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仁和《にんな》寺のある坊さんが年寄りになるまで男山八幡宮へまだ参詣したことがなかったのでもの足らぬことに思って、ある時、思い立ってただひとり歩いて御参詣した。山麓にある極楽寺、高良《こうら》などの末社を拝んでこれだけのものかと早合点をして帰ってしまった。そうして傍の人に向って「年ごろ、気にかかっていたことをし終わせました。聞きしに優る尊いものでございました。それにしてもお参りする人ごとにみな山へ登ったのはどういうわけであろうか。自分も行って見たくはあったけれどお参りが目的で山の見物に来たのではないと思ったから、山までは行かなかった。」本堂の山上にあるは気づかないでこう言っていた。 なんでもないことでも案内者はあって欲しいものである。
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ある人が弓を射ることを習うのに、二本の矢を手にして的に対した。すると師匠のいうには「初心の入は矢を二本持ってはならぬ。後の矢を頼みにして最初の矢をぞんざいに取りあつかう気味になる。いつも区別なくこの一本で的中して見せると心得ていろ」と言った。わずかに二本の矢、それも師の面前でその一本をぞんざいに思おうはずもあるまいに。懈怠《けたい》の心を自分では気づかずにいるが師匠の方ではちゃんと潜《み》て取っている。この訓戒は万事に適用できよう。 道を学ぶ人、夜分は明朝のあることを思い、朝になると夜|勉《つと》めようと思い、この次にはもう一度心をこめてやり直そうと期待する。まして一瞬間のうちにさえ懈怠の心のあるのを自覚しようか。何故に、今この一瞬間にすぐさま決行することが至難なのであろう。
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人間の心というものは素直なものではないから偽がないとは言えない。けれども自然と正直な人だって無いと断言できようか。自分は素直ではなくて人の賢を見て羨むのが世間の常態である。それを最も愚な人が賢い人を見たりすればこれを悪《にく》むものである。大きな利益を得ようと思って小さな利益を受けないとか虚飾をして名声を博しようとするのだとか謗《そし》る。自分の心と賢者の行為とが違っているのでこんな非難をする者の正体は察せられる。これらの人は愚中の愚で、とうていつける薬もない。彼らはいつわりにもせよ小利を解することもできまい。うそにも愚者の真似はしてならない。狂人の真似をして大通りを走ったら、つまりは狂人である。悪人の真似だといって人を殺したら、悪人である。千里の駿馬に見ならうのは千里の駿馬の仲聞である。大聖舜を学ぶ者は舜の一類である。上べだけにしろ賢者を手本にするのを賢者といっていいのである。
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今出川の太政大臣菊亭兼季公が嵯峨へお出かけになられた時、有栖《ありす》川の附近の水の流れているところで、さい王丸が牛を追ったために足掻《あがき》の水が走って前板のところを濡らしたのを、お車の後に乗っていた為則|朝臣《あそん》が見て「怪《け》しからぬ童だな。こんな場所で牛を追うなんてことがあるか」と言った。すると大臣は顔色をかえて「お前は車の御《ぎよ》し方をさい王丸以上に心得てもいまい。怪しからぬ男だ」と言って為則の頭を突いて車の内側でこつんとやらせた。この牛飼の名人のさい王丸というのは太秦殿《うずまさどの》、信清内大臣の召使で、天子の御乗料の牛飼であった。この太秦殿につかえている女房にはそれぞれに膝幸《ひざさち》、特槌《ことづち》、胞腹《ほうばら》、乙牛《おとうし》などの牛に縁のある名がつけられていた。
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卑しく見ぐるしいもの。身のまわりに日用品の多いこと、硯に筆が多く入っていること、持仏堂に仏が多いの、前栽《せんざい》に石や植木類が多いの、家の中に子孫が多いの、人に面会して言葉数が多いの、願文に善事をほどこしたことを多く書き立てたの。多くても見苦しくないのは、文庫に積みこんである書物、掃きあつめの埃。
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風に吹かれるまでもなく変りうつろうのが人の心であるから、親睦した当時を思い出してみると身に沁みて聞いた一言一句も忘れもせぬのに、自分の生活にかかわりもない人のようになってしまう恋の一般性を考えると、死別にもまさる悲しみである。それ故、白い糸が染められるのを見て悲しみ、道の小路が分れるめを歎く人もあったのではあろう。堀川院百首の歌の中にある- 昔見しいもがかきねは荒れにけり つばなまじりのすみれのみして 哀れを誘う風情《ふぜい》は、実感から出たものであったろう。 (一) 以前の愛人の門に来て見たが垣根の面目は一変し、荒涼として茅花の茂る間に可憐《かれん》な董の花が少しばかり見えているばかりであった。(あの人の心のうちはいま果してどんなであろうかという意味である。)
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惟継《これつぐ》中納言は詩歌の才能に富んだ人である。生涯仏道に励んで一心に読経して、三井寺の円伊という法師といっしょに住んでいたが、文保年間三井寺の焼けた時坊主の円伊を見かけると「あなたを今までは寺法師とお呼びしていましたが、寺が無くなってしまいましたから、今後は法師と言いましト"う」と言った。すばらしいしゃれであった。(訳者蛇足)この段古来の解みなせんさくに過ぎてかえっておぼつかなく思われる。敢て愚解を加えれば中納言の酒々磊々たる風貌を伝えんとするものであろう。寺の焼け落ちるや、別段の見舞いをいうでもなく一片の常談としてしまう。兼好はこの際のこの言葉を「いみじき秀句」と評したのであろう。単に「寺法師」「法師」の語だけに拘泥して全文を見ることを忘れてはなるまい。軽い常談にまぎらしたようで一場の笑に必ずしも情味がないでもない、まことにいみじき秀句である。
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字の下手な人が、平気で手紙を書き散らすのは好い。見苦しいからと代筆をさせているのは厭味なものである。
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御室《おむろ》(仁和寺)に非常に美しい児《ちこ》があったのを、どうかしておびき出して遊ぼうとたくらんだ法師どもがいて、芸のある遊び好きの法師どもと相談して、気のぎいた弁当のようなものを、念入りに用意して箱のようなものに入れておいて雙岡《ならびがおか》の具合のよさそうなところへ埋め、その上に紅葉を散らしかけたり、思いがけないようにしておいて、仁和寺の御所へ行ってその児を誘い出して来た。うれしがってあちらこちらを遊び廻って来たあげく、そこらの苔の莚《むしろ》に並んで「ひどくくたびれた。誰か紅葉を焼いて一杯あたためないか。効験のある僧たち一つ祈ってみてはどうだ」などと言い合って、埋めてある木の根もとに向って数珠《じゆず》をおし揉んで、もったいらしく印を結んだりして、気取られないように振舞いながら、木の葉を掻きのけて見たがいっこう何も見えない。場所を間違えたろうかと、掘らぬ場所などないほど山中をあさったが無かった。埋めているのを人が見ていて、御所のほうへ行っているひまに盗んだのであった。法師たちは口をあんぐりと、聞きぐるしい口争いなどをはじめ、腹を立てて帰ってしまった。しいて興を求めようとすると、きっとあっけないものになる。
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名聞《みようもん》利益のために心を支配されイ丶落ちついた時もなく一生を苦しみ通すのは馬鹿げたことである。財産が多くなると一身の護りのためには不充分なものである。危害を求め、煩悶を招く媒《なかだち》になる。白氏文集にあるように黄金を積み上げて北斗に柱をするほどの身分になってみても他人に迷惑をかけるだけのことである。俗人の目を喜ばせる慰《たの》しみというのもつまらぬ。大きな車や、肥えた馬、黄金や珠玉も、心ある人にはいやな馬鹿げたものと思われるであろう。金は山に捨て、玉は淵へ投げるがいい。古人が言うように利慾に惑うのは最も愚かな人である。 不朽の名を世に残すことは望ましい。位が高く身分が貴いからといって、かならずしもすぐれた人とは言えまい。愚者迂人でも貴い家に生れ、時にあえば商い位にも上り驕奢を極めるものである。立派な聖人であった人でも、自分から辞退して低い位にいたり時代にあわないでしまった人も多かった。いちずに高位高官を希望するものも利慾に惑うにつづいて第二の馬鹿である。智恵と精神とにおいてこそ世に勝れた名誉をも残したいものであるが、熟考してみると名誉を愛するというのはつまりは人の評判を喜ぶわけである。褒める人も、毀《そし》る人も、いつまでもこの世に留っているわけではない。伝え聞く人々だとてまたさっさとこの世を去ってしまう。誰に対して恥じ、誰に知られようと願おうか。誉れは同時に毀りの根本である。死後の名が伝わったとていっこう無益ではないか。これを願うのも第三の愚かである。 しかし強いて智恵を求め、賢くなりたいと思う人のために言ってみるとすれば、なまなかの智恵が出るので虚偽が生じた。才能というのも煩悩の増長したものである。聞き伝えたり、習って覚え知ったのはほんとうの智[恵ではない。どんなのを智恵といったものだろうか。可も不可も一本のものである。どんなものを善といったものだろうか。真人は智もなく、徳もなく、功名もなく、名誉もない。誰がこれを理解し、これを世に伝えようや。べつに徳を隠し、愚を守るというわけでもない。本来が賢愚得失の境地には住んでいないのだからである。迷いの心を抱いて名聞《みようもん》利得を求めるのはこの通りである。すべて皆間違いである。言うに足らず。願うにも足りない。