約 33,584 件
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/38.html
木綿と柳(柳)~イ・ナムギョの日本語源流散歩14(機械翻訳) 故大魚には衣類に関するおもしろい言葉もたくさん残っている。 私たちの韓服には粋で長く伸ばして浮かび上がるだろうはひもがあるのに,この 膿 が日本で行けばそのまま 服 という(のは)話の コロモ (衣)となる。 小売り(そで) とは 牛のに (袖), 針 とは 下痢 (針), 織機 を ハタ (端), 縫う とは 迷惑右 (縫う), 無名 とは 某担いだ (木綿), 苧麻 とは 無視 (苧), 今しがた とは 歌詞 (笠), どんぶり とは 紗羅 (皿), 瓦 とは 行ってきなさい (瓦), 御輿(窯) とは 御輿(窯) (釜), ナベ とは ナベ (鍋), 焼く とは クベル (焼る), 銅(九里) とは 行くよ (銅), 鉛 とは ナマリ (鉛), 鉄 とは テス (鉄), 鎖 とは クサリ (鎖)でこうした話らは遠い古代には全部同じ発音であったのを知ることが出来る。 この文を書いている今は春だ。 外には暖かい日差しがあふれて,淡い葉を芽のふり泣くヌンスボドゥルがはためいている。 このヌンスボドゥルを日本語では 柳 (柳)というのに,その語源は韓国語の 年限期 だ。 淡い木 ,こういう考えてぼんやり外を見ていていたら故郷川辺のポドゥルが思い出す。 "そうとも! この気持ち焚いた。 後方の山に行って 残ること してこいとのおばあさんのお言葉に籠を持って後方の山に行っただろう。"とても遠い昔のように感じられる私の幼い時期! 国民学校1,2学年の時ぐらいであったか? 今は記憶も特使米沙下(サハ)だ。 古代の百済や新羅時代と政経が必ず同じだったその時期! 長い長い冬の夜灯皿明かりをつけて勉強しようとすればオオカミらが群れを成して村に降りてきてそうするときは子犬らは床下で忍びこんで,ぞっとしたなき声のために恐ろしくてふとんをかぶって外にも出て行かなかったその時思い出が生々しい。 その中でもとても強烈に残っている思い出があるならば,それは虎と二人だけでぶつかり合った事件だ。 残ること しに後方の山の渓谷で行って一人で松かさを拾って何かソムチタン感じがして上(胃)を見つめると,3,4mにもなる絶壁の上側の横になった松の後岩で小牛ほどの虎がにらんでいるのではないか! 明らかに縞があったし赤々と燃えるまなざしは一気に圧倒されるほどの威勢であった。瞬間的に感じる危機に背筋が寒くなりながらも松かさをぎゅっと握って共ににらんで,そっと後ずさりをして上手くも無事に逃げて出たその時があたかも夢のようだ。 多分その虎は結局お腹がすいていなかったことだろう。 私は時々難しいことがあれば それしきのこと何? と考える。 虎にも抜け出した私なのに という自負心が後から支えるためだ。 そういえば自然も,言語も,そして私も今はあまりにも変わってしまった。 "木を 残ること といったところで-. それで スベスベするように揺れる淡い木 を 年限嵐気⇒年限期 になったことで,その 年限期 が変わって 柳 になったよ。 音,果たして! そういえば木の特性をよく把握して作った素敵な名前だね! ところでどうして韓国語の 年限期 とは バードを に変わったのだろうか?" その理由はもう少し調べてみなければならないことだ。 [2009/04/08] ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-14]木綿と柳(柳) http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=15674 yy=2009 ※この記事はexciteの機械翻訳で生成した記事です。内容が不正確な場合がありますので、ご了承ください。
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/52.html
※注意 この記事は、時系列的に26番目の記事ですが、元サイトで25と記載されています。 「万の神」のヨロズもカミも、カムナビも韓国語由来~李南教の日本語源流散歩25 神といえば韓国の人々は全知全能な唯一神を考える。 しかし日本の神はそうではない。全国に数十万もある神社に祭られる 神々はその領域により各々違う役割を果たしている。勉強ができるように する学問の神、配偶者を求める縁結びの神、お金が儲かるようにする七福神、 火災予防の神、航路の守護神、豊作にする神、等とても多いが、このため、 日本人らはこれを「ヨロズノカミ」すなわち「多くの神々(マヌン シンドル)」という。 「ヨロズ(万)」という言葉を辞書でひいてみれば、「マン(万)の子供式表現」と なっており、「ヨロズヤ(万屋)」といえば、「よろず屋(マンムルサン)」という意味だ。 「ヨロズ」という言葉は韓国語の「ヨロッ(多数)」という言葉に由来したもので、 「多数(ヨロッ)」すなわち「多い(マンダ)」という意味だ。 とにかく日本の神々は人間世界の職業ほど細分化されていて、その役割もまた 多様だ。ところで、この神々の中にも大王神がいる。その神を「スサノオノミコト」 (素盞鳴尊)といって、新羅からきたとされるため「シンラシン(新羅神)」とも言う。 島根県の出雲大社がその神を祭ったところで、陰暦10月には日本全国の神々が ここに集まって会議をするという。そのため、日本は陰暦10月を「カンナズキ」 (無神月)すなわち、「神のいない月」という。したがって陰暦10月に神社に行って 祈る人は何も分からない馬鹿(村八部)として扱われる 史書を見れば「毎年陰暦10月には日本の神々が新羅神らを招へいして、 会議や歌舞を楽しんだ」とあり、毎年陰暦10月になれば偏西風が吹き、 新羅から船を出して1週間ほどでこちらの島根県近海に到着したという。 それで日本の神々は刈りいれが終わったこの時期に韓国の神々を招請して、 共に楽しんで交流したのではないかと言える。そして「神(シン)」を「カミ」と いうのは、これは私たちの神話の「熊(コム)」に由来したもので 「コム⇒カム⇒カミ」に変化したのだ。 韓国では古代から神木を「カムナム」といって、昔は田舎に行けばカムナムに 縄を縛り付けて蒸し餅を入れて祈る風景がしばしば見られたが、このカムナムが 移転したのが日本の「カムナビ」(神奈備)で、これは「神霊が宿った山や森」を 示す言葉だ。 私は日本の神社の神々を調査してみてびっくりしたことは、これらはすべて 家系図を持っていて、彼らの故郷が伽揶、新羅、百済、高句麗と全部古代韓国 だという。どうして日本人たちは私たちの先祖を自分たちの神として祭っておいて、 祭祀を行って担ぐのだろうか?この点は次の機会に詳しく説明したい。 写真:慶一大総長・李南教(イ・ナムギョ) ソース:(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩25]カミサマ(神様) http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=29420 yy=2009 http //takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1246538386/
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/41.html
ほんね たてまえ ~イ・ナムギョの日本語源流散歩11(機械翻訳) 日本に勤める時私はいつからか韓国と日本の国民性を比較するクセができたし, なぜそうか? とする疑問もいつも頭どの隅にあった。例えば,汽車に乗ってソウルから釜山(プサン)まで旅行をするといおう。韓国人らならばソウルで汽車に乗って,水原(スウォン)もまだ行く前に焼酎にイカ橋(脚)を薦めて,そばに座った人と話を始める。 "どこまで行って下さい"で始まる話は20分も過ぎる前にこの人はどこに住む誰で,職業は何であり,家族はどうであれ,するなどの身上明細を広々と知って,別れる時ぐらいなれば10年もつきあったように親しくなる。 ところで,反対に日本の汽車旅行はそれこそ孤独と思索と読書の 私一人で旅行 ということができる。本を見て疲れれば寝て,腹がへれば エキベン (逆弁当)に ワン鼻ふうっと (ウォンカップ・清酒一杯)と,そのように言葉なしに数時間の旅行を一人で静かに送るのが一般だ。 どうしてこのように違っているか? 日本語には ほんね (本音)と たてまえ (建前)という話がある。ところで, ほんね (本音)は 本心,みた心 を指す言葉だが, たてまえ は何か? 韓国語と解釈すれば必ずこれだとつねって備える言葉はないが,無理に翻訳するならば 表面心 というか? ’型食積の例の と言うか? とにかく韓国ではこうした話を考えさえしてみたことがなくてこれを適切に駆使する日本語にはただ慌てるだけだ。しかし,私は時々この たてまえ がとても良いことだということを感じる。たとえ,気持ちがちょっと悪くても相手方に気分が悪い表情をしなくて,親切に愛嬌を帯びて応対するデパートの店員等を見るときは,どれくらい気持ち良いことなのか! 共に生きる世の中,自分の気持ちだけでは生きることはできないのではないか? もしかしたら人を配慮するこの たてまえ こそ現代人が整えなければならない最も重要な 神社(紳士)の徳性 かも知れない。他人に弱点を捕えられるのを嫌いな日本人の気質が作り出した賢くてすばらしい話,それが たてまえ (建前)だ。 そして 楽しい という話は日本語で みな遊ばれ (楽しい)というのに,この話(言葉)は韓国の 端午 が語源だ。端午は陰暦5月5日で,田舎女性らにあっては1年中最も大きい楽しい日であったのに,この日は菖蒲物で髪を洗ってリボン編んで全村の人々が一緒に集まって近い山に行って川漁をしながら食べて飲んで楽しい一日を送ったが,今は農村でもこういう風習をなかなか探してみるのが難しくなった。 [2009/03/18] ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-11] ほんね たてまえ http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=12182 yy=2009 ※この記事はexciteの機械翻訳で生成した記事です。内容が不正確な場合がありますので、ご了承ください。
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/58.html
ひとつ、ふたつ、みっつ~イ・ナムギョの日本語源流散歩45(機械翻訳) 慶尚道に人々は何をくれとする時 も と言う. でもちょっと度 すれば 私にもちょっと与える という言葉でみたいな韓国語でも初めには通訳が必要な位だ. こんなに くれ と言う言葉を も ラギもしかし, 時には 株 とも言う. ところで日本語の数字世紀は一から十まで皆 ドル と言うこの も や 株 という言葉が付く. 古代大和言語を研究した言語学者朴屏息さんはこの数字世紀を面白い発想で解いた. オリン子供達が最初 一つ, ふたつ, 三つ を俳優はのはお母さん胸の中にアンギョソなのに 一から十まで 世紀のこの言葉は実は ヒフミです, 吏務ナナなのゴゴナも と言う男女間の親しい話を誰かが初めにはいたずらっ気を持つ一字ずつをいじめで ドル と言う言葉をブッヨで作ったはずだする. ここで ヒフミ は子供名前で 吏務ナナなの は この痛い , ゴゴナも は 証拠羅州(それ私に与える) という意味だ. これを再びプール魚譜なら ヒフミですこの痛いそれ私に与える と言う言葉でこれを一字ずついじめでくれと言った言葉が日本語の 一つ, ふたつ, 三つ… になったと言うのに次のようだ. ヒドツ(一つ), フダツ(二つ), ミッツ(三つ), ヨッツ(四つ), イツツ(五つ), ムッツ(六つ), ナナツ(七つ), ヤッツ(八つ), ゴゴノ-ツ(九つ), 度(十) でこれを再び古代語で読んで見れば ヒドズ, フダズ, 味到株, 尿道株, 利刀株, 武道株, ナナ株, 夜盗株, 考古羅州, 度 になる. とにかくリフレーンのように付けた も や 株 はこのような朴屏息さんの理論が全然グンゴオブヌンの話はいやというのをよくタジョボなら充分に納得するに値する. そしてこの言葉は日本列島に彌生文化を持って来た洛東江上流伽揶族の言葉, すなわち古代慶尚道方言から始まったことだする. このようにした字ずつポブアネで作った ヒドツ, フダツ, ミッツ…度 は日本語の縦書き取りとも脈を一緒にするのにこんな縦書き取りは日本のすべての教科書や, 新聞, 小説などで使われるありこれは平等よりは垂直概念を持つようにする心理的教育法で日本人たちが政府権力に何でも柔順による国民性を持つようにすることと深い連関がある. 今日ハングルや英語は全部横書きなのに比べてまだ日本は縦書き取りを楽しんで行うあり時々横書きするのを言った日本語も見るがこういう時には英語や韓国語のように左側で右側に使うのではない, 逆に右側で左にソナガンダ. とにかく日本文化は分かれば分かるほどミステリーが多いことを感じる. [2009/11/11] ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-45]ひとつ、ふたつ、みっつ http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=48717 yy=2009 ※この記事はexciteの機械翻訳で生成した記事です。内容が不正確な場合がありますので、ご了承ください。
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/19.html
日本語の基本骨格は古代慶尚道方言、「ト クロンデ」→「ところで」等~イ・ナムギョの日本語源流散歩35 私たちの「荒城の跡」のように日本の人々が好む「こうじょうのつき(皇城の月)」という歌の歌詞に「イ ズコ(何處)」という言葉が出る。人生のはかなさを感じさせるこの歌を聞くたびに思い出す人がいる。 それは朴正煕(パク・チョンヒ)大統領だ。お酒を飲めば「荒城の跡」を歌ったといい、この「皇城の月」 の「イズコ」で強く虚しい感慨を感じたことだろう…。 私たちの古代語「オドゴ」が原形の「イズコ(何處)」は人生無常の哲学を内包した「オディニョ(どこへ)」 という意味だ。日本初の渡来人は伽揶から渡っていった関係で今でも日本語の基本骨格は古代慶尚 道(キョンサンド)方言で形成されており、現在でも聞けば日本語なのか慶尚道なまりなのか区別でき ない場合が多い。 慶尚道方言の特色の一つは言葉の前に「ト」字を付けることで、どんどん増えるという意味の「ト ノロ (また増えて)」と言うところを日本語では「ツノル(募る)」と言い「ますます激しくなる、より増す」という意 味、「ト モオダ(また集める)」は「ツモル(積もる)」で「積む」という意味だ。 また別の話を始める時「ト クロンデ(またところで)」というが、この言葉は日本語「ところで」であり、 「ト オチヨ(またどうしてです)」という言葉は「どうしょう」で「どのようにして」という意味だ。 「ト オチョルカ(またどうするだろうか)」は「どうするか」であり「ト オチォリャ(同上)」は「どうするや」と なる。「ト モハグ(また何して)」は「ともかく」であり「ト マルヘ(また話して)」は「とまれ」、「ラグ マル ヘ(と話して)」は「かくまれ」、「トモ マルヘ(トモ言って)」は「ともあれ」で「何といおうが」という意味だ。 このように発音も似ているが、意味もほとんど同じ用途で使われ、省略が好きな慶尚道の言葉の特徴 がそのまま今日の日本語の特徴になった。例をあげれば「クロケド(そんなに)」が「クケド」、これをさ らに減らして「ケド」というが、これを日本語にすれば「けれども」「けれど」「ども」になって、慶尚道方言 がそのまま日本語になったことが分かる。 同じように「クロタケド」の略語の「クケド」や「タケド」も日本語では「たけど」という。また「トクト オプタ (とんでもない)」の「トクト」も日本語では「とても」「とっても」「とんでも」などで場合により強調用法で使 われており、今日なら原作表記法に抵触して当然、訴訟のタネになるかもしれない? 慶一大総長・イ・ナムギョ http //www.imaeil.com/news_img/2009/cul/20090901_153948000.jpg ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-35]‘どこで’とイズコ(何處) http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=38594 yy=2009
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/23.html
君と僕は金と朴、君が代は「キム家の世の中」という意味~イ・ナムギョの日本語源流散歩28 私たちは目上の人に自分を謙遜して話す時は「チョ(私)」と言い、自分と同格か下の人には「ナ」とい う。日本語も私たちと同じで目上の人には「ワタクシ」(私)、同格か下の人には「ポク」(僕)という。また 相手を指す時使う「ノ(君)」という言葉は、相手が自分と同じか低い時だけ使うべきで、目上の人に使 えば非常に失礼になる言葉だ。日本語でもこれと同じ用法で「キミ」(君)と言うが、これは「キム」(金)が 変わってなった言葉だ。そして「ナ」にあたる「ポク」(僕)もやはり「パク」(朴)が変わった言葉だ。それで はどうして「キム」と「パク」が「キミ」と「ボク」という言葉に変わったのだろうか? ここにはとんでもない歴史的秘密が隠されている。今から1千600年余り前に遡ると慶尚道(キョンサ ンド)に「伽揶」という6つの小国があり、これらは連合して「伽揶連盟体」を結成していた。この伽揶連盟 体の宗主国である大伽揶は今の高霊地方に位置しており、国名を「ミオヤマグク」(弥烏耶馬国)と言っ て「パク」(朴)氏が王だった。そして今の金海地方には金官伽耶があったが、国名を「クヤグク」(狗耶 国)とし、「キム」(金)氏が王だった。ところが慶州(キョンジュ)を中心にした新興国家、新羅が勢力を ますます拡大し、不安を感じたこれらの一部は日本に渡り始めた。そして長い年月に大伽揶を中心に した一族は大阪周辺の明日香に「ヤマトグク」(耶馬台国)を建設し、後発の金官伽耶は九州地方に「ク ノグク」(狗奴国)をたてることになる。ところで勢力が強かった大伽揶の高霊朴氏は朴氏なのでポク (朴)、相対的に弱かった金官伽耶の金海金氏はキム氏なのでキミ(金)と言った。これが自然に勢力を 含んだ「君」、「僕」という呼称に変わったのだ。 その後流れる歴史の中で耶馬台国と狗奴国は互いに対立するようになり、耶馬台国の崇神天皇が狗 奴国を攻撃したが、むしろ敗れて、その時から日本列島の覇者は朴氏から金氏に変わることになった。 日本天皇の姓が「金海金氏」という声もここから出てくる。このような歴史的な理由から「キミ」(君)とい う言葉を人称代名詞で使う時には「君」(チャネ)と相手を低くする言葉になるが、「天皇」を象徴す る「キミ」(君)で使うときは極めて尊厳な尊称語となる。日本の国家を「キミガヨ」(君が世)と言い、これ は「王様の世の中」という意味だが、本来は「キム家の世の中」ということだ。 慶一大総長・イ・ナムギョ http //www.imaeil.com/news_img/2009/column/20090714_150638000.jpg ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩28]キミとポク(君と僕) http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=31668 yy=2009
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/37.html
ソウル~イ・ナムギョの日本語源流散歩15(機械翻訳) 韓国のすべての都市は漢字で表記することができるのに,唯一修道人ソウルだけはハングルでだけ表記するだけ漢字語はない。 それで漢字圏国家の東南アジアや日本,中国などでソウルを表記する時あい路が多い。 国際郵便を送る時もソウルだけは英語で Seoul と表記する他に別に方法がない。 ソウル オリンピックが決定された時もソウルを セウル と発音するのを見て,日本の人々が ソウル (ソウル)というのを叱ってばかりはいられないと感じた。 それなら ソウル はどこからきた話なのか漢字語がないことであろうか? ソウルは本来 首都 を意味する言葉として,その語源は新羅時代の首都 慶州(競走,傾注) を 徐羅伐(ソラボル) といったところで出発したという。 もう少し詳しく話せば, 徐羅伐(ソラボル) (徐羅伐)の ラ (羅)は 国 ,すなわち国土を意味して ハチ (伐)は故大魚で 広い野原 ,すなわち首都をいったことで, での国の首都 という意味なのに,この言葉が後で 徐伐 (徐伐)になって,また ソウル に変わったという。 ところで日本にもこのソウルが変わった名前の指名がとても多い。 古代カヤ族が日本へ渡ってきて一番最初席を占めたという所が福岡市西側のマエバル(前原)時なのに,こちらは古代の伊都国でその背後にある山が 歳後リ産(山) (背振山)だ。 この 歳後リ (背振)という話やはり 徐伐 で来たもので ソウル という(のは)話だ。またマエバル市には カヤ山 (可也山)もあるのに,これもやはりカヤグクの 行ってこそ からきた話であり,この地域の カニが (芥屋)という知名度 行ってこそ という言葉が変わったものだ。また福岡市サワラグ(早良区)という知名度 買ってこい (早良),すなわち ソウル という(のは)話で由来したのだ。 旧摩耗も(能本)県にある 阿蘇山 (阿蘇山)は活火山で,火口に火と水が共存していて見る人々に自然の神秘だということを感じさせるのに,古代人らはこの山を 瑞山(ソサン) と呼んだ。これが歳月と一緒に 所産 で変わって,ここに 偉大な という(のは)意味の接頭語 ア がついて 阿蘇山 になったが,これも 偉大なソウル産(山) という意味から出た言葉だ。 ところで阿蘇山の高さが1,592mで壬辰倭乱が起きた年と全く同じで,我が国の人々は一度聞けば忘れようとしてこそ忘れることはできない妙な山だ。そして我が国檀君神話のように日本の建国神話に出てくる 践祚代わりに すなわち アマテラス五大上 (天照大神)の名前を セオリツヒメ (瀬織津比羊神)というのに,ここで 数えてくるだろう とは 数えてくる すなわち, ソウル という(のは)話で, ス とは ウイ , ヒメ とは 王女 という言葉で, セオリツヒメ は古代の慶州(競走,傾注)を指し示す ソウルの王女 という話だ。 そして二シーンを仕える新宮を 伊勢神宮 というのに,この 伊勢神宮 もやはり本来は 西宮 として前に接頭語 これ がついて で になって,これが 二世 (伊勢)で変わったものだ。したがって伊勢神宮は ソウルの王女がおられる西宮 すなわち ソウル宮 という意味だ。 そのように見れば ソウル という(のは)話は韓国では国家の 首都 で,日本では日本建国神話の 国調神(靴) で,二つともとても大切に両国国民から愛されていることだ。 韓日両国に妙な縁を持っている ソウル という(のは)話の意味を新たに再確認してみる。 [2009/04/15] ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-15]ソウル http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=16858 yy=2009 ※この記事はexciteの機械翻訳で生成した記事です。内容が不正確な場合がありますので、ご了承ください。
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/57.html
「アワッテ」が「アワテル」に、日本の方言は古代韓国語の「言葉の化石」~イ・ナムギョの日本語源流散歩44 渡来人らの言葉が土着化した例をさらにいくつか見てみよう。長い間待ち望んでいた誰かが、突 然船に乗って現れた時、この消息を聞いた人はあまりにもうれしく、慌ててどうすればよいか分か らないだろう。 「アワッテ」という言葉は上のような状況の中から出た言葉で、そこから生まれた言葉が「あわてる、 慌てる」という意の「アワテル(慌てる)」だ。物を保管するという「カッタドゥダ」は似た形で残って、 「カタスケル (片付ける)」であるが、その意味は机を「カタスケル」といえば「整理する」、問題を「カ タスケル」といえば「解決する」、娘を「カタスケル」といえば「嫁がせる」、邪魔者を「カタスケル」と いえば「殺す」で、その時その時の状況によって整理する方法を別にしている。 「マチァムヘ」といえばこの頃の若者たちは首をかしげるかも知れないが「とても清楚だ」という韓 国語で「真実で誠実な」ことをいう。このような「マチァムヘな花嫁」は70年代までなら、最も良い良 妻の代名詞であった。この言葉は日本語では「マジメ(真面目)」であるが、漢字表現そのままその 人の真の姿が分かる「真心、真に、誠実、着実さ」という意味を内包している。そして「モヨラ(集ま れ)」という「アツマレ(集まれ)」、「コマン」は日本語で「コバム(こばむ)」で「拒否する」という意味。 手を「展開する」という日本語で「ヒラク(開く)」、「重なる」という「カサネル(かさねる)」、「ソックチダ (ほとばしる)」という「ソビエル(そびえる)」、「ムルダ(熟して柔らかい)」という「モロイ(もろい)」で、 こういう発音を聞くと一瞬、韓国語と勘違いするほどだ。特に古代韓国語は日本の地方の方言の 中にたくさん残っている。 福岡には「ブルティ カテ(火の粉のようだ)」という言葉が変わった「フテガッテ(ふてがってぇ)」があ り、これは「びっくりすること」を現わす言葉だ。嫌いだという意味の‘嫌いだろう’という「シロシ(しろ し)」であり、言葉の後ろに「~ダイ、~マイ(~だい、~まい)」を付ける習慣は慶尚道(キョンサンド) 放言の「カンデイ, カンダイ, カンマイ」という表現と同じだ。 熊本では「ムチォク(非常に)」を「ムシャ(むしゃ)」、「カブル(ふざける)」は「カブル(かぶる)」といい、 長崎では「マルスム(お言葉)」を「マッセ(まっせ)」、「カンドガチ(強盗のように)」を「カンドグチ(が んどくち)」というが、これは「思い出した通りぷつんと吐きだして憎しみを受ける口」を示す言葉だ。 鹿児島では臭いの「ネ」が「ニエ(にえ)」、答える時の「イェ(はい)」が「イイエ(いいえ)」、「カチ(一緒 に)」が「カッスイ(がっつい)」、「ピョンジ(手紙)」は「ヘンジ(へんじ)」となった。 このような方言は日本全国に無数に多い。そしてその語源を確かめてみれば全部古代韓国語に ルーツを求めることができ、このような方言こそ古代韓国語の「言葉の化石」ということができる。 慶一大総長・イ・ナムギョ http //www.imaeil.com/news_img/2009/cul/20091103_152002000.jpg ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-44]‘アきたって’が アワテル http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=47713 yy=2009
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/28.html
両班(ヤンバン)と侍(侍)~イ・ナムギョの日本語源流散歩25(機械翻訳) よく日本は 刃物の歴史 であり韓国は 筆の歴史 と話す。 刃物の主人公が 侍 ならば筆の主人公は 両班(ヤンバン) とすることができる。 侍と両班(ヤンバン)は両国全部支配階層であり身分が高いという面では同じだが,その過程には厳格な差がある。 日本の侍は生まれる時からその身分が明確に決まるすなわち,大名(君主)や将軍家で生まれれば大名や将軍になって,無事家で生まれれば侍,平民や賎民は先祖代々その身分から抜け出すことはできない。 しかし私たちの両班(ヤンバン)は全く違う。私たちの両班(ヤンバン)制度は平民ならば誰も皆両班(ヤンバン)になることができることだ。 過去試験 という制度があって誰でもこれに合格だけすれば両班(ヤンバン)になって,このような両班(ヤンバン)身分は息子と孫の3代まで続く。このように若干は民主的な方式を経て身分上昇の機会が与えられた韓国に比べて,日本侍はそのまま一族により身分が決定されたのだ。 韓国の人々が日本行って一番羨んでしょげるのは,このうどん屋は5代目80年になったとか,この陶磁器は14代目 400年になったとかという長い伝統に対して聞く時だ。私たちは私がした職業を子供孫に譲ることがきわめてまれなことなのに,日本は立派な大学を卒業して良い会社に通いながらもうどん屋の伝統を受け継ごうと職場を止めて帰郷する人々をたびたび見て,またそのようなエピソードが美談で時々新聞紙面を飾る。 ,それで日本がこのように発展するようだ。なのでその分野の専門家になるほかはないだろう,ウドンを80年も作るとは! 本当に といいながら皆が首を縦に振って感心班尊敬班で心までぴったりchop日が沈む。それと共に一方では私たちのトゥムジクソンオムヌン伝統と薄い文化に慨嘆までする。 両親がしてきたので嫌いでもそのまままねなければならないという日本式伝統は日本社会の歴史をまともに見抜かずにはそのまま限りなく長所にだけ見える。 日本史を見れば近代に至るまで厳格な君主制で,大名すなわち君主らが各々牛王国のように国を経営していた。大名らは独立採算制だったために,万一自分藩で塩焼く人がなければその塩を隣バンで高く買ってこなければならないので自給自足のために代々その職業を継承するようにした。したがって国民らに職業を変えられないように規制して,マンイルを反すれば死刑に処したし,逃亡でも打つならば賎民で転落するから国民らはそのことを継続するほかはなかった。 私たちのようにある程度職業移動が可能だった社会ではなかった。 [2009/06/24] ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-25]両班(ヤンバン)と侍(侍) http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=28342 yy=2009 ※この記事はexciteの機械翻訳で生成した記事です。内容が不正確な場合がありますので、ご了承ください。
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/21.html
日本語の「アゴ」は「アイゴー」から、目・鼻・口は古代伽揶族の言葉~イ・ナムギョの日本語源流散歩33 私は「イウとキク」の回で韓国語の「口(イプ)」という言葉が日本語では「イウ」つまり「言う」という意味 になったといった。それでは日本語で「口」を意味する「クチ」という言葉はどこから生じたのだろうか? この言葉も実ははるか昔に渡来した古代伽揶族の言語であった。伽揶と言っても1,000年余りの歴史 を持つので、弥生時代と旧石器時代の伽揶人の差はそれこそ新羅と朝鮮時代程度のギャップがある。 最初に日本に渡来した古代伽揶人らは生活に必要な若干の基礎言語しかなかったと見られているが、 そのような言葉はたいてい物の形や特徴のようなものをまねたものだ。例をあげれば、「ホホ」と笑う ほおの形を見てほお自体が「ホホ(頬)」になり、「ハナ」は「1」の意味で鼻の形も「1」と同じだから「ハ ナ(鼻)」、指先で目を引き上げて恐ろしい表情をつくり「メエ」したことで「メ(目)」、額は白いから「ヒ ダ」で「ヒタイ(額)」、息を「ハッ」と息を吐き出せば見えるから「ハ(歯)」、いたずらして耳をつまんでひっ ぱられ痛くて「ミン」したのが「ミミ(耳)」。 「口」はいつも食べ物が入るのを待っている「コジ(乞食)」だから「クチ(口)」、「首」は「おまえも(ノド)」 食べ物を飲み込む通路だから同じ乞食として「ノド(喉)」、「手」は汚いものに触るから「トロウォ(汚く て)」が「テ(手)」、腕は腕力を自慢して力を入れ「オデ(どうだ)」というので「腕」、首は曲げ(クビダ)ら れるの「クビ」が「首」、「あご」は一発当たって痛くて「アゴ」(訳注:表記はアゴだが、記事表題からアイ ゴーと思われる)と言ったので「顎」、「膝(ヒザ)」は曲げたり伸ばしたりよく曲がるから「フィジ」が「ひ じ」、「舌」は話の種を持っているといって「シダ(種だ)」が「シタ(舌)」、「頭」は色が黒いから「コムダ(黒 い)⇒カムダ」で「カミ(髪)」。 このように基礎的な言語ができ始めた時は原始狩猟時代で、種族間の戦闘が熾烈で殺し合うそれこ そジャングル社会であった。したがって古代の戦闘は相手側の男たちはみな殺しで女たちを戦利品と することが特徴で、敵方の女性は捕らえて行って全部妾にした。そこでできた言葉は、韓国語の「妻」 を意味する「アネ」が「姉」になり、その妹も妻にして「叔母」を意味する「イモ」から「イモコ(妹)」という言 葉も生じる。こういう言葉の形態を見れば、古代は非常に強い男性優位社会だったことが分かる。 「恐ろしくて震える」を「オビエル(おびえる)」というが、この言葉は「オビ(父)」から派生した言葉でオビ すなわち「親父=お父さん」ということだ。「オビエル」は「オビミエル(父見える)」すなわち「お父さんが現 われた」という言葉が短くなった言葉で古代の父親は恐れの対象だったということだ。そして怖がり震 えることを「オドゥロドゥル」というが、日本語では「おどおど」であり、「ぶるぶる震える(ポルボル トン ダ)」は「ぶるぶる」だ。 慶一大総長・イ・ナムギョ ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩33]「アイゴー」から「あご」 http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=36680 yy=2009