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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル タイランド 北タイ・東北タイ・タイ南部・タイ中央部・バンコクの旅行記 【非常事★タイの、泰国東海岸】 タイ旅行記 赤シャツ隊がバンコクを占拠。どうなるGWの旅! -タイ:パタヤー チャンタブリー ラヨーン -旅行時期:2010年5月 【タイのくびれを行く/中南部の旅】 タイ中南部のくびれ地帯は、思いもよらぬ人々が生息!! -タイ:スラーターニー ラノーン チュンポン -旅行時期:2006年8月 【楽しい?北タイ紀行】 タイ旅行記 料理教室入門、軍事施設潜入?など。楽しい北タイの旅。 -タイ:チェンマイ チェンラーイ メーサイ -旅行時期:2004年8月 【タイの真中辺りを行く】 タイ旅行記 中部タイの遺跡地帯を目指すもバスは満席! さてどうする? -タイ:ターク メーソット スコータイ ピサヌローク -旅行時期:2003年12月-2004年1月 【タイ語でGO?-東北タイ・イサーンの旅】 カルチャー教室仕込みタイ語の腕試し。で、その成果は? -タイ:ウドンターニー ナコンパノム ムクダーハーン ウボンラーチャターニー -旅行時期:2002年4月-5月 【準備中】 準備中。 - -旅行時期: ト ッ プ ペ ー ジ
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【格安で行こう、マチュピチュの旅】 第5話)徒歩で下山をしてみたら… 《ペルー旅行記|クスコ|マチュピチュ|ティポン|リマ|》 アグアスカリエンテス村とマチュピチュ遺跡の間はシャトルバスで結ばれている。つづら折りの急な坂道を登って行く登山バスは往復24ドルとかなりお高い。東京スカイツリーも展望台の入場には3000円かかると言うから、高いところにある観光地は値段も高いのが世界の相場なのであろうか。 バス道路をショートカットするように設けられた登山道 だがスカイツリーと違ってマチュピチュの場合この高いところへの上り下りを節約する方法がある。徒歩である。ヘアピンだらけのバス道路をショートカットするようにハイキングコースが設けてある。ここを歩いて行けばもちろんバス代はタダ。しかしさすがに登りを歩くのはきついので行きは半額の12ドル払ってバスに乗り、帰りのみ徒歩で下山することにした。 推定99% の観光客が往復ともバスを利用するのに対し、ハイキングコースを行くツーリストは限られている。それでもこのニッチな市場に勝機ありと、登山道の途中で物売りのおばちゃんがいたのは驚きであった。 登山道の途中で物売りのおばちゃんがいたのは驚きであった 登山道のほとんどは石づくりの階段であるが、これが結構足腰に負担をかける。昨日は水力発電所から10km歩き、また今日の午前中は遺跡巡りをし、疲れが溜まって足の筋肉はパンパンだ。おまけに石の階段は段差が一定ではなく、ちょっと気を抜くとすぐバランスを崩してしまう。だんだん筋肉が耐えきれず、足を一歩進めるたびに膝がプルプル笑い出す。 だからといって休みを取ろうとすると今度は別の敵が襲ってくる。 虫である。 アンデスの高山地帯に虫などいるものかと思っていたが、いるのである。それも超小型の蚊のような虫が群れをなして襲ってくる。 僕はリュックから虫除けスプレーを取り出そうとして愕然とした。 「あ、持ってくるの忘れた。」 日本を旅立つ時はきちんと荷物に入れておいたが、宿に置いたままだった。 おかげで疲れて立ち止まると、たちまち虫の大群に襲われ、休めたものではない。そうは言っても休憩をしないわけにはいかない。でも立ち止まるとまた虫の大群に血を吸われる。叩いても叩いても敵は圧倒的多数。約1時間半近くかけて麓にたどり着いた時、もう足はガクガク、手は虫刺されでボロボロ。全く情けない限りだ。 ここマチュピチュには「グッバイボーイ」と呼ばれる子供達がいると聞く。バス道路の山頂で観光客に手を振り、そのバスがつづら折りの道を降りていく間に素早く登山道を駆け下り、麓で観光客を待ち受けチップをねだるのだと言う。 本当にそんなことができるのか!! 僕が1時間半かけて下りて来た道をバスより早く駆け下りるなんて信じられないが、マチュピチュという世界一の不思議を創り上げたインカの末裔なら、そのぐらいのことはたやすいに違いない。 この登山道で虫に刺される ところで、この下山時に虫に刺された跡が日本に帰った頃にとんでもなく腫れ上がってしまった。万が一変な病気だったらどうしようとネットで調べてみると、アンデス地方にはサシチョウバエという虫がおり、これがリーシュマニア症という死に至ることもある感染症を媒介するとのこと。 「あっ、この虫だ、オイラが刺されたのは。」 ネットで見つけたサシチョウバエの画像を見て僕は背筋が寒くなった。 慌てて医者に駆け込むと、 「私も長いこと医者をやっているが、カルテにマチュピチュと書き込んだのは初めてですよ、ハハハ」 と、こちらの心配をよそに「リーシュマニア症なんてめったになる病気じゃない、まずは普通の薬で治しましょう」 と医者に笑い飛ばされた。 確かに、一週間程で 虫刺されの腫れは引いた。だが、この通院費と薬代で3950円かかった。マチュピチュで節約したと思ったバス代12ドルは、こうしてはかなく吹っ飛んでしまっていたのであった。トホホ~ (;´д`) (続く) もどる < 5 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ベルナールガルニエ(ベルナール・ガルニエ) ベネディクトゥスジュウヨンセイの別名。
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【海あり山ありエアコンなし-南インド・ケララの旅】 第4話)数学の国での戦い=1ルピーの攻防 《南インド ケララ 旅行記|トリヴァンドラム|アレッピー|クミリー・テッカディ|コーチン》 インドを旅して他の国とは違うな、と感心したことが一つある。 露店の親父でも食堂のボーイでも、皆算数がキチンとできるということである。 例えば43ルビーの商品を買おうとして50ルピー札を出すと 「あと3ルピーないか?」 と言われてしまう。無論10ルピー札でお釣りを渡すためだが、実は日本以外でこのようにとっさに返しやすい金額のお釣りを計算してくる国というのは少い。欧米などでは「お前、引き算できるのかい?」と思わず疑ってしまう人がフツーに商売しているので驚くのだが、さすが0を発見した数学の国インド。二桁の掛け算九九まで教えるくらいだから、単純な引き算など庶民でも朝飯前なのだ。 そんなすぐれた数学力を活かして、やつらは「ちょこっとくすねてやろう」と旅行者を虎視眈々と狙っている。 「アレッピーまでバス代260ルピーだよ」 と言われ、後で切符を見たら259ルピーと印字されていた。ま、車掌に1ルピー(約¥1.9)くすねられたということだが、こんなのかわいい方だ。 切符を見たら259ルピーと印字されていた - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 「入場料とカメラ持込み料の合計で225ルピーです」 博物館の職員にそう言われ、1000ルピー札1枚を手渡すと、コインと小額のお札を不自然に取り混ぜてお釣りを返してきた。怪しいと思ってその場で確認すると15ルピーほど足りない。 「お釣り、足りないゾ!」 と抗議すると「Sorry」と言いながら、博物館職員は15ルピーを返してきた。 本当のことを言うと、実際のお釣りは16ルピー足りなかった。だが流石に「もう1ルピー足りないよ」と抗議する気力もなく、結局1ルピーはその博物館職員の小遣いとなってしまった。 博物館職員も小遣い稼ぎを狙っている - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 1ルピーでも儲けを追求するインド人の商魂はまだまだ続く。 インドと言えば紅茶の国。至るところにチャイ屋があるのだが、まだ値段の相場が分からないときのことである。 スキあらばチャイ屋でもボラれる 一杯のチャイをすすり終えて、 「How much?」 とチャイ代を尋ねながら10ルピー札を差し出すと、店主は前の客が置いていった代金の中からお釣りとして1ルピー硬貨2枚を僕に渡した。つまりはチャイ一杯8ルピーということになる。 だが、ちょっと待て!! 前の客が置いた金は5ルピー硬貨1枚と1ルピー硬貨2枚。つまり本当のチャイ代は7ルピーではないか!! しまった、一瞬のスキを衝かれてまんまと1ルピーをぼられてしまった。 1ルピーに対するインド商人の執念は尽きることがない。 (続く) もどる < 4 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【そして牛を巡る冒険/奄美群島の旅】 第4話)ご長寿ロードを行く 《旅行記|徳之島|闘牛|亀津|伊仙|奄美大島|名瀬|喜界島》 名瀬で一泊した後、今度は徳之島に渡る。今回の旅のメインは、 実はこの徳之島であった。 徳之島は闘牛の島として知られている。5月の連休には数日間に渡って闘牛大会が開催され、それに合わせて今回の旅の予定を立てていた。 徳之島は闘牛の島、大会告知ポスターが島のあちこちに 初日は普通に徳之島を観光し、2日目にナイター大会、3日目に午前の大会を観戦し、同日の夕方の船で奄美大島に戻るという完璧なスケジュールを組み立てていた。 そして初日の観光にはバイクを借りて島内を周るつもりでいたのだが、、、 「ない。しまった!! 忘れた!! 免許証!!」 痛恨のミスである。公共交通が貧弱な離島で足をもがれてはどうしようもない。 泣く泣くバイクを貸自転車に差し替え、徳之島観光をスタートさせることとなった。 だがバイクならどうということのない道のアッブダウンも、人力エンジンには相当こたえる。足にはすぐに乳酸菌が溜まり、心臓はバクバクだ。 こうなったら見所を絞るしかない。 闘牛の次に徳之島で有名なもの ― それは長寿世界一でギネスブックにも載った泉重千代翁だ。 翁は慶応元年に徳之島の伊仙町に生まれ、生家跡には120歳で亡くなった翁の銅像があるというので、行ってみた。 「泉重千代翁之像」と示された道路標識に従って自転車を漕いで行く。地図上では平坦に見える田舎道も、実際は登り坂が続いており、なかなかたどり着けない。 ようやく農道を登りきると、その先に翁の像が佇んでいた。そして、その銅像の碑文を読んで僕はのけぞってしまった。 泉重千代翁之像―碑文に記された翁の母の名は「つるかめ」 碑文に記された翁の母親の名は、なんと「つるかめ」― そりゃ長生きするわい。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 徳之島は、さらにもう一人ギネス長寿世界一を輩出している。本郷かまと嫗(おうな)である。 116歳まで長生きしたその嫗もまた徳之島の伊仙町出身だというから、いったいどんな町なのだ、伊仙町!! 当然2人は伊仙の名誉町民である。そして重千代翁像とかまと嫗の生家跡を結ぶ道は長寿の道とされている。 長寿の道 同じ町内なのでその距離は自転車で十分訪問可能な範囲だ。僕は翁像から嫗の生家跡を目指してペダルを漕いだ。しかし、あるはずの場所に着いても、それらしい史跡も標識もない。 せっかくのご長寿パワーにあやかろうと思ったのにこれでは片手落ちだが、見つからないものは見つからない。諦めてその先の犬田布(イヌタブ)岬まで足を伸ばすことにした。 そして一通り岬を見物し、帰路につく。暗くなる前に街の宿に戻らねばならぬが、それにしても、どうして嫗の生家跡だけ見つからなかったのだろう。この辺りのはずなのに・・・ あれれ、あの看板は何だ 行きの方向では死角となって見つからなかったが、逆方向から向かって見ると、民家の隣の空地に何やら看板らしきものの存在が確認できた。 近づいてみると、それはかまと嫗の生家跡の印であった。 本郷かまと生家跡 にしても、重千代翁の場合、道路標識はあるは、銅像は建つはと存在感満点なのに対し、かまと嫗の扱いは満足な案内標識ひとつなく、同じ名誉町民なのに随分と差があるではないか。 「かまとさんは島を出て鹿児島市で暮らしてたからね」 後で島の人に聞くとこう返ってきた。確かに120年の一生を徳之島で過ごした翁と、出身だけが徳之島であった嫗とでは扱いに差が出てくるのも仕方があるまい。 だとしても、もう少し嫗についてもアピールしてあげてもいいのではありませんか? 徳之島役場の皆さん。 とりあえずその「本郷かまと生誕の地」、オイラがG・・ le マップに登録しておいたから。役場の皆さん、この旅行記読んだら感謝の金一封よろしくね。 (続く) もどる < 4 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【海あり山ありエアコンなし-南インド・ケララの旅】 第6話)気分はF1ドライバー 《南インド ケララ 旅行記|トリヴァンドラム|アレッピー|クミリー・テッカディ|コーチン》 水郷地帯アレッピーを後にし、次は山岳地帯へと向かうことにした。ケララ州と隣のタミールナドゥ州の境をつらなる西ガーツ山脈の高原の街テッカディを目指す。 某欧米系ガイドブックによると、アレッピーからテッカディまでは1日1本直行バスがあるという。果たしてこの情報は正しいのかという半信半疑の気持ちと、できればエアコンバスであってくれという淡い期待も込めて、バスターミナルに向かう。 「テッカディ行きはあそこだ」 バスターミナル職員の言葉に「直行バスに乗れる」という安堵感を一瞬感じたが、まるで囚人護送車のような武骨な車体を見て、思わずため息をついてしまった。 「やれやれ、このポンコツに5時間揺られのか!!」 テッカディ直行バスはかなりポンコツ 無論エアコンなどとは無縁のバスだ。せめて、運転手隣の眺めのよい席がキープ出来たのが小さな救いである。 しかし、窓を全開にして疾走していれば、風が入って思っていたよりは不快でないことが分かった。 一時間程平坦な田園地帯を進んだ後、いつしかバスは曲がりくねった山道へと差し掛かるのだが、インドのバスの運転はなかなかに荒っぽい。 バスは曲がりくねった山道へと差し掛かる スピード狂というか、追い越し中毒症とでも言うべきか、ともかく目の前に遅い車が走っていようものなら、追い越さずにはいられない。 「おい、車間距離なさすぎだろ、前の車と!!」 「こら、カーブの外側から抜くな、対向車と衝突するだろ!!」 運転手脇の特等席は眺めが良い反面、荒っぽいドライビングテクニックをよりリアルに体感してしまうというデメリットを含んでいた。 「うわ、危ない!!」 と、思わず日本語で声をだしてしまうことが何度もあった。 GO SLOWの標識を無視して、バスは爆走する バス運転手は、ドライビングテクニックに対する過剰なまでの自信をは持っていても、安全運転という概念は考えたこともないようだ。まるで自分はF1ドライバーだとでも勘違いしているようである。 なので登り坂に指しかかと僕はホッとする。さすがに車体の重いバスである、ローギアでスヒードを落として進まざるを得ない。ところが下り坂にさしかかと 「こら、こんな急坂でアクセル踏むな!!」 インドのバス、それは下手なジェットコースターをはかるかに凌ぐ、スリル満点のアトラクションだった。 (続く) もどる < 6 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【伊良部 島宿物語】 第2話)初めてのシュノーケリング 《沖縄旅行記|伊良部島|下地島|GUEST HOUSE nesou(びらふやー)》 このゲストハウスでは 火・木・土 に宿泊者限定ツアーを催行している。前日までに3人以上集まれば一人1000円で参加でき、行く場所はその日の状況によって決定されるという。 明日は土曜日。夕食時に同行者を募ったらあっという間にツアー開催決定。どんなツアーになるのか尋ねたところ、いくつかビーチを回ってシュノーケリングをするのだという。 シュノーケリング? 南の国には何度も言ったことある僕だが、マリンスポーツにはとんと縁がない。無論今回も海の中に入るという想定はしていなかった。 「そのツアーって水着が要りますよね?」 「海辺から眺めるだけでも構いませんが、絶対やって見るべきですよ」 僕は自分の荷物をもう一度ひっくり返してみた。すると奇跡的に海パンが一枚紛れ込んでいた。これはラッキー、生まれて初めてのシュノーケリングって奴を体験してやろう。 翌朝2台の車でツアーは出発。まず手始めに伊良部島とほぼ橋続きでつながっている下地島へ。 下地島 空港滑走路先にある17エンド 下地島にはパイロットの訓練用に使われていた飛行場がある。その滑走路先にあるのが17エンドと呼ばれるエリアだが、青く透き通ったこのビーチの美しさは目を見張るばかりだ。 しばしその浜辺の眺めを楽しんだ後、中の島海岸というシュノーケリングスポットに向かった。 「ライフジャケットはこう着けてください」 ツアーコンと化した宿のオーナーは懇切丁寧に初心者のおいらに機材のセッティング方法を教えてくれる。 下地島 中の島海岸 何事も初めての時は勝手がわからない。ゴーグルに付いた息継ぎ棒の使い方がよく分からず、ボコボコ水が入ってきて死にそうになる。 「マウスピースのところをしっかり噛んで水が入らないようにしてください」 そうか、そうやって使うのか!! やっとの事で機材に慣れ、水中に顔を埋めてみる。 浅瀬なのに魚がうじゃうじゃ泳いでる 何これ!! こんな浅瀬なのに魚がうじゃうじゃ泳いでるのが見えるではないか! こんな光景 酸素ボンベを背負ってスキューバダイビングでもしないと見えないものだとずっと思っていた。 それがたった700円のシュノーケリングレンタル代と1000円のツアー代で楽しめてしまうものなんて夢にも思っていなかった。 後で聞いた話ではあるが、こんな浅瀬であんなに魚が見えるのは、この中の島海岸ならではなのだと言う。 「絶対やって見るべきですよ」のアドバイスに従ってホントに良かった。 (続く) もどる < 2 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【座間味・那覇 クジラ見物の旅】 第3話)シェア自転車で那覇・自由自在 Part① 《沖縄旅行記|座間味島|ホエールウォッチング|那覇|のうれんプラザ》 本来座間味島で一泊するはずが悪天候で日帰りとなり、旅行3~4日目は急遽那覇市内観光となってしまった。 そうなったら以前から行ってみたかったのが「泊いゆまち」である。「いゆ」とは沖縄方言で魚を意味し、那覇の泊漁港にできた巨大魚市場が「泊いゆまち」だ。 その市場内の食堂の朝食が安くて美味いらしいので、早朝出かけてみた。 今回那覇市内観光で大活躍したのがシェア自転車である。シェア自転車とはサービス提供エリア内に何か所もあるスポットからスポットまでの片道をチョイ乗りできるシステムで、スマホアプリで出発点に駐輪してある自転車を予約しライド開始。終着点のスポットで返却し、アプリ上で支払いが完了する。 オイラは都内でハローサイクリングというシェア自転車システムに登録してよく使っているのだが、これが那覇市内でも展開されていた。料金は利用した時間分だけ払う仕組みになっており、首都圏では¥130/30分だが、那覇では¥100/15分となっていた。那覇市内のチョイノリなら15分もあれば十分なのでちょうどよい。何と言っても、渋滞知らず、バスの待ち時間知らずで、自由に動けるのは素晴らしい!! 那覇市内のシェア自転車 早起きしてゲストハウス近くのスポットから「泊いゆまち」近くのスポットまでシェア自転車を使い、7時過ぎに泊漁港に到着。まず初めに漁港を見学するが、この時間は漁港としては遅い時間で水揚げはもうほとんど終わっていた。それでも巨大なマグロやカラフルな沖縄の魚が並んでいる光景は見ていて楽しい。 泊漁港(上)と泊いゆまち(下) 続いて市場である「泊いゆまち」の中に入っていく。魚一匹が丸ごと売られているのはもちろん、解体工場で加工されすでにブロック状態になったり、刺身としてすぐ食べられる状態になったりと、ありとあらゆる魚が様々なスタイルで売られている。 さてさてお目当ての食堂はどこだ? あっ、あれか、うむむ、何か人の気配がしない。おかしいな? 近づいてみると…本日 定休日 泊いゆまち「まぐろや本舗」は月曜定休 なんということだ!! こういう時に限って定休日とは!! 隣の店のおばちゃんに聞いてみると本日・月曜日が定休だとのこと。トホホ?。 悔しいのでお店の写真を撮っていたら名物の「朝どん」のメニューが載っていた。「海鮮卵かけご飯 480円」う~ん、食べたかった!! 仕方なく売店でポークたまごおにぎりとさんぴん茶を買って簡素な朝食とした。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - その後もシェア自転車とゆいレールを組み合わせて、あちこち那覇を探索する。 那覇市観光局に「飛び入りで参加できるウォーキングツアーはないか?」と問い合わせたら、首里城のウォーキングツアーを薦められたので参加してみた。オイラは平成の大火災前にも首里城ウォーキングツアーに参加したのだが、「今は復興途中の姿が見れて、また違った面が見れますよ」とのこと。それはそれで面白そうだ。 首里城前でツアーの一行と待ち合わせ。門の中に入ると以前首里城の本殿があっていたところには巨大なプレハブ小屋が建てられ資材置き場となっていた。そしてその側面はガラス貼りになっており復興作業の様子が見学できる。焼失を免れた柱が残っていたり、復興の様子がパネル展示されていたり、今首里城は復興そのものが展示物となっているのだ。 首里城は復興そのものが展示物となっている そして、以前の姿を知っているオイラが一番びっくりしたのが、以前本殿があったところまで資材運搬用の立派なアスファルト道路ができていたことである。もちろんこの道がなければ資材を運ぶことはできないが、復興の為に道路まで造ってしまう沖縄の執念にオイラは驚くのであった。 (続く) もどる < 3 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄|離島 なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談 var gaJsHost = (( https == document.location.protocol) ? https //ssl. http //www. ); document.write(unescape( %3Cscript src= + gaJsHost + google-analytics.com/ga.js type= text/javascript %3E%3C/script%3E )); try { var pageTracker = _gat._getTracker( UA-10108613-1 ); pageTracker._trackPageview(); } catch(err) {}
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【格安で行こう、マチュピチュの旅】 第3話)線路を歩いて行こう!! 《ペルー旅行記|クスコ|マチュピチュ|ティポン|リマ|》 クスコについた最初の日は、高地に体を馴らすためその辺を散歩する程度に留めておいた。だがやはりなんだか頭が重い。心拍数も普段より高いようだ。この状態で「7時間のバス移動+2時間半のトレッキング」は少々荷が重い気がしたが、それでもゲストハウスを通じ水力発電所行きのバスの手配をしてもらった。 翌朝7 00、旅行会社のスタッフが迎えに来て15人くらい乗れる大型のバンに乗り込んだ。 そこからバンは、ウルバンバ川に沿った聖なる谷と呼ばれるエリアを走り抜け、やがて山岳地帯に突入していった。 曲がりくねった道を右に左に数え切れないくらいハンドルを切り、進んで行く。車窓に広がるのは4000mを超えるアンデスの山々だ 。ハッとするほど美しい光景ではあるが 、その一方で右に左に揺られてこれが結構胃にくる。ヤバいよ、吐いたらどうしよう。時々そんな不安がよぎってしまう。 車窓に広がるアンデスの山々 昼時になって峠のとあるレストランで休憩を撮る。一応食事休憩ではあるが 、他の観光客も同じように胃にきてるようで、誰一人食事をとってる者はいない。飲み物とスナックで軽く腹ごしらえをし、イザ水力発電所を目指す。 サンタテレーザという街を通り過ぎ、そこから水力発電所までのラスト1時間がひどい悪路だった。右に左にバンは車体を大きく揺らし苦しげに進んで行く。 それでも13 30過ぎには水力発電所の前に到着した。あたりには自分が乗っていたようなバンが何台も停まっていた。予想以上にこのルートを使う観光客は多いようだ。 「ここに名前とパスポート番号記入して下さい。」 マチュピチュに続く道の前にはチェックポイントがあった。ゲートをくぐると水力発電所の駅が現れた。ひっそりとしたローカル駅をイメージしていただが、土産物屋が結構立ち並んでおり、意外に賑やかである。 意外に賑やかな水力発電所の駅 さてここからトレッキング開始である。線路に沿って歩いていくのが基本であるが、所々ショートカットの小道が整備されており、そこそこメジャーなルートであるとことが実感できる。 歩き出すと、反対コースを歩いてきた人たちと何人もすれ違う。中には結構なお年寄りもいる。 線路に沿って歩いていく こうして最初の1時間ぐらいは楽しく歩いていた。そろそろ半分ぐらい進んだろうと思われるあたりで1軒の茶屋を見つけた。 ここらで一休みと 「コーヒー一杯ください」と席に座ったら、 「シンコソーレス(5ソル)です」 マジか! 5ソル(約175円)といえば、クスコの街中で定食が食べられる料金だ。随分法外な値段ではあるが、ここ以外にお店ははない。まあ可愛くボられてあげよう 。 線路脇の茶屋 「トイレはどこかな?」 「こっちです、1ソル(約35円)」 なんだ 、5ソルも払ってるのにさらにお金を取るのか!! 「トイレ、フリー、OK?」と、5ソルという大金を払った強味で強引にトイレ代を踏み倒した。 そして運ばれてきた5ソルの“高級コーヒー”。あれれ、カップの中にはお湯しか入っていない。どういうことだ。このアルミポットはミルクが入ってるんだろ? とポットを注いでみると黒い液体が流れてきた。これは何だ?コーヒーの濃い液だ。 世界各国でいろんなコーヒーを飲んできたがこのスタイルは初めてだ。じゃその原液の正体は何だろう? まさかインスタントコーヒーじゃあるまいよな? プア~ン そんなことを考えている間に警笛を鳴らして列車が通過した。 ときおり列車が通過する ああ、あの列車に乗れたら楽なのになぁ。。。。 一休みして、また歩き出すこと約1時間。バスが走る音が聞こえてきた。アグアスカリエンテス村と山の上のマチュピチュ遺跡を結ぶシャトルバスだ。クスコからアグアスカリエンテス村までの道路はないが、村から遺跡までは登山道路が通じている。線路脇を歩いて、とうとうその登山道路と合流したのだ。アグアスカリエンテス村はもうすぐだ。 しばらくすると集落の建物が見えてきた。長かった徒歩の道のりももう終わり。しかしこのアグアスカリエンテス村、なんか雰囲気が日本の温泉街に似ている。まあ「アグアス=水」+「カリエンテス=温かい」という意味だから、温泉ぽいのもアタリマエであるが。 さあ早く宿に着いてゆっくり温泉にでも浸かろう。 アグアスカリエンテス村 (続く) もどる < 3 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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旅人が見聞を記すのに『正確性』は不要だ。どこの誰で、どこから来たのか。それさえわかれば良い。 例え絶筆しようと、それが遺書になるからだ。私の記憶が価値あるものになれば幸いだ。 あの青い空を漂う雲のように歩くとしよう。 フォールドの旅行記:第一冊目冒頭より フォールドの旅行記(ベコ砂漠) フォールドの旅行記(ヴィラ王国) フォールドの旅行記(オートデザイス王国) フォールドの旅行記(巻末記載) 関連 フォールド・スタイン 目次に戻る