約 1,684,952 件
https://w.atwiki.jp/wiki8_destiny/pages/872.html
切断フィニッシュ 特定の格闘で敵機を撃破して勝利すると発生する、特殊なフィニッシュ。 この状態になると敵機が真っ二つになってから爆発する。 ただそれだけだが、見た目のインパクトがかなり強い。 対象になるのは見た目通り、相手を両断するような格闘。 ちなみに該当する技でとどめを刺しても 高低差があるなどして頭部や足先に当たっていた場合切断されない事がある。 ○切断フィニッシュになる格闘一覧 ストライクフリーダム (BD格) フリーダム (BD格、前格→派生前格、横格→派生前格、N格3段→派生前格) ジャスティス (変形格闘) プロヴィデンス (特格) フォースインパルス (前格、N格2段→派生前格) エールストライク (特格2段目、BD格) ソードストライク (特格、N格3、4段目) ストライクルージュ (横格) ストライクノワール (N格3段目) カオス (N格2段→派生前格) ガイア (特格2段目、後格、変形格闘) ブリッツ (前格、N格2段→派生前格) スラッシュザクファントム (特格、N格2段→派生特格) グフイグナイテッド(ハイネ機) (前格) フォビドゥン (特格) ドムトルーパー (前格) グフイグナイテッド (N格3段目) ウィンダム(ネオ機) (特格、N格→派生特格) ムラサメ(バルトフェルド機) (前格) ムラサメ (前格) ジンハイマニューバ2型 (横格)
https://w.atwiki.jp/sentai-soubi/pages/1812.html
「マジボルト。 逆巻け、水よ!」 【名前】 レジェンドスプラッシュ 【読み方】 れじぇんどすぷらっしゅ 【登場作品】 魔法戦隊マジレンジャー 【初登場話】 Stage30「伝説の力~マージ・マジ・マジ・マジーロ~」 【分類】 必殺技 【使用者】 レジェンドマジブルー 【詳細】 レジェンドマジブルーの必殺技。 魔法聖杖ダイヤルロッドを「1」に回し発動。 更に強力となった水柱や大津波などの「魔法技」を標的へ発生できる。
https://w.atwiki.jp/bancho04gw/pages/25.html
フィニッシュ技 踏み込みアッパー アゴ掌底 カエルアッパー かち上げエルボー 飛び膝蹴り 金的蹴り上げ バク宙キック アッパースイング ロケットキック 裏拳 強烈ボディブロー 強烈正拳突き 大振りビンタ ぐるぐるパンチ 両腕回転パンチ 後ろ蹴り ブラジリアンキック 顔面前蹴り 後ろ回し蹴り 浴びせ蹴り 側転肘 ドロップキック 延髄斬り ジャンピングアッパー 蛙飛び頭突き 氷柱割 打ち上げアッパー 大きく前へならえ 全力パンチ シバータ フロントキック
https://w.atwiki.jp/tes5/pages/166.html
フィニッシュムーブ フィニッシュムーブとは 確定事項 その他・備考 ムーブ一覧片手武器ムーブ 両手武器ムーブ 素手ムーブ その他 フィニッシュムーブとは 近接戦闘時に確率で発生する専用ムーブ 発動すれば固有のモーションが発生し、問答無用で相手を仕留める事が出来る 各モーションはなかなかにスタイリッシュ 一撃必殺を狙う事もできるので活用できればかなり強い なおNPCや一部の敵もフィニッシュムーブを使う。自分が食らった場合は当然即死(発動後は回復不可) 確定事項 発生する条件 与えるダメージが相手の体力ゲージを0にする時 相手が敵対していない時 敵対時にキャラクターをターゲティングしている相手が1人だけ(複数敵対しても自分を狙っているのが1人だけなら条件は成立する) 相手が直立やよろけ、転倒している時 攻撃の1発目 発生しない条件 シールドバッシュによる攻撃(パワー、デッドリーバッシュ含む) 複数の相手にターゲティングされている場合 周囲に敵対する相手が複数いる場合(隠密中も含むが隠密FMは例外で発動) 相手が着席、睡眠中、付呪器や鍛冶など設備使用中(店頭でテーブルに手を着いている時も含む) コンボの2発目以降(パッチ1.7ではこの制限がなくなった) 溜めてからの強攻撃(パッチ1.7ではこの制限がなくなった) 麻痺や氷結など一部の状態異常中 シャウトによる専用モーション発動中(時間減退は効果持続中ずっと) ムーブが発生しない相手(馬、マンモス、スケルトン、小型モンスター、不死状態のNPCなど) その他・備考 攻撃力の高い武器だと発生率が上がる(攻撃力を上げるスキルや装備、隠密のダメージ倍加スキルも確率に影響する) 体力ゲージ、スタミナゲージが低下すると発生率が上がる 相手の総体力が高いと発生率が下がる(高レベル時にドラゴンやオーバーロードなどを相手にしてフィニッシュ率が低下するのはこのため) スキル「強烈な攻撃」に首切りはパワーアタックで発動すると書かれているがパワーアタックをしなくても普通に首切りは発動する 一人称視点時には、一人称視点と三人称視点の両方のフィニッシュムーブが発動する 三人称視点時には、基本的には三人称視点のフィニッシュムーブが発動するただし極稀に三人称視点でも一人称用のフィニッシュムーブ画面に切り替わることがある(技の種類が少ない両手斧等で発生しやすい) フィニッシュムーブ中に敵からの攻撃を受けることもある フィニッシュムーブ中にお気に入りを開くことで通常時と同じようにポーズをかけることが出来る パッチ1.6(360版)では素手の隠密FMは無効になってる模様?(要検証) ムーブ一覧 片手武器ムーブ 技 使うキャラ 首撥ね 条件 飛び突き ドヴァーキン、衛兵 × 離れている時低確率で発動 唐竹割り ドヴァーキン、衛兵 × 斧・メイス装備時 首切断 ドヴァーキン、高LV時山賊 ○ 少し離れている時25%で発動 肩突き刺し ドヴァーキン、人NPC × ほぼ密着時高確率で発動 突き刺し ドヴァーキン、衛兵 × ほぼ密着時低確率で発動 背中突き刺し ドヴァーキン、人NPC × 背中を見せている時高確率で発動 喉掻っ切り ドヴァーキン、人NPC × 隠密時背中を見せている時高確率で発動 首切断(ダウン時) ドヴァーキン ○ 敵がダウン時低確率で発動 突き刺し回転薙ぎ払い ドヴァーキン × 首切りスキルがないとき発動。ただし完全置き換えではなく首切り取得後も発動 盾弾き突き刺し ドヴァーキン × 盾装備時かなり低確率で発動 突き刺し(命乞い時) ドヴァーキン × 命乞い時正面から攻撃 両脚薙ぎ払い ドヴァーキン × 巨人戦専用フィニッシュ 首なぎ払い ドヴァーキン × 巨人戦専用フィニッシュ 足薙ぎ首突き上げ ドヴァーキン × 巨人戦専用フィニッシュ・剣 抱え上げ柄打ち ドヴァーキン × 狼戦専用フィニッシュ 蹴り上げ振り下ろし ドヴァーキン × 狼戦専用フィニッシュ 脚薙ぎ払い首薙ぎ払い ドヴァーキン、ブリニョルフ × ファルメル、トロールなどの二本足モンスター戦専用フィニッシュ 踏み付け ドヴァーキン × シャウラス・ハンター専用フィニッシュ 首切り ドヴァーキン、英雄 × ドラゴン戦専用フィニッシュ 頭突き刺し ドヴァーキン、英雄 × ドラゴン戦専用フィニッシュ 両手武器ムーブ 技 使うキャラ 首撥ね 条件 叩き落し ドヴァーキン、人NPC × どの距離でも高確率で発動 斜め振りおろし首叩き落し ドヴァーキン、高LV時山賊 ○ 少し離れている時25%で発動 突き離し首叩き落し ドヴァーキン、高LV時人NPC ○ ほぼ密着時25%で発動(戦鎚必須) 剛断 ドヴァーキン ○ 命乞い時25%で発動 突き刺し ドヴァーキン、衛兵 × ほぼ密着時低確率で発動 頭突き刺し ドヴァーキン、英雄 × ドラゴン戦専用フィニッシュ 薙ぎ払い超振り降ろし ドヴァーキン × ドラゴン戦専用フィニッシュ 素手ムーブ 技 使うキャラ 首撥ね 条件 三連打 ドヴァーキン、人NPC × 対人型専用(正面) 喉輪落し ドヴァーキン、人NPC × 対人型専用(正面) 肩車 ドヴァーキン、人NPC × 対人型専用(正面) 体落とし ドヴァーキン、人NPC × 対人型専用(正面) ジャーマンスープレックス ドヴァーキン、人NPC × 対人型専用(背後) チョークスリーパー ドヴァーキン、人NPC × 対人型専用(背後隠密)※パッチ1.6以降は発動しない フロントチョーク ドヴァーキン、人NPC × 対人型専用(背後隠密?)※パッチ1.6以降は発動しない その他 技 使うキャラ 首撥ね 条件 マウントコンボ ウェアウルフ時ドヴァーキン × ウェアウルフ時限定ムーブ(右手攻撃でトドメ) 噛みつき ウェアウルフ時ドヴァーキン × ウェアウルフ時限定ムーブ(左手攻撃でトドメ) 投げ飛ばし ウェアウルフ時ドヴァーキン × ウェアウルフ時限定ムーブ(両手攻撃でトドメ) 頭部握り潰し ウェアウルフ時ドヴァーキン ○ ウェアウルフ時限定ムーブ(両手攻撃でトドメ) 噛みつき ドラゴン × ドラゴン専用ムーブ
https://w.atwiki.jp/sentai-soubi/pages/678.html
「お前は美味しい獲物ってことだ」 【名前】 デスバニッシュ 【読み方】 ですばにっしゅ 【登場作品】 仮面ライダー龍騎スペシャル 13RIDERS 【分類】 ファイナルベント/必殺技 【使用者】 仮面ライダーベルデ 【AP】 5000 【詳細】 仮面ライダーベルデの必殺技。 ファイナルベントのカードをバイオバイザーに読み込んで発動。 遠方に出現したバイオグリーザが伸ばした舌で自身の脚を掴み、振り子のように標的の足を掴んで、更に空中に放り投げてからパイルドライバーを決める。 高空から頭部を地面に叩き付け、非常に殺傷能力が高く、ライア、ナイトはこの技で致命傷を負い命を落とした。
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/35.html
前:2-5-5 自民党による「3520の実例」の構築 2-6 「バックラッシュ」の「成果」とはなにかの 以上、2006年までの間に行われた「バックラッシュ」言説の構築プロセスを簡単に追ってきた。では、かようなクレイム実践は、具体的にはどのような政治的効果を持ったのだろうか。 「過剰」な言説によって、普段はそのコミュニケーションに関心を持たない層をある単純化した枠組みの中に瞬間的に回収する「バックラッシュ」言説は、特定のトピックスを政治的課題として構築する「運動体」によって解釈、利用される。かような実践の効果として、地方議会や国会答弁などにも見受けられるように、「男女共同参画」や「ジェンダーフリー」を「社会問題」にすることで、保守派側から争点化しやすくなった点はあげられるだろう(議題設定効果:McCombs Shaw 1972 )。その結果、男女共同参画基本計画に否定的な注釈がつけられた他、「ジェンダーフリー」という文言が使いにくくなるなどの効果を生んだ。また、地方でも「男女共同参画条例」の争点化が観測されるようになる。 具体的には、例えば市川市の例が分かりやすい。市川市では2006年まで積極的格差是正措置(ポジティブアクション)などを掲げるなど「先進的」と見なされていた条例を保有していたが、「過剰なジェンダーフリーを是正する」ことを理由に次のように変更された。 「この条例において、男女共同参画社会とは、男女がその特性を生かし、必要に応じて適切に役割分担しつつ、互いが対等の立場で協力し、補完し合って、家庭、地域、職場、学校その他の社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保されることにより、個性と能力を最大限に発揮することのできる社会をいう」と定義づけ 「男女が性別により直接的又は間接的に差別されることなく、その人権が尊重される社会」が「男女が性別により差別されることなく、その人権が尊重される社会」に 「男女が自立した個人として、多様な生き方を選択することができる社会」→「男女が男らしさ、女らしさを否定することなく、互いにその特性を認め合い尊厳を重んじる社会」 「「男は仕事・女は家庭」という固定的性別役割分業意識に縛られることなく、家事、子育て、介護等の家庭の営みに家族全員が関わり、その責任を共に分かち合える家庭」→「専業主婦を否定することなく、現実に家庭を支えている主婦を、家族が互いに協力し、支援する家庭」 「家族一人一人がジェンダーに捕らわれることなく、それぞれの個性を大切にする家庭」→「家族一人一人が家庭尊重の精神に基づいた相互の理解と協力の下、それぞれの個性を大切にする家庭」 「子を産むという女性のみに与えられた母性を尊重するとともに、育児における父性と母性の役割を大切にし、心身共に健康で安心して暮らせる家庭」が追加 「妊娠期、出産期、更年期等の女性の生涯の各段階に応じて、適切な健康管理が行われる職場」→「妊娠期、出産期、育児期、更年期等の女性の生涯の各段階に応じて、適切な健康管理が行われ、母性及び子の最善の利益が尊重される職場」 「男女が制度、慣習又はジェンダーに捕らわれることなく、平等に地域の活動に参画し、その意思決定ができる地域」→「男女がその特性をいかしつつ、平等に地域の活動に参画し、互いに協力していくことができる地域」 「女性の積極的な社会参画により、女性の多様なリーダーシップが発揮される地域」→「男女の積極的な社会参画により、多様な能力が発揮される活力ある地域」 「ジェンダーに捕らわれない、男女それぞれの人権を大切にする教育」→「男女が互いにその特性を尊重しつつ、それぞれの人権を大切にする教育」 「性別に捕らわれない名簿を採用した教育」→「必要に応じて適切に名簿の作成が行われる等、区別と差別を混同すること」 「性別に捕らわれない係、当番等の役割分担が行われる教育」→「男女別実施による運動種目の設定、男女別室での着替えなど、思春期の性別に配慮した教育」 「セクシャル・ハラスメントのない教育」→「心と体のバランスや生命の尊厳に配慮し、発達段階に応じて適切に行われる性教育」 この条例に象徴されるように、言説実践の反復は各「陣地戦」において一定の成果を得たかのように見える。いくつかの自治体は、「ジェンダーフリー」という文言について触れないとわざわざ明記しているが、これも「成果」に加えられるだろう。 その背景には、「過剰なジェンダーフリー」が社会問題化され、広範に共有されているという実態が関わっていることは確かだ。浜井浩一は『犯罪不安社会』(光文社新書、2006)において、報道によっていかに実態とかけ離れた「治安低下」というリアリティが作られたかを以下のように述べる。 現実の犯罪発生に関係なく、特異な事件をきっかけに人々のあいだで犯罪が増加し、治安が悪化しているという印象が広まり、犯罪不安が急速に高まっていくような現象は「モラル・パニック」と呼ばれている。 社会学者マーシャ・ジョーンズ(2000)によると、モラル・パニックは社会の保守的な階層の中での、「社会が蝕まれている、社会的な秩序やモラルが崩壊しつつある。このまま放っておくととんでもないことになる。今すぐに手を打たなくては……」という危機感の高まりによって発生し、マスメディアの報道によってそれが市民に浸透していく。 (…)しかし、犯罪不安が、集中砲火のような報道による一時的なパニックであれば、それはモラル・パニックであり、気まぐれなマスコミの関心が移れば、騒ぎも次第に沈静化に向かうことが多い。昔、大騒ぎになったにもかかわらず、大きな事件を忘れている人も多いと思う。つまり、マスコミが不安を煽ることである種のパニックは発生するが、パニックに実態がともなっていない場合には、時間経過とともに沈静化し、忘れられるのが常態なのである。 (…)ところが、パニックに行政が対応して制度変更を行うと、パニックの原因となった問題は恒常的な問題と認識され、行政的な手当ての対象となるため、社会問題そのものが固定化していくことになる。 ジョエル・ベストは、マスコミ報道によってつくられたモラル・パニックが、市民運動家(支援者等の「アドボケイト」と呼ばれる人々)行政・政治家、専門家の参加に拠って、一過性のパニックとして終わらずに、新たな社会問題として制度に組み込まれ、恒久的な社会問題として定着していく過程を分析している。 彼は、これを「鉄の四重奏」(直訳すると鉄の四角形)と呼んでいる。 マスコミが問題を探し出して報道し、市民運動家が社会運動の中でこの問題を取り上げ、政府に対策を求め、行政・政治家がこれに対応して法律等を制定し、医学・法学・心理学などの分野の専門家が、学問的な権威としてこの問題を解釈するという一連の作業が、パニックを超えた恒久的な社会問題を作り出すとベストは指摘している。 この分析は犯罪を対象にしたものだが、ジェンダーフリーの問題や「教育問題」など、過剰な「不安」をフックにすることで動員をはかる社会問題一般に当てはまるだろう。「過激な性教育や行き過ぎたジェンダーフリーが蔓延している」というパニックを利用し、マスコミが報道する過程で一般には流言飛語の部分が拡大され、それを元に社会運動や条例化が行われる。各地条例が争点されているのは、他でもなくそれが「争点」として構築されているからだ。 社会問題の構築は、実際にその問題があるかないかとは異なり、何が係争の対象になるかには必然性はない恣意的なものであるといえる。例えば「男女同室着替え」自体は70年代頃から既に多数存在していることが確認されており、「教育予算の不足」などが指摘されるほか、そもそも公立学校に男女別の更衣室を設置すべしとする建設基準が設けられていないなど、元々現象としては存在していたものであり、慣習として浸透しさえしていたように思われる。それが「行き過ぎたジェンダーフリーの実例」として社会問題として突如構築されるわけだが、あくまで「行き過ぎたジェンダーフリー」の例として係争化されたためか、その後に保守団体が更衣室を設けることを請願する社会運動にコミットしたという話は聞かない。 かように社会問題として争点化されることで、各地条例に対する運動が盛り上がった面は「効果」として挙げられるだろう。しかし例えば、男女共同参画基本計画の第二次案も、各自治体の条例による「抵抗」も、「基本計画の根本的な見直し」からは程遠く、むしろ曖昧な表現を避けさせることで議論の精緻化に加担したと部分さえあると言える。国政では、再三のクレイム申し立てによっても基本法の見直しは行われず、安倍が首相になってからも大きな方向転換は観測されない。仮に「ジェンダー」の文言が法文から削除されていたとしても、あるいはさらに「区別を差別と見誤ることなく」「専業主婦を否定することなく」「父性や母性の重要性」などの文言が条例に加えられたとしても、「雇用機会」や「雇用環境」「女性の再就職」に関する政策から撤退する、あるいはあからさまな区分けを正当化することは出来なかった(出来ない)だろう。 また、実際にこれらの条例に、例えば「景観法」や「迷惑防止条例」「路上禁煙条例」「淫行条例」「青少年育成条例」など、具体的な規制が明記されている条例ほどの拘束力を、各個人や各世帯のライフスタイル、教育方法ほかに対して与えることは困難だろう。仮に拘束力を持たせるとしても、「法律の範囲内において制定される」(憲法94条 および地方自治法第14条第1項 )という性質を持つ条例は、国法よりも下位に位置付けられるという法的な形式的効力の観点から 、基本計画の方針は遵守されるからだ。それどころか、どれほどの「抵抗」を示したとしても、結局は「男女共同参画基本条例」という名の条例は策定されるのであり、条例そのものを作らないという「抵抗」はさほど観測されないのである。そもそも同条例は、それ自体としては自治体運営の指針表明以上の効果を(個別の議論において主張の準拠点として持ち出される場合などを除き)持ち得ないと思われる。その意味で条例の変更や否定的注釈などは、「先進的」な状態から、「出来うる限りスローモーな漸進」へと変更された程度であり、結果として「男女共同参画行政」のコミュニケーションそのものを進めることに加担しているといえよう。 「バックラッシュ」を起こすことで、保守運動はどのような効果をあげたのだろうか。市川市の条例や基本計画の否定的注釈などについて、保守派は「勝利」と位置づけているが 、それは「象徴のレベルでの失地回復」 によって「運動」を継続するための(今後のクレイム申し立ての準拠点にすることを含んだ)動機を確保する以上の「効果」が得られるかどうかは疑わしい。条例の文言が異なっていたとしても、行われる政策などに大きな差異がなければほとんど意味がないからだ。「専業主婦を否定することなく」と書かれていようと、「ジェンダーに捕らわれることなく」ではなく「男女がその特性をいかしつつ」が書かれていようと、例えば保育所の導入などに関して具体的な方法論に大きな違いが出てくるわけではないし、そもそも予算がほとんど付かなければ何も行われないという点で差異がない。あるいは逆に、国が策定した基本方針に忠実で「急進的」な条例を作ったとしても、結局は各地元のニーズをめぐった別の「運動」が行われなければならない点で変わりはないだろう(「理解ある」条例が作られた後に、ほとんど予算が付かず具体案に手が付かなかったり、具体案に「合計特殊出生率の目標値」を掲げるなどの地域もある)。 また、「男女がその特性をいかしつつ」というような文言を評価する保守派も、「差別的な文化は当然なくしていかなくてはならない」「専業主婦も働く女性も同等に認めよと言っているのがわれわれである」と述べ、行政による「一方的な価値観を強制」 することに反対とするスタンスを一応はとっている。あるいは、「男女平等に反対するわけではない」と前置きをしながら「真の男女平等」を主張するように、仮に「対抗」のために持ち出された便宜的な語彙であったとしても、制度的な格差を肯定したり、完全分業の法的実行を主張することまでは踏み込めない情況のままだ。 つまり、過剰なケースを構築することで「男女共同参画」が擬似的な形で社会問題化され、議会などで係争の対象として設定されたとしても、「男女平等を(制度的に)いかに実現するか」というアジェンダに基づいたコミュニケーションは継続されているということだ。フェミニストが各定義に対して対抗クレイムを発していくことが既に批判対象の設定したアジェンダに乗っているという面はあるが、既に保守派は「男女平等」をめぐるコミュニケーションのプレイヤーとして位置づけられ、そのコミュニケーションを根本的に否定することは出来ないでいる 。保守派は「ジェンダーフリー」を否定することで「男女平等」の内容に関する定義づけを優位に進めようとしたが、そのことは既に保守派にとっても「男女平等」が重要な課題であることを示唆すると同時に、「男女平等」を係争のポイントにすることでそのプライオリティの向上に加担している。バックラッシュが生じても、アジェンダが残り続ける以上は、対象となったコミュニケーションはそのまま継続する。しかも、その現象を直ちに歴史化したうえで、さらに精緻なものと化したうえで、である。 各地条例をめぐる「運動」について考えてみよう。保守派は「日本全国にジェンダーフリーや男女共同参画の過激な実例がある」という動機付けの元に、クレイム実践を行っている。それは同時にフェミニズム運動にも「バックラッシュ派と闘う」という動機を与えることで、コミュニケーションの継続に加担する。それらの言説は、元々「運動」にコミットしていない層を「過剰に」動員するほどの効果は挙げていない。例えば徳島県議会に提出された「『男女共同参画社会基本法』及び『同基本計画』の改廃を求める請願」など、各地で展開された条例案をめぐっての抗議や応援のFAX、メール、郵便などは互いに数十~数百ずつで、双方のメーリングリストや掲示板でのやりとりを観察するに 、「運動体」によるものがほとんどであることが分かる。春日市議会あてに、「男女共同参画を推進する条例」の早期制定を求め3団体が請願書と署名約2万2600人分を提出するというケースと比較しても、「署名」のようなイージーな形で巻き込むことはあっても、敷居の高い「抗議」まで行う層はさほど拡大していないと思われる。実質的には、バックラッシュを経た後も、一部の運動体同士の陣取り合戦以上に発展していないとさえいえるだろう。 各地で起こっている「バックラッシュ」と呼ばれている騒動はどうか。フェミニストである上野千鶴子が講演会を拒まれた国分寺市の事件や、フェミニストの書籍が図書室から排除された福井県の事件は、フェミニズムにとって「バックラッシュ」の象徴的な例として語られる 。しかしこれは、果たしてどこまでがバックラッシュの効果だといえるだろうか。ある派閥が自らの規範にとって望ましくない思想の排除を目論む小さな小競り合い自体は、バックラッシュと無縁に起こっており、これらの事件には「過剰な人々を瞬間的に巻き込む」という要素が見当たらない。 もちろん一方で、社会問題化されることによって「運動体」の関心をひきつけることには貢献しただろう。元々保守政治に関心のあった「運動体」が、ジェンダーフリーなどを争点として認知することで、各地で係争化していくという点においてである。例えば市川市のケースは、日本政策研究センターから講師を迎え、市川市の保守系4会派が1年半の非公開勉強会を行い、保守系4会派の代表が提出した同条例案を採択したという流れがある。これ自体は極めて個別的な係争の結果だといえるだろう。社会問題化することで、「反フェミニズム」のコミュニケーションを回路づけるという意味においてが効果を持ち、一時的な世論の表出の向きを形作ることは出来るが、潜在的なプレイヤーそのものを増加させること、あるいはコミュニケーション自体を止めることにはさほど貢献しないといえるのではないだろうか。 バックラッシュは、単純化を伴った社会問題の構築(擬似問題化)によって、集団を瞬間的に対抗コミュニケーションの動機として動員する。但し、瞬間的に動員された集団は、その後継続的にコミュニケーションに参画し続けるわけではない。 前:目次に戻る @
https://w.atwiki.jp/gods/pages/116043.html
フェンニンゲン バイエルン国王の系譜に登場する人物。 男爵。 関連: ジェーンディグビー (ジェーン・ディグビー、妻)
https://w.atwiki.jp/dinametamo/pages/2079.html
おれんじでにっしゅ 入手法/作り方 パンの種+オレンジ、熱する、かなり 作成アイテム 上トレイ 下トレイ 方法 時間 SUCCESS FAIL GREAT 猶予 オレンジデニッシュ - わける かなり マニッシュショート(茶) 腐ったオレンジデニッシュ エクステ・カール(ベージュ) 腐り復活 上トレイ 下トレイ 方法 時間 SUCCESS FAIL GREAT 猶予 腐ったオレンジデニッシュ - わける ちょっと 小麦粉 × GREAT 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/directors/pages/1506.html
ジェフ・マクタニッシュをお気に入りに追加 ジェフ・マクタニッシュのリンク #blogsearch2 ジェフ・マクタニッシュとは ジェフ・マクタニッシュの83%は鉛で出来ています。ジェフ・マクタニッシュの17%は赤い何かで出来ています。 ジェフ・マクタニッシュ@ウィキペディア ジェフ・マクタニッシュ ジェフ・マクタニッシュの報道 gnewプラグインエラー「ジェフ・マクタニッシュ」は見つからないか、接続エラーです。 ジェフ・マクタニッシュのキャッシュ 使い方 サイト名 URL ジェフ・マクタニッシュの掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る ページ先頭へ ジェフ・マクタニッシュ このページについて このページはジェフ・マクタニッシュのインターネット上の情報を集めたリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新されるジェフ・マクタニッシュに関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
https://w.atwiki.jp/seijotcp/pages/32.html
前:2-5-3 「過激な性教育」の構築 2-5-4 「ジェンダー論の嘘」の構築 「ジェンダーフリー」バッシングは、次第に「ジェンダー」概念自体のバッシングへと重ねられていく。特に2002年以降、各エビデンスの強調によるネームコーリングが繰り返される一方で、ジェンダー論自体が似非科学であり理論的根拠はない、あるいはジェンダーという言葉自体に政治的意図があり危険であるというタイプのクレイム実践が大きく展開されていく。但し、理論的細部の検討よりも、『ラディカルに語れば…』(平凡社、2001)における大沢真理や上野千鶴子の「失言」 やジェンダー理論について触れたワンフレーズから数パラグラフ を元に、「男女共同参画基本法」の「隠れた意図」を指摘しつつ、「保守の油断」を「反省」しながら「反撃」 をうながすような言説が多く、その分かりやすさゆえに衆目を集めていった。また、「ジェンダー」概念の背景には共産主義や革命思想が蠢いているとする定義パターンも継続されていた。 そんななか、「ジェンダー概念の嘘」の論拠として急ピッチで構築されていったパターンとして、『ブレンダと呼ばれた少年』を用いたものが登場する。その経緯は小山エミ「『ブレンダと呼ばれた少年』をめぐる保守言説の迷走」(『バックラッシュ!』双風舎、2006)に詳しい。小山はその経緯について、次のようにまとめている。 1966年、カナダ・ウィニペグ。生後8ヶ月の双子の一人、ブルース・ライマーの包茎手術中に器具が不動作を起こし、ブルースのペニスは破損される。ブルースの将来を心配した両親は、当時著名な性科学者としてテレビ番組などで活躍していた心理学者ジョン・マネーに相談し、かれの勧めでブルースに性転換手術をほどこし女児として育てることを決意する。マネーの理論では、新生児は生後しばらくのあいだ性心理的に中立であり、適切な性器形成手術や思春期以降のホルモン療法をほどこすことによって元の性別とは関わりなく男の子として育てることも女の子として育てることも可能であるとされていたのだ。しかしブレンダと名前を変更されて育てられたブルースは、誰に教えられることもなく「女性」であることを拒絶し、十代半ばでデイヴィッドと名乗る男性として生きることを選択する。これが一般に「双子の症例」と呼ばれる事件のごく簡単な─そして表面的な─あらましだ。 間違った性科学と医療に翻弄されたデイヴィッド・ライマーの個人史を綴ったジョン・コラピント著「ブレンダと呼ばれた少年」(原題「As Nature Made Him」=自然の作ったままに)は、発売とともに米国でベストセラーとなり、またペニスの形成が不十分とされた男児に対する医療方針について医学界に再考を促すなど、大きな衝撃を与えた。しかし、日本では2000年の邦訳発売の翌年に出版元の無名舍の親会社が出版事業から撤退したため早々と絶版となり、その後2004年5月にデイヴィッドが自殺するという事件があったにも関わらず国内では大きな話題にはならなかった。 その「ブレンダ」が日本で一躍注目を浴びるのは、「新しい歴史教科書をつくる会」関係者や保守系言論誌「正論」などが中心となって「ジェンダーフリー」教育やフェミニズムに対するバッシングを激化させるようになってからだ。かれらは、「双子の症例」はフェミニストや男女共同参画行政による「ジェンダー=社会的・文化的に形成された性差」という論理の虚構を暴くものであるとして、マネーの理論が崩壊したいまジェンダー論は全面的に見直されるべきだと主張した。 ここでまず確認しておきたいのは、マネーが問題としていたのは現在「ジェンダー・アイデンティティ=性自認」と呼ばれるものであり(社会学習論)、現在のジェンダー論(社会構築主義)とは別であるということだ。上野千鶴子の『差異の政治学』(岩波、2002.2)における「ジェンダー」をめぐる歴史記述の部分にマネーが登場することから 、マネーが現在のジェンダー概念においても重要人物であると見なしたのだろう。実際は構築主義と「氏か育ちか」の議論は別であり、ジェンダー論全体がマネーの理論に「依拠」しているわけでもなければ、「双子の症例」によって「氏か育ちか」に決着がついたというわけでもない。それにもかかわらず、「マネー=ジェンダー論の拠り所=実験の失敗=フェミニズムの嘘」といった「一点突破」型の論法が強調されていく 。 詳細な通時的分析は小山論文において行われているため、ここではそのおおまかな流れのみ整理しておこう。2003年5月、中川八洋『これがジェンダー・フリーの正体だ』において、「アメリカのマネーらが一九七〇年代初頭、ジェンダーという言葉を別の概念として使い、広めたものです。日本のフェミニストがつかうジェンダーという概念は、主としてこのマネーが書いたものです」と言及されているものの、「双子の症例」に関しては言及されていない。一方、同月発売の『正論』2003年6月号においては、「双子の症例」に関連してジェンダーフリーについて批判を行うものが掲載された。しかし、この頃既に『差異の政治学』を用いたクレイム構築ははじまっていたものの、クレイム申し立て全体からは「双子の症例」は重要な焦点としては扱われておらず、『ラディカルに語れば・・・』に見る「上野千鶴子の本音」の方が重要視されていた。 情況は2004年後半から徐々に変わっていく。2004年9月14日『世界日報』は「迷走する「男女共同参画社会」(31)第四部 ジェンダー論の系譜 1 狂気のマネーの性転換手術」を掲載。15日には「迷走する「男女共同参画社会」(32)第四部 ジェンダー論の系譜 2 「ブレンダ」失敗で理論破綻 女性学、いまだにマネーが有力根拠」、16日には「迷走する「男女共同参画社会」(33) ジェンダー論の系譜 父権制打倒を唱えたミレット「性的に男性が女性を支配」説く」、17日には「迷走する「男女共同参画社会」(34) 虚構重ねた80年代の学説 ジェンダーがセックスに先行」を掲載するなど、立て続けに「双子の症例」について言及する。以後、「脳の構造で幼児期から性差 人間総合科学大学教授 新井 康允氏に聞く」(2004.9.22)に掲載された脳科学者・新井康允とのインタビューにおいて「双子の症例」についてインタビュアーが質問するなど、間接的にも取り上げていくことになる。 『世界日報』のクレイムメイクが伝播したのか、日本製作研究センターが発行する『明日への選択』(2004年12月号)や、『日本時事評論』などの冊子でも取り上げられだす。また、『正論』(05年2月号)で八木秀次が「嘘から始まったジェンダーフリー」を掲載。ジェンダー論はマネーの学説に依拠しているが、「双子の症例」の失敗が明らかになった以上ジェンダー論はウソだと暴かれた、ジェンダー論に基づいている男女共同参画政策は見直されるべきだと主張した。八木論文の内容自体はこれまで『世界日報』や『明日への選択』が行ってきたものの反復といえるが、大澤や上野ら著名フェミニストはマネーの理論に依拠しており、それらはすべて一冊で否定されたとする議論の平易さと、当時「つくる会」の会長であり、要所でこの論文に触れるという実践などから、この論文が最も影響力を持つことになる。なお、八木は2005年1月23日に行われた、「つくる会第27回シンポジウム『国民の油断~ジェンダーフリー・領土・教科書~』」では、「教科書を攻撃し、ジェンダーフリーの旗を振る人は同じである。今日の3つのテーマは地下ですべてつながっている。男女共同参画は国連女子差別撤廃条約が元だが、アメリカの左翼が国連に入り条約を作っている。千葉市の男女共同参画パンフレットでは、性差が無い生物カタツムリを象徴的に描いている。各自治体では性差を否定したテキストを配り、同色のトイレ表示を行っている」と発言しつつ、『ブレンダ』に言及している 。 2005年2月16日、『世界日報』に「政府のジェンダー定義は誤り マネー理論崩したM・ダイアモンド博士(ハワイ大学)に聞く」が掲載され、マネー理論を批判的に検証したダイアモンドに対してインタビューの誘導を行いつつ「上野千鶴子氏は、自分の主義主張を宣伝するために、利用できることは何でも利用しようとしている。正直ではない」と発言させる 。 2005年2月18日には、東京都議会文教委員会にて古賀としあきが「今まで私、こういう議論でいろいろなことを紹介してまいりましたけれども、ジェンダーフリーの論拠となっているものの一つに、マネーという人がいるのです。アメリカの性科学者。この人は、男の子でも、女の子として育てれば女の子になるという実験をしたということで、非常に注目を集めた人です。日本でいえば昭和四十二年ごろに、男性性器の手術をやって、それに失敗をして、このマネーという科学者が、その男子を女の子として養育するように説得をして、それを実践したという一つの実験をやったわけです。これがジェンダーフリー論者にとっては好都合の理論だったわけですよ。男の子でも、女の子として育てていけば、男ではない、女の子になるのだということを実験して成功したという事例を科学者が発表したわけですから、これは社会的、文化的に形成された性別というものを、その概念をより強化するためにはもってこいの理論であったわけですけれども、実はこれは失敗したんですね、この実験は。それは余り知られていないのですけれども、その後、子どもさんは、十四歳でちゃんと男の子の名前で、男の子として認定をされて、結婚までしているのです。ところがそのことは余り議論されていない。いまだにこのマネー理論というのが幅をきかせているという実態があります」と言及。(…)先ほどのマネー氏の実験というのが、実際は書かれているような内容ではなかった。つまり、女の子として育てれば、男の子でも女の子になることはないのだということを証明した大学教授もいるわけです。それは、有名な、皆さんももうご存じだと思いますけれども、「ブレンダと呼ばれた少年」という本で出ています。だから、今、ジェンダーフリーの人たちも、こいのぼりは否定しないとか、ひな祭りは否定した覚えはないのだとか、一時女性財団がつくったジェンダーチェックというのにいろいろ掲げたようなことは、もう表向きはいわなくなっているのですけれども、こういう思想的な背景、根拠が崩れても、なおかつまだ先ほど申しましたように--条例の制定時であるとか、学校現場ではこういう事例があるということを、ひとつ皆さんにも承知しておいてもらいたいと思うのです」と発言し、八木らによる『ブレンダ』に対する定義を反復する。 『世界日報』や『新・国民の油断』などのメディアが繰り返し『ブレンダと呼ばれた少年』(無名舎)を「ジェンダー論の虚構を暴く」本として紹介し、「この翻訳はどういう経緯か、すぐに絶版になります。そのため古本がずいぶん高い値段で流通している状態です。(…)どうも出版界に不当な圧力が加わっているようなのです」(『新・国民の油断』における八木秀次の発言)、「ベストセラーになったにもかかわらず、日本で二〇〇〇年に出版された邦訳の方は翌年、なぜか絶版となっていた」(『世界日報』2005.2.26)などとアナウンスしたことを受け 、「復刊ドットコム」にリクエストが集まる。リクエストをする際にはコメントを寄せるシステムになっている「復刊ドットコム」には、「現在のジェンダーフリー理論の源流となるため」「『正論』2005.02号所載の八木論文を読み」「フェミニストによるジェンダーフリーなる妄説の押し付けが、何と役所や学校を通して国民に行われており、この妄説がいかに非科学的で愚かなものであるかを本書が実例をもって明確に示してくれているから」「フェミニストが信奉しているジョン・マネーによる「育て方で性が替えられる」という狂気の実験、その欺瞞ぶりが暴かれている、貴重な著作だと聞いています。是非復刊をお願いします」「新聞の特集記事を読み、是非読んでみたいと思ったが、すでに絶版になっていると知り、復刊して欲しいと思った」「「新・国民の油断」を読んでジェンダーフリーという狂気の思想を知りました」などの定義パターンの反復が観測される。 主な火付け役となった『世界日報』も、「『ブレンダと呼ばれた少年』ネット上で復刊望む声高まる「復刊ドットコム」交渉開始を表明」(2005.02.26)とする記事を掲載し、間接的にリクエストを呼びかける。リクエストが規定の人数に達し、「交渉開始」されると、扶桑社が版権を獲得した。産経新聞は4月11日朝刊社会面にて、「ジェンダーフリーの虚構暴露 『ブレンダと呼ばれた少年』復刊 来月にも」と言及するなど、「ジェンダーフリー」への否定的言説と共に本書を紹介する。3月23日付けの「SAPIO」における「ジェンダーフリー狂騒曲」と題した特集に八木と並んで評論家の呉智英が寄稿し、「女性解放思想に取り憑かれた吉外科学者による恐怖の人体実験」を暴いた書として絶版中の「ブレンダと呼ばれた少年」を紹介した。5月には扶桑社より発売されるが、無名舍版と比べ、扶桑社版ではサブタイトルや帯の文句 が変更され、訳者あとがきが書き換えられたうえ、「ジェンダーフリーの『嘘』を暴いた本書の意義」と題する八木秀次による「解説」が追加されている 。 2005年5月14日、「人づくり県民ネットワーク 平成17年度総会 国民の油断 教育とジェンダーフリーを考える 忍び寄るジェンダーフリー、家族破壊教育、偏向教育子供たちを守るために、いま私たちがすべきこと」にて、山谷えり子が「『ジェンダーフリー』は和製英語であり、『男女平等』とは全く関係はありません。昔、反体制運動がはやっていたころ、アメリカのジョン・マネーという学者が男性器を傷つけてしまったデイビットという男の子をブレンダと名づけ、女の子として育てました。それをもとに『いかに女という存在は作られたものに過ぎないか』という論文を書きましたが、実はこれは大失敗だったのです。かわいそうに、ブレンダと名づけられてその男の人は最後は自殺してしまったのです。失敗例をあたかも成功例のように吹聴したのです。いまでもこの考えが残っていて、『男であること、女であることは作られたものに過ぎない』という考えを広めようとしている人が学校や行政にいます。『桃太郎も役割分担だから駄目』『桃から生まれた桃子ちゃんが平和に話し合いで解決しました』なんてお話を作ってやっています(笑)。私は「女らしさ」は恵みだと思っております」と言及。このほか、様々な論者が講演会やシンポジウムなどで『ブレンダ』について言及したと見られる。 2005年6月19日、山谷えり子が産経新聞朝刊に「ジェンダーの根本は何か」と題する書評を掲載。「今、日本の教育現場では男女の区別は差別のはじまりとされ、ジェンダーフリー(性差否定)運動がすすめられている。本書は、こうしたジェンダー学の理論的支えになった米国の性科学者の学説が、実は根拠のないものだったことを示す米国でベストセラーとなったノンフィクションである(…)国会議員の間でも話題になっている。現在三割ほどの大学などで女性学、ジェンダー学が必修化されているが、本書がそもそも“ジェンダー”とは何かを根本的にとらえ直すきっかけとなることを期待する」と記述。復刊された『ブレンダ』に対し、Amazon.comのカスタマーレビューには「日本のフェミニスト達はその後も「ジェンダーフリーが嘘から始まった」事実を黙殺し続けています」「八木秀次先生の解説には涙を誘うものがある。 天賦のものである性を、人智で弄ろうとしたマネーの論説がいかにおかしかったが良く判る。それを根拠にしている日本の男女共同参画推進者、男女機会均等至上主義者、フェミニストの言説は、この書籍を持って破壊され、廃墟と化したのは間違いなかろう!」「八木秀次氏を始め保守系の識者の方々が仰っているように、 この「性器・性交教育」とも言うべき「過激な性教育」や「ジェンダーフリー教育」は「日本の子供達の人格を異常なものに改造するため」の左派の人達による革命戦術の一種です」などのコメントが寄せられた。 かように、「ジェンダー」概念をめぐるクレイムは、その出自が「マッドサイエンティストの人体実験」 という「捏造事件」によるものであることが「暴かれた」現在、「ジェンダー(フリー)は嘘から始まった」ため、「男女共同参画政策の抜本的見直しを迫られる」、という定義パターンを「捏造」 していくこととなる。「過激な性教育」や「同室着替え」同様、議論はスキャンダリズムによる動員に重きを置くようになっていく。 類似ケースとして、「脳科学が性差を証明している」とするものが挙げられよう。「ジェンダー概念は科学的ではないと既に証明された」というフレーズを反復することによって、その内実に踏み込まずとも「良識の勝利」を掲げられるというわけだ。一方で、『性差は生まれつき」であり、「生得的な違いに根ざした文化的な性差を制度化することによって」メリットが生まれるため、「人類は男女の区別を教え込むための文化的な仕掛けをいろいろに発達させてきた」。特に「男女の文化が分かれて発達した日本の文化は、じつは最も進んだ洗練された文化」であり、「男女文化の区別がある日本のような型が最も発達した姿」であるため、そのように「男女の区別を科学的に正しく教え、そのうえで両性の分業と協力の正しいあり方について考えさせる教育」が重要であると説かれるケースもある 。「科学」というワンフレーズによって相手を論駁し、正当性を主張するというものだが 、このパターンは「ジェンダーフリー」批判以前より繰り返し行われており、「脳科学」のところに流行のテーマが代入されている。 だが、「脳科学」のケースでは、その成果や還元の仕方の議論をすることで「ジェンダーの価値付け」に議題が設定されていたのに対し、『ブレンダ』のケースは、スキャンダル=過剰性の列挙によって「批判対象の誤り」を指摘するという「バックラッシュのための議論」に限定されている。こうした「バックラッシュ」のスタンスを端的に象徴するのが、八木秀次の『国民の思想』(PHP研究所、2005)だ。八木はあとがきにおいて、次のように書いている。 「日本」とは何か。それは単なる地理的な概念ではない。「日本」とは少なくとも二千年の歴史を持った文化的な概念である。この二千年の間に培われた美しい日本語、そこに住む人々の無駄のない立ち居振る舞い、正直で勤勉な国民性、深い美意識、手先の器用さ、温和な性質、宗教と渾然一体となった日常生活、天皇を戴く政治体制などなど、諸々のものを含んだ総合体、これが「日本」である。 (…)今日のわが国が直面する問題、例えば、深刻化する少子化、それに伴う保険・年金財政の破綻、学力低下や学級崩壊など教育の荒廃、凶悪化する少年犯罪 、「ニート」の増大 、離婚率の上昇、性道徳の乱れ、家族の崩壊、政界の腐敗、経済界の拝金主義、公務員の綱紀の乱れ、はたまた、近隣諸国との間の首相や閣僚の靖国神社参拝問題、歴史教科書問題、等々、これらの問題の背景にあるのは”縦軸の哲学”の欠如である。 八木は同書において、「文化マルキスト」という「害虫」のせいで「清らかで美しかった」日本が「音を立てて崩れている」と主張したうえで、「縦軸の思想」という「国民の精神的な姿勢」によって「日本は再生する」と説いている。ここで用いられているのは、批判対象の失点=スキャンダルの列挙(構築)という身振りによって自己の正当性を高めるという手法である。 2-5-5 自民党による「3520の実例」の構築