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沖縄本島より台湾の方が近い与那国島。かつては密貿易で栄え今はカジキ漁の盛んなこの孤島で、旅の最後に神のお告げ?を聞くことになるとは…||与那国島旅行記|久部良|祖納|比川|那覇|| 与 那 国 島 に つ い て 調 べ て み る。 与 那 国 島 与 那 国 島 に つ い て 調 べ て み る。 【神のお告げを聞け-与那国島旅行記】 第5話)カジキマグロの港 ||与那国島旅行記|久部良|祖納|比川|那覇|| 人口1,580人の与那国島は、戦後の米軍統治時代に密貿易で大変賑わったという。沖縄本島から500キロ離れたこの孤島、実はたった100キロ先が台湾と、そちらの方が近いのだ。 米軍の目が行き届かない終戦直後、軍放出品や鉄くず(沖縄戦では大量の弾薬/弾丸が投下され、皮肉にもそれが資源となっていた!!)と台湾の農産物との交易が盛んになり、その最前線であった与那国には当時2万人もの人がひしめいていたという。 今は小さな漁村に過ぎない久部良(くぶら)にも、当時は映画館や賭博場、そして歓楽街まであったと言う。 そんな昔がウソのように今の久部良はひっそりとしている。 久部良の港 だがこの久部良の港、日本有数のカジキマグロの揚がる漁港として今もどっこい生きている。数日前の与那国漁協のブログ(今は漁協ですらブログをやる時代だ!!)にも、 「カジキの水揚げが止まりません! 毎日毎日、バンバン揚がります! 身も油が乗って最高です!」 と興奮を隠せない。 僕が久部良に泊まったのも、早朝のカジキの水揚げが見たいがためだ。その水揚げを見られる確率はかなり高い。なにせ天下のT大生が「全国でカジキを釣るならここ」と決めて今まさに合宿しているくらいなのだから。 巨大なカジキがクレーンに吊りあげられる雄大な様を夢想しつつ、島の居酒屋で、与那国でしか味わえないハラゴ(カジキのトロ)の刺身に舌鼓を打ち、床についた。しかし、、、 与那国だけの味、ハラゴ(カジキのトロ)の刺身。 歯ごたえがあるのに、トロリととろける。「うまっ!」 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 朝、目覚めてなにげに時計に目をやる。 え゙っ 8時! しまった、寝坊したぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! 慌てて漁港に駆け寄る。漁協の皆さんはせわしなく働いているが肝心のカジキはどこだ。あらら、あの「与那国町漁協協同組合」と印刷された、大きくて細長いダンボールの箱はなんだ!! ああ、もう梱包済みではないか。クレーンに吊られたカジキの雄姿はどこに行ったのだぁ。 まったくこんなときに限って寝坊するとは情けない。 カジキは既に箱詰めされていた!! 漁港では、島内消費の分であろう、カジキを切り身にすべくおばちゃんの包丁でせっせと解体作業が進められていた。加工所の床には切り落とされたカジキの頭だけが虚しく散っている。 虚しく散るカジキの頭 すべては祭りの後だった。 (続く) もどる < 5 > つぎへ .
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【陸路で水路でアンコールを目指せ!!】 第5話)どうする? スラエムまでの道 《カンボジア旅行記|ポイペト|バッタンバン|シェムリアップ|プレアヴィヒア|》 カンボジアにはアンコールワットの他にプレアヴィヒアという第二の世界遺産がある。タイ国境近くのその遺跡に行くには、シェムリアップから日帰りツアーがあるが、個人でいくと約120ドルと恐ろしく高く、かつ往復7時間かかって現地滞在は2時間程度となってしまう。 プレアヴィヒア遺跡付近ではスラエム村に宿泊施設がある。そこまでローカルな交通機関を利用すれば安く上がるのだが、問題はその村までの行き方である。無論タクシーをチャーターすれば簡単な話であるが、オイラにそんな金の余裕はない。 ネットで公共交通の情報を調べてみるとシェムリアップのプサールー市場付近からスラエム村行きの乗合バンが出ていることがわかったので、前日にロケハンをしに行った。 プサールー市場。付近からスラエム村行きの乗合バンが出ているらしい、、、 そのバンが出ているであろう辺りで住民に「スラエム行きの車はどこか?」と尋ねてみる。が、英語のわかる住民は誰もいない。途方にくれていると中国語を話すじいさんがやってきた。だが今度はオイラの中国語レベルが低すぎて意志が通じない。 その場はあきらめ、その日の夜に宿のスタッフに訪ねてみた。すると「そんな乗合バンがあるなんて知らないね」と素っ気ない。スマホで体験者のブログ写真を見せると「そんな車だと屋根に乗せられるぞ」と恐ろしいことを言い出される始末。まあ、屋根は冗談だとしても、公共の交通手段があるかどうかは確実に把握しておきたい。 「近くに旅行会社があるから相談してみれば」と助言され、ダメ元でを訪ねてみた。 宿近くの旅行会社 宿から徒歩3分、旅行会社のお姉さんに事情を話す。 「確かに市場の前から、スラエム行きのバンが出ているわ。でもローカル用の車だから出発時間は決まってないわ。朝、人が集まったら出発よ。」 良かった。ともかく交通手段があることが確認できた。ついでに旅行会社のお姉さんにトゥクトゥクの運転手用にカンボジア語で「プサールー市場まで、そしてスラエム行きの車を探して」と書いてもらった。 もちろんこんなことをしてもこの旅行会社には1ドルの利益にもならない。それでは悪いと思いお礼にと1ドル札を渡そうとしたが受け取らない。なんという親切!! オイラはクメールの神々に感謝した。 カンボジア語で「プサールー市場まで、そしてスラエム行きの車を探して」と書いてもらった - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 翌朝トゥクトゥクの運転手にそのメモを見せると「OK」とすぐに理解してもらえ、プサールー市場を少し過ぎた辺りでスラエム行きの車を見つけてくれた。 スラエムまでの料金は15ドル。かなりボラれている気がするが他に選択肢がない。今時刻は7 30。出発は人が集まり次第とのことで、近くのガソリンスタンド併設のコンビニ・イートインで時間をやり過ごす。8 30頃に戻ると、もう少ししたら出発だとなった。良かった、これでどうにか村までの足は確保できた。 スラエム村行きの乗り合いタクシー 4人の乗客を載せて車は出発し、市内を回る、そして1時間程してまた元の市場前に戻ってきた。そこで4人乗客が追加。何でムダに市内を1時間走ったのだ?? その意図はなぞであるが、ともかく運転手を含め9人の乗客と2匹のハエを乗せた車は、途中で更に3人の乗客を詰め込み無事に(?)スラエム村に向けて出発したのだった。 (続く) もどる < 5 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【東チベット‐幻の僧院都市を目指せ!!】 第3話)ボラれてたまるか! 《東チベット旅行記|成都|丹巴|甘孜|康定|アチェンガルゴンパ|》 成都(チョントゥ)から丹巴(タンパ)までは約7時間のパス旅。都心の渋滞を抜け山に入る。長いトンネルを抜けいつしか高山地帯にバスは入っていた。 車窓からは小さな旗を連ねたタルチョー(チベットの祈祷旗)が目立つようになり、チベット文化圏に突入していることを実感させる。 丹巴(タンパ)の街並み そこからまた幾つものトンネルをくぐり、曲がりくねった道を登りバスが丹巴(タンパ)に到着したのは夕方6時前であった。 丹巴(タンパ)の滞在は一泊を予定していた。もう少し早く到着していれば周辺のチベット族の村を訪れるつもりでいたが、この時間だと無理だろうと予想していた。だが、ここは随分と日が長く太陽の位置はまだ当分沈まない位置にあった。 「50元(約¥850)で甲居(チァジュ)までどうだ?」とタクシーの運ちゃんが声を掛けてきたので行っみることにした。甲居(チァジュ)とは郊外のチベット族の村で、山合に独特の装飾を施された建物が点在していることで知られた観光エリアだ。まだ日没までには時間があるので、タクシーで往復するにはちょうどいいだろう。 甲居(チァジュ)の村の入口で「入場料で50元(約¥850)かかるぞ、いいか」と運ちゃんに言われた。もちろん必要なお金は払うつもりだ。だが運転手は特に入場料払うこともなく村に侵入していった。 甲居(チァジュ)-チベット族の村 チベット族の村は見ごたえがあり、多くの観光客が訪れていた。一通りの観光を終えると 「お前の宿はどこだ」と運転手が尋ねてきたので丹巴(タンパ)の地図を示して「ここだ」と指差すと。 「なんだ、甲居(チァジュ)ではないのか、じゃ往復で100元(約¥1700)だ」 そうかそういうことだったのか、実は往復50元は安いなと思っていた。 こうして甲居(チァジュ)から丹巴(タンパ)に戻る。意外にも丹巴(タンパ)の街中は観光客の車が多く渋滞が起こっていた。そして間もなく宿の前というところで運ちゃんが「200元(約¥3400)だ」とほざいた。 「タクシー代往復100元、入場料50元、道が渋滞したので50元、全部で200元だ。」 これにはオイラも久しぶりにブチ切れた。タクシー代の往復100元‐これはまあ問題ない。 入場料50元‐これを払う相手は村の管理局だ。なんでお前に払わねばならないのだ!! 最後に渋滞したから50元‐なんだ、取って付けたようなこの理由は!! オイラは100元札を叩き付け、そそくさとタクシーを飛び降りたのであった。 そして「F**K YOU」に相当する中国語を覚えねば、と強く心に誓ったのであった。 (続く) もどる < 3 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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韓国W杯観戦に行ってきました。熱気・興奮・歓喜・情熱・執念・陶酔。その全てを凝縮した一日の物語をお届けします。 [韓国旅行記|光州|W杯観戦] 韓 国 に つ い て 調 べ て み る。 韓 国 韓 国 に つ い て 調 べ て み る。 【光州の熱い1日-韓国W杯観戦記】 =目次= ||韓国旅行記|光州|W杯観戦|| 韓国W杯観戦に行ってきました。熱気・興奮・歓喜・情熱・執念・陶酔。その全てを凝縮した一日の物語をお届けします。 前半:いざ決戦! に進む(韓国・光州) = Half Time = 後半:光州の熱い1日 に進む(韓国・光州) ルートマップ 光州 ソウル 大きな地図で見る 旅行時期:2002年6月 html2 plugin Error このプラグインで利用できない命令または文字列が入っています。 なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【そして牛を巡る冒険/奄美群島の旅】 第7話)牛を巡る冒険 ③ ― 激突 《旅行記|徳之島|闘牛|亀津|伊仙|なくさみ館》 島を周回するバス通りから500m程山側に入った辺りに、闘牛会場の「なくさみ館」はそびえ立っていた。銀色の鉄筋の屋根を持つ立派なドーム型スタジアムだ。 闘牛会場「なくさみ館。前座は島唄のコンサート 夕方6時半の戦闘開始を前に、島唄のコンサートが会場の雰囲気を高めている。 場内にはハチマキを絞めた農家のオッサンもいれば、ヴィトン(風?)のバックを抱えたお姉さんもいる。闘牛場には老若男女を問わず、島んちゅが大集合しているのであった。 今日は軽量級の試合が10番行われる。軽量級と言って侮ることなかれ。闘牛の階級は、ミニ軽量級(~750kg)/ 軽量級(~850kg)/ 中量級(~950kg)/ 無差別級(950kg~)と別れているが、軽量級でも体重750~850kgと1トン近い牛が激突するのだ。 華々しいフアンファーレとともに1頭の巨大な牛が入場してきた。筋骨隆々とした闘牛専用の牛の逞しさは、素人の僕が見ても分かる。 やや間をあけ、テーマソングとともに対戦相手の牛も登場。勢子(せこ)と呼ばれる囃し手の男たちが、それぞれの牛に声を掛け、野生の闘争心に火をつける。互いに相手を確認した牛たちは、ツノとツノを突き合わせ、激しくぶつかる。 徳之島の闘牛 激しい戦闘 ガチッ!! 1トン近い牛の激突は迫力満点。そしてがっぷり四つに組んだ牛は凄まじい力で押し相撲の体勢に入る。 牛たちの息づかいが荒くなる。巨大な牛の腹が呼吸に合わせ大きく揺れているのが観客席からでもよくわかる。苦しそうだ。 一瞬のスキを付いて片方の牛が回り込み、相手の脇腹を捕らえる。バランスを崩した牛は、相手に尻尾を向けてしまった。 こうなるともう勝負あり。一度相手に後ろ姿を見せてしまった牛は、急速に戦意を失い、スタコラサッサと逃げ出していく。その勝敗は素人でも明確に識別できる。 そして勝った方の牛の応援団は狂喜乱舞。 「ワイド、ワイド、ワイド、ワイド」 と、声を掛け合い、会場内になだれ込む。手舞いと呼ばれる勝利の踊りを舞い、勝ち牛の背中に次々と馬乗り(牛乗り?)になって、記念撮影に興じる。 こんな取り組みが10番続くのだが、対戦によって試合内容も様々だ。 中には試合が始まった途端、闘う気力すら見せず逃げ出す牛もいる。 その一方で、全力で闘い、全身の力を振り絞り、振り絞るあまり、ボタボタと"雲古"まで垂らして頑張る牛も少なくない。「フンばる」という言葉の語源はここから来ているのではないかと思ってしまった。 また、激しい衝突でツノが折れてしまうシーンもあり、流石にこれには驚愕してしまった。 そうこうするうち、結びの一番・軽量級の横綱戦を迎える。 チャンピオン牛の「仲興業」に対し、チャレンジャー「亮太號」が挑むという図式は、熱戦の末チャレンジャーが勝利。新チャンピオンの誕生だ。 徳之島の闘牛 勝利そして歓喜の舞い 勝った方の応援団の喜びようといったら言葉にならない。鐘や太鼓が鳴り響き、ステージに人がなだれ込む。紙吹雪が舞うなか、勝利の手舞いはいつまでも終ることがなかった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 前日の興奮が冷めやらぬまま、翌朝の大会を迎えた。今日はミニ軽量級と全島一(=無差別級)の大会だ。 そして昨日同様、激しい戦闘が繰り広げられ、いよいよ結びの一番、無差別級チャンピオンを決める大一番がやって来た。 元・中量級チャンピオン「邁進龍」と、元・全島一チャンピオン「牧山號」の対決だ。二階級制覇か、チャンピオン返り咲きか。場内アナウンスが会場のボルテージを一気に高めたところで、いざ対決。 さあ勝つのはどっちだ。会場が固唾を飲んで激突の瞬間を見守り、さあ、戦闘開始!! と思った矢先、想定外の出来事が起こった。 「邁進龍」の姿を見た「牧山號」。なんと、それだけでいきなり戦意喪失。 イヤイヤと首を振って、相手に少しも触れることなく、スタコラサッサと逃げ出してしまったのだ。 不戦勝である。 失笑に溢れる観客席と、落胆に暮れる負け牛の応援団。そして不戦勝だろうが何だろうが勝ちは勝ち。ドッと会場になだれ込む勝ち牛の応援団は勝利の歓喜に酔いしれる。 勝利に酔いしれる応援団 三者三様の喜怒哀楽をまぶたに焼付け、僕は闘牛会場を後にしたのであった。 (FIN) もどる < 7 > 目次へ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【東チベット‐幻の僧院都市を目指せ!!】 第2話)どこにあるのだ! 成都(チョントゥ)の民泊。 《東チベット旅行記|成都|丹巴|甘孜|康定|アチェンガルゴンパ|》 東チベットの観光拠点となるのは甘孜(カンヅ)である。成都(チョントゥ)から直通バスで行けなくもないが、高地にあるためいきなり行くと高山病のリスクがある。そこでまずは身体を慣らすため、途中にある丹巴(タンパ)を目指す。 丹巴(タンパ)に行くバスは成都の茶店子(チャティエンツ)バスターミナルから出発する。翌朝発のバスに備え、ターミナル近くのJというホステルをネット予約しておいた。 成都・茶店子(チャティエンツ)バスターミナル 空港からバスターミナルまでは近代的な地下鉄で快適に移動ができたが、地下鉄駅を出ると途方に暮れてしまった。 目の前には高層団地のビル群が立ち並び、その脇を高架道路が突っ切っていて、どこがどこだか見分けがつかない。中国では某G社のマップ機能が使えないので、自分がどの辺りにいるのかすら、ちんぷんかんぷんである。加えて予約した宿の住所が英語と中国語で異なっている事に気がついた。一体どっちが正しいのだ!! ともかく周りの人民に場所を聞いてみるしかない。そうなると当然中国語の住所を見せて尋ねることになる。 「それならそこだよ」 と指された場所は、近くにある高層タワービル群であった。意外に近くで助かった。でも一泊1400円の安宿がこんな高層ビルにあるのか? ともかくそこを訪れてみる。ビルは遠くから見ると非常にハイソに見えたのだが、中に入ってしまうと意外と雑然としていた。そして住所にある11階のとある部屋を尋ねてみると、中年女が困った顔をして出てきた。 ここから互いに下手くそな中国語と英語とそして翻訳アプリの力を借りての格闘が始まった。そして分かった事は、この中国語住所は事務所的な扱いで、英語住所にある所が宿泊場所だ。そしてそちらは彼女の妹が経営している。中年女は妹に電話をかけ僕を迎えに来てもらうことになった。 この団地群の一室が宿だった 地下鉄A出口の目の前にタワー団地群があった。敷地内に入るには守衛のいる門の前をICカードかざして入らねばならない。一体どうやって初めての旅行者がこの中に入れるのかは謎である。 たどり着くまでは随分と時間がかかったし、宿のスタッフもほとんど英語はできないが、翻訳アプリを介して何かと世話をかけてくれる。 「明日のバスは何時のどこ行きなの?」 「丹巴(タンパ)行きですが、時間は分かりません」 すると、アプリを使って「9 30発よ」と調べてくれた。 何かと声を掛け面倒を見てくれる宿だったが、いかんせん場所が分かりにくい。 団地内の一棟のある一室が宿なのだが、看板すらない。せめてどの棟のどの部屋かぐらいは住所に記載しくれ。これじゃ郵便局員だって配達できないじゃないか!! (続く) もどる < 2 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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沖縄本島より台湾の方が近い与那国島。かつては密貿易で栄え今はカジキ漁の盛んなこの孤島で、旅の最後に神のお告げ?を聞くことになるとは…||与那国島旅行記|久部良|祖納|比川|那覇|| 与 那 国 島 に つ い て 調 べ て み る。 与 那 国 島 与 那 国 島 に つ い て 調 べ て み る。 【神のお告げを聞け-与那国島旅行記】 第1話)充実のお散歩ツアー ||沖縄旅行記|那覇|那覇まちま~い| 「うわっ、暖かい」― 那覇の空港に着くなり、僕は東京から来ていたフリースを脱ぎ捨てた。3月の沖縄はすっかり春の様相を呈している。 今回、旅のメインは与那国島だが、東京=与那国間に直行便はなく、ひとまず那覇に立ち寄らねばならなかった。そこで那覇空港の観光案内所で何か面白いものはないかとパンフレットを物色していると、興味深いものを見つけた。 「那覇まちま~い」 地元ボランティアが街の案内をしてくれるお散歩ツアーだ。36ものコースがあり、その中から日替わりで数コースが開催されるという。1コース約90分が主流で、料金はほとんどが1,000円とリーズナブル。しかも1名から参加でき当日予約もOKとくれば、もう決まりでしょう。 「那覇まちま~い」のパンフレット 午後から参加できるプログラムはないかとページをめくっていると、あった、あった。「首里城~琉球王国への誘い~」コース。那覇初心者の僕にはぴったりだ。 さっそく事務局に予約の電話を入れ「午後2時に首里城公園の総合案内所前に来て下さ~い」とのことで手配完了。いや~お手軽、お手軽。さすが観光県沖縄の首都、もとい県庁所在地。ツーリズムのソフト・インフラがしっかりしてるなぁと感心しつつ、宿に荷物を下ろし、首里城に向かった。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 待ち合わせ先の総合案内所前でガイドさん及び相客の4名と落ち合い、いざ城の中へ。 首里城は、建物や城壁が戦災で消失し現存してるのは復元物であることぐらい、歴史に疎い僕でも知っている。それゆえ目の前の建築物から風雪に耐えた歴史の重みが感じられないのは残念でならない。 ガイドとともに首里城をお散歩 しかし、ガイドさんの生の解説は、消失してしまった時間の空白を補って余りあるものだ。 「琉球王国は中国に気を配って国を運営してきました。この龍の絵を見てください。上は中国、下は琉球を表しています。この絵に琉球王朝の中国に対する配慮が描かれているのですが、分かりますか?」 と、世界ふしぎ発見!的なガイドさんの問いかけに、われわれ観光客解答軍の一団は「いやー、同じに見えますね」とみんなヒトシ君人形没収状態。 「中国の龍は足の指が5本ありますが、下の琉球の龍は4本です。」 琉球の龍は足の指が1本少ない なんと細かい配慮だ! とまぁ、そんなトリビアまで楽しめるのがガイドツアーの良いところ。個人で見物していたら絶対に気づかないアレコレを教えてもらいつつ、楽しくツアーは終了。 コースの終わりに、カードにスタンプを押してもらう。なんとこのスタンプを5個集めると次の1コースが無料になるのだ!! 再び「まちま~い」のパンフをめくると、他にも興味をそそるプランが幾つもででくる。 ・「国際通り ワキ道ヨコ道ウラ道」コース ・「むつみ橋通りで、三時のおやつ」コース ・「早起きは三文の得 農連市場散策」コース ・ etc. etc. やばいやばい、なんだかコレ、ハマりそうだ。 (続く) もどる < 1 > つぎへ .
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ベルナルドガルニエル(ベルナルド・ガルニエル) ベネディクトゥスジュウヨンセイの別名。
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【陸路で水路でアンコールを目指せ!!】 第1話)国境を越えると、そこは混沌の国であった 《カンボジア旅行記|ポイペト|バッタンバン|シェムリアップ|プレアヴィヒア|》 朝7時、カンボジア国境開門の時刻に合わせ、タイ側の国境の街アランヤプラテートの宿を出る。 今回の旅はタイから陸路でカンボジアに向かい、その変化を楽しむのがテーマだ。既に前日に首都バンコクからの移動を済ませ、ここからカンボジアの旅が始まる。 アランヤプラテートの街から国境まで約6kmの道のりはトゥクトゥクで100バーツ。15分ほどで国境ゲートに到着すると、そこは国境を越えてタイ側に"出勤"してくるカンボジア人たちでごった返していた。荷物を満載したリアカーで渋滞が生じているとはビックリ。 国境を越えてタイ側に"出勤"してくるカンボジア人たち タイ側の出国手続きを済ませ、カンボジアとの緩衝地帯に入る。そこには夥しい数のカジノが立ち並んでいた。タイ人は無類の賭け好きにも係わらず国内で賭博が禁じられている。そこで近隣諸国との国境緩衝地帯にカジノが作られるようになったのだが、えっ、でも、 ここ本当に緩衝地帯なのか!! まだカンボジアの入国事務所を過ぎて無いのに、何で露店が立ち並んでいるんだ!! どうしてトゥクトゥクがブンブン走り回っているんだ!! 緩衝地帯なのに、露店は立ち並ぶわ、トゥクトゥクはブンブン走りまわるわ!! そんな混沌とした中を歩いてカンボジア入国手続きを済ませ、100%ピュアなカンボジア領の街ポイペトに入った。そのとたん、そこで待ち受けていたのはカオスそのものであった。 溢れでるバイクの群れ、「タクシー、タクシー」 と絡みつく夥しい客引きたち、 そうこうするうち小雨が降ってきた。木陰で小降りになるのを待ち、国境から1km程離れたバス会社のオフィスを目指して歩く。 実は国境出口にはポイペトのバスターミナル行き無料シャトルバスの乗場がある。だがそれに乗ってターミナルに行くとボッタクリ価格のチケットを買わされる。そんな罠が仕掛けられていることを事前に掴んでいたので、ターミナルには行かず直接バス会社を目指したのだった。 「8 30出発だよ」 見つけたバス会社の親父は、僕の目指すバッタンバン行きの時刻をそう告げた。時間的にも丁度よいので、出発まで事務所前のベンチに座って待つ。そしてほぼ定刻にバンがやってきた。あれ、カンボジアってこんなにキチンとした国なのかと少し驚いたが、何のことはない。このバン、乗客をピックアップし、長距離バスの運行会社まで運ぶための車だった。結局次のバス乗場で1時間程待たされた後、バッタンバン行きのバスは出発した。 バッタンバン行きのバス 道中バスはBGMに怪しげなカンボジアンポップスを流し続ける。どことなく日本の演歌に近い曲調の歌が何曲か流されていたが、ある歌のメロディにオイラは自分の疑った。聞き覚えのある、このメロディ。 「あ~ 長崎は~、今日も 雨だった~ ♪」 まさか自分達の曲が発売50年後に、カンボジア語でカバーされていたとは、クールファイヴの面々もビックリであろう。 (続く) もどる < 1 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談
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ゲ ー ム の 主 人 公 だ け が 旅 を し て な い か。 予 約 は 簡 単 楽 天 ト ラ ベ ル 楽 天 ト ラ ベ ル 【奥やんばる路線バスの旅】 第3話)漁船に同乗:定置網漁見学ツアー 《沖縄旅行記|やんばる|国頭村|大宜味村|辺土名|安田|名護|》 旅立つ前にネットで情報を調べていたら、やんばるの漁港で定置網漁見学ツアーがあることを見つけた。国頭村(くにがみそん)の東海岸にある安田(あだ)漁港から朝出港する漁船に同乗するツアーで、値段も一人当たり2500円とリーズナブルである。 安田(あだ)漁港 興味深い体験ではあるものの最小敢行人数が2名からとなっており、一人旅のオイラとしてはネックであった。だがめったに体験できないアクティビィティなので「割増料金でも構わないから一人参加できないか」と打診メールを送ってみた。 どうせダメだろうと思っていたら数日後「今回特別にお受けします」との返事が届いた。しかも通常料金でよいというから、まったくありがたい話だ このツアーは漁師の仕事に同乗させてもらうものであり、実施されるのは魚のセリが行われる平日のみ。年末年始やゴールデンウィークなど旅行者が旅しやすい時期はやっていない。今回は飛び石連休をうまく活用して、祝日の間にある平日でブッキングできたのもラッキーであった。 わざわざ安田(あだ)に宿をとったのはこのツアーに参加するためだった。 「明日は予定通り実施されます」 開催日前日、担当者から連絡が入った。自然が相手なので天候次第でキャンセルとなってしまう。予約が入ったからといっても体験できるか確約されないのだ。ちなみに後から聞いた話では先月・10月は天候不順などが続いて実際にツアーが実施されたのは僅か一回だけだったとのこと。実行されること自体非常にラッキーなのだ。 朝7時45分に受付を済ませ、漁船に乗り込む。 ちなみにこのツアーをアレンジしているのは、水族館に魚を卸す仕事を請け負っている会社で、あの美ら海水族館の魚も扱っているとのこと。鑑賞魚を仕入れる関係で各地の漁港とコネがあり、このようなツアーも始めたそうだ。 定置網漁の漁場に向かう漁船 少しうねりがあるが20分ほどで定置網漁の漁場に着く。定置網には目印のブイが付いており、目視でもここに網があるということはわかる。だが、 「漁船用のカーナビみたいなものがあって、どこに定置網が仕掛けてあるかモニターに表示されるんですよ。」 へえ、そんなものがあるとは知らなかった。 定置網は魚を網の奥に誘導する網と、集まった魚をすくいあげる網とに別れている。魚は網に沿って泳いでいく習性があるので、潮の流れなどを漁師の長年の経験と勘で読んで網を張り、魚を誘い込む。 定置網 突然、漁師の一人が海の中に飛び込んだ!! 「海の中に入っちゃうんですね」 「今日は潮の流れが早くて船上から網を引っ掛けられないので、人が潜って網を引っ掛けます」 船の漁でも人が海に入ることがあるなんて全く知らなかったので、驚きだ。 人が潜って網を引っ掛ける 「だんだんを網を絞り込んでいきますよ」 ウィンチを使って網が少しずつ絞り込まれていく。だが絞り込まれても魚影は一向に見えない。果たしてこんなんで魚は取れるのだろうか? 「今日はちょっと魚が少ない感じですね」 少ないと言っても、まだ一匹も見えないじゃないか!! 大丈夫かな? しかし網の絞り込みが進んでいくと、そこには魚影が踊っていた。体長1.5m近いツムブリやシイラ、そして最も多いのがダツである。ダツは鋭いクチバシを持つ細長い魚で、それがもうウジャウジャと超ダツ祭りである。 網が少しずつ絞り込まれていき、やがてそこには魚影が踊りだす それらを船上から巨大なタモ網ですくい上げる。漁師が海に飛び込み、魚を掴んでタモ網に入れサポートする。船上に上がった魚は痛まないうちにすぐその場で活〆にする。巨大なマットレスの上に魚を並べ、金槌で脳天を一撃、そしてすぐに切り込みを入れ流水をかけ血抜きをする。 「さあ、もう港に戻りましょうか」 巻き上げた定置網を海に元に戻し、船は港に引き返す。だが漁師の仕事は終わらない。船上でひたすら取れた魚の処理をする。ダツなどは頭を切り落としその場でハラワタを抜き、流水で洗って何匹もまとめて巨大なビニール袋に詰め、冷凍にする。これらの作業が手際よく一気に行われる。 取れた魚の処理をする漁師たち 港に戻る頃には魚の処理は終わっていた。取れた獲物を製氷車に詰め、セリの行われる漁港に運ぶのだと言う。 出港から港に戻るまで約2時間。短い時間ではあったが、定置網漁見学ツアーはめったに見ることのできないことを体験できる貴重なツアーであった。 (続く) もどる < 3 > つぎへ なんちゃって世界旅行-海外旅行記|中東|アフリカ|中南米|アジア|タイ|欧州|沖縄| なんちゃって世界旅行ブログ-新着情報&雑談