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竹林院入道左大臣殿(西園寺公衡公)は太政大臣にのぼられるのはなんの差しつかえも無かったけれど、「太政大臣も別に珍らしくもない。左大臣の位でやめよう」と言って出家せられた。洞院《とういんの》左大臣殿もこのことをわが意を得たことに思って太政大臣の望みは抱かなかった。亢龍《こうりよう》に悔《くい》があるとやら言うこともある。月も満つれば欠け、物も盛りになると衰える。何事につけても、この上なしというのは破滅に近い道理である。
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真理探求の大事の志の発起した入は、棄て去り難い気がかりのことも成就しないで、そのままに捨ててしまうべきである。ちょっとこの事をすませておいて、ついでにあのことも型をつけて、あのほうのことも人に笑われないように、将来の非難が起らぬように準備しておこう、今までだってこうしていたのだから、今さらこれくらいのことを待つのは、今直ぐである。あまり人困らせをしないようになどと思っていたのでは、よんどころないことがあとからあとから出て来て、そんなことが尽きてしまう日もなく、思い切って実行する日があるものではない。大方の人をみると、相当な分別のある人なら、みんなこういう予定だけはして一生を通してしまうものなのである。近火などでにげる人は「もうちょっと」などと言っているものであろうか。一命を助けたいと思えば、恥もなく財産も捨ててにげ出すのである。寿命が人を待っていてくれようか。無常が来るのは水火が攻めるよりも速かに逃れる方法とてもないのに、その時になって、老親幼児、主君の義、愛人の情などがふり捨て難いからとて捨てないですませられることだろうか。
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寺院の称号や、その他何ものにでも名をつけるに、昔の人はすこしも凝《こ》らないで、ただありのままに、簡単につけたものであった。この頃では考えこんで学識を衒《てら》って見せたふうのあるのはすこぶる気障《きざ》なものである。人の名でも、見なれない文字をつけようとするのはつまらぬことである。万事に奇を求め、異説を好むのは才の足りない人物がよくやることだそうな。
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柳原の附近に、強盗法印と名づけられた僧があった。たびたび強盗にあったものだから、こんな名をつけたのだという。
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名を聞くとすぐその人の風貌が想像できるような気がするものであるが、会ってみると、それがまた、思っていた通りの入というのも無いものである。昔物語を聞いても、現代の人の家が、あの辺であろうと感じ、人物も、今日の誰のようなと思いくらべて見られるのは、何入もそんな気のするものか知ら。また、どんな時であったか、現在今話していることも、目に見ていることも、自分の心の中も、この通りのことがいつであったか知ら、あったような気がしていつとは思い出さないが、必ずあったような心持のするのは、自分だけが、こんなことを感ずるのか知ら。
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岡本の関白家平公が、満開の紅梅の枝に鳥を一|番《つがい》添えて、この枝につけて来いと鷹飼の下毛野《しもつけの》武勝に申しつけられたが、「花に鳥をつける方法は存じません。一枝に一番つけることも存じません」と言ったので料理方にもお尋ねがあって人々に問うてから、ふたたび武勝に「それでは其方の思う通りにつけて差出せ」と仰せられたので、花のない梅の枝に、鳥は一つだけつけて差し上げた。武勝が申しますには、「柴の枝、梅の枝の、蕾みのあるのと散ったのとにはつけます。五葉の松などにもつけます。枝の長さは七尺か六尺、そぎ取ったのをかえし刀で五分に切ります。枝の中ほどに鳥をつけ、つける枝、踏ませる枝があります。つづら藤の割らないままので、二ヵ所結びつけます。藤のさきは火打羽の長さにくらべて切り、それを牛の角のように曲げておきます。初雪の朝枝を肩にかけて、中門から様子を整えて参り、軒下の石を伝い、雪には足跡をつけないで、尾のつけ根にある毛をすこし抜き散らして、二棟の御所の欄干に寄せかけておきます。下されものがあったら、肩にかけて礼をして退出いたします。初雪と申しても、沓の鼻のかくれないほどの雪なら参りませぬ。尾のつけ根の毛を抜き散らすのは、鷹は腰を襲うものだから鷹の獲《と》ったもののようにするためでしょう」と申した。 花に鳥をつけないというのは、どういう理由であるやら。九月の頃に梅の造り枝に雉をつけて「君がためにと折る花は、時しもわかぬ」と言ったことが伊勢物語に見えている。造り花には鳥をつけても差しつかえないものなのであろうか。
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晩春のころ、のどかに美しい空に品位のある住宅の奥深く、植込みの木々も年を経た庭に散り萎れている花の素通りしてしまうのが惜しいようなのを、入って行ってのぞいて見ると、南向きのほうの格子は皆閉め切ってさびしそうであるが、東の方に向っては妻戸をいいかげんに開けているのを、御簾《みす》の破れ目から見ると、風采のさっぱりした男が、年のころ二十ばかりで、改まったではないが、奥ゆかしく、のんびりした様子で机の上に本をひろげて見ているのであった。いったいどんな素姓《すじよう》の人やら知りたいような気がした。
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他人の田をわがものと論じ争ったものが訴訟にまけてくやしさに、その田を刈り取って亠米いと人をやったところが、これを命ぜられた者どもは、問題の田へ行く途中からよその田をさえ刈って行くので、そこは問題のあった田ではないと抗議されて、刈った者たちはその問題の田にしたところで刈り取る理由がないのに無茶をしに行くのだから、どこだって刈り取ってもかまうものですか、と言った。この理窟がすこぶるおかしい。
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高僧たちが言い残したのを書きっけて、一言芳談《いちごんほうだん》とか名づけた本を見たことがあったが、会心のものと感じておぼえているのは 一、しようかせずにおこうかと思うことは、大がいしないほうがいいのである。 一、仏道を心がけている者は味噌桶一つも持たないのがよろしい。持経でも御本尊様にしても好いものを持つのは、つまらぬことである。 一、遁世者は何も無くとも不自由しないような生活の様式を考えて暮すのが、理想的なのである。 一、上流の人は下等社会の者のつもりになり、智者は愚人に、富人は貧民に、才能の士は無能な者のようにありたいものである。 一、仏道を願うというのはほかではない。暇のある体になって世間のことを心にかけないというのが第一の道である。 このほかにもいろいろあったが、忘れてしまった。
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退屈で困るという人はどんな気持なのか知ら。気の散ることもなくただひとりでいるのは結構なものではないか。社会の調子について行けば、心は俗塵にけがされて欲望に迷いやすく、人と交渉すれば、言葉が相手の気をかねて本心のままではいない。人に戯れ、物事を争い、恨んでみたり、喜んでみたり、心はすこしも安定しない。差別好悪の思考がむやみに起って、利害得失の欲念が休む間もない。惑いの上に酔うて、酔いの中に夢を見ているようなものである。走りまわるに忙しく、うかうかと大事を忘れているというのが世上一般の人の有様である。まだ真の道は自覚できないにしても、せめては外界の諸縁とぐらいは離れて身を安静に、俗事に関与しないで、心を安らかにするのがしばらく楽しむともいうべきであろう。摩訶止観《かしかん》()にも生活、人事、技能、学問などの諸縁はやめるがよいとある。