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701 転載 sage 2007/04/01(日) 22 34 28 ID inohJBGt0 ↑の見解はなりきり(太陽板)の「蔡京 ◆GtkPmKwSp2」氏のもの。 実に面白い。 一応、このスレの住人にも紹介しときたい。 702 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/01(日) 23 01 51 ID IbwTPFXu0 狆師道 子供の頃は張戴(知らんけど、多分学者)に学び、試法(科挙)に及第、 熙州の官に推され同谷知県を兼任する。同谷県では田産訴訟が二年にわたって 未判決のままであり、狆師道もこれをおしつけられて難儀したらしい。 文官時代にもいろいろあるが、とりあえずはしょる。なんか蔡京やら童貫 やらに気に入られず不遇だった模様。でも皇帝からは気に入られた。それがまた 奸臣たちには気に入らんかった様子で、西安州の知事とされる(実質的な左遷)。 西夏が定辺を侵し、仏口城を築城すると狆師道は兵を率いて仏口城を破壊。 兵士たちが喉の渇きを訴えると山の西麓を指し、「水はここにある」といって 井戸を掘らせ、潤沢な水脈を確保した。またいらんこと昇進するが割愛。各路 の兵士たちを督して席葦平に築城、敵が到来すると葫蘆河に退き、川辺に布陣、 戦況を見守る。夜中、偏将の曲充を小道から横嶺に出し、大声で援軍到来を 叫ばせる。敵が驚いて背後を見ると楊可世が後方から敵軍を襲い、さらに姚平仲 が精兵を率いて進撃する。狆師道軍は算を乱した敵を大敗させ、斬首50級を 挙げ、牛、馬、駱駝などの家畜たち数万を獲る。敵の酋長はわずかな供を連れて 逃げ去ったが、自分の城に還ったところで死んだ。 また陝西、河東七路の兵を率いて臧底城を攻め、十日でこれを降せと命ぜられた。 城に近付くと頑強な抵抗を受け、敵の士気の高さが知れる。対するに官軍は怠惰で 将校の中には勝手に休息するものもいる始末。狆師道はそういう輩を斬り捨て、 軍門にさらして「今日この城を抜けなければこうなるぞ」と言って綱紀粛正。 士卒は恐怖にせきたてられてわれ先に城に登り、瞬く間に城を落とした。 八日目のことだった。皇帝に報告するとまたも昇進。割愛。 都統制、保静軍節度使となった童貫は、燕回復の謀を立てる。狆師道以下の 諸将はいかにも嫌がり、狆師道が代表して「それは盗人のやることだ」と反駁、 しかし童貫はそれを黙殺して白溝まで出陣、遼軍に察知されて宋軍は多大な 損害を蒙る。狆師道が自ら身を挺して兵士たちを収容したおかげで大敗には いたらずに済んだ。 遼からの使者が女真族挟撃をもちかける。童貫が返答する前に狆師道が 「そう言うやり方は義にもとります」と諌めたのだが童貫はこれをまた無視、 狆師道の官位を落とし、代わりに劉延慶を起用した。劉延慶は盧溝で大敗、 帝は「やっぱり狆師道じゃのう」とか言ったが実権を蔡京、童貫に握られて いるのでなにも出来なかった。ちなみに貶められた狆師道の官職は憲州刺史、 環州知事、保静軍節度使で、案外高位なままだったりする。文官だからか。 金軍が南下すると朝廷は大慌てで狆師道を呼び、たっぷり官職を授けてから 金と戦ってくれと懇願、狆師道は姚平仲とその麾下7000騎を率いて出陣、洛陽 にいたり、京城に向かうオリブに対峙する。朝廷に「敵の勢い盛ん、今しばらく 汜水に駐屯するのが万全の計かと」と呼びかけつつ、部下たちには「我らは寡兵 といえどもだからといって遅疑し進まぬことのないように。事情がばれれば一気に やられるのだ。鼓を撃って前進し、きゃつめらに我らの虚実を見抜かせないよう にするのが重要なのだ。京城の人、我らを見れば自然と意気振るう。なんぞ 敵人を憂慮することがあろう!!」とアジる。彼は行く先々でビラをまき、 种少保危急と知った人々が集まって100万の大軍となる。汴京に至り汴水の南に 兵を進め、敵の陣営に兵力を直撃させると、金軍は大いに恐れ、戦わずして 北に還った。 当時狆師道といえば“种老”と呼ばれるほどの有名人となり、欽宗皇帝もよく その意見を聞くようになった。欽宗曰く、「今ウチの国ってヤバくない?」 狆師道「女真族なんぞ兵法を知らんイノシシばかりでござる。孤軍他国を侵略 するほどのことは出来申さん」と頼りがいのある返事。欽宗「講和したんよ」 狆師道「軍旅のことは私めにお任せを。しかし講和はまずかったですな」という ほのぼのトーク。ちなみにこの間も狆師道はまたまた出世したんやが、それより 副官の姚平仲が都統制に出世したのが大きい。 703 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/01(日) 23 02 45 ID ERvMR/+10 700 転載にレスするのもなんだけど 軍隊の精鋭化 後周の世宗柴栄が、禁軍の改変を大々的に行ったことは有名なことでした。 当時、中原の王朝というのは、後唐から後周に至るまで、同一勢力からの派生ということで 皇帝直属の親軍たる、近衛がほとんど入れ替えられることがなかった。 しかも、後唐荘宗李存勗の親軍というのは、かの楊師厚が編成した銀槍隊であり、 銀槍隊は、楊師厚という節度使の牙軍(節度使に密接に関係した兵)であったので 傭兵的性格を色濃く持っていた。 それは、給金をしぶると不満を抱き、厚遇すればつけあがるという、とんでもないものだった。 しかしその武力に頼らなければ、いくさにも勝てないし、皇帝権力の維持も難しい時代だった。 後唐明宗が、侍衛親軍を創設して、一旦分散はしたものの 後晋、後漢と、侍衛親軍に属する将兵に、大きな異動はなく 良く言えば古強者、悪く言えば老弱兵が多数在籍していた。 後周太祖郭威はそれを慮って、新たに殿前軍を創設するも、改変する前に死去。 後周世宗柴栄は、即位直後の「高平の戦い」において、この不安定な殿前軍と老兵およびつけあがりの侍衛軍を 率いて戦わねばならなかった。 侍衛親軍の馬軍と歩軍の指揮使(大将)が、北漢の猛将張元徽の攻撃にビビり、敵前逃亡を図ったため 後周軍右翼は潰走。 柴栄は中軍本隊の先頭に踊り出て自ら敵兵を切り伏せることで士気を保持させ 張永徳、趙匡胤に命じて、敵の中央突破を成功させた。 北漢には野戦で勝利したものの、太原攻めには失敗し(自身の判断ミスで)、大敗してしまったが それを置いても、敵前逃亡した将兵に腹立ちと改変の必要性を痛感した。 侍衛親軍に属する老兵はすべて解雇され、新たに募った壮丁をもって補充し 殿前軍には趙匡胤に特別審査を行わせ、武芸に秀でた者を登用していった。 これによって、禁衛軍の総兵力は減少したものの、近代無比と言われる後周禁軍が誕生した。 と、何が言いたいかというと、柴栄の言葉にある 「およそ軍隊というものは、数が多ければよいというわけではなく、その質こそ肝要。今、農家百人で一人の兵を養うありさまだ」 ということで、北宋もいつの間にか、そういった根幹を忘れて、軍隊を肥大化させてしまったのだろうか。 ま、建国期と統一状態が何年か続いたときとでは、比較にはできないけどね。 これはチラ裏だけど、一応、柴栄確定の根拠の一つとしてトリビアにでもしてもらえれば幸いです。 704 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/01(日) 23 03 34 ID IbwTPFXu0 狆師道の2 ときに狆師道、病を得て、皇帝から拝謁の礼をとる必要なしと赦される。堅物の 狆師道は腰が曲がらんなら膝をついて拝謁しようとしたが、欽宗は笑ってそれも 必要なしと説く。この時期すべての門が閉ざされ、市に新しい野菜が入ることもなし。 狆師道は皇帝に請うて西と南の両門だけを開くよう頼んだ。 金に馬忠という偏将があり、彼の前軍隊が遮ったという罪で6人ほど斬る殺人嗜好者だった。 これに恐れをなした士卒たちが南に流れ、狆師道に附く。彼らは自分勝手な規範を作り再び金と 宋との境界線を越えようとしたので、狆師道は金を支払って彼らを郷里に帰した。黄河を扼守す るために彼らを使おうと言う意見も出たが、狆師道はそれを黙殺した。 种氏、姚氏はともに山西の大族姚平仲の父姚古は熙河軍に入援した。姚平仲は 功名を独占するわけには行かないと父を帰したが、この頃になると士卒が速戦 に向かず命令系統が途中で途絶えるなどの不都合が出るほどの増加傾向にあった。 李綱はそれについての議上で、城下の兵が命令を聞くようになるまで姚平仲の 節度下に置けば宜しいと述べた。欽宗は毎日人を派遣して狆師道に作戦を諮問し、 狆師道は弟の狆師中と兵を分かっての分撃作戦が可能であると上奏。8日後、 金の軍営に襲撃をかけた狆師中はみごとに敗北した。敗戦後、李邦彦に軍権の 3割を奪われたが、狆師道は紛争の種になるとしてなにもいわなかった。 金軍が退いたのち、御史中丞の許翰が狆師道の軍権を解くよう欽宗に上奏した。 理由としては「狆公は老年であり、これ以上の任に堪えられるとは思えない。 陛下は彼を信任しすぎている」とのこと。実際は狆師道と欽宗が太いパイプで 繋がっているのが気に入らないだけなわけだが。狆師道が黙っていると許翰は 嵩にかかって、「国家危急のときに書生なんぞにまかせられぬ」とか言った。 狆師道の反論「彼は少なく我は多く、分担して結営すれば要地を守ることは たやすい。彼の糧道を截ち持久戦に持ち込めば、必ず勝てるのです」許翰は 狆師道に心酔し、狆師道は老年と言えど往年の智謀衰えず、なお用うべきと 上奏したほどの変わり身を見せる。狆師道、太尉に。 金兵再来に際し、狆師道は各地の軍を召集、大敵を捕退すべく出陣するも、 まもなく狆師中が戦死、姚古が敗北し、朝廷は震撼、狆師道に軍を還すよう 要請する。太原が陥とされ、とりもどすべく彼は進軍を決意する。金軍が一挙 攻め寄せてくることを警戒しつつ各個撃破、欽宗より下賜された鉾を振りかざし、 長安までを回復する。大臣たちの怯えるさまに仕方なく京師に軍を還す。京師に たどりついたところで逝去。76歳であった。欽宗は彼を喪い大いに慟哭したと言う。 京城の守りは喪われ、皇帝の胸に穴が開く。「狆師道の謀を用いず、どうやって たたかえというのか!!」そしてその後、靖康の難が起こり徽宗、欽層は北に連れ 去られる。狆師道は建炎年間、少保を追贈され、忠憲と謚された。 チュウの字が変換できなかったので狆の字で代用。すんません。 705 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/01(日) 23 28 54 ID ERvMR/+10 チュウの字が変換できなかったので狆の字で代用 サブでみたら「・」になってる。 メインでは楽勝で見えているのに。 チュウは簡体字にもあって、それは「種」に対応しているんですけど、これでは漢字が違いますよねぇ。 となると、洺州(めいしゅう・シ名州)もだめか? 706 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/01(日) 23 50 08 ID IbwTPFXu0 そーなんです。変換できんのですよ。ところどころ“・”になっとるし。 それはさておき、 狆師道も挙げたし、ここいらで五代~北宋の最終選考に移りたいのですがよろしいか? 【確定組】 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊業、狄青、(李存審)、(耶律徳光) 【候補】 周徳威、郭崇韜、王彦章、郭言、楊師厚、劉鄩、康延孝、 任圜、李神福、臺濛、周本、孟堅、張彦卿、陸孟俊、劉仁贍、張武、 王環、趙季良、蘇章、潘崇徹、銭弘佐、顧全武、張元徽、李瓊 耶律休哥、狆師道、劉昌祚、李継遷、賈嵓、潘美、楊延昭、顧全武 楊師厚、史建瑭、王景、康壊貞、劉鄩 【候補落ち】 朱温(朱晃)、郭威、曹彬 過去最大の候補数。なんといっても魔の定義論含め300レス近くこの時代で 続いたけんね。あと、十国からは顧全武と劉仁贍の二人ぐらいでいいかもと 思うが、いかがか? 707 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/01(日) 23 52 57 ID IbwTPFXu0 あ、楊師厚と劉鄩、すでに挙がっとったね。重複してしまった。すんません。 708 ○ sage 2007/04/01(日) 23 58 04 ID Yep9d0/00 702 704 ◆oOLAqFKRBさん 乙です >奸臣たちには気に入らんかった様子で、西安州の知事とされる(実質的な左遷)。 まあ北宋って左遷とか日常茶飯事なんですよね。 新法派・旧法派なんて互いに足の引っ張り合いしてたぐらいですし、 名前はちょっと思いだせないんですがw 最終的に海南島に左遷された後、朝廷に復帰した人物とかいるぐらいですし… またまた何時もの寝言言ってみましたw 締切もう一日待ってもらってもいいてすか? 郭崇韜の推薦文を挙げたいのですが今日はもう寝たいです。 ダメなら諦めますが… 709 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/02(月) 00 09 58 ID 3SOpQK0D0 勿論OK。つーか俺が決めることじゃないし。 みんなで納得して決めんと、 後々(俺はこいつを挙げるつもりやったぁぁ!! ならば俺はこいつをー!!)みたいな確執が怖いしね。 710 ○ sage 2007/04/02(月) 22 13 03 ID BY7tkA820 郭崇韜(?-926年) 代州雁門の人。字は安時。己を郭子儀の後裔だと自称した。 李克用、李存勗(荘宗)父子に仕えて中門使に至る。 李存勗が皇帝となり後唐を建国した際には、兵部尚書・枢密使とされ重用される。 後梁を滅ぼすと、論功第一に挙げられ、侍中・成徳軍節度使となる。 郭崇韜の位は人臣を極め、権勢を奪われるのを恐れて魏国夫人劉氏を皇后に立てるよう密奏し、 また「時務利害二十五条」を説いて、宦官を排斥。 後唐建国から三年後の同光三年(925)に なかなか飛躍の機会が得られなかった宦官勢力に、絶好のチャンスが到来。 (おいおいw) この年に王衍が割拠する前蜀政権の併合を企図した荘宗は、 太子の魏王李継岌を名目上の総大将として、 実際の指揮を郭崇韜に執らせ遠征軍を派遣。 この前蜀攻めで郭崇韜は東北面行営都招討使を勤めた。 前蜀は後継者争いのために国力が低下、遠征軍は一戦しただけで王衍を降伏させることに成功。 前蜀攻めは領土拡大と同時に 後唐は荘宗が浪費家だったこともあって財政面が苦しく、 豊な四川地方を併合し、財政の回復をさせる第二の目的を含んでいた。 王衍の降伏後に荘宗は、成都からの戦利品を心待ちにしていたが、王衍降伏後の戦後処理に 手間取った郭崇韜は遅々として戦利品を送ることができなかった。 荘宗は期待を裏切られたと苛立ちを見せ始めた。 この事態をチャンスとばかりに宦官勢力は行動を開始。 (全く宦官って奴は悪知恵だけは働くよな) 李継岌にも猜疑を受け、同時に恨みを持っていた宦官達に誣告された。 それを信じた荘宗は激怒し宦官の馬彦珪を蜀に遣わして郭崇韜・廷晦の父子を成都で処刑させた。 (ひでぇ完全に冤罪じゃん) 郭崇韜は政戦両略と王佐の才ありといわれ、郭子儀の再来と評され、 郭崇韜は李克用・李存勗(荘宗)の二代に仕え、後唐建国時に 「第一の功臣」と評されるほどの功績を挙げた彼を推薦。 東はオルドスから西は敦煌まで領土を拡大、 宋軍に勝利し、賀蘭山で遼に勝って、宋・遼・西夏の鼎立の形勢をつくった、 西夏の李元昊も推薦します。 これで自分は推薦打ち止めです。 昨日は流れ止めてごめんなさい。 711 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/03(火) 03 12 00 ID P41V3Neb0 お、郭崇韜ですか。 ○さん乙です。 さて、けちでもつけるかw(いや、冗談です) 軍政官としての力量になんの疑問もない人ですが、急速な領土拡大(河東から華北政権へと) となる過程ということもあるでしょうが、結構蓄財に余念がなかったような面があります。 後唐は荘宗が浪費家 これ、建国以前にも郭崇韜は李存勗を諫めているんですよね。 李存勗としても煙たいところでもあったのだろうか。あまりに軽々に宦官の言を信じたのは 芸能にうつつを抜かしてしまった李存勗の、統治者としての決定的な資質不足でしょう。 いくさでは神がかった強さを発揮するのに、人心掌握や統治では為すところが無い。 なんか項羽を連想させます。 郭崇韜が少しでも金銭を蓄えようとした故事では任圜との確執もあげることができます。 任圜は最初、潞州(上党)の李嗣昭(李克用の仮子)の幕僚だったのですが 胡柳陂の時には李嗣昭隊の一部を率いて果敢に戦ったため、李存勗から「仁者の勇」と絶賛されます。 ただし、根っからの官僚で、荒事は苦手なタイプでした。 鎮州(常山真定)で、張文礼が乱を起こし、討伐に赴いた李嗣昭が戦死すると、その残存兵を見事に統率してのけ また、張文礼の子、張処球をして説得し、降伏にまでこぎつけることに成功していました。 もっとも、そのときは油断した鎮州軍を、李存審が強襲したので、張処球は戦死しましたが。 戦後、鎮州の節度使として郭崇韜が赴任すると、任圜は真定尹としてその幕下に入り この二人の黄金コンビの統治によって、鎮州の傷は癒えていくのでした。 任圜は意外に人を見る目がなく、これは、と思った人物を推官したのですが、 その男が任圜の目の届かないところで、公金横領に耽っていました。 その男は、そのことが発覚するのを恐れ、溜め込んだ私財を郭崇韜に包み隠さず報告しましたが 郭崇韜はそれを受け取って、不問にふしています。 それを知った任圜は、鎮州の行軍司馬職を辞し、工部尚書のみに専念することになります。 やや、郭崇韜との友誼に溝ができた形で。 さて、ここから本題。 前蜀討伐戦の折、郭崇韜は実質上の指揮権を与えられ遠征軍を統率しました。 任圜も、魏王付きの参軍として従軍しました。 そのとき、郭崇韜軍の先鋒を担ったのが、候補にも挙がっている康延孝。 康延孝はもとは後梁の将です。段凝という後梁の将帥の指揮下にいたわけですが、 それを脱して李存勗のもとに降ったのでした。武勇に優れていますので、李存勗は喜び 彼に姓名を与え、李紹琛(りしょうちん)と名乗らせました。 その李紹琛が、李厳という将とともに1万を率い、鳳州、固鎮、興州を陥とし、 前蜀の三招討使、王宗勲、王宗儼、王宗昱ら3万の迎撃軍を三泉の戦いで大破した。 さらに利州を陥とし、督戦に出向いていた蜀帝王衍を遁走させ 蜀軍は撤退するにあたり、民家や義倉を焼き、綿江の橋をも切って落とし、舟も沈めて李紹琛軍の 足止めを図ったが、李紹琛は李厳と相談し 「我らは敵地にあって、速戦しなければならず、橋の修理を待っていては敵に態勢を整える余裕を与える」 と言って、河を強行突破した。そのとき渡河できたもの千人、溺死したもの千人だったと言います。 鹿頭関から漢州を制圧した李紹琛は、ここで蜀の重臣王宗弼から降伏の申し出を受けました。 李厳はこの遠征軍の企画者の一人なので、その処理を行い、ここに前蜀は平らぎました。 李紹琛の功、最も大である、と史書に明記されていますが、 この人、郭崇韜や朱友謙らが冤罪で殺されたことに動揺し(誣告による粛清が相次いだ)、 西川節度使を自称して叛旗を翻します。 その李紹琛を、漢州の戦いで、あっさり撃ち破ったのが、魏王付きの参軍だった任圜。 彼は董璋に弱兵を率いさせ、李紹琛の突出を誘い、自ら精鋭を率いて、その側背を横撃しました。 李紹琛は任圜をただの文官と侮っていましたが、足をすくわれました。 漢州城に逃げ込んだ李紹琛は任圜の火攻めにどうしようもなくなって、ふたたび出陣しましたが 今度は正面から戦って破れ捕らえられました。 一体、誰が一番強いのかわからない状態ですが、前蜀戦かように入り乱れておりました。 712 ○ sage 2007/04/03(火) 05 27 49 ID hLnQoVG30 次スレです 三国志二十四大英雄 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1175545567/ 713 ○ sage 2007/04/03(火) 06 49 14 ID L/JUw1yu0 712はガチで偽物 ちなみに三戦版にも同じ様なスレたってるけどな… 714 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 16 24 01 ID zAFfeCHo0 【みんなで】 選抜 三国志二十四大英雄 【決めよう】 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1175545567/ こうしろ 715 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 16 43 23 ID 3AtpUj+u0 ttp //www.geocities.jp/kaysak864/n-mayuan.htm 馬援評伝。 これ面白い。 特に興味深い考察を引用しとく。 >もしも馬援がアスペルガー症候群とするなら、 >光武帝と高祖の比較の言葉も意味が違ってくる。 >そもそも馬援は光武帝と意気投合すること甚だしく、その評価もべた褒めである。 >それをさらに劉邦が上と評するのは極めて不自然であり、隗囂もその言葉についていけなかった。 >これも自閉症者の持つ言語特性と考えることで謎が氷解する。 >自閉症者の言語の特徴は含意を理解できず、言葉のそのままの意味に用いるということである。 >馬援の言葉「不如也。高帝無可無不可;今上好吏事,動如節度,又不喜飲酒。」をその言葉そのままに理解すると >「比べられません。高祖は特別な能力はありませんから。今の皇帝は事務処理にも長け、行動にも節度があり、お酒を好みません」となる。 >劉邦は事務が嫌いで、行動に節度がなく、お酒好きだったから、この3つは光武帝が上回る点をさらにだめ押しで追加したのである。馬援は、高祖劉邦はただの凡人であって、 >光武帝と比較するのも馬鹿馬鹿しいと言いたかったのかもしれない。 716 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 17 07 42 ID EZmiygYlO 715 スレ違い乙 717 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 19 08 57 ID rtGwnu5o0 714 ここじゃなくあっちのスレに陳情しろよwww 718 ◆RQdk7scN8s 2007/04/03(火) 19 58 38 ID P41V3Neb0 前に李晟に相当するのは、五代では誰? という質問があって、自分は良く知りもしないくせに、テキトーに寇彦卿、とか言ったけど これは完全な誤りでした。 似ているのは、お互いに皇帝の腹心であり、親軍の将として信頼されたところだけ。 戦場での洗練さは、李晟のほうが非常に上でした。 つうことで、「五代群雄」スレに怪しい訳とともに紹介しておきましたので、興味ある方は御覧ください。 あと、添削もできれば… 713 なんでいきなりニセモノが現れたんでしょうね? 719 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 20 40 12 ID EZmiygYlO 718 ◆RQdk7scN8sさんご親切に有難うごさいます。 以前に李晟について質問した者です 「五代群雄」スレの方に見に行ってきます 本当に有難うごさいました 720 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/03(火) 21 12 11 ID RlL9Cbtn0 いきなり風邪ひいて昨日からダウンしてた俺ですが、 起きたついでに唐末~宋にかける漢族と異民族間の考察をば開陳します。 中国の歴史においては唐代にいたるまで、漢民族と北方民族の関係は比較的 単純な方式にしたがっていた。まず好戦的な北方民族がはじめは略奪、やがては 制服の意図で中国に対する侵入を繰り返す。もしも中国の社会が健全な組織を 持っているなら、中国は容易にこの侵入を撃退することができる。なぜならば 北方民族が恃みとするのは当時の戦闘に最も大きな威力を発揮する騎馬戦術 であり、遊牧民族はその出自ゆえ生来騎射に優れているので優れた軍人的 素質を持つ。それでもって中国に攻撃を仕掛けるわけだが、漢族と北方民族の 戦力を総体的に比較した場合、数において漢族が圧倒的優勢に立つ。さらには 富力の差だが、これはさらに開きが大きい。だからもし長期戦ということに なれば、北方民族のほうが疲弊して軍を還すということになる。漢代、中国が 匈奴にさんざん苦しまされながらも最終的には反撃し是を屈服させたのはこの 良い例といえる。 しかし、唐末五代~元までの時期にかかるとこの事情が変わってくる。 唐末頃から北方民族と中国との関係は非常に複雑なものとなり、一筋縄では いかなくなってきた。第一には北方遊牧民族の知力が発達したことにある。 彼らは以前よりも中国文化をよく理解し、その長所と短所を同時に見抜く力 を持つようになった。その長所を知ることは彼らに中国人民を利用しようと いう気持ちを起こさせ、その短所を知ることは彼らに中国文化をむやみに崇拝 したり憧憬したりする態度を棄て、中国文化にないかれら自信のうちにある 美点を保存しようと言う希望を起こさせるにいたる。これは中国に対する 異民族の民族的自覚であり、いわゆる国粋保存的な政策が底から生まれる。 その結果、遊牧民族の国家の性質に柔軟性が加わり、従来のように強いばかり で同時にもろいのと違い、弾力を持った耐久性のある国家が現れてきた。 遼およびそれ以後の西夏、金、元などの国はいずれもこの例に当てはまる。 つぎに中国人のほうでも、異民族国家に対する分析が進んでくる。中国人も やはり異民族の弱点を見抜き、それは経済的に微弱であることだと結論した。 そこで以降の対異民族政策には多かれ少なかれ、経済が武器として用いられる。 ときにはそれが濫用されてかえってみずからの首を絞めることになることも あるが、全体的に見て政策の進歩であることは間違いない。 ・・・概ね宮崎市定氏の論に拠りました。まぁこの程度はこのスレ的には常識 で、いちいち言うまでもないとは思うんやけどまぁ、それ以前の匈奴やら柔然に 比べて遼、西夏や金、元が一線を画す存在であるという事を提起したかったわけ です。つーか寝起きの独り言なんでスルーしてください。 で、五代~北宋の空き枠三名には、 五代から劉仁瞻、西夏から李継遷、北宋の劉昌祚を推します。 721 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 22 06 27 ID mpJSp2SR0 論に拠ったというより、ところどころ端折ったり言い換えただけでほぼそのまんまと言ってもいいよね 722 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 22 52 49 ID 05omaE1q0 独り言ならスレに書き込むなと小一時間 723 ○ sage 2007/04/03(火) 22 56 46 ID L/JUw1yu0 711 718 ◆RQdk7scN8sさん 乙&㌧です。 偽物についてなんですが多分このスレで自分がやたら 五代と三国志の比喩論を述べていたからではないかと推測しています。 711に李厳なんて名前あったら反応しちゃうしw 朝スレ見てたら自分の書いた憶えのないレスが載ってたのにはビックリしましたよw で思わず憤慨しちゃいましたwww あとですね郭崇韜と任圜についてちょっと 自分なりに意見を述べてみようと構想中です。 (◆RQdk7scN8sさんのレスと被る箇所が多々あるかと思いますが) 720 ◆oOLAqFKRBさん風邪の具合は大丈夫ですか? 無理しないで寝ててくださいよ!! 一日も早い復帰、心よりお待ちしてます。 さて自分は西夏なら李継遷より孫の李元昊を推します。 五代なら楊師厚を北宋からは楊延昭(楊六郎)か潘美を推します。 724 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/04(水) 01 40 12 ID 6Y9RtpAAO 723 李元昊を推すなら推すでかまわないですが、 何をもって中国の武将とするか理由を明記してくれませんか? 李元昊が入るならば、大越(現ベトナム)の李常傑、元代の陳興道、 明代からはオイラートのエセンを推す人が出てきたとき、反論できません。 どうじに耶律休哥など国号から遼を外し、契丹のみにしてる時代の人物を推すひとは、 何をもって中国の名将であるとするか書き込むか、時代を戻して、 過去の中華風の国号をしてない北方民族も、選考の対象にするのか意思表示して下さい。 私は遼を選考から外したい人を強引に納得させ、スレを進めた人物です。 最後まで遼をはずそうとした人が、言い放った言葉を思い出して下さい。 私は、遼が中華王朝か否か?の論争はスレ違いだと思いますが その人物が中国の名将か否か?はスレ違いじゃないと思ってます。そうですよね? 誠に申し訳ないですが、お手数をかけますが、理由を書いてもらえませんか? 725 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/04(水) 01 47 03 ID 0uxFM+xa0 李元昊 当人がもし生きてこのスレ見たら血吐いて死にそうだよなw 726 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/04(水) 05 14 00 ID YB6QMW6K0 喉が痛くて眠れやせん。今日は朝一で病院行こう。 さて、 724さんの言う「中国の名将か否か」ですが、 「守勢(中華からの侵略に対する防衛)ではなく積極的に 中国本土に攻め入り、多大な武勲を挙げて自国の版図を広げた(あるいは橋頭堡を作った)」 でどーでしょ? 陳興道は赫々たる戦果を上げたがその戦いは元朝の侵略に対する防衛戦やったし、 エセンは明領内に攻め入って大勝したものの結局中国本土にオイラートの領土を広げてない。 よって上二名は「中国の武将」ではないということで。 李常傑は・・・すんません、よく知らんわ。 で、俺の推す李継遷はというと夏州から宋軍を撤退させてその版図を奪い、 さらに霊州を取り、宋軍15万を全滅させるという十分な戦功も立てとるから、 中国の名将で(最後流れ矢に当たって死んだのが間抜けやが)いいのではないかなぁと思うがどうか。 そんで○さんの推す元昊はどーやろ? ウイグルを攻めて甘州を取ったけど、 これは中国本土の土地にカウントされん気がする。でも宋仁宗の時代に陝西地方で37万の精兵を率い、 当時弱体化していた禁軍100万を蹴散らしたけんが武勲は十分。けど韓琦・范仲淹に阻まれて中国の土地は奪えずじまい。 しかも経済封鎖された挙句和睦して、その条件に「西夏は宋に対して臣下の例をとる」ことで調印しとるしなぁ。 敦煌やら西北方面への領土は広げたけど、中国の武将ではないか? つーかそもそもこの人、西夏が漢化するのを嫌っとったし。 ま、俺の意見に納得できん諸兄もおるやろーし、 ここは合議制の場なんやから大勢が両者とも資格なし、となればそれに文句は言いません。 727 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/04(水) 13 40 32 ID X6a7+FA80 「中国」の中身は長い期間の混血によって変化している。 当然、その範囲も時代によって変化していると考えた方が良さそうだ。 だからこの際、支那≠中国と考えるべきだ。 「文化に漬けられた弱い南人=漢族」で「支那の王朝だから正統な中国」の論理は見飽きた、聞き飽きた。 天命も領土も保ち得ない文弱王朝は元々正統ではないし、そもそも正統の王朝なんてものは最初から存在しない。 正統云々は時の為政者たちの都合次第。 士大夫どもがその宣伝を鵜呑みしてたただけ。 忠義の対象が一つしかなければ、そうせざるを得ない。 極東の島国の俺たちにその論理を盲従する必要性は全く無い。 狂的な漢人イデオロギーを妄信してた宋にしたって沙陀色が濃いし。 728 ◆RQdk7scN8s 2007/04/04(水) 20 57 47 ID PeGUb0ID0 723 ちょっと関係ない雑談なんですけど ○さんは、五代史に関して、どんな資料を参考にしてますか? それは岩城さんにも聞きたいのですが。 自分は基本、《五代史》、《五代史記》、《五代史書彙編》(十国春秋もこの中)、五代絡みの概説書(むろん日本書籍) あと、『五代群雄傳』くらいなんですが。 関連論文も読みたいところですが、そういう機会はなさそうです。 729 ○ sage 2007/04/04(水) 22 45 35 ID rYwHrifH0 728 企業秘密ですw(もちろん冗談ですが) ◆RQdk7scN8sさんの様に五代史、五代史記など読める環境、読解力があればいいのですが なかなかそうもいかないのが現状です… 参考資料としては資治通鑑の注釈本、陳舜臣氏の中国の歴史などですかね。 まあ覚束ない知識ながら語らせて貰ってます。 (ちなみに漢文は大して読めませんし…) あと海南島にまで左遷された人物は蘇軾でした。 訂正 海南島から帰って来た時は朝廷には復帰できず常州で死去してました。 730 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/04(水) 22 51 35 ID LTCrPQz60 728 ◆RQdk7scN8sさんへ。 俺は新旧《五代氏》と《十国春秋》のみ。 あとは《続通志》の一部に五代の人物列伝が載ってるのと、 概説書として宮崎市定教授の「五代・宋」ぐらいですか。 あ、《史治通鑑》と《通鑑紀事本末》もその都度時代を敷衍してみるには便利ですね。 偉そうに紹介文挙げたりしてる割に 実は五代は苦手というか、そんな詳しくなかったりします。 資料は喉から手が出るほど欲しいのに、どんな伝手で手に入れるかわからんという。 一応近所に官籍専門輸入書店があることはあるんやけど、ここの品揃えがあんまりよくないのですよ。 731 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/04(水) 22 54 22 ID LTCrPQz60 730 変換ミス。官籍→漢籍で。 732 ○ sage 2007/04/04(水) 23 24 45 ID rYwHrifH0 724 何をもって中国の武将とするかについては 取り敢えず自分 21で示されてる定義に添って推薦しているつもりです。 あと 726で述べられてる>「守勢(中華からの侵略に対する防衛)ではなく積極的に 中国本土に攻め入り、多大な武勲を挙げて自国の版図を広げた(あるいは橋頭堡を作った)」 自分もこの意見に近いですね。 それに西夏も一応認めることで話が進んでますよね? なのに西夏から一人も推薦挙がらなかったら後からただ入れろ入れれと言ってたたけかよと!! と苦情が出るかもしれないし、そう言うのも考慮してます。 李元昊は西夏の建国に前後して三川口・好水川・定川砦において北宋軍に勝利してますし 資格については問題無いと思っています。 西夏(夏)についてですが 李徳明の跡を継ぎ、検校太師・侍中・定難軍節度使となり、西平王に封ぜられた。 西夏と呼ばれてますがこれは北宋が勝手にそう呼んでるだけで本来は夏。 李元昊は現在の寧夏回族自治区銀川の興慶府を首都と定めてる。 唐始に拓跋赤辞は唐に降り、李姓を下賜され、族人を引き連れれ 慶州(現在の寧夏回族自治区内)に移住し平西公に封じられた。 唐末に発生した黄巣の乱ではその子孫である拓跋思恭が反乱平定に大きな功績を残し、 それ以降、夏国公として当地の有力な藩鎮勢力としての地位を確立した。 国の成立を見る限り西夏は中華の国として扱ってもいいのではというのが持論です。 もちろん遼・金・元も同様です。 陳興道は陳朝(大越) モンゴル軍の自国への三度に渡る侵攻を全て撃退 李常傑は北宋軍の攻撃が始まる前に10万の大軍をもって中国領土内へ進攻し勝利したんですよね?。 それに大越(李朝)の李常傑はベトナム救国英雄と呼ばれる人物の一人ですよね? さすがに大越(ベトナム)の武将は選外とするべきでしょう。 オイラートのエセンですがモンゴル帝国崩壊後、オイラートはケレイト、ナイマン、バルグトなどを含む部族連合集団に変容し、 後にモンゴル高原のほとんどすべての部族を制するに至ったんですよね?。 いくら元(北元)と称していても部族連合集団であり国家としての様相を呈してないので 選考基準から外れるのではないでしょうか? 以上が自分の持論です。 諸兄が李継遷・李元昊は中華の武将ではないと反対するなら自分は従います。 733 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/04(水) 23 34 51 ID 1tmtmtZF0 李元昊の夏は諸部族連合でなかったと? 諸部族連合だから国家じゃないというのなら遼や元の組織だって変わりはありませんよ? 734 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/05(木) 00 41 40 ID 0wO0KLdZO 732 西夏を入れるのと、その人物を中国の武将であると見なすのとは違いますよ。 だから、李元昊の名が出てもスルーされていたと感じていましたが。 ヴェトナムは唐代まで、戦乱期の一時的な時代以外は、中国の支配化にあったんですよ。 阿倍仲麻呂が派遣された話とか有名ですよね? この時代、ようやく独立を果たしたにもかかわらず、 朝廷から贈られたのは「安南都護」でした。 李常傑の活躍で、安南国になるんです。彼ら自身は越と称してるんですけどね。 自治権は認めても、領土的には中国本土であると考えられてます。 だから後の中華王朝が度々、征伐に来るのです。 李元昊のように独自の文字を制定したわけでもなく、 独自の文字もなく、制度は中国と変わらなかった安南の 李常傑を外すのは矛盾があると思うのです。 李元昊自身も、中国の武将だと思ってないはずです。 外すのが無難かと。 735 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 00 46 30 ID CWGq96lM0 733 726の定義を提起した博多の岩城ですが、○さんに援護射撃。 西夏も遼・金・オイラートなども諸部族連合によって成立する国家という 点では同根だと思う。ただ、李継遷時代の西夏は自ら夏州・雲州を奪って 陝西地方に橋頭堡を作ったということで中国の王朝でありそこに所属した 武将は中国の将と愚考する次第(元昊はむしろ中華文明からの脱却を 目指したから中国武将とは言いがたいところがある)。で、オイラートは 諸族連合国家ということでは西夏と同じであるものの、南下して中国の 土地に領土を獲得したわけでないので中国の国家ではないと。翻って遼は あらかじめ燕雲16州という橋頭堡を持ち、それを保持するために南下して 北宋に攻勢を仕掛けたこともあるので中国、というか半中原国家という感じ。 金は最初から南進してきて中国の土地を版図に加えたから問題なく中国の国家 だろうし、元というかその前身たる蒙古はチンギス即位後、ムカリあたりが 金に攻めよせて各地を獲り、転戦して橋頭堡を築いたのでこれも中国でいいかと。 これに関して 733さんおよび諸兄の意見を聞きたいと思いますが。 736 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 01 01 23 ID L2DsHe8+0 735 そうですね逆に質問します。 仮の話ですが、琉球が日本に侵攻して九州を占領した過去があったとしたら、その 時に琉球王朝は日本の一部となりますか?その武将は日本の武将と呼びますか? さらに進んで中国・四国地方くらいは征服したが、王は那覇を離れず日本の占領地 へは代官を派遣するくらいの支配で。 現実の例だったら(たとえとしては無理があり適当でないと承知の上ですが)、英仏 百年戦争でパリを含むフランスの半分以上の領土を支配したイングランドはフランスと なるんですかね?エドワード黒太子はフランスの武将になるんですかね? 737 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 01 31 58 ID CWGq96lM0 736 九州を占領した過去があったら その場合九州の武将たちは琉球の将となるでしょう(好むと好まざると、また 支配の緩急に関わらず)。王が那覇を離れなくても一度支配した土地に派遣 した代官、将軍たちはやはり琉球王朝の臣下となるのでは? また、百年戦争 でフランスの広大な版図を手に入れたエドワード黒大使はやはりイングランド の皇子であると思います。日本の大半を琉球王が支配した場合、やはり彼が 琉球王であるまと同じで。一番顕著な例は蒙古であろうと思いますから蒙古を 引き合いに出しますが、チンギスがムカリを中国路の王として派遣し、自らは 中国に目もくれず西方経略に本腰を入れたとして、ムカリが切り取った金の 国土はやはり蒙古の版図・橋頭堡としていいと思うのですが。 質問の意図を間違って捕らえていたらすいません。なにぶん阿呆なので。 738 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 01 49 34 ID CWGq96lM0 追記。 そして完全に敵国を併呑したところで、あらたな国家を創建する問題が でてくるのだと思います。空想の話ですがエドワード皇子がフランスを 完全支配下に置いたら古い国名からイングランド領ガリアとされたかも しれませんし、蒙古はある程度の領土拡大を果たしてからモンゴルの正統、 元と各ウルスがそれぞれ創建されたわけですから。 739 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 02 55 39 ID sh07ZMUM0 李克用と李存勗は親子で名将なんですね かっこいい! 740 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 03 08 02 ID H9XH0T7U0 >黒太子の英仏完全併合 その場合、プランタジネット家領仏蘭西で首都は巴里だと思う。 支那だって劉家領支那=漢で李家領支那=唐で愛新覚羅家領支那=清だった。 741 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 11 58 07 ID 16153irr0 740さんへ 首都が遷ったにしても広大な土地を占有したにしても、根本にある国家 精神は変わらんでしょ。仮にイングランドがフランスを制圧したとして 「こっちのほうが土地広いから、今日からウチもフランスを名乗ろう」 とはならんわけで、言ってみれば居心地のいい仮住まいを手に入れた程度。 仮のさらに仮の話になってしまいますがプロイセンとかに英国領フランス の土地が全部奪われたとしても、本当の拠点はあくまでイギリス本土 だからフランス駐留軍と国家上層部さえイングランドに帰還させれば 国家的にさほどのダメージを負う事はないでしょう。翻って中国に 当て嵌めると金だって支那の北半分を獲りながらあくまで金という国家 のままだったわけだし(現地の文化に耽溺した、というのはあるけども)、 蒙古にボロ負けして支那本土の拠点を失っても、下層階級は本来の故地 である満州の方に逃れたから、すっかり支那文化にかぶれた上層部以外は たいした問題なく、女真族そのものは部族をまとめる巨大な統率者を 失った以外、さほど巨大なダメージを被ったわけではなかった(もとの 遊牧騎馬民族に戻っただけ)と思います。実際、数百年の雌伏ののち 新たな統率者が出て、清(最初は後金か)として復活することができた わけだし。 ・・・なんでこの時間にお前がおるんやとか突っ込まれそうやけど、 風邪が悪化して自宅謹慎を命ぜられとるんですわ。やから暇なのです。 742 ○ sage 2007/04/05(木) 14 05 02 ID 0H4+iB4c0 ◆oOLAqFKRBさん 乙&援護射撃㌧です アンタなんでこの時間に居るんや、暇でも安静にしとかんかい と一応突っ込んどきますわw さて李常傑を中国の武将として認めるにしても 726の定義に当てはめた場合、李常傑はどうなんだろう? 李常傑は北宋の進軍をいち早く察知し、逆に北宋領土へ進軍し北宋軍を撃破したんですよね? これは先取防衛の為ではないでしょうか? 諸兄の意見をお聞かせねがえませんか? あと李元昊を外すことに異論はありません。 743 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 17 23 24 ID VjMOowo3O あんまり深く考えないでさ。歴代中国、若しくそれらと実際矛を交えた国の武将と言うことでもいいんじゃね? せっかく選んだ武将が○○に負けたのに名将かよ。プwとか思われるの嫌だし 744 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 18 15 27 ID dy96S1BTO 743 そんなのでよかったら定義とかあれこれ話合ったりした意味ねーな 745 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 18 20 21 ID Qs7ILgkC0 738 百年戦争はイングランド王がフランスの王位継承権を主張したわけだし アキテーヌに領地を持ってたフランスの諸侯だったんだから イングランド領ガリアはないよ 746 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 19 39 34 ID H9XH0T7U0 0:フランス王 1:ノルマンディー公 2:イングランド王 3:アキテーヌ公⇒3´:ガスコーニュ公 4:アンジュー伯 5:ブルターニュ公 6:ウェールズ公 7:スコットランド王 8:アイルランド卿 所領と爵位を0~8と定義する。 ノルマン朝初代:ウィリアム1世(1、2) ノルマン朝二代:ロベール2世(1)vsウィリアム2世(2) ノルマン朝三代:ヘンリー1世(1、2) ノルマン朝四代:女帝モード&ジョフロワ4世(1、4)vsスティーブン(2) プランタジネット朝初代:ヘンリー2世(1、2、3、4、5、8) プランタジネット朝二代:リチャード1世(1、2、3、4、5) プランタジネット朝三代:ジョン(1、2、3、4)vsアーサー(5) プランタジネット朝四代:ヘンリー3世(2、3´、8) プランタジネット朝五代:エドワード1世(2、3´、6、7、8) プランタジネット朝六代:エドワード2世(2、3´、6、8) プランタジネット朝七代:エドワード3世(2、3、3´、6、8ほか)&エドワード黒太子(3、3´、6) プランタジネット朝八代:リチャード2世(2、6、8ほか) ランカスター朝初代:ヘンリー4世(2、6、8ほか) ランカスター朝二代:ヘンリー5世(2、6、8ほか) ランカスター朝三代:ヘンリー6世(0!、2、6、8ほか) 初期のプランタジネットはフランスのルーアンが事実上の首都。ほぼフランス人。 カペー朝に対するプランタジネット朝は後漢末の魏みたいなもの。 カペー家の殻を突き破れなかったのがおかしいくらいだ。 フィリップ2世、シャルル5世&デュゲクラン、シャルル7世&ジャンヌダルクのどれか一つがいなければ、 英仏統一王朝が誕生してた可能性が高い。 特にフィリップ2世はおかしい。なんだコイツ。 …まあスレ違いだが、たまにはいいだろ。 747 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 19 50 31 ID GljYhMi60 745さん うあぁ、西洋史の知識がろくにないことを露呈してしまった。 でもまぁ、“フランスの王権を手に入れたとしても実際重視されるのはあく まで英国”“フランスの肥沃な農場地帯と貴族文化、ヨーロッパ本土への 橋頭堡としての価値は魅力的だが、いざとなったらシッポ切りするのに 問題なし”という部分が言いたかったわけでして。そこが金や元における 中国本土とかぶるかな、と。 ろくな知識もなしにとくとくと偉そうなことを書き込んだこと、謝罪します。 748 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 20 12 59 ID L2DsHe8+0 やっぱり百年戦争のたとえではずれてしまいますね、すいません。 ちなみに私個人の考えだと 金や元は中国王朝とは言いがたい(特に元)が、中国の征服王朝にはなった。 遼や西夏は中国王朝でもなく、征服王朝にもなれなかった。 749 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 20 20 33 ID H9XH0T7U0 747 項羽を例に当てはめてみます。 ”秦を手に入れたとしても実際重視したのはあくまで楚” ”関中の肥沃な田地と行き届いた法治支配、政敵の劉邦を四川に押し込めておく拠点としての価値は魅力的だが、他人にくれてやって問題なし” …やはり生活文化が違うので金や元のケースとは違うでしょう。 この場合、対仏政策が破滅に直結するでしょうから。 750 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 20 28 32 ID dy96S1BTO 746 カペー朝に対するプランタジネット朝は後漢末の魏みたいなもの。 カペー家の殻を突き破れなかったのがおかしいくらいだ。 またまたスレ違いな話だがカペー家かどこかの家宰に曹操みたいな奴いなかったっけ? 734 いくら自治権は認めても、領土的には中国本土であると考えられていても やはり大越の李常傑を中国の武将とするのは無理があるんじゃない? 751 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 21 01 17 ID H9XH0T7U0 メロビング朝フランク王国の宮宰カールマルテルだと思う。 トゥールポワチエ間の戦でイスラム軍を虐殺し、カロリング朝フランク王国の基礎を築いた男だろう。 >越南 実態は中原勢力の植民地。風俗も違ったし。朝鮮みたいなもんだと解釈した方がいい。 752 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/05(木) 21 44 37 ID 0wO0KLdZO 750 李常傑はあくまで喩えです。李元昊は入るとしながら、李常傑は入らないというのは 間違っているという例として出しただけです。 今の時代に生きてるから、安南=ヴェトナムだから他国と思うだけで、 中国の歴史から見たら、間違いなく中国本土であるにもかかわらず、 その人物を中国の武将じゃないというのであれば、 当然、その概念はそれ以外の人物にも適用されるんですよね ?中国固有の領土であろうと、なかろうと、外れる場合はあるんですよね? 私が問いたいのは、何をもって中国の名将であるとするか?なのです。 つまり、その条件に当てはまらない場合は、たとえ中華王朝の漢人武将であろうとも、 中国の名将とは認められない――そんな条件なんです。 726がそれだと言うのであれば、それはそれで構いませんが、 それだと選定作業をやり直す必要がありませんか? 753 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 22 14 48 ID dy96S1BTO 751 トンクス そうかカールマルテルだったか 750 それならシンプルに李元昊は外す、李常傑も入らないでいいじゃん たとえ中国の歴史から見たら、間違いなく中国本土であっても 実際ヴェトナムの人々は俺たちの国は中国だと思っていたかな? 俺は違うと思うぞ インドの人々は俺たちの国はイギリスと思ってたかな? 名将の定義は取り敢えず 21にあるのでいいんじゃないかと思うけど プラス遼・金・元は含めるそれでダメなのか? でそりゃあ違うだとという人物は今回の李元昊のように指摘する そんなんじゃダメなのか? 俺はそれ以上思いつかないよ・・・ 754 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 22 15 41 ID 0zYnzRwq0 752 私が問いたいのは、何をもって中国の名将であるとするか?なのです。 つまり、その条件に当てはまらない場合は、たとえ中華王朝の漢人武将であろうとも、 中国の名将とは認められない――そんな条件なんです。 なんらかの定義はできるでしょう。 しかし万人が異論ない定義が可能だと思ってるわけですか? そもそも、自分自身の案を提示もせずにそういうないものねだりをするのは、 無駄にかき回して議論の収束を妨げてるだけにしかならないですよ。 既に出てる案にそういうものがなく、あくまで賛同できるものがないというのであれば、 ぜひともあなたの理想とするところに近い定義を提案してください。 自分は正史ベースの 505を推します。 中国武将が何たるかなんて定義は、中国とは何かと同様で、 万人に納得できるものを作ることは不可能だと考えるので、 既に評価の確立した正史に習うのが妥当ということで。 あとこのまま収束しないようなら、少人数で定義決定する方式にしたほうがよいと思います。 それに納得できない人は、反論するに値する定義の対案を出さない限りは反論を認めない。 で、少人数を誰にするか、というところは、このスレに多数の名将を紹介して貢献度が高いと思われる、 ◆oOLAqFKRB.さん、◆RQdk7scN8sさん、○さんだったら不満もすくないんじゃないかな・・・と思ったり。 どうですかね? 755 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 22 20 28 ID dy96S1BTO 753 すまん遼・金・元に西夏を含めるの忘れてた 756 ○ sage 2007/04/05(木) 22 57 36 ID 0H4+iB4c0 754 自分はですね正史ベースの 505はいいんじゃないかなと思いますよ。 でこれに西夏(夏)も含め あとは推薦した人物に対し諸兄が納得してくれれば良し、 今回、自分が推薦した李元昊の時みたいに そいつは「ちゃうやん、あかん、あかんてそいつは認められへんで」みたいに指摘してくれたらいいかなと思いますけど こんな感じでとうでしょうか? なんか 754さんに博識な御両人と一緒に指名されてますが 本当に自分なんかでいいんですか? 757 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 23 15 07 ID HcEYfMrF0 754さん 俺が選定員に推戴されたらムカリ、トゥルイらのモンゴル武将や ヌルハチ、アハタイら後金武将(つまり元、清の建国を担った人々)を 「正史にあるけん」の一言で平然と組み入れてしまうんで、反発派は かなりの数に登るかと。それでいいなら選定員の一翼を担うのも 問題なしですが、「モンゴルは違うだろ」「清は入関後だ」って言う人は 今のうちに俺を潰しといたほうがいいかと。 758 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 23 31 45 ID HcEYfMrF0 757に追記 俺としては 505案に自分で出した 726を併せて折衷すると言う 方向で行きたいと思います。これに反対の人は俺の選定員入りを 阻んでくれると後腐れなくてむしろさっぱりします。 ところで◆RQdk7scN8sさんが沈黙を守ってますね。迷ってるんだろーか。 759 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 23 47 20 ID H9XH0T7U0 「正史に記載されてれば入選資格有り」 このスタンスでいいだろ。 それで夷狄に椅子を奪われる程度の指揮官が名将なものか。 760 あの~ 2007/04/06(金) 00 12 36 ID Bbv/dSjkO 754 実は私が 505なんですけど。。 トリップつけないと不味いですか? 過大解釈案 この際、正史にのる戦役は全て対象として、 その戦いに参加した人物が名将であるか否かを議論する。 ただし、その人物が非中華王朝に属してる、もしくは異民族出身者の場合、 その人物が中国の名将であると、推薦者が立証する。 例えば、耶律徳光を推薦した場合、国号は中華風の遼も名乗っており、 少なくとも本人は、中国に対する憧憬と、 中国を支配下に置く意思があったと推測されるから――など。 この推薦文だと、国号が契丹だけの時代の耶律休哥は外れますね。 あと、遼を外すと主張してる人は、遼将を外すならば、誰を入れたいのですか? ただ単に揚げ足取りしたいわけでは、ないですよね? 李元昊の代わりに李継遷を推薦します。 李元昊にくらべ、民族独立色が薄いから。 耶律休哥のかわりに、耶律徳光。理由は先に書いたので、かつあいします。 小説から、李元昊、耶律休哥に興味を持ち、資料を調べたうえで、 この人物を好きになりこそしれ、嫌いになれないだけに、 選考の対象外にするのは、非常に心苦しい気持ちでいっぱいです。 761 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/06(金) 00 40 53 ID 8gXNJR8p0 760さん 同じく李継遷を推す同志と勝手に呼ばせていただきますが、 むしろ元昊のほうが英雄的気概にあふれとるんですよね。 前に書き込みましたが 中華から独立して敦煌以西に自分たちの国家を作ろうとする企画力とか、 弱体化してたとはいえ陝西で禁軍100万を37万の精兵で撃破した用兵とか。 中国からの独立を望んだために中国武将ではない、という一事がなければ 間違いなく俺も継遷よりこちらを推しただろうだけに、元昊は本当に惜しい人物だと思います。 彼を推していた○さんも諦めをつけるのは断腸の思いだったでしょう。 762 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/06(金) 04 36 59 ID iwgs9pHW0 中国の影響力が強すぎたのが全部悪い 763 ○ sage 2007/04/06(金) 06 51 44 ID 4zOHtfGs0 761 >李元昊を諦めたのは断腸の思いだったでしょう。 確かに李元昊を諦めたのは断腸のでした… では自分も◆oOLAqFKRBさん、あの~さんと同じく、 李元昊の祖父である李継遷を推したいと思います。 実際、李元昊を推した時に李継遷と李元昊のどちらにしようかかなり迷いました。 しかし諸兄の賛同を得られなかったのでそれは仕方ないかなと思っております。 (節操ねーなとか言われせうだが…) 764 ○ sage 2007/04/06(金) 13 50 04 ID 4zOHtfGs0 760 あの~さん(勝手に呼んでますがいいのかな?) >小説から、李元昊、耶律休哥に興味を持ち、資料を調べたうえで、 >この人物を好きになり とカキコなされてますが その李元昊、耶律休哥に興味を持つきっかけとなった小説の題名をお教え願えませんか? ちなみに自分は陳舜臣氏の小説十八史略にて李継遷・李元昊を 楊家将にて耶律休哥に興味を持ちました。 誠に厚かましいお願いですがよろしくお願いします。 765 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/06(金) 18 57 30 ID 0u9nFGkN0 ああ、なんかヤボ用で時間費やしている間に、すっかり話題が。 自分は遼を外そうと考えましたが、基本は正史にならうという意見ではありました。 遼を外す理由は古来からある中華政権の支配がおよぶ範囲 制度によって及ぼしていた範囲というものがあるじゃないですか。 温度差(サーモグラフィ)みたいなもので考えるとわかりやすいかな? (京師あたりは色が濃くて、地方になれば薄くなる) そういうところに対する、領土的な影響力というものが、遼(契丹)は薄い、というあたりを論拠としています。 まぁ、政治的な影響力は大きいのだから、別に入れることに頑強に反対はしません。 入れれば、太宗と休哥は確定するのかな? で、李継遷ですが たしかにコヤツが西ではねっ返ったおかげで、宋は遠征し敗れ あまつさえ遼に援助までとりつけて引き入れ、究極的には岐溝関の敗北を招かせたようなもんですので 結構なやり手ではあります。 宗主国から独立を獲得する契機となった、というあたり後漢の周瑜に似ている節はありますが そのあたりはどうでしょう。 と言っても、自分、拓跋思恭はわかりますが、この代になるとほとんどわかりません(をい)。 そうですね、「草原王朝特別枠」とかいって、別に設けてみるとか、そういうのはなしでしょうか。 766 ○ sage 2007/04/06(金) 21 43 35 ID 4zOHtfGs0 765 李継遷に似てるのは李元昊ではないでしょうか? どうでしょうか? 二人共、始めは宋に従ってましたが 後に反旗を翻し幾度となく武力衝突を繰り返したり、遼にも対抗したりしてますし、 吐蕃(チベット)を討ってたりしますよね、 それに李継遷は霊州を陥れて、西平府と改称、国都とし 片や李元昊は河西回廊を占拠し、興慶府に都を置いてます。 ちなみに史書には李元昊が ―英雄の生は当に王覇なるべきのみ。錦綺、何をか為さん。― と興奮した際、李徳明に向って言ったとされています。 (民族独立に対する意気込みなんでしょうね) 767 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/07(土) 12 51 23 ID 8Dz7hZN3O 764 井上靖の敦煌です。 そこから、この時代の異民族国家に興味をもち、図書館で調べはじめて、 耶律休哥の名を知りました。 小説としてはやはり楊家将で、この小説により歴史書の中の人物が、 血の通った人間になった感じです。 768 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/07(土) 13 00 06 ID pG/HJowa0 このスレにいる人が楊家将読んでてちょっと嬉しいw 769 ○ sage 2007/04/07(土) 14 46 04 ID I3JbP16L0 767さんご丁寧に有難うございます。 >血の通った人間になった感じです。 全くもって同感です。 自分もですね楊家将を読んだ時、耶律休哥及び楊業に非常に人間味を感じました。 768さんもナカマー あと 760の 過大解釈案とその中で推薦文の例題として挙げられている事についてなのですが >ただし、その人物が非中華王朝に属してる、もしくは異民族出身者の場合、 >その人物が中国の名将であると、推薦者が立証する。 >少なくとも本人は、中国に対する憧憬と、中国を支配下に置く意思があったと推測されるから――など。これですと中国を支配下に置く意思があったの部分はいいのですが 中国に対する憧憬のないであろうモンゴル武将や清初期の女真族の武将が 外されてしまう様な気がしますけどいかがですかね? それならその人物が非中華王朝に属してる、もしくは異民族出身者の場合は 王朝樹立の際の戦闘及び樹立以降に功績のある武将は認める しかし明らかに中華の武将として認められるのを本人が明確に表している人物は不可 (ヌル八チとかどうなんだろうか…) 建国後遼は契丹に国号を変更してる時期も認める。 こんな感じでいかがでしょう? おかしな部分があれば手直しして頂ければうれしいです。 770 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/07(土) 15 31 08 ID isOCtAs70 乾隆帝以後は完璧にチャイニズムに毒されてるよ。 順治、康煕、雍正の三代の遺産を食い潰す毒虫ぶりに秦始皇、漢武帝、隋煬帝、唐玄宗の風を見る。 トップの方向性が入選で云々されるなら、 乾隆帝以後の清は確実に歴代中国王朝のエピゴーネンと言えるだろう。 771 ○ sage 2007/04/07(土) 16 03 34 ID I3JbP16L0 770 あのさー乾隆帝以後は完璧にチャイニズムに毒されてるのはわかってるよ。 中華思想に触れて感化されない奴なんて略いないだろう また傍にいる漢人が染め上げようとするし。 それに定義を決めるのって当然、一筋縄じゃいかないのわかってるよね? だからわざわざ手直ししてくれませんか?と付け加えているんだし、 文句言うだけなら誰でもできるじゃないのか!! じゃあどうすればいいか貴方の意見をぜひ聞きたいね。 772 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/07(土) 16 12 05 ID PaG7IIxw0 ちなみに自分も『楊家将』は読んでます。 記述の少ない楊業を、よくもあそこまで書けたものですよ。 耶律休哥も楊業に会っては、分厚い壁にぶち当たった感じで書いているのは特によかった。 って、小説の話はこのへんで。 遼(契丹)を入れるとして、じゃあ誰が確定になりますかね。 太宗・耶律徳光は、自ら親征して一気に澶州にまで南下しており そこではじめてまともな後晋軍と対峙した。 一応、青州の楊光遠との挟撃という態勢であったが、名将たる高行周(高懐徳の父)が粘り 耶律徳光の南下を容易には許さなかった。 (高行周が出撃すると、耶律徳光は軍を退かせ精騎で中央を狙うと、晋帝石重貴がそれを迎え撃つ… など) 驚いた耶律徳光は、 「楊光遠は晋の兵は半ばが餓死したといっていたが、このように勢い盛んではどうしようもない」 と言って、一旦本国に引き上げた。 悲惨なのは楊光遠で、契丹との挟撃をもくろんでいたのに、それが崩れ取り残される形になった。 契丹は撃退できたものの、主戦論を唱えていた景延広は為すところが無く、かえって醜態だったので 地方に転出され、替わって桑維翰を呼び戻し、中書令兼枢密使として国難に対処させた。 枢密使・桑維翰のもと、河東の劉知遠、恒州(常山)の杜重威、宋州節度使兼禁軍大将となった高行周、 滑州の皇甫遇、徐州の趙在礼、孟州の符彦卿、河中の安審琦など、15節度使を 対契丹用に編成し、その南下に備えた。 桑維翰の軍略、決裁はいささかも遅滞することなく端から流れるようだったので、諸将は心服したという。 桑維翰の軍略のもと、兗州の李守貞が叛将たる楊光遠を討ち、これを敗死させることに成功した。 その年末に、ふたたび耶律徳光は南下し、恒州に本拠を置き、邯鄲まで陣を進めた。 桑維翰はすぐさま、皇甫遇や安審琦らを向かわせたので、戦線は一時膠着した。 皇甫遇が契丹軍の包囲を受け、少数で粘っているのを、張従恩等は「もう手遅れ」としたが 安審琦は「皇甫太師にもしものことがあれば、何のかんばせあって天子にまみえようか」 といって、麾下の兵だけで突撃したので、耶律徳光は晋軍が総攻撃に移ったと勘違いして 即座に恒州まで逃げ出したという。 膠着した戦線を打開するのに、皇帝石重貴は親征を決意し、開封を出発した。 勢いを盛り返した晋軍は、定州より進み、恒州を降し、ついには耶律徳光をちからづくで追い返した。 耶律徳光は幽州まで逃げ帰ると、敗戦に猛り狂い、各将たちを鞭で打ったという。 しかし桑維翰はあくまで講和論者であり、この後すぐに講和を具申するも、耶律徳光の返書に 怒りのこもった文章が見受けられたので、一時見合わせることにした。 戦勝で気が緩んだか、石重貴は桑維翰の諫言や進言を受け付けなくなった。 当時朝廷には、馮玉という奸臣がおり、皇帝の外戚だったが、桑維翰の影響下にあって発言力は低かった。 皇帝が桑維翰を疎んじていることを敏感に察し、李守貞を巻き込んで誣告した。 桑維翰は執政職を追われ、朝廷に出ることはなくなった。 馮玉らは実権を手にすると、燕雲への攻勢を実行したが、それは耶律徳光の自在の駆け引きに翻弄され 攻撃軍を担った杜重威や張彦澤といった有力者が、契丹に寝返るにおよび 契丹の大攻勢の末、開封は陥落した。 寝返った張彦澤は、耶律徳光が桑維翰を憎んでいると勘違いし、許可無く殺してしまったが 耶律徳光は「なぜ殺した」と、その遺族を手厚く遇したという。 耶律徳光の話をしていたはずなのに、また途中から違うのが出てきたな… まぁ、耶律徳光と契丹に拮抗する軍略の持ち主、桑維翰と、それさえいなければ破竹の進撃を誇った耶律徳光 ということで、判断してみてください。 ちなみに、このときの後晋領は石敬瑭の末年から石重貴が契丹に北へ連れ去られる直前くらいまで すさまじくひどい天災に見舞われており、国力は最悪だったということを付け足しておきます。 773 ○ sage 2007/04/07(土) 17 24 35 ID I3JbP16L0 772 耶律徳光(太宗)は石敬塘の後晋建国を助け 後に後晋が遼に背くと、南征するものの、 高行周・桑維翰らの活躍で一時は敗走しましたが最終的には 後晋を滅ぼし、華北一帯を占領してますよね。 たとえ後晋が最悪の状況にあったのを加味しても 耶律徳光の功績は凄いと言わざるえないのかな? (確かに途中で誰のこと推してるのか分からなくなってましたねw) 774 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/07(土) 20 01 14 ID PaG7IIxw0 【確定組】 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊業、狄青 【候補】 周徳威、郭崇韜、王彦章、郭言、楊師厚、劉鄩、康延孝、 任圜、李神福、臺濛、周本、孟堅、張彦卿、陸孟俊、劉仁贍、張武、 王環、趙季良、蘇章、潘崇徹、銭弘佐、顧全武、張元徽、李瓊 耶律休哥、狆師道、劉昌祚、李継遷、賈嵓、潘美、楊延昭、 史建?、王景、康壊貞、 【候補落ち】 朱温(朱晃)、郭威、曹彬 【確定有力候補】 李存審、顧全武、劉仁贍、耶律徳光、李継遷、劉昌祚、楊延昭、耶律休哥 かなりカオスになってますので、この辺でそろそろ決めたいと思います。 (いい加減、南宋以降の話も聞きたいし) 顧全武はいわゆる地方政権の名将であって、地域が極限定されているので10選に入れるにはためらう部分が大きい。 劉仁贍は10選確定の柴栄や趙匡胤相手に不敗というのが大きいが、いかんせんそれだけ。 耶律徳光は中原制覇を短期間で為した。維持できなかったのは政治力の問題とするならば確定間違いない ただし、遼のことなので、予備枠とする。 耶律休哥も確定予備枠みたいな感じとする。 楊延昭は武勲において、並ぶものなしと思える。 劉昌祚…狆師道のほうがよくはないですか? 自分が考える10選 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊業、狄青、李存審、狆師道、楊延昭、李継遷 (契丹枠として)耶律徳光、耶律休哥 こんなところか。 775 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/07(土) 21 39 14 ID isOCtAs70 >○ 771が俺を貶める為か、自らを誇る為のものか判らぬ。 だが、そんなことはどうでもいい。 君子はそのどちらもしないのだから。 二十五史だけでなく四書五経も読んでから来い。 俺を罵倒したことが許せないのではなく、その人柄を自ら損なったことがただ悲しい。 議論を壟断したいのならブログでも開けばよい。 776 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/07(土) 21 42 29 ID neOBtDwl0 ○はスルーするに限る 777 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/07(土) 22 00 07 ID G49b2+p90 774 ◆RQdk7scN8sさんへ。劉昌祚より確かに狆師道のほうが適任と思います。 ただ北宋中期の武将が少なかったので一応名を挙げました。 耶律徳光と耶律休哥は燕雲以南の地を掠取していない守勢の人、休哥より 短期ながら中原を席巻した創業の人、徳光が10選入りの栄誉を受けるべきかと。 (耶律休哥は民衆から契丹最高の名将、と言われとるわけですがここは心を鬼にして) そんでもって以前選定者の一人に選ばれたわけですが、 505と 761の折衷というだけでは具体的な形が見えないのでここに概論を書きます。 ・基本は正史ベース。二次資料から引いてくる場合は典拠を明らかにする。 (資治通鑑より、とか出典・十国春秋、とか) ・異民族武将に関しては守勢(中国からの侵略に対する防衛戦)で高名な武将であっても除外、 中国の領土を犯し、十分な土地を掠取する(あるいは侵略のための橋頭堡を作る)か、 当時の中華国家の人々に恐怖意識を植え付けるほどの活躍をしたものを資格保持者とする。 ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 ・征服王朝の先行政権における武将の場合、中国本土に攻め入って領土を攻め取るか橋頭堡を作り、 そのうえでのちに来る征服王朝の樹立に貢献した武将を資格ありとする。 ・・・こんなんで。 俺の頭ではこれ以上波風立たせずに全員を納得させる案は立てられんです。 ◆RQdk7scN8sさんや○さんがもっと洗練された定義案を出してくれるのを希望。 778 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/08(日) 00 45 57 ID z/gk5cja0 2時間ばかり休憩を挟んだから、そろそろ南宋に入っとるかと思ったけど。 進んどらんね。南宋に移行するんは明日からになるんかいな? さておき、誰も間に入らんので、柄にもなく俺が仲裁に入らせていただきます。 775さん、 776さん。 人の一度の過失をそう責めんめーや。俺も前スレで場を荒らしてしまった 経験ありやけど、再度やり直させてもらった事やし。寛容を求めます。 ○さんも落ち着いてカッカした自分を見つめ直そう? 一度自論を否定されたくらいで怒らんで、それこそ丸い心を保ちましょうや。 779 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/08(日) 00 57 04 ID 4I+oH72ZO 先の話だけど郭侃、伯顔、拡廓帖木児の扱いでまた揉めるんだろうな 780 770 sage 2007/04/08(日) 01 52 22 ID /v/LzJsE0 <紀元前> 11世紀:牧野の戦(周武王)、三監の乱(周公旦) 10世紀: 09世紀: 08世紀:犬戎の乱 07世紀:葵丘の盟(桓公 管仲)、泓水の戦(楚成王)、城濮の戦(晋文公 先軫) 06世紀:邲の戦(楚荘王)、鞍の戦(郤克)、鄢陵の戦(晋厲公 苗賁皇)、呉楚戦争(闔閭 伍子胥) 05世紀:呉越戦争(勾践 范蠡)、晋陽の戦(趙襄子) 04世紀:桂陵の戦(田忌 孫臏)、馬陵の戦(田忌 孫臏) 03世紀:燕斉戦争(楽毅、田単)、長平の戦(白起)、抗秦名将(信陵君、李牧、項燕)、陳勝呉広の乱(章邯)、楚漢戦争(項羽、韓信) 02世紀:白登山の戦(冒頓単于)、呉楚七国の乱(周亜夫)、石に立つ矢桃李言わざれども下自ずから蹊を成す(李広)、対匈奴戦争(衛青、霍去病)、百聞は一見に如かず(趙充国)、 01世紀: <紀元後> 01世紀:赤眉の乱(樊崇)、緑林の乱(光武帝)、大樹将軍(馮異)、矍鑠たる翁(馬援)、虎穴に入らずんば虎子を得ず(班超) 02世紀:鮮卑大人(檀石槐)、黄巾の乱(皇甫嵩) 03世紀:官渡の戦(曹操)、鳳や鳳や(鄧艾)、破竹の勢い(杜預) 04世紀:(王猛、慕容垂)、淝水の戦(謝玄) 05世紀:最初の可汗(社崙) 06世紀:六鎮の乱(爾朱栄) 07世紀:薩水の戦(乙支文徳)、玄武門の変(唐太宗)、(李靖)、高句麗遠征(李勣) 08世紀:タラス河畔の戦(高仙芝)、安史の乱(郭子儀) 09世紀:黄巣の乱(李克用)、五代名将(李存勗) 10世紀:南唐遠征(柴栄)、陳橋の変(趙匡胤)、千載不決の議(趙匡義) 11世紀:澶淵の盟(遼聖宗) 12世紀:方臘の乱(童貫)、靖康の変(呉乞買)、抗金名将(岳飛 、韓世忠) 13世紀:世界征服(チンギスハーン、ツルイ、スブタイ、ムカリ、モンケ、ウリャンハタイ、バヤン、郭侃)、抗元名将(完顔陳和尚、孟珙、呂文煥)、崖山の戦(張世傑) 14世紀:紅巾の乱、鄱陽湖の戦(洪武帝)、北伐(徐達、ココテムル) 15世紀:靖難の変(永楽帝)、大航海(鄭和)、土木の変(エセン、于謙) 16世紀:庚戌の変(アルタン)、万暦の三征 17世紀:サルフの戦(ヌルハチ)、寧遠の戦(袁崇煥)、李自成の乱(呉三桂)、三藩の乱(康熙帝) 18世紀:十全武功(乾隆帝) 19世紀:阿片戦争(林則徐、関天倍)、太平天国の乱(曽国藩、李鴻章) 11世紀~19世紀に区切って百の天下分け目の決戦(政変含む)を揚げ、 そこから百選を決めようと思ったが戦例を集めるのに飽きた。 「中国(史の)名将」なら二十五史に載ってればおkということで宜しかろう。 「中国(人の)名将」なら先秦以前のは明らかな夷狄以外はゆるく、 漢族成立後は拓跋、慕容、耶律、完顔、愛新覚羅等の連中を一人残らず排除すれば良い。 778 俺は○氏の論の何を 770で否定し、攻撃し、批判したのでしょうか? 「(彼にとって)判りきったことを俺が言ったのが、 彼を無知であるかのように扱うことと同じであり、 それが彼の矜持を傷付けた」と言われても謝る気はありません。理不尽だ。 また俺に対する彼の謝罪をも求めておりません。そもそも争いになるのがおかしい。 彼自身が自分自身に謝ればこの件はそれで終りとして頂きたい。 781 ◆RQdk7scN8s 2007/04/08(日) 02 25 24 ID BRC5l4KI0 なんか行き違いがあったようだけど、原因は 771のレスですかね。 ○氏は落ち着いてくださいね。 カッカしている理由はいまひとつ忖度できませんが、語気を強めることもないと思いますよ。 前に自分をなだめてくれたのに、らしくないですね。 また異民族枠の議論だから、 770氏もまとめる方向の対案を示せばベターでしたね。 とりあえず、自分が契丹特殊枠入れときましたので、異論ある人はそれを外せば良いし、 また候補からこれは、と思う将を格上げすればよろしかろう。 草原王朝については、各々モチベーションも違うだろうから、よりよい妥協点を探すしかないのでしょう。 できれば、これからも論拠と対案は併せて提示いただけると助かると思います。 特に反対が無ければ、この線で南宋へと突入したいと思います。 五代に長々とつき合わせて申し訳なかったことです。 782 ○ sage 2007/04/08(日) 04 32 23 ID m5io4n1t0 770さん、◆oOLAqFKRBさん、◆RQdk7scN8sさんお手間取らせて申し訳ない。 別に自論を否定されたとは思っていませんよ。 自分は皆でいろいろと前向きに思案すればいいかなと思っていますし。(念のため) 770さんが>彼自身が自分自身に謝ればこの件はそれで終りとして頂きたい。 と仰ってる様に自分はかなり冷静さを欠いていたのはあるかも… 770さん不愉快な思いをさせまして申し訳なかったです。 出来れば最初のレスに 770さんが 定義に対する自論を提示して頂ければ有り難かった部分はあります。 (しつこいとか怒らないでくださいね) 781 五代に長々と~ いやー自分は五代に大した知識の無い方なので◆RQdk7scN8sさんのレスはいい勉強になりました。 雑談もかなり入れちゃいましたけどねw 783 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/08(日) 05 07 40 ID F0HzLaWF0 最近見始めたんだけど、晋の厲公とかも入ってるんだなあ 784 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/08(日) 18 55 59 ID FOH6MPFEO 777 一応、確認しておきたいのですが、 505案であれば、 金末期の金将の戦いは入りますが、元の外征は外れます。 しかし、この案ならば、異民族の金将による自国内の戦いは入らない。 されども元の漢人武将であれば、一般的な感覚からすると中国領土外での 活躍であっても評価する――と解釈して宜しいんですか? このスレでは基本的に、防衛戦よりも領土拡大を高く評価するので、 守勢云々は外しても変わらないと思います。 元という王朝がなければ征服王朝も含め、中国統一後の領土拡大に貢献した人物は、 戦場が中国本土外であっても、評価に入れるにすれば、 民族に拘る必要がない基準になるのですが…。 785 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/08(日) 19 59 41 ID iqf5zjHk0 784さん 伝わりにくい書き方ですんません。 俺の意図としては中国領土外での活躍は除外、です。 つまり中国本土に攻め入ったトゥルイは入り、バトゥなどは西域で大暴れしてるけどもアウト、という感覚で。 あと郭侃などの両方に戦功がまたがっている人物も、基本的に中国本土での戦果のみ、ということで。 俺は民族の枷は可能なら無視したい派ですが、戦場が中国以外におかれる場合は除外と言う姿勢で書いてます。 ただ、俺なぞの案にとらわれる必要はないですよ。 784さんがこうだと思ったらその武将を推挙して、それについて皆で論ずればいいと思います。 786 ◆RQdk7scN8s 2007/04/08(日) 21 51 00 ID BRC5l4KI0 あらためて読み返していて気がついたので 自分の考える五代~北宋枠の10選を訂正します。 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊師厚、狄青、李存審、狆師道、楊延昭、李継遷 (契丹枠として)耶律徳光 楊業は息子の方がどちらかというとすごい感じ… というか、記録が少なすぎてわかりづらい。 不確定なところがあるので、申し訳ないが息子に譲ってもらうとして かわりに、楊師厚を入れました。 (忘れていたなんて、とても口に出して言えない…ガクブル) 787 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/08(日) 22 30 43 ID FOH6MPFEO 785 スミマセン、頭の中では次の時代に移っており、そちらに意識が行ってました。 この時代の10選は私個人としては、 786で異存がないです。 漢や唐、宋に明であれば、中国本土外の地域であってもカウントし、 中国本土征服後の清朝であっても、中国本土外の戦い、 (他国との戦い)が外されるのは、可哀想だと思うんです。 元朝の問題がうまく処理されたら、 777案をもって このスレの中国の武将の定義になると思ったまでです。 私としては、少しの修正、補足で、すべての時代で通用する、 定義となりえると感じたので、あえて意見させてもらいました。 788 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/09(月) 00 22 27 ID 7CdWDV6X0 787さん 777を全時代に適応できる汎用定義にすることについてアップデート。 ・中国統一政権下における外征で活躍した武将もカウントする。 唐の李靖の突厥討伐、清の策稜らのジュンガル討伐を認める、ということで。 まだまだ完全な定義足りえないのは承知ですが、そこは諸兄に任せます。 本音を言うと他の人が完璧な定義を持ち出してくれると助かるんやけど、怠慢はよくないわな。 786◆RQdk7scN8sさん、 五代・北宋の10選は異議なしです。 次はいよいよ南宋時代、いろいろと各自の自論がぶつかりそうですな。特にモンゴルがらみで。 789 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/09(月) 00 51 34 ID rTbI/Ux70 <審査条件> 〇、其の人物が名将である。 一、其の人物が中国人である。 二、其の事跡が中国史である。 三、其の場所が中国領である。 <優先順位> 一:審査条件を全てクリア。 二:審査条件を二つクリア。 三:審査条件を一つクリア。 例えば、甲と乙が候補に残り、どちらか一つを決めるとする。 其の場合、審査条件の〇の比較で甲>乙だったとしても、 優先順位のクリアで甲<乙の場合は乙を入選とする。 これで如何だろうか? 790 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/09(月) 19 47 09 ID TnVZNl3/0 楊延昭は名将というには実績が少ないような気がする。 潘美を入れたほうがいいように思う。 791 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/10(火) 21 40 26 ID UAtebvBkO 流れ止まっちゃってるな 792 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 08 25 09 ID 3jvERdIMO どの武将も一長一短で悪く言えば小粒だから 時代もマイナーで語れる人が少ないんだよ 793 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 09 29 51 ID qimM40B0O 792 でも◆oOLAqFKRB.氏の超得意分野だろ南宋とモンゴル武将 794 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 18 50 21 ID FXlcrX3a0 これで 岳飛、韓世忠、孟珙、完顔陳和尚、張弘範、郭侃 成吉思汗、木合黎、速不台、伯顔、拡廓帖木児 この中から一人落として終わりだろ。 795 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/11(水) 20 35 25 ID +N39LNeU0 韓世忠はこの中ではちょっと見劣りするんじゃなかろうか 796 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/11(水) 21 04 37 ID 6rx9YgF50 793 まあなんですか。超、というか最も得意とする時代やね。 で、俺的10選を挙げさせていただくと 宗沢 岳飛 完顔宗望(オリブ) 完顔宗弼(ウジュ) 拖雷(トゥルイ) 速不台(スブタイ)もしくは木華黎(ムカリ) 孟珙 伯顔(バヤン) 阿朮(アジュ)もしくは兀良合台(ウリャンハタイ) こんな感じで。ココテムルは徐達のライバルやし、明朝頭に送るべきと するとだいたいの10人が決まると思うわけやが、どーでしょ。あと韓世忠 入れるんやったらむしろ劉錡を入れたい。正史でウジュの拐子馬を破った のは多分この人一人か・・・あと岳飛も野戦で勝っとるかな。 797 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 21 11 15 ID qimM40B0O 俺は南宋とモンゴル武将が超得意分野な ◆oOLAqFKRB.氏の推薦文とか読みたいし、南宋・金・元のいろいろな話とかも聞いてみたい 折角、定義について話し合ったんだし、みんなで議論しようよ 798 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/11(水) 21 18 26 ID 6rx9YgF50 拖雷(トゥルイ) チンギスの第四子、オゴタイの同母弟。チンギスの後継者と目されたが その座を兄・オゴタイに譲った。燕京に盗賊が出るという話を聴きみずから 取り締まりに出馬、賊十六人を斬り捨てる。 巳丑年(って何時?)の夏八月、オゴタイが京城に帰ると即位式を行う。 翌年秋、オゴタイの金朝征伐にトゥルイも兵を率いて従軍、天城堡を破り 蒲城県を抜き、金の完顔合達が西に赴いている隙を突いて黄河を渡り、 鳳翔を撃つ。引き返してきた合達に攻め立てられ不利となるがここで トゥルイが兄を助けて奮戦、合達を斥ける。翌年春、洛陽を落とし 河中の諸城を抜いた。 オゴタイは官山に還ると文武百官、諸侯王を集め、彼らに向かって言った。 「人は言う、国家の損害は実に寇敵によってもたらされると。今、金はいまだ 倒れず。我らの敵なり。諸君、寧ろ謀はないか?」対するにトゥルイが 投降した金人の献策を紹介して強く推した。オゴタイは大いに喜び、 諸王大臣たちを呼び寄せて「(金伐は)かつて父が志し有りながら果たせなかった。 今トゥルイが能くこれを言う、これぞ真に賽因(大いに好ましいこと)なり!!」 オゴタイは即断即決、大軍を発した。 オゴタイは碗子城から南下し、黄河を渡り、洛陽を向けて進発。 斡陳那顔(アッチンナヤン?)率いる左軍を淮南経由で進発させ、 トゥルイの右軍は鳳翔から渭水を超えて宝雞経由で出陣させる。トゥルイは 小潼関を抜き、宋との国境線を通って漢水の下に出た。計画によれば翌年二月、 金の王帥が汴京に遷るはずだった。トゥルイは南宋に部下を派遣して 金朝を挟撃しようと求めたのだが、なにを血迷ったか宋の上層部は使者を 殺してしまう。激怒したトゥルイは「やつらは以前苟夢玉が結んだ同盟関係を どう思っているのか!? 自ら喰らい(多分領土のこと。確証ないが)自ら叛くとは!!」 キレたトゥルイは兵を分かって南宋の諸城堡を攻め下し、長躯漢中まで攻め入って四川を襲い、 閬州を陥とし、南部を打ち据えてようやく軍を還した。そして金の王帥を 房州で補足、武当山で追いついて先鋒部隊三千で金兵十万の中に突撃、 均州まで奔らせる。どれほど激しい戦いぶりだったかは漢水が騎兵の死体で 埋め尽くされたという記述から類推できるかと。トゥルイは部下に千人を つけてオゴタイのもとに派遣、報告し、オゴタイは金の王帥を取り逃したことを 責めたが、部下がいないところでトゥルイを慰労、迅速に京師・官山に引き上げた。 799 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/11(水) 21 20 00 ID 6rx9YgF50 トゥルイ続き 漢水にとどまったトゥルイは金の大将・合達と鄧州で交戦、金軍の伏兵二十万を 見抜き隘路に拠して敵を待つ。このときトゥルイの兵は四万だったが、 間諜の報告によると金軍も二十万全員が兵士というわけではなく、かなりの 数の輜重部隊が存在することを知って強気の攻めに出る。十二月、禹山で 金軍と交戦、わざと逃げて見せて北に引き寄せる策を使うがこれは失敗。 それならと今度は火計を仕掛け、これが大当たり。合達らは鄧州に奔走し、 トゥルイは三日間の猛攻でこれを撃滅。北に追い立てて部下に三千騎を 与えて追撃させるも、翌朝の霧で視界を遮られた蒙古軍は金軍の奇襲を 受け、珍しい敗戦を経験する。トゥルイは敗戦の部下(札刺)を罷免して 野里知給歹(読めん)に替えた。まもなく金軍を破る。 壬辰(やからそれじゃ分からんのよ)春、トゥルイは陝西・四川・河南の 難路を強行突破して着実に版図を広げる。北に還りつつあるトゥルイに一矢を 報いようと金の合達は歩・騎兵合わせて十五万の大軍で追撃に出た(二十万で三千に負けたくせに)。 このときトゥルイの軍は1万3千。総軍馬から下りて塹壕を掘り、金軍の攻勢を しのぎにしのいで持久戦に持ち込んだ。日暮れ、軍中に「敵の休息したところを撃つ。 夜、鼓を騒がしく鳴らすのがこれだ」と命令。時にオゴタイが黄河を渡り、親王クオンブカら 万騎をつれてやってきた。空に大寒波到来、大雪も降り、金人は凍えて動けず、 顔色も青ざめて到底戦うどころの話ではなくなる。そこを好機と見たトゥルイ(およびオゴタイの援軍)が 襲撃をかけ、曰く「機を失うべからず。やつらは城内に逃げ込んだ。未だ囲むは易からず。 大敵を前に、況や敢えて父君のごとくあれ!!」奮撃して三峰山を抜き、大いに金軍を破る。 さらに十里に渡って追撃し、流血が道を染めざるは無し。金の精鋭はここにおいて尽く失われた。 予衆を狩って雎州まで走り、伏兵が立っても逆に是を潰滅させる。 鈞州に逃げた合達に従うは数百騎。蒲阿は汴に逃走し望京橋に至ったが、蒙古に擒らわれる。まもなくオゴタイが到着、 戦地にとどまって視察し、トゥルイに「はたして汝でなかったなら、この大勝利はなかったであろう」と賞賛した。 諸侯王がオゴタイに進言して曰く「誠に聖愉(?)です。しかるにトゥルイの功、社稷に著しいかと」 それはオゴタイとトゥルイの後継者争い(争ってないけど)でトゥルイを支持したものの言だった。 トゥルイは従容として曰く、「臣に何の功がありましょうや。この天の威、皇帝の福なり」その言には 聞いたものすべてを佩腹させるものがあった。トゥルイはオゴタイに従い、鈞州を抜き、宿敵合達を 殺し移刺蒲阿、完顔陳和尚をも屠る。更に許州を攻め、これも抜く。 オゴタイの先鋒として河南諸郡平定に奔走し、四月、半渡から真定に入り、 中都を過ぎて北口に出る。夏の官山に還った。 五月、オゴタイが身体に変調をきたし、六月、いよいよ病篤くなる。 トゥルイは天地の神々に祈りを捧げ、代われるものならオゴタイと自分の身を代えよと叫んだ。 怪しげなシャーマンを呼びつけて病気治癒の祭祀を執り行わせたりとかなり 必死で兄を心配する。数日が経過してオゴタイがやや回復すると、トゥルイは一緒に北に還り、 阿刺合的思の地にいたる。そこでトゥルイのほうが病魔にやられ、逝去。 本当にオゴタイの代わりに死んだ。享年四十余歳。英武皇帝と諡号を贈られた。廟号は睿宗。 チンギス時代の武功、オゴタイ時代の河北計略における活躍などから人望頗る厚く、 それゆえ以後蒙古の嫡流はトゥルイ家から選出されることとなった。 800 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 22 45 06 ID oZd1YRNi0 速不台の華々しい戦績は西方遠征ってイメージがあったんで、 777の定義からすると資格なしかと思ってた・・・対金戦でもけっこう功績があるのかな? ◆oOLAqFKRB.さんの推薦文が楽しみですね。 801 ○ sage 2007/04/11(水) 22 46 03 ID t4yNDFjl0 ◆oOLAqFKRBさん 乙です すいません劉?の?の部分は本来、何となっているのですか? 自分のボロPCでは劉 になっちゃってるもので・・・orz それと韓世忠はなんか嫁さんとセット扱いされてる様な気がしますが… 自分はですね張弘範を推します。あと阿里海牙(アリハイヤ)の評価はどんな感じですか? >最も得意とする時代やね。 いやいや自分の中のイメージでは十分、超が付きますよ。 前々スレから得意な時代と言ってましたし。 あとですね 788で >中国統一政権下における外征で活躍した武将もカウントする。 >唐の李靖の突厥討伐、清の策稜らのジュンガル討伐を認める、ということで。と仰ってますが 郭侃はフラグの西方遠征に従い、ペルシア、バクダード、アッバース朝のカリフを降伏させ、 シリアへ侵入して十字軍と戦った功績も審議の範疇に入れるのでしょうか? 中国統一政権下における外征は東アジア(ベトナムを含む)に限定するにしてはどうかなと個人的には思っています。 諸兄、◆oOLAqFKRBさんいかがでしょうか? 802 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 22 55 10 ID oZd1YRNi0 801 脇からですいません。劉キ[金奇]になってます。 803 ○ sage 2007/04/11(水) 23 04 49 ID t4yNDFjl0 802 なるほど劉キ[金奇]ですか。 802さんご親切にありがとうごさいました。 804 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 23 42 42 ID soE3kzWL0 貼っておきます 南宋・金~元 【確定組】 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共]、 拡廓帖木児(ココテムル)、 【候補】 李庭芝、忽必烈(フビライ) 、完顔宗弼(ウジュ) 、伯顔(バヤン) 、 阿朮(アジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範、范仲淹、チュウ師道 張俊、呉?、呉リン、劉錡、虞允文、李顕忠、楊存中、僕散忠義 徒単合喜、宗翰(ネメガ)、耶律斜軫、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ) 劉整、張弘範、脱脱(トクト)、呂文煥 796 自分もココムテルは、この次の時代のリストに並べる人物だと思う 時代で区分してるしね 805 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 23 50 29 ID Bvy9586Q0 李庭芝、候補にも入れなかったっけ?別にいいけど 806 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 23 51 02 ID 3jvERdIMO 郭侃は元の武将でしょ。だったらOKでない? 10選入り確定ですな 807 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/11(水) 23 55 30 ID R5Kxdx8b0 速不台 通称スブタイ・バアトル。兄貴・フルコンとともにやたら勇猛、頑強で騎射 を善くした。少年時代、強盗を槍で刺し殺しその一族郎党を遁走させたという 逸話を持つ。 兄貴が将となったので人質の意味でチンギスの傍仕えとなる。壬申(?)年、 金伐戦に参加。恒州攻めで真っ先に城壁を登り、城を落とす。まもなく投降者 滅吉里を部下に加え、蟾河の戦いで一戦にして二将を擒らえる。さらに欽察部 と玉峪で戦いこれを破る。 イスラム討伐から還るとまた欽察討伐を上奏、許される。太和嶺のどてっ原 に工兵を動員して穴を開けさせ、欽察部の予想を超える場所から突撃をかける。 縦横に奮戦するスブタイ軍の前に欽察の軍は潰滅、遁走した。現地の余衆を ことごとく降し、これらの土地を占領下に置き、阿里吉河で斡羅思部の大、小 密赤思老と戦い、一撃のもとに彼らを投降させる。阿速部を獲って帰還。 征西前に東伐戦に参加、撒里畏吾特勤、赤閔ら諸部を倒し、徳順、鎮戎、 蘭州、会州、洮州、河州を抜いて母馬五千を獲て朝廷に献ずる。チンギス 逝去のため第二次征西は一事見合せとなった。 オゴタイが即位すると公主を娶わせられ、皇室の一員に連なる。潼関攻撃 に従軍、利なく、オゴタイが怒った時、勝敗は兵家の常、功を立てて埋め合 わせすればよろしい、とトゥルイに救われた。トゥルイの節度下に入り河南 経営を任される。牛頭関で金将・完顔合達の軍数十万とはちあわせるも、軍 を三峰山に集合させて持久戦の構えを見せる。おりからの大雪と大寒波に乗 じて猛攻をかけ、敵のほとんどを殺しつくすという大戦果をあげる。つーか ここはトゥルイ伝に同じ、でいいんやが。これにより金の対北方戦はまったく 振るわなくなる。翌年夏、トゥルイが官山に帰還するとスブタイが統帥権を 譲渡され、黄河北方に逃れる金主を黄龍岡に追撃、撃破して首級万余を挙げる。 最終的に金軍を蔡州に追い詰め、汴を降し、后妃および珍宝の数々を手に入れ オゴタイに献上、1234年の蔡州の戦いを見届けてのち、バトゥの副将として 征西に出る。これ以降はヨーロッパ戦線での戦いやから必要ないかと。 808 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/12(木) 00 19 59 ID KgSsk+G50 801 すんません。確かにヨーロッパ遠征組のことを忘れとりました。 征西はモンゴルの仕事やから無視していいか、とか思っとったら郭侃おったし。 788 の定義やと確かにヨーロッパでの戦功も込みになりますわな。 そーすっと郭侃が確定確実に昇格、郭侃を落としたいわけとは違うけど、 やっぱりヨーロッパは違和感あるしなぁ。 ○さんの言うとおり東アジア圏に収めとくほうが無難か。 そこらへん、諸兄の意見はどんな感じなんやろ。 809 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 00 51 14 ID gfCpSYNA0 1曹操=後漢末 2李克用=唐末 3拡廓帖木児=元末or北元≠明初 4呉三桂=明末or清初 810 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 00 59 00 ID HyfEY1CkO 東アジア圏に収めるとか枠を決めてしまう方が違和感ある。 強すぎてヨーロッパまで届いちゃったってだけで基本的には歴代王朝が行ってきた外征と同じように考えていいのでは。 811 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 01 09 11 ID PdOk3TRp0 というか、南宋滅ぼす前、フビライによる元朝の成立前のモンゴル帝国は 世界帝国ではあっても中国統一政権という枠には当てはまらないんでは? 元朝以前のモンゴルは 777でいうところの「征服王朝の先行政権」にあたると思われるので、 ・征服王朝の先行政権における武将の場合、中国本土に攻め入って領土を攻め取るか橋頭堡を作り、 そのうえでのちに来る征服王朝の樹立に貢献した武将を資格ありとする。 に適合する、金もしくは南宋攻略での功績に限って評価すべきでは? あと拡廓帖木児について、徐達の遠征を撃退したのって既に北方に逃亡した後ですし、 777の ・異民族武将に関しては守勢(中国からの侵略に対する防衛戦)で高名な武将であっても除外 にあたって候補外になるんではないのでしょうか?詳しい業績まではわかってないんで見当外れかもしれませんが・・・ 812 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 01 36 49 ID gfCpSYNA0 周 BC1046~BC256 ↓ ● 秦 BC256~BC206 ↓ ● 楚 BC206~BC202 ↓ ● 漢 BC202~8 ↓ ○ 新 8~23 ↓ ● 漢 25~220 ↓ ○ 魏 220~265 ↓ ○ 晋 265~420 ↓ ○ 宋 420~479 ↓ ○ 斉 479~502 ↓ ○ 梁 502~557 ↓ ○ 陳 558~589 ↓ ● 隋 589~618 ○禅譲による交代 ●放伐による交代 813 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 01 38 08 ID gfCpSYNA0 隋 589~618 ↓ ○ 唐 618~907 ↓ ○ 梁 907~923 ↓ ○ 唐 923~936 ↓ ○ 晋 936~946 ↓ ○ 漢 947~950 ↓ ○ 周 951~960 ↓ ○ 宋 960~1279 ↓ ● 元 1279~1368 ↓ ● 明 1368~1644 ↓ ● 清 1644~1912 ○禅譲による交代 ●放伐による交代 814 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 08 40 10 ID DNpsFED/O 811 それでもモンゴルは東西両方で活躍してる奴多いしなぁ 815 ○ sage 2007/04/12(木) 09 27 23 ID 9MPvgVfh0 【確定組】 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共]、郭侃 【候補】 李庭芝、忽必烈(フビライ) 、完顔宗弼(ウジュ) 、伯顔(バヤン) 阿朮(アジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範 張俊、呉?、呉リン、劉キ[金奇] 、虞允文、李顕忠、楊存中、僕散忠義 徒単合喜、宗翰(ネメガ)、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ) 劉整、脱脱(トクト)、呂文煥、 孟sル、完顔陳和尚、 bヨ雷(トゥルイ) 速不台(スブタイ)、木華黎(ムカリ) もし候補から抜けてる人物がいる場合は補修お願いします 814 取り敢えずは推薦文挙げて貰ってからアレコレ議論してみては? 816 ○ sage 2007/04/12(木) 09 30 56 ID 9MPvgVfh0 連投ですいません 五代~北宋・遼 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊師厚、狄青、李存審、狆師道、楊延昭、李継遷 (契丹枠として)耶律徳光 楊延昭より潘美を入れたほうがいいように思うと言う意見もありますが 取り敢えず以上の十名を確定でということで宜しいですか? 817 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 10 44 17 ID 6PWL2b6B0 バヤンは確定に入っていいと思うんだけどなあ。 818 ○ sage 2007/04/12(木) 14 35 33 ID 9MPvgVfh0 すいません自分が 801で 中国統一政権下における外征は東アジア(ベトナムを含む)に限定するにしてはどうかな? と提案しましたがまだ結論が出ていないのに 815で勝手に 郭侃を確定入りにしちゃってますがよかったのかな? 817さんの仰る様に伯顔(バヤン)は確定入りでいいと思います。 819 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 17 04 33 ID LWmQ/ydr0 郭侃はオゴタイ時代に百戸長として対金戦争に従事しているし 晩年でもフビライの下で南宋戦に従事しているので 中国の名将扱いにしてもいいと思う。 中近東での戦果は別モノとして考えればいいし。 820 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 17 51 13 ID DNpsFED/O 815 あまり詳しい訳じゃないからなんとも言えないけど、チンギスが居ないのは何故? 彼の頃のモンゴルも 777の「征服王朝の先行政権」として良いんだよね チンギスの中華方面の戦績だと他のモンゴル武将に見劣りするから? 819 郭侃は「征服王朝の先行政権」の「漢人武将」だから、 西方の戦績が考慮されて確定にいたのだと思ったんだが、無しにするの? 821 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/12(木) 20 53 48 ID agTVIqMpO 820 せめて 784-785、 788を読んでもらえませんか? その上での話なら、それはそれで話し合いをしますが… 822 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/12(木) 21 19 22 ID 40NYG0oU0 確定枠の人やけど、孟〔王共〕の紹介文落としていいかいな。 今更いらんなら控えるけども、好きなんでどーせなら開陳したいなーと。 823 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 21 24 02 ID oljSW7kuO ぜひお願いしやす!! あとチンギスハーンは候補入り可能なの? 824 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/12(木) 21 34 08 ID 40NYG0oU0 そんじゃ孟珙の1 曽祖父・孟安、祖父・孟林は岳家軍の将帥として功績を挙げ、父・孟宗政は 制置使・趙方麾下の有力な将帥という武門の家に育つ。若くして優れた才覚 を見せ、團山の戦いで父とはぐれたとき、それを見つけるや単騎金軍の重囲 に突撃、これを破って父を救った。翌日の敵の動きを予測して父に献策、これ を見事的中させて金軍を破るという戦術眼も備える。制置使趙方に謁見し、 一見して只者で無いと直感した趙方より異例の抜擢を受けた。 父が唐・鄧・蔡三州の壮士二万を募って編成した“忠順軍”を受け継ぐ。6年、 金の武仙と5回にわたって交戦、ことごとく捷ち、将校452名、兵士33万余 を俘虜とし、44万の民衆を解放した。功績により顎州江陵府副都統制となる。 端平元年、元軍と連携しての蔡州の役にあたって、元の総帥タチャルのもとに 兵糧2万石を届け、意気投合してタチャルと義兄弟の契りを交わした。忠順軍 を率いて戦役に参加、元の漢人諸侯・張柔が流れ矢に当たって落馬しそうになると 二度に渡ってこれを救った。金軍が老人や稚児を殺して絞った油で放つ“人油砲” を使うと道士を派遣してこれを諭し、人油砲の使用をやめさせた(やめるんかい)。 端平元年正月、蔡州の役で金を滅ぼす。金主・完顔守緒は自ら火をつけて自殺 したので、遺骨をタチャルと分かち、帰国した。功により建康府都統制兼権侍衛馬行事職司。 制置使趙方(この時期は趙葵か?)により襄陽兼鎮北軍の都統制に任命される。 鎮北軍で壮士を募り、兵士一万五千人を獲て隟北、樊城、新野、唐、鄧に配備する。 まもなく枢密院より武器を授かる。 翌年、皇帝に謁見。「卿は名将の子、忠勤に励み国に礼を尽くし、蔡州に金を 滅ぼす。功績昭著なり」との褒め殺しに「これは宗廟社稷の威霊、陛下の聖徳と 三軍の将士の労によるところ。臣はなにほどのこともしておりません。臣、 陛下に願わくは民衆に寛容であり、人材を蓄え、機会を待たれますよう。臣は 所詮武辺の士、戦を望み和議を望まず」と答え、厚い賞与を下賜される。 端平三年、元軍が薪州を攻めると呂文徳とともに現地に急行、囲みを解く。 さらに逆撃して襄陽を攻めるも、江陵の形勢が危急を告げたのでそちらに向かい、 元の寨24個を一夜のうちに覆滅して大勝する。嘉熙元年、顎州諸軍都統制となる。 825 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/12(木) 21 36 35 ID 40NYG0oU0 元の大将テモチエ(?)が漢陽から、大将クオンブカが淮甸から南宋領に侵入、 現地の将士は逃亡し、投降し、あるいは敗北する。孟〔王共〕が現地に到着する と民衆は「わが父きたれり」と喜んだ。孟〔王共〕は楼上に帷幕を構え、防衛戦の 指揮をとり、失われた諸州を取り戻した。将士は毎月の苦戦に苦しみ、病人、 けが人が後を断たず。孟〔王共〕は彼らに医師を遣わし、その厚遇に将士は感涙した。 嘉熙二年春、枢密副都承旨、京西湖北路安撫制置使を授かる。郢州、荊門軍を回復し、 十二月、冢頭、樊城、郎神山を攻撃、ことごとく捷つ。翌年正月信陽軍、樊城、 襄陽を回復し、枢密都承旨、制置使となる。光化軍、息州、蔡州を降す。降ったものの 中から百余人を選抜、忠衛軍を創建する。 襄陽がどれだけ重要な地であるかを説明、兵士十万の常駐を請うも認められず。 とりあえず先鋒軍を置く。元のタハイが80万の大軍を擁して蜀土に攻め入ると、 孟〔王共〕は塞を増設し戦艦を分布して防衛ラインを築き上げる。結果元軍は 侵攻できずに撤退、翌年、子爵に封ぜられた。防衛ラインを三層に分けてそれぞれ の州郡に千~一万の精兵を置くことを上奏するも、やはり認められず。王堅、 劉整らを派遣して元の造船所に焼き討ちをかけ、船材と食糧を焼く。淮以下五県から 精兵を359人を募り、“寧武軍”と名付ける。 その後江陵にあって各地の防衛ラインに増援を送ったりいろいろと活躍するも、 孟〔王共〕自身が具体的に戦争の描写があるのはここまで。あとは元軍が攻めて きても孟〔王共〕が守りに出ると向こうから逃げ去るのでほとんど交戦してない。 とにかく上奏するはしから潰されて、武勲の割に相当不遇やった人。死後忠襄と 謚され、吉国公を追贈された。廟号は威愛。 ・・・だいぶ省略、割愛しました。 特に後半の先頭描写がない部分はガリッと削ったけどまあ、いいでしょ。 で、 チンギスは入らんと思う。 「先行政権の武将で、かつ中国本土の領土を切り取るか橋頭堡を作る」 かしてないと資格なしやから。 領土を一時的に取っても引き上げるとまた中国側に取り戻される、を繰り返しよった チンギス時代の蒙古は資格なしっちゅーことになるかなと。 826 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/12(木) 21 40 05 ID 40NYG0oU0 825 変換ミス。先頭描写ってなんや、俺。 戦闘描写です、すんません。 827 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/12(木) 21 43 29 ID agTVIqMpO 基本的には自分自身が、その人物が中国の武将であると確信し、 名将であると考えるのであれば、推薦するべきだと思います。 鉄木真が中国の名将であると考えるのであれば、推薦文を書き込んで下さい。 その意見が通る、通らないは別問題ですから。 828 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 21 57 32 ID gfCpSYNA0 冒頓単于 拓跋珪 社崙可汗 木杆可汗 耶律阿保機 完顔阿骨打 鉄木真 努爾哈赤 全部outで。 あと、三衒の決めた定義が気に入らないなら終わるまで待つことだな。 829 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 22 12 51 ID DNpsFED/O 821 失敬 となると、 788の定義で郭侃の西方の戦績は考慮外という事になるのですかね 彼が参加した西方遠征はモンゴルの中華統一(≒南宋滅亡)以前のことだし 830 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 22 35 49 ID oljSW7kuO 824-825 ◆oOLAqFKRB氏ありが㌧ やっぱチンギスハーンは資格無しですか 831 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 22 48 57 ID 6PWL2b6B0 チンギスはあんまし中国支配に熱心じゃなかった感じだしなあ。 ムカリならともかく。 832 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/12(木) 23 02 33 ID agTVIqMpO 830 ですから、鉄木真が中国の名将であると考えるなら、推薦文を書き込んで下さい。 モンゴル統一の為の戦いは入らない、中国本土内の戦闘なら入るも、 その地域を複数年支配し続けてる(短期間ではなく、次の代まで支配する) その条件をクリアしていれば、説得力がますと思いますよ。 833 ○ sage 2007/04/12(木) 23 04 34 ID 9MPvgVfh0 820 テムジン時代のタタル、ケレイト、ナイマン、メルキトの諸部族を破り、 モンゴル高原全体を支配や 金、ホラズム・シャー朝を征服やジャラールッディーンを撃破など 功績はすごいのですが、定義に適合しないと思いましたので候補に入れませんでした。 孟[王共]= 孟sルなんだあまり詳しくないのですいません… 834 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 10 35 ID uB3PX48c0 チンギス・カン 第一次対金戦 内蒙古で金軍を破る 第二次 黄河以北の全域を蹂躙。免れたのは中都を含む十一の 都市のみ。講和成立後、内蒙古に撤退。 第三次 軍を派遣し中都を攻略。 西へ出かける前にかつての燕雲十六州に相当する地域は確保しているから 「中国本土を切り取り橋頭堡を築いた」ことにはなると思うが。 835 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 11 47 ID oljSW7kuO 832 ??? 俺はチンギスハーンを推薦するつもりも中国の名将として 扱うつもりも端からないんだけど… なんか勘違いしてない? 836 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 13 29 ID CZs6aAA10 こら 他人が考えて書いたことを自分が考えたように書くもんじゃない 前にも何度かあったね みっともない 837 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 14 40 ID CZs6aAA10 836は 833 838 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 18 18 ID JPGjroiF0 821 郭侃は最終的に元にいたんだよね? 名将か否か判断するのに○○時はのぞくなんておかしい。途中どこにいようが関係ない、 趙亡命時の楽毅だけをみて燕時代を無視するのと同じだろ 全体を見て判断しないといけないと思う 839 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 24 08 ID DNpsFED/O 833 まあ、あの定義だとチンギスもありにはなるはずでは、と思っただけでして 確かに完全に遊牧民だし西征で有名だけど、統一王朝の先行政権を開いて中華地域で戦っているのは事実なんで 840 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/12(木) 23 29 26 ID agTVIqMpO 835 ならばスレ違いですね。ここは中国の名将を選ぶスレなんですから。 841 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/13(金) 20 38 52 ID eTh9VGg00 人がおらんよーなので、人寄せの意味も含めて紹介文落とします。 張弘範(字は仲疇。○さんが推すゆった名将やね) 張柔の第9子。よく馬槊を使い、かつ詩文の才にも長けた。二十歳のとき、 兄が順天路をはなれることになると代行を任され、民吏の諸問題をたちどころ に採決して人々を感服させる。蒙古の軍がやってきて暴力を振るうと弘範は 杖刑をもって彼らを痛めつけた。順天路に彼がいる間、蒙古と言えども非道な 真似はできなかった。 中統三年、行軍総管とされる。合必赤親王が済南の李壇討伐に向かうと副将 として従軍、弘範が城の西に野営地を置くと、李壇が兵を発した。諸将が色めき 立つ中弘範は一人冷静で、「我、険地に営す。壇すなわち我に弱を見せ、必ず 奇兵をもって襲い来る。我の謂わざれども悟るものなり」として準備を進める。 弘範の策を知らずに攻め寄せた李壇の軍はあるものは壕に埋まり、あるものは 伏兵にやられて全滅した。弘範の勝報を聞き、張柔は「真にわが子なり」と喜んだ。 至元元年、兄が出世したことで順天路の守りを任されることとなった。翌年、 洪水で家は流され、到底租税が納められる状態ではない。しかしそれを言って 聞くような朝廷の文人どもでもない。弘範は直接京師に赴き、フビライに面と 向かって説教。フビライも話の分かる人で、「それを問うなかれ」と謝罪した。 至元六年、南宋の襄陽(せっかく孟珙が必死こいて取り戻した要地)を囲む。 万山に回回砲を据え付け、試し撃ちをしようとした瞬間、南宋軍が攻め寄せた。 部下たちは弘範を置いて城に逃げ込む体たらく。「敵を前にしてあえて退くと いうものには死を!!」との叫びに偏将・李庭が飛び出し、他の将がそれに続く。 弘範は二百騎を長く布陣させ、「我の鼓を聞く、すなわち進め。鼓なかりせば 動く勿れ」南宋軍が突出してくるが、弘範の軍は動かず、南宋軍は再び進んだ かと思えば退却した。南宋軍の士気が低下していることを見抜いた弘範は鼓を 鳴らし、弘範の軍千人が一斉に襄陽を襲う。南宋軍は奔潰した。 面倒なので、こっからアジア歴史事典の丸写し。 南宋討伐に参加し、各地に転戦したが、とくに張世傑の水軍を焦山に破り、 戦艦80艘を奪った功が大きい。毫州万戸に任ぜられ、抜都(英雄)の名を 下賜される。南宋の首都、杭州臨安府陥落ののち軍を還すが、翌1278年、張 世傑、陸秀夫らが衛王を立てて皇帝とし、元朝に反抗したので討伐軍の総帥 となり、水陸二万の軍を率いて南進し、まず文天祥を擒らえ、つづいて張世 傑らの水軍を崖山に破った。こうして輝かしい武功を立てて79年凱旋した が、まもなく病没した。謚は献武。 842 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/13(金) 21 44 40 ID PpLGyfJ60 孟[王共]は全時代の十人でも入るなあ 843 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/13(金) 21 48 39 ID GvRJnFDj0 842 入るでしょうねぇ。 彼に皇帝たるの地位があれば、かなり強固な国家体制を作れたことでしょう。 前線の一司令官は戦略的な視野や構想力より、戦術的な手腕が必要だけど 孟珙はその両方を兼ね備えた稀有な人物といえるから。 844 ○ sage 2007/04/13(金) 23 26 01 ID yKT0Xcnd0 ◆oOLAqFKRBさん 乙です 843 ◆RQdk7scN8sさん古巣での活躍ぶり(?)拝見してますよ。 (もし別人ならごめんなさい) 張弘範は、阿朮(アジュ)、伯顔(バヤン)の元で華々しい活躍を見せ、 更に南宋を滅亡に追いやったのは彼の力に因るものが大きいかと思います。 あと阿里海牙(アリハイヤ)なんかも自分は推したいですね。 845 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/13(金) 23 31 58 ID +sNzR0sV0 この時代区分は、全世界全時代の十人に入るようなのがうろついてますよね 846 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/14(土) 00 47 00 ID VTU7cCbT0 842さん、◆RQdk7scN8sさん、 孟珙を高く評価してくれて中国史で一番孟珙が好きな俺としては 嬉しい限りです。本当に、彼が構想しある程度までは完成させた防衛 ライン(完成しなかったのは朝廷の援助を受けられなかったから)が 機能している間は、孟珙死後までモンゴル、元朝も南宋に手を出せん かったわけやし、完全に自由な権限さえ与えられれば南宋長久の策が 実現したかも知れんのですよ。長期戦になったとしたら攻めあぐねる 元朝と対等以上の講和が結べたかも知れんし、後任が軍事の分からん 賈似道のバカでなかったら、と心から思うところです。ちなみに俺の中 で中華史上名将ベスト3は孟珙、李靖、韓信の三人で、奥ゆかしい性格 と優れた教養から孟珙を一位に押し上げたいところ。まぁ俺の中での ランクづけやからそうではない、という意見の諸兄も多々おるやろーけど。 ○さん アリハイヤですか。 彼もアジュの副将格でいろいろ活躍してますね。アジュが襄陽・樊城の 要地を陥として一旦帰還した後も南征を続け、東西58州(56州?) を切り取ったつわもの。しかも性格は温厚で戦場でも無闇な殺戮を戒め、 占領した土地の人々をいたわって租税を軽くして人々から賛美された 広義での名将。張弘範もやけど○さんは人民をいたわる名将が好きなん かなーと個人的に思ったりしますが、どーなんでしょか。 847 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/14(土) 02 44 23 ID h02UpDZjO で、郭侃は確定でいいのかね? 848 ○ sage 2007/04/14(土) 03 22 05 ID YWuWyns60 846 ◆oOLAqFKRBさん レス㌧あんた領土切り取り杉やろ、なんて思っていますアリハイヤ。 845さんのご指摘通り凄いのがゴロゴロし杉なんですけどねw 自分の名将ベスト3は韓信、孫武、岳飛というところですかね。 韓信は頭の中が普通じゃないし、孫武はマルチ杉、岳飛は戦上手なだけでなく忠義の塊ってとこに魅力を感じます。 それに孟sルもかなりのやり手で狄青みたいに上司さえに恵まれていれば 良かったのにそこら辺が悔やまれてならないっていうのが自分の印象です。 >人民をいたわる名将が好きなんかなーと個人的に思ったり~ はいそうです。 自分の場合は基本的に農民など下層出身で尚且つ義理人情に厚いか忠義の人で、 そのくせ戦争には滅法強い(奇策を得意としたり、読書家なら尚良い)という人物が好みのタイプですね。 岳飛、狄青、薛仁貴とか、あと楽毅、徐達なんかも好きです。 849 ○ sage 2007/04/14(土) 03 29 36 ID YWuWyns60 847 諸兄が郭侃の西征での功績を含めるべきというなら確定でいいと思います。 850 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/14(土) 07 12 11 ID 9iDv5RQB0 「誰某が名将としてどの程度か」と問うならば、 全ての手柄を斟酌してその手腕を量るべきだろう。 一部だけ切り抜いて量ることなど不可能だし意味がない。 そもそも漢人でも戦歴をぶつ切りにされるというのはおかしな話である。 蒙古帝国が中国ではない、というのは判る。 だが彼を選外とするのは「漢人が中国人ではない」と言ってることと同じだ。これはおかしい。 民族の一個人として見れば、その手柄の立てた場所とか相手を区別して云々する必要はない。 それに1127年の靖康の変で宋は南北支那の統一王朝としての面目を完全に失っている。 燕雲十六州を支配したのみの遼を北朝と呼ぶことは難しいかもしれないが、 中原を完全に支配した金はそう呼んで差し支えないだろう。 支那史のお約束通りに考えるならば、 その金は1234年に蒙古の攻撃で滅んでいるので、北朝としての天命は蒙古勢力に移行したのだ。 以後の西征は紛れもなく北半分の統一王朝の遠征であるので除外する必要はない。 その論理は無茶だと言うならば、五胡の蛮兵や、統一した隋以前の北朝の指揮官、唐の外国人の客将は全て除いて頂きたい。
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195p 二乗を煩悶(はんもん)させました。 小乗経と諸大乗経とは多少の相違があるから、 諸大乗経には、 あるいは十方に諸仏が出現されたり、あるいは十方より大菩薩をつかわされたり、 あるいは十方世界にも同じく大乗経を説く理由をしめし、 あるい十方より諸仏が集まられ、あるいは釈尊が舌をもって三千大千世界をおおい、 あるいは諸仏が舌を出すというような事を説かれたのです。 これは、ひとえに諸小乗経に 「十方の世界にただ一仏あり」と説かれた考え方をやぶる事になるのです しかし、これも法華経のように、先後の諸大乗経と根本的な相違ができて、 舎利弗らの声聞および大菩薩・人天(にんてん)らに 「まさに魔が仏になったのではないか」と思わされたほどの大事ではありません。 ところが、華厳・法相・三論・真言・念仏宗らの智慧の眼のかすんでいる輩が、 爾前の経々と法華経とはまったく同じだと思っているのは、ま事につたない眼です。 14 滅後は信じがたい事 釈尊在世においては、四十余年の経経をすてて法華経につく者もあったでしょう。 しかし、釈尊の滅後に法華経を聞き見て信受する事は難しい事です。 そのわけは、まず一つには爾前の経々は多言であり、法華経はただ一言です。 爾前の経々は多くの経があり、この法華経はただ一経です。 爾前の経々は四十余年の多年にわたっており、この法華経はわずか八年です。 釈尊は、大ウソつきの人として永く信ずる事が出来ません。 このように信じられないのを、もし強(し)いて信ずるならば、 爾前の経々は信ずる事もあるでしょうが、法華経は永く信ずる事は出来ません。 今の世の中でも、法華経をみな信じているようにみえますが、 実は、法華経を信じているのではないのです。 そのわけは、法華経と大日経と、法華経と華厳経と、 法華経と阿弥陀経とを同一であるというように説く人によろこんで帰依し、 別々であるという人を用(もち)いない、 たとえ用いても、本意ではないと思っているからです。 日蓮がいうには、日本国に仏法がわたってから既に七百余年になるが、 ただ伝教大師一人だけが法華経を読まれた、 といっているのを、国中の人々はこれを用いません。 ただ、法華経見宝塔品(ほけきょうけんほうとうほん)には 「もし須弥山を手に取り上げて、他方の無数の仏土に投げ置く事も、 いまだそれほど困難な事ではない。 しかし、もし仏の滅後に悪世の中においてこの法華経を説こうとすると、 これは非常に難しいkとである」 と説かれています。 日蓮が強くいっている事は、この経文にまったく一致しています。 法華経の流通分たる涅槃経に 「末法の濁悪(じょくあく)の世には、謗法の者は十方世界の大地のように多く、 正法を信ずる者は爪の上の土にように少ない」 と説かれているのは、どうのように考えるべきでようか。 日本国中の人々は爪の上の土でしょうか。 日蓮は十方世界の土でしょうか。 よくよく考えてみるべきです。 賢王の世には道理が勝ち、愚主の世には非道が先立ち、 聖人の世には法華経の実羲があらわれると心得るべきです。 この二乗作仏の法門は、迹門と爾前とを相対して、 爾前のほうが強いように思われます。 196p しかし、もし爾前が強いならば、舎利弗らの諸々の二乗は永久に成仏出来ない者となります。 そうするとどんなに嘆かれる事でしょう。 15 本迹相対(ほんじゃくそうたい) 第二に久遠実成(くおんじつじょう)について。 教主釈尊は住劫(じゅうこう)第九の減(げん)の時代で、 人間の平均寿命百歳のとき、師子頬王(ししきょうおう)には孫、 浄飯王(じょうぼんのう)には世継ぎとして生まれ、 童子の時の名を悉達太子(しつたたいし)といい、 漢訳して一切羲成就菩薩(いっさいぎじょうじゅぼさつ)と申し上げました。 御年十九歳でご出家、三十歳で成道された世尊は、 はじめ寂滅道場(じゃくめつどうじょう)において、 菩薩の住む実報土と蓮華蔵世界の仏の立派な儀式をしめして、 十玄・六相などの法門を根本として、 法界円融(ほうかいえんゆう)・頓極微妙(とんごくみみょう)の大法を説かれました。 その場には十方世界の諸仏もあらわれ、一切の菩薩も雲のように集まってきました。 その立派な国土といい、説法をうける菩薩の機根といい、 また諸仏の出現といい、説法の最初といい、なんで大法を秘しかくす事があるでしょうか。 ですから華厳経の経文には 「自在の力を顕して、真理に満ちて欠ける事のない円満の経を説く」とあります。 華厳経の一部六十巻は一字一点もれなく円満経なのです。 たとえば、意のままに無量の宝を出せるという如意宝珠(にょいほうしゅ)は、 一つの珠も無数の珠も共にその働きは同じです。 一つの珠でも万宝を事ごとく雨(ふ)らせる事ができるのです。 それと同じで、華厳経は一字も万字もただ同じ一つの真理を説き明かしているのです。 「心と仏と衆生の三つは差別がない」 という華厳経の文は、華厳宗の肝心であるだけではなく、 法相・三論・真言・天台の各宗の肝要であるといわれています。 これほどすぐれた華厳経に何事をかくさなければならないでしょうか。 けれども、二乗と一闡提(いっせんだい)は成仏しないと説かれたのは、 立派な珠に傷と思えるうえ、三か所にまでこの世ではじめて正覚を成じたといわれて、 寿量品にあるところの久遠実成を説きかくされました。 これは、あたかも珠が割れたような、月に雲がかかったような、太陽が蝕したような、 実に不思議な事です。 阿含・方等・般若・大日経などは釈尊の説かれた教えですから、 立派な経文なのですが、華厳経に対すればいうにかいもない劣った経文です。 従って、華厳経に秘しかくされた事を、これらの劣った経々に説かれるわけがありません。 ですから雑阿含経には「初めて成道し」等といい、 大集経には「如来が成道してから始め十六年」等といい、 浄名経には「始め仏は樹(き)に面して坐(すわ)り、力(つと)めて魔を降した」等といい、 大日経には「われ昔道場に坐(ざ)して」等といい、 仁王般若経には「成道してから二十九年」等と始成正覚の立場で説かれています。 これらの諸経は、いうに足りない経ですが、ただ耳目(じもく)をおどろかす事は、 法華経の開経であり序分たる無量義経に、華厳経の「唯心法界(ゆいしんほうかい)」とか、 方等の「海印三昧(かいいんざんまい)」とか、 般若経の「混同無二」などの大法を書き上げて、 あるいは「いまだ真実をあらわしていない法門である」とか、 あるいは「菩薩は長い間修行しなければ成仏しない」などと下すほどの無量義経に 「われは先に道場菩提樹(どうじょうぼだいじゅ)の下に端坐(たんざ)する事六年にして 阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成就する事ができた」と、 成道して最初に説いた華厳経の「始成(しじょう)」の文と同意にされたのは 不思議な事だと思うのですが、 無量義経は法華経の序分なので正宗分の法門についてはまだいわれなかったのでしょう。 さらに法華経の正宗分・方便品では、声聞・縁覚・菩薩の三乗を開いて幅一仏乗を顕し、 また三乗を開いて広く一仏乗を顕す説法のとき、 「ただ仏と仏のみが諸法の実相をよく究め尽くしている」 「世尊は久しいあいだ方便の法を説いた後、必ず真実の教えを説く」 「正直に方便権を捨ててただ無上道を説く」 等と説かれました。 197p これらの説法に対して多宝如来は、迹門の八品をさして見宝塔品に 「これみな真実である」と証明されているので、何一つかくすべきはずはないのに、 久遠寿量を秘しかくされて方便品では、 「われ、始め道場に坐(ざ)し、樹(き)を観じてまた経行(きょうぎょう)した」 等と説かれているのです。 これこそ、もっとも第一の大不思議です。 このようなありさまですから、 涌出品において涌出した、四十余年のあいだ未だ見た事もなく、 今はじめて見る地涌の大菩薩を、仏が 「これを教化(きょうけ)して、初めて大道心をおこさせたのである」等と説かれたので、 弥勒菩薩は疑って次のように質問しました。 「如来は太子であったときに、釈迦族の首都カピラ城を出て、 伽耶城(がやじょう)をはなれる事それほど遠くない道場に坐して 阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成(じょう)ぜられた。」 それより以来、はじめて四十余年を過ぎたにすぎない。 世尊よ、どのようにしてこのわずかなあいだに、おおいなる教化をなされたのか」と。 教主釈尊はこれらの疑いを晴らすために、 寿量品を説いて、まず爾前・迹門において大衆が聞いてきたところをあげて言われました。 「一切世間の天・人・および阿修羅は、みな、今の釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)は 釈迦族の首都カピラ城を出て、伽耶城をはなれる事それほど遠くない道場に坐して 阿耨多羅三藐三菩提を得られた、と思っている」 等と。 つづいて、まさしくこの疑問に対して答えられました。 「ところが善男子よ、われ、じつに成仏してよりこのかた、 無量無辺百千万億那由佗劫(むりょうむへんひゃくせんまんのくなゆたこう)を 経ているのである」 と。 16 爾前迹門(にぜんしゃくもん)の二つの失(とが)を顕す 華厳経、おおび般若経・大日経などは、ただ二乗作仏をかくすだけでなく、 久遠実成をも説きかくされています。 すなわち、これら爾前の経々には二つの欠点があります。 一つは「十界の中に差別をもうけて二乗は作仏しないと説くため、いまだ権を開せず」 といって迹門の一念三千をかくしている事です。 二には「インドに生まれて成仏したといっているため、なおいまだ迹を発せず」 といって、本門の久遠実成をかくしている事です。 この二つの大法は、釈尊一代五十年の聖教の大綱・骨目であり、一切経の真髄です。 迹門方便品は一念三千の理と二乗作仏を説いて、 爾前経の二種の欠点のうちの一つをまぬかれました。 しかしながら、迹門ではいまだ発迹顕本していない、 すなわち仏の真実の一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まっていません。 たとえていえば水面にうつる月のの影を見ているようなものであり、 根なし草が波の上にうかんでいるのに似ています。 さて、法華経本門にいたって、釈尊は久遠実成を説いて始成正覚を破ったので、 それまでに説かれた蔵・通・別・円の四教の仏果が打ち破られてしまいました。 四教に説かれた成仏のための因である修行もやぶれた事になるのです。 九界も無始常住の仏界にそなわっており、仏界も無始常住の九界にそなわって、 これこそ真の十界互具・百界千如・一念三千なのです。 こうして爾前経に説かれた仏はどうか、とかえりみますと、 華厳経で説く蓮華蔵世界の中心の台上に坐している盧舎那(るしゃな)報身仏や、 その周囲上に坐している無数の化仏(けぶつ)、阿含経で説く小釈迦(しょうしゃか)、 あるいは方等経や般若経、 あるいは金光明経(こんこうみょうきょう)・阿弥陀経・大日経などで説く権仏などは、 この寿量品の本仏が、たとえば天の月が 198p しばらく大小の器(うつわ)の水に影をうかべたようなものなのを、 諸宗の学者らは、近くは自宗の教義にくらく、遠くは法華経寿量品をまったく知らないので、 水にうつった月影を真実の月と思い、あるいは水の中に入って取ろうとしたり、 あるいは縄をつけてつなぎ止めようとしているのです。 天台大師はこれをさして「法華玄義」で 「天にある真実の月を知らないで、ただ池の水にうつった月の影を見ている」 と破折(はしゃく)されています。 17 涌出品・寿量品が信じがたい事を示す 日蓮が考えるのには、人々によっては、法華経迹門に説かれた二乗作仏でさえ、 爾前経の二乗永不成仏(にじょうようふじょうぶつ)の羲のほうが強いように思われます。 さらに本門の久遠実成は、また比較にならないほど、爾前経で説く始成正覚の考えが強いのです。 その理由は、 爾前経と法華経を相対してみますと、なお爾前経の羲のほうが強いうえ、 始成正覚を説く点においては、 爾前経だけではなく、法華経の迹門十四品もまったく爾前経と同一なのです。 本門十四品の中でも、涌出品・寿量品の二品をのぞいては、みな始成正覚の思想があります。 そのうえ、釈尊が沙羅雙樹林(しゃらそうじゅりん)で 最後に説いた大般涅槃経(だいはつねはんきょう)四十巻をはじめ、 そのほかの法華経の前後に説いたもろもろの大乗経には 一字一句も久成(くじょう)という言葉はなく、 法身の無始無終は説いても、応身および報身の顕本は説かれず、 したがって無始無終は説かれていません。 どうして数の多い爾前経や、法華経の本門と迹門や、涅槃経などのもろもろの大乗経を捨てて、 ただ涌出品と寿量品の二品を信ずる事ができるでしょうか。 18 諸宗の誤りをあげる そのようなわけで、まず法相宗という宗派について見てみると、 インドの釈尊が入滅したのち九百年ごろ無著菩薩(むじゃくぼさつ)という大論師がいました。 夜は弥勒菩薩の住所である都率天(とそつてん)の内院にのぼり、 弥勒菩薩に対面して、釈尊一代に説いた聖教について不審な点を解明し、 昼はインドの阿輸舎国(あしゅしゃこく)で法相をひろめられました。 無著菩薩の弟子には世親(せしん)・護法(ごほう)・難陀(なんだ)・戒賢(かいげん)らの 大論師がいました。 当時インドで善政をしいていた戒日王(かいにちおう)も その檀那となって頭(こうべ)を下げ、五天竺すなわち全インドの人々は、 みな我見をすてて無著に帰依しました。 中国の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)はインドにわたって、 十七年の間、インドの百三十余の国々を見聞して仏法を学んだ結果、 諸宗を振り捨ててこの法相宗を中国にわたし、 中国・唐の太宗皇帝(たいそうこうてい)という賢王にこれをさずけました。 さらに神肪(しんぼう)・嘉尚(かしょう)・普光(ふこう)・窺基(きき)などを弟子として、 大慈恩寺(だいじおんじ)をはじめ中国三百六十余か国にひろめられました。 ついで日本国には人王三十七代考徳天皇の代に、動慈(どう)・道昭(どうしょう)などが この法相宗を唐から習いつたえて、山階寺を建立し、これを尊崇するようになりました。 このように法相宗はインド・中国・日本の三国第一の宗派です。 この宗派がいうには 「始めの華厳経から終わりの法華・涅槃経にいたるまでの一切の経には、 声聞・縁覚・菩薩の三乗になる種をもたない無性有情の者と、 二乗に決定している決定性(けつじょうしょう)の二乗は、永久に成仏できないと説かれている。 仏の言葉に二言があるわけがない。 ひとたび永久に成仏しないと定められた以上は、たとえ太陽や月が地におちる事があっても、 大地がひっくりかえったとしても、永久に改められるわけがない。 だから法華経・涅槃経のなかにも、 爾前の経々で成仏しないとしりぞけられた無性有情(むしょううじょう)の者と 決定性の二乗をまさしくつきさして、成仏するとは説かれていない。 まず眼を閉じて考えてもみよ。 法華経・涅槃経に、決定性の者と無性有情の者がまさしく成仏すると説かれているのなら、 無著(むじゃく)や世親(せしん)ほどの大論師、 および玄奘(げんじょう)や慈恩(じおん)ほどの高僧や人師が、 これを見ないわけがあろうか。 これを著書に載せないわけがあろうか。 199p また、これを信じて伝えないわけがあろうか。 弥勒菩薩に会ってたずねないわけがあろうか。 おまえは、法華経の文に依って二乗作仏といっているようであるけれども、 実は天台・妙楽・伝教らのまちがった見解を信受して、 その見解をもって経文を見るから、 爾前経においては二乗は成仏せず、法華経は成仏すると、 水と火のように相容れないと思っているのである」と。 華厳宗と真言宗は、法相宗や三論宗とは比較にならないほどすぐれた宗派です。 華厳・真言の二宗は 「二乗作仏や久遠実成が説かれているのは法華経に限ってはいない。 華厳経や大日経にも明らかに説かれている。 華厳宗の杜順(とじゅん)・智儼(ちごん)・法蔵(ほうぞう)・澄観(ちょうかん)ら、 また真言宗の善無畏(ぜんむい)・金剛智(こんごうち)・不空(ふくう)らは、 天台大師や伝教大師に似てもにつかないほど位の高い僧である。 そのうえ、善無畏らは、大日如来より直系みだれる事のない相承がある。 仏や菩薩が衆生を救う為、仮にあらわれたこれらの人に、どうして誤りがあるであろうか。 したがって華厳経には 『釈尊が仏道を成じ終わって、不可思議劫という長い間が過ぎるのを見た』 といっている。 また大日経には 『われ(大日如来)は一切の根源である』といっている。 これらを見ると、どうして久遠実成が説かれているのはただ法華経寿量品に限るといえようか。 たとえば井戸の底にいる蛙(かわず)が大海を見ず、山奥に住む人が都を知らないように、 おまえは、ただ寿量の一品だけを見て、華厳経や大日経などの諸経を知らないのか。 そのうえ、インド・中国・新羅(しらぎ)・百済(くだら)などにおいても、 一同に二乗作仏・久遠実成が説かれているのは法華経に限るといっているのか」 と。 19 滅後には信じがたい事を結ぶ 以上のようであるから、最後八か年に説かれた法華経は四十余年の爾前経とは相違しており、 四十余年の先の教判と最後八か年の後の教判のなかでは、 当然後の法華経の教判につくべきであるといっても、 なお爾前経の羲のほうが強いように思われます。 また、 ただ釈尊在世の間だけならば、法華経のほうが勝れていると考えられた事もあったでしょうが、 釈尊入滅後に出現した論師や人師の多くは爾前経にかたよっています。 このように法華経は信じ難いうえ、世もようやく末法になったので、 聖人・賢人はだんだんとかくれ、迷者が次第に多くなってきました。 迷者は世間の小さな事でさえ誤りやすいものです。 まして出世間の深法(じんぽう)である仏法について誤りがないはずがありません。 犢子(とくし)や方広(ほうこう)は非常に聡明でしたが、 なお大乗経と小乗経の区別に誤りを犯しました。 また無垢論師(むくろんじ)や摩沓(まとう)はするどい理解力をそなえていましたが、 権教と実教の区別をわきまえる事が出来ませんでした。 これらは、正法時代一千年のうちで、 釈尊の在世にも近い時であり、釈尊と同じインドの国内でしたのに、 すでにこのような状態でした。 まして中国や日本国などは、 釈尊の生まれたインドから国も遠く隔たり、言葉も違っています。 人々の機根も劣っており、寿命も短く、貪(むさぼ)り・瞋(いか)り・愚かの三毒も 倍増しています。 さらに釈尊が世を去ってから長い年月がたっています。 ですから仏経に関して誤りを犯しています。 いったい誰の解釈が正しいのでしょうか。 釈尊は涅槃経に予言して 「末法には正法をたもつ者は爪の上の土の様に少なく、正法をそしる者は 十方世界の大地の土の様に多い」 とあります。 また法滅尽経には 「正法をそしる者はガンジス河の砂の数ほど多く、 正法をたもつ者は一個か二個の小石のように少ない」 と予言されています。 千年に一人、五百年に一人でも正法をたもつ者が出現する事は難しいでしょう。 世間の罪によって悪道に堕ちる者は爪の上の土のように少なく、 仏法の正邪に迷って悪道に堕ちる者は十方世界の土のように多い、 それも俗人より出家の僧の方が、 また一般の女性より出家した尼の方が仏法に迷って多く悪道に堕ちるのです。 200p 20 末法の法華経の行者のいわれ ここに、日蓮が案じて思うに、世はすでに末法の時代に入って二百余年が過ぎました。 日蓮は東海の片田舎に生をうけ、そのうえ身分は低く、 さらに非常に貧しい身の上です。 かつて六道を生死生死と流転している間には、 あるいは人界・天界の大王と生まれて、大風が小さい木の枝を吹きゆるがすように 万民をなびかした時にも成仏は出来ませんでした。 ある時は大乗経や小乗経を修行して外凡・内の大菩薩の位に修しあがり、 一劫・二劫・無量劫という長い間菩薩の行を修め、 すでに不退転の位に入るはずであった時も、 強盛の悪縁に触(ふ)れ、その悪縁に動かされて悪道におとされ、 成仏出来ませんでした。 三千塵点劫(じんでんごう)の昔、 大通智勝仏(だいつうちしょうぶつ)の法華経を聞いて結縁(けちえん)したが、 これをまったく信じなかった第三類の者で、 釈尊在世の法華経の会座にももれてしまったのでしょうか、 あるいは久遠五百塵点劫の昔に、法華経の下種をうけながら退転して、 今日ここに生まれ来たものでしょうか。 かつて法華経を修行していくうちに、世間の悪縁、 国主からの迫害、外道や小乗経からの非難などがあり、 それらは耐え忍ぶ事が出来たけれど、権大乗経や実大乗経を 極め尽くしているように見える道綽(どうしゃく)・善導(ぜんどう)・ 法然(ほうねん)等のような悪魔がその身に入って邪教を説く者が、 法華経を非常に褒め上げながら衆生の機根を強く下し、 道綽は「安楽集」で 「法華経は理は深いが、下根の末法の衆生には理解出来ない」と立て、 「法華経によって得道した者はいまだ一人もいない」といい、 善導は「往生礼讃(おうじょうらいさん)」で 「法華経によって成仏する者は千人のうち一人もいない」などといって、 このように欺(あざむ)き騙(だま)す者に、無量生(むりょうしょう)の間、 数えきれない程騙されて、ついに法華経を捨てて権経に堕ちてしまいました。 さらに権経から小乗経へ堕ち、外道や外典へと堕ちました。 あげくは悪道に堕ちてしまったのだという事を深く知ったのです。 日本国でこの事を知っている者は、ただ日蓮一人です。 この事を一言でも言い出すならば、 父母や兄弟や師匠、さらに国主による迫害が必ずあるでしょう。 しかし、いわなければ慈悲がないのと同じ事だと思われます。 法華経・涅槃経などの文について、言うか、言わないか、の二つの辺を合わせ見ると、 言わないならば今世には何事もなくても、後生は必ず無間地獄に堕ちるであろう。 言うならば、三障四魔が必ず競い起こるであろう。 という事を知りました。 そこで二辺のうちでは言うべきです。 しかし国主による迫害等が起きた時に退転するのでは、 言うのは今一度思い止(とど)まろうと、しばらく考えている時に、 思いあたったのが法華経見宝塔品(けんほうとうほん)の 六難九易(ろくなんくい)の経文です。 「我々程の力のない者が、須弥山を投げる事が出来ても、 我々程の通力のない者が枯れ草を背負って燃え盛っている火に焼けない事があっても、 我々程の無智の者が数えきれない程の経々を読み覚(おぼ)える事が出来たとしても、 法華経の一句一偈すら末法にたもつ事は難しい」 と説かれているのは、この事です。 この度(たび)強盛の菩提心(ぼだいしん)を起こして、 退転しないと誓いを立てました。 21 ほぼ法華経の行者である事を述べる 建長五年以来、既に二十余年の間、 この法門を申し弘めてきたので、日々・月々・年々に難が重なっています 小さな難は数知れず、 大きな難は四度ありました。 そのうち二度は暫くにおいて、 国主の命令による難は既に二度にもおよんでいます。 特にこの度の大難は既に生命にもおよんでいます。 そのうえ、弟子といい、檀那(だんな)といい、 またわずかに法門を聞いたにすぎない俗人(ぞくじん)等まで 重い罪に処せられました。 それは謀反を起こした者の様でした。 201p 法華経第四の法師品(ほっしほん)には 「しかも、この法華経を弘めると釈尊の在世でさえなお怨(うら)み、妬(ねた)みが多い。 まして釈尊の滅後の後、末法においてはなおさらの事である」 とあります。 同じく第二巻の譬喩品(ひゆほん)に 「法華経を読誦し、書写し受持しようとする者を見て、 この人を軽んじ賤(いや)しめ、憎(にく)み妬んで、うらみを抱(いだ)くであろう」 とあります。 同じく第五巻の安楽行品(あんらくぎょうほん)には 「法華経を弘めようとする時、一切の世間の人々が怨(あだ)をなして迫害し、 なかなか信じられない」 とあります。 また勧持品(かんじほん)には 「もろもろの無智の人が、法華経の行者に悪口をいい、罵るであろう」 とあります。 また同品に 「国主や大臣、婆羅門(ばらもん)や居士(こじ)などの上層階級の人に向って、 法華経の行者をそしって悪く論(あげつら)い、この人こそ邪見の人だと訴えるであろう」 とあります。 また同品に 「法華経の行者はしばしば所を追い出されるであろう」 とあります。 また不軽品(ふきょうぼん)に 「杖や木、瓦や石をもって法華経の行者を打ちなぐるであろう」 とあります。 涅槃経(ねはんぎょう)には 「そのとき数知れない程多くの外道が心を合わせて共に摩訶陀国(まがだこく)の 阿闍世王(あじゃせおう)のもとへ行き、 『現在ただ一人の大悪人がいる。それは釈尊である。 一切の世間の悪人達は、利を貪(むさぼり)り身を養う為に釈尊のもとに集まって その眷属となり、善を修行しない。 まじないの力で迦葉(かしょう)および舎利弗・目蓮を降し伏させて弟子としてしまった』 と訴えた」 とあります。 天台大師は「法華文句」の中で法師品の文を解釈して 「まして末法はなおさらの事である。正法を説いても、聞こうとせず、化導が難しくなる」 と説いています。 妙楽大師は「法華文句記」で怨嫉について 「煩悩障などの障(さわ)りがまだ除かれていないのを怨(おん)と名づけ、 法華経の説法を聞く事を喜ばないのを嫉(しつ)と名づける」 といっています。 中国の南三北七の十派の学者ら、および中国全土の数えきれない程多くの学者らは、 天台大師を怨敵(おんてき)としました。 日本でも法相宗の僧・得一(とくいち)は 「つたないかな智公(天台大師)よ、汝(なんじ)はいったい誰の弟子か。 三寸にも足らない舌で、 広く長い舌をもって真実であると説かれた釈尊の説を謗(そし)るとは」 と誹謗しています。 妙楽大師の「法華文句記」を 知度法師(ちどほっし)が解釈した書「東春(とうしゅん)」には次の様にあります。 「問う、 釈尊在世の時も、多くの怨嫉があった。 釈尊の滅後にこの法華経を説く時、どういうわけで留難が多いのか。 答えていうには、 俗に良薬口に苦しという様に、 この法華経は五乗(人・天・声聞・縁覚・菩薩)の各界に執着する考えを打破し、 一極(いちごく)の玄宗(げんしゅう)すなわち妙法を立て成仏する事を説いている。 ゆえに、 小乗経における凡位(ぼんい)の者を退け、聖位(しょうい)の者を叱り、 大乗経を排斥(はいせき)し、小乗経を打ち破り、 天魔を毒虫(どくちゅう)と名づけ、外道を悪鬼(あっき)であると説き、 小乗経に執着する二乗の者をけなして貧(まず)しく賤(いや)しいとなし、 菩薩を折(お)り挫(くじ)いて新たに発心したばかりで、 まだ不退転の位を得ていないとなした。 だから天魔は聞く事を悪(にく)み、外道は耳に逆(さか)らって憤(いきどお)り、 二乗は驚(おどろ)き怪(あや)しみ、菩薩は怯(おび)えてしまう。 この様な輩が、ことごとく留難(るなん)を為(な)すのである。 『怨嫉が多い』という釈尊の言葉がどうして唐(むな)しいであろうか」 と。 伝教大師は「顕戒論(けんかいろん)」に次の様にいっています。 「奈良の僧達を取り締まる僧統が天皇に上奏していうには 『西北インドに鬼弁婆羅門(きべんばらもん)という者があって、 逆説的な論議をもてあそび人心を乱していた。 この東土・日本国には巧みな言を吐いて人々を惑わす似非(えせ)僧侶がいる。 これら同類の者が密かに通じあって世間を誑(たぶら)かし惑わせている』 と。 いま、このことを論じていうには 『昔、中国の斉朝の時代に光統(こうず)らが達磨(だるま)に反対したと聞き、 いま日本国には奈良の六人の高僧が伝教に反対するのを目(ま)の当たりにしている。 法華経に、いわんや滅後においては怨嫉はなお大きいと説かれているのは、 誠にその通りである』」 と。 また伝教大師の「法華秀句」には 「大白法の興隆する時代についていえば、 像法の終わり末法の始め、その地を尋ねるならば則(すなわ)ち唐の東、 羯(かつ)の西であり、その時代の人はといえば、 すなわち五濁悪世(ごじょくあくせ)に生をうけた衆生であり、 釈迦仏法のうちに争いがおき正法が隠没する時である。 法華経に 『釈尊の在世でさえ怨嫉が多い。まして釈尊の滅後の後においてはなおさら激しい』 202p と説かれているこの言葉は、誠に理由のある事である」 とあります。 子供にお灸をすえると、必ず母を憎み、重病の者に良薬を与えると、 きっと口に苦いと不服を訴えるでしょう。 これと同じで、釈尊の在世でさえ、法華経に対して怨嫉(おんしつ)が多かった、 まして像法・末法に、辺土の日本においては尚更の事です。 山の上に山を積み重ね、並みの上に波を折りたたむ様に、難に次ぐ難を加え、 非をますます増してくるでしょう。 像法時代のうちでは中国の天台大師ただ一人だけが、法華経及び一切経を正しく読まれました。 南北の諸宗派がこれに対して怨(あだ)みましたが、 陳代の宣帝(せんてい)と随代の煬帝(ようだい)の二代の聖主が その眼前において対決させ正邪を明らかにしたので、天台の敵はついに降伏しました。 像法時代の終わり頃には、日本の伝教大師ただ一人が、 法華経並びに一切経を仏の説いた通りに読まれました。 これに対して奈良の七つの寺々の僧達が反対して蜂起(ほうき)しましたが、 桓武(かんむ)天皇や嵯峨(さが)天皇らの賢主が、 自ら伝教と奈良の諸宗の正邪を明らかにされたので、伝教もまた事無きを得ました。 今は末法の始め二百余年です。 法華経法師品に 「いわんや滅度の後にはますます迫害が激しい」とあるその証拠として、 闘諍堅固(とうじょうけんご)のはじまりの故か、道理に合わない事ばかりあり、 濁世(じょくせ)の験(しるし)に法論対決をさせられず、 日蓮を流罪にし、その迫害は命にも及ぼうとしているのです。 22 経文に符号している事を明かす 以上の通りですから、日蓮が法華経を解了(げりょう)する智慧は、 天台や伝教にくらべて千万分の一にも及ばないけれども、 法華経の行者として難を忍び慈悲の勝れている点においては、 天台・伝教に対しておそれ多い思いです。 ですから、きっと諸天善神のおはからいにあずかって守護されると信じているのですが、 一分のしるしもありません。 それどころか、ますます重罪に陥(おとしい)れられています。 振り返ってこれらの事を考えてみますと、我が身は法華経の行者ではないのでしょうか。 あるいは、諸天善神らがこの日本国を捨てて去ってしまわれたのでしょうか。 あれこれと疑わしい限りです。 ところが、もろもろの大菩薩が仏滅後、 末法において大難に耐えて法華経を弘通する事を誓った法華経第五の巻の勧持品の 二十行の文は、日蓮さえもこの国に生まれなかったら空文となり、 釈尊はほとんど大ウソつきの人になり、 法華経の弘通を誓った八十万億那由侘(なゆた)という多数の菩薩達は 提婆達多が犯した十悪業の一つである虚誑罪(こおうざい)に堕ちる事でしょう。 法華経勧持品には 「もろもろの無智な人があって、法華経の行者に悪口をいったり、罵(ののし)ったり」 「刀や杖で打ち、瓦や小石を投げつける」 等とあります。 今の世の中を見ると、日蓮より他の諸僧で、どの人が法華経の為に諸人に悪口を言われ、 罵られ、刀や杖で打たれたりした者があるでしょうか。 もし日蓮がいなかったら、未来を予見して記したこの一偈はウソになってしまいます。 同じく勧持品に 「末法濁世の中の僧は邪(よこし)まな智慧に長(た)けて、 心が曲がっており媚(こ)び諂(へつら)う」、 又、 「白衣(びゃくえ)すなわち一般の俗人の為に法を説いて、 世間から六種の神通力を得た聖者の様に謹み敬われるであろう」 等とありますが、 これらの経文は今の世の中の念仏者や、禅宗・律宗などの僧がいなかったら、 釈尊はまた大ウソつきの人です。 又同品に 「常に大衆の中にあって、あるいは国王や大臣、婆羅門(ばらもん)や居士(こじ)の 指導者階級に向って法華経の行者を讒言(ざんげん)するであろう」 と説かれていますが、今の世の僧達が日蓮を讒言して島流しにしなかったら、 この経文は空しくなってしまいます。 更に又同品に 「法華経の行者は数数(しばしば)所を追い払われる」等とありますが、 日蓮が法華経の故に度々流罪にされなかったら、 「数々」の二字はどうなるのでしょうか。 この二字は、天台大師も伝教大師も未だ身で読まれていません。 まして他の人は当然の事です。 末法の始めのしるしである勧持品の 203p 「恐るべき悪世の中には」との金言が日蓮に符号しているからこそ、 日蓮が唯一人、「数々」の二字を身にあてて読んだのです。 例えば、釈尊が付法蔵経(ふほうぞうきょう)に記して言っている 「我が滅後百年にアソカ大王という王が出現するであろう」 という予言。 摩耶(まや)経にいう 「我が滅後六百年に、竜樹(りゅうじゅ)菩薩という人が南インドに出生するであろう」 との予言。 又大悲(だいひ)経にいう 「我が滅後六十年に、末田地という者が地を竜宮に築くであろう」 との予言。 これらは全て、釈尊が未来世を予見して書き記した通りになってきました。 もし予言通りにならなかったならば、誰が仏経を信受するでしょうか。 その釈尊が経文に 「恐怖悪世(くふあくせ)」「然後来末世(ねんごらいまつせ)」 「末世法滅時(まつせほうめつじ)」「後五百歳(ごごひゃくさい)」等と、 正法華経・妙法蓮華経の二本共に、 まさしく法華経の行者が出現して大白法を弘める時を定められているのです。 今の世において、もし法華経の行者に敵対する俗衆増上慢・道門増上慢・僭聖増上慢の 三類の強敵(ごうてき)が無かったら、誰が仏説を信受するでしょうか。 もし日蓮がいなかったら、 誰を法華経の行者と定めて、釈尊の予言を真実であると助けるのでしょうか。 天台大師に反対した中国の南三北七の諸宗の僧も、伝教大師と対立した奈良の七大寺の 僧達でさえ、像法時代における法華経の敵のうちに数えられています。 ましてや今の世の禅や律や念仏者等は、 どうして法華経の敵である事を免れる事が出来るでしょうか。 この様に、経文に予言された事と、我が身の行動とがまったく一致しています。 ですから、 幕府から咎(とが)め、迫害をこうむればこうむるほどいよいよ喜びを増すのです。 例えば小乗経を修行する菩薩が、未だ三惑を断じきっていないけれど、 「願って業を兼ねる」といって、作りたくもない罪であるけれど、 父母達が地獄に堕ちて大苦(だいく)を受けているのを見て、 型(かた)の様に罪業を作り、自ら願って地獄に堕ちて苦しむのと同じです。 そして父母達の苦に代(か)われる事を喜びとする様なものです。 日蓮もまたこの通りです。 唯今の責めは耐えられない程ですが、 未来に堕ちる悪道から脱する事が出来るだろうと思えばかえって喜びなのです。 23 疑いをあげて法華経の行者である事を述べる ただし、世間の疑いといい、自分自身も疑う事は、 どうして諸天善神(しょてんぜんじん)は助けられないのでしょうか。 諸天善神等の守護神(しゅごじん)は、 法華経の行者(ぎょうじゃ)を守護するという釈尊の前での誓いがあります。 法華経の行者が、たとえ猿になっていても、法華経の行者であるとして、 早々も仏前での誓いを果たそうと思われるべきなのに、 その赴(おもむ)きが無いのは、我が身が法華経の行者でないのでしょうか。 この疑いは、この開目抄の肝心であり、日蓮一生涯の大事ですから、 処々(しょしょ)にこれを書いて、疑いと強くして答えを出しましょう。 24 二乗が法華の深恩(じんおん)を報ずべきである事を明かす 中国春秋時代の呉国(ごこく)の季札(きさつ)という人は、 自分の心のうちで誓った約束を違えまいとして、王の重宝である剣を徐君の墓にかけました。 王尹(おういん)という人は、川の水を飲んで代金として金の銭を水に入れ、 公胤(こういん)という人は自分の腹を裂いて主君の肝(きも)を隠し入れました。 これらの人々は世間の賢人であり、恩を報じたのです。 まして舎利弗(しゃりほつ)や迦葉(かしょう)らの偉大な聖人(しょうにん)は、 二百五十戒を持(たも)ち、三千の礼儀作法に一つも欠けず、 見惑(けんわく)・思惑(しわく)を断じ尽くし、 凡夫が生死流転(しょうじるてん)する迷いの世界をはなれた聖人達です。 梵天や帝釈天、その他の諸天の導師であり、一切衆生の眼目です。 ところが、四十余年の間、爾前経では「永久に成仏出来ない」と 嫌い捨てられてしまっていましたが、法華経という不死の良薬を舐(な)めて、
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ルール基礎ルール ターンの流れ 残り令呪、脱落情報 貯蔵魔力 初期礼装 霊地 現の陣営セイバー アーチャー ランサー ライダー アサシン キャスター バーサーカー 幽雫宗冬 ハザマ 彼岸島民間人 夢の陣営夢のライダー 夢のセイバー 夢のアサシン 夢のキャスター 夢のランサー 夢のアーチャー 夢のバーサーカー メアリー・スゥ 彼岸島エネミー ルール 基礎ルール ◎1ターンの進行概略 0.対話パート……ハザマさんが安全な日本で他の人と話したり話さなかったりします ↓ 1.ランダムイベント……ランダムイベント表2種類を処理します。 ↓ 2.諜報ターン……各陣営、基本1度の情報収集判定を行いますが、くらなくんは行いません。 ↓ 3.行動ターン……くらなくんの自由行動を行い結果を処理します。 また、当然ながらくらなくん以外の組も何かしらの行動を取ります。 ↓ 4.コミュターン……くらなくんと他マスターや忍者との情報交換や交渉を行えたらいいですね。 ハザマはこのタイミングでくらなくんと通信を行い指示を出しますが、従ってくれるといいですね。 ↓ 5.邪鬼の行動ターン……メアビ様の指揮下にない邪鬼の行動を処理します。 ↓ 6.消費魔力の確認……各陣営の魔力消費を確認し、次ターンへ移行します。 ○ランダムイベント 下記の「くらなくん用」と「NPC用」のランダムイベントを1回づつ振り、状況を処理します。 場合によっては戦闘が発生する可能性も存在します。 <ランダムイベント表(くらなくん用)> 0.くらなくんに幸運が訪れた! 1.他の参加者1名とランダムに遭遇(友好的) 2.他の参加者1名とランダムに遭遇(非友好) 3.他の参加者1名とランダムに遭遇(中立(キャラ同士の相性次第)) 4.他の参加者同士が接触してる場面に遭遇(2者および感情はランダム) 5.他の参加者同士が接触してる場面に遭遇(2者はランダム、感情はGM任意) 6.エネミーと戦闘中の他参加者に遭遇 エネミーは2度振る 7.礼装を入手 8.情報を入手 9.くらなくんが不運に見舞われた! <ランダムイベント表(NPC用)> 0.遠くでくらなくんにとって幸運な何かが! 1.他の参加者同士が遭遇(友好) 2.他の参加者同士が遭遇(非友好) 3.他の参加者同士が遭遇(中立) 4.他の参加者同士が遭遇(友好or非友好ランダム) 5.他の参加者同士が遭遇(友好or非友好ランダム) 6.他の参加者1組がエネミーと遭遇 7.他の参加者同士がエネミーと三つ巴で邂逅 8.何も無し 9.遠くでくらなくんにとって不運な何かが! ターンの流れ ○諜報ターン 各陣営、他陣営の情報や拠点などについて、基本値50%で情報収集を行えます。 アサシンは特にこの判定に有利です。 (+20%のクラス補正をスキル以外で持っています。また、自陣営に対する情報収集にも同様のペナを与えます) ○行動ターン 準備ターンは以下の5行動(+α)のうちから、1つを選んでを行うことができます。 1.使い捨て礼装の作成 2.サーヴァントへの魔力供給(休息) 3.サーヴァントへの魔力供給(魂喰い) 4.拠点移動 5.他陣営への接触(含・襲撃) 6.その他 <1.使い捨て礼装の作成> 使い捨ての礼装を作成することができます。 判定の基本成功率は「マスターかサーヴァントの【魔】×2%」です。 礼装は複数を同時に消費する事で、効果を累積させる事もできます。 『使い捨て礼装一覧』 魔宝石 ……消費することでサーヴァントの魔力を20点回復する。 使い魔 ……「情報収集」の成功率を「+20%」する。後出し可能。 強化符 ……消費することで戦闘時、最終勝率に+5%できる。 幻惑符 ……消費することで戦闘結果以外の%判定を1度だけ振り直す事ができる。 <2&3.サーヴァントへの魔力供給> 1:休息 霊地での休息を選択する事で、サーヴァントの魔力を回復することができます。 その霊地の格に応じて「回復量:10~回復量:40」の回復量を得ます。 この補正は更に「工房」などの効果で上昇します。 また、今作から大霊地以上の霊地は、ターン終了時に自動回復がついて来ます。 2:魂喰い 一般人から魔力を奪うことで、一律「200点」の魔力を回復できます。 ただし魂食いを行う場合、「50%」の確率で他の参加者に現在地を察知されることになります。 他参加者は、魂食いを行った組へ「敵対的介入」を行うかどうか選択することが可能です。 「敵対的介入」が選択された場合、その相手との戦闘が発生します。 この戦闘に敗北した場合は魂喰いは失敗となり、勝利した場合は成功となります。 <4.他陣営への接触> 読んで字のごとく。 対象を選定した上で、接触します。 場合によっては戦闘になる可能性もあるでしょう。 また、“相手を選択せずにランダムに接触”を行うことも可能ですが、どうなっても知りません。 ○コミュターン 自陣営や他陣営のうち面識がある、あるいは拠点の位置を知っている相手と交流をはかれます。 ただし必ずしも友好的な接触になるとは限りません。 ことに他マスターとの接触の場合、その場で攻撃を仕掛けられる可能性も十分に考慮すべきでしょう。 ○邪鬼の行動ターン 斧神以外の固有邪鬼3体はある程度メアビ様の指揮下から外れており、ターン終わりに勝手に動く。 各陣営の絶望を煽るための動きでもあるし、こいつらが自分から動いて消耗してくれないとメアビ様が 鉄壁すぎるという理由もある。 ○消費魔力の確認 各英霊は強力な力を有する代償として、活動に要する消費魔力が存在します。 ターン終了時および戦闘終了時に消費魔力を確認し、供給不足があればキャラクターシートに記載します。 魔力に関してのルールは以下の記述を参照。 <貯蔵魔力> サーヴァントにはそれぞれ「貯蔵魔力」が設定されています。 「貯蔵魔力」は「100+マスターの【魔】×2」点を上限として、最大まで保有した状態で召喚されます。 サーヴァントは戦闘や宝具の使用、あるいは現界を維持するだけでこの「貯蔵魔力」を 消費していきます。消費魔力の計算、及び供給不足によるペナルティに関しては以下を参照。 <消費魔力の計算方法> ターン終了時に「マスターの【魔】×2-英霊のレベル」の計算を行い、 これがプラスであれば「貯蔵魔力」にその分だけ加算され、マイナスであればその分だけ減算されます。 この時、「聖杯からのバックアップ」として「マスターの【魔】」とは別に「+20点」分の補正が入ります。 英霊がターン中に戦闘を行った場合、戦闘終了時に「英霊のレベル」だけ「貯蔵魔力」から消費されます。 特殊なスキル、或いは宝具を使用した場合は、さらに宝具/スキルごとに設定されただけの魔力の消費が発生します。 戦闘時以外に使用できる宝具/スキルの場合、使用時に即座に魔力を消費します。 <「魔力供給不足」によるペナルティ> 「魔力供給不足」による-値が「-20」蓄積するとごとに、英霊のレベル以外の各パラメーターは「-10」されます。 このペナルティは累積します。(ただしパラメーターは0以下にはならない) この「魔力供給不足」によるマイナス値が「-100」を超えた場合、英霊は現界維持が不可能となり、 「そのターンの終了時」(戦闘終了時ではない)に完全に霧散し消滅します。(相打ち覚悟での宝具の全力開帳は可) 【令呪ルール】 サーヴァントに対する絶対命令権。3画まで存在。 以下の使用法が存在します。 1.サーヴァントがメインで参戦している場合、勝率に+30%。 サブ参戦している場合は+20%。 2.戦闘におけるランダム選択ステータスの振り直し。 3.戦闘終了時まで、サーヴァントのステータス全てに「+10」。 4.任意のタイミングで使用し、英霊に即座に「+120」の魔力を供給。 5.戦闘に敗北時、令呪2画を消費することで、聖杯戦争から脱落せずに戦闘から離脱可能。 複数陣営での参戦の場合、「両者が完全に協力する意志があれば」、陣営で合計して2画の消費で撤退できます。 ただし撤退時に、どちらかの陣営がもし相手側を見捨てるつもりがあり、そう宣言した場合、 双方の陣営が2画を消費して撤退せねばなりません。 この状況でもし2画を消費できず、代替の撤退手段も無い場合は敗退します。 令呪使いきり後の現界ルール 1.マスター側から供給を切らない限り、マスターからの魔力供給は続く。 2.ただし、その供給量は-10されるものとする。 3.聖杯からの供給は打ち切られる。 4.マスターはサーヴァントに対する命令権を失う。 なお、令呪は合計3画。 令呪をすべて失ってもサーヴァントは消失しませんが、マスターはサーヴァントに対する抑止力を失います。 また、複数のサーヴァントと契約した場合、令呪は共用となります。 ターン中の行動順は、 1.回復や準備行動 2.それが終わったら戦闘行動 3.最後に魂食い という順番とします。プレイヤー陣営含め。 基本的に戦闘以外の行動→戦闘行動→魂食いで処理します。 礼装 『使い捨て礼装一覧』 魔宝石 ……消費することでサーヴァンの魔力を20点回復する。 使い魔 ……使用した情報収集判定に成功するまで、「情報収集」の成功率を「+15%」する。 判定に成功した場合は消費される。 強化符 ……消費することで戦闘時、最終勝率に+5%できる。 幻惑符 ……消費することで戦闘結果以外の%判定を1度だけ振り直す事ができる。 ○くらなくんの魔力消耗ルール くらなくんは毎ターン、【魔】分の魔力を回復します。 くらなくんは通常戦闘では魔力を消費しませんが、邯鄲法や破段を使うと魔力を消費します。 魔力が足りないとスキルが使えません。 一応覚醒要素はありますが何も期待しないでください。 残り令呪、脱落情報 現の陣営 セイバー組 1 アーチャー組 脱落 ランサー組 脱落 ライダー組 脱落 アサシン組 脱落 キャスター組 1 バーサーカー組 脱落 くらなくん 生存 ハザマ 生存 ミストさん 生存 凛 生存 フゥ 生存 師匠 生存 モブ×3 生存 夢の陣営 ライダー組 脱落 セイバー組 脱落 アサシン組 脱落 キャスター組 脱落 アーチャー組 脱落 ランサー組 脱落 バーサーカー組 脱落 メアリー 脱落 チワワ様 脱落 姫 脱落 満腹爺 脱落 斧神 脱落 貯蔵魔力 現の陣営 セイバー組 60 アーチャー組 脱落 ランサー組 脱落 ライダー組 脱落 アサシン組 脱落 キャスター組 20 バーサーカー組 脱落 くらなくん 150 ハザマ 180 ラケルてんてー -140 夢の陣営 ライダー組 脱落 セイバー組 脱落 アサシン組 脱落 キャスター組 脱落 アーチャー組 脱落 ランサー組 脱落 バーサーカー組 脱落 初期礼装 剣:【1D3 3】-2 槍:【1D3 3】+1 弓:【1D3 3】-1 騎:【1D3 1】 暗:【1D3 2】 狂:【1D3 2】+3 魔:【1D3 1】+4 く:5個 ハ:5個 霊地 【霊地の要】(休息時40 ターン経過時20) 五重塔 【大霊地】(休息時30 ターン経過時10) 樹海 廃校 【中霊地】(休息時20) 廃村 忍者の里 【小霊地】(休息時10) 砂丘 温泉 研究施設 【何も無し】 洞穴 鍾乳洞 教会 現の陣営 セイバー ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:セイバー┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:荊軻 【レベル】:55 【アライメント】:秩序/善┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:30 【耐】:30 【敏】:60 【魔】:30 【運】:15 【宝】:40┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【令呪残数】:荊荊荊 【貯蔵魔力】110/110 【魔力供給の不足】:なし┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○心眼(偽):C 敵から受ける勝率ペナルティか能力ペナルティを、合計で10点まで無効化する。 また、このキャラクターは「+10%」の勝率補正を有する。直感・第六感による危険回避。 虫の知らせとも言われる、天性の才能による危険予知。視覚妨害による補正への耐性も併せ持つ。○戦闘続行:C(使用済み) このキャラクターはシナリオ中1回まで、ランダムステータスを振り直せる。 仕切り直しとは別種の生き汚さ。或いは戦闘遂行能力。 セイバーは生前、ターゲットである始皇帝を暗殺するため、動けなくなるまで戦った。○気配遮断:D 戦闘時、相手が初見のキャラクターのみの場合、勝率を+15%。 本来であればアサシンのクラススキルであるが、このキャラクターはアサシンクラスに高い適正を持つため、 セイバークラスでも一定程度この能力を扱える。○対魔力:A 「種別:魔術」のスキルによる敵陣の勝率補正を、1つのスキルにつき最大20%まで軽減する。 また、令呪による命令に対し、令呪1画による命令にならばギリギリ抵抗出来る可能性がある。 セイバーのクラスと歴史の古さによる、最大級の対魔力である。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】○風蕭蕭兮易水寒 壮士一去兮不復還 ランク:B 種別:対人宝具 消費魔力:100 後の秦の始皇帝を暗殺しようとし、成功の半歩手前までこぎつけたセイバーの毒匕首。 ただし本来の適正クラスであるアサシンとしての顕現ではない為、毒の殺傷性は若干落ちている。 また、使用にも条件が必要であり、英雄として自分よりも格が高い相手に対してでなければ使用できない。 具体的には自分よりレベルの高い相手にのみ発動可能。 この宝具は戦闘開始前のみ発動可能であり、即座に敵のレベルと全ステータスを-10し、令呪を1画減少させる。 相手が令呪を消費しない場合、この減少幅は20となる。 ただし、本質が暗器であるために2度目以降の発動では相手は令呪を消費すれば影響を全消し可能となる。 この効果は発動ターンを含め2ターンの間継続し、治療は不可能である。 また、気配遮断が乗る状態でこの宝具を使用した場合、気配遮断による不意打ちの殺傷能力増大と相まって、 気配遮断による勝率ペナルティを倍化する。 極めて発動条件が厳しいが、それだけに一撃に限ればこの聖杯戦争最強格の暗殺宝具である。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:宮本明 【レベル】:30 【アライメント】:中立/善┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:30 【耐】:30 【敏】:30 【魔】:5 【運】:5 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○あったよ! ■■が!:Ex 特殊スキル。彼岸島でのみ使用可能。 その辺に自生している丸太だの日本刀だのギロチンだの騎士剣&盾だのを見つけ出し、換装する。 戦闘開始時に1D8を振り、以下の効果を適用する。1.文房具 西山作。火炎放射器から地雷まで、各種文房具を取り揃えている。 戦闘時、【宝】ステータスを+10。2~3.日本刀 【敏】ステータスを+10。斬鉄可能。4~5.ギロチン 【筋】ステータスを+10。竜巻とか起きます。6~7.騎士剣&盾 【耐】ステータスを+10。ダークソウルを参考に。8.丸太 皆、丸太は持ったな! 行くぞぉ! 【筋】【宝】ステータスを+10。勝率を+5%。○あったよ! ■■が!:Ex 特殊スキル。彼岸島でのみ使用可能。 その辺に自生している丸太だの日本刀だのギロチンだの騎士剣&盾だのを見つけ出し、換装する。 戦闘開始時に1D9を振り、以下の効果を適用する。1.文房具 西山作。火炎放射器から地雷まで、各種文房具を取り揃えている。 戦闘時、【宝】ステータスを+10。2~3.日本刀 【敏】ステータスを+10。斬鉄可能。4~5.ギロチン 【筋】ステータスを+10。竜巻とか起きます。6~7.騎士剣&盾 【耐】ステータスを+10。ダークソウルを参考に。8.丸太 皆、丸太は持ったな! 行くぞぉ! 【筋】【宝】ステータスを+10。勝率を+5%。9.薙刀 兄貴の形見。兄貴は死んだ、もういない! 【筋】【耐】【敏】ステータスを+10。○あったよ! 皆の武器が!:Ex 特殊スキル。彼岸島でのみ使用可能。構想、渋谷凛 実働、ミスト&幽雫で突貫作成された攻城用丸太を使用する。 攻城兵器として使用した後は内部に格納した装備を随時使用する武器庫&簡易拠点としての運用を想定された、 強襲専用装備。……なんだこのデンドロビウム。 幽雫の協力の他、メアリーが創りだした夢の産物を積極的に組み込んだ結果、高い神秘を秘める結果となってしまった。 戦闘時、【宝】を+10。任意のステータス1つを+10する他、ランダムステータスを1度だけ振り直し。 また、勝率を+10%。このスキルは対メアリー・スゥ最終決戦でしか使用できず、使い終わったら消滅する。○想像力:A+ 相手の次の一手を想像し、それに対する対応を即座に思いつく想像力。 原作では一種の未来予知かコレとでもいうような扱いをされた挙句に、速攻で忘れ去られている気がする設定である。 戦闘時、勝率を+10%。更に劣位1つごとに勝率を+5%する。 ぶっちゃけ心眼系の亜種。○彼岸島知識:Ex このキャラクターはメアリ以外の彼岸島系キャラクターの能力を知っている前提で行動できる。 ただし、時々ど忘れするが、彼岸島なので細かい設定の矛盾を気にしていてはいけない。 また、このキャラクターは彼岸島系エネミーに対する勝率を+10%する。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【使い捨て礼装】 なし┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ アーチャー ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:アーチャー┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:趙思温 【レベル】:50 【アライメント】:秩序/中庸┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:30 【耐】:30 【敏】:40 【魔】:30 【運】:0 【宝】:40→0┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【令呪残数】:薬薬薬 【貯蔵魔力】140/140 【魔力供給の不足】:なし┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○心眼(偽):C 敵から受ける勝率ペナルティか能力ペナルティを、合計で10点まで無効化する。 また、このキャラクターは「+10%」の勝率補正を有する。直感・第六感による危険回避。 虫の知らせとも言われる、天性の才能による危険予知。視覚妨害による補正への耐性も併せ持つ。○単独行動:C このキャラクターの貯蔵魔力限界を「+50」する。(計算済) また「魔力の供給不足」によるペナルティを不足分「-30」ごとに「-10」に変更する。 また、単独での戦闘時に勝率に+15%のボーナス。○仕切り直し:C- アーチャーは身体に無数の傷を負っても主君を逃した武人である。 主君はその武勲を讃え、自ら調合した薬を下賜したと言われるが―――さておき。 このキャラクターは“味方の”戦闘敗北時にこのスキルを使用することで、自身の消滅と引き換えに味方を 撤退させることが可能。 自身が参加している戦闘でも使用可能だが、その場合は自身は撤退できない。 ――――???┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】○遼太宗、賜薬(全て使用済み) ランク:B 種別:対人宝具 消費魔力:0 遼の太宗が負傷したアーチャーのために調合した薬。その効果は凄まじく、特に英雄の属性を持つ英霊にとっては 重症をも治癒する霊薬となり得る。 この宝具はサーヴァントに対して使用することで、魔力60点を回復可能。 この効果はシナリオ4回まで使用可能だが、使用するごとにアーチャーの【宝】ステータスが10ずつ減少していく。 宝具としてこの霊薬が選ばれたため、アーチャーは比較的戦闘を得意としない英霊になっている――――が。 彼女としては意外とこの薬と、それにまつわる逸話や知識を好んでいる様子である。 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:ヤン・シャオロン 【レベル】:25 【アライメント】:混沌/善┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:35 【耐】:15 【敏】:20 【魔】:20 【運】:5 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○魔術:D 戦闘時、【魔】ステータスが選択された場合、敵陣営の勝率を-5%。 一般的な西洋魔術を習得しているが、主にその能力はガントレットに込めての射撃や身体強化に用いられる。 そのため、一般的な魔術戦は得意とは言い難い。○Ember Celica 二重射程ショットガングローブ。 内部には火器が内蔵されており射撃を行うことはもちろん、起爆させて打撃の威力を上げることも可能になっている。 また反動で跳躍、加速したりと戦技のバリエーションが豊富。 戦闘時、【筋】【敏】【宝】のうち好きなステータス1つを+5。 この効果は“I Burn”のスキル効果が上昇するごとに5ずつ増え、最大で20にまで上昇する。 ―――が、その場合に彼女の心がどうなっているかは、定かではない。 ―――???┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【使い捨て礼装】 なし┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ランサー ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:ランサー┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:??? 【レベル】:50 【アライメント】:秩序/悪┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:40 【耐】:30 【敏】:60 【魔】:10 【運】:10 【宝】:30┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【令呪残数】:猫猫猫 【貯蔵魔力】180/180 【魔力供給の不足】:なし┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○戦闘続行:C(使用済み) 使用パラメーターの確定後、ステータスのランダム選択を振り直すことができる。 この効果は1戦闘に1回まで、かつシナリオ通して1回までしか使用できない。 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。 ○直感:C 戦闘時、自身にとって最適な展開を“感じ取る”能力。 このキャラクターは常に+10%の勝率補正を持つ。 また、初見相手のみに効果を発揮するスキルは、このスキルのランク以下の場合無効化される。○対魔力:C 「魔術」のスキルによる敵陣の勝率補正を、1つのスキルにつき最大10%まで軽減する。 クラス補正による魔術に対する耐性。ランサーの場合、その数字は平均的。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】○無銘・妖殺槍 ランク:C 種別:対人宝具 消費魔力:30 ランサーが生前、主家を脅かした化け猫退治に用いた鉄槍。 その逸話から化外殺しの属性が付いており、怪物属性の敵との戦闘で使用すると、勝率に+20%。 更に相手の怪物属性スキルの効果を20点/20%まで無効化する。 さて、ランサーが退治した鍋島の化け猫。これは善妖であったとも、悪妖であったとも言われている。 であればそれを退治した彼は、善妖退治の悪人か、悪妖退治の忠義の士か。 それとも或いは―――単に立場が違っただけで、双方ともに善悪は無かったのか。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:ステイル・マグヌス 【レベル】:20 【アライメント】:混沌/中庸┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:10 【耐】:10 【敏】:10 【魔】:40 【運】:10 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○陣地作成:B+(教会で1回使用) このキャラクターは優れた魔術師として、自らの拠点を陣地化し、魔術師の工房を作ることが出来る。 行動ターンにスキルを使用した場合、その場の魔力回復量を休息時+10。勝率+10%。 2回重ねて使用した場合、合計で休息時回復量+20、ターン終了時回復+10、勝率+20%。 3回まで重ねた場合、性能は変わらないが魔女狩りの王の消費魔力が無くなる。 また、強化回数は魔女狩りの王の性能に直結する。○魔女狩りの王:A 消費魔力:80 このキャラクターは半自律的に動く炎を用いた魔術が最大の武器である。 その効果は設置できた符の数=陣地の強度に依存し、陣地なしだと第一段階、そこから陣地の強度が上がるに連れ、 第二、第三段階まで強化される。 ただし魔女狩りの王の敗北時に陣地に設置された符が全て焼き切れてしまうため、陣営の敗北によらず魔女狩りの王の 死亡に伴い、陣地の強化段階は全て破棄される。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【使い捨て礼装】 なし┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:魔女狩りの王(第一段階) 【レベル】:25 【アライメント】:秩序/中庸┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:15 【耐】:15 【敏】:15 【魔】:30 【運】:15 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫【スキル】○魔術:C 欧州系の基本的な魔術を抑えているが、これでも本来のイノケンティウスの出せる火力からすれば微々たるものである。 比較で【魔】が選択された際、相手勝率に「-10%」のペナルティを加える。 ――――???┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:魔女狩りの王(第二段階) 【レベル】:40 【アライメント】:秩序/中庸┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:20 【耐】:20 【敏】:20 【魔】:40 【運】:20 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫【スキル】 ――――???┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ライダー ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:ライダー┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:??? 【レベル】:50 【アライメント】:混沌/悪┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:30 【耐】:40 【敏】:30 【魔】:10 【運】:20 【宝】:60┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【令呪残数】:騎騎騎 【貯蔵魔力】150/150 【魔力供給の不足】:なし┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○精神汚染:B+ このキャラクターは重度の精神汚染状態にあり、同ランクの精神汚染持ちとでないと会話が成立しない。 この能力はマスターからパスを通じて付与されたものであり、ライダーは常にマスターと同調し電波を受け取っている。 また、このキャラクターは戦闘時、好きなステータス1つを+5。○軍略:D このキャラクターは対軍宝具で召喚した指揮下の兵に勝率+5%の補正を与える。 また、敵陣のキャラクターが対軍宝具を使用した場合、自陣の勝率に+10%。 ――――???┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】○トレイク・パンドゥール ランク:B 種別:対軍宝具 消費魔力:100 戦闘開始前に使用可能。3グループのトループ、“トレイク・パンドゥール”を召喚。 ライダーが生前率いた、悪名高い猟兵部隊。 略奪・暴行を繰り返した猟兵の悪辣さは、聖杯戦争においても健在である。 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:トレイク・パンドゥール 【レベル】:25 【アライメント】:混沌/悪┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:25 【耐】:25 【敏】:25 【魔】:10 【運】:5 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫【スキル】○トループ このキャラクターは複数名で1体扱いのキャラクターである。 敵陣が対軍宝具を使用した場合、敵陣に+10%の勝率補正がかかってしまう。○蛮勇:D 後先を顧みない、向こう見ずな傾向。 戦闘時、【筋】と【耐】に+5。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:須藤竜也 【レベル】:20+10 【アライメント】:混沌/狂┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:20+10 【耐】:20+10 【敏】:20+5 【魔】:20+5 【運】:00 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○狂化:C+ このキャラクターは狂気に呑まれ、理性的な思考能力が崩壊している。 レベルと【筋】【耐】を+10。【敏】【魔】を+5するが、理性的な思考が困難であり、会話が成立しない。○精神汚染:B+ このキャラクターは重度の精神汚染状態にあり、同ランクの精神汚染持ちとでないと会話が成立しない。 ただし、このキャラクターの異常な精神性は彼のペルソナやサーヴァントに大きな影響を与えており、それらにも このスキルを付与する事が出来る。 また、このキャラクターは戦闘時、好きなステータス1つを+5。この要素も、ペルソナ、サーヴァント共に使用可能。 ただし、ターンごとの行動は最低3択以上の選択肢からダイスで決定しなければならない。○ペルソナ:B 消費魔力:50 このキャラクターは自身の影とも言える“ペルソナ”という存在を召喚できる一種の召喚士。 しかしペルソナはこのキャラクターと一心同体であるがゆえに、そちらが受けたダメージはこのキャラクターも受ける事になる。 つまり、二人が別の場所で撃破された場合、両方で撤退が成立しない時、このキャラクターは死亡する。 ○戦闘続行:C+(使用済み) このキャラクターはシナリオ1度だけ、ランダムステータスで選ばれたステータスを“除外して”振り直せる。 通常の戦闘続行に加え、常識を超えた生命力と生き汚さが、この男の撃破を極めて困難としている。 ただしこのスキルはキングレオと須藤竜也の両名が同じ戦場に居なければ使えない。 ――――???┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【使い捨て礼装】 なし┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:キングレオ 【レベル】:40 【アライメント】:混沌/悪┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:40 【耐】:40 【敏】:30 【魔】:10 【運】:0 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫【スキル】○魔術(アギ系):C このペルソナは炎系統に特化した魔術を扱える。 戦闘時、【魔】ステータス選択時に敵陣の勝率を-10%。 ○ジョーカー様の呪い:Ex このペルソナは崩壊の際において、敵陣営に最大限の呪い返しを叩きつける。 戦闘に参加していた各キャラクターは1D100を振り、50以下であれば2ターンの精神汚染を、 30以下であれば加えて魔力60の消耗を、10以下であれば更に令呪1画を払えなければ死亡する。 ―――電波とはいったい、なんだったのか。或いは何らかの高位存在からの指令だったのか。 須藤とキングレオが失われた今、それを知る手段はどこにもない。 ――――???┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ アサシン ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:アサシン┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:??? 【レベル】:35 【アライメント】:秩序/悪┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:10 【耐】:10 【敏】:10 【魔】:30 【運】:00 【宝】:70┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【令呪残数】:殺殺殺 【貯蔵魔力】140/140 【魔力供給の不足】:なし┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○気配遮断:E このキャラクターはアサシンとしての適性を持っているが、その本質は毒殺と虐殺に帰結するため、 気配遮断のクラススキルは効果を発揮していない。○自己保存:C(使用済み) このキャラクターは基本的には戦闘を得意とするキャラクターではない。 戦闘時、宝具使用後にシナリオ1度だけ、令呪を消費せずに撤退が可能。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】 マサカー・デ・ラ・サン・バルテルミー○今日は残酷こそ慈悲深きことなり ランク:A++ 種別:対軍宝具 消費魔力:100 生前のアサシンの命令の意図を超え、発生してしまったプロテスタントの虐殺事件。 この宝具を使用した際、無数の武装市民の亡霊がその場の全てのキャラクターに襲いかかる。 各キャラクターに対し【90-レベル】%の判定を行い、アサシンに成功されたキャラクターは撤退系スキル、或いは令呪1画を 自身か友好的なキャラクターが消費してくれない限り死亡する。 大規模虐殺の宝具であり、アサシンの人生の負の側面の凝縮。反英雄として呼ばれたアサシンの切り札にして汚点である。 なお、当然ながらアサシンとマスターは対象にならない。 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:うちはサスケ 【レベル】:25 【アライメント】:混沌/悪┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:20 【耐】:10 【敏】:40 【魔】:20 【運】:00 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○気配遮断:D 戦闘時、相手が初見のキャラクターのみの場合、勝率に+15%の補正を得る。 忍びとして卓越した不意打ちの技能。気配を遮断し、不意打ちを可能とする。アサシンのクラススキル抜きでこの領域はかなりのもの。 一度見せた相手には効果が無くなるが、初撃の奇襲としての効果は高い。○卑の意思:B(残り1回) 目的達成のためならば手段を選ばない、忍びとしての意志力。 行動パート時、他の全ての組の行動が決定されてから、追加で行動を行える。 ただしこの場合、自分が他の組との接触を行う形となっていては使用できない。 このスキルはシナリオ2度まで使用可能。○写輪眼:A+ 消費魔力:50 この眼で見た相手の技術を理解し、自己の物とする“複写”の魔眼。 一度以上遭遇した相手の保有するスキル1つを、Bランクまでのもの1つに限りコピーする。 ただし、戦闘続行等の使用回数型スキルはコピー不能。 また、同じ戦闘に参加していなくても、同じ場にコピー相手が居なくては使用できない。 ―――???┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【使い捨て礼装】 なし┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ キャスター ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:キャスター┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:劇辛 【レベル】:60 【アライメント】:秩序/悪┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:40 【耐】:40 【敏】:30 【魔】:40 【運】:10 【宝】:50┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【令呪残数】:将将将 【貯蔵魔力】200/200 【魔力供給の不足】:なし┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:キャスター┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:劇辛 【レベル】:60 【アライメント】:秩序/悪┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:40 【耐】:40 【敏】:30 【魔】:40 【運】:10 【宝】:50┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【令呪残数】:将将将 【貯蔵魔力】180/180 【魔力供給の不足】:なし┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○魔術(中国武術):B 戦闘時、【筋】【耐】【魔】のうち1つのステータスを+10。更にそのステータスで勝利した場合勝率+5%。 魔術というより武術、特に勁力を攻防に使う気術の属性を持つ技術。つまり単なる中国武術。 この手のスキルは習得難易度が高く、Bは確かに一流の域であるが、更なる上位者が同時代に何人も確認されている。 型月世界における中国や日本の武術の頭おかしさは健在である。○陣地作成:C- このキャラクターは優れた将軍として、自らの拠点を陣地化し、戦争用の城塞を作ることが出来る。 行動ターンにスキルを使用した場合、その場での戦闘の勝率+10%。 2回重ねて使用した場合、合計で勝率+20%となる。ただし、魔術師の工房ではないため、魔力回復に利点はない。○軍略:C このキャラクターは軍将としての属性が強く、軍団規模での戦闘における指揮能力に長けている。 戦闘時、味方・敵陣営のトループ数×5%の勝率補正を持つ。 また、戦闘において対軍宝具が使用された場合、その数×10%の追加勝率補正を得る。○練兵 このキャラクターは情報収集パートか行動パートにこのスキルを使用することで、宝具の性能を向上させる事ができる。 最大で3回まで累積可能。 キャスターは兵の質・量、そして補給を整える事こそが最も重要と考えている将であり、練兵を行うことで配下の能力を 向上させることが出来る。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】○我也大将軍 ランク:A 種別:対軍宝具 消費:魔力80→100→120→150 古代中国、春秋戦国時代において戦国七雄の一角である燕国において、大将軍を務めたキャスターの権能。 自己の鍛え上げた兵士を召喚し、3グループの兵を指揮下として戦闘に出すことが可能。 ただし、当人の性質上、自己が戦闘に参加しないということはあり得ない。―――あるいはその性質が、生前の死因か。 練兵スキルによりターン行動時か情報収集ターン時にターン1度まで強化が可能であり、最大で3回までの強化が 上積みされていく。 3段階まで強化された精兵達は、もはや弱めのサーヴァントと真っ向打ち合えるだけの戦力を持っている。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:燕国精鋭兵 【レベル】:40 【アライメント】:秩序/中庸┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:35 【耐】:35 【敏】:30 【魔】:10 【運】:10 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○騎乗:C このキャラクターは戦闘時、初手の選択ステータス合計値を+10する。 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、野獣ランクの獣は乗りこなせない。○トループ このキャラクターは複数名で1体扱いのキャラクターである。 敵陣が対軍宝具を使用した場合、敵陣に+10%の勝率補正がかかってしまう。○精鋭兵 キャスターがスキルによる錬兵を2度終えた状態で召喚される兵。 この状態の兵たちは極めて高い練度を誇り、戦闘時に1部隊につき10%の勝率補正を持つ。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:燕国精鋭兵 【レベル】:50 【アライメント】:秩序/中庸┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:40 【耐】:40 【敏】:40 【魔】:10 【運】:10 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○騎乗:C このキャラクターは戦闘時、初手の選択ステータス合計値を+10する。 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、野獣ランクの獣は乗りこなせない。○トループ このキャラクターは複数名で1体扱いのキャラクターである。 敵陣が対軍宝具を使用した場合、敵陣に+10%の勝率補正がかかってしまう。 ○精鋭兵 キャスターがスキルによる錬兵を3度終えた状態で召喚される兵。 この状態の兵たちは極めて高い練度を誇り、戦闘時に1部隊につき15%の勝率補正を持つ。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:―┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:劇辛 【レベル】:60 【アライメント】:秩序/悪┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:40 【耐】:40 【敏】:30 【魔】:40 【運】:10 【宝】:―┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○魔術(中国武術):B 戦闘時、【筋】【耐】【魔】のうち1つのステータスを+10。更にそのステータスで勝利した場合勝率+5%。 魔術というより武術、特に勁力を攻防に使う気術の属性を持つ技術。つまり単なる中国武術。 この手のスキルは習得難易度が高く、Bは確かに一流の域であるが、更なる上位者が同時代に何人も確認されている。 型月世界における中国や日本の武術の頭おかしさは健在である。○陣地作成:C- このキャラクターは優れた将軍として、自らの拠点を陣地化し、戦争用の城塞を作ることが出来る。 行動ターンにスキルを使用した場合、その場での戦闘の勝率+10%。 2回重ねて使用した場合、合計で勝率+20%となる。ただし、魔術師の工房ではないため、魔力回復に利点はない。○軍略:C このキャラクターは軍将としての属性が強く、軍団規模での戦闘における指揮能力に長けている。 戦闘時、味方・敵陣営のトループ数×5%の勝率補正を持つ。 また、戦闘において対軍宝具が使用された場合、その数×10%の追加勝率補正を得る。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:メアリ・C・クリスティ 【レベル】:35 【アライメント】:秩序/善┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:10 【耐】:10 【敏】:10 【魔】:50 【運】:30 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○彼岸花の姫:Ex このキャラクターは彼岸島の主にしてキャスターのマスターであり、この島のグールや邪鬼に指示を出せる。 汎用邪鬼・グール以外の邪鬼、斧神が残っている場合、他組との戦闘前にそれらを呼び出して撤退する事が可能。 ただし、その際に魔力を100点消費する。 その際、追加で魔力を80消費することでグールのトループを1グループ召喚可能である。 また、行動ターン時に自分が動かない場合(行動が礼装作成、休息、一部スキルの場合)、汎用邪鬼・グール以外の邪鬼、 或いは斧神に指示を出して他組を襲撃させることが可能である。 この場合も、追加で魔力を80消費することでグールのトループを1グループ召喚可能である。○死徒:C+(使用済み) 絶大な力を誇る吸血鬼という存在である。 人間に比して基礎的なステータスが隔絶しており、それ単体で非常に危険。メアリは相応以上に高位の死徒である。 戦闘時、【宝】以外の好きなステータス1つを+10。更に自身が受けるペナルティステータス/勝率を10点まで軽減。 また、特に再生能力に優れた適性を持ち、邯鄲法との併用によって暗殺等に対して極めて高い耐性を得ている。 このキャラクターは戦闘以外による死亡・消耗をシナリオ1回まで無効化。○邯鄲法:B 消費魔力:30 ある種空想具現化に近い、“夢”を具現化する一種の魔術。かなりの適性が必要な特殊な法である。 メアリはその法の中でも特に、無効化能力である解法の透、防御無視の破壊能力である解法の崩、 効果範囲を広める咒法の散の適正が高い。 使用時、優位のステータス1つにつき勝率を+10%。敵の任意のステータス1つの合計値を-10。 また、自己にかかるデバフの効果を10点/10%まで軽減する。また、敵の人数×5%の追加勝率補正を持つ。 ―――???┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【使い捨て礼装】 なし┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:メアリ・C・クリスティ 【レベル】:20 【アライメント】:秩序/善┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:10 【耐】:10 【敏】:10 【魔】:40 【運】:10 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○邯鄲法:C 消費魔力:30 ある種空想具現化に近い、“夢”を具現化する一種の魔術。かなりの適性が必要な特殊な法である。 メアリはその法の中でも特に、無効化能力である解法の透、効果範囲を広める咒法の散の適正が高い。 使用時、優位のステータス1つにつき勝率を+5%。また、自己にかかるデバフの効果を10点/10%まで軽減する。 また、敵の人数×5%の追加勝率補正を持つ。相手がトループの場合、人数を”2”として扱う。○死徒:E 絶大な力を誇る吸血鬼という存在である――――が。彼女は完全な“なりたて”であり、その優位性はごく限られる。 戦闘時、【宝】以外の好きなステータス1つを+3。更に自身が受けるペナルティステータス/勝率を3点まで軽減。 望まず付けられた怪物という特性。○破段・顕象 “白の剣能”:A 消費魔力:60 邯鄲法を一定以上修めた者だけが使える固有の“ユメ”。 必ずしも自己の望んだ通りの結果が付いてくるとは限らず、極めてリスキーなのが邯鄲法の破段以上の能力であるが、 メアリの場合は“対話をした相手へ自己を伝える”という効果を発揮する。 単独での戦闘能力は絶無に等しいが―――彼女が望み、相手が望んだ場合、この破段は彼女の持つ能力を 相手にシェアリングする効果を発揮するため―――端的に言って、彼女の能力が相手に上乗せされる。 戦闘時、メアリが戦闘に参加しないことが条件。 戦場1つにつき1度まで発動可能。選んだ一人のキャラクターに、自分の全ステータスの半分と邯鄲法スキルを加算する。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【使い捨て礼装】 なし┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ バーサーカー ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:バーサーカー┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:??? 【レベル】:40+15 【アライメント】:秩序/狂┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:40+15 【耐】:40+15 【敏】:20+10 【魔】:10+10 【運】:00 【宝】:30┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【令呪残数】:独独独 【貯蔵魔力】180/180 【魔力供給の不足】:なし┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】 ――――???┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】○鉄の腕の盗賊騎士団 ランク:C 種別:対軍宝具 消費魔力:0/80 このキャラクターの本質は群体であり、その特性として暗殺等の効果を無効化する。ただしその分、地力は低い。 ドイツ農民戦争において、農民側で参加した盗賊騎士、ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン部下の傭兵たち。 果たして盗賊騎士とまで呼ばれた欲深い鉄腕の騎士が、農民側について負け戦に身を投じた理由は何だったのか。 そしてそれに付き従った彼らは、何のためにその背を追ったのか。 ―――追加効果として、このキャラクターは魔力80点の消費ごとに暗殺等の戦闘以外の効果で死亡するキャラクターの死亡を 1名分だけ回避することが可能。 ただし、この効果で魔力が-100を超えた場合、このキャラクターはその場で消滅する。 或いは、それが本願とでも言うように。 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:ラケル・クラウディウス 【レベル】:10 【アライメント】:秩序/善┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:0 【耐】:0 【敏】:0 【魔】:40 【運】:20 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【魔力量】180/180┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○精神掌握:A(ボッシュートされました) このキャラクターは相手の信用を得ることと、相手を意図せず意のままに操ることに長けている。 このキャラクターと中立接触したキャラクターは1回、友好接触したキャラクターは2回の50%判定を行い、 失敗数だけ掌握カウンタが付与される。 掌握カウンタを2つ消費することで、ラケルは“自害”等の非現実的な願い以外の要求を相手に1つ通すことが出来る。 戦闘能力には劣るが、魔術的と言えるほどの話術と、その儚くも魔性を含んだ雰囲気により、盤面を自己の思うままに 動かすことに長けている。 ただし、精神汚染者や極まった精神性を持つキャラクターにはこのスキルは効果を発揮しない。 ○魔術:B+ 主にブラッドバレッドと呼ばれる、自身の血液を媒介として特殊効果を載せた弾丸を使用する戦闘用魔術。 戦闘時、敵陣の勝率に-15%。このスキルは魔術に分類されるが汎用性が高く、魔ステ選択時以外も効果を発揮する。○アラガミバレット:B+ 消費魔力:40 このキャラクターは荒ぶる神の特性を宿す弾丸を、自らの血を媒介として使用する一種の霊媒体質の持ち主である。 戦闘時、敵陣の【宝】含めた好きなステータス1つの合計値を-20。 この効果は魔術として扱うものであり、対魔力によって軽減が可能であるが、サブの場合軽減効果が半減する。 ○策略:D(使用済み) 状況を見切り利用することに長けた、策略家としての能力。 軍を率いて戦闘する軍略と違い、あくまで状況の操作にのみ長けている。 ターン開始時のランダム表の結果を1度だけ振り直せる。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【使い捨て礼装】 なし┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 幽雫宗冬 ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:幽雫宗冬 【レベル】:45 【アライメント】:秩序/中庸┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:35 【耐】:30 【敏】:40 【魔】:25 【運】:0 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【魔力量】150/150┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:幽雫宗冬 【レベル】:50 【アライメント】:秩序/中庸┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:35 【耐】:30 【敏】:40 【魔】:30 【運】:5 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【魔力量】160/160┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○邯鄲法:B 消費魔力:30 ある種空想具現化に近い、“夢”を具現化する一種の魔術。かなりの適性が必要な特殊な法である。 幽雫宗冬はその法の中でも特に、身体能力の強化に掛かる戟法の剛と迅、物質の形成に掛かる創法の形、 そして無効化能力である解法の透の適性が高い。 使用時、優位のステータス1つにつき勝率を+10%。また、【筋】、【敏】、【宝】のステータスを常時+10。 また、自己にかかるデバフの効果を10点/10%まで軽減する。○破段・顕象:A 消費魔力:60 邯鄲法を一定以上修めた者だけが使える固有の“ユメ”。 必ずしも自己の望んだ通りの結果が付いてくるとは限らず、極めてリスキーなのが邯鄲法の破段以上の能力であるが、 宗冬の場合は“自己以外の質量の低減”という極めて強力な効果を発揮する。 発動条件は自己との相対距離が近づく事。つまり、宗冬に接近した物体は総て“物理的な破壊力を大きく減衰される”。 戦闘開始前にのみ発動可能。 戦闘に参加する自分以外の全てのキャラクターの【筋】【耐】【敏】を半減する。 ただし、この減衰は1つのステータスにつき1キャラクター最大25までである。 また、宝具による上昇効果は殺せない。○急段・顕象:Ex 穢跡金剛禁百変法 消費魔力:60(破段の使用、条件の成立が必要) 邯鄲法の中でも極めて高位な、特定条件下でのみ使用できる固有の“ユメ”の顕現。 必ずしも自己の望んだ通りの結果が付いてくるとは限らず、極めてリスキーなのが邯鄲法の破段以上の能力であるが、 宗冬の場合は“原作”の効果と違い、自己の質量の増大という効果を得ることが出来る。 天才ゆえに自己と世界が軽く見えると言っていた幽雫宗冬が、その軽い世界の中で真に“重い”と感じたものを守る為の 守護と祓いの急段。発動条件はまず、自己が真に“重い”と認識するものがあること。敵がそれへの排除の意思を持つこと。 その条件が整って初めて、協力強制の成立により急段の使用が可能になる。 急段に属するユメの中では特にひねりがなく、単体では強力とは言い難い―――が。破段との相性が異常に良く、 この能力を発動させた幽雫宗冬を白兵戦で打倒するのは困難を極める。 発動時、自己の【筋】【耐】【敏】を+20。自己に係るデバフ効果を合計30点/30%まで低減する。○心眼(真):C 修行・鍛錬によって培った洞察力。 窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す“戦闘論理” 逆転の可能性が数%でもあるのなら、その作戦を実行に移せるチャンスを手繰り寄せられる。 このキャラクターは常に+10%の勝率補正を有し、最終勝率が-80%より大きいならば、 最終勝率を5%にまで引き戻す○仕切り直し:D+ このキャラクターは自身単独の場合、シナリオ1度まで令呪を必要とせず撤退できる。 総じて高いレベルで調和のとれた戦闘能力を持ち、生き延びる術にも長けている。 この男を正面決戦で打倒するのはかなりの困難である。○神出鬼没:B(使用済み) ぶっちゃけどこで何をしていても不思議ではない不条理生物。 他所で戦闘が発生した場合、開始前か戦闘終了後に介入可能。 戦闘前介入は、どちらかの陣営に肩入れしての戦闘参加が可能。 戦闘後介入は、敗北側のマスターが生存していた場合は敗北陣営のマスターを連れ離脱するか再戦するかを選択できる。 離脱の場合はリソースをかけずにそのマスターを生存させられる。 この能力はシナリオ2回まで使用可能。また、この能力は自身単独でなければ使用できず、使用した場合これまで同行 していた相手とははぐれる。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【使い捨て礼装】 なし┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ハザマ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:ハザマ 【レベル】:40 【アライメント】:混沌/悪┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:25 【耐】:25 【敏】:25 【魔】:40 【運】:5 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【魔力量】180/180┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○魔術:C 欧州系の基本的な魔術を抑えている。 死徒であるハザマにとって、技術的な側面は手慰みに等しいが、その膨大な魔力だけでも十分な脅威である。 比較で【魔】が選択された際、相手勝率に「-10%」のペナルティを加える。○死徒:D 絶大な力を誇る吸血鬼という存在である。 人間に比して基礎的なステータスが隔絶している―――のだが。ハザマ自身は比較的現代に近い死徒であり、 その格自体は決して高いものではない。 戦闘時、【宝】以外の好きなステータス1つを+5。更に自身が受けるペナルティステータス/勝率を5点まで軽減。○巫術:C+ 消費魔力:30 神や精霊などへの祈願という原始宗教系の魔術体系。 祈祷者の願いに霊的存在が答えることで、様々な奇跡を行使する。 その特性上として対魔力の影響を極めて受けにくいが、普通は死徒が使う類の能力ではない。 ハザマは一時期某所で使い走りにされていた時に護身と復讐と自衛と現実逃避の合いの子のような精神状態で習得。 意外にも適性は高かったようであり、天津神を祀る術を一定レベルで行使できる。 戦闘時、自身の勝率に+10%。また、自陣の【宝】以外のステータスのうち1つを+10。 【装備】○ウロボロス ハザマの保有する特殊な専用礼装。その名の通り、蛇を模した鎖であり、攻撃、防御、束縛にと応用範囲の広い武器。 戦闘時、敵陣営の勝率に-20%の補正をかける。○碧の魔導書 ハザマが持つ切り札である魔導書。 死徒としての力を長年チャージし続けてきたアーティファクトであり、『リチャージ可能な宝石魔法の宝石』という概念が近い。 戦闘時、シナリオ1度だけステータス選択か戦闘結果を振り直し。更に使った戦闘における最終勝率に+15%の補正を得る。 かつての聖杯戦争で僅かに励起していた聖杯への願いでリチャージは完了。使用可能。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【使い捨て礼装】 なし┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 彼岸島民間人 ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:ミストさん 【レベル】:5 【アライメント】:秩序/中庸┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:15 【耐】:15 【敏】:15 【魔】:5 【運】:0 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】 無し┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:渋谷凛 【レベル】:5 【アライメント】:中立/善┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:10 【耐】:10 【敏】:10 【魔】:10 【運】:10 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】 無し┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:フゥ 【レベル】:5 【アライメント】:秩序/善┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:5 【耐】:5 【敏】:5 【魔】:15 【運】:20 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】 無し┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:師匠 【レベル】:30 【アライメント】:秩序/善┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:40 【耐】:40 【敏】:10 【魔】:10 【運】:00 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○師匠 特殊NPC。マスターでもサーヴァントでもないが、接触した場合メアリ打倒に力を貸してくれる可能性あり。 このキャラクターはメアリ打倒の為に動いているレジスタンスの長であり、明にとっては師匠にあたる。 その丸太捌きはまさしく無双である。 このキャラクターは戦闘時、【筋】か【耐】を+10し、勝率を+10%する。 原作の師匠と違ってアマルガムではないが、ニンジャである。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 夢の陣営 夢のライダー ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:夢のライダー┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:金太郎 【レベル】:60 【アライメント】:秩序/夢┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:60 【耐】:60 【敏】:30 【魔】:00 【運】:00 【宝】:60┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【令呪残数】:金 【貯蔵魔力】100/100 【魔力供給の不足】:なし┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○騎乗:C+ このキャラクターは戦闘時、初手の選択ステータス合計値を+10する。 騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、野獣ランクの獣は乗りこなせない。 また、宝具発動時にはこのスキルの効果は倍化する。○対魔力:C 「魔術」のスキルによる敵陣の勝率補正を、1つのスキルにつき最大10%まで軽減する。 クラス補正による魔術に対する耐性。○剛力無双:C いわゆる怪物系の『怪力』スキルとは違う、人間や正英霊の持つ豪腕によるスキル。 戦闘時、【筋】が選択された場合、そのステータスを+10。 怪力スキルほど強力ではない反面、使用者に怪物としての属性が必要ないため、扱いやすい。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】○鉞担ぎ、熊に乗り ランク:B 種別:対軍宝具 消費魔力:80 このキャラクターは戦闘時、この宝具を使用することで【筋】【宝】ステータスを+30し、勝率を敵数×5%できる。 この際、敵にトループが居た場合、数を“2”として扱う。 金時童子―――この聖杯戦争で本来呼べるはずのない格の存在の英霊の持つ、大熊と巨大な鉞という宝具。 ただしこのサーヴァントは正確には英霊ではなく、メアリー・スゥ・ブラッドサッカー・クリスティの創作であるため、 その英霊たる性能を存分に発揮できるものではない。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 夢のセイバー ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:夢のセイバー┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:ダルタニアン 【レベル】:50 【アライメント】:秩序/夢┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:50 【耐】:35 【敏】:35 【魔】:35 【運】:00 【宝】:35┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【令呪残数】:三 【貯蔵魔力】100/100 【魔力供給の不足】:なし┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○銃剣士:C このキャラクターは戦闘時、筋、耐、敏のうち好きなステータスを+10する。 戯画的に描かれた英雄としての属性。非常に高い対応力を誇るが、やや馬力に欠ける。○対魔力:B 「魔術」のスキルによる敵陣の勝率補正を、1つのスキルにつき最大15%まで軽減する。 クラス補正による魔術に対する耐性。○主人公補正(偽):D 三銃士という英雄譚において、主人公的な扱いをされたがゆえの属性。 仲間の人数×5%の勝率補正を持つ。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】○我ら、銃士隊!! ランク:B 種別:対人宝具 消費魔力:60 このキャラクターは戦闘時、仲間に三銃士―――アトス、ポルトス、アラミスが居る場合に、全ステータスと勝率を 1体につき+15する。 しかしメアリー・スゥ・ブラッドサッカー・クリスティの創作として呼ばれたのは彼のみであり、他の三銃士はこの聖杯戦争に 存在していない。 ちなみにこの世界線においては三銃士は創作であり、アラミスに近い属性を持つ銃士だった少女が受肉していたりする。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 夢のアサシン ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:夢のアサシン┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:アリババ 【レベル】:40 【アライメント】:混沌/夢┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:20 【耐】:20 【敏】:40 【魔】:20 【運】:00 【宝】:40┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【令呪残数】: 【貯蔵魔力】100/100 【魔力供給の不足】:なし┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○気配遮断:C 戦闘時、相手が初見のキャラクターのみの場合、勝率に+20%の補正を得る。 アサシンとしてのクラススキル。気配を遮断し、不意打ちを可能とする。 一度見せた相手には効果が無くなるが、初撃の奇襲としての効果は高い。○戦闘続行:C 使用パラメーターの確定後、ステータスのランダム選択を振り直すことができる。 この効果は1戦闘に1回まで、かつシナリオ通して1回までしか使用できない。 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】○アリババと盗賊 ランク:B 種別:対人宝具 消費魔力:令呪1画(+100点) このキャラクターは戦闘前、或いは自分が居ない場所での戦闘終了後にこの宝具を使用することで暗殺が可能。 ただし、自分が居ない場所に介入する場合は+100点の魔力消費が必要となる。 アリババは強欲な兄であるカシムの死を切っ掛けに長者として栄えたが、悪意のある見方をすればアリババが カシムを謀殺したと見ることも出来る。 このアサシンはその穿った見方の結果生まれた、謀殺と暗殺のアリババである。 暗殺成功率は{20+(自分のレベル-相手のレベル)}%。最低値は20%。最大値は40%。 また、サーヴァントを対象とする事は出来ない。 この宝具での暗殺は、令呪1画か撤退・介入スキルの消費により無効化出来る。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 夢のキャスター ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:夢のキャスター┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:シンデレラ 【レベル】:40 【アライメント】:中立/夢┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:20 【耐】:20 【敏】:20 【魔】:60 【運】:00 【宝】:40┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【令呪残数】:硝 【貯蔵魔力】100/100 【魔力供給の不足】:なし┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○魔術:C 戦闘時、【魔】ステータスが選択された場合、敵陣営の勝率を-10%。 “おまじない”が何故か呪殺になってしまう、悪意ある解釈をされシンデレラが持つ能力。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】○シンデレラ・タイム ランク:B 種別:対人宝具 消費:60 このキャラクターは戦闘前にこの宝具を使用することで、“王子様”と見定めた敵1体と1対1の戦場を 構築することが可能である。ただし、この宝具の対象は非サーヴァント、かつ単身でなければならない。 この宝具の厄介なところは、選択される相手がランダムであるが、マスターという本来非力な存在が サーヴァントとの強制的なタイマンに持ち込まれるということ。 ただし、時間制限があるため戦闘に敗北しても、令呪1画で重症(聖杯戦争中、全ステータスが0、 戦闘参加不能)というギリギリで撤退することが可能。通常の撤退も可能。 また、男性は選ばれる確率が2倍となる。 ―――悪意ある解釈をされたシンデレラ。つまるところが、ヤンデレラ。 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 夢のランサー ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:夢のランサー┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:孫悟空 【レベル】:60 【アライメント】:混沌/夢┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:40 【耐】:40 【敏】:50 【魔】:30 【運】:00 【宝】:50┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【令呪残数】:猿 【貯蔵魔力】100/100 【魔力供給の不足】:なし┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○仕切り直し:C(使用済み) このキャラクターは戦闘敗北時、1度だけ撤退に令呪を使わずに離脱できる。 ただし、この能力の有効範囲は自陣営のみであり、共同撤退には使えない。○怪力:A 一時的に筋力を増幅させる。魔物、魔獣のみが持つ攻撃特性。 このキャラクターは怪物としての属性を帯びており、それらに対して特効を発揮する効果を受ける。 天界相手に大暴れしていたころの、悪猿としての孫悟空。そのため、属性としては神仙ではなく怪物としての側面が強い。 しかし孫悟空という存在は、およそ今次の聖杯戦争で考えうる最大レベルの怪物である。 戦闘時、【筋】ステータスに+20。更に【筋】ステータスで比較が発生し勝利した場合、勝率に+20%。○対魔力:C 「魔術」のスキルによる敵陣の勝率補正を、1つのスキルにつき最大10%まで軽減する。 クラス補正による魔術に対する耐性。ランサーの場合、その数字は平均的。┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】○分身の術 ランク:A 種別:対人宝具 消費:100 このキャラクターは自らの体毛を用い、自らの分身を作成することが可能。 このスキルは1ターンに1回しか使えず、分身と別行動することは不可能。(同じ場所で別戦場に参加する事は可能) 分身体はこのキャラクターとほぼ同じステータスを持つが、宝ステータスは0であり、スキル等は使用できない。 また、レベルは50にまで劣化する。○如意棒 ランク:B 種別:対人宝具 消費:30 伸縮自在の鉄の棒。色々な逸話が省略された童話からの引用なので、神秘としての度合いは高くはない。 ―――が、それだけに燃費がよくなってしまっているという、メアリー・スゥの歪んだ認識がプラスに働いた例。 戦闘時、【筋】【耐】【敏】のうち好きなステータス1つを+10。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 夢のアーチャー ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:夢のアーチャー┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:ウィリアム・テル 【レベル】:50 【アライメント】:秩序/夢┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:35 【耐】:35 【敏】:45 【魔】:25 【運】:00 【宝】:30┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【令呪残数】:果 【貯蔵魔力】100/100 【魔力供給の不足】:なし┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○弓術士:C このキャラクターは戦闘時、敵陣ステータスの合計値1つを-10する。 神業的な弓の腕前を誇る―――はずであるが。弓術の心得のないメアリーによって具現化されたため、 一流ではあるが神業とまでは言い難いレベルに収まっている。○直感:C 戦闘時、自身にとって最適な展開を“感じ取る”能力。 このキャラクターは常に+10%の勝率補正を持つ。 また、初見相手のみに効果を発揮するスキルは、このスキルのランク以下の場合無効化される。○単独行動:C このキャラクターの貯蔵魔力限界を「+50」する。(計算済) また「魔力の供給不足」によるペナルティを不足分「-30」ごとに「-10」に変更する。 また、単独での戦闘時に勝率に+15%のボーナス。 ―――???┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】○Shot The Apple ランク:C 種別:対人宝具 消費魔力:3×対象のLv このキャラクターは戦闘時、“非マスター”かつ“非サーヴァント”であるキャラクターを戦場から除外できる。 その際に必要な魔力は表記の通り。また、排除されたキャラクターはフレーバーの範囲で負傷するが、今後も問題なく行動可能。 物語的に重要性が低いと判断したものに対する排除能力である。―――貴様の価値は、リンゴ程度だ。 特に重要度が低いトループ相手には、消費魔力は半分で計算される。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 夢のバーサーカー ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:夢のバーサーカー┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┓ 【真名】:オオカミ 【レベル】:40+10 【アライメント】:混沌/夢┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:40+10 【耐】:40+10 【敏】:50+5 【魔】:10 【運】:00 【宝】:00┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ 【令呪残数】:狼 【貯蔵魔力】100/100 【魔力供給の不足】:なし┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○怪力:C 一時的に筋力を増幅させる。魔物、魔獣のみが持つ攻撃特性。 このキャラクターは怪物としての属性を帯びており、それらに対して特効を発揮する効果を受ける。 戦闘時、【筋】ステータスに+10。更に【筋】ステータスで比較が発生し勝利した場合、勝率に+10%。 ―――???┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】 ―――???┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ メアリー・スゥ ○彼岸花の女王:EX(使用済み) (強化前) このキャラクターはシナリオ1度だけ、全ての行動が終わった後に追加行動を行える。 陣営の追加行動は、そのターンに行動していないキャラクターのみ可能。また、同じ場所への連続襲撃も不可。 意思統一された多くの戦力を操る、女王としての権限。この彼岸島において、支配者である彼女の裏をかくのは難しい。○造物主の権能:A) (強化前) このキャラクターが戦域に居る場合、彼女によって作られたキャラクターは勝率に+10%の補正を持つ。 重複は最大で+20%まで。 造物主である彼女が近くに居る場合、その被造物達は通常よりも高い能力を発揮できる。 ―――が、同時にこれはメアリー・スゥが最前線に出てくることを意味する、リスクを伴う諸刃の剣である。○邯鄲法:B 消費魔力:30) (強化前) ある種空想具現化に近い、“夢”を具現化する一種の魔術。かなりの適性が必要な特殊な法である。 メアリー・スゥはその法の中でも特に、周辺空間の操作にあたる創法の界、物質作成にあたる創法の形、 そして無効化能力である解法の透の適性が高い。 使用時、優位のステータス1つにつき勝率を+10%。また、【宝】のステータスを常時+10。 また、自己にかかるデバフの効果を10点/10%まで軽減する他、シナリオ1度までランダムステータスの振り直しが可能。┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:メアリー・スゥ 【レベル】:60 【アライメント】:中立/夢┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:50 【耐】:50 【敏】:50 【魔】:60 【運】:00 【宝】:60┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○夢の存在:EX メアリー・スゥ。“わたしのかんがえたさいこうのしゅじんこう”。 二次創作家の最初期にやりがちな、『他作品の主人公の能力を覚えた格好いい主人公』に強い自己投影を重ねたもの。 急段で創りあげた世界の中において、聖杯の力で自身を夢の存在と化したメアリー・スゥの能力は、この聖杯で召喚可能な サーヴァントの上限すらぶち破っている。 戦闘時、好きなステータス1つを+20。勝率に+20%の補正。このキャラクターは夢の陣営の全サーヴァントの宝具を 使用可能であり、ステータスとレベルは各サーヴァントのうち最も高いステータスを代入し参照する。 ―――元が高位の死徒であること、聖杯の補助を受けている事を考えても、有り得ない程の強化幅。 その代償として、彼女は完全に虚構の存在と化している。彼女は彼女の急段の世界の中でしか存在できず、 外に出た途端に消滅する。○彼岸花の支配者:EX このキャラクターは半ば“ユメ”に飲まれたこの彼岸島の支配者である。 事前に確認済みの宝具に対してメタを張ったご都合主義により、敵陣営の一度見た宝具の効果を無効化する。 同時に夢の支配者である彼女と敵対するキャラクターは、メアリー任意のステータス2つの合計値を-20されてしまう。 支配者である彼女の権能は島全てを覆っており、必然的に敵にとっての不都合が頻発する事となる。 或いはそれを無効化出来るとしたら、同等以上に邯鄲法を極め、高い解法の資質を持つ者くらいである。 また、このキャラクターは戦闘結果判定以外の任意の判定を1度だけ振り直せる。○戦闘続行:C(使用済み) 使用パラメーターの確定後、ステータスのランダム選択を振り直すことができる。 この効果は1戦闘に1回まで、かつシナリオ通して1回までしか使用できない。 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 彼岸島エネミー ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:チワワ様 【レベル】:45 【アライメント】:秩序/狂┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:35+10 【耐】:30+10 【敏】:25+5 【魔】:40+5 【運】:0 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○狂化:C- このキャラクターは理性を失っており、ステータスとレベルの強化と引き換えに、主であるメアリでも完全制御は出来ない。 【Lv】【筋】【耐】ステータスを+10、【敏】【魔】ステータスを+5。○魔力放出(火):C 火炎放射により【魔】ステータスを+10。また、このキャラクターは+10%の勝率補正を持つ。 耐え難い輻射熱を発したり、生物を一瞬で炭にする火炎を吐いたり、こいつは正直炭素系生物なのか不安になってくる。 ○仕切り直し:D+(使用済み) このキャラクターは戦闘敗北時、1度だけ自身のみならば撤退可能。 獣の生命力と敏捷性により、仕留めることは非常に困難。 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:姫 【レベル】:45+15 【アライメント】:秩序/狂┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:40+15 【耐】:50+15 【敏】:30+10 【魔】:10+10 【運】:0 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○狂化:B- このキャラクターは理性を失っており、ステータスとレベルの強化と引き換えに、主であるメアリでも完全制御は出来ない。 【Lv】【筋】【耐】ステータスを+15、【敏】【魔】ステータスを+10。○野生の勘:C このキャラクターは戦闘時、常に5%の勝率補正を持っている。 また、最終勝率が-80%を下回らない限り、常に5%の最低保証勝率を持っている。 心眼の劣化版。かつて持っていた人としての才能の残滓である。 なお、この世界線ではサヤナイちゃんが元気に跳ねまわっているので、多分よく似た他人である。○怪力:C 魔獣・怪物のみが持つ攻撃特性。筋ステータスを+10し、比較勝利時に更に勝率を+10%する。○戦闘続行:C(使用済み) 使用パラメーターの確定後、ステータスのランダム選択を振り直すことができる。 この効果は1戦闘に1回まで、かつシナリオ通して1回までしか使用できない。 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。 ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:満腹爺 【レベル】:40+10 【アライメント】:混沌/狂┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:40+10 【耐】:40+10 【敏】:20+5 【魔】:20+5 【運】:0 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫【スキル】○狂化:C- このキャラクターは理性を失っており、ステータスとレベルの強化と引き換えに、主であるメアリでも完全制御は出来ない。 【Lv】【筋】【耐】ステータスを+10、【敏】【魔】ステータスを+5。○酸のブレス:C: このキャラクターは戦闘時、強酸の液体を吐きかけて攻撃することが出来る。 戦闘開始前にランダムで1つの敵陣ステータスの合計値を-10。 ただし、【宝】ステータスに当たった場合、宝具は通常の酸では破壊できないため減少効果は発生しない。○産卵 このキャラクターは戦闘時、2グループの人面ゴキブリを産んで戦闘に参加させてくる。 人面ゴキブリはスキル無し。Lv20。筋耐敏が25で魔が5のステータスを持っている。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:斧神 【レベル】:60 【アライメント】:中立/中庸┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:50 【耐】:50 【敏】:50 【魔】:20 【運】:20 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【スキル】○ユメの存在:Ex このキャラクターはメアリー・スゥによって作られた創作物である。 結果としてこのキャラクターは己の“役割”に強く縛られており、その役割に沿って動く限りは 通常以上の力を発揮しうる。 戦闘時、このキャラクターを自らにとって“価値ある強敵”として認めている敵が居た場合、 このキャラクターは自身の【Lv】【筋】【耐】を+10する。 ……ただし、この島の邪鬼やアマルガムが創作の存在と知られた今では、このスキルには 然程の意味は無い。○強靭:B 一時的に耐久を増幅させる。魔物、魔獣のみが持つ防御特性。 このキャラクターは怪物としての属性を帯びており、それらに対して特効を発揮する効果を受ける。 戦闘時、【耐】ステータスに+15。更に【耐】ステータスで比較が発生し勝利した場合、勝率に+15%。 アマルガムとしての特性である、鋼の肉体。○戦闘続行:C(使用済み) 使用パラメーターの確定後、ステータスのランダム選択を振り直すことができる。 この効果は1戦闘に1回まで、かつシナリオ通して1回までしか使用できない。 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。○心眼(偽):B 直感・第六感による危険回避。虫の知らせとも言われる、天性の才能による危険予知。 視覚妨害による補正への耐性も併せ持つ。 このキャラクターは常に+15%の勝率補正を持つ。また、自陣への勝率/ステータスペナルティを15点まで軽減。 ――――???┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:邪鬼 【レベル】:35+10 【アライメント】:混沌/悪┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:40+10 【耐】:40+10 【敏】:15+5 【魔】:15+5 【運】:0 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫【スキル】○狂化:C- このキャラクターは理性を失っており、ステータスとレベルの強化と引き換えに、一切の思考を失っている。 【Lv】【筋】【耐】ステータスを+10、【敏】【魔】ステータスを+5。○強靭:C 一時的に耐久を増幅させる。魔物、魔獣のみが持つ防御特性。 このキャラクターは怪物としての属性を帯びており、それらに対して特効を発揮する効果を受ける。 戦闘時、【耐】ステータスに+10。更に【耐】ステータスで比較が発生し勝利した場合、勝率に+10%。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┏━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━┓ 【名前】:グール 【レベル】:30 【アライメント】:混沌/悪┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳┻━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┓ 【筋】:30 【耐】:30 【敏】:30 【魔】:10 【運】:0 【宝】:-┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫【スキル】○トループ このキャラクターは複数名で1体扱いのキャラクターである。 敵陣が対軍宝具を使用した場合、敵陣に+10%の勝率補正がかかってしまう。○怪力:C 一時的に筋力を増幅させる。魔物、魔獣のみが持つ攻撃特性。 このキャラクターは怪物としての属性を帯びており、それらに対して特効を発揮する効果を受ける。 戦闘時、【筋】ステータスに+10。更に【筋】ステータスで比較が発生し勝利した場合、勝率に+10%。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
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(01)真宗の咸平二年(999)冬十月、契丹の主の隆緒が大挙侵入した。 当時、鎮定高陽関都部署の傅潜は八万余の歩兵と騎兵を擁していたが、臆病風に吹かれ、陣営を閉ざして自衛に務めていた。将校が出撃を願い出ても口汚く罵るだけだった。朝廷は裏道から使者を派遣して潜出撃を督促したが、潜は命令を聴かなかった。このため范廷召は「女でも貴方のような臆病者はいない」と罵った。また鈐轄の張昭允もなんども出撃を勧めたので、潜はやむを得ず廷召に騎兵八千を授け、兵を出して防衛させた。廷召はさらに都部署の康保裔に援軍を求めたところ、保裔はすぐに兵を率いて出撃した。かくして契丹兵と瀛州で遭遇した。 たまたま日が暮れたので、廷召は、翌日に合流して契丹と戦うべく、各軍に約束を取り付けた。ところが廷召はこっそり逃げ出してしまった。保裔はこれに気付かなかった。夜が明けると、契丹兵は保裔軍を数重にも包囲していた。保裔の側近は武具を取り換えて逃げるよう勧めたが、保裔は「難に臨んで逃げるなどあり得ぬ。いまこそ命をかけて国恩に報いるときだ」といって戦いに赴いた。かくして戦うこと数合、多くの敵兵を屠ったが、兵尽き矢折れ、援軍も至らず、ついに保裔は討ち死にした。 契丹は勝利に乗じて遂城を攻めた。城は小さく、備えもなく、人々は恐怖に陥った。遂城守将の楊延昭は、業の息子だった。延昭は人々を集めて城壁の守りを固め、援軍を待った。折からの大寒のため、水を城の上から流すと、城壁はたちまち厚い氷に覆われ、氷に足を取られて壁を登ることができなくなった。このため契丹軍は遂城から撤兵し、祁・趙・邢・洺州を掠奪すると、徳州・棣州から黄河を渡り、さらに淄州・斉州を掠奪してまわった。 (02)詔を下し、辺境の民が拒馬河を越えて砦の北で交易することを許した。 雄州知事の何承矩の請願――「辺境の戦櫂司は淘河から泥姑海口まで、屈曲九百余里、これを天然の要害としております。太宗は十六の砦、百二十五の宿駅、十一人の廷臣、三千余の守備兵、百艘の船を置き、往来を監視して奸邪を禁じられました。そのため緩急の備えが生まれ、強力な要害となりました。今、公私の交易を認めれば、人馬の交流を許すことになります。これでは全く敵に対する備えになりません。これでは砦や宿駅も無用になりましょう。」承矩の意見書が上奏されると、すぐに前の詔書を取り止めた。 (03)十二月、帝みずから兵を率いて契丹の防衛に向かった。李沆を東京留守とした。 (04)甲寅(五日)、帝は京師を出発し、陳駅に到着した。 (05)戊午(九日)、澶州に到着した。 (06)辛酉(十二日)、行宮で近臣たちと宴を催した。王超らを先鋒とし、戦陣を図示し、各兵の配置を通達した。 (07)壬戌(十三日)、近臣に甲冑・弓・剣を授け、浮橋まで兵を進めた。臨河停に到着すると、澶州の長老に錦袍や茶帛を与えた。 (08)甲子(十五日)、大名に到着した。 銭若水は意見書を提出した。―― 孫武はその書物において「陰謀を見破るのが最上だ」と言い、漢の高祖はその戦いにおいて「軍法を守ることが第一だ」と言っております。陰謀を見破るとは何を意味するのでしょう。それは、将軍たるもの敵を知り勝を制さねばならぬ、という意味です。では軍法を守るとは何を意味するのでしょう。それは、朝廷たるもの賞罰を公平にせねばならぬ、という意味です。 ところがいま傅潜は精鋭数万を擁しながら、自陣を守って出撃せず、敵兵の掠奪行為を座視しております。上は重用の恩に背き、下は精鋭の気を挫いております。潜は勝を制すことができず、朝廷は軍法を守ることができなかったのです。軍法によりますと、戦争で命令を無視したものは斬ることになっております。もし潜を斬って見せしめとし、それから楊延朗(楊延昭のこと)・楊嗣など五七人を抜擢し、地位や俸給を与え、兵権を分与し、万人の兵に強弩を与えて率いさせ、多方から賊を掃討させたなら、命令を聴かぬものなどおりますまい。命令を聞かぬ将軍や逃げるものは死罪であると、このような我が方の態度を知れば、必ずや適は逃げ出すでしょうし、毎年のように国境を侵すこともなくなるでしょう。さすればおのずと辺境は平和になりましょう。かくして陛下が京師に帰還されましたなら、その権威は四海を圧倒することになりましょう。 私は史書を読みましたところ、次のような逸話がございました。――周の世宗が即位したばかりのころ、劉崇は契丹と結んで周に侵入しました。契丹は将軍の楊袞に騎兵数万を与え、崇とともに高平まで南下してきました。当時、樊愛能や何徽といった将軍たちはみな臆病者で、敵を前にしても戦おうとしませんでした。そこで世宗は大宴会を催すと、愛能などを斬り、かわりに副将ら十余人を抜擢して兵を分け与え、太原を討伐させました。劉崇はこの世宗の処断を知ると震え上がり、敢えて周と戦おうとしませんでした。また契丹もその日のうちに逃げ去りました。これ以後、周の武威はいよいよ猛くなり、淮甸を併呑し、秦・鳳を屈服させ、関南を平定し、全土を席捲したのです。ましてや神武をおもちの陛下のことです。なにゆえ世宗に後れを取るようなことがありましょう。これが今日にあって敵を防ぐための奇策です。 末永く辺境を安定させる方法については、近しい過去に例を取りましょう。太祖はまことにうまく辺境を処置なされました。郭進は邢州にあり、李漢超は関南にあり、何継筠は鎮・定にあり、賀惟忠は易州にあり、李謙溥は隰州にあり、姚内斌は慶州にあり、董遵誨は通遠軍にあり、王彦昇は原州におりましたが、彼等は周辺の巡検を与えられただけで、行営部署を与えられはしませんでした。さらに彼等は十余年も同じ職務に就き、もし功績が挙がれば厚く褒美を取らせました。しかしそれでも彼らが観察使になることはなかったのです。身分の低いものは制しやすく、長らく同じ職務に就いておれば、己の管轄地のことはよく分かるようになります。こうしておいて太祖は彼等に策略――敵が来襲すれば不意を衝いて殺し、逃げれば深追いしない――を授けられたのです。これが十七年の間、契丹や西夏が我らの陣営を侵さぬどころか、しばしば和平を乞うてきた理由です。これらは陛下も御存知のことでしょう。 太祖の故事に従い、名臣に辺境を治めさせ、部署の職を罷めて各軍の指揮権をばらばらにし、巡検を設けて相互に救援させるのです。こうすれば兵を出せば必ず敵を破り、城を守っては必ず敵襲を防ぎ、数年ならずして辺地の烽火は不要に帰しましょう。 孫何も意見書を提出した。―― 陛下は即位以来、兵隊の鍛錬と将軍の選抜に心を砕かれておられました。まことに漢の高祖の叡智に蕭王(光武帝)の真心を兼ねたというべく、その神武は百王に冠たり、精兵は前代に倍しております。 兵を指揮するものは、兵士に先んずる心がなければならず、君父の命を違えることに恥を感じなければなりません。しかるに昨今の将軍らは、敵兵を城壁から眺め見ては固く城門を閉ざして保身に走り、強兵の指揮を担いながら成算を失い、ついに凶悪な者どもを好き勝手に暴れさせ、我が辺境の村々は敵方に劫掠され、我が黎民は敵方の災禍を被りました。 陛下は人神として激しい憤りを発せられ、河朔の生霊を哀れまれ、ここに六師を率いてみずから澶淵に向かわれました。ひとたび天の声が発せられるや、敵の騎兵は四散いたしました。しかし鎮州と定州の道が通じたとはいえ、徳州と棣州の戦禍はいまだ息んでおりません。これは将帥に人を得ていないこと、辺境からの伝達に滞りのあること、近隣が互いに救援に赴いていないこと、兵粮は運送を待たねばならぬことが理由であると思われます。 この中、将帥については、このような理由から申し上げるのです。――彼等のあるものは勇を頼んで思慮がなく、またあるものは功を嫉んで辺境の混乱を坐視しております。彼等はただ己の城塞を守ることだけを考え、人民のことなどなんら考えていないのです。また辺境の伝達については、このような理由から申し上げるのです。――城塞を守る臣下は、恋々と俸禄や地位を固執し、城や池が戦火にさらされても事実を朝廷に伝えようとしないのです。また老人や幼子が敵兵に殺されても、それを盗賊の責任になすりつけております。また相互に救援しないことについては、このような理由から申し上げるのです。――国境近辺の州や県は城塞が入り組んでおりますが、これはちょうど頬骨と下顎、唇と歯が互いに助け合うように、また頭と目や手と足が互いに助け合うような関係にあるはずです。しかるに兵が少ないため出撃できないと言ったり、陛下からの許可が出たら出撃するのでそれまで待ってくれ言っておるのです。また兵粮を待たねばならぬことについては、このような理由から申し上げるのです。――敵の騎兵が往来し、犬が馳せ鳥が飛び交うときになってから、ようやくあり余る食料がようやく運び出され、その食糧隊が到着したときには、既に賊は逃げ去っておるのです。 この四者は当今の急務とすべきものです。そこで将帥の選択には、文武官の両者から謀臣を選ばなければなりません。伝達の滞りを防ぐためには、国境の紛争を陛下に直接通達させなければなりません。相互に救援させるには、軍令によって促すとともに、必要な判断を辺境に与えなければなりません。必要に応じて兵粮を運搬するためには、小量の食料を運搬し、運搬速度を競わせなければなりません。 既に陛下の御車は鄴に到着なされました。このため契丹はわが南方を襲う気配を消しました。敵方の掠奪を被ったところは、東北地区の中でも防備のなかったところだけですから、それらには修繕を施して敵に備えさせなければなりません。しかしながら蜂や蠍には毒があり、山犬や狼には飽きというものがありません。既に契丹は西方の大軍を畏れ、北方の帰路を失っております。獣は窮すれば丸くなりますが、事態を軽く考えてはなりません。まだわが国に残るものは討伐し、次の侵略に備えなければなりません。大河には渡し場が方々にあります。禁軍を要害に配置させるのです。かくすれば契丹から講和の使者はすぐにもやって来るでしょう。 (09)丁卯(十八日)、大名の長老を招いて褒美を与えた。康保裔の戦死が伝えられると、保裔に褒美として侍中を授けた。またその子供二人と孫一人に官を授けた。傅潜を呼びつけて房州に配流した。 (10)三年(1000)春正月己卯朔、大名府に到着した。契丹は帝の親征を知ると、掠奪の限りをつくしてから本国に引き上げた。 (11)丁亥(九日)、范廷召らが契丹兵を莫州まで追撃した。そこで契丹兵万余の首を斬り、掠奪品を奪い返した。残余の契丹兵も国境外に逃げ去った。 (12)庚子(二十二日)、帝は大名から都に到着した。 当時、帝は手詔を出して銭若水に北方防備の方法を諮った。若水は次のように応えた。 前代の史書には、匈奴について議論したものが多く残っております。しかし漢の婁敬・樊噲・季布・賈誼・晁錯・主父偃・徐楽・王恢・韓安国・朱買臣・董仲舒の議論は、和親と征伐の二つについてだけです。また唐の李靖・魏徴・温彦博・郭正一・狄仁傑の議論も、戦争か防衛かの二つにすぎません。晉の桑維翰の「盟約に背いてはならぬ」という言葉は、微弱であったがために出た言葉にすぎません。故宰相の趙普は軍を撤退させ、しばらく民に休息を与えるよう申し出ました。しかしこれらは未来まで見すえた計略とは言い難く、臣の賛同できぬものばかりです。一方、厳尤は「昔から戎狄の制禦に上策はない」と言っておりますが、臣は心ひそかにこの発言を笑っております。そもそも「守りは四夷にあり」「勝ちを制するには静を以てす」が上策でなくて何なのでしょうか。 臣が聞くところによりますと、唐の魏博は一鎮のみ、兵数も今日ほど多くありませんでした。しかるに戎狄の騎兵が南方に進まなかったのは、幽州・薊州の険阻を北門として守っていたためです。石晉がその地を割譲して以後、定武(定州)から滄海までの千里の長きにわたり、敵の攻撃を受けることになりました。二つの関所を設け、そこを精鋭に守らせても、敵を抑えられるものではありません。ですから晉の末に契丹は長河を渡り、漢の初めにまた国境を騒がしました。周の世宗の英武をもってして、なお夷狄の中山侵入と上党攻撃を止めることができませんでした。 このたび陛下は防禦策と殲滅策をご諮問なさいました。私は、これに対し、幽州を奪還しないでは夷狄を殲滅できないと思っております。後唐の荘宗は河北から周徳威に幽州を取らせ、その後に南下して天下を争いました。まず万全の計を用い、敵に勝機を与えないこと。――これこそ善く兵を用いるもののすることです。 今日の問題は、攻守が心を同じくしないこと、将軍が敵の実情を知らぬこと、大軍を国境沿辺におき、朝廷に少数の兵しかないことにあります。陛下におかれましては、辺境を任すに足る人間を択び、勇壮の士を親衛軍に招き、官から俸給を与えなさるのがよろしいでしょう。また人を集めて招収軍をつくり、手厚く兵粮を与え、税を免除するのです。彼等はわが国と契丹の両方に行き来しており、各々に親族がおりますので、彼等を用いれば契丹の動静を窺い知ることもできましょう。 このように攻守が心を同じくすれば、将軍は敵の実情を知ることができ、国境沿辺の兵の数も減らせましょう。しかし指揮官がなければ兵は用いられず、勝機を制せぬようでは百戦百勝とは申せません。そこで大臣に河北近辺を守らせ、大軍を与えて辺境の問題を一任なさるのです。契丹への警戒が必要なときには督戦させ、平和なときには兵を退かせるのです。こうすれば一々兵を動かす必要はなく、用兵の妙を得られましょう。全軍で力を合わせ、上下で心を一にする。――防備の計略はこれに尽きます。 もし民力の困難に心を痛められるというのであれば、辺地の田畑を広げるなさるとよろしいでしょう。守備兵が驕慢になるのではないかと思われるのなら、将帥への取り締まりを厳しくなさることです。古諺に次のようにあります。――「法は変えてはならず、令は違えてはならぬ」と。また「功あるものに褒美をやらぬ、これ善を止めるに等し。罪あるものを懲らさぬ、これ悪を許すに等し」と。むかし太祖は郭進に兵を与えて西山を守らせましたが、きつく兵卒を戒め、こう仰いました。――「諸君は必ずや軍法を守らねばならぬ。私が諸君を許そうとも、郭進が諸君を殺すだろう」と。兵への対処がこうであればこそ、郭進の至るところ少しの敗北もなかったのです。臣が請い願いますには、かつて太祖の進に対する心をもって諸将を遇すれば、つねに軍法は厳格に適用されましょうし、賞罰もつねに正しく下されましょう。 帝はこれに賛意を示した。 (13)雄州知事の何承矩がこう訴えた。 契丹は軽率で統率がとれず、貪欲で親しまず、勝てども譲らず、負けれども救わず、馬を駆ることを儀礼と思い、戦争や狩猟を農耕や漁労と心得、風雨にさらされても労とせず、野宿や草原を進むことも苦とせず、さらには騎馬戦の利を恃みとして、連年国境を侵しております。 臣が聞き及びますところ、兵には三つの陣がございます。日月風雲は天の陣。山陵水泉は地の陣。兵車士卒は人の陣。いま地の陣を用いて険難を設け、水泉を集めて溜池を作り、それを連綿と滄海に導けば、敵の騎兵の到来にも気勢を削がれることはありません。さきほど契丹が国境を侵したとき、高陽の一路のみ、東は海を背後に置き、西は順安を恃みとし、官民ともに安全でした。これは屯田の賜です。いま順安の西から西山にいたるまで、数軍の地をまたぐとはいえ、距離はわずかに百里。丘陵あり、川泉も多くございます。これを広げて溜池を設ければ、おのずと国境の問題も止みましょう。 いま国境周辺の守将には不当な者が多く、『詩経』や『書経』を悦ばず、礼や楽を習わず、境界を守ることもできず、制禦にも心得がなく、ややもすれば国家を危険にさらしております。たとえ彼等では貔虎のような勇猛な兵隊を指揮しても、犬羊ほどの弱々しい集団すら止められないでしょう。 臣が兵法について考えますに、およそ用兵の道は、計略によって彼我の情実を知ることにあります。将軍はどちらが有能か、天地はどちらに有利か、法令はどちらが行き届いているか、兵はどちらが強いか、士卒はどちらが熟練しているか、賞罰はどちらが正しいか。等々――これが敵を計り勝利を制する方法です。これを理解して戦争すれば必ず勝ち、さもなくば必ず敗れます。そもそも思慮もなく敵を軽んずるものは、必ず敵に敗れることになります。陛下におかれましては、慎重に優れた官吏を選び、国境周辺の民を治めさせ、手厚い俸禄を与えることで彼等を満足させ、権威を貸しすことで彼等に禁令を守らせるようにして頂きたい。この後で城の溝を深くし、防塁を高くし、兵馬を養い、兵卒を鍛え、戦守の備えとするのです。仁を修め、徳を重んじ、恩恵を施し、按撫の道を広げるのです。士卒を訓練し、田野を開き、農耕を進め、米穀を蓄え、凶作の年に備えるのです。長戟を整備し、勁弩を鍛え、砦を繕い、外患を防ぐのです。敵がやって来れば防禦し、逃げ去れば備えを設ける。こうすれば国境周辺は安定するでしょう 臣はまたこのようにも聞いております。――古代の優れた王は、官吏や人民を安住させ、土俗に従って教化し、能力あるものを選んで不慮の事に備えた、と。斉の桓公や晉の文公は、兵を集めて隣国を服従させました。つまり強国の君主は、必ずその人民の中から勇猛なものを集めて一卒(軍人百人のこと)とし、喜び全力で戦う忠勇のものを集めて一卒とし、跳躍して善戦するものを一卒とします。この三者は兵の中でも精鋭のものです。内から出ては囲みを破り、外に出ては城を破ることができます。そのうえ小大は形を異にし、強弱は勢を異にし、険易は備えを異にします。身を卑しくして強者に仕えるのは小国の形です。夷狄でもって夷狄を伐つのは中国の形です。ですから陳湯が西域を治めると郅支は滅び、常恵が烏孫を用いると辺境は安定しました。また勇気ある者、戦いを楽しむ者、命を軽んずる者を集めることは、古代の良策です。試みに行って頂きたい。 また辺境の人は勇壮なものが多く、国外の情実や山川の形勢も知っております。辺境に軍営を設けて人を集め、品格や能力を問わず、ただ若く勇壮で武芸あるもの一万人を求めるのです。契丹に万一があったときには、知勇あるものに彼等を指揮させれば、必ずや大きな功績があがり、中国にとっての長計となるでしょう。 また榷場の設置についてですが、先朝は随時に処置なされ、契丹に恩恵を与えておられました。彼等が盟約に違反してもこれを廃止しなかったのは、中国のあり方を示したものと言えるでしょう。いま国境周辺の榷場は契丹の侵略のため停止しております。去年、臣が申し上げたことにより、雄州に榷場を設けて茶を売りましたところ、物資は移動しましたが、辺境の民の移動はありませんでした。これについて朝廷の大臣に諮問し、可否を議論していただきたい。もし文武官の中で持論あるものがおれば、必ずやよい方策があるはずです。そのものに辺境の任務を委せ、その政策を実施させ、事の成否でもって責任を取らせるのです。空論浮議で陛下の聡明を惑わすとどうなるかは、霊州〔の陥落〕がいい証拠になるでしょう。ましてこの契丹は夏州の比ではありません。(1) (14)四年(1001)冬十月、契丹が進入したので、王顕を鎮定高陽関三路都部署に命じて防衛させた。この月、顕は遂城で契丹を打ち破り、二万余を殺した。契丹は満城まで進軍してから引き返した。 (15)六年(1003)夏四月、契丹の耶律奴瓜と蕭撻凜が定州を襲った。 高陽関副都部署の王継忠は大将王超・桑賛らと兵を率いて康村まで向かい、奴爪と戦った。継忠は東方に陣取っていたが、敵の計略に陥り、兵粮の道を断たれた。超と賛は怖じ気づいて軍を撤退させたが、継忠だけは麾下の兵とともに馬を走らせた。継忠の装飾は兵卒と違っていたため、契丹に感づかれ、数重にも包囲された。軍卒はみな決死の覚悟で戦い、戦っては進み戦っては進み、西山に沿って北上した。白城まで進むと力尽き、ついに捕らえられた。帝は継忠の敗北を知り、すでに死んだものと思い、褒美として官を贈った。継忠は契丹の主に炭山で謁見した。蕭太后は継忠の才智を惜しみ、戸部使を授けた。 (16)景徳元年(1004)八月、畢士安と寇準を同平章事とした。 これ以前、士安は参知政事となると、謝礼のため帝を謁見した。すると帝は「まだだなあ。誰かに君を補佐させようと思ってるんだが」と言い、「誰を参知政事にしたらいいと思う」と尋ねた。 士安、「寇準は忠義を兼ね備えております。大事を決断するに当たっては、私も彼には及びません。」 帝、「剛腹に過ぎるという噂も聞いたのだが。」 士安、「準は我が身を忘れて国に殉じ、正しき道を信じて邪悪を悪む男です。だから世間には喜ばぬものがおるのでしょう。いま中国の民は陛下の恩恵を忝なくしているとはいえ、北戎の跋扈は辺境の問題となっております。準のような男こそ必要です。」 帝、「分った。」 かくしてこの任命があった。 (17)九月、契丹が大挙して侵入した。 当時、契丹兵が内地にまで進入したというので、天下は騒然となった。帝は群臣を集めて対策を問うたところ、王欽若は〔江西の〕臨江出身だというので、金陵に避難するよう申し出た。また陳堯叟は〔四川の〕閬州出身だというので、成都に避難するよう申し出た。 そこで帝は準に意見を求めた。 準、「この二策を申し出たのは誰でしょうか。」 帝、「まずはこの二策の是非を判断して欲しい。誰がいったかは聞かないでほしい。」 準、「私はそのものを捕らえて斬り、軍太鼓の生贄にしとうございます。それが追われば北伐あるのみです。陛下の神武と将臣の協和、この二つをもつ陛下が親征を断行なされたなら、敵はみずから逃げ出すでしょう。逃げぬというなら、騎兵を出して敵の謀略を攪乱し、守りを固めて敵軍を疲弊させるのです。どちらが疲弊し、どちらが安逸か。――勝算は我にあります。それだのに社稷を棄て去り、楚や蜀に逃げるようなどと言い出せば、人々の心は崩れ落ち、敵はこの勢いに乗して中国奥深くにまで侵入いたしましょう。そうなれば、もはや二度と天下を手に入れることはできますまい。」 帝は意を決し、また準にたずねた。――「敵は侵略は速い。天雄軍は守りの要だ。万一にも陥落するようなことがあれば、河朔の地はみな敵のものになってしまうだろう。誰に守らせればよいか。」すると準は王欽若を薦め、「すぐに呼び出し、陛下がじかに敕書を与えて赴かせるとよいでしょう。」欽若はやって来ると、茫然としてまだ何も言えないうちに、準はせかしてこう言った。――「主上が親征なさるのだ。臣子として困難を辞すべきときではない。参政は国の舵を執るもの。この意を実践してほしい。」欽若はこの気迫に押され、辞退できなくなった。 (18)閏月乙亥(二十四日)、参知政事の王欽若を判天雄軍兼都部署とした。 (19)契丹の君主隆緒とその母蕭氏は、その都軍の順国王蕭撻覧に威虜軍と順安軍を攻撃させた。しかし三路の都部署はこれを撃退し、副将を斬って物資を奪った。 また北平砦と保州を攻めたが、再び州や砦の兵に敗北した。撻覧と契丹の君主とその母は兵を合わせて定州を攻めたが、宋の兵は唐河で防ぎ、遊撃騎兵を攻め立てた。契丹はついに二十万の兵を陽城淀に留めると、遊撃騎兵を出して掠奪を行い、少しでも不利になればすぐに兵を引き返すといったように、気ままに立ち回り、戦う意思を示さなかった。寇準はこれを聞くと、「我等を侮っているのだ。精鋭を将軍に与え、要害の地を守らせなければならぬ」と言った。 このとき、かつて宋の将軍だった王継忠は、契丹のために和平の利を説きいた。契丹は継忠の発言を認め、李興に継忠の書状と密表を持たせ、莫州部署の石普のもとに派遣し、そこで和平について議論させた。普は朝廷にこれを報告したが、朝廷首脳に是非を判断できるものはいなかった。 畢士安は契丹を手なずけ、段階をふんで和平を許してはどうかと言った。 帝、「敵はあれほど兇悪なのだ。和平は保ち得まい。」 士安、「むかし契丹の投降者を捕らえたのですが、そのものが言うには、中国内地に侵入しても跳ね返されることが多く、思ったほどに利を得られなかった。だから撤退したいと思うのだが、それでいて戦功を立てられないことに恥を感じている、と。ならば彼等もその心の中では、隙に乗じて誰かが本拠地を攻めやしないかと、戦々恐々なのです。恐らくこのたびの要求は嘘ではありますまい。継忠の上奏について、臣は容れられるべきだと心得ます。」 このため帝あ継忠に詔書を与えてこう言った。――「朕はあくまで戦争を求めるものではなく、むしろ争いを止めたいと望んでいる。もし和平を望むのなら、すぐにでも使者をつかわすがよい。」 (20)己卯(二十八日)、高継勲は兵を率いて岢嵐軍で契丹を破った。李延渥はまた瀛州で破った。 (21)冬十月、曹利用を契丹軍に派遣した。 当時、契丹に戦利が乏しく、さらに王継忠が和平を上奏してきたこともあり、帝は利用を派遣した。利用が契丹軍を訪れると、蕭太后は関南の地を求めたが、利用は拒絶した。 (22)十一月庚午(二十日)、帝は親征を決定し、その車駕が京師を出発した。李継隆と石保吉を駕前排陣使とした。 この日、司天がこう言った。――「太陽が暈(かさ)を包み、黄気が充ち塞がっております。戦わずに退くべきです。」 (23)癸酉(二十三日)、韋城県に到着した。 (24)甲戌(二十四日)、寒さのため近臣が貂帽毳裘を差し出すと、帝はそれを退け、「臣下が寒さに苦しんでいるときに、朕だけが着れるものだ」と言った。 (25)壬申(二十二日)、契丹兵が前軍の前に陣を張った。まだ接戦になる前、蕭撻覧が地形を調べるべく陣から出たところ、李継隆の部将張瓌がその牀小弩で射殺した。撻覧には機略武勇があり、その麾下はみな精鋭だった。撻覧が死ぬと、敵は戦意を喪失させた。 当時、王欽若は天雄軍にあったが、城門を閉ざし、無為無策で、ただ身を清めてお経を唱えるだけだった。安肅軍の守臣魏能と広信軍の守臣楊延朗は敵境に最も接近しており、敵兵に包囲にされていたが、百戦してなおも屈服しなかった。敵兵が国境まで退くと、延朗はこれを追撃して転戦して勝利を収めた。そのため当時の人は二軍を銅梁門・鉄遂城と名付けた。二将が敵の攻撃を防ぎきったからである。 (26)王旦を東京留守とした。 これ以前、帝は親征に際して、雍王元份を東京留守とし、旦らはみな帝に従って戦地に向かった。ここに至り、元份が急病に倒れたと報告されたため、旦を東京に帰還させ、元份に代えて東京留守とした。 旦、「寇準を呼び下さい、申したいことが御座います。」準がやって来ると、旦はこう申し上げた。――「十日しても勝利の報告がなかった場合、如何に処置すればよいでしょうか。」帝は黙り込んでしまったが、しばらくして「太子を立てよ」と言った。 旦は京師に到着すると、すぐに禁中に入ると厳命を下した。このため誰一人として内情を漏らすものはなかった。 (27)丙子(二十六日)、帝は澶州に到着した。 ここでも金陵遷都を申し出るものがおり、少しく帝に迷いの色が生じた。そこで寇準に意見を求めた。 準、「陛下は一尺でも多く進まねばならず、一寸も退いてはなりません。河北の諸軍は日夜陛下の到来を待ちこがれ、その士気は百倍しております。もし陛下が数歩でも退かれたなら、万余の軍は瓦解するでしょう。敵がその背後に乗じたなら、金陵にも到着できますまい。」 準は退出すると殿前都指揮使の高瓊に出会った。 準、「太尉は国の厚恩を受けておられるが、今日にあってそれにどう報いられるおつもりか。」 瓊、「命をかけるまでです。」 準は帝の御前にもどると、瓊は庭に立った。 準、「陛下がもし私の言葉をお疑いなら、試みにそこの瓊に問われなさいませ。」 瓊はすぐに「寇準の発言は正しい」と言った。 準、「時機を失ってはなりません。すぐに出発なされませ。」 かくして帝は軍を進め、澶州の南城まで到達した。遠くから契丹軍の盛強さ目にして、多くの人々は車駕を止めるよう申し出た。しかし寇準は力強くこう言った。――「もし陛下が河を渉らなければ、人々に動揺が生じ、敵の恐れはしません。これでは勝機を掴むことはできません。王超は精鋭を率いて中山の要害に駐屯しており、李継隆と石保吉は大軍を率いて左右を守っており、四方の軍将の来援も毎日のように到着しております。何に迷って進まれないのです。」高瓊も強く賛成したので、帝は衛兵に車駕を進めさせた。かくして帝は河を渉り北城の城門に到着し、諸将をよびよせ慰撫した。車駕を望み見たものは、遠きも近きも勇躍して万歳を叫び、声は数十里まで届いた。たまたま鄆州で契丹の諜者が捕らえられ、連行されてきたので、これを斬り捨てた。かくして契丹兵の間に動揺が広がった。 帝はすべての軍権を準に一任した。準は制を称して専決したが、号令は明白肅然だった。士卒はこれを畏れるとともに悦びもした。ほどなく契丹兵数千騎が城下に迫ったので、士卒に迎え撃たせ、敵兵半数近くを斬殺捕縛したため、契丹兵は引き返した。 帝は行宮にもどると、準を城北に留めた。こっそり寇準の行動を調べさせると、準は知制誥の楊億と賭博や飲酒にふけり、歌や冗談に興じていた。帝は「準がこんな調子なら、なにも心配することはない」といって喜んだ。 (28)十二月庚辰(一日)、契丹は韓杞に書状をもたせ、曹利用ととともに〔宋軍を〕訪れ、和平を求めてきた。 契丹は関南の地を求めていると利用から報告があったが、帝は「土地の返却については全く大義名分がない。どうしてもというなら、朕には戦う決意がある。しかし財貨が欲しいというのなら、漢は玉帛を単于に与えたというではないか、このような故事もあることだから許してやろう。」 しかし準は財貨の下賜を認めず、さらには〔契丹が宋に対して〕臣と称すべきこと、幽州や薊州を献上することをも望んでおり、一計を案じてこう主張した。――「私の主張通りにしてこそ、百年の無事が保証できるというものです。さもなくば数十年の後にまた夷狄が野心を抱くことになりましょう。」しかし帝は「数十年後にもまた我が国を守るものが現れよう。私は人々の苦しみを坐視できない。しばらく和平を許せばよいではないか」と言った。準はなおも認めなかったが、「準は兵権を利用して権勢を得ようとしている」と讒言するものがいたため、契丹との和盟を許した。 再び曹利用を契丹軍に派遣し、歳幣について議論させることになった。帝は「どうにもならねば百万でもいい」と言った。準はこれを耳にすると、利用を帷幄に呼び入れ、「陛下のお許しがあろうと、三十万を過ぎれば私がお前を斬る」と言いつけた。 利用が契丹軍に到着すると、蕭太后はこう言った。――「晉は我に関南を与えたが、周の世宗はこれを奪った。ならばいま返還されるべきではないか。」 利用、「晉や周のことは我が朝の知るところではありません。もし歳幣の金帛を軍費に充てることすら、帝が納得されるかどうか分からぬものを。地を割譲せよなどと、とても帝に申し上げるわけに参りません。」 契丹の政事舎人高正始は急ぎ進み出ると、「我々が大軍を率いてやって来たのは、〔関南の〕故地を回復せんがため。もし金帛だけで国に帰ろうものなら、我が国の人々になんと申し開きをしてよいものか。」 利用、「貴君はどうして契丹のために熟慮せぬのだ。契丹が貴君の計を用いたなら、恐らくは戦端が開かれ不和を起こし、国の利益にはなるまい。」 契丹はなおも関南の地を求め、監門衛大将軍の姚東之に書状を持たせ、〔宋と〕議論させた。しかし帝はこれを許さず、東之は契丹軍に戻った。かくして利用はついに銀十万両、絹二十万匹で和約を成立させて帰還した。 (29)癸未(四日)、帝は李継隆の陣営に出向き、従軍の将校に飲食を与えた。諸軍にも身分に応じて褒美を与えた。詔を下し、軍事の終了を両京に伝えさせた。 (30)甲申(五日)、契丹は姚東之を派遣し、御衣や食物を献上させた。 (31)乙酉(六日)、帝は陣営の南楼に出向いて江河を眺め、そこで側近および契丹の使者と宴会を催した。 (32)丙戌(七日)、李継昌を派遣し、和盟を締結させた。また諸将には契丹の帰路を勝手に攻撃しないよう戒めた。 (33)甲午(十五日)、車駕が澶淵を出発した。 (34)乙未(十六日)、契丹は丁振を派遣して誓書を送り届けた。かくして契丹は帝に兄事することになった。 (35)丁酉(十八日)、契丹の兵が国外に出た。 (36)戊戌(十九日)、帝は澶淵から帰還した。 (37)辛丑(二十二日)、契丹の誓書を書き写し、両河の諸州に頒布した。 (38)二年(1005)春正月庚戌朔、契丹との和議が成立したことにより、天下に大赦した。 (39)壬子(三日)、河北諸州の強兵を帰農させ、諸路の行営を罷め、鎮・定両路を一路とし、北面部署・鈐轄・都監・使臣二百九十余人、河北の守備兵の十分の五、辺境守備兵の三分の一を省いた。 詔を下した。――「国境沿辺のものは国境を出て掠奪してはならぬ。契丹の馬牛を手に入れた場合はすべて返還せよ。」交易を行い、城池を修復し、流浪者を招き、貯蓄を広げた。こうして河北の民の生活は安定した。すべて畢士安の策略の賜である。 また士安は国境要害の地に守将を配置するよう求めた。そこで馬知節を定州知事、楊延昭を保州知事、李充則を雄州知事、孫全照を鎮州知事とした。他の地区の守将もみな適任者であった。 これ以後、契丹と和約を結んだことから、慶弔の使者があれば国信司に任せ、これを宦官に管理させた。 (40)二月癸卯(二十五日)、太史中允の孫僅を契丹に派遣し、契丹の太后の生辰(誕生日)を慶賀させた。また書状を送り、みずから南朝と称し、契丹を北朝とした。直史館の王曾が「『春秋』は夷狄を中国として扱わず、爵位も子爵に止めております。契丹の国号に随えば十分です。なぜ両朝として扱うのです」と批判したが、帝は聞き入れなかった。 (41)秋七月、歳幣を契丹に送った。これ以後、毎年送った。 (42)冬十月、職方郎中の韓国華を契丹に派遣し、正月元旦を祝賀させた。 (43)十一月、契丹は使者を派遣し、承天節(真宗の生辰)を慶賀させた。 (44)十二月、契丹は使者を派遣し、明年の正月元旦を祝賀させた。これ以後、毎年行うことになった。 (45)大中祥符元年(1008)夏四月、契丹は使者を派遣し、歳幣以外に銭幣を貸して欲しいと言ってきた。帝が宰相の王旦に尋ねた。 旦、「東封が近うございますので、これで朝廷の意向を探ろうというのでしょう。」 帝、「なんと答えればよい。」 旦、「粗末なものでもやって、軽くあしらってやればよろしいでしょう。」 そこで歳幣三十万以外に三万を貸し与え、それを来年分から除かせた。契丹はこれを受け取ると、大いに恥じ入った。 (46)二年(1009)十二月甲辰(二十四日)、契丹の太后蕭氏が卒した。 蕭氏には機略があり、巧みに大臣を任用し、彼等に死力を尽させた。〔宋に〕侵略するたび、みずから甲冑をまとって督戦した。和平のことも、彼女のその謀略から出たものである。しかし人となりは残忍で、人を殺すことが多かった。韓徳譲と姦通しては、耶律隆運なる姓名を与え、さらに大丞相を授け、晉王に封じた。ほどなくして徳譲も死に、陵墓の脇に附葬された。 (47)三年(1010)五月、契丹は回鶻を伐ち、肅州を破った。 (48)六月、契丹は飢饉となり、米の買い入れにやってきた。そこで雄州に詔を下し、粟二百万を与えた。 (49)冬十月、契丹は耶律寧に高麗討伐を報告させた。 これ以前、高麗の康肇はその主君誦を弑し、誦の兄の詢を立て、その宰相になった。契丹の君主隆緒は、群臣にむかって、「康肇は君主の誦を弑して詢を立て、宰相になった。これは大逆である。兵を派遣してその罪を問うべきではないか。」蕭敵烈は凶作を理由に時期尚早と主張したが、隆諸は聞き入れなかった。 十一月、契丹兵は鴨緑江を渡った。肇は敗れ、銅州まで撤退した。契丹は兵を進めてこれを捕らえ、ついに開京を攻めた。詢は城を棄てて平州まで逃げた。契丹は開京の宮室や府庫を焼き捨てて帰還した。これ以後、兵を用いること数年にしてようやく止んだ。 (50)乾興元年(1022)二月、帝が崩御した。 契丹の君主隆諸は、蕃族と漢族の大臣を集めて哀悼を捧げ、耶律僧隠らを弔祭に派遣した。〔燕京の憫忠寺に〕帝の御霊を置き、資福道場を建てさせたが、これは百日で完成した。各州軍に音楽の演奏を罷めさせ、契丹国の文字で帝の諱を犯したものは、すべて改めさせた。
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唐書巻一百九十一 列伝第一百一十六 忠義上 夏侯端 劉感 常達 敬君弘 謝叔方 呂子臧 馬元規 王行敏 盧士叡 李玄通 羅士信 張道源 楚金 李育徳 李公逸 張善相 高叡 仲舒 安金蔵 王同皎 潜 周憬 呉保安 李憕 源 彭 盧弈 元輔 張介然 崔無詖 夫有生所甚重者、身也。得輕用者、忠與義也。後身先義、仁也。身可殺、名不可死、志也。大凡捐生以趣義者、寧豫期垂名不朽而為之?雖一世成敗、亦未必済也、要為重所與、終始一操、雖頽嵩・岱、不吾壓也。夷・斉排周存商、商不害亡、而周以興。兩人至餓死不肯屈、卒之武王蒙慚徳、而夷・斉為得仁、仲尼變色言之、不敢少損焉。故忠義者、真天下之大閑歟!姦鈇逆鼎、搏人而肆其毒、然殺一義士、則四方解情、故亂臣賊子赩然疑沮而不得逞。何哉?欲所以為彼者、而為我也。義在與在、義亡與亡、故王者常推而褒之、所以砥礪生民而窒不軌也。雖然、非烈丈夫、曷克為之?彼委靡熟、偸生自私者、真畏人也哉!故次敍夏侯端以來凡三十三人于左方。 夏侯端、寿州寿春人、梁尚書左僕射詳孫也。仕隋為大理司直。高祖微時與相友、大業中討賊河東、表端為副。端邃数術、密語高祖曰:「玉牀搖、帝坐不安。晋得歳、真人将興、安天下之亂者、其在公乎!但上性沈忌、内惡諸李、今金才已誅、次且取公、宜蚤為計。」帝感其言。義師興、端在河東、吏捕送長安。帝入京師、釋囚、引入臥内、擢秘書監。 李密之降、関東地未有所屬、端請假節招諭、乃拜大将軍、為河南道招慰使。即伝檄州県、東薄海、南揵淮、二十餘州遣使順附。次譙州、會亳・汴二州刺史已降王世充、道塞、無所歸、計窮彷徨。麾下二千人糧盡不忍委端去、端乃殺馬宴大澤中、謂衆曰:「我奉王命、義無屈。公等有妻子、徒死無益。吾丐若首、持與賊以取富貴。」衆號泣不忍視、端亦泣、欲自刎、爭持之、乃止。行五日、餓死十四三。遇賊、衆潰、從者纔三十餘人、遂東走、擷豆以食。端持節臥起、歎曰:「平生不知死地乃在此!」縱其下令去、毋倶沒。會李公逸守州、勒兵迎端。時河南地悉入世充、公逸感端之節、亦固守。世充遣人以淮南郡公・尚書少吏部印綬召端、解所服衣以贈。端曰:「吾、天子使、寧汚賊官邪!非持首去不可見。」即焚書及衣、因解節毛懐之、間道走宜陽、歴崖峭榛莽。比到、其下僅有在者、皆體髮焦、人不堪視。端入謁、自謝無功、不及危困状。帝閔之、復拜秘書監。出為梓州刺史。散禄稟周孤窮、不為子孫計。貞観元年卒。 劉感、岐州鳳泉人、後魏司徒豊生孫也。武徳初、以驃騎将軍戍涇州、為薛仁杲所圍、糧盡、殺所乘馬啖士、而煮骨自飲、至和木屑以食。城垂陷、長平王叔良救之、賊乃解。與叔良出戰、為賊執、還圍涇州、令感約城中降。感紿諾、至城下大呼曰:「賊大飢、亡在朝暮、秦王数十万衆且至、勉之無苦。」仁杲怒、執感埋其半土中、馳射之。至死、詈益甚。 賊平、高祖購得其尸、祭以少牢、贈瀛州刺史、爵平原郡公、封戸二千、謚忠壮。詔其子嗣封爵、賜田宅焉。 常達、陝州陝人。仕隋為鷹撃郎将。嘗從高祖征伐、與宋老生戰霍邑、軍敗自匿、帝意已死、久乃自歸。帝大悅、命為統軍、拜隴州刺史。 時薛舉方彊、達敗其子仁杲、斬首千級。舉遣将仵士政紿降、達不疑、厚加撫接。士政伺隙劫之、并其衆二千歸賊。舉指其妻謂達曰:「識皇后乎?」答曰:「彼癭老嫗、何所道?」舉奴張貴又曰:「亦識我否?」達瞋目曰:「若乃奴耳。」貴忿、舉笏撃其面、達不為懾、亦拔刀逐之、趙弘安為蔽捍、乃免。仁杲平、帝見達、勞曰:「君忠節、正可求之古人。」為執士政殺之、賜達布帛三百段、以達并劉感事授史臣令狐徳棻云。終隴西刺史。 敬君弘、絳州絳人、北斉尚書右僕射顯曾孫也。累功歴驃騎将軍、封黔昌侯。以屯營兵守玄武門。隠太子之死、左右解散。其車騎将軍馮立者、有材武、歎曰:「生賴其寵、死不共難、我無以見士大夫!」乃與巣王親将謝叔方率兵攻玄武門、殊死鬭。君弘挺身出、或曰:「事未可判、當按兵待變、成列而鬭可也。」不從。與中郎将呂世衡呼而進、皆戰歿。立顧其下曰:「足以報太子矣。」遂解兵走。君弘等敗、秦府兵不振。尉遲敬徳擲巣王首示叔方、叔方下馬慟、亦出奔。明日自歸、太宗曰:「義士也。」置之。俄而立又至、帝讓曰:「汝離我兄弟、罪一也。殺我将士、罪二也。何所逃死?」答曰:「出身事主、當戰之日、不知其它。」因伏地悲不自勝、帝亦勞遣之。詔贈君弘左屯衛大将軍、世衡右驍衛将軍。 立已蒙貸、歸語人曰:「上赦吾罪、吾當以死報。」未幾、突厥犯便橋、立引数百騎與虜薄、敗之咸陽。帝喜、授廣州都督。前日牧守苛肆、為蠻夷患、故数叛。立至、不事家産、衣食弗求贏。嘗見貪泉曰:「此豈隠之所酌邪?吾雖日汲、庸易吾性哉?」遂極飲去。在職不三年、有惠愛、卒于官。 叔方歴伊州刺史、善治軍、戎・華愛之。累加銀青光禄大夫、徙洪・廣二州都督。卒、謚曰勤。本万年人、從巣王征討有功、王表為屈咥真府左軍騎云。 呂子臧、蒲州河東人。剛直、健于吏。隋大業末為南陽郡丞、捕撃盜賊有功。高祖入京師、遣馬元規慰輯山南、独子臧堅守。元規遣士諷曉、子臧殺之。及煬帝已弑、帝更使其壻薛君倩齎詔、言隋所以亡、諭子臧。子臧為故君發喪訖、即送款、就拜鄧州刺史、封南陽郡公。 武徳初、朱粲新、子臧率兵與元規并力。元規軍不進、子臧曰:「乘賊新敗、上下惶沮、一戰可禽。若遷延、其衆稍集、吾食盡、致死於我、不可當也。」不納。子臧請以所部兵独進、又不許。俄而粲得衆、復張、元規嬰城、子臧扼腕曰:「謀不見用、坐公死矣。」賊圍固。會霖雨、雉堞崩剥、或勸其降、子臧曰:「我、天子方伯、且降賊乎?」乃率麾下数百人赴敵死、城亦陷、元規死之。 元規、安陸人。初以隊正從帝征伐、持節下南陽、得兵万餘、然無謀、至于敗。 王行敏、并州楽平人。隋末為盜長、高祖興、來降、拜潞州刺史、遷屯衛将軍。劉武周入并州、寇上黨、取長子・壺関。或言刺史郭子武懦不支、且失潞、帝遣行敏馳往。既至、與子武不、賊圍急、儲偫空乏、衆恫懼、行敏患之。會有告子武謀反、遂斬之。州民陳正謙者、以信義稱郷里、出粟千石済軍、由是人自奮、賊乃去。行敏又敗竇建徳兵於武陟。武徳四年、督兵徇燕・趙、與劉黒闥戰歴亭、破之。既而釋甲不設備、為黒闥所掩、縛致麾下。終不屈、賊遂斬之。且死、西向跪曰:「臣之忠、惟陛下知之。」帝聞而悼惜。 黒闥之亂、死事者又有盧士叡・李玄通。 士叡客韓城。隋亂、結納英豪。高祖與之舊、及兵興、率数百人上謁汾陰、又使兄子諭降劇賊孫華、與劉弘基敗隋将桑顯和於飲馬泉。擢累右光禄大夫、為瀛州刺史。黒闥遣輕騎破其郛、拒戰半日、士見親屬係虜、乃潰。士叡為賊擒、欲使説下城堡、不從、見殺。 玄通、藍田人。為隋鷹揚郎将、高祖入関、率所部自歸、拜定州總管。為黒闥所破、愛其才、欲以為将。玄通曰:「吾當守節以報、烏能降志賊邪?」不聽、囚之。故吏有餉飲餽者、玄通曰:「諸君見哀、吾能一醉。」遂縱飲、謂守者曰:「吾能剣舞、可借刀。」守士與之。曲終、仰天太息曰:「大丈夫撫方面、不能保所守、尚何視息邪?」乃潰腹死。帝為流涕、擢其子伏護大将軍。 羅士信、斉州歴城人。隋大業時、長白山賊王薄・左才相・孟讓攻斉郡、通守張須率兵撃賊。士信以執衣、年十四、短而悍、請自。須疑其不勝甲、少之。士信怒、被重甲、左右鞬、上馬顧眄。須許之。撃賊濰水上、陣纔列、執長矛馳入賊營、刺殺数人、取一級擲之、承以矛、戴而行、賊皆眙懼無敢亢。須乘之、大破賊。士信逐北、毎殺一賊、輒劓鼻納諸懐、曁還、驗以代級。須歎伏、遺以所乘馬。凡戰、須先登、士信副、以為常。煬帝遣使圖須・士信陣法上内史。 後須為李密所殺、士信與裴仁基歸密、署總管、俾統所部討王世充。身被重創、見獲於世充。世充愛其才、厚遇之、與同寢食。後得密将邴元真等、故士信稍稍疏斥。士信恥與伍、率所部千餘人來降高祖、拜陝州道行軍總管、因謀世充。 士信行則先鋒、反則殿、有所獲、悉散戲下有功者、或脱衣解馬賜之、士以故用命。然持法嚴、至親舊無少貸、其下亦不甚附。師次洛陽、攻千金堡、有惡言軍、士信怒、夜遣百人載嬰兒譟堡下、若自東都出奔者、既而陽悟曰:「非也、此千金堡耳。」因散去。堡兵開門追掠、士信伏入、屠之無類。賊平、授絳州總管、封郯国公。 從秦王撃劉黒闥洛水上、得一城、王君廓戍之、賊急攻、潰而出。王語諸将:「孰能守此?」士信曰:「願以守。」乃命之。士信已久、賊悉衆攻、方雨雪、救軍不得進。城陷、黒闥欲用之、不屈而死、年二十八。王隠悼、購其尸以葬、謚曰勇。初、士信為仁基所礼、及東都平、出家財斂葬北邙以報徳、且曰:「我死當墓其側。」至是、如所志。 張道源、并州祁人、名河、以字顯。年十四、居父喪、士人賢其孝、県令郭湛署所居曰復礼郷至孝里。道源嘗與客夜宿、客暴死、道源恐主人忽怖、臥尸側、至曙乃告、又徒歩護送還其家。隋末政亂、辭監察御史、歸閭里。 高祖興、署大将軍府戸曹参軍。至賈胡堡、復使守并州。京師平、遣撫慰山東、下燕・趙。有詔褒美、封累范陽郡公。淮安王神通略定山東、令守趙州、為竇建徳所執。會建徳寇河南、間遣人詣朝、請乘虚擣賊心脅。即詔諸将率兵影接。俄而賊平、還、拜大理卿。時何稠得罪、籍其家屬賜臣。道源曰:「禍福何常、安可利人之亡、取其子女自奉?仁者不為也。」更資以衣食遣之。天子見其年耆、拜綿州刺史。卒、贈工部尚書、謚曰節。道源雖官九卿、無産貲、比亡、餘粟二斛。詔賜帛三百段。 族孫楚金有至行、與兄越石皆舉進士。州欲独薦楚金、固辭、請倶罷。都督李勣歎曰:「士求才行者也。既能讓、何嫌皆取乎?」乃並薦之。累進刑部侍郎。儀鳳初、彗見東井、上疏陳得失。高宗欽納、賜物二百段。武后時、歴秋官尚書、爵南陽侯。有清、然尚文刻、當時亦少之。為酷吏所構、流死嶺表。 李育徳、趙州人。祖諤、仕隋通州刺史、為名臣。世富于財、家僮百人。天下亂、乃私完械甲、嬰武陟城自保、人多從之、遂為長。劇賊來掠、不能克。隋亡、與柳燮等歸李密、私署總管。密為王世充所破、以郡來降、即拜陟州刺史。 兄厚徳、自賊所逃歸、度河復被執。賊使招育徳、陽許之、故兄不死。賊帥段大師令裨校以兵守厚徳、陰得其驩、乃與州人賈慈行謀逐賊。慈行夜登城呼曰:「唐兵登矣!」厚徳自獄擁囚譟而出、斬長史、衆不敢動、大師縋城走。即拜殷州刺史。厚徳省親、留育徳以守、引兵拔賊河内堡三十一所。世充怒、悉鋭士攻之、城陷、猶力戰、與三弟皆歿。 時死節者又有李公逸・張善相、凡三人。 公逸者、與族弟善行居雍丘、以材雄、為衆所歸。始附王世充、策其必敗、乃獻款高祖、因其地置州、即拜總管、封陽夏郡公。以善行為刺史。世充遣其弟将徐・亳兵攻之、公逸請援、未報、因使善行守、身入朝言状。至襄城、為賊邏送洛陽。世充曰:「君越鄭臣唐、何哉?」答曰:「我於天下唯聞有唐。」賊怒斬之。善行亦死。帝悼惜、封其子襄邑県公。 善相、襄城人。大業末為里長、督兵盜、為衆附賴、乃據許州奉李密。密敗、挈州以來、詔即授伊州總管。王世充攻之、屢困賊、遣使三輩請救、朝廷未暇也。會糧盡、衆餓死、善相謂僚屬曰:「吾為唐臣、當命。君等無庸死、斬吾首以下賊可也。」衆泣不肯、曰:「與公同死、愈於独生。」城陷被執、罵賊見殺。高祖歎曰:「吾負善相、善相不負我!」乃封其子襄城郡公。 高叡、京兆万年人、隋尚書左僕射熲孫也。舉明經、稍遷通義令、有治勞、人刻石載徳。歴趙州刺史、平昌県子。聖暦初、突厥默啜入寇、叡嬰城拒、虜攻益急。長史唐波若度且陷、即與虜通。叡覺之、力不能制、即自經。不得死、為虜執、使降諭諸県、不肯應、見殺。初、虜至、有為叡計者:「突厥鋭、所向無完、公不能亢、且當下之。」答曰:「我、刺史、不戰而降、罪大矣。」武后歎惜、贈冬官尚書、謚曰節。詔誅波若、籍其家。下制暴叡忠節・波若臣賊、使天下知之。 子仲舒、通故訓学、擢明經、為相王府文学、王所欽器。開元初、宋璟・蘇頲當秉、多咨訪焉。時舍人崔琳練達政宜、璟等礼異之。常語人曰:「古事問高仲舒、時事問崔琳、何復疑?」終太子右庶子。 安金蔵、京兆長安人。在太常工籍。睿宗為皇嗣、少府監裴匪躬・中官范雲仙坐私謁皇嗣、皆殊死、自是公卿不復見、唯工優給使得進。俄有誣皇嗣異謀者、武后詔來俊臣問状、左右畏慘楚、欲引服。金蔵大呼曰:「公不信我言、請剖心以明皇嗣不反也。」引佩刀自剚腹中、腸出被地、眩而仆。后聞大驚、輿致禁中、命高醫内腸、褫桑紩之、閱夕而蘇。后臨視、歎曰:「吾有子不能自明、不如爾之忠也。」即詔停獄、睿宗乃安。當是時、朝廷士大夫翕然稱其誼、自以為弗及也。 神龍初、母喪、葬南闕口、營石墳、晝夜不息。地本卬燥、泉忽湧流廬之側、李冬有華、犬鹿相擾。本道使盧懐慎上其事、詔表闕于閭。景雲時、遷右武衛中郎将。玄宗屬其事於史官、擢右驍衛将軍、爵代国公。詔鑱其名於泰・華二山碑以為榮。卒、配饗睿宗廟廷。大暦中、贈兵部尚書、謚曰忠。以子承恩為廬州長史。中和中、又擢其遠孫敬則為太子右諭徳。 王同皎、相州安陽人、陳駙馬都尉寬曾孫也。陳亡、徙河北。長安中、尚太子女安定郡主、拜典膳郎。太子、中宗也。桓彦範等誅二張、遣同皎與李湛・李多祚即東宮迎太子、請至玄武門指授諸将。太子拒不許、同皎進曰:「逆豎反道、顯肆不軌、諸将與南衙執事刻期誅之、須殿下到以係衆望。」太子曰:「上方不豫、得無不可乎?」同皎曰:「将相毀家族以安社稷、奈何欲内之鼎鑊乎?太子能自出諭之、衆乃止。」太子猶豫、同皎即扶上馬、從至玄武門、斬関入。兵趨長生殿太后所、環侍嚴定、因奏誅易之等状。帝復位、擢右千牛将軍、封琅邪公、食實戸五百。主進封公主、拜同皎駙馬都尉、遷光禄卿。 神龍後、武三思烝濁王室、同皎惡之、與張仲之・祖延慶・周憬・李悛・冉祖雍謀、須武后靈駕發、伏弩射殺三思。會播州司兵参軍宋之愻以外妹妻延慶、延慶辭、之愻固請、乃成昏。延慶心厚之、不復疑。故之愻子曇得其實。之愻兄之問嘗舍仲之家、亦得其謀。令曇密語三思。三思遣悛上急變、且言同皎欲擁兵闕下廢皇后。帝殊不曉、大怒、斬同皎於都亭驛、籍其家。同皎且死、神色自如。仲之・延慶皆死。憬遁入比干廟自剄、将死、謂人曰:「比干、古忠臣、神而聰明、其知我乎!后・三思亂朝、虐害忠良、滅亡不久、可干吾頭国門、見其敗也。」憬、寿春人。後太子重俊誅三思、天下共傷同皎之不及見也。睿宗立、詔復官爵、謚曰忠壮。誅祖雍・悛等。 先是、許州司戸参軍燕欽融再上書斥韋后擅政、且逆節已萌。后怒、勸中宗召至廷、撲殺之。宗楚客復私令衛士極力、故死。又博陵人郎岌亦表后及楚客亂、被誅。至是、倶贈諫議大夫、備礼改葬、賜欽融一子官。 同皎子繇尚永穆公主、生子潜、字弘志。生三日、賜緋衣・銀魚。幼莊重、不喜兒弄。以帝外孫、補千牛、復選尚公主、固辭。元和中擢累将作監。吏或籍名北軍、輒驕墯不事、潜悉奏罷之、故不戒而辨。監無公食、而息錢舊皆私有、至潜、取以具食、遂為故事。 遷左散騎常侍、拜涇原節度使。憲宗與對、大悅、曰:「吾知而善職、我自用之。」潜至鎮、繕壁壘、積粟、構高屋偫兵、利而嚴。遂引師自原州踰硤石、取虜将一人、斥烽候、築歸化・潘原二壘。請復城原州、度支沮議、故原州復陷。穆宗即位、封琅邪郡公、更節度荊南。疏吏惡、榜之里閭、殺尤縱者。分射三等、課士習之。不能者罷、故無冗軍。大和初、検校尚書左僕射。卒于官、贈司空。 呉保安字永固、魏州人。氣挺特不俗。睿宗時、姚・巂蠻叛、拜李蒙為姚州都督、宰相郭元振以弟之子仲翔託蒙、蒙表為判官。時保安罷義安尉、未得調、以仲翔里人也、不介而見曰:「願因子得事李将軍可乎?」仲翔雖無雅故、哀其窮、力薦之。蒙表掌書記。保安後往、蒙已深入、與蠻戰沒、仲翔被執。蠻之俘華人、必厚責財、乃肯贖、聞仲翔貴冑也、求千縑。會元振物故、保安留巂州、營贖仲翔、苦無貲。乃力居貨十年、得縑七百。妻子客遂州、間関求保安所在、困姚州不能進。都督楊安居知状、異其故、資以行、求保安得之。引與語曰:「子棄家急朋友之患至是乎!吾請貣官貲助子之乏。」保安大喜、即委縑于蠻、得仲翔以歸。始、仲翔為蠻所奴、三逃三獲、乃轉鬻遠酋、酋嚴遇之、晝役夜囚、沒凡十五年乃還。 安居亦丞相故吏、嘉保安之誼、厚礼仲翔、遺衣服儲用、檄領近県尉。久乃調蔚州録事参軍、以優遷代州戸曹。母喪、服除、喟曰:「吾賴呉公生吾死、今親歿、可行其志。」乃求保安。于時、保安以彭山丞客死、其妻亦沒、喪不克歸。仲翔為服縗絰、囊其骨、徒跣負之、歸葬魏州、廬墓三年乃去。後為嵐州長史、迎保安子、為娶而讓以官。 李憕、并州文水人。或言其先出興聖皇帝、譜系疏晦、不復伝。父希倩、神龍初右臺監察御史。憕少秀敏、舉明經高第、授成安尉。張説罷宰相、為相州刺史、坐有善相者、説問官屬後孰當貴、工指憕及臨河尉鄭巌、説以女妻巌、而歸其甥陰於憕。會母喪免。自武功尉以政尤異遷主簿。説在并州、引憕置幕府。及執政、為長安尉。宇文融括天下田、高選官屬、多致賢以重其柄。表假憕監察御史、分道検覈。以課真拜御史。坐小累、下除晋陽令。三遷給事中。力于治、有任事稱、明簿最、下無敢紿。失李林甫意、出為河南少尹。尹蕭炅内倚權、骫法殖私、憕裁抑其謬、吏下賴之。道士孫甑生以左道幸、託祠事往來嵩・少間、干請亂吏治、憕不為應、故挾炅譖諸朝。天宝初、除清河太守。舉美政、遷廣陵長史、民為立祠賽祝、歳時不絶。以捕賊負、徙彭城太守。封酒泉県侯。連徙襄陽・河東、並兼採訪處置使。入為京兆尹。楊国忠惡之、改光禄卿・東京留守。 安禄山反、玄宗遣封常清募兵東京、憕與留臺御史中丞盧弈・河南尹達奚珣繕城壘、綏勵士卒、将遏賊西鋒。帝聞、擢礼部尚書。禄山度河、號令嚴密、候詗不能知。已陷陳留・滎陽、殺張介然・崔無詖、不数日、薄城下。常清兵皆白徒、戰不勝、輒北。憕收殘士数百、裒斷弦折矢堅守、人不堪鬭。憕約弈:「吾曹荷国重寄、雖力不敵、當死官。」部校皆夜縋去、憕坐留守府、弈守臺。城陷、禄山而入、殺数千人、矢著闕門、執憕・弈及官屬蒋清、害之。有詔贈司徒、謚曰忠懿。河・洛平、再贈太尉、拜一子五品官。 憕通左氏春秋、頗殖産伊川、占膏腴、自都至闕口、疇墅彌望、時謂「地癖」。巌仕終少府監、産利埒憕云。 憕十餘子、江・涵・渢・瀛等同遇害、唯源・彭脱。 源八歳家覆、俘為奴、轉側民間。及史朝義敗、故吏識源於洛陽者贖出之、歸其宗屬。代宗聞、授河南府参軍、遷司農主簿。以父死賊手、常悲憤、不仕不娶、絶酒葷。惠林佛祠者、憕舊墅也、源依祠居、闔戸日一食。祠殿、其先寢也、毎過必趨、未始踐階。自營墓為終制、時時偃臥中。 長慶初、年八十矣、御史中丞李徳裕表薦源、曰:「賈誼稱:守圉扞敵之臣、死城郭封疆。天宝時、士罕伏節、逆羯始興、委符組・棄城郭者不為恥、而憕約義同列、守位自如、抵刃就終、臣節之光由憕始。而源天與至孝、絶心禄仕五十餘年、常守沈默、理契深要、一辭開析、百慮洗然。抱此真節、棄於清世、臣竊為陛下惜之。」穆宗下詔曰:「昔盜起幽陵、振蕩河・洛、贈太尉憕處難居首、正色就死、兩河聞風、再固危壁、殊節卓焉、到今稱之。源有曾参之行・巣父之操、泊然無營、汔此高年。夫褒忠、所以勸臣節也。旌孝、所以激人倫也。鎮澆浮、莫如尚義。厚風俗、莫如尊老。舉是四者、大儆于時。其以源守諫議大夫、賜緋魚袋。」河南尹遣官敦諭上道、帝自遣使者持詔書袍笏即賜、又賜絹二百匹。源頓首受詔、謂使者:「伏疾年耄、不堪趨拜。」即附表謝、辭吐哀、一無受。尋卒。敬宗時、擢憕孫為河南兵曹参軍。 彭擢明經第。天宝中、選名臣子可用者、自咸寧丞遷右補闕。從天子入蜀。後憕数年卒。有孫景讓・景莊・景温、別伝。 武徳功臣十六人、貞観功臣五十三人、至徳功臣二百六十五人。徳宗即位、録武徳以來宰相及實封功臣子孫、賜一子正員官。史館考勳名特高者九十二人、以三等條奏。第一等、以其歳授官。第二等、以次年。第三等、子孫数訟於朝、有詔差為二等、增至百八十七人。毎等、武徳以來宰相為首、功臣次之、至徳以來将相又次之。大中初、又詔求李峴・王珪・戴冑・馬周・褚遂良・韓瑗・郝處俊・婁師徳・王及善・朱敬則・魏知古・陸象先・張九齢・裴寂・劉文静・張柬之・袁恕己・崔玄暐・桓彦範・劉幽求・郭元振・房琯・袁履謙・李嗣業・張巡・許遠・盧弈・南霽雲・蕭華・張鎬・李勉・張鎰・蕭復・柳渾・賈耽・馬燧・李憕三十七人畫像、續圖凌煙閣云。 司空・太子太傅・知門下省事・梁国公房玄齢 尚書右僕射・検校侍中・萊国公杜如晦 太子太保・同中書門下三品・宋国公蕭瑀 開府儀同三司・同中書門下三品・知政事・上柱国・申国公高士廉 太子太師・知政事・特進・鄭国公魏徴 侍中・永寧郡公王珪 吏部尚書・参豫朝政・道国公戴冑 中書令・江陵県子岑文本 中書令・兼太子左庶子・検校吏部尚書・高唐県公馬周 侍中・兼太子左庶子・検校吏部礼部民部尚書事・清苑県男劉洎 尚書右僕射・同中書門下三品・河南郡公褚遂良 太子太師・同中書門下三品・燕国公于志寧 尚書右僕射・同中書門下三品・兼太子少傅・北平県公張行成 中書令・行侍中・兼太子少保・蓨県公高季輔 侍中・兼太子賓客・襲潁川県公韓瑗 中書令・兼太子詹事・南陽県侯來済 侍中・兼太子賓客張文瓘 侍中・甑山県公郝處俊 中書侍郎・同中書門下三品・兼太子右庶子・酒泉県公李義琰 内史・河東県侯裴炎 文昌左相・同鳳閣鸞臺三品・温国公蘇良嗣 内史・梁国公狄仁傑 納言・検校并州大都督府長史・天兵軍大總管・隴右諸軍大使・譙県子婁師徳 鳳閣侍郎・同鳳閣鸞臺平章事・石泉県公王方慶 文昌左相・同鳳閣鸞臺三品・襲邢国公王及善 尚書右僕射・兼中書令・知兵部尚書事・斉国公魏元忠 紫微令・梁国公姚崇 正諫大夫・同鳳閣鸞臺平章事朱敬則 尚書左僕射・同中書門下平章事・許国公蘇 吏部尚書・兼侍中・廣平郡公宋璟 黄門監・梁国公魏知古 中書侍郎・同中書門下平章事・兗国公陸象先 紫微侍郎・同紫微黄門平章事・許国公蘇頲 中書令・河東県侯張嘉貞 中書侍郎・同中書門下平章事・清水県公李元紘 黄門侍郎・同中書門下平章事・宜陽県子韓休 中書令・始興県伯張九齢 司空・河東郡公裴寂 納言・上柱国・魯国公劉文静 太尉・検校中書令・同中書門下三品・揚州大都督・趙国公長孫忌 礼部尚書・河間郡王孝恭 尚書右僕射・検校中書令・行太子左衛率・上柱国・衛国公李靖 司空・兼太子太師・英国公李勣 開府儀同三司・鄜州都督・鄂国公尉遲敬徳 左光禄大夫・洛州都督・蒋国公屈突通 陝東道大行臺・吏部尚書・鄖国公殷開山 衛尉卿・夔国公劉弘基 澤州刺史・邳国公長孫順徳 民部尚書・上柱国・莒国公唐儉 右驍衛大将軍・駙馬都尉・譙国公柴紹 右驍衛大将軍・褒国公段志玄 洪州都督・渝国公劉政會 左武候将軍・相州都督・郯国公張公謹 右武衛大将軍・盧国公程知節 左武衛大将軍・上柱国・胡国公秦叔宝 弘文館学士・秘書監・永興県公虞世南 右衛大将軍・兼太子右衛率・工部尚書・武陽県公李大亮 左武衛大将軍・邢国公蘇定方 夏官尚書・同中書門下三品・清邊道行軍總管・耿国公王孝傑 中書令・漢陽郡公張柬之 中書令・博陵郡公崔玄暐 侍中・平陽郡公敬暉 侍中・譙国公桓彦範 中書令・南陽郡公袁恕己 右武衛大将軍・同中書門下三品・韓国公張仁愿 尚書左丞相・兼黄門監・徐国公劉幽求 黄門侍郎・参知機務・脩文館学士・斉国公崔日用 兵部尚書・同中書門下三品・代国公郭元振 尚書左承相・兼中書令・集賢院学士・燕国公張説 紫微侍郎・上柱国・趙国公王琚 兵部尚書・同中書門下三品・持節朔方軍節度大使・中山郡公王晙 尚書左僕射・同中書門下平章事・兼河南江淮副元帥・東都留守・冀国公裴冕 文部尚書・同中書門下平章事・清河県公房琯 門下侍郎・同中書門下平章事・衛国公杜鴻漸 鎮西北庭行營節度使・開府儀同三司・衛尉卿・兼懐州刺史・虢国公李嗣業 平盧軍節度使・柳城郡太守劉正臣 恆州刺史・衛尉少卿・兼御史中丞顔杲卿 常山郡太守袁履謙 河南節度副使・左金吾衛将軍・検校主客郎中・兼御史中丞張巡 睢陽郡太守・兼御史中丞許遠 御史中丞・留臺東都・知武部選盧弈 睢陽郡太守・特進左金吾衛将軍南霽雲 右第一 内史令・延安郡公竇威 将作大匠・判納言・陳国公竇抗 侍中・兼太子左庶子・江国公陳叔達 納言・観国公楊恭仁 判吏部尚書・参議朝政・安吉郡公杜淹 中書令・虞国公温彦博 中書侍郎・検校刑部尚書・参知機務崔仁師 中書令・兼検校太子詹事・上柱国・安国公崔敦礼 戸部尚書・平恩県公許圉師 兵部尚書・同中書門下三品・浿江道行軍總管任雅相 度支尚書・同中書門下三品・范陽郡公盧承慶 西臺侍郎・同東西臺三品・兼弘文館学士・楚国公上官儀 右相・廣平郡公劉祥道 左侍極・兼検校左相・嘉興県子陸敦信 文昌左相・同鳳閣鸞臺三品・楽城県公劉仁軌 荊州大都督府長史・安平郡公李安期 尚書右僕射・同中書門下三品・兼太子賓客・襲道国公戴至徳 司列少常伯・太子右中護・兼正諫大夫・同東西臺三品趙仁本 中書令・趙国公李敬玄 中書令・兼太子左庶子薛元超 中書令・同中書門下三品崔知温 侍中・同中書門下三品・襲廣平郡公劉斉賢 納言・楽平県男王徳真 地官尚書・検校納言・鉅鹿県男魏玄同 文昌左相・同鳳閣鸞臺三品・特進・輔国大将軍・鄧国公岑長倩 鳳閣侍郎・同鳳閣鸞臺三品・臨淮県男劉禕之 納言・博昌県男韋思謙 地官尚書・同鳳閣鸞臺平章事格輔元 司礼卿・判納言事・渤海県子歐陽通 内史李昭徳 鸞臺侍郎・同鳳閣鸞臺平章事陸元方 鳳閣侍郎・同鳳閣鸞臺三品杜景佺 尚書右僕射・兼太子賓客・同中書門下三品・鄖国公韋安石 左散騎常侍・同中書門下三品・知東都留守・趙郡公李懐遠 中書令・逍遙公韋嗣立 守侍中・同中書門下三品・兼太子右庶子・常山県男李日知 検校黄門監・漁陽県伯盧懐慎 中書令・左丞相・兼侍中・安陽郡公源乾曜 黄門侍郎・同紫微黄門平章事・魏県侯杜暹 侍中・趙城侯裴耀卿 左武衛大将軍・開府儀同三司・淮安王神通 特進・太常卿・江夏王道宗 荊州都督・周国公武士 右屯衛大将軍・検校晋州都督總管・譙国公竇琮 少府監・葛国公劉義節 右光禄大夫・羅国公張平高 洛州都督・右衛大将軍・酇国公竇軌 夔州都督・息国公張長愻 金紫光禄大夫・夷国公李子和 左監門衛大将軍・検校右武候将軍・榮国公樊興 左監門衛大将軍・巣国公錢九隴 右驍衛大将軍・歸国公安興貴 右武衛大将軍・申国公安脩仁 殿中監・郢国公宇文士及 右武衛大将軍・沔陽郡公公孫武達 荊州都督・懐寧郡公杜君綽 右驍衛将軍・濮国公龐卿惲 代州都督・同安郡公鄭仁泰 右翊衛将軍・遂安郡公李安遠 幽州都督・歴陽郡公独孤彦雲 始州刺史・左屯衛大将軍・襄武郡公劉師立 右威衛大将軍・済東郡公李孟嘗 右監門衛大将軍・河南県公元仲文 右監門衛将軍・廬陵郡公秦師行 左領軍大将軍・新興公馬三宝 右衛大将軍・駙馬都尉・畢国公阿史那社尒 鎮軍大将軍・虢国公張士貴 左衛大将軍・琅邪郡公牛進達 鎮軍大将軍・嘉川郡公周護 陝州刺史・天水郡公丘行恭 潭州都督・呉興郡公沈叔安 散騎常侍・豊城県男姚思廉 太子少師・同中書門下三品・特進・朔方道行軍大總管、宋国公唐休璟 左羽林軍大将軍・遼陽郡王李多祚 左領軍大将軍・趙国公李湛 刑部尚書・太子賓客・魏国公楊元琰 殿中監・兼知總監・汝南郡公翟無言 冠軍大将軍・左羽林軍大将軍・光禄卿・天水県公趙承恩 将作大匠裴思諒 右羽林軍将軍・弘農郡公楊執一 左衛将軍・河東郡公薛思行 光禄卿・駙馬都尉・琅邪郡公王同皎 中書令・越国公鍾紹京 太僕卿・立節郡王薛崇簡 右金吾衛大将軍・涼国公李延昌 太子中允同正・冀国公馮道力 少府監・趙国公崔諤之 左監門衛中候・光禄卿・申国公許輔乾 左金吾大将軍・鄧国公張暐 朔方道行軍大總管・左羽林軍大将軍・平陽郡公薛訥 河南副元帥・太尉兼侍中・臨淮郡王李光弼 河東節度副大使・守司空・兼兵部尚書・霍国公王思礼 左相・豳国公韋見素 太保・韓国公苗晋卿 中書令・趙国公崔圓 太原節度使・検校尚書左僕射・同中書門下平章事・金城郡王辛雲京 河西隴右副元帥・兵部尚書・同中書門下平章事・涼国公李抱玉 太子太師・検校尚書右僕射・知省事・信都郡王田神功 四鎮北庭涇原節度使・検校尚書左僕射・知省事・扶風郡王馬璘 左羽林軍大将軍・検校戸部尚書・兼御史大夫薛景仙 右散騎常侍・検校礼部尚書・兼御史大夫尚衡 太原尹・兼御史大夫・北都留守・河東節度副大使・南陽郡公鄧景山 河東節度副使・兼雁門郡太守・光禄卿賈循 礼部尚書・東京留守・酒泉県侯李憕 東平郡太守姚誾 右第二 盧弈、黄門監懐慎少子也。疏眉目、豊下、謹重寡欲、斤斤自脩。與兄奐名相上下、而剛毅過之。天宝初為鄠令、所治輒最、積功擢給事中、拜御史中丞。自懐慎・奐及弈、三居其官、清節似之、時伝其美。俄留臺東都、兼知武部選。 安禄山陷東都、吏亡散。弈前遣妻子懐印間道走京師、自朝服坐臺。被執、将殺之、即数禄山罪、徐顧賊徒曰:「為人臣者當識逆順、我不蹈失節、死何恨?」観者恐懼。弈臨刑、西向再拜而辭、罵賊不空口、逆黨為變色。肅宗詔贈礼部尚書、下有司謚。時以為洛陽亡、操兵者任其咎、執法吏去之可也、委身寇讎、以死誰懟?博士独孤及曰:「荀息殺身於晋、不食其言也。玄冥勤其官水死、守位忘躬也。伯姬待姆而火死、先礼後身也。彼死之日、皆於事無補。然則禄山亂大於里・丕、弈廉察之任、切於玄冥之官。分命所繋、不啻保姆。逆黨兵威、烈於水火。于斯時也、能與執干戈者同其戮力、挽之不來、推之不去、全操白刃之下、孰與夫懐安偸生者同其風?請謚曰貞烈。」詔可。 子、別有伝。子元輔。 元輔字子望、少以清行聞。擢進士、補崇文校書郎。死、徳宗念之不忘、拜元輔左拾遺。歴杭・常・絳三州刺史、課當最、召授吏部郎中、進累兵部侍郎、為華州刺史、卒。 元輔端静介正、能詔其祖、故歴顯劇、而人不以之惡為累云。 張介然者、猗氏人、本名六朗。性慎愿、長計畫。始為河・隴支郡太守。王忠嗣・皇甫惟明・哥舒翰踵領節度、並署營田・支度等使。入奏稱旨、賜與良渥。介然啓曰:「臣位三品、當給棨戟。若列於京師、雖富貴、不為郷人知、願得列戟故里。」玄宗許之、別賜戟京師第門、仍賜絹五百匹、宴閭里長老。本郷得列戟、自介然始。翰薦為少府監、歴衛尉卿。 禄山反、授河南節度採訪使、守陳留。陳留據水陸劇、居民孳夥、而太平久、不知戰。介然到屯不三日、賊已度河。車騎蹂騰、煙塵漫数十里、日為奪色。士聞鉦鼓聲、皆褫氣不能授甲。凡旬六日、城陷。初、有詔購賊首而暴誅慶宗状。禄山入陳留、見詔書、拊膺大哭曰:「我何罪!吾子亦何罪、乃殺之!」即大恚憤、殺陳留降者万人以逞、血流成川。斬介然於軍門。以偽将李廷望為節度使、守陳留。 禄山已拔陳留、則鼓而前、無敢亢。中宿攻滎陽、太守崔無詖率衆乘城、聞師譟、自隊如雨、無詖與官屬皆死賊手。以偽将武令珣戍焉。 無詖者、本韋后外家、博陵舊望也。始、無詖娶蕭至忠女、至忠敗、被貶。久乃為益州司馬。素善楊国忠、既用事、引為少府監、守滎陽。有詔贈礼部尚書、謚曰毅勇。
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資治通鑑巻第二百二十四 唐紀四十二十九 代宗睿文孝武皇帝中之上 永泰元年(乙巳、七六五年) 閏十月,乙巳,郭子儀入朝。子儀以靈武初復,百姓雕弊,戎落未安,請以朔方軍糧使三原路嗣恭鎮之;河西節度使楊志烈既死,請遣使巡撫河西及置涼、甘、肅、瓜、沙等州長史。上皆從之。 丁未,百官請納職田充軍糧;許之。 戊申,以戸部侍郎路嗣恭為朔方節度使。嗣公披荊棘,立軍府,威令大行。 己酉,郭子儀還河中。 初,劍南節度使嚴武奏將軍崔旰為利州刺史;時蜀中新亂,山賊塞路,旰討平之。及武再鎮劍南,賂山南西道節度使張獻誠以求旰,獻誠使旰移疾自解,詣武。武以為漢州刺史,使將兵撃吐蕃於西山,連拔其數城,攘地數百里,武作七寶輿迎旰入成都以寵之。 武薨,行軍司馬杜濟知軍府事。都知兵馬使郭英幹,英乂之弟也,與都虞候郭嘉琳共請英乂為節度使;旰時為西山都知兵馬使,與所部共請大將王崇俊為節度使,會朝廷已除英乂,英乂由是銜之,至成都數日,即誣崇俊以罪而誅之。召旰還成都,旰辭以備吐蕃,未可歸,英乂愈怒,絕其饋餉以困之。旰轉徙入深山,英乂自將兵攻之,聲言助旰拒守。會大雪,山谷深數尺,士馬凍死者甚衆,旰出兵撃之,英乂大敗,收餘兵,才及千人而還。 英乂為政,嚴暴驕奢,不恤士卒,衆心離怨。玄宗之離蜀也,以所居行宮為道士觀,仍鑄金為真容。英乂愛其竹樹茂美,奏為軍營,因徙去真容,自居之。旰宣言英乂反,不然,何以徙真容自居其處!於是帥所部五千餘人襲成都。辛亥,戰於城西,英乂大敗。旰遂入成都,屠英乂家。英乂單騎奔簡州。普州刺史韓澄殺英乂,送首於旰。邛州牙將柏茂琳、瀘州牙將楊子琳、劍州牙將李昌夔各舉兵討旰,蜀中大亂。旰,衛州人也。 華原令顧繇上言,元載子伯和等招權受賄,十二月,戊戌,繇坐流錦州。 自安、史之亂,國子監室堂頹壞,軍士多借居之。祭酒蕭昕上言:「學校不可遂廢。」 代宗睿文孝武皇帝中之上大暦元年(丙午,公元七六六年) 春,正月,乙酉,敕復補國子學生。 丙戌,以戸部尚書劉晏為都畿、河南、淮南、江南、湖南、荊南、山南東道轉運、常平、鑄錢、鹽鐵等使,侍郎第五琦為京畿、關內、河東、劍南、山南西道轉運等使,分理天下財賦。 周智光至華州,益驕橫,召之,不至,上命杜冕從張獻誠於山南以避之;智光遣兵於商山邀之,不獲。智光自知罪重,乃聚亡命、無賴子弟,衆至數萬,縱其剽掠以悅其心,擅留關中所漕米二萬斛,籓鎮貢獻,往往殺其使者而奪之。 二月,丁亥朔,釋奠於國子監。命宰相帥常參官、魚朝恩帥六軍諸將往聽講,子弟皆服朱紫為諸生。朝恩既貴顯,乃學講經為文,僅能執筆辨章句,遽自謂才兼文武,人莫敢與之抗。 辛卯,命有司修國子監。 元載專權,恐奏事者攻訐其私,乃請:「百官凡論事,皆先白長官,長官白宰相,然後奏聞。」仍以上旨諭百官曰:「比日諸司奏事煩多,所言多讒毀,故委長官、宰相先定其可否。」 刑部尚書顏真卿上疏,以為:「郎官、御史,陛下之耳目。今使論事者先白宰相,是自掩其耳目也。陛下患群臣之為讒,何不察其言之虚實!若所言果虚宜誅之,果實宜賞之。不務為此,而使天下謂陛下厭聽覽之煩,托此為辭以塞諫爭之路,臣竊為陛下惜之。太宗著《門司式》云:『其無門籍人,有急奏者,皆令門司與仗家引奏,無得關礙。』所以防壅蔽也。天寶以後,李林甫為相,深疾言者,道路以目。上意不下逮,下情不上達,蒙蔽喑嗚,卒成幸蜀之禍。陵夷至於今日,其所從來者漸矣。夫人主大開不諱之路,群臣猶莫敢盡言,況令宰相大臣裁而抑之,則陛下所聞見者不過三數人耳。天下之士從此鉗口結舌,陛下見無復言者,以為天下無事可論,是林甫復起於今日也!昔林甫雖擅權,群臣有不咨宰相輒奏事者,則托以它事陰中傷之,猶不敢明令百司奏事皆先白宰相也。陛下倘不早寤,漸成孤立,後雖悔之,亦無及矣!」載聞而恨之,奏真卿誹謗;乙未,貶峽州別駕。 己亥,命大理少卿楊濟修好於吐蕃。 壬子,以杜鴻漸為山南西道‧劍南東‧西川副元帥、劍南西川節度使,以平蜀亂。 以四鎮、北庭行營節度使馬璘兼邠寧節度使。璘以段秀實為三使都虞候。卒有能引弓重二百四十斤者,犯盜當死,璘欲生之,秀實曰:「將有愛憎而法不一,雖韓、彭不能為理。」璘善其議,竟殺之。璘處事或不中理,秀實力爭之。璘有時怒甚,左右戰慄,秀實曰:「秀實罪若可殺,何以怒為!無罪殺人,恐涉非道。」璘拂衣起,秀實徐歩而出;良久,璘置酒召秀實謝之。自是軍州事皆咨秀實而後行。璘由是在邠寧,聲稱殊美。 癸丑,以山南西道節度使張獻誠兼劍南東川節度使,邛州刺史柏茂琳為邛南防禦使;以崔旰為茂州刺史,充西山防禦使。三月,癸未,獻誠與旰戰於梓州,獻誠軍敗,僅以身免,旌節皆為旰所奪。 夏,五月,河西節度使楊休明徙鎮沙州。 秋,八月,國子監成;丁亥,釋奠。魚朝恩執《易》升高座,講「鼎覆餗」以譏宰相。王縉怒,元載怡然。朝恩謂人曰:「怒者常情,笑者不可測也。」 杜鴻漸至蜀境,聞張獻誠敗而懼,使人先達意於崔旰,許以萬全。旰卑辭重賂以迎之,鴻漸喜;進至成都,見旰,但接以温恭,無一言責其干紀,日與將佐高會,州府事悉以委旰。又數薦之於朝,因請以節度讓旰,以柏茂琳、楊子琳、李昌夔各為本州刺史。上不得已從之。壬寅,以旰為成都尹、西川節度行軍司馬。 甲辰,以魚朝恩行內侍監、判國子監事。中書舍人京兆常袞上言:「成均之任,當用名儒,不宜以宦者領之。」丁未,命宰相以下送朝恩上。京兆尹黎幹自南山引澗水穿漕渠入長安,功竟不成。 冬,十月,乙未,上生日,諸道節度使獻金帛、器服、珍玩、駿馬為壽,共值緡錢二十四萬。常袞上言,以為:「節度使非能男耕女織,必取之於人。斂怨求媚,不可長也。請卻之。」上不聽。 京兆尹第五琦什一稅法,民苦其重,多流亡。十一月,甲子,日南至,赦,改元,悉停什一稅法。 十二月,癸卯,周智光殺陝州監軍張志斌。智光素與陝州刺史皇甫温不協,志斌入奏事,智光館之,志斌責其部下不肅,智光怒曰:「僕固懷恩不反,正由汝輩激之。我亦不反,今日為汝反矣!」叱下斬之,臠食其肉。朝士舉選人,畏智光之暴,多自同州竊過,智光遣將將兵邀之於路,死者甚衆。戊申,詔加智光檢校左僕射,遣中使余元仙持告身授之。智光慢罵曰:「智光有大功於天下國家,不與平章事而與僕射!且同、華地狹,不足展材,若益以陝、虢、商、鄜、坊五州,庶猶可耳。」因歴數大臣過失,且曰:「此去長安百八十里,智光夜眠不敢舒足,恐踏破長安城,至於挾天子令諸侯,惟周智光能之。」元仙股慄。郭子儀屢請討智光,上不許。 郭子儀以河中軍食常乏,乃自耕百畝,將校以是為差,於是士卒皆不勸而耕。是歳,河中野無曠土,軍有餘糧。 以隴右行軍司馬陳少游為桂管觀察使。少游,博州人也,為吏強敏而好賄,善結權貴,以是得進。既得桂州,惡其道遠多瘴癘;宦官董秀掌樞密,少游請歳獻五萬緡,又納賄於元載子仲武。內外引薦,數日,改宣歙觀察使。 代宗睿文孝武皇帝中之上大暦二年(丁未,公元七六七年) 春,正月,丁巳,密詔郭子儀討周智光。子儀命大將渾瑊、李懷光軍於渭上;智光麾下聞之,皆有離心。己未,智光大將李漢惠自同州帥所部降於子儀。壬戌,貶智光澧州刺史。甲子,華州牙將姚懷、李延俊殺智光,以其首來獻。淮西節度使李忠臣入朝,以收華州為名,帥所部兵大掠,自潼關至赤水二百里間,財畜殆盡,官吏有衣紙或數日不食者。己巳,置潼關鎮兵二千人。 壬申,分劍南置東川觀察使,鎮遂州。 二月,丙戌,郭子儀入朝。上命元載、王縉、魚朝恩等互置酒於其第,一會之費至十萬緡。上禮重子儀。常謂之大臣而不名。 郭曖嘗與昇平公主爭言,曖曰:「汝倚乃父為天子邪?我父薄天子不為!」公主恚,奔車奏之。上曰:「此非汝所知。彼誠如是,使彼欲為天子,天下豈汝家所有邪?」慰諭令歸。子儀聞之,囚曖,入待罪。上曰:「鄙諺有之:『不癡不聾,不作家翁。』兒女子閨房之言,何足聽也!」子儀歸,杖曖數十。 夏,四月,庚子,命宰相、魚朝恩與吐蕃盟於興唐寺。 杜鴻漸請入朝奏事,以崔旰知西川留後。六月,甲戌,鴻漸來自成都,廣為貢獻,因盛陳利害,薦旰才堪寄任;上亦務姑息,乃留鴻漸復知政事。秋,七月,丙寅,以旰為西川節度使,杜濟為東川節度使。旰復斂以賂權貴,元載擢旰弟寬至御史中丞,寬兄審至給事中。 丁卯,魚朝恩奏以先所賜莊為章敬寺,以資章敬太后冥福,於是窮壯極麗,盡都市之材不足用,奏毀曲江及華清宮館以給之,費逾萬億。衛州進士高郢上書,略曰:「先太后聖德,不必以一寺增輝;國家永圖,元寧以百姓為本。舍人就寺,何福之為!」又曰:「無寺猶可,無人其可乎!」又曰:「陛下當卑宮室,以夏禹為法。而崇塔廟,踵梁武之風乎?」又上書,略曰:「古之明王積善以致福,不費財以求福;修德以消禍,不勞人以禳禍。今興造急促,晝夜不息,力不逮者隨以榜笞,愁痛之聲盈於道路,以此望福,臣恐不然。」又曰:「陛下回正道於內心,求微助於外物,徇左右之過計,傷皇王之大猷,臣竊為陛下惜之!」皆寢不報。 始,上好祠祀,未甚重佛。元載、王縉、杜鴻漸為相,三人皆好佛;縉尤甚,不食葷血,與鴻漸造寺無窮。上嘗問以:「佛言報應,果為有無?」載等奏以:「國家運祚靈長,非宿植福業,何以致之!福業已定,雖時有小災,終不能為害,所以安、史悖逆方熾而皆有子禍;僕固懷恩稱兵內侮,出門病死;回紇、吐蕃大舉深入,不戰而退:此皆非人力所及,豈得言無報應也!」上由是深信之,常於禁中飯僧百餘人;有寇至則令僧講《仁王經》以禳之,寇去則厚加賞賜。胡僧不空,官至卿監,爵為國公,出入禁闥,勢移權貴,京畿良田美利多歸僧寺。敕天下無得棰曳僧尼。造金閣寺於五台山,鑄銅塗金為瓦,所費巨億,縉給中書符牒,令五台僧數十人散之四方,求利以營之。載等毎侍上從容,多談佛事,由是中外臣民承流相化,皆廢人事而奉佛,政刑日紊矣。 八月,庚辰,鳳翔等道節度使、左僕射、平章事李抱玉入朝,固讓僕射,言情確至,上許之;癸丑,又讓鳳翔節度使,不許。 丁酉,杜鴻漸飯千僧,以使蜀無恙故也。 九月,吐蕃衆數萬圍靈州,游騎至潘原、宜祿;郭子儀自河中帥甲士三萬鎮涇陽,京師戒嚴。甲子,子儀移鎮奉天。 山獠陷桂州,逐剌史李良。冬,十月,戊寅,朔方節度使路嗣恭破吐蕃於靈州城下,斬首二千餘級;吐蕃引去。 十二月,庚辰,盜發郭子儀父塚,捕之,不獲。人以為魚朝恩素惡子儀,疑其使之。子儀自奉天入朝,朝廷憂其為變;子儀見上,上語及之,子儀流涕曰:「臣久將兵,不能禁暴,軍士多發人塚,今日及此,乃天譴,非人事也。」朝廷乃安。 是歳,復以鎮西為安西。 新羅王憲英卒,子乾運立。 代宗睿文孝武皇帝中之上大暦三年(戊申,公元七六八年) 春,正月,乙丑,上幸章敬寺,度僧尼千人。 贈建寧王倓為齊王。 二月,癸巳,商州兵馬使劉洽殺防禦使殷仲卿,尋討平之。 甲午,郭子儀禁無故軍中走馬。南陽夫人乳母之子犯禁,都虞候杖殺之。諸子泣訴子儀,且言都虞候之橫,子儀叱遣之。明日,以事語僚佐而歎息曰:「子儀諸子,皆奴材也。不賞父之都虞候而惜母之乳母子,非奴材而何!」 庚子,以後宮獨孤氏為貴妃。 三月,乙巳朔,日有食之。 夏,四月,戊寅,山南西道節度使張獻誠,以疾舉從父弟右羽林將軍獻恭自代,上許之。 壬寅,西川節度使崔旰入朝。 初,上遣中使征李泌於衡山,既至,復賜金紫,為之作書院於蓬萊殿側,上時衣汗衫、躡屨過之,自給、捨以上及方鎮除拜、軍國大事,皆與之議。又使魚朝恩於白花屯為泌作外院,使與親舊相見。 上欲以泌為門下侍郎、同平章事,泌固辭。上曰:「機務之煩,不得晨夕相見,誠不若且居密近,何必署敕然後為宰相邪!」後因端午,王、公、妃、主各獻服玩,上謂泌曰:「先生何獨無所獻?」對曰:「臣居禁中,自巾至履皆陛下所賜,所餘獨一身耳,何以為獻!」上曰:「朕所求正在此耳。」泌曰:「臣身非陛下有,誰則有之?」上曰:「先帝欲以宰相屈卿而不能得,自今既獻其身,當惟朕所為,不為卿有矣。」泌曰:「陛下欲使臣何為?」上曰:「朕欲卿食酒肉,有室家,受祿位,為俗人。」泌泣曰:「臣絕粒二十餘年,陛下何必使臣隳其志乎!」上曰:「泣復何益!卿在九重之中,欲何之?」乃命中使為泌葬二親,又為泌娶盧氏女為妻,資費皆出縣官。賜第於光福坊,令泌數日宿第中,數日宿蓬萊院。 上與泌語及齊王倓,欲厚加褒贈,泌請用岐、薛故事贈太子,上泣曰:「吾弟首建靈武之議,成中興之業,岐、薛豈有此功乎!竭誠忠孝,乃為讒人所害。向使尚存,朕必以為太弟。今當崇以帝號,成吾夙志。」乙卯制,追謚倓曰承天皇帝;庚申,葬順陵。 崔旰之入朝也,以弟寬為留後,瀘州刺史楊子琳帥精騎數千乘虚突入成都;朝廷聞之,加旰檢校工商尚書,賜名寧,遣還鎮。 11.六月,壬辰,幽州兵馬使朱希彩、經略副使昌平朱泚、泚弟滔共殺節度使李懷仙,希彩自稱留後。閏月,成德軍節度使李寶臣遣將將兵討希彩,為希彩所敗,朝廷不得已宥之。庚申,以王縉領盧龍節度使;丁卯,以希彩知幽州留後。 11.六月壬辰、幽州兵馬使の朱希彩、経略副使昌平の朱泚、朱泚の弟の朱滔が共同で節度使の李懐仙を殺し、朱希彩は自らを留後と称した。閏月、成徳軍節度使の李宝臣が将軍を派遣し兵隊を率いて朱希彩を討伐し、朱希彩は敗北し、朝廷はやむを得ずこれを許した。庚申、王縉に盧龍節度使を領させた。丁卯、朱希彩を幽州留後を司らせた。 12.崔寬與楊子琳戰,數不利,秋,七月,崔寧妾任氏出家財數十萬,募兵得數千人,帥以撃子琳,破之;子琳走。 12.崔寬は楊子琳と戦い、しばしば不利であった。秋七月、崔寧の妾の任氏が家財を数十万出して、兵を募って数千人を得て、率いて楊子琳を討ち、これを破り、楊子琳は敗走した。 13.乙亥,王縉如幽州,朱希彩盛兵嚴備以逆之。縉晏然而行,希彩迎謁甚恭。縉度終不可制,勞軍,旬餘日而還。 13.乙亥、王縉は幽州に行き、朱希彩は兵力を結集して備えを厳重にしこれに背いた。王縉はゆったりと行ったから、朱希彩は出迎えて拝謁し非常に恭しかった。王縉ははかって終に制しがたいものであるとし、軍を労い、十日あまりして帰還した。 回紇可敦卒,庚辰,以右散騎常侍蕭昕為弔祭使。回紇庭詰昕曰:「我於唐有大功,唐奈何失信,市我馬,不時歸其直?」昕曰:「回紇之功,唐已報之矣。僕固懷恩之叛,回紇助之,與吐蕃連兵入寇,逼我郊畿。及懷恩死,吐蕃走,然後回紇懼而請和,我唐不忘前功,加惠而縱之。不然,匹馬不歸矣。乃回紇負約,豈唐失信邪!」回紇慚,厚禮而歸之。 丙戌,內出盂蘭盆賜章敬寺。設七廟神座,書尊號於幡上,百官迎謁於光順門。自是歳以為常。 八月,壬戌,吐蕃十萬衆寇靈武。丁卯,吐蕃尚贊摩二萬衆寇邠州,京師戒嚴;邠寧節度使馬璘撃破之。 庚午,河東節度使、同平章事辛雲京薨,以王縉領河東節度使,餘如故。 九月,壬申,命郭子儀將兵五萬屯奉天以備吐蕃。 丁丑,濟王環薨。 壬午,朔方騎將白元光撃吐蕃,破之。壬辰,元光又破吐蕃二萬衆於靈武。鳳翔節度使李抱玉使右軍都將臨洮李晟將兵五千撃吐蕃,晟曰:「以力則五千不足用;以謀則太多。」乃將千人兼行出大震關;至臨洮,屠吐蕃定秦堡,焚其積聚,虜堡帥慕容谷種而還。吐蕃聞之,釋靈州之圍而去。戊戌,京師解嚴。 穎州刺史李岵以事忤滑亳節度使令狐彰,彰使節度判官姚奭按行穎州,因代岵領州事,且曰:「岵不受代,即殺之。」岵知之,因激怒將士,使殺奭,與奭同死者百餘人。岵走依河南節度使田神功於汴州。冬,十月,乙巳,彰表言其状,岵亦上表自理。上命給事中賀若察往按之。 丁卯,郭子儀自奉天入朝。 28.十一月,丁亥,以幽州留後朱希彩為節度使。 28.十一月丁亥、幽州留後の朱希彩を節度使とした。 郭子儀還河中。元載以吐蕃連歳入寇,馬璘以四鎮兵屯邠寧,力不能拒,而郭子儀以朔方重兵鎮河中,深居腹中無事之地,乃與子儀及諸將議,徙璘鎮涇州,而使子儀以朔方兵鎮邠州,曰:「若以邊土荒殘,軍事不給,則以內地租稅及運金帛以助之。」諸將皆以為然。十二月,己酉,徙馬璘為涇原節度使,以邠、寧、慶三州隸朔方。璘先往城涇州,以都虞候段秀實知邠州留後。 初,四鎮、北庭兵遠赴中原之難,久羈旅,數遷徙,四鎮歴汴、虢、鳳翔,北庭歴懷、絳、鄜然後至邠,頗積勞弊。及徙涇州,衆皆怨誹。刀斧兵馬使王童之謀作亂,期以辛酉旦警嚴而發。前夕,有告之者;秀實陽召掌漏者,怒之,以其失節,令毎更來白,輒延之數刻,遂四更而曙,童之不果發。秀實欲討之而亂跡未露,恐軍中疑其冤。告者又雲,「今夕欲焚馬坊草,因救火謀作亂。中夕,火果發起,秀實命軍中行者皆止,坐者勿起,各整部伍,嚴守要害。童之白請救火,不許。及旦,捕童之及其黨八人,皆斬之。下令曰:「後徙者族,流言者刑!」遂徙於涇。 癸亥,西川破吐蕃萬餘衆。 平盧行軍司馬許杲將卒三千人駐濠州不去,有窺淮南意,淮南節度使崔圓令副使元城張萬福攝濠州刺史;杲聞,即提卒去,止當塗。是歳,上召萬福,以為和州刺史、行營防禦使,討杲。萬福至州,杲懼,移軍上元,又北至楚州大掠,淮南節度使韋元甫命萬福追討之;未至淮陰,杲為其將康自勸所逐。自勸擁兵繼掠,循淮而東,萬福倍道追而殺之,免者什二三。元甫將厚賞將士,萬福曰:「官健常虚費衣糧,無所事。今方立小功,不足過賞,請用三分之一。」 代宗睿文孝武皇帝中之上大暦四年(己酉,公元七六九年) 春,正月,丙子,郭子儀入朝,魚朝恩邀之遊章敬寺。元載恐其相結,密使子儀軍吏告子儀曰:「朝恩謀不利於公。」子儀不聽。吏亦告諸將,將士請衷甲以從者三百人。子儀曰:「我,國之大臣,彼無天子之命,安敢害我!若受命而來,汝曹欲何為!」乃從家僮數人而往。朝恩迎之,驚其從者之約。子儀以所聞告,且曰:「恐煩公經營耳。」朝恩撫膺捧手流涕曰:「非公長者,能無疑乎!」壬午,流李岵於夷州。 乙酉,郭子儀還河中。 辛卯,賜李岵死。 二月,壬寅,以京兆之好畤、鳳翔之麟游、普潤隸神策軍,從魚朝恩之請也。 楊子琳既敗還瀘州,招聚亡命,得數千人,沿江東下,聲言入朝;涪州守捉使王守仙伏兵黄草峽,子琳悉擒之,撃守仙於忠州,守仙僅以身免。子琳遂殺夔州別駕張忠,據其城。荊南節度使衛伯玉欲結以為援,以夔州許之,為之請於朝。陽曲人劉昌裔說子琳遣使詣闕請罪,子琳從之。乙巳,以子琳為峽州團練使。 初,僕固懷恩死,上憐其有功,置其女宮中,養以為女。回紇請以為可敦,夏,五月,辛卯,冊為崇徽公主,嫁回紇可汗。壬辰,遣兵部侍郎李涵送之,涵奏祠部郎中虞鄉董晉為判官。六月,丁酉,公主辭行,至回紇牙帳。回紇來言曰:「唐約我為市,馬既入,而歸我賄不足,我於使人乎取之。」涵懼,不敢對,視晉,晉曰:「吾非無馬而與爾為市,為爾賜不既多乎!爾之馬歳至,吾數皮而歸資。邊吏請致詰也,天子念爾有勞,故下詔禁侵犯。諸戎畏我大國之爾與也,莫敢校焉。爾之父子寧而畜馬蕃者,非我誰使之!」於是其衆皆環晉拜。既又相帥南面序拜,皆舉兩手曰:「不敢有意大國。」 戊申,王縉表讓副元帥、都統、行營使,許之。 辛酉,郭子儀自河中遷於邠州,其精兵皆自隨,餘兵使裨將將之,分守河中、靈州。軍士久家河中,頗不樂徙,往往自邠逃歸;行軍司馬嚴郢領留府,悉捕得,誅其渠帥,衆心乃定。 秋,九月,吐蕃寇靈州;丁丑,朔方留後常謙光撃破之。 河東兵馬使王無縱、張奉璋等恃功驕蹇,以王縉書生,易之,多違約束。縉受詔發兵詣鹽州防秋,遣無縱、奉璋將歩騎三千赴之。奉璋逗留不進,無縱托他事擅入太原城;縉悉擒斬之,並其黨七人,諸將悍戻者殆盡,軍府始安。 冬,十月,常謙光奏吐蕃寇鳴沙,首尾四十里。郭子儀遣兵馬使渾瑊將銳兵五千救靈州,子儀自將進至慶州,聞吐蕃退,乃還。 黄門侍郎、同平章事杜鴻漸以疾辭位,壬申,許之;乙亥,薨。鴻漸病甚,令僧削髮,遺令為塔以葬。 丙子,以左僕射裴冕同平章事。初,元載為新平尉,冕嘗薦之,故載舉以為相,亦利其老病易制。受命之際,蹈舞仆地,載趨而扶之,代為謝詞。十二月,戊戌,冕薨。 代宗睿文孝武皇帝中之上大暦五年(庚戌,公元七七零年) 春,正月,己巳,羌奠白對蓬等各帥部落內屬。 觀軍容宣慰處置使、左監門衛大將軍兼神策軍使、內侍監魚朝恩,專典禁兵,寵任無比,上常與議軍國事,勢傾朝野。朝恩好於廣座恣談時政,陵侮宰相,元載雖強辯,亦拱默不敢應。 神策都虞候劉希暹,都知兵馬使王駕鶴,皆有寵於朝恩;希暹說朝恩於北軍置獄,使坊市惡少年羅告富室,誣以罪惡,捕系地牢,訊掠取服,籍沒其家資入軍,並分賞告捕者;地在禁密,人莫敢言。朝恩毎奏事,以必允為期;朝廷政事有不豫者,輒怒曰:「天下事有不由我者邪!」上聞之,由是不懌。 朝恩養子令徽尚幼,為內給使,衣綠,與同列忿爭,歸告朝恩。朝恩明日見上曰:「臣子官卑,為儕輩所陵,乞賜之紫衣。」上未應,有司已執紫衣於前,令徽服之,拜謝。上強笑曰:「兒服紫,大宜稱。」心愈不平。 元載測知上指,乘間奏朝恩專恣不軌,請除之。上亦知天下共怨怒,遂令載為方略。朝恩毎入殿,常使射生將周皓將百人自衛,又使其黨陝州節度使皇甫温握兵於外以為援;載皆以重賂結之,故朝恩陰謀密語,上一一聞之,而朝恩不之覺也。 辛卯,載為上謀,徙李抱玉為山南西道節度使,以温為鳳翔節度使,外重其權,實內温以自助也。載又請割郿、虢、寶雞、鄠、盩厔隸抱玉,興平、武功、天興、扶風隸神策軍,朝恩喜於得地,殊不以載為虞,驕橫如故。 壬辰,加河南尹張延賞為東京留守;罷河南等道副元帥,以其兵屬留守。延賞,嘉貞之子也。 二月,戊戌,李抱玉徙鎮盩厔,軍士憤怒,大掠鳳翔坊市,數日乃定。 劉希暹頗覺上意異,以告魚朝恩,朝恩始疑懼。然上毎見之,恩禮益隆,朝恩亦以此自安。皇甫温至京師,元載留之未遣,因與温及周皓密謀誅朝恩。既定計,載白上。上曰:「善圖之,勿反受禍!」 三月,癸酉,寒食,上置酒宴貴近於禁中,載守中書省。宴罷,朝恩將還營,上留之議事,因責其異圖。朝恩自辯,語頗悖慢,皓與左右擒而縊殺之,外無知者。上下詔,罷朝恩觀軍容等使,內侍監如故。詐云「朝恩受詔乃自縊」,以屍還其家,賜錢六百萬以葬。 丁丑,加劉希暹、王駕鶴御史中丞,以慰安北軍之心。丙戌,赦京畿系囚,命盡釋朝恩黨與,且曰:「北軍將士,皆聯爪牙,並宜仍舊。朕今親御禁旅,勿有憂懼。」 己丑,罷度支使及關內等道轉運、常平、鹽鐵使,其度支事委宰相領之。敕皇甫温還鎮於陝。 元載既誅魚朝恩,上寵任益厚,載遂志氣驕溢;毎衆中大言,自謂有文武才略,古今莫及,弄權舞智,政以賄成,僭侈無度。吏部侍郎楊綰,典選平允,性介直,不附載。嶺南節度使徐浩,貪而佞,傾南方珍貨以賂載。辛卯,載以綰為國子祭酒,引浩代之。浩,越州人也。載有丈人自宣州來,從載求官,載度其人不足任事,但贈河北一書而遣之。丈人不悅,行至幽州,私發書視之,書無一言,惟署名而已。丈人大怒,不得已試謁院僚,判官聞有載書,大驚,立白節度使,遣大校以箱受書,館之上捨,留宴數日,辭去,贈絹千匹。其威權動人如此。 夏,四月,庚子,湖南兵馬使臧玠殺觀察使崔灌;澧州刺史楊子琳起兵討之,取賂而還。 涇原節度使馬璘屢訴本鎮荒殘,無以贍軍,上諷李抱玉以鄭、穎二州讓之;乙巳,以璘兼鄭穎節度使。 庚申,王縉自太原入朝。 癸未,以左羽林大將軍辛京杲為湖南觀察使。 荊南節度使衛伯玉遭母喪,六月,戊戌,以殿中監王昂代之。伯玉諷大將楊鉥等拒昂留己;甲寅,詔起復伯玉鎮荊南如故。 秋,七月,京畿饑,米斗千錢。 劉希暹內常自疑,有不遜語,王駕鶴以聞。九月,辛未,賜希暹死。 吐蕃寇永壽。 冬,十一月,郭子儀入朝。 上悉知元載所為,以其任政日久,欲全始終,因獨見,深戒之;載猶不悛,上由是稍惡之。 載以李泌有寵於上,忌之,言:「泌常與親故宴於北軍,與魚朝恩親善,宜知其謀。」上曰:「北軍,泌之故吏也,故朕使之就見親故。朝恩之誅,泌亦預謀,卿勿以為疑。」載與其黨攻之不已;會江西觀察使魏少游求參佐,上謂泌曰:「元載不容卿,朕今匿卿於魏少游所,俟朕決意除載,當有信報卿,可束裝來。」乃以泌為江西判官,且屬少游使善待之。 代宗睿文孝武皇帝中之上大暦六年(辛亥,公元七七一年) 春,二月,壬寅,河西、隴右、山南西道副元帥兼澤潞、山南西道節度使李抱玉上言:「凡所掌之兵,當自訓練。今自河、隴達於扶、文,綿亙二千餘里,撫御至難。若吐蕃兩道俱下,臣保固汧、隴則不救梁岷,進兵扶、文則寇逼關輔,首尾不贍,進退無從。願更擇能臣,委以山南,使臣得專備隴坻。」詔許之。 郭子儀還邠州。 嶺南蠻酋梁崇牽自稱平南十道大都統,據容州,與西原蠻張侯、夏永等連兵攻陷城邑,前容管經略使元結等皆寄治籐梧。經略使王翃至籐州,以私財募兵,不數月,斬賊帥歐陽珪,馳詣廣州,見節度使李勉,請兵以復容州,勉以為難,翃曰:「大夫如未暇出兵,但乞移牒諸州,揚言出千兵為援,冀藉聲勢,亦可成功。」勉從之。翃乃與義州刺史陳仁璀、籐州刺史李曉庭等結盟討賊。翃募得三千餘人,破賊數萬衆;攻容州,拔之,擒梁崇牽,前後大小百餘戰,盡復容州故地。分命諸將襲西原蠻,復鬱林等諸州。 先是,番禺賊帥馮崇道,桂州叛將朱濟時,皆據險為亂,陷十餘州,官軍討之,連年不克;李勉遣其將李觀與翃並力攻討,悉斬之,三月,五嶺皆平。 河北旱,米斗千錢。 夏,四月,己未,澧州刺史楊子琳入朝,上優接之,賜名猷。 庚申,以典內董秀為內常侍。 吐蕃請和;庚辰,遣兼御史大夫吳損使於吐蕃。 成都司録李少良上書言元載奸贓陰事,上置少良於客省。少良以上語告友人韋頌,殿中侍御史陸珽以告載,載奏之。上怒,下少良、頌、珽御史台獄。御史奏少良、頌、珽凶險比周,離間君臣,五月,戊申,赦付京兆,皆杖死。 秋,七月,丙午,元載奏,凡別敕除文、武六品以下官,乞令吏部、兵部無得檢勘,從之。時載所奏擬多不遵法度,恐為有司所駁故也。 八月,丁卯,淮西節度使李忠臣將兵二千屯奉天防秋。 上益厭元載所為,思得士大夫之不阿附者為腹心,漸收載權。丙子,內出制書,以沂西觀察使李棲筠為御史大夫,宰相不知,載由是稍絀。 九月,吐蕃下青石嶺,軍於那城;郭子儀使人諭之,明日,引退。 是歳,以尚書右丞韓滉為戸部侍郎、判度支。自兵興以來,所在賦斂無度,倉庫出入無法,國用虚耗。滉為人廉勤,精於簿領,作賦斂出入之法,御下嚴急,吏不敢欺;亦值連歳豐穰,邊境無寇,自是倉庫蓄積始充。滉,休之子也。 代宗睿文孝武皇帝中之上大暦七年(壬子、七七二年) 1.春,正月,甲辰,回紇使者擅出鴻臚寺,掠人子女;所司禁之,毆撃所司,以三百騎犯金光、朱雀門。是早,宮門皆閉,上遣中使劉清潭諭之,乃止。 1.春正月甲辰、回紇の使者は勝手に鴻臚寺を出て人の子女を拐い、所司がこれを禁ずると、所司を殴打し、三百騎で金光門・朱雀門に侵入した。この火早朝、宮門はすべて閉ざし、お上は中使の劉清潭を派遣して説諭させた。そこでこのことは止んだ。 三月,郭子儀入朝;丙午,還邠州。 2.三月、郭子儀が入朝した。丙午、邠州に帰った。 3.夏,四月,吐蕃五千騎至靈州,尋退。 3.夏四月、吐蕃の五千騎が霊州に到ったが、ついで退却した。 4.五月,乙未,赦天下。 4.五月乙未、天下に大赦した。 5.秋,七月,癸巳,回紇又擅出鴻臚寺,逐長安令邵説至含光門街,奪其馬、説乘他馬而去,弗敢爭。 5.秋七月癸巳、回紇がまた勝手に鴻臚寺から出て、長安令の邵説を追って、含光門街に到り、その馬を奪った。邵説は他の馬に乗って去り、敢えて争わなかった。 6.盧龍節度使朱希彩既得位,悖慢朝廷,殘虐將卒;孔目官李懷瑗因衆怒,伺間殺之。衆未知所從;經略副使朱泚營於城北,其弟滔將牙內兵,潛使百餘人於衆中大言曰:「節度使非朱副使不可;」衆皆從之。泚遂權知留後,遣使言状。冬,十月,辛未,以泚為檢校左常侍、幽州、盧龍節度使。 6.盧龍節度使の朱希彩はすでに節度使の位を得て,朝廷に背きもとり、将卒に対して残虐であった。孔目官の李懐瑗は軍が怒っているため、隙を伺って殺した。軍は誰に従っていいのかわからず、経略副使の朱泚は城北に入営し、その弟の朱滔は牙軍内の兵を率いて、密かに百人あまりに軍内で、「節度使は朱副使でないとだめだ」と大言させて、軍は皆これに従った。朱泚は遂に仮に留後を司り、使者を派遣して言上した。冬十月辛未、朱泚を検校左常侍をし、幽州盧龍節度使とした。 7.十二月,辛未,置永平軍於滑州。 7.十二月辛未、永平軍に滑州を設置した。 代宗睿文孝武皇帝中之上大暦八年(癸丑、七七三年) 春,正月,昭義節度使、相州刺史薛嵩薨。子平,年十二,將士脅以為帥,平偽許之;既而讓其叔父崿,夜奉父喪,逃歸鄉里。壬午,制以崿知留後。 二月,壬申,永平節度使令狐彰薨。彰承滑、亳離亂之後,治軍勸農,府廩充實。時籓鎮率皆跋扈,獨彰貢賦未嘗闕;歳遣兵三千詣京西防秋,自繼糧食,道路供饋皆不受,所過秋毫不犯。疾亟,召掌書記高陽齊映,與謀後事,映勸彰請代人,遣子歸私第;彰從之,遺表稱:「昔魚朝恩破史朝義,欲掠滑州,臣不聽,由是有隙。及朝恩誅,值臣寢疾,以是未得入朝,生死愧負。臣今必不起,倉庫畜牧,先已封籍,軍中將士,州縣官吏,按堵待命。伏見吏部尚書劉晏、工部尚書李勉可委大事,願速以代臣。臣男建等,今勒歸東都私第。」彰薨,將士欲立建,建誓死不從,舉家西歸。三月,丙子,以李勉為永平節度使。 吏部侍郎徐浩、薛邕,皆元載、王縉之黨;浩妾弟侯莫陳怤為美原尉,浩屬京兆尹杜濟虚以知驛奏優,又屬邕擬長安尉。怤參台,御史大夫李棲筠劾奏其状,敕禮部侍郎萬年於邵等按之。邵奏邕罪在敕前,應原除,上怒。夏,五月,乙酉,貶浩明州別駕,邕歙州刺史;丙戌,貶濟杭州刺史,邵桂州長史,朝廷稍肅。 辛卯,鄭王邈薨,贈昭靖太子。 回紇自乾元以來,歳求和市,毎一馬易四十縑,動至數萬匹,馬皆駑瘠無用;朝廷苦之,所市多不能盡其數,回紇待遣、繼至者常不絕於鴻臚。至是,上欲悅其意,命盡市之。秋,七月,辛丑,回紇辭歸,載賜遣及馬價,共用車千餘乘。 6.八月,己未,吐蕃六萬騎寇靈武,踐秋稼而去。 6.八月己未、吐蕃の六万騎が霊武に侵入し、秋の実りを踏んで去った。 7.辛未,幽州節度使朱泚遣弟滔將五千精騎詣涇州防秋。自安祿山反,幽州兵未嘗為用,滔至,上大喜,勞賜甚厚。 7.辛未、幽州節度使の朱泚が弟の朱滔を派遣し、五千の精鋭騎兵を率いて涇州に到って防備した。安禄山が叛いて以来、幽州の兵いまだかつて用いたことがなく、朱滔が来るとお上は大いに喜び、労い賜物が非常に厚かった。 8.壬申,回紇復遣使者赤心以馬萬匹來求互市。 8.壬申、回紇がまた使者赤心を派遣し馬一万匹で来て互市を求めた。 9.九月,壬午,循州刺史哥舒晃殺嶺南節度史呂崇賁,據嶺南反。 9.九月壬午、循州刺史の哥舒晃が嶺南節度史の呂崇賁を殺し、嶺南によって叛いた。 癸未,晉州男子郇模,以麻辮發,持竹筐葦席,哭於東市。人問其故,對曰:「願獻三十字,一字為一事;若言無所取,請以席裹屍,貯筐中,棄於野。」京兆以聞。上召見,賜新衣,館於客省。其言「團」者,請罷諸州團練使也;「監」者,請罷諸道監軍使也。 魏博節度使田承嗣為安、史父子立祠堂,謂之四聖,且求為相;上令內侍孫知古因奉使諷令毀之。冬,十月,甲辰,加承嗣同平章事以褒之。 靈州破吐蕃萬餘衆。吐蕃衆十萬寇涇、邠,郭子儀遣朔方兵馬使渾瑊將歩騎五千拒之。庚申,戰於宜祿。瑊登黄萯原望虜,命據險布拒馬以備其馳突。宿將史抗、温儒雅等意輕瑊,不用其命;瑊召使撃虜,則已醉矣;見拒馬,曰:「野戰,烏用此為!」命撤之。叱騎兵沖虜陣,不能入而返;虜躡而乘之,官軍大敗,士卒死者什七八,居民為吐蕃所掠千餘人。 甲子,馬璘與吐蕃戰於鹽倉,又敗。璘為虜所隔,逮暮未還,涇原兵馬使焦令諶等與敗卒爭門而入。或勸行軍司馬段秀實乘城拒守,秀實曰:「大帥未知所在,當前撃虜,豈得苟自全乎!」召令諶等讓之曰:「軍法,失大將,麾下皆死。諸君忘其死邪!」令諶等惶懼拜請命。秀實乃發城中兵未戰者悉出,陳於東原,且收散兵,為將力戰状。吐蕃畏之,稍卻。既夜,璘乃得還。 郭子儀召諸將謀曰:「敗軍之罪在我,不在諸將。然朔方兵精聞天下,今為虜敗,何策可以雪恥?」莫對。渾瑊曰:「敗軍之將,不當復預議。然願一言今日之事,惟理瑊罪,不則再見任。」子儀赦其罪,使將兵趣朝那。虜既破官軍,欲掠汧、隴。鹽州刺史李國臣曰:「虜乘勝必犯郊畿,我掎其後,虜必返顧。」乃引兵趣秦原,鳴鼓而西。虜聞之,至百城,返,渾瑊邀之於隘,盡復得其所掠。馬璘亦出精兵襲虜輜重於潘原,殺數千人,虜遂遁去。 己丑,以江西觀察使路嗣恭兼嶺南節度使,討哥舒晃。 初,元載嘗為西州刺史,知河西、隴右山川形勢。是時,吐蕃數為寇,載言於上曰:「四鎮、北庭既至涇州,無險要可守。隴山高峻,南連泰嶺,北抵大河。今國家西境盡潘原,而吐蕃戍摧沙堡,原州居其中間,當隴山之口,其西皆監牧故地,草肥水美,平涼在其東,獨耕一縣,可給軍食,故壘尚存,吐蕃棄而不居。毎歳盛夏,吐蕃畜牧青海,去塞甚遠,若乘間築之,二旬可畢。移京西軍戍原州,移郭子儀軍戍涇州,為之根本,分兵守石門、木峽,漸開隴右,進達安西,據吐蕃腹心,則朝廷可高枕矣。」併圖地形獻之,密遣人出隴山商度功用。會汴宋節度使田神功入朝,上問之,對曰:「行軍料敵,宿將所難,陛下奈何用一書生語,欲舉國從之乎!」載尋得罪,事遂寢。 有司以回紇赤心馬多,請市千匹。郭子儀以為如此,逆其意太甚,自請輸一歳俸為國市之。上不許。十一月,戊子,命市六千匹。
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1.幼年期 あおむけの姿勢のままで落下する、一個のゆっくりの姿があった。 「まりしゃは おしょら とんでりゅ みたいなんだじぇ~~~~~」 全身を突きぬける浮揚感とそれゆえの多幸感は、しかし唐突に終わった。 「…………ゆぴぇぇっ!」 着地とともに、赤ゆのまりさは悲鳴した。 それは常日頃からおこなっている遊びのひとつだった。石の上から草むらへと跳びはねて、 ほんの一瞬の無重力状態をたのしむという、すこぶる単純な遊びにすぎなかった。 まりさが跳躍台とした石の高さは、成体ゆっくりの平均的な体長よりも低い。さらに地面には 雑草という緩衝材が用意されている。怪我はありえないはずだった。 ところが、ふたつの理由が赤ゆのまりさに不幸をもたらした。 ひとつは、いつもの遊びに変化をつけようと思い、あおむけの体勢で飛行を試みたこと。 もうひとつは、おそらくは風に吹かれてやってきたのだろう、落下地点にうずくまって いた小石が、剣を逆さに突き立てたように鋭利な切っ先を空にむけていたことである。 そのうえに後頭部から落下すれば、怪我を負わないほうがふしぎだった。 まりさは全身をしたたかに打ちすえたばかりか、後頭部が掻き切られ、その傷口から 餡子脳の一部がじゅくじゅくと流出した。我慢を知らない赤ゆのまりさは、身を焦がすような 激痛に泣きじゃくり、腹を切りさかれた芋虫のようにもんどりうった。 ところが、突然にまりさは動きを止めた。 涙は堰きとめられ、笑顔が表出する。 跳ね起きて、青空に宣言した。 「いたく なくなったんだじぇっ。なおったんだじぇっ」 と、言ったものの傷口は依然として開いているし、金髪は餡子に汚れている。 だが、傷穴は後頭部にうがたれていたうえに、痛みまで消えたとあっては 餡子脳が完治したと錯覚するのも無理はない。激痛を覚えたことさえ忘れ果て、 その足で家族の待っているほら穴に帰宅した。 帰還したまりさの姿を見て、両親姉妹は仰天した。 頭から黒い脳漿の一部がはみでているのだ。 驚かないほうがどうかしている。 すぐさま、赤ゆのまりさは拘束された。 「へーきなんだじぇー! いたくないんだじぇー! はなちぇー! はなちぇー!」 と、姉妹に体を抑えつけられながらも、まりさは必死で抵抗した。抵抗するだけ脳がこぼれた。 当人は平気を訴えていたが、それに耳を貸すゆっくりは一匹もいなかった。 治療がはじまった。 ゆっくりの治療法は主としてふたつある。 ひとつは「ぺーろぺーろ」と呼称されている行為で、要するに怪我人を舐めるだけである。 効果のほどは疑わしいが、ゆっくりはこれに全幅の信頼をおいている。雑貨や家具にまで 効果があると信じており、治療修復の効果があらわれないときは患者にやつあたりしてしまうほどである。 もうひとつは、甘いものを食べさせることだ。 こちらは抜群の効果を生む。量さえあれば、瀕死でさえもまたたくまに治ってしまう。 ただ、甘さこそ味覚の王と信じて疑わないゆっくりの社会においては、 甘味はただちに費消しつくされる運命にある。ゆえに貯蓄や速やかな調達はのぞめない。 だが、不幸のなかにも幸運あり、このときの巣穴には「あまあま」があった。 山葡萄の実だ。 夕餉のためにと親が昼のうちに獲ってきたものだった。 たった三粒しかなかったが、すべてまりさに与えられた。 まりさはそれを食すると、 「おいちー。ちあわちぇー……」 と、恍惚とした。 妙薬の威力はたちまち顕現した。後頭部の傷口はみるみるふさがった。 危地を脱して、家族は胸をなでおろした。 ゆっくりの生涯にも分水嶺というものがあるのなら、間違いなくこの日がそれといえた。 赤ゆは餡子脳とともに痛覚もこぼしていた。 ゆっくりの体内物質は――餡子やクリームといったふざけた物質である――筋肉と神経をかねていて、 どこの部分がどの機能を担当するという区分はない。 だが、その総量が一定の閾値にまで下がると、なんらかの影響がでてしまう。その症状としては、 記憶の喪失、運動能力の恒久的減衰、生殖機能の毀損、なんでもありだ。 まりさにとっては痛みの喪失となったらしい。 こうして無痛症のまりさが完成した。 やがて赤ゆの体に時がふり、まりさは長じて独立し、家族のもとを去って別天地をもとめた。 2.異形のゆっくり 金色の靄のたちこめる草むらで、まりさとありすが対峙していた。 まりさは口の端をつり上げており、その双眸に宿る侮蔑は否定しがたい。 一方のありすは親の仇を見るかのごとくに殺意をたぎらせている。 「ありす。なんなんだぜ。まりさはいそがしーんだぜ、さっさというんだぜ!」 まりさが口火を切った。 「あなた……ぱちゅりーと『すっきりぃー』したでしょう!」 「ふんっ。どういのうえで、なんだぜ」 まりさの瞳に灯される侮蔑の炎はいよいよ盛んになった。 ありすは、なかば呆然としながら問い返す。 「……なんですって」 「どーいのうえで、なんだぜ! ぱちゅりーが『すっきりぃーしましょー』っていってきたんだぜ! だから しょーがなく『すっきりぃー』してやったんだぜ。まちがいないんだぜ」 「でたらめよ。ばかいわないで」 「でたらめ? かくにん したんだぜ?」 「そんなの……できるはず ないでしょうっ。だって、ぱちゅりーは、ぱちゅは……」 「ゆっくりしちゃったんだぜ? えいえんに ゆっくり しちゃったんだぜ? ゆひひっ、よわいくせに『すっきりぃー』なんて するから なんだぜ」 「……」 ありすは押しだまる。 まりさの言分の是非は、永遠に、換言すれば物理的に確認できない状態となっていた。 草むらに一陣の風が駆けぬける。両者の金髪がふわりと持ちあがり、すぐに沈んだ。 「よかったんだぜ!」 「……ゆ?」 「だってぱちゅりー、よろこんでたんだぜ! よがってたんだぜ! ひーひーいってたんだぜ! すっきりぃー なんてさけんでたんだぜ! こんなことも いってたんだぜ! すーぱー! ねとられ! たいむぅっ! すっきりぃぃぃぃーっ!」 まりさは腹をかかえて笑いだす。 ありすの表情は対照的に、鋼のような冷たさをたたえていた。 「……ぱちゅりーが しんだことは かわりないわ」 「ふん。だったら、なんなんだぜ?」 「しんでね!」 眼光をぎらつかせ、ありすは眼前の黒帽子に突撃した。 まりさはほくそ笑んでいる。動こうとさえしない。 「ゆんっ!」 力の限り、ぶん殴った。 ありすの体当たりは、まりさの腹部を直撃する。仇敵をふっとばした。 「しねっ、しねっ、ゆっくりしね!」 転がったところに追撃をかけた。 殴り、蹴り、踏みしだく。 ありすの口が大きく開かれた。どてっぱらを食いちぎろうとする。 だが、食いつこうとする刹那、まりさは横転してそれを回避した。寄せ手の口が、かちりと鳴った。 まりさはすっと起きあがる。 ありすの顔面に、まりさの殴打が襲いかかる。 粘り気のある白い血が青みの残る夕空に舞った。 顔の造作がつぶれていた。 「……ゆ゛ごっ!? ゆぐっ、っべぇっ、ゆぇぇ゛っ!」 ありすは七転八倒して苦しんだ。あんよをばたつかせ、意味をなさない嗚咽を吐き、 夕焼けを舐める舌はうねうねと動いていた。無防備な性器と肛門から甘い匂いのする水がこぼれた。 まりさは、激痛に苦しむありすの姿をしばし観賞した。 ありすの動きが小さくなった。息は荒々しいものの、激痛はひきつつあるようだ。 肛門から吐き出されている尿の量も少なくなった。 その様子を見てとり、まりさは帽子のなかから樹の枝を取りだした。 樹の枝は、丈はみじかかったが、太さがあった。 その枝を、ありすのまむまむに挿入する。 「……!」 まりさの顔面に拡張されたまむまむが接近した。 そして、まむまむとの接点を支点にし、中身をぐりぐりと攪拌した。 内部から間断なく襲いくる、津波のような激痛に、ありすは悲鳴さえあげられなかった。 穴という穴から汁を噴出される。やがてありすは痛みのあまりに失神した。 「ゆんっ!」 勢いよく棒を引き抜いた。 まむまむが、切れた。気絶しながらも「ゆ゛っ」と言ってありすの体が跳ねあがる。 狼藉のかぎりをつくされたまむまむは、二度とその本懐を遂げることはないだろう。 まりさは、クリームまみれの木の棒をその場に放り捨てた。 「ゆっくりしていってね!!!」 そう吐き捨てて、勝利者は踵をかえした。 まりさは、強かった。 とにかく強かった。 本来、ゆっくりは脆弱だ。 言語はあるが文明はなく、知識も知恵も貧困きわまる。 運動量において犬に負け、勇気において鳥に及ばず、力において人間とは比較にならない。 極端なまでに水に弱く、苦みや辛みはひとしく毒となり、暑さにも寒さにもすこぶる弱い。 性格もおしなべて低劣といってよく、 強きにおもねり弱きをくじいて恥じることを知らず、根拠があるわけでもなく傲慢で、 その自信は過剰どころの騒ぎではなく、ばかばかしいほど不衛生で、 貪欲ではあるが向上心にとぼしく、幸福を望んでいるが努力など歯牙にもかけず、 ゆっくりしていってねとよく叫ぶくせに、他者がゆっくりしていると爛々と嫉妬を燃やす。 肉体的にも精神的にも、弱すぎる。 しかしながら、ゆっくりの脆弱たる真因は、 「痛がり」 という一点に尽きた。 ほんの少しの打撃を受けただけで、蚊の刺した痛みをおぼえただけで、 家畜のような悲鳴をあげ、失禁し脱糞し落涙し嘔吐し、抵抗の心は根こそぎ剥奪される。 しかるべき攻撃をくらえば、もはや戦うことを忘れてしまう。 だからこそ、彼らは弱い。 一撃でひれ伏す生物が、どうして強者として君臨することができようか。 ところが、ここに痛みを覚えないゆっくりがいる。 まりさだ。 まりさの強さの淵源は、痛覚過敏というゆっくりの特質の裏返しであった。 幼いころの事故により餡子脳もろとも痛みを喪失したまりさは、攻撃をうけても痛みを感じることなどない。 だから継続的に戦闘することができ、ゆっくりならざる強さを発揮する。 そのために、まりさは家族のもとを離れて新しい群れに参入してから、一年を経ずして、 新参者にもかかわらず群れに専制を布くことができた。たとえば、他人のツガイを奪いとって 犯した挙句に死にいたらしめて、報復に燃えるゆっくりありすを虐め抜いてみせるほどに。 草むらをかき分けて、まりさは巣に帰還した。 夕暮れはいよいよその濃度を増し、夜の足音が聞こえる時間となっていた。 まりさの家は立派なものだ。ダンボールの上に青いビニールシートをかぶせ 天井に石を置いて補強したもので、ゆっくりの家としては上等の部類に属する。 家の資材は人間の里からくすねた。 そのおりに、資材獲得を命じたゆっくりの何匹かが犠牲になったが、 その事実にまりさはいささかの痛痒も感じていなかった。 ビニールの切れこみからまりさが我が家に入りこむ。 「……おかりなさい」 ツガイのれいむが出迎えてくれる。 うやうやしく頭を垂れて、主人の帰還をことほいだ。 床にべったりと額を押しつけて、まりさに無防備な頭を呈示する。 「ゆう……」 れいむが苦悶の吐息をもらす。 まりさが差し出された頭の上に乗ったからだ。 無表情を保ったまま、れいむの上で跳びはねはじめる。 「ゆぐっ、ゆべっ、ゆぎっ……」 なんどもなんども押しつぶす。 マウントポジションを解放し、れいむの尻を蹴りとばした。 「ゆごっ……」 最後に、帽子から棍棒を取りだしてつがいを七回打った。 かくして、つがいの顔は腫れあがる。 「ごはんさん、だすんだぜ。はやくするんだぜ」 「ぁ、あい……」 咳き込みつつ返答する。れいむがダンボールの一隅に移動した。 そこに積まれていた茸と草の山を、まりさに差し出した。 まりさは何も言わずに食べはじめる。その光景をれいむは一心に見つめている。 すぐに食餌が終わった。献上した食餌は草一本も残らず食いつくされた。 「……」 まりさが家の外に移動する。その背中をれいむが追う。 外では虫がむせびないていた。 まりさの腹から糞が落とされた。排泄が終わると無言とともに家に戻った。 その背中を見届けてから、れいむは餡子糞と向きあった。 夕方の冷気を吸いこみ、あらん限りの力を腹にこめて、叫んだ。 「れいむのぉぉぉぉぉ! すーぱぁぁぁぁぁぁ! むーしゃむーしゃぁ! たーいむぅぅぅぅぅ!」 そう叫ぶやいなや、つがいの残した餡子糞に食らいついた。 虫の音に祝福されて、れいむはついに排泄物を食い終えた。 家に戻る。 まりさは相変わらずの無表情だ。喜怒哀楽が消えている。 「れいむ。いつものだぜ。いつものあれ、はじめるんだぜ」 「はい……」 れいむはまりさに従順だ。 隷従しているといってもよい。 黒帽子の中から取り出されたものは、特大型の画鋲だった。 傘の部分は透明なプラスチックで出来ていて、その滑らかな曲線が美しくも艶めかしい。 家の資材を取ってこさせたおりに獲得した余剰品であった。 ここから、儀式がはじまる。 まりさは腹を突きだした。 れいむは画鋲を口に持つ。 そして、画鋲の先端をまりさの腹、まむまむに向けた。 するり。 と、画鋲がまりさの腹に突き刺さる。 一気に根もとまで潜りこんだ。 通常ならば、痛みにのたうつ。 だが。 「ゆふっ」 まりさは嬌声に近い吐息を漏らした。 その体が微震を始める。目を薄くあけながら桜色に頬を染めている。 しっとりと汗を滲ませて恍惚にひたった。 れいむはつがいの陶酔を冷たい瞳で見すえている。 針を体内に差しこまれておいて快感を覚えられるなど、通常のゆっくりには化け物にしか見えない。 ひとしきり快楽を堪能すると、まりさは口を開いた。 「もう……いいんだぜ」 れいむはプラスチックの取っ手を持ち、するりと抜いた。 「ゆふぅ……」 差し入れたときに比べて、余韻にいろどられた穏やかな吐息が発せられた。 魔剣はまりさの帽子に格納され、二匹は眠りについた。 これらは夕暮れから夜にかけて必ず行われる。 呼吸のような家庭内暴力も、食糞を強要する行為も、 そしてみずからの性器に金属を刺しこませる行為も、すべては平時の光景だった。 前者ふたつについては、まりさの性格に起因する。虐めることが目的だ。 最後の自虐についてだが、まりさの肉体的特質に理由がもとめられる。 まりさは痛みをうしなっている。 痛みを喪うとは、すべての感覚を喪失するにひとしい。暑さも寒さも感じることがなく、 まるで幽霊と化したような茫洋たる感覚にいだかれる。その存在の耐えがたい軽さを、 あえて不快を催すことで慰めようとしていた。 いかに痛覚を忘却しているとはいえ、体内深くに針を刺されれば いくばくかの不快を覚えざるをえない。ほのかな痛みは、まりさに生きているという感動を蘇らせる。 なお、そんなことをして問題がないのかという疑問はおのずから浮かんでくる。 結論から言えば問題ない。 ゆっくりにあっては、運動をつかさどる筋肉と神経、知能と意識を担う脳細胞といったように、 組織の分化がさして進んでいない。ほとんどの活動は体内餡子が一手に引き受けてくれる。 針を刺して引き抜いたところで、それは水に手をつっこんで掻きまわすようなもので、 抜いてしまえば一切の影響を与えない。 問題は餡子の総量であって、その均衡や分布ではない。水分子の場所が違えども、 泉の風景には一切の反響を呼び起さない。また、針により空いた穴はきわめて小さく、 体内餡子の流出もほとんどない。 精神的ストレスがゆっくりの体に影響を及ぼすことはありうるが、 そもそも痛みを感じないまりさにはその心配もない。 とはいえ、それはまりさの論理であり、ほかのゆっくりには通じない。 毎晩にわたりこの異様な儀式を執りおこなっているれいむにしてもそれは同じだ。 針を突き刺しても快感しか覚えないゆっくりなど、れいむの目には怪物にしか映らない。 しかし、れいむは怪物にかしずいている。 その理由は、ダンボールの隅に積まれている帽子やカチューシャが説明してくれる。 大小さまざまなそれらのシンボルは、れいむにゆかりのあるゆっくりの所持品だ。 れいむの夫、友人、そして子供。 それらのお飾りが独立して存在しているということは、もちぬしたるゆっくりが 死に絶えているということに他ならない。 全員、まりさに殺された。 れいむは三度夫を変えた。まりさは四人目のつがいとなる。その前の三人は すべてまりさの手にかかって死んだ。まりさは一度たりとも自分のつがいになれとは言わなかった。 ただ、れいむが新しいつがいを得るたびにこれを殺した。最終的に、れいむは自ら結婚を申し出るにいたった。 それまでの間に、れいむは十二人の仔を得ていた。 まりさ種が三匹、れいむ種が三匹、ありす種が五匹、ぱちゅりー種が一匹だ。 結婚の翌日、子供はすべて死んだ。 間引いたのはまりさだ。理由は明かされなかったし、どうせ聞いても 理解できないのだろうとれいむは思った。これらの暴虐を経て、れいむはすべてを諦めて まりさの奴隷となる生涯を選択した。 結婚生活において、まりさを理解しようとは一度も思ったことがなかった。 嵐に似ている。 嵐に遭遇した生きものは、たとえ知能を有していようとも、嵐を理解しようとは思わない。 ただひたすら耐え凌ごうと努力する。 まりさという化け物じみた暴君の庇護下にあって、これを理解せよと強要するのは、 嵐に打たれながら嵐を解せよと命令するにひとしく、れいむには忍耐を越えて理解に走る根気も理由もなく、 ゆえに忍従ばかりの生涯を送っている。 3.再生と喪失 日中、まりさはほとんど家にいない。 では外で何をしているのかと言えば、略奪と暴虐がその太宗だ。 その間、つがいのれいむはまったく放置される。 この状況が常態となると、れいむは一念発起して人間との接触をこころみた。 群れから少し離れたところに、白亜の壁に囲まれた、人間のゆっくりプレイスがある。 と、れいむは認識していたが、それはゆっくりの加工所であった。 わざわざ山のなかに築かれているのは豊富で新鮮な水を求めてのことと、 れいむの属する群れが、おもいのほか人間の里から離れていないという単純な事実による。 それはともかく、れいむはこの工場におもむいて、とある人間との交信に成功した。 年齢は三十代半ばといったところか。 細面で色白の男はとても工場勤めとは思ええない。 それもそもはず、かれは工員ではなく研究員だった。工場はゆっくり研究所も兼ねていた。 れいむはこの人間に、ひとつの悩み事を打ち明けていた。 「……まりさが いたがらないの! にんげんさんの ちからで なんとかしてね!」 というものだ。 言葉遣いはいささか乱暴だが、その瞳は真摯だった。 毎晩の儀式は、まりさが痛みを覚えたがっている、という認識をれいむに植えていた。 人間はその頼みを聞くと、いささか驚き、やがてしきりにうなずき、森の中で待っていろと言い、 一度建物のなかに引っこんだ。 戻ってきたとき、その手には瓶が持たれていた。 人間は便のなかからカプセルを数個取り出して、れいむに授けた。 「これをまりさに食べさせてあげるんだ。これで痛みは戻るよ」 さらに人間は言葉を添えた。 「できれば、草とかに混ぜてあげるんだ。まりさを驚かせよう」 れいむは顔を輝かせた。 「ありがとうね! にんげんさん! にんげんさんはゆっくりできるよ!」 なんども頭を垂れて、れいむはカプセルとともに工場を後にした。 人間の渡した薬は、確かにゆっくりの無痛症を治すものだった。 が、このカプセルが精製された目的は治療用ではなかった。 とある趣味の人々のニーズを満足させるために造られたのだ。 この薬を摂取すると、ゆっくりの体内餡子に異変が起こり、痛覚が何倍にも増幅される。 そして仮に痛覚がなくとも、あらたに植えることができる。 れいむは自分でも驚くくらいに、よく働いた。 すべてはまりさのためだった。 まず、柔らかい草を集めた。とくに新芽はまりさの好物なので選りすぐった。 ついで、人間から与えられたカプセルを割り、それを草のなかに放りこんで、ていねいにすりつぶした。 こうして草と薬の練りあわせが完成した。 日が傾き、黄昏が過ぎる時間となり、まりさが帰還した。 いつもどおりに鞭打たれ、いつもどおりに食事を献上した。 まりさはご馳走に舌鼓を打った。 つがいの食事をれいむは固唾をのんで見守った。 まりさは動きを止めた。 しばし固まった。 そして突然、 「ゆ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛っっっ!!!!!!??????」 まりさは驚愕にうちふるえ、瞠目した。 全身に電流が走った。 皮膚が震える。 餡子が流動する。 まりさは痛覚を獲得した。 ただ、痛みを覚えるだけの刺激は皆無であったので、まりさは全身をつきぬけるほのかな重みに陶酔した。 感覚が戻った。 あんよがむずむずする。 流れる大気が心地よい。 髪の一筋にまで神経が宿り、世界の息吹を感じている。 総じて体が重かった。 だが、その重みは生命の重み、自分は生きているという実感にほかならない。 不愉快ではない。 むしろ名状しがたい幸福感が体の奥底から湧出してきた。 ということは、はためにはわからない。 れいむは、微震をつづけるつがいを、心配そうな目で見つめていた。 「れ……れいむっ!」 「は、はい!」 まりさはれいむに振り返った。 なにやら殺気だった目だ。 れいむは本能的に危険を感じて、ぷしっと失禁した。 そんな反応などまるで気にも留めず、まりさは帽子の中から例のプラスチックの画鋲を取りだした。 「これを……やるんだぜ!」 有無を言わせぬ力強さがあった。 まりさは感覚の回復に躍りあがっていた。 浮かれていたとも言えた。 思考回路はただちに一個の回答を導き出していた。 すなわち、何をしていない状態でも、まむまむに針を刺しいれたよりも数倍の快感を獲得しているのだ。 この状態でまむまむに針を入れれば? 卒倒するような極楽を味わえるのではないか。 という、経験論的な直観だ。 そんなことなど分からないれいむは、とにかく従うしかない。 「いいか、れいむ! よくきくんだぜ!」 「は、はいっ!」 「ためらうんじゃ ないんだぜ! いっきに やるんだぜ! ずっぷりと ねもとまで やるんだぜ! そのあとで、ぐりぐりやるんだぜ! ぐーりぐーりするんだぜ! なにが あっても やりとげるんだぜ! なにが あっても なんだぜ! ぜったいに なんだぜ! わかったんだぜ!?」 「はい! やるね!」 殺気立つまりさに怯えつつ、れいむはこくこくと何度もうなずいた。 そして、プラスチックの取っ手を持ち、切っ先をまりさのまむまむに向けた。 「わーくわーくっ! わーくわーくっ!」 まりさは心躍らせている。 れいむはきゅっと目を閉じて、 「ゆんっ!」 命令通り、一息に画鋲を傘の根もとまで差しこんだ。 まりさは、刮目した。 人間が与えたカプセルは、ゆっくりに痛覚を与えるドラッグだ。 その一粒でも凄まじい効果をもたらす。 ましてや、れいむがまりさに呑ませたカプセルの数は、七個である。 まりさの痛覚は、通常ゆっくりとは比較にならないほど鋭くなっていた。 ――――――――――――――――――!? 画鋲が刺さる。 体内餡子と饅頭皮が、ただちに異物を認識した。 警報がはっせられる。 異物をのぞけ、危険であると、爆音のような警報がうち鳴らされる。 その警報とは痛みにほかならない。 おまけに、警報発信器はひどく敏感になっている。 通常ならば一本の矢文で済むようなところを、五月雨のような矢が降りそそがれる。 通常ならば小声で済むような警報は、耳をつんざく轟音となった。 痛覚が濁流となってまりさの総身を駆け抜けた。 それは、まかりまちがっても快感ではなかった。 まりさの予想していた快楽とは似ても似つかない、いびつな感覚でしかなかった。 痛み。 忘れていた感覚が、まりさを抱いた。 「ゆ゛ピィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ッッッッ!!!!!!??????」 魂を削り取るような悲鳴だった。 過度の感覚、すなわち痛覚が、まりさの理性を焼き切っていた。 全身が熱されているように熱い。 すでに耐える耐えられないといった水準を凌駕していた。 もんどりうって苦しみ抜いた。 のたうちまわった。暴れまわった。 体内に震源をもつ大地震に悶えさいなまれて、「ゆぴぃ」と叫びをあげて仰け反った。 立ちながらにして脳天が地面と接し、すなわち「く」の字を横に寝かせたような体勢となった。 舌はぴんと伸ばされて中空を指す。 その先端は痙攣をくりかえしている。 眼球はいまにも発射されそうなほどに浮き出ている。 脂汗が滝のように流れでている。 落涙と失禁と発汗と垂涎によって、まりさは汚物にまみれた。 浮足立っていたまりさは、いまや痛みという名の暴君にその首根っこをひっつかまれ、 奈落の底に叩きつけられただけでなく、抑えこまれて圧せられている。 「ぁ……あ……ま、まりさ?」 あまりの豹変ぶりに、れいむは画鋲を離してしまっていた。 まりさは死にものぐるいで言葉をつむいだ。 「ゅ゛っ……ゅ゛……ゅ゛っ……あ……で……でぃ……ぶぅ……でぃ……ぶぅ゛……」 抜いてくれ。 と、頼もうとしたのだが声にならなかった。 れいむは、はっとして、任務を思い出した。 任務とは言うまでもなく、 「ずっぷりと ねもとまで やるんだぜ! そのあとで、ぐりぐりやるんだぜ! なにが あっても やりとげるんだぜ!」 という、つがいの言葉の後ろ半分の実践であった。 れいむは暴君の命令を実行すべくまりさの耳もとに飛んでゆき、宣告した。 「まりさ! れいむ がんばるね!」 頑張らなくていい。 抜くだけでいいんだ。 というまりさの願いは届かなかった。 れいむはまりさのまむまむから生えるプラスチックの取っ手を持った。 暴れた甲斐もなく、依然として画鋲は根もとまで刺さったままだった。 「ぐーりぐーりするね!」 「……ぇ゛?」 れいむはその画鋲を、上へと思い切り持ちあげた。 取っ手が上に持ちあげられたから、針の部分は下がる。 体内餡子が切りさかれた。 先ほどとは比べものにならない、嵐のような痛みが、まりさの中で狂乱した。 「ゆ゛み゛ょ゛ぉぉ゛ぉぉぉ゛ぉぉぉ゛ぉぉぉ゛ぉぉぉ゛ぉぉぉ゛ぉぉぉ゛ぉぉぉ゛ぉぉぉ゛ぉぉぉ゛ぉぉぉ゛ぉぉぉ゛ぉっっっ!!!!!!」 れいむに迷いは無かった。 悲鳴など気にするなと、そんなことを申し伝えられていたのだ。 次に、レバーを切り替えるように、ひといきに取っ手を下におろした。 「ゆんっ!」 まむまむを支点にして、針の部分が上へとあがる。 体内餡子がダイナミックに流動した。 「ゆ゛がぁ゛ぁ゛ぁぁァァ゛ァぁァ゛ぁ゛ぁぁァァ゛ァぁぁ゛ァ゛ぁぁァぁ゛ァぁぁ゛ぁ゛ぁぁぁ゛ァ゛ァ゛ぁっっっ!!!!!!」 れいむは徹底的にやるつもりだった。 ぐりぐりやりはじめた。 「ゆんっ! ゆんっ! ゆんっ! ゆんっ! ゆんっ! ゆんっ! ゆんっ! ゆんっ! ゆんっ! ゆんっ! ゆんっ! ゆんっ! ゆんっ!」 正確な拍子が刻まれる。 上、右、左。 右、下、上。 左上、右下、右上、左下、右、左、下。 いつの間にか、まりさは痙攣をはじめていた。 「ゆ゛っ、ゆ゛っ、ゆ゛っ、ゆ゛っ、ゆ゛っ、ゆ゛っ、ゆ゛っ、ゆ゛っ、ゆ゛っ、ゆ゛っ、ゆ゛っ、ゆ゛っ………………」 れいむは夢中になりすぎていた。 ひとしきり攪拌作業を終えたころには、まりさの様子は尋常ではなくなっていた。 突きだされた眼球は、黒目の部分の上半分が、うわまぶたに隠されてしまっている。まばたきは、ない。 大開きにされた口からは舌が垂れ出されていた。舌根まで見える。 その垂れた舌の先端から、唾液がしたたりおちて床を汚している。 あにゃるは呼吸をするかのように、しきりに開閉を繰りかえしている。 眼窩、喉、あにゃる、まむまむ、毛穴、穴という穴はさかんに汁を吐いていた。 さすがのれいむも心配になった。 「まりさ……まりさ? ゆぅ……」 声をかけてみるが、「ゆ゛っ、ゆ゛っ」と嗚咽をひり出すばかりで下命はなかった。 それでも、なんとなく拙い状況に陥っているとは理解できた。 「ぺーろぺーろしてあげるね!」 れいむは主のかたわらに足を進めて、桃色の舌を突きだした。 「ぺーろぺーろ……」 「ゆ゛ッ!」 舌先がまりさの頬に触れると、まりさの体はびくりと跳ねた。 カプセルの効果はいよいよその本領を発揮していた。 まりさの肌は、あたかも生皮が剥がされて体内餡子が表出しているように過敏になっていた。 当然、舌が触れても焼けるような痛みをおぼえる。 が、れいむには分からない。 「すーりすーり……」 「ぺーろぺーろ……」 「すーりすーり……」 頬ずり。なめなめ。また頬ずり。 一般的に見れば、それは愛情表現であり、医療行為である。 だが、まりさにとっては神経を撫でるような行為だ。 拷問である。 舐められるたびに、あるいは頬ずりされるたびに、 まりさは「ゆ゛っ、ゆ゛っ」と苦悶の声を吐いた。 れいむは、一向に回復の様子を見せないので不審がり、沈思した。 そのあいだに、まりさはなんとか意識を取りもどした。 必死で呼吸を整えて、叫んだ。 「で、でいぶ、ぬ゛げっ、ぬ゛げっ、ぬ゛い゛でぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ!」 「は、はいぃぃ!」 れいむは跳ねあがるほど驚いた。 プラスチックの柄を握り、 「ゆんっ!」 一気に、かつ乱暴に引き抜いた。 おおむね、刃物は刺すときよりも引くときに痛みを覚える。 それがゆっくりにも通用するかどうかは、分からない。 ただまりさは、 「ゆ゛ぷ゛っ!」 と、餡子まじりの胃液を吐いて、気絶してしまった。 この日、独裁の終わりが始まった。 4.凋落 まりさの権力は、もとを辿れば特異体質にゆきつく。 その体質は失われた。 どころか、過去を取りもどすように痛覚過敏になってしまった。 水源が枯渇すれば大河もやがて乾くように、まりさの権威と権力は、ほどなく終焉を迎えた。 なにしろ、風が吹いても痛むのだ。 戦闘など望むべくもないし、強制力や抑止力など、霧散してしまっていた。 従順な下僕だったれいむがさっさと殺されてしまったことは、雄弁にまりさの失墜をものがたる。 あるとき、ありすがやってきた。 つがいのぱちゅりーをまりさに殺された、あのありすである。 その口には草舟が引いていた。 草の葉を編んでつくった、ゆっくりの運搬機だ。 ありすは声もかけずに家に闖入し、独り身と化したまりさに向かって言った。 「まりさ。また きたわ」 「ゆゆぅぅぅっっ!」 まりさは慄然として、いきなり床に頭をこすりつけた。 「ゆっ、あ、ありずざまっ、な、なんで、ござい、まず、で、じょうがっ」 「まりさと、なかなおり しようと おもったの!」 ありすは笑っている。 「ながなおり……ゆぴっっ!」 顔を上げた。泣き顔は紙を丸めたように皺くちゃだ。 「や、やべでっ、やべでぐだざいっ、ごべんなざい、あやまりまず、ごべんなざいっ、 いだいごど やべでっ、いだいの、やだっ、いだいの、やだっ、ごべんなざい……」 「ねえ、まりさ」 ありすは暗い笑みをたたえ、にじり寄った。 そのまむまむは無残に切りさかれている。 子宝を授かるべきむろは、永遠に機能することはない。 「いだいごど、やべでね、いだいの、やだ、いだいの……」 「あのね……。わたしやぱちゅりーは……。もっと、もっといたかったのよっ!」 ありすは草舟をひっくり返した。 中に入っていたのは、大量のオナモミの実であった。 このキク科植物の果実には、大量のトゲがついている。 動物の毛皮にくっつくことで広範囲に種をばらまこうとする知恵だった。 オナモミの実は、まりさの皮膚に突き刺さり、髪にまとわりついた。 刺さらなかった実は床にぶちまけられて地雷原と化した。 「ゆ゛きょ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛っっっっっっ!!!」 まりさは絶叫し、のたうちまわった。 棘の塊がばらまかれている床の上で転がりまわればどうなるかは、火を見るよりも明らかだ。 ただでさえ感覚の鋭くなっているところに、つぎからつぎへと棘が刺さる。 ありすはまりさの苦悶をうっとりとしながら観察すると、 「じゃあね! またくるわ!」 悪魔の一言を土産に残して、ダンボールハウスを立ち去った。 つがいを失ったまりさは、自分で食料を調達しなければならない。 そのため、外に出て草を食むという苦行に挑むことになった。 普通のゆっくりならば、じつにゆっくりできる作業だ。 が、まりさにとってはゆっくりできない。 今のまりさには、草は刃、風は熱だ。 草むらに出て草をむさぼるのは、刃物の森で刃物を噛みしめる荒行だった。 それでも、生きるためには外出しなければならない。 「ゆ゛っ……ゅ゛っ……」 苦悶の吐息とともに、まりさは草むらに踊り出る。 その歩みはなめくじよりも遅かった。 「ゅ゛ぅ゛……む゛ーぢゃ……む゛ーぢゃ……」 口内で暴れる草もまた、まりさの神経をしたたかに打ちすえる。 風が吹き抜けた。 まりさは目を剥いた。口から緑の涎が垂れる。 「ん゛ぐっ……ぶはっ! ……はぁ……はぁっ」 ひとくちの草を食べただけで、まりさは蒼ざめていた。 そのときだった。 「ゆゆ~~! まりしゃ はっきぇ~~んっ!」 「ゆひぃっ!」 赤ゆの声が聞こえてきた。 たちまち赤ゆに包囲された。その数は二十頭以上。 「ゆゆー! まりしゃ! まりしゃと あしょぶんだじぇ!」 「ときゃいひゃな あしょびを しましょう!」 「ゆっきゅり あしょぶよ!」 「まりしゃ あしょんでにぇ~~っ」 無邪気な笑顔が向けられる。輝かしい瞳にはいささかの邪気も屈託もない。 だからこそ恐怖をあたえてやまない。 「ゆ……、ま、まりさは、いそが、いそがしいから……」 赤ゆたちはまったく聞いていなかった。 まりさに天使のような笑顔を向けつつ、蒼穹を壊せとばかりに咆哮した。 『しゅーぴゃー! ぺーりょぺーりょ! ちゃいみゅ!』 『しゅーぴゃー! しゅーりしゅーり! ちゃいみゅ!』 『しゅーぴゃー! ぶーりゃぶーりゃ! ちゃいみゅ!』 『しゅーぴゃー! ぴょんっぴょんっ! ちゃいみゅ!』 「ゆひっ……!」 そこから先は地獄絵図だった。 二十頭を越える赤ゆが、いっせに群がった。 「ぺーりょぺーりょして あげりゅよ! まりしゃに ぺーりょぺーりょ しゅりゅよ!」 あにゃるの近くを舐めまわす、れいむ種がいた。 「ゆんやー♪ ゆんやー♪」 お下げにぶらさがってブランコ運動をくりかえす、ありす種がいた。 「むきゅぅ。むきゅきゅきゅ~」 きらめくような笑顔で舌を蠕動させる、ぱちゅりー種がいた。 「ゆゆ~。まりしゃの おにゃきゃは ゆっきゅり できりゅんだじぇ~」 運動量豊富なまりさ種は、まりさの上に乗りかかってその腹の上で遊んでいる。 一匹一匹の動きが、傷口に塩を塗りこむような熾烈な痛みを与えていた。 巨象に群がる無数の猟犬。 腐肉にとりつく蠅の群れ。 スズメバチを包囲するミツバチの大群。 そんな比喩が妥当する光景だった。 「ゅ゛っ……ゅ゛っ……ゅ゛っ……ゅ゛っ……ゅ゛っ……」 赤ゆたちが去ったあとには、痙攣するまりさが残されていた。 まりさは食事に出張っている。 最近では日光でさえ痛むようになってきた。 「むうぢゃ……、むぅじゃぁぁ……」 死体のような顔をしていた。 その背後に忍び寄るゆっくりの影があった。ゆっくりありすだ。 まりさは食事に全霊をかたむけており、その気配には気付かない。 「ゆんっ!」 だから、じつにあっけなく帽子を奪いとられた。 「ゆゆー!」 これにはさすがのまりさも後先考えずに奪還に走った。 だが、ありすの体当たりにて反撃され、草むらに転がった。 それはカミソリの刃のうえを転がるような行為だ。 絶叫が草むらに響く。 だが、耳をつんざく悲鳴は、布を切りさく微音によって遮られた。 びりっ。 という、音がしたのだ。 まりさは決死のおもいで立ちあがった。 そしてようやく、群れのすべてのゆっくりに包囲されていることを知った。 だれもかれも、にやにやしながらまりさを見つめている。 「な……なに、じでるんだぜ……」 だが、もっともまりさを戦慄せしめたのは、眼前に立つ二頭のゆっくりだった。 まりさ種とれいむ種のゆっくりが、綱引きのように黒帽子の両端をくわえていた。 「ゆふふ~」 ありすの声がした。 「あ、ありず……」 「まりさ。えらびなさい」 「な、なにを、なんだぜ……」 「ひとつ。ぜーいんから『ぺーろぺーろ』」 まりさは凍りついた。 あたりには数十頭のゆっくりが群れている。 これだけのゆっくりから一斉になめられたら、痛みのあまり死んでしまうかもしれない。 「ゆ゛っ……。そ、ぞれだげば……、ご、ごじょう、なんだぜ……」 「もうひとつ。おぼーしびりびり」 まりさは目の色を変えた。 「だめなんだぜぇぇっ、やべで、やべでねっ! おぼーしさんはやべでね! ゆっぎゅりでぎないんだぜぇ!」 悲痛な叫びもむなしく、ありすは冷酷に言い放った。 「どっちか、えらびなさい」 「ゆ゛……」 返答に詰まった。逡巡する。 ありすが帽子をもつ二頭のゆっくりに目くばせした。 びり。 帽子の裂け目が深くなった。 まりさは恐怖と混乱のあまりに、思考能力をうしなった。 「ご……ごべんなざいっ、ごべんなざいっ、ごべんなざいっ!」 ただひたすらに、謝りつづける。 しかし陳謝は用をなさない。 びりり。 まりさは反射的に答えた。 「ぺ……ぺーろぺーろ……べーろ゛べーろ゛っ! べーろ゛べーろ゛でおねがいじばずっ!」 かつての暴君の哀訴に、ありすはほくそ笑んだ。 予想どおり、とでも言わんばかりに。 静かに口を開いた。 「やって」 小声だが、はっきりとした口調だった。 びりびりびり。 約束とともに帽子はふたつにひきさかれた。 「ゆ゛ぎゃぇぇぇぇぇぇえええぇぇぇっっっ!!!??? ゆ゛え゛っ、げぶっ、ゆべぇえええぇっっっ!!!??? お゛っ、おぼーじっ、ばりざの、おぼーじっ!!! おぼうじぃぃぃ!? おぼうじばぁぁあっっ!? おぼ、おぼ、おぼおぼっ、おぼうじぃぃぃ!? どぼっ、どぼじでっ、どぼ、どど、どぼじっ、ゆ゛っ、ゆ゛ゆ゛ぅぅぅぅっっっ!!!???」 吼え散らかしながら左を見て、右にふり向き、背後に叫び、また前をむいた。 緑のしたたる草の上に、引き裂かれた帽子が捨てられている。 「ぺ、べーろ゛べーろ゛ずるねっ!」 帽子を重ねて、舐め回す。 唾液が布にこびりつく。 宿主を失った帽子は生命力もまた失っていた。 「ぺーろォッ! ぺーろォッッ!! …………どぼじでなおらないのぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!? ゆっぐりじでないで なおっでねぇぇぇぇぇぇぇっっっ!? ぶえろぉォォッッ!!! ぶうぇるォォォッッッ!!!」 やがて帽子は原型をとどめない歪な球体へと変じてしまった。 そのとき、風が吹いた。 帽子は春風にさらわれて、空へと舞った。 まりさの瞳が帽子を追った。空へ空へ、青空へと吸い込まれる。 最後に、天空にうがたれた白い大穴へと落ちこみ、そのあとは知れなかった。 まりさは、涙した。 「ゅ゛……ゅ゛……ゅ゛……。 ぁ……ぁ……ば、ばりざのっ、お、おぼーぢ……。 あ……。 ぁああ……。 あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっっっっっっ!!!」 「――!」 突然、哄笑した。 思いもよらない反応だった。 包囲網を形成していたゆっくりたちは、いっせいにまりさから距離をとる。 笑いまくっていた赤ゆなどはすっかり怯えてしまっていた。 「ゆひょひょひょひょひょひょひょひょっ! おぼーちしゃんは おしょらを とんでいりゅのでしたぁぁぁっ!」 一匹また一匹とゆっくりたちが帰路につく。 ほどなく草むらには狂気のまりさだけが取り残された。 だが、夕暮れが過ぎ、夜の帳がおり、東の方に銀月が昇っても、哄笑はやまなかった。 それでも草木も眠るとされる頃合いになると、その笑い声もやんだ。 5.復讐 夜。 幽霊が出た。 ゆっくりプレイスを徘徊する亡霊の姿があった。 なぜ亡霊か? シンボルを失っているがゆえに、ほかのゆっくりには同胞と認識されないからである。 その亡霊は、住人の寝静まる巣から巣へと移動する。 しかし中には立ち寄らない。 ただ巣穴の前で、 「ゆ゛べぇぇ……」 と、濁った音を吐く。 それとともに、べちゃりと腐った音がする。 そして次なる巣へと向かう。 「ゆ゛べぇぇ……」 黎明の光を拝めるころには、すべての巣を巡り終えていた。 夜明けの光を迎えるころ、群れの各所で驚きの歓声が上がった。 「ゆゆーーーっっ!? あみゃあみゃしゃんだぁぁぁーーーーーっっ!」 「あみゃあみゃーーーっっ! むーちゃむーちゃ しゅりゅ~~~♪」 そんな声だ。 声のぬしはそのほとんどが赤ゆだった。 赤ゆはおおむね早起きだ。 朝一番に目を覚まし、巣穴の外におどりでた赤ゆたちは、 お家の入り口付近にこんもりと詰まった黒々とした餡子を発見、驚喜した。 降ってわいたような餡子を訝しがる知能など、赤ゆにはない。 危険性など、草木をぬらす朝露ほどにも思わなかった。 「まりしゃは とっちぇも ゆっきゅり しちぇいりゅんだじぇ~~~」 「むーちゃ……、むーちゃ……おいちぃぃぃーーーーっ!」 「ちあわちぇぇぇぇっっ!」 赤ゆたちは思い思いに餡子をすすった。 すぐさま、天の恵みは成体たちも発見する。 群れは極楽を味わった。 「ゆゆ! とかいはっ! とかいはな あおじっ!」 「むきゅ~。ゆっくりしすぎてこまるわ~~」 「むーしゃむーしゃ……れいむは ゆっくりしているよ!」 「ゆっくちー、ゆっくちーっ」 「しあわせぇぇぇ……」 餡子はたちまち平らげられた。 失意のまりさの不在が知れ渡ったのは午後になってからである。 しかし、だれも気にしなかった。 というよりも、気にする余裕がなかった。 春風が吹き荒れたからである。 そして、ドラッグ漬けになったまりさの餡子を食したがために、群れのゆっくりの体に異変が発生したためだった。 春風の唸りは、ゆっくりの悲鳴を載せている。 「ゆ゛ぴぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ! い゛ぢゃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ! みゃみゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ! だじゅげでにぇ゛ぇぇぇ゛ぇぇぇぇぇ゛ぇぇぇぇぇ゛ぇぇっっっ!」 ある巣穴の中では、赤ゆのれいむが血を吐くような慟哭をまきちらしていた。 母親に助けを求めるものの、それはかなわない。 母親のみならず家族一同が、痛みにのたうちまわっていたからだ。 別のお家では、ゆっくりありすが白目をむいて震えていた。 「ゆぎょぉぉぉぉぉぉぉ………。 ゆぎぃぃぃぃぃぃ………。 いだい゛……。いだい゛よぉぉぉ……。 どぼじで……。いだい゛っ、いだっ……」 体内で何百本もの針が躍り狂っているような熾烈な痛みに、ゆっくりが抗えるはずがない。 彼らは、どう思うだろうか。 自分を苛む痛みとやらが、かつて暴君のまりさを苛んでいたそれよりも、はるかに生ぬるいことを知ったのなら。 春風は容赦なく巣穴に侵入してくる。 大気の流れはゆっくりの敏感極まる肌をなめ、こらえがたい痛みを誘う。 「……ゆ゛ぎぎぎぎぎぎぎ……。ゆぎぎ……。ゆぅぅぅぅ……。 いぢゃぃ゛ぃ……。どぼ、じでぇ……。でいびゅぅ……だにも……わるいごど……じでな゛い……」 疑問を発しても答える者はいない。 吹きすさぶ春風のまえに、ゆっくりはひれ伏すしかない。 「ゆ゛っぐり゛………でぎな゛い゛……。がぜざん……ゆ゛っぐり゛……ざぜ……で……ね゛……」 「ゆぐっ……。ゆ゛ぇ゛ぇ゛……。 いだい……。いだい゛……。おぎゃぁぁじゃぁぁん……」 「いだい゛……。おどぉぉぉじゃぁぁぁん……」 「でいびゅを゛……だずげで……。いぢゃぃ゛……いぢゃいよぉ゛……」 「いぢゃぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛っっっ!!!」 もはや世界を満たすものは温かみのある木漏れ日でもなければ、 ましてや繭にくるめるように野山をつつむ穏やかな大気ではない。 槍の雨のような灼熱の陽光であり、濃硫酸の海を泳ぐかのごとき激痛の跳梁する大気だった。 葉の下で。 木の根もとで。 森の暗がりで。 ゆっくりたちが叫んでいた。 痛い。 いたい。 イタイ。 (終わり)
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唐書巻一百二十二 列伝第四十七 魏元忠 韋安石 陟 斌 叔夏 縚 抗 郭元振 魏元忠、宋州宋城人。為太学生、跌蕩少検、久不調。盩厔人江融曉兵術、元忠從之游、盡伝所学。儀鳳中、吐蕃数盜邊、元忠上封事洛陽宮、言命将用兵之要曰: 天下之柄有二、文武而已、至制勝御人、其道一也。今言武者先騎射、不稽之権略。言文者首篇章、不取之經綸。臣観魏、晉、齊、梁才固不乏、然何益治亂哉!養由基射能穿札、不止鄢陵之奔、陸機識能辨亡、無救河橋之敗、斷可見已。 夫才生於世、世實須才。何世而不生才?何才而不資世?故物有不求、未有無物之歳。士有不用、未有無士之時也。志士在富貴與賤貧、皆思立功名以伝于後、然知己難而所遇罕。士之懐琬琰就煨塵、抱棟幹困溝壑者、悠悠之人直此士之貧賤、安知其方略哉!故漢拜韓信、舉軍驚笑。蜀用魏延、群臣觖望。此富貴者易為善、貧賤者難為功也。昔漢文帝不知魏尚賢而囚之、知李広才而不用、乃歎其生不逢時。夫以広之才、天下無雙、時方歳事匈奴、而卒不任。故近不知尚、広之賢、而遠想廉頗、李牧、馮唐是以知其有而不能用也。此身為時主所知、不得盡其才也。晉羊祜謀舉呉、賈充、荀勗沮之、祜歎曰:「天下事不如意十常七八。」以二人不同、終不大舉。此據立功之地、而不獲展其志也。布衣之人、懐奇抱策、而望朝奏夕召、豈易得哉?臣願歴訪文武五品以上、得無有智如羊祜、武如李広而不得騁其才者乎?使各言其志、毋令久失職。 又言: 人無常俗、政有治亂。軍無常勝、将有能否。兵為王者大事、存亡繋焉、将非其任、則殄人敗国。齊段孝玄有言:「持大兵如擎盤水、一致蹉跌、求止可得哉?」周亞夫堅壁以挫呉、楚、司馬懿閉營而困諸葛亮、此皆全軍制勝、不戰而卻敵。是知大将臨戎、以智為本。今之用人、類将家子、或死事孤兒、進非幹略、雖竭力盡誠、不免於傾敗、若之何用之?且建功者、言其所濟、不言所來。言其所能、不言所藉。若陳湯、呂蒙、馬隆、孟観悉出貧賤、而勳伐甚高、不聞其家世将帥也。故陰陽不和、揠士為相。蠻貊不廷、擢校為将。今以四海之広、億兆之衆、豈無卓越之士?臣恐未之思乎! 又賞者礼之基、罰者刑之本。礼崇則謀夫竭其能、賞厚則義士輕其死、刑正故君子勗其心、罰重則小人懲其過。賞罰者軍国之綱紀、政教之藥石。吐蕃本非彊敵、而薛仁貴、郭待封至棄甲喪師、脱身以免。国家寬政、罪止削除、網漏吞舟、何以過此。雖陛下顧收後効、然朝廷所少、豈此一二人乎?夫賞不勸、謂之止善。罰不懲、謂之縱惡。臣誠疏賤、干非其事、豈欲間陛下君臣生薄厚哉?正以刑賞一虧、百年不復。故国無賞罰、雖堯、舜不能為。今罰既不行、賞復難信、故議者皆謂比日征行、虚立賞格、而無其實。蓋忘大體之臣、恐賚勳庸、竭府庫、留意錐刀、以為益国、所謂惜毫釐失千里者也。且黔首雖微、不可以欺、安有寓不信之令、設虚賞之格乎?自蘇定方平遼東、李勣破平壤、賞既不行、勳亦淹廢、歳月紛淆、真偽相錯。臣以吏不奉法、慢自京師、偽勳所由、主司過也、其則不遠、近在尚書省中。然未聞斬一臺郎、戮一令史、使天下知之。陛下何照遠而不照近哉?神州化首、文昌政本、治亂攸在、臣故冒死而言。夫明鑑所以照形、往事所以知今、臣請借近以為諭:貞観中、万年尉司馬玄景舞文飾智、以邀乾沒、太宗棄之都市。後征高麗、総管張君乂不進撃賊、斬之旗下。臣以為偽勳之罪、多於玄景。仁貴等敗、重於君乂。使早誅之、則諸将豈復有負哉?慈父多敗子、嚴家無格虜。且人主病不広大、人臣病不節儉、臣恐陛下病之於不広大、過在於慈父、斯日月一蝕也。 又今将吏貪暴、所務口馬、財利、臣恐戎狄之平、未可旦夕望也。凡人識不經遠、皆言吐蕃戰、前隊盡、後隊方進、甲堅騎多、而山有氛瘴、官軍遠入、前無所獲、不積穀数百万、無大舉之資。臣以為吐蕃之望中国、猶孤星之對太陽、有自然之大小、不疑之明暗、夷狄雖禽獸、亦知愛其性命、豈肯前盡死而後進哉?由殘迫其人、非下所願也。必其戰不顧死、則兵法許敵能、當以智算取之、何憂不克哉!向使将能殺敵、橫尸蔽野、斂其頭顱以為京観、則此虜聞官軍鍾鼓、望塵卻走、何暇前隊皆死哉!自仁貴等覆師喪氣、故虜得跳梁山谷。 又師行必藉馬力、不数十万、不足與虜爭。臣請天下自王公及齊人挂籍之口、人税百銭。又弛天下馬禁、使民得乘大馬、不為数限、官籍其凡、勿使得隠。不三年、人間畜馬可五十万、即詔州県以所税口銭市之、若王師大舉、一朝可用。且虜以騎為彊、若一切使人乘之、則市取其良、以益中国、使得漸耗虜兵之盛、国家之利也。 高宗善之、授祕書省正字、直中書省、仗内供奉。 遷監察御史。帝嘗從容曰:「外以朕為何如主?」對曰:「周成、康、漢文、景也。」「然則有遺恨乎?」曰:「有之。王義方一世豪英、而死草萊。議者謂陛下不能用賢。」帝曰:「我適用之、聞其死、顧已無及。」元忠曰:「劉蔵器行副於才、陛下所知、今七十為尚書郎。徒歎彼而又棄此。」帝默然慚。 遷殿中侍御史。徐敬業舉兵、詔元忠監李孝逸軍。至臨淮、而偏将雷仁智為賊敗、孝逸懼其鋒、按兵未敢前。元忠曰:「公以宗室将、天下安危繋焉。海内承平久、聞狂狡竊發、皆傾耳翹心以待其誅。今軍不進、使遠近解情、万有一朝廷以他将代公、且何辭?」孝逸然之、乃部分進討。時敬業保下阿谿、弟敬猷屯淮陰、咸請「先撃下阿、下阿敗、淮陰自破。今淮陰急、敬業必救、是敵在腹背也」。元忠曰:「不然。賊勁兵盡守下阿、利在一決、苟有負、則大事去矣。敬猷博徒不知戰、且其兵寡易搖、大軍臨之、勢宜克。敬業畏直擣江都、必将邀我中路、吾今乘勝進、又以逸撃勞、破之必矣。譬之逐獸、弱者先禽。今捨必禽之弱、而趨難敵之彊、非計也。」孝逸乃引兵撃淮陰、敬猷脱身遁、遂進撃敬業、平之。還、授司刑正。 遷洛陽令。陷周興獄當死、以平揚、楚功、得流。歳餘、為御史中丞、復為來俊臣所構。将就刑、神色不動、前死者宗室子三十餘、尸相枕藉於前、元忠顧曰:「大丈夫行居此矣。」俄敕鳳閣舎人王隠客馳騎免死、伝聲及于市、諸囚歡叫、元忠獨堅坐、左右命起、元忠曰:「未知實否。」既而隠客至、宣詔已、乃徐謝、亦不改容。流費州。復為中丞。歳餘、陷侯思止獄、仍放嶺南。酷吏誅、人多訟元忠者、乃召復舊官。因侍宴、武后曰:「卿累負謗鑠、何邪?」對曰:「臣猶鹿也、羅織之吏如獵者、苟須臣肉為之羹耳、彼将殺臣以求進、臣顧何辜?」 聖暦二年、為鳳閣侍郎、同鳳閣鸞臺平章事、俄検校并州長史、天兵軍大総管、以備突厥。遷左肅政臺御史大夫、兼検校洛州長史、治號威明。張易之家奴暴百姓、橫甚、元忠笞殺之、権豪憚服。俄為隴右諸軍大使、以討吐蕃。又為霊武道行軍大総管禦突厥。元忠馭軍持重、雖無赫然功、而亦未嘗敗。 中宗在東宮、為検校左庶子。時二張勢傾朝廷、元忠嘗奏曰:「臣承先帝之顧、且受陛下厚恩、不能徇忠、使小人在君側、臣之罪也。」易之等恨怒、因武后不豫、即共譖元忠與司礼丞高戩謀挾太子為耐久朋、遂下制獄。詔皇太子、相王及宰相引元忠等辨於廷、不能決。昌宗乃引張説為證、説初偽許之、至是迫使言状、不應、后又促之、説曰:「臣不聞也。」易之等遽曰:「説與同逆。説曩嘗謂元忠為伊、周。夫伊尹放太甲、周公攝王位。此反状明甚。」説曰:「易之、昌宗安知伊、周、臣乃能知之。伊尹、周公、歴古以為忠臣、陛下不遣学伊、周、将何效焉?」説又曰:「臣知附易之朝夕可宰相、從元忠則族滅。今不敢面欺、懼元忠之冤。」后寤其讒、然重違易之、故貶元忠高要尉。 中宗復位、召為衛尉卿、同中書門下三品。不閲旬、遷兵部尚書、進侍中。武后崩、帝居喪、軍国事委元忠裁可、拜中書令、封齊国公。神龍二年、為尚書右僕射、知兵部尚書、當朝用事、群臣莫敢望。謁告上、詔宰相諸司長官祖道上東門、賜錦袍、給千騎四人侍、賜銀千兩。元忠到家、於親戚無所賑施。及還、帝為幸白馬寺迎勞之。 安樂公主私請廢太子、求為皇太女、帝以問元忠、元忠曰:「公主而為皇太女、駙馬都尉當何名?」主恚曰:「山東木彊安知礼?阿母子尚為天子、我何嫌?」宮中謂武后為阿母子、故主稱之。元忠固稱不可、自是語塞。 武三思用事、京兆韋月将、渤海高軫上書言其惡、帝榜殺之、後莫敢言。王同皎謀誅三思、不克、反被族。元忠居其間、依違無所建明。初、元忠相武后、有清正名、至是輔政、天下傾望、冀幹正王室、而稍憚権倖、不能賞善罰惡、譽望大減。陳郡男子袁楚客者以書規之曰: 今皇帝新服厥徳、任官惟賢才、左右惟其人、因以布大化、充古誼、以正天下。君侯安得事循默哉?苟利社稷、專之可也。夫安天下者先正其本、本正則天下固、国之興亡繋焉。太子天下本、譬之大樹、無本則枝葉零悴、国無太子、朝野不安。儲君有次及之勢、故師保教以君人之道、用蘊崇其徳、所以重天下也。今皇子既長、未定嫡嗣、是天下無本。天下無本、猶樹而亡根、枝葉何以存乎?願君侯以清宴之閒言於上、擇賢而立之、此安天下之道。曠而不置、朝廷一失也。 女有内則、男有外傅、豈相濫哉?幕府者、丈夫之職。今公主並開府置吏、以女處男職、所謂長陰抑陽也、而望陰陽不愆、風雨時若、得乎?此朝廷二失也。 今度人既多、緇衣半道、不本行業、專以重宝附権門、皆有定直。昔之賣官、銭入公府、今之賣度、銭入私家。以茲入道、徒為游食。此朝廷三失也。 唯名與器、不可以假人。故曰:「天工、人其代之。」夫代天、非材不可也。代非其人、必失天意。失天意而無患禍、未之有也。今倡優之輩、因耳目之好、遂授以官、非輕朝廷、亂正法邪?人君無私、私怒害物、私賞費財、況私人以官乎?此朝廷四失也。 賢者邦家之光、任之致治、棄之生亂。近詔博求多士、雖有好賢之名、無得賢之實。蓋有司選士、非賄即勢、上失天心、下違人望、非為官擇吏、乃為人擇官。葛洪有言:「舉秀才、不知書。察孝廉、濁如泥。高第賢良吝如。」此朝廷五失也。 閹豎者、給宮掖掃除事、古以奴隸畜之。中古以來、大道乖喪、疏賢哲、親近習、乃委之以事、授之以権。故豎刁亂齊、伊戻敗宋。君側之人、衆所畏懼、所謂鷹頭之蠅、廟垣之鼠者也。後漢時用事尤甚、晩節卒亂天下。今大君中興、獨有閹豎坐升班秩、既無正闕、率授員外、乃盈千人、綰青紫、耗府蔵。前事之驗、後事之師。此朝廷六失也。 古者茅茨棌椽、以儉約遺子孫、所以愛力也。今公主所賞傾庫府、所造皆官供、其疏築臺沼、崇峙観廡、山無本石、木無近産、造之終歳、功用不絶。夫為君所以養人、非以害人、今外戚不助養而反害之、是使人主受謗天下。此朝廷七失也。 官以安人、非以害于人也。先王欲人治必選材、欲人安必省事、此誠同天下憂也。人有樂、君共之、君有樂、人慶之、可謂同樂矣。如此、則上下無間、而均一體也。今天下因窮、州牧、県宰、非以選進、割剥自私、人不聊生、是下有憂而上不卹也。而更員外置官、非助桀歟?夫人情自以員外吏、恐下不己畏也、必峻法懼之。恐財不己奉也、必枉道奪之。欲不亂、可得哉?古語有之、十羊九牧、羊既不得食、人亦不得息。書曰:「官不必備、惟其人。」此言正員猶難其備、況員之外乎!此朝廷八失也。 政出多門、大亂之漸。近封数夫人、皆先帝宮嬪。以為備内職、則不當知外。不備内職、則自可處外。而令出入禁掖、使内言必出、外言必入、固将弄君之法、縱而不禁、非所以重宗廟、固国家。孔子曰:「彼婦之口、可以出走。彼婦之謁、可以死敗。」此朝廷九失也。 不以道事其君者、所以危天下也、危天下之臣不可不逐、安天下之臣不可不任。今有引鬼神、執左道以惑主者、託鬼神為難知、故致其詐、而據非才之地、食非徳之禄、此国盜也。伝曰:「国将興、聽於民、将亡、聽於神。」今幾聽於神乎?此朝廷十失也。 君侯不正、誰與正之? 元忠得書益慚。以三思專権、思有以誅之。會節愍太子起兵、與聞其謀。太子已誅三思、引兵走闕下、元忠子太僕少卿昇遇於永安門、太子脅使從戰、已而被殺。議者未辨逆順、元忠誦言曰:「既誅賊謝天下、雖死鼎鑊所甘心。惟皇太子沒為恨耳。」帝以其嘗有功、且為高宗、武后素所礼、置不問。宗楚客、紀處訥大怒、固請夷其族、不聽。元忠不自安、上政事及国封、詔以特進、齊国公致仕、朝朔望。楚客等引右衛郎将姚廷筠為御史中丞、暴奏反状、繇是貶渠州司馬。楊再思、李嶠皆希順楚客、傅致元忠罪、唯蕭至忠議當申宥之。楚客復遣再思與冉祖雍奏元忠縁逆不宜處内地、監察御史袁守一固請行誅、遂貶務川尉。守一又劾:「天后嘗不豫、狄仁傑請陛下監国、元忠止之、此其逆久萌。」帝謂楊再思曰:「守一非是。事君者一其心、豈有上少疾遽異論哉?朕未見元忠過也。」 元忠至涪陵、卒、年七十餘。景龍四年、贈尚書左僕射、齊国公、本州刺史。睿宗詔陪葬定陵、以實封一百五十戸賜其子晃。開元六年、謚曰貞。 元忠始名真宰、以諸生見高宗、高宗慰遣、不知謝即出、儀舉自安、帝目送謂薛元超曰:「是子未習朝廷儀、然名不虚謂、真宰相也。」避武后母諱、改今名。 韋安石、京兆万年人。曾祖孝寬、為周大司空、鄖国公。祖津、隋大業末為民部侍郎、與元文都等留守洛、拒李密、戰上東門、為密禽。後王世充殺文都而津獨免、密敗、復歸洛。世充平、高祖素與津善、授諫議大夫、検校黄門侍郎、陵州刺史、卒。父琬、仕為成州刺史。 安石舉明經、調乾封尉、雍州長史蘇良嗣器之。永昌元年、遷雍州司兵参軍。良嗣當国、謂安石曰:「大才當大用、徒勞州県可乎?」薦于武后、擢膳部員外郎、遷并州司馬、有善政、后手制勞問、陟拜徳、鄭二州刺史。安石性方重、不苟言笑、其政尚清嚴、吏民尊畏。 久視中、遷文昌右丞、以鸞臺侍郎同鳳閣鸞臺平章事、兼太子左庶子、仍侍讀、尋知納言事。時二張及武三思寵橫、安石数折辱之。會侍宴殿中、易之引蜀商宋霸子等博塞后前、安石跪奏:「商等賤類、不當戲殿上。」顧左右引出、坐皆失色、后以安石辭正、改容慰勉。鳳閣侍郎陸元方自以為不及、退告人曰:「韋公真宰相。」后嘗幸興泰宮、議趨疾道、安石曰:「此道板築所成、非自然之固。千金子且誡垂堂、況万乘可輕乘危哉?」后為回輦。長安二年、同鳳閣鸞臺三品、俄又知納言、検校揚州大都督府長史。神龍元年、罷政事、俄復同三品、遷中書令、兼相王府長史、封鄖国公、賜封三百戸、加特進、為侍中。中宗與韋后以正月望夜幸其第、賚賜不貲。帝嘗幸安樂公主池、主請御船、安石曰:「御輕舟、乘不測、非帝王事。」乃止。 睿宗立、授太子少保、改封郇国、復為侍中、中書令、進開府儀同三司。太平公主有異謀、欲引安石、数因其壻唐晙邀之、拒不往。帝一日召安石曰:「朝廷傾心東宮、卿胡不察?」對曰:「太子仁孝、天下所稱、且有大功。陛下今安得亡国語?此必太平公主計也。」帝矍然曰:「卿勿言、朕知之。」主竊聞、乃構飛變、欲訊之、賴郭元振保護、免。遷尚書右僕射兼太子賓客、同三品、俄罷政事、留守東都。 會妻薛怨婿婢、笞殺之、為御史中丞楊茂謙所劾、下遷蒲州刺史、徙青州。安石在蒲、太常卿姜晈有所請、拒之。晈弟晦為中丞、以安石昔相中宗、受遺制、而宗楚客、韋温擅削相王輔政語、安石無所建正、諷侍御史洪子輿劾舉、子輿以更赦不從。監察御史郭震奏之、有詔與韋嗣立、趙彦昭等皆貶、安石為沔州別駕。晈又奏安石護作定陵、有所盜沒、詔籍其贓。安石歎曰:「祗須我死乃已。」發憤卒、年六十四。開元十七年、贈蒲州刺史。天宝初、加贈左僕射、郇国公、謚文貞。二子:陟、斌。 陟字殷卿、與弟斌倶秀敏異常童。安石晩有子、愛之。神龍二年、安石為中書令、陟甫十歳、授温王府東閣祭酒、朝散大夫。風格方整、善文辭、書有楷法、一時知名士皆與游。開元中居喪、以父不得志歿、乃與斌杜門不出八年。親友更往敦曉、乃彊調為洛陽令。宋璟見陟歎曰:「盛徳遺範、盡在是矣。」累除吏部郎中、中書令張九齢引為舎人、與孫逖、梁渉並司書命、時號得才。 遷礼部侍郎。陟於鑒裁尤長。故事、取人以一日試為高下。陟許自通所工、先就其能試之、已乃程考、由是無遺材。遷吏部侍郎、選人多偽集、與正調相冒、陟有風采、擿辨無不伏者、黜正数百員、銓綜號為公平。然任威嚴、或至詈詰、議者訾其峻。又自以門品可坐階三公、居常簡貴、視僚黨謷然。其以道誼合、雖後進布衣與均礼。 李林甫惡其名高、恐逼己、出為襄陽太守、徙河南採訪使、以判官員錫善訊覆、支使韋元甫工書奏、時號「員推韋状」、陟皆倚任之。俄襲郇国公、坐事貶守鍾離、義陽、後為河東太守。以失職、内怏怏、乃毀廉隅、頗餉謝権倖欲自結。天宝十二載、入考華清宮、楊国忠忌其才、謂拾遺呉豸之曰:「子能發陟罪乎?吾以御史相處。」豸之乃劾陟饋遺事、国忠又使甥壻韋元志左驗、陟惶悸、賂吉温求救、由是倶得罪、陟貶桂嶺尉、坐不行、徙平樂。會安禄山陷洛陽、弟斌沒賊、国忠欲構陟與賊通、密諭守吏、令脅陟使憂死、州豪傑共説曰:「昔張説被竄、匿陳氏以免。今若詔書下、誰敢庇公?願公乘扁舟遁去、事寧乃出、不亦美乎?」陟慨然曰:「命當爾、其敢逃刑?」因謝遣、堅臥不出。 歳餘、肅宗即位、起為呉郡太守、使者趣追、未至、會永王兵起、委陟招諭、乃授御史大夫、江東節度使。與高適、來瑱會安州、陟曰:「今中原未平、江淮騷離、若不齋盟質信、以示四方、知吾等協心戮力、則無以成功。」乃推瑱為地主、為載書、登壇曰:「淮西節度使瑱、江東節度使陟、淮南節度使適、銜国威命、糾合三垂、翦除兇慝、好惡同之、毋有異志。有渝此盟、墜命亡族、罔克生育、皇天后土、祖宗明神、實鑒斯言。」辭旨慷慨、士皆隕泣。 永王敗、帝趣陟赴鳳翔。初、季広琛從永王亂、非其本謀、陟表広琛為歴陽太守、尉安之。至是、恐広琛有後變、乃馳往諭詔恩釋其疑、而後趣召。帝雅聞陟名、欲倚以相、及是遷延、疑有顧望意、止除御史大夫。會杜甫論房琯、詞意迂慢、帝令陟與崔光遠、顏真卿按之、陟奏:「甫言雖狂、不失諫臣體。」帝繇是疏之。富平人将軍王去榮殺其県令、帝将宥之、陟曰:「昔漢高帝約法、殺人者死。今陛下殺人者生、恐非所宜。」時朝廷尚新、群臣班殿中、有相弔哭者、帝以陟不任職、用顏真卿代之、更拜吏部尚書。久之、宗人伐墓柏、坐不相教、貶絳州刺史。還授太常卿。呂諲入輔、薦為礼部尚書、東京留守。史思明逼伊、洛、李光弼議守河陽、陟率東京官屬入関避之、詔授吏部尚書、令就保永樂、以圖收復。卒、年六十五、贈荊州大都督。 陟早有名、而為林甫、国忠擯廢。及肅宗擇相、自謂必得、以後至不用。任事者皆新進、望風憚之、多言其驕倨。及入関、又不許至京師。鬱鬱不得志、成疾、且卒、歎曰:「吾道窮於此乎!」性侈縱、喜飾服馬、侍兒閹童列左右常数十、侔於王宮主第。窮治饌羞、擇膏腴地蓺穀麥、以鳥羽擇米、毎食視庖中所棄、其直猶不減万銭、宴公侯家、雖極水陸、曾不下。常以五采牋為書記、使侍妾主之、其裁答受意而已、皆有楷法、陟唯署名、自謂所書「陟」字若五朵雲、時人慕之、號「郇公五雲體」。然家法脩整、敕子允就学、夜分視之、見其勤、旦日問安、色必怡。稍怠則立堂下不與語。雖家僮数十、然應門賓客、必允主之。 永泰元年、贈尚書左僕射。太常博士程皓議謚「忠孝」、顏真卿以為許国養親不兩立、不當合二行為謚、主客員外郎歸崇敬亦駁正之。右僕射郭英乂無学術、卒用太常議云。 斌、父為相時授太子通事舎人。少脩整、好文蓺、容止嚴峭、有大臣體、與陟齊名。開元中、薛王業以女妻之、遷祕書丞。天宝中、為中書舎人、兼集賢院学士、改太常少卿。李林甫構韋堅獄、斌以宗累、貶巴陵太守、移臨汝。久之、拜銀青光禄大夫、列五品。時陟守河東、而從兄由為右金吾衛将軍、縚為太子少師、四第同時列戟、衣冠罕比者。禄山陷洛陽、斌為賊得、署以黄門侍郎、憂憤卒。乾元元年、贈祕書監。 斌天性質厚、毎朝會、不敢離立笑言。嘗大雪、在廷者皆振裾更立、斌不徙足、雪甚、幾至、亦不失恭。 子況、少隠王屋山、孔述睿稱之、及述睿以諫議大夫召、薦況為右拾遺、不拜。未幾、以起居郎召、半歳、輒棄官去、徙家龍門。除司封員外郎、稱疾固辭。元和初、授諫議大夫、勉諭到職、数月、乞骸骨、以太子左庶子致仕、卒。況雖世貴、而志沖遠、不為聲利所遷、當時重其風操。 叔夏、安石兄。通礼家学。叔父太子詹事琨嘗曰:「而能繼漢丞相業矣。」擢明經第、歴太常博士。高宗崩、卹礼亡缺、叔夏與中書舎人賈大隠、博士裴守真譔定其制、擢春官員外郎。武后拜洛、享明堂、凡所沿改、皆叔夏、祝欽明、郭山惲等所裁討。毎立一議、衆咨服之。累遷成均司業。后又詔:「五礼儀物、司礼博士有所脩革、須叔夏、欽明等評處、然後以聞。」進位春官侍郎。中宗復位、轉太常少卿、為建立廟社使、進銀青光禄大夫、累封沛郡公、国子祭酒。卒、贈兗州都督、脩文館学士、謚曰文。子縚。 縚、開元時歴集賢脩撰、光禄卿、遷太常。 唐興、礼文雖具、然制度時時繆缺不倫。至顯慶中、許敬宗建言:「籩豆以多為貴、宗廟乃踰于天、請大祀十二、中祀十、小祀八。大祀、中祀、簠、簋、、俎皆一、小祀無。」詔可。二十三年、赦令以籩豆之薦、未能備物、宜詔礼官学士共議以聞。縚請「宗廟籩豆皆加十二」。又言「郊奠、爵容止一合、容小則陋、宜增大之」。 兵部侍郎張均、職方郎中韋述議曰:「礼:『天之所生、地之所長、苟可薦者、莫不咸在。』聖人知孝子之情深、而物類無限、故為之節、使物有品、器有数、貴賤差降、不得相越。周制:王、食用六穀、膳用六牲、飲用六清、羞用百有二十品、珍用八物、醬用百有二十罋、而以四籩、四豆供祭祀。此祀與賓客豊省不得同、舊矣。且嗜好燕私之饌、與時而遷、故聖人一約以礼。雖平生所嗜、非礼則不薦。所惡、是礼則不去。屈建命去祥祭之芰曰:『祭典有之、不羞珍異、不陳庶侈。』此則礼外之食、前古不薦。今欲以甘旨肥濃皆充於祭、苟踰舊制、其何極焉。雖籩豆有加、不能備也。若曰以今之珍、生所嗜愛、求神無方、是簠、簋可去、而盤、盂、杯、案當御矣。韶、護可抵、而箜篌、笙、笛應奏矣。且自漢以來、陵有寢宮、歳時朔望、薦以常饌、固可盡孝子之心。至宗廟法享、不可變古從俗。有司所承、一升爵、五升散。礼、凡宗廟、貴者以爵、賤者以散、此貴小賤大、以示節儉。請如故。」 太子賓客崔沔曰:「古者、有所飲食、必先嚴献、未火化、則有毛血之薦、未麴、則有玄酒之奠。至後王、作酒醴、用犧牲、故有三牲、八簋、五齊、九献。然神尚玄、可存而不可測也。祭主敬、可備而不可廢也。蓋薦貴新、味不尚褻、雖曰備物、猶有節制存焉。鉶、俎、籩、豆、簠、簋、尊、罍、周人時饌也、其用通於燕享賓客、周公乃與毛血玄酒共薦。晉中郎盧諶家祭、皆晉日食、則當時之食、不可闕於祀已。唐家清廟時享、礼饌備進、周法也。園寢上食、時膳具陳、漢法也。職貢助祭、致遠物也。有新必薦、順時令也。苑囿躬稼所入、蒐田親發所中、皆因宜以薦、薦而後食。則濃腴鮮美盡在矣。又敕有司著于令、不必加籩豆之数也。大凡祭器、視物所宜。故大羹、古饌也、盛以、、古器也。和羹、時饌也、盛以鉶、鉶、時器也。有古饌而用時器者、則毛血于盤、玄酒于尊。未有進時饌用古器者、古質而今文、有所不稱也。雖加籩豆十二、未足盡天下之美、而措諸廟、徒以近侈而見訾抵。臣聞墨家者流、出於清廟、是廟貴儉不尚奢也。」 礼部員外郎楊仲昌、戸部郎中陽伯成、左衛兵曹参軍劉秩等、請如舊礼便。宰相白奏、玄宗曰:「朕承祖宗休徳、享祀粢盛、實貴豊絜。有如不應於法、亦不敢用。」乃詔太常、擇品味可增者稍加焉。縚又請「室加籩、豆各六、毎四時以新果珍饔實之」。制「可」。又詔:「献爵視藥升所容、以合古。」 二十三年、詔書服紀所未通者、令礼官学士詳議。縚上言:「礼喪服:舅、緦麻三月。從母、小功五月、伝曰:『何以小功、以名加也。』而堂姨、舅母、恩所不及焉。外祖父母、小功五月、伝曰:『何以小功、以尊加也。』舅、緦麻三月、皆情親而屬疏也。外祖正尊、服同從母。姨、舅一等、而有輕重。堂姨、舅親未疏、不相為服。親舅母不如同爨。其亦古意有所未暢。且外祖小功、此為正尊、請進至大功。姨、舅儕親、服宜等、請進舅至小功。堂姨舅以疏降親舅從母一等。親舅母古未有服、請從袒免。」 於是韋述議曰:「自高祖至玄孫并身謂之九族。由近及遠、差其輕重、遂為五服。伝曰:『外親服皆緦。』鄭玄曰:『外親之服異姓、正服不過緦。』外祖父母小功、以尊加。從母小功、以名加。舅、甥、外孫、中外昆弟、皆緦。以匹言之、外祖則祖也、舅則伯叔也、父母之恩不殊、而獨殺於外者有以也。禽獸知母而不知父、野人則父母等、都邑之士則知尊禰、大夫則知尊祖、諸侯及太祖、天子及始祖。聖人究天道、厚祖禰、繋姓族、親子孫、則母黨之於本族、不同明甚。家無二尊、喪無二斬、人之所奉、不可貳也。為人後、降其父母喪。女子嫁、殺其家之喪。所存者遠、抑者私也。若外祖及舅加一等、而堂舅及姨著服、則中外其別幾何?且五服有上殺之義、伯叔父母服大功、從父昆弟亦大功、以其出於祖、服不得過於祖也。從祖祖父母、從祖父母、從祖昆弟皆小功、以其出於曾祖、服不得過曾祖也。族祖祖父母、族祖父母、族昆弟皆緦、以其出於高祖、服不得過高祖也。堂姨、舅出外曾祖、若為之服、則外曾祖父母、外伯叔祖父母亦可制服矣。外祖至大功、則外曾祖小功、外高祖緦。推而広之、與本族無異。棄親録疏、不可謂順。且服皆有報、則堂甥、外曾孫、姪女之子皆當服。聖人豈薄其骨肉恩愛哉?蓋本於公者末於私、義有所斷、不得不然。苟可加也、則可減也、如是、礼可隳矣。請如古便。」楊仲昌又言:「舅服小功、魏徴嘗進之矣。今之所請、正同徴論。堂舅、堂姨、舅母、皆升袒免、則外祖父母進至大功、不加報於外孫乎?外孫而報以大功、則本宗之庶孫用何等邪?」 帝手敕曰:「朕謂親姨、舅服小功、則舅母於舅有三年之喪、不得全降於舅、宜服緦。堂姨、舅古未有服、朕思睦厚九族、宜袒免。古有同爨緦、若比堂姨、舅於同爨、不已厚乎?伝曰:『外親服皆緦。』是亦不隔堂姨、舅也。若謂所服不得過本、而復為外曾祖父母、外伯叔父母制服、亦何傷?皆親親敦本意也。」 侍中裴耀卿、中書令張九齢、礼部尚書李林甫奏言:「外服無降、甥為舅母服、舅母亦報之。夫之甥既報、則夫之姨、舅又當服、恐所引益疏。臣等愚、皆所不及。」詔曰:「從服六、此其一也。降殺於礼無文、皆自身率親為之数。姨、舅屬近、以親言之、亦姑伯之匹、可曰所引疏耶?婦人從夫者也、夫於姨舅既服矣、從夫而服、是謂睦親。卿等宜熟計。」耀卿等奏言:「舅母緦、堂姨舅袒免。請準制旨、自我為古、罷諸儒議。」制曰:「可。」 初、帝詔歳率公卿迎氣東郊、至三時、常以孟月讀時令於正寢。二十六年、詔縚月奏令一篇、朔日於宣政側設榻、東向置案、縚坐讀之、諸司官長悉升殿坐聽。歳餘、罷。 高宗上元三年、将祫享。議者以礼緯三年祫、五年禘。公羊家五年再殷祭。二家舛互、諸儒莫能決。太学博士史玄璨曰:「春秋:僖公三十三年十二月薨。文公之二年八月丁卯、大享。公羊曰:『祫也。』則三年喪畢、新君之二年當祫、明年當禘群廟。又宣公八年、禘僖公。宣公八年皆有禘、則後禘距前禘五年。此則新君之二年祫、三年禘爾。後五年再殷祭、則六年當祫、八年禘。昭公十年、齊歸薨。十三年、喪畢當祫、為平丘之會。冬、公如晉、至十四年祫、十五年禘。伝曰『有事於武宮』是也。至十八年祫、二十年禘。二十三年祫、二十五年禘。昭公二十五年『有事於襄宮』是也。則禘後三年而祫、又二年而禘、合於礼。」議遂定。後睿宗喪畢、祫於廟。至開元二十七年、禘祭五、祫祭七。是歳、縚奏:「四月嘗已禘、孟冬又祫、祀礼叢数、請以夏禘為大祭之源。」自是相循、五年再祭矣。 縚終太子少師。 抗者、安石從父兄子。弱冠舉明經、累官吏部郎中。景雲初、為永昌令、輦轂繁要、抗不事威刑而治、前令無及者。遷右御史臺中丞、邑民詣闕留、不聽、乃立碑著其惠。開元三年、自太子左庶子為益州大都督府長史、授黄門侍郎。河曲胡康待賓叛、詔持節慰撫。抗於武略非所長、稱疾逗留、不及賊而返。俄代王晙為御史大夫、兼按察京畿。弟拯方為万年令、兄弟領本部、時以為榮。坐薦御史非其人、授安州都督、改蒲州刺史。入為大理卿、進刑部尚書、分掌吏部選、卒。抗歴職以清儉、不治産、及終無以葬、玄宗聞之、特給槥車。贈太子少傅、謚曰貞。 所表奉天尉梁昇卿、新豊尉王倕、華原尉王燾、皆為僚屬、後皆為顯人。昇卿渉学工書、於八分尤工、歴広州都督、書東封朝覲碑、為時絶筆。倕累遷河西節度使、天宝中、功聞于邊。它所辟舉、如王維、王縉、崔殷等、皆一時選云。 郭震字元振、魏州貴郷人、以字顯。長七尺、美須髯、少有大志。十六、與薛稷、趙彦昭同為太学生、家嘗送資銭四十万、會有縗服者叩門、自言「五世未葬、願假以治喪」。元振舉與之、無少吝、一不質名氏。稷等嘆駭。 十八舉進士、為通泉尉。任俠使氣、撥去小節、嘗盜鑄及掠賣部中口千餘、以餉遺賓客、百姓厭苦。武后知所為、召欲詰、既與語、奇之、索所為文章、上宝劍篇、后覽嘉歎、詔示学士李嶠等、即授右武衛鎧曹参軍、進奉宸監丞。 會吐蕃乞和、其大将論欽陵請罷四鎮兵、披十姓之地、乃以元振充使、因覘虜情。還、上疏曰: 利或生害、害亦生利。国家所患、唯吐蕃與默啜耳、今皆和附、是将大利於中国也。若圖之不審、害且隨之。欽陵欲裂十姓地、解四鎮兵、此動靜之機、不可輕也。若直遏其意、恐邊患必甚於前、宜以策緩之、使其和望勿絶、而惡不得萌、固當取捨審也。夫患在外者、十姓、四鎮是也。患在内者、甘、涼、瓜、肅是也。関隴屯戍、向三十年、力用困竭、脱甘、涼有一日警、豈堪広調發耶? 善為国者、先料内以敵外、不貪外以害内、然後安平可保。欽陵以四鎮近己、畏我侵掠、此吐蕃之要。然青海、吐渾密邇蘭、鄯、易為我患、亦国家之要。今宜報欽陵曰:「四鎮本扼諸蕃走集、以分其力、使不得併兵東侵。今委之、則蕃力益彊、易以擾動。保後無東意、當以吐渾諸部、青海故地歸於我、則俟斤部落還吐蕃矣。」此足杜欽陵口、而和議未絶。且四鎮久附、其倚国之心、豈與吐蕃等?今未知利害情實而分裂之、恐傷諸国意、非制御之算。 后從之。 又言:「吐蕃倦徭戍久矣、咸願解和。以欽陵欲裂四鎮、專制其国、故未歸款。陛下誠能歳發和親使、而欽陵常不從、則其下必怨、設欲大舉、固不能、斯離間之漸也。」后然其計。後数年、吐蕃君臣相猜攜、卒誅欽陵、而其弟賛婆等來降、因詔元振與河源軍大使夫蒙令卿率騎往迎。授主客郎中。 久之、突厥、吐蕃聯兵寇涼州、后方御洛城門宴、邊遽至、因輟樂、拜元振為涼州都督、即遣之。初、州境輪広纔四百里、虜來必傅城下。元振始於南硤口置和戎城、北磧置白亭軍、制束要路、遂拓境千五百里、自是州無虜憂。又遣甘州刺史李漢通闢屯田、盡水陸之利、稻收豊衍。舊涼州粟斛售数千、至是歳数登、至匹縑易数十斛、支廥十年、牛羊被野。治涼五歳、善撫御、夷夏畏慕、令行禁止、道不舉遺。河西諸郡置生祠、揭碑頌徳。 神龍中、遷左驍衛将軍、安西大都護。西突厥酋烏質勒部落盛彊、款塞願和、元振即牙帳與計事。會大雨雪、元振立不動、至夕凍冽。烏質勒已老、数拜伏、不勝寒、會罷即死。其子娑葛以元振計殺其父、謀勒兵襲撃、副使解琬知之、勸元振夜遁、元振不聽、堅臥營為不疑者。明日、素服往弔、道逢娑葛兵、虜不意元振來、遂不敢逼、揚言迎衛。進至其帳、脩弔贈礼、哭甚哀、為留数十日助喪事、娑葛感義、更遣使献馬五千、駝二百、牛羊十餘万。制詔元振為金山道行軍大総管。 烏質勒之将闕啜忠節與娑葛交怨、屢相侵、而闕啜兵弱不支。元振奏請追闕啜入宿衛、徙部落置瓜、沙間。詔許之。闕啜遂行。至播仙城、遇經略使周以悌、以悌説之曰:「国家厚秩待君、以部落有兵故也。今獨行入朝、一羇旅胡人耳、何以自全?」乃教以重宝賂宰相、無入朝。請發安西兵導吐蕃以撃娑葛。求阿史那献為可汗以招十姓。請郭虔瓘使拔汗那蒐其鎧馬以助軍、既得復讎、部落更存。闕啜然之、即勒兵撃于闐坎城、下之。因所獲、遣人間道齎黄金分遺宗楚客、紀處訥、使就其謀。元振知之、上疏曰: 国家往不與吐蕃十姓、四鎮而不擾邊者、蓋其諸豪泥婆羅等屬国自有攜貳、故賛普南征、身殞寇庭、国中大亂、嫡庶競立、将相爭権、自相翦屠、士畜疲癘、財力困窮、顧人事、天時兩不諧契、所以屈志於漢、非實忘十姓、四鎮也。如其有力、後且必爭。今忠節忽国家大計、欲為吐蕃郷導主人、四鎮危機恐從此啓。吐蕃得志、忠節亦當在賊掌股、若為復得事我哉?往吐蕃於国無有恩力、猶欲爭十姓、四鎮。今若効力樹恩、則請分于闐、疏勒者、欲何理抑之?且其国諸蠻及婆羅門方自嫌阻、藉令求我助討者、亦何以拒之?是以古之賢人、不願夷狄妄惠、非不欲其力、懼後求無厭、益生中国事也。臣愚以為用吐蕃之力、不見其便。 又請阿史那献者、豈非以可汗子孫能招綏十姓乎?且斛瑟羅及懐道與献父元慶、叔僕羅、兄俀子、倶可汗子孫也。往四鎮以他匐十姓之亂、請元慶為可汗、卒亦不能招來、而元慶沒賊、四鎮淪陷。忠節亦嘗請以斛瑟羅及懐道為可汗矣、十姓未附而碎葉幾危。又吐蕃亦嘗以俀子、僕羅并拔布為可汗矣、亦不能得十姓而皆自亡滅、此非它、其子孫無惠下之才、恩義素絶故也。豈止不能招懐、且復為四鎮患、則冊可汗子孫其效固試矣。献又遠於其父兄、人心何繇即附、若兵力足取十姓、不必要須可汗子孫也。 又請以郭虔瓘蒐兵税馬於拔汗那。往虔瓘已嘗與忠節擅入其国、臣時在疏勒、不聞得一甲一馬、而拔汗那挾忿侵擾、南導吐蕃、将俀子、以擾四鎮。且虔瓘住至拔汗那国、四面無助、若履虚邑、猶引俀子為敝。況今北有娑葛、知虔瓘之西、必引以相援、拔汗那倚堅城而抗于内、突厥邀伺于外、虔瓘等豈能復如往年得安易之幸哉? 疏奏不省。 楚客等因建遣攝御史中丞馮嘉賓持節安撫闕啜、以御史呂守素處置四鎮、以牛師為安西副都護、代元振領甘、涼兵、召吐蕃併力撃娑葛。娑葛之使娑臘知楚客謀、馳報之。娑葛怒、即發兵出安西、撥換、焉耆、疏勒各五千騎。於是闕啜在計舒河與嘉賓會、娑葛兵奄至、禽闕啜、殺嘉賓、又殺呂守素於僻城、牛師於火燒城、遂陷安西、四鎮路絶。元振屯疏勒水上、未敢動。楚客復表周以悌代元振、且以阿史那献為十姓可汗、置軍焉耆以取娑葛。娑葛遺元振書、且言:「無仇于唐、而楚客等受闕啜金、欲加兵撃滅我、故懼死而。且請斬楚客。」元振奏其状。楚客大怒、誣元振有異圖、召将罪之。元振使子鴻間道奏乞留定西土、不敢歸京師。以悌乃得罪、流白州、而赦娑葛。 睿宗立、召為太僕卿。将行、安西酋長有剺面哭送者、旌節下玉門関、去涼州猶八百里、城中爭具壺漿歡迎、都督嗟歎以聞。景雲二年、進同中書門下三品、遷吏部尚書、封館陶県男。先天元年、為朔方軍大総管、築豊安、定遠城、兵得保頓。明年、以兵部尚書復同中書門下三品。 玄宗誅太平公主也、睿宗御承天門、諸宰相走伏外省、獨元振総兵扈帝、事定、宿中書者十四昔乃休。進封代国公、實封四百戸、賜一子官、物千段。俄又兼御史大夫、復為朔方大総管、以備突厥。未行、會玄宗講武驪山、既三令、帝親鼓之、元振遽奏礼止、帝怒軍容不整、引坐纛下、将斬之。劉幽求、張説扣馬諫曰:「元振有大功、雖得罪、當宥。」乃赦死、流新州。開元元年、帝思舊功、起為饒州司馬、怏怏不得志、道病卒、年五十八。十年、贈太子少保。 元振雖少雄邁、及貴、居處乃儉約、手不置書、人莫見其喜慍。建宅宣陽里、未嘗一至諸院厩。自朝還、對親欣欣、退就室、儼如也。距国初仕至宰相而親具者、唯元振云。 賛曰:魏、韋皆感概而奮、似矣。及在昏上側臣間、臨機會、不一引手揕姦邪之謀、誠可鄙哉。至后豔主以烝譖撼宗社、亦不肯從也。古所謂具臣者、諒乎!元振功顯節完、一跌未復、世恨其蚤歿云。