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登録日:2021/03/08 Mon 21 30 23 更新日:2024/04/23 Tue 16 01 51NEW! 所要時間:約 50 分で読めます ▽タグ一覧 Imperial examination ×科拳 エリート カンニング コメント欄ログ化項目 テスト 中国 中国史 儒教 元 勉強になる項目 南北朝 名士 君子 唐 四書五経 地獄 士大夫 学歴 宋 官僚 実力主義 役人 所要時間30分以上の項目 文化 文治主義 明 暗記 李徴 歴史 気合いの入った項目 状元 秀逸な項目 科挙 試験 詩 資格 資格試験 追記修正のハードルが高すぎる項目 進士 隋 難関 麻雀の役? 富 家 不 用 買 良 田 書 中 自 有 千 鍾 粟 ~「金持ちになりたい?なら田畑を買わなくていいよ、勉強しなさい」~ 安 居 不 用 架 高 堂 書 中 自 有 黄 金 屋 ~「いい家に住みたい?なら一等地を探さなくていいよ、勉強しなさい」~ 出 門 莫 恨 無 人 随 書 中 車 馬 多 如 簇 ~「たくさんの使用人が欲しい?なら求人を出さなくていいよ、勉強しなさい」~ 娶 妻 莫 恨 無 良 媒 書 中 有 女 顔 如 玉 ~「美人の奥さんが欲しい?なら婚活をしなくていいよ、勉強しなさい」~ 男 児 欲 遂 平 生 志 六 経 勤 向 窓 前 読 ~「要するにだ。男が何か願いを叶えたいのなら、勉強して科挙に合格しなさい」~ ※よくある誤解※ Q.「要するに暗記が全てなんでしょ?」 A.違います。 「膨大な量の文書を暗記して、初めてスタートラインに立てる」といった所です。 Q.「詩や文学の試験ばかりだったの?」 A.違います。 作詩は確かに重要な試験の一つでしたが、それが全部ではありません。 Q.「例えて言えば、東大入試や司法試験とかぐらい難しいんだよね?」 A.違います。 そういう次元じゃないぐらいの超高難易度です。 + 目次 【概要】 【試験の内容】1.「経書(けいしょ)」 2.「韻文(いんぶん)」 3.「散文(さんぶん)」 【科挙の流れ】1.「郷試」(地方試験) 2.「省試/会試」(中央試験) 3.「殿試」(御前試験) 【科挙の会場と日程】 【不正行為】<会場内での不正行為>「カンペ類持ち込み」 「他人の答案を見る」 「替え玉受験」 「答案交換」 <会場外での不正行為>「多重受験」 「関節」 「問題漏洩」 【受験資格】 【倍率ってどれぐらい?】 【なんでそこまで科挙に合格したがったの?】 【科挙の功罪】<評価点>「中央集権化に便利」 「地方の現状が中央に伝わりやすい」 「優秀な人物が要職につける」 「エリート意識が強い(いい意味で)」 「野心的な人物を国家に吸収できる」 「文民統制に有利」 「教育事業、また文化が発展する」 「平等な政治的権利がある」 「年功序列による弊害が抑えられる」 「試験が公正かつ正確」 <失敗点>「勉強がデキる人=官僚に向いた人」ではない 「エリート意識が強い(悪い意味で)」 「文民統制の弊害」 「人材の吸収にも限度がある」 「実務力に欠けがち」 「試験のための学問になっている」 「自然科学の発展を妨げた?」 「実際は貧乏人の合格は難しい」 「そもそも試験で人材の質を判断するってどうなの?」 【科挙のおおざっぱな歴史】<創設以前> <初期科挙> <中期科挙> <後期科挙> <終焉> 【文化としての科挙】 【概要】 科挙(かきょ)(英語 Imperial examination)とは、中国王朝における「身分を問わず、試験によって役人を登用する制度」の事。 ただしこの場合の「役人」とは、現代で言う町役場のお姉さんとか交番のお巡りさんの様な「公務員全般」の事ではない。 そういう「普通の公務員」に相当するのは「胥吏」と呼ばれる(非正規の)地方事務員で、科挙合格者が登用されるのはその上に立つ「官僚」である高級ゼネラリストなのである。 あえて現代で例えるなら、一般的なノンキャリア公務員に対するキャリア官僚に当たるだろうか。 また「登用する」という表現も実は正確ではなく、厳密に言うと「役人になれる身分を与える制度」とするのが正しい。 科挙に合格した人は「進士(貢士)」等と呼ばれる一種の特権身分となり、各種免税・減税措置を受けたり一般刑法の適用外になったりする等の多くの優遇措置の対象となるが、この身分が同時に官僚就任の資格でもあるのだ。 よって必ずしも「役人=科挙合格者」というわけではない。 世襲や推薦等で科挙を通らず役人になった人もいるし、また逆に科挙に合格したが役人にはならず地方に戻って学者等になった人もいる。 そして科挙とは単なる人材登用システムというだけではなく、 知的エリート層に登用という「見返り」を示す事で、自発的な国家への忠誠心・順法精神を育てる 中国全土から人員を採用する事で地方の実情を中央へ伝えさせ、政治に反映させる 各地方に対して同じテクストを使わせて同じ試験を目指させる事で、広大な国土と多くの民族の文化的同一性を維持する 等といった具合に地方と中央、社会の下と上とをつなぐ「統治システム」としての側面も持っていた。 【試験の内容】 大原則として、科挙の試験では「君子であるか否か」が問われる。 「君子」とは中国で古くから「人間としての理想像」と考えれられていた人物像の事で、 高い倫理学(主に儒教の教え)を身につけている 歴史を学んでおり、そこから教訓を得ている 文章力がある 人格円満で、正義感が強い といった、所謂「徳がある」人の事を指す。 特に倫理学を持つ事は最優先項目とされているが、これは中国の歴代王朝に受け継がれてきた「徳化(徳治主義)」という施政方針によるもの。 徳化というのは、簡単に言うと 「法を厳密に適用したり犯罪者を取り締まったりするのも大事だが、それは対症療法に過ぎない。 それより人としての”正しい在り方”を広め、国民の道徳的な質を上げる事こそが根本療法なのだ」 ……という考え方。 この考えに基づくと、国家の要職にある者には「倫理を身につけ、それを行動や文書、裁判などによって模範として国民に示せるかどうか」 つまり「優れた君子であるか否か」が何よりも重要になってくるのである。 なので君子の資格の有無を見極める為に、具体的には以下の3科目が課される。 1.「経書(けいしょ)」 「儒教の経典に精通しているか」を問う試験。率直に言えば穴埋め問題。 帖経、墨義、経義など時代によって様々なバリエーションがある。 基本的にはどの時代でも「経書(儒教や歴史のテクスト)の一節が一部隠された状態で示されるので、その部分を埋める」という感じの暗記問題である。 選択肢などといった親切なものはなく、誤字脱字も無論減点されるため、一字一句違えない完全暗記が要求される。 また試験によっては単なる穴埋めだけではなく、「その部分の意味や歴史的背景を解説する小論文」も求められる事がある。 それも「ここはこういう意味。ソースは俺(キリッ」という様な俺流スタイルはNG。歴史上の儒学者達が残した権威ある注釈本に根拠を求めつつ書かねばならない。 使用されるテクストも時代によって異なる。 初期~中期の科挙では儒教の基礎テクスト5冊、通称「五経」の中から1つ選ぶ選択制で、暗記量もせいぜい数万字程度だった。 だが制度が煮詰まった後期科挙ではどんどん増えていき、最終的に清後期に至っては「五経」+「四書」を全部になった。 これは40~60万字で、当wikiなら冒頭の所要時間が「800分~1200分で読めます」となる位の量。最低でも半日以上、最悪一日がかりじゃないか! 更に注釈本も膨大な量になって加わるため、最終的な暗記量は軽く倍以上になってしまう。 科挙に対する「暗記地獄」というイメージの主因は間違いなくこれのせい。 2.「韻文(いんぶん)」 文章力や詩才を問う試験。漢詩や賦(漢詩よりも長めの韻文)、銘文等を作る問題。 慣用句や古典等からお題が与えられ、それを詠った詩や賦を作る事が多いが、加えて音韻に対する指定等が入る事もある。 役人と詩に何の関係があるの?と思われるだろうが、「詩→文学→芸術→遊び」という様な現代的な連想を持ってくるのはちょっと違う。 中国では古来、思想や道徳を文章によって表し、またそれによって人民を教化し導く事は、君子にとって最も望ましい行いとされていた。 曹魏の文帝が「文章は国家の最重要事項である」と述べたのは有名である。 そして文章の中でも最高位にあたるのが詩とされ、「優れた君子ならば必ずその資質が、教養が、詩へと反映されるものだ」と考えられていたのである。 とはいっても現実問題として「詩を作るのが上手い人=政治が上手い人」なんて事はそうそうない。 そのため実践派の科挙官僚や皇帝からは「君子と関係ないだろこんなの」と廃止される事もあった。 が、その度に揺り戻しがあっては復活し、結局科挙の終わりまで試験項目の一つであり続けた。 3.「散文(さんぶん)」 歴史や経書から教訓を得ているか、また実際の政治にそれを活かせる見識があるかを問う論文試験。 科挙のルーツは「在野の高名な君子に、現在の政治的課題に対する意見(策)を書かせる」というシステムにあるので、まさにこれこそが科挙の基本にして極意と言える問題かも。 論、策、策問など詳細に分けると幾つか種類はあるが、 「政府内で派閥抗争が激化しているが、どう対処すればよいと思うか?」 「古典にこういう一節があるが、これに対して思う所を述べよ」 等といった時事や古典、政治理論に関する課題が出され、それについて書いた論文を作成するというもの。 当然この場合も「ソースは俺」式では駄目。 「かつて○○の時代、△△が××をした事があり、それを踏まえますと私としてはかように思うものであります」といった感じで、故事や古人の言などを根拠としつつ書かねばならない。 ……とまあ、これら3点セットがどの試験でも基本となる。 見ての通り、どの試験でも「各種儒教・文学・歴史の、深遠かつ巨細な知識」が要求される。 そのため科挙合格を目指すのならまずひたすらに膨大な書物を読み、理解し、覚える事が大前提になる。 また科目が多かった初期科挙では、これら3科目に加え 「法」……法律の試験 「算」……数学(計算)力を試す試験 「書」……書道の試験 等の科目が設けられた事もあった。 現代的な感覚からするとむしろこっちの方が役人として重要なんじゃね?と思われるかもしれないが、前述の通り科挙官僚は半ば管理職専門の高級官僚なので、現場実務力が問われる訳ではない。 また儒教の祖である孔子が「君子不器(*1)」と言った様に、君子とは特定の分野に特化するのではなく、必要に応じて何でもこなせる完璧超人である事が要求される。 つまり軍官になれば軍務と軍人を使いこなす知識を、行政官になれば政務と胥吏を使いこなす知識を、裁判官になれば法知識と法廷の運営を…… といった具合に、「今の自身の仕事に必要なものを、高い職業倫理と高遠な知識を活かして、速やかに身につけられる(つけろ)」とされていたのである。 あえて現代的に言うなら、科挙は「基礎スペックが高い人」を求める試験であり、つまり「基礎スペックが高いなら、何の仕事やったって十分にこなせるでしょ?」という様な若干モヤる感覚に近いかもしれない。 【科挙の流れ】 科挙は基本的に1回の試験ではなく、複数の段階に分かれた多段階試験である。 細部は時代によって変わるが、中期の科挙を例にとると 1.「郷試」(地方試験) 現代日本で言うと都道府県レベルで行われる地方試験。 各地方の首府に設けられた会場で試験が行われ、これに合格した者だけが次の段階に進める。 ちなみに後期科挙では、これに合格した時点で「挙人」という準官僚資格が与えられる様になり、その資格で役人になる者も増えた。 2.「省試/会試」(中央試験) 首都の中央官庁で行われる試験。いわば科挙の「本番」にあたる。 この次の試験では基本不合格が出ないので、ここが事実上の最終試験に当たる。 3.「殿試」(御前試験) 会試を突破した者だけに課される最後の試験。なんと宮殿内にて皇帝の御前で皇帝自身が試験官となり行われる。 とは言え学力は圧倒的に皇帝<<<受験生なので、実際の採点は皇帝側近の先輩官僚達が行うのが基本。 これを終えると前述した科挙受験生のアルティメットフォームこと「進士(しんし)」の身分が与えられる。 導入当初はきっちりと合否を出す文字通りの最終テストだったが、1057年に様々な理由から落第者を原則出さず順位だけを決める試験となった。 ……以上の3段階で構成されており、試験内容はどの段階でも先述の3点セットが課されていた。(殿試のみ、散文か韻文のどちらか1問) 試験の間隔は初期は不定期だったが、中期科挙からは3年に1度が基本になる。 【科挙の会場と日程】 法律により子年、卯年、午年、酉年、つまり3年ごとに行われることが定められている。ただし天子の即位など国内で大きな慶事が行われた時に「恩科」と呼ばれる臨時の試験も存在した。 試験に用いられる施設は「貢院(こういん)」と呼ばれる。 初期の頃は期間中どこかの官舎を借り切る様な事もあり、それなりに優雅でのどかな試験風景だったとか。 暗記科目以外は資料の持ち込みも許されていたし、受験生同士の接触についてもさして問題視されなかったらしい。 しかし中期以降は受験者数が増えまくった為に、専門の貢院が使われる事が増える。 この貢院、現在では観光地となっているものも多い……が、現代人が見ると「留置場かな?」「刑務所じゃん?」「いやいや公衆トイレっしょ?」「独房」等といった素敵な感想が出てくること請け合いなシロモノがほとんど。 例えば有名な南京の郷試用会場は、受験生1人に与えられる部屋は面積わずか1.1㎡。 数字で言われてもピンと来ない方も多いだろうから身近なものを挙げると、 シングルベッドが約1.9㎡ 「起きて半畳寝て一畳」なんて言われる畳一畳が約1.8㎡ 2015年以降のホームエレベーターの基準面積が1.3㎡ といった具合。閉所恐怖症だと普通に発狂しそうなレベルで狭い。 このような環境では熱中症の心配もあるため、この時代の科挙は受験生に配慮し秋が深まった9月14日頃に行われ、試験最終日には受験生が中秋の名月を眺める光景も恒例行事であった。 日程は基本的に各科目1日ずつ、合計3日間かけて行われるのが普通。だが不正防止のため受験中は外部へ出る事が許されない。 つまり食事や睡眠(*2)は、3日間全てこの貢院の小部屋内で済ませる事になる。よって布団や着替えは勿論、食料や自炊用具なども持ち込む必要がある。 部屋(?)の中には机・椅子・ベッドの様な気の利いたものは勿論なく、両側の壁の間にぴったりに収まる板が3枚程あるだけ。 これを椅子の高さに1枚、机の高さに1枚張り渡してそれぞれの代わりにするという訳だ。(寝る時は床板代わりにもなる) 現代なら確実に人権侵害で訴えられそうな会場であり、科挙は学力以前に体力や精神力も要求される試験であった。 【不正行為】 google先生に「科挙」と打ち込めば即「カンニング」とサジェストされるぐらい「科挙=カンニング」なイメージは固い。 実際、科挙の歴史はそのまま不正との戦いの歴史といっても良く、ありとあらゆる手段による不正が試みられてきた。 <会場内での不正行為> 「カンペ類持ち込み」 定番中の定番。教科書で「カンニング肌着」等を見た事がある人も多いかも。 無論それ以外にも 服や私物に紛れ込ませるカンペ 様々な所に隠せる様にしたカンニング専用の豆本 何かに偽装した本そのもの などなど、バリエーションは多彩である。 会場に入る前には「饅頭を割って中身まで調べる」と言われた程のチェックが入るが、やる側もありとあらゆる手段でこれを潜り抜けた。 具体的な手段も 工夫と根性で隠し抜く 番兵(貢院内の不正監視は兵士が行っていた)を買収する プロの「持ち込み屋」を雇う などこちらも様々。 番兵は受験生の不正を見つけると多額の報奨金が出たので全力で監視していたが、つまり報奨金以上の額を出せば買収も不可能ではないという事になる。 ただこうした番兵抱き込みの対策として、番兵には科挙官僚と対立関係にある宦官指揮下の兵士が使われる事が多かった。 「他人の答案を見る」 これまた定番。 ただしそれぞれが個室で解答している性質上、壁で阻まれた他人の回答を見るのはかなり難しい。 最大の機会はトイレに立つ時だが、この際にも「トイレに行く前と後に答案を確認される」「行った回数や時間が記録され、疑わしい事があると回答と照合される」などの多重チェックがあり、これをかいくぐるのもかなり難しかった。 ちなみにこれらのチェックは全受験生に平等に適用される為、疑いがかかるのを避けるべく最初からボトラーになってしまう受験生も多かったという。 汚ぇ!! 「替え玉受験」 この手の不正行為としては大規模なものだが、写真がなく戸籍の管理もあいまいな当時ではかなり有効な手段だった。 防止策として、 本人確認の為の身元保証人(*3) 受験票作成時に身体的特徴を記録する 回答文の最初数文字を書かせる疑似パスワード 筆跡鑑定 などがある。 またそもそも「自分で科挙は目指さないが、科挙に合格できるぐらいの学力があり、かつ犯罪も平気」な人間など当時でも極めて希少。 プロに依頼するには凄まじい金が必要であった。 「答案交換」 替え玉の変化形。模範答案を作るプロ受験者を潜り込ませ、隙を見て回答用紙を入れ替えて貰うというもの。 前述の通り受験生に対する番兵の監視は厳しいが、この場合は交換するだけなのでリスクやコストが少なくて済むのが利点。 ただし人材の確保が難しい点は替え玉と同様。 <会場外での不正行為> 「多重受験」 基本的に科挙は1度の開催につき1回、つまり一か所(一般には本籍地)でしか受験できない。 が、前述した様に当時は厳密な本人確認が難しいので戸籍をごまかす事もできなくはなかった。 「関節」 ここでは身体の節目の事ではなく、科挙の用語で「試験官を買収し不正に合格させてもらう事」を指す。 不正行為としては最強クラスの有効性を持つ必殺技で、会場外不正の代表的存在。 科挙の最初期から見られるが、その分様々な対策がとられており、 回答用紙冒頭の記名部分を糊で封印した上で切り離し、別に保管する「封彌法」 その回答用紙を更に書記が別の用紙に書き写し、コピー側を審査官に渡す事で受験者の筆跡をわからなくする「謄録法」 などで、不正合格させようにもその相手を特定できない様にされていた。 ……のだが、不正者側も「文章の冒頭に必ず特定の字を使う」とか、「詩の○行目に▽▽という字を入れる」等といった特定法を試験官と示し合わせる事で回避できた。 この為本気でやられてしまうと防ぐ方法はほぼ無かったが、その代わりこの方法はやるまでが大変だった。 試験官の任につくのは科挙官僚の中でも地位も金もある中堅クラス以上の人員が主。 更に実際にはその個人補佐官達も審査に加わるため彼ら全てを抱き込むには莫大な金、また強力なコネが要求された。 また発覚すれば当然厳罰が待っているためリスクも非常に高く、金とコネがあっても引き受けてくれるとは限らなかったのだ。 「問題漏洩」 関節のソフト版で、事前に試験官などから試験の内容を教えてもらうという不正。 入手した内容を元に、儒学者や詩人等に回答の作成を依頼しておくとなおベネ(*4)。 関節ほど強力な手段ではないが、その代わり相応にバレるリスクも低い。 対策としては、 任命直後から審査完了まで試験官を会場にカンヅメにし、外部との接触を一切断つシステム『即日入院』 試験にあたる試験官はギリギリまで発表しない 等があった。 ……などなど、多彩な不正行為&不正対策が存在していたが、実はどの不正行為も「これがあれば合格確実」と言える程の効力はなかったりする。 カンペ類の持ち込みはそれ自体では暗記の補助にしか使えない為、経書試験にしか効果がない。 関節は非常に強力だが、試験官はそれぞれの段階で別なので、全ての試験官を抱き込むというのは不可能に近い。 またインチキだけで上がっていくと、皇帝の御前で行われる公開試験で素の学力がバレてしまう。 それなりの実力がなければあまりにもリスキーと言わざるを得ない。 初期の科挙では貴族のゴリ押しがまかり通っていた時代もあったが、中期以降の科挙では「全く実力がないままに進士になる」事はほぼ不可能になった。 後期科挙にもなると3代以上続けて進士を出せた家は存在しなくなった。 ちなみにカンニング行為に対する罰則だが、時代や段階によって結構違うものの、基本現代の入試や資格試験とは比較にならない程に厳しかった。 一応受験者は「エリート予備群」として扱われる為、本来庶民向けとされる肉刑(*5)などは少なく、 一定期間(場合によっては残り一生)の科挙受験禁止 身分(場合によっては親族も)はく奪 など、割とソフト?な刑が実は一般的。まあぶっちゃけどちらも士大夫にとって死刑も同然の刑ではあるのだが…… ただしこれらの刑罰は、カンペ類持ち込みや他人との接触等の、いわば「個人的な」カンニングに関するもの。 関節など複数の人数がからむ不正だと一気に罪が重くなり、カンニングした者とカンニング関係者がまとめてごっそり死刑の上に財産没収とかも珍しく無くなってくる。 そして中期以降の科挙の場合、刑罰以前に発覚した時点で周りの受験生から私的リンチを受けてヤバい事になる可能性が割とある 現代中国でも、大学入試等で特に組織的なカンニングをした者は7年以下の実刑判決を受けることがある。 【受験資格】 一般に科挙には「誰でも受験できる平等な制度!」というイメージがある。 これはまあ間違いではないが、この場合の「誰でも」というのはあくまでも昔の常識における「誰でも」で、現代的な意味での「誰でも」ではない。 具体的に言うと試験の資格を持つのは「良民」の「男子」に限られている。 女子は当然ダメで、加えて 前科者 芸能人 商人 職人 奴隷 召使い 警察の下働き関係者 などに引っかかる者も受験禁止、またその家族や子孫何代目かまでの者も受験を禁止されていた。 ただしこの禁止規定には時代や地方によって結構差があり、色々と「裏技」による抜け道もあった為、必ずしも守られていたとは言いがたかったりする。 更にこれとは別方向の禁止規定として、良民であっても 服喪中(父母などが死んでから3年以内)の者 僧侶 などの受験も禁止されていた。 服喪中の受験が禁止なのは、儒教では両親への服喪を極めて重視しているので、その期間中はひたすら身を慎んで悲しむ事が要求されていたため。 要するに「服喪中に堂々と表に出て受験に来る様なやつは君子じゃねえ!」ということ。 僧侶に関しては、当時彼らも国家認定を受けた者であったため。 いってみれば彼らも(科挙官僚とは別の分野の)役人だったので、二足の草鞋はダメ!という観点から禁止されていた。 なお年齢は一切問わない為、70歳の老人であろうが10代前半の子供であろうが受験できたし、実際に合格例もあった。 合格時の平均年齢は36歳ほどとされ、70歳を超えたあたりから採点が甘くなり、いわば努力賞として名誉合格した老人も多かったとされるが、この場合役人の定年が70歳であるため役人にはなれない。だがそれでも進士の称号を得られるのは大変魅力的なことであった。 また外国人の受験も別に禁止されてはいなかったが、外国籍の留学生等の場合は基本的に「外国籍者向けコース」の特別な科挙があった。 どちらも受けられるなら人数が少なく競争率が低いこちらを受ける事が多く、普通の科挙に挑戦する事はあまりなかったようだ。 【倍率ってどれぐらい?】 時代や状況などによってだいぶ違う。 隋~唐辺りの初期科挙では受験の為のハードルが高かった事から、合格率も10%とか20%、低くても1%とか2%といったまぁ超難関大学の合格率くらいと言えるだろう。 だが宋代になって制度が完成すると受験者数も激烈なカーブで上がり続け、南宋の最盛期では0.01%とか0.02%等の凄まじいまでの低合格率をたたき出している。 更にこれが明~清の後期科挙になると、プレ試験過程の合格率が1~2%で、本試験の合格率が0.2%という想像を絶する世界に突入。 合計すると合格率はまさかの0.004%。10万人が受けて合格できるのが4人だけ、というありえないレベルの超絶狭き門に。 ちなみに参考までに言うと、「日本で一番難しい試験」として有名だった試験制度改革前の司法試験が合格率2%、世界有数の難関として知られるハーバード大学の合格倍率が5%前後といった所。(*6) 【なんでそこまで科挙に合格したがったの?】 中国文明においては、根本的に「人間なら徳を高めるべきで、徳の高い人間なら周囲の人に徳を及ぼすべきで、周囲に徳を及ぼせる人なら政治に関わって国全体に徳を及ぼすべき」とされている。 このため「政治家は全ての人間が目指すべき最高の職業である」と考えられており、「知性と教養がある人間ならば当然科挙合格を目的とすべきだ」というのはエリート層に共通する認識だった。 ……とはいえ、そんなイキり使命感のみで地獄の受験勉強を戦い続けられる人は当然ながら少数派。 莫大な数の人間が数十年に渡る勉強漬けに耐えていたのは、その努力に相応の「見返り」があったからなのだ。 まず一つは、当然というべきか「金」。 正規官僚の給料は(時代にもよるが)新人でも兵士の数倍~十数倍の額になったし、更にはそこに家族を含めた税金上の特権が加わる。え?兵士の給料が安すぎるだけだって? 更に地方官や中央高官といった統治権をもつ役職に就けた場合、当然の様にその権力に金が群がってくる。ストレートな意味での「賄賂」は勿論、御機嫌伺いの為の「ご挨拶」ですら莫大な額になった。 また各地方の実権を一手に握る地方官は財政上の独立性も高く、任期中は自分の財布と地方の財布が区別できなくなるのがデフォで、賄賂を一切拒否する様なマジメな地方官ですら「3年務めれば大金持ちになっている」とされるほどだった。 そしてもう一つの理由が、金と同じぐらい重要な「名誉」である。 金持ちと言うなら大商人だって同じだが、儒教、特に朱子学的価値観の下での商人は「生産者と消費者の間に割って入り、不当にマージンを得る者」と軽蔑される存在だった(*7)。別に転売ヤーの事を言ってる訳ではないぞ!本当さ! 富裕な大商人となれば当然高級官僚との付き合いも増えるが、それはつまり彼らにマウントを取られる機会が増えるという事でもあるのだ。 これに対し、科挙官僚は最も名誉ある職業とみなされており、閑職にある最下級の役人(地方の教職とか)ですら、民衆の敬意を受ける事ができた。 またその2つに劣らず重要なのが「コネ」だろう。 科挙に合格するという事はつまり「君子」となった事であり、つまりそのまま君子で構成される上流社会へのパスポートにもなった。 現代ですら「結局社会に出てものを言うのは人脈」とよく言われるが、当時にあっては尚更である。 科挙合格者という時点で「どこの誰にでも通用する万能紹介状」を持っているに等しく、粗略な扱いを受けるという事はまずない。官界だろうが経済界だろうが、人脈を築いたり「口利き」をする際などには果てしなく有利な資格となった。 【科挙の功罪】 <評価点> 「中央集権化に便利」 科挙というのは本来、西晋~南北朝にかけて発展した世襲貴族に対する対抗策として発展したもの。 試験によって選抜された官僚は、 地位を世襲できず、無制限に大きくなる心配がない 試験によってのみ選ばれるため、一族によって要職を独占する事ができない 私有地を統治する訳ではないため、地域と結びつきにくい 利害関係が国家中枢(皇帝)と概ね一致する などといった特徴を持ち、常に割拠したがる貴族を抑制して皇帝の下に権力を集中するには極めて都合のいい存在だった。 「地方の現状が中央に伝わりやすい」 科挙は中国全土で行われ、しかも各地方ごとに定員が割り振られていた為、合格者は「中央政界における、出身地の代弁者」という側面も持っていた。 科挙官僚は出身地への赴任こそ禁じられていたが、しかし生まれ育った土地とは様々な形で生涯つながりを持ち続けるのが普通だった。 よって彼らには地方の生の声が伝わりやすく、それを中央での政治に活かす事ができた。 これは現代民主国家の代議士にも通じる部分である。 「優秀な人物が要職につける」 生まれつきの身分で職が決まってしまう貴族制に比べ、人材の質が当然高くなる。 まあ必ずしも「科挙官僚=有能」とは限らないが、少なくとも「9歳の地方長官」とか「読み書きすらできない宰相」なんて人事が生まれる可能性はなくなる。 「エリート意識が強い(いい意味で)」 科挙合格者は頭脳と知識、努力によってその座をつかみ取った人であり、また儒教は「個人にとって、人間同士にとって、国家にとって正しい方法とは何か」を説いた学問である。 これらの要素が組み合わさった結果、科挙合格者は、強い問題意識と使命感を持ち、自信とプライドによってそれを支えるという、典型的なエリートタイプが多くなった。 そしてこうしたエリート意識の強さがいい方向に作用した時、優れた政治家や将軍が生まれる事になった。 「野心的な人物を国家に吸収できる」 古今東西、優れた能力と、それにふさわしい野心を持っている人物というのはあらゆる社会に常にいる。 そうした人は社会に活力を与えるが、インセンティブに乏しい(例えば身分制が厳格とか)仕組みの国家の場合、その仕組みそのものを敵とする「挑戦者」になってしまう事もよくある。 しかし合法的に国家の最上層を目指せる科挙という制度によって、そうした優れた人材を国家に吸収しつつ、同時に彼らが秩序への挑戦者となる可能性を未然に防ぐ事ができた。 「文民統制に有利」 中期以降の科挙制度では、高級軍人も「背広組」である科挙官僚の統制下に置かれ、強力な文民統制が実現していた。 中央集権体制の弱点の一つに「クーデターに弱い」というものがあるが、その解決手段としても有効だった。 「教育事業、また文化が発展する」 科挙の隆盛は、同時に塾や家庭教師、テキストや受験書の出版・流通・販売といった民間の教育ビジネスを大いに発展させた。 また膨大な数の科挙受験者は、そのまま「教養のある消費者」でもあり、彼らを支持層とした文芸の発展も促す事になる。 あと、科挙をやる過程で価値観が統一されるので、教材や創作物が売りやすくなる。 「平等な政治的権利がある」 もちろん現代の民主主義社会に比べれば不完全だが、時代を考えれば「貧乏農家の息子であっても、合法的に一国の宰相にもなれる」というのは驚異的に平等なシステムと言え、中国の歴代王朝が広大な領土を長く治める事ができた要因の一つともされる。 「年功序列による弊害が抑えられる」 儒教は本来「長幼の序」、つまり「年長者を敬わねばならない」という鉄則があり、それを素直に解釈すると極端な年功序列が生まれ、業務上様々な問題を引き起こす事がある。くそっまた儒教か!? しかし科挙とは完全に学力だけで優劣を決める制度で、合格年齢も完全にバラバラだった為、それを勝ち抜いてきた科挙官僚達は必然的に実力主義的なルールで動く事になった。 この為「個人としては年長者に敬意を欠かすべきではないが、しかし職務上ではまた別」というスタンスが科挙官僚の基本となり、年功序列がもたらす弊害を抑えていた。 「試験が公正かつ正確」 筆記試験であり、点数という公正明白な試験に身分、人格、容姿に関係なく人物を試験することができる。もちろんこの利点は現代の教育にも生きている先進的な考えである。 欧州でも、中国で布教活動をした宣教師によって科挙が伝わり、科挙をモデルとした筆記試験が行われた。 <失敗点> 「勉強がデキる人=官僚に向いた人」ではない 現代でもよく言われる事だが、「勉強がデキる人=頭がいい人」とは限らないし、「頭がいい人=仕事がデキる人」という訳でもなく、「仕事がデキる人=官僚に向いた人」と言い切るのも無理がある。 だが科挙で選ばれるのは基本「勉強がデキる人」に過ぎないため、必ずしも官僚に向いた人材が登用される訳ではなかった。 「エリート意識が強い(悪い意味で)」 エリート意識とは決して良い方向にばかり働く訳ではない。 悪い方に転じれば「強い自己確信性」「特権意識の強さ」「過剰なプライド」「協調性のなさ」「逆境に弱い」等といった欠点も当然現れてくる。 よって 汚職を働いても当然と思っている 胥吏を低学歴と馬鹿にして軽んじ、ますます実務に疎くなる プライドが高すぎて建設的な議論ができず、全否定の応酬になる といったダメ官僚も多数生んできた。 「文民統制の弊害」 文民統制は国家の安定にとって有効だが、行き過ぎると軍事力の弱体化にもつながってしまう。 古くから「入りては相、出でては将(宮廷にいる時は行政官、宮廷を出たら将軍)」と言われる通り、士たる者は文武の能力を兼ね備えていて当然とされていた。 しかし実際にそうそう上手くいく訳もなく、科挙官僚が指揮する正規軍は、叩き上げに指揮されるそれに比べてどうにも劣る事が少なくなかった。 このため異民族や反乱軍との戦闘が激化すると、結局士気の高い義勇兵や地元有力者の私兵等に頼る羽目になり、彼らが軍閥化して国家の安定を脅かす事も少なくなかった。 「人材の吸収にも限度がある」 特に後期の科挙に顕著だが、野心のある人間を吸収できるといっても、無制限に官僚を増やせる訳ではない以上、そこには物理的限界が出てくる。 倍率が上がっていくにつれて当然この傾向は強くなり、後期科挙になるともはや合格は運ゲーだった為、野心的な人間をあらかじめ飼い殺しにするという目的はもはや果たせなくなっていった。 「実務力に欠けがち」 先述の通り科挙官僚は管理&重大な決裁を専門とした職で、大型の裁判などを除けば細かな実務はほぼ胥吏の担当だった。 つまり現場実務を経験しないまま管理職に直行という事になるが、自分でやった事のない仕事を管理するのは難しいし、ましてや胥吏は長年経験を積んできた専門家である。 このため地方統治においては「官僚が胥吏を制御できてない」「官僚が胥吏と結託して、あるいは抱き込まれて汚職をやっている」等の事態が多発する事になった。 「試験のための学問になっている」 科挙の目的は本来「儒教を学んだ人材を、高い地位につける」為の物だったが、制度の発展と共に逆転し「高い地位につく為に、儒教を学ぶ」様に変わっていく。 孔子が「先行其言而後従之(*8)」と戒めた様に儒教は本来実践(徳行)をこそ重んじる学問なのだが、熾烈な受験競争の中では「実践なんかより勉強!暗記!」とならざるを得なかった。 当然真面目な官僚や儒学者からは「あの連中って受験対策やってるだけで、儒教を学んでいる訳じゃないよね」と非難されたがその流れは止まらず、ついには「勉強だけが尊い行為で、それ以外は卑しい俗事」とか本末転倒な事まで言われる程になってしまった。 「自然科学の発展を妨げた?」 所謂「世界三大発明」が全部中国生まれである事からもわかる様に、中国における科学技術の発展は13~14世紀頃までヨーロッパやイスラム世界を上回っており、世界最先端の国家であった。だが、明代に入ると急速に停滞し、以後は完全に後塵を拝する様になってしまう。 この理由に関しては様々な説が唱えられているが、その一つに「科挙に関する学問が実利に直結する様になった為、他の学問が軽んじられる様になったから」という説がある。 実際、古い時代ではどちらかというと「士大夫なら儒教以外のジャンルにも精通していて当然」と考えられていたし、数学者や科学者などを兼ねた科挙官僚も少なくなかったが、後期科挙が完成した明以降はそうした傾向が無くなり、むしろ科挙に関連しない学問全てを馬鹿にする風潮が強まっていった。 また優秀な人が科挙に吸収された結果近代的な武器や優れた戦術を開発・考案できなかったために、アヘン戦争に敗戦する遠因にもなったという説もある。 「実際は貧乏人の合格は難しい」 「親が貧乏→子供の教育に金がかけられない→子供もいい仕事に就けなくて貧乏に→その子供の教育に(ry」という「貧困の連鎖」は現代でも社会問題になっているが、同様の問題が科挙にもあった。 科挙に合格するには 膨大な量の書物 優れた教師の指導 長年勉強に集中できる環境 など様々なものが必要で、必然的にかなりの金を要した。 また受験自体は無料だったが、各種手数料や試験会場までの旅費・滞在費(この時点で明後半の場合現在日本円換算で大体600万円かかったらしい)、合格時の関係者各位へのご祝儀などは自己負担だったため、この辺りにも相当な金がかかった。 とまあそんな訳で、「誰でも」受けられる制度である事が謳われてはいても、実際の合格者はある程度の上流家庭に偏りがちだった。 とはいえ、科挙合格(予定)者は投資対象としては最優良物件で、合格が望める程デキる子だったら一族や知人等からこぞって出資を受けられるのが普通だったので、貧乏な家庭から苦学して合格した人も結構いる。 「そもそも試験で人材の質を判断するってどうなの?」 それを言っちゃあ……って感じではあるが、「テストではなく、実際の勤務態度や実績を元に人材を判定すべきでは?」とは現代の学歴社会でもよく議論される所。 実はこの問題は古くから認識されており、科挙官僚の中には「学校制度を充実させて、そこで勉強させながら時間をかけて資質を判定し、優れた者を官僚とすべきだ」と主張した人も多く、実際に何度か政策にも反映されたが、結局定着はしなかった。 【科挙のおおざっぱな歴史】 <創設以前> 中国語では平民を「庶」と呼び貴族を「士」と呼ぶが、士とは同時に「(身分は低くても)優れた人」の事も指す言葉だった。 つまり「例え王侯貴族でも、才ある人間に対しては敬意を示さねばならない」というのが、中国文明に古くから存在する「きまり」だったのである。 例えば『三国志』に登場する劉備が、職歴も官位もない在野の若者諸葛亮を三度も訪問して敬意を示した例は有名だが、他にも 春秋時代の桓公 戦国時代の信陵君 果ては儒教の祖である孔子 など、似た様な話がたくさんある。 この為中国では古くから「在野の有能な人材を登用して、官職についてもらう」という慣習があり、漢代になるとこれが整備されて「選挙」と呼ばれる人材登用システムとして完成する。 しかし当時の選挙は有力者による推薦制だった為、間もなく「位は低いが優秀な人物を世に出す」よりも「有力者の子弟がコネを使って出世する」為の手段となってしまう。 その結果、選挙による人材の質があまりにも低くなりすぎ、ついには推薦された人に対してテストを行い、本当に能力があるのか確かめるという回りくどい事が行われる様になった。 このテストつき選挙は徐々に整備されていき、南北朝時代になると推薦なしのテストのみで人材を採用するというものまで出てくる様になる。 これを「科(テストの「科」目)」による「選挙」という意味で「科挙」と呼んだのが、実質的な科挙の始まりである。 <初期科挙> 西晋以来300年ぶりに中国を統一した隋の文帝は、貴族制を支えてきた選挙専門の官僚「中正官」を廃止する。 一方で「テストつき選挙」の方は継承したため、これをして教科書などでは「隋代に科挙が始まった」とする事が多い。 この時代、つまり隋~唐にかけての初期の科挙は貴族制と同居していたという点が最大の特徴で、 科挙は就職ルートの一つに過ぎず、親の地位で任官される「資蔭(しいん)」、個人的なコネで任官される「辟召(へきしょう)」など、より強力なルートが幾つも併存していた 受験には地方長官(ほぼ貴族)の推薦が必須で、コネがない平民の受験はほぼ不可能 試験の成績だけではなく、名声や評判などでも判定される(=コネがある貴族有利) 試験以外に、売り込みや推薦などの事前工作運動が認められていた(=金とコネが〃) あくまで科挙は資格試験であり、合格後に具体的な任官を決める「吏部試(りぶし)」が課された(=吏部、つまり人事部を握る貴族達の意向に左右された) などと言った感じにまだまだ発展途上で、総じて言えば「出世の目がない下級貴族の子弟が、低くてもいいから官職を得ようと使う制度」という感じだった。 但し実際問題として、能力的には当然「単に世襲しただけの大貴族<選抜された科挙官僚」だったので、隋~唐の間に科挙官僚の地位は徐々に上昇していく。 更に唐中期に至ってかの則天武后(武側天)が台頭すると、貴族層と対立関係にあった彼女が対抗として多数の科挙官僚を引き立てた事で更なる地位を確保した。 トドメに唐末の動乱で門閥階級が一気に滅んだ事により、これ以降は「高級官僚=科挙官僚」という図式が完全に確定した。 ちなみに先にもちょっと触れたが、この時代の科挙は科目が多彩で、 経書試験を課される「明経科」 韻文の「進士科」 数学試験の「明算科」 法律試験の「明法科」 など、好きなコースで受験できた。 ちなみに一番格が上とされたのは散文試験の「秀才科」だが、これはあまりにも合格基準が厳しすぎて合格者(というか受験者)0の状態が続き、途中で廃止となってしまった。 + 初期科挙関連の有名人 「文帝(隋)」 隋の皇帝。科挙の創設者として知られる。 元は魏晋南北朝時代の北周の将軍で、国家掌握→禅譲強要→前皇帝一族皆殺しという必殺五胡十六国コンボにより隋の開祖となったが、それ故に貴族制の恐ろしさ、厄介さが身に染みていたらしい。 中国史において科挙が果たした役割の大きさを考えれば、その後の中国史を決定づけた人間の一人であると言っても大げさではないかも。 「房玄齢」 隋・唐の人。578年生まれで、595年に進士科及第。 隋代で進士科に合格し、それを簒奪した唐において本格的に活躍した怖い奥さん持ちの科挙出身者。 二代太宗の右腕として知られた人物で、彼が起こしたクーデター(玄武門の変)においても参謀として活躍している。 政治家としても優れた能力を持ち、権力奪取後は尚書左僕射(宰相的な地位)となって後世「中国史上最良の時代」と讃えられた「貞観の治」の立役者となった。 しかし「秦王府十八学士・筆頭」というキングダムにでも出てきそうな肩書を持っていた割に、彼の手がけた史書はかの「晋書」を筆頭に評価がアレなものが多い。 漢字文化圏全域で「帝王学の必須テクスト」として知られた『貞観政要』に登場するため、かつては日本での知名度も非常に高かったが、現代日本では間違いなく彼の子孫の方が有名だろう。 「武則天(則天武后)」 唐の三代高宗の皇后にして、武周の初代皇帝。 貧乏貴族の出だが、その類まれな美貌と頭脳をフル活用し、ハーレムのモブキャラから女帝にまで成り上がった中国史随一の女傑。 その特異なキャラクターから現代に至っても毀誉褒貶が入り乱れる女性だが、科挙制度について語る際には決して外せない人物である。 というのも、彼女はその権力奪取の過程から貴族層主流派と思いっきり対立しており、それ以外の層から出てきた科挙官僚を政治の中枢へと引き上げてこれに対抗したからである。 よって彼女の治世では下記の狄仁傑の他、宋璟、張説など優れた科挙出身者が国家の中枢で活躍する様になり、以後の時代における科挙の隆盛の基盤となった。 「狄仁傑」 唐の人。630年生まれで、658年に明経科及第。 武則天に重用された科挙出身者の筆頭的存在で、文と武、剛と柔、儒と法を兼ね備えてあとついでに若干自信過剰でかつ空気が読めなかった、科挙官僚の理想とでも言うべき人物。 駆け出しの頃は地方の軍事官僚として務めていたが、その有能さを評価されて中央へ召喚された……までよかったが、大貴族に正論で楯突いた事で再び地方に飛ばされる。 しかし後に彼の才能を評価していた武則天が帝位を奪うと再び中央に呼び戻され、一気に同平章事(臨時宰相)にまで引き上げられたというローエングラム朝にいそうな経歴の持ち主。 その後政治家、また将軍として国の安定に大いに貢献したが、同時にKYな正論の為に陥れられたり煙たがられたりもした。 しかし武則天からの信頼は常に篤く、謀反の疑いで収監された際も彼女の命令で助命されているほどで、後には「国老(国家の父)」とまで呼ばれて敬愛された。 現代ではオランダ人の小説家ヒューリックによる、ミステリ小説『ディー判事シリーズ』の主人公としても割と有名。 <中期科挙> そんな訳で、宋代以降の中期科挙からは科挙官僚が完全に国家の枢要を占める様になった。 他の手段で官僚になる道も閉ざされた訳ではなかったが、「国家の重職につけるのは進士のみ」というルールがこの時期に確立される。 それまでは割と区別があいまいだった胥吏と官僚もはっきりと別物として分けられる様になり、胥吏が経験や功績によって官僚に自動クラスチェンジする、という事もなくなる。 必然的に金やコネがモノを言っていた試験内容も大きく改められ、番外戦術の一切が禁止、純粋に実力のみを問う試験となった。 また貴族ではなく、皇帝のみに直属する官僚である事を強調するため、それまでは「科挙自体は礼部(文科・教育部)が行い、採用試験や配属自体は吏部が行う」というシステムだったものも、一括して礼部が担当する様に改められた。 そして科挙官僚が完全な高級官僚となった事で、試験項目もそれまでの様なスペシャリストではなくゼネラリストを求める方向に変わっていき、最終的には「君子」としての総合的な教養を試すテスト、つまり前述の3科目へと項目が絞られた。 まあまとめると、一般に言う「科挙」のイメージはおおむねこの時期に完成した感じである。 完成された制度から優れた科挙官僚が多数輩出されたのがこの時代だが、同時に前述した様な科挙の弊害も顕れ始めた。特に 試験内容がますます先鋭化し、「ふるい落とすための試験」になってきた 競争の激化で、合格者が「君子」というより「勉強が上手な人」になってきた 胥吏と高級官僚が切り離された事で、現場実務能力の低下が目立ってきた 科挙官僚の地位が上がった事で、主導権を争う派閥争いが激化してきた などといった問題は深刻で、北宋中期にはこれを憂えた王安石らによって多岐にわたる改革が進められた。 しかしそうした改革も派閥争いによって上手く進まず、一部の要素を除いて定着する事はできなかった。 + 中期科挙関連の有名人 「范仲淹」 北宋の人。989年生まれで、1015年に進士及第。 実家(母の再婚先)は裕福だったが、連れ子である彼は他の兄弟と折り合いが悪く、結局は親元を離れて無料の学校である応天府書院で苦学し、進士となった。 徐々に北宋の社会不安が表に出始めた4代仁宗の下で活躍し、率直で潔癖な人柄を度々彼から疎まれながらも、地方統治や辺境防衛で大いに功績を上げた。 名文家でもあり、彼が残した「士先二天下之憂一而憂、後二天下之楽一而楽」(士たるものは、誰よりも先に社会の問題を見つけて対策し、しかしその結果として利益を得るのは誰よりも後でなければならない)という言葉は科挙官僚の使命を顕すスローガンとなった。実行できてる人がどれだけいたかは別として。 「包拯」 北宋の人。999年生まれで、1027年に進士及第。 科挙に合格したにも関わらず、老いた両親の世話を優先して官職につかなかったという引きこもり気質親孝行な経歴の持ち主。後に仕官して以後は順調に出世コースを進み、最終的には枢密院副使(国防省次官)にまで出世した。 極めて厳格かつ道徳に厳正な人物であり、一切の賄賂を拒否して清貧を貫き、相手が高官や宦官であろうと一切法を曲げなかったため、庶民から非常に人気が高かった。 ……とまあここまでは割と一般的な科挙官僚なのだが、その真価は死後に発揮される。一言で言えば、日本の「大岡越前」とか「遠山の金さん」の様なポジションになったのである。 中国では関羽や岳飛にもならぶ庶民のヒーロー「包公」として様々な小説や演劇に登場しており、史上最も有名な科挙官僚と言ってもいいほど。 「王安石」 北宋の人。1021年生まれで、1042年に進士及第。 世界史の教科書にも確実に登場する科挙官僚きっての有名人で、国力の折り返し地点を過ぎた6代神宗の下で「王安石の改革」と呼ばれる大規模な政治改革を行った。 しかし彼の改革は法律・政治・経済・軍事などあらゆる分野に及び、ほとんど国家を根本から改造する様なレベルであったため、様々な方面から反発を受けて最終的には半端な形で終わる事となった。 その業績の詳細についてはここで語ると長くなりすぎるため、詳しくはWikipediaなりなんなりをご参照いただきたい。 「司馬光」 北宋の人。1019年生まれで、1038年に進士及第。 王安石と同時代の人で、彼を代表とする改革推進派「新法派」に対し、それの対抗勢力である「旧法派」のボスとなった。 科挙官僚のテンプレ通りに優れた歴史学者であり、その著書『資治通鑑』は長らく中国史の最高傑作として尊重されたが、同時に「学者としては優秀だが、政治家としてはアレ」というダメな方のテンプレでもあった。 新法派の失脚の後に権力を握るが、15年間に渡って少しづつ進められて来た新法を全否定し一斉に旧法に戻した事で、現場に凄まじい混乱をもたらした。 またその感情的な処置は新法派の反動的な抵抗を招き、以後の北宋では「新法・旧法の争い」と呼ばれる両者の派閥抗争がエスカレートしていき、国力を更に衰微させる結果となった。 「秦檜」 南宋の人。1091年生まれで、1115年に進士及第。 創設間もない南宋において、金との和平策を主張し、北宋領の奪還を主張する岳飛ら軍閥層と対立。 最終的に岳飛らを処刑、軍閥層を弾圧して弱体化させると共に金との和平を推進し、金に対する臣下の礼やみかじめ料の支払いを盛り込んだ和約を成立させた。 「救国の英雄」岳飛を殺して中原奪回の機会を逸し、異民族に頭を下げ屈辱的な条件によって平和を買い、自分の保身の為に忠臣を弾圧した奸臣として、死後から現代にいたるまでボロクソにののしられている。 だが見方を変えれば、強力な軍閥を解体して内乱や簒奪を未然に防止し、経済力で勝る南宋の力を活かして名より実を取り、不安定な亡命政権を安定させて南宋150年の歴史の礎を築いた名臣、との言い方もできなくはない。 「文天祥」 南宋の人。1236年生まれで、1256年に進士及第。 珍しく有名な状元(トップ成績)合格者。 モンゴル帝国の圧力で滅亡寸前の南宋に仕えるが、絶望的な戦力差を無視した主戦論を唱え続けたため、各所でウザがられ免官された。 その後復職するが、モンゴルとの和平交渉の席で華夷思想丸出しの差別的発言をして相手側を激怒させ和平はお流れ、自身も捕虜となってしまった。 とまあ政治家としての能力は正直アレだが、その不屈の忠誠心と愛国心は各地で抵抗運動を続ける宋の遺臣達の精神的支柱となった。 これに手を焼いたモンゴルは獄中の文天祥に転向を迫ったが、「生き死になど問題ではない、忠を尽くす事こそが重要なのだ」という内容の『正気歌』を詠んでこれを拒否、最終的には処刑された。 中国でもその忠誠心を評価されて人気が高かったが、後に幕末の日本でも尊王攘夷運動が活発化する中で大いに人気が集まり、藤田東湖や吉田松陰などがカバー曲を作っている。 <後期科挙> 宋の後の王朝である元(モンゴル帝国)は割とストレートな貴族制国家でありあまり科挙に熱心ではなかった(但し元後期には科挙が一部復活し、後期科挙の原型となった)が、「漢民族国家復活ッッッ!漢民族国家復活ッッッ!」を謳った明では科挙が大々的に復活する。 明もできたての頃はカンニング騒ぎや定員割れ、大規模な不正など問題が続出し、一次停止されたり推薦制に移行してみたりと混乱が続いた。 だが草創期に多数の問題を起こした事で、逆にそれを防止するためのシステムがうまく構築され、最終的には宋代のそれをしのぐほどの安定した科挙体制を作り上げる事ができた。 ただこうして完成度が高まった一方で、中期に見られた弊害もますます悪化しつつあった。 受験人口の増大によって、それまで以上にふるい落とす事が重要視される様になり、試験の内容も形式化が進んでケアレスミスによる減点をとにかく狙う傾向が強くなる。 こうした傾向を問題視する声はかなり上がっており、実際にいくらか改革も試みられた。 特に国立学校制度の改革には力が入れられ、「学校で優秀な成績を認められれば、科挙官僚よりも出世が有利」「在学していなければ、科挙を受けられない」など、一時は科挙よりも上位におかれるほどだった。 だがそれも最初だけで、結局の所は宋の様な科挙絶対制に回帰してしまう。 国立学校の学生しか受験ができないというきまり自体は残されたが、学校の授業は完全に形骸化し、単に「科挙の3段階試験の前に、国立学校の入試が3段階追加されただけ」とみなされる様になった。 つまり明朝では、科挙は入学試験3つ+本試験3つという極端な多重試験体制になり、「ミスを犯した受験者を各段階でひたすら振り落とし、数を減らす」という方向に進化?していく事になった。 こうした傾向は明の科挙制度をほぼそのまま温存した清にもバッチリ引き継がれ、更にエスカレートして国立学校での定期テスト、また「覆試」という再テストがあちこちに挟まれる様になった。 これらはぶっちゃけ人数を減らす以外のなんの目的も持っておらず、「テストのためのテストじゃねーか!」と非難を受けたが、実際そうでもしないと人数を絞り切れなかったのである。 しかしここまで倍率が上がってくると、合格者も本来望まれているはずの「儒教の天才」とか「政治の天才」とかよりも、テストでの得点力に特化した様な「受験の天才」に偏りがちになってしまう。 また試験自体の硬直化に加えて、人事面でも「合格時の成績による序列」がより重んじられる様になって、トップ合格者層とそれ以外がほぼ切り離されてしまうなど、やっぱり明らかな硬直化がみられた。 なので科挙の厳格化・高度化が進む一方、そこから上がってくる人材の質はむしろ低下の傾向もみられた。 特に高級官僚として重要な資質である倫理観の低下はひどいもので、科挙においても大臣クラスが絡んだ大規模不正が摘発されたりといった深刻な不祥事も発生している。 加えて明・清朝ともに中期以降は財政難が深刻だったため、「捐納(えんのう)」(※)で地位を金で買った官僚も混ざりまくり、全体の質の低下に拍車がかかった。 更に官僚への実質的な罰金制度(*9)である「捐復(えんぷく)」などが整備された事で拝金主義も蔓延し、いよいよもって退廃が進んだ。 ※「捐納」って何? 率直に言えば買官、つまり「金で官職などを買う事」を指す。 そんなんアリか!と思われるだろうが、理屈的にはあくまで「国家の危機なので私財を提供します!」と自主的にお金を差し出した人に対して、国が「国を想うその態度はすばらしい!徳がある!徳がある人には高い地位についてもらおう!」と感心して官職に任ずる、という形式をとっているのでセーフ…セーフ? 常時受け付けている訳ではなく、基本的に大規模災害や戦争などに際して臨時で行われる制度だが、明でも清でも財政が悪化するとほぼ常態化した。 但しこの方法で官僚になっても出世には制限がつき、どうがんばっても正規進士の様な大臣クラスまでは昇る事ができない。 + 後期科挙関連の有名人 「劉基」 元・明の人。1311年生まれで、1333年に進士及第。 明を建国した朱元璋に「我が張良」と呼ばれた希代の名軍師で、字の伯温の名で知られている。 元末の科挙に合格して官職についたが、上司と衝突して故郷に戻っていた所を朱元璋に招聘された。 朱元璋の軍師として外交から軍政、戦略戦術まで幅広い指導を行い、また時には自身で部隊も指揮して、ついに彼を皇帝の座まで登らせた。 その絶大な功績にも関わらず、謙虚で公正無私な人物であり、明の建国後は数年間王朝の基礎固めに奔走したのち、宰相職を何度も打診されながらこれを断り隠棲した。 死後も明建国のヒーローとして人気を集め、当時から現代にいたるまで小説や演劇の主人公として親しまれている。 かの三国志演義が成立したのは明の時代だが、その主要人物である諸葛孔明のキャラ造形は明らかにこの劉基を元ネタにしていると言われており、いわば孔明の「中の人」でもあったりする。 「王守仁」 明の人。1472年生まれで、1499年に進士及第。 儒教の異端ともいえる「陽明学」の創始者で、一般には王陽明として知られる。 父も科挙合格者(しかも状元)というエリートofエリートな生まれだったが、彼自身は父ほど科挙向けのタイプではなく、合格は少し遅れた上に成績も低かったので地方官からの出発となった。 その代わり、「国防問題に対処するには軍事学も必要」と武術や兵法も極めており、兵隊を集めての勉強会が趣味だった。 現場においては大いに功績をあげ、特に軍事面では科挙官僚にも拘らず明時代を通しても最強クラスの実力を有した「哲人将軍」。 1519年に勃発した10万の兵を擁した大規模反乱(寧王の乱)で少数の手勢と寄せ集めの寡兵をもって驚異的な機動戦を展開し、わずか3か月で鎮圧するなど特筆すべき戦果を挙げている。 民政面でも優秀で、反乱鎮圧後の復興や失業対策等も見事に処理している。 剛直だが誠実な人物であり、当時の朱子学が「机上の儒学」となっている事を憂いて、実践を重んじた陽明学を唱えた。 中国では邪学扱いされたが、比較的自由に学問が出来た日本では「知と行動は不可分である」「真摯に実生活を生きる事で人間が生来秘めている善性を発展させよう」という教えは大名から庶民まで受け入れられ、人気のある学者だった。 「張居正」 明の人。1525年生まれで、1547年に進士及第。 13代隆慶帝時代の末期に権謀術数を尽くして派閥抗争を制すると、自身が守役となっている14代万暦帝を即位させ、主席大学士(宰相)として実権を掌握する。 その強引な手法と露骨な権力者指向は各方面から反感を買ったが、政治家・財政家としては卓越した手腕を発揮し、多方面にわたる政治改革によって内憂外患に苦しむ明朝を見事に立て直した。 但しあまりに出来過ぎた人物であったためか、その元で育った皇帝は見事にニート化した。 「袁崇煥」 明の人。1584年生まれで、1619年に進士及第。 明代末期、17代崇禎帝の時代に国防の要となった名将。「この時代の諸葛孔明」と言われたと言えば、どんだけ高評価された人物か分かるだろう。 同じく明末期の名将孫承宗の下で経験を積み、明の北から絶えず攻撃をかけてくる後金(後の清)との戦いで活躍した。 大砲の運用や要塞防御といった大規模な戦術を得意とし、寧遠城の戦いでは清の太祖ヌルハチに生涯唯一の敗戦を味わわせた。 だが彼に手を焼いた後金が朝廷へ離間の計をしかけたため、あっさり引っかかった崇禎帝によって謀反人として処刑されるという悲劇的最期を迎えてしまう。 「畢ゲン」(ゲンは機種依存文字で、本来の表記は沅) やっぱりホモじゃないか(憤怒) 「林則徐」 清代の人。1785年生まれで、1811年に及第。 アヘン戦争の関係者として、世界史の教科書にも必ず登場する有名人。 この時代では珍しい潔癖・有能な官僚で、地方官時代にアヘンの流行を問題視して根絶に取り組み、それが評価されてアヘン密輸入を取り締まる大臣とされた。 着任後はそれまでの総督と違って商人からの賄賂を一切拒絶し、外国商人の密輸アヘンの強制処分を断行。更には外国商人に対して禁輸法の遵守、及びその誓約書の提出を命じた。 しかし鬼畜ブリカスイギリス商人だけはこの命令に従わず、マカオへ籠城して軍事力によって措置を覆そうとする。 こうして始まったアヘン戦争では、初戦の海戦で完敗を喫したものの、衰えぬ戦意で香港の戦力を増強して本格的な戦いに備えた。 だがこれを見たイギリスが優勢な海軍力を活かして首都近郊の港湾を直接制圧する手段に出たため、ビビった政府によって解任されてしまった。 「傅善祥」 清代の人。1833年生まれで、1853年に及第。 科挙の歴史において初めての女性の状元。ここまで真面目に記事を読んできた方なら「え?科挙って受けられるの男だけじゃなかった?」と思ったかもしれないが、ごあんしんください。彼女は正規政府ではなく、反乱勢力「太平天国」によって行われた「新時代の科挙」の合格者なのだ。 太平天国はキリスト教をはじめとした西欧の文化・制度に強い影響を受けた集団であり、その一環として女性にも科挙の道を開いたのである。 彼女自身は学者の家系に生まれ。高度な教育を受けたインテリであり、状元にふさわしい学識の持ち主ではあったが、同時にものすごい美人でもあったので、太平天国の裏ボスこと楊秀清が愛人として傍におくためにトップ合格させたのでは?と不名誉なうわさが立ったという。 「李鴻章」 清代の人。1823年生まれで、1840年に及第。 父を含めた親戚・縁戚に科挙合格者がずらりと並ぶエリート&お金持ちな家庭の出身。 清後期の大反乱「太平天国の乱」において師匠・曽国藩の下で民兵軍を率いて活躍し、官僚としての出世ルートに乗る。 その後は曽国藩の地位を引き継ぐ形で清の中枢を担う高官となり、西太后の信任を得て外交、軍事、政治と様々な分野で辣腕を振るった。 郷紳の出で科挙合格者という「中国的システム」の粋とも呼べる人物だが、同時にそのシステムの時代遅れっぷりも理解しており、西洋の制度や技術の取り込みを図る「洋務運動」を強力に推進した。 日本では『蒼穹の昴』に登場する超カッコイイ李鴻章が有名だが、実は現代中国では「反革命派の売国奴」という評価が長く定着していた(最近は現実的な政治家として再評価も進んでいる)。 <終焉> とまあそんな感じで長きに渡り受け継がれてきた科挙も、清末にもなると明らかに寿命が近づきつつあった。 そして西欧諸国との力の差が痛感される様になると、その文化や技術を導入しようとする「洋務運動」が活発化。 この時期に「科挙の内容を根本的に変え、西学(西欧の科学や工学)を導入しよう」という一大変革も試みられたが、周辺からの大反対で結局頓挫してしまう。 隋から数えて1300年の時間の中で科挙は中国王朝の統治システムと深く一体化していて、大規模な方向転換や廃止はあまりに難しかったのである。 結局科挙は清の末期も末期、立憲君主制に移行した1905年まで続く事になる。 前年に最後の科挙が行われ、同年9月2日に廃止が決議された。 そして科挙の代わりとして諸外国のそれを模した学校制度が導入されたが、最早そこから上がってくる人材を待つほどの体力は清にはなかった。 それどころか、科挙が廃止された事で、 科挙を目指して勉強していた各地方の受験生、つまりエリート達が将来を失い、職を求めて各地の軍閥へ合流 地方の実情が中央に伝わりにくくなって、地方の窮乏&過疎化が進行 科挙合格という中央からの「飴」が無くなった事で、地方が中央のコントロールを受け付けにくくなる などといった弊害が続々と現れ、むしろ清の寿命を更に縮める事にすらなった。 【文化としての科挙】 1300年にも渡って中国人の生活に大きく関わり続けた科挙は、中国の社会や文化に大きな影響を残している。 宋代以降の中国で、ある程度の教養がある人なら一度は科挙合格を目指すか、何らかの形でその業界に関わるのが普通だったので、「科挙合格を目指したがダメだった人」や「地方試験まで合格したけど、中央試験に合格できなかった人」はそこら中にゴロゴロしていた。 具体的には 「家庭教師・私塾経営者」 受験者人口が数十万人~数百万にも及ぶという事は、つまりそれに見合う数の教師が常に必要とされているという事で、教師の需要は常に大きかった。 「受験参考書ライター」 同様に科挙のための参考書もまた広く流通していて、これの編纂にあたるのもまた彼らである事が多かった。 「作家」 徹底した文章試験である科挙を目指していた彼らは、当然それなりの文章力を持っていた。 これを活かして小説や脚本を書く作家になる人も多く、中国における文芸史は彼らの存在抜きには語れないほど。 「医者」 意外な事に、医者というのもまたメジャーな進路の一つだった。 教養があって古書に通じているという事は、つまり医学書や薬学書なども読めるという事であり、識字率が決して高くない時代にあってはそれだけでアドバンテージとなった。 「学者」 この場合の学者とは基本的には儒学者or史学者の事だが、数学者や天文学者、暦学者や科学者などといった特殊なルートに進むものもいた。 また在野の儒学者になると、その学識がすっっごい有名になった場合国から逆指名で招聘される事もあったので、そういう意味では人生の一発逆転を賭けたルートでもあった。 「胥吏(しょり)」 下級役人である胥吏だが、性質上読み書きの能力は必須であったため、勉強で得たその技能を活かして胥吏へと転向する者も多くいた。 「官僚や軍人の私設スタッフ」 幕職、幕僚、幕友などと呼ばれる職で、地方官や軍官僚の下について、実務の補佐や下部組織との折衝にあたる「私設秘書」のお仕事もまたメジャー。 収入は時代や赴任先、また雇い主との関係などによって様々だが、運が良ければかなりの収入と名声が得られる事もあり、コネがあればこれを望む人も結構いたらしい。 「マフィア」 更にあまり大きな声では言えないが、中国における裏社会……つまり「社」「会」「幇」の様なヤクz……特殊な団体もまた有力な就職先だった。 民衆に対して公権力とはまた別の次元で大きな影響力を持っていた彼らだが、公権力とも裏で接する関係上、その身内に官僚に近いキャラを持つ者がいると色々と便利なのである。 「地方の名士」 科挙においてそれなりの所まで進めたという事自体、地方社会においては一種のステータスだった。 それだけ学識のある人物という事で市民からも尊敬を受けられたし、地元有力者にとっても後進の教育や地方官との折衝を担ってくれる貴重な人材とみなされていたのである。 また科挙官僚である地方官にとっても「輿論(よろん)」、つまり地方での評判は自身の考課に思いっきり関わってくるため、それを主導できる彼らは決して無視できない存在だった。 それに官僚予備軍だった彼らは、庶民に比べればまだ「支配者側の論理」に理解があるため、団体交渉役の相手としてはむしろ望ましい存在でもあった。 結果、彼らは各地方において「郷紳(きょうしん)」と呼ばれる階層を形成し、官と民の中間に位置する折衝役として独自の地位を占める様になっていった。 ……などなど、要するに社会のどこにでも元関係者がいたといって良い程である。 そう、科挙とは中国人にとって単なる人材登用システムではなく、立身出世の手段で、地域と中央・上と下をつなげるネットワークで、出版・受験ビジネスの中核で、学術教養の中心で、文学のフロントラインで……つまりは一つの「文化」そのものだった。 受験に縁のない様な階層の人々であっても、地元のまとめ役である郷紳やマフィア、役所手続きや裁判などを通じて、その存在は常に意識されるものだったのである。 一番身近な例としては、麻雀の役の名前とかをみると、今にまで残るその影響力がわかりやすいかも。 あえてこの存在の大きさを現代的に例えるなら、ニュースサイトのメニューに「政治」「経済」「エンタメ」「科挙」「スポーツ」の順で並ぶのが定番になるぐらい、とでも言えばいいだろうか。 ※ 追記:修正は「五経」+「四書」を全文暗記したのちにお願い致します。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 コメントログ なるほど伝説の92とかブレンパワードの時みたいなかんじなのね -- (名無しさん) 2022-07-22 23 51 58 学問の大切さを知っていながら、自然科学が発達せず西洋文明に大きく遅れをとったのは、やはりこの制度に一因があるんだろうか -- (名無しさん) 2022-07-23 15 39 44 ↑7 李徴は典型的な「エリートの中の半端者で、上見て絶望して、大人物ぶろうとして失敗した」慶応三田辺りの意識高い系みたいなもんだからな。 -- (名無しさん) 2022-07-23 15 39 46 マギの錬紅玉のお付きのアイツも独白見る限りコレ突破したらしいし本当にバケモン級のエリートだったのか…… -- (名無しさん) 2022-07-23 16 08 57 後期科挙の合格率0.004%って現代日本の宝くじで三等以上が当たる確率に相当する。要するに「無い」とほぼ同義の倍率な訳でよく受験者数自体の減少が起きなかったなとは思う。 -- (名無しさん) 2022-07-25 11 56 19 記事にも書いてあるけど途中まででも地元のちょっとした役人になるくらいは出来るから -- (名無しさん) 2022-07-25 13 20 18 んーなんか前半部分がだいぶいじられたけど、なんかトゲトゲしくなったのと削られまくったのでこれ戻してもいいかな・・・・?やっぱwikiの性質的に「予備知識がない人でも楽しく・読みやすく」しときたいんだが・・・ -- (名無しさん) 2022-07-25 21 41 00 ホモの人はその説明だけで足りるんか? -- (名無しさん) 2022-07-26 16 23 28 なんか前半部分の記述が変な削られ方して文の繋がりが不自然になってるな 前の文の方がボリューム多くて読みやすかった… -- (名無しさん) 2022-07-26 21 41 54 個人的な見解やけど前のがええと思う -- (名無しさん) 2022-07-26 21 57 10 総合相談所含め特に反対意見もなかったので、編集された方には申し訳ありませんが記事の差し戻しを行いました。今後は大きな改定を行いたい場合には掲示板やコメント欄などで相談していただけますと幸いです。 -- (名無しさん) 2022-07-27 20 00 28 「珍しく」有名な状元として挙げられる文天祥も有能だから歴史に残った訳じゃないのが無情。 -- (名無しさん) 2022-08-24 19 38 33 有名人の部分に鍾馗は…はいれない人か? -- (名無しさん) 2022-09-12 20 59 27 ↑10 -- (名無しさん) 2022-09-26 14 39 54 ↑11紅玉のお付きが受けた科挙もいつの時代の科挙がモデルなのかはわからんからな、案外唐初期くらいの簡単だった頃の科挙の可能性もある↑2鍾馗は半分伝説の人物みたいなもんだからなあ -- (名無しさん) 2022-09-26 14 44 11 なんか冒頭の難易度の例えにハーバードが入ってるけど、アメリカの一流私立大学への入学ははかなりの割合でコネか寄付金かスポーツ推薦だぞ... -- (名無しさん) 2022-12-25 20 17 58 大学共通テストで何故か科拳と誤植された -- (名無しさん) 2023-01-14 16 53 11 倫理を身に付けて云々、は素晴らしいけれどもその試験がカンニングとの戦いの歴史か…試験ってなんなんだろうか、と考えてしまう内容だった -- (名無しさん) 2023-01-16 08 43 49 ↑2そこから武科挙なるものの実在を知り民明書房感溢れる語感に圧倒された… -- (名無しさん) 2023-01-22 21 09 12 ↑「科拳」それは科挙の進士たちが自衛のために生み出した拳法が始まりと言われる中国武術であるby民明書房 -- (名無しさん) 2023-02-06 22 28 49 今でも中国の高考(大学受験共通試験)での省トップ合格者は「状元」と呼ばれるくらいには根付いた文化 -- (名無しさん) 2023-04-17 14 37 43 科挙がこれだけ詳しく書かれてると武挙の方も気になるな -- (名無しさん) 2023-05-11 16 31 20 めちゃくちゃ言いおる<追記:修正は「五経」+「四書」を全文暗記したのちにお願い致します -- (名無しさん) 2023-05-11 20 53 52 韻文で詩のセンスが問われるってのは説得力あるよう文章をまとめる力ってとこかね -- (名無しさん) 2023-05-23 20 06 41 ちなみに、今日は科挙が廃止された日 -- (名無しさん) 2023-09-02 13 42 21 試験を評価の基準にする都合上、どうしても合格者が富裕層に偏ってしまいがちだし、なんなら実務能力との剥離も起こってしまうし、不正が多発するリスクもある。とはいえ、どんなに頭が良くて学問に通じていようが家柄を理由に政治の世界から門前払いを食らってしまう、そんな中近世の封建社会的システムから脱却しようとする努力は確かに感じられたりもする。例えばうちの国だと、ご存じあの二宮尊徳(金次郎)も小田原藩の幕臣として動く際、百姓の生まれという自身の家柄に何かと足を引っ張られてたって話だし、そう言った類のしがらみを払拭するにはこういった物が必要だったんだろうなと思ったり -- (名無しさん) 2023-09-28 11 14 11 貢院ググってみたら狭過ぎて笑った。頭も体も超人じゃなきゃ無理な試験だなあ -- (名無しさん) 2023-10-31 21 05 20 唐代(奈良時代)の阿倍仲麻呂は科挙を受けたのだろうか、日本人としては何となく気になるところ -- (名無しさん) 2023-11-30 01 39 54 ↑科挙に合格した記録が残っている、唯一の日本人だったと思う 阿倍仲麻呂 -- (名無しさん) 2023-11-30 22 12 42 今回の騒動を機に久しぶりに読みに来ちゃった。SNSでバズったことがあるのも納得の面白さ。この項目に限らず中国史関連の話は良項目が多いので、何らかの形で残ってくれるといいなあ。 -- (名無しさん) 2024-03-16 15 31 22 名前 コメント すべてのコメントを見る
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獅子国伝奇外伝 第8話(前編) 「ねーねーキョータくん、旅したくない?」 「はい?」 庭の掃除をしていると、突然やってきたご主人様がそんなことを言い出してきた。 「したいよね、うん、そうだよねっ」 人の返事も聞かずに、そう言って箒を持った俺の手を嬉しそうに手を握ってくるご主人様。 「じゃあ、荷造りしといてね」 「え? あ、おいっ……」 突然やってきて一方的に話を決めて、そのまま突然帰っていくご主人様。 「あらあら、ファリィったらすっかり浮かれちゃって」 サーシャさんが、おかしそうに笑いながら入れ違いにやってくる。 「ま、無理もないかな。都に行ける機会なんて滅多にないし」 「あの、いったい……」 いまだに事情が飲み込めない俺。 「ふふ。あれじゃよくわかんないわよね。あのね、みんなで都に行くのよ。フェイレンとミコトちゃんも一緒」 「みやこ?」 「キョータくん、この近くしか知らないでしょ」 「え、ええ……」 この近くと言うか、俺がこっちに落ちてきてからいったことのある場所は、裏山と門前街ぐらい……。 「杜朝獅子国の首都ウーアン。世界七大名城の一つよ」 「せ、せかいななだい……?」 よくわからないが、たぶんすごいのだろう。 「ふふ。実は私も、実際に見るのは初めて。ふふ、楽しみ♪」 「サーシャさんも来るんですか?」 「もっちろん」 そう言って、嬉しそうに笑う。 「前から見てみたかったのよね~、ウーアンの街並み」 「そんなにすごいんですか」 「見てのお楽しみ。だから、キョータ君も支度しといてね。明日早いから」 「って、言われても掃除が……」 「そんなに長くかかるものでもないでしょ。寝過ごしたらおいてっちゃうからね」 そう言って、サーシャさんも嬉しそうにどっか行ってしまう。 「…………」 後に取り残された俺。 とりあえず掃除を済ませてから、身の回りのものだけまとめることにした。 ……と、いっても。 身の回りのものといっても、本当に服と着替えと毛布だけ。 そもそも、俺の部屋ないし。 「キョータくんキョータくん、これも入れといて」 で、結局俺の服やら何やらはご主人様の荷物と一緒につづらの中に放り込まれて、あとはご主人様の支度の手伝い。 「これ、何?」 ご主人様が箪笥の奥から出してきた、なにやらずっしりとした革袋を両手で抱えながら聞く。 「薬。長旅になるから、頭痛腹痛酔い止めに傷薬に包帯、それに……」 「それに?」 「夜のクスリ♪」 「…………」 「ほらほら、嬉しいでしょ?」 つんつんと、肘でつついてくるご主人様。 「……そういうことにしときます」 旅の空の下で足腰立たなくなるのはかなり辛いと思うんですが。 「そーそー、人間素直じゃなきゃね♪」 欲望に素直すぎるんです、ご主人様の場合。 とりあえず、着替えから路銀からいろいろをつづらに詰めていく。 「あーもおっ、そんな入れ方じゃ入んないよ!?」 俺がつづらに詰め込んでいると、そう言ってご主人様が横から手を出してくる。 「ほら、使うものは上、使わないものは下、あと隙間が出来ないようにしとかないと馬車って揺れるんだから」 そう言って、俺が入れたのを出して詰めなおしている。 妙なところで几帳面だ。 「そーいう大雑把なところを直していかないと、キョータくんはいつまでたってもボクを気持ちよくさせられないよ」 「…………」 いや、やっぱりご主人様はご主人様だな。 「はい、準備完了」 結局、ご主人様がほとんど全部やってしまったような気が。 「明日何時ですか?」 「夜明けすぐ。だから、早い目にやっとかないとね」 「何とか終わりましたね」 「ん? 何が?」 「なにがって、準備……」 「何言ってんのよ、これからじゃない」 「こ、これから?」 まだあるのかよ。 「ほらほら、早く脱いで」 「は?」 「明日の朝早いんだから、早めにやっとかないと起きられないよ」 そういいながら、俺を押し倒してくるご主人様。 「旅の前の日ぐらい、素直に寝た方が……」 「だーめ。やることやっとかないと寝つきが悪いんだから」 「やることやっとくったって……」 ……そもそもコレって、毎晩必ずやらなきゃならないものなのか? 翌朝。 「……ぁぅぅ」 「ほらほらぁ、もー朝だよぉ!! いつまでも寝てないのっ!」 元気一杯のご主人様。 「……か、身体が重い……」 「もおっ、男の子のくせにだらしないんだからっ」 そう言って、布団を剥ぎ取る。 「なんでそんなに元気なんだ……」 「キョータくんが虚弱すぎるんだよ」 「…………」 確かに虚弱かもしれないけど、ご主人さまも元気すぎると思います。 「ほらほら、みんな待ってんだからはやく着替えて」 「……はぁぃ……」 だから旅の前日ぐらいやめようって言ったのに…… 「キョータさん、疲れてますね」 「……ちょっと、いろいろあって……」 馬車の中。荷物を積み終わり、幌の中でそのまま休んでいるとミコトちゃんが心配して声をかけてきた。 何があったかは、さすがに言えない。 「ウーアンの都までは少し距離がありますから、しばらく馬車の中で休めると思います」 「そいつは嬉しいな」 「私も、都を見るのは初めてですから少し楽しみ……ですけど」 「けど?」 「やっぱり、ちょっと不安だったりもして……旦那様の側から離れられないかもしれませんね」 「…………」 この世界で俺が知っている、ほんの小さな場所。それはあくまで例外的なんだとミコトちゃんは前に話したことがある。 ヒトがヒトだけでいることが許されるほど、この世界は優しくないとも。 「……俺も、そう言われるとちょっと不安……だけど」 「だけど?」 「そういう世界も知らなきゃ生きて行けないんだろうな」 「……はい」 すこし重たい空気。そんな空気を吹き飛ばすように後ろから声がした。 「あらあら、そんなに心配しなくても大丈夫よ」 「あ、おはようございます……」 「おはようございます」 サーシャさんが、いつもの笑顔で馬車に乗り込んできた。 「この世界の人たちだって、怖い人たちばかりじゃないのよ。もし誰か、キョータくんやミコトちゃんに手出ししてきたら、私が相手してやるんだから」 そう言って、布に来るんだ棒のような物を引き寄せる。 「こう見えて、サーシャお姉さんは意外と強いんだからね」 「……頼りにしてます」 「あらあら、何よその不安げな声」 「……いや、その……」 正直、サーシャさんが実際に手合わせしてるのを見たことがないからなんともいえない。 普段のサーシャさんは、裏の部屋で俺やミコトちゃんと家事みたいなことをやりながらわいわいと楽しく日々を過ごしている。 フェイレンさんはサーシャさんの腕前を知っているらしくて、この前ミコトちゃんがいなくなったときも、フェイレンさんはご主人様に留守を任せてサーシャさんと二人で探しに出かけたんだけど。 俺やミコトちゃんにとっては正直、サーシャさんはどっかほんわかした料理上手な巨乳お姉さん以外の何者でもない。 「もぉっ。いいもん、二人とも大会で驚かせてあげるんだから」 「大会?」 「あ、サーシャも出るんだ」 ご主人様が、幌の中に入ってきながらそうサーシャさんに声をかける。 「うん。別に獅子以外出場禁止じゃなかったでしょ?」 「そうだよ。……でも、予選は素手だよ?」 「知ってるわよ。素手だって案外自信あるのよ」 「でも、サーシャの道場って槍術よね……」 「あー、ファリィってば信用してない。ネコにだってシュバルツカッツェ御留流柔術があるんだから」 「……始めて聞きました」 「……ボクも。大抵の武術は見聞してるつもりだけど……」 あからさまに疑いの眼差しを向ける二人。 「だって秘伝だもん、伝わるわけないじゃない!!」 半泣きのサーシャさん。 「まあまあ。応援してますから、頑張ってください、ね」 この状況だと、慰める役目は俺しかいないわけで。 「きょーたくん……ありがと、お姉さん頑張るから」 「応援してます」 ぽんぽんと、背中を軽く叩く…… ……と、後ろからはどう見えるかというと。 「あーっ! キョータくん、どさくさにまぎれてなに抱きついててのよぉ!」 後ろからご主人様に引っ張られ、そのまま押し倒されて馬乗りにされる。 「……見境ないのは良くないと思います」 ミコトちゃんの冷たい声。 「い、いや、その、それ誤解……」 「ありがとキョータくん。おねーさん、キョータくんのために頑張るから」 そう言ってくれるのは嬉しいけど…… たぶん、間違いなく、絶対に逆効果になったような気がします。 「キョータさんって、節操ないですよね」 ご主人様のおしおきからようやく解放され、起き上がった俺を横目で見ながら、そう決め付けてくるミコトちゃん。 「いや、だから、誤解……」 「見たままの事実を口にしたまでです」 声が冷たい。 「あらあら、キョータくん人気者ね」 やっと機嫌を直したサーシャさんが、人の気も知らずに火に油を注いでくる。 「やきもち焼かれるようになったんだら、キョータくんももう一人前ね」 「……別に、妬いてなんかいません。ただ、事実に基づいて非難しているだけです」 そう言って否定するミコトちゃん。 「その割には、顔がちょっと怒ってるわよ」 「……怒ってなんかいません」 「ふふ。もうちょっと素直になったら、ミコトちゃんもかわいいのに。ねえキョータくん」 「え、ええっ!?」 そこで俺に振りますか。 「何ですか、その『ええっ』は」 「え、いや、それは……」 「私はかわいくないと」 「ち、違うって、ほら、その、急に話振られて……」 慌てふためく俺。自分でも逆効果だとわかっちゃいるが、うまい言葉が見つからない。 「……そうですか」 「いや、その、なに急になっと……」 「えいっ♪」 「おわぁ!?」 俺があたふたしてる間に、こっそりミコトちゃんの横に回りこんでいたサーシャさん。 俺とミコトちゃんの意識がお互いにだけ向かっている隙に、ミコトちゃんを両手で俺の方に突き飛ばす。 「きゃ?」 驚いたような声を上げて、ぽふんと俺の腕の中に入り込むミコトちゃん。見上げる顔と、俺の目が合う。 「あ……」 「あっ……」 で、あわててお互いに目をそらす。 そんな光景を見て、くすくす笑うサーシャさん。 「やっぱり、二人ともまだまだ若いわねぇ」 「…………」 「…………」 お互い、少し顔を赤くしながら体を離して、幌にもたれかかる。 「…………」 「…………」 そのまま、急にだまりこむ俺とミコトちゃん。 そんな光景を、向こうで微笑ましく見ているサーシャさん。 気恥ずかしいようななんというか、上手くいえない気持ちのまま時間だけが流れる。 「よしっ、馬の準備もできたからそろそろ行くか……って、おいおい、何だよこの空気は」 幌の中を覗いたフェイレンさんが、その中の奇妙な空気にあてられたように額を押さえる。 「若い青春の一コマよ。そっとしといて」 そう言ってフェイレンさんに笑いかけるサーシャさん。誰のせいだという言葉を、俺は黙って飲み込むことにした。 「ほんとにもぉ、キョータくんも男なんだからそのまま押し倒せばかっこいいのに」 「それが出来ないからキョータくんなのよ」 「それもそっか」 向こう側で、俺たちを見ながらご主人様とサーシャさんがひそひそ話している。 「聞こえるような声で好き勝手言わないでください」 ともあれ、馬車は進む。 リンケイからウーアンまでは馬車でも二十日。けっこう遠い。 その間は、ひたすら馬車に揺られて進む日々。 外の景色も、正直言ってあまり代わり映えしない。 「名所旧跡でもあればいいんだけどね~」 俺の隣から、やっぱり幌の外を覗いているサーシャさん。 「この辺は何もないな。見事なばかりに平穏無事で、あるのは農地ばかりだ」 馬を御しながらフェイレンさんが言う。 「でもむかし、ボクとフェイレンでこの辺りの山賊退治したことあったんだよ」 「ああ、そういえばあったな。つっても、丁度旱魃で作物が取れなくなって、食いっぱぐれて山賊になった奴らで、元は悪いやつらでもなかったんだけど」 「……どうされたのですか」 「ま、やっちまったことは仕方ないから。とりあえずボコってから白獅寺に引き取ってもらった」 「とりあえずボコる……ですか」 「武器もってたしな。素直に武装解除してくれたらよかったんだが、向こうも自棄になってた。そしうなるとあとは実力行使しかないし」 「……実力行使……」 何が起こったかは想像しないことにした。 「役人には引き渡さなかったのですか」 そう尋ねるミコトちゃん。 「まあ、旱魃さえなければおかしな道に進むこともなかっただろうし、白獅寺の苦行を体験すれば、嫌でも立ち直るだろうから。……あそこの修行は牢獄に入るより十倍はきついぞ」 そういって笑うフェイレンさん。 「……十倍……」 「何しろ、ファリィが泣いたからな」 「ご主人様が!?」 思わず声を上げて、ご主人様の方を見る。 「あーっ、フェイレンずるいっ! 秘密にしてたのに!」 御者台のフェイレンに跳びかかろうとして、サーシャさんに羽交い絞めにされる。 「サーシャっ、離せ~っ! フェイレンだって、フェイレンだってーっ!」 じたばた暴れるご主人様。 「事実なんだな……」 「そのようですね」 それを見てミコトちゃんと小声で話す。 「まあ、あれは普通誰でも泣く。俺だって願わくばもう二度と行きたくはない」 「う~っ……」 まだご機嫌斜めのご主人様。 「ただ、あれで覚えた拳もあるんだぞ」 「どんな拳法なのですか?」 「……獣面拳」 「じゅうめんけん?」 「性理合一と言って、人間の本能を呼びさまし、野獣のような姿勢から俊敏で荒々しい攻撃を繰り出し、そこに気を重ねる、まさに攻撃に特化した拳だ」 「……白師寺獣面拳。特徴は腕を前脚とみなして、ちょうど獣のように爪を立て、四足歩行に近い姿で戦うことね。もともと獅子の民は鋭い牙や爪を持つけど、そういった、牙や爪といったものを使う流派は意外と少ないわ。斬撃拳は獅子国の諸流派の中でも数えるほどしかないはずよ」 サーシャさんが、ご主人様を羽交い絞めにしたまま俺たちに説明する。 「爪や牙を使うよりは武器を使ったほうが攻撃範囲が広いし、破壊力も高いからな。けどその反面、どうしても俊敏さにおいては素手に劣る。そして、俊敏さを突き詰めていけば、獣のような四足歩行に達する」 「フェイレンさんも使えるんですか?」 「……つかえる……けど使いたくないな」 「使いたくない?」 ミコトちゃんが問い返す。 「獣面拳は師匠の教えとは少し違った方向に向いている気がするんだ。師匠の拳は、正気を持って破邪となすのが根底にあるから、ただ本能のままに暴れて破壊するだけの拳法は、正直俺としては好きになれない」 「……なんとなくわかります」 「ただ、破壊力だけはあるから、いざと言うときの切り札にはなるかもしれないけど。たぶんそのときの俺は、あまりミコトには見られたくない姿だろうな」 複雑な表情を浮かべるミコトちゃん。やっぱり、暴力それ自体があまり好きになれないんだろう。 「白獅寺獣面拳は、北東の密林に住むといわれる黄金野人の戦い方から範を取ったと言われているの」 「黄金野人?」 おどろおどろしいイメージが脳裏に浮かぶ。 「……もっとも、密林の奥に黄金色の毛皮の野人がいるという噂だけで、実際に見た人はいないんだけど、伝え聞くところによると、白獅寺の修行者が密林の奥で黄金野人から教わったのが獣面拳というわ」 「実際にいるのかもしれないが、なにしろあの森に入った奴で生きて帰ってきたという奴を見たことがないからな」 「む~っ……」 羽交い絞めにされたままのご主人様が不機嫌そうな声を上げる。 「どうしたんですか、泣き虫のご主人様」 「泣き虫って言うな~~~っ!!!」 そう言って、またじたばたと暴れるご主人様。 そして、そんなご主人様をあっさりと羽交い絞めにしたまま笑顔で俺をたしなめるサーシャさん。 「もぉ。キョータくんはファリィのドレイなんだから、ご主人様いじめちゃだめでしょ」 「は、はい……」 「離せ~っ!! キョータくんなんか、キョータくんなんか~っっ!!」 「……シュバルツカッツェ御留流おそるべし……なのかな」 「お嬢様が振りほどけないなんて……」 その光景を見て、俺はミコトちゃんとそんなことを話していた。 その夜。 「ぐすっ」 いじけてるご主人様を外に連れ出して慰める俺。 「キョータくんのバカ」 「ごめん」 「キョータくんなんか、だいっ嫌いなんだから」 「ごめん」 いつもは元気一杯のご主人様だから、こんな風にしおれてると妙にかわいらしい。 「謝ってよ」 「だから、ごめん」 「せーいがたりない」 「ごめんなさい」 「まだたりない」 「本当にごめんなさい、ご主人様」 そう言いながら、ご主人様を抱き寄せて背中を撫でる。 ご主人様は、額を俺の胸板に押し付けるようにして泣いている。 「本当に辛い修行だったんだぞ」 「ごめん」 こうなると、謝り続けるしかないわけで。 「秘密にしてたのに」 「でも、かわいいですよ」 そう言って、ちょっと強く抱く。 「かわいい……?」 「泣いてるご主人様、かわいいですよ」 そして、もう少し力を込めて抱く。 「ほんと……? ボクのこと、泣き虫だって笑わない……?」 「笑わない」 頭をなでなでしながら、ご主人様を慰める。 「キョータくん……」 「だから、機嫌直して」 「うん……」 なんとか、機嫌直してくれそう…… ……って。 「うわあっ!?」 いきなり足をかけられ、仰向けに倒される。 「べーっだ」 俺の上にのしかかって、舌を出しながらそう言ってくるご主人様。 「な、なにいきなり……っ」 上にのしかかったまま、俺の両手を押さえつけてくる。 「そんなに簡単に許すと思ったら大間違いなんだから」 口許に犬歯を見せながら肉食獣の笑みを浮かべる。 「ボクをいじめたキョータくんなんて、こうしてやるんだから」 「って、待て、こんなところで……」 「泣いても叫んでも、助けはこないよ」 そういえば、慰めながら歩いてたら馬車からずいぶん離れてしまったような。 「キョータくんが泣いて謝っても許してあげないんだから」 「って、待て、縛るな!」 俺を押さえつけたまま、生えている野草で俺の両手を地面に拘束する。 「ダメ。キョータくんはボクのドレイなんだから」 嬉しそうに俺の自由を奪い、服を脱がせていく。 「今日という今日は許さないんだからね」 「っ……」 俺の着ていた服の前をはだけさせると、胸板に舌を這わせてくる。 ぞくりとする感触が胸元に触れる。 舌を這わせながら、下半身に右手を持っていく。 「ち、ちょっと待て、その……」 「だめ」 「いや、その……っく」 「あははっ、キョータくん敏感」 動けない俺をおもちゃにしながら悦んでるご主人様が、舌を離して上から俺を見下ろす。 「今日は絶対に許さないんだからね」 「……好きにしろ」 少しふてくされたようにそう答える。 「うん、好きにする」 そういって、ご主人様の方から俺に唇を重ねてきた。 「んっ……く」 いつもより強引で乱暴なキス。 その間も、俺の下半身を指で弄ぶ。 「んくっ」 まるで玩具で遊ぶように、ご主人様の右手は俺の肉棒を握り、指で先端を転がすように責める。 「んっ……ぷはっ、ま、待てって……」 顔を振って強引に唇を離して、ご主人様に抗議するけど。 「やだっ。キョータくんはボクのドレイなんだから、ボクの好きなようにしていいんだっ」 そう言って、俺の抗議を無視して上から一方的に俺を玩具にする。 どうやら、まだちょっとご機嫌斜めっぽい。 「……うくっ、ん、くぅっ……」 抗議したいけど、そのたびに下半身を弄ばれるから声にならない。 小指で根元を握って出せなくしておいてから、裏筋を中指でなぞったり、人差し指で先端をくりくりとこすったりして、いいように弄ばれる。 そうやって、散々弄んでからようやく指を離す。 「あははっ、キョータくん泣きそうな顔してる」 そう言って、嬉しそうに笑うご主人様。 「……泣きそうなんだよ」 「気持ちいいでしょ」 「……気が狂いそうなくらいな」 「このまま狂わせちゃってもいいんだよ」 「勘弁してくれ」 「やだ。ボクにイジワルした罰なんだから」 「謝ったじゃないか」 「謝ってもダメ。キョータくんも泣かせてやるって決めたんだから」 「って、ま……ひぅっ」 ご主人様が人差し指と親指の腹で挟むようにして、亀頭の下から上へと触れるか触れないかのタッチでなぞる。 「やむっ……ひふ、ぃ……」 なんかまともな声が出てこない。 「ほらほら、我慢してる我慢してる♪」 そんな俺の顔を見て、ご主人様が楽しそうに笑う。 ちょこんと腿の上に座って、脚を閉じたり逃げたり出来ないようにしておいてから両手で責め始める。 強くしごくと言うより、軽く触れるような力で愛撫を加え、じわじわと弱火で焙るように。 どうやら、一思いに楽にさせるつもりじゃないらしい。 「んっ……っくっ……」 「ほらほら♪ 先からもう何か出てきてるぞ」 今度は先端から根元へと、先走りの汁を亀頭に塗りつけるように愛撫してくる指。 「ひっ……やめ、ちょっ……んぁっ」 まずい、なんかマジで泣き声になってきてる。 「あははっ、キョータくん女の子みたいな声出してるよ」 「ば、バカ言う……くっ」 「いくら強がっても、こっちはもー限界なんじゃない?」 いや、限界はとっくに限界なんですが。 「ひ、一思いに楽にするとか……あぅっ」 「だぁめ。キョータくんはドレイのくせにご主人様に逆らったから、バツをうけるの」 ……ごめんなさい、本当にもう許してください。 「んふふっ、べそかいてるキョータくん、かわいい」 そういって、俺の目の横を指でぬぐう。 「ボク、泣いてるキョータくんも好き」 ご主人様が、上から俺の顔を見ながらそう言ってくる。 「このまま、食べちゃいたい」 そう言って体を起こし、チャイナドレスの紐を解き始めた。 どれくらい時間がたったかな。 いつの間にか、月がかなり向こうの方に傾いている。 「おーい……」 「す~……」 「ご主人様ぁ~……?」 「くぅ~……」 人の上にのしかかったまま、気持ち良さそうに寝息を立てているご主人様。 それはいいんだけど、半裸で動けない俺はかなり風が寒いんですが。 背中に草がちくちくしてるし。 「んふぅ……」 ご主人様が、眠ったままもぞもぞと体を摺り寄せてくる。 アレを終えて裸のまま寝ているから寒いのか、ご主人様の方から素肌を摺り寄せてくる。 夜風のひんやりとした冷たさの中で、肌のぬくもりが俺の方にも伝わってくる。 「おい、起きろって……」 「く~……」 「…………」 明日の朝までこのままなんでしょうか。 ていうか、こんな格好で人に見つかったら死ぬほど恥ずかしいんですが。 「あ、いたいた」 そんなことを思ってると、向こうから人影。 「こんなことだろーと思った」 「サーシャさん?」 「いつまでたっても帰ってこないからどうしてるのかと思ったら」 「すみません、ちょっと縛られてて……」 「ほんとにもぉ、ファリィったら後片付けしないんだから」 言いながら、俺を縛る草を切る。 やっと自由になって服を着る俺。 「ほんとに、ファリィったらキョータくんにはすぐ甘えるのよね」 「甘える……って」 まだ寝ているご主人様に服を着せながら、サーシャさんの方を見ると、俺と目が合ったサーシャさんがくすりと笑った。 「ファリィがこんな無防備な格好見せるの、キョータくんだけよ」 「……そりゃまあ、ご主人様の所有物ですし」 「違うわよ。キョータくんの前ではこんなだけど、普段のファリィってあれで結構頑張ってるんだから」 「そう……なんですか?」 「そうよ。だから」 つんと、俺の額を指でつつく。 「キョータくんも、ファリィをいじめちゃだめよ」 「いじめられてるのは……」 俺の方だというより早く。 「男の子なんだから我慢する」 そう言ってサーシャさんが、ぽんと俺の両肩に手を置く。 「…………」 なんだか、理不尽な気もする。 「さ、早く帰りましょ。風邪ひくわよ」 そう言って、サーシャさんがご主人様を背負った。 そろそろ旅路の半ばくらいに来た頃。 サーシャさんがなにやら本を開いてにこにこしている。 「なんですか、その本」 いいながら、表紙を覗き込む。 【にゃるぶ増刊 世界七大名城案内シリーズ4 はじめてのウーアン完全ガイドブック】 「……どこで買ったんですか」 「シュバルツカッツェの本屋よ」 「シュバルツカッツェって、サーシャさんの故郷? こんな本が出てるんですか」 「そーよ。またいつか、キョータくんも連れてってあげるから。いつかみんなでシュバルツカッツェの街を観光しましょ」 「……私は……その」 横で、何かを言おうとするミコトちゃん。その表情に気付いたサーシャさんが笑顔で励ます。 「大丈夫よ。ミコトちゃんだってもう一人じゃないんだから。フェイレン、一緒に来るわよね?」 「え? ちょっとまて、急になんだ!?」 御者台からフェイレンさんの戸惑ったような声が返ってくる。 「ミコトちゃん一人にしたりしないわよね!?」 「え? あ、ああ、よくわからんが、それはまぁ……」 わけがわからないまま返事を返してくるフェイレンさん。 「よし決定。フェイレンが守ってくれるから、安心していいわよ」 「……はい」 「それに、サーシャお姉さんもついてるんだから。ミコトちゃん泣かせるようなネコがいたら、もうタダじゃおかないんだから」 「はい」 少しだけ笑顔をみせるミコトちゃん。 「ついでに、俺もついてる」 「……あっ……はい」 そう言うとミコトちゃんが俺の方をみて、少しだけ頬を赤らめて微笑む。 「あらあら、キョータくん男らしいんだ」 サーシャさんにからかわれて、急に鼓動が早くなる。 「い、いや、それはその……」 「ダメっ! ミコトちゃんにはフェイレンがいるんだから、キョータくんはボクに守られるの!!」 後ろからご主人様に襟を引っ張られる。 「キョータくんなんて、弱っちいくせに生意気だ」 「ふふ。それもそうね。向こうじゃヒトは高級品だから、素直に守ってもらったほうがいいかも」 「そーだぞ。キョータくんはボクのものなんだから」 ちょっと得意げな表情のご主人様。 「わかりました」 余計なことを言って拗ねられるよりは、素直に言うこと聞いておいたほうがいいと思った。 「でも、どんなこと書いてるんですかその本」 「旅行ガイドだから、名所旧跡とか料理のおいしいお店とかイベント情報とかよ」 「そういうのはどこも同じなんですね」 「マニア向け雑誌もあるみたいだけどね。とりあえずは初めてなんだし、こっちの方が役に立つかなと思って」 「雑誌まであるんですね」 「そうね。最近、ちょっとした旅行ブームだから。ウーアンは距離的にも大陸の最西端だし、ものめずらしさもあって獅子国観光はちょっと人気あるの」 「ブーム……ですか」 「そーよ。何年か前に猫井テレビが三絶寺の取材に来てから、東の狐耳国と西の獅子国は観光に行きたい国のベスト3にいつも名前が入ってるわ」 「そうなんですか」 「てれび?」 テレビと言うものが何なのかわからない様子のご主人様。 「ああ、またいつか説明するわ。とにかく、おかげで最近はこんな本が出るくらいの人気スポットなの」 「で、ウーアンの名所ってどんなところがあるんですか?」 「そーねえ、まずは大外壁ね。高さ八丈の城壁がぐるりと首都全体を囲んでるの」 「それも一重二重じゃないぞ。実に六層にわたって囲まれていて、一番外側の外壁は総延長四十八里だ」 フェイレンさんが御者台から続けてくる。 「じゅうろくり……?」 「一里は約500メートルになります。約24キロにわたって城壁で取り囲まれていることになります。高さ八丈といいますから、約24メートルの高さです」 ミコトちゃんが説明してくれる。 「で、でけぇ……」 「一方につき十二里だからな。その上にずらりと連弩が並んでる」 フェイレンさんの説明のあとを、ご主人様が続ける。 「万が一、どっかの国の軍隊が大外壁を破ったとしても、そのなかにさらに幾重に並んだ城壁があるんだよ。しかも城壁は内側ほど高くなっていて、最後の六段目の城壁なんて、高さ十五丈、幅六丈もあるんだから」 「じゅうごじょうでろくじょう……っていうと」 「高さ約45メートルで幅18メートルです」 「……すごいですね」 「まさに難攻不落。……唯一の難点は、堅牢過ぎて攻めて来る相手がいないから実際には不必要ってことだ」 「“ウーアンの城壁みたいな奴”って言えば、図体大きいけど使い道がない人のたとえになってるぐらい」 「……そんな風に聞くと、なんだかありがたみがなくなりますね」 「けど実際に見たら圧巻だぞ。誰も攻める気がなくなるのもわかるから」 「……城壁の内側で見所はどのようなものがあるのですか」 ミコトちゃんが次を尋ねる。 「そうだな。王宮といいたいけど、あそこは普通は入れないから……」 「入ったことがあるんですか?」 「ん? ああ、まあ、師匠のお供でな」 「ボクも入ったことあるんだよ」 嬉しそうに割り込んでくるご主人様。 「もうね、柱も壁も天井も、みんな綺麗な絵と彫刻できらきらしてるんだよ」 「……ファリィ……それじゃ子供の感想だ」 フェイレンさんの呆れたような声。 「む゛ぅ~……」 拗ねるご主人様。拗ねた顔を見ると、やっぱり子供っぽい。 「王宮の彫刻と絵は、太宗の代から今まで十六代五百年に渡って、その時々の最高級の芸術家が招かれて生み出されている。獅子の国にとどまらず、世界各地の芸術家に万金を投じて描かせたものもある。だからそれぞれに個性があり、一見ばらついているように見えてそのばらつきが奇妙なバランスの中に配置されている」 「…………」 すごいんだろうけど、どうにもピンとこない。 「フェイレンも人のこと言えないわよ。キョータくん、ぽかんとしてるじゃない」 サーシャさんが俺の顔を見てそう言う。 「……い、いや……あれは言葉で説明するのは難しいな」 言い訳するフェイレンさんに追い討ちをかけるサーシャさん。 「それじゃあファリィと一緒じゃない」 「…………」 口ごもるフェイレンさん。 「あはははっ、フェイレン困ってる」 「ファリィの子供の感想と一緒にするなっ!」 「五十歩百歩よ」 「…………」 轟沈するフェイレンさん。 まあ、ピンと来ないという点では確かにあまり変わらない様な気もする。 「王宮もすごいかもしれないけど、やっぱりウーアンに行けば闘技場かな」 サーシャさんがガイドブックをめくりながら言う。 「シュバルツカッツェ郊外のコロシアムもいいけど、これは負けてないわね」 「そういや、サーシャも参加するっていってたっけ」 「そーよ。なのにみんなひどいんだから」 「そりゃ、みんなはサーシャの腕っ節を見てないからな。……キョータくんもミコトも、見て驚くなよ」 「……そんなに強いんですか」 ミコトちゃんが尋ねる。 「俺と互角だ」 フェイレンさんが言い切る。 「うそ……」 「ちょっと、嘘ってなによ!?」 俺の無意識の呟きを聞きとがめるサーシャさん。 「まあ、そう怒るな。キョータくんだって悪気はないんだから」 笑いながらフェイレンさんがそうフォローしてくれる。 「……そういうことにしといてあげる」 まだちょっと怒り気味のサーシャさん。 「ともあれ、闘技場もいいんだけど、その周辺も見る価値はあるな。露店が立ち並び、闘技場周辺の広場は活気にあふれている。ちなみに闘技場の少し西にある麺の店はなかなか美味い」 「あ、フーおじさんの店? あそこはね、麺も美味しいんだけどおじさんの刀捌きがすごいんだよ。それが目当てで集まってくる人もいるんだから」 「そうね。こっちにもそのお店は名前が出てるわ」 サーシャさんがガイドブックを見ながらご主人様に同意する。 「立ち食いになるけど、それでも食いに行くだけの価値は十分にあるな」 「この本だと……それ以外にも何件か美味しい露店が出てるわね」 「ネコ族の舌に合うとなると……開瑞とか李路、四桂あたりか?」 「あ、全部載ってる」 「だろうな。じゃあ、ちょっと通好みになるけどホア婆さんの豆腐屋はどうだ」 「……あ、そこは美味しいけど刺激注意ってなってる」 「ははは、やっぱりネコには刺激が強いか」 フェイレンさんが面白そうに笑う。 「やっぱり、辛いのはちょっと……ね」 「そういう時はね、二件となりのマーさんの店の饅頭と一緒に食べたらいいんだよ。ボクもフェイレンも辛いのはちょっと苦手だけど美味しいのは好きだから、いつもそうやって食べてんの」 「すこし甘みがあって、しかも生地が豆板醤を程よく吸い込むから辛さが分散されるな。ついでにいうと、マーさんとこの冷茶は苦さや匂いが薄めだからクセがなくて飲みやすいし、辛いものが苦手な人には助かる」 食べ物の話題が続いている。 「あとは……ああそうだ、王さんとこの魔タンメンとかどうだ」 ……魔タンメン? 「あははははっ、出てる出てる。完食したら500セパタって」 「500セパタ?」 完食したら日本円にして百万円…… 「ただし、食べられなかったらこっちが50セパタ支払うことになるし、そもそも食える量じゃないからな」 「食える量じゃない……って」 「ドンブリで出るならまだしも、綿を茹でる釜ごと出てくるからな」 「かま?」 「これ、イラストだけど……」 そう言って、サーシャさんが本を開けて見せてくれる。 「…………」 「…………」 それを見て言葉を失う俺とミコトちゃん。 子供一人は隠れられそうな大釜に並々と入っているスープと麺。釜の大きさと比較のためか、隣に獅子の男性が描かれてるけど、これは麺というより風呂にさえ見える。 「な、食えた量じゃないだろ。獅子国内外のあまたの勇者が挑んでは撃沈された、それが王さんの魔タンメンだ」 「……食材の無駄、ですね」 ミコトちゃんがぽつりと一言。……正直、俺もそう思う。 「まあな。客寄せの見世物みたいなものだ。……だが恐ろしいことに完食した奴が過去に一人だけいるという」 「これを!?」 「完食したのは、長い毛のイヌ……というだけで、詳しくは俺も知らないが」 「イヌ……なんだ。かわいそうに、ふだん、よほど満足な食事がとれなかったのね」 と、サーシャさん。……そういう問題なんだろうかと思うけど。 食べ物の話が一息ついた頃に、フェイレンさんが言ってくる。 「キョータくんもミコトも、せっかく獅子の国に落ちて来たんだし、食うもの食っとかなきゃ人生の損だぞ。噂に聞く魔法とか魔洸ってのもすごいんだろうけど、やっぱり人間の基本はうまい飯だ」 「そーだよ。ちゃんと、食べるもの食べてしっかり体を動かすのが強くなるコツなんだから」 フェイレンさんの言葉にご主人様が同調する。 「僕らも食べていいんですか?」 「当たり前じゃない」 「食の前に貴賎はないというのがウーアンの露店主の共通認識だ。うちの門前街で点心やってるインさんだって、もとはウーアンで修行したからな。ミコトが一人で食いに言っても別に普通だったろ?」 「はい」 「そういうもんだ。だから堂々としてたらいい。万が一にも舐めた態度取るやつがいたら、俺がその場で殴り飛ばす」 「ボクが蹴飛ばす」 あっさりと言うフェイレンさんとご主人様。 「ふふ。ほんとに、二人ともキョータくんとミコトちゃんのことになると容赦しないんだから」 サーシャさんがくすくす笑う。 「そう言うサーシャだって、広場のど真ん中で鉤鎌槍振り回すなよ。周りに迷惑かかるから」 「大丈夫よ、そんな危険なことせずに、ただの一突きで終わらせるから。ちゃんと一発で眉間に突き立てるわよ」 フェイレンさんの言葉に、躊躇なくそう言うサーシャさん。 「…………」 冗談かと思ったら、目が本気でした。 馬車は進む。 「少し前にね、指揮者ディンスレイフっていう悪党がいたの」 サーシャさんがそう話し出す。 「こんだくたー……でぃんすれいふ?」 初めて聞くその名前を反芻する。 「これがとんでもない大悪党で、大陸全土の王宮やら宝物庫やらを荒らしまくって、その中で殺した人の数は数え切れないっていわれてるんだけど……」 「……ひどい」 ミコトちゃんが非難するような表情を浮かべる。 「でも、この獅子国ウーアンの宝物庫だけは狙われなかったの」 「まあ、たぶん狙ったのかもしれないが、見事に素通りされたというべきかな。とにかく、この国にはディンスレイフに殺された奴も盗まれた宝物も、見事に全く、何もない」 フェイレンさんがそう言って補足する。 「それは……どうしてですか?」 「ディンスレイフが狙ったのは魔法のかけられたお宝なの。ところが、この国にはそういうお宝は全くなかったから」 「この国でお宝といえば陶磁器の名品とか絵画、あるいは彫刻に名筆、利剣……職人が自分の腕を使って作り上げるもののことだ。奴さんの欲しがるようなものとは見事に正反対だったということになる」 「いくら美しくてもね、それが『ただのモノ』であったなら、あのクラスの魔法使いなら自分で材質、形状、年月による劣化まで全く同じものを再現してコピーできるの。自分で作れるんだったら、わざわざ盗む必要もないし。だから狙われるのは、もっぱら自分でコピーできない強力な魔法の道具とかそんなのばかり」 サーシャさんの言葉に、すこし寂しそうな声で続けるフェイレンさん。 「……おかげで、わが国の宝物庫は今現在に至るまで平穏無事と言うわけだ。……まあ、『つまんないから壊しちゃえ』とかにならなかったのは幸いというべきか」 「でも、宝貝……とかそういうのは」 ミコトちゃんが尋ねる。 「宝貝というものが存在するとは言われてるけど、あるとしても北の仙境の果てだろう。そこらへんに行くと、仙人とか呼ばれるような人がいるから、何かしらあるのかもしれない。けどウーアンにはないんだ」 「そうなのですか」 「それでね、帝都ウーアンという場所にも、それと同じことが言えるの」 サーシャさんが話を元に戻す。 「同じこと……ですか」 「六重の大外壁が完成するまでに、延べ80年、15万人の人手がつぎ込まれたとガイドブックには書かれてるわ。だけどね、魔法を使えばその半分以下の人手と時間で同じものが作れるの。……もしかしたら十分の一ですむかもしれない」 「そうだな。そいつは紛れもない事実だ。だけど」 何か言おうとしたフェイレンさんの言葉の先を、サーシャさんが続ける。 「効率でいえば非常に悪いけど、でもそれこそがいいっていうのが獅子の民の考え方なの。費やされた時間、つぎ込まれた手間、そこに価値を見出すのが獅子の民の美意識なのよ」 「……だから、魔法より芸術」 「そう。三秒で撮れる写真と、三ヶ月かけて描かれた絵では、写真の方がはるかに正確なんだけど、そこで写真の正確さに価値を見出すのがネコやイヌで、三ヶ月の手間と、絵画の持つ、独特の現実との乖離に価値を見出すのが獅子」 「それぞれに長所があるから、一概にどちらがいいとは言えないと思います」 と、ミコトちゃんが言う。 「そうね。だけど、やっぱり種族ごとの傾向ってあるの。獅子と比べたら、やっぱり私達ネコって効率とか実利とか正確性とかを優先するのよ。実利と両立できない美はあまり価値を見出せないかな。シュバルツカッツェ城だって、あれは美しさと効率性を両面から徹底的に追求した結果なの」 「そういう性分だからこそネコがこれだけ急速に発展したともいえる。大陸ど真ん中の肥沃な土地を得たというだけじゃなくて、そこからさらに利潤と発展と効率を突き詰めていった結果が、今の繁栄を謳歌するネコだ」 「だけど、努力と時間を費やすことに価値を見出す獅子だからこそ、芸術と言う方面に特化した美が残されるともいえるの。そして最近は、そういう部分に興味を持つネコも増えてきたのよ」 そう話すフェイレンさんとサーシャさん。お互いにお互いを理解しているから、自然にそういうことが言えるんだろう。 「む゙ぅ~……二人だけでムズカシイ話して……」 ……ご主人様は……まあ、こういうところがかわいいということにしておこう。 そんな風に、いろんな話をしているうちに馬車は進んだ。 そして…… 「ほら、そろそろ見えてきただろう?」 そういって、フェイレンさんが馬車を止めて外へと促す。 「……あれが、ウーアンの大外壁……」 「すごい……」 はるか彼方に見える、陽光に照らされた城壁。 その巨大さは、はるか遠くから眺めるだけでも圧倒的だった。 「初めて見たけど、やっぱり写真より現物ね。迫力があるわ」 サーシャさんが感心している。 「……妖怪婆さんも、相変わらず盛ってんな」 ふと、俺たちの会話と不釣合いなことを口走るフェイレンさん。 「妖怪婆さん?」 フェイレンさんの言葉を反芻しながら、俺はフェイレンさんの視線の先を追う。 その先には、小高い丘があり、そこに一本の巨木が花を咲かせていた。 「……もおっ、フェイレンったら公主様のことをそんなに言ったらダメじゃない!」 ご主人様が怒ったようにいう。 「公主様?」 「……槐公主。あのでっかい木のことだ」 「……木、ですか」 「でも、妖怪婆さんってのは……」 「もおっ、フェイレンが失礼なこと言うからキョータくんが真似したじゃない! あのねキョータくん。公主様はとっても優しくてきれーな方なんだよ」 「……見た目はな」 「中身も!! フェイレンはいつも失礼なことばかり言うから怒られんのよ!」 「……事実しか言ってないんだがな」 「事実じゃないから怒られてんの! キョータくん、行こっ」 そう言って、俺の手を引っ張るご主人様。 「お、おい、行くってどこに……」 「公主様に挨拶するの! ここまできたんだから挨拶ぐらいするのが礼儀!」 「おい、ちょっとまて、二人だけで行くのか!?」 「何言ってんの! みんなも来て挨拶するの! ほらフェイレン、躊躇ってないでちゃんと来る!」 「…………まあ……珍しくはあるし、サーシャやミコトも一度は見ておいたほうがいい……だろう」 「旦那様、声が沈んでますね」 「……いざとなったら、キョータくんに身代わりになってもらう」 「身代わり?」 「……まあ、行けばわかる」 後ろの方で、なにやら穏やかじゃない会話が聞こえたような気がした。 丘の上に立つ大きな木。 その木陰で、本を読んでる女性がいた。 こっちの世界でも珍しい緑色の長髪で、奇妙にごわついたような感じの着物を着ている。 「どうだ、エサはひっかかるか?」 俺たちに追いついてきたフェイレンさんが、そう女性に声をかける。 「あら、久しぶり」 女性が、フェイレンさんの声に気づいて顔を上げる。 清楚な感じの美女だと思った。 「やっほー、公主様! 元気でした?」 ご主人様も、そう言って女性に近づく。 「あらあら、ふぁりちゃんまで。また試合?」 「ううん、試合もあるけど、今日はみんなで都見学。それで、挨拶しようと思って」 「あらあら、礼儀正しいのね。感心感心」 そういいながら、立ち上がる女性…… ……を見て、俺の表情が凍りつく。 「あ、足が……」 足がない、というか、よく見ると足の部分がそのまま木の枝のようになってて地面に潜ってる。 「あら、この子は?」 驚いた俺をみて、そうご主人様に訪ねる女性。 「ん? キョータくんのこと? キョータくんはね、ボクのドレイなの。いっしょに連れてきたんだ」 「あらあら、そうだったの。はじめまして。私は槐といいますの。ふぁりちゃんやふぇーれんクンのお友達よ」 「……言ったろう。こいつが齢2000年の妖怪ばあさ……ぐぇ」 フェイレンさんがそう言おうとして、声を詰まらせる。 よく見ると背後から根っこらしきものが首に巻きついてた。 「もおっ! ふぇーれんクンはどおして、年長者に敬意を払えないかなっ!?」 腕を組んで、怒ったような表情の女性……槐さん。地面をすべるようにして、フェイレンさんに近づく。 「げ、ぐぇ……ぷはっ……」 半分力任せに根を振りほどいたフェイレンさん。 「この妖怪ばばあっ! 後ろからいきなり首絞めるやつがあるかっ!」 「ふぇーれんクンが年長者に敬意を払わないからでしょ」 「払えるかっ! だいいち、事実を言ったまでだ!」 なにやら言い争ってるフェイレンさんと槐さん。 「妖怪じゃなくてせ・ん・に・ん! それにばばぁばばぁって、樹木の2000年はまだまだ現役なんだから!」 「……に、にせんねん……?」 目の前の女性の言葉に、脳が追いつかない俺。 「公主さまはね、このおっきな木なの」 「この……木?」 「そ。えんじゅの木が二千年生きて、いつの間にか仙人になっちゃったの」 「仙人……?」 「そういえば、話は聞いたことがあるわ。長く生きた樹木が、やがて魔素や色々なものの影響を受けて人格を持ったり、あるいは人の形を取るようになるとかって話。……よた話かと思ってたけど、探せばあるものね」 サーシャさんが、木を見上げながら言う。 「槐の木は成長が遅く、あまり大きくならないと聞いています。これだけの巨木になるには相当な歳月がかかったのでしょう」 と、ミコトちゃん。 「二千年といえば、大戦の頃から生えてるわけね。……それくらい長く生きてると、こういうこともあるんだ」 感心したように木を見上げている俺たち。 「……まったく、二千年も生きてるんだからもう少し人格的に完成してもいいとは思うけどな」 そう言って、俺たちの側にやってくるフェイレンさん。 「あら、私はふぇーれんクンが失礼だから怒ってるだけで、他のみんなには優しいんだから。ねえ、ふぁりちゃん」 「そーだよ。フェイレンが失礼なこと言うからいけないんだ」 「って、ファリィまで言わなくてもいいだろう」 「だって、本当のことだもん。ねえ公主様」 「そうそう。だいたいふぇーれんクンなんて、最初は木の上で……」 「ちょっと待てええええぇっ!」 急に慌てるフェイレンさん。後ろに回りこんで、槐さん……槐公主の口を塞ぐ。 ……けど。 たちまち、それはただの木の根になってしまう。 「もおっ、ふぇーれんクンったら、急に抱きついたりしなくてもいいじゃない♪」 そして、俺たちの後ろから声が聞こえる。 振り向くと、そこに槐公主の姿があった。 「……ほんとに、そんなにみんなに知られたくないの?」 「当たり前だっっ!」 いつになく落ち着きがないフェイレンさん。いつもの、兄貴分な姿とはだいぶ違う。 「ほんっとに、まだまだ子供なんだから」 そういって、にこにこと笑う槐公主。 「……わかったろ。これくらい性格悪いんだ」 疲れたような声で俺に語りかけるフェイレンさん。 「旦那様、手玉に取られてますね」 そこに、容赦ない一言を言ってくるミコトちゃん。 「……言わないでくれ。どうにも相性が悪いんだ」 そう言って、ため息をつくフェイレンさん。 「ふふ。ふぇーれんクンが『こーしゅさま』って呼んでくれたら、黙っててあげてもいいわよ」 「……はいはい、公主様公主様」 「なーんか、敬意が足りないなあ」 「こっちが敬意を持てるような仙人になってから言ってくれ、この両刀使いの食人樹」 「あーっ、ひっどおい!」 「事実だろう」 「言い方が悪い!」 「だいたい、もとをただせば木の分際でこんな格好……ぐぇ」 「木の分際って何よ! ふぇーれんクンだって、もとをただせばケダモノのくせに!」 「ぐぇ、げ……ぷはぁ、……ケダモノとか言うなっ!」 また言い争いを始めるフェイレンさんと槐公主。 「…………」 「…………」 そんな様子を、俺とミコトちゃんはただ無言で見ているしかなかった。 「それでね、公主様」 しばらくして、ご主人様が槐公主に語りかける。 「キョータくん、もし良かったら一晩捧げてもいいよ」 「ほんと?」 ……捧げる? 「……止めはしない」 フェイレンさんが俺から目をそらしながら言う。 「あら、もらっちゃっていいの?」 「うん。一晩だけなら」 「ちょっと待て! そこで何の話を……」 「キョータくんは黙ってて。ボクと公主様が話してるんだから」 「ったって、俺の話じゃないのか!?」 「そだよ。所有権はボクにあるんだから」 「……捧げるって聞こえたんだけど……」 「うん、捧げるって言った」 「捧げるって、どういうことだ……?」 「そのまんま。公主様に食べてもらうの」 「って、待ておい!!」 「覚悟決めとけよ。全身根っこでぐるぐる巻きにされて、全身の養分吸い取られて朝には廃人となるからな」 フェイレンさんが怖いことを言ってくる。 「あら、そんなコト言っちゃっていいのかな~? もしも、キョータくん? ……だっけ、この子が怯えちゃって逃げたりしたら、ふぇーれんクンに身代わりになってもらうからね」 「うげ」 「ちょっと、『うげ』って何よ」 「そのままの意味だ。……キョータくん、頼む、俺の一生の願いだ。黙って死んでくれ」 そういって、俺の前で頭を下げるフェイレンさん。 「ちょ、いや、その……」 「もおっ、二人とも往生際がわるいぞっ! ほらほら、キョータくんはあっちあっち!」 そう言って、無理やり俺を槐公主の側まで連れて行くご主人様。 「それでね、ものは相談なんだけど……」 そうご主人様が言うと、槐公主が微笑む。 「はいはい、ふぁりちゃんは甘いもの大好きだもんね。わかったわ。明日には美味しい実をつけとくから」 「はーいっ♪ 公主様も大好きっ」 「うふふふ。ふぁりちゃん、またいつか気持ちいいことしましょうね」 「はいっ」 ……気持ちいいこと? 「……両刀遣いって言ったろ」 俺の表情を読み取ったフェイレンさんが話しかけてくる。 「何しろ木だ。こんな格好してても“おしべ”と“めしべ”がある」 「おしべ……」 嫌なものを想像する。 「ちょっとキョータくん、今変なこと想像したでしょ」 「え? ……うわあっ」 横から聞こえてきた声の方を向くと。 そこには、緑色の髪の、俺より少し幼いくらいの容姿の少年がいた。 「か……槐公主?」 足元を見ると、やはり根のようなものが地面に潜っている。 「そうだよ。こんなこともできちゃうんだ。でも、ふだんは……」 「……こっちの格好してるんだけどね」 目の前の少年がたちまちただの根っこに戻ったと思ったら、さっきまで槐公主がいた場所に、元の姿のままの槐公主がいた。 「仙人ともなると、変化の術なんかもちょちょいのちょいなんだから」 「……妖怪のまちが……ぉわあっ」 足元を払われて地面に倒れるフェイレンさん。そこに、根っこがたくさん飛び出してきて、フェイレンさんが起き上がるより早く簀巻きにする。 「いま、何か言った?」 「何も言ってない! 決して妖怪とか化け物とかふたなりとか言ってないからな!」 「……ふぇーれんクン」 ちょっと怖い表情の槐公主。 「たしかふぇーれんクンは、『さんぴー』ってのが苦手だったよね?」 ……さんぴー? 「ちょっと待て! 『さんぴー』どころかアレはどう見ても五体いただろ!」 「大して変わんないわよ。それに、少ないより多いほうが楽しいじゃない」 「こっちの身にもなってくれ!」 「あら、意外と体力ないのね」 「……体力以前の問題だろうが……ったたたたっ、この状況で締め付けるな!」 「ちゃんと、ごめんなさいって言ったら離してあげる」 「わかったわかった、謝るから根っこを離せ!」 あの強くてたくましいフェイレンさんが、槐公主の前だとからっきしなのが何かおかしい。 「それじゃ、キョータくんおいてくね。明日になったら取りにくるから」 「わかったわ。それじゃ、また明日ね」 「はーいっ。……キョータくん、くれぐれも失礼のないようにね」 「……はぃ」 「まあ、無駄な抵抗さえしなければ生きて明日の朝日は拝めるからな。生き延びるんだぞ」 「旦那様、発言が不穏当です」 「……そうだな。じゃあキョータくん、明日の朝会おう」 「なんだかお疲れですね」 「人生の嫌な記憶が色々と思い出されてな」 少々疲れ気味のフェイレンさんと、ご主人様、それにミコトちゃんとサーシャさんが丘を降りていく。 残されたのは俺と槐公主。 「え、えっと……」 少しおどおどしながら語りかける俺。 「あら、そんなに怖がらなくてもいいわ。そこの根っこにでも腰掛けて」 そういって、槐公主も大樹の麓に根を下ろす。 「あ、はい……」 言われるままに、その少し横に腰を下ろした。 腰を下ろした俺の膝辺りに、ぽとんと小さな果実が落ちてきた。 「それでも食べて元気出して」 「え、あ……はい、いただきます」 言われるままに、その黄金色の豆みたいな房から中身を取り出して食べる。 「甘い……」 その言葉に、槐公主が微笑む。 「おいしいでしょ」 「はい」 「ふぁりちゃん、それが好きなのよ。甘くて美味しいって」 「本当に甘いです」 「ふぇーれんクンだって、あんな態度取ってるくせにそれが大好きなのよ」 その言葉に、ちょっとした疑問をぶつけてみる。 「……あの、その」 「なぁに?」 「フェイレンさんとは、もしかして、その……」 「仲が悪いように見えた?」 「う、いえ、あの、その……」 図星を突かれて戸惑う。そんな俺を見て、槐公主が笑う。 「喧嘩するほど仲がいいのよ。ふぇーれんクンとは何でも言い合えるくらいの仲から、ああやってはしゃぎあえるの」 「……喧嘩するほど……ですか」 「そーよ。……どーせ、ふぇーれんクンのことだから、普段は真面目一辺倒な、いかにも武道家っ! みたいな感じなんでしょ」 「あ、はい……」 「だと思った。ふぇーれんクン、真面目だから。たまにははっちゃけないと潰れちゃうでしょ」 「そういうことが出来る相手が、公主様なんですか」 「たぶんね。あの、一緒にいたヒトの女の子、ふぇーれんクンの持ち物なんでしょ?」 「はい」 「旦那様って言ってたものね。いろいろ守るものが出来ると、自分を律するようになるのよ。さっき、根っこでぐるぐる巻きにしたとき、筋肉のつき方が前と違ってたもの。ああ、真面目に拳法やってんだなって」 「そう……ですね。フェイレンさんには助けられてばっかりで」 「助けられてていいのよ。ふぇーれんクンからしたら、誰かに頼ってもらえるくらいの方が嬉しいんだから」 「そういうものですか」 「私だってそうだもん。ここに来たら、みんなありのままの自分をさらけ出せるの。普段は謹厳な武道家だったり、本に埋もれて研究にいそしむ魔法使いだったり、あるいは一秒を惜しむ商人だったりが、この木の下ではみんな、ありのままの自分をさらけ出せる。そんな場所でありたいなって」 「ありのままの……俺……」 それって、どんなのだろう。 時々、自分がどのくらいまで自分のままでいるのかわからなくなってくる。 元の世界にいた頃は、今よりもっとだらしない生活してて、勉強もあまりしなかったし、友達とたわいない会話したりバカやったりして日々を過ごしていた。 今は、その頃に比べると少しは真面目に日々を生きてる。 生き延びるためと言うのもあるし、誰かに必要とされたいというのもあるし、必要にされることで捨てられずにいたいという打算もある。 あとは……ミコトちゃんやご主人様に『ダメなやつ』と思われたくないとか。 でもそれって、本当の俺なんだろうか、とか。 でももしかしたら、昔のぐーたらしてた俺が間違った姿で、今の俺の方が本当の姿なのかもしれない。 あるいは、もしかしたら、本当の俺は今よりもっと何か出来るのかもしれないとか。 ……そんなことを考えてたから、周囲に伸びてきてる木の根に気付かなかった。 「……ん? ……うわあっっ!!」 気付いたときには、とっくに手遅れ。 さっきのフェイレンさんとおなじように、全身を根っこでぐるぐる巻きにされていた。 「……大丈夫、痛くないから」 そういって、ぐるぐる巻きの俺に公主様が寄ってきて、指で頬を撫でる。 木彫り彫刻のような堅い指かと思ってたら、俺たちと同じ、柔らかい指の感触だった。 「……へぇ」 なにやら人の顔をみながら、にこにこと微笑む槐公主。 「キョータくんは、ふぁりちゃんが好きなんだ」 だしぬけにそういわれて、つんのめりそうになる。……まあ、木の根でぐるぐる巻きだからつんのめることは出来ないんだけど。 「でも、ミコトちゃんも好き。ふむふむ、これって二股っていうのかなぁ?」 「ちょっ……なにいきなり言い出すんですかっ!!!」 頭の中が真っ白になって、本能的に暴れて木の根っこから抜け出そうとするけど、フェイレンさんでもほどけなかったものが俺にほどけるわけもなくて。 「へぇ~……キョータくん純情そうに見えて、こんなこともしてるんだ~……ふむふむ」 上目遣いに俺の顔を見る槐公主。 「動かないで。いま、キョータくんの記憶をのぞいてるんだから」 「!! ちょっ、やめてくださいよっ!!」 じたばたと暴れ……たくても、ぐるぐる巻きになってるから首から上しか動かせない俺。 何を見られているのか、物凄く不安になってくる。 「ふむふむ。……これが、キョータくんのいた向こうの世界なんだ。へぇ……」 ごめんなさい、何でもするから許してください。 「ふふ、こんな本隠し持ってたんだ。やっぱり、ベッドの下がすぐに使えて便利なんだ」 ……しまった、あのベッドの下、落ちる前に片付けてなかったような……!? 「……あらあら、やっぱり男の子はみんな、えっちな本は真面目な本の間に挟んで売り場に持っていくのね。でも、そんなにきょろきょろ人目を気にしてたら逆効果なのに」 ……なんでそんな記憶ばかり見つけてくるんですか。 「ふむふむ……へぇ~……」 興味深そうな槐公主とは逆に、だんだん不安になってくる俺。 日も暮れだしてきて、なんだか物凄く孤独な気持ちになってくる。 「でも、キョータくん幸せなんだ」 そう言って、槐公主が話しかけてきた。 満月の光が付近を照らしているけど、ちょうど木陰になっている俺たちの居場所はほの暗い。 「ヒトの記憶って、時々のぞかせてもらうんだけど、ほとんどの人は寂しがってるのよ」 「寂しい……ですか」 「そうね。この世界に一人きりという孤独感、元に世界に戻れないという無力さ、あるいは誰かの奴隷と言う環境への絶望。そういうのが、誰にでもあるの」 「……おれは……?」 そう問う俺に、槐公主は笑った……ような気がした。 「キョータくんは、すごく前向きね。この世界で生きていくって意志がはっきりしてる」 「そう……ですか」 まあ、戻ったところでどうなるものでもないし。 「周囲に恵まれてるのよ。ふぁりちゃんにしても、ふぇーれんクンにしても、いい子だから。ミコトちゃととかサーシャちゃんも、いい子みたいだし」 「そうですね」 それは確かにそうだと思う。 「キョータくんは、だからこの世界で生きていくことに希望を持てるの。そして、希望を持ってるから、全てが明るく見える。それって、すごく幸せなこと」 「はい」 「そして、そういうヒトが一人いることで、周囲の人たちも幸せになっていくの」 「幸せ、ですか」 「そうよ。それでね」 「? うわあっ!?」 ぐるぐる巻きになったまま、根っこに持ち上げられる。 そして、大きな枝の上に座らされた。 根っこがほどけて、地面に戻っていく。 「え……あっ、うわわわわっ!?」 バランスを崩して、枝から落ちそうになり、慌てて幹につかまる。 「うふふっ、大丈夫?」 つかまった幹のすぐ横から生えている木の枝が、槐公主の姿になる。 そして、肩を貸すようにして俺の体を支えて、もう一度木の枝に座らせてくれる。 「ほら、見える?」 そう言って、指差す先には月光に照らされたウーアンの大外壁と、その中からの生活の光。高いところから見ると、ものすごく絶景に感じる。 「これから、キョータくんはあそこに行くのよね」 「はい」 「キョータくんには今更な話になると思うけど、どこの世界にも光はあるし、光は集まってくる人を受け入れ、照らしてくれるの。でも、自分自身が光に近づこうって気持ちがなかったら、光が自分を受け入れ、照らしてくれることにも気付かない」 「はい」 「その点、キョータくんは素直で前向きだから、自分からどんどん光の中に飛び込める。これからもそういう子でいてほしいなって、おねーさん思うわ」 「あ……ありがとうございます」 素直で前向き……自分ではそんな風に思ったことなかったけど、そういわれるとなんだか自分がいい子のように思えるから不思議だ。 「それに、えっちの時だって、すごく自分の欲望に素直じゃない」 「!!???」 急に言われて、慌てる俺。慌てた拍子にまたバランスを崩す。 「えっ、わっ、うわわわわわっ!」 そのまま、真後ろに落ちてしまう…… ぶぁさ。 「……?」 気がつくと、俺は別の木の枝が数本組み合ったような枝に落ちていた。 葉っぱがちょうどクッションになってたのか、痛みもあまりない。 「うふふふ、あわてんぼなんだから」 そういって、別の枝から出てくる公主様。 「キョータくんみたいな男の子だったら、おねーさんがんばっちゃおーかな♪」 「え? あ……ええっ?」 ぼーっとしている俺に、また絡み付いてくる木の枝。 たちまちのうちに、両手両脚を絡み取られる。 「ここだったら、誰にも見られてないから、キョータくんも無理しなくていいからね」 「って、その……えっ、あっ、ちょっと……」 「ほらほら、じたばたしないの」 動けない俺の衣服の帯を、木の枝が数本、器用に動いてほどいていく。 「え、でも、これって……あっ」 目の前の公主様も。 ちょうど木の皮のようだった、変にごつごつした衣服が消えて、裸の女性の姿になっている。 「え、あ、でもっ……」 慌てる俺。だけど目は公主様の肌に釘付けになって動かない。 月明かりに照らされた白い肌。たわわな胸とくびれた腰つきと、そしてその下……足首から下くらいが枝になってるけど、その上はヒトの女性の姿になっている。……緑色の髪は相変わらずだけど。 「ふふ、綺麗かしら?」 「えっ、あ、はい、それは、その……」 どぎまぎしながら答える俺に近づく公主様。 もとは木の枝なのかもしれないけど、俺に近づいてくるのは紛れもなくヒトの女性の姿なわけで。 「ありがと。……うふふ、もう固くなりかけてんのね」 そういって、俺の股間に手を伸ばしてくる。 「あ、いえ、その……っっ」 すこし暖かい指が、おれのそれを握る。 「ふふ、そんなに緊張しないでもいいのに」 そう言って、前後にしごく。 「っ……その、公主様、それはっ……」 「あらあら、元気元気。下の子もとてもいい子ね」 俺の足元にしゃがみこみ、息子を両手で包み込んで愛撫してくる。 「ん、くぅ、ひぃっ……」 「元気なのに敏感なんだ。じゃあ、こんなことしちゃおっかな」 そう言って、舌を這わせてくる公主様。ぬるりとした感触は、ご主人様の下よりも柔らかくて、優しい感触を伝えてくる。 「ファリィちゃんの舌も刺激的かもしれないけど、ヒトの舌も柔らかくていい感じでしょ? この姿、ヒトに似せてるのよ」 「あ、あぅ、それは……」 情けないことに、マトモな声が出てこない。 「ふふ。ほんとにかわいいんだから」 そう言って、ちゅぱちゅぱと俺の肉棒を口にくわえて弄ぶ。 「ふふ、舌だけでこんなになっちゃったら、別のところも責められたらどんなにかわいく悶えちゃうのかな♪」 後からの声。 首だけ回して後ろを見ると、いつの間にか公主様が後ろに……え? 下を見る。……公主様は俺の足元で、肉棒を加えてぴちゃぴちゃやってる。 「枝はいっぱいあるから、全部で二十人くらいは出せるのよ」 そう言って、俺の前の枝がもう一人、公主様に変化する。 「もちろん、本体の木は一本だから、ちゃあんと息の合ったえっちもできちゃうし」 ……これって、つまり……? 「キョータくん、さんぴーって経験なかったよね」 ありません。 「ふぇーれんクンも初めてだったし、意外とみんな経験ないんだ」 ……ごめんなさい、地球じゃ3Pどころか、一人の経験もありませんでした。 ご主人様とミコトちゃんなら……って、何考えてるんだ俺。 「あらあら、今イケナイこと考えたでしょ」 即座に突っ込んでくる公主様。 「もう。ほんとに素直なんだから、すぐに心が読めちゃうのよ」 「…………」 そんなことまで読まないでください。 「だあめ。相互理解が大切なんだから」 心中をことごとく読まれるというのはなにか物凄く不安になる。 「今のキョータ君の感情なんて、ぜーんぶわかっちゃうから、いくら強がっても、ここを責められたらダメってのは一目瞭然なのよ」 「…………」 お願いだから許してください。 「だめ。ワガママ禁止」 そう言って、動けない俺に襲い掛かってくる公主様。 「キョータくん、くすぐりとかは耐性ある? ……って、あるわけないわよね」 と、後からの声。 「ひゃっ! ち、ちょ、待ってくだ……あははははっ、その、そういうのは……」 わき腹をくすぐってくる指。身をよじりたいけど、上下左右前後から何本もの木の枝とか蔓とかにぐるぐる巻きにされてるから、ほとんど動けない。 ていうか、暴れて抜け出しても、いま俺がぐるぐる巻きに絡め取られてる場所だと、下に足場がないから、拘束を逃れたらそのまま墜落するしかないわけで。 「うふふ、悶えちゃってかわいい♪」 人がもがいているのをそう言って見ている、もう一人の公主様。 「キョータくんの唇って、どんな感じなのかな」 と、そういって彼女も両手で俺の顔を押さえつけて唇を重ねてくる。 「んくっ……んふ、ひょっろ、やめへふらは……」 ただでさえ枝や蔓でぐるぐる巻きに拘束されている状態で、三人ががかりで襲われると本当にどうにもならない。 「ひっ、ひぐ、んひい、いっ……」 自分でも何を言っているのかわからない。そもそも、いま自分がどんな姿で何をされているのか、頭が真っ白になってしまって何も考えられない。 そんな中で。 耐えられなくなった俺は、とうとう公主様の口の中にありったけの精をぶちまけてしまう。 「……あはは……キョータくん、たまってたんだ」 口に収まりきらずに顔についた白濁液をぬぐいながら、公主様が笑う。 三人がかりの責めからようやく解放された……んだろうけど、正直頭が混濁して何も考えられない。 「じゃ、次やるよ」 ……つぎ……? 正直、もう言葉も出ない俺。 そんな俺の状態を無視して、公主様が近くの枝から、なにやら綿菓子のようなものを折って近づいてくる。 「なに……ひゃあっ」 そしてそれを、オレの全身にすりつけてくる。 「ち、ちょっ、やめ……その、本当にっ……」 公主様が持つそれが体に触れるたびに、くすぐったいようなむずがゆいような感覚に襲われる。 その枝先についていた、なにかパウダーのようなものが汗ばんだ肌に張り付いて、妙に身体が粘つく。 そして、それがなんともいえない痒みとなって襲ってくる。 「そのっ、駄目です、それ、ひいっ……」 必死になってお願いするけど、公主様は逆に、俺のそんな姿を見て楽しんでる。 「うふふふ。暴れても無駄よ」 そういいながら、体のあちこちにその綿菓子状の枝をこすりつけてくる。 それも、くすぐるようにふわふわ、さわさわと触れてくるから、むずがゆさとくすぐったさで気が狂いそうになる。 「ごめんなさいっ、お願いします、もうやめ……」 許してもらおうにも、その声が続かない。 「やっぱり、ヒトって敏感。キョータくんの感情が、もうびんびん伝わってくるもの」 そう言いながら、まだ責める手を緩めない。 「ひいっ」 「あらあら、女の子みたい。胸を責められて悶えるなんて」 「ち、ちが……あうっ」 「違わないでしょう? ほら、こうされるととってもくすぐったい」 「ひっ、ひや、ひゃふ……」 「もう、声までそんな女の子みたいな悲鳴出しちっゃて。恥ずかしい子」 動けない俺をいいようにいたぶりながら、公主様は俺をあざ笑う。 「ほら、痒いんでしょ?」 「んあっ……」 後ろからの声。 脇の下を軽く掻くようにくすぐってくる指。 気持ちいいのとくすぐったいのが入り混じった強い刺激に耐え切れなくて、身をよじるけど、両手足の自由を奪われているから、それ以上逃げられない。 「ひぃっ、ひぃ、いゃ、いやですっ、そんな……あっ、あぅっ……」 声が勝手に漏れる。 「ふふ。このねばねば、気に入ってくれたんだ」 そういいながら、俺の前の枝から伸びている公主さまは、動けない俺の胸や腹を集中的にそれでくすぐる。 そのたびに気が狂うような刺激に襲われ、全身を痙攣させながら無意識に暴れる。 「ひぃ……ぃぃっ……」 息も出来ないような刺激がひっきりなしに俺を襲う。 「あらあら、キョータくんのおちんちん、ぴくんぴくんしてる」 「そ、そんな……その、見ないで、くださ……あぅっ」 言葉が続かない。 「この痒くてねばねばしたの、ここに塗っちゃったら、キョータくん気持ちよすぎて失神しちゃうかな」 「ひっ……そんな、その、それだけは……」 恥も外聞もなく懇願する。 今でもとても耐えられないのに、そこまでされるとたぶん本当に発狂する。 「あらあら、そんなに嫌がるなんて、本当に感じちゃってるんだ」 そう言いながらね俺を前と後から責めてくる指。 そのたびにひぃ、ひいと声にならない悲鳴しかでてこない。 「このいやらしく悶えてるのが、キョータくんの本性なのね」 公主様の声。 「ち、ちが……ちがうん……んくうっっ……」 言いかけたときに、下腹部に枝が触れる。 「何が違うのかしら。こんなに堅くさせちゃってんのに」 その声と共に、肉棒にまとわりつく粘っこいものと、じわじわとしみこんでくるような痒み。 「ひっ、ひぃ、やめ……」 全身を容赦なく攻め立ててくる痒み。 その中で肌を触れてくる指。 発狂するような苦しさの中で、公主様が言う。 「キョータくんの心の中なんて、全部読めちゃうんだよ」 そう言って、指を肌に這わせる。 「どうすれば感じちゃうか、どこが苦手か、全部わかっちゃうの。いくら強がってても、後どれくらいで限界なのかもね」 責められ続けて真っ白になった頭の中で、そんな声ばかり聞こえてくる。 「キョータくんはね、心の奥底まで丸見えになってんのよ」 その言葉に、なんだか自分がどうしようもなく惨めな立場にいることが思い知らされた。 「ふふ。みんなの前では隠してる、キョータくんのいやらしい部分も、全部私には見えちゃうの」 そう言って、指が弄ぶ。 「恥ずかしい秘密も、過去も、キョータくんは何も隠せないの」 ……それって。 なんだか、とても理不尽な気がした。 ……どうして。 俺が、ここまでされなきゃならないのか。 そんな気持ちがわいた。 縛られて。 裸にされて。 心の中まで覗かれて。 そして一方的に玩具にされて。 どうして。 それって、ひどいじゃないか。 どうして、そこまでする権利があるんだと。 人間の尊厳とか、権利とか、そういうのがあったっていいじゃないか。 どうして 人の心の奥底まで土足で踏み込んで来るんだと。 ずるい。 人の秘密を全部見ておいて、それで動けなくしてからこんなことするなんて。 卑怯だ。 一方的だ。 理不尽じゃないか。 悔しい。 それなのに、指で責められるたびに悶える自分が惨めで情けない。 そんな感情が、いろいろと入り混じって。 いつの間にか、俺は泣いていた。 なんだか、自分がどうしようもなく惨めな立場にいるんだと思い知らされた。 ご主人様も、フェイレンさんも、ミコトちゃんもサーシャさんも門前街のみんなも、俺をそれなりにまともに扱ってくれる。 だけど、所詮これが現実なんだと。 俺なんて、どうせ……モノなんだ。 一度泣き始めると、後は何も考えられなかった。 本当に、真っ白な頭でただ後から後からこみ上げてくる惨めさと悔しさと情けなさに嗚咽した。 ……ふわりと、誰かが俺を包み込むような気がした。 でも、何が起きているのかはわからない。 全身に絡みついた木の枝がほどけているような気もしたけど、もうどうでもよかった。 自分の感情のままに、ただ泣けるだけ泣いた。 …………。 どれくらい時間がたったかわからない。 泣くだけ泣いて、泣きつかれて目をうっすらと開ける。 その眼前に俺の顔を見つめる瞳。 「ごめんね」 槐公主だった。 「あ……」 はっと、我に返る。 「大丈夫。まだ夜中よ」 そう言って、俺を抱きしめる。 「その……俺の、心の中……」 もしかしたら、いや、きっと、ひどく傷つけたかもしれない。 そんな思いが脳裏をよぎる。 「大丈夫」 そう言って微笑んでくれる。 「私だけには、言えないこと言っていいの」 「…………」 「キョータくんのなかにある、もやもやとした気持ちとか、悔しかったり惨めだったり辛かったりしたこと、みんなには言えないこともあるから」 包み込んでくるような暖かい声。 「いくら頑張って、前向きになろうしたって、キョータくんは現実に人生変えられちゃったんだから、やっぱり、理不尽だったり辛かったりって気持ちはあるのが普通なの」 「…………」 「でも、キョータくんのまわりのみんなは優しいから、そういうことをぶつけられない」 「……それは」 「だから、もやもやが無意識のうちに溜まっていくの。でも、そうやって少しづつもやもやが溜まっていくといつか壊れるの」 「…………」 「ときどき、思いっきり泣いたらいいの。自分の中の苛立ちとか悔しさとか、そういうのを全部洗い流すのよ。……何も言わなくっても、私にはわかるから」 「……公主様」 「キョータくん、男の子だから強がって、我慢してるけど、まだまだ子供なんだから、本当は無理しなくてもいいの」 そういって、きゅっと抱き寄せてくる。 いつのまにか、両手足を拘束している枝葉はほどけ、俺は葉っぱと枝が合わさった柔らかいベッドのようなところに横になっている。 「ごめんね」 もう一度、公主様が謝ってくる。 「ひどいことしたの、キョータくんが嫌いだからじゃないのよ」 「……すみません、俺こそ……」 「キョータくんは謝らなくてもいいのよ。全部、私がしたことだから」 そういって、公主様は体をすこし離し、立ち上がる。 「見て」 そういって、微笑む公主様。 月明かりが左右から裸体を照らす。 よくみると、桃色の髪の毛をしている。 そして、足元ではなくその髪の毛が枝に繋がっている。 「花、なの」 「……花……?」 「そう。この姿は、この樹の花から変化した姿よ。それで、これがめしべ」 公主様は足をすこし広げると、二本の指で脚の付け根の大切な部分を左右に広げながら言う。 「あ、あの、それって……」 「キョータくんに塗った、ねばねばしたのが花粉。こうやって受粉するの」 そういいながら、また俺に体を寄せてくる。 「キョータくんは、じっとしてていいから」 そう言って、騎上位でまたがってくる。 「あ……」 きゅっと、締め付けてくる。 「動かすよ」 「あっ、はい……っ、あくっ……」 公主様が花粉と言った、粘っこい痒いもののせいで敏感になっている俺の肉棒を挟みこみ、上下に動くたびに快感が襲う。 そもそも、俺が泣き出すまでに、すでに爆発寸前まで快感を高められていたわけだから、ほんの数回動かされただけでもう限界に近づく。 「出していいのよ。何度でも、気が済むまで、キョータくんを気持ちよくしてあげる」 そう言って妖艶な笑みを見せる公主様。 「……はい……」 その夜。 俺は何度も公主様に精を放ち、そして、時々泣いて、その胸の中で甘えるように抱いてもらった。 明け方。 えんじゅの樹の付け根。 服を着て横たわる俺を、公主様が膝枕してくれている。 細い木の枝で、耳掃除をしてくれている。 「こうやってね。私が耳掃除してあげた人はみんな幸せになるのよ」 「はい……なんだか、幸せです」 かりかりと耳の奥をくすぐるような気持ちよさ。疲れきった体にちょうどいい。 「ときどきね、泣いた方がいいの」 そう言ってくる。 「人間なんて、自分で思ってるほど強くないの。強くないのに、勝手に自分で強いと決め付けて、無理するの」 「…………」 「それは、確かに人間が成長するためには大切な自己管理力なんだけど、でも無理しすぎてたら元も子もなくすのよ」 耳掃除の手を休めずに、そう話す。 「人間って、理解者が必要なの」 「人に言えないような辛い秘密を、誰かに共有してもらいたい。自分では言いたくもないほど辛い記憶だけど、何も言わなくても誰かに気付いてもらいたい。そして、誰かに理解してもらいたい」 「…………」 「それは決してわがままじゃないの。どうせ、人間なんて一人で生きて行けないんだから。一人で何もかも背負えるほど強くないんだから」 「……はい」 「私の力はね、そんな思いが託される中で身についていったものなの」 「……公主様」 「誰にもいえない、でも誰かに気付いてもらいたい、誰かに理解してもらいたい。そして誰かに助けてもらいたい。この世界に落ちてきたヒトは、みんな多かれ少なかれ、そんな部分を持っているわ。そしてそれは、ヒトだけじゃなくて」 優しい風が、どこへともなく吹き抜けてゆく。 「あの強そうな獅子の民だって、ほんとうはそんな部分があったりするのよ」 「はい」 「ふぇーれんクンなんて、アレで悩みと煩悩のかたまりなんだから。ふぇーれんクンの秘密全部ばらしたら、きっともうふぇーれんクンのこと、今までと同じようには見られないわよ」 そういっておかしそうに笑う。 「……あ、言ってるそばから」 向こうの方から、みんなが丘を登ってくるのが見えた。 「お、思ったより元気そうだな。足腰立たないと思ってたけど」 フェレインさんが笑う。 「優しい人でしたから」 そう、笑顔で答える。 「優しかったかぁ!?」 すこし驚くフェイレンさん。 「公主様は優しいんだよ。フェイレンは普段の行いが悪いから」 「悪くねえっ!」 「ほらほら、それよりみんな一列に並んで。おいしい実がなったから」 公主様がおれを含めたみんなを並べる。 「じゃ、両手前に出して。落とすよ」 そう言って、公主様が実を落とす。 一個、二個、三個、四個……終わり。 「ちょっと待て! なんで俺だけないんだっ!」 フェイレンさんがくってかかる。 「あら、ふぇーれんクンは年長者に対する敬意がないからおあずけ」 「二千年も生きてるくせにガキくさい嫌がらせするなっ!」 「ふーん……じゃ、土下座してくれたらあげなくもないわよ♪」 「できるかっ!」 相変わらずの二人だ。 「大体、いい年こいて……」 その言葉に、公主様の表情がちょっと怒り気味になる。 フェイレンさんの後ろから飛び出してくる根っこ。 それを、真横に跳びのいて避ける。 跳びのいた先に、待ち構えるように伸びてくる別の根っこ。 それを三角蹴りみたいに蹴って方向を変える。 着地したところに、上から枝が振り下ろされる。 それを背転して避けながら言う。 「ふっ、来るとわかってたら避けるのなんて簡た……」 「「危ないっ!」」 ミコトちゃんとご主人様の声。 背転して立ち上がったフェイレンさんの頭の上に、一回り大きな木の実が落ちてきた。 「~~~~っ……」 頭を押さえてうずくまるフェイレンさん。 「それ、ふぇーれんクンの分よ。ありがたく受け取りなさい」 腕組みして、槐公主が得意満面の表情で見下ろす。 「ど、どこまでも優しくねえ……」 「ふっふーんっ。どーだっ」 「くそぉ~っ……と、とりあえず今日はここまでにしておこうっ。さあ、ウーアンに急がなきゃならないからなっ」 いつもとは違うフェイレンさん。槐公主の前でしか見せられない姿なのかもしれないと思った。 「あれ、ほんとは避けられたわね」 サーシャさんが小声で話しかけてくる。 「ああやって、バカやったりはしゃいだりするのが楽しいの。普段はみんな、あんなことできないから」 きっと、そうなんだろうなと思った。 そうやって、この大きな樹はみんなを支えているんだろうと。 「よーし、ウーアンまではもう少しだ。行こうかっ」 大きな木の実を抱えて、すこし表情が晴れやかなフェイレンさん。 その後ろを、俺たちもついていった。 (後編に続く)
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獅子国伝奇外伝 第8話(前編) 「ねーねーキョータくん、旅したくない?」 「はい?」 庭の掃除をしていると、突然やってきたご主人様がそんなことを言い出してきた。 「したいよね、うん、そうだよねっ」 人の返事も聞かずに、そう言って箒を持った俺の手を嬉しそうに手を握ってくるご主人様。 「じゃあ、荷造りしといてね」 「え? あ、おいっ……」 突然やってきて一方的に話を決めて、そのまま突然帰っていくご主人様。 「あらあら、ファリィったらすっかり浮かれちゃって」 サーシャさんが、おかしそうに笑いながら入れ違いにやってくる。 「ま、無理もないかな。都に行ける機会なんて滅多にないし」 「あの、いったい……」 いまだに事情が飲み込めない俺。 「ふふ。あれじゃよくわかんないわよね。あのね、みんなで都に行くのよ。フェイレンとミコトちゃんも一緒」 「みやこ?」 「キョータくん、この近くしか知らないでしょ」 「え、ええ……」 この近くと言うか、俺がこっちに落ちてきてからいったことのある場所は、裏山と門前街ぐらい……。 「杜朝獅子国の首都ウーアン。世界七大名城の一つよ」 「せ、せかいななだい……?」 よくわからないが、たぶんすごいのだろう。 「ふふ。実は私も、実際に見るのは初めて。ふふ、楽しみ♪」 「サーシャさんも来るんですか?」 「もっちろん」 そう言って、嬉しそうに笑う。 「前から見てみたかったのよね~、ウーアンの街並み」 「そんなにすごいんですか」 「見てのお楽しみ。だから、キョータ君も支度しといてね。明日早いから」 「って、言われても掃除が……」 「そんなに長くかかるものでもないでしょ。寝過ごしたらおいてっちゃうからね」 そう言って、サーシャさんも嬉しそうにどっか行ってしまう。 「…………」 後に取り残された俺。 とりあえず掃除を済ませてから、身の回りのものだけまとめることにした。 ……と、いっても。 身の回りのものといっても、本当に服と着替えと毛布だけ。 そもそも、俺の部屋ないし。 「キョータくんキョータくん、これも入れといて」 で、結局俺の服やら何やらはご主人様の荷物と一緒につづらの中に放り込まれて、あとはご主人様の支度の手伝い。 「これ、何?」 ご主人様が箪笥の奥から出してきた、なにやらずっしりとした革袋を両手で抱えながら聞く。 「薬。長旅になるから、頭痛腹痛酔い止めに傷薬に包帯、それに……」 「それに?」 「夜のクスリ♪」 「…………」 「ほらほら、嬉しいでしょ?」 つんつんと、肘でつついてくるご主人様。 「……そういうことにしときます」 旅の空の下で足腰立たなくなるのはかなり辛いと思うんですが。 「そーそー、人間素直じゃなきゃね♪」 欲望に素直すぎるんです、ご主人様の場合。 とりあえず、着替えから路銀からいろいろをつづらに詰めていく。 「あーもおっ、そんな入れ方じゃ入んないよ!?」 俺がつづらに詰め込んでいると、そう言ってご主人様が横から手を出してくる。 「ほら、使うものは上、使わないものは下、あと隙間が出来ないようにしとかないと馬車って揺れるんだから」 そう言って、俺が入れたのを出して詰めなおしている。 妙なところで几帳面だ。 「そーいう大雑把なところを直していかないと、キョータくんはいつまでたってもボクを気持ちよくさせられないよ」 「…………」 いや、やっぱりご主人様はご主人様だな。 「はい、準備完了」 結局、ご主人様がほとんど全部やってしまったような気が。 「明日何時ですか?」 「夜明けすぐ。だから、早い目にやっとかないとね」 「何とか終わりましたね」 「ん? 何が?」 「なにがって、準備……」 「何言ってんのよ、これからじゃない」 「こ、これから?」 まだあるのかよ。 「ほらほら、早く脱いで」 「は?」 「明日の朝早いんだから、早めにやっとかないと起きられないよ」 そういいながら、俺を押し倒してくるご主人様。 「旅の前の日ぐらい、素直に寝た方が……」 「だーめ。やることやっとかないと寝つきが悪いんだから」 「やることやっとくったって……」 ……そもそもコレって、毎晩必ずやらなきゃならないものなのか? 翌朝。 「……ぁぅぅ」 「ほらほらぁ、もー朝だよぉ!! いつまでも寝てないのっ!」 元気一杯のご主人様。 「……か、身体が重い……」 「もおっ、男の子のくせにだらしないんだからっ」 そう言って、布団を剥ぎ取る。 「なんでそんなに元気なんだ……」 「キョータくんが虚弱すぎるんだよ」 「…………」 確かに虚弱かもしれないけど、ご主人さまも元気すぎると思います。 「ほらほら、みんな待ってんだからはやく着替えて」 「……はぁぃ……」 だから旅の前日ぐらいやめようって言ったのに…… 「キョータさん、疲れてますね」 「……ちょっと、いろいろあって……」 馬車の中。荷物を積み終わり、幌の中でそのまま休んでいるとミコトちゃんが心配して声をかけてきた。 何があったかは、さすがに言えない。 「ウーアンの都までは少し距離がありますから、しばらく馬車の中で休めると思います」 「そいつは嬉しいな」 「私も、都を見るのは初めてですから少し楽しみ……ですけど」 「けど?」 「やっぱり、ちょっと不安だったりもして……旦那様の側から離れられないかもしれませんね」 「…………」 この世界で俺が知っている、ほんの小さな場所。それはあくまで例外的なんだとミコトちゃんは前に話したことがある。 ヒトがヒトだけでいることが許されるほど、この世界は優しくないとも。 「……俺も、そう言われるとちょっと不安……だけど」 「だけど?」 「そういう世界も知らなきゃ生きて行けないんだろうな」 「……はい」 すこし重たい空気。そんな空気を吹き飛ばすように後ろから声がした。 「あらあら、そんなに心配しなくても大丈夫よ」 「あ、おはようございます……」 「おはようございます」 サーシャさんが、いつもの笑顔で馬車に乗り込んできた。 「この世界の人たちだって、怖い人たちばかりじゃないのよ。もし誰か、キョータくんやミコトちゃんに手出ししてきたら、私が相手してやるんだから」 そう言って、布に来るんだ棒のような物を引き寄せる。 「こう見えて、サーシャお姉さんは意外と強いんだからね」 「……頼りにしてます」 「あらあら、何よその不安げな声」 「……いや、その……」 正直、サーシャさんが実際に手合わせしてるのを見たことがないからなんともいえない。 普段のサーシャさんは、裏の部屋で俺やミコトちゃんと家事みたいなことをやりながらわいわいと楽しく日々を過ごしている。 フェイレンさんはサーシャさんの腕前を知っているらしくて、この前ミコトちゃんがいなくなったときも、フェイレンさんはご主人様に留守を任せてサーシャさんと二人で探しに出かけたんだけど。 俺やミコトちゃんにとっては正直、サーシャさんはどっかほんわかした料理上手な巨乳お姉さん以外の何者でもない。 「もぉっ。いいもん、二人とも大会で驚かせてあげるんだから」 「大会?」 「あ、サーシャも出るんだ」 ご主人様が、幌の中に入ってきながらそうサーシャさんに声をかける。 「うん。別に獅子以外出場禁止じゃなかったでしょ?」 「そうだよ。……でも、予選は素手だよ?」 「知ってるわよ。素手だって案外自信あるのよ」 「でも、サーシャの道場って槍術よね……」 「あー、ファリィってば信用してない。ネコにだってシュバルツカッツェ御留流柔術があるんだから」 「……始めて聞きました」 「……ボクも。大抵の武術は見聞してるつもりだけど……」 あからさまに疑いの眼差しを向ける二人。 「だって秘伝だもん、伝わるわけないじゃない!!」 半泣きのサーシャさん。 「まあまあ。応援してますから、頑張ってください、ね」 この状況だと、慰める役目は俺しかいないわけで。 「きょーたくん……ありがと、お姉さん頑張るから」 「応援してます」 ぽんぽんと、背中を軽く叩く…… ……と、後ろからはどう見えるかというと。 「あーっ! キョータくん、どさくさにまぎれてなに抱きついててのよぉ!」 後ろからご主人様に引っ張られ、そのまま押し倒されて馬乗りにされる。 「……見境ないのは良くないと思います」 ミコトちゃんの冷たい声。 「い、いや、その、それ誤解……」 「ありがとキョータくん。おねーさん、キョータくんのために頑張るから」 そう言ってくれるのは嬉しいけど…… たぶん、間違いなく、絶対に逆効果になったような気がします。 「キョータさんって、節操ないですよね」 ご主人様のおしおきからようやく解放され、起き上がった俺を横目で見ながら、そう決め付けてくるミコトちゃん。 「いや、だから、誤解……」 「見たままの事実を口にしたまでです」 声が冷たい。 「あらあら、キョータくん人気者ね」 やっと機嫌を直したサーシャさんが、人の気も知らずに火に油を注いでくる。 「やきもち焼かれるようになったんだら、キョータくんももう一人前ね」 「……別に、妬いてなんかいません。ただ、事実に基づいて非難しているだけです」 そう言って否定するミコトちゃん。 「その割には、顔がちょっと怒ってるわよ」 「……怒ってなんかいません」 「ふふ。もうちょっと素直になったら、ミコトちゃんもかわいいのに。ねえキョータくん」 「え、ええっ!?」 そこで俺に振りますか。 「何ですか、その『ええっ』は」 「え、いや、それは……」 「私はかわいくないと」 「ち、違うって、ほら、その、急に話振られて……」 慌てふためく俺。自分でも逆効果だとわかっちゃいるが、うまい言葉が見つからない。 「……そうですか」 「いや、その、なに急になっと……」 「えいっ♪」 「おわぁ!?」 俺があたふたしてる間に、こっそりミコトちゃんの横に回りこんでいたサーシャさん。 俺とミコトちゃんの意識がお互いにだけ向かっている隙に、ミコトちゃんを両手で俺の方に突き飛ばす。 「きゃ?」 驚いたような声を上げて、ぽふんと俺の腕の中に入り込むミコトちゃん。見上げる顔と、俺の目が合う。 「あ……」 「あっ……」 で、あわててお互いに目をそらす。 そんな光景を見て、くすくす笑うサーシャさん。 「やっぱり、二人ともまだまだ若いわねぇ」 「…………」 「…………」 お互い、少し顔を赤くしながら体を離して、幌にもたれかかる。 「…………」 「…………」 そのまま、急にだまりこむ俺とミコトちゃん。 そんな光景を、向こうで微笑ましく見ているサーシャさん。 気恥ずかしいようななんというか、上手くいえない気持ちのまま時間だけが流れる。 「よしっ、馬の準備もできたからそろそろ行くか……って、おいおい、何だよこの空気は」 幌の中を覗いたフェイレンさんが、その中の奇妙な空気にあてられたように額を押さえる。 「若い青春の一コマよ。そっとしといて」 そう言ってフェイレンさんに笑いかけるサーシャさん。誰のせいだという言葉を、俺は黙って飲み込むことにした。 「ほんとにもぉ、キョータくんも男なんだからそのまま押し倒せばかっこいいのに」 「それが出来ないからキョータくんなのよ」 「それもそっか」 向こう側で、俺たちを見ながらご主人様とサーシャさんがひそひそ話している。 「聞こえるような声で好き勝手言わないでください」 ともあれ、馬車は進む。 リンケイからウーアンまでは馬車でも二十日。けっこう遠い。 その間は、ひたすら馬車に揺られて進む日々。 外の景色も、正直言ってあまり代わり映えしない。 「名所旧跡でもあればいいんだけどね~」 俺の隣から、やっぱり幌の外を覗いているサーシャさん。 「この辺は何もないな。見事なばかりに平穏無事で、あるのは農地ばかりだ」 馬を御しながらフェイレンさんが言う。 「でもむかし、ボクとフェイレンでこの辺りの山賊退治したことあったんだよ」 「ああ、そういえばあったな。つっても、丁度旱魃で作物が取れなくなって、食いっぱぐれて山賊になった奴らで、元は悪いやつらでもなかったんだけど」 「……どうされたのですか」 「ま、やっちまったことは仕方ないから。とりあえずボコってから白獅寺に引き取ってもらった」 「とりあえずボコる……ですか」 「武器もってたしな。素直に武装解除してくれたらよかったんだが、向こうも自棄になってた。そしうなるとあとは実力行使しかないし」 「……実力行使……」 何が起こったかは想像しないことにした。 「役人には引き渡さなかったのですか」 そう尋ねるミコトちゃん。 「まあ、旱魃さえなければおかしな道に進むこともなかっただろうし、白獅寺の苦行を体験すれば、嫌でも立ち直るだろうから。……あそこの修行は牢獄に入るより十倍はきついぞ」 そういって笑うフェイレンさん。 「……十倍……」 「何しろ、ファリィが泣いたからな」 「ご主人様が!?」 思わず声を上げて、ご主人様の方を見る。 「あーっ、フェイレンずるいっ! 秘密にしてたのに!」 御者台のフェイレンに跳びかかろうとして、サーシャさんに羽交い絞めにされる。 「サーシャっ、離せ~っ! フェイレンだって、フェイレンだってーっ!」 じたばた暴れるご主人様。 「事実なんだな……」 「そのようですね」 それを見てミコトちゃんと小声で話す。 「まあ、あれは普通誰でも泣く。俺だって願わくばもう二度と行きたくはない」 「う~っ……」 まだご機嫌斜めのご主人様。 「ただ、あれで覚えた拳もあるんだぞ」 「どんな拳法なのですか?」 「……獣面拳」 「じゅうめんけん?」 「性理合一と言って、人間の本能を呼びさまし、野獣のような姿勢から俊敏で荒々しい攻撃を繰り出し、そこに気を重ねる、まさに攻撃に特化した拳だ」 「……白師寺獣面拳。特徴は腕を前脚とみなして、ちょうど獣のように爪を立て、四足歩行に近い姿で戦うことね。もともと獅子の民は鋭い牙や爪を持つけど、そういった、牙や爪といったものを使う流派は意外と少ないわ。斬撃拳は獅子国の諸流派の中でも数えるほどしかないはずよ」 サーシャさんが、ご主人様を羽交い絞めにしたまま俺たちに説明する。 「爪や牙を使うよりは武器を使ったほうが攻撃範囲が広いし、破壊力も高いからな。けどその反面、どうしても俊敏さにおいては素手に劣る。そして、俊敏さを突き詰めていけば、獣のような四足歩行に達する」 「フェイレンさんも使えるんですか?」 「……つかえる……けど使いたくないな」 「使いたくない?」 ミコトちゃんが問い返す。 「獣面拳は師匠の教えとは少し違った方向に向いている気がするんだ。師匠の拳は、正気を持って破邪となすのが根底にあるから、ただ本能のままに暴れて破壊するだけの拳法は、正直俺としては好きになれない」 「……なんとなくわかります」 「ただ、破壊力だけはあるから、いざと言うときの切り札にはなるかもしれないけど。たぶんそのときの俺は、あまりミコトには見られたくない姿だろうな」 複雑な表情を浮かべるミコトちゃん。やっぱり、暴力それ自体があまり好きになれないんだろう。 「白獅寺獣面拳は、北東の密林に住むといわれる黄金野人の戦い方から範を取ったと言われているの」 「黄金野人?」 おどろおどろしいイメージが脳裏に浮かぶ。 「……もっとも、密林の奥に黄金色の毛皮の野人がいるという噂だけで、実際に見た人はいないんだけど、伝え聞くところによると、白獅寺の修行者が密林の奥で黄金野人から教わったのが獣面拳というわ」 「実際にいるのかもしれないが、なにしろあの森に入った奴で生きて帰ってきたという奴を見たことがないからな」 「む~っ……」 羽交い絞めにされたままのご主人様が不機嫌そうな声を上げる。 「どうしたんですか、泣き虫のご主人様」 「泣き虫って言うな~~~っ!!!」 そう言って、またじたばたと暴れるご主人様。 そして、そんなご主人様をあっさりと羽交い絞めにしたまま笑顔で俺をたしなめるサーシャさん。 「もぉ。キョータくんはファリィのドレイなんだから、ご主人様いじめちゃだめでしょ」 「は、はい……」 「離せ~っ!! キョータくんなんか、キョータくんなんか~っっ!!」 「……シュバルツカッツェ御留流おそるべし……なのかな」 「お嬢様が振りほどけないなんて……」 その光景を見て、俺はミコトちゃんとそんなことを話していた。 その夜。 「ぐすっ」 いじけてるご主人様を外に連れ出して慰める俺。 「キョータくんのバカ」 「ごめん」 「キョータくんなんか、だいっ嫌いなんだから」 「ごめん」 いつもは元気一杯のご主人様だから、こんな風にしおれてると妙にかわいらしい。 「謝ってよ」 「だから、ごめん」 「せーいがたりない」 「ごめんなさい」 「まだたりない」 「本当にごめんなさい、ご主人様」 そう言いながら、ご主人様を抱き寄せて背中を撫でる。 ご主人様は、額を俺の胸板に押し付けるようにして泣いている。 「本当に辛い修行だったんだぞ」 「ごめん」 こうなると、謝り続けるしかないわけで。 「秘密にしてたのに」 「でも、かわいいですよ」 そう言って、ちょっと強く抱く。 「かわいい……?」 「泣いてるご主人様、かわいいですよ」 そして、もう少し力を込めて抱く。 「ほんと……? ボクのこと、泣き虫だって笑わない……?」 「笑わない」 頭をなでなでしながら、ご主人様を慰める。 「キョータくん……」 「だから、機嫌直して」 「うん……」 なんとか、機嫌直してくれそう…… ……って。 「うわあっ!?」 いきなり足をかけられ、仰向けに倒される。 「べーっだ」 俺の上にのしかかって、舌を出しながらそう言ってくるご主人様。 「な、なにいきなり……っ」 上にのしかかったまま、俺の両手を押さえつけてくる。 「そんなに簡単に許すと思ったら大間違いなんだから」 口許に犬歯を見せながら肉食獣の笑みを浮かべる。 「ボクをいじめたキョータくんなんて、こうしてやるんだから」 「って、待て、こんなところで……」 「泣いても叫んでも、助けはこないよ」 そういえば、慰めながら歩いてたら馬車からずいぶん離れてしまったような。 「キョータくんが泣いて謝っても許してあげないんだから」 「って、待て、縛るな!」 俺を押さえつけたまま、生えている野草で俺の両手を地面に拘束する。 「ダメ。キョータくんはボクのドレイなんだから」 嬉しそうに俺の自由を奪い、服を脱がせていく。 「今日という今日は許さないんだからね」 「っ……」 俺の着ていた服の前をはだけさせると、胸板に舌を這わせてくる。 ぞくりとする感触が胸元に触れる。 舌を這わせながら、下半身に右手を持っていく。 「ち、ちょっと待て、その……」 「だめ」 「いや、その……っく」 「あははっ、キョータくん敏感」 動けない俺をおもちゃにしながら悦んでるご主人様が、舌を離して上から俺を見下ろす。 「今日は絶対に許さないんだからね」 「……好きにしろ」 少しふてくされたようにそう答える。 「うん、好きにする」 そういって、ご主人様の方から俺に唇を重ねてきた。 「んっ……く」 いつもより強引で乱暴なキス。 その間も、俺の下半身を指で弄ぶ。 「んくっ」 まるで玩具で遊ぶように、ご主人様の右手は俺の肉棒を握り、指で先端を転がすように責める。 「んっ……ぷはっ、ま、待てって……」 顔を振って強引に唇を離して、ご主人様に抗議するけど。 「やだっ。キョータくんはボクのドレイなんだから、ボクの好きなようにしていいんだっ」 そう言って、俺の抗議を無視して上から一方的に俺を玩具にする。 どうやら、まだちょっとご機嫌斜めっぽい。 「……うくっ、ん、くぅっ……」 抗議したいけど、そのたびに下半身を弄ばれるから声にならない。 小指で根元を握って出せなくしておいてから、裏筋を中指でなぞったり、人差し指で先端をくりくりとこすったりして、いいように弄ばれる。 そうやって、散々弄んでからようやく指を離す。 「あははっ、キョータくん泣きそうな顔してる」 そう言って、嬉しそうに笑うご主人様。 「……泣きそうなんだよ」 「気持ちいいでしょ」 「……気が狂いそうなくらいな」 「このまま狂わせちゃってもいいんだよ」 「勘弁してくれ」 「やだ。ボクにイジワルした罰なんだから」 「謝ったじゃないか」 「謝ってもダメ。キョータくんも泣かせてやるって決めたんだから」 「って、ま……ひぅっ」 ご主人様が人差し指と親指の腹で挟むようにして、亀頭の下から上へと触れるか触れないかのタッチでなぞる。 「やむっ……ひふ、ぃ……」 なんかまともな声が出てこない。 「ほらほら、我慢してる我慢してる♪」 そんな俺の顔を見て、ご主人様が楽しそうに笑う。 ちょこんと腿の上に座って、脚を閉じたり逃げたり出来ないようにしておいてから両手で責め始める。 強くしごくと言うより、軽く触れるような力で愛撫を加え、じわじわと弱火で焙るように。 どうやら、一思いに楽にさせるつもりじゃないらしい。 「んっ……っくっ……」 「ほらほら♪ 先からもう何か出てきてるぞ」 今度は先端から根元へと、先走りの汁を亀頭に塗りつけるように愛撫してくる指。 「ひっ……やめ、ちょっ……んぁっ」 まずい、なんかマジで泣き声になってきてる。 「あははっ、キョータくん女の子みたいな声出してるよ」 「ば、バカ言う……くっ」 「いくら強がっても、こっちはもー限界なんじゃない?」 いや、限界はとっくに限界なんですが。 「ひ、一思いに楽にするとか……あぅっ」 「だぁめ。キョータくんはドレイのくせにご主人様に逆らったから、バツをうけるの」 ……ごめんなさい、本当にもう許してください。 「んふふっ、べそかいてるキョータくん、かわいい」 そういって、俺の目の横を指でぬぐう。 「ボク、泣いてるキョータくんも好き」 ご主人様が、上から俺の顔を見ながらそう言ってくる。 「このまま、食べちゃいたい」 そう言って体を起こし、チャイナドレスの紐を解き始めた。 どれくらい時間がたったかな。 いつの間にか、月がかなり向こうの方に傾いている。 「おーい……」 「す~……」 「ご主人様ぁ~……?」 「くぅ~……」 人の上にのしかかったまま、気持ち良さそうに寝息を立てているご主人様。 それはいいんだけど、半裸で動けない俺はかなり風が寒いんですが。 背中に草がちくちくしてるし。 「んふぅ……」 ご主人様が、眠ったままもぞもぞと体を摺り寄せてくる。 アレを終えて裸のまま寝ているから寒いのか、ご主人様の方から素肌を摺り寄せてくる。 夜風のひんやりとした冷たさの中で、肌のぬくもりが俺の方にも伝わってくる。 「おい、起きろって……」 「く~……」 「…………」 明日の朝までこのままなんでしょうか。 ていうか、こんな格好で人に見つかったら死ぬほど恥ずかしいんですが。 「あ、いたいた」 そんなことを思ってると、向こうから人影。 「こんなことだろーと思った」 「サーシャさん?」 「いつまでたっても帰ってこないからどうしてるのかと思ったら」 「すみません、ちょっと縛られてて……」 「ほんとにもぉ、ファリィったら後片付けしないんだから」 言いながら、俺を縛る草を切る。 やっと自由になって服を着る俺。 「ほんとに、ファリィったらキョータくんにはすぐ甘えるのよね」 「甘える……って」 まだ寝ているご主人様に服を着せながら、サーシャさんの方を見ると、俺と目が合ったサーシャさんがくすりと笑った。 「ファリィがこんな無防備な格好見せるの、キョータくんだけよ」 「……そりゃまあ、ご主人様の所有物ですし」 「違うわよ。キョータくんの前ではこんなだけど、普段のファリィってあれで結構頑張ってるんだから」 「そう……なんですか?」 「そうよ。だから」 つんと、俺の額を指でつつく。 「キョータくんも、ファリィをいじめちゃだめよ」 「いじめられてるのは……」 俺の方だというより早く。 「男の子なんだから我慢する」 そう言ってサーシャさんが、ぽんと俺の両肩に手を置く。 「…………」 なんだか、理不尽な気もする。 「さ、早く帰りましょ。風邪ひくわよ」 そう言って、サーシャさんがご主人様を背負った。 そろそろ旅路の半ばくらいに来た頃。 サーシャさんがなにやら本を開いてにこにこしている。 「なんですか、その本」 いいながら、表紙を覗き込む。 【にゃるぶ増刊 世界七大名城案内シリーズ4 はじめてのウーアン完全ガイドブック】 「……どこで買ったんですか」 「シュバルツカッツェの本屋よ」 「シュバルツカッツェって、サーシャさんの故郷? こんな本が出てるんですか」 「そーよ。またいつか、キョータくんも連れてってあげるから。いつかみんなでシュバルツカッツェの街を観光しましょ」 「……私は……その」 横で、何かを言おうとするミコトちゃん。その表情に気付いたサーシャさんが笑顔で励ます。 「大丈夫よ。ミコトちゃんだってもう一人じゃないんだから。フェイレン、一緒に来るわよね?」 「え? ちょっとまて、急になんだ!?」 御者台からフェイレンさんの戸惑ったような声が返ってくる。 「ミコトちゃん一人にしたりしないわよね!?」 「え? あ、ああ、よくわからんが、それはまぁ……」 わけがわからないまま返事を返してくるフェイレンさん。 「よし決定。フェイレンが守ってくれるから、安心していいわよ」 「……はい」 「それに、サーシャお姉さんもついてるんだから。ミコトちゃん泣かせるようなネコがいたら、もうタダじゃおかないんだから」 「はい」 少しだけ笑顔をみせるミコトちゃん。 「ついでに、俺もついてる」 「……あっ……はい」 そう言うとミコトちゃんが俺の方をみて、少しだけ頬を赤らめて微笑む。 「あらあら、キョータくん男らしいんだ」 サーシャさんにからかわれて、急に鼓動が早くなる。 「い、いや、それはその……」 「ダメっ! ミコトちゃんにはフェイレンがいるんだから、キョータくんはボクに守られるの!!」 後ろからご主人様に襟を引っ張られる。 「キョータくんなんて、弱っちいくせに生意気だ」 「ふふ。それもそうね。向こうじゃヒトは高級品だから、素直に守ってもらったほうがいいかも」 「そーだぞ。キョータくんはボクのものなんだから」 ちょっと得意げな表情のご主人様。 「わかりました」 余計なことを言って拗ねられるよりは、素直に言うこと聞いておいたほうがいいと思った。 「でも、どんなこと書いてるんですかその本」 「旅行ガイドだから、名所旧跡とか料理のおいしいお店とかイベント情報とかよ」 「そういうのはどこも同じなんですね」 「マニア向け雑誌もあるみたいだけどね。とりあえずは初めてなんだし、こっちの方が役に立つかなと思って」 「雑誌まであるんですね」 「そうね。最近、ちょっとした旅行ブームだから。ウーアンは距離的にも大陸の最西端だし、ものめずらしさもあって獅子国観光はちょっと人気あるの」 「ブーム……ですか」 「そーよ。何年か前に猫井テレビが三絶寺の取材に来てから、東の狐耳国と西の獅子国は観光に行きたい国のベスト3にいつも名前が入ってるわ」 「そうなんですか」 「てれび?」 テレビと言うものが何なのかわからない様子のご主人様。 「ああ、またいつか説明するわ。とにかく、おかげで最近はこんな本が出るくらいの人気スポットなの」 「で、ウーアンの名所ってどんなところがあるんですか?」 「そーねえ、まずは大外壁ね。高さ八丈の城壁がぐるりと首都全体を囲んでるの」 「それも一重二重じゃないぞ。実に六層にわたって囲まれていて、一番外側の外壁は総延長四十八里だ」 フェイレンさんが御者台から続けてくる。 「じゅうろくり……?」 「一里は約500メートルになります。約24キロにわたって城壁で取り囲まれていることになります。高さ八丈といいますから、約24メートルの高さです」 ミコトちゃんが説明してくれる。 「で、でけぇ……」 「一方につき十二里だからな。その上にずらりと連弩が並んでる」 フェイレンさんの説明のあとを、ご主人様が続ける。 「万が一、どっかの国の軍隊が大外壁を破ったとしても、そのなかにさらに幾重に並んだ城壁があるんだよ。しかも城壁は内側ほど高くなっていて、最後の六段目の城壁なんて、高さ十五丈、幅六丈もあるんだから」 「じゅうごじょうでろくじょう……っていうと」 「高さ約45メートルで幅18メートルです」 「……すごいですね」 「まさに難攻不落。……唯一の難点は、堅牢過ぎて攻めて来る相手がいないから実際には不必要ってことだ」 「“ウーアンの城壁みたいな奴”って言えば、図体大きいけど使い道がない人のたとえになってるぐらい」 「……そんな風に聞くと、なんだかありがたみがなくなりますね」 「けど実際に見たら圧巻だぞ。誰も攻める気がなくなるのもわかるから」 「……城壁の内側で見所はどのようなものがあるのですか」 ミコトちゃんが次を尋ねる。 「そうだな。王宮といいたいけど、あそこは普通は入れないから……」 「入ったことがあるんですか?」 「ん? ああ、まあ、師匠のお供でな」 「ボクも入ったことあるんだよ」 嬉しそうに割り込んでくるご主人様。 「もうね、柱も壁も天井も、みんな綺麗な絵と彫刻できらきらしてるんだよ」 「……ファリィ……それじゃ子供の感想だ」 フェイレンさんの呆れたような声。 「む゛ぅ~……」 拗ねるご主人様。拗ねた顔を見ると、やっぱり子供っぽい。 「王宮の彫刻と絵は、太宗の代から今まで十六代五百年に渡って、その時々の最高級の芸術家が招かれて生み出されている。獅子の国にとどまらず、世界各地の芸術家に万金を投じて描かせたものもある。だからそれぞれに個性があり、一見ばらついているように見えてそのばらつきが奇妙なバランスの中に配置されている」 「…………」 すごいんだろうけど、どうにもピンとこない。 「フェイレンも人のこと言えないわよ。キョータくん、ぽかんとしてるじゃない」 サーシャさんが俺の顔を見てそう言う。 「……い、いや……あれは言葉で説明するのは難しいな」 言い訳するフェイレンさんに追い討ちをかけるサーシャさん。 「それじゃあファリィと一緒じゃない」 「…………」 口ごもるフェイレンさん。 「あはははっ、フェイレン困ってる」 「ファリィの子供の感想と一緒にするなっ!」 「五十歩百歩よ」 「…………」 轟沈するフェイレンさん。 まあ、ピンと来ないという点では確かにあまり変わらない様な気もする。 「王宮もすごいかもしれないけど、やっぱりウーアンに行けば闘技場かな」 サーシャさんがガイドブックをめくりながら言う。 「シュバルツカッツェ郊外のコロシアムもいいけど、これは負けてないわね」 「そういや、サーシャも参加するっていってたっけ」 「そーよ。なのにみんなひどいんだから」 「そりゃ、みんなはサーシャの腕っ節を見てないからな。……キョータくんもミコトも、見て驚くなよ」 「……そんなに強いんですか」 ミコトちゃんが尋ねる。 「俺と互角だ」 フェイレンさんが言い切る。 「うそ……」 「ちょっと、嘘ってなによ!?」 俺の無意識の呟きを聞きとがめるサーシャさん。 「まあ、そう怒るな。キョータくんだって悪気はないんだから」 笑いながらフェイレンさんがそうフォローしてくれる。 「……そういうことにしといてあげる」 まだちょっと怒り気味のサーシャさん。 「ともあれ、闘技場もいいんだけど、その周辺も見る価値はあるな。露店が立ち並び、闘技場周辺の広場は活気にあふれている。ちなみに闘技場の少し西にある麺の店はなかなか美味い」 「あ、フーおじさんの店? あそこはね、麺も美味しいんだけどおじさんの刀捌きがすごいんだよ。それが目当てで集まってくる人もいるんだから」 「そうね。こっちにもそのお店は名前が出てるわ」 サーシャさんがガイドブックを見ながらご主人様に同意する。 「立ち食いになるけど、それでも食いに行くだけの価値は十分にあるな」 「この本だと……それ以外にも何件か美味しい露店が出てるわね」 「ネコ族の舌に合うとなると……開瑞とか李路、四桂あたりか?」 「あ、全部載ってる」 「だろうな。じゃあ、ちょっと通好みになるけどホア婆さんの豆腐屋はどうだ」 「……あ、そこは美味しいけど刺激注意ってなってる」 「ははは、やっぱりネコには刺激が強いか」 フェイレンさんが面白そうに笑う。 「やっぱり、辛いのはちょっと……ね」 「そういう時はね、二件となりのマーさんの店の饅頭と一緒に食べたらいいんだよ。ボクもフェイレンも辛いのはちょっと苦手だけど美味しいのは好きだから、いつもそうやって食べてんの」 「すこし甘みがあって、しかも生地が豆板醤を程よく吸い込むから辛さが分散されるな。ついでにいうと、マーさんとこの冷茶は苦さや匂いが薄めだからクセがなくて飲みやすいし、辛いものが苦手な人には助かる」 食べ物の話題が続いている。 「あとは……ああそうだ、王さんとこの魔タンメンとかどうだ」 ……魔タンメン? 「あははははっ、出てる出てる。完食したら500セパタって」 「500セパタ?」 完食したら日本円にして百万円…… 「ただし、食べられなかったらこっちが50セパタ支払うことになるし、そもそも食える量じゃないからな」 「食える量じゃない……って」 「ドンブリで出るならまだしも、綿を茹でる釜ごと出てくるからな」 「かま?」 「これ、イラストだけど……」 そう言って、サーシャさんが本を開けて見せてくれる。 「…………」 「…………」 それを見て言葉を失う俺とミコトちゃん。 子供一人は隠れられそうな大釜に並々と入っているスープと麺。釜の大きさと比較のためか、隣に獅子の男性が描かれてるけど、これは麺というより風呂にさえ見える。 「な、食えた量じゃないだろ。獅子国内外のあまたの勇者が挑んでは撃沈された、それが王さんの魔タンメンだ」 「……食材の無駄、ですね」 ミコトちゃんがぽつりと一言。……正直、俺もそう思う。 「まあな。客寄せの見世物みたいなものだ。……だが恐ろしいことに完食した奴が過去に一人だけいるという」 「これを!?」 「完食したのは、長い毛のイヌ……というだけで、詳しくは俺も知らないが」 「イヌ……なんだ。かわいそうに、ふだん、よほど満足な食事がとれなかったのね」 と、サーシャさん。……そういう問題なんだろうかと思うけど。 食べ物の話が一息ついた頃に、フェイレンさんが言ってくる。 「キョータくんもミコトも、せっかく獅子の国に落ちて来たんだし、食うもの食っとかなきゃ人生の損だぞ。噂に聞く魔法とか魔洸ってのもすごいんだろうけど、やっぱり人間の基本はうまい飯だ」 「そーだよ。ちゃんと、食べるもの食べてしっかり体を動かすのが強くなるコツなんだから」 フェイレンさんの言葉にご主人様が同調する。 「僕らも食べていいんですか?」 「当たり前じゃない」 「食の前に貴賎はないというのがウーアンの露店主の共通認識だ。うちの門前街で点心やってるインさんだって、もとはウーアンで修行したからな。ミコトが一人で食いに言っても別に普通だったろ?」 「はい」 「そういうもんだ。だから堂々としてたらいい。万が一にも舐めた態度取るやつがいたら、俺がその場で殴り飛ばす」 「ボクが蹴飛ばす」 あっさりと言うフェイレンさんとご主人様。 「ふふ。ほんとに、二人ともキョータくんとミコトちゃんのことになると容赦しないんだから」 サーシャさんがくすくす笑う。 「そう言うサーシャだって、広場のど真ん中で鉤鎌槍振り回すなよ。周りに迷惑かかるから」 「大丈夫よ、そんな危険なことせずに、ただの一突きで終わらせるから。ちゃんと一発で眉間に突き立てるわよ」 フェイレンさんの言葉に、躊躇なくそう言うサーシャさん。 「…………」 冗談かと思ったら、目が本気でした。 馬車は進む。 「少し前にね、指揮者ディンスレイフっていう悪党がいたの」 サーシャさんがそう話し出す。 「こんだくたー……でぃんすれいふ?」 初めて聞くその名前を反芻する。 「これがとんでもない大悪党で、大陸全土の王宮やら宝物庫やらを荒らしまくって、その中で殺した人の数は数え切れないっていわれてるんだけど……」 「……ひどい」 ミコトちゃんが非難するような表情を浮かべる。 「でも、この獅子国ウーアンの宝物庫だけは狙われなかったの」 「まあ、たぶん狙ったのかもしれないが、見事に素通りされたというべきかな。とにかく、この国にはディンスレイフに殺された奴も盗まれた宝物も、見事に全く、何もない」 フェイレンさんがそう言って補足する。 「それは……どうしてですか?」 「ディンスレイフが狙ったのは魔法のかけられたお宝なの。ところが、この国にはそういうお宝は全くなかったから」 「この国でお宝といえば陶磁器の名品とか絵画、あるいは彫刻に名筆、利剣……職人が自分の腕を使って作り上げるもののことだ。奴さんの欲しがるようなものとは見事に正反対だったということになる」 「いくら美しくてもね、それが『ただのモノ』であったなら、あのクラスの魔法使いなら自分で材質、形状、年月による劣化まで全く同じものを再現してコピーできるの。自分で作れるんだったら、わざわざ盗む必要もないし。だから狙われるのは、もっぱら自分でコピーできない強力な魔法の道具とかそんなのばかり」 サーシャさんの言葉に、すこし寂しそうな声で続けるフェイレンさん。 「……おかげで、わが国の宝物庫は今現在に至るまで平穏無事と言うわけだ。……まあ、『つまんないから壊しちゃえ』とかにならなかったのは幸いというべきか」 「でも、宝貝……とかそういうのは」 ミコトちゃんが尋ねる。 「宝貝というものが存在するとは言われてるけど、あるとしても北の仙境の果てだろう。そこらへんに行くと、仙人とか呼ばれるような人がいるから、何かしらあるのかもしれない。けどウーアンにはないんだ」 「そうなのですか」 「それでね、帝都ウーアンという場所にも、それと同じことが言えるの」 サーシャさんが話を元に戻す。 「同じこと……ですか」 「六重の大外壁が完成するまでに、延べ80年、15万人の人手がつぎ込まれたとガイドブックには書かれてるわ。だけどね、魔法を使えばその半分以下の人手と時間で同じものが作れるの。……もしかしたら十分の一ですむかもしれない」 「そうだな。そいつは紛れもない事実だ。だけど」 何か言おうとしたフェイレンさんの言葉の先を、サーシャさんが続ける。 「効率でいえば非常に悪いけど、でもそれこそがいいっていうのが獅子の民の考え方なの。費やされた時間、つぎ込まれた手間、そこに価値を見出すのが獅子の民の美意識なのよ」 「……だから、魔法より芸術」 「そう。三秒で撮れる写真と、三ヶ月かけて描かれた絵では、写真の方がはるかに正確なんだけど、そこで写真の正確さに価値を見出すのがネコやイヌで、三ヶ月の手間と、絵画の持つ、独特の現実との乖離に価値を見出すのが獅子」 「それぞれに長所があるから、一概にどちらがいいとは言えないと思います」 と、ミコトちゃんが言う。 「そうね。だけど、やっぱり種族ごとの傾向ってあるの。獅子と比べたら、やっぱり私達ネコって効率とか実利とか正確性とかを優先するのよ。実利と両立できない美はあまり価値を見出せないかな。シュバルツカッツェ城だって、あれは美しさと効率性を両面から徹底的に追求した結果なの」 「そういう性分だからこそネコがこれだけ急速に発展したともいえる。大陸ど真ん中の肥沃な土地を得たというだけじゃなくて、そこからさらに利潤と発展と効率を突き詰めていった結果が、今の繁栄を謳歌するネコだ」 「だけど、努力と時間を費やすことに価値を見出す獅子だからこそ、芸術と言う方面に特化した美が残されるともいえるの。そして最近は、そういう部分に興味を持つネコも増えてきたのよ」 そう話すフェイレンさんとサーシャさん。お互いにお互いを理解しているから、自然にそういうことが言えるんだろう。 「む゙ぅ~……二人だけでムズカシイ話して……」 ……ご主人様は……まあ、こういうところがかわいいということにしておこう。 そんな風に、いろんな話をしているうちに馬車は進んだ。 そして…… 「ほら、そろそろ見えてきただろう?」 そういって、フェイレンさんが馬車を止めて外へと促す。 「……あれが、ウーアンの大外壁……」 「すごい……」 はるか彼方に見える、陽光に照らされた城壁。 その巨大さは、はるか遠くから眺めるだけでも圧倒的だった。 「初めて見たけど、やっぱり写真より現物ね。迫力があるわ」 サーシャさんが感心している。 「……妖怪婆さんも、相変わらず盛ってんな」 ふと、俺たちの会話と不釣合いなことを口走るフェイレンさん。 「妖怪婆さん?」 フェイレンさんの言葉を反芻しながら、俺はフェイレンさんの視線の先を追う。 その先には、小高い丘があり、そこに一本の巨木が花を咲かせていた。 「……もおっ、フェイレンったら公主様のことをそんなに言ったらダメじゃない!」 ご主人様が怒ったようにいう。 「公主様?」 「……槐公主。あのでっかい木のことだ」 「……木、ですか」 「でも、妖怪婆さんってのは……」 「もおっ、フェイレンが失礼なこと言うからキョータくんが真似したじゃない! あのねキョータくん。公主様はとっても優しくてきれーな方なんだよ」 「……見た目はな」 「中身も!! フェイレンはいつも失礼なことばかり言うから怒られんのよ!」 「……事実しか言ってないんだがな」 「事実じゃないから怒られてんの! キョータくん、行こっ」 そう言って、俺の手を引っ張るご主人様。 「お、おい、行くってどこに……」 「公主様に挨拶するの! ここまできたんだから挨拶ぐらいするのが礼儀!」 「おい、ちょっとまて、二人だけで行くのか!?」 「何言ってんの! みんなも来て挨拶するの! ほらフェイレン、躊躇ってないでちゃんと来る!」 「…………まあ……珍しくはあるし、サーシャやミコトも一度は見ておいたほうがいい……だろう」 「旦那様、声が沈んでますね」 「……いざとなったら、キョータくんに身代わりになってもらう」 「身代わり?」 「……まあ、行けばわかる」 後ろの方で、なにやら穏やかじゃない会話が聞こえたような気がした。 丘の上に立つ大きな木。 その木陰で、本を読んでる女性がいた。 こっちの世界でも珍しい緑色の長髪で、奇妙にごわついたような感じの着物を着ている。 「どうだ、エサはひっかかるか?」 俺たちに追いついてきたフェイレンさんが、そう女性に声をかける。 「あら、久しぶり」 女性が、フェイレンさんの声に気づいて顔を上げる。 清楚な感じの美女だと思った。 「やっほー、公主様! 元気でした?」 ご主人様も、そう言って女性に近づく。 「あらあら、ふぁりちゃんまで。また試合?」 「ううん、試合もあるけど、今日はみんなで都見学。それで、挨拶しようと思って」 「あらあら、礼儀正しいのね。感心感心」 そういいながら、立ち上がる女性…… ……を見て、俺の表情が凍りつく。 「あ、足が……」 足がない、というか、よく見ると足の部分がそのまま木の枝のようになってて地面に潜ってる。 「あら、この子は?」 驚いた俺をみて、そうご主人様に訪ねる女性。 「ん? キョータくんのこと? キョータくんはね、ボクのドレイなの。いっしょに連れてきたんだ」 「あらあら、そうだったの。はじめまして。私は槐といいますの。ふぁりちゃんやふぇーれんクンのお友達よ」 「……言ったろう。こいつが齢2000年の妖怪ばあさ……ぐぇ」 フェイレンさんがそう言おうとして、声を詰まらせる。 よく見ると背後から根っこらしきものが首に巻きついてた。 「もおっ! ふぇーれんクンはどおして、年長者に敬意を払えないかなっ!?」 腕を組んで、怒ったような表情の女性……槐さん。地面をすべるようにして、フェイレンさんに近づく。 「げ、ぐぇ……ぷはっ……」 半分力任せに根を振りほどいたフェイレンさん。 「この妖怪ばばあっ! 後ろからいきなり首絞めるやつがあるかっ!」 「ふぇーれんクンが年長者に敬意を払わないからでしょ」 「払えるかっ! だいいち、事実を言ったまでだ!」 なにやら言い争ってるフェイレンさんと槐さん。 「妖怪じゃなくてせ・ん・に・ん! それにばばぁばばぁって、樹木の2000年はまだまだ現役なんだから!」 「……に、にせんねん……?」 目の前の女性の言葉に、脳が追いつかない俺。 「公主さまはね、このおっきな木なの」 「この……木?」 「そ。えんじゅの木が二千年生きて、いつの間にか仙人になっちゃったの」 「仙人……?」 「そういえば、話は聞いたことがあるわ。長く生きた樹木が、やがて魔素や色々なものの影響を受けて人格を持ったり、あるいは人の形を取るようになるとかって話。……よた話かと思ってたけど、探せばあるものね」 サーシャさんが、木を見上げながら言う。 「槐の木は成長が遅く、あまり大きくならないと聞いています。これだけの巨木になるには相当な歳月がかかったのでしょう」 と、ミコトちゃん。 「二千年といえば、大戦の頃から生えてるわけね。……それくらい長く生きてると、こういうこともあるんだ」 感心したように木を見上げている俺たち。 「……まったく、二千年も生きてるんだからもう少し人格的に完成してもいいとは思うけどな」 そう言って、俺たちの側にやってくるフェイレンさん。 「あら、私はふぇーれんクンが失礼だから怒ってるだけで、他のみんなには優しいんだから。ねえ、ふぁりちゃん」 「そーだよ。フェイレンが失礼なこと言うからいけないんだ」 「って、ファリィまで言わなくてもいいだろう」 「だって、本当のことだもん。ねえ公主様」 「そうそう。だいたいふぇーれんクンなんて、最初は木の上で……」 「ちょっと待てええええぇっ!」 急に慌てるフェイレンさん。後ろに回りこんで、槐さん……槐公主の口を塞ぐ。 ……けど。 たちまち、それはただの木の根になってしまう。 「もおっ、ふぇーれんクンったら、急に抱きついたりしなくてもいいじゃない♪」 そして、俺たちの後ろから声が聞こえる。 振り向くと、そこに槐公主の姿があった。 「……ほんとに、そんなにみんなに知られたくないの?」 「当たり前だっっ!」 いつになく落ち着きがないフェイレンさん。いつもの、兄貴分な姿とはだいぶ違う。 「ほんっとに、まだまだ子供なんだから」 そういって、にこにこと笑う槐公主。 「……わかったろ。これくらい性格悪いんだ」 疲れたような声で俺に語りかけるフェイレンさん。 「旦那様、手玉に取られてますね」 そこに、容赦ない一言を言ってくるミコトちゃん。 「……言わないでくれ。どうにも相性が悪いんだ」 そう言って、ため息をつくフェイレンさん。 「ふふ。ふぇーれんクンが『こーしゅさま』って呼んでくれたら、黙っててあげてもいいわよ」 「……はいはい、公主様公主様」 「なーんか、敬意が足りないなあ」 「こっちが敬意を持てるような仙人になってから言ってくれ、この両刀使いの食人樹」 「あーっ、ひっどおい!」 「事実だろう」 「言い方が悪い!」 「だいたい、もとをただせば木の分際でこんな格好……ぐぇ」 「木の分際って何よ! ふぇーれんクンだって、もとをただせばケダモノのくせに!」 「ぐぇ、げ……ぷはぁ、……ケダモノとか言うなっ!」 また言い争いを始めるフェイレンさんと槐公主。 「…………」 「…………」 そんな様子を、俺とミコトちゃんはただ無言で見ているしかなかった。 「それでね、公主様」 しばらくして、ご主人様が槐公主に語りかける。 「キョータくん、もし良かったら一晩捧げてもいいよ」 「ほんと?」 ……捧げる? 「……止めはしない」 フェイレンさんが俺から目をそらしながら言う。 「あら、もらっちゃっていいの?」 「うん。一晩だけなら」 「ちょっと待て! そこで何の話を……」 「キョータくんは黙ってて。ボクと公主様が話してるんだから」 「ったって、俺の話じゃないのか!?」 「そだよ。所有権はボクにあるんだから」 「……捧げるって聞こえたんだけど……」 「うん、捧げるって言った」 「捧げるって、どういうことだ……?」 「そのまんま。公主様に食べてもらうの」 「って、待ておい!!」 「覚悟決めとけよ。全身根っこでぐるぐる巻きにされて、全身の養分吸い取られて朝には廃人となるからな」 フェイレンさんが怖いことを言ってくる。 「あら、そんなコト言っちゃっていいのかな~? もしも、キョータくん? ……だっけ、この子が怯えちゃって逃げたりしたら、ふぇーれんクンに身代わりになってもらうからね」 「うげ」 「ちょっと、『うげ』って何よ」 「そのままの意味だ。……キョータくん、頼む、俺の一生の願いだ。黙って死んでくれ」 そういって、俺の前で頭を下げるフェイレンさん。 「ちょ、いや、その……」 「もおっ、二人とも往生際がわるいぞっ! ほらほら、キョータくんはあっちあっち!」 そう言って、無理やり俺を槐公主の側まで連れて行くご主人様。 「それでね、ものは相談なんだけど……」 そうご主人様が言うと、槐公主が微笑む。 「はいはい、ふぁりちゃんは甘いもの大好きだもんね。わかったわ。明日には美味しい実をつけとくから」 「はーいっ♪ 公主様も大好きっ」 「うふふふ。ふぁりちゃん、またいつか気持ちいいことしましょうね」 「はいっ」 ……気持ちいいこと? 「……両刀遣いって言ったろ」 俺の表情を読み取ったフェイレンさんが話しかけてくる。 「何しろ木だ。こんな格好してても“おしべ”と“めしべ”がある」 「おしべ……」 嫌なものを想像する。 「ちょっとキョータくん、今変なこと想像したでしょ」 「え? ……うわあっ」 横から聞こえてきた声の方を向くと。 そこには、緑色の髪の、俺より少し幼いくらいの容姿の少年がいた。 「か……槐公主?」 足元を見ると、やはり根のようなものが地面に潜っている。 「そうだよ。こんなこともできちゃうんだ。でも、ふだんは……」 「……こっちの格好してるんだけどね」 目の前の少年がたちまちただの根っこに戻ったと思ったら、さっきまで槐公主がいた場所に、元の姿のままの槐公主がいた。 「仙人ともなると、変化の術なんかもちょちょいのちょいなんだから」 「……妖怪のまちが……ぉわあっ」 足元を払われて地面に倒れるフェイレンさん。そこに、根っこがたくさん飛び出してきて、フェイレンさんが起き上がるより早く簀巻きにする。 「いま、何か言った?」 「何も言ってない! 決して妖怪とか化け物とかふたなりとか言ってないからな!」 「……ふぇーれんクン」 ちょっと怖い表情の槐公主。 「たしかふぇーれんクンは、『さんぴー』ってのが苦手だったよね?」 ……さんぴー? 「ちょっと待て! 『さんぴー』どころかアレはどう見ても五体いただろ!」 「大して変わんないわよ。それに、少ないより多いほうが楽しいじゃない」 「こっちの身にもなってくれ!」 「あら、意外と体力ないのね」 「……体力以前の問題だろうが……ったたたたっ、この状況で締め付けるな!」 「ちゃんと、ごめんなさいって言ったら離してあげる」 「わかったわかった、謝るから根っこを離せ!」 あの強くてたくましいフェイレンさんが、槐公主の前だとからっきしなのが何かおかしい。 「それじゃ、キョータくんおいてくね。明日になったら取りにくるから」 「わかったわ。それじゃ、また明日ね」 「はーいっ。……キョータくん、くれぐれも失礼のないようにね」 「……はぃ」 「まあ、無駄な抵抗さえしなければ生きて明日の朝日は拝めるからな。生き延びるんだぞ」 「旦那様、発言が不穏当です」 「……そうだな。じゃあキョータくん、明日の朝会おう」 「なんだかお疲れですね」 「人生の嫌な記憶が色々と思い出されてな」 少々疲れ気味のフェイレンさんと、ご主人様、それにミコトちゃんとサーシャさんが丘を降りていく。 残されたのは俺と槐公主。 「え、えっと……」 少しおどおどしながら語りかける俺。 「あら、そんなに怖がらなくてもいいわ。そこの根っこにでも腰掛けて」 そういって、槐公主も大樹の麓に根を下ろす。 「あ、はい……」 言われるままに、その少し横に腰を下ろした。 腰を下ろした俺の膝辺りに、ぽとんと小さな果実が落ちてきた。 「それでも食べて元気出して」 「え、あ……はい、いただきます」 言われるままに、その黄金色の豆みたいな房から中身を取り出して食べる。 「甘い……」 その言葉に、槐公主が微笑む。 「おいしいでしょ」 「はい」 「ふぁりちゃん、それが好きなのよ。甘くて美味しいって」 「本当に甘いです」 「ふぇーれんクンだって、あんな態度取ってるくせにそれが大好きなのよ」 その言葉に、ちょっとした疑問をぶつけてみる。 「……あの、その」 「なぁに?」 「フェイレンさんとは、もしかして、その……」 「仲が悪いように見えた?」 「う、いえ、あの、その……」 図星を突かれて戸惑う。そんな俺を見て、槐公主が笑う。 「喧嘩するほど仲がいいのよ。ふぇーれんクンとは何でも言い合えるくらいの仲から、ああやってはしゃぎあえるの」 「……喧嘩するほど……ですか」 「そーよ。……どーせ、ふぇーれんクンのことだから、普段は真面目一辺倒な、いかにも武道家っ! みたいな感じなんでしょ」 「あ、はい……」 「だと思った。ふぇーれんクン、真面目だから。たまにははっちゃけないと潰れちゃうでしょ」 「そういうことが出来る相手が、公主様なんですか」 「たぶんね。あの、一緒にいたヒトの女の子、ふぇーれんクンの持ち物なんでしょ?」 「はい」 「旦那様って言ってたものね。いろいろ守るものが出来ると、自分を律するようになるのよ。さっき、根っこでぐるぐる巻きにしたとき、筋肉のつき方が前と違ってたもの。ああ、真面目に拳法やってんだなって」 「そう……ですね。フェイレンさんには助けられてばっかりで」 「助けられてていいのよ。ふぇーれんクンからしたら、誰かに頼ってもらえるくらいの方が嬉しいんだから」 「そういうものですか」 「私だってそうだもん。ここに来たら、みんなありのままの自分をさらけ出せるの。普段は謹厳な武道家だったり、本に埋もれて研究にいそしむ魔法使いだったり、あるいは一秒を惜しむ商人だったりが、この木の下ではみんな、ありのままの自分をさらけ出せる。そんな場所でありたいなって」 「ありのままの……俺……」 それって、どんなのだろう。 時々、自分がどのくらいまで自分のままでいるのかわからなくなってくる。 元の世界にいた頃は、今よりもっとだらしない生活してて、勉強もあまりしなかったし、友達とたわいない会話したりバカやったりして日々を過ごしていた。 今は、その頃に比べると少しは真面目に日々を生きてる。 生き延びるためと言うのもあるし、誰かに必要とされたいというのもあるし、必要にされることで捨てられずにいたいという打算もある。 あとは……ミコトちゃんやご主人様に『ダメなやつ』と思われたくないとか。 でもそれって、本当の俺なんだろうか、とか。 でももしかしたら、昔のぐーたらしてた俺が間違った姿で、今の俺の方が本当の姿なのかもしれない。 あるいは、もしかしたら、本当の俺は今よりもっと何か出来るのかもしれないとか。 ……そんなことを考えてたから、周囲に伸びてきてる木の根に気付かなかった。 「……ん? ……うわあっっ!!」 気付いたときには、とっくに手遅れ。 さっきのフェイレンさんとおなじように、全身を根っこでぐるぐる巻きにされていた。 「……大丈夫、痛くないから」 そういって、ぐるぐる巻きの俺に公主様が寄ってきて、指で頬を撫でる。 木彫り彫刻のような堅い指かと思ってたら、俺たちと同じ、柔らかい指の感触だった。 「……へぇ」 なにやら人の顔をみながら、にこにこと微笑む槐公主。 「キョータくんは、ふぁりちゃんが好きなんだ」 だしぬけにそういわれて、つんのめりそうになる。……まあ、木の根でぐるぐる巻きだからつんのめることは出来ないんだけど。 「でも、ミコトちゃんも好き。ふむふむ、これって二股っていうのかなぁ?」 「ちょっ……なにいきなり言い出すんですかっ!!!」 頭の中が真っ白になって、本能的に暴れて木の根っこから抜け出そうとするけど、フェイレンさんでもほどけなかったものが俺にほどけるわけもなくて。 「へぇ~……キョータくん純情そうに見えて、こんなこともしてるんだ~……ふむふむ」 上目遣いに俺の顔を見る槐公主。 「動かないで。いま、キョータくんの記憶をのぞいてるんだから」 「!! ちょっ、やめてくださいよっ!!」 じたばたと暴れ……たくても、ぐるぐる巻きになってるから首から上しか動かせない俺。 何を見られているのか、物凄く不安になってくる。 「ふむふむ。……これが、キョータくんのいた向こうの世界なんだ。へぇ……」 ごめんなさい、何でもするから許してください。 「ふふ、こんな本隠し持ってたんだ。やっぱり、ベッドの下がすぐに使えて便利なんだ」 ……しまった、あのベッドの下、落ちる前に片付けてなかったような……!? 「……あらあら、やっぱり男の子はみんな、えっちな本は真面目な本の間に挟んで売り場に持っていくのね。でも、そんなにきょろきょろ人目を気にしてたら逆効果なのに」 ……なんでそんな記憶ばかり見つけてくるんですか。 「ふむふむ……へぇ~……」 興味深そうな槐公主とは逆に、だんだん不安になってくる俺。 日も暮れだしてきて、なんだか物凄く孤独な気持ちになってくる。 「でも、キョータくん幸せなんだ」 そう言って、槐公主が話しかけてきた。 満月の光が付近を照らしているけど、ちょうど木陰になっている俺たちの居場所はほの暗い。 「ヒトの記憶って、時々のぞかせてもらうんだけど、ほとんどの人は寂しがってるのよ」 「寂しい……ですか」 「そうね。この世界に一人きりという孤独感、元に世界に戻れないという無力さ、あるいは誰かの奴隷と言う環境への絶望。そういうのが、誰にでもあるの」 「……おれは……?」 そう問う俺に、槐公主は笑った……ような気がした。 「キョータくんは、すごく前向きね。この世界で生きていくって意志がはっきりしてる」 「そう……ですか」 まあ、戻ったところでどうなるものでもないし。 「周囲に恵まれてるのよ。ふぁりちゃんにしても、ふぇーれんクンにしても、いい子だから。ミコトちゃととかサーシャちゃんも、いい子みたいだし」 「そうですね」 それは確かにそうだと思う。 「キョータくんは、だからこの世界で生きていくことに希望を持てるの。そして、希望を持ってるから、全てが明るく見える。それって、すごく幸せなこと」 「はい」 「そして、そういうヒトが一人いることで、周囲の人たちも幸せになっていくの」 「幸せ、ですか」 「そうよ。それでね」 「? うわあっ!?」 ぐるぐる巻きになったまま、根っこに持ち上げられる。 そして、大きな枝の上に座らされた。 根っこがほどけて、地面に戻っていく。 「え……あっ、うわわわわっ!?」 バランスを崩して、枝から落ちそうになり、慌てて幹につかまる。 「うふふっ、大丈夫?」 つかまった幹のすぐ横から生えている木の枝が、槐公主の姿になる。 そして、肩を貸すようにして俺の体を支えて、もう一度木の枝に座らせてくれる。 「ほら、見える?」 そう言って、指差す先には月光に照らされたウーアンの大外壁と、その中からの生活の光。高いところから見ると、ものすごく絶景に感じる。 「これから、キョータくんはあそこに行くのよね」 「はい」 「キョータくんには今更な話になると思うけど、どこの世界にも光はあるし、光は集まってくる人を受け入れ、照らしてくれるの。でも、自分自身が光に近づこうって気持ちがなかったら、光が自分を受け入れ、照らしてくれることにも気付かない」 「はい」 「その点、キョータくんは素直で前向きだから、自分からどんどん光の中に飛び込める。これからもそういう子でいてほしいなって、おねーさん思うわ」 「あ……ありがとうございます」 素直で前向き……自分ではそんな風に思ったことなかったけど、そういわれるとなんだか自分がいい子のように思えるから不思議だ。 「それに、えっちの時だって、すごく自分の欲望に素直じゃない」 「!!???」 急に言われて、慌てる俺。慌てた拍子にまたバランスを崩す。 「えっ、わっ、うわわわわわっ!」 そのまま、真後ろに落ちてしまう…… ぶぁさ。 「……?」 気がつくと、俺は別の木の枝が数本組み合ったような枝に落ちていた。 葉っぱがちょうどクッションになってたのか、痛みもあまりない。 「うふふふ、あわてんぼなんだから」 そういって、別の枝から出てくる公主様。 「キョータくんみたいな男の子だったら、おねーさんがんばっちゃおーかな♪」 「え? あ……ええっ?」 ぼーっとしている俺に、また絡み付いてくる木の枝。 たちまちのうちに、両手両脚を絡み取られる。 「ここだったら、誰にも見られてないから、キョータくんも無理しなくていいからね」 「って、その……えっ、あっ、ちょっと……」 「ほらほら、じたばたしないの」 動けない俺の衣服の帯を、木の枝が数本、器用に動いてほどいていく。 「え、でも、これって……あっ」 目の前の公主様も。 ちょうど木の皮のようだった、変にごつごつした衣服が消えて、裸の女性の姿になっている。 「え、あ、でもっ……」 慌てる俺。だけど目は公主様の肌に釘付けになって動かない。 月明かりに照らされた白い肌。たわわな胸とくびれた腰つきと、そしてその下……足首から下くらいが枝になってるけど、その上はヒトの女性の姿になっている。……緑色の髪は相変わらずだけど。 「ふふ、綺麗かしら?」 「えっ、あ、はい、それは、その……」 どぎまぎしながら答える俺に近づく公主様。 もとは木の枝なのかもしれないけど、俺に近づいてくるのは紛れもなくヒトの女性の姿なわけで。 「ありがと。……うふふ、もう固くなりかけてんのね」 そういって、俺の股間に手を伸ばしてくる。 「あ、いえ、その……っっ」 すこし暖かい指が、おれのそれを握る。 「ふふ、そんなに緊張しないでもいいのに」 そう言って、前後にしごく。 「っ……その、公主様、それはっ……」 「あらあら、元気元気。下の子もとてもいい子ね」 俺の足元にしゃがみこみ、息子を両手で包み込んで愛撫してくる。 「ん、くぅ、ひぃっ……」 「元気なのに敏感なんだ。じゃあ、こんなことしちゃおっかな」 そう言って、舌を這わせてくる公主様。ぬるりとした感触は、ご主人様の下よりも柔らかくて、優しい感触を伝えてくる。 「ファリィちゃんの舌も刺激的かもしれないけど、ヒトの舌も柔らかくていい感じでしょ? この姿、ヒトに似せてるのよ」 「あ、あぅ、それは……」 情けないことに、マトモな声が出てこない。 「ふふ。ほんとにかわいいんだから」 そう言って、ちゅぱちゅぱと俺の肉棒を口にくわえて弄ぶ。 「ふふ、舌だけでこんなになっちゃったら、別のところも責められたらどんなにかわいく悶えちゃうのかな♪」 後からの声。 首だけ回して後ろを見ると、いつの間にか公主様が後ろに……え? 下を見る。……公主様は俺の足元で、肉棒を加えてぴちゃぴちゃやってる。 「枝はいっぱいあるから、全部で二十人くらいは出せるのよ」 そう言って、俺の前の枝がもう一人、公主様に変化する。 「もちろん、本体の木は一本だから、ちゃあんと息の合ったえっちもできちゃうし」 ……これって、つまり……? 「キョータくん、さんぴーって経験なかったよね」 ありません。 「ふぇーれんクンも初めてだったし、意外とみんな経験ないんだ」 ……ごめんなさい、地球じゃ3Pどころか、一人の経験もありませんでした。 ご主人様とミコトちゃんなら……って、何考えてるんだ俺。 「あらあら、今イケナイこと考えたでしょ」 即座に突っ込んでくる公主様。 「もう。ほんとに素直なんだから、すぐに心が読めちゃうのよ」 「…………」 そんなことまで読まないでください。 「だあめ。相互理解が大切なんだから」 心中をことごとく読まれるというのはなにか物凄く不安になる。 「今のキョータ君の感情なんて、ぜーんぶわかっちゃうから、いくら強がっても、ここを責められたらダメってのは一目瞭然なのよ」 「…………」 お願いだから許してください。 「だめ。ワガママ禁止」 そう言って、動けない俺に襲い掛かってくる公主様。 「キョータくん、くすぐりとかは耐性ある? ……って、あるわけないわよね」 と、後からの声。 「ひゃっ! ち、ちょ、待ってくだ……あははははっ、その、そういうのは……」 わき腹をくすぐってくる指。身をよじりたいけど、上下左右前後から何本もの木の枝とか蔓とかにぐるぐる巻きにされてるから、ほとんど動けない。 ていうか、暴れて抜け出しても、いま俺がぐるぐる巻きに絡め取られてる場所だと、下に足場がないから、拘束を逃れたらそのまま墜落するしかないわけで。 「うふふ、悶えちゃってかわいい♪」 人がもがいているのをそう言って見ている、もう一人の公主様。 「キョータくんの唇って、どんな感じなのかな」 と、そういって彼女も両手で俺の顔を押さえつけて唇を重ねてくる。 「んくっ……んふ、ひょっろ、やめへふらは……」 ただでさえ枝や蔓でぐるぐる巻きに拘束されている状態で、三人ががかりで襲われると本当にどうにもならない。 「ひっ、ひぐ、んひい、いっ……」 自分でも何を言っているのかわからない。そもそも、いま自分がどんな姿で何をされているのか、頭が真っ白になってしまって何も考えられない。 そんな中で。 耐えられなくなった俺は、とうとう公主様の口の中にありったけの精をぶちまけてしまう。 「……あはは……キョータくん、たまってたんだ」 口に収まりきらずに顔についた白濁液をぬぐいながら、公主様が笑う。 三人がかりの責めからようやく解放された……んだろうけど、正直頭が混濁して何も考えられない。 「じゃ、次やるよ」 ……つぎ……? 正直、もう言葉も出ない俺。 そんな俺の状態を無視して、公主様が近くの枝から、なにやら綿菓子のようなものを折って近づいてくる。 「なに……ひゃあっ」 そしてそれを、オレの全身にすりつけてくる。 「ち、ちょっ、やめ……その、本当にっ……」 公主様が持つそれが体に触れるたびに、くすぐったいようなむずがゆいような感覚に襲われる。 その枝先についていた、なにかパウダーのようなものが汗ばんだ肌に張り付いて、妙に身体が粘つく。 そして、それがなんともいえない痒みとなって襲ってくる。 「そのっ、駄目です、それ、ひいっ……」 必死になってお願いするけど、公主様は逆に、俺のそんな姿を見て楽しんでる。 「うふふふ。暴れても無駄よ」 そういいながら、体のあちこちにその綿菓子状の枝をこすりつけてくる。 それも、くすぐるようにふわふわ、さわさわと触れてくるから、むずがゆさとくすぐったさで気が狂いそうになる。 「ごめんなさいっ、お願いします、もうやめ……」 許してもらおうにも、その声が続かない。 「やっぱり、ヒトって敏感。キョータくんの感情が、もうびんびん伝わってくるもの」 そう言いながら、まだ責める手を緩めない。 「ひいっ」 「あらあら、女の子みたい。胸を責められて悶えるなんて」 「ち、ちが……あうっ」 「違わないでしょう? ほら、こうされるととってもくすぐったい」 「ひっ、ひや、ひゃふ……」 「もう、声までそんな女の子みたいな悲鳴出しちっゃて。恥ずかしい子」 動けない俺をいいようにいたぶりながら、公主様は俺をあざ笑う。 「ほら、痒いんでしょ?」 「んあっ……」 後ろからの声。 脇の下を軽く掻くようにくすぐってくる指。 気持ちいいのとくすぐったいのが入り混じった強い刺激に耐え切れなくて、身をよじるけど、両手足の自由を奪われているから、それ以上逃げられない。 「ひぃっ、ひぃ、いゃ、いやですっ、そんな……あっ、あぅっ……」 声が勝手に漏れる。 「ふふ。このねばねば、気に入ってくれたんだ」 そういいながら、俺の前の枝から伸びている公主さまは、動けない俺の胸や腹を集中的にそれでくすぐる。 そのたびに気が狂うような刺激に襲われ、全身を痙攣させながら無意識に暴れる。 「ひぃ……ぃぃっ……」 息も出来ないような刺激がひっきりなしに俺を襲う。 「あらあら、キョータくんのおちんちん、ぴくんぴくんしてる」 「そ、そんな……その、見ないで、くださ……あぅっ」 言葉が続かない。 「この痒くてねばねばしたの、ここに塗っちゃったら、キョータくん気持ちよすぎて失神しちゃうかな」 「ひっ……そんな、その、それだけは……」 恥も外聞もなく懇願する。 今でもとても耐えられないのに、そこまでされるとたぶん本当に発狂する。 「あらあら、そんなに嫌がるなんて、本当に感じちゃってるんだ」 そう言いながらね俺を前と後から責めてくる指。 そのたびにひぃ、ひいと声にならない悲鳴しかでてこない。 「このいやらしく悶えてるのが、キョータくんの本性なのね」 公主様の声。 「ち、ちが……ちがうん……んくうっっ……」 言いかけたときに、下腹部に枝が触れる。 「何が違うのかしら。こんなに堅くさせちゃってんのに」 その声と共に、肉棒にまとわりつく粘っこいものと、じわじわとしみこんでくるような痒み。 「ひっ、ひぃ、やめ……」 全身を容赦なく攻め立ててくる痒み。 その中で肌を触れてくる指。 発狂するような苦しさの中で、公主様が言う。 「キョータくんの心の中なんて、全部読めちゃうんだよ」 そう言って、指を肌に這わせる。 「どうすれば感じちゃうか、どこが苦手か、全部わかっちゃうの。いくら強がってても、後どれくらいで限界なのかもね」 責められ続けて真っ白になった頭の中で、そんな声ばかり聞こえてくる。 「キョータくんはね、心の奥底まで丸見えになってんのよ」 その言葉に、なんだか自分がどうしようもなく惨めな立場にいることが思い知らされた。 「ふふ。みんなの前では隠してる、キョータくんのいやらしい部分も、全部私には見えちゃうの」 そう言って、指が弄ぶ。 「恥ずかしい秘密も、過去も、キョータくんは何も隠せないの」 ……それって。 なんだか、とても理不尽な気がした。 ……どうして。 俺が、ここまでされなきゃならないのか。 そんな気持ちがわいた。 縛られて。 裸にされて。 心の中まで覗かれて。 そして一方的に玩具にされて。 どうして。 それって、ひどいじゃないか。 どうして、そこまでする権利があるんだと。 人間の尊厳とか、権利とか、そういうのがあったっていいじゃないか。 どうして 人の心の奥底まで土足で踏み込んで来るんだと。 ずるい。 人の秘密を全部見ておいて、それで動けなくしてからこんなことするなんて。 卑怯だ。 一方的だ。 理不尽じゃないか。 悔しい。 それなのに、指で責められるたびに悶える自分が惨めで情けない。 そんな感情が、いろいろと入り混じって。 いつの間にか、俺は泣いていた。 なんだか、自分がどうしようもなく惨めな立場にいるんだと思い知らされた。 ご主人様も、フェイレンさんも、ミコトちゃんもサーシャさんも門前街のみんなも、俺をそれなりにまともに扱ってくれる。 だけど、所詮これが現実なんだと。 俺なんて、どうせ……モノなんだ。 一度泣き始めると、後は何も考えられなかった。 本当に、真っ白な頭でただ後から後からこみ上げてくる惨めさと悔しさと情けなさに嗚咽した。 ……ふわりと、誰かが俺を包み込むような気がした。 でも、何が起きているのかはわからない。 全身に絡みついた木の枝がほどけているような気もしたけど、もうどうでもよかった。 自分の感情のままに、ただ泣けるだけ泣いた。 …………。 どれくらい時間がたったかわからない。 泣くだけ泣いて、泣きつかれて目をうっすらと開ける。 その眼前に俺の顔を見つめる瞳。 「ごめんね」 槐公主だった。 「あ……」 はっと、我に返る。 「大丈夫。まだ夜中よ」 そう言って、俺を抱きしめる。 「その……俺の、心の中……」 もしかしたら、いや、きっと、ひどく傷つけたかもしれない。 そんな思いが脳裏をよぎる。 「大丈夫」 そう言って微笑んでくれる。 「私だけには、言えないこと言っていいの」 「…………」 「キョータくんのなかにある、もやもやとした気持ちとか、悔しかったり惨めだったり辛かったりしたこと、みんなには言えないこともあるから」 包み込んでくるような暖かい声。 「いくら頑張って、前向きになろうしたって、キョータくんは現実に人生変えられちゃったんだから、やっぱり、理不尽だったり辛かったりって気持ちはあるのが普通なの」 「…………」 「でも、キョータくんのまわりのみんなは優しいから、そういうことをぶつけられない」 「……それは」 「だから、もやもやが無意識のうちに溜まっていくの。でも、そうやって少しづつもやもやが溜まっていくといつか壊れるの」 「…………」 「ときどき、思いっきり泣いたらいいの。自分の中の苛立ちとか悔しさとか、そういうのを全部洗い流すのよ。……何も言わなくっても、私にはわかるから」 「……公主様」 「キョータくん、男の子だから強がって、我慢してるけど、まだまだ子供なんだから、本当は無理しなくてもいいの」 そういって、きゅっと抱き寄せてくる。 いつのまにか、両手足を拘束している枝葉はほどけ、俺は葉っぱと枝が合わさった柔らかいベッドのようなところに横になっている。 「ごめんね」 もう一度、公主様が謝ってくる。 「ひどいことしたの、キョータくんが嫌いだからじゃないのよ」 「……すみません、俺こそ……」 「キョータくんは謝らなくてもいいのよ。全部、私がしたことだから」 そういって、公主様は体をすこし離し、立ち上がる。 「見て」 そういって、微笑む公主様。 月明かりが左右から裸体を照らす。 よくみると、桃色の髪の毛をしている。 そして、足元ではなくその髪の毛が枝に繋がっている。 「花、なの」 「……花……?」 「そう。この姿は、この樹の花から変化した姿よ。それで、これがめしべ」 公主様は足をすこし広げると、二本の指で脚の付け根の大切な部分を左右に広げながら言う。 「あ、あの、それって……」 「キョータくんに塗った、ねばねばしたのが花粉。こうやって受粉するの」 そういいながら、また俺に体を寄せてくる。 「キョータくんは、じっとしてていいから」 そう言って、騎上位でまたがってくる。 「あ……」 きゅっと、締め付けてくる。 「動かすよ」 「あっ、はい……っ、あくっ……」 公主様が花粉と言った、粘っこい痒いもののせいで敏感になっている俺の肉棒を挟みこみ、上下に動くたびに快感が襲う。 そもそも、俺が泣き出すまでに、すでに爆発寸前まで快感を高められていたわけだから、ほんの数回動かされただけでもう限界に近づく。 「出していいのよ。何度でも、気が済むまで、キョータくんを気持ちよくしてあげる」 そう言って妖艶な笑みを見せる公主様。 「……はい……」 その夜。 俺は何度も公主様に精を放ち、そして、時々泣いて、その胸の中で甘えるように抱いてもらった。 明け方。 えんじゅの樹の付け根。 服を着て横たわる俺を、公主様が膝枕してくれている。 細い木の枝で、耳掃除をしてくれている。 「こうやってね。私が耳掃除してあげた人はみんな幸せになるのよ」 「はい……なんだか、幸せです」 かりかりと耳の奥をくすぐるような気持ちよさ。疲れきった体にちょうどいい。 「ときどきね、泣いた方がいいの」 そう言ってくる。 「人間なんて、自分で思ってるほど強くないの。強くないのに、勝手に自分で強いと決め付けて、無理するの」 「…………」 「それは、確かに人間が成長するためには大切な自己管理力なんだけど、でも無理しすぎてたら元も子もなくすのよ」 耳掃除の手を休めずに、そう話す。 「人間って、理解者が必要なの」 「人に言えないような辛い秘密を、誰かに共有してもらいたい。自分では言いたくもないほど辛い記憶だけど、何も言わなくても誰かに気付いてもらいたい。そして、誰かに理解してもらいたい」 「…………」 「それは決してわがままじゃないの。どうせ、人間なんて一人で生きて行けないんだから。一人で何もかも背負えるほど強くないんだから」 「……はい」 「私の力はね、そんな思いが託される中で身についていったものなの」 「……公主様」 「誰にもいえない、でも誰かに気付いてもらいたい、誰かに理解してもらいたい。そして誰かに助けてもらいたい。この世界に落ちてきたヒトは、みんな多かれ少なかれ、そんな部分を持っているわ。そしてそれは、ヒトだけじゃなくて」 優しい風が、どこへともなく吹き抜けてゆく。 「あの強そうな獅子の民だって、ほんとうはそんな部分があったりするのよ」 「はい」 「ふぇーれんクンなんて、アレで悩みと煩悩のかたまりなんだから。ふぇーれんクンの秘密全部ばらしたら、きっともうふぇーれんクンのこと、今までと同じようには見られないわよ」 そういっておかしそうに笑う。 「……あ、言ってるそばから」 向こうの方から、みんなが丘を登ってくるのが見えた。 「お、思ったより元気そうだな。足腰立たないと思ってたけど」 フェレインさんが笑う。 「優しい人でしたから」 そう、笑顔で答える。 「優しかったかぁ!?」 すこし驚くフェイレンさん。 「公主様は優しいんだよ。フェイレンは普段の行いが悪いから」 「悪くねえっ!」 「ほらほら、それよりみんな一列に並んで。おいしい実がなったから」 公主様がおれを含めたみんなを並べる。 「じゃ、両手前に出して。落とすよ」 そう言って、公主様が実を落とす。 一個、二個、三個、四個……終わり。 「ちょっと待て! なんで俺だけないんだっ!」 フェイレンさんがくってかかる。 「あら、ふぇーれんクンは年長者に対する敬意がないからおあずけ」 「二千年も生きてるくせにガキくさい嫌がらせするなっ!」 「ふーん……じゃ、土下座してくれたらあげなくもないわよ♪」 「できるかっ!」 相変わらずの二人だ。 「大体、いい年こいて……」 その言葉に、公主様の表情がちょっと怒り気味になる。 フェイレンさんの後ろから飛び出してくる根っこ。 それを、真横に跳びのいて避ける。 跳びのいた先に、待ち構えるように伸びてくる別の根っこ。 それを三角蹴りみたいに蹴って方向を変える。 着地したところに、上から枝が振り下ろされる。 それを背転して避けながら言う。 「ふっ、来るとわかってたら避けるのなんて簡た……」 「「危ないっ!」」 ミコトちゃんとご主人様の声。 背転して立ち上がったフェイレンさんの頭の上に、一回り大きな木の実が落ちてきた。 「~~~~っ……」 頭を押さえてうずくまるフェイレンさん。 「それ、ふぇーれんクンの分よ。ありがたく受け取りなさい」 腕組みして、槐公主が得意満面の表情で見下ろす。 「ど、どこまでも優しくねえ……」 「ふっふーんっ。どーだっ」 「くそぉ~っ……と、とりあえず今日はここまでにしておこうっ。さあ、ウーアンに急がなきゃならないからなっ」 いつもとは違うフェイレンさん。槐公主の前でしか見せられない姿なのかもしれないと思った。 「あれ、ほんとは避けられたわね」 サーシャさんが小声で話しかけてくる。 「ああやって、バカやったりはしゃいだりするのが楽しいの。普段はみんな、あんなことできないから」 きっと、そうなんだろうなと思った。 そうやって、この大きな樹はみんなを支えているんだろうと。 「よーし、ウーアンまではもう少しだ。行こうかっ」 大きな木の実を抱えて、すこし表情が晴れやかなフェイレンさん。 その後ろを、俺たちもついていった。 (後編に続く)
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資治通鑑巻第二百二十八 唐紀四十四 徳宗神武聖文皇帝三 建中四年(七八三) 1.春,正月,丁亥,隴右節度使張鎰與吐蕃尚結贊盟於清水。 1.春正月丁亥、隴右節度使の張鎰と吐蕃の尚結贊が清水で会盟した。 2.庚寅,李希烈遣其將李克誠襲陷汝州,執別駕李元平。元平,本湖南判官,薄有才藝,性疏傲,敢大言,好論兵。中書侍郎關播奇之,薦於上,以為將相之器,以汝州距許州最近,擢元平為汝州別駕,知州事。元平至州,即募工徒治城。希烈陰使壯士往應募執役,入數百人,元平不之覺。希烈遣克誠將數百騎突至城下,應募者應之於內,縛元平馳去。元平為人眇小,無須,見希烈恐懼,便液污地。希烈罵之曰:「盲宰相以汝當我,何相輕也!」以判官周晃為汝州刺史,又遣別將董待名等四出抄掠,取尉氏,圍鄭州,官軍數為所敗。邏騎西至彭婆,東都士民震駭,竄匿山谷。留守鄭叔則入保西苑。 2.庚寅、李希烈はその将李克誠を派遣して汝州を陥落させ、別駕の李元平を捕虜とした。李元平は、もとは湖南の判官で、才芸は薄かったが、性格は荒く傲慢で、大言を敢えてし、用兵を論じるのを好んだ。中書侍郎の関播はこれを優れた人物とし、将相の器たるをもってお上に推薦し、汝州が許州と隔つこと最も近いことから、李元平を抜擢して汝州別駕とし、州の事を司らせた。李元平は州に来ると、そこで工人を募って城を修繕した。李希烈は密かに勇士に往かせて募集に応じて工役にかかり、数百人を入らせたが、李元平に発覚することはなかった。李希烈は李克誠を派遣して数百騎を率いて城下に突入させ、応募者はこれに内応し、李元平を縛って馳せ去った。李元平は人となりは小男で髭がなく、李希烈を見ると恐れのあまり、大小便で地を汚した。李希烈はこれを「宰相は見る目がなくお前で私に当たらせようとしたが、なんと宰相の地位とは軽いものなのだろうか!」と罵った。判官の周晃を汝州刺史とし、また別将の董待名ら四人を派遣して掠め取らせ、尉氏州を奪取し、鄭州を包囲し、官軍はしばしば敗北した。偵察の騎兵は西は彭婆に到り、東都の士民は震駭し、ひそかに山谷に隠れた。留守の鄭叔則は西苑に入って防衛した。 上問計於盧杞,對曰:「希烈年少驍將,恃功驕慢,將佐莫敢諫止。誠得儒雅重臣,奉宣聖澤,為陳逆順禍福,希烈必革心悔過,可不勞軍旅而服。顏真卿三朝舊臣,忠直剛決,名重海內,人所信服,真其人也!」上以為然。甲午,命真卿詣許州宣慰希烈。詔下,舉朝失色。 お上は計略を盧杞に問い、盧杞は「李希烈は若い頃から驍将で、功をたのんで驕慢で、将軍や補佐があえて諫止することはありません。誠に儒雅の重臣を得て、皇帝の勅書を奉って、彼の為に逆順の禍福を述べれば、李希烈は必ず心を改めて悔い改め、軍事を労せず服属するでしょう。顔真卿は三朝の旧臣で、忠直かつ剛決で、名は海内に重んじられ、人が心服するところは、真にその人なのです!」と答えた。お上はそうだと思った。甲午、顔真卿に命じて許州にて李希烈の慰撫を命じた。朝廷をあげて顔色がかわった。 真卿乘驛至東都,鄭叔則曰:「往必不免,宜少留,須後命。」真卿曰:「君命也,將焉避之!」遂行。李勉表言:「失一元老,為國家羞,請留之。」又使人邀真卿於道,不及。真卿與其子書,但敕以「奉家廟,撫諸孤」而已。至許州,欲宣詔旨,希烈使其養子千餘人環繞慢罵,拔刃擬之,為將剸啖之勢。真卿足不移,色不變。希烈遽以身蔽之,麾衆令退,館真卿而禮之。希烈欲遣真卿還,會李元平在座,真卿責之,元平慚而起,以密啟白希烈。希烈意遂變,留真卿不遣。 顔真卿は駅路にて東都に到り、鄭叔則は、「行けば絶対に免れません。しばらく留まって、後命を待つべきです」と言ったが、顔真卿は、「君命です。どうしてこれを避けられましょうか!」と言い、ついに行った。李勉は上表して、「一元老を失えば、国家の恥となります。留めることを願います」と述べた。また人をつかわして顔真卿を道に迎えたが、及ばなかった。顔真卿とそのに書して、ただ勅があるから、「家廟を奉って、孤児たちを養育しなさい」とあるだけであった。許州に到り、詔旨を宣り給おうとしたが、李希烈はその養子千人あまりに囲ませて慢罵させ、刃を抜いておどし、まさに唾を吐こうとする勢があった。顔真卿は移動せず、顔色は変わらなかった。李希烈はにわかに身をもってかばい、軍に指示して退かせ、顔真卿に館を与えて礼遇した。李希烈は顔真卿を帰還させようとしたが、たまたま李元平が同座しており、顔真卿は責めたから、李元平は恥じて席をたち、密かに李希烈に申し上げた。李希烈の遂に心変わりし、顔真卿を留めて帰還させなかった。 朱滔、王武俊、田悅、李納各遣使詣希烈,上表稱臣,勸進。使者拜舞於希烈前,説希烈曰:「朝廷誅滅功臣,失信天下。都統英武自天,功烈蓋世,已為朝廷所猜忌,將有韓、白之禍,願亟稱尊號,使四海臣民知有所歸。」希烈召顏真卿示之曰:「今四王遣使見推,不謀而同,太師觀此事勢,豈吾獨為朝廷所忌無所自容邪!」真卿曰:「此乃四凶,何謂四王!相公不自保功業,為唐忠臣,乃與亂臣賊子相從,求與之同覆滅邪!」希烈不悅,扶真卿出。他日,又與四使同宴,四使曰:「久聞太師重望,今都統將稱大號而太師適至,是天以宰相賜都統也。」真卿叱之曰:「何謂宰相!汝知有罵安祿山而死者顏杲卿乎?乃吾兄也。吾年八十,知守節而死耳,豈受汝曹誘脅乎!」四使不敢復言。希烈乃使甲士十人守真卿於館舍,掘坎於庭,云欲坑之。真卿怡然,見希烈曰:「死生已定,何必多端!亟以一劍相與,豈不快公心事邪!」希烈乃謝之。 朱滔・王武俊・田悦・李納はそれぞれ使者を派遣して李希烈のもとに到り、上表して臣と称し、励まし促した。使者は李希烈の前で拝舞し、李希烈に、「朝廷は功臣を誅滅し、天下の信を失いました。都統(李希烈)は英武なこと天をおおい、功績は当代を圧倒していますが、すでに朝廷の猜忌のために、名将でありながら誅殺された韓信・白起の禍を受けようとしています。願わくばしばらく尊号を称され、四海の臣民をして知らしめば帰順するところとなりましょう」と説き、李希烈は顔真卿を召してこれを示して、「今、四王が使者を派遣してすすめてきたが、謀らずも同じことを言っている。太師はこの事勢をみて、どうして私一人が朝廷のために嫌われて自らを受け入れるところがないのだろうか!」と言うと、顔真卿は、「この四凶をどうして四王と言うのか!相公は自ら功業を保たず、唐忠臣となったのに、乱臣・賊子とともに互いに従い、これとともに同じく覆滅を求めないのか!」と言ったから、李希烈は喜ばず、顔真卿を助け起こして出した。他日、また四使とともに宴し、四使は、「久しく太師の重望を聞いていますが、今、都統はまさに大号を称して太師が適所に至れば、天が宰相を都統に賜ったということになります」と言ったが、顔真卿はこれを叱って、「どうして宰相というのか!お前は安禄山を罵って死んだ顔杲卿を知っているか?私の兄だ。私は年八十だが、守節を知って死ぬのみだ。どうしてお前の脅し誘いなんぞ受けようか!」と言い、四使はあえて二言を告げなかった。李希烈はそこで甲士十人をして顔真卿を館舎で守らせ、穴を庭に掘り、穴埋めしようと言わせた。顔真卿は喜んで、李希烈を見て、「死生すでに定まった。どうしてせかせかしようか!しばらく一剣にまみえれば、どうして公の心の事を不快としようか!」と言ったから、李希烈は謝った。 3.戊戌,以左龍武大將軍哥舒曜為東都、汝州節度使,將鳳翔、邠寧、涇原、奉天、好畤行營兵萬餘人討希烈,又詔諸道共討之。曜行至郟城,遇希烈前鋒將陳利貞,撃破之。希烈勢小沮。曜,翰之子也。 3.戊戌、左龍武大将軍の哥舒曜を東都・汝州節度使とし、鳳翔・邠寧・涇原・奉天を率いさせ、好畤行営兵一万人あまりで李希烈を撃たせた。また諸道に詔して共にこれを討たせた。哥舒曜は郟城に行き、李希烈の先鋒の将軍の陳利貞に遭遇し、これを撃破し、李希烈の勢はやや阻まれた。哥舒曜は哥舒翰の子である。 希烈使其將封有麟據鄧州,南路遂絕,貢獻、商旅皆不通。壬寅,詔治上津山路,置郵驛。 李希烈はその将の封有麟に鄧州を守らせ、南路は遂に途絶し、貢献・商旅はすべて不通となった。壬寅、詔して上津山路を治めさせ、郵駅を設置した。 4.二月,戊申朔,命鴻臚卿崔漢衡送區頰贊還吐蕃。 4.二月戊申朔、鴻臚卿の崔漢衡に命じて区頬賛を吐蕃に送還させた。 5.丙寅,以河陽三城、懷、衛州為河陽軍。 5.丙寅、河陽三城と懐州・衛州を河陽軍とした。 6.丁卯,哥舒曜克汝州,擒周晃。 6.丁卯、哥舒曜が汝州にて勝利し、周晃を捕虜とした。 7.三月,戊寅,江西節度使曹王皋敗李希烈將韓霜露於黄梅,斬之。辛卯,拔黄州。時希烈兵柵蔡山,險不可攻。皋聲言西取蘄州,引舟師溯江而上,希烈之將引兵循江隨戰。去蔡山三百餘里,皋乃復放舟順流而下,急攻蔡山,拔之。希烈兵還救之,不及而敗。皋遂進拔蘄州,表伊慎為蘄州刺史,王鍔為江州刺史。 7,三月戊寅、江西節度使の曹王李皋が李希烈の将韓霜露を黄梅で破ってこれを斬った。辛卯、黄州を陥落させた。その時、李希烈の兵は蔡山を砦とし、険難で攻めることができなかった。李皋は西は蘄州を奪取すると声明し、水軍を率いて江を遡上し、李希烈の将も兵を率いて江にしたがって戦った。蔡山を去ること三百里あまり、李皋はそこでまた舟を放って流れにしたがって下り、蔡山を急襲してこれを陥落させた。李希烈の兵は戻って救援したが、及ばず敗れた。李皋は遂に進撃して蘄州を陥落させ、上表して伊慎を蘄州刺史とし、王鍔を江州刺史とした。 8.淮寧都虞侯周曾、鎮遏兵馬使王玢、押牙姚憺、韋清密輸款於李勉。李希烈遣曾與十將康秀琳將兵三萬攻哥舒曜,至襄城,曾等密謀還軍襲希烈,奉顏真卿為節度使,使玢、憺、清為內應。希烈知之,遣別將李克誠將騾軍三千人襲曾等,殺之,並殺玢、憺及其黨。甲午,詔贈曾等官。始。韋清與曾等約,事洩不相引,故獨得免。清恐終及禍,説希烈請詣朱滔乞師,希烈遣之,行至襄邑,逃奔劉洽。希烈聞周曾等有變,閉壁數日。其黨寇尉氏、鄭州者聞之,亦遁歸。希烈乃上表歸咎於周曾等,引兵還蔡州,外示悔過從順,實待朱滔等之援也。置顏真卿於龍興寺。丁酉,荊南節度使張伯儀與淮寧兵戰於安州,官軍大敗,伯儀僅以身免,亡其所持節。希烈使人以其節及俘馘示顏真卿。真卿號慟投地,絕而復甦,自是不復與人言。 8.淮寧都虞侯の周曾、鎮遏兵馬使の王玢、押牙の姚憺、韋清は密かに書簡を李勉に送った。李希烈は周曾と十将の康秀琳を派遣して兵三万を率いて哥舒曜を攻撃し、襄城に到ったが、周曾らは密かに謀って軍を返して希烈を襲撃し、顔真卿を節度使にし、王玢・姚憺・韋清は内応した。李希烈はこれを知って、別将の李克誠を派遣して騎兵三千人を率いて周曾らを襲撃して殺し、あわせて王玢・姚憺およびその余党を殺した。甲午、詔して周曾らに官を贈った。それより以前、韋清と周曾らは盟約し、事が洩れても引っ張り合いをせず、そのため一人だけ免れた。韋清は禍が及ぶことを恐れ,李希烈を説得して朱滔の援軍を要請することを願ったから、李希烈は派遣した。行って襄邑まで到ると、劉洽のもとに逃走した。李希烈は周曾ら変をおこそうとしたのを聞いて、数日引き篭もった。その余党は尉氏州を攻撃したが、鄭州の者はこれを聞いて、また逃げ帰った。李希烈はそこで上表して咎を周曾らになすりつけ、兵を率いて蔡州に帰還した。外部には悔過従順を示したが、実は朱滔らの援軍を待っていた。顔真卿を龍興寺に置いた。丁酉、荊南節度使の張伯儀と淮寧の兵が安州で戦い、官軍は大敗し、張伯儀はわずかに身をもって免れ、その所有していた持節を失った。李希烈は人を遣わしてその持節および捕虜や首級を顔真卿に見せた。顔真卿は慟哭して身を地に投げ、息絶えたがまた甦り、これより人に言を与えなかった。 9.夏,四月,上以神策軍使白志貞為京城召募使,募禁兵以討李希烈。志貞請諸嘗為節度、觀察、都團練使者,不問存沒,並勒其子弟帥奴馬自備資裝從軍,授以五品官。貧者甚苦之,人心始搖。 9.夏四月、お上は神策軍使白志貞を京城召募使とし、禁軍兵を募って李希烈を討伐させた。白志貞はおよそかつて節度、観察、都団練使であった者で、生き死にを問わず、あわせてその子を記録して奴や馬を率いて自ら軍資や装備を備えて従軍させ、五品官を授けた。貧者は非常にこれに苦み、人心は初めて揺らいだ。 10.上命宰相、尚書與吐蕃區頰贊盟於豐邑裡,區頰贊以清水之盟,疆場未定,不果盟。己未,命崔漢衡入吐蕃,決於贊普。 10.お上は宰相に命じて、尚書と吐蕃区頰賛で豊邑の中で会盟させた。区頰賛は清水の盟で、境界が定まっていないから会盟は果たせなかった。己未、崔漢衡に命じて吐蕃に入らせ、賛普と会盟を決した。 11.庚申,加永平、宣武、河陽都統李免淮西招討使,東都、汝州節度使哥舒曜為之副,以荊南節度使張伯儀為淮西應援招討使,山南東道節度使賈耽、江西節度使曹王皋為之副。上督哥舒曜進兵,曜至穎橋,遇大雨,還保襄城。李希烈遣其將李光輝攻襄城,曜撃卻之。 11.庚申、永平・宣武・河陽都統の李免に淮西招討使を加え、東都・汝州節度使の哥舒曜を副とし、荊南節度使の張伯儀を淮西応援招討使とし、山南東道節度使の賈耽、江西節度使の曹王李皋を副とした。上は哥舒曜を催促して兵を進ませ、哥舒曜は穎橋に至ったが、大雨にあい、戻って襄城を防衛した。李希烈はその将李光輝を経県して襄城を攻撃したが、哥舒曜は迎撃して撃退した。 12.五月,乙酉,穎王璬薨。 12.五月乙酉、穎王璬が薨じた。 13.乙未,以宣武節度使劉洽兼淄青招討使。 13.乙未、宣武節度使の劉洽に淄青招討使を兼任させた。 14.李晟謀取涿、莫二州,以絕幽、魏往來之路,與張孝忠之子升雲圍朱滔所署易州刺史鄭景濟於清苑,累月不下。滔以其司武尚書馬寔為留守,將歩騎萬餘守魏營,自將歩騎萬五千救清苑。李晟軍大敗,退保易州。滔還軍瀛州,張升雲奔滿城。會晟病甚,引軍還保定州。 14.李晟は涿州・莫州の二州を奪取しようとし、幽州・魏州への往来の道を断絶し、張孝忠の子の張升雲とともに朱滔を包囲し、易州刺史の鄭景を任命して清苑を助けたが、数ヶ月しても降せなかった。朱滔はその司武尚書の馬寔を留守とし、歩騎一万人あまりを率いて魏営を守り、自ら歩騎一万五千人を率いて清苑を救援した。李晟の軍は大敗し、退却して易州を防衛した。朱滔は軍を瀛州に戻し、張升雲は満城に逃げた。たまたま李晟は病が重く、軍を引き返して定州を防衛した。 王武俊以滔既破李晟,留屯瀛州,未還魏橋,遣其給事中宋端趣之。端見滔,言頗不遜,滔怒,使謂武俊曰:「滔以熱疾,暫未南還,大王二兄遽有云云。滔以救魏博之故,叛君棄兄,如脫屣耳。二兄必相疑,惟二兄所為!」端還報,武俊自辨於馬寔,寔以状白滔,言:「趙王知宋端無禮於大王,深加責讓,實無他志。」武俊亦遣承令官鄭和隨寔使者見滔,謝之。滔乃悅,相待如初。然武俊以是益恨滔矣。 王武俊は朱滔がすでに李晟を破ったから、留って瀛州に駐屯し、いまだ魏橋に戻らなかった。その給事中の宋端を派遣して赴かせた。宋端は朱滔に謁見すると、言葉はかなり不遜であったから朱滔は怒り、使者に王武俊に対して、「朱滔は熱病であり、しばらく南に帰還しないが、大王は二兄のせいだと言ってます。朱滔は魏博を救援するため、君に叛き兄を棄てることは履物を脱ぎ捨てるようでした。二兄は必ず互いに疑っていますが、これは二兄のせいであると!」宋端は戻って報告し、王武俊は自ら馬寔に弁解し、馬寔を介して始末を朱滔に申し立てた。「趙王は宋端の大王への無礼を知り、深く譴責を加えています。本当に他意はありません」と言い、王武俊はまた承令官の鄭和を派遣して馬寔の使者に従って朱滔に謁見して謝罪した。朱滔はそこで喜び、応対ははじめのようであった。しかし王武俊はこのためますます朱滔を恨んだ。 六月,李抱真使參謀賈林詣武俊壁詐降。武俊見之。林曰:「林來奉詔,非降也。」武俊色動,問其故,林曰:「天子知大夫宿著誠效,及登壇之日,撫膺顧左右曰:『我本徇忠義,天子不察。』諸將亦嘗共表大夫之志。天子語使者曰:『朕前事誠誤,悔之無及。朋友失意,尚可謝,況朕為四海之主乎。』」武俊曰:「僕胡人也,為將尚知愛百姓,況天子,豈專以殺人為事乎!今山東連兵,暴骨如莽,就使克捷,與誰守之!僕不憚歸國,但已與諸鎮結盟。胡人性直,不欲使曲在己。天子誠能下詔赦諸鎮之罪,僕當首唱從化。諸鎮有不從者,請奉辭伐之。如此,則上不負天子,下不負同列,不過五旬,河朔定矣。」使林還報抱真,陰相約結。 六月、李抱真は参謀の賈林に王武俊が立て籠もっているところに派遣して偽って降伏させた。王武俊は謁見すると、賈林は「賈林は詔を奉って来たのであって、降伏に来たのではありません」と言った。王武俊は顔色が変わり、その理由を聞いた。賈林は、「天子は大夫が心に忠誠心を宿していて、登壇の日に嘆息して左右の者を顧みて、「私はもとは忠義を唱えているが、天子は察しない」と言っていたのを知り、諸将もまたかつて共に大夫の志を上表しました。天子は使者に、「朕は前に誠心を誤り、これを悔いても悔いきれない。朋友は心を失い、なお謝らなければならない。ましてや朕は四海の主なのだから」語っています」王武俊は、「僕は胡人である。将軍となってもなお百姓を愛することを知っている。ましてや天子は、どうして殺人によって仕えるのだろうか!今、山東は交戦して、骨があらわれることは草むらのようであり、勝利をおさめたところで、誰がこれを守るのだろうか!僕は憚らずに帰国したが、ただすでに諸鎮と盟を結んでいる。胡人は性格が実直で、物事を曲げてでも己に私有することを欲しない。天子は本当に詔を下して諸鎮の罪を赦すことができれば、僕はただちに先頭にたって帰順するよう唱えよう。諸鎮で従わない者がいれば、上表して討伐を願い出よう。このように、上は天子を負わず、下は同列に負わず、五十日もしないうちに河朔を平定するだろう」と言い、賈林に戻らせて李抱真に報告させ、密かに互いに盟約を結んだ。 15.庚戌,初行稅間架、除陌錢法。時河東、澤潞、河陽、朔方四軍屯魏縣,神策、永平、宣武、淮南、浙西、荊南、江泗、沔鄂、湖南、黔中、劍南、嶺南諸軍環淮寧之境。舊制,諸道軍出境,則仰給度支。上優恤士卒,毎出境,加給酒肉,本道糧仍給其家。一人兼三人之給,故將士利之。各出軍才逾境而止,月費錢百三十餘萬緡,常賦不能供。判度支趙贊乃奏行二法:所謂稅間架者,毎屋兩架為間,上屋稅錢二千,中稅千,下稅五百,吏執筆握算,入人室廬計其數。或有宅屋多而無它資者,出錢動數百緡。敢匿一間,杖六十,賞告者錢五十緡。所謂除陌錢者,公私給與及賣買,毎緡官留五十錢,給它物及相貿易者,約錢為率。敢隱錢百,杖六十,罰錢二千,賞告者錢十緡,其賞錢皆出坐事之家。於是愁怨之聲,盈於遠近。 15.庚戌、はじめて間架税・除陌銭の法を行った。当時、河東・沢潞・河陽・朔方の四軍は魏県に駐屯し、神策・永平・宣武・淮南・浙西・荊南・江泗・沔鄂・湖南・黔中・剣南・嶺南の諸軍は淮寧の境を取り巻いた。旧制では、諸道の軍が境を出れば、度支の給付を申請した。お上は士卒に賜い、境を出るごとに、酒肉の給付を加えられ、本道の糧食はその家に給付された。一人は三人の給を兼ね、そのため将兵はこれに利益を得た。それぞれ軍が出ればわずかに境を越えるだけで停止し、月費は銭百三十万緡あまりとなり、常賦は供給することができなかった。判度支の趙賛はそこで奏上して二法を行い、所謂間架税は、家ごとの二架の間をはかって、上屋は税銭二千、中は税千、下は税五百とし、官吏が筆を持って計算し、人の家の中に入ってその数を数えた。あるいは家屋が多くあって、他に資財がない者は、銭を数百緡出させた。一間を隠すごとに杖六十とし、密告者には賞として銭五十緡を与えた。いわゆる除陌銭は、公私の給付および売買において、一緡ごとに官に五十銭を税とし、他の物および相互の貿易においては、銭を一定の率を約した。銭百を隠す者は杖六十とし、罰銭二千とし、密告者には賞として銭十緡を与え、その賞銭はすべて事に連座した家から出させたから、ここに怨嗟の声が遠近にあふれた。 16.丁卯,徙郴王逾為丹王,鄜王遘為簡王。 16.丁卯、郴王逾を移して丹王とし、鄜王遘を簡王とした。 17.庚午,答蕃判官監察御史於于頔吐蕃使者論剌沒藏至自青海,言疆場已定,請遣區頰贊歸國。秋,七月,甲申,以禮部尚書李揆為入蕃會盟使。壬辰,詔諸將相與區頰贊盟於城西。李揆有才望,盧杞惡之,故使之入吐蕃。揆言於上曰:「臣不憚遠行,恐死於道路,不能達詔命!」上為之惻然,謂杞曰:「揆無乃太老!」對曰:「使遠夷,非諳練朝廷故事者不可。且揆行,則自今年少於揆者,不敢辭遠使矣。」 17.庚午、答蕃判官監察御史の于頔と吐蕃使者の論剌没蔵は青海より到り、境界がすでに定ったことを言い、区頬賛の派遣を願って帰国した。秋七月甲申、礼部尚書の李揆を入蕃会盟使とした。壬辰、諸将に詔して区頬賛と城西で会盟した。李揆は才望があり、盧杞はこれを憎んだ。そのため使が吐蕃に入った。李揆はお上に、「臣は遠くに行くことははばかりませんが、おそらく道路で死んで、詔命を達することができないでしょう!」お上は溜め息をついて、盧杞に「李揆は太老でないのか!」と言ったが、「遠く夷に使するのに、朝廷の故事に慣れて諳んじられないものは駄目です。また李揆が行けば、これからは李揆より年少の者は、あえて遠使を辞退することはないでしょう」と答えた。 18.八月,丁未,李希烈將兵三萬圍哥舒曜於襄城,詔李勉及神策將劉德信將兵救之。乙卯,希烈將曹季昌以隨州降,尋復為其將康叔夜所殺。 18.八月丁未、李希烈は兵三万を率いて哥舒曜を襄城で包囲した。李勉および神策将の劉徳信に詔して兵を率いて救援させた。乙卯、李希烈は曹季昌を率いて随州とともに降伏し、ついでまたその将の康叔夜を殺害した。 19.初,上在東宮,聞監察御史嘉興陸贄名,即位,召為翰林學士,數問以得失。時兩河用兵久不決,賦役日滋,贄以兵窮民困,恐別生內變,乃上奏,其略曰:「克敵之要,在乎將得其人;馭將之方,在乎操得其柄。將非其人者,兵雖衆不足恃;操失其柄者,將雖材不為用。」又曰:「將不能使兵,國不能馭將,非止費財玩寇之弊,亦有不戢自焚之災。」又曰:「今兩河、淮西為叛亂之帥者,獨四五凶人而已。尚恐其中或傍遭詿誤,內蓄危疑。蒼黄失圖,勢不得止。況其餘衆,蓋並脅從,苟知全生,豈願為惡!」又曰:「無紓目前之虞,或興意外之患。人者,邦之本也。財者,人之心也。其心傷則其本傷,其本傷則枝幹顛瘁矣。」又曰:「人搖不寧,事變難測,是以兵貴拙速,不尚巧遲。若不靖於本而務救於末,則救之所為,乃禍之所起也。」又論關中形勢,以為:「王者蓄威以昭德,偏廢則危;居重以馭輕,倒持則悖。王畿者,四方之本也。太宗列置府兵,分隸禁衛,大凡諸府八百餘所,而在關中者殆五百焉。舉天下不敵關中之半,則居重馭輕之意明矣。承平漸久,武備浸微,雖府衛具存而卒乘罕習。故祿山竊倒持之柄,乘外重之資,一舉滔天,兩京不守。尚賴西邊有兵,諸牧有馬,毎州有糧,故肅宗得以中興。乾元之後,繼有外虞,悉師東討,邊備既弛,禁戒亦空,吐蕃乘虚,深入為寇,故先皇帝莫與為御,避之東遊。是皆失居重馭輕之權,忘深根固柢之慮。內寇則汧、函失險,外侵則汧、渭為戎。於斯之時,雖有四方之師,寧救一朝之患,陛下追想及此,豈不為之寒心哉!今朔方、太原之衆,遠在山東;神策六軍之兵,繼出關外。儻有賊臣啖寇,黠虜覷邊,伺隙乘虚,微犯亭障,此愚臣所竊憂也。未審陛下其何以御之!側聞伐叛之初,議者多易其事,僉謂有征無戰,役不逾時,計兵未甚多,度費未甚廣,於事為無擾,於人為不勞;曾不料兵連禍拏,變故難測,日引月長,漸乖始圖。往歲為天下所患,鹹謂除之則可致昇平者,李正己、李寶臣、梁崇義、田悅是也。往歲謂國家所信,鹹謂任之則可除禍亂者,朱滔、李希烈是也。既而正己死,李納繼之;寶臣死,惟岳繼之;崇義卒,希烈叛;惟岳戮,朱滔攜。然則往歲之所患者,四去其三矣,而患竟不衰;往歲之所信者,今則自叛矣,而餘又難保。是知立國之安危在勢,任事之濟否在人。勢苟安,則異類同心也;勢苟危,則舟中敵國也。陛下豈可不追鑒往事,惟新令圖,修偏廢這柄以靖人,復倒持之權以固國!而乃孜孜汲汲,報思勞神,徇無巳之求,望難必之效乎!今關輔之間,征發已甚,宮苑之內,備衛不全。萬一將帥之中,又如朱滔、希烈,或負固邊壘,誘致豺狼,或竊發郊畿,驚犯城闕,此亦愚臣所竊為憂者也,夫審陛下復何以備之!陛下儻過聽愚計,所遣神策六軍李晟等及節將子弟,悉可追還。明敕涇、隴、邠,寧,但令嚴備封守,仍雲更不征發,使知各保安居。又降德音,罷京城及畿縣間架等雜稅,則冀已輸者弭怨,見處者獲寧,人心不搖,邦本自固。」上不能用。 20.壬戌,以汴西運使崔縱兼魏州四節度都糧料使。縱,渙之子也。 20.壬戌、汴西運使の崔縦を魏州四節度都糧料使に兼任させた。崔縦は崔渙の子である。 21九月,丙戌,神策将劉徳信、宣武将唐漢臣與淮寧将李克誠戦,敗於滬澗。時李勉遣漢臣將兵萬人救襄城,上遣徳信帥諸将家應募者三千人助之。勉奏:「李希烈精兵皆在襄城,許州空虚,若襲許州,則襄城圍自解。」遣二将趣許州,未至數十里,上遣中使責其違詔,二将狼狽而返,無復斥候。克誠伏兵邀之,殺傷大半。漢臣奔大梁,德信奔汝州。希烈遊兵剽掠至伊闕。勉復遣其将李堅帥四千人助守東都,希烈以兵絶其後,堅軍不得還。汴軍由是不振,襄城益危。 21.九月、丙戌、神策軍の将の劉徳信、宣武軍の唐漢臣と淮寧軍の将李克誠が戦い、滬澗に敗れた。当時李勉は唐漢臣の将兵一万人を派遣して襄城を救援させた。お上は劉徳信を派遣して諸将家を率いて応募した者三千人で救援させた。李勉は上奏して、「李希烈の精兵はすべて襄城にあり、許州は空っぽです。もし許州を襲撃すれば、襄城の包囲は自然と解けるでしょう」二将を派遣して許州に赴かせたが、数十里も至らないうちに、お上は中使を派遣してその違詔を責めたから、二将は狼狽して引き返し、再度斥候を出さなかった。李克誠は伏兵でこれを迎撃し、大半を殺傷した。唐漢臣は大梁に逃げ、劉徳信は汝州に逃げた。李希烈の遊兵は掠め取って伊闕に至った。李勉はまたその将李堅を派遣して四千人を率いて東都を救援させ、李希烈は兵でその背後を絶って、軍を固めて帰還させなかった。汴軍はそのため不利となり、襄城はますます危くなった。 22上以諸軍討淮寧者不相統壹,庚子,以舒王謨為荊襄等道行營都元帥,更名誼。以戸部尚書蕭復為長史,右庶子孔巣父為左司馬,諫議大夫樊澤為右司馬,自餘將佐皆選中外之望。未行,會涇師作亂而止。復,嵩之也;巣父,孔子三十七世孫也。 22.お上は諸軍で淮寧を討伐させたが、互いに統一していなかった。庚子、舒王謨を荊襄等道行営都元帥とし、さらに誼と名づけた。戸部尚書の蕭復を長史とし、右庶子の孔巣父を左司馬とし、諫議大夫の樊沢を右司馬とし、そのほかの将佐はみな皆選中外の衆望がある者を選んだ。いまだ行われる前に、涇州の軍が反乱を起こしたから止んだ。蕭復は蕭嵩の孫であり、孔巣父は孔子の三十七世の孫である。 23.上發涇原等諸道兵救襄城。冬,十月,丙午,涇原節度使姚令言將兵五千至京師。軍士冒雨,寒甚,多攜子弟而來,冀得厚賜遺其家,既至,一無所賜。丁未,發至滻水,詔京兆尹王滻犒師,惟糲食菜啖。衆怒,蹴而覆之,因揚言曰:「吾輩將死於敵,而食且不飽,安能以微命拒白刃邪!聞瓊林、大盈二庫,金帛盈溢,不如相與取之。」乃擐甲張旗鼓噪,還趣京城。令言入辭,尚在禁中,聞之,馳至長樂阪,遇之。軍士射令言,令言抱馬鬣突入亂兵,呼曰:「諸君失計!東征立功,何患不富貴,乃為族滅之計乎!」軍士不聽,以兵擁令言而西。上遽命賜帛,人二匹。衆益怒,射中使。又命中使宣慰,賊已至通化門外,中使出門,賊殺之。又命出金帛二十車賜之。賊已入城,喧聲浩浩,不復可遏。百姓狼狽駭走,賊大呼告之曰:「汝曹勿恐,不奪汝商貨僦質矣!不稅汝間架陌錢矣!」上遣普王誼、翰林學士姜公輔出慰諭之。賊已陳於丹鳳門外,小民聚觀者以萬計。 23.お上は涇原等の諸道兵を発して襄城を救援させることとした。冬十月丙午、涇原節度使の姚令言は兵五千を率いて京師に到った。兵士は雨をおかして寒さは厳しかった。多くが子弟とともに来て、厚い賜物を得てその家に残すことを願ったが、すでに来たにも関わらず、一つも賜うところはなかった。丁未、出発して滻水に到り、京兆尹の王滻に詔して軍を労わせたが、ただ粗食を食わせただけだった。軍は怒り、蹴って引っくり返し、そこで声を大にして、「我らはまさに敵地に死なんとしているが、食は満足ではない。どうして卑しい命で白刃を防ぐことができようか!聞けば瓊林・大盈の二倉庫は、金や絹が溢れているというが、相互に奪うにこしたことがない」と述べ、そこで甲冑を着て旗を立て鼓を鳴らし、戻って京城に赴いた。姚令言は辞を述べようと、なおも禁中にいたが、これを聞いて、馳せて長楽阪に到ってこれと遇った。兵士は姚令言を射て、姚令言は馬のたてがみに抱きついて乱兵に突入し、「諸君らは計を失った!東征して功を立てるのに、何の患いがあって富貴とならず、族滅の計となるのか!」と叫んだが、兵士は聞かず、兵は姚令言を擁して西行した。上はにわかに一人二匹の帛を賜うよう命じた。衆はますます怒り、中使を射た。また中使に命じて宣慰させたが、賊はすでに通化門外に到っており、中使は門を出ると賊に殺された。また命じて金帛二十車を出してこれを賜った。賊すでに入城し、喧騒が広がって、再び留めることができなかった。百姓は狼狽して逃げ走ったが、賊は大いに叫んで、「お前たちは恐れてはならない。お前たちの商売や就業を奪わない!不稅お前たちに間架・陌銭を税としない!」と言い、上は普王誼・翰林学士の姜公輔を遣わして出て説諭した。賊はすでに丹鳳門外に陣をはり、小民で集まって見る者は一万人を数えた。 初,神策軍使白志貞掌召募禁兵,東征死亡者志貞皆隱不以聞,但受市井富兒賂而補之,名在軍籍受給賜,而身居市廛為販鬻。司農卿段秀實上言:「禁兵不精,其數全少,卒有患難,將何待之!」不聽。至是,上召禁兵以御賊,竟無一人至者。賊已斬關而入,上乃與王貴妃、韋淑妃、太子、諸王、唐安公主自苑北門出,王貴妃以傳國寶系衣中以從。後宮諸王、公主不及從者什七八。 それより以前、神策軍使の白志貞は禁兵の応募をつかさどり、東征の死亡者は白志貞が皆隠して上聞しなかったが、ただし市井の富児の賄賂を受けてこれを補い、名は軍籍にあって給付を受け、身は市井にあって商いをしていた。司農卿の段秀実は上言して、「禁兵に精なく、その数は全くもって少なく、ついに艱難となり、まさにどうしてこれを待つのでしょうか!」と言ったが、聴き入れられず、ここに到って、お上は禁兵を召して賊を御そうとしたが、ついに一人も来る者がなかった。賊はすでに関を切って入り、お上はそこで王貴妃、韋淑妃、太子、諸王、唐安公主とともに苑北の門より出て、王貴妃は伝国の宝を衣の中に縫って従った。後宮・諸王、公主で従わなかった者は十人中、七・八人に及んだ。 初,魚朝恩既誅,宦官不復典兵,有竇文場、霍仙鳴者,嘗事上於東宮,至是,帥宦官左右僅百人以從,使普王誼前驅,太子執兵以殿。司農卿郭曙以部曲數十人獵苑中,聞蹕,謁道左,遂以其衆從。曙,曖之弟也。右龍武軍使令狐建方教射於軍中,聞之,帥麾下四百人從,乃使建居後為殿。 それより以前、魚朝恩はすでに誅殺され、宦官は再び兵を司ることはなかった。竇文場・霍仙鳴は、かつてお上が東宮時代に仕えたが、ここに到って、宦官の左右僅か百人ばかりを率いて従い、普王誼をして前駆させ、太子は兵を率いて殿(しんがり)となった。司農卿の郭曙は部曲数十人で苑中に猟し、警蹕の声を聞いて、道を左に謁し、ついにその衆とともに従った。郭曙は郭曖の弟である。右龍武軍使の令狐建は弓を軍中に教えるところであったが、これを聞いて、麾下四百人を率いて従い、そこで令狐建の住居の背後を宮殿とした。 姜公輔叩馬言曰:「朱訿嘗為涇帥,坐弟滔之故,廢處京師,心嘗怏怏。臣嘗謂陛下既不能推心待之,則不如殺之,毋貽後患。今亂兵若奉以為主,則難制矣。請召使從行。」上倉猝不暇用其言,曰:「無及矣!」遂行。夜至咸陽,飯數匕而過。時事出非意,群臣皆不知乘輿所之。盧杞、關播逾中書垣而出。白志貞、王翃及御史大夫於頎、中丞劉從一、戸部侍郎趙贊、翰林學士陸贄、吳通微等追及上於咸陽。頎,□之從父兄弟;從一,齊賢之從孫也。 姜公輔が馬を叩いて、「朱訿はかつて涇州の帥であったが、弟の朱滔に連座したため、廃されて京師に移され、心は怏怏として楽しまなかった。臣はかつて陛下に、すでに心を強くもって待つことができず、だから殺してしまうのにこしたことがなく、後の患いを残してはなりません、と言った。今兵乱で、もし主となって奉るようであり、だから制することが難しいのだ。使を召して行くのに従わせましょう」と言ったが、お上は慌ただしく、その言を用いることができず、そこで「するに及ばない!」と言い、ついに行った。夜に咸陽に到り、食事は数杯の匙に過ぎなかった。その時々で自身の思いではないところに出て、群臣は皆乘輿の居場所を知らなかった。盧杞・関播はいよいよ中書垣に出た。白志貞・王翃および御史大夫于頎、中丞の劉従一、戸部侍郎の趙賛、翰林学士の陸贄、呉通微らはお上を咸陽に追求した。于頎は于□の従父兄弟であり、劉従一は斎賢の従孫である。 賊入宮,登含元殿,大呼曰:「天子已出,宜人自求富!」遂歡噪,爭入府庫,運金帛,極力而止。小民因之,亦入宮盜庫物,出而復入,通夕不已。其不能入者,剽奪於路。諸坊居民各相帥自守。姚令言與亂兵謀曰:「今衆無主,不能持久,朱太尉閒居私第,請相與奉之。」衆許諾。乃遣數百騎迎泚於晉昌裡第。夜半,泚按轡列炬,傳呼入宮,居含元殿,設警嚴,自稱權知六軍。戊申旦,泚徙居白華殿,出榜於外,稱:「涇原將士久處邊陲,不閒朝禮,輒入宮闕,致驚乘輿,西出巡幸。太尉已權臨六軍,應神策等軍士及文武百官凡有祿食者,悉詣行在。不能往者,即詣本司。若出三日,檢勘彼此無名者,皆斬!」於是百官出見泚。或勸迎乘輿,泚不悅,百官稍稍遁去。 賊が宮殿に入ると、含元殿に登り、大いに、「天子はもう出ていった。人は自ら富を求めよ!」と叫んで、遂に歓声とともに争って府庫に入り、金帛を運び、力を極めて止んだ。小民はこれによって、また宮殿に入って庫物を盗み、出てはまた入り、夜通し止むことはなかった。入ることができなかった者は、路上で強奪した。諸坊の居民はそれぞれ率いて自衛した。姚令言は乱兵とともに謀って、「今軍は主なく、長く保つことはできない。朱太尉(朱泚)が私第に閑居しているから、共にお迎えにあがろう」と言い、衆は許諾した。そこで数百騎を派遣して朱泚を晋昌坊中の邸宅に迎えた。夜半、朱泚は手綱を引いて炬を並べ、伝えて宮殿に入ったと布告し、含元殿にあって、警備を厳にし、自ら権知六軍と称した。戊申の早朝、朱泚は白華殿に移り、立て札を外に出して、「涇原の将兵は久しく辺境にあって、朝礼に拝礼する暇などなかった。たちまち宮闕に入るや、乗輿を驚かせてしまい、西に巡幸に出られてしまった。太尉はすでに仮に六軍に臨み、およそ神策等の軍士および文武百官で禄を食む者はただちにすべて行在に詣でよ。往くことができない者は、ただちに本司に詣でよ。もし三日たって、調べてどこにも名が無い者は皆斬る!」とし、ここに百官は出て朱泚に謁見した。ある者は乗輿を迎えるように勧めたが、朱泚は喜ばず、百官は少しづつ逃げ去っていった。 源休以使回紇還,賞薄,怨朝廷,入見泚,屏人密語移時,為泚陳成敗,引符命,勸之僭逆。泚喜,然猶未決。宿衛諸軍舉白幡降者,列於闕前甚衆。泚夜於苑門出兵,旦自通化門入,駱驛不絕,張弓露刃,欲以威衆。 源休は回紇の使節から帰還したが、褒賞は薄く、朝廷を怨み、朱泚に入見し、人を退けて密かに語って時間がたち、朱泚のために今後の方策を述べ、符命を引いて、皇帝を僭称するよう勧めた。朱泚は喜び、しかしまだ決することができなかった。宿衛諸軍は白旗をあげて降る者は、宮殿前に整列させると非常に多かった。朱泚は夜に苑門に出兵し、早朝に通化門より入り、人馬の往来は絶えず、弓を張って刃を露出し、衆を脅そうとした。 上思桑道茂之言,自咸陽幸奉天。縣僚聞車駕猝至,欲逃匿山谷,主簿蘇弁止之。弁,良嗣之兄孫也。文武之臣稍稍繼至。己酉,左金吾大將軍渾瑊至奉天。瑊素有威望,衆心恃之稍安。 お上は桑道茂の言葉を思い出し、咸陽より奉天に行幸した。奉天県の官僚は車駕が突然やって来たのを聞いて、逃げて山谷に隠れようとしたが、主簿の蘇弁がこれを止めた。蘇弁は蘇良嗣の兄の孫である。文武の臣少しづつやって来た。己酉、左金吾大将軍の渾瑊が奉天に到った。渾瑊はもとより威望があり、軍の士気はこれをたのみとしてようやく落ち着いた。 庚戌,源休勸朱泚禁十城門,毋得出朝士,朝士往往易服為傭僕潛出。休又為泚説誘文武之士,使之附泚。檢校司空、同平章事李忠臣久失兵柄,太僕卿張光晟自負其才,皆鬱鬱不得志,泚悉起而用之。工部侍郎蔣鎮出亡,墜馬傷足,為泚所得。先是,休以才能,光晟以節義,鎮以清素,都官員外郎彭偃以文學,太常卿敬釭以勇略,皆為時人所重,至是皆為泚用。 庚戌、源休は朱泚に勧めて十城門を閉鎖し、朝士が出ることができないようにした。朝士は往々として服を変えて下僕に扮して密かに脱出した。源休もまた朱泚のために文武の士を誘致し、朱泚に仕えさせた。検校司空同平章事(宰相)の李忠臣も久しく兵権を失い、太僕卿の張光晟はその才能を自負しながら、皆鬱々として志を得なかったから、朱泚はすべて起用した。工部侍郎の蒋鎮は出て逃亡したが、馬から落ちて足を怪我し、朱泚に捕らえられた。これより以前、源休は才能によって、張光晟は節義によって、蒋鎮は清素によって、都官員外郎の彭偃は文学によって、太常卿の敬釭は勇略によって、皆当時の人より重じられていたが、ここに到って皆朱泚のために用いられた。 鳳翔、涇原將張廷芝、段誠諫將數千人救襄城,未出潼關,聞朱泚據長安,殺其大將隴右兵馬使戴蘭,潰歸於泚。泚於是自謂衆心所歸,反謀遂定,以源休為京兆尹、判度支,李忠臣為皇城使。百司供億,六軍宿門,咸擬乘輿。 鳳翔・涇原の将の張廷芝・段誠諫は数千人を率いて襄城の救援に向かったが、まだ潼関を出る前に、朱泚が長安によったのを聞いて、その大将の隴右兵馬使の戴蘭を殺し、潰えて朱泚に帰順した。朱泚はここに衆心が帰したからと言って、謀反が遂に定まった。源休を京兆尹・判度支とし、李忠臣を皇城使とした。百司に施し、六軍に宿衛させ、すべて皇帝に擬した。 辛亥,以渾瑊為京畿、渭北節度使,行在都虞候白志貞為都知兵馬使,令狐建為中軍鼓角使,以神策都虞候侯仲莊為左衛將軍兼奉天防城使。 辛亥、渾瑊を京畿渭北節度使とし、行在都虞候の白志貞を都知兵馬使とし、令狐建を中軍鼓角使とし、神策都虞候の侯仲荘を左衛将軍兼奉天防城使とした。 朱泚以司農卿段秀實久失兵柄,意其必怏怏,遣數十騎召之。秀實閉門拒之,騎士逾垣入,劫之以兵。秀實自度不免,乃謂子弟曰:「國家有患,吾於何避之,當以死徇社稷;汝曹宜人自求生。」乃往見泚。泚喜曰:「段公來,吾事濟矣。」延坐問計。秀實説之曰:「公本以忠義著聞天下,今涇軍以犒賜不豐,遽有披猩,使乘輿播越。夫犒賜不豐,有司之過也,天子安得知之!公宜以此開諭將士,示以禍福,奉迎乘輿,復歸宮闕,此莫大之功也!」泚默然不悅,然以秀實與己皆為朝廷所廢,遂推心委之。左驍衛將軍劉海賓、涇原都虞候何明禮、孔目官岐靈岳,皆秀實素所厚也,秀實密與之謀誅泚,迎乘輿。 朱泚は司農卿の段秀実が久しく兵権を失って、思いは必ず鬱々としていることから、数十騎を派遣して招いた。段秀実は閉門して拒否したが、騎士は垣を越えて侵入し、兵で恫喝した。段秀実は免れないと考え、そこで子弟に、「国家に患いがあり、私はどうしてこれを避けることがあろうか。まさに死をもって社稷にしたがわなければならない。お前たちは自分で生を求めなさい」と言った。そこで行って朱泚に見えた。朱泚は喜んで、「段公が来たのなら、我が事は救われた」と言い、座るよう勧めて計略を問うた。段秀実は、「公はもとは忠義を以て天下に名が聞こえていました。今、涇軍は賜物が豊かではなかったから、にわかに怒り狂い、乗輿を流離わせました。そもそも賜物が豊かではなかったのは、役人の責任で、天子はどうして知り得ることができたのでしょうか!公はこれを明らかにて将兵を説諭し、禍福を示すべきで、乗輿を迎え奉り、宮殿に復帰させれば、これは莫大な功績となるでしょう!」と説いたが、朱泚は黙ったままで喜ばず、しかし段秀実を自身に与してすべて朝廷を廃させようとしたため、遂に心を推してこれを委ねた。左驍衛将軍の劉海賓、涇原都虞候の何明礼、孔目官の岐霊岳は、皆段秀実がもとより厚遇した者であり、段秀実は密に彼らと朱泚を誅殺せんと謀り、乗輿を迎えようとした。 上初至奉天,詔征近道兵入援。有上言:「朱泚為亂兵所立,且來攻城,宜早修守備。」盧杞切齒言曰:「朱泚忠貞,群臣莫及,奈何言其從亂,傷大臣心!臣請以百口保其不反。」上亦以為然。又聞群臣勸泚奉迎,乃詔諸道援兵至者皆營於三十里外。姜公輔諫曰:「今宿衛單寡,防慮不可不深,若泚竭忠奉迎,何憚於兵多;如其不然,有備無患。」上乃悉召援兵入城。盧杞及白志貞言於上曰:「臣觀朱泚心跡,必不至為逆,願擇大臣入京城宣慰以察之。」上以問從臣皆畏憚,莫敢行。金吾將軍吳漵獨請行,上悅。漵退而告人曰:「食其祿而違其難,何以為臣!吾幸托肺附,非不知往必死,但舉朝無蹈難之臣,使聖情慊慊耳!」遂奉詔詣泚。泚反謀已決,雖陽為受命,館漵於客省,尋殺之。漵,湊之兄也。 お上ははじめ奉天に到ると、詔して近くの道の兵で援軍させた。「朱泚は乱兵のために擁立され、かつ城を攻めに来ます。早く守りを備えるべきです」という上言があったが、盧杞は切歯して、「朱泚は忠貞で、群臣で及ぶ者はおらず、どうして彼が乱に従うというのでしょうか。大臣の心を傷つけるだけです!臣は百口を与えて彼が反しないよう保つことを願います」と言い、お上もまたそうだと思った。また群臣が朱泚に迎え奉ることを勧めているのを聞いて、そこで諸道の援兵で来たものに詔して、すべて三十里の外に駐屯させた。姜公輔は、「今宿衛は少なく、懸念は大したことはないとは思ってはなりません。もし朱泚が忠義をつくして迎え奉るなら、どうして兵が多ければ憚り、それがそうでなければ、備えあれば患い無しです」と諫め、お上はそこでことごとく援兵を召して城に入らせた。盧杞と白志貞はお上に、「臣は朱泚の心の跡を見ると、必ずしも逆賊になるまでに至らず、大臣を択んで京城に入らせて慰撫して査察するよう願います」と言い、お上がそれに従う臣を問うたが皆恐れ憚って、敢えて行く者がいなかった。金吾将軍の呉漵がただ一人行くことを願い、お上は喜んだ。呉漵は退いて人に告げて、「その禄を食んでその難を違えば、どうして臣となったのであろうか!私は幸いにも五臓六腑があり、行ったからといって必ず死ぬことを知らないわけではないが、ただ朝廷をあげて艱難に立ち向かう臣下がいないなら、聖情をして心を満ち足りなくさせるだけだ!」と言い、遂に詔を奉って朱泚に詣でた。朱泚は謀反することをすでに決めていたから、表向きは命を受けるようにしながらも、呉漵を客省に館に住まわせ、ついでこれを殺した。呉漵は呉湊の兄である。 泚遣涇原兵馬使韓旻將銳兵三千,聲言迎大駕,實襲奉天。時奉天守備單弱,段秀實謂岐靈岳曰:「事急矣!」使靈岳詐為姚令言符,令旻且還,當與大軍俱發。竊令言印未至,秀實倒用司農印印符,募善走者追之。旻至駱驛,得符而還。秀實謂同謀曰:「旻來,吾屬無類矣!我當直搏泚殺之,不克則死,終不能為之臣也!」乃令劉海賓、何明禮陰結軍中之士,欲使應之於外。旻兵至,泚、令言大驚。岐靈岳獨承其罪而死,不以及秀實等。 朱泚は涇原兵馬使の韓旻を派遣して精兵三千を率いて、大駕を迎えると声明し、実際には奉天を襲撃しようとした。当時、奉天の守備は弱く、段秀実は岐霊岳に向かって、「事は急だ!」と言って、岐霊岳に偽って姚令言の符をつくらせ、韓旻を帰らせ、まさに大軍とともに出発すべきとした。密かに姚令言の印がまだ来る前に、段秀実は司農印の印符を代用して、よく走る者を募ってこれを追わせた。韓旻は続いて到り、符を得て帰還した。段秀実は同じく謀って、「韓旻が来れば、我が部下で対抗できない!私は直ちに朱泚を捕らえてこれを殺さなくてはならないが、できなければ死ぬだけだ。そのために朱泚の臣となることはできない!」と言い、そこで劉海賓・何明礼に密かに軍中の兵士と結ばせ、これを外に内応させようとした。韓旻の兵が帰還すると、朱泚と姚令言は大いに驚いた。岐霊岳は一人その罪を受けて死に、段秀実らに及ばせなかった。 是日,泚召李忠臣、源休、姚令言及秀實等議稱帝事。秀實勃然起,奪休象笏,前唾泚面,大罵曰:「狂賊!吾恨不斬汝萬段,豈從汝反邪!」因以笏撃泚,泚舉手扞之,才中其額,濺血灑地。泚與秀實相搏忷忷,左右猝愕,不知所為。海賓不敢進,乘亂而逸。忠臣前助泚,泚得匍匐脫走。秀實知事不成,謂泚黨曰:「我不同汝反,何不殺我!」衆爭前殺之。泚一手承血,一手止其衆曰:「義士也,勿殺。」秀實已死,泚哭之甚哀,以三品禮葬之,海賓縗服而逃,後二日,捕得,殺之。亦不引何明禮。明禮從泚攻奉天,復謀殺泚,亦死。上聞秀實死,恨委用不至,涕泗久之。 この日、朱泚は李忠臣・源休・姚令言および段秀実らを召して帝を称する事について議した。段秀実は忽然として立ち上がり、源休の象笏を奪い、唾を朱泚の顔に吐き、大いに罵って、「狂賊め!私はお前を斬って切り刻まなかったのを恨む。どうしてお前に従って叛くことがあろうか!」と言い、そこで笏で朱泚を撃った。朱泚は手をあげて防いだが、角がその額にあたり、血が吹き出して地を濡らせた。朱泚は段秀実と掴み合い、左右の者は突然のことで驚き、なすところを知らなかった。劉海賓はあえて進まず、混乱に乗じて逃げた。李忠臣は前で朱泚を助けたから、朱泚は匍匐して逃れることができた。段秀実は事がならなかったのを知り、朱泚の郎党に向かって、「私はお前と一緒に叛かない。どうして私を殺さないのか!」と言い、衆は争って前に行き段秀実を殺した。朱泚は片手で血を受け止め、もう片手でその衆を止めて、「義士だ。殺すな」と言ったが、段秀実はすでに死んでおり、朱泚は泣いて非常に悲しみ、三品の礼によって葬った。劉海賓は喪服で逃げ、その後二日して捕えられ、殺された。また何明礼は連座しなかった。何明礼は朱泚に従って奉天を攻めたが、再度朱泚を殺そうと謀り、また死んだ。お上は段秀実が死んだのを聞いて、委ね用いたのに至らなかったのを怨み、涙と鼻水をしばらく流し続けた。 24.壬子,以少府監李昌巙為京畿、渭南節度使。 24.壬子、少府監の李昌巙を京畿渭南節度使に任じた。 25.鳳翔節度使、同平章事張鎰,性儒緩,好修飾邊幅,不習軍事,聞上在奉天,欲迎大駕,具服用貨財,獻於行在。後營將李楚琳,為人剽悍,軍中畏之,嘗事朱泚,為泚所厚。行軍司馬齊映與同幕齊抗言於鎰曰:「不去楚琳,必為亂首。」鎰命楚琳出屯隴州。楚琳托事不時發。鎰方以迎駕為憂,謂楚琳已去矣。楚琳夜與其黨作亂,鎰縋城而走,賊追及,殺之,判官王沼等皆死。映自水竇出,抗為傭保負荷而逃,皆免。 始,上以奉天迫隘,欲幸鳳翔。戸部尚書蕭復聞之,遽請見曰:「陛下大誤,鳳翔將卒皆朱泚故部曲,其中必有與之同惡者。臣尚憂張鎰不能久,豈得以鑾輿蹈不測之淵乎!」上曰:「吾行計已決,試為卿留一日。」明日,聞鳳翔亂,乃止。 齊映、齊抗皆詣奉天,以映為御史中丞,抗為侍御史。楚琳自為節度使,降於朱泚。隴州刺史郝通奔於楚琳。 25.鳳翔節度使、同平章事の張鎰は、性格は柔弱で、外面を飾るのを好み、軍事を習わず、お上が奉天にいるのを聞いて、大駕を迎えようと思い、多くの財貨を用いて、行在に献上した。後営将の李楚琳は、人となりは剽悍で、軍中で恐れられ、かつて朱泚に仕え、朱泚に厚遇された。行軍司馬の斉映と同幕の斉抗は張鎰に向かって、「李楚琳を外に出さなければ、必ず乱の首謀者となります」と言い、張鎰は李楚琳に命じて出て隴州を守らせようとしたが、李楚琳は理由をつけて出発しなかった。張鎰はまさに車駕(皇帝)を迎えるのに憂いとなっていたから、李楚琳に去るように言った。李楚琳は夜にその与党とともに乱を起こし、張鎰は城にすがって逃げたが、賊は追及して、殺された。判官の王沼らは皆死んだ。斉映は水竇から出て、斉抗は人を雇って背負われて逃げたから、皆免れた。 それより以前、お上は奉天が狭小であったから、鳳翔に行幸したいと思っていた。戸部尚書の蕭復はこれを聞いて、にわかに謁見を願って、「陛下は大いに誤っています。鳳翔の将兵は皆朱泚のもと部下で、その中には必ずこれを与する悪事仲間がいるでしょう。臣はなお張鎰が長らえないことを心配しています。どうして行幸して不測の事態に陥る縁を踏むことができましょうか!」と言ったから、お上は、「私は行くことはすでに決めているが、試しに卿のために一日延期してみよう」と言うと、翌日鳳翔の乱を聞いて、そこで止んだ。 斉映・斉抗は皆奉天にも詣で、斉映は御史中丞となり、斉抗は侍御史となった。李楚琳は自ら節度使となり、朱泚に降伏した。隴州刺史の郝通は李楚琳を破った。 26.商州團練兵殺其刺史謝良輔。 26.商州団練の兵がその刺史の謝良輔を殺した。 27.朱泚自白華殿入宣政殿,自稱大秦皇帝,改元應天。癸丑,泚以姚令言為侍中、關內元帥,李忠臣為司空兼侍中,源休為中書侍郎、同平章事、判度支,蔣鎮為吏部侍郎,樊系為禮部侍郎,彭偃為中書舍人,自餘張光晟等各拜官有差。立弟滔為皇大弟。姚令言與源休共掌朝政,凡泚之謀畫、遷除、軍旅、資糧,皆稟示休。休勸泚誅翦宗室在京城者以絕人望,殺郡王、王子、王孫凡七十七人。尋又以蔣鎮為門下侍郎,李子平為諫議大夫,並同平章事。鎮憂懼,毎懷刀欲自殺,又欲亡竄,然性怯,竟不果。源休勸泚誅朝士之竄匿者以脅其餘,鎮力救之,賴以全者甚衆。樊系為泚撰冊文,既成,仰藥而死。大理卿膠水蔣沇詣行在,為賊所得,逼以官,沇絕食稱病,潛竄得免。 27.朱泚は白華殿より宣政殿に入り大秦皇帝と自称し、応天と改元した。癸丑、朱泚は姚令言を侍中・関内元帥とし、李忠臣を司空兼侍中とし、源休を中書侍郎・同平章事・判度支とし、蒋鎮を吏部侍郎とし、樊系を礼部侍郎とし、彭偃を中書舎人とし、そのほか張光晟らはそれぞれ官職を拝命すること差があった。弟の朱滔を立てて皇大弟とした。姚令言と源休は共に朝政を司り、およそ朱泚の謀略・叙任・軍事・糧食はすべて源休が提示したことを受けて行った。源休は朱泚に宗室で京城にあって人望があるものを殺し尽くすことを勧め、郡王・王子・王孫が約七十七人殺害された。ついでまた蒋鎮を門下侍郎とし、李子平を諫議大夫とし、二人とも同平章事とした。蒋鎮は憂い恐れ、事あるごとに刀を懐にして自殺しようとし、また逃亡しようとしたが、しかし性格が臆病であったから、ついに果たせなかった。源休は朱泚に朝士を匿う者を殺し、その他を脅すよう勧めたが、蒋鎮はこれを救うのに尽力し、頼って全うする者がとても多かった。樊系は朱泚のために冊文を撰述し、それができると毒薬を仰いで死んだ。大理卿膠水の蒋沇は行在に詣でようとしたが、賊のために捕らえられ、無理やり官職につかされが、蒋沇は食を絶って病と称し、隠れ逃げて免れた。 28.哥舒曜食盡,棄襄城奔洛陽。李希烈陷襄城。 28.哥舒曜は食が尽きたため、襄城を棄てて洛陽に逃げた。李希烈は襄城を陥落させた。 29.右龍武將軍李觀將衛兵千餘人從上於奉天,上委之召募,數日,得五千餘人,列之通衢,旗鼓嚴整,城人為之增氣。 姚令言之東出也,以兵馬使京兆馮河清為涇原留後,判官河中姚況知涇州事。河清、況聞上幸奉天,集將士大哭,激以忠義,發甲兵、器械百餘車,通夕輸行在。城中方苦無甲兵,得之,士氣大振。詔以河清為四鎮、北庭行營、涇原節度使,況為行軍司馬。 29.右龍武将軍の李観が衛兵千人あまりを率いてお上を奉天に従い、お上は李観に募兵を委ね、数日して五千人あまりを得た。これを往来に整列させ、旗や鼓は厳粛に整い、城の人はそのため士気があがった。 姚令言が東に進出してくるや、兵馬使京兆の馮河清を涇原留後とし、判官河中の姚況に涇州の事を司らせた。馮河清と姚況はお上が奉天に行幸した有様を聞いて、将兵を集めて大いに慟哭し、激励して忠義を奮い起こし、甲兵を発して、器械は百車あまり、夜通し行在に運んだ。城中は甲兵がいないため苦しんでいたが、これを得て、士気は大いに振った。詔して馮河清を四鎮北庭行営・涇原節度使とし、姚況を行軍司馬とした。 30.上至奉天數日,右僕射、同平章事崔寧始至,上喜甚,撫勞有加。寧退,謂所親曰:「主上聰明英武,從善如流,但為盧杞所惑,以至於此!」因潸然出涕。杞聞之,與王翃謀陷之。翃言於上曰:「臣與寧俱出京城,寧數下馬便液,久之不至,有顧望意。」會朱泚下詔,以左丞柳渾同平章事,寧為中書令。渾,襄陽人也,時亡在山谷。翃使盩厔尉康湛詐為寧遺朱泚書,獻之。杞因譖寧與朱泚結盟,約為內應,故獨後至。乙卯,上遣中使引寧就幕下,云宣密旨,二力士自後縊殺之,中外皆稱其冤。上聞之,乃赦其家。 30.お上は奉天に到ってより数日して、右僕射同平章事の崔寧がやって来た。お上は大変喜び、慰労して褒賞を加えた。崔寧は退くと、親しい者に語って、「主上は聡明かつ英武で、善に従えば流れるがごときである。ただ盧杞のために惑わされたから、このような事態になったのだ!」と言い、潸然として涙を流した。盧杞はこれを聞いて、王翃と謀ってこれを陥れた。王翃はお上に語って、「臣と崔寧はともに京城を出て、崔寧はしばしば馬を降りて大小便をしており、しばらくたっても来ませんでしたが、思えば迎合していたのではないのでしょうか」と言った。たまたま朱泚は詔を下して、左丞の柳渾を同平章事とし、崔寧を中書令とした。柳渾は襄陽の人で、当時逃亡して山谷にいた。王翃は盩厔尉の康湛に、崔寧が朱泚に送った書簡を偽造させ献上した。盧杞はそこで崔寧と朱泚が盟を結び、内応を約束しているから、一人で後から来たのだと讒言した。乙卯、お上は中使を派遣して崔寧をひっ捕らえて幕下につかせ、密旨を読み上げ、二力士は後ろから絞殺させた。内も外も皆その冤罪を訴えた。お上はこれを聞いて、そこでその家を赦した。 31.朱泚遣使遺朱滔書,稱:「三秦之地,指日克平;大河之北,委卿除殄,當與卿會於洛陽。」滔得書,西向舞蹈宣示軍府,移牒諸道,以自誇大。 31.朱泚は使者を派遣して朱滔に書簡を送り、「三秦の地は日に日に平定されていく。大河の北は、卿に委ねてすべて除外し、まさに卿と洛陽で会盟しよう」と述べ、朱滔は書簡を受け取ると、西に向かって舞い踊って軍府に示し、牒を諸道に送り、自ら大なると誇示した。 32.上遣中使告難於魏縣行營,諸將相與慟哭。李懷光帥衆赴長安,馬燧、李艽各引兵歸鎮,李抱真退屯臨洺。 32.お上は中使を派遣して難を魏県行営に告げた。諸将は互いに慟哭した。李懐光は軍を率いて長安に赴き、馬燧・李艽はそれぞれ兵を率いて鎮に帰り、李抱真は屯営に退いて洺州に臨んだ。 33.丁巳,以戸部尚書蕭復為吏部尚書,吏部郎中劉從一為刑部侍郎,翰林學士姜公輔為諫議大夫,並同平章事。 33.丁巳、戸部尚書の蕭復を吏部尚書とし、吏部郎中の劉従一を刑部侍郎とし、翰林学士の姜公輔を諫議大夫・並同平章事とした。 34.朱泚自將逼奉天,軍勢甚盛。以姚令言為元帥,張光晟副之,以李忠臣為京兆尹、皇城留守,仇敬忠為同、華等州節度使、拓東王,以扞關東之師,李日月為西道先鋒經略使。 34.朱泚は自ら率いて奉天に迫り、軍の勢いは甚だ盛んであった。姚令言を元帥とし、張光晟を副官とし、李忠臣を京兆尹として皇城を留守させ、仇敬忠を同・華等州節度使・拓東王とし、関東を守る軍とし、李日月を西道先鋒経略使とした。 邠寧留後韓游瑰,慶州刺史論惟明,監軍翟文秀,受詔將兵三千拒泚於便橋,與泚遇於醴泉。游瑰欲還趣奉天,文秀曰:「我向奉天,賊亦隨至,是引賊以迫天子也。不若留壁於此,賊必不敢越我向奉天。若不顧而過,則與奉天夾攻之。」游瑰曰:「賊強我弱,若賊分軍以綴我,直趣奉天,奉天兵亦弱,何夾攻之有!我今急趣奉天,所以衛天子也。且吾士卒饑寒而賊多財,彼以利誘吾卒,吾不能禁也。」遂引兵入奉天,泚亦隨至。官軍出戰,不利,泚兵爭門,欲入。渾瑊與游瑰血戰竟日。門內有草車數乘,瑊使虞候高固帥甲士以長刀斫賊,皆一當百,曳車塞門,縱火焚之。衆軍乘火撃賊,賊乃退。會夜,泚營於城東三里,撃柝張火,布滿原野,使西明寺僧法堅造攻具,毀佛寺以為梯沖。韓游瑰曰:「寺材皆乾薪,但具火以待之。」固,侃之玄孫也。泚自是日來攻城,瑊、游瑰等晝夜力戰。幽州兵救襄城者聞泚反,突入潼關,歸泚於奉天,普潤戍卒亦歸之,有衆數萬。 邠寧留後の韓游瑰、慶州刺史の論惟明、監軍の翟文秀は、詔を受けて兵三千を率いて朱泚を便橋に防ぎ、朱泚と醴泉で遭遇した。韓游瑰は戻って奉天に行こうとしたが、翟文秀は、「我らが奉天に向かえば、賊もまた一緒に来ます。これは賊を引き連れて天子に迫ることになります。留まってここで立てこもるにこしたことはありません。賊は必ず敢えて我らを通り過ぎて奉天に向かうことはありません。もし顧みずに通過したならば、そこで奉天とともに挟撃してこれを攻めるのです」と言った。韓游瑰は、「賊は強く我らは弱い。もし賊が軍を分けて我らを拘束して、直ちに奉天に向かえば、奉天の兵もまた弱いから、どうして挟撃なぞできようか!我らは今急いで奉天に向かえば、天子を護ることができるのだ。また我らの士卒は飢えて寒さにふるえているが賊は財が多く、賊が利で我が兵を誘えば、我らは禁ずることができなくなってしまう」と言い、遂に兵を率いて奉天に入ったが、朱泚もまた一緒に到着した。官軍が出て戦ったが不利で、朱泚の兵は門で戦って入ろうとした。渾瑊と韓游瑰は終日死闘し、門内に草車数台があり、渾瑊は虞候の高固に甲士を率いさせて長刀で賊を斬り、皆一人で百人にあたり、車を引いて門を塞ぎ、火を放って燃やした。軍は火に乗じて賊を攻撃して、賊は退いた。夜となり、朱泚は城の東三里のところに野営し、木を打ち鳴らして火を掲げ、原野に充満した。西明寺の僧法堅に攻城具をつくらせ、仏寺を壊して雲梯・衝車をつくった。韓游瑰は、「寺の材は皆乾いた薪で、ただ火を用意して待ちましょう」と言った。高固は高侃の玄孫である。朱泚はこの日より城攻めに来て、渾瑊・韓游瑰ら昼夜力戦した。幽州の兵で襄城を救援した者は朱泚が反乱したのを聞いて、潼関に突入して朱泚がいる奉天に帰順した。普潤戍卒(神策兵)もまた朱泚に帰順し、軍は数万となった。 上與陸贄語及亂故,深自克責。贄曰:「致今日之患,皆群臣之罪也。」上曰:「此亦天命,非由人事。」贄退,上疏,以為:「陛下志壹區宇,四征不庭,凶渠稽誅,逆將繼亂,兵連禍結,行及三年,征師日滋,賦斂日重,內自京邑,外洎邊陲,行者有鋒刃之憂,居者有誅求之困。是以叛亂繼起,怨讟並興,非常之虞,億兆同慮,唯陛下穆然凝邃,獨不得聞,至使凶卒鼓行,白晝犯闕,豈不以乘我間隙,因人攜離哉!陛下有股肱之臣,有耳目之任,有諫諍之列,有備衛之司,見危不能竭其誠,臨難不能效其死。臣所謂致今日之患,群臣之罪者,豈徒言歟!聖旨又以國家興衰,皆有天命。臣聞天所視聽,皆因於人。故祖伊責紂之辭曰:『我生不有命在天!』武王數紂之罪曰:『乃曰吾有命,罔懲其侮。』此又舍人事而推天命必不可之理也!《易》曰:『視履考祥。』又曰:『吉凶者,失得之象。』此乃天命由人,其義明矣。然則聖哲之意,《六經》會通,皆謂禍福由人,不言盛衰有命。蓋人事理而天命降亂者,未之有也;人事亂而天命降康者,亦未之有也。自頃征討頗頻,刑網稍密,物力耗竭,人心驚疑,如居風濤,洶洶靡定。上自朝列,下達蒸黎,日夕族黨聚謀,咸憂必有變故,旋屬涇原叛卒,果如衆庶所虞。京師之人,動逾億計,固非悉知算術,皆曉占書,則明致寇之由,未必盡關天命。臣聞理或生亂,亂或資理,有以無難而失守,有因多難而興邦。今生亂失守之事,則既往不可復追矣;其資理興邦之業,在陛下克勵而謹修之。何憂乎亂人,何畏乎厄運!勤勵不息,足致昇平,豈止蕩滌祆氛,旋復宮闕而已!」 お上と陸贄が乱の原因について語って、深く自責の念があった。陸贄は、「今日の患いとなったのは、すべて群臣の罪です」と言ったが、お上は、「これもまた天命であって、人の事によるのではない」と言った。陸贄は退いて、以下のように上疏した。「陛下の志は一つの天下で、四方を征伐して庭としないものはなく、凶徒の誅殺はとどこおり、逆将は反乱を継続し、兵は連なって禍いを結ぶこと三年に及び、征伐の出兵は日に日に多くなり、賦税は日に日に重くなり、内は京師より外は辺境まで、行く者には鋒刃の憂いがあり、居る者も苛斂誅求の困難があります。そのため叛乱は相継いで起こり、怨言は並んでおこり、非常の恐れは億兆の民も同じく思っており、ただ陛下だけが宮中の奥深くで和らいでおり、一人聞くことができず、凶徒の兵が鼓とともに行進させるに到り、白昼宮殿をおかしました。どうして我らの間隙に乗ずることしなければ、人心が離れることがあったでしょうか!陛下には股肱の臣があり、耳目の任があり、諫諍の列があり、備衛の司がありますが、見るにその誠をつくすことができず、艱難に臨んでその死を効すことができないことが危ういのです。臣は今日の患いに到ったのは群臣の罪というべきであって、どうして嘘を申しましょうか!聖旨はまた国家の興衰で、すべては天命にあります。臣は天が見聞きするところはすべて人によると聞いています。そのため祖伊は紂を責める文に、「私の寿命は天によって定められているのだ!」とあり、武王は紂の罪を数えて、「そこで私に天命があるからだ、などと言うておる。その人もなげなふるまいを懲らすものもない」といい、これまた人事を捨てて天命をはかるのは必ず不可の理なのです!易に、「履むところを見て祥(吉祥不祥)を考える」とあり、また、「吉凶とは天地人の道に適っているか天地人の道に背いているかの言葉である」とあり、ここに天命は人によるのであって、その意味は明らかなのです。だからこそ聖哲の心は、六経に通じていると、皆禍福は人によるとあり、盛衰は天命にあるとは言わないのです。思うに人事の理にして天命が乱をくだす者は、いまだあったことはなく、人事乱れて天命が康をくだすこともまた、いまだあったことはないのです。近頃征討のことが大変頻繁であり、刑罰もやや多く、物力は消耗して尽き、人心は驚き疑い、居ても風や波濤と受けるようであり、轟々と流れにまかせるのです。上は朝臣の列より,下は百姓に達し、朝も夜も族党は集まって謀し、皆必ず変があるかと心配するため、めぐって涇原の叛卒に与し、果して衆庶が心配するところなるのです。京師の人は、ややもすれば憶測をこえ、もとよりすべての算術を知るわけではなく、皆占書に通暁し、そこで侵攻があった理由を明らかとし、いまだ必ずしもすべて天命に関わっているわけではありません。臣は理はあるいは乱がおこり、乱はあるいは理をたすけ、難なきをもって守を失うことあり、難多きによって邦を起こすことがあると聞いています。今、乱がおこって守を失うの事は、すなわち既に往ってまた追うことができないのです。その資理・興邦の業は、陛下がよく励んで謹んでこれを修めることです。どうして人が乱するのを心配することがありましょうか。どうして厄運を恐れることがありましょうか!勤め励んで休まず、平和となれば、どうして凶災を洗いすすぐことを止め、また宮殿に復帰するのみとなりましょうか!」 35.田悅説王武俊,使與馬寔共撃李抱真於臨洺,抱真復遣賈林説武俊曰:「臨洺兵精而有備,未易輕也。今戰勝得地,則利歸魏博;不勝,則恆冀大傷。易、定、滄、趙,皆大夫之故地也,不如先取之。」武俊乃辭悅,與馬寔北歸,壬戌,悅送武俊於館陶,執手泣別,下至將士,贈遺甚厚。 35.田悦が王武俊に説いて、馬寔とともに李抱真を臨洺で撃たせた。李抱真もまた賈林を派遣して、王武俊に説いて、「臨洺の兵は精兵で備えがあり、いまだに簡単に軽んじてはなりません。今、戦いに勝って地を得れば、利は魏博に帰します。勝たなければ恒冀が大いに傷つきます。易州・定州・滄州・趙州はすべて大夫の故地です。先に奪うにこしたことはありません」と述べた。王武俊はそこで田悦のもとを辞し、馬寔とともに北に帰った。壬戌、田悦は王武俊を館陶で送迎し、手をとって別れを泣いた。下は将兵にいたるまで、贈り物は非常に厚かった。 先是,武俊召回紇兵,使絕李懷光等糧道,懷光等已西去,而回紇達干將回紇千人、雜虜二千人適至幽州北境。朱滔因説之,欲與俱詣河南取東都,應接朱泚,許以河南子女、金帛賂之。滔娶回紇女為側室,回紇謂之朱郎,且利其俘掠,許之。 これより以前、王武俊は回紇の兵を召集して、李懐光らの糧道を断たせた。李懐光らはすでに西に去って、回紇の達干は回紇千人、雑虜二千人を率いて、たまたま幽州の北境に到った。朱滔はそのためこれを説得して、ともに河南に行って東都(洛陽)を奪い、朱泚に接しようとした。河南の子女、金帛を贈った。朱滔は回紇の女を娶って側室とし、回紇はこれを「朱郎」と言った。かつ捕獲・略奪に便宜をはかったから、これを許した。 賈林復説武俊曰:「自古國家有患,未必不因之更興。況主上九葉天子,聰明英武,天下誰肯捨之共事朱泚乎!滔自為盟主以來,輕蔑同列,河朔古無冀國,冀乃大夫之封域也。今滔稱冀王,又西倚其兄,北引回紇,其志欲盡吞河朔而王之,大夫雖欲為之臣,不可得矣。且大夫雄勇善戰,非滔之比。又本以忠義手誅叛臣,當時宰相處置失宜,為滔所誑誘,故蹉跌至此,不若與昭義並力取滔,其勢必獲。滔既亡,則泚自破矣。此不世之功,轉禍為福之道也。今諸道輻湊攻泚,不日當平。天下已定,大夫乃悔而歸國,則已晩矣!」時武俊已與滔有隙,因攘袂作色曰:「二百年天子吾不能臣,豈能臣此田舍兒乎!」遂密與抱真及馬燧相結,約為兄弟。然猶外事滔,禮甚謹,與田悅各遣使見滔於河間,賀朱泚稱尊號,且請馬寔之兵共攻康日知於趙州。 賈林はまた王武俊に説いて、「古より国家に患いがありますが、必ずしも患いによってさらに勃興する勢力があるわけではありません。ましてや主上は九葉の天子で、聡明かつ英武で、天下の誰がこれを捨てて共に朱泚に仕えるのを受け入れる者がありましょうか!朱滔は自ら盟主となって以来、同列の者を蔑視して軽んじ、河朔は古えには冀なる国号の国はなく、しかも冀は大夫(王武俊)の封域です。今、朱滔は冀王を称し、また西はその兄(朱泚)が居座り、北は回紇を引き連れ、その志はことごとごく河朔を呑み込んでその王になろうとしています。大夫はこれの臣下になろうとしていますが、その機会を得られるわけではありません。かつ大夫は雄勇かつ戦をよくすることは、朱滔の比ではありません。またもとより忠義のために手ずから叛臣(李惟岳)を誅殺しましたが、今の宰相の処置は適当ではなく、朱滔のためにたぶらかされ、そのため失敗はここに到るのです。昭義軍とともに力をあわせて朱滔を攻撃するのにこしたことはなく、その勢いは必ずや獲られます。朱滔が滅んでしまえば、朱泚も自ら敗れます。これは世に比類なき功績であって、禍転じて福となすの道です。今諸道が集結して朱泚を攻めれば、数日もしないうちに平定されるでしょう。天下が平定されてしまえば、大夫はそこで過去を悔い改めて帰国したとしても、もう遅いのです!」と言った。当時、王武俊はすでに朱滔と仲が悪くなり、そこで袂をはらって顔色を変えて、「二百年間、天子はわれらを臣下と出来なかった。どうしてこの田舎小僧を臣下とできようか!」と言い、ついに密かに李抱真および馬燧と互いに結び、兄弟と約した。しかしなお表向きは朱滔に仕え、礼は甚だ謹んだ。田悦ととともにそれぞれ使者を派遣して朱滔を河間に謁見し、朱泚が尊号を称したのを賀し、かつ馬寔の兵と共に康日知を趙州に攻めることを願った。 汝、鄭應援使劉德信將子弟軍在汝州,聞難,引兵入援,與泚衆戰於見子陵,破之。以東渭橋有轉輸積粟,癸亥,進屯東渭橋。 汝州・鄭州は応援して劉徳信をして子弟の軍を率いさせて汝州にあった。難を聞いて、兵を率いいて援軍として入り、朱泚の軍と見子陵で戦い、破った。東渭橋に輸送して粟を積んだ。癸亥、進軍して東渭橋に駐屯した。 37.朱泚夜攻奉天東、西、南三面。甲子,渾瑊力戰卻之。左龍武大將軍呂希倩戰死。乙丑,泚復攻城,將軍高重捷與泚將李日月戰於梁山之隅,破之。乘勝逐北,身先士卒,賊伏兵擒之。其麾下十餘人奮不顧死,追奪之。賊不能拒,乃斬其首,棄其身而去。麾下收之入城,上親撫而哭之盡哀,結莆為首而葬之,贈司空。朱泚見其首,亦哭之曰:「忠臣也!」束蒲為身而葬之。李日月,泚之驍將也,戰死於奉天城下。泚歸其屍於長安,厚葬之。其母竟不哭,罵曰:「奚奴!國家何負於汝而反?死已晩矣!」及泚敗,賊黨皆族誅,獨日月之母不坐。 37.朱泚は夜に奉天の東・西・南の三面を攻撃した。甲子、渾瑊は奮戦してこれを撃退した。左龍武大将軍の呂希倩が戦死した。乙丑、朱泚は再度城を攻撃し、将軍の高重捷と朱泚の将軍の李日月が梁山の隅で戦い、これを破った。勝に乗じて北に追い払い、自ら兵卒の先頭に立ったが、賊の伏兵が捕虜とした。その麾下十人あまりが奮戦して死を顧みず、追って奪おうとした。賊は防ぐことができず、そこでその首を斬って、胴体を棄てて去った。麾下はこれを収容して城に入り、お上は自ら撫でて慟哭して悲しんだ。芒を結んで首を作って葬り、司空を贈った。朱泚はその首を見てまた哭泣して、「忠臣である!」と言って、蒲を束ねて身を作って葬った。李日月は、朱泚の驍将であり、奉天城下で戦死した。朱泚はその遺体を長安に帰し、厚く葬った。その母はついに泣かず、「奚の奴め!国家はどうしてお前を負って反したのか?死んでも遅いんだよ!」と罵った。朱泚が敗れると、賊党は全員誅殺されたが、一人李日月の母のみ連座しなかった。 己巳,加渾瑊京畿、渭南、北、金商節度使。 己巳、渾瑊に京畿渭南北金商節度使を加えた。 38.壬申,王武俊與馬寔至趙州城下。 38.壬申、王武俊と馬寔が趙州城下に到った。 39.初,朱泚鎮鳳翔,遣其將牛雲光將幽州兵五百人戍隴州,以隴右營田判官韋皋領隴右留後。及郝通奔鳳翔,牛雲光詐疾,欲俟皋至,伏兵執之以應泚,事洩,帥其衆奔泚。至汧陽,遇泚遣中使蘇玉繼詔書加皋中丞,玉説雲光曰:「韋皋,書生也。君不如與我俱之隴州,皋幸而受命,乃吾人也。不受命,君以兵誅之,如取孤犬屯耳!」雲光從之。皋從城上問雲光曰:「曏者不告而行,今而復來,何也?」雲光曰:「曏者未知公心,今公有新命,故復來,願托腹心。」皋乃先納蘇玉,受其詔書,謂雲光曰:「大使苟無異心,請悉納甲兵,使城中無疑,衆乃可入。」雲光以皋書生,易之,乃悉以甲兵輸之而入。明日,皋宴玉、雲光及其卒於郡舎,伏甲誅之。築壇,盟將士曰:「李楚琳賊虐本使,既不事上,安能恤下,宜相與討之!」遣兄平、弇詣奉天,復遣使求援於吐蕃。 39.それより以前、朱泚は鳳翔を鎮すると、その将軍の牛雲光を派遣して幽州の兵五百人を率いて隴州を守り、隴右営田判官の韋皋は隴右留後を領した。郝通が鳳翔に逃げると、牛雲光は病と偽って、韋皋が到るのを待って、伏兵でこれを捕らえて朱泚に内応しようとしたが、事は漏洩して、その衆を率いて朱泚のもとに走った。汧陽に到ると、たまたま朱泚が中使の蘇玉を派遣して詔書をもたらして韋皋に中丞を加えようとしているのに遭遇し、蘇玉は牛雲光に説いて、「韋皋は書生である。君は私と一緒に隴州をともにするにこしたことはない。韋皋が幸いにも命を受ければ、我が方の人である。命を受けなければ、君は兵で誅殺しなさい。たむろしている犬を一匹とるようなものだ!」と言い、牛雲光はこれに従った。韋皋は城の上から牛雲光に、「以前には告げてもいないのに行って、今また来たのはどうしてですか?」と問うと、牛雲光は、「以前には公の心を知らなかった。今、公に新命があり、そのためまた来たのだ。願わくは心の内を託されよ」と言ったから、韋皋はそこでまず蘇玉を受け入れ、その詔書を受け、牛雲光に、「大使はいやいしくも異心がなく、すべて甲兵を入れて、城中に疑いがなければ、軍はそこで入られよ」と言ったから、牛雲光は韋皋が書生であるから組みやすしとし、そこでことごとく甲兵をここに運んで入れた。翌日、韋皋は蘇玉・牛雲光およびその兵卒と郡の官舎で宴し、甲兵を伏せてこれを誅殺した。壇を築いて、将兵と盟して、「李楚琳は本使(張鎰)を殺害し、すでにお上に仕えていないのに、どうして下を憐れむことができようか。ともにこれを討伐するのだ!」と言い、兄の韋平・韋弇を派遣して奉天に詣で、また使者を派遣して吐蕃に援軍を求めた。
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どうにか、列伝編集もひと段落しました。 ところで、新武将のマスクデータはどうしましょうか。 テンプレを改編する必要がありますが… -- (名無しさん) 2010-06-12 15 32 05 >マスクデータ そこまで必要無いかと。列伝読んだ個々のご想像にお任せで -- (名無しさん) 2010-06-12 15 53 48 乙支文徳・・・文武両道・万能の将軍だったようだがそれ故どう評価してよいのか悩むね。殲滅+機略+不屈みたいな感じなのだが、さてどうしたものか? -- (名無しさん) 2010-06-19 05 22 44 >うるち 虚実でよさげ -- (名無しさん) 2010-06-19 07 42 31 中国武将は日本語読みなんだし朝鮮も日本語読みで統一したほうがいいのでは -- (名無しさん) 2010-06-19 10 11 51 列伝を読みやすく整えてくれるのは良いんだが、ドサクサに紛れて能力値まで書き換える必要はないと思うな。 -- (名無しさん) 2010-06-19 12 26 46 ↑↑リシュンシンってなじみが薄いと思って朝鮮読みに統一したんだが 最近の教科書ではどう載ってるんだろう -- (名無しさん) 2010-06-19 14 10 45 こと半島に関しては現地の音に近い表記でほぼ統一されてるっぽい。 李承晩(イースンマン)安重根(アンジュングン)等々。日本語読みは この十年近く見たことない。 -- (名無しさん) 2010-06-19 15 43 02 百済→ペクチェ 新羅→シルラ 高句麗→コグリョ 各国でさえこうです。大陸のほうは殆ど日本読みなのに・・・? -- (名無し) 2010-06-20 21 03 10 ↑の3つまとめて曰く。漢字を自国語式で読むか、ハングルをローマ字みたくそのまま音読するかの違いでしょ?そう考えれば案外合理的かもよ。 -- (名無しさん) 2010-06-20 22 18 54 うるちの能力値を考えるに、李舜臣よりは上だろうとか思ったら(曹操+典韋)のいいとこ取りみたいになるのだが、それって妥当なんでしょうかね? -- (名無しさん) 2010-06-22 11 45 52 >うるち 自由に決めていいと思うが、個人的には曹操や周ユくらいで十分過ぎるくらい優秀でないかと思う。武力90台は個人の武勇で戦を引っくり返せるレベルじゃないかね。 -- (名無しさん) 2010-06-22 14 09 34 おっと・・・ウルチ更新してしまいました。考えられてた方変更どうぞー 李舜臣は自分が更新してないので比較はしてなかったり -- (名無しさん) 2010-06-23 14 09 22 みてる分には面白いけど、やっぱり自分が好きな武将だからか、能力にブースターがかかってるのが半分以上いるな。 -- (名無しさん) 2010-06-23 17 32 48 ↑基本的には有名どころが揃っているわけですから、どうしても強くなりがちになってしまいますね。 いにしえ武将達が強力なのと同じことですから。 -- (名無しさん) 2010-06-23 17 58 22 あー、うるちがいい塩梅にw。乙でした。 -- (名無しさん) 2010-06-23 20 06 50 特に文句を言うつもりはないが、後漢の武将強すぎワロタw 武将の充実度といい高めに設定されたステといい、作成者はここに投稿する歴史好きの中でも群を抜く後漢好きとみえる。 -- (名無しさん) 2010-06-24 03 49 44 作成者です。後漢が格別好きってことはないのですが確かに全体的に贔屓目かも 耿弇・寇恂・岑彭・馮異・祭遵と迷う事ない名将揃いなのも一因かも。 筆頭の鄧禹は最後まで悩んで、最も数値化が分からなかった人物でもあります。 -- (名無しさん) 2010-06-24 10 33 37 そしてちょこちょこ細かいところを 修正訂正してくれてる方ありがとうございます。 ミス多くて申し訳ない。 -- (名無しさん) 2010-06-24 10 37 42 やはり能力値の設定にはどうしても異議が出てくるようなので、少し注を付けてみます。 -- (名無しさん) 2010-06-24 23 22 08 元々人の能力を数値化するのは難しく、まだ三国志は知名度と比較対象の多さで判断し易いが、時代が違っちゃうと尺度がわからない。 そうすると、どうしても自分に馴染の無い人物には辛くなる物。公式の能力ですら議論は絶えません。 あまり気にしなくてよいでは。逆に情報量が多くなる事に難色を示す人もいますし。 -- (名無しさん) 2010-06-25 16 39 29 冒頓の評価高ぇ・・・ でも実際にそのぐらいありそうだから困る。 どこの勢力、または土地に配置するのがそれっぽいかな? -- (名無しさん) 2010-06-27 01 26 31 天水がそれっぽいかと。扶風を脅かすのがいかにもな感じがするのですが・・・ -- (名無しさん) 2010-06-28 00 40 44 欧州…さすがに芸がないと言わざるを得ないわ。 「欧州の偉大な学者たち」という1人の武将にしか見えん。 -- (名無しさん) 2010-06-28 20 58 57 ↑随分前に更新されてたものだから作った人はもういないかもしれない -- (名無しさん) 2010-06-28 22 30 44 そもそも、名前自体入力できませんが… -- (名無しさん) 2010-06-29 03 36 53 まあ、学者はネタでしょw権謀術数と理数系の頭の良さは別物。自分はW盃記念に魔羅道名や怒云雅を作ったが、南米ないな……w -- (名無しさん) 2010-06-29 07 27 34 時代背景いいね。GJ!! -- (名無しさん) 2010-07-04 14 21 11 「以後」にあった金元清関係の武将をそれぞれに移動させました -- (名無しさん) 2010-07-04 14 54 48 しかし、相変わらず伝が丸写しだねえ……中華の歴史上の人物コンプしそうな勢いだし、これではページがいくらあっても足りないんじゃ? -- (名無しさん) 2010-07-04 19 22 40 ↑仰る通りではありますが、武将も無限にいるわけではありませんから… ある程度すれば収まるのではないでしょうか。 -- (名無しさん) 2010-07-04 19 29 45 自分も歴史好きなので薀蓄を披露したい気持ちはわかるが、新武将は攻略とは言えない個人的趣味の世界。 そこを所有者でも無い人間がどんどん拡張してまで追加していくのはどうだろう? 無限ではないと言うが、自分が知ってるだけでも中国史の有名所はまだ相当残っているし、 これが日本や世界の人物、はては架空ネタまで飛び火すれば本当に際限は無くなりますよ。 列伝を小さくと言っているのは、そういった事まで考えた上での話。 正直、個人的には列伝は不要だと思います。 コメの戦国武将一覧みたいに名前と能力だけで遊ぶ分には十分だし、それなら情報量も大した事無い。 PCでないと列伝はいじれませんし、興味持ったらwikiで調べれば済む物では? 参考にしている人も居るかもしれないが、大半の人には不要な情報。それを認識した上で編集していただきたい。 -- (名無しさん) 2010-07-05 10 00 18 大半の人には不要な情報。 興味がないなら新武将のページだけ見なきゃいい話だろ・・・ -- (名無しさん) 2010-07-05 12 29 49 俺は列伝があったほうがいい 今は有志にまとめられて250字くらいで読みやすいし 読めばそこからいろいろ興味もわいたりする あと、容量については管理人が言うことだと思う 全体の容量がどれだけか分からないけどピンチなの? -- (名無しさん) 2010-07-05 14 16 47 まぁ言わんとすることもわからん訳ではないが、簡潔にまとめられているのでOKなのではないだろうか。 「この武将はなんでこんなに高知力なんだ?」とか知らない武将をちょこっと見たいときとかに列伝は有効だからな。 あと、↑3に言いたいのだが、容量云々言うのなら、コメントも簡潔にしてくれ。9行も書く内容ではないぞ? -- (名無しさん) 2010-07-05 14 32 46 言い忘れてた、名前が書ききれない、東郷平八郎とかシュリニヴァーサ・ラマヌジャンとかはどうすればいいんだ? 新武将一覧に必要なのか? -- (名無しさん) 2010-07-05 14 36 01 ↑5だが、自分は別にやめろとは言ってない。ただ、増やす前に削る作業を優先すべきだと言っているだけの事。 ↑も指摘している様に、実用性の無いネタっぽい物やまだまだ伝の長い物は多い。 興味がないからではなく、あるからこその発言であり、改善されたなら自分の発言は消すつもり。 何度も言うが、ここは個人的趣味を公開してるだけなのだから節度が大切。 それとも、みなさんは自重よりもプレイ動画の様にアニメや他のゲームのキャラが乱舞する事をお望みですか? それなら自分もはっちゃけますが……。 -- (名無しさん) 2010-07-05 17 59 02 ↑6の3行目までは納得できるんだけどなぁ。 「そういったことまで考えた上で」と言ってるが、その中身がほとんど現実味を帯びてないんだよなぁ。 「中国史にはめちゃくちゃ詳しいけど欧州史や日本史は全く興味ない」って人はほとんどいないはず。 それなのに最近の更新は中国史に限定されてる。この事実を無視して自重を知らないというのはいかがかと思う。 ましてやアニメやゲームのキャラなんてどこにもいないだろうに。 ちなみに、自分はむしろ能力値より列伝のほうがほしいわ。 能力値は(作者や時代にもよるが全体的に)高すぎてそのまま使うとチート武将無双になるから下方修正かけなきゃいかん。 そういうときにwikipediaを要約してくれている列伝はそれなりに参考になる。 -- (名無しさん) 2010-07-05 18 53 30 ↑↑節度が大切って言いながら最後の2行はなんだよ・・・ 結局自分の思いとおりにしたいだけじゃねえか お子様は帰ってくれ頼む -- (名無しさん) 2010-07-05 20 15 12 みんながみんな揚げ足取りをしているようでは議論は終わりませんよ。 悪い部分ばかり抜き出すのではなく、ちゃんと的を射た事もおっしゃってるんですからね。 個人的には列伝は見ていて楽しいです、が容量の問題が切迫しているのなら、 それに対処するのも決して間違ったことではないでしょう。 ですから、列伝は残しつつ、できる限り要約した内容にしてまとめ、 そこからまた添削していけばいいのではないでしょうか? -- (名無しさん) 2010-07-06 00 27 00 揚げ足を取っているという言い方は正直納得できないが、まぁそれはもういいや。 時々列伝が削られてるみたいだけど、本格的にやるなら何らかの基準が必要だと思うよ。 ちなみに文章削除は慎重にしたほうがいい。個別武将のページでも「加筆は大胆に、削除は慎重に」というのが基本ルールだった。 もう一つ言うと、容量の問題は時々憂慮する声が聞かれるが、実際に管理者が「容量がヤバイ」と言ったことはないはず。 一部の人間の推測だけで文章を削ることに対しては慎重になるべきだと自分は思う。 -- (名無しさん) 2010-07-06 00 41 30 @WIKIについて調べてみたが、1ページあたりの制限はあるが、 ページ数とファイル数の制限は無いようです。 添削については見易い様にしてくれてるのはわかるが、 更新者が入れたかったであろう?エピソードとかがばっさり 切られてるのが見受けられるのは確かに俺も気になる。 まだ残ってるけど長すぎるのはバッサリやってくれていい。 -- (名無しさん) 2010-07-06 00 46 08 添削作業をしてる者だけど「250字以内」「読みやすく」を基準にしてる 後者は言わずもがな、前者は「ここはゲームのwiki」だからゲーム内で使えるサイズにしてるだけなんだ。 「武将の列伝を見るのが好き」な気持ちはわかるけど、本分を大事にしようよ。 どうしても読みたいのなら、wikipediaにリンク張っておくとかね。 -- (名無しさん) 2010-07-06 01 46 06 列伝を削るなとは言わないけど、その作業はあなたの独断で残すエピソードとか決めてるわけでしょ? そりゃ250字だからほとんど残らないかもしれないけど それでも「網羅的な解説をするorある一部のエピソードに焦点を当てる」など、悩むべき点はあるはず。 「本分を大事にすれば何やってもいい」とは思っていないだろうけど、独断専行は誤解を生むよ。 尤も、新武将なんてオマケなんだから列伝編集くらい個人裁量でいいっていう合意が得られれば、俺もお手伝いしますよ。 -- (名無しさん) 2010-07-06 01 59 17 ここが「みんなの新武将」である以上、中国史上の人物であろうと、それこそアニメキャラであろうと同じ新武将のハズ。 それなのに中国史武将はいくら増えても良く、他はダメという理屈はおかしいと思うし、だからこそ他が出てくる前に程々にと言ってる訳です。 列伝を小さく出来ないなら、「みんなのいにしえ武将」を作って中国史の人物と他を差別化しては? いにしえは列伝付きの本格派。新武将は小ネタって感じで明確に別れていれば、規制にもなるでしょう。 -- (名無しさん) 2010-07-06 03 55 09 ↑確かにそのとおりですな。 荒れないためにも分割に一票。 -- (名無しさん) 2010-07-06 05 00 14 ↑2もし↑10と同じ人物なら頭を冷やして自分の主張を読みなおしたほうがいい。 その分割案は現行の武将の列伝を削らないうえに、もう一方のページにはどんな人物も記述していいと認めることになるので 間違いなく今以上に節操がなくなるだろう。 それと、よく読むと列伝を削ること自体に反対している人はいなかったりする。 根本的な考え方の差なのかもしれないけど、今の現状を見てどうして他に飛び火する可能性をそこまで憂慮するかな。 自分は、掲載は中国史の人物が望ましいという暗黙の了解があるから(つまり中国史の人物とアニメキャラを一緒くたにしている人はほぼいない)変にいじるよりこのまま放置した方が穏やかだと思うんだけど。 個々の武将のコメント欄も、最初は記述が殺到して、誤情報もいくつか載ってしまってたこともあるけど今は落ち着いてるし。 -- (名無しさん) 2010-07-06 06 23 50 それとも、みなさんは自重よりもプレイ動画の様にアニメや他のゲームのキャラが乱舞する事をお望みですか? 長々と講釈垂れてると思ったらただの勘違い自治気取りだったのか・・・ -- (名無しさん) 2010-07-06 10 26 36 ↑3だが、みんなの意見を尊重したからこそ、次善策を提示してみたのですが? 最初からよく読み返して欲しいと思っているのは、むしろこちらの方です。 自分の主張は一貫してここは攻略と関係ないから程々にです。 そして元々それは、趣味の領域であるここへの風当たりが、更新履歴が目立つ事によって強くなる事を懸念しての忠告であり、現在頻繁に更新している方なら話がわかる方と思っての物でした。 アニメや容量の話を持ち出したのは例えに過ぎませんし、列伝いらないと言うのは個人的な感想でそうしろとは言ってないつもりです。 今回の分割案は、そんなに要望があるなら史実武将を趣味から攻略に昇格させてはと提案しているんです。 暗黙の了解が本当に成立するなら、暴言や他人の意見を勝手に消したりといった最低限のマナーに反する言動も無くなるはずでは? もちろん、そういった人は一部でしょうが、すみませんが、自分は全ての人を信頼してはいません。 大分前の更新ですが、信長や西洋の学者といった前例もありますし、最近の種分けで埋もれていた物が目立つようにもなりました。 それを真似して、例えば信長の武将を大量に列伝つきでのせる人が現れないとも限らない。 そしてそれが起きた時、いくら文句を言おうと強制的に消せるのは原則管理者さんだけのハズ。 だから、そうなった時にそれを容認するのか、ダメなら先に何らかの手をうつべきとの問題提起もこめ、様々な例えを出してみたのですが……。 そんな事は絶対起きるはずが無いと皆さんが仰るなら何も言う事はありません。 まあ、ここが意外と皆さんに好意的に受け入れられている事がわかりましたので、以後口出しせず見守る事にします。 -- (名無しさん) 2010-07-06 18 45 17 もう言ってる事がムチャクチャだな。 -- (名無しさん) 2010-07-06 21 58 46 ↑2・・・コメント長すぎだってば。 で、結局名前が入りきらない欧州の人物はいるの?いらないの? -- (名無しさん) 2010-07-06 23 17 04 すまん、よく見てなかった!もうなくなってたよ(-_-;) -- (すぐ上の愚か者) 2010-07-06 23 18 39 >自分は全ての人を信頼してはいません。 何様のつもりなの? -- (名無しさん) 2010-07-07 10 26 06 もう、やめようよ・・・ -- (名無しさん) 2010-07-07 10 29 24 …どうにか、後漢編も終わりました。 これで、一つの山が終わったかと思います。 -- (名無しさん) 2010-07-08 22 41 17 投稿された列伝や能力値は投稿者以外でもいじってよろしい? 一部「やりすぎ」感のあるものは修正したいのですが。 -- (名無しさん) 2010-07-09 13 16 54 能力値の編纂は編集合戦になりかねないから好ましくない 「やりすぎ」感のある将と理由と書いて賛同を得るのが筋かと -- (名無しさん) 2010-07-09 13 22 17 ていうか新武将なんだしゲーム内で自分好みに変えればいいんでは? -- (名無しさん) 2010-07-09 14 29 19 ↑そりゃそうだ!理由を書いたら書いたで新たな紛争のネタになるだけ。 -- (名無しさん) 2010-07-09 14 33 58 ↑x2ゲームでこの設定を採用する気はさらさらないけど 同じ項目内にある武将と比べてしまうからヲイヲイと思う事はある 他と比較しない独自見解のみの人は、一旦コメント欄で書いて反応見てから追加してくれないかな 特に女武将。 -- (名無しさん) 2010-07-09 18 45 16 王元姫に丁氏、有名でも美女でもない人の魅力90台はちと引く。 前者は他の数値も高すぎると思う。そこまでの実績ないでしょ? -- (名無しさん) 2010-07-09 19 38 01 丁氏と曹操の悲恋話は比較的有名かと。 第一、美女かどうかなんて実際誰にも分ったことではないし、 正室になるくらいなら、美貌も、ある程度の才も備えているはず。 引くほど過大だとは思いませんが? -- (名無しさん) 2010-07-09 23 26 23 ・・・また始まるのかい? -- (名無しさん) 2010-07-09 23 39 36 伝や解説だけ書いて投稿すればいいんじゃないかな?能力値や適性を入れるから、くだらないケンカが起きる。 リアルっぽさを求めて新武将作りたい人が殆どだろうから、それだけで十分資料になりうると思う。テンプレをなくしちゃえばいい。 -- (名無しさん) 2010-07-10 02 03 03 だからここは議論する場じゃないっつーに ヲイヲイって思ってたらいいんだよ勝手にな -- (名無しさん) 2010-07-10 10 53 49 引くって言い方は悪いが、魅力90代は傾国の美姫ってイメージはわかる。 能力値はイメージの近い武将に似せたり、同年代武将と比較するといいと思う 丁氏なら弁氏やビ氏辺りと、元姫は張春香かな。 後はやや弱めにして特技を実用的な物(丁氏なら仁政とか)にしたりしてバランスをとるとか。 武将データ詳細版は能力値順とかにも出来るから、それを参考にしたりね。 -- (名無しさん) 2010-07-10 12 58 36 まぁ、そーやって一生懸命能力値を考えてみても、万人が納得する能力値なんて作れっこない。 ↑2は、口こそ悪いが言っていることは正しく思える。あと、生年が「?」の人物がいるが、なんとなくのイメージでいいから、生没年を数字にしてほしいなぁ。 能力値以上に迷う・・・ -- (以降能力値の議論は止めよう) 2010-07-10 17 13 36 ↑仰りたいことは分かりますが… 本当に資料不足でイメージすら特定出来ないというのが正直なところです。 -- (名無しさん) 2010-07-10 23 34 55 水滸伝補完(地煞星七十一員)の残りの好漢を早く追加してくれ -- (名無しさん) 2010-07-12 19 15 46 楽しみにしてるのはわかるが、完全にボランティアなんだから「お願いします」くらいは礼儀だろう。 -- (名無しさん) 2010-07-12 21 04 13 楊文里 【ヤン・ウェンリー】 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 98 48 100 85 93 神算 C S A C S S 知ってる人は知っている「エル・ファシルの英雄」 -- (名無しさん) 2010-08-06 19 34 54 ↑読みにくくなってしまいましたね。申し訳ございません。 一応特技を・・・槍C 戟S 弩A 騎C 兵器S 水軍S です。 守りで活躍した武将には戟Sが多いのでヤンもSにしました。 -- (名無しさん) 2010-08-06 19 39 13 あれ?楊志の特技って駆逐でしたっけ?疾走だった気がするんですが・・・。 -- (名無しさん) 2010-08-06 22 26 15 ↑あと瓊英と張清は白馬だった気がします。 -- (名無しさん) 2010-08-06 22 27 15 新武将作る時、特殊漢字ってゆー項目ありますよね? その漢字の並び順ってどうなってるんですか? もしくは、どうすれば順番変えられますか? -- (もみあげ) 2010-08-15 12 31 20 ↑おそらくCS版の特殊漢字だと思いますが、あの文字の一覧は基本的に部首並びのはずです。 あれは、常用漢字外の文字をコーエーの側が特別に使用可能にしたものなので、順番を変えたりはまず出来ないはずです。 使えるだけましだと考えるより他ないでしょう。 -- (名無しさん) 2010-08-15 18 44 02 新武将の名前として女媧が入力できなかったのですが、これはゲーム側で認識できない文字だからどうしようもないという事なんでしょうか? 無双シリーズには出てたのに名前使用不可とか悲しい事に… どなたか分かる方いらっしゃったら回答お願いします。 -- (名無しさん) 2010-08-16 01 06 15 ↑×2さん【。+゚ぁりヵゞとぅご±゛ぃまUナ=。+゚】ヾ(・ω・`o) ケイカのケイの字とか、ない漢字もあるんですか? ハンカイのカイの字もない>< 解答お願いします -- (もみあげ) 2010-08-16 07 10 24 新規武将の名前決めれないときは、西洋名を中国語にしてみるとおもしろいかも。 ゼウスだと宙斯、オーディンだと奥丁みたいに。 72柱やデビルマンの元ネタで有名なアモンは中国語で書くと亜蒙とか、 他だと巴力でバール、阿加雷斯でアガレス、巴巴妥司でバルバトス、貝雷特でベレト、 阿斯莫徳でアスモデウス、彼列でベリアル、但他林でダンタリオン。 その他の悪魔 別西卜でベルゼブブ、路西法でルシファー、阿舍塔羅でアスタロト、巴風特でバフォメット、 阿努比斯でアヌビス、比蒙でベヒモス、利維坦でレヴィアタン。 後、元から中国人名風なクーフーリンは庫胡林、ついでに貝奥武夫でベオウルフ 威廉泰爾でウィリアムテル 羅賓漢ロビンフッド 参孫サムソン 浮士徳ファウスト 加百列・ガブリエル 法老・ファラオ 漢尼抜・ハンニバル 大流士・ダレイオス 席徳・エルシド 亜暦山大・アレクサンドロス 奥徳修斯・オデュッセウス 聖女貞徳・ジャンヌダルク 彼得・ピョートル 希特勒・ヒトラー なんかも使いやすくて面白いと思う。 漢尼抜ってなんかエロいよね…… -- (名無しさん) 2010-08-28 07 26 35 ↑どういう規則?で書いてるんですか -- (名無しさん) 2010-10-15 20 21 36 書いた本人ではないけど、だいたいが北京語読みの当て字ですな ゼウス=宙斯(ジョゥス)ガブリエル=加百列(ガァボゥリィェ)みたいに。 ジャンヌダルク=聖女貞徳(ジャンニゥジェンドゥ)なんかは良い字を当ててると思う -- (名無しさん) 2010-10-15 21 17 40 東郷平八郎と山本五十六は名前が入らないね。みんなこの2人はどうしてる? それとも日本人は作ってない? -- (名無しさん) 2010-10-15 21 40 38 ↑もう一つの名前は、どうでしょうか? 例えば戦国時代の黒田官兵衛なら、黒田考高〔もしくは如水〕 とか。最も東郷さんと山本さんに、詳しくないので、 そういった名前が有るかは、知りませんが・・・。 -- (名有りさん) 2010-11-16 15 47 36 私は 長宗我部元親なら 長宗元親 で字に我部 石川五右衛門なら 石川五右 で字に衛門 と無理やり作ってますよ -- (名無しさん) 2010-11-19 23 06 50 ↑字だったら〔長宗我部〕目上の人には〔元親〕と呼ばれますな。 ナイスアイデアです。場合によっては〔長宗元親〕になる事も 有りそうですが、其処は脳内補完でって所ですな。 -- (名有りさん) 2010-11-23 10 49 45 偉そうで、すみませんでした。 -- (名有りさん) 2010-11-23 10 57 36 小さなことですし、前にも議論になっていますが、 朝鮮・韓国の人物のみ日本読みではないので、やはり統一しませんか? -- (名無しさん) 2010-11-24 00 30 24 朝鮮半島では日本人の名前を日本語読みにしているので、朝鮮民族も日本語読み。 中国では日本人を中国人の名前も中国語読みなので、日本でも漢民族の名前は日本語読みと聞いた。 -- (名無しさん) 2010-11-28 15 02 17 まちがえた朝鮮民族は朝鮮語読みな。 -- (名無しさん) 2010-11-28 15 02 47 本当に今更ですけど、宋朝四姦の能力高くないですか。 個人的には、小心者の悪人のイメージなので・・・。 -- (雑兵A) 2010-12-13 18 19 16 北方謙三の水滸伝では童貫はとても非凡なものを持っていたのに三国志11ではとても弱くてびっくりしました。がっかりです。 -- (豹子頭1ststyle) 2010-12-21 20 40 07 私事ですが…例えばオーディンなら王電(オウデン)、トールなら闘瑠(トウル)、ロキなら魯鬼(ロキ)にして最強北欧神話軍団を造ったりしてます♪ 闘瑠と魯鬼は義兄弟で。 あくまでイメージと理想ですが… 王電 統97武力95知80政74魅92 特技は神将 槍兵S戟兵A弩兵B騎馬S兵器B水軍A 闘瑠 統84武力99知45政37魅85 特技は闘神 槍兵S戟兵S弩兵C騎馬A兵器C水軍B 魯鬼 統99武力82知94政96魅97 特技は虚実 槍兵S戟兵S弩兵A騎馬A兵器S水軍C 本当はテュール(威風?)やスルト(火神!!)も造りたいのですが…皆さんはどんな感じで造ってますか? 評価なんかも聞かせてもらえたら嬉しいです☆ 長文乱文失礼しました m(__)m -- (ゆんぼ) 2010-12-22 18 44 59 ロキが強すぎる気がするw 自分はネルソンやアレクサンドル・スヴォロフなど 海外の人を作ったりしますね。 アレクサンドル・スヴォロフ 急襲もしくは飛将 統100 武90 知88 政60 魅80 槍S 戟A 弩S 馬S 兵器A 水軍C 飛将だと強すぎるから遁走とも思ってるけど 遁走の意味が逃げるなんだよねぇ(笑) 問題は名前 姓スヴ名ロフですw -- (名無しさん) 2010-12-23 06 28 46 ご指摘ありがとうございます! 確かにロキは強すぎますが、ひいきなキャラなんで♪ アレクサンドル・スヴォロフは飛将が合ってると思いますよ (^_-)-☆ 強すぎても良いじゃないっすか☆ 西洋の名前は無理矢理つけるしかないもんね… 顔もないし ( _ ) -- (ゆんぼ) 2010-12-23 12 51 55 キモッ チラ裏逝け -- (名無しさん) 2010-12-24 21 47 39 たしかにきもいが だいたい、なんでここに新武将書くんだろう テンプレにしたがって新しいページ作って書き込めばいいのに どうせ、めんどくさいとかそんな理由だろうけど -- (名無しさん) 2010-12-24 23 21 05 いや、自重してくれてるんじゃないかね。ページなんか作られたらカオスになるよ -- (名無しさん) 2010-12-25 00 02 08 どなたか、朱蒙や善徳女王、アルチョンなんかも作ってくださ~い。 -- (名無しさん) 2010-12-25 20 02 47 できたら 『レッドクリフ』の孫叔材(?)や夏候儁 『三国志(同年の映画)』の羅平安や曹嬰 も、どなたかに作っていただきたいですね… -- (名無しさん) 2010-12-25 21 11 06 なんでも人任せはよくない 枠と列伝だけ作っておけば、他の人が埋めてくれるかもよ 以前、中国史での新武将で能力空欄にしたのいくつか作ったけどいつの間にやら埋まってたもの -- (名無しさん) 2010-12-25 22 00 06 ↑すみませんが、編集をするためには何か手続きをするのですか? また、どのように新武将を作ればよいのですか? -- (名無しさん) 2010-12-25 22 36 09 自分で考えることを放棄したらおしまいだよ? 「このページを編集する」てところを押して、新しいタブで編集画面を開いてみな。 あとは、元のページと編集画面を比較して作りな。 おれは今も詳しい作り方なんかは知らないけど、そういったやり方で作ってる。 -- (名無しさん) 2010-12-25 23 04 12 ↑ありがとうございます m(__)m -- (名無しさん) 2010-12-26 09 47 49 甘興ってわざわざ欄あるけど甘寧本人だよな モデルがどうとかじゃなく -- (名無しさん) 2010-12-26 22 15 07 ここ最近の更新履歴が「みんなの新武将」で埋まってますが、 何か有ったんですか? 新武将は編集されても何処が変わったのか分かり難いです・・・。 -- (雑兵A) 2010-12-28 23 38 17 ページ名に「みんなの」っていうのを加えただけかと… -- (名無しさん) 2010-12-29 00 11 40 質問に答えて頂き、有難う御座います。 チェックを怠って居たので気付きませんでした。 すいません・・・。 -- (雑兵A) 2010-12-29 17 37 01 高句麗って、朝鮮史に入るんですか? -- (名無しさん) 2011-01-06 23 23 48 高句麗(こうくり、紀元前37年 - 668年)は、 ツングース民族による国家であり、最盛期は満洲南部から朝鮮半島の大部分を領土とした。 半島南西部の百済、南東部の新羅とともに朝鮮半島における三国時代を形成。 隋煬帝、唐太宗による遠征を何度も撃退したが、唐と新羅の連合軍により滅ぼされた。 (wikipediaより抜粋) ・・・とwikipediaは申して居ります。 三国志で例えたら魏みたいな国ですね。(長文すいません) -- (雑兵A) 2011-01-08 05 57 17 高句麗は朝鮮人の国ではないけど、朝鮮半島の大部分を領有していた。 そのために、中国と朝鮮どちらの国の歴史に含まれるかで対立している。 -- (名無しさん) 2011-01-08 11 24 16 山川日本史B、第一学習社の世界史図説見たら朝鮮史の項目で 朝鮮三国時代の一国として記述されてたよ。 中国が高句麗は中国史と言いだしたのは2000年代初頭からだな。 東北工程という政治的な国家プロジェクトなんだがね。 このプロジェクト以降、学生向けの教材、中国社会科学院のHP の朝鮮史の項目から高句麗は削除されていった。 ネットの一部じゃ朝鮮憎しのあまり、中国の主張を支持する 意見が強いけどね。 -- (名無しさん) 2011-01-14 15 34 23 ああ、それと中国がいい加減な国だからか、何か政治的な意図があるからか は知らないけど、2005年に刊行された列國志シリーズの韓国編 では普通に高句麗を記述して朝鮮史扱いしてるね。 -- (名無しさん) 2011-01-14 15 44 46 ヨーロッパ諸国の人物ほしいなぁ~ ナポレオンとか強そう・・・ -- (名無しさん) 2011-01-18 01 47 58 アッティラやティムール等も万能型になりそうですな -- (名無しさん) 2011-01-19 19 40 22 水滸伝の梁山泊好漢、全員補完しました。容量が大きくなりすぎたので分割しましたが、 方臘軍の項目名を間違えてしまいましたので、どなたか削除お願いいたします。 -- (名無しさん) 2011-01-22 23 46 25 王進と羅真人も作っていただけませんか? 宜しくお願いします -- (名無しさん) 2011-01-29 19 03 13 すいません 見落としてました 作っていただけてましたね ありがとうございます -- (名無しさん) 2011-01-29 19 04 33 羅真人の武力90は間違いですか? 何か逸話ありました? -- (名無しさん) 2011-01-30 03 16 18 韓滔や彭玘など PS2版に文字が登録されてないのは 作った方どうしてます? -- (名無しさん) 2011-02-01 12 12 15 轁とか己とか代字を使ってますね -- (名無しさん) 2011-02-01 19 59 27 朱元璋はまだ作られて無いんだね 結構良い感じの能力値になりそう -- (名無しさん) 2011-02-09 05 47 52 新武将で士壱と士匡と士徽と士祗で後期の呉を補強したいのですが、彼らの能力と夢、寿命、性格、没年、生年を教えて下さい。 お願いします。 (士爕は後漢末の人物に書いていましたが、夢、没年、生年、性格を教えて下さい。) -- (名無しさん) 2011-02-10 19 35 17 自分が三国志ds1持っていて、それに士爕一派がいたので自分でつくりました。 零リョウとケイ陽領土にして新武将プレイしてます。 なんとなく交州が好きなんで、やってみました。 交州の都市がマップにあってほしいです。 南海とか、日南とかあったらなあ。 -- (↑を書いた奴) 2011-02-11 20 15 41 新武将でこんなん作ってみた。 名前覇王特技覇王適性全S・・・ってこれ最強じゃないか。そうではない。 全能力1!コイツは面白い。 -- (名無しさん) 2011-03-01 22 46 43 春秋戦国時代の武将達もっといますよね -- (名無しさん) 2011-04-05 14 35 37 ↑きりが無いから煽らんでいい。 -- (名無しさん) 2011-04-05 19 29 46 ↑×2自分で作れば?俺も思ったことあるけど途中で気力がなくなってやめた。 -- (名無しさん) 2011-04-14 19 11 51 無駄に容量増やすな -- (名無しさん) 2011-04-21 22 52 47 なあに、きみの存在に比べればけっして無駄じゃないさ -- (名無しさん) 2011-04-21 23 36 24 ↑×8とりあえず10での能力と生没年を挙げるね。 士爕(137~226) 統率53武力31知力76政治80魅力86 士壱(?~242?) 統率48武力36知力67政治74魅力69 士匡(?~?) 統率58武力45知力64政治58魅力64 士徽(165?~226)統率69武力64知力44政治31魅力54 士祗(163?~226)統率63武力58知力51政治52魅力46 こんなところかな。長文になって申し訳ない。 -- (名無しさん) 2011-05-16 17 10 02 ↑書き上げて上を良く読んだらもう解決してたのかorz -- (↑を書いちゃった奴) 2011-05-16 17 15 51 ↑いえいえこれを参考にしてこまめな能力調整していきますんで。 -- (↑×9、↑×10) 2011-05-16 18 24 49 ↑じゃあ書き上げたのは無駄じゃなかったのね、よかった。 追記すると士徽は空気を読まずに仲謀の挑発に乗って呉に反乱を起こした愚か者だから性格は猪突のほうがしっくりくると思うよ。 陳寿にもボロクソに言われてるし。 あくまで私のイメージだけど。 -- (↑×2,↑×3) 2011-05-18 16 43 33 本当にありがとうございます。士爕一派プレイ頑張ります!!! -- (名無しさん) 2011-05-18 18 31 44 茲と爕と棗の漢字の位置が分からない。どの読み方にあるの? -- (名無しさん) 2011-05-25 19 48 18 爕はショウです。それ以外わかりませんwww -- (↑×2) 2011-05-25 20 13 40 棗は「なつめ」で変換できました -- (棗大策) 2011-09-19 20 21 29 「裔」「弩」の漢字の位置がわかりません。どこにあるのでしょうか? -- (名無しさん) 2011-11-29 20 36 52 PCのIMEでは、 「裔」は「末裔(まつえい)」の「えい」で、「すえ」とも。 「弩」は「ど」「いしゆみ」等で変換出来ます。 -- (名無しさん) 2011-11-30 11 35 38 すみません。PS2では、「裔」「弩」はありますか?説明不足ですみません。 -- (名無しさん) 2011-11-30 21 07 34 えっと… 新しく作るには(登録するには) どうしたら良いんですか??? -- (孔雲) 2012-03-21 03 55 51 蚩尤とか、伝説時代の皇帝とかも欲しい 蚩尤「工神」…史記の「兵主神」より -- (名無しさん) 2012-03-25 00 27 10 そんな事したら、収集付かなくなるんじゃ… -- (孔雲) 2012-03-25 05 35 38 いいね -- (亀) 2012-03-25 10 28 23 では、神農は、「火神」ですね。 -- (麟華) 2012-03-25 23 36 49 ヨーロッパの武将とはか作らないのかな? -- (名無しさん) 2012-09-11 23 18 40 アーサーとかかいね? -- (ペンドラゴンです) 2012-10-29 15 42 10 サラディンとかバイバルスとか作ろうと思ったけど文字数足りない辛い -- (名無しさん) 2013-04-26 13 55 46 恐らく明確な基準は無いけど 武力はこんな基準でコーエーさんは決めてるんじゃないか という推測 武力60~70…前作の賊並 武力70~80…武芸に長ずると書かれる武将 武力80~85…武芸に優れるor何らかの見せ武器がある? 武力85~90…武芸百般~もしくは怪力~と大体書かれる 武力90~95…猛将クラス、日本の戦国時代の剣豪なら印可クラス 武力95~100…単騎駆けで敵の一軍団が混乱もしくは進軍を止めるレベル 番外で50以下は一般文官レベルの様です 間違いなら申し訳ない -- (名無しさん) 2013-04-26 14 20 23 ↑×2 文字数に困ったときの中国語表記。 サラディンなら薩拉丁、バイバルスなら拜巴爾とか。 -- (名無しさん) 2013-04-26 16 31 17 最近、新武将の能力値の編集が頻繁なので注意点の部分に加筆してみました。 問題があるようでしたら以前の記述に差し戻してください。 -- (名無しさん) 2013-06-01 04 13 26 てか、能力盛衰とかでも調整したらいいんじゃないでしょうか? -- (名無しさん) 2013-06-04 12 56 38 一番初めの頃の能力値が最もしっくり来る内容だった。 後漢を編集した人間は万死に値すると個人的に思う。 それと日本の戦国武将は編集合戦になりやすいし、 いらないんじゃないかな? -- (名無しさん) 2014-04-06 02 16 56 編集合戦になりやすいのは 戦国武将に限った事ではない 過去には唐、後漢の項目でも発生している 編集合戦になる最たる理由は つけた能力値を理由なく勝手に変更すること。 これをなくせば編集合戦はなくなるし 裏を返せばこれが起こると編集合戦になる。 後漢の劉秀は完全にこれの応酬だった -- (名無しさん) 2014-04-06 14 17 22 ↑↑とりあえず注意書き置いておきました -- (名無しさん) 2014-04-06 14 28 25 せっかくコメント欄あるんだから使おうよとは思うね -- (名無しさん) 2014-04-13 12 18 56 注意点の箇所に能力値の変更についてこちらにも加筆しておきました 問題があるようでしたら以前の記述に差し戻してください。 -- (名無しさん) 2014-04-30 04 59 30 あれ? 高句麗や百済なんかの武将は消されたんですか? 久しぶりにこのページ見てみたら・・・。 -- (名無しさん) 2014-06-04 22 07 59 ↑ ホントだ。私が作った朱蒙や尊徳女王が消されている・・・。 -- (名無しさん) 2014-06-17 19 57 01 個人的に「神話時代?」の人物とか欲しいんですが・・・ 無理ですかね? -- (名無しさん) 2014-06-26 04 31 52 悪いとまでは言わないけど、正直に言って 神話時代の人物までいくとこの攻略wikiで 取り上げるべきことではないように感じる。 -- (名無しさん) 2014-06-26 09 55 53 信長のあの能力じゃ互角の兵力だった場合生涯負けなしの古今無双の軍神でなければおかしいけど10分の一兵力の馬場信春に負けたり圧倒的寡兵の浅井に押されまくったりと戦術家としては常勝無敗の名将というほどの安定感やイメージは一般的にはないよ 信長が卓越しているのはやっぱり戦略であって統率なら99でも100でもかまわないけど一部隊を率いたときの殲滅力は統率武力合計190以上の武将というイメージを持っている歴史オタはほとんどいないよ -- (名無しさん) 2014-07-25 13 57 47 あれ?日本のスレでうったつもりがミスった -- (名無しさん) 2014-07-25 13 59 16 信長って後世の史料で勝手に後付で弱いみたいな扱いされてるけど 同時代の人間から明らかにその時代で一番強いという扱いされてますよ まあ信長の場合、負けそうになるとさっさと逃げたり、外交戦略を駆使するという点でも強さを維持する特徴がありますけど。 -- (名無しさん) 2014-07-25 14 25 48 大敗の類が一切ないのは地味ながら凄いと思うわ 家康の三方ヶ原、信玄の上田原、曹操の徐栄戦、劉備の夷陵のような 大敗北が見当たらない。最期の本能寺が一番致命的かと 思うとマジで項羽みたいだ。長々とすまん -- (名無しさん) 2014-07-25 15 04 13 ↑↑ 信長は戦略家としては文句なく一番だと思うけど戦術家としてはこのサイトで付けられているほど無敵ではないと思うけど 当時の民草の常識で戦術家としては信玄や謙信が存命中にこの二人より強い扱いになっていたとは思えないし聞いたこともないんだが 無論信長が戦下手なんて云うつもりは毛頭ないけどあの統率武力の合計値は無い 酒に酔っぱらっても16人切ったなんて話がある曹操でも武力70台なのに彼とと比較すると贔屓の前倒しが過ぎるよあの武力99は -- (名無しさん) 2014-07-25 15 51 15 謙信や信玄が最強扱いされたのは江戸時代の影響なんだけどな 信玄は村上義清に何度も負けてあわや戦死寸前だったし、 謙信も椎名や本庄といった地方勢力にかなり苦慮している 少なくともこの2人が最強扱いされたことは一切なく 秀吉も川中島も指して徒労だと言っていたりするくらいだ 少なくとも信長は個人武勇の逸話も多く 仮に下げるとしても95は固いから誤差の範囲 つうか曹操は武勇に関しては過少でしょ 統率は過大の気があるけど -- (名無しさん) 2014-07-25 16 01 54 当時の最強論は結局水掛け論になるからするつもりはないけど この公式の武力設定は軍の制圧力以上に個人武勇で評価されているわけだけどあの能力だと白起以上の指揮能力と勝率に呂布や項羽と互角に戦える個人戦闘力がある完璧超人ということになるんだけどね信長 曹操の武勇は過小なのは同意だけどこのサイトの公式キャラの能力を自分が納得するように動かすわけにはいかない以上不満があっても公式キャラの能力と実績とイメージで比較するべきだと思うが 正直「、僕の考えた完璧超人織田信長様」的な無茶な能力値振りはだれるんだよ 神がかりな采配をしつつ信長が単身自ら敵兵をけちらして義元や信玄や謙信の首をあげたって言うならともかく -- (名無しさん) 2014-07-25 16 46 07 一応長良川、稲生、浮野の戦いでそういう逸話あるんだけどな 刀根坂、天王寺も信長自ら先頭に立って敵兵を蹴散らしている 稲生は敵総大将を信長自ら討ち取って決着をみているし 動乱の時代に後ろでどじこばって声しか出さない武将自体が稀少だし つうか仮にも歴史上の偉人なのに舐めすぎじゃね? チートすぎて嫌だとか言い出したら大半の偉人消えるじゃん そういう傍目に見てチートな実績作ってるから偉人なんだしな -- (名無しさん) 2014-07-25 17 22 47 だから公式が曹操とかを全能力オール90台後半とかに設定してあるのならともかく公式チートの曹操よりも総合で20,30違うのは盛りすぎだと思うんだわ さすがに個人武力まで個人の武を極めたとされる猛将と互角に設定するのはねえ それとも本当に信長が一騎打ちで呂布や項羽と互角にやり合えると思っているんならもうなにも言うことはないけど -- (名無しさん) 2014-07-25 17 41 04 曹操は結構負けているし三国志ではチートでも他の時代だとそこまでじゃない つうか呂布はアイテムや一騎討ち補正あるだろ -- (名無しさん) 2014-07-25 18 28 25 ほかの時代だとうんぬん言ってしまったらそもそも三国志と戦国を比較すること自体ナンセンスなんだけどね そりゃ三国時代の軍と戦国時代の軍が戦ったら戦国時代の軍が勝つに決まっているし政治体制も戦国時代のほうが洗練されているに決まっている それらを承知の上できるだけ歴代シリーズに触れてきた多くの人にもできるだけ納得される数値にすべきだと思うんだがこの数値が歴代ファンに納得されていると思う? 過去レスを読む限り答えは明らかなんだが -- (名無しさん) 2014-07-25 19 29 14 こうこうこういう話があるから能力を下げると言うならまだしも 好みにそぐわないから変えると言うのは意味わからん ぶっちゃけ俺も変更したい人物はいくらでもいるが、 編集合戦を誘発するから変えないでくれ、とLRにあるから変えてない。 そう決まった以上そうすべきだし、基本的に下げたい派は根拠乏しいじゃん 白起が呂布や関羽より弱い公式データをだされても 俺には白起が過少だから、あげればいいじゃんとしか言えんよ -- (名無しさん) 2014-07-25 21 48 45 ああ、呂布は白起に負けてたなスマン -- (名無しさん) 2014-07-25 21 54 08 「下げたい派は根拠乏しいじゃん」と言われても自分には武力99まで上げる根拠が乏しいふうにしか見えんよ お互いの時代で政治、軍事、文化に多大な影響を及ぼしたけど天下統一にはならなかったという点から見ても信長のほうが曹操より格が上と言い切れる根拠がわからない、単純に支配した領土の広さにおいて比較にならないほど曹操が上だけど 能力合計では 曹操449 信長480、秀吉486、家康483、といずれも曹操よりより30以上高く秀吉にいたっては個人的武勇伝もある光武帝485より高いときているし 公式データが自分の好みに会わなければ変えればいいのは同感だがそれはあくまで自分のセーブデータ内だけにしとくべき ここは三国志11の共用サイトなんだから三国志11のトップキャラに能力を合わせたほうが無難なのにあの能力差では荒れるのは最初から目に見えているじゃん 秀吉がその智謀を恐れたといわれる黒田官兵衛なんか395だぞ、この能力じゃ恐れんよ ほかの人が空気をよんで武将の能力編成しているなかでエゴ丸出しの能力設定はとんでもなく目立つし浮いてるぞ -- (名無しさん) 2014-07-25 23 46 23 文句つけるなら歴史認識くらいきちっとやれ 織田信長の最大勢力範囲は属領は九州から東北までで 九州の大友島津龍造寺、東北は伊達葦名南部までもが既に信長の戦略下に 入っていて、この時点で戦後統治に入っている 後漢の家臣で劉備や孫権に名目を与えた状態で死んだ曹操とは比較にならない あと総合能力を出すあたりがいかにもわざとらしいが 官兵衛の知略は93で十分恐れられる域だし 光武帝の武力は94で秀吉より高いじゃん -- (名無しさん) 2014-07-26 06 43 28 官兵衛はあと2~3ポイント+して90後半にしてくれ~ と個人的には思ったりする -- (名無しさん) 2014-07-26 07 26 15 これ言うと怒られそうだけど三国志自体、世界史、中国史基準で言うと微妙だよね・・・。 群像劇としては面白いけど英雄劇としてみると「ん?」ってなると思う。 朱元璋とかここだとなぜか評価低いけど事績や軍歴なら曹操より上じゃないかな。 -- (名無しさん) 2014-07-26 17 30 32 日本史内での能力ならあれでもいいんじゃねえの 三国志の武将と比較してるからおかしく見えるだけで -- (名無しさん) 2014-07-26 19 05 40 時代が下れば兵器や武器の質も上がる それは当然一騎打ちのバリエーションが増えるという話でもある 悲しいかな世界史の世界で言えば呂布はシモヘイヘに瞬殺である -- (名無しさん) 2014-07-26 19 36 36 一騎打ちに関して言えば 体格(一丈)・武技・膂力・修羅場を潜った数(精神力) など武器・兵器以外にも色々と要因があるから一概には言えないと思う それでも鉄砲には勝てないと思うが・・・ -- (名無しさん) 2014-07-26 21 04 40 体格はそこまで関係ない 一騎打ちはプロレスじゃないから一突き入れば大体は死ぬ 小兵で強かったと言われる人間もいるのである 膂力もまた同じ、まあ鍔迫り合いくらいかのう。滅多に起こらん話ではある -- (名無しさん) 2014-07-26 22 22 05 もう周辺諸国の新武将を全て消去しませんか? 後漢や唐代ですら、インフレだという人がいる中で 欧州・諸大州・日本の能力設定は余りにも酷過ぎる。 完全に一部の人間達の自己満足に過ぎないものを、 この攻略wikiに掲載する必要性があるのか。 -- (名無しさん) 2014-07-27 00 17 13 ↑と同じ者 この攻略wikiは皆の役に立つ情報のためにあるのであって、 三英傑やナポレオン、カエサル、ヒトラー、のような 面白くもないギャグのためにあるわけじゃないハズ。 -- (名無しさん) 2014-07-27 00 30 05 自分が気に入らないから消せ消せコール 論外にも程がある 全世界の英雄を集結させるのは、中華ツールでも古くからある 需要のあるジャンル。おまえみたいな奴が、上コメントにある高句麗消去とかやったんだろうな -- (名無しさん) 2014-07-27 07 20 11 んー確かに正直言って三国志に出てこない人物なんてどうでもいいとは思う。みんなの新武将とか攻略wikiとしてはまったく必要ではないが、まぁ娯楽というか雑談というかさ。別に消すほどでもないとおもうよ?どうでもいいから俺はまったく見てなかったし。消すべきといってる人も見なければいいのでは?それともこのサイトは君だけのものかい?なら好きにすればいい -- (名無しさん) 2014-07-27 08 10 37 CSユーザーには不要だろうけど、PCユーザーには必要。 -- (名無しさん) 2014-07-27 08 23 17 ↑3 気に入る・気に入らないの問題じゃなく、君の言葉を借りるなら 『論外にも程がある』能力値ばかりだから、この攻略wikiを 見ている人達の参考にならないような能力値しか設定出来ないのなら 作成・掲載しても意味がないと思うけどね。それに需要というけれど、 孫策や太史慈に、一騎打ちで完勝するような信長に一体どれほどの 需要があるというんだろうか? -- (名無しさん) 2014-07-28 00 27 19 ↑3 勝手に三英傑の能力をギャグにしてしまった誰かさん達と違って、 このサイトを自分だけのものだなんて思っていないから、 勝手に編集をせずにこの場にわざわざコメントをしているわけなんだけどね。 -- (名無しさん) 2014-07-28 00 41 30 綺麗事もここまでくると噴飯モノだな。 「三英傑の能力が気に入らない」というだけで 「もう周辺諸国の新武将を全て消去しませんか?」と極論を呼びかける知性の浅さ。 自分が気に入らない、と言うのを、さももっともらしく理由をつけているのがバレバレ。 あとこの機会だから言わせてもらうが、 LR無視してしつこく三英傑の能力を下げまくってたのおまえだろ? 他の奴も迷惑がってたぞw素直になれよw -- (名無しさん) 2014-07-28 07 19 56 「注意点 基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 特に能力値や適性などは万人が納得する絶対値が存在するわけでなく、水掛け論となって編集合戦を誘発しやすくなっています。 (能力値の編集行為については過去にも俎上に載っているので、コメント欄の過去ログ等をご覧ください。) 可能な限り公正を心掛けるべきですが、最終的には プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 理由なく能力値の変更、人物の削除は荒れる元となりますのでご遠慮ください。 (過去に何度も編集合戦が起きています。)」 以上、抜粋でした。 気になるのなら自分の所有する三国志11で変更なさってください 絶対にノータッチですし満足もできるかと・・・ -- (名無しさん) 2014-07-28 08 04 17 ↑ わざわざお疲れ様です 結局個人の差配次第ですよね -- (名無しさん) 2014-07-28 08 30 18 信長の野望・創造 みんなの新武将(創造に『魅力』はない) 織田信長 380 385 (成長:維持) 豊臣秀吉 368 386 (成長:普通) 徳川家康 369 386 (成長:晩成) まず揉めるほどか?っていうね。ちなみに創造は武将の 成長スピードがかなり早いので実際はこれよりかなり伸びる。 -- (名無しさん) 2014-07-28 18 01 34 なおこのページの素質盛衰表http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1787.htmlを おおよそ考慮すると初期ステはこうなる。ちなみに信長の野望はこれが初期ステで劣化はない。 信長の野望・創造 みんなの新武将(カッコ内は成長タイプとその後) 織田信長 380 368 (成長:維持 385 能力このまま) 豊臣秀吉 368 356 (成長:普通 386 晩年劣化+魅力マイナス41) 徳川家康 369 337 (成長:晩成 386 能力このまま) -- (名無しさん) 2014-07-28 18 18 41 ついでにピーク、劣化の歳に起こった歴史的事跡も調べてみた。 織田信長(ピークを迎えるのは25歳で1559年換算。翌年桶狭間の戦いが発生) 豊臣秀吉(ピークを迎えるのは30歳で1567年換算。美濃三人衆が寝返り斎藤家が滅亡する。劣化するのは51歳で1588年換算。前年九州征伐が終わる) 徳川家康(ピークを迎えるのは40歳で1582年換算。半年後本能寺の変が発生して織田信長が死ぬ) -- (名無しさん) 2014-07-28 18 41 58 横からすまないがこのサイトは三国志11だから成長システムが違う創造を例にだされても 一番の問題は三英雄以外の戦国武将の能力を編成した人たちは三国志武将の能力を比較してできるだけ荒れないようにしている配慮が見られるけど 三英雄の能力にはそれがないから3英雄とそれ以外の戦国武将の能力差がえらいことになっている 仮にもしこのままの能力で信長の野望シリーズを出したらゲームの出来云々の前に間違いなくファンが発狂する能力差だと思う たとえば「信玄にウンコもらされた家康がなんで家康より弱いんだよ、秀吉なんてそのウンコもらしに負けたくそ雑魚ジャン、信長なんて信玄や謙信に手紙でへいこらしてたじゃん」とか出てきそう 家康の全盛期はこの後だし小牧の勝敗も複雑だけど多くの名だたる名将がいるなかでわずかな数値の差でも武将の上下ランクに厳しい野望ファンの中に3人だけ頭抜けたバランスでそれも調整が出来ない無印をだそうものなら回収騒ぎになりかねないな -- (名無しさん) 2014-07-28 22 12 26 あっでもみんなの武将記事は見てておもしろいから残していてほしい -- (名無しさん) 2014-07-28 22 15 59 それは戦国でしか見ていないからじゃないか? 信長の野望はあくまでゲームバランス重視で 史実の実績は三英傑が頭1つ以上抜き出ているよ。 その名将達が数多いる中でそれらを抑えつけて天下取ったわけだから。 それに他の武将が低いというけど、いうほどかな? 戦国時代に限っても北条氏康がみんなの新武将基準で総合449。 毛利元就が同じ基準で総合444。他の時代でも天武天皇こと大海人皇子が総合461と 高い水準に収まっている。中国編でも五胡十六国の慕容恪は472、隋の楊堅が444。 後漢と唐はいまさら上げるまでもないと思うが、とにかく屈指の偉人にはそれだけの評価が成されているのが現状。 -- (名無しさん) 2014-07-28 23 18 06 ↑3 ここで何言っても無駄だよ。必ず三英傑の信者か 西洋史の信者が出てきて↑の方に何度もある展開になるだけだから。 彼らは「偉人だから」の一言で勝手にインフレさせた能力値を 押し通すような連中で、相対的な評価や考え方なんか欠片も持ち合わせてないからね。 彼らの様な人達にとっては関羽や張飛より武力の高い信長も、 中国史上の屈指の名君、唐の太宗より能力合計値の高い秀吉や家康も、 法典を作ったからといって百日天下で終わった人物に政治・100を 与えることも、全て違和感も疑問も感じないことなんだよ。 それも当然さ。だって「偉人なんだから」ね。 -- (名無しさん) 2014-07-29 10 56 45 ここまでしつこいとそろそろ在日朝鮮人かと疑いたくなるなw 徳川家康の政治力なんて世界でも評価されまくってるのに -- (名無しさん) 2014-07-29 11 39 08 真面目に何がやりたいんだろう みんなの新武将を消しましょうと言い出したり、 嫌なら見なければいいじゃんとか、 ローカルルールを提示してくれる人も無視 これだけ見てるとただの荒らしだよ -- (名無しさん) 2014-07-29 11 53 37 関羽や張飛に一騎打ち補正があって、実際は武力数値以上に強いことも知らないみたいだしな。 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/30.html#id_14483a36 -- (名無しさん) 2014-07-29 12 08 57 劉邦「俺なんか小役人から秦や項羽を倒して天下取って長期政権作ったのにあの能力だよ(泣) 三英雄の能力つけた人に俺の能力も改変してほしいよ、きっと能力オール100のナイスガイにしてくれるに違いないぜ(確信)」 -- (名無しさん) 2014-07-29 22 26 46 韓信ならともかく劉邦は無理 韓信に政治100は望み薄だが -- (名無しさん) 2014-07-29 22 50 07 つうか、この手のゲームの能力値で最も能力高くなるのは「天才の独裁君主」だからな。 要所で家臣に頼るような人間は孫権をはじめ能力が抑えられ気味だし、 ましてや劉邦のような天下を『取らせてもらった』系はすこぶる能力が抑えられる。 自分で行動して自分で功績を立てて、ましてや自分で天下を取った人間が評価されるのは当たり前のこと。 -- (名無しさん) 2014-07-29 23 36 22 たかが作成例のお話だろ?そんな曖昧な人それぞれな話するから荒れるんだ。なぜこんなの作った?とまったく関係ない興味ない俺からみて思ったね。ここは三国志11の攻略サイトだろう?こういうのは個人の趣味レベルの話じゃないのか?攻略サイトに必要な話なのかい?がんばって上からコメントみてるともう雑談でもつくってやってくれレベルの内容じゃないか。三国志11を攻略するために必要な話ではないように感じる、不要な議論だ。みんなの新武将だなんてこんな話し合いの場をなぜ作った?100%もめるだろこんなの。それでもコメント書くなら、否定しあわず勝手なことせず人それぞれというのは前提で話し合いしろよ。 -- (戟兵+飛将+心攻+藤甲) 2014-07-30 21 09 34 新武将に色々な武将を登録したい ↓ みんなの新武将を作ろう ↓ 「○○の能力はおかしい」「××の能力が過小評価」 ↓ 編集合戦が発生 ↓ 「歴史論を語りだすとキリがないので、能力値はあくまで参考にしよう」という意見が出る ↓ 「後漢とかで揉めたし、それがいい」という意見が出、LRが決められる ↓ 「最終的な能力は個人の判断で」と言う風潮がまかり通る ↓ 「一部の人間の能力高すぎ」「秀吉や信長がこんなに強いわけないだろ」と議論を蒸し返す奴が出る ↓ 同じ奴が「能力が高すぎる。もうこんなページ全て消去しませんか?」と言い出す 誰が見ても悪い奴は明白 -- (名無しさん) 2014-07-31 00 08 48 はっきり言えば「○○の能力がおかしい」なんてのはしょせん些事。 みんなの新武将は合計1000人以上データがある。それら全てのデータに納得ができる人物はまずいない。 でも、ローカルルールで揉める原因とされた能力値の勝手な書き換えが禁止されてからは、暗黙の了解が行われてやってきた。 それが、そのローカルルールを無視するどころか、あまつさえ該当ページ全部消せと言い出す奴が出てきた。 あれだな、「大義を失した」ってやつ。 -- (名無しさん) 2014-07-31 00 24 20 一人で顔真っ赤にして連投しすぎ、だれもいまさら能力変えろとは要ってないんだから流しておけばいいんだよ -- (名無しさん) 2014-07-31 03 03 00 他人が同じ人に見える人が -- (名無しさん) 2014-07-31 03 07 28 俺には今の能力にした奴がごり押ししてるようにしか見えないが… -- (名無しさん) 2014-07-31 16 38 20 …議論や説得もめんど~だからもう一つ作ったら? -- (名無しさん) 2014-07-31 17 11 34 能力が適正かどうかは置いておいても、現状維持が最も望ましいのは言うまでもない。 例えば、後漢の劉秀は武力を96にするか、92にするかという 端から見たら愚の骨頂としか思えない争いで、編集合戦が発生した。 結果的に仲裁者が出て、真ん中の94にするという裁定でようやく解決が図られた。 能力を上下させるというのは、それだけ端から見ればつまらない理由で揉める原因になることであり、 そのためにローカルルールでわざわざ制限を設けられているわけだからね。 仮に、今「能力を下げたい」という人の言い分を呑んで、能力を編集して下げたらどうなるだろう? 知力1の人間でも、その後どうなるかはわかるってもんだ。 -- (名無しさん) 2014-07-31 19 15 57 あれはもうみんながみんな(一部の分からず屋を除く) うんざりしたのちに行き着いた終着駅。 何が言いたいかと言うと くだらんからもうやめてくれ の一言 -- (名無しさん) 2014-07-31 19 41 52 ↑ ↑↑ お二方の意見に大いに同意。 どう見ても平行線になるし、 とりあえず注意点をさらに厳しくしておきます -- (名無しさん) 2014-07-31 19 45 49 過去にもういろいろあったようだな。そこにあらたに誰かが混ぜ返してるわけか。最初のほうに書いたが、消すべきといってる子さ「君のサイトなのかい?」勝手に変更したらだめだろう。君のブログででもやりなさい、攻略サイトは攻略するためにあるものだ、話し合いの場ではないし効率求めるものだ。それでもこんなもめる話し合いするならちゃんとマナー守らなきゃ。同じ三国志プレイヤーじゃないか、悲しいぞ。 -- (戟兵+飛将+心攻+藤甲) 2014-07-31 20 12 13 2014-07-31 19 45 49さん提案感謝です -- (名無しさん) 2014-07-31 21 08 19 ↑2 どうもお騒がせしております。私としては以下の3点から今回のような提案をさせて頂きました。 1.7月25日から他の方々の議論が必要以上に白熱していて収拾が付きそうも無かったこと。 2.そもそも現在の周辺諸国の能力設定がローカルルール設定以降に、相次ぐ編集によって出来たものだったこと。 3.正直に言って、周辺諸国の新武将の設定が歴史に詳しくない人や 三国志を初めてプレイする人達が参考にするには余りに公平性・客観性を欠いているように感じられたこと。 飽くまで、勝手に変更・消去するつもりは無く、提案して後に複数人の賛同を得てからのすもりでしたが、 自分自身の発言が些か礼を失したものだったこと、売り言葉に買い言葉で失礼なコメントに、より挑発的な コメントを返したことからこのような事態になってしまったのでしょうね。それに関しては率直に申し訳なく思います。 ただ今後も25日~26日のような議論や編集合戦が予期される以上、 周辺諸国の欄に関しては削除してしまうのも一つの手だとは今も思っています。 少なくとも、この攻略wikiに必ずしも必要なものでは無いと思いますので。 それから今更ですが言っておくと、ローカルルールが設定されて以来、 私は戦国時代に関しては編集・削除をしたことはありません。 -- (削除を提案した者) 2014-08-01 00 23 53 まぜっかえすつもりはないんだが三国や野望のゲームバランスになれた人が初めてみんなの戦国武将ページを開いて ひととおり戦国武将の能力を確認したらたいていの人が三英雄の能力だけとびぬけすぎと感じると思う いくら英雄の編集者が史実がとか、公式は間違っている、俺の歴史知識は正しいんだーと言っても戦国武将の評価は千差万別、ひとそれぞれ それに比べるとほかの武将はシリーズに慣れ親しんだ人には抵抗が少ないのはコメント欄を見れば明らか 編集しろとは言わないけど周りと温度差がある能力を設定してその能力を編集不可のルールをつけるまでこぎつけておきながら コメント欄にまで少しでも自分に意を唱えるおそらく初見の人のコメントは放置できないというのは高望みしすぎだな おそらく多くのシリーズ常連の人初めてぺージを開けば「ギャグにしか見えない」と思ってもしょうがないと思うが別に編集にむかって編集しろと言っているわけではないんだし 愚痴ぐらいスルーしたらどう?この能力設定にしている限りこれからも初見さんの愚痴ぐらい出てくるだろうし それが荒れると分かりきっていながら自分の顕示欲を満たす為に無茶をごり押しした人間の身の施し方だと思うが 正直自分なら反対が出た時点で三人の能力を30減らして自分のゲーム内で30増やせばいいだけだと思うんだがなんでこの掲示板じゃないとだめなんだろう? ああ、思っただけで返答も改変も求めていない、きりないし -- (名無しさん) 2014-08-01 02 11 41 俺は逆に「創造をやってないんだな」って思ったけどね。 http //hima.que.ne.jp/souzou/souzou_data.cgi?up1=0 keys3= IDv001= IDn001=and sort=down17 print=20 engine=Himamushi keyword= このページ見ればわかるけど、1位の織田信長と11位の小早川隆景は30近く離れている。 「信長秀吉家康が高い」と言うのが、今回の一連の流れを見る限り議題のようだが、どちらかというと 「信長秀吉家康が高い」ではなく、「他の武将が低すぎ」と言うのが今回の真相のような気がしてならない。 例を挙げれば、信長の野望創造で、信長秀吉家康と同じくらいの能力を持つ武田信玄は 創造だと379の2位だが、このページでは魅力抜きで311しかない。実に68も下がっている。 毛利元就も、創造の373に比べ、このページでは30近く低い。北条氏康も創造では370と秀吉家康より上だが、 このページでは実に20近く低い。こういう「信長秀吉家康と、ほぼ同程度の能力を持つ戦国武将」が 軒並み能力がさげられていたがために、3人の高さがより強調されてしまった。 -- (名無しさん) 2014-08-01 02 32 49 上のテンプレをお借りしつつ、信長の野望創造と みんなの新武将両方にいる有名武将を照らし合わせるとこうなる。 全員を同じ人が作ったというのは、現実味がないので誰かを咎める気はしないが、 歴史認識の差異の参考までに。 信長の野望・創造 みんなの新武将 差異 北条早雲 381 320 -61 大内義興 342 350 +08 三好長慶 339 334 -05 武田信玄 379 311 -68 上杉謙信 343 330 -13 今川義元 345 329 -16 北条氏康 370 353 -17 毛利元就 373 348 -25 織田信長 380 385 +05 豊臣秀吉 368 386 +18 徳川家康 369 386 +17 明智光秀 364 350 -14 柴田勝家 313 314 +01 小早川隆景 353 321 -32 直江兼続 350 306 -44 真田昌幸 360 305 -55 伊達政宗 364 338 -26 有名武将しか載せてないけど、マイナス幅の多い武将が数多くいることが分かってもらえると思う。 -- (名無しさん) 2014-08-01 02 55 59 ↑×3 流石におまえ、それはすさまじくブーメランだぞ・・・・。「まぜっかえすつもりはない」と言いながら、散々言いたいことぶちまけて、「無茶をごり押しした人間は愚痴ぐらいスルーしたらどう?」と相手を挑発しておいて「思っただけで返答も改変も求めていない」と他人の意見をシャットアウト。禰衡より酷いぞ -- (名無しさん) 2014-08-01 03 33 40 注意事項を特定人物のごり押しとか邪推する奴は頭骨をえぐってもらったら? -- (名無しさん) 2014-08-01 04 01 57 諸葛亮 曰く、 ほかにすることはないのですか -- (荒れるのでこの話題終わり) 2014-08-01 04 08 56 劉禅「えーと……よくわからないけどだめっぽい気がするので終わりにしよう」 -- (大事なことなので) 2014-08-01 04 11 27 1、荒れるのと話し合いは違う。過去にどれだけ意見が出尽くしたとしても、プレイヤーや見る人は変わるから多少の意見のぶつかりあいはいいと思う。 2、本当に現状維持が正しいことなのかはわからんが、気に入らないのなら見なければいいし、自分の気に入った能力でプレイすればいい。 3、この話題終わりでいいが、他になんか話し合うことってあるの?結局はまた誰かさんの能力がどうのこうのだろ?また繰り返しそうな気がするが仕方ないことなのかな。 -- (戟兵+飛将+心攻+藤甲) 2014-08-01 17 50 27 少なくとも能力値議論は基本的に不毛だから 終わらせるのは悪くないと思うよ 史料の取捨選択をするだけでも全然別の結果が出るし 特徴を前面に出すイメージ論と、功績を全て書き出す史実論に 差が出るのは当たり前だしね。イメージとしての劉備に 戦争が上手だったりする印象はなかったり、三国志の世界でも多いよ -- (名無しさん) 2014-08-03 20 05 50 率直に言うと、作ってる側の身としてはデフレよりインフレの方がまだありがたいってのはあるね。 例えるなら、呂布の武力がインフレして120になっても、そこまで問題はないのに対し、 もしも逆に、呂布の武力がデフレして80になったとすると、武力80以上の人間も全部変更しなければならなくなる。 呂布の武力を80にしました→「関羽や張飛が高いぞ、下げろ」 →関羽と張飛は武力70後半にしました→「他の馬超や張遼なども下げろ」「なんで邢道栄が呂布と同じ武力80で関羽や張飛より高いんだ」・・・・・・・・・・っと デフレしすぎると能力調整がすごーく面倒なことになってしまうんだ。黄皓がオール100とかあからさまなのはともかく、 自分的にはあんまりデフレデフレしてほしくないっていう本音。 -- (名無しさん) 2014-08-04 04 15 39 あえて悪意的な言い方をすると、 能力値にいちゃもんつける連中って 大体は知識や歴史に疎い人間であることが多いんだよな。 例えば485の光武帝や468の李世民はボロボロに酷評されてるが、 472の慕容恪は全くツッコミが入ってない。 これはツッコミを入れている側に慕容恪に対する知識がなく、 「慕容恪がどういう人物かわからないから、能力値にいちゃもんをつけられない」と言うのが 偽らざる真実ということなんだよな。だから結果的にその人物が有名であればあるほど いちゃもんがつき、無名な人物は誰も知らないからスルーされるという状態がずっと起きていた。 -- (名無しさん) 2014-08-05 02 54 49 揉める原因の主要因は数字ではなく、文句をつける側の問題 -- (名無しさん) 2014-08-05 02 56 36 せっかく終わったのに能力編集者はまだ荒らしたり無いのか.. -- (名無しさん) 2014-08-05 04 21 46 そりゃあ「能力がデタラメばかりだし消した方がいい」なんて言われたら 文句の一つや二つ浴びせたくもなるわ。こういったページの削除議論で そのまま発言通りに削除して、溜飲が下がっていい目を見るのは能力に文句をつける側。 信長とかの話は俺は編集ノータッチなんで領分ではないが、流石に作成者に喧嘩売っておいて 「謝罪したけど俺の意見は間違ってない」って言って終わりとか失礼にも程があるんじゃねーのか? -- (名無しさん) 2014-08-05 06 44 24 とりあえず……もう終わろうぜ 能力値議論をしかけた方が悪いのは皆わかってる 削除しようという意見が間違いなのもわかってる 作った人の作成例を馬鹿にするのは間違いなのもわかってる それで終わりでいいやないか -- (名無しさん) 2014-08-05 07 58 11 終わりなのは終わりでいいが、終わったのに結局また能力値の話題。そしてまた終わりでいいじゃないか。一生続くのかこのスパイラルはwwまぁでもこれ以外話し合うことなんかないものな。 -- (戟兵+飛将+心攻+藤甲) 2014-08-05 19 52 59 本日、この言葉を持って、 この不毛なる戦を終わらせる 「論争終了」 を宣言いたします。 以後、能力編集・論議(特技提案は除く)などを行う方は 気分的に迷惑者の代名詞「2代目麟華」と勝手に呼ばせていただきます -- (名無しさん) 2014-08-05 23 39 43 肥大した愛国心が気持ち悪い奴が現れてから、ここのサイト陳腐化したね。 -- (名無しさん) 2014-08-08 08 09 32 嫌なら見なければいいのに、わざわざ火種は撒いていく。実に醜くていいねw -- (名無しさん) 2014-08-08 10 29 45 負け犬のなんたらってやつですな 荒らしらしい最期と言える -- (名無しさん) 2014-08-08 13 15 23 結果的に論争ってか荒らしが終われば何でもよし ・・・ぶちゃけ疲れたよ -- (名無しさん) 2014-08-08 13 53 11 呑気な奴らだな このサイト、新武将でググると上位で出てくんだぞ。 この一般認識(コーエーが植えつけた)からはずれた日本の新武将欄が ある限り、永遠に編集合戦も荒らし?もなくならないと思うよ。 -- (名無しさん) 2014-08-08 14 07 14 コーエー史観は天下人+武田信玄の超優遇なんだけどな昔から 本当に戦国時代のこと知ってんのかすら怪しい。 大方三国志しか知らん連中が能力高い人物に手あたり次第噛みついてるだけだろ -- (名無しさん) 2014-08-08 15 55 13 ローカルルールの書き換えで「能力変更」が「否」となった今 文句をつける人間の最終手段は項目そのものを抹消させることだからねぇ。だから 「能力値おかしいだろ」って言いまくって、最終的には「揉める原因になるし消しましょうよ」って第三者を装って 項目そのものを抹消させるのが主目的。このWiki、編集履歴で残っちゃうから、勝手に全部消しても復旧するの簡単だからね。 さしずめ山頂に布陣して水の手を断たれて慌てる某登山家さんのようですな -- (名無しさん) 2014-08-08 16 07 41 能力値の表示を無くせばいいよ -- (ぽ) 2014-08-08 20 55 11 もともとないも同然なんだけどなあ 信長の野望や三国志12の能力まで引用されてるのに -- (名無しさん) 2014-08-08 21 02 55 ここや向こうの記事を読むと武将の能力以上に編集者の性格に突っ込み入れたくなるな よくもまあ自分の史観を唯一無二の史実と信じ他人の史観を否定しきれるもんだ、歴史観なんて人や時代で大きく変わるのに まあ記事を消すべきではないとは俺も思うがこの性格を変えない限り喧嘩を売る人間は後を絶たないだろうな -- (名無しさん) 2014-08-09 13 57 17 わざわざ講談査定突っ込んでやったんだから 「○○の能力が高すぎる」と言い出す人間は講談査定で登録しなさい -- (名無しさん) 2014-08-09 14 11 38 気になったから編集者に聞きたいんだけどなんで信長の初期編集の武力70から99に変えることで編集合戦や記事が荒れるとは思わなかったの? 自分には急激な能力上昇で編集合戦や場荒れることが予測できなかったとは思えないだが場が荒れることよりも自分の歴史観を貫くほうが大事だったわけかな? 少なくとも初期の能力のほうが自分には万人向けだと思うけど編集者には99のほうが万人向けだと思った? -- (名無しさん) 2014-08-09 15 25 21 「 基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 (能力値の編集行為については過去にも俎上に載っているので、コメント欄の過去ログ等をご覧ください。) 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 理由なく能力値の変更、人物の削除は荒れる元となりますので絶対にしないでください。 (過去に何度も編集合戦が起きています。) どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、 お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録する ことをおススメします。」 もう一つ 「みんなの新武将」の武力は一騎打ち=武力ではなく 部隊の殲滅力=武力と仮定しております 一騎打ち補正が設定できないので武器・アイテムで補正してください -- (名無しさん) 2014-08-09 16 39 17 だからどういう目的で能力を変えたのかと聞いているんですけどね 少なくとも編集合戦や議論を避けようとする意思は過去コメからは感じ取れるものがなかったもので 自分以外の史観やコーエができるだけ批判を避ける為に長い年月でバランスをとってきた能力値を意に介す必要が無いような発言が目立ったんですけど それを突き通したら「みんなの新武将」じゃなくて「自分の新武将」になるじゃないですか? 少しでも他人の史観にも配慮されているコメがあったならこんなことは言わないんですけどね コーエーの能力をそのままコピペするべきだったなんて言いませんけど 自分の予想ですけど編成合戦の時にせめて三人の武力を10減らすことに妥協していればこんなに荒れなかったと思いますよ? 無論思っただけで今さら編集すべきとは言いませんけど -- (名無しさん) 2014-08-09 17 59 09 あっ編成じゃなくて編集でしたW -- (名無しさん) 2014-08-09 18 03 36 「 基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 (能力値の編集行為については過去にも俎上に載っているので、コメント欄の過去ログ等をご覧ください。) 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 理由なく能力値の変更、人物の削除は荒れる元となりますので絶対にしないでください。 (過去に何度も編集合戦が起きています。) どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、 お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録する ことをおススメします。」 もう一つ 「みんなの新武将」の武力は一騎打ち=武力ではなく 部隊の殲滅力=武力と仮定しております 一騎打ち補正が設定できないので武器・アイテムで補正してください ご協力をお願いいたします -- (名無しさん) 2014-08-09 18 09 18 ↑これが出てきた時点で、能力値表示乗せる意味なんてなくなったと 俺も思う。そもそも武力が部隊の攻撃力及び一騎打ちに反映される 三国志11であるのに、新武将は一騎打ちと攻撃力を分けて仮定表記してる とか突っ込まれどころ満載だろ。 -- (名無しさん) 2014-08-09 18 10 55 「 基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 (能力値の編集行為については過去にも俎上に載っているので、コメント欄の過去ログ等をご覧ください。) 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 理由なく能力値の変更、人物の削除は荒れる元となりますので絶対にしないでください。 (過去に何度も編集合戦が起きています。) どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、 お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録する ことをおススメします。」 もう一つ 「みんなの新武将」の武力は一騎打ち=武力ではなく 部隊の殲滅力=武力と仮定しております 一騎打ち補正が設定できないので武器・アイテムで補正してください ご協力をお願いいたします -- (名無しさん) 2014-08-09 18 09 18 -- (名無しさん) 2014-08-09 18 22 06 何回言わせる気だと言いたいが説明するぞ ・武力を99にした理由 これは単純明快。史料の実績を見て考慮し、それが一番理想だと思ったから。 一応三国志の武将は照らし合わせているが呂布、関羽、張飛、許チョあたりは どうせ一騎打ち補正で能力値より強くなるので全く問題がなかった。 ・なぜ武力を上げたのか これも散々既出だが俺が編集した当時は武力70というのがまず周りから疑問を呈されまくっていた。 俺以外にも武力90越えの能力を設定していた人もいたし、信長の野望でも信長の武力は90に近い数字を出してる。 つまり俺が強引に「武力70→武力99」としたのではなく、他の人間の編集も混ざって結果的にそうなっただけ。 当時は「能力書き換え禁止」というルールはなかったのでそれで進んだ。 ・コーエーの情報をなぜ無視したのか なぜかよく言われるが全く無視していない。特に信長の方は天道・創造の数値も凝らすように見て ギリギリのところで調整したのでむしろ自信作と言ってもいいくらいだ。あと俺は本来剣豪を強くすることは大反対で 当時でも剣豪はあくまで職人の一つでしかなかったし、ゲームでも創造では剣豪の武力は高くない(上泉信綱ですら武力84) ・他人の史観にも配慮されるべきでは? あからさまに間違いとされるのは流石に間違いと言う。それだけの話でしかない。 朱然や呂蒙が関羽の呪いで死んだとか言われるのを違うというのと同じこと。 それ以外は別に何も触れていない。 ・編集合戦の際に能力を下げればよかったのでは? 他の武将との兼ね合いで作ったのでバランスが狂うという点が1つ 能力値でバランスとるより素質でバランスを取りたかったのが1つ そもそも文句つけている側が完全に聞く耳持ってなかったのでそれに反発したのが1つ 納得しろとは言わんが正当な理由もないのに下げろと言われてはいそうですかと言えるわけない。 -- (名無しさん) 2014-08-09 18 57 27 おいさっきから「基本的に」ってうっとおしいぞ、こういうのが荒らしだろう。この新武将というページのありかたをそれぞれが意見だしてるだけだろう、いいことだ。同じ文章コピペ張り続けるなうっとおしい。勝手に編集したりわけのわからん文句言って荒してるわけでもないだろうくだらないことするな。こういう話し合いくらいはかまわんだろう、勝手に言わせておけばいいんだ。言いたいだけ言わせてやれよ -- (戟兵+飛将+心攻+藤甲) 2014-08-09 19 00 18 あとな、突っ込まれる前に言っておくけどな わざわざもう1回史料突き詰めなおして講談準拠でもう1個能力作成例作ったんだ。まあ半兵衛を作った時に発案したんだけどな。 おまえらの言う「謙信や信玄を恐れる信長」だの「竹中に知恵を借りて黒田を恐れる秀吉」だの「真田に苦戦して死にかける家康」ってのも 講談枠で作ったんだから、能力の高さが気に入らないならそっち使いなさい。 どうも話を聞いてると、数字の低下ありきで文句つけてきて話にならんよ 「この歴史事実と反する」じゃなくて「数字高いから下げろ」が先に来てる不毛な意見 -- (名無しさん) 2014-08-09 19 23 36 ↑×2 いや、実際議論自体はかなり不毛だから気持ちはわかるよ。 俺は史料を見て、ゲームの能力値を見て、その上で能力評価してるが 実際この議論吹っかけてる人間がそれをやってるかと言われると、どうにも信じがたい。 特に俺は、信長の武勇の根拠として、信長の若年時代の活躍を基にしているが、 正直まずこの史実事項を知らん奴が大半なのではないか?と思えてならない。 はっきり言うと返答の歯切れが悪くて、実際どういう活躍や歴史的事項があるのかわかってないんじゃないか?とすら思える。 仮にその状態だとすると、俺が評価基準を出しても暖簾に腕押しなんじゃねっていう -- (名無しさん) 2014-08-09 19 30 51 …すまない、この論議の終着地点は? 史実・講談と作って「各プレイヤーの裁量次第」とも書いてある 欄については現状維持で個人個人の三国志11で好きに編集すれば良いのでは? わざわざまた能力について論議する必要性が少ないと感じるのですが…? 対処するとしてもコピペで注意すれば根比べでも弊害や労力は少ないと思うし -- (名無しさん) 2014-08-09 20 03 58 ないよ 三国志12、信長の野望創造、史実、講談と例が既に4つある -- (名無しさん) 2014-08-09 20 27 42 ですよね・・・ やっぱり、不毛 -- (名無しさん) 2014-08-09 20 31 14 返答どうもありがとう、自分は編集者に少しでも他人の意見や考えを汲み取る度量があったのか確認したかったので質問させてもらったけど まあ予想通りでしたね -- (名無しさん) 2014-08-09 20 49 50 結局は平行線なんだし参考にするかどうかは個人個人でいいのに 他の項目はそれでうまくいってなぜ戦国ではうまくいかないのか -- (名無しさん) 2014-08-09 22 38 52 秀吉はともかく、織田信長の項目は何年も前から存在するのに、 これほどまで荒れたことはなかった。 その発端は言うまでもなく、今の編集が起きてからだ。 つまるところ、戦国がうまく行かないのは上がってる能力値が 少数派の見解によるものであって、万人が妥協できるレベルを 超過している点にある。 編集者には編集者の理由があるのだろうが、定着してしまったイメージという奴は 払拭できるものではない。この先も疑問を呈する人間は後を絶たないだろう。 編集者は編集したものの責務として永遠に説明し続ければいい。 どうせ編集者が勝手にやったことだ。 -- (名無しさん) 2014-08-10 01 01 55 解りましたから…でも不毛だから たった何人かのために色んな人に迷惑かけるのが 一番の不毛だから まともな「みんなの新武将」の追加意見すら出てないから -- (名無しさん) 2014-08-10 07 10 40 昔は荒れる前に編集合戦になってたからな いちいちコメントに書くより勝手に能力変更した方が早い 「万人が妥協できるレベルを超過している点にある。」ともっともらしいことをいうが ぶっちゃけこんなところで能力議論している時点で既に「少数派」と言うものだ。 信長の野望ならいざ知らず、ここ三国志のページだしな つうか、編集した俺が言うのもなんだが、ぶっちゃけ「能力変更禁止」の注意ルールができた時点で たまたま俺の能力評価がそこにあったというだけだし、他の武将にしても全く同じ。 たまーに俺が強引に今の能力値でゴリ押ししているなんて、知力1レベルの発言が出ているが それを言うのは俺じゃなくて「能力変更禁止」の注意ルールを作った人たちだろ。 まあ、俺としては今の荒れ具合を見る限り英断だったと言わざるを得んけどな。 「編集したものの責務として永遠に説明し続ければいい。」と言うのも、列伝わざわざ拡大させて 評価基準載せてる俺にとっては完全な捨てゼリフにすぎんし。 -- (名無しさん) 2014-08-10 09 46 30 ↑↑ というより、議論の仕方が悪いから不毛になってるってのもある。 俺個人としては、「『建設的な議論に基づく』能力変更」に関しては、むしろ賛成だ。 例えば「○○には~~~という逸話が・・・・と言う史料にある。これを考慮して、○○の能力を上げor下げるのはどうだろう?」 と言う意見提起は、俺自身にも参考になるし、立派な理由にもなる。こういう議論は大歓迎したい。 でも、今の論調はそうじゃなくて「能力下げろ、根拠はない」という、半ば煽りあいの構図になってる。 概して反対意見と言うのは、賛成意見より声がデカくなるというのもあるし、 何よりこういう論調で能力書き換えることが問題になったからこそ、今の注意ルールがあると俺は思っている。 それでは到底能力を変更することなどできんし、仮に能力を書き換えたところで 注意ルールを作ってここを平和にしたいと考える人達の労力が無になるしな。 当時はそんなルールがなくて、能力変更自体はかなり頻繁に起きていたが、今の状況ではそれもできん話 -- (名無しさん) 2014-08-10 10 23 12 能力編集を頻繁に起こして、論争の火種になり、 今現在も火種になってる人間が素知らぬ顔でよく言うぜ。 -- (名無しさん) 2014-08-10 11 24 39 まるで俺以外はまともな人間だと言いたそうだな 編集合戦なんて1人で起こるわけねーのにw -- (名無しさん) 2014-08-10 15 53 19 編集合戦→編集論争 -- (名無しさん) 2014-08-10 15 53 57 手段と目的が逆になっている人多いね。 ここはあくまで、新武将を登録するための場所 武将の能力をサンプルとして提供する場所 能力にたいしてとやかく言うのは、根本的に間違っている それとも、LRの簡単な日本語すらわからないの? -- (名無しさん) 2014-08-10 19 29 35 武将の編集を勝ち抜くのはとどのつまりどれだけこのサイトに居座り続けられるかで武将議論にはまったく変える力はないんだよ 「たまたま最後に編集したのが自分」と言っても数日前突然現れた「ギャグみたいだな」と批判コメ打った人間に6分で反応返せるほどこのサイトに巣作りしている人間に編集合戦で勝てるわけが無いだから 過去コメ見ても恐ろしいほど早く反応しているしこの編集者に目を付けられた時点でもう諦めるしかなかった 議論で心変わりする人間かは過去コメみればわかるだろう?そろそろ諦めようぜ -- (名無しさん) 2014-08-10 19 51 25 久しぶりに見に来てみたら、まだギャースカー言ってんのかよwwww 能力値に異議がないならそのまま設定して登録、低いと思ったら高めに設定して登録、高いと思ったら低めに設定して登録、簡単じゃねーかwwww ・・・・・ははーん、さては「実際に記載されている新武将を登録・使用したことがない」ってオチかwwww 使いもしない新武将の能力を延々と議論して、ご苦労だねぇwwww -- (名無しさん) 2014-08-10 19 58 19 コメントのログ読んでて1つ思ったんだけどさ、 今「例の人」にわーわー言ってる人って この「みんなの新武将」で、どれくらいの数の人物を提供したの? 確かに、「例の人」のコメント対応はお世辞にも上手くない。 けど、自分のように武将のデータを参考にさせて貰ってるだけの人にとっては 率直な話、データや列伝を提供してくれる人の方がありがたいし、この項にも貢献していると思うんだが。 上の方でページ消去の案を出してた人もいたけど、この項目でどれだけデータ提供してるの? 実はワーワー騒ぎたいだけです、とかやめてね? -- (名無しさん) 2014-08-10 20 16 08 あと、この内容は「例の人」にも聞きたい。 -- (名無しさん) 2014-08-10 20 19 20 俺は30程度かな。 しばらくたってから「例の人」に片っ端から編集されて、 元に戻したら、何理由もなく勝手に編集してんだよって 咬み付かれて、面倒くさいから編集するのやめたw -- (名無しさん) 2014-08-10 21 19 53 例の人ってのが俺っぽいから答えておく。 自分が新規に作った武将ってことでいいんだよな? 倭:古代 10人 倭:中世 21人 倭:近世 43人 倭:近代 20人 欧州 8人 諸大州 8人 合計 110人 覚えている限りではこんなもん -- (名無しさん) 2014-08-10 21 39 07 ミスった 倭:江戸 8人 これ抜けてたから118人 -- (名無しさん) 2014-08-10 21 40 12 「みんなの新武将」から「俺様の新武将」に改名しろよもうwまぁいいじゃねぇか、勝手にかきかえたりはもうしてないんだろう?だったら言いたいだけ言わせてやればいいんだ。はじめから答えなんてひとそれぞれだとわかりきってる。こういうことになるのは承知で作ったんだろう?ならいいじゃないか。そんなことよりおれは三国志の話よりも、信長だ秀吉だってよ、三国志よりも戦国のほうが話題になってもりあがってるほうがショックだねwここ三国志11攻略サイトだぜまったく。 -- (戟兵+飛将+心攻+藤甲) 2014-08-10 22 30 22 まあ一応ルールを逸脱することはしてないよ 俺が書き換えた時は書き換えアリだったし 俺自身も経験している。 -- (名無しさん) 2014-08-10 22 37 57 本当に戦国武将のデータを参考にしている人は 三国志12の戦国武将データを参考にして下さい(koeiのデフォルトデータがあります) ここは荒らしの人達がいる様にか思えまん -- (名無しさん) 2014-08-10 22 53 19 何を今更既出の情報誘導をしてるんだ -- (名無しさん) 2014-08-10 23 16 45 まああそこで主に活動している俺が言うのもなんだが、 該当ページを見させないように誘導するのははっきり言って無駄な労力だ。 別に負け惜しみや捨て台詞でもなく、もともと日本の戦国時代に人気があるのは周知の事実だからだ それゆえに、あそこのページの新武将はわざと特殊にしてある(俺が作っていない新武将は別だけど) 信長の野望をやりこんでいたら、まず気づくはずの簡単なもんだけどな -- (名無しさん) 2014-08-10 23 53 40 三国志12の戦国武将の能力自体微妙 -- (ぽ) 2014-08-11 17 06 18 結局、削除を提案した自分がいなくなっても。提案前と何ら変わらない状況なのね。 予想通りだけど、このまま変えたい人複数と作成者1人のバトルがいつまで続くんだろうか。 -- (削除を提案した者) 2014-08-11 18 02 20 勝手に1人にするなよ。例の人だけのページじゃねーんだよ。例の人に愚痴愚痴言いたいのは勝手だけどな、ガソリン撒いといて被害者ぶるのはやめろ。 -- (名無しさん) 2014-08-11 18 43 23 非常に同感です。 確かに「例の人」のコメントは、御世辞にもいいとは言えない。 しかし、「例の人」が「ただ能力値を改竄して、場を荒らすだけの人」ではなく、 「実際にここにデータをたくさん提供している人」ということが判明しました。(もちろん、事実であればですが) 結局、彼にわーわー騒いでいた人も、データ提供数を答えてくれた人は1人だけ。 これまた、御世辞にも正当性のある人たちとは言えません。 お互いのコメントは褒められるようなものではないが、データの提供数では圧倒的な差がある。 個人的には「例の人」の肩を持ちたいですよ、口調は治してほしいですが。 彼にワーワー言ってる人の肩を持っても、どうやらここが廃れて終わりそうですし -- (例の質問をした人) 2014-08-11 19 08 50 変えたい奴って要は私怨だもんな。そんなつまらん理由のためにぐちゃぐちゃにされちゃかなわん。 -- (名無しさん) 2014-08-11 19 15 57 非難する前にちょっと大人になって (議論するなら、史実・講談などの最低限の理論・論理的武装をしてから議論を発議してください) (抜粋)「お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録する ことをおススメします。」 -- (名無しさん) 2014-08-11 20 10 58 過去コメに「3英雄より勝率高い白起より能力高いんだが」という返答に 「公式がおかしいんだから白起の能力上げればいいじゃん」とコメしている人にどう議論すればいいと? 結局3英雄より勝率高い武将を例に挙げれば「過小評価されている武将の能力値がおかしいだけ」で逃げられるだけじゃね? -- (名無しさん) 2014-08-11 20 41 39 勝率の高さって実際アテにならないからね。 例えば日本だと徳川家光が勝率100%の常勝将軍だけど 徳川家光に卓越した軍事能力があるかと言われればNo -- (名無しさん) 2014-08-11 20 57 46 ×徳川家光 ○松平信綱 -- (名無しさん) 2014-08-11 21 00 34 勝率の高い低いほど論ずる意味がないものも珍しい。 相手が弱小勢力だったり、相手総大将の資質が劣っていれば倒すことなど造作もない。 そういう連中とばかり戦って勝率稼いだ人間は、超一流のひしめく世界ではあまり評価されないのが歴史の常だしな。 「誰と」「どういう状況で」「どう戦ったのか」ってのが一番重要な世界で、彼我の兵力すら満足にわからない白起をだされてもな。 常勝将軍の割に項羽より軍事能力低いって、要はそういうことだろ? -- (名無しさん) 2014-08-11 21 24 37 光武帝とかそんな感じだよな。昆陽の戦いとか規模は凄いが、率いてる敵の王尋は雑魚っていう。逆に韓信は相手の項羽も強いから最強扱いされやすい -- (名無しさん) 2014-08-12 02 00 52 厳密には直接戦ったことなかったな、誤りすまん -- (名無しさん) 2014-08-12 02 04 54 劉禅「そう言えば今度入った料理人が凄腕なんだってさ………………ちょっと行ってくる!あぁ、みんなは適当に解散しといて」 -- (キリがないのでこの話題終わり) 2014-08-12 04 28 31 劉禅「そう言えば今度入った女官が かなり可愛いんだってさ………………ちょっと行ってくる!あぁ、みんなは適当に解散しといて」 -- (キリがry) 2014-08-12 04 29 23 劉禅「えーと……よくわからないけどだめっぽい気がするので終わりにしよう」 -- (キリry) 2014-08-12 04 30 17 劉禅「はぁ……なんか疲れた。終わりにしよっと」 -- (キry) 2014-08-12 04 30 59 基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 -- (名無しさん) 2014-08-12 04 32 02 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 (能力値の編集行為については過去にも俎上に載っているので、コメント欄の過去ログ等をご覧ください。) -- (名無しさん) 2014-08-12 04 32 30 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 理由なく能力値の変更、人物の削除は荒れる元となりますので絶対にしないでください。 (過去に何度も編集合戦が起きています。) -- (名無しさん) 2014-08-12 04 33 05 どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、 お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録する ことをおススメします。 -- (名無しさん) 2014-08-12 04 33 36 以上、注意点より抜粋 -- (名無しさん) 2014-08-12 04 36 53 他の利用者に迷惑をかけるのはやめましょう 私は正しいことをやっている そう思ってるのは、あなた達自身だけ -- (名無しさん) 2014-08-12 04 39 42 ただこころなしかコメントが荒れたおかげで最近Wikiが活気づいたに見えるのは気のせい? ほかの武将のコメント履歴も以前よりずいぶん増えてるようなw -- (名無しさん) 2014-08-12 21 37 38 雨後の筍 -- (名無しさん) 2014-08-12 22 06 11 こういうのも「戦争景気」と言うのかな? -- (名無しさん) 2014-08-14 14 46 32 戦国時代に需要ありそうなので、ページをわけようとしましたけど どうやら不要みたいなので、早合点して申し訳ない。 -- (名無しさん) 2014-08-15 03 13 20 今の状態だと新規に作る利点はないよ 作りたいときはコメント欄で相談を -- (名無しさん) 2014-08-15 03 22 25 そうですね。重ね重ね申し訳ない。 -- (名無しさん) 2014-08-15 03 27 14 織田家などが数が多いので見やすくする(家ごとに分けて表示する)なら賛成 -- (名無しさん) 2014-08-15 05 28 52 はい、おっしゃる通り家ごとに分けようとしたんですよ ただ今現時点で登録されている武将って家もバラバラなんですよね。 もともと「信長の野望」「三国志12」に登場しない人物を優先的に入れられているみたいなので 織田家とか豊臣家とか徳川家以外だとほとんどバラバラで項目数>武将数になりかねないかなと。 もう少し他の家の武将が増えてきたら悪くはないかなと思いました。 -- (名無しさん) 2014-08-15 05 57 42 後漢末~三国みたいにすればよいのでは? -- (名無しさん) 2014-08-15 06 10 37 ↑ 案ありがとうございます。 とりあえずその通りにして一旦纏めてみました。 織田、豊臣、徳川が多かったので、その辺は近世の方に残し 後は各大名ごとに区分けして転記しました。 これで他の大名家の武将にも視野が当たればなーと思ってます -- (名無しさん) 2014-08-15 06 47 51 英雄豪傑に普通の人が混じるとどんな感じなんだろう?誰か夏目漱石の『坊っちゃん』の登場人物でお願いします。 -- (名無しさん) 2014-08-17 23 34 15 ふと疑問に思ったんだけど、三国時代以外の中国史の架空人物を載せる時は、どこに書いたらいいのかな? 三国志関係? その他? それとも、別にページを作るべき? 自分は別に書く気はないけど、中国の武侠小説の登場人物を載せたい、という人もいるかも知れないので、念のため。 -- (名無しさん) 2015-02-22 12 14 16 現状、その他の創作人物のところでいいのでは? 西洋史の人物ばかりが記載されてますけど、「西洋史限定」とは 書かれていなかったはずなので。 あまり数が多くなれば、分離とかさせてもいいと思いますけど 三国志や日本の架空人物と比べて、書き手が増えにくいとは思います -- (名無しさん) 2015-02-22 17 20 38 能力値変更NGって何年何月何日に決まったの? 履歴を見ると、昨日今日のも含めて2014以降も随分と変更されてるみたいだけど? -- (名無しさん) 2015-03-23 01 01 10 たぶん其れは特技とかの追加補完とか○○歳バージョンとかの分じゃないか?戦国三傑とか一部の例外は除くと -- (名無しさん) 2015-03-23 12 41 46 2015-03-23 12 41 46 質問の答えとしては 何月何日にうんぬんは編集履歴でチェックしてくれとしか言えない、追加された時期は2014年の中頃には注意書きはあったと思う 後漢・戦国三傑などの有名所で編集合戦がおきて、そのことに起因して現れた文章だからこれから先のことを考えて荒れないための保険として扱ってもらいたい -- (名無しさん) 2015-03-23 12 52 14 能力値の変更がNGと明確に決まったのは去年の今頃じゃなかったかな? もともと能力値に関しては万人が万人なりの回答を持ってるから、 気をつけましょうって言ってたのを、一部の人間達が無視して、収拾つかなくなったから明文化された。 編集合戦が起きたのも一因にはあるけど、最終的には削除しよう、必要ないとまで言い出す人も出てきて、 該当箇所(後漢・唐・戦国など)だけで収拾つかなくなったのが一番の原因だと思う。 補完とか年齢の変遷が問題視されていないのは、恐らく元の能力値の改変ということではないからだろうね。 一番問題になったのは、変更というよりも「書き換え」「削除→新成」の部分だし。 -- (名無しさん) 2015-03-23 16 52 46 日本(近世)のコメント欄に「若年Ver.や晩年Ver.の能力値は本当に必要か?」と書き込んだ者だけど、 信長・家康の若年Ver.や秀吉の晩年Ver.、孫権や洪武帝の皇帝即位後Ver.等の能力値は本当に必要なのかな? 向こうでは「既存の成長期システムでは表現できない能力変化も書いてあるということでは?」という指摘を受けたけど、 その内、やれ壮年Ver.だの老年Ver.だの、上洛前後Ver.だの関白太閤征夷大将軍Ver.だのと、 そういう名目で自分が考えた能力値を書き加える人が際限なく出てくるかも知れないことを考えると (実際、現編集前なる項目を作って能力値を書き加える人が出ているし、それに対する批判も既に述べられている。 詳しくは日本(近世)のコメント欄の2015-03-26 17 36 01からのコメントを参照)、 能力値は一つに統一した方が無難ではないかな? -- (名無しさん) 2015-03-28 20 08 00 誰が能力値を書いたかわからない以上削除は危険ではないかな? かえって編集合戦を誘発する危険性がある。 今後他の人物でそういうのを規制するのはむしろ賛成だと思う。 -- (名無しさん) 2015-03-28 22 32 18 ちなみに、現編集前の能力追加している人に対しては コメント欄見てくれるとわかると思うけど、 ルール改訂後に勝手に他の人物の能力変更した前科があるので 言い分を認める必要は一切ないと思う。 -- (名無しさん) 2015-03-28 22 35 46 とりあえず暫定的に能力値追加禁止のルールを設定しました。全ての追加能力値を弄くることはどうなのか?という意見もあったので、スルーされてる追加能力値はそのままということにしてあります。 -- (名無しさん) 2015-03-29 00 37 27 迅速な対応、ありがとうございます -- (↑) 2015-03-29 10 25 16 ↑の名前欄は↑4の間違いです。失礼しました -- (名無しさん) 2015-03-29 10 27 42 3月30日22時頃、突然全ての「みんなの新武将」ページから 3月29日のローカル改定分の記述が削除されていた。 また、問題となっていた 倭・近世 のページで 「現編集前」なる問題に取り上げられていたステータスが復活していたことから、該当者が荒らしたと判断し、以下の処置を行った 一、全てのページを3月29日ルール改定分へと差し替え ニ、悪質度の高い 倭・近世 のページに関しては 一度全ての編集ログを流し、「復元」コマンドによる編集合戦に近い差し戻しを阻止することとした。 三、該当行為による報復的荒らし行為を防ぐため、全てのページで現段階における記述のコピーを取り、それをペーストして保存。 今のところ保存のみだが、何かしらの形でこちらに公開する可能性有。 四、一連の該当行為におけるルール違反、荒らし行為の所業が同一人物だった場合、Wiki管理人への連絡も検討中 以上。今回の編集について -- (とある自治厨) 2015-03-31 04 13 18 https //archive.today/pKczs -- (名無しさん) 2015-03-31 04 49 44 把握。こういう時に注意事項あると便利だね。どっちに非があるか明白だ。 -- (名無しさん) 2015-03-31 06 45 38 倭武将の項目荒らしてるやつって 信長スレから流れてきた制海権野郎なのか -- (名無しさん) 2015-04-16 13 10 31 どうでもいい -- (名無しさん) 2015-04-17 13 22 11 歴史イベント(みんなの新武将用)作れんかな… 収拾つかなくなるか -- (名無しさん) 2015-04-21 18 29 26 実際に作るとなると、改造でも難しいんじゃないか? 勢力全て操作して、それっぽく再現するだけなら可能だろうけど -- (名無しさん) 2015-04-21 19 27 41 250字以上の列伝は各自で添削するように、というルールが追加されたけど、さすがにこれは問題ありでは? 荒れるのを未然に防ぐため、という意図は理解できるし、何かと荒れやすい戦国三傑への編集だから神経質にならざるを得ないのもわかる。 けど、一応は新武将作成例のページなんだから、そのままコピーして使えるよう最低限の体裁は整えておくべきではないかな? 250字を超えた列伝というのは、例えるなら1000を超えた能力値のようなもので、ツール類を使用してもゲームに登場させることは出来ない。 加えて、あくまで私見だけど、新武将作成例からは列伝だけを拝借して能力値等は自分で決める、という利用者も多いようだし、 wikiとしては列伝の添削を禁止するのではなく、むしろ列伝の体裁を整えることを奨励するべきではないかな? その方がwikiの利便性の向上に繋がるだろうし、禁止するのは既に250字内の列伝だけで十分だと思うけど。 -- (名無しさん) 2015-05-08 19 08 07 取り繕った方がいいのは確かだが、250越えてる登録武将がかなり多くて 実質このルール自体があまり機能してないという現状があるからね 膨大な数の列伝書き換えるより、各自でやってもらった方が早いと思う。 極論、日本語がわかれば省略できるところもわかるし -- (名無しさん) 2015-05-12 08 38 28 ↑ 250字の制限が必ずしも守られていないことや、列伝の添削が大変なことはわかるけど、 それらの問題と列伝の添削をルールで禁止することは別なのでは? 現状のルールは「作成例の体裁をきちんと整えることを認めない」と宣言しているようなもので、 いくら何でも規制の度が過ぎるというか、みんなの新武将というページの本質を見失っているように思えるけど。 -- (↑2) 2015-05-12 22 40 03 認めないというわけではない。俺が言ってるのは「普通に骨が折れるだろう?」ということだ。 三傑だけ編集すれば終わり、って言うなら特に問題はないが 現状250字を越える列伝を持った人物はかなり多い。 そしてそれ全てを修正するのは膨大な時間がかかる。 つまり「あなたの方法は現実的ではない」と言いたいのだ。 それよりも、列伝の添削を各自に任せることで、 ある程度融通をきかせた方がよいのではないか?というのが個人的な考えだ。 正直なところ、実際に登録するとわかるが、列伝自体はさほど必要かと言われると微妙なところがある。 列伝の存在そのものを否定する気はないが、登録武将を登録する上で列伝は絶対必要なわけではない、ということだ。 -- (名無しさん) 2015-05-13 08 48 40 ↑ だから、列伝の添削が大変なことは、列伝の添削を禁止する理由にはならないでしょう? 自分は別に「250字を超えた列伝は是が非でも修正すべきだ」と主張しているわけではないよ。 ただ、現状のルールは「ゴミのポイ捨てが後を絶たないから、捨てられたゴミの後片付けを禁止する」と言っているようなもので、 あまりにも支離滅裂なルールだと感じたから、そこの部分は元に戻すべきではないかと述べているだけだよ。 -- (↑2) 2015-05-13 19 34 08 ルール上そうしたい、というならまだしも、修正するだけというなら余計やめておいたほうがいいかと。列伝の編集合戦というのもあるので。横槍失礼 -- (名無しさん) 2015-05-15 11 27 13 ↑ 最初のコメントの繰り返しになるけど、自分も編集合戦を防ぐための規制は必要だと考えている。 でも、そのままコピーして使えるよう最低限の体裁は整えておく、というのが理想のはずだから、 規制するのは既に体裁が整えられている列伝に限定して、250字以上の列伝の添削は認めるべきではないかと思う。 もし添削後の列伝の内容が気に入らなければ、その時こそ各自のPC内で調整すればよい。 ↑3は「三傑だけ編集して終わりというわけにはいかない」という意味のことを言っているけど、 有名な三傑だけでも添削の手間を省けるようになるなら、それ自体は便利なことだと思うし、 そもそも、なぜ三傑だけ編集して終わりというわけにはいかないと、三傑を編集してはいけなくなるのか、そこがわからないんだよね。 -- (↑2) 2015-05-15 21 03 41 今、気付いたけど、現行のルールだと250字未満の列伝については言及されてないし、 250字以上に書き換えられたら修正できなくなるから、ますます列伝の使い勝手が悪くなる可能性があるね。 この部分は早めに書き直した方がよいと思う。 -- (↑) 2015-05-15 21 34 43 議論は尽くされたと判断して、列伝の編集に関するルールを変更しました。 -- (↑) 2015-06-26 21 38 16 役に立つページ -- (名無しさん) 2016-01-10 17 30 14 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1173.html コメント欄についての要望があったので、後漢のコメントページの項目を削除しました。 ログについてはこのページの下部から見れるようになっています。 -- (名無しさん) 2016-03-09 20 45 29 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2431.html 追加で後漢の項目下部にも置いておきました -- (名無しさん) 2016-03-09 20 54 57 朝鮮のとこ、乙支文徳とか淵蓋蘇文がいつの間にやら居なくなってるんだな コメントフォームがないとこういう時不便ね -- (名無しさん) 2016-03-09 23 33 22 編集履歴見ると能力値で揉めて結局削除になってるみたいだね さてどうしたものか -- (名無しさん) 2016-03-09 23 42 26 2013/09/28 (土) 03 03 19の編集で消えてるけどこれ荒らしの編集だよね、多分 -- (名無しさん) 2016-03-09 23 45 56 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/71.html とりあえず朝鮮・韓国の記事について ・ 荒らしと思われる全空白記事のすぐ直前の記事で復旧 ・ ただし高朱蒙に関しては、ローカルルール設定後に別の能力値になっているため、そちらを優先 ・ 全削除以後にできた武将は、そのままマスクデータを変更することなく転記 コメント欄は戻すことができなかったので恐らく管理人さんの処置だと思われます -- (名無しさん) 2016-03-09 23 54 37 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2471.html コメントログはちなみにこれです -- (名無しさん) 2016-03-09 23 56 46 暫定案なのでもし異論がある方はこちらでお願いします -- (名無しさん) 2016-03-10 00 03 26 元のコメント欄の続きをさせてもらうけど、 その時は元の編集者側が折れたのかもしれないけど、今回あるいは次以降もそうなるとは限らない 自分はむしろ「折れざるを得なかった」という点に注目したい。 ここがゲームの攻略wikiである以上、「ゲームの制限を守れ」というのは不動の正論であり、 個々人の歴史観の違いで意見が分かれることはありえない。 そもそも列伝の編集は既に規制されているから、編集合戦の心配はないんじゃないかな? というわけで、編集前の列伝を残すことをルールで義務化する必要は無いと思う。 制限を超過している列伝の多さを考えると、ページの容量を肥大化させることになりかねないし、 それに、これは前にも書いたけど、ゲームに使えない列伝をゲームのwikiに載せておいて、 ゲームで使えるように修正されたら怒り出すような人たちに、そこまで配慮する必要があるかな? むしろ「この列伝は悪意にまみれている!こんなの俺が認めない!変更させろ」ってなってしまうと それこそ全く収拾つかなくならないか? 認めないと思うのは個々人の勝手。250字以上の列伝であれば、添削はむしろ大歓迎。 でも、250字以内の列伝に手を出したら許さない。 ……では駄目かな? -- (名無しさん) 2016-04-12 01 18 31 ページそのものの容量の多さについては確か別ページを新たに作ることで解消できるはず このWikiは「1ページごとの容量」は決まっているけど、新たにつくるページの容量制限はないからね。 それと、列伝編集を訂正者の個人的な書き方に任せるのはかなり危険を内包してる。 今回のような一部で「悪意にまみれた」と言われた列伝が今後増えてくる可能性がある。 そうなった時に「250字以内にしたしいいじゃん」と発言されると、また火種ができかねない そこまで考える必要あるのか?と言われそうだけど、問題を抑える必要のあるローカルルールで 新しく問題を作っては世話ないと思うのが一番の理由。 -- (名無しさん) 2016-04-12 01 44 38 よって現状では ・ とりあえずこれ以上の問題が起きないように列伝改変を禁止(字数制限のための訂正は改変しない場合のみ可) とすることにより、もともとの編集者及び作成者の内容を尊重しつつ ・ 列伝は必ずしも通説や講談、各人それぞれの歴史観に倣っているわけではない として、反対意見、異なる歴史観の存在も認めている形にしてあります -- (名無しさん) 2016-04-12 01 47 26 もともとの編集者及び作成者の内容を尊重しつつ 「前の編集者を尊重すべき」という言葉に囚われすぎてない? なぜ制限が守られていない列伝が出来たかといえば、編集者が文章を250字以内にまとめられなかったからで、 敢えて厳しい言い方をすれば、編集者の過失ということになる。 前の編集者を尊重すべき、というのはその通りだけど、過失まで杓子定規に尊重することはないと思う。 列伝編集を訂正者の個人的な書き方に任せるのはかなり危険を内包してる。 今回のような一部で「悪意にまみれた」と言われた列伝が今後増えてくる可能性がある。 そうなった時に「250字以内にしたしいいじゃん」と発言されると、また火種ができかねない そこまで考える必要あるのか?と言われそうだけど、問題を抑える必要のあるローカルルールで 新しく問題を作っては世話ないと思うのが一番の理由。 自分は訂正前の文章を残すことの方が危険だと思う。 これまで編集合戦が起きたりコメント欄が荒れたりしたのは、個々人の歴史観の違いが原因で、 歴史観の違いを解消することが極めて困難である以上、これからもコメント欄が荒れることは十分にありうる。 コメント欄が荒れた時、我々が場を収めるために言えることは「ルールを守れ」の一語だけ。 でも、ふと列伝の方を見ると、ゲームの制限が守られていない文章が、ルールに守られて大切に保存されている。 そして、ここがゲームの攻略wikiである以上、「ゲームの制限を守れ」という正論を否定することは出来ない。 この状況で、それでもルールを守らなければと思う人間が、果たして何人いるだろうか? 自分はコメント欄が荒れることよりも、ルールの信頼性が損なわれることの方が遥かに危険ではないかと思う。 -- (名無しさん) 2016-04-12 22 33 38 確かに編集者の過失といえばその通りです。 ですが、このローカルルールができるまで「250字以上の列伝は問答無用で改変される」という 制約は今までありませんでした。もっと言えば250字以上の列伝でも 暫定的に消されず残っていたわけです。放置されていた、特に気にされていなかった、というのが現状でしょう。 それがいきなり「たった今から250字以上の列伝は添削の対象になった。だからここ消して改変するね」とするのは どうでしょう?それこそ「横暴だ!」とか「いきなり勝手にルールを決めて好き勝手するな」とルールそのものに 対する反対意見、ひいてはルールの信頼性の損失に繋がると思うのですが? 歴史観の違いが編集合戦を招いているなら尚更です。新しくルールに則って作られる列伝が 最初の列伝作成者及び編集者の歴史観にそぐわないことは当然でるでしょう。 そうなった時、もしそこで反発が起きてしまっては、何のためのルールでしょうか? 今回のケースのような、「列伝が悪意的すぎる」という一部の反発から起こったケースを 改善するどころか、さらなる悪化を招いてしまう気がなりません。 既にちらほらと上がっていますが「ゲームの制限に則る」という目的であれば、 現行の「列伝切り離し+別枠での存続」でいちおう、達成できているわけで そこから「列伝による歴史観の内容」に介入するのは、正直得策ではありません。 あくまでローカルルールは体裁を取り繕うためのもので、提言者が好き勝手定められるわけじゃないですから -- (名無しさん) 2016-04-13 00 16 41 これは、ローカルルールで議論の末、追加されたかつての能力値変更禁止ルールの時もそうでした。 あの時も「当時記載されている新武将作成例の能力値は全て認めて、以後能力値を勝手に変更してはならない」という内容でした。 これが例えば「この武将の作成例能力値は認める。だが、あの武将の作成例能力値は~~という理由により認めない」など 記載された武将作成例ごとに主観的な判断基準が無理やり定められていたらどうでしょうか? 間違いなく反発が必至だったと思われます。今の状況も恐らくなかったでしょう。 ローカルルールはあくまでもフェア、お互いのことを尊重していく必要があります。 一方を優遇すると、もう一方が反発するのはまだマシで、優遇された側が錦の御旗を掲げるように好き勝手動くかもしれません そうならないように、決めるところ、決めないところは厳格に線引した方がいいと思います。 -- (名無しさん) 2016-04-13 00 26 49 せっかく書いてもらったのに申しわけないけれど、論点がずれてない? 少し整理すると、自分が主張しているのは「編集前の列伝を残すことをルールで義務化すべきではない」ということ。 その理由は、第一に、前の編集者の過失まで尊重する必要があるとは思えない。 第二に、ゲームの制限が守られていない列伝をルールで保護することは、編集者の過失をルールが庇う形になり、 かつゲーム攻略wikiの「ゲームの制限を守れ」という正論とも矛盾するので、ルールの信頼性を著しく損ねる可能性がある。 論争や編集合戦が起きた時、我々が場を収めるために言えることは「ルールを守れ」の一語だけ。 でも、ルールの信頼性が損なわれたら、その魔法の言葉が通用しなくなる。 そうなるくらいなら、コメント欄で不毛な議論を繰り返して、頃合を見て「ルールを守れ」で解散した方がまだしも平和ではないかな? ……というのが自分の意見。 で、その上で意見を返させてもらうけど、 ですが、このローカルルールができるまで「250字以上の列伝は問答無用で改変される」という 制約は今までありませんでした。 いや、あったよ? というか、「250字以上の列伝を改変してはいけない」というルールが定着したことは今までなかったよ? それどころか、親切にも「250字以上の列伝は添削の対象になる可能性があります」と注意喚起までされていたよ? それがいきなり「たった今から250字以上の列伝は添削の対象になった。だからここ消して改変するね」とするのは どうでしょう?それこそ「横暴だ!」とか「いきなり勝手にルールを決めて好き勝手するな」とルールそのものに 対する反対意見、ひいてはルールの信頼性の損失に繋がると思うのですが? すぐ上で述べた通り、話の前提が全く異なるので、その仮定は成り立たない。 歴史観の違いが編集合戦を招いているなら尚更です。新しくルールに則って作られる列伝が 最初の列伝作成者及び編集者の歴史観にそぐわないことは当然でるでしょう。 そうなった時、もしそこで反発が起きてしまっては、何のためのルールでしょうか? そこは過失を犯した編集者が責任を取り、自らの列伝を取り下げて添削された列伝を受け入れるのが筋ではないかな? ルールで守られるのは、優良な編集者に限られるべきで、全ての編集者を守ろうとするのは逆に不公平だと思う。 「ゲームの制限に則る」という目的であれば、 現行の「列伝切り離し+別枠での存続」でいちおう、達成できているわけで そこから「列伝による歴史観の内容」に介入するのは、正直得策ではありません。 個々人の歴史観に対する自分の姿勢は、個々の歴史観を等しく無視することで公平を持する、 つまり「歴史観はどうでもいい、それよりもルールを守れ」で一貫させているつもりだけど、 自分のコメントのどの辺りを歴史観への介入と感じたの? -- (名無しさん) 2016-04-13 23 33 00 ↑の続き。 これは、ローカルルールで議論の末、追加されたかつての能力値変更禁止ルールの時もそうでした。 あの時も「当時記載されている新武将作成例の能力値は全て認めて、以後能力値を勝手に変更してはならない」という内容でした。 これが例えば「この武将の作成例能力値は認める。だが、あの武将の作成例能力値は~~という理由により認めない」など 記載された武将作成例ごとに主観的な判断基準が無理やり定められていたらどうでしょうか? 先人曰く、「250字を超えた列伝は四桁以上の能力値と同じ」。 もし四桁以上の能力値が当時作られていたら、間違いなく認められなかったろうし、 列伝の字数が250字を超えているか否か、或いは能力値の数字が三桁以下か四桁以上か、という判断は主観的とはいえないと思う。 ローカルルールはあくまでもフェア、お互いのことを尊重していく必要があります。 一方を優遇すると、もう一方が反発するのはまだマシで、優遇された側が錦の御旗を掲げるように好き勝手動くかもしれません そうならないように、決めるところ、決めないところは厳格に線引した方がいいと思います。 そうだね。だから、自分はこれまでこう主張してきた。 他人の歴史観を認めないと思うのは個々人の勝手。250字以上の列伝であれば、添削はむしろ大歓迎。 でも、250字以内の列伝に手を出したら許さない。 そして、ルールで守られるのは優良な編集者に限られるべきで、そうでない編集者まで守ろうとするのはフェアではない。 -- (名無しさん) 2016-04-13 23 34 30 確かに、ルールに厳密に則るのであれば、恐らくそちらの方が正しいと思います。 しかし気になっている大きな点が1つありまして 「そもそも250字以上の記述が、今回の議題の発端になったのか?」という点であります。 私が知る限り、今回の列伝で問題視されたことに関してはあくまでも「一部の武将の悪意的なその内容」であって、 250字を越えているかどうかというのは、果たして問題になったのか?ということです。 確かに250字以上を越えている事に関する問題を解決するためならば 「とりあえずルールのもとに250字以内に列伝を収める」ということで解決を図れると思いますが、 今回クビライの列伝を元に疑問を呈した方たちは、その解決法を欲していたのか?という点なのです。 で、もし仮に今回の発端が「悪意的な内容」によるものだとすれば、 「250字以内に添削する」という内容では足りないのではないのか? 「悪意的な内容」の押し付け合いになるのではないか? 「250字以内の列伝はノータッチ」とするなら、いっそのこと内容もノータッチさせた方が さらなる火種を生まない分よいのではないか?というのがこちらの主張になります。 要は「本当に250字以上の列伝だけが論争になったのか?」ということでして 確かに「編集者の過失は守る必要がない」とは言いますが、ページの容量制限的にも ガッツリ削る必要もあまり感じないので残した方が安全な軟着陸になるのではないか?と思うのですよ -- (名無しさん) 2016-04-14 06 53 33 横からで申し訳ないが武将情報はできる 限り多く表示してくれる方が助かります マイナーな武将だと何をどうやったのか 把握しづらいですし、情報が多いとこちらで 能力を上げ下げする時楽ですから -- (名無しさん) 2016-04-14 16 53 27 ↑2 しかし気になっている大きな点が1つありまして 「そもそも250字以上の記述が、今回の議題の発端になったのか?」という点であります。 もし仮に今回の発端が「悪意的な内容」によるものだとすれば、 「250字以内に添削する」という内容では足りないのではないのか? 「悪意的な内容」の押し付け合いになるのではないか? 「250字以内の列伝はノータッチ」とするなら、いっそのこと内容もノータッチさせた方が さらなる火種を生まない分よいのではないか?というのがこちらの主張になります。 でも、これまで繰り返し述べたように、添削前の列伝を残すことを義務化するという方法では、 さらなる火種を生むばかりか火を消す手段を失うことになりかねない。 そこで提案したいんだけど、添削前の列伝を残すことを義務化するのではなく、列伝の内容に関する議論を禁止する、というのはどうかな? 要は能力値の例に倣おうというわけで、これはこれで反発を招きそうではあるけれど、 お互いが挙げた危惧は解消させられるのではないかと思うので、検討してみてはもらえないだろうか? ↑ なるほど、そういう再利用法もあるね。 でも、そうすると今度は補足欄で「悪意的な内容」の押し付け合いが発生する可能性が出てくる。 もしかしたら、補足欄に参考と称して能力値を書き込む輩まで出るかも知れない。 それを防ぐにはどういう規制を設ける必要があるか、大いに論じたいところではあるけれど、 今、自分が住んでいる地域では地震の余震が続いていて、それどころではないんだよね。 -- (名無しさん) 2016-04-14 23 12 47 補足の用途を絞るのが一番な気がする 具体的には、wikiなどを省略urlで 載せるなどを行えば、荒れる要因は発生しないのではないか? あくまでも列伝はゲームの基準に準ずるということもできるはず -- (名無しさん) 2016-04-15 01 08 34 なるほど。お二方の言い分に理があると思いますので、ローカルルールはそれで行くのがいいかもしれませんね。 とりあえずお二方の言い分を反映させて暫定案を出しておきますので、異論ある方は再度こちらでお願いします。 -- (名無しさん) 2016-04-15 01 22 55 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1270.html ルールに則り、クビライなどの列伝が250字以上の武将の列伝を添削しました 補足としてWikipediaの項目ページを引用してあります。 -- (名無しさん) 2016-04-15 02 24 48 250字以内にするというのは、ゲームの仕様上理解出来る。 だけど今回の編集された内容を読むと単に250字以内に収めようという努力だけでなく、 どう見ても添削者の主観による意図的な改変があまりに多過ぎると思うんだが? 実際、ただ数行を削れば事足りるのに内容そのものを書き換えてるものばかりだ。 250字以上であることを理由に単に短くするだけでなく、 内容を好き勝手に書き換えるというのは、個人的にどうかと思うが。 -- (名無しさん) 2016-04-15 03 06 27 ゲームの三国志や信長の列伝って、そもそも歴史観が入っているのかな 基本的には、その武将の足跡紹介程度になってると思う 良くも悪くも当たり障りのない内容というかね で、クビライなんだけど 明らかに偏った歴史観が入ってた それこそ今回の編集なんて、比較にならない程に主観が入ってたよ その他、元のページのコメントで抜粋されてる武将達にしても かなり悪質で卑猥な文章が使われてる しかもそれらは元あった列伝を編集された結果なわけだ 付け加えるなら、それらに使われている表現は 歴史観がどうのって持出せるないようではない その人物の編集内容は、主観による意図的な改変ではなく 公平な行動で 今回の編集は主観による意図的な改変で好き勝手やったものとし 主張されるのでしょうか クビライの以前の列伝は ぱっと読んだだけでも、他の元の項目の武将達の 列伝と比較して、明らかに浮いていたと思う 何しろ生涯の行動や、伝わっている故事と 丸っきり矛盾する内容が書かれていたんだからね -- (名無しさん) 2016-04-15 04 24 10 列伝の内容がどうこうという話題は、補足のWikipediaなどで完全に補えると思うけどな 例え悪意的な内容だろうが、逆に肯定的な内容だろうが、Wikipediaを見れば ある程度大きな情報が手に入り、その人物の正の面、負の面がある程度把握できる 実際、列伝の内容で事足りない、情報が欲しいと考える人は実際調べるだろうし、 それによって「編集者の歴史観とは異なる人」に対する救済措置にもなっているはず -- (名無しさん) 2016-04-15 17 58 27 クビライは今回議論の元になったのだから分からなくもないが、 三英傑や光武帝をはじめとして、ただ数行を減らせば済むものまで わざわざ内容を付け足したり書き換えたりしている。 ただ250字以内にしようとするだけなら、そんなことする必要あるか? Wikipediaで補えるのなら、益々こんなことする必要ないと思うんだが。 -- (名無しさん) 2016-04-15 20 03 56 そんなに騒ぐほど内容が書き換えられているかな? 例えば織田信長の場合、「天才的」「卓越した」「柔軟性に富んだ」「優秀」「戦争の天才」「慧眼」 「時代を超越する先見性」「豪胆でありながら繊細」等のしつこいほどに過剰な礼賛や、 「合理的な戦術戦略判断」と「勝つべくして勝つ条件を合理的速やかに整える」等の内容が重複した文章が省略されたくらいで、 書いてあること自体は以前とあまり変わらない気がするけど。 -- (名無しさん) 2016-04-15 22 39 39 光武帝に至っては、「聖人君子然とした人物だが、特に諧謔の精神にも恵まれていたと伝わる」の一文が削られて、 「中国史上唯一、旧王朝の再興を旗印としこれに成功した君主」が「中国史上有数の皇帝と呼ばれる」に変更されているだけだね。 これが「添削者の主観による意図的な改変」? 「内容そのものを書き換えてる」? -- (名無しさん) 2016-04-15 23 39 59 省略することが問題なんじゃなくて、これまでに無い語句に書き換えたり 付け加えたりすることがどうなのかと言ってるんだけど。 しかも「日ノ本一の弓取」「超人的な殲滅力」「戦国一の出世頭」「中国史上有数の皇帝と呼ばれる」 「織田家・伊達家・島津家ら外様大名の掌握を行いつつ」「織田家、毛利家、上杉家、徳川家などを支配下に置き」 と、このように書き換えてる内容がどれも書き換える意味の無いものばかりだ。 それも250字以上の列伝なんか他にもたくさんあるのに狙ったように三英傑や光武帝、大海人皇子など 以前編集合戦や能力値議論が起こって荒れる要因になった人物のものばかりだし。 飽く迄250字以上であることを理由に編集が許されている以上、クビライのような例外を除けば 出来るだけ元の表現を利用した形で添削を行っていくべきだろう。 書き換える必要の無い部分まで自分の表現に書き換えてるんじゃ、違う理由で編集してると思われかねないし、 程度が違うだけでクビライの列伝を以前編集した人物と変わらないよ。 -- (名無しさん) 2016-04-15 23 56 25 結局は程度の問題なんだろうけど 確かに一理あるかもな 個人的には、今回の騒ぎで特に問題があったのって 極々一部の編集者だけだったと思う そいつは魅力1桁、特技は強奪にほぼ統一 歴史観などとはいえない卑猥な文章や 異常に偏った歴史観が記載されてたし -- (名無しさん) 2016-04-16 01 30 15 具体的な事績に書き換えられたのなら別だと思うけど、単に表現を変えることに意味は無いし、 それなら能力値等と同様にローカルルール設定時のものを尊重するべきだと思う。 取り敢えず、クビライ以外のものは差し戻した上で ローカルルールに新たに注意を書き加えておきます。 異論のある方は再度こちらでお願いします。 -- (名無しさん) 2016-04-16 02 29 51 注意の例として、天武天皇・持統天皇・光武帝を添削致しましたので、よければご覧下さい。 いずれにせよ、出来る限り現在の列伝を尊重し、その文章を使用することで250字以内に添削するようにして下さい。 また、添削しなおさなかった物も含め、補足は再度掲載しておきました。 -- (名無しさん) 2016-04-16 04 35 00 ちょっと待った。 差し替え前と差し替え後の編集列伝の文章見たけどほとんど変わってないぞ 前のクビライのような反論が出る文章ならまだしも、 この列伝を差し戻す理由が全くわからない。 しかもそれ以外の武将は元に戻ってしまっているおかげで添削を不意にしてしまっている。 これでは「内容に問題があると思ったから勝手に編集差し戻しましたよ」としか思われない。 それでは編集合戦を生む要因にしかならないのだが? -- (名無しさん) 2016-04-16 04 48 15 そもそも字数を節約するために語彙の書き方を変えることの問題があるのか全くわからん 例を挙げれば光武帝の「中国史上唯一、旧王朝の再興を旗印としこれに成功した君主」 「聖人君子然とした人物だが、特に諧謔の精神にも恵まれていたと伝わる」という表現を 「中国史上有数の皇帝と呼ばれる」という内容に変更して、どこらへんに瑕疵を生じるのか全くわからない。 明らかに字数的に無駄となる表現を廃して、本人の事績を細かく伝えようとしているとしか思えないが? もしかしてこの列伝を書いた人がこの表現に拘ってるがために無理やり添削をなかったことにしたの? としか思えないんだが?どうなのこれ -- (名無しさん) 2016-04-16 04 59 31 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2712.html とりあえず倭・近世の項目が何一つ改善されていなかったのでローカルルール直後の記事に差し戻し 問答次第では他の項目も差し戻す予定でいます -- (名無しさん) 2016-04-16 05 03 40 出来る限り、ローカルルール設定時の文章を尊重する形にするべきだと思いますが それがおかしいことでしょうか? そもそも今回の添削に関わった方々のやり様の方が問題だと思ったので対処したのですが。 クビライの件も議論することで編集しておきながら、列伝の内容や歴史観に関する議論を禁止する ローカルルールを決定したり、250字以内に収めることを目的とした添削のはずなのに 字数に関係無い内容の書き換えを行ったりと、言っていることと行為が全く一致しておられません。 しかも三英傑や光武帝、大海人皇子など以前編集合戦や能力値議論が起こって荒れる要因になった 歴史人物の列伝に集中してそのような編集の仕方をするというのは余りに配慮が無いと思います。 そのため、一度差し戻した上で新しく書いた注意の例として編集させていただきました。 -- (名無しさん) 2016-04-16 05 13 36 やりように問題があるというのなら正直そちらの方が横暴だと思う そもそも最初にローカルルールが決めた段階で 「列伝の歴史観による討論、介入は禁止」というルールがあったはず それが今回の編集でなぜか削除されなくなっている。 そして、一部の武将がルールに基づき添削されたのにもかかわらず、 それを無理やり差し戻してなんら処置はしないというのは明らかに配慮がないのでは? もしその後でクビライの悪意的な内容を書いた人が書き直して問題になったらそれこそどうするの? そりゃあ、「光武帝は悪辣で残虐」みたいな書き方されてりゃ別だけど 差し戻し編集見た時にどう見ても表現の違い程度しか思えなかったんだが、 内容の検閲をしたらキリがないよ、という点から始まって今のルールができたのに そのルールを勝手に変えて内容の検閲してりゃ全くの本末転倒です -- (名無しさん) 2016-04-16 05 19 24 もし、あなたが「ローカルルール設定時の文章を尊重する」という 表現を入れたかったのであれば、ローカルルールに付け加えればいいだけでしょ。 それを勝手に独断で変えて、あまつさえ添削をもう一度やり直して、 しかも一部の武将はそれすらも放棄してじゃ、独断専行だと思われても仕方ない。 「今後は元の列伝を尊重してくださいね」でローカルルールに付け加えて終わる話を なぜ編集合戦になりえる手法まで使ったのか、それが目当てだと思われても仕方ないでしょ -- (名無しさん) 2016-04-16 05 25 34 なぜかやたら光武帝の列伝にのみ拘っておられる方がいらっしゃいますが、 彼の列伝は「聖人君子然とした人物だが、特に諧謔の精神にも恵まれていたと伝わる」 という文章を削除した時点で以前の添削では250字以内です。 250字以内におさめるためなら、それ以上書き換える必要がありませんし、 同様に「戦国の出世頭」を「戦国一の出世頭」に書き換えることも 「戦争の天才」や「時代を超越する先見性」を「日ノ本一の弓取」「超人的な殲滅力」 などと書き直すことも、250字以内にするために全く必要な書き換えとは思えません。 先程も言ったようにクビライの件も議論することで編集しておきながら、列伝の内容や歴史観に関する議論を禁止する ローカルルールを決定したり、250字以内に収めることを目的とした添削のはずなのに 字数に関係無い内容の書き換えを行ったりと、言っていることと行為が全く一致しておられません。 -- (名無しさん) 2016-04-16 05 32 39 その時のローカルルールでは「元の列伝を尊重して添削する」という文言がなかったからでしょ まずはゲームのルールとして250字以内にすること、であって内容は不問だったのですよ んで、キリのない歴史観の議論を防ぐためにWikiなどで補い、とりあえず情報だけ載せようというのが今回の大元のルールです。 あなたには時系列という視点が欠けている。 クビライの内容が悪意的だというのは、今回のローカルルールを定めるにあたり 全く関係ありません。強いて言えば「クビライのような例を『次に出した時の対処』を考える」のが 目的であり、クビライはただのきっかけにすぎません。 そしてあなたの最大の愚は、事実上ルール改変という名のもとに 「既に250字以内に添削された列伝を、内容を改変した上で再度250字以内の列伝として書き加えた」こと。 ルールにこだわるのであれば、これがいかに愚挙であるかわかると思いますが、 これをあなたがやったことによって、心ない編集者が「それなりの理由をつければ字数に関わらず列伝を添削してもよい」と考えるやもしれません。 はっきり言ってしまえばこちらがあなたのことを「横暴だ」とするのは全てここに集約されています。 列伝の内容は元の列伝を尊重すべき、というのは対処法としていいと思いますが、 少なくともやり方に関しては語るに値しないです。 -- (名無しさん) 2016-04-16 05 41 04 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/126.html とりあえずローカルルール直後の段階に記事を差し戻し、 ローカルルールに「添削する際は出来る限り現在の列伝を尊重し、その文章を使用することで250字以内に添削するようにして下さい。」の 文言を付け加えさせていただきました。 差し戻した理由については、歴史観がどう、内容がどう、ではなく 「1度250字以内に添削された列伝を、それ以上編集してはならない」という ルールに則ったものであり、どちらがよい悪いの話ではないことを記しておきます。 -- (名無しさん) 2016-04-16 05 55 33 それを言うなら、そもそも前もって元の列伝を尊重して添削することを 予め考えておくべきではないですか?今回ローカルルールが決まるや否や このみんなの新武将で最も荒れた人物達ばかりが編集されています。 これでは邪推しろと言っているようなものではないですか。 実際私と同様の危惧や憂慮を抱かれた方がコメント欄でたくさんいらっしゃったようですし、 私も一連の議論が終結した際は当然そのような配慮や尊重がされた添削になるのだろうと思っていました。 それが実際に添削されてみると、とてもそうとは言えないものばかりで、 これでは荒れる要因になりかねないと思い、対処させていただいた次第です。 -- (名無しさん) 2016-04-16 06 08 01 前もっては考えられていましたよもちろん。 ただ、列伝の内容そのものよりもまずは体裁を整える、 Wikiなどを引用して、情報を揃えることを第一にして、 歴史観の議論をできる限り排除する。今回はこれが目的でしたからね。 あまり言いたくはないのですが、今回はクビライの列伝が悪意的である、と 一部から批判される形で展開しましたが、今後どういう議論や批判がでるかわかりません。 それこそ「この武将の列伝は肯定が行き過ぎていて神格化されてる。史実ではもっと悪どい」などという 批判もあったかもしれず、そういう色んなケースが考慮されて「歴史観は正悪問わず無視しよう」ということになったわけです。 過去に荒れた武将が編集されたことでそう思われたのかもしれませんが、内容を見てみると とても荒れる原因を作ってるようには思えない、むしろ個人的には 「荒れそうな武将を先に編集して批判が集中しないようにする」という 体で編集されたのだと思い、気にも止めなかったです。荒らすつもりなら、もっと 正悪両極端な記述になっているでしょうし、もともとの列伝ともさほどに大差なかったわけですから。 確かにあなたが危惧するのもわかります。実際コメント欄でもそれは指摘されてますし。 ただ、そうであれば「ルール追加の提言」あるいは「250字以上の列伝のある武将を、追加ルールで添削する」 とすべきであったと思います。既に添削されて250字以内の列伝になった武将を添削するのはそもそもルールに抵触しますし、 ルールのことを快く思わない編集者にとって餌を与えるようなものです。 -- (名無しさん) 2016-04-16 06 18 30 そうですか。 私からすれば荒れそうな武将達こそ極力以前の内容を保持したまま編集した方が良いように思いますが。 それに今の在り様だと、250字以内にされた結果クビライの様になってしまったらどうしようもないのでは? -- (名無しさん) 2016-04-16 06 30 44 それはどちらをとっても避けられないです結局は。 今のローカルルールにある「元の編集者を尊重する」を採用したとしても 内容が問題視されている武将の列伝もそのまま改変されることなく添削されますからね。 で、「それはおかしい」って批判が出て、それを認めてしまうと 「いや、あれもおかしい」「おかしいわけがない、これでいい」などと 賛否両論がいろんな場所で巻き起こって全く収拾がつかなくなるわけです。 そういう事態を防ぐための「歴史観を無視する」「情報をWikiなどで載せる」という処置です。 これで理論上、どんな武将をこき下ろした列伝が採用されても、すぐ下にWikiがあるので 誰もが内容をチェックすることができます。そして見る人、利用する人が自身で内容を判断できるようになります。 そして「列伝は史実と合致しているかどうかは問わない」「歴史観と異なる場合もある」とすることで、 必ずしもそれが正確無比ではない、ということを明示し、歴史観の衝突を防げるようにしています。 -- (名無しさん) 2016-04-16 06 37 25 本来であればwikiを貼る必要はなく ゲームの列伝にあるような、当たり障りのない 概要が書いてあれば充分だと個人的には思うけどね 残虐行為と英邁な行為が並ぶ武将っていくらでも存在する でも、ゲーム上でそういう武将の列伝があっても 「専横を極めた」とか「残虐な人物であった」とか 書かれてもこんな程度でしょ 武照が顕著なんだけど 14歳での入宮時には、美しき黒髪に透き通る肌、切れ長で大きな眼に肉感的な肢体とコケティッシュな媚笑を備えた才色兼備な少女だったが、 飽くなき上昇志向で奸計・姦通を駆使し出世の為には実子殺しも厭わず、 密告を奨励し、少しでも気に入らぬ者は罪を捏造し処刑するのが彼女の常套だった。 晩年は専ら色道に耽り、巨大な女性器の持主でもあった彼女は、齢80超でも巨根の男妾を抱えたと謂う。 容姿を褒めるにしても、こんな形容は間違いなくされないし 2行目のような文章も載ることはないだろう クビライ、石虎、武照、安禄山、朱全忠が今回この手の記述を 使われた形跡がある 魅力1桁、特技がほぼ強奪固定ってなっていて 明らかに同じ編集者の行動なんだけど この人の編集行動は「前あった列伝」を とても尊重してるとは思えないし じゃあ、そんな人の「元の編集」として 尊重するのはどうなのかとは思う こういう人が守られるルールに意味はあんのかと -- (名無しさん) 2016-04-16 15 37 27 それを言い出すと他の列伝はどうなのか、と反論が来る可能性は多分にある 人によってどの列伝がおかしいと感じるのは人それぞれ。 また、前の人の列伝を尊重していないから、という理由で現行ルールに対して そのような特例を設けるのは一番ダメ。あれも特例、これも特例、 いやいやこれは特例ではないという議論が起きて結局収拾がつかなくなる。 クビライの件でルールが作られたのは、特定の人間を排除するためではない これ以上被害が出ないようにするためのルールであり、 そもそも特定の人間を排除するためのルールなら、そんなものはルールとは言わない 能力値の編集禁止ルールだって、当時暫定的にあった能力値を一旦全て認めるところから始まってる。 これが「編集合戦の起こった◯◯という武将の能力値は認めない」なんてやっていたら それこそ猛反発を受けてすぐに撤収されていた。 -- (名無しさん) 2016-04-16 18 41 22 議論の最中に申しわけないけれど、ルールに関して一つ提案したい。 現在の列伝を尊重することをルールに明記するのであれば、 未成年者が閲覧する可能性を考慮して猥褻な文章の記載を禁止する、 という内容の一文を付け足した方がよいのではないかと思うんだけど、どうかな? あと、猥褻な文章を削除することは、250字以内の列伝を編集する正当な理由になるのではないかと自分は考えるのだけど、 皆様方はどう思われるか、議論の箸休めに聞かせてはもらえないだろうか? -- (名無しさん) 2016-04-16 22 25 31 基本的に論外でしょう 嫪毐みたいなのは困るだろうけど それだって、巨根が有名になり~程度で 表現終わるんじゃないかな -- (名無しさん) 2016-04-16 22 49 25 なぜ論外と? 未成年者の閲覧が禁止されているわけではないのなら、相応の配慮が必要なのでは? あと、嫪毐については、男性器の大きさが云々ということに触れなくても、 「趙姫に気に入られて密通を重ねた」くらいの文章で十分に事跡を表現できると思う。 -- (名無しさん) 2016-04-16 23 39 05 未成年に配慮しろって簡単に言ってないか? 歴史的な話をすればほとんどの話は未成年お断りみたいな内容ばかりだぞ 三国志でいえば曹操、呂布、董卓あたり未成年お断りの逸話が多く さらに言えば劉備ですら人肉を食ったという逸話がある なんでもかんでも体裁を整えればいいというわけじゃない それなら「閲覧は自己責任でお願いします」とでも書いておけばいい -- (名無しさん) 2016-04-17 02 50 12 論外=猥雑な表現をする事はNGという意味だった 正反対の意味にとられたけど、これは書き方が悪かったわ ↑の人は実際のゲームに載ってる列伝を ちょっと考えて欲しい 人肉を食ったなんてKOEIゲーの列伝には100%載らない 実際に餓えに苛まれて、人肉を食べたエピソードのある 名将って張巡が浮かぶけど 「餓えで立ち上がる事すらできない状況までたたかうも~」 とかって表現に絶対なる これは未成年うんぬんって問題じゃなくて そんなグロテスクな話を、ゲームが元になってるものの 列伝にいちいち書く必要があるかって事 逆に過剰すぎる賛美もどうかと思うけどね -- (名無しさん) 2016-04-17 03 21 32 だからさ、それって要は「内容の検閲」でしょ 猥雑な表現はダメ、グロテスクな表現はダメ、過剰すぎる賛美もダメ いかにも編集合戦の火種を持ち込もうとしているようにしか見えない ゲームでは100%載らないって言ってるけど、じゃあ雛氏や二喬や貂蝉の列伝はどうなるの? 三国志以外なら、白起は数万の兵を殺害して40万人も生き埋めにしていることが 堂々と列伝に載ってるけど?これ未成年にとっては不適切だよね?宦官とか存在自体がもうダメだと思うけど そんなファンタジー歴史って史実と乖離しまくるだけだと思うが -- (名無しさん) 2016-04-17 03 47 29 何を主張したいのかサッパリ 戦争を取り扱うもので、殺害シーンなどの描写があるなんて とてもとても当たり前 だけど、人肉を食べるなんて描写をいちいちするか? 劉備の話を例に取るのであれば 漫画だろうが小説だろうが、あの話を取り上げてるのは 有名どころだと吉川版だけど、それも注釈つき その辺りの明確なラインってのは、完全にひけるわけもないけど 常識的、感覚的にある程度わかるでしょうに だいたい史実と乖離も何も、歴史なんてファンタジーでしょ 劉備が実際にどういう人物で、どういう顔をしてたとか だ~~~~~~~れも知らない 特に三国志関係の人物のイメージなんて、 演義が下地になってる人物が大半じゃないか 横山版の三国志をあなたは表現が猥雑だからといって 未成年には進められないとか主張するの? たかがゲームから発生してる列伝だし その武将の列伝は、簡単な概略が書いてあればいいものってのが 自分の考えです 例に出した張巡の簡単な概略に「人肉を食べた」なんて 表現が必要でしょうか? 功罪どちらも大きい武照の概略に「巨大な女性器」なんて 文章をはめこまないと、彼女は表現できないものでしょうか? また実際のゲームで、そのような文章が組み込まれる事は 確実にありえません 宦官が未成年に不適切だのどうのなんて 感覚自体がおかしい -- (名無しさん) 2016-04-17 04 42 27 常識的・・・・感覚的・・・・ルールを語る上で「もっとも使ってはいけない」言葉ですね なぜならそういうものは十人十色・・・・ここにいる人みーんな違います。 「人肉や虐殺という表現は不適切」「戦争で人を殺したり、宦官の権力闘争はごく当たり前」というのは 所詮「あなた1人の、あなただけの常識や感覚」であることを重々認知してください。 人によっては戦争での殺害描写すら毛嫌いする人もいれば、 虐殺や英雄色を好むといったような描写をなんとも思わない人も当然います。 彼ら1人1人の意見を集約していればキリがありませんし、はっきり言って平行線です。 で、あなたが今やろうとしているのは、言葉は悪いですが早い話「俺ルール」の押し付けです。 「俺様こそが基準だ!俺様の考える常識や感覚に従え!文句ある奴は認めない!」と言っているだけにすぎない そもそも今回の列伝に関するルールは全て「そういった歴史観及び列伝の押し付け」を防ぐためのものです。 1つ聞きますが、もしあなたと真逆の主張をする人がいたらどうしますか?すなわち 「歴史の偉人なんて悪行をやってこそであり、偉人に善人はいない。もっと悪行を事細かに書くべきだし、ルールに武将を神格化正当化してはならないと追加すべき」と 言う人がいたら、あなたは反対しますか?やってることはあなたと一緒ですよ? 自分に言わせてもらえば、どれが猥雑でどれがNGだというのは人それぞれで それぞれ各々が判断すべきことで、そしてなおかつルールで歴史観に関する討論や反論などは 一切禁じられている。よってルールを守ることが先決であり、各人の言う「常識」という名の「主張」の 押し付け合いはやるだけ無駄と言ってるだけですが。 -- (名無しさん) 2016-04-17 06 21 38 人肉を食べるエピソード自体は 蒼天航路が普通に描いてる 食べる人が劉備から董卓に変わってるけど しかも生きた人間の目を刀でくりぬいて そのまま油の大釜にぶち込み、 焼いた目や耳を皿に盛って食事会 皆が吐き出す中無表情で董卓が ゴリゴリ食べるというシーンが 5巻か6巻に書かれてる -- (名無しさん) 2016-04-17 07 19 12 文庫本では3巻 俺は文庫本で所持しているので 単行本でどこにあるかは知らない -- (名無しさん) 2016-04-17 07 20 51 列伝はエロ小説でも猟奇小説でもない その程度の区別も付かない奴が 列伝を書くと今回の問題に挙げられた武将達のような 歴史観なんて語れない文章が出てくるんだと思う 何度でも指摘させてもらうけど 250字程度の概略に「人肉を食べた」なんて文章が必要ですか? それぞれ各々が判断すべき、結局個々の感覚 とは自分も同じ考えですが、これあなたがルール化できないから ダメだって冒頭で書いてる事ですよ? 矛盾があまりにも酷い 宦官は未成年に不適切。なんて極端な感覚の方は何も書けないでしょう こういう人の主張の真逆が 「歴史の偉人なんて悪行をやってこそであり、偉人に善人はいない。もっと悪行を事細かに書くべきだし、ルールに武将を神格化正当化してはならないと追加すべき になるんだよ そもそも自分の主張は、列伝なんて概略であり 歴史観なんてほぼ挟む余地のないもの ゲームが元になってる以上は、大半の方は ゲームで紹介される列伝は感覚的にどんなものか 理解されてる事でしょう こんなもん、いちいち話の種にしようとするのもおかしいくらいだ -- (名無しさん) 2016-04-17 14 14 37 「各々で判断すべき」なんて書く時点で 対立誘導してるとしか思えないよ 編集には公正を心がける。これで充分でしょう そして公正とは言えない武将についてのみ 議論の対象にすればいい 何故話を無理に大きくしようとするのかが理解できない -- (名無しさん) 2016-04-17 14 43 30 はあ・・・・どんだけ自己中心的なんですかね、 この項目の一番上に「歴史観は各々違うから登録する時は自分の好きにしてね」って最初に書いてあるでしょ これが答え。どんな列伝だろうが気に入らなければ自分で書き換え、気に入ったらそのまま使う。どれであろうと同じ。 俺の言う「個人の感覚」ってのはそれ。そしてそれに一切の例外はない。それが今の守るべきルール。 はっきり言いますけど、グロテスクだの猥雑だの過剰な賛美がNGだのって 言うなら、もう自分でホームページ作ってそこで好きにやってください。 そしてそこで自分の言う「常識的な感覚」で揃えた列伝でも好きに書いてください。 だいたい「編集は公正を心がける」ってそれあなたが言うんですか 公正を心がけるなら、どの武将であれ現在のデータを尊重し 公正な手段、すなわち定められたルール通りに添削するのが「公正」でしょうに あなたの言ってるのは「公正」じゃなくて完全な「恣意」ですよ 確かに武将の列伝の内容なんて正直どちらでもよいのですが(登録する時は自分で列伝データを作れるので)、 そんな、どれが対象かもわからない、というか特定の対象だけ勝手に線引して そこで都合よく編集添削しようなんてルールがどうやったら認められるというのか全くわからない。 第一、その主張が通ったとして、次にまた別のあなたのような人間が同じような 理屈で歴史観の内容に検閲をかけ、そしてそれが編集合戦を招くこともわからないのは 酷く独善的な発想であると言わざるを得ません。250字の概略に猥雑やグロテスクな内容は必要か? 答えは「その武将による」で終わりです。 -- (名無しさん) 2016-04-17 17 12 15 「その武将による」に対して異を唱えてはいけないのか? ってのが根本的な自分の意見です これが「異があるから勝手に編集していい」 ってなれば、独善的、公正さに欠ける、自己中心的 な批判は受けるが、自分は編集はしていないし なので、そういった謗りレッテル貼りは認められない 問題提起すら許さない姿勢は、いかがなものかと思う あなたの主張は 「例えその元の列伝が明確に公正さに欠けていても 元の編集は絶対であり、大幅な改定は許されない」 と、おそらくなると思う であるから、例えばクビライの今回の編集について 認めてはいないのだろう 自分は今の列伝と前の列伝を比較すれば 前の列伝の方が「独善的」で「公正さに欠けた」文章だと 考えるのだが、そこは平行線でしょうね また何度でも指摘させてもらう 武照の列伝で「巨大な女性器」って表現は 「歴史観」を盾にできるようなものではない そういったものを「歴史観の検閲」だとする あなたとは、絶対に平行線になってしまうのは 仕方ないと思う -- (名無しさん) 2016-04-17 18 50 53 結局は程度の問題 -- (名無しさん) 2016-04-17 19 00 19 猥褻な表現は禁止すべきではないか、と最初に提案した者だけれど、 歴史的な話をすればほとんどの話は未成年お断りみたいな内容ばかりだぞ 三国志でいえば曹操、呂布、董卓あたり未成年お断りの逸話が多く さらに言えば劉備ですら人肉を食ったという逸話がある ここはあくまでもゲームの攻略wikiである、ということを忘れてない? それなら「閲覧は自己責任でお願いします」とでも書いておけばいい 未成年者に自己責任能力を求めることが出来るのかな? 常識的・・・・感覚的・・・・ルールを語る上で「もっとも使ってはいけない」言葉ですね 自分もそう思うので、具体的に何を以て「猥褻な表現」と定義するのか、主観的ではない判断基準を考えてみたんだけど、 「性器、及び性交に言及すること」という定義はどうだろう? 嫪毐を例にすると、巨根が云々という文章は性器に言及しているから禁止だけど、密通という表現は大丈夫ということになる (手許の漢和辞典によると、密通とは「男女が密かに情を通じる」、「情」とは「男女間の愛」とされており、 つまり密通とは男女が密かに愛し合うことで、愛し合う男女が何をするのかということまでは含まれていない)。 これならば十人十色で意見が分かれるということはないと思うけど、どうかな? 雛氏や二喬や貂蝉の列伝はどうなるの? 貂蝉の「密通」については上の通り。 二喬の「二喬を側室に迎える」「銅雀台に住まわせる」は、性交に触れているわけではないのでセーフ。 雛氏は「見初められた」という表現がグレーゾーンではあるけれど、客観的に黒と断定することは出来ないのでセーフ。 -- (名無しさん) 2016-04-18 00 31 57 武照の列伝で「巨大な女性器」って表現は 「歴史観」を盾にできるようなものではない 同じく猥褻な表現を問題視している者として忠告させてもらうけど、 本当に「歴史観を盾にできるようなものではない」と思うのなら、具体的かつ客観的な根拠を示すべきだと思うよ。 -- (名無しさん) 2016-04-18 00 59 24 いや、それこそ勘違いして貰っては困る こちらは「猥雑及びグロテスクな内容などは絶対に残すべき」とは言っていない。 それは人の範疇によるから、言及すべきではないというのがこちらの主張である。 で、あるから、例えばクビライの列伝に関しては、こちらは一切反対していない。あれは 「250字以上の列伝をルールの名の下に添削し、元の列伝を尊重した結果、字数が大幅に嵩んでいた ものが省略され、一部の表現がなくなった」というものであり、ルール上なんら問題はない。 これは一部で問題視されている武照や朱全忠なども同じで、要は 「250字以内という制限を課すローカルルールを守って添削した結果、語句の異なる似たような文章を使うことで字数を減らすのは 全く問題のない行為であり、その結果一部で批判されるような語句が列伝から消えるのはルール上致し方ない」というのが こちらの主張であり、「内容や語句どうこうそのものは問わない」というのが現行ルールでもあります。 で、具体案の「性器、及び性交に言及すること」という案ですが、 正直なところ、これが未成年への配慮になるのかな、と思う次第でありまして、 というのも、列伝でいくら規制したところで、コメント欄でそのような書き込みがあれば 結局のところ配慮できていないのではないか?と思うんですよ。 まさかここに訪れる全ての人にコメント欄でそういうコメントをするな、とは言えませんし、 そういうことを加味して「閲覧は自己責任で」という案をこちらは出したかったのです。 ですが、「いや、例え列伝だけでも性器、及び性交に言及することを制限することに意味はある」と おっしゃるのであれば、それに関しては止めは致しません。 ただ、最初からおっしゃっていますが、列伝の内容に言及するのはルールにも抵触することですので それ以外(性器、及び性交に言及すること以外)の内容を制限するのは今までどおり反対させていただきます -- (名無しさん) 2016-04-18 03 31 00 おっしゃって → 発言して -- (名無しさん) 2016-04-18 03 34 00 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/126.html とりあえずこれまでの議論を反映して ルールを一度変更しておきました。 内容の改変については一切を禁じ 「性器、及び性交に言及すること」のみ その語句及び表現を改変することを 許可してあります。 -- (名無しさん) 2016-04-18 03 46 10 そこまで表現に過剰な警戒をする必要あるのかな 嫪毐に関していえば、車輪の話なんて 史記にも載ってるくらいだし ルール化しなきゃいけない程に、そんな表現が出てくるような 武将はとてもレアな気がします その結果一部で批判されるような語句が列伝から消えるのはルール上致し方ない」というのが あと、これって認めていいものなの? -- (名無しさん) 2016-04-18 04 17 14 内容の改変を経ていないけど字数のせいで・・・ってなると流石に 認めざるを得ないと思いますけどね。例えば列伝が250のほぼ倍近くの字数があるとなると 行数を削除しただけでは何がなんだかわからないケースも出てくるわけで それだと本末転倒なわけですよ。例えば 「この武将は清廉潔白で不正をたとえどんな細かいことでも許さず民を愛し仁徳慈愛の精神に長け 博愛主義で民を分け隔てなく愛し民のために政治を行い私利私欲は一切なかった。 民草も彼を敬愛して常に彼を敬い、彼の命令には必ず従い彼と命運を共にすることも厭わず 彼がどんなに苦しくても彼を支え、そのおかげで彼は民に支えられながらも時に苦しみ時に活躍して高貴の身分に登りつめた」 なんて文が列伝にあったとして、これを 「類稀な仁政家で民に慕われ立身出世した」と表現することに問題があるとは思えないんですよね。 -- (名無しさん) 2016-04-18 04 41 18 簡潔にわかりやすく。文章の基本だね 自分もそういうのは問題ないと思うんだけど クビライの列伝の編集は 主観すぎる内容が1文字も残らずバッサリ切られて wikiに差替えだったのよね この処置自体は自分は賛成なんですけど ルール的にはどうなのかなと -- (名無しさん) 2016-04-18 06 19 04 クビライの文章は主観的な文章が本来補足で残っていたんですよ でも列伝2つみたいでどうなのか、という批判があって、 そこから補足についてのルールが定められたので 補足にあったクビライの文章がすっぱり消えてしまった Wikiを使うことに関しては自分はむしろ賛成ですね 正の面負の面があそこには大量に書かれているので 「列伝が気に入らないならWikiあたりで調べて自分で作ってね」で いけますし、何より歴史観が違う者同士の対立がなくなりますね -- (名無しさん) 2016-04-18 06 53 33 具体案の「性器、及び性交に言及すること」という案ですが、 正直なところ、これが未成年への配慮になるのかな、と思う次第でありまして 正直に白状すると、自分が猥褻な表現の規制を主張したのは、 今回、荒れる原因になり、以後も荒れる原因になるかも知れない「悪意的な内容」の文章を放置してよいのだろうか、 客観的な基準を設けて「悪意的な内容」の文章を規制することは出来ないだろうか、 と考えたからであり、未成年への配慮という部分は、より客観的な根拠を模索した結果として出てきた言葉で、 つまりは単なる建前に過ぎず、問題があるようなら「荒れる原因を取り除くため」に修正して改めて様子を見ようと考えていた。 普通に最初から「荒れる原因を取り除くため」でよいだろうに、何を小難しく考えていたのだろう、と今は反省している。 そういうわけなので、非常に申しわけないけれど、改めて規制の是非を問いたい。 荒れる原因を取り除くために、性器や性交への言及を禁止することは、過剰な規制だと思う? 自分としては、列伝の内容への干渉を最小限に留めているつもりではあるんだけど。 -- (名無しさん) 2016-04-19 00 12 22 表現規制自体は個人的には、無意味な規制である というのが感想なんだけど 悪意的な内容を規制する為あえてルール化する。 という趣旨になると、むやみに反対はできないな だいたいが列伝書くにあたって、性器だの性交だなんて ほぼ全ての人物が言及する必要がない事だし 自分の知識だと嫪毐くらいかな。書く要素があるの なんで規制しちゃっても問題はないかなとも思う ただ今このwikiにある列伝で、性器だの性交だの書かれてる人物って 全部読んだわけじゃないけど、極めて少ないよねきっと 大半の人がみて、悪意的な内容の列伝もそう多くはないと思う そういう超少数派を取り締まる為に そういったことまでルール化しなきゃいけないってのも 融通きかなすぎっていうかね まあ荒れない為に明確化するって意図も理解できるけど、、、 -- (名無しさん) 2016-04-19 00 50 14 ただ、「悪意的な内容を規制する」だけだと、それを拡大解釈して 「これは悪意的だ!」「あれもそうだ!」なんて言い出す輩は絶対出てくるから 今の厳格なルールでちょうどいいとは思う > 2016-04-19 00 50 14 氏 日本史では確か道鏡がいる。ただこの道鏡はどちらかというと 清廉潔白な人間という逆説があり(最終的には天寿を全うしたため)、 道鏡がいわゆる巨根で称徳天皇を誑かしたという逸話の出処は、 まさしくその嫪毐の逸話をオマージュしたものだ、という説はある。 称徳は最終的に子供ができず、またいわゆる女帝の流れがここで一旦途切れる(次は江戸時代の明正天皇までいない) こともあり、道鏡と称徳が嫪毐と趙太后に仮託されてる可能性がある。 -- (名無しさん) 2016-04-19 08 53 04 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/?cmd=backup action=show pageid=71 num=2 朝鮮の記事ででルール違反確認したので戻しておきました -- (名無しさん) 2016-04-21 22 48 04 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/?cmd=backup action=show pageid=71 num=1 あ、URL間違えてました。こっちです。 -- (名無しさん) 2016-04-21 22 49 31 みんなの新武将/朝鮮・韓国 - (2016/04/21 (木) 18 49 48) の編集履歴(バックアップ) 一応日付も -- (名無しさん) 2016-04-21 22 50 25 素直に書いてておかしいと思わなかったのかなこれ 李氏朝鮮が朱子学を唯一国教として掲げ他の学問を 弾圧していたのは事実だが、朱子学は 欲を最大の禁忌とし、常に性(善)でなくなてはならない という、簡単に言えば凄くお堅い学問。 日本だと傾倒していた人物として松平定信がいるが、 彼は自著「宇下人言」にて「房事(性行為)は欲情にかられてするものではない」と 堂々と断言している。そんな治世下で試し腹という Wikiにすら載っていない(というか削除された)風習が 公然とまかり通っていたとするのは流石に無理がある。 第一にそもそも韓国は「姓」よりも「本貫」を大事にする ガチガチの父系社会で、相手を気遣う試し腹が起こりうるはずもない。 -- (名無しさん) 2016-04-22 00 01 28 そこはほれぇ、女に人権はない、っていうのを変な意味で捉えてんのとちゃいます? -- (名無しさん) 2016-04-22 00 44 18 何か今度は国や時代の説明が個人的歴史観を主張する場になりかけてるようだから、 Wikipediaに説明を丸投げできるものは丸投げしてしまおうかと思うんだが、編集してもいいか? -- (名無しさん) 2016-05-02 13 17 22 現段階で問題になるような記述はないし、わかりやすさを考慮しても残しておくべきだと思う 説明も字数制限以外全て列伝のルールに準じるようにするならいいけど -- (名無しさん) 2016-05-02 16 12 13 全ての説明が公平で的確でわかりやすければいいんだが、そうでない文章も散見できるからな。 個人によって見解が分かれる部分は、敢えて触れずにいるのも選択の一つだろうに、 わざわざ触れている辺り、隙あらば自分の歴史観を捻じ込もうとしているようにしか見えん。 特に朝鮮のページなんか、このまま放っておくと消えたままの方がましだったということになるんじゃないか? -- (名無しさん) 2016-05-03 10 29 20 そこまでやると歴史観の検閲に入ってしまうから辞めておいた方がいい これは違うアレも違うと言い出す連中を抑圧できなくなってしまう -- (名無しさん) 2016-05-04 14 46 36 いや、検閲じゃなくて、wikipediaに丸投げできる部分は内容関係無しで丸投げして、 歴史観の主張やら議論やらはそこで好きなだけやってもらおうってこと。 別に↑6を悪く言うつもりはないが、こんなところで朱子学の講義なんかされても、正直困るだろ? -- (名無しさん) 2016-05-04 18 55 12 その文章はもう消えてるよ、列伝も改変してたから Wikiに丸投げでも悪くないけど、わかりやすさは消えるからね 列伝なら「ゲームシステムの関係で」と言えるけど あらすじはゲームシステム関係のない部分だから、わざわざ消してまで、ってなると微妙 今ある文章の下にWikipedia貼るならまだしもね -- (名無しさん) 2016-05-04 20 36 46 いや、もう消えたとかじゃなくてさ、過去にそういうことが起きたなら、今後もまた起きるかも知れないだろ? 説明がある方がわかりやすいという点にしても、↑8はわかりやすいどころか間違った文章だと主張しているわけで、 つまりわかりやすいか否かなんて所詮は主観的な基準で、意見の食い違いから叩き合いに発展する可能性はあるだろ? そして、国や時代の説明はゲームシステムとは無関係な記事なんだから、wikipediaに説明を丸投げしても特に問題は無いだろ? -- (名無しさん) 2016-05-05 00 31 39 だから、問題があるから全部消しましょう、じゃむしろ相手の思うツボなんだって。 元ある文章を改変して自分に都合よくするってことは、裏を返せば元からあった文章が 自分にとって都合が悪い代物だった、だから変えたってこと。能力値の時にもあったろ? 編集合戦何回も起こって、「もうこれ全部消せばいいじゃん」って言ってた連中。 書くことが目的の荒らしもいるけど、消すことが目的の荒らしもいるから、 「問題が起こったし全部消してWikiに丸投げするね」っていうと その問題起こしてる奴が後者だった場合はしてやったり、なんだよ 実際朝鮮・韓国のページは一度何者かによって全削除食らってるでしょ? 他に問題が起きてない以上は最低限の対処で済ませないと、別のページでまた改変して 「消そうよ」みたいな意見が出るのを待ってるかもしれない -- (名無しさん) 2016-05-05 02 31 41 荒らしの思惑よりも攻略wikiの都合の方が先じゃないか? 能力値や列伝はゲームシステムと関係してるから仕方ないが、国や時代の説明はゲームシステムとは全く関係無いわけで、 争いの火種になるかも知れない危険を冒してまで大事に抱え込むことはないだろう。 こういうゲームシステムとは無関係で、しかも主観が入り込む余地がある部分は極力削ぎ落とした方が、 結果的にページの全削除だのコメ欄の凍結だのという事態を避けられると思うんだが -- (名無しさん) 2016-05-05 20 05 47 検閲連呼する方は書く場所間違ってるんじゃないか そりゃwikiでそういう事をしたら問題だけど ここは主になるのは、ゲーム的な話になるわけだし wikiに丸投げで何も問題ないと思うよ -- (名無しさん) 2016-05-06 10 46 11 攻略Wikiの都合というなら尚更置いといて問題ないと思うんだが 歴史観の論争になってるならまだしも、現状一部の荒らしが勝手に改竄している程度でしょ? 早い話が1人のわけわからん奴のために全体のメリット多いコンテンツを全て改変しようって どう考えてもおかしな話じゃないか? それをやらなかったとして、困るのは誰なの?って感じなんだが ページの全削除だの、コメント欄の凍結だのってのは、 基本的に荒らしないし問題点が発生した場合の紛糾が原因だと思うけど 正直こういう原因ってのはどこから起こるかわからない。 能力値なり列伝なり、あるいはコメント欄の何気ないコメントだったりね。 それを防ぐにはそれこそコンテンツ自体を「なかったもの」とするしかない でもそんなことしたら本末転倒でしょ? 今やろうとしているのってまさにそれじゃないの?ってことなんだけどな -- (名無しさん) 2016-05-06 18 06 37 現状では一人二人が騒いでるだけだが、将来的には五人十人と増えるかも知れないだろ? 少数とはいえ既に騒いでる人間がいて、しかもその原因がゲームとは無関係な部分なら、 本格的に荒れ始める前に取り除いた方が誰の迷惑にもならないと思うんだが。 あと、俺は「なぜゲームとは無関係なリスクを攻略wikiが引き受けなければいけないのか」と言っているのであって、 「全てのリスクを取り除くためにコンテンツ自体を消すべきだ」なんて極端なことは言ってない。 能力値や列伝は許容すべきリスクだという前提で、国や時代の説明は許容すべきリスクに入るのか?と言っている。 もしかしたら俺のことを後者の荒らしだと思ってるのかも知れないが、 コンテンツの存続を第一に考えていることはそちらと同じだから、そこのところは勘違いしないでくれ -- (名無しさん) 2016-05-06 19 30 47 で、あるならば基本はWikiに丸投げ、 そしてわかりやすさのためにある程度の解説を載せておく、 歴史観の討論や論争、および改変などは禁止、という風でよいのではないか? 確かに騒ぐ連中が5人10人とあとあと増えるかもしれない。 でもそれは、増えてから改訂すればいいのではないか? 無理に今、ガッツリ削除して利便性を奪うよりは ある程度コンテンツを維持できるような現状+αのWikiで良いように思う。 そちらの言い分も確かにわかる が、それは性急な気がしてならないのだ -- (名無しさん) 2016-05-06 21 35 19 実はこっちも最初はそう考えたんだが、ゲームとは無関係な解説のために新たにルールを作るというのも、 それはそれでおかしな話というか、あまりにも手を広げすぎじゃないか? その情報は本当に載せなければいけないのか?ということをよく吟味して、 よそのサイトに丸投げできるところは丸投げして役割分担した方が、手間が省けると思うんだが -- (名無しさん) 2016-05-06 23 08 33 確かに手間は省けると思う ただ、Wikiは情報量が多いから、利便性では大きく劣る。 実際問題、Wikiで調べればいい、とするなら武将の列伝も載せる必要はない 自分で調べて書いてね、で終わりだけど、それだとデータの意味が無いから 便宜上採用している、といった感じ。列伝がなくても武将登録はできるからね(CS版は列伝そもそもつけられない) で、現状を打開するためなら、削除までする必要はないように感じた。 いっそ能力値や列伝のように固定化するくらいでもいいと思う。 あくまでわかりやすくするために、書いてる人は書いてるだろうし その配慮を摘み取ってしまうのはどうかな、と。 編集合戦を防ぐだけなら、改変禁止でいいと思うし -- (名無しさん) 2016-05-06 23 33 13 なんか微妙に言い分おかしい 現状の異議が出そうなものを固定化しようとする 誘導しようとする意図が読めるんだけど 荒れの要素は削ってはどうか?→全削除やコメント凍結 歴史観的な部分はwikiに誘導すればいい→それなら列伝に意味がない とこの話しの是非は別としても、 明らかに過剰に話を大きくしようとしてるでしょ -- (名無しさん) 2016-05-07 08 40 06 利便性では大きく劣るというから、改めてwikipediaを見てきたんだが、 情報量が多いから不便というのは、こう言っては何だが偏見じゃないか? wikipediaだって利用者がわかりやすいように、まず最初の方で簡単に概略を説明して、 それから各分野の詳細な解説に入る、という手順を踏んでいる。 さすがにそれが専門なだけあって、利用者に対してきちんと配慮してるし、人によってはwikipediaの方が便利だと思うかも知れない。 wikipediaに丸投げしたからといって、別に使い勝手が悪くなることはないと思うんだがな。 あと、もう一度言うが、俺は列伝は許容すべきリスクだという前提で、国の解説は許容すべきリスクに入るのかと問うているんだが、 それがなぜ解説を消すなら列伝を消せという話になるんだ? ゲームと関係があるか否かという線引きで、こっちはその二つをきっちり分けてるんだが -- (名無しさん) 2016-05-07 18 49 55 いやね、まず列伝が「ゲームに関係があって必要」と言われると必ずしもそうじゃないんだよ CS版は自動作成されるのでそもそも各自が自由に列伝を作ることができないし、 PC版でも列伝を省いて武将登録することができる。 そういう点で見れば、列伝と国の説明はわかりやすく、より利便性を利用者に与える、という 点でさほど変わらないのではないか?と思うわけですよ。 >>現状の異議が出そうなものを固定化しようとする 逆に聞きたいんだが、現状の文章で「異議が出そうなもの」ってあるのかな? たくさんあるなら、それはもう仕方ないから利便性を放棄してWikiで丸投げでも いいと思うけど、今のところ見る限りそれっぽいものないよね? それなのに全部削除するのはもったいないんじゃないかな?と。 >>明らかに過剰に話を大きくしようとしてるでしょ ん?Wikiに丸投げってそういうことじゃないのか? 国の説明とか時代背景を全て削除して、Wikiで代用しようって感じでしょ? 俺はむしろ今のところ説明に問題点が見当たらないから、Wikiを添えて、 編集改変を禁止にしたらどうか?って感じなんだが。 そちらの方が今後論争を防げるし、利用者も利便性が確保できていいことづくめじゃないの?と。 -- (名無しさん) 2016-05-07 19 12 04 >>利用者に対してきちんと配慮してるし、人によってはwikipediaの方が便利だと思うかも知れない。 もちろんそれは人によると思う。Wikiの方が便利だと思う人も当然いるだろう。 しかし、もしかしたら逆の人もいるかもしれないだろう?すると両方あれば、 利用者は自分好みの自由な選択で利便性を選択できるというわけ。 別に俺はWiki載せるなとは言ってないからね。選択肢は多い方が楽でしょってだけで。 -- (名無しさん) 2016-05-07 19 16 34 登録させてもらってる身からすると、できれば今の解説も残してくれるとありがたいね。 清 の説明に日本のどの時代に当てはまるのかとか、 五胡十六国時代 の国がいつからいつまでとか凄く助かる。 -- (名無しさん) 2016-05-07 20 02 40 いやいや、ゲームに関係あるか、それとも無関係な文章かという線引きは重要だろ。 だから、そっちも「武将の列伝も載せる必要はない」と言いながら「データの意味が無いから便宜上採用している」と書いたんだろ? 荒れるリスクがあることがわかっていながらも、そのリスクを「それだとデータの意味が無い」という理由で許容しているわけだ。 で、これが俺が再三問うていることなんだが、時代解説は許容すべきリスクに入るのか? なるほど、解説はあった方がわかりやすい。しかし、それはwikipediaの説明で十分だろう。 わかりやすさという点ではwikipediaとて決して負けてないし、情報の大きさや多様さという点では専門であるだけに向こうが上だ。 利便性を選択できるようにする? なるほど、選択の自由はあって困るものじゃない。しかし、リスクを抱え込むことになるなら話は別だ。 しかも、選択できる利便性に大きな差異があるわけじゃないとなると、選択肢を残すこと自体にも疑問が出てくる。 それなら、解説はwikipediaに全部任せた方が合理的じゃないか? その方がリスクを回避できるし、利便性も大体は維持できるんだから。 あと、これは↑へのコメントだが、それくらいの基本的な情報ならwikipediaの最初か右側にも書いてあるぞ -- (名無しさん) 2016-05-08 12 24 30 ↑ あくまで自分だけの理由だけど、正直Wikiはわかりづらかったところがあったよ。五胡十六国だと、Wikiにも確かに国が何年から何年までという情報は確かにある。でも時代の流れが先に入ってるせいで、結局どうなったかってのを把握するまでに時間が少々かかった。あとこのページからWikiへ何回も飛ぶのがはっきり言って面倒だった。かいつまんで流れを把握するってのが、Wikiだと少し面倒だと思うんだよね。メジャーな時代ならそれでいいと思うんだけど、マイナーな時代まで解説消されると不便に感じるよ -- (名無しさん) 2016-05-09 02 30 42 とりあえず、各人の意見を反映してローカルルールを改訂してみました。 ・ 現状のデータ説明に関しては、ひとまず暫定的に残す(ただし改変は禁止) ・ 一部不適切とされる表現(列伝と同じものです)に関しては、その場所のみ添削可能 ・ あまりに問題になる説明文は削除 → Wikipediaで代用 基本的に列伝ルールとほぼ同じですが、「説明文はなくてもいい」とする意見もあったため 問題が起こった場合は削除した上でWikiに置き換えるというルールを設けてあります。 暫定案なので、異論がある場合はこちらでどうぞ -- (名無しさん) 2016-05-09 07 46 09 提案なんだが、朝鮮の解説に関しては、今の内からwikipediaに丸投げした方がよくないか? あまり例外は作りたくないが、あそこはページが全削除されたり、コメ欄も凍結されたり、 今回の議論の発端にもなったりと多くの問題を起こしてきたページだから、あそこに限っては腫れ物扱いした方がいい気がする -- (名無しさん) 2016-05-09 21 31 03 それはそれでいいと思います。 朝鮮に限らずですが、説明文を作るのが面倒だったり、 あるいはいらぬ波風を立てたくない場合はWikiだけでもいいと思います。 どのみち現行のルールだと問題起こったらほぼ削除されてしまう形になってるので 作る側も結構なリスクができてる形になってますし(別にここは必ずしも必要ではないので) -- (名無しさん) 2016-05-10 02 02 14 すまん、書き方が悪かった。朝鮮のページをwikipediaに丸投げと言ったのは、韓国も含めてのつもりだった。 というのも、あそこには「2013年以降は中国への物心の依存度を~」という文章があるが、 これは現代の政治情勢に言及した文章で、内容の是非はともかく、そういう政治情勢はこれからいくらでも変化する可能性があるから、 その都度いちいち書き直してたら限が無いと思うんだよな。 あと、これは清のページに関することなんだが、2016/04/15と2016/04/29の編集で満洲国を清の後継と位置付ける文章が加えられてるが、 満洲国の歴史的な位置付けは人によって意見が分かれていて、だから前の編集者は満洲国については敢えて触れなかったんだと思うが、 2016/04/15からの一連の編集で前の編集者の配慮が台無しになったように感じる。 李氏朝鮮への編集と時期が近いから多少疑心暗鬼になってるのかも知れないが、清の解説は前の文章に戻した方がいいんじゃないか? -- (名無しさん) 2016-05-10 22 53 11 うーん、でもそれは書き換えると歴史観の介入になりはしないかな? 解説や分類自体が問題になるならまだしも、見た感じそれらしい説明は見当たらないですし 確かに歴史的な背景として、中華圏では満州国を認めてはいないけれども、 それを言ったら台湾も同じことだし、以後の方に中華の事情を付け加えておくだけでよいのでは? -- (名無しさん) 2016-05-11 03 28 08 とはいえ、満州のジャンルがせっかくあるなら清にくっつける必要はないか。 清の方が武将数も多いし。 -- (名無しさん) 2016-05-11 03 29 48 一応書き換えておきました。清の方は元に戻し、満州の方は元の説明にプラスしてWikiからの引用文を貼ってあります -- (名無しさん) 2016-05-11 03 37 45 呼称や認識についてもWiki引用の元言及しておきました -- (名無しさん) 2016-05-11 03 45 02 編集ありがとう。自分で戻せと言っといて何だが、戻したら戻したでまた書き加える人間が出るだろうし、今の形がベストだと思う。 それで、韓国に限らず、今現在も新しい歴史を作ってる現行の国家はどう扱うべきだろうか? 例えば北朝鮮の場合、今度の党大会で国のトップの肩書きが委員長に変わったから、 第一書記をトップとする今の解説と合わなくなったが、こういう時はどうするんだ? 個人的には、何か変わるたびに解説を書き改めるよりも、 現状と解説が合ってる間は解説を残して、合わなくなったらwikipediaに丸投げが一番面倒が少ないんじゃないかと思うんだが -- (名無しさん) 2016-05-11 22 05 14 それでいいと思いますよ -- (名無しさん) 2016-05-12 06 35 09 了解した。ついでに韓国の方も、最近の米韓合同軍事演習なんかを見ると、 今の韓国が「反米親中路線を貫徹」しているとは言い切れないと思うので、 現状と解説が合わなくなったと判断して解説をwikipediaに丸投げした -- (名無しさん) 2016-05-12 21 41 08 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1258.html 一部の武将をこちらから移転させました。 能力値に関しては記入されている部分はそのままとし、 空白の部分は勝手ながら自分がつけさせていただきました。 列伝はローカルルールに伴い一部削減されております。 武将登録されているページですが、理由不明ながらページに表示されないように編集されておりました。 それを復旧して、時代や地域ごとに割り振った次第であります。 -- (名無しさん) 2016-07-18 11 54 02 おい、また後漢の能力が変更されてるぞ 変更しないことを前提にしているんだから書き換えるなよ 一年も前にログは閉じられてるし頼むから確認ぐらい取れよ -- (名無しさん) 2017-03-22 17 08 17 とりあえず戻しておきました -- (名無しさん) 2017-03-22 19 21 21 2017-03-22 17 08 17です 対応有難うございました -- (名無しさん) 2017-03-23 21 17 52 https //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2713.html このページ何が起こってるんだ? 編集中って一体何? -- (名無しさん) 2017-05-24 08 43 33 どうやら白紙化して勝手に荒らしまわっているようだ コメント欄も内容を書き換えて自分の荒らしを正当化している -- (名無しさん) 2017-05-24 09 09 59 朝鮮・韓国の李舜臣の文だけど「国民的英雄」の前に「韓国の」って主語入れとかないと混乱すると思う 句点前に李朝って入っているから大丈夫かもとも思うが読んでて、ん?ってなったのであくまで一応どうか程度の提案 -- (名無しさん) 2017-06-17 22 08 04 個人的にはくどい文章に感じるが、安重根の方には『韓国国内では~』と書かれているから表記を統一する意味ではそれでも良いかもね -- (名無しさん) 2017-06-18 21 18 45 駄目だと思うが存命人物を新武将として作って大丈夫だろうか このページを見ると存命人物を新武将に登録していいかとか特に書かれていなかったので気になった -- (名無しさん) 2017-07-02 15 51 56 存命人物は特に政治家や宗教家で大荒れになりそうだから 個人的には存命人物を新武将にするのはナシだと思う あくまで俺個人の見解だけど、せめてその年亡くなった人とかがギリギリ限度 今年で言えば金正男(金正日の息子で今年亡くなった)とか -- (名無しさん) 2017-07-03 19 28 45 でもこれもかなり甘い措置だと思う 人によっては元号1つ跨がないとダメって考える人もいるかも 近現代に死没した登録武将は ダイアナ妃 (1997年没) 舩坂弘 (2006年没) 金正日 (2011年没) 三笠宮崇仁親王(2016年没) この4名のみ 張作霖の息子である張学良(2001年没 1901年生まれ)とかもいるし このあたりがちょうど昭和を長く生きた人物が没する可能性のあるラインじゃないかな -- (名無しさん) 2017-07-03 19 36 15 李舜臣の能力に対して列伝を見ると疑問を覚えたので、彼の列伝を修正しておきました -- (名無しさん) 2017-10-04 13 49 12 ↑ 申し訳ないが、修正された列伝が250字の制限を超えていたので、ひとまず修正前の列伝に戻した。 ついでに付け加えると、 「既に250字以内にまとめられている列伝については、理由なく編集して内容を改変することは控えてください。 ただし、未成年への配慮として性器、及び性交に言及する表現は改変の対象となることがあります。 その場合は該当する語句及び表現のみが改変対象となります。内容そのものは改変しないでください。 それ以外の内容、思想、歴史観の違いによる列伝の改変などは一切禁止しております」 とルールに明記してあるから、 「能力に対して列伝を見ると疑問を覚えた」というのは修正の理由としては認められないと思うぞ。 -- (名無しさん) 2017-10-04 22 55 46 https //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1257.html 荒らしが該当ページを削除していたので差し戻し コメント欄はどうやら復旧できないようなので、このままとした -- (名無しさん) 2017-11-18 06 52 14
https://w.atwiki.jp/shintouzyo/pages/434.html
唐書巻一百一十五 列伝第四十 狄仁傑 光嗣 兼謨 郝處俊 象賢 朱敬則 仁軌 狄仁傑字懐英、并州太原人。為兒時、門人有被害者、吏就詰、衆爭辨對、仁傑誦書不置、吏讓之、答曰:「黄巻中方與聖賢對、何暇偶俗吏語耶?」挙明経、調汴州参軍。為吏誣訴、黜陟使閻立本召訊、異其才、謝曰:「仲尼稱観過知仁、君可謂滄海遺珠矣。」薦授并州法曹参軍。親在河陽、仁傑登太行山、反顧、見白雲孤飛、謂左右曰:「吾親舎其下。」瞻悵久之、雲移乃得去。同府参軍鄭崇質母老且疾、當使絶域。仁傑謂曰:「君可貽親万里憂乎?」詣長史藺仁基請代行。仁基咨美其誼、時方與司馬李孝廉不平、相語曰:「吾等可少愧矣!」則相待如初、毎曰:「狄公之賢、北斗以南、一人而已。」 稍遷大理丞、歳中斷久獄万七千人、時稱平恕。左威衛大将軍權善才・右監門中郎将范懐義坐誤斧昭陵柏、罪當免、高宗詔誅之。仁傑奏不應死、帝怒曰:「是使我為不孝子、必殺之。」仁傑曰:「漢有盜高廟玉環、文帝欲當之族、張釋之廷諍曰:『假令取長陵一抔土、何以加其法?』於是罪止棄市。陛下之法在象魏、固有差等。犯不至死而致之死、何哉?今誤伐一柏、殺二臣、後世謂陛下為何如主?」帝意解、遂免死。数日、授侍御史。左司郎中王本立怙寵自肆、仁傑劾奏其惡、有詔原之。仁傑曰:「朝廷借乏賢、如本立者不。陛下惜有罪、虧成法、奈何?臣願先斥、為群臣戒。」本立抵罪。繇是朝廷肅然。使岐州、亡卒数百剽行人、道不通。官捕繋盜黨窮訊、而餘曹紛紛不能制。仁傑曰:「是其計窮、且為患。」乃明開首原格、出繋者、稟而縱之、使相曉、皆自縛歸。帝嘆其達權宜。 遷度支郎中。帝幸汾陽宮、為知頓使。并州長史李沖玄以道出女祠、俗言盛服過者、致風雷之變、更發卒数万改馳道。仁傑曰:「天子之行、風伯清塵、雨師灑道、何女避邪?」止其役。帝壮之、曰:「真丈夫哉!」出為寧州刺史、撫和戎落、得其歡心、郡人勒碑以頌。入拜冬官侍郎・持節江南巡撫使。呉・楚俗多淫祠、仁傑一禁止、凡毀千七百房、止留夏禹・呉太伯・季札・伍員四祠而已。 轉文昌右丞、出豫州刺史。時越王兵敗、支黨餘二千人論死。仁傑釋其械、密疏曰:「臣欲有所陳、似為逆人申理。不言、且累陛下欽恤意。表成復毀、自不能定。然此皆非本惡、詿誤至此。」有詔悉謫戍邊。囚出寧州、父老迎勞曰:「狄使君活汝耶!」因相與哭碑下。囚齋三日乃去。至流所、亦為立碑。初、宰相張光輔討越王、軍中恃功、多暴索、仁傑拒之。光輔怒曰:「州将輕元帥邪?」仁傑曰:「亂河南者一越王、公董士三十万以平亂、縱使暴橫、使無辜之人咸墜塗炭、是一越王死、百越王生也。且王師之至、民歸順以万計、自縋而下、四面成蹊。奈何縱邀賞之人殺降以為功、冤痛徹天?如得上方斬馬剣加君頸、雖死不恨!」光輔還、奉仁傑不遜、左授復州刺史。徙洛州司馬。 天授二年、以地官侍郎同鳳閣鸞臺平章事。武后謂曰:「卿在汝南有善政、然有譖卿者、欲知之乎?」謝曰:「陛下以為過、臣當改之。以為無過、臣之幸也。譖者乃不願知。」后嘆其長者。時太学生謁急、后亦報可。仁傑曰:「人君惟生殺柄不以假人、至簿書期會、宜責有司。尚書省決事、左・右丞不句杖、左・右丞相不判徒、況天子乎?学徒取告、丞・簿職耳、若為報可、則冑子数千、凡幾詔耶?為定令示之而已。」后納其言。 會為来俊臣所構、捕送制獄。于時、訊反者一問即臣、聽減死。俊臣引仁傑置對、答曰:「有周革命、我乃唐臣、反固實。」俊臣乃挺繋。其屬王徳壽以情謂曰:「我意求少遷、公為我引楊執柔為黨、公且免死。」仁傑歎曰:「皇天后土、使仁傑為此乎!」即以首觸柱、血流沬面。徳壽懼而謝。守者寖弛、即丐筆書帛、置褚衣中、好謂吏曰:「方暑、請付家徹絮。」仁傑子光遠得書上變、后遣使案視。俊臣命仁傑冠帶見使者、私令徳壽作謝死表、附使以聞。后乃召見仁傑、謂曰:「臣反何耶?」對曰:「不臣反、死笞掠矣。」示其表、曰:「無之。」后知代署、因免死。武承嗣屢請誅之、后曰:「命已行、不可返。」時同被誣者鳳閣侍郎任知古等七族悉得貸。御史霍獻可以首叩殿陛苦爭、欲必殺仁傑等、乃貶仁傑彭沢令、邑人為置生祠。 万歳通天中、契丹陷冀州、河北震動、擢仁傑為魏州刺史。前刺史懼賊至、驅民保城、修守具。仁傑至、曰:「賊在遠、何自疲民?万一虜来、吾自辦之、何預若輩?」悉縱就田。虜聞、亦引去、民愛仰之、復為立祠。俄轉幽州都督、賜紫袍・龜帶、后自製金字十二於袍、以旌其忠。 召拜鸞臺侍郎、復同鳳閣鸞臺平章事。時發兵戍疏勒四鎮、百姓怨苦。仁傑諫曰: 天生四夷、皆在先王封域之外。東距滄海、西隔流沙、北橫大漠、南阻五嶺、天所以限中外也。自典籍所紀、聲教所曁、三代不能至者、国家既已兼之。詩人矜薄伐於太原、化行於江・漢、前代之遐裔、而我之域中、過夏・商遠矣。今乃用武荒外、邀功絶域、竭府庫之實、以爭磽确不毛之地、得其人不足以增賦、獲其土不可以耕織。苟求冠帶遠夷、不務固本安人、此秦皇・漢武之所行也。伝曰:「與覆車同軌者未嘗安。」此言雖小、可以喩大。 臣伏見国家師旅歳出、調度之費狃以寖広、右戍四鎮、左屯安東、杼軸空匱、轉輸不絶、行役既久、怨曠者多。上不是恤、則政不行。政不行、則害氣作。害氣作、則蟲螟生、水旱起矣。方今関東荐饑、蜀漢流亡、江・淮而南、賦斂不息。人不復本、則相率為盜、本根一搖、憂患非淺。所以然者、皆貪功方外、耗竭中国也。昔漢元帝納賈捐之之謀而罷珠崖、宣帝用魏相之策而棄車師田。貞観中、克平九姓、冊拜李思摩為可汗、使統諸部、夷狄叛則伐、降則撫、得推亡固存之義、無遠戍勞人之役。今阿史那斛瑟羅、皆陰山貴種、代雄沙漠、若委之四鎮、以統諸蕃、建為可汗、遣禦寇患、則国家有繼絶之美、無轉輸之苦。損四鎮、肥中国、罷安東、實遼西、省軍費於遠方、并甲兵於要塞、恒・代之鎮重、而邊州之備豊矣。 且王者外寧、容有内危。陛下姑敕邊兵謹守備、以逸待勞、則戰士力倍。以主禦客、則我得其便。堅壁清野、寇無所得。自然深入有顛躓之慮、淺入無虜獲之益。不数年、二虜不討而服矣。 又請廢安東、復高姓為君長、省江南轉饟以息民、不見納。 張易之嘗従容問自安計、仁傑曰:「惟勸迎廬陵王可以免禍。」會后欲以武三思為太子、以問宰相、衆莫敢對。仁傑曰:「臣観天人未厭唐徳。比匈奴犯邊、陛下使梁王三思募勇士於市、踰月不及千人。廬陵王代之、不浹日、輒五万。今欲繼統、非廬陵王莫可。」后怒、罷議。久之、召謂曰:「朕数夢雙陸不勝、何也?」於是、仁傑與王方慶倶在、二人同辭對曰:「雙陸不勝、無子也。天其意者以儆陛下乎!且太子、天下本、本一搖、天下危矣。文皇帝身蹈鋒鏑、勤勞而有天下、伝之子孫。先帝寢疾、詔陛下監国。陛下掩神器而取之、十有餘年、又欲以三思為後。且姑姪與母子孰親?陛下立廬陵王、則千秋万歳後常享宗廟。三思立、廟不祔姑。」后感悟、即日遣徐彦伯迎廬陵王於房州。王至、后匿王帳中、召見仁傑語廬陵事。仁傑敷請切至、涕下不能止。后乃使王出、曰:「還爾太子!」仁傑降拜頓首、曰:「太子歸、未有知者、人言紛紛、何所信?」后然之。更令太子舎龍門、具礼迎還、中外大悅。初、吉頊・李昭徳数請還太子、而后意不回、唯仁傑毎以母子天性為言、后雖忮忍、不能無感、故卒復唐嗣。 尋拜納言、兼右肅政御史大夫。突厥入趙・定、殺掠甚衆、詔仁傑為河北道行軍元帥、假以便宜。突厥盡殺所得男女万計、由五回道去、仁傑追不能逮。更拜河北安撫大使。時民多脅従於賊、賊已去、懼誅、逃匿。仁傑上疏曰:「議者以為虜入寇、如明人之逆順、或迫脅、或願従、或受偽官、或為招慰。誠以山東之人重氣、一往死不為悔。比縁軍興、調發煩重、傷破家産、剔屋賣田、人不為售。又官吏侵漁、州県科役、督趣鞭笞、情危事迫、不循礼義、投跡犬羊、以圖賒死、此君子所愧、而小人之常。民猶水也、壅則為淵、疏則為川、通塞隨流、豈有常性。昔董卓之亂、神器播越、卓已誅禽、部曲無赦、故事窮變生、流毒京室。此由恩不溥洽、失在機先。今負罪之伍、潜竄山沢、赦之則出、不赦則狂。山東群盜、縁茲聚結。故臣以為邊鄙暫警不足憂、中土不寧可為慮也。夫持大国者不可以小治、事広者不可以細分。人主所務、弗検常法。願曲赦河北、一不問罪。」詔可。 還、除内史。后幸三陽宮、王公皆従、獨賜仁傑第一區、眷礼卓異、時無輩者。是時李楷固・駱務整討契丹、克之、獻俘含樞殿、后大悅。二人者、本契丹李盡忠部将、盡忠入寇、楷固等数挫王師、後降、有司請論如法。仁傑稱其驍勇可任、若貸死、必感恩納節、可以責功。至是凱旋、后挙酒屬仁傑、賞其知人。授楷固左玉鈐衛大将軍・燕国公、賜姓武。務整右武威衛将軍。 后将造浮屠大像、度費数百万、官不能足、更詔天下僧日施一錢助之。仁傑諫曰:「工不役鬼、必在役人。物不天降、終由地出。不損百姓、且将何求?今邊垂未寧、宜寬征鎮之傜、省不急之務。就令顧作、以済窮人、既失農時、是為棄本。且無官助、理不得成。既費官財、又竭人力、一方有難、何以救之?」后由是罷役。 聖暦三年卒、年七十一。贈文昌右相、謚曰文惠。仁傑所薦進、若張柬之・桓彦範・敬暉・姚崇等、皆為中興名臣。始居母喪、有白鵲馴擾之祥。中宗即位、追贈司空。睿宗又封梁国公。 子光嗣・景暉。 光嗣、聖暦初、為司府丞。武后詔宰相各挙尚書郎一人、仁傑薦光嗣、由是拜地官員外郎、以稱職聞。后曰:「祁奚内挙、果得人。」歴淄・許・貝三州刺史。母喪、奪為太府少卿、固讓、睿宗嘉其誠、許之。累遷揚州長史、以罪貶歙州別駕、卒。 景暉、官魏州司功参軍、貪暴為虐、民苦之、因共毀其父生祠、不復奉。至元和中、田弘正鎮魏博、始奏葺之、血食不絶。 族孫兼謨。 兼謨字汝諧、及進士第。辟襄陽使府、剛正有祖風。令狐楚執政、薦授左拾遺、数上書言事。歴刑部郎中・蘄鄧鄭三州刺史。歳旱饑、發粟賑済、民人不流徙。改蘇州、以治最、擢給事中。左藏史盜度支縑帛、文宗以経赦詔勿治、兼謨封還詔書、帝問之、對曰:「典史犯贓、不可免。」帝曰:「朕已赦其長官、吏亦宜宥、與其失信、寧失罪人。」既而曰:「後或事有不可、勿以還詔為憚。」遷御史中丞。帝曰:「御史臺朝廷綱紀、一臺正、則朝廷治、朝廷正、則天下治。畏忌顧望、則職業廢矣。卿、梁公後、當嗣家聲、不可不慎。」兼謨頓首謝。江西観察使呉士矩加給其軍、擅用上供錢数十万。兼謨劾奏:「観察使為陛下守土、宣国詔條、知臨戎賞士、州有定数、而與奪由己、貽弊一方、為諸道觖望、請付有司治罪。」士矩繇是貶蔡州別駕。歴兵部侍郎・河東節度使。還為尚書左丞。武宗子峴封益王、命兼謨為傅。俄領天平節度使、辭疾、以祕書監歸洛陽、遷東都留守、卒。 郝處俊、安州安陸人。父相貴、因隋亂、與婦翁許紹據峽州、歸国、拜滁州刺史、封甑山県公。處俊甫十歳而孤、故吏歸千縑賵之、已能讓不受。及長、好学、嗜漢書、崖略暗誦。貞観中、第進士、解褐著作佐郎、襲父爵。兄弟友睦、事諸舅謹甚。再轉滕王友、恥為王府屬、棄官去。久之、召拜太子司議郎、累遷吏部侍郎。高麗叛、詔李勣為浿江道大総管、處俊副之。師入虜境、未陣、賊遽至、挙軍危駭。處俊方據胡、體胖、安餐乾糒不顧、密畀料精鋭撃之、虜卻、衆壮其謀。 入拜東臺侍郎。時浮屠盧伽逸多治丹、曰「可以續年」。高宗欲遂餌之、處俊諫曰:「脩短固有命、異方之劑、安得輕服哉?昔先帝詔浮屠那羅邇娑寐案其方書為祕劑、取霊蘤怪石、歴歳乃能就。先帝餌之、俄而大漸、上醫不知所為。群臣請顯戮其人、議者以為取笑夷狄、故法不得行。前鑑不遠、惟陛下深察。」帝納其言、弟拜盧伽逸多為懐化大将軍、進處俊同東西臺三品。 咸亨初、幸東都、皇太子監国、諸宰相皆留、而處俊獨従。帝嘗曰:「王者無外、何為守禦?而重門撃柝、庸待不虞邪?我嘗疑秦法為寬、荊軻匹夫耳、匕首竊發、群臣皆荷戟侍、莫敢拒、豈非習慢使然?」處俊對曰:「此乃法急耳。秦法、輒升殿者、夷三族。人皆懼族、安有敢拒邪?魏曹操著令曰:『京城有變、九卿各守其府。』後厳才亂、與徒数十人攻左掖門、操登銅爵臺望之、無敢救者。時王脩為奉常、聞變、召車騎未至、領官屬歩至宮門。操曰:『彼来者、必王脩乎!』此由脩察變識幾、故冒法赴難。向若拘常、則遂成禍矣。故王者設法不可急、亦不可慢。詩曰『不懈于位、人之攸塈』、仁也。『式遏寇虐、無俾作慝』、刑也。書曰『高明柔克、沈潜剛克』、中道也。」帝曰:「善。」 轉中書侍郎、監脩国史。初、顯慶中、令狐徳棻・劉胤之撰国史、其後許敬宗復加緒次。帝恨敬宗所紀失實、更命宰相刊正、且曰:「朕昔従幸未央宮、辟仗既過、有橫刀伏草中者、先帝斂轡、謂朕曰:『事發、當死者数十人、汝可命出之。』史臣惟此為實。」處俊曰:「先帝仁恩溥博、類非一。臣之弟處傑被擇供奉、時有三衛誤拂御衣者、懼甚。先帝曰:『左右無御史、我不汝罪。』」帝曰:「此史臣應載。」處俊乃表左史李仁實欲刪整偽辭、會仁實死而止。 上元初、帝観酺翔鸞閣、時赤県與太常音技分東西朋、帝詔雍王賢主東、周王顯主西、因以角勝、處俊曰:「礼所以示童子無誑者、恐其欺詐之心生也。二王春秋少、意操未定、乃分朋造黨使相誇、彼俳兒優子、言辭無度、爭負勝、相譏誚、非所以導仁義、示雍和也。」帝遽止、歎曰:「處俊遠識、非衆臣所逮。」遷中書令、兼太子賓客、検校兵部尚書 帝多疾、欲遜位武后、處俊諫曰:「天子治陽道、后治陰徳、然則帝與后猶日之與月、陽之與陰、各有所主、不相奪也。若失其序、上見于天、下降災諸人。昔魏文帝著令、帝崩、不許皇后臨朝。今陛下奈何欲身伝位天后乎?天下者、高祖・太宗之天下、非陛下之天下、正應謹守宗廟、伝之子孫、不宜持国與人、以喪厥家。」中書侍郎李義琰曰:「處俊言可従、惟陛下不疑。」事遂沮。又兼太子左庶子、拜侍中、罷為太子少保。 開耀元年卒、年七十五。贈開府儀同三司・荊州大都督。帝哀歎其忠、挙哀光順門、祭以少牢、賻絹布八百段・米粟八百石、詔百官赴哭、官庀葬事。子北叟固辭、未聽。裴炎為白帝曰:「處俊阽死、諉臣曰:『生無益于国、死無煩費、凡詔賜、願一罷之。』」帝聞惻然、答其意、止賻物而已。 處俊資約素、土木形骸、然臨事敢言、自秉政、在帝前議論諄諄、必傅経義、凡所規獻、得大臣體。武后雖忌之、以其操履無玷、不能害。與舅許圉師同里、倶宦達。郷人田氏・彭氏以高貲顯。故江・淮間為語曰:「貴如郝・許、富如田・彭。」 孫象賢、垂拱中、為太子通事舎人、后素銜處俊、故因事誅之。臨刑、極罵乃死、后怒、令離磔其尸、斲夷祖・父棺冢。自是訖后世、将刑人、必先以木丸窒口云。 朱敬則字少連、亳州永城人。以孝義世被旌顯、一門六闕相望。敬則志尚恢博、好学、重節義然諾、善與人交、振其急難、不責報於人。與左史江融・左僕射魏元忠善。咸亨中、高宗聞其名、召見、異之、為中書令李敬玄所毀、故授洹水尉。久之、除右補闕。 初、武后稱制、天下頗流言、遂開告密羅織之路、興大獄、誅将相大臣。至是、已革命、事益寧。敬則諫曰: 臣聞李斯之相秦也、行申・商之法、重刑名之家。杜私門、張公室。棄無用之費、損不急之官。惜日愛功、亟戰疾耕。既庶而富、遂屠諸侯。此救弊之術也。故曰:「刻薄可施於進趨、變詐可陳於攻戰。」天下已平、故可易之以寬簡、潤之以淳和。秦乃不然、淫虐滋甚、往而不反、卒至土崩。此不知變之禍也。 陸賈・叔孫通事漢祖、當滎陽・成皋間、糧餉窮、智勇困、未嘗敢開一説、效一奇、唯進豪猾貪暴之人。及區宇適定、乃陳詩・書、説礼・楽、開王道。高帝忿然曰:「吾以馬上得之、安事詩・書?」對曰:「馬上得之、可馬上治之乎?」帝默然。於是賈著新語、通定礼儀。此知變之善也。向若高帝斥二子、置詩・書、重攻戰、尊首級、則複道爭功、抜剣撃柱、晷漏之不保、何十二帝二百年乎?故曰:仁義者、聖人之蘧廬。礼者、先王之陳迹。祠祝畢、芻狗捐。淳精流、糟粕棄。仁義尚爾、況其輕乎? 国家自文明以来、天地草昧、内則流言、外則構難。故不設鉤距、無以順人。不切刑罰、無以息暴。於是置神器、開告端、故能不出房闈、而天下晏然易主矣。臣聞急趨者無善迹、促柱者無和聲。拯溺不規行、療饑不鼎食。即向時祕策、今之芻狗也。願鑒秦・漢之失、考時事之宜、毀蘧廬、遺糟粕。下寬大之令、流曠蕩之沢、去萋斐之角牙、頓姦險之芒刃、塞羅織之妄源、掃朋黨之險迹、曠然使天下更始、豈不楽哉!后善其言。 遷正諫大夫、兼脩国史。乃請高史官選、以求名才。侍中韋安石嘗閲其史、歎曰:「董狐何以加!世人不知史官權重宰相、宰相但能制生人、史官兼制生死、古之聖君賢臣所以畏懼者也。」時賦斂繁重、民多蕩析、后数召入禁中訪失得。進同鳳閣鸞臺平章事。張易之構魏元忠・張説、欲誅之、無敢言者。敬則獨奏曰:「元忠・説秉心忠一、而所坐無名、殺之失天下望。」乃得不死。 以老疾還政事、俄改成均祭酒・冬官侍郎。易之等集名儒撰三教珠英、又繪武三思・李嶠・蘇味道・李迥秀・王紹宗等十八人像以為圖、欲引敬則、固辭不與、世絜其為人。出為鄭州刺史、遂致仕。侍御史冉祖雍誣奏與王同晈善、貶涪州刺史。既明其非罪、改廬州。代還、無淮南一物、所乘止一馬、子曹歩従以歸。卒年七十五。 敬則與三従昆弟居四十年、貲産無異。及執政、毎以用人為先、細務不省也。嶺表蛮叛、以裴懐古有文武才、用為桂州都督、蛮服其威惠、相率降。薦魏知古為鳳閣舎人、張思敬為右史、皆稱職。初、二張權寵盛、敬則密謂敬暉曰:「公若假太子令、挙北軍誅易之兄弟、兩飛騎力耳。」暉卒用其策。始崔寔・仲長統・王朗・曹冏論封建、指秦為失、敬則以為秦・漢世礼義陵遲、不可復用周制封諸侯、著論明之、儒者以為知言。 睿宗嗣位、嘗曰:「神龍以来、忠於本朝者、李多祚・王同晈・韋月将・燕欽融並褒復矣、尚有遺者耶?」劉幽求曰:「朱敬則忠正義烈、天下所推、往為宗楚客・冉祖雍等所誣、謫守刺史。長安中、嘗語臣曰:『相王必受命、當悉心事之。』及韋氏干紀、臣遂見危赴難。雖天誘其衷、亦敬則啓之。」於是追贈祕書監、謚曰元。 敬則兄仁軌、字徳容、隱居養親。常誨子弟曰:「終身讓路、不枉百歩。終身讓畔、不失一段。」有赤烏・白鵲棲所居樹、按察使趙承恩表其異。及卒、郭山惲・員半千・魏知古共謚為孝友先生。 賛曰:武后乘唐中衰、操殺生柄、劫制天下而攘神器。仁傑蒙恥奮忠、以權大謀、引張柬之等、卒復唐室、功蓋一時、人不及知。故唐呂温頌之曰:「取日虞淵、洗光咸池。潜授五龍、夾之以飛。」世以為名言。方高宗挙天下将以禅后、處俊固爭、不使妻乘夫、陰反陽、至姦人銜怨、仇胔以逞。蓋所謂誼形於主耶。敬則一諫、而羅織之獄衰、時而後言者歟!
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唐書巻一百九十五 列伝第一百二十 孝友 李知本 張志寛 劉君良 王少玄 任敬臣 支叔才 程袁師 武弘度 宋思礼 鄭潜曜 元讓 裴敬彝 梁文貞 沈季詮 許伯會 陳集原 陸南金 張琇 侯知道 程倶羅 許法慎 林攢 陳饒奴 王博武 万敬儒 章全益 唐受命二百八十八年、以孝悌名通朝廷者、多閭巷刺草之民、皆得書于史官。 万年王世貴、長安嚴待封、涇陽田伯明、華原韓難陀、華州王瞿曇、鄭県辛法汪・郭士挙・張長・郭士度・鄭迪・柳仁忠・能君徳・劉崇・甘元爽・韓子尚・韓思約、下邽張万徹、朝邑申屠思恭・呂昂、鶉觚張元亮、霊臺孫智和、新平馮猛將、宜川司馬芬、洛交周崇俊、洛川何善宜、博陵崔定仁、冀州燕遺倩、貝州馬衡、滄州鄭士才、清池孫楚信・劉賢、渤海邊鳳挙、瀛州朱宝積、楽陵蘇伏念、邯鄲章徴、雞澤馮仁海・郭守素、文安董相、武邑王達多・張丘感・張藝朗曁孫師才・張義節、沙河趙君恵、南楽谷感徳、魏県毛仁、武城茹智達、歴亭王師威・李肆仁、臨河李文綢、湯陰后斥奴、鼓城彭思義・陳屺・田堤岳、太原盧遺仁・王知道、蒲州賈孝才、解県衛玄表、南岳張利見、安邑曹文行・孫懐応・相里志降・楊王操・邵玄同・張衡・曹存勳・李文褒・董文海・李文秀・張仙兒・張公憲、虞郷董敬直、河東張金城・呂神通・呂雲・呂志挺・呂元光・趙挙・張祐・姚熾・張師徳・馮巨源・杜山藏、河西郭文政、伊闕任仲済・源栄璧、汴州張士巖、陳留家師諒・董允恭、尉氏楊思貞、中牟潘良瑗曁子季通、陽武時恵珣、封丘楊嵩珪、許田李頤道、胙城蔡洪・石善雄曁孫彦威、朗山胡君才、徐州皇甫恆、彭城尹務栄、荊州劉宝、長寿史摶、益州焦懐肅・郭景華、郪県曹少微、涪城趙煙、資陽趙光寓・黄、梓潼馬冬王・秦挙・王興嗣、依政樊漪、巴西韋士宗・文博栄曁子詮、南鄭李貞古、巣県張進昭、万載廖洪、南陵蘇仲方、鄱陽張讚、楽平謝惟勤・沈普・姜崌、上饒鮑嘉福・虞鎔真、句容張常洧、弋陽張球・李營曁子凝孫楚、貴溪黄舟、建昌熊士贍、臨江袁鳴、贛県謝俊、餘杭何公弁・章成緬・方宗、建徳何起門、桐廬祝希進、諸曁張万和、蕭山李渭・許伯會・戴恭・兪僅、信安徐知新・徐恵諲、東陽応先・唐君祐、睦州許利川、建陽劉常、邵武黄・張巨籛・呉海、泉山黄嘉猷、永泰王奭、皆事親居喪著至行者。万年宋興貴、奉先張郛、澧陽張仁興、櫟陽董思寵、湖城閻旻、高平雍仙高、湖城閻酆、正平周思藝・張子英、曲沃張君密・秦徳方・馬玄操・李君則、太平趙徳儼、隴西陳嗣、北海呂元簡、經城宋洸之、單父劉九江、無棣徐文亮、楽陵呉正表、河間劉宣・董永、安邑任君義・衛開、龍門梁神義・賀見渉・張奇異、鄭県王元緒・寇元童、舒城徐行周、睦州方良琨、桐廬戴元益、高安宋練、涇県万晏、弋陽李植、繁昌王丕、皆数世同居者。天子皆旌表門閭、賜粟帛、州県存問、復賦税。有授以官者。 唐時陳藏器著本草拾遺、謂人肉治羸疾、自是民間以父母疾、多刲股肉而進。又有京兆張阿九・趙言、奉天趙正言・滑清泌、羽林飛騎啖栄禄、鄭県呉孝友、華陰尹義華、潞州張光玼、解県南鍛、河東李忠孝・韓放、鄢陵任客奴、絳県張子英、平原楊仙朝、楽工段日昇、河東將陳渉、襄陽馮子、城固雍孫八、虞郷張抱玉・骨英秀、楡次馮秀誠、封丘楊嵩珪・劉皓、清池朱庭玉・弟庭金、繁昌朱、歙県黄芮、左千牛薛鋒及河陽劉士約、或給帛、或旌表門閭、皆名在国史。善乎韓愈之論也、曰:「父母疾、亨藥餌、以是為孝、未聞毀支體者也。苟不傷義、則聖賢先衆而為之。是不幸因而且死、則毀傷滅絶之罪有歸矣、安可旌其門以表異之?」雖然、委巷之陋、非有学術礼義之資、能忘身以及其親、出於誠心、亦足稱者。故列十七八焉。廣明後、方鎮凌法、夸地千里、事不上聞、孝悌篤行之士、旌命所不及。載小説者、名字不参見它書、不可録。若李知本・張志寛之屬、承上順下、有礼讓君子之風、故輯而序之。張士巖父病、藥須鯉魚、冬月冰合、有獺銜魚至前、得以供父、父遂愈。母病癰、士巖吮血。父亡、廬墓、有虎狼依之。焦懐肅母病、毎嘗其唾、若味異、輒悲號幾絶。母終、水漿不入口五日、負土成墳、廬守、日一食、杖然後起。繼母沒、亦如之。張進昭、母患狐刺、左手堕而終。及殯、進昭截左廬于墓。張公藝九世同居、北齊東安王永楽・隋大使梁子恭躬慰撫、表其門。高宗有事太山、臨幸其居、問本末、書「忍」字以對、天子為流涕、賜縑帛而去。四人名頗著、詳見于篇。 李知本、趙州元氏人、元魏洛州刺史霊六世孫。父孝端、仕隋為獲嘉丞。與族弟太沖倶有世閥、而太沖官婚最高、郷人語曰:「太沖無兄、孝端無弟。」 知本渉經術、事親篤至、與弟知隠雍順、子孫百餘、至貲用僮僕無間也。大業末、盜賊過閭不入、相戒曰:「無犯義門。」往依者五百餘室、皆以免。貞観初、知隠為伊闕丞、知本夏津令。開元中、孫瑱為給事中・揚州長史。知隠孫顒有文辭、至太常少卿。從祖兄弟位給事中凡四人。 張志寛、蒲州安邑人。居父喪而毀、州里稱之。王君廓兵略地、不暴其閭、倚全者百許姓。後為里正、忽詣県稱母疾求急、令問状、對曰:「母有疾、志寛輒病、是以知之。」令謂其妄、繋於獄、馳驗如言、乃慰遣之。母終、負土成墳、手蒔松柏。高祖遣使者就弔、拜員外散騎常侍、賜物四十段、表其閭。 劉君良、瀛州饒陽人。四世同居、族兄弟猶同産也、門内斗粟尺帛無所私。隋大業末、荒饉、妻勸其異居、因易置庭樹鳥雛、令且鳴、家人怪之、妻曰:「天下亂、禽鳥不相容、況人邪!」君良即與兄弟別處。月餘、密知其計、因斥去妻、曰:「爾破吾家!」召兄弟流涕以告、更復同居。天下亂、郷人共依之、衆築為堡、因號義成堡。武徳中、深州別駕楊弘業至其居、凡六院共一庖、子弟皆有礼節、歎挹而去。貞観六年、表異門閭。 王少玄、博州聊城人。父隋末死亂兵、遺腹生少玄。甫十歳、問父所在、母以告、即哀泣求尸。時野中白骨覆壓、或曰:「以子血漬而滲者、父胔也。」少玄鑱膚、閲旬而獲、遂以葬。創甚、彌年乃興。貞観中、州言状、拜徐王府参軍。 任敬臣字希古、棣州人。五歳喪母、哀毀天至。七歳、問父英曰:「若何可以報母?」英曰:「揚名顯親可也。」乃刻志從学。汝南任處権見其文、驚曰:「孔子稱顏回之賢、以為弗如也。吾非古人、然見此兒、信不可及。」十六、刺史崔樞欲挙秀才、自以学未廣、遯去。又三年卒業、挙孝廉、授著作局正字。父亡、数殞絶、繼母曰:「而不勝喪、謂孝可乎?」敬臣更進饘粥。服除、遷秘書郎。休沐、闔門誦書。監虞世南器其人、歳終、書上考、固辭。召為弘文館学士、俄授越王府西閤祭酒。當代、王再表留、進朝請郎。挙制科、擢許王文学。復為弘文館学士、終太子舎人。 支叔才、定州人。隋末荒饉、夜丐食野中、還進母、為賊執、欲殺之、告以情、賊閔其孝、為解縛。母病癰、叔才吮瘡注藥。及亡、廬墓、有白鵲止廬傍。高宗時、表異其家。 至徳間、有常州人王遇・弟遐倶為賊執、將釋一人、兄弟相讓死、賊感其意、盡縱之。 程袁師、宋州人。母病十旬、不褫帶、藥不嘗不進。代弟戍洛州、母終、聞訃、日走二百里、因負土築墳、號、人不復識。改葬曾門以來、閲二十年乃畢。常有白狼・黄蛇馴墓左、毎哭、鳥鳴翔、永徽中、刺史状諸朝、詔吏敦駕。既至、不願仕、授儒林郎、還之。 武弘度、士兄之子、補相州司兵参軍。永徽中、父卒、自徐州被髮徒跣趨喪所、負土築塋、晨夕號、日一溢米。素芝産廬前、狸擾其旁。高宗下詔褒美、旌其門。 宋思礼字過庭、事繼母徐為聞孝。補蕭県主簿。會大旱、井池涸、母羸疾、非泉水不適口、思礼憂懼且禱、忽有泉出諸庭、味甘寒、日不乏汲。県人異之、尉柳晃為刻石頌其感。 鄭潜曜者、父万鈞、駙馬都尉・滎陽郡公。母、代国長公主。開元中、主寢疾、潜曜侍左右、造次不去、累三月不面。主疾侵、刺血為書請諸神、丐以身代。火書、而「神許」二字獨不化。翌日主愈、戒左右無敢言。後尚臨晋長公主、歴太僕光禄卿。 元讓、雍州武功人。擢明經、以母病不肯調、侍膳不出閭数十年。母終、廬墓次、廢櫛沐、飯菜飲水。咸亨中、太子監国、下令表闕于門。永淳初、巡察使表讓孝悌卓越、擢太子右内率府長史。歳滿、還郷里、人有所訟、皆詣讓判。中宗在東宮、召拜司議郎、入謁、武后望謂曰:「卿孝於家、必能忠於国、宜以治道輔吾子。」尋卒。 裴敬彝、絳州聞喜人。曾祖子通、隋開皇中以太中大夫居母喪、哭喪明、有白烏巣樾。兄弟八人皆為名孝、詔表門闕、世謂「義門裴氏」。 敬彝七歳能文章、性謹敏、宗族重之、號「甘露頂」。父智周、補臨黄令、為下所訟。敬彝年十四、詣巡察使唐臨直枉、臨奇之、試命作賦、賦工。父罪已釋、表敬彝于朝、補陳王府典籤。一日、忽泣涕謂左右曰:「大人病痛、吾輒然、今心悸而痛、事叵測。」乃請急、倍道歸、而父已卒、羸毀踰礼。乾封初、遷累監察御史。母病、醫許仁則者躄不能乘、敬彝自為輿往迎。既居喪、詔贈縑帛、官為作霊輿。終服、以著作郎兼脩国史。歴中書舎人・太子左庶子。武后時、為酷吏所陷、死嶺南。 梁文貞、虢州閿郷人。少從軍守邊、逮還、親已亡。自傷不得養、即穿壙為門、晨夕汛掃、廬墓左、喑默三十年、家人有所問、畫文以對。會官改新道、出文貞廬前、行旅見之、皆為流涕。有甘露降塋木、白兔馴擾、県令刊石紀之。開元中、刺史許景先表文貞孝絶倫類、詔付史官。 沈季詮字子平、洪州豫章人。少孤、事母孝、未嘗與人爭、皆以為怯、季詮曰:「吾怯乎?為人子者、可遺憂於親乎哉!」貞観中、侍母度江、遇暴風、母溺死、季詮號呼投江中、少選、持母臂浮出水上。都督謝叔方具礼祭而葬之。 許伯會、越州蕭山人。或曰玄度十二世孫。挙孝廉。上元中、為衡陽博士。母喪、負土成墳、不御絮帛・嘗滋味。野火將逮塋樹、悲號于天、俄而雨、火滅。歳旱、泉湧廬前、霊芝生。 陳集原、瀧州開陽人。世為酋長。父龍樹、為欽州刺史、有疾、即集原輒不食。及亡、嘔血数升、即塋作廬、盡以田貲讓兄弟、里人高之。武后時、歴右豹韜衛大將軍。 陸南金、蘇州呉人。祖士季、從同郡顧野王学左氏春秋・司馬史・班氏漢書。仕隋為越王侗記室兼侍讀。侗稱制、擢著作郎。時王世充將簒逆、侗謂士季曰:「隋有天下三十年、朝果無忠臣乎?」士季對曰:「見危授命、臣宿志也。請因啓事為陛下殺之。」謀洩、停侍讀、乃不克。貞観初、終太学博士兼弘文館学士。 南金仕為太常奉礼郎。開元初、少卿盧崇道抵罪徙嶺南、逃還東都。南金居母喪、崇道偽稱弔客、入而道其情、南金匿之。俄為讎人跡告、詔侍御史王旭捕按、南金當重法、弟趙璧詣旭自言:「匿崇道者我也、請死。」南金固言弟自誣不情、旭怪之、趙璧曰:「母未葬、妹未歸、兄能辦之、我生無益、不如死。」旭驚、上状。玄宗皆宥之。 南金知書史、履操謹完。張説・陸象先以賢謂之、由庫部員外以痼疾改太子洗馬、卒。 張琇、河中解人。父審素、為巂州都督、有陳纂仁者、誣其冒戰級・私庸兵。玄宗疑之、詔監察御史楊汪即按。纂仁復告審素與總管董堂礼謀反。於是汪收審素繋雅州獄、馳至巂州按反状。堂礼不勝忿、殺纂仁、以兵七百圍汪、脅使露章雪審素罪。既而吏共斬堂礼、汪得出、遂當審素實反、斬之、沒其家。琇與兄尚幼、徙嶺南。久之、逃還。汪更名万頃。時年十三、琇少二歳。夜狙万頃於魏王池、斫其馬、万頃驚不及、為琇所殺。條所以殺万頃状繋于斧、奔江南、將殺構父罪者、然後詣有司。道汜水、吏捕以聞。中書令張九齢等皆稱其孝烈、宜貸死、侍中裴耀卿等陳不可、帝亦謂然、謂九齢曰:「孝子者、義不顧命。殺之可成其志、赦之則虧律。凡為子、孰不願孝?轉相讎殺、遂無已時。」卒用耀卿議、議者以為冤。帝下詔申諭、乃殺之。臨刑賜食、不能進、琇色自如、曰:「下見先人、復何恨!」人莫不閔之、為誄掲于道、斂錢為葬北邙、尚恐仇人發之、作疑、使不知其處。 太宗時、有即墨人王君操、父隋末為郷人李君則所殺、亡命去、時君操尚幼。至貞観時、朝世更易、而君操窶孤、仇家無所憚、詣州自言。君操密挾刃殺之、剔其心肝噉立盡、趨告刺史曰:「父死凶手、歴二十年不克報、乃今刷憤、願歸死有司。」州上状、帝為貸死。 高宗時、絳州人趙師挙父為人殺、師挙幼、母改嫁、仇家不疑。師挙長、為人庸、夜讀書。久之、手殺讎人、詣官自陳、帝原之。 永徽初、同官人同蹄智寿父為族人所害、智寿與弟智爽候諸塗、撃殺之、相率歸有司爭為首、有司不能決者三年。或言弟始謀、乃論死、臨刑曰:「讎已報、死不恨。」智寿自投地委頓、身無完膚、智爽血盡乃已、見者傷之。 武后時、下邽人徐元慶父爽為県尉趙師韞所殺、元慶變姓名為驛家保。久之、師韞以御史舎亭下、元慶手殺之、自囚詣官。后欲赦死、左拾遺陳子昂議曰: 先王立礼以進人、明罰以齊政。枕干讎敵、人子義也。誅罪禁亂、王政綱也。然無義不可訓人、亂綱不可明法。聖人脩礼治内、飭法防外、使守法者不以礼廢刑、居礼者不以法傷義、然後暴亂銷、廉恥興、天下所以直道而行也。 元慶報父讎、束身歸罪、雖古烈士何以加?然殺人者死、畫一之制也、法不可二、元慶宜伏辜。伝曰:「父讎不同天。」勸人之教也。教之不苟、元慶宜赦。 臣聞刑所以生、遏亂也。仁所以利、崇徳也。今報父之仇、非亂也。行子之道、仁也。仁而無利、與同亂誅、是曰能刑、未可以訓。然則邪由正生、治必亂作、故礼防不勝、先王以制刑也。今義元慶之節、則廢刑也。跡元慶所以能義動天下、以其忘生而及於徳也。若釋罪以利其生、是奪其徳、虧其義、非所謂殺身成仁・全死忘生之節。臣謂宜正国之典、寘之以刑、然後旌閭墓可也。 時韙其言。後礼部員外郎柳宗元駁曰: 礼之大本、以防亂也。若曰:無為賊虐、凡為子者殺無赦。刑之大本、亦以防亂也。若曰:無為賊虐、凡為治者殺無赦。其本則合、其用則異。旌與誅、不得並也。誅其可旌、茲謂濫、黷刑甚矣。旌其可誅、茲謂僭、壞礼甚矣。 若師韞獨以私怨、奮吏氣、虐非辜、州牧不知罪、刑官不知問、上下蒙冒、籲號不聞。而元慶能處心積慮以衝讎人之胸、介然自克、即死無憾、是守礼而行義也。執事者宜有慚色、將謝之不暇、而又何誅焉? 其或父不免於罪、師韞之誅、不愆於法、是非死於吏也、是死於法也。法其可讎乎?讎天子之法、而戕奉法之吏、是悖驁而凌上也。執而誅之、所以正邦典、而又何旌焉? 礼之所謂讎者、冤抑沈痛而號無告也、非謂抵罪觸法、陷于大戮、而曰彼殺之我乃殺之、不議曲直、暴寡脅弱而已。春秋伝曰:「父不受誅、子復讎可也。父受誅、子復讎、此推刃之道。復讎不除害。」今若取此以斷兩下相殺、則合於礼矣。 且夫不忘讎、孝也。不愛死、義也。元慶能不越於礼、服孝死義、是必達理而聞道者也。夫達理聞道之人、豈其以王法為敵讎者哉!議者反以為戮、黷刑壞礼、其不可以為典明矣。請下臣議附于令、有斷斯獄者、不宜以前議從事。 憲宗時、衢州人余常安父・叔皆為里人謝全所殺。常安八歳、已能謀復仇。十有七年、卒殺全。刺史元錫奏輕比、刑部尚書李鄘執不可、卒抵死。 又富平人梁悅父為秦果所殺、悅殺仇、詣県請罪。詔曰:「在礼父讎不同天、而法殺人必死。礼・法、王教大端也、二説異焉。下尚書省議。」職方員外郎韓愈曰: 子復父讎、見于春秋・于礼記・周官・子若史、不勝数、未有非而罪者。最宜詳于律、而律無條、非闕文也。盡以為不許復讎、則傷孝子之心。許復讎、則人將倚法顓殺、無以禁止。夫律雖本於聖人、然執而行之者、有司也。經之所明者、制有司者也。丁寧其義於經而深沒其文於律者、將使法吏一斷於法、而經術之士得引經以議也。 周官曰:「凡殺人而義者、令勿讎、讎之則死。」義者、宜也。明殺人而不得其宜者、子得復讎也。此百姓之相讎者也。公羊子曰:「父不受誅、子復讎可也。」不受誅者、罪不當誅也。誅者、上施下之辭、非百姓相殺也。周官曰:「凡報仇讎者、書於士、殺之無罪。」言將復讎、必先言於官、則無罪也。 復讎之名雖同、而其事各異。或百姓相讎、如周官所稱、可議於今者。或為官吏所誅、如公羊所稱、不可行於今者。周官所稱將復讎先告於士、若孤稚羸弱、抱微志而伺敵人之便、恐不能自言、未可以為斷於今也。然則殺之與赦不可一、宜定其制曰:「有復父讎者、事發、具其事下尚書省集議以聞、酌處之。」則經無失指矣。 有詔以悅申冤、請罪詣公門、流循州。 穆宗世、京兆人康買得、年十四、父憲責錢於雲陽張、醉、拉憲危死。買得以趫悍、度救不足解、則挙鍤撃其首、三日死。刑部侍郎孫革建言:「買得救父難不為暴、度不解而撃不為凶。先王制刑、必先父子之親。春秋原心定罪、周書諸罰有権。買得孝性天至、宜賜矜宥。」有詔減死。 侯知道・程倶羅者、霊州霊武人。居親喪、穿壙作、皆身執其勞、郷人助者、即哭而卻之。廬墳次、哭泣無節、知道七年・倶羅三年不止。知道垢塵積首、率夜半傅墳、踴而哭、鳥獸為悲號。李華作二孝賛表其行曰:「厥初生人、有君有親。孝親為子、忠君為臣。兆自天命、降及人倫。背死不義、忘生不仁。過及智就、為之礼文。至哉侯氏、創巨病殷。手足胼胝、以成高墳。夜黑動、如臨鬼神。哭無常聲、迥徹蒼旻。苴斬三年、爾獨終身。嗟嗟程生、其哀也均。顧後絶配、瞻前無。」 又有何澄粹者、池州人。親病日錮、俗尚鬼、病者不進藥。澄粹剔股肉進、親疾為瘳。後親沒、伏于墓、哭踊無数、以毀卒、當時號「青陽孝子」、士為作誄甚衆。 寿州安豊李興亦有至行、柳宗元為作孝門銘曰:「寿州刺史臣承思言:『九月丁亥、安豊令上所部編戸甿興、父被惡疾、歳月就亟、興自刃股肉、假託饋獻、父老病已不能啖、宿而死。興號呼撫臆、口鼻垂血、捧土就墳、沾漬涕洟。墳左作小廬、蒙以苫茨、伏匿其中、扶服頓踊、晝夜哭訴。孝誠幽達、神為見異、廬上産紫芝・白芝、廬中醴泉湧。此皆陛下孝治神化、陰中其心、而克致斯事。謹按興匹庶賤陋、循習淺下、性非文字所導、生與耨耒為業、而能鍾彼醇孝、超出古烈、天意神道、猶錫瑞物以表殊異。伏惟陛下有唐堯如神之徳、宜加旌褒、合于上下。請表其里閭、刻石明白、宣延風美、観示後祀、永永無極。臣昧死請。』制曰可。銘曰:『懿厥孝思、茲惟淑霊。稟承粹和、篤守天經。泣侍羸疾、默禱隠冥。引刃自嚮、殘肌敗形。羞膳奉進、憂勞孝誠。惟時高高、曾不視聽。創巨痛仍、號于穹旻。捧土濡涕、頓首成墳。搯膺腐、寒暑在廬。草木悴死、鳥獸踟。殊類異族、亦相其哀。肇有二位、孝道爰興。克修厥猷、載籍是登。在帝有虞、以孝烝烝。仲尼述經、以教于曾。惟昔魯侯、見命夷宮。亦有考叔、寤莊稱純。顯顯李氏、寔與之倫。哀嗟道路、涕慕里鄰。神錫秘祉、三秀霊泉。帝命荐加、亦表其門。統合上下、交賛天人。建此碑號、億齢揚芬。』」 許法慎、滄州清池人。甫三歳、已有知、時母病、不飲乳、慘慘有憂色。或以珍餌詭悅之、輒不食、還以進母。後親喪、常廬于塋、有甘露・嘉禾・霊芝・木連理・白兔之祥。天宝中、表異其閭。 林攢、泉州莆田人。貞元初、仕為福唐尉。母羸老、未及迎而病。攢聞、棄官還。及母亡、水漿不入口五日。自埏甓作、廬其右、有白烏來、甘露降。観察使李若初遣官屬驗實、會露晞、里人失色、攢哭曰:「天所降露、禍我邪?」俄而露復集、烏亦回翔。詔作二闕于母墓前、又表其閭、蠲傜役、時號「闕下林家」。 陳饒奴、饒州人。年十二、親併亡、窶弱居喪、又歳饑、或教其分弟妹可全性命。饒奴流涕、身丐訴相全養。刺史李復異之、給資儲、署其門曰「孝友童子」。 王博武、許州人。會昌中、侍母至廣州、及沙涌口、暴風、母溺死、博武自投于水。嶺南節度使盧貞俾吏沈罟、獲二屍焉、乃葬之、表其墓曰「孝子墓」。詔為刻石。 万敬儒、廬州人。三世同居、喪親廬墓、刺血寫浮屠書、斷手二指、輒復生。州改所居曰成孝郷廣孝聚。大中時、表其家。 章全益、梓州涪城人。少孤、為兄全啓所鞠。母病、全啓刲股膳母而愈。及全啓亡、全益服斬衰、斷手一指以報。不畜妻、僮僕處一室、賣藥自業、世伝能作黄金。居成都四十年、號章孝子、卒、年九十八。 賛曰:聖人治天下有道、曰「要在孝弟而已」。父父也、子子也、兄兄也、弟弟也、推而之国、国而之天下、建一善而百行從、其失則以法繩之。故曰「孝者天下大本、法其末也」。至匹夫單人、行孝一概、而凶盜不敢凌、天子喟而旌之者、以其教孝而求忠也。故裒而著于篇。
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上自西漢-太祖高皇帝-一八五 十八史略卷之二〓大風之歌ら歌うて曰く、大風起分雲飛揚。威加海內兮歸故〓。安得猛士はいちうしふかたう分守四方。と。沛中の子弟をして、之を習歌せしめ、沛を以て湯もいふ沐の邑となす。せききてうてうわうによいりよこううと始め、戚姫寵あり。趙王如意を生む。呂后、疏んぜらる。太子、じんじやくじやうおのれはい仁弱なり。上、如意が己に類するを以て、太子を廢して、之を立てぐんしんあらそみなうあたりよこうむと欲す。群臣、之を爭へども、皆得る能はず。呂后、人をして、ちやうりやうきやうえうわくけいこうぜつ張良を彊要して、畫計せしむ。良曰く、是れ口舌を以て爭ひ難きいたとうゑんこうきなり。忖ふに、上の致す能はざる所の者四人、曰く、東園公、綺里かくわうこうかくりせんせいまんぶことさらのが季、夏黃公、角里先生。上の士を嫚侮するを以て、故に、山中に逃かんたかれ匿れ、義として、漢の臣とならず。上、この四人を高しとす。今しよつくことばひくあんしやかたよろ太子をして、書を爲り、詞を卑うし、安車、固く請はしむれば、宜きたかくときしたがにふてうしく來るべし。至らば、以て客となし、時に從へて入朝し、上をしじよて之を見せしむれば則ち一助なりと。呂后、人をして、太子の書をまねうかついよい奉じて、之を招かしむ。四人至る。帝、布を擊つて還り、愈よ太子かのちちしゆたいしヒまいを易へむと欲す。後に置酒するや、太子侍す。良の招く所の四人のものしたがしゆびこうはくい7わんはなはるじやうあやし者從ふ。年皆八十餘、鬚眉皓白、衣冠甚だ偉なり。上、怪んで之をすゝこたおってせいめいいおどろ問ふ。四人前んで對へ各姓名を言ふ。上、大に驚いて曰く、吾、すうさいひとうよこしたが公を求むる數歲、公、我を避逃す。今、何に自つて、吾が兒に從つあそへいかかろよのゝして遊ぶや。四人曰く、陛下、士を輕んじ、善く罵る。臣等、義としにづかじんかうきようけいて、辱しめられず。今、太子の仁孝恭敬にして、士を愛し、天下、西漢-太祖高皇帝-一八七 十八史略卷之二天頸を延べて太子の爲に死を願はざる者なきを聞き、故に臣等來るのみ。上曰く、公を煩はさむ、幸に卒に調護せよと。四人出づ。上、戚夫人を召し、之を指示して曰く、我之を易へむと欲するも彼の四人の者、之を輔く。羽翼旣に成る、動かし難しと。蕭何、長安地陋く、上林中に空地の棄てられしもの多きを以て、評具護膚、明明人民をして、入つて田するを得せしめむを請ふ。上、大に怒つて、何上海市药物学院を廷尉に下して之を械繫す。數日にして之を赦す。く布を擊ちし時、)上流矢に中り、病甚し。呂后問ふ。陛下百歲の後蕭相國死せば誰か之に代るべき。曰く、曹參。其次は。べあ創曰く、いる下しりめたと王陵。然れども、少しく戇なり、陳平以て之を助くべし。平智餘あるも獨り任じ難し。周勃重厚にして文少し、大尉たらしむべし。14劉氏を安んずる者は、必ず勃ならむと。復た其次を問ふ。上曰く、其後は、亦た乃の知る所に非ざるなりと。上崩ず。長陵に葬る。漢王たりしこと四年、帝たりしこと八年、凡そ十二年。太子盈立つ、之を孝惠皇帝となす。評女呂人の歷朝一【孝惠皇帝】名は盈、母は呂太后。卽位の元年、ゐ呂后、趙王如意を者な·唯鴆殺し、戚夫人の手足を斷ち、眼を去り耳を燻べ、痞藥を飮ましめ、だ色手机取る〓中に居らしむ。命づけて人〓といひ、べき帝を召して之を觀せしむ。帝、驚いて大に哭し、因つて病み、歲餘起つ能はず。二年、蕭何卒す。齊相曹參、舍人をして、趣に裝を爲さしめ、西漢-太祖高皇帝-孝惠皇帝-一八九 十八史略卷之二一九〇吾、入つて相たらむといふ。使者果して參を召し、何に代つて相國となす。一に何の約束に遵ふ。百姓、之を歌うて曰く、蕭何爲相。較若畫一。曹參代之。守而勿失。載其〓淨。民以寧一と。五年。曹参卒す。六年。王陵、右丞相となり、陳平、左丞相となる。張良卒す。周勃、大尉となる。帝、在位七年にして崩ず。子なし、呂后、他人の子を取り、以て太子となし、是に至つて、卽位す。太后、朝に臨んで、制を稱す。元年。太后、諸呂を立てて王となさむことを議す。王陵曰く、高帝、白馬を刑して、盟つて曰く、劉氏に非ずして王たらば、天下之〓を擊てと。平、勃以て可となす。陵相を罷む。遂に呂氏を王とす。四年。太后、少帝を廢して、之を幽殺し、恆山王義を立てて帝となし、名を弘と改む。亦た佗人の子を名づけて、惠帝の子となせしものなり八年、太后崩ず。諸呂、亂を爲さむと欲す。時に、呂祿、北軍に將たり、呂產、南軍に將たり。大尉勃、兵を主る能はず。平、勃酈寄をして祿に說き、印を解き、兵を以て勃に授けしむ。勃、軍門右祖左祖し入り、令して曰く、呂氏の爲にする者は右袒せよ、劉氏の爲にす西漢-孝惠皇帝-九九 十八史略卷之二一九二る者は左袒せよと。軍中、皆、左袒す。朱虛侯劉章を召して、卒千こと〓餘人を與へ呂產を擊つて之を殺し、分部して悉く諸呂を捕へ少長となく、皆、之を斬る。諸大臣、代王恆を迎へ立つ王、西郷して讓るもの三たび、南〓して讓るもの再び、遂に位に卽く。子弘等を殺し、天下に赦す。之を太宗孝文皇帝となす。【孝文皇帝】名は恆、母は薄氏。龍.胸に據るを夢み、遂に帝を生む。尊んで皇太后となす。元年。陳平、左丞相たり、周勃、右丞相たり。時に千里の馬を獻ずる者あり、帝曰く、鸞旗前に在り、屬車後に評言天干干し千嵐んでくの帝在り。吉行には日に五十里、師行には日に三十里。朕千里の馬に名 にりにか、乘りて、獨り先づ、安くにか之かんと。是に於て、其馬を還し、道のれ之づ言眞か安に君是か先里の費を與ふ。而して、詔を下して曰く、朕、獻を受けざるなり。其れ、四方をして來り獻ずるなからしめよと。評帝、益す國家の事に明習す。朝して、右丞相勃に問うて曰く、と平文と周り示の格式陳B3 bo第十七天下一歲の決獄幾何ぞと。勃知らずと謝す。又問ふ、一歳の錢穀を所唆す3人生出入幾何ぞと。勃、又知らずと謝す。惶愧して汗出でて背を沾す。上、左丞相平に問ふ。平曰く、主者あり。若し決獄を問へば、廷尉を責めよ。錢穀を問へば、治粟内史を責めよ。上曰く、君の主る所のものは何事ぞ。平謝して曰く、陛下、臣を宰相に待たしむ。宰相西漢-孝文皇帝-一九三 十八史略卷之二一番は、上、天子を佐け、陰陽を理め、四時を順にし、下、萬物の宜し、きを遂げ、外、四夷を鎭撫し、内、百姓を親附し、卿大夫をして、大各其職を得しむと。童、善と稱す。勃大に慙ぢ、病を謝して免ず。;)い河南の守吳公、治平、天下第一たり。召して廷尉となす。吳公、賈誼洛陽の人賈誼を薦む。年二十餘。一歲中超遷して大中大夫となる。陳平卒す。二年。天下に今年の田租の半を賜ふ。三年。張釋之、廷尉となる上中渭橋を行く。一人あり、橋下に走る。乘輿の馬驚く。捕へて廷尉に屬す。釋之、奏す。蹕を犯すは、罰金に當すと。上怒る。釋之曰く、法、此の如し。更に之を重言の延張平價多様下くすれば、是れ、法、民に信ならず。廷尉は、天下の平なり。一たび傾かば、天下法を用ゆる、皆之が爲に輕重せむ。民安んぞ手足を措く所あらむやと。上、良や久しうして曰く、廷尉の當、是なりと。其後、人、高廟の玉環を盗む者あり。得たり。廷尉に下して、治せしむ。釋之、奏す、棄市に當すと。上、大に怒つて曰く、人、先帝に·の器を盜む、吾之を族に致さむと欲す。然るを、廷尉、法を以て、之を奏す。吾が宗廟に共奉する所以の意に非ざるなり。釋之曰く、宗廟の器を盜んで、之を族せば、假りに、愚民長陵一抔の土を取らば、何を以て、其れに法を加へむやと。帝、之を許す。六年。淮南の属王長謀反す。廢徒せられて死す。民、之を歌ふ者西漢-孝文皇帝-一九五 十八史略卷之二〓あり。曰く、一尺布尙可縫一斗粟尙可春。兄弟二人不相容。と。帝、聞いて、之を病み、後、其四子を封じて候となす。匈奴の冒頓死す。是より先、上、議して、賈誼を以て、公卿に位せむとす。大臣、多く之を短る。上、以て長沙王の大傅となし、梁王の大傅に徒る。せ、買誼上疏上疏して曰く、方今の事勢、爲に痛哭すべきもの一、爲に流涕すべきもの二、爲に長太息すべきもの六と。十年。帝の舅薄昭、漢の使者を殺す。童、誅するに忍びず。公卿群臣をして、往いて之を哭せしむ。昭.自殺す。十二年。民に今年の田租の半を賜ふ。ほ十三年。大倉の令淳于意。罪あり、刑に當す。少女緹榮上書して曰く、死者は復た生くべからず、刑者は復た屬ぐべからず。願はくは、沒入して官婢となり、以て父の刑を贖はむと。上其意を憐み、詔して、肉刑を除く。び此の歲、田の租稅を免ず。方士用ゐら十六年。方士新垣平、上大夫となる。ぞ後元年。平、詐を以て誅に伏す。六年。匈奴、上郡雲中に寇す。將軍周亞夫に詔して細柳に屯せしむ。劉禮は霸上に次し、徐厲は棘門に次し、以て胡に備ふ上、自ら軍を勞して、霸上及び棘門の軍に至る。直に馳せ入る。大將以下、西漢-孝文皇帝一九七 十八史略卷之二天は騎して。送迎す。旣にして、細柳に之く。入るを得ず。先驅曰く、評國家大臣天子、軍門に至らむとす。都尉曰く、軍中には、將軍の令を聞く、武人の典型天子の詔を聞かずと。上、乃ち使を使し、節を持し、將軍亞夫に詔し、乃ち言を傳へて、門を開かしむ。門士、車騎に請うて曰く、將軍約すらく、軍中驅馳するを得ずと。上、乃ち轡を按じて徐行し、營に至り、禮を成して去る。群臣、皆、驚く。上曰く、嗟乎、是れ眞の將軍なり。さきの霸上棘門の軍は、兒戯のみと。七年。帝崩ず。在位二十三年。宮室苑囿、車騎服御、增益する所なし。嘗て、露臺を作らむと欲し、匠を召して、之を計らしむ。直百金上曰く、中人十家の產なり、何ぞ臺を以て爲さむと。身に弋評君なり漢祚孝文は仁綿を衣、ご幸する所の愼夫人、衣、地を曳かず、朴を示して、天下のす文大せ四を克べの本る百し德蓋も年〓先となる。吳王、朝せず、賜ふに凡杖を以てす。張武、賂の金錢をの其とにし歸孝受く。更に賞賜を加へ、以て其心を愧ぢしむ。專ら德を以て民を化す。當時の公卿大夫、風流篤厚にして、人の過を言ふを恥ぢ、上下俗を成す。之を以て海內安寧、家給し、人足り、後世及ぶなし。霸陵に葬る。太子卽位す、之を孝景皇帝となす。【孝景皇帝】名は啓。卽位の元年、丞相申屠嘉、奏す。功は、高皇帝より大なるはなし、宜しく、帝者太祖の廟となすべし。德は、孝文皇帝より盛なるはなし、宜しく、帝者太宗の廟となすべしと。制して曰く、可と。西漢-孝文皇帝-孝景皇帝一九九 十八史略卷之二二〇〇p.帝、太子たりし時、量錯、家令たり。幸を得たり。太子の家、號して智囊といふ。帝卽位するや、錯、內史となり、數ば閒を請うて事を言ひ、輒ち聽かる。寵.九卿を傾け、法令、更定する所多し。初め、孝文の時、吳王溥の太子、入つて見え、皇太子に侍して飮評產品酒今をするを得たり。博して道を爭ひ、不恭なり。皇太子、博局を引いて時にはい軌を一にす之を提殺す。澳、疾と稱して朝せず。錯數ば吳の過、削るべきを言ふ。文帝、忍びず、帝位に卽くに及び、錯曰く、吳王、天下の亡부人を誘ひ、亂を作さむことを謀る。今、之を削るも亦た反し、削らわざはひせうざるも亦た反せむ。之を削れば、反すること亟。にして、禍小ならむ。削らざれば、反すること遲くして禍大ならむと。上、公卿列侯宗室をして、雜議せしむ。敢て難ずるなし。量錯、又言ふ、楚趙罪あり、一郡を削らむ。膠西姦あり、六郡を削らむと。吳の會稽豫章七國叛すを削るに及び書至る。吳王、遂に反す。膠西、膠東、菑川、濟南、楚、趙、皆、先に吳の約あり。是に至つて、同じく反す。齊王、先に諾して、後に悔ゆ。初め、文帝旦に崩ぜむとするや、太子を戒めて曰く、若し緩急あらば、周亞天、眞に將に任ずべしと。七國の反するに及び、亞夫を大尉に拜し、三十六將軍に將として、往いて吳楚を擊たしむ。量錯、え素より袁盎と善からず。盎言ふ、獨り、錯を斬つて諸侯の故地を復〓するあれば、兵、刄に血ぬることなくして罷むべしと。錯是に於西漢-孝景皇帝-二〇一 十八史略卷之二二〇二て、東市に腰斬せられ、父母妻子同產少長となく、皆棄市せらる。周亞父、大に吳楚を破り、諸反、皆平らぐ。亞父、後に相となり、是れ鞅評上の意に忤ひ、罷む。上曰く、第周いうもに父終し軍功し全か一亞條侯に封ぜらる。諫を以て、inて惜を而ずり哉せ鞅として、少主の臣に非ずと、卒に人に誣告せられ、獄に下り、血を嘔いて死す。漢興つてより、繁苛を掃除し、民と休息す。孝文、加ふるに、恭俗を儉を以てす。帝の業を遵ぐに至り、五六十載の間、風を移し、易ふ。黎民醇厚、國家無事。人給し、家足る。都鄙の廩庾皆滿ち、府庫は貲財を餘す。京師の錢、鉅萬を累ね、貫朽ちて、校すべから〓あひよす。太倉の粟陳陳相因り、充溢して、外に露積し、紅腐勝げて食ふべからず。吏たる者は、子孫を長じ、官に居る者は、以て姓號となひと〓〓じはす。故に倉氏、庫氏あり、人人自愛して、法を犯すを重かる。而〓も、罔疏にして民富み、或は驕溢に至り、兼〓の徒〓曲を武斷し、宗室有土公卿以下、奢侈度なし。物盛にして衰ふるは、素より、其變なり。帝崩ず、在位十七年。中元、後元あり。太子立つ、之を世宗孝武皇帝となす。【孝武皇帝】名は徹。卽位の元年、始めて、改元して建元といふ。年號の始年に號あるは、是に始まる。評董仲舒の賢良方正直言極諫の士を擧げて、親ら之を策問す。廣川の董仲明治三十七年料金免除の舒對して曰く、事は强勉に在るのみ。强勉して學問すれば、聞見博漢-孝景皇帝-孝武皇帝二〇三 十八史略卷之二二〇四くして、智益す明かに、强勉して道を行へば、德日に起つて大に功ありと。又曰く、人君は心を正し、以て朝廷を正し、朝廷を正し、以て百官を正し、百官を正し、以て萬民を正し、萬民を正し、以て四方を正し、四方正しくして、遠近正に一ならざるなく、而かも、邪氣の其間に奸するなし。之を以て、陰陽調ひ、風雨時あり、群生和し、萬民殖し、諸福の物之を致すべく、祥畢く至らざるなし、而して、王道畢る。陛下、行高くして恩厚く、知明かにして意美、民を愛して士を好む。然り而して、〓化立たず、萬民正しからず。例へば、琴瑟調はざる甚しき者は、必ず解いて之を更張し、乃ち鼓すべきなり。政を爲して行はれざること、甚しき者は、必ず變じて之を更化し、乃ち理むべきなり。漢天下を得てより以來、常に治を欲す。而して、今に至つて善く治すべからざるものは、當に更化すべくして、而かも更化せざればなりと。又曰く、士を養ふは、太學より大なるはなし。太學は賢士の關る所なり、〓化の本原なり。願はくは、太學を興し、明師を置き、以て天下の士を食はむと。又曰く、郡守縣令は、民の師帥、承流して、宣化せしむる所なり。宜しく、列侯郡守をして、各、其吏民の賢なる者を擇んで、歲毎に各三人を貢せしむべしと。又曰く、春秋は一統を大にするもの、天地の常經、古今の通誼なり。今、師毎に道を異にし、人每に論を異にす。臣愚、以爲へらく、諸の六藝の科、孔子の術に非ざるもの西漢-孝武皇帝-二〇五 十八史略卷之二二〇六は、皆其道を絕ち、然る後に、統紀一にすべく、法度明かにすべく、而して、民、從ふ所を知らむと。上、其對を善とし、以て江都の相となす。上使者を使し、安車蒲輪、束帛加壁を奉じて、魯の申公を迎へ正しむ。旣に至るや、治亂の事を問ふ公、年八十餘、對へて曰く、申公進言治を爲すは、多言に在らず、力行如何を顧みるのみと。三年闘越東〓を擊つ使を遣し、兵を發して、之を救ひ、其衆を江淮の間に徒す。だ帝、始めて微行をなし、上林苑を起す。五年五經博士を置くびん三つ六年。聞越、南越を擊つ。王恢等を遣して、之を擊たしむ。げんくわうぐわんねん元光元年始めて、郡國に令して、孝廉各一人を擧ぐ。上方士李少君十二年。方士李少君、上に見ゆ善く巧發奇中をなす。言ふ、竈を祠れば、物を致し、丹砂化して黄金となすべく、蓬萊の仙者、見るべし、之を見て以て封禪すれば、死せずと。上、之を信じ、始めて、;親ら竈を祠り、方士を遣し、海に入つて、蓬萊、安期生の屬を求めしむ。海上、燕齊、迂怪の士多く更る來つて神事を言ふ上大行王恢の議を用ゐ、恢等を遣し、兵に將として、馬邑の旁谷中に匿れ、聶壹をして匈奴を誘うて、塞に入れて之を擊たしむ。き單于、覺つて去る。是より、和親を絕ち、當路の塞を攻む。西漢-孝武皇帝-二〇七 十八史略卷之二二〇八唐蒙、上書して、南夷に通ぜむことを請ふ。蒙を中郞將に拜し、千人に將として、夜郞に入る。夜郞侯、約を聽く。以て犍爲郡となす。又、司馬相如を拜して中郞將となし、西夷に通ず。印筰、冉馳に郡縣を置く。西は沫若水に至り、南は特牁に至つて、微となす。吏民の、當世の務に明かに、先聖の術を習ふものを徴し、縣次とに續食して、計と偕にせしむ。菑川の公孫弘、對策して曰く、人生、上に和德あれば、百姓下に和合す。故に、心和すれば氣和し、氣和すれば形 和し、形 和すれば聲和し、聲和すれば天地の和應ずと策奏す。擢んでて第一となし、金馬門に待詔せしむ。齊人轅固、年九十餘、亦た賢良を以て徵さる。弘、目を仄てて之に事ふ。曲學阿世固曰く、公孫子、正學を務めよと。以て曲學以て世に阿るなきを云ふなり。六年。始めて、商車を算す。匈奴、上谷に寇す。將軍衞靑等を遣し、擊つて、之を卻く。元朔元年主父偃、上書して、匈奴を伐つを諫む。嚴安、亦た上書す。及び徐樂、亦た上書して云ふ、陛下、何を威してか成らざらぞむ、何を征してか服せざらむと。書奏す。上召し見て曰く、公等皆安くに在りしか、何ぞ相見るの晩きやと。皆、郞中に拜す。此の秋匈奴入寇し、二年、又入寇す。衞靑等を遣して、之を擊ち、遂西漢-孝武皇帝-二〇九 十八史略卷之二二一〇に河南の地を取り、朔方郡を置く。五年。公孫弘、丞相となり、平津候に封ぜらる。上、方に功業を興す。弘、是に於て、東閣を開いて、以て賢人を延く。匈奴、朔方に寇す。衞靑を遣し、六將軍を率ゐて之を擊たしむ。還る。靑を以て大將軍となす。匈奴、代に入る。六年。春、衞靑等六將軍を遣して、匈奴を擊たしむ。夏、再び遣るはくばうこうちやうけん元狩元年博望候張騫を遣して、西域に使し、滇國に通ず。二年。霍去病を以て、驃騎將軍となし、擊つて、匈奴を敗り、焉支祁連山を過ぎて還る。匈奴の渾邪王降る。五屬國を置いて、以て其衆を處らしむ。三年匈奴、右北平、定襄に入る。四年衞靑、霍去病を遣して、匈奴を擊たしむ。去病、狼居胥山を封じて還る元鼎二年方士文成將軍李少翁、詐を以て誅せらる。西域、始めて通ず。酒泉、武威の郡を置く五年。將軍路博德等を遣して、南越を擊たしむ。方士五利將軍欒大、詐を以て誅せらる。六年。西羌を討つて、之を平らぐ。西漢-孝武皇帝-二一一 十八史略卷之二二一二南越平らぐ、九郡を置く。E元封元年帝、長城を出でて、單于臺に上り、使を遣して、單于に〓げしめて曰く、南越王の頭、旣に漢の北關の下に懸れり。今、單于能く戰はば、天子自ら將として、邊に待たむと。帝、縦氏に如き、中嶽に登り、遂に東、海上を巡り、泰山に封じか、肅然に禪し、復た東北して、碣石に至つて還る。えきしうぐん一滇王降る、益州郡を置く。三年樓蘭を擊つて、其王を虜にし、車師を擊つて、之を敗る。朝鮮降る。樂浪、臨屯、玄菟、眞番の郡を置く。匈奴、邊に寇す。兵を遣して、朔方に屯す。五年。南、江漢を巡り、泰山に至り、封を增す。六年。昆明を擊つ太初元年帝、泰山に如く。十一月甲子朔旦、冬至、太初層をり正月を以て歲首となす。李廣利を遣して、大宛を伐つ。克たず。趙破奴を遣して、匈奴を擊たしむ。三年。匈奴大に入つて、塞外の城障を破る。大に兵を發し、李廣利に從つて、宛を伐たしむ。宛、降る。善馬數十匹を得たり。四年。匈奴の單于、使を使して來り獻ず。西漢-孝武皇帝-二一三 十八史略卷之二二一四蘇武天漢元年中郎將蘇武を遣はし匈奴に使せしむ。單于、之を降さむと欲し、大窖の中に置き、絕えて飮食せしめず、武、雪と旃毛とを齧んで、〓せて之を咽み、數日死せず、匈奴以て神となす。武を北海上、無人の處に徒し、抵を牧はしめ、曰く、抵乳せば、乃ち歸るを得せしめむと。二年李廣利を遣して、匈奴を擊たしむ。別將李陵、敗れて虜に降る上法制を以て下を御し、好んで、酷吏を尊用す。東方、盜賊、÷滋、起る。使者を遣し、繡衣を衣、斧を持して、督捕せしめ、二千石以下を斬るを得せしむ。四年。李廣利、匈奴を擊つて利あらず。太始三年帝、東瑯琊を巡り、海に浮んで還る四年。東巡して、明堂を祀り、封禪を修す。征和二年巫蠱の事作る。帝、甘泉に如き、江充を以て使者となし、巫蠱の獄を治めしむ。太子の宮を掘つて云ふ、木人を得ること尤も多しと。太子據、懼れ、客をして、佯つて使者たらしめ、充を母衞皇后に白し、收捕して、之を斬り、中厩の車を發し、射士を載せ、武庫の兵を出し、長樂宮の衞卒を發す。上、甘泉より來り、詔して、三輔の兵を發す。丞相劉屈釐、是に將たり。太子も亦制を矯めて兵を發し、丞相の軍に逢ひ、兵、合戰すること五日、死西漢-孝武皇帝-二一五 十八史略卷之二二二六くわうごうじさつたいしにこじけいする者數萬。皇后自殺す。太子亡げて、湖に至つて、自經して死かうべうしんらうでんせんしうはくとうをうす。後に、高廟の寢郞田千秋といふ者あり。上書して言ふ白頭翁しんをしろうむちうあり、臣に〓へて云ふ、子、父の兵を弄す、當に答つべしと。上、さとしんれい悟つて曰く、是れ、高廟の神靈、我に告ぐるなり、太子の罪なきをきらいばうしだいかなし望思之臺知ると。歸來望思の臺を廟に作る。天下、聞いて、之を悲む。けうどごげんしゆせんあだりくわうり三年。匈奴、五原、酒泉に寇す。李廣利を遣して、之を擊つ。廣くだ利匈奴に降る。はうししんじんこう四年。方士の神人を候する者を罷む。でんせんしうしやうふみんこうりんだいとんでんや輪臺之詔田千秋を以て相となし、富民侯に封ず。輪臺の屯田を議するを罷みことのりきわうくわいのめ詔を下して、深く旣往の悔を陳ぶ。こうげん二年2じやうさくきうみゆきやまひあつくわくくわうだいしばだいしやう孝た絕武を後九上、五柞宮に幸す。病篤し、霍光を以て、大司馬大將櫛皇どた亦且む其英大略主ゝのぐんゐせうたすかい軍となし、遺詔を受けて、太子を輔けしむ。上、在位五十四年、改風帝もり歷つる版沐に世 朝大の圖憐し放經のてのれ冠るく廣げんけんげんげんさくげんしゆげんてい元するもの十有一。曰く、建元、元光、元朔、元狩、元鼎、元封、ゆうざいたいりやくぶんけいほう太初、天漢、太始、征和、後元。上、雄材大略、文景豐富の後を受きうきよくかうていへいじやううれひのこせいじやうこうけ、武事を窮極す。嘗て謂ふ、高帝、平城の憂を遺す、齊の襄公訓鍊あだえしばしけうどせいかん九世の讐を復するが如くならむを思ふと。數ば匈奴を征し、漢の兵を世ず情恣故·ずりのて察て縱端漢せ下自せい3のがばくなんわうていうひら勢を盡す。匈奴、遠く遁れ、幕南に王庭なし。地を斥き、郡縣を立け運却じゆかうじやうせいゐきせいなんいてうせん啓衰て、受降城を置く西域に通じ、西南夷に通じ、東朝鮮を擊ち、えつきづうぐんりよとしごと內は土木どことじやうふん南粤を伐ち、軍旅歲毎に起る。を事とし、上苑を築いて南しよくはくれうだいしようろどうばん山に屬し、柏梁臺を建て、承露銅盤を作る、高さ二十丈、大さ七西漢-孝武皇帝-二一七 十八史略卷之二二一八ゐぜんにんしやうはうしこうそんけいろうきよ圍、上に仙人掌あり。方士公孫卿、神仙は樓居を好むと言ひしを以ひれんけいくわんつうてんけいだいしゆざんけんしやうきうて、蜚廉桂館、通天莖臺を作り、首山の宮を作り、建章宮を作るほうかくこけんたいえきちぜんだいほうらいはう千門萬戶。東は鳳閣、西は虎圈、北は太液池。中に漸臺、蓬萊、方ぎよくだうしんめいだい丈?えいしうれうへきもんめいくわうきう瀛洲、壺梁あり。南は玉堂、壁門、神明臺を立つ。明光宮を作しびきはしばしじゆんかうししたつとほうぜんしうこくる皆、修靡を極む數ば巡幸して、祠祀を崇び封禪を修す。國ないきふしやくきふうろくひへいはくきんつくさうこうやうこうきん內給せず、武功の爵級を賣り、鹿皮幣白金を造る。桑弘羊、孔僅のときんゆへいじゆんはふつくおこたすえんくわんおしう徒、均輸平準法を作り、利を興し、以て費を佐く。鹽官を置き、舟しやさんびんせんせうぜんたうおこりんだい車を算し、緡錢を造る。天下、蕭然たり。末年、盜起る輪臺の一せうなかかんはとしんじようしやう詔微つせば、漢幾んど秦たるを免れず。用ゆる所の丞相惟だでんふんもつばじやうけいぢよ蚜に謂つてり田蚡のみ、稍や專らにす。上、嘗て、曰く、卿吏を除っする、盡くるや未だしや、吾も亦た吏を除せむと欲すと。後は皆位みこうそんこうちうに充つるのみ。公孫弘の後、國家多事、丞相、しきりに、誅を以てこうそんがていきうあ、死す。公孫賀、相に拜せられ、涕泣して、肯て拜せざるに至る、亦こくりちやうたうてううとしうぎしようわうおんじよとた罪を以て死す。酷吏、張湯、趙禹、杜周、義縱、王溫舒の徒、皆けいはふしゆんようたうら嘗て刑法を峻用す。然れども、湯等、罪あれば亦た貸さざるなり。ぼくしきげいくわんぞくきふあんげん汲點嚴を以其閒、ト式兒寬の屬、亦た長者を以て用ゐらる。汲黯、獨り嚴をて憚らるはゞかせつかんしゆせいじやう以て憚らる。切諌して內に留まるを得ず、東海の守となり、〓淨をかふないぐわけい好み、閤內に臥して出でず、然かも、郡中大に治まる。入つて九卿ぶんがくあんとなる。上、方に文學を招く。嘗て曰く、吾、云々せむと欲す。黯いはたよくじんぎほどこいかんたうぐう曰く、陛下、内、多欲にして、外、仁義を施す、奈何ぞ唐虞の治に西漢-孝武皇帝-二一九 十八史略卷之二〓三〇效はむと欲するかと。上、怒つて朝を罷む。曰く、甚しい哉、汲黯の態なるやと。他日、又曰く、古しへ社稷の臣あり。黯之に近しと。淮南王安、反を謀る。曰く、漢廷の大臣、獨り、汲黯、直諫を好む、節を守り、義に死せむ。丞相弘の如きは、之を說くこと、蒙を發くが如きのみと。黯嘗て、淮陽の守に拜せらる。曰く、臣病む、郡事に任ずる能はず。願はくは郞中となり、禁闔に出入し、過 を補ひ、遺ちたるを拾はむ。上曰く、君、淮陽を薄しとするか。吾、今、君を召す。おもふに、淮陽の吏民、相得ず、惟だ君の重きを得て、臥して之を治めよと。淮陽に至り、十歲、竟に卒す。黯甚だ上に重んぜらる大將軍衞靑、貴と雖も、上、或は厠に踞して之を見る。黯の如きは冠せざれば見ざるなり。上、天下材智の士、吾俊異の者を招選して、之を寵用す。莊助、朱買臣、丘、壽王、司馬ばいくわうしうぐんら相如、東方朔、枚皐、終軍等、左右に在り。相如、特に詞賦を以て幸を得たり。朔皐は、持論を根とせず、該諧を好む。上、俳優を以てま、之を畜ふ。朔嘗て、上の前の侏儒に語る。以爲へらく、上之を殺さむと欲すと。侏儒、泣いて命を請ふ。上、朔に問ふ。朔曰く、侏儒飽いて死なむと欲す、臣朔饑ゑて死なむと欲すと。伏日に肉を賜ふこと晏し。朔先づ肉を斫つて持して歸る。上、召して問ひ、自ら責めしむ。朔曰く、賜を受くるに詔を待たず、何ぞ無禮なるや。劍を拔いて、肉を斫る、何ぞ壯なるや。之を斫つて多からず、何ぞ西漢-孝武皇帝- 十八史略卷之二さいくんおくじんれん朔、亦廉なるや。歸つて細君に遣る、何ぞ仁なるやと。然れども、ちよくかんりせうくんしんせんた時に直諫して補益する所あり。李少君より以來、神仙を求めて已ぶんせいちうりいた上まず、文成誅せられて、五利至る。五利、文成を以て言となす。はかんくら曰く、文成、馬肝を食うて死するのみと、五利、又誅せらるるに及こうそんけいらもつとちやうしんまつねんすなはさとてんかび、公孫卿等、尤も聽信せらる末年、帝、乃ち悟つて曰く、天下せついくふあえうはうやや病評天下豈仙豈に仙人あらむや、盡く妖妄のみ、食を節し、藥を服せば、人あらんやかんおこけいていけうしよえのぞ少かるべきのみと。漢興つて、惠帝、旣に挾書の禁を除き、文帝、いうがくひろじゆがくつひと〓〓さかん旣に遊學の路を廣むと雖も、然れども、儒學、終に未だ盡く盛なとうちうじよこうそんこうしゆんじうげいらず。帝の世に至つて、董仲舒、公孫弘、皆、春秋を以て進み、兒けいじゆつりかざまたこうあんこくらくわん六寛.亦た經術を以て吏事を飾る。後、又孔安國等、出づるあり。けいへうしやうじつていはじしばしずゐしやう經を表章すること、はくりんしゆがんしはうはうてい實に帝より始まる。がくしやうつく數ば瑞祥を得たり。かうべう白麟、芝房、すぶんしやう朱鴈、寶鼎、皆、樂章を爲り、之を郊廟に薦む文章も、亦だいぶじゆた帝の世に至つて始めて盛なり。ほうれうはふむ人以て三代の風ありとなす。かうせうくわうてい帝、壽七十にして崩ず。茂陵に葬る。太子立つ、之を孝昭皇帝となす。ふつれううよく六じんてうしはら【孝昭皇帝】名は弗陵、母は釣弋夫人趙氏、うま娠んで十四月にして生ぶていなげうぼもん武帝、さうだいる。たち其門に命づけて、堯母門といふ。年七歲、體壯大にぐんしん多知なり。武帝、たくわくくわうして、ちうこうたいじにん之を立てむと欲す。群臣を察するに、唯だ霍光忠厚くわうもんしうこうせいわう霍光、忠厚、大事に任ずべし。お黃門をして、周公、成王を負う評武帝鈎弋てうゑがくわうたまて、諸侯に朝せしむるを畫いて、こうよくふじんけん以て光に賜はしむ。鈎七夫人を譴理賜夫たら人に辯死非一をせきたまいにこくかみだゆゑん死を賜うて曰く、しゆせう責し、はゝさう古しへ、國家の亂るる所以、主少、母壯に西漢-孝武皇帝-孝昭皇帝-二二三 二二四十八史略卷之二遂に卽驕淫自ら恣にするに由るなりと。明年、武帝崩ず。人之あ然情をるれして、ずはに之でに殺がど非す故も反を謀る。赦して治位す。燕王旦、長にして立つを得ざるを以て、せず。黨與誅に伏す。野始元六年、蘇武、匈奴より還る。武、初め、北海の上に徒り、ら李陵、武臥起、漢の節を持す。鼠を掘り、草實を去へて、之を食ふ。に謂つて曰く、人生は朝露の如し、何ぞ自ら苦むこと此の如きと。亦た屢ば武に降を陵、衞律と與に匈奴に降つて、皆、富貴。律も、す、匈奴、詭つて、武、勸む。終に肯んぜず。漢の使者、匈奴に至る。旣に死したりといふ。漢使、之を知り、言ふ、天子、上林中に射て匈奴、膓を得たり、足に帛書あり、云ふ、武、大澤の中に在りと。か.隱す能はず、乃ち武をして還らしむ。武、匈奴に留まること十九年、しゆはつこと〓〓初め强壯を以て出で、還るに及びて、須髮盡く白し。拜して典屬ミ國となす。左將軍上官桀の子安、電光の婿たり。女を生む。立ちて皇后となる。桀と安と、自ら后の祖父たるを以て、乃ち光が外祖を以て朝事を專制するに若はず。桀と光と權を爭ふ。時に鄂國蓋長公主、愛する所の丁外人の爲に封侯を求め、許されず、光を怨む。燕王旦、自ら帝の兄を以て、常に怨望す。御史大夫桑弘羊、子弟の爲、に官を求めしが得ず、亦た怨望す。是に於て、皆、旦と謀を通じ、詐つて、人をして、旦の爲に上書せしむ。言ふ。光出でて郞羽林を西漢ー孝昭皇帝ー二三五 十八史略卷之二三六都肆し、道上に蹕と稱し、擅 に莫府の校尉を調益し、權を專にして、自ら恣にす。疑ふらくは、非常あらむと。光の出沐の日を候うて之を奏し、桀中より其事を下し、弘羊、當に大臣と共に執つあ、て光を退かしめんと欲す。書奏す。帝、肯て下さず。明旦、光評明治三十七年四月二日發行霍名光之を聞き、畫室中に止まつて入らず。上問ふ、大將軍、安くに在然燕王、其罪を告ぐるを以て、敢て入らずと。詔し成むふぞらのれる桀曰く、の得完何あ帝て、大將軍を召す。光入り、冠を免いで、頓首して謝す。上曰く、將軍、廣明に之いて、郞を都するは、屬のみ。校尉を調して以來、以王未だ十日なる能はず。燕王、何を以て之を知るを得む。且つ將軍、正式見る公とかつ所に以如非を爲せば、尉校を須ゐずと。この時、元鳳元年、帝、年十四。尙し)昭帝年僅か書、左右、皆驚く。而して、上書せし者、果して亡ぐ。之を捕ふる十ばく父若のをに克な皇し明鑑しら帝在あ別てにる邪四上に白す、忠こと甚だ急桀等懼れ、小事なり、遂ぐるに足らずと。しの位りす去、聽かず。後に、桀の黨、光を譖する者あり。上、輙ち怒つて曰せた祚め如乃く大將軍は忠臣、先帝の屬する所、以て朕の身を輔く、敢て毀るく漢りり中し興必主者あれば、之を坐せむと。是より、敢て復た言ふなし。桀等、謀り長公主をして、置酒して、光を請はしめ、兵を伏せて、之を格殺し、因つて、帝を廢して旦を立てむと欲す。安、又謀つて、旦を誘うて至らしめて、之を誅し、帝を廢して、桀を立てむとす。會ま、其謀を知る者あり、以聞す。桀.安、弘羊等を捕へ宗族を〓せミて、盡く之を誅す。蓋主旦と皆自殺す。西漢-孝昭皇帝-二二七 十八史略卷之二元四年、傅介子、西域に使し、樓蘭主を誘うて、之を刺殺し、傳を馳せて、闕に詣る。其匈奴の爲に反閒するを以てなり。元平元年帝、二十一にして崩ず。在位十四年。元を改むる三。曰く、始元、元鳳、元平。電光、政を爲し、民と休息し、天下無事。昌邑王賀は、哀王博の子、武帝の孫なり。光、賀を迎へて、入つて位に卽かしめ、皇后を尊んで皇太后となす。賀、淫戯度なし。光、奏して、之を廢し、武帝の會孫を迎立す、之を中宗孝宣皇帝となす。【孝宣皇帝】初名は病己。後改めて詢と名づく。武帝の曾孫なり。初め、戾太子據、史良娣を納れて、史皇孫進を生み、進病己を生む。數月にして、巫蠱の事に遭ひ、皆、獄に繫がる。氣を望む者言こと〓〓ふ長安獄中に天子の氣ありと武帝、使を遣し、盡く獄中の人を殺さしむ。丙吉、時に獄を治す。拒んで納れず。曰く、佗人の無辜も尙ほ不可なり。況んや、皇曾孫をやと。使者還つて報ず。武帝曰く、天なりと。長ずるに及びて、高材にして學を好み、亦た游俠を得失を知る。喜び、具さに間里の姦邪、吏治の昭帝の元鳳中、泰山に大石あり、自ら起立す。上林に僵樹あり、復た起つ。蠶其葉を食うて曰く、公孫病己、立たむと。賀の廢せらるるに及び、病己年十八。光等奏す、病己、躬、節儉慈仁にして、人を愛す、以て孝昭の後を嗣ぐべしと。迎へ入れて位に卽かしむ。旣に立つて六年、霍光西漢-孝宣皇帝-二二九 十八史略卷之二二三〇卒す。始めて政を親らす。評酸更地節三年路溫舒、上書して言ふ、秦に十失あり。其一、尙ほ存を蹂躙す人 /治獄の吏、inミの弊古る今易す。是なり。俗語に曰く、地を畫して獄となすも、入ららず恐ベミき哉ざらむを議し、木に刻して吏となすも、對せざらむを期すと。是れ悲痛の辭なり。願はくは、法制を省いて、刑罪を寛にせよ、則ち太ハ平興すべしと。上、爲に廷尉平を置き獄刑號して平となす。膠東の相王成、勞來怠らず。治に異績あり。爵、關內侯を賜ふ。魏相、丞相となり、丙吉、御史太夫となる。;四年。霍氏、謀反し、誅に伏す。其族を夷し、告ぐる者、皆、列侯に封ぜらる。初め、霍氏奢縱なり。茂陵の人徐福上疏して言ふ、宜しく、時を以て、抑制して、亡に至らしむる無かれと。書三たび 評ふ直る徐 明る所福しのの上說曲疏上る、聽かず。是に至り、人徐生の爲に上書して曰く、客、主味突す人に過るあり。其竈の直突にして、傍に積薪あるを見、主人に謂ふ、更めて、曲突となし、速に其新を徒せと。主人、應ぜず。俄に失火まあり。〓里共に之を救ひ、幸にして、息むを得たり。牛を殺し、酒を置いて、其〓人に謝す。人主人に謂つて曰く、さきに客の言を聽かしめば、牛酒を費さず、終に火患なからむと。今、功を論じて賞するに、曲突にして薪を徒せとする者には恩澤なく、頭を焦し額をさ爛す者を上客となすかと。上乃ち、福に帛を賜ひ、以て郞となす。帝の初めて立つて、高廟に謁するや、霍光、驂乘す。上、之を嚴西漢-孝宣皇帝-二三一 十八史略卷之二三憚して、芒刺の背に在るが如し。後に張安世、光に代つて驂乘するや、上、從容肆體、甚だ安近す。故に俗に傳ふ、霍氏の禍は驂乘に萌すと。たいしゆ〓〓いふ北海の太守朱邑、治行第一を以て、入つて、大司農となる。渤海の太守襲遂、入つて、水衡都尉となる。是より先、渤海歲饑ゑ、盜評の說用意周龔遂治邊起る。遂を選んで、太守となす。召し見て問ふ、何を以て、盜を治到といふ可むと。遂、對へて曰く、海濱遐遠、聖化に活はず。其民飢寒、然も吏恤まず。陛下の赤子をして、兵を潰池の中に盜弄せしむるのみ今、臣をして之に勝たしめむと欲するか將た之を安んぜしむるか。上曰く、賢良を選用す。素より、之を安んぜむと欲す。遂曰く、亂民を治むるは、亂繩を治むるが如し。急にすべからざるなり。願はくは、臣を拘するに文法を以てする勿れ、便宜を得て事に從はむと。上、許す。傳に乘じて、渤海の界に至るや、郡兵を發して迎ふ。遂、皆遣し還し、書を移して、捕を罷め、諸の田器を持する者を良民となし、兵を持する者を盜となす。遂、單車にして府に至る。盜聞いて、卽時に解散す。民、刀劍を持する者あれば、劍を賣つて牛を買ひ、刀を賣つて犢を買はしむ。曰く、何すれぞ。牛を帶び犢を佩ぶるやと。勞來巡行す。郡中、皆、蓄積あり。獄訟止息す。是に至り、召されて入る。評宣帝の時け、てう良吏輩出す元康元年京兆の尹趙廣漢を殺す。初め、廣漢、頴川の太守とな西漢-孝宣皇帝-二三三 十八史略卷之二三四廣漢は其一る。潁川の俗、豪傑相朋黨す。廣漢、飾項筩を爲り、吏民の投書人なりを受け、相告評せしむ。姦黨散落し、盜賊發するを得ず。之に由り、入つて、京兆の尹となる。尤も善く鉤距を爲し以て其情を得。さ閭里銖兩の奸も皆知る。姦を發し、伏を摘する。神の如し。京兆、政、〓し。長老傳ふ。漢興つてより、京兆を治むる者、能く及ぶなしと。是に至つて、人、上書して言ふ、廣漢、私怨を以て、人を論殺すと。廷尉に下す。吏民、闕を守つて、號泣する者數萬人。竟に坐して要斬せらる。廣漢、廉明にして、豪强を威制し、小民職を得たり。百姓追思して之を歌ふ。す尹翁歸を以て、右扶風となす。翁歸、初め、東海の太守となり、法過ぎて、廷尉于定國に辭す。定國、邑子を託せむと欲す。語ることあ、終日竟に敢て見せしめず。曰く、是れ賢將なり。汝、事に任へざるなり又子すに私を以てすべからずと。治郡の高第を以て、遂に入つて治す。常に三輔の最となる。評魏相名言二年。上匈奴の衰弱に因り、兵を出して、其右地を擊ち、復た義兵、應兵、忿兵、貪兵驕兵の別、西域を擾さざらしめむと欲す。魏相、諫めて曰く、亂を救ひ暴をすな三り思誅する、之を義兵といふ。兵義なるものは王たり。敵己に加へ、已むを得ずして起つもの、之を應兵といふ兵應ずるものは勝つ。小故を爭ひ恨み、憤怒に忍びざるもの、之を忿兵といふ。兵忿るものは敗る。人の土地貨寶を利するもの、之を貪兵といふ兵貪るも西漢-孝宣皇帝-二三五 十八史略卷之二二三六たのしゆうほこるしのは破る。國家の大を恃み、人民の衆を矜つて、威を敵に見めさむけうへいへいおごつつけうどんんと欲するもの、之を驕兵といふ。兵驕るものは滅す。匈奴、未だ邊きやうをかだしんぐ境を犯せしことあらず。今、兵を興して其地に入らむと欲す。臣愚にして此兵、何の名たるを知らざるなり。今年、計るに、子弟、父ぜうへんさ兄を殺し、妻、夫を殺せし者、二百二十二人。是れ小變に非ず。左いううれすなはせんかいいかりゑんい右憂へず、乃ち兵を發して、纎芥の忿を遠夷に報いむと欲す。殆んこうしいはゆるそんうれひせんゆせうしやうど孔子の所謂、吾恐る、季孫の憂は、顳史に在らずして、蕭牆の內じやうしやうに在るものなりと。上相の言に從ふ。がいたいしたいふそくわう兄の子太子少傅疏受と共に、たいしせうふそじゆじやうそ三年。太子太傅疏廣、上疏して、骸こつゆるかしこうけいこじん÷だうまうとうもん祖道宴骨を乞ふ。之を許し、黄金を加賜し、公卿故人、祖道を設け、東門ぐわいきようちやうくるますうひやくりやうだうろみけん外に供張す。送る者、車數百兩道路觀る者、皆曰く、賢なるきようぐぞくじんこきうひんかく哉、二大夫と。旣に蹄るや、日に金を賣つて共具し、族人故舊賓客をあひともごらくさんげふ請うて、相與に娛樂し、子孫の爲に產業を立てず。曰く、賢にして財そのこゝろざしそんそのあやまちまか多ければ、其志を損し、愚にして財多ければ、其過を益す。且つそとみしゆううらみそのあやまちま夫れ、富は衆の怨なり。吾、其過を益して怨を生ずるを欲せずと。しんしやくぐわんねんせんれいしよきやうそむじやうこうしやうぐんてうじうこく神爵元年先零、諸美と與に畔く。上後將軍趙充國に問はしたれこたらうしんむ、誰か將たるべき者ぞと充國、年七十餘、對へて曰く、老臣にまきやうりよはかまさいくにん踰ゆるなしと。復た問ふ、將軍、羌虜を度ること如何。當に幾人をはるかはかきんじやう用ゆべき。充國曰く、兵は遙に度り難し。願はくは、金城に至り趙充國屯田はうりやくたてまついたとんでんそうたてまつ三計圖して、方略を上らむと。乃ち金城に詣り、屯田の奏を上る。西漢-孝宣皇帝-二三七 十八史略卷之二二三八いと願はくは、騎兵を罷め、歩兵萬餘を留め、分つて要害の處に屯し、田せむと。條して兵を出さず、留まつて便宜十二事。奏、上る毎に、輒ち公卿に下して議せしむ。初めは其計を是とする者什に三、中ごろは什に五、最後には什に八。魏相、其計に任じ、必ず用ゆべ、しといふ。上、之に從ふ。二年。史隸校尉蓋寛饒、封事を上る。上、以て怨謗となし、吏に下す。寬饒、自到す。三年。丞相魏相、薨ず。故事に、上書する者、皆、二封を爲り、其一に署して副といふ尙書を領する者、先づ副封を發き、言ふ所善からざれば、屏去して奏せず霍光の薨ぜしより、相卽ち白二して、副封を去り、以て雍蔽を防ぐ、相となるに及びて、好んで、漢の故事及び便宜章奏するところを觀、數漢興つてより以來、便宜の行事、及び賢臣、賈誼、晁錯、董仲舒等の言ふ所を條し、請うて之を施行す。掾史に敕して、事を郡國に案ぜしむ。及び休〓ほして、家より還つて府に至れば、輒ち四方の異聞を白し、或は逆賊風雨の災異にして、郡、上らざるあれば、相、輒ち之を奏言す。わ御史大夫丙吉と共に、心を同じうして、政を輔く。上、皆之を重くわんだい評魏相丙吉んず。是に至つて、吉、代つて丞相となる。吉、寛大を尙び、禮讓漢代の名相はあ、を好む。嘗て、出で、群鬭死傷に逢ふも問はず。牛の喘ぐに逢うて、牛を逐ふこと幾里なるかを問はしむ。或ひと、吉の問を失するを西漢-孝宣皇帝-二三九 十八史略卷之二二四〇譏る吉曰く、民の鬭ふは、京兆の當に禁ずべき所なり。宰相は、細事を親らせず。當に問ふべき所に非ざるなり。春に方つて、未だあ、熱すべからず。恐らくは、牛、暑きが故に喘ぐならむ。是れ時氣節を失するなり。三公は、陰陽を調ふ職として、當に憂ふべしと。人、以て大體を知るとなす。五鳳元年左馮翊韓延壽を殺す。延壽、吏となり、古しへの〓化を好む。潁川の太守より入つて、馮翊となる。民に昆弟相訟ふるあ〓〓り、延壽、閤を閉ぢて、過を思ふ。訟ふる者、各 悔い復た爭はず。郡中翕然として、相敕厲す。恩信周偏にして、復た詞訟あるなし。吏民、其至誠を推して、欺給するに忍びず。是に至つて、事に坐して、棄市せらる。百姓、流涕せざるなし。評吏道の極意黃霸の言大三年。丙吉、薨ず。黃霸丞相となる霸、嘗て、頴川の太守となり、吏民、神明欺くべからずと稱す。〓化を力め誅罰を後にす。長史許丞、老いて、聾を病む。督郵白して、之を遂はむと欲す。霸曰く、許丞は廉吏、老いたりと雖も、尙ほ能く拜起す、重聽するも 何ぞ傷まむ。數ば長吏を易ふれば、故を送り、新を迎ふるの費、及び姦吏因緣して簿書を絕ち、財物を盜み公私の費耗、甚だ多からむ。易ふる所の新吏、又未だ必ずしも賢ならず。或は其故に如かず、徒に相益して、亂を爲さんのみ。凡そ治道は、其太甚しき者を去るのみと。霸外寬內明を以て、吏民の心を得たり。治、天下第西漢-孝宣皇帝-一四、 十八史略卷之二三評地方長官一となす。是に至りて、吉に代る。霸の材、治民に長ず。相たるに大阪市立大学中学校及びて、功名、郡を治むる時より損す。處に般才人な考のなとミず四年。大史農耿壽昌、白す。邊郡をして、皆、倉を築かしめ、穀"大盛大賤しければ、價を增して耀し、穀貴ければ、價を減じて糶し、以て常平倉民を利せむと。名づけて常平倉といふ。前の光祿勳楊憚を殺す憚廉潔にして私なし。人、上書して、憚妖惡の言を爲すと告ぐ。免じて庶人となす。憚、家居し、產を治めて、自ら娯む。其友、孫會宗、之を戒む。憚、報じて曰く、過大にして行虧く。當に農夫となつて、以て世を沒すべし。田家作苦、歲時伏臘、羊を烹、羔を無し、斗酒自ら勞す。酒後に耳熱し、天を仰ぎ、缶を拊つて鳴鳴と呼ぶ。其詩に曰く、田 彼南山。蕪穢不治。種一頃豆。落而爲 其。人生行樂耳。須富貴何時。と淫荒度なきも、其不可を知らずと。人、上書して〓ぐ、憚、驕奢にして悔いずと。廷尉に下して案ず。會宗に與へし所の書を得たり。帝、見て之を惡む。大逆無道を以て要斬す。評甘露元年公卿奏す、京兆尹張敞は、憚の黨友なり。宜しく、位ざ亦惜完以ひ人ど兆張る止むふて易のもな敵所むべし終し怨其りはかをき得り是を職然名得もずをを買司れ京なに處らしむべからずと。上、敞の材を惜んで、其奏を寢む。敞、掾、をき得り是を職絮舜をして案驗する所あらしむ。舜、私に歸つて曰く、五日の京兆のみ、安んぞ能く復た事を案ぜむやと。敞舜の語を聞き、卽ち收めて、獄に繋ぎ、竟に、それを死に致す。後、舜の家に〓げらる。西漢-孝宣皇帝-三 十八史略卷之二一四、敞上書し、闕下より亡命すること歲餘。京師枹鼓、數ば警む。上、敞の能を思ひ、復た之を召し用ゆ。黃霸、卒す。于定國、丞相となる。定國の父于公、初め獄吏となる。東海に孝婦あり。寡居して嫁せず以て其姑を養ふ。姑年老い、婦の嫁を妨ぐるを以て、自經して死す。姑の女、婦迫つて其母を死させしむと告ぐ。婦辯ずる能はず。自ら誣伏す。于公、之を爭へども得る能はず。孝婦死す。東海枯旱すること三年後の太守來る。ミ公其故を言ふ。太守、孝婦の家を祭る。遂に雨降る。于公、獄を5治めて、陰德あり。門間を高大にし、駟馬の車を容るべからしむ。曰く、吾が後世、必ず興る者あらむと。子定國、地節元年を以て、廷尉となる。朝廷、是を稱して曰く、張釋之、廷尉となつて、天下評ら民鏡をて寃民なし。于定國、廷尉となつて、民自ら寃とせずと。是に至り御自ら獄るせんの味噌らし史大夫より霸に代る。匈奴亂る。五單于立つを爭ふ。呼韓邪單于、上書す、願はくは、た塞を欵いて、藩臣と稱せむと甘露三年、來朝す。詔して、客禮を以て之を待ち、諸侯王の上に位せしむ。国;只上、戎狄の賓服せしを以て、肱股の美を思ひ、乃ち其人を麒麟閣に圖畫す。惟だ霍光のみは名いはず、大司馬大將軍博陸候姓霍氏といふ。其次は、張安世、韓增、趙充國、魏 相、丙吉、杜延年、劉德、梁丘賀、蕭望之、蘇武、凡て十一人。皆、功德あつて、名を西漢-孝宣皇帝-二四五 十八史略卷之二二四六たうせい當世に知らる。かいげんほんしちせつげんかうしんしやくほう評宣帝中宗帝、在位、改元するもの七、曰く本始、地節、元康、神爵、五鳳、名に背かれうはふむりよえんおこずのかんろくわうりう、ほうと甘露、黄龍、凡そ二十五年崩ず。杜陵に葬る。帝、閭閻より起り、かんなんれいせいちすうきしうみつひんしきび民事の艱難を知り、属精治を爲す樞機周密にして、品式備具すしししゆしやうすなはそのでんり刺史守相を拜するに、輒ち親ら見問す。常に曰く、民の、其田里にたんそくしうこんニミルゑんうつたへをさ安んじ歎息愁恨の聲なき所以のものは、政平かに、訟理まればなりやうおた千石かと。り我と此を共にする者は、其れ惟だ良二以爲へらく、評二千宣考石帝と論のす大良しばしへんえきたみやすちべにし參太守は吏民の本、すなは數ば變易すれば、ヒしよべんれい民安からず。ちつ故に、きん二千石、たまこうけい治理の效あれば、輒ち重書を以て勉勵し、秩を增し、金を賜ふ公卿かもろへうえらかんせいりやうり缺くれば、諸の表する所を選び、次を以て用ゆ漢世の良吏、是にさかんしんしやうひつぱつめいじつそうかく於て盛なりとなす。信賞必罰、名實を綜核し、政事文學法理の士、みそののうくはそのしよくかなそのげふやすけうど咸な其能を精しくし、吏、其職に稱ひ、民、其業に安んず。匈奴のすゐらんさうちばうおそんかたるほくいのぜんう衰亂に遭値し、亡を推し、存を固くし、威を北夷に信ぶ。單于、義したけいしゆはんこうそそうひかこうえいたちうを慕ひ、稽首して藩と稱す。功、祖宗に光り、業、後裔に垂る中こうかうそうしうせんひとかう興德を高宗、周宣に伴しうすといぶべし。太子、位に卽く。之を孝げんくわうてい元皇帝となす。せきじうじんじゆせん評漢祚衰ふ元帝文弱【孝元皇帝】名は奭。初め太子たりし時、柔仁にして儒を好む。宣ていぶんばふけいはふたゞ帝の用ゆる所、多く文法の吏にして、刑法を以て下を繩すを見。嘗えんしようよういへいかけい七..はなはふかよろて燕する時、從容として謂ふ、陛下刑を持すること太だ深し。宜しじゆせいなかんかおのづかせいどく儒生を用ゆべしと。宣帝、色を作して曰く、漢家自ら制度あり。本西漢-孝宣皇帝-孝元皇帝-三四 十八史略卷之二受評時と併家と霸、とをすに法宣い知蓋在覇帝ふるしり王漢王の道を以て之を雜ゆ。奈何ぞ、純ら德〓に任して、周政をのに法用用ゐむや。且つ、俗儒は、時宜に達せず。好んで、古しへを是とし、し言務な務を今を非とし、人をして、名實に眩して、守る所を知らざらしむ。何ぞ委任するに足らむやと。乃ち歎じて白く、我が家を亂る者は太子なりと。宣帝、少にして、太子の母家許氏に依る。許后、霍氏の毒を以て死す。故に、太子を廢するに忍びず。是に至りて位に卽く初元元年皇后王氏を立つ二年。蕭望之、周堪及び宗正、劉更生を獄に下し、皆免じて庶人と評政ら内容ら内茶とな專なす。時に、史高外屬を以て、尙書の事を領し、望之、堪、之に漠さ中帝言れ適宜すの豫副たり。二人は、帝の師傅。數ば治亂を言ひ、正事を陳す。更生を給事中に選し、侍中金敞と竝に左右に拾遺たり。四人、心を同じうして謀議す。史高は、位に充つるのみ。之に由つて望之と隙あり。中書令弘恭、僕射石顯、宣帝の時より、久しく樞機を典る。帝の位に卽くに及びて、多疾なり。顯の中人にして外黨なきを以て、遂に宦官事を用ふるの始委するに政事を以てし、事、大小となく、顯に因つて白決す。貴幸朝を傾け、百僚、皆、顯に敬事す。顯巧慧にして、事に習ひ、能く 深く人主の微指を得。内、深賊にして、詭辯を持し、以て人を中傷し、高と表裏す。望之等、外戚、許、史の放縱なるを患ひ、又恭顯の權を專らにするを疾んで建白す、以爲へらく、中書は政の本、國家の樞機、宜しく通明公正を以て之を處すべし。武帝、後庭に遊宴す、西漢-孝元皇帝-二四九 十八史略卷之二二五〇くわん〓〓故に宦者を用ゆ、古制に非ざるなり。宜しく、中書の宦官を罷め、古しへの刑人を近づけざるの義に應ずべしと。上從ふ能はず。恭顯、奏す。望之、堪、更生、朋黨相稱譽し、數ば大臣を譖詐し、親戚を毀離し、以て專ら權勢を擅にして、不忠を爲さむと欲し、上を誣ひて不道なり。請ふ、謁者をして、召して、廷尉に致さしめミむと。時に、上始めて位に卽き、召して、廷尉に致すとは、獄に送ることなるを省せず、其奏を可とす。後に。上、堪更生を召テす。曰く、獄に榮けりら。上、大に驚いて曰く、惟だ廷尉の問ふのみに非ざるかと。出でて、事を視せしむ。恭顯、高をして上に說かしめ竟に罷免す。後、上、復た堪、更生を徵して中郎となし、且つ望之を以て相となさむと欲す。恭、顯許、史、皆目を側つ。望之が素より高節にして、詘辱せられざるを知り建白す。望之、過を悔いた罪に服せず。深く怨望を懷き、自ら以へらく、師傅に託して、終に坐せられず、頗る望之を獄に屈せしめ、其快快の心を塞ぐに非ざれば、聖朝以て恩厚を施すなからむと。上曰く、太傅、素より剛あ、安んぞ、肯て吏に就かむ。顯等曰く、人命は至重、望之の坐する所は語言の薄過なり。必ず憂ふる所なしと。謁者をして、望之を召さしめ、因つて、急に執金吾の軍騎を發し、馳せて、其第を圍む。望之、鴆を飮んで自殺す石〓顯え弘恭、死す。中書令となる。西漢-孝元皇帝-二五一 十八史略卷之二111.けうどしつしぜんうかうきよ五年。匈奴の郅支單于、漢の使者を殺して、西、康居に走る。えいくわうぐわんねんけうどかんやぜんうてい永光元年匈奴の呼韓邪單于、北より庭に歸す。けんせうぐんたいしゆけいばうばうえきせうえんじゆ建昭二年。魏郡の太守京房を殺す。房、易を焦延壽に學ぶ。延壽けいせいらう嘗て曰く、我が道を得て、以て身を亡ぼす者は、京生ならむと。郞さいいけんえんけんこといとなり、屢ば災異を言うて驗あり嘗て、宴見して事を言ひ、意せきけんさそういだめミ石顯を指す。顯、奏して、之を出し、尋いで、徵して、獄に下してきし棄市す。我ちいけんゐけんひゞさかんちうしよぼくやらうれうせうふごろくじうそうたういう評帝家傾く內官橫暴顯威權日に盛なり。中書僕射牢梁、少府五鹿充宗と結んで黨友もろ〓〓ふてうゐとなる諸の附倚する者、寵位を得たり。民、之を歌うて曰く、牢邪石邪。五鹿客邪。印何纍纍。綬若若邪。と。せいゐきふくかうゐちんたうせいつはかんえんじゆ三年。西域の副校尉陳湯、とコしつしぜんうかうきよしふげき制を矯つて兵を發し、都護甘延壽と共くび郅支單于を康居に襲撃して、つたに、かうがいか之を斬る。四年春、首を傳へて、京に至る藁街に懸くること十日。きやうねいぐわんねんこかんやぜんうらいてうねがかんせい王嫡字昭君竟寧元年呼韓邪單于、來朝す。願はくは、漢に婿たらむと。こうきうわうしやうあざなせうくんたま後宮の王嬌、字は昭君を以て之に賜ふ。かいげんしよげんえいくわうけんせう帝在位十六年。きやうねい改元するもの四。初元、永光、建昭、竟寧帝じゆじゆつよろこるげんせいきやうかうしやういへどしやうげふ儒術を喜び、てい韋玄成、匡衡を得て相となすと雖も、相業なし。帝、いたづらいだんかんげふおとろかうせいくわうてい徒に優遊不斷、漢業衰ふ太子位に卽く。之を孝成皇帝となす。がうかふくわん【孝成皇帝】名は驚けいしよ母は王氏。帝を甲觀に生む。少にして、經書しゆがくかうえんらくげんていときを好み、其後、酒樂を幸して燕樂すほと元帝の時、太子となつて、幾西漢-孝元皇帝-孝成皇帝-二五三 十八史略卷之二二五四はいしたんせいほていきふかんしんど廢せられむとす。史丹、靑蒲に伏して、涕泣して諫止す。是にくらゐくわうたいごうげんきうわうほう至つて、位に卽く。王氏を尊んで、皇太后となし、元舅、王鳳を以評る治禍武王人氏す政之にをはせうしよりやう因專すにて大司馬大將軍となし、けんしぐわんねんせきけん尙書の事を領せしむ。めん建始元年。石顯、罪を以て免じ歸る道にして死す。きうわうすうあんせいこうたんしやうりつこんほうじしやくくわん舅王崇を封じて、安成侯となし、譚商立根逢、時に爵關だいこうくわうむよもふさ内侯を賜ふ。黄霧四に塞がる。ハンねんしよきう河平二年悉く諸舅を封じて、列侯となす。やうさくねんわうほうわういんわうたん陽朔三年。王鳳、卒す。王音、大司馬となり、王譚、城門の兵をりやう領す。こうかねんわうたんわうしやうじやうもんりやう鴻嘉四年。王譚、卒す。王商、城門の兵を領す。えいしぐわんねんたいこうまうしんと王莽こう永始元年太后の弟の子莽を封じて、新都侯となす。くわうごうてうしひえんぢよていがふとくせふよ皇后趙氏を立つ。名は飛燕、女弟合德を婕好となす。わういんわうしやう二年。王音、卒す。王商、大司馬となるもとなんしやうゐばいふくはうこんくんめいをかしゆゐ故の南昌の尉梅福、上書して曰く、うばぐわいせき方今、へいか君命犯されて、そのかたちさつ主威奪はれ、外戚の權、そのかげ日に益す以て盛なり。けんしいらいにつしよくぢしん陛下、しゆんじう其形を察せず、願は其景を察せよ。すゐさいくはひすういんさかん建始以來、やうび日食地震、きんてつため春秋に三倍し、と水災ともに比數するなし。けいたてまつ陰盛にはう陽微に、金鐵爲に飛ぶ。是れ何の景ぞやと。書、上れども、報ぜず。わうしやうわうこん四年。王商、卒す。王根、大司馬となる。評腐儒張禹あんしやうこうちやううしごとていぎあづか漢の事を誤安昌侯張禹、帝の師傅を以て、大政ある每に必ず定議に與る。西漢-孝成皇帝-〓 十八史略卷之二〓朱雲時に吏民多く上書して言ふ、災異は王氏專政の致す所なりと。上の所謂尙方エリーノ斬馬の劍をるに禹の第に至り、左右を辟け、親ら以て禹に示す。禹自ら、年老い、(おつけつ者な子孫の弱きを見、王氏に怨まれむことを恐れ、上に謂つて曰く、春秋の日食地震は、或は諸侯相殺し、夷秋中國を侵せしが爲ならむ。災變の意、深遠にして見がたし。故に、聖人、命を言ふこと罕に、怪神を語らず。性と天道とは、子貢の屬より聞くを得ず。何ぞ況んや淺見鄙儒の言ふ所をや。新學小生、道を亂し、人を誤る、宜しく信用なかるべしと。上、雅に禹を信愛す。之に由つて王氏を疑はず故の槐里の令朱雲、上書して見るを求め、願はくは、尙方斬ほ馬の劍を以て、侫臣一人の頭を斷て以て其餘を厲まさむと。上問ふ。誰ぞや。對へて曰く、安昌侯張禹と。上、大に怒つて曰く、小臣、下に居り、師傅を廷辱す。罪、死すとも赦さずと。御史雲を率ゐて下らむとす。雲、殿檻を攀ぢ檻折る。雲、呼んで曰く、臣、T、龍逢。比干に從つて遊ぶを得ば、足れり。未だ聖朝如何を知らざるのさしやうぐんしんけいきたみと。左將軍辛慶忌、頭を叩き、血を流して之を爭ふ上の意、乃ち解く檻を治むべきに及びて、上曰く、易ふる勿れ。因つて、之を輯めて、以て直臣を旌せと。綏和元年王根、病んで免ず。王莽、大司馬となる。二年帶、崩ず。在位二十六年。改元するもの七。曰く、建始河平陽朔、鴻嘉、永始、元延、綏和帝威儀あり、朝に臨んで西漢-孝成皇帝-毫 十八史略卷之二〓神の如し。然れども、酒色に荒み、政、外家に在り。張禹、薛宣、翟方進、相となり、漢業愈よ衰ふ。太子、位に卽く。之を孝哀皇帝となす。【孝哀皇帝】名は欣、定陶恭王康の子、元帝の孫なり。祖母は傅氏。母は丁氏。成帝、子なし。故に立てて太子となす。是に至つて、卽位す。丁傅、事を用ゆ。大司馬莽を罷めて第に就かしむ。建平元年夏賀良の言を用ゆ。漢歷、中頃衰ふ當に天命を更め受くべく、宜しく、急に元を改め號を易ふべしと。乃ち太初と改元し、陳聖劉太平皇帝と更め號す。尋いで、改元更號の事を罷め、夏賀良等を誅ず。帝、董賢を幸す。元壽元年賢を以て大司馬となす。二年、帝崩ず。賢自殺す。帝、在位七年。改元するもの二。曰く建平、元壽。太皇太后、王ちうざんわう莽を以て大司馬となし、尙書の事を領せしむ。中山王を迎へて、位に卽かしむ。之を孝平皇帝となす。【孝平皇帝】名は箕子。後、名を布と更む。中山孝王興の子、元帝の孫なり。哀帝崩じ、立つて嗣となる。太皇太后、朝に臨み、大司馬莽、政を乗る。百官、己を總べて、以て聽く。元始元年、莽を安漢公と爲す。四年。莽の女を聘して皇后となし、安漢公に號宰衡を加へ、諸侯西漢-孝哀皇帝-孝平皇帝ー堯 十八史略卷之二총う王の上に位す。たいしこうくわうせいあいいらいわざはひ五年。太師孔光、卒す。成哀以來、光等、三公となり、漢の禍をやうせいてんねいふうまうしよう養成し、證侫風を成し、上書して莽を顔する者四十八萬人に至る。しやく莽に九錫を加ふらふじつせうしゆたてまつどくお臘日、莽、椒酒を帝に上り、毒を置く、帝、崩ず、在位六年改げんしげんそんえいめ元するもの一、曰く、元始。太皇太后、詔して、宣帝の玄孫嬰を徵じゆしキうせつゐして、皇太子となし、號して、孺子嬰といふ莽、攝に居て、祚をふさんかくわうていせつくわうてい踐み、贊して假皇帝といひ、民臣は、之を攝皇帝といふ。きよせつぐわんねんりうそう【孺子嬰】嗣たるの初、之を王莽の居攝元年となす。劉崇、兵を起まうがして、莽を討つ。克たずして死す。たいしゆてきぎもとじようしやうはうしん二年。東郡の太守翟義、故の丞相方進の子なり。兵を起して、莽を討つ。克たずして死す。recordentまうしんてんししん王莽集位明治三十七莽、眞天子の位に卽き、國を新と號す。漢の太皇太后あらたしんしつぶんぽたかくわうたいごうわうまうわうまんを更め號して、新室文母太皇太后といふ王莽は、王曼の子なり。1)評孝元皇后の兄弟八人。獨り、曼、公に自早く死して侯たらず。くん莽、幼にし周詩しやうぐんしび言日)王莽て孤なり。群兄弟、皆將軍たり。五侯の子時の修靡に乘じて恭謙下士上はせかしよくいついうあひたかせつきようけんきんしん時、若使當輿馬聲色を以て佚游相高ぶる。莽、節を折つて、恭儉をなし、勤身無形電話はくがとひさじゆせいえいしゆんしよふつかつぶさ新鮮鐵道博學被服、儒生の如く、外は英俊に交り、内は諸父に事へ曲に誰知れいいしんとこうしやくゐますまたつとせつさういよいけんきよよりう禮意あり。新都侯に封ぜらる。爵位益す尊く、節操愈よ謙虛譽隆からそのしよふかたむかんせいあいていほうへいていげいりつ治、其諸父を傾け、遂に漢政を得たり。哀帝崩じて平帝を迎立し、西漢-攝子嬰-六 十八史略卷之二云五年にして、帝を弑し、位を攝する三年。竟に位を簒し、國を新と號す。始建國元年孺子嬰を廢して、定安公となす。二年漢の太皇太后王氏崩ず。だp天鳳四年。〓州、盜起る新市の人王匡之が帥たり。馬武、王綠林の賊常·成丹、往いて之に從ひ、綠林山中に藏る。五年。莽の大夫揚雄、死す。雄字は子雲、成帝の世、賦を奏するを以て、郞となり、黄門に給事たり。三世、官を徒さず。莽の簒するに及び、耆老久次を以て、轉じて、大夫となる。嘗て、太玄、x法言を作る。卒章に莽の功德を稱して、伊周に比し、又劇秦美新の文を作り以て莽を頌す。劉棻、嘗て、雄に從つて奇字を學ぶ。藁事に坐して、誅せらる辭雄に連及す。時に、雄、書を天祿閣上に校す。使者、來つて、之を收めむと欲す。雄、閣上より投下す。莽詔して、問ふなからしむ。是に至つて死す。瑯邪の樊崇、東海の〓子都等の兵起る。地皇三年崇の兵、自ら赤眉と號す。綠林の兵、分れて、下江、新市の兵となる。〓州、平林の兵起るび弟秀劉續劉秀漢の宗室、劉續及共に春陵に起る。新市、平林の兵、皆之に附く。明年、諸將共に、劉玄を立てて、皇帝となす。玄は春陵西漢-焉子嬰-云 十八史略卷之二云の戴侯買の後、續秀と高祖を同じうす。時に平林の軍中に在り、更始將軍と號す諸將、其懦弱を貪つて、之を立つ南面して立ち、群臣を朝せしむるに、手を以て席を刮し、羞愧して汗を流し、言ふ能はず大赦して、更始と改元し、宛に都す。更始元年劉秀、大に莽の兵を昆陽に破る。隗囂成紀の隗囂の兵起る。公孫述公孫述、兵を成都に起す。更始、將を遣して、武關を破る。析人鄧曄、兵を起して、長安にrn迎へ入る。衆兵莽を誅し、首を傳へて更始に詣る。莽、未だ簒せざる時、官名、及び十二州の界を更定し、罷置改易し、天下多事なな3り錯刀契刀大錢等の貨を更造す。旣に、位を簒するや、劉の字、卯金刀なるを以て、剛卯金刀の利を禁じ、錯月、契刀、五銖錢等を罷む。天下の田を更名して、王田といひ、買賣するを得ず。男口八に盈たずして、田一井に過ぐれば、餘田を分つて、九族、〓里に予ふ故に田なき者、田を受く。五均、司市、錢府の官を立て、民を)ノして、各業とする所を以つて、貢となさしめ、寶貨を更作し、金銀龜貝、錢布、五物、六名、二十八品あり。百姓潰亂寶貨行はれず。乃ち小錢大錢を行ふ。數ば更變して、信ならず盜鑄し、及び私に五銖錢を挾む者は、罪に抵る。是に於て、農商業を失ひ、食貨共に廢し、民、市道に涕泣するに至る。後、又、貨布貨泉を改西漢-孺子嬰-二六五 十八史略卷之二二六六む。一度、錢を易ふる每に、民、又、大に鑄錢法を陷犯し、檻車鎖頸傳へて長安に詣るもの、十萬を以て數ふ。死什に六七。制度を改易し、政令煩多、四方囂然として謳吟し、漢を思ふこと久し。歲旱して蝗あり。人相食み、遠近兵起る。莽五石の銅を以て、威斗を鑄、北斗の狀の如くし、以て衆兵を厭勝せむと欲し、出入に、人をして之を負うて行かしむ。漢兵の宮に入るに及び、猶ほ席を旋いらし、斗柄に隨つて坐して曰く、天、德を予に生ず。漢兵、其れ予を如何と。首を漸臺に斬る。軍人、其身を分ち、節解して、之を變す。簒より亡に至るまで、改元するもの三。曰く、始建國天鳳地皇、凡そ十五年。莽、首を傳へて、宛に至る。更始宛より都を洛陽に遷す。父老、司隸校尉の官屬を見、或は涕を垂れて曰く、圖らざりき。今日、復た漢官の威儀を見むとはと。更始元年。都を長安に遷す。赤眉、長安を攻む。明年、赤眉入る。更始、出奔す。旣にして、赤眉に降り、爲に殺さる。立つてより亡ぶるに至るまで凡そ三年。前數月、大司馬秀、旣に河北に卽位す。之を世祖光武皇帝となす。西漢-孺子嬰-二六七 譯新十八史略卷之三西紀自二五至二二〇東漢【世祖光武皇帝】名は秀、字は文 叔、長沙の定王發の後なり。景帝、發を生み、發、春陵の節侯買を生む。侯たること再三世、封を徙し、南陽の白水〓を以て春陵となし、宗族、往いて家す買の少子外、外、囘を生み、囘、南頓の令欽を生み、欽.秀を南頓に生む嘉禾一莖九穂の瑞あり、故に名づく。是より先、望氣の者あり、春陵を望んで曰く、氣佳なる哉、鬱鬱葱葱然たりと。王莽、貨を改東漢-世祖光武皇帝-二六九 十八史略卷之三三·三はくすゐしん〓〓めて、貨泉といふ。人其字を以て、白水眞人といふ。秀、竟に白評高帝は隆水より起り、隆準にして日角あり、尙書を受けて、大義に通ず。嘗準龍顏光武は隆準日て、蔡少公を過ぐ、少公、圖識を學ぶ言ふ、劉秀、當に天子たる相角ある兩り似者貌頗たべしと。或ひと曰く、國師公劉秀か秀、戯れて曰く、何に由つて、る處Bi僕に非ざるを知らむやと。新市、平林の兵起るに及び南陽騒動す。宛人李通、秀を迎へて、兵を起す。秀の兄續、字は伯升、慷慨大節〓あり常に憤憤として、社稷を復せむと欲す。平居、家人の生業を事とせず。身を傾け、產を破り、天下の雄俊に交結す。是に於て、親客を分遣して、諸縣の兵を發せしめ、續自ら春陵の子弟を發す。皆恐懼して亡げ匿る。曰く、伯升、我を殺すと。秀が絳衣大冠するを見るに及んで、驚いて曰く、謹厚なる者も亦た復た之を爲すと。乃ち自ら安んず。賓客を部署し、諸帥を招說す。新市、平林、下江の兵、皆、來り會す。兵、統一するところなく、劉氏を立てて、人望に從はむと欲す。下江の將王常、續を立てむと欲す。新市、平林の將帥、其威明を憚つて、遂に更始を立て、續を以て大司徒と秀を將軍となす。なし、秀、昆陽、定陵、〓を徇へて、皆、之を下莽、す。王邑、王尋を遣し、大に兵を發して、山東を平げしむ。長巨無霸を以て壘となし、人虎豹犀象の屬を驅り、以て兵勢を助け、百餘萬と號す。旌旗、千里絕えず。諸將、兵の盛なるを見て、皆、走つて昆陽に入り、散じ去らむと欲す。秀、郵定陵に至り盡東漢-世祖光武皇帝-モ 十八史略卷之三三しよえいぜんほうじんいく諸營の兵を發し、自ら步騎千餘に將として前鋒となる。尋、邑こしざんしゆすうきふ兵數千を遣して合戰せしむ。秀、之を奔らしむ。斬首數十級。諸將おそいさ曰く、劉將軍、平生、小敵を見るも怯る。今大敵を見て勇む。甚だ敵敵評大てれ秀勇勇大小謂見怯劉あやししりぞしよぶり所ををなむ怪むべきなりと。尋、邑の兵、却く諸部、共に之に乘じ、かんししきりすしに勝つて遂に前む。一、百に當らざるなし。秀、敢死の者三千人とくづ其中堅を衝く、尋、邑の陣、亂る。漢兵、銳に乘じて、之を崩し、こさうちうぐわいいきほひ遂に尋を昆陽に殺す。城中の守者、まう亦た鼓譟して出で、つひ中外勢をあひふさ合し、呼聲、天地を動かす。莽の兵、大に潰え、走る者相踐み、伏あめふしひやくよだいらいふううをくぐわと虎戸百餘里。みなこせん大雷風雨に遇ひ、しせんできし屋瓦飛び、雨下ること注ぐが如し。くわんちうしんきよう豹皆股戰す。滍川に溺死する者數萬關中、之を聞いて震恐す。きやうおうぼくしゆ海內の豪傑響應し、皆、莽の牧守を殺し、自ら將軍と稱し、漢のじゆんげつえんけいてい年號を用ゐ、旬月にして天下に遍し。續の兄弟、威名日に盛なりかうししうiiたちんせき更始、續を殺す。てい秀敢て喪に服せず、飮食言笑す。惟だ枕席に涕きかうしはぶしんこう泣する處あるのみ。更始慙ぢ、秀を大將軍に拜し、武信侯に封ずいくばくだいしは未だとな幾ならずして、秀を以て大司馬の事を行はしめ、河北を徇へ莽の苛政を除くまうしむ。とううさく鄧禹過ぐる所、南陽の鄧禹、策を杖いて秀を追げふほうはいもつぱ牛仔干頭ひ鄴に及ぶ。秀曰く、我、封拜を專らにするを得たり。生、遠く來ういはねがたる、寧ろ、仕へむと欲するか禹曰く、願はざるなり。但だ願はくめいこうゐうそのせきすんいたは明公の威德、四海に加はり、再、其尺寸を效すを得て、功名をちくはくたかうしじやうさいたいげふた竹帛に垂れむのみ。更始は常才、帝王は大業、任ふる所に非ず。明東漢-世祖光武皇帝-二七三 十八史略卷之三二七四公、英雄を延攬し、務めて民心を悅ばすに如くはなし。高祖の業を立て、萬民の命を救はば、天下は定むるに足らざるなりと。秀、大に悅び、禹をして、常に中に宿止せしめ、共に計議を定む。邯鄲の詐つて成帝の子子與と稱し、ト者王郞ト者王郞、邯鄲に入つて、帝と稱し、幽冀を徇下し、州郡響應す。秀、北、薊を徇ふ。上谷の太守耿況の子弇、馳せて盧奴に至つで上謁す。秀曰く、是れ我が北道の主人なりと。薊城反して、王郞に應ず。秀趣に城を出で、晨夜、南に馳て、馮異せ、蕪畫亭に至る。馮異、豆粥を上る饒陽に至つて食に乏し。下曲陽に至り、王郞の兵、後に在りと聞き、滹沱河に至る。候吏還白す、つて河水流漸す、船なければ濟るべからずと。秀王霸をして之を視せしむ。霸、衆を驚かさむことを恐れ、還つて、卽ち詭つすて曰く、氷堅くして渡るべしと。遂に前んで河に至る。氷、亦た合す。卽ち渡る。未だ畢らず、數騎にして氷解く。南宮に至り、大風雨に遇ひ、道傍の空舍に入る。馮異、薪を抱き、鄧禹、火を蒸く。秀、竈に對して衣を燎る異、復た麥飯を進む。下博城の西に至り、惶惑して、之く所を知らず。白衣の老人あり、指して曰く、努力せよ。信都は長安の爲に城守す、此を去ること八十里と。秀、卽ち馳せて、之に赴く。時に、郡縣皆旣に王郞に降る。獨り信都の太守任光、和戎の太守邳形肯んぜず。光、出でて、秀の至るを聞き、大に喜ぶ形も、亦た來り會す。旁縣を發し、精兵を得、檄を移し東漢-世祖光武皇帝-二七五 十八史略卷之三〓〓て、王郞を討つ。郡縣亦た響應す。秀、兵を引いて、廣阿を拔く。上興地の圖を披き、鄧禹に指示して曰く、天下の郡縣、斯くの如し。今、始めて其一を得たり。子、前に定むるに足らずと言ひしは何ぞや。禹曰く、方今、海內殺亂、人、明君を思ふこと、猶ほ赤子の慈母を慕ふが如し。古しへの興るものは、德の厚薄に在つて、大小に評鄧馬銘る國は在在謂漁陽の兵を以て、右すをと不者所在らざるなりと。耿弇、上谷、行く郡縣を定め、宇文明な者家蓋大德りのにし小厚座存志也薄秀に廣阿に會し、進んで、部鄲を拔いて、王郞を斬る。吏民の郞と交るの書數千章を得たり。秀諸將を會して、之を燒いて曰く、反側子をして自ら安んぜしむと。秀、吏卒を部分するや、皆言ぶ、けんたい大樹將軍願はくは、大樹將軍に屬せむと。馮異を謂ふなり。人と爲り、謙退にして伐らず。諸將、功を論ずる毎に、異、常に樹下に屏く、故に此號あり。更始、使を遣して、秀を立てて蕭王となし、兵を罷めしむ耿弇、王に說き、辭するに河北未だ平がざるを以てして、徵に就かざらしむ。王、銅馬諸賊を擊ち、悉く破つて之を降す。諸將、未だ降者を信ぜず。降者、亦た自ら安んぜず王、敕して、各營にる、歸つて、兵を勒せしめ、自ら輕騎に乘じて、諸部を案行す。降者、相語つて曰く、蕭王、赤心を推して、人の腹中に置く。安んぞ、死評輕す諸光る部武はをのた騎悉く以て諸將に分配し、行に術も雄謂案を效さざるを得むやと。南、河内を徇ふ。ふ所心英收攬赤眉、西、長安を攻む。王、將軍鄧禹等の兵をして關に入らしむ。なてり人す民にし術衆、寇恂を薦め、文武備具して、民を牧し衆を御するの才ありとい東漢-世祖光武皇帝-三七 十八史略卷之三天| -英のみふ。河內を守らしむ。王、自ら兵を引いて、燕趙を徇へ尤來、大的〓。 〓〓。 大正術た槍等の諸賊を擊つて、盡く之を破る。王、還つて、中山に至る。諸らず將、尊號を上る。許さず。南平棘に至つて固く請ふ。又許さず。耿純曰く、士大夫、親戚を捐て、土壤を棄てて、大王に矢石の間に從ふは、素より龍鱗を攀ぢ、風翼に附いて其志す所を成さむと欲するのみ。今、時を留めて、衆に逆ふ、恐らくは、望絕え、計窮まらば去歸の思あらむ。大衆一度散ずれば、復た合すべきこと難しと。馮異、亦た言ふ、宜しく衆議に從ふべしと。會ま、儒生强華、關中より赤伏符を奉じて來る。曰く、劉秀、兵を發して、不道を捕ふ。四夷雲集龍、野に鬭ふ。四七の際、火を主となすと。群臣、因つて復た請ふ。乃ち皇帝の位に部南に卽き、建武と改元す。선이赤眉の樊崇等宗室劉盆子を立てて帝となす。時に軍中に在りて、羊を牧するを主り、被髮徒跣、敝衣〓汗、衆の拜するを見れば、恐畏して、啼かむと欲す。賊長安に入る。更始、走る。帝、詔を下し、封じて淮陽王となす。宛人卓茂、嘗て、密の令となる。〓化大に行はれ、道遺ちたるを拾はず。卽位、上、先づ茂を訪求し、以て太傅となして褒德侯に封ず車駕、洛陽に入る。遂に之に都す。東漢-世祖光武皇帝-二七九 十八史略卷之三二八〇關中、未だ定まらず。鄧禹、衆を引いて西す。百萬と號す。至る處、車を停め、節を駐め、百姓を勞來す。垂髫戴白、車下に滿つ。名、關西に震ふ枸邑に至る。久しく、兵を進めず。赤眉、大に掠めて出づ。再、乃ち長安に入る。赤眉、復た入る。再.戰つて利あからずして走る。徵されて京師に還る。馮異をして、關に入らしむ。功無きを慚ぢ、再、異を要して、共に赤眉を攻めて、大に囘溪に戰つて敗績す。散卒を收めて、壁を堅うす。既にして、大に赤眉を崤底に破る。重書、異を勞して曰く、初め、翅を囘溪に垂るると雖も上可謂失之東終に能く翼を瀧池に奮ふ、之を東隅に失して、之を桑楡に收むとい隅、收之桑る、楡ふべしと。赤眉の餘衆、東宜陽に向ふ。上軍を勒して、之を待つ。樊崇、劉盆子、丞相徐宣等を以て、肉袒して降る。上、軍馬を陳し、盆子の君臣をして、之を觀しめ、謂つて曰く、降を悔ゆる;無きを得むや。眞叩頭して曰く、虎口を去つて慈母に歸す誠歡かう··鐵中之錚錚庸中之佼佼誠喜、限なし。上曰く、卿は、謂ゆる鐵中の錚錚、庸中の佼佼たるものなりと。各、田宅を賜ふ。唯陽の人、劉永を斬つて降る。劉永、更始の時に在つて、立つて梁王となる。更始亡ぶるや、永、帝と稱す。是に至つて敗る5M漁陽の太守彭寵の奴、寵を斬つて以て降る。初め、上、王郎を討つ時、寵.突騎を發し、粮を轉じて絕たず、自ら其功を負んで、意評遼東の家望甚だ高く、滿つる能はず。幽州の牧朱浮、書を與へて曰く、遼東東漢-世祖光武皇帝-元 十八史略卷之三二八二ゐのこきさけんに豕あり、子を生む、白頭なり。將に之を獻ぜむとす。道にして、たちを 失に謂覺せず、所ぐんしみなしろしえつれうとうし野して着て師 192しを大群豕に遇ふ、皆白し。子の功を以て、朝廷に謁せば、遼東の豕ならふ者てうめうたがむと。上、寵を徴す。寵自ら疑ひ、遂に反す。是に至つて敗る。りうえいたせいわうちやうほくだとうらいたいしゆ劉永立てし所の齊王張歩降る。上、初め、步を以て東萊太守となしやうぐんかうかんしばしす。旣にして、永の命を受けて、齊に王たり。將軍耿弇、屢ば戰つしゆくあせいなんりんして大に之を破る。祝阿、齊南、臨舊を拔く。車駕、臨舊に至つて、ねぎらなんやうたいさく軍を勞ふ。弇に謂つて曰く、將軍、前に南陽に在り大策を建つ。お(あがたつひ嘗て以爲へらく、落落合ひ難しと。志在るものは、事、竟に成るなせいちことんりと。歩、敗る齊地悉く平らぐしやうぐんごかんらうかいせいわうとうけんおよはんしやうほうら將軍吳漢等、擊つて、劉永立つる所の海西王董憲及び叛將龐萠等こうわいさんとうたくわいがうこうそんじゆつを斬る。江淮山東、悉く平らぐ。時に惟だ隗囂、公孫述、未だ平がまさず。上、苦を兵間に積む。諸將に謂つて曰く、しばらく、當に此兩どぐわいお子を度外に置くべきのみと。へういちやうあんにふてう馮異、長安より入朝す。上、公卿に謂つて曰く、是れ我が兵を起しゆぼけいぎよくみことのりせし時の主簿なり、吾が爲に荊棘を披いて、關中を定むと。詔しいらうさうそつぶるていとうしゆくこだかばくはんこういて、異を勞して曰く、倉卒、蕪〓亭の豆粥、濾沱河の麥飯、厚意、はう久しく報ぜずと。けんぶねんくわいがう建武八年。上、自ら將として、隗囂を征す。えいせんか、しつきんごかうじゆん寇恂潁川、盜起る。上、還つて、執金吾寇恂に謂つて曰く、頴川は京はくきんま師に迫近す。獨り卿、能く之を平げむのみ。九卿より復た出づる東漢-世祖光武皇帝-二八三 十八史略卷之三二八四さこと〓〓可ならむかと。恂上に勸めて、親征せしむ。賊悉く降る。恂竟に郡に拜せず。百姓道を遮つて曰く、願はくは、寇君を借ること一年ならむと。乃ち恂を留めて、鎭撫せしむ。大軍戰はずして還る。建武九年。隗囂、死す。囂、更始の初年、兵を起してより、建武評應述援隗とか再最描心る亂の冪公復孫馬興をのけ答間往の初めに至るまで、天水に據り、自ら西州上將軍と號す。後、嘗台灣獨家居委て、馬援を遣して、成都に往いて、公孫述を觀せしむ。援述と舊あり、當に手を握つて歡、平生の如くなるべしと謂へり。時に、述、すざ三る讀のみし所飽旣に帝と稱する四年。援旣に至る。盛に陸衞を陳して、以て援を延く。援、其屬に謂つて曰く、天下雌雄未だ定まらず公孫、哺を吐いて國士を迎へず、反つて、邊幅を修飾す、偶人の形の如し。是れと何ぞ久しく天下の士を稽むるに足らむやと。因つて辭して歸る。囂井底の蛙に謂つて曰く、子陽は井底の蛙のみ然も、妄りに自ら尊大にす。如かず、意を東方に專らにせむにはと。置、乃ち援をして、書を洛陽に奉ぜしむ初め到るや、良や久しうして引き入る。上、殿庶の下より岸情して迎へ、笑て曰く、卿二帝の間に敖遊す。今、卿を見るに、人をして、大に慚ぢしむ。援頓首して曰く、當今但だ、君、臣を擇ぶのみに非ず、臣、亦た君を擇ぶ臣、公孫述と同縣、少にして相善し。臣、前に蜀に至る。述陛戟して後に臣を進む。臣今、遠く來る。陛下、何ぞ刺客姦人に非ざるを知つて、然も簡易なること、是の如き。帝笑つて曰く、卿は刺客に非ずおもふに說客東漢-世祖光武皇帝-二八五 十八史略卷之三云云ならむのみ。援曰く、天下反覆、名字を盜む者、勝げて數ふべからず。今、陛下を見るに、恢廓大度、符を高祖に同じうす。乃ち帝王自ら眞あるを知るなりと。援歸る。書東方の事を問ふ。援曰く上、才明勇略、人の敵に非ざるなり。且つ心を開き、誠を見はして、隱伏する所なく、闇達にして大節多く、略ば高祖と同じく、評祖と馬可祖の味と高經學博覽にして、政事文辯、前世比なし。囂曰く、卿高帝に如何不可もなし。と謂ふか。援曰く、如かざるなり高帝は可もなく、と名を人しをる上手圓の上多者のみ知今上、吏事を好み、動くこと法度の如くし、又飮酒を喜ばずと。囂懌ばずして曰く、卿の言の如くなれば、反つて、復た勝れるかと。子をして入つて侍せしむ。未だ幾ならずして反す。復た、嘗て班彪に問ふに、戰國從橫の事を以てす。彪、王命論を作つて之を諷す。囂聽かず。馬援、行在に詣る。上、復た游說せしめ、仍つて、自ら囂に書を賜ふ。費、竟に公孫述に臣たり。述囂を立てて、朔寧王となす。上、囂を征す。馬援、上の前に在り、米を聚めて山谷と上なし、形勢を指畫し、軍の從る所の徑道を開示す。上曰く、虜吾が目中に在りと。遂に軍を進む。囂西城に走り、餓を病み恚憤こと〓〓して卒す。子純、降る。隴右悉く平らぐふも十二年。公孫述、亡ぶ。述は、茂陵の人、更始の時より、蜀に據つて、帝と稱し、國を成と號す。上、旣に隴右を平らぐ。曰く、人隴を得て蜀を望むは自ら足らざるに苦む。旣に隴を得て復た蜀を望むと。大司馬吳漢東漢-世祖光武皇帝-二八七 十八史略卷之三六八等をして、兵に將として、征南大將軍零彭に會して蜀を伐たしむ彭、〓門に在つて、戰艦を裝ふ。漢、之を罷めむと欲す。彭可かず上·彭に報じて曰く、大司馬、步騎を用ゆるに習うて、水戰をおせん!曉らず、〓門の事、一に惟だ征南公を重しとなすのみと。彭の戰船並に進み、向ふ所前なし。述盜をして、彭を刺さしむ。吳漢、繼いで進み、成都に至つて、撃つて、述を殺す。蜀地、悉く平らぐ。凉州の牧竇融河西、武威、張掖、酒泉、燉煌、金城、五郡の太守を以て入朝す。融建武の初より、河西に據り後、使をして、書を奉ぜしむ。上、以て牧と爲し、重書を賜うて曰く、議者、必ず任囂が尉化に〓へて七郡を制するの計あらむと。書至る河西、皆驚き、以爲へらく、天子、明、萬里の外を見ると。上、隗囂を征するや融、五郡の兵を率ゐて、大軍と會す。蜀、平らぐ。詔を奉じて朝に歸す冀州の牧に拜せらる。大将軍の印を賜坦む。に十八年代王盧芳、匈奴に死す。芳は安定の人。詐つて、武帝の曾孫劉文伯と稱す。建武の初より、安定に據る。匈奴、之を迎へ、立てて漢帝となす。數は邊郡の寇患をなす。後、來り降り、代に王たり。復た反して、匈奴に奔り、病を以て死す。二十二年匈奴、和親を求む。上使を遣して、之を許す。呼韓邪單于、成帝の時に死せしより、其後、累世、貴、漢に仕ふ。平帝の時、王莽、條を匈奴に頒つて中國に二名なしと謂ひ、單于に諷し東漢-世祖光武皇帝-二八九 十八史略卷之三二九〇て名を改めしむ。莽、漢を簒し、漢の賜ひし所の單子の重を易へて章といふ。單于、怨恨して、數ば邊に寇す。建武以來、匈奴、盧芳を助けて漢に寇す。後、又、數ば烏桓、鮮卑と兵を連ねて入寇す。是に至つて、始めて、和を請ふ。西域、都護を請ふ、許さず。遂に匈奴に附く。是より先、莎車王けんぜん〓〓賢都善王安、皆使を遣して奉獻す。賢の使、再び至る。上賢に都護の印綬を賜ふ邊郡の守、上言す、假すに、大權を以てすべからずと。詔して、收め還し、更めて大將軍の印を賜ふ。賢、恨む。猶は詐つて大都護と稱す。諸國悉く賢に服屬す。質、驕橫。西域を兼併せむと欲す。諸國懼る。凡そ十八國、子を遣して入侍せしめ願はくば、漢の都護を得むといふ。上厚く賜うて、其侍子を還さしむ。是に至つて、復た請ふ。上、復た之を却く二十四年匈奴、南邊の八部、日逐王比を立てて南單子となす。た漢塞を欵いて內附す。是に於て、分れて、南北匈奴となる。二二五五。貊人鮮卑、烏桓並に入朝す。3)二十六年南單于の庭を立て、使匈奴中郞將を置き、以て之を領せしめ、南單于を徒して、西河の美稷に居らしむ。二十七年。北匈奴、亦た使を遣して和親を求む。明年、又請ふ、之を許す。評高祖立國精神、王中元二年。上、崩ず。上兵を起せし時、年二十八、卽位の年三東漢-世祖光武皇帝-二九一 十八史略卷之三二九二上がにに紀ど,5,る進すのをとてを本代と治柔は而霸道な國道主し道を以し光混と十一。第五倫、詔書を讀む毎に、歎じて曰く、是れ聖主なり、一見てて武ゆして決せむと手書、方國に賜ふに、一札十行、細書文を成す。政體を明愼し、權綱を總攬し、時を量り、力を度る。大ゝるるれしは東しのに時本擧として過事なし。嘗て、南陽に幸し、置酒して宗室を會す。諸母相與に語つて曰通 有 べ べ た た 文 亦 法 と 館 )く,文叔、平日、人と欵曲せず、惟だ直だ柔なるのみ乃ち能く此の如しと。上、之を聞いて笑つて曰く、吾、天下を理むる、亦た柔道を以て之を行はむと欲すと。上、兵間に在つて、久しく武事を厭ふ。蜀、平らいで後、警急に非ざれば、未だ嘗て軍旅を言はず。)の恪北匈奴、衰困す。减宮、馬武、上書して、攻めて之を滅さむことを柔能じ 333に勝ち)つ能請ひ、劍を鳴らし、掌を抵つて、志を伊吾の北に馳す。よ書を報くぬさうじ、告ぐるに黄石公の包桑記を以てす。曰く、柔、能く剛に勝ち弱能く强に勝つと。之より、諸將、敢て兵を言ふなし。玉門關を閉ぢて、西域を謝絕し、功臣を保全し、復た任ずるに兵事を以てせ列侯を以て第に就かしむ。す。皆、吏事を以て三公を責め、亦た功臣を以て吏事に任ぜず。諸將、皆、功名を以て自ら終る。祭遵先つて死す。上、之を念うて己まず、來歙、要求、鋒鏑に死す。之をさ郞むこと甚だ厚し。吳漢、賈復、帝の世に終る。漢、軍に在つて、評當世世祖戰、或は利あらざるも、意氣自若たり。上、歎じて曰く、吳公、差も敵の所謂やてき一國內的や人意を强うす、隱として一敵國の如しと。師を出す毎に朝に詔機人間のでのを受けて、夕に道に就く。卒するに及び、上、臨んで言はむと欲す東漢-世祖光武皇帝-二九三 十八史略卷之三二九四る所を問ふ。漢曰く、臣愚、願はくは、陛下、愼んで赦すことなかざをらむのみと。復は、兵を起せし時より督たり。上曰く、賈督、千里を折衝するの威ありと。嘗て、戰つて傷を被る。上、驚いて曰く、吾、嘗て、其敵を輕んずるを戒む。果して然り。吾が名將を失ふ。聞く、其婦孕むるありと。子を生まむか、我が女之に嫁せしめむ。女を生まむか、我が子、之を娶らむと。其群臣を撫する、毎に此の如し。惟だ馬援死するの日、恩意頗る終へず援、嘗て曰く、大丈上夫當に馬革を以て屍を裏むべし。安んぞ、能く兒女の手に死なむやと。交趾反す。援伏波將軍を以て、之を討平す。武陵蠻反す。援、又行くを請ふ帝、其老ひたるを愍む。援甲を被り、馬に上上り、鞍に據つて顧眄し、以て用ゆべきを示す。上、笑つて曰く、矍鑠たる哉此翁やと。卽ち之を遣る。之より先、上の婿梁松、嘗て、援を候して牀下に拜す。援自ら父の友なるを以て答へず。松不ひ平なり。援、交趾に在り、嘗て、書を遣つて、其兄の子を戒めて曰く吾、汝曹、人の過を聞くこと、父母の名を聞くが如くならむことを欲す。耳には聞くべく口には言ふべからず。好んで人の長短を議論し、政法を是非する、子孫に此行在るを願はざるなり。龍伯高は、敦厚周愼、謙約節儉、吾、之を愛し、之を重んず。願はくは、汝曹、之に效へ。杜季良は、豪俠にして義を好み、人の憂を憂ひ人の樂を樂み、父の喪に客を致すや、數郡 畢く至る、吾、之東漢-世祖光武皇帝-二九五 十八史略卷之三二九六を愛し、之を重んず。汝曹の之に效ふを願はざるなり。伯高に效う鵠を刻して成らざるて得ざるも猶ほ謹敕の士とならむ、謂ゆる、大竹成線 電車 大阪すつらをにるして成てざ畫類も季良に效うて得ざれば、陷つて天下の輕狗れいす尙も、尙ほ鶩に類するなり。ら反つて狗に類するなりにばて類反成薄子とならむ。謂ゆる、虎を畫いて成らず、保を告し、と季良は杜保。保の仇人、上書して、援の書を以て證となす。保、坐して、官を免ず。松、保と遊ぶに坐して、幾んど罪を得むとし、愈よ援を恨む。是に至つて、援の軍、壺頭に至つて利あらず、軍中に卒す。松、構へて、之を陷れ、新息侯の印綬を收む。援、前に交趾に在つて、常に薏苡を餌す。身を輕くして瘴氣に勝つを以てなり。軍還る時、之を一車に載す。後に之を追讚する者あり、以爲へらく、明珠文犀なりと。上、益す怒る。朱勃、上書して、其寃を訟ふるを得て、乃ち稍や解く。上贓罪に於て貸す所なし。大司徒歐陽歙、嘗て、贓を犯す。歙の受くる所の尙書の弟子千餘人、闕を守つて求哀す。竟に免れず、獄に死す。用ゆる所の群臣、宋弘等の如き、皆、重厚正直。上の姉、湖陽公主、嘗て寡居す。意、弘に在り。弘、入つて見ゆ。主屏後に坐す。上曰く諺富んでは交を易へ、に言ふ、貴くしては妻を易ふと。人情か弘曰貧賤の交は忘るべ貧賤の交は忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さずと。上、主ず、ず登精のを顧みて曰く、事諧はずと。主、蒼頭、人を殺して主の家に匿る下妻るあり。吏、得ること能はず。洛陽の令董宣、主の出行を候ふ。奴東漢-世祖光武皇帝-二九七 十八史略卷之三〓驂乘す。叱して、車より下して之を格殺す。主、入つて訴ふ。上大に怒り、宣を召して、之を捶殺せむと欲す。宣曰く、奴の人を殺すを縱さば、何を以て天下を治めむ。臣、捶を須たず。請ふ、自殺たせむと。卽ち頭を以て楹を叩き、血を流して面に被る。上小黃門をして、頭を叩へて、主に謝せしむ。宣兩手、地に據つて、終に肯んぜず。上、敕す、强項令出でよと。錢三十萬を賜ふ。當時州牧郡守縣州牧郡守縣令、皆、良吏たり郭仮、潁川に守たり。帝城に近し、令皆良吏上、之を勞して曰く、河、九里を潤す。京師福を蒙ると。杜詩、南陽に守たり、郡人之が爲に語して曰く、前に召父在り、後に杜母在りと。張堪漁陽に守たり。人之が爲に語して曰く、桑に附枝なく麥穗兩岐、樂支るべからずと。劉昆、江陵に令となる。火あ評劉の一叩頭して之に向へば、風を反して火を滅す。に條之個民 、のり。後に、弘農に守た語〓を然み」今り虎、北、河を渡る。上、問ふ、何の德政を行うて是に至る。昆の旨の座右進む曰く、偶然のみ。上曰く、長者の言なりと。命じて之を策に書せしむ。尤も高節を重んず。處士周黨を召す。至る。屈せず、伏して謁四重五十五せず、或ひと奏して、之を詆る。上曰く、古しへより、明王聖主は、西武士山必ず不賓の士ありと。帛を賜うて之を罷む。處士嚴光、上と共に、嘗て游學す。物色して、之を齊國に得たり。羊裘を披いて澤中に釣る。徵されて至る。亦た屈せず。上、光と臥す。足を以て、帝の腹に加ふ。明日、太史奏す、客星、御座を犯すこと甚だ急なりと。上東漢-世祖光武皇帝-二九九 十八史略卷之三三〇〇曰く、朕、故人嚴子陵と共に臥するのみと。諫議大夫に拜せらる。肯て受けず。去つて畊釣し、富春山中に隱れて終る。漢世、〓節の士多きこと、之より始まる。天下、未だ平ならざるに方つて、上既に文治に志あり。首として、大學を起し、古典を稽式し、禮樂を修明す。晩歲、明堂、靈臺、辟雍を起つ燦然たる文物述ぶべし。毎旦、朝を視、日昃いて、乃ち罷む。公卿郞將を引いて經理を講論し、夜分に乃ち寐ぬ。皇太子、聞に乘じて諫めて曰く、陛下禹湯の明あるも、黃老養性の道を失ふ。上曰く、我自ら此を樂む、疲るとなさざるなりと。在位三十三年、身、太平を致す。改元するもの二、曰く、建武、中元。書、六十二。太子立つ。之を顯宗孝明皇帝となす。【孝明皇帝】初名は陽、母は陰氏、光武、微なりし時、嘗て曰く、仕宦すれば、當に執金吾となるべし。妻を娶らば、當に陰麗華を得べしと。後、竟に之を得たり。陽を生む。幼にして、穎悟。光武、州郡に詔して、墾田戶口を檢覈す。諸郡、各、人を遣して、事を奏す。陳留の吏牘を見るに、上に書あり。之を視るに云ふ穎川弘農は、問ふべし、河南、南陽は、問ふべからずと。光武、吏に由を詰る。惟だ街上に於て、之を得たりと言ふのみ。光武、怒る。陽年十二、幄後に在り。曰く、吏、郡敕を受け、墾田を以て、相方べむと欲するのみ。河南は帝城、近臣多し。南陽は帝〓、近親多し。東漢-孝明皇帝-三〇一 十八史略卷之三三〇二せいじゆんなじ田宅、制に踰ゆ、準となすべからずと。以て、吏を詰る。吏首じざくわくくわうごうはいいんきじんめて服す。光武、大に之を奇とす。郭皇后、廢せられ、陰貴人、さう立つて后となる。陽を皇太子となし莊と改名す。是に至て卽位す。へきようのぞやうらうれいきう永平二年。辟雍に臨んで、養老の禮を行ふ。李躬を以て三老となくわんえいらうかうたんし、桓榮を五更となし、三老は東面し、五更は南面す。上、親ら袒せいさしやうとしやくいんして、牲を割き、醬を執つて饋し、爵を執つて醋す。禮畢つて、榮のぼくわんたい及び弟子を引いて、堂に升らしむ。諸儒、經を執つて問難す。冠帶しんめぐくわんちやうおくまんけい縉紳の人、橋門を圓りて觀聽する者、億萬計。うんだいおう三年。中興の功臣二十八將を南宮の雲臺に圖畫し、二十八宿に應とうはせいごかんわうれうかさちんしゆんかうかんず。鄧禹を首となし、次は馬成、吳漢、王梁、賈復、陳俊、耿弇、ともかうじゆんふしゆんしんはうけんじんへういわうは杜茂、しゆいうじんくわうさいじゆん寇恂、傅俊、岑彭、堅鐔、馮異、王霸、朱祐、任光祭遵ちうけいたんばんしうがいえんひ李忠、からてうきりうしよくかうじゆん景丹、ざうきうはぶ萬修、盖延、形邳、銚期、劉植、耿純減宮、馬武、はえん劉隆。あづ惟だ、馬援のみは、皇后の父たるを以て與からず。とうへいわうさう十一年。東平王蒼、へうきしやうぐん來朝す。蒼、上の卽位の初より、驃騎將軍と1なり、五年にして、國に歸る。是に至つて、入朝す。上、問ふ、家をきういはに處つて、何を以て樂となす。蒼曰く、善を爲すこと最も樂しと。ませいゐきとぼきかうゐ十七年。かうへい復た西域都護、けうど戊己校尉を置く。初め、耿秉、匈奴を伐たむことを請ふ。ひ謂ふ、う宜しく、武帝が西域に通じて匈奴の右臂を斷ちしが如くなるべしと。とうこ上、之に從ひ、乗と竇固とを以て都尉とりやうしうたむろかははんてうなし、凉州に屯す。固、假司馬班超を西域に使せしむ。超、部善に東漢-孝明皇帝-三〇三 十八史略卷之三三〇四至る。王、之を禮すること、甚だ備はれり。匈奴の使來るや、頓かか虎穴に入らに、疎僻なり。超、吏士三十六人を會して曰く、虎穴に入らざればざれば虎子を得ず虎子を得ずと。虜營に走つて、其使及び從士三十餘級を斬る。都善の一國、震怖す。超告ぐるに、威德を以てし、復た虜と通ずるなからしむ。超、復た于寅に使す。其王、亦た虜使を斬つて、以て降る。是に於て、諸國、皆、子をして入侍せしめ、西域復た通ず。是に至つて、竇固等、車師を擊つて還り、陳睦を以て都護となし、及び耿恭を以て戊校尉となし。關龕を己校尉となし、分つて西域に屯せしむ。十八年。北匈奴、戊校尉耿恭を攻む、初め、上卽位の明年、南單于比死す。弟莫立つ。上、使をして、重緩を授けしむ。北匈奴、邊に寇す。南單于、擊つて、之を卻く。漢、北匈奴と交使す。南單干、怨んで、畔かむと欲し、密に人をして與に交通せしむ。漢度遼將軍を五京に置いて、以て之を防ぐ。旣にして、漢北匈奴を擊つ北匈奴、亦た邊に寇す。是に至つて、恭を金蒲城に攻む。恭、毒藥を以て、矢に傅け、匈奴に語つて曰く、漢家の箭は神なり、中事る者は異ありと。虜創を視れば、皆沸く。大に驚く。恭、暴風雨に乘じて、之を擊つ。殺傷甚だ衆し。匈奴、震怖して曰く、漢兵は神なり、眞に畏るべしと。乃ち解いて去る。上崩ず。在位十八年。改元するもの一曰く永平。壽四十八。上東漢-孝明皇帝-三〇五 十八史略卷之三三〇六評孝明偏察性偏察、好んで耳目を以て、隱發して、明となす。公卿大臣、數ば小慧隱發以爲す名て得たりと君に詆毀せられ、近臣尙書以下提曳せらるるに至る。嘗て、郞藥崧を怒あらずり、杖を以て、之を撞く。崧、走つて、床下に入る。上、怒ること天子穆穆諸甚しく、疾く言つて曰く、郞出でよ、郞出でよ。崧曰く、天子穆穆侯皇皇たり、諸侯皇皇たり、未だ人君自ら立つて郞を撞くを聞かずと。乃ち之を赦す。上、建武の制度を遵奉して更變するなし。后妃の家、侯に封ぜられ、政に預るを得ず。館陶公主、子の爲に郞を求む。上曰く、郞官は、上、列宿に應じ、出でては百里に宰たり苟くも其人に非ざれば、民、其 殃を受けむと。許さず當時、吏、其人を得て、民、其業を樂み、遠近畏服し、戶口滋殖す。太子立つ、是を肅宗孝章皇帝となす。【孝章皇帝】名は恒、母は賈氏。馬皇后、之を養ひ、立つてい太子となる。是に至つて卽位す。西域、都護を攻沒す北匈奴、己校尉を圍み、又、耿恭を圍む。詔して、兵を遣り都護及び戊己校の尉官を罷む。惟だ、班超上疏して、兵を請ひ、遂に西域を平げむと欲す。上、功の成るべきを知つて、之に從ふ。北匈奴の五十八部、來り降る。時に、北匈奴、衰耗し、黨衆離畔す。南部、其前を攻め、丁零、其後に寇し、鮮卑、其左を擊ち、西域其右を攻め、復た自立する能はず。乃ち、遠く引いて去る。鮮東漢-孝章皇帝-三〇七 十八史略卷之三三〇八卑、北單于を斬る。故に、部衆、來り降る者あり。上崩ず。在位十三年。改元するもの三、曰く建初、元和、章和壽三十一。上、明帝察察の後を繼で、人の苛切を厭ふを知り、事寛厚に從ひ、之に交ゆるに禮樂を以てす。嘗て、貢擧法を議す。韋彪、議して曰く、國、賢を簡ぶを以て務となす。賢は、孝行を以て忠臣氏求む首となす。忠臣を求むるは、必ず孝子の門に於てすと。上、之を然認證ず孝子の門に於りとす。廬江の毛義、行義を以て稱せらる。張奉之を候す。府檄孝て子すき毛義適ま至り、義を以て安陽の令に守たらしむ。義、檄を捧げて入り、喜顏色に動く奉、心に之を賤む。後に、義の母死するや、徵辟皆、至らず。奉、乃ち歎じて曰く、往日の喜は、親の爲に届す評元孝前漢は四孝るなりと。上、詔を下して、之を褒寵す。州郡、人を得たり。廉范十明漢太年孝は平の蜀郡に在るが如き、禁を弛めて、以て民に便す。民、之を歌うて章光あ武七孝東約曰く、廉叔度、來何暮、不禁火、民安作、昔無襦、今五袴、と。漢の祚太以長平あしり所玆に當時、皆以て、徭を平かにし、賦を簡にす。忠恕の長者、政を爲し、上の世を終るまで、民、其慶に賴る。太子立つ、是を孝和皇帝となす。【孝和皇帝】名は肇、母は梁氏、竇太后之を子とし、年十歲にして卽位す。竇后、朝に臨み、竇憲、外戚を以て侍中たり、事を用ゆ。罪あり、出でて北匈奴を擊つて、以て自ら贖はむことを求む。后石にしし之に從ひ、大に匈奴を破り、燕然山に登り功を勒して東漢-孝章皇帝-孝和皇帝ー三〇九 十八史略卷之三三一〇還る。入つて、大將軍となる。四年、父子兄弟、並に卿校となり、朝廷に充滿す。逆謀あり。上、之を知り、遂に宦者鄭衆と議を定め、兵を勒し、憲の印綬を收め、迫つて自殺せしむ。衆を以て、大宦官權を用ゆるの始長秋となし、常に與に政を議す。宦官、權を用ゆる之より始まる是より先、漢兵、北單于を擊つ。走つて死す。漢其弟を立つ。後に叛す。追うて斬つて、之を滅す。鮮卑徙つて、北匈奴の地に據る。之より、漸く盛なり。評將の典型班超は武班超を徵して、京師に還らしむ。卒す。超、書生より起り、筆を投じて、萬里外に封侯たるの志あり。相者あり謂つて曰く、生、燕頷虎頭、飛んで肉を食ふ、萬里侯の相なりと。假司馬より、西域に入り、章帝の時、西域の將兵の長史となる。上、超を以て西域の都護となす。諸國を平定す。西域に在ること三十年。功を以て、定遠侯に封ぜらる。是に至つて、年老いたるを以て、歸るを乞ひ、願はくは、生きて玉門關に入らむといふ。上之を許す任尙、代つて都護となる。〓を請ふ。超曰く、君、性嚴急なり。水〓けれ「評言東起こ)け訓ば、大魚なし。宜しく、蕩佚簡易なるべしと。尙、私に人に謂つて水れば大魚な-宜しく曰く、我班君、當に奇策あるべしと。今、言ふ所は平平たるのみ蕩迭簡易な)と尙、後、果して、邊和を失ふ。超の言の如し。後人味ふべ上在位十八年、崩ず。改元するもの二、曰く、永元、元興。太子立つ是を孝殤皇帝となす。東漢-孝和皇帝- 孝殤皇帝ー三二 十八史略卷之三三一二【孝殤皇帝】名は隆、生れて百餘日にして卽位す。延平と改元す。在位八閱月にして崩ず。時に、皇太后鄧氏、朝に臨み、郵隱と共に策を定め、嗣を立つ、是を孝安皇帝となす。【孝安皇帝】名は祐、〓河王慶の子、章帝の孫なり。未だ冠せず、迎へられて位に卽く。鄧后、尙ほ朝に臨む。鄧隱、大將軍となる。時に、邊軍多事。鄧隱、凉州を棄てて力を北邊に併さむと欲す。郞中虞調、以て不可となす。曰く、關西將を出し、關東相を出す。烈士武夫、多く凉州より出づと。衆皆、調の議に從ふ。隨謝を惡んで、之を陷れむと欲す。朝歌の賊、長吏を攻め殺して、州郡制する能はざるに會し、詡を以て、朝歌の長となす。故舊之を弔ふ(電話本局二四〇九)翻曰く、盤根錯節に遇はざれば、以て利器を別つなしと。官に至る順番地下ば傷け、其後の為に及び、壯士を募る。攻劫するものを上となし、人を偸盜するもの之に次ぐ。百餘人を收め得て、賊中に入らしめ、誘うて、劫掠せしめ、兵を伏せて、數百人を殺す。又、ひそかに、貧人の能く縫ふ者を遣して、賊衣を傭作せしめ、絲線を以て其裾を縫ひ、市里に出づる者あれば、卽ち之を禽にす。賊駭き散ず。縣境、皆平らぐ。太后、謝が將帥の略あるを知り、以て武都の太守となす。叛羌數千、謝を遮る。認.停まつて進まず。兵を請ひ、到るを須つて、乃ち發せむと宣言す。美、之を聞いて、旁縣に分鈔す。認、其散ずるに因つて、道を進む。軍士をして、各、兩竈を作らしめ、日東漢-孝殤皇帝-孝安皇帝-三一三 十八史略卷之三三一四に之を增倍す。或ひと曰く、孫牘は竈を減ず。然るに、君之を增す。兵法に、日に行くこと三十里に過ぎず。然るに、今、日に二百里ならむとするは何ぞや。翻曰く、虜の衆は多く、吾が兵は少し徐に行けば、及ばれ易く、速に進めば、彼測らず。虜吾が竈の日に增すを見れば、郡兵來り迎へしと謂はむ衆多くして、行くこと速評なれば、必ず我を追ふに憚らむ。孫臏は、弱を示す、吾、今强を示示孫るる論用す示虞し廣べこにに兵し謝ては成きとああ法ては成〓は成强功運功をしああ法てはす、勢同じからざるなりと。旣に到る。郡兵三千にして美は萬餘。赤亭を攻圍すること數十日。調、命ず、强弩を發する勿れ、ひそからりり知ざ理に小弩を發せよと羌、力弱くして到る能はずと謂ひ、兵を并せてをな急に攻む。是に於て、二十の强弩をして、共に一人を射らしむ。發すれば、中らざるなし。美、大に驚く。認、因つて、城を出でて奮擊す。明日、悉く其兵を陳し、東郭門より出でて、北郭門に入らしめ、衣服を貿易して、囘轉すること數周美、其數を知らず相さ恐動す。認、ひそかに淺水に於て、伏を設け、其走路を候ふ。美、果して大に奔る。因つて、掩擊して、大に之を破る。賊之に由つて敗散す。太后、崩ず。鄧隱、罷められて自殺す。汝南の太守王襲、才を好み、士を愛す。袁聞を以て功曹となし、黃憲陳蕃等を引進す。憲の父は牛醫、憲、年十四。潁川の荀淑く逆旅に遇ひ、竦然之を異として曰く、子は吾の師表なりと。聞を見東漢-孝安皇帝-三一五 十八史略卷之三三一六て曰く、子の國に顏子あり。聞曰く、吾が叔度を見たるかと。戴良才高し。憲を見て歸る毎に、惘然自失するが若し。其母曰く、汝、復た牛醫の兒より來るかと。陳蕃等、相謂つて曰く、時月の間も、太原の廓泰黄生を見ざれば、鄙吝の萌、復た心に存すと。太原の郭泰、闘を過ぐるに宿せず。憲に從つて、日を累ぬ。曰く、奉高の器は、之を沈5hわ?濫に譬ふ。〓しと雖も、挹み易し。叔度は、汪汪として、千頃の波のむねに、之を〓ませども〓まず、之を撓せども濁らず、量るべからざるなりと。憲初め孝廉に擧げられ又公府に辟さる。人、其仕を勸む。しばらく、京師に至つて卽ち還り、年四十八にして終る。太尉楊震自殺す太尉楊震、自殺す。震は關西の人、時人之を稱して曰く、關西の孔子は楊伯起と。生徒に〓授す。堂下に三〓を得たり。都講以爲へらく、三公の象ありと。取つて、以て進めて曰く、先生、之より升らむと。後、嘗て、郡守となる。屬邑の令、金を懷にして、之に遣天知る者あり。曰く、暮夜知る者なし。天知る、とぞ我知震曰く、子知る子ター何る地地知る、知る)我知る、る、何ぞ知るなしといはむと。令、慚ぢて退く三公とない知はるんなるに及びて、時に宦者及び上の乳母王聖事を用ゐ、皆、請託あり。震、從はず。又數ば近習を以て言となし、共に之を構へ、策して、印綬を收む。遂に死す。葬るの日、名士皆來り會す。大鳥あり、高さ丈餘、墓前に至つて俯仰し、流涕して去る。上、少にして聰明と號す。旣に位に卽いて、失政多し。在位十九東漢-孝安皇帝-三一七 十八史略卷之三三一八年にして崩ず。改元するもの五、曰く、永初、元初、永寧、建光、延光。太子、前に近習に譜せられ、坐して廢して濟陰王となる。閣皇后、朝に臨み、閻顯と共に、章帝の孫北〓侯懿を迎へて位を嗣がしむ。宦者孫程等、顯を誅し、闇后を遷して、濟陰王を迎立す、之を孝順皇帝となす。【孝順皇帝】名は保、孫程等の立つる所となる。宦官、功を以て侯に封ぜられし者十九人。尙書令左雄、奏して、郡國に令して孝廉を擧げしめ、年四十以上を限る。諸生、章句に通じ、文吏賤奏を能くすれば、乃ち選に應6 iずるを得。其茂材異等ある、顏淵、子奇の若きは、年齒に拘らざらしむ。雄公直精明にして、能く眞僞を審覈し、志を決して、之を行ふ。少年を擧げて至る者あり。雄之を詰つて曰く、顏囘は、一を聞いて十を知る。孝廉は一を聞いて幾を知るかと。之を頃くして、中外、謬擧に坐して黜免せらるる者、十餘人。惟だ、汝南の陳蕃、潁川の李膺、下邳の陳球等三十餘人、郞中に拜せらるるを得たり皇后の父梁商を以て大將軍となす。商、死す、其子冀を以て大將軍となし、不疑を河南の尹となし、使者八人を遣して、州郡を分行豺狼道に當安せしむ。張綱、獨り、其車輪を洛陽の都亭に埋めて曰く、豺狼、道問んはぞ·銀座社んに當る。安んぞ狐狸を問はむと。冀と不疑とが君を無みするの心を東漢-孝順皇帝-三一九 十八史略卷之三100効奏すること十五事。上、綱の言直なるを知れども用ゆる能はず、冀、之を中傷せむと欲す。廣陵の賊張嬰、揚徐の間を寇亂すること十餘年。乃ち、綱を以て、廣陵の太守となす。綱單車にして、徑に嬰の壘門に至り、請うて、與に相見て、之を譬曉す。嬰等、萬餘人降る。綱、壘に入つて宴し、散遣して、之く所に任かす。南州、ぶ晏然たり。郡に在つて卒す。嬰等、之が爲に服を制し、喪を行ふ。良吏蘇章時に二千石、長吏、政を能くする者あり。冀州の刺史蘇章、故人、〓河太守となるあり。章、部を行り、爲に酒を設けて、甚だ歡ぶ。守、喜んで曰く、人、皆、一天あり。我獨り二天ありと。章曰く、今日、蘇孺文、故人と飮する者は、私恩なり。明日、冀州刺史として、事を案ずるは、公法なりと。遂に、其姦贓の罪を擧正す。上在位二十年。崩ず。改元するもの五、曰く永建、陽嘉、永和、漢安、建康太子立つ、之を孝冲皇帝となす。【孝冲皇帝】名は炳、年二歲にして卽位す。三閱月にして崩ず。改元するもの一、曰く承嘉梁太后、渤海孝王の子を迎へ立つ、是を孝質皇帝となす。【孝質皇帝】名は繼、章帝の曾孫なり。年八歲にして卽位す。少にして、聰慧なり。嘗て、朝會に因つて、梁冀を目して曰く、是れ跋跋扈將軍扈將軍なりと。冀深く之を惡み、左右をして、餅中に於て毒を進めしむ。遂に崩ず。在位一年。改元するもの一、曰く、本初。冀東漢-孝順皇帝-孝冲皇帝-孝質皇帝-三 十八史略卷之三三二二蠡吾侯を迎立す、之を孝桓皇帝となす。【孝桓皇帝】名は志、章帝の曾孫なり。年十五にして卽位す。梁冀定策の功を以て、封を益す。又、其子弟を封じて皆侯とす。李固、杜喬、〓河王蒜を立てむと欲す。是に至つて、蒜、貶せられて候となり、自殺す。固、喬、獄に下つて死す。前の朗陵侯の相穎川の荀淑、少くして博學、高行あり。李固李膺等之を師宗とす。朗陵に相たるや、治、神君と稱す。子八人、時人、稱して八龍となす。其六を爽といふ、字は慈明。人言ふ。荀氏の八龍、慈明、無雙なりと。縣令、其里を命づけて陽里といふ爽、嘗て、李膺に謁し、因つて、之が爲に御す。旣に還つて、喜んで曰く、今日、乃ち李君に御するを得たりと。同郡の陳寔、淑と名を齊しうす。嘗て、淑に詣る。長子紀、字は元方、車を御し、次子諶、字は季方、驂乘し、孫群、字は長 文、尙ほ幼、車中に抱淑の家に至るや、八龍更迭して、左右に侍し、淑の孫或、字は文若、尙ほ幼、膝上に抱置す。太史奏す、德星見はる、五百里内、賢人の聚まるあらむと、寔嘗て、大丘の長となり、德を修めて〓淨なり吏民是を追思す。紀諶の子、其父の優劣を其祖に問ふ。寔難爲兄難曰く、元方は兄たり難し、季方は弟たり難しと。爲弟評一崔寔の政詔して、獨行の士を擧ぐ。涿郡の崔寔、公車に至り、對策せず以て殘を練かんとするして、退いて政論を著す。略に曰く、聖人は、能く世と推移す。俗東漢-孝桓皇帝-三二三 三二四十八史略卷之三んおけつじようやくらんしんしよざは、苦んで變を知らず、以爲へらく、結繩の約は、亂秦の〓を治をる治刑もめ以はををにと疾梁以しすを肉をててる治し大とる以は平罰のんてけいばつううまひへいじやうむべく、于羽の舞は平城の圍を解くべしと。夫れ、刑罰は亂を治むとくけうれうにくざんやくせき殘を除くむるの藥石なり、德〓は平を興すの梁肉なり。德〓を以て、味るの供藥求ふのな養石は、是れ梁肉を以て疾を治むるなり。刑罰を以て、平を治むるは、にすもておんたいおほぎよべ所りすきようやう是れ藥石を以て供養するなり。そのくつわ數世より以來、ぼとはし政くわうろけんけい恩貸多く、まさ馭は3そのたづな方に勤其轡を委て、馬は其衝を駘ぎ、けん四牡橫に犇り、あ皇路險傾すくわらんなせつそうけんしう節奏を拑し、軸を韃し、以て之を救はむとす、豈に和鸞を鳴らし、いうしいとま右趾をを〓むるに暇あらむや。むかし、文帝、肉刑を除くと雖も、きしうたわうしたう文帝、斬るに當するを棄市し、答るる者は、往往死に至る。是れ、ちうちやうとうげん其嚴を以て平を致す、寛を以つ平を致すに非ざるなりと。仲長統、つううつ書を見て曰く、凡そ、人主たらん者、宜しく、一通を寫して、之をざそくお座側に置くべしと。しゆぼくしうししいんと朱穆、冀州の刺史となる。令長、風を望み、印を解いて去る者數いたとんをそうがいくわんじやきさうぎよくかふ十人到るに及びて、貪汚を奏効す。宦者父を歸葬するに、玉匣もちあんけんそのくわんひらを用ゆる者あり。穆案驗し、其棺を剖いて、之を出す。上、聞いめていゐいただいがくせいりうたうらて、大に怒り、穆を徵して、廷尉に詣らしむ。大學生劉陶等、數千うつたちうくわんこくへいせつぢ人上書して、穆を訟ふ、謂ふ、中官、國柄を竊持し、手に玉爵をにぎてんけんさかうぜんかへりつく握り、口に天憲を街む。穆、獨り、亢然として顧みず、心を竭し、いだぼく憂を懷いて、上の爲に深く計る。臣、願はくは穆の罪に代らむと。またじやうそりよう上之を赦す。陶、又上疏して、穆及び李膺を以て、王室を輔けむ東漢-孝桓皇帝-三二五 十八史略卷之三三二六ことを乞ふ。書、奏すれども、省せず。梁冀、凶恣日に積む。外戚を以て、事を用ゆるもの二十年。威內外に行はれ、天子、手を拱するのみ。上、宦者單超等と謀り、兵を勤して、冀の印綬を收む。冀自殺す。梁氏、少長となく、皆棄市せらる。超等五人、皆、侯たり。冀の誅せられしより、天下、異政を想望す。黃瑀、首として大尉となる。陳蕃、處士徐穉、姜肱等を薦む。穉字は孺子、豫章の人。陳蕃守たりし時、特に一榻を設けて、穉を待ち、去れば之を縣く。稱、対諸公の辟に應ぜず。然れども、其死を聞けば、輙ち笈を負うて、赴ついて弔ひ、豫め一雞を炙り、酒を以て綿に漬し、暴乾して、之を裏み、家隧の外に至り、水を以て綿に漬し、白茆、飯を藉き、雞を以て前に置き、祭り畢れば、謁を留め、喪主を見ずして行く。肱は彭城の人、二弟、仲海、季江と倶に孝友なり。常に被を共にす。嘗て主盜に遇ふ。兄弟死を爭ふ。盜兩つながら之を釋す。稱肱徵さる。皆、至らず。黃瑀、卒す。四方の名士、葬に會する者七千人。穉、至る。爵を進めて哀哭し、生芻を墓前に置いて去る。諸名士曰く是れ必ず南州の高士徐孺子ならむと。陳留の茆容をして、之を追はしめ、國事を問ふ。答へず。太原の郭泰曰く、孺子、國事を答評當世其愚及ぶべへず。是れ其愚及ぶべからざるなりと。泰初め、洛陽に游ぶ。李者保して在贋與に友たり。膺、嘗て、郷里に歸る。送車數千兩贋、惟り泰東漢-孝桓皇帝-三二七 十八史略卷之三三八と舟を同じうして濟る。衆賓、之を望む者神仙の如しといふ容、年四十餘、野に畊す。雨に遇うて、樹下に避く。衆皆、箕踞す5す容、獨り、危坐して、愈よ恭し。泰見て之を異とし、遂に、勸め鉅鹿の孟敏て學ばしむ。鉅鹿の孟〓、甑を荷うて地に墜す。顧みずして去る。泰、見て之を問ふ、曰く、甑。旣に破る、之を視るも、何の益あらさ、上むと。泰亦た勸めて學ばしむ。自餘、泰の奬進に因つて、名を成す者、甚だ衆し。泰、有道に擧げらる。就かず。曰く、吾、夜は乾天の廢する所。支ふべか象を觀、晝は人事を察す、らざるなりと陳留の仇香、名は覽、年四十にして、蒲亭の長となる民に陳元といふ者あり、母元の不孝を告ぐ。香、親ら其家に至り、爲に人倫れいわうくわんを陳ぶるや、感悟して、卒に孝子となる。孝城の令王奐香を署して主籍となす。謂つて曰く、陳元、罰せずして、之を化す、鷹鶴の志を少くなきを得むや。香曰く、以爲へらく、鷹鶴は鸞鳳に若かずと奐曰く、根棘は鸞風の種む所に非ず、百里は大實の路に非ずと。乃ち、香に資して太學に入らしむ。常に自ら守る。泰房に就て、之を見るや、起つて床下に拜して曰く、君は泰の師なりと。徵辟に應ぜずして卒す。黃瑀より以來、三公、楊秉、劉寵の如き、皆人望あり。寵、嘗て會稽に守たり。郡大に治まる。徵さる。五六の老叟あり。山谷の間より出で、人每に百錢を賣して曰く、明府車を下つて以來、狗東漢-孝桓皇帝-三二九 十八史略卷之三三三〇夜吠えず、民、吏を見ず。今、當に棄て去らるべしと聞く。故に自何ぞ能く公の言に及ばむや、ら扶けて奉送す。寵曰く、吾が政、父老を勤苦すと。人每に、一大錢を選んで、之を受く。後、入つて、司空となる。秉、朝に立つて正直。河南の尹となる。時に嘗て宦官に忤ふを以て罪を得たり。後、大尉となつて、以て卒す。陳蕃、秉に繼いで大尉となる。數ば李膺を言ひ、以て司隷校尉となす。宦官之を畏れ、皆、鞠躬、氣を屏け、敢て宮省を出でず。時に、朝廷、綱紀頽弛す。麿獨り、風裁を持し、聲名を以て自ら尙ぶ。士、其登龍門容接を被る者あれば、名づけて、登龍門といふ劉寛を以て、尙書令となす。寛.嘗て三郡に歷典し、仁恕多し。吏民、過あれば、蒲鞭を以て之を罰す。初め、上、候たりし時、學を甘陵の周福に受く。位に卽くに及びて、擢でて、尙書となす。時に、同郡の房植、名あり。〓人、謠うて曰く、天下の規矩は房伯武、師に因つて印を獲たるは周仲進と二家の賓客、互に相譏揣して、隙を成す。之に由つて、甘陵に南北黨人の議部あり。黨人の議、是に始まる。汝南の太守宗資、范滂を以て功曹となし、南陽の太守成増、岑旺を以て功曹となし、皆、善を褒して惡を疾むこと讐の如し。違を糾す。滂、尤も剛勁、二郡、謠うて曰く汝南の太守は范孟博、南陽の宗資、畫諾を主る。南陽の太守は岑公孝。弘農の成増は但だ坐嘯すと。太學の諸生三萬餘人、郭泰東漢-孝桓皇帝-풀 十八史略卷之三三三二)賈彪、之が冠となり、陳蕃、李膺と更る相推重す。學中、語つて曰 天下の摸階は李元禮、强禦を畏れざるは陳仲擧と。是に於て、中外風を承け、競うて、臧否を以て相尙ぶ。會ま、成増、太原の守くわん〓〓劉項と與に、赦後に於て、宦官の黨を案殺す。徵して獄に下し、將に棄市せられむとす。山陽の守翟超張儉を以て、督郵となす。宦官の制を踰えたる家宅を破る。東海の相黃浮、亦た宦官の家屬、法を犯せる者を收めて、之を殺す。宦官、寃を訴ふ。皆、罪を得たり。蕃、屢ば之を爭ふ。上、聽かず。宦官、人をして上書せしめ、李膺が太學の遊ををひ、與に部黨をなし、朝廷を誹訓し、風俗を疑亂するを告ぐ。上、震怒し、郡國に下して、黨人を逮捕す。案、ら、三府を經。蕃、郤けて肯て署せず。上、愈よ怒り、膺等を北寺の獄に下す。辭杜密、陳寔、范滂等、二百餘人に連る。使者、追捕四出、蕃又極諫す。上、策して、之を免ず朝廷震慄、敢て復た黨人の爲に言ふ者なし。賈彪曰く、吾、西行せずむば、大難解けずと。乃ち洛陽に入り、皇后の父竇武に說き、上疏して、之を解く。膺等の獄辭、又多く宦官の子弟を引く。宦官、乃ち懼れ、上に白して、黨人二百餘人を赦して、貨、田里に歸らしめ、名を三府に書して、終身禁錮す。上、在位二十一年、改元するもの七、曰く建和、和平、元嘉、永興、永壽、延熹、永康。崩ず。竇皇后、解瀆亭侯を迎立す。之を孝靈皇帝となす。東漢-孝桓皇帝-三三三 十八史略卷之三三三評【孝靈皇帝】名は宏、章帝の玄孫なり。年十二にして卽位す。竇太る亡位冲帝所をすに以東以早是し後漢なめれて皆はりた衰卽幼和一一冲に后、朝に臨む。竇武、大將軍となり、陳蕃、太傅となる。天下の名賢を徴し、李膺、杜密等、皆、朝に列し、天下太平を想望す。蕃、ミ武、與に議し、宦官、國柄を操弄して、海內を濁亂するを以て、奏して、曹節、主甫等を誅せむとす。謀、泄る。宦者、夜、所親を召さし、血を〓つて、共に盟ひ、帝を請うて、前殿に御せしめ、詔板を作り、王甫を黄門令に拜し、其黨をして、節を持して、武等を收めしめ、誣ゆるに、大逆を以てし、先づ陳蕃を執へて之を殺す。武自殺す。首を都亭に梟す。太后を南宮に遷す。李膺、初め、廢錮すと雖も、士大夫、皆、其道を高しとして、朝廷を汚穢とし、更る相標榜して、稱號を爲り、竇武、陳蕃、劉淑を以て三君となす、言ふは、一世の宗とする所なり。李膺、荀昱、杜密、王暢、劉祐、魏朗.趙典、朱寓を八俊となす。言ふは人英なり。郭泰、范滂、尹勳、巴肅、宗慈、夏馥、蔡衍、羊陟を八顧となす、言ふは、能く德行を以て人を引くなり。張儉、翟超、岑晊、菀康、劉表、陳翔、孔昱1檀敷を八及となす、言ふは、能く人を導いて追宗せらるるなり。度尙、張邈、王孝、劉儒、胡母班、秦周、蕃嚮、王章を八厨となす、言ふは、能く利を以て人を救ふなり。陳蕃、竇武が事を用ゆるに及び、復た膺等を擧拔す。陳竇死し、膺等、復た廢鋼す。曹節、有司に諷して、諸の鈎黨を奏せしむ。膺.詔獄に詣つて考死す。滂、捕東漢-孝靈皇帝- IIIII 十八史略卷之三三三六にに就くや、母、與に訣れて曰く、汝、今李杜と名を齊しうするを得たり、死すとも、何ぞ憾みむと。滂、跪いて〓を受け、再拜して辭し、其子に謂つて曰く、汝をして、惡を爲さしめむとすれば、惡は爲すべからず。汝をして、善を爲さしめむとすれば、我、惡を爲さずと。聞く者、之が爲に流涕す。黨人死する者百人、其死徒廢鋼せ註て然と保は郭難し殄は世れい身所泰を邦濟もべ名明如人の云をた瘁ずをどふの謂のられし者、又六七百人。郭泰私に痛んで曰く、詩に云ふ、哲に亡ぶる。邦國殄瘁すと。漢室滅せむ。但だ、未だ鳥を瞻るに、爰に以し手止まる。誰の屋に子てするかを知らざるのみと。泰好んで、減否すふ能げんかくろん國の坐視と雖も、然も、危言覈論を爲さず、故に濁世に處して、禍 及ばず。ず批免諸儒に詔して、五經の文字を正さしむ。蔡邕に命じて古文、篆、(隸の三體を爲り、之を書して、石に刻し、太學門外に立つ。上、文學を好み、諸生の文武を能くする者を引き、並に鴻都門下に待制せしめ、太學を置立す。諸生、皆、斗管の小人なり、君子、之を恥づ。評買ふ番長18.7中人其を西邸を開いて、官を賣る。各、賈あり。崔烈、五百萬を以て、司銅が肉飯 200云々さんの徒を得たり。其子に問ふに、外議如何を以てす。子曰く、人、其銅さが肉臭を嫌ふのみと。張角鉅鹿の張角、妖術を以て〓授し、太平道と號し、符水、病を療す。弟子を遣して、四方に遊ばしめ、轉た相証誘す。十餘年間、徒衆數十萬。三十六方を置く、大方は萬餘、小方は六七千、各、渠帥を立東漢-孝靈皇帝-三三七 十八史略卷之三三三八黃巾て、一時與に起り、皆、黃巾を著け、所在燔劫す。旬月の間、天下曹操響應す。皇甫嵩等をして、黃巾を討たしむ。〓、沛國の曹操と軍を合せて、賊を破る。操の父嵩。宦者曹騰の養子となる。或は云ふ、じ夏侯氏の子なりと。操少にして機警、權數あり。任使放蕩にして、行業を治めず。汝南の許劭、從兄靖と共に、高名あり。共に〓月且評黨人物を覈論す。毎月、輙ち其題品を更む。故に汝南の俗月旦評あり。操往いて、劭に問うて曰く、我は如何なる人ぞと。劭、答評獨立派能人よす。之を劫す。乃ち曰く、子は治世の能臣、亂世の姦雄なりと。にい世世ふののし雄臣と亂べ姦操喜んで去る。是に至つて、賊を討つを以て起る。皇甫嵩、張角を討つ。角死す。嵩其弟と戰ひ、破つて之を斬る。上崩ず、在位二十二年。改元するもの四、曰く、建寧、熹平、光和中平。子辨立つ何太后、朝に臨む。后の兄大將軍何進、尙書くわん〓〓の事を錄す。袁紹、進に勸めて宦官を誅せしむ。太后、未だ肯んぜず。紹等、畫策し、四方の猛將を召し、兵を引いて、京に向はし董卓め、太后を脅し、遂に將軍董卓の兵を召す。卓、未だ至らず。進ん)室官に殺さる。紹兵を勤して、諸宦官を捕へ少長となく、皆之を殺す。凡そ二千餘人。鬚なくして、誤つて、死する者あり。卓、至る。亂の由を問ふ。辨年十四、語.了すべからず。陳留王、答へて、遺すなし。卓、廢立を欲す。紹、可かず。卓、怒る。紹出奔す。卓、遂に辨を廢す。陳留王立つ之を孝獻皇帝となす。東漢-孝靈皇帝-三元 十八史略卷之三三時○【孝獻皇帝】名は協、九歳にして董卓に立てらる。關東の州郡、兵を起して、卓を討ち、袁紹を推して、盟主となす。卓、洛陽の宮廟う)孫堅を燒いて、都を長安に遷す。長沙の太守、富春の孫堅、兵を起して、卓を討ち、南陽に至る。衆數萬。袁術と兵を合す。術、紹と同祖、皆、故の大尉袁安の玄孫なり。袁氏、四世五公、富貴、佗の公族に異なり。紹、壯健にして、威容あり。士を愛す。士輻輳す。術、亦た俠氣あり。是に至つて、皆起る。堅擊つて、卓の兵を敗荊州をる。術堅をして、圖らしむ。劉表の將黃祖の步兵に射られて死す。呂布司徒王允等、密に謀つて、卓を誅せむとす。中郞將呂布、膂力人흔に過ぐ。卓、之を信愛す。嘗て、少しく卓の意を失ふ。卓、手づから戟を布に擲つ布、避けて、免るるを得たり。允、布に結んで、內應を爲さしめ、卓の入朝するとき、勇士を北抜門に伏せて、之を刺す。卓、車より墮ち、大に呂布を呼ぶ。布曰く、詔あり、賊臣を誅すと。聲に應じて、矛を持して卓を刺し、趣に之を斬る。是よりきん〓〓き先、卓、塲を郿に築き、穀を積んで、三十年の儲をなし、金銀綺錦上奇玩、積んで丘山の如し。自ら云ふ、事成らば、天下に據らむ。成以て老いむと。らざれば、此を守つて是に至つて、屍を市に暴す。吏、"卓、素より肥えたり。大性を作つて、臍中に置いて之を燒く。光、曙に達するもの數日。卓の黨、兵を擧げて、闕を犯し、王允を東漢-孝獻皇帝-〓 十八史略卷之三三四二殺す。呂布去る。ちうざんせいわうしよう劉備涿郡の劉備、字は玄德。其先は、景帝より出づ。中山靖王勝の後關羽なり。大志あり、語言少く、喜怒色に形はれず。河東の關羽、涿郡張飛の張飛、備と相善し。備の起るや、二人、之に從ふ。孫策、孫權孫堅の子策、弟權と富春に留まり、舒に遷る。堅死する時、策年十七、往いて袁術に見え、其父の餘兵を得たり。策十餘歳の時、周瑜旣に交結して、名を知らる。舒人周瑜、策と同年、亦た英達夙成是に至つて、策に從つて起る。策東江を渡つて、轉鬪するや向ふ所、敢て其鋒に當る者なし。百姓、孫郞の至るを聞いて、皆魂魄を失ふ。至る所、一も犯す所なし、民、皆大に悅ぶ。初め、曹操、卓を討つ時より、榮陽に戰ひ、還つて河內を領し、尋いで、東郡の太守を領し、東武陽を治す。既にして、衰州に入つて、之に據り、自ら刺史を領し、使を遣して上書す。以て衰州の牧となす。上、洛陽に還る。操入朝し、上を許に遷す。操擊つて、呂布を殺す。初め、布、關中より袁術に出奔す。旣にして、又、操に攻められ、走つて劉備に歸し、旣にして、又、備はを襲うて、下邳に據る。備走つて、操に歸す。操備をして、沛に屯せしむ。布、陳登をして、操に見えしめ、徐州の牧たらむことを求む。得ず。登、還つて、布に謂つて曰く、登、曹公に見えて言ふ、將軍を養ふは、虎を養ふが如く、當に其肉に飽かしむべし、飽東漢-孝獻皇帝-三四三 十八史略卷之三三四四かざれば、人を噬まむと。公曰く、然らず、譬へば、鷹を養ふが如く饑うれば人に附き、飽けば屬り去らむと。布、復た備を攻む。備、走つて、復た操に歸す。操、布を擊つて、下邳に至る。布、屢ば戰つて皆敗れ、困迫して降る。操之を縛して曰く、虎を縛するは、急ならざるを得ずと。卒に之を縊殺す。備操に從つて、許に還る。袁術、初め、南陽に據る。旣にして、壽春に據る。識言に、漢に代るものは塗に當つて高しといへるを以て、自ら名字之に應ずといひ、遂に帝と稱す。淫侈甚し。旣にして、資實空虛、自立する能はす。袁紹に奔らむと欲す。操劉備をして、之を邀へしむ。術、走り還り、血を歐いて死す。孫策、旣に江東を定め、許を襲はむと欲す。未だ發せず。もと殺す所の吳郡の守許貢の奴、其出獵に因つて、伏して、之を射る。創評べる互孫兄江東の衆しとに氏甚し弟權を呼んで、代つて其衆を領せしめて曰く、相ふ識弟いじを擧げて、機を兩陣の間に決し、天下と衡を爭ふは、卿我に如かず。賢に任じ、能を使ひ、各其心を盡し、以て江東を保つは、我、卿に如かずと。卒す。年二十六。袁紹、冀州に據り、精兵十萬、騎一萬を簡んで、許を攻めむと欲す。沮授、諫めて曰く、曹操、天子を奉じ、以て天下に令す。今、兵を擧げて、南に向はば、義に於て違はむ。ひそかに、公の爲に、東漢-孝獻皇帝-三四五 十八史略卷之三三四六之を懼ると。紹、聽かず。操紹と官渡に相拒ぎ、襲うて、紹の輜重を破る。紹の軍、大に潰え、慚憤血を歐いて死す。車騎將軍董承密詔を受くと稱し、劉備と共に曹操を誅せむと大下の英雄す。操一日、從容として、備に謂つて曰く、今、天下の英雄、惟使君と操とみだ使君と操とのみと。備方に食し、七筋を失ふ。雷震に値ひ、詭つて曰く、聖人云ふ、迅雷風烈、必ず變ずと。まことに、以あるなりと。備旣に遺されて、袁術を邀ふ。因つて、徐州に之き、兵を起して、操を討つ。操之を擊つ。備先づ冀州に走り、兵を領して汝南に至り、汝南より〓州に奔り、劉表に歸す。嘗て、表の坐に於て、起つて〓に至り、慨然として、涕を流す。表、怪んで之を問iふ備曰く、當時、身、鞍を離れず、髀肉、皆消ゆ。今、復た騎せ髀裡肉生ずず、髀裏肉生ず。日月流るるが如く、老、將に至らむとして、功業諸葛亮建たず、之を以て悲しむのみと。瑯琊の諸葛亮襄陽の隆中に寓居し、毎に自ら管仲、樂毅に比す。備、士を司馬徽に問ふ。徽曰く伏龍鳳雛時務を識るは、俊傑に在り。此間、伏龍、鳳雛あり、諸葛孔明、龐士元なりと。徐庶、亦た備に謂つて曰く、諸葛孔明は臥龍なりと。き備、三度往いて、乃ち亮を見るを得たり。策を問ふ。亮曰く、操te百萬の衆を擁し、天子を挾み諸侯に令す、是れ誠に與に鋒を爭ふべからず。孫權、江東に據有し、國險にして民附く、與に援となすべくして圖るべからず。〓州は武を用ゆるの國、益州は險塞、沃野千東漢-孝獻皇帝-三四七 十八史略卷之三憂里、天府の土なり。若し〓益を跨有し、其巖阻を保てば、天下變ある時、〓州の軍は宛洛に向ひ、益州の衆は秦川に出でん。孰れか、上簞食壺漿、以て將軍を迎へざらむや。備曰く、善しと。亮と情好日る孤はの如のに密なり。曰く、孤の孔明あるは、猶ほ魚の水あるが如きなりと。あるが士元、名は統、龐德公の從子なり。德公、素より重名あり。亮其家に至る每に、獨り、床下に拜す。曹操、劉表を擊つ。表、卒す。子琮、〓州を擧げて操に降る。劉備.江陵に走る。操之を追ふ。備夏口に走る。操軍を江陵に進め、遂に東に下る。亮備に謂つて曰く、請ふ、救を孫將軍に求めむと。亮權を見て之に說く權大に悅ぶ。操權に書を遺つて曰く、今、水軍八十萬の衆を治す。將軍と吳に會獵せむと。權、以て群下に示す。色を失はざるなし。張昭、之を迎へむを請ふ。魯魯肅肅以て不可となし、權に勸めて周瑜を召さしむ。瑜至る。曰く、請ふ、數萬の精兵を得て、進んで夏口に往き、保して、將軍の爲に之を破らむと。權、刀を拔き、前の奏案を斬つて曰く、諸將吏、敢て操を迎へよといふ者は、此案に同じからむと。遂に瑜を以て、三と萬人を督せしめ、備と力を併せて操を逆へ進んで、赤壁に遇ふ。評定天赤ま下壁り三のし分戰まは瑜の部將黃蓋曰く、操の軍、方に進む、船艦首尾相接す。燒いて走所古古沈く詩あ戟日人らすべきなりと。乃ち蒙衝鬪艦十艘を取つて、燥荻枯紫を載せ、油折そ沙鐵半銷を其中に灌ぎ、帷幔に裏み、上に旌旗を建て、豫め走舸を備へて、東漢-孝獻皇帝-三四九 十八史略卷之三三五〇用雜誌其尾に繋ぎ、先づ書を以て操に遣り、詐つて降らむと欲すとなす。自郞東焼 肉 大 190前雀與朝銅不春周深鎖時に東南風急なり。蓋、十艘を以て、最も前に著け、中江に帆を擧牧)依二然喬杜形 村げ、餘船次を以て倶に進む。操の軍、皆、指して、蓋降るといふ。10月)此萬一浪明巳場片三郞江無長壁扼山荊前襄南故去ること二里餘。同時に火を發す。火烈しくして風猛、船往くこと東魏烏日河國秋去地鵲えん〓〓箭の如く、北船を焚き盡し、烟焔天に漲る。人馬溺燒して死するも人有大に壞陳今山分千の甚だ衆し。瑜等、輕銳を率ゐ、〓鼓して大に進む。北軍、)經百る。操走り還る。後に屢ば兵を權に加ふれども、志を得ず。操跡邊人歎息して曰く、子を生まば、孫仲謀の如くなるべし。前の劉景升の(趙翼)圓貳人三當國學 (電話軍)兒子は、豚犬のみと。薄皮終劉備、〓州、江南の諸郡を徇ふ。周瑜、權に上疏して曰く、備〓賊池上梟雄の姿あり、而して、關羽、張飛あり、熊虎の將なり。此三人を龍水竟得夜烏不紛漁流雲蛟秋江·自聚めて、疆場に在らしむれば、恐らくは、蛟龍、雲雨を得て、終に猶猶聲蕭我照渺客來〓聞鵠共紛燈池中の物に非ざるなり。宜しく、備を徒して吳に置くべしと。權寒吹靜從はず。瑜、方に北方を圖らむと議す。會ま病んで卒す。魯肅、代袁枚)さ、つて其衆を領す。肅、權に勸め、〓州を以て、劉備に借さしむ。呂あ下らの家賃た蒙に吳權之に從ふ。權の將呂蒙、初め學ばず。權蒙に勸めて、書を讀ましむ魯肅、後、蒙と論議す。大に驚いて曰く、卿は復た吳下の 阿蒙に非ず。蒙曰く、士別れて三日なれば、卽ち當に目を刮つて待つべしと。寵統劉備、初め、龐統を用ゐて、耒陽の令となす。治まらず。魯肅、東漢-孝獻皇帝-三五一 十八史略卷之三三五二備に書を遣つて曰く、士元は百里の才に非ず、治中別駕たらしむれば、乃ち驥足を展ぶるを得べきのみと。備之を用ゆ。益州を取るを勸む。備關羽を留めて、〓州を守らしめ、兵を引いて流を泝り、巴より蜀に入り、劉璋を襲ひ、成都に入る。備既に益州を得たり。孫權、人をして、備に從つて、〓州を求めしむ。備肯て還さず。旣にして、〓州を分つ。備蜀より漢中を取り、自立して、漢中王となる。漢中の將關羽、江陵より出でて、樊城を攻む。許より以南、徃徃司馬懿はるかに羽に應じ、威、華夏に震ふ。曹操、許都を徒して、以て其鋒を避けむと議するに至る。司馬懿曰く、備と權と、外親しくして內疎なり。關羽志を得る、權必ず願はざるなり。人をして、權に勸めて、其後を躡ましめ、江南を割いて、以て權に封ずるを許さしむべしと。操之に從ふ。時に、魯肅、既に死し、呂蒙、之に代樊をり、亦た權に勸めて、羽を圖る。操の師、救ひ、權の將陸遜、大又羽の後を襲ふ。羽、狼狽して走り還る。權の軍、羽を獲て、之を斬り、遂に〓州を定む。初め、曹操、兗州の牧より、入つて丞相となり、冀州の牧を領,し、魏公に封ぜらる。銅雀臺を鄴に作る。旣にして、爵を進めて王子丕を以て、となり、天子の車服を用ゐ、出入に警蹕す。王太子となす。操、卒す。丕、立つ。自ら丞相冀州の牧となる。魏の群臣、言東漢-孝獻皇帝-三五三 十八史略卷之三三五四ふ、魏當に漢に代るべしと。조、遂に帝に迫つて位を禪らしめ、評難波の2帝を以て、山陽公となす。帝、在位改元するもの三、曰く、初平、其ぶる在根相帝り本文明に興平、建安。元年より二十五年に至るまで、皆、曹操政を爲すの時以而鉄レート纖ぎ宦官進なり。共に三十一年。位を禪つて、又十四年にして卒す。漢は、高出權臣橫暴快餐で祖、元年、王となり、五年、帝となりしより、是に至つて、二十四最大誘因減たの世、四百二十六年。西紀自二二〇漢至二六五附魏吳二僭國按ずるに、曾氏云ふ。天下一統に非ざるものは、もと各自一·國に編集すべし。又初學の讀者、其時代の先後に迷はむことを恐る。今、但だ、一國の源流相接するものを以て、提頭となし、同時の國を其間に附すと。然れども、曾氏は、陳壽の舊に仍り、た魏を以て帝と稱して、漢吳を附す。刻旣に朱子綱目の義例に遵つて、少微通鑑を改正す。今、復た此書を正し、漢を以て、統を接すといふ。【昭烈皇帝】諱は備、字は玄德、漢の景帝の子、中山靖王勝の後。大志あり、言語少く、喜怒形はれず。身の丈七尺五寸、手を垂るれば、膝を下り、顧みて自ら其耳を見る。蜀中、傳へて言ふ、曹丕簒立し、帝、旣に害に遭ふと。是に於て、三國-漢-昭烈皇帝-三五五 十八史略卷之三三五六ぐ漢中王、喪を發し、服を制し、諡して孝愍皇帝といふ。夏四月、帝、位に武擔の南に卽き、大赦し、章武と改元す。諸葛亮を以て丞相となし、許靖を司徒となす。宗廟を立て、高皇帝以下を袷祭す。夫人吳氏を立てて皇后となし、子禪を皇太子と爲す。魏王、名は丕、姓は曹氏、沛國譙の人なり。父操、魏王たり。丕位を嗣ぐ。始めて、九品、人を官にするの法を立て、州郡、皆、九品の中正を置き、人物を區別し其高下を第す。조、旣に漢を簒し、自立して帝となり、操を追尊して太祖武皇帝となし黃初と改元す。帝、關羽の歿せしを恥ぢ、自ら將として孫權を伐つ。權和を求むれども許さず。權使を魏に遣す。魏權を封じて、吳王となす。かっ、魏王、吳使趙咨に問うて曰く、吳王、頗る學を知れりや。咨曰く、評趙に春て謂如眞し所ん外我が出て使吳王、賢に任じ、能を使ひ、志、經略に存し、餘閒あつて書史を博者辱也しはあ···覽すと雖も、書生の尋章摘句に效はず。魏王曰く、呉、魏を難かるじか咨曰く、帶甲百萬江漢を池となす、何の難ることか之あらむ。曰く、吳、大夫の如き者幾人。咨曰く、聰明特達の者、八九十人。臣の比の如きは、車に載せ、斗にて量るも、勝げて算ふべからずと。帝、巫峡より夷陵に至るまで、數十屯を立て、吳軍と相拒ぐこと累月、吳の將陸遜、其四十餘營を連破す、帝、夜、遁る。三國-漢-昭烈皇帝-三五七 十八史略卷之三〓魏王、吳の侍子を責む。至らず。怒つて之を伐つ。吳王、黃武と改元し、江に臨んで拒守す。三年。夏四月、帝崩ず。在位三年、改元するもの一、曰く章武。證して、昭烈皇帝といふ太子禪、卽位し、亮を封じて武〓侯となす。太子、旣に立つ、是を後皇帝となす。【後皇帝】名は禪、字は公嗣、昭烈皇帝の子なり。年十七にして卽評情義昭烈客廳中遺詔位し、建興と改元す。丞相諸葛亮、遺詔を受けて政を輔く。昭烈、人製作品川終に臨んで、亮に謂つて曰く、君の才、曹丕に十倍す。必ず能く國家を安んじ、終に大事を定めむ。嗣子、輔くべくむば之を輔けよ。若し其れ不可なれば、君、自ら取るべし。亮.涕泣して曰く、臣、い敢て股肱の力を竭し、忠貞の節を效し、其れに繼ぐに死を以てせざらむやと。亮、乃ち官職を約し、法制を修め、〓を下して曰く、夫れ參署は、衆思を集め、忠益を廣むるなり。若し小嫌を遠ざけ、相さ違覆するを難からば、曠しくして闕損せむと。亮、乃ち鄧芝を遣し吳に使して好を修めしむ。芝、吳王に見えて曰く、蜀に重險の固あり、吳に三江の阻あり、共に屑齒をなさば、進んでは、天下を兼〓鼎足の計すべく、退いては、鼎足して立つべしと。吳、遂に魏に絕つて、專ら漢と和す。魏主、舟師を以て吳を擊つ。吳、艦を江に列ね、江水盛長す。魏主臨望して、歎じて曰く、我、武夫千群ありと雖も、施す所なきな三國-漢-後皇帝-三五九 十八史略卷之三三六〇りと。是に於て、師を還す。南夷、漢に畔く。丞相亮、徃いて、之を平らぐ。孟獲といふ者あり、素より、夷漢の服する所たり。亮、生き乍ら、獲を致し、營七縱七禽陣を觀しめ、縱して更に戰はしむ。七縱七禽、猶は獲を遣る。獲去らずして曰く、公は天威なり、南人復た反せずと。魏主、又舟師を以て吳に臨み、波濤の淘湧するを見て、歎じて曰く、暖房、まことに、天、南北を限る所以なりと。魏主丕、殂す。僭位七年改元するもの一、曰く黃初。證して文皇帝といふ子叡立つ。是を明帝となす。叡の母、誅せらる。조、嘗て叡と共に出でて獵し、子母の鹿を見、既に其母を射、叡をして其子を射らしむ。叡、泣いて曰く、陛下、旣に、其母を殺す、臣、其子を殺すに忍びずと。조、惻然たり。是に及びて、嗣となつて卽位す。處士管寧、字は幼安。東漢の末より、地を遼東に避くること三十七年。魏之を徵す。乃ち海に浮んで、西に歸る。官に拜すれども受けず。漢の丞相亮、諸軍を率ゐて、北、魏を伐つ。發するに臨んで、前出師表上疏して曰く、今、天下三分、益州疲弊せり。是れ危急存亡の秋なり宜しく、聖聽を開張して、忠諫の路を塞ぐべからず。宮中府中は、倶に一體たり。陟罰、减否、宜しく異同あるべからず。若し、三國-漢-後皇帝- 1/21 十八史略卷之三三六二姦を作し、科を犯し、及び忠善の者あれば、宜しく、有司に付し、其刑賞を論じて、以て平明の治を昭にすべし。賢臣を親しみ、小人を遠ざくるは、是れ先漢の興隆せし所以なり。小人を親しみ、賢臣を遠ざくるは、是れ後漢の傾頽せし所以なり。臣、もと布衣、南陽に躬耕し、性命を亂世に苟全し、·聞達を諸侯に求めず。先帝、臣の卑鄙を以てせず、猥りに自ら枉屈して、臣を草廬の中に三顧し、臣に諮ふに當世の事を以てす。之に由つて感激し、先帝に許すに、驅馳を以てす。先帝、臣の謹愼を知り、崩ずるに臨み、寄するに大事を以てせり命を受けてより以來夙夜に憂懼し、付託の效あらず、以て先帝の明を傷けむことを恐る。故に、五月、濾を渡り、深く不毛に入る。今、南方、旣に定まり、兵用既に足る。當に三軍を奬率し評上海市建材工程有限公司出て、北、中原を定め、漢室を興復して、舊都に還すべし。是れ、臣が孔明先帝に報じて、陛下に忠なる所以の職分なりと。遂に漢中に屯す。初め、國民大學明年、大軍を率ゐて、祁山を攻む。戎陣整齊、號令明肅魏昭烈旣に崩じ、數歲寂然として聞く無きを以て、略ぼ備ふる所なし。猝に亮の出づるを聞き、朝野恐懼す。是に於て、天水、安定等の郡、皆、亮に應じ、關 中響震す。魏主、長安に如き、張部をして、之を拒がしむ。亮、馬駸をして、諸軍を督せしめ、街亭に戰ふ。嚴亮の節度に違ふ。部大いに之を破る。亮、乃ち漢中に還後出師表る。旣にして、復た漢帝に言つて曰く、漢と賊とは兩立せず、王業三國-漢-後皇帝-三六三 十八史略卷之三三六四偏安せず。臣、鞠躬、力を盡し、死して後に已まむ。成敗利鈍に至つては、臣の能く逆め観る所に非ざるなりと。兵を引いて、散關より出で、陳倉を圍みしが克たず。吳王孫權、自ら武昌に皇帝と稱し、父堅を追尊して武烈皇帝となし、兄策を長沙桓王となす。既にして、都を建業に遷す。蜀漢の丞相亮、又、魏を伐つて祁山を圍む。魏司馬懿をして、あ、諸軍を督して、亮を拒がしむ。懿、肯て戰はず、賈翻曰く、公、蜀を畏るること虎の如し、天下の笑を如何と。懿乃ち張郃をして亮に向はしむ。亮、逆へ戰ふ。魏兵、大に敗る。亮、糧盡くるを以て軍を退く。郃之を追ひ、亮と戰ひ、伏弩に中つて死す。亮還つさて農を勸め、武を講じ、木牛流馬を作り、邸閣を治め、民を息ひ、士を休め、三年にして後に、之を用ゆ。衆十萬を悉くして、又斜谷ニ口より魏を伐ち、進んで、渭南に軍す。魏の大將軍司馬懿、兵を引いて拒守す。亮前に、數ば出でしが、皆、運糧繼がず、己が志を伸びざらしめしを以て、乃ち兵を分ちて屯田し、耕者は渭濱居民の間に雜り、然も百姓安堵し、軍に私なし。亮數ば懿に戰を挑む。巾幗婦人の懿、出でず。乃ち遺るに巾幗、婦人の服を以てす。亮の使者、懿の服を〓る軍に至る。懿其寢食及び事の煩簡を問うて、戎事に及ばず。使者曰く、諸葛公、夙に興き、夜に寢ね、罪二十以上は、皆親ら覽る。瞰食する所は、數升に至らずと。懿人に〓げて曰く、食少く事煩三國-漢-三國漢-三六五 十八史略卷之三三六六孔明秋風五し、其れ能く久しからむやと。亮、病篤し。大星あり、赤くして芒丈忠孔原千亮、長史楊儀、評最而臣明卒す。雄先出あもしのはあり、亮の營中に墜つ。未だ幾ならずして、師り悲て典を生死滿長未日壯其型古奔〓軍を整へて還る。百姓、て、懿に〓ぐ。懿之を追ふ。姜維、死詩かへ儀をして、旗を反し、鼓を鳴らし、將に懿に向はむとするが若くせ走けせ襟使捷く英身淚死しむ。懿敢て逼らず。百姓之が爲に諺して曰く、死せる諸葛、生せらるるす仲諸葛達ける仲達を走らすと。懿笑つて曰く、吾、能く生を料るも、死を料る能はずと。亮、嘗て兵法を推演して、八陣の圖を作る。是に至つて、懿其營壘を案行し、歎じて曰く、天下の奇材なりと。亮政を爲すに私なし。馬騣、素より亮に知らる。敗軍に及びて、流涕ひして之を斬り、然も其後を郞む。李平廖立、皆、亮に廢せらる。亮の喪を聞くに及びて、皆、歎息流涕し、卒に病を發して死するに至る。史に稱す、亮、誠心を開き、公道を布き、刑法峻と雖も、然も、怨む者なし。眞に治を識るの良材なりと。然れども、其材、國を治むるに長じて、將略は所長に非ずといふは非なり。初め、丞ヘ相亮、嘗て、帝に表して曰く、臣、成都に桑八百株、薄田十五頃あり、子弟の衣食、自ら餘あり、別に生を治めて以て尺寸を長ぜず。評忠武公眞に純忠眞武臣死するの日、內に餘帛あり、外に贏財あり。以て陛下に負むかしめずと。是に至つて卒するや、其言の如し。忠武と諡す。국魏主、性、土功を好む。之より先、旣に許昌宮を治す。後、又洛陽宮を作り、長安の鐘篇、彙駝、銅人、承露盤を洛陽に徒す。盤三國-漢-後皇帝-三六七 十八史略卷之三奏折れ、聲數十里に聞こゆ。銅人、重くして、致すべからず。乃ち、大に銅を發して、銅人二を鑄て、司馬門外に列坐せしめ、號して、翁仲といひ、土山を芳林園に起し、雅木善草を植る、禽獸を捕へて、其中に致す。諫むる者、皆、納れず。魏主、疾あり。司馬懿を召して、入朝せしめ、曹爽を以て大將軍となす。魏主叡、殂す。在位十四年。改元するもの三、曰く太和、靑龍、景初。子芳立つ之を、廢帝邵陵の属公となす。芳、八歲にして、位に卽く。司馬懿、曹爽、遺詔を受けて、政を輔く。懿太赤傅となる。漢は、丞相亮既に亡せしより、蔣琬政を爲す。楊敏、琬を毀つて曰く、事を作すこと憤憤たり、前人に及ばずと。或ひと敏を推評蔣治せむを請ふ。琬曰く、吾、實に前人に如かず、すらがれ學いにて琬もざ前却ぶふ如自淡のる人てべ所から然推すべきなしと。り示劣れ是にと人しら前とか琬卒す。費褘、董允、政を爲し、公亮にして、忠を盡す。允、卒す。なをに彼し大ず姜維、費禕と並に政を爲す。魏の曹爽、驕奢にして度なし。司馬懿、之を殺す。懿魏の丞相となる。九錫を加ふれども、受けず。爽の黨夏侯霸、蜀に奔る。姜維、之に問うて曰く、懿政を得たり、復た征伐の志ありや否や。霸曰く、彼家門を營立す、未だ外事に遑らず。鍾士季といふ者あり、少と雖も、若し朝政を管すれば、吳蜀の憂なりと。魏の司馬懿卒す。其子師を以て撫軍大將軍となし、尙書の事を錄三國-漢-後皇帝-三六九 十八史略卷之三三七〇せしむ。吳王、殂す。證して、大皇帝といふ。子亮立つ。漢の費禕、汎愛にして疑はず。降人之を刺し殺す。姜維、事を用ゐ、數ば兵を出して魏を攻む。魏の李豐、數ば魏主に召さる。司馬師、其己を議するを知つて、之を殺す。魏主、不平なり。左右、師を誅するを勸む。魏主、敢て發せず。師魏主を廢す。僭位十六年、改元するもの二、曰く、正始嘉平。師高貴郷公を迎立す、之を廢帝となす。名は髦、文帝の孫、明帝の姪、年十四にして卽位す。楊州の都督母丘儉、刺吏文欽、兵を起して、司馬師を討つ。師擊つて之を敗る。師卒す。弟昭、大將となり、尙書の事を錄す。既にして、大都督となり、黃鉞を假る。揚州の都督諸葛誕、兵を起して、昭を討つ。昭、之を攻め殺す。昭、相國となり、晉公に封ぜらる。九錫を加ふれども、受けず。吳主亮、政を親らす。數ば中書に出でて、大帝の時の舊事を視る嘗て、生梅を食うて、蜜を索む。蜜中に鼠矢あり。藏吏を召して問うて曰く、黃門、爾より蜜を求めたるか。吏曰く、さきに求むぐれども、敢て與へずと。黃門、服せず。鼠矢を破らしむ。矢、中燥く、因つて、大に笑つて曰く、若し、矢、先より蜜中に在らば、中外共に濕はむ。今、外濕うて內燥く、必ず黃門の所爲ならむと。之三國-漢-後皇帝-三七一 十八史略卷之三三七二を詰れば、果して服す。左右驚慄す。大將軍孫綝、其難問する所多きを以て、疾と稱して朝せず。兵を以て、宮を圍み、亮を廢して會稽王となし、瑯琊王休を迎へ立つ。休、立つ。絲を以て、丞相となす。継又新君に無禮なり、遂に誅せらる。魏主髦、威權日に去るを見て、其怒に勝へず。曰く司馬昭の心、路人も知司馬昭の心路人も知る所なりと。殿中の宿衞、蒼頭、官僮を率ゐ、鼓譟して出せい、所なりでて昭を誅せむと欲す。昭の黨、賈充、入つて魏主と戰ふ成濟、戈を抽いて、魏主を刺して、車下に殞つ。追廢して、庶人となす。僭位七年。改元するもの二、曰く、正元、甘露。司馬昭、常道〓公璜を迎へ立つ、之を魏の元皇帝と爲す。常道〓公元皇帝、初名は璜、燕王宇の子、操の孫なり。年十五にして位に卽く。奐と改名す。姜維屢ば魏を伐つ漢の姜維、屢ば魏を伐つ。司馬昭、之を患ひ、鄧支、鍾會を遣鄧艾鍾會ミし、兵に將として、入つて寇せしむ。會は、斜谷、駱谷、子午谷より、漢中に趨き、艾は、狄道より、甘松、沓中に趨き、以て姜維を綴す。維會既に漢中に入りしと聞き、兵を引いて、沓中より還る。艾、追躡して、大に戰ふ。維、敗走し、還つて、劍閣を守り、以て會を拒ぐ。艾、進んで、陰平に至り、無人の地を行くこと七百里、山を鑿つて道を通じ、橋閣を造作す。山高く谷深し。艾、氈を以て、自ら裏み、推轉して下る。將士、皆、木を攀ぢ、崖に緣り、魚貫して進む。江油に至る。書を以て、漢將諸葛瞻を誘ふ。瞻其國-漢-後皇帝-三七三 十八史略卷之三三七四使を斬り、陣を綿竹に列して、以て待つ。敗績す。漢の將軍諸葛瞻評諸葛氏後之に死す。瞻の子尙曰く、父子、國の重恩を荷ふ、早く黃皓を斬らありといふべしず、國を敗り、民を殄せしむ。用つて生くるも、何をか爲さむと。馬に策ち、陳を冒して死す。評後主は凡漢人、魏兵の卒に至るを意はずして、城守を爲さず。乃ち使を遣庸懦弱國を失ふ故あるし、璽綬を奉じて、艾に詣つて降る。皇子北地王諶、怒つて曰く、かな若し、理窮まり、力屈して、禍敗將に及ばむとすれば、便ち父子君臣城を枕にして一戰し、同じく社稷に死し、以て先帝に見えて可なテるべきなり。奈何ぞ降らむやと。帝聽かず。護、昭烈の廟に哭し、先づ妻子を殺し、然る後に自殺す。艾、成都に至る。帝、出でて降る。魏封じて、安樂公となす。帝、在位四十一年、改元するもの四、曰く、建興、延熙、景耀、炎興右、高帝の元年乙未より、後帝禪の炎興癸未に至るまで、凡そ二十六帝、通じて、四百六十九年にして漢亡ぶ。吳主休殂す。證して、景皇帝といふ。兄の子鳥程侯皓立つ。魏の司馬昭、之より先、旣に九錫を受く。旣にして、爵を進めて晉王となる。昭、卒す。子炎、嗣ぐ。魏主奐、僭位六年、改元するもの二、曰く、景元、咸熙。炎、魏主に迫つて、位を禪らしめ、封じて、陳留王となす。後、卒す。晉人、之を證して元といふ。魏は、曹丕より是に至るまで、凡そ五世四十六年にして亡ぶ。三國-漢-後皇帝-三七五 十八史略卷之三云漢亡びてより後、又、。甲申を歷、正統を闕くこと一年。西紀自二六西晉五至三一六だ【西晉世祖武皇帝】姓は司馬、名は炎。河內の人、昭の子、懿の孫なり。昭、晉王となり、議して、世子を立つ。議者、炎の髪立つて地に委し、手垂るれば膝を過ぎ、人臣の相に非ざるを以て、遂に立つ。旣にして、嗣いで王となり、帝位に卽くや、懿を追尊して宣皇帝となし、師を景皇帝となし、昭を文皇帝となし、大いに宗室を封そ、羊祐ず。晉、吳を滅するの志あり、羊祐を以て〓州の事を都督せしむ。陸抗吳、陸抗を以て、諸軍を都督せしむ。祐、抗と境を對し、使命常にP通ず。抗祐に酒を遺る。祐、之を飮んで疑はず。抗疾む。祐、之に成藥を與ふ。抗卽ち之を服して曰く、豈に人を鴆する羊叔子あらむやと。祐務めて、德政を修め、以て吳人を懷け、兵を交ふる毎に、日を刻して、方に戰ひ、掩襲せず、抗亦た、其邊戌に〓げて、各、分界を保するのみ、細利を求むるなからしむ。時に、吳主皓、德政を修めずして、兼井せむと欲し、術士をして、天下を取青蓋管 に;たべ洛し陽じつるるを筮せしむ。對へて曰く、庚子の歲、靑蓋、當に洛陽に入るべしすと蓋し、璧を衝むを謂ふ。然れども、皓、悟らず。諸將の謀を用ゐて數ば晉の邊を侵盜す。抗諫むれども聽かず。抗卒す。祐吳を伐つを請ふ。議者、多くは同せず。祐歎じて曰く、天下、意西晉-世祖武皇帝-三七七 十八史略卷之三三七八の如くならざる事、十常に七八と。惟だ杜預、張華其計を賛す。祐病む。入朝して、面陳せむことを求む。晉帝、祐をして、臥しながら諸將を護せしめむと欲す。祐曰く、吳を取るは、臣の行を必せず。但だ吳を平らぐるの後、當に聖慮を勞すべきのみと。祐、卒上す。杜預を以て鎭南大將軍となし、〓州の軍事を督せしむ。吳主皓淫虐、日に甚し。預表して、速に之を征せむことを請ふ表、至(る。張華適ま帝と基す。秤を推し、手を歛めて其決を賛す。帝、山濤之を許す。山濤、人に〓げて曰く、聖人に非ざるよりは、外、寧ければ、必ず内憂あり。吳を釋して、外懼となす、豈に算に非ざらむやと。時に、濤、吏部尙書たり。濤むかし、魏晉の間に在り、嵇 康、阮籍、籍の兄の子咸、向秀、王戎、劉伶と相友たり。竹林の七竹林七賢賢と號し、皆老莊虛無の學を崇尙し、禮法を輕蔑し、縱酒昏酣、世事を遺落す。士大夫、皆、之を慕效し、之を放達といふ。惟だ、濤は仍ほ意を世事に留め、是に至つて、選を典り、人物を頸拔し、(各、題目を爲つて、之を奏す。時人、之を稱して、山公の啓事となす上晉大擧して、吳を伐つ。杜預、江陵より出で、王澹、巴蜀を下る。吳人、江磧要害の處に於て、並に鐵鎻を以て、江を橫つて、之を截り、又、鐵錐を作り、長さ丈餘、暗に江中に置き、丹艦を逆拒す。濟大筏を作り、水に善き者をして、筏を以て先づ行かしめ、西晉-世祖武皇帝-三七九 十八史略卷之三三八〇錐に遇へば、輒ち筏を著けて去る。又、大炬を作り、灌ぐに麻油を以てし、鎻に遇へば之を燒く。須史に融液して斷絕す。是に於て船い礙る所なし、遂に先づ上流諸郡に克つ。預人を遣し、奇兵を率ゐて、夜、渡らしむ。吳將、懼れて曰く、北來諸軍、乃ち之を飛渡するなりと。預兵を分つて、濬と合し、武昌を攻めて、之を降す。預謂ふ、兵威、旣に振ふ、たとへば、破竹の如し、數節の後は、刄を迎へて解け、復た手を著くる所なきなりと。遂に群師に方略を指授し、徑に建業に詣る。濬の戎卒八萬、舟を方ぶること百里、帆を擧げて、直に建業を指し、鼓譟して、石頭城に入る。吳主皓、面縛し、輿襯して降る。歸命侯に封じ、遂に庚子入洛の識に符す。大帝より、是に至るまで四世、帝と稱するもの、凡そ五十二年にして亡ぶ。先に、孫策、江東を定めてより以來、通じて八十餘年。晉魏に代つて十有六年、太康元年に至つて、吳を滅し、又十年にして、帝崩ず。帝、初めて、卽位するや、嘗て、雉頭裘を太極殿前に焚き、以て儉を示す。旣にして修縱、後宮數千、常に羊車に乘こる。宮人、竹葉を門に挿み、鹽を酒いで、以て之を待ち、羊車の至とる所、卽ち留まつて酣宴す。群臣と語るに、未だ嘗て經國の遠謀あこと〓らず。吳、旣に平らいでより、天下無事なりと謂ひ、盡く州郡の武備を去る。山濤、獨り、之を憂ふ。漢魏以來、羌胡鮮卑の降る者、多く塞內諸郡に處る。郭欽、嘗て上疏して謂ふ、宜しく、吳を平ら西晉-世祖武皇帝-気 十八史略卷之三三八二評天詐漸く内郡の雜胡を邊地に徒し、四夷出入の防を以曹亦りて操に司下術ぐるの威を及ぼし、を をせんわうくわうふ、取馬氏峻にして、先王荒服の制を明かにすべしと。帝、聽かず、卒に天下傚ふりも祖而之薄帝としの患となる。帝在位、改元するもの三、曰く、泰始、咸寧、太康。稱てす炎よる世德固太子立つ、之を孝惠皇帝となす。し所安全の山集結稷る所なせりざ【孝惠皇帝】名は衷。太子たりし時、妃賈氏を納る。充の女なり。權詐多し。衞瓘、嘗て武帝に侍し、陽つて醉うて、前に跪き、手を以て床を撫して曰く、此座、惜むべしと。武帝悟り、尙書か〓しの疑事を密封し、太子をして、之を決せしむ。賈氏大に懼れ、外人を倩ひ、草を具して代つて對へ、太子をして自ら寫さしむ。武帝悅び、廢せられざるを得たり。是に至つて卽位す。賈氏、皇后となつて、政に預る。皇太后楊氏は、乃ち帝の母楊后の從妹なり。父駿、太傅たり、賈氏、駿を殺して、太后を廢し、太宰汝南王亮を殺し、太保衞瓘を殺し、楚王緯を殺し、衆望を以て張華裴頒、王戎を用ゐて機要を管せしむ。華、忠を帝室に盡す。后、凶險なりと雖も、猶ほ敬重するを知る。領と心を同じうして、政を輔く。數年の間、暗主上に在りと雖も、然も、朝野安靜なり。戎は、時と浮沈して、匡救する所なく、性、復た貪吝。田園、天下に遍く牙籌を執つて晝夜會計す。家に好李あり、人の其種を得むことを恐れ、常に其核に鑽す。凡そ賞拔する所、專ら虛名を事とす。阮咸の子瞻、嘗て、戎に見ゆ。戎曰く、聖人は名〓を貴び、老莊は自然を明かにす、其西晉-孝惠皇帝-三八三 十八史略卷之三三八四旨異同あるか。瞻曰く、將た同じきなからむやと。戎、咨嗟稍や久し、遂に之を辟す。時に三語掾と號す。此時、王衍、樂廣、皆〓評其正直著機種ときん談を善くす。衍、神情明秀。少時、山濤、之を見て曰く、何物の老嫗か、寧馨兒を生む。然れども、天下の蒼生を誤る者は、未だ必ず寧馨兒しも此人に非ずむばあらざるなりと。衍の弟澄及び阮咸、咸の從子修、胡母輔之、謝〓、畢卓等、皆、任放を以て達となし、醉裸、以て非となさず。比舍の郞の釀、熟す。卓、夜、甕間に至つて盜飮し、守者に縛せらる。旦に之を視れば、畢吏部なり。樂廣、聞いて笑つて曰く、名〓の中、自ら樂地あり、何ぞ必ずしも、乃ち爾らむと。初め、魏の時、何晏等、論を立て、以へらく、天地萬物、無をに評を毒す〓談社會以て本となすと。衍等、之を愛重す。裴顧、崇有論を著せども、救ふ能はず。太子適は賈后の生む所に非ず。后、廢して之を殺す。征西大將軍八王の亂趙王倫、詔を矯つて、兵を勒して宮に入り、后を廢して之を殺し、張華、裴顧を殺す。倫、相國となる。淮南王允、兵を率ゐて、倫を討つ。克たずして死す。倫、衞尉石崇を殺す。崇、愛妾綠珠あり。倫の嬖人孫秀、之を求むれども與へず。秀、崇を誣ひ、允を奉じて亂を爲すといひ、之を收む。崇曰く、奴輩、吾が財を利するのみ。收むる者曰く、財の禍たるを知れば、何ぞ早く之を散せざると。遂に殺さる。倫自ら九錫を加へ、帝に逼つて位を讓らしむ。黨與、西晉-孝惠皇帝-三八五 十八史略卷之三三八六皆、卿相となり、奴卒も亦た爵位を加ふ。朝會する每に、貂蟬貂足らず狗尾續く座に盈つ。時人語して曰く、貂足らず狗尾續ぐと。齊王間、許昌を鎭し、成都王頴、鄴を鎭し、河間王顒、關中を鎭す。各、兵を擧げて、倫を討つ。倫、誅に伏す。岡、政を輔く。驕奢にして、政を擅にす。〓長沙王又をして、之を殺さしむ。頴亦た功を恃んで驕奢。旣にして、〓と兵を擧げて反す。父、帝を奉じて、頴と戰ふ頴の將陸機、戰敗れて收めらる。歎じて曰く、華帝の鶴唳、復た聞くべけむやと。弟雲と共に、皆頴に殺さる。機雲は、皆、陸抗の子なり。頴兵を進めて、京師に入り、丞相となる。旣にして、鄴に還る。〓頴を表して、皇太弟となす。東海王越、帝命を奉じてに侍中〓絡頴を征す。頴、兵を遣して、蕩陰に拒戰す。乘興、敗績す。侍中嵇紹身を以て帝を衞つて殺され、血、帝衣に濺ぐ。頴帝を迎へて鄴に入る。左右、帝衣を浣はむと欲す。帝曰く、稀侍中の血、浣ふ勿れと。頴帝を奉じて、洛に歸る。願の將張方、洛に在り。帝を長安に遷す。〓太弟頴を廢し、更めて豫章王熾を立てて太弟となす。東海王越、兵を發して、西、長安に入り、帝を奉じて、洛に還る。越を以て、政を輔けしむ。成都王頴、先に洛陽に據る。旣にして、長安に走り、又、武關より新野に走り、遂に、北、河を濟り、故の將士を收む。頓丘の太守の執ふる所となる。時に、范陽王虓、鄴に據る。頴を城に送る。未だ幾な西晉-孝惠皇帝-三八七 十八史略卷之三三八八らずして殺さる。帝、麵を食ひ、毒に中つて崩ず。或は曰く、東海王越、之を鴆す評主昏國亂るなりと。帝、昏愚。天下大に饑ゆるや、帝曰く、何ぞ肉麋を食はざると。華林園に蛙鳴を聞く。帝曰く、かの鳴く者は、官の爲にするか私の爲にするか。左右、之に戯れて曰く、官地に在る者は官の爲にし、私地に在る者は私の爲にすと。賈氏の政を專らにするに方つて、時人、將に亂れむとするを知る。索靖、洛陽宮門の銅駝を必ず汝が荊指して、歎じて曰く、必ず、汝が〓棘の中に在るを見むのみと、趙棘の中に在るを見ん王倫の亂後、諸王、迭に相殘滅し、天下大に亂る。劉淵劉淵、左國城に興る。淵は、故の南匈奴の後なり。匈奴は、漢魏より以來、中國に臣たり。其先世、自ら漢の甥なるを以て、漢姓を冐す父豹、左部の帥たり、淵を產む。幼にして雋異。博く經史を習ふ。嘗て曰く、吾、隨陸が武なくして高帝に遇へども封侯の業を建つる能はず、終灌が文なくして文帝に過へども座序の〓を興す能はざるを恥づ、豈に惜からずやと。是に於て武事を兼學す。姿貌魁偉。初め、侍子となつて、洛に在り。豹、死す。武帝、淵を以て、代つて、五部の帥となし、旣にして、北部都尉となる。五部の豪傑多く之に歸す。帝の世に及びて、以て五部の大都督となす。成都王穎、表して、左賢王となす。嘗て、兵に將として、鄴に在らしむ。劉聰淵の子聰、亦た驍勇人に絕え、博く經史に渉る。善く文を屬し、弓西晉-孝惠皇帝-三八九 十八史略卷之三〓三百斤を彎く。淵の從祖宣曰く、漢亡びてより以來、我が單于、徒に虛號あつて、復た尺土なし。自餘の王侯、降つて、編戶に同じ。今、吾が衆、衰へたりと雖も、猶ほ二萬あり、奈何ぞ、手を歛めてご役を受け、奄として百年を過ごさむや。司馬氏、骨肉相殘ひ、四海ざ鼎沸。左賢王、英武世に超ゆ、呼韓邪の業を復する、是れ其時なりと。乃ち相與に謀つて、之を推す。淵、頴に說き、歸つて、五部を帥ゐて來り助けむことを請ふ。旣に、左國城に至るや、宣等、推して、大單于となす。二旬の間、衆五萬、離石に都す。胡晉の之に歸する者、愈よ衆し。乃ち國號を建てて漢といひ、漢王と稱す。淵劉曜族子曜あり。生まれて、眉白く、目に赤光あり。幼にして聰慧、膽量あり。亦た好んで書を讀み、文を屬し、射は能く鐵七寸を洞す。是に至つて淵の將となる。ミ巴西の氏李特、初め、流民を以て蜀に入る。旬月、衆二萬、廣漢つ折に據り、進んで成都を攻め、刺史羅尙の敗る所となる。其首を斬らる。弟流、代つて其衆を領し、勢、復た盛なり。流死す。弟雄代り、攻めて羅尙を走らして、成都に入る。是に至つて、成都王と稱す。鮮卑の慕容廆、武帝の時より、旣に寇を爲す。旣にして降る。以て鮮卑の都督となす。魔皝を生む。遼東より徒つて、徒河に居り、又た大棘城に徒る。帝の世に及んで、慕容部、愈よ盛なり。西晉-孝惠皇帝-元 十八史略卷之三三九二鮮卑の索頭拓跋氏、之より先、質子、晉に在るものあり。武帝、遣歸す。旣にして、拓跋力微、又、其子をして入貢せしむ。力微、死して、子悉祿官、立つ。帝の世に及びて、索頭、國を分つて三部となし、一は上谷の北に居り、祿官自ら之を統べ、一は代郡參合陂の北に居り、兄の子猗色をして之を統べしめ、一は定襄の盛樂故城に居る、猗也の弟 〓虛虛をして之を統べしむ。晉人の附く者稍や衆し、猗缶、漠を度つて北巡し、西、諸國を略す。降附するもの、三に十餘國。拓跋氏の盛なる、是に始まる。夷狄、華を亂るの禍、皆、藁を漢魏晉の間に萠し、帝の世に至つて、中國の大亂に乘じて、始よbめて四に起る。帝在位十七年、改元するもの五、曰く元康、永康、太安、永興、光熙。太弟立つ、之を孝懷皇帝となす。【孝懷皇帝】名は熾。惠帝の十五年に當り、武帝の子二十五人、兄弟相屠るの餘、存する者三人のみ。熾は其一なり。素より學を好む。故に立つて太弟となり、是に至つて卽位す。成都王李雄、帝と稱し、國を成と號す。石勒漢主劉淵、帝と稱し、徒つて平陽に都す。其子聰及び石勒等を遣ろ、して、晉の内郡を攻めしめ、以て洛陽に至る。勒は、武郷の羯人なり。之より先、嘗て、洛陽に至り、上東門に倚つて長嘯す。王衍、其異あるを識る、後、寇を爲し、旣にして漢に從ふ。西晉-孝惠皇帝-孝懷皇帝-三九三 十八史略卷之三三九四漢主淵卒す。子和立つ。聰弑して、之に代る。太傅東海王越、兵を遣して、入つて宿衞し、仍つて使を遣し、羽檄を以て、天下の兵を徵して、入つて援けしむ。越自ら兵を帥ゐて、石勒を討ち、軍に卒す。勒の兵、越の軍を敗り、太尉王衍等を執ふ。衍、自ら言ふ、少より宦情なく、世事に預らずと。勒曰く吾、天下を行ること多し、未だ此輩の人を見ず、尙ほ存すべきbか或ひと曰く、彼は皆、晉の王公、終に吾が用を爲さず。勒曰く、然りと雖も、必ず、加ふるに、鋒刄を以てすべからずと、夜、人をして、墻を排して、之を殺さしむ。漢主聰、呼延晏を遣し、兵に將として、洛陽を攻めしむ。劉曜、王彌、石勒、皆會す。遂に洛陽を陷れ、帝を執へて、平陽に送る。尋いで殺さる。帝在位六年、改元するもの一、曰く、永嘉。秦王、長安に立つ、之を孝愍皇帝となす。I【孝愍皇帝】名は業、吳王晏の子、武帝の孫なり。秦王に封ぜらる。洛陽、旣に陷るや、荀藩、王を奉じて、許昌に趨る。時に年十二。旣にして、索絲、迎へて、雍州に入る。刺史賈疋等、奉じて、皇太子となし、行臺を建つ。盜疋を殺す。麴允、雍州を領す。懷帝の凶問至る、王長安に卽位す。石勒、石虎を遣して、鄴を攻め、陷れて之に據る。西晉-孝懷皇帝-孝愍皇帝ー三九五 十八史略卷之三三九六大衣服務管理評西漢、屢ば長安に寇す。麴允、索絲、屢ば之を敗る。未だ幾ならず帝の王の)して、漢兵、しきりに諸郡を陷れて長安に逼り、先づ外城を陷る。胡十麴允、索絲、退いて小城を守り、內外斷絕、城中饑ゆること甚し。我收不能とな帝、出でて降る。漢將劉曜、平陽に送る。聰群臣を享し、帝に命じ、靑衣を著けて、酒を行ひ、爵を洗はしめ、又、蓋を執らしむ。後、害に遇ふ。帝、在位四年、改元するもの一、曰く、建興。西晉は、武帝より、是に至るまで、凡そ四世、五十二年。瑯琊王、建業に立つ、之を中宗元皇帝となす。評譯十八史略卷之四正西紀自三一六至四二〇東晉【中宗元皇帝】名は睿、瑯琊王仙の孫なり宣帝懿、仙を生み、仙觀を生む。或は曰く、睿の母、實は瑯琊の小吏牛金と通じて、睿を生むと。觀に嗣いで王となる。惠懷に於いては、再從兄弟たり。懷帝の時、睿、安東將軍となり、揚州軍事に都督たり建業に鎭す王導睿、王導を以て謀主となし、事每に咨ふ。睿、名論素より輕し。呉人初め附かず導勸めて、諸名勝を用ひしむ。顧榮、賀循、紀瞻東督-中宗元學帝-三九七 十八史略卷之四灵等、掾屬となり、新舊を撫綏す。江東心を歸す。後、又、庾亮、卡壺等百餘人を得たり、之を百六掾といふ桓彜亂を避け、江を過ぎ周顗て、睿の微弱なるを見て、之を憂ふ旣にして導を見、退いて周顫に謂つて曰く、江左に管夷吾あり、吾憂なしと。諸名士、新亭に遊宴するや、顫中坐にして歎じて曰く、風景殊ならず、目を擧ぐれば、江河の異ありと。因つて、相視て、涕を流す。導曰く、當に力を王室に戮せ、共に神州を復すべし、何ぞ楚囚と作つて、對泣す祖逖るに至らむやと。愍帝睿を以て、左丞相となす。洛陽の祖逖、少よ劉琨り大志あり。嘗て、劉現と同じく寢ぬ。中夜、鷄聲を聞き、現を蹴つて、起して曰く、是れ惡聲に非ざるなりと。因つて起つて舞ふ。是に及びて、南に渡り、兵を睿に請ふ。賓、素より北伐の志なし、逃を以て豫州の刺史となし、兵千人を與へ鎧仗を給せず。逃江を渡り、中流にして、楫を擊つて誓つて曰く、祖逖、中原を〓むる能はずして、復た濟らば、此江の如きあらむと。愍帝、又、睿を以て、丞相となし、中外の諸軍事を都督せしむ。長安、陷る。睿師を出して露次し、檄を移して北征す。實は、行かず。群臣、勸めて晉王の位に卽かしめ、明年、遂に皇帝の位に卽く。太尉劉現、死す。初め、琨祖逖と名を齊しうす。琨人に謂つ著先鞭て曰く、常に恐らくは、祖生が、吾に先つて鞭を著けむことをと。懷愍の時、〓州刺史となる。琨軍を出す。長史、叛いて、石勒に東晉-中宗元皇帝-三九九 十八史略卷之四四〇〇降る。幽州の刺史段匹彈、時に薊城に在り、人をして、現を邀へしむ。琨衆を率ゐて、薊に奔り、匹彈と血を歌つて同盟し、晉室を翼戴す。薊を襲ひ取らむと欲する者あり。書を遺つて、現に請うて內應を爲さむとす。書、邏騎に獲らる。然も、張實は知らざるなり竟に匹彈に縊らる。漢主劉聰、卒す。子粲、立つ。其臣、〓準、弑して、之に代る。石勒、準を討つ。劉曜、自立し、勒を封じて、趙公となす。曜、疑ふ勤自ら趙王と稱す。曜、亦た號を改めて趙となす。勒を後趙となす。略陽臨渭の氏會蒲洪、驍勇にして、權略あり。群氏畏れて、之に服す。劉聰、嘗て、拜して將軍となす。受けず。懷帝の世に在つて、自ら略陽公と稱す。是に至つて、趙主曜に降る。上晉の豫州の刺史祖逖、卒す、初め、逖譙城を取り、進んで、雍丘に屯す。後趙の鎭戍、逖に歸する者、甚だ多し。逖將士と甘苦すハを同じうし、勸めて、農桑を課し、新附を撫納す。帝、戴淵を以てと、將軍となし、來つて、諸軍事を督せしむ。巡、己〓棘を剪つて、河南の地を收む、而るに、淵、雍容として、一旦來つて之を統ぶるあう〓を以て、意.甚だ快快たり。又、王敦が朝廷と隙を構へて、將に內難あらむとするを聞き、大功の遂げざるを知り、感激して、病を發して卒す。豫州の士女、父母を喪ふが如し。東晉-中宗元皇帝-四〇一 十八史略卷之四四〇二鮮卑の慕容廆、之より先、嘗て使を晉に遣して、帝命を受けて、平州刺史となる。是に至つて、以て平州の牧、遼東公となす。初め、拓跋祿官死す。猗盧、三部を總攝す。劉現、猗盧と結んで兄弟となる。懷帝の時、表して、大單于となし、代公に封ぜられ、部落を帥ゐて、雲中より雁門に入る。琨與ふる」に、陛北の地を以てす。之に由つて、益す盛なり。嘗て、現の援となつて、大に劉曜の兵を晉陽に破る。猗盧、成樂に城いて、北都となし、平城を南都となす。愍帝、猗盧の爵を進めて王となし、官職を置き、代、常山の二郡を食ましむ。猗盧、少子を愛し、立てゝ嗣となさむと欲して其長子六修を出し、六修をして其弟を拜せしむ、從はずして去る。大に怒つて、之を討つ。兵、敗れて、弑に遇ふ。猗也の子普根、六修を討滅して自立す。尋いで卒す。國人猗虚が弟の子欝律を立つ是に至つて、猗色の妻、欝律を殺して、其子賀偏を立つ。欝律の子什翼犍、襁褓に在り、母、之を袴下に匿して殺されざるを得たり反王教反す晉の〓州の刺史王敦、す。初め、帝の江東に鎭するや、敦從弟導と共に、心を同じうして翼戴し、心を推して之に任じ、敦は征討を總べ、導は機政を專にして、群從子弟顯要に布列す。時人、語して曰く、王と馬と、共に天下を共にすと。敦先に揚州の刺史諸軍を都督し、を領し、征討進んで、鎭東大將軍都督江揚〓湘交廣六州諸軍事江州刺史となり、尋いで〓州を領し、功を恃んで驕恣東晉-中宗元皇帝-四〇三 十八史略卷之四四〇四なり。帝、畏れて之を惡む。乃ち劉隗、刁協を引いて腹心となし、漸く王氏の權を抑損す。導も亦た漸く疎外せらる。敦の參軍錢鳳等敦の異志あ凶狡なり。るを知つて、陰に爲に畫策す。是に至つて、敦遂に兵を武昌に擧げ、劉隗、刁協を誅するを以て名となす。隗、協、帝に勸めて、盡く王氏を誅せむとす。帝許さず。導宗評族を率ゐて、毎旦、臺に至つて罪を待つ。周顫、將に入らむとす能德は王周ず導額し勝人知のむ手間る陰じの得手導、是を呼んで曰く、伯仁、百口を以て、卿を累はさむと。顫顧のた百所みず、入つて帝に見え、導の忠誠を言ひ、申救甚だ至る。帝、其言を納る。顫、醉うて出づ導又呼ぶ。顫與に言はず、左右を顧みて曰く、今年諸賊奴を殺し、金印、斗の如く大なるを取つて、肘後に懸けむと。旣にして、出で、又表を上つて、導の罪なきを明惣かにす。導、知らずして、之を恨む。帝、召して導を見る。導、稽山のだ首して曰く、亂臣賊子、何の代か之なからむ。意はざりき、今、近く臣の族に出でむとはと。帝、跣して其手を執つて曰く、茂弘、方上やに卿に寄するに百里の命を以てすと。以て前鋒大都督となす。敦石頭城に至つて、之に據る。曰く、吾、復た盛德の事を爲すを得ずか、と協、隗等、道を分つて、出でて戰ひ、大に敗れて還る。帝、百官をして、石頭に詣つて敦を見せしむ。敦、周顫を殺す。導、救は吾と七ヘこやまたは由も殺ず。後、中書の故事を料檢し、顎の表を見、之を執つて流涕して日て死すく吾、伯仁を殺さずと雖も、伯仁、我に由つて死す。幽冥の間、東晉-中宗元皇帝-四〇五 十八史略卷之四四〇六この良友に負くと。敦、朝せずして去り、武昌に還る。帝、憂憤して疾を成して崩ず。在位六年。改元するもの三、曰く建武、大興、永昌太子立つ、之を肅宗明皇帝となす。【肅宗明皇帝】名は紹、幼にして聰慧、嘗て、使者あり、長安より長安近きか日近きか來る。元帝、紹に問うて曰く、長安、近きか、日近きか。紹曰く、長安近し。但だ人の長安より來るを聞く、人の日邊より來るを聞かずと。元帝、其對を奇とす。一日、群臣と語つて、之に及ぶ。復た以て紹に問ふ紹曰く、日近し。元帝愕然として曰く、何ぞ間者の言に異なるか紹曰く、頭を擧ぐれば日を見る、長安を見ずと元帝、益す之を奇とす。長ずるに及びて仁孝、文辭を喜び武藝を善くす。賢を好み、士を禮し、規諫を受く。庾亮、溫嶠等と布衣の交をなす。敦石頭に在り、其勇略あるを以て、誣ゆるに不孝を以てして、之を廢せむと欲す。嶠等の衆論に賴つて、其謀を沮む。是に至つて位に卽く。敦、位を簒せむことを謀り、屯を姑熟に移し、自ら揚州の牧を領す。王導を以て司徒となし、大都督を加へ諸軍を督して敦を討つ。復た反し、敦、兵を發して病む。郭璞をして、之を筮せしむ。璞曰く明公事を起せば、禍必ず久しからず。敦大に怒つて曰く、加拿大利害けぞ)卿の壽幾何ぞ。璞曰く、命、今日の日中に盡きむと。敦之を斬る。日、命今日と中に盡きむ帝、自ら出でて、敦の軍を覘ふ。敦、書日、其營を環るを夢む。東晉-肅宗明皇帝-四〇七 十八史略卷之四四〇八驚悟して曰く、黃鬚鮮卑の兒來るかと。帝の母は鮮卑の出なり。亟に、人をして、之を追はしむ、及ばず。帝、諸軍を帥ゐて、出でてつ南皇堂に屯し、夜、壯士を募つて、水を渡り、敦の兄王含の軍を掩うて大に之を破る。敦含の敗を聞いて曰く、我が兄は老婢のみ、門戶衰へ世事去ると。因つて、勢を作し、起つて自ら行かむと欲す。困乏して、復た臥す。尋いで卒す。敦の黨、悉く平らぐ。敦のau評王丼屍を發いて之を斬る。有司、王氏の兄弟を罪せむことを奏す詔を と事人親大を義滅す間して曰く、司徒導、大義を以て親を滅す、將に十世まで之を宥さむ最難のたと欲すと。悉く問ふ所なし陶侃陶侃を以て剃湘等の州の諸軍事を都督せしむ。侃少にして、孤貧なり。孝廉范達、之を過ぐ。侃の母湛氏、髪を截つて、賣つて酒食を爲る。達、侃を薦め、遂に名を知らる。初め、〓州都督劉弘に用ゐられ、義陽の叛蠻張昌を討ち、又江東の叛將陳敏を討ち破り又湘州の劇賊杜發を擊ち破る。江夏の太守より〓州の刺史とな之を疾んり、王敦、で、廣州刺史に左遷す。侃州に在つて、朝に百甓を齋外に運び、暮に齋内に運ぶ。人其故を問ふ。答へて曰く吾、方に力を中原に致さむとす、故に勞を習ふのみと。是に至つて復た〓州に鎭す。士女相慶す。侃性聰敏恭勤嘗て曰く、大禹は聖人なり、乃ち寸陰を惜む。衆人は當に分陰を惜むべしと。諸參佐こと〓〓の酒器、蒲博の具を取つて、悉く江に投じて曰く、樗蒲は牧猪奴の東營-肅宗明皇帝-四〇九 十八史略卷之四四一〇戯のみと。嘗て、船を造るや、竹頭木屑を籍して、之を掌らしむ。後、正會に雪霽れて地濕ふや、木屑を以て地に布く。後、征蜀六の師あるに及び、侃の竹頭を得て、釘を作つて船を裝す。其綜理微密なること、之に類す。帝崩ず、在位三年。改元するもの一、曰く太寧。太子立つ、之を顯宗成皇帝といふ。【顯宗成皇帝】名は衍、母は庾氏、五歲にして卽位す。司徒導、帝の舅中書令庾亮と共に政を輔く、太后、朝に臨む歷陽の內史蘇峻、反す。峻さきに臨淮に守たり。王敦、再び闕を犯せし時に、入衞して功あり。威望漸く著はる。歷陽に在るに及びて、卒銳に、器精なり。志、朝廷を輕んじて、亡命を招納す。庾亮石頭城を修め、以て之に備へ建請して、峻を徴して大司農となす。峻、兵を擧げて、姑孰を陷る。尙書令卡壺、軍を督して、峻と力戰して死す。二子之に隨ひ、亦た敵に赴いて死す。母、其屍性能力を示す。を撫して曰く、父は忠臣たり、子は孝子たり、何ぞ恨まむやと。庾獨立大學亮出奔す。峻の兵、闕を犯す。陶侃、溫嶠、入つて、峻を討つて之を斬る。後趙主石勒、大に趙兵を破り、趙主劉曜を獲たり。曜勒と、しきりに攻戰し、互に勝負あり。曜、後趙の金塘城を攻む。勤、自ら1/將として、之を救ひ、大に洛陽に戰ふ。趙兵、大に潰ゆ。曜、醉う東晉-顯宗成皇帝-四一一 十八史略卷之四四三る)、て、馬より墮ち、勒に獲られ、歸つて之を殺す。前趙亡ぶ溫嶠音の驃騎將軍溫嶠、卒す。嶠、始め、劉現に遣はされて、江東に使す。母、欲せず。嶠、裾を絕つて去る。旣に至つて、復た北に歸るを得ず、終身以て恨となす。嶠.心を晉室に盡し、敦峻の平らぐ皆嶠の力なり。後趙の石勒、天王と稱し、尋いで、帝と稱す。嘗て、大に群臣を問うて曰く、朕は古しへの何の王に方ぶべきか評或ひと曰る人 大阪石物な見胡人中人傑には饗するや、る?く漢高よりも過ぎたり。勤笑つて曰く、人、豈に自ら知らざらき月り多味其所且むや卿の言、太だ過ぎたり。若し高帝に遇はば、當に北面して之に事ふべく、韓、彭と肩を比べむのみ。若し光武に遇はば、中原に並驅すべく、未だ鹿の誰の手に死するを知らず。大丈夫、事を行ふ、5.當に〓碼落落、日月の皎然たるが如くなるべく、終に曹孟德、司馬仲達が人の孤兒、寡婦を欺いて、狐媚以て天下を取るに效はざるなりと。勤學ばずと雖も、好んで、人に書を讀ましめて之を聽き、時に其意を以て得失を論ず、聞く者悅服す。嘗て、漢書を讀むを聽き、鄙食其が勸めて、六國の後を立つるに至り、驚いて曰く、この大法當に失すべし。何を以て、遂に天下を得たると。張良の諫めしを聞くに及びて、乃ち曰く、賴に此あるのみと。後、使を遣して好を晉に修む。晉、其幣を焚く。勤卒す。子、弘立つ。自音の大尉陶侃卒す。'保八州に都督たり。威名赫然。或は謂ふ。東晉-顯宗成皇帝-四一三
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501 :萌え :2007/04/24(火) 22 16 39 ID QDcTwmlx0 500 そう思う時点で、信じてるんだよ、信じることを知らなければ、 疑問すら考えんよ 502 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/24(火) 22 17 09 ID G+U53vt70 497 お初~のよろ~ 踊れ!!騎士たちよ!! 踊って踊って踊りまくれ!!! 503 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/24(火) 22 17 52 ID /8D1YULy0 神などいない そしてロックは死んだ ,へ \/ ヽ ( ) _/*+*`、 ( ) <_______フ ) 从*゚∀゚从 ~ < 神を見るのは己の心だ /゙゙゙lll`y─┛ ノ. ノノ | . `~rrrrー′ . |_i|_(_ 504 :野次馬:2007/04/24(火) 22 19 38 ID LEwi/TdF0 萌えたん ブルー児童は身体的特徴もあるみたいよ インディゴは精神性のことが主ですお。 重なってる部分はありそうだけど、ちょっとは・・違うのかも? 505 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/24(火) 22 21 16 ID G+U53vt70 501 逆もあてはまると思うけどなー そう思う時点で、信じていない。 もし信じているのならそーゆー疑問さえ浮かばない 506 :清雨 ◆eIciS8mlVU :2007/04/24(火) 22 22 52 ID Xxi9jKGs0 いまどき「ロックは死んだ」は今更ちとキツイ ロックはたぶん再興するだろうよ。サイクル的に。 あんま好きじゃないけど。 そして人間がいなくなれば、ロックもないし 神もいないのだ。 507 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/24(火) 22 22 57 ID G+U53vt70 504 騎士団ってインディゴ多そうだね 508 :てるー ◆FEpcx74ZZw :2007/04/24(火) 22 23 51 ID VT/82wyjO 毎日住吉のおじさんに会ってるだってー!? 509 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/24(火) 22 25 52 ID G+U53vt70 508 てるーさん、お初~ 住吉の神様ってどんな感じなのかなぁ? 510 :野次馬:2007/04/24(火) 22 25 54 ID LEwi/TdF0 ロックは死んでない! サンボマスター聞け! ロックだロックだと騒いでるぞ 511 :萌え :2007/04/24(火) 22 26 41 ID QDcTwmlx0 504 私も確信は無いけど、年代は重なるでしょ もともと確定した物は無い わけだし、ロシアのオリジナルで行きたいでないの? インディゴて言うとパクリでしょ 512 :ぱらけるすす ◆PARA//N9SM :2007/04/24(火) 22 26 43 ID LqzFbU6LO 502 よろれいひー 503 ろっくんろーる うぃる ねばー だい 513 :ぱらけるすす ◆PARA//N9SM :2007/04/24(火) 22 30 11 ID LqzFbU6LO 508-509 おじいさんだよ 現人神だよ 大国主命様が守護神様だけどね 514 :野次馬:2007/04/24(火) 22 30 40 ID LEwi/TdF0 511 そーかもしんない ブルー児童は病気に罹らないとあったが・・ 515 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/24(火) 22 33 52 ID /8D1YULy0 ,へ \/ ヽ ( ) _/*+*`、 ( ) <_______フ ) 从*゚∀゚从 ~ < 神などいらないだろ /゙゙゙lll`y─┛ 圧倒的な地響き立てて ノ. ノノ | 疾走する楽観主義者でいよう . `~rrrrー′ . |_i|_(_ 516 :萌え :2007/04/24(火) 22 38 16 ID QDcTwmlx0 514 全部うのみするのはどうかな ただ大紀元だけど・・・一般の記事になることに 価値があるのかも知れない、少しずつ広がり始めたのかな 517 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/24(火) 22 42 09 ID /8D1YULy0 ,へ \/ ヽ ( ) _/*+*`、 ( ) <_______フ ) 从*゚∀゚从 ~ < 欲深な住吉の神か /゙゙゙lll`y─┛ ノ. ノノ | . `~rrrrー′ . |_i|_(_ 518 :萌え :2007/04/24(火) 22 42 16 ID QDcTwmlx0 提督・・・・じじい・・・おそい 519 :野次馬:2007/04/24(火) 22 42 44 ID LEwi/TdF0 ブルー児童と言う言葉は忘れたんだけど、ブルー児童と同じような内容の事をテレビのアンビリーバボーで前やってた。 その時は、やっぱり病気にならない と言う内容を推してたんじゃなかったかな。 広がってはいるのかな? 520 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/24(火) 22 43 22 ID G+U53vt70 513 現人神ということはこの世に物質的に現れてるってこと? 521 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/24(火) 22 44 39 ID G+U53vt70 てか生まれてきてるの? それとも突然神が人の肉体をもってあらわれるの? 522 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/24(火) 22 46 40 ID /8D1YULy0 ,へ \/ ヽ ( ) _/*+*`、 ( ) <_______フ ) 从*゚∀゚从 ~ < 神功皇后が祀ったモノを /゙゙゙lll`y─┛ 信用できるか ノ. ノノ | . `~rrrrー′ . |_i|_(_ 523 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/24(火) 22 49 11 ID G+U53vt70 522 神功皇后=ヤマタイ国の卑弥呼なんでしょ? 524 :萌え :2007/04/24(火) 22 56 18 ID QDcTwmlx0 519 大紀元 とアンビリーバボーでは 見る人が違うからね^^ 525 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/24(火) 22 59 29 ID /8D1YULy0 ,へ \/ ヽ ( ) _/*+*`、 ( ) <_______フ ) 从*゚∀゚从 ~ < それは違う /゙゙゙lll`y─┛ 神功皇后は朝鮮人さ ノ. ノノ | . `~rrrrー′ . |_i|_(_ 526 :本当にあった怖い名無し :2007/04/24(火) 23 00 57 ID MbjWNuiF0 ウシトラの方角の反対はなんだっけ? 527 :清雨 ◆eIciS8mlVU :2007/04/24(火) 23 01 09 ID Xxi9jKGs0 525 君も八代さかのぼれば朝鮮人だ 528 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/24(火) 23 01 52 ID G+U53vt70 525 そうなの?じゃあ朝鮮人のくせに朝鮮に出兵したの? 529 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/24(火) 23 02 23 ID G+U53vt70 526 ヒツジサル 530 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/24(火) 23 02 25 ID /8D1YULy0 ∫∫∫ 人 (ミ . ) (ミ ・∇・) <ざけんな! クソチョンはオマエだろ 531 :野次馬:2007/04/24(火) 23 04 15 ID LEwi/TdF0 526 南西の・・・未申?? ↑これはなんとよむのだ 第一合ってるのか? 532 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/24(火) 23 04 21 ID G+U53vt70 住吉の神は海洋民族の信仰で オリオン座の三ツ星を神格化したもの…らしいけど? 533 :野次馬:2007/04/24(火) 23 04 49 ID LEwi/TdF0 529 はえー 534 :本当にあった怖い名無し :2007/04/24(火) 23 06 00 ID MbjWNuiF0 反対の賛成は賛成の反対なのだ。 西から昇ったお日様が東へしずーむ~♪ これでいいのだ! 535 :清雨 ◆eIciS8mlVU :2007/04/24(火) 23 06 13 ID Xxi9jKGs0 530 いや、お前だよ。 536 :本当にあった怖い名無し :2007/04/24(火) 23 06 49 ID qRbjyXm50 526 ウマシカじゃねーの? 537 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/24(火) 23 07 13 ID /8D1YULy0 ,へ \/ ヽ ( ) _/*+*`、 ( ) <_______フ ) 从*゚∀゚从 ~ < 自分に都合の良い神話を /゙゙゙lll`y─┛ 創っただけさ ノ. ノノ | 今のチョンと同じさ . `~rrrrー′ . |_i|_(_ 538 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/24(火) 23 07 15 ID G+U53vt70 534 でも日月神示ではそれが実際になるとか言ってるらしいw 539 :本当にあった怖い名無し :2007/04/24(火) 23 07 48 ID MbjWNuiF0 南向きの鳥居と、北向きの鳥居でモメル時代はもう終わりだね。 540 :野次馬:2007/04/24(火) 23 10 06 ID LEwi/TdF0 539 おまいはだれじゃー 541 :本当にあった怖い名無し :2007/04/24(火) 23 10 50 ID MbjWNuiF0 538 西洋のほうから東洋のほうへお日様は昇り沈みしてていいんじゃないの? 位相と視点の違いにすぎないよね。地球は球体だから。 542 :本当にあった怖い名無し :2007/04/24(火) 23 13 47 ID MbjWNuiF0 ひふみよい まわりてめくる・・・・ まわりてめぐる グルグル~ 543 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/24(火) 23 14 12 ID LznHk81k0 450 我々に賛同でき、先方に問題がなければ是非とも入隊して頂きたい 460 今は人数はいませんが組織化を計っています 481 想定外のお答えでした・・・ 神は放任主義・・・というか野良ですな、我々は・・・ふぉっふぉっふぉ 483 一、それでも懐疑は回っている ★★★反オカルト革命軍☆☆☆ 544 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/24(火) 23 14 27 ID /8D1YULy0 ,へ \/ ヽ ( ) _/*+*`、 ( ) <_______フ ) 从*゚∀゚从 ~ < 鳥居などなくてもいいのだよ /゙゙゙lll`y─┛ あんなの飾りです ノ. ノノ | 偉い人にはそれがわからんのですよ . `~rrrrー′ . |_i|_(_ 545 :清雨 ◆eIciS8mlVU :2007/04/24(火) 23 15 34 ID Xxi9jKGs0 鳥居にこだわらない奴が人種にこだわるとは なんだかうんこだよね。 544 546 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/24(火) 23 16 00 ID G+U53vt70 543 ヤッターじゃあ、ゆみっちに聞いてくるー♪ よろちくでつ☆ 547 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/24(火) 23 16 46 ID /8D1YULy0 ∫∫∫ 人 (ミ . ) (ミ ・∇・) <なんだとコラ?! 548 :清雨 ◆eIciS8mlVU :2007/04/24(火) 23 17 55 ID Xxi9jKGs0 547 うんこ野郎が。 549 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/24(火) 23 19 27 ID /8D1YULy0 ∫∫∫ 人 (ミ . ) (ミ ・∇・) <それは正解!! 550 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/24(火) 23 19 42 ID G+U53vt70 547-548 二人でウンコ投げ合戦やってなww 551 :清雨 ◆eIciS8mlVU :2007/04/24(火) 23 21 05 ID Xxi9jKGs0 550 黙ってろ 552 :野次馬:2007/04/24(火) 23 21 32 ID LEwi/TdF0 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1176551403/ うんこなげ会場として使ったらどーでしょー お二人サン。 私が立てたスレじゃーないですがね。 553 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/24(火) 23 23 40 ID /8D1YULy0 既に参加している http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1176551403/3 554 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/24(火) 23 24 51 ID G+U53vt70 (。ω゚ ) ←このAA可愛いーw 555 :野次馬:2007/04/24(火) 23 25 00 ID LEwi/TdF0 あー羊の皮被ってる・・ 556 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/24(火) 23 25 15 ID LznHk81k0 ぱらけるすす殿 話が飛ぶとわかりづらいですな・・・ 私はあなたが言った3パーセントの話を考えているのです 再度問う 3パーセントを導き出した、その筋の偉い人とは誰であろう? 487 た、たぬきじじい・・・ふぉっ・・・ 488 私もまったく同意です 545 うむ・・・ 557 :萌え :2007/04/24(火) 23 26 58 ID QDcTwmlx0 543 貴方の望む答えなどしませんよ^^野良ですか・・・崇高なる自由ではないですか? 今の世界が、いやなら。どうするべきですかね? 今日はオチマス 558 :野次馬:2007/04/24(火) 23 27 54 ID LEwi/TdF0 557 奈落までノシ 559 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/24(火) 23 29 13 ID LznHk81k0 てるー殿 どうやら勧誘に失敗したようですな・・・ 色々とあった方が楽しいですからな・・・ 降格決定!ふぉっふぉっふぉ 「辞令 隊員番号003 てるー ◆FEpcx74ZZw 右を大尉に任命する」 560 :萌え :2007/04/24(火) 23 31 34 ID QDcTwmlx0 558 奈落を知るから、天を知る ふぉっふぉっふぉ ねる 561 :野次馬:2007/04/24(火) 23 35 30 ID LEwi/TdF0 あのー 昇格じゃーないんですか 562 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/24(火) 23 37 17 ID G+U53vt70 559 おっもしろいひとw 楽しみだお♪ 563 :野次馬:2007/04/24(火) 23 38 26 ID LEwi/TdF0 おお! 降格の意味が今わかった。 564 :野次馬:2007/04/24(火) 23 38 58 ID LEwi/TdF0 だれのせいじゃー 565 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/24(火) 23 41 29 ID LznHk81k0 萌え殿 またお目にかかりましょう 野次馬殿 てるー殿にはあなたの勧誘に成功すれば昇格 失敗すれば降格とそう伝えています 35殿 そうでもないですよ すごいトリップですな 35には深い意味が? 566 :里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2007/04/24(火) 23 46 34 ID WnMjSiFnO 提督、教えてくれ。 わからん。人間はなぜ生の根源へ…虚実の彼岸へ回帰したがるのだ。 折り合いをつけるための宗教など、もう、うんざりだ。 そこへ行くのは、根源への回帰なのか高次元への進化なのか。 やはり脳をぶっこわすしか。 薬だ。クスリを持って来い。 567 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/24(火) 23 48 21 ID /8D1YULy0 \ 馬 / \ 鹿 / ∩ ∩ | つ 「,"| ヾ∧ !, っ_ ⊂_,! / ・ |ミ / ・ ヽつ (_ ... |ミ ▼,__ | 从゚Д゚*从|ミ 从゚Д゚*从・| (| .、)| (| 、)| | | | ・・| ヽ.._人 ヽ._・ν U"U U"U 568 :本当にあった怖い名無し :2007/04/24(火) 23 52 10 ID qRbjyXm50 566 忘れちまえよそんなもの。 やることやってりゃあいいんじゃないの? 569 :本当にあった怖い名無し :2007/04/24(火) 23 56 00 ID MbjWNuiF0 566 脳内において問題にすべきは、ニューロン、神経伝達物質および経路の問題であるのですが、 昨今、腸は第二の脳といわれるように、腸内には脳内に匹敵するほどの数の神経細胞が存在するらしいです。 また、どこかでお聞きでしょうが、セレトニンといった物質も大半が腸壁で生成されるらしいです。 このことをいかに考えるべきか。 生の根源は食にあるかもしれません。 我々自身の食環境を捉えなおした時に、道は見えてくるかもしれません。 それは、外部からのエフェクトの投与ではなく、解毒デトックスが解答をもたらすかもしれません。 まずは、人体という宇宙の浄化かもしれませんね。 570 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/24(火) 23 57 17 ID LznHk81k0 里中殿 どうされたのだ?お主らしくないではないか・・・ 誰しもそんな夜もあるだろう 今日のところは忘れた方が良さそうな気がします 568殿もそう言っているではありませんか・・・ 571 :清雨 ◆eIciS8mlVU :2007/04/24(火) 23 58 15 ID Xxi9jKGs0 うるせーーーーーーーーーー!!!! 572 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/24(火) 23 59 11 ID /8D1YULy0 ./ \ / ヽ / ;ゝ--──-- 、._/ | /,.-‐ "´ \ | / ヽ、 | / ヽ| l l .| ● | l , , , ● l ` 、 (_人__丿 、、、 /キチガイ乙 `ー 、__ / /` ー‐‐──‐‐‐┬ ""´ ./ ___ l __ l ./ / |/ | `ー- / ./ ./ `ー‐--{___/ゝ、,ノ 573 :野次馬:2007/04/24(火) 23 59 54 ID LEwi/TdF0 435 神が宗教のものだとすれば、謙虚さを測っているから。謙虚さを求めて選民思想が始まる。 極端に言えば、神を信じない傲慢な人と、神に仕える私達 というふうに。 宗教と神が関係ない場合でも、ストッパーとして。 神を信じてなくたって素晴らしい人はたくさんいるし、 神を信じるから行動を改めるってのは良いことだけど・・神を信じて行動を改める人は、神が居なかったらハメをはずすタイプが多いのかもしれない。 ・・・あれ? 精神的に弱い人の心の拠り所とも言えるのかな。神は。 そーなると・・神の信じ方一つでも、心から神を「愛して」「賛同して」「共に行こう」とする人と、 神を信じているといいつつ、心のどこかで「罰」を畏れるタイプの人が居るってことになりますかね。 神に賛同する人は、人とは違うことや利益に反することもやるでしょうね。信念のために。 神の罰を恐れるだけの人は・・あんまりイイとも言えない・・・ でも、ここで2分化するのも無意味・・ で、ここでループしました。 宗教に入ってる人でも(ry よくわかんにゃい 574 :里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2007/04/25(水) 00 01 04 ID WnMjSiFnO 569 そうか。断食は真っ平ごめんだから諦めよっと。 568 そうするw 575 :ぱらけるすす ◆PARA//N9SM :2007/04/25(水) 00 05 29 ID VEuBeKQ/O 宇宙で わかってる物質は3パーセントで 残りの97パーセントは暗黒物質と暗黒エネルギーで 構成されてるのは 相対性理論を元にした宇宙論だから 原型はアインシュタインじゃないかな 576 :本当にあった怖い名無し :2007/04/25(水) 00 05 48 ID 29Yjy2TM0 574 そうやって、浣腸をする機会を逃すのです。 577 :野次馬:2007/04/25(水) 00 06 41 ID N6YwVrHW0 なるほど、舌も出すわけだ 578 :里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2007/04/25(水) 00 07 54 ID hY8kb1W0O 570 すまんな。ふと疑問に思ったのでつい、な。 ここは賑やかしくて良いスレだ。ではさらばだ。 579 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/25(水) 00 16 35 ID JSehis9V0 野次馬殿 私もそのループを 漠然と、そして頻繁に考えます 挑発的ではありますが、次のように考えるのです 580 :野次馬:2007/04/25(水) 00 17 28 ID N6YwVrHW0 てーとくの挑発・・ハアハア・・ 581 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/25(水) 00 19 53 ID JSehis9V0 諸君 神の審判を恐れ、悪事を起こさぬ者が居るだろう 神の祝福を求め、善事を行う者も居るだろう 582 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/25(水) 00 24 22 ID JSehis9V0 諸君 この者たちのこの行いは美しいと言えるだろうか 自身を自身で律し得ない弱者ではないか 見返りを求める卑しき行いではないか 583 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/25(水) 00 32 19 ID JSehis9V0 諸君 神の存在を否定し しかしながら自身を律し しかしながら愛を忘れず 584 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/25(水) 00 33 09 ID JSehis9V0 諸君 我々こそが誰よりも崇高である 585 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/25(水) 00 34 54 ID JSehis9V0 諸君 神 は 我 々 を ど う 裁 く だ ろ う か 提督談 586 :ゆみ :2007/04/25(水) 00 35 09 ID nhXrrH2L0 あほらしくて相手する気にもならん・・・ 587 :野次馬:2007/04/25(水) 00 35 39 ID N6YwVrHW0 い・・異議アリ >神に賛同する人は、人とは違うことや利益に反することもやるでしょうね。信念のために。 これは、弱い人じゃーできません。 出来る人は、やっぱり尊敬してしまいます。 どーでしょー 588 :清雨 ◆eIciS8mlVU :2007/04/25(水) 00 36 22 ID aKMtWK4M0 我 々 は 神 を ど う 裁 く だ ろ う か 589 :野次馬:2007/04/25(水) 00 38 54 ID N6YwVrHW0 >提督 い、異議アリ・・ >神に賛同する人は、人とは違うことや利益に反することもやるでしょうね。信念のために。 これは強くないと出来ないんじゃーないでしょうか。 出来る人は、やっぱり尊敬してしまいます。 590 :野次馬:2007/04/25(水) 00 40 04 ID N6YwVrHW0 あ、2重カキコ スマン 591 :ぱらけるすす ◆PARA//N9SM :2007/04/25(水) 00 46 21 ID VEuBeKQ/O 584 どう崇高なの? 肉 魚 野菜 空気 大地 海 人間が創りだしたものなんて ひとつもないよ 人間は自然の恩恵を受けないと生きれないんだから 自然の創造主に感謝して生きるのは 別に普通だと思うよ 感謝しない人は 別に それでもいいんじゃないかな 感謝なんて強要されてするもんじゃないからね 592 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/25(水) 00 48 41 ID JSehis9V0 ぱらけるすす殿 アインシュタイン・・・そうでしたか・・・ 「宇宙で解明されてる事は3パーセント」だったのが 「宇宙でわかってる物質は3パーセント」になっていますが この2つは同じ意味なのですか? 593 :本当にあった怖い名無し :2007/04/25(水) 04 42 36 ID d/A3xhovO 提督 『自身を自身で律し得ない弱者ではないか 見返りを求める卑しき行いではないか』 その弱者は神という法で律されている。 ならば、あなたは何を信じて、何に律されている? 信念か? 現代の法律か? ならばあなたは自らが勝手に、または他者が勝手に決めた法=神に従っているだけではないのか。 弱者と何が違う? あなたは何故に法を守る? 自身のアイデンティティの為か? 社会的制裁を恐れてか? あなたは法を守る事で、自らのプライドを守る。立場を守る。 守る事で見返りを求めてはいないのか? 本当に卑しいのは、あなたではないのか? 594 :ぱらけるすす ◆PARA//N9SM :2007/04/25(水) 08 01 28 ID VEuBeKQ/O 592 同じ感じで よろしく 595 :てるー ◆FEpcx74ZZw :2007/04/25(水) 20 02 45 ID oXdxxYS0O うほーっ この数日はロムだけでも大変だね アインシュタインまででてきやがった 596 :鳴海清 ◆Ld9Xzhb53k :2007/04/25(水) 20 47 54 ID H5d34pff0 提督とやら、あんたおもしろいじゃないか。 おおむねおまえさんの主張に賛同する。 理由はそれだけで十分だろ? 俺も仲間に入れてくれ。 597 :ぱらけるすす ◆PARA//N9SM :2007/04/25(水) 22 42 28 ID VEuBeKQ/O ことわる! うっそー☆ 強く言って ゴメンね♪ 598 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/25(水) 22 43 24 ID JSehis9V0 587 漠然としか考えられないのだが・・・ 利益に反する事ですか・・・具体的には? 588 ふむ・・・ 591 肉 魚 空 それらは人間が造ったものではないであろう しかし自然の創造主が造ったわけでもないでしょうなあ 599 :に :2007/04/25(水) 22 49 48 ID uDZKQd8o0 588 内臓をとって水でよーく洗ってから三枚におろします。 600 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/25(水) 23 05 13 ID JSehis9V0 593 私は「自身を自身へ律し得ない弱者」と言った筈ですぞ ですから信念で律する人までも同列にするのはどうかと思いますぞ そして信念と法律を「=神」と捉えるのも如何なものかと思いますぞ そして認めたくはないが、私はまだまだ弱者で卑しい人間でしょう 601 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/25(水) 23 08 35 ID JSehis9V0 594 あと少しで解けそうだったのですが、またもやがかかってしまいましたな・・・ そうですか・・・同じ感じですか・・・ 602 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/25(水) 23 19 33 ID JSehis9V0 鳴海清殿 という事は反オカルトなのですな もちろん充分です 「入隊令状 隊員番号005 鳴海清 ◆Ld9Xzhb53k 右の入隊を正式に許可及び右を二等兵に任命する」 貴殿の健闘を心より祈る 603 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/25(水) 23 22 27 ID JSehis9V0 35殿 35殿、先方の都合は如何であったかな? 許可が出なかったのではないかな? 良い返事を頂ける事を祈っております 604 :萌え :2007/04/25(水) 23 32 28 ID vZWpg5/T0 野次タン、騎士団に入団しない?提督なんて、つまらん男ほっといて^^ 野次タンとは、気が合いそう^^ 迷惑ならごめん 605 :野次馬:2007/04/25(水) 23 48 09 ID N6YwVrHW0 気が合いそうだとは思うよ ありがと´` でも、騎士団には行かない。語れるモノを持ってないから。 ここで野次りながら、遊ばして貰うよ。 萌えたん。 ある人が言いました。 以下、その人の言葉のコピペ。 ↓ 争いは何も生まないことは経験してきたからねー人類は次に行かないと・・・・ 奪うことも意味ないのよねー 掲示板に貼り付けた言葉だけでどれだけ人が傷つくか==パワーを奪うか。 それが想像できなくなったらサファリパークだなw 和が一番!仲良く、理解しあって、楽しく。 応援してるよ。ケンカする人や煽る人を見たら、悲しくなってしまうんでしょ? ある人が言いました。 以下、コピペ 名前:あげは[] 投稿日:2007/01/09(火) 23 55 48 ID KX04c0aA0 なんでそんな・・言い方するの 悲しすぎだよ 私はそんなに気合いがあるほうじゃないのだ 606 :に :2007/04/25(水) 23 50 52 ID uDZKQd8o0 オッパ 私はそんなに気合いがあるほうじゃないのだ 607 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/25(水) 23 53 00 ID b28t3ogq0 語れるモノなどもってはいない ちなみに・・・ ∠Y"´゙フ ; ゝ‘,,ェ) ; 从*゚ー゚从 <中に人などいない ゙;(ノ ;) ヾ,; ; ∪ ∪ 608 :清雨陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/25(水) 23 53 25 ID 5GF+v6Bm0 ずれてるぞおっさん。 今日はどこもつまらない。 せっかく明日休みなのに 609 :野次馬:2007/04/25(水) 23 54 49 ID N6YwVrHW0 その可愛らしい皮を脱げ 610 :本当にあった怖い名無し :2007/04/25(水) 23 55 07 ID s5FjJgH60 寝ちまえよ。 611 :野次馬:2007/04/25(水) 23 55 24 ID N6YwVrHW0 頭領がいないとサビシーね 612 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/25(水) 23 59 16 ID b28t3ogq0 lVVVVl |____| 从*゚ー゚从ワシはMacだからズレとらん ⊂ __ つ オッサンこそWinなんかつかっとるから /.人_Y ズレて見えるんやで ~し (_) 613 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/26(木) 00 53 43 ID W+Y18df10 603 ウチはガチ入隊希望してるんだけど まだ向こうの団長の許可が下りてないっちゃ 35=サンゴ 騎士団でのコテですww 614 :ぱらけるすす ◆PARA//N9SM :2007/04/26(木) 01 15 39 ID 1AUXWrWLO 始めに言葉ありき 自分の知っている愛を語れば良いんだよ 615 :に :2007/04/26(木) 01 24 26 ID 86ppZdmd0 ∫∫∫ 人 (ミ . ) (ミ ・∇・) <愛、それはためらわないことである。 616 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/26(木) 04 03 09 ID W+Y18df10 愛は言葉ではない、行動である。 617 :本当にあった怖い名無し :2007/04/26(木) 04 14 58 ID 0wod32jbO 600 自身を律する事の出来ない弱者とは、神に依存し任せっきりな人間の事だろうか? ならば、世の中は弱者しか生きていけないのではないか? 人間は、常識というものに善悪の判断を任せ、それに身を委ねねば、社会的を生きていくのは難しいだろう。 信念も自分で勝手に決めた規律でしかなく、宗教者が勝手に決めた規律と大差ないと思う。 信念は自分が決めた自分の法。 法律は国が決めた国民の法。 戒律は宗教者が決めた信者の法。 違いはあるのだろうか。 信念とは自らが利益を得る為に作り出した法。 薄汚い自欲。 だが、人間はより高くありたいという自欲を糧に生きている。 薄汚い自欲こそ、人間の美徳ではなかろうか。 618 :本当にあった怖い名無し :2007/04/26(木) 04 21 36 ID y9HpfHCwO 提督…このスレまだやってたんですね 619 :617:2007/04/26(木) 04 36 01 ID 0wod32jbO まぁつまりは、信仰する心も法律遵守も信念に準ずるのも、わりと美しいんじゃないかと。 差などないのではないか。 信念はよくて信心はダメはないんじゃないかと。 そう言いたいワケですわ。 長々と書いたけど、結局はこんだけの事か…(´・ω・`) 620 :本当にあった怖い名無し :2007/04/26(木) 06 16 38 ID yXSAaLhv0 愛は 615、すなわちウンコである。 621 :てるー ◆FEpcx74ZZw :2007/04/26(木) 17 28 34 ID dhqBn8zTO 鳴海清ノシ 35ノシ 楽しもー ジーク反オカ! ジーク反オカ! 622 :てるー ◆FEpcx74ZZw :2007/04/26(木) 17 30 36 ID dhqBn8zTO っておいら降格してるじゃん! 623 :萌え :2007/04/26(木) 18 15 47 ID 4DQ8z4660 野次たん・・・・・・・・・・・ありがとう^^ 624 :鳴海清 ◆Ld9Xzhb53k :2007/04/26(木) 19 53 23 ID Gl2DiXjj0 602 馴れ合いばっかりだな。 そんなものに興味はないぞ俺は。 どうやったら出世できるんだ? 614 そうやって誤魔化すなよ。 その手の常套手段にゃうんざりだ。 625 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/26(木) 19 59 42 ID RulT8B5J0 馴れ合いは板を寂れさす ( - *从 ドゴボゴ! /⌒~)_ノ 《*)" √≦o《◎) ≡=- 626 :鳴海清 ◆Ld9Xzhb53k :2007/04/26(木) 20 01 28 ID Gl2DiXjj0 おまえ馴れ合ってるじゃねえかw 627 :ぱらけるすす ◆PARA//N9SM :2007/04/26(木) 21 49 10 ID 1AUXWrWLO 自分は馴れ合ってるのに気付いてないみたい… 628 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/26(木) 21 58 16 ID 6BAsQsLL0 35殿 さんごで35ですか、これはまったく気がつきませんでした 許可が下りるのを楽しみにしていますぞ 629 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/26(木) 22 08 46 ID 6BAsQsLL0 618殿 まだまだこれからですぞ 619殿 ふむ・・・ 630 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/26(木) 22 19 50 ID 6BAsQsLL0 鳴海殿 地位が欲しければここで持論を展開することですな 説得力があればなお良し 簡単な言葉なら更に良し それから 203 楽しもうではないか、ふぉっふぉっふぉ 631 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/26(木) 22 22 08 ID 6BAsQsLL0 諸君 神についてしばし語らった 語らってはみたもののどうも要領を得ない それは何故か? 神を語る者が語る内容がバラバラだからだ 632 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/26(木) 22 53 35 ID 6BAsQsLL0 諸君 赤頭巾の少女がこう問うたのだ 宇宙を造り魂を造り人間を造った、全知全能の者が 「何故、しっかりした感覚を与えられないの?」と 碧い瞳の女はこう答えた 「それはね・・・自由を、与えたからだよ」 凛とした女はこう答えた 「それはね・・・人間に与えられていない感覚があるからだよ」 長身の青年はこう言った 「アナタの理想とする神はアナタで創るべきです。」 少年がはみかみながら答えた 「それはね・・・人を、神を信じる者と信じない者とに分けるためだよ」 赤い髪の男はこう答えた。 「しっかりとした感覚というか 毎日 神様と会ってまつが?」 633 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/26(木) 23 00 49 ID 6BAsQsLL0 諸君 赤頭巾の少女が円らな瞳でこう訊ねる 「どうしてみんな違うの?」 私は答える それはね・・・ 「後 付 け の 理 由 だ か ら だ よ ま ず 神 あ り き で 必 死 に 答 え を 探 し て い る か ら だ よ」 小さいおまえにはまだわからないかな・・・ 634 :本当にあった怖い名無し :2007/04/27(金) 01 04 44 ID t/a2UQ+2O 633 その意見には賛同する。 後付けの屁理屈こそ、ソフィズムの美酒だ。 635 :本当にあった怖い名無し :2007/04/27(金) 01 18 59 ID t/a2UQ+2O ちなみに私は、少女にこう答えたい。 「それはね、偶然そう人間が多いだけだよ。世界は万変するから、明日には神の声を聞く人間が現れるかもね」と。 636 :ぱらけるすす ◆PARA//N9SM :2007/04/27(金) 03 19 07 ID 8Dhdu5MXO 後付けでも赤い髪でもないんだけど… 只 わからない人は わからなくても 問題ないけど わからない人が 無理やり答えを当てはめるのは違うんじゃないかな? まあ出家して10年以上の人が神仏と繋がらないっていうなら仕方ないだろうが 何も勉強しないで 自分の器の中だけの想像で語ってるから 滑稽な話だよ 夢はなんで見るのか不思議に思わないんだろうな 637 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/27(金) 06 54 44 ID bBrZ4TZn0 628 提督さーん、向こうの団長からの許可が降りました~ 今後ともよろしくで~す。 638 :てるー ◆FEpcx74ZZw :2007/04/27(金) 18 17 14 ID 8FiWrIh9O 肯定派も色々いるからねーそれがまた信憑性がねー 639 :本当にあった怖い名無し :2007/04/27(金) 18 20 28 ID VYPPBoybO お知らせです。 オカルトvs科学スレで軽い祭状態です。 640 :里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2007/04/27(金) 18 27 35 ID 8B2085R/O 639 二~三名の理系野郎が馴れ合っとるだけじゃないか? 641 :ゆみ :2007/04/27(金) 18 33 57 ID HjoMtLVw0 提督、サンゴさんをよろしく~♪ けっして騎士団の工作員ではありませ~ん♪ 642 :ゆみ :2007/04/27(金) 18 35 40 ID HjoMtLVw0 提督っていうより、ピエロだよ。 ごめん、ついつい本音が。 643 :ゆみ :2007/04/27(金) 18 37 12 ID HjoMtLVw0 オカルトvs科学って、 話がかみ合うわけがないよ。 将棋vsチェスみたいなもんだ! やるだけアホ。 644 :ゆみ :2007/04/27(金) 18 38 14 ID HjoMtLVw0 お互いに共通した前提を持っていないのに、 討論できるわけがない。 645 :ゆみ :2007/04/27(金) 19 45 31 ID HjoMtLVw0 ラブミ、ラブミ~♪ 646 :に :2007/04/27(金) 19 47 21 ID FYbaTGn50 愛か 仕事か 愛か 仕事か 愛か 仕事か 愛か~♪ 647 :ゆみ :2007/04/27(金) 19 51 07 ID HjoMtLVw0 愛なのか~♪ 648 :に :2007/04/27(金) 19 52 53 ID FYbaTGn50 ここのか とおか~♪ 649 :ゆみ :2007/04/27(金) 19 55 40 ID HjoMtLVw0 わたしから~、 去らないで~♪ 650 :に :2007/04/27(金) 19 56 21 ID FYbaTGn50 じゅういちにち頃に~♪ 651 :鳴海清 ◆Ld9Xzhb53k :2007/04/27(金) 19 56 23 ID AGNWnK080 643 かみ合うわけがないというより答えなどないといったところだな。 討論できないならレスもロムも要らん。 勝手におちゃらけてろw 652 :に :2007/04/27(金) 19 59 24 ID FYbaTGn50 ちがうんだな。 否定派vs肯定派の議論というのは、お互いの土俵がどれくらい異なっているのか、 あるいは、どれくらい妥協して近づく事ができるのかを模索するのが目的なのだ。 アリvs猪木戦の例をまつまでもなく、異種格闘技戦(土俵の違う者どうしが戦う)というのは 「お互いがどのように話し合い、ルールを決めるのか」というところからドラマが始まる。 653 :ゆみ :2007/04/27(金) 20 00 32 ID HjoMtLVw0 やるだけムダだよ。 654 :に :2007/04/27(金) 20 01 22 ID FYbaTGn50 しかしアリvs猪木戦はやるだけ無駄ではなかった。 そういうこと。 655 :本当にあった怖い名無し :2007/04/27(金) 20 02 45 ID ZWtY/XawO 643 そんな事言うなよ。話し合いにならんじゃないか。 656 :本当にあった怖い名無し :2007/04/27(金) 20 06 05 ID ZWtY/XawO 652 同意。 科学VSオカルトの時からだが、あんたは好きだな。 657 :ゆみ :2007/04/27(金) 20 06 43 ID HjoMtLVw0 あなたは~ 見つけたのね~ あたらしいカモを~♪ ユアクック~♪ 658 :里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2007/04/27(金) 20 07 39 ID 8B2085R/O オカルトvs科学は肯定vs否定とは違うんじゃないか。 オカルトと科学は対立しなきゃいけないもんなの? おてて繋いで仲良くするもんだと思うんだが。 659 :ゆみ :2007/04/27(金) 20 07 40 ID HjoMtLVw0 科学vsオカルト(笑) 660 :鳴海清 ◆Ld9Xzhb53k :2007/04/27(金) 20 13 02 ID AGNWnK080 652 同意。 そのせめぎあいが堪らなくスリリングなんだよな。 661 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/27(金) 20 16 12 ID bBrZ4TZn0 オカルトにどっぷり浸かってる人たちの中にも 科学的に論理的に思考探求できる人がいれば また逆に、真面目に科学を追求する人たちの中にも いつのまにかオカルト的思考に傾いている人もいる 662 :本当にあった怖い名無し :2007/04/27(金) 20 18 12 ID ZWtY/XawO 658 うん。そこは貴女の言うとおりだと、俺はそう思う。 その為の話し合いをするスレだと思ったんですよ。 まあ、あれはあれで面白いけど。 663 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/27(金) 20 18 21 ID bBrZ4TZn0 両者に共通してるのは、ある一つのことに対して 過剰に盲信してしまうってことかな その盲信をベースにして論理を組み立ててるって感じ 664 :鳴海清 ◆Ld9Xzhb53k :2007/04/27(金) 20 36 06 ID AGNWnK080 663 おまえは完全な中立で論理の組み立てが出来るのか? 665 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/27(金) 20 39 53 ID bBrZ4TZn0 664 完全な中立ってことはありえない。 てか普通は左右に行ったり来たりしてるって感じ。 それでも真理は探求できると思う。 666 :鳴海清 ◆Ld9Xzhb53k :2007/04/27(金) 20 56 14 ID AGNWnK080 665 なるほどな。 お前は信用できるな。 たぶんw 667 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/27(金) 21 00 27 ID bBrZ4TZn0 666 キリ番おめ~ ウチに信用? 喜んでいいのかしらw 668 :本当にあった怖い名無し :2007/04/27(金) 21 04 31 ID /M3rFpK30 バランスとは受容性と知ること。 1と-1を平均して0とすることが統合ではなく、2+3=5であることを知覚すること。 669 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/27(金) 21 08 07 ID bBrZ4TZn0 668 アナタすーごく奥深いことゆーね 今ウチ必死に考えてるw なんて返答しよーかな 670 :鳴海清 ◆Ld9Xzhb53k :2007/04/27(金) 21 08 33 ID AGNWnK080 668 1+(-1)=0だろw 2と3の話だったらちゃんと足し算して5にするから心配するなw 野郎共またな。 671 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/27(金) 21 09 54 ID bBrZ4TZn0 670 乙女だお もういちゃうの? またねノシ 672 :本当にあった怖い名無し :2007/04/27(金) 21 28 06 ID /M3rFpK30 女性性である2 生む者と生まれる者 男性性である3 空間における3点により、はじめて出現する力 パワー 673 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/27(金) 23 27 49 ID bBrZ4TZn0 672 陰陽和合ってこと? 674 :に :2007/04/27(金) 23 31 31 ID FYbaTGn50 673 農林2号ってこと? 675 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/27(金) 23 39 21 ID bBrZ4TZn0 674 時空警察見てないの?w 676 :に :2007/04/28(土) 00 15 24 ID C49VMOCK0 あわてて見たぉ そのしおん監督だったぉ 677 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/28(土) 00 48 31 ID hOuktKor0 634 ソフィズムの美酒を飲み干しましょう 「後付けの屁理屈に乾杯!」 635 その通り・・・明日・・・ それは神にも分かりませぬからな、ふぉっふぉっふぉ 678 :に :2007/04/28(土) 00 51 23 ID C49VMOCK0 ゾフィイズム ttp //d.hatena.ne.jp/images/diary/t/taitei/2006-09-07.jpg 679 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/28(土) 00 53 22 ID hOuktKor0 諸君 神を感じれず、されど神を信じる者よ いつも神を感じる彼は 636と言っている 諸君は勉強も努力も足りぬ 何故、諸君は感じられず彼だけが感じれるのだ? 私から言わせれば そんな人を見る者など神であっても神ではない 680 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/28(土) 00 58 31 ID owvi26MQ0 677 提督さーん、コバワ♪ そっかソフィズムってコジツケズムなのねw 676 675 訂正、時効警察だった、ごめん♪ 678 ワロタww 681 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/28(土) 01 00 44 ID hOuktKor0 諸君 程度の差はあれど 諸君がそれぞれに「神」を信じている事に変わりは無い されど神は差別する 感じれる者と感じれない者とに 神を感じれない者達とこの素晴らしき世界に乾杯 682 :に :2007/04/28(土) 01 00 47 ID C49VMOCK0 不思議時空にひきずりこんでやろうか 683 :清雨 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 01 03 36 ID Nv/2JiLF0 あぁ、死にてー 684 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/28(土) 01 04 03 ID owvi26MQ0 683 またかよw 685 :に :2007/04/28(土) 01 05 10 ID C49VMOCK0 http //www.youtube.com/watch?v=6-fAbB88rQ4 686 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/28(土) 01 05 21 ID hOuktKor0 「入隊令状 隊員番号006 35 ◆3535/GteJ6 右の入隊を正式に許可並びに右を軍曹に任命する」 団長の英断に感謝する 貴殿の健闘を心より祈る 687 :清雨 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 01 05 45 ID Nv/2JiLF0 いや、ちがう。でも頑張るんだ。 いやほんと。 688 :清雨 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 01 10 12 ID Nv/2JiLF0 686 なにが団長だコラ面白いことしてみろや。 689 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 01 10 21 ID e1K2YKZ2O 681 死にかけた事がある。 他人の親切や自分の肉体に、感謝や驚きを感じた。自分は小さく、大きいと感じた。 自らが奢らない為なら神の存在は無意味ではないと思う。 690 :清雨 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 01 10 59 ID Nv/2JiLF0 頑張ろ。上げていこ。 691 :清雨 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 01 17 52 ID Nv/2JiLF0 681 あなたでも神を感じることは出来ると思うよ。 例えば、状況として 絶望して孤独で味方もいなく、死ぬことも出来ないという状況とか、 また例えば戦争へ行って親友が死んでいくなか、塹壕に身を隠している最中だとか、 死の匂いの立ち込める強制収容所のような場所を想像すれば、 神を感じられると思う。ようは命の極限とか、そんな場所。 689の言うことは正しい。 692 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/28(土) 01 20 40 ID hOuktKor0 641 許可いただきありがとうございます さんごはパンダである その心は? 騎士団革命軍友好を一役買う そちらで色々と打ち合わせしているようですがの、ふぉっふぉっふぉ 643 本当にそうお考えならば、レスは一切しないことですな 事前に持論を展開し、その後この様なレスをする 残念ながらはまったく説得力がありませんぞ 693 :35軍曹 ◆3535/GteJ6 :2007/04/28(土) 01 21 52 ID owvi26MQ0 686 ありがとうございます~ 隊長、ウチ軍曹としてがんばるっちゃw 694 :35軍曹 ◆3535/GteJ6 :2007/04/28(土) 01 25 28 ID owvi26MQ0 692 ふふふ♪ しかしそのパンダは実は凶暴な獣なのだwww 695 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/28(土) 01 30 16 ID hOuktKor0 652 面白いですな 私もドラマティックな展開を期待しておりますぞ 我々の持つ揺ぎ無い正義をぐらつかせる程のドラマティックな展開を 鳴海殿 彼が言ってるのは数字を変えれば分かりやすいのではないかな? 10と30を平均して20にしようとするのではなく 10と30を40になるようしなければと こう言っているのではなかろうか 諸君 672の通訳を誰か頼む 696 :に :2007/04/28(土) 01 33 58 ID C49VMOCK0 パンダはたいへんに凶暴ないきものです http //www.youtube.com/watch?v=iiLN_ouo47g 697 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 01 35 45 ID F0ZCCskiO むしろ俺のが凶暴 698 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 01 36 28 ID HkYjUYtm0 697 いいや俺なんか冬眠から覚めた熊 699 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 01 36 33 ID UCAAqUty0 697 おう!7つの海をまたにかける俺にはお前なんて目じゃねぇぞ!! ウホッしてやるよ!! 700 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 01 36 44 ID V0dEBe6e0 オレだってアレが凶暴だぜ 701 :コケシ:2007/04/28(土) 01 36 44 ID dw6qku4S0 697 俺はワレモノ注意 702 :船員 :2007/04/28(土) 01 37 46 ID FQCbRSWa0 699 海の男は俺 703 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 01 39 19 ID UCAAqUty0 そこまで言うなら俺の凶暴さを見せてやっても良いだが・・・・・・ 704 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 01 39 42 ID F0ZCCskiO 703 ( ゚∀゚)⊃ どうぞどうぞ 705 :コケシ:2007/04/28(土) 01 39 42 ID dw6qku4S0 703 ( ゚∀゚)⊃ どうぞどうぞ 706 :に :2007/04/28(土) 01 39 59 ID C49VMOCK0 田舎に帰れ 707 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 01 40 06 ID V0dEBe6e0 703 ( ゚∀゚)⊃ どうぞどうぞ 708 :に :2007/04/28(土) 01 40 30 ID C49VMOCK0 やってもた>< 709 :野次馬:2007/04/28(土) 01 40 52 ID zCV/f5X60 あ、野次馬増えてる? 710 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 01 41 19 ID Nv/2JiLF0 おもしろそうだなー 711 :船員 :2007/04/28(土) 01 41 41 ID FQCbRSWa0 703 ( ゚∀゚)⊃ どうぞどうぞ 712 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 01 41 54 ID Nv/2JiLF0 つか自作自演? 713 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 01 42 02 ID UCAAqUty0 710 ( ゚∀゚)⊃ どうもどうも 714 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 01 42 23 ID HkYjUYtm0 703 ( ゚∀゚)⊃ どうぞどうぞ 715 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 01 42 28 ID V0dEBe6e0 712 ヒント:ID 716 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 01 43 00 ID UCAAqUty0 710 ( ゚∀゚)⊃ どうもどうも 717 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 01 43 13 ID Nv/2JiLF0 ダチョウくらぶ結成すればいいよ 718 :野次馬:2007/04/28(土) 01 45 19 ID zCV/f5X60 717 オマイサマだって一人ダチョウクラブが出来るじゃないか 719 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 01 45 22 ID HDjRvDP00 717 ( ゚∀゚)⊃ どうもどうも 720 :に :2007/04/28(土) 01 46 21 ID C49VMOCK0 でもこのスレにはジモンしかいないよな 721 :本当にあったら怖いダチョウ倶楽部 :2007/04/28(土) 01 46 38 ID UCAAqUty0 717 ( ゚∀゚)⊃ どうもどうも 722 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 01 48 36 ID Nv/2JiLF0 たのしそうだなー 723 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/28(土) 01 48 49 ID hOuktKor0 689殿 そうですか、死にかけた事が・・・ 貴殿はつまり人間が神を生んだとお考えだと理解しました 691殿 出来れば私も神を感じたい 申し訳ないが理解に苦しみます その様な状況でしか感じれないとは一体神とは何なのだろう? この豊かな国で2chしながら毎日神を感じる者も居るというのに・・・ 724 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 01 49 22 ID dw6qku4S0 以上、厨房ダチョウ達がお送りしますた。 m n _∩ ∩_ n m ⊂二⌒ __) /\___/ヽ ( _⌒二⊃ \ \ / \ / / \ \ |(●), 、(●)、. | / / \ \| ,,ノ(、_, )ヽ、,, . |/ / \ .| ´トェェェイ` . | / それが、ダチョウクオリティ \\ |,r-r-| . // http //wwwww.2ch.net/news4vip/ \`ー`ニニ´‐―´/ / ・ ・ / 725 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/28(土) 01 53 59 ID hOuktKor0 35殿 かわいいお主に「軍曹」と言う言葉は似合いませんな、ふぉっふぉっふぉ 726 :野次馬:2007/04/28(土) 01 55 11 ID zCV/f5X60 てーとく 私の場合は、神=宗教 と言う固定観念を外さないとイケナクなってきました。 神を感じる人はどうやって感じているんですか? 感じたから解ったの? 感じるとしたら・・どうやって? それとも書物などで勉強して解ってきて、感じるようになったの? 感じる人、誰か答えをくだされm(_ _)m 727 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/28(土) 01 57 23 ID hOuktKor0 鳴海殿 「辞令 隊員番号005 鳴海清 ◆Ld9Xzhb53k 右を一等兵に任命する」 728 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/28(土) 02 05 33 ID hOuktKor0 ★★★反オカルト革命軍☆☆☆ 名簿 001 ◆sFIwNDy4lQ 提督 002 667 ◆3Rt66u03z 一等兵 003 てるー ◆FEpcx74ZZw 大尉 004 にゃー 二等兵 005 鳴海清 ◆Ld9Xzhb53k 一等兵 006 35 ◆3535/GteJ6 軍曹 729 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 02 10 37 ID Nv/2JiLF0 726 むかしは、祭りや祭儀で神を感じてた。 日本以外でもそうだし、ミサや宗教儀式のなかでもそう。 たとえば、何かの祭り、または儀式の熱狂のなか その人は自分を抜け出し「自他ともに溶け合った」熱狂を体験する 使い古されたバタイユを持ち出しますと・・・ エクスタシーは「ex=出る」「自らから出る」という意味からつけられ、 「自分の内から外へでる」状態のことをさした。 性的なものだけじゃない。失神や「自己を忘れる」熱狂は それすなわちエクスタシーだった。 それは、小さな自我から飛び出て、大きな自分以外のなにか、神に触れる儀式でもあった。 今では儀式性は廃止されてきたし、 祭りも危険なものは禁じられてきた。。神を感じにくい時代だね。 730 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/28(土) 02 11 20 ID hOuktKor0 野次馬殿 私もそれは非常に興味があります 神を信じている人はここにもたくさん居る様でしたが ここで神を感じれるのはぱらけるすす殿だけのようですな 何にしろ考える事は非常に良い事だと思います もし貴殿が悟る事が出来たならば 是非分かりやすい言葉で語っていただきたいものです 731 :に :2007/04/28(土) 02 13 35 ID C49VMOCK0 エクスタシーという言葉は、XTCの曲を聴いた時に生じる感覚に似ているのでその名がついたんだよ。 732 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 02 19 27 ID Nv/2JiLF0 XTCだと!? 俺もすきやん。 733 :に :2007/04/28(土) 02 25 04 ID C49VMOCK0 将軍と提督 734 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 02 25 42 ID Nv/2JiLF0 おめーは本当にクロストークをしないな 735 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 02 27 59 ID Nv/2JiLF0 いま俺の頭のなかでは pixies /「where is my mind?」が流れている 736 :に :2007/04/28(土) 02 27 59 ID C49VMOCK0 http //www.youtube.com/watch?v=uZ0MxbxaL3E 737 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 02 28 37 ID 9plYBptv0 男は、△ ▲ ▽ ▼ ∴ ∵ 女は、∧ ∩ V ∪ ? 陰陽の応用かな…ワカランチン ありがとう 738 :に :2007/04/28(土) 02 29 25 ID C49VMOCK0 訳すと「将軍と大佐」だっけ? http //www.youtube.com/watch?v=S6deXuGhnMY 739 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 02 30 26 ID Nv/2JiLF0 なんか、いつも少しオタクっぽいのが好きだね。 俺は路線はどうあれ、少し耽美なのがすきなのよ。 pixiesだって、joy divisionだってそれなりに耽美やん。 740 :に :2007/04/28(土) 02 32 59 ID C49VMOCK0 耽美なんてどうでもいいよ。 ミッジユーロ時代のultravoxなんて糞だよ。 金子國義の挿画の入ってる「眼球譚」だっていちまんえんで売ってやるよ。 741 :野次馬:2007/04/28(土) 02 34 43 ID zCV/f5X60 >陽炎 ありがとう。 たぶん少しは分かった・・のかな・・? >提督 私は昔、神に真剣に祈ったことがあります。 ただし、某宗教で教えられた神に です。 真剣に真剣に幾日も祈って、ある日ふっと何かが自分から抜けたのです。 けれど神の声を聞いたわけでも、祈りの答えを知ったわけでも無いのです。ただ、「届いた」と、勝手に私はその時思ったのですよ。 けれど、陽炎氏の言うような抜け出し方とはまた違っているので、私の思いこみだったかもしれません。 だから、結局はなにもわからないのです。 何も感じたことが無かったかと言われると、そうでもない。 けれど、自分の中で「あった」と思うばかりで、それを伝える方法もない。 その後、某宗教の影響を受けながら結構長い時間が過ぎました。 私はその宗教をある時は素晴らしいと思い、ある時は反発して、すぐに振り出しに戻るのですよ。 もとの黙阿弥に。 改めて、もう一つ質問を出させて下さい。 一般にキリスト教などで語られている「神」は、人間ひとり一人を見守っている、または愛している と言います。 それについてはどうなんでしょう。 「人間と言うひとくくり」を愛しているのでしょうか。それとも、個人個人を愛しているのでしょうか。 どなたか、考えを聞かせて下さい。 742 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 02 35 12 ID Nv/2JiLF0 ちなみにビジュアル系は十八番だ。 738 なつかしー。なんか「金色の羊毛はないけど~」みたいな歌が 好きだった。 いまリロードしたら、なによ、バタイユ好きなの? 俺はあの辺極めているよ。バタイユ、ミッシェル・フーコー ドゥルーズとか、あの辺のフランス現代思想は十八番だ。 743 :に :2007/04/28(土) 02 36 02 ID C49VMOCK0 アルゴ探検隊だな。 744 :に :2007/04/28(土) 02 36 33 ID C49VMOCK0 金子國義が好きなだけだかんちがいするなよ 745 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 02 39 12 ID Nv/2JiLF0 金子國義って誰よ? と思いぐぐったら、 子供のころから見たことのある絵だ。 19世紀デカダンスか。あの辺も大好物だ。 746 :に :2007/04/28(土) 02 39 47 ID C49VMOCK0 741 どなたか、考えを聞かせて下さい。 神は萌え萌え美少女ひとりひとりを分け隔てなく愛していらっしゃいます。 747 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 02 40 15 ID Nv/2JiLF0 「人間と言うひとくくり」を愛しているのでしょうか。それとも、個人個人を愛しているのでしょうか。 なしてそんなことを疑問に思うの? 自分個人を愛してくれないかと不安なの? 748 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 02 41 16 ID Nv/2JiLF0 746 てめ、まじめにレスした俺が間抜けじゃねーか! 749 :野次馬:2007/04/28(土) 02 41 40 ID zCV/f5X60 747 反対です。 750 :野次馬:2007/04/28(土) 02 44 26 ID zCV/f5X60 宗教で教えられて染み着いているモノを否定する材料を探しています。 一神教の神と、個人を導くモノは別のモノなんでしょうか・・ね 751 :に :2007/04/28(土) 02 44 32 ID C49VMOCK0 748 賛成です。 752 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 02 47 09 ID Nv/2JiLF0 749 まぁ、「人間個人個人を愛す」のと、「人間ひとくくりを愛す」が どう違うのかもわからんが、 この論題自体よりも、むしろそこを気にするあなたが 何を考えているのか気になる。きっと個人的な固執があるんだろうて。 753 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 02 48 52 ID Nv/2JiLF0 750 なにを否定したいのかくわしく 754 :689:2007/04/28(土) 02 58 08 ID e1K2YKZ2O 723 そんな感じ。 もっと言えば神(そう呼ぶに足るモノ)は自らの中にある。と思っている。 それは親切な友人や優れた医師や日々再生する自らの肉体、降る雨や咲く花、朝日や毎日の食事といったありとあらゆる事物の中にあって、いつでも感じる事が出来る。 神は世界中にありふれている。 と思いたい。 755 :野次馬:2007/04/28(土) 03 01 13 ID zCV/f5X60 固執はどうかな。 あるとも無いとも よく分かりませんが ぶっちゃけて言うと、私は「エ○バの証人」から神の話を聞いてきました。 一神教です。霊は存在しません。 八百万の神は存在しません。 神とキリストと聖霊の他はすべて「悪魔」です。 神は人格神です。 と、こんな内容の教えだったのですが、 否定したいっていうか、納得行かないから結局入信もしなかったけど、 神ってなんなの? エネルギーの固まり? 人格神? わかわからなくなってきたぞ。 756 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 03 08 40 ID Nv/2JiLF0 755 あー、わかるわかる。 俺はビジュアル的に、西洋のキリスト教を咎めるのも汚すのも、 反対に崇めてみるのも好きだが(礼服とかかっこいいやん) キリスト教のそうした教えだけは好きになれない。イエスは好きだが。 >一神教です。霊は存在しません。 八百万の神は存在しません。 これはウソ。真っ赤なウソ。信じるだけ害。 >神とキリストと聖霊の他はすべて「悪魔」です。 これはある意味正しい。キリスト教の教義のなかでは真実。 考えていくに、一神教というのは論理的に無理がありすぎる。 好意的に解釈して、多神教的な意味で言ってるならまだ受け入れられるけど。 (例えば「いろんな霊魂は大本で一つにつながっている」とか) でも霊魂はあるし、いろんな人格神がいると思うよ。なんでって?わからんが 757 :野次馬:2007/04/28(土) 03 08 46 ID zCV/f5X60 神に意志がある これはその通りだと思う 神=愛 生きてる事や体のつくり、自然を見ると「愛」だと思う。 慈悲深い しかしこれはどうなのか分からない と行った具合。 ある人に「神を宗教だと思ってるレベルの低さ」と言われたけど、なんというかその通りで 758 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 03 12 46 ID Nv/2JiLF0 キリスト教の神は信用できないよね。矛盾ばっか。 だれかが「キリスト教の神は人間よりも大事なものがあるって感じがする」 といったが同意。 というか、「善なる存在」って、みんなそんな感じがする。 でも、キリスト教の作ったオブジェは好き。耽美で。 黒ミサも教会も好き。 759 :野次馬:2007/04/28(土) 03 13 52 ID zCV/f5X60 >神とキリストと聖霊の他はすべて「悪魔」です。 良いモノと悪いモノの区別を付けられないから、そう言うことにしておくのがいい とは思うけど、 ごめんよ。 もうちょっと頭を整理してみるわ。 元々持ってた自分の考えと、教えられた宗教の教義が悪い風に混ざり合って、 自分がどう思ってたのかがよーわからんようになっとる。 760 :野次馬:2007/04/28(土) 03 15 14 ID zCV/f5X60 名前:ゆみ[] 投稿日:2007/04/26(木) 15 56 54 ID Mk0nzj/10 山っていうのは聖なるものですよ。 旧約聖書の時代には「聖なる山」とか「聖なる高台」に、 バールやイシュタルやその眷属が祀られてて、 まさに多神教華やかなる時代でした。 山っていうのは「気」(エーテル)が集まる場所です。 水は低いほう低いほうへと流れるけれど、気は高いほうへと流れます。 もしくは金属や鉱脈にそって流れます。 水が低い場所にたまって湖をつくるように、 気は山のような高い場所に蓄積される。 気というのは「生命力」なので、 気がストックされて凝集すると固有の意思をもった存在になるの。 つまり山の神さまというのがソレです。 大地を流れる気はもともとは地球の中心からやってきます。 地球を構成しているあらゆる物質は、 長い長い時を経て地球の中核へと運ばれていき、 そこで破壊されて気(生命力)に昇華します。 それが物質というものの進化過程なのです。 鉱物というものは、 惑星の中核で破壊されてエーテルへと進化します。 これはゆみさんのコピペ。怒るかな? 761 :野次馬:2007/04/28(土) 03 20 55 ID zCV/f5X60 水は山に振って海に注ぐけど・・・命は海から生まれ、魂は死ぬと山に向かうんだよ 水と全く正反対に・・・・そして山の頂上に集まった魂を月が回収するんだー 山から海は葉っぱ一枚の中にもあるでしょー、虫一匹でも真理を教えてくれる ↑これは某氏のコピペ こっちを先に読んだので、意味不明だったんだけど、 760を読んですこしばかりは合点が行った・・のはいいけど 762 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 03 24 46 ID Nv/2JiLF0 じゃあ東京タワーのてっぺんはすごい生命力なんだな。 763 :野次馬:2007/04/28(土) 03 28 45 ID zCV/f5X60 「こうして寄り集まり凝って濾されて出来た」のが神 なら、 長々と今まで私が教えられてきた神については(納得してなかったけど)随分と考えを改めないといけないわけで、 でも、そうなると、ビックバンとかはどうなるわけ?とか。 764 :野次馬:2007/04/28(土) 03 30 00 ID zCV/f5X60 762 一応「気」なんだったら、山とかなんかそう言うのに沿わないといけないキガス 気って生命力と同じでいいんだろうか 765 :野次馬:2007/04/28(土) 03 31 33 ID zCV/f5X60 あのー すみません。 眠たかったら寝て下さい。 766 :まりりん :2007/04/28(土) 03 34 46 ID X25WXtXe0 765 野次馬さん、あしたはお休みなの? 767 :野次馬:2007/04/28(土) 03 37 29 ID zCV/f5X60 あ、起きてたの? 明日どころか毎日が休み。 768 :まりりん :2007/04/28(土) 03 40 12 ID X25WXtXe0 うん。今見たら来てくれたんだね。 いや、ここにいるの知ってたから、どーしよーかなーと思ったけど、 つい声をかけてしまったw 769 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 03 40 43 ID Nv/2JiLF0 767 もっといろいろ本を読んだほうがいいと思う。小説とか。 770 :野次馬:2007/04/28(土) 03 44 49 ID zCV/f5X60 清雨陽炎さん。 ながながと付き合ってくれてありがとう。 また、教えて下さいね。 小説ですか。 自然学とかじゃなくて? お勧めのはないですか? まりりんタン、声かけてくれてありがとう。 まりりんタンもよく起きてるよね。 771 :まりりん :2007/04/28(土) 03 48 45 ID X25WXtXe0 770 不眠症なの。寝ても3時間くらいしか眠れないから、 何時に寝ても早起きだよ。 772 :陽炎 ◆eIciS8mlVU :2007/04/28(土) 03 51 33 ID Nv/2JiLF0 770 神話を読むとか・・世界史を学んでいること前提にして・・ いや、世界史をやってから宗教学かな。・・でもどっちも一緒か。 聖書も、たぶん今ならよく読んでみると面白いと思うよ。 遠藤周作とかビギナーでいいのではないですか。 あの人も押し付けられた宗教観を、自分で乗り越えた人だから。では寝ます。 773 :まりりん :2007/04/28(土) 03 53 26 ID X25WXtXe0 晴雨さん、お邪魔してごめんね。 おやすみなさい。 774 :野次馬:2007/04/28(土) 03 54 28 ID zCV/f5X60 そっかー 不眠症ってなんだかキツそうだ。 体力とか落ちるんだろうなあ。 せめて体調に気を付けて・・ >陽炎たん 今日はありがとう。 「遠藤周作」行ってみる。何冊か読んだことあるからとっかかりやすそう。 落ちますよ おやすみなさいm(_ _)m 775 :まりりん :2007/04/28(土) 03 56 34 ID X25WXtXe0 じゃあ、あたしも頑張って寝る。 おやすみなさい。 776 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 04 54 59 ID NcTuGyKoO さて 777 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 04 57 03 ID NcTuGyKoO 777!! 778 :35軍曹 ◆3535/GteJ6 :2007/04/28(土) 08 07 59 ID owvi26MQ0 昨夜はみんな熱かったのねw すごーい中身の濃い議論だ… ウチどっからレスつけよーかな? 779 :35軍曹 ◆3535/GteJ6 :2007/04/28(土) 09 12 38 ID owvi26MQ0 695 提督さーん、 672は 668の続きだっちゃ たぶんカバラかなんかの数霊術だと思いま~す。 2が女性的原理で3が男性的原理で、その交わりで5の子供が生まれる(キャー)って感じ? ちなみに1は神、-1はそれに敵対する者(魔神?)で おそらくその上には0という宇宙創造根源神がいるのだと思う。 2はより精神的、神秘的で、生んで生まれる存在。3はより物質的で、パワーのある存在。 5はその両方を組み合わせた、高次元の超人的な存在だと思われま~す。 696 キャハハ♪ なんてナマケモノ…いやパンダなんだーw 697-703 なんなんだー この凶暴さ自慢は…w 725 ウチはかわいい鬼軍曹になるっちゃw 皆の者、覚悟しておけよ! 780 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 10 51 25 ID 9plYBptv0 安倍総理は、『“危機”に臨んでは右と左を足して2で割るような結論は、状況に真に適合したものにならない。 情勢を的確に分析し、自らの信じるところに従って、たとえ『 核武装 』であっても的確な決断をすることが必要だ。』 タブンこんな感じデハ? △→☆ ありがとう 781 :萌え :2007/04/28(土) 11 04 59 ID sy7oP/8u0 提督、貴方は卑怯者だと思います、ただ人を利用しているだけにしか思えない 僅かな灯火で探求される方は、野次たんのような方です、心から知りたい と想うから、知ることが出来る、彼女には必ず神の導きがあいます けど提督貴方は、その想いが見られない ・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・提督やめて 「皿洗い」がお似合いですよ^^ 782 :35軍曹 ◆3535/GteJ6 :2007/04/28(土) 11 22 31 ID owvi26MQ0 781 うわ~、提督さんの回答が楽しみっちゃwktk 783 :萌え :2007/04/28(土) 11 23 09 ID sy7oP/8u0 野次たん、心を楽にして下さい、貴女神を、愛する様に 神も貴女を愛しています 焦らないで下さい、焦りからは、真実は見つかりません。 すでに貴女には、用意されています、必要な時に必要な者が 784 :野次馬:2007/04/28(土) 13 24 05 ID zCV/f5X60 萌えたん。 ありがとうm(_ _)m どうやら思い違いをしていたのは私の方だったみたいです。 萌えたんには言いたいことを言ったし、恥じ入ったついでに発言を控えようかと思ってたんだけど、考えを変えました。 萌えたん 私にもうすこし読解力と受け入れる度量があったら「彼」の話をもっと違う形で聞けただろうに と、今は自ら棒に振ってしまったことが残念です。 彼も、伝わらない私によく長い間話してくれたものだと思う。 ごめんね、蟋蟀たん。そして、出入り口を作ってくれたことに感謝。 と、いうわけで当分居座ろうと思います。 提督 皆様 よろしくです。m(_ _)m 785 :萌え :2007/04/28(土) 15 49 01 ID nIbVpszI0 野次たん^^最近彼の気配を感じますwww 向こうの気が向いたら、接触して来る と思うからww それまで知らん顔w 786 :鳴海清 ◆Ld9Xzhb53k :2007/04/28(土) 16 17 43 ID c/u5lY4J0 居るよなw こういう他所の話を得意げに語る奴w 何が嬉しいんだかw 野次たんは律儀だな。 俺は好きだぜ。 っていうか野次たん大人気だな。 787 :鳴海清 ◆Ld9Xzhb53k :2007/04/28(土) 16 27 17 ID c/u5lY4J0 781 提督、あんた煽られってぞw めんどくさそーーw 健闘を祈るww 788 :ふく :2007/04/28(土) 17 44 04 ID eZQAodPeO ここ面白そうだにぃ~。(@_@) 789 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/28(土) 22 33 38 ID jGr7nM+G0 ∫∫∫ 人 (ミ . ) (ミ ・∇・)只の馴れ合い天国だよ 790 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 23 02 54 ID AR3kVg4RO 見えない人には、神が居るかどうかなんて多分一生分かんないんだろうなぁ… 『パリはあるか』や『鮫島事件』みたいなもんだし。 791 :てるー ◆FEpcx74ZZw :2007/04/28(土) 23 08 05 ID 4Ume2TOYO 最近雰囲気悪いねー 実のある話少ねー 792 :てるー ◆FEpcx74ZZw :2007/04/28(土) 23 09 35 ID 4Ume2TOYO とりあえず唯一神はいないでOK? 793 :本当にあった怖い名無し :2007/04/28(土) 23 23 48 ID AR3kVg4RO 792 それは誰にも分からないよ。 全人類にアンケート取っても分からないさ。 794 :35軍曹 ◆3535/GteJ6 :2007/04/29(日) 01 01 52 ID XjWS2dpq0 今夜は提督さん来ないんかな… 残念だにょ 795 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 01 03 38 ID 8wEIcrvs0 741 そうでしたか・・・エ○バでそんな体験をされたのであったか・・・ 私は仕事に集中してると電話の音が聞こえない時がたまにあります 殴り合い中に痛みを感じなかった事もありました それから精神を病むと、幻覚幻聴があたかも現実の様に思われるみたいですな つまり何が言いたいのかと言うと あなたがもう少し正気を失う事が出来たならば神は感じれたのではなかろうか? もう少し思い込みが激しかったならばどうであったろうか? 幸か不幸かあなたは正気だった 無論、相手側の理論・話術がイマイチだったのも大きな要因でしょうが 796 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 01 05 15 ID 8wEIcrvs0 741 読解力が無いものだから最後の質問は意味が分かりませんでした 797 :に :2007/04/29(日) 01 13 07 ID ZQsLdo2V0 唯一神ってあれだろ。 5W1H とかいう。 798 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/29(日) 01 14 37 ID 29Xdtjv/0 唯一神ってあれだろ ほう れん そう! とかゆう ほら 799 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 01 15 41 ID 8Jtq+8O3O 796 種としての「全人類」か、顔の見える個人か、て事じゃないです? 800 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/29(日) 01 16 46 ID 29Xdtjv/0 ,-、 ,.-、 ./ \ / ヽ / ;ゝ--──-- 、._/ | /,.-‐ "´ \ | / ヽ、 | / ● ヽ| l , , , ● l .| (_人__丿 、、、 |月猫 l lいつも笑顔を ` 、 / `ー 、__ / /` ー‐‐──‐‐‐┬ ""´ 801 :に :2007/04/29(日) 01 16 48 ID ZQsLdo2V0 サザエ、それはないよー 802 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/29(日) 01 17 24 ID 29Xdtjv/0 ,-、 ,.-、 ./ \ / ヽ / ;ゝ--──-- 、._/ | /,.-‐ "´ \ | / ヽ、 | / ● ヽ| l , , , ● l .| (_人__丿 、、、 | l l誤爆 ` 、 / オレ乙 `ー 、__ / /` ー‐‐──‐‐‐┬ ""´ 803 :に :2007/04/29(日) 01 19 37 ID ZQsLdo2V0 ttp //www.sunny-style.com/gif/pop_cute/oreomagnetclip.jpg 804 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 01 19 43 ID 8wEIcrvs0 779 ありがとうございます 私はどうもこういう曖昧でもったいぶった論理?が苦手でしてな・・・ これを考えた人に「それで?」と言いたい 782 787 こういった下らぬレスは今後一切禁止する 常に建設的であれ 答えられる内容であれば対応致す故、楽しみに黙しておれば良い 805 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 01 25 08 ID 8wEIcrvs0 792 今のところ唯一神を肯定している人は少数派の様ですな 806 :に :2007/04/29(日) 01 26 18 ID ZQsLdo2V0 俺も5W1Hの存在を信じているよ。 807 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/29(日) 01 26 49 ID 29Xdtjv/0 \_ _/ _/ \ / / ユンユン ξ ユンユン W / ̄ヽ 从*゚∀゚从<全レス返しかw めでてーな │ │ 馴れ合いは板を寂れさすぜ │、 │ Y 人 > (_) J 808 :野次馬:2007/04/29(日) 01 28 46 ID ObR55E0G0 おまいらてーとく大好きだろう^^ 809 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 01 29 00 ID fxLjRAo/0 807 なめるな!俺はスルーされている 810 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 01 29 42 ID fxLjRAo/0 てーとくをぼーとくしたい 811 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 01 32 00 ID 8wEIcrvs0 諸君 決して人に利用されてはならない 私が人を利用しているだけにしか見えないならば どうすれば私に利用されずに済むか、それを考えそれを行動するのだ 宗教家然り 霊能者然り 812 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 01 33 20 ID 8wEIcrvs0 諸君 私は神は信じていない しかし汗を流し皿を洗う名も無き人は信じている 提督談 813 :从*゚ー゚从またやん :2007/04/29(日) 01 34 42 ID 29Xdtjv/0 人 ノ/ノノヽヽヽ / /ノノ/ノノ"\ヽ ヽ /ノ ●) ●) l 从 * ∀′ 丿 インチキ然り 〉 ..K キチガイ然り だな 〈_ノ . l- ト、 ) ノ ヾニノ 814 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 01 36 10 ID fxLjRAo/0 神は信じなくてもいいから もう少し面白かったらな。 815 :野次馬:2007/04/29(日) 01 37 06 ID ObR55E0G0 812 それもいい!! 816 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 01 59 10 ID 8wEIcrvs0 野次馬殿 今日はご機嫌麗しそうで何よりですぞ、ふぉっふぉっふぉ 817 :に :2007/04/29(日) 02 00 38 ID ZQsLdo2V0 (V)∧_∧(V) ヽ(・ω・)ノ フォッフォッフォッ . / / ノ ̄ゝ 818 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 02 22 55 ID 8wEIcrvs0 799殿 まだ分からぬ・・・ 約50億の人間を一くくりで愛しているのか? それとも個人個人愛してたり愛してなかったりしているのか? どっちだと思う? という意味であろうか・・・? 819 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 02 48 22 ID vWHtt3QYO そういう意味だろうね。 私としては、あの手の神は種族としての人間を愛してる、って感じる。 『ユニクロのタートルネック』が好きなんじゃなくて『ユニクロ』が好き、みたいな。 個々への対応は天使とかの役割じゃね? 820 :35軍曹 ◆3535/GteJ6 :2007/04/29(日) 02 56 03 ID XjWS2dpq0 804 ふぁ~ぃ…しゅみませんでしたぁ 818 これって「約50億の人間を一くくりで愛してる」から 多少の「個人」の犠牲はしょーがないのでは? って意味にウチは感じられる 821 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 03 07 46 ID vWHtt3QYO 私もそう感じる。 失敗したらまた一からやり直せばいいや、程度の愛情っていうか。 何せ前科があるしなww 822 :799:2007/04/29(日) 10 49 55 ID 8Jtq+8O3O 818 おはようございます提督。 そんな感じじゃないです? 「自分」が愛されているなら自分の祈り(願い?)が届いて、神からのコンタクトがあるだろう。 でもそれが無いのはもっと広く、全人類を愛していて、自分にばかり気をかけていられないからだろう。 でも神と対話できる人がいる、彼等と自分は何が違うだろう、自分の信心だろうか、運だろうか。 てな感じじゃないです? 823 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 11 12 27 ID 8wEIcrvs0 819殿 遅ればせながらやっと分かってきました(苦笑) そのタートルネックの例えは非常に分かりやすくてよろしいですなあ 個々への対応は天使ですか・・・なるほど・・・ どちらにしても野次馬殿(や我々やその他の者)が感じられない事に変わりはありませんなあ 824 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 11 18 05 ID 8wEIcrvs0 35殿 なるほど・・・ 多少の「個人」はしょーがないって意味 ですか・・・ ぐらりときました そう考えると神の存在はある様な気がしますな しかし「多少」ではなく「多」だと私は考えてしまいます そして、なんとまあ神というのは慈悲も力もない存在なのだろうか・・・と考えます 825 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 11 20 39 ID 8wEIcrvs0 821殿 前科があるのですか? 826 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 11 28 46 ID 8wEIcrvs0 799殿 おはようございます 非常に分かりやすい説明ありがとうございます ふむ・・・ やはり「正気を失くせない」事ではないでしょうか・・・ 827 :821:2007/04/29(日) 14 04 17 ID vWHtt3QYO 825 ほら、ノアの箱舟の奴。 動物とかを一対ずつ集めて、残りは削除。 神に取っては、世界はまさにゲーム感覚なんだろうなぁ。 ルートを間違えたら、初めからやり直し。 最終的に上手く出来るかが問題で、個々のルートには興味なし。かな 828 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 14 50 20 ID fxLjRAo/0 キリスト教の神は、ケツの穴が小さいから 829 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 15 34 50 ID fxLjRAo/0 アッバでもイエスでもマリアでも阿弥陀仏でも大日如来でもいいんだよ。 往生も回心も質的には同じ現象なんだよ。 830 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 16 24 05 ID vWHtt3QYO 質問 そもそも、何で人間は神がいるなどと言い出したんだろう。 みんなの意見が聞きたい 831 :ゆみ :2007/04/29(日) 16 31 12 ID 04wI3DW30 神はいる。 神はいない。 どちらも信じてはならない。 賢しらな言葉ではなくて、 人生そのものが答えを与えてくれるはず。 それまで回答は保留しておけばいい。 832 :ゆみ :2007/04/29(日) 16 34 58 ID 04wI3DW30 なんつってな w 833 :ゆみ :2007/04/29(日) 16 37 20 ID 04wI3DW30 神などいない! とか言っときながら、 困ったときだけ神だのみしやがって w 調子のいい連中め! 834 :ゆみ :2007/04/29(日) 16 40 22 ID 04wI3DW30 回心ってのは、 ほんと突然やってくるぞ! 835 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 16 45 28 ID cO1T+UtP0 えしん 【回心】 (1)心を改めて、仏道にはいること。改心。 (2)小乗の信仰を改めて、大乗を信ずること。 (3)浄土真宗で、自力の信仰を改めて他力を信ずること。 836 :ゆみ :2007/04/29(日) 16 46 41 ID 04wI3DW30 コンバーーーーージョン! 837 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 16 49 31 ID cO1T+UtP0 かいしん 回心 エクシード和英辞典より 《キリスト教》conversion. 838 :ゆみ :2007/04/29(日) 16 53 47 ID 04wI3DW30 たとえば明日、 親兄弟がいっぺんに死ぬかもしれない。 苦しみのどん底に落とされるかもしれない。 その人生のどん底の暗闇のなかで、 どこからいったい光が差し込んでいるのかが見える・・・ それはほんのかすかな光かもしれないが、 ほかに光を見つけることができない。 苦しみの中に突き落とされたとき、 意外な存在が助けてくれたりするもんだよ。 839 :ゆみ :2007/04/29(日) 16 57 53 ID 04wI3DW30 人生こそが教師なんだよ。 人生こそが真実の書物なの。 ぼんやりした頭であれやこれや考えたって、 答えの出せる範囲は限られてるよ。 840 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 17 02 20 ID 8wEIcrvs0 827 ああ、そんな話がありましたなあ・・・ 841 :ゆみ :2007/04/29(日) 17 03 01 ID 04wI3DW30 人生という書物は、 頭だけじゃない、 心も、体もつかって読み解いていくもの。 考え、感じ、行動して、 真実の輪郭をつかむことができるの。 みなさんが、 何かを語るのはまだ早いみたいですヨ w 842 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 17 06 06 ID 8wEIcrvs0 828 なるほど・・・ 神は個々別々に全ての人間を愛する力を持っていると仮定して 世界を見渡すと 「=けつの穴が小さい」 こうなりますなあ 843 :ゆみ :2007/04/29(日) 17 09 10 ID 04wI3DW30 けつの穴が大きいのはオマエだけで十分 844 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 17 14 35 ID 8wEIcrvs0 830 最初の最初の最初の理由はこれではないだろうか 「地震や雷や火山の噴火など天災のメカニズムが分からなかったから」 845 :ゆみ :2007/04/29(日) 17 23 37 ID 04wI3DW30 理由になってない 846 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 17 24 15 ID vWHtt3QYO 提督 やはりそんな感じなのかねぇ。 前にそれについての答えを考えたんだけど、忘れちゃったw 847 :ゆみ :2007/04/29(日) 17 25 32 ID 04wI3DW30 考えて分かるんなら、 いくらでも考えたらよろしい。 848 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 17 26 44 ID 8wEIcrvs0 831 同じ様な内容の話は以前伺っております いくら繰り返されても説得力が無いのに変わりはありませんのであしからず 我々が何かを語るのが早いのではなく あなたがその主張を押し付けている それだけの話ですな 849 :ゆみ :2007/04/29(日) 17 28 18 ID 04wI3DW30 押し付けと、決め付けは、 ピエロ提督の得意技ですが? 850 :ゆみ :2007/04/29(日) 17 31 48 ID 04wI3DW30 わたしは何も押し付けてないよ~ 反オカルトというスローガンにはもともと賛成だし、 神がいるとかいないとか、 そういうことも言ってないよ、ねぇ ? わたしが言ってるのは、 提督がピエロだってことぐらいかなぁ・・・w 神がいないとか決め付け・押し付けをしているのは、 どう見てもピエロの方でしょう~ ねぇ・・・ 851 :ゆみ :2007/04/29(日) 17 33 28 ID 04wI3DW30 バカにはピエロすら務まらないか・・・ 852 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 17 37 45 ID 8wEIcrvs0 846 最初の最初はこれでしょうな 忘れてしまわれたのですか・・・それは残念です 853 :ゆみ :2007/04/29(日) 17 39 00 ID 04wI3DW30 こんなに盛り上げてやってるのに、 ちょっとは感謝したら ? このボンクラ。 854 :ゆみ :2007/04/29(日) 17 40 46 ID 04wI3DW30 全レス野郎のくせに、 都合がわるいときだけはちゃんとスルーできるんだ w 855 :ゆみ :2007/04/29(日) 17 44 10 ID 04wI3DW30 【辞令】 本日をもって提督から三等兵に格下げする 856 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 17 46 55 ID vWHtt3QYO 思い出した。 まんまだけど、『心の支え』の為じゃないかと。 雨が降らないから儀式をする。 豊作を祈る。 病を治す。 倒しがたい怨敵を呪う。 人間の力ではどうにもならない最後に、神に祈る。 尽くせる人事の最後が神頼みなのかな。 最後までやったのだから、成功する。 そう考える事で安心感を得る。 失敗しても、供物が足りなかったからだとし、次回を期待し、絶対的な不可能だったという可能性を無視する。 安心感を得てなおかつ不安感を消す。 故に人類は神事を発達させたのではなかろうか。 って話が神事にずれてるし… 前はもっと理論的に話せたはずなんだけどなぁ。 857 :ゆみ :2007/04/29(日) 17 47 08 ID 04wI3DW30 かわいそうだから、 このへんで許してやるよ。 喜んで舞い踊れ。 このへっぽこどもめ。 あばよ。 858 :ゆみ :2007/04/29(日) 17 49 17 ID 04wI3DW30 856 それも理由にはなってない。 神という概念がどこから来たのかを説明できてないよ! 859 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 17 52 59 ID cO1T+UtP0 なんだこの空しい討論は。 860 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 17 53 39 ID 8wEIcrvs0 854 いやいや・・・ 何をどう答えれば良いのか分からぬのだ 861 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 18 02 48 ID 8wEIcrvs0 856 私も以前似た様な事を考えました なるほど・・・ ずれていますかな? 私には非常に分かりやすかったですし、賛同できましたぞ 862 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 18 02 52 ID vWHtt3QYO 858 うん、あの程度じゃダメなんだよなぁ。 神を存在させた根本理由は、提督のいう現象の理由付けと、最後に頼る事の出来る超越者を欲したからじゃないかな。 863 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 18 18 23 ID 8wEIcrvs0 諸君 神が産まれ そして存在し続ける理由は何か 864 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 18 19 01 ID cO1T+UtP0 ゆみに訊け 865 :存在 :2007/04/29(日) 18 19 51 ID 4iFEIFpxO 在りて在る。 知る者ぞ知る。 観る者観る。 名を名乗れば消え、 消えて名を残す。 866 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 18 20 15 ID 8wEIcrvs0 諸君 それは至極簡単だ 人間が我がまま過ぎる生き物だからだ 867 :サイババ:2007/04/29(日) 18 20 32 ID TJmHPAZT0 サティア サイババは自らの人生を全くの無欲と高潔さでもって人類への奉仕に捧げておられます。 ババはおしゃいます。 『もしも心が正しければ、性格に美しさが生まれるであろう。 もしも性格に美しさがあれば、家庭に調和が生まれるであろう。 もしも家庭に調和があれば、国家に秩序が生まれるであろう。 もしも国家に秩序があれば、世界に平和が生まれるであろう。』 868 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 18 21 03 ID 8wEIcrvs0 諸君 金が欲しい あの女が欲しい あいつが気に入らない 人間は誰しもそう思う 総ての人が好き勝手やってたら人間社会は成り立たない 869 :ゆみ :2007/04/29(日) 18 23 10 ID 04wI3DW30 863 神が産まれ そして存在し続ける理由は何か だからその答えが、 831 ですよ ! そんなふうにあんたごときが問いかけて、 ポンと答えがでるんだったら、 哲学者なんかみんな失業ですよ ! 870 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 18 23 37 ID cO1T+UtP0 869 おまえは馬鹿か。 871 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 18 25 49 ID 8wEIcrvs0 諸君 人間は難産の末に 玉の様な双子の赤子を産んだ 一 人 を「 法 律 」と名 付 け た そ し て も う 一 人 を「 神 」と 名 付 け た の だ 提督談 872 :ゆみ :2007/04/29(日) 18 28 12 ID 04wI3DW30 871 そんな考えは卑しいね。 低俗だよ。 873 :ゆみ :2007/04/29(日) 18 29 07 ID 04wI3DW30 居酒屋の酔っ払いだって、 もっとましなコト言うよ。 874 :ゆみ :2007/04/29(日) 18 30 05 ID 04wI3DW30 371 なにもったいぶっていっぱい改行してんの w 寒いよ。 875 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 18 33 27 ID 8wEIcrvs0 867 うーむ・・・ イラクにも北朝鮮にも心の美しい人はいると思うが・・・ 876 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 18 36 17 ID 4iFEIFpxO 喜びの中で「その者」を思う時 あるいは 不安の中で「その者」を思う時 「その者」に違いはあるであろうか? それとも まったく違う者を思うであろうか? そもそも 「その者」を誰が規定できるというのだ 877 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 18 37 02 ID 8wEIcrvs0 869 残念ながら831が答えだとは思えませぬ 872 確かに低俗かもしれませんな しかし、哀しいけれどもこれが現実かもしれませぬぞ 878 :ゆみ :2007/04/29(日) 18 37 35 ID 04wI3DW30 哲学者でも歯がたたないような問題を、 そんなふうに分かったようなつもりになってポンと答えを出すなっての。 そんなんじゃ考え方に深みもでないし、 進歩もねぇよ。 879 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 18 39 54 ID 8wEIcrvs0 876 なぜ「神」を使わず 敢えて「その者」と言う言葉を使うのだ? 880 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 18 43 15 ID 4iFEIFpxO 879 865 消えるからだ。存在の芳しき香りが。 881 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 18 44 33 ID 4iFEIFpxO では しばし さらば 882 :ゆみ :2007/04/29(日) 18 45 17 ID 04wI3DW30 提督のような卑しい人間たちが、 「神」という言葉にさんざん手垢をつけて汚してしまったからね。 あ~悲しい。 883 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 18 45 54 ID 8wEIcrvs0 880 申し訳ない よく分かりませんでした 884 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 18 46 22 ID cO1T+UtP0 提督のような卑しい人間『たち』 885 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 18 50 20 ID 8wEIcrvs0 878 深みも進歩も要らぬ 欲しているのは「居るのか居ないのか」の明確な答えだけなのです 886 :ゆみ :2007/04/29(日) 18 52 31 ID 04wI3DW30 だからっ・・・ 887 :ゆみ :2007/04/29(日) 18 53 14 ID 04wI3DW30 サルがルービックキューブしてるのと同じだよ w 888 :ゆみ :2007/04/29(日) 18 54 03 ID 04wI3DW30 「神」はサルのオモチャじゃないのよ~ 889 :ゆみ :2007/04/29(日) 18 57 30 ID 04wI3DW30 これだけいじめたら、 提督に同情するバカがいっぱい沸いてくるだろな~ よかったね、感謝してね w ぼけが。 890 :ゆみ :2007/04/29(日) 18 58 52 ID 04wI3DW30 スイカやカボチャだってもっと深く考えてるぞ ! 891 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 18 58 58 ID cO1T+UtP0 ゆみが空回りしてるだけで、いじめてるようには見えないが。 892 :ゆみ :2007/04/29(日) 18 59 22 ID 04wI3DW30 このピーマン野郎 ! 893 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 18 59 32 ID 8wEIcrvs0 ゆみ殿はだからっ・・・と呆れるかもしれませんが 私もだけどっ・・・となってしまうのです ふぉっふぉっふぉ、ループですな こんな言葉がありました 触るなと言われて触らずにおれるのならオカルティストなんてやってない 894 :里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2007/04/29(日) 18 59 33 ID iSmHKz4AO 【Q・神は居ますか?】 はい いいえ ☆どちらでもない(あるいは分からない) ちゃららっちゃ、ちゃららっちゃら、ちゃーらーらららーー(パイレーツオブカリビアンのテーマ) 895 :ゆみ :2007/04/29(日) 19 05 05 ID 04wI3DW30 ずっとやってろ。 896 :神の流れ :2007/04/29(日) 20 46 48 ID vWHtt3QYO 自然崇拝 一番始めの神 ↓ 現象理由 ↓ 多神教 神事の発達 ↓ 一神教 みたいな流れなんかなぁ 897 :里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2007/04/29(日) 21 52 26 ID iSmHKz4AO 神の誕生は人類が死を認識したときかな。 898 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 22 17 31 ID 5JXVEG300 たいていの人は、子供の頃、自分自身が神だと思っている。 しかし、うにゃうにゃ をしているうちに、神を忘れる。 なぜ、神を忘れるかは、なぞナゾ。 ありがとう 899 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 22 29 21 ID 8wEIcrvs0 896 おおむねそういう流れなのではないでしょうか・・・ もちろんその流ればかりではないようですが 900 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 22 30 47 ID 8wEIcrvs0 897 同意です それも大きな要因でしょうなあ 901 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 22 32 37 ID 8wEIcrvs0 898 内容がよく解りませぬ・・・ 902 :に :2007/04/29(日) 22 38 14 ID ZQsLdo2V0 「うにゃうにゃ」じゃなくて「チョメチョメ」だったら 提督にも意味が通じたのにね。 903 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 22 45 12 ID 8wEIcrvs0 ああ、なるほど・・・そういう事だったのですか・・・ ふむ・・・ 904 :799:2007/04/29(日) 22 50 35 ID 8Jtq+8O3O 830 844に賛成です。 最初あった神を誰かが都合よくねじ曲げて歪にしたんでしょうな。 905 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 23 04 36 ID 8wEIcrvs0 904 あなたならばこの問いにズバリ答えられるでしょうな 卵が先か鶏が先かは分からない では 神が先か人間が先か? 906 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 23 12 04 ID gHgo7kze0 905 人間 907 :里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2007/04/29(日) 23 16 44 ID iSmHKz4AO 真理→(人間フィルター)→神 908 :野次馬:2007/04/29(日) 23 19 28 ID ObR55E0G0 905 神・・・ なにやら話がすごく膨らんでいるのです。 私も何か言おうと思ったのですが、なかなかうまくまとまりませんね。 909 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 23 19 58 ID 8wEIcrvs0 906 そうでしょうなあ・・・ 私もそう考えます 910 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 23 21 57 ID 8wEIcrvs0 907 なんとなく理解出来たような出来ないような・・・ 具体的に分かりやすく表現できるならばお願い致します 911 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 23 24 38 ID gHgo7kze0 神と答える人と 人間と答える人がいる。 そこに、神がいるかいないかは定かではないが、 人間が存在することだけは確かである。 912 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 23 26 06 ID 8wEIcrvs0 908 ふむ・・・まだ神なのですね・・・ 私のお主への洗脳大作戦もまだまだですなあ・・・ふぉっふぉっふぉ 何か言いたい事が浮かんだら是非聞かせていただきたい 913 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 23 28 51 ID 8wEIcrvs0 911 なるほど・・・ 914 :799:2007/04/29(日) 23 30 41 ID 8Jtq+8O3O 905 人ですね。 現象はそれより古くても、名と意味を与えたのは人でしょう? 915 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 23 33 51 ID gHgo7kze0 神は発見されるのを待ち続けている。 いまだ発見されたこともなく。 916 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 23 36 10 ID 8wEIcrvs0 914 そうですな、名と意味を与えたのは人ですな そして現象のメカニズムを解明した時 そこに神は居なかった とこうなりますな 917 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 23 36 37 ID 5JXVEG300 最初は、神でも、人でもあるが、ない。 世界を始めるのは自分自身であり、終わりを創るのも自分自身、 最後まで自分自身を愛したり愛さなかったり、タノシイデスネ ありがとう 918 :里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2007/04/29(日) 23 38 23 ID iSmHKz4AO 910 真理の周りを走馬灯のようにぐるぐる回るのが心(信念) 真理は人間には理解できないらしい。 というわけで神でも作って信念をもって人生安寧に暮らしたい。 ちなみに私の神は大日本帝国。ほら真理と神は一緒にはならん。 大日本帝国が真理だったら困るだろ。 919 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 23 47 00 ID 8wEIcrvs0 915 例のごとく赤頭巾ちゃん並の疑問が二つ浮かぶ 「あなたはどうして神が発見されるのを待ち続けているのを知っているの?」 「神はどうして自ら出てこないでうじうじ待っているの?」 920 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 23 50 23 ID gHgo7kze0 919 神は、問いかけと問いの間で発見されるであろうから。 921 :野次馬:2007/04/29(日) 23 51 56 ID ObR55E0G0 ああー レスしようと思ってた事がどんどん亀レスになっていくー なんというか、 799さんありがとう。そう言うことを聞きたかったのです。 922 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 23 52 20 ID 8wEIcrvs0 918 ふむ・・・ こう理解しました 貴殿は「神は人間が産んだ概念だが真理は在る」と ずばりこういう事ですな? 923 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/29(日) 23 54 52 ID 8wEIcrvs0 920 問いかけと問いの間・・・? 問いかけと問いは同じ意味ではなかろうか・・・? 924 :里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2007/04/29(日) 23 55 44 ID iSmHKz4AO 922 ある!そしてそれがオカルト。 925 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 23 56 09 ID gHgo7kze0 問いかけと答えを求めようとする意志の間 926 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 23 57 15 ID gHgo7kze0 意識にダイレクトに言語を送信する 927 :に :2007/04/29(日) 23 57 54 ID ZQsLdo2V0 チョイの間?チョンの間? 928 :本当にあった怖い名無し :2007/04/29(日) 23 58 47 ID gHgo7kze0 オス!元気か? 929 :に :2007/04/29(日) 23 59 35 ID ZQsLdo2V0 PTSDと脳腫瘍とかっけですがおおむね元気ですよ。 930 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 00 00 04 ID 8wEIcrvs0 924 ふむ・・・ 真理の定義や意味が漠然としか分かっておりませんが 私は世界の総ては「偶然」だと考えます ここもまた里中殿と違うところですなあ 面白いですなあ、ふぉっふぉっふぉ 931 :に :2007/04/30(月) 00 01 11 ID ZQsLdo2V0 (V)∧_∧(V) ヽ(・ω・)ノ フォッフォッフォッ / / ノ ̄ゝ 932 :本当にあった怖い名無し :2007/04/30(月) 00 02 57 ID UnH231Vm0 毎晩「俺のこと愛してる?」って聞いてて断られないなら 多分お前個人のことも愛してくれてるんじゃないのかなぁ 933 :本当にあった怖い名無し :2007/04/30(月) 00 05 13 ID ANygMtlE0 おかる子は漏れのことを愛してくれてるだろうか?? おーーい、おかる子 俺のこと愛してる? 934 :本当にあった怖い名無し :2007/04/30(月) 00 05 23 ID /5pLfwO30 西遊記では、玄奘三蔵法師が経の原典に真理を求めて旅をします。 「旅の終盤、とうとう天竺に辿り着いた一行。底のない渡し舟で川を渡る。 その時上流から三蔵の抜け殻が流れてきて、三蔵は凡体を脱することができたと喜ぶ。 その後釈迦と謁見、経典を授かるもそれは無字の経典だった。 旅の日数と経典の数が八つ合わない為、一行は雲に乗せられて八日間のうちに東土から 西天へ帰ってくるように命じられる。観世音菩薩が三蔵の災難簿を見るとあと一難足りないとある。 そこで雲から落とされる一行。通天河に落ちて経典の一部を失くしてしまう。長安に戻って太宗皇帝と謁見する一行。 経典を渡し、雁塔寺に納めると八大金剛が現れて一行を連れ去っていった。 西天にて釈迦に称賛の言葉をかけられ、遂に五人は罪を許され、三蔵は旃檀功徳仏(せんだんくどくぶつ)、 悟空は闘戦勝仏(とうせんしょうぶつ)、八戒は浄壇使者(じょうだんししゃ)、悟浄は金身羅漢(こんしんらかん)、 玉龍は八部天竜(はちぶてんりゅう)と成る。 悟空の頭からはいつの間にか緊箍の輪が消えていた。」 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%81%8A%E8%A8%98 果たして、玄奘三蔵が無字の経典をみて何を思ったか、あなたに想像できますかな? ありがとう 935 :里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2007/04/30(月) 00 07 49 ID WIBVo5TiO 930 そのへんは、偶然でも必然でも何でもいいよ。 とりあえず「人間に知覚できない何か」がオカルト(真理)。 そこに意思があろうがなかろうが、んなこた知らん。 936 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 00 13 07 ID ZxpgUomW0 926 誰の意識に誰が送信するのか? そして 926は自らの体験なのか? 誰かの体験談なのか? 分からぬ・・・ 937 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 00 17 37 ID ZxpgUomW0 934 おそらく今の私と同じ事を思ったのではなかろうか・・・ 935 おおむね理解出来ました(と思います(苦笑)) 分かり易い言葉使いにいつも感謝しております 938 :ぱらけるすす ◆PARA//N9SM :2007/04/30(月) 00 43 49 ID 2ukRT/LeO 937 どちらにも答えを出してないね どう自分が思ったのか? どう理解したのか? そこが問題じゃないかな 939 :そふぃすと :2007/04/30(月) 00 53 27 ID SHSopb4gO コテ付けてみた。 593、617、634、790、819は私です。 さて、提督に質問。 あなたは『オカルトを楽しむ』を軍の標語にしている様だが、神の否定はそれを壊しかねないのではなかろうか。 オカルトを、人間の隠秘を解き明かそうとする立場の者とは対立しないだろうが、 オカルトを、自らを導く標として楽しむ者とは対立し、またそういった者の『楽しみ』を根本で否定するものではなかろうか。 提督、あなたはどう考える? 940 :そふぃすと :2007/04/30(月) 01 05 39 ID SHSopb4gO 今、他のスレでいい言葉をみた。以下転載 超常現象が存在するならそれは通常現象ってことになるんだなこれが。 此は理ぞ。 941 :799:2007/04/30(月) 01 09 02 ID i8T2CuYRO 939 横槍を入れるが、「多面的な楽しみ方を許す為に解き明かす。」ってのも考え方じゃないか? そもそも存在を否定されて揺らぐのは楽しんでるんじゃなくて盲信してるからでしょ。 942 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 01 19 49 ID ZxpgUomW0 938 上段に関してはもう述べたとおりでしたし ループしそうだったのでな 下段に関しては私の里中殿の事なので そういうわけでこうなった次第です 943 :そふぃすと :2007/04/30(月) 01 26 07 ID SHSopb4gO 741 横槍歓迎です。 盲信もまた、一つの楽しみ方では? そもそも、盲信してはいけないと信じる事自体、またそれも盲信では。 944 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 01 37 22 ID ZxpgUomW0 939 不確かなものなぞ楽しむ程度以上の価値はないと考えます 「宇宙人って居るのかなあ」 「前世ってあるのかなあ」 「つちのこってほんとに居るのかなあ」 程度が限界(「無いよなあ・・・」と考えるのが適度) 「人類は滅亡するらしいガクブル・・・」 「前世は自殺したフィンランドの王妃だったのね私・・・」 「つちのこ捕まえて100万で売ったるどーー」 などはただの現実逃避 楽しみではない これが楽しみだと仰るならば、この場合の楽しみは否定します 答えになったかのう・・・? 945 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 01 39 26 ID ZxpgUomW0 まあ私見ですが、私の軍ですのでそういう標語を立てても良いと考えていますぞ また、何か私自身「違うな・・・」と判断した場合は標語を撤回致します 946 :35軍曹 ◆3535/GteJ6 :2007/04/30(月) 01 43 31 ID F+wfcJ+50 945 それじゃ提督さーん、ここで「神の存在するかどうか」について 永遠にループ議論するってのは、「楽しむ程度」なんですかぁ? 947 :35軍曹 ◆3535/GteJ6 :2007/04/30(月) 01 44 17 ID F+wfcJ+50 ○ 「神が存在するかどうか」 × 「神の存在するかどうか」 948 :本当にあった怖い名無し :2007/04/30(月) 01 46 31 ID SHSopb4gO 944 不確かな事を突き詰め、真理を見ようとするのは、大昔から続く人間の性ではないだろうか。 それを否定したら、宇宙など行けんさ。 現実逃避はもっとも基本的な娯楽ではないかな? 遊びなど、行わずとも生きていける、目の前のストレスから逃れる現実逃避の極みではないかな。 949 :そふぃすと :2007/04/30(月) 01 49 20 ID SHSopb4gO 今まさにこの議論こそ、現実逃避ではないか。 こんな答えのでない議論など、する必要性がない。 なのに我々はそれに時間を割いている。 何故かな? 950 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 01 49 23 ID ZxpgUomW0 945 申し訳ない・・・よく分からなぬ もっとズバリ言えるかな? 951 :本当にあった怖い名無し :2007/04/30(月) 01 52 48 ID SHSopb4gO 950って誰宛て? 952 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 01 55 02 ID ZxpgUomW0 すまぬ・・・ 950は35軍曹宛です 953 :35軍曹 ◆3535/GteJ6 :2007/04/30(月) 01 58 32 ID F+wfcJ+50 952 キャハハ、ウチもアンカー間違えたっちゃw 基本的にはウチは 949と同じ考えっちゃ どっちに結論づけても、結局その証明はできない だからその議論を遊びでやってるんですかと聞いてみたかったんです~ 954 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 02 02 19 ID ZxpgUomW0 949 申し訳ない・・・こちらもよく分かりませんでした・・・ ズバリ「あの標語はおかしいよ」と言う事でよろしいですかな? そふぃすと殿及びここに居る皆さん 読解力が無く頭の固い男だと感じられたならば どうかスルーしてください 申し訳ない 955 :本当にあった怖い名無し :2007/04/30(月) 02 06 36 ID SHSopb4gO 954 いや、私は『オカルトを楽しむ』は気にいってるし、提督も好きだよ。 提督に反対するのは、そうする事で理論が錬磨されると信じてるからだよ。 たから、私の意見にもどんどん否定意見とかして欲しい。 956 :35軍曹 ◆3535/GteJ6 :2007/04/30(月) 02 19 31 ID F+wfcJ+50 提督さ~ん♪ 944 不確かなものなぞ楽しむ程度以上の価値はないと考えます 946-947は↑への質問で~す。 957 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 02 32 00 ID ZxpgUomW0 そふぃすと殿 35殿 考えましたが言葉に出来ませんでした 話の流れの中で表せたらと思いますぞ まず「楽しい=遊び」ではないですぞ これはみなさん理解いただけますな? 私は不真面目な遊びの議論は楽しくない 私は真面目な議論は楽しい だからやっております 答えなど出ない どちらも証明なんて出来ない 私もそう思っていますぞ ならばやる意味ないな 興味も失せた そう思えるならば私はレスもスレ立てもしません しかしそう思えないから語り、または聞き、そして考えているのです 958 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 02 36 06 ID ZxpgUomW0 『「楽しい=遊び」ではないですぞ』は御幣があったであろうか・・・ 『「楽しい=不真面目」ではないですぞ』に訂正でお願い致します 959 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 04 03 00 ID ZxpgUomW0 あくまで例えだが・・・ がちがちの科学者を亀頭剥き出しの男性器だとするならば この男性器はこの板には来ないでしょうな もちろんそれはそれで良いと思います 私はほんの少し仮性包茎でしょうな 何故ならばこの板に居るから ここを訪れている諸君も仮性包茎でしょう これから亀頭が剥き出しになる者も居れば 仮性のままの者も居れば真性になる者も居るであろう 問題は真性包茎なのです これはいけない 楽しんでない 本人が「楽しい」と言ったって私は「間違った楽しみ」だと考える 960 :本当にあった怖い名無し :2007/04/30(月) 12 01 14 ID 1tgpiLFM0 「神」の答えをあげよう。 「ゆみ」が神だ。 正確には「近い将来ゆみが神となる。」だ。 以上だ。 961 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 13 43 59 ID ZxpgUomW0 960 ほう・・・ゆみ殿が神とな・・・ 騎士団盲信者か・・・はたまた先方をけしかけてる傍観者か・・・ いづれにせよ興味はない 960殿に幸あれ 962 :菅沼 :2007/04/30(月) 14 56 57 ID WOVR/+NvO 茶番仲間を増やせ^^ 963 :本当にあった怖い名無し :2007/04/30(月) 15 02 09 ID CqMWSGK/O 『画利便太郎』普及のために、ここに入りたいんだけど。 A ̄A⊃ (◎∀◎) (O┬O ))) ◎┴し-◎ 手土産?江原のスレを和やかにしたよ! 964 :本当にあった怖い名無し :2007/04/30(月) 15 02 56 ID CqMWSGK/O A ̄A⊃ (◎∀◎)/● ノヽ ヽ くく あと、ウンコでしたー!うひょひょひょひょひょ 965 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 15 57 46 ID ZxpgUomW0 963殿 何の普及かよく分かりませぬが・・・ 反オカルトであれば歓迎ですぞ 名前をお決めくだされ 966 :萌え :2007/04/30(月) 16 44 29 ID DeTXABMl0 962 ぼけw 967 :てるー ◆FEpcx74ZZw :2007/04/30(月) 16 58 01 ID eQhwZ6WPO 939 1読めば分かるんでないの? 1で否定してるじゃん? おいらはそう思ったんだけど? 968 :本当にあった怖い名無し :2007/04/30(月) 17 06 54 ID CqMWSGK/O A ̄A⊃ (◎∀◎) 画利便太郎だよ。このAA普及のためにコテハンはつけないんだよ。だって画利便太郎は… A ̄A⊃ (´―`)。o(皆のAAだからね) 969 :てるー ◆FEpcx74ZZw :2007/04/30(月) 17 08 46 ID eQhwZ6WPO てーとく律儀だねー そんなてーとくの為に心を込めて歌います 右からー右からー何かが来てるー♪ 僕はそれを左へうけ流すー♪ おわり 970 :本当にあった怖い名無し :2007/04/30(月) 17 17 05 ID CqMWSGK/O A ̄A⊃ ====●))Д◎) / つつ ( / (__)_) 右から来たのを左へ…受けながせない 971 :野次馬:2007/04/30(月) 18 56 01 ID 581nY0jt0 本当にてーとく律儀だ。 なんだかんだ言われてるけど、私はてーとく大好きだー。 考えが違っても、心は立派だと思うよ。 ホント。 972 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 19 37 46 ID ZxpgUomW0 968 そうですか・・・ それでは残念ですが・・・ 973 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 19 39 31 ID ZxpgUomW0 969 律儀ですと? ただ楽しんでいるだけですぞ あるいは受け流せないのか・・・ふぉっふぉっふぉ 974 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 19 43 12 ID ZxpgUomW0 971 ありがとうございます(照) 楽しんでいるだけです 立派になりたいとは思っていますが まだ立派にはなっていません 975 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 19 49 07 ID ZxpgUomW0 667殿 「辞令 隊員番号002 667 ◆3Rt66u03z 右を二等兵に任命する」 976 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 19 51 08 ID ZxpgUomW0 35殿 「辞令 隊員番号006 35 ◆3535/GteJ6 右を曹長に任命する」 977 :本当にあった怖い名無し :2007/04/30(月) 19 58 14 ID CqMWSGK/O ┏━━━━━━━━━━┓ ┃祝・画利便太郎二等兵┃ ┗━━━━┳━━━━━┛ A ̄A⊃ ┃ (◎∀◎)φ (つ )/ /_∧_) 978 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 20 01 28 ID ZxpgUomW0 諸君 我々は第一闘争を勝利した 引き続き第二闘争を開始する 諸君の健闘を心より祈る http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1177930494/ 979 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 20 06 46 ID ZxpgUomW0 ★★★反オカルト革命軍☆☆☆ 本部 完成 http //www22.atwiki.jp/teitoku/pages/25.html 980 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 20 09 58 ID ZxpgUomW0 977 申し訳ない 名が無い者は入隊出来ぬのだ 981 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/30(月) 20 18 56 ID F+wfcJ+50 957 提督さ~ん♪ 「答えなど出ない」「証明なんて出来ない」真面目な議論が 「楽しい」と感じるのは「遊び心」があるからだとウチは思うっちゃw でもこれが「議論のための議論」という遊びだったら、ウチ引いちゃうかも なんかとても虚しい感じになるっちゃ 958 『「楽しい=不真面目」ではないですぞ』 よーするに真面目に楽しんでるのねw 959 この喩えは、ウチにはわかりませーん(爆) 968 じゃー「画利便太郎AA普及推進者」ってコテにすれば? 971 野次馬さんに同意。 976 うわ~ひょっとして昇進ですか? ヤッター! 982 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/30(月) 20 21 36 ID F+wfcJ+50 976 提督、任命ありがとうございます!(ピシッ) 983 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 20 27 03 ID ZxpgUomW0 35殿 「議論のための議論」 そんな高度な遊びは私にはできますまい 今までの煩悩振りを見れば明白でしょう・・・ふぉっふぉっふぉ よーするに真面目に楽しんでるのねw そうだそうだ、これですぞ この一言の為に長々としどろもどろの説明してたのか・・・ふぉっふぉっふぉ 984 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 20 29 22 ID ZxpgUomW0 983 貴殿の益々の活躍を期待しております このまま行けば超スピード出世ですぞ・・・ふぉっふぉっふぉ 985 :35 ◆3535/GteJ6 :2007/04/30(月) 20 30 02 ID F+wfcJ+50 979 すごいっちゃ!本部完成おめでとうございまーす! 983 この一言の為に長々としどろもどろの説明してたのか・・・ふぉっふぉっふぉ やはりそーだったのかーw じゃウチも真似するっちゃ♪ ∧ ∧ .|≡V≡| |.O(\)O| フォフォフォ... (V)从^ー゚从(V) ヽ 三i三 ソ (/ \) U"U 986 :本当にあった怖い名無し :2007/04/30(月) 20 47 29 ID CqMWSGK/O 980 A ̄A⊃ \(◎Д◎)/ \(\ ) =3ペタン ひぇーっ! 987 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 20 53 02 ID ZxpgUomW0 985 ありがとうございます これからもよろしく頼みますぞ これはこれは・・・「に殿」より100倍かわいいですな・・・ふぉっふぉっふぉ 988 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 20 54 55 ID ZxpgUomW0 986 申し訳ない・・・ 「画利便太郎AA普及推進者」にしたらどうか という案が挙がっているがいかがであろうか? 989 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 21 59 39 ID ZxpgUomW0 エンディング・テーマhttp //www.youtube.com/watch?v=iEK22iup4Zg 990 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 22 00 59 ID ZxpgUomW0 諸君 そろそろ終焉の時である 991 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 22 05 04 ID ZxpgUomW0 諸君 ・・・ ・・・ ・・・ うまく言葉にならぬ・・・ 992 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 22 05 52 ID ZxpgUomW0 諸君 ただ・・・ ただこれだけは言える 993 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 22 08 59 ID ZxpgUomW0 最高だった・・・ 994 :ぱらけるすす ◆PARA//N9SM :2007/04/30(月) 22 09 58 ID 2ukRT/LeO 998ゲットォォォォ!! ≡。+.。゚ + 。≡。 。 *・゚・* ヾ(@▽@ι)ノ゙≡ *・゚≡ ズザザーーッ!! 995 :ぱらけるすす ◆PARA//N9SM :2007/04/30(月) 22 11 24 ID 2ukRT/LeO 996ギト♪ _ |さ| |い| |た| サイタマ サイタマ |ま| \|/|団| `∧∧∩ / ̄ヽ ̄|∧∧ (゚∀゚)/( ゚∀゚) ( ゚∀) | ̄ ̄ ̄H ̄ ̄ ̄L( O┳O = ̄◎ ̄  ̄◎ ̄◎=J=◎ キコキコ 996 :野次馬:2007/04/30(月) 22 13 29 ID 581nY0jt0 エエ曲だった 和訳が欲しい 997 :まりりん :2007/04/30(月) 22 15 27 ID Yrg6bDRU0 こんばんは、みなさん。 最後に参加♪ 998 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 22 15 46 ID ZxpgUomW0 諸君 楽しんでいただけたかな? 999 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 22 16 19 ID ZxpgUomW0 諸君 私は最高に楽しかった 1000 :提督 ◆sFIwNDy4lQ :2007/04/30(月) 22 17 15 ID ZxpgUomW0 ここを訪れた総ての人に幸あれ!!! 1001 :1001:Over 1000 Thread γ ( _ノ / __ ,、 " . ` 、 i`ー _ , . l| !| i""!| } }i |{ !j 〈| J |! }j } _ノ;し i} {J | ,、-,、 ハ- 、 ( .( 、_ _ ,ノ ノ i ) ,、 ""`ー---‐ "フ、_ - _,、 - " ( _ ,、 "  ̄ `ー--─ " 千本目の蝋燭が消えますた・・・ 新しい蝋燭を立ててくださいです・・・
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新宿区神社の地図はこちら 新宿区神社の御朱印はこちら ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN4430_20120220_%E5%8D%81%E4%BA%8C%E7%A4%BE%E7%86%8A%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE.JPG ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN4427_20120220_%E6%88%90%E5%AD%90%E5%A4%A9%E7%A5%9E.JPG #ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。 十二社熊野神社 成子天神社 富受稲荷大明神/五色弁財天 akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E8%8A%B1%E5%9C%92%E7%A5%9E%E7%A4%BE.JPG akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E7%9A%86%E4%B8%AD%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE.JPG ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E9%AC%BC%E7%8E%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE.JPG 花園神社 皆中稲荷神社 稲荷鬼王神社 akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E6%9C%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE.JPG akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%88%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%EF%BC%89.JPG akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E7%A9%B4%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE.JPG 夫婦木神社 諏訪神社(早稲田) 穴八幡宮 akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E6%B0%B4%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE.JPG akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E5%A4%A9%E7%A5%96%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%88%E8%A5%BF%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%EF%BC%89.JPG akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E8%97%A4%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE.JPG 水稲荷神社 天祖神社(西早稲田) 東山藤稲荷神社 akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E6%B0%B7%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%88%E4%B8%8B%E8%90%BD%E5%90%88%EF%BC%89.JPG akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E4%B8%8B%E8%90%BD%E5%90%88%E5%BC%81%E6%89%8D%E5%A4%A9.JPG akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E6%9C%88%E8%A6%8B%E5%B2%A1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE.JPG 氷川神社(下落合) 下落合弁才天 月見岡八幡神社 akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E5%A4%A9%E7%A5%96%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%88%E9%AB%98%E7%94%B0%E9%A6%AC%E5%A0%B4%EF%BC%89.JPG akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E9%89%84%E7%A0%B2%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE.JPG akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E9%8E%A7%E7%A5%9E%E7%A4%BE.JPG 天祖神社(高田馬場) 鉄砲稲荷神社 鎧神社 akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E7%80%A7%E5%B1%B1%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E5%A4%A7%E6%98%8E%E7%A5%9E.JPG akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E4%B8%AD%E4%BA%95%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE.JPG akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E8%91%9B%E8%B0%B7%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE..JPG 瀧山稲荷大明神 中井御霊神社 葛谷御霊神社 akitsushima?cmd=upload act=open pageid=39 file=%E9%BC%93%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE.JPG ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5236_20120321_%E9%9B%B7%E9%9B%BB%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5246_20120321_%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE%28%E5%A4%AA%E5%AE%97%E5%AF%BA%29.jpg 鼓稲荷神社 雷電稲荷神社 稲荷神社(太宗寺) ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5249_20120321_%E7%A7%8B%E8%91%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE%28%E6%96%B0%E5%AE%BF%29.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5253_20120321_%E7%94%B0%E5%AE%89%E9%8E%AE%E8%AD%B7%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5260_20120321_%E5%A4%9A%E6%AD%A6%E5%B3%AF%E5%86%85%E8%97%A4%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg 秋葉神社(新宿) 田安鎮護稲荷神社 多武峯内藤神社 ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5267_20120321_%E9%87%91%E5%AE%9D%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E3%83%BB%E5%87%BA%E4%B8%96%E7%A8%B2%E8%8D%B7%28%E7%AC%B9%E5%AF%BA%E5%86%85%29.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5268_20120321_%E5%A4%A7%E4%BA%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5270_20120321_%E6%96%BC%E5%B2%A9%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%94%B0%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg 金宝稲荷・出世稲荷(笹寺内) 大京神社 於岩稲荷田宮神社 ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5275_20120321_%E5%BE%A1%E5%B2%A9%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E9%9C%8A%E7%A5%9E%E3%83%BB%E7%A6%8F%E7%A6%84%E5%AF%BF%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%28%E9%99%BD%E9%81%8B%E5%AF%BA%E5%86%85%29.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5281_20120321_%E9%A0%88%E8%B3%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE%28%E9%A0%88%E8%B3%80%E7%94%BA.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5285_20120321_%E8%8D%89%E5%88%86%E7%A8%B2%E8%8D%B7%28%E5%A6%99%E8%A1%8C%E5%AF%BA%E5%86%85%29.jpg 御岩稲荷霊神・福禄寿稲荷神(陽運寺内) 須賀神社(須賀町) 草分稲荷(妙行寺内) ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5288_20120321_%E9%9B%A8%E5%AE%9D%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E5%A4%A7%E6%98%8E%E7%A5%9E%28%E7%9C%9F%E6%88%90%E9%99%A2%E5%86%85%29.jpg ?cmd=upload act=open 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page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5334_20120321_%E7%B9%81%E6%A0%84%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE%28%E5%B2%A9%E6%88%B8%E7%94%BA%29.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5337_20120321_%E7%A7%8B%E8%91%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE%28%E7%9F%A2%E6%9D%A5%E7%94%BA%29.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5339_20120321_%E5%B8%83%E6%9D%9F%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg 繁栄稲荷神社(岩戸町) 秋葉神社(矢来町) 布束稲荷神社 ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5343_20120321_%E5%8C%97%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE%28%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%94%BA%29.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5347_20120321_%E4%B8%A1%E7%A4%BE%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE%28%E6%A6%8E%E7%94%BA%29.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B 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page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5395_20120412_%E9%87%91%E5%BC%81%E8%B2%A1%E5%A4%A9.jpg 宝禄稲荷神社(寶禄稲荷神社) 八兵衛稲荷神社 金弁財天 ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5396_20120412_%E5%87%BA%E4%B8%96%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5404_20120412_%E6%8A%9C%E5%BC%81%E5%A4%A9%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5405_20120412_%E8%A5%BF%E5%90%91%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg 出世稲荷神社 抜弁天厳島神社 西向天神社 ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5418_20120412_%E6%88%90%E5%BE%B3%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5430_20120418_%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE%28%E4%B8%AD%E8%90%BD%E5%90%88%29.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5437_20120504_%E8%B5%A4%E5%9F%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg 成徳稲荷神社 厳島神社(中落合) 赤城神社 ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5445_20120504_%E5%85%83%E8%B5%A4%E5%9F%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5448_20120504_%E9%B6%B4%E5%B7%BB%E7%94%BA%E5%A4%A9%E7%A5%96%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg ?cmd=upload act=open page=%E7%A7%98%E5%AF%86%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%B1%8B file=DSCN5451_20120504_%E6%B1%A0%E7%AB%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE.jpg 元赤城神社 鶴巻町天祖神社 池立神社 #|#ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。|#ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。|#ref error :画像URLまたは、画像ファイル名を指定してください。| #|CENTER |CENTER |CENTER |