 怪盗 日本テレビ 杏里 来生三姉妹 東京ムービー 森三中 漫画 空飛ぶおしり 緑色に光る 超豪華声優陣 週刊少年ジャンプ 集英社 キャッツ・アイ(CAT'S EYE)とは北条司の漫画作品である。 ※本来のタイトルは点の部分がハートマークであるが、機種依存文字のためこの表記とする。 【概要】 北条司のデビュー作で、『週刊少年ジャンプ』に読み切り掲載後、アンケートで圧倒的1位を獲得し即座に連載が決定。 1981年から1984年まで連載され、ジャンプ黄金期の初期を支えた。単行本は全18巻。 連載中にテレビアニメ化が行われ、連載終了後も実写化やパチンコ化等メディアミックスが多数行われた。 本作のヒットから「女性の泥棒=キャッツアイ」というイメージが定着し、 最近ではホストばかりを狙った女性窃盗団が警察の捜査本部から「令和のキャッツアイ」と呼ばれていたことが話題を呼んだ。 その後逮捕された犯人の外見が原作と全然違っていたため、一部のファンがブチ切れている。 日本国外ではフランスでの人気が高く、同国で開催されたジャパンエキスポに招かれた北条は現地で歓待された。 北条はデビュー作がいきなりの連載決定となったことから、故郷の福岡県北九州市から急遽東京に引っ越し、訳も分からないまま仕事に取り組んでいたため、本作については「連載という名の漫画の練習」としか考えていなかったという。 【あらすじ】 予告状を出して高価な美術品を狙う窃盗団・キャッツアイ。 新宿・犬鳴警察署のキャッツ特別捜査班に勤める刑事・内海俊夫は、いつもキャッツの逮捕に失敗していた。 そんな俊夫の恋人である来生瞳は犬鳴署の前で喫茶「キャッツアイ」を三姉妹で営んでいる。 その来生三姉妹こそ、キャッツアイの正体だった。 キャッツアイが狙うものは、ミケール・ハインツというヨーロッパの画家関連のもの。 そのハインツとキャッツアイとの間にはある接点があった。 【登場人物】 演者はテレビドラマ/映画/totoBIG版/舞台版の順 来生(きすぎ)家 ○来生瞳(ひとみ) CV:戸田恵子 演:早見優/稲森いずみ/村上知子/藤原紀香 本作の主人公にして来生三姉妹の次女。レオタードの色は青。 ストレートの長い髪で快活な性格。運動神経にも優れ窃盗のメインを担当する。 原作では途中から髪の一部に金髪が混じるようになり、その後ある事情も合わさりあえて「キャッツアイの正体たる瞳そっくりの金髪の女怪盗」としても度々俊夫の前に姿を現すようになる(*1)。 ○来生泪(るい) CV:藤田淑子/戸田恵子(シティーハンター2019年版)/深見梨加(VSルパン・シティーハンター2023年版) 演:MIE(現:未唯mie)/藤原紀香/大島美幸/高島礼子 来生三姉妹の長女で、レオタードの色は紫。 普段は姉妹の母親的役割を行い、窃盗の際の計画・事前調査など司令塔の役割を果たす。かなりの長身で男装も得意とする。 大人の色気が漂う風貌は、ジャズシンガーの阿川泰子や当時「水中花」(*2)の妖艶なパフォーマンスで話題を呼んだ女優の松坂慶子がモデルとされる。そのせいか最初の実写版では泪役に露出の高い衣装で知られた「ピンク・レディー」のMIE(ミー)が選ばれている。 ○来生愛(あい) CV:坂本千夏 演:立花理佐/内田有紀/黒沢かずこ/剛力彩芽 来生三姉妹の三女で、レオタードの色はオレンジ。 ボクっ娘で初登場時は高校生。 見た目からは想像がつかないが頭脳明晰なメカニック担当で、特製発明品を使って窃盗のサポートをするがトラブルを引き起こすこともしばしば。 警察関係者 ○内海俊夫 CV:安原義人 演:西城秀樹/原田喧太/玉山鉄二/染谷俊之 キャッツ特捜班の主任刑事(階級は巡査部長)であり瞳の恋人。瞳とは高校時代からの交際。 真面目だがお調子者のキャラクターで失敗もしばしば。 ○浅谷光子 CV:榊原良子 演:山崎直子(映画版)/佃井皆美 キャッツ特捜班に所属する内海の同僚。眼鏡とショートボブの髪型がトレードマークだが、眼鏡を外したらかなりの美人。 沈着冷静な性格で、女性ならではの視点でキャッツの正体に薄々感づいているところも。 その一方、料理の腕前が恐ろしいことになっている。 ○課長 CV:内海賢二 演:ベンガル/佐野史郎/未登場 キャッツ特捜班の捜査課長。レギュラーなのだが本名は不明。 ドジを踏む部下を叱責する典型的な中間管理職だが、俊夫を自分の息子のようにかわいがっている。 その他 ○永石定嗣 CV:大木民夫/麦人(VSルパン) 演:京本政樹(テレビドラマ) キャッツの両親から恩義を受けた執事。夫妻が託した財産や美術品などの管理や運用、キャッツの仕事の手助けを行う。 定嗣という下の名前はアニメ版でのみ登場。 ○神谷真人 演:小倉久寛(テレビドラマ)/川久保拓司(舞台) 普段はルポライターだが、その正体はキャッツ同様美術品を狙う凄腕の泥棒「ねずみ」。 偶然キャッツと同じターゲットを狙って鉢合わせし、キャッツの正体に気づいてからは何かとちょっかいを出す存在に。 軽薄軟派の女好きで、内海の婚約で落ち込んでいた浅谷をからかい半分で口説いたところ本気にされてしまい、浅谷と付き合っているような雰囲気になってしまう。 この神谷を主人公に据えたスピンオフを企画して誕生したのが、後の「シティーハンター」である。 【アニメ】 東京ムービー(現 トムス・エンタテインメント)制作、日本テレビ系列で1983年7月~1984年3月に1期、1984年10月~1985年7月まで2期がそれぞれ放送された。 原作から大きく設定が変更されており、神谷と浅谷・課長を除いた警察関係者が登場しない。 また、第2期以降は美術品で私腹を肥やす悪人を成敗する旨のオリジナルエピソードも多数制作された。 主題歌は杏里の「CAT'S EYE」。 ポップス曲がアニメ主題歌に使われるという当時としては異例の扱いで、杏里本人も当時は懐疑的だったが、フタを開けたら大ヒットを記録。NHK紅白歌合戦出場は勿論(*3)、翌年のセンバツ高校野球の行進曲にも採用された。 本作以降、ポップス曲がテレビアニメの主題歌に起用される例が急増することになった。 オープニングはセクシーさを強調したものとなっており、特に第2期のエロさは異常。 レオタードのデザインも2期から肩を開けたセクシーさを強調したものに変わった。 エンディングはエアロビクスシーンが1期・2期とも使われた。 2期では実際のダンサーにカツラを着けて踊らせそれを撮影しているが、当時はモーションキャプチャーなんて便利なものは存在しなかったため、映像を1コマずつトレースして刃の薄いカミソリで輪郭を切り抜いたものにホログラムを重ね、下から柔らかい光を当てて撮影という恐ろしく手間のかかる方法が取られた。 その後、2019年のアニメ映画『劇場版シティーハンター 新宿プライベート・アイズ 』にゲスト出演。 海坊主の店のオーナーにして美人怪盗三姉妹というキャラ設定の元、終盤の大立ち回りに協力している。 声優陣は当時と同じ……と行きたかったが、病気療養中だった藤田は出演できず、戸田が一人二役を演じた(*4)。 アニメ制作会社の壁を乗り越えて冴羽リョウと初共演が実現した。 2022年には、テレビシリーズ終了以来となる新作映画「ルパン三世VSキャッツアイ」の制作が発表され、翌2023年にAmazon Prime Videoで配信を開始。 原作漫画の40周年とルパン三世のアニメ50周年を記念し、制作が同じTMSということから実現したもの。 設定は漫画連載が開始された1981年となり、ルパンはピンクのジャケットを纏う。 声優陣は故人となった一部を除き、テレビアニメ版を踏襲している。 2023年10月19日に放送された「私のバカせまい史」(フジテレビ)において、番組調べではあるものの「赤なのか?青なのか?時限爆弾二択史」という調査お題で本作が日本初の時限爆弾解除二択が登場した作品として紹介された。 【実写作品】 ○テレビドラマ 1988年に日本テレビで単発放送。 ○映画 1998年に公開。衣装がキャットウーマンのような黒いボンデージになるなど大幅なアレンジが加えられた。 本作では瞳ではなく愛が主人公となっている。 ○totoBIG版 2010年に制作されたCM。 森三中の3人が来生三姉妹役という誰得なキャスティングで話題を呼んだ。 衣装はアニメ1期のものを忠実に再現、CM本編には「CAT'S EYE」が使用されたほか、CMのフィナーレには杏里本人も登場している。 「意味のない場所を這いつくばって宝くじを買いに行く」「レオタードを無理矢理体に押し込んでいるところを内海に見られて正体がバレる」など、基本はパロディであるが全体的な完成度は高く、森三中の体形を除けば実写版の最高傑作との評価も(←筆者の偏見です)。 その後、2023年1月に行われた「VSルパン」のジャパンプレミア試写会にスペシャルゲストとして登場、まさかの復活を果たした。 ○舞台 2024年に、明治時代を舞台にした『メイジ・ザ・キャッツアイ』として舞台化。製作は明治座であり、明治座開業150周年記念ラインナップのトリを務める。脚本はかもめんたるの岩崎う大、演出は河原雅彦が担当する。 また、映画版で泪を演じた藤原紀香が瞳役で登板し、原作に登場する内海の後輩・平野が初めてメディア作品に登場する。 パンフレットに掲載されたインタビュー記事によれば、本作は当初江戸時代を想定していたのだが北条の案により明治時代に変更されたという経緯がある。 アニヲタ諸君 今宵この記事の追記・修正に参上いたします。 Cat`s Eye △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 映画はアレなんだが、藤原紀香の色気はドキッとした。 -- 名無しさん (2022-04-07 20 38 15) 大人になるとよーくわかる泪姉さんの魅力 -- 名無しさん (2022-04-07 23 39 33) TVドラマ版あるなんて知らなかった -- 名無しさん (2022-04-08 12 11 19) CH新宿プライベートアイズで客演した際のアニメデザイン担当はことぶきつかさ……なのでセクシーすぎたのを抑えるのに制作現場は苦労したとかなんとか -- 名無しさん (2022-04-08 13 28 00) 第2期のエロさ。これ、幼いながらに『テレビで流して大丈夫?』と心配するレベル -- 名無しさん (2022-04-08 21 20 02) 泪姉さんや課長さんの声優、もう亡くなってるんだよなぁ -- 名無しさん (2022-04-09 11 07 11) 時代が時代とはあ、泪姉さんを好きなキャラがオバサン趣味扱いなのは本当…。いやクリスマスケーキの時代だから仕方ないんだけど、あんな綺麗で色気ある人に。 -- 名無しさん (2022-04-09 12 28 47) リアルタイムだと瞳達はもう60代。元気なおばあちゃんなんだろうか -- 名無しさん (2022-04-09 14 16 49) 最終回批判されがちで確かにそれはわかるけど、引きずらない形で綺麗に終わるにはこれ以外難しかったとは思う -- 名無しさん (2022-05-03 20 54 46) ルパン三世とコラボするらしい。 -- 名無しさん (2022-09-22 12 22 19) ↑場合によってはシティハンターもいる世界かと思うとちょっとときめく。 -- 名無しさん (2022-09-25 21 08 41) 冴羽がカメオで出てたなw -- 名無しさん (2023-01-27 22 58 01) ↑OPでちょこっといたね つまりルパンとキャッツアイとシティーハンターとコナンは世界繋がってるんだなw -- 名無しさん (2023-01-28 11 19 39) ↑つまり怪盗キッドとも繋がってるのか -- 名無しさん (2023-10-08 08 15 34) ルパンVSキャッツアイは81年という設定だから… -- 名無しさん (2023-10-08 08 22 20) 名前 コメント
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こんな光景を見るのは何時振りだろうか。 闇の中に浮かぶ「僕」が見る者は、「過去の僕」。 せわしく響き渡る足音の中に立っている「僕」を、「僕」は見ているようだった。 そうだ、これはまだ僕が人間だったころ。 僕が「死ぬ」直前の風景だ…。 「界夢先生!さようなら!」 女学校の生徒が手を振る。 彼は笑顔で手を振り返した。 「気をつけて帰ってくださいね。」 「彼」の名前は、音無 界夢。明治時代、女学校の国語教師をしていた男だ。 特別目立つ教師でもなかったが、生徒と接するたびに笑顔で話しかけてくれていた。 この時は、何の能力ももたない、まして能力の存在を知らなかった。 そう。この時までは…。 「ふぅ…。仕事も終わったことですし、そろそろ帰りますか。」 書類を整理しトランクにしまいこむと、残業をしている仲間に一礼し、彼は学校を出た。 時刻はかなり遅かった。外はすっかり暗くなり、ガス灯もほとんど役に立っていなかった。 それでも帰り路を覚えていた彼は一人、暗い道を歩いていた。 歩いて数分経った頃だろうか。 一番暗い路地に差しかかったその時だった。 「…うっ!?」 突然、後ろから誰かが飛びかかって来た。 そのまま口元に湿った布があてがわれる。 必死に声をあげたり抵抗したりするが、元来体力に自信のない彼はのがれることができない。 そのうちに鼻から入ってくる匂いに意識が朦朧とし、彼は徐々に抵抗する体力を失ってきた。 そして、意識が飛ぶと同時に後ろの人に体を預けるように倒れ込んだ。 …今、自分は目を覚ましたはずだ。 それなのに、どうして真っ暗なんだ? まだ目が覚めていないのか? いや、そうではない。 彼は閉じ込められたのだ。 音も光もない「闇」の中に――。 『…経過はどうだ?』 『順調だ。今、被検体が目を覚ました。』 闇に閉ざされた男を見る、数人の男。 色の薄い髪と目の持ち主たちは、外国のものと思われる言葉をかわす。 『これが解明できれば、我々は大きく評価されることだろう。ぬかるなよ。』 『了解。観察を続ける。』 人間は常に「変化」を求める。 気がつかない間にもどこかが変化し、音を鳴らし、目に見える形と化す。 もし、「変化」が一切ない世界に閉ざされたとしたら。 音も光もない世界に閉ざされたとしたら。 変化を求める人間の脳は、変化しない情報に狂いだす。 本人が気付かないうちに神経が乱れ、少しずつ機能を停止させていく。 そして挙句、「生きたい」という生きるための根本の欲望までも殺していくのだ。 薄い酸素。蒸し暑く感じる湿度と温度。分からない時間。 それらはより、彼の体力を奪っていった。 彼がさらわれて16時間。既に彼はうつ伏せに倒れ込んだまま、動かなくなっていた。 荒い息だけが空間に吸い込まれ、虚ろな瞳は最早何処を見ているのかさえ分からない。 このまま僕は死んでいくのだろうか。 そんな思考にさえ、最早恐怖は感じられなくなっていた。 『…そろそろ、だな。』 『ああ。準備はできてるな?』 『当然だ。』 『よし。それでは、スイッチを入れろ。』 「それ」は突然、衰弱しきっていた彼を襲った。 何が襲ってきたかは、この時の彼には分からなかった。 ただ、覚えていることと言えば。 割れるような頭の痛み。耳をふさいでも鼓膜を貫いた高い音。 その「突然の変化」に、彼の頭はついていかなかった。 「うっ!うああっ!!」 上体を起こし、何もない空を仰ぐ。 吐き出される声は、最早獣の咆哮と相違なかった。 鳴りやまない音。静まらない痛み。目から涙が零れおちた。 そして。 完全に破壊された脳に命ぜられるままに、彼は素手で、その喉を引き裂いたのだ――…。 ―――――――――― どれくらいの時間、寝ていたのだろう。 目を覚ますと、黒い猫が心配そうにこちらを覗きこんでいた。 「! カイム!大丈夫か!?」 「…シキ…君?」 そう呟くと、黒猫は自らに飛び乗るように寄りかかった。 「よかった!マジで心配したんだぞ!このままずっと眠ってるんじゃないかって…!!」 「…そっか…。心配かけたね…。」 彼は黒猫の頭をなでた。 「ごめんね…。」 そういう彼は、静かに涙を流していた。 「お、おい、何でお前が泣くんだよ!泣きたいのは…俺だってのに…。」 「でもね…。ごめんね…。」 闇の中 「え?僕のこと?…いいよ。どの道長い付き合いになるんだ。君には、話しておいた方がいいかもね…。」
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割烹旅館 大丸屋 昔から残る土蔵を改造して客室にした部屋で、創業当初より客室として利用しておりました。都会からおいでのお客様とか大変喜んでお泊り頂いております。夏は大変涼しく、明治時代へタイムスリップしたようです。 当館は、山形県朝日町にあります明治創業以来140年余の歴史を誇る老舗旅館でございます。 季節折々の丹精込めた手作りのお料理と真心で皆様を心よりおもてなしいたします。 どうぞ、ここ自然あふれる朝日町にあります当旅館でごゆっくりお寛ぎ下さい。 また、ご宿泊以外にも、お祝い、ご法要、その他各種ご宴会などございましたら、お気軽にご相談下さい。 〈割烹旅館 大丸屋公式サイトより引用〉 割烹旅館 大丸屋 〒990−1442 山形県西村山郡朝日町大字宮宿1178 TEL:0237−67−2155 FAX:0237−67−7322 ホームページ http //www.daimaru-ya.com/ パンフレット ※画像をクリックするとパンフレットが開きます。 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 〈ブログ〉 割烹旅館 大丸屋ブログ http //cplus.if-n.biz/5002653/ 朝日町ヌーボー☆ http //blogs.yahoo.co.jp/purplestonestar/55184780.html 椹平の棚田 山形県 http //blogs.yahoo.co.jp/ksms0044/30858539.html りんごとワインの里、朝日町へ http //blogs.yahoo.co.jp/akirabaseball11/24042959.html 山形・朝日町 椹平の棚田 http //blogs.yahoo.co.jp/toku29511/31483292.html 山形へ。 http //blogs.yahoo.co.jp/kamihatopaz/37028498.html 空気神社 (山形県朝日町)。 http //blogs.yahoo.co.jp/kamihatopaz/37021900.html 朝日町大谷の睡蓮 http //blogs.yahoo.co.jp/shinshi001jp/63419664.html 最上川中流域の絶景ポイント http //blogs.yahoo.co.jp/dif246/30604915.html 東北桜行脚 置賜桜回廊前編 http //blogs.yahoo.co.jp/kazemarurs/65611933.html 携帯サイト 最新のチラシ imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 《周辺情報》 朝日連峰…磐梯朝日国立公園の中核をなし、山形・新潟に連なる美しい山です http //www.asahimachi-kanko.jp/spot/asahirenpo.html Asahi自然観…ホテル、コテージ村、キャンプ場、スキー場などが http //www.asahimachi-kanko.jp/shop/asahi_sizenkan.html 朝日町ワイン城…二十数種類のワインの試飲ができます http //www.asahimachi-kanko.jp/shop/asahi_wine.html 棚田百選「椹平」…扇状に広がった穏やかな斜面に棚田が広がって http //www.asahimachi-kanko.jp/spot/kusida.html 大沼の浮島…湖上には大小60余りの島々が浮遊し、神秘的な光景です http //www.asahimachi-kanko.jp/spot/ukisima.html 最上川(五百川峡谷)…渓流釣りやカヌー目的の観光客が訪れており http //www.asahimachi-kanko.jp/spot/mogamigawa.html 杉山と長谷地…「水芭蕉」が群生しており、雪解けとともに美しい姿を http //www.asahimachi-kanko.jp/spot/sugiyama.html 佐竹家…最上川の舟運が盛んだった頃の大庄屋の住居です http //www.asahimachi-kanko.jp/spot/satakeke.html りんご温泉…りんごを湯舟に浮かべてあり、アロマテラピーの効果も http //www.asahimachi-kanko.jp/spa/spa_ringo.html 八ツ沼…多様な歴史や庶民の生活を伝える文化財が数多く残っています http //www.asahimachi-kanko.jp/spot/yatsunuma.html 朝日川…渓流釣りや川遊びに多くの人が訪れます http //www.asahimachi-kanko.jp/spot/asahikawa.html 世界のりんご園…13カ国170品種のりんごが栽培されており http //www.asahimachi-kanko.jp/spot/ringoen.html 馬神ため池と大谷の郷…ニッコウキスゲ、ヒメサユリ、 ツルウメモドキが自生し http //www.asahimachi-kanko.jp/spot/umagami.html 〈ブログ2〉 #blogsearch /
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2012年4月7日(土) 花見サイクリング 日記 > 2012年度 ← | 2012-04-08→ ちょうど桜が咲いたので、花見サイクリング。 まずは近所の戸山公園へ向かう。 大久保通りの国立国際医療研究センター前。まだ満開じゃない。 戸山公園。大久保通り側の入口。桜のトンネル。すごい。 箱根山。 近所の人と、早大生がお花見していた。 下側の方がよく咲いてた。 早稲田大学の前を通って、神田川へ。 大隈講堂では入学式が行われていた。 神田川の桜は満開! ものすごい量。ここの桜が一番だと思う。 小腹が減ったので、地蔵通り商店街にある浪花家江戸川橋へ。 焼きたてのあつあつ。薄皮パリパリ。 外濠へ。 あんまり咲いてなくて、しかも人が多すぎたので車道を走りながら眺めただけ。 市ヶ谷。この水道橋、気になってるんだけど、検索すると「すいどうきょう」じゃなくて「すいどうばし」がヒットしちゃうので調べられない。 外濠公園。 満開の桜の下のブランコ。 靖国神社。 伊東忠太設計の遊就館。戦没者・軍事関係の資料館。まだ入ったことないから行ってみたい。 境内の桜はまだあまり咲いてなかった。ここも人が多すぎ。 玉こんにゃく。 出店がいっぱいあって、その中に復興支援で東北のものが売られてた。 玉こんにゃく大好き。イカのダシがきいた本場の味でおいしかった。 靖国通り。桜並木がとてもいい。 千鳥ヶ淵…は人が多すぎた。自転車押して歩くのも大変だったのでスルー。 こっちよりはすいてるかな、と牛ヶ淵へ。 武道館での入学式の人が清水門からうじゃうじゃと出てくる。近寄ることもできなかった。 九段会館。昭和初期に建てられた帝冠様式の建築。 次は隅田川へ。靖国通りを走る。 神保町あたりで信号待ちしてたら、並んでいるお団子やさんが。利一団子店。 炭火で焼いた団子が香ばしい。 お団子食べてたら、その交差点の近くに小さな古い消防署を見つけた。 神田消防署駿河台出張所。 一見ただの四角い建物だけど、ひさしの模様や、持ち送りの曲線の意匠がかわいらしい。 関東大震災後に建てられた昭和初期の建築。 この坂上っていけばニコライ堂があるので寄っていこう。 ニコライ堂。 明治時代に建てられた教会。日本初かつ最大のビザンチン建築。重要文化財。 高台にあって、高さ35mあるので、建った当時は遠くからも見えたらしい。 今ではビルに埋もれてしまっている。さらに超高層ビルが建設中。 日本語だ。 そういえば渡ったことないかも、と思って聖橋へ。 聖橋から見た丸ノ内線。 総武本線の昭和初期に架けられた橋梁、松住町架道橋と神田川橋梁(総武本線)。 聖橋を渡ったら、神田明神が近いな。 神田明神の鳥居。 隨神門の隣の桜が満開できれい。 男坂を自転車かついで下る。 階段じゃんけんする親子。 お父さんじゃんけん弱すぎ。 蔵前橋通りで隅田川方面へ。 山手線をくぐるときに、高架下に気になる場所を発見。 2k540 AKI-OKA ARTISAN。 高架下にものづくり系のおみせがたくさん。 空間がおもしろいし、入ってるお店もおもしろい。 蔵前橋を渡って、横網町公園へ。 東京都復興記念館 東京都慰霊堂 どちらも伊東忠太設計。 今日は、遊就館、神田明神社殿とここと、伊東忠太ツアーみたいになってる。 隅田川沿いを浅草方面へ。 旧駒形橋交番 吾妻橋を渡る。人がすごく多い。 浅草のあたりの人出がすごい。 隅田公園人だらけ。 言問橋。東京スカイツリーが真ん前に見える。 屋形船がたくさん。船から花見なんていいですなあ。 満員の水上バスから、みんなが川岸の桜を見ている様子がちょっと滑稽だった。 日も暮れかけたのでそろそろ帰ろう。 浅草文化観光センター。 隈研吾設計。 批判が多かった建築だけど、俺も全然いいと思えない。 寒いので、ラーメンが食べたくなった。 時間が中途半端でこの辺のラーメン屋がまだ開いてなかったので、上野あたりで食べよう。 浅草通りを上野方面へ。 ニイミ。いつ見ても異様。 比留間歯科医院。 隣の建物が取り壊されてて、側面が見えた。 上野戸みら伊本舗。 ロワゾードリヨンでパン買って帰ろうと思ってたけど、あまり残ってなかったのでやめた。 放射25号の用地買収が進み、埋蔵文化財調査が行われている。 このビルも近々解体されるだろう。これで見るのは最後かなあ。 関連項目 2012-04-08 2012年度 2012年度/行った所写真 利一団子店 市ヶ谷水管橋 東京スカイツリー 東京都 比留間歯科医院 浪花家江戸川橋 神田明神 タグ 2012年 2012年4月 2012年4月7日 サイクリング 千代田区 墨田区 文京区 新宿区 日記 東京都 都心サイクリング
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登録日:2009/05/27 Wed 11 04 00 更新日:2024/04/07 Sun 20 00 05NEW! 所要時間:約 3 分で読めます ▽タグ一覧 ADVENT_CIRNO AOZ ありがとウサギ う詐欺 かわいい てゐ ってゐ! ウサウサ ウサギ ウサビッチ ウザギ スカーレット(FFⅦ) ニンジン バニー 久保ユリカ 井澤詩織 人間を幸運にする程度の能力 伊藤彩沙 兎 加隈亜衣 嘘つき 因幡 因幡てゐ 因幡の白兎 因幡帝 地上の兎 地上の因幡 大久保瑠美 妖獣 山岡ゆり 幸せ 幸運 本渡楓 東方 東方Project 東方永夜抄 桜咲千依 永夜抄 永遠亭 永遠亭の支配者 洲崎綾 狡猾 篠原侑 花映塚 詐欺師 諸星すみれ 長生き 騙されやすい 鳴島萌華 東方Projectの登場キャラクター。 読み いなば・てい 東方永夜抄5面中ボス 東方花映塚自機 東方文花帖Level4 能力 人間を幸運にする程度の能力 テーマ曲1 シンデレラケージ~Kagome-Kagome(道中) テーマ曲2 お宇佐さまの素い幡 種族は妖獣。健康に気をつけて長く生きているうちに妖怪化した兎。 阿一が著した初代幻想郷縁起にも姿が確認されており、1200年以上生きている計算である。 迷いの竹林で道に迷った人間に幸運を授け、竹林から帰す仕事をしている。 確かに彼女に出会えれば幸運になるが、その幸運は迷いの竹林を抜ける為に消費されてしまうのであまり意味がない。 とても狡猾な性格をしており、平気で嘘を吐く。 浅く関わる分には良いが、深く関わる程嫌いになるタイプの人格とのこと。 しかし、魔理沙に騙されてチョウセンアサガオ(毒)を食べさせられるなど、自分自身も騙されやすい性格の模様。 その性格故か、うどんげや永琳の言う事をあまり聞かないらしい。 元々彼女は永遠亭に住んでいたわけではなく、輝夜と永琳が永遠亭を迷いの竹林に建てて数百年後にいきなり永遠亭に現れ、 迷いの竹林は自分の領地だと主張し、自分と仲間の兎達に智慧を授けてくれれば、永遠亭に人が寄付かないようにする という交換条件を出した。そしてそれ以降、永遠亭に住み着いている。 ちなみに、永遠亭には輝夜によって全ての変化を拒絶する「永遠の術」が施されていたが、てゐが侵入した時にその術は破られている。 どのようにして彼女が「永遠の術」を破ったのかは永琳にもわからないとのこと。 一説によると神話の因幡の白兎と同一人物らしい。 というか花映塚の小町と映姫のセリフから見ても、設定上ほぼ確実に本人である。 アンサイクロペディアの因幡の白兎の項目には彼女が出ている。 ちなみに、因幡の白兎は白兎神社の御神体であり、性別は雄である。 だとすれば、彼女は「神」であり「男の娘」と言うことになる。 彼女が束ねている妖怪兎たちは平均年齢150歳程度と比較的(?)若い。 明治時代の人間の間で兎のペットブームが起きたが、兎に税金をかけられたため多くの兎が捨てられ、妖怪兎となったらしい。 迷いの竹林の妖怪兎の大半はこの時に人間に捨てられた兎である。 当時の兎は高級ペットだったため、たいそう贅沢に飼われていたそうな。 茨歌仙では今の兎たちにも人間の元での豪華な暮らしを体験して欲しいという動機で人里で兎ブームを広めていた。 華扇がてゐに問い詰めたところ、上記のいきさつを話して納得させつつも、華扇に兎を売りつけるというしたたかな面を見せた。 また、華扇に対しては口調が終始かしこまった敬語になっており、別人のような印象を抱かせている。 結局最後は胡散臭かったが 二次設定 カップリングは、鈴仙、永琳等。 基本的に詐欺キャラ、普段は猫を被ってるようなキャラで描かれる事が多い。 語尾や笑い声が『ウサ』なことが多い。 ちなみに永遠亭を陰で支配していることも… 実際、中華圏の東方ファンの間では「因幡帝」と呼ばれているとか、 場合によっては一次以上のウザキャラになることも。 特にゆっくりしているてゐは最大級にウザい……がしかし、たまにデレることもある。 追記、修正よろしくウサ! △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 北朝鮮の影の第一書記 -- 名無しさん (2014-02-23 10 35 53) お客様、ショットガンを天井に撃ち込まないでください -- 名無しさん (2014-12-04 21 31 13) オオクニヌシつながりで幼少期の神奈子様すら知っている可能性がある古老 -- 名無しさん (2017-11-02 23 32 33) たいていの二次の性格改変とかはまあ二次だしで許せるのに、語尾にウサつける二次だけは受け入れられない -- 名無しさん (2023-07-18 09 49 05) 名前 コメント
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吉岡信敬:「いだてん~オリムピック噺~」 史実での「吉岡信敬」 吉岡信敬の史料・文献・書籍「蛮骨化身弥次将軍 吉岡信敬」 『壮絶壮遊〔天狗倶楽部〕』『運動之裏面』 「早慶戦野球試合 野次将軍騒動」伝説 関連人物 関連項目 登録タグ 吉岡信敬:「いだてん~オリムピック噺~」 演:満島真之介 「日本初の応援団団長」として全国津々浦々で応援活動をし、学生たちには「ヤジ将軍」の二つ名で知らぬ者はいない男。 「天狗倶楽部」の一員であり、その暑苦しさの象徴的存在。 羽田で行われた「日本初のオリンピック予選会」に協力し、後に読売新聞社の一員として金栗四三の協力者となる。 史実での「吉岡信敬」 早稲田大学の学生であり、早稲田大学「応援隊長」。 また史実での二つ名は「虎髯野次将軍」。 明治時代における「バンカラ」の象徴人物であった。 野球は下手だが野球好き。そのため各試合に 駆けつけては応援していたのだが、それにより応援隊長となる。 いわゆる「早慶戦」で過熱な応援をしてしまった為、約15年もの間中断させてしまったという伝説もある。 親友である「押川春浪」の縁で「天狗倶楽部」にも加入。 原稿執筆の傍ら、羽田で行われた日本初の「オリムピック予選会」に審判員として協力した。 国際オリムピック大会選手予選会 - Wikipedia 1914年(大正3年)に押川春浪が亡くなった後は天狗倶楽部と距離を置き、表舞台に立つことも無くなったという。 吉岡信敬 - Wikipedia 吉岡信敬の史料・文献・書籍 『冒険世界』や『武侠世界』などの雑誌に寄稿していた、と言われているのだが、そんなに「自筆の文献」は多くないらしい。 国立国会図書館デジタルコレクション - 「吉岡信敬」検索結果 吉岡信敬 - 国立国会図書館サーチ 『運動世界』は国会図書館デジタルコレクションにあるのだが、筆者名はデータベース登録されていない。 国立国会図書館デジタルコレクション - 『運動世界』「運動世界社」検索結果 『冒険世界』と『武侠世界』は、国会図書館ではマイクロフィルムとして保存されており、まだ「デジタルコレクション」には納められていないようだ。 『冒険世界』 - 国立国会図書館サーチ 『武侠世界』 - 国立国会図書館サーチ 「蛮骨化身弥次将軍 吉岡信敬」 吉岡信敬についてすぐ読める文献としては「蛮骨化身弥次将軍 吉岡信敬」がある。 『書生界名物男』 河岡潮風 (英男) 著 - 国立国会図書館デジタルコレクション 『書生界名物男』 河岡潮風 (英男) 著 - 国立国会図書館デジタルコレクション なぜか文献デジタルデータが2つもあるので、読みやすい方でどうぞ。 (国会図書館デジタルコレクションではたまにこんな事もある) また『日本体育協会五十年史』には、吉岡信敬がどのように「羽田オリムピック予選会」に関わったのか、詳細な記述がされており、これが「いだてん」での描写の基になったと思われる。 日本体育協会五十年史 - 国立国会図書館デジタルコレクション (23コマ目辺りから) 『壮絶壮遊〔天狗倶楽部〕』 以下横田順彌 著『壮絶壮遊〔天狗倶楽部〕』からの文献情報となる。 『快絶壮遊〔天狗倶楽部〕明治バンカラ交遊録』横田順彌 著|(ハヤカワ文庫JA) 早川書房 -Amazon 『快絶壮遊〔天狗倶楽部〕─明治バンカラ交遊録』横田順彌 著|ハヤカワ・オンライン 『運動之裏面』 「運動術士」と名乗る何者かが著した『運動之裏面』という文献。 著作者の一人が吉岡信敬である、とのこと。 真偽はまだ不明。 『運動界之裏面』 - 国立国会図書館デジタルコレクション 「四大中止事件」なんていう事件について書かれていたり、けっこう荒っぽい内容である。 「早慶戦野球試合 野次将軍騒動」伝説 前述した通り吉岡信敬には、 早慶戦の野球試合の時に応援の野次のやり過ぎで試合を中止に追い込んでしまい、挙げ句の果てに約15年もの間中断させてしまった、という伝説がある。 吉岡信敬が馬に乗りながら野次応援をし、その為に試合が中断した、という話が「史実」としてまかり通っていたりする。 この事件に関しては、吉岡信敬は以下の文章にてその真相を語っている。 『ホシナ大探偵 険奇探偵小説』押川春浪 著|「學生界大怪事 早慶紛爭 回顧録』吉岡信敬 文 - 国立国会図書館デジタルコレクション ていうか『ホシナ大探偵』本編よりも吉岡信敬の「早慶戦事件」の論文の方が文章量が多い、というのはどういう事だ?w 仲良いな君らw また横田順彌氏により『早慶戦の謎 空白の十九年』という書籍が著されている。 『早慶戦の謎 空白の十九年』横田順彌 著 - 国立国会図書館サーチ CiNii 図書 - 『早慶戦の謎 空白の19年』横田順彌 著 そして例によって栃木県立図書館に所蔵されている件について。 『早慶戦の謎 空白の十九年』横田順彌 著|資料詳細:栃木県立図書館 (後でまたいろいろ追記します。) 関連人物 押川春浪 三島弥彦 吉岡信敬 本庄 嘉納治五郎 関連項目 天狗倶楽部 大日本体育協会 ストックホルムオリンピック 登録タグ 三島弥彦 中沢臨川 吉岡信敬 大日本体育協会 天狗倶楽部 押川春浪 本庄 ↓↓イイネ!!はこちら