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目次 1.新しき潮流 2.新文明の息吹 3.宗教改革の時代 4.根本の精神 5.未来史の展望 6.我が再誕の予言 (一九八七年十一月十六日の霊示) 1.新しき潮流 さて、私(わたくし)は、今後の時代を取り巻く環境、および、その中を流れていくであろう精神について、話をしていきたいと思う。 まず、この霊示を送っている現在、今、現時点に立って、これからの世界を眺めてみると、いくつかの潮流というものが目に見えてくる。その潮流とは何かということを、明らかにしていきたいと思う。 まず、最初の大きな潮流としては、唯物(ゆいぶつ)主義の流れ、ここ一世紀、あるいは二世紀の間に現われてきていた唯物主義の流れというのが、今、袋小路(ふくろこうじ)の中へ入っていこうとしておるということです。すなわち、この流れは大きな潮流をなすことができなくて、湾内をグルグルと回り始めているということです。それは、唯物主義というイデオロギー理論が、行き詰まっているというのみでなく、科学の中においても、唯物主義の科学というものが、行き詰まっているということである。すなわち、今後の大きな潮流とになり得ない、この唯物主義のイデオロギーが、一つの逆流現象であったということが、今後、だんだんに明らかとなっていくであろう。そのように私は思います。 そして、これに代わって新たに流れていくものは一体何かというと、これが、霊的世界観の流れであるうと思う。今後は、あなた方が意図しようがしまいが、気づこうが気づくまいが、さまざまな角度で、さまざまな方面から、霊的な文明を創っていくための大きな流れというのが起こってくる。潮の流れというものがいろんな面から入ってくるであろう。 それは、一つの宗教的な面だけではない。哲学的な面からも、経済学的な面からも、政治的な面からも、あるいは他の芸術面からも、文化面からも、医学面からも、科学面からも、この霊的な側面というものが、明らかになっていくであろうと思う。 たとえば、現代医学というものは、主として西洋医学を中心に成り立っているが、この西洋医学の基礎にあるものは、人間を物質としてとらえている、そうしたものであって、人間の本体である霊というものを無視した理論となっている。しかし、これからは、霊肉のこの両者が、研究の対象となっていくのが以後、医学の進んでゆく道である。 さすれば、この道は、宗教の世界とも通じるものがあり、宗教でもあり、医学でもあるというような方向へとなっていくであろう。また、それは、新たな教育の流れの中にも流れてくるであろう。教育の流れの中にも、霊的なるものを目覚めさせるものが出てくるであろう。また、それのみでなく、哲学の流れの中においてもそうだ。知的に物事が語られておったものが、今後は霊的実証論と相まって、さまざまなことが説かれていくようになるであろう。また、政治の中においてもそうである。霊的なる価値というものが、認められるような流れが出てくるであろう。経済の中においても然(しか)り。霊的な価値を内に含まない経済理論は、やがて衰退していくであろう。 こういうふうに、すべてのものの流れの中に、霊的なるものの値打、霊的なるものの存在というちのを認める、そうした大きな潮流というのが、今、二十世紀の末に端を発して、今後、五世紀、十世紀と、うねりを起こしていくだろうと思う。 こうした新しき潮流には、もう一つの特徴がある。その特徴とは一体何であるかというと、結局のところ、一つの世界観を打ち出すことになるという側面があるということだ。かつて、ケプラーとか、ガリレオとかの時に、地動説(ちどうせつ)というのが唱えられて、新たな世界観が呈示(ていじ)されたことがある。それとまったく同じことが、もっと大きな規模において、起きていくのである。 すなわち、この三次元というのがすべてではなくて、この世界以外の世界がある。地球や月や太陽を超えた世界があるということが、はっきりとわかるようになってくるということだ。四次元以降の世界があり、その世界こそが、我らが本当の世界と呼んでいる世界だということが、やがてはっきりとしてくる。 こうした新たな世界観を呈示する過程においては、さまざまな衝撃や、さまざまな疑問、疑惑、そうしたものが出てくるであろうけれども、やがて地動説が確立していったように、こうした世界観というのがはっきりとした形で、打ち出されていくであろう。 そして、その世界観は、かつて、オカルトの世界において摩訶(まか)不思議なものとして語られていたようなものではなく、もっと明瞭に、もっと白日(はつじつ)のもとに、晒されるようになってくるであろう。そうした、明瞭な世界観の呈示というものがなされていくであろう。これも新たな潮流である。こういうふうに言えると思う。 いま一つの潮流とは何かというと、これは、人生の目的というものに対する再考というものが、始まるということである。人生の目的に対する再考とは一体何であるかというと、それは、今までは、たとえば、金銭が目的であるとか、社会的な成功が目的であるとか、こうしたものを目的として人びとが営んでおった生活が、これからはまた、別な面から再検討されるようになる。そうしたものではなくて、人と人との触れ合い、家族、親子、兄弟、あるいは友人、こうした者とどれだけ多くの豊かな触れ合いをもちながら生きていくことが、豊かな人生と言い得るか。こうしたことが研究の対象となってくるであろう。課題の対象となってくるであろう。 したがって、人びとの求めるものは、決して収入や地位ではなくて、より愛に溢れた人生ということになるであろう。やがて、いくら収入が多くとも、いくら肩書きがよくとも、愛のない人生を生きたならば、それは、何の意味もないと言われるようになってくるであろう。愛ある人生を生きる、心の中に潤いのある人生を生きるということの価値が、再認識されてゆくようになっていくに違いない。 そうした時代こそが、私たちの期待しているものでもあり、また、その期待のごとく、やがて展開されていくであろう世界観でもある。こういうことが、言えるのではないであろうか。 2.新文明の息吹 さて、そうした潮流の流れの中で、新しい文明の息吹、新文明の息吹というのは、どのように起きてくるであろうか。それについて語ってみたいと思う。 新文明の息吹は、一つは、心の中における改革から始まってゆくであろう。心の内なる改革、人間の中にある改革、心の可能性に対する百八十度の転換、価値転換ということが、その出発点となるであろう。 すなわち、今まで心の中の領域というものは、無造作に、野放しになり続けてきたということだ。 人間は行動の面に関しては、さまざまな規制を受けたり、さまざまな批評を受けたりして、生きてきたけれども、心の用い方と、心の中の有り様に関しては、ずいぶん長い間、その人個人の自由に任されていた領域がある。 しかし、これからはそうした時代ではない。その心の中身こそが広大無辺な世界であって、そして開拓の可能性のある世界であるということが、言えるようになってくるであろうと思う。心の中の可能性、そして、その心の開拓、ニュー・フロンティアの発掘、こうしたことが、今後の大きな課題となる。すなわち、人間は、自分の心の中にどれだけの世界を発見できたか、そして、心の中に発見した世界に、一体どれだけのものを創り得たか、その中にどれだけの種を蒔き得たか、こうしたことを学ぶようになってくるのである。 生きている人間が、耕(たがや)せる畑は少ないかもしれない。しかし、心の中の畑は、広大無辺である。この広大無辺な心という、肥沃(ひよく)なる土地をいかに耕すか。いかに耕して、それにいかなる種を蒔(ま)くか。いかなる種を蒔いて、いかに育てるか。いかに育てて、それをどのように刈り入れるか。こうしたことが、根本の問題となってくる。 したがって、新文明の有り様は、心の開拓ということをなくしては、決してあリ得ないということだ。心の世界の開拓、それをいかに肥沃にし、豊かにし、実り多いものにするか、これが、新しい文明の息吹(いぶき)そのものであるということを知らねばならん。したがって、文明改革の先頭に立つものは、まず、心の問題というものを前面に掲げねばならん。心とは何なのか、その可能性とはどれだけのものなのか。 現在では、精神医学者であるとか、そうしたごく少数の人にしか、心の問題というのは取り扱われていないと思う。あるいは、文学のテーマの一つにしか過ぎないかもしれぬ。しかしながら、心の中にはすべてがある。 心の中には、あらゆる人間的感情や、あらゆる精神の有り様や、また、心の奥底にはすべての世界観、すべての世界の実像、四次元以降の世界、九次元、十次元までの世界まで通じるものがあるのである、ここに、新たな発見がある。 よって、二十一世紀以降の文明を予見するとするならば、心の時代ということが明らかに言える。それは、単なる触れ合いであるとか、フィーリングであるとか、そうしたことではない。本格的に心というものを開拓する時代が来るということだ。 新文明の息吹(いぶき)の第二は、やはり、科学の一層の進展ということに、触れざるを得ないであろうと思う。 二十一世紀の科学は、まだ、今後発達する科学の全貌からみるならば、二割、三割程度にしか達していないと言えるであろう。 これからは、もっと、もっと進歩する。そして、科学の進歩する領域というのは一体どのようなものかというと、あなた方が心の中に、こういうふうになれば、使利になると思うようなことが、すべて実現していくような世界となるであろうと思う。 たとえば、あなた方は、鳥や蝶(ちょう)を見ておって、自由に空を飛べたらいいなと思うであろう。そういう思いが、現在のたとえば飛行機を生み出したであろう。しかし、飛行機に乗るということは、空港までの所要時間を要し、非常な困難を伴うものである。しかし、人間には空を自由に飛びたいという気持がある。この、自由に空を飛びたいという気持は、やがて、かなえられるようになるのである。それぞれの人間が、特殊な装置によって、自由自在に空を飛べるようになっていくであろう。それはおそらく、ベルトに取り付けられた、重力制御装置によって、そうしたことが可能になっていくであろう。そうした世界が、やがて開けてくるであろう。 また、通信網はさらに発達をし、海外にいる者と、国内にいる者とは、ごく隣近所として話ができるような形になっていくであろう。日本という国を取り出してみるならば、日本の国の端(はし)から端まで行くのに、ごくごく短時間で動けるようになるであろう。十五分もあれば北海道から九州に動けるように、やがてなってくるであろう。また、海の中からさまざまな幸というものを取り出すことができるようになってくるであろう。ロボットというものも大量に出現し、人間の代替(だいたい)的な作業を請(う)け負(お)っていくようになるであろう。そうした科学の時代が、やがて訪れるようになるであろう。 そして、宇宙空間への飛行ということも、やがて日常茶飯事(さはんじ)となってくるであろう。人びとの関心は、心の内なる宇宙と、さらに、この三次元の宇宙と、二つの宇宙に向っていくようになるのである。 また、これからの時代には、他の惑星の人間たち、生物たち、こうしたものとの交渉というのが非常に煩瑣(はんさ)になってくるであろう。そうして、地上の人間は、自分たちが気がついていないような、新たなそうした価値観というものを見い出していくであろう。今まで考えられなかったような、人間の生き方というものを発見するようになるであろう。 また、自分たちとは違った行動様式があるものと接することによって、第三者の立場から見た、自分たちのあり方というものが、わかるであろう。やがて、そうした宇宙人との交流を通じて、地上に戦争ということのもたらす悲惨さと、その無意味さということを地上人類の人たちは、悟っていくようになるであろう。 こうして、新たな人びととの接触というのが始まることによって、地球人の感覚というものが、トータルで見直される時が来るようになるであろう。そしてその時は、人類が一つにまとまっていく時であろうと思う。今、世界各国がさまざまに分かれて、いろんな主義主張のもとに生きているけれども、やがてこれが一つのものとまとまり、日本の国内がさまざまな県として、自治権を与えられているように、世界連邦となって、その中で仲よく住むようになっていくであろう。 やがて、そういう時代が来るであろう。それを私は、つい目の前に追っている世界のように感ずるのである。 このような、人類が一つ、地球が一つとなって、他の惑星の人びととも交流するような時代というのは、そう遠い将来のことではない。ほんの、ここ百年、二百年の内に起きてくることとなるであろう。 3.宗教改革の時代 さて、このような文明、新文明のあり方というものを考えるときに、その前提として考えておかねばならないことがある。それが何かというと、宗教改革ということです。新しき心の時代と、新しき全人類的なまとまりというものを持ち来たらすための、その前提条件として不可欠であることが、宗教改革ということである。 この宗教改革は、内部において、二段の構造を持つものとなる。第一段階の構造は、宗教を認める者と認めない者との間に起きるものである。すなわち、現時点においては、宗教的なるものを認めない者の方が多数を占めているようにみえるけれども、宗教を認める者、信じる者が、信じない者を制圧し、やがて、多数派を取る時代が来るということだ。 現在の日本で、何割の人が神を信じているであろうか。三割であろうか、四割であろうか、五割であろうか。それは定(さだ)かではない。現代の日本人の内の一体何割が霊を信じているであろうか。二割であろうか。三割であろうか。少なくとも五割は超えていないはずだ。しかし、やがて、そうしたものを、神や霊を信じる人たちが、大多数を形成する時代が来る。八割、九割の人たちが信じるような世界が来る。それが、宗教の内と外を分ける大きな最初の変動の要素となってくるであろう。 第二段階目のその変動の要素は、宗数内部における大改革ということになるであろう。宗教内部の大改革とは一体何であるか。今まで、さまざまな宗教が並び立っておる。並び立って競争している。どの宗教も、我こそは正しいと言って競争しているけれども、この宗教の中において、一つの統一ある原理が、見い出されるようになってくるであろう。 政党にも多数派の見解があるがごとく、学説にも多数説があるがごとく、やがてこの宗教の世界においても、多数説というのが通用するようになってくるであろう。その共通の基盤というのができてくるであろう。コモンセンスというのができてくるであろう。やがて、そういう時代が来る。そして、その多数の理論、大部分が認めるような理論というのが、基礎がしっかりしたものとして、固まっていくようになるであろう。 こうして、内部の改革というのが行なわれてくる。すなわち、それぞれの人間が得手勝手(えてかって)にやっておった宗教というものが、一つの統一の原理のもとに、一つの大きな黄金の原理のもとに、まとまりを創っていくということである。 まあ、これは当然のことであって、宗教以外の世界においては当然の世界である。経済の原理というものが、たとえば、ある会社にだけ作用して、他の会社には作用しないということはあり得ない。経済原理というものは、Aの会社にもBの会社にも、Cの会社にも共通に働いている。ところが宗教の原理だけが、Aの団体には通用しても、Bには通用しない。そうしたことが、まかリ通っておる。こうしたことは、やがて許されなくなってくるのである。そして、はっきりとした方針、はっきりとした基礎部分、こうしたものができるのである。これが、宗教改革の第二段階目である。 この、認めない者から認める者が増えていく時代、そして、認める者の中で内部改革が起こって、そしてその中の多数の見解、最大多数の見解というのが統一されてゆく、こうしたことである。 したがって、あなた方を今後待っている仕事も、この二つの焦点(しょうてん)をもっている、と言うことができるであろう。一つは、無神諭者たち、あるいは、霊的実相の世界を信じない者たちを信じさせるがための行動、活動、仕事ということが大切となる。もう一つは、神を認め、霊を認める者たちの異なる見解というものを、統一していくための原理を創ってゆく必要があるということだ。このニつが、あなた方にとって、大切な行動原理となっていくであろう。 すなわち、まず、霊的な世界観を広めるという必要がある。そのためには、一体どうしたらいいのであろうか。やはり、あの世の世界が現にあるということの証明というものが、必要となってくるであろう。そのための証明とは一体何であるか。私は今、このような形で地上に、かつてなかったような霊示を送っているわけであるけれども、こうした霊示集を世に問うということも、大きな証明であると思う。 こうした証明はかつてなされたことがない。そして、我らが直接語り、その語った言葉が、数万、数十万の人びとに読まれるというのは、一つの大きな奇跡であるうと思う。こうした霊的現象の奇跡が、現に起きる以上、これを続々と続けていくということが、何にもまして大切なことであろう思う。 私(わたくし)の霊集というものも、一集、二集に止(とど)まらず、五集、十集と出していき、人びとにやがて読まれていくような、そうした世界となってよい。そうした者が、数多く、霊言、霊示集を出していくことが、あの世の世界の実証になるであろうと思う。こうしたことにおいて、仕事において、限りはないと思う。あくまでも限りはない。どんどん、どんどんと積み重ねていくということが大事であろうと思う。 さすれば、常識の枠(わく)を打ち破らねばならん。一年に一冊の書物を出せばよいのではない。何十冊も、何百冊も、続々と本を出し続け、日本全国の人びとが、それを読むところまでいかねばならん。いや、日本だけではない。海外の人びとまでもが、それを読むようにならねばならん。そうした大きな時代的な雰囲気(ふんいき)、ブームというものを創ってゆかねばならん。そのための作業をし続けねばならん。そうしたことが、限りなく大切なことのように私は思われる。そういうことで、霊的実証というのを積み重ねていく、この必要がある。これが、一般人に対する行動原理であろうと思う。 もう一つの宗教人に対する行動原理、これもまた、大切なものであろうと思う。それは、多くの教えの中にある、共通なるものをまず見いだしていくという努力である。これが何にもまして大事だ。それぞれのものが、それぞれに言い合っておるだけではなくて、その中に流れている共通のものは何か。一本の黄金の糸とは一体何であるのか。これを取り出し、これを見つけ出していくということが、大事ではないのか。 第二は、そうした共通のものに反するもの、反する教えの有り様、これが、存在が許されるものか、改変を余儀(よぎ)なくされるものか、こうしたものの検討が必要であろう。 また、もう一つは、神理の教えの中の高低ということ、教えの高い低いということが、明らかにされていく必要があるであろう。それは、たとえば、学問において、小学校の学問があるように、中学校の学問があるように、そして高校や大学の学問があるように、神理の領域においても、その程度の差があるべきである。どのような教えが初級レベルの神理であるのか。どのような教えが中級レベルの神理であるのか。どのような教えが上級レベルの神理であるのか。こうしたことが、大事となってくる。 この、教えの上下を明らかにするという作業が大事これがなければ、一般の人びとも学んでいく方法がない。学んでいくすべがないのである。どれが入門であり、どれが終了であるのか。どれが初級であり、ど鉄が上級であるのか。こうした神理の多層化、多重化というものに対する検討というものがなければ、そうしたことは、非常に入りにくいものとなってくるのである。 今の宗教を見ていると、それぞれのものが割拠(かっきょ)しておって、それぞれに自分のものを最高のものだと言っているだけであって、本当の真理のレベルとしてどのようなものであるか、ということの差異が明らかになっていない。これを明らかにしていく作業が、必要だううと思う。 今、現代の社会を見ても、経済世界においては、会社にも一流会社と二流会社があるであろう。あるいは三流会社というのがあるであろう。それは、いろんなもので決まっていくであろう。その内部の人材で決まることもあれば、その会社の陣容の大きさ、規模の大きさで決まることもあれば、会社の売り上げ高で決まることもあり、会社の収益で決まることもあるであろう。しかしながら、何らかの規準でもって、その中に、よい会社とそうでない会社を分ける規準があるはずである。 同じように、神理の団体においても、そうした物事の考え方が、通用する時代がこれから来るであろうと思う。非常に優(すぐ)れた団体、まずまず優れた団体、まずまずの団体、あるいは見劣(みおと)りのする団体、はるかに見劣リのする団体、こうしたものが明瞭に、くっきりと、浮き出されていく時代が来るであろう。また、そうでなければならない。このように私は考える。これが、来たるべき宗教改革の時代のあり方であるうと思う。 4.根本の精神 新しき潮流、新文明の息吹(いぶき)、宗教改革の時代と、これからの新時代についての話をいろいろとしてきたけれども、ここで、根本の精神ということに立脚して、話をしていきたい。 我われは今、霊天上界にあって、今後来たるべき時代をどういうように創っていくかということに関して、日夜、話をしており、日夜、具体的実践活動に取り組んでいる者である。その我らが、話をし合って、取り決めている考え方というのがある。精神というのがある 今後の時代は、こうした精神でもって運営していこうという考えがある。その精神とは何かというと、三つの柱で創られていると言えよう。 根本の精神の第一は、人間神の子の思想の普及ということである。まず我われは、これを全面に押し出すこととした。これからの時代には、人間神の子という思想を全面に押し出していく。これに納得をしてもらう。こういうことが、大事であるうと思う。 第二の桂としては、愛というちのを再興(さいこう)することである。再興とは、再(ふたた)び興(おこ)すということだ。これから、愛の時代というものをもう一度創っていく。これが、大事な課題と言えよう。愛の時代とは何か。愛とは何か。それは、愛とは人と人を結びつける力である。 人と人とを結びつけて育(はぐく)んでいく力である。すなわち、お互いに手を取り合うことによって、その力を、その値打(ねうち)を二倍、三倍にしていくことである。これが愛である。 こうした、愛の再興、これを根本の精神として据えた。愛の時代をもう一度創り出す。これが愛の社会であり、これが愛の世界であり、これが愛の歴史であるということを明瞭に打ち出せるような、そうした時代を創ってゆく。これが、私たちの基本の精神である。 根本の精神の第三番目は、これは、経済原理の再構築ということだ。今後、経済の問題は、さらに深まり、さらに多様な方向性というものを見い出してゆくであろうが、この中において、一本の値打、価値というものが、貫(つらぬ)いていく時代が来る。この経済原理の再認識、新たなる経済理論とは、すなわち、それは経済理論の中には、この世的なる結果の理論というものが、封じ込められていると思う。経済の理論は、結局のところ、この世的なる繁栄の理論であり、いかにこの世的に発展、繁栄していくかということが、理論的に説明されているものであろうと思う。その、この世的に繁栄、発展していく理論が、その中に、神理というものを織(お)り込んでいく時代、これが予定されているのである。 つまり、神理経済学の時代というものの到来、神の経済学というものの到来、そうした経済世界の到来、これが新たなる精神として考えられているということだ。 以上の三つの精神は、その基本において、全く同しものを意味しているかもしれない。すなわち、人間神の子の思想、愛の復権、そして経済の中の神理の確立。こうした問題、この三本柱、人間が神の子であり、そして愛の復権こそが大事であり、そして、経済の中に神理が見い出されていき、ますます社会が発展する中に、人類の発展もあるという、そういう世界観、これが求められているのである。この三つが、これから少なくとも、数百年後をリードしていく、時代精神となっていくであろう。 その時代精神に奉仕(ほうし)するために、さまざまに人の活躍というのがあるであろう。その活躍は、一つには宗教家の活躍であり、二つには経済人たちの活躍であり、三つには教育家たちの活躍であろう。宗教家と、経済人と、そして教育者、この三者が力を合わせて、新たなる時代を創っていかねばならない。そうした時代が、もうそこまで来ている。 5.未来史の展望 さて、こうしたことを前提として、人類の未来史というものを、展望していこうと思う。 この霊言集を収録している現在は、一九八七年の十一月である。今後、どのような時代が、人類を待ち受けているのであろうか。巷(ちまた)によく言われているような、人類の危機が来るのであろうか。それとも来ないのであろうか。あるいは、その危機のあとに、どんな時代が来るのであろうか。そうしたことを、地上のあなた方は、心配しているに違いないと思う。 人類の未来史には、甲乙(こうおつ)がある。すなわち、優れている部分と、そうでない部分があるということだ。繁栄の世界と、没落の世界があるということだ。これは否定ができない。なぜならば、そうした繁栄と没落を通して、新たなる時代が開けていっているからである。 まず、日本という国を取ってみたときに、この国の将来は一体どのようになるのであろうか。この国の将来というものを眺めて見るときに、もちろん、途中さまざまな紆余曲折(うよきょくせつ)はあるであろうが、これからの百年間は、おそらく、黄金の時代であるということが言えるであろうと思う。それは、神理というものが声高らかに叫(さけ)ばれ、そして、その神理の号令のもとに、国民が一致団結して、黄金の時代を創ろうとする世界が開けてくる。 そういう時代になる。これを言うことができるであろう。 日本という国は、ここ百年間、人類の手本となるであろう。そして、その文化の高みが、他の諸国の人びとの心を潤(うるお)していくようになるであろう。これからの末末史は、人類の未来史は、日本という国のあり方を見れば、わかるようになってくるであろう。ここ百年間の黄金の時代の到来、これを私は告げておきたいと思う。 他の諸国にあっては、どうであろうか。アメリカという国には、すでに没落の気配が漂(ただよ)っていると思われる。そうした不吉(ふきつ)な影が忍び寄っている。わずかまだ、歴史において、四百年ぐらいの国であるにもかかわらず、その繁栄の影にかげりがある。やがて、このかげりというものが明らかになっていくであろう。アメリカという国は、経済的なる破綻(はたん)をやがて起こすようになっていくであろう。また、大いなる、軍事的なる脅威に、脅(おびや)かされるようになってくるであろう。 また、ヨーロッパという国々がある。このヨーロッパの国々においては、今、さまざまな形で文化が栄えているけれども、この文化というものも、やがて次第にかげりが出てくるであろう。特に、そのかげりというものは、南、すなわちヨーロッパの南部において、そうした形が出てくるであろう。 また、ソ連の領域においては、今後、さまざまな物事が起きていくことであろう。それは、一部では戦争というものも起きてくるであろうし、また、他の部分としては、旱魃(かんばつ)、農作物の被害、天変地異(てんぺんちい)、あるいは大地の一部の陥没、こうしたことに見舞われるうになるであろう。こういうことを言うことができるであろうと私は思う。 また、これ以外のアジアの世界においてはどうであろうか、アジアの中では、最大の人口を誇っているのは中国とインドである。中国という国には、今後、また大きな革命が起き、新たな時代、新たな文明の時代というものが、訪れてくるであろう。そのように思われる。 インドという国は、伝統があり、宗教の宝庫とも言えるような、アジアの精神の起源のところであるけれども、このインドにも、遅々(ちち)とした形ではあるけれども、新たな発展の構図というものが見えてくるであろう。資本主義の原理は、インドの中にもやがて、根強く栄えるようになってくるであろう。そうして、彼らの文化様式も、大いに近代化してくるであろう。 一方、今後の繁栄というものは、東南アジアを中心としてますます栄えていくであろう。東南アジアからオーストラリアの世界、このあたりが、これからの二十一世紀以降の、世界の繁栄の中心となっていくであろう。こうしたことが言えるであろう。 大まかな形で言うとするならば、今、現時点において栄えている国は、やがて滅び去っていき、今、第三世界と言われている国が、やがて勃興(ぼっこう)していくということだ。こうしたことを言うことができるであろう。 また、アフリカという国は、さまざまな試練を受けるであろう。その中において、壊滅的なる被害を受けるところもあるが、また、奇跡的回復を記録するような、文化的な高みを創っていく国もあるであろう。 西アジアの世界では、西南アジアにおいては今後、戦乱が勃発(ぼっぱつ)し、さまざまなる不幸が現われてくるであろう。そしてそれは、世界の諸悪の中心のごとく見えることも、やがてあるであろう。しかし、やがてそうした世界は、過ぎ去っていくことであろう。そして、また平和が訪れるであろう。 これが私(わたくし)の見た、今後の世界図である。さまざまのことが今後、起きていくであろう。しかし、いつ、どの時点で、何か起こるかということを、私は明確に述べることはしない。それは、人類にとっての課題であるからだ。未来ということは、知らなくてよいのである。末末ということは、予想はある程度あっても、現実のこととしては知らない方がよいのである。末末というものを知らずして、日々、日々を着実に生きていく人生こそが大事なのである。 あくまでも、この三次元という世界は、仮(かり)の世界であり、人びとは、魂の修行という目的でもって、生きているということを知らねばならん。そうした世界であるということを知らねばならん。さすれば、これから先に、どのような不幸が来ても、どのような変革が来ても、どのような革命が訪れても、それで心を動かしてはならない。 あくまでも、この世は仮の世界であり、どのように悲惨にみえたり、どのような大混乱にみえることが起きたとしても、それらもすべて、魂の糧(かて)として用意されていることだと思いなさい。そうした環境の中で、最良のものを選び取っていきなさい。最悪の環境の中でも、最良の心を築いていきなさい。そのことが、何にもまして大事なのである。 6.我が再誕の予言 今まで、ここ百年、二百年という歴史を中心に、未来史の展望を語ってきた。さて、私(わたくし)も聖書の中において、やがて再臨するということを予言している。そして、この再臨が、果たされることになると思う。 私がこのように霊示集を送っているということも、これも一つの再臨かもしれないけれども、そうしたことではなくて、本格的に私が地上に肉体を持って生まれるということが、やがてあると思われる。それは、さほど先のことではない。これから、四百年ぐらい先のことになると思う。場所は、まだ明確ではない。ただ、おそらく、現在西側と言われている世界の、ある国に、生まれることとなるであろう。 その国に生まれて、私はまた、大いなる愛の世界を広めていこう思う。あなた方の仕事というものを、今世紀における仕事というものを基礎として、これを旧約聖書として、私はまた、新たなる聖書を、新約聖書を人びとに広げていこうと思う。新たなる福音(ふくいん)を広げていこうと思う。その時に、科学は進み、経済は進み、国々はまた、違った繁栄を見せているであろう。その中において、私は新たな心の世界を説いていこうと思う。新たなる世界観と、新たなる価値観を説いていこうと思う。 そして、私(わたくし)が再臨したということを明かすがために、私は必ず、また、愛が大事であるということを説こう。愛こそが、人類の出発点であるということを説こう。愛の素晴らしさを説こう。今から四百年後に、愛を再び説く人が現われたら、それが我が再臨である。 人びとよ、我が再臨の時に生まれ合わせることを希望せよ。我が声を再び聞く者は幸いである、我がもとに再び集まる者は幸いである。我と共にまた、教えを述べ伝える者は幸いである。心貧しくあっても、我と共に生きることができる者は幸いである。神の心を伝えんがために、また、多くの同志が集(つど)い来ることは、何にもまして素晴らしいことである。 やがてまた、お会いすることがあるであろう。その時まで、私もまた、日々己(おのれ)を磨き、精進していくこととしよう。地上にあるみなさんも、その時を目指して、自らを見つめ、自らを磨いていっていただきたい。それをお願いして、本章を閉じることとしよう。
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目次 1.私の本体はミケランジェロ、過去世は鑑真 2.霊的世界を描き出す神理芸術が台頭しよう 3.芸術家でも一流となれば、世界を揺り動かせる 4.これからは個性の時代、優れた個性が世をリードしていく 5.霊文明を切り開くまで「神理」の書を徹底的に書き続けよ 6.断固妥協するな、徹底的なる個性の追究発現を果たせ 7.神理を銃弾の如く撃ち出せ、評価、枠組は後世人の仕事 8.強靭なる精神で書き、吼え続けよ 9.圧倒的な霊言量で、世の常識をぶち破れ 9.圧倒的な霊言量で、世の常識をぶち破れ ―― 最後と言っては失礼なのですけれども、表題のことなのですけれども、いろいろと考えてきたのですが、何か霊言ということが、『ピカソの霊言』ということが、少し当を得ないのではないかというので、たとえば『新芸術の展開』、『ピカソ美学の新展開』とか、いろいろと案じているんですが、この「霊言」という言葉を通すことはいかがなものでしょうか。 ピカソ やるなら徹底的にやってもいい。あなた方が隠しに入ったら、世も隠し始めるでしょう。やるなら徹底的にやりなさい。やるなら遠慮せずに、何十冊でも。ピカソの霊言も、五冊でも十冊でも、やるなら徹底的にやりなさい。やっているうちに、目に焼き付き、耳に焼き付くようになる。あまり隠そうと思う必要はない。『ピカソ霊示集』で結構です。 ―― ああ、そうですか。サブタイトルとしては、美術なり芸術なり、いろいろと角度をつけてもいいわけですね。 ピカソ そうです。『ピカソの霊訓』でも『ピカソ霊示集』でも結構です。もう霊でやるなら逃げないで、徹底的にやりなさい。もう「霊」という字を、何十回でも、何百回でも、何千回でも使うことです。そのうちに、その意味が変わっていきます。霊がマイナスイメージなら、徹底的にそのマイナスイメージを使うことによって、今度は、逆にそれはプラスになってくるのです。 キュービズムがおかしければ、私の絵がおかしいなら、もっとおかしい絵をいっぱい描いてやる。徹底的に描くうちに、値打ちがついてくるのです。まあ芸術家は、真の意味でへそ曲がりでなければいけない。あなた方があまり隠そうとか、逃げこもうとかしないことです。徹底的に勝負しなさい。 ―― もう、打ち出した以上はね。 ピカソ 一冊でだめなら、五冊、十冊、二十冊、百冊、二千冊、三千冊、いくら多くても結構です。世の著者が何冊ぐらい書くのが普通だからと、気にする必要はない。何千冊でも書けばよい。何万点もの絵が描けるぐらいだから、何万点もの書を書くつもりで書けばよい。 私の絵といっても、一作を五時間ぐらいで描ける絵はそんなにない。もっと時間がかかります。しかし、こうした霊訓集、霊示集なら、六時間も話をすれば、一冊分位の書物になる。もっと簡単です。人の手を使って、もっともっと書くことです。もっと私の絵以上に書ける、本が書けるかも知れない。生涯に一万冊創ってもよいのです。 徹底的に世間の常識をブチ破っていく。新時代を創る。こういう気持がなければいけません。そのためには、どうしても数多くの絵、数多くの神理、数多くの言葉がいるのです。五百回以上の講演というのでは少なくて申し訳なければ、五千回以上でも結構です。一万回でも結構です。毎日でも話してもよい。毎日のうち、一日八時間は執筆をして、二時間は話をしてもよいのです。そのぐらい精力的に生きなくてどうしますか。 そのために、ステーキを食べようが、美女と戯(たわむ)れようが、結構であります。そんなものは気にする必要はない。徹底的にやることです。もったいない時間です。妥協してはいけない。何と言われようと、個性を貫くこと。強靭(きょうじん)な意志力でもって、やることです。やり抜くことです。 ま、あなた方の霊言、霊訓集というのは、私の絵でいえば、目の曲がった人間の像ぐらいのものです。鼻が曲がり、目が曲がっている人間の像が、霊訓集ぐらいなものでしょう。たぶん、そうでしょう。 これは、徹底的にやれば値打ちが出てくるのです。安易なところで止めて、元の写実主義に戻ったらそれまで。ピカソはないのです。その絵を描いて、おかしな絵を描いて、そして批判を受けて引き下がるなら、それまでの値打ち、それまでの人間、それまでの芸術家、それまでの信念です。 批判が出れば、もっと徹底的に書くことです。そのうちに世が認めてくるのです。ピカソの立体画だと思って出すことです。ボンボン出すことです。いくらでも。画家だっていくらでもおります。必要とあらば、私は誰でもあなた方にご紹介するつもりでおります。まあそういうことでね、私はもう少し、信念と熱意ということ、それと、芸術家のような情熱をもっていて欲しいということ、これを言っておきたい。 小さな善人になってはいけない。小心な者になってはいけない。徹底的にやり抜く覚悟。毎日毎日、絵を描いていると思って。絵は描かないとだめなんです。そのつもりで、仕事を続けることです。わかってくれますか。そうでないと、私の世界は扉を閉めて、絶対に入れませんから、あなたを絶対に入れませんから。そう思ってやって下さい。よいかな。 ―― はい。 ピカソ ま、そういうことで、長くなりますが、ま、今回私の書物を出してくれるということで、大変うれしく思います。 ―― きっと立派なものができるだろうと思いますので、ぜひ、皆さんのご協力を得させていただきたいと思います――。 ピカソ もっともっと、あなたも貪欲になって、こんな一作だけではなくて、何十作でも創るつもりでやらねばいけませんよ。 ―― まあ、近々また、ご要請もありますので、哲学編というものも編集せねばなりませんし、やはり、この芸術諭もこれ一冊というのではなく、また、いろんな方々のご紹介を願って、そういう方々を一同に会して頂いてお説を承って、出していきたい。そのように考えておりますので、その節はまたご協力お願い致したいと思います。 ピカソ わかりました。 ―― ではピカソ先生、どうもありがとうございました。
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昔世話になったとは、同盟組んでいて危ないところを助けてくれたのでしょうか? -- 名無しさん (2017-12-21 22 44 17) この国が日本に一番近いの?(対馬からだけど) -- AGM-88 (2017-12-22 00 43 44)地図を見ると日本本土から一番近いです。転移後の哨戒活動で当然北西方向にもP-3Cを飛ばしていたはずなので、クワ・トイネよりも先に発見していた可能性があります。(風竜のレーダー波に驚いて引き返したのかも) - 名無しさん (2018-04-08 16 53 26) かなり近いため、対馬の自衛隊レーダー基地の能力なら、風竜が発したレーダー波を検知できたかもしれない。 - 名無しさん (2018-05-03 19 57 50) ルディアスが「あの国はまだ謎が多すぎる」と言ってるので、パ皇国も警戒するようなすごい秘密がありそう。 -- 名無しさん (2018-01-10 16 14 36) 存在自体把握されてない大陸だってまだまだ沢山有るしそのへんはねぇ……そもそも星が球状と理解されてるのかどうかも。 -- 名無しさん (2018-01-10 17 37 21) Web版で、ムーのマイラスが語ったところによれば、知らない国の方が多いみたいですね。 -- 名無しさん (2018-01-10 19 13 39) 失礼。世界が球体だということを、です。 -- 名無しさん (2018-01-10 19 24 34) 何気に、フェンより先に日本と国交を結んでいるんだよね。やはり近いからかな。 - 名無しさん (2018-04-14 01 33 50) そういう記述どこにありました? - 名無しさん (2018-04-14 08 03 38) ルディアスが忘恩の徒の汚名を着せるなと言っているから。初代皇帝はこの国に助けられたことが有るのが正しそう。周辺国の侵略お構いなしのパーパルディアにここまで言わせる程だから当時の国難を助けてくれた国なのかもね - 名無しさん (2018-04-23 19 28 10) ルディアスがそう言っているのは、物語の中のどこなのでしょうか? - 名無しさん (2018-04-23 22 08 07) 書籍第二巻205頁参照。なお、パ皇がガハラに侵攻しない理由としては他に、二正面作戦を避けたいこと(パ皇の伝統らしい)、ガハラには謎が多いこと(風竜以上の秘密兵器がある?)が挙げられている。 - 名無しさん (2018-04-24 11 33 24) この国は神通力とかいう力で風竜を操ってるらしいし、そのノウハウを応用して初代パ皇帝に地竜を使役する技術を伝授したとかありそう。 - 名無しさん (2018-05-03 15 59 42) 風竜とは念話を介して契約を結んでいるのでは。地竜は知性がないので戦闘用家畜として使役しているだけ。 初代皇帝は建国時に一時亡命していたのかもしれない。 - 名無しさん (2018-05-03 20 00 48) 関係者の名前が日本神話の神の名前、地名も日本神話に由来するものですね。後々重要な存在になるのでしょうか? - 名無しさん (2018-05-05 21 56 36) 単にフェン王国諸共、文化的に日本に近い国って設定なのでは?日本に一番近い隣国が、現実世界のような有様だと流石に嫌だし… - 名無しさん (2018-06-11 12 50 34) 地形的に人為的に創られたのは確実。勾玉の形は魔法陣的なものかもしれない。首都のタカマガハラには何かしら神がいるだろう。日本神話に似ている国だから宮内庁は内々に調査始めているんじゃないか? - 名無しさん (2018-10-21 22 24 19) 宮内庁は本気出せば確かに凄い調査力ありそう。 - 名無しさん (2019-03-02 22 30 08) まだ明かされてない設定がありそう。 - 名無しさん (2019-03-08 18 56 07) 実は小国ゆえ気にされなかったけど、ムーと一緒に転移してきた国。……なんて設定があっても驚かないぞw - 名無しさん (2019-10-10 19 58 25) ガハラ「長らく影が薄かったが遂に活躍の機会が!」 - 名無しさん (2020-03-02 22 37 11) ガハマ神国…げふ - 名無しさん (2020-06-11 09 28 28) つまんねえ。 - 名無しさん (2020-06-11 14 49 39) コミック版では、王制で国王は「ガハラ神王」と呼ばれている - 名無しさん (2020-10-15 00 04 15) パ皇VSガハラが読みたい。風竜による無双。グ帝未満の文明が風竜を墜とすのは不可能。ミ帝は例外かもしれないが。 - 禁止文字列 (2021-01-19 15 14 09) この国とフェン王国って和風文化の持ち主だが、同じく和風のヒノマワリ王国とつながりがあるのかな?和風といってもこっちは男系、ヒノマワリは女系という違いがあるが。 - 名無しさん (2022-04-03 16 20 13) ヒノマワリは女系ではないだろ。第三王女フレイアがグ帝排除要請出したのは国王と王子が幽閉されて姉二人が殺されたので非常時国家保護法によってフレイアに権限が集中しただけで、フレイアが即位したわけでも無いし、後述するがそれだけで女系にはならない。そもそも女王が国家元首とは書かれて無いし、そうでなくとも父王(書籍6巻用語集によれば名前はタケチノキミ。みのろうが女性と明言しなければ通常は男性名。)が婿養子とは書いてないし。 もしフレイアが即位した後に婿取りしてその子供が性別関係無く王位継承したら女系にはなるけど、王子が生きていればそうはならない。蛇足だけれど女系になるのが確実なのはアルタラス王国(王族は皆殺しにされ生き残ったルミエスが即位して女王になったので、婿取りして生まれた子供が王位継承者になれば女系になる)。、 - 名無しさん (2022-05-03 02 30 46) 魔帝ビーコンとヤマタノオロチは無関係ではないだろうなあ - 名無しさん (2022-05-03 01 46 43) グ帝も(死に体同然だけど)片付いてないのに新たな脅威が2つも。カオスになりそうだけど、グ帝編で第一・第二文明圏が中心になってて影が薄くなってた第三文明圏にまたスポットが当たりそうだ。大事なら大東洋会議もやるだろうし - 名無しさん (2022-05-03 07 58 04) パ皇初代皇帝が「世話」になった事件って、オロチ封印のことかな? - 名無しさん (2023-02-11 01 03 11)
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紋章 ガラテアの小紋章(戦技使用時、たまに威力上昇。) カロンの小紋章(戦技使用時、よく威力が上昇。) セイロスの紋章(戦技使用時、よく威力が上昇。) ステータス・成長率 アレクシス・ドラディレシュール・ディーシャンフォルテタットのステータス 概要 アレクシス・ドラディレシュール・ディーシャンフォルテタット侯はブレスレントル侯爵家の男性であり、現当主である。ベネエズカ市ブレスレントル町を主力の街として治めていた。銀髪と赤眼をしており、謀略家、策略家、戦略家、戦術家である。一時、皇帝の命により日本に来ている。なお、日本の中学校の時には多くの教師が彼の故郷を否定した事により、日本では無実なのに死刑宣告が出されている可哀想な人物である。しかしアドラステア帝国侯爵家は残念な事に3億人の大軍を招聘する事が可能な為、日本は生きては返されない。四人の男爵家家臣団を日本では付き従わせて動く。ちなみに本人はアドラステア帝国アルタイルシティ警視庁公安部の警察官である。その前はアルタイルシティ帝国大学で日本神話及び日本史の学者をしていた。日本人っぽいが国籍上、アドラステア人である。 家族 オーレット・フォン・ディーシャンフォルテタット父 イザベラ・シュレーネ・ディーシャンフォルテタット母 ルーク・アルネリオ・ディーシャンフォルテタット弟 レミリア・アリス・コーデリア妻 四人の男爵家家臣団 アレクシスには四人の男爵家の家臣団がいる。それぞれがブレスレントル侯爵家の有力な騎士である。 クリストフ・ラヴァネイア・リーシャンタット バルタザール・ブラネッド・アルガネート エドワード・ブラッドリー・レヴァダンステクス ルートヴィヒ・コーカサス・ファンネスクオルフォート
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美しい日本の歩きたくなるみち-奈良県 ヤマトタケルが歩いた山の辺のみち(天理市) 日本神話のふるさと・葛城古道(御所市) 飛鳥の文化にひたる明日香周遊のみち(明日香村) 佐紀の里・西の京のみち(奈良市) 万葉の大和三山を巡るみち(橿原市) 矢田丘陵・矢田寺から松尾寺へのみち(生駒市) 日本一の桜のさと・吉野山を巡るみち(吉野町) 斑鳩のさと・大和郡山のみち(大和郡山市) 大化の改新と多武峰[たむのみね]のみち(桜井市) 国宝の寺[大野寺・室生寺]を巡るみち(室生村) 柳生街道春日大社~大柳生](奈良市)
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目次 1.天使よ、めざめよ 2.わがユートピア計画 3.天使の使命 4.天使の行動 5.いまこそ天使軍団を創れ 1.天使よ、めざめよ 高橋です。今日もぶっ続けでやっています。特急列車です。まあ、こういうときもあるでしょう。この梅雨どき、一番苦しいときに頑張ってるんですから。ねえ、みなさん楽になったときにね、楽なときに仕事をするのは楽なことです。しかし、一番みんなが働きがいがなくて、一番嫌なときに頑張るということが難しいことなんですね。私も今、梅雨明け前の一番うっとうしいこの季節に頑張ってやっています。だから、どうかね、みなさんもこの救世の情熱をわかってほしいと、そのように思いますね。 さて本章は、みなさんに対するゲキを飛ばすという目的で創られている章なんですね。「大使よ、めざめよ」という、このような題を設けてみました。 今からおよそ百五十年ほど前になりましょう。ちょうど日本では明治維新前夜という時期でしたでしょうか。千八百五十年前後ですかね、四十年、五十年、六十年、こうしところ、日本にも数多くの光の天使が肉体を持ちました。それはみなさんご存知のように、坂本龍馬であるとか、勝海舟であるとか、木戸孝允であるとか、それから福沢諭吉であるとか、吉田松陰であるとかね、西郷隆盛であるとか、それ以外にも佐久間象山とかね、いろんな方が出ました。明治期には相当の諸如来、諸菩薩の方がたが、どうでしょうか、まあ数十名は出たと思いますね。 あれだけの革命的時代を迎えてね、近代日本の足場をつくるために、数十名の光の天使たちが団結して出たんですね。そしてその、光の天使のなかには刑場の露と消えた人もだいぶいました。吉田松陰のように首をはねられた人もいれば、名前が残る前に消された人もいました。運よく明治維新のころまで生き延びてね、そしてそれなりの仕事を果たせた人もいましたが、第一級の人物はみんな死んじゃいましたね。残念ながら西郷も死にましたし、龍馬も死にましたし、いろんな優秀な方々が次々と死んでゆきました。 ああいう時代をね、つい百五十年ほど前、私も含めて今地上に出ているみなさんも天上界において見ていたんですね。あのときにかたずを飲んで私たちは見ていて、「どうだろうか。この新しい維新革命は成功するだろうか、どうだろうか。光の天使いっぱい出したけど、また新撰組に一人斬られちゃった。しまった。こちらで応援しとったんだけど、しまった、逃げようと思って右へひいたつもりだが、間違って左に動いてしまって斬られてしまった。間違ったあ」なんてね、こういうようにして新撰組に斬られちゃったのもいたし、あるいは木戸孝允みたいなのは、まあ剣の達人でもあったんだけども、危機が来たらすぐ逃がしましたねえ。パッと、おっ危ないっていうようなインスピレーションを入れて、パッパ、パッパ逃げる、逃げの名人ね、こういう人もいました。いろいろいたわけですね。だから、そのときに私たちが守りきれなくて亡くなった方もいますし、なんとか大きなことをやった人もいますね。 だから、土佐なんていうところも龍馬が出たけれども、やっぱり龍馬の大きさっていうのは、だんだん年数がたつにつれて明らかになってきたんじゃないでしょうかねえ。土佐っ子も立派な人が多いでしょうが、やはり土佐の歴史で一級の人物というと坂本龍馬が出てくるんでしょう。それは、日本の回天の偉業ね、維新の偉業にあれだけ役割を果たした、そして大きな目を持っていたということで、龍馬が出てくるんだねえ。 このように、百五十年ほど前に私たちも第一陣の光の天使を送りこんだし、その後大正期、昭和期にも多くの光の天使たちをずいぶん出しました。こうしたときにもね、光の天使を出して実際どうなるかね、結果見てみないとわからないとこもあったし、彼らの苦悩というものを天上界で見ていると、私たちというか、私もずいぶん涙を流しました。天使たちが地上に出て悟って、そして一生懸命生きて、神理のために死んでいく姿を見たらね、もう涙がポロポロとこぼれ落ちたのを覚えています。 まあそれでもね、やっぱり私たちにとって一番うれしいことは、あの世から計画して地上に出た天使の一人がね、目が覚めたとき、こういうときが一番うれしいですねえ。目が覚めて、使命にめざめてパッと立ちあがったときね、うれしいですねえ。 たとえば自民党や社会党で言えば、選挙で当選したら、赤いバラの花かなんか知りませんが名前の上に花をつけますね。ああした感じで、地上に出た光の天使の名前がリストアップして書いてあるんですね。そして目が覚めたら、バラの花みたいなのをポンと一輪つけるんですね。「おめでとうございます。大川隆法様、ただ今めざめました」ってな感じでつけていくんですねえ。だから、五十人出して花が十個しかついていないとかね、十五しかついていないとか残りはどうなるのかなあとかね、こうなふうにみんな心配しているんです。 2.わがユートピア計画 さて、百五十年ほど前の話からはいっているわけですが、この当時に大きなユートピア計画というものを私たちは創りました。私はその当時まで、とくに日本というところに直接は関係はしていませんでしたし、過去の魂の歴史のなかでは、主として中東の方で預言者たちを指導してきたのが私の仕事でした。イスラエル付近、アラビア付近、あの辺の砂漠の神として長年君臨していました。そして、預言者たちを出しては彼らの霊道を開かせ、そして通信を送り、それを聖典として広げさせるという、こうしたことを中心にやっていましたが、この歴史の流れというのが今、東の国のほうに大きく流れてきて、そして日本という国がひとつの光の中心となってきたわけですね。こうした時期になって、私もいつまでも砂漠の世界にいるのではなくて、この太陽の昇る国、日本において新たな霊革命を起こしたいと、そのように考えたわけです。 そこで百五十年ほど前に、まず維新の志士たちと彼らが出る前にいろいろ話をして、そして送り出しました。「君たち、しっかりがんばって第一陣の任務を果たしてくれ。この国は、君たちが死んでから百年ほどしたときに、百年あまりしたときに新たな神理の中心地となるのだ。かつてのギリシャやインドや中国のように、神理の中心地となるんだ。そのような聖地となるために、その土台を創る人がいるのだ。君たちの血で大地が染まるかも知れんが、それが新たなユートピアが開ける道筋なんだ。だから大いにやってくれ」と、こういうことで維新の志士たちと計画をしました。 そして次なる計画として、大正期、昭和期にももちろんいろんな計画がありましたが、今、三段階目の計画として昭和の後半になりました。西暦二千年近くになり人類の危機と言われる時代がもう近づいてきています。このときにね、一大逆転計画を私たちは創っているということなんですね。地球は今、闇に沈むという、そうした時期が来ています。いろんなところでいろんな事件や事故が起きるでしょう。今後、戦争の火種が尽きることもしばらくないでしょう。 こうした争いが次々と続く時期に、私たちは、その争いを争いとしてどうにかするのではなくて、まったく逆のものであるユートピア計画というものを創り、地上にそれを広げていきたいと、そのように考えているわけです。 したがってね、今世界各地からもいろんな霊的現象が起きているとか、霊界ブームというのが起きているかもしれませんが、日本というものを見たときに、静かに静かに心霊ブームというのが進んできていると思います。霊界通信のようなものがだんだん流行(はや)ってきたり、あるいは宗教というのがひとつのブームになってきたりしています。また、宗教のなかでも特に霊的経験を大切にするような秘儀を持っている宗教のようなものが、だんだん流行ってきはじめましたね。 そして、高橋信次なども新宗教の御三家の一人と言われるようになってきたりしましたね。御三家ってみなさん知ってますか。水戸家と何とか家とかそんなんじゃないんですよ。御三家、新宗教の御三家っていうのがねえ、高橋信次とねえ、それと京都の密教の阿闇梨(あじゃり)さんと、それと手かぎしの教祖さんね、この三人をそういうふうに御三家と言うんだそうですねえ。このなかの私以外の残リニ人について、私はどういう見解を持っているかっていうことは、今までの本を読んできた方はそこそこわかるであろうと思います。 まあそうしたこともありますが、結局なにがやりたいかっていうと、もうこの時代に心の時代というものをはっきりと打ち立てる、そして心の時代を打ち立てるために、どうしてもあの世の世界の存在と霊の実証というものを徹底的にやると、こういうことなんですね。それゆえに、今それだけの大きな光というのを地上に出しました。 かつて今から二千六百年前に、インドに釈迦という方が出ました。その方も巨大な霊能力をもっていましたし、またさまざまな高級霊と話をしておりましたが、インドの釈迦は、今あなた方が読んでいるようなこうした個性ある高繰霊の霊言を、すべて伝えることができるだけの能力はもっていませんでした。 また、今みなさんはいろいろ何十人という高級霊の霊言を明確に聞いたり、読んだりしていると思いますが、高橋信次も生前こうした能力があったかといえば、ここまでの霊能力は持っていませんでした。私も数名の方の霊言を受け取ったり、自動書記を書いたりしていました。そうしたことはできましたが、これだけ広範囲な教えを持つ霊団の指導を受けて、彼らの霊言を個性豊かにすべて伝えるというような霊能力は私にもありませんでした。 そうしたことができる人が出て、そのような時代が今来ているということを知って頂きたいと思うのです。これは大変なことであるのです。本当に古い時代の幕引役として、そして新たな時代の幕を明ける役割として、偉大な光が地上に出ているのです。そうしたユートピア計画が今、着々と進行しているのです。この時に同じくこの計画をになうために、数多くの天使たちが地上に肉体を持っているのです。 そして、本書の読者のなかにも、かならずそのユートピア計画にたずさわる天使が出ているのです。その天使たちに呼びかける言葉として、私は本書を今書こうとしているのです。 3.天使の使命 さて、そうした使命のある天使であっても、現在ただ今みんなみずからの生活を立てていくために、なりわいを立てていくために、いろんなところでいろんな仕事をやっているでしょう。まったく思いもかけないような仕事をしているような人がいっぱいいるのです。 イエスの時代には、ペテロやアンデレたちは何をしていたかというと、漁師をやっていました。あの砂漠の海に網を投げて魚を採っていたのです。そのような仕事をしていました。そうしたペテロたちのように、今の時代に地上に出てもまったく思いもよらないような仕事をしている人たちがいます。光の天使が、あるところでは営業マンをやったり、あるところでは国際線の会社に勤めていたり、あるところでは新しい発明発見のために科学技術の研究をしていたり、あるところでは小説書きをやっていたり、いろんなところでいろんなことをやっています。そして、自分が天使であるということを自覚しないままに生きていることが多いのです。 ただみなさんは、天使と言われても漠然としてその定義がわからないかもしれません。その言葉の意味が理解できないかもしれませんが、天使というのはね、はっきり言って次のような条件を満たしている人のことを言うんですよ。 第一は、心が清らかであって、高級霊たちの指導を受けられるような状態にある方です。この指導を受けられるというのは、直接的に霊示を受け取れる方もいれば、そうでなくて間接的にインスピレーションのような形で受けている方もいますが、いずれにせよ、心清らかで高級霊界からの霊示、指導を受けられる方であるということです。 そして同時に、多くの人びとを愛し、彼らのために尽くそうという愛の魂として生きているということなんですね。すなわちね、打算の心なんていうのは天使にはないんですよ。いいですか。自我我欲の心、自己保存の心、こんなのはもっとも遠いものです。天使というのは法のために死ねる人たちのことを言うんですよ。神理をこの世界に広げていくために命を投げ出せる存在、それを天使と呼んでいるんですよ。そしてね、天使がみずからの自覚を持つということはね、身命を賭(と)するということですよ。この身、この命を投げ出して、神のためにこの地上界を光らしていく、ユートピアにしてゆくという、こうしたことをやってはじめて天使は天使の自覚を得たと言えるんですよ。 これがね、よく偉大な方でも過去、召命ね、命を召されるということがあって、預言者になったりすることが多くありました。同じように、私のこの書物も天使の予備軍に対して命を召すために書かれているんです。召命です。 みなさんは、もし私の本を呼んで胸が震え、手が震えるようなことがあったら、あなたは天使である可能性があるわけです。天使の予備軍である可能性が非常に強い。胸がジィーンと来たら、感動するものがあったら、深く心が揺さぶられたら、あなたにもなんらかの使命があると思って間違いがないんです。少なくとも私の書物を読んで心揺さぶられるような方、ジィーンと胸が熱くなるような方というのは、今から百五十年前に天上界で大会議を開いて多くの人たちがユートピア計画に参画し、そして誓約をし、誓いをしましたが、こうしたときに共に誓った方が数多くいるということです。 私は昭和の初年に出ました。したがって、その第一回目の大会議から後、今から六十年余り前にももう一度会議をやりました。そして誓いました。多くの人たちと誓いました。そして「頼むぞ。よろしく頼むぞ。この時代を創るまでは君たちの身命が終わることはないのだ」私はそういうことをあなたたちに言ってきました。 だから、今この本を手に取り、そして胸を打つものを感じる人は、あなたこそ、そのなかにいた一人である可能性が非常に強いんです。どうか、その胸にジィーンときた感じを無駄にしないでほしい。そう思います。 4.天使の行動 さて、この私の本を手に取って胸にジィーンとこられたみなさん、「天使の行動」とはいったいなんであるとお思いですか。それはね、新しい時代を創るために身も心も捧げることですよ。そうじゃありませんか。今のみなさんのなかで、あの維新の志士たちのように純粋に日本の国のことを心配している人が、いったいどれだけいますか。彼らのように、命は惜しくない、この日の本の国のためにその身命を賭してやりたい、本当の正義の実現のために、神の国の基礎作りのために命を投げ出してやりたいと、このように思っている方が今いったい何人いるでしょうか。 みなさんは、学校でいろんなことを学んだかもしれません。あるいは、学校を卒業してからこのかた、いろんなものを勉強してきたでしょう。そして、勉強することによってみなさんの魂が本当に成長しているのなら、私はそれはそれで素晴らしいことだと思いますが、けれども学んで学んで知識を得て、そして疑い深くなっているのが現実のみなさん方の姿ではないのでしょうか。それが、現状のみなさん方なのではないでしょうか。私はそのように思うのです。 天使というのはね、天の使いと書くんですよ。わかりますか。天使というのは小使いとは書いていないんですよ。小さな使いじゃないんですよ。天の使いなんですよ。天の使いというのはどういうことかわかりますか。神様の代わりに出ているということですよ。神様が自分の手をこの三次元に降ろして、三次元の世界をグジュグジュとかきまわす代わりに、天使というものを地上に送リこんで、そしてこの世の中を善くしていこうと考えておられるんですよ。 さすれば天使の行動とは一体なんですか。まずこの法の流れにいち早く気づくことではないですか。そしてこの法に気づいたならば、この懐かしい法に気づいたならば、自分には一体何ができるかということを胸に問うことではないですか。胸に問うこと、自分に何ができるか、どれだけの力になれるか、それを問うことではないですか。 私はね、もちろんこうした霊言集、霊示集を出しています。一か月か二か月に一冊、地上界に霊示を追っています。だけどもその時間以外の時間、みなさん私が一体何にをしているかおわかりですか。私は日本全国の人びと一人ひとりのことを思っています。そして、あなた方が一日も早く神理に目覚めることを願っています。また、光の天使たちがまだ目覚めていない場合、早く目覚めてくれと、毎日毎日私の熱い情熱をみなさん方に送りこんでいるのです。 光の天使は、九州にも中国地方にも、四国にも関西にも、中部にも、北陸にも、東北にも、北海道にも出ているんです。こうした光の天使たちが早く、一日も早く目覚めて立ちLがってくれることを私は本当に願っているんです。 5.いまこそ天使軍団を創れ さて、この標題にもありますが、今こそ私は天使の軍団を創るべき時がきていると思います。 地上はこれから十数年にわたって、たいへん暗雲たなびく世の中となっていきます。世界が一時期暗くなっていくように思います。おそらく経済的な破綻(はたん)が全世界をまもなく覆うようになってくるでしょう。それは新たな恐慌の形となるでしょう。世界大恐慌の先ぶれのようなものがやがて現われてくるでしょう。それと同時に、そうした世界のなかで軍事活動というのが非常に活発になっていくでしょう。そして大国と大国とがエゴとエゴとをぶつけあい、そしてお互いに自己主張のままに生きてゆこうとするでしょう。 このようなことがあって、世界のなかでは一体何が正義で何がそうでないのか、何が神理で何がそうでないのか、こうしたことがわからなくなってくるでしょう。また、ある都市は津波に襲われて沈むような時期が来るでしょう。またある年には、旱魃(かんばつ)が起きて人びとが食糧飢饉に苦しむことがあるでしょう。またあるところには、大いなる巨大な火の玉のごとき隕石(いんせき)が降ってきて、そしてあたり一帯が焦熱地獄のようになることもあるでしょう。あるいは地軸が揺れ、南極の氷が溶け出すようなこともあるでしょう。 私は、これから人類のみなさんの前途というものを見るにつけ、毎晩毎晩、毎朝、毎日涙が出て出て止まりません。それだけの不幸な世界が、それだけの不幸な出来事が次々と今後地上にあるみなさんを襲っていくということを、私は知っているのです。その事実を知っていて自分が何もできないでいるということを、私がどれほど悔しい残念な思いでいるか、みなさんはわかってくれるでしょうか。一日も早く、この神理を日本中だけでなく世界に広げたいんです。私の気持ちをわかって頂きたいと思います。世界全体がそうした暗い時代に来ているのに、私はみなさんにこうして霊言を語りかける以外に方法がないんです。そして、この私の本を読んでみなさんに悟って頂く以外に方法がないんです。 どうか、私の力は小さいけれども、この私の本を頼りにして一日も早くみなさんに目覚めてほしいんです。私はそれを願っているんです。こんな不幸をそのままに放置しておきたくないんです。それは私の気持ちだけではないんです。高級霊たちも早く不幸などなくしたいんです。世界を明るくしたいんです。 けれどもこうした不幸を呼びこんでいるのは、みなさん方が幾世代にもわたってさまぎまな悪しき想念を積み重ねてきた結果なんです。そうした邪悪な想念がたまって、地球意蔵にそれだけのガン細胞をつくっているんです。そのみずからが創った罪により、そうした反作用として天変地異が今後起きてくるんです。それはみなさん、自分が蒔いた種なんです。だからこうした私たちの本を手がかりとして、自分の蒔いた種を刈り取ってほしいんです。その反作用は大変厳しいでしょうが、その試練に耐えて生きていってほしいと思うんです。 だから、こうした苦しい時代に地上に出ている光の天使たちのことを思うと、私は本当に涙がこみあげてきます。けれども私は諸君に言いたい。「諸君たちは苦しいことがいっぱいあるだろう。悲しいこともあるだろう。困難が来るだろう。でも一致団結して早く、今こそ天使の軍団を創ってほしい。天使の軍団を創って地球の人びとを救ってほしい。彼らの苦しみを和らげてほしい」それが私の願いです。 一宗一派なんかどうでもいい。「GLA」だとか「幸福の科学」だとか、「生長の家」だとか、そんな団体の名前とか、そんな団体で生きている人がどうだとか、私はそんなことはどうでもいい。世の人びとを救いたい。私のこの情熱がわかったら、弟子たちも、あるいはかつて私の教えを受けた者たちも、今あなた方が何をしなければならないかということがわかるはずです。どうか、この師の真実の言葉を聞き、一日も早く多くの人に目覚めてほしいと思います。 今こそ天使の軍団を創れ。それ以外に方法がないのです。世界を闇から救ってほしい。私は強く強く、そう思います。 天使よ、天使たちよ強くあれ。あなた方が強くなければ誰も世界を救えないんだ。それをわかってほしいと思います。
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目次 1.地上のひとびとに、一言でも多く、一行でも多くの神理を伝えたい 2.高橋信次の霊言を世に問う機会はいま以外にない 3.かつてモーゼに旧約聖書の『創世記』を書かせた私が、いま、「新創世記」を語る 4.アトランティス大陸の沈没を信じない現代人 5.ギリシャの哲学者プラトンがアトランティスの存在を知っていた理由 6.プラトンは幽体離脱によって如来界、菩薩界を見て「イデア説」を唱えた 7.アトランティスには生体エネルギーを使った飛行船があった 8.アトランティスの自動車はヒラメ型 9.職能制民主主義があった 10.まちがった新興宗教家のクーデターに倒れたアガシャー大王 11.アトランティスの沈没とアモンのエジプトヘの脱出 12.日本人の源流ムー文明とインド洋のレムリア文明 13.現代人よ、現代文明を最高だと思うな 1.地上のひとびとに、一言でも多く、一行でも多くの神理を伝えたい 高橋信次です。また私の霊訓集を世に問う機会を与えられたことをうれしく思います。 まあ地上にいるみなさんは、私がたて続けに世の中に霊訓集を送っていくから、高橋信次というのはなんと忙しい男だろうと思っておると思いますけれど、じっさい、私はほんとうに忙しいんです。なぜ忙しいかって言うと、地上にいる人たちを一日も早く、目覚めさせたいという気持ちが強いんですね。 また私の教えを継いでいる者たち、そしてさまざまに混乱している弟子たち、あるいは私の教えを受けなくとも、ほんとうの神理というものを求めて日夜学んでいる人たち、こういう人たちのことを考えると、私は一日もこちらでゆっくりとできないんです。ひとつでも多くの神理を世に伝えたいというのが私の気持ちなんです。 いま、日本には一億二千万人以上の人間がおりますけれども、このなかでもやはり心ある人たちっていうのは、いるんですね。それは一定の数であってそう多くはありませんけれども、心ある人たちっていうのはいます。そして彼らは、つまり心ある人たちは、神理を求めている。 けれどもほんものの神理の書というのが、生きている間なかなかこの地上では見当たらんのですよ。宣伝だけでよく売れている小説の本だとか、まあ金儲けの本だとか、こういうのは、いっぱい出ておりますけれども、神理の本のなかで、ほんとうの真実を伝えるのは少ないんですね。 霊界ブームで、最近は霊界のことを伝える本もずいぶん多くありますけれども、そのなかの大部分、私たちの目から見て九割五分以上は、おかしなものです。少なくとも霊的現象として見たら、まともじゃないのがほとんどです。 そして地獄の霊たちのそそのかしを受けながら、それを神様、仏様、あるいは高級霊だと思って、一生懸命言っている人がいっぱいいるんですね。 どっちもこっちもそういうおかしいのばかりで、こういう混乱を見るにつけても、私たちは一日も早く、一冊でも多く、真実の書というものをひとびとに伝えねばならんと思います。 まあそれは地上にいる大川隆法さんたちの活動にも、もちろん限界があるだろうし、出版社のみなさんにも、そうそう無理ばかりはお願いできないし、そういう限界はあるでしょうけれども、やはり私は一日でも早く、一冊でも多くの神理の書を世に問うて、世のひとびとを目覚めさすことこそが、私たちのほんとうの仕事だと思うし、また最近地上に肉体を持った高橋信次としてのやりうる最高の仕事だと思うのですね。 私はいま、こちらに還ってきて、もう地位とか名誉とかそんなものは、なにもこだわるものはないのです。また金儲けするわけじゃないんです。 高橋信次の霊訓集が出たところで、それでいくら売れてもね、私のふところのなかには一円もはいらないのです。そんな印税なんか一円もはいってこないし、地上で評判がいいからってこちらの世界でも、ランクが上がるわけでもないんです。そんなことぜんぜんありません。 そういうことはまったく関係ありません。地位も名誉も、金もなにもないんです。地獄の三途(さんず)の河を渡るときには、六文銭がいります。けれども、私たちのように安らぎのある世界に還ってきている人たちには、もうお金は必要ないんですね。 そういうことで、私は私利私欲のためにやっておるわけではありません。ほんとうに純粋な気持ちから、地上のみなさんに一言でも多くの、一行でも多くの神理というのをお伝えしたいと切に願っておるわけです。 そういうわけで私は霊言をして、今後もたたみかけていきたいと思います。 ほんものであるということの証明のためには、やはりあるていど数を出していかねばならぬと私は思っております。一冊だけでは創作だと思われるでしょう。 では高橋信次が、二冊、三冊、四冊、五冊、と世にその考えを問うたときに、それがにせ物だというふうに言うことができるでしょうか。たぶんできなくなってくると思います。私は霊言の真実性を疑う人が多いこともまたこの世の事実である以上、あるていどの数を出して、私の思想というものを全面に出していきたいと思います。 こうして、十年前(一九七六年)のこの地上を去ったときに私が考えていたことだけではなくて、あの世の世界、すなわちこちらの九次元世界というところに私はおりますけれども、九次元の世界に還ってきてから、私が体験したこと、そして私が悟ったことを、あるいは私が生きていたときに言い忘れたこと、また修正したいこと、こういうことをどんどん言っていきたいのですね。 2.高橋信次の霊言を世に問う機会はいま以外にない こういうふうに霊言として私の考えを、この世に伝えることができる機会というのは、もうおそらく二度とはないと思うのです。 地上のみなさんは、高橋信次の霊訓集があまり出てくるので、もう読むのに忙しく、「そんなにいっぱい出さなくてもいいから、一冊なら一冊で遠慮してくれんか。」と。「あんまり出ると、お金もかかるし、それから目も悪くなるし、勉強時間がなくなるから、もうやめてくれんか。」という声もあるかもしれませんけれども、どっこいそうはいかんのです。 大川隆法さんがあの世に還ればもうこんな霊言はできんのですから、生きているうちにもう十二分に使ってね、できるだけ多く彼を使ってがんばらにゃいかんのですね。 ですから、まあ最近の人間だから、ずいぶんでしゃばってくるなあと思われるむきもあるでしょうけれども、古い人はもういいんです。最近の人はどんどんどんどん言わないとね。言いたいことが山のようにたまっていますから。 イエス様やモーゼ様みたいな古い人は、もう言いたいことがたまっていても、もう二千年も三千年もたてば、化石みたいになって、口を開けばコロンと、化石みたいな恐竜の卵みたいのが出てくるぐらいでしょうけれども、私みたいに死んでまだ十年ぐらいの人間というのは、もう考えつけば、あの人もいるし、この人もいるしね。 あの人にもこういうことを言っておきたい。この人にもこれ言っておきたいし。著書を見るとあそこはちがっておったとかね。いっぱいあるんです。言いたいことが。 だからずいぶん、高橋信次がおしゃべりをしておると思うかもしれないけれども、やはり地上の人たちは、このおしゃべりに耐えるだけの「忍辱の心」というのを養って精進せねばならんわけです。 3.かつてモーゼに旧約聖書の『創世記』を書かせた私が、いま、「新創世記」を語る さてまあ枕詞(まくらことば)はそれぐらいにして、本日は、「新創世記」というタイトルで話すことにします。ずいぶんいきおいのいい題で、「まあがんばっとるじゃないか」という声もあるでしょうけれども、やはりね、私はほんとういうと、創世記を語るのが私のいちばん得意なところなんですね。 いまから三千百数十年前に、モーゼという人がエジプトの地に生まれて、そしてイスラエルの民を解放して、カナンの地ですね、あこがれのカナンの地、ユダヤの地に人々を導いたときに、天上界から現在と同じように私はモーゼを指導しておりました。 そのときに私がモーゼに書かした書というのが『創世記』という書物です。これはみなさん旧約聖書のなかでモーゼ五書のなかで『創世記』っていうのが最初にありますね。これがありますけれども、これをモーゼに書かしたのは当時の私だったわけです。 天上界からこういうふうに霊言という形で、モーゼにやはり通信を送っておって、モーゼがそれを聞いて書きとめたのが、モーゼの『創世記』なのです。 ですからその創世記も三千年たってちょっと古くなりましたので、ちょっと新しい創世記を書かにゃならんと思うのです。それがこの「新創世記」です。 まあ私の娘で、高橋佳子というのがおって、『真創世記 地獄編』、『天上編』、『黙示編』なんて書いておるから、またまねしとるんじゃないかというけれども、よく読んでいただければ向こうの『真創世記』は、真実の真でありまして、私の「新創世記」は新しいの新でありますから、けっして著作権侵害にはならんわけであります。新しく創世記を語るわけです。 さて地上のみなさんはね、こういう時期にどうしてそういう創世記、地上の成り立ちということを話す必要があるのかということを不思議に思われるかもしれません。まあそんなことを聞いたところでね、ひとりの人間も救われるわけではないし、興味本位にすぎるんじゃないかと、こう思う人もずいぶんいると思います。 けれどもね、やはり私は、人類の価値観、価値概念というものを転換すべきときがきておると思うのですね。 いまの日本人でもいいし、外国人でもいいけれども、経験主義的な人のものの考え方というのは、人類の歴史っていうのはやっぱり、四千年か、五千年ぐらいに思っているのですね。せいぜい四千年、五千年。日本の歴史だって二千数百年だし、まあユダヤのほうだって、イエス様がまだ生きていた人だということは知っているけれども、モーゼもまあなんとか生きていた人らしい。まあ三千年ぐらい前の人。 ギリシャ・ローマ神話のギリシャ神話の神々になってくると、もうちょっとこれはあやしいんですね。これはもう神代(かみよ)の世界、神話の世界になって、ほんとうにギリシャの神様なんていたのかどうかわからなくなってきていますね、実在の人かどうか。ゼウスさんなんていう人ほんとうにいたのかな。アポロンなんて人いたのかな。アポロ宇宙船は知っておるけれども、アポロンなんて知らないという人がいっぱいいると思います。 「それは、たぶんギリシャ・ローマ神話かなんかで、世界の名作シリーズかなにかのなかにはいっているぐらいで、ほんとうは歴史上の事実ではないんじゃないですか。」という人が多いと思いますね。 ギリシャでゼウスが法を説いたときっていうのはいまから三千七、八百年前ですから、四千年前までいかないわけです。四千年近く前になるともう、人間はそれはもう夢幻(ゆめまぼろし)、神代の時代の作り話ということになっちゃいますね。こういうことです。 4.アトランティス大陸の沈没を信じない現代人 たかだか一万年ぐらい前にアトランティスという大陸があって、それが一夜にして没してね、大西洋に沈んだということを話しただけでも、人びとは信じないんです。現代人たちはね。信じないんです、一万年も前のことまでわかんないと。 「ほんとうでしょうかね。一万年前に、ほんとうにアトランティス大陸なんてあったんでしょうかね。たしか私たちが習ったんでは、一万年前っていうと、縄文時代よりもっと昔ですから、石器時代かなんかでね。これはちょうど人類がいたとしてもね、腰のまわりに虎の皮かなにかを巻いて、そして石斧を持ってコンコンとやっておったにちがいない。」と。 「まあ火を起こすことぐらいは知っていたかもしれないけれども、それもたぶん木と木をこすり合わせて『エンヤエンヤ』とやって煙をパーツと出すとか、あるいは、トナカイの骨かなにかけずってやっていたころにちがいない。」と。 「そんなころにアトランティス文明なんて、そんな、ほんとうにあったんですか。」と。「私はとうてい信じられないですね。」と言っています。 あるいは名誉毀損(きそん)にならないようにやわらげて言いますけれども、最近はね、元東大教授の優秀な物理学者、地球物理学者なんかもね、地殻変動とかいろいろ調べた結果、アトランティス大陸というのはやっぱりなかったんだ、ムー大陸もなかったんだ、なんて言っていますね。 まあしかたありません。それは現在ある資料だけを見て、それを判断しているんだから、それはしょうがないんですね。 まあそれはしかたないことです。一夜にして地殻変動が起きればね、地上の証拠っていうのはほとんどなくなります。 5.ギリシャの哲学者プラトンがアトランティスの存在を知っていた理由 アトランティス大陸があったという証拠は、いちばん最近というのか、いちばん古いというのか、よくわからないけれども、それがでてくるのはね、ギリシャの哲学者でプラトンという人の書物のなかです。 まあソクラテスのことを、一生懸命書いた人のことですけれど、プラトンという人の本のなかにアトランティスという大陸があったということが書かれていますね。これがまあアトランティスについての最古の記録ではないかということで言われています。 じゃあ、「プラトンというのは二千四百年ぐらい前の人だから、なんで一万年も前のことがわかるんですか。」と。 「そんなのわかるわけがないじゃないですか。」と、言う人がいると思います。 「たぶんこれは想像の話じゃないでしょうかね。」と言う人がいると思いますけれども、プラトンという哲学者がアトランティスのことを知っていたのは、ふたつの理由があるのです。 ひとつはね、エジプトというところには、そのギリシャの哲学時代よりはるか以前に高度な文明というのがあったんですけれどもね。 いまもスフィンクスとかあるいはピラミッドとかがありますけれども四千年前、五千年前といわれていますね。そういうピラミッドがあるけれども、そうしたピラミッドのなかの古文書のなかには、そういうかつてのアトランティス大陸のことが書かれていたのですね。 それに関する文献というのがあったんです。プラトンという人は、その文献を読んだことがあるのです。これがひとつ。 それからもうひとつは、プラトンという人はやはり霊能者であったのです。 現代の人たちは彼をふつうの哲学者というふうに考え、哲学者でかつ霊能者である人なんかいるわけないと思いますけれども、ギリシャの哲学者たちは霊能者が多かったのです。ソクラテスもプラトンも霊能者なのです。 ですから、ちょうど大川隆法が、いま、私の言葉を受けているように、さまざまな聖霊たちの言葉を受けておったのですね。そう、ソクラテスもプラトンも霊能者だったのです。 けれどもアリストテレスは霊能者じゃなかったんですね。その結果、彼が書いた哲学の体系というのはひじょうにむずかしいものになりました。 そしてアリストテレスという哲学者は、自然科学の祖ともなったし、まあ哲学の祖とも言われておりますけれども、ひじょうに合理主義者ですね。なぜ合理主義者かっていうと、彼自身が霊体験を経験していないからです。 つまりプラトンとアリストテレスの差はそこにあるのですね。 アリストテレスは自分より何十歳か上のプラトンを、先生が生きていたときに批判したら怒られるから、先生がポックリいってからプラトンの「イデア説」を批判しているわけです。 けれども、その批判というのはじつはあたっていないんですね。プラトンという人は霊能者であって、自分自身いろんなことを体験しておったけれども、アリストテレスはそういう体験がなかったからわからなかったことが多いのです。 その結果、西洋の合理主義文明というのが出てきたんですね、アリストテレスから。 それでプラトンの思想というのがなかなかわからなくて、オカルト的に解釈されてきたということがあったわけです。そういう事実があったのですね。 6.プラトンは幽体離脱によって如来界、菩薩界を見て「イデア説」を唱えた プラトンという哲学者は、ちょうど近代のスウェーデンボルグという大霊能者と同じであったわけです。スウェーデンボルグは科学者でもあったし、さまざまな役職も兼ねた偉い人ですけれども、この人が幽体離脱といって、肉体を抜けだしてあの世を見ていたように、プラトンも見ていたのです。 つまりあの世の世界を見てきてね、「イデアの世界」、イデアという理想の世界があるということを一生懸命書いたのです。 霊界があるとか、幽界があるとか書いたら、心霊ブームのなかの現代人はハタと膝をたたくかもしれないが、プラトンはかしこいから当時の人たちの誤解を避けてそんなことは言わなかったのですね。幽界見てきた、霊界見てきた、と言わずに、イデアの世界という理想郷があるという話をしているのです。 そしてじっさいは、あの世の如来界や菩薩界を見てきて、そこにあるものをなんとかこの地上で実現させようとして一生懸命本を書いたのですね。そういう偉い人だったのです。 こういうふうに宗教上の天才というのは、いつも、時代を何千年も抜きんでているから、その同時代に真実のことを語ることができなくて、やはり比喩(ひゆ)で語るのですね。こういうことがあったわけです。 ですから、プラトンも当時やはり幽体離脱して天上界に還って「アーカーシャの記録」って言うけれど、「アガシャーの記録」とも言いますけれども、そういう霊界の記録書というのがあるのですね。歴史書があるのです。これを見てきたのです。 そしてアトランティスというのがじっさい沈んでいるということを知りました。また彼の指導霊をしていた人も、そういうことを伝えましたね。それで文章のなかに書いておるのです。 しかし、プラトンの記述あたりで、早くも信憑性(しんぴょうせい)がなくなるのが現代です。地上の人間の理解の範囲では二千年、三千年でもとても大きな話になってしまいます。 7.アトランティスには生体エネルギーを使った飛行船があった ところがじっさいは一万年前に、アトランティス大陸が大西洋の現代のバーミューダというところにあって、ほんとうに栄えとったのです。そのときにはもう飛行機があったのですね。みなさん驚くでしょうけれど。 「飛行機だなんて、あなた高橋信次さん、あなたちょっと頭がおかしいんじゃないですかね。二十世紀になって初めて飛んだのですよ。」ってね。 二十世紀の初頭にやっとプロペラの二枚羽根の飛行機が飛びました。当時は第一次大戦のころ、まだ、そんなに実力がなくてね。 敵の飛行機とすれちがってもおたがいに手をふって「ヤーヤー元気か。」なんてね。 「イヤーワシも元気でやっとるよ。お宅、偵察ですか。」なんてね。 「偵察でやっとるんですよ。」なんてね、やっとったんです。珍しくてね。 そのうち飛行機どうしでそんな偵察のあいさつばかりしていてはいかんということで、もっとまじめに戦争しろということになり、敵の戦闘機を見つけたら、ちょっと上のほうへ飛んでいってレンガ落としたりしてね。レンガ投げつけて向こうの飛行機落とそうとしたりしました。こんなことをやっていました。今世紀の初めには。 それが第二次大戦のときにはもうゼロ戦が飛んだりね、B29が飛んだりしたことはみなさんご記億のとおりです。 そしていま、みなさんコンコルドの時代です。それからスペース・シャトルの時代です。こういうふうに時代が進んできております。 ですから人類の、どこの歴史をひも解いても、千年前、二千年前に飛行機が飛んだという話はないのです。そこで、一万年前の人の力でそんな飛行機が飛ぶはずがないとみなさん思うでしょうが、じっさい飛んどったんです。これは事実なんです。 これはこちらの世界にくるとすべて明らかになるのですね。飛行機といっても現代のようなコンコルドじゃありません、もちろん。 当時の飛行機っていうのは飛行船のようなものなのですね。いわゆる飛行船です。 そしてエネルギー源として使っておったのが、生体エネルギーってやつでね。ちょうど植物が発芽する時にでるエネルギーがありますけれども、ああいうふうに細胞分裂を起こすときに熱が出ますね。熱エネルギーが出ます。 これを転化する。うまく変化させてエネルギー源とする、という方法を当時持っておったんです。 アトランティス人というのはね。こういう変化のエネルギーというのを使ってさまざまな動力を作っとったんです。 ですから石炭でもなかったし、電気でもなかったんです。そういうふうな生命エネルギー、生体エネルギーというのを抽出することに成功して、そういうエネルギーを使っていました。これを使って飛行機を飛ぱしとったのです。 8.アトランティスの自動車はヒラメ型 あるいは地上にはね、みなさんおどろくでしょうけれども、やはり自動車に近いものかあったのです。 まあかたちはぜんぜんちがいますよ。かたちはぜんぜんちがいましてね、わかりやすくいってみれば、私が見ると、ちょうどヒラメみたいなかっこうしていますね。ヒラメかエイみたいなかっこうしてて、ああいうふうな、まあスルメですな。スルメってありますけれど、ああいうかたちしているんですね。 三角形で後ろから尻尾が出ているかたちしているんですけれども、それで下にコマが出ているのですね。コマが二輪出ています。前にひとつと後ろにひとつ。前輪、後輪がありますね。 オートバイといっしょの原理ですね。そしてああいうふうなエイみたいなかたちをしています。これで後ろにちっちゃなプロペラつけていて、これをクルクルまわしながら走っとるのです。こういう自動車がありました。こういう時代なんですね。 9.職能制民主主義があった また政治の原理ってどうかというと、政治も現代の民主主義に近いような政治っていうのがもうあったんです。 まあ民主主義というのも近代の発明かなんかに思ってね、十九世紀のリンカーン以来の「人民の、人民による、人民のための政治」なんていうので、これで民主主義の概念かでてきたなんて、進歩したなんていってるけど、とんでもないんです。 もうそんなのとっくの昔からあるんですね。アトランティスの時代にも民主主義はありました。 このときの民主主義というのはね、現在のたとえば政治の制度とちがうのです。 現代のような投票制度とはちょっとちがいましてね。いねば産業別で政治家を選出するようなそういう民主主義をやっていましたね。 たとえば農民なら農民。神主なら神主。神官なら神官ね。軍人なら軍人。あるいは、技術者なら技術者。こういうふうにいろんな「職能制」っていうのか、これがありますけれども、このなかから選挙でね、代表者を選んで政治をするようなそういうしくみかあったんです。 そしてその政治の頂点だったのはだれかというと、これが宗教家だったんですね。宗教家がやっていました、政治をね。そしてそれを補佐するのが科学者だったんです。 ですから当時アとフンティスの文明では科学が発展して、科学が宗教を助けるというようなのが原則だったわけです。 10.まちがった新興宗教家のクーデターに倒れたアガシャー大王 ところがこれがね、アトランティスの末期、いまからどうですかね、一万年前ごろ、まあはっきりした年数はいえませんけれども、そのころ、末期の百年ぐらいっていうのはたいへん時代が乱れてきたのですね。 宗教家のなかにまちがったひとびとがいっぱい出てきました。 現在も二十世紀の後半に変な宗教家がいっぱい出てますね。変な新興宗教の中には、まったくおかしな宗教家がいっぱい出てますけれども、同じような宗教がアトランティスの末期も、ボコポコ出てたんです、いっぱい。 そうしていわゆる正法神理というのが失われる時代というのがあったんです。 このときに最後の光の大指導霊としてアガシャー大王ってかたが出られたのですね。アガシャー大王というかたは、イエス・キリストの生命体の一部なんですけど、こういうかたが地上に出られました。そして彼は最高の政治指導者でもあり、宗教指導者でもあって、ひとびとに心のありかたを説いておりました。しかし、現代と同じようなまちがった新興宗教の教団というのがひじょうに大きくなってきて、いま流にいうと何百万という教団になってきて、それが政治にもちょっかいを出すようになってきた。そしていわゆるクーデターみたいのを企てたのですね。 こうして当時の王宮の中では、いわゆる光の天使たち、心ある宗教家たちがずいぶん政治、経済を牛耳っとったんだけれども、彼らを捕らえてしまったんですね。 捕らえてしまって、そしてソ連の[赤の広場]じゃありませんけれども、広場にしょっぴいて、穴を掘らし、いけにえにするというような、残虐な行為の結果、ひじょうに数多くの、何十人もの光の天使たちが彼らの手にかかって死にました。 ようするに、一時期、悪魔に天使たちが負けたようなかたちがでたのですね。そしてアガシャー大王自身も囚われの身となり、やがて死んでいきます。 11.アトランティスの沈没とアモンのエジプトヘの脱出 しかし当時、アガシャーの息子、つまり長男がいました。光の指導霊として有名なアモンはアガシャーの息子なんです。 このアモンというのが、アトランティスから逃れたんですね。まあここからいわゆる飛行船で逃れて現在のエジプトのほうへと逃げていったんですね。 もちろん、このとき、何人かの文化人たちを連れていきました。 こうしてアトランティスの文明というのが、いまから九千数百年前、一万年近く前に、エジプトの地に受け継がれていったのです。 けれどもそのあと、光の天使たちがまちがった宗教家たちのクーデターによって処刑されて、しばらくののち、アトランティスの大地を不調和な想念のくもりがおおったわけです。 そうしてやがて恐るべき天変地異が来たのですね。地球というのは、前にも言ったことがあるけれど、ひとつの生命体であってね。不調和な波動というのが地上をおおうと、地殻変動(ちかくへんどう)が起こるんです。 こういうふうなしくみになっているのですね。作用・反作用の法則になっているわけです。 それで、アトランティスを黒い想念体がおおったときに地上にやはり変化が起きて、アトランティスというのが一夜にして没したことになっています。 じっさいは三段階ぐらいにわかれたんですけれどもね。最後の島の部分が一夜にして没したわけです。そうしてまったく大陸というのが、影をひそめてしまったわけです。 そしていま、何千メートルの海底に沈んどるわけですね。こういうふうにして大きな文明が潰(つい)え去ったわけだけれども、そのころの光の天使たちの教えの一部分がエジプトに流れていきました。つまり、アモンによってエジプトに継かれていきました。 そしてやがてエジプトでもさまざまな光の指導霊たちが出て来ました。クラリオという神霊が出てきたし、そののちモーゼも出てきてるしね。エジプトというところはずいふん神理の種がまかれたところです。そりゃそうです。人類は大昔地上に来たときに、最初に着陸したのがエジプトであって、エジプトの地は昔から神理伝道の地であったわけですね。 12.日本人の源流ムー文明とインド洋のレムリア文明 さてそれがアトランティスの歴史ですけれども、アトランティスのもっと前にも文明がありました。 やはりみなさん聞いておられますけれども、ムー文明というのがあったんですね。これもやはりいまから一万五、六千年前に栄えて、だんだん消えていった文明で、太平洋にあったんです。現在のポリネシアのあたりを中心としてあったんです。 そしてこの文明もやはり沈没していきました。一部の島を残してね、そのムーの文明の子孫たちのうち、優秀な者たちがいまの日本に流れてきているんですね。日本人の源流です。 日本人というのは韓国から来ただとか、ネパールから来ただとかいろいろいっておるけれども、日本人のなかでのほんとうの知識階層っていうのは、このムーの大陸から来とるのです。そしてそののちやはり朝鮮とか中国からもいろんな人が来てまざったんですけれどもね。彼らはあとがら来た民族なんです、ほんとうは一万数千年前にムーという大陸から出てきたんです。これが日本人の源流です。ですからひじょうにレベルが高いのですね。 ムーの時代にもやはりさまざまな文明がありました。飛行機はありませんでしたけれども、船ですね、大きな艦船というのはあったのです。そして太平洋をずいぶん走り回っていました。こういう文明があったんです。 またムーの前にもレムリア文明がありました。これはいまのインド洋ですね。ここにも大きい文明がありましたね。ムーよりもっと前です。 13.現代人よ、現代文明を最高だと思うな こういったふうに人類史上では、けっして現代の文明というのが最高じゃないのです。何時(いつ)の時代にもね、ちょっと前をめくってみると、高い文明があるのです。 このように人類の文明というのは、山の峰みたいなものでね。あそこが高くなったりここが低くなったり。高くなったり低くなったりして続いてきているのです。 これが文明なんです。これが正しい文明の姿なのですね。 そして私たちは、ほんとうはここ数千年というような短い期間において活動したんじゃなくて、ほんとうの文明づくりの歴史というものは、じつは百万年よりももっと古いのです。 いま、北京原人だとか、あるいは南アフリカの原人ですか、ピテカントロプス・エレクトウスというのですか、こういうのが五十万年前だとか、百万年前だとか、いわれています。 あるいはヒマラヤの雪男が人類の祖先だとか、いろいろなこといわれていますね。けれどもそうじゃないんです。もっと昔からいるんです、人類というのは。もっともっと昔からいるんです。 「じゃあ、そんな昔にいるのに、どうしてその証拠がないのか」と。 「地面掘ったら石油ぐらいしか出てこんじゃないか」と。 あるいは「貝殻集めた貝塚ぐらいしか出てこんじゃないか」と。 「そんなの信じられるか。」というけれども、ほんとうのしくみはじつに巧妙なんですね。 じっさいに文明というのは、やはり洗いざらいというかね、新しく移るときにはひじょうに巧妙に過去の姿を消し去っていくのです。痕跡(こんせき)もなく。こういう歴史なんですね。 ですから、ほんとうは石油が出てくるような深いところにいろんな過去の文明が埋まっとるのです。そんな地表のほうにあるんじゃないんです。まあそういうことなんです。 まあ以上、今日は簡単に人類史を見てきました。新創世記って題でね。 全部は語りつくせませんでしたけれども。ほんとうの人類の歴史というのは、たかだかここ三、四千年じゃあありません。もっと古いんです。 そしてそもそも人類はどこから来て、どういうふうになったかというのは、またそれは機会をあらためて話すことがあるでしょうけれども、とりあえず地上のみなさんに言いたいことは、現代の文明が最高じゃありませんよ。過去にも現代ぐらいの文明はみんな通過してきた、経過してきた偉大な魂なんですよ。 心のなかをひもとけば、心の秘密をひもとけば、そういう叡知(えいち)がみんな眠っているんですよ。それを忘れちゃいけません。そして現代の文明のなかで胡座(あぐら)をかいておごってはいけません。 過去の宗教人たち、思想家たちは、みんな古い人だから、霊だとか魂だとか信じていたけれど、この科学万能の世の中で、そんなもの通用しないなんて知識人の多くは思っておるでしょうけれども、そうじゃないんです。それがまったく知識がない証拠なんです。 ほんとうの知識というのは、人類の文明にはなんどもなんども高い頂(いただき)があったんだということを、これを知るところから出発するんです。 ノアの洪水というような現象が起き、文明が押し流されて、一部の人だけが逃れていくという事件は、過去何回となくあったんです。 まずそれを知ってください。そしてそれを知ることこそ新しい文明を、これから創っていくためにひとつのきっかけともなり、原動力ともなるのです。 まずそうした正しい歴史観を持ってください。そうしたときに、これから二十一世紀にかけて新しい文明が起きてきます。その意味が、正しい意味がはっきり地上のみなさんにもわかるようになると思います。 ま、かけ足で見てきましたけれども、まあ新創世記ということで、まずお話をしました。明日は「甦(よみがえ)る仏教」ということで話をしたいと思います。
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問題 表示 解答 補足 『古事記』で日本に初めて誕生したとされる島です 淤能碁呂島 おのごろじまおのころじま 『日本書紀』に登場する水中に住む蛇のような妖怪 蛟 みずち 『義経記』に源義経が自刃に用いたと書かれている短刀 今剣 いまのつるぎ 「四凶」の一つとされる中国神話に登場する怪物です 渾沌 こんとん 「四凶」の一つとされる中国神話に登場する怪物です 饕餮 とうてつ 兄と大喧嘩をした日本神話に登場する神です 山幸彦 やまさちひこ イザナギがカグツチを斬った時に用いた日本神話上の刀 天之尾羽張 アメノオハバリ インド神話の神ヴァイシュラヴァナを原型とする仏教の神 毘沙門天 びしゃもんてん 弟と大喧嘩をした日本神話に登場する神です 海幸彦 うみさちひこ 桓武天皇が大鴉から授かり平家に与えたという伝説の剣 小烏丸 こがらすまる 古代インド仏教において世界の中心にあるとされた山 須弥山 しゅみせん 古代中国神話に登場する人面蛇身の姿とされる神です 伏羲 ふくぎふっき 下鴨神社の御手洗社に祀られている神様 瀬織津姫 せおりつひめ 釈迦の死後に仏典結集を開いた釈迦十大弟子の一人です 摩訶迦葉 まかかしょう 神武東征の際に、長髄彦の矢に射られて亡くなった神武天皇の兄 五瀬命 いつせのみこと スサノオノミコトがヤマタノオロチ退治に使ったとされる剣 天羽々斬 あめのはばきり スサノオノミコトがヤマタノオロチとの戦いで用いた剣 十握剣 とつかのつるぎ スサノオノミコトに退治された日本神話に登場する大蛇です 八岐大蛇 ヤマタノオロチ 日本神話で黄泉の国の火で煮炊きされた食べ物を食べること 黄泉戸喫 よもつへぐい 日本神話で、神武天皇の東征の際現れた金色のトビのこと 金鵄 きんし 日本神話で、神武天皇を道案内したとされる鳥 八咫烏 やたがらすやたのからす 日本神話でイザナギが大地をかき混ぜるのに用いた道具 天沼鉾 あめのぬぼこあまのぬぼこ 日本神話でツクヨミノミコトに斬り殺された神様です 保食神 うけもちのかみ 日本神話で日本の元となる渾沌とした大地をかき混ぜた矛 天沼矛 あめのぬぼこ 日本神話に登場するヤマトタケルノミコトの幼名 小碓命 おうすのみこと 日本神話に登場する英雄です 素戔嗚尊 スサノオノミコト 日本神話の神武東征の際に大和地方で抵抗した豪族の長 長髄彦 ながすねひこ 畑にいる案山子を神格化した日本神話における農業や土地の神 久延毘古 くえびこ 伏見稲荷大社の主祭神でもある日本神話の穀物の神 宇迦之御魂 うかのみたま 仏教の開祖・釈迦の父です 浄飯王 じょうぼんおうじょうぼんのう 仏教の開祖・釈迦の母です 摩耶夫人 まやふじんまやぶにん 宮崎県日南市の鵜戸神宮にある『古事記』にも登場する神宝 潮満珠 しおみつたま 宮崎県日南市の鵜戸神宮にある『古事記』にも登場する神宝 潮涸珠 しおふるたま 八咫鏡を作ったとされる日本神話に登場する神です 石凝姥命 イシコリドメ
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問題 表示 解答 補足 『古事記』で日本に初めて誕生したとされる島です 淤能碁呂島 おのごろじまおのころじま 『義経記』に源義経が自刃に用いたと書かれている短刀 今剣 いまのつるぎ 兄と大喧嘩をした日本神話に登場する神です 山幸彦 やまさちひこ 弟と大喧嘩をした日本神話に登場する神です 海幸彦 うみさちひこ 桓武天皇が大鴉から授かり平家に与えたという伝説の剣 小烏丸 こがらすまる 古代中国神話に登場する人面蛇身の姿とされる神です 伏羲 ふくぎふっき 釈迦の死後に仏典結集を開いた釈迦十大弟子の一人です 摩訶迦葉 まかかしょう 神武東征の際に、長髄彦の矢に射られて亡くなった神武天皇の兄 五瀬命 いつせのみこと スサノオノミコトがヤマタノオロチとの戦いで用いた剣 十握剣 とつかのつるぎ スサノオノミコトに退治された日本神話に登場する大蛇です 八岐大蛇 ヤマタノオロチ 日本神話で、神武天皇を道案内したとされる鳥 八咫烏 やたがらす 日本神話でイザナギが大地をかき混ぜるのに用いた道具 天沼鉾 あめのぬぼこあまのぬぼこ 日本神話でツクヨミノミコトに斬り殺された神様です 保食神 うけもちのかみ 日本神話で日本の元となる渾沌とした大地をかき混ぜた矛 天沼矛 あめのぬぼこあまのぬぼこ 日本神話に登場するヤマトタケルノミコトの幼名 小碓命 おうすのみこと 日本神話に登場する英雄です 素戔嗚尊 スサノオノミコト 日本神話の神武東征の際に大和地方で抵抗した豪族の長 長髄彦 ながすねひこ 仏教の開祖・釈迦の父です 浄飯王 じょうぼんおうじょうぼんのう 仏教の開祖・釈迦の母です 摩耶夫人 まやふじんまやぶにん 八咫鏡を作ったとされる日本神話に登場する神です 石凝姥命 イシコリドメ
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目次 1.心の法則はわが教えのなかの中心であった 2.物理学の作用・反作用の法則について 3.心の力の作用・反作用は「善因・善果、悪因・悪果」ともいえる 4.円高不況と日米貿易摩擦(まさつ)にみる作用・反作用 5.この世で徳を積んだ者はかならずあの世で報われる 6.人間の心の世界の作用・反作用には一定の時間が介在する 7.愛と慈悲に生きている者は、後光の量となって結果があらわれる 8.想念帯のなかの記録のテープ 9.心のなかのボイス・レコーダー 10.ボイス・レコーダーの高速復原による人生の精算 11.神理の言葉は黄金色で心のテープに刻まれる 12.想念テープの赤字を消し去るには反省しかない (1987年1月29日の霊示) 1.心の法則はわが教えのなかの中心であった さてきょうは、心の法則ということで話をしたいと思います。 まあ心の法則というのはいわばね、私の教えでいうと中心に当たる部分でもあるかと思いますね。私の場合、教えがあまり多すぎて、なにが中心だかわかんないですけれども、心の法則というのは、教えのなかのひとつの中心であろうかと思いますね。 私の一生というのは、ようするに人間の心を探究してきた一生であったわけですけれども、私自身が科学者でもあったために、心の法則というものにひじょうに関心を持っておりました。 そして心というものを、どうやって物理学的にも、説明がつくかどうかね、こういうことをひじょうに関心を持ってみていました。科学者の目で見ておったわけです。 そうすると私は、いくつかのことに気がつきましたね。 やはり心のなかにも心の作用に対してのいわゆる科学的な法則が、あるていど妥当しているのではないか、当てはまっているのではないかということに私は気がついたわけです。 2.物理学の作用・反作用の法則について たとえば物理のなかの法則で、初歩の法則のなかに「作用と反作用の法則」ってのがありますね。ま、ザーッとおさらいをしてみます。 主婦のみなさんがたは作用・反作用といっても頭がボーッとしてわからなくなっておるでしょうから、わかるようにかんたんにおさらいをしてみます。 たとえば、あなたがたが手でね、壁を叩くと痛い。手でパチッと叩くと痛いですね。イテテテッていうわけですね。 なぜ痛いかってね。手で叩いたから壁も痛い。壁も痛いけど壁も叩き返してくるから、手が痛いと。まあこうなるわけですよ。 つまり壁に加えたと同じ衝撃力をこんどは、壁が自分の手に加えておるわけですね。まったく同じ強さの力が働くのです。 ですからサッカーのボールを蹴ればね、足も痛いけど、ボールも痛いのですよ。ボールが痛いだけ足も痛いと。なるべく足が痛くないようになかに空気をいっぱい詰めてね、痛くないようにしとるわけです。 あるいはもうひとつ別な話をするとね、摩擦というのがありますけれどもね、これなんかもいっしょですね。 みなさん道を歩いているときに摩擦ってあまり感じないかもしれないけれど、川原(かわら)なんか歩いていると、前に進むためには、砂利(じゃり)とか砂とかいうものをザクザクとうしろにおしのけていかないと歩けないのですね。 砂利が、ようするに足のうしろに遠ざかって、こんど自分の体が前に動いていくんですね。これも砂利を押しやるのと逆に正反対の方向に力が働いておるわけです。 あるいはまあ宇宙空間なんかでも、まあ飛行船が飛んでいますね。しかし、宇宙空間には空気がないみたいに思いますね。こういった疑問があろうと思います。 空気がなければ、反作用がないんだから、飛行機が前に進むわけがないじゃないかと。まあこういう考え方もありますね。 たしかに大気圏内を飛行機が飛ぶためには、うしろからジェットとして火をブッブッブッ吐いていますね。お尻から火を噴いて、それが空気に当たって、空気の抵抗によって、その反発する力によって飛行機が前に飛ぶんですね。これがうしろに火を噴いたって、当たるものがなにもなければ、飛行機は暖簾(のれん)に腕押し、糠(ぬか)に釘で、前に進まないでストップしちゃうんですね。 宇宙空間を宇宙船が飛ぶのはなぜかというと、けっきょく宇宙船が自分が吐き出しているガスに当てて次のガスを吹き出し、その抵抗によって飛んどるわけです。まあそういうことがあるわけですね。これを作用・反作用といいます。 あるいはスーパーボールというのがあって、目の下からポーンと下に落とすと、だいたい同じぐらいのところヘポーンと跳ね返ってきますね。一昔前にはやった遊びですけれども、スーパーボールっていうのがあります。 これも、作用・反作用の法則です。こういうような法則っていうのが働いておるわけですね。 衝撃力、力の大きさと質量の関係というのも、物理学的にはいろいろとむずかしいことあるんですけれども、これをいまみなさんにいっても、すぐには理解できないから、きょうのところはやめときます。そこでまず作用・反作用の法則ということをさらに話を進めていくことにします。 3.心の力の作用・反作用は「善因・善果、悪因・悪果」ともいえる これはね、たとえていうと、まあ心でいいことをいつも思っている人、他人に対して親切な行為を行なっている人、まあこれも物理学的な目で見れば、プラスのエネルギーと見てもいいわけですね。こういうことをしている人はまたいいことが返ってくるね。 ところがつねづね他人を馬鹿にしている人は、やがて自分が馬鹿にされるはめになる。これが反作用です。こういうことが起きるわけですね。 あるいは古い言葉でいうと、「播いた種は刈り取らねばならぬ」ということわざがありますけれども、悪い種を播くと、悪い実を刈り取らねばいけません。あるいは、いい種を播くといい実を刈り取らなくてはいけない。 こういうように「善因・善果、悪因・悪果」ということわざがありますけれども、これもまさしく、いまの作用・反作用と同じなんですね。 昔から子供の時代からね、みなさんはいいことをしたら親や先生の覚(おぼ)えがめでたいし、大人になればいい人間になるけど、悪いことをしたら悪い因果が報いてくるぞということで、ずいぶん言われるんです。けれども、まあそれは道徳としては理解ができても、なかなかじっさいの体験としてはみなさん、経験できないですね。 それで「そんなことないじゃないですか。」と。「ヤブ医者がずいぶん儲かっているじゃないですか。」ってね。心のなかが悪くても、ボコボコ儲かっていると。そういうことありますね。 しかしね、そういうふうな悪い作用やっとると、かならず同じ大きさだけの物理学でいう同じ力の大きさですね。この反作用というのがかならずくるのです。 生きているときにどこかで、そういう悪徳医師の化けの皮がはがれて、社会的非難を受けるか、あるいは死んであの世に還ってからね、反省させられるかです。 4.円高不況と日米貿易摩擦(まさつ)にみる作用・反作用 また貿易のことなんかについていっても、作用・反作用の法則はあてはまります。日本がちょうど、この収録しているとき、円高だというんで、たいへん騒がれています。 円高だということはどういうことかというとね、円が高いということはようするに円の購買力が強くなるわけですから、買い物するときにようするに安く買えるわけですね。円が強くなるんだから、日本円で外国の物を買おうとすると安くなる。安く買えるのですね。 円が強いということは外国のものが安く買えるけど、逆にじゃあ、外国の人の立場から見て、日本の物を買おうとするとどうなるかというと、日本のものは高くなるわけですね。 たとえばラーメンが日本では一杯三百円であっても、この三百円の値打ち自体が上がってしまって昔一ドル三百円だったけれども、一ドル百五十円となったら、ラーメン一杯っていうのはニドルになるのですね。値段がニドルになっちゃう。ニドルのラーメンは高いというので食べてくれないわけです。こういうふうなことがありますね。 それでいま、円高になって不況業種がいっぱい出てきてバタバタ倒れかかっています。これなんかもひとつの作用・反作用の法則が、経済の世界にまず働いて、やがて人間自身の繁栄のなかに影響してきているのですね。 いままで日本は、たとえば円安のメリットをじゅうぶんに受けて、ドンドン輸出したんですね。輸出がうまくいくのは、物が安いから外国の人たちが買ってくれるわけです。 あなたがたでも八百屋さんとか肉屋さん行って安けりゃ買うでしょう。同じです。日本の円が安いから、日本の物が安いっていうんで、海外がドンドンドンドン買ったわけです。 お客様はね。お客様は安けりゃ買うからね、なんでも。バーゲンのとき、飛んでいくのが主婦の心理です。いっしょです。 で、海外のお客様は安い日本製品をドンドン買うけれども、外国の政府というのは、これに困ったわけですね。円が安いというのは、これはもうはっきりいってダンピングといっしょではないかって。 こんな安くドンドンドンドン売ってきて、そして外国の国内の産業を破壊しとるじゃないの日本は。そして外国の経済を破壊しとるけど自分だけが儲かっておると。いつもいつも貿易黒字、貿易真黒けの黒字なんですね。黒字なんです。 ところがアメリカの政府のほうは、赤字も赤字、真赤っかなんです。このままではおかしい。 ただもっと円が強くなってドルが弱くなって、アメリカ製品が安くなって日本で買われて当然じゃないかと。そしたら帳消しになるのじゃないかと。こういう配慮が働いてくるわけです。 そうすると、いままでの日本の繁栄の逆がくるわけですね。日本の自動車がなんでそんなに売れたかって、けっきょくのところ性能もよかったけれども安かったのですね。 安いから売れた。値段が二倍、三倍になったら売れますか。高くなったら売れませんよ。 いま車が一台いくらで買えるのか、はっきりわからんけれども、まあそこそこのふつうの車なら百万から百五十万出せば買えるでしょう。これが一台買えます。性能がいくらよくたって、これが倍になってね一台が三百万になってくると、ちょっと若い人には手が出なくなりますね。車のローンがありますけれども、三百万だとちょっときつい。車のローンがまた十五パーセントとか十八パーセントとか二〇パーセントの年利ですから、ますます高い。こういうことで買えなくなります。 いっしょです。海外の人でもトヨタの車がいくら性能がいいからったって値段が二倍になったら、そりゃあ買えませんよ。 そうすると自動車産業は不振になっていきます。これがいままで儲かっているのが当然と思っとったのが、当然じゃなくなってきたのですね。その反作用が起きてくるわけです。 こういうふうに作用と反作用というのは、物理だけではなくて経済のなかにも働いておるのですね。そりゃもう人間もいっしょです。人間の心も同じなのですね。だから日本もその自動車輸出して、儲けていたときにその利益っていうのをしっかりプールして、不況のときのために備えていかねばいかんかったのです。 それなのに儲かるのは当然だと思って、やっておると円高がきて、ガクッときて、輸出産業がぜんぜんダメになってくるんです。こうなっちゃうんですね。 5.この世で徳を積んだ者はかならずあの世で報われる 人間もいっしょです。まあとにかく金さえ儲かればいいっていうんでね、悪徳のままに心が悪いままにつっ走って十年、二十年うまくいったなんて思っていても、やはりどこかでかならずたががゆるんでパシャッといくんです。まちがいないんです。 ところが心の富を積んできた人というのは、どこかで、その恩恵を受けて、すばらしい人生の展開というのがあります。運が開けてくることがあるのです。 この世で、もしそのようなことがなかったとしても、あの世ではもっと逆にすばらしい人生が開けていく可能性が強いのです。 その典型はなにかというとね、キリスト教系でよくある話ですけれども、殉教(じゅんきょう)した人がいっぱいいますね。キリスト教では、イエス様が十字架にかかったというんで歴代のお弟子さんたちも、十字架にかかったり、焼き殺されたりしています。 私はけっして十字架を勧めておるわけではないんですけれども、彼らが心のなかで思っとったのは、やはりこの世で徳を積んだものはかならずあの世で報いられるという考えだったんですね。 じっさい、では、それぞれ十字架にかかったり、焼かれたりした聖人たちはどうかっていうと、あの世での生活はどうかっていうと、けっこうみんないい生活をしているのですね。悪くありません。ぜんぜん悪くないんですよ。まあね、この世的には悲劇であっても、あの世では悪くない。 またこの世での偉人たち、たとえばソクラテスが毒をあおって死にました。刑死です。キリストは十字架にかかりました。インドの偉大な独立の父、解放の父のガンジーはピストルで暗殺されました。またリンカーンも暗殺されました。 じゃ彼ら死に際(ぎわ)が悪いから、ほんとうに悪いところへいっているかっていったら、いっていないのですね。 まあそういう死というものをひとつの境界、境目として球がはね返ってくるわけですね。同じ高さまではね返ってくるわけです。スーパーボールといっしょで。 だからやっぱり、いい球を投げておると、いい返球があるけれども、悪い球投げてると、まともに返ってこんのです。 6.人間の心の世界の作用・反作用には一定の時間が介在する ですから壁に向かって球を投げておるのといっしょで、人生というのは全力でもって、いい球を投げねばいかんのです。 ところが、手を抜いて、コロコロ転がしたり、山なりの球を投げたりすると、まともに返ってこんのですね。そういうふうになるのです。 まあだから作用・反作用の法則というのは、「播いた種は、刈り取らねばならん」、「善因・善果、悪因・悪果」ということと同じです。仏教でいう、そういうカルマですね。カルマの法則もいっしょです。 ただ人間の心の世界のなかには、物理的な作用・反作用とはちがって、一定の時間の流れが間にあるということが問題なわけですね。 物理の法則だと、作用があるとすぐ反作用があるんですけれども、心の世界では、その反作用があらわれるまでに一定の時間の差があるのです。 そしてその時間の差というのは、人間によってちがうんですね。個の差があるんです。こういうことがいえます。まあそれがひとつです。 7.愛と慈悲に生きている者は、後光の量となって結果があらわれる それともうひとつはね、私は、光の話をしておこうと思うんですけれどもね。まあ、いまそういう「善因・善果、悪因・悪果」という単純な話をしましたけれども、逆にね、霊的な目で私たちの世界から見ていると、ようするに徳を積んでいる人たち、つまり、いつも愛ですね、愛と慈悲に生きている人たちというのは、私たちの目で見ると、ひとつ愛をポンと与えると、頭の上の豆ランプがポンとつくようになるのですね。 リンゴ一個分ぐらいの愛を与えると、頭の上にポコンと同じだけの豆ランプがつくんです。もう一個与えると、もう一個つくと、まあこういうことで、まるでマッチ売りの少女みたいなもんで、マッチを一本擦(す)ると、いろんな夢の世界が目の前に広がってくると、まあこういうわけなんですよ。 そういうことで、じっさいに他人のために生きた人、愛に生きた人というのは、自分もようするに与えただけのものが与えられるんです。それは与えられるっていうのは、人から与えられるというよりも、神から与えられるのですね。 その証拠に、与えた瞬間にその人の頭の上から後光が射しておるのです。ほんとうにいいことをした人には、後光が射しておるのです。 ですから、後光が射す条件はふたつあります。ひとつは、私がつねづねいってます反省ですね。人生における反省。自分の人生の誤りを正して悔いること。ひとつひとつまちかっかことを反省してブレーキを踏むこと。これによって後光が射してくることがあります。これは自分の心のくもりが晴れることによって光が射してくるというのがひとつ。 まあ頭だって髪の毛が抜けたらもちろん光ってきますから、いっしょで、髪の毛が抜けるかわりにくもりが取れたら光ってくるわけですね。 まあこういうことがひとつと、こういう反省だけじゃなくてもうひとつは、その逆ですね。 反省というのはマイナスの自分を修正するということですけれども、あともうひとつはプラスの自分をつくっていくこと。積極的にいいことをしていくということ。これをすると、またもちろん後光が射してくるのですね。 8.想念帯のなかの記録のテープ こういうふうに人間というのは、ソロバンといっしょです。あるいは帳簿といっしょなのですね。赤字と黒字がはっきりしているのです。 いいことをしたら黒字で書いてある。悪いことをしたら赤字でいっぱい書いてあるのです。 まあ私はよく想念帯の話をしましたけれども、想念帯のなかには、こうした記録というのがはっきりと残っておるのです。 いま、赤字と黒字というふうに単純に私は話をしましたけれども、ほんとうはそんなにかんたんなもんじゃないんですね。人間の心のなかには、想念帯というテープ、これがかくされておるのです。 いま高橋信次のこの霊言というのは、まあどこで作ったテープか知らんけど、一本四百円ぐらいのテープで、いま、録音されておるはずです。 みなさんこれは一本四百円ぐらいのテープなんですよ。こんないい話がね、一本四百円のテープのなかに収まっておるわけです。で制限時間は一回、三十分しか私はもらってないのですよ。みなさんかわいそうでしょう。 ね、読者のみなさん、三十分しかくれないのですよ。なぜ三十分しかくれないか。一章分三十分。他の霊人たちは、一章しゃべるのに四十五分の時間をもらっているのです。ところが高橋信次は一章三十分しか時間をくれないのです。 なんでこんなにケチなんだろうかとみなさん思うでしょうけど、どうも編集者たちなんかは、「まあ高橋さんというのはおしゃべりだから、よくしゃべるから、あんまり時間を与えるとたいへんなことになる。本は厚くなるし、値段が高くなって読者が困るし、原稿書くのたいへんだし、もうたいへんだから、とにかく短いうちに閉じ込めにゃあいかんから、とにかく三十分にしてくれ。」と。 そういうことで前回の本では私は三十分テープでしゃべらされたのでありますが、やはり三十分テープだとね、心ゆくまでしゃべれんのです。三十分だと途中で切れてはいかんと思って、二十七分ぐらいくると、もうソワソワしてきてもうしゃべれなくなってくるんですね。 こういう心理がありますから、それでは不安であると。まあ今回は交渉いたしまして四十五分テープを使わせていただいて、四十五分テープで三十分しゃべることにしたわけです。場合によっては三十二、三分しゃべってもね、怒られないと。まあこういう魂の自由を得たわけですね。 えーなにを話しているかというと、テープの話をしているわけです。人間の心のなかにこういうように、こりゃ何のテープかね。ソニーかね。なんというのかね。あ、TDKね。TDKのテープを使っておるそうですけど、このTDKのテープといっしょで心のなかにそういうテープ・レコーダーがはいっているのです。 「心のなかってどの辺にはいっているのですか。高橋さん、頭のなかですか。胸のなかですか。お腹のなかですか。もうちょっと下のほうですか。どこですか。」と聞く人いるでしょう。 そりゃ、あなたね、理屈的にこの世の人は人体にあてはめるからややこしくなるのであって、ポコッとTDKの四十五分テープがあるのです。それがクルクルクルクルいつも回っとって、そして生きている人間のしゃべったことね、行なったこと、思ったこと、これをぜんぶ記録しておるんですよ。 9.心のなかのボイス・レコーダー でみなさん、また話が飛んで申しわけないけれども、よく日航機の事故とかいろいろありますね。全日空の事故とかがあって飛行機が以前墜落したけど、なんかボイス・レコーダーといって磯長たちが最後まで話しているテープが残るんですね。 「飛行機バラバラで乗客みんな死んで、みんなあの世にいっちゃって、燃えちゃったのに、なんでテープが手にはいるのかなあ。」なんて思うけど、ボイス・レコーダーというのがあって特殊な性能なのですね。焼けないのがあって、それを取り出せるようになっとるんですね。 そして最後まで、「あれおかしいぞ、操縦桿(そうじゅうかん)が動かない。」とかね、「逆噴射。」とかいう声がね、ぜんぶ収まっとるわけです。そしてその飛行機が墜落するまでの、すべてを物語っています。 同じように、人間の心のなかにもボイス・レコーダーがはいっておるのです。これがあるのを知ったらね、みなさんたいへんなのですよ。これを聞かれると恥ずかしくて恥ずかしくて、どうしようもないのです。その心のなかのボイス・レコーダーが各人のなかにはいっとるのです。 そして死んであの世に還ったときに、これがね、みなさんが集まったところで、まわされて聞かされちゃうんですよ。 それがねみなさんでも、たとえば外国、海外旅行をして洋行して留学して帰ってくると、親戚から近所のみなさんが旗ふって、駅まで迎えにくるでしょう。提灯(ちょうちん)行列っていま少なくなったかもしれませんけれども。まあ洋行から帰ってくると、そういうふうに村をあげて歓迎してやってくれますね。そして帰朝報告というのがあるわけです。 同じように、この地上に生活しているってのはね、あの世から見てたらもう旅行に出ているのといっしょなのです。洋行ですね。 海外、外国へ行っているのといっしょです。ですから還ってくるとね「みんな久しぶりだねえごってね、あの世の友だちみんなやってくるのですよ。 先生や友人たち、両親たち兄弟たち、それから、昔の恋人とかね、いろんなもんがね、ゾロソロゾロゾロくるのです。 そうすると「やあ、やあ、やあ。」ってね、いいかっこうして還ってきて、「いやあ、やっと還りました。いやあ、疲れて、ほんとうに向こうの国で勉強しましてね、ほんとうに宿題が多くてもう毎日毎日ね、一日十四時間勉強していました。たしかによく勉強しましたよ。」って、「ほんとうによくやってもうたいへん勉強してこの世の、三次元の勉強をして、多くの人たちに愛され、尊敬されて石碑が立って還ってきました。」って報告しとるわけです。 「ああそうですか、じゃちょっとあなたのテープ貸していただけますか。」「テープってこの胸のなかにあるやつ、えっこれですか。」これを手をのばしてパクツととられて、「じゃみなさんこれからテープを聞いてみましょう。このボイス・レコーダー聞いてみましょう。これはこの人が一生の間、思ったこと、行なったこと、考えたこと、の意味が出てきますよ。」ってね、これがかけられるわけです。 10.ボイス・レコーダーの高速復原による人生の精算 ところが、あの世って便利で、現在でもテープの録音で高速の録音機があるそうですけれども、同じように高速復原機がありまして、あっという間にね、その六十年、七十年の一生を一時間ぐらいで再現してしまうのです。 そしてまあ文化が進んだところでは、それをもう立体的映画みたいに映し出すところまでいってますけれどもね。まあそこまでいかなくて、音だけ聞いているところもあります。まあいろいろですけれども、そしてボイス・レコーダー聞くと、ほんとう仏さんみたいな顔してね、「愛のなんとか」といってやっとったけど、ほんとうは心のなかは真黒けでね、「悪のなんとか」というような題のつくような内容なわけです。 自分が人助けのために神主(かんぬし)として一生懸命やっとったなんて思っても、ほんとうはもうザクザクザクザクお金がはいってくるので賽銭(さいせん)数えるのがたいへんでね。 実態は初詣(はつもうで)なんかどうでもよくて、初詣でもうプアーと雅楽(ががく)をやっているときにね、今年の賽銭いくらはいるかそればかりが心配で心配で、宝くじがほうり込まれたりしたら、それが当たっているかどうかが心配でどうしようもない神主さんていっぱいいるんですね。 宝くじでほうり込まれたやつが、当たっとったら、これでもって新築ができる。これだけで車が買えるとか思っとるわけです。 まあこういうことが正月の行事で、プアーという音楽が流れたときにいっしょにこの宝くじいま、前の人が一個ほうり込んだ。これは当たるかなあ。これはなんかジャンボらしいぞ。ジャンボ宝くじで、一本七千万当たるらしい。これはほしいね。第一勧銀にあとで聞きにいかにゃならんとかね、こんなことを考えてます。こういうのがぜんぶわかっちゃいます。そういうことが恥ずかしいわけですね。 「じゃ高橋信次よ、お前が死んだときはどうだったか。還ったときにお前だって日航機の墜落みたいな感じで、四十八歳で墜落したんだから、墜落したあとで、ボイス・レコーダー取られて、それでみんなに聞かれたのと違うか。」と。そういう人もいるのでしょう。 まあそうはいかんのです。まあこちらの世界でも、武士の情けということがありましてね。いやしくも心の教えを説いた大先生のかつての素行をみんなで洗いざらい検討して、頭を叩くなんてことは、そんなことはありえないのです。 高橋信次のように生前悟りを開いて、多くの人たちを救った人が、洗いざらいね、その悪業の数々をね、つまびらかにされて、そしてみんなに知られてはずかしめられるということ、そんなことはないんです。 そりゃやっぱり谷口雅春先生ではありませんけれども、一直線にもちろん還ってきたわけです。天上界の最上段階へまっすぐ還ってきたわけです。 11.神理の言葉は黄金色で心のテープに刻まれる そういうことであって、だれでもかれでもボイス・レコーダーを点検されるわけではありませんけれども、そういうボイス・レコーダーというのがあって、それはかならずみんな記録されているのです。 それを霊視すると、そのなかにいろんな文字が刻まれているのです。たとえば私がいま語っているのは神理の言葉ですけれども、まあ神理かどうか怪しいという人はいるかもしれませんけれども、まあいちおう神理の言葉なのです。 神理の言葉っていうのは黄金色で刻まれているのです。黄金色の文字がね、はいっているのですね。 だから一日十時間つまらない仕事して、あと帰ってカアちゃんと喧嘩して夫婦喧嘩して、でそのまま寝ようかと思ったけれども、このままじゃいかんと思って、『心行(しんぎょう)』、あるいは『正心法語(しょうしんほうご)』を二十分、三十分ぐらい読んでおると、その間の経文を読む心の波動は黄金色の波動で、想念テープのなかにはいっているわけですね。 そうすると二十四時間のテープのなかの三十分ぐらいは黄金色の波動がはいっているわけです。これは神理に触れた時間ですね。神理に触れたり、神理を語った時間は黄金色です。 ところがまあいろんな色があるけれどもね、たとえば猜疑心(さいぎしん)、こういうのは緑色で書かれていますね。猜疑の目でもって人を見た人は緑色です。あるいは暗褐色(あんかっしょく)に近いですね。 あるいは嫉妬心(しっとしん)。嫉妬心なんていうのはこれも赤黒い色で書かれているのです。 あるいは他にもいろいろありますね。たとえば愚痴(ぐち)。愚痴っていうのは、灰色の文字で書かれています。 こういうふうにいろんな感情の色に合わした文字でテープがいっぱい書かれているのですね。 あの世の光の天使たちから見れば、生きている人間のそうした想念のテープを読みとるぐらいかんたんなのです。パアーツと見たら、全体の色調をパアーツと見たら、「ああこの人は黄金色っていうのはまあ十年に一回ぐらいしか出てこないなあ。」なんて。 真赤な色なんて毎日出回ってね。ピンクの字で書いているのはこれは女の子の尻ばかり追いかけているのにちがいないってね。女の子のことばかり考えているとピンクになるわけです、字がね。もうなんかテープがそのへんだけピンク色に変色していたりしているのですね。こんなことがあります。 まあそういうふうに想念のテープを読まれると一発でわかっちゃいます。こういうふつに心のなかの思いというのは、レコード盤とか、まあいわゆる想念のテープとかがぜんぶ記録されているんですよ。まず、これを知ってください。 12.想念テープの赤字を消し去るには反省しかない 地上のみなさん、このことを知るとね、ほんとう、悪いことを一秒も思えないのですよ、恥ずかしくって。ぜんぶ記録に残るんです。私が霊言を吹き込んだテープは消そうと思えば、いつでも消せるけども、心のテープっていうの、これは消せないのです。これはもう何億年たっても消せないのですよ。 これを消すためには、ようするにマイナスのことを打ち消すだけのプラスのことをいれないと、差し引きゼロにならんのです。これをするために地獄というところで反省をしとるんですね、みんな。マイナスのテープ持った人間がようするに反省によってね、そのマイナスを帳消しにしてもらうために、やっとるわけです。 で、悪事そのものというのは消えないのですね。赤字で書かれた悪事というものは消えないんだけれども、その分だけ黒字でいいことを書いてくれたら、差し引きゼロにしてくれるんです。そういうふうになっとるんですよ。 まあそういうふうに心の世界でも、左右対称に貸借対照表のように赤字と黒字というのがはっきりしているんですね。 そういうことで、まあきょうはいろんな話をしましたけれども、心の法則ということでね、作用・反作用の法則ということと、それと心のなかにはテープというのがあってね、想念帯のテープというのがあって、そのなかには一生の記録がぜんぶ、記されています。ですからその記録をよくするために、人間は努力していかねばいけませんよと。まあこれにとくに注意してくださいね、まあそういうことですね。 たとえば風邪をひくことはだれでもあるけれども、風邪をひいているときにどういう思いを持って風邪を一生懸命ひいとったかが、その想念のテープのなかに記されるのです。ここが肝腎(かんじん)なわけですね。まあこのへんよく考えて、努力してみてください。