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書写《しよしや》山の性空上人《しようくうしようにん》は、法華経を読誦《どくじゆ》した功徳《くどく》によって肉体的な汚れから脱却した人であった。旅で、宿屋に行ったところ、豆のからを焚いて、豆を煮ていると、音のつぶつぶと鳴るのを聴いてみると「疎遠でもない貴様たちが、恨めしくも自分らを煮て、苦痛を与えるものだな」と言っていた。焚かれている豆がらのぱちぱちと鳴る音は「自分の本心から出たことであろうものか。焚かれるのもどれほど堪え難いか知れたものではないが、仕方のないことである。どうぞ我らを恨んではくれまいそ」と言っているのが聞かれた。
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亀山殿を建設せられるために地ならしをなされたところが、大きな蛇が無数に寄り集まっている塚があった。この土地の神だと言って顛末を奏上したところが、どうしたものであろうかとの勅問があったので、衆議は昔からこの土地を占領していたものだから無闇に掘り捨てることはなるまいと言ったけれど、この太政大臣(前項の実基公)だけは王者が統治の地にいる虫どもが皇居をお建て遊ばすのになんの崇りをするものか。鬼神も道理のないことはしないから崇りはないはずである。みな掘り捨ててしまいさえすればよろしいと申されたので、塚を破壊して蛇は大井川へ流してしまった。果していっこうに祟りもなかった。
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鎌倉の海で、鰹《かつお》という魚は、あの辺では無上のものとして近来は賞美されている。これ も鎌倉の老人が話したのだが、「この魚は自分らの若年の時代までは相当な人の前へは出なかったものである。頭は下男でさえ食べず切って捨てていたものである」ということであった。このようなものでも世が末になると上流へも入りこむものである。
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羅《うすもの》の表紙は早く損じて困るとある人が言ったら、頓阿が、羅の表紙なら上下がほぐれ、螺鈿《らでん》の軸は貝が落ちてしまって後が結構なのであると言ったのは、頓阿に敬意を感ぜしめる。数冊を一部としたとじ本の類の揃っていないのを不体裁なというが、弘融僧都が、なんでもきっと完全に揃えようとするのは未熟な人間のすることである。不揃いなのがよいのだと言ったのも、さすがはと思った。いったい、何につけても、事の完備したのはよくないものである。でき上らないのをそのままにしてあるのも面白く、気持がのんびりするものである。内裏を造営せられるにも、きっと完成せぬところを残しておくものであるとある人が話していた。古の聖賢の作った儒仏経典にしても章や段の欠けていることが多い。
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延政門院様幼少のおん時、父君がおいでの院へ参る人に、言伝《ことつて》であると申し上げさせられたお歌は「ふたつ文字牛の角文字|直《すぐ》な文字曲《ゆが》み文字とそ君は覚ゆる」こいしく思い参らせ給うというのである。
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門に額《がく》を掛けることを額を打つというのはよくないらしい。世尊寺行忠卿は額をかけると仰せられた。見物の棧敷をうつというのもよくないらしい。平張の幕ならばうつというのが通常いうところであるが、棧敷は構えるというべきである。護摩《ごま》をたくというのもよろしくない。護摩を修するとか護摩をするとかいうべきである。「行法《ぎようぽう》も法の字を清音に発音するのではない。濁音でぼうというのである」と清閑寺の道我僧正が仰せられた。臼用語にさえこんな間違いばかり多いのである。
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「牛を売る者があった。買う人が、明日、その代価を支払って牛を引取ろうと約束した。夜の間に牛が死んだ。買おうという人が得をした。売ろうという人は損をした」と話した人があった。 この話を聞いていたそばの人が「牛の持主は、なるほど損をしたわけだが、また大きな得もある。というのは生きている者が死の近いのに気づかぬ例は、牛が、現にそれである。人とてもまた同様である。思いがけなくも牛は死に、思いがけなく、持主は生きている。一日の命は万金よりも重い。牛の価は鵝毛《がもう》よりも軽い。万金を得て一銭を失った人を、損をしたとは申されまい」と言ったら人々はみな嘲って「その理窟は牛の主だけに限ったものではあるまい」と言った。 そこでそばの人が重ねて「人が死を悪《にく》むというならば須《すべか》らく生を愛したがよかろう。命を長らえた喜びを毎日楽しまないはずはない。しかるに人は愚かにもこの楽しみを無視して、労苦して別の楽しみを追い、この存命という財宝を無視し、身を危くしてまで別の財宝を貪るから、心に満足を感ずる時もないのである。生きているあいだに生を楽しむごとをせずに、死に臨んで、死を恐れるのは不条理である。人がみな、生を楽しまないのは死を恐れていないからである。死を恐れないのではなく、死の近づくのを忘れているのである。もしまた生死の問題に超越しているというのなら、まことに真理を会得していると申すものである」と言ったら、聞く人はますます嘲笑った。
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唐橋《からはしの》中将という人の子息に、行雅僧都《ぎようがそうず》と言って密教の教理の先生をしている僧があった。のぼせる病気があって年とってくるにしたがって、鼻がつまり、息もしにくくなったのでいろいろ治療もしたけれど重態になって、目や眉や額など腫れぼったく覆いかぶさって来たので、ものも見えず、二の舞の面のように色赤く、おそろしげな面相に似てただおそろしげな、鬼の顔になり、目はいただきにつき、額のあたりが鼻になったりしたので、のちには同じ寺中の人にも会わず、引き籠り、長いあいだ病んだあげく、死んだ、妙な病気もあったものである。
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すぺてのことは月を見るにつけて慰められるものである。ある人が月ほどおもしろいものはあるまいと言ったところが、別の一人が露こそ風情《ふぜい》が多いと抗議を出したのは愉快である。折にかないさえすればなんだって趣のないものはあるまい。 月花は無論のこと、風というものがあれで、人の心持をひくものである。岩にくだけて清く流れる水のありさまこそ、季節にかかわらずよいものである。「洗湘《げんしよう》日夜東に流れ去る。愁人のためにとどまることしばらくもせず」という詩を見たことがあったが、なかなか心にひびいた。また岱康《けいこう》も「山沢《さんたく》にあそびて魚鳥を見れば心|慰《たの》しむ」と言っている。人を遠ざかって水草の美しいあたりを遣遙するほど、心の慰められるものはあるまい。
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今の内裏《だいり》が落成して、有職《ゆうそく》の人々に見せられたところが、どこにも欠点がないというので、もうお引移りの日も迫っていたのに、玄輝門院が御覧遊ばされて、閑院殿の櫛形の窓は、円っこく縁《ふち》もありはしなかったと仰せられた。まことにえらいものであった。これは壁にきざみを入れて木で縁をしていたもので違っていたから、改められた。