約 546 件
https://w.atwiki.jp/jap0/pages/205.html
はじめに ここでは、世界史の基本事項(世界史の全体像)の内容を前提に、さらに世界史を細かく掘り下げていくためのページです。少なくとも、共通テストで出題されるレベルの必修用語はすべてこのページに網羅しました。ですから、用語集として使っても構いませんし、一番いいのは、共通テストの過去問を解いた後、各選択肢に出てきた用語をこのページで検索にかけ、時代(縦)・地域(横)を頭に入れていくという使い方です。(参考:iPhoneでのページ内検索方法。パソコンの場合は、Ctrl+F)この使い方に慣れていくことで、インプット(理解・記憶)とアウトプット(実戦)が交錯し、普通に勉強するよりも学習の質・スピードが倍増するはずです。 1. 先史時代 ア.人類の進化 人類直立歩行 道具 火の使用 言語の使用 化石人類 人類の出現 年代 猿人 更新世 ラミダス猿人 サヘラントロプス アウストラロピテクス ホモ=ハビリス ホモ=フロレシエンシス 打製石器 礫石器 ホモ=エレクトゥス(原人) ジャワ原人/北京原人 周口店 ハイデルベルク人 握斧(ハンドアックス) 旧人:ネアンデルタール人 剥片石器 新人 ホモ=サピエンス アフリカ単一起源説 クロマニヨン人 石刃技法 洞穴絵画:アルタミラ(スペイン)/ラスコー(フランス) 人類の拡散 ウォーレス線 旧石器時代 イ.文化から文明へ 新石器時代:農耕・牧畜 新石器革命/農業革命(農耕の開始) 磨製石器 潅漑農業文明 金属器 都市文字 ウ.人類と言語の分化 人種アニミズム トーテミズム神話 シャーマニズム インド=ヨーロッパ語族 セム語系/ハム語系 オーストロネシア語族 2. 古代オリエント ◉古代オリエント世界 ア.オリエント世界 メソポタミア 肥沃な三日月地帯 ティグリス・ユーフラテス川 メソポタミア文明 イ.シュメール人の都市国家 青銅器 シュメール人 ギルガメッシュ叙事詩 シュメール文化 都市国家 ウル(cf.ウルの軍旗)/ウルク/ラガシュ アッカド王国:byサルゴン1世/メソポタミア初統一 セム語系 ウル第3王朝 シュメール法典 ウ.メソポタミアの統一と周辺地域の動向 古バビロニア王国(バビロン第一王朝):byアムル人/メソポタミア再統一 バビロン ハンムラビ王 ハンムラビ法典 民族移動 インド=ヨーロッパ語族 小アジア/アナトリア 鉄器 ハットゥシャ(ボアズキョイ) ミタンニ/カッシート/ヒッタイト エラム人 イラン高原 多神教 マルドゥク神 ジッグラト 楔形文字/占星術/太陰暦▶太陰太陽暦に修正/1週7日制 エ.エジプトの統一王朝 ハム語系 エジプト文明:ナイル川/ノモス/ファラオ 古王国:メンフィス/クフ王/ピラミッド 中王国:テーベ/ヒクソス侵入で滅亡 エジプト新王国 トトメス3世 アメンホテプ4世/イクナートン テル=エル=アマルナ アマルナ文書 アマルナ革命 アマルナ美術 ラメセス2世 カデシュの戦い アブシンベル神殿 エジプト末期王朝 ラー/アメン=ラー アメン神 アトン神 オシリス神 ミイラ 死者の書 王家の谷 ツタンカーメン王 神聖文字(ヒエログリフ)/パピルス 太陽暦 シャンポリオン ロゼッタ=ストーン オ.東地中海世界の諸民族 シリア パレスチナ カナーン人 海の民 ペリシテ人 アラム人:ダマスクス/アラム文字 フェニキア人 ウガリト シドン・ティルス ヘブライ人:ユダヤ教 イスラエル人 ユダヤ人 ヤハウェ 出エジブト モーセ/十戒 ヘブライ王国 イェルサレム ダヴィデ ソロモン イスラエル王国 ユダ王国 バビロン捕囚 一神教 律法(トーラー) シナゴーグ 旧約聖書「嘆きの壁」 カ.古代オリエントの統一 アッシリア:オリエント初統一 戦車 サルゴン2世 アッシリア帝国 アッシュール=バニパル王 ニネヴェ/王立図書館 アッシリア帝国の公用文字 ネブカドネザル2世 メディア王国/リディア王国/新バビロニア王国/エジプト王国 エクバタナ サルデス貨幣 エフェソス イラン人/イラン系民族 アケメネス朝ペルシア:オリエント再統一 ペルシア帝国 キュロス2世:建国/ユダヤ人解放 カンビュセス2世 ダレイオス1世 ペルセポリス スサ サトラップ/王の目、王の耳/王の道/駅伝制 ローリンソン ベヒストゥーン碑文 ゾロアスター教 ゾロアスター/ツァラトゥストラ アフラ=マズダ&アーリマン 最後の審判 ミトラ教 アレクサンドロス大王の東方遠征 ペルシア帝国の滅亡 ヘレニズム時代 セレウコス朝シリア キ.パルティアとササン朝の興亡 パルティア:東西交易の利益独占/都はクテシフォン バクトリア[→大月氏→クシャーナ朝] アルサケス/アルサケス朝 ヘカトン ピュロス ミトラダテス1世 ササン朝ペルシア:マニ教成立 アルデシール1世 シャープール1世 エデッサの戦い ホスロー1世エフタル ク.イラン文明の特徴 ゾロアスター教 アヴェスター マズダク教 パールスィー 3. 古代ギリシア ア.地中海世界の風土 ギリシア地中海世界 シチリア島 ミノルカ島 マルタ島 ロードス島 クレタ島 サルデーニャ島 コルシカ島 キプロス島 黒海 イ.エーゲ文明 シュリーマン トロイア遺跡 ミケーネ遺跡 エヴァンズ クノッソス ヴェントリス 線文字B クレタ文明/ミノス文明 ミノス王 ミケーネ文明:byギリシア人の一派アカイア人 ティリンス ピュロス トロイア戦争 貢納 王政 暗黒時代 鉄器 ドーリア人:ミケーネ文明を滅亡させた/スパルタ イオニア人:アテネ アイオリス人:テーベ 海の民 ウ.ポリスの成立と発展 アクロポリス シノイキスモス/集住植民市/植民活動 アルファベット ヘレネス/ヘラス バルバロ イデルフォイ 隣保同盟 オリンピアの祭典/古代オリンピック マッサリア ネアポリス タレントゥム ビザンティオン シラクサ エ.市民と奴隷 ポリスの市民 ポリスの貴族 アルコン ポリスの平民 メトイコイ/在留外人 アゴラ クレーロス 奴隷/奴隷制度 オ.アテネとスパルタ アテネ ラウレイオン銀山 スパルタ ヘイロータイ&ペリオイコイ リュクルゴスの制 スパルタの軍国主義 カ.民主政へのあゆみ 王政貴族政 貨幣 重装歩兵・密集部隊 キュロン ドラコンの立法 ソロン/ソロンの改革 財産政治 僭主政 ペイシストラトス クレイステネス 五百人評議会 陶片追放:危ない僭主(非合法の独裁者)を防止 デーモス キ.ペルシア戦争とアテネ民主政 アケメネス朝ペルシア帝国 ダレイオス1世 ペルシア戦争 イオニア地方/イオニアの反乱 ミレトス エフェソス マラトンの戦い クセルクセス1世 テルモピュライの戦い レオニダス サラミスの海戦:三段櫂船▶戦後、漕ぎ手の無産市民の発言力高まる テミストクレス プラタイアの戦い ペリクレス デロス同盟 民会 市民権法(アテネ) 公職の抽選制 アテネの民主政/デモクラシー民衆裁判所/陪審制 弾劾裁判 ク.ポリスの変質 ペロポネソス戦争 ペロポネソス同盟 衆愚政治by扇動政治家(デマゴーゴス):ペリクレスの死後登場/ポリスの衰退を招く コリント戦争 大王の和約 テーベ エパミノンダス 傭兵 マケドニア ペラ フィリッポス2世 デモステネス イソクラテス カイロネイアの戦い コリントス同盟 ケ.ヘレニズム時代 アレクサンドロス アレクサンドロス大王の東方遠征 ペルシア帝国 グラニコス河の戦い イッソスの戦い アルベラの戦い(ガウガメラの戦い) ペルシア帝国の滅亡 ダレイオス3世 アレクサンドロスの大帝国 アレクサンドリアの建設 ディアドコイ/ディアドコイ戦争 アンティゴノス朝 マケドニアイプソスの戦い セレウコス朝シリア セレウキア アンティオキア ペルガモン王国 バクトリア マカベア戦争 ハスモン朝 プトレマイオス朝エジプト ヘレニズム ヘレニズム時代/ヘレニズム三国 4. 古代ローマ ア.ローマ共和政 イタリア人ラテン人ローマ王政(ローマ)エトルリア人貴族共和政パトリキ・貴族プレブス・平民重装歩兵コンスル・執政官元老院民会身分闘争聖山事件平民会護民官十二表法カヌレイウス法ケンソル・戸口監察官リキニウス・セクスティウス法ローマ共和政ホルテンシウス法新貴族・ノビレスディクタトル・独裁官市民法 イ.地中海征服とその影響 半島統一戦争サムニウム戦争ピュロス王アッピア街道タレントゥム分割統治植民市自治市同盟市ローマ市民権ポエニ戦争カルタゴシチリア属州/プロヴィンキアカンネーの戦いハンニバルザマの戦いスキピオカトーヒスパニアマケドニア戦争アリストニコスの蜂起総督(ローマ)徴税請負人騎士・エクイテス中小農民の没落ラティフンディア/ラティフンディウム/大土地所有制奴隷無産市民・プロレタリアパンと見せ物閥族派/オプティマテス平民派/ポプラレスシチリアの奴隷反乱 ウ.内乱の一世紀 グラックス兄弟の改革内乱の1世紀マリウススラユグルタ戦争兵制改革/職業軍人制イタリア同盟市戦争ミトリダテス戦争スパルタクスの反乱剣奴/剣闘士奴隷奴隷反乱第1回三頭政治ポンペイウスクラッススカエサルガリアガリア遠征インペラトルブルートゥスキケロ第2回三頭政治アントニウスレピドゥスオクタウィアヌスクレオパトラアクティウムの海戦ガレー船プトレマイオス朝エジプト エ.ローマ帝国 ローマ帝国ローマプリンケプスアウグストゥスプリンキパトゥス/元首政ローマ皇帝ローマの平和/パックス=ロマーナネロウェスパシアヌスユダヤ戦争ポンペイ五賢帝ネルウァトラヤヌスダキアハドリアヌスアントニヌス=ピウスマルクス=アウレリウス=アントニヌスアルメニアパルティアロンディニウムルテティアウィンドボナカラカラ万民法アントニヌス勅令季節風貿易イギリス(古代)ブリタニア オ.3世紀の危機 ローマ帝国の軍隊/3世紀の危機/軍人皇帝/ゲルマン人/ササン朝ペルシア/ウァレリアヌス/パルミラ解放奴隷/コロナトゥス/コロヌス カ.西ローマ帝国の滅亡 ディオクレティアヌス➡四分統治(四帝統治)/テトラルキア専制君主政/ドミナートゥスコンスタンティヌスキリスト教の公認ソリドゥス金貨コンスタンティノープルテオドシウス東ローマ帝国西ローマ帝国西ローマ帝国の滅亡オドアケル キ.キリスト教の成立 パレスチナヘロデ王ポンティオ=ピラト死海文書イエスキリストキリスト紀元キリスト教使徒ペテロパウロ教会新約聖書ヒエロニムス一神教 ク.迫害から国教化へ キリスト教迫害カタコンベコンスタンティヌスキリスト教の公認ミラノ勅令キリスト教の国教化ニケーア公会議公会議アタナシウス派三位一体説アリウス派正統異端ユリアヌス帝エフェソス公会議ネストリウス派カルケドン公会議単性説コプト教会アルメニア教会 ケ.ローマの生活と文化 ローマ文化コロッセウムパンテオンアッピア街道フォルム/フォロ=ロマーノ公共浴場ガール橋/ローマの水道ローマ法ユリウス暦グレゴリウス暦ローマ字ウェルギリウスホラティウスオウィディウスキケロリウィウス/『ローマ建国史』タキトゥスポリビオス政体循環史観プルタルコスストラボンプリニウスマルクス=アウレリウス=アントニヌス自省録セネカエピクテトス新プラトン主義プトレマイオス天動説ガレノスミトラ教マニ教エウセビオス教父アウグスティヌス告白録神の国 5. 西ヨーロッパ世界の成立 1節 西ヨーロッパ世界の成立 先頭へ ア.ヨーロッパの風土と人びと ヨーロッパインド=ヨーロッパ語族ギリシア人イタリア人ケルト人ラ=テーヌ文化ガリア人ブリトゥン人スコット人ゲール人 イ.ゲルマン人の大移動 ゲルマン人ガリア戦記ゲルマニア民会トイトブルクの戦い民族移動ゲルマン人の大移動フン人パンノニア東ゴート人/東ゴート王国 西ゴート人/西ゴート王国:イベリア半島 アラリックヴァンダル人/ヴァンダル王国ガイセリックブルグンド人/ブルグンド王国フランク人/フランク王国アングロ=サクソン人七王国アッティラカタラウヌムの戦いオドアケルテオドリックランゴバルド人/ランゴバルド王国 ウ.フランク王国の発展とイスラームの侵入 フランク王国メロヴィング朝クローヴィスクローヴィスの改宗宮宰/マヨル=ドムスイスラームのヨーロッパ侵入トゥール・ポワティエ間の戦いカール=マルテルカロリング朝ピピン エ.ローマ=カトリック教会の成長 五本山ローマ=カトリック教会レオ1世コンスタンティノープル教会キリスト紀元ローマ教皇グレゴリウス1世修道院運動ビザンツ帝国聖像禁止令レオン3世/レオ3世(ビザンツ皇帝)ローマ教皇領ピピンの寄進ラヴェンナ オ.カール大帝 カール大帝ザクセン人伯辺境伯巡察使アーヘンアヴァール人カロリング=ルネサンスカールの戴冠レオ3世キリスト教会の東西分裂ローマ=カトリック教会ギリシア正教/ギリシア正教会 カ.分裂するフランク王国 ヴェルダン条約メルセン条約東フランクザクセン朝ハインリヒ1世マクデブルクオットー1世マジャール人レヒフェルトの戦いヨハネス12世オットーの戴冠神聖ローマ帝国イタリア政策神聖ローマ皇帝帝国教会政策西フランクユーグ=カペーカペー朝パリドイツフランスイタリア キ.外敵の侵入と西ヨーロッパの混乱 ノルマン人/第2次民族大移動 スカンディナヴィア半島 ヴァイキング ノルマンディ/ノルマンディ公国 ロロ ノルマン人の南イタリア征服 シチリア島 シチリア王国(両シチリア王国):byルッジェーロ2世 大ブリテン島 イギリス ブリタニア アングロ=サクソン七王国 イングランド王国 エグバート デーン人/デーン朝 アルフレッド大王 クヌート ノルマンディー公ウィリアム(ウィリアム1世):ノルマン征服▶ノルマン朝 ヘースティングスの戦い バイユー=タペストリー リューリク ノヴゴロド国 ルーシ 毛皮 キエフ公国 北欧諸国=デンマーク・スウェーデン・ノルウェー ノルマン人の北アメリカ到達 アイスランド グリーンランド ク.封建社会の成立 封建社会封建的主従関係恩貸地制度従士制諸侯(ヨーロッパ)騎士荘園領主/封建領主/荘園領主農奴/農奴制不輸不入権領主裁判権 ケ.教会の権威 ローマ=カトリック教会階層制組織/ヒエラルキア大司教司教司祭十分の一税神の平和/神の休戦修道院運動ベネディクトゥスモンテ=カシノベネディクト派クリュニー修道院聖職売買聖職叙任権/叙任権闘争グレゴリウス7世ハインリヒ4世破門カノッサの屈辱ヴォルムス協約インノケンティウス3世教皇権の最盛期 6. 東ヨーロッパ世界の成立 ア.ビザンツ帝国の繁栄と衰亡 東ローマ帝国ビザンツ帝国ギリシア正教ノミスマコンスタンティノープル皇帝教皇主義 ユスティニアヌス(6世紀):『ローマ法大全』ハギア=ソフィア聖堂イスラームのビザンツ帝国侵攻 ヘラクレイオス1世(7世紀) レオン3世 アレクシオス1世:プロノイア制=封建制度(貴族に軍役と引き換えに土地を付与) 聖像禁止令聖像崇拝問題イコンマケドニア朝マンジケルトの戦い/マラーズギルドの戦いブルガール人/ブルガリア帝国ラテン帝国ニケーア帝国コンスタンティノープル陥落 イ.ビザンツ帝国の社会と文化 軍管区制/テマ制 屯田兵制 ビザンツ様式 モザイク壁画 サン=ヴィターレ聖堂 ウ.スラヴ人と周辺諸民族の自立 スラヴ人 東スラヴ人 ノヴゴロド国 キエフ公国 ロシア ウラディミル1世 バトゥ キプチャク=ハン国 タタールのくびき アレクサンドル=ネフスキー モスクワ大公国 イヴァン3世 ツァーリ モスクワ 南スラヴ人 セルビア人/セルビア王国 バルカン半島 コソヴォの戦い ボスニア王国 クロアティア人 スロヴェニア人 西スラヴ人 ポーランド王国:カジミェシュ3世▶中心都市クラクフにヤゲウォ大学設立 リトアニア/リトアニア=ポーランド王国 ヤゲウォ朝 チェック人 モラヴィア王国 ベーメン王国/ボヘミア王国 プラハ ブルガール人/ブルガリア ヴォルガ=ブルガール王国 ブルガリア帝国 キリル文字:byキュリロス ハンガリー王国 ルーマニア人 7. 中世ヨーロッパの変容 ア.十字軍とその影響 西ヨーロッパ中世世界の変容三圃制重量有輪犂オランダの干拓レコンキスタ巡礼サンチャゴ=デ=コンポステラ十字軍運動ウルバヌス2世クレルモン宗教会議イェルサレム王国十字軍国家エデッサ伯国アンティオキア公国サラーフ=アッディーンリチャード1世第4回十字軍ラテン帝国宗教騎士団ドイツ騎士団テンプル騎士団ヨハネ騎士団少年十字軍ジャン=ド=ブリエンヌの十字軍アッコン イ.商業の復活 東方貿易/レヴァント貿易 貨幣経済(中世ヨーロッパ) 遠隔地貿易 地中海商業圏 北海・バルト海交易 シャンパーニュ地方:ヨーロッパ商業の中心地/定期市/北海と地中海を結ぶ 商業の復活/商業ルネサンス 地中海沿岸都市:ヴェネツィア(ヴェネツィア共和国)/ジェノヴァ(ジェノヴァ共和国)/ミラノ(ミラノ公国) フィレンツェ/フィレンツェ共和国 バルト海沿岸都市:リューベック/ハンブルク ブレーメン ガン(ヘント) ブリュージュ フランドル地方 ロンドン マインツケルン ニュルンベルク アウクスブルク フランクフルト マクデブルク ノヴゴロド ウ.中世都市の成立 都市司教座都市自治都市/都市共和国/コムーネ帝国都市/自由都市ロンバルディア同盟レニャーノの戦いハンザ同盟 エ.都市の自治と市民 「都市の空気は自由にする」ギルド商人ギルド同職ギルドツンフト闘争フッガー家 オ.封建社会の衰退 荘園制の崩壊貨幣地代農奴解放黒死病/ペスト死の舞踏ヨーマン農民一揆封建反動ジャックリーの乱ワット=タイラーの乱ジョン=ボール火砲/火器ユダヤ人迫害ゲットー カ.教皇権の衰退 ボニファティウス8世フィリップ4世アナーニ事件教皇のバビロン捕囚クレメンス5世アヴィニヨン教皇権の衰退教会大分裂/大シスマ異端審問魔女裁判ウィクリフフスコンスタンツ公会議公会議至上主義ジギスムントフス戦争 3節-2 西欧中世世界の変容 先頭へ キ.イギリスとフランス プランタジネット朝 アンジュー伯/アンジュー帝国ヘンリ2世トマス=ベケットジョンカンタベリー大司教大憲章/マグナ=カルタヘンリ3世シモン=ド=モンフォールモンフォール議会議会/議会制度身分制議会模範議会エドワード1世イギリス議会制度上院下院ジェントリ/郷紳フランスカペー朝パリフィリップ2世ブーヴィーヌの戦いルイ9世アルビジョワ派/カタリ派アルビジョワ十字軍ワルド派フィリップ4世三部会王の奇蹟 ク.百年戦争とバラ戦争 フランドル地方毛織物ギエンヌ地方/アキテーヌ地方ヴァロワ朝 エドワード3世:百年戦争開始(フランス王位継承権を主張) 火砲/火器/大砲/鉄砲エドワード黒太子黒死病農民一揆ジャックリーの乱ワット=タイラーの乱ブルゴーニュ公ヘンリ5世ジャンヌ=ダルクオルレアンカレーシャルル7世バラ戦争ランカスター朝ヨーク朝リチャード3世ヘンリ7世テューダー朝星室庁裁判所ウェールズアイルランドスコットランド ケ.スペインとポルトガル イベリア半島国土回復運動/レコンキスタエル=シドカスティリャ王国アラゴン王国ポルトガル王国イスパニア/スペイン王国イサベルフェルナンド5世カトリック両王1492年グラナダユダヤ教徒追放令コンベルソマラーノジョアン2世 コ.ドイツ・スイス・イタリア・北欧 ドイツ神聖ローマ帝国イタリア政策シュタウフェン朝フリードリヒ1世フリードリヒ2世大空位時代金印勅書カール4世選帝侯マインツハプスブルク家ウィーン領邦/領邦国家/ラント 東方植民:byドイツ人/エルベ川以東にブランデンブルク辺境伯領が創設 スイス イタリア:ギベリン(皇帝党)vsゲルフ(教皇党) ノルマン朝(シチリア)パレルモシチリアの晩祷ナポリ王国デンマークスウェーデンノルウェーマルグレーテカルマル同盟フィン人 8. インド史 ◉インダス文明:インダス川/モエンジョ=ダーロ/ハラッパー/ドーラヴィーラー/ロータル/ドラヴィダ人/印章/インダス文字(未解読) ◉アーリヤ人の侵入とガンジス川流域への移動:インド社会の形成/カイバル峠/パンジャーブ何前民族移動/鉄器/牛/ヴェーダ時代/リグ=ヴェーダ/ガンジス川/都市国家/ヴァルナ制/バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラ/不可触民(パーリヤ)/ジャーティ/カースト制度/バラモン教 ◉都市国家の成長と新しい宗教の展開:十六王国時代(マガダ国〔ナンダ朝:アレクサンドロス大王のインド侵入を阻止〕vsコーサラ国)/仏教(ガウタマ=シッダールタ)/サールナート/ジャイナ教(ヴァルダマーナ)/ウパニシャッド(ブラフマン・アートマン) ◉マウリヤ朝:チャンドラグプタ/パータリプトラ/カウティリヤ/アショーカ王/カリンガ国/ダルマ/石柱碑/ブラーフミー文字/仏典結集/ストゥーパ@サーンチー ◉バクトリア:王メナンドロス/サカ族により征服/インド北西部に侵入▶クシャーナ朝に組み込まれる ◉クシャーナ朝:カニシカ王/仏教保護/ガンダーラ美術:ヘレニズムと仏教が融合/プルシャプラ/ガンダーラ地方/季節風貿易/大乗仏教/菩薩信仰/ナーガールジュナ/部派仏教/小乗仏教(上座部仏教)/スリランカ/パーリ語 ※バーミヤン(アフガニスタンの仏教遺跡) ※マトゥラー(ガンダーラとほぼ同時期に仏像制作が始まった都市) ※サータヴァーハナ朝:ローマと季節風貿易◀『エリュトゥラー海案内記』/都プラティシュターナ/インド洋交易圏 ◉グプタ朝:チャンドラグプタ1世/サンスクリット語が公用語に▶チャンドラグプタ2世(全盛期) ※ヒンドゥー教(ブラフマー神・シヴァ神・ヴィシュヌ神)/マヌ法典:ヴァルナごとの生活規範 ※サンスクリット文学:カーリダーサの戯曲『シャクンタラー』/二大叙事詩『マハーバーラタ』(◀歌集『バガヴァッド=ギーター』)『ラーマーヤナ』 ※ゼロの概念/グプタ様式/アジャンター石窟寺院/エローラ石窟寺院 ※仏教の衰退/密教(ヒンドゥー教と融合して生まれた仏教) ◉ヴァルダナ朝(カナウジ/ハルシャ=ヴァルダナ/ナーランダー僧院 ◉ラージプート時代(プラティーハーラ朝・チャーハマーナ朝/パーラ朝/ラシュトラクータ朝/チャールキヤ朝:ハルシャ=ヴァルダナに対抗) ◉南インドとインド洋交易:ドラヴィダ人/海の道/ギリシア系商人/インド洋交易圏/港市国家/マラッカ海峡/香辛料/絹・絹織物/茶/陶磁器/チョーラ朝/パッラヴァ朝/パーンディヤ朝/スリランカ:シンハラ王国➡タミル人(タミル語はドラヴィダ系)と対立 ◉イスラーム勢力のインド進出:ガズナ朝(王マフムード)・ゴール朝(アフガニスタンに成立/インドに侵入/ラージプート諸国と抗戦)▶デリー=スルタン朝(奴隷王朝(ゴール朝のマムルーク・アイバクが建設/モスク:クトゥブ=ミナール)▶ハルジー朝▶トゥグルク朝(ヴィジャヤナガル王国と対立/バフマン朝が自立)▶サイイド朝▶ロディー朝(アフガン系) ◉ムガル帝国(デリー/ペルシア語が公用語):バーブル(カーブルを拠点/パーニーパットの戦いでロディー朝征服/回想録『バーブル=ナーマ』)▶フマーユーン(アフガン系のスール朝による一時的な支配)▶アクバル(新宗教ディーネ=イラーヒー/アグラ遷都/ファテープル=シークリー遷都/マンサブダール制〔位階制〕/ジャーギール制〔土地の徴税権〕/ジズヤの廃止)▶シャー=ジャハーン(タージ=マハル)▶アウラングゼーブ(ジズヤの復活) ◉インド=イスラーム文化の開化:ミニアチュール(細密画/ムガル絵画)/ラージプート絵画(庶民的)/ウルドゥー語(アラビア語・ペルシア語とヒンディー語の合体)/シク教創始byナーナク◀カビール〔宗教家〕によるイスラム教のスーフィズムとヒンドゥー教のバクティ信仰の融合 ◉インド地方勢力の台頭:マラーター王国(シヴァージー)▶マラーター同盟▶マイソール王国(イギリスと抗戦) 9. イスラーム史 ◉イスラーム教の誕生:ベドウィン/メッカ/ジャーヒリーヤ/クライシュ族/一神教・神アッラー/預言者ムハンマド(クライシュ族)▶メディナ移住=ヒジュラ/偶像崇拝の否定/政教一致/イスラーム暦/ヒジュラ暦/ムスリム/ウンマ/カーバ神殿/コーラン/シャリーア(イスラーム法)/他教徒は「啓典の民」として容認/六信五行/バスラ/フスタート ◉正統カリフ時代:アブー=バクル▶ウマル(ジハード(聖戦)で征服地にミスル(軍営都市)設置/エジプトのイスラーム化/カーディシーヤの戦い/ニハーヴァントの戦い→ササン朝滅亡→イラン人のイスラーム化進む)▶ウスマーン▶アリー(拠点はクーファ/ハワーリジュ派により暗殺) ◉ウマイヤ朝(都ダマスクス/ウマイヤ=モスク):ムアーウィヤ(元シリア総督/スンナ派:シーア派と対立/イマーム/カルバラーの戦い)▶北アフリカのチュニス獲得▶アブド=アルマリク(アラビア語公用語化/アム川以北のマー=ワラー=アンナフル獲得)▶ワリード1世(ジブラルタル海峡からイベリア半島侵入/西ゴート王国征服)▶トゥール・ポワティエ間の戦い ※税制:「アラブ帝国」▶マワーリー(非アラブ改宗者)にもジンミー(異民族)にもジズヤ・ハラージュ強制 ◉アッバース朝:アブー=アルアッバース(タラス河畔の戦いで唐を破る→製紙法)▶マンスール(バグダード建設)▶ハールーン=アッラシード(アッバース朝最盛期)▶マームーン(知恵の館開設)▶イスラーム帝国の分裂(各地の総督=アミールの自立)▶アッバース朝の滅亡byフラグ ※税制を改革:「イスラーム帝国」▶ジズヤはジンミーのみ、ハラージュは全員払う=ムスリム間平等の実現 ※ホラーサーンが拠点に ※ザンジュの乱 ◉分裂期:ターヒル朝(イラン)▶サッファール朝(イラン)/イドリース朝(モロッコ)/アグラブ朝(チュニジア)/ルスタム朝(アルジェリア)/トゥールーン朝(エジプト) ◉3カリフ時代(10世紀):アッバース朝・後ウマイヤ朝・ファーティマ朝 ◉イベリア半島と北アフリカ:後ウマイヤ朝(コルドバ/アブド=アッラフマーン3世:ファーティマ朝に対抗してカリフを自称)▶ムラービト朝(マラケシュ/ベルベル人/マグリブ)▶ムワッヒド朝▶マリーン朝▶ハフス朝▶ザイヤーン朝▶ナスル朝(グラナダ/アルハンブラ宮殿) ※サード朝(モロッコ/マラケシュ征服/ポルトガルの侵入に対抗) ◉エジプト(カイロ):ファーティマ朝(シーア派のイスマーイール派※暗殺教団/カリフ自称/アズハル学院)▶アイユーブ朝(サラディン/ヒッティーンの戦い)▶マムルーク朝(チェルケス人がマムルークに/十字軍に勝つbyバイバルス/アインジャールートの戦いでモンゴル軍破る/サトウキビ栽培普及/カーリミー商人活躍) ◉イラン:ブワイフ朝(大アミール)▶セルジューク朝(トゥグリル=ベク/称号スルタン/マンジケルトの戦い/マリク=シャーニザーム=アルムルク/ニザーミーヤ学院/ルーム=セルジューク朝/ニケーアコンヤザンギー朝)▶イル=ハン国(ガザン=ハン/宰相ラシード=アッディーン『集史』) ※イラン=イスラーム文化 ◉イスラームの国家と経済:イスラームの貨幣経済/ディナール金貨/ディルハム銀貨/アター制/イクター制/ムスリム商人/カーリミー商人/ダウ船/隊商交易(キャラバンサライ) ◉トルコ系民族の進出とソグド人:中央アジア/オアシスの道/トルコ系民族/騎馬遊牧民/丁零高車鉄勒/突厥/ササン朝ペルシア/エフタル/突厥文字/ウイグル/隋/ブハラ/サマルカンド/唐/安史の乱/イラン系民族/ソグド人/ソグド商人/ソグディアナ/絹の道(シルクロード)/マニ教/仏教/キリスト教/ゾロアスター教/ソグド文字/ウイグル文字/モンゴル文字/満州文字/キルギス/西ウイグル王国/ハザール=カガン国 ◉トルキスタンの成立:中央アジアのトルコ化/西トルキスタン/ソグディアナ/ソグド人/ゾロアスター教/サマルカンド/東トルキスタン/マニ教/仏教/新疆 ◉中央アジア:サーマーン朝(ブハラ/ガズナ朝自立:アルプテギンによる北インド侵攻)▶カラ=ハン朝(トルコ語辞典完成byカシュガリー) ◉ティムール朝(サマルカンド):ティムール/アンカラの戦い/シャー=ルフ/トルコ=イスラーム文化/ヘラートウルグ=ベクアリシール=ナヴァーイーウズベク人シャイバニ/シャイバニ朝 ◉オスマン帝国:オスマン1世(小アジアでルーム=セルジューク朝より自立)▶オルハン=ベイ(ブルサを新首都に)▶ムラト1世(オスマン帝国の半島支配/アドリアノープル遷都/コソヴォの戦い:ハンガリーなど破る)▶バヤジット1世(ニコポリスの戦い/アンカラの戦い/スルタンを称す)▶メフメト2世(コンスタンティノープルの陥落/イスタンブルへ改称/トプカプ宮殿/寛容な宗教政策→ミッレト)▶セリム1世(マムルーク朝征服)▶スレイマン1世(モハーチの戦いでハンガリー征服/ウィーン包囲(第1次)/プレヴェザの海戦/カピチュレーション/スレイマン=モスクbyミマーリ=シナン)▶セリム2世(レパントの海戦) ※軍事:シパーヒー(トルコ人騎兵/ティマール制➡スルタンから土地+徴税権を付与)/イェニチェリ(常備軍/征服地のキリスト教徒から徴兵/鉄砲で武装させる) デヴシルメ(キリスト教徒の男子を強制的に徴用した制度) ※ヴェズィラーザム(オスマン衰退期にスルタンに代わり実験を握った大宰相) ◉サファヴィー朝(タブリーズ):イスマーイール1世(サファヴィー教団の長/シーア派の十二イマーム派/称号シャー/チャルディランの戦い:セリム1世のオスマン帝国軍と)▶アッバース1世(ホルムズをポルトガルから奪還/イスファハーンを新首都に/王の広場・王のモスク/ペルシア絨毯◀ミニアチュールの影響) ※軍事:キジルバシュ(騎兵集団) 10. オスマン帝国衰退期(領土侵攻&独立運動) ◉エジプト:マムルークの一掃(byエジプト総督ムハンマド=アリー)/エジプト=トルコ戦争➡ウンキャル=スケレッシ条約/ロンドン会議/ロンドン4ヵ国条/約5国海峡協定/スエズ運河開通/ウラービー革命(反乱)➡イギリスによる保護国化 ◉オスマン帝国(衰退期):イギリス東インド会社の進出(バスラに商館設置)➡第2次ウィーン包囲➡カルロヴィッツ条約(ハンガリーをオーストリアに割譲/トランシルヴァニアを獲得)➡アゾフ海占領byピョートル1世➡チューリップ時代(フランス文化の影響)➡ムスタファ3世(エカチェリーナ2世による南下政策➡露土戦争➡クチュク=カイナルジ条約➡クリミア半島のクリム・ハン国失う)➡セリム3世(西欧化改革開始➡ニザーム=ジェディット[西欧式軍隊]創設)➡マフムト2世(イエニチェリの全廃/アーヤーン(地方有力者)が富を蓄積/ワッハーブ王国(リヤド)樹立(ワッハーブ派のイブン=アブドゥル=ワッハーブによるイスラーム改革運動⬅サウード家の保護)/トルコ=イギリス通商条約)➡アブデュルメジト1世(ギュルハネ勅令/タンジマート[恩恵改革]/クリミア戦争)➡アブデュルハミト2世(ミドハト憲法by宰相ミドハト=パシャ⬅新オスマン人[オスマン帝国における近代化を目指した]の影響/露土戦争➡ベルリン条約) ◉イラン:サファヴィー朝(アッバース1世➡ホルムズ島からポルトガル駆逐)➡アフシャール朝(テヘラン/byナーディル=シャー➡死後、アフガニスタンが独立➡アフガン王国・ドゥッラーニー朝成立byパシュトゥーン人)➡ゼンド朝(シーラーズ/byカリム・ハン)➡カージャール朝(byアーガー=ムハンマド/イラン=ロシア戦争➡トルコ・マンチャーイ条約/バーブ教成立byサイイド=アリ=ムハンマド/バーブ教徒の乱/アフガン戦争➡イギリスによるアフガニスタン保護国化/タバコ=ボイコット運動⬅パン=イスラーム主義のアフガーニー[※弟子がムハンマド=アブドゥフ]追放/イラン立憲革命)➡パフレヴィー朝(レザー=ハン)➡イランの石油国有化byモサデグ⬅イラン=クーデタ➡パフレヴィー2世の専制政治復活+国際石油資本(メジャーズ)の反撃➡白色革命(近代化政策)➡イラン革命byホメイニ(➡第2次石油危機/イラン・アメリカ大使館人質事件)➡イラン=イスラーム共和国成立➡イラン=イラク戦争(イラク共和国[サダム=フセイン/バース党]のイラン侵攻)+クウェート侵攻⬅湾岸戦争byアメリカ(ブッシュ[父])中心の多国籍軍)➡同時多発テロbyビン=ラーディン(アル=カーイダ)⬅アフガニスタンのターリバーン政権(⬅ソ連撤退後アフガニスタン内戦で台頭)が匿っているとして、アメリカ(ブッシュ[子])のアフガニスタン攻撃(アフガニスタン戦争)➡イラク戦争⬅日本の自衛隊海外派遣 ※スエズ以東(アデンなど)からの撤兵byウィルソン(英)内閣➡アラブ首長国連邦(UAE)・南イエメン独立(➡イエメン共和国(北と南が合併)) ※アラブ民族主義運動:パン=イスラーム主義への抵抗 ◉アルメニア(カフカス地方) ※アラブ文化復興運動(シリアのアラブ人キリスト教徒から起こったアラブ人としての自覚を促す運動) 11. 中国史 ◉中国の古典文明 漢民族中国の少数民族雑穀長江稲作農業 黄河文明:前期は仰韶文化(彩陶)▶後期は竜山文化 長江文明:河姆渡遺跡 良渚文化黒陶三足土器灰陶 都市国家三皇五帝夏三星堆殷中原商殷墟奴隷/奴婢甲骨文字漢字青銅器邑邑制国家 周(西周):都は鎬京▶洛邑/封建制/青銅貨幣 渭水易姓革命禅譲放伐諸侯(中国)卿・大夫・士井田法宗族宗法 春秋時代犬戎 周の東遷東周覇者春秋の五覇斉の桓公晋の文公楚の荘王尊王攘夷呉王夫差越王勾践秦の穆公宋の襄王戦国時代戦国策王富国強兵戦国の七雄晋(春秋)韓魏趙斉燕楚秦(戦国)孝公什伍の制 オ.社会変動と新思想 鉄製農具牛耕潅漑農業貝貨刀銭布銭蟻鼻銭円銭臨淄諸子百家儒家孔子儒学・儒教魯論語孟子荀子墨家墨子道家老子荘子法家商鞅韓非名家兵家呉起/呉子縦横家蘇秦張儀合従連衡陰陽家鄒衍陰陽五行説農家詩経春秋楚辞屈原木簡・竹簡 カ.秦の統一:秦(統一と滅亡):始皇帝(⬅李斯)/都は咸陽/郡県制/半両銭/小篆/焚書・坑儒/万里の長城建設by蒙恬/南海郡設置/兵馬俑(始皇帝陵の東方に発見)/陳勝・呉広の乱で滅亡 項羽劉邦垓下の戦い キ.漢代の政治 前漢:都は長安/郡国制(劉邦)▶呉楚七国の乱▶郡県制(武帝) 年号/元号中国の暦法 対外政策:匈奴衛青霍去病張騫大月氏烏孫敦煌郡大宛/フェルガナ衛氏朝鮮楽浪郡南越 経済政策:塩・鉄・酒の専売制:by桑弘羊 均輸法平準法五銖銭限田策宦官外戚 新:王莽/赤眉の乱で滅亡 後漢劉秀/光武帝洛陽 党錮の禁:後漢の桓帝のとき/官僚弾圧 黄巾の乱太平道張角五斗米道/天師道張陵 ク.漢代の社会と文化 郷挙里選豪族儒学の官学化董仲舒五経五経博士劉向訓詁学鄭玄讖緯説紙蔡倫張衡紀伝体司馬遷史記班固漢書編年体説文解字 ケ.秦・漢帝国と世界 中華思想張騫 班超:西域都護▶甘英をローマ帝国に派遣▶安息国(パルティア)に妨害される 日南郡(後漢の一番南):大秦王安敦到来/4代和帝のとき 帯方郡交趾郡倭人徴姉妹の反乱冊封体制 イ.分裂の時代 黄巾の乱▶後漢の滅亡 赤壁の戦い 三国時代 魏:曹操▶王は息子の曹丕(そうひ)(文帝)/都は洛陽 呉:孫権/都は建康(現在の南京) 蜀:劉備/都は成都 関羽 張飛 諸葛孔明 五丈原 晋/西晋:八王の乱(内乱)▶五胡の南下▶永嘉の乱(匈奴の反乱)で滅亡 司馬炎/武帝 永嘉の乱 司馬睿 東晋 五胡十六国 ●[北](五胡十六国時代→北魏→東魏・西魏→北斉・北周) 五胡十六国時代:鳩摩羅什(西域生まれ)の仏典翻訳 北魏:均田制 西魏:府兵制(農民を徴兵) ●[南](東晋→宋→斉→梁→陳)▶陳は隋に滅ぼされる 劉淵 漢/前趙 前秦 苻堅 淝水の戦い 拓跋氏 北魏 吐谷 渾太 武帝 孝文帝 平城 洛陽 漢化政策 均田制 三長制 東魏・西魏 北斉・北周 南北朝 江南 劉裕 宋▶斉▶梁(侯景の乱)▶陳 魏晋南北朝時代 六朝 ウ.社会経済の変化 門閥貴族 貴族 九品中正 屯田制:魏 占田法 課田法 戸調式 均田制 露田 土断法 エ.魏晋南北朝の文化 中国仏教 仏図澄 道安 慧遠 鳩摩羅什:仏典を翻訳 法顕 仏国記 法難/廃仏 三武一宗の法難 敦煌雲 崗竜門武帝(梁) 達磨 道教 神仙思想 寇謙之 新天師道 道観 道士 道蔵 老荘思想 竹林の七賢 阮籍 嵆康 清談 六朝文化 陶潜/陶淵明 謝霊運 昭明太子 文選 顧愷之(こがいし)『女史箴図(じょししんず)』:宮廷の女性への戒め 王羲之(おうぎし)『蘭亭序』:詩をまとめた本の序文 三国志 斉民要術/賈思勰 水経注/酈道元 傷寒論 オ.朝鮮と日本の国家形成 朝鮮/朝鮮半島古朝鮮衛氏朝鮮楽浪郡帯方郡朝貢貊族高句麗丸都城広開土王/好太王広開土王碑平壌韓民族三韓新羅慶州百済扶余加羅/加耶三国時代日本邪馬台国卑弥呼魏志倭人伝大和政権倭の五王 ◉東アジア文化圏の形成 ア.隋の統一と唐の隆盛 隋:楊堅/都は大興城(長安) 均田制租調庸制府兵制選挙科挙律令/律令制度煬帝大運河聖徳太子遣隋使高句麗遠征唐李淵/高祖 李世民:貞観の治/貞観政要天可汗高宗都護府安南都護府羈縻政策 イ.唐代の制度と文化 律令/律令制度三省六部中書省門下省尚書省御史台州県制科挙秀才科明経科進士科蔭位の制均田制(唐)口分田永業田租調庸制丁男役・徭役/雑徭荘園 府兵制:西魏のとき/北魏の均田制で土地をもらった農民を軍隊として動員 開元通宝唐の文化長安中国仏教道教景教大秦景教流行中国碑祆教摩尼教回教/清真教揚州広州市舶司蕃坊大食唐の仏教玄奘慈恩寺/大雁塔大唐西域記義浄華厳宗天台宗真言宗末法思想浄土教/浄土宗禅宗会昌の廃仏円仁唐の儒教孔穎達五経正義唐詩王維李白杜甫白居易 古文復興(韓愈・柳宗元/四六駢儷体の否定➡漢代以前の古文を復興)山水画呉道玄李思訓閻立本欧陽詢褚遂良顔真卿唐三彩 ウ.唐と隣接諸国 唐と隣接諸国突厥東突厥西突厥突厥文字オルホン碑文ウイグルウイグル文字都護府羈縻政策冊封体制新羅白村江の戦い百済高句麗骨品制慶州朝鮮の仏教仏国寺石窟庵渤海/海東の盛国靺鞨大祚栄上京竜泉府日本遣唐使大化改新平城京チベット/吐蕃ソンツェン=ガンポチベット文字チベット仏教吐谷渾南詔王玄策ベトナム エ.唐の動揺 則天武后周(武周)武韋の禍 玄宗:開元の治 募兵制節度使タラス河畔の戦い楊貴妃安史の乱安禄山史思明藩鎮両税法楊炎市飛銭塩専売制 黄巣の乱⬅朱全忠鎮圧 王仙芝 オ.五代の分裂時代:後梁→後唐→後晋→後漢→後周/都は開封(後唐のみ洛陽)/後晋では燕雲十六州を遼に譲る ア.東アジアの勢力交代 契丹高麗王建開城大理大越国高麗版大蔵経金属活字高麗青磁国風文化刀伊日宋貿易鎌倉幕府源頼朝鎌倉仏教広州泉州明州市舶司 ウ.宋の統治 宋/北宋▶都は開封→臨安/澶淵の盟(多額の銀や絹を遼に)、慶暦の和約(宋→西夏)、紹興の和約(南宋→金)/北宋は金により滅亡(靖康の変) 趙匡胤/太祖開封太宗文治主義中書門下省枢密院禁軍科挙(宋)州試省試殿試形勢戸官戸神宗王安石王安石の改革/新法青苗法均輸法市易法募役法保甲法保馬法方田均税法新法党旧法党司馬光 靖康の変:都が金によって占領 徽宗欽宗高宗江南 南宋:都は臨安/モンゴル帝国(5代)により滅亡 秦檜岳飛淮河 エ.宋代の社会 開封草市鎮行作宋銭交子会子佃戸/佃戸制江南の開発囲田圩田占城稲蘇湖/江浙蘇州景徳鎮茶(中国)絹馬貿易/茶馬貿易 茶の専売 制方臘の乱 ◉モンゴル民族の発展 ア.モンゴルの大帝国:チンギス→オゴタイ→グュク[プラノ=カルピニが派遣される]→モンケ→フビライ モンゴル/モンゴル民族モンゴル文字クリルタイハン/汗/大ハーンチンギス=ハンモンゴル帝国/大モンゴル国千戸制ウルスヤサナイマン/ホラズム朝(ホラズム=シャー国)征服/西夏オゴタイ 金:都は燕京(北京)/モンゴル帝国(2代)により滅亡 カラコルム耶律楚材バトゥワールシュタットの戦いモンケフラグ3ハン国の分立イル=ハン国/フラグ=ウルスタブリーズキプチャク=ハン国/ジョチ=ウルスサライチャガタイ=ハン国オゴタイ=ハン国(参考項目)/アリクブケハイドゥの乱 イ.元の東アジア支配 フビライ大都上都元南宋の滅亡史天沢回回砲厓山の戦い大元ウルス高麗武臣政権/崔氏モンゴルの高麗支配三別抄の乱高麗版大蔵経金属活字高麗青磁元の遠征活動日本遠征日元貿易ベトナム元のベトナム遠征チャンパーパガン朝ペグー朝ジャワ島タイ人スコータイ朝ラームカムヘン王タイ文字シンガサリ朝マジャパヒト王国真臘風土記モンゴル人第一主義(参考項目)色目人漢人南人中書省行中書省/行省元代の科挙ダルガチジャムチ/站赤牌符ムスリム商人蒲寿庚杭州/キンサイ泉州広州明州元の大運河交鈔オルトク元の文化元曲/西廂記/琵琶記/漢宮秋趙孟頫元末四大家染付 ウ.モンゴル時代のユーラシア 東西交流プレスター=ジョンの伝説タタールの平和 プラノ=カルピニ:ローマ教皇インノケンティウス4世によって派遣された(情報収集のため)/元のグユク=ハンのとき ルブルックマルコ=ポーロ世界の記述/東方見聞録ラッバン=ソウマ モンテ=コルヴィノ:カトリック布教(元の都で) マリニョーリ 郭守敬:授時暦◀イスラームの天文学を取り入れた 細密画(ミニアチュール):イスラーム世界で発達◀中国絵画の影響 集史チベット仏教パスパ文字パスパ エ.モンゴル帝国の解体 交鈔の濫発紅巾の乱韓山童韓林児白蓮教弥勒仏元の滅亡北元 ◉東アジア世界の動向 ア.14世紀の東アジア 紅巾の乱by朱元璋 白蓮教弥勒仏/下生信仰 朱元璋(洪武帝):紅巾の乱/元の最後・明の最初/都は南京 一世一元の制北元江南倭寇李成桂朝鮮王朝/李朝漢城科田法科挙(朝鮮) イ.明初の政治 明の皇帝専制政治明の行政機構中書省を廃止六部の皇帝直属五軍都督府/都察院里甲制/民戸/里長戸/甲首戸/里老人賦役黄冊魚鱗図冊科挙(明)明律明令六諭衛所制/軍戸靖難の役建文帝 永楽帝:都を北京に 紫禁城内閣(中国)内閣大学士宦官永楽大典四書大全五経大全明のベトナム支配永楽帝のモンゴル遠征明の十三陵鄭和/南海諸国遠征カリカットホルムズアデンモガディシュマリンディ海禁 ウ.明朝の朝貢世界 朝貢貿易琉球王国マラッカ王国朝鮮王朝/李朝世宗金属活字訓民正音/ハングル士林/士禍足利義満勘合貿易/日明貿易日朝貿易ベトナム胡朝黎朝黎利/レ=ロイ 異民族:オイラト・タタール エセン=ハン土木の変正統帝長城の改修明の時期区分 エ.朝貢体制の動揺 大航海時代香辛料アチェ王国マタラム王国バンテン王国シャムアユタヤ朝日本町タウングー朝ラオ人ランサン王国ランナー王国北虜南倭ダヤン=ハンアルタン=ハン後期倭寇王直日本銀石見銀山スペイン銀貨銀(中国・日本)馬蹄銀 カ.東アジアの状況 キリスト教の日本伝来南蛮貿易天正遣欧使節豊臣秀吉の朝鮮侵略/壬辰・丁酉の倭乱 李舜臣:亀甲船▶倭軍に打撃 台湾ゼーランディア城キリスト教禁教令(日本)慶長遣欧使節/支倉常長鎖国長崎/出島/唐人屋敷張居正万暦帝宦官東林派顧憲成東林書院女真満州ヌルハチ/太祖アイシン/後金八旗満州文字ホンタイジ/太宗清チャハル部山海関明の滅亡李自成の乱 崇禎帝▶李自成の乱で滅亡 ◉清代の中国と隣接諸地域 ア.清朝の統治 呉三桂 藩王 順治帝:都は北京 康煕帝:中国統一 鄭氏台湾鄭芝竜鄭成功遷界令三藩の乱雍正帝乾隆帝紫禁城満漢併用制八旗緑営軍機処康煕字典 『古今図書集成』/四庫全書/文字の獄辮髪令(薙髪令)/白蓮教 イ.清朝支配の拡大 ネルチンスク条約ジュンガルウイグルキャフタ条約新疆藩部理藩院改土帰流チベット仏教ツォンカパ黄帽派ダライ=ラマ/活仏ポタラ宮殿 ウ.清朝と東アジア 宗主国属国保護国両班党争朝鮮の儒教李退渓李栗谷陶山書院燕行使小中華思想琉球王国鎖国長崎朝鮮通信使 エ.清代の社会と文化 海禁(清) 銀 海関 ジャンク船 南洋 華僑/華僑 公行:特許商人の組合@広州/南京条約で廃止 トウモロコシ サツマイモ 盛世滋生人丁 地丁銀 12. 北方民族 1節 草原の遊牧民とオアシスの定住民 先頭へ ア.遊牧民の社会と国家 遊牧民騎馬遊牧民遊牧国家 /草原の道/ステップ=ロード イ.スキタイと匈奴 スキタイ匈奴/匈奴帝国烏孫月氏トハラ/大夏単于冒頓単于匈奴の分裂東匈奴西匈奴南匈奴北匈奴鮮卑フン人柔然可汗 ウ.オアシス民の社会と経済 西域オアシス都市隊商交易タリム盆地/タクラマカン砂漠敦煌トゥルファン/高昌国クチャ/亀茲ホータン/于闐カシュガル/疏勒ソグディアナオアシスの道/シルクロード中央アジア 2節 北方民族の活動と中国の分裂 先頭へ ア.北方民族の動向 民族移動北方民族匈奴の分裂南匈奴羯鮮卑氐羌五胡 イ.北方の諸勢力 契丹キタイ耶律阿保機/太祖遼燕雲十六州 澶淵の盟:北宋から遼に/銀や絹 征服王朝二重統治体制契丹文字タングート李元昊西夏/大夏 慶暦の和約:宋から西夏に 西夏文字女真/女直ツングース系完顔阿骨打/太祖金耶律大石西遼/カラ=キタイ猛安・謀克女真文字燕京盧溝橋 13. 大航海時代と対外進出 ア.大航海時代 大航海時代遠洋航海術香辛料胡椒レコンキスタオスマン帝国エンリケセウタマディラ島アゾレス諸島ヴェルデ岬ジョアン2世インド航路の開拓 バルトロメウ=ディアス:喜望峰到達ヴァスコ=ダ=ガマコヴィリャンカリカットイブン=マージドリスボン イ.アメリカ大陸への到達 スペインイサベルコロンブスカラック船カラベル船トスカネリ西インド諸島サン=サルバドル島インディオインディアス植民地分界線教皇子午線アレクサンデル6世トルデシリャス条約ブラジルアマゾン川カボットカブラルアメリゴ=ヴェスプッチアメリカ大陸バルボアカルロス1世セビリャマゼラン/マガリャンイスマゼラン海峡太平洋フィリピンラプラプサラゴサ条約モルッカ諸島/香料諸島征服者/コンキスタドールコルテスアステカ王国の滅亡ピサロインカ帝国の滅亡クスコインカの反乱ラス=カサスインディアスの破壊についての簡潔な報告エスパニョーラ島ブラジル植民地黒人奴隷アシエント ウ.商業革命と価格革命 世界の一体化商業革命リスボンアントウェルペン/アントワープ資本主義的世界経済価格革命ポトシ銀山銀スペイン銀貨農場領主制/グーツヘルシャフト再版農奴制近代世界システムエンコミエンダ制分益小作制トウモロコシサツマイモジャガイモトマトアメリカ大陸原産の農作物 ア.アジア市場の攻防 ポルトガルのアジア進出ディウ沖の海戦香辛料貿易胡椒アルメイダアルブケルケゴアスリランカマラッカモルッカ諸島広州マカオ種子島平戸オマーンイスラーム世界での黒人奴隷貿易サイイド=サイードスペインフィリピンマニラアカプルコガレオン船/ガレオン貿易ネーデルラント連邦共和国オランダ東インド会社バタヴィアアンボイナ事件ケープ植民地台湾鎖国長崎インド(6)ヨーロッパ勢力の進出 イギリス東インド会社:拠点▶マドラス/ボンベイカルカッタ 英蘭戦争フランス東インド会社ポンディシェリシャンデルナゴルデュプレクス英仏植民地戦争/英仏百年戦争(第2次)カーナティック戦争プラッシーの戦いクライヴ イ.アメリカにおける植民地争奪 スペインの植民地支配アシエンダ制ハドソンオランダ西インド会社ニューネーデルラント植民地/ニューアムステルダムフランス(4)カルティエカナダシャンプランケベックルイジアナヴァージニアニューイングランド13植民地インディアンジャマイカウィリアム王戦争ライスワイク条約ハイチアン女王戦争 ユトレヒト条約▶イギリス領拡大/ニューファンドランド・アカディア・ハドソン湾地方をフランスから/ジブラルタル・ミノルカ島をスペインから ジェンキンズの耳戦争ジョージ王戦争フレンチ=インディアン戦争ジブラルタル パリ条約:カナダ、ミシシッピ以東のルイジアナ(fromフランス)、フロリダ(fromスペイン)獲得 フロリダ:スペインから買収 ウ.三角貿易 黒人奴隷/黒人奴隷貿易ギニア地方ベニン王国ダホメ王国サン=トメ島プランテーション三角貿易/大西洋貿易システム砂糖砂糖プランテーション綿花タバココーヒー中間航路アシエント第一帝国ブリストルリヴァプール 14. ルネサンス ア.ルネサンス ルネサンスイタリア(3)ネーデルラントヒューマニズム/人文主義フィレンツェメディチ家コジモ=デ=メディチプラトン=アカデミーロレンツォ=デ=メディチユリウス2世イタリア戦争サヴォナローラチェーザレ=ボルジアローマ教皇マキァヴェリ君主論ミラノ公 イ.文芸と美術 ダンテ神曲ペトラルカボッカチォデカメロンチョーサーカンタベリ物語ロイヒリンエラスムス愚神礼賛トマス=モアユートピアラブレーガルガンチュワとパンタグリュエル物語モンテーニュセルバンテスシェークスピアフレスコ画油絵技法フランドル派ファン=アイク兄弟ジョットマサッチョ遠近法ギベルティルネサンス様式ブルネレスキサンタ=マリア大聖堂ドナテルロブラマンテボッティチェリラファエロミケランジェロ最後の審判レオナルド=ダ=ヴィンチ最後の晩餐モナ=リザ万能人ブリューゲルデューラーホルバインサン=ピエトロ大聖堂レオ10世 ウ.科学と技術 地動説コペルニクスジョルダーノ=ブルーノ羅針盤遠洋航海術 火薬:宋代に実用化▶イスラーム世界▶ヨーロッパへ 火砲活版印刷術グーテンベルク製紙法の伝播 15. 宗教改革 ア.宗教改革の始まり 贖宥状/免罪符レオ10世サン=ピエトロ大聖堂ローマの牝牛ドイツ(3)宗教改革ヴィッテンベルクルター九十五ヶ条の論題福音信仰/福音主義信仰義認説キリスト者の自由ヴォルムス帝国議会ヴォルムス勅令カルロス1世/カール5世ザクセン選帝侯フリードリヒヴァルトブルク城 聖書のドイツ語訳 騎士戦争フッテンドイツ農民戦争ミュンツァーシュパイアー帝国議会領邦教会制宗教戦争メランヒトンプロテスタントカトリック教会シュマルカルデン同盟シュマルカルデン戦争アウクスブルクの和議ルター派 イ.カルヴァンと宗教改革の広がり ツヴィングリチューリヒカルヴァンジュネーヴキリスト教綱要神権政治予定説長老主義/長老制度カルヴァン派ユグノーゴイセン/ヘーゼン長老派/プレスビテリアンピューリタン万人祭司主義イギリス宗教改革ヘンリ8世首長法イギリス国教会修道院の解散エドワード6世一般祈祷書メアリ1世エリザベス1世統一法信仰箇条主教制再洗礼派 ウ.対抗宗教改革 対抗宗教改革/反宗教改革トリエント公会議パウルス3世宗教裁判所イエズス会イグナティウス=ロヨラフランシスコ=ザビエル魔女狩りグレゴリウス暦 16. 主権国家体制の形成 ア.主権国家と主権国家体制 主権国家/主権国家体制絶対王政/絶対主義社団/中間団体問屋制マニュファクチュア有産市民層/ブルジョワジー イ.イタリア戦争 イタリア(3)イタリア戦争フランス(3)シャルル8世神聖ローマ帝国神聖ローマ皇帝フランソワ1世カルロス1世/カール5世ローマの劫略カトー=カンブレジ条約軍事革命鉄砲傭兵 ウ.スペインの全盛期 ハプスブルク家マクシミリアン1世カルロス1世/カール5世オーストリアハプスブルク帝国スペイン=ハプスブルク家オーストリア=ハプスブルク家フェルディナント1世フェリペ2世レパントの海戦スペインのポルトガル併合太陽の沈まぬ国マドリード エ.オランダの独立とイギリスの海外進出 ネーデルラント ゴイセン/ヘーゼンオランダ独立戦争/八十年戦争ユトレヒト同盟オラニエ公ウィレムネーデルラント連邦共和国オランダ総督オランダ南ネーデルラント(南部10州)無敵艦隊アルマダ戦争スペインの衰退オランダ東インド会社オランダと日本東インド会社オランダ西インド会社アムステルダムスペインの衰退イギリス(4)テューダー朝ジェントリ治安判事エリザベス1世メアリ=ステュアートイギリス宗教改革イギリス議会政治毛織物/毛織物工業囲い込み/エンクロージャー(第1次)救貧法グレシャムドレーク私拿捕船/私掠船海賊ヴァージニアローリーイギリス東インド会社レヴァント会社 オ.フランスの宗教内乱と絶対王政 フランス(3)シャルル8世フランソワ1世コレージュ=ド=フランスユグノーユグノー戦争カトリーヌ=ド=メディシスサンバルテルミの虐殺ボーダンブルボン朝アンリ4世ナントの王令絶対王政/絶対主義ガリカニスムルイ13世リシュリュー三部会フランスルイ14世マザランフロンドの乱高等法院ピレネー条約 カ.17世紀の危機と三十年戦争 17世紀の危機 三十年戦争ベーメンの反乱フェルディナント2世デンマークヴァレンシュタインスウェーデングスタフ=アドルフ ウェストファリア条約▶①信教徒容認②神聖ローマ帝国解体(諸侯独立)③フランスがアルザス地方獲得④スウェーデンが西ポンメルン(北ドイツ)獲得⑤オランダとスイスの独立承認 アルザス領邦主権国家バルト帝国カタルーニャの反乱 キ.東方の新しい動き プロイセン公国ブランデンブルク選帝侯国ブランデンブルク=プロイセンホーエンツォレルン家ベルリンユンカープロイセン王国 イヴァン4世/雷帝ツァーリズムカザン=ハン国タタール人アストラハン=ハン国 イェルマークシベリアボリス=ゴドゥノフ ミハイル=ロマノフ:ロマノフ朝創始/初代皇帝(ツァーリ) 農奴制 17. 重商主義と啓蒙専制主義 ア.重商主義 17世紀の危機重商主義/重金主義/貿易差額主義/産業保護主義コルベールフランス東インド会社フランス西インド会社官僚制常備軍絶対王政/絶対主義社団/中間団体植民地 イ.イギリス革命 イギリス(5)ジェントリスコットランドステュアート朝ジェームズ1世火薬陰謀事件メアリ=ステュアート同君連合王権神授説フィルマーピューリタンチャールズ1世権利の請願コーク/クックコモン=ロースコットランドの反乱イギリス革命短期議会長期議会大抗議書イギリスの宗教各派ピューリタン革命議会派独立派長老派王党派クロムウェル鉄騎隊新型軍ネースビーの戦い共和政/コモンウェルス水平派ディガーズアイルランド征服スコットランド征服航海法イギリス=オランダ戦争/英蘭戦争ネーデルラント連邦共和国(オランダ)ニューヨーク市民革命市民/ブルジョワ/ブルジョワジージェントルマン ウ.イギリス議会政治の確立 護国卿王政復古チャールズ2世審査法非国教徒 人身保護法:絶対王政復活に対する議会の抵抗から トーリ党ホィッグ党名誉革命寛容法ジェームズ2世メアリ2世ウィレム3世/ウィリアム3世ネーデルラント連邦共和国権利の宣言権利の章典政党/政党政治立憲君主政内閣イギリス議会制度アン大ブリテン王国スコットランド併合責任内閣制ジョージ1世ハノーヴァー朝ウォルポールイギリス(6) エ.ルイ14世の時代 フランス(4)ルイ14世ボシュエヴェルサイユ宮殿南ネーデルラント継承戦争オランダ侵略戦争ファルツ戦争/アウクスブルク同盟戦争オランダの衰退ナントの王令の廃止スペイン継承戦争フェリペ5世ユトレヒト条約ラシュタット条約ニューフアンドランドアカディアハドソン湾地方ジブラルタルミノルカ島ルイ15世ポーランド継承戦争ロレーヌポンパドゥール オ.プロイセンとオーストリア プロイセン王国(3)フリードリヒ=ヴィルヘルム1世フリードリヒ2世 オーストリア継承戦争:プロイセン勝利▶アーヘンの和約=シュレジエン獲得 外交革命:オーストリアのマリア=テレジアが長年の敵フランスと同盟 七年戦争:シュレジエン奪回ならず/同時にフレンチ=インディアン戦争、プラッシーの戦い、カーナティック戦争 パリ条約:カナダ、ミシシッピ以東のルイジアナ(fromフランス)、フロリダ(fromスペイン)獲得 第二次百年戦争の意義:イギリスの植民地拡大→三角貿易→産業革命/アメリカ独立革命/フランス革命 ▶フランス革命▶自由・平等GET バイエルン フベルトゥスブルク条約 啓蒙専制主義/啓蒙専制君主ユンカーオーストリア(4)カール6世プラグマティッシェ=ザンクチオン神聖 ヨーゼフ2世宗教寛容令農奴解放令ベーメン(2)ハンガリー(3)南ネーデルラント カ.北方戦争とロシア ステンカ=ラージンの乱:彼はコサック(半農半牧で生活する人)の首領 ピョートル1世:西欧化政策(上からの改革)+大国化(南下政策)/ペテルブルク建設 ネルチンスク条約:清の康煕帝と/国境画定 ベーリング:ベーリング海峡発見+アラスカ獲得 北方戦争:カール12世(スウェーデン国王)と争う/ニスタットの和約 エカチェリーナ2世プガチョフの反乱ロシアの農奴制クリミア半島クリム=ハン国ラクスマン キ.ポーランドの分割 ポーランド(3)ヤゲウォ朝選挙王制シュラフタポーランド分割ロシア(4)プロイセン(3)オーストリア(4)コシューシコ 18. 産業革命 ア.世界最初の産業革命 産業革命イギリス(6)資本主義社会二重革命イングランド銀行国債メシュエン条約シティ囲い込み/エンクロージャー(第2次)農業革命ノーフォーク農法 イ.機械の発明と交通機関の改良 綿工業/木綿工業綿織物マンチェスターキャラコ論争ジョン=ケイ/飛び杼ハーグリーヴズ/ジェニー紡績機アークライト/水力紡績機クロンプトン/ミュール紡績機カートライト/力織機ホイットニー蒸気機関ニューコメンワットエネルギー革命(第1次)鉄鉱石/鉄工業石炭/石炭業ダービー父子ヘンリ=コート運河鉄道蒸気船サヴァンナ号トレヴィシックスティーヴンソンストックトン-ダーリントン間マンチェスター・リヴァプール鉄道フルトン世界の工場イギリスの産業革命産業革命の波及ベルギーの産業革命フランスの産業革命ドイツの産業革命アメリカの産業革命ロシアの産業革命日本の産業革命植民地 ウ.資本主義体制の確立と社会問題 資本主義/資本主義社会人口の都市集中マンチェスターバーミンガムリヴァプール労働問題労働組合団結禁止法機械うちこわし運動/ラダイト運動ピータールー事件工場法都市の変容 19. アメリカ独立革命 ア.北アメリカ植民地の形成 13植民地ピルグリム・ファーザーズメイフラワー号プリマスヴァージニアジョージアペンシルヴェニアクウェーカーマサチューセッツ植民地議会プランテーション黒人奴隷インディアンベーコンの反乱年季奉公人重商主義七年戦争フレンチ=インディアン戦争ジョージ3世国王の宣言砂糖法印紙法代表なくして課税なしパトリック=ヘンリータウンゼント諸法茶法ボストン茶会事件ボストン港封鎖強圧的諸条令茶の世界史 イ.アメリカ合衆国の独立 アメリカ独立戦争大陸会議レキシントンの戦いワシントントマス=ペイン/コモン=センスフィラデルフィアアメリカ独立宣言ジェファソンアメリカ連合規約アメリカ合衆国アメリカ合衆国国旗/星条旗フランスの参戦サラトガの戦いフランクリンラ=ファイエットコシューシコ武装中立同盟ヨークタウンの戦い連合会議パリ条約ルイジアナフロリダ ウ.合衆国憲法の制定 アメリカ合衆国の建国憲法制定会議連邦派/フェデラリスト反連邦派/アンチ=フェデラリストアメリカ合衆国憲法権利章典(アメリカ)三権分立アメリカ連邦議会アメリカ大統領アメリカ連邦政府アメリカ最高裁判所連邦主義人民主権アメリカの外交政策ハミルトンワシントン特別区アメリカ独立革命大西洋革命アメリカの黒人奴隷制 20. フランス革命(ルイ16世の統治への反発) ア.フランス革命の構造 フランス(5)アンシャン=レジーム/旧制度第一身分第二身分第三身分ブルジョワ啓蒙思想シェイエス第三身分とは何かフランス革命大西洋革命英仏通商条約(1786) イ.立憲君主政の成立 ルイ16世アメリカ独立戦争への参戦テュルゴーネッケル三部会開催国民議会/憲法制定議会球戯場の誓い/テニスコートの誓いバスティーユ牢獄襲撃三色旗大恐怖封建的特権の廃止十分の一税人権宣言ラ=ファイエットヴェルサイユ行進アッシニア聖職者基本法ミラボージャコバン=クラブル=シャプリエ法ヴァレンヌ逃亡事件マリ=アントワネットシャン=ド=マルスの虐殺ピルニッツ宣言1791年憲法立憲君主政オランプ=ド=グージュ女性の権利宣言 ウ.戦争と共和制 立法議会フイヤン派ジロンド派/ジロンド派内閣マノン=ロランブリッソコンドルセ対オーストリア開戦/フランス革命戦争オーストリアプロイセンラ=マルセイエーズ8月10日事件サンキュロットテュイルリー宮殿国民公会普通選挙/男性普通選挙ヴァルミーの戦い王政廃止第一共和政ジャコバン派マラーロベスピエールダントン山岳派/モンターニュ派ルイ16世処刑ピット対仏大同盟(第1回)ヴァンデーの反乱ジロンド派の追放ジャコバン派独裁公安委員会1793年憲法/ジャコバン憲法封建地代の無償廃止亡命貴族/エミグレ最高価格令徴兵制国民軍の形成革命暦メートル法理性の崇拝保安委員会革命裁判所恐怖政治ギロチンエベール最高存在の祭典テルミドールのクーデタ 21. ナポレオン エ.皇帝ナポレオンの誕生 総裁政府1795年憲法バブーフナポレオンコルシカ島イタリア遠征カンポ=フォルミオの和約ナポレオン戦争エジプト遠征対仏大同盟(第2回)ブリュメール18日のクーデタ統領政府/執政政府第一統領宗教協約/コンコルダートアミアンの和約フランス銀行ナポレオン法典/フランス民法典ナポレオン1世第一帝政 オ.ナポレオンの大陸支配 ピット第3回対仏大同盟トラファルガーの海戦ネルソンアウステルリッツの戦いフランツ2世ライン同盟神聖ローマ帝国の消滅オーストリア帝国イエナの戦いバタヴィア共和国オランダ(フランスによる支配)イタリア(フランスによる支配)大陸封鎖令/ベルリン勅令ティルジット条約ワルシャワ大公国ポルトガル征服スペインスペインの反乱/スペイン独立戦争ゴヤプロイセンプロイセン国制改革シュタインハルデンベルク農民解放(プロイセン)フィヒテ/ドイツ国民に告ぐドイツロシア遠征/モスクワ遠征第3回対仏大同盟ライプツィヒの戦い/諸国民戦争エルバ島ルイ18世百日天下ワーテルローの戦いウェリントンセントヘレナ島 22. ウィーン体制(革命前に戻そう)by露独墺 ア.ウィーン会議 ウィーン会議:メッテルニヒ(オーストリア外相(がいしょう)) 正統主義:タレーラン提唱 ウィーン体制 ウィーン議定書:イギリスのスリランカやケープ植民地獲得/ポーランド立憲王国成立(※ロシア皇帝の支配[兼任])/プロイセンのラインラント獲得/オランダ立憲王国成立/スイスの永世中立国化 ドイツ連邦パックス=ブリタニカ/神聖同盟提唱・四国同盟(のち五国同盟[フランス追加])結成byアレクサンドル1世 イ.ウィーン会議の動揺と七月革命 ウィーン体制の動揺自由主義ナショナリズム/民族主義国民国家ブルシェンシャフトカールスバートの決議カルボナリスペイン立憲革命デカブリストの乱 フランス復古王政(シャルル10世) ルイ18世 アルジェリア出兵 七月革命➡七月王政byルイ=フィリップ➡二月革命➡ルイ=フィリップの亡命➡第二共和政(ルイ=ブラン) ベルギーの独立ベルギー中立化ポーランドの反乱ドイツの反乱イタリアの反乱 ウ.イギリスの自由主義的改革 自由主義的改革◀産業革命による労働者階級の成長+七月革命の影響 審査法の廃止(非国教徒の公職就任を可能に)▶カトリック教徒解放法 オコンネル奴隷貿易禁止奴隷制度廃止ウィルバーフォース腐敗選挙区 選挙法改正(第1回):産業資本化のみ▶労働者の不満▶チャーティスト運動(参政権要求) グレイ 人民憲章自由貿易主義 ピール 東インド会社の中国貿易独占権廃止/穀物法の廃止(by反穀物法同盟/コブデン、ブライト)/航海法廃止 ジェントルマン資本主義パーマーストン エ.ギリシアの独立と東方問題 ギリシア独立戦争/ギリシア愛護主義/ナヴァリノの海戦/ロンドン会議ギリシア王国ギリシア語論争東方問題南下政策エジプト=トルコ戦争ダーダネルス=ボスフォラス海峡黒海中立化 オ.社会主義思想の成立 空想的社会主義:ロバート=オーウェン(イギリス/工場経営者/労働者の待遇改善を訴える▶一般工場法)/サン=シモン(フランス)/フーリエ(フランス) ルイ=ブランプルードン 科学的社会主義(マルクス/エンゲルス) 共産党宣言 カ.1848年革命 選挙法改正運動(フランス) 改革宴会 ギゾー臨時政府ラマルティーヌ国立作業場四月普通選挙六月蜂起カヴェニャック第二共和政憲法 三月革命(ウィーン三月革命/ベルリン三月革命) フランクフルト国民議会(ドイツ統一目指す)オーストリア帝国ドイツ統一問題諸国民の春ベーメン民族運動パラツキースラヴ民族会議ハンガリー民族運動コシュートクロアティアミラノ蜂起ヴェネツィアロンバルディア ルイ=ナポレオンによるクーデター▶第二帝政(ナポレオン3世)→対外戦争(クリミア戦争○、メキシコ出兵×、普仏戦争×)→第二帝政終了▶第三共和政▶パリ・コミューン成立(労働者が権力を握る) 23. ヨーロッパの再編 ア.クリミア戦争 ヨーロッパの憲兵ニコライ1世南下政策クリミア戦争聖地管理権セヴァストーポリパリ講和会議/パリ条約ダーダネルス=ボスフォラス海峡黒海中立化モルダヴィアワラキア イ.ロシアの改革 ロシア(5)アレクサンドル2世農奴解放令ゼムストヴォツァーリズムミールポーランド(4)ポーランドの反乱(1863)ナロードニキ/ヴ=ナロードインテリゲンツィアアナーキズム/無政府主義 露土戦争(ロシア=トルコ戦争) パン=スラヴ主義サン=ステファノ条約 ウ.イギリスのヴィクトリア時代 ヴィクトリア朝ヴィクトリア女王ロンドン万国博覧会ロンドン第二帝国二大政党制保守党自由党ディズレーリグラッドストン選挙法改正(第2回)秘密投票法選挙法改正(第3回)教育法労働組合法アイルランド(4)アイルランド問題アイルランド併合大ブリテンおよびアイルランド連合王国ユニオン=ジャックジャガイモ飢饉移民青年アイルランド党フィニアンアイルランド国民党アイルランド土地法アイルランド自治法案 エ.フランス第二帝政と第三共和政 第二帝政ナポレオン3世パリ改造パリ万国博覧会英仏通商条約(1860)デパートフランスの鉄道クリミア戦争 メキシコ出兵インドシナ出兵アロー戦争レセップススエズ運河スペイン王位継承問題普仏戦争スダンの戦い国防政府/臨時政府ティエールパリ=コミューン第三共和政第三共和政憲法 オ.イタリアの統一 イタリア(5)イタリア統一/リソルジメント青年イタリアマッツィーニミラノ蜂起ヴェネツィア蜂起ローマ共和国カルロ=アルベルトサルデーニャ王国ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世カヴールプロンビエール密約イタリア統一戦争ヴィラフランカの和約ロンバルディアサヴォイアニース中部イタリア併合ガリバルディシチリア占領ナポリ王国イタリア王国トリノヴェネツィア併合ローマ教皇領占領ローマ(5)トリエステ南チロル未回収のイタリアヴァチカンローマ教皇 カ.ドイツの統一 ドイツ関税同盟ドイツの鉄道ドイツの産業革命プロイセン王国フランクフルト国民議会大ドイツ主義小ドイツ主義ユンカービスマルク鉄血政策デンマーク戦争シュレスヴィヒ・ホルシュタイン普墺戦争北ドイツ連邦スペイン王位継承問題エムス電報事件普仏戦争アルザス・ロレーヌ キ.ドイツ帝国の成立とビスマルク外交 ドイツ帝国ヴィルヘルム1世ドイツ帝国憲法連邦制ドイツ皇帝連邦参議院帝国議会文化闘争社会主義運動社会主義者鎮圧法ラサールベーベルビスマルクの社会政策保護貿易法(ドイツ)ビスマルク外交/ビスマルク体制三帝同盟 露土戦争▶サン=ステファノ条約(ロシア◎とオスマン帝国)▶①ルーマニア/セルビア/モンテネグロの独立②ブルガリア自治公国成立(オスマン帝国の支配のもと)▶公正なる仲介人ビスマルクによる調停▶ベルリン会議(1878)で修正▶ベルリン条約(ロシアへの圧力)▶ロシアの保護国の予定だったボスニア・ヘルツェゴヴィナはオーストリアが統治▶ロシアの三帝同盟離脱▶独墺同盟(再提携・密約)▶新三帝同盟(ビスマルクの働きかけ)▶三国同盟(独墺同盟+イタリア)▶ブルガリア問題▶オーストリアの新三帝同盟離脱▶再保障条約(ロシアとの密約) アウスグライヒオーストリア=ハンガリー帝国フランツ=ヨーゼフ1世 ※ロシアの中央アジア進出(三ハン国(ティムール滅亡後に成立/ブハラ=ハン国・ヒヴァ=ハン国・コーカンド=ハン国➡すべてロシアにより併合[保護国化])➡ジャディード(改革運動) ク.北ヨーロッパ諸国その他 スウェーデン(3)フィンランド(2)ノルウェー(2)デンマーク(2)スペイン(7)カルリスタ戦争プロヌンシアミエントスペイン九月革命カシケ ケ.国際的諸運動の進展 第1インターナショナル国際労働運動メーデーバクーニンナイティンゲール国際赤十字/赤十字条約デュナン国際オリンピック大会ザメンホフエスペラント女性解放運動ウルストンクラフト 24. アメリカ合衆国の発展 ア.ラテンアメリカの独立 ラテンアメリカの独立ハイチハイチの独立トゥサン=ルベルチュールパラグアイシモン=ボリバル大コロンビアエクアドルボリビアパナマ会議ベネズエラコロンビアサン=マルティンアルゼンチンチリペルートゥパク=アマルの反乱メキシコイダルゴブラジルの独立クリオーリョメスティーソインディオムラートカウディーリョ太平洋戦争(南米) イ.領土の拡大 ジェファソンリパブリカン党ルイジアナ買収アメリカ=イギリス戦争/米英戦争/1812年戦争モンローモンロー教書モンロー主義カニング孤立主義ジャクソンジャクソニアン=デモクラシースポイルズ=システムホイッグ党(アメリカ)アメリカの領土拡大フロリダ明白な天命/マニフェスト=デスティニーテキサスオレゴンアメリカ=メキシコ戦争/米墨戦争カリフォルニア西漸運動フロンティアゴールド=ラッシュインディアンインディアン強制移住法涙の旅路保留地/インディアン居留地 ウ.南北戦争 アメリカの南北対立北部南部綿花プランテーション自由貿易主義アメリカの黒人奴隷制保護関税政策連邦主義州権主義ミズーリ協定奴隷州自由州地下鉄道運動ハリエット=タブマン逃亡奴隷法カンザス・ネブラスカ法民主党共和党アンクル=トムの小屋/ストゥドレッド=スコット判決ジョン=ブラウンの蜂起南北戦争アメリカ合衆国リンカンアメリカ連合国ジェファソン=デヴィスリッチモンドホームステッド法奴隷解放宣言ゲティスバーグの戦いグラント エ.工業国アメリカの誕生 黒人奴隷制の廃止憲法修正第13条憲法修正第14条黒人投票権/憲法修正第15条南部諸州の復帰/再建シェアクロッパー黒人差別黒人取締法クー=クラックス=クラン/KKKジム=クロウ黒人分離政策アメリカの政党政治フロンティアの消滅ウーンデットニーの虐殺ロング=ドライブ大陸横断鉄道アメリカの産業革命移民(アメリカ)苦力/クーリー新移民中国人移民排斥法自由の女神像アメリカ労働総同盟/サミュエル=ゴンパース金ぴか時代マーク=トウェイン日本の開国アラスカ買収 25. 近代の中東・インド 26. 帝国主義と列強の展開 ◉帝国主義:第2次産業革命/石油電気/電力金融/資本恐慌/独占資本/カルテル(独)・トラスト(米)・コンツェルン(独・日)/ベルエポック ◉イギリス ディズレーリ[保](スエズ運河株買収/ロスチャイルド家/ウラービーの反乱)➡ソールズベリ[保](植民相ジョゼフ=チェンバレン:イギリス植民地会議/オーストラリア連邦/ニュージーランド自治領(ドミニオン)/南アフリカ戦争(ボーア戦争)勃発)➡アスキス[自](国民保険法byロイド=ジョージの改革/議会法(下院の優位確立)/アイルランド自治法成立・未実施) ※カナダ連邦(英国初の自治領) ※アイルランドでの民族運動:シン=フェイン党結成/イースター蜂起 ※社会主義運動:フェビアン協会(バーナード=ショー・ウェッブ夫妻/のちの労働党の母体)/独立労働党(ケア=ハーディ)/労働代表委員会/社会民主連盟/労働党 ◉フランス:第三共和政/フランス領インドシナ連邦/ブーランジェ事件/ドレフュス事件(⬅反ユダヤ主義/ゾラ擁護/シオニズム運動byヘルツル)/パナマ事件(レセップスがパナマ運河建設会社破産を国民に隠してもらうことを狙って賄賂を贈ったスキャンダル事件) ※フランスの労働問題:労働総同盟(サンディカリズム=労働者の直接行動を推進)/急進社会党/フランス社会党(ジャン=ジョレス)/政教分離法 ◉ドイツ:ヴィルヘルム2世(世界政策)/ドイツ社会民主党(ベルンシュタイン:修正主義)/第2インターナショナル ◉ロシア:ツァーリ/ツァーリズム/シベリア鉄道/ロシア社会民主労働党:ボリシェヴィキ(レーニン)vsメンシェヴィキ(マルトフ/プレハーノフ)/社会革命党(エスエル)/立憲民主党(カデット)/ニコライ2世/日露戦争➡第1次ロシア革命▶血の日曜日事件(byガポン/@ペテルブルク)➡戦艦ポチョムキンの反乱(ソヴィエト[評議会]結成/十月宣言(byニコライ2世⬅初代首相ウィッテの進言/国会[ドゥーマ]))➡モスクワ蜂起➡首相ストルイピンによる弾圧&農業改革(= ミールの解体 ロシアの近代化に際して新たな支持基盤をほしかったので、ミールの下で働いていた貧農を自作農にすれば彼らの支持が得られると考えた。しかし、結果的に失敗し、貧富の差は拡大し、国民の不満は爆発した ) ◉アメリカ:フロンティアの消滅/大財閥の出現(ロックフェラー・カーネギー・モーガン)/シャーマン反トラスト法/クレイトン反トラスト法(ウィルソンのとき)/人民党/アメリカ社会党 ①マッキンリー[共]:ハワイ併合(中国・日本からの移民によるサトウキビ生産増▶アメリカ人入植者増▶併合を主張▶ハワイ共和国成立)/米西戦争➡パリ条約=グアム・フィリピン・プエルトリコ併合/門戸開放宣言(ジョン=ヘイ/機会均等・領土保全) ②セオドア=ローズヴェルト[共]:革新主義(進歩主義)・棍棒外交・カリブ海政策➡パナマ運河建設 ③ウィルソン[民]:ハイチで軍政/新しい自由(トラストの禁止)/ドル外交/宣教師外交 ◉第2インターナショナルハーグ万国平和会議ハーグ陸戦条約常設仲裁裁判所開戦に関する条約(ハーグ条約) アフリカ分割 ◉フランス(アフリカ横断政策):チュニジアの保護国化➡サハラに南下➡スーダン➡ファショダ事件➡「アフリカの角」を3ヵ国で分割:エリトリア〔イタリア〕、ジブチ〔フランス〕、ソマリランド〔北部イギリス・南部イタリア〕➡マダガスカル ※モロッコ:第1次モロッコ事件(byヴィルヘルム2世)➡アルヘシラス会議➡第2次モロッコ事件➡フランスによる保護国化 ◉イギリス(アフリカ縦断政策[3C政策]):①スーダン(マフディーの反乱byムハンマド=アフマド)/②ローデシア[現ザンビア、ジンバブエ](byセシル=ローズ:ケープ植民地首相)/③ケープ植民地支配(もともとブール人[ケープ植民地に入植したオランダ系白人]の植民地)➡グレート=トレック(ブール人による北方大移動)➡ナタール・トランスヴァール共和国・オレンジ自由国建国➡ 南アフリカ戦争[ブール戦争] トランスヴァール共和国にダイヤモンド鉱山が発見されたことがきっかけ ➡南アフリカ連邦成立) ◉イタリア:リビア(元はトリポリ・キレナイカ➡イタリア=トルコ戦争➡ローザンヌ条約➡植民地化・改名) ◉ドイツ:タンザニア(マジマジの蜂起➡綿花強制栽培に対する反乱) ◉ベルギー:ベルギー王レオポルド2世の指示でスタンリー(イギリス生まれのアメリカ人探検家/宣教師リヴィングストン救出/コンゴ探検成功)派遣➡植民地化の準備(インフラ整備)➡ベルリン会議(列強国による調停)➡アフリカ分割のルール決定(=先占権の確認=早い者勝ち)&コンゴ自由国承認 ◉独立国:①エチオピア(アドワの戦い➡イタリアに勝利)/②リベリア(アメリカの解放奴隷による独立国) ◉太平洋地域の分割 太平洋オーストラリアアボリジニー流刑植民地白豪主義ニュージーランドマオリ人スペインフィリピン領有グァムハワイ/ハワイ王国リリウオカラニハワイ併合ニューギニア ◉ラテンアメリカ諸国の従属と抵抗 シモン=ボリバルパン=アメリカ会議キューバスペインメイン号事件米西戦争/アメリカ=スペイン戦争キューバの独立プラット条項グアンタナモ基地パナマパナマ運河メキシコメキシコ革命レフォルマ戦争 メキシコ出兵(ナポレオン3世による介入)➡マクシミリアン(オーストリア皇帝の弟)皇帝擁立➡フアレスらの抵抗➡独立➡ディアスの独裁➡メキシコ革命(マデロ[自由主義者]・サパタ[農民指導者]+ピリャ/民主的憲法制定)➡カランサ➡カルデナス(ポピュリズム型の政治) ◉列強の二極分化とバルカン危機:露仏同盟3B政策建艦競争光栄ある孤立日英同盟英仏協商英露協商三国協商三国同盟バルカン問題オーストリア=ハンガリー帝国ボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合ロシアセルビアブルガリアパン=スラヴ主義バルカン同盟オスマン帝国第1次バルカン戦争アルバニア第2次バルカン戦争パン=ゲルマン主義 27. アジアの民族運動 ◉清朝の動揺とヨーロッパの進出:清の動揺白蓮教徒の乱団練天理教徒の乱ロシアの東アジア進出ネルチンスク条約キャフタ条約ラクスマン マカートニーアマースト三跪九叩頭ネイピア 三角貿易(中国の銀の流出/アヘン/東インド会社の中国貿易独占権廃止)ジャーディン=マセソン商会 アヘン戦争(⬅林則徐によるアヘン没収)➡不平等条約=南京条約(香港島割譲/上海[外国人居留区=租界設置]など五港開港/公行廃止)・五港通商章程・虎門寨追加条約(領事裁判権[治外法権]認可・関税自主権放棄・最恵国待遇)・望厦条約・黄埔条約➡太平天国の乱(by洪秀全[客家]・拝上帝会/滅満興漢)➡太平天国建国(天京)➡天朝田畝制度/辮髪と纏足の禁止/捻軍ミャオ族郷勇(湘軍(曾国藩)・淮軍(李鴻章)・楚軍(左宗棠))+常勝軍(ゴードン)➡洋務運動(中体西用/総理各国事務衙門設置※同治の中興(同治帝/実権は西太后))/アロー戦争:アロー号事件(イギリス船籍を主張する船の乗組員が逮捕)➡英仏vs清➡天津条約➡円明園焼討➡北京条約(九竜半島南部を英に) 日清戦争➡下関条約(朝鮮の独立/遼東半島・台湾・澎湖諸島を失う)➡日清通商航海条約➡三国干渉・露清密約(東清鉄道)・中国分割(租借地➡膠州湾[独]/旅順・大連[露]/威海衛[英]/広州湾[仏]➡門戸開放宣言)➡変法運動(by康有為・梁啓超・光緒帝➡戊戌の政変by西太后)/仇教運動(反キリスト教運動)➡義和団事件(北清事変)➡北京議定書(辛丑和約)➡中国分割➡日英同盟(∵露の脅威)➡日露戦争➡第1次ロシア革命➡セオドア=ローズヴェルトによる調停➡ポーツマス条約(関東州/南満州鉄道)※利権回収運動進む 桂=タフト協定 日露協約 英露協商 日仏協約 日本人移民排斥運動 光緒新政(科挙の廃止/憲法大綱発表/新軍編成)➡辛亥革命(第一革命):by孫文⬅華僑/鉄道国有化政策(※四国借款団)➡四川暴動➡武昌蜂起➡中華民国成立(臨時大総統孫文)➡清の滅亡(宣統帝退位)by袁世凱=臨時大総統に➡臨時約法➡国民党圧勝(宋教仁⬅暗殺)➡第二革命(中華革命党結成)➡袁世凱独裁体制(大総統➡皇帝)➡第三革命➡北洋軍閥の反発➡軍閥割拠(安徽派➡直隷派➡奉天派)➡広東軍政府by孫文 ※アイグン条約(byムラヴィヨフ[露])➡北京条約(沿海州獲得➡ウラジヴォストーク港建設)➡イリ条約(⬅イリ事件) ※モンゴル:外モンゴル&チベット独立➡内モンゴルは中華民国に編入➡外モンゴルはモンゴル人民共和国に ※興中会(孫文@ハワイ)・華興会(黄興)・光復会(章炳麟)➡中国同盟会(孫文➡三民主義・四大綱領/機関紙『民報』)➡国民党➡中華革命党➡中国国民党 ◉明治維新:日本の開国(日米和親条約/日露和親条約/プチャーチン/日米修好通商条約)➡日清修好条規/琉球帰属問題/台湾出兵/樺太・千島交換条約/マリア=ルース号事件 ◉東アジア国際秩序の再編:朝鮮王朝の危機丁若鏞洪景来の乱シャーマン号事件大院君朝鮮の開国江華島事件日朝修好条規/江華条約開化派/独立党金玉均朴泳孝事大党閔妃壬午軍乱甲申政変天津条約(1885,日清間)帝国主義下の朝鮮日清戦争北洋艦隊北洋軍甲午農民戦争/東学の乱全琫準東学崔済愚日本の産業革命 ◉日本の韓国併合:帝国主義下の朝鮮/閔妃暗殺事件大韓帝国高宗第1次日韓協約第2次日韓協約/韓国の保護国化韓国統監府第3次日韓協約義兵闘争衛正斥邪ハーグ密使事件安重根/伊藤博文暗殺事件韓国併合韓国併合条約日本の朝鮮植民地支配総督府/朝鮮総督府武断政治 ◉インドでの民族運動の形成:インドインド帝国イギリスのインド植民地支配/インドの民族運動(19世紀後半)インドの鉄道ヒンドゥー教改革運動/ヒンドゥー復古主義ラーム=モーハン=ローイサティダヤーナンダ=サラスヴァティーラーマクリシュナバネルジー全インド国民協議会インド国民会議ナオロジー国民会議派(ヒンドゥー教徒)インドのイスラーム教徒カーゾン ベンガル分割令(分割統治)➡反英運動➡全インド=ムスリム連盟➡カルカッタ大会四綱領(英貨排斥・スワデーシ・スワラージ・民族教育)by国民会議派(ティラク) ◉東南アジアでの民族運動の形成と挫折:インドネシアの民族運動カルティニサミンの民ブディ=ウトモサレカット=イスラーム/イスラーム同盟 フィリピン独立運動:byホセ=リサール(フィリピン民族同盟を組織) カティプーナン:ホセ=リサールの同志/フィリピン革命を主導 アギナルド:米西戦争参加&フィリピン共和国樹立➡フィリピン独立法(10年後の独立が認められる)➡フィリピン独立準備政府発足➡戦後、完全独立➡マルコス独裁➡新人民軍[共]・モロ民族解放戦線[イスラム]➡ベニグノ=アキノ[野党]暗殺事件➡ピープルパワー革命=マルコス独裁終了➡コラソン=アキノ大統領 フィリピン=アメリカ戦争 ベトナムの民族運動ファン=ボイ=チャウドンズー運動/東遊運動日仏協約東京義塾ベトナム光復会 ◉西アジアの民族運動と立憲運動:オスマン帝国(6)青年トルコ/統一と進歩委員会オスマン主義改革勅令青年トルコ革命エンヴェル=パシャパン=トルコ主義 28. 第一次世界大戦 ◉勃発:サライェヴォ事件:オーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者夫妻が暗殺/フランツ=フェルディナント/ボスニア/セルビア/連合国(協商国)vs同盟国/ヴィルヘルム2世/モンテネグロ/日本の参戦/オスマン帝国の参戦/ブルガリア/ルーマニア/ギリシア/イタリアの参戦/シュリーフェン計画/ベルギー/マルヌの戦い(@西部戦線)/タンネンベルクの戦い(@東部戦線)/ガリポリの戦い/ヴェルダン/ソンムの戦い/航空機(飛行機)/毒ガス/戦車/潜水艦/ルシタニア号事件/無制限潜水艦作戦/アメリカ合衆国の参戦 ◉戦時外交と総力戦:ロンドン秘密条約➡イタリア参戦(フィウメ獲得を約束してもらう)/サイクス・ピコ協定➡フセイン・マクマホン協定➡バルフォア宣言/ロレンスハーシム家ヒジャーズ王国 戦後自治の約束(インド)ドイツ社会民主党キール軍港の水兵反乱ドイツ革命労兵評議会/レーテスパルタクス団ドイツ共産党ローザ=ルクセンブルクリープクネヒトドイツ共和国 ◉ロシア革命とソヴィエト政権:ラスプーチン(怪僧)暗殺/第2次ロシア革命:二月革命/社会民主労働党(ボリシェヴィキ[多数派]vsメンシェヴィキ[少数派])・社会革命党(エスエル)・立憲民主党(カデット)/二重権力(臨時政府とソヴィエト)/レーニンの帰国(スイスから)➡四月テーゼ「すべての権力をソヴィエトへ」/七月暴動(ケレンスキーへの反発)➡失敗➡ケレンスキーによる戦争継続/十月革命(トロツキーの指導)➡ソヴィエト政権(ソヴィエト=ロシア/ロシア=ソヴィエト連邦社会主義共和国)樹立➡憲法制定議会➡全ロシア=ソヴィエト会議(レーニンによる議会閉鎖)➡ボリシェヴィキ独裁(プロレタリア独裁)➡平和についての布告(民族自決など)・土地についての布告➡フィンランド・バルト三国・ポーランドの独立➡ブレスト=リトフスク条約(ドイツと)/反革命軍(白軍)による抵抗➡対ソ干渉戦争(⬅チェコ兵捕虜(チェコスロヴァキア軍団)の反乱/シベリア出兵/ソヴィエト=ポーランド戦争byピウスツキ)・バスマチ運動(@トルキスタン)➡戦時共産主義(赤軍の組織・チェカ[非常委員会]による取締・コミンテルン(第三インターナショナル)創設(byレーニン)➡ハンガリー革命(byクン=ベラ)⬅ホルティによる鎮圧)➡クロンシュタット反乱➡新経済政策[ネップ](byレーニン/英ソ通商協定)➡ソヴィエト社会主義共和国連邦成立(ロシア・ウクライナ・ベラルーシ[白ロシア]・ザカフカース)➡ソヴィエト社会主義憲法制定・世界各国のソ連の承認(ラパロ条約[to独]・日ソ基本条約) ※全ロシア=ムスリム大会:ロシア内のイスラーム系諸民族の全体会議➡連邦主義 ※中央アジアの分離:タタール自治共和国樹立(byスルタンガリエフ:はじめボリシェヴィキに協力➡のちにスターリンと対立➡逮捕・処刑)/カザフ自治共和国/ウズベク=ソヴィエト社会主義共和国(タシケント)/キルギス=ソヴィエト社会主義共和国/タジク=ソヴィエト社会主義共和国 ※首都:ペテルブルク➡ペトログラード➡モスクワ➡サンクト・ペテルブルク ※共産党:ボリシェビキ➡ロシア共産党➡ソ連共産党➡ロシア共産党 29. ヴェルサイユ体制 ◉ヴェルサイユ体制とワシントン体制:パリ講和会議/ウィルソン/アメリカの外交政策/十四カ条(民族自決など)/ロイド=ジョージ/クレマンソー/ヴェルサイユ条約/アルザス・ロレーヌ/ザール/ポーランド回廊/ドイツの軍備制限/ラインラント/サン=ジェルマン条約(オーストリア)➡フィウメがセルブ=クロアート=スロヴェーン王国へ(ロンドン秘密条約に基づいてイタリアが割譲を要求したが、ウィルソンが拒否∵秘密外交の禁止)➡ダヌンツィオによる選挙➡ムッソリーニが併合(その後ユーゴスラビア連邦へ返還➡解体して今はクロアチア共和国の領土)/ヌイイ条約(ブルガリア)/トリアノン条約(ハンガリー)/セーヴル条約(オスマン帝国)/委任統治/オスマン帝国領の分割案/国際連盟/アメリカの国際連盟不参加/国際労働機関/常設国際司法裁判所/ヴェルサイユ体制/ダンツィヒ(海港都市/ドイツ帝国領だったが国際連盟の管理する自由市に=事実上ポーランドが支配)/ワシントン会議/ハーディング/ワシントン海軍軍備制限条約/九カ国条約/四カ国条約/日英同盟の破棄 ◉国際協調と軍縮の進展:ギリシア/イズミル(スミルナ)/ギリシア=トルコ戦争/ローザンヌ条約 ドイツ賠償問題/ジェノヴァ会議/ルール占領(⬅ドイツの賠償金支払いの不履行)/ロカルノ条約➡ドイツの国際連盟加盟/ジュネーヴ海軍軍縮会議/不戦条約/パリ不戦条約/ブリアン=ケロッグ協定/ブリアン/ケロッグ/ロンドン軍縮会議 ◉西欧諸国の停滞 ロイド=ジョージ/挙国一致内閣/選挙法改正(第4回)/女性参政権/男女平等参政権/イギリスの女性参政権/選挙法改正(第5回)/マクドナルド労働党内閣/アイルランド自由国/北アイルランド/アルスター地方/デ=ヴァレラ/イギリス帝国会議/ウェストミンスター憲章/イギリス連邦(英領コモンウェルス)/エール(アイレ)/ポワンカレ/ドイツ社会民主党/キール軍港の水兵反乱/ドイツ革命/労兵評議会(レーテ)/スパルタクス団/ドイツ共産党/ローザ=ルクセンブルク/リープクネヒト/ドイツ共和国/ヴァイマル憲法/ヴァイマル共和国/エーベルト/インフレーション/レンテンマルクbyシュトレーゼマン/賠償問題/ドーズ案/ヤング案/ローザンヌ会議/ヒンデンブルク/ヒトラー エ.東欧・バルカン諸国の動揺とイタリアのファシズム ユーゴスラヴィア王国/小協商/チェコスロヴァキア共和国/マサリク/ルーマニア/ブルガリア/ファシスト党(ムッソリーニ)/イタリア社会党/北イタリアのストライキ/ローマ進軍/ファシズム/アルバニア併合/ ラテラノ条約:ヴァチカン市国独立/スペイン/プリモ=デ=リベラ ◉ソ連の社会主義建設:レーニンの死➡一国社会主義論(スターリン)vs世界革命論(トロツキー)/五カ年計画(第1次・ソ連)/コルホーズ・ソフホーズ ◉アメリカ合衆国の繁栄:戦間期アメリカの女性参政権/ジャネット=ランキン/共和党/ハーディング/クーリッジ/フーヴァー/自動車/フォード/大量生産・大量消費/現代大衆文化/ラジオ/ワスプ(WASP)/禁酒法/サッコ=ヴァンゼッティ事件移民法 30. アジア・アフリカの民族主義 ア.第一次世界大戦と東アジア 民族資本(中国)文学革命陳独秀新青年胡適白話文学魯迅李大釗北京大学大正デモクラシー政党内閣(日本)関東大震災普通選挙法(日本)治安維持法 イ.日本の動きと民族運動 日本の第一次世界大戦への参戦南洋諸島青島二十一カ条の要求山東問題石井・ランシング協定段祺瑞シベリア出兵ニコライエフスク事件米騒動民族自決三・一独立運動文化政治大韓民国臨時政府五・四運動北京大学ヴェルサイユ条約調印拒否領土保全霧社事件 ウ.国民党と共産党 中華民国孫文(1)中国国民党カラハン宣言コミンテルン中国共産党ヨッフェ/孫文=ヨッフェ共同宣言第1次国共合作中国国民党一全大会孫文(2)国民党の改組連ソ・容共・扶助工農/新三民主義五・三〇運動国民政府(中国)広州国民政府/広東国民政府蔣介石黄埔軍官学校国民革命軍北伐国民革命武漢政府南京事件上海クーデタ国共分裂南京国民政府東三省張作霖関東軍山東出兵済南事件張作霖爆殺事件/満州某重大事件張学良浙江財閥買弁国民政府の中国統一関税自主権の回復(中国)毛沢東紅軍井崗山瑞金 / 中華ソヴィエト共和国 エ.インドでの民族運動の展開 インドの反英闘争(20世紀)インド防衛法インドの戦後自治約束インド統治法ローラット法アムリットサール事件非暴力・不服従運動(第1次)非協力運動ガンディーハルタールヒンドゥ=スワラージ非暴力・不服従サティヤーグラハヒラーファト運動コミュナリズムインド共産党憲政改革調査委員会/サイモン委員会ネルーラホールプールナ=スワラージ第2次非暴力・不服従運動塩の行進英印円卓会議ハリジャン新インド統治法/改正インド統治法 パキスタン決議(ムスリム国家の独立宣言byジンナー:全インド=ムスリム連盟)➡カシミール帰属問題➡パキスタン=イスラム共和国独立➡インド=パキスタン戦争➡バングラディシュ人民共和国独立➡パキスタンの核実験 オ.東南アジアでの民族運動の展開 インドシナ共産党 タイ立憲革命 ピブン➡サリットによる開発独裁 カ.トルコ革命とイスラーム諸国の動向 トルコ革命ムスタファ=ケマル/ケマル=アタテュルク オスマン帝国(7)滅亡ギリシア=トルコ戦争/侵入ギリシア軍との戦いトルコ大国民議会スルタン制廃止ローザンヌ条約トルコ共和国(1)トルコ共和国(2)世俗主義改革カリフ制廃止エジプト(20世紀)エジプト王国ワフド党ムスリム同胞団エジプト=イギリス同盟条約第3次アフガン戦争アフガニスタン独立 イラン ロレンスイブン=サウードヒジャーズ=ネジド王国サウジアラビア王国アラブ諸国の独立ハーシム家イラク/イラク王国トランスヨルダン/ヨルダンレバノンシリアパレスチナシオニズム キ.アフリカの民族主義 モロッコリーフ戦争リーフ共和国アフリカ民族会議/ANCパン=アフリカ会議パン=アフリカニズムデュボイス 31. 世界恐慌とファシズム ◉世界恐慌とその影響:世界恐慌/ウォール街/暗黒の木曜日/フーヴァースムート=ホーリー法/フーヴァー=モラトリアム ◉ニューディールとブロック経済:ニューディール政策(フランクリン=ローズヴェルト)/農業調整法(AAA)/全国産業復興法(NIRA)/テネシー川流域開発公社(TVA)/グラス=スティーガル法/アメリカの金本位制停止/ロンドン世界通貨経済会議/ワグナー法/産業別労働者組織委員会/産業別組織会議(CIO)/社会保障法(アメリカ)/ケインズ/アメリカのソ連の承認/善隣外交➡プラット条項(キューバへの干渉権)撤廃/中立法 ◉イギリス:マクドナルド挙国一致内閣/イギリスの金本位制停止/保護関税法/オタワ連邦会議/スターリング=ブロックブロック経済 ◉フランス:フラン=ブロック/仏ソ相互援助条約/アムステルダム国際反戦大会/反ファシズム人民戦線(社会党・共産党など)byブルム(社会党党首) ◉満州事変・日中戦争と中国の抵抗:満州事変(by関東軍)⬅柳条湖事件/南満州鉄道爆破事件第1次上海事変満州国溥儀熱河作戦塘沽停戦協定リットン調査団日本の国際連盟脱退華北分離工作冀東防共自治政府十二・九学生運動国共内戦長征毛沢東遵義会議延安通貨統一/幣制改革/法幣コミンテルン第7回大会➡八・一宣言by中国共産党➡抗日民族統一戦線蔣介石張学良西安事件日中戦争二・二六事件盧溝橋事件第2次上海事変支那事変第2次国共合作八路軍南京虐殺事件重慶/重慶爆撃張鼓峰事件ノモンハン事件日米通商航海条約の破棄東亜新秩序中ソ不可侵条約汪兆銘援蔣ルート ◉ナチス=ドイツとヴェルサイユ体制の破壊:ドイツ共和国/ヒトラー/国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)/ミュンヘン一揆/『我が闘争』/ユダヤ人排斥/1932年選挙/国会議事堂放火事件(共産党弾圧の口実)➡全権委任法/ナチス=ドイツ/第三帝国/ヴァイマル憲法の消滅/総統(フューラー)国家/ゲーリング/ゲッベルス/ヘス/突撃隊(SA)/親衛隊(SS)/ゲシュタポ/ヒトラー=ユーゲント/ニュルンベルク法/水晶の夜/ロマ(ジプシー)/強制収容所/アウトバーン/ドイツの国際連盟脱退/ジュネーヴ軍縮会議/侵略の定義に関する条約/ザール編入/ドイツの再軍備(徴兵制復活)/ストレーザ戦線/英独海軍協定/仏ソ相互援助条約/ラインラント進駐/四カ年計画/ワールドカップ/ベルリン=オリンピック/ナチスに対する抵抗運動/キンダートランスポート ◉ソ連の五カ年計画とスターリン体制:スターリン体制/粛清/第2次五カ年計画/スターリン憲法/ソ連の国際連盟加盟 コミンテルン第7回大会➡ディミトロフが人民戦線結成を提起 ◉ファシズム諸国の攻勢と枢軸の形成:エチオピア侵攻(併合)byムッソリーニ/ベルリン=ローマ枢軸/スペイン革命➡共和国成立➡ファシスト登場➡スペイン内戦(ゲルニカ)➡スペイン人民戦線(⬅国際義勇軍)➡フランコによる独裁//二・二六事件/日独防共協定➡三国防共協定/ギリシアのファシズム 32. 第二次世界大戦 ◉ナチス=ドイツの侵略と開戦:オーストリア併合・ズデーテン地方/宥和政策byネヴィル=チェンバレン[英]/ミュンヘン会談/チェコスロヴァキア解体/ベーメン(ボヘミア)/メーレン(モラヴィア)/スロヴァキア/メーメル地方/ダンツィヒ(ポーランド回廊)/イタリアの参戦/アルバニア併合/独ソ不可侵条約/ドイツ軍のポーランド侵攻/ソ連軍のポーランド侵攻/奇妙な戦争 ◉ヨーロッパの戦争:ソ連=フィンランド戦争/ソ連のバルト三国併合/カチンの森事件/ベッサラビア(ルーマニアが併合)/デンマーク・ノルウェー侵攻/オランダ・ベルギー侵攻/ダンケルク/フランスの降伏➡ヴィシー政府byペタン ⬅レジスタンス(抵抗運動)+自由フランス政府成立byド=ゴール/チャーチル/武器貸与法/バルカン侵攻/パルチザン/日ソ中立条約 ◉独ソ戦と太平洋戦争 独ソ戦/英ソ軍事同盟/フランクリン=ローズヴェルト/大西洋憲章/コミンテルンの解散/ユダヤ人の大量殺害・ホロコースト強制収容所・アウシュヴィッツ/日本と第二次世界大戦/フランス領インドシナ進駐/日独伊三国同盟・日ソ中立条約➡スターリングラードの戦い/ABCDライン/日米交渉/近衛文麿内閣/東条英機内閣/真珠湾攻撃➡アメリカの参戦/マレー半島占領/香港占領/フィリピン占領/マニラ入城/シンガポール占領/インドネシア侵攻/ビルマ侵攻/大東亜共栄圏/皇民化政策(創氏改名/朝鮮人の強制連行/朝鮮・台湾での徴兵制)/軍政/泰緬鉄道/抗日武装闘争/大東亜会議/日華基本条約/日華新協定/不平等条約の撤廃(中国)/北ベトナム大量餓死事件 ◉ファシズム諸国の敗北:枢軸国/連合国/ガダルカナル撤退/マンハッタン計画/イタリアの降伏byバドリオ内閣/連合国の戦後処理構想/チャーチル/アルカディア会談/連合国共同宣言/カサブランカ会談/カイロ会談[対日](カイロ宣言)/蔣介石:新生活運動(大衆動員)を展開/テヘラン会談[対独]/ワルシャワ蜂起/パーセンテージ協定/ポーランド問題/ノルマンディー上陸作戦/ドイツ本土空爆(ドレスデン空襲)/ヒトラー暗殺計画/サイパン陥落/ヤルタ会談(ヤルタ協定・ヤルタ体制)/ヒトラー自殺➡ドイツの無条件降伏/沖縄戦/東京大空襲/ポツダム会談(トルーマン)➡ポツダム宣言/原子爆弾/マンハッタン計画/広島・長崎/ソ連の対日参戦/中ソ友好同盟条約/日本の無条件降伏 33. 冷戦構造(と日欧の復興) ◉戦後の国際政治・経済秩序:大西洋憲章/モスクワ宣言/ダンバートン=オークス会議/サンフランシスコ会議/国際連合憲章/国際連合(国際連合総会/安全保障理事会/経済社会理事会/信託統治理事会/国際司法裁判所/ユネスコ/国際労働機関/世界保健機関)/集団安全保障/集団的自衛権/常任理事国(拒否権)/国連軍/国連事務総長/フィラデルフィア宣言/ユニセフ/国際連合の加盟国/世界人権宣言・国際人権規約/ジェノサイド条約/ブレトン=ウッズ会議(ブレトン=ウッズ体制)/国際通貨基金(IMF)/国際復興開発銀行(IBRD)/関税と貿易に関する一般協定(GATT:自由貿易推進/のちの世界貿易機関)/固定為替相場制/ポツダム協定/ドイツ4カ国分割占領・ベルリン分割管理/国際軍事裁判所・ニュルンベルク裁判/ナチス裁判/オーストリア4カ国共同管理/オーストリア国家条約➡永世中立/パリ講和条約/イタリア講和条約/日本の民主化:連合国軍最高司令官総司令部(GHQ:マッカーサー)/日本国憲法/極東国際軍事裁判所/昭和天皇 ◉ヨーロッパの東・西分断:イギリスの労働党内閣byアトリー/重要産業国有化/イギリスの社会保障制度/ベヴァリッジ報告/アイルランド共和国/フランス第四共和政byド=ゴール/フランス共産党/社会党/人民共和派/イタリア王政廃止/キリスト教民主党/イタリア共産党/東ヨーロッパ社会主義圏/人民民主主義/統一労働者党(ポーランド)/オーデル=ナイセ線/コミンフォルムのユーゴスラヴィア除名(自主管理社会主義byティトー)/チャーチル:鉄のカーテン演説/トルーマン=ドクトリン(封じ込め政策を採用)➡マーシャル=プラン:封じ込め政策の一環⬅コミンフォルム(共産党情報局)・経済相互援助会議(コメコン)/ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)/スターリン体制/ベネシュ/チェコスロヴァキアのクーデタ➡西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約・英仏ベネルクス)➡北大西洋条約機構(NATO)/ヴァンデンバーグ決議/ベルリン問題/ベルリン封鎖/通貨改革/ドイツの東西分断/西ドイツ基本法(ボン基本法)/ドイツ連邦共和国成立➡アデナウアー(キリスト教民主同盟(CDU)結成⬅キリスト教社会同盟(CSU)と姉妹関係)による経済復興/パリ協定(1954)➡西ドイツ再軍備+NATO加盟⬅ワルシャワ条約機構結成により反発/ドイツ民主共和国(東ドイツ社会主義統一党(SED)が権力独占➡ウルブリヒトの指導)➡ベルリン暴動(⬅スターリンの死) ◉朝鮮戦争と冷戦体制の成立:朝鮮の分断(北緯38度線/大韓民国(李承晩)と朝鮮民主主義人民共和国(金日成))➡平和のための結集ののち国連軍出動➡中国人民義勇軍派遣➡朝鮮休戦協定(板門店)/朝鮮特需➡日本の再軍備(警察予備隊➡自衛隊)/サンフランシスコ講和会議➡サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約➡対共産圏包囲網の形成/米比相互防衛条約(フィリピン)/相互安全保障法(MSA)/太平洋安全保障条約(ANZUS)/東南アジア条約機構(SEATO/バンコク)/バグダード条約機構(METO)➡イラク革命(王政から共和制に)➡イラクのMETO脱退➡中央条約機構(CENTO)➡イラン革命後に解体(イランとトルコが抜けて、イギリスとパキスタンしか残らなくなったから)/核兵器開発競争(ソ連・アメリカ・イギリスの核実験)/水素爆弾/第五福竜丸事件(アメリカの水爆実験により日本の漁船が被爆)/アイゼンハウアー/まき返し政策 ◉「雪どけ」と冷戦の再燃➡スターリンの死去/ジュネーヴ会議/ジュネーヴ4巨頭会談/ソ連共産党第20回大会(平和共存)➡スターリン批判/非スターリン化時代➡反ソ暴動(ポズナニ暴動)・ハンガリー反ソ暴動(byナジ=イムレ)/フルシチョフ(コミンフォルム解散)/ポーランド(ゴムウカ)/人工衛星(スプートニク)/大陸間弾道ミサイル(ICBM)/U2型機事件/ベルリンの壁/キューバ危機(➡ソ連の譲歩):核ミサイル基地建設+ケネディ政権による海上封鎖 ◉アメリカの繁栄と西欧・日本の復興:トルーマン/フェアディール/タフト・ハートレー法/マッカーシズム(赤狩り)/アイゼンハウアー=ドクトリン/軍産複合体/ケネディ/ヨーロッパの統合/シューマン=プラン ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)➡ローマ条約➡ヨーロッパ経済共同体(EEC)・ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)➡ヨーロッパ共同体EC/三極構造/アルジェリア問題/第五共和政憲法/フランスの核実験/フランスの中華人民共和国承認/フランスのNATO脱退/五月危機/奇跡の経済復興/西ドイツ=フランス友好条約/キージンガー/ドイツ社会民主党/ブラント:東方外交(東欧との関係改善)➡デタントへ/イギリスのEEC不参加➡ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)/イギリス病/ポンド切り下げ/日本の経済成長/55年体制/日ソ共同宣言/北方領土問題/日本の国連加盟/日米安保条約改定(安保闘争)/高度経済成長/日韓基本条約/学生運動/沖縄返還 ◉米ソ両大国の動揺:公民権運動/キング牧師/ワシントン大行進/ケネディ暗殺/ジョンソン/偉大な社会公民権法/アファーマティヴ・アクション/マルコムX/投票権法/アメリカ・ベトナム国交回復//キング牧師暗殺/ブラックパワー/インディアン問題/キッシンジャー➡ニクソン=ドクトリン(アジアでの介入を抑制)/ウォーターゲート事件/フォード/カーター(人権外交➡新パナマ運河条約:パナマ運河返還を約束)/フルシチョフ解任/コスイギン/ブレジネフ(デタント/社会の停滞)/アルバニア/ホジャ/デジ/チャウシェスク(ルーマニアで独裁➡処刑)/ハンガリー/カーダール/チェコ事件/チェコスロヴァキア社会主義共和国/プラハの春byドプチェク(チェコスロヴァキアの民主化運動)を指導/人間の顔をした社会主義/ブレジネフ=ドクトリン/制限主権論/憲章77 ◉国際経済体制と戦後政治のゆき詰まり:ドル=ショック/スミソニアン協定/変動相場制 ◉米・ソ軍縮と緊張緩和の進展/核兵器廃絶運動/ストックホルム・アピール/ラッセル=アインシュタイン宣言/パグウォッシュ会議/部分的核実験停止条約(大気圏内外水中核実験停止条約/PTBT)/中国の核実験/国際原子力機関(IAEA)/デタント(緊張緩和)➡核軍縮➡核拡散防止条約(核不拡散条約/NPT)➡戦略兵器制限交渉(第1次)(SALT・Ⅰ/ICBMの数に上限設定)・戦略兵器制限交渉(第2次)(SALT・Ⅱ)/迎撃ミサイル制限条約/核戦争防止協定/戦略防衛構想(SDI)/包括的核実験禁止条約(CTBT)/核兵器禁止条約/新START/ソ連=西ドイツ/武力不行使条約/西ドイツ=ポーランド国交正常化条約/東西ドイツ基本条約/東西ドイツの国連同時加盟/ヘルシンキ宣言/全欧安全保障協力会議(CSCE)/全欧安全保障協力機構(OSCE)/ユーロ=コミュミズム/スペインの民主化/ギリシアの民主化 ◉先進経済地域の統合化:ドル=ショック/変動相場制/先進国首脳会議(サミット/G7)/多国籍企業/北アイルランド紛争/アイルランド共和国軍(IRA)/新自由主義経済政策byサッチャー[保]/フォークランド戦争(マルビナス戦争)/ブレア/ドイツ連邦共和国/コール/ヴァイツゼッカー/ベルリンの壁開放➡ドイツ統一/シュレーダー/緑の党/ミッテラン(コールと協調して欧州統合目指す)/シラク/コアビタシオン/分離独立運動/北アイルランド紛争/スコットランド/ベルギーの言語戦争/フラン/デレン/拡大EC/イギリスのEC加盟/シェンゲン協定/ヨーロッパ連合(EU)/マーストリヒト条約/ユーロ/EUの東方拡大/欧州憲法(EU憲法)/ルクセンブルク/スペインの民主化/ギリシアの民主化/キプロス紛争/レーガン/プラザ合意/ブッシュ(G.H.W)=(父)/湾岸戦争/クリントン/北米自由貿易協定/世界貿易機関(WTO)/ブッシュ(G.W.)=(子)/9・11同時多発テロ/イラク戦争/ユニラテラリズム/サブプライム問題(リーマン=ショック)/ギリシア財政危機/ユーロ危機/米国・メキシコ・カナダ協定 ◉社会主義:世界の解体と変容/ソ連の停滞/反体制知識人/サハロフ/ソルジェニーツィン/ソ連のアフガニスタン侵攻byブレジネフ(⬅親ソ派政権成立後の内戦が背景/第二の冷戦開始)/西側諸国によるモスクワ=オリンピックのボイコット/デタント終了&新冷戦へ/ゴルバチョフ:①グラスノスチ(情報公開)・ペレストロイカ(改革)・新思考外交➡市場経済導入➡新ベオグラード宣言(バルト三国独立)/アフガニスタン撤退/中ソ関係正常化(ゴルバチョフ訪中)➡中距離核戦力(INF)全廃条約(INF)➡マルタ会談で冷戦終結➡ソ連共産党の解党/ソ連解体・ロシア連邦/独立国家共同体(CIS)/チェルノブイリ原発事故/保守派クーデタ(ソ連共産党)/エリツィン/サンクト=ペテルブルク/プーチン/ジョージア(グルジア)/アゼルバイジャン/アルメニア/中央アジア5ヵ国=ウズベキスタン共和国・カザフスタン共和国・キルギス共和国・タジキスタン共和国・トルクメニスタン共和国/ワレサ:「連帯」をつくってポーランドの民主化運動を主導/ヤルゼルスキ/ホネカー/ドイツ統一/東欧革命/ハンガリーの民主化/チェコスロヴァキアの民主化(ビロード革命)/ハヴェル/チェコスロヴァキアの連邦解消/ブルガリアの民主化/ジフコフ/ルーマニアの民主化/ポーランドの民主化/ユーゴスラヴィアの解体=クロアティア独立・スロヴェニア独立・マケドニア独立・ボスニア=ヘルツェゴヴィナ独立/セルビア/新ユーゴスラヴィア連邦/セルビア=モンテネグロ/モンテネグロの分離/セルビア共和国/ボスニア内戦/民族浄化/ミロシェヴィッチ/ユーゴスラヴィア内戦/ボスニア=ヘルツェゴヴィナ和平合意/アルバニア/コソヴォ問題/コメコン解散・ワルシャワ条約機構解散/エストニア・ラトヴィア・リトアニア/ベラルーシ/ウクライナ/モルドバ/NATOの東方拡大/EUの東方拡大/ヴィシェグラード=グループ 34. 第三世界の自立と危機 ◉東アジア・東南アジアの解放と分断:国共内戦(第2次)/中国国民党/双十協定/政治協商会議/中華民国憲法/新民主主義論/人民解放軍/蔣介石/台湾二・二八事件/中華民国政府/中華人民共和国人民政治協商会議/土地改革法/三反五反運動/第1次五カ年計画(中国)/中華人民共和国憲法/済州島/四・三事件/フクバラハップ/ハーグ協定/ラオスの独立 ◉南アジア・西アジア・アラブ諸国の自立への模索:ガンディー/インドを立ち去れ運動/チャンドラ=ボース/ジンナー/インド独立法/インド連邦/インド共和国/アンベードカル/ スリランカの独立(スリランカ共和国➡イギリス連邦を離脱➡スリランカ民主社会主義共和国➡タミル人問題) マラヤ連邦➡マレーシア(連邦)➡シンガポールの分離独立(リー=クアンユー首相)➡マレーシアにはマハティール首相就任 ◉第三世界の連帯:コロンボ会議(南アジア5か国)/平和五原則by周恩来&ネルー/平和十原則byアジア=アフリカ会議(バンドン会議@スカルノ)➡アフリカ諸国の独立(アフリカの年)➡非同盟諸国首脳会議(非同盟主義のインド、エジプト、ユーゴスラビアなど/米ソ二大国を牽制)/新植民地主義(ネオ=コロニアリズム) ◉アフリカ諸国の独立:【〜1950年代】独立国家は①南アフリカ(南アフリカ連邦(イギリスの支配)➡アパルトヘイト(人種隔離政策➡黒人差別)➡南アフリカ共和国成立➡ナミビアを領土に編入(WWⅠ後)➡反アパルトヘイト運動byネルソン=マンデラ(投獄➡釈放➡大統領に)➡ナミビア独立➡アパルトヘイト諸法撤廃byデクラーク)・②エチオピア(エリトリア独立運動&エチオピア革命(➡ハイレ=セラシエ1世退位)&エチオピア=ソマリア戦争)・③エジプト・④リベリアのみ➡【1950年代前半】リビア独立➡カダフィの独裁政権/スーダン・モロッコ・チュニジア独立⬅バンドン会議/アルジェリア戦争➡ブルギバ民族解放戦線(FLN)結成byベン=ベラ➡エヴィアン協定(独立承認by仏)➡アルジェリア民主人民共和国独立➡【1950年代後半】ガーナ共和国独立(サハラ以南初)byエンクルマ(➡アフリカ統一機構(OAU)指導)➡ギニア共和国独立byセク=トゥール➡【アフリカの年】マリ・ナイジェリア・ベナン共和国・チャド・マダガスカル・ソマリア(ソマリア内戦)・コンゴ共和国独立➡コンゴ動乱➡ルムンバ首相がソ連に接近⬅親米のモブツ派により処刑➡モブツ派の独裁➡崩壊➡コンゴ民主共和国/ケニア独立/タンザニア(ニエレレ大統領)独立/ザンビア独立➡【1970年代以降】ポルトガルの民主化(ポルトガル革命)➡サラザール政権崩壊➡ギニアビサウ&モザンビーク&アンゴラ独立/ローデシア独立宣言➡ジンバブエ共和国独立 ※アフリカ連合(AU) ◉ラテンアメリカ諸国とキューバ革命:リオ協定(米州共同防衛条約)/米州機構(OAS)(アメリカによる封じ込め政策/南北米大陸21カ国で結成)/中央情報局(CIA)/ アルゼンチン:ペロン(妻エヴァ=ペロン/ポピュリズム)/グアテマラ/アルベンス/ボリビア革命/キューバ革命/バティスタ/カストロ/ゲバラ/キューバ社会主義宣言/進歩のための同盟/キューバ危機 ◉動揺する中国:第2次五カ年計画by毛沢東(大躍進/ソ連に依存しない重工業化と人民公社建設)/廬山会議/劉少奇/台湾海峡危機/金門・馬祖砲撃/チベット反乱➡ダライ=ラマ14世のインド亡命➡中印国境紛争/中ソ友好同盟相互援助条約(ソ連の権益継承)➡しかし中ソ対立/中ソ技術協定破棄/中国の核実験/中ソ国境紛争⬅珍宝島事件(ダマンスキー島事件)/文化大革命by毛沢東(⬅紅衛兵(こうえいへい)・林彪(りんぴょう))vs劉少奇(走資派)➡林彪事件➡批林批孔運動by江青(こうせい)ら四人組➡四つの現代化(国防・工業・農業・科学技術)by周恩来➡周恩来死去後に第一次天安門事件(反四人組)➡同年に毛沢東死去➡文化大革命の終了➡華国鋒政権(四人組逮捕)➡鄧小平政権➡改革開放政策(=資本主義の復活/人民公社の解体)➡四つの基本原則(社会主義の道/プロレタリア独裁/共産党の指導/マルクス・レーニン主義、毛沢東思想)により共産党独裁強化➡胡耀邦(こようほう)協力➡民主化に理解を示し失脚➡趙紫陽(民主化運動容認)➡胡耀邦死去➡二次天安門事件(民主化要求のデモ)➡鎮圧➡鄧小平の南巡講話(改革開放路線の立て直し)➡社会主義市場経済導入by江沢民/香港返還&マカオ返還/中国のWTO加盟/元の切り上げ ※国交:ニクソン訪中(米中関係の改善)➡鄧小平訪米(withカーター)➡米中国交正常化/日中共同声明➡日中国交正常化➡日中平和友好条約 モンゴル国/チベット問題/チベット自治区/新疆ウイグル自治区/ウイグル人の独立運動/東トルキスタン独立運動 ボートピープル/主体思想/平壌宣言 ◉ベトナム戦争とインドシナ半島:ベトナム民主共和国(北ベトナム/ホー=チ=ミン:ベトナム独立同盟(ベトミン)指導者)独立➡フランスの再支配➡インドシナ戦争➡ベトナム国byバオ=ダイ➡ディエンビエンフーの戦い➡ジュネーヴ会議➡ジュネーヴ休戦協定➡ベトナム共和国成立(南ベトナム/ゴ=ディン=ジェム)➡南べトナム解放民族戦線(ベトコン/北ベトナム/反米組織)結成➡トンキン湾事件➡北爆開始・恒常化➡ベトナム反戦運動byジョンソン➡パリ和平会談(強硬派の影響で難航)➡アメリカのカンボジア・ラオス侵攻(※第2次インドシナ戦争)➡パリ和平協定(アメリカ軍の撤退)➡サイゴン陥落(ホーチミン市へ名称変更)➡ベトナム社会主義共和国成立/ドイモイ(開放経済政策)導入 ◉カンボジア王国独立➡クーデタによるロン=ノル親米政権成立➡シハヌーク国王(反米)追放(以降、カンボジア内戦)➡アメリカのカンボジア侵攻(ホーチミンルート封鎖のため)➡制圧➡民主カンプチア成立➡ポル=ポト政権(クメール=ルージュの指導者)[親中]成立➡ベトナム軍のカンボジア侵攻➡カンボジア人民共和国樹立byヘン=サムリン政権[親ソ・親ベトナム]➡ポル=ポト派撃破➡中越戦争/カンボジア和平協定➡国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)成立➡カンボジア王国成立(⬅シハヌークの総選挙勝利)/ラオス内戦/ラオス愛国戦線(パテト=ラオ)/ラオス人民民主共和国 ◉アジアの開発独裁: ◉大韓民国における開発独裁&強権政権衰退:李承晩(四月革命:政権打倒)➡張勉➡韓国軍部クーデタ➡朴正煕(日韓基本条約/金大中事件:大統領選挙落選後日本で民主化運動をしている際に拉致される)➡朴正煕大統領射殺事件➡光州事件➡全斗煥による鎮圧・軍部独裁政権➡盧泰愚(ノテウ)➡金泳三(キムヨンサム)➡金大中(キムデジュン/太陽政策:北朝鮮との宥和政策/金正日と会談)➡盧武鉉(ノムヒョン) ◉インドネシア:インドネシア共和国独立byスカルノ[共]➡インドネシア独立戦争(対蘭)➡インドネシア連邦共和国成立(パンチャシラ(建国五原則):神への信仰・民族主義・民主主義・社会主義・人道主義)※西イリアン問題➡ナサコム体制(NASACOM/民主主義・イスラム教・共産主義)➡九・三〇事件(共産党弾圧)➡スハルトが鎮圧・大統領に東南アジア諸国連合(ASEAN)結成 ◉第三世界の分化:南北問題/発展途上国経済協力開発機構(OECD)/国連貿易開発会議(UNCTAD)/南南問題/資源ナショナリズム/新国際経済秩序(NIEO)/新興工業経済地域(NIEs=韓国・台湾・香港・シンガポール) ◉第三世界における強権支配の後退: ◉中華民国(台湾):蒋介石による戒厳令➡日華平和条約・米華相互防衛条約➡米中接近による苦境(⬅国連の中国代表権=台湾追放)➡蔣経国(蒋介石死後)による開発独裁➡経済成長+民主化運動➡戒厳令解除➡李登輝(国民党)➡陳水扁(民進党) アジア通貨危機/ /インディラ=ガンディー首相(⬅暗殺byシク教徒)➡ラジブ=ガンディー首相/ヒンドゥー至上主義(ヒンドゥー=ナショナリズム)/インド人民党/アヨーディヤ問題/インドの核実験/ネパール/タイ軍事クーデタ/タクシン/アジェンデ/チリ軍部クーデタ/ピノチェト独裁政権/チリ民政移管/フォークランド戦争(マルビナス戦争)/民政移行/エクアドル/ニカラグア/ソモサ/サンディニスタ民族解放戦線/ニカラグア革命/コスタリカ/パナマ侵攻/グレナダ侵攻/エルサルバドル内戦/グアテマラ内戦/制度的革命党/ウルグアイ南米南部共同市場/ベネズエラ=ボリバル共和国/チャベス 35. 地域紛争 ◉アラブ世界の分裂とその影響: パレスチナ問題 エジプト王国独立➡アラブ連盟結成 パレスチナ分割案by国連➡イスラエル共和国成立(初代首相ベングリオン)➡第一次中東戦争➡パレスチナ難民発生 エジプト革命(エジプト共和国独立/自由将校団ナギブ➡ナセル[親ソ])➡アスワン=ハイダム援助を米英が拒否➡スエズ運河国有化宣言➡第二次中東戦争➡ナセルの威信高揚➡アラブ民族主義の高まり➡アラブ連合共和国(シリアと合併)成立&イラク革命➡イラク共和国独立➡レバノン暴動➡アイゼンハウアー=ドクトリンに基づくアメリカの軍事介入 第3次中東戦争(六日間戦争)➡イスラエル大勝(占領地区:シナイ半島/ゴラン高原/ヨルダン川西岸/ガザ地区)➡アラブ石油輸出国機構(OAPEC/前身は石油輸出国機構(OPEC))成立/ヨルダン内戦(ヨルダン王国内でテロ活動を続けるPLOへの大弾圧➡ファタハ[PLOのゲリラ組織]が「黒い9月」を組織し報復=首相殺害)➡ミュンヘン・オリンピック襲撃事件(イスラエルの選手を人質に) 第4次中東戦争(サダト[エジプト=アラブ共和国]によるイスラエル奇襲+石油戦略➡第1次石油危機/シリア=アラブ共和国も協力)➡レバノン内戦(⬅首都ベイルートにPLOが拠点を移す)➡キリスト教徒マロン派と対立➡シリアの介入・イスラエルの侵攻➡ヒズボラの抵抗/キャンプ=デーヴィット合意(エジプト=イスラエルの和平について合意)➡エジプト=イスラエル平和条約(シナイ半島返還/イスラエルのペギン[リクード党首]とエジプトのサダト)➡サダト大統領暗殺➡ムバラク後継/第1次インティファーダ(イスラエル占領支配への抵抗)➡ハマス創設(イスラーム原理主義/ガザ地区の解放を目指し現在も活動)/中東和平会議(マドリード会議/湾岸戦争直後/具体的成果なし)➡オスロ合意➡パレスチナ暫定自治協定(イスラエルのラビンとPLOのアラファトで/クリントン大統領仲介)➡パレスチナ暫定自治行政府成立/インティファーダ(第2次)byシャロン➡ロードマップ発表 ◉多発する地域紛争とあらたな国際協力の模索:分離独立運動/ケベック問題/北アイルランド紛争/バスク問題/オレンジ革命/ロシアのクリミア併合/クリミア危機/ウクライナ東部紛争/チェチェン紛争/ジョージア(グルジア)紛争/ナゴルノ=カラバフ紛争/コソヴォ共和国/東ティモール/アチェ紛争/チベット問題/ウイグル人の独立運動(東トルキスタン独立運動)/上海協力機構/スーダン内戦/ダルフール紛争/南スーダン共和国/ルワンダ内戦/スコットランド住民投票/北マケドニア/国連の変質/平和維持活動/国連平和維持軍/国際刑事裁判所/化学兵器禁止条約/東南アジア友好協力条約(TAC)/ASEAN憲章/国連人間環境会議/国連環境開発会議/リスボン条約/マララ=ユスフザイ/アラブの春(例:ジャスミン革命@チュニジア)➡シリア内戦(アサド政権vsイスラム国(IS)出現vsクルド人自立の動き[クルド人問題])/バーレーン/シャルリー=エブド社襲撃事件/パリ同時多発テロ/日本の集団的自衛権容認/香港民主化運動/イラン核合意/ネタニヤフ政権/イギリスのEU離脱/BLM運動/中国共産党/ロシアのウクライナ侵攻/NPT再検討会議/BRICS 36. 東南アジア史 ◉東南アジアの基本地理:インドシナ半島/紅河(ホン川)/メコン川/チャオプラヤ川/マレー半島/スマトラ島/ジャワ島ボルネオ島(カリマンタン島) ◉ベトナム 北部:著しい中国化(ハノイが拠点)/ドンソン文化(青銅器の銅鼓) 大越国成立:李朝(国号「ダイベト(大越)」を使用/ハノイに都)▶陳朝(モンゴル軍の侵攻を退ける/最盛期/ベトナム文字「字喃」(チュノム)が普及/一時的に明の支配下)▶黎朝(莫氏・鄭氏〔ハノイを拠点〕・阮氏〔フエを拠点とする政権=広南国〕)▶西山朝(西山の乱)▶阮朝(フエ/阮福暎/フランス人宣教師ピニョーの支援) 中南部:チャンパー(チャム人が建国)/サーフィン文化 ◉カンボジア 扶南(インド文化/東南アジア初の統一国家/港市国家/オケオ遺跡)▶真臘(唐と国交/ヒンドゥー教に)▶クメール朝(スールヤヴァルマン2世▶ジャヤヴァルマン7世(最盛期)/アンコール=ワット(寺院)/アンコール=トム(都)/タイのアユタヤ朝の圧迫で衰退) ◉ビルマ:ドヴァーラヴァティー王国(モン人)▶パガン朝(ビルマ最初の統一王朝/小乗仏教/宋と国交を開く/元の侵略で滅ぶ)▶ペグー朝▶トゥングー朝▶アラウンパヤー朝(コンバウン朝)(最盛期)▶イギリスの植民地▶アウンサン(タキン党指導者)暗殺➡ビルマ連邦共和国独立➡途中から軍政➡アウンサンスーチーの民主化運動➡ミャンマーに改称 ◉タイ:スコータイ朝(タイ人最初の王朝/クメールから政治制度を取り入れ、元とも国交を開く/ラームカムヘン王が小乗仏教を保護)▶アユタヤ朝(明と交易/イスラム教のマラッカ王国を避けて日本や西ヨーロッパの貿易船が来航/クメール朝を圧迫/アラウンパヤー朝に滅ぼされる)▶トンブリー朝(タークシン王・処刑)▶ラタナコーシン朝(チャクリ朝)(ラーマ1世)/バンコク/今も続く) ◉スマトラ島:シュリーヴィジャヤ王国(海上貿易で繁栄/港市国家)▶マラッカ王国の支配▶アチェ王国 ◉ジャワ島:シャイレーンドラ朝(大乗仏教→ボルブドゥールの仏塔)▶クディリ朝(ヒンドゥー教に/ワヤン(人形影絵劇)発達)▶シンガサリ朝▶マジャパヒト王国(モンゴル軍の侵略の混乱後に成立/貿易国として繁栄)▶マタラム王国(古マタラム王国と区別)・バンテン王国 ◉マレー半島:マラッカ王国(東南アジア最初のイスラーム国家)▶ポルトガルの占領/ジョホール王国(マラッカ王国のスルタンが建国)▶オランダ・イギリスによる植民地化 ◉東南アジアのイスラーム化:中国商人/海の道/ジャンク船/三仏斉元の遠征活動/元のベトナム遠征/ムスリム商人/サンドラ=パサイ王国 マニラ アカプルコ ガレオン船/ガレオン貿易 銀:メキシコ銀/日本銀 マカオ 朱印船貿易/日本町できる 香辛料 ネーデルラント連邦共和国 オランダ東インド会社 バタヴィア アンボイナ事件 イギリス東インド会社 ◉南・東南アジアの植民地化 ア.西欧勢力の進出とインドの植民地化 ムスリム商人 東インド会社 インド産綿布 銀 ムガル帝国 イギリス東インド会社 フランス東インド会社 アフシャール朝 ナーディル=シャー カーナティック戦争 プラッシーの戦い クライヴ ベンガル地方 ベンガル太守/ベンガル知事/ベンガル総督 ディーワーニー ブクサールの戦い/バクサルの戦い マイソール戦争 ティプー=スルタン マラーター戦争 シク戦争 シク王国 パンジャーブ併合 グルカ戦争 藩王国 カシミール イ.植民地統治下のインドと大反乱 イギリスのインド植民地支配(19世紀前半まで) 東インド会社のインド貿易独占権廃止 東インド会社の商業活動停止 インド総督ザミンダール/ザミンダーリー制 ライヤットワーリー制 イギリス産業革命とインド ネイボッブ インド大反乱/シパーヒーの反乱/セポイの乱 シパーヒー ラクシュミー=バーイー デリー ムガル帝国の滅亡 イギリス東インド会社解散 インド統治法 藩王国 分割統治 ウ.東南アジアの植民地化 インドネシア オランダ領東インド イギリス=オランダ協定 ジャワ戦争 ディポネゴロ パドリ戦争 政府栽培制度 ファン=デン=ボス アチェ戦争 マレー半島 イギリス領マラヤ ペナン マラッカの植民地化 シンガポール マラッカ海峡 ラッフルズ 海峡植民地 マレー連合州 スズ/ゴム インド人移民/印僑 ビルマ:コンバウン朝 イギリス=ビルマ戦争/ビルマ戦争 メキシコ銀 マニラ開港 モロ戦争 インドシナ出兵:サイゴン条約▶フランスにベトナム南部(コーチシナ)割譲▶カンボジア保護国化▶フエ条約(ユエ条約)でフランスによる事実上のベトナム保護国化 清仏戦争:天津条約(1885)▶フランスによるベトナム保護国化▶フランス領インドシナ連邦 劉永福 黒旗軍 ラオス保護国化 ラーマ4世 ボウリング条約 ラーマ5世/チュラロンコーン 37. アフリカ史 ◉古代のアフリカ:クシュ王国(メロエ⬅アッシリアに追われて遷都)➡アクスム王国(@エチオピア) ◉イスラーム化:ガーナ王国(金をサハラ産の塩と交換)➡マリ王国(トンブクトゥ繁栄/マンサ=ムーサによるメッカ巡礼)➡ソンガイ王国 ◉アフリカ東岸:港湾都市のモガディシュ・マリンディ・モンバサ・ザンジバル・キルワ・ソファラにムスリム商人定住/スワヒリ語が共通語に(バントゥー語+アラビア語の影響)/モノモタパ王国(ザンベジ川流域)/ジンバブエ遺跡(石造遺跡) ◉アフリカ中部:カネム=ボルヌー王国(イスラーム教国/奴隷貿易)/コンゴ王国 38. 南北アメリカ史 ア.アメリカ先住民 ベーリング海峡 アメリカの先住民/インディオ メソアメリカ文明 トウモロコシ サツマイモ ジャガイモ トマト トウガラシ アメリカ大陸 原産の農作物 コカ イ.マヤ・アステカ文明とインカ文明 オルメカ文明 マヤ文明:中央アメリカ/4〜16世紀/マヤ文字/二十進法/精密な暦法 テオティワカン文明 トルテカ文明 アステカ文明 アステカ王国 テノチティトラン チナンパ農法 チャビン文化 アンデス文明 モチカ文化 ナスカ文化 ティアワナコ文化 チムー帝国 インカ文明 ケチュア族 インカ帝国:クスコ/マチュピチュ/キープ(結縄) 39. 朝鮮史 40. 文化史・テーマ史 ◉ギリシアの生活と文化 ギリシア文化 アーカイック期 古典期 オリンポス12神 ホメロス『イリアス』/『オデュッセイア』 ヘシオドス『労働と日々』 ギリシア悲劇・喜劇 三大悲劇詩人:アイスキュロス/ソフォクレス『オイディプス王』/エウリピデス アリストファネス/女の平和 イオニア自然哲学 タレース ピタゴラス ヘラクレイトス デモクリトス ヒポクラテス ソフィスト プロタゴラス ソクラテス プラトン イデア論 アカデメイア アリストテレス リュケイオン ディオゲネス 犬儒学派 ヘロドトス/歴史 トゥキディデス/戦史 クセノフォン フェイディアス:パルテノン神殿(ドーリア式)再建/withペリクレス イオニア式 コリント式 パルテノン ヘレニズム コイネー コスモポリタニズム ストア派 ゼノン エピクロス派 アレクサンドリア(エジプト) ムセイオン エラトステネス アリスタルコス アルキメデス エウクレイデス/ユークリッド ミロのヴィーナスラオコーン サモトラケのニケ 古典古代 枢軸時代 ◉宋代の文化 士大夫 宋学/朱子学 理気二元論 性即理 格物致知 大義名分論 華夷の別 周敦頤 朱熹/朱子 四書 資治通鑑 陸九淵 欧陽脩 蘇軾(蘇東坡) 唐宋八大家 儒教 文化圏 院体画 文人画 宋磁 白磁 青磁 詞 雑劇 禅宗 漢訳大蔵経 全真教 王重陽 正一教 木版印刷 三大発明=火薬/羅針盤/活字印刷 ◉明後期の社会と文化 木綿/綿織物 南京 木綿 湖広 生糸 景徳鎮 陶磁器 染付 赤絵 山西商人 新安商人/徽州商人 会館・公所 一条鞭法 郷紳 抗租運動 鄧茂七の乱 奴変民変明の文化 董其昌 南宗画/南画 北宗画/北画 小説 牡丹亭還魂記 陽明学 王陽明 心即理 知行合一 李贄/李卓吾 キリスト教宣教師 李時珍:『本草綱目』(薬草についての資料集め) 農政全書 天工開物 宋応星 崇禎暦書 フランシスコ=ザビエル マテオ=リッチ 徐光啓:『幾何原本』(エウクレイデスの幾何学の書を翻訳) 坤輿万国全図 ◉清の文化 考証学(顧炎武・黄宗羲) 公羊学 『紅楼夢』(小説) 儒林外史 聊斎志異 桃花扇伝奇 京劇 キリスト教宣教師 アダム=シャール/湯若望 フェルビースト/南懐仁 ブーヴェ/白進皇輿全覧図 カスティリオーネ/郎世寧 円明園 典礼問題 イエズス会 キリスト教の布教禁止 シノワズリ ◉イスラーム文明の発展 ア.イスラーム文明の特徴 イラン=イスラーム文化/トルコ=イスラーム文化/インド=イスラーム文化/中世ヨーロッパとイスラーム文化 トレド イ.イスラームの社会と文明 ウラマー カーディ モスク マドラサ スーク/バザール ワクフ 神秘主義/スーフィズム スーフィー ガザーリー 神秘主義教団 カーディリー教団 メヴレヴィー教団 ウ.学問と文化活動 アラビア語/固有の学問・外来の学問/シャリーア(イスラーム法) ハディース ブハーリー タバリー イブン=ハルドゥーン『世界史序説』 知恵の館(アッバース朝のバグダード/ギリシア語からアラビア語へ翻訳) アラビア数字/ゼロの概念 錬金術 フワーリズミー ウマル=ハイヤーム ルバイヤート ジャラーリー暦 イドリーシー イブン=シーナー『医学典範』/イブン=ルシュド(アリストテレス研究) 翻訳学校 千夜一夜物語/アラビアン=ナイト フィルドゥシー シャー=ナーメ イブン=バットゥータ『三大陸周遊記』 ミナレット岩のドーム ミニアチュール(細密画◀中国絵画の影響)/アラベスク(文様) イスラーム美術の特徴 ◉中世ヨーロッパ ア.教会と修道院 教会破門 修道院 修道院運動 ベネディクトゥス モンテ=カシノ ベネディクト派 シトー派 大開墾時代 托鉢 修道会 フランチェスコ会 フランチェスコ ドミニコ会 神学 ラテン語 ヒエロニムス イ.学問と大学 カロリング=ルネサンス アルクィン カロリング小字体 スコラ学 普遍論争 アンセルムス アベラール 12世紀ルネサンス:ギリシア古典・アラビア語文献がラテン語へ翻訳 トマス=アクィナス ロジャー=ベーコン ウィリアム=オブ=オッカム 大学 七自由学科 ボローニャ大学 サレルノ大学 パリ大学 オクスフォード大学 ケンブリッジ大学 プラハ大学 学寮制/コレッジ制 羊皮紙 ウ.美術と文学 ロマネスク様式 ピサ大聖堂 ゴシック様式 ステンドグラス ノートルダム大聖堂 ランス大聖堂 ケルン大聖堂 シャルトル大聖堂 カンタベリー大聖堂 騎士道物語 ローランの歌 吟遊詩人(トゥルバドゥール/ミンネジンガー):恋愛をテーマとした抒情詩を歌う ◉ルネサンス ア.ルネサンス ネーデルラント ヒューマニズム/人文主義 フィレンツェメディチ家 コジモ=デ=メディチ プラトン=アカデミー ロレンツォ=デ=メディチ ユリウス2世 イタリア戦争 サヴォナローラ チェーザレ=ボルジア ローマ教皇 マキァヴェリ君主論 ミラノ公 イ.文芸と美術 ダンテ神曲 ペトラル カボッカチォ デカメロン チョーサー カンタベリ物語 ロイヒリン エラスムス愚神礼賛 トマス=モア ユートピア ラブレー ガルガンチュワとパンタグリュエル物語 モンテーニュ セルバンテス シェークスピア フレスコ画 油絵技法 フランドル派 ファン=アイク兄弟 ジョットマサッチョ 遠近法 ギベルティ ルネサンス様式 ブルネレスキ サンタ=マリア大聖堂 ドナテルロ ブラマンテ ボッティチェリ ラファエロ ミケランジェロ 最後の審判 レオナルド=ダ=ヴィンチ最後の晩餐 モナ=リザ 万能人 ブリューゲル デューラー ホルバイン サン=ピエトロ大聖堂 レオ10世 ウ.科学と技術 地動説コペルニクス ジョルダーノ=ブルーノ 羅針盤 遠洋航海術 火薬 火砲 活版印刷術 グーテンベルク製紙法の伝播 ◉17~18世紀の西欧文化 ア.科学革命と近代的世界観 科学革命 望遠鏡 ニュートン ロンドン王立協会 ガリレイ ガリレオ裁判 ケプラー リンネ ハーヴェー ラヴォワジェ ジェンナー/種痘法 フランクリン フランシス=ベーコン デカルト方法序説 ライプニッツ単子論 カント グロティウス戦争と平和の法 ホッブズ リヴァイアサン ロック統治二論 社会契約説 イ.啓蒙思想 啓蒙思想 モンテスキュー ヴォルテール ルソー ディドロ/ダランベール:『百科全書』(あらゆる知識を体系化)/フランスの啓蒙思想家 重農主義 ケネー 自由放任/レッセ=フェール 古典派経済学アダム=スミス諸国民の富 ウ.宮廷文化 バロック美術:ヴェルサイユ宮殿byルイ14世 ロココ美術:サンスーシ宮殿byフリードリヒ2世 ルーベンス ファン=ダイク エル=グレコ ベラスケス 古典主義(文学):三代劇作家コルネイユ、ラシーヌ、モリエール▶ルイ14世の宮廷で活躍 アカデミー=フランセーズ/フランス学士院 サロン ワトーブーシェバッハ エ.成長する市民と文化 レンブラント ミルトン失楽園 バンヤン タバコ茶(ヨーロッパ) 砂糖 コーヒー:コーヒーを飲む習慣はイスラム世界からヨーロッパへ コーヒーハウス デフォー ロビンソン=クルーソー スウィフト ガリヴァー旅行記 新聞/ジャーナリズム 生活革命 ◉19世紀欧米の文化 ア.ロマン主義と自然主義 古典主義(文学) ゲーテ シラー 新古典主義(美術) ダヴィド ロマン主義 グリム兄弟 スコット バイロン スタール ユーゴー プーシキン ドラクロワ ベルリオーズ 写実主義 スタンダール フローベール ドストエフスキー トルストイ クールベ ドーミエ 自然主義 コロー/ミレー ゾラ 耽美主義 ワイルド 象徴主義 マネ:フランス/印象派先駆者 モネ:フランス/印象派、『印象・日の出』 ルノワール セザンヌ ゴーガン ゴッホ 後期印象派(ポスト印象主義) アール=ヌーボー イ.哲学と人文・社会科学 ヘーゲル マルクス コント マルサス リカード リスト 保護貿易主義 ウ.科学・技術と市民生活 ファラデー マイヤー ヘルムホルツ レントゲン/X線の発見 リービヒ パストゥール コッホ ダーウィン進化論 メンデル モールス(モース) 海底電信ケーブル ロイター通信 トマス=クック ベル/電話 マルコーニ ダイムラー ディーゼル ノーベル ライト兄弟 オスマン 地下鉄 エ.地理上の探検 オーストラリア タスマン クック 北極海 ピアリー アムンゼン(ノルウェーの探検家/南極点到達)➡スコット(南極点到達) グリニッジ天文台 ◉現代文明 ア.現代科学と生活・環境の変化 アインシュタイン 原子爆弾 ノーベル賞 分子生物学/DNA抗生物質 ペニシリン/フレミング イ.現代文明による危機 環境問題=地球温暖化/砂漠化/オゾン層破壊 モントリオール議定書 スリーマイル島原発事故 アジェンダ21 京都議定書 チェルノブイリ原発事故 パリ協定(2015) ウ.現代文化 現代の思想 実存主義サルトル 精神分析学フロイト マックス=ウェーバー プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 ケインズ レヴィ=ストロース カウンター・カルチャー アンドレ=マルロー ヘミングウェー スタインベック ソルジェニーツィン 魯迅 ピカソ 映画 ハリウッド チャップリン
https://w.atwiki.jp/mizunohotori/pages/13.html
水の辺りの聖杯戦争主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 崩壊した都市の令呪無き聖杯戦争主人公 登場人物 サーヴァント 零細結社の聖杯戦争事情主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 とある霊山を巡る聖杯戦争主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 忘れ去られた聖杯主人公 登場人物 サーヴァント 万能式神の主君探し物語主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 意思有るモノの聖杯戦争主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 星降る島の聖杯主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 絵本の中の聖杯戦争主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 境界の聖杯戦争主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 誰も知らない聖杯戦争主人公 登場人物 サーヴァント Call of Silent Hill主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 外伝 友の為の聖杯主人公 登場人物 サーヴァント ある愛の聖杯物語主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 聖杯による戦争主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 電脳世界の聖杯戦争主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 追い求める聖杯主人公 登場人物 サーヴァント アイドルマスターホーリーカップ主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 死の淵の聖杯主人公 マスター サーヴァント 案内役 死の淵の手前の聖杯戦争主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 君と出会うための聖杯主人公 サーヴァント その他登場人物 贄喰らう夜の聖杯戦争主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 ウサミンの廃墟探訪記主人公 登場人物 サーヴァント 孤島に眠る者共の聖杯主人公 登場人物 サーヴァント 雪降る夏の聖杯戦争主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 凍てついた聖杯戦争主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 滅びの聖杯戦争主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 電算箱の中の聖杯戦争主人公 サーヴァント その他登場人物 聖杯を巡るデスマッチ主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 森の中の聖杯戦争主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 異なる可能性の聖杯主人公 マスター サーヴァント その他登場人物 繰り返す聖夜の聖杯戦争主人公 サーヴァント その他の登場人物 不思議な美術館の物語主人公 マスター サーヴァント その他の登場人物 銃と落伍者と聖杯主人公 マスター サーヴァント その他 清算の聖杯戦争主人公 マスター サーヴァント 水のなかの聖杯戦争主人公 サーヴァント その他登場人物 聖杯居酒屋繁盛記主人公 サーヴァント 居酒屋の客 黒き嵐の聖杯戦争主人公 マスター サーヴァント その他 聖杯戦争 of the Dead主人公 マスター サーヴァント その他 扉の向こう側の聖杯主人公 マスター サーヴァント 水の辺りの聖杯戦争 + ... 主人公 キル夫(2ch)・・・フリーの魔術使い マスター 桂木弥子(魔人探偵脳噛ネウロ)・・・梁雨町の土地管理者で聖杯戦争主催者 脳噛ネウロ(魔人探偵脳噛ネウロ)・・・弥子の協力者、自称魔人 棗恭介(リトルバスターズ)・・・自称根源を目指す真っ当な魔術師 キノ(キノの旅)・・・聖堂教会のエージェント イムカ(戦場のヴァルキュリア3)・・・零細魔術結社のメンバー 姫神秋沙(とあるシリーズ)・・・孤児院から失踪した少女 サーヴァント ライダー("四冦楚王"王慶)AA:ランス(ランスシリーズ)・・・キル夫のサーヴァント セイバー("呼保義"宋江)AA:坂田銀時(銀魂)・・・棗恭介のサーヴァント キャスター("飛天神兵"高廉)AA:妖僧スペシネフ(ヴァンパイヤー戦争)・・・ネウロのサーヴァント バーサーカー(白額虎)AA:虎(実在動物)・・・桂木弥子のサーヴァント ランサー("豹子頭"林冲)AA:キリト(ソードアート・オンライン)・・・イムカのサーヴァント アサシン("殿帥府虞候"陸謙)AA:一方通行(とあるシリーズ)・・・姫神秋沙のサーヴァント アーチャー("瓊矢鏃"瓊英)AA:ソフィ(テイルズオブグレイセス)・・・キノのサーヴァント その他登場人物 アレクサンド・アンデルセン(HELLSING)・・・孤児院の院長 王留美(機動戦士ガンダム00) 崩壊した都市の令呪無き聖杯戦争 + ... 主人公 やらない夫(2ch)・・・ 登場人物 糸色望(さよなら絶望先生)・・・やらない夫の叔父 神原駿河(化物語)・・・ ムラクモ(アカツキ電光戦記)・・・ サーヴァント ランサー(白額虎)AA:トラ(うしおととら) バーサーカー(オイディプス)AA:ルルーシュ・ランペルージ(コードギアス) アーチャー(亀井茲矩)AA:ホル・ホース(ジョジョの奇妙な冒険) ライダー(鵺)AA:ルーミア(東方Project) アサシン(口裂け女)AA:キル子(2ch) セイバー("黒旋風"李逵)AA:トルケル(ヴィンランド・サガ) キャスター(安倍泰成)AA:佐為(ヒカルの碁) 零細結社の聖杯戦争事情 + ... 主人公 KAITO(VOCALOID)・・・鬼道門実動部隊班長 マスター グリード(鋼の錬金術師)・・・鬼道門実動部隊班長 麦野沈利(とあるシリーズ)・・・鬼道門実動部隊班長 小野塚小町(東方Project)・・・鬼道門・研究員 レン・ブライト(英雄伝説シリーズ)・・・鬼道門・研究員 イムカ(戦場のヴァルキュリア3)・・・ ディアボロ(ジョジョの奇妙な冒険)・・・鬼道門のボス サーヴァント バーサーカー(クルトー)AA:ホロ(狼と香辛料)・・・KAITOのサーヴァント セイバー(陳国峻)AA:聞仲(封神演義)・・・グリードのサーヴァント アーチャー(今川義元)AA:松永久秀(戦国BASARA)・・・麦野沈利のサーヴァント ランサー("花和尚"魯智深)AA:江田島平八(魁!!男塾)・・・イムカのサーヴァント ライダー(エミリア・プラテル)AA:鼎二尉(アカツキ電光戦記)・・・小野塚小町のサーヴァント アサシン(公暁)AA:志々雄真(るろうに剣心)・・・レンのサーヴァント キャスター(百鬼夜行)AA:レギオンソルジャー(ガメラ2)・・・ディアボロのサーヴァント その他登場人物 ヴィネガー・ドッピオ(ジョジョの奇妙な冒険)・・・鬼道門幹部・連絡役 ギルバート・デュランダル(ガンダムSEEDDestiny)・・・鬼道門幹部・実動部隊長 ポルポ(ジョジョの奇妙な冒険)・・・鬼道門幹部・人事担当 ねらう緒(2ch)・・・鬼道門実動部隊・KAITO班所属 秋山秋山小兵衛(剣客商売)・・・KAITOの恩人、故人 秋山窓(AA窓付き)(ゆめにっき)・・・秋山小兵衛の娘 とある霊山を巡る聖杯戦争 + ... 主人公 きめぇ代(2ch)・・・魔術関連特務課所属、受肉した元英霊の真蛇 マスター ギレン・ザビ(機動戦士ガンダム)・・・デギンの息子、次期土地管理者 セルべリア・ブレス(戦場のヴァルキュリア)・・・中規模魔術結社 『災厄の鴉(カラミティ・レーヴェン)』 和住野支部所属 マナリィ(世界樹の迷宮II~六花の少女~ )・・・魔術協会の仲裁員 平和島静雄(デュラララ)・・・ 三浦あずさ(アイドルマスターシリーズ)・・・ メアリー(Ib)・・・ サーヴァント ライダー(山本五郎左衛門)AA:DIO(ジョジョの奇妙な冒険)・・・きめぇ代のサーヴァント バーサーカー(エペタム)AA:月詠(魔法先生ネギま!!)・・・セルベリアのサーヴァント セイバー("赤髪鬼"劉唐)AA:ヤムチャ(ドラゴンボール)・・・平和島静雄のサーヴァント ランサー(大関高増)AA:夜神月(DEATH NOTE)・・・三浦あずさのサーヴァント アーチャー(宿儺)AA ン・ダグバ・ゼバ(仮面ライダークウガ)・・・マナリィのサーヴァント アサシン(弾正様)AA:エドワード・エルリック(鋼の錬金術師)・・・ギレン・ザビのサーヴァント キャスター(ユリウシュ・ファゼカシュ)AA:メディスン・メランコリー(東方Project)・・・メアリーのサーヴァント その他登場人物 フルフル(モンスターハンター擬人化)・・・きめぇ代の元マスター、魔術関連特務課所属 ダディ(2ch)・・・きめぇ代の父親 デギン・ザビ(機動戦士ガンダム)・・・印恵山の前管理者、故人 プリニー(ディスガイアシリーズ)・・・きめぇ代の万能式神 忘れ去られた聖杯 + ... 主人公 やらない子(2ch)・・・ホムンクルスのサイボーグ 登場人物 ドクター・ウェスト(デモンベイン)・・・やらない子を改造した科学者 ドクターワイリー(ロックマン)・・・ ゼロ(ロックマンゼロ)・・・ サーヴァント アーチャー("火眼狻猊"鄧飛)AA :リエラ・マルセリス(戦場のヴァルキュリア) アサシン(七歩蛇)AA:チキ(ファイアーエンブレム) バーサーカー(饕餮)AA:グラトニー(鋼の錬金術師) セイバー(山科勝成)AA:アシェラッド(ヴィンランド・サガ) ライダー(ビヤーキー)AA フランドール・スカーレット(東方Project) キャスター(ジャックランタン)AA:マホロア(星のカービィ) バーサーカー(リンドヴルム王子)AA:ジンオウガ(モンスターハンター) ランサー(ベルトラン・デュ・ゲクラン)AA:少佐(HELLSING) アサシン(アンドロマリウス)AA:美堂蛮(GetBackers) アサシン(口裂け女)AA:キル子(2ch) キャスター(バオト・ズークァ・モグ)AAデススティンガー(ZOIDS) 万能式神の主君探し物語 + ... 主人公 プリニー(ディスガイアシリーズ)・・・きめぇ代の元式神、その正体はシャッガイからの昆虫(妖虫) マスター 三千院ナギ(ハヤテのごとく!)・・・駒ノ宮三家の一つ三千院家当主の娘 吾妻由乃(未来日記)・・・駒ノ宮三家の一つ我妻家当主の娘 エトナ(ディスガイアシリーズ)・・・魔人 ちゅるやさん(にょろーんちゅるやさん)・・・鶴屋の式神 ストレングス(ブラック★ロックシューター)・・・殺人鬼 ギンコ(蟲師)・・・蟲師 アルフォンス・エルリック(鋼の錬金術師)・・・鎧甲冑姿の錬金術師 サーヴァント ライダー(ミケーレ・アルカンジェロ・ペッツァ)AA:エンリコ・プッチ(ジョジョの奇妙な冒険)・・・エトナのサーヴァント バーサーカー(ヨハン・セルクラエス)AA:ランスロット(FATE/ZERO)・・・ストレングスのサーヴァント アサシン(弾正様)AA:エドワード・エルリック(鋼の錬金術師)・・・ちゅるやさんのサーヴァント セイバー(蒲生氏郷)AA:カミナ(天元突破グレンラガン)・・・ギンコのサーヴァント アーチャー("浪子"燕青)AA:クレア・スタンフィールド (バッカーノ!)・・・我妻由乃のサーヴァント キャスター(スージー・オラー)AA:東風谷早苗(東方Project)・・・三千院ナギのサーヴァント ランサー(茨木童子)AA:遠野秋葉(月姫)・・・アルフォンス・エルリックのサーヴァント その他登場人物 鶴屋(涼宮ハルヒの憂鬱)・・・駒ノ宮三家の一つ鶴屋家の当主 やってられっか夫(2ch)・・・生前のプリニー 意思有るモノの聖杯戦争 + ... 主人公 できない夫(2ch)・・・元警官の魔術師、白銀神社の管理人 マスター 音無キルコ(新米婦警キルコさん)・・・戦目村のお巡りさん 泉こなたAA:黒こなた(らき☆すた二次)・・・ 結月ゆかり(VOCALOID)・・・戦目村に住むミュージシャンの卵 赤ずきん(東京赤ずきん)・・・ 宇練銀閣(刀語)・・・宇練剣術道場の道場主 ???AA:空母ヲ級(艦隊これくしょん-艦これ-)・・・ サーヴァント アーチャー(アマッポ)AA:ロビンフッド(Fate/Extra)・・・できない夫のサーヴァント アサシン(痺れ酒)AA:MEIKO(VOCALOID)・・・音無キルコのサーヴァント セイバー(エペタム)AA:月詠(魔法先生ネギま!!)・・・泉こなたのサーヴァント ライダー(カンテレ)AA:ユイ(Angel Beats!)・・・結月ゆかりのサーヴァント キャスター(ニトクリスの鏡)AA:アーカード(HELLSING)・・・赤ずきんのサーヴァント バーサーカー(千人切)AA:三角頭(サイレントヒル)・・・宇練銀閣のサーヴァント ランサー(アラドヴァル)AA:ステイル=マグヌス(とある魔術の禁書目録)・・・???のサーヴァント その他登場人物 博麗霊夢(東方Project)・・・白銀神社の巫女 アダラパ(マテリアル・パズル)・・・ 魔術関連特務課 遺物管理担当 篠崎里香(ソードアート・オンライン)・・・篠崎工房の鍛冶屋 ねらう夫(2ch)・・・できない夫の父親 一条翁AA:麻呂(水戸黄門)・・・篠崎里香の師匠聖杯戦争の主催者 贄殿遮那AA:シャナ(灼眼のシャナ)・・・一条翁の作り上げた最高傑作 星降る島の聖杯 + ... 主人公 やんねえ香(2ch)・・・70年ほど生きている退魔師 マスター エルンスト・フォン・アドラー(アカツキ電光戦記)・・・魔術結社ゲゼルシャフトの総統代行 フレンダ=セイヴェルン(とあるシリーズ)・・・魔術結社アイテムの魔術師 ネコアルク・カオス(MELTY BLOODシリーズ)・・・自称愛らしい猫その正体はシャッガイからの昆虫(妖虫) 足立透(ペルソナ4)・・・魔術関連特務課勤務の刑事 青葉(艦隊これくしょん-艦これ-)・・・星読島の住民ドクターワイリーによって作られたロボット 泉こなたAA:黒こなた(らき☆すた二次)・・・ サーヴァント アサシン(精螻蛄)AA:御剣怜侍(逆転裁判シリーズ)・・・やんねえ香のサーヴァント セイバー("入雲龍"公孫勝)AA:高町なのは(リリカルなのはシリーズ)・・・ネコアルク・カオスのサーヴァント バーサーカー(村滴々国滴々)AA:ともだち(20世紀少年)・・・フレンダ=セイヴェルンのサーヴァント ランサー(赤の女王)AA:ネロ・クラウディウス(Fate/Extra)・・・足立透のサーヴァント アーチャー(はやぶさ)AA:アディリシア( レンタルマギカ)・・・泉こなたのサーヴァント キャスター(ブエル)AA:伊吹風子(CLANNAD)・・・青葉のサーヴァント ライダー(ライカ)AA:能美クドリャフカ(リトルバスターズ!)・・・エルンスト・フォン・アドラーのサーヴァント ガーディアン(九天玄女)AA:霍青娥(東方Project)・・・八騎目のサーヴァント その他登場人物 カミサマAA:キングギドラ(ゴジラシリーズ)・・・やんねえ香に憑いている神様 小節あびる(さよなら絶望先生)・・・やんねえ香を引き取った家の退魔師見習い 湯婆婆(千と千尋の神隠し)・・・食事処のおばあさん ドン・観音寺(BLEACH)・・・神社の神主 闇の者AA:ゴースト、ゲンガー(ポケットモンスター)・・・星読島の夜に満ちる怪異 絵本の中の聖杯戦争 + ... 主人公 キャスター(未完作品)AA:レッド(ポケットモンスター)・・・メアリーのサーヴァント マスター メアリー(Ib)・・・ 浜面仕上(とあるシリーズ)・・・ グラハム・スペクター(バッカーノ)・・・ 桐生萌郁(シュタインズゲート)・・・魔術結社に雇われたエージェント 赤木しげる(アカギ)・・・魔術関連特務課に雇われた魔術使い 神崎蘭子 (アイドルマスターシリーズ)・・・ ステラ・ルーシェ(ガンダムSEED DESTINY)・・・ イヴ(Ib)・・・ サーヴァント アサシン(メアリー・スー)AA:輿水幸子(アイドルマスターシリーズ)・・・浜面仕上のサーヴァント アーチャー(ゲルニカ)AA:リオレウス(モンスターハンター)・・・桐生萌郁のサーヴァント ランサー(ティックトック)AA:ジャンク・ウォリアー(遊戯王シリーズ)・・・赤木しげるのサーヴァント ライダー(ドン・キホーテ)AA:カイン・ハイウインド(ファイナルファンタジーシリーズ)・・・神崎蘭子のサーヴァント バーサーカー(ペット・セマタリー)AA:エンヤ婆(ジョジョの奇妙な冒険)・・・ステラ・ルーシェのサーヴァント セイバー(菊千代)AA:佐々木小次郎(Fate/stay night)・・・グラハム・スペクターのサーヴァント フィクサー("智多星"呉学究)AA:諸葛亮孔明(ジャイアントロボ)・・・八騎目、イヴのサーヴァント その他登場人物 キョン(涼宮ハルヒの憂鬱)・・・キャスターの作者、戦争に行き死亡した。 ニャルラトテプAA:ネロ・クラウディウス(Fate/Extra)・・・ カール・オザヴァルド(戦場のヴァルキュリアシリーズ)・・・『災厄の鴉』和住野支部所属 滝壺理后(とあるシリーズ)・・・アイテム所属の魔術師 境界の聖杯戦争 + ... 主人公 できない子(2ch)・・・ マスター 南倍南 (玄人のひとりごと)・・・南明神社の神主 チェフェイ(女神転生シリーズ)・・・山栄神社の管理者にして祭神 ナイア(魔法少女プリティベル)・・・六常神社の管理人 龍驤(艦隊これくしょん-艦これ-)・・・古明神社の跡取り娘 ストライダー飛竜(ストライダー飛竜)・・・ 木山春生(とあるシリーズ) サーヴァント セイバー(カルキノス)AA:蒼星石(ローゼンメイデン)・・・できない子のサーヴァント アサシン(鴆)AA:ミスティア・ローレライ(東方Project)・・・ストライダー飛竜のサーヴァント キャスター(サハデワ)AA:前原圭一(ひぐらしのなく頃に)・・・南倍南のサーヴァント アーチャー(ジャン・シャストル)AA:ムスカ大佐(天空の城ラピュタ)・・・龍驤のサーヴァント ライダー(赤兎馬)AA:ポニータ(ポケットモンスター)・・・チェフェイのサーヴァント ランサー(ムーンビースト)AA:蛙吹梅雨(僕のヒーローアカデミア)・・・ナイアのサーヴァント バーサーカー(カレカ)AA:竜宮レナ(ひぐらしのなく頃に)・・・木山春生のサーヴァント その他登場人物 ロバート・E・O・スピードワゴン(ジョジョの奇妙な冒険)・・・封印指定の魔術師、できない子の師匠 造物大女王AA:姉帯豊音(咲-Saki-)・・・ 神威がくぽ(VOCALOID)・・・ ねずみ男(ゲゲゲの鬼太郎)・・・妖怪 誰も知らない聖杯戦争 + ... 主人公 ねらう牙(2ch)・・・フリーの呪術師 龍血覚醒状態AA:ウォーグレイモン(デジタルモンスター) 登場人物 三峰真白(未確認で進行形)・・・ねらう牙の友人 シモン(天元突破グレンラガン)・・・ねらう牙の友人 やってられっか代(2ch)・・・ 魔術関連特務課 ペルフェクティ(アカツキ電光戦記)・・・ゲゼルシャフト日本支部長 ウィル子(戦闘城塞マスラヲ) ヒメAA:北方棲姫(艦隊これくしょん-艦これ-)・・・武装ホムンクルス サーヴァント ライダー(ゴーストライダー)AA:鬼柳京介(遊戯王) ブライド(黄金の花嫁)AA:フェイト・テスタロッサ(リリカルなのはシリーズ)・・・ねらう牙のサーヴァント ストーリーテラー(ヴォイニッチ手稿)AA:アナザーブラッド(デモンベイン) サバイバー(宗谷)AA:アルトリア・ペンドラゴン(Fate/stay night) オーディエンス(ジャックランタン)AA:マホロア(星のカービィ) バイパー(七歩蛇)AA:チキ(ファイアーエンブレム) ミュージシャン("鉄叫子"楽和)AA:鏡音レン(VOCALOID) ガーディアン(ヴイーヴル)AA:紅美鈴(東方Project) Call of Silent Hill + ... 主人公 ジョセフ・ロイヴァスAA:主人公(デビルサバイバー)・・・記憶喪失の少年 女装AA:新田維緒 (デビルサバイバー2) マスター シルバーカラス(ニンジャスレイヤー) 桂言葉(School Days) ウィル子(戦闘城塞マスラヲ)・・・電脳存在 ゾルフ・J・キンブリー(鋼の錬金術師)・・・錬金術師 ルーク・フォン・ファブレ(テイルズ オブ ジ アビス) ハザマ(BLAZBLUE)・・・学者 サーヴァント アーチャー(甘粕正彦)AA:甘粕正彦(相州戦神館學園八命陣)・・・ジョセフ・ロイヴァスのサーヴァント キャスター(イタカ)AA:レミリア・スカーレット(東方Project)・・・シルバーカラスのサーヴァント アサシン(潘金蓮)AA:マリリン・スー(アカツキ電光戦記)・・・桂言葉のサーヴァント バーサーカー("行者"武松)AA:空条承太郎(ジョジョの奇妙な冒険)・・・ウィル子のサーヴァント ライダー(メアリー・リード)AA:天龍(艦隊これくしょん-艦これ-)・・・ゾルフ・J・キンブリーのサーヴァント ランサー(ナナウエ)AA:百計のクロ(ONE PIECE)・・・ルーク・フォン・ファブレのサーヴァント セイバー(バネ足ジャック)AA:メタナイト(星のカービィ)・・・ハザマのサーヴァント エクゼキュートナー(山田浅右衛門)AA:宇練銀閣(刀語)・・・ウィンドのサーヴァント その他登場人物 ???(千人切)AA:三角頭(サイレントヒル) 信波できる子(2ch) ウィンド・ゲーニッツAA:ゲニ子(KOF二次)・・・監督役 バオト・ズークァ・モグAA:デススティンガー(ZOIDS) 外伝 友の為の聖杯 + ... 主人公 シモン(天元突破グレンラガン) 登場人物 三峰真白(未確認で進行形) "ねらう牙(2ch) "フェイト(リリカルなのはシリーズ) サーヴァント セイバー("青面獣"楊志)AA:高杉晋助(銀魂) ライダー("豹子頭"林冲)AA:キリト(ソードアート・オンライン) キャスター("入雲龍"公孫勝)AA:高町なのは(リリカルなのはシリーズ) アーチャー("小李広"花英)AA:那須与一(ドリフターズ) ランサー("花和尚"魯智深)AA:江田島平八(魁!!男塾) アサシン("智多星"呉学究)AA:諸葛亮孔明(ジャイアントロボ) バーサーカー("黒旋風"李逵)AA:トルケル(ヴィンランド・サガ) ある愛の聖杯物語 + ... 主人公 ねらう代(2ch)・・・ マスター ゴルベーザ(FINAL FANTASYⅣ)・・・主催者 夢幻魔実也(夢幻紳士) 太公望(封神演義)・・・夢世界統治局のエージェント 森近霖之助(東方Project)・・・神社の神主にして魔法少女(男) 月読調(戦姫絶唱シンフォギアG) 鬼龍院皐月(キルラキル) サーヴァント アーチャー(ヘズ)AA:天城カイト(遊戯王ZEXAL)・・・ねらう代のサーヴァント セイバー(ワイナミョイネン)AA:クワイ=ガン・ジン(スターウォーズシリーズ)・・・太公望のサーヴァント ランサー(パロミデス)AA:SCP-076 - "Able" (SCP Foundation)・・・月読調のサーヴァント キャスター(禍津日神)AA:水橋パルスィ(東方project)・・・森近霖之助のサーヴァント バーサーカー(唸る獣)AA:キュゥべえ(魔法少女まどか☆マギカ)・・・鬼龍院皐月のサーヴァント アサシン(イゼベル)AA:十六夜アキ(遊戯王5D's)・・・ゴルベーザのサーヴァント ライダー("双鞭"呼延灼)AA:リヴァイ(進撃の巨人)・・・夢幻魔実也のサーヴァント その他登場人物 マリィ(Dies irae)・・・夢幻魔実也の恋人 シスター・カーミラ(やる夫スレオリジナル) 秋月律子(アイドルマスターシリーズ)・・・月読調のプロデューサー 松前 緒花(花咲くいろは) 佐野 清一郎(うえきの法則)・・・旅館の若旦那ゴルベーザの正体 ベルAA:ベール=ゼファー(ナイトウィザード) 聖杯による戦争 + ... 主人公 ラグナ・ザ・ブラッドエッジ(BLAZBLUE)・・・国軍所属の武官 マスター プリンツ・オイゲン(艦隊これくしょん-艦これ-)・・・国営魔道研究所の魔術官にして死徒 ユーノ・スクライア(リリカルなのはシリーズ)・・・聖堂教会所属の外部協力者 キバオウ(ソードアート・オンライン)・・・元国軍の反乱軍 カギ爪の男(ガン・ソード)・・・反乱軍の首魁 サーヴァント ライダー(零戦二二型)AA:沖田総司(fateシリーズ)・・・ラグナ・ザ・ブラッドエッジのサーヴァント ライダー(エルドリッジ)AA:黒木 智子(私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い)・・・プリンツ・オイゲンのサーヴァント ライダー(パンジャンドラム)AA:島風(艦隊これくしょん-艦これ-)・・・ユーノ・スクライアのサーヴァント アーチャー(AK‐47)AA:ソ連兵(メタルギアシリーズ) アーチャー(金輪砲)AA:霧雨魔理沙(東方project)・・・キバオウのサーヴァント アーチャー(80cm列車砲)AA:シノン(ソードアート・オンライン)・・・キバオウのサーヴァント ジェノサイダー(核兵器)AA:アザトース(クトゥルフ神話)・・・カギ爪の男のサーヴァント その他登場人物 新城直衛(皇国の守護者)・・・ラグナの上司 エルフィ・フォン・ブラウン(やる夫スレオリジナル)・・・国立魔道研究所監査官 ヴァッシュ・ザ・スタンピード(トライガン)・・・聖堂協会所属 クローンヤクザ(ニンジャスレイヤー)・・・反乱軍の兵卒 電脳世界の聖杯戦争 + ... 主人公 ユウキ(ソードアート・オンライン)・・・ マスター 花京院典明(ジョジョの奇妙な冒険)・・・ ウィル子(戦闘城塞マスラヲ)・・・ 桂木桂馬(神のみぞ知るセカイ)・・・ ティオ・プラトー(英雄伝説シリーズ)・・・警察庁魔術関連特務課所属 R・田中一郎(究極超人あ〜る )・・・ 朝霧アサギ(日本一ソフトウェア)・・・ サーヴァント イーター(バブー)AA:サシャ(進撃の巨人)・・・ユウキのサーヴァント インベーダー(インベーダー)AA:ボール(機動戦士ガンダム)・・・花京院典明のサーヴァント セイヴァー(トワイス・ピースマン)AA:ジェイル・スカリエッティ(リリカルなのはシリーズ)・・・ウィル子のサーヴァント サバイバー(リサ・トレヴァー)AA:カオス(そらのおとしもの)・・・桂木桂馬のサーヴァント アヴェンジャー(魔王オディオ)AA:ワラキアの夜(MELTY BLOOD)・・・ティオ・プラトーのサーヴァント カルキュレイター(コンピューター)AA:初音ミク(VOCALOID)・・・R・田中一郎のサーヴァント ジョーカー(ジョーカー)AA:仮面ライダーW・・・朝霧アサギのサーヴァント エンペラー(太宗)AA:曹操(蒼天航路) その他登場人物 チクタクマンAA:ジャンク・ウォリアー(遊戯王シリーズ)・・・GM 天野銀次(Get Backers) 追い求める聖杯 + ... 主人公 ランサー(エイハブ)AA:クーフーリン(Fate/stay night) 登場人物 ???AA:千川 ちひろ(アイドルマスターシリーズ) エルフィ・フォン・ブラウン(やる夫スレオリジナル)・・・国立魔道研究所監査官 ユイ(ソードアート・オンライン)・・・研究所の管理AI キバオウ(ソードアート・オンライン) サーヴァント セイバー(サハデワ)AA:前原圭一(ひぐらしのなく頃に) アサシン(リディア・オラー)AA:洩矢諏訪子(東方Project) アーチャー(石川五右衛門)AA:ルパン三世(ルパン三世) キャスター(カレカ)AA:竜宮レナ(ひぐらしのなく頃に) チェイサー(ティンダロスの猟犬)AA:ラピード(テイルズオブヴェスペリア) ライダー("美髯公"朱仝)AA:関羽(蒼天航路) バーサーカー(モビィ・ディック)AA:カイオーガ(ポケットモンスター) アイドルマスターホーリーカップ + ... 主人公 キル子(2ch)・・・キル夫の従兄弟 マスター 輿水幸子(アイドルマスターシリーズ) 結月ゆかり(VOCALOID) 月読調(戦姫絶唱シンフォギアG) 神崎蘭子 (アイドルマスターシリーズ)・・・ グラハム・スペクター(バッカーノ)・・・ ユイ(Angel Beats!) 三浦あずさ・・・ サーヴァント バーサーカー(エリザベート・バートリー)AA:エリザベート・バートリー(Fate/ExtraCCC)・・・キル子のサーヴァント セイバー(最上義光)AA:衛宮切嗣(FATE/ZERO)・・・輿水幸子のサーヴァント アーチャー(チェ・ゲバラ)AA:シックス(魔人探偵脳噛ネウロ)・・・結月ゆかりのサーヴァント ランサー("鉄叫子"楽和)AA:AA:鏡音レン(VOCALOID) ・・・月読調のサーヴァント アサシン(マーサ・ジェーン・カナリー)AA:菊地真(アイドルマスターシリーズ)・・・神崎蘭子のサーヴァント ライダー(給糧艦間宮)AA:薙切えりな(食戟のソーマ)・・・グラハム・スペクターのサーヴァント キャスター(黄金の花嫁)AA:フェイト・テスタロッサ(リリカルなのはシリーズ)・・・ユイのサーヴァント アヴェンジャー(エリザベート・バートリー)AA:レッド・デーモンズ・ドラゴン その他登場人物 あきつ丸(艦隊これくしょん-艦これ-)・・・キル子の学友 禍津日神AA:水橋パルスィ(東方project) 森近霖之助(東方Project)・・・神社の神主 レッド(ポケットモンスター) 死の淵の聖杯 + ... 主人公 ダンマ・バク(やる夫スレオリジナル)・・・何でも屋の魔術使い マスター ヴィネガー・ドッピオディアボロ(ジョジョの奇妙な冒険)・・・ 雨生龍之介(FATE/ZERO)・・・ 桂木桂馬(神のみぞ知るセカイ)・・・ ストレングス(ブラック★ロックシューター)・・・ 足立透(ペルソナ4)・・・ カギ爪の男(ガン・ソード)・・・反乱軍の首魁 サーヴァント ヒロイン(仮)バーサーカー(駒姫)AA:イリヤスフィール・フォン・アインツベルン(Fate/stay night)・・・ダンマ・バクのサーヴァント セイバー("黒旋風"李逵)AA:トルケル(ヴィンランド・サガ)・・・雨生龍之介のサーヴァント サバイバー(リサ・トレヴァー)AA:カオス(そらのおとしもの)・・・桂木桂馬のサーヴァント アサシン(ペイルライダー)AA:グリムジョー・ジャガージャック(BLEACH)・・・ストレングスのサーヴァント キャスター(エルドリッジ)AA:黒木 智子(私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い)・・・足立透のサーヴァント ライダー(カロン)AA:赤屍蔵人・・・カギ爪の男のサーヴァント アーチャー(ウィリアム・マーチン)AA:提督(艦隊これくしょん-艦これ-)・・・ヴィネガー・ドッピオのサーヴァント 案内役 ???AA:言峰綺礼(Fate/stay night) ???AA:千川 ちひろ(アイドルマスターシリーズ) チクタクマンAA:ジャンク・ウォリアー(遊戯王シリーズ) 赤の女王AA:ネロ・クラウディウス(Fate/Extra) R・田中一郎(究極超人あ〜る ) ニャル子(這い寄れよニャル子さん) ティンダロスの猟犬AA:ラピード(テイルズオブヴェスペリア) 死の淵の手前の聖杯戦争 + ... 主人公 信波ねらう緒(2ch)・・・符術師の魔術使い マスター 江ノ島盾子(ダンガンロンパ)・・・ ゲーニッツ(キング・オブ・ファイターズ)・・・聖堂教会の神父 神代小蒔(咲-Saki-)・・・神社の巫女 ジュライ(アリアンロッドRPG)・・・ ペットショップ(ジョジョの奇妙な冒険)・・・ エレクトロゾルダート(アカツキ電光戦記)・・・ イワン(ジャイアントロボ)・・・ サーヴァント キャスター(クドラク)AA:早坂美玲(アイドルマスターシリーズ)・・・ねらう緒のサーヴァント バーサーカー(クルースニク)AA:二宮飛鳥(アイドルマスターシリーズ)・・・江ノ島盾子のサーヴァント セイバー(稲生平太郎)AA:島津豊久(ドリフターズ)・・・ゲーニッツのサーヴァント ランサー("関大刀"関勝)AA:愛紗(恋姫†夢想シリーズ)・・・ジュライのサーヴァント アーチャー(ケサランパサラン)AA:チノ(ご注文はうさぎですか?)・・・神代小蒔のサーヴァント キャスター(エオフ・バルヘ)AA:カルナ(Fate/Apocrypha)・・・ペットショップのサーヴァント ライダー(給糧艦間宮)AA:薙切えりな(食戟のソーマ)・・・エレクトロゾルダートのサーヴァント アサシン(D.B.クーパー)AA:球体紳士(2ch)・・・イワンのサーヴァント その他登場人物 信波かくれ奈(2ch)・・・ねらう緒の妹 バオト・ズークァ・モグAAデススティンガー(ZOIDS) 君と出会うための聖杯 + ... 主人公 アサシン(バグ)AA:ヤルカイザー(2ch)・・・ サーヴァント キャスター(宿星)AA:寅丸星 (東方Project) アーチャー(鎌鼬)AA:蒼炎のカイト / 葬炎の騎士(Roots / G.U.) ライダー(正義)AA:仮面ライダーブラック(仮面ライダーBLACK) セイバー(赤き騎士)AA:イスカンダル(FATE/ZERO) バーサーカー(オオナマズ)AA:遊佐こずえ (アイドルマスターシリーズ) ルーラー(ラプラスの悪魔)AA:渚カヲル(新世紀エヴァンゲリオン) その他登場人物 トゥアール(俺、ツインテールになります。) 贄喰らう夜の聖杯戦争 + ... 主人公 竃門炭治郎(鬼滅の刃)・・・ マスター エルシャール・レイトン(レイトン教授シリーズ)・・・民俗学を専攻している大学教授 X(魔人探偵脳噛ネウロ)・・・ 須藤竜也(女神異聞録ペルソナ・ペルソナ2)・・・自称正義のヒーロー 変身後AA:ヴェノム(マーベルコミック) 姉帯豊音(咲-Saki-)・・・オカルト好きのフリーター 伊集院隼人(CITY HUNTER)・・・街の喫茶店のマスター アルル・ナジャ(ぷよぷよ)・・・聖堂教会の魔術師 サーヴァント アサシン(シトナイ)AA:雨宿まち(くまみこ)・・・竃門炭治郎のサーヴァント ランサー(ミシャグジ様)AA:仮面ライダー王蛇(仮面ライダー龍騎)・・・エルシャール・レイトンのサーヴァント アーチャー(老狒々)AA:ラージャン(モンスターハンター)・・・Xのサーヴァント キャスター(ジョセフ・ギヨタン)AA:成歩堂龍一(逆転裁判シリーズ)・・・須藤竜也のサーヴァント セイバー("病関索"楊雄)AA:瀬田宗次郎(るろうに剣心)・・・姉帯豊音のサーヴァント ライダー(白起)AA:ブラッドレイ(鋼の錬金術師)・・・伊集院隼人のサーヴァント バーサーカー(チェキスト)AA:大尉・・・アルル・ナジャのサーヴァント その他登場人物 大連寺鈴鹿(東京レイヴンズ)・・・死徒となった炭治郎の幼馴染 竃門まゆAA:佐久間まゆ(アイドルマスターシリーズ)・・・炭治郎の姉 竈門珠姫AA:川添珠姫(BAMBOO BLADE)・・・炭治郎の妹 ラーン=テゴスAA:シュマゴラス(マーベルコミック) ウサミンの廃墟探訪記 + ... 主人公 安部菜々(アイドルマスターシリーズ)・・・ 登場人物 カメラマンAA:ストライダー飛竜(ストライダー飛竜) トンベリ(FINAL FANTASYシリーズ) サーヴァント セイバー(鎌鼬)AA:蒼炎のカイト / 葬炎の騎士(Roots / G.U.) キャスター(カーバンクル)AA:真紅(ローゼンメイデン) ランサー(月兎)AA:トキ(北斗の拳) アーチャー(ビリーナ)AA:イエロー(ポケットモンスターSPECIAL) ライダー(ティモシー)AA:雪風(艦隊これくしょん-艦これ-) バーサーカー(鼠の王)AA:七英雄(ロマンシングサガ2)分離後AA:モーラット(シルバーレイン) アサシン(鴆)AA:ミスティア・ローレライ(東方Project) 孤島に眠る者共の聖杯 + ... 主人公 桜木信也AA:やってられっか夫の好敵手・・・元レスラー志望のトレジャーハンター 登場人物 風浦可符香(さよなら絶望先生)・・・「無貌」の化身 サーヴァント サバイバー(ラーン=テゴス)AA:白坂小梅(アイドルマスターシリーズ)・・・桜木信也のサーヴァント キャスター(モロク)AA:ジル・ド・レェ(FATE/ZERO) セイバー(九天玄女)AA:霍青娥(東方Project) ランサー(サンタ・ムエルテ)AA:聖白蓮(東方Project) アサシン(バオト・ズークァ・モグ)AA:零崎人識(戯言シリーズ) ライダー(天津甕星)AA:ダオス(テイルズオブファンタジア) アーチャー(ザミエル)AA:魔弾のリグレット(テイルズオブジアビス) バーサーカー(クトゥグア)AA:紅麗(烈火の炎) 雪降る夏の聖杯戦争 + ... 主人公 ヨハン・ファウスト17世AA:ヨハン・ファウスト八世(シャーマンキング)・・・医者 マスター シスターリリィ(やる夫スレオリジナル)・・・ 狛枝凪斗(ダンガンロンパシリーズ)・・・動画投稿者の一般人 アリー・アル・サーシェス(機動戦士ガンダム00)・・・魔術使いの傭兵 弱音ハク(VOCALOID)・・・監督役 横島忠夫(GS美神 極楽大作戦!!)・・・ヤクザの下っ端 暁切歌(戦記絶唱シンフォギア)・・・狛枝凪斗の助手 サーヴァント ランサー("霹靂火"秦明)AA:ヘラクレス(Fate/stay night)・・・ヨハン・ファウスト17世のサーヴァント アヴェンジャー(ジャック・ド・モレー)AA:ジェレミア・ゴットバルト(コードギアス反逆のルルーシュ)・・・シスターリリィのサーヴァント セイバー(細川忠興)AA:雪代縁(るろうに剣心)・・・狛枝凪斗のサーヴァント アーチャー(アドルフォ・コンスタンツォ)AA:ネギ・スプリングフィールド(魔法先生ねぎま!)・・・アリー・アル・サーシェスのサーヴァント アサシン(メフィストフェレス)AA:一ノ瀬志希(アイドルマスターシリーズ)・・・弱音ハクのサーヴァント ライダー(アン・ボニー)AA:龍田(艦隊これくしょん-艦これ-)・・・横島忠夫のサーヴァント キャスター(ルードヴィヒ二世)AA:田中眼蛇夢(ダンガンロンパシリーズ)・・・暁切歌のサーヴァント その他登場人物 ポーラ(艦隊これくしょん-艦これ-)・・・弱音ハクの友人 ルリム=シャイコースAA:ルサルカ・シュヴェーゲリン(Dies irae) 至郎田正影(魔人探偵脳噛ネウロ)・・・ヨハンの患者 ヴァレリア・トリファ(Dies irae) 凍てついた聖杯戦争 + ... 主人公 苗木誠(ダンガンロンパシリーズ)・・・土地管理人の息子 マスター 狛枝凪斗(ダンガンロンパシリーズ)・・・動画投稿者の一般人 暁切歌(戦記絶唱シンフォギア)・・・狛枝凪斗の助手 プリンツ・オイゲン(艦隊これくしょん-艦これ-)・・・ ガーゴイル(ふしぎの海のナディア)・・・ カースメーカー(世界樹の迷宮)・・・ ルサルカ・シュヴェーゲリン(Dies irae)・・・ サーヴァント ランサー(菌神)AA:星輝子(アイドルマスターシリーズ)・・・苗木誠のサーヴァント アサシン(グレムリン)AA:ナイトブレイザー(ワイルドアームズ セカンドイグニッション)・・・ガーゴイルのサーヴァント アーチャー(ガトリング砲)AA:仮面ライダーG3(仮面ライダーアギト)・・・カースメーカーのサーヴァント ライダー(駆逐艦ズビアン)AA:ヴェロニカ(フランケン・ふらん)・・・暁切歌のサーヴァント セイバー("入雲龍"公孫勝)AA:高町なのは(リリカルなのはシリーズ)・・・狛枝凪斗のサーヴァント キャスター("混世魔王"樊瑞)AA:爆豪勝己(僕のヒーローアカデミア)・・・プリンツ・オイゲンのサーヴァント バーサーカー(冬木聖杯)AA:アイリスフィール・フォン・アインツベルン(FATE/ZERO)・・・ ルーラー(冬木大聖杯)AA:ルサルカ・シュヴェーゲリン(Dies irae) その他登場人物 グランマ(Cookie Clicker) ジン(名探偵コナン)・・・苗木誠の師匠 苗木陽乃AA:雪ノ下陽乃(やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。)・・・苗木誠の姉 滅びの聖杯戦争 + ... 主人公 ねらう緒(2ch)・・・ マスター ホミカ(ポケットモンスターシリーズ)・・・ 鶴見中尉(ゴールデンカムイ)・・・ ユーノ・スクライア(リリカルなのはシリーズ)・・・聖堂教会所属 イヴ(Ib)・・・ 左門召介(左門くんはサモナー)・・・自称天才魔術師 テラーAA::アナザーブラッド(デモンベイン)・・・ サーヴァント キャスター(リディア・オラー)AA:洩矢諏訪子(東方Project)・・・ねらう緒のサーヴァント バーサーカー(ジャック・ケッチ)AA:悪魔の騎士/死神の騎士(ドラゴンクエストシリーズ)・・・鶴見中尉のサーヴァント ライダー(ホワイトライダー)AA:ホワイトグリント(アーマード・コアシリーズ)・・・ユーノ・スクライアのサーヴァント セイバー(ジュリエット・キャピュレット)AA:速水奏(アイドルマスターシリーズ)・・・イヴのサーヴァント アサシン("催命判官"李立)AA:秋山醤(鉄鍋のジャン!)・・・左門召介のサーヴァント アーチャー(弾正様)AA:エドワード・エルリック(鋼の錬金術師)・・・テラーのサーヴァント ランサー(蠍)AA:静謐のハサン(Fate/Prototype 蒼銀のフラグメンツ)・・・ホミカのサーヴァント ルーラー(ウィリアム・シェイクスピア)AA:ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Fate/ExtraCCC) その他登場人物 ムカデAA:ペンドラー(ポケットモンスターシリーズ)・・・ホミカのお守 時計塔AA:十六夜咲夜(東方Project) 電算箱の中の聖杯戦争 + ... 主人公 相馬七四AA:ハンター七四(やる夫スレオリジナル)・・・ サーヴァント アーチャー("混世魔王"樊瑞)AA:爆豪勝己(僕のヒーローアカデミア) セイバー(赤羽刀)AA:ギルガメッシュ(FINAL FANTASYシリーズ) アサシン(ブギーマン)AA:木山春生(とあるシリーズ) キャスター(黒き騎士)AA:ダースベイダー(スターウォーズ) ルーラー(チェーホフの銃)AA:有里湊(ペルソナシリーズ) ライダー(アルゴ座)AA:響(艦隊これくしょん-艦これ-) バーサーカー(オオナマズ)AA:遊佐こずえ (アイドルマスターシリーズ) その他登場人物 メカクレ夫(2ch)・・・七四の友人 ユイ(ソードアート・オンライン)・・・研究所の管理AI 聖杯を巡るデスマッチ + ... 主人公 ネームレスヒーロー(やる夫スレオリジナル) ・・・M・Mの花形レスラー魔術師、複合英霊 マスター ユダ(北斗の拳)・・・ネームレスの同僚のヒールレスラー魔術師 駆逐棲姫(艦隊これくしょん-艦これ-)・・・ネームレスのファン、記憶喪失の国際指名手配犯 イリス・シャトーブリアン(アイリス) (サクラ大戦)・・・永遠の命を研究する魔術師 ミストバーン(ダイの大冒険)・・・悪魔将軍の側近 ゼロス(スレイヤーズ)・・・教会の監督役 ヴィルヘルム・エーレンブルグ(ベイ)(Dies irae)・・・ サーヴァント ライダー(徳川吉宗)AA:緋村剣心(るろうに剣心)・・・ネームレスヒーローのサーヴァント キャスター(聖ワルプルガ)AA:リリーホワイト(東方Project) ・・・ユダのサーヴァント セイバー("行者"武松)AA:空条承太郎(ジョジョの奇妙な冒険)・・・アイリスのサーヴァント ルーラー(アストライアー)AA:南条光(アイドルマスターシリーズ) ・・・駆逐棲姫のサーヴァント アーチャー(董卓(董白))AA:黒雪姫(アクセル・ワールド)・・・ゼロスのサーヴァント バーサーカー(デモゴルゴン)AA:ゴーストフェイス(スクリーム)・・・ベイのサーヴァント アサシン(アパッシュ)AA:桐生 一馬(龍が如く)・・・ミストバーンのサーヴァント その他登場人物 悪魔将軍(キン肉マン)・・・M・Mのボス きゅうきょくキマイラ(MOTHERシリーズ)・・・ゼロスが使役する魔獣 森の中の聖杯戦争 + ... 主人公 バーサーカー(ディオニュソス)AA:折原臨也(デュラララ!!)・・・森久保乃々のサーヴァント マスター 森久保乃々(アイドルマスターシリーズ)・・・アイドル エリカ(ポケットモンスター)・・・ 煙(ドロヘドロ) ・・・森の権利者 狩人(Bloodborne)・・・ 西山徹(彼岸島)・・・文房具屋 トニオ・トラサルディー(ジョジョの奇妙な冒険)・・・ 乾十三(ノー・ガンズ・ライフ) ・・・ 信波美玲AA:早坂美玲(アイドルマスターシリーズ)・・・ サーヴァント セイバー(平維茂)AA:朽木白哉(BLEACH)・・・西山徹のサーヴァント ライダー(紅梅殿)AA:パチュリー・ノーレッジ(東方Project)・・・乾十三のサーヴァント アーチャー(アイヌラックル)AA 我妻善逸(鬼滅の刃)・・・エリカのサーヴァント ランサー(アドニス)AA:ツナシ・タクト(STAR DRIVER 輝きのタクト)・・・狩人のサーヴァント アサシン("一枝花"蔡慶)AA:虹村億泰(ジョジョの奇妙な冒険)・・・トニオ・トラサルディーのサーヴァント ???トラッパー(マダガスカルの木)AA:アトラの蟲惑魔(遊戯王シリーズ)・・・煙のサーヴァント キャスター(ラスコヴニク)AA:桐間 紗路(ご注文はうさぎですか?)・・・信波美玲のサーヴァント その他登場人物 竈門珠姫AA:川添珠姫(BAMBOO BLADE)・・・ 安部菜々(アイドルマスターシリーズ)・・・ 神崎蘭子 (アイドルマスターシリーズ)・・・ 異なる可能性の聖杯 + ... 主人公 やんねえ絶(2ch)・・・ マスター 風浦可符香(さよなら絶望先生)・・・ キバオウ(ソードアート・オンライン)・・・ ウィンド・ゲーニッツAA:ゲニ子(KOF二次)・・・ 神代小蒔(咲-Saki-)・・・ 吾妻由乃(未来日記)・・・ ディアボロ(ジョジョの奇妙な冒険)・・・ 球磨川禊(めだかボックス)・・・ サーヴァント アーチャー(アインザッツグルッペン)AA:鷹野三四(ひぐらしのなく頃に)・・・やんねえ絶のサーヴァント アサシン(ジュリア・トファナ)AA:八意永琳(東方Project)・・・ウィンドのサーヴァント ライダー("醜郡馬"宣贊)AA:ハクメン(BLAZBLUE)・・・キバオウのサーヴァント ランサー(ツタンカーメン)AA:武藤遊戯(遊戯王)・・・風浦可符香のサーヴァント キャスター(恋愛小説)AA:喜多日菜子(アイドルマスターシリーズ)・・・吾妻由乃のサーヴァント セイバー(村正)AA:両儀式(空の境界)・・・ディアボロのサーヴァント バーサーカー(二笑亭)AA:岸辺露伴(ジョジョの奇妙な冒険)・・・球磨川禊のサーヴァント ???フェイラー(パンジャンドラム)AA:島風(艦隊これくしょん-艦これ-)・・・神代小蒔のサーヴァント その他登場人物 エルフィール・トラウム(アトリエシリーズ)・・・やんねえ絶の知り合いの魔術師 前回のアサシン(宇喜多直家)AA:ロイ・マスタング(鋼の錬金術師)・・・エルフィール・トラウムのサーヴァント 繰り返す聖夜の聖杯戦争 + ... 主人公 川村ヒデオ(戦闘城塞マスラヲ)・・・ サーヴァント キャスター(恋愛小説)AA:喜多日菜子(アイドルマスターシリーズ)・・・川村ヒデオのサーヴァント アーチャー(エーリッヒ・フォン・ファルケンハイン)AA:シャア・アズナブル(機動戦士ガンダム)・・・ アサシン(ユールキャット)AA:不知火半袖(めだかボックス)・・・ ライダー(アメイジンググレイス)AA:IA(VOCALOID)・・・ ランサー("鉄叫子"楽和)AA:AA:鏡音レン(VOCALOID)・・・ セイバー(尼子経久)AA:ジョセフ・ジョースター(ジョジョの奇妙な冒険)・・・ノエル=ヴァーミリオンのサーヴァント ???バーサーカー(マリアンヌ・プゾル)AA:赤城みりあ (アイドルマスターシリーズ)・・・ ルーラー(サンタ・ムエルテ)AA:巡音ルカ(VOCALOID) その他の登場人物 ドクター・ウェスト(デモンベイン)・・・医者 弱音ルカAA 巡音ルカ(VOCALOID)・・・教会の事務員 ノエル=ヴァーミリオン(BLAZBLUE)・・・教会のシスター ポーラAA:レーベレヒト(艦隊これくしょん-艦これ-) 不思議な美術館の物語 + ... 主人公 メアリーAA わたし(人類は衰退しました) マスター 無個性AA 名瀬夭歌(めだかボックス) 失敗作AA ジャギ(北斗の拳) 赤い服の女AA 下弦の肆・零余子(鬼滅の刃) ギャリー(Ib) 赤色の目AA 入巣京子(いりす症候群!) 深海の世AA スタン(ボクと魔王) サーヴァント バーサーカー(美しき肖像画(ドリアン・グレイの肖像))AA:メアリー(Ib)・・・メアリーのサーヴァント ライダー(花石綱)AA:夢見りあむ(アイドルマスターシリーズ)・・・ギャリーのサーヴァント アーチャー(マリアンヌ(民衆を導く自由の女神))AA:巴マミ(魔法少女まどかマギカ)・・・無個性のサーヴァント キャスター(太陽の塔)AA:太陽の戦士ソラール(DARK SOULS)・・・失敗作のサーヴァント セイバー(天国)AA 比古清十郎(るろうに剣心)・・・赤色の目のサーヴァント アサシン(ホープダイヤ)AA:レヴェリー=メザーランス(エレメンタル・ジェレイド)・・・赤い服の女のサーヴァント ランサー(阿形)AA:範馬勇次郎(グラップラー刃牙)・・・深海の世のサーヴァント ルーラー(ワイズ・ゲルテナ)AA:坂巻泥怒(双亡亭壊すべし) その他の登場人物 うそつきAA ベルファスト(アズールレーン) 誘う宝石箱の魔窟AA ゲルニカ(トラウマイスタ) 最終章AA 死んだ蝶の葬儀(Lobotomy Corporation) 絵空事の世界AA:ドーブル(ポケットモンスター) 最後の舞台AA アリナ・グレイ(マギアレコード) 銃と落伍者と聖杯 + ... 主人公 黒鉄アルト(やる夫スレオリジナル) 霧切響子(ダンガンロンパ) マスター マーニー(名探偵マーニー) ・・・探偵の助手 ブンビー(es!プリキュア5・GoGo!)・・・ ヴァン・ヘルシング(ヴァン・ヘルシング Darkness Blood) 童磨(鬼滅の刃) 薔薇水晶(Rozen Maiden) 御門院天海(ぬらりひょんの孫) 球磨川禊(めだかボックス)・・・館の主人 サーヴァント アサシン(ザミエル)AA:魔弾のリグレット(テイルズオブジアビス)・・・黒鉄アルトのサーヴァント キャスター(サラ・ウィンチェスター)AA:三船美優(アイドルマスターシリーズ)・・・童磨のサーヴァント セイバー(ホーム・ガード)AA:上条当麻(とあるシリーズ)・・・薔薇水晶のサーヴァント アーチャー(アドルフォ・コンスタンツォ)AA:ネギ・スプリングフィールド(魔法先生ねぎま!)・・・ブンビーのサーヴァント ランサー("轟天雷"凌振)AA:ターンX(∀ガンダム)・・・ヴァン・ヘルシングのサーヴァント ライダー(コルト・シングル・アクション・アーミー)AA:次元大介(ルパン三世)・・・マーニーのサーヴァント バーサーカー(エヴァリスト・ガロア)AA:L(DEATH NOTE)・・・御門院天海のサーヴァント ルーラー(チェーホフの銃)AA:有里湊(ペルソナシリーズ)・・・球磨川禊のサーヴァント 陳規AA:ギム・ギンガナム(∀ガンダム)・・・ランサーの真の姿 アサシン(デリンジャー)AA:レン(ガンゲイル・オンライン)・・・霧切響子のサーヴァント 二笑亭AA:岸辺露伴(ジョジョの奇妙な冒険) その他 シリアス(アズールレーン)・・・館のメイド 清算の聖杯戦争 + ... 主人公 キャスター(安徳天皇)AA:北条時行(逃げ上手の若君)・・・雪華綺晶のサーヴァント マスター 雪華綺晶(Rozen Maiden) 黒鉄アルト(やる夫スレオリジナル) ククル(終わりのセラフ) 手品先輩(手品先輩) 狛枝凪斗(ダンガンロンパシリーズ) 尾形百之介(ゴールデンカムイ) シン(北斗の拳) サーヴァント ランサー(サンタ・ムエルテ)AA:聖白蓮(東方Project)・・・黒鉄アルトのサーヴァント アサシン(掛川の研師)AA:小夜左文字(刀剣乱舞 )・・・手品先輩のサーヴァント アーチャー(ザミエル)AA:魔弾のリグレット(テイルズオブジアビス)・・・尾形百之助のサーヴァント ライダー(六条御息所)AA:白菊ほたる(アイドルマスターシリーズ)・・・狛枝凪斗のサーヴァント セイバー(捕鳥部万)AA:犬走椛(東方Project)・・・シンのサーヴァント バーサーカー("黒旋風"李逵)AA:トルケル(ヴィンランド・サガ)・・・ククルのサーヴァント 水のなかの聖杯戦争 + ... 主人公 サメAA:砂塚あきら(アイドルマスターシリーズ)・・・聖杯の力で人間になったサメ サーヴァント アヴェンジャー(人魚の娘)AA:成宮由愛(アイドルマスターシリーズ) バーサーカー(セドナ)AA:美樹さやか(魔法少女まどかマギカ) アサシン(船幽霊)AA:殺せんせー(暗殺教室) ライダー("浪裏白跳"張順)AA:サンジ(ONE PIECE) キャスター(デイヴィ・ジョーンズ)AA:ジャイアン(ドラえもん) アーチャー(呂500)AA:呂500((艦隊これくしょん-艦これ-) セイバー(エペタム)AA:月詠(魔法先生ネギま!!) その他登場人物 田中ぷにえ(大魔法峠 )・・・SPCエージェント 埼玉AA:サイタマ(ワンパンマン)・・・SPCエージェント テニール船長(ジョジョの奇妙な冒険)・・・SPCエージェント 番犬AA:犬の魔女 Uhrmann「ウアマン」(魔法少女まどかマギカ)・・バーサーカーの番犬 聖杯居酒屋繁盛記 + ... 主人公 冨岡義勇(鬼滅の刃)・・・居酒屋の店主 ユメAA:成宮由愛(アイドルマスターシリーズ) サーヴァント キャスター("旱地忽律"朱貴)AA:クロコダイル(ONE PIECE) ランサー(母里友信)AA:前田慶次(花の慶次) アサシン(マダガスカルの木)AA:アトラの蟲惑魔(遊戯王シリーズ) ライダー(トム・バーコック)AA:ジャック・スパロウ(パイレーツ・オブ・カリビアン) セイバー(フランソワ・ヴァテール)AA:山岡士郎(美味しんぼ) アヴェンジャー(オオウミガラス)AA:プリンセス・オブ・ザ・クリスタル(輪るピングドラム) バーサーカー("下水道の白いワニ")AA:ダークスパイナー(ゾイド) 居酒屋の客 童磨(鬼滅の刃) プリンツ・オイゲン(艦隊これくしょん-艦これ-) KAITO(VOCALOID) クルトーAA:ホロ(狼と香辛料) カンテレAA:ユイ(Angel Beats!) "混世魔王"樊瑞AA:爆豪勝己(僕のヒーローアカデミア) メアリーAA わたし(人類は衰退しました) 赤色の目AA 入巣京子(いりす症候群!) 鵺AA:ルーミア(東方Project) 泉こなた(らきすた) 早坂美玲(アイドルマスターシリーズ) 森久保乃々(アイドルマスターシリーズ) 星輝子(アイドルマスターシリーズ) エトナ(ディスガイアシリーズ) プリニー(ディスガイアシリーズ) 茨木童子AA:遠野秋葉(月姫) 赤ずきん(東京赤ずきん) 姉帯豊音(咲-Saki-) "病関索"楊雄AA:瀬田宗次郎(るろうに剣心) サメAA:砂塚あきら(アイドルマスターシリーズ) セドナAA:美樹さやか(魔法少女まどかマギカ) 竃門炭治郎(鬼滅の刃) シトナイAA:雨宿まち(くまみこ) 大連寺鈴鹿(東京レイヴンズ) ビリーナAA:イエロー(ポケットモンスターSPECIAL) ディオニュソスAA:折原臨也(デュラララ!!) やらない子(2ch) "火眼狻猊"鄧飛AA :リエラ・マルセリス(戦場のヴァルキュリア) トゥアール(俺、ツインテールになります。) アメイジンググレイスAA:IA(VOCALOID) "鉄叫子"楽和AA:AA:鏡音レン(VOCALOID) キル子(2ch) エリザベート・バートリー(Fate/ExtraCCC) 桂言葉(School Days) ジョセフ・ロイヴァスAA:主人公(デビルサバイバー) メアリー・リードAA:天龍(艦隊これくしょん-艦これ-) 唸る獣AA:キュゥべえ(魔法少女まどか☆マギカ) 田中ぷにえ(大魔法峠 ) メアリー(Ib) 胡蝶カナヲAA:栗花落カナヲ(鬼滅の刃) アルル・ナジャ(ぷよぷよ) ポーラ(艦隊これくしょん-艦これ-) ???AA:言峰綺礼(Fate/stay night) 球磨川禊(めだかボックス) 狛枝凪斗(ダンガンロンパシリーズ) 六条御息所AA:白菊ほたる(アイドルマスターシリーズ) 安徳天皇AA:北条時行(逃げ上手の若君) きめぇ代(2ch) 最後の舞台AA アリナ・グレイ(マギアレコード) 桜木信也AA:やってられっか夫の好敵手 白坂小梅(アイドルマスターシリーズ) 春雨(艦隊これくしょん-艦これ-) 聖ワルプルガAA:リリーホワイト(東方Project) "笑面虎"朱富AA ミスター2ボンクレー(ONE PIECE) 輿水幸子(アイドルマスターシリーズ) レッド(ポケットモンスター) 安部菜々(アイドルマスターシリーズ) 造物大女王AA:姉帯豊音(咲-Saki-) 霧切響子(ダンガンロンパ) ストライダー飛竜(ストライダー飛竜) 三峰真白(未確認で進行形) シモン(天元突破グレンラガン) ねらう牙(2ch) フェイト(リリカルなのはシリーズ) 黒き嵐の聖杯戦争 + ... 主人公 バーサーカー("黒旋風"李逵)AA:嘴平伊之助(鬼滅の刃)・・・宮本明のサーヴァント マスター 宮本明(彼岸島)・・・自称吸血鬼ハンター ブロリー(ドラゴンボール)・・・地元の一般人 ミステリオ(スパイダーマン)・・・外来魔術師の死徒 古明地こいし(東方Project)・・・放火魔 ボンドルド(メイドインアビス)・・・サカキ市長側近の魔術師 小林竜胆(食戟のソーマ)・・・B級グルメレポーター ランデル・オーランド(パンプキン・シザーズ)・・・地元の消防団 サーヴァント ヴィラン(ジェイソン・ボーヒーズ)AA:チェーンソーマン(チェーンソーマン)・・・小林竜胆のサーヴァント クリプティッド(ニューネッシー)AA:がうる・ぐら(ホロライブ)・・・ミステリオのサーヴァント フューエル(石油)AA:リムル(転生したらスライムだった件)・・・古明地こいしのサーヴァント サイエンティスト(助手)AA 牧瀬紅莉栖(シュタインズゲート)・・・ボンボルドのサーヴァント セイヴァー(ロザリア・ロンバルド)AA 上海人形(東方Project)・・・ランデル・オーランドのサーヴァント ルーラー(アナスタシア)AA オルソラ=アクィナス(とあるシリーズ)・・・ブロリーのサーヴァント その他 あさひAA 大妖精(東方Project)・・・仙女見習い サカキ(ポケットモンスター)・・・花履原市の市長 聖杯戦争 of the Dead + ... 主人公 十神白夜・・・自称辺境伯爵 マスター ボンドルド(メイドインアビス) ヨブ・トリューニヒト(銀河英雄伝説 音石明(ジョジョの奇妙な冒険) 東北きりたん(VOCALOID・UTAU) デイダラ(NARUTO) ソラス(千年戦争アイギス) サーヴァント ???ゾンビ(ゾンビ)AA:赤蛮奇(東方Project) ・・・十神白夜のサーヴァント セイバー("喪門神"鮑旭)AA:芹沢あさひ(アイドルマスターシリーズ) ・・・デイダラのサーヴァント ???フィロソファー(哲学的ゾンビ)AA:R・ドロシー・ウェインライト(THE ビッグオー)・・・東北きりたんのサーヴァント ???ドラッグ(危険ドラッグ)AA: 篠ノ之箒 (インフィニット・ストラトス)・・・ボンドルドのサーヴァント ペンタゴン(概念計画8888)AA:キャプテン・アメリカ(マーベルコミック)・・・ソラスのサーヴァント ???ランサー("鉄棒"欒廷玉)AA:杉元佐一(ゴールデンカムイ)・・・音石明のサーヴァント ツァーリ(偽ドミトリー)AA:御坂妹(とあるシリーズ)・・・ヨブ・トリューニヒトのサーヴァント ドラッガー(マイアミ・ゾンビ)AA ジョーカー(DCコミック) ディレクター(ジョージ・A・ロメロ)AA手塚治虫(手塚作品)・・・ボンドルドのサーヴァント {"黒旋風"李逵AA:嘴平伊之助(鬼滅の刃) ゾンビ(ゾンビ)AA:宮古芳香(東方Project) その他 コボルド(境界線上のホライゾン)・・・十神白夜の使い魔 あさひAA 大妖精(東方Project) 扉の向こう側の聖杯 + ... 主人公 志摩リン(ゆるキャン△) マスター 黒のワルツ(FINAL FANTASY IX)・・・妖精を研究している魔術師 ウタ(ONE PIECE)・・・吟遊詩人魔術師だったサイボーグ ウィルバー(賢い犬リリエンタール) ・・・ゲルテナマニアのクソ映画紹介系配信者 吉良吉影(ジョジョの奇妙な冒険)・・・土地の管理者 ニグレド(オーバーロード・・・自分子供を探すパフォーマー ジュラキュール・ミホーク(ONE PIECE) ・・・魔剣使いの魔術師 サーヴァント ???ピクチャー(忘れられた肖像)AA:イヴ(Ib)・・・志摩リンのサーヴァント ランサー()AA:武藤カズキ(武装錬金)・・・黒のワルツのサーヴァント ライダー()AA:シャルロット・デュノア(インフィニット・ストラトス)・・・ウタのサーヴァント バーサーカー()AA:ウルフルン(スマイルプリキュア!)・・・吉良吉影のサーヴァント キャスター(ジャン・ウジェーヌ・ロベール=ウーダン)AA:怪盗キッド(まじっく快斗)・・・ニグレドのサーヴァント アサシン()AA:メリー・ナイトメア(夢喰いメリー)・・・ミホークのサーヴァント
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/8675.html
対外関係 / 日韓関係 / 日朝関係 / 日米関係 / 朝鮮半島情勢 ーーー 戦後引揚者 +クチコミ検索〔日韓朝関係〕 #bf +ブログサーチ〔日韓朝関係〕 #blogsearch +ニュースサーチ〔日韓朝関係〕 累積販売数1億3000万個のクッションなど、韓国大ヒットコスメが勢揃い!楽天市場に「AK BEAUTY公式ショップ」オープン - PR TIMES 金正日は「小泉純一郎への使者」をこうして処刑した(高英起) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース HKT48、宮脇咲良卒業など分岐点迎えた2021年 矢吹奈子ら新たな柱の成長も(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北京五輪でレガシー狙った「文在寅外交」米国のボイコットで轟沈 五輪外交で南北の「終戦宣言」目論むもボイコット拡大で成算なし(1/8) - JBpress 中国が韓国の北京冬季五輪支持を評価―中国メディア (2021年12月9日) - エキサイトニュース チュ・サンウク&キム・ヨンチョル主演、新ドラマ「太宗イ・バンウォン」強烈なオーラのポスター公開(Kstyle) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国 けさのニュース(12月8日) - WOW! Korea 【時視各角】米中間の一本綱渡りの危うさ=韓国(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国が推進する「終戦宣言」 米国はあえて「終戦声明」表現する理由(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「中国」ではない? 米国の「最大の敵」、59%が「北朝鮮」と回答(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国が朝鮮半島の終戦宣言を支持(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 30年前の「統一教会」教祖の電撃訪朝から予見するローマ教皇訪朝の可能性(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 文大統領、米国防長官に「次期政権のために終戦宣言提案」(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 米中が対北軸に韓国の取り込み図る 米韓は対北作戦更新へ(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース IOI出身キム・チョンハ、毎日チャットも!メンバーとの変わらない友情…クリスマスも毎年一緒に?(Kstyle) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国外交部 北ミサイル巡る外交院長の発言は「個人の意見」(聯合ニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国にたどり着く脱北者が約50分の1に激減しているのはなぜか(JBpress) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国で「反日」超えた「嫌中」 中国映画の配給中止も(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国で「抗米」映画、歴代1位に 批判封殺の動きも(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 統一部「中朝国境封鎖解除についてまだ言える段階ではない」=韓国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 在日コリアン2世「週刊金曜日」新編集長「日韓、理解する人が減って遠ざかっている」(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース [コラム]日本の朝鮮半島支配に一助した「桂・タフト密約」で米国が非難される理由(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 専門家「韓国の対中あいまい戦略はもはや通用しない」と警告(THE Korea Economic Daily Global Edition) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 横田めぐみさん拉致から44年…岸田首相「拉致問題は最重要課題」で問われる本気度(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国「大学修学能力試験」問題用紙配布開始(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国与党の秋美愛選挙対策委員長「尹錫悦候補は日本の右翼が主張するような考え…外交のABCも知らない」(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国外交次官が米国行き…米中首脳会談後に日米韓外交次官会談=韓国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国大学入試まであと3日 試験当日校門前での応援自粛を要請(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国与党の大統領候補「米国の承認で日本が韓国を併合」 米議員との面会で(聯合ニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国世論「首脳好感度」 岸田総理6%で“中朝以下” - テレビ朝日 南北間の山林協力、法王の訪朝…文大統領の任期末の発言に批判相次ぐ=韓国(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 文在寅政権残り半年、朝鮮戦争の「終戦宣言」はあるか:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ 英国での日韓首脳会談は不発? 対話に「積極的な米韓」に「消極的な日朝」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国の王毅外相「北朝鮮、適時に米国と対話を再開するだろう」=中韓外相会談(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国政府、日韓関係改善を「始動」?…12月のPKO会議出席を「打診」=韓国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国の習近平国家主席、アメリカ圧迫で北朝鮮との関係を改めて重視=韓国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース あす(18日)から2日間、日米韓が北朝鮮核首席代表協議「対朝人道的支援の論議は仕上げの段階」=韓国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日韓関係だけではない、世界を揺るがす「歴史認識」問題 | オアシスのとんぼ | 澤田克己 - 毎日新聞 日韓首脳電話会談の「ギャップ」と「温度差」 関係改善「熱望の韓国」に「冷淡な日本」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日韓関係、北朝鮮問題考える 大阪で学術セミナー - 大阪日日新聞 - 大阪日日新聞 激動の世界を読む:体制維持図る北朝鮮 米朝再交渉の前哨戦か=慶応大名誉教授・小此木政夫 - 毎日新聞 “日本人拉致問題はすでに解決した問題”…北朝鮮の論理に憤る日本=韓国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北朝鮮のミサイル連続発射と「談話」攻勢の狙い | | 坂井隆 - 毎日新聞 韓国外交部「北朝鮮、“終戦宣言”に好意的…対北人道事業推進継続」(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 岸田新総裁選出を韓国のメディアはどう伝えたのか? 速報で伝えた韓国メディアの「論調」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 経済と食糧を優先、韓国に秋波、米国に失望、実妹の再抜擢――最高人民会議ではっきりした金正恩氏の胸の内(西岡省二) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 金正恩氏、韓国選挙見据え「融和」強調か 米朝対話には難色 - 時事通信ニュース 「政権交代でも、関係改善に期待薄」 歴史問題で壁 日韓世論調査 - 朝日新聞デジタル 資産売却命令、韓国政府側は「悪材料」「困惑」…日韓関係さらに悪化へ - 読売新聞 金正恩氏、習近平主席からの祝電に返電、中朝関係の結束の固さ強調(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国最大野党の大統領選有力候補が外交・安保について公約を発表(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北朝鮮と米国・日本の国交樹立 「朝鮮半島が安定」=韓国与党代表(聯合ニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 茂木氏訪米で日韓外相会談を調整…北ミサイル対応協議へ - 読売新聞 <W解説>南北初の対話から50年=韓国がもっと優先すべきは日韓関係・米韓関係(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国の101歳哲学者、文政権の中朝傾斜を憂慮 強権主義対抗、日本に期待 - 産経ニュース 右からも左からも叩かれる文在寅政権の「対日政策」 相次ぐ韓国での対日政策「批判本」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【正論】日韓関係を悪化させた元凶は モラロジー道徳教育財団教授・麗澤大学客員教授 西岡力 - 産経ニュース 日本は「嫌韓」のままだが、韓国は「反日」から「克日」に転換へ(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本と同じアメリカの同盟国なのに、韓国が中国には「いい顔」を見せる本当の理由 だから日韓関係は戦後最悪に至った - PRESIDENT Online 罵詈雑言が消え、ポエム調になった金与正談話 米韓演習に報復できない北朝鮮の事情:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ 韓国外相、来月の「訪米」推進…「米・韓・朝の対話再開、米韓首脳会談」を論議(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「史上最悪」の日韓関係修復のためのソウル大日本研究所の韓国政府への「10の提言」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 得意の「掌返し」で急展開の朝鮮半島情勢 北朝鮮の狙いは?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国の文大統領が米高官と面談 米朝対話の努力を要請 - 産経ニュース 文在寅「五輪招致の夢」を粉砕した、あっけないひと言(高英起) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「血で結ばれた関係」一時は険悪ムードだった中国と北朝鮮 再び接近の思惑:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ 韓国で「ボイコット論」も浮上、東京五輪で日韓関係はどうなる? | 不思議の朝鮮半島 | 坂口裕彦 - 毎日新聞 韓国人が「最も嫌いな国」は日本ではなく、中国! 最新世論調査結果(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「米朝」「日朝」「日韓」の対話が再開されない根源は?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 米「前提条件なく会う」 対北朝鮮、日韓と協議 - 産経ニュース 米中対立下の北朝鮮アプローチ 日本が備えるべきプランは | 日本外交の現場から | 大貫智子 - 毎日新聞 日韓世論調査 文氏は改善望む声に耳傾けよ - 読売新聞 2021年5月 日韓共同世論調査 質問と回答 - 読売新聞 バイデン政権時代の日本・北朝鮮関係:大胆改革に乗じて「接触面積」を広げよ - Nippon.com 異様な北朝鮮の日本バッシング! 「日韓」よりも最悪の「日朝」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 文在寅政権の「悲願」とは 南北協力構想、かぎ握る米国 - 朝日新聞デジタル (社説)日米韓の結束 民主連合の価値自覚を:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 「最高の会談」米韓首脳会談を自賛した文大統領 大幅譲歩に「失敗だった」の声も:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ 米国に韓日関係の改善約束 韓国「悪意ある報道」と否定 - 聯合ニュース (社説)日韓関係 首脳自ら事態の打開を:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 「日韓外相会談」の発表でも微妙に食い違う外務省(日本)と外交部(韓国)(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国のメディアは日韓外相会談の結果をどう伝えたのか?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 反発する北朝鮮「米国は旧態依然の敵視政策」 | | 坂井隆 - 毎日新聞 南北関係を民間で打開 日本も重要な役割―板門店宣言3年で韓国支援団体トップ - 時事通信ニュース 米朝対話促進へ 南北関係正常化目指す=韓国政府 - 聯合ニュース 日韓関係を破壊した文在寅大統領の 逃げ得 を許してはいけない もうレームダック化は避けられない - PRESIDENT Online バイデン政権発足後も「兆し」なく 日韓、改善機運乏しい理由は - 毎日新聞 - 毎日新聞 「日韓関係を改善したい」となぜか頭を低くし始めた文在寅大統領の3つの魂胆 日韓関係を最悪にした元凶なのに… - PRESIDENT Online 「日米韓、協力を」訴えたが……韓国の対応に手を焼く米国 なぜ足並みがそろわない:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ 文在寅大統領の「対日メッセージ」を韓国メディアはどう伝えたのか?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国軍が文政権下で「対日戦力」を増強する理由、元駐韓大使が解説 - ダイヤモンド・オンライン 「日韓関係、早く回復せねば」文在寅大統領、3・1節のメッセージに注目:朝日新聞GLOBE+ - Asahi Shimbun GLOBE 空前の韓流ブームの裏で、日韓関係が戦後最悪に至ったのは偶然ではない この数カ月は「関係改善」のチャンス - PRESIDENT Online 「韓国への期待を放棄も」日韓対立でバイデン政権高官が警告(高英起) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国外相の交代で日韓関係はどうなる!(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 米韓首脳「日韓関係の改善を」 初の電話協議(写真=ロイター) - 日本経済新聞 韓国・文大統領「東京五輪に金正恩招待」の“奇策”も検討。対日強硬姿勢を一変させた苦しい理由 - Business Insider Japan 「日本の資産売却は避けたい」突然態度を翻した文在寅大統領の本当の狙い 本音では「日韓関係」を改善したい - PRESIDENT Online 【地球コラム】変質迫られる米韓同盟~「インド太平洋の核心軸」に~ - 時事通信ニュース 「総書記」就任の金正恩氏は核・ミサイル実験を再開するのか。党大会「9時間演説」が示す北朝鮮の行く先 - Business Insider Japan +クチコミ検索〔日朝韓関係〕 #bf +ブログサーチ〔日朝韓関係〕 #blogsearch +ニュースサーチ〔日朝韓関係〕 高貴なる人々も避けては通れない“縁談”…『李王家の縁談』林真理子さんインタビュー - ダ・ヴィンチニュース 日本の岸田首相「韓国は重要な隣国…適切な対応引き続き求めていく」(中央日報日本語版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 和解のために 2021:日本にとって朝鮮半島とは何なのか - 毎日新聞 - 毎日新聞 理の眼:大局観による日韓関係を=青木理 - 毎日新聞 在日コリアン2世「週刊金曜日」新編集長「日韓、理解する人が減って遠ざかっている」(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 鳩山元首相「終戦宣言が時期尚早とする日本政府が残念」=韓国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 英国での日韓首脳会談は不発? 対話に「積極的な米韓」に「消極的な日朝」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 岸田首相の最側近、林元文科相が外相に起用されれば韓日関係は?(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本は「敵基地攻撃」が本当にできるのだろうか?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 国際司法裁判所がダメならば、国連拷問防止委員会に付託せよ! 元慰安婦が文大統領を突き上げる!(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 死去した韓国の盧泰愚元大統領の「功罪」 光と影を追う(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 和解のために 2021:歴史問題の「法」解決を下支えした植民地支配不法の論理 - 毎日新聞 - 毎日新聞 「竹島の日」に対抗して制定された「独島の日」 「奪還」vs「守護」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース (社説)衆院選 対南北朝鮮 再起動へ政治が動け:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 「日韓慰安婦合意」を巡り韓国で外相と元第1次官が国会でバトル(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国の進歩は「反日」で保守は「親日」は本当?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「金正男」は米韓の情報機関に情報を提供したため暗殺されたのか!?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 風雲急を告げる朝鮮半島情勢! 何かが起きる!?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日韓首脳電話会談の「ギャップ」と「温度差」 関係改善「熱望の韓国」に「冷淡な日本」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国は日本を追い越せるか? 韓国与党大統領候補が「日本を追い越す」と「公約」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース <W解説>北朝鮮、拉致問題は「既に全て解決」=韓国と日本との協力が必要な岸田新首相の「最重要課題」(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース “日本人拉致問題はすでに解決した問題”…北朝鮮の論理に憤る日本=韓国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「すべて終わった問題」初の国政演説で北朝鮮の逆風を受けた岸田首相=韓国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 駐大阪韓国総領事インタビュー「拉致問題、非核化の過程で協議可能」 - 産経ニュース 北朝鮮と韓国の通信ホットライン、2カ月ぶりに再開 - ロイター (Reuters Japan) <W寄稿>韓国が日本を「自由陣営のパートナー」と認めないために生じること(2)=北朝鮮との修交(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 岸田新総裁選出を韓国のメディアはどう伝えたのか? 速報で伝えた韓国メディアの「論調」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース <W解説>韓国の徴用工(募集工)訴訟、初の資産売却命令=日本の新政権から抗告が反対されると日韓関係は即刻破綻(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「金与正談話」までの空白の7時間 文大統領の「終戦宣言」提案に北朝鮮が豹変した謎(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北朝鮮、弾道ミサイルの可能性あるものを発射 対応検討=官房長官 - ロイター (Reuters Japan) 一瞬にして泡と消えた文大統領の「終戦宣言」提案 北朝鮮の狙いは?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国最大野党の大統領選有力候補が外交・安保について公約を発表(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国が「嫌なこと」を着々と…対テロ戦争の終焉でバイデン政権の「対中路線」が活発化(まいどなニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本の次期総理候補「私たちは慰安婦合意を全て履行…韓国も守るべき」=韓国報道(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 黄海製鉄所虐殺事件に見る、北朝鮮情報にあふれるデマと誤報 - JBpress 「日韓交流おまつり」オンラインで開催 韓国 ソウル - NHK NEWS WEB 韓国のメディアは菅首相の退陣表明をどのように伝えているのか?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「ベルリン慰安婦像」設置から1年 撤去か、永久存置か?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 注目される「韓国人戦犯」を巡る憲法裁判所の「判決」 元慰安婦、元徴用工問題と並ぶ「3大懸案」の行方!(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース <W解説>9月1日の関東大震災の混乱下で起きた朝鮮人虐殺、日韓の間の「争点」と「史実」(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 差が開く一方の菅総理と文大統領の支持率(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国で広がる「経済力で日本を追い越した!」というムードと日韓関係改善への希望(週プレNEWS) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 右からも左からも叩かれる文在寅政権の「対日政策」 相次ぐ韓国での対日政策「批判本」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 竹島を巡る日韓「抗議合戦」 韓国は防衛省の「子供用防衛白書」に!日本は韓国国会議員の「竹島上陸」に!(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国でメディアの評価が分かれた文大統領の「対日発言」 「親文」と「反文」では真逆の評価(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本は「嫌韓」のままだが、韓国は「反日」から「克日」に転換へ(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北朝鮮の脅しに揺れる文政権 米韓演習開始 - 産経ニュース 【有本香の以読制毒】煽る福島食材への風評被害、韓国は賠償せよ! 日韓関係は五輪でさらに険悪化 - ZAKZAK 34歳の「北の女帝」に翻弄される韓国!米韓軍事演習か、南北対話再開かの「ニ者択一」を迫られる!(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「史上最悪」の日韓関係修復のためのソウル大日本研究所の韓国政府への「10の提言」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 得意の「掌返し」で急展開の朝鮮半島情勢 北朝鮮の狙いは?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 文氏訪日断念、「反日」外交のつけ露呈 強硬派にあらがえず - 産経ニュース 「反文在寅」の保守大統領候補は「親日」か「反日」か 「野党の希望の星」尹錫悦前検察総長の対日観(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 嫌韓・ヘイトに抵抗した青木理さん ワイドショー降板の真相 - 毎日新聞 - 毎日新聞 「米朝」「日朝」「日韓」の対話が再開されない根源は?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 文政権の「米中天秤外交」が試練! 恐れる「THAAD報復」の二の舞!(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 元徴用工請求権「訴訟で公使できず」 韓国地裁、最高裁判断と対照的 - 西日本新聞 バイデン政権時代の日本・北朝鮮関係:大胆改革に乗じて「接触面積」を広げよ - Nippon.com 異様な北朝鮮の日本バッシング! 「日韓」よりも最悪の「日朝」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 文在寅大統領が画策する日韓首脳会談 6月の英国「G7サミット」か、7月の東京五輪か!(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「日韓外相会談」の発表でも微妙に食い違う外務省(日本)と外交部(韓国)(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国のメディアは日韓外相会談の結果をどう伝えたのか?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北朝鮮の矛先は日本! ヒートアップする対日非難! 米国に対しては沈黙!(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 気になる北朝鮮のミサイル発射に関する日韓の食い違い 一体どっちが正しい?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 北ミサイル発射意図「断定的な答えは差し控える」 加藤長官 - 産経ニュース バイデン政権発足後も「兆し」なく 日韓、改善機運乏しい理由は - 毎日新聞 - 毎日新聞 朝鮮半島有事と在韓邦人保護問題――日本政府は自国民を救えるのか/松浦正伸 - シノドス 韓国は日米「2プラス2会談」をどう取り上げたのか?韓国マスメディアの「見出し」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日韓は「不毛の争い」にピリオドを! 「反日」と「反韓」ムードに引きずられた10年 「#これから私は」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日韓の「歩み寄り」は期待できるか? 韓国の「輸入禁止」と日本の「輸出規制」の同時解除の可能性は!?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 文在寅大統領の「対日メッセージ」を韓国メディアはどう伝えたのか?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国大統領「日本は重要な隣国」と述べた理由 - 東洋経済オンライン [レビュー]「朝鮮半島の平和のためには日本を引き入れなければならない」 - The Hankyoreh japan 元慰安婦の「ICJ提訴」爆弾発言で吹っ飛んだ文在寅政権の「解決策」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「日米は良いが、問題は韓国である」米議会調査報告書(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 米国務長官と副長官は「慰安婦問題」では文在寅政権には「悪縁のコンビ」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国外相の交代で日韓関係はどうなる!(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国文政権の「北朝鮮で原発建設」疑惑で米韓に亀裂か、元駐韓大使が解説 - ダイヤモンド・オンライン 釜山市長選挙の争点となっている「日韓海底トンネル」構想はそもそも日本の発案!(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 韓国・文大統領「東京五輪に金正恩招待」の“奇策”も検討。対日強硬姿勢を一変させた苦しい理由 - Business Insider Japan 文在寅大統領の対日政策に変化なし!「元徴用工」「元慰安婦」問題も新駐日韓国大使に一任か!?(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 明日(8日)「慰安婦裁判」判決! 被告は企業ではなく、日本政府!(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「2020年 日韓10大ニュース」今年も「最悪の関係」に変化なし!(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 来年1月の元慰安婦訴訟判決 「日本政府が敗訴なら日韓関係は破綻」 韓国の李元徳国民大教授 - 東京新聞 東京五輪を機にビッグディール? 勝負に出た文政権の狙いは | 韓流パラダイム | 堀山明子 - 毎日新聞 Nizi Projectから日韓関係を考察する | | 田中均 - 毎日新聞 日本に段々と擦り寄る韓国の「徴用工解決策」 保守系野党議員が「屈辱的外交惨事」と批判!(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 泥沼化する日韓関係 「運命の月」8月の「7大難題」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 朝鮮半島と日本の未来 姜尚中(カンサンジュン)著 - 東京新聞 朝鮮戦争70年 これからの日韓関係をみる視点、戦史研究者に聞く:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ 日韓外相会談|外務省 - Ministry of Foreign Affairs of Japan 日朝戦争なら韓国は北朝鮮の味方、日本はいつの間にか四面楚歌? - Newsweekjapan シリーズ 日韓関係を考える/植民地支配 常に念頭に/ジャーナリスト 元共同通信ソウル特派員 青木理さん - しんぶん赤旗 【日韓関係・佐藤優徹底解説】日本外交は短期的には勝利。だが、中長期では守勢に追い込まれる - Business Insider Japan 冷え込む日韓関係 あの観光地にも打撃|日テレNEWS24 - 日テレNEWS24 いま「赤旗」がおもしろい(2)/日韓関係 植民地支配の歴史に向き合う - しんぶん赤旗 陰謀論に囚われる日韓、これで北朝鮮問題を解決できるのか 東大教授・木宮正史さんインタビュー - J-CASTニュース 日韓「根本的に違う世界観」浅羽祐樹・新潟県立大教授 - 産経ニュース 日韓首脳会談|外務省 - Ministry of Foreign Affairs of Japan 【目を覚ませ韓国】近代化のため日韓併合推進した李氏朝鮮 それぞれが生き残るために選んだ「マイナスの選択」 - 産経ニュース ■ 日本と朝鮮の決定的な違い 「アメリカから見た日本(November 8, 2019)」より (※mono....前後略、詳細はサイト記事で) / 韓国は日本が戦中に酷いことをしたの一点張りで日本が人権軽視国のようなイメージを世界に植え付けさせようとしている。 しかし朝鮮と日本には人権という面で決定的な違いがある。 それは「奴隷制度があったかなかったか」ということだ。 朝鮮には、一番上には特権階級の両班(ヤンバン)があり、その下に普通人という中人、その下には常人(小作人)、更にその下に奴婢(ぬひ)がいた。奴婢以下は奴隷だ。常人のレベルでも人権などまるでなかった。 両班以下の人達は態度が少し生意気だというだけで、打ちのめして足を折り一生不具者にしてしまうという壮絶ないじめも当たり前のようにあった。 この身分制度の人口比率をみると、武士、町人に相当する両班、中人が約60%。その下の常人、奴婢が約40%。下層階級の比率が非常に高い。 多くの国民が飢えていると言われている今の北朝鮮で経済的な貧困層の比率をみてみると、やはり40%だ。つまり社会主義国家に衣替えしたといってもその中身は李氏朝鮮時代のままということだ。 朝鮮では身分差別に加え、地域差別も激しい。 ロサンゼルスに行くと有名なとても大きいコリアンタウンがある。彼らの出身地を聞くと皆「ソウル」と答える。しかし、それは嘘で殆どは全羅道あたりの人達だという。 この人達は本国ではその出身地のために差別されて出世ができない。だからソウル出身だと偽るらしい。日本に密航や渡航してくる人達もほとんどがそこの出身だという。 彼らはまず日本に来て、運がいいとそこからアメリカに渡っていく人が多い。 それを聞いて思い出した。 私の住むところにもたくさんのコリアンがいる。コリアン経営の教会もいくつか見たことがある。 その中の一人と友達になったことがある。彼女は在日2世で、日本に住んでいたが、成人してからアメリカに渡ってきている。両親の出身地を聞いたら「ソウル」と言っていた。 その他にもコリアンに会うたびに興味本位で聞くが皆「ソウル」と答える。人口の大半がソウルに集中する国だからその頃は不思議にも思わなかったが、この地域差別の話を聞いた後に「もしかしたらあの人達もソウル出身ではなかったのかもしれない」と頭をよぎった。 ■ 【ダチョウ倶楽部の危機】「日本は永遠に独りぼっちの島」w 「弁財天(08 17午前 2 12, 2019)」より / 「日本は永遠に独りぼっちの島」北朝鮮紙 -デイリーNKジャパン https //t.co/10GUm4yrJi via @dailynkjp — デイリーNKジャパン (@dailynkjp) 2019年2月10日 「日本が対北経済制裁の徹底履行を主張していることを非難」w (※mono....中略) / 日米韓の結束こそが北朝鮮への有効な圧力であるはずだ。韓国の半ば公然の制裁破りは日米や国際社会に対する裏切りに等しい。 【主張】韓国が「石油」供給 対北制裁破りに大義なしhttps //t.co/j21D1fIOQF — 産経ニュース (@Sankei_news) 2019年2月4日 「日米韓の結束こそが北朝鮮への有効な圧力であるはずだ。韓国の半ば公然の制裁破りは日米や国際社会に対する裏切りに等しい。」 瀬取りしてるからと日本は北朝鮮への制裁強化を主張。米朝サミットでは制裁緩和。さらに日本と韓国で揉める。条件をいろいろ変えてディープステイトをあぶりだすってか?w (※mono....中略、詳細はサイト記事で) / 韓国と断絶することで在日特権の根拠を消滅させる。在日工作員の外務省ディープステイトを破壊。憲法9条を修正して在日に奪われた日本を取り戻す。ってか。 国際社会が北朝鮮を正常化できないのは、隣の隣の島国に在日特権を手放させない者たちがいるから。 ならば、日本と韓国が国交断絶してしまえば、在日の政治活動に筋が通らなくなり 外務省ディープステイトは消滅してしまうだろう。 そして北朝鮮と韓国は統一に向かう。 半島が分断されてないと困る利権を手放せない人々がいるのだな。 もちろん電通もゲーノー界も在日だらけなので在日特権(外務省ディープステイト)を守るために必死に世論操作を行っている。 しかし彼らの真の動機は戦争反対などではなく在日特権の継続だ。 選挙や国民投票では選管(ムサシ)が得票数を操作してるので民主主義の効果はないだろう。 まぁ、国民が判断することだ。 ■ 【日本は朝鮮半島二国と総ての分野で関係を断つべき】 「魂魄の狐神(2019-01-27 22 15 38)」より / 韓国、海軍幹部の訪日取りやめ 関係悪化を反映 に関す … 朝鮮半島が日本列島の隣にあることから、凡ての分野での戦略的に重要な位置にあるとしても、日本を用日の対象としか見て無い朝鮮半島の二国で在ることは間違い無い事実である。抑々、南鮮にしても「友好国」で無いことは間違い無い。 今回のことの始まりと言うか、日本と朝鮮半島二国の問題は、終戦と粗同時期からの一方的な半島二国の日本バッシングと用日を、一貫して全面的に受容れて来た日本政府の対応の甘さが引き起こしたことであるという見方が最も適正である。 (※mono....中ほど略、詳細はサイト記事で) / 半島二島、特に南鮮は日本へのバッシングと用日を繰り返し、日本を好い様に振り回して来て、日本政府も奴等の属国として総てを受け容れて此奴等に従って来た。日本にはこういう工作員が満載で在り、先ず此奴等を追い出さなければ如何にもなら無いが、日本人の多くと言うより、殆どが此の現実を受容れて無い処か、「馬鹿臭い戯言」と遇うだろう。然し、成らば何故前述の様な国家として遣らねば日本国の存在すら疑られる半島二国に対する服従的優遇を為せたのか? 先ず、国民は、日本政府に対して「半島二国への総ての分野での完璧完全な断交」を迫り、日本政府の今日迄の工作行為を厳し弾劾しなければ成ら無い。 ■ 朝鮮人必見の教科書では教えないネットで学ぶ歴史と世界の事実① 「はやぶさのブログ(2018-11-29 05 33 01)」より ■ 日本人が絶対に付き合えない国と暗躍するその走狗たち 朝鮮人必見のネットで学ぶ世界の事実② ■ 日本人が絶対に付き合えない国と暗躍するその走狗たち 朝鮮人必見のネットで学ぶ世界の事実③ / こちらもどうぞ~ ↓ ↓ ↓ 日本人が知る権利として記憶すべき二日市保健所の記録~朝鮮人が日本人にした残虐非道~ ■ 亀井静香氏が物申す!「日本には、韓国・北朝鮮とともに生きる道がある」:これで拉致問題も解決する - 近藤 大介 「現代ビジネス(2017.8.1)」より / 先週末の7月28日午後11時42分(日本時間)、北朝鮮が北部の慈江道・舞坪里から、ICBM(大陸間弾道ミサイル)を発射。その後の北朝鮮の発表によれば、高度3724㎞で北東方向に約998㎞飛んで、47分12秒後、北海道・奥尻島近海のEEZ(排他的経済水域)に落下した。前回7月4日のICBM発射実験(高度2802㎞、飛距離933㎞、飛行時間39分)を大きく上回った。 北朝鮮が初めて、日中ではなく深夜にミサイルの発射実験を行ったこともあいまって、世界に衝撃が走った。特に日本は、北朝鮮危機対応の責任者だった稲田朋美防衛大臣が辞任した当日だったため、余計に混乱をきたした。安倍晋三首相は深夜0時44分に国家安全保障会議(NSC)を招集。首相官邸ロビーで記者団に囲まれると、顔をこわばらせながらこう述べた。 「北朝鮮を最も強い言葉で非難する。国際社会と協力して、さらに圧力を強化していく他はない」 まさに、日報問題を巡っていつまでもゴタゴタを続けている日本に冷や水を浴びせるようなミサイル発射だった。日本が「コップの中のケンカ」を続けているうちに、北朝鮮クライシスは、ひたひたと迫ってきているのである。 そんな中、国会最年長の傘寿を迎えてなお、アメリカに飛び、韓国に飛びと、積極的な「独自外交」を行い、平和ボケした日本に警鐘を鳴らし続けているのが、亀井静香・元金融担当大臣だ。北朝鮮クライシスが「待ったなし」を迎えている今、新著『亀井静香、天下御免!』(著者は岸川真氏)が話題の亀井代議士と、2時間近くにわたって、アジア情勢と日本外交の有り方について緊急対談した。 +続き 窮鼠猫を噛む 近藤: 北朝鮮が2度目のICBMの発射実験を強行し、日本海に着弾しました。7月だけで2度、ICBMの発射をやっていて、過去4回はこうしたミサイル実験の後、3ヵ月以内に核実験を行っています(残り1回は核実験の翌月にミサイル実験)。このことから見ても、私は、9月9日の建国記念日の前に、北朝鮮が6度目の核実験に踏み切る可能性が高いと見ています。 亀井先生は今回の北朝鮮のICBM発射実験について、どうお考えですか? 亀井: まさに、窮鼠猫を噛むだわな。小国として、超大国アメリカに対抗するには、核とミサイルで自衛するしかないと思っている。核もミサイルも、本当に使ったらたちまちアメリカに滅ぼされるから、使えないに決まっているのに、ハリネズミのようになっている。まあ、小国の立場に立ってみれば、気持ちも分からんではないがな。 近藤: 私は今回の一件で、日本人の眼が覚めたのではないかと思っているんです。昨年7月にアフリカ(南スーダン)で起こった騒動を巡って、この半年間というもの、日本の防衛は混乱を極めた。一番の元凶は、安倍首相が、稲田朋美というおよそ防衛問題には不釣合いな政治家を防衛大臣に据えたことだと思いますが、それにしても防衛相・自衛隊の人たちは、北朝鮮の脅威、中国の脅威の最前線で日々、必死に仕事しているのに、仮想敵国以外のところからタマが飛んでくる。 亀井: 日報問題は、シビリアン・コントロール(文民統制)が利かなくなってきていることが問題だよ。ここの点を一番に見なきゃいかん。まあ政治家の側も、与党にせよ野党にせよ、いつのまにかサラリーマン政治家ばかりになっちまったからな。 近藤: サラリーマン政治家と言いますと? 亀井: 今年1月にトランプがアメリカの大統領になってから、世界はアメリカ、ロシア、中国という獰猛な3大国が、エゴ丸出しで外交を行う時代に変わった。それなのに、日本のサラリーマン政治家たちは、いまだにアメリカの尻の下に敷かれていれば日本は安全だなんて勘違いしている。 その意味では、3大国のエゴに抵抗しようとする北朝鮮の方が、よほど正確に世界情勢を把握しているよ。 近藤: 獰猛な3大国のエゴ丸出しの外交という亀井先生の世界観には、全面的に賛成します。私も先週『大国の暴走』という本を出しまして、トランプ、習近平、プーチンという「3巨頭」によるルールなき世界が始まったことを指摘しました。もっとも、私は普段、中国を研究しているので、アメリカについては渡部恒雄氏、ロシアについては小泉悠氏に語っていただき、鼎談の形で出したものですが。 亀井先生は、昨年11月、そのトランプに会いにニューヨークに行かれたんですよね? 外交は内政の延長 亀井: そうだよ。大統領選挙前日の11月7日19時に、トランプと会うアポイントを取っていた。オレは昨年5月から、トランプが勝つと確信していたからね。だが、いまから考えれば、トランプ自身は、自分が勝てるとは思っていなかったみたいだね。 それが、11月6日頃から「もしかしたらイケるんじゃないか」と、陣営が盛り上がってきた。それでトランプは急遽、全米の接戦州を回ることになって、オレとの面会の予定はキャンセルされてしまったんだ。 近藤: それでも、選挙当日は、ニューヨークにいらしたんですよね。 亀井: いたよ。トランプタワーの14階に陣取って、トランプの側近たちと開票結果を見守っていた。すぐ横には、スティーブ・バノン(後の大統領上級顧問)が座っていたよ。 近藤: まさにジャーナリストも顔負けの行動力ですね。そもそも大統領選挙前に、日本の政治家や外交官たちに聞くと、「ヒラリーで決まり!」で一致していましたからね。 亀井: サンダースとトランプは、貧困層や、インテリ政治に飽き飽きしている大衆が支持しているんだから、サンダースが抜ければトランプに票が集中して勝つに決まっているじゃないか(編集注:亀井氏は『週刊プレイボーイ』2016年6月27日号のインタビューでもそう述べている)。 近藤: そうやって接戦でホワイトハウス入りしたトランプ大統領は、北朝鮮問題に関して、「戦略的忍耐の時代は終わった」「この20年間で15億ドルもの連邦予算を捨ててきた」などと発言し、北朝鮮との対決姿勢を鮮明にしています。 思えば、トランプ大統領にとって北朝鮮を叩くことは、ロシアゲートを雲散霧消できる、反トランプ派(民主党、マスコミ、アメリカ国民、国際社会)が反対しない、軍需産業の雇用が増えるなど、一石何鳥にもなるんですよね。 亀井: そうだよ。すべての国において、外交は内政の延長だ。北朝鮮を叩けば、アメリカ国内も大いに湧くだろう。 トランプタワーに行って思ったんだがね、トランプは下手な鉄砲を振り回すカウボーイみたいなものさ。 かつての満州事変もそうだったが、戦争というのは、ほんのちょっとしたことが原因で起こるんだ。もちろんペンタゴン(米国防総省)も、アメリカが北朝鮮を先制攻撃したら、アジアでどんなことが起こるかは分かっているから、トランプに自制を求めるだろう。 日本だって北朝鮮のミサイルの射程圏内にあるんだから、アメリカの同盟国として、トランプがこれ以上刺激的なことをやらないよう諌めていかないといけない。 近藤: しかし安倍首相が進んでいる方向は、トランプ大統領を諌めるというより、逆に発破をかけることですよね。ハンブルクG20の前日、7月6日に行った日米韓首脳会談が象徴的でした。トランプ大統領を挟んで、一方で安倍首相が「圧力強化」を唱え、もう片方で文在寅大統領が「対話の道」を唱えていた。 亀井: 北朝鮮にいくら圧力をかけて制裁したって、中国とロシアが裏で助けるから、底が抜けてるんだよ。中国はコンチクショーと思いながらも、緩衝地帯が必要だから、北朝鮮をおいそれと崩壊させるわけにはいかない。 近藤: それはそうかもしれませんね。朝鮮戦争の休戦から、これまで64年も戦時体制で来て、緊張感が違いますから。私は2回、北朝鮮に行きましたけど、あれほど緊張感のある国は他に知りません。 亀井: 総理も、そういうことは分かっているんだよ。オレと話す時だって、「拉致問題を解決するには北朝鮮との対話が必要だ」って言ってるよ。日朝平壌宣言は、日朝双方が「いまだに有効だ」としているし、3年前には日朝でストックホルム合意に至ったじゃないか。 まあ、北朝鮮はね、いまに韓国に近づいてくるよ。 近藤: それは鋭いご指摘ですね。私もそんな気がします。金正恩政権にとって、日米中ロ韓という周辺5ヵ国を見渡した時に、いちばん信頼が置けそうなのは、韓国の文在寅政権でしょうからね。 ところで亀井先生は、ソウルにも行って、文在寅政権の主要メンバーとも意見交換してきたとか。 「革命軍」政権との付き合い方 亀井: そうなんだ。文在寅政権が発足するちょうど1ヵ月前の4月10日に訪韓した。大統領選告示の直前だということで、文在寅本人とは会わなかったけど、徐勲(ソ・フン)国家情報院長や最側近の白元宇(ペク・ウォンウ)民政担当大統領秘書官、李光宰(イ・グァンジェ)前江原道知事、韓秉道(ハン・ビョンド)大統領政務秘書官らと会い、親しくなったから、政権発足後、日本に与野党の国会議員らを引き連れて来たときに総理にも引き合わせたんだ。外務大臣以下、表の顔はお飾りで、彼らが中核だよ。 その結果、分ったのは、文在寅政権というのは、「革命軍」の政権だということだ。全員が傷モノで、いちばん傷が少なくて見栄えがする文在寅を大統領に仕立て上げたんだな。 近藤: 革命軍!? 亀井: そうさ。米ワシントンポスト紙が、韓国のろうそくデモと大統領選挙について、「世界中が民主主義の危機に直面している中で、韓国にはまだ民主主義があることを示した」などとと書いていたが、実態は全く違う。 まず、ろうそくデモは自然発生的な市民デモなんかじゃなくて、彼ら「革命軍」が仕掛けたものだ。反逆罪で捕まったりして、李明博・朴槿恵政権の約10年間、臥薪嘗胆していた連中が、朴大統領の政治スキャンダルをきっかけに、革命を起こしたんだな。そしてまんまと「青瓦台」(韓国大統領府)を占拠したというわけだ。 近藤: なるほど。そういえば、私はかつて、金大中候補と盧武鉉候補の大統領選キャンペーンを取材したことがあるんですが、まさに梁山泊のようでした。当時、アメリカのブッシュ政権では、彼らのことを「青瓦台タリバン」と呼んでいました(笑)。 亀井: そうなんだよ。この文在寅革命政権は独立心が旺盛で、「反米・反日・親北」だ。アメリカに対して、朝鮮戦争で祖国の危機を救ってくれた恩人、などとは思っていない。やっかいな米軍が居座り続けやがってと思っている。 THAAD(終末高高度防衛ミサイル)だって、本心では配備なんかしたくない。「朴槿恵政権のようにアメリカの言いなりにはならないぞ」というのが、彼らの基本姿勢だ。 近藤: たしかに、盧武鉉時代には、仁川上陸作戦を記念した公園に立つマッカーサー像に卵を投げつけたりしていました。一度取材に行って驚きました。 亀井: それは日本に対しても同様で、2年前の日韓慰安婦合意は、外交上の取り決めだから正面切っては否定しないが、彼らの支持層を意識して、日本に対して厳しいポーズをとるだろうね。 一部の日本人は、昨年末に釜山にも慰安婦像(少女像)が建ったと言って激昂したけれど、お地蔵さんみたいなものと思えば腹も立たないじゃないか。加害者の立場で被害者に接していたら、日韓関係はいつまでたってもうまくいかないよ。 近藤: 慰安婦像をお地蔵さんとは、亀井先生ならではの表現ですね。私は、地政学的見地からも、日本は韓国と組むべきだと考えているんです。日本と朝鮮半島を除けば、東アジアはほとんどすべて中華圏です。ASEANだって、経済を握っているのは華僑だし、かなりの地域で中国語が通じます。 亀井: その通りだよ。アメリカ、中国、ロシアというエゴ剥き出しの獰猛な大国に囲まれて、日本と韓国は小国同士とは言わないが、肩を寄せ合って生きていくしかないじゃないか。 もう一つはね、日本にとって最重要課題である拉致問題を解決するためには、文在寅革命政権の助けを借りるのがいちばんいいんだよ。オレが4月にソウルで、徐勲(国家情報院長)に会った時、「これからは日本の拉致問題も北朝鮮と話します」と言ってくれた。彼は、2000年と2007年の南北首脳会談の立役者だろう。韓国はいい政権になったよ。 近藤: 文在寅政権を使って拉致問題を解決する――すばらしい着想ですね。そうした話は、安倍首相にも報告されたんですか? 亀井: もちろん、すべて報告した。総理は、「韓国の政権は反米反日親北の方が、日本にとってはやりやすい」と言っていた。表では強硬なことを言っているけど、よく分かってるよ。 近藤: ところで、「革命軍」と言えば、韓国の向こうの中国・習近平政権も、共産党革命軍政権ですね。7月30日には、人民解放軍建軍90周年とか言って、また派手な軍事パレード(閲兵式)をやりました。 私は前任の胡錦濤時代の最後の3年間、北京で暮らしていたんですが、私が住んでいたわずか5年前までの中国と、いまの中国とでは、まるで別の国のようです。 亀井: オレは習近平とも縁があってね。2回会ったことがあるよ。 今だから言うけどね、2009年12月、当時、国家副主席だった習近平が訪日した時、天皇陛下に会う会わないで揉めたでしょう。あの時、間を取り持ったのはオレだったんだ。 近藤: えっ!? 当時、私が住んでいた北京の日本人社会では、「小沢一郎さんの功績」ということになっていましたが。 亀井: そんなことあるもんか。中国大使館の孔鉉佑公使(現外交部長助理)が、当時、金融担当大臣だったオレのところにやってきて、「鳩山総理が尽力してもうまくいかない。王毅前駐日大使から『亀井先生にお願いしろ』と言われて来ました」と頭を下げて言うんだ。オレは王毅が駐日大使時代、何度も一緒にゴルフをやったり酒を飲んだりして遊んだ仲だったからね。 それで平野(博文)官房長官に電話したら、「鳩山総理からも私からも羽毛田(宮内庁)長官に頼んだのですが、『1ヵ月前までに申請が出ていないものは受けられない』の一点張りでダメなんです」という。 そこで今度は羽毛田長官に電話して、こう言ってやったんだ。 「国家副主席というのは皇太子と同じだ。今回会わせなかったら、将来の日中関係に大きな禍根を残すことになるぞ。あんたも役人だろ? もう一度、官房長官から命令を出させる。もし上司の命令に従えないんだったら、即刻、辞職しろ」 そして平野官房長官にもう一度、電話するよう伝えて、OKを出させたというわけだ。 近藤: そうだったんですか。8年目の真実ですね。それで、習近平主席が来日した時には、どんな話をされたんですか? 亀井: 習近平というのは寡黙な男でね、ほとんど何もしゃべらないんだ。それでオレは金融担当大臣として、経済の話をした。 「いまの日本経済の成長が頭打ちなのは、日本人の経済格差が拡大したからです。だから中国も将来、経済格差が広がらないよう気をつけないといけません。もっとも中国は、共産党が人民の幸福のために執政しているから大丈夫でしょうがね」 最後はイヤミだったが、習近平は黙って聞いていたよ。 日韓朝「小アジア主義」 近藤: 習近平主席は中国国内でも、感情を顔に出さない政治家として知られています。おそらく、青年時代に7年間も陝西省の山奥に「下放」されたことで、感情を表に出すと危険だという本能が身についたのではないでしょうか。 その習近平主席のことは、安倍首相に何とアドバイスしているのですか? 亀井: 口喧嘩くらいならいいけど、あまり角を突き合わせても仕方ないからやめておけと言っておいた。 オレは東大合気道部出身だから、合気道の例を挙げた。合気道では、相手が正面から突っ込んできたとき、サッと身をかわしていなすんだ。そんなことを話してやったら、シンゾーはニコッとして、「尖閣問題はその手で行きます」と言っとったよ。 尖閣諸島は日本が実効支配してるんだから、灯台を建てるなり何なりしたらいい。だが、中国との正面衝突だけは、避けないといけない。 近藤: おっしゃる通りですね。私は、日本は中国を嫌いでもよいから、日本のために活用すべきだと思っていまして、今年、『活中論』という本も出しました。2億人の中間層が育ち、日本の3倍の経済規模になろうとしている中国を活用しない手はないだろうと思います。 亀井: そうだわな。中国はアメリカの4倍以上もの人口があるんだからな。この近くのホテルニューオータニもそうだけど、日本全国、中国人観光客だらけじゃないか。 近藤: 「中国人観光客の法則」というのがあるんです。それは、一度でも日本へ来た中国人は親日派に様変わりするということです。抗日ドラマの世界と違って、日本人は皆、親切で、おまけに空気も食べ物も美味しい豊かな先進国だと痛感するからです。 最近の中国ではその反面、「パンダと竜の論理」ということもよく言われています。「自分たちはもはや、か弱いパンダではなく竜なのに、日本人はいまだにパンダのように見下す」というわけです。 習近平主席にしても、「トランプ大統領、プーチン大統領と共に、3巨頭で世界を動かしていく」という気概を持っていると思います。 亀井: 独裁者同士というのは、互いに気が合うんだよな。国内に気を遣う必要がないから、その場でどんどん話が進んでいく。 だが、「3巨頭」がどんどん危険な方向に走っていっては困るから、日本と韓国がしっかりタッグを組んで、大国の橋渡し役を務めないといけない。かつ日韓で、大国たちの食い物にされないよう助け合う。 北朝鮮も含めて、日韓朝3ヵ国で「小アジア主義」を唱えたらいいんだよ。 近藤: 「小アジア主義」というのはいい言葉ですね。東南アジアもASEANを結成して、この11月で50周年を迎えますからね。 ところで、いまの日朝間には、パイプ役となる政治家がいません。一昔前には、金丸信、加藤紘一、野中広務といった大政治家たちがパイプ役を担ってきましたが、いまはアントニオ猪木参院議員ぐらいしか思い当たりません。 ここはひとつ、亀井先生が日本のためにひと肌脱いで、アジアの平和と拉致問題解決のため、日朝間の橋渡し役となられてはいかがでしょうか? 亀井: そうだな。オレはもう傘寿を迎えたけど、まだまだ闘い続けるつもりだし、亀だから長生きするしな。チャンスがあれば頑張るよ。 ーーーーー ★■ 亀井静香氏 日本・韓国・北朝鮮同盟で米中ロに対抗せよ 「zakzak(2017.5.11)」より / アメリカや北朝鮮の予測不能なやり合いを見ていると、これまでの国際政治の常識が通じなくなっているのを痛感する。こんな規格外の時代には、規格外の発想で対応するしかない。日本の現状を憂えた石原慎太郎氏(84)と亀井静香氏(80)、2人の“不良老人”が、大胆提言でこの国の進むべき新たな道を示した。 亀井:米朝関係が緊張したこの状況を打開するには、トランプと金正恩が頂上会談で決着するしかないね。 石原:頂上会談? 亀井:板門店かどこかでやればいいんだよ。その仲介を安倍晋三と、韓国の新大統領がやればいい。 +続き 中国に介入させようとしているけど、必要ない。日本と韓国が仲介して米朝首脳会談を実現させれば、世界に存在感を示せます。 ◆まさかの「日韓北」同盟 亀井:今の私の政治的なスタンスは、日本、韓国、北朝鮮ががっちり手を結ぶ形を実現することなんだ。 石原:日韓北朝鮮の同盟だと。異議あり! 亀井:それには、拉致問題を解決することが先決。 石原:拉致問題はとても解決できないでしょう。いったい何人が生き残っているのかね。 亀井:できないといってたら、何もできない。そのとげを抜いて、3国が一緒になる。やりようはある。手の内は言わないよ。 石原:だけど、韓国でも反日の大統領誕生だ。 亀井:反日だって関係ない。お互いの利害で、結んだほうがいいと思えば結ぶの。日韓北が結ぶことで、米国、中国、ロシアという三大国に並び立てる存在になれる。米中ロの三角形に囲まれているから、弱小国が結束して対抗するんです。 石原:私は反対だな。朝鮮半島やバルカン半島、インドシナ半島など大きな半島にある国を“フリンジ(周辺部)”と呼ぶんだけど、必ずその上にある大国の支配や影響を受けて屈辱を味わわされ、あまり幸せな歴史をもっていない。だから、屈折していますよね。 イギリス人の植民地統治研究家、アレン・アイルランドが1926年に著わした『THE NEW KOREA』という本には、朝鮮が瞬間的に幸せになった時代は日韓併合されたときだと書いてあるよ。 亀井:またそんなこと言って。支配されたほうは幸せでも何でもないよ。 石原:いや、イギリス人がそう書いてるということを言っているだけです。 たとえば、(韓国の前大統領)朴槿恵の父親の朴正煕大統領という人は、貧農の生まれで、日本統治で義務教育が導入されたおかげで学校に行けて、抜群に成績が良かったから師範学校に入れて、そこから市ヶ谷の陸軍士官学校に進んだんだ。そこで一番の成績になったから、卒業生総代で答辞も読んだ。そんな植民地統治なんて世界中どこにもないですよ。 亀井:じゃあ戦後、日本はアメリカに支配されて、ずっと幸せだと? 石原:それとは違う。朝鮮半島の近代国家の素地は全部日本人がつくったんじゃないか。北朝鮮の電力インフラなんて、鴨緑江に日本がつくった水力発電所しかない。 亀井:そう言うなら石原さんね、日本を占領したアメリカは農地解放して財閥解体して平準化したわけで、相当いいこともやってます。じゃあ、アメリカの支配がよかったのかといったら、よくないでしょ。一部いいことをしたからといって、支配された側がありがとうございますなんて言う必要はないんだよ。 石原:日本のしたことが全部いいことだったとか、植民地統治を認めろとかは言わないが、評価すべきポイントはあるということだよ。 ※週刊ポスト2017年5月19日号 ーーーーー ■ 亀井静香 日本は韓国・北朝鮮とがっちり手を結べ 「BLOGOS(2017.5.28)」より ■ 日本、韓国、北朝鮮は秘密同盟国!(ケラリーノ・ビッチ) 「[国際情勢の分析と予測]のコメント欄(2017-08-05 17 06 21)」より / 日本、韓国、北朝鮮は秘密同盟国! 実は、日本の政治家はこの事実を良く知っている。国民に言わないだけである。 現在重要なのは、北朝鮮が暴発して日本と韓国が破壊されると、それは米国、中国、ロシアの利益になるということを大国に覚らせないことである。 日本、韓国、北朝鮮には口頭での極秘協定があり、いずれ合邦して統一国家になると約束している。 日本がミサイルディフェンスに力を入れ、韓国が原潜を開発し、北朝鮮がSLBMを完成させるのは偶然ではない。 いずれ3国統一の暁には、極東にMDで守られ、戦略原潜を持った強大な軍事国家が爆誕する手筈なのだ。その布石である。 計画実現の為に表面上、日本、韓国、北朝鮮が激しく対立し、憎み合っているよう演技を見せなければならない。 そうしなければ、大国の横やりによって、極東に巨大な軍事国家を復活させる計画が阻止されてしまう。 河野太郎クラスの政治家は、その計画を知っている。 何世代もかけてプランを実現しようとしているからだ。 亀井静香 日本は韓国・北朝鮮とがっちり手を結べ http //blogos.com/article/225443/ 亀井静香氏が物申す!「日本には、韓国・北朝鮮とともに生きる道がある」 http //gendai.ismedia.jp/articles/-/52439 亀井静香氏 日本・韓国・北朝鮮同盟で米中ロに対抗せよ http //news.nifty.com/article/domestic/society/12180-540275/ .
https://w.atwiki.jp/worldhistory20/pages/17.html
北方民族の活動と中国の分裂 東アジア文化圏の形成 中国社会の変化 東アジア諸地域の自立化 [部分編集] 北方民族の活動と中国の分裂 魏晋南北朝 三国時代 ①偽装は楽よ ショックな龍は生徒に 御謙遜 偽…魏 装は…曹丕が建国 楽よ…洛陽が都 ショックな…蜀 龍は…劉備が建国 生徒に…成都が都 御…呉 謙…建業が都 遜…孫権が建国 ②孫悟空は健康 孫権-呉-都:建康(建業) 後漢滅亡 後漢つぶれ(220)た。 諸葛亮 喝でショックりょう(亮)法 北方民族 ①キョーコの先端の柔らかい突起 きょうど→鮮卑→柔然→突けつ ②先住民の陶器 鮮卑柔然 突厥ウイグルキルギス ③にーしーろーやーせんじゅうとっかい にー=2世紀 しー=4世紀 ろー=6世紀 やー=8世紀 せん=鮮卑 じゅう=柔然 とっ=突厥 かい=回こつ(ウイグル) 中国王朝と北方民族の対峙関係 今日しか参戦しない隋と突厥 うとい遼が送金に難遭 オイラのタンメン日清ジュヴナイル 今日…匈奴 し…秦 か…漢 参…三国 戦…鮮卑 し…柔然 な…南北朝 い 隋…隋 と…唐 突厥…突厥 う…ウイグル と…唐 い 遼…遼 が…西夏 送…北宋 金…金 に 難遭…南宋 オイラ…オイラト の タン…タタール メン…明 日清…清 ジュヴナイル…ジュンガル 西晋建国 司馬炎 西晋 洛陽 炎の精子は妊娠楽よ 司馬睿と司馬炎 司馬睿と司馬炎が紛らわしい!という人に We 遠泳 W… 西(west)晋 遠…司馬炎 e…東(east)晋 泳…司馬睿 五胡 ①五胡→"今日""帝"京"と"決"戦"だ ②今日はケツ栓協定が結ばれた日です。 匈奴・羯・鮮卑・羌・氐 「今日ケツ栓協定」 匈(奴)・羯・鮮(卑)・羌・氐 出典(①): 北魏 ①北魏の与作(439年)が華北統一。 与作は新鮮(鮮卑)な木をたくさん伐採します(拓跋氏)。 与作=北島三郎、で北ぐらいは頭に残るかと。 ②439年 北魏による華北統一→思索(439)をこらした太武帝 ③北海 道に 貢献し たいぶー └北魏└道教└寇謙之 └太武帝 魏晋南北朝の社会 魏晋南北朝~隋唐までの土地制度・兵制・税制 ①きっと精子千回濃い僕の金玉三つ 普遍の正義がずっと不起訴でしょんぼり きっと・・・・・・・・・・魏:屯田制 精子千回濃い・・・西晋:占田・課田法、戸調式 僕の金玉三つ・・・北魏:均田制、三長制 普遍の正義・・・・・西魏:府兵制 ずっと不起訴・・・・隋唐:府兵制、均田制、租庸調制 しょんぼり(唐の途中で):荘園制、募兵制、両税法 ②府兵制 正義のホークスずっと不敗!(西魏•北周•隋•唐) 創始者は豚(宇文泰)、なお均田制は受け継ぎ国に関しては府兵制と同様 魏晋南北朝の文化 六朝文化 ①6つの掟があって、3つ目まで・・・みたいな(? 1つ、王は清々しい竹林で射精しなさい 2つ、桃の陶器をもらったらサンキューと謝礼しなさい 3つ、女は顧みてもいいが、昭和生まれは門前払いしなさい 清々しい竹林=清談 竹林の七賢 王は 射精= 王ギ之 「書聖」 桃の陶器=陶潜、桃花源記 サンキューと謝礼=謝霊運「山居賦」(さんきゅーふ) 女は顧みてもいいが=こがいし「女史しん図」 昭和生まれは門前払い=昭明太子「文選」 王羲之 おー!ぎっしり蘭が咲いているじょ! 王羲之 「蘭亭序」 仏教と道教 鳩摩羅什 性器からクチャクチャマラ汁超でたけど不感症 西域の亀茲(くちゃ)からクマラジュウが長安へ そこで仏典漢訳 竜門と雲崗 ①平常運行、龍も楽よ☆ (平城、雲崗)(竜門、洛陽) ②YO!! YO!! 雲崗の石窟寺院だYO!! ウンコのセックスシーン YO!! 中国のシルクロード都市 (左から順に) 父ちゃん酒飲み懲役食らってブイブイ 敦煌 酒泉 張掖 武威 朝鮮半島と日本 朝鮮の三国時代 ①馬鹿がくだらん 進化を知ると 便利になる 馬韓 百済 辰韓 新羅 弁韓 任那 ②いや~ん、馬鹿ぁん(馬韓)、弁韓、辰韓 ちなみに、それぞれの位置関係が西から順になってます。 百済 「いやん、バカん、くだらない」 =馬韓は百済になった 出典:「Dr.Kの直観で覚える世界史Ⅴ用語600」 卑弥呼 邪馬台国のふみくさん 2 3 9年 [部分編集] 東アジア文化圏の形成 隋の中国再統一 隋 ①(隋の建国 581年) ・ ・・ 脊椎損傷恐いなあ。 隋と唐の都 大洪水が ちょっと起こる 大興城←隋 長安←唐 出典:『世界史でるとこ攻略法(文英堂)』 唐の繁栄 唐 ①ロイヤル父(唐)さんくれないか? 618 ~ 907 ②ロイヤル(618)ファミリー忘れてくれな(907) ③糖はロイヤル 618年唐建国 ④父さん、ずいぶんエロいやん! 唐 隋の都をぶんどって 618年成立 貞観の治 太宗教‥『貞観の治』 太いのに童貞 唐の混乱と衰退 則天武后 690年、則天武后が周を始める シックスナイン大好き則天武后 開元の治 「開『玄』の治」 =開元の治~玄宗 出典:「Dr.Kの直観で覚える世界史Ⅴ用語600」 安史の乱 ①おなご殺しの安史の乱 (755) ②755 安史の乱 (7時55分に安楽死) 出典(①): 唐とウィグル 唐「助けてくれ」 ウイグル「うぃ」 両税法 両税法 780 出鼻をくじく両税法 黄巣の乱 トーマス高速に乗る (唐末、黄巣の乱) 唐の滅亡 ①さっきオナったから 907唐滅 五代十国 ※五代で出るのは燕雲十六州を後晋が遼に割譲したことと朱全忠ぐらい ②紅(くれない)に沈む唐(907年)…夕日が沈むみたいに唐が滅亡した ③9回オナって父さん滅亡! 907年 唐 滅亡 唐の社会と文化 唐代の詩人 ①白居易『長恨歌』 東大で白い液出し、長く恨まれる "詩仙"李白‥白い視線 "詩聖"杜甫‥姿勢よく徒歩 出典: ②詩仙と詩聖がごっちゃになる人いたらどぞーっ 詩仙→仙人→白髪→李白 ③『詩聖→聖→セイント→ト→杜甫』 ※李白の詩仙、杜甫の詩聖をはじめその他中国の詩詠みは実際に詩を読み比べるとすごく分かりやすい。 イメージ定着するし。「漢詩の魅力」等おすすめ。 唐宋八大家 ①唐‥韓愈・柳宗元(散文の復興) 韓流三分! 宋‥欧陽修・蘇軾(他、蘇○が二人)・王安石・曾鞏 粗密な(蘇○が三人)O2(王安石・欧陽修)競争(曾鞏)だ ②・韓国の柳は濡れている 韓愈、柳宗元 儒学復興 ③流 柳宋元 感で 韓愈 O2 欧陽脩 酸 三蘇 素吸入 そうきょう 二人の画家 お父さん!この道違うよ!おーい!南だってば! お唐さん=唐代 道ちがう→道が誤り→道"画"誤り→呉道玄 「画家」 おーい!南=王維 南宋画の祖 書家と儒学者 顔面神経痛なの?しょーがないな、正義の名の下に供養してあげるよ 顔面神経痛、しょーがない=がんしんけい、書家 正義の名の下に~ =くようだつ(たつ?)、五経正義 東アジア文化圏の国ぐに 渤海国 ①むくわぼっきしたち×こ/渤海国成立 698 ②剥くや 勃起 698年 渤海が建国 朝鮮の都 朝鮮は軽快感 (都 慶州→開城→漢陽) 新羅 神経骨ぶつ 新羅(神)・慶州(経)・骨品制(骨)・仏国寺(ぶつ) 新羅滅亡 腐ったご飯で新羅滅亡 93 5年 遣唐使 蒸される夜にゲロ吐くよ 6 3 0年 8 9 4年 [部分編集] 中国社会の変化 五代の分裂時代 五代十国 ①頭の中に頭が二つある神官集団[両頭神官集]を思い浮かべる あとは後を着ければ完成さ (後梁→後唐→後晋→後漢→後周) ②「良刀楽よ、神官シュッ!」 (後+)梁、唐←これだけ都が洛陽、晋、漢、周 ③先ず後梁を覚えといて唐(新しい)~周(古い)を新しい順に並べる 後梁→後唐→後晋(晋は唐の次に新しい)→後漢→後周 朱全忠 修繕了解! 当分楽よ! 新刊買いに 週1回 修繕…朱全忠が建国 了…後梁 解…開封 当分…後唐 楽よ…洛陽 新…後晋 刊…後漢 買いに…開封×2 週…後周 一回…開封 修繕を後周ととらないように注意してください。 宋の統治 北宋 ①960 苦労して建てた北宋 五代十国時代の後と考えるとイメージしやすいかも… ②960年、宋、BY超匡胤 苦労多そう(宋)超巨乳 ③掃除で掻きわけしたいふ 宋 科挙 士大夫 ④趙きゅう胤が苦労(くろお)して作ったそうだ。 960年宋(北宋)建国 ⑤「調教がイイんだろ? そうなんだろ!?」「はい、そうです、そうなんです!」「苦労するぜ」 趙匡胤 宋を建国 960年 北宋と元の都 北宋解放 元気だい 北宋←開封 元←大都 出典:『世界史でるとこ攻略法(文英堂)』 王安石 ①登録(1069)しよう王安石 ↑王安石が新法による改革を開始。 ②王安石と(10)シックスナイン 新法 青空市場の募金箱 青苗法 市易法 募役法 均輸法 保甲 保馬 靖康の変 ①いい風呂で送金成功 1126年 北宋が金に滅ぼされる 靖康の変 ②靖康の変1126年 →いい風呂(1126)はいろう性交の変 ③いい風呂で性交 1126年~靖康の変 ④性交あとのいい風呂 1126 靖康の変 岳飛と秦檜 金?お主学費ほしいんかい? 金に対して 主戦派が岳飛、よって和平派は秦檜 宋代の社会 蘇湖~湖広 ①『そうソコ、みんココ』 宋「蘇湖熟すれば天下足る」 明「湖広熟すれば天下足る」 ②宋湖熟すれば天下足る →宋~元:蘇湖 宋代の文化 朱子学と心即理 層(宋)は周りから程よく朱に染まるが、陸は反対に唯一中心まですぐ染まる 周りから程よく朱に=周敦い→程い→朱子(朱子学を大成してきた人物順) 陸は反対に唯一中心=朱子学に対立した陸九淵、唯心論、心即理 四書 ①『大学中退でモウロウとする』 大学 中庸 孟子 論語 ②中央大学ロー模試 中庸、大学、論語、孟子 中央大学と言えば法学部(ロー)だよね [部分編集] 東アジア諸地域の自立化 北方の諸勢力 金と遼 北宋時の遊牧民族は、阿部高和さんを思い浮かべりゃOK 完ペキ顔の阿部が骨打ち 「もう…あんッ!!」 性交の変 【金】 始祖:完顔阿骨打(女真)※覚え方は『完璧な顔、あ~骨打った』『完全に顔、あー骨打った』等… 猛安・謀克 靖康の変→高宗が南宋を建てる てか、阿部さんに勃起してんのは遼なんだよな。北宋から千円とか絹や銀貰って「良……よ…」してたら、金も攻めてきて遼が壊れちゃったんだよ(何となく****王子のイメージで)。大石は西に逃げたけど。 【遼】 始祖:耶律阿保機(契丹) セン淵の盟(1004年)→北宋が絹や銀を贈る 金に攻められ滅亡 耶律大石は西遼を建てる 西夏の李元コウ(→日天)は各自で考えてくれ"orz 遼建国 悔いる!石川遼が勃起 916年に遼が耶律阿保機によって作られた 金 近所でワンワン! 金 女真族 ワンヤンアグダ なんてどうでしょう? カラ・キタイ成立 1132:いいの見つけたカラ・キタイ(カラ・キタイ成立) 東アジアの勢力交替 高麗 ①918 王建により高麗 悔いはないよな 高麗へ ②古来の王家が異常!たいそうやばい貴族政治 高麗(古来)・王建(王家)・開城(が異常)・大蔵経(たいそう)・両班(やばい)・金属活字(貴族)・青磁(政治) ③ここで一杯(918)コーラ(高麗)飲む 918年高麗建国 高麗と朝鮮 公開カンチョー (高麗=開城 漢城=朝鮮) ※漢城(漢陽)は今のソウルだから一番新しい
https://w.atwiki.jp/shintouzyo/pages/402.html
唐書巻二百二十四上 列伝第一百四十九上 叛臣上 僕固懐恩 周智光 梁崇義 李懐光 陳少游 李錡 僕固懐恩は、鉄勒部の人である。貞観二十年(646)、鉄勒九姓の大首領が衆を率いて降伏し、分けて瀚海・燕然・金微・幽陵などの九都督府に置き、別に蕃州をなし、僕骨歌濫抜延を右武衛大将軍・金微都督とし、訛って僕固氏とし、乙李啜を生み、乙李啜は懐恩を生み、代々都督を世襲した。 懐恩は戦闘をよくし、戎の事情に通暁し、部族には謹厳に接した。安禄山が叛くと、朔方節度使の郭子儀に従って賊を雲中に討ってこれを破った。薛忠義を背度山に破り、七千騎を殺し、薛忠義の子を捕虜とし、馬邑を下した。進軍して李光弼と合流し、常山・趙郡・沙河・嘉山で戦い、史思明を敗走させた。粛宗が即位すると、郭子儀とともに霊武に赴いた。当時、同羅(トンラ)部落が叛き、安禄山は北進して朔方を攻略したから、郭子儀は懐恩を率いて迎撃した。懐恩の子の僕固玢は戦うも敗れて敵に降伏し、しばらくして脱走して帰還したが、懐恩は怒り、叱責してこれを斬ったから、将士は震えあがり、皆ことさらに死力を尽くして戦い、遂にその敵を破り、馬・橐它・器械を鹵簿すること非常に多かった。帝はまた詔して燉煌王承寀とともに回紇に使して援軍を要請し、回紇は命を聞き入れた。至徳二載(757)、郭子儀に従って馮翊・河東を下し、賊将の崔乾祐を敗走させ、潼関を襲撃して破った。賊将の安守忠・李帰仁と苦戦すること二日、王師は敗北した。懐恩は渭水に至ったが舟がなく、馬の鬣(たてがみ)にしがみついて逃れ、敗残兵を収容して河東に帰還した。郭子儀は鳳翔に赴き、李帰仁は精兵をもって迎撃すること三度、郭子儀は懐恩をして王升・陳回光・渾釈之・李国貞の五将軍とともに白渠の下に兵を伏せ、賊は伏兵に遇って敗走した。また清渠で戦ったが不利で、引き挙げて帰還した。 当時、回紇(ウイグル)は葉護・帝得をして四千騎を援軍とし、南蛮(南詔)・大食等の兵もまた相次いで至った。帝はそこで広平王(後の代宗)に詔して元帥とし、懐恩をして回紇の兵を率いさせ、広平王に従って香積寺の北で戦った。賊は一軍を営の左に伏せたが、懐恩は馳せて急襲し、首を斬って残す者はなく、賊は気を阻まれた。合戦すると、回紇で賊を挟撃し、戦が最高潮になると、兜を脱いで矛を引っ提げて直ちに陣に突入し、十人あまりを殺し、多くは驚いて靡き、また李嗣業と合流して苦闘して全力を尽くし、賊軍は総崩れになって大敗した。たまたま日暮となり、懐恩は広平王に見えて、「賊は必ず城を棄てて逃げます。願わくは壮騎二百をお借りできれば、安守忠と李帰仁らを縛って麾下に連れて参ります」と言った。広平王は、「将軍は戦い疲れている。しばらく休まれよ。明るくなったら将軍とともにこれを計ろう」と言ったが、答えて、「安守忠らは皆天下の驍賊で、彼らはたびたび勝っていましたが、今回は敗れています。これは天が我に与えたことなのです。どうして逃がしてよいのでしょうか?また軍を再集結させてしまえば、必ずや我の患いとなります。後悔したとしても及ばないのです」と言ったが、広平王は従わなかったから固く願った。夕を通して応酬すること四五回であった。明け方、偵察が戻ってきて、安守忠らははたして逃げ去っていた。また広平王に従って賊を新店で破った。両京(長安・洛陽)を回復してとくに功ありとされ、詔して開府儀同三司・鴻臚卿を加えられ、豊国公に封じられ、封二百戸を賜った。 郭子儀に従って安太清を破り、懐州・衛州の二州を下し、相州を攻め、愁思岡で戦い、常に先鋒となり、勇ましさは軍中に冠たるものであった。乾元二年(758)、朔方行営節度使を拝し、大寧郡王に進封された。 懐恩の人となりは雄々しく重厚で寡黙であり、応対すればゆったりしているが、剛毅で決断力があって上に逆うこともあった。始め偏裨(副将)の地位であっても、意見が合わなければ、相手が主将であっても必ずくじいて詰った。その麾下は皆蕃人・漢人の強兵で、功を恃んで多く不法なことをしたが、郭子儀の軍政は寛容であった。李光弼が郭子儀に代わると、懐恩は副将となった。李光弼は河陽を守って懐州を攻め、安太清を降伏させた。また子の僕固瑒は戦いをよくし、儀同三司(懐恩)の将兵を用いて、深く侵入するごとに多くを殺し、賊はその勇を憚って、「猛将」と号した。安太清の妻は美しく、僕固瑒は奪って帷幕に拉致した。李光弼はこれを帰すよう命じたが、聞き入れず、兵士で守らせた。騎馬で走らせて七人を射殺し、妻を奪って安太清に返還した。懐恩は怒って、「閣下は賊のために官兵を殺したのですか?」と言ったが、李光弼は法を厳格に保ち、少しも耳を貸さなかった。これより以前、軍を汜水で合流させたが、朔方将の張用済が遅れて来たのを纛(旗)の下で斬った。懐恩は心に李光弼を憚り、自ら張用済を誅殺したが、常に憂えて楽しむことはなかった。李光弼が史思明と邙山で戦うと、命令を聞かず、そのため王師は敗北して潰滅した。帝はその功績を思って、召喚して工部尚書とし、寵愛して礼を殊にあつくした。代宗が即位すると、隴右節度使を拝したが、まだ任地に行く前に、朔方行営節度に改められ、郭子儀の副将となった。 それより以前、粛宗は寧国公主を毘伽闕可汗(ビルゲ・カガン)に降嫁させたが、また末子のために婚姻を求め、そのため懐恩の娘をその妻とした。その末子が即位し、登里可汗(テングリ・カガン)と号し、懐恩の娘を可敦とした。宝応元年(762)、帝は回紇の兵を招集しようとしたが、登里可汗はすでに史朝義に誘われて、軍十万を率いて国境を侵犯し、関中は大いに震えた。帝は殿中監の薬子昂を遣わしてこれを労い、可汗は懐恩およびその母の面会を請い、詔あって許可の旨を答えた。懐恩は行くのを嫌がったが、帝は鉄券を賜い、手づから詔して強いて派遣したから、行った。可汗と太原で会い、可汗は大いに喜び、遂に和を請い、史朝義を討つのを助け、即ち兵を引き上げて陝州に駐屯し、軍は出撃の時期を待った。 ここにおいて雍王(後の徳宗)は元帥として中軍を率い、懐恩は同中書門下平章事に拝して副将となり、左殺(シャド。回紇の官職名)を先鋒とした。時に諸節度使は皆兵を合流させ、黄水に進んだが、賊は防壁をつくって自ら固守した。懐恩は西原に陣を敷き、多く旗旝を立て、突騎をして回紇とともに次第に南に進出し賊の左を取り囲み、旗を挙げるに応じて、賊の壁を破り、賊の死者は数万に及んだ。史朝義は精鋭の騎兵十万を擁して援軍し、根を埋めて決戦し、短兵が接敵すると、殺したり捕虜となる者が相当の数に及んだ。魚朝恩は射生軍五百人に矢を集中射撃させ、賊は多く死んだが、陣は堅く侵入できなかった。馬璘は怒り、単騎で旗を持って直進し、二つの盾を奪うと、賊は辟易とし、大軍はこれに乗じて進入し、軍は混乱を止められず、史朝義は敗れ、斬首は一万六千級、捕虜四千人あまり、降伏する者は三万人にのぼった。石榴園・老子祠に転戦し、賊は再び敗れ、自ら互いに逃げて踏まれて死に、尚書谷を埋めて大量に満たした。史朝義は軽騎兵で逃走した。懐恩は進軍して東都・河陽を収め、府庫を封じて、私とするところはなかった。賊に置かれていた許叔冀・王伷らを釈放し、衆は皆安堵した。回紇を留めて河陽に駐屯し、僕固瑒および北庭兵馬の将の高輔成をして一万騎で北に逐い、懐恩は常に賊を圧迫して侵入した。鄭州に至って、再戦して再び勝利し、賊帥の張献誠は汴州とともに降り、滑州を下した。史朝義は衛州に至って、その党の田承嗣・李進超・李達盧とともに合流し、軍勢は四万あり、黄河によって戦った。僕固瑒は援軍して岸を上って肉薄し、賊の党は潰滅して敗走した。進んで昌楽に進出し、史朝義は逃れ、偽帥の李達盧は降伏し、薛嵩・李宝臣は相州・衛州・深州・定州などの九州を挙げて献上した。史朝義は貝州に至り、その党の薛忠義を得て、軍勢三万を率いて僕固瑒から臨清を防衛した。賊の気は盛んで、僕固瑒は兵をまとめてその先鋒を挫き、高彦崇・渾日進・李光逸をして三度伏兵を設けて待機させ、賊が半ば渡ると伏兵を発してこれを攻撃し、史朝義は敗走した。その時軽騎兵が至ると、僕固瑒は急速前進してはせ参じ、大いに下博県で戦い、賊は背水の陣を敷き、軍は急襲すると賊は大いに崩れ、死体を積んで流れを蔽って下っていった。史朝義は退いて莫州を守った。ここにおいて都知兵馬使の薛兼訓・郝廷玉、兗鄆節度使の辛雲京が軍に合流して城下に至り、史朝義と田承嗣はしばしば戦いを挑んだが勝てず、前線で偽党の敬栄が斬られた。史朝義は恐れ、残衆を率いて幽州に逃れた。王師は追撃し、史朝義はさらに平州に逃げたが、自ら縊死し、河北は平定された。懐恩と諸将は皆兵を止め、功によって尚書左僕射兼中書令・河北副元帥・朔方節度使に遷り、封戸四百を加えられた。 それより以前、帝は詔があって、ただ史朝義の罪のみ取り、その他一切を赦した。そのため薛嵩・張忠志・李懐仙・田承嗣は懐恩を見て皆叩頭し、力に効って伍することを願った。懐恩は自ら功績が高く、かつ賊は平定されて勢いが軽くなり、寵を保つことができないとみて、そこでことごとく河北を割いて大鎮に分けて授けるよう願い、密かにその心と結んで助けとなろうとしたから、薛嵩らはついに拠って患いとなったと言われる。 しばらくもしないうちに、太子少師を加えられ、戸五百、第一区を増し、一子に五品官を与えた。詔して回紇を護って帰国させ、太原を通過しようとしたが、辛雲京は心内では懐恩を嫌っており、また懐恩と回紇が親しかったから、可汗に襲わせようとしていると思い、閉関して敢えて軍を労わなかった。懐恩はすでに父子が新たに功を立て、河朔を挙げて拾遺するが如くであったから、名は諸将の遠く甚しきにも出ていて、そのため辛雲京が拒んでいるのに大いに怒り、上表してその顛末を奉った。にわかに軍を汾州に向け、配下の将の李光逸に兵で祁州を守らせ、李懐光を晋州に拠らせ、張如岳を沁州に拠らせ、高暉ら十人あまりは自身に従えた。監軍の駱奉先は辛雲京より帰るところで、辛雲京はすでにその勢力とあつく結んでおり、よって懐恩と可汗に申して状に反すること明白であることを約した。駱奉先は懐恩のもとを過ぎ、堂を昇って母を拝した。母は譲って、「もし我が子と兄弟の契りを約してくれれば、今どうして自ら辛雲京と親しくされますか?そうなのでしたら前事は勿論、今から初めのようにしてください」と言い、酒宴してたけなわとなり、懐恩は舞った。駱奉先は厚く幣を納めた。懐恩は未だ酬いるにおよばず、奉先はしばらくして辞去したが、懐恩はそこで左右の者を遣わしてその馬を隠し、駱奉先は己に謀があることを疑い、夜陰に乗じて逃げ帰り、懐恩は驚き、その馬を追跡した。駱奉先が帰還すると、具さに懐恩が反くの状を奏上し、懐恩もまた辛雲京・駱奉先の誅殺を請うたが、詔して両者を和解させた。懐恩が潞州を通過すると、李抱玉は金や馬を贈り、懐恩もこれに贈答した。にわかに李抱玉が表立って懐恩と私的結びつくことになった。 広徳年間(763-764)初頭、進んで太保を拝し、一子に三品を、一子に四品官を与え、封戸五百を増やした。僕固瑒は一子に五品官を与え、封戸百を得た。よって鉄券を賜り、名を太廟に蔵(おさ)め、肖像画を凌煙閣に描いた。また僕固瑒を検校兵部尚書・朔方行営節度使とした。しかし懐恩は晴れ晴れとせず、また性格は強固で、讒言のために屈するのをよしとせず、自ら釈明することもなかったが、そこで陳情を上書して、「臣は代々もとは夷人で、幼い頃より上皇(玄宗)に用いられました。安禄山の乱では、臣は部将として決死に難を鎮め、天の采配のおかげで神威があり、強胡に勝って滅ぼしました。史思明が謀叛を継続すると、先帝は臣に兵を委ねられ、国の仇を雪(そそ)ぐことを誓い、攻城野戦、身は士卒に先んじ、兄弟は戦陣で死に、子や一族は軍で死にました。九族の内、十人のうち一人も生き残らず、そして生き残った者も満身創痍でした。陛下は龍潜(即位以前)の時、親しく軍を統べられ、臣は麾下でお仕えし、臣は愚かながら尽くしました。この時しばしば微功がありましたが、すでに李輔国に讒言され、しばらくして家を壊されました。陛下が即位すると、誹謗されていることを知り、遂に独見の明を開かれ、多くの者たちの口をふさぎ、臣を汧州・隴州に抜擢され、臣を朔方節度使に任じられました。魂が離れても体に戻り、骨が朽ちても肉が再生しました。先日、回紇が辺境に侵入し、士人には名案が浮かばず、京師は震撼しましたが、陛下は臣に詔して太原に至らせて労問させ、臣に一切の処置を許し、よって可汗と計議することができ、道を分けて兵を用い、東都(洛陽)を回復し、燕・薊を掃蕩しました。当時可汗は洛陽にあって、魚朝恩のために疑われて阻まれ、すでに歓心を失いました。臣が回紇に護送すると、辛雲京は城を閉じて出ず、隠れて掠奪したから、蕃夷は怨んで怒り、いよいよ多種多様なことを縫い合わせ、そこで国に帰すことができました。臣は汾州に帰り、兵馬を休息させ、辛雲京はまた一つも連絡することなく、臣は弾劾奏上されることを恐れ、そのため誹謗を構え、異端を起こしました。陛下は明察を垂れられず、忠直の臣を使おうとして、讒言する邪悪の党に陥られたのは、臣が悲しみのあまり胸を打ち、血の涙を流すことになった原因です。しかし臣には罪が六つあり、死を逃れるところがありません。むかし、同羅が叛き、河曲が騒動し、兵は包囲を解かなかった時、臣は老母を顧みず、先帝を行在に従い、兵を募って賊を討ち、同羅を殲滅しましたが、これは臣が国に忠ならざる、罪の一つめです。子の玢を斬って兵士たちに号令しましたが、天性の愛を棄てたことで、臣が国に忠ならざる、罪の二つめです。二人の娘を遠く嫁がせ、国のために和親し、合従して脅威を除きましたが、これは臣が国に忠ならざる、罪の三つめです。また子の瑒とともに身をもって戦陣に赴き、国家を安んじることを志しましたが、これは臣が国に忠ならざる、罪の四つめです。河北に新たに設けた諸鎮は、皆精兵を掌握していますが、臣がこれを安定させ、叛けば平定しましたが、これは臣が国に忠ならざる、罪の五つめです。回紇と和睦し、勝って中原を定め、玄宗・粛宗の二朝にわたった国土回復は、陛下をして忠と孝をつとめて二つとも全うされましたが、これは臣が国に忠ならざる罪の六つめです」と述べた。また、「来瑱を誅殺されましたが、その罪を暴かないことは、天下が疑いをなしています。四方の奏請は、陛下は皆驃騎(程元振)と協議したといっていますが、可否は宰相から出ませんでした」と述べた。詞にはおごり很みがあり、帝は一度ならずともあきたりず、かつその後悔を欲し、そのため心を人に託して待った。宰相の裴遵慶に詔して本人に詔旨を説諭し、よってその去就を察することとした。 裴遵慶がやってくると、懐恩はその足に抱き着いて、泣いて訴えた。裴遵慶は帝が疑っていないからと言い、そこで入朝を勧めた。懐恩は許諾したが、副将の范志誠は諫めて、「互いに信じあえないようになってしまったのに、どうして何が起こるかわからない朝廷に行こうとするのですか。閣下だけ来瑱・李光弼を見ていないのですか?二臣は功が高かったのに賞されず、来瑱はすでに誅殺されてしまいました」と言った。懐恩はそこで止めとした。一子をして宿衛させようとしたが、范志誠は固く止めた。御史大夫の王翊は回紇に懐恩を戻させようとしたが、懐恩は回紇と通交しているのが漏れることを恐れて、よって留って遣さなかった。そこで僕固瑒に辛雲京を攻めさせ、辛雲京は敗れ、次に楡次を攻めた。 それより以前、帝が陝州に行幸したが、顔真卿は詔を奉って懐恩を召喚することを請うた。ここに至って、帝は往かせようとしたが、辞退して、「臣は前に行くことを請うたのは、その時であったからで、今では無意味でしょう!」と言った。帝はその理由を聞くと、「最近、陛下は狄(吐蕃)を陝州に退避されましたが、臣が懐恩を見ますに、戦い方の善悪を責めて、職務の責を問うて走らさなければ、そのために懐恩は来朝して、賊を討つのを助け、その言葉は恭順であったでしょう。今陛下は、長安を都とし、懐恩は進んで勤王せず、退いて衆にも説かず、その言葉をねじ曲げているのですから、絶対に来ないでしょう!」と答えた。「それならどうするか?」と聞くと、「今、懐恩が叛いていると言っている者は、ただ辛雲京・李抱玉・駱奉先・魚朝恩の四人だけで、ほかは盛んにそのゆがめられた真実を言っているだけです。しかし懐恩の将士は、皆郭子儀のもと部下で、陛下がもし郭子儀に代わらせれば、たとえ叛こうが従おうが、必ず互いに率いて帰ってきます」と言ったから、これに従った。 郭子儀が河中に至ると、僕固瑒は楡次を攻めたが、陥すことができないでいるうちに、兵を祁州に追撃し、その緩慢さを責めて鞭うったから衆は怒った。この夕方、副将の焦暉・白玉らが僕固瑒の首を斬り、朝廷に献上した。懐恩は聞いて母に告げると、母は、「私はお前に背いてはならないと戒めてきましたが、国家の酬いはお前には浅くはないのに、今衆は謀叛し、禍はまた私に及んでいますが、どうしてなのか?」と言ったが、懐恩は再拝して出て言ったから、母は刀を引っ提げて追って、「私は国のためにこの賊を殺し、その心を取って軍中に謝せん」と言ったから懐恩は逃げて、そこで部下三百人とともに北は黄河を渡り、霊武(寧夏省寧夏県南)に逃げた。次第に亡命してきて軍は復興した。帝はその勲功を思って、罪を加えず、詔してその母を輦車に載せて京師に帰らせ、厚く賜物をし、長生きして死んだ。また詔を下して懐恩に太保兼中書令・大寧郡王に任じたが、その他の官位は罷免した。 懐恩はもとより憎んで改めることができず、ついに吐蕃を誘って十万で辺塞に侵入し、豊州の守将は戦死した。進んで涇州・邠州を攻略し、来瑱の墓を祭った。涇水を渡り、邠寧節度使の白孝徳はこれを防いだが、その軍は潰滅し、懐恩は、「さきに皆我が子となったが、叛いたから他人のために私が死においやってしまった」と泣いた。奉天に侵入すると、郭子儀が防衛したから撤退した。永泰元年(765)、帝は天下の兵の集めて防御させた。懐恩は諸蕃を誘い合せて二十万を号して入寇し、吐蕃は北道より醴泉に迫り、奉天を動揺させた。任敷・鄭廷・郝徳は東道より奉先に入寇し、同州を窺った。羌・渾・奴剌は西道より進んで盩厔を攻略し、鳳翔に行った。京師は震撼した。詔して郭子儀を涇陽に駐屯させ、渾日進・白元光を奉天に駐屯させ、李光進を雲陽に駐屯させ、馬璘・郝廷玉を便橋に駐屯させ、董秦を東渭橋に駐屯させ、駱奉先・李日越を盩厔に駐屯させ、李抱玉を鳳翔に駐屯させ、周智光を同州に駐屯させ、杜冕を坊州に駐屯させ、帝は六軍を御して苑中に駐屯し、詔を下して親征した。懐恩は鳴沙に至ると、病が甚しくなり、帰還して霊武で死に、部下はその遺体を火葬した。部将の張韶・徐璜玉はその軍を定めることができず、皆前立って死んだ。范志誠は衆を統率して涇陽に侵入した。その時、諸駐屯地では防壁を固くし、大雨が降り、谷は流れて潰え、賊は進むことができなかった。吐蕃は既に持久戦となり、また回紇と序列を争い、さらに互いに疑い、先に進むことがかなわず、そのため家々を焼いて、男女数万を駆けて去った。周智光は澄城で迎撃してこれを破り、馬牛や軍の資材を収容すること万を数えた。回紇はそこで郭子儀に詣でて降伏し、吐蕃を攻撃して自分ら捧げることを願い出た。郭子儀は兵を分けてこれに従い、その衆を涇州で破った。任敷は敗走し、羌・渾は李抱玉に詣でて降伏した。 それより以前、懐恩が功績を立てた時、一族の内で王事に死んだ者は四十六人。命を拒むに及んで、兵士は甲冑を緩めなかったことはおよそ三年であった。帝は心に忍び、しばしば詔を下して、未だに懐恩が叛いたとは言わなかった。死んでから彼のために落胆して、「懐恩は叛いたのではない。左右のために誤っただけなのだ!」と言った。にわかに懐恩の従子の僕固名臣が千騎とともに降伏した。大暦四年(769)、懐恩の幼女を冊して崇徽公主とし、回紇に嫁がせたといわれる。 周智光は、幼い頃は卑賎の身で、その先祖・系譜は失われており、騎射をもって従軍し、兵卒より副将となった。 魚朝恩が陝州を鎮とすると、互いに昵懇となり、しばしば称えて推薦したから、累進して同州・華州の二州節度使となった。 永泰元年(765)、吐蕃・回紇・党項・羌・渾・奴剌の衆十万あまりが奉天を入寇したが、智光は澄城で迎撃して破り、駱駝・馬を得て軍費を贖うこと万を数え、北に追撃して鄜州に至った。もとより杜冕と仇敵で、当時、杜冕は坊州に駐屯していたが、家は鄜州、智光は侵入して刺史の張麟を殺し、杜冕の宗属八十人を殺害し、民家三千軒に放火して去った。朝廷は召喚したが、恐れて赴かなかった。さらに杜冕に詔して梁州に使させて仇を避けさせ、来るよう願ったが、のけぞりかえっていて命令を聴かず、不逞の徒数万を集めて、ほしいままに略奪してその欲を甘やかし、結んで固守した。陝州監軍の張志斌および前虢州刺史の龐充を殺した。それより以前、張志斌は陝州より入奏したが、智光は傲慢にも礼をなさず、張志斌はこれを責めたから、怒って、「僕固懐恩はどうして叛いたのか?皆つまらない輩が力で押さえつけようと弄んだのが禍となったのだ。私はもとより叛いていないが、今はお前のために叛こう!」と言って、ついに叱って張志斌を斬り、その肉を帳下で饗宴した。当時、崔円が淮南より方物百万を納めたが、その半ばを掠奪した。天下の奉献物や船舶で輸送した糧食は、奪って自身のもとに留めた。士で調を貢納するために西に行かなければならない者はどう責められるのかを恐れたが、間道から同州を逃げる者は、部将を派遣して捕らえて斬った。代宗はいまだその罪が暴かれていないときに、中使の余元仙に命じて詔をもって尚書左僕射に任命した。詔を受けると怒って、「私には大功があるが、お上は平章事を与えられず、かつ同州・華州の地は狭く、支えとするには足りない。もし陝州・虢州・商州・鄜州・坊州の五州を加えられれば相応だろう」と語り、よって、「私の子どもたちはみな二百斤の弓をひき、万人の敵たる者である。天子を挟んで諸侯に命令するのに、智光でなければ誰がふさわしいというのか?」といい、そこで大臣を謗って罪を並べ立てたから、余元仙は震汗した。おもむろに絹百匹を贈って遣わした。自ら生祠を立て、その部下に祈祷させた。 大暦二年(767)、帝は郭子儀に詔して密かに謀った。同州・華州の路は閉鎖され、詔書は通ることができなかったから、そこで郭子儀の婿の趙縦を召して口詔を授け、書帛を蜜壺の中に隠し、家僕を遣わして間道を走って詔を伝えた。郭子儀は詔を得ると、討伐を宣言したが、実行される前に、その衆は大いに離反し、部将の李漢恵は同州より郭子儀に降伏した。そこで智光を澧州刺史に貶し、百人を随身させることを許したが、将吏の罪は一切不問とした。ついで部下に斬首され、また子の周元耀・周元幹も斬って来献してきた。詔して首を皇城の南街にさらした。判官の邵賁・別将の蒋羅漢もともに誅殺された。勅して役人に詳細に太清宮・太廟・七陵に告げさせた。 それより以前、淮西の李忠臣が入朝して、潼関に行ったとき、智光が叛いたのを聞いて、兵を率いてこれを討った。智光が敗れると、李忠臣は華州に入って大掠奪を行い、赤水より潼関にいたるまでの畜産・財物はすべて尽きてしまい、官吏は衣服や紙を自弁し、連日食べられない事態となった。 梁崇義は、京兆長安の人である。枡で計るのを市で生業としていたが、力が強く鉄鉤を真っすぐにできた。後に羽林射生となり、来瑱に仕えた。寡言であった。来瑱が襄陽より京師に入朝すると、諸将を分けて福昌・南陽を守らせた。来瑱が誅殺されると、守兵は潰えたが、梁崇義は南陽より衆をまとめて襄州に帰還した。李昭と薛南陽は互いに長となるのを譲っていたが、軍衆は、「梁卿でなければ駄目だ」と言ったから、ついにその軍を統率し、李昭と薛南陽を殺し、脅して軍衆の心を制した。代宗はよって節度使に任命した。七州の兵二万を挙げて、田承嗣・李正己・薛嵩・李宝臣と互いに助け合い、首尾結託した。しかし梁崇義のみ地は狭く兵が少なかったため、法令は最も遵守し、時々兵士にあっては自ら振舞い、襄・漢の間の人は教義を知った。朝廷はしばしばあつく入朝を勧めたが、「来公(来瑱)は大功がありましたが、宦官の讒言を恐れ、逡巡してお召しを辞退しました。代宗が即位されますと、駕を待たずに入朝しましたが、そこで殺されました。私の罪は大罪ですが、どうしてお上に謁見したいと思うのでしょうか」と返答した。 建中元年(780)、李希烈は討伐を願い、梁崇義は恐れて、部隊を整理した。郭昔なる者が変事を上奏したが、徳宗は示すのには信頼をもってすることとし、郭昔を遠方に流刑とし、金部員外郎の李舟に詔して諭旨させた。それより以前、劉文喜が叛くと、李舟は詔を奉って涇州に入ったが、にわかに劉文喜の部下が劉文喜を斬って奏上した。それを周囲は李舟が軍を全滅させて将を殺したと言ったため、叛いた側にいた者たちが皆これを憎んだ。李舟がやってくると、入朝を梁崇義に勧めたが、梁崇義は喜ばなかった。翌年、遣使して諸道を慰撫したが、李舟もまた梁崇義の所に行ったものの、ついに内に入れることをよしとせず、他の使者に代えるよう願った。さらに給事中の盧翰に命じて往かせたが、梁崇義はますます不安となり、跋扈すること甚しく、諌める者は多く死んだ。朝廷は疑っていないことを天下に示すため、そこで同中書門下平章事に任命し、妻と子にことごとく賞を与え、鉄券を賜い、その将の藺杲を抜擢して鄧州刺史とし、御史の張著を遣わして手詔をもって梁崇義を召喚した。梁崇義は兵士たちに弓矢をいっぱいに引き絞り、そこで命を受けた。藺杲は詔を奉ったが敢えて赴かず、梁崇義に詣でて自ら報告した。梁崇義は対面すると泣いて見せたから、遂に詔を拒んだ。 帝は李希烈に命じて諸道の兵を率いて討伐させた。梁崇義は先んじて江陵を攻め、黔州・嶺州と通じようとしたが、四望で敗れて帰還した。途中、李希烈が臨漢に駐屯させた兵千人あまりを殺害すると、李希烈は怒り、兵を率いて漢によって上った。梁崇義は翟崇暉・杜少誠に蛮水で戦わせ、敗れて北は涑口に至ったが、ここでも大敗し、二将は降伏し、李希烈はこれを厚遇したから、部下の降伏した兵に襄陽を従わせると、百姓を安堵させた。梁崇義は防壁を閉ざしたが、守る者は関を斬って逃亡したから止めることができず、そこで妻と井戸に行って死に、首は京師に伝送された。李希烈はその親族および軍で臨漢の役に従った者三千人を誅殺した。 梁崇義の孫の梁叔明は、李納に養われ、後に劉悟に従って昭義将となったが、劉従諌が死ぬと、使節として派遣されたが、詔によって誅殺された。 李懐光は、渤海靺鞨の人であり、本姓は茹氏である。父の茹常は幽州に移って、朔方節度使の部将となり、多くの戦いに参加して李姓を賜り、さらに名を嘉慶とした。 李懐光は軍にあって、功労を積んで開府儀同三司に至り、都虞候となった。勇猛で敢えて誅殺をし、親族であっても法を犯せば、誅殺を避けることはなかった。節度使の郭子儀は仁に厚く、軍法には詳しくなく、綱紀を李懐光に委ねたから、軍中は李懐光を畏れた。たまたま母の喪となり、復帰すると邠州・寧州・慶州の都将を兼任した。徳宗が郭子儀を副元帥から罷免すると、部下の兵を諸将に分割し、そのため李懐光は検校刑部尚書となり、寧州・慶州・晋州・絳州・慈州・隰州などの州節度使となった。軍を率いて長武を城とし、原州(甘粛省平涼県東四十里)によって根拠地とし、涇水に臨み、吐蕃の重要路を抑え、これより吐蕃は敢えて南侵することはなかった。建中年間(780-783)初頭、楊炎は原州を城としたいと思い、李懐光をして涇原の帥を兼任させ、その功を遂げた。原州の宿将の史抗・温儒雅らは、郭子儀の麾下であったから、かつては李懐光の同僚であり、その部下にいると、心は鬱々としたから、李懐光は罪によってこれを誅殺し、ここによって涇軍は畏れた。劉文喜は軍が李懐光を恐れているため、遂に叛した。詔して朱泚とともに討伐して平定し、検校太子少師を加えられた。翌年、朔方節度使に移り、実封戸四百となり、よって邠寧を領した。 当時、馬燧・李抱真は田悦を討伐したが勝てず、李懐光に詔して朔方の兵一万五千で合流させた。李懐光は魏州に至ると、まだ陣を敷く前に、朱滔らとともに連篋山で戦い、賊のために敗れ、田悦は水を決壊させて軍に浴びせ、馬燧らは退いて魏県に駐屯した。ついで同中書門下平章事に昇進し、戸二百を増やした。朱滔らと互いに持久戦となり、しばらく戦わなかった。 帝が奉天に巡狩すると、李懐光は軍を率いて命に奔走し、まさに雨降って泥濘になると、軍士を励ましてますます道を進み、蒲津より河を越えて、朱泚の軍を醴泉で破った。まさに奉天に至ろうとするとき、先に副将の張韶を遣わし蝋で上表文を隠し、賊に従って城を攻め、城塁を叩いて「私は朔方の使だ」と呼び、縄にしがみついて登り、身に数十本の矢が当たった。その時帝は包囲されて窮地に陥っていたから、これを聞いて喜び、そこで張韶を城の上で叫ばせ、人心は安堵した。また賊を魯店で破り、朱泚は包囲を解いて撤退した。累進して副元帥・中書令を加えられた。 李懐光は人となりは荒く片意地を張っており、「宰相(盧𣏌)は謀議して背き違っており、度支(趙賛)は重税を課し、京兆尹(王翃)は兵糧に刻薄であったから、天下の乱はすべてこのせいなのである。私はお上に謁見して、かつこれを誅殺することを要請する」と主張した。ある者が王翃に告げたから、王翃らは謀って、「李懐光に大功があり、お上が訪ねて得失によってその発言を受け入れられるなら、なんと危険なことではないか」と述べ、ついに盧𣏌に告げ、盧𣏌はそこで帝に説いて、「李懐光の兵威はすでに猛威をふるい、逆賊は肝を冷やしており、勝利に乗じて一挙に賊を滅ぼすべきです。今入朝させれば、必ず宴で労って留まらせてしまうことになり、すると賊は残党を集結させることができ、ついには何もできなくなってしまいます」と述べた。帝は実情がわからず、よってその通りにしてしまった。そこで李懐光に勅して便橋に駐屯させ、諸将を督戦して討伐に出発させた。李懐光は自ら千里をめぐって艱難に赴いたのに、姦臣のために排斥疎外されて入朝することができないから、大変怒って恨み、撤退して咸陽に駐屯した。翌日、李晟と陳涛斜で合流したが、防壁の防備が出来ていないのに、賊が大挙して押し寄せた。李晟は李懐光に説いて、「賊は宮苑(長安)を保っており、これを攻撃するのは本当に難しい。今あえて陣地を離れて、公とともに肉薄して戦えば、これは天が賊を公のために賜っているように勝利をおさめるでしょう」と言ったが、李懐光は、「我が軍の馬はまだ秣にありつけてなく、兵士は食事もないのに、速やかに戦うべきなのか。しばらく我が勇を養ってこれを待とう」と言ったから、李晟はやむを得ず壁を閉ざして出撃しなかった。李懐光はしばしば盧𣏌らの罪を暴き、帝はそこで盧𣏌と趙賛・白志貞を左遷した。また宦官の翟文秀を弾劾奏上し、帝はまたこれを殺して懐光を慰撫した。しかしますます自ら疑い、立て籠もって固守すること八旬(八十日)、出て戦わず、しばしば詔して進軍させようとしたが、隙を伺って解囲し、密かに朱泚と連絡した。 それより以前、崔漢衡を派遣して吐蕃に援軍を求めたが、尚結賛(シャンギェルツェン)は、「我が法では、進軍するのに大臣が兵を率いるのを信としている。今、制書には李懐光の署名がないから、先に進むことはできない」と述べた。帝はそこで翰林学士の陸贄に命じて懐光のもとに赴かせて協議したが、懐光は三つの不可を述べて、「吐蕃の舎人の馬重英は長安を陥落させたが、賛普は焼き払わなかったことを責めていた。今吐蕃が来るならば、必ず宿願をほしいままにするだろう。これが一つめの不可である。彼らは兵五万を率いると言っているが、すでにその人を用いれば、それは漢士と同じであり、もし我を迎えて賞を厚くするとすれば、どうやってこれをするというのか。二つめの不可である。虜人(吐蕃)が来たからといって、義はまず用いず、兵を収めて自ら固守することとなる。成功と失敗を見るならば、王師が勝てば功績は分かつことになり、敗ければ変乱を謀られ、狡猾で偽りが多いから信じてはならない。三つめの不可である」と言って、ついに署名するのをよしとしなかった。また陸贄を罵って「お前はどうして良いと思っていたのか」と言った。 興元元年(784)、詔して太尉を加え、鉄券を賜ったが、李懐光はかっとなって怒って、「だいたい人臣が叛くのを疑っているときは鉄券を賜っている。今懐光に授けるのは、これは叛かせたいということなのか」と言い、地面に叩きつけた。当時、部将の韓游瓌の将兵が奉天を守っており、李懐光は韓游瓌に反乱を約束し、韓游瓌はこれを上奏密告した。数日して、また密書を送ったが、門番がこれを捕らえた。また将の趙升鸞が奉天に間諜し、趙升鸞は渾瑊に密告して、「李懐光は達奚承俊を遣わして乾陵に放火し、私に内応させて、乗輿(徳宗)を脅かそうとしています」と伝えた。渾瑊はその姦計を暴き、帝に梁州への行幸が決定することを願った。帝は渾瑊に戒厳させ、戒厳が終わる前に、帝は西門より出て、詔して戴休顔に奉天を守らせようとした。李懐光は将軍の孟廷宝・恵静寿・孫福を遣わして軽騎兵を率いて南山に急行させ、糧料使の張増と遭遇した。三人は謀って、「我々が属しているのは反乱側となっていると聞いているから、軍を緩めるのに越したことはない。彼が怒れば、ただ我が将ではなかったというのに過ぎないだけだ」と言い、張増をして軍をあざむかせて、「これより東は、我々は糧食があるから食するべきだ」と言って、孟廷宝らは引き上げて東に行き、兵士をほしいままにさせて大いに掠奪したから、百官は遂に駱谷に入った。帝を追跡するまでには及ばなかったから、帰還して李懐光に報告すると、李懐光は怒って、ことごとくその兵を罷免した。李懐光はそこで李建徽・陽恵元らの軍を奪い、好畤に駐屯したが、その配下はだんだん背いていった。朱泚は始め李懐光を憚っていたが、ここに至って李懐光を臣下扱いしたいと思った。李懐光は怒り、絶交を宣言し、ますます不安となり、そこで兵を率いて涇陽・三原・富平を掠奪し、遂に河中に行き、張昕を留めて咸陽を守らせた。しかし孟渉・段威勇は兵を擁して李晟に降伏し、韓游瓌は張昕を殺して、邠州に帰還した。戴休顔は奉天より軍に「李懐光が叛いた」と号令し、そこで城を守った。 詔があって李懐光を太子太保とし、その麾下で功績が高い者一人を選んでその兵を統率させることを許した。しかし李懐光は詔を奉らなかった。李懐光は河中に至り、同州・絳州の二州を取り、駐屯して軍を展開させた。京師が平定されると、給事中の孔巣父・宦官の啖守盈に命じて李懐光を召喚しようとしたが、全員李懐光の軍中で殺害され、ここにおいて武器を修理して守りを厳しくした。帝はそこで渾瑊を派遣して討伐させた。度支はその軍への扶持米の年間給付を止めることを要請したが、帝は、「朔方軍はしばしば功績がある。どうして李懐光が命を拒むからといって、軍が恩を被らないことがあっていいのだろうか」と言い、役人に詔して別に貯えていた絹や銭を、事態が平定されてから給付することとした。渾瑊は同州を破り、軍を駐屯させたが進むことができず、しばしば李懐光のために敗北を喫した。帝は河東節度使の馬燧を威名が明らかであるから、そこで副元帥に任命し、渾瑊および鎮国の駱元光・邠寧の韓游瓌・鄜坊の唐朝臣に兵を合流させて討伐に進発させた。馬燧は絳州を陥落させ、諸軍は遂に河中を包囲した。 貞元元年(785)八月、朔方の部将の牛名俊が李懐光を斬って、首を伝送して献上した。年五十七歳であった。帝はその功績を思い、詔して一子に継承を許し、荘園・邸宅一区を賜い、葬礼するのを聴(ゆる)し、妻の王氏は澧州に移した。それより以前、李懐光が死ぬと、その子の李琟はその弟を皆殺しにして死に、そのため李懐光には後嗣がいなかった。貞元五年(789)、詔して、「昔の功績を思うことは、仁の大いなることである。興亡や継承断絶は、義の至ることである。昔、蔡叔度が周王室を乱したが、周はその子を封じている。韓信は違反したが、漢はその妻子に爵位を与えた。侯君集は従わなかったが、太宗はその祭祀を存続させた。先王の道、烈祖の教えを考えるに、皆刑罰で徳をたすけ、人をして向かうべきところに向かわせた。先に盗臣が密かにおこり、朕は近郊に巡狩し、懐光は早くから千里を駆け、君命に従って行在に奔走し、雷鳴の威を仮り、虎狼の衆を破った。守節のまま終わることなく、密かに禍根を構えた。死罪を加えるところで、自ら災禍を招き、孤魂は帰るところがなく、これを思えば落ち込み呆然とするのだ。外孫の燕に姓李氏を賜い、名を承緒とし、左衛率府冑曹参軍として懐光の後を継がせなさい」と述べた。よって銭百万を賜い、田を墓の側に置き、祭祀の備えとした。妻の王氏を帰還させ、養わせたという。 陳少游は、博州博平の人である。幼い頃より老子・荘子の書を習い、崇玄館の学生となり、諸儒の推薦で都講となった。妬む者があって大衆に答えさせ、熱心に質問して、それで少游を屈させようとした。少游が講座に上ると、音は清弁に語り、典拠には広く通じ、問者は言葉につまったが、陳少游の答えは余裕があり、大学士の陳希烈はその才能を高く評価した。進士に及第し、南平令に補され、治世に名声があった。累進して侍御史・回紇糧料使に遷り、検校職方員外郎充使を加えられ、検校郎官は少游のときより始まった。僕固懐恩が奏上して河北副元帥判官となり、晋州・鄭州の二州刺史に遷った。 少游は臨機応変にたけ、いたるところですべて仕事が出来、権勢や寵愛の者に賄賂を贈り、このためしばしば昇進した。李抱玉が上表して沢潞節度副使となり、陳鄭節度留後となった。永泰年間(765-766)、復奏して隴右行軍司馬となり、桂管観察使に抜擢された。陳少游は遠く去ることを楽しまず、近くの藩鎮に移ろうと窺った。当時、宦官の董秀に寵があり、枢密の事を司っており、少游はそこでその郷里に宿泊し、休暇に侍って入謁し、世間話のついでに諂って董秀に、「七郎の親族はどのくらいいますか。月にどれほど費していますか」というと、董秀は謝して、「一族は非常に多く、年間に常に百万以上を使っています」と言った。少游は、「本当にこのようでしたら、俸給が入ってきたとしても数日の費用としても不足で、ただちに外から入ってくる分からしばしば充当しなければなりません。私は不才の身でありますが、私一人の歳入が銭五千万あります。今その半分を充て、まずここに入れさせてください」と言った。董秀は大いに喜び、陳少游とあつくよしみを結んだ。陳少游はそこで泣いて、「嶺南は猖獗の地で、生還できずお顔を拝見できなくなることを恐れています」と言った。董秀はにわかに、「公の美才は、当然遠くに出すべきではありません。少し待ってください」と言い、当時、陳少游はすでに賄賂を元載の子の元仲武に納め、ここにおいて内外からはさらに推薦され、宣歙池観察使に改められた。大暦五年(770)、浙東に移り、潁川県子に封じられ、淮南節度使に移った。 謀略を喜び、小さな恵みを与え、群吏を職に任じた。三度藩鎮を統率しているが、すべて天下の富裕のところであり、そのため貿易を要求して日を空しくすることはなく、財宝を積むこと億万の巨額となった。それより以前、元載と結んで、金帛を毎年だいたい十万緡を賄賂で贈った。また宦官の駱奉先・劉清潭・呉承倩および董秀に仕え、そのためよくその信任を得ることが久しかった。後に元載が過度の専横から疑われるのを見て、陳少游もまた疎んじた。元載の子の元伯和は揚州に流謫されたが、陳少游は表向きでは親しくし、陰ではその罪を奏上したから、代宗はこれを忠とした。建中年間(780-783)初頭、朝廷は経費が充当できず、始めて本道の税銭千に二百を増やし、塩一斗に税百銭を加えることを願い、度支はよって諸道も同様に増税することを願った。李納は命を拒み、陳少游は出兵して徐州・海州などの州を収めたが、にわかに放棄して撤退して盱眙に駐屯した。検校尚書左僕射に累進し、封戸三百を賜り、同中書門下平章事を加えられた。当時の宰相関播・盧𣏌と少游は旧友であったから、そのためにわかに高官を兼任したのである。 徳宗が奉天に行幸すると、度支汴東両税使の包佶は揚州にいて、儲えるところの財賦八百万緡をまさに京師に運ぼうとしていたが、陳少游の真意は朱泚の勢いが盛んになることであり、すみやかに平定されることではなかったから、その財を脅し取ろうと思い、判官の崔䪻をして包佶のところに就いて帳簿を求めて、二百万緡を借りようとしたが、包佶は勅命ではないから拒否した。崔䪻は怒って、「君はよく、劉長卿となることができるか、そうでなければ、崔衆となるか」と言った。劉長卿はかつて租庸使に任じられ、呉仲孺のために囚えられた。崔衆は李光弼を侮って殺されたから、そのため崔䪻はそう言ったのである。包佶は陳少游に謁して、諌止しようと思ったが、語ることができず、そこで遣わし去り、ここにおいて財用はことごとく陳少游のために掠奪された。包佶は白沙に逃げ、陳少游は幕中の房孺復を遣わして包佶を召喚したが、包佶は驚いて逃げて長江を渡り、妻子を公文書の中に伏せて隠したから免れた。包佶には防御の兵三千人があり、高越・元甫をして将としていたが、陳少游は彼らを奪った。よく包佶に随う者は、上元年間(760-761)に至ると、また韓滉のために留められた。包佶はただ諸史を率いて江州・鄂州に行き、上表文を蝋壺の中に隠して上聞した。たまたま陳少游の使が到着し、帝はその事を詰問すると、辞して知らないと言った。当時、禍いは激しくなって終結が難しく、帝は制することができなかったから、そこで、「陳少游は、国の守臣で、包佶の財を取って、他の盗みを防いだだけで、どうして傷つけられようか」と言った。遠近の者はこれを聞いて、みな帝はその要を得たと言った。陳少游はこれを聞いて、はたして満足して疑わなかった。 李希烈は汴州を陥落させ、江淮を襲うと宣言したから、陳少游は恐れ、参謀の温述を遣わして送款して、「豪州・寿州・舒州・廬州はすでに刃をかくして鎧を巻いていて、これは君命である」と言った。また巡官の趙詵をして鄆州に行かせ、厚く李納と結んだ。李希烈は帝号を僭称し、将の楊豊を遣わして偽赦をもたらして陳少游に送らせた。寿州刺史の張建封は警備してこれを得て、楊豊を斬り、偽赦を行在に送った。たまたま包佶が入朝しており、具さに陳少游が財賦を脅したことを申し上げた。陳少游は恥じ、上表して取るところは軍費に充てたと言い、賠償を願った。しかし州府は敗れてしまい、賠償することができず、そこで腹心の官吏とともに重税の法を設けたから、民は皆苦んだ。劉洽が汴州を取ると、李希烈の偽起居注を得て、「某月日、陳少游が上表して帰順した」と書かれていた。陳少游は聞いて、恥じ入りのあまり病死した。年六十一、太尉を贈られた。 賛にいわく、僕固懐恩は賊と百戦し、一族で唐のために死んだものは四十六人にもいたり、遂に燕・趙を一双して埃すらあますことなく、功績は高く、威光は重くなった。患いを防ぐことができず、誤った考えを心に根差し、その所を得ることなくたやすく発して、はたしてお上を犯した。惜しいことだ。その母は刀を抜いて賊を追っており、烈婦というべき人である。李懐光は一万人もの軍を率い、天子の難を救ったが、ただ讒言する人のために阻まれ、腹を立てて道理に背いては自ら帰ることなく、身と首は断ち切られ、しかも讒人もまた憎まれたのだから、所謂「四国交乱す(四方の国々さえも乱す)」(詩経)という者である。 李錡は、淄川王李孝同の五世の孫である。父李国貞の蔭位のため鳳翔府参軍となる。貞元年間(785-805)初頭、遷って宗正少卿となった。かつて宗正卿の李幹と争い、李錡は直言のため座らず、徳宗は双方留め置いた。雅王傅より出て杭州・湖州の二州刺史となった。またに李斉運に仕え、李錡は賄賂でよしみを結び、居ること三年、潤州刺史・浙西観察・諸道塩鉄転運使に遷った。多くの奇宝を積み、毎年献上して、徳宗と昵懇になった。李錡はそのため恩を恃んで驕り横柄となり、天下の輸送は特権を得てこれを専らにした。そのため朝廷に仕える者に李錡は利を以て交わり、ほかは皆密かによしみを通じる幸運を求め、国の財政は日々損耗していった。浙西布衣の崔善貞は徳宗に上書してその罪を暴いたが、帝は崔善貞を拘束して李錡に賜い、李錡はあらかじめ大穴を掘って、崔善貞が来ると縛ったまま穴の中に生き埋めにしたから、聞く者は極めて憤慨した。 李錡は思い通りになって憚るところなく、久しく安住の計略をはかり、そこでますます兵を募って、弓のうまい者を選んで一部隊をつくり、「挽硬随身」と号し、胡・奚の雑類で大髭の者を一将とし、「蕃落健児」と号し、皆李錡の腹心で、給料は十倍で、李錡を号して「仮父」といい、そのため喜んでその用をなした。帝はここにおいて鎮海軍を復活し、李錡を節度使とし、城鉄転運の担当から罷免した。錡は節度使となることを喜んで、その特権が失われたことを忘れていたが、にわかに驕ること日々甚だしくなり、部下は死んでも恩賞は軍を越えることはなく、また迫って良家を汚すことになるから、幕僚は力の限り諫めたが聞かず、にわかに逃げ去った。 憲宗は即位すると、藩鎮に遠慮しなかったから、頑固な者も次第に入朝してきた。李錡は不安となり、また再三入朝を願った。詔があって尚書左僕射を拝命し、御史大夫の李元素がこれに代った。中使が駅路から労問し、兼ねてその軍を慰撫した。李錡は判官の王澹を推薦して留後とした。しかし李錡に入朝の意思はなく、病と称して引き延ばしにして行かなかった。王澹と中使がしばしば赴いたが、李錡は喜ばず、王澹が政務の引継ぎ処理するのに乗じて、親兵をそそのかして王澹殺害をはかった。よって冬服を給付する日に李錡は幄中に座し、挽硬随身兵・蕃落健児兵に自らを守らせ、王澹と中使が入謁すると、出てきて、軍は刃を持って罵り、王澹を殺して食べた。監軍使遣牙将の趙琦が説諭にきたが、これもまた食べた。兵に中使の首を繋がせたが、李錡は表向き驚き、つきそって縛めを解いて、そこで別館に拘禁した。蕃落健児兵は薛頡が司った。挽硬随身兵は李鈞が司った。また公孫玠・韓運が分割してほかの軍を統率した。部屋に五剣あって、管内の鎮将に授けて、五州の刺史を殺させようとした。別将の庾伯良に兵三千人を属させ石頭城を築城し、謀って長江の左岸に拠った。 常州刺史の顔防はその客の李雲の謀を用い、詔を偽って招討副使と称し、鎮将の李深を殺し、檄文を蘇州・杭州・湖州・睦州の四州に伝えて同じく錡を討伐させた。湖州の辛秘もまた鎮将の趙惟忠を殺した。蘇州の李素は鎮将の姚志安のために拘束され、舷上に釘打ち、錡に献上しようとしたが、李錡は敗れたため免れた。 憲宗は淮南節度使の王鍔を諸道行営兵馬招討処置使とし、中官の薛尚衍を都監招討宣慰使とし、宣武・武寧・武昌・淮南・宣歙・江西・浙東の兵を発して、宣州・杭州・信州の三州より進撃、討伐した。それより以前、李錡は宣州が富裕であったから、四院随身兵馬使の張子良・李奉仙・田少卿を遣わして兵三千人を領して宣州・歙州・池州に分けて下ったが、李錡の甥の裴行立は謀に預かっていたとはいえ、帰順したいと思い、そのため互いに兵を撤退することを約束して李錡を捕らえることとし、裴行立はまさに内応しようとした。張子良らはすでに行軍していたが、その薄暮、軍中を諭して、「僕射(李錡)が叛いた。官軍の精兵が四方から迫り、常州・湖州の鎮将は首を街路に晒され、勢いは衰えてまさに敗れて、我らはいたずらに死のうとしている。禍転じて福を願うにこしたことがない」と述べ、部衆は大いに喜び、遂に軍を返して城に向かった。裴行立は火を挙げると内外は混乱し、裴行立は牙門を攻めた。李錡は大いに驚き、左右の者が「城外に兵馬が来ました」と言うと、李錡は「誰なのか」といい、「張中丞(張子良)です」と答えた。李錡は非常に怒り、「門外の兵は誰なのか」というと、「裴侍御(裴行立)です」といった。李錡は嘆いて「裴行立もまた私に叛いたのか」と言い、裸足で女楼の下に逃げた。李鈞は兵三百を率いて庭院に走り出て白兵戦となり、裴行立の兵もその中に突出して、李鈞を斬って、首を城下に運んだ。李錡はこれ聞いて一族をあげて慟哭した。張子良は監軍の命によって日暮れに城中に道理にそむくことと従うことの良し悪しを諭し、かつ李錡の身を拘束して朝廷に帰順することを呼びかけたから、左右の者は李錡を捕らえて幕で包み、すがって城から出した。李錡は尚書左僕射として召喚されていたが、数日して叛いたとの報告が来ると、詔を下して官爵を削り、翌日敗れて京師に送られた。神策兵は長楽駅より護衛して宮中に至り、帝は興安門に御して罪を問うたが、答えて「張子良が臣を唆して叛いたので、臣の思いではありません」と言ったが、帝は、「お前は宗室だから節度使となったのに、張子良を斬ってその後に入朝できなかったのか」と言うと李錡は答えられなかった。その日、子の李師回とともに城の西南で腰斬された。年六十七。死体は数日して、帝は黄衣を二襲出して、庶人の礼によって葬った。 張子良を抜擢して検校工部尚書・左金吾将軍とし、南陽郡王に封じ、名を奉国と賜った。田少卿を検校左散騎常侍・左羽林将軍とし、代国公に封じた。李奉仙を検校右常侍・右羽林将軍とし、邠国公に封じた。裴行立を泌州刺史とした。王澹に給事中を、趙琦に和州刺史を、崔善貞に睦州司馬を贈位した。錡の属籍を削って、従弟の宋州刺史の李銛、通事舎人の李銑、従子の李師偃を嶺南に流刑とした。 賛にいわく、『論語』に「出納の吝(やぶさ)かなる、これを有司と謂う(どうせ与えねばならぬのに、出し惜しみをするのが吝である。そしてそれが官僚というものである)」とあるが、これは賎しんでいうのである。徳宗は朱泚を平定したが、京師の府蔵は消耗して尽きてしまい、諸道は始めて経費を助け奉ることがあったので、詔書もまた往々として天下にお示しになったのである。人主が細々と理財すると、下でも有司がそれと行う事となり、天下は無事となったにもかかわらず、賦税を徴収することはなお休まざるがごとしであった。剣南の韋皋・江西の李兼は「日進」・「月進」と称し、杜亜・劉蕡・王緯および李錡が毎年進奉し、その寵愛を固め、号して「賦外の羨余」と称した。また帝の意に托して庫物を盗んだ。しかしそのうち献上したのはわずかに十のうち二や三ほどで、ほかは皆横領したのである。江南・淮南は、物力は大いにつき、人々は衰弱して生を忘れるほどであった。貞元年間(785-805)以後、宦官は物を都下で市場とし、これを「宮市」といい、符牒を持たず、口に詔命を含んで、勝手に縑を取り、紅布を嫌ってこれを紫布と交換し、その売価が倍であったら、勝手に裂いて値段に見合わせた。市の良貨は皆逃げ去って出さず、市場で商店を並べられるものは、ただ粗雑・粗悪品のみであった。また辺境より馳せて来て禁中に入る者は、つきて車輦するところで、売る者が不平をいえば、よって共に殴って笞うった。兵卒や女奴、名馬や工車、びくびくとして常に捕らえられることを恐れた。しかし徳宗は前後左右を佞臣に蔽われていたから実態を知ることがなかった。そのため崔善貞は李錡の不正を論じたものの、徳宗はついに李錡が塩鉄の利益を独占しているのを知らず、李錡は兵を養って謀叛をはかり、かつて徴税吏の吝嗇に及ばないことはるかに超えていたのだ。 前巻 『新唐書』 次巻 巻二百二十三下 列伝第一百四十八下 『新唐書』巻二百二十四上 列伝第一百四十九上 巻二百二十四下 列伝第一百四十九下
https://w.atwiki.jp/shintouzyo/pages/369.html
唐書巻二百一十六下 列伝第一百四十一下 吐蕃下 永泰(765-766)・大暦(766-779)年間に、吐蕃はふたたび使者を来させた。そこで戸部尚書の薛景仙が答礼に行った。宰相に詔を下して吐蕃の使者と会盟させたが、まもなく霊州(甘粛省霊台県)に入寇し、宜禄(陝西省長武県東南)を掠奪した。郭子儀は精兵三万を率いて涇陽を守ったが、敵は侵入して奉天にした。霊州の兵は蛮族二万を破り、首五百を挙げた。景仙は倫泣陵(ロンチリン)とともに帰り、鳳林関(甘粛省臨夏県西)国境とすることを請うた。そして路悉ら十五人がまた使者としてやってきた。大暦三年(768)、蛮族は衆十万を率いてまた霊州を攻め、邠州を略奪した。これよりさき、尚悉結(シャンギェルシグ)は宝応よりのちにしばしば辺境に入寇し功績が高かったので、辞職を願い、そして尚賛磨(シャンツェンワ)がこれに代って東面節度使となり、河西・隴右地帯を扱うことになっていた。邠寧節度使の馬璘、朔方軍の白元光は、ふたたびその衆を破り、馬・羊数千を鹵獲した。剣南の方もまた蛮族一万人を破った。尚悉摩なるものがまた来朝した。天子は、蛮族がたびたび塞に侵入するので、詔を下し、守備の施設をととのえさせ、当(四川省松潘県塁渓営西北)・悉(四川省松潘県西南)・柘(四川省恭州東一百里)・静(四川省松潘県西南)・恭(四川省茂県西北三百五十里)の五州を遷して、みな険要の地によって守らせた。 大暦八年(773)、蛮族の六万騎が霊州を侵し、人民の作物に損害を与え、進んで涇・邠に入寇した。渾瑊はこれと戦って勝たず、副将は死し、数千戸が略取された。城は、兵をととのえ、夜その営を涇原に襲い、馬璘は軍をもってこれを原(甘粛省平涼県東四十里)に攻撃した。そして豹皮を着た将を射殺したが敵は軍中悲しみ泣いて逃げ去った。馬璘は捕虜にされたわが方の兵士および男女を収容して帰還した。郭子儀はまたその衆十万を破った。 大暦九年(774)、帝は諫議大夫の呉損を遣わして和親を脩めさせ、蛮族もまた使者を送って入朝させた。いっぽう郭子儀を邠州に、李抱玉を高壁嶺(山西省霊石県東南二十五里)に、馬璘を原州に、李忠臣を涇州に、李忠誠を鳳翔に、臧希譲を渭北に屯させ、蛮族の侵入に備えた。明くる年(775)、西川節度使の崔寧は蛮族を西山に破った。蛮族は臨涇(甘粛省鎮原県)・隴州(陝西省隴県)を攻撃し、普潤(陝西省麟遊県西百二十里)に屯し、人や家畜を焚いたり掠奪したりした。そして李抱玉と義寧(甘粛省華亭県)に戦って敗れ、涇州を通過したが、馬璘はこれを追跡して百里(甘粛省霊台県東)に破った。また明くる年(776)、崔寧は、蛮族の故の洪州(四川省洪雅県)などの節度および氐・蛮・党項などの兵を破り、首一万を斬り、頭目千人を捕え、牛・羊・食糧・鎧などを非常に多量に得て、これを朝廷に献上した。吐蕃は目的を達することができなかったので、黎州(四川省清渓県)・雅州(四川省雅安県)に侵入し、掠奪した。そこで剣南の軍は南詔と合同し、ともに戦ってこれを破り、大籠官の論器然を捕虜にした。また坊州を犯し、党項の牧馬を掠奪した。崔寧は望漢城(四川省理番県東南)を攻撃してこれを破り、山南西道節度使の張献恭は岷州(甘粛省岷県)で戦い、吐蕃は逃走した。崔寧は西山の三路および邛南(邛は四川省越県)の兵を破り、首八千を斬った。大暦十三年(778)、蛮族の大頭目の馬重英は四万騎を率いて霊州に入寇し、塡漢・御史・尚書の三渠の水口を塞ぎ、屯田に損害を与えた。そして朔方留後の常謙光に追い払われたが、重英は塩州(寧夏省霊武県東南)・慶州(甘粛省慶陽県)を荒らして去った。それから南して南詔の衆二十万を合わせ、茂州を攻め、扶州(甘粛省文県西北百六十里)・文州(同じく文県)を掠奪し、ついに黎・雅の地方に侵入した。そのとき天子はすでに幽州の軍を出し、かけつけて防戦させたので、蛮族は大いに敗れ逃走した。 さきに蛮族の使者はたびたび来ていたがこれらを留めて帰さず、捕虜としたものはすべて江南地方に統率者をつけて送っていた。徳宗が即位して、まず内政では節度使たちを鎮め、年ごとに蛮族と対抗し、失ったものと得たものと相償うのを考えて、徳をもってかれらを懐柔しようと思った。そこで太常少卿の韋倫に節を持して使いとならせて、その捕虜五百人に綿衣を厚く給して帰らせ、辺境の官吏には厳しく勅して見張りの設備を守らせ、蛮族の土地を侵すことのないようにさせた。吐蕃は、捕虜の返還をはじめ聞いて信ぜず、使者が領城に入ってこれが事実なのを理解し、みな感激し畏敬した。 このとき乞立賛(チソンデツェン)が賛普となっていたが、その姓は戸盧提(オデ)氏である。かれは言った。「わたしには三つの恨みがある。天子(代宗)の喪を知らず、弔うことができなかったことが第一、山陵に供養のものを供えることができなかったことが第二、舅上の即位を知らず、兵を出して霊州を攻め、扶文に入り、灌口(四川省灌県西北二十六里にある山)を侵したことが第三である」と。そこで使者を出し、倫に従って入朝させた。帝はまた倫を遣わし、蜀の捕虜を帰らせた。蛮族は倫がふたたび来たのでひじょうに喜び、宿舎を与え、音楽を奏して慰めた。九日間留まったが、その帰りには論欽明思ら五十人を従わせ、方物を献上した。 明くる年(779)、殿中少監の崔漢衡が使いに行った。賛普はとつぜん言い出した。「わが方と唐とは舅甥の間からの国であるのに、詔書には臣礼をもってわが方をしめている」と。また、雲州の西山までを吐の境域とすることを願い、崔漢衡が天子に上奏することを求めた。そこで崔漢衡は入蛮使判官の常魯を遣わし、論悉諾邏(ロンタグラ)とともに入朝させ、賛普の言葉を述べさせた。論悉諾邏は景竜のときの詔書を引いて言った。「詔書は唐の使者が来れば、甥がまず盟し、吐蕃の使者が行けば、舅上がまた親ら盟するとあります。したがって賛普はその礼はもともと対等であると言っております」と。帝はこれを許し、「献」を「進」とし、「賜」を「寄」とし、「領取」を「領之」と訂正した。以前の宰相の楊炎が古い事実に通じなかったことをもって弁解し、同時に土地は賀蘭山までを約束した。その大相の尚悉結(シャンギェルシグ)は、人を殺すことを好み、剣南の敗戦の報復がまだできていないといって和識をすすめなかった。次相の尚結賛(シャンギェルツェン)は、智謀があり、辺境の人々を休養させることを固く願い、賛普はついに結賛を大相として和平を講ずることになった。 崔漢衡はその使の区頰賛(クゥギャツェン)とともに帰って国境で会盟することを約束した。崔漢衡を鴻臚卿に任じ、都官員外郎の樊沢を計会使とし、結賛と約束させ、かつ隴右節度使の張鎰を盟に加えることを告げた。樊沢は結賛と清水(甘粛省清水県)で会盟し、牛馬をもって犠牲とすることを約束した。張縊はその儀礼を卑いものとしようとし、結賛を欺いて言った。「唐は牛がなければ耕作することができず、吐蕃は馬がなければ戦うことはできない。牛馬ともにもったいないから犬・豚・羊を用いることを願いたい」と。結賛は承諾した。盟するときには地をはらい清めて壇をつくり、二国がおのおの二千の兵を壇垣外の窪地に列べ、従者は壇下に立つことを約束した。張鎰は幕僚の斉映・斉抗、鴻臚卿の崔漢衡、計会使の于衆・沢・魯とみな朝服を着た。結賛は論悉頰蔵(ロンギェサン)・論臧熱(ロンツェンシェル)・論利陀(ロンチデー)・論力徐(ロンチスゥ)とともに、相対して壇の上に登った。犠牲を壇の北側で殺し、その血を混ぜて会盟者にさし出した。そしてつぎのことを約束した。「唐の土地は、涇州の西は弾箏峡まで、隴州の西は清水まで、鳳州の西は同谷(成州の同谷県)まで、剣南では西山・大度水までである。吐蕃は蘭・渭・原・会に鎮守し、西は臨洮、東は成州まで、剣南の西では磨些(モソ)の諸蛮まで、大度水の西南は、大河(黄河の支流雅江)までである。北は新泉軍(会州の西北二百里)から大磧(タクラマカン砂漠)の南にいたり、賀蘭山の橐它嶺まで、その間では田を耕作しない。二国が棄てた守備の地は、兵を増すことなく、城堡を作ることもせず、辺境の田地を耕作することもしない」と。盟を終わって吐蕃は張縊に、壇の西南隅の仏を祀る帳幕に詣って誓いをすることを請うた。それから壇に上って大いに酒盃のやりとりを行ない、終わって帰還した。 帝は宰相・尚書に命じ、蛮族の使者とかさねて長安に会盟させた。清水の盟約ではその場所を決定することができなかったので、ふたたび崔漢衡を遣わし、賛普のところで決定し、盟の約束に成功したそこで宰相の李忠臣・盧𣏌・関播・崔寧、工部尚書の喬琳、御史大夫の于頎・太府卿の張献恭・司農卿の段秀実・少府監の李昌夔・京兆尹の王翃・金吾衛大将軍の渾瑊と区頰賛(クゥギャツェン)らを、首都の西郊で会盟させた。儀式次第は清水と同様であったが、二月前に太廟に告げ、祀りを行なった。三日目に関播は跪いて盟約の文書を読み、盟を終わって盛大な宴を開いて接待した。左僕射の李揆に詔を下し、入蕃会盟使と、区頰賛らを帰した。 朱泚の乱に、吐蕃は応援して賊を討伐することを願い、朝廷では左散騎常侍の于頎に詔を下し、節を持して慰撫させた。太常少卿の沈房は安西北廷宣慰使となって答礼に行った。渾瑊は論莽羅(ロンマンラ)の兵を用いて朱泚の将の韓旻を武亭川に破った。さきに蛮族は、長安を回復したならば、涇・霊など四州を与えることを約束した。ちょうど伝染病が流行し、蛮族は引き揚げていったが、朱泚の乱が平らぐと、先約によって土地を求めてきた。天子はその労苦はたいしたものでないとし、ただ詔書を賜わり、結賛と莽羅らに絹一万匹を贈った。これで蛮族は怨みを抱いたのである。 貞元二年(786)、倉部郎中の趙建に使いに行かせた。蛮族はすでに涇・隴・邠・寧を犯し、人畜を掠奪し、作物に損害を与えた。内地の州はみな城門を閉じ、敵の遊撃の兵は好畤(陝西省乾県東南四十里)まで来た。左金吾将軍の張献甫、神策の将の李昇曇らは咸陽に屯し、河中の渾瑊・華州の駱元光がこれを援助した。左監門将軍の康成を使いにやったが、尚結賛は上砦原に屯し、また論乞陀(ロンチデー)を使者としてよこし、盟を請わせた。鳳翔の李晟は部将の王佖を遣わし、鋭兵三千を率いて、夜、汧陽に入らせた。翌日その中軍に迫ったので蛮族は驚いて潰走し、結賛はやっとのことで脱れた。いっぽう蛮族の軍二万が鳳翔に侵入したので、李晟は撃ってこれを退け、摧沙堡を襲ってその蓄積した物資・馬糧を焼き払い、守備の兵を斬った。吐蕃は塩州・夏州を攻め、刺史の杜彦光、拓抜乾暉は守ることができず、その衆をぜんぶ率いて南方に逃げ、蛮族はついにその土地を取った。天子は、辺境の人々が敵手に殺傷せられたので、詔を下して正殿に出るのをやめ、みずからを責めた。また駱元光に詔を下して、塩州・夏州を経略させた。 貞元三年(787)、左庶子の崔澣・李銛に命じて、あいついで吐蕃に使いさせた。結賛は、塩州・夏州を獲得してみな兵をもってこれを守らせ、自分は鳴沙(寧夏省中衛県東南百五十里)に屯していたが、食糧を送ることにはたびたび苦しんでいた。そこで駱元光・韓游瓌は、国境の塞の側に屯し、馬燧は石州(山西省離石県)に屯し、黄河を挟んで互いに連絡させた。結賛は大いに恐れて、しばしば盟を請うたが、天子は許さなかった。そこで貴将の論頰熱(ロンギェルシェル)に、馬燧に対して厚く賄賂を送らせ、和平を乞うた。馬燧は心動かされて、みずから天子に謁見した。諸将は馬燧の入朝を見て、みな城壁を守って出戦せず、結賛はたちまちのうちに逃げ帰ることができた。馬は多く死に、兵士は歩くことができないで飢えた顔色をしていた。崔澣ははじめ鳴沙に行き、詔を伝えて、結賛が約束を破って塩州・夏州を陥れたのを責めた。結賛は答えて言った。「もともと武亭川の功績(朱泚を破った功)はまだ酬いられていないのでやってきた。また検べてみると、境界の石碑は仆れて風化しており、国境が明らかでなくなっている。ゆえに国境の上に行ったのである。涇州は城によって自衛し、鳳翔の李令(李晟)はわが使者を迎え入れなかった。康成らが来たことは来たが、みな詳しく語ることができなかった。わが方は大臣の来るのを望むと言ったが、ついに来るものがなかったので、わが方は引き返した。塩州・夏州を守備している将は、わが衆を恐れ、城をわが方に明け渡したのであり、わが方がむりに攻撃したのではない。もし天子がまた盟を許すならば、それは蛮族の願うところである。そのときは命ずるところに従い、塩州・夏州を唐に還すであろう」と。また言った。「清水の会盟には大臣が少なく、ゆえに約束は破られやすかった。こんどは宰相・元帥二十一人みな遣わして会盟することを願いたい」と。同時に言った。「雪塩節度使の杜希全、涇原節度使の李観は外蕃に信用されているので、会盟を司ることを願いたい」と。帝はまた崔澣をやって、特に答えさせて言った。「杜希全は霊州を守備して責任範囲が定まっており、境域を越えることはできない。李観はすでに他の官職にうつっているから、渾瑊を盟会使とし、五月に清水で会盟することを約束しよう。そしてまず二州を還してもらい、それで蛮族の信のほどを験そう」と。結賛は言った。「清水はめでたい土地ではない。原州の土梨樹で会盟することを願いたい。そうすれば二州を還そう」と。天子はこれに従った。 渾瑊は来朝して命を受け、崔漢衡は兵部尚書に任ぜられて渾瑊に副として付いた。渾瑊は兵二万を率いて期日を待ち、天子は駱元光に詔を下してこれを助けさせた。宰相は会盟の場所を論議したが、左神策の将の馬有隣が建言した。「土梨樹は林が茂っており、岩が邪魔して、伏兵に欺されやすいところです。平涼は平らでまっすぐであり、この方がよいと思います。かつ涇州に近く、大事が起こっても支えることができましょう」と。そこで会盟を平涼で行なうことに定めた。渾瑊は結賛と、主客ひとしく兵三千を壇外におき、非公式の従者四百人が壇にぬかずき、游兵を互いのうちに巡邏させることを約束した。盟しようとするとき、結賛は精鋭の騎三万を西方に伏せさせ、巡邏の騎兵を放って渾瑊の軍に出入りさせた。渾瑊の将の梁奉貞もまた馬を走らせて蛮族の軍営に入った。吐蕃はひそかにこれを捕えたが、渾瑊はそのことを知らないでいた。客は渾瑊らに冠・剣をつけることを願ったので、みなは張幕に入って更衣し、ゆっくりと休息していた。たちまち蛮族は三たび太鼓を打ち、衆は喊声をあげて起ち上がった。渾瑊はどこへ出てよいかわからず、張幕のうしろに馬を見つけ、銜(はみ)をつけずに十里走り、ようやくそれをつけることができた。蛮族の追撃の矢は雨のごとく降りそそいだが、傷は受けず、駱元光の営に到着してようやく逃れることができた。部将の辛栄の兵数百は北の岡に拠り、蛮族と戦い、矢尽きて降服した。判官の韓弇と監軍の宋鳳朝は戦死した。崔漢衡と判官の鄭叔矩・路泌、掌書記の袁同直、列将の扶余準・馬寧・孟日華・李至言・楽演明・范澄・馬弇、中人の劉延邕・倶文珍・李朝清ら六十人はみな捕えられ、兵士の死するもの五百、捕虜となったもの千余人であった。崔漢衡は蛮族に言った。「私は崔尚書である。結賛は私と親しい。もし私を殺すならば、結賛もまたおまえを殺すだろう」と。これによって、殺されないですんだ。捕えられた人は、一本の木を背負い、縄で三ヵ所でこれに結わえられ、その髪を互いにつないで駆りたてられた。夜は地に枕を立て、それにつないで臥させ、上に毛織物をかけ、見張りのものはその上に寝た。はじめ結賛は杜希全・李観を掠取し、たちまちのうちに鋭兵を率いてただちに京師に赴こうとしたのであるが、うまくゆかなかった。また渾瑊らを捕え、虚を突いて入寇しようとしたが、その謀略はかれの本性そのものである。すでに引き揚げて故の原州にいたり、帳中に坐って崔漢衡らに会い、いいかげんなことを言った。「渾瑊が武功で戦えたのは、我が方の力によってである。地を割いて我が方にいることを許し、みずからその言に背いたことをした。私はすでに金の枷を作り、かならず渾瑊を捕えて賛普に見せようと思っていた。しかし、いまかれを捕えられなかったいたずらに公らをつれてきても得することはない。誰かを帰してやって報告させよう」と。さきに崔漢衡が乱に遇ったとき、従史の呂温は身をもって兵を防ぎ、そのため呂温は傷つき崔漢衡は免れた。蛮族はその義行に感嘆し、厚くこれに給与した。結賛は石門に屯し、倶文珍・馬寧・馬弇を唐に帰して、崔漢衡・鄭叔矩は河州に、辛栄は廓州に、扶余準は鄯州に囚禁した。帝はなお中人をやって詔書を持ち行かせ結賛に賜わったが、拒んで受け取らなかった。蛮族は塩州・夏州を守備し、春になって伝染病が大いに起こり、みな帰国することを考えるようになった。結賛は騎兵三千をもってこれを迎えさせ、二州の住宅を焼き払い、城の垣を壊して去った。杜希全は兵を分派してこれを保持することにした。帝は崔漢衡らが恥辱を受けるようになったのを憐れみ、詔を下して、その子に七品官を、鄭叔矩・路泌・馬弇・孟日華・辛栄・志信(李至言)・范澄・良賁・楽演明の一子に八品官を、袁同直より以下のものの一子には九品官を賜わった。唐朝では決勝軍使の唐良臣に潘原(甘粛省平涼県東四十里)に屯させ、神策の将の蘇太平に隴州に屯させた。結賛は崔漢衡・孟日華・劉延邕を呼び出して石門にいたり、五騎をつけて国境上に送った。そして使者を遣わし、表文を奉じて来させた。李観は「詔が下って、吐蕃の使者は入れないことになっている」と言って、崔漢衡らを受け取り、その使者を放還した。 結賛は、羌渾の衆を率いて潘口の傍の青石嶺(甘粛省涇川県西北七十里)に屯し、その軍を三分して、隴州・汧腸の間に赴かせた。数十里にわたって営を連ね、中軍は鳳翔を去ること一日旅程(約三十里)のところにいた。そして中国の服を着て邢君牙の軍であると欺き、呉山(陝西省隴県東南)・宝鶏(陝西省宝鶏県)に侵入して部落を焼き、牧養している家畜や青壮年を略奪し、老幼を殺し、手を切り、目を剔って去った。李晟は試みに大木を倒して安化峡(甘粛省清水県東百里)の隘処を塞いだが、蛮族はここを通過し、すべてこれを焼き払った。詔を下して神策の将の石季章に武功で防壁を作らせ、唐良臣に軍を百里城(甘粛省霊台県)に移させた。蛮族はまた汧陽・華亭(甘粛省華亭県)の男女一万人を掠取し、羌渾に奴隷として与えた。国境を出ようとするとき、東に向かって故国に別れを告げさせたが、衆は悲しみ泣いて、渓谷に身を投げて死ぬものが千をもって数えるほど出た。吐蕃はまた豊義(甘粛省鎮原県西)に侵入し、華亭を包囲し、給水の道を絶った。守将の王仙鶴は救いを隴州に求め、隴州刺史の蘇清沔は、蘇太平の兵を合わせてこれに赴いた。蛮族は迎え討ち、蘇太平は勝つことができずに引き返した。蛮族は毎日千騎を出して四方を掠奪したが、隴州の兵はあえて出て戦うことはなかった。蛮族は華亭城に薪を積んで、まさに焼き払おうとしたので、王仙鶴はやむをえず衆を率いて降服した。蘇清沔は兵を大きな象龕の中に潜ませ、夜中に城中と約束して火をあげて空を照らさせた。蛮族の衆は驚愕したので、そのとき営を襲い、これを去らせた。さらに吐蕃は連雲堡(甘粛省涇川県西)を攻めたが、飛ばした石が井戸に入り、水が溢れて井戸は空となった。そして深い谷に橋をかけて登ったので、守将の張明遠はついに蛮族に降服した。蛮族は山間に逃げた人および牛・羊およそ万をもって数えるほどを手分けして捕え、このために涇・隴・邠の地の民はまったく尽きてた。諸将は、一人の捕虜も得ることなく、ただ賊が国境の塞を出てゆくと祝詞をのべるだけであった。連雲堡は涇州の要地であり、三方が切り立って険しく、北方は高くなっていた。蛮族の動向は、狼火をあげることによって連絡しやすかった。すでにこれを失い、城下はすなわち蛮族の境域となり、収穫のたびごとにかならず兵を田野に布いたから、その時期を失することが多かった。この年(787)、三州は年越しの麦を持つことができなかった。蛮族の数千騎は長武城(陝西省長武県)を犯し、城使の韓全義はこれを防いだが、韓游瓌の兵は出て戦わず、それで蛮族は安心して邠州・涇州の間を往来した。諸屯営の西門はみな閉じ、蛮族は故の原州を支配してこれを保持した。帝は捕虜にした吐蕃の人間二百人たらずを諸市であまねく示して京師の人心を安定させた。 貞元四年(788)五月、蛮族の三万騎が涇・邠・寧(甘粛省寧県)・慶(甘粛省慶陽県)・鄜(陝西省鄜県)五州の辺邑を略奪し、役人の家や民人の家を焼き、数万人を捕えた。韓全義は陳許の兵を率いて長武で戦ったが、成功しなかった。はじめ吐蕃が国境の塞を掠奪するときは、春・夏の病気の流行をおそれてつねに盛秋にやってきたが、そのころには、唐人の捕虜を得ると、多く厚く財物を与え、その家族を人質とした。そしてそれらを使ったがゆえに盛夏でも辺境に入寇することができるようになったのである。尚悉薫星(シャントンセン)・論莽羅(ロンマンラ)らはまた寧州に侵入し、張献甫は防戦して首百級を斬った。かれらは転じて鄜坊を略奪して去った。 貞元五年(789)、韋皋は剣南の兵を率いて台登に戦い、蛮族の将の乞臧遮遮・悉多楊朱を殺し、西方面は少しく安穏になり、三年たらずでことごとく巂州の地を獲得した。しばらくして北廷の沙陀別部が吐蕃に叛き、吐蕃はこのために北廷都護府を陥れ、安西への道は途絶した。ただ西州(高昌)の人だけは、まだ唐のため守備をつづけていた。 貞元八年(792)、吐蕃は霊州に侵入し、水口を陥れて営田の渠を塞いでしまった。朝廷では河東(山西省南部)・振武(陝西省楡林地方)の兵を発し神策軍を加えてこれを撃ったので、蛮族は引還した。また涇州に入寇し屯田兵千人を掠取し、守捉使の唐朝臣は戦ったが不成功であった。山南西道節度使の厳震は、蛮族を芳州に破り、黒水壁を取り、集積した軍需品を焼いた。蛮族が塩州を取ってから、国境の防備には敵をおさえるものがなく、霊武はひとり裸のままであり、鄜坊は圧迫され、敵は日に日に驕慢となり、しばしば入寇して辺境を悩ました。そこで帝はふたたびここに城を築くことを詔し、涇原・剣南・山南の軍に、敵地に深入して徹底討伐させ、敵が兵を分遣してもっぱら東方に向かうことのないようにした。それで朔方河中晋絳邠寧兵馬副元帥の渾瑊、朔方霊塩豊夏綏銀節度都統の杜希全、邠寧節度使の張献甫、右神策軍行営節度使の邢君牙、夏綏銀節度使の韓潭、鄜坊丹延節度使の王栖曜、振武麟勝節度使の范希朝に詔を下し、その兵を合わせて三万、それに左神策将軍の胡堅、右神策将軍の張昌を塩州行営節度使とし、城を築く人夫六千人余、みな城下に陣を張った。貞元九年(793)、版築を始めてからわずかに二旬を過ぎて作業を終わったが、蛮族の兵は出てこなかった。ついに兼御史大夫の紇干遂と兼御史中丞の杜彦光にこれを守備させた。このとき韋皐の功績がもっとも大きく、堡や防壁五十余所を破り、その南道元帥の論莽熱没籠乞蓖(ロンマンシェルロンチ)を破り、また南詔とともに吐蕃を神川(金沙江上流)と鉄橋(雲南省江県西北、故巨津州北百三十里)において破った。韋皐は三万の捕虜・首級をあげ、首領の論乞髯湯没藏悉諾硉(ロンチツェンタンサンタダシェル)を降服させた。 貞元十二年(796)、慶州および華池に入寇し、官吏・人民を殺したり掠取したりした。この年、尚結賛が死んだ。明くる年(797)、賛普が死に、その子の足之煎(ムネツェンポ)が立った。邢君牙は隴州に永信城を築いて蛮族に備えた。蛮族の使者の農桑昔が来て、和親を修めることを請うた。朝廷は信頼することができないので、受けつけなかった。韋皐は新城を取った。蛮族は剣山馬嶺を支配し、進んで台登に入寇した。巂州刺史の曹高仕は撃ってこれを退け、籠官を擒にし、首三百を斬り、馬・食糧・武器数千をいけどり捕獲した。 貞元十四年(798)、韓全義は蛮族を塩州に破った。貞元十六年(800)、霊州は蛮族を烏蘭橋に破り、韋皐は末恭・顒の二城を抜いた。貞元十七年(801)、吐蕃は塩州に入寇し、麟州を陥れ、刺史の郭鋒を殺した。また城の堀をつぶし、陴(ひめがき)を落とし、居民をつなぎ、党項の諸部を掠奪して横槽烽に屯した。蛮族の将に徐舎人なるものがあり、俘虜にした仏僧の延素に語った。「私は司空英公(李勣)の子孫である。武后のときに家祖(徐敬業)が兵を挙げて王室のために働いたが、勝つことができず、子孫は遠い地方に逃げて、いまは三代を経ている。私は吐蕃の兵権を握っているとはいえ、まだいちども祖国へ帰ることを忘れてはいない。あとのことを思うてみずから抜け出せないでいるだけである」と。そしてひそかに延素を夜、逃亡させた。また言った。「私は辺境を調べ、物資食糧を求めて麟州にいたったのだが、守るものは備えがしてなかったので、ついにこれに進入したのである。郭使君(郭鋒)は勲臣の家の出であり、これを完全に保護しようと思っていたのに、不幸にして乱兵に殺されてしまった」と、話がまさに終わったとき、飛鳥使が到着し、その軍を召還したので、ついに引き去っていった。飛鳥というのは、駅伝の騎のようなものである。 韋皋は、西山に出て、蛮族と戦ってこれを破った。雅州の籠官の馬定徳は、もと蛮族のうちでは作戦を知り慮りのあるもので、山川の形勢をよく知っていた。兵を用いるごとに、つねに駅伝を使って計略をめぐらし、諸将に授けていた。毎年黎州・巂州に入寇していたが、韋皋はいつもその作戦を挫折させた。馬定徳は賛普に罰せられるのを恐れて、ついに来降し、これによって昆明の諸蛮は安定した。吐蕃その他は、しばしば叛いて大いに霊州に侵入した。このとき韋皋は維州を包囲した。論莽熱没籠乞悉蓖に松州五道節度兵馬都統群牧大使を兼ねさせ、兵十万を率いて維州を応援させた。韋皋は南詔の兵を率いて険要の地にせまり、伏兵を設定して待ち、わずか千人だけで敵を攻撃させた。乞悉蓖は兵が少ないのを見て、衆をつくしてこれを追い、伏兵の中に陥った。唐兵は四たび急攻撃をかけ、ついにかれを捕え、京師に献上し、帰還した。明くる年(802)、吐蕃の使者の論頰熱がまた来た。右竜武大将軍の薛伾が答礼に行った。 貞元二十年(804)、賛普が死んだ。工部侍郎の張薦を遣わして弔わせた。その弟が嗣いで立ち、ふたたび使者をよこして入朝させた。 順宗が立ち、左金吾衛将軍の田景度、庫部員外郎の熊執易に節を持して使者に行かせた。永貞元年(805)、論乞縷勃蔵(ロンルサン)が来て、金幣・馬・牛を献げて崇陵(徳宗陵)の祭りを助けた。詔を下して、太極殿の中で並べて展示させた。 憲宗の即位のはじめ、唐では使者を遣わして和親を修め、かつその捕虜を帰し、また順宗の喪を知らせた。吐蕃もまた論勃蔵を使としてよこし、のち毎年のように来朝した。しかし五万騎で振武の払鵜泉に侵入し、万騎は豊州の大石谷にいたり、回鶻の帰国するものを略奪した。 元和五年(810)、祠部郎中の徐復を使いに行かせ、同時に鉢闡布(ベルチェポ)に書信を賜わった。鉢闡布というのは、蛮族の仏僧で、国政に与るものであり、またの名は鉢掣逋という。徐復は鄯州まで行ってかってに帰ったが、その間の李逢は使命を賛普に伝えた。しかしまた責任を問われて左遷された。これに対して蛮族は、論思邪熱(ロンギェシェル)を入朝させて謝礼し、かつ鄭叔矩・路泌の柩を帰し、秦・原・安楽州を返還することを述べた。詔を宰相の杜佑らに下して、中書省でこのことを論議させた。論思邪熱は庭で拝し、杜佑は堂上から答礼した。また鴻臚少卿の李銛、丹王府長史の呉暈に答礼のため吐蕃に行かせたが、これより朝貢には年々やってきた。また隴州の塞に好しみを通じ、物資交換の市を請うてきたが、詔を下して許可した。 元和十二年(817)、賛普が死んだ。使者の論乞髯(ロンチチェン)が来たので、右衛将軍の烏重玘、殿中侍御史の段鈞に弔祭に行かせた。可黎可足(チツクデツェン)が立って賛普となった。烏重玘は、扶余準・李驂といっしょに帰ってきた。扶余準は東明(河北省大名県)の人で、もとは朔方の騎将であり、李驂は隴西の人で、貞元のはじめに蛮族の手に陥ったものであった。使者はかれらがいまだ死んでいないことを知り、これを探して帰ることができたのであった。詔を下して扶余準を澧王府司馬とし、李驂を喜王友とした。 吐蕃は論矩立蔵(ロンルサン)を来させた。かれがいまだ国境を出ないうちに、吐蕃は宥州(霊州城)に入寇し、霊州の兵と定遠城(寧夏省寧夏県東北六十里)に戦った。蛮族は勝たず、首二千級が斬られた。平涼鎮遏使の郝玼はまた蛮族の兵二万を破り、夏州節度使の田縉はその衆三千を破った。詔を下して矩立蔵らを留めて帰さなかった。剣南の兵は峨和城(四川省松潘県西南)・樫雞城(四川省鯀陽県の近傍)を抜いた。元和十四年(819)、矩立蔵らを帰国させた。吐蕃の節度論二摩、宰相の尚塔蔵(シャンラサン)、中書令の尚綺心児(シャンチスムジェ)は兵十五万を指揮して塩州を囲み、飛梯・鵞車を作って城を攻撃した。刺史の李文悦は防戦し、城が壊れればすぐに補修し、夜はその屯営を襲い、昼は出て蛮族一万人と戦い、三旬をすぎても抜くことはできなかった。朔方の将の史敬奉は、奇襲部隊を蛮族の背後に迫らせ大いに破ったので、敵は包囲を解いて去った。 さきに沙州(甘粛省敦煌県)刺史の周鼎は、唐のために沙州を固守していた。賛普は張幕を南山(甘粛・青海両省の間の山脈)にうつし、尚綺心児にこれを攻めさせた。周鼎は救援を回鶻に請うたが、年を越えても援兵は来なかった。ついに城を焼いて衆を率いて東に逃げることを論議したが、みなこれを不可能とした。周鼎は都知兵馬使の閻朝に壮士を率いて水草の調査に行かせた。閻朝は朝がた周鼎に謁し、挨拶して出かけ、周鼎の親しい役人の周沙奴とともに弓を引きしぼって射た。謙虚に礼をしてから沙奴を射てただちに殺し、こんどは周鼎を捕えてこれを絞殺した。そしてみずから州の政事を支配し、八年間城を守備した。綾絹の一端を出して麦一斗と代えるものを募ったところ、応ずるものはひじょうに多かった。閻朝は喜んで言った。「民にはまだ食糧がある。死守せねばならない」と。二年経って、食糧・武器はみな尽きてしまった。そこで城壁に登り、大声で叫んで言った。「かりそめにも他の土地へ作るつもりはない。城をあげて降服することを願う」と。尚綺心児は承諾したので、ここで、出て降服した。城の攻撃がはじまってからこれまで、およそ十一年であった。賛普は綺心児に城を守らせたが、のち閻朝が叛をはかっているのを疑い、毒を革靴の中に入れて殺した。州の人たちはみな夷狄の服を着て蛮族の臣となったが、毎年その時期が来ると、父祖を祀り、中国の服を着て声をあげて泣き、またこれをしまった。 穆宗が即位し、秘書少監の田洎を遣わして、このことを告げさせた。吐蕃からも使者がまた来た。蛮族は兵を率いて霊武に入って屯し、霊州の兵は撃ってこれを退けた。また青塞烽を犯し、進んで州に入寇した。川の岸に屯営し、その列は五十里もずっと続いていた。はじめ田洎は吐蕃の牙帳に行ったところが、蛮族は長武で会盟することを求めた。田洎はあいまいな態度でこれに応じたが、ここにいたって吐蕃は、「田洎はわが方に会盟を許した。そのゆえにわが方はここに来たのである」と、はっきり言った。涇州まで一宿ていどのところに迫って来たのである。詔を下して、右軍中尉の梁守謙を左右神策軍京西北行営都監とし、兵を発し、八鎮の兵を合わせて涇州を援助させた。いっぽう田洎を郴州(湖南省桂陽県東)司戸参軍に左遷した。太府少卿の邵同に節を持せしめ、和好使とした。はじめ夏州の田縉は利を貪るので、党項はこれを怨んで、蛮族を導き入れて掠奪させた。郝玼はこれと戦ってその衆を多く殺し、李光顔はまた邠州の兵を率いて到着したので、敵は引き揚げた。そしてまた使者を遣わして来、南の方では雅州を略奪した。詔を方鎮に下して、蛮族と接するものは心して辺境に備えさせた。 長慶元年(821)、回鶻が唐に和親したのを聞き、青塞堡を犯し、李文悦に逐われた。そこで使者の尚綺力陀思(シャンチデー)を遣わして来朝させ、会盟を乞うた。朝廷では詔を下してこれを許可した。当時崔植・杜元穎・王播が政事を輔けていたが、太廟に告げることを考えた。しかし礼官は言った。「粛宗・代宗は、みな、かつて吐蕃と盟しましたが、太廟には告げませんでした。徳宗の建中の盟は、その盟約を価値あるものにするために、はじめて詔を下して廟に告げたのです。平涼の会にいたっては、これを告げなかったのですが、それはその価値を殺ぐためでした」と。そこで告廟のことはやめ、大理卿の劉元鼎を盟会使とし、右司郎中の劉師老がこれに副となった。宰相に詔を下し、尚書右僕射の韓皋・御史中丞の牛僧孺・吏部尚書の李絳・兵部尚書の蕭俛・戸部尚書の楊於陵・礼部尚書の韋綬・太常卿の趙宗儒・司農卿の裴武・京兆尹の柳公綽・右金吾将軍の郭鏦ともに、吐蕃の使者論訥羅と京師の西郊に会盟させた。賛普は盟いの言葉をもって、二国が互いに仇となることなく、国境で人を捕えることがあれば、事情を聞いて衣服・食糧を与えて帰すことを約束した。天子も詔を下してこれでよいとし、大臣の盟に与ったものはみな名を文書の上に書いた。盟を行なったときに、吐蕃は精壮の騎兵で魯州に屯し、霊州節度使の李進誠は大石山に戦ってこれを破った。蛮族は使者の趙国章を遣わして来たり、宰相に書信と幣物を呈した。 明くる年(822)、国境や物見台を定めることを願い、劉元鼎と論訥羅とが、その国(吐蕃)で盟を行なうことになった。勅を出して、蛮族の大臣もまた名を文書に連ねることにした。劉元鼎は成紀(甘粛省天水県)・武川を越えて黄河の広武梁にいたったが、昔の城郭はまだ崩れないで残っていた。蘭州の地はみな秔稲・桃李・楡柳が山の峯に茂り、住民はみな唐の人で、使者の麾蓋を見て、道の両側にならんで見物した。竜支城(青海省西寧市東南八十里)に到着すると、老人たち千人が挨拶をして泣き、天子の安否を問うて言った。「しばらく前に従軍して、ここで敵手に陥ってしまいました。いま子孫はまだ唐の服装を忘れることはできないでおります。朝廷では、なおこのことを思ってくださっているでしょうか。唐の軍隊は、いつやって来ますか」と。言いおわってみな泣いた。ひそかに聞くと、豊州の人であった。石堡城を通過したが、崖は険しくきり立ち、道はうねっていて、蛮族はこれを鉄刀城(カルチェグツェ)と呼んでいた。それから西の方へ数十里行くと、土石はみな赤く、蛮族はこれを赤嶺という。かつて信安王李禕、張守珪が建てた国境の碑はみな倒れ、ただ蛮族のたてた石碑だけがそのまま残っていた。赤嶺は長安から三千里余であり、思うに隴右の故の土地である。悶怛盧(メルロ)川というのがあり、邏娑川の南の百里のところにあたり、そこは臧河(ツァンポ)の流れているところである。臧河の西南の地は砥石のように平らで、肥沃な原野がひろがり、河をはさんで檉柳(かわらやなぎ)が多く、山には柏が多い。岸はみな丘墓になっており、その傍に家屋があり、赤土を塗って白虎が描いてある。みな蛮族の貴族で戦功のあるものの墓であり、生前はその(白虎の)皮を着、死んではその勇猛を表わしているのである。殉死したものは、その傍に埋葬されている。それから悉結羅識を越えるが、岩をけずって車を通しており、これが金城公主を迎えた道である。 麋谷にいたって宿舎に入ったが、ここは臧河の北方の川であり、普賛の夏の牙帳があるところである。そこは、木槍の柵をめぐらし、おおよそ十歩ごとに多くの長い槊(ほこ)を立て、中に大きな幟を置いている。三つの門を作り、その相互の距離はみな百歩で、武装の兵士が門を守っている。またそこでは鳥の冠をかぶり、虎の皮の帯をした巫祝(シャーマン)が太鼓をたたいている。入るものは身体を検査してから進む。中に高い台があり、宝楯がめぐらしてある。賛普は帳幕の中に坐し、その張幕は黄金で、蛟螭(みずち)・虎豹のかたちが縫い取りされている。賛普は身に白い褐(けごろも)を着、頭には朝霞帽をかぶり、首には金を鏤めた剣を吊っていた。鉢掣逋(ペルチェポ)はその右に立ち、宰相は台の下に並んでいた。はじめに唐の使者が到着したとき、給事中の論悉答熱(ロンタグシェル)が来て盟いのことを議定し、牙帳の西で盛大な宴を張ったが、酒飯のはこびは中国の習慣とほぼ同じであった。音楽は「秦王破陣曲」を奏し、また涼州・胡渭・録要の雑曲を奏し、多くの芸人は、みな中国人であった。 会盟の壇は、広さ十歩、高さ二尺で、使者は蛮族の大臣十余人と相対し、酋長百余人は壇下に坐った。壇上には大きな榻を設け、鉢掣逋が登って盟いを告げた。一人が傍から下のものに訳して聞かせた。みな血を啜ったが、鉢掣逋だけは啜らなかった。盟いが終わって仏像の前にかさねて誓いをし、鬱金水をとって飲み、使者と喜びの挨拶をして壇を下った。 劉元鼎が帰るとき、蛮族の元帥の尚塔蔵(シャンラサン)は、客を大夏川に宿泊させ、東方節度の諸将百余人を集めた。会盟の文書を台の上におき、ひろくこのことを諭し、かつおのおの国境を保持して互いに犯すことないように戒めた。文書には「彝泰七年」と書いてあった。尚塔蔵は劉元鼎に語った。「回鶻は小国である。私はかつてこれを討伐し、国都(カラバルガスン)から三日のところにまでいたり、回鶻はあやうく破滅するところであった。ちょうどそのとき、本国に不幸(賛普の死)があり、帰国したが、かれはわが方の敵ではないのに、唐はなにを畏れてこれを厚く遇するのか」と。劉元鼎は言った。「回鶻は国に功績(安史の乱の援軍)があり、かつ約束を守り、いまだみだりに兵をもって尺寸の土地を取るようなことはしていない。それゆえにこれを厚く遇するのである」と。尚塔蔵は沈黙してしまった。劉元鼎は湟水を越えて竜泉谷にいたったが、西北に殺胡川を望見した。ここには哥舒翰の時代の大防壁がなお多く存在していた。湟水の源は蒙谷に出て、竜泉にいたって黄河と会する。黄河上流は、洪済梁(橋)より西南に二千里行くと、河はますます狭くなり、春は徒歩で渡ることができ、夏秋には舟で行くことができる。その南三百里に三山があり、中に高くて四方に低くなっている山があって、紫山と呼ばれている。ここが大羊同国で、昔のいわゆる崑崙なるものである。蛮族は悶摩黎山と呼んでおり、東方は長安から五千里距たっている。黄河の源はその間にあり、水流は澄んでゆっくりと流れている。漸次多くの川を合わせて赤色となり、流水がますます長くなると他の川がみなそそいで濁ってくる。この湟水と黄河の存在によって、世間では西戎の土地を河湟というのである。河源の東北に莫賀延磧尾があり、長さはおおよそ五百里で、磧の幅は五十里である。北は沙州の西南から吐谷渾に入り、狭くなって終わっている。ゆえに磧尾というのである。ひそかにその地を測ってあると、だいたい剣南の西にあたるであろう。劉元鼎が見てきたところは、おおよそ以上のようなものであった。 蛮族は論悉諾息(ロンタグシグ)らを遣わして入朝して謝辞を述べた。天子は左衛大将軍の令狐通、太僕少卿の杜載に命じて答礼に行かせた。この年(822)、尚綺心児(シャンチスムジェ)は兵を出して回鶻・党項を攻撃し、小相の尚設塔は三万の衆を率いて木蘭(橋)付近に馬を放牧した。毎年使者が来、金の盆、銀細工の犀川や鹿を献上し、ヤクを貢ぎ物とした。 宝暦(825-827)から大和(827-835)年間にいたるまで、ふたたび使者を遣わして入朝させた。大和五年(831)に維州の守将の悉怛謀が城をあげて降服し、剣南西川節度使の李徳裕はこれを受け入れ、符章・武器・鎧を収納した。さらに将の虞蔵倹を遣わしてこれに拠らせた。州は、南は江陽(四川省澁県)・岷山にいたり、西北は隴山を望見し、一方は崖に面し三方は江に囲まれている。蛮族はこれを無憂城と呼び、西南地方の要害の地としていた。ちょうどそのころ牛僧孺が国政を担当していたので、論議して悉怛謀を吐蕃に遷し、その城も帰した。吐蕃は、かれの一族を誅してひとりも残さず、もろもろの蛮族を恐怖させた。これより五年間、蛮族の使いが来れば、かならず答礼使を出した。貢献したものは、玉帯・金皿・獺褐(カワウソの皮で作ったかわごろも)・ヤクの尾・霞・緋毛氈・馬・羊・駱駝である。 賛普は、立ってから三十年ちかく、病気のため政事をとらず、大臣に委せきりであり、そのゆえに中国に対抗することができず、辺境の塞は安穏であった。賛普が死んで弟の達磨(ダルマ)が嗣いだが、達磨は酒飲みで、狩猟を好み、好色であった。かつ性格があらあらしくて恩政を施すことが少なく、政治はますます乱れた。 開成四年(839)、太子詹事の李景儒を吐蕃に使いさせたが、吐蕃は、論集熱を来させ、玉器・羊・馬を貢献した。これより吐蕃国内では地震が多く、川が裂け、水が吹き出し、岷山は崩れ、洮水は三日間逆流した。また鼠が作物を食い荒らし、人は飢えて、病気で死ぬものが相つぎ、鄯・廓二州の間では、夜、陣太鼓の音が聞こえ、人々は互いに驚愕した。 会昌二年(842)、賛普が死に、論賛熱(ロンツェンシェル)らが来てこのことを告げた。天子は将作監の李璟に命じて弔いに行かせた。達磨には子がなかったので、妃の綝(チム)氏の兄尚延力(シャンギェルリグ)の子の乞離胡(チウ)を賛普とした。まだ三歳であり、妃はともにその国を治めた。大相の結都那(ギェルトレ)は乞離胡を見て、あえて拝礼しないで言った。「賛普の支族はまだ多いのに、どうして綝氏の子を立てるようになったのか」と、泣いて出ていったが、政事に当たっているものは、いっしょになってかれを殺した。 別将の尚恐熱(ロンコンシェル)は落門川(甘粛省隴西県)討撃使であったが、姓は末(バー)、名は農力熱(ナンリグシェル)で、中国で郎と称するようなものである。かれは詭りが多く、よく人をたぶらかし、三部をまとめて万騎を得、鄯州節度使の尚婢婢を討った。それから土地をとり、渭州に行って、宰相の尚与思羅と薄寒山(甘粛省隴西県西南)に戦った。尚与思羅は敗けて松州にいたり、蘇毘・吐渾・羊同の兵八万を合わせ、洮河を保持してみずから守った。尚恐熱は蘇毘たちに言った。「宰相兄弟は賛普を殺したので、天神がわれに義兵を挙げて無道のものを誅殺させるのである。なんじらは、逆賊を助けて国に背くのか」と。そこで蘇毘たちは宰相の行動を疑って戦わなかった。尚恐熱は軽装の騎兵を指揮して洮河を渡らせたところ、諸部はまず降り、その衆は合わせて十余万になり、尚与思羅を捕えてこれを絞殺した。 尚婢婢は姓は没盧(ロ)、名は賛心牙、羊同国の人である。代々吐蕃の大臣となる家柄で、かれは寛大で、おおよそ文字に通じていた。賛普に直接仕えるのを好まず、国境方面に三年間官吏として勤めていた。吐蕃の国民は新賛普の立ったのを正しいものとはせず、みな叛き去ったので、尚恐熱はみずから宰相と号し、兵二十万を率いて尚婢婢を攻撃したのである。軍隊・牛・馬・駱駝は千余里に連なり、鎮西軍(河州の西百八十里)にいたったが、大風が起こり、雷電がはためいて、部将の震え死ぬものが十余人、羊・馬・駱駝もまた数百が死んだ。尚恐熱はこれを見て恐怖にとらわれ、軍を抑えて進まなかった。尚婢婢はこのことを聞いて、物を厚くし、手紙を送って和親を約束した。尚恐熱は大いに喜んで言った。「尚婢婢は書生である。どうして軍隊のことがわかろうか。わしが賛普になれば、出仕不要の宰相としてかれ処遇しよう」と。そこで退いて大夏川に営した。尚婢婢は将の厖結心、莽羅薛呂(マンラシェル)を遣わして、尚恐熱を河州の南に攻撃した。兵四万を伏せさせ、厖結心は山に拠り、手紙を射てやり、さんざん尚恐熱を罵倒した。尚恐熱はひじょうに怒り、兵をもりたて出撃させた。厖結心は偽って逃げたところ、尚恐熱は数十里これを追撃し、莽羅薛呂は伏兵を発して集中攻撃した。おりしも大風があり、河は出していたので、溺死するものがはなはだ多く、尚恐熱は単騎で逃走した。すでに目的を達しなかったので、すこぶる残忍となり、人を多く殺した。その部将の岌蔵(チソン)、豊賛はみな尚婢婢に降服し、尚婢婢は厚くこれを待遇した。 明くる年(848)、尚恐熱はまた鄯州を攻撃し、尚婢婢は兵を五道に分けて防戦した。尚恐熱は東谷山(甘粛省臨夏県東南十五里)を保持し、防壁を固めて出戦しなかったが、岌蔵は柵をいく重にもめぐらし、給水の道を断った。そこで十日ほどで尚恐熱は薄寒山に逃走し、散兵を集めてようやく数千人を得た。そして鶡鶏山に戦い、ふたたび南谷(甘粛省渭源県西二十五里)に戦ったが、みな大敗し、戦いは長びいて、年を過ぎても終わらなかった。 大中三年(849)、尚婢婢は軍を河源に屯し、尚恐熱が黄河を渡ることを企んでいるのを聞き、急にこれを攻撃し、尚恐熱に敗れた。尚婢婢は精鋭の兵を率い、橋を抑えたがまた勝たず、橋を焼いて還った。尚恐熱は間道伝いに鶏頂嶺に出、関馮硤に橋をかけ、婢婢を攻めて白土嶺(青海省西寧市南)にいたった。そしてその将の尚鐸羅榻蔵(シャンタグララサン)を破り、進んで犛牛硤(ムルウス)に戦った。尚婢婢の将の燭盧鞏力(チョグロクンリグ)は、硤を背にしてみずから固守し、尚恐熱を苦しめようとしたが、大将の磨離羆子は従わず、力は病気であると称してさきに帰ってしまった。燭盧鞏力は急に尚恐熱を攻撃したが、一戦して死んだ。尚婢婢は糧食が尽きたので、衆を率いて甘州の西の境に赴き、拓抜懐光に守備させたが、尚恐熱の配下は多くこれに降服した。 尚恐熱は鄯・廓・瓜・粛・伊・西などの州を大いに略奪したが、通過するところ、捕えたり殺したり、屍は積みかさなり、広く散乱するありさまであった。部下たちは内心これを怨み、みなかれをかたづけようと考えた。そこで唐の兵五十万に出てもらい、ともにその乱を鎮めたいと宣言した。尚恐熱は渭州を保持し賛普に冊立されることを願い、表文を奉って唐に帰服した。宣宗は太僕卿の陸躭に詔を下し、節を持して使いとなって尚恐熱を慰労し、涇原・霊武・鳳翔・那寧・振武などの軍に命じて、尚恐熱を援け迎えさせた。かれが到着したので、尚書左丞の李景譲に詔し、その希望するところを問わせたが、尚恐熱は傲慢で大きくかまえ、かつ河渭節度使とすることを求めた。帝は許可を与えず、かれは帰途咸陽橋を通って嘆じて言った。「我は大事をなしつつある。望むところは、この河を軍とともに渡って、唐と天下の境域を分け合うことだ」と。ふたたび落門川に赴き、散兵を集めて、まさに辺境に入寇しようとした。ちょうどそのとき長雨があり、食糧が途絶したので、尚恐熱は廓州に逃げ帰った。 そこで鳳翔節度使の李玭は清水を回復し、涇原節度使の康季栄は原州を回復し、石門などの六つの関を取り、数万の人畜を得た。霊武節度使の李欽は安楽州を取ったので、詔を下して威州とした。邠寧節度使の張欽緒は、蕭関・鳳翔を回復し、秦州を収めた。山南西道節度使の鄭涯は、扶州を得た。鳳翔の兵は、吐蕃と隴州に戦い、首五百級を斬った。この年(849)、河西隴右の老齢者千余人が宮殿に現われ、天子は延喜楼に出御して冠帯を賜わった。みな争って弁髪を解き、衣服をとりかえた。よって詔を下して賜わり物を与えた。四道の兵については、功労のあるものは録して官を与えた。三州七関の土地で肥沃なところは民が開墾することを許し、五年の賦役を免除した。温池は度支に委ね、その塩を専売にし、辺境に供給させた。四道の兵で田作りができるものには、耕牛や種子を給し、なお守備につくものにはその兵を倍にして与え、二年で交代させた。商人の辺境に往来するものは、関鎮がそれを留めることのないように兵で開墾しようとするものは民と同様に許した。 昔、太宗は薛仁杲を平らげて隴上(隴西)の地を得、李軌を捕虜にして涼州を得、吐谷渾・高昌を破って安西四鎮を置いた。玄宗はついで黄河・磧石・宛秀などの軍を収めたが、中国は辺境に斥候や警備のものをほとんど四十年も置かなかった。輪台・伊吾は屯田が行なわれ、穀物・豆類の田畑はますます遠く拡がった。開遠門に掲げられた送迎の額に、「西の方、道のはてまで九千九百里」と書かれたのは、辺境防備の人が万里まで行く必要のないことを示していたのである。乾元以後は、隴右・剣南・西山・三州・七関・軍・鎮・監牧などの三百ヵ所がみな失われた。憲宗は、いつも天下の地図を見、河湟のもとの領域を見ては憤り、これを経略しようと考えたが、その機会はなかった。ここにいたって群臣は宣宗に上奏した。「王者は、功を建て、業を成して、かならず世にひかり輝くものがあります。いま一兵も刃に血をぬることをせずに、河湟はおのずから帰服しました。天子に尊号を上りたいと存じます」と。帝は言った。「憲宗はかつて河湟のことを思い、その業が成就しないうちに亡くなられた。いま祖宗の功業を払めるにあたり、順宗・憲宗の二廟に謚号を奉り、後世にその名を顕示するよう議してもらいたい」と。また詔を下して言った。「朕はしばらく人民を休息させたいと思うので、その山外(西山の外側)の諸州はのちにこれを経営したい」と。 明くる年(851)、沙州の首領の張義潮は、瓜・沙・伊・粛・甘など十一州の地図を奉じて献上した。さきに張義潮はひそかに豪傑たちと結び、唐に心を帰していた。ある日、衆は武装して州城の門に喚声を挙げ、漢人はみなこれを助けた。蛮族の守備のものは驚いて逃げたので、かれはついに仮に州の政事をとり、鎧・武器を整備し、耕作しかつ戦って、ことごとく他の州を回復した。そして部将十組ほどで、みな矛をもって表文をその中に入れ、かれらは東北に向かって走って天徳城に到着した。防禦使の李丕が上聞したので、帝はその忠誠を賞讃し、使者に詔を持たせてやり、収容し慰労した。そして張義潮を沙州防禦使に抜擢したが、まもなく帰義軍と称し、ついに節度使となった。そののち、河州・渭州の蛮族の将の尚延心は、自国が亡んだのを見て、また好しみを通じ、秦州刺史の高駢は尚延心および渾末部の一万帳を誘って降服させ、ついに二州を収穫した。尚延心を武衛将軍に任じたが、高駢は鳳林関を収めたので、尚延心を河渭等州都游奕使とした。 咸通二年(861)、張義潮は涼州を奉じて来帰した。咸通七年(866)、北廷の回鶻の僕固俊は、西州(高昌)を攻撃して取り、諸部を収め、鄯州城使の張季顒は尚恐熱と戦ってこれを破り、武器・鎧を収めて献上した。吐蕃の余衆は邠・寧を犯し、節度使の薛弘宗はこれを退けた。ちょうどそのとき、僕固俊は、吐蕃と大いに戦い、尚恐熱の首を斬って京師に送ってきた。 咸通八年(867)、張義潮は入朝して右神武統軍となり、京師に邸宅と地を賜わった。族子の深に命じて帰義軍を守らせた。咸通十三年(872)、張義潮は死んだ。沙州については、長史の曹義金に州務を扱わせ、ついにかれに帰義軍節度使を授けた。のち中原には事件が多くなり、王命は甘州に及ばなくなり、回鶻に併呑されて、帰義の諸城も多くその手中に陥った。 渾末というのは、また嗢末といい、吐蕃の奴隷部落である。蛮族の規則では、軍を出すにはかならず豪族を発し、みな奴隷を従わせる。平常のときは、あちこちに散って耕作や牧畜を行なっている。尚恐熱が乱を起こしたとき、向かうべきところがなく、ともに呼びあって数千人となり、みずから嗢末と号し、甘粛・瓜・沙・河・渭・岷・廓・畳・宕諸州の間に居た。その吐蕃の牙帳に近いものがもっとも勇猛で、馬も良いといわれている。 賛にいう、唐が興ってから、四夷で従わないものがあった。みな尖鋭な部隊なので、これを他地方に移し、その牙をそぎ、その王庭をすいて田畑とするまで徹底的に征服した。ただ吐蕃と回鶻は強勢を誇り、もっとも長く中国の悩みとなった。賛普はすべて河湟を奪取し、畿内に迫ってその東の国境をおいた。京師を犯し、その近郊を掠奪し、中国人を傷つけ、首を斬った。唐はあの勇猛な軍隊を動員し、目をよくみはって作戦を計らせたが、ついに根本的解決はできなかった。晩期になって二民族はおのずから滅亡し、唐もまた衰頽した。いったい外民族を慰撫し、同時に国内を安寧にするということは、ただ聖人だけが辞退せずにやれることであろう。玄宗はすぐれた徳の持主で、領域をはなはだ大きく拡げたが、遠方の地に功績をあげることにつとめて、身の近くにある危険を見逃していた。逆賊がひとたび奮いたつと、中原は分裂し、二百年を終えるまでもとの完璧な組織にもどることができず、衰頽するにいたった。そうであるならば、すなわち、内でまずみずからを治め、そののちに四夷が外部から脅威をなすのを解決してゆくのが、国を保持発展させる良い方策であろう。 前巻 『新唐書』 次巻 巻二百一十六上 列伝第一百四十一上 『新唐書』巻二百一十六下 列伝第一百四十一下 巻二百一十七上 列伝第一百四十二上
https://w.atwiki.jp/shintouzyo/pages/406.html
唐書巻二百二十五下 列伝第一百五十下 逆臣下 黄巣 秦宗権 董昌 黄巣は曹州冤句の人である。代々塩の販売を行ない、資産に富んだ。剣術や馬術・弓術にたくみで、少しは書籍にも通じており、弁も立った。亡命者の面倒を見ることも喜んでやった。 咸通年間(860-874)末年、連年の飢饉で黄河以南の地には盗賊がはびこった。乾符二年(875)、濮州の名の売れた盗賊の王仙芝が長垣で叛乱を起こした。三千人の勢力で曹州・濮州の二州を荒らしまわり、一万の人間を掠め取って、ついに大勢力となった。王仙芝は不とどきにも大将軍と名のり、諸道に檄を飛ばして、官吏の貪欲、賦税の苛重、賞罰の不公平さを指弾した。宰相は恥じて王仙芝の蜂起について報告しなかったので、僖宗は何も知らなかった。王仙芝麾下の命知らずの部将に尚君長・柴存・畢師鐸・曹師雄・柳彦璋・劉漢宏・李重覇ら十余人あり、至る所で掠奪をほしいままにした。そして乱を好む黄巣も、子弟八人とともに仲間を募ると、何千人と集まったので、かくて王仙芝に呼応したのである。黄河以南十五州を転々と荒らしているうちに、とうとう何万という勢力になった。 帝は平盧節度使の宋威とその副使の曹全晸に命じて討伐させた。何度も戦って賊を破った。そこで宋威を諸道行営招討使に任命して護衛兵三千、騎兵五百をつけてやり、河南諸鎮に詔をくだしてすべて宋威の指令を受けさせた。また左散常侍の曾元裕をその副使とした。王仙芝は沂州を攻略しようとしたが、宋威は賊を城下に破った。王仙芝は逃走した。そこで宋威は賊の大頭目は死亡しましたと上奏し、勝手に麾下の兵を放して、青州に帰ってしまった。都では群臣一同参内して祝辞を述べたが、三日ほど経つと、地方の州県から賊が依然健在であることを上奏してきた。その時、軍隊は休息にはいったばかりで、詔をくだしてもう一度将兵を派遣しようとしたが、兵士たちはみな怒って叛乱を起こそうとした。賊はそのすきをうかがって郟城に向かい、十日経たないうちに八つの県を破った。帝は賊が東都(洛陽)に迫って来たのを憂慮し、諸道の兵を督励して食いとめようとした。かくて鳳翔・邠寧・涇原の兵が陝州と潼関を守り、曾元裕が東都を守り、義成と昭義の兵は東都の宮城を守護した。 王仙芝は郟城方面から転じて汝州を攻め、その地の将軍を殺した。刺史は逃走した。東都では大恐慌を来たし、百官は身ひとつで東都から逃げ出すありさまであった。賊は陽武県を破り、鄭州を囲んだが成功せず、鄧州と汝州のあいだを蟻のように群がって攻め立てた。函谷関以東の州県は大ていどこでも賊を畏れて城に立てこもって自衛した。そこでは兵を四方に放って侵略させ、郢州・復州の二州を荒らしまわった。至る所焼きはらい掠奪をつくしたので、住民はあらかたいなくなってしまった。官軍が急追すれば、物資を路にばらまいて逃げた。兵士たちはわれ先きにそれを取ろうとするので、軍は停滞してさきに進まないことが多かった。賊は転戦して申州・光州方面に入った。随州を荒らして刺史とらえ、また安州に本拠を構えて余裕綽々たるものがあった。奇襲部隊をさし向けて舒州を囲み、廬州・寿州・光州などの州を攻撃した。 当時、宋威は老齢でしかも暗愚なため作戦遂行の役に立たなかった。内々で曾元裕と相談した。「昔、龐勛が滅びると、功労のあった康承訓は早速罪を得た。われわれの場合も、たとい成功しても、禍いは免れまい。とすると賊の勢力を温存する方がよい。不幸にして賊が天子になっても、われわれは功臣にはなれるだろう」。そこで賊を追撃するのに一舎(16km)をゆくだけにして、日和見をきめこんで軍隊の自全をはかった。このことを帝も知って、あらためて陳許節度使の崔安潜を行営都統とし、宋威の代わりに前鴻臚卿の李琢を諸道行営招討草賊使に任じ、曾元裕の代りに右威衛大将軍の張自勉を副使に任じた。 賊が蘄州・黄州方面に出没すると、蘄州刺史の裴渥は、賊のために朝廷に官を請求してやり、たがいに休戦を約束した。王仙芝は黄巣らとともに裴渥のもとに出かけて酒を飲んだ。まもなく王仙芝を左神策軍押衙に任命するという詔書が下り、宦官が慰撫のために派遣されると、王仙芝は喜んだが、黄巣は恩賞が自分に及ばないのを恨んでののしった。「君は降伏して自分だけ官を手に入れたが、五千の仲間たちはこれからどうなるのだ。軍に要請して早くここを引き払え」。そういって王仙芝を殴りつけて頭に負傷させた。王仙芝は大衆の怒りをおそれて、任命を受けないまま、蘄州の兵士を連れ去った。裴渥と宦官とは逃げ出した。賊はその勢力を分け、尚君長は陳蔡地方に入り、黄巣は北方の斉魯を荒らした。黄巣の兵力は一万人あり、鄆州に入って天平節度使の薛崇を殺し、進撃して沂州を陥れた。その勢力はついに数万に達し、穎蔡地方を経て査岈山に立てこもった。 この時、柳彦璋の方も江州を取って、刺史の陶祥をとらえた。黄巣は兵をひきいてまた王仙芝と合流し、宋州を囲んだ。たまたま張自勉の援兵が到着して、賊二千人を斬った。王仙芝は囲みを解いて漢水を南に渡り、荊南を攻めた。そこで節度使の楊知温は籠城して守った。賊は火を放って楼門や城壁を焼いたが、楊知温は出て戦おうとしなかった。朝廷は詔をくだして、西川節度使の高駢に荊南節度使を代わらせた。高駢は蜀の兵一万五千をひきい、軍糧を携帯して、三十日以内に到着することを目指してやって来たが、到着したとき城はすでに陥っていた。楊知温は逃走したが、賊も江陵を守り通すことができなかった。この時、左武衛将軍の劉秉仁に詔して江州刺史に任命した。劉秉仁は部隊を配置しておき、一艘の舟に乗って賊の柵に入った。賊は大いに驚き、一同打ち揃って劉秉仁に降った。劉秉仁はついに柳彦璋を斬った。 黄巣は和州を攻めたが、まだ攻略するには至らなかった。王仙芝自身は洪州を囲んでこれを取り、徐唐莒にここを守らせた。進んで朗州・岳州を破り、ついに潭州を包囲したが、湖南観察使の崔瑾が防いでこれを撃退したので、王仙芝は転じて浙西方面に向かい、宣州・潤州を荒らしまわった。しかし要求を実現することができないので、自分自身は江西に留まり、別隊に命じて再び河南に入らせた。 帝は詔して、崔安潜を忠武軍に帰し、再度宋威と曾元裕を起用して招討使の任につかせた。そして楊復光が監軍の任に当たった。楊復光は部下の呉彦宏をやって、勅旨をもって賊を説得させた。王仙芝はそこで蔡温球・楚彦威・尚君長をつかわして降り、朝廷に赴いて裁きを受けたいと申し出た。また宋威に書簡を送って節度使の職を求めた。宋威はそれを引き受けたと見せかけ、朝廷には尚君長と戦ってこれをとりこにしたと報告した。一方、楊復光は賊は降伏してきたのだと言い張るので、朝廷は侍御史と宦官とを早馬で派遣して訊ねさせたが、実状を明らかにすることができず、とうとう尚君長らを狗脊嶺で斬ったのである。王仙芝は怒ってまた洪州を攻め、その外城へ侵入した。宋威はみずから軍をひきいて行ってこれを救い、王仙芝を黄梅で破った。賊の首級を上げること五万、王仙芝をとらえて斬り、その首を京師に送った。 ちょうどこの時、黄巣は亳州を囲んでいたが、まだ下すには至らなかった。尚君長の弟尚譲は王仙芝の残党をひきつれて黄巣に帰し、黄巣を王に推戴した。衝天大将軍と号し、官吏を任命した。そして河南・山南の民十余万を駆り立てて淮南を掠奪し、年号を建てて王覇と定めた。 曾元裕は申州で賊を破り、一万人を殺した。帝は宋威が尚君長を不法に殺し、また賊の討伐に功績を挙げないので、詔して青州に帰らせ、曾元裕を招討使とし、張自勉を副とした。黄巣は考城を破り、濮州を取った。曾元裕は荊襄方面に軍を置いていたが、兵を派遣してこれを阻んだ。朝廷は改めて張自勉を東北面行営招討使に任命し、諸軍を督励して急追させた。黄巣はそのとき裏邑と雍丘を侵略していた。朝廷は滑州節度使の李嶧に詔して原武にとりでを築かせた。黄巣は葉・陽翟を襲い、東都をねらおうとした。たまたま左神武大将軍の劉景仁が兵五千をもって東都の救援にかけつけた。河陽節度使の鄭延休は兵三千をもって、河陰にとりでを築いた。黄巣の軍隊のうち、江西で活動していた部隊は鎮海節度使の高駢に破られ、新鄭・郟・襄城・陽翟を攻撃していた部隊は、崔安潜に追われて敗走し、浙西の部隊は、鎮海節度使の裴璩のため二人の司令官を斬られて、おびただしい死者を出した。黄巣は大いに意気沮喪しておそれ、やむなく天平軍のもとに降伏を申し出た。そこで詔を下して黄巣に右衛将軍を授けたが、黄巣は藩鎮がおたがいにバラバラでこちらを押えこむだけの力はないと見て取り、そのまま叛き去り、方向をかえて浙東に攻め入り、観察使の崔璆をとらえた。そこで浙西節度使の高駢は部将の張潾と梁纘とをやって賊を討たせ、これを破った。賊は軍を撤収して江西に渡り、虔州・吉州・饒州・信州などの州を破った。つづいて山を開いて七百里の道をつけ、一気に建州に進んだ。 はじめ黄巣の軍中では、「儒者に逢いもしものことに傷つけたら、軍はきっと全滅する」という歌 がうたわれた。黄巣は福建地方に入って人民を捕虜にしたが、儒者を詐称する者はすべて釈放された。時に乾符六年三月のことである。近道をして福州を囲むと、観察使の韋岫は戦って敗れ、城を棄てて逃げた。賊は入城し、住居を焼きはらい、まるで草を刈るように人を殺した。しかし崇文館校書郎の黄璞の家を通りすぎる時には、命令を下した。「ここは儒者の家だ。焼かないようにたいまつを消せ」。また処士の周朴をさがし出して言った。「われわれに従ってくれますか」。周朴は答えた。「天子にも仕えなかったおれだ。賊などに従えるか」。黄巣は怒って周朴を斬った。この時、福建地方の諸州は全部賊の手に陥っていた。朝廷は高駢に詔して諸道行営都統に任命して、賊を防がせた。 黄巣は桂管をおとしいれ、進んで広州に攻め入った嶺南東道節度使の李迢に書を送って、上表して天平節度使を申請するよう求めた。また崔璆を脅迫して、朝廷に天平節度使授任のことを上奏させた。宰相の鄭畋はそれを許そうとしたが、盧攜と田令孜が反対した。黄巣はまた安南都護・広州節度使を要求した。その申請書が上聞に達すると、尚書右僕射(宰相)の于琮は「南海の貿易の利は莫大です。賊がこれを得るとますます資力豊かになり、そして国の財政はゆきづまってしまいます」と論じた。そこで黄巣を率府率に任命した。黄巣はその詔を見て大いにののしり、広州を急襲して李迢をとらえた。そして義軍都統と自称し、これから入関することを公開状によって布告した。そこには、宦官が朝権を握って国政をむしばんでいることを非難し、朝臣たちも宦官たちと贈収賄でぐるになり、官吏登用は不公平で才能ある者が選ばれない実状を指弾し、また刺史が財産を殖やすことを禁止し、県令で汚職を犯す者は族誅すると声明していた。これらはいずれも当時最大の悪弊であった事柄である。 天子はさきに宋威の失策を処分してこれを罷免したが、宰相の王鐸がみずから前線指揮に行きたいと願い出たので、それではと、王鐸を荊南節度使・南面行営招討都統に任命し、諸道の兵を率いて討伐させた。王鐸は江陵に駐屯したが、上表して泰寧節度使の李係を招討副使・湖南観察使に任じ、先鋒として潭州に駐屯させた。そして二つの駐屯地の間にはのろしと駅伝を列置した。たまたま賊中に病気がはびこり、十人中四人までが死んだので、ついに北方帰還にふみ切った。巨大ないかだを組み桂州から湘水(湘江)に沿って衡州、永州に下り、潭州を破った。李係は朗州にのがれ、十余万の兵は殲滅された。その腐った肉を河に投げこむと、河一杯になった。賊は進んで江陵に迫り、兵力五十万と呼号した。王鐸は兵が少ない ので、すぐ城中に立てこもった。これよりさき、劉漢宏が現地を占領して民家を焼きはらったので、人びとはみな山谷に逃げかくれた。引きつづいて李係が敗北し、その知らせがとどいたので、王鐸は城を棄てて襄陽に逃げた。官軍は混乱に乗じて掠奪をほしいままに した。 おりしも降雪があり、人びとは大方路傍で死んだ。 その十月、黄巣は荊南に拠り、李迢を脅迫して天子に答える上表文を起草させた。 李迢は「腕を切られても上表文は作れない」といったので、黄巣は怒って李迢を殺した。そして王鐸を追撃しようとしたが、たまたま江西招討使の曹全晸と山南東道節度使の劉巨容とが荊門にとりでを築いた。 そして沙陀族に命じて馬五百頭にきらびやかに飾った馬具をつけさせ、賊の陣営が見えるところまでくると、馬を放って逃げ帰らせた。賊は臆病だと思いこみ、翌日賊の諸将はそれらに乗って戦ったが、馬は沙陀族の言葉を知っているので沙陀族の言葉で呼ぶとすぐ駆けてゆき、賊の方はこれを引き留めることができない。官兵が林にひそんでいて、賊が闘って逃げる官軍を急追すると、伏兵が起こって大いに破り、賊の首領十二人をとらえた。黄巣はおそれて揚子江を渡って東方へにげたが、官軍がこれを追跡して、十人中八人を捕虜にした。王鐸は劉漢宏を招いて帰順させた。ある人が劉巨容に賊を追いつめるよう勧めると、劉巨容は答えた。「国家は往々にして人を裏切る。一大事のときは賞をおしまないが、事態が落着くと罪を受ける。賊を生かしておいた方が今後得策だ」と。そして軍を停止して追撃しなかった。そこで黄巣は再び態勢を整えることができ、鄂州を攻めて入城した。曹全晸が長江を渡ろうとすると、ちょうどその時、詔が下り、段彦謩に江西招討使を交代するよう命じたので、曹全晸は渡河を中止した。 黄巣は官軍の襲撃を畏れて、転じて江西を侵し、再び饒州・ 信州・杭州の諸州に入り、勢力も二十万に達した。臨安を攻めると、守将の董昌は無勢なので出戦をさけ、数十騎を叢の中に伏せておき、賊がやってくると、弓を仕かけて賊将を射殺させた。部下はみな敗走した。董昌は進軍して八百里という所に駐屯し、宿舎の老婆をつかまえ ていった。「後からやってくる者があれば、臨安の兵は八百里に屯しているといってくれ」。はたして 賊があとからやってきたが、その言葉を聞いた賊は、「この間はわずか数でこちらをさんざんなや ましたのに、八百里にわたって陣を張っているのか」と言っておどろき、やむなく、引き返して宣州・歙州など十五州を荒らしまわった。 広明元年(880)、淮南節度使の高駢が部将の張潾をつかわして揚子江を渡らせた。張潾は賊の隊長の王重覇を打ち破って降伏させた。黄巣はしばしば退却してようやく饒州に拠ったが、軍中に病人が多数出た。また別働隊の常宏は数万の勢力をひきいて降伏したが、あちこちで処刑されて殺された。諸軍はしばしば賊を破ったという虚偽の上奏を行なったが、朝廷はそれを信じて、いくらか安堵していた。黄巣は策略を設けて張潾を敗死させ、睦州・婺州の二州をおとしいれ、また宣州を取った。そして劉漢宏の残党も再び勢いを得て、宋州を攻め、申州・光州を侵略し、黄巣の方へやって来てこれと合流した。かれらは采石を渡って北岸の揚州を侵したが、高駢は軍を擁したまま打って出ようとはしなかった。朝廷は兗海泰寧軍節度使の斉克譲に詔して汝州に駐屯させ、曹全晸を天平節度使兼東面副都統に任命した。賊はその時、滁州と和州を守っていた。曹全晸は天平軍をひきいて戦ったが、淮河のほとりで敗北した。宰相の豆盧瑑は、援兵がまだ到着しないのを考慮して、黄巣に一時天平節度使を与えてその西進を阻み、精鋭部隊で宣武を守り、汝鄭への路を塞ぐならば、賊の首を取ることができましょうと要請した。盧攜はこの意見に頑強に反対し、諸道の兵を召して泗水の流域に布陣し、宣武節度使に総指揮をとらせていただきたい、そしたら黄巣はまたまた東南方面を侵し、浙江の山の中をうろついて生きのびるだけでしょうと申し立てた。詔して盧攜の策に従った。これよりさき、天下の兵に詔して水に集結して、賊の北進を阻止させた。それでちょうど徐州の軍隊がその途中許州を通過していたのであるが、忠武軍節度使の薛能が徐州軍を城中に泊めたので、許州の人びとは驚き、襲われるのではないかと考えた。忠武軍の部将の周岌は溵水から帰ってきて薛能を殺し、みずから留後を名のった。徐州軍はこの兵変を聞いて、その列将の時溥も兵をひきいて帰り、徐州節度使の支詳をとらえた。兗海節度使の斉克譲も部下の背反をおそれ、軍を引きつれて兗州に帰ったので、溵水に集結した軍隊はみな解散してしまった。 黄巣はこれを聞いて全軍挙げて淮河を渡り、不とどきにも率土大将軍と名のった。そして軍隊の秩序をととのえてこれまでのように掠奪を行なわず、行くさきざきで壮丁を用して兵力を増すだけであった。李罕之は申州・光州・穎州・宋州・兗州などの州を侵したが役人たちはみな逃げてしまった。黄巣はみずから部隊をひきいて汝州を攻めた。東都に迫ろうというのである。この事態に際して、天子は幼弱で、怖がって泣いてばかりいた。宰相たちはこもごも神策軍と関内各節度使の兵、合計十五万をすべて動員して潼関を守るべきだと建言した。田令孜はみずから部隊をひきいて東征したいと願い出たが、しかし内心はすっかり動転していて、あらかじめ蜀へ行幸することを帝に説いていた。帝はみずから神策軍に出かけ、左軍馬将軍の張承範を先鋒とし、右軍歩兵軍将の王師会に兵站線を司らせ、飛竜使の楊復恭を田令孜の副とした。こうして京師で兵士の募集を行なって数千人を確保した。 この時、黄巣はすでに東都を陥れ、留守の劉允章が百官を率いて賊を迎えた。黄巣は入城して市民をねぎらうだけだったので、町の人心は落着いていた。帝は田令孜を章信門に見送り、手あつい贈物を与えた。しかしながら近衛兵たちはみな長安の金持ちで、代々左右神策両軍に軍籍があって天子から賜与を受け、華美な服装で威勢よく馬を走らせては羽振りのよさをひけらかしていたが、もともと戦の仕方など知らず、選にあたったと聞いてみな家で泣き出す始末であった。こっそり金を出し、商業地区や病坊から人をやって出征兵の員数をみたしたが、かれらは武器をもつこともできない始末で、この有様を見る者はこれでどうなることかと肌の寒くなる思いをしたのであった。張承範は強弩兵三千を引きつれて潼関防衛に出かけたが、出発に臨んで言った。「安禄山は兵五万を率いて東都を陥れました。いま賊の兵力は六十万、安禄山の場合をはるかに越えております。この三千の兵だけではとても守ることはむずかしゅうございます」。帝は兵力増加を許さなかった。賊は進撃して陝州・虢州の二州を取り、潼関の守備隊に向かって檄を送った。「われわれは淮南を通るとき、あの高駢を穴の中に逃げこむ鼠のように追い払ったのだ。お前たちはわれわれに抵抗することはないぞ」。神策軍の兵士たちは華州を通過したが、三日間の食糧を携帯するだけで空腹を充たすことができず、戦意を失っていた。 十二月、黄巣は潼関を攻撃した。斉克譲はその部隊を率いて関の外で戦った。賊は少しばかり退却したが、突然、黄巣がやって来た。軍勢は大きなときの声を挙げ、そのひびきが川や谷を震わせた。その時官軍の兵士たちはひどい空腹状態にあり、こっそり斉克譲の軍営を焼き払った。斉克譲は逃走し関内に入った。張承範は金を出して軍中を説得して言った。「諸君、報国につとめよ。救援も今に来る」。兵士たちは感泣して防戦したが、賊は後続部隊が来ないと見てとって、一気に潼関を攻めた。官軍は矢が尽き、石を飛ばして敵を射た。黄巣は民衆を使って塹壕の中から関所の建物に火をつけ、すっかり焼き払った。関所の左手に大きな谷があり、かねて通行禁止にしてあったので禁谷とよばれていた。賊がやって来て、田令孜は関所に軍を集結させたが、谷から入ることができるのを忘れていた。尚譲が部隊をひきいて谷の方にやって来ると、張承範はあわてて王師会に弩隊八百をもってこれを待ち受けさせた。王師会らが到着する頃には、賊はもう侵入していて、翌日、関をはさみ討ちにして攻めた。官軍は潰滅した。王師会は自殺しようとしたが、張承範は、「われわれ二人が死んでしまえば、事情を述べる者はだれもいなくなる。それより天子に見えて実状を申し上げよう。死ぬのはそれからでもおそくはない」といって、変装して逃げた。これより先、博野と鳳翔の部隊が渭橋を通過するとき、募軍の衣服が美しく温かなのを見て「こいつらはどんな手柄を立ててもうこんな良い服装をしているのだ」と怒ったが、戦況がこうなって、こんどは賊の道案内をつとめ、賊より一足先きに長安に帰って西市を焼き払った。帝は郊外で類祭を行なって祈祷した。ちょうどそのとき張承範が到着して防ぎ切れなかった模様をつぶさに述べた。帝は宰相の盧攜を左遷した。まさに朝議を行おうとするとき、賊がやって来たという知らせが伝わってきて、百官は逃げてしまった。田令孜は神策兵五百をひきい、帝を奉じて咸陽に走った。わずかに福王・穆王・潭王・寿王(後の昭宗)の四王と一、二の妃嬪だけが随行し、宦官の西門匡範が右神策軍を統率して殿(しんがり)をつとめた。 黄巣は尚譲を平唐大将軍とし、蓋洪と費伝古をその副将とした。賊の兵士たちはみなザンバラ髪に錦の服を着ていた。大量に輜重を輸送したが、それは東都から京師まで一千里の道をとめどもなく続いた。金吾大将軍の張直方は群臣とともに賊を灞水のほとりに出迎えた。黄巣は黄金作りの輿に乗り、護衛兵はすべてを刺繍した袍と美しい幘(頭巾)をつけていた。黄巣の一味は銅製の輿に乗ってこれに従行した。およそ何十万という騎兵がその前後を行進した。京師を陥れて春明門より入城し、太極殿に升ると、数千の宮女が迎えて拝礼し、「黄王さま」とよんだ。黄巣は「ほとんど天の思召しのようだ」と喜んだ。黄巣は田令の邸宅に居を定めた。賊は貧民を見ると、銭や絹のきれを投げ与えた。尚譲はさっそく人民に向かって出たらめな告諭を行なった。「黄王はお前たちをあわれまなかった唐朝とはちがうのだ。おのおの何も恐がらず、安心しておるがよい」。しかしわずか数日にしてやはりひどい掠奪をやり出し、住民を縛ったり鞭打ったりして財貨をさがし求め、それを「淘物」といった。金持ちはみなはだしのままで追い出された。賊の首領たちは立派な邸宅を選んで住み、争って人の妻や娘を奪っては乱暴をはたらいた。官吏を捕えるとすべて斬り捨てた。家屋に放火する例は数え切れないほどで、帝室の一族や王侯は余す所なく殺した。 黄巣は太清宮で身を清め、日を占って含元殿において不とどきにも即位式を挙げ、国号を大斉と号した。衮冕を求めたが手に入らず、弋綈(厚いつむぎ)に模様を画いてその代わりとし、金石の楽器がないので、数百の太鼓を打ち、長剣大刀を列ねて儀衛とした。大赦令を発布し、元号を建てて金統とした。唐朝の官吏は三品以上の者は停任し、四品以下元通りとした。かくて自分で符命を述べたが、それは唐の年号の広明という文字からつぎのような文句を判したものであった。「廣の字は唐より丑と口を去って黄を著く。ゆえに黄が唐に取って代わるべきこと明らかなる証拠なり」。またいうには、「黄は土で、金の生みの親である。これはきっと天のみちびきにちがいない」と。その一味は黄巣に承天広運啓聖睿文宣武皇帝という尊号を上った。黄巣は妻の曹氏を皇后とし、尚譲・趙璋・崔璆・楊希古を宰相とした。鄭漢璋を御史中丞に、李儔・黄諤・尚儒を尚書に、方特を議大夫に、皮日休・沈雲翔・裴渥を翰林学士に、孟楷・蓋洪を尚書左右僕射兼軍容使に、費伝古を枢密使に、張直方を検校左僕射に、馬祥を右散騎常侍に、王璠を京兆尹に、許建・米実・劉瑭・朱温・張全・彭攢・李逵らを諸将軍・遊奕使にした。その他の者も順序にしたがって官爵を授けた。剽悍雄偉な者五百人をえらんで功臣と名づけ、林言をその使(責任者)とし、控鶴府になぞらえた。軍中に命令をくだして、むやみに人を殺すことを禁じ、武器をすべて官に差し出させた。しかしその部下はもともと盗賊なので、みな一向に服従しなかった。唐朝の官吏を召集したがやって来る者がないので、街中を大がかりに捜索した。豆盧瑑・崔沆らは永寧里の張直方の家に匿れていた。張直方という人物はもともと豪傑であったから、士人たちが多数かれに頼っていたのである。かれが亡命者をかくまっていることを賊に告げる者があり、黄巣はこれを襲ってその家を全滅させた。豆盧瑑・崔沆から高官の劉鄴・裴諗・趙濛・李溥・李湯に至るまで百人あまりの死者を出した。将作監の鄭綦、郎官の鄭係は一族を挙げて絞殺された。 この時、天子の乗輿は興元府に駐っていたが、詔を下して諸道の軍隊に京師の回復を早めるよう命じた。そして天子はとうとう成都に到着した。黄巣は朱温をやって鄧州を攻めさせ、これを陥れて荊襄方面を荒らした。また林言と尚譲に鳳翔に攻め入らせたが、鄭畋の部将の宋文通に破られ、前進できなくなった。そこで鄭を発して天下の兵を召集した。かくて詔を下して、涇原節度使の程宗楚を諸軍行営副都統とし、前朔方節度使の唐弘夫を行営司馬とした。かれらはしばしば賊を攻めて一万人もの首を斬った。邠寧の将の朱玫はいつわって賊将王玫のために兵を集めていたが、たちまち王玫を殺し、部隊をひきいて官軍に合流した。唐弘夫は進軍して渭水の北岸に駐屯し、河中の王重栄は沙苑に陣をかまえ、易定の王処存は渭橋に駐屯し、鄜延の李孝昌と夏州の拓跋思恭は武功を守った。唐弘夫は咸陽を抜き、渭水に筏を浮べて尚譲の軍を破り、勝に乗じて京師に入った。黄巣はひそかに脱出して石井まで行った。程宗楚は延秋門から入った。唐弘夫は城壁にとりついて駐屯した。都民はみんなで騒ぎ立てた。「官軍がやって来たぞ」。王処存は精兵五千をつかわし、白布で髪を束ねてお互いの目じるしとし、夜、入城して賊を殺した。都民が黄巣がすでに逃走したことを知らせたので、邠寧・涇原軍は争って首都に入ったが、諸軍は武装を解いて休息すると、これまたわれ先きに財貨・子女を掠奪した。市の無頼の少年たちもさかんに𩫹を作って、思いのままに盗みを働いた。 黄巣は郊外にひそんで城中を偵察させていたが、備えが弛むと見るや早速、孟楷に賊兵数百を率いて邠寧・涇原軍を襲わせた。都民はこれもやはり官軍だと思って歓呼して迎えた。その時官軍の兵士たちは珍しい財宝を運び切れないほど手に入れていたが、賊がやって来たと聞いて、しこたま背負いこんだので走ることができず、それでさんざん負けてしまったのであった。賊は唐弘夫をとらえて殺した。王処存は軍営に逃げこんだ。始め王璠は奉天を破り、兵数千を率いて唐弘夫に接敵し、諸将が敗れたときには一軍だけで戦い、大いに力戦したのであった。黄巣が再び京師に入ると、民衆が官軍を迎え入れたのを怒り、めちゃめちゃに斬って八万人を殺した。路の上を血が川のように流れ、「洗城」といわれた。諸軍は退却して武功を守った。このとき中和二年(882)二月であった。 その五月、昭義軍の高潯が華州を攻め、王重栄がこれに協力してここを攻略した。朱玫は涇原、岐(鳳翔)、鄜坊、夏綏銀の諸節度使の兵八万をひきいて興平に陣営をかまえた。黄巣もまた王璠をつかわして黒水に陣営をかまえた。朱玫は戦ったが勝つには至らなかった。鄭畋の部将の竇玫は夜、兵をひきいて都城の門を焼きはらい、巡邏兵を殺した。賊はおそれ慄いた。その時、畿内の民衆は山の中に柵をめぐらして自衛をはかったので耕作ができず、一斗(6L)の米が三十千銭(三十緡)にはね上った。樹皮をこまかく砕いて食ったり、柵の中の民をとらえて賊に売りつけ、賊はそれを食糧とすることさえあった。人ひとりで数十万銭になった。士人のなかには餅売りとなる者もあったが、こぞって河中に亡命した。李孝昌と拓跋思恭は移動して東渭橋に陣をかまえ、渭水北岸の塁を占領した。 数ヵ月して賊の首領の朱温と尚譲が渭水を渡って李孝昌らの軍を破った。高潯は賊の李詳を攻撃したが勝てず、賊は再び華州を取った。黄巣は即座に李詳に華州刺史を授け、朱温を同州刺史とした。賊はまた李孝昌を襲撃したので、李孝昌と拓跋思恭の両軍は撤退した。賊は陳敬瑄の兵を破り、終南山に逃走させた。斉克倹は興平に軍営をおき、賊に囲まれた。賊は河の堤防を切って水攻めにしたが、陥しいれることはできなかった。尚書省の入口に、賊は今にも亡びるだろうという誹謗の言葉を書きつけた者があり、尚譲は怒って官吏を殺し、すぐ目をくり抜いてさらしものにした。郎官や門の衛卒およそ数千人が誅された。百官は逃げ出して誰もいなくなった。 天子はあらためて王鐸を諸道行営都統とし、崔安潜を副都統、周岌・王重栄を都統左右司馬、諸葛爽・康実を左右先鋒、平師儒を後軍とした。時溥を督漕賦、王処存・李孝昌・拓跋思恭を京畿都統とし、王処存は左翼に当たり、李孝昌は北部に任じ、拓跋思恭は右翼に当たった。西門思恭は王鐸の都監となり、楊復光は行営を監し、中書舎人の盧胤征を克復制置副使とした。ここにおいて王鐸は山南・剣南の軍をひきいて霊感祠に陣取り、朱玫は岐(鳳翔)、夏綏銀の軍をひきいて興平に陣取り、王重栄と王処存は渭水の北に陣取り、楊復光は寿滄荊南の軍をひきい、周岌と合流して武功に陣取り、李孝昌は拓跋思恭と合流して渭橋に陣取り、程宗楚は京師の西方に陣取った。 朱温は兵三千をひきい、丹州・延州の南辺を荒らしまわって同州に攻めこんだ。刺史の米逢は出奔し、朱温は州を占拠してここを守った。六月、尚譲は河中に攻め入り、朱温に四関を攻めさせた。諸葛爽を打ち負かし、王重栄の数千騎を黄河のほとりで破った。諸葛爽は関所を閉じて、出戦しようとしなかった。尚譲はついに郃陽を抜き宜君塁を攻めた。一尺を越える大雪で兵士の三割が死んだ。七月、賊は鳳翔を攻め、節度使の李昌言を澇水で破った。また精鋭をつかわして武功・槐里を攻めた。涇原・邠寧の兵は退却したが、鳳翔の兵だけは堅固に守った。拓跋思恭は精兵一万八千をひきいて難に赴いたが、ぐずぐずとして進まなかった。河中の食糧を積んだ舟が三十艘、夏陽を通過しているとき、朱温が兵をやって舟を奪わせた。王重栄は兵士三万をひきいてこれを救った。朱温はおそれてその舟に穴を空けて沈めてしまった。王重栄の兵はついに朱温を包囲し、朱温は幾度となく追いつめられた。また黄巣の勢力が縮小して今にも敗北しようとするありさまであり、そのうえ孟楷が目下国政を専断していて、朱温が援兵を乞うても孟楷はそれを押えて返答しない状況を考え、朱温は突如として賊の大将の馬恭を斬って王重栄にくだった。帝は拓跋思恭の任務を進めて、京四面都統とし、朱玫に勅を下して馬嵬に駐軍させた。朱温が降ると、王重栄はかれを手厚く待遇した。そこで賊将の李詳もよしみを通じて来たが、賊はこのことを覚って李詳を赤水で斬り、その代わりに、黄巣の弟の黄思鄴を華州刺史とした。 十月、王鐸は興平の西から馬嵬に至るまで濠をさらえ、部将の薛韜にそれを管理させた。馬嵬・武功から斜谷に入って盩厔に通じる間には十四の駐屯部隊を列置し、部将の梁璩にこれを統べさせた。また沮水・七盤・三渓・木皮嶺に関所を置いて、秦隴方面との間を遮断した。左行営都統の東方逵が賊の猛将の李公迪を捕虜にし、三十のとりでを打ち破った。華州の兵士が黄思鄴を追放した。黄巣は王遇を刺史としたが、王遇は河中に降った。 明年正月、王鐸は雁門節度使の李克用をつかわして賊を渭水の南に破った。承制によって李克用を東北行営都統に任命した。たまたま王鐸と崔安潜はどちらも免官となったので、李克用だけが部隊を率いて嵐州・石州から夏陽に出て沙苑に駐屯し、黄揆の軍を破ってついに乾阬に陣を置いた。二月、河中・易定・忠武などの軍と合流して黄巣を攻撃した。黄巣は王璠・林言の軍に命じて左翼を守らせ、趙璋・尚譲の軍に右翼を守らせた。兵力およそ十万、官軍と梁田陂ではげしく戦ったが、賊は敗れ、数万人が捕虜となった。死屍が三十里にわたって横たわり、官軍はそれを収用して京観を作った。王璠と黄揆は華州を襲ってここを占拠した。王遇は逃走した。李克用は州城のまわりに濠を掘り、騎兵を割いて渭水の北岸に駐屯させ、薛志勤と康君立に命じて京師を夜襲させた。薛志勤らは倉庫に火をつけ、賊を捕虜にして帰ってきた。 黄巣は戦ってしばしば利あらず、兵糧もつきた。部下は命令に従わず、ひそかに逃亡の計画を抱いた。そこで黄巣は兵三万を発して藍田方面のルートを押え、尚譲に華州を応援させた。李克用は王重栄を率いて零口に迎え討ち、とうとう華州の州城を陥れた。黄揆は部下を率いて城を脱走した。涇原節度使の張鈞は吐谷渾を説得して、協力して賊を討つことを誓いあった。この時、諸鎮の兵が四方からやって来た。四月、李克用は部将の楊守宗をつかわし、河中の将の白志遷、忠武の将の龐従らを率いて、一番先頭に立って進み、賊を渭橋で攻撃させた。三戦して賊は三たび敗北した。そこで各節度使の兵もみな奮い立ち、後れをとる者もなく、光泰門から突入した。李克用は率先して決戦をいどみ、ときの声が天をどよもした。賊は崩れ立った。逃げるのを望春宮まで追い、昇陽殿の門内に入った。黄巣は夜中に遁走したが、兵力はなお十五万あり、徐州に赴くと宣言して、藍田を出て商山に入った。軍需品や珍貨を道に棄てたので、諸軍はわれ先きにとそれを拾い、それ以上追撃することをやめた。そこで賊は部隊を整えて撤退することができたのである。 安禄山が長安を陥れてからも、宮殿は完成された壮大なすがたを保っていた。吐蕃に焼き払われたのは、市街の民家だけであった。朱泚の乱が平定されてから百年余りの間に壮麗に修復されて、開元年間(713-741)同様になった。黄巣が敗退するに及んで、藩鎮の兵が入れかわり立ちかわり入ってきて掠奪を働き、大内に火をつけた。含元殿だけが焼け残った。火の及ばなかったのは、西内・南内および光啓宮だけであった。楊復光は四川の行在に勝利を報告した。帝は陳許・延州・鳳翔・博野の諸軍に詔して東西神策軍二万人を京師に駐屯させ、大明宮留守の王徽に命じて諸門を警護し居民を安定させた。尚書右僕射の裴璩に詔して、宮殿役所を修復し、輦輅(天子の乗輿)・仗衛(儀仗)・旧章(旗じるし)・秘籍を買い求めさせた。黄巣を破るのに預った者は、神策将横衝軍使の楊守亮、躡雲都将の高周彝、忠順都将の胡真、天徳将の顧彦朗ら七十人であった。 黄巣は東方に向かうと、孟楷に蔡州を攻撃させた。節度使の秦宗権はこれを迎え討ったが大敗し、たちまち賊に臣従して連合した。孟楷は陳州を攻撃して敗死した。黄巣はみずから陳州を囲み、鄧州・許州・孟州・洛州の諸州を取り、東進して徐州・兗州など数十州に攻め入った。人民はひどい飢餓に襲われ、城壁や塹壕にもたれたまま死んでいった。賊は人をとらえては食った。それが一日数千人に及び、大きな石礁を百個も並べて、骨や皮を臼で砕き、丸ごとこれをくらった。この時、朱全忠は宣武軍節度使となり、周岌や時溥と部隊をひきいて陳州の趙犫を救援したが、さらに太原の李克用に兵を求めた。黄巣は秦宗権をつかわして許州を攻撃させたが、勝つには至らなかった。そうした時に、食糧は尽き、木の皮、草の根までもみな無くなった。 四年二月、李克用が山西の兵を率いて、陜州より黄河を渡って東に向かった。たまたま関東の諸藩鎮は汝州に陣取っていたが、朱全忠は賊を瓦子堡に攻撃して、一万余の首を斬った。諸軍は太康で尚譲を破り、これも一万の首級を上げ、何万という武器・甲冑・馬・羊を鹵獲した。また西華において黄鄴を破った。黄鄴は夜、遁走した。黄巣は大いに恐れた。三日すると、軍の内部が動揺して、とりでを放棄して逃走した。黄巣は退却して故陽里に軍営を設けた。その五月、大雨が降り雷電がとどろいた。川も谷川も膨張し、賊のとりでは全部崩潰し、軍隊も解体してしまった。黄巣は陣を解いて去った。朱全忠は進軍して尉氏を守り、李克用は黄巣を追撃した。朱全忠は汴州に引き揚げた。 黄巣は尉氏を取り、中牟を攻めた。部隊が河の中ほどまで渡ったとき、李克用がこれを攻撃した。賊は大部分溺死した。黄巣は生き残りの兵をひいて封丘に逃げた。李克用は追撃してこれを破り、再び鄭州に陣をかまえた。黄巣は汴河を渡って北へ退却したが、夜再び大雨となり、賊はうろたえて混乱に陥った。李克用はこれを聞いていきなり黄巣を河のほとりで襲撃した。黄巣は河を渡って汴州を攻めた。朱全忠はこれを防守し、李克用が救援して、賊の暁将の李周・楊景彪らを斬った。黄巣は夜中に胙城に逃げ、冤句に入った。李克用は軍を挙げて追い迫った。賊将の李讜・楊能・霍存・葛従周・張帰霸・張帰厚は朱全忠のもとに赴いて降った。また尚譲は一万人をひきいて時溥に帰順した。黄巣はますます疑い深く怒り易くなり、しばしば主だった部将を殺した。兵をひきいて兗州に逃走したが、李克用は追跡して曹州までやってきた。黄巣兄弟は防戦したが勝てず、兗州と鄆州の境界地方に逃げこんだ。李克用は男女牛馬一万余り、乗物・器物・衣服等を鹵獲し、黄巣の愛子をとりこにした。李克用の部隊は昼夜兼行で急いだが、食糧がつきたので、黄巣をとらえることができず、やむなく引き返した。黄巣はわずか一千人の勢力で太山に逃げこんで立てこもった。 六月、時溥が部将の陳景瑜と尚譲を派遣して追わせ、狼虎谷で戦った。黄巣はもはやどうすることもできなくなって、林言にいった。「わしは国家の奸臣を討って朝廷を洗い清めようとおもったが、一旦成功して退かなかったのが、そもそも間違いであった。お前はわしの首を取って天子に献上せよ。そしたら富貴が得られよう。この機会を他人に取られるのでないぞ」。林言は、黄巣が死に就くために出てくると、どうしても討つに忍びなかった。黄巣はやむなく自分の手で首を刎ねたが、首が胴体からなかなか離れないので、林言が斬った。その他兄の存、弟の黄鄴・黄揆・黄欽・黄秉・黄万通・黄思厚およびその妻子たちもいっしょに殺して、その首をすべて箱に入れ、それをもって時溥のところに行こうとした。しかし太原・博野の軍が林言を殺し、黄巣の首といっしょに時溥に上呈した。時溥はそれを行在に献上し、天子は詔してこれを帝廟に捧げさせた。徐州の下役人の李師悦が黄巣の使ったにせの節と印璽を手に入れて献上し、湖州刺史に任命された。 黄巣の従子の黄浩は、七千の勢力で江湖の間を略奪してまわって、浪蕩軍と自称した。天復年間(901-904)初頭、湖南に拠ろうと考えて瀏陽を陥れた。殺したり掠めたりした人間はおびただしい数に上ったが、湘陰の豪族の鄧進思が壮士をひきいて山中にかくれ、黄浩を撃って殺した。 賛にいわく、広明元年(880)、黄巣が京師をぬすみ取ったとき、黄巣はわれから言い立てたものである。「廣の字は唐から丑と口を取り去って黄を著ける。ゆえに廣明とは黄が唐にとって代わることの明らかな証拠だ」と。ああ、何という世を惑わす言葉であろう。その後黄巣が死ぬと、秦宗権が勢力を拡張し始め、動乱はつぎからつぎへとつらなって天下にひろがり、朱温がとうとう唐朝の神器をぬすんで政権をわがものにしたのであるが、これらは大方みな黄巣の一味である。天がこれらの連中に託して唐朝の滅亡を天下に告知したのであろうか! 秦宗権は、蔡州上蔡の人で、許州の牙将となった。黄巣が淮河をわたると、節度使の薛能は秦宗権を派遣して兵を淮西で募集したが、許州で軍乱がおき、薛能は殺害された。秦宗権は外に出ている時に軍乱の発生を聞き、赴いて刺史を追放しようとし、蔡州を根拠地として叛いた。周岌が薛能に代わって節度使を掌握すると、そこで秦宗権に蔡州を授けて、兵一万人を有させた。そこで将を派遣して諸軍を従わせて黄巣賊を汝州で破った。楊復光はこれを朝廷に報告し、防禦使に抜擢し、その軍を奉国軍とし、本軍節度使とし、検校司空に昇進した。 黄巣が敗走して関中から出ると、秦宗権は同盟を結び、遂に陳州を包囲して、防壁を立てて互いに望見し、梁・宋の間を騒がせた。黄巣が死ぬと、秦宗権の勢力は強くなり、亡命者を呼び集め、四海を呑み込んでしまおうという思いがあった。そこで弟の秦宗言を派遣して荊南に侵攻した。秦誥は山南に出て、襄州を攻撃して陥落させ、進撃して東都(洛陽)を占領し、陝州を包囲した。秦彦に淮州・肥州を、秦賢に江南を攻略させ、秦宗衡に岳州・鄂州を蹂躙させた。賊の親玉は剽悍で惨忍な者を率いて、行くところの老人や子供を殺し、家々を焼き、城府は荒野と化した。関中より青州・斉州に迫り、南は荊州・郢州をめぐり、北は衛州・滑州にあって、皆脅えて隠れたから、千里にいたるまで家々から煙がなかった。ただ趙犫が陳州を、朱全忠が汴州を保持して、僅かに自ら保全するだけであった。しかし覇王のような計略などなく、ただ戦乱をたのみとしたから、兵は出撃しても補給がなく、村々を指さして、「あそこの人を食って我が軍に食べさせよう」と言っていた。官軍が追跡すると、食用に塩漬けされた死体が入った車数十台を鹵獲した。 僖宗は朱全忠を行営都統に任命して賊を討伐させた。秦賢は宋州および曹州を攻略したから、朱全忠は書簡を送って和平を約束した。秦賢は張調を派遣して地を分け、汴河より以南は蔡に帰属させることを提案し、朱全忠は内心では許諾していたが、秦賢が兵を率いて汴河を渡り、ほしいままに放火・略奪を行い、一つとして余すことがなかった。朱全忠は大いに怒り、張調を斬って死体を送り返し、「我が十将を出せば、必ずやこの賊を破るだろう」と進撃して賊と戦い、大勢を殺したり捕虜とした。秦宗権は許州を猛攻したたため、節度使の鹿晏弘は援軍を朱全忠に要請したが、軍が出発して到着する以前に、すでに鹿晏弘は破られ、鄭州に進攻して奪取した。河橋を攻撃してきたから、遂に河陽を守ることとなり、兵を放って汴州の西部・北部のあたりを侵攻した。 朱全忠は酸棗県に立て籠もり、戦ったが勝てなかった。秦宗権は周囲の村々に駐屯し、秦賢に双丘に駐屯させ、板橋に進攻した。盧瑭は兵を率いて万勝に駐屯し、汴を挟んで城柵とし、橋をつくって軍を渡らせた。朱全忠は奇襲して盧瑭を殺したが、それでも宗権は全軍十五万で三十六の屯営を列べ、汴州に迫った。朱全忠は恐れ、救援を兗鄆(天平軍節度使朱宣)に求め、朱瑾・朱宣は自ら軍を率いて同じく賊を防いだ。五月、朱全忠は城を閉ざして大いに宴会し、鼓の音は郊外まで聞こえたが、声は聞こえなかった。密かに北門を開いて賊の砦を攻撃し、兵士は騒動となり、中営に逃げ、そこを兗鄆の軍は兵を整えて挟撃したから、大いに破った。秦宗権は怒り、鄭州を通過すると、城郭や家に放火し、民は逃げて淮西に入り、朱全忠は鄭州・許州・河陽・東都(洛陽)をその手中に納めた。 ここに諸鎮の兵を合わせて上蔡に集結し、五軍に分けてその地に侵入した。秦宗権は孫儒を召集したが、孫儒は応じなかった。秦宗権は当初より上蔡を守って防備の要としていたが、朱全忠はその守りを抜いたから、遂に蔡州を包囲し、城に沿って防塁を築き、弱兵で賊を誘い出し、賊は出て戦ったが、朱全忠はことごとく斬った。秦宗権は退いて中州を守ろうとしたが、中州に到る前に朱全忠は大将の胡元琮に包囲させ、朱全忠自身は汴州に帰還した。秦宗権は許州が防備されていない隙を伺って、襲撃してその州を奪取して、守将の胡元琮を捕虜とし、兵を引き返して再び許州を恢復した。 秦宗権が帰還すると、寵将の申叢によって捕らえられて片足を折られた。申叢は指図を待ち、朱全忠は申叢を節度留後としたが、申叢は内心後悔し、秦宗権の一族を皆殺しにした。秦宗権が汴州に到着すると、朱全忠は礼をもって迎えた。そして、「公は昔、許州を陥落させたとき、もし、よく兵を納めて盟を賜い、力をつくして勤王に励まれたなら、どうして今日のようなことになったでしょうか」と言うと、秦宗権は、「英雄は並び立たず、天は僕を滅ぼして公を助けたのです」と奢って言い、恐れは顔色に出なかった。朱全忠は檻車を京師に送り、両神策兵が護送した。昭宗は延喜楼に御して捕虜を受け取り、京兆尹は檻車を曳かせるのは甲兵にさせ、両市で晒し者にした。首を延ばして檻車の外を見て、「この宗権をどうして謀叛人というのか。ただ忠義を行ったのに評価されなかっただけだ」と叫んだが、見ていた者は大笑するだけであった。妻の趙氏とともに独柳の下で斬られた。秦宗権は中和三年(883)に叛いてから、六年で誅殺された。 董昌は、杭州臨安の人である。始め土団軍(民間防衛隊)に籍を置き、軍功によって石鏡鎮の将となった。中和三年(883)、杭州刺史の路審中が任地に赴任してくるのを、董昌は兵を率いて防いで入らせず、そこで自ら杭州を司った。鎮海節度使の周宝は制御することができず、そこで上表して刺史とした。董昌はすでに劉漢宏を破り、兵力はますます強くなり、義勝軍節度使・検校尚書右僕射に昇進した。僖宗が京師に帰還すると、董昌は越の民の裴氏の蔵書を奪って献上し、秘書の亡失を補ったから、兼諸道採訪図籍使を授けられた。 それより以前、統治は清廉かつ公平で、人は非常に安心した。この当時、天下の貢輸は朝廷に入らず、ただ董昌だけは他の献納より常に三倍多く、十日に一度献納の派遣をし、五百人を率い、人に一刀を給付したから、後に誅殺すべき時になっても、朝廷はその貢納を頼っていた。そのため累進して検校太尉・同中書門下平章事(宰相)を拝命し、爵位は隴西郡王となった。詔書を見終わると、詔書に一字あるごとに一縑の絹を帰還する使節に贈った。しかし性格は心が狭く意にそぐわなくなり、次第に傲慢となり、神の託宣があったと群衆を欺いた。はじめ生祠を建て、香木を刳り貫いて身体とし、内に金玉紈素で内臓をつくり、冕服を着せて座らせ、妻媵氏も別帳に侍り、百人の倡優にその前で演奏させ、部下の兵を列べて門前を守らせた。属州に土馬を造らせて祠下に献じさせ、神饌を列べて祈請し、ある者は土馬が嘶いたり汗をかいたようだと詐称し、皆、褒賞を受けた。董昌は自ら「供饗があれば、私は必ず酔うのだ」と言った。蝗が祠の傍らに集まると、人に捕えさせて鏡湖に沈めさせ、「災いとはならなかった」と告げた。客人が、「以前に呉隠之の祠に参詣したら一つの偶像に止められた」と言ったが、董昌は聞いて、「私は呉隠之の比ではない」と怒り、客を祠の前で支解(四股を断つ)にした。 それより以前、塩の専売を止めて人を喜ばせ、衣食が豊かになったが、後にだんだん苛法となり、笞刑は千百回となり、ある者は小さな過失でたちまち一族を殺され、血は刑場に流れ、地はそのために赤くなった。五千あまりの姓が族滅にあたり、董昌は、「よく私に孝行すれば、死を免れる」と言ったから、全員が「わかりました」と言った。董昌は厚くこれを養い、「感恩都」と称し、その臂に刻んで誓いとし、親族は号泣して別れた。およそ民事の訟えは、獄に下されることはなく、ただ賽子(さいころ)を投げて、勝たなかった者は死んだ。人を用いるのにもまた賽子で勝者を採用した。 董昌は隴西郡王に封じられると、舌打ちして、「朝廷は私が担っているが、私が金帛を奉っても贖うことはなく、どうして王号を越えることを惜しんで私に与えないのか。私はまさに自らこれを取るべきだ」と言い、部下はその暴虐を嫌がったから、そこで帝となることを勧めた。近県は騒がしく叫んで請い、董昌は命令して、「時が至れば、我はまさに天に応じて人を従わせるだろう」と言い、その部下の呉繇・秦昌裕・盧勤・朱瓚・董庠・李暢・薛遼と妖人の応智・王温、巫の韓媼は皆賛成した。董昌は増援を四県の城に送って自ら防いだ。山陰の老人が偽って、「天子の名を知らんと欲せば、日従って日上れば生ぜん」という謡を献上すると董昌は喜び、百匹の縑を賜い、納税を免除した。方士の朱思遠に命じて壇を築いて天を祀らせ、偽って天符が夜に降り、碧色の紙で朱の文で、文意を知ることができないと言った。董昌は、「讖に「兎、金牀に上る」とあるが、私は卯に産まれ、来年の干支、二月朔日の翌日は、すべて卯である。私はその時を以てまさに即位しよう」と言い、客人の倪徳儒は、「咸通年間(860-874)の末に、越中の秘記に、「羅(あみ)あって鳥を平らげ、越の禍福を主る」とありました。すると中和年間(881-885)に、鳥が呉・越で発見されました。その鳥は四つ眼の三つ足で、「羅平天冊」と鳴いており、民は祀って難を祓いました。今大王の署名は、文と鳥の類です」と言い、そこで図讖を昌に示すと、董昌は大いに喜んだ。 乾寧二年(895)、偽帝の位に即位し、国号を大越羅平とし、天冊と建元し、自らを「聖人」と称し、一方が四寸の銀印を鋳造し、印文は「順天治国之印」とした。また平民が出して奉ってきた銅鉛石印十牀および鳥・獣・亀・蛇を宮廷に陳列し、これを指さして「天瑞」といった。制詔を下す際には、すべて自ら署名した。ある者が帝王は詔に書判しないと言うと、董昌は、「親署しなければ、どうして私が天子であることを知ることができるのか」と言い、そこで南門に榜示して「天冊楼」とした。これより以前、杭州の寝殿で夜中に赤光があり、長さ十丈(3m)あまりであった。虺(まむし)の長さ一尺(30cm)あまりで、金色のものが思道亭で発見された。昌は寝殿を明光殿と名付け、亭を黄龍殿とした。自身を神とし、百官を配置し、軍と官属を監督して皆西北(長安)に向かって慟哭させ、そこで北面して董昌の臣とした。ある者は近侍に任命されることを願ったが、董昌は、「私は仮にこの位にいるのであって、どうして宮中・朝廷のようにできようか」と言い、許さなかった。書簡を属州に下して、「某日を以て仮に即位したが、董昌は天子の恩を荷なっており、死んでも敢えて国に背かない」と述べた。 それより以前、官属で董昌の命令に従わない者は、節度副使の黄碣・山陰令の張遜で、皆誅殺されて死んだ。鎮海節度使の銭鏐は書簡を送って昌を責めて、「府を開いて節度を領することは、一生富貴をもたらすが、それを守ることができず、城を閉ざして天子になるなど、親族を滅ぼすようなものだ。また何を頼るというのか。願わくば王よ、謀を改められよ」と述べたが、昌は聞かなかった。銭鏐は全兵力三万で攻撃し、城を臨んで再拝して、「大王よ。位は将相におよびながら、臣となっていません。過ちを改めることができれば、説得して諸軍を引き返しましょう」と述べると董昌は恐れ、銭鏐に銭二百万緡を献じて軍をねぎらい、応智・王温・韓媼・呉繇・秦昌裕を捕らえて銭鏐に送還し、そこで罪状の判断を待った。銭鏐はそこで帰還し、朝廷に上表したが、董昌は赦すべきではないとされたから、再び討伐となり、城に沿って防塁を築いた。董昌はまた朱思遠・王守真・盧勤を捕らえて銭鏐の軍に送って許しを求めた。昭宗は宦官の李重密を派遣して軍を労い、董昌の官爵を除き、銭鏐に浙東道招討使を授けた。董昌はそこで淮南の楊行密に救援を求め、楊行密は将軍の台濛を派遣して蘇州を包囲させ、安仁義・田頵に杭州を攻撃させて董昌を救おうとした。銭鏐の将軍の顧全武等はしばしば董昌の軍を破り、董昌の将が多く降伏したため、遂に進撃して越州を包囲した。 側近が城外の敵軍が強いと言うと、たちまち斬って晒し者とした。欺いて銭鏐の兵が疲れていると言った者は皆褒賞を得た。董昌は自ら五雲門で閲兵し、金帛を出して銭鏐の軍をたぶらかそうとした。顧全武等はますます発奮し、董昌の軍は大いに潰滅し、逃れ帰り、偽帝号を取り去って、「越人が私に勧めたから天子となったが、もとより益なく、今また節度使に戻る」と言った。顧全武は四方より攻撃したが陥落させる前に、台濛が蘇州を奪い、銭鏐は顧全武を召還した。顧全武は、「賊の根本は甌越の地にあります。今一州を失ったからといって賊への攻撃を緩めてはなりません」と言い、攻撃をますます激しくした。城中は戸口ごとに税金を取り、高貴な女性であっても全員、軍の輸送に従事した。董昌の従子の董真は兵士の心を掴んだが、董昌は讒言を信じて殺してしまったから、軍は始めて命令を聞かなかった。また兵糧が減ったが外軍を労おうとしたから、兵卒はいよいよ怨み、叛いて董昌を攻め、董昌は子城を保つだけであった。銭鏐の将の駱団が入見して、偽って、「詔を奉って公を迎えて臨安に住まわせます」と言い、董昌はこれを信じたが、顧全武は董昌を捕らえて送還し、西江で斬り、死体を江に投じ、首は京師に伝え、その一族を皆殺しにした。ここに偽大臣の李邈・蒋瓖ら百人あまりを斬り、董昌が生前につくった墓をあばいて放火した。董昌が敗れると、なお兵糧は三百万斛が積まれ、金幣はおよそ五百帑あまりあったが、兵は一万人にも及ばなかった。銭鏐は遂に鎮海・鎮東両軍節度使となったという。 賛にいわく、唐が亡んだのは、諸群盗が皆大中年間(846-859)に発生し、太宗の遺徳の余沢は民より去ってまた久しかったからである。賢臣は退けられて死に、愚か者が位にあり、税金や刑罰が重かったから、天下は憂い苦んだ。まさにこの時に、天命はまさに唐から去ろうとし、諸盗が並び出て、五姓(五代)を経て、兵は未だかつて任務から解き放たれることは少なく、宋の時代になってから天下が再び安んじたのである。漢が滅亡するや天下は大乱となり、晋の時代になってからやや安定したのである。晋が滅亡するや天下は大乱となり、唐の時代になって再び安んじたのである。治まっていることが少なく、戦乱が多いのは、古今の趨勢であるが、盛時の有徳の帝王が恐る恐る治世を求めたということは、少しもゆるがせにしてはならないのだ。 前巻 『新唐書』 次巻 巻二百二十五中 列伝第一百五十中 『新唐書』巻二百二十五下 列伝第一百五十下 進唐書表
https://w.atwiki.jp/kito-bengoshi/pages/16.html
llus Anthracis,天然痘,生物兵器,化学兵器,サリン,sarin,アフガニスタン,Afghanistan,タリバン,Muhammad Omar,オマル,オマル氏,the Taliban, Osama bin Laden,ウサマ,ビンラディン,ウサマビンラディン,オサマビンラディン,ラーディン,アルカイダ,Pakistan,パキスタン,ワールドトレードセンター,世界貿易センター,ペンタゴン,国防総省,ワシントン,ニューヨーク,同時多発テロ,米同時多発テロ,湾岸戦争,テロ,ハイジャック, エシュロン,ECHELON,サイバーテロ,テロリズム,Cyber tero,イスラム原理主義,イスラム過激派, 以下駆込寺被害防止のための同一キーワード, 復讐,復讐屋,復讐代行,復讐請負,復讐業者,復讐稼業,仕返し屋,仕返し代行,リベンジ, 嫌がらせ,嫌がらせ屋,嫌がらせ代行,嫌がらせ業務,妨害,妨害屋, 妨害業務,妨害代行,取立て,取立て屋,取立て業者,切り取り, 切り取り業者,切取り屋,債権回収,債権回収業者,債権取立て,臓器売買,人身売買,追込み,追込み業者,恨み晴らし屋, 拉致監禁屋, 隠蔽工作,裏アリバイ工作,アリバイ屋,裏便利屋,裏何でも屋,裏ゴト師,裏社会,裏情報,闇稼業,闇社会,黒社会,密売組織, 完全殺人計画,完全殺害計画,完全犯罪, 地下に潜る,ヒットマン,暗殺者,殺し屋,殺し引き受けます,殺し屋稼業, 裏の稼業人, 暗殺者,刺客,快楽殺人,怨念殺人,怨恨痴情殺人,通り魔殺人,地獄の殺人メニュー,殺人料金表,凶悪犯罪者,極悪,卑劣,非道, 冷酷犯罪者,非合法裏組織, 犯罪組織,死体処理,死体埋める,死体解剖,死体溶かす,バラバラ死体,死体運搬,裏街道,凶暴, 粗暴,凶器,狂人,リンチ,極悪非道,必殺,破壊屋,ゴロツキ,喧嘩屋,ストリートファイト, 殺傷事件,発砲事件,暴力団,暴力犯罪,射殺,刺殺,撲殺,絞殺,轢殺,自動車破壊法,郵便爆弾,塩素酸カリウム,砂糖焼夷剤,濃硫酸,濃硝酸,硫酸,硝酸,導火線, 発火装置, 爆弾製造方法,爆発物,爆弾,爆音,争い,怨嗟,凶器,狂気,気違い,精神病,精神病院,精神錯乱,覚醒剤常習者,覚醒剤売人,覚せい剤売人,シャブ売人,暴力団事務所所在地,指定暴力団一覧,広域指定暴力団組広域指定暴力団組織一覧表,極道資料, 組員構成員一覧表.やくざ組織一覧,ヤクザ組織一覧,任侠組織一覧,侠客,任侠道, 任侠道,貸元,代貸,総長,総裁,代紋,エンブレム,金看板,金筋,プラチナ, 住吉会,住吉一家,幸平一家,加藤連合,木本組,飯塚組,小坂総業,義勇会,侠英会,安藤組,丸英興業,炭井会,英虎組,堺組,山龍組,土屋組, 西心会,大崎興業,幸友会,池袋五十嵐小倉組,大昇会,矢野睦会,細田組,山本組,向後睦会,醍醐組,福島組,具足組,加藤組,城西企業,武尾組, 土支田一家,青田会,長久保興業,浅草鼈甲家一家,大日本興行,六本木松戸組,村田組,神明大場一家,安田組,花田会,二代目安藤組,神崎組, 久保田組,山城組,小林会,直井組,石井会,川鈴木組,沼澤会,森組,小林会,本所睦,同人会,稲葉興業会,柿本組,鶴川五代目,深川江島五代目, 武蔵屋十代目,日野六代目,阿形事務所,福生事務所,並木六代目,本所睦,村田会二代目,鶴川五代目,三代目中村会,同人会田中二代目, 塩沢睦会,深川江島五代目,柿本組,鈴木組,川鈴木組,西井会,三代目小西会,牧友睦,稲葉興業会,滝野川八代目,浅草高橋組,共和六代目,濱中四代目, 神田米市小林組,日暮里総業,南千住,馬橋六代目,新宿児島組,柏仁総業,津羽組,秀六総業,家根弥八代目,音羽一家,光京睦会,丸唐会,親和会, 西海家,藤川会三代目,西方一家,小岩石川睦,大和屋六代目,領家鹿浜,松浦睦会,関睦会, 稲川会,横須賀一家,井ノ上組,吉田総業,今村組,菅原組,相島興業,沖田組,田辺組,平組,佐々木組,蔵元組,菱山組,木島組,奥州阿部組, 碑文谷一家,西山組,熊谷組,豊川組,渡辺組,徳持組,遠藤組,青山組,高野組,高島組,武田組,森川一家,千住一家,佃政一家,綿貫組,宇津木組,入船総業, 鈴木組,山川一家,鶴川組,山清組,小沼組,内堀組,泉組,諏訪組,玉村興業,菅組,岡本組,高島組,高橋組,池田組,土屋組,山田組,金本組,遠藤組,広石興業, 京葉七熊一家,中山興業,大山組,近藤組,木川組,入山興業,秋田組,吉原組,三本杉一家,國近組,村野組,中谷組,新井総業,二代目中村組, 一ノ瀬一家,小松組,昭優商事,佐藤組,紺野組,新井組,佐藤組,広沢組,渋組,渋商事,荒木組,浅田組,岩本組,金城組,早川組,浜村組,長嶋組,渡辺組,東谷組, 森田一家,馬場組,池田組,林一家,宇佐美組,丸喜興業,北嶋組,金原興業,松尾組,宮川総業,林組,杉浦一家,砥川組,貞方組,岡崎組,鈴木組,西原組,大野一家,沖組, 堀井一家,松本組,本郷組,堂道組,谷中組,大塚組,勇組,金子組,赤羽組,藤間組,後藤組,相州谷中組,茅ヶ崎総本部,熊沢事務所,辻堂今井支部,寒川浜田支部, 用田北部総業,鎌倉渋谷組,大船皆川組,糸井組,保田組,吉鶴組,紘城一家,振原組,島村組,岩澤組,仙波組,湯河原山田組,大宗組,長坂組,三日月一家,小西総業, 箱屋一家,藤浪組,京葉七熊一家,大草一家,加藤組,中村一家,中村興業,永島総業,中村組,長谷川組,鈴木組,吉原一家,秋田組,泉庄司組,実籾一家,藤栄組, 小龍会,尾島組,いず川組,上州田中一家,田中一家鈴木組,三代目高田組,加藤組,尾嶋組,木村組,相ノ川一家,和田興業,岡野組,高田組,八木田一家,岩崎組. 工藤組,小谷野組,上州共和一家秋山組,小田組,宮一組,箱屋一家,木下事務所,山川一家,山清組,小沼組,高橋組,越路家一家,谷川組,石田組,田中組,荒木組, 丈慈組,坂本組,柴田組,藤原組,亀山総業,岩崎組,松本組,阿部組,木暮一家,川口組,富澤一家,裕統一家,小林組,己勝組,寺山組,工藤組,工藤総業,勝道組, 対馬組,文道組,幸坂組,藤昭組,斎藤組,佐々兼組,紘城一家,加藤興業,稲秋一家,金森組文屋組,川村組,渡邊組,小沼組,伊藤組,紘龍一家,巽一家,小林組, 栗林組,中内組,二代目関口,五十嵐組,須戸組,籠味組,四代目柄澤,柴田一家,山梨一家,稲信地区小林組,中島組三代目合道組長野支部,山梨一家,保阪組, 佐野組,佐野興業,朝倉組,竜王総業,雨宮組,久保田組,清水組,四代目山本屋,功刀組,手塚組,五味興業,中島一家,秀友興業,中西組,浅清組,唯心組,小松組, 山田興業,光永組,金澤組,岡崎組,丸田組,結城組,伊達興業,溜淵組,山本組,西本組,山成組,安東組,川崎組,沢村組,岸本組,古賀興業,渡辺企画,協進連合, 廣辻組,秀友興業,中島一門内辻組,内宮田組,中島組中島企画,石山組,奥田組,合道組,菊池組,神野組,長屋組,坂本組,藤原組,米田組,福島組,皆越組, 田中組,廣辻組,原田一家,一真興業,森田一家,木村組,須藤組,小林組,馬場組,坂井組,深沢興業,森谷組,山田興業,高田組,島田企画,熊沢組,大場一家, 東組,山本組泰友興業,聖裕一家森下組,千住一家,山本組,後藤組,井上総業,仲新田一家,吉原組,近藤組,八王子一家,杉浦一家,文屋組,越路家一家, 大野一家,京浜小金井一家,山梨一家,上州共和一家,聖裕一家,木暮一家,富澤一家,越路家一家,大場一家,五代目実籾一家,鉄心一家, 極東会,真誠会,桜成会,松山連合会,高橋総業,関口会,関口一家,仲連合会,藤興業,小平興業,極東桜井総家連合会,古庄一家,桜成会,吉岡組,屋代組, 山田組,京矢組,棚本組,昌栄会,滝沢組,登喜和屋一家,飯村組,宮本組,吉岡組,新田組,菊地組,佐藤組,安藤組,安東組,浅野組,米澤二代目貴田組,曽根組, 細川組,谷組,長谷川組,森組,林田組,吉川組,金澤組,伊藤組,佐々木組,佐野組,森山組,山本組,新井組,松本組,赤城組,片桐組,榎本組,金子興業,真武会, 大山会,山崎組,大山会,雨貝組,三木組,坂本組,古庄一家,藤田興業,金田会,宮下組,小村会,林会,馬場一家,岩田会,関心会,目黒会,丹羽会,山田会,田中会, 綾部会,木村会,山口連合会,富岡一家,奈木総業,坂井一家,澤田一家,田中一家,小浜組,松原会,松原睦会,打木組,木下会,若林組,栗原組,田中組,北原組, 坂本組,強矢組,市川組,堀口組,石塚組,山辰会,日置連合会,熊屋連合,島田会,高野組,大心総業,芹澤会,酒巻会,河内家会,木村二代目,貴田組,岡崎会, 永田組,白河一家,河野組,松成会,筧一家,剛友会,佐々木組,松原会,天野会,会津家会,飴徳連合会,高木三代目,高桑組,研谷一家,古市分家波入組,波入組, 波秀組,高橋組,斉藤組,古市一家,春原組,阿部睦会,鳥海組,金沢組,大宮組,森本組,中津川会,大野会,曽根組,浅川五代目,甲州登喜和屋一家,岡崎会, 吉田興業,尾崎興業,吉田一家,芹澤会,大石会,長橋会,高山睦会,長坂睦会,石澤会,極東櫻井桝屋,鈴木一家,帝王睦会,渡辺一家,千明組,飯田一家,斎藤組, 松葉会,助川一家,上萬一家,森谷一家,森谷睦,北関東大久保一家,国井一家,岡一家,芝之内一家,鯉淵一家,駒の家二代目,木原一家,榎戸一家,浅川一家, 上州国定一家,白井一家,北道会,益和睦,益和睦上州国定一家,三河島一家,多摩川一家,増田組,吉田組,上萬一家,立石河基組,森谷一家,森谷睦,中村睦, 出羽家一家,榎戸一家,阿子島一家,佐藤組,武秦総業,山本興業,山王丸,高山組,佐竹組,田中組,徳山興業,益和睦,大館組,佐藤興業,高橋組,白井一家, 駒の家,山越一家,森田二代目,荻野連合,星野組,出羽家一家,小田部組,森田組,森田三代目,小島一家,筑波一家,茨城松誠会,國井一家,秋葉組,宮田組, 國井一家飯島組,助川一家,同志会,荒井総業,仲川組,島田総合企画,島田企業,多賀三代目,滝組,大津三代目,橋本組,磯原四代目,神和興業,高萩三代目, 五町組,日昇会,仲川組,杉田二代目,杉田組,日和会,川尻三代目,萱野組,和泉一家,芝之内一家,木原一家,岡一家,郡司組,小谷四代目,三村組, 平澤総合企画,駅南初代坂本組,黒子一家,蚕川一家,益和睦石塚総業,湯本菅野一家,江栗三代目,江栗会, 國粹会,生井一家,佃繁会,金町一家,田圃一家,前川一家,椛沢会,保科興業,寺谷一家, 東亜会,中島興業,山本興業,岩川興業,仲野興業,門阪興業,吉川興業,伊藤興業,吉田興業,平興業,前川一家,落合一家,前川一家,椛沢会,信州斎藤一家, 藤井組,虎龍会,石川組,石心会,吉田川一家,亀田組,村上組,白須組,梶原組,坂田組,鈴木組,東亜友愛東誠会,安元興業, 会津小鉄会,園村組,木下組,菊井組,中川組,倉富組,馬場組,寺村組,中島会,七誠会,斎藤組,臼井組,心誠会,岩本組,図越組,中島会,村田組, 酒梅組,伊藤組,長谷健組,清政組,東組,西村組,清勇会,幸導舎,赤松組,工藤会,林組,影浦組,本田組,天野組,永田組,玉井組,中島組,極政組,徳竜組,土谷組, 石田組,長谷川組,石井総業,結城組,白阪組,藤目組,篠崎組,矢坂組,西田組,中村組,吉村組, 三代目浅野組,中岡組,田村組,森田組,内村組,林興業,山本組,田中組,清水組,飯間組, 共政会,美能組,河部組,中村組,川口組,浜先組,益繁組,藪内組,小原一家,石谷組,今西組,沖本組,酒井組,岡本組,竹友組,大西組,河本組,片山組,島原組, 守屋組,田島組,大下組,丸木組,尾崎組,伊藤組,藤田組,吉岡組,前中組,高塚組,前崎組,上田組,有木組,大谷組,谷本組,野村組,阿部組,石井組,金崎組, 河合組,金子組,菅組,島本組,吉田組,沖田組,平野組,吉川組,角山組,播真組,前原組,三浦組,河村組,下手組,松本組,岡崎組,松浦組, 合田一家,岡村組,小桜組,温井組,中川組,甲斐組,安部組,竹田組,一松組,呉石組,浅野組,中岡組,千田組,藤山組,重政組,高橋組,土井組, 道仁会,出口一家,高柳組,村上一家,神闘総業,村政総業,前田一家,水上組,松尾組,松永組,堤組,中島組,松尾組,大平組,大中組,菊池組,竹田組,小林組, 山崎組,浦塚組,松本組,見城組,古賀一家,池田組,吉岡一家,藤岡一家,永石組,荒巻組,古賀組,尾中組,森組,平野組,野口組,篠塚組,坂本組,河上組, 中村組,野尻組,宮本組,侠和興業,親和会,溝渕組,拓弥塾,玉紋会,美濃組,山本組,澤山組,佐々木組,遠藤組,松本組,玉岡組,親友会,大槻組,井上組, 岡組,誠心会,森組,中村組,真砂組,親誠会,西澤組,三好興業,両嶋組,黒田組,高市組,寺島一家,長谷川組, 侠道会,森組,森田組,森田総業,弘田組,宮永組,西井組,豊田組,因島幸和会,池内組,下森組,池澤組,渡邊組,里仁会,杉本組,勇心会, 天山会,福博会,梅津会,双葉会,太住会,羽衣会,強友会,平野組,平山組,熊本連合,大久保一家,西村組,西心会,虎門会,山野会大村一門, 三宅一家,至政会,大日本一誠会,太州会,岡澤組,柳川組,誠会,戸川組,渡組,このみ組,福田組,武久組, 小桜一家,上村組,大隅会,斎藤組,平岡組,南心会,鶴勝組,吉田組,鶴龍組,大川組,田邊組,重岡組,副島組,丹羽組,岩松組, 西部連合,西山一家,熊本連合,肥後興和會,松乃組,三代目旭流会,沖島一家,沖縄旭琉会,川文会,水越組,酒井組, 丁字家会,桝屋会,杉東連合,東京安田会,寄居一家,上州寄居成友会,西村北東会,相馬総業,国府田一家,駒生一家, 飯島会,飯島一家,渡辺会,小倉会,飯島宗家小柳同族会,青池睦,姉ヶ崎連合会,東京安田会,源清田関東交友会,丁字家会,吉田宗家九代目,常徳一家, 飴徳連合会,正誠会,中国神農連合会,中国高木会分家森脇会,道仁会,村上一家,浪川会,鎌田組, 砂子川組,義信会,竹中組,中野会,神戸総業,拓竜組,双愛会,愛友睦,上金一家,伊藤組,金城組,上金一家,川島組,飯岡組, 一心会昌新塾,西條興業,西條興業林組,石崎組,仲野組,高倉組,柏木事務所,国玲商事,関東総事務所昌新,遠山総業,馬場組富田興業,一昌興業上田組,島田組総業, 佐藤組,赤坂昌新,松村組,梅原組,池田組山口会,孝昇会,貴広会,川口総業,郁心会,大末総業,緒方総業,川村組,田口組三阪会,美尾組,陣内組,田嶋組,藤本総業, 豊田組,後藤組政竜会,後藤組,木下組,正東会,剛志会,良知組,志太宗家十代目,山健組,健竜会,誠竜会,極心連合会,極勇会,極朋会,勢道会,鷲尾実業,広心実業, 太田興業岡川総業,鷲坂組,正龍会,極勇会,正心会,姫野組結城興業,兼一会名倉組,兼成会関東梁山塾,盛力会,青山総業,奥浦組忠仁会,一会,宮腰会,小倉興業, 浅井組,昌道会,湊総業,昌誠会,昌志会,西村会,熊本組,松田組,松心連合会東京支部,健心会関本組,小西一家,堀政連合,金本会,芳菱会,多田会,大西組, 多田会,市村組,浅川会,柄澤興業,益田組,大塚組,益田組正光会,田中総業,高田組,竹内組,久保田組,正光会勝山組,佳心会永井組,水島組水島総業, 大野一家,上坂組,宗像興業,誠友会,春誠会,廣瀬組,金光会,大嶋組,醍醐組,英組廣政会,英組,廣政会,英魂塾,益田組笠原組,水島組,高瀬興業,美奈川総業, 本牧興業,朝倉組,市田総業,藤沢組,泰島組,島田組,山土井組,廣瀬組,上田会,信濃組,加納興業,山室組,高英組,岩崎組,浜尾組,小西一家,堀政連合, 溝口組,政昭会,弘道会,高山組,吉田総業,小西一家,堀政連合,つくも総業,天野組渡興業,益田組相良組,益田組中島組,山土井組内保志工業, 山健組彩興産,中西組高橋会,英組波田組,一会藤原組藤心会,奥州会津角定一家,中村組本部,中村組正龍会,中村組侠和会,中村組野澤組,水流会,道友会,一義会, 山健組太田興業谷川組川内組,金光会不動会,一心会馬場組遠山総業,小西一家堀政連合栗山組,金本会,大野一家上坂組,上坂組内榎本組,大野一家白龍会, 後藤組良知組,福政組,政竜会,益田組正光会弓田組,京極総業,山健組畑中組栗山総業,極心連合会極蛇会,繁田会高見澤総業,貴広会田口組三阪会, 豪旭会,一志会,奥州会津角定一家小野組,川内組薄井興業,川内組山晶組,平山組,貴広会関東原組,倉心会関東菊心会,倉心会柴田組,柴田会木下内矢嶋組, 弘道会東海興業下野組,小西一家関東北辰会,益田組正光会保総業,川下組幸誠会,川下組幸誠会増田組,幸誠会加藤興業,山健組吉村会,桂成総業,三鳳総業, 忠心会平山組,弘道会中政組,徳丸組内徳龍興業,小西一家堀政連合司総業,栗山組,我妻組,大城組,高久組,大沢組,川内組藤田組,後藤組忠誠会, 一心会三瓶組,小田部総業,内所組,心映興業,飯塚組,一会増田組内三代興業,誠友会春誠会,菊心会,山勝会,大杉組,佐々木組,前田組,藤原組,遠藤組,関谷組, 茶谷政一家,稲井田組,小林会,藤洋会,石堂組,村松組,藤本組,石塚組,菅原組,佐伯組,宮組,川村組,戸田組,堀組,川岸組,岡田組,田村組,十文字組,小仲組, 小仲組作田組,束田会,高尾組,青木組,川岸組,金澤組,西田組,幸誠会,柴山組,柴山組松原組,高橋組,室井組,中山組,山崎組,藤森組,山元組,山元組田中組, 高山組前田組,秋田組,西村会,間明組,畑広組,山弘組,水野組,藤原組,佐藤組,秀和会,秀心会,梅原組,坂本組,加藤組,安土組,八木橋組,小林組,佐々木組, 黒川組,松山組,川浪組,千組,旭導会稲心会,藤沢組,鈴商組,橋本組,庄谷組,泉組,大景組,岡村組,伊藤組,石川組,飯沼組,松尾組, 弘道会司道会,山田組,康和総業,大蔵組,大倉企画大倉組,小川組,正道会,吉中組,鳥海組,梅木組,小笠原一家,美田沢組,斎藤組,山健組太田興業生田組, 木村会道竜会,北竜会,不動会,藤和会,江竜会,小林興業,鉄心会,印牧組,江友会,平沢組,石川組,大森組,大芦組,高野組,北海道花田会,川村会,石川興業, 山進組,井口組,吉村組,千葉組,石政組,後藤組,飯塚組,本間組,根本組,大西組,大古場組,北海道侠友会,斉藤組,江田組,健竜会,疋田組,橋本商事, 大石組松平興業宮古組,田島組,竜門会,直心会,酒井組,小柳組,菅原組,小柳組柳下組,笹森組,直心会富田組,坂井組,竜門会,堀政連合雨宮組,征士会清水組, 池添組,貴広会北城会,松橋総業,輪島興行,小野寺組,三浦総業,加利総業,勝連合会,勝野組二代目前川組,中西組武道会福田会,浅川一家成道会, 古川組姫路義竜会関八興業,倉心会函竜会,函竜会征竜会,川下組幸誠会中野組,浅川会六代目松野会,石橋組,山健組三代目伊藤会,初代武秀会,力道会, 武道会,芳菱会盛道会,二代目山新組,小西一家小山内組,誠友会十門字組,山健組二代目誠会,高橋組,奥州松前屋,後藤組二代目星連合,中西組二代目龍誠会, 弘道会東海興業,鎌田組,小西一家堀政連合赤間興業,大司会,同志会,鹿野組,盛力会田口組,山健組吉村会今野総業,兼一会水野組,西田組山龍組,竹内組岩崎会, 巽一家,柏田組成岡組,杉組青志会,小野組,矢嶋組,紺野組,益田組佳心会,後藤組東京盛大星二代目庄子組,堀組山崎組,難波安組,難侠会,宅見組安部組, 井奥会港裕連合会笹原組,山健組兼昭会,芳菱会秋田斉藤組,盛道会泰光組,中信会,井上組,後藤組秋田山本組,潮木会三浦組,源清田会秋田早川組, 源清田会秋田早川組小野寺組,弘道会高橋興業,一心会茂木組,奥州会津角定一家英友会,川内組平山組,後藤組坂本組,阿見総業,川内組藤田組,二代目辰東会, 長谷川興業,山田組,菅組,源清田会大心会,源清田会早川組,源清田会獅堂組,金子組,光和組,佐々木組,塩原組,一会藤原組支部,貴広会國心会, 愛桜会二代目研谷荒川会,一心組,山健組伏見組健興業,竹内組菊地組,弘道会中島会,英組三代目西川会,若槻三代目櫻井組,近松組博豪会,博誠会,国田組, 浅川会桂志会,近松組博誠会,博愛会,博竜会,一会藤原組信州支部,山健組巽一家,竹内組,山健組極心連合会二代目極朋会長野支部古川興業,兼誠会梁雄一家利守会, 益田組内玉木組,倉心会二代目倉州会,美尾組原野組,地蔵組佐藤組,弘道会若林興業,正木組同心会,盛政組,盛政会盛組,芳菱会谷口組,山健組本江組, 一会北陸宮越組舎弟二代目渡一家,芳賀組,一会山昇組,川内組組長付杉田組,辰誠会,芳征会,伊井興業,山健組昭成会,小西一家山上組,宮本組大下組, 一会北陸宮越組,滝本組,松本組,増田組,天野組天龍会,弘道会北東興業,弘道会林組,川内組高木興業,月見興業,礼真会,松波総業,高嶋組,浅川総業,宝井組, 前勝組,正木組,中西組宮原組,中原組,坂本組,浜野組,貴広会田口組,貴広会西山会,小西一家宮本組大下組,山健組太成会安田興業永居総業,中村組,坂井興業, 堀田総業,近藤組,川合組,亀山連合,小川組,角谷組,坂廣組,二代目一会藤原組,秀竜総業,堀江組,弘道会田中組,高山組野内組,錠組,野口興業野口興産, 黒誠会和道会,黒誠会正木組,阿部組,石原組,正次郎一家,橘高組,長谷川総業,井川組,速水興業,盛力会高松組,貴広会西村組,愛桜会大垣岡田組,小西一家長尾組, 政道会,島本組,奥浦組木ノ下会,尾崎組香山組,後藤組良知組,佐野忠組,志太宗家,藤総業,藤友会,日高組,池田会,石川組,政和会,山勝組,国領屋一力一家,中村組, 早川組,井手組,芳菱会内藤組,小松組,國領屋下垂一家十代目,鍛冶町一家,服部会,盛道会,三室組,松下組,花井興業,山下組,多田会,尾高組,荒井組,中山組, 和田組,田中組,佐藤組,斎藤哲組,柴田組,山本康組,鮫島組,伊藤幹組,飯田組,土屋組,鈴木哲組,古山組,石川組,宮田組,大西組,桜井組,谷口組,山本一組, 石野組,御手洗組,渋田興業,中信会,生駒組,美尾組陣内組,藤本総業,田嶋組,藤本組,豊田組,大尚会,山健組健竜会,一心会黒潮興業,遠藤組, 小西一家大頭龍落合一家,弘道会稲葉地一家,池田組,高村会,水谷組,田畑組,河村一家,司興業,高山組,小島組,平野家一家,浅野会,谷誠会,誠会誠心興業, 関谷組,徳丸組,岡組,室橋組,黒岩組,導友会,佐々木組,佐々木組次六組,田中興業,浅野亭一家,芝田組,司誠会,小林組,吉岡興業,司善興業,山本組, 瀬戸一家石川組,今井組,清田組,古久根組,山下組,木村組,隆組,山田組,遠山組,藤田組,上村組,平井一家,薄葉組,平井一家井上一家,大島組,山田英組, 中嶋組,松島組,角野組,家石原組,大森組,金子組,家荒津組,柴田組,渡会組,渥川組,梶谷組,間部組,木下組,野間組,夏目組,竹内組,井澤組,都築組,篠原組, 貝本会貝本組,中谷組,貝道組,貝成組,貝城組,貝組,貝健組,貝菱組,島田組,木下組,小島組,貝鼎組,宮西組,名神会,二代目杉組,山健組松藤組,多三郎一家, 福富組,岡斧総業,兼生会,健竜会兵頭総業,西浦興業,太成会安田興業,吉村会大日総業,太田興業大和同志会,生島組篠原会,繁田会,伏見組岬組,伊勢興業, 林組,倉持組,松浦組,山田組常滑一家崎興業,貴広会永井興業,貴広会成田組,貴広会三國興業,貴広会竜仁会,松下組村瀬組,一会近藤組,田中組,坂廣組野田一家, 健心会中村組,小車誠会誠竜連合会,寺倉組,小西一家山本組,一心会一昌興業内真道会,村組堀田総業加藤組,英組白蛇会,英組渡久山連合,盛力会飯田組盛流会, 飯田興業,盛力会川崎組,名神会野村組,尾崎組佐々木組,中塚組,名徳興業,菊地組,吾代組,宮国総業,阪野総業,北斗会,阿知波会,内海組,愛桜会佐山組, 松永組,鈴木組,原組,吉田屋一家,金森組,稲見組,吉田屋一家南心会,周次郎一家,加藤組,山哲総業,大山組,郡司組,奈城組,上條組,山中組,伊勢川島一家, 伊勢小鉄一家,北勢会,中世古組,橋本組,野崎組,圓竜会,島岡組,河合組,山川組,岡組,東山組,伊勢志摩連合会,弘道会水谷一家,貴広会隅田組,島田組, 小船谷組,山川組,野崎組,小車誠会藤総業,尾崎組林興業,小林組,佐藤会,前田組内金沢組,山本組,盛力会盛嵐会,大谷組,宅見組勝勢会,一会平正組, 山健組矢倉会森島組,心腹会仲森組,一会藤原組川田組,藤原組藤川組,隆生会有賀総業,隆生会彦根支部,川内組八興会,川内組辰導会,辰導会一義会, 倉心会広心会,義美会,中村組長谷川組,地蔵組正道会,地蔵組川井組,地蔵組彦根緑会,隆生会岡澤総業,山健組鈴秀組秀幸会,八橋組,一会岩建組, 京都藤田組熊本,藤原組竹中総業,山健組金岡組,畑中組,兼國会袖岡総業,國心会,今倉組竹森組,金本組,黒誠会渡辺組,盛力会久富連合会,幸友同志社,川口興業, 山本組,岩井組,駒弘総業,武元総業,富睦会,大石組田渕組宏心会,細川組高橋組,一心会川博組,小車誠会植木組,勝野組西畑組,奥村組,中尾組,佐藤組,西組, 小松組,空建組,敬慎会,由地組,弘道会関谷組白井興業,美尾組安井組,貴広会川崎総業,山健組極心連合会,太田興業極粋会,守道会,谷川組,早崎会,秀誠会, 山内組,伏見組,瓦谷興業,田村興業,柏田組,峯総業,成田総業,波多興業,古藤組,兼一会,生島組,樺山総業,前木場組,大瀬良組,信和実業,信義塾,芳山総業, 三好一家,平澤組,矢倉会,姫野組,太成会,勢道会,勢道会鷲尾実業,鷲尾実業騎龍会,吉村会,砂子会,鈴秀組,南進会,田中興業,大河会,新井総業,忠心会, 薮田興業,牧野興業,西田組,大真会,中田組,侠友会,侠友会山昭組,健竜会三島組,宮田興業,野地組,鬼竜會,田邊総業,光龍会,大勝会,坂弘組,兼國会岸本組, 興組正勝会,村正会福原総業,英組岡村組,大川健組,玉地組,山本組,水原組,玉地組宇賀興業,堀内組,堀内組島田組,難波安組,中野組,松岡組,川下組,桂総業, 山下組,松山組,工藤組,一心会岡野組,金沢興業,一昌興業,西條興業,大昌会,馬場組,斎田組,西村組,藤生会,山田組,能塚組,川崎組,松浦組,美村組,野村組, 坂口事務所,松岡組,大野一家,澄田会,勝龍会,黒誠会,濱田組,石松総業,奥浦組,古庄組,吉川組,章友会,金城組,金城組岸上組,高橋組,盛政組,山田組,中島組, 里組,清水組,堀組,浅川会高倉組,青龍会,中西組中生会,北澤組,勝野組征竜会,武澤組,高田組,松岡組,横山組,丸山組,坂部組,伍竜会,早野会,森田組,須藤組, 須藤組上田組,丹波組,健心会秀充会,柴組,石井組,江口組,坂本組,藤龍会,東総業,桃井組,極志会,新井組,伊藤組,児玉組,大原組,共栄会,斉藤組,南一家, 土谷組角江会,輝龍会,菱心会,臥龍会,和田組,新澤興業,杉野組,小車誠会,天野組,池田組山田組,野澤組,飯田組,隆生会,飯田組中塩組,大山組,森田組, 倉心会黒竜会,天道会,里村総業,泰生会,譲心会飛鷹連合会,高成総業,貴広会船本会,三誠会,松本総業,天進会,竜政会,倭奈良組,松龍会,是木組,井奥会正司組, 樫田組,盛力会松元会,木村興業,盛和会,盛志会,秋旺会,力弘総業,東亜政経調査会,力総業,南組,盛一会,宅見組荒牧組,勝心連合, 浅井組青木総業,杉本組,侠志会,江良組,昌仁会,岡本総業,宮本総業,藤井総業,鈴験組,川内組中西会,小西一家有田組,侠友会諏訪一家司総業,杉組新生伍勇会, 葉山会,益田組益生連合会,生田連合会下高総業酒利組,古川組一極会,力心会,佐藤組松本永組,南組, 三代目山健組四代目健竜会,宮鉄組,道志会,鷲坂組,村中組,宝満組,村正会,繁田会,疋田組,深山会,今倉組,今倉組夢野会,兼國会,和田組,正心会,樫原組,池田組, 志闘会,兼誠会,西川会,一竜会,伏見組岬組,伊勢興業,林組,竹田興業,倉持組,松浦組,橘会,真鍋組仲里組,松野組緒方組,松野組井上組,上田組,五月組,古川組小山会, 琉真会,田脇会,義竜会,大平組,小西一家,岸本組,神田組,松下組,柴田会,大嶋組,細川組,侠友会,諏訪一家,侠友会諏訪一家櫻井組,司総業,播州出口組, 新友会平尾総業,川崎誠会,片目組,北組,修光会,井奥会,大西組,西田組,佐藤組,毛利組,西脇組川見組,川見組立志会,一成會,北山会,氏長組,西雷連合,和健会, 前本会,辻本組,岩井連合,一郎興業,松本会,橋本保組,橋本三組,鈴木会,秋定一家,柿野総業,水橋組,宮下組,池田組炎亮會,三浦組,竹内組,尾井組,根木組, 山田組,健心会桃井組,貴広会前田組木田会,大石組山根組,大石組牧組,宅見組勝侠同志會,松野組緒方組,尾崎組前田組,尾崎組田中組,大山組森谷興業,吉川組林組, 宅見組亜細亜総業,森口興業,健心会任道会,貴広会大和睦会,曙総業,尾野組,島岡総業,倉健会,田中組,高木組,南岡組,倉龍会,藤政興業,須ノ内組,倭会,橋野会, 小車誠会本家山尚実業,倉心会永田組,広志会,広誠会,佐々木組生導会,西導会,吉本組,春駒組,山健組紀州連合会,健竜会竜心会,紀邦会,侠和会,藤原組,竜力会, 米田企画,龍誠会,貴広会南組,小山組武心会,武功会,武菱会,武勇会,南方興業,竹之内組,吉村組,一会隆和会,松山組吉村会,倉心会倉仁会,杉組北島組,西龍会, 山健組大同会,木下会,赤坂組,神原組,大同会,井奥会細田組,港裕連合,熊本組松田組,松心連合会,岡田興業,三谷組,笠原組,伊達組,木村組,藤原組,柚木工業, 山田工業,大森組,藤健興業,健誠会,藤誠会,今田企画,岸本組,藤田組,雪上組,石心会,浅沼組,岩崎組,山健組妹尾組,物部組,妹尾組幸友会,川相組,柏野組, 英勝連合会,英心会,西田組,幸新会,南進会啓進総業,姫野組中山組岡山支部,橘会裕心連合会,東備企画,菱川組,川崎会,荒嶋総業,大石組遠部組,白川組,井上総業, 齊藤組,村上組,吉岡組田渕組,金田組,加古組,田淵組,田渕組白神総業,林組,吉冨総業,船尾組,石田組,飯尾組,景山組,佐藤組横山総業,池田組竹内興業,紀信会, 北志会,相澤組,梅原組,帝会,竹本組,睦会,宮澤組,末藤組,森次組,孝昇会,金光会木村興業,杉本組後藤組,大原組石川会,浅川一家松本組,一心会岡野組, 東正会内長井組,浅井組昌風会,貴広会前田組久戸瀬組,田口組貴裕会,小西一家栗本組植島組,英勝連合会,幸新会,北岡会長州会,山健組吉村会福田興業, 岡芹総業酒井組,山健組前木場組信康会,熊本組藤原組藤栄会,若林組藤成組,森組,吉田組,坂元組,篠原組,秋山組,高畠組,山健組中津川組岡山興業,英道会, 白井総業,白石會,元田組,英竜会,誠隆会香川支部,宝満組龍神会,一心会曽根組,曽根組誠心会,藤正会,四国昌新本部,岡野組大誠会,生西組,益田組河田組, 益田組河田組輝菱会,宅見組西岡組,小西一家栗本組,菊池総業,本多組,豪友会坂井組,銀竜会,大日本義和団連合,隆誓会,隆心会,義友会,東條組,東心塾, 攻道会,奥浦組中原組,龍司会,吉川組三谷組,中西組北澤組鬼若会,貴広会田口組三阪会紀伊一家,紀導会,心腹会,尾崎組井筒組,勝仁会,徳永組,妹尾組,東組, 森組,貴広会阿州会,健心会児玉組,益田組田村会,山健組今倉組谷川組,谷川総業,哀川興業,松山会伊藤会,矢嶋組,山田組,木村会,政風会,山健組誠隆会,山田組, 大石組加地組,白石組,山内組,仲山組,井上組,横山組,藤原組,長尾組,佐伯組,酒井組,三木組,白石興業,神野組,堀田組,渕上組,健心会秀誓会,小車誠会本家宮崎組, 永易組,山尚実業,誠竜連合会,誠武会,高場組,樋口連合会,門田組,植木組,浅井組竹内総業,豪友会大龍会,旭成会,智友連合,正友連合会,常徳一家,正誠会, 山健組安部組,姫野組中山組,鷹羽総業,金光会義勇会,鉄力会,二宮組,木村興業沖田組,荒牧組,斉健興業,浅川一家西村初代西村会,谷口組,浅川組,財津組, 杉本組,高倉総業,伊豆一家加納組,栗秋組,健誠会,池組,極竜会,高橋組,宅見組池永組,剛竜会,伊豆組安川組,田中組,田中会,三船組,原田組,紀真会,誠龍会, 原田組上野組,角田組,上田組,三合会,財木組,木原会,條東会,樋口組,合島会,有安組,藤井組,西組,塩谷組,平田組,中西組,源心会,平山会,千仁会,薄井組, 長野組,盛力会岸本会,飯田組,盛心会,紅龍会,浅井組侠志会龍守会,江良一家,杉組仁風会,西脇組宮下組九州支部小林会,陣内一家,秀虎会,河松組,勝龍会相園一家, 結城組,征道会,小松組,池見興業,宅見組石川会,伊豆組東会,浅川組中原組,伊豆一家本田会,石田組,水心会城尾組,青木組,城尾一家,永田組,水田組,吉田組, 山健組石湊会,北誠会,大門会村正組,上田組,工藤組,幸竜会,本多組,聖会,赤心隊,山健組妹尾組福田組,守道会森永総業,稲葉一家二代目島村組,中神組,國心会, 北岡会松岡組,前田一家,一連合,肥州大倉会,大村一家,一会竹原組,弘道会高己組,中村組立野会,石井一家北斗会,清山組,大友会,江口組,桜井組,幸松組, 川近総業,稲葉一家中野総業,同志会,石井一家角野組,上志会,井根組,上富会,浜砂総業,盛力会飯田組上峰組,山健組姫野組三坂組,弘道会米川組内野興業, 貴広会西村組恵伸会,<<|>>,山口組,一心会,貴広会,川口総業,五菱会,美尾組,後藤組,山健組,健竜会,健心会,極心連合会,太田興業,道志会,鷲坂組, 宝満組,正心会,伏見組,石湊組,木村会,斉藤組,妹尾組,山内組,秀誠会,村中組,村正会,侠友会,益田組,弘道会,司興業,弘道会九代目稲葉地一家, 黒岩一家,鉄心一家,豪友会,古川組,西脇組,倉心会,章友会,名神会,宅見組,盛力会,英組,臥龍会,松下会,松下組,章友会,浅井組,益田組,北菱会,小西一家, 小西組,堀政連合,大野一家,大石組,芳菱会,源清田会,誠友会,十文字一家,三道会,愛桜会,小車誠会,樋口連合会,川内組,芳征会,大平組,金光会,地蔵組, 正木組,侠友会,志道会,黒誠会,國領屋一力一家,井奥会,伊豆組, 収監,習慣,週刊実話ドキュメント,後藤組良知組,後藤組佐野忠組,後藤組十代目志太宗家,後藤組十代目志太宗家藤総業,後藤組藤友会,後藤組日高組,後藤組池田会,後藤組石川組,後藤組政和会,後藤組山勝組,後藤組太田一家,後藤組惟村組,後藤組佐野会,後藤組諏訪組,後藤組柏木組,後藤組鴻池組,國領屋一力一家,國領屋一力一家中村組,國領屋一力一家早川組,國領屋一力一家井手組,國領屋一力一家鴻池興業,國領屋一力一家伊藤組,國領屋一力一家五代目宇乃家一家,國領屋一力一家岩永組,國領屋一力一家長浜組,芳菱会,芳菱会二代目内藤組,芳菱会小松組,芳菱会國領屋下垂一家十代目,芳菱会國領屋鍛冶町一家,芳菱会服部会,芳菱会盛道会,芳菱会三室組,芳菱会松下組,芳菱会花井興業,芳菱会山下組,芳菱会多田会,芳菱会尾高組,芳菱会荒井組,芳菱会中山組,芳菱会和田組,芳菱会田中組,芳菱会佐藤組,芳菱会斎藤哲組,芳菱会柴田組,芳菱会山本康組,芳菱会鮫島組,芳菱会伊藤幹組,芳菱会飯田組,芳菱会土屋組,芳菱会鈴木哲組,芳菱会古山組,芳菱会石川組,芳菱会宮田組,芳菱会大西組,芳菱会桜井組,芳菱会谷口組,芳菱会山本一組,芳菱会石野組,芳菱会御手洗組,芳菱会渋田興業,芳菱会中信会,芳菱会生駒組,芳菱会福田組,芳菱会滝井組,五菱会,五菱会伊東組,五菱会鈴平組,三代目山健組鷲坂組東海連合,二代目一心会黒潮興業,二代目一心会遠藤組,小西一家四代目大頭龍落合一家,愛桜会八代目周次郎一家秋山組,英組英龍会,住吉一家太田組橋達興業,原田一家本部,三代目森田一家,三代目森田一家小林組,三代目森田一家馬場組,三代目森田一家坂井組,三代目森田一家深沢興業,三代目森田一家森谷組,三代目森田一家山田興業,三代目森田一家高田組,三代目森田一家島田企画,三代目森田一家三代目熊沢組,三代目森田一家大石組,大場一家,大場一家青山組,大場一家山崎組,大場一家廣瀬組,大場一家梅沢組,大場一家花田組,山本組,山本組泰友興業,聖裕一家岡村組,聖裕一家二代目東組,聖裕一家海野組,聖裕一家東組,紘城一家幸山組,森下組,森下組有馬総業,森下組鈴木総業,森下組大野総業,森下組服部総業,森下組山本総業,奥村組,極東櫻井総家連合会,極東櫻井総家連合会芹澤会,極東櫻井総家連合会芹澤会青木会,極東櫻井総家連合会芹澤会芹澤一家井上組,極東櫻井総家連合会芹澤会芹澤一家鈴春組,極東櫻井総家連合会芹澤分家鈴実青木会仲村組,極東櫻井総家連合会大石会,極東櫻井総家連合会大石会佐野一家広明組,極東櫻井総家連合会大石会望月一家,極東櫻井総家連合会大石会斎藤四代目望月一家齊藤組,極東櫻井総家連合会大石会斉藤四代目渡邉組,極東櫻井総家連合会大石会山脇組,極東櫻井総家連合会大石会山脇一家野澤組,極東櫻井総家連合会大石会山脇一家藤博組,極東櫻井総家連合会大石会山脇一家大久保組,極東櫻井総家連合会大石会山脇一家斉藤組,極東櫻井総家連合会大石会山脇一家大草組,極東櫻井総家連合会大石会山脇分家小島組,極東櫻井総家連合会大石会長澤組,極東櫻井総家連合会大石会長澤一家平林組,極東櫻井総家連合会大石会長澤一家三井組,極東櫻井総家連合会大石会長澤一家曽根田組,極東櫻井総家連合会大石会長澤一家大城組,極東櫻井総家連合会大石会長澤分家尾澤組,極東櫻井総家連合会大石会有川二代目,極東櫻井総家連合会大石会有川二代目圭桜会,極東櫻井総家連合会大石会有川一家藤木組,極東櫻井総家連合会大石会村瀬三代目溝口組,極東櫻井総家連合会大石会阿部組,極東櫻井総家連合会大石会阿部一家清龍会,極東櫻井総家連合会二代目長橋会,極東櫻井総家連合会二代目長橋会志村一家池上組,極東櫻井総家連合会高山睦会,極東櫻井総家連合会石澤睦会,極東櫻井総家連合会極東櫻井桝屋五代目鈴木一家帝王睦会,極東櫻井総家連合会極東櫻井桝屋六代目渡邉一家千昭組,極東櫻井総家連合会二代目柿岡組遠藤組,極東会松山連合会二代目鈴木会,極東会松山連合会二代目鈴木会小澤興業,極東会松山連合会二代目鈴木分家飯田組,極東会松山連合会四代目桜成会山田組, 貸元,代貸,総長,総裁,代紋,エンブレム,金看板,金筋,プラチナ, 当代,初代,二代目,三代目,四代目,五代目,六代目,七代目,八代目,九代目,十代目,十一代目,十二代目,十三代目, 貫目,掟,仁義,手打盃,仲裁人,媒酌人,襲名披露,跡目継承,親子結縁,兄弟結縁,兄弟分,義理人情,義理掛,放免祝,若頭補佐,若中,舎弟頭,事務局長, 行動隊長,総本部長,組織本部長,常任相談役,理事長,常任理事,最高顧問,渉外局長,会長代行,組長代行,組長秘書,直参,直参組長, yakuza,893,八九三,ヤクザ,義侠心,やくざ情報局,やくざ情報,ヤクザ情報局,ヤクザ情報,やくざ列島,任侠道, 極道名鑑,極道本舗,極道人生,極道ニュース,極道事件簿,極道組織図,やくざ組織図,ヤクザ組織図,傘下,任侠界, 博徒,愚連隊,ゴロツキ,テキヤ,的屋,香具師,ダフ屋,チケット屋,関東親睦会,関東懇親会,関東二十日会,神農同志会,徒世人,稼業人,反目,破門状,絶縁状, 賭場開帳,呑み屋,呑み行為,博打野球賭博,盆ゴザ,手本引き,ホンビキ,ヤマポン,ソウダイ張り,サイ本引き,寶引,丁半,花札,コイコイ,アトサキ, バッタまき,大目小目,チョボ一,キツネチョボ一,樗蒲打ち,ヨイド,四下,ピンころがし,胴元,カジノバー,秘密カジノ,ラスベガス,ギャンブル,ギャンブラー, ポーカーゲーム,バカラ賭博,ルーレット,オンラインカジノ,トトカルチョ,ブラックジャック,チンチロリン,モーターボート連盟,競艇,競輪,競馬,オートレース, 麻雀,マージャン,パチンコ,パチスロ,スロット,公営ギャンブル,鉄火場,テラ銭,軍鶏賭博,如何様,イカサマ,チョンボ,射幸心, 義理場,抗争,抗争勃発,抗争事件,待機,定時連絡,ヒットマン,武器庫,兇状,凶状旅,縄張り,シマ,庭場,不文律,御法度,マフィア,ギャング, リース代,ケツ持ち,ケツモチ,ミカジメ料,みかじめ料,見ヶ〆,所場代,カスリ,えんそ,エンソ,用心棒代,地代,縄張り,シマ,島,地場,注連縄,しめ縄代, 会費,上納金,企業舎弟,部屋住み,書生,パシリ,チンピラ,三下,半グレ,親分,叔父貴,兄貴,舎弟,兄弟,回り兄弟,フロント企業,直若,外若,外舎弟,直営企業,客分, しのぎ,シノギ,凌ぎ,収入源,資金源,当番,定例会議,事始,ボディーガード,防弾ガラス仕様,防弾チョッキ,カチコミ,抗争勃発,抗争資金調達,一触即発, 当代,初代,二代目,三代目,四代目,五代目,六代目,七代目,八代目,九代目,十代目,十一代目,十二代目,十三代目, 貫目,掟,仁義,手打盃,仲裁人,媒酌人,見届け役,婚姻,縁組み,襲名披露,跡目継承,親子結縁,親子盃,兄弟結縁,兄弟分,義理人情,義理掛,放免祝, 若頭補佐,若中,舎弟頭,事務局長,行動隊長,総本部長,組織本部長,常任相談役,理事長,常任理事,最高顧問,渉外局長,会長代行,組長代行,組長秘書,直参,直参組長, yakuza,893,八九三,ヤクザ,義侠心,やくざ情報局,やくざ情報,ヤクザ情報局,ヤクザ情報,やくざ列島,任侠道,擬制的親族,擬制的血縁関係,仁義なき闘い, 極道名鑑,極道本舗,極道人生,極道ニュース,極道事件簿,極道組織図,やくざ組織図,ヤクザ組織図,傘下,任侠界,義理カケ, 博徒,愚連隊,ゴロツキ,テキヤ,的屋,香具師,ダフ屋,チケット屋,関東二十日会,神農同志会,徒世人,稼業人,反目,破門状,絶縁状, エンコ飛ばし,エンコ詰め,ケジメ,ホルマリン漬け,福神漬け,味噌漬け,指詰めコレクター,エンコ詰めコレクター, 賭場開帳,呑み屋,呑み行為,博打野球賭博,盆ゴザ,手本引き,ホンビキ,ヤマポン,ソウダイ張り,サイ本引き,寶引,丁半,花札,コイコイ,アトサキ, バッタまき,大目小目,チョボ一,キツネチョボ一,樗蒲打ち,ヨイド,四下,ピンころがし,胴元,カジノバー,秘密カジノ,ラスベガス,ギャンブル,ギャンブラー, ポーカーゲーム,バカラ賭博,ルーレット,オンラインカジノ,トトカルチョ,ブラックジャック,チンチロリン,モーターボート連盟,競艇,競輪,競馬,オートレース, 麻雀,マージャン,パチンコ,パチスロ,スロット,公営ギャンブル,鉄火場,テラ銭,軍鶏賭博,如何様,イカサマ,チョンボ,射幸心, 義理場,抗争,抗争勃発,抗争事件,待機,定時連絡,ヒットマン,武器庫,兇状,凶状旅,縄張り,シマ,庭場,不文律,御法度,マフィア,ギャング,鉄砲玉, リース代,ケツ持ち,ケツモチ,ミカジメ料,みかじめ料,見ヶ〆,所場代,カスリ,えんそ,エンソ,用心棒代,地代,縄張り,シマ,島,地場,注連縄,しめ縄代, 会費,上納金,企業舎弟,部屋住み,書生,パシリ,チンピラ,三下,半グレ,親分,叔父貴,兄貴,舎弟,兄弟,回り兄弟,フロント企業,直若,外若,外舎弟,直営企業, しのぎ,シノギ,凌ぎ,収入源,資金源,当番,定例会議,事始,ボディーガード,防弾ガラス仕様,防弾チョッキ,カチコミ,抗争勃発,抗争資金調達,一触即発, 侠道精神に則り国家・社会の興隆に貢献する,内を固むるに和親合一を最も尊ぶ,外は接するに愛念を持し、信義を重んず,長幼の序を弁え礼に終始す, 世に処するに己の節を守り譏を招かず,先人の経験を聞き人格の向上をはかる, 総裁,総長賭博,内部抗争,分裂,逆縁,暴力団,極道勢力図,組織図一覧表,組織綱領,極道抗争史直系組織,一和会, バイオレンス,エンコ詰め,ベラミ事件,夜桜銀次,平尾国人,鳴海清,安藤昇,花形敬,安部譲二,二率会小金井一家,銀座警察, アウトロー,マル暴,強行犯,知能犯,捜査一課,公安事件,暴力団構成員,暴力団対策法,総会屋,社会ゴロ,えせ右翼,えせ同和,部落開放同盟,整理屋,占有屋,フィクサー,
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/45904.html
登録日:2020/08/23 Sun 02 08 46 更新日:2024/07/30 Tue 20 55 20 所要時間:約 ? 分で読めます ▽タグ一覧 この世で最も成り上がった男 ブサイク 一身において聖賢、豪傑、盗賊を兼ねた才物 中国史 乞食坊主 名君 家族大好き 恐怖政治 明 暴君 暴君にして名君 朱元璋 残虐無比 洪武帝 独裁者 猜疑心の塊 皇帝 矛盾の塊 粛清 紅巾の乱 英雄 言葉狩り 農民 開祖 /;;;;;;;;;;;;;\ /;; \ ∈=━/,,;; .;ヽ━=∋ L ;;,__ .. ゝ //;;;; .. ̄ ̄ ̄ ̄.. ;;;ヽ / ;;;;;;;; ;;;;;;;;;;;;; ;;;;; ヽ /j/三三三三三三三三三三ヾ l || |l / ̄\ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′|| 凌遅三千刀、滅九族!! r┤ ト \___/ || / \_/ ヽ . \/ ,ノ | _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__ | _)_ノヽ\ ハ // / ヽ ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ 朱元璋(しゅげんしょう)(大元天暦元年(1328年)~明洪武三十一年(1398年))とは、モンゴルの軛(くびき)を打ち破った英傑であり、乞食山賊上がりの素性怪しい輩であり、献策諫言を受ける度量を持つ賢人であり、文人を憎悪する無学の徒であり、 民を安んずる政策を取る聖王であり、功臣殺戮に明け暮れた邪悪であり、家族を溺愛する素朴な男である。 え?属性が矛盾している?事実なんです… 生涯果てなき地獄の底から 動乱の渦の中へ 天子への道 中華統一・北伐事業 大粛清背景事情 空印の案 胡惟庸の獄郭桓の案と林賢事件 李善長の獄 藍玉の獄 文字の獄 「御製大誥」 結果 家族 その他肖像画 農民に対する態度 後継者が遺訓を守ってくれない 明による日本侵攻 創作関連 歴史家の評価 生涯 果てなき地獄の底から 大元の天暦元年(1328年)、現在の安徽省鳳陽県の農村で朱五四(*1)と陳氏(*2)の間に末っ子として生まれる。 従兄弟も含めて八番目の子だったため、重八と名付けられた(*3)。朱五四は貧しい小作農でしかなく生活は苦しいの一語であったと思われる。 さらには大元は朱元璋が生まれた頃には大元の人材登用の弱点故に無能が多く高官についていたり、その無能らが汚職や収奪を繰り広げ民を苦しめ クビライの孫で後継者だったテムルが早逝した後は後継者候補が軍閥などを巻き込み不毛な後継者争いを繰り返し、延祐7年(1320年)からの13年に至っては7人の皇帝が立っては排除されるのを繰り返し国中が疲弊しきっていた。 折り悪く14世紀は小氷期に突入しており天候不順に見舞われ飢饉が増加しており(*4)、終いにはパクス・モンゴリカと呼ばれるユーラシア大陸の大部分にもたらされた安寧と活発な交易が仇となり 当時致命的な死の病であり、感染拡大を防ぐ術が浸透していなかったペストのパンデミックが発生しユーラシア大陸を飲み込んでいた。 13年で7人もの皇帝が立っては消えた理由は権力争いもあるが、基盤がガッタガタなのも大きな原因であろう。 上も下もドッタンバッタンユーラシア中を軋ませながら破滅に突き進む、そんな時代だった。 そんな地獄のような情勢下で父が至正4年(*5)(1344年)に黄河の氾濫に飲まれて死ぬと朱一家は「詰み」を迎えた。 飢饉に巻き込まれて重八を残し、実家に残っていた家族は全員餓死という悲惨な結果を迎えてしまったのだ。 重八はなんとか生き延び皇覚寺という寺に身を寄せるが、貧農の末っ子みたいな小僧を養う余力はあんまりなく托鉢僧として旅に出された。 体の良い追い出しに近いと言えるだろうか… しかし重八は托鉢を受け生き延び、寺で最低限の教養を身につけただの貧農の子からすると大きく見聞を広げていた。 そんな中、大元の支配は破綻を始める。まず嚆矢として海賊呼ばわりされた方国珍が浙江で蜂起。水軍を操り大元の物流網を寸断し暴れ回る。 さらには宋代に興った白蓮教が末法の世めいた世相をバックに信者を獲得し各地で蜂起し始めたのだ。 動乱の渦の中へ 方国珍は大元から招安(*6)を受け早々に離脱するが、北宋徽宗の子孫を名乗り蜂起した韓山童(*7)・韓林児親子や徐寿輝ら白蓮教勢は止まらなかった。 叛徒はみな紅い頭巾をしていたため紅巾の乱と後世呼ばれる大乱の中、皇覚寺が焼け落ち重八はまたも居場所を失ってしまう。 ここで重八は運命を占いに託した。その結果紅巾軍に身を投じるが大吉、と出たため韓林児の軍の中でも有力であった郭子興の元に馳せ参じ、英雄としての道を… 歩み始めようとしたのだが、スパイと思われて殺されそうになった。あらら。 ここで天命が尽きてもおかしくはなかったが、郭子興が顔を見た際に面構えを殊の外気に入ったため嫌疑は解け幕下に迎え入れられた。 改めてここから英雄・朱元璋(*8)の道はスタートした。 この時期に昔なじみの朋友にして後の明軍最強の将帥・功臣第一の徐達、天性の軍才を誇る猛将常遇春、謀臣李善長らを得る。 彼らとの出会いの後朱元璋は「貴方こそこの乱世を鎮める人物。然るに、同じような境遇である漢の高祖・劉邦(*9)を真似れば良いのです」という李善長から受けた指針のもとに動き、大元軍に徴兵された農民に働きかけ支持を広げ郭子興幕下でも有力な将軍として頭角を現していく。 更にこの頃、功績を認められ郭子興の養子である馬氏を娶る。後に賢夫人と呼ばれ、外付け式ストッパー兼良心として活躍する馬皇后である。 呉国公を自称し、郭子興軍の中枢として存在感を増していたがその郭子興が至正15年(1355年)に亡くなると実子の郭天叙、妻の弟の張天祐、そして娘婿の朱元璋に三分されたが その後まもなくして前者二人の軍が大元に敗れて戦死したため、結局郭子興軍を一人で吸収することとなる。 ちなみに、二人の軍は大元からの降将の言葉に乗って攻め入ったところそいつが内通者でボコボコにされたという終わり方であったが、一説によると朱元璋はその事を知りながら黙認していた つまり郭子興の実子・妻の弟という血縁面では立場が上である邪魔者を都合よく排除できる、と考え敢えて彼らを死地に追いやったという説がある。 天叙の弟である天爵もまもなくして陰謀を巡らせたとして排除されており一定の信ぴょう性はあるが証拠はない。 ともあれ、紅巾軍でも屈指の実力者となった後、「膨らんだ軍を養うには江南の富が必要である」と帰結し、当時の本拠地を半ば放棄し退路を断ち長江を渡って江南に侵入し集慶路(*10)に攻め入りこれを陥落させる。 応天府と名を改めるとここを本拠地とした。半ば山賊の群れであった朱元璋軍だったが、応天府に落ち着くと新たな国を作るための施策を取り始めた。 この政策の実施で朱元璋を見込んだ名軍師劉基らさらに人材を集めることにも成功した。 かくして荊北から江西を支配する徐寿輝の天完、別に紅巾軍とは関係ないが反旗を翻していた蘇州拠点の張士誠の周と並び立ち長江流域の覇を競うこととなったのである。 天子への道 まず戦うこととなったのは、徐寿輝配下の実力者で実権を握ると徐寿輝をハンマーで撲殺し、大漢皇帝として即位した陳友諒であった。 至正20年(1360年)、長江を大艦隊を率いて下り応天府を目指し始めたのだ。朱元璋軍は動揺し、降伏すべきとの進言すら出るほどであった。 それほどに大漢艦隊は圧倒的な勢力だったのである。 朱元璋本人もかなり弱気だったが、劉基のみが毅然と「敢えて陳友諒を応天府に引き込み、伏兵にて撃滅すべし!」と言い放ち、朱元璋もこれを容れて大漢軍を迎え撃つ覚悟を固める。 大漢軍は応天府まで猛烈な速度で進軍し、突入を図るが陳友諒の顔見知りで朱元璋軍から降伏した康茂才を全面的に信頼し、これが偽降であることを見抜けずものの見事に策にかかり、竜湾にて伏兵により壊滅的打撃を受け撤退。 その後朱元璋軍は大漢を押しまくり、陳友諒の当初の拠点であった江州(*11)などを奪い更に上流の武昌(*12)に撤退させるなど有利を築くことに成功した。 この不利を挽回するべく大漢は至正23年(1363年)に周王改め呉王を自称した張士誠の呉が朱元璋を攻める間隙を縫って再び大艦隊を興し、奪われた南昌奪還を目指す。 しかし南昌の留守居部隊が大艦隊による包囲を三ヶ月弱防ぎ続け時間を稼ぐと、朱元璋も呉を撤退させた後大船団を組織し南昌に向かう。 大漢艦隊は南昌の包囲を解き鄱陽湖に布陣し迎え撃った。 当初は巨艦を多く擁し圧倒的な威圧感を誇った大漢艦隊が朱元璋の艦隊を圧倒し、朱元璋座乗の旗艦が斬り込みを受けるなど苦戦したものの 朱元璋水軍の主力を成す兪通海率いる艦隊の火砲により鈍重な巨艦を焼き払うなど徐々にペースを取り戻し、戦闘三日目には吹き荒れた東北の風を利用し、火薬を満載させた火船七隻を決死隊が敵陣に突入させると数百隻を焼き払い無数の敵兵を屠る大戦果を挙げる。 この大火計により腹心であった弟陳友仁を失うなど士官にも大打撃を受けた大漢艦隊は撤退しようとしたが、朱元璋直率の伏兵が逃げ道を塞いでおり兵站も切られた大漢軍は瓦解。陳友諒は突破を図るが矢を受けて戦死した。 この鄱陽湖の戦いにより大漢は継戦能力を実質失い、翌年には跡を継いでいた息子の陳理が降伏。長江中流域はすべて朱元璋の手に収まることとなった。 ちなみに勘のいい読者であればお気づきになられたと思うが、この鄱陽湖の戦いは羅貫中が赤壁の戦いの描写の参考にしたとされ、巨艦を鎖でつなぎ陣にしていた点や決死隊の火船特攻、逃げようとしたところに伏兵がいたなどの描写は鄱陽湖の戦いに即したものになっている。 大漢を滅ぼすと朱元璋は呉国公から呉王に名乗りを変え、同じく呉王を名乗った張士誠との対決姿勢を鮮明にし、徐々に拠点を落とし追い詰めていく。 その進撃のさなか、大元の内紛に付け込み一時は朝鮮半島や上都や大都にも侵攻していたが、本気を出した大元の軍閥の功績稼ぎに使われズタボロにされた挙げ句、張士誠に攻め込まれて大ピンチであった紅巾軍の首領で一応名目上の首領と言える韓林児を保護することとなった。 しかし宋(*13)の龍鳳12年(1366年)、朱元璋の招聘に応え応天府に向かう途上船が転覆し溺死した。これをもって紅巾の乱は朱元璋を輩出するという成果を残し終焉した。 朱元璋が配下に指示し特に用もなくなった韓林児を処分したという説もあるが、明確な証拠は残っていない。 朱元璋は韓林児の事故死後に白蓮教を一転して弾圧しているし、勢力が大きくなればなるほど不満分子は出るし韓林児が火種になる確率は大きくもなる。なるほど排除したほうが合理的…アッハイ証拠はありません。 その後朱元璋軍は呉を追い詰め、1年弱の包囲戦の末隆平府(*14)を落とし張士誠を捕縛。 呉を滅ぼし、何度も大元に背いたり招安を受けたりして出世を重ねた末に独立勢力になっていた浙江の方国珍も朱元璋に降伏。 こうして江南を統一した朱元璋は応天府で大明の皇帝として即位。洪武元年(1368年)正月、明の誕生であった。 朱元璋は一世一元の制を敷き改元を封じたため後世洪武帝と呼ばれることとなる。 ちなみにこの明という国号は地名に由来したものではなく、白蓮教の別名明教から採ったと言われる(*15)。白蓮教は弾圧する一方でルーツは紅巾軍にあることは認めていたのかもしれない。 とにかく、この後は残された敵は長江の北、大元の皇帝及び各軍閥である。 中華統一・北伐事業 洪武帝は洪武元年の即位後すぐに徐達に大軍を預け北伐を敢行。 当時の大元で最強の軍閥を率いたココ・テムルが陝西軍閥の李思斉と交戦中であったことから華北には大きな軍事的空白があり それを突いて破竹の勢いで北上。ココ・テムルも引き返してきて明軍に当たるが敗れ北方に撤退してしまう。 同年8月には大元皇帝トゴン・テムルは大都放棄を決断。全軍民を中原から撤退させた。こうして明は華北を奪還することに成功した。 しかしその後も本拠地に帰った大元(*16)はモンゴル高原に君臨し北の災いとして明を苦しめ続けることとなる。 その後、トゴン・テムル没後皇太子アユルシリダラが即位する間隙を縫い大都の更に北方にある応昌府(*17)を奪い、 洪武4年(1371年)には徐寿輝の天完崩壊時に独立した最後の紅巾勢明玉珍が築いた明夏を滅ぼし四川を獲得するなど順調に領土拡張を進めた。 しかし洪武5年(1372年)、モンゴル高原に踏み込もうとした徐達率いる15万の軍勢が体制を立て直したココ・テムル率いる精兵に大敗。 この後アユルシリダラはココ・テムルに中原奪還作戦を託し南下させる。 一時期は山西地方北部まで盛り返すなど明を苦しめたが洪武8年(1375年)にココ・テムルが病死すると流れが変わり 再び明がモンゴル勢力に対し優越。モンゴル貴族支配下の雲南や甘粛地方、満州を奪い取る。 そして洪武21年(1388年)、ブイル・ノールの戦いでトグス・テムル(*18)の軍を散々に打ち破り圧勝。 即位から21年かけてモンゴル勢力を本拠地モンゴル高原に完全に駆逐することに成功し、かつての唐が中華として支配した領域を概ね回復することが出来た。 江南から興った政権が中華統一を果たしたのは後にも先にも明のみである。 こうして再び漢民族の栄光を取り戻した洪武帝であるが、外征のみならず内政においても尽力していた。自身が農民出身故か農本主義に基づいたかのような政策を実施。 特に小作農など下層の民に優しい統治を図った。工部の官吏や国立学校である国子監の学生を総動員して各地の堤防を修繕したりもした。 一方で魚鱗図冊や賦役黄冊を制作し戸籍や賦役、土地の状態は厳然と管理するようにしたし、衛所制や里甲制はかなりの負担となったのは事実である。 アメだけでは統治は成り立たないので仕方ないね。 さらには家族を信任し、養子に取った建国功臣が一人沐英らを重用したほか、『救荒本草』を著した周定王朱橚や北平の守りとして対モンゴル戦で活躍した晋恭王朱棡、燕王朱棣ら皇子を各地に封じ明の柱石とした。 温和な性格であった皇太子長男・懿文太子朱標が洪武25年(1392年)に急死したことは洪武帝を大いに悲しませたという。 朱標の死後は皇太孫とした朱標の子朱允炆のための体制づくりに腐心し、洪武31年(1398年)に亡くなった。 即位31年という長きにわたる治世であったが、その間に元末の荒廃から中華を立て直したと言えるに足る功績を残した。 歴代の王朝開祖と比べても十分すぎる資質を持った英雄天子といえよう。 △メニュー 項目変更 -アニヲタWiki- E〓〓〓〓 田〓〓〓〓〓〓〓〓回〓〓〓〓〓〓〓〓] iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii |∥ヾ□ / / / / /iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii ┃┃┃┃|∥ | | | | | | ┃┃┃┃┃┃┃┃ ┃┃┃┃|∥ | | | | | | ┃┃┃┃┃┃┃┃ ○○○○|∥ ニニ"◇ ̄◇ ̄◇| ○○○○○○○○ ○○○/|∥  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄U\○○○○○○○○ ○○/ /|∥ 建文帝 ○○○○○○○○ l | |∥U | | | IIIl (○) (○) U | じいちゃん…。 | |而 ( (ヽ_____/(( | じいちゃんのせいで朕の政権弱すぎなんですけど…。 ヽ | | ノ ノ \_/ノ丿 ノ ゞヽヽ ―---oo-――'" …とまあ、いままで出来る限りアレな部分は回避してきたのだが、この人を語る上で粛清を外すわけには行かないのである。 うん、決断力もあるし、部下に任せるということも出来るし、宋や大元で発達した商業本位ではなく農本主義政策を採ったこと自体も朱子学を信奉している以上そうなるのは理解の範囲内ではある。 あるいは、当時は経済も疲弊し交鈔の大暴落や銅の枯渇など通貨の発行にも困るという部分はあったので商業本位の立て直しは至難であったと言える部分もある。 故にここまで書いてきた部分は賛否あるにしても概ね賛寄りである。ただ、ここから先は否寄りの事績が多い。 大粛清 背景事情 華北から江南に根拠地を移しそこで力を蓄えて統一政権を築き上げたわけであるが、江南は華北に比べると疲弊も少なく南宋の故地であり 南宋代から続く大地主や南人(*19)官僚、知識人などが多かった。つまりはまあ、ブルジョワジィかつインテリゲンチャに担がれた訳である。 一方洪武帝という人はどういう人であったか、といえば英雄の器を持つ男であることは確かなのだが、所詮貧農の末っ子に過ぎない。 たまたま寺に行っていたため生き残り、その寺で読み書きを学び、乱世の中で英雄としての才覚を開花させたが、歯車が狂えば父のように黄河に飲まれたり餓死、病死していたような階級の生まれである。 そもそもの問題として金持ちで裕福な人生を送ってきた連中と反りが合うわけがなかったわけである。 それでも、大元、北に逃げて北元となったモンゴルの驍将ココ・テムルが健在だった頃は気に入らない連中でもしっかり利用せねば中華統一は覚束なかったため、そこまで亀裂が発生することはなかった。 そこで亀裂を起こして勢力瓦解させるようでは三流の群盗。そこはさすが洪武帝、中華帝国開祖は伊達ではなかった。 しかし洪武8年(1375年)、ココ・テムルが病死し北元の圧力が大いに減退すると、北伐よりも新国家の体制づくりが至上命題となる。この頃には中華各地から様々な人材を集められるようにもなっていた。 つまりどういうことかといえば、気に食わないやつを排除し理想の体制づくりをする好機が来たのだ。いや、来てしまった…というべきか… また、華北で決起した頃からの功臣やその功臣が推挙した者らも威光を笠にきて横暴を振るう例はままあった。 正直こういうのは王朝初期のあるあるネタの範疇であり、漢の高祖劉邦、唐の太宗李世民らも通ってきた道であるし、問題を解決するには一定程度粛清が必要だったりする場合はある。 皇帝権を高めようとするならば臣下の利益と当然ぶつかってしまう。それは仕方のないことではある。 しかし洪武帝の粛清が殊更言われるのは、その並外れた猜疑心が家族以外に誰彼構わず、時に溺愛していた家族にすら向けられたことである。 功臣第一の名将で昔なじみの友でもあった徐達や姉の子であった李文忠にすら謀殺した、あるいは自殺するよう仕向けたという疑惑すらあるほど。 馬皇后も死の床に臥せった際「私が死んでしまったら治療を失敗したと責められてあの人に粛清されてしまうかもしれない」と考えたのか、医者を寄せ付けなかったという。無茶苦茶な猜疑心である。 また、当時東シナ海や南シナ海沿岸は倭寇(わこう)と呼ばれる海賊が跋扈しており、北方のモンゴル勢力と合わせて頭痛の種となっていた。 明を通じて北虜南倭(ほくりょなんわ)」(*20)と言われ帝国を脅かし続ける事となるのだが、この頃の倭寇はいわゆる後期倭寇の倭人偽装の明人が率いる海賊団ではなく、 南北朝時代で統治が緩みっぱなしの九州の松浦党などの南朝系武士団が、元寇の復讐戦や南朝方の物資獲得を期して行っていたらしく、ガチの倭人、つまり日本人による略奪であった。 そこで周辺国に朝貢を求める使者を出していた洪武帝は日本に対してかなり強いトーンで「朝貢しろ、倭寇を取り締まれ!」と書状を出していたが 九州の覇権は当初倭寇を派遣していた、あるいは配下が倭寇をやって戦力を供給していた可能性が高い南朝の懐良親王が握っており、明の要求に100%応じられる状況ではなかった。 それどころか鎌倉幕府式のやり方で使者をぶった斬る(流石に全員ではなかったが)暴挙に出る始末であった。 その後、明の趙秩が上手いこと繕って日本が冊封に応じたという形で片付けたためとりあえず懐良親王の暴挙は大問題になることはなかった……が、冊封を受けた証である日本国王の印綬を懐良が受け取ることもなかった。 明からの使者が日本に国王印を持ってきた頃には今川了俊率いる北朝軍が北九州を制圧していたからである。そんな調子だったので倭寇は収まるわけもなし。 一応南朝と違い北朝側は明との交易を考えて倭寇を抑える意思はあったものの、肝心の統治力を巡らしきれていなかったのだ。 終いには倭寇が収まる様子もないのに、懐良名義で送り込まれる朝貢貿易で一儲けしようとする九州諸侯のニセ外交使者のあからさまなカネ狙いかつ無礼粗暴な態度に明は悩まされた。 洪武帝は大変憤激し、「あんな国とはもう交渉を持たん!」とキレていた。とはいえ格上のこっちが感情任せに切るのも…と思ったのか洪武帝は日本の悪名を利用しようと考えた。 外患誘致をでっち上げて粛清の口実を作る、そのための材料にぴったりだったのだ。 空印の案 驍将ココ・テムルの病死でモンゴル軍の組織的抵抗力が弱まった洪武9年(1376年)に洪武帝が仕掛けた粛清事件。 決算の提出の際、再計算が必要な計算ミスなど帳簿上のミスが見つかった場合一から書き直し、各地の長官に認印をもらうという形になっていたのだが 当時はコンピュータもないため、何度となく再提出となれば書き直しにも時間はかかり、その上で許可を貰い直すため仕事がどんどん溜まっていくという事になってしまう。 それを防止するために、慣例としてすでに認印を押された白紙の決算書を用意し、それに書き直して提出するのが習慣となっていた。つまり多重チェック回避策が慣例化していたのだ。押印、ヨシ! しかし洪武帝に見つかり咎められ、「こんなもん不正の温床じゃねぇか!粛清!」と宣言し各地の地方官を処刑・僻地への左遷などの厳罰に処す事としたのである。 これにより多数の官僚が殺されたり左遷されたりした。 まあなんとなく察しはつくだろうが、急に地方官(要するに、都道府県や市役所の公務員)を大量処刑したりしたらあっという間に業務が回らず帝国の統治は止まる。 しかし明はここからも安定的に統治を進めた。つまりどういうことかと言えば、代わりになる洪武帝肝いりの人材を用意した上での粛清ということである。 空印文書への追及はそのきっかけづくりにしか過ぎなかった、ということである。 行革にすら血生臭さが漂うのがなんとも、という感じはあるが、当時の官僚は土地を持っていたりするため束になって抵抗された場合帝国の屋台骨が揺らぐので、やるなら即断即決で命を断つのが最も安全。そういうものなのだ。 この結果人員は洪武帝肝いりの人材に一新、さらに元の時代から存置されていた地方行政の最高機関・行中書省が解体され、皇帝の意思を地方にダイレクトに伝える体制が完成したのであった。 胡惟庸の獄 元が残した遺制のうち、皇帝権とぶつかるものとして行政のトップにして六部を統べる中書省、その頭の左右の丞相がいた。 建国当初は親友で軍人である徐達、文人らしいいやらしさもあるが慎み深さがありあからさまにやらない李善長のコンビであったためにそこまで問題にならなかった。 しかし、洪武帝が李善長の娘婿である胡惟庸を信任し宰相につけた辺りから中書省の雲行きが怪しくなる。 端的に言えばこの胡惟庸、失脚する宰相のテンプレみたいな人材だったのである。 宰相になるくらいなので能力は舅の李善長に劣らないのだが如何せん性格が強欲、嗜虐的で俗人だった。 明史などには洪武帝の軍師であり諫臣でもあった功臣・劉基は胡惟庸が毒殺した、とあるくらいである。 ちなみに劉基は徐達らと共に胡惟庸の宰相就任に難色を示していた。んまあ怪しい。 そんな胡惟庸だったが、空印事件においては陣頭指揮を執り大いに活躍。彼が引き上げた酷吏(*21)の陳寧とともに積極的に処刑や左遷に従事した。 そのため敵はどんどん増えていった。しかしその一方中書省を胡惟庸派、後に胡党の汚名を着る配下でガッチリ固めた胡惟庸にスキはない、はずであった。 洪武12年(1379年)に占城(チャンパ)から朝貢の使者が来たという報告(*22)を洪武帝に怠るまでは、だったが。 翌洪武13年(1380年)、旧暦の正月2日という年始も年始に胡惟庸と腹心の酷吏陳寧は逮捕される。謀反という罪状であった。 もちろん、逮捕から四日後には処刑された。密告者及び一族諸共であった。あっ…(察し) 正史などには様々な理由が書き連ねられているが、まあそれっぽいのをでっち上げただけだろうというのが通説である。 洪武帝の目標は唯一つ、中書省の解体、宰相の廃止及び皇帝権の強化であった。 中書省の胡惟庸派は胡党とされ、中書省諸共に粛清された。さらにこの事件は江南の裕福な地主層、士大夫の基盤にまで延焼を起こす。 ライバルを蹴落とす口実として「アイツは胡党だ!」と言いがかりをつけて逮捕させるという手法が流行したのだ。 洪武帝はその訴えを特に吟味もせずの積極的な処刑を推奨したため犠牲者は増え続け、15000人以上とも言われる。 この粛清の嵐の只中、李善長ら功臣にもその手は伸びたのだが、そこは馬皇后と皇太子朱標が必死になって食い止めてこのときは事なきを得た。 しかし、胡党というレッテルはまだまだ毒として蔓延する事となる。 その胡党探しのために御史台を廃止し都察院に改め監察強化、さらに皇帝の目・耳として近衛軍の一部を改組し錦衣衛とし、秘密警察めいて暗躍させ恐怖政治を敷くのであった。 なお、宰相職廃止はさすがに職務が皇帝に集中しすぎて負荷が大きすぎたためか、洪武帝時代でもう秘書職として内閣大学士職が置かれ、 永楽帝期には諮問機関として内閣を作り大学士複数名を閣僚として採用するなどして地位を固め後世にはさらなる権限委譲を受け、 しまいには内閣大学士筆頭は実質大元までの宰相と同等の存在として振る舞うこととなった。 ただし洪武帝が定めた祖法には宰相に準ずる皇帝の政治代執行人の設置は禁じられており 政治の中枢に座るという意味で法的根拠はまるでなかったがため、かつての宰相ほど政治を壟断することは出来ず皇帝の気分次第で首がすげ変わる(物理)程度の存在でしかなかった。 そのため皇帝への阿諛追従に終始したり讒言であっけなく失脚もあった。 郭桓の案と林賢事件 胡惟庸の獄から五年後、洪武18年(1385年)に戸部尚書(長官)の郭桓が北平の布政司(*23)と結託して食糧を着服する事件が発生。 洪武帝は当然のごとくカンカンであった。六部は中書省解体後皇帝直属の機関として再編し皇帝の手足として働くよう改組した、はずだったからである。 当然のごとく戸部のみならず六部の長官は全員誅殺、他にも中央地方を問わず官吏、さらに官吏と結託して着服したとみなされた商人など民草も多く処断されて数万人を超える犠牲が出たという。 ストッパーの馬皇后が3年前に病死し、皇太子朱標も止めるには力が弱くこの粛清を止めようにも周囲はどうしようもなかったものと見られる。 更に翌年、貿易港寧波の責任者であった林賢が胡惟庸の「反乱計画」に関わっていた「胡党」であるとして処刑された。胡惟庸同様、一族根絶やしであったという。 その後、林賢と胡惟庸の「反乱計画」が明かされた。胡惟庸の命で林賢が日本と結び、兵を招き入れる手はずとなっていたということであった。 無論、これはでっちあげである。当時の日本に海外の反乱軍と結び外征をするような主体は存在していなかったからである。 室町幕府ならできなくはないとも言えなくはないが…南朝勢力や守護に任じた諸侯のことを考慮すればまず不可能と言っていい。 そもそも室町幕府を含めた北朝方は洪武帝の要求した倭寇の取り締まりに前向きであった。 日本の状況を把握せず、倭寇を送り込んでいる可能性のある南朝勢力が九州で強かった時期に最初の使者を送り込んだ明側のミスなのだが、まあそんな事は知る由もなかったということだろう。 前述の通りの日本国王の使者を騙るニセ使者が無礼極まりない態度でカネをたかりに来たようなことも多々あったため、貿易港のある寧波の責任者林賢を胡惟庸の「反乱計画」に通じた罪で処刑し その後日本とは一切の通交を断絶する、ということにしたかったのがこの事件の真実に近いといえよう。 つまり林賢は格下の日本相手にこっちから癇癪起こして断絶、だと体面が悪いので日本が反乱軍と結んでいたとして断交するための理由付けのために始末されたという可能性がある。なんとまあ… 胡惟庸の獄とは分けたものの、どちらの事件も胡惟庸の獄から連続した事件である。そして「胡党」探しはまだまだ続く。 李善長の獄 とまあ、ここまで官吏や士大夫層に痛撃を与えて皇帝権を固めてきた洪武帝であるが、功臣たちはまだまだ多く存在していた。 ここに至るまでにも功臣の一人である甥の李文忠を微罪で葬り去り、親友にして軍功第一の徐達にも腫れ物が出来たところに蒸したガチョウを送りつけ落ち込ませて(*24)死去させた…と史書に記された程の執念をもって功臣狩りを行っていた。 次のターゲットとなったのは胡惟庸とつながりがありながら馬皇后らの嘆願、息子の嫁が公主=洪武帝の娘ということで粛清を回避した太師李善長その人であった。 1390年(洪武23年)、弟の李存義が胡惟庸の陰謀に加担したとして逮捕され、加担したことや兄の関与を「自白」すると李善長は進退窮まることとなった。 洪武帝も李善長は処刑ではなく賜死にして自裁させることで尊厳を守るくらいの配慮はしたが、一族は当然誅滅された。 そして功臣たちも李善長に加担した、陰謀を知りながら止めなかったとして19名が弁明の機会もなく処刑となった。 さらに洪武帝の執念が及ぶ前に天命が尽き死した功臣たちすら爵位を奪われる始末であった。 さらに連座で血の嵐が再び吹き荒れて15000人程度が犠牲になったという。 1392年(洪武25年)に最後の「胡党」が処刑され、かれこれ12年以上続いた胡惟庸の獄、胡党虐殺についに終止符が打たれた。 藍玉の獄 しかし1392年に皇太子朱標が死去。洪武帝は深い悲しみに包まれてしまう。 後継者としては朱標の子、皇太孫朱允炆を立てたが柔弱と思う朱標より若く、乱世の経験も乏しく自身に比べると果てしなく弱い… 洪武帝はそう見ていた。その祖父の心遣い?がさらなる粛清劇を呼び込むこととなった。ターゲットになったのはブイル・ノールの戦いの英雄、大将軍藍玉であった。 この藍玉は常遇春・馮勝といった優れた将軍に仕えて頭角を現し、馮勝失脚後は大将軍となり対モンゴル戦の主将として戦い、ブイル・ノールの戦いで圧勝してモンゴル勢力を駆逐してみせたのであった。 その圧勝ぶりは凄まじく、トグス・テムルこそ逃したが次子ティボドや妃・公主を捕らえるなど古今まれに見る大勝利であった。 この戦いの後大元から続くクビライ系の皇統が断絶。一時的にアリクブケ(*25)系のハーンが立つものの チンギス・カンが統一したモンゴルはアリクブケ系の皇統を支持するオイラト、大元の後継者を自認するドチン・モンゴル、明に投降し衛所制の元仕えるようになったウリヤンハイ三衛と後世呼ばれた勢力に分かれ弱体化を余儀なくされた。 これにより、明建国後最初に手を付けた大業である大元討伐戦はひとまず終結。藍玉は英雄となったのであった。 このように大きな功績を残した藍玉であるが、性格には難が多く時法を守る意志も薄いところがあり、命令もないのに出撃する、勝手に部下の任免をするなど放埒な振る舞いが多かった。 それが災いしたのか真っ先に目をつけられ、1393年(洪武26年)に謀反の疑いで逮捕され速やかに処刑された。これが藍玉の獄開始の暁鐘となった。 功臣を中心に「藍党」「共謀者」が炙り出され藍玉他生存していた功臣のことごとくが弁明すら許されず殺害され、これに連座して2万人とも言われる人間の命が奪われた。 しかし藍玉は武功を誇り専横するちょっとアレな人物ではあったが、謀反を起こすような人物かどうかは微妙な線であり、やはり「藍党」「共謀者」探しからの功臣粛清が主眼であった。 洪武帝の狙いは孫の允炆、のちの建文帝のために少しでも功績があり誰かが担ぐ可能性がある功臣を減らす…そのための追加粛清こそがこの藍玉の獄であると見られる。 こうして念入りに丁寧丁寧丁寧に功臣を潰した結果、湯和・耿炳文・郭英の三人以外の功臣は全滅した。 文字の獄 この他にも文章にケチを付けて始末する文字の獄を積極的に行った。なんでかって?生まれ育ちに超コンプレックスを抱いており文人を激しく憎んでいたからである。 結局功臣粛清だとかそのへんもここにつながるので根が深い憎悪であったと言えるだろう。 例としては 「天に道あり」←道と盗は同じ読みだ!朕を盗賊流賊と謗るか!死ね! 「光天の下、天は聖人を生じ、世の為に則を作す」←光ィ!?キサマ朕が坊主だったのをバカにするか!しかも則と賊は同じ読みじゃないか!死ね! 「禿」←坊主だったのを揶揄するか!死ね! などなど、激しい文章検閲及び揚げ足取り(*26)が行われこれでも命が数多散ったという。 徳川家康「おいおい、そりゃいくら何でもコジツケだろ」 禰衡「文章も碌に読めないとか、所詮貧民出だよね~♪ これだから無教養の権力者ってタチ悪い…あっ言っちゃったw」 意外な?影響で言えば西遊記は水滸伝や三国志演義等と同様、宋から明にかけて小説として完成していく過程にあったが、当時猪八戒は朱八戒といった。 ブタの妖怪に皇帝の名字、特に苛烈な文字の獄を行う洪武帝の国姓である朱をつけるのは命取りということで自主規制した結果が猪八戒という名になったのである。 尤も、皇帝と同じ文字を用いるとは「恐れ多い」としてこれまでも敬遠されていた(*27)事であり、この件に関しては当然ともいえるが… 「御製大誥」 タイトルに有るこの書物は、胡惟庸ら「胡党」がいかなる罪を犯し、いかに苛烈に取り調べられ無残に命を散らしたかを詳述し、その上で洪武帝の訓戒を書き記し 「どんなに偉くなっても悪事がバレたら皇帝はこのように君たちを処分する、こういうことを絶対にしてはいけない、絶対の忠誠を誓え」と迫るものである。 ちなみに「御製大誥」だけでも三巻作成され、この他にも李善長の獄編ともいえる「昭示姦党録」、藍玉の獄編である「逆臣録」など多数が発刊され、官僚必読の書として読み継がれたという。 結果 念入りに皇帝専制の実現及び朱家による皇統継続のため、空印の案で行中書省、胡惟庸の獄で中書省を取り潰し、郭桓の案で六部の独立性を奪い、李善長・藍玉の獄で取って代わる可能性のある功臣を始末してきた。 その結果かどうかは定かではないが、朱元璋の子孫たちは1644年(崇禎17年)に至るまで、300年弱に渡り中華の支配者として君臨することが出来た。 しかし、洪武帝が一番守りたかったであろう朱標、その子どもたちが朱家の祭祀を継ぎ、皇統として君臨することはなかった。 北方の守りに就いていた勇将でもあった四男・燕王朱棣が皇位を狙って反乱を起こし、建文帝を打ち破って皇帝(後の永楽帝)として即位したからである。これを靖難の変と呼ぶ。 この燕賊簒位…アッ(斬首)朱棣による君側の奸を排除する戦いが結果として甥っ子の殺害にまで至ってしまった悲しい事件により、朱標の血統は皇統から外れることになった。 なぜこうなったかと言えば、建文帝側には能力不足な功臣の二世や将たる資質がない文官が多く有能な将軍不在、方や対モンゴル最前線で精兵名将を従えていた朱棣が大きく有利であった、という説がある。 さらに言えば乱世を知らず柔弱な建文帝と、将たる資質をも持つ英雄・朱棣の差があるとも言われるが、そこを埋めるのが臣下の仕事であり、その臣下が前述の通り祖父の手で殲滅されていたのだから建文帝にはどうしようもなかった可能性が高い。 つまりおじいちゃんの気遣いのはずがとんだお節介だったということである。…お節介というか積極的に建文帝の朝廷を弱体化させた、といえるだろうか。 家族思いであるがゆえに、家族の地位を脅かしかねない功臣を始末した結果、建文帝政権の基盤を枯らし、朱棣ら実子の王たちに封土や軍事力を与え、家族一丸となって明という「大きな家」を守ろうとしたのが、雄略の大器であった朱棣の野心に火を付ける事となった。 あまりにも皮肉な話である。 ついでに言うと「家族に封土を与えて国家を分割し、それぞれ治めさせる」というやり方はどう見ても周代以前の封建制そのものである。 1600年ほど前に始皇帝が封建制を全廃して、反対意見が起きた際の「皇族を分封させてもすぐに諸侯で内紛を起こすだろう」という始皇帝(李斯)の再反論に見事当てはまってしまっている。 そういえば劉邦の郡国制(封建制と郡県制の妥協システム)もすぐに内紛を経て終わっている。 1600年前に終わった封建制を持ち出したあたり、根本的に時代ズレしていたのだ。 とはいえ皇子に封土や王号を与えるのはこれまでの諸王朝においてもそう珍しいことではなかったが、洪武帝の場合軍事面での裁量など独立性を大きく与えすぎたところにミスがあったと言えるだろうか。 一応徴税権は中央政府に集約していたため、軍資金は自由にすることが不可能ではあったが… 建文帝政権は諸王取り潰し政策を行う中で一番の難物であった朱棣取り潰しに失敗して滅んだので、あまりに致命的であった。 余談になるが、永楽帝以後は領土削減などを行い諸王が反乱が出来ないような仕組みにはなった。 …が、万暦帝のように皇太子に出来なかった寵姫の産んだ依怙贔屓している子に異様に大きな封土や予算を与えて国庫を圧迫する例もあった。 そこまで可愛がっていた万暦帝の愛玩子・朱常洵さんは李自成軍に煮込み料理にされて食べられてしまいました。 また、宋代とは違い 官僚の命があまりにも軽い 言論の自由も存在しない(*28) 下手なことも出来ないため文人は恐怖し朝廷から距離を置こうとしたがそれも叶わない といったこともあって文人は怯えながら職についていた。 さらには明代は官僚の俸給が異様に安いため忠誠心や仕事意欲がかなり低く、科挙も受験者数は異様に多かったため狭き門には変わりなかったが 問題が定型文(八股文(*29))を覚えるとすぐに解けるような簡便なものになった(*30)ため、宋代よりバカ・無能(*31)でも突破しやすくなっていた。 このため国士たる気宇壮大な人材のみならず、士大夫として地盤を引き継ぎたいだけという意識の低い人材も結果的にではあるが積極的に集めてしまう事となってしまった。 これらが官僚の事なかれ主義を助長し、保身のために目立たずにいることを是とする空気で愚帝にも意見する硬骨の人材が減少することに繋がった。 それでも一条鞭法を全国に拡大適用し財政再建を成し遂げた張居正ら優秀な官僚は出ることは出たが、どちらかといえば少数派であった。 家族 主な人物のみを紹介。 馬皇后 郭子興の養女で、郭子興が朱元璋を気に入ったがために嫁がせたという。明建国後に立后された。 性格は慎み深く献身的、驕らず質素を好みしかし時には夫に諫言するような芯の強さを持つ賢夫人と称揚されるに相応しい女性であり、猜疑心の異様に強い洪武帝も彼女には心を開いて接する事ができたと伝わる。また最も信頼する「側近」ともしていた。 例えば大漢の応天府侵攻の際は彼女の発案で城に蓄えていた財産や食糧を配下や市民に配布して人心の安定を図る、前述の通り功臣粛清を阻止するのは彼女であることが常であったなど洪武帝の欠けた部分を補う活躍をみせる。 とはいえ彼女も洪武帝同様生まれは良くなく無学文盲であったが、女官から字を学び自ら歴史書を読んで皇后の心得を学ぶなど向上心にも優れていた。なんなのこの人… 洪武帝も見てくれで勝る側室はたくさんいたが、本当に心を開いて100%信頼出来たのは馬皇后以外にいなかったようで、事あるごとに彼女を称揚し、彼女はそれを鼻にかけることは一切なかったという。 1382年、洪武帝を残して病死した際には慟哭していたと伝わる。胡党・功臣虐殺は馬皇后の死を境に加速し、その後の粛清も馬皇后ほどに効果的に止められる人物はいなかったという。 洪武帝は数多の側室を持ちエネルギッシュに子を設け家族を増やしていたが、新たな皇后を立后することはなかった。 新たな立后をしないことが=愛の証明とは断言できないが、他の例を見ても深く愛していたがためにしないことが多いので、まあそういうことであろう。 残虐無道な猜疑心の塊である洪武帝が人間朱元璋…いや、小作農の末っ子朱重八としてありのままでいられたのは彼女の前だけだったのだろうか。 後述の朱標ら5人の息子と2人の娘、7人の子に恵まれた…と明史にはあるが、息子たちの母は名もなき側室とも言われる。 洪武帝が息子の血統を箔付けし確かにするために史書の記述を書き換えるように仕向けたらしい。ただし確たる証拠はない。 朱標 馬皇后との間に生まれたとされる長子。明建国後は皇太子として後継指名している。 温厚篤実な性格で、父の苛烈な粛清にNOが言える数少ない人物であったという。洪武帝はその性質を柔弱と断じてはいたが皇太子から降ろすことはなかった。(*32) また弟たちの面倒見もよく、次男秦王朱樉・三男晋王朱棡らが父に疑われた際は弁護に奔走し、厳罰を撤回させることに成功した。 しかし母である馬皇后の死から十年後、父に先立って急死した。享年38歳。懿文太子と諡された。 最後のストッパーである朱標の死は更なる大粛清・藍玉の獄の原因であり、それが巡り巡って後継指名された皇太孫朱允炆の最期をも決めてしまった。 建文帝/朱允炆(しゅいんぶん) 朱標の次男。洪武帝からすると孫。側室の子である。父の死後祖父から皇太孫として後継指名された。 靖難の変に至っても「朕に叔父殺しなんて不名誉を与えてくれるなよ?」と訓令して士気を下げたり、数少ない功臣でまともな将軍の1人である耿炳文をたった1敗であっさり更迭して朱棣に「あのジジイ更迭してどうすんだか、アレ以外なら誰が来たって楽勝じゃねぇか(意訳)」とあざ笑われたり 大敗して帰ってきた李景隆を更迭するでもなく何故か高位につけるという意味不明な行動をとって求心力を下げたりろくでもない戦争指揮能力を持ち、朱棣に敗れ燃える南京に消えた悲しき皇帝。 ただし減税路線や拷問廃止など仁政方向の政策を取っていたらしく、民からは慕われたという記録もある。乱世向きではなかったのだろう。 生存説が当時から流布されており、永楽帝の崩御後には偽物が出たこともあった。 永楽帝により明代においては「いなかったもの」として扱われ、清の乾隆帝による追号や明史の編纂過程でようやく復活することが出来た。 朱棡(しゅこう) 洪武帝の三男。馬皇后との間の子らしい。明建国後は取り戻した華北の晋王に封じられた。 才気煥発で威風堂々とした智勇兼備の逸材であったが、性格に非常に問題があり周辺から讒言されることも多く、謀反を企てたという讒言を信じた洪武帝は彼を処そうとしたが 弟のピンチに長男朱標は必死に弁護に奔走。その結果罰を回避することが出来た。その後は行動を改めて真面目に温厚に生きるようになったという。 太原に拠点を持つ晋王であるため対モンゴル最前線で戦争指揮する役割であったが、朱棣に負けない才能を見せ大活躍し武功を重ねた。 父と同じく1398年に死去。もし存命であったならば建文帝や朱棣の行動にどういう対応を見せたのだろうか… 永楽帝/朱棣(しゅてい) 洪武帝の四男。馬皇后との間の子とされる。明建国後は燕王に封じられた。 兄たちの中では朱棡に似て智勇兼備の逸材であり、対モンゴル戦で大いに活躍。企図した北伐をすべて成功させ、父より「北顧の憂いなし」と称賛されたという。 その後靖難の変を勝ち抜き帝位につき、建文帝派の官僚を無惨に葬り去る(*33)、自身の本拠地であった北平(大都)に遷都。北京と改めるなどして建文帝の即位の事実や自身の簒奪を徹底革除。(*34) 永楽帝の血統が崇禎帝まで連なったこともあり、明代には建文帝や靖難の変について論議することは不可能となった。 ある意味では洪武帝よりたちの悪い残虐無道なところもあったが、大百科事典と言える「永楽大典」や四書五経の政府見解≒科挙のベースとなった「四書大全」や「五経大全」の編纂や 鄭和に大艦隊を預け南シナ海~インド洋を股にかけ東アフリカやメッカまで朝貢を求める気宇壮大な大航海(*35)を7回決行。 さらに5度のモンゴル高原親征でただの一敗もせず全勝して見せるなど明を世界帝国にするため様々な大業を行ってみせた。まさに英雄天子であり、父の英雄成分を最もよく受け継いだ子であったと言えるだろう。 しかし、「四書大全」や「五経大全」は儒教の硬直化や科挙の難易度低下を招き、東廠設置による宦官登用開始は徐々に毒として明を蝕み 後続の皇帝たちは永楽帝の世界帝国路線と洪武帝の農本主義・恤民的な内政専念の両極端な政策の間で揺れるようになり、帝国の不安定化を招くなど功罪の多い男である。 この他に23男16女、側室は史書に記載があるだけで20人以上もいる。大家族である。 なお馬皇后に対しては深い愛情を見せた一方側室には結構酷薄で、馬皇后の死後後宮のリーダー格となった李氏や郭氏は外史(*36)によると不興を買って殺されているという。 その他 肖像画 皇帝然とした温和な老人のものと、極端にアゴがしゃくれて痘痕まみれのものが残っている。現存数は後者のタイプが多い。 郭子興軍に参加したときなど、顔にまつわるかわったエピソードや、明史にも「奇骨貫項」(*37)と記載されていることなどから温和な老人の方ではなくしゃくれ痘痕男のほうが本人に近いとされることが多い。 農民に対する態度 文人や商人など士大夫層には憎悪をむき出しにしてスキあらば文人や官僚には粛清、 大商人には財産の剥奪及び荒れ地に強制移住の上開拓を強いる、あるいは粛清など強烈な敵視政策を行った。 が、農民に対しては非常に心を砕き、肉刑(*38)禁止や、大河を抱える中国大陸では政府の一番の仕事である治水事業に非常に積極的になるなど彼らを慮る政治を取っていた。 おそらく生まれが最下層の農民であったがゆえ、立場は変われど同胞意識が非常に強かったと思われる。 また、中小農民に対する商売が中心の商人には減税という形で助け船を出すこともあった。 後継者が遺訓を守ってくれない 洪武帝は後継者にむけて残した遺訓において様々なことを禁じていた。 宦官を本来の後宮の小間使い以上に重用すること 日本との国交を持つこと 宰相やそれに準ずる職の設置 などである。 しかし、宦官の重用禁止は永楽帝が即位の際に正当性が足りなかったことから鄭和らを重用。 さらに錦衣衛の上部機関として宦官を長とする東廠を設置し、恐怖政治を推し進めたことで破られた。 この後宦官は東廠長官など重要な役職につくようになり、洪武帝が懸念したとおりに土木の変でやらかした正統帝の家庭教師・王振や天啓帝時代に明の滅亡を確定させた魏忠賢などが壟断。 宦官の跳梁跋扈と愚帝のコンボにより、明は大きく弱体化し滅びへの道を進むことになった。 洪武帝が忌み嫌った日本との国交についても建文帝が足利義満の国書を容れて勘合貿易を開始したところで破られた。 その後明はしばらく勘合貿易を続けるが、16世紀には寧波事件で大きな外交問題が起こったり、中国商人が日本商人と私貿易を行うために倭寇となり沿岸を荒らし回るなどせっかく落ち着いた倭寇が活発化するなど散々であり、 終いには豊臣秀吉(*39)が万暦帝期に朝鮮半島から明に侵攻することを企て、その通り道に選定された李氏朝鮮からの救援要請を受けて戦う羽目になってしまった。 なんとか追い払う事はできた(*40)が、国庫に大打撃を受けた上兵力を抽出した遼東方面軍が弱体化しヌルハチ率いる女真族の跋扈を許してしまう。 その結果生まれた女真族統一国家後金、のちの清に明は大いに悩まされることとなる。 守られていれば明は滅びなかったとは言わないが、宦官を重用せず日本に構わずにいたら歴史はだいぶ変わっていただろうか…。 明による日本侵攻 倭寇を取り締まるよう命令した国書を受け取った懐良親王による使者殺し及び「お前らが攻めてくるなら受けて立つぞ馬鹿野郎!(意訳)」と書かれた返書にガチギレした洪武帝は、日本侵攻を真剣に考えた事もあったという。 ただ、元寇の失敗を鑑みてそれは思いとどまったという。クビライの失敗は無駄ではなかったのであった。 創作関連 中国でも毀誉褒貶激しいが、ドラマ「大明帝国 朱元璋」は大ヒットを飛ばし日本でもCSで放送されたりした。朱元璋役はレッドクリフで趙雲役を演じた当時売れっ子であった胡軍。 小説類は…ほぼ存在しない。あの陳舜臣も計画は立てたが史料読みの時点で断念したという難物である。 安能務の「中華帝国志」では下巻の中盤あたりに登場。 洪武帝は勤勉で、将軍になるなら真面目に将軍となり、皇帝になるなら真面目に皇帝になろうとした。 それは立派なことだが、問題は、生まれが卑賤な彼は「皇帝」がどういうモノかを実際には知らず、知らないと気づかないままに「自分が信じる理想的な皇帝」になろうとしたため、却って独善に突っ走ってしまった点にある、とする。なまじ頭が良く、学者としても一流になれたため、余計に他者の知識や意見を聞かなくなった。 さらに過剰な粛清も、「犯罪を一切許さない皇帝というあり方」に加えて「数百年後まで朱氏皇室の礎を築くための地ならし」という側面があった。 しかしそれ故に、権力には人の計算を超えて動く魔性があることや、権力の舞台では兄弟であろうと他人に等しいことを理解できなかった。 結果、洪武帝の死後すぐに建文帝は権力強化のために粛清に走り、それに反発した永楽帝により逆に滅ぼされる。彼の遺訓もほとんど守られなかった。 作者はこれについて「聡明ゆえの無知、完璧ゆえの手抜かり」と評し、例えばフランス革命のロベスピエールが同様の人物だったと引き合いに出している。 2ch~5chでは妙な人気があった時期があり、その頃からあるネタスレ「朱元璋とともに苦難を乗り越えてゆくスレ」は一応今でも存在する。 元ネタは暗黒TBSベイスターズ時代にその輝く頭と明るい性格でファンにほんのりと明るい光を灯した…かもしれない山下大輔監督のネタスレ「大ちゃんとともに苦難を乗り越えてゆくスレ」。 当項目冒頭の洪武帝のAAと中盤の建文帝のAAは朱元璋とともに苦難を乗り越えてゆくスレ出典である。ちなみにこのAAが生まれた時期は2003~2004年ごろである。 歴史家の評価 まあ色々あるが、清代の歴史家である趙翼の評価が一番端的でわかりやすいだろうと思うので紹介する。 「一身において聖賢、豪傑、盗賊を兼ねた才物」 ……ここまで長々と書いてきたことがこれだけで十分に説明がつくのが悲しい。 追記修正は「一身において聖賢、豪傑、アニヲタを兼ねた才物」の方にお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 文字の獄って要は君臣豊楽国家安康だろ -- 名無しさん (2020-08-23 02 26 34) あちらが立てばこちらが立たず、欠点の無い統治者なんていないんだなって -- 名無しさん (2020-08-23 03 01 23) 同じ人間なのか、これ(ドン引き) -- 名無しさん (2020-08-23 06 31 05) 歴史の教科書でしつこく出てきたやつだ! -- 名無しさん (2020-08-23 08 47 25) 暴君呼ばわりされるのは自分たちの既得権益を奪われたインテリの逆恨みも入ってると思う -- 名無しさん (2020-08-23 09 37 34) 場所問わず負けた側はボロクソに言われるのが歴史の常だし、盛り過ぎな部分があったとしても偉大な功績は無視できない部分があったのは確か -- 名無しさん (2020-08-23 10 11 16) 何というか、双子座のサガが実体化したような人物だな。 -- 名無しさん (2020-08-23 10 23 40) 中国史史上でもガチでまったくの貧民、親戚無しで至尊の地位に上った男だからなー -- 名無しさん (2020-08-23 12 13 46) 同じ農民出身皇帝の劉邦もヤk…土地の顔役で、毛沢東も庄屋のお坊ちゃんでどちらも富農だったのに対し(豊臣秀吉も最近は少なくとも豪農クラスの出身だった説が出てるし)、朱元璋はガチの水飲み百姓から天下人までのし上がったのがすごい。って全員晩年の粛清劇が凄い人ですね…。 -- 名無しさん (2020-08-23 13 52 20) 信長と秀吉と家康がフュージョンした様な人だな・・・ -- 名無しさん (2020-08-23 13 54 01) ↑3その上ブサイクで家族が全員餓死ってこれ人生ナイトメアモードだろ。 -- 名無しさん (2020-08-23 14 17 25) 秀吉は中の下くらいかな金もコネも学もないけど文字読めて下働きこなせる程度の教養はあるんだし -- 名無しさん (2020-08-23 16 39 37) 馬皇后が洪武帝を -- 名無しさん (2020-08-23 17 26 28) ちなみに宦官を徴用するなっていうのも体制的に無理筋なんだよね、おまけ代わりに支えてくれる外戚もいないし… -- 名無しさん (2020-08-23 20 04 45) なんかブサメンな顔とか経歴見ているとどこぞの海賊漫画の黒炭オロチみたいだなって思えてきた… -- 名無しさん (2020-08-23 21 02 57) 宦官使うなってんならせめて代わりの官僚くらい残してクレメンス・・・(届かぬ思い) -- 名無しさん (2020-08-23 21 27 15) ↑漢方孝孺、迫真の燕賊批判 -- 名無しさん (2020-08-23 22 40 11) ↑4 劉邦の真似しろって言われたから呂稚がいるかのように功臣殺しまくっただけなのに・・・まあそれでも劉邦は文官や謀臣といった功臣は手にかけてないわけだが -- 名無しさん (2020-08-24 00 37 31) 地盤のない人物だから粛清自体は仕方ないんだが、結果的には裏目ったね。奥さんや息子が善人で、家族の絆も強そうな辺りがまた哀愁を誘う -- 名無しさん (2020-08-24 00 48 09) 洪武帝はダブる名前もないことだし、朱元璋という名も有名なのはその通りなんだけど、永楽帝のことも考えると項目名は「洪武帝」だけでもいいんじゃないかなーと思う。 -- 名無しさん (2020-08-24 00 59 31) 官僚と皇帝、更にココに有力者が絡むので清のあの人並みばりにマジキチレベルで独裁するか、宦官という個人スタッフを使って仕事するかの二択ー(皇帝は全部自分でやりたい、官僚は決まりどおり粛々と処理したい) -- 名無しさん (2020-08-24 10 58 20) 「特定の文字を元に『自分の過去への当てこすり』という言い掛かり同然の冤罪で粛清した」「とにかく数多の功臣が粛清された」とか怖い逸話ばかり聞くせいで「やっぱヨシフおじさんといい貧困層出の君主ってダメなのかな……」と思いきや、「自分が若い頃家族が死に絶えながらも、飢饉の真っ只中おそらくはその悲しみに暮れる間すらなく自分一人で生き延びる術を探さざるを得なくなる凄惨な過去があったから(主に悪い方向に出てしまったけど)、皇帝になって妻子に満足な遺産を残せるようなった後は磐石の治世を残してあげようとしたし、皇后が『治らなかったら医者が冤罪をかけられるかもしれない』とすら病床ですら案じたほど家族を喪う深い悲しみがあったからこそ新たに得た家族への愛情も家族を脅かし得るものへのへと強い警戒心もあった」と良くも悪くも「ただの人間」だったんだとわかってなんか安心した -- 名無しさん (2020-08-24 20 27 43) だから王には血筋がどうしても必要という事なんでしょう 結局王と官の線引きをするって時にじゃあ何が線になるのかと言うと血筋な訳で それだけは官一人じゃ逆立ちしても手に入らないんだから犯しようがない 時代がそうとはいえ皇帝になってしまった事が彼の不幸その物だと思う -- 名無しさん (2020-08-24 22 33 55) ↑実際組織を安定させる方法としては世襲制は未だに有効だしな -- 名無しさん (2020-08-24 23 54 37) 読みが同じで後漢の初代皇帝である光武帝(劉秀)との対比が色々と面白い。あちらが(ある程度の誇張込みとは言え)いかにも穢れを知らない、完璧超人じみていて人間離れしたエピソードが多いのに対して、こちらは皇帝の椅子に座って尚、持たざる者だったが故のコンプレックスや家族に対する甘さといった「人間らしさ」をおおよそ捨て切れていないのがなんとも -- 名無しさん (2020-08-25 09 01 45) 家康の方広寺の鐘の件、文字に関しては確かにイチャモンだがその結果求めた「淀君を人質にだし豊臣は参勤交代しろ」はそれほど理不尽な要求じゃないんだけどね(ていうかこれに従わないなら謀反企んでる扱いされてもしゃーない) -- 名無しさん (2020-09-06 19 26 56) そもそも豊臣氏は家康と天下を争うライバルだから仕方ない。家康にしてみれば小牧長久手で覇権を争った相手の妻子にいつまでも膝を屈している理由はなかろうし -- 名無しさん (2020-09-06 19 51 43) しかしこうして見ると『カイジ』の兵藤会長が慈悲の化身に見えるほどの暴君ぶりだな……民も虐げたより単純な暗君なら五代十国辺りにいくらでもいたし、事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ -- 名無しさん (2020-09-06 19 54 29) 経歴だけ見ると虹の世界でも通用しそうだよな・・・ -- 名無しさん (2020-09-13 01 32 44) 馬皇后は病状が悪化しても朱元璋が寄越した医者の診察は受けなかった。理由は結果的に自分が死んだら「治せなかった」を理由に粛清されるのが分かっていたからだという -- 名無しさん (2021-03-08 22 45 06) 耿炳文も朱元璋の死後に粛清されてる。郭勛の子孫は結構後の世代まで残ったらしいが -- 名無しさん (2022-03-21 08 45 10) 極貧に加えて容姿までブサイクとか人生ハードモードにもほどがある。そこから最終的には大帝国の建国者に上り詰めるとか化け物すぎますわ。確かにこの男には人類史最大の成り上がり者という称号がふさわしいな。 -- 名無しさん (2024-03-30 22 33 34) 50歳で亡くなったらしい馬皇后が、もしもっと健康で長生きしていたら、この人の評価ももう少し変わっていたかもしれないなぁ。しかし無学のはずなのに、馬皇后はよくぞここまでの振る舞いと夫の暴走を止めるために尽力できたものだ。歴史は、時折あり得ないほどの天才を産み出すが、馬皇后もその一人だったのかもしれない。 -- 名無しさん (2024-03-31 10 59 47) 所詮貧農の末っ子に過ぎない。って編纂者の主観を書き込む必要あったの?人によっては駄文扱いされるよコレ -- 名無しさん (2024-07-30 20 55 20) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/textlib/pages/83.html
民主党ですが一発やらせて http //gimpo.2ch.net/test/read.cgi/army/1222220063/l50 349 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 30 52 ID ??? ところでヨーロッパって昔は弓主体の日本と違って接近戦主体だったんだっけ? 354 名前:名無し三等兵[sage ] 投稿日:2008/09/24(水) 18 34 10 ID ??? 349 こういうのは、何時か、を指定しないと。 イングランドのロングボウアーチャーとか、フランスのクロスボウとか、いるけんね。 359 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 36 15 ID ??? 354 すまん 何故日本では手で持つ盾が廃れたのかって内容のスレでヨーロッパは接近戦主体だから盾が発達したって書き込みがあったもんだから気になったんだ 366 名前:アークだよもん ◆V2ypPq9SqY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 39 24 ID ??? 359 むしろ火力戦の結果が楯につながったとおもうだよもんよ まー基本ローマからの遺産だよもんが 日本で楯が廃れたのは地形的制約のほうが大きいと思われ 367 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 39 30 ID ??? 359 そりゃ重装歩兵がいなくなったからでしょ 鎌倉武士とかは世界的にも珍しい重装弓騎兵だし そこに盾を追加するのは不可能だろJK 368 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 40 33 ID ??? やっぱり盾の方向性が母衣とかに変わっただけなんかね 372 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 42 20 ID ??? 359 日本は使い捨てや即製の盾で 西洋は紋章つき看板だっていう差じゃねーかな。 あと日本だと地形のせいで盾が邪魔だ。動くにも密集するにも。 380 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 44 36 ID ??? 日本の盾っつーと固定式の盾とか大鎧とか母衣とか竹筒とか隼人の木盾とか・・・ 382 名前:本好き猫 ◆hoCa1I7DQA [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 45 12 ID ??? 368 個人装備より集団戦の方向に指向したんじゃないかなあ? 陣幕とか。 387 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 46 52 ID ??? 377 戦国時代はまた別 応仁の乱以降は、足軽という形で重装歩兵のドクトリンが復活した 390 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 47 29 ID ??? 日本じゃファランクスなんて出来る場所がないし・・・ 404 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 50 46 ID ??? 359殿 日本刀は叩き潰す洋刀と違い 引いて切り裂くものだからではありませんか? 片手では使いにくいでしょうし 410 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 52 33 ID ??? 重い盾を持って山城を攻めるのはキツイからじゃね? 411 名前:名 419 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 58 53 ID ??? ちなみに剣道部にいた頃 新聞紙とダンボールで剣と盾を作ってチャンバラごっこやったことがあるけれど 盾、役に立たないんだよな、ある程度訓練した打ち込みだと 盾では反応し切れなくて 真正面からだとなんとかなるけど、やや斜めから盾を持っている手首を狙われると ほとんど防げなかった。 427 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 03 50 ID ??? 419 盾の訓練してないからじゃね? というかそもそも盾の目的の半分以上は投射攻撃からの防禦だし 433 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 08 43 ID ??? 419殿 盾は手で持つのではなく腕に固定するように持たねば簡単に取り落としてしまいます 437 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 10 36 ID ??? 剣道と言えば全日本剣道連盟は組討の技法も有りにすべきだと思うんだが 438 名前:名無し第三皇女 ◆1LxEVEeIgU [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 11 15 ID ??? _ _ 剣道はちゃんと二刀流の流派がある件について / ,. -、`r― 、`ヽ、 _,イ ヤ┴┴- 、\ ヒー 、_ ところで 92壁の人、メール発信致しましたので宜しく r / / | ヽ. ヽ∨ ノYi、 { | | イ / / ヽ イ ソ i_∨ !(从し ー- ヽ{ソ ソ `Kゝ{ ● ● ! ゝ-イ || リ⊃ 、_,、_, ⊂⊃イイ∥| /⌒ヽ|| |ヘ ゝ._) イ/⌒i∥l \l Y`||yー>、_ イァ/ _ ./ | | (~ ||//(@)\_/Y /フ i |/ `ハ | l___ __ソ 、__イ |l | やっちゃったZE☆ / ,l|ミl ∀ `l, { | |ミ|\ 443 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 12 41 ID ??? 438 てか戦前のある時期までは二刀流もかなり多かったんだけど 試合で勝つためだけの姑息な戦法が学生剣道で横行したから禁止された 447 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 14 06 ID ??? 433 というか、接近戦での盾の最大の欠点は 頭部に打ち込みがあった時にそれを塞ごうとすると視界がふさがる事でしたね。 面を打つ振りをしてフェイントをいれると胴がら空き みたいな感じ 448 名前:アークだよもん ◆V2ypPq9SqY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 14 15 ID ??? 419 楯を楯としてしか使ってないからだよもんな。 楯は押し殴るものですよ? 剣はひるんだ相手の腹か首か脇をえぐるものです 455 名前:アークだよもん ◆V2ypPq9SqY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 17 24 ID ??? あと、楯を使うときは刃は小振りがお勧め 462 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 19 33 ID ??? ところで何で世間の連中は二刀流の剣術は武蔵が創始したとか勘違いしてやがりますか 468 名前:ミーくん ◆3Y7FF0oA1A [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 23 07 ID ??? 466 剣道の達人と居合/剣術の達人、真剣持たせて濡れた藁束切らせたらやっぱり居合/剣術の達人は ズバッと切っても剣道の達人は浅くしか切れないって話があって・・・ 474 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 24 19 ID ??? 447 というか、接近戦での盾の最大の欠点は 頭部に打ち込みがあった時にそれを塞ごうとすると視界がふさがる事でしたね。 面を打つ振りをしてフェイントをいれると胴がら空き みたいな感じ それだ! 透明な盾を作れば機動隊とかに売れるんじゃね? 480 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 26 08 ID ??? 江戸時代から剣術が剣道っぽくなったり 激しい実戦形式の稽古がけずられたりで 現代の剣術は型稽古が殆どの所が多数という始末 481 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 26 23 ID ??? 465 そりゃローマ帝国側に分が悪い 重装歩兵の天敵は、モンゴル騎兵みたいな軽装弓騎兵だから ローマの最盛期については、軍事的にはトライアヌス~ハドリアヌスの頃、 経済力的にはカラカラ帝の頃かと 486 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 28 04 ID ??? 465殿 速さのモンゴルと兵站のローマですな 指揮官がカエサルとチンギス・ハンならどちらが勝つかな? 487 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 28 13 ID ??? 小クンニとか、小ハマコーとか、酒とか、なんだか面白い内閣になったなあ。 488 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 28 56 ID ??? >剣道 半身に構えたら反則とか、足を狙う技がないとか、防具の隙間をえぐる技 がないとか、“実戦的”ではないですが、それでも剣道の有段者が棒を 持ったら普通の人じゃ敵わないんですよねぇ。 489 名前:ミーくん ◆3Y7FF0oA1A [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 29 17 ID ??? 476 叩くだけってことだったような。剣道三段の人から聞いた話しですけんども。 494 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 31 04 ID ??? モンゴルVSローマ帝国軍(五賢帝辺り?)が戦うとしても場所によるかな? ダキアとかアナトリアとか中近東辺りを想定できるか(史実でもモンゴルが進出したし) ローマ軍が中央ユーラシアへ侵攻しても勝てるとは思えないw 507 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 33 51 ID ??? 468 つか 剣術→剣道 別に相手を切断しなくても刃先を体に当てれば戦闘能力は激減でしょう 無駄に振りかぶると隙が多いし無駄でしょう。 できるだけコンパクトにして突きとか無駄なくてイカスよね 居合 刀をどこまで使いこなせるか、極めてみたいっす 元々が違いますので ハイ 江戸時代の道場では 剣術を表芸 居合いを裏芸と呼んでいたそうです 511 名前:アークだよもん ◆V2ypPq9SqY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 34 16 ID ??? 純粋な市民動員力なら五賢帝時代なら300万以上のはず ポエニ戦争のときにすでに75万の動員力(ハンニバルにほぼ半分に減らされたが しかしソ連のカゴテリーと同じで全動員したら経済がry 512 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 34 32 ID ??? 490 ローマの兵力が最大だったのは、多分ディオクレティアヌスの四帝制が軌道に乗った頃かと 皇帝一人頭10~20万で、ローマ全軍で5,60万位だったかな 513 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 34 39 ID ??? 504 気候と地力の差が大きいというか。 所詮は未開の地。>欧州 514 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 34 50 ID ??? ローマVSモンゴルだと、どう想像してもモンゴルが攻勢側だよなあ。 516 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 35 00 ID ??? 510 騎兵以外に、攻城部隊も持っていたりして>モンゴル 517 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 35 06 ID ??? 508 匈奴VSローマ軍・・・ モンゴルよりは可能性アリ? 518 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 35 54 ID ??? 林業やってる人間は普通に使いこなしそうだ<日本刀 相手が堅いからただ叩きつけると手が痺れます 519 名前:名無し三等兵[sage ] 投稿日:2008/09/24(水) 19 36 58 ID ??? 517 フンに踏み潰されましたな。 だいぶん後期になってからですが。 匈奴とフンは名前が似ていて馬に乗ってる以外関連性を示す証拠は無いけんど。 520 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 37 10 ID ??? ヨーロッパの学校ではアラブが世界の学問の頂点にいた時代を教えていないのだろうか 521 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 37 23 ID ??? 516 まぁモンゴルって民族ではなくて、1つの共同体ですしね~ ゲルマン民族を引き連れたモンゴル軍ガガガ その前にシリアやエジプトを席巻したら大丈夫か 523 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 37 48 ID ??? 516 チンギスハンの頃だと、モンゴルは攻城戦が物凄く苦手 524 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 38 06 ID ??? 521 ローマも帝国ですからねえ 525 名前:CB400SB ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 38 25 ID ??? ローマが日本の騎馬軍団見たらどう思ったかしら 鐙の問題があるけど、完全武装で騎兵編成とか、考えてみたらアレだ 526 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 38 38 ID ??? 519 フンと言っても、ガリアやイタリアへ攻め込んだ時には、配下のゲルマン歩兵やらの方が数的に優位だったらしいですけど 527 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 38 57 ID ??? 飛び石連休、ずっと所用で出かけてたため、JK56本日入手!!123 棚にあった最後の一冊ですた。 528 名前:名無し三等兵[sage ] 投稿日:2008/09/24(水) 19 38 59 ID ??? そういえば、アフガニスタンで負けてたな>チンギス・ハーン 529 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 39 09 ID ??? モンゴル軍がゲルマニアに到達した時、 恐ろしい事が起きるような。 530 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 39 21 ID ??? 525 むしろ鎧のデザインに着目する椰子がですね・・・ 531 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 39 24 ID ??? 525 準重装甲弓騎兵、という表現を戦術となんとかの世界史で見ました。 532 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 39 44 ID ??? 523 ホラズムシャー王国の時に攻城戦を展開しているけど サマルカンドやら 第一次金侵攻の時には苦戦していたような気がするが 534 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 40 52 ID ??? 532 していました。 というか、どこかの攻城戦の結果、捕虜を動員して攻城能力を獲得した、と言う通説だったような。 536 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 41 12 ID ??? 居合い三段の俺、惨状! 二尺三寸五分、刀身重量で800gの樋入れ無しの刀を愛用しとりますが、盾持ちとかこれより重い刀は振りたくないです つーか斬れないと思う 537 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 41 43 ID ??? 武士=弓馬の道、弓取りの時代と 武士=槍働き、一番鑓の時代とあるからなあ… 538 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 41 55 ID ??? 534 華北だったかな?>攻城戦やらを初体験 539 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 42 27 ID ??? 500 つか、藁束(稲の藁)は簡単です。普通の修練に使うのは畳表を巻いたもの いわゆる巻き藁(稲の藁ではなくて材質はより丈夫なイグサです) これは格段に難しくなります。 次に難しいのは竹、これは刃筋が少しでも曲がると滑って切れません。 次に難しいのは固定されていない物、 例えば、台の上のトマトを置いてそれを横から切る 切ってもトマトを台の上から落とさない これはむずかしいです 十年単位の修行が必要です 540 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 42 41 ID ??? 533 535 世界レベルでは軽騎兵よりずっと重装備ですが、 突撃を目的とした重騎兵に比べれば劣り、 彼らは弓による射撃のあと、抜刀して突撃すると言う形態だとして、 準重装甲弓騎兵、と言えるだろう、というような。 541 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 43 06 ID ??? 508 でも積極的に攻めに出たのが武帝だけで他は大概動乱時代に火事場泥棒的に取られたのを取り返そうという国土回復運動だったり 元々長城の向こう側から来た連中だったりという点もあるのでは。 実際武帝時代の遠征でもいくら匈奴に勝ってもその見返りが少なすぎて深刻な財政危機になってしまったから、 その後の時代では長城を超えて攻めに行くのは控えようという方向になったのかも。 後一応唐の太宗も当時の匈奴的存在だった突厥を降して天可汗の称号を貰っておりますな。 545 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 45 02 ID ??? 牛股師範のように木刀で畳表を両断できるようにがんがれ 547 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 45 42 ID ??? 541 だってモンゴル高原に何もないもん 少なくとも中国内地の人々が欲しがるようなモノは 馬だって貿易すればいいし、わざわざモンゴル高原へ遠征してもムダでしょ 安全保障上の問題とかもあるけど だから武帝や永楽帝がクローズアップされるわけで 永楽帝もクビライを継ぐ・超えようとモンゴル遠征をしただけだし 550 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 47 18 ID ??? 504CB殿 戦国末期日本の重火力振り、軍の効率化はまさにチートと言えるでしょう 大平の世で花火や工業団地に化けてしまいましたが 551 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 47 44 ID ??? 542 普通の170センチくらいの身長の男性で 二尺三寸から二尺4寸の刀を使います、居合道では 厚口刀身で900g前後、薄口刀身で800g前後になります。 553 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 48 58 ID ??? 546 居合刀と重量がほとんど同じ所が面白いですね 554 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 49 21 ID ??? youtubeで居合いの動画見たけど、鞘から抜けるまで刀身の位置は変わらないんだね。 知らんかったわ。 555 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 49 25 ID ??? 宇宙をバックに木刀でぶん殴った人にひび入れるくらいの技が欲しい 556 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 49 58 ID ??? 550 そして2百年以上の太平を準備期間としつつ 19世紀中ごろより近代化を推し進めるわけで 少なくとも日本の台頭は必然に近いような 明治維新以降がすごいだけではなく、江戸時代全般がスゴイ これを無視して、明治以降で近代化を語るのは、ダメでしょうな 557 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 50 37 ID ??? >536殿 本身の刀、いつかは振ってみたいですね。 また道場通おうかな(某古流柔術)と思いつつ、全然行っていません…。 558 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 50 40 ID ??? でも薙刀最強説。 559 名前:名無し第三皇女 ◆1LxEVEeIgU [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 50 48 ID ??? _ _ / ,. -、`r― 、`ヽ、 _,イ ヤ┴┴- 、\ ヒー 、_ 800gと言えば拳銃で言えばサブコンパクトクラスです r / / | ヽ. ヽ∨ ノYi、 { | | イ / / ヽ イ ソ i_∨ !(从し ー- ヽ{ソ ソ `Kゝ{ ● ● ! ゝ-イ || リ⊃ 、_,、_, ⊂⊃イイ∥| /⌒ヽ|| |ヘ ゝ._) イ/⌒i∥l \l Y`||yー>、_ イァ/ _ ./ | | (~ ||//(@)\_/Y /フ i |/ 風魔の小次郎 `ハ | l___ __ソ 、__イ |l | 風林火山とな / ,l|ミl ∀ `l, { | |ミ|\ 562 名前:CB400SB ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 51 32 ID ??? 553 長さも多分似たようなもんじゃないかなあ? つまるとこ、人間が自由に振り回せる重さやサイズがこんなところなんでしょう 過去には長大なバットを使う選手もいましたが、現在では長くてもそこまで逸脱したものはなくなりました 563 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 51 52 ID ??? 516インペラトール 勿論です ですから「短期間」と書いたわけでして あすこで手間取ってると兵站で圧倒されるでしょう でも短期間で撃破出来れば… 高速道路が首都までまっしぐらでありますw 566 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 53 22 ID ??? 563 手間取ったあとが、想定しづらい気がしますよ。 ローマはたぶん、カルタゴと戦ったときみたいに粘り強く戦い続けるでしょうけど。 567 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 53 41 ID ??? 居合の“裏技”(各流派の秘伝に当たるモノ。“影”と表現する流派も あるとか)はエグイです。 もうほとんど騙し打ちと不意打ち(w 569 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 54 03 ID ??? む、バットは1000g前後と記憶してしまっていたようだ それでは重過ぎるのだな 571 名前:CB400SB ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 55 05 ID ??? そういや幕末は外人がイメージする「サムライ、ハラキリ、カタナ」の世界そのまんまなんだよなあ 日本全国の有名流派が真剣でガチンコした唯一の時代 572 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 56 13 ID ??? 536殿 やはり和洋刀の特性の違いというわけですかな? >盾の未発達 575 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 57 05 ID ??? 当時の外人さんたちの間ではピストルで日本刀持った侍には接近戦でかなわないから 諦めろと言われてたらしい。 576 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 57 27 ID ??? >558殿 同意です。弓と槍に次ぐ武士の表道具ですからね(時代によっては 薙刀>槍ですし) 個人的には長巻が好き。長巻の模造刀、なかなかないんだよなあ…。 あっても高いし。 577 名前:CB400SB ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 57 40 ID ??? 569 金属バットだと700g台 阪神の赤星でも900前半ぐらいだったかな?1k超えるのは素振り用のマスコットバットくらいですね 578 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 57 53 ID ??? 572 話は逆かもです。 楯を使用しない剣術に特化した形で刀剣の発達をみた、のかも。 卵が先か鶏が先か、ですけどね。 579 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 58 07 ID ??? 572 弓、射撃兵器とのマッチングだったという説もあるそうです。 野戦用の盾はありますけど、 手持ちの弓避けの盾は発達しなかった。 それはやはり、地形上の理由らしい、と。 580 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 58 38 ID ??? 547 一部の嗜好品以外は国内での自給自足が可能な中国圏内に比べて生活必需品の収入が不安定な匈奴は国境を越えた略奪に頼ってましたからね。 いつの時代も農耕をしない為にビタミンの補給源として必要な緑茶が主要交易品で、これのために輸入超過になる事もしばしばだったとか。 宋の時代の莫大な歳幣も殆どが交易の赤字の補填に消えてたそうですし。 581 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 59 06 ID ??? 565 思い切り単純にプチ金融危機に陥ったのが共和党政権下だから 「それでも民主党なら…民主党のオバマならきっとなんとか(AAry」 ということなんじゃなかろうか。 582 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 59 31 ID ??? 日本で盾使ってた頃は、西洋風の両刃の直刀じゃなかったっけ? 585 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 00 23 ID ??? 566 ハンニバルはイタリア本土を荒らして回って属州の寝返りを計ったが、 チンギスハンとその息子達なら荒らして占領して統治して動員するだろうな・・・。 586 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 00 36 ID ??? まあ刀なら腰に差せばいいけど 盾は持って歩かないしなあ 587 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 01 09 ID ??? ゲルググみたいに背中に引っ掛ければいいじゃん。 590 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 02 05 ID ??? >572 衛生兵殿 横レスですが 日本において、持ち盾が一般化しなかったのは、大鎧の左の大袖がその役目を はたしていた事と、早い時期から従者・従兵(雑兵)を使った“盾持ち”が 組織されていた事が大きいと思います。 592 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 02 29 ID ??? そういえば日本だと弓はともかく弩が全く使われていない気が。 盾が未発達だったのはそこらへんのもあるんでしょうかね。 弩が使われず弓の威力がそこまで上がらなかったから射撃武器の防御手段である盾も発達しなかったとか。 594 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 03 02 ID ??? 556殿 中世同時期にあれだけ進んだ100万都市は他には皆無だと言っても過言ではありませなんだからなw 595 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 03 06 ID ??? 585 ハンニバルの場合は下手に本拠地を持つと、ローマ軍に押しつぶされるという危機感があったですよ 596 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 03 20 ID ??? 590 うーん、すると、郎党による少数部隊の集団戦であって、 レギオンやファランクスのようなものが発達しなかったからなあ 598 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 03 57 ID ??? 562 イチローのバットが85センチ 900g イチローの身長を仮に180センチとすると それくらいの身長の人が使用する居合刀は 全長が86センチくらい(居合刀は刃渡りで寸法を出すため、目安です) 重さは9200グラムくらいかな ほとんど変わらないですね 600 名前:CB400SB ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 04 11 ID ??? 592 平安時代とかはあったと聞いたことが 技術的な理由で量産されなかった(できなかった)のと、弓騎兵メインになってしまったから廃れたのでは 601 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 05 37 ID ??? ぶっちゃけ、野党と国民とマスコミの我侭に振り回されるだけの余裕がある日本 まぁ平和だな 602 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 06 31 ID ??? 566インペラトール んーむ… ・「戦力の細切れ投入」をやらかして被害を拡大する ・あっさり引き上げる のどちらかでしょうかね>手間取ったモンゴル軍 603 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 06 48 ID ??? イチローは実測175~8だっけ 180はないはず 604 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 07 39 ID ??? 602 モンゴルの場合、お決まりの後継者争いが大きな鍵かも いつも生臭い臭いがただよっているんだもん 606 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 07 55 ID ??? 蝦夷征伐してた頃は大規模戦があったから、飛び道具対策の盾が必要だった。 平安中期に律令制が崩壊してからは、大規模戦闘がなくなって盾も不要になったのかねえ? 607 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 08 04 ID ??? 603 まぁ、大体似たような長さと重さということですね バットと刀 608 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 08 08 ID ??? 595 地中海がローマの海と化していたがために、 本国から援軍が期待できなかったからなあ。 609 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 08 12 ID ??? 602 森林地帯での騎馬の機動力には制限がありますから、 北方のリメスでの、戦略レベルの機動力が、ローマ軍に対してそれほど優越するだろうか、 なんて思ったりもします。 610 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 09 38 ID ??? 608 カルタゴが第二ポエニ戦争で勝利するためには、第一次をどうにかするしか無い罠 攻めてローマと拮抗できるだけの艦隊だけでも保有することが出来ていたらなぁ 無理なアルプス越えなんかしなくていいのに 612 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 10 06 ID ??? 606 その後、武士の台頭までずっと、ローカル武力の時代だったと言えるかも知れませんね 613 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 10 12 ID ??? 両手で持って一番しっくり来る重さなんでしょうかね 614 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 10 13 ID ??? 592 日本の和弓、いわゆる長弓は信長の時代でも鉄砲よりも威力が上でしたので 盾で守るよりも刀で払い落とす技術に向かったそうですよ 615 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 11 45 ID ??? >592殿 弩は、律令国家時代には使われていたようです。 海外からの脅威に対抗するため、日本海側に、弩師(師の字が違うかも…) を置くように、という軍令がだされ、人員が配備されてます。 これは弩を専門に扱う指揮官と、兵を示したようですが、人員に対する弩の 配備比率は不明です。 律令制が崩れ、軍団制が崩壊しつつあるときに、ある部隊の装備品を調べた 史料では、弩も矛も要補修が多く、補修しても定数不足とかいう状況だった ようで、律令制だったからこそ、弩は運用できていたのではないか、と オレが読んだ本には書いてありました。 616 名前:CB400SB ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 11 49 ID ??? 607 結局、そこから外れるような重さや長さの物だと扱い辛くなる・・・ 佐々木小次郎の物干し竿(まあ小次郎の大部分は創作ですが)みたいな物は、個人の資質と技法に頼るところの多い異端ってことですね 618 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 12 09 ID ??? 575 今でも、熟練者の扱う日本刀なら拳銃より強いとかそんな説があるな まぁ、小銃を持ち出されたら日本刀の負け 619 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 12 15 ID ??? 558 薙刀vs剣道は毎年5月に福岡である西日本学生剣道大会の2日目に公開競技としてやってたな。今でもやってるんだろうか? 中村学園女子大or短大の薙刀vs福岡大の剣道。 当然脛も双方に有り。剣道も脛に防具付けてやってる。 621 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 13 45 ID ??? 614 日本の和弓、いわゆる長弓は信長の時代でも鉄砲よりも威力が上でしたので 盾で守るよりも刀で払い落とす技術に向かったそうですよ ああ、それで日本はミサイル防衛>光子力バリアなのね。 622 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 13 46 ID ??? 578・579殿 んーむ… 確かに我が国の地形事情は楯不要論を喚起させるに充分な感じがいたしますな 623 名前:ミーくん ◆3Y7FF0oA1A [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 14 30 ID ??? 226事件だったか激昂して至近距離から拳銃で同僚を射殺しようとした軍人さんを、別の同僚が 隣から咄嗟に腕を叩き切って返す刀で袈裟斬りにしてた記憶が蘇るのであった。 626 名前:名無し第三皇女 ◆1LxEVEeIgU [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 15 01 ID ??? _ _ / ,. -、`r― 、`ヽ、 _,イ ヤ┴┴- 、\ ヒー 、_ 618 r / / | ヽ. ヽ∨ ノYi、 { | | イ / / ヽ イ ソ 英国では実際近接戦闘にて日本刀を用い拳銃強盗を返り討ちにした漢が居ます i_∨ !(从し ー- ヽ{ソ ソ `Kゝ{ ● ● ! ゝ-イ その後日本刀スタイルの刃物が規制されたそうですがw || リ⊃ 、_,、_, ⊂⊃イイ∥| /⌒ヽ|| |ヘ ゝ._) イ/⌒i∥l \l Y`||yー>、_ イァ/ _ ./ | | (~ ||//(@)\_/Y /フ i |/ `ハ | l___ __ソ 、__イ |l | 余程恐ろしかったらしい / ,l|ミl ∀ `l, { | |ミ|\ 627 名前:名無し三等兵[sage ] 投稿日:2008/09/24(水) 20 15 30 ID ??? 602 >あっさり引き上げ て、数年後に数倍の兵力でまた来る、かな。 動員できる兵力と頭目が居れば。 629 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 16 39 ID ??? 619 そういや昔鎌倉ものがたりで一色先生が薙刀の有段者のおばあちゃんにフルボッコにされる話がありましたな。 脛防具つけてなかったからまともに歩けなくなるぐらいに脛に攻撃食らってたりして。 630 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 17 28 ID ??? 613 「水の入った1Lペットボトルは痴漢殴るのにちょうどいい」と うちの妹が言ってた。 力がないので重みで殴って即逃げるんだよ~ってことで。 もっと長時間殴りあうならも少し軽いほうがいいんだろうし、 男の力ならそれでも同等の破壊力が得られるんジャマイカ。 631 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 17 39 ID ??? 626 安倍譲二の著作によると 剣術の達人が日本刀を持つと、米軍横流しのコルガバを持った数人が 怖くてブルブル震えながら逃げ出すとか 639 名前:七猫伍長 ◆4gYfuUCcAY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 19 05 ID ??? 武術の話題、でしょうか・・・・ そういえば古武術をやっている知人がいましたが、 彼が一番便利と言っていたのは、三尺棒でした。 後、共通の知人である元自営業が、木銃を持って相手したとき、 木銃持った自営業の相手だけはしたくない、とも。 ・・・とても気のいいナイスGUYなのですが、何かと脱ぐんだよなあw 642 名前:ミーくん ◆3Y7FF0oA1A [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 19 59 ID ??? 633 んー誰だったか陸軍の施設前でやらかしてた記憶があるんですよーほんと。 何を誤解したのか何なのか。 636 パイナップルアーミーとか保険調査員物語とかでおなじみですね。 644 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 20 27 ID ??? 590ハスケ殿 袖鎧の事は失念しておりましたw 所で「楯持ち」の楯てぇのは 源平合戦絵巻に良く出て来る固定式のアレですか? アレはユニット単位で使われるものだったんですね 646 名前:ミーくん ◆3Y7FF0oA1A [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 21 11 ID ??? 639 自衛隊の官舎はときたま木銃をもったオッサン隊員が目をギラつかせながら徘徊してるのを見かけます。 648 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 21 33 ID ??? 592殿 火縄銃の存在がありますよ>飛び道具 654 名前:アークだよもん ◆V2ypPq9SqY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 22 41 ID ??? まあだよもんは最強の戦技で対抗するだよもん 銃術最強 664 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 25 32 ID ??? >614殿 和弓の射撃を刀で払い落すなんて、ファンタジーにしか思えません…。 まず、平安時代の武士の弓は伏竹弓か重藤弓で、室町後期の三枚打弓や 天正年間のひご弓ほど威力も射距離もありませんでしたが、そのかわり、 馬で十分に近づいて射撃します。 ある程度の遠射も可能ですが、大鎧の弓矢に対する防御力はかなり高いので、 大鎧を着用した正規の武士には、それでは有効ではないでしょう。 三枚打弓やひご弓になると、射程も威力もかなり伸びます。 払い落すなんて、まず無理ですよ。特に、野戦でそんなことやってられない です。集団戦ですし。 それに、刀はサブウエポンですので、戦場ではそこまで使いませんよ。 刀をメインに使う状況では、相手も弓より刀を使うでしょうし、逆もしかり です。 665 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 25 52 ID ??? フェイシングと日本刀で実際に戦ったら どっちが強いんだろうか 669 名前:七猫伍長 ◆4gYfuUCcAY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 26 46 ID ??? 641 「僕のカメラは美しか追究しないのさっ!」(意訳してください) 646 実際、警棒の代わりになることもあるとか。 654 元自はだよもん氏と同じ事を。 89Rで当たるのは当たり前、64Rを分結できなきゃ自営業じゃない。 違い系列会社の自営業は、あんな飛騨細工と言っていましたがーw 675 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 28 10 ID ??? 610殿 いやいや カルタゴ本国のシステムがローマに圧倒された と言うべきかもしれません やはりシステム化は大切ですよ 680 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 29 59 ID ??? 675 カルタゴは交易派と農業派で分裂すてたとか。 やはり、人の和ですのお。 681 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 30 03 ID ??? 614殿 > 日本の和弓、いわゆる長弓は信長の時代でも鉄砲よりも威力が上 それは知らなかった… しかもそれを払いのけるとは… 凄まじい動体視力ですな 683 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 30 52 ID ??? 676 あの斧は敵兵を倒すためと言うより 敵船を破壊するためのウェポンと聞いたことが。 686 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 31 20 ID ??? 667 道具としていろいろ使える斧がお気に入りだったとか。 武器専用の刀は嫌ってたとか。>バイキング 697 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 33 42 ID ??? 688おめ。 ・ローマ帝国vsモンゴル軍 ・日本ではなぜ盾が発達しなかったか ・誰がなってもやることはサボタージュ宣言by野党 705 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 34 57 ID ??? >644 そうです。「かき並べる」ので掻楯(かいだて)と呼びます。 従兵や雑兵が持って移動する事ができるので、弓射戦で有利になると、 その陣形のまま前に押し出したり、楯の間から騎兵や徒歩武者が飛び出して 追撃、というように従兵に持たせることで、柔軟に防御陣を構成する用兵を 行ったようです。 722 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 39 54 ID ??? つか、カルタゴってローマ帝国の時分にはBクラスだろ そもそも、フェニキア人の壱植民地だった訳だし アレを国として過大評価するのが分からん、ローマ帝国を持ち上げたいだけなきが、ハンニバル個人は別格だけど・・・ 738 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 47 00 ID ??? 705ハスケ殿 おお! 長年の疑問が氷解しました! 源平時代の戦闘がぐぐっと理解できた気がします しかしそうなると楷盾の未発達は 兵種別の部隊運用移行に伴う自然消滅なのかすら? 740 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 48 44 ID ??? 738 源平期末期に兵力の大動員が行われ、 主兵装が弓から長柄に変化し、 野戦築城が始まったという主張もあるそうです。 752 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 52 57 ID ??? 743 いあ、普通の装備ですよ?>日本の野戦武器 なぎなただろうが、長巻だろうが、類似の装備は世界中にありますし 762 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 55 35 ID ??? 740 ちゅうか、弓射歩兵が消滅して、歩兵の主装備が槍や長刀になったんではなかったかと で、逆に騎兵はそもそもが弓射騎兵で、南北朝のころに弓射騎兵が廃れ始めて、弓射歩兵が復活し始めたんだったかな 763 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 57 20 ID ??? 761 実際は鎧が結構、優秀なんで(スーツアーマーなんかには劣りますが)、あれぐらいでちょうど良かったんではないかと 個人的には思ってます 767 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 58 31 ID ??? 679 あれ闘い方が悪いという説もありまして 真正面から正直に向かっていくとフェンシグに分があるけれど 横に動きながら間合いを詰めると剣道に分があるとか 剣道の試合場は正方形だけど、フェンシングは細長いでしょう その差があるから 771 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 00 37 ID ??? 戦国の職人さんが何故クロスボウを作らなかったのか?火縄銃は作ったのに… ハスケ殿の説明にあった律令云々ではイマイチ消化不良気味であります 773 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 03 17 ID ??? 771 速射性に劣るから今一使い勝手が悪かったんでね? 後、金属加工技術が欧州に比べて低かったとか。 781 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 05 41 ID ??? 773殿 んーむ 確かにロングボウ部隊に負けてますからな… 783 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 05 53 ID ??? 771 騎射しにくいし、西洋みたいなスーツアーマーを着なかったからではないかと 日本で弓を使うって言ったら、騎兵が主体だった時期が長いし 784 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 06 23 ID ??? 771 気候とか関係あるかもね 日本は湿気とかあるし クロスボウとは関係ないけど ムガル帝国では、埃や湿気に弱いフリントロックよりも火縄銃が好まれたし アヘン戦争かアロー戦争でも、埃や湿気は問題になったハズ 785 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 06 29 ID ??? 確かに発射の手間は鉄砲とたいしてかわんなかっただろうし威力も似たようなもんだろうし あとは音ぐらいかねえ 786 名前:名無し第三皇女 ◆1LxEVEeIgU [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 06 41 ID ??? _ _ / ,. -、`r― 、`ヽ、 _,イ ヤ┴┴- 、\ ヒー 、_ 771 クロスボウは、その構成がマスケットと弓のハイブリッドなのですが r / / | ヽ. ヽ∨ ノYi、 { | | イ / / ヽ イ ソ 日本に入ってきて普及した所謂堺筒は、銃床に肩当ての無いストックレススタイルだったので i_∨ !(从し ー- ヽ{ソ ソ `Kゝ{ ● ● ! ゝ-イ 組み合わせてクロスボウにしようという発想は残念ながら出て来なかったようです || リ⊃ 、_,、_, ⊂⊃イイ∥| /⌒ヽ|| |ヘ ゝ._) イ/⌒i∥l またクロスボウの大きさで適切な威力の弓を製作出来なかった技術的な問題もあり \l Y`||yー>、_ イァ/ _ ./ | | (~ ||//(@)\_/Y /フ i |/ 要するに実用化が困難だったので普及しなかったのでは無いでしょうか。 `ハ | l___ __ソ 、__イ |l | / ,l|ミl ∀ `l, { | |ミ|\ 791 名前:名無し第三皇女 ◆1LxEVEeIgU [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 08 53 ID ??? _ _ / ,. -、`r― 、`ヽ、 _,イ ヤ┴┴- 、\ ヒー 、_ クロスボウの類は狩猟に使う事を禁じられています r / / | ヽ. ヽ∨ ノYi、 { | | イ / / ヽ イ ソ i_∨ !(从し ー- ヽ{ソ ソ `Kゝ{ ● ● ! ゝ-イ || リ⊃ 、_,、_, ⊂⊃イイ∥| /⌒ヽ|| |ヘ ゝ._) イ/⌒i∥l \l Y`||yー>、_ イァ/ _ ./ | | (~ ||//(@)\_/Y /フ i |/ `ハ | l___ __ソ 、__イ |l | 矢鴨に矢猫に矢人とな / ,l|ミl ∀ `l, { | |ミ|\ 792 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 08 56 ID ??? 786 皇女殿下、皇女殿下 クロスボウ、つまり弩はすでに紀元前に中国で使われてます 日本に伝来しなかったとは考えにくいです 797 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 10 11 ID ??? クロスボウや短弓が日本で普及しなかったのは、素材が無かったからだったはず。 799 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 10 53 ID ??? 795 ロングボウは稀に価格面で所有者を倒すこともあるとな? 804 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 11 29 ID ??? 786殿下 平安の頃は使われてようですよ 807 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 11 56 ID ??? 弩は弓に比べて貫通力と射程で勝っているのが存在理由っしょ。 日本で徒歩歩兵大量運用されなかった鎌倉~室町の間に 弓が発達しまくっててわざわざ弩を復活させる理由がなかっただけかと 812 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 12 35 ID ??? 弩って中国にもあったよねぇ。それも紀元前から。 それがなんで日本に定着しなかったんだろね。 813 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 12 36 ID ??? 771 騎乗しての射撃戦がメインだったのと、時期的に弩が必要な時期は歩兵の大規模動員が行われる戦争が無く(平安期~室町) 戦国期だと射程面でさほど劣らない複合弓が開発されていたためでは 816 名前:名無し☆そりすと弐 ◆8.pcJpncmM [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 13 29 ID ??? 795 そうきましたかw かの獅子心王が農民にクロスボウで討たれたのです それをきっかけに、甲冑を抜くクロスボウは非人道的だと、 騎士から非難がでたことがあるんですねー 818 名前:名無し第三皇女 ◆1LxEVEeIgU [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 14 21 ID ??? _ _ / ,. -、`r― 、`ヽ、 _,イ ヤ┴┴- 、\ ヒー 、_ 792 いえいえ、言い回しがおかしかったようですね、伝来はしていたでしょうが r / / | ヽ. ヽ∨ ノYi、 { | | イ / / ヽ イ ソ 欲しいと造れるが一致しなかった事と、前出の通り製造したくても出来ないと言うのが i_∨ !(从し ー- ヽ{ソ ソ `Kゝ{ ● ● ! ゝ-イ 普及しなかった理由だと考えられます || リ⊃ 、_,、_, ⊂⊃イイ∥| /⌒ヽ|| |ヘ ゝ._) イ/⌒i∥l \l Y`||yー>、_ イァ/ _ ./ | | (~ ||//(@)\_/Y /フ i |/ `ハ | l___ __ソ 、__イ |l | / ,l|ミl ∀ `l, { | |ミ|\ 822 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 15 03 ID ??? >771 773殿の言うとおりでしょうね。 クロスボウは威力も高く、熟練者でなくても命中率が良い ですが、速射性に劣りますし、発射機構の整備も必要です。 武士は領主的性格を持ちますが、職業軍人であり、日々を生産活動 から離れ、軍事訓練に費やす事が出来ますから、クロスボウの利点が 武士には必要ないモノになるからでしょう。 個人的には、発射機構の整備の問題が大きいと思ってます。 一度使われなくなって絶えた技術みたいなモノですし。 824 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 16 43 ID ??? 812 武将は騎射 雑兵の主を占める農民は弩なんて使う余裕が無かったとか。 それでダラダラ続いて戦国まで行って「弩?連射性低いし長弓で威力十分だろ」になったんじゃないかと。 826 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 17 07 ID ??? 新紀元社の武器事典では日本では接近して弓を射る戦術が主流だったため、装填に時間がかかる弩は使い勝手が悪かったそうな。 あと、射程は長くても命中精度が悪く、生産コストが高い(当時の鎧と同じコストがかかった)ため、廃れていったらしい。 827 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 17 15 ID ??? 818 なるなる でも、ストックでないクロスボウも結構ありますな まあ、サイズの問題も大きかったんでしょうねぇ そういや、前九年だか後三年だか忘れたけど、防御へいきとして城砦に弩がすえつけられてなかったっけ? 831 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 18 17 ID ??? 813殿 するてえと やはり戦場が国内だけになったことで 必要性が薄れたというのが最大理由なのかすら? 834 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 20 25 ID ??? 831 クロスボウが生きてくる戦場って、やっぱり広大な平地でしかも大多数の兵力同士がぶつかるシチュエーションだからねぇ。 そう言う平地での戦闘があまりない日本じゃ使い勝手が悪いんでしょうなぁ。 835 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 20 26 ID ??? 762 ちゅーか、徒歩集団弓歩兵自体がいなかったような>< 831 弓術が継承されていれば、 いってみればイングランドの弓兵がいる状態ですから、 度弓への期待が小さかったのでしょう。 貫通力を必要とする重装甲の敵もいなかったですし。 836 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 20 42 ID ??? 831 国内のみというか、戦争の主体が小規模領主の小規模な土地争いだったってのが大きいかと 100人とか200人とかの戦闘だと、戦列並べてクロスボウの一斉射撃、とかいらないし むしろ、コストに見合った結果が出ませんし ついでに、クロスボウだと騎兵は敵を殺せないってのがでかいんでないかと 837 名前:名無し☆そりすと弐 ◆8.pcJpncmM [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 21 01 ID ??? そういえば、次のアニマルに藤川球児物語が載るそうで 書くのは甘詰留太 841 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 22 09 ID ??? 816そりすと☆殿 クロスボウの最大の利点は射撃に高度な訓練を必要としない所にありますからね 騎士が農奴に簡単にやられててはマズいんでしょうなw 846 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 24 20 ID ??? http //www2.bbweb-arena.com/freiherr/bow.html ここに弓の事が書いてある 847 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 24 27 ID ??? 和弓が取り回しよすぎたというのはどないです?>弩の不遇 馬上で使えるロングボウなんて他に聞いたことない。 848 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 24 41 ID ??? 816 つか、非難したのは法王庁だったような気もしたけど キリスト教徒に相応しくない武器だとか でも、異教徒相手ではたくさん使ったとか 849 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 24 47 ID ??? 843 北方征伐が終わったあと、 武士の台頭以後は、徒歩弓兵集団は無かったような気がします。 それは上の流れにあった奴でしょうけど 854 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 26 25 ID ??? 836 俺は皮や接着剤等の材料がない又は希少だったからと聞いたけど 857 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 27 50 ID ??? 849 うぃ 武士の成立後、減少しますが、南北朝辺りからまた増加を始めます>弓歩兵 戦国期になると、かなり大規模に動員され始め、最終的には火縄銃に取って代わられてた記憶 で、騎兵が指揮官かしてゆくと 858 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 28 13 ID ??? ソースは忘れたけど、和弓でもクロスボウでも射程は変わらなかったような気がしたけど 金属板で作られた鎧が存在しないからクロスボウの必要性がなかったような気が 862 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 30 16 ID ??? チョコプリンが容器の七割しか入っていない… 原材料費上がったんだなあ。 857 うーん、ソースは無いけど 西洋のような徒歩弓歩兵集団運用がなされた記憶が無いっす。 あざンクールのような、弓兵が決した戦いも。 863 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 30 30 ID ??? おっと、イシユミ(オレの携帯では変換されない…ちなみにさっきはPCから) は防御戦闘には良いけど、攻撃にはあまり向かないって律令制時代の 政治家(前出の、日本海側にドシを置け、って言った人)が言っていたのを 失念してました。 機動戦が多い戦乱の世では、ここらへんもイシユミが復活しなかった理由 でしょうね。敵拠点を攻めるときでも機動戦っぽい状況になるような戦乱の 世では、こんな兵器は使いにくいですよね。 864 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 30 35 ID ??? 854 そりは小型の騎乗弓が発達しなかった理由だと思うデス>接着剤の存在 868 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 32 02 ID ??? 858殿 射程では長弓の方が 威力でクロスボウの方が 秀でていたような… 870 名前:アークだよもん ◆V2ypPq9SqY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 33 03 ID ??? 射程も威力も機械弓のほうがつよいだよもんよ 連射力がちがう 872 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 33 08 ID ??? 確か、平原が少なくて山が多いから 狩猟用としても横幅が広いクロスボウは使いにくいためとか そんな説も 874 名前:名無し☆そりすと弐 ◆8.pcJpncmM [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 33 37 ID ??? 848 十字軍の頃ですから、騎士から法王庁へ話が流れたのかもしれないですね 自分の知識はトリビア止まりなんで、 訂正していただけるとありがたいですorz 876 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 34 00 ID ??? 872 しかも、槍で最終的な始末をつけたような>獣猟 877 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 35 09 ID ??? 862 日本の弓兵の場合、歩兵も騎兵も弓矢だけの装備じゃないのですよ 弓矢と槍や刀、ですから射撃戦が終了すると、即座に接近戦が生起しますし また日本の場合は、比較的戦場が狭いってのと、設置式の盾みたいな防御手段があったのが、弓矢だけで決着の付く戦闘が無かった原因かと考えてます 883 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 40 30 ID ??? そいや 欧州では設置式のカイ楯みたいな防御手段て発達しなかったんかな? 中華のばやい大八車みたいなもんを防御手段に使っていたみたいですが (手元の歴史群像イラストから) 885 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 40 50 ID ??? 877 そこで、弓を装備していた率の高いのは、徒歩なのか、騎兵なのか、という争点で 承久期の文献で 「近年の武士は、弓術を軽んじている」という老武士の嘆きがあった気がします(というか、誰だかの著書で読んだのですがw いわゆる武士階層と、動乱中期以降に動員された階層では、 弓を装備している率は、武士階層のほうが高かっただろう、というのもありますが。 そして、上の流れにもあるように、動員された徒歩は長柄化してるわけですし。 その長柄集団が、まず弓による準備射撃制圧をし、 そののちに長柄で突撃した、というのならまたアレですが 883 ありますよ。 888 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 41 56 ID ??? つうか、クロスボウが普及した地域って ちうごくとか、EUとか広い平原があるところのような気がする 889 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 42 46 ID ??? 883 蒼天の官渡の戦いで雑兵に降格された夏侯惇がひっくり返した大八車で降り注ぐ敵の矢を防いでたけどあんな感じなんだろうか 900 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 47 58 ID ??? 889殿 ですね やはり長距離移動しますから車輪がついてないと不便なのでしょう 911 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 52 37 ID ??? >885 ケイレイ殿 ここらへん、なかなか難しい問題みたいです。 源平期に、既に下卒に弓を持たせて大量配備し、敵に矢の雨を~、 という記述もありますし、室町~天正は長柄足軽と弓足軽が別個に 存在し、南北朝は野伏せり戦での弓戦の描写があったりします。 個人的には常にある程度の徒歩弓兵がいつの時代にも居たと 観ています。 914 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 54 30 ID ??? 911、 あちらが矢戦を挑めば、こちらも応じ、云々なんてのもありましたし。 とはいえ、 ウリは、源平期の軍事力の中核が、地方勢力の郎党だと考えているので、 「ある程度」の数が小さいんじゃないか、と言いたいわけですよ 917 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 55 44 ID ??? 885 そういうことでしたら、源平や承久のころは、まず間違いなく騎兵の方が弓の装備率は高いと思います というか、南北朝以降、戦国期のように騎兵の指揮官化が始まらないと、徒歩弓兵は増えないのですよ 923 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 58 08 ID ??? >895 ここは流れが速いので、後で難民の方に詳細書きますね。 簡単に言うと、鎧着ての戦国時代サバゲ(スポチャン的ルールで) ですけど。 926 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 58 26 ID ??? 917 騎兵と、弓の分離の時期がどのようにして、 なんてところに興味をもったりしてますよ。 馬と弓が武力階層の特徴であった時代から、なぜに展開して言ったのだろう、と。 941 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 22 04 43 ID ??? 923ハスケ殿 難民スレに遭難してしまうと困るので ヒントなどお願いいたしまする 944 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 22 05 21 ID ??? 926 徒歩弓兵が増える、室町、戦国期って、中央の支配力が大幅に低下して、農民・商人階級の社会進出が 大いに促進した時期ですから、その辺と関係あるんで無いかなあ、と妄想 983 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 22 21 13 ID ??? 944 947 弓のような鍛錬の必要な武術が普及したからだろう、とは思うんですよね。 すると、動員してすぐ弓の経験者を集めて 部隊化できたのかな、と。