約 21,955 件
https://w.atwiki.jp/kinoutun/pages/399.html
VZA@ヴィザ こんばんは、芝村さん。予約しております小笠原ゲームで参りましたー。 VZA@ヴィザ 予約記事はこちらです。 http //cwtg.jp/ogasawara/wforum.cgi?no=3092 reno=3005 oya=3005 mode=msgview 芝村 イベントは? VZA@ヴィザ ええと、おすすめイベントでお願いできますでしょうか。 いやまあ、安全なものがいいんですがw 芝村 いいよ。2分待ってね VZA@ヴィザ はい、よろしくお願いしますー 芝村 /*/ 芝村 ここはキノウツンだ。 芝村 静かなものだね VZA@ヴィザ おお、キノウツンのどこにいるんでしょうか 芝村 大通りだ。 芝村 この数日、銃声すらきかなくなった VZA@ヴィザ と、真央はそばにいますか? VZA@ヴィザ 治安が回復したのか、それどころじゃなく人が居なくなったのか… 芝村 真央はそばにいて元気そうに笑ってる VZA@ヴィザ はふー、安心するなあw VZA@ヴィザ 「真央ー、どこか見に行きたいところはあるかな?」 芝村 真央:「あー」 芝村 真央は嬉しそうに笑うだけで、意味ある言葉は何もいわない VZA@ヴィザ 「じゃ、ちょっと辺りを見て回ろうか、なにか面白いものがあるかもしれないしね」 VZA@ヴィザ ふーむむ、こないだのは何だったのかなあと思いつつ、手をつないで周囲を散策します 芝村 キノウツンの街は平穏そのものだ。 芝村 たまに、是空のポスターが寂しそうにあるのだけが、かつての戦いを思い出させた VZA@ヴィザ 「この間まではここらも大変だったなあ…」 芝村 真央は是空のポスターを見てその顔に触れた。 芝村 近くで座り込んでいた老人が、にやりと笑った。 VZA@ヴィザ 「真央、是空さんのことわかる?」 芝村 真央:「ぜくうじゃないよ。ダガーマンだよ?」 VZA@ヴィザ ちょー、おまw VZA@ヴィザ 「そうだね、ダガーマンだ。 この人にはたくさん助けてもらったなあ」 VZA@ヴィザ 老人に軽く会釈します 芝村 老人は頭を下げた。 芝村 老人:「そうとも、ダガーマンこそは我らの大統領さ。俺はダガーマンの元で足を怪我してこの通りだ。キノウツン万歳!」 芝村 老人は両手をあげてにゃんにゃん共和国の国歌を歌った。 VZA@ヴィザ いたたまれない気持ちになるなあ VZA@ヴィザ 老人の怪我の程度はわかりますか? 芝村 真央はにこっと笑うと目をつぶって手を近づけた。 芝村 脚がびくりとうごいた。 芝村 老人がびっくりしている。 VZA@ヴィザ 「真央…と、言う前にわかってくれたかw」 VZA@ヴィザ 「ありがと、真央」 頭をなでます 芝村 真央は嬉しそう 芝村 目を細めている。 芝村 老人:「おお・・・おお!」 芝村 #急いで離れた方がよさそうだ。 VZA@ヴィザ 離れます 芝村 たくさんの人影を見た。 VZA@ヴィザ 幸運無敵で脱出します 芝村 真央は振り返った。 芝村 真央:「ダガーマンは自由を愛する心の中に」 VZA@ヴィザ 真央がなんかすごいこと言ってる! と思いつつ手を引いて脱出します 芝村 脱出した。 芝村 ああ。長蛇の列を見つけた。 芝村 食料を配ってるらしい 芝村 真央:「りゅーぞーじ」 芝村 真央は嬉しそうに言った。 VZA@ヴィザ 「え、竜造寺さんがいるのかい?」 芝村 たしかにいるね。。 VZA@ヴィザ と、配給のお手伝いできそうならお手伝いします 芝村 手伝いだした 芝村 竜造寺:「ありがとうございます」 芝村 竜造寺:「・・・・・・貴方は?」 VZA@ヴィザ 「あ、挨拶が遅れました、すみません。 キノウツン藩国のVZAといいます」(名前を言うところは竜造寺さんにしか聞こえない程度の小声で 芝村 竜造寺:「スカーフの人」 VZA@ヴィザ 「ご、ご存知でしたか」 恐縮してます VZA@ヴィザ 「……竜造寺さん、このたびは本当に、ありがとうございました」 深々と頭を下げます 芝村 竜造寺:「いえ、ぼくは単に友人に呼ばれただけです」 芝村 竜造寺:「お顔をあげてください。もう、すぐに復興できますよ」 VZA@ヴィザ 「……はい、ありがとうございます」 VZA@ヴィザ そういや真央もお手伝いしてるのかしら 芝村 真央は倒れている人を治療している。 芝村 死んでいた人のようだ。 VZA@ヴィザ げげー 芝村 周囲で驚きの声があがった。 VZA@ヴィザ 「と、すみません、これはやばそうなので逃げます」 芝村 竜造寺:「いけないな。スカーフさん」 芝村 竜造寺:「ええ。そうしてください」 芝村 竜造寺:「ありがとうございます。手伝ってくれて嬉しかった」 VZA@ヴィザ 「ストップー!」 真央を抱えて逃げます VZA@ヴィザ 「いえいえー、またなにかありましたら、今度は僕がお手伝いしたいですー!」 VZA@ヴィザ といって逃げます 芝村 真央は不思議そうにしている。 芝村 貴方を見て、にこっと笑った。 VZA@ヴィザ 「ははは…」 VZA@ヴィザ 安全な場所まで逃げます VZA@ヴィザ 「……真央」 芝村 真央は目をつぶった。 芝村 背伸びした。 VZA@ヴィザ ちょw VZA@ヴィザ ええ、もちろんキスします 芝村 キスした。 芝村 真央は嬉しそうに笑ってる。 VZA@ヴィザ うーん、困ったように笑います VZA@ヴィザ 真央に死者蘇生がいけないことなのをどうやって納得させればいいかw 芝村 真央は落ち込んだ VZA@ヴィザ 「と、ごめんごめん、真央」 VZA@ヴィザ 周囲に人はいますか? 芝村 真央ええ。ここは通りの真ん中だ。 芝村 注目を集めている。 VZA@ヴィザ キスするとかアホですねこの二人www VZA@ヴィザ 「…ッ、場所を移そうか、落ち着けるところにいこう」 芝村 真央はうなずいてついてくる。 芝村 どこにいく? VZA@ヴィザ 周囲を撒いて自宅が楽ですかねえ 芝村 この近くだと飲食店もそこそこかな VZA@ヴィザ なるほど、では真央には珍しいでしょうしそちらに移動しますー 芝村 あやしい店と普通の店、全国チェーン、どこにいく? VZA@ヴィザ 「…真央はどのお店が気になる?」 芝村 真央はあやしい店にいきたがっている VZA@ヴィザ やっぱりな! VZA@ヴィザ では怪しい店に突入を 芝村 店主:「客かい。売りかい?」 VZA@ヴィザ Uターンします VZA@ヴィザ 真央つれて 芝村 真央はいやがってるがどうする? VZA@ヴィザ ぐぐぐ VZA@ヴィザ 「客で」 芝村 料理がでてきたよ。 VZA@ヴィザ なんというか、さすが私の個人ACEだなあと 芝村 うまそうなステーキだ。 VZA@ヴィザ 「何の肉ですか?」 芝村 真央は手を近づけた。 VZA@ヴィザ とめます 芝村 光が走った。 VZA@ヴィザ 「ちょーっとまってね、」 芝村 肉片が動き出して人間になった。 芝村 幼い少女だった。 VZA@ヴィザ ちょ、おま 芝村 店主がショットガンを出した VZA@ヴィザ 少女つれて逃げます VZA@ヴィザ 打たれないように VZA@ヴィザ もちろん真央もつれてー 芝村 難しいな。難易は30だ VZA@ヴィザ 幸運でなんとかなりませんか? 芝村 なるほど。真央が口を動かすと上から老人とダガーマンが落ちてきた VZA@ヴィザ 「ダガーマン!」 VZA@ヴィザ なんという幸運 芝村 ダガーマン:「ミサヤガミの行った通りか」 芝村 ダガーマンはダガー投げてショットガンを破壊した。 芝村 /*/ 芝村 はい。お疲れ様でした。 VZA@ヴィザ お、おつかれさまでした・・・ 芝村 真央はにこにこしている。 VZA@ヴィザ 真央ー、この、おまえ、かあいいなあ 芝村 ステーキくえなさそうだな。当分 VZA@ヴィザ そですね VZA@ヴィザ というか幼い少女… VZA@ヴィザ ステーキから復活とか竜激怒しそうですね 芝村 竜は怒らないけど、これでまあ、いろんな団体が動きそうだな VZA@ヴィザ どどどどんな団体がー 芝村 ふみことかいやがるじゃん VZA@ヴィザ そうなのですか・・・ 芝村 ははは。評価は+1+1でした。秘宝館には1,1でたのめます VZA@ヴィザ おお、久しぶりに発禁以外で評価が…! VZA@ヴィザ ありがとうございます VZA@ヴィザ あと、ステーキな幼い少女はこれからどうなるのでしょうか 芝村 転売しないならめぞんにのこるな VZA@ヴィザ めぞんに新しい住人が! 芝村 愛鳴之の子らしいぜ VZA@ヴィザ うへ、なんとまあそんなところから 芝村 ははは VZA@ヴィザ まあ秘密裏に返すか、秘密裏に保護し続けるかでしょうね・・・ 芝村 そうねえ 芝村 ではー
https://w.atwiki.jp/civilization/pages/1660.html
プレイレポ/BtS/戦争屋が全力で初期R 経済復興編 方針 まずイスタンブールの文化が酷いので余ってる木を伐採し、ピラミッドを建造。 代議制に移行して金銭100%の税率の状態でのビーカー確保を優先。 市民は、人口維持+科学者1~2名雇用を目指す。 人口維持のための食料マスは食料資源か草原小屋。 美学の売却を行って、キャッチアップを行う。 ゲーム画面確認 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (Civ4ScreenShot0001.JPG) ひとまずイスタンブールを攻略した所から。 ここには万里があり、蛮族は領内に進入できないことを利用して無節操な入植による囲い込みを行う。 焼き払ったエディルネ跡地も早めに埋めないとイスタンが孤立してしまう。 現在、BC850。 カエサル開拓団 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (クリップボード01.jpg) カエサルの開拓団が現れた! こちらの開拓者も向かっているが恐らくエディルネ跡地の鬼生産ポイントは間に合わない。 マルチでよく使われる手法を用いてカエサルの開拓団にはお帰り願う。 その手法とは、相手が都市を置くギリギリ前に都市を先に置き、「都市間2マス以上ないと都市は置けない」のルールを利用して強制的に追い出す方法だ。 現在、BC675。#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (クリップボード02.jpg) ざまぁ。 無事イスタンブール孤立を防いだ上に北の余りに余っている土地も囲い込みに成功。 現在、BC625。 偉大な・・・ #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (Civ4ScreenShot0005.JPG) ハゲ誕生。 マドラッサは普通に間に合わなかった。流石ヘンジパワー。 維持費の足しが少しでも欲しいので首都に定住。 ピラミッドが立てば、ビーカー+3くらいにはなるのでこれでもいいか。 BC525。 カエサル戦争準備 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (クリップボード03.jpg) 南に隣接するカエサルが戦争準備に突入。 先の戦いでエネルギーが減少しており、狙われているのは我がアラブの可能性もあるので軍拡に励む。 BC500。 念願の美学をゲット #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (Civ4ScreenShot0007.JPG)#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (Civ4ScreenShot0008.JPG) 美学を入手。 しかし、独占は崩れているため、早急に技術交換を行っていく。 とりあえずアルファベットに数ターンビーカーを入れて交換を目指す。 BC275。 ピラミッド完成。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (Civ4ScreenShot0009.JPG) BC225に完成。 スパイも沸くかも知れないが、技術者が出たらアレク辺りを無理矢理立ててしまいたい。 スパイが沸いたら技術窃盗で。 技術交換 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (クリップボード04.jpg) 同じくBC225。 アルファベットは皆が持っているのでこんな具合で取引。 技術的に困ることは無くなった。 方針2 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (Civ4ScreenShot0015.JPG) もう技術で困ることはなくなった。 シャルルとの相互通行を破棄し、ヒンズー受け入れを目指す。 技術は法律へと進む。 君主は交換せず、代議制と組織化導入。 戦争屋以外が戦争開始 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (Civ4ScreenShot0016.JPG) AD175に初の戦争が勃発。 ザラヤコブ(ヒンズー)がシャルル(仏教)に宣戦布告。 同時にフルボッコにされたメフメドも便乗参戦。 凄くメフメド殴りたい・・・ 維持費さえなければ・・・ 法律 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (Civ4ScreenShot0017.JPG) AD250法律が完成。 AD325~350に掛けて通貨・君主・数学・275Gを入手。 最悪の敵だろうが無視して交易を続けています。 そして首都に隣接している2都市以外で裁判所建造開始。 GNP1位 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (Civ4ScreenShot0022.JPG)#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (Civ4ScreenShot0000.JPG) 無事に戦後復興が完了。 AD350現在 科学税率30%、黒字+2、ビーカー出力+60、国庫247ゴールド 科学税率100%、赤字-61、ビーカー出力137。
https://w.atwiki.jp/orionresident/pages/38.html
下記は別途提出した大統領府政策案です。 補足として掲載しておきます。 【大統領府支援政策】 人の形質問題・復興における共和国の方針 政策URL:http //www19.atwiki.jp/orionresident/pages/37.html リソースなどの消費宣言、連携の宣言など トピック 1:各国の聯合先に支援する 2:SSN(政策告知)を大統領府全体でまとめて発表します。 3;A&Sなどに建築支援を大統領府でまとめてお願いします。 4:NAC&FROGなど、食料支援が必要そうな国家には大統領府から支援要請します。 ●A&Sなどの協力によりリソースが25%になります。http //www11.atwiki.jp/asea/pages/343.html ※フェーズ4国家に、インフラ復旧用に各国50億相当以上(A&Sなどの協力により、25%の消費で復旧でき、各国12~13億になります)の支援資金を投下します。 #25%の根拠 #http //cwtg.jp/qabbs/bbs2.cgi?action=article id=3465 (建築士参加で半額=50%に) #http //cwtg.jp/qabbs/bbs2.cgi?action=article id=3477 (羅幻王国さまの工兵、初恋運輸協力で -20%) #http //cwtg.jp/qabbs/bbs2.cgi?action=article id=3523 (越前藩国さまのご協力により -5%) インフラ整備ほか、フェーズ4国家に最低でも12~13億の支援資金を投下します。 ■決定した資金を計算し、後日大統領府よりの支払いとさせてください。 ◆また、そのほかにA&Sに支援を申し出た国家にリソースが必須の場合、これも同様にお支払いいたします。 (◆については質疑では必要ないと書かれてましたが、一応明記させていただきました) ●SSNの政策放送 http //www19.atwiki.jp/ssnet/pages/95.html 下記に続く各国の提出URLをまとめて提出するだけです。 5分間1000文字までのメッセージを国民に向けて放送できるそうなので、この行動を18ヶ国分行なって各国同士の国民理解が深まるのであれば、ぜひ行ないたいと思います。 ※リソース的には資金20億で100分番組と換算しております。 ●NAC&FROGなど、食料支援が必要そうな国家には大統領府から支援要請します。 EV145では、食料の炊き出しの話や建設・医療の相談など、多岐に渡り各国が他国のために動こうとしておりました。 リソース確認や質疑の増量を加味し、大統領府で取りまとめると宣言しております。 ・医療(医療国家やCentral Medical Service/医療グループ/などへの相談 ・食料(FROG/NACなどに援助相談 ・教育・福祉(HOKE財団の連携を中心に各国行動(EV146で本格始動かと ・情報(フィーブル新聞社/セブンスパイラルネットワークス社との連携 大統領府にて、資金1112 資源324 食料0 燃料280 生物資源115 マイル487(090609確認)あります。 r:でのマイル消費、実際のリソース低減で各国を支援できることがあれば、行なっていきます。 (食料はカラですので、前述したとおり、NAC&FROGに支援を求めます) ●大統領府の行動・消費のみ、後日相談とさせてください。 ※即時行動しなければ問題の場合、お伺いします。
https://w.atwiki.jp/kaitakuou/
ここは神や魔法が実在する地。魔王により滅びを迎えつつあった幻想世界。魔王と人々の戦いが歴史となった今もなお、世界は荒廃と危険に満ち溢れていた。――これは、そんな世界でひとつの国を再興させようとした、ある男達の物語である―― 前作:【安価】開拓王やる夫の祖国復興一代記【興国】 ━━【諸注意】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━1:このスレは安価スレです。2:ファンタジー世界で、国を再興させる内政シミュを行う予定です。3:難易度はヌル目です。気軽に参加なさってください。4:皆様で仲良くわいわい楽しみましょう。それが私の願いです。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 現行:【安価】失敗国家の聖騎士なんだができる夫はもう限界かも2【金策】 ━━【諸注意】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━1:このスレは安価スレです。2:ファンタジー世界で、金策を行うパラディンを動かすシミュゲーを行う予定です。3:難易度はヌル目です。気軽に参加なさってください。4:皆様で仲良くわいわい楽しみましょう。それが私の願いです。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ このスレを行うにあたり◆5aIWW0DNMさんの 『やらない夫は貧弱男爵家を立て直すようです』 『できない夫は冒険者として立志するようです』 を非常に参考にさせていただきました。(http //www48.atwiki.jp/muscle-brain/) この場を借りて御礼申し上げます。 もし未読でしたら、ぜひご覧になってくださいませ。 1スレ目:http //jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/15257/1358782678/(開拓王やる夫4月~2月) 2スレ目:http //jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/15257/1360670178/(開拓王やる夫3月~7月、できる夫聖騎士開始1月上旬~5月上旬) 3スレ目:http //jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/15257/1363957884/(できる夫聖騎士5月上旬~)
https://w.atwiki.jp/saigaisabetu/pages/95.html
災害時は女性も救出活動しろよ≪男女平等?≫ http //kamome.2ch.net/test/read.cgi/gender/1300402537/ 163 :名無しさん ~君の性差~:2011/07/16(土) 21 03 59.25 ID WOXzn7vL 福島復興支援を目的とした大規模な合コンイベント「福コン」が2011年7月17日に開催される。 (中略) 20歳以上であれば誰でも参加可能。チケット価格は、男性6500円、女性3500円。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ http //www.j-cast.com/mono/2011/07/04100000.html 福島復興支援を目的とした大規模な合コンイベント「福コン」が2011年7月17日に開催される。 3.11の東日本大震災以降、観光客が減少して元気がなくなった街を何とかしようと、福島市内の飲食店の若手有志が中心となって企画したイベントで、男性1000人、女性1000人の来場を目標に掲げた。居酒屋やイタリアン、カフェバーなど合計40の飲食店が合コン会場となり、当日はスタッフが誘導を行い自然に飲み会が行われるように取り計らう。開始時間は17時。参加者はチケット1枚につき3店舗利用可能で、60分ごとに店を移動する。1店舗目は指定の店となるが、2店舗目と3店舗目は対象店舗から自由に選べる。 なお、サントリーとの共催のイベントとなっており、福島県産白桃酒を使ったハイボール「福桃ハイボール」が各店舗で提供される。 20歳以上であれば誰でも参加可能。チケット価格は、男性6500円、女性3500円。チケットは、対象店舗または特設サイトの申し込みフォームから購入できる。Twitterアカウント@fukukon717でも情報発信を行っている。<モノウォッチ>
https://w.atwiki.jp/vipdewars/pages/49.html
867 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/03/01(火) 20 03 58.71 ID s9iuuKxv [2/3] エジプト兵「ハチ公だ!ハチ公がいたぞー!おえー!今日こそ捕まえろ!」 ハチ公「ふぅ、今日もなんとか撒けたか。いつまで続くのだろうこんな日々・・・」 (ローマが大敗し、デニム皇帝が行方不明になったあの日から僕の人生は変わってしまった。いまや、一人レジスタンスとして活動を続けている。 もうローマ人の瞳にかつての希望はない。でも、ぼくは、僕は絶対あきらめないと誓ったんだ・・・) ???「諦めるのはまだ早いぜ、ハチ公」 ハチ公「・・・!?その声は!!」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ペルシア兵「総裁閣下、エジプトのダミアン将軍が謁見を申し出ております。」 ndendevip「通せ。」 ダミアン「ndendevip殿、今日はトランソンを差し出したく参りました。」 ndendevip「で?カサブランカはいつ落とせるのかな?」 ダミアン「カサブランカの守りは固く、われらエジプト軍の単独だけでは・・・」 ndendevip「トリポリに引き続きまたわれらの戦力を借りたいと・・・?ふむ・・・いい加減ローマばかりじゃわれらの軍も少々胃がもたれるのでなぁ。」 ダミアン「くっ・・・(いつか見てろ、この糞やろう)」 ndendevip「まぁよい。トランソンはもらってあげよう。」 ダミアン「ありがとうございます。それでは!」 ndendevip「松風。ダミアンをどう思う?」 松風「始末したほうがよろしいかと。裏での悪行をリークさせ自滅させましょう。」 ndendevip「はははっこやつめ。ごほっごほっぶはっごぼごぼぐぇっ・・・バタッ!」 松風「閣下・・・?死んでる・・・!医者を呼べ―!」 peropero「完全に死んでる・・・俺達この先どうすれば!!??!!」 松風「このことは隠し通せ、今三国に気づかせてはいけない指揮系統が乱れる。分ったな!」 ペルシア兵「ねねの一派が中国で暴動を起こしました!」 松風「厄介な時に」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ???「諦めるのはまだ早いぜ、ハチ公」 ハチ公「・・・!?その声は!!」 デニム「どうしたハチ公もう終わりか!」
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/1104.html
英雄乱舞 博麗神社復興の戦い > 登場人物 [部分編集] 霊夢軍 +... 媒体は英雄乱舞の劉禅軍 ここの勢力は動画用の勢力として名声が500技法が全て無い状態から始まる 魔理沙&紫と初めから同盟している 博麗霊夢 登録名は「霊夢」主人公にして君主。幻想郷に居た時と違い、ただの巫女で幻想郷のバランス関係に必要とかの設定が無くなった、神社の食料事情が厳しくなってた所を劉禅に英雄乱舞参加をお願いされ参加した。 初期能力(名品含む) 兵科 弓 統率94 武力85 知力84 政治67 耕作 兵心 収集 人脈 豪傑 一騎 遠射 冷静 戦法 夢想封印 敵弱体 使用コスト5(pk版から4) 範囲1000 基本効果時間65 攻撃75低下、破壊40低下、射程100%低下、特殊攻撃不可能 2話より猛射のエフェクトが付き始める 主人公らしく活躍する。 戦法は、かなり強力な部類で射程0倍により城攻めの時は被害を最小限で城門を突破できる 主人公らしく、いい場面で猛射が発動して敵を確実に撃破していく 戦法、特殊攻撃共に処理落ち気味に発動してしまうのが難点 しかし、この難点は無印5話から改善され原作寄りのエフェクトになった 伊吹萃香 登録名は「萃香」鬼として強い人間と戦えるのが満足でこの世界を気に入っている。ただし、酒の濃度が薄い為 (三国志の世界の酒のアルコール度は0.5%程)そこだけ不満があるらしい。参加理由は強い人間と戦うため 初期能力(名品含む) 兵科 槍(pk藤甲) 統率77(pk78) 武力117(pk155) 知力68 政治38 練兵 監視 補修 豪傑 一騎 遠射 攻城 戦法 戸隠山投げ 敵弱体ダメージ 使用コスト7(pk6) 範囲700 基本効果時間45 武力30低下戦闘力10低下(pkから戦闘力が減らない?) 機動力50%低下 ダメージ値7(pk10) 武力が異様に高いのだが中々生かせない しかし、pk以降ダメージ戦法の計算が変わる 兵科の変更による活躍が見込めるかも知れない 劉禅 霊夢がいる廬江の太守、彼が霊夢を誘い英雄乱舞に参加させた模様、かなり自分の能力を分かっており 凡愚だけど暗愚ではない人 戦法 阿斗の号令 味方強化 使用コスト1 範囲1200 基本効果時間120 統率、知力、武力が本人の能力分上昇 戦法のボテンシャルが高く劉禅自身を強化すれば活躍できそう・・・たぶん 黄皓 劉禅配下の宦官、料理、掃除、洗濯等の家事全般ができる宦官(本来宦官の仕事はこの様なものなのだが)どうみても男の娘? (仲☆達氏の書いた黄皓のイラストを使用) 戦法 黄の甘言 敵弱体 使用コスト3 範囲650 基本効果時間45 戦闘力8低下 コストの割に効果が高く強いが統率武力1なので使いづらいかも 賀斉 本来三國志12には居ない登録武将、時系列的に前の話である劉禅の英雄乱舞で協力した関係で劉禅軍に所属。霊夢曰く神に近い気質の持ち主。派手な部隊を率いてたことから武器等には拘りがある模様。天子(の緋想の剣)を狙ってる。 ある話に大きくかかわる一人 戦法 異民族戦神 自身強化 使用コスト4 基本効果時間45 武力、知力20上昇攻撃、防御50機動力20%上昇 費禕 劉禅の配下、非常に優秀な文官なのだが仕事を午前中に終わらして昼間から酒を飲む不良文官(ただし、これは史実の費禕もやっているため、史実寄りの性格)酒を飲みに行った先で萃香を見つけ英雄乱舞に参加させた。 裏方担当で霊夢達を酷使しながら裏で支えている 董允 劉禅の配下、非常に優秀な文官で生真面目、主に裏方を担当している他仕事放棄しがちな霊夢のサポートも担当 よく費禕に振り回される 天子軍 +... 媒体は英雄乱舞の董卓軍 比那名居 天子 登録名は天子 君主 董卓の孫娘の董白と意気投合した所を孫娘の知り合いと言う誼で董卓軍を媒体とした勢力で英雄乱舞に参加 本人は天界だと暇だからと言う理由で参加 緋想の剣を使うが剣の腕は大したことないらしい(張遼談)。が性能押しでなんとかしてる模様 初期能力(名品含む) 兵科 槍 統率84 武力94 知力74 政治63 名士 補修 豪傑 一騎 水練 遠射 攻城 戦法 緋想天則 自身強化 使用コスト4 基本効果時間75 武力20防御200上昇全兵科に特殊攻撃可能に 地味に3話以降に特殊攻撃した際にエフェクトが出る。尚、緋想天則はロボの名前といった方がいいのだが突っ込まないこと(作者の友人が突っ込んだらしい) 他に、名品が無いと衣玖さんより能力が全部低い 永江 衣玖 登録名は衣玖 天子の付き添いで英雄乱舞に参加。この世界の人々からは天気を予報するお姉さんとして人気者だそうです。 初期能力(名品含む) 兵科 槍 統率84 武力80 知力88 政治80 収集 監視 舌戦 水練 遠射 攻城 冷静 軍師 戦法 雷雲棘魚 敵弱体攻撃 範囲550 使用コスト7 基本効果時間45 基本ダーメジ値18 敵を動揺させる PK以降は兵科が匈奴に代わり活躍している チルノ軍 +... 媒体は英雄乱舞の孫登軍 チルノ 登録名はチルノ 君主 移転した先でイタズラをして騒いでた所を孫登に保護、その後英雄乱舞に参加 安定の⑨なのだが、12でも補正を発揮し霊夢軍を追い込む 初期能力(名品含む) 兵科 弓 統率69 武力87 知力9 政治9 練兵 豪傑 水練 遠射 戦法 アイシクル(7話にてパーフェクトフリーズ) 敵弱体攻撃 使用コスト6 範囲650 基本効果時間30カウント 機動力30%低下ダメージ値24 ダメージ系にしては珍しくコスト低めなので削りとしても機動力低下をメインとしても活躍が期待されるのだが、実際大活躍します 7話以降にて猛射にエフェクトが付くようになりました PKから兵科が藤甲に代わり様々なエフェクトも追加された 大妖精 登録名は大妖精 初期能力(名品含む) 兵科 弓 統率64 武力54 知力77 政治70 遠射 冷静 軍師 戦法 妖精の加護 味方強化 使用コスト3 範囲1000 基本効果時間145カウント 知力20防御20上昇 大ちゃんらしく味方の強化をするのだが、パッと見だと地味だが範囲、コスト、効果時間、共に良好な上知力20上昇は非常に強力 7話以降にて猛射にエフェクトが付くようになりました ルーミア 登録名はルーミア 孫登に保護され食事関係は安定している。何故かミスティアに冷たい 初期能力(名品含む) 兵科 槍 統率54 武力79 知力24 政治14 豪傑 遠射 戦法 闇の羽衣 自分弱体強化 使用コスト2 基本効果時間200カウント 防御180上昇視界100%低下 ルーミアの特性が十分に出てる戦法ルーミア単体だと周りが見えない点が難点?だがコストの割に効果時間。効果 共に強力 リグル・ナイトバグ 登録名はリグル 孫登に保護されリグル自身の能力を最大限に発揮して孫登の仕事を手伝っている 初期能力(名品含む) 兵科 馬 統率63 武力83 知力22 政治16 練兵 戦法 地上の流星 自分強化 使用コスト2 基本効果時間200カウント 攻撃70機動力50%視野100%上昇 他のメンバーが強力な為少し地味だが陣取りなどで活躍できるのだが・・・陣取りは動画に移らないという欠点があるが機動力でカバー? ミスティア・ローレライ 登録名はミスティア(最近の配布版ではミスチーに) 孫登に保護され屋台の営業の支援を受けてると思われる(諸葛瑾から八目鰻の仕入れをしてもらったり、護衛をつけて貰ったり) 政治力、特技に恵まれておりバカルテットの中では唯一(大妖精を除く)政治を任せれる 9話より奮迅のエフェクトが追加 PKから兵科が藤甲に変わった戦法のエフェクトもつくようになった 初期能力(名品含む) 兵科 槍 統率59 武力70 知力12 政治61 商才 名士 一騎 遠射 戦法 夜雀の歌 敵弱体 範囲2000 使用コスト3 基本効果時間200カウント 知力30射程60%視野40%低下 異常な範囲!効果はショボそうだが射程低下+視野の低下は弓部隊には痛く射程距離をズルズル減らされる 孫登 桂陽太守 バカルテットを保護した張本人 いい人 得意料理はオニギリ 諸葛瑾 バカルテット達の軍師格、沈着冷静に判断を下す、曹真から少し恨まれてる 諸葛恪 自称天才、その自惚れから危機に陥るが、ある事がきっかけで史実ではできなかった事をやりとげる。チルノとは自称最強&自称天才コンビで活躍している 四季映姫軍 +... 媒体は張遼軍最初から三都市を持っており霊夢軍に立ち塞がる 四季映姫・ヤマザナドゥ 登録名は四季映姫 本来の仕事はこちらの世界ではないとの事 初期能力(名品含む) 兵科 弓 統率107 武力66 知力102 政治90 名士 練兵 監視 弁舌 一騎 遠射 冷静 軍師 鬼謀 戦法 最後の審判 味方強化 範囲1000 使用コスト4 基本効果時間105カウント 統率50防御50武力30知力30視界200%上昇 戦法が文句なしの強さ PKの3話から特殊攻撃の猛射にビームが追加された 小野塚 小町 登録名は小町 サボり癖があるそうだが死神としての仕事がこちらの世界だと圧倒的に少ない為常にOFF 数少ない仕事はサボらない見たいです 初期能力(名品含む) 兵科 槍 統率88 武力94 知力77 政治47 練兵 補修 豪傑 一騎 遠射 攻城 戦法 魂の遊戯 敵弱体 使用コスト4 範囲700 基本効果時間200カウント 射程100%攻撃20低下 小町の能力を表わしてる戦法だが霊夢と若干被るがあちらと比べ効果時間が長くイヤラシイ 張遼 山田と言う異名を持つがゆえに映姫と組んだ 全体的に真面目 李典 初期は真面目キャラだったが無双7の影響か少し緩めなキャラになってきた 楽進 呉起 映姫戦中盤以降に参戦 非常に女好きな性格で戦闘中によそ見をしたりして敗北するほど、しかし、州彧の毒を抜こうとしたり、色々仲間思いな人 孫ピン 一応呉起や孫堅とは血が繋がってる、子孫の呉起を遠慮なく殴ったり、とても武力1とは思えない過激派 幽々子軍 +... 媒体は劉備軍 作者曰くこの配置だけは初期段階で決まっており関連性が一番高いとのこと 西行寺 幽々子 登録名は幽々子いつも通りのゆゆ様白玉楼が劉備の支配下にある上に劉備の保護を受けている為食事面はなんとか満足いくまで食べてるとの事 初期能力(名品含む) 兵科 弓 統率104 武力72 知力95 政治93 商才 名士 兵心 収集 弁舌 遠射 攻城 冷静 軍師 戦法 墨染の桜 敵弱体 使用コスト6 範囲800 基本効果時間45カウント 戦闘力8低下(攻守40低下)特殊攻撃不可 魂魄 妖夢 登録名は妖夢 劉備などの剣の指南をしてるのだが・・・ 初期能力(名品含む) 兵科 槍 統率89 武力91 知力75 政治46 耕作 兵心 練兵 監視 豪傑 一騎 攻城 幽明の苦輪 個人強化 使用コスト4 自分のみ 効果時間75カウント 統率30武力20知力20攻撃70上昇全兵科に特殊攻撃可能 劉備 うp主のお気に入り武将劉備の為に紙芝居話を作るほどの優遇ぶり。ノリが軽い 戦法に演出が入るなどの好待遇を受けている 劉邦 今回から参戦した人の一人 劉備の先祖なだけありノリが軽い ただし、酔いが回ると妖夢のスペカをパクるなどの強さを持つ 趙雲 劉備配下の武将、突撃のエフェクトがおそらく特殊攻撃時のエフェクトの中で一番派手な人 早苗軍 +... 媒体は魏延軍(主力は真田一族と武田勝頼だが・・・) 東風谷 早苗 登録名は早苗 今の所真面目な早苗さん 八坂 神奈子 登録名は神奈子 洩矢 諏訪子 登録名は諏訪子 真田 信幸に濡れ衣を着せたり、真田 幸村に砦に籠って進軍止めさせようとしたり好き勝手やってる神様 ついでに戦法の演出が無駄に派手だったりかなり優遇されてるのかもしれない 武田 勝頼 登録名は諏訪勝頼、諏訪姓になった理由は不明だが諏訪子を守護してるらしい 真田 信幸 真面目な性格でこよなく平和を愛する諏訪子の世話を焼いていてるがいいオモチャにされて勝頼に切られたりする不憫な子 真田 幸村 聖軍 +... 媒体は上杉軍(完全オリジナル勢力) 聖 白蓮 登録名は聖 戦闘の指揮は執っていないが圧倒的な存在感で敵をなぎ払ってくる 戦法効果こそ短時間だが効果内容が異様に強い 寅丸 星 登録名は星 毘沙門天の化身として敬われているが・・・相変わらずの星ちゃん 宝塔を上杉 謙信に預けて無くすのを防いだりしているが・・・ ナズーリン 登録名はナズーリン(最新版ではナズと表記されている) 上杉 謙信 うp主公認の軍☆神ではない設定 聖に向かい姐上と呼んだり星を毘沙門天様と呼んだり非常に友好的 上杉 景勝 寡黙口数も少ないが星のドジを見て笑う面もある 直江 兼続 口数の少ない景勝の側近で星などに戦況を報告したり裏方に徹している(ただし、うるさい) 八雲 紫軍 +... 媒体は諸葛亮軍 八雲 紫 登録名は八雲 紫 能力をフルに使いゲームを軽く崩壊させてる 初期能力(名品含む) 統率121 武力96 知力150 政治160 商才 耕作 名士 練兵 収集 人脈 監視 補修 弁舌 豪傑 神速 水練 遠射 攻城 兵器 冷静 軍師 鬼謀 戦法 弾幕結界 味方強化 使用コスト4 範囲1000 基本効果時間200カウント 統率30攻撃50射程1200%視野1000%上昇全兵科特殊攻撃可能 チートそのものな戦法でその射程を生かし初期配置から敵本陣を狙いにくる様子はOMIKATAを沸騰させる 八雲 藍 登録名は八雲 藍 主、紫の世話、式神橙の世話をしている 初期能力(名品含む) 統率98 武力87 知力89 政治90 商才 耕作 名士 兵心 練兵 収集 監視 遠射 攻城 兵器 冷静 軍師 鬼謀 戦法 橙 自分強化 コスト0 基本効果時間600カウント 統率、知力、武力、橙の能力分上昇 橙が参軍などの時のみ使用との事 橙 登録名は橙 諸葛亮に遊ばれている藍の式神 初期能力(名品含む) 統率75 武力72 知力55 政治49 名士 収集 神速 遠射 鬼謀 諸葛亮 橙や友人徐庶をからかったりするお茶目軍師 初期能力(名品含む) 統率102 武力46 知力140 政治97 商才耕作名士兵心練兵収集人脈監視補修弁舌神速水練遠射兵器冷静軍師鬼謀 戦法 天下奇才也 味方強化 コスト6 基本効果時間60カウント 範囲600 知力30戦闘力5上昇伏兵状態に 徐庶 かなり荒っぽい軍師 初期能力(名品含む) 統率87 武力80 知力93 政治80 耕作 名士 人脈 弁舌 一騎 神速 軍師 鬼謀 戦法 八門禁鎖落 味方強化 コスト4 基本効果時間100カウント 範囲700 統率20機動力1.2倍上昇 全兵科に特殊攻撃可能に 輝夜軍 +... 蓬莱山 輝夜 登録名は輝夜 初期能力(名品含む) 統率105 武力89 知力96 政治101 商才 名士 人脈 収集 兵心 練兵 弁舌 一騎 豪傑 水練 遠射 冷静 軍師 pkから難題を名品化したため強くなったとの事 八意 永琳 登録名は永琳 マッドサイエンティスト要素がいたってない永琳 初期能力(名品含む) 統率92 武力80 知力120 政治954 商才 耕作 名士 兵心 練兵 収集 監視 補修 弁舌 豪傑 一騎 遠射 攻城 兵器 冷静 軍師 抑え目な戦闘力と思いきや驚異の政治954!!下手するとニコ歴戦初の数値 なんでも統率、武力とかも4桁までにすることができるとの事だがバランス的に政治は高くしても大丈夫だからとの事 鈴仙・優曇華院・イナバ 登録名はうどんげ 因幡 てゐ 登録名はてゐ 綿月 豊姫 登録名は豊姫 綿月 依姫 登録名は依姫 レイセン 登録名はおそらくレイセン 曹操 抜擢組 +... 他の作品から出てきたキャラも含みます ちなみに元の作品の世界とは関係ない模様 こちらの世界の住人で武将として訓練されたとの事 ルーミアの国取りグルメ旅から 裴遂 ルーミアの為なら命を懸けて戦う人物 修行の為山籠もりをし時を止めるまでになった 何があったんだ!? 楊禁 裴遂と同期 文句を言いながら裴遂の山籠もり 無茶な進軍に付いてきた、尚残機持ち 郭琰 いい加減な性格の持ち主だが要所要所でキチンと活躍している [部分編集] おめでとうございます。しかし賀斉は・・・ -- 那智 (2012-12-25 06 16 06) 初期能力値がこれほど あてにならない動画も珍しい霊夢の統率もう120越えってww -- 名無しさん (2013-05-15 13 01 03) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/448.html
目次 1.新しき時代の前ぶれ 2.感性の文明とは 3.文明で変わる価値観 4.ゴンダアナ文明と霊文化 5.ミュートラム文明と食文化 6.地球意識による極移動 7.大日意識による文明光線の調整 8.魂修行のためにある時代・環境の変化 9.レムリア文明と芸術 10.ムー文明の興隆 11.アトランティス文明と光 12.宗教政治家アガシャーに学ぶ 13.現文明への流れ 14.百万年の歴史をふり返って 1.新しき時代の前ぶれ まず、新人類の予兆というテーマをあげてみましょう。このなかで語られていることは、時代の端境期の様相です。新しい時代が来るときにはその前触れがあって、同時代のなかに次の時代を予想させるものがすでにあるということです。 今、霊言・霊示集を読んでいる私たちは、新しい時代がどうやら来るらしいと感じているわけであります。ところが同時代に生きている多くの人にとっては、それがなかなかわからないのです。しかし、今から千年後、二千年後の立場に立って今の時代を見たときに、みなさんが、いったいどういう時代に生きているのかということを想像するとおもしろいと思うのです。 たとえばイエスの時代であるとか、旧約の予言者の時代などを、いま私たちは聖書を通して知ることができますが、あの時代に生きていればやはりおもしろかったと言えるのではないでしょうか。しかし、時代の流れのなかで、そうした大きなことが現在、起きているのです。後世の人も、必ず今という時代をふり返って興味を持たれるだろうと思います。私たちは毎日毎日のなかに生きているので、意外に当然のことのように思って、それほどのことには感じていない人も多いのです。 ①「鉄の時代」から「太陽の時代」へ 今、ここ一万年ぐらいのサイクルで、ひとつの文明が終わり、新たな文明に入ろうとしているのです。この文明は、後の世にはおそらく、「鉄の時代」と呼ばれるようになるでしょう。その理由は、鉄というものを使っていろいろな機械が発明され、時代が進歩し、そしてそれが文明の象徴になったということです。また「鉄の時代」の別名としては、「知性の時代」あるいは「知の時代」とも言われるでありましょう。 そして、次に来るべき文明の名は何と呼ばれるかと申しますと、これは「太陽の文明」と呼ばれるのです。「新しい神理」の太陽が昇りくる時代の文明という意味を持っています。いったん沈んだかのように見えた「神理の太陽」がふたたび昇ってくるという『太陽の法』のメインテーマ、そのままの時代になり、後世の人々から輝ける「太陽の時代」と呼ばれるようになるのです。このことは、はっきりと予言をしておきたいと思います。 そして、その「太陽の時代」のモチーフの部分は何かといいますと、「悟り」ということなのです。「悟りの時代」が前面に出てきます。ですから、時代的な考え方からみれぱ、この『太陽の法』が出たということは、まことに画期的なことなのです。まだ多くの人はそのことに気づいておらず、数万人ぐらいの人にしか読まれていないと思いますが。実はこれは大変な意味をもっているのです。ひとつの時代の端境期に出た、時代を区切るための書物であるのです。 その内容については、ノストラダムスがすでに予言していたということを前に述べたことがありますが、次のように、はっきりと予言しています。「東の国で『太陽の法』が説かれるときに私の予言が終わり新たな時代が始まる。」とたしかに、記されているのです。ノストラダムスの書物のなかで、「太陽の法」という言葉はたくさん出てきています。ただ、この予言の価値づけがはっきりわかるのは何百年か後になるようです。同時代で気づく人もいれば、気づかない人もいるという意味合いがあるのです。 ②人類の秘史を学ぶ 『太陽の法』という本一冊にしても、相当の霊的能力といいますか、単なる人霊の部分を超越した、アーカーシャーの力を引き出して書かれています。かなり人類全体の知恵の部分、秘史の部分が、明らかにされて出てきています。もちろん内容全般にわたるものではありませんが、かなり具体的に出てきております。 ですから、最初の段階でこの本を読み、勉強しているみなさんというのは、後世の人から、ユダヤ的に言うならば選ばれたる人たち、預言の民と呼ばれても然るべき感じであると思います。ですから、あの世に還ったときには自慢になるかもしれません。 さて、現文明の特色は、知性という部分であったと述べましたが、学問的知性の部分がそうとう強いようです。これに比べて、それ以前のアトランティスは、理性を中心にした文明が栄えていたといわれておりますが、そこではマイトレーヤ如来、クートフーミーなどが活躍していました。さらに、それより古いムーの時代の文明は何かといいますと、光エネルギーの文明でありました。それからさらに前には、インド洋上にレムリアという大陸があって、この時代は感性が中心の文明であったわけであります。ムーの時代には、ランティ、カンターレなどが活躍していましたが、レムリアはマヌとゼウスが中心となって感性の文明を創っていました。 2.感性の文明とは ①色彩感覚 レムリアという感性の時代において、最高度に修行を積んでいた人は、三千種類の色と、二千五百種類の匂いを区別することができたのです。考えてみれば、なるほどという感じはすると思います。みなさんは、色の区別は何種類くらいつけることができるでしょうか。クレョンでは12色や24色の色がありますが、普通の人であれば、24色ぐらいを区別することがせいぜいではないでしょうか。 私も別に遊んでいるわけではありませんが、私もたまにクレヨンで絵を描いたりしています。指導霊のなかには芸術家もおられ、霊言では十分に表現できないので、たまに出てこられるとやはり絵を描きたくなることもあるらしくて、そのときに描かせてあげるのです。ピカソが出てきて水彩画を描いたり、マチスが描いたりします。こうした色彩感覚や調和感覚、デザイン感覚のようなものは現在の文明のなかで確かに一部分、デザイナーや画家などには生きています。しかし、今日これが主流として前面に押し出されるということはそれほどありません。 ところが、今日みなさんはいろいろな色、デザインの服を着ていますけれど、もし、こうしたことで点数がつくような感じの文明であればどうなるかです。パッと見た瞬間に、あれは九〇点を越えるくらいの感覚である、これは七〇点くらいだというように、その人の色彩感覚のレベルがわかるのです。このようなことが認識として明確にわかるとすればどうでしょうか。そうなりますと、そのような美的感覚がひじょうに優れている人が上流階級をつくってゆくわけです。このような時代があってはおかしいかと言うと、そうでもないような気もいたします。 私たちはある意味では、色彩について現在、鈍感であるかもしれません。流行というものがあって、今年は何色が流行、などと言われて、そうしたものを着て歩いているけれども、主体的にどういう色がどのように好きなのかと問われたならば、わからないのではないでしょうか。しかし、色の好みのレベルはあるはずです。 『ピカソの霊言』を読みますと、色を司る天使のような存在があって分担してやっているということですから、やはりレベルがあるようです。ですから、このような感性の評価がもし主流になればどうかといいますと、ベストドレッサーが総理大臣になるような、そのような時代がないとは言えないかもしれません。それが人間としていちばん洗練されているという見方をすれば、そういうことになるわけです。 三千種類の色が見分けることができれば、これはそうとうなものです。私たちは二四色くらいしかわからないけれども、三千、二千、千、五百種類のというふうに、いろいろなレベルの差、実力の差があるわけです。微妙な色合いがわかるというところが人より優れている、洗練されているというわけです。このような世界があってもおかしくはないのです。 ②匂いのセンス また、私たちは匂いについても案外に鈍感です。私たちが特に敏感なのは、嫌な匂いで、一般的に臭いということで表現されていますが、どのように臭いかといわれますと、私もよくわからないのです。また「いい匂いだな」とは思うけれども、そのいい匂いというものの表現がどこまで的確に、みなさんできるでしょうか。このあたりに語彙がそうとう不足しているのがわかると思います。たとえば何の花の匂いに似ているとか、植物の名前であるとか、そうした比喩を出してこなければ説明ができないわけです。もし、その人が、その植物の名前を知らなければ、それで終わりです。これ以外に、匂いということに関して何か言えましょうか。私たちは、二千五百種類の匂いを説明し分けることができるかといいますと、できないのです。 ところが、最近の先端産業といいますか、ニュービジネスのなかでは、匂いビジネスというものも流行(はや)ってきているようです。女性が中心になって、匂いを売るという仕事をやっているそうです。そして、たとえば、ファッションショーのときに匂いの演出、パフォーマンスを繰りひろげるのです。あるいは立体映画のように、匂いがパーッとひろがるようにしたり、あるいは潮騒の匂いなどを漂よわせて、観客に海にいるような感じをかもし出したりするというような匂い産業が、けっこう何億、何十億円の市場に成長してきているそうです。このような人たちは、この時代の昔の記憶、パーニャーパラミタが出てきているのでしょうが、私たちにはあまり出てこないようです。 3.文明で変わる価値観 このように考えてみますと、人間が生きがいを感じたり、あるいは値打ちを感じることは、意外にいろいろとあることがわかります。このように感性の最高度に進んだ時代に生きた人から見れば、私たちがいかに鈍感で、服装にしても何を着ていようがかまわず、匂いに対しても全然センスがない、それで生きていられるということが、まことに不思議で、かわいそうな人びと、いってみれば奴隷階級に見えるはずです。そして知性が中心ではない文明の人びとであれば、今のように一生懸命に本を読んで勉強しているということは、何と憐れな人間たちだろう、というふうに見るでしょう。眼を悪くするまで本を読んで、そのはてにめがねをかけるようになり、悪循環でますます近眼になるという姿は、なぜあのような馬鹿なことをしているのだろう、目を一生懸命悪くしている、というふうに見えるわけです。たいへんおかしなことと感じると思います。 こうしたように、いろいろな文明が移り変わるなかで価値観は変わってきているのです。私たちの魂は、さまざまなところでそうした修行をしてきており、魂の器そのものがいろいろな訓練を受けてきているわけですから、この地上の生活も、その文明に固有の変わったことがあるので、あきることがないわけです。 たとえば、抜群に体格のいい人や運動能力のある人はオリンピック選手にでもなれればもちろん評価されますが、それ以外の人は、仕事ができるとか、勉強ができるとかいう尺度で評価されます。それは今の時代がそうだからです。ところが時代が変わると、評価のうえでいま下にいる人、ほかの特長のある人、たとえば匂いに敏感であるとか、微妙な色合いがわかるとかいう特長をもった人が上がってくるのです。このようなことをいろいろと経験して体験を積んでいるのです。 価値観の多様性という話をしておりますが、それも単に教えの多様性ということだけではなくて、私たちが生きてきた時代そのものに、こうした価値観の多様性があったということを考えあわせることが、ここに、大いなる芸術的な見地があるということです。神は人間にいろいろな何かを悟らせようとされているのです。今私たちが是としている価値観が、すべてに通用すると思っては、ほんとうはいけないのであって、いろいろありうるということなのです。これを知ることが、黄金の時代を知ることにもつながっていくと思います。それぞれの文明が栄え、そして滅びていった話を私はしてまいりますが、それはSFでも何でもありません。もしかすれば、私たちも生きているうちにここに書かれているような出来事を目撃することになるかもしれないということなのです。 4.ゴンダアナ文明と霊文化 ①真・大陸移動説 ゴンダアナ大陸とは、九十六万二千年前に、海底火山の爆発の後に隆起してできた大陸です。現在のアフリカ大陸と南米大陸とを結ぶ海域がその位置していた場所です。そして今から七十三万五千年前の大陸の分裂移動という前代未聞の大事件により、ひとつの大陸が消え、ふたつの大陸の出現をみたのです。過去に、こうしたことが、ほんとうにいろいろと展開しており、大陸が浮かんだり、沈んだりしていたわけです。 現在、大陸移動説というものが地球物理学のほうでも提出されています。プレートテクトニクス理論というものですが、彼らの理論からいえば、すべての大陸がひとつになっていた時期を三、四億年前と考えていて、それが徐々に今のように広がっていたと考えているようでありますが、実際はそうではありません。やはりその間にものすごい変転があったのです。それは数十万年単位で浮上したり沈んだり分裂したり、けっこう変化に富んだおもしろい推移があったのです。 ですから、アフリカの、今のエジプトあたりの土地はかなり古いのですが、あのあたりにしても、ずいぶん上がったり下がったりしています。山脈のようになったときもありますし、いったん海底に沈んだこともあり、また今のようになったこともありまして、いろいろと変わっています。 このゴンダアナという大陸はそうとう大きな大陸で、主として南米とアフリカがひとつの大陸であった時代のことをいっているわけです。それ以前に他の大陸とくっついていた時代もありましたが、百万年前は、そのような状態にありました。そして、大陸の分裂移動という大事件が起きたのです。 今の大陸移動の考え方では、マントルの対流によって、浮かんでいる大陸が動くという説明をしています。そこでは、プレートと呼ばれる固い岩石の層が地球の表層を、一年間に何センチずつか動いていくというのです。たとえばハワイにある島は一年に二、三センチくらいずつ日本のほうに近づいてきています。そして日本海溝のほうは、何センチかずつやはり沈没していっているのです。このままでどんどんいけば日本列島が沈み、あちらのハワイのほうの島がだんだんと日本のほうに寄ってくるであろうというような説明をしているのです。 ただ、その移動の速度を測っているのは現在の観測結果です。しかし、これはやはり変わります。地球自体が生きているからなのです。地球はひとつの肉体であり、マントルの対流というものも、これは地球自体の血液のようなものなのです。ですから地球という、生命体に異常事態が起きたときには、これはそうとう激しく動きます。したがって、マントルの対流の速度にも、いろいろな変化の時期があります。今のマントル対流がこのような状態であるから、同じようにずっと来たのかといいますと、そのようなことはありません。やはりいろいろな変動をしているのです。 ②男女間の超能力の違い さて、このゴンダアナ文明が栄えたのは、今から七十六万年前から、大陸消滅までの約二万五千年の間くらいの期間でありましたが、ここは超能力を中心とする文明でありました。 当時は男性の身長がニメートル一○センチ、女性が一メートル八○センチくらいが標準であり、かなり大きな体格でした。特徴のひとつは、男性には第三の眼が眉間のところにあったということです。ヨガで、チャクラとよく言いますが実際に、肉体的にもそこに眼があった時代であったのです。 現在は、二つの目だけで見ているような気もいたしますが、感覚的に見ても、霊視などができたりするため、やはりこの眉間のあたりで見ているような感じが、私はそうとう強くします。この時代の痕跡があるのだろうと思います。 この眼は超能力を発揮するときだけ開いたということですから、一つ目小僧のようでありますが、普段は閉じていて、いざ超能力を発揮するときにだけパッと開くのです。そうしますと、女性はそれが怖くてパッと逃げるわけです。そういうことで女性が従たる立場に置かれた、ということも言われています。 しかし、ゴンダアナの末期の神話として語られているものとして、「神は、人間の男女を平等につくられた。その証拠に、男性は、自分の身をまもり、一族の安全をまもるために、第三の眼が与えられ、女性は、一族の繁栄のために子宮を与えられた。」ということもあります。 おもしろい平等思想であると思います。この第三の眼によって超能力を男性は持っているが、女性も超能力器官を持っている。それは、一族の繁栄のための子宮であるというわけです。そして、この超能力器官によって、女性は霊天上界と交信ができて、子供となるべき霊を身に宿す前に面接試験ができたというのです。そして、両者合意のうえ、宿したということですから、現在のような人工流産もなかったようです。 内も子供が生まれてくる前に、子供と話をしていました。その会話もテープに収録してあります。一九八七年の四月くらいであったでしょうか。そのときには、すでに生まれてくるのがわかっていました。生まれる本人が「私がこれから出ます。」というので、その準備期間中のことであったようです。 それは、だいたい一か月と少し前くらいから生まれる準備を始めるらしいのです。そして、どのような人生を送るのかをテープに全部吹き込ませてあります。ですから、この計画と実績のズレを、これから分析することができるわけです。本人の計画と実際の人生がどうなるのか、これはまさに実験をしているのと同じで全部わかってしまいます。 約三〇分間くらいの時間をかけて自分の人生の予言をしております。本人に言わせれば、自分は勉強はあまりしたくない、だから、詰め込み教育は止めてほしい、しかし私は早熟の天才となるであろうなどと、いろいろと言っておりました。このようにして一生を予言しております。今後、彼の人生をたどっていくとおもしろいと思っております。 実際に宿るときはどうなるかということについてでありますが、肉体に宿る直前には、やはり交信ができない状態になるのです。生まれてくる前にカプセルのようなものに入るからなのです。 霊界には、そういった産卵場ではありませんが、何か生まれ変わりセンターのようなところがあって、そこにいき、やはりひとつのカプセルのようなもののなかに収まって、冬眠状態に入っていくのです。そして、霊体自体がひじょうに小さなものになっていきます。 ですから、一か月と少しの間は話ができなくなりました。交信がほとんど不可能な状態になるわけです。そして、その後、魂が宿った時期がいつであったかということを計算すると、満九週目に入ったときでありました。家内はそのとき大きな白い犬が出てきて遊ぶ夢を見たのですが、どうやらそのときに入ったようです。 そして宿ったあと、一週間くらいは話ができました。そのときは私もずっと話をしていたのでありますが、まだこのときには本人も大人の意識で、あまり変わりはありません。二か月ちょっと、三か月にならない胎児でありましたが、ずいぶん難しいことを言っていました。 これがやがて「バブバブ」としか言えなくなるのかと、かわいそうだなと思っていたわけですが、一週間くらいはしっかりしていたのです。その後赤ちゃんみたいなことを言うかと思っていますと、急に難しいことを言いはじめたりするという一定しない状態が三か月目ぐらいのあいだ続いていました。 そのうち意識的には、だんだんと赤ちゃんのようになっていきました。七か月目ぐらいに入ったときには、赤ん坊としての意識として話ができるので、おもしろかったです。 ですから、ゴンダアナのときはみんながこのようなものだったわけです。向こうの要求がわかりますし、こちらの話しも通じるのです。 テレパシーでも話ができるのですが、おもしろいことに赤ん坊の霊言もできるのです。言いたいことがあれば、私のロを通じてしゃべることができます。霊言自体は、たいしたことありません。「パフパフパフ」から始まって、何とかが痛いとか、欲しいとかが中心です。もう少し意識が目覚めていたときは、あまり勉強させられると困るというような内容でした。中国系の魂なのですが、家内が論語などを読んでいると、系統が違うものですから嫌がったりして、自分は勉強が嫌いだなどと言ってきたりしていたのです。家内が自転車に乗ったときには、揺れて頭を打ったのでしょう、「自転車痛い、乗るの止めて。」と言われたりして、それ以後家内は自転車に乗れなくなったのです。そのようなことを要求してきたこともありました。 魂が肉体に入っているので、普通の霊言とは少し違うようです。しかし、このような状況であると、普通の地上の肉体とは違って出入りがしやすいのでしょう。まことにおもしろいのです。胎児の言いたいことが、全部わかるのです。 ですから、ゴンダアナのときも、実際こうだったのだろうなと思います。胎教であまり英語はやらないでくれなどと、要求もいろいろするのです。みなさんも、もし女性でこれから出産される方で、霊道を開いたならば、お腹のなかの赤ちゃんと話ができるわけです。何が言いたいかが全部わかります。 それと、霊道を開いた場合の女性は、つわりがありません。つわりの原因は、たいていの場合、母親の肉体意識があまりにも三次元化してきているためで、それで苦しいのです。赤ちゃんが宿るときというのは、この子宮という霊能器官に宿るわけで、ブレが起きるのです。超能力器官ではあるけれども、心が澄んでおらず、錆ついていると、その意識のズレがそうとう出てきます。このときに、つわりが起こるわけです。ですから吐いたり食べ物の好みが変わったりするのも、このようなときです。なかなか合わないところにむりやり魂を押し込むので、それで何か変調をきたすわけです。 また、女性の霊意識が低いところに、もう少し高い意識を押し込むときにも、よくつわりが起きます。それで、霊道を開くとつわりがゼロになるわけです。まったくバイブレーションのズレが起きないのです。 このようにおもしろい結果をずっと分析しています。追跡調査をずっとしてみたいと思っています。本人の予言がどこまで当たるか、何十パーセント的中するのかを調べてみれば、たいへんおもしろいと思います。あと、三〇年くらいすればそれを発表するかもしれませんので、みなさんに長生きをしていただきたいと思います。 ③目の色と超能力 ゴンダアナでは、八つの民族が入り乱れて覇を競っていたので、外敵から身を守る必要があり、第三の眼がひじょうに使われていました。この眼には、黄色、緑、紫、黒、灰色、茶色という色があり、民族によって超能力の発達の度合いが違っていたようです。この六つの色の眼のどれにも共通しているところ、いわゆる念力的な部分は、強弱はありますが、だいたいみな持っていました。つまり念による物理的な力で、相手を金縛りにして、身体を動かせなくすることくらいのことはできました。このように出口王仁三郎のような世界では、霊力の強いほうが相手を縛れるわけです。 黄色い眼の特徴を言うとすれば、読心力、マインドリーディングの力がひじょうに強かったようです。緑の眼を持っていた人は、音感あるいは音楽的な超能力にひじょうにすぐれていました。紫系統は臭覚的感覚が特に強く、黒い眼に特徴的なのは霊視能力で、いわゆるオーラが見えたり、霊体が見えたりする能力が強かったのです。さらに灰色は霊聴能力が中心で、茶色は予知能力でした。 このように中心的な念動力といいますか、それぞれ特徴のある最高パワーをもっていたわけなのですが、これ以外にも六大神通力に値するような部門をいろいろもっていて、技を競い合っていました。 各民族の秘伝の部分があって、そこの長がおりまして、その部族の霊能力や超能力を高めるべく磨き合い、訓練に訓練を積むわけです。たとえば、霊視能力であれば、その能力を開発して、はるか地平線のかなたにいる相手を見えるようになるために訓練するわけです。もちろんそれは第三の眼でみているわけであって、しばらく見つめていると、拡大図のように近づいきてその様子がわかるわけです。 こういう訓練をやっていますと、忍者のように千里先の針が落ちた音がわかるというように、地に耳を伏せて遠くの音を聞いただけで、だいたい敵が何人ぐらいいて、どのような装備をしてきている、ということがわかるようになるのです。 ④文明の盛衰と霊界への影響 このような時代も、それなりにおもしろかったと思いますが、残念なことは「心」がなかったということです。そしてこの大陸消失後、これが仙人界、天狗界、魔術界等の源流になっていったということです。 霊天上界にはいろいろな世界ができているわけですが、このように一つの特別な世界ができる原因は、地上でやはり大量にそうした方面で生きた人が多くいて、それがまとまって天上界にあがったというところにあるようです。そして、その一つの世界が天上界にできると、そこでまた拡張力を発揮するわけです。そこでも、いろいろな新参者を連れてきて訓練させたりして、仙人の世界や天狗の仲間を増やしていきます。そして人数が増えてくれば、また地上に送りこんで地上の仲間を増強したりしてがんばっているのです。 あまりにも異常に大きな数の、同じような傾向性を持った魂が教育によってつくりだされた場合には霊界にもそのような影響が出てきます。 そして、やはりそういう集団がだんだんとどこかに場所を借りて住みはじめ、拡張しはじめます。そのようにしていろいろと変わっていくのです。霊界でも指導霊団の力、実績というものは変わっていきます。ですからイエス様が地上に出たときなどは白色系団がそのあと活動して天上界で邑(むら)をたくさんつくりました。そのあとに、また地上に出てキリスト教を広めたりして、よく教育していきますと、その教育を受けた人が、また広げていきます。他の霊系団も、このような感じで活動しています。 みなさん方のなかにもだいぶこのゴンダアナの時代に生きていた人がいらっしゃると思います。 ⑤ゴンダアナ文明の滅亡 「七十三万五千年前の秋の、ある夕暮に大地からゴーというすさまじい地鳴りがしたかと思うと、ゴンダアナ文明の中心都市のひとつであるエカーナという大都市の中心に、南北に亀裂が入り、みるみるうちに大地に断層ができてきました。最初の断層は、南北百キロぐらいでしたが、やがて、海水が入りはじめて分裂の兆候を示してきたのです。第二段目の変化は、それから三日目におこりました。マグェチュード10ぐらいの、強烈な直下型地震です。約三十万人のエカーナの住人は、この日、死にたえました。」と『太陽の法』に説明されています。このエカーナがどのあたりにあたるかというと、現在でいえば、やはり大西洋域になります。エクアドルの北東の方向で、ヨーロッパとの中間点のところにあったようです。 これは、文明の滅び方を見ればよくある話であるということがわかると思います。それから、ゴンダアナの東南部にはエルミナという都市があって、そこに住んでいたエルミナ族は予知能力がひじょうに発達していたので、一部の人はあらかじめ逃げることに成功しました。そして南方にあった無人の大陸に逃れていきました。 このエルミナは、どのあたりに位置していたかといいますと、これが現在で言うとブラジルのサンパウロのもう少し北のほうで、やはり海域に相当しています。そして、この予知ができる部族が海路南に、逃げたわけです。 この南に無人の大きな大陸があり、この大陸が実は現在の南極大陸と八割くらい重なっている大陸で、いまの南極は寒帯にありますが、当時は地軸がずれていて、比較的温暖な大陸でありました。小麦によく似た穀物がひじょうによくとれました。そしてここにミュートラム文明という三〇万年前から一五万三千年ぐらい前ころまで栄えた文明が出現しました。 5.ミュートラム文明と食文化 ここで特に発達した文明は、食生活の文明です。このあたりにきますと思いあたる人がそうとういらっしゃると思います。食物をどのように組み合わせて食べることが人間性にとって役立つかという、食生活と人間の精神生活との関連性が、徹底的に追究されていました。どういう植物を食べると人間の気質が穏やかになるか、あるいは、どういう精肉を食べると筋肉に瞬発力がつくか、乳製品を一日に何回、どのくらい食べれば長寿が得られるか、脳細胞の活性化に役立つかということが熱心に研究されていたわけです。 たとえば、当時もビーールに似た泡立ってアルコール分のある飲み物があり、それを飲むと気質がひじょうに穏やかになるということも研究されていました。アルコールにも種類によっていろいろな効用があって、ビールに近いようなものは、人間の性格を穏やかにさせていくけれども、その当時にあったブランデーに近いような飲み物は、人間を多少狂わせたりするような力があるとか、あるいは当時の、ワインに近いような飲み物は、高級な精神生活に向いているなど、このようなことをずいぶん研究していたようです。 食物でも乳製品が当時、流行(はや)っていて、農業国であったのですが、酪農に近いものが行なわれていて乳製品をいろいろと研究していました。現在ではミルクとして飲むか、チーズあるいはバターというように、乳製品はこの程度の種類しかないと思いますが、この時代にはもっと研究されていて、何百種類もの乳製品がありました。私たちは、まだそれほど研究心がなくて、チーズかバターくらいでよいと思っていますが、当時はひじょうに研究がなされていたわけです。 この乳製品についても、やはりどういうミルクでつくるかということが、ずいふん課題とされていました。この当時の牛は現在よりも少し小さめでしたが、育て方、飼料の与え方等でどういうミルクを出すか、ということが熱心に追究されていました。それと牛以外のほかの動物のミルクも、ずいぶん消費されていました。 ①パノアのミルク 狼に似た動物のミルクも一生懸命採取していました。その動物は狂暴で家畜にならない種類のものであったのですが、そのミルクは、ひじょうにおいしかったのです。山に棲(す)んでいて、歯がすごい動物でした。ですから、これから乳を搾るということはなかなかの大仕事で、これをどう捕まえて乳を搾り、またそれをもとの野性の状態にどうやって戻すかということが問題でした。山に、ある程度の囲いをつくって、勇士が山に登っていき、バケツを持って搾りにいくわけです。 それはとても大変な作業で、そのための訓練も施されていまして、その狼牛からミルクを搾るために筋力トレーニングも行なわれていて、格闘技の前身にあたるようなものが、そうとう開発されていました。その動物を押え込んでいかに噛まれずに乳を搾って帰れるかという方法が工夫されていました。これは、投げ縄をつかうカウボーイのやり方に近い方法でした。武器としては縄に近いもので、長さが一メートルぐらいの仕込み棒で、中が空洞になっていて棒の先から輪がついた縄が飛び出すような仕掛けになっていたものです。飛び出す縄全体の長さは、だいたい四メートルですから、それぐらいまでは近づかなくてはならないのです。ですから、柵をつくって、音楽隊のように太鼓をたたいたりして、追い込みをするのです。その柵のなかに狼牛を追い込んで、仕込み棒を使い投縄を飛ばして狼牛の首にかけます。 この投縄は、仕込み棒についているボタンを押すことにより狼牛の首を締めるようになっています。首が締まって「フーフー」いっている狼牛にまたがって、もうひとつの伸縮性のあるバンドのような武器をだして、それをロにかけます。ゴムのようになっていますから、「キューッ」とロを締めてしまいます。そしてそのときにもう一人が出てきてこの狼牛からミルクを搾るのです。 この狼牛のミルクはひじょうに高価で、飲めば長生きするといわれていたのです。当時、研究はいろいろありましたが、とくに、長生きの秘訣、不老長寿の薬がそうとう研究されていて、不老長寿の薬が、三種類あると言われていたのです。その一つが蜂蜜のたぐいです。現在の蜂蜜のたぐいのなかに不老長寿のエキスがあるといわれていました。 もうひとつは、この狼牛の乳に長生きする素(もと)がはいっているという研究報告がありました。なぜそう思われたのかといいますと、この狼牛はひじょうに精力的な動物であって、そのうえ動物のなかでも長寿であり、また繁殖力がたいへん強く、ものすごく生命力が旺盛であったので、それにあやかろうという考え方があったわけなのです。この狼牛の名前は、「パノア」と呼ばれておりました。 このパノアのミルクは、このような危険を冒して手に入れるものですから、現在の経済原理からいっても、これがどれだけ高価になるかということがわかります。このミルクは現在でいえば、ワニ革くらいの値打ちがある貴重品でした。ですから、だいたい王侯貴族の経済力がないと、飲めないものでした。 それゆえ、一般の人は、経済力をつけて早くパノアのミルクが飲めるようになりたいとか、ある島でとれるあの蜂蜜が飲めるようになりたい、そしてもうひとつの不老長寿の薬としてクロレラの先祖にあたるものを手にいれたい、という思いが強くありました。このように長寿の研究が進んでいたので、その結果、この時代にはけっこう長寿の者が多かったようです。 ②食物と人間の精神 魚の研究もずいぶんされていました。魚の料理方法なども、現在よりかなり進んでおりましたし、それぞれの魚の味に対する好みも厳しかったのです。どういう香辛料とあわせるといちばん美味しいかということが、徹底的に探究されていました。今の西洋人はそれほどではありませんが、ギリシャなどでは現在でも魚料理の研究が盛んなようです。 この時代に高級魚とされていた魚は、鯛ではなくて、イトヨリの親戚のような魚でした。それはなぜかといいますと、いろいろな分析の結果、つまりエネルギー量換算や、健康度、成分の分析、美味しさの分析というようなものからいくと総合的に一番であったためです。鯨に近いものもいましたが、大きな生物であったので、海の神というように呼ばれ恐れられていました。鯨を見た場合には、漁師は逃げていました。鯨は食用ではありませんでしたが、鮫は食べていました。フカヒレスープに近いものの研究は進んでいて調理法もいろいろありました。 そして、食生活部門ごとに長寿博士あるいは耐久力博士や、記憶力増強博士など、いろいろな博士部門がありました。ようするに、食品と精神のかかわりを徹底的に追究していたわけです。考えてみますと、あるいはそういうものかなという気もいたします。 もしみなさんが、子供のころから、人間の基礎は食品であって、これがないと人間は死んでしまうし、食べ物によって人間の発揮する能力、あるいは精神状態が左右されるのだから、食物と精神のかかわりを研究していくことが最先端の学問であり、一番の叡智者、知恵ある者が行なう仕事である、と言われていたならば、ある程度納得されるのではないでしょうか。確かに食品は万人に必要なものであるし、それでどのようなものを食べればどうなるのか、気質が穏やかになるのか、乱暴になるのか、崇高な精神になるのか、ということはだいじな問題だということです。 ですから、その当時一生懸命研究した人が、今世生まれ変わってきますと、だいたい食品の研究家や、美容食研究家などというようになるわけです。食物と運命の研究家のようになって出てくるのは、だいたいこのころにやってた博士たちがやはり出ているのです。このように、ミュートラム文明は食生活と人間の気質についての膨大な研究を残しました。 このころの研究と比べますと、やはり現代食生活の研究は、数段遅れています。また料理法などもあまり進歩しているとは言えません。ここ何千年かでみれぱ進歩しておりますが、人類の長い歴史、何億年の歴史からみれぱ料理法は決して進歩はしていません。いまでは信じられないような料理が過去にはたくさんありました。そのときに活躍した人が今、生まれていて、時どきパーニャ・パラミタを出して、過去世の料理法を思い出したりしてつくるのです。 ③エミューラの改革 ただこのときに、ひとつの唯物思想のはしりが出てきました。食生活に関心が移ったために、本来の使命である魂の研究、修行がおろそかにされてきたということです。このミュートラムの最盛期は一六万年前くらいになりますが、モーゼとのちに言われた人、当時の名前はエミューラという名前でありましたが、このエミューラ大師が地上に出たときに、「食生活から心の生活へ」というスローガンのもとに精神革命を起こそうとしました。 しかし、これは失敗したようです。それほど深く食生活を研究し食を愛していった人たち、いわばグルメの大群のような人たちに真向から「食物じゃないです。人間は心です。」と言ったところで通用するかどうかです。実際には異端視され、大変な苦労をし、迫害を受けました。ただ功績としては、食生活だけではない何か別のものが、人間性に影響があるのだというイメージだけは植えつけることはできました。この図式は現代の唯物思想とたたかう宗教のはしりに近いともいえるでしょう。
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/161.html
目次 1.キリスト教の問題点 2.ケイシーの活動の意味 3.新型宗教の手法 4.日本の新宗教を考える 5.宗教改革の必要性 (一九八八年七月五日の霊示) 1.キリスト教の問題点 エドガー・ケイシーです。さて、本日は、宗教的な側面を対象として取り扱ってみたいと思います。 さて、まず最初にとり上げたいことは、キリスト教の現在のあり方についてです。二千年という年月がイエス降誕以来経ちましたが、その間キリスト教は、果たしてどのようにして変遷してきたのでしょうか。私が思うところでは、少なくともキリスト教の教義が発展したということはなかったのではないでしょうか。イエスが教えを説いて以来、さまざまなイエスの弟子たちが出たわけですが、しかし、それにしても余りにも師と弟子との差が大き過ぎた、そしてその差を埋めることができなかったというのが真実の姿なのではないかと思います。 もちろん、後年キリスト教系からもいろいろな立派な人物が輩出しました。『神の国』を書いたアウグスチヌスであるとか、『神学大全』を書いたトマス・アキナスであるとか、あるいはそれ以外にもアッシジの聖フランシスコであるとか、あるいは聖ベルナルド、あるいは聖ベネディクス、あるいはルター、カルバン、ツィングリと、ある意味でキリスト教の法の高みをつくるために降りた光の天使たちもおり、彼らは彼ら独自に相当大きな仕事はしたものであろうと思いますが、いかんせんその教義において、どこまで発展したかというと、残念ながらある程度のところまでしか行っていないのではないのか、本来期待される水準まで行かなかったのではないかと、そのように私は感ずるのです。 とくにこれを仏教と比較してみた場合に、かなりの距離が開いていることは否めず、イエスの弟子たちが二千年にわたってさまざまなかたちで降誕したものの、この仏教との距離を縮めることができなかったのではないかと思うのです。しかも、弟子が出るたびにいわゆるこのキリスト教、あるいはイエス信仰というものが凝り固まってき始めて、もはや他の解釈の余地がないというような、そうしたものとなってきたように思います。 それ以外では、もちろんキリスト教のなかでも諸派が分かれていて、そのなかでさまざまなことを言っておりますが、そのそれぞれが小さな宗派であって、作法として何を重視するのかというようなことを問題にしたり、あるいは教会を使うか使わないか、儀式を重視するかしないかということ、あるいはあるところでは聖霊からの霊言を受け、その霊言を重視するかしないかというように、いろんなかたちになっています。また別のところでは、クウェーカー教徒のように静かに祈って、そして神の栄光に打ち震えるというような霊的体験をするという、そのようなところもあります。 このようにいくつかありますが、どれもこれも結局簡単で入りやすくて、一つの方法論を持っているということが言えるのではないかと思いますが、ではトータルでイエスの教えがわかっているかといえば、いかんせんそうではないと言わざるを得ないのです。 これに対してイエスがどう思っているかということですが、それは私も充分にはわかりません。ただ言えることは、キリスト教のなかにはどちらかというと思想的発展というものが少なかったのではないかということです。ではなにゆえに思想的な発展が少なかったかと言えば、やはりその教義のなかにおいて、かなり厳しいものがあり、やや排他性があり、また他の宗教との間に一線を画するものがあるということが、言えるのではないのか。それゆえに、どうしてもやはり他の可能性というものを排除している面があるのではないかと感ずるのです。 ひとつの思想としてみた場合、イエスの教えも必ずしも完結したものではないと思えるのですが、弟子たちにはそうしたことはわからないために、その枠から出てはいけないという、そうした考えにとらわれていたのではないのか。それゆえに、イエスの説いていないことを説く人が現われたりすると、それは異端だといことで裁判にされるというようなことが多くありましたし、異端として裁判をされたものの中には光の天使たちも数多くいたのです。イエスの教えを補おうとして地上に出て、その足らざるところを説いた時に、それが火あぶりによって葬り去られてしまうというようなことがよくあったのです。 これは、やはり数えのなかに寛容性の部分が足りないのではないのかと、そのようにも思えるのです。ですからキリスト教には、今後その教えのなかに寛容性というものがなければ、もはや思想的発展ということはこれ以上有りえないのではないのか。そしてそれもすでに二千年の歴史を経ておりますが、今後ともキリスト教としての生命を保っていくためには、他の教えの中からもよいものを学んでいく、吸収していくという姿勢がいるのではないか。もしそうした寛容の精神というものを持たず、あくまでも今まで通り頑固に二千年前のナザレのイエスの教えだけを奉じてゆくのならば、相当頑固な人たちを作り続けるということになりましょう。この点、さあどうしたものか、私もたいへん、今、頭を痛めているものです。 2.ケイシーの活動の意味 さて、そうしたキリスト教の問題点について語ってみましたが、それではエドガー・ケイシーとして二十世紀の前半に生きた私の活動の意味は、いったいどういうところにあったのでしょうか。また天上界より地上に送りこまれた際に、いったいいかなる目的をもって私が出たのでありましょうか。 これは、実はやはりある意味でのキリスト教の改革がその使命にあったのです。ルターやカルバンのようにキリスト教の教義をどう捉えるか、あるいは信仰の方法をどうするかといった改革者もいたでありましょうが、私はまったく新たな観点からその改革を行なったと言ってもよいのではないかと思います。 キリスト教においていちばん欠けているものは何かと言うならば、それはおそらく霊的なるものの分析の不足ということになりましょう。霊界の真相、あるいは霊の真相、これをキリスト教者たちはほとんど知らないでいるのです。あの世の世界がどうなっているのか、ということについて、天国と地獄ぐらいの区別はついているけれども、それ以外のことはほとんど知らないのが現状です。また、人間というものがどこから来てどこへゆくのかという、その転生輪廻の仕組みを知らないのです。またカルマの法則をも知らない。こうしたクリスチャンたちですから、何とかして彼らにも正しい神理を少しでも分け与えたいという、こうした気持ちで私は地上に降りたのです。 それゆえに、私の活動はどちらかというとキリスト教改革論という形では出なかったわけですが、結果的には、そうした面を数多く持つことになったと言えましょう。また、生前私はリーディングという、つまり自分が催眠状態に陥ってそして話をする、霊指導を受けるというかたちを取ったために、その催眠状態中に私が話した内容については私自身記憶がなく、目が覚めてから、その内容を筆記したものを読ませてもらって、自分自身ずいぶん驚いたものです。 私も日曜教会の教師をしていた関係もあって、キリスト教の信仰を深く持っていたために、私のその催眠状態中の霊指導、霊言が、これがキリスト教思想と著しく違った面があるのを見て、最初は恐れおののきました。ある時はこれはもしかして悪魔の言葉ではないのか、そこまで考えたのです。自分が悪魔にとりつかれているのではないのかと、そこまで考えたのです。 何しろそのリーディングのなかには、人間の過去世が出てきたり、また人間の転生の秘密などが出てきており、その当時のキリスト教の教義とはまったく違ったものが出ていたからです。とくに、カルマの法則として仏教のほうで言われているものが明確に出てきたものですから、クリスチャンにとっては到底信じられないのではないかと、そのように思ったものです。 こうして私は知らず知らずのうちに、そうした催眠状態中の霊指導を受けて、「眠れる預言者」としてさまざまなことを言い始めました。そしてその内容は医療行為、治療ということにも関係しておりましたし、あるいは予言という、そうした行為にも関係していましたし、それ以外にもキリスト教系統のリーディングというものもありました。 イエスが生まれたころ、あるいはイエスのまわりを取り巻いていた人たち、そうした人たちが私の生きていた当時にふたたび地上に生まれ変わっていたことがあったので、その人の過去世を探求するにつれてイエスとその周辺の様子がわかってきたということがありました。やはり、その人間の可能性と将来というものを考えていくためには、どうしてもその人間の過去世にさかのぼらざるをえなかったのです。そうして、その人の過去世がどうであったかということが、結局その人の現在と未来を規定していくということが多かったのです。 そうした過去世の蓄積が、現世、あるいは来世に反映するという考え方は、クリスチャンにとってはたいへん珍しい考え方でありましたが、そうした神理を私が教ええたということは、何にもましてたいせつなことであったと思います。特に、体にさまざまな障害が起きた人や、あるいは人生において大きな挫折に出会った人の過去世をリーディングしてみると、やはりその人の過去世において、その原因行為をつくっていることが数多くありました。そして、カルマの刈り取りということのために、そうした償い行為が現在起きているということを数多く発見することによって、人間の今世における人生の意味、あるいは今回の生の意味がいったいどこにあるのかということが、だんだんと明らかにわかってきたのです。 こうした神理を知ってしまうと、私たちはこの一回限りの人生を、単に一回限りで完結するものとして捉えることはできなくなってきます。すなわち、今世の生き方が来世、実在界での生き方にもつながっており、またその両者を合わせたものが、さらに未来世において地上に出るときの自分の人生をも規定してしまうのです。それゆえに、この一回の人生というのは本当にはかり知れないほどの価値があるということを、私は発見するに至ったのです。 3.新型宗教の手法 さて、そうしたキリスト教、あるいは私の活動、こうしたものを通して、さらに新型の宗教の手法について話をしてみたいと思います。 そうしてみると、十九世紀の後半ごろから、ひとつの新たなうねりが起きているということが言えるであろうと思います。その新たなうねりとはいったい何かというと、天上界の緒霊が直接に地上にメッセージを送るという運動です。これが、今から百年あまり前から始まってきているのです。いわゆる心霊ブームと言ってもよいかもしれません。この動きは、アメリカでももちろんありましたし、イギリスでも、そうしたスピリチュアリズム、心霊科学と言いますか、そうした霊界通信ものが、かなり発表されたのが、十九世紀の後半から二十世紀に入ってからです。こうしたスピリチュアリズムの書が相当の数、イギリスを中心に出されるようになってきました。 このような世界の流れを見ていると、どうやら次のようなことが真実であると思われるのです。それは何かというと、もう地上に降りた光の天使が努力して悟ってそれから、教えているような段階ではない。もう直接に天上界にいる諸霊たちが、自分たちがいながらにして話を伝えるという段階に来ている。そのようにしなければ、もはや地上に出た人が学んで教えたことぐらいでは、天上界にある教えというものが相当曲げられた形、あるいは低いレベルでしか地上に出てこない。そうして後のち、また問題が起きてくる。これからはもう直接に、そうした語りかけをするべきではないのか。諸霊の語りかけというものがあってよいのではないのか。こういう意味において、そうした手法が数多く取られるようになってきたのです。 それゆえに、現代さまざまな新しい宗教の動きもあるでしょうが、このようにして直接に語りかけるという方法、それが単なる神示ではなくて、内容そのものが、法そのものが天上界から降りてくる、こうしたことが考えられているのです。これはある意味では、ひとつの理想であることは事実です。本来の法則を少し破ったところもあるわけですが、理想であることは事実です。こうした地上人に対して、天上界から直接のメッセージが与えられるということは、これはひとつの希望でもあるし、ひとつの理想状態でもあると思います。 ただここにおいて、次なる問題が起きてきました。それは、霊界には高級霊だけがいるわけではないということです。またそれも、地上界に対して影響を与えられるのは地上に近いところに住んでいる諸霊たち、すなわち自縛霊、浮遊霊、悪霊の類が地上人に影響しやすいという点が言えます。これが、実は大いなる問題となっているのです。たとえば、スピリチュアリズムのように天上界から啓示を送るにしても、この地上界周辺にいる迷える霊たちの妨害にどのように対処するか、これが次なる頭の痛い問題となってきたわけです。 霊的な能力をもち、霊道を開いた人間が出たとしても、こうした地獄霊たちの通信などを受け始めたときには大変なことになり、気が狂ってしまうということになりかねません。また高級霊とそうでないものとの区別をどのようにするのか、これがまた難しい。何しろ相手は姿、形なきもの、目に見えないものですから、それが果たして高級霊なのかどうか、それが果たして名を名乗っている者そのものであるのかどうか、そうしたことが問題となるわけです。 それゆえに、霊界通信の多くは最初のころ、特に十九世紀の末から今世紀の初めにかけての霊界通信は、名前というものを重視しないという方針を打ち出していました。名前を出す、すなわち霊の名前を出すということは、その人がだれであるかという証明をしなければならないという意味があり、興味本位に、その名前を追い続けることになる可能性が出てくるからです。したがって、名前というのは大抵の場合、霊たちのペンネームを名乗っていたことが多いのです。 それは、現在日本においてもシルバー・バーチというようなものの霊言なども出されているようですが、そうしたものも結局は、ペンネームで語っているのです。そしてそのペンネームを通じて、実はいろんな霊たちが語りかけているということが事実なのです。そしてそれは、結局名前によるのではなくて、内容によって人びとに教えようとしたのです。霊的格調の高さ、その内容の素晴らしさによって人びとを説得せしめようとしたということなのです。こうした運動が、前段階としてありました。 また私のリーディングにしても、もちろんリーディングをしている人、私に通信を送っている人は霊人であることはわかっていましたが、それが誰であるかは誰にもわかりませんでした。そして私に通信を送っていたものは、実はいつも複数の人たちであったのです。複数の指導霊たちがいたのです。生前その方たちの名前が明らかにされることはありませんでしたが、今こちらの世界に還ってきて、いったい、私に通信を送っていたのがだれであったのかということが明らかになりました。 それは驚くべきことですが、指導霊団のなかには単にキリスト教系だけではなく、仏教系の人たちも入っていたのです。この両者がいたと言ってもよいでしょう。ちなみに、私に主としてリーディングをさせていた霊、あるいは私が残したリーディングのなかの中心霊はだれであったかというと、まず予知、予言に関して私を指導していたのは、これはエリヤという霊が中心になっていたように思います。 また医療関係で私を指導していた霊は、もちろん私自身の霊本体がサリエルという天使であって医療系団の光を引いておりますから、その指導そのものがあったといってもよいわけですが、やはり地上に出て医療系統の指導に当たっていた人たちも、ずいぶん力を貸してくれていたと思います。 たとえば、私の何百年か前に地上に出て、人間の血管というものを発見したハーベィという医学者がおりましたが、こうした方なども循環器系統の病気についての指導をしてくれたことがあります。またそれ以外にも、もっと古い霊としてギリシャにも出たことのあるヒポクラテスという如来、これも医学の父のような方でありますが、こうした方も指導してくれたことがあります。その他、現代の日本人には知られていませんが、医者として過去活躍した人が何人か私の指導霊団のなかにはおりました。 これ以外に、キリスト教系の過去のリーディング、その教義上のリーディングにおいて私を手伝ってくれた霊がいます。それは主として大天使のガブリエルという霊でした、これが、キリスト教系統の思想を改革する意味で、私にメッセージを送ってくれておりました。また、それ以外にはキリスト当時の弟子たち、十二弟子のうちの何人かが私にメッセージを送ってくれておりました。そのような関係もあったということです。 また、私のリーディングの中に仏数的色彩が強い理由のひとつとして、私の魂の一部が仏教系統でも活躍していたという事実があるのです。実は私は過去世に中国にも生まれたことがあったようです。そして中国に生まれた私の過去世の姿が、実はその後、歴史のなかで薬師如来として呼ばれていたことがあったようです。それは薬の調合、あるいは病気を治すといった、そうしたことに力を出したからに他なりません。このように、私の仕事は主として医療というものに重点があり、それ以外にも予言、予知、宗教問題、そうしたものに携わっていたと言えましょうか。 また、預言者の側面として私は、実は旧約聖書のなかの預言者として出たことがあるのです。私自身も生前エドガー・ケイシーのライフリーディングということで、自分自身のライフリーディングをしましたが、そのなかにおいては必ずしも真実は述べられておりませんでした。それは私が過去世、名のある人であると言ったら世の人びとが信じなくなるかもしれなかったからです。私はただの写真屋であり、しかも無学な写真屋でしたから、過去世で自分は偉い人だというようなことを言ったら誇大妄想、気違いの類にされてしまうので、はっきりとしたことは教えられてはおりませんでしたが、私は旧約時代に預言者イザヤという名で出たこともあります。そうした名で出て、神からの啓示を受けて法を説いたこともあったのです。そのように自分自身、多方面で活躍をしたことがあったという事実がわかってきたのです。 4.日本の新宗教を考える さて、今話したことを前提にして、日本の新宗教というものを考えてみると、やはり今後ともふえてくるものとして、霊指導型、高級霊からの啓示を中心とした宗教が増えてくると思いますし、またそうした計画が現にあることも事実です。そのなかには、もちろん規模の大小はあるでしょう。大きな規模の宗教、世界的な宗教として広がるものもあれば、小さな範囲での宗教として活躍を続けていくものもあるでしょう。あるいは千人、二千人を相手にしたもの、あるいは数万人を相手にしたもの、数十万人を相手にしたもの、そのようにいろんな新宗教が出てくることがありますが、そのなかでやはりひとつの大きな計画があるということは事実です。大小入り乱れて、いろんなものが今後出てくるということは事実です。それを知っていただきたいと思います。 ただここにおいて、今、大変なことが起きているという事実を知ってほしいと思います。あなたがたの書物も、場合によっては一月に四冊も出たりすることかあると思いますが、こうしたことは、やはりかつてない事実であると思います。私たちの霊言、霊示というようなものが、これだけの速さで、これだけ大量に地上に問い続けられるということは、かつてなかったことだと思います。 それゆえに、こうした霊言、霊示集などの出版ということ自体がひとつの奇跡となり、ひとつの霊的現象として、やがて公に認められるようになってくるであろうと思います。まことに常識を無視した量と速度であると思いますが、どうかこれは、たづなを緩めることなく続けていってほしいのです。一年目には疑問視し、首をかしげていた人も、二年、三年と経つと次第に手にとって読むようになってくるでしょう。そして四年、五年経つと、もう事実として確信するようになるのです。十年経つと、これ以外の神理はないというふうに、まわりに広げて歩くようになるのです。そのようなものなのです。 およそ地上の人間の思考の速度は、かなり遅いものだと考えておかねばなりません。そのように思考速度が遅く、行動も遅く、また信じることにおいても遅い人たちをわからせるためには、うまずたゆまず、かいこのように糸を出し続けていくという努力が必要だと思います。本年には五十冊目ぐらいの書物が出るのであろうと思いますが、どうかそうした冊数などを気にせずに、毎年できれば四十冊でも、五十冊でも本を出し続けてほしいと思います。それが何よりの、最大の証明となるからです。 もしあなたがたの霊的現象に疑問を持つ人がいて、そして直接会ってそれを確かめたいと言ってきたとしても、そうした人をいくら相手にしていても本当の意味での証明はできないのです。その人たちに説明し、納得させたとしても、では今度は彼らが言うことをいったい、世の人たちがどれだけ信じるかということを考えてみれば、その作業がどれはどの徒労であるかということがわかると思うのです。したがって、そうした声を気にするのではなく、そのような方にも現象としてわかるぐらいに、毎月一冊と言わず、二冊、三冊、四冊、五冊、毎週一冊ぐらいのつもりで、こうした霊言集を出してゆけばよいのです。やがて毎週、毎週手に取る新しい霊示集を見るにつけて、これが果たして疑えるのかというようになってくると思います。 私も『エドガー・ケイシー霊示集』というかたちでこの本を出すわけですが、果たして本当にこれがケイシーであるか否かは、なかなか判定は難しかろうと思います。ただ、内容的にはケイシーが語るべき内容であるということはわかるでしょうが、その人物の認定ということはなかなか難しいものです。それをエドガー・ケイシーの研究者たちが調べてみよう、あるいは実際にそのケイシー霊とあって話をしてみようとしたところで、彼らに私が判定できるはずもないのです。そうであるならば、思想的にある程度まちがいがないと思える内容であるならば、重ねて問い続けていくことがたいせつだと思います。そうすればやがて世論として認められる時が来ると思うのです。 またこれ以外にも近代に出た人たち、谷口雅春であるとか、出口王仁三郎、内村鑑三、あるいは高橋信次というような諸霊の霊言を出しており、近年の人であるからこそ、その証明もまた難しい面があるようですが、そうした証明に対して、焦るでなく、またいちいち異議を唱える人に納得してもらう必要もありません。そうではなくて、着実に実績を積み重ねることです。やがて、地上の人たちの批判や疑問は鳴り止んでいくでしょう。それは真実だからです。真実は積み重ねていくにつれて、年数が経つにつれて、次第にその全貌を明らかにしてくるものなのです。 したがって、私の場合も、日本の読者にとってはエドガー・ケイシーの個性が、いかなるものかはわからないでありましょうが、ただこの仕事を続けていくうえで次第に信じていただけるようになるのではないかと思います。できうるならば、十人の人にエドガー・ケイシーか否かを問われるよりは、十冊の書物を世に問うて証明してみたいと考えます。二十冊の書物を世に間うて証明したいという、そうした気持ちがあります。 あなたがたの指導霊団は数百人にも及んでいるのです。それだけの人たちの意見を世に問うだけでも何十年かの月日がかかるかもしれません。その意味において、仕事を急ぐということはだいじなことです。仕事を早く急いでゆかないと、この何百人もの指導霊団たちの力を生かすことができなくなってしまうのです。どうか、地上的にもそうした考慮をしながら、前に進んでいっていただきたいと思うものです。 5.宗教改革の必要性 さて、本章を締めくくるにあたって、最後に「宗教改革の必要性」について、もう一度話しておきたいと思います。 この宗教改革というのは、どうしても必要な時期が来ています。釈迦没して二千五百年、キリスト没して二千年、もう新たな世界的宗教が興ってくるべき時が来ているのです。そうでなければ、これからこの五十億の民をどうやって導いてゆくのですか。指導してゆくのですか。こうした末世の世にあって、五十億の人間がいて、神が世界的な宗教を興して人びとを導こうとしないはすがありましょうか。それは、必す予定されていることだと思ってよいと思うのです。 この現代における宗教改革の必要性は、これは結局、まず霊的世界の実証、これが何にもましてだいじだと思います。霊的世界が本当にあるということ。霊の世界があるということ。まずこれを証明していく必要があります。しかる後に、この霊的世界があるとして、それがいったいどういう仕組みになっているのか、また地上との関わりあいはどうなっているのか、こうした法則というものが説かれてゆかねばならないと思います。霊的世界の実証があって、次はそれの科学的証明、説明、あるいは哲学的と言ってもいいかもしれないけれども、分析的なる報告が必要であると思います。 それと今ひとつは、ある意味での奇跡が必要です。その奇跡とは何かというと、高級霊界からの指導を受けることによって、それを知ることによって、この世の人たちが目覚め、変わるということ。心に変革が起き、実際に価値観が転換していくということ。これがだいじであろうと思います。心の価値観の転換、そのような奇跡が数多く起きねばならないのです。 今、日本という国は、非常に宗数的には寛容な土壌となっておりますし、言論出版の自由もある程度認められている時期でもあると思います。こうしたときに、どうか勇気を奮って、この霊思想の浸透、普及に励んでいただきたいと思います。この必要性は、これは今後何千年もの人たちを、彼らの心を照らしていくための燈台の灯であるのです。そうした神聖な仕事であるのです。どうか、そうしたことをしっかりと自覚していただきたいのです。 この事業は、あくまでも後のちの人のために残すものであり、後のちの人たちを生かすものである。したがって、自分たちの時代のことだけを考えてはいけない。同時代に生きている人たちの意見だけに左右されてはいけない。霊を信じないと言っている人たちも、やがて地上を去っていずれ霊となっていくのです。そうした人たちの納得が得られないからといって、いつまでも躊躇してはいけない。何千年もの後の人びとまでの心の糧を残すということ。これに腐心していただきたいと思います。 法というものは、何千年に一回ぐらいしか大きな法が説かれることはないのです。そのようなとき、この同時代にいる人たちは、こんなに多くの法が出てもわからないというかもしれないが、後の世の人から見れば、一冊でも多く残しておいてほしかった、一言でも多く言っておいてほしかった、一行でも多くの神理を残しておいてほしかったと、必ずそう思うようになるのです。正確に多くのものを残すということ、これが何にもましてたいせつなことであると思います。 根本的な宗教改革は、それは法の高みというものをつくることなのです。法の高みというものをつくって、人びとを自然に教化していくということだと思います。それだけ大量の法が出ることによって、それに対する学習意欲というものが高まってゆくのが望ましいのです。神理を学ぶということが最大の価値であると言うことを、これを人びとに知っていただきたいと思うのです。そうした時代が、今、ふたたび訪れようとしているのです。 皆さんは文学の書であるとか、その他のさまざまな、読んでもしかたのないような書物をたくさん読むよりも、そうした書物を読まなくとも、この神理の書を読み続けるということが、実は最大の幸せであるということを知っていただきたいのです。できるならば、一日に一時間でも二時間でも、私たちのこの書を読んでいただきたい。これは新しいバイブルなのです。新世紀と言わず、今後二千年、三千年と続いてゆくバイブルなのです。このバイブルをしっかりと読み続けていってほしいとみなさまにお願いし、本章を終えることにしたいと思います。
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/55.html
目次 1.四十年ぶりに地上へ 2.高級霊界の様相 3.鬼門(きもん)、丑寅(うしとら)の金神(こんじん)は荒神(あらがみ) 4.戦争に反対した゛大本教゛ 5.ユートピア建設は永年の夢 6.神は、個性と差別知を与えられた 7.創造神は、多趣味な方 8.日本神道中興の祖・稗田阿礼(ひえだのあれ) 9.日本人のルーツはムー大陸 (1987年2月12日の霊示) 1.四十年ぶりに地上へ 出口王仁三郎じゃ。こうしてまた、地上に住んどる皆の者に、わしも話をすることができて、嬉しく思う。わしが、この世を去ったのは、昭和も二十年を過ぎた頃かのう。二十三年であったろうかのう。日本が敗戦した後に、この世を去ったわけじゃ。七十七年ぐらいは生きたと思うておる。 まあ、久々の地上じゃ。もう四十年ぶりになろうか。まあ、こうした時期にまたわしが話をできるということは、。これは嬉しいことじゃ。ほんとうに嬉しいことじゃし、まあ、わしの名も歴史の彼方(かなた)に流されようとしておるけども、どっこい出口はまだ生きておるわい。出口は出口で生きておって、まだ地上への出口を探して頑張っておるぞ。 今日、わしが今しゃべっておる日に、ちょうど地上には、わしのかつての弟子であった生長の家の谷口雅春が、霊言集を出したようじゃ。まあ、弟子のわりには、けっこう派手なことをやるわいと思うて見ておったがのう。まあ、弟子が出た以上、先生も出にゃあいかんだろう。こうして先生の言葉を伝えて、まあ、地上の「大本教(おおもときょう)」の流れを引いておるものも、また大本から出た「生長の家」三百数十万の会員も、またその他の神道系の人びとも、近代史のなかの宗教界のまあ、巨人と自称してもよかろう。巨人・出口王仁三郎の話をゆっくりと、聞いてもらいたいと思う。 まあ、わしはこういう人間じゃから、話はそうそうはない。うまい話ができるわけではない。ただ、わしはわしなりに、あの世のことはよう知っておるつもりだ。あの世のことをよう知っておるし、この世のこともようわかっておるつもりじゃ。それなりのことはわかっておるし、地上のお前たちの考えておることも、ようわかっておる。天界にありて思うことは、やはり人類の救済じゃ。お前たちの救済じゃ。大本でやれんかったことを、またやってもみたい。そうも思うておる。 2.高級霊界の様相 まあ、それは前置きで、今日は第1章「神のまたの名」という変わった標題を選んでみた。神のまたの名と言うても、それが出口王仁三郎じゃと言うたんでは、世の人びとは信ぜんであろうから、まあ、そういうことを言おうと思うとるんではない。今日の主題はのう、お前たちの今の言葉で言うならば、高級霊界について、話をしておこうと思っておるのじゃ。 まあ、地上の人びとは、神という言葉にどうも多義性というか、いろんな変わった意味を与えすぎているようじゃ。神という言葉を唯一の神というかのう、宇宙を創った神のようにすぐしてしもうたり、あるいは、八百万(やおよろず)の神々と言うて、八百万(はっぴゃくまん)も神がおると言うてみたり、まあ、いろいろじゃ。それは、地上におる宗教家の頭のなかでわかる範囲が知れておることと、その教えを聞いてわかる弟子たちの頭の内容が知れておろうことにもよろうかのう。 ただ、わしがこちらに還って思うにはのう、やはり神という言葉も、もう少し整理をしておかねばならんだろう。もう少し整理をしておかねば、どうも意味がわからぬ。整理もせずして唯一の神などと言っておれば、神はひとつだと思うから、その神を信じておるものは、他の神を信じておる者を迫害する。こういうことにもなろう。そういうことで、神のまたの名ということでね、いくつかの話を今日は用意してきた。 まあ、神のなかでも、いわゆる根本神という奴がある。これはどういった宗教でも、自分たちのなかの親神様というのを、すぐ根本神にしてしまう傾向がある。たとえば、天理教の教祖というのがおったのう。この天理教の神様なども、すぐ根本神となってしまう。あるいは、神道系でも、天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)というのは、宇宙の根本神と言われておったろう。あるいはまた、仏教のなかでも、大日如来というのが根本神と言われておったようだ。まあ、こういうふうにいろいろ言われておるし、西洋の世界でも、アラーであるとか、エホバであるとか、いろんな神が出て来ては、それぞれ根本神のようなことを言っておる。 この背景には、まあ、その神と言われる高級霊も、多少はどうも自己顕示欲が強くて、わし以外に神がないと言いたがる連中が多いということも、確かであろう。したがって、地上の宗教の争いを取りまとめるためには、まあ少なくとも、天にある神々の和解ということも、まず大事じゃ。わしも常々これを言うておる。神々よ、和解せよ。お前らが、「わしのほうが偉い」といつも威張っておっては、地上にある弟子どもも、いつまでたっても和解をせぬ。 唯一の神からきた教えだなどと言いながら、ああでもない、こうでもないとやっておる理由はね、地上の人間がそうやっとる理由は、結局、天界においても、「わしのほうが偉い」と言うておる神様がちょっと多すぎるようじゃのう。そして、主流じゃ、傍流じゃと言うて、相変わらず神の世界でもやっておるのじゃ。 その主流、傍流というのが何で決まるのかというと、だいたいこの世での実績で決まっていくわけじゃ。この世で、世界的な規模の宗教をつくって、そうして、人びとを教化し、指導して、実績をつべると、だんだん主流のほうへと回ってくる。実績がどうも今ひとつだと、だんだん傍流に回ってくる。こういうことで、神の世界でも、そうした時代に応じて、ときどき主流とか傍流とかが、入れ替わっておるんだ。 こういう流れというのがあってのう。たとえば、大本のわしじゃ。わしなどは、もともとは、もっともっと厚遇(こうぐう)されてもしかるべき霊格を持っておるにかかわらず、日本の地で、わしが神理を説いたときに、「大本教」が迫害をされた、そして、どうも神理の種としては、種蒔きとしては不十分であったとか、その後、痕跡もないまでに迫害されたがために、教えが残っておらんとか、まあ、こういうことを言う神々もおるわけじゃ。 わしに言わしてみれば、意見はあるよ。戦争に反対した大本が潰されて、戦争に賛成した某新興宗教があれほど大きくなっておるんだから、まあ、こんな不合理なことはないとわしは思うんだけども、それでも、戦争に賛成したほうが、あの世へ還って威張っておる場合もある。 まあ、こういうことで、神々の世界も、ある程度不可解なところはあろう。わしが生きておったときに、主としてわしを指導しておったのは、国常立之命(くにとこたちのみこと)と言われる方で、もちろん、如来の方であるんだけれどもね、この国常立之神というものも、どちらかと言うと、今傍流のほうに押しやられておる。 まあ、如来も数は多いけれども、そのなかで、やはり力を持っておる如来と、残念ながら時代的には少し外れておる如来と、両方がおるのじゃ。まあそういうことで、国常立之命が、その傍流から立ち上がろうとして、わしを指導しておったんじゃ。ところが、わしがまたこういう形で、非常に弾圧をされたがために、まあ、結局同じことになってしまったわけじゃ。 3.鬼門(きもん)、丑寅(うしとら)の金神(こんじん)は荒神(あらがみ) まあ、「大本」の主宰神を〈丑寅の金神〉と言うけれども、丑寅と言うのは方角でね、昔から鬼門と呼ばれている方向のことじゃ。なぜ丑寅が鬼門かと言うと、まあ、神々の世界のなかで、多少主流から離れた神々が集まっておる方角があるのじゃ。それを丑寅と言う。まあ、下世話の話をすれば、昔から丑寅の方角に、たとえば、便所をつくれば祟(たた)るだとかね、丑寅の方角に何々をつくれば崇るだとかよく言われて、丑寅の方角の神とは、゛祟り神゛と言われておる。 丑寅の方角の神が崇り神である理由と言うのは、ひとつには荒神(あらがみ)という言葉があるけれども、戦の神様が多いということもひとつだ。「如来界」や「菩薩界」にももちろんいろんな神様かおるわけだけれども、戦神というのがかなりおる。そういう神様というのは、一ヵ所に集めておかねばならぬ。放し飼いにしておったのでは、いろんな人を捕まえて、喧嘩をするということで、一ヵ所に集められておるのじゃ。 まあ、昔の荒神(あらがみ)として有名なのは、須佐之男命(すさのおのみこと)。そういう方がおろう。この方も、もともとは如来じゃ。ただ、如来としての神格を持った方であるのはもちろんじゃが、いかんせん行動がどうも派手すぎて、行ないが今ひとつということで、丑寅の方角へ入れられておる。したがって、須佐之男命、国常立之命、それから最近出た偉大な丑寅の神様としては、゛出口王仁三郎゛じゃ。こういう人びとが、まあ、如来は如来なんじゃけれども、ちょっと隅(すみ)のほうへ押し込められておるわけじゃ。 これを何とか、わしらの天下にせねばならんと、まあ、思うとるわけじゃ。なぜわしらがそういう狭いところに入れられておるかというと、結局のところ、我らの霊的な力が強すぎて、たとえば、わしらの世界のなかでも、まあ、神様の力競(くら)べと言っちゃああれだけれどもね、まあ、角力(すもう)取りがどちらが強いかということがあるように、神の力でも力競べというのがあって、どっちが力が強いかというのがわかるわけじゃ。 そうすると、わしらといきあたった神というのは、たいてい逃げよるわけじゃ。わしらの力が強いから、いたずらでもされるといかんと思うて、逃げるわけじゃ。こういうこともあって、若干裏方のほうに、今封じられておる。わしらを封じとるのが一体だれかと言うと、知っとるかのう、だれがわしらをそんなところに封じ込めたと思うか。まあ、これが、「天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)」というお方じゃ。 まあ今、力をふるっておって、最近でも生長の家の大神として、谷口雅春を指導しておったようだけれども、どうやらあちらが主流をつくって、神道系のなかで、わしらのほうを傍流へとだいぶ追いやってきたようじゃ。まあ、これは、過去いろいろと地上を理想化するためにいろんなことを起こしたんだけれども、まあ、やり方があまりにも荒荒しくて、うまくいかないということで、我らが天之御中主之神から、多少いみ嫌われたところがあるわけじゃ。 まあ、わしも、「大本」のときに、ずいぶんやったけれども、感化力というかのう、影響力というのが非常に強いんじゃ。そういうことで、大本の教えに触れると、皆んな、変わっていく。まあ、狂信的と言われると、わしらも腹が立つけれども、まあ、皆んな、何かに引き寄せられるように信者になっていく。とくに大本の失敗は、大本の信者のなかに、狂信の信者がかなり出て来たことじゃ。 4.戦争に反対した゛大本教゛ 狂信の信者がかなり出て来たことによって、日本神道系の秩序が崩れるということになって、「大本」の排撃(はいげき)というのが始まった。したがって、これは、ある意味では、神々のなかでの勢力争いもあったということじゃな。わしらの天下にはしたくなかったという気持ちもあったのじゃろう。まあ、あのまま、「大本」がもっと躍進しておれば、今頃、世界が変わっておったに、と思うんだけれども、わしの「大本」時代の仕事の大きなもののひとつは、戦争の反対じゃった。 わしは、日本が急速に軍備強化して、戦争を始めようとしておったことをいち早く予知能力を駆使してわかっておった。だから、戦争を阻止するために、いろんな若手の軍人とか、皇室関係、あるいは、政治関係、いろんなところへと力を持った。そして、新聞社まで手に入れるにいたった。そういうことをして、日本を変えていこうとしたわけじゃ。 まあ、そのやり方の是非(ぜひ)を問うのは自由だけれども、これは今、お前たちが考えておる仏国土づくりと、その主旨においては少しも変わってはおらぬ。神の経綸(けいりん)というものを知らしめ、この世というものを、神の国にしようとした動きであったことは確かだった。じゃが、問題があった。それは、わしの力があまりにも強すぎて、王仁三郎ひとり相手に日本の警察が立ち上がったわけじゃ。 そうして、第一次大本教弾圧、第二次弾圧があったことは、あなた方も知っておろう。わしは、日本の国が滅(ほろ)びるということを予言した。そういうことで、思想犯、危険犯とされて、投獄もされたし、綾部にあるわしの本部も潰(つぶ)された。何回もそういうことがあった。しかし今、歴史を振り返ってみれば、わしらが言っておったことが間違っておったかどうかは、明らかである。日本は、戦争によって、やはり敗北したではないか。国が滅びた。 そうして、わしは、天皇陛下も「人間宣言」をすると言うておったが、言うておったとおり、ただの人になったではないか。東京に火の雨が降るとわしは予言したではないか。そして、そのとおり、火の雨が降ったではないか。広島にも、長崎にも、原爆が落ちることをわしは予言したではないか。そして、そのとおりになったではないか。歴史を見れば、わしの言ったとおりになっておる。わしは、この危険な傾向を何とか食い止めるために、一心にこの一身を投げ出して、我が身を張って、日本を守ろうとしたんじゃ。まあ、それを理解せぬ人たちがおったということじゃ。 5.ユートピア建設は永年の夢 また、日本には理想国ができんと思うては、満蒙(まんもう)に渡って、満蒙で理想国づくりに励んだこともあった。まあ、こうした流れを見ればわかるように、わしの使命は、この地上にユートピアをつくることにあったのじゃ。ただ、その手段方法について、異論があったこともあろう。そういうことで須佐之男命(すさのおのみこと)とか、国常立之命(くにとこたちのみこと)であるとか、わしとかは、まあ、あまり優遇はされておらん、今のところ。霊的な力が強すぎるのでね。地上に出ると、大事(だいじ)が起きるということになっておるんだろう。 しゃが、まあ、歴史のなかでは、わしの名前もやがて不滅のものとなるであろうと思う。少なくともわしは、人びとを破壊から救いたいと思っておったことも確かであったし、綾部(あやべ)という地に、丹波(たんば)のね、田舎の地じゃけれども、綾部という地に一大聖地をつくって、世界の宗教の発祥地をつくりたいと思ったのじゃ。まあ、そういう理想が夢だった。 まあ、こういうことで、地上の人びとから考えれば、神様の世界にも、いろんな派閥があると聞いてはがっかりとする人も多かろうが、事実あるものはあるのじゃから、仕方があるまい。したがって、神とは言うても、そのまたの名は、やはり高級霊じゃ。 これは、神のまたの名であってな。そして、地上の人間は、高級霊の言うことなら、何でも言うとおりじゃと思うておるだろうが、高級霊にも考えの違いがある。思いの違いがある。やり方の違いがあるということじゃ。 わしらのように、戦争反対ということで、日本国中を信者にしようとした者もおれば、神々のなかには、日本は滅びたほうが、いったん滅びて建て直したほうがよかろうという人もおった。こういうふうな意見の違いもあるということじゃ。そういうことで、一概には何がいいかは言えぬ。どちらのほうがいいかは、やはり歴史のなかで証明されることであろう。 6.神は、個性と差別知を与えられた まあ、西のほうには、イエスという人間が生まれたこともあったけれども、彼とても、ほんとうに十字架にかかったのがよかったのかどうか、これは、今だに結論は出ておらん、わしらの世界でも。お前たちは、その悲劇の人生、詩的な人生ということで、それを崇(あが)めるかも知らんけども、イエスが、ほんとうに三十三歳で死んだのがよかったのか、それとも七十年、八十年の間、神理を伝道して、イスラエルの国にほんとうの神の国を打ち立てたほうがよかったのか、これは何とも言われんとわしは思う。どっちがよかったとは言えぬ。 すべて結果じゃ。こういうふうに、まあ、この地上での神の、法の具現、公布ということに関しては、わしら神々と言われている者であっても、考えの違いがあるし、わしらがまだ人間としての個性を持っておる理由は、結局のところ、まだこうしたことに関して、考えの相違があるからじゃ。考えの相違がなくなれば、わしらの個性はいらんのじゃ。 地上の人間は、高級霊なら皆同じじゃろうと思うとるが、皆同じなら、個性はいらんのじゃ。皆同じなら、何で仏教をつくったり、キリスト教をやったり、神道やったりしようか。同じでないから、いろいろとやっておるのじゃ。それぞれの集団が、わしらの方法こそが一番いいと思ってやっておるのじゃ。 ということはどういうことかと言うと、まあ、如来や菩薩と言えるような、神近き高級霊であっても、やはり地上を仏国土にしていくという仕事において、個性の差があって、またやり方の差があり、考え方の差があるということ、そうであるから、またわしらにとっても、魂の修行ということができるということなんじゃ。まあ、この辺をよく考えてみにゃあいかんだろう。 まあ、そういうことで、地上で諸宗、諸教、諸団体が入り乱れて争っておるけれども、お互いを非難し、排撃することはけしからんことじゃが、その方法論において一致せんところがまだあるというところは、認めざるを得んじゃろう。目的においては一緒じゃ、皆んな、自分らが真理ということを広めて、世を救っていこうと思っとるんじゃ。目的において一緒じゃ。ただ、手段、方法が違っておる。そういうことも、頭のなかに入れておかねばならんということだ。 7.創造神は、多趣味な方 まあ、ほんとうの神、造物主というものの心がどこにあるのかは、わしらでもようはわからん。ただ、こうした高級霊界の様相を見てみるにつけ、その根源にある神というものが、どうやら、ずいぶん多趣味な人格らしいということはわかるわけじゃ。かなり趣味が多い方らしいなということがわかる。あれもいいけれども、これもいい。これもいいけれども、あれもいい、というような人であろう。 まあ、趣味の少ない人であれば、人間だけ創っておればそれで満足するだろうが、よくもまあ、創りに創ったり。トカゲも蛇も創り、狐も猫も創り、鯛も創れば、平目(ひらめ)も創る。蛸(たこ)も創れば、烏賊(いか)も創る。まあ、よくもあそこまで知恵が回ったものじゃ。 まあ、してみると、神というものには、ひとつの好みというのがあったわけじゃなくて、いろんなものを創っていくなかに、どうやら意味を看て取った方であるらしいということがわかるということじゃ。お前たちから見ても、蛸と烏賊どちらが優れておるかと言われても、ちょっとわかりかねるであろう。また、蛸と烏賊が、どっちが進化しているか、これも難しい。蛸と烏賊の生き方のどっちが神の心にかなっとるか、まあ、これもちとむずかしい。 まあ、人種の違いも蛸と烏賊じゃ。日本人じゃ、アメリカ人じゃと言っとるが、日本が蛸じゃ、アメリカが烏賊じゃと言うても、どっちが、どっちじゃ。烏賊の値段が高いときもありゃあ、蛸の値段が高いときもある。墨を吐くとこは、同じじゃ。足がいっぱいあるところも、同じじゃ。軟体動物であるとこも、同じ。まあ、いずれあやめかかきつばた、いずれ蛸か烏賊か、まあ、この程度の違いじゃ、蛸の信ずる宗教と烏賊の信ずる宗教のどっちが得かよく考えてみると、どっちも相手をののしって、墨をペーッと吐いては、逃げておるんじゃ。まあ、この程度の違いじゃの。 8.日本神道中興の祖・稗田阿礼(ひえだのあれ) まあ、こういうわしじゃけれども、出口王仁三郎として出た以外にもまた、我がこの大和、日本の国のために、かつて協力したこともある。わしも、昔の日本の歴史に、名は止どめておるのじゃ。わしがだれかを知っておるかの。わからんだろうの。まあ、遠からん者は耳をそばだてて聴け、近くの者はもっと近くに寄れ。「出口王仁三郎」のその過去世は、畏(おそ)れ多くも、かしこくも、知っておるかのう、ウーム。残念ながら伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)じゃないんじゃけれども、わしは、「阿礼」じゃ。阿礼、知っておるか。 古事記というのをつくった人がおったじゃろうが。それ、それ、古事記をつくったのはだれじゃ。「稗田阿礼(ひえだのあれ)」じゃ。聞いたことがあるかな。稗田阿礼というのは、わしじゃ。古事記をつくったということはな、イスラムの世界で言ゃあ、コーランをつくったのと同じ、キリスト教で言ゃあ、聖書をつくったのと同じ、仏教で言ゃあ、仏典をつくったのと同じじゃ。 それだけ、日本の歴史のなかで、力のあったわしじゃ。稗田阿礼と言うてのう、まあ、帰って歴史の本でも開いてみい。必ず名前がのっておろう。日本の国をつくったひとりじゃ。この神国日本の基礎をつくったのはわしじゃ。その日本の神道の要(かなめ)となったのもわしじゃ。 まあ当時、今からそうじゃのう、千三百年も前であろうかのう、その頃に生まれて、そのときも、わしは巨大な霊能者であったわけじゃ。巨大な霊能者であって、まあ、観自在というか、過去、現在、未来を見通したのがわしじゃ。まあ、現在では、稗田阿礼というのは、昔から、語り継がれた神代(かみよ)の歴史を暗誦しておって、そういう語り部であって、その暗記しておったのをしゃべって、大安万侶(おおのやすまろ)というのが筆録して、古事記ができたと言われておろう。じゃが、事実は、そうではない。 当時、貴族のなかに、宮中において、そういった神代の歴史を語り伝える語り部というのがおったのは確かであるけれども、この語り部というのは、まあ、ある意味での神主でもあったわけじゃ。昔の歴史を覚えてしゃべっておっただけでは決してなくて、語り部のほんとうの意味は、「霊来たりて語り給う」の語り部じゃ。 すなわち、霊能者じゃ。天上界の緒霊をその身に宿して、その口を貸してしゃべらすのが語り部じゃった。そういうことで、当時の政治についても、やはりわしら語り部に、御下問(ごかもん)が下って、右すべきか、左すべきか、というようなことが問い合わされて、わしらが答えておったのじゃ。 「都(みやこ)を今度は変えるべきでござる」とか、あるいは、「そろそろ国史の編纂(へんさん)をすべきときである」とか、こういうことを言ったのが、わしらじゃ。これも、あの世の高級諸霊の言葉が身にのぞんで語ったわけじゃ。今、古事記を見れば、神代の時代のことをいろいろ書いておろう。「大国主之命」の国引きの話とか、「神武(じんむ)天皇」の東征の話であるとか。 「天照大御神」の、天の岩戸隠れであるとか、そうしたことがいろいろのっておろう。当時、わしの口を借りて、そうした高級神霊が語っておったのだ。それを、大安万侶(おおのやすまろ)が筆録して出したわけじゃ、わかるかの。 9.日本人のルーツはムー大陸 まあ、現代では、古事記というたらもう昔の時代のことと思うて、古事記以前の世界がもうないように思うて、現代の日本人は、日本の歴史は二千年そこそこであって、それより以前は、弥生時代であるとか、縄文時代とか言って、石器と稲作だけの時代だけしゃったと思うておったようだけれども、いかんせん、日本の歴史はもっともっと長いのじゃ。 そして、何千年かに一回ずつ、わしのような大きな霊能者が出て、新たな神代の時代の霊言を遺(のこ)して、神話をつくっていくというのが歴史であったわけじゃ。したがって、今お前たちは、天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)とか、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)とか、天照大御神(あまてらすおおみかみ)とかいうのが、三千年近いその昔に、日本の国をつくったということを聞いておろうけれども、これにおいても、最初じゃないのだ。もっと昔がもちろんあって、四千年前、五千年前という歴史ももちろんあったし、七千年前の日本もあったのじゃ。ただ、そうしたものは遺っておらん。 そして、四千年前、五千年前の神々のことが記憶に消え去ったときに、天之御中之神とか、天照大御神とかが地に降(く)だられて、新たな宗教をつくられたのじゃ。彼らが地上を去って長くなれば、奈良の時代に、わしらがまたそういう、何と言うかのう、神話をつくって、新たな宗教、まあ、これが日本神道の基礎になっておろう。経本としては、「古事記」「日本書紀」しかないであろう。こういうものになったわけじゃ。 まあ、西洋流に言えば、宗教改革であるし、新たな宗教を起こしたということでも、一緒であろう。まあ、わしの出た時代は、イスラムでは、マホメットの出た時代とそう変わらん頃であるから、歴史としては、もっともっとほんとうは遡(さかのぼ)っておるのじゃ。 いかんせん人間は、二千年か三千年前で、人類が始まったぐらいに思っておるから、キリスト教でもそうじゃ。だいたい神様が四千年ぐらい前に、人間を創ったらしいぐらいに思うておる。「アダム」と「エバ」の話じゃ。神様が粘土をこねて、人間を創ったのは四千年ぐらい前のことだと思っておる。そんなもんじゃなくて、ほんとうは、もっともっと、古いんじゃ。もっともっと古い時代なんじゃ。 そして、日本へそうした神道系の神々が数多く出ておるけれども、こうした神道系の神々の、まあルーツと言うか、根っ子はどこにあったかと言うと、太平洋には、「ムー」という大きな大陸があってのう。昔、ここでまた、皆んなやっておったのじゃ。こうした神々がムー大陸が沈んだ後、また東の国に移って来ておるのじゃ。そうして出たんじゃ。 したがってまあ、日本人のルーツと言うのかのう、現代語では、根っ子がどこにあるかと言うことを、いろいろ議論がなされておるようじゃけれども、根っ子はムーじゃ。ムーの文明を継いでおるのじゃ、日本人というのはのう。それが、根っ子じゃ。まあ、それ以外に、大陸からも人は入ってきておる。さまざまにね。だが、根っ子はムーじゃ。 ムーの海洋文明というのが、日本に入ってきておるのじゃ。もともとの根っ子は海洋民族じゃ。それにまあ、稲作民族が中国、朝鮮のほうから移ってきておるのじゃ。したがって、弥生式時代、縄文式時代というのが、まあ、二千年、二千数百年前にあったと言われておるけれども、それは稲作民族の時代であって、これ以前に日本には、すでに海洋民族が住んでおったのじゃ。海を中心としてのう。 船を道具として、海を舞台として活躍しておった。海洋民族としての日本人がおったのじゃ。今から四千年前、五千年前にも、ちゃんと立派な帆船(はんせん)をつくって、太平洋を、日本海を、行き来しておったのじゃ。そういう文化の高い人種であったのが、日本人じゃ。五千年前にも、ちゃんと帆船をつくって、太平洋を行き来しておった。その頃には、太平洋にも鯨(くじら)がずいぶん泳いでおってのう。帆船に乗って、鯨をモリで突いておったのじゃ。そういうこともしておった。 そして、鯨を漁(と)っては、鯨の体のなかから、蝋(ろう)を採ったり、蝋燭(ろうそく)の蝋を採ったり、筋を採ったり、皮を採ったりして、さまざまなものをつくっておった。その鯨の皮をはいで、これをテントにもしておった。知っておるかのう、鯨のあばら骨を、屋台骨代わりに使って、皮を採ってのう、皮でテントを張って、まあ、エスキモーじゃないが、そういうものをつくって住んどった時代もあるんじゃ。これが海洋民族じゃ。そうぃうこともしておった。 まあ、こういうことはまだだれも言うたことがないじゃろう。まあ、明日もあるから、今日はこの程度にして。また、話を続けていこう。うん。