約 1,321 件
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/13952.html
登録日:2009/05/26(火) 19 50 12 更新日:2024/02/21 Wed 18 43 36NEW! 所要時間:約 8 分で読めます ▽タグ一覧 もと巡洋戦艦 ネウロイ 兵器 大日本帝国海軍 空母 聯合艦隊 航空母艦 補助艦艇 赤城 軍事 軍艦 航空母艦 赤城とは、大日本帝国海軍が保有していた航空母艦。 同型艦に天城(未完)がある。 主に太平洋戦争において機動部隊の旗艦として任じられたが、1942年ミッドウェーにて敵攻撃により大破炎上し、雷撃処分された(*1)。 ▽目次 建造経緯 単一甲板に至るまで 赤城の二次改装 日中戦争時代 空母中心の航空艦隊結成 赤城の戦果と終局と日本海軍航空隊崩壊の序曲 日本海軍航空隊の運命とIF 艦船データ 建造経緯 日本海軍が計画した八八艦隊計画により、天城型巡洋戦艦2番艦として呉工廠にて建造進水した。然しながら、完成前の1922年(大正11年)にワシントン海軍軍縮条約を締結したことから、巡洋戦艦として完成させることは不可能となった。条約に従って廃艦処分を回避する為、ワシントン条約では補助艦艇とされていた航空母艦として天城型巡洋戦艦は改造される事となった。 しかし天城は関東大震災により竜骨を損壊し、破棄処分となった(*2)。 単一甲板に至るまで 赤城を空母に改装するにあたり問題となったのが、その形状であった。当時は空母が出来たばかりの時代であったためどのような空母にするか検討した結果、イギリスのフューリアスを参考に三段式甲板を採用することとされた。 これは、発艦と着艦を同時に行うために考案されたもので、上段を190mの着艦専用とし、中段を戦闘機発艦用、下段を攻撃機発艦用と考えたものであった。また甲板上の艦橋は邪魔として、上部甲板に釣りさげる形で設置された他、煙突は右舷舷側から大きく下に湾曲したものを装備した。 赤城完成当時の航空機は航続能力が充分ではなかった為、空母であっても砲撃戦闘になりうるとの判断から、20cm連装砲が中段に備えられた。 しかし実際に運用してみると20cm砲は邪魔でしかなく、三段甲板は無用の長物で有ることが判明し、航空機の発達と伴に「加賀」及び「赤城」は、大近代化改修工事が行われることとなった。 改装空母の本命とされた赤城(天城型)は基本的に加賀より優先して改修が行われており、空母化に際しては予算不足を加賀の改装費を流用するなどして補い、「焼き鳥製造機」状態の加賀の改善は予算不足を理由に延び延びになる中で近代化改修を行っていた。 だが、この改修中に上海事変が勃発した為これに参戦することが叶わず、またこの戦闘航海により運用する上で問題が多過ぎる事がしっかり認識されたため、二次改装は加賀が優先される事になった…これが赤城に悲劇をもたらす事になる。 赤城の二次改装 加賀の二次改装が終了した後、1935年10月から赤城は佐世保工廠において二次改装を施され、排水量も公試41300tとなった。この時不評だった三段甲板は全通式甲板となり、下二段は格納庫となった。また煙突は一つに纏められ右舷中央部に設置された。艦橋は煙突との兼ね合いから左舷中央部に配置されたが、これは乱流が起き、事故が多発した為不評であった。しかも排煙が艦橋に入り込みやすく、見張りに支障をきたす事もあったとされる。 また、排気が流れ込む場所に居住区を作ってしまったため、窓を開けられなくなってしまい、結果、衛生状態が悪化。赤痢や結核などの病気が蔓延し、「人殺し長屋赤城」なる不名誉なあだ名がつけられたという。ちなみに旧石炭庫を居住スペースにするなどしていた為艦内が迷路状態になるおまけつき。 昭和9年に立て続けに起こった友鶴事件、第四艦隊事件に起因する艦艇の大規模性能改善工事に人手をとられ、昭和13年には新艦建造費(マル3計画)に予算をとられて改装前より不具合が増え「人殺し長屋」と化すなど踏んだり蹴ったりであった。 しかも赤城は加賀に比べて工期が長く、その分工員たちも長く雇わねばならない事もあり、改装範囲を出来るだけ最小に止めたにもかかわらず改装費用は加賀のそれを上回っている。(*3) 本来赤城の改装要求は加賀同様7項目だったのだが、前述の通り予算不足のため、改装要領について海軍省と軍令部で話し合い、結果、"対空兵装強化については、高角砲の換装は見送る"、"撤去する20センチ連装砲2基の換わりに、舷側部への砲廓式20センチ単装砲の増設は実施しない"、"機関部の大幅な改正は行なわない"などが決められ、武装は一切触れられなかった為、真珠湾攻撃時には、参加空母中最も対空火力が貧弱であった。唯一、近接防御力だけは25ミリ連装機銃14基装備と僚艦より強化されている。 僚艦に比べて改装範囲は少ないのだが、機関部や武装の改修以外は同じ位、場合によっては僚艦より手の込んだ改装を行っているところもいくつかある。 ひとつは昇降機。赤城は中央部に1基増設したのだが、元々ある前部昇降機は縦長で、この型式では格納庫に艦載機を出し入れするとき艦載機の向きをその都度変えなくてはならず、運用上不具合があった。このため前部昇降機を横長のものに改正したのだが、この改装のため最上甲板の昇降機の孔の大規模な補強工事が必要となり、甲板面のみならず、外板にも相当な補強工事が実施された。(加賀は前部に1基のみ増設) また飛行甲板における木甲板部分。加賀や蒼龍・飛龍らとは違い、赤城の甲板はほぼ全面"木甲板"にされていた。木甲板にするには甲板を構成する鋼鈑に多数の孔を開け、大量の木材をコーキングしながら敷き詰め、ボルト止めするという工程が必要で、工費(人件費)・工期・資材が余計に掛かってしまう。そのため加賀などは滑り止め、遮熱、着艦時の緩衝材として必要な部分(格納庫部分・着艦区域)だけ木甲板化し、他の改装域に予算と人手を回していたようなのだが…そうすると赤城は何故か余り必要のない艦首・艦尾部分まで木甲板にしている事になる。理由としては「艦載機の艦首からの逆着艦」を考慮したのではとも言われている(赤城の艦橋が中央部にあるのも「逆着艦の為」との説もある)のだが、逆着艦はあまり現実的ではなかったようだ。人手不足と予算不足の中でこうした工事を行ったためか、「木製の板の隙間を埋める防水充填剤が板と板の間からはみ出てそれが甲板上に黒く硬くなって残る」など赤城の飛行甲板の仕上がりはかなり雑だった。 格納庫部分は上・中段を艦首方向に延長しただけでなく下段格納庫まで延長し新規追加された中部エレベーターと接続させていた。(加賀は上・中段のみ延長)ただし下段格納庫の延長は行われておらず、エレベーターと接続させただけという説もある。ちなみにこの下段格納庫は長さ53m・幅12mと零戦5機(零戦二一型の幅は12m・翼折り畳で11m、全長は9.06m)が何とか入る程度だったので、「補用機格納庫として使ったのではないか」と言われている。 日中戦争時代 赤城は長らくドックで改装を行っていた為、日中戦争における功績は加賀、龍驤、鳳翔らとは大きく差がある。と言うか、赤城が改装を終えた時には既に戦域がだいぶ内陸に移行しており、航空作戦は陸軍航空隊の手に移り航空母艦からの航空作戦は本来終了していた。加賀が出撃していた時も、母艦からではなく陸上に設けた前進基地から空母航空隊を発進させる事があったように、パイロット達からすれば不安定な空母を使わなくて済むならその方が良い訳で… まあ、ようするにわざわざ赤城が出撃する必要性はなかったのである(*4)。 空母中心の航空艦隊結成 その巨体も相まって、三段空母の時の赤城(*5)は長門(*6)と当時の少年たちの人気を二分しており、後の戦記やゲーム、アニメなどでも出てくるようになる程有名な空母であった。 当初、艦隊内での空母の地位は高いものではなく、敵主力艦攻撃の戦力として期待されていた存在ではなかった。そもそも歴史の浅い艦種であり、どう運用していけばいいか分からない最初期はとりあえず索敵が主任務とされていたが、当時実際に挙げた戦果は少ないものの、「空母さえ潰してしまえば観測機による戦艦の弾着観測が一方的有利」という現実は日米両軍ともに早期から認識されており、空母航空戦力の有効さを疑う余地は昭和初期、すでにして無かった。 もっとも、1935年(*7)位の航空戦力はエースが操る最新鋭機(もちろん複葉機)でも魚雷艇を沈めるのがやっと(*8)。 が、昭和8年頃から航空機の性能増大から主力艦に与える打撃力の向上が著しいものとなり、空母のみならず、戦艦にも大きな戦果を望める事が明らかになると、空母の位置づけも変化していく。 蒼龍型・翔鶴型が「敵空母と刺し違える」ことを主任務として計画・整備されていた一方で、後述の「主力部隊」に赤城と加賀が含まれたのも、「空母の航空戦力で敵戦艦に打撃を与える事」が期待できたからである。 具体的には赤城と加賀それぞれ、「敵戦艦一隻を撃沈、ないし三隻を撃破」することを求められていた。 (*9) 米国は1939年の大演習において、単一指揮官が指揮をとる空母集中運用が空母航空兵力による防空、制空、攻撃時の打撃力向上に極めて有効であると認識し、空母は「決戦兵力の中核」扱いとなり始めていた。これに対し、日本も遅れをとってはいたが空母の集中運用を独自に進め始めていた。 1940年、この時の空母の運用方針は敵空母部隊の撃破を目的とする「機動航空部隊」、敵戦艦の攻撃を主任務とする「決戦部隊(*10)」、主力艦の直衛を行う「直衛部隊」の3つに分割しての運用が考慮されていた。 しかし同年、赤城飛行長の淵田少佐が「航空主導の航空による艦隊決戦」を構想、一航戦司令官の小澤治三郎少将の許可を得て「母艦航空隊の集中攻撃」を研究項目に加え、一連の演習結果から「空母を集中運用しなければ大規模な航空兵力の円滑な運用は困難である」とし、小澤少佐の賛同を得て1940年6月9日、「航空隊編成に関する意見」を海軍大臣宛に正式に提出。 1941年4月には第一航空艦隊が建制として編成される。(*11) この一航艦は空母を中心兵力として独立編成された世界最初の艦隊である。 また一航艦の司令官には第一艦隊、第二艦隊と同格の中将があてられた、つまりこの時初めて空母部隊が公的にこれらの艦隊と並ぶ決戦兵力扱いとなったのだ。(*12) そして赤城は、加賀と共に航空艦隊の中核である一航戦となり、小型の艦橋で司令部を置きづらくあまり旗艦向きではなかった加賀と比べ艦橋の層が一つ多くて司令部を置き易く、また通信設備も幾らか優れていた事から一航戦旗艦に任命される。淵田中佐(*13)、村田少佐(*14)、板谷少佐(*15)の三飛行長を保有すると言う異例の高待遇を受け、正に航空艦隊の中心的存在となった。 赤城の戦果と終局と日本海軍航空隊崩壊の序曲 開戦と同時にハワイを空襲した赤城以下の第一航空戦隊は、敵主力を壊滅させ、ハワイ作戦本来の目的である、「南方への攻略妨害の阻止」を達成せしめる。 更に、MI作戦までに至る間、ウェーキやラバウルへの攻略支援のみならず、オーストラリアのポートダーウィンと、セイロン島・コロンボとトコンマリーを大空襲している。 ハワイ・オーストラリア・インドは米英が戦争計画として定めた「レインボー5」や「ABDA(南西太平洋方面連合軍最高司令部。当地の米英蘭豪の統合司令部)」にて、「策源地」とされており、本来戦場として想定していなかった場所である。 特にシンガポールやラバウル失陥、ニューギニア進攻といった、続く劣勢から国民士気が低下していたオーストラリア国民にとって、本土攻撃である一航戦のポートダーウィン攻撃は国民をパニック状態に至らしめ、ABDA司令部の作戦指導に相当な影響を与えた(*16)。 1942年、無敵を誇った赤城は意気揚々とミッドウェーへ出撃する。ミッドウェー海戦は誰もが日本海軍勝利を疑わず、山本GF長官でさえ愛人(山本長官は妻子持ちである)に『ちょっとばかり全軍を指揮してくる。今回は面白く無いだろうから、終わったらすべて捨てて二人になろう』という手紙を堂々と送るほどの余裕であった(死亡フラグ)。 だが、そもそも作戦からして日本に都合が良く出来ており、南雲中将が「空母航空隊全体の著しい練度低下」などを理由に作戦の延期を意見するなど、現場の人間からは不安の声も少なくはなかったようだ。 「とにかく飛ばせる機体からじゃんじゃん飛ばせ」な米国の必死の攻撃が謀らずしも連続攻撃となり、索敵から攻撃、防空、全て丸投げされていた南雲機動部隊はこれを捌ききれなくなった。赤城は敵機が直上にいるにもかかわらず、気づかなかったのか回避も対空砲火による反撃も一切行うことなく2発の爆弾を受ける。 被弾直後は機関部へのダメージはなく、十分復旧可能な範疇であった筈なのだが、機銃や魚雷に誘爆、更に燃料に引火、甲板は火達磨となり、大破行動不能。最終的には雷撃処分となった。 こうして赤城率いる空母機動部隊は大きく勢力を減ずることとなる。約半年という短い栄光であった。 ミッドウェーに第一航空戦隊が散った事は日本海軍の連戦連勝神話を崩壊させ、太平洋戦争そのものの行方を変えてしまった。 これを境に日本海軍の戦機は失われ、戦争に敗北したのであった。 日本海軍航空隊の運命とIF MI作戦以降、日本海軍は3か月ほどの大混乱を経て、空母の大拡張を実施することを決定。この時期に信濃や伊勢型戦艦などの空母・航空戦艦などへの改装が決定している。 また、主力四隻を失った第一航空戦隊は解隊されるが、第五航空戦隊所属の翔鶴・瑞鶴を第一航空戦隊として中核に据え、「第三艦隊」として新たな空母部隊が建制として編成された。 しかし、予想外に早く連合国側の反攻が南東方面で開始され、それに対応した結果、海軍航空隊は消耗戦を余儀なくされる。 この戦いの中、海軍は整備・運用コストのみならず、喪失した際のリスクを鑑み、空母部隊よりも基地航空隊に戦力としての軸足を移していく。 そして昭和18年半ばに発令された、「大東亜戦争 帝国海軍第三段作戦」において、日本海軍は主力戦力を基地航空隊とすることを決定。 水上艦隊はその補助戦力と位置づけられることとなり、大増勢が計画・実施される(航空隊の練度が低下したと言われる原因の一つは戦前の十倍以上に達するこの大増勢が大きな要因である)基地航空隊の基地群の間を泳ぐ遊撃戦力として活用されることとなる。空母部隊に付いては昭和20年年初に攻勢作戦である「神武作戦」が中止されるまで可能な限り積極的な運用がなされることとなる。 もともと、苛烈な攻撃を仕掛けまくって「もう戦いたくない」と米国に思わせ講和を結ぶ短期決戦に賭けていた日本にとって防戦一方でずるずると戦争が長引くことは敗北への道に他ならなかった。 空母航空隊として何らかの戦果を上げたのは南太平洋海戦まで、ただしこれも村田重治などのベテランを喪失しながら一時的に太平洋戦争における稼働可能な米空母を0にしたに止まり、本来の戦争目的を達するには至らなかった(但し、後に第三艦隊の航空部隊はラバウルに投入され、「い」号作戦などで戦果を収めている)。 赤城を含めた第一航空戦隊の練度は当時『世界最高峰』(誇張なし)と謳われ、米軍を恐れさせていた。その無敵ぶりは日本海軍航空隊関係者にマリアナ沖海戦での大敗後、『昔年の第一航空戦隊さえ健在なら……(´;ω;`)』と嘆かれるほどで、機体性能差を物ともしない超エースが揃っていた証であった。 後世の戦史家の間で『たとえミッドウェーの破局が無くても、絶対どこかでエセックス級の軍団に負けるから結局は同じさ( ´Д`)なにか?』と良く言われるが、赤城達が健在ならば、搭乗員の練度は最低でも飛行時間が1000時間、最高練度の者は2000時間に達するような怪物級である。 実際に質・量ともに絶望的に差が開いたはずの末期でさえベテラン勢は練度で性能差をねじ伏せていたので、一部の戦史家や、当事者達の間では『エセックス級とF6Fヘルキャットの登場前に戦争が終わった可能性も存在する!』とさえ言われていた。 このように、日本海軍は赤城達の戦没後、彼女達の見せた栄光の影を追い続けた。彼女達が健在時に見せた栄光に酔いしれていた上層部は、突貫工事で作った大鳳にその使命の再現を託していたし、マリアナ沖海戦の敗戦までの間、空母機動部隊を使い潰した。 とうとうミッドウェー後の日本の空母機動部隊には、赤城のように、祖国に栄光をもたらすモノは出現せずじまいであった。それは日本海軍が緒戦で見た栄光からは考えられない凋落の末路であり、マリアナ沖海戦敗戦時、誰もが思った。『昔年の第一航空戦隊さえ健在なら……』と。 艦船データ 起工 1920年12月6日 進水 1925年4月22日 竣工 1927年3月25日 戦没 1942年6月6日 除籍 1942年9月25日 竣工時(1927年) 排水量 (公)26900t 全長 261.21m 全幅 29.0m 吃水 8.07m 甲板長 190.2×30.5m(上部) 出力 131200hp 最大速力 31.0kt 航続距離 8000浬(14kt時) 乗員 1297名 主罐 ロ号艦本式罐重油焚×11基同石炭重油混焼×8基 燃料積載量 重油3900t石炭2100t 主機 技本式オールギヤードタービン8基4軸推進 武装 50口径三年式20cm連装砲×2基同単装砲 6門45口径12cm連装高角砲×6基留式7.7mm機銃×2挺 搭載機 三式艦上戦闘機×12機 予備機×4機一三式艦上攻撃機×24機 予備機×4機一〇式艦上偵察機×12機 予備機×4機合計 60機 第二次近代化改装後 排水量 (公)41300t 全長 260.67m 全幅 31.32m 吃水 8.71m 甲板 249.2m×30.5m 出力 133000hp 最大速力 31.2kt 航続 8200浬(16kt時) 乗員 2000名 主罐 ロ号艦本式罐重油焚19基 燃料積載量 重油5770t 主機 技本式オールギヤードタービン8基4軸推進 武装 (略) 搭載機 零式艦上戦闘機×18機 予備機×3機九七式艦上攻撃機×27機 予備機×3機九九式艦上爆撃機×18機 予備機×3機合計 72機 余りに薄いので、全面的に書き換えますが、問題が有れば宜しくお願いします。 貴方様の携帯に、追記修正というプロパガンダを流し、この項目を刻み付けるのであります! △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 赤城を爆撃した4機の艦爆は加賀を狙った隊が連携に失敗してヤケクソに攻撃してきたのが成功したんだよな…なのに何一つ非難されないんだな米軍って -- 名無しさん (2016-01-31 20 00 42) ↑エンタープライズのマクラスキー隊な。そりゃ同じ隊で加賀と赤城を沈める大戦果立てれば非難できんだろ。おまけに爆撃した人は飛龍にもとどめ刺してるし -- 名無しさん (2016-01-31 20 59 22) 戦争が終わった可能性の下りは流石に身贔屓が過ぎるとしか… -- 名無しさん (2016-01-31 21 14 13) 「ごはんがおいしい」、主計に勤めていたといううちの爺様も言っていた。間違いない。・・・結核で療養兼ねて後方送りになったので人殺し長屋もたぶん間違ってない・・・(白目 -- 名無しさん (2017-01-18 10 06 02) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/222seihaisensou/pages/31.html
なるほど、とマスターとして覚醒したアリスは先程までの自分を思い返す。 自分を失い、NPC――人形として操られるだけだった自分。 何も考えることなく、意思が伴わないまま外面だけで喜怒哀楽を表現し 意思持つ人間と何一つ遜色無い行動をとり続ける自分。 自立人形の完成を目指し、数多くの人形を作ってきたが、 まさか自分自身が人形になることを体験することになるとは思わなかった。 アレこそ単なる人形の限界、自分が目指すのはその先の先。 少なくとも自分の人形はあの意思を持たない段階を越えている、それは自信を持って言える。 しかし、一歩進んだだけでは、幾らかの心が宿っているというだけでは、 結局のところ他者の命令に従うという人形の人形たる限界を本当の意味で越えたわけでは無いのだ。 本当に自分の人形はアレと違うのかと言われれば、自分のどこか冷静な部分は 根本では同じだと認めてしまうかもしれない。 そう思ってしまうことに屈辱感のようなものを感じざるを得ない。 しかしだ、それを知ることができたというのは重要だ。 どれだけ長いかわからない自分の目標までの道のり。 その道中のどこに自分がいるのか、何が足りないのか、それを実体験として幾分か理解できたのだ。 そして、少し前まで人形であった自分は今、自立して動いている。 操り人形が自分の紐を切ったその瞬間を、自分自身で観測できたのだ。 無論、これは封じられていた意思を解放しただけであるので、本当の意味の人形の自立とは異なる。 しかしそれに通じる現象ではあるだろう。 これを経験できただけでも自分の目的に対する大きな糧になった。 この『方舟』で一つ、とても貴重な経験をし、学んだ。 それは良い。良いのだが、それはそれとして。 今現在直面している問題に目を向け、頭を悩ませた。 「本気の殺し合い、というのはね……。 まるで私向きじゃないわ」 アリスは本気を出さない。 魔法使いとして非常に高い能力を持ち、挑まれた勝負は避けない程度には好戦的なアリスであるが、 力押しで勝利するというのはどうも合わず、何事も相手の力を見極め、 それを少し上回る程度の力を上限として戦うのが彼女のスタイルだ。 例えそれで負けても構わない。 勝負自体は楽しいものになるだろうし、本気を出して負けて後が無くなってしまうのも嫌だ。 余りの強者と戦うのも好まない。余裕を持つことが第一だ。 そんな彼女が、魔術師と英霊が命と願いをかけて鎬を削る 聖杯戦争なんてものに参加するということ自体がまずありえない。 戦いに自信が無いというのではないが、弾幕ごっこならともかく、 どんなに商品が豪華なマジックアイテムであろうが形振り構わない全力本気の戦いをするなんて御免なのだ。 ではなぜここにいるのかというと、それもわからない。 願いが無いとは言わない。さしあたっては完全な自動人形の完成だ。 しかしそれはアリスの力で到達してこそ意味があるもので、聖杯に叶えてもらうものではない。 そんな彼女が、なぜ『方舟』とやらに呼ばれてしまったのか。 そもそも、召喚に必要な『ゴフェルの木片』とやらも心当たりが無い。 ここに来る前の最後の記憶では魔法の森の上空を飛んでいたはずだが、 そんな木片など持っていなかったし、木をぶつけられたということもなかった。 普段はそれこそ人形の様に表情を崩すことなく優雅に振る舞っているはずの少女が、 珍しく眉間に皺を寄せて本気で悩んでいた。 □ ◆ ◇ ■ □ ◆ ◇ ■ □ ◆ ◇ ■ □ ◆ ◇ ■ ……一人で悩んでも仕方ない。サーヴァントとやらの意見も聞いてみましょうか。 と、ここでようやく気付いた。サーヴァントはどこだ? 見回して、少し離れたところにそれらしき何かがいるのを見つけた。 実体化はしていないようだが、ラインの繋がりとアリスの幻視は霊体を捉えることを可能としていた。 悩んでいたアリスを気遣って待っていてくれたようだ。 ステータスを確認し、声をかける。このサーヴァントは―― 「――アーチャー。 ごめんなさい。気を遣わせたみたいね。 少しお話ししましょう。実体化してくれる?」 (――はい) やわらかい女性の声、続いてその姿が現れる。 胸当てと赤い袴を身に着けた黒髪の女性。弓を持つのはまさしくアーチャーらしい。 しかし右肩に妙に大きな盾?を身に着け、背にも矢筒と金属製らしい何かゴタゴタしたものを背負っている。 「アーチャーのサーヴァント。航空母艦、赤城です。 空母機動部隊を編成するなら、私にお任せくださいませ」 「コウクウ…ボカン?」 意思持つ人形を目指す少女と、 意思持つ船である女性。 その出会い。 □ ◆ ◇ ■ □ ◆ ◇ ■ □ ◆ ◇ ■ □ ◆ ◇ ■ 「ふぅん……つまり、付喪神みたいなものね?」 「ええ、そういう認識で大体合ってますよ。 私の様な物が実体を持ちやすい神秘のあり方の世界線がありまして、 その世界でこういうヒトガタの英霊として成ったものですので」 お互いに自己紹介と情報交換を済ませたが、このアーチャー、本来は巨大な『船』だという。 それが人に似せた意思と姿を以て現世に現れた『艦娘』という存在だと。 付喪神ならば幻想郷にもそれなりにいるが、聖輦船が付喪神になって動いている様なものと考えれば 幻想郷のそれらとはスケールが違うことを実感できる。 彼女は自立する船で、自分は人形を以てそこに至らんとしている。 器もあり方も異なるが、それでもある意味自分の目指す様な存在が召喚されたというのは、何かの縁だろうか。 戦闘方法に近しい所があるのも興味深い。彼女の場合は力押しの部分もかなり大きいが。 まだ少し話をしただけであるが、結構こちらに好意的な態度をとってくれているようだ。 これなら相談してみるのも悪くないか。 嘘はつきたくないからどちらにせよ話さなければならないことであろうし。 ……彼女を怒らせることにならなければ良いのだが。 普段のすました所のあるアリスでは考えにくいことであるが、 すんなりと自分の悩み、あるいはこの聖杯戦争においては弱みとすらいえるものを打ち明けることとした。 状況が状況だから、大分まいっていたところがあったのだろう。 「実は、私にはこの戦いに参加する動機は無いのよ」 □ ◆ ◇ ■ □ ◆ ◇ ■ □ ◆ ◇ ■ □ ◆ ◇ ■ 「―――それでは、何とか脱出する方法を探しますか?」 「………貴女はそれで構わないというの? 何か願いがあって、この戦いに参加したのではなくて?」 「ええ、無いとは言いません。 私が成った世界では、今この時も多くの提督と仲間達が戦い続けているでしょう 彼らを助け、私たちの敵を根絶することが私の願いです」 そう言って、何かを思い出す様に目を伏せるアーチャー。 自分の世界に思いを馳せているのか。 「しかし、彼らも私達も、それぞれ覚悟や想いを抱いて命がけの戦いに挑むものです。 自分たちが守るべきもののために、剣を取り盾となる。 その戦いに、無関係の方を巻き込むのは皆に顔向けができませんし、私自身もそれを認められません。 マスターが自分の願いの為に戦いたいというならば、私も共に願いを叶えることを目指したでしょうが、 貴女は純粋に巻き込まれた被害者です。 ならば私は貴女を助けるために力を尽くしたい」 アーチャーの眼差しがこちらを向く。 その眼と言葉からは、心からの自分への慈しみが伝わってくる。 ……これが物が意思を持つことか、と思う。 使われるだけだったはずの物が、心を持ち、その有り方に誇りを持ち、 自らの意思と望みとして役割を果たす者となる。 自分が目指す者、その同類である彼女にこれだけの想いを向けられている。 そのことに、彼女の願いを叶えられないことに申し訳なさを感じるとともに、 それでも、嬉しいと思ってしまった。 ……そこまで言ってくれるなら、甘えさせてもらおうかしら? 「フフッ。ありがとう、アーチャー。 それならお願いするわ。家まで送ってくれるかしら?」 「ええ、了解しましたマスター。 これでも無敵艦隊と呼ばれた身ですからね。 大船に乗ったつもりでいてください!」 アーチャーが自信満々に言い、二人で笑いあう。 うん、きっと何とかなりそうね。 【高松/2014年7月14日(月)1730】 【サーヴァントステータス】 【出典】 艦隊これくしょん -艦これ- 【CLASS】 アーチャー 【マスター】 アリス・マーガトロイド 【真名】 赤城 【性別】 女性 【属性】 秩序・中庸 【ステータス】 筋力D 耐久A++ 敏捷D(C) 魔力E 幸運C 宝具E+++ 【クラス別スキル】 対魔力:E+++ 魔術に対する守り。 本来であれば無効化は出来ず、ダメージ数値を多少削減する程度であるが、 宝具の効果により、対人規模の魔術であればダメージを著しく下げる。 単独行動:E- マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。 ランクE-ならば、マスターを失っても30ターンの現界が可能。 自立しているとはいえ、『人に使役されるもの』としての本質も残しているため、 このスキルは最低ランクでしか持てない。 【固有スキル】 艦娘 『軍艦』が、人型をとって現界した英霊であることを示すスキル。 本来は武装や宝具として扱われるべき『物』でありながら、意思を持ち自立的な行動を可能とする。 また、『資材』を消費することにより魔力の補充、損傷や武装の修復が可能となる。 『軍艦』であるので水上に対するBランク相当の地形適応スキルの効果を備え、 水上では敏捷をワンランク上げての行動を可能とするが、水中や陸上では逆に敏捷がランクダウンする。 服従:C+ 『軍艦』である故の上官に従う性質。 令呪の範囲および効果が強化され、命令行動に伴なう判定に補正がかかる。 命令者が『提督』であるか否か、及びアーチャーが命令者に向ける感情に応じて ランクが上下する。 千里眼:C++ 視力の良さ。遠方の標的の捕捉、動体視力の向上。 艦載機を通してより遠方を見ることを可能とする。 自己改造:C 自身の肉体に、まったく別の肉体を付属・融合させる適性。 資材の取り込み、他の艦装の装備、および近代化改装によるステータスの向上を行うことができる。 本来であればこのランクが上がればあがる程、正純の英雄から遠ざかっていくが、 アーチャーは『軍艦』であり、改造により強化されることはそのあり方として正常なものであるため、 英雄の格が低下するペナルティは発生しない。 【宝具】 『零式艦上戦闘機』『九九式艦上爆撃機』『九七式艦上攻撃機』 ランク:E+ 種別:対軍宝具 レンジ:10-99 最大捕捉:100人 アーチャーの搭載機。 人型をとる英霊の武装としては、弓により射る矢として発艦され、 小型化された機体はアーチャーの意思とパイロットである妖精により操縦される。 航空機であるために長時間・長距離の飛行が可能で、それぞれの機体に搭載された武装で攻撃する。 艦載機は補充が可能なものであるという性質を宝具化しても保持しており、破壊された場合でも 宝具としては少ない魔力の消費で復元が可能。 真名解放と共に発艦させることにより、発艦後に機体のサイズとスペックが航空機としてのものに戻る。 本来の対軍規模の攻撃力を発揮するが、逆にピンポイントの対人攻撃は難しくなる。 また、真名解放後は完全な航空機であり飛び道具の領域を逸脱するため、 矢避けの加護による機体への対応を無効化する。 『赤城』 ランク:E+++ 種別:対軍宝具 レンジ:- 最大捕捉:1隻 アーチャー自身が宝具である。 アーチャーの服と体そのものがEランクの神秘を帯びた装甲としての性質を持ち、非常に頑強。 また、本質が巨大な『軍艦』であるために、あらゆる対人規模の攻撃のダメージを大幅に削減し、 生物を対象とするスキルや宝具等の特殊効果の一切を受け付けない。 真名解放により、アーチャーは人型から本来の航空母艦へと姿を変える。 このとき、周囲に自分のマスターがいる場合、瞬間移動させ自分に乗せることができる。 宝具としてのランクは低いが、非常に巨大な質量を実体化させるため相応に魔力を消費する。 また、当然ながら水上でなければ移動は不可能。 しかし、人型のアーチャーがいた場所の周囲の任意の場所に出現することができるため、 実体化すれば周囲の物を吹き飛ばし、敵の頭上に出現すればその大きさと重量で押し潰すことが可能。 【Weapon】 『無銘・弓』 人型をとったアーチャーの艦装。 小型化された艦載機を矢として発艦させる。 『高速修復剤』 艦娘を高速で修復させる作用を持つ。 但し、修復に必要な魔力や資材は通常通りに消費する。 【人物背景】 大日本帝国海軍に所属する航空母艦。 「八八艦隊」で設計された天城型巡洋戦艦の2番艦として建造を開始されるが、 ワシントン軍縮条約の締結により建造途中で空母への改装を受ける。 完成した正規空母「赤城」は、その当時は空母そのものが運用の黎明期であったために 実験的な要素を多数持っており、それ故に問題が多かった。 しかし、後に近代化改装を受け、第一航空戦隊旗艦として太平洋戦争初期に大活躍を遂げる。 だが、1942年6月5日、ミッドウェー海戦にてアメリカ海軍空母「エンタープライズ」の艦載機の攻撃を受け大破炎上。 第四駆逐隊の雷撃処分により沈没した。同年9月25日、除籍。 英霊は人間ではない動物や機械などでも成る可能性があり、 彼女はその後者、艦船が英霊の域へと到達した存在である。 深海棲艦と呼ばれる存在が跋扈する世界において、『艦娘』と呼ばれる人型の英霊体で現界し、 自分たちを扱う素養のある提督(マスター)の指揮下に入り、祖国の人々を守るために日夜戦い続けている。 【サーヴァントとしての願い】 マスターに従い、助ける。 【基本戦術、方針、運用法】 アーチャークラスの中でも、広域破壊に特に長ける。 空母であり、武器が航空機であるために、攻撃範囲と破壊力は人間の延長に過ぎない他のアーチャーの追随を許さない。 サーヴァントの戦闘力は戦闘機1機分と例えられるが、それを数十機も操るわけである。 しかし、音速の攻撃にすら対応可能なサーヴァントの領域にあって、彼女の航空機は遅い部類に入る。 至近距離で不意打ち気味に巨大化させてぶつける場合などでない限り、 真名解放した航空機を1機や2機程度サーヴァントに向かわせても対処されてしまう可能性は否定できない。 宝具としてのランクも低いので、相応の宝具や技の持ち主が相手では破壊されやすいもの問題である。 対人攻撃を狙うのではなく、一度に多数の機体を投入して 敵には対応不可能な距離・高度から敵マスターを巻き込むことも視野に入れた 爆撃や機銃掃射などの範囲攻撃で一方的に叩くのが基本的な戦術となる。 宝具ランクの低さから大軍宝具としては真名解放の魔力消費は少な目で、 それにもかかわらず破壊力そのものは兵器であるために飛びぬけている。 しかし、効果的な運用には数が必要で、そのうえ戦場を選ばずに爆撃などやると 周囲への被害が大きくなるためペナルティを負う危険がある。 対人戦闘では、艦載機の真名解放は有効活用法が極めて限られるため基本的に小型のまま運用せざるを得ないが、 前述の通り速度に劣るため、接近戦の領域では容易く撃墜される可能性がある。 しかし、矢を射た後も矢が方向を自在に変えて自立的に動くのは通常のアーチャーには無い特性である。 放たれた後も敵を狙い続ける矢を多数放ち、数で攻めるのが常套手段となる。 また、軍艦であり自身が宝具あるために単純に頑丈であることに加え、 対人規模の攻撃である限り宝具であろうと彼女には殆ど通用しないのも強み。 接近戦での奥の手は、航空母艦としての船体での押し潰し。 4万トンを超える重さの鋼鉄の宝具が瞬時に頭上に現れ降ってくるという攻撃は、 どれだけ筋力・耐久・敏捷が高くとも対処は困難。 敵のマスターを巻き込めるならばなおさらである。 しかし、咄嗟の大軍宝具で撃墜される危険性はゼロとは言えないし、 天を支えたヘラクレスの様に非常に重いものを支えた逸話がある英霊には真っ向から対抗されてしまうかもしれない。 そしてこちらの宝具も周囲への被害が馬鹿にならない。 総合的に見て、主兵装が多数の同時運用を前提とする大軍宝具であるため、 燃費はかなり悪い部類のサーヴァントであり、運用する部隊の規模は常に注意が必要となる。 しかし通常のサーヴァントとは異なり資材による維持が可能であるので、 纏まった量を手に入れられれば逆に魔力効率は劇的に改善する。 たとえそうでなくとも、現在のマスターが魔法使いとして非常に優秀であるので、 資材の補給が無くとも十分な戦闘が可能である。 最大の問題は、周囲への被害を考慮する場合かなり戦場が限定されてしまうこと。 【マスターステータス】 【出典】 東方Project 【名前】 アリス・マーガトロイド 【性別】 女性 【参加方法】 『方舟』による召還。 しかし彼女は『ゴフェルの木片』に関する一切の心当たりが無い。 【マスターとしての願い】 幻想郷への帰還。 『方舟』からの脱出方法を探す。 【能力・技能】 『主に魔法を扱う程度の能力』『人形を操る程度の能力』 七色の人形使いの二つ名を持つ、万能型の魔法使い。 しかし基本的には自作の人形を魔法で操って戦うスタイルをとる。 弾幕と人形で敵を追い詰める業師。 十体以上の武器を持つ人形を同時に操り、敵に多対一を強いることで優位に立つ戦術をとるが、 アリス本人は人形の操作で手一杯になってしまうらしく、そこが弱点である。 だが実際は人形を操りつつも縦横無尽に動けるので、本当に弱点なのかは疑わしい。 また、人形を大切に思ってはいるが、爆発物を搭載して特攻させることもある。 能力は高いが、戦闘での欠点として、本気を出したがらないというものがある。 本気を出して負けてしまうと後が無くなり、それを嫌うためである。 そしてその結果負けても、それはそれで構わないと思っている。 後が無くなるということを単純に嫌う性格をしているだけなのか、 戦略上奥の手を見せることを避けているのか、その詳しい理由は不明。 流石に聖杯戦争において本気を出さずに負けて殺されることを受け入れはしないだろうが、 それでもこの流儀が基本となっていることは大きな隙となるかもしれない。 【Weapon】 『人形』 自作の人形。魔法により操作する。 どれだけの数を持っているかは不明だが、非常に多い。 人形は色々な武器を持っていたり、弾幕を放ったり、爆発したりする。 人形が他の人形を操ることもできる。 【人物背景】 魔法の森の洋館に住む魔法使い。 属性の得手不得手の無い、万能型の魔法使いにして人形師。 元人間で、修行を積んで種族としての魔法使いなった妖怪の一種である。 しかし、人間の感覚がかなり残っており、不要であるはずの食事や睡眠をとり、 祭りになると街中で人形劇を披露するなど人里との交流が深い。 かつては魔界と呼ばれるところに住んでいたらしいが、経歴には不明な点が多い。 【方針】 幻想郷への帰還手段を探すことを第一とする。 戦闘自体には忌避感は持っておらず、必要であれば戦うが、 あまり本気を出す様なことはしたくはないと思っている。 【備考】 ○赤城は艦これ世界の彼女よりもだいぶ強化されている。 あちらは艦娘という英霊が当たり前の様に出現する、それが常識である世界であるため、 艦娘そのものの神秘の格が全体的に低くなっている。 それに対してこちらは本来の英霊としての格を保持したまま現界している。 上記の様な宝具を持っているのはそのため。 ○赤城が残念なところを見せるのは多分これから。お互いに気を許してから。 まあ最初だし、しっかりしたところを見せたがるよね。
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/7587.html
登録日:2009/12/13(日) 11 14 59 更新日:2024/05/01 Wed 08 12 58NEW! 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 DD54 JR宝塚線 JR東西線 JR西日本 アーバンネットワーク イエローライナー サンパチくん 兵庫県 大阪府 福知山線 秘境駅 脱線事故 路線 路線シリーズ 鉄道 JR宝塚線/福知山線は尼崎駅と福知山駅を結ぶJR西日本の鉄道路線である。 ラインカラーは「これからの新しい開発エリアを指す、イキイキとしたイメージ」という意味を込めた■イエローで、路線記号はG。 JR宝塚線の愛称は大阪~篠山口間に設定されているが、本項では両者を分けずにまとめて1つの路線として書く事にする。 本項では、塚口~尼崎港を結んでいた貨物支線(通称尼崎港線)についても解説する。 概要尼崎港線 運行形態特急過去の列車 使用車両現在の車両 過去の車両 駅一覧 駅紹介尼崎港線 概要 大阪と北近畿・山陰地方を結ぶルートの一つで、特急列車も多数運行されている。 線路の起点は尼崎駅だが、実際には尼崎止まりの列車はなく、全ての列車が大阪駅およびJR京都線・JR東西線に直通運転している。 国鉄時代は山陰方面への優等列車を最優先するダイヤのため近郊区間は散々放置されており、塚口までを除いて電化すらされず、その上に尼崎付近も単線というような酷い有様であり、並行する阪急宝塚線に大きく水を開けられており、宝塚以北の乗客は宝塚で阪急宝塚線に乗り換えるのが常識と化していた。 具体的に例を挙げると 普通列車がディーゼル機関車牽引の客車列車。その客車はドア手動の所謂「旧型客車」と呼ばれる車両だった。後に転落事故が発生して自動ドアの12系客車が投入される。 朝ラッシュ時にあたる7時・8時台の宝塚駅の大阪方面行きの運転本数が、それぞれ2本・1本と大阪近郊路線にあるまじき本数だった。 電化される前の宝塚駅ではなんと列車別改札が行われていた。 生瀬~道場間は渓谷美溢れる風光明媚な路線だったのだが、渓谷に添って走っていたので急カーブも多く、あちこちに60キロの速度制限がかかっていた。 この状況を打開するため、1981年に宝塚まで、そして1986年11月に全線の電化および篠山口までの複線化工事が実施された。また、生瀬~道場間はこれに合わせて線路の付け替えを実施しており、旧線区間はハイキングコースとして整備された。 電化当初は2~3両編成というが短すぎる編成が平然と大阪駅にやってきたので遅延や積み残しが多発、一種の祭り状態になっていたが、最高速度の向上、JR京都線・JR東西線・学研都市線との直通運転開始によって急成長を遂げ、阪急は大きく苦戦を強いられることとなった。 しかし、集客力向上を目的とした快速の停車駅増加を実施したにもかかわらず、到達時間を変えないといった極端なダイヤが運転士の負担増大を招き、2005年4月25日に福知山線脱線事故を発生させてしまった。 これに伴い同線は尼崎~宝塚間で1か月以上運休を余儀なくされ、ATS-Pの設置を前倒しで実施したほかダイヤが大きく見直されることになった。 尼崎港線 歴史的には最も古いのがこちらの支線で、1898年に現在の尼崎への乗り入れが始まると支線とに転落し、以降は一貫して貨物輸送主体となっていた。 1981年に旅客営業廃止、1984年に廃止。旅客列車は一日2往復で、編成も非常に短かった。 運行形態 ダイヤは大阪~篠山口間の丹波路快速2本、大阪~宝塚間の快速2本、JR京都線高槻駅発着の普通4本、新大阪発着の特急1本の計9本に、 尼崎~塚口間では学研都市線木津または同志社前からの区間快速4本が運転される構成となっている。 早朝~朝ラッシュ時、夕ラッシュ時~深夜時間帯は学研都市線からの列車は快速となって宝塚・新三田・篠山口いずれかの駅に発着し、 丹波路快速は一部列車が福知山発着に、大阪~宝塚間の快速は大阪~新三田間での運転となるなど、一部運行形態が異なる。 早朝・深夜の普通のうち、223・225系充当列車は尼崎~大阪間で外側線を走行する。 塚本駅のホーム自体は外側線にも面しており、一見停車出来そうだが、 外側線に面している部分には鉄製の柵が設けられており、ドアの開閉が不可能であるため塚本駅を通過する。 このため、かつては駅の自動放送で塚本駅に停車する普通を「駅停車」、通過する普通を「普通」と呼んで区別して案内していた。 現在ではどちらも単に「普通」となっている。 丹波路快速はかつては大阪~篠山口間を走る221・223系使用の快速という扱いであったが、 2012年3月17日ダイヤ改正以降は福知山発着の快速も丹波路快速に格上げされて大阪~篠山口・福知山間での運転となり、225系が投入されて221系が撤退するなど、サービスレベルの向上が図られている。 また、大阪~篠山口間の快速であっても207系や321系使用であれば丹波路快速とならず、 逆に223・225系使用でも大阪~宝塚・新三田間での運転の場合は快速とされるなど、徹底したイメージの確立も行われている。 特急 ※()内は一部列車停車 こうのとり 運転区間:新大阪~福知山・豊岡・城崎温泉 使用車両:287系・289系 停車駅:大阪・尼崎・宝塚・三田・(新三田・相野)・篠山口・(谷川)・柏原・(石生・黒井・市島)・福知山・和田山・八鹿・江原・豊岡 ※一部の福知山発着列車は繁忙期に天橋立まで延長運転。 運行開始から2011年までは「北近畿」の愛称だったが、地元自治体の要望でこの名称に変更された経緯がある。 過去の列車 文殊 運転区間:新大阪~天橋立 使用車両:183系 停車駅:大阪・尼崎・宝塚・三田・篠山口・柏原・福知山・大江・宮津 タンゴエクスプローラー 運転区間:新大阪~宮津・豊岡(北近畿タンゴ鉄道(*1)経由) 使用車両:北近畿タンゴ鉄道KTR001系気動車 停車駅:大阪・尼崎・宝塚・三田・(新三田・相野)・篠山口・(谷川)・柏原・(黒井)・福知山・大江・宮津・天橋立・野田川・丹後大宮・峰山・網野・木津温泉・久美浜 これらはいわば「大阪へ向かうはしだて」としての役割を担っていたが、車両の老朽化や道路の整備が進められたことで利用客が減少したため2011年3月のダイヤ改正で廃止となった。 使用車両 原則として車両はJR京都・神戸線や嵯峨野線と共通しているため、本項では同線の特記事項を中心に述べる。 現在の車両 287系・289系 特急「こうのとり」で使用。 窓下にエンジ色の帯が入る。 287系はたまに「くろしお」で使用される編成が応援に入ることも。 207系・321系 快速・区間快速・普通で使用。 なお、207系のZ16編成とS18編成は福知山線脱線事故の当該編成であり、特にZ16編成の前3両は原型を留めないほどひしゃげていた。 S18編成はほぼ無傷だったものの、事故の教訓として保存するため廃車・除籍されている。 223系5500番台 篠山口~福知山間のワンマン普通車で使用。 後述のサンパチ君の置き換え用として導入された。 223系6000番台 丹波路快速・快速・普通で使用。 221系と性能を合わせており、識別用に前面の扉と乗務員用扉にオレンジの2本線が追加されている。 同線で使用されるのはおおさか東線開業に合わせて登場した新造車両で、全車宮原総合車両所に所属。 225系6000番台 丹波路快速・快速・普通で使用。 221系と(ry 0番台を改造して登場している。 (*2) ※画像は225系6000番台 過去の車両 103系 1981年の宝塚電化に合わせて導入された。塗装は関西初のカナリアイエロー。 当初は6両だったが、後に4両に短縮された。 なお、103系が編成単位で投入されたのは異端児である1500番台を除くとこの路線が最後である。 113系 全線電化開業に際して全国各地からかき集められ、寒冷地対策と一部は先頭車化改造が行われ、800番台に区別された。外見もドクターイエローみたいな塗装になった。 元々種車に初期型が多かったことに加え、後に七尾線に415系として転出やその穴埋めで追加改造も実施されたため形態差と車両経歴が恐ろしいことになっている。 かの有名な魔改造車「サンパチくん」こと3800番台も篠山口~福知山間のワンマン列車用として登場したもの。 221系の導入に伴い一度撤退したが、前述の脱線事故の影響でATS-Pを搭載した編成が再登板することとなり、阪和色や小浜色、瀬戸内色の車両がしばらく運用されていた。 183系 関東甲信越地区に導入された同型車とは異なり、全車485系を改造したもの(*3)。 七尾線の電化で交直両用の普通電車が必要となり、485系の交直機器を113系に移設して転出させるという大改造が実施された。俗にいう485+113=183+415である。 後に追加投入された編成は交流機器の使用停止のみで済ませている。 外観のバリエーションも多彩で、113系と同じく車両経歴が恐ろしいことに。 221系 かつて丹波路快速などで使用されていたが、223系6000番台の増備により2012年のダイヤ改正を以って撤退した。 DD54 非電化時代の客車列車で使用されていたディーゼル機関車で、全車三菱重工製。 亜幹線用の機関車として開発されたのだが、登場当初から故障や棒高跳びと呼ばれる事故が頻発。 修理するにも西ドイツ製のライセンス部品を使っていたためいちいち本国への問い合わせが必要なため保守コストが非常にかかったことから、1966年の登場からわずか12年で全車が運用を離脱し引退した。 現在は後期型の1両が交通科学博物館→京都鉄道博物館に保存されているほか、初期型はTOMIXのNゲージで製品化されているのでそれで知った人も多いだろう。 筆者はディーゼル機関車の研究をしているライターと飲んだことがあるのだが、そもそもDD51が量産化されていた中(*4)、なぜ三菱重工単独(*5)でこの形式を作らせたのか、導入経緯についても謎が残っていると語っている。 駅一覧 凡例 ●…全列車停車 △…当駅始発着列車のみ停車 ○…一部列車通過 |…全列車通過 駅 名 普通 区間快速 快速 丹波路快速 接続路線 大 阪 ● JR東西線直通 ● ● JR京都線・大阪環状線・おおさか東線(うめきた地下ホーム)、JR東西線(北新地駅)阪急電鉄:神戸線・宝塚線・京都線(大阪梅田駅)阪神電鉄:阪神本線(大阪梅田駅)京阪電鉄:中之島線(渡辺橋駅)Osaka Metro:御堂筋線(梅田駅)・四つ橋線(西梅田駅)・谷町線(東梅田駅) 塚 本 ○ | | 尼 崎 ● ● ● ● JR神戸線・JR東西線 塚 口 ● ● △ | 猪名寺 ● | | 伊 丹 ● ● ● 伊丹空港の最寄駅 北伊丹 ● | | 川西池田 ● ● ● 中山寺 ● ● ● 宝 塚 ● ● ● 阪急電鉄:宝塚線・今津線 生 瀬 ● | | 西宮名塩 ● ● ● 武田尾 ● | | 道 場 ● | | 三 田 ● ● ● 神戸電鉄:三田線 新三田 ● ● ● 広 野 ● ● ● 相 野 ● ● ● 藍 本 ● ● ● 草 野 ● ● ● 古 市 ● ● ● 南矢代 ● ● ● 篠山口 ● ● ● 丹波大山 ● ● 下 滝 ● ● 谷 川 ● ● 加古川線 柏 原 ● ● 石 生 ● ● 黒 井 ● ● 市 島 ● ● 丹波竹田 ● ● 福知山 ● ● 山陰本線・舞鶴線京都丹後鉄道:宮福線 駅紹介 JR-G47 大阪 JR京都線・大阪環状線・おおさか東線(うめきた地下ホーム)・JR東西線、阪急京都本線・宝塚本線・神戸本線、阪神電気鉄道本線、 Osaka Metro御堂筋線・谷町線・四つ橋線乗り換え。 JR東西線の駅は北新地駅、阪急電鉄と阪神電鉄の駅は大阪梅田駅、Osaka Metro御堂筋線の駅は梅田駅、谷町線の駅は東梅田駅、四つ橋線の駅は西梅田駅。 一つの駅にもかかわらず6つも駅名が分裂しているカオス状態の駅。 ああ~カオス!!! JR-G48 塚本 上記の通り、一部普通電車は通過する。 JR-G49 尼崎 JR神戸線・JR東西線乗り換え。 某説を紹介する番組の影響から何かと治安が悪いイメージで有名だがJR駅周辺はそうでもない。 宝塚線は急な右カーブをして北上していく。 駅は尼崎城の本丸の跡地を利用して作られている。 JR-G50 塚口 阪急の駅とは別物。 かつては大阪発着の客車特急が回送された後に折り返す駅であり、機関車が入線する都合上この駅まで電化されていた。現在でも普通列車が大阪方面に折り返す光景がよく見られる。 また、尼崎港線の分岐駅でもあった。本来の福知山線の本線は尼崎港線であったことから、現本線は尼崎港線から分岐する側になる。 塚口を出るとしばらくもう1本の廃線路が並行し、その線路が途切れた先には分岐の名残である急カーブがある。 その分岐地点の跡に建つマンションが福知山線脱線事故が起こった現場である。 JR-G51 猪名寺 グンゼタウンセンターつかしんやキユーピーの工場の最寄り駅。 ちなみに駅名の寺は室町時代に焼失している。 某忍たまの主人公の由来でもある。 JR-G52 伊丹 兵庫県伊丹市にあるのに大阪を代表する空港となっている伊丹空港の最寄駅。 阪急伊丹駅は西に1km離れている。 尼崎駅と同じく城跡に建てられた駅。こちらは織田信長に謀反を起こした荒木村重の居城、有岡城。しかも城のど真ん中に駅があり、徒歩30秒でお城に行ける。 JR-G53 北伊丹 伊丹空港の滑走路の延長線上にあるため、離着陸の音がすごい。 JR-G54 川西池田 阪急宝塚線・能勢電鉄妙見線川西能勢口駅へは600mほどで、共に川西市の中心駅の役割を担う。 かつては能勢電鉄妙見線が当駅(川西国鉄前)まで伸びていた。 周辺は大阪通勤族にとって住みやすい街として人気がある。 JR-G55 中山寺 聖徳太子が建立したという同名の寺へのアクセス駅。実際は阪急宝塚線中山観音駅からの方が近い。 JR-G56 宝塚 阪急宝塚線・今津線乗り換え。 当駅で大阪方面に折り返す列車も設定されている。 宝塚市の中心駅で言わずと知れた阪急の牙城としてつとに有名。 そして何といっても宝塚歌劇団の聖地である。 JR-G57 生瀬 途端にローカル臭が漂うようになる。 また、名前を見てピンときた人もいるかも知れないが俳優の生瀬勝久の出身地でもある。 JR-G58 西宮名塩 「にしのみやなじお」と読む。同名のニュータウンの最寄り駅で一部特急が停車。 中央本線四方津駅同様にニュータウンへの斜行エレベーターが設置されている。 JR-G59 武田尾 牛山氏の全国秘境駅ランキング196位。 こんな超幹線に秘境駅?と侮ることなかれ。 かなりの秘境感満載な駅である。ほくほく線美佐島駅と嵯峨野線保津峡駅を合体させた感じとイメージしたら大体合ってる。 周辺には武田尾温泉がある。 実は宝塚市内。 JR-G60 道場 唯一神戸市内に存在する駅。なお、神戸電鉄の神鉄道場駅とはかなり距離が離れている。 他のJRの神戸市内の駅とも離れているため、特定都区市内における神戸市内の駅からも外れている。 JR-G61 三田 神戸電鉄三田線乗り換え。 三田市の中心駅で昔は冴えない街だったが開発により今ではすっかりおしゃれな都会に変貌した。 読み方は「みた」ではなく「さんだ」である。 JR-G62 新三田 ウッディタウン・カルチャータウン等の玄関口として三田駅と同じくらい利用客は多く、一部特急が停車する。 大阪支社管轄としては最北西。 ここで折り返す列車が多く設定され、この先はほぼ快速か特急になる。 JR-G63 広野 常磐線にも同名の駅がある。 JR-G64 相野 一部特急が停車。周辺には高校や短大などがある。 JR-G65 藍本 利用者が一気に3桁になる。実はここでも脱線事故が起きている。 JR-G66 草野 ここも常磐線に同名の駅がある。 JR-G67 古市 一番標高の高い駅。宿場一夜夢街道が開催されると賑わう。 JR-G68 南矢代 長閑な駅。 JR-G69 篠山口 丹波篠山市の代表駅だが、駅名通り市街中心部からはかなり離れており、駅前は結構荒涼としている。全列車停車駅。 復元された二の丸御殿で有名な篠山城の最寄駅である。 複線はこの駅までで当駅以北は単線区間になる。普通列車もここでほぼ系統が分離され本数も更に減る。 丹波大山 駅下には石造りのトンネルがある…くらい。 下滝 丹羽竜の化石発掘を記念した石像がある。 谷川 加古川線乗り換え。大阪近郊区間の端の駅の一つ。 一部の特急列車が停車するものの、加古川線とのダイヤ接続は全く考慮されていないので乗り換えには注意が必要である。 柏原 「かいばら」と読む。丹波市の代表駅で全列車停車。 駅舎は「花の万博」の会場内交通「ドリームエキスプレス」で設置された「山の駅」を移築したもの。 石生 「いそう」と読む。水分れ公園という日本一低い分水嶺の最寄り駅。 黒井 信越本線にも同名の駅がある。 春日局生誕地の興禅寺や国指定史跡の黒井城跡の最寄り駅。 市島 市島川裾まつりの時は賑わいを見せる。 丹波竹田 同じ兵庫県にある「天空の城」として有名な竹田城の最寄駅…ではないので要注意。 事実、30kmしか離れていないこともあって多くの観光客が間違って訪れているらしい。 竹田城の最寄駅は播但線の竹田駅なので福知山駅から和田山駅乗り換えで播但線に乗り換える必要がある。 福知山 山陰本線、京都丹後鉄道宮福線乗り換え。 京都府西部の最大都市である福知山市の中心駅&終着駅。福知山城の最寄駅でもある。 尼崎港線 尼崎(臨時乗降場) 一応は尼崎駅と同じ扱いだが、距離は非常に離れており無人駅としか思えないたたずまいだった。 金楽寺 『落第忍者乱太郎』の金楽寺の元ネタ。 尼崎港 終着駅。 冒頭に述べた通り開業時はターミナル的存在の駅で、駅名も「尼ヶ崎」だった。 晩年も貨物駅立派な設備を要していたが、旅客ホームは1面1線と大変寂しいものであった。 追記・修正をお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 福知山線の脱線事故はネタ抜きで独立した項目にするべきだと思う。 -- 名無しさん (2013-10-13 15 45 52) 国鉄時代ってほんとに酷かったんだなーと(JRになってからも、色々引きずってる部分は垣間見えるけど) -- 名無しさん (2014-03-01 21 19 45) 伊丹空港の最寄ってJR伊丹より阪急蛍池の方が近いぞ。 伊丹駅だと徒歩で2kmは歩く。 -- 名無しさん (2014-07-28 20 49 32) 今俺が住んでいる所。 兵庫県 -- ふぃん (2015-03-11 21 46 22) 中山寺駅も兵庫県民(と一部の大阪府民)の間では結構有名。 -- 名無しさん (2018-10-24 21 00 06) 福知山以降安全優先になったため割とよく止まる。高温でレール歪んでも止まる -- 名無しさん (2020-09-07 12 47 32) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kancolle/pages/61.html
imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (No007.jpg) CV 井口裕香 Illustrator しばふ 艦船ステータス 加賀 No 改造チャート 改造可能レベル 火力 雷装 対空 対潜 索敵 運 耐久 装甲 回避 速力 スロット 搭載 燃料 弾薬 射程 7 加賀→加賀 改 - 0 0 28 0 40 10 71 29 27 高速 4 93(18,18,45,12) 60 55 短 装備 零式艦戦21型 九九式艦爆 九七式艦攻 未装備 加賀 改 No 改造チャート 改造可能レベル 火力 雷装 対空 対潜 索敵 運 耐久 装甲 回避 速力 スロット 搭載 燃料 弾薬 射程 7 加賀→加賀 改 30 6 0 42 0 61 12 79 50 39 高速 4 98(20,20,46,12) 80 80 短 装備 零式艦戦52型 彗星 九七式艦攻 未装備 同型艦 加賀 ― 土佐(未成) autolink ゲーム内において 艦娘データ(最終形のみ)ページより No 名前 改造可能レベル 火力 雷装 対空 対潜 索敵 運 耐久 装甲 回避 速力 スロット 総搭載 搭載1 搭載2 搭載3 搭載4 燃料 弾薬 熱+弾 7 加賀改 30 49 0 79 0 89 12 79 79 69 高速 4 98 20 20 46 12 80 80 160 制空特化装備例 加賀装備例 装備例1:烈風(44)/烈風(44)/烈風改(81)/零式艦戦62型(13)=185 装備例2:烈風(44)/烈風(44)/烈風(67)/零式艦戦62型(13)=168 比較例装備例 赤城:烈風(44)/烈風(44)/烈風改(67)/零式艦戦62型(12)=167 瑞鶴:烈風改(58)/烈風(48)/烈風(48)/零式艦戦62型(13)=167 大鳳:烈風改(65)/烈風(48)/烈風(48)/零式艦戦62型(11)=172 実火力 = (火力+雷装)×1.5+爆装×2+55 火力:49+0×1.5+8+55=136.5 となります。 現時点で、烈風改を加賀に使う事が1番の制空権確保の近道と思われます。 史実情報 着艦識別文字は「カ」。 1936年 改装直後の姿 1920年7月、加賀型戦艦一番艦として神戸の川崎造船所にて起工。 加賀型戦艦は八八艦隊における戦艦第二陣として計画された戦艦で、前型長門型の拡大発展型かつ、帝国海軍初の完全なポスト・ユトランド型戦艦と言える艦であった。 主砲は新開発の41cm連装砲を5基装備し、また防御も長門型を大きく上回る高靱性を持つなど、非常に優れた設計の戦艦といえた。 しかし、建造中に制定されたワシントン海軍軍縮条約の結果、八八艦隊計画は廃案。 加賀は廃艦処分が決定され、砲撃実験の標的艦となった後海没処分された同型艦・土佐同様、水雷実験の標的艦の後に解体されることが決まる。 だが1923年9月に発生した関東大震災が、彼女の運命を変えた。 東京府と神奈川県で猛威を振るったこの地震により、横須賀工廠にて空母に改造中だった天城型巡洋戦艦の一番艦天城が大破、 竜骨が脱落するなど損傷がひどく、復旧不能となり解体されることとなった。 その代艦として加賀に白羽の矢が立ち、加賀は横須賀海軍工廠に回航。そこで空母として竣工するのであった。 ちなみに加賀・土佐に搭載される予定の41cm連装砲塔は要塞砲に、その設計図面は近代化改装後の長門、陸奥の主砲の設計に流用された。 戦艦加賀の完成予想模型 1930年頃 甲板に搭載された20cm主砲、艦尾へと延びる煙突がよく解る 改造当初は赤城同様に英国の航空母艦フューリアスの二層飛行甲板を参考とした三層飛行甲板で、更に加賀は英国の航空母艦アーガスの煙突配置を参考に、 排煙による気流への悪影響を避けるため、煙突を船体に沿って艦尾へと延長している。これが赤城との大きな違いであった。 しかし、煙突の延長は同時に周辺区画の温度を上げ、灼熱地獄にするという致命的欠陥が発覚。 しかもその区画がよりにもよって居住区で、乗員たちは「海鷲の焼き鳥製造機」などと呼んでいた。(公式4コマ16話のネタがこれ) またこれは赤城も同様だが、三層航空甲板は思っていたよりも使い勝手が悪く、艦載機の驚異的な進化にも対応できなくなったことから、改装工事を受けることになる。 1934年、加賀は赤城より一足先に全通式甲板の空母へと生まれ変わった。 改装は非常に大掛かりで、上部構造物の一新や機関の換装など半ば新造と言っても過言ではない規模だったが、これにより速力は従来の26kt程度から28.3ktにまで向上。 また、戦艦として設計されたために積載量に余裕があり、日本の空母では最大の航続能力と航空機搭載数を誇ったのである。 艦載機パイロットにも、艦体が細長く動揺しやすい元巡洋戦艦の赤城よりも、どっしりとして動揺しにくい元戦艦の加賀の方が着艦が容易と好評だった。 反面、加賀は帝国海軍でも酷く規律の乱れた艦でもあり、下士官や兵では制裁や私刑、食料の横領が常態化。高級士官は芸者を艦に連れ込むなどの事件が発生していた。 改装後は「赤城」と共に第一航空戦隊を編成。 第一次上海事変では空爆支援を行うなどし、1932年2月には加賀航空隊の三式艦戦と一三式艦攻からなる編隊が、帝国海軍航空隊では初の撃墜戦果を上海上空にて記録した。 また日華事変では「鳳翔」「龍驤」とともに(「赤城」は近代化改装中だった)大陸での激しい航空戦を経験し、戦果とともに着実にその練度を上げていく。 それ故「加賀」は太平洋戦争開戦時、最も経験豊富な搭乗員を有する空母であった。 太平洋戦争が始まると、二航戦、五航戦と共に第一航空艦隊を編成。真珠湾攻撃の際には、新兵器の魚雷を運搬し各艦に配布している。 以降、日本機動部隊の中核として活躍した。 連戦連勝の機動部隊であったが、加賀は1942年前半に座礁事故を起こし、艦底を損傷。一時戦線より離脱している。 運命のミッドウェー海戦では、午前7時22分に敵機の奇襲第一波の標的とされ、攻撃が集中。 敵弾3発を回避するも、4発が命中。当たり所が悪く、格納庫の航空機ガソリン給油タンクに引火し、艦橋が文字通りに吹き飛び艦長・岡田次作大佐以下首脳部が全滅。 更に、兵装転換で格納庫内に散乱していた爆弾や魚雷に誘爆し、炎上大爆発。爆発の衝撃は凄まじく、舷側の装甲が吹き飛び、艦内が丸見えになったという。 その後艦は火だるまと化し、昼過ぎに総員退去。16時25分に、二度の大爆発を起こし海中へ没した。 尚、ゲーム中に五航戦を下に見る発言をする加賀さんであるが、これは搭乗員たちが新編成の五航戦の練度を揶揄したことに由来する。 しかしながら、真珠湾攻撃は当初加賀と五航戦で行われる計画であったり、MO作戦参加の予定が五航戦に変更されたりと、結構翔鶴型と縁があったりする。 一応五航戦の名誉のために補足するが、彼らの技量は決してヒヨッコというわけではなく、他国であればアグレッサーであってもおかしくないほどの技量を有しており、 それをヒヨッコ扱いできる一航戦・二航戦の技量がチートレベルだったというだけである。 それと余談ながら、妹の土佐はその艦体を用いた砲撃実験で様々なデータを残し、「目標手前に弾着した砲弾が水中である程度直進して、目標に当たる」と言う、いわゆる水中弾効果が発見された。 これを元に製造されたのが、ゲームにも出てくる帝国海軍の秘密兵器の一つ『九一式徹甲弾』なのである。 艦歴 発注 八八艦隊計画第3号艦 命名 1918年年05月15日 加賀型戦艦一番艦“加賀”と命名 起工 1920年07月19日 於川崎重工業神戸造船所 進水 1921年11月17日 1922年02月06日 ワシントン海軍軍縮条約締結。加賀を含む建造中の全主力艦の廃艦が決定 1922年02月11日 姉妹艦“土佐”と共に建造中止。廃棄決定 1923年09月01日 関東大震災発生。空母化改装工事中の“天城”が被災し大破・放棄。代艦として“加賀”の空母化を決定 1923年11月19日 23計画特務艦として空母“加賀”を再発注。横須賀海軍工廠へ曳航 発注 23計画特務艦 1923年12月13日 横須賀海軍工廠に於いて空母化改造工事に着手 進水 1925年04月22日 加賀型航空母艦“加賀”として再進水 竣工 1928年03月31日 三段の飛行甲板を持つ多段式空母として竣工。佐世保鎮守府第4予備艦 1928年12月28日 佐世保へ回航 1929年11月01日 第一航空戦隊へ編入 1931年12月01日 “赤城”がドック入りしたため、旗艦任務を継承 1932年01月29日 第一次上海事変勃発に伴い、上海方面へ進出 1932年03月03日 第一次上海事変停戦。内地へ帰投 1932年10月20日 “赤城”へ旗艦任務継承 1934年06月24日 飛行甲板の1段化、機関部の換装、艦尾延長、右舷への島型艦橋の設置、バルジの設置等を中心とした大規模改装工事に着手 1935年11月15日 工事完了。第二航空戦隊へ編入 1937年08月10日 日中戦争勃発に伴い、上海方面へ進出 1937年08月26日 第二次上海事変に対処する陸戦部隊を支援 1937年11月05日 上海上陸作戦に参加 1938年02月28日 厦門攻略作戦に参加 1938年10月12日 広東攻略作戦に参加 1941年04月10日 第一航空艦隊新編。第一航空戦隊へ編入 1941年12月08日 ハワイ真珠湾攻撃を実施 1942年01月07日 ビスマルク諸島攻略作戦に参加 1942年01月23日 ラバウル島上陸支援作戦に参加 1942年02月15日 オーストラリア・ダーウィン攻撃作戦に参加 沈没 1942年06月05日 ミッドウェー海戦に参加。米急降下爆撃機が投下した1000ポンド爆弾4発が甲板及び艦橋に直撃 艦橋破壊により艦長を含む幹部が全員戦死。格納庫内の換装用弾薬・航空燃料・航空機が誘爆を起こし、当日中に沈没 除籍 1942年09月25日 台詞一覧 状況 台詞 関連する史実や元ネタ、解説など 自己紹介 航空母艦、加賀です。あなたが私の提督なの?それなりに期待はしているわ。 秘書クリック会話① 何か相談?いいけれど 秘書クリック会話② 私の顔に、何かついていて? 秘書クリック会話③ 私の格納庫に何か御用? そう……ふん、大概にしてほしいものね 編成選択時 ここは譲れません 装備時① やりました 装備時② そうね、この強化は、いい判断ね 装備時③ いい装備ね、さすがに気分が高揚します (マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通) 補給時 補給は大事 ドック入り 修復に入らせて頂きます ドック入り(重傷) このダメージは完治に少し時間がかかるわ、ごめんなさいね 建造時 新しい艦が完成したみたい 艦隊帰投時 作戦終了。艦隊が帰投します 出撃時 一航戦、出撃します 第一航空戦隊の略、旗艦は「赤城」 戦闘開始時 五航戦の子なんかと一緒にしないで 新参の第五航空戦隊(瑞鶴、翔鶴)は見下されていた 航空戦開始時 ここは譲れません 攻撃時 五航戦の子なんかと一緒にしないで 攻撃時 鎧袖一触よ。心配いらないわ 源田実の発言から。意味は「相手をたやすく打ち負かしてしまうこと」 攻撃時 みんな優秀な子達ですから 開戦当時の「加賀」航空隊の練度は日本空母最高のものだった。 夜戦開始時 みんな優秀な子達ですから MVP時 良い作戦指揮でした。こんな艦隊なら、また一緒に出撃したいものです。 被弾小破① 頭に来ました 被弾小破② 甲板に火の手が…そんな… 被弾カットイン 飛行甲板に直撃…そんな…馬鹿な… ミッドウェー海戦では飛行甲板に直撃を喰らう。空母4隻のなかで1番最初に、1番多くの爆弾を落とされた 撃沈時(反転) 赤城さん…あなたが無事ならいいの…先に逝って…待っているわね… 時間 台詞 関連する史実や元ネタ、解説など 00 00 深夜零時。 01 00 マルヒトマルマル。静かね… 02 00 マルフタマルマル。丑三つ時ね。 03 00 マルサンマルマル。何?何も出なかったわ。 04 00 マルヨンマルマル。夜明け前が一番眠い。 05 00 マルゴーマルマル。朝ね。 06 00 マルロクマルマル。赤城さんは起きた?…そう。 07 00 マルナナマルマル。提督、朝食の支度が出来ています。 08 00 マルハチマルマル。そろそろ作戦行動ね。 09 00 マルキューマルマル。一航戦の出番というわけね。 10 00 ヒトマルマルマル。赤城さんは、あぁ…なんでもないわ。 11 00 ヒトヒトマルマル。演習は十分なの?…そう。 12 00 ヒトフタマルマル。正午です。昼食ね。 13 00 ヒトサンマルマル。昼食後は流石に眠くなります。 14 00 ヒトヨンマルマル。あ・・・あの海域ですか?鎧袖一触です。 15 00 ヒトゴマルマル。あの子たちでは無理でしょう。私たちが出ないと… おなじみの5航戦 16 00 ヒトロクマルマル。そう・・・あの子達もなかなかやるのね。 またも5航戦・・・デレた? 17 00 ヒトナナマルマル そろそろ日没です。艦載機を収容しましょう。 18 00 ヒトハチマルマル。提督、本日の任務、お疲れ様でした。 19 00 ヒトキューマルマル、夕食の時間です。今日は肉じゃが、いいですね、気分が高揚します 20 00 フタマルマルマル。少し、赤城さんのところに行ってきます 現地時間午後7時25分(日本時間午後4時25分)加賀沈没。同時刻、赤城総員退艦命令。 21 00 フタヒトマルマル。ふぅ…戻りました。何でもありません。 22 00 フタフタマルマル。夜戦…ですか?お断りします。 23 00 フタサンマルマル。本日は良い一日でした。明日もそうありたいものです。 放置時 あの・・・いえ、何でもないわ・・・ コメント 最新の30コメントを表示しています。 15時「ヒトゴマルマル。あの子たちでは無理でしょう。私たちが出ないと…」 -- (名無しさん) 2014-01-23 15 01 15 16時「ヒトロクマルマル。そう・・・あの子達もなかなかやるのね。」 -- (名無しさん) 2014-01-23 16 03 40 22時時報、フタフタマルマルじゃなくてフタフタヒトマルといってるw -- (名無しさん) 2014-01-23 22 07 31 0時「深夜零時」 -- (名無しさん) 2014-01-24 00 00 57 1時「マルヒトマルマル、静かね」 -- (名無しさん) 2014-01-24 01 02 07 肉じゃがが誕生したのは東郷平八郎の時代だから、とっくに広まってたんじゃないかな。(ただし肉じゃがと呼ばれるようになったのは戦後) -- (名無しさん) 2014-01-25 00 51 38 twitterで史実で7時半ごろに加賀さん轟沈してるから(同時刻に赤城大破炎上)その流れで赤城の安否確認しにいってるんじゃね、と見てウワアアアアアアア百合以前のもっと重い理由だったアアアアアアと思った -- (名無しさん) 2014-01-25 21 30 16 23:00時報 フタサンマルマル。本日は良い一日でした。明日もそうありたいものです。 -- (名無しさん) 2014-01-27 23 01 22 マルサンマルマル。何?何も出なかったわ。 -- (名無しさん) 2014-01-28 03 00 28 21時「フタヒトマルマル。 ふぅ・・・戻りました。」 -- (名無しさん) 2014-01-28 21 02 53 改装①と③が逆のような・・・ -- (名無しさん) 2014-01-28 21 58 27 2時「マルフタマルマル。丑三つ時ね。」 -- (名無しさん) 2014-01-29 02 00 33 建造350/30/500/350で1発ツモ あ、L17です -- (名無しさん) 2014-02-07 00 51 08 22時のは特に深い理由もないんじゃないか 空母は夜戦ができないってだけ -- (名無しさん) 2014-02-08 02 06 50 2-2で拾った。 -- (名無しさん) 2014-02-10 00 49 31 今週の週アスに加賀改二書いてあるんだけど… -- (名無しさん) 2014-02-10 09 15 36 ↑加賀さん改二まじ? -- (名無しさん) 2014-02-13 00 02 35 ケッコンでクリック会話追加「まぁ、私も認めてはいます」 -- (名無しさん) 2014-02-14 19 39 24 24DDHの名前は[かが]いいな。 -- (名無し) 2014-02-23 12 58 45 訂正:「かが」がいいな。 -- (名無しさん) 2014-02-23 20 32 01 なぜ五航戦disるのかわからん -- (名無しさん) 2014-03-12 18 55 45 瑞鶴狙いで300/230/500/700で回したらでた。加賀さんも欲しかったからラッキー -- (名無しさん) 2014-03-18 17 38 03 毎週一食よ。心配いらないわ。 -- (名無し) 2014-03-25 20 42 35 加賀さん、いいね -- (名無しさん) 2014-05-31 10 41 10 本日アプデでクリック③が確認できず、代わりに新ボイス「私の格納庫に何か御用? そう……ふん、大概にしてほしいものね」が代わりに聞かれるようになったかと -- (名無しさん) 2014-07-28 23 22 40 ↑ふん、というよりアレ「んっ…」って感じで…何かエロい、うん。 -- (名無しさん) 2014-07-29 22 41 29 放置(新)「五航戦、あなた達も連度を上げているというの? ……そう。いいでしょう、見せて頂きます……実戦で」 -- (名無しさん) 2014-09-04 13 22 43 ↑×連度 ○練度 -- (名無しさん) 2014-09-04 13 23 30 被弾のセリフも新しくなってました。確認次第コメさせていただきます。 -- (名無しさん) 2014-10-12 22 19 26 ↑小破(新)「赤城さん、あなたを残して沈むわけには行かないわ。」 -- (名無しさん) 2014-10-12 22 25 48 名前 コメント すべてのコメントを見る +タグクラウド タグクラウド 艦娘 駆逐艦 軽巡洋艦 重巡洋艦 戦艦 装備娘 軽空母 睦月型 建造 潜水艦 朝潮型 球磨型 長良型 正規空母 特型駆逐艦 開発 千歳型 妙高型 暁型 川内型 吹雪型 高雄型 最上型 金剛型 伊勢型 白露型 小口径主砲 大和型 阿賀野型 陽炎型 航空戦艦 翔鶴型 祥鳳型 期間限定海域 装備 天龍型 利根型 飛鷹型 青葉型 大口径主砲 水上機母艦 扶桑型 応急修理要員 長門型 古鷹型 艦上戦闘機 間違った報告を入力したので消去 巡潜3型 任務 遠征 イオナ 綾波型 霧 三式潜航輸送艇 巡潜乙型 家具 ぷらずま 海大Ⅵ型a 巡潜乙型改2 島風型 魚雷 天城型 夕張型 中口径主砲 誤ったコメ投稿をしたため削除 +関連ページ 関連ページ 改造Lv早見表 基礎知識 雑学(艦名) 俗語辞典 任務(クエスト) データ_艦船 伊168 酒匂 蒼龍改二 艦船/一覧 瑞鳳 翔鶴 妙高 飛龍 蒼龍 赤城 陸奥 雑学 データ_艦船2 41cm連装砲 解体 メンテナンス情報/2014年01月22日 九一式徹甲弾 データ_艦船21 20.3cm連装砲 九六式艦戦 艦娘一覧 データ_艦船1-50 ▼wikiレンタル代価広告
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/33302.html
登録日:2015/12/14 (月) 01 37 22 更新日:2024/04/05 Fri 18 33 29NEW! 所要時間:約 14 分で読めます ▽タグ一覧 EP2 Turn 「そなたは無能だ!」 うみねこ うみねこのなく頃に アンチファンタジー ファンタジー 不可能犯罪 兄姉晩餐会 家具系男子(全裸) 恋愛 楼座無双 血のハロウィンパーティー 赤字システム 鈴木次郎 黄金の魔女の手番 難易度は、極上。 魔女は、あなたをいきなり屈服させるつもりです。 概要 Turn of the golden witchとは、07th Expansionによる同人ゲーム、うみねこのなく頃にのEpisode2(第二章)のタイトル。和訳すると「黄金の魔女の出番」。 2007年12月31日のコミックマーケット73で販売された。 現在は他の出題編同様、EP4に収録されている。 本エピソードでは前回(少なくとも本編では)存在が仄めかされたにすぎなかった魔女ベアトリーチェが実際の舞台にも堂々と登場し、 ファンタジーの名のもとに次々と「魔法」を繰り出す描写が存在しており、前作の王道ミステリーと打って変わった独特の作風に仕上がっている。 また、本エピソードで、後にお馴染みとなる「赤字」システムが採用され、殺人事件を俯瞰する立場で推理議論を繰り広げる 「うみねこ」自体の基盤が完成された。 あらすじ 右代宮家に仕える使用人=家具、紗音は、当主長女の息子・譲治に恋心を抱いていた。 だが家具たる自分が主人に恋など出来るはずもない…そう嘆いていると、彼女の目の前に、六軒島に伝わる黄金の魔女・ベアトリーチェが現れる。 彼女は紗音に、「自分がそなたと想い人を添い遂げさせてやる」と囁き、魔女の封印の要たる社の鏡を割らせるのだった。 そして、譲治との恋仲は順調に進み、ベアトとも交流を続けていく紗音。 そんな彼女に、弟分の嘉音は苦言を呈するのだが、ベアトは嘉音の前にも現れ、長男の娘・朱志香への恋心を煽り、弄ぶ。 いずれ訪れるであろう二人の「家具」の恋の破綻を心待ちにするという呪いを振り撒きながら…。 そして1986年10月4日、右代宮戦人が6年ぶりの帰還となった親族会議の日が来た。 相変わらず、魔女に心酔し歳に合わない癇癪を持つ真里亞に、母・楼座は苛立ち彼女を虐げる。 そんな母娘の前に、真里亞が憧れ続けていたという、魔女の肖像画そっくりの女「ベアトリーチェ」が現れた。 彼女は六軒島19人目の人間として屋敷に上がり込み、貴賓室で歓待を受ける。 突如として現れた、金蔵の昔の愛人(かもしれない)そっくりの女に、大人たちはざわつき混乱する。 一方紗音と嘉音は、ベアトが今日まさに、右代宮家の全てを黄金郷へと返すための儀式を行うと知ってしまう。 そして、源次に問い詰めた大人たちは礼拝堂で「魔女」ベアトリーチェに出会う…。 次の日の朝、鍵のかかった礼拝堂に異変が起きた。 扉に刻まれた魔法陣、前日真里亞にベアトから渡された礼拝堂の鍵。 そして中には、血塗られた悪夢のようなハロウィンパーティーが催され、楼座を除く6人の大人が犠牲になっていた。 貴賓室からはベアトの姿は消えており、礼拝堂は完全な密室。 「ニンゲンには不可能」な犯罪に一同は戦慄する。 楼座を中心に自衛を固めることにした生存者たちだったが、彼らを嘲笑うかのように次々と巻き起こる不可能犯罪。 その現場には必ずベアトリーチェの姿が現れ、そして蝶となって消えていく。 さらに、追い詰められ人間不信に陥った楼座によって、次第に一同はバラバラな状態へ。 そして、「人間になり恋をしたい」と願う紗音と嘉音の恋心は、魔女によって無惨に踏み躙られていく。 悪夢のような幻想殺人ゲームに追い詰められた戦人は、魔女の存在を認めてしまうのか…? ……そして、このゲームを上位世界で見守る二人の人物がいる。 プレイヤーは右代宮戦人、ゲームマスターはベアトリーチェ。 事件のカラクリは「人間によるトリック」か、「魔女による魔法」か、二人の舌戦が始まる。 登場人物 ≪六軒島≫ ベアトリーチェ 六軒島に伝わる、千年を生きた黄金の魔女。 紗音に封印を解いてもらったことと引き換えに、彼女の恋の後押しをすると約束。 だがその実、1986年の親族会議を舞台にした儀式までに、いかにその恋がこじれ、破綻していくかを観察するために過ぎなかった。 しかし、自意識を確立する紗音と嘉音に、苛立ちを隠しきれない。 そして親族会議の日に、30年ぶりに来客として右代宮家を訪問し、今度は魔女として、魔法を自在に駆使しながら皆殺しにしていく。 本EPでは徹底して外道でド鬼畜な悪役である。 紗音 本家使用人。本名は「紗代」。 譲治との許されない恋に苦しみ、現れたベアトリーチェの口車に乗る形で彼女の封印を破る。 ベアトの用意したお守りのブローチのご利益で恋が進展し、彼女に感謝し茶飲み仲間になる。 だがその代価は恋人たちの命であった。 霊鏡の触媒で得た防御魔法を使って、恋人・譲治を守ろうとするが…。 嘉音 本家使用人。本名不明。 紗音を姉のように慕っており、彼女を不当に扱う主人たちを憎んでいる。普段も大の毒舌家。 紗音にいいように取り入るベアトを敵視しているが、逆に自分の本心を見抜かれいいように弄ばれる。 朱志香の彼氏の振りして、文化祭に行ったことを機に彼女のことが気になり出すが、「家具」という自覚故に彼女を拒絶してしまう。 だがその恋心は抑えきれなくなり、苦しむことに。 そしてベアトから朱志香を守るため、魔法の刃で彼女に立ち向かうが…。 右代宮譲治 当主長女・絵羽の息子。 右代宮の孫唯一の男(戦人が除籍したため)であり、後を継ぐ者として母から溺愛されている。 使用人の紗音を身分差に関係なく愛しており、母に見合いを勧められてもなおその気持ちは変わらず、親族会議にて婚約を発表する予定だった。 孤立する使用人たちに味方し、彼らの力になろうとする。 右代宮朱志香 当主長男・蔵臼の娘。 男勝りでポップ音楽が好きだが、常に母から厳しく躾けられ窮屈さを感じている。 学校ではこっそりバンドのメンバー。 嘉音のことが気になり、彼に接近しようとするが上手くいかず…。 右代宮楼座 当主次女で、アパレルメーカー社長。 生まれつき頭も良くない方で、小さい頃から他の兄達に馬鹿にされ、いじめられ続けていた。 9歳の娘・真里亞を女手一つで育てているが、いつまでも幼稚な癇癪にオカルト・魔術の知識に傾倒する娘を疎ましく思い、 時折彼女に暴力を振るっている。 しかし心の底から娘を愛しているのは事実で、素直に愛せない自分に苛立ちを感じている。 第一の晩でほぼ全滅した大人たちの中で唯一生き残り、生存者たちのリーダー格となるが、自身が疑心暗鬼に囚われてしまい、 使用人たちを犯人と決め付け彼らを徹底的に排除しようとする。 ベアトリーチェの存在に何やら思い出があるらしい…。 右代宮真里亞 楼座の娘。9歳。 本エピソードでも魔術に傾倒し、ハロウィンをやりたくて仕方ない。 ベアトリーチェには毎年六軒島で会っているらしく、本エピソードでもその存在を吹聴し、右往左往する生存者たちを嘲笑う。 母から痛ましい暴力を受けているが、それを自分のせいと思っているようだ。 右代宮戦人 お馴染み主人公。 やはり魔法など信じないクチだが次々と起こる不可能犯罪、そして身内同士が疑い泥沼と化した人間関係に疲れ果て、 「全部魔女の仕業だったんだ」と認めてしまい…。 右代宮金蔵 右代宮家当主。 確かに“い”るベアトリーチェを探し続けているが、近くにいるにもかかわらず視えない。 ベアト曰く「魔術の才能がまるでない」らしい。 殺人事件の最中も部屋から一歩も出ず、ベアトとも会えなかったが、第十の晩で……。 右代宮蔵臼 当主長男。 事業の失敗続きで経営難に陥っており、同時に自分の先見性のなさに嫌気がさしている。 右代宮夏妃 蔵臼の妻。 神経質でいつも使用人に厳しく、多少のミスも許さない。 右代宮家の跡継ぎに相応しいようにと、娘・朱志香を厳しく躾け、彼女に寂しさを感じさせていた。 金蔵の愛人の存在を意地でも否定しようとする。 右代宮絵羽 当主長女。 息子・譲治を右代宮家の跡継ぎとして絶対の自信をもって愛情深く育ててきた。 交際相手に関しても口出ししようとし、紗音のことを敏感に感じ取り、彼女に「使用人のあなたには釣り合わない」とさり気ない嫌味で釘を刺す。 右代宮秀吉 絵羽の夫。 本エピソードではそれほど出番なし。 右代宮留弗夫 当主長男で、戦人の父。 社長としての彼の姿が垣間見えるが、どうやら達者な口で人望には篤い様子。 右代宮霧江 留弗夫の後妻。 楼座と共に人間のベアトを目撃し、親族たちにそのことを知らせる。 彼女の目にただならぬものを感じ取り、不穏に思う。 呂ノ上源次 使用人頭。 人間のベアト相手に一切動じることなく彼女を屋敷へ歓待した。 殺人事件の最中も冷静さを崩さず、孤立しても動じることはなかったが…。 郷田俊朗 料理上手の使用人。自分よりも主人から重宝されている、年下の紗音と嘉音に嫉妬している。 以前のホテルをクビになり路頭に迷ったところを雇ってくれたので、夏妃には感謝している。 不可解な現象に戸惑うばかりだったが、今回はその巨体を生かす機会があった。 熊沢チヨ 使用人のおばあちゃん。 六軒島の「悪食島」としての伝説に詳しいが、肝心のベアトリーチェのことははぐらかす。 南條輝正 金蔵の主治医。 金蔵とベアトリーチェの過去に詳しく、礼拝堂が建てられた理由についても証言した。 煉獄の七姉妹 ベアトリーチェが所有する家具にして、生贄を射る七つの杭の人間態。 いずれも、好戦的な美少女七人組。 今回登場したのは、末妹アスモデウス(色欲)、三女サタン(憤怒)、六女ベルゼブブ(暴食)。 ≪メタ世界≫ 右代宮戦人 前回で魔法による殺人を認めず、自称魔女に宣戦布告を突きつけ、第2のゲームへと持ち込んだ。 しかし、前回を上回る密室の数と難易度に頭を悩ませ、当てずっぽうの推理を突きつけてもベアトの繰り出す赤き真実に次々と打ち破られてしまい、 さらにはベアトから「無能」扱いされ、おまけに疑心暗鬼の泥沼となったゲームの内容に泣きだす始末。 挙句の果てには「止めて欲しければ裸になって跪け」とまで言われ、そしてその通りになってしまった…。 ちなみにこの全裸家具、漫画でもアニメでも忠実に再現している。 ベアトリーチェ ゲームのルールとして、根拠の必要ない「赤き真実」で情報を与えることを戦人に提示。 これら赤文字を自在に駆使し、戦人の推理を悉く封じ、彼を圧倒する。 さらに容赦なく戦人を屈服させようと囁きかけるのだが…。 ベルンカステル ベアトの対戦相手で、戦人の後見人を務める奇跡の魔女。 戦人の惨敗を哀れみ、彼をどこかで見たような掛け声で励ます。 「にぱー☆」 ようやく退屈せずに済むらしく、少しご満悦の様子。 ラムダデルタ かつてベルンカステルに負けたという「絶対の魔女」。 見た目は能天気な幼女だがかなりの実力者。 ベアトとベルンの対決を聞きつけ、ベアト側につきゲームを観戦すると宣言した。 最強の魔女の座を奪い返すためにも、ベルンを打ち負かす算段らしい。 その一方で、情けない戦人にもさり気なく助言を与える。 事件概要 第一の晩 4日夜、ベアトリーチェに呼び出され親たちが彼女と礼拝堂にて対面。 5日朝、食堂に「礼拝堂」と書かれたメモが発見されたので使用人たちと楼座が確認に行くと、礼拝堂の扉に魔法陣と、 「HAPPY HALLOWEEN FOR MARIA」というメッセージが描かれ、扉は施錠されており、一個しかない礼拝堂の鍵は紛失していた。 真里亞が先日ベアトから渡された封筒に心当たりがあった楼座は真里亞のバッグから封筒を抜き取り中に封じてあった鍵を取り出して礼拝堂を解放。 中には6人の親たち(蔵臼、夏妃、絵羽、秀吉、留弗夫、霧江)がテーブルを囲みながら眠るように息を引き取っていた。 テーブルにはハロウィンのパーティー用お菓子が並べられ、死体の腹は引き裂かれ内臓がえぐり出されており、 内臓の隙間にキャンディーやラムネを詰め込まれていた。 第二の晩 混乱する朱志香を部屋に送った嘉音。 そこへベアトが彼女を襲い、朱志香を守るべく嘉音と戦闘に。 だが力及ばず二人とも死亡。朱志香はアスモデウスの杭で、嘉音はサタンの杭に貫かれ、嘉音の死体はベアトに持ち去られてしまう。 異変に気付いた一同が朱志香の部屋に来てマスターキーで部屋に入るが、中には朱志香の死体しかなかった。 個別の鍵は部屋にあり、嘉音の所有していたマスターキーは朱志香の服のポケットに入ってあった。 状況からマスターキーを使える使用人が疑われたが…。 第七、八の晩 厨房で源次、紗音、熊沢、郷田、南條が食事中、勝手口に胸を刺され負傷した嘉音が現れる。 すぐさま使用人室に運ばれるが、その嘉音は魔法で操られた死体だった。 嘉音は熊沢、南條を、喉元を魔法の刃で掻き切って殺害したが、紗音が持ち出した蜘蛛によって消滅。 源次たちは異変を楼座たちに知らせに行くが、全員を連れて帰ってきた頃には熊沢と南條の死体が消失していた。 その間ずっと使用人室は施錠されており、鍵は使用人室のキーボックスにあり、外からの開封はマスターキーを用いて行った。 使用人室内にあった手紙には南條が預かっていた嘉音のマスターキーと、熊沢のマスターキーが同封されていた。 これを機に、使用人の芝居を疑った楼座は、全てのマスターキーを没収し、自分の管理下に置く。 その後源次によって、中庭で二人の死体が発見された。 南條は膝をベルフェゴールの杭で、熊沢は足をレヴィアタンの杭でえぐられていた。 第四~六の晩 魔女に有効な夏妃の魔除けの鏡を使おうと、譲治、紗音、郷田は夏妃の死体から彼女の自室の鍵を取り、夏妃の部屋へ。 だが礼拝堂から追ってきたベアトによって部屋に入った直後に郷田は死亡。 紗音が魔法シールドで善戦するも、甲斐なく二人とも敗北。 そして、源次の証言で異変に気付いた楼座たちが駆けつけると、扉には血の手形が付けられ施錠されており、 中にはマモンの杭で頭をえぐられた紗音、ベルゼブブの杭で胸をえぐられた郷田、ルシファーの杭で腹をえぐられた譲治の死体があった。 なお、紗音の死体は杭が刺さっておらず、化粧台に突っ伏した状態で発見された。 これまでと同様、部屋の鍵は部屋の中にあった。 第九の晩 施錠したはずの客間に、ベアトリーチェの手紙が置いてあった。 それにより、互いが互いを疑い泥沼に陥った戦人と楼座。 絶望した戦人は魔女への屈服を宣言する。 そして、想い人に逢えず嘆き悲しむ金蔵の前に、ベアトリーチェが現れる。 第十の晩 23時30分、源次に導かれ戦人は金蔵の書斎でベアトリーチェに対面する。 争いに負け、完全な屈服を宣言しながら……。 一方楼座は、真里亞を連れて山羊の群れから逃げ続け、銃や黄金で抵抗し続けていたが……。 CS版 PSP版とPS3版に収録されている。 漫画版 月刊Gファンタジーに連載されてた。 全5巻で、作画は鈴木次郎。 濃厚なグロ描写とベアトをはじめとする大人たちの悪人面&絶望顔に定評がある。 アニメ版 第6話~第11話の全6話で描かれた。 尺が少ないために展開が駆け足気味で、最低限原作の大筋をなぞっただけの出来となっている。その影響もあって、演出は非常に淡泊なものとなっている。 序盤と終盤を大幅に省略し、中盤の推理パートや魔法バトルパートに尺を割く構成となっている。そのため、原作でも評価が高かった楼座無双が大幅に省略されている。またお茶会パートでは楼座の過去回想が完全カットされているために、ベアトリーチェのセリフが分かりにくくなっている。 小説版 講談社BOXで上下巻で発売。 勝者は、黄金の魔女、ベアトリーチェ。 18人の誰も、碑文の謎を解けず、時間切れのため。 18人は全員死亡。 うみねこのなく頃に、生き残れた者はなし。 △メニュー 項目変更 -アニヲタWiki- 以下、判明している謎のネタバレ(漫画版を基にした) ▷ 黄金郷の扉を開く [部分編集] 実際に現れたベアトリーチェは真犯人の変装。 マシュマロを再生させたのは、前のシーンで真里亞が嘉音に渡したマシュマロを潰れたものとすり替えたため。目撃者の楼座はこの時買収された。 礼拝堂の密室は嘘で、最初から扉は施錠されていない。開封時に居合わせた楼座と使用人たちの口裏合わせ。(このため、紗音と嘉音が同時視認できる) 犯人は嘉音の人格を抹消後、密室内で朱志香を殺害し、マスターキーを置いた後「紗音」としてのマスターキーを使って外から施錠した。 嘉音の死体襲撃事件自体が嘘。残った使用人の口裏合わせ。熊沢たちは源次が中庭で殺害した。 この間、紗音(ベアト人格)は夏妃の部屋で郷田と譲治を殺害し、自らライフルで自殺後、ワイヤーでライフルを化粧台と壁の隙間に落として隠した。 客間の手紙は楼座が置いたもの。 金蔵の部屋で戦人がベアトの姿を見たのは、戦人が魔女への屈服を宣言し、「探偵の権利」を剥奪され、視点の唯一性が失われたため。 楼座と真里亞が逃げ惑っていたのは爆弾のことを源次から聞かされたため。 跪き妾の項目に追記・修正をせよ。お前を屈服させたくてアニヲタWikiに呼びつけたのだから。 「うおおおおおおお来いよォオオオォ!!真里亞が追記修正してくれた項目を食らいたいヤツから前へ出ろよォオオオオ、 うをおおおおおおおおおおオオオォオオオォオッ!!!」 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] さも当たり前のように魔法描写が出てきたり、推理側も赤字という推理の指針が出てきたりとひぐらしから比べて良い意味での変化球が楽しめた時期、なお -- 名無しさん (2015-12-14 03 24 10) 口裏合わせの多用って推理させる気があるのだろ -- 名無しさん (2015-12-14 07 58 34) ↑元ネタが推理させる気のない問題がほとんどの「ウミガメのスープ」だし -- 名無しさん (2015-12-14 08 34 46) 黄金郷なんていらなかった、この子さえいれば…そして4章 -- 名無しさん (2015-12-15 00 57 42) EP8のクイズ見て思ったけどこのEPの楼座は碑文解いたのかな? -- 名無しさん (2015-12-27 09 11 05) 今思えば序盤に延々シャノカノの恋愛描写やってたのはかなり重要なヒントなわけだったんだけど当時の自分には何も解けなかったw -- 名無しさん (2015-12-27 10 42 53) このエピソードが意味不明だったからうみねこ辞めたわ。数年後にエピソード8が出てから一気に読んだ。 -- 名無しさん (2016-06-09 15 32 49) 実はうみねこの幻想描写ルールを把握すると一番シンプルなEPだったりする -- 名無しさん (2016-11-25 22 50 27) EP2はマジで意味不明だったな。EP3で少し持ち直したけど。 -- 名無しさん (2017-03-04 23 49 24) EP2初めて読んだ時の雰囲気とかすごい好きだったな楼座が共犯っぽいってのは作中でさりげなく匂わせてたし実は一番ヒント出してるEPだったな -- 名無しさん (2017-09-11 20 40 21) 戦人がベアトを見たのは死(六軒島大爆発)の 30 分前(=すぐ死ぬので観測結果を報告できない→ゆえに書き手によって都合よく幻想描写が行われる「死人に口なし」)、いわゆる黄金蝶ルールでは? -- 名無しさん (2019-04-12 16 16 36) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/army2ch/pages/318.html
第二次大戦直前にソ連が北欧のどっかの国と戦争した時、ソ連の近代的な部隊が騎兵隊を中心とした前近代的な部隊とやりあって負けたと言うのは、ホントの話ですか? 第二次世界大戦後、フランス軍人が占領下のベルリンででかい顔をしていたというのは本当ですか? クリスマスにはアントワープに一番乗りってセリフの元ネタはなんですか? 第二次世界大戦当時の西ヨーロッパ諸国の対独協力について知りたいのです。 ヴィシー・フランスやポルトガルって東部戦線に派兵しなかったんですか? ヴィシー政権下のフランス軍は何をしてたんでしょう? ウスタシュの詳細をどなたかご教示ください。親ドイツ組織ぐらいしかしりません。 WW2中の欧州でドイツ軍は「ヴェアマハト」ソ連軍は「レッドアーミー」と呼ばれてたみたいですが、イタリア軍に固有の名称はあったんでしょうか? 大戦終了後、ヨーロッパで埋められたままの地雷は誰が処分したのでしょうか? イタリア軍ですが、スペイン内戦では、かなりの死者を出しているようです。 第二次大戦の前なぜユダヤ人嫌われてたんですか? 独のポーランド侵攻に対し、援助条約を結んでいた英仏が対独宣戦布告した訳ですが、ポーランド東部に侵攻をかけてきたソ連に対し、宣戦布告しなかったのは何故でしょうか ドイツ軍占領下のフランスではレジスタンス活動をやってたわけですが、彼らはドイツ軍だけでなく体制側のフランス人も攻撃していたのでしょうか? ドイツのV-1、V-2について連合軍は事前にその性能をどこまで把握していたのでしょうか? イタリアにはユダヤ人収容所はあったのでしょうか? WW2ブルガリア海軍について教えて下さい。 アルバニアやモンテネグロは連合国に宣戦布告した事があるのですか? バルト三国の海軍はどんな状況だったのでしょう? マジャール軍はロシア方面で問題を起こしていたようですが。 枢軸国の敗戦が濃厚になってルーマニアは連合国に寝返りましたが、ハンガリーが寝返りに失敗した理由は何故でしょうか? 大戦前の東欧諸国の軍事力を教えて下さい。 枢軸側で戦った東欧諸国の装備について教えて下さい。 フランスがドイツに一ヶ月で屈服(しかもドイツは英蘭との同時作戦)した理由は何だったのでしょうか。 ポーランドは軍用機を輸出していたそうですが。 第二次大戦直前にソ連が北欧のどっかの国と戦争した時、ソ連の近代的な部隊が騎兵隊を中心とした前近代的な部隊とやりあって負けたと言うのは、ホントの話ですか? 恐らく第二次大戦初頭にソ連がフィンランドに侵攻した ソ連-フィンランド戦争(1939-40)が誤って伝わっているのではと思われます。 フィンランド軍の主力は歩兵、あるいはスキーを装備した歩兵といった部隊でしたが、 自動火器の普及率も高く、練度の高さ、地の利を活かしたゲリラ戦術などで応戦し、 ソ連側の慢心もあり侵攻したソ連軍に少なからぬ損害を与えました。 日本語ですと「雪中の奇跡」という本がこの戦争を扱っていますので、参考になると思います。 (52 957) 恐らく、ナチスドイツとソ連によるポーランド侵攻と、ソ連によるフィンランド侵攻”冬戦争”を混同していると思います。 ポーランド侵攻では戦車VS騎兵という構図は多々あったようです。 戦車に突撃をかける騎兵にドイツ兵が畏怖したとも伝えられていますが、戦果を伴うものではありませんでした。 冬戦争においてはスキーを装備したフィンランド兵が夜中にフィンランドの伝統的な刀を持って忍び寄り、 ソ連兵の首をかっさくような戦闘が行われていました。フィンランドは近代的な装備を持った軍隊ですが、 それら近代的装備と併せて伝統的なスキーや刀を使用した戦闘を行い、効果をあげたそうです。 (52 964) 第二次世界大戦後、フランス軍人が占領下のベルリンででかい顔をしていたというのは本当ですか? フランスにはまるで一人で勝ったみたいな「シャルル・ド・ゴール戦勝記念日」があります。 (53 787) クリスマスにはアントワープに一番乗りってセリフの元ネタはなんですか? WW2 1944年12月16日より開始された独軍の作戦名称「ラインの守り」。 連合軍側の呼称「バルジ(突出部)の戦い」で、独軍兵士がユーモア混じりに語り合った言葉。 かつての人気ギャグ漫画「マカロニほうれん荘」のキャラクター、ひざかたとしぞう氏が 「はっはっはっ、クリスマスにはアントワープに一番乗りですよ」とセリフ中で述べたことから、 日本でも市民権を得た(?)。 (56 612) 第二次世界大戦当時の西ヨーロッパ諸国の対独協力について知りたいのです。 パンター戦車とか潜水艦とかフランスの工場でかなり生産されていたと読みました。 一例を挙げれば、イタリアは相当数の軍用車輌を独占領時に接収されています。 が、総数は帳簿外のものもありますので、そのうち何割を占めているかは分りません。 改造などで、帳簿に掲載されるものもありますが、部隊で捕獲して、そのまま自軍の装備に 組み込んでしまうということもありますから。 対独協力については、北イタリアのトリノを占領したドイツ軍は1943年9月~1945年5月までの間、同地にあるFiatで 生産設備をFullに活用すべく、あらゆる事を試みますが、180機の航空機が生産できたはずなのに、実際には最初 の数ヶ月は18機しか出来ず、1945年に至っては一切その機体は手に入らなくなります。 航空機用エンジンは、日産1,500台の能力がありながら、実際は300台(後には90台以下)しか生産されません。 トラックは、1945年1月~3月、日産平均10台でしたが、うち5台は、「何とも不思議な具合に」消えていたりします。 業を煮やしたドイツ軍は、その生産設備を全てドイツ領内に運ぼうとしますが、Fiatを始めとした北イタリアの工業は、 ゼネストで対抗したりしています。 フランスの場合、1940年11月の相殺協定の下で輸出入を均衡させ、通貨の移動を防ぐことになっていましたが、この 協定を楯に、ドイツは一方的入超でも代金を払いませんでした。 また、為替レートも1マルク=20フラン(戦前は1マルク=10フラン)というレートを設定し、この有利なレートの中で、 ドイツの各企業はフランス企業を次々買収します。 一例を挙げると、化学染料産業のキュールマン・トラストはI.G.ファルベンに支配されたりしています。 こういった買収には、フランスの銀行(クレディ・リヨネとか国立商工銀行とか)も深く関わり、フランスの各銀行は資本を この時期に倍増させています。 自動車業界では、仏独経済関係代表団の後押しにより、ルノーの支配人ルイドゥーを中心として、自動車産業を対独協力 に向けさせ、ルノー、シトロエン、プジョーは各種軍用車輌の生産を、ミシュランもタイヤ生産で協力し、各工場もドイツからの 大量注文を受けています。 また、ボーキサイトは安値でドイツに売却されたり、ベルギーからの預かり資産である金を引き渡したりもしています。 1941年4月に工業生産大臣のピュシューはドイツ軍向け兵器類製造を約束し、仏独間での航空機製造計画が41年7月28日に 調印されています。 こうして、1942年には航空機の100%、自動車・建設・石灰・セメント・造船の75%、ゴム・塗料・化学・織物の60%は独向け製品に なっていました。 但し、石炭、鉄鋼業界は元々が競争関係であった為に対独協力には積極的になっていません。 後にはフランスの戦力温存のために、国内全体で350万人が対独協力関係の工場に勤めていました。 敗戦後、こういった会社の内、ルノーは特に敵視され、国有化されました。 また、個人の追求も為され、ドボアチンはアルゼンチンに亡命したりしています。 オランダとかベルギーはどうなんですか。 武装SS師団があるぐらいだから、かなり協力していたと考えて良いですかね? ベルギーに関しては、ワロン地域のレックス党とフランデレン地域のフランデレン 国民同盟によって国論がリードされます。 特にフランデレン地方は、ブルゴーニュ時代のネーデルラント17州復興を求めており、 民衆にそれなりに支持を得ていました。 しかし、ベルギーには大した産業が無かったので、これと言って産業的には協力していた 訳ではありません。 但し、前二党は積極的に対独協力を行ない、また、ベルギーの労働党党首でさえ、ドイツの 新秩序政策を支持して、ベルギー労働党を解散してベルギー社会党に衣替えしています。 戦後、ベルギーでは、対独協力者として242名を死刑執行に処していますし、幽閉された国王 の復位問題(さっさと降伏した上、幽閉中ヒトラーに面会に行ったなどが問題視された)が戦後 の大きな問題となっています。 オランダについても同様ですが、こちらはベルギーの様に独立した政府があったわけではなく、 占領下と言うことで否応なしに対独協力をさせられ、フォッカーは自国用の機材を完成させ、 ドイツに納品させられた上、Ar196、Bu181などを生産し、Ju88用スキーなどの部品も作られています。 また、アビオランダ社ではDo24Tが継続して生産されています。 戦時の占領下による強制的な対独協力と言うことで、こちらは処刑人数は少なく、42名です。 ちなみに、フランスは779名(他に裁判抜きの処刑数が約4万人)、イタリアは裁判、裁判抜きで実に10万人 以上が処刑されています。 (114 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ヴィシー・フランスやポルトガルって東部戦線に派兵しなかったんですか? フランスではデアやドロンクルといった反共主義の対独協力者が独ソ戦開始後反共フランス義勇軍という部隊の結成を提唱した。 ただしヴィシー政府はこの動きに全く関与せず、ドイツ軍政部も反対していた。 しかし親衛隊が後押しをしたため、部隊は志願者を募って組織されることになった。 だが期待したほど人員が集まらない上志願者の質も低く、当初の条件であったフランスの軍服と兵器が支給されなかったため兵士の士気は低かった。 41年初冬に2個大隊が東部戦線に派遣されモスクワ前面で戦ったが大損害を蒙り、戦意に欠けるこの部隊をドイツ軍は戦闘能力なしとみなした。 42年2月この部隊は第638フランス歩兵連隊と改称され、もっぱら対パルチザン戦に投入された。 その後44年フランス人SS部隊である第7義勇突撃旅団と統合されて第33SS武装擲弾兵旅団「シャルルマーニュ」となり後に師団となった。 (128 387) 補足ですが。 まず、Franceのファシストである、デア、ドランクル、ドリオらに依って、1941年9月4日に、「反ボルシェヴィ ズム・フランス義勇軍団」が正式発足し、ドイツ軍の軍服を纏ったドリオ自らが、前線に赴き、赤軍と戦闘 しています。 隊員は11,000人の応募に対し、6,500名が採用されましたが、ドイツ軍やHitler自体はこれをお荷物としか 思っておらず、ドイツ軍の軍服着用を禁じたり、徴募人数の制限(15,000名まで)。と言う制限を行っています。 隊員には、独身者で1,800フラン、妻帯者で2,400フランの月給が支払われ、これを基本給として、戦闘手当一日 20フラン、児童手当が350フラン支給されました。 三人の子持ち兵士なら、3,480フランとなり、これは、ドイツに行った労務者よりも高給でした。 この軍団は東部戦線へ5,800名送り込んでいますが、彼等はドイツ国防軍の一個歩兵連隊として扱われたに過ぎ ません。 しかも、この軍団の指導層は過去にVichy政府に楯突いた人々だったので、尚更国の援助は与えられませんでした。 逆にVichy政権の要人であるラヴァル、ブノワ-メシャンらの肝いりで作ったのが、1942年7月に創設されたのが「フランス 三色旗軍団」です。 しかし、正規軍の復活に繋がるとして、ドイツはこれも潰します。 他にアフリカ戦線で、1942年11月21日に「アフリカ軍団」なる総勢400人程度の軍事組織を作ってみたりしてますが、結局 フランスの準軍事組織でモノになったのが、1943年1月に、フランス戦士団保安隊を核に誕生した、「民兵団」でラヴァルが ダルナンを頭目に作った組織で、兵士の月給は3~4,000フランです。 これは、最盛期には10,000人の規模となり、南フランスの被占領地域で、43年秋から親衛隊の指導の下、Resistance弾圧 に投入されています。 (128 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ヴィシー政権下のフランス軍は何をしてたんでしょう? ヴィシー政権下でも規模は縮小されたもののフランス軍は存続し、非占領地域や植民地の警備などを行っていた。 特にフランス海軍はほとんど無傷の状態で残っていた。 1940年7月にはアルジェリアにいたフランス艦隊を英海軍が攻撃するメル・エル・ケビル事件が起き、1000人以上の死者が出た。 このことによりフランス軍の反英感情は強まり、まだ無名だったド・ゴールの自由フランス軍への志願者が激減している。 その後も失敗に終わった英・自由フランス連合軍によるダカール上陸作戦や英軍のフランス領シリアへの侵攻など、 いくつか英仏間で戦闘が起きている。 また、これと並行してド・ゴールの働きかけにより、海外領土に駐留していたいくつかのヴィシー政府軍は 自由フランス側についている。 1942年、米英ス軍によるアルジェリアとモロッコへの上陸(トーチ作戦)が開始され、短期間の戦闘の後 北アフリカのフランス軍は停戦に応じた。 この後、ドイツはフランス本土の陸軍を解体させ、さらにトゥーロンのフランス艦隊主力が自沈したこと によりヴィシー政府軍は事実上消滅した。 (186 868) ウスタシュの詳細をどなたかご教示ください。親ドイツ組織ぐらいしかしりません。 クロアチア人アンテ・パヴァリッチが組織した民兵組織。 ウスタシャが支持を拡大するのは1939年。 この年、クロアチア農民党はユーゴ政府との交渉の結果、クロアチア自治州の創設に成功しました。 この自治州は今のクロアチアよりも更に少し大きく、当時のユーゴ人口の1/3を占めていたのですが、 当然、全クロアチア人を含んだものではありませんでした。 クロアチア人の間からは、自治州の領域は狭いという主張がなされ、これが農民党への幻滅・ウスタシャへの支持につながったようです。 無抵抗のセルビア人の首を斧でチョン切ったりやりたい放題。 ウスタシ(クロアチア語で 反逆者 という意味) パヴェリッチはドイツによるバルカン制圧後作られた傀儡国家「クロアチア独立国」の指導者となった。 そして国内のセルビア人やユダヤ人に対する弾圧を始め、大量虐殺を行った。 この迫害にはカトリックの聖職者も多く参加しており、映像の世紀にそれに関するエピソードが出てくる。 部下から贈られた籠一杯の牡蠣の剥き身、実はセルビア人の目玉なんていうゲロゲロなエピソードがある。 戦後チトーにクロアチアを追われたパヴェリッチはオーストリアとイタリア(法王庁ルート)を経由してアルゼンチンに逃れた。 アルゼンチンではウスタシャを再興し、その傍らペロンの保安顧問を務めた。 しかし1957年にチトーの送り込んだ暗殺チームにより重傷を負い、スペインに移住した。 そしてその怪我が元で1959年に死亡している。 (130 364-380) WW2中の欧州でドイツ軍は「ヴェアマハト」ソ連軍は「レッドアーミー」と呼ばれてたみたいですが、イタリア軍に固有の名称はあったんでしょうか? イタリア軍の場合は、頭に"Regia"が付きます。 陸軍は確かRegio Esercito 空軍の場合はRegia Aeronautica、 海軍の場合は、Regia Marinaだったか、と。 いずれも王立~軍の意です。 (132 36) 大戦終了後、ヨーロッパで埋められたままの地雷は誰が処分したのでしょうか? Denmarkと北海沿岸諸国の場合、大戦中に埋設された150~200万発の対人、対戦車地雷の 除去を、英国軍の指令によって、各国の黙認の下、武装解除されたドイツ軍によって除去作業 が行われました。 Denmarkでは、1945年5月10日から10月1日に掛けて、Denmark軍将校と憲兵の監視下で、 地雷に関する教育も行われず、性能の悪い地雷探知機しか与えられない状況で、徒歩で地雷 原に送り出され、誤って地雷に触れた者は、爆死か重傷を負っています。 1945年11月1日の報告書では、死者250名、重傷250名に上っています。 Franceでは、全土で1,000万発の地雷除去を、ドイツ兵捕虜を使役して行いました。 従事した捕虜は4万人で、これに鉄棒と短剣を与えただけで、除去をやらせました。 死亡事故は当初2,000件、死亡率40%でしたが、暫くすると4%に低下しています。 (254 眠い人 ◆gQikaJHtf2) イタリア軍ですが、スペイン内戦では、かなりの死者を出しているようです。 後のWW2では捕虜が多いのに死者は少ない気がするのですが、この違いはどういった原因からなのでしょうか? Guadalajaraでの敗戦が響いています。 イタリア陸軍の中の人には、人民戦線軍は烏合の衆であって、正規軍を派遣すれば、鎧袖一触で 片付くと言う思いがあり、敵を侮っており、一旦その弱い敵に崩されると総崩れとなるケースが多かっ たみたいです。 それと、イタリアは4個師団を派遣していますが、内実、正規の師団はリットリオ師団のみで、残りの 黒シャツ、黒い矢、黒い焔の各師団は、民間の武装集団であるFascist戦闘団またはFascist市民軍 から参加したほぼ素人の青年たちと陸軍兵士を組み合わせて作ったものでしたから、装備は勝って いても、戦闘能力に疑問符が付く部隊です。 後、第二次大戦とスペイン戦争では、国としての参加の構えが違います。 未だ、スペイン戦争では、Duceの威光が残っており、国民としても他国へのFascism拡大という明確な 目的を有していましたが、そのスペイン戦争で、14兆リラもの軍費を使い果たしてしまい、第二次大戦は イタリア国民にとって、もう勘弁と言う状況でしたから、士気も低かった訳で。 (248 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 第二次大戦の前なぜユダヤ人嫌われてたんですか? 金融牛耳ってたから? イエスをぬっ殺した事をキリスト教徒達はおよそ2000年に渡ってキッチリと覚えていた。 だからユダヤの連中を徹底的にハブにするだけでは足りず、本当に嫌っていた。 キリスト教徒は表向き金貸しをすることを禁止されていたため、 ユダヤ教徒が金融業をやるようになり、それで妬まれてさらに嫌われました。 同じように酒屋や宿屋を営んでいるユダヤ人が多かったですが、どちらも風俗の乱れの元凶と見なされていたので、 さらに嫌われました。 ちなみにユダヤ人がキリスト教徒と同じような職業につこうとしても基本的に無理です。 キリスト教徒に改宗したユダヤ人は、「マラーノ」などの改宗ユダヤ人をあらわす単語で呼ばれ、やっぱり迫害されました。 キリスト教徒に受け入れてもらうために過剰に熱心なキリスト教徒になり、過酷なユダヤ人・改宗ユダヤ人への迫害を行った 改宗ユダヤ人も多いです。 余談ですがイスラム教徒はキリスト教徒に比べ遥かにユダヤ人に寛容でした。 時々「イスラエルに味方する十字軍」なんていってるイスラム過激派がいますが、十字軍士がユダヤ人の腹を裂いて 大喜びしてたことを考えると… (162 495-520) 独のポーランド侵攻に対し、援助条約を結んでいた英仏が対独宣戦布告した訳ですが、ポーランド東部に侵攻をかけてきたソ連に対し、宣戦布告しなかったのは何故でしょうか そもそも、英国、フランスとも、対独宣戦したのは、米国国務省外交文書集によると、 「もし、自国領土の防衛にポーランドが専念している最中に、英仏がポーランドを見捨てることがあるのなら、 中東欧でドイツの侵略に抗する国はなくなる(当時はルーマニア、ユーゴ、ギリシャ、それにハンガリーは 連合国とドイツとの間で辛うじてバランスを取っていた)。 そして、ドイツはこれらの国々を組織した上で、英仏を攻撃する絶好のチャンスを与えられることになる」 と言う判断から行われたものです。 しかしながら、両国とも具体的行動、すなわち軍備強化は上手くいかず、例えば、フランス派遣英国軍は1939年 11月時点で、フランスに上陸していたのは8万人、フランスが持ちかけた英国空軍と共同でのドイツ本土爆撃も、 空軍力劣勢とドイツの報復爆撃の懸念から具体的に至っていません。 しかも、Chamberlainは、戦局の予想が付かず、内部崩壊、経済封鎖のジリ貧化に望みを繋いだりしています。 国民はまだ長期戦に対する覚悟は定まっていない、と。 そして、フランスはと言うと、これがより酷かった訳で。 そう言うことで、戦争準備がとても整わず、ソ連の軍事行動に対する掣肘などとてもじゃないけど出来かねる 状況でした。 ソ連の側も、疑心暗鬼で、英仏がドイツの矛先をソ連に向ける機会を窺いながら、馴れ合いでやっている戦争 ではないか、と思っていたようです。 しかし、冬戦争時点では反ソ、反共感情が国民の間に湧き上がり、英仏はフィンランド援助軍を派遣しようとして います。 Churchillの旦那的には、ドイツの鋭鋒をスカンジナビアに向けることが主目的と言っていますが、フランスは、 バクー油田空爆、カフカズ地方の回教徒を扇動して、反ソ暴動を起こさせ、ソヴィエト政権を転覆させる計画まで 持っていました。 幸い、と言うか、なんというか、冬戦争が早く片づいたので、対ソ宣戦は見送られた訳ですが。 (164 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ドイツ軍占領下のフランスではレジスタンス活動をやってたわけですが、彼らはドイツ軍だけでなく体制側のフランス人も攻撃していたのでしょうか? 例えば、レジスタンスに死刑を宣告した判事とか、対独協力に積極的だったユダヤ人が 暗殺されたりしました。 あと、解放前には、ダルラン将軍とかアンリオ情報大臣が暗殺されています。 解放前後の混乱では、正規の裁判を経ずに約10,000人が略式処刑されています。 これらは、当時の言葉で「暴力的決着」と称されました。 この中には、ToulouseのGestapo司令官愛人とかが含まれます。 その後、自由フランス軍将校とか共産党系の自称将校によって、軍法会議が設置され ました。 この軍法会議は1944年9月23日まで機能しますが、これで結構な数の人が銃殺されて います。 ちなみに、以後は対独協力特別裁判所で審理された訳ですが、この裁判所で審理された 事件は12万4,000件でした。 このうち、死刑を宣告された人は4%の6,763名、実際に刑が執行されたのは、767名でした。 これら裁判の対象者は、ファシスト知識人、宣伝扇動家で、専門家、実業家、官僚の殆どは 無傷で生き延び、外交官は3分の2がそのまま現職に就いています。 また知事は半数が入れ替わっただけでした。 これは、フランス再建のために、彼らが必要とされたからで、その代わりにscapegoatにされた のが知識人たちで、共産党系の作家が牛耳る全国作家委員会が、戦後の一時期まで、対独 占領下で本を出版した作家たちの本を悉く出版禁止にしたりしています。 (167 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ドイツのV-1、V-2について連合軍は事前にその性能をどこまで把握していたのでしょうか? ドイツのミサイル開発に関する情報が連合軍に入ってくるようになったのは 1942年の半ばに入ってからです。 "オスロ・レポート"と呼ばれる諜報機関からの情報でドイツがロケット開発に着手している 兆候は掴んでいました。 確実な情報を得だしたのは1943年に入ってからで、3月にはデンマークやポーランドの レジスタンスから詳細な情報が入り始めました。 そこで連合軍では、4月に当時35歳で軍需政務次官だったのダンカン・サンディース下院議員を 暗号名"ボディ・ライン"と呼ばれたミサイル調査活動の責任者に任命しました。 サンディースの依頼によりRAFはペーネミュンデ周辺の偵察活動を続け、6月末には ミサイル発射の確実な兆候を掴んだため、8月にはペーネミュンデに対する大爆撃を敢行し、 ペーネミュンデはかなりの被害を被っています。 性能に関する情報はレジスタンスからの発射試験のモニター情報などで明らかになったものの、 ミサイルの誘導方法に関する情報がつかめず、当初は無線誘導方式であると推定していました。 1944年5月にはワルシャワ近郊でレジスタンスが、6月にはスウェーデンで同国軍が それぞれA-4(V-2)の残骸を回収しています。 これらの残骸は7月には連合軍の入手するところとなり、それでようやく A-4の誘導が慣性誘導システムによって行われていることを把握しました。 (216 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) イタリアにはユダヤ人収容所はあったのでしょうか? 16世紀以来、ユダヤ人のゲットーがトリエステにありました。 1943年9月8日以降、ドイツ軍の占領下(アドリア海沿岸管区)に置かれ、この地のユダヤ人は絶滅の対象となりました。 トリエステのサン・サッパにある、1913年建設の精米工場には、当時、ドイツ軍が政治犯収容所、ユダヤ人を別の収容所に移送する中継 収容所として使用されてきましたが、戦争末期には、掃討した住民、労働者、ユダヤ人のうち、“健康”で「運搬できる者」は、 別の収容所に移送し、拷問によって虫の息となったPartisanなどの「運搬できない者」を「処理」する火葬場付き収容所として 使用されています。 ちなみに、その収容所で生じた灰は、アドリア海のムッジャと言う場所の入り江に投げ捨てられていたそうです。 そう言う意味では、イタリアの地にも収容所はあったと言えるでしょうね。 (211 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 「ライフ イズ ビューティフル」のパンフから転載 Production Note 1938年当時、イタリアにいたユダヤ人の数は約4万5千人。そのうちの約8千人がナチス の強制収容所に送られ、生還者は数百人にすぎなかった。こうした事実を、ロベルト・ベ ニーニは数多くの歴史書にあたって調べ上げ、さらにいくつかの生存者グループにも意 見を聞いた。企画の当初から、紅ーには、この映画を「歴史的な記録ではなく、寓話の文 体描く」ことを意図していたが、いっぽうではミラノの現代ユダヤ記録センターと密接な連 絡をとりあい、歴史家や生存者の証言を作品に取り入れていった。 越後道起 ナチスによるユダヤ人殲滅がもっとも酸鼻を極めたのはポーランドで、ポーランド人自身 がそれに手を貸したし、ナチスに抵抗するポーランド人すらユダヤ迫害を繰り返す始末だ った。しかしこの映画の舞台であるイタリア及び同国ファシスト占領地域ではユダヤ人は 比較的人道的に扱われた。クロアチアなどの占領地での強制収容所の建設も、リッペン トロップ元帥がムッソリーニに強要して、仕方なく実行された。フランスやユーゴのナチス 占領地域から逃れてきたユダヤ人を匿うイタリア人も多かった。とはいえ、この映画にも 描かれるように、ドーラの婚約者に祝福を与える黒シャツ隊(ムッソリーニのファシスト隊) やグイドの叔父のようなイタリア人も多々いたのである。 史実を参考にしたフィクションといったところかな。 (211 649) WW2ブルガリア海軍について教えて下さい。 1919年7月27日に締結されたヌイイー条約の結果、枢軸国から得た有力艦はスクラップ または連合国に引き渡され、4隻の魚雷艇を主力とする警察部隊として海軍は存続しました。 1938年の再軍備宣言に至るまで、忍んだ訳です。 1937年にドイツと軍事援助条約を結び、3000万マルクの援助を貰い、ドイツの軍事物資の 購入に充てました。 第二次大戦では、1941年3月に枢軸に加盟し、ドイツの軍事援助を更に貰い、なけなしの 商船はドイツ軍の輸送に活動しました。 1944年9月8日にソ連軍が国境線を越えたとき、休戦に同意し、矛を逆しまにしてドイツ軍に 襲いかかりました。 海軍も例外ではなく、ソ連軍の指揮下で、Danube河戦隊と黒海艦隊に属して、活動しています。 このうち、前述のDrski級魚雷艇のうち、Smelyは、1943年5月19日に撃沈されました。 このほかの戦闘艦艇は1921年にFranceを通じて米国から購入した、SC級駆潜艇2隻があるだけです。 1930年代に新たに加わったのは、大戦直前の1939年に、Bulgaria海軍にリュールセン社製の S2級魚雷艇が4隻引き渡されています。 これは、ドイツのSボートと同型で、5隻が建造され、うちS2~S5の4隻が、F1~F4と言う艇名で 使用されました。 このほかに、同型艇をBulgaria国内で建造する予定でしたが、大戦勃発による部品入手難で 果たせませんでした。 これも不活発で、1944年9月にソ連軍に引き渡され、ソ連軍はTKA958~961を改名して使っていました。 戦争終盤の1945年4月2日にソ連から返還されています。 もう一つ、その建造できなかった魚雷艇の代わりに、30t級のBritish Power Boat製魚雷艇に似た デザインの魚雷艇をドイツから1942年に引き渡されています。 これは、オランダで建造中のものを捕獲し、1941年に完成させたもので、ドイツではS201~S202と して在籍していたのを、1隻追加してBulgariaに供与したもので、同型艇4隻がRomaniaに渡りました。 この艇の搭載エンジンには、英国デザインらしく、英国製のR.R.Marlinが3基使われています。 このエンジンは、大戦初期に欧州で撃ち落されたRAFの機体から取り外したものがそのまま、 載せられたそうです。 艇名は1号~3号で、これもソ連に供出されてTKA962~964となり、1945年4月2日に返還されました。 これらの艇はいずれも、共産化後の1947年に、除籍されています。 このほかの小艦艇も同じ運命を辿っています。 但し、曳船のVoievodaは、1945年に当時は友邦だったYugoslaviaに供与されています。 (第二次大戦中の東欧の軍隊、兵器を語るスレpart2 眠い人 ◆gQikaJHtf2) アルバニアやモンテネグロは連合国に宣戦布告した事があるのですか? AlbaniaとMontenegroは、基本的にItalyと同君連合を構成しています。 従って、Italyが宣戦布告をすると自動的に戦闘に巻き込まれる訳です。 厳密に言えば、それらの国の指導者は、Italy国王たるVittorio EmanueleIIIと 言えます(奥方は、Njegos家(Montenegro国王家)のHeleneですので、 Montenegroについては彼に正当な継承事由がある訳です)。 例えば、ItalyがGreeceを攻撃した出撃基地はAlbaniaだったりします。 まぁ、満州を想定してみて下さい。 (第二次大戦中の東欧の軍隊、兵器を語るスレpart2 眠い人 ◆gQikaJHtf2) バルト三国の海軍はどんな状況だったのでしょう? 空軍については、最近出たソ連軍用機(光人社NF文庫)にちょこっと書かれています。 エストニアは、旧ロシア帝国の駆逐艦を引き継いで使ってましたが、これを 1933年にPeruに 売却しています。 艦名はLennuk、Wambolaでいずれも1917年竣工のものでした。 他に旧ロシア砲艦のLembit(先代:1925年退役)、Laine(1941.7.24撃沈)、Wanemine(1941年自沈)。 国産砲艦としては、1939年に建造されたPikkeriがあり、これは大統領ヨットを兼ねていました。 この艦は、1940年にソ連に引き渡された後、通報艦となり、雑用艦になった後、1955年にモスクワ大学の 調査船に改造され、黒海で1960年代末に至るまで使われました。 また、旧ロシア艦では、機雷敷設艦Ristna(大戦を生き抜き、1960年退役)、Suurop(1941年8月撃沈)がありました。 このほか、自国海域で沈没していたドイツの魚雷艇A32を引揚げ、Sulevとして再就役させています。 この艦は、ソ連編入後、NKVDの哨戒艇となり、輸送艇、練習艇となって1955年にScrapとなりました。 駆逐艦は売却しましたが、その代金でヴィッカースに潜水艦を発注しています。 Kalevは1941年11月に触雷、沈没しましたが、もう一隻のLembitはソ連時代を生き抜き、1956年から 海軍工廠の試験用潜水艦となり、1979年にTallinnで記念艦になっています。 小型艦艇としては、200t以下の砲艇が6隻、内海掃海艇3隻、哨戒艇8隻、砕氷船3隻、輸送艦2隻と タグボート4隻があります。 ラトヴィアは元ドイツの掃海艇M68を手に入れ、Virsaitisと改名して哨戒艇として使用しています。 また、有力艦としてフランス製潜水艦が二隻1926年に建造されました。 艦名はRonis、Spidolaと言い、ソ連に引き渡された後は、Liepajaで、ドイツ軍の手に落ちないよう、 1941年6月24日に自沈しました。 後の有力艦は、1926年竣工のフランス製掃海艇、Imanta、Viestursくらいです。 Viestursは大戦を生き延び、1950年代末に除籍されますが、Imantaは1941年7月1日に触雷、沈没 しています。 このほか、沿岸哨戒艇Ergis、小型哨戒艇3隻、砕氷船3隻、測量艇1隻と、練習艦が1隻有りました。 リトアニアは海軍に金がかかっておらず、旧ドイツ掃海艇M59を1931年に購入し、哨戒艇Presidentas Smetonaとして 改装、使用しました。 こいつも、ソ連引渡後 NKVDの哨戒艇に転用され、1944年に撃沈されています。 このほかの艦艇は、小型哨戒艇6隻、砕氷タグ1隻だけです。 (第二次大戦中の東欧の軍隊、兵器を語るスレpart2 眠い人 ◆gQikaJHtf2) マジャール軍はロシア方面で問題を起こしていたようですが。 ブリヤンスクの森の南方地域ですね。 ここは1941年11月~43年5月まで、マジャール陸軍の三個師団が占領下に置いており、若干のドイツ軍部隊が 協力していました。 しかし、不十分な武装と不足した人員では、占領地を維持することが出来ず、Partisanの活動を抑え切れない と判断したマジャール軍は大量報復措置と「死のゾーン」設置を実施し、1942年夏までに約3万人のPartisanと、 その疑いのある者を殺害しています。 ちなみに、Partisanの損害とマジャール軍損害の比率は、10:1から15:1だったようです。 これは戦後に多数のマジャール軍兵士の訴追、死刑に繋がってきますが、その責任者、ボガニ・カロリ将軍は、 その責任を免れ、ソ連もその引渡要求を断念しています。 また、1943年にはUkraineのドロシチで、ユダヤ人労役従事者用の病院や、第105、107病院に放火し、入院患者 の焼死なんて事もしているようです。 一方、逆にマジャール国内に戦闘が移ると、逆にルーマニアや、ユーゴ、ソ連軍の暴行の嵐が吹き荒れた訳ですが。 (第二次大戦中の東欧の軍隊、兵器を語るスレpart2 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 枢軸国の敗戦が濃厚になってルーマニアは連合国に寝返りましたが、ハンガリーが寝返りに失敗した理由は何故でしょうか? ルーマニアではクーデターの起きた1944年8月には赤軍のヤッシー=キシニョフ攻勢で枢軸側の戦線が崩壊し、 南ウクライナ軍集団は残存兵力が後退するのが精一杯で阻止どころじゃなかった。 ハンガリーの場合は同年10月には南方軍集団(旧南ウクライナ軍集団)はデブレツェンの戦いで 赤軍のハンガリーへの侵攻阻止に成功し、戦線はなんとか安定していた。 また、ホルティ摂政を排除しても矢十字党のサーラシ・フェレンツという新たな傀儡候補がいた。 あとルーマニアの場合は国家元首のミハイ国王が実質的な指導者だったアントネスクを解任したので ルーマニア軍がすみやかにソ連側に寝返ったというのもあるな。 ハンガリーの場合は最高権力者だったホルティの和平の動きが早々にバレてたから、ドイツは迅速に 動いてハンガリーが混乱する前に首をすげ替えることができた。 (723 438-439) 大戦前の東欧諸国の軍事力を教えて下さい。 1937年版の児童百科事典というのを手に入れますた。 この中から、東欧関係の記述引用。 1.ポーランド (1)兵役制度 ポーランドは東を不倶戴天の仇敵関係で世界赤化を国是とするソ連に、西にはVersailles条約に不服、 国境改訂を強調し、再軍備宣言を行ったドイツに挟まれているため、国を保つには一切を犠牲にして国防 に努力せねばならず、3,000万の人口に対し、27万の常備軍を有し、その陸軍費は国家予算の半ば近くを 占める。 兵役制度は徴兵制度を採用し、壮丁年齢は20歳、予備役は40歳、後備役は50歳とし、兵役期間は一般兵 2年、騎兵、騎砲兵2年1ヶ月。 (2)兵力と編制 上述の通り、総兵力27万人で、このほか、準軍隊の(装備は寧ろ国軍に勝る)国境警備隊が約3万、警察隊 は32,000、税関監視隊が約5,600ある。 陸軍の編制は、軍団管区司令部が10、歩兵師団30個、3個旅団で編制された騎兵師団1個、独立騎兵旅団が 12個、野砲兵連隊が30個、特殊砲兵連隊が20個、飛行旅団3個、飛行連隊6個、戦車連隊1個。 (3)化学戦 化学戦については、小規模ながら完備し、研究、教育、特に国民に対する瓦斯防禦教育は注目に値する。 軍部の施設としては、陸軍省兵器局内化学戦課の下に軍用化学研究所があり、その下に化学戦学校と、瓦斯 教導学校がある。 民間施設としては、航空化学戦防護協会があり、会員数40万、国民瓦斯防護教育車輌(鉄道車輌)が約10両と、 同自動車約数十両で、毎年瓦斯防護週間を設け、民衆教育の普及徹底に努めている。 2. オーストリア 平和条約によって、その軍備を将校以下3万人に規制されていたが、その後密かに禁を破り、これを38,000に増加した。 1935年、ドイツの再軍備宣言に刺激されて、従来の6個混成旅団を、7個師団、機械化師団1個と航空機300機に編制を変え、 なおかつ、総兵力も7万人にすべく拡大中。 3. ハンガリー この国も、平和条約によって軍備の制限を受けているが、7個混成旅団、2個騎兵旅団を有し、総兵力は約35,000である。 4. ブルガリア この国も同様に平和条約による軍備制限国で、全兵力上限が2万である。 5. その他の諸国 ルーマニア:総兵力17万人 ユーゴスラヴィア:総兵力12万人 ギリシャ:総兵力6.5万人 トルコ:総兵力14万人 チェコスロヴァキア:総兵力17万人 リトアニア:総兵力1,9000人 ラトヴィア:総兵力25,000人 エストニア:総兵力15,000人 (第二次大戦中の東欧の軍隊、兵器を語るスレpart2 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 枢軸側で戦った東欧諸国の装備について教えて下さい。 ブルガリア、ルーマニア、マジャール、スロヴァキア、クロアチア、アルバニアの各国。 上まぁ、このうち、アルバニアは、イタリア王国に併合されたのに等しいので、書くことはないわけですが…。 でもって、スロヴァキア、クロアチアは、分離前の国、即ち前者はチェコ、後者はユーゴスラヴィアの軍備 の一部を引き継いでいます。 スロヴァキアの場合は、解体時にスロヴァキア国内にあった、第3機械化師団の装備をそのまま接収し、 LT Vz.35軽戦車を50両と、OA vz.30装甲車を20両程度を中核に発足しています。 LT Vz.38軽戦車は、チェコ軍向けのもの10両を順次引き渡され、更に27両をCKD社に新規発注し、ラトビア 向けでその国の消滅に伴い、引き渡されなかったLT Vz.40軽戦車を21両買い上げました。 1943年までにこれらの装備は順次、ドイツから供給された中古のLT Vz.38を37両と、OA vz.30の後継として II号戦車(A~Cの初期型の中古)、主力戦車として、III号戦車、自走砲としてマーダーIIIHが発注されますが、 1944年に起きたスロヴァキアの叛乱で軍隊は解体されました。 ちなみに、対戦車砲としては、シュコダの37mm砲が装備されています。 マジャールの場合は、最初はオーストリアの影響、次いでイタリアの影響が強く、小銃などの主要装備は オーストリアから導入しています(周辺諸国と折り合いが悪くてチェコなどの装備が買えなかった)。 周辺諸国と折り合いが悪いので、その装備は出来るだけ国産化する方針が立てられ、マンフレート・ヴァイス と言う日本の三菱重工みたいな一種の国策会社で生産が行われてます。 戦車については、まず、1935年にイタリアのL3軽戦車を導入して35Mとして国産化、これは150両が導入され ました。 主力戦車となったのは、スウェーデンが開発したランズベルク社のL-60軽戦車を、38Mとして輸入品のA20が 80両、国産品のB20が110両引き渡されました。 これは、独ソ戦の結果80両に対して火力増強が行われています。 また、対空戦車型が開発されました。 その後、新型主力戦車としてチェコのシュコダが開発したT-21中戦車を元に、40M/41Mが開発され、40mm ボフォース対戦車砲を備えた型が280両、75mm榴弾砲搭載の火力支援型が140両、このほか、長砲身75mm 砲を備えた型がありましたが試作に終わりました。 41Mについては、この車台を元に突撃砲型が開発され、70両程度が生産されました。 装甲車としては、英国のアルヴィス装甲車の発展型を導入し(設計者がマジャール人だったので)、100両程度 を生産しています。 このほか、損耗補充用にドイツから38(t)戦車、4号戦車などが導入されています。 (第二次大戦中の東欧の軍隊、兵器を語るスレpart2 眠い人 ◆gQikaJHtf2) フランスがドイツに一ヶ月で屈服(しかもドイツは英蘭との同時作戦)した理由は何だったのでしょうか。 政治的な側面から見ると、我が国でもあった「バスに乗り遅れるな」という勢力と、 「戦いなんて御免だね。またうちの前が戦場になる」という勢力が大勢を占めて いたから。 国外で戦う分にはどうぞご自由に何だが、国内に戦火が及ぶと、さっさと逃げ出 した人が多かった。 厭戦の世論と極右勢力の存在、しかも、国有化を進めて私有企業を否定しようと した人民戦線を選出した事による経済混乱で、兵器にしてもまともに作れなかっ たので、物量作戦でも失敗した。 戦闘機があっても、機関銃がないとか、エンジンがあってもプロペラがないとか…。 で、止めが軍隊の指導者層の硬直化。 この辺の話は、カタロニア自治政府の高官だった人が書いた著書にも詳しく書かれ ている。 フランコスペインの仇敵なのに、FranceからGermanyに行って、米国に亡命した人 なので、読み物としても面白いよ。 (イタリア軍VSフランス軍 名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2) ポーランドは軍用機を輸出していたそうですが。 P.1みたいな高翼単葉戦闘機が当時もまだそんなに使われていたとは驚いたけど。 ポーランドは、東欧の航空大国ですし、航空機を作っている国の中でも先 進国と言えましょう。 全世界に売られたわけではありませんが、P.Z.Lは東欧諸国、南欧諸国御 用達の航空機輸出メーカーです。 東欧に自国の機体を売っているからこそ、ポーランドが崩壊して、各国に 機体が脱出しても、その機体がすぐに戦力化できた訳です。 まぁ、航空大国を自称していたイタリアでさえ複葉戦闘機が主力だったことを 考えると、妥当な発展かも知れませんが、国産初期の頃にフランスの影響が 強かったことが一連の高翼単葉戦闘機の発展を促したのではないでしょうか。 (第二次世界大戦中の東欧の軍隊、兵器を語るスレ 眠い人 ◆ikaJHtf2)
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/20833.html
登録日:2012/01/23(月) 10 12 23 更新日:2023/07/29 Sat 14 11 26NEW! 所要時間:約 14 分で読めます ▽タグ一覧 海軍 アメリ チート ハチの巣 ファイナルカウントダウン 大きさは東京タワーとほぼ同じ 空母 米軍 航空母艦 軍事 ニミッツ級空母とは大正義アメリカ様の外交を支える原子力空母。 そして世界で2番目に古い原子力空母でもある。他に持ってるのはフランスが1隻だけだがな! 番号はCVN68~77。 ちなみにCVN76ロナルド・レーガンは横須賀基地に配備されている。東日本大震災時のトモダチ作戦でも大活躍した彼女が日本を母港にしているのは、奇しき因縁というべきか。 ▽目次 歴史 設計武装 艦載機 設備 ○施設 ○艦隊 各艦紹介 おまけ外交的プレゼンス 後継艦 歴史 それでは歴史から見ていこう。 時は冷戦真っ只中の1961年 アメリカ「HaHaHa世界で初めて原子力空母造ったぜ。羨ましいだろ?え?何?見せて欲しい?…見せるかよバーカwww」 ソ連「べ、別に私には核ミサイルがあるから全然悔しくなんか無いんだからねっ!」 アメリカは算盤勘定に頭を抱えながらも、遂に世界初の原子力空母であるエンタープライズ級の建造に成功。 先代に倣ってビッグ・Eと親しまれた同級は合計6隻の建造を予定していた。 一方で当時のソ連における水上艦艇の建艦方針は対潜重視でヘリコプターを除く洋上航空兵力の展開には消極的であり、 空母整備は何度か検討されつつもV/STOL固定翼機として開発されていたYak-36の実用化が確実視されるまで見送られていた (※Yak-36とモスクワ級の組み合わせは性能不足と判断されたため、Yak-38とキエフ級の整備計画に発展した)。 米海軍「へっへっへ、これで史上初の原子力機動部隊が編成可能やな。2番艦の方も宜しくお願いしまっせ」 米議会「建艦費用が前級の7割増と高騰化したし、原子力推進艦の実績も薄いから2番艦は無しってことで」 米海軍「」 米議会「2番艦は通常動力空母にしといてちょ(※キティーホーク級3番艦アメリカとして竣工)」 後にジョン・F・ケネディと命名された3番艦についてはキティーホーク級を改設計した原子力動力空母として予算が下りたものの、 搭載される筈だった新型機関の完成が遅れたためアメリカにおける通常動力空母の最終艦(※キティーホーク級4番艦)として姿を現している。 その後、1965年。 艦船用原子力機関の進歩によって運用効率が改善されると風向きも変わった。 エンタープライズ級4番艦~6番艦は結果的にニミッツ級へと生まれ変わり、1940年代後半に就役したミッドウェイ級の後継として建造される事となった。 (※レーガン大統領の600隻艦隊構想で空母15隻体制となったため3隻の内2隻は退役を免れており、ミッドウェイ級全艦の除籍は冷戦終結後となった) そして1967年、ニミッツ級1番艦が起工(1975年就役)。 2009年に就役したニミッツ級10号艦ジョージ・H・W・ブッシュまで、なんと42年もの間、ニミッツ級が造り続けられた。 設計 その巨体はあの戦艦大和を遙かに上回り、全長330m、満載排水量9万トン以上にもなっている。 建造期間が半世紀近くにもなったために設計変更が逐次行われており、5番艦以降はついに10万トンを超えた。 また9番艦と10番艦は次の「ジェラルド・R・フォード」級のテストを兼ねた大規模な変更が行われており、改型と言うくらいには別物になっている。 武装 アメリカの空母は伝統的に戦闘を艦載機や艦隊を構成する他の艦に任せ、空母は艦載機の運用に全力を挙げている。 航空機部隊の指揮は空母座乗の航空隊指揮官が行う。(艦長は艦の指揮運用のみ) そのため武装も最低限で、防御用のシースパロー短SAM発射機、ファランクスCIWS、RAMといった自衛用対空火器と、 対ゲリラ用の重機関銃、それに対魚雷用の魚雷などを搭載している。 艦載機 2016年現在の標準搭載量は固定翼機(つまり一般に想像される航空機)56機+ヘリコプター15機の合計71機。 そのうちほぼ半分の35機を艦内の格納庫に収容・整備できる(逆に言えば半分は飛行甲板上で野晒し)。 冷戦時代華やかなりし頃は80~100機以上積んでいたが、今は大型化や機種統合などによりこの数が標準、 でも必要に応じて機種変更したり積み増したり日常的にやっている。 艦載機は普通の飛行機と違い、足元強化・フック装備・折りたたみ式翼などの特色がある。 少し前までは飛行機は任務毎に種類が分けられていた(例 対空 F-14/対地…A-7/電子攻撃 EA-6B)が、最近ではマルチロール(多任務化)が進み、 F/A-18ホーネット系列の機体が大半を占めるようになった。 これにより整備効率の上昇、部品の共通化など多くのメリットが生まれた。 【1個空母航空団(CVW)の基本編制】 現在 将来 4個戦闘攻撃飛行隊(VFA) F/A-18×各10~14 4個戦闘攻撃飛行隊(VFA) F-35C×16F/A-18E/F×28 1個電子攻撃飛行隊(VAQ) EA-18G×4~6 1個電子攻撃飛行隊(VAQ) EA-18G×5~7 1個早期警戒飛行隊(VAW) E-2C/D×4~6 1個早期警戒飛行隊(VAW) E-2D×5 1個対潜ヘリコプター隊(HS) SH-60F×6HH-60H×2 1個海洋打撃ヘリコプター隊(HSM) MH-60R/S×6~10 1個海上戦闘ヘリコプター飛行隊(HSC) 1個艦隊兵站支援飛行隊(VRC) C-2A×1~2 1個艦隊支援多任務飛行隊(VRM) CMV-22B×3 1個無人艦載多任務飛行隊(VUQ) MQ-25A×5~8 近い将来の話としては、F-35C型の生産が進めば順次ホーネット隊が更新され、また無人機の開発も進んでいる。 他には輸送機(人員や補給物資の小規模な輸送に用いられる)の後継として、CMV-22オスプレイの採用が決定。 無人空中給油機としてMQ-25の艦載が予定されている。 なお将来の編制については構想段階で今後も変更される可能性があり、上記の内訳は2020年のブリーフィングで公表された2030年までの改編予想図に基づいている。 設備 エレベーター×4 航空機用。甲板と船内を結び、エレベーター一基に2機乗せられる。 場所節約の為、甲板の舷側にある。 カタパルト×4 航空機射出用。300km/hまでたった2sで加速する。 射出回数は1機/60~80s。 つまり4つ併せれば一分間に4機射出できる。 但し第三・第四カタパルトは着艦用滑走路と併用なので着艦作業中は使用不可。 ちなみに現在カタパルトを製造できるのはアメリカのみ。 着艦用ワイヤー×3~4 着艦する飛行機を止めるロープ。 艦載機はみなワイヤーを引っ掛けるフックが装備されている。 非常用に一度エンジンを全開にするため着艦はかなりの衝撃らしく、ベトナム戦争時代は着艦して失神するパイロットが続出したとか。 勿論今は軽減されている。 武器用エレベーター×3 飛行機に装備させるミサイルなどを運搬する。 ちなみに武器庫の場所は原子炉並に最高機密。 でも常識的に考えて底のどこか。 原子炉×2 最高機密。 原子炉区画に入るには特殊な権限が必要。 日本に滞在中のジョージ・ワシントンには有り難いことに日本語でも警告文が書かれている。 ウラン濃縮度は20%以上だとか(ちなみに原発のウラン濃縮度が3%)。 約20年に1度、船体をぶった切って核燃料を交換する。 その間にレーダーなどを更新する。 いろんな車両×100以上 空母の甲板ではトーイング車両や消防車など様々な車両が所狭しと活動している。 ○施設 乗員は艦の要員+航空要員が合計で5000~6000人。 勿論福利厚生もかなりのもの。 知られているのは コンビニ 郵便局 階級別レストラン×5?1日18000食が消費される。 病院(歯医者含む) 図書館 スポーツジム 礼拝堂 等々、町1つが海上にあるようなもん。 ○艦隊 旧日本海軍でいう機動艦隊は現在アメリカでは空母打撃群という。 任務によって様々な組み合わせがあるが、基本編成は 空母×1 攻撃型潜水艦×1~2ヴァージニア級攻撃型原潜、ロサンゼルス級攻撃型原潜、シーウルフ級攻撃型原潜など 前方警戒 イージス巡洋艦×1~2タイコンデロガ級巡洋艦 周囲500kmをイージスシステムで監視 イージス駆逐艦×2~3アーレイバーク級駆逐艦 イージスシステム+対潜 補給艦×1ご飯とか アメリカ海軍はこれを11組持っている、そのうち10組の中核はニミッツ級。(あと一つは新型のフォード級) 空母だけでなく他の艦も世界最強。 費用も世界最強。 升of升 一体どうなってんだ! 他国においても空母、原潜、水上間戦闘艦に補給艦という構成は変わらないが、 イギリス:2セット フランス:1セット ロシア:1セット しか持っていない。 近年では中国が猛追している(2021年時点で2セット、今後も増加)が、さすがに空母を2桁建造するとまでは言っていない。アメリカが有する打撃群の数は文字通り、桁違いなのである。 そして、この打撃群一つで大体の国を更地にできるという。 なお米軍の空母は核兵器を搭載しない。通常兵器だけで、更地に出来ると言っているのである。やべー! 各艦紹介 ニミッツ(CVN-68) ネームシップ。映画『ファイナル・カウントダウン』に出演したことで有名。 F-14の運用経験もあり、1981年のシドラ湾事件にも参加している。 ジョージ・ワシントン(CVN-73) 6番艦。初めて日本(というか横須賀)に配備された原子力空母である。 通常動力型空母キティホーク(CV-63)と交代する予定だったものの、艦内での火災によって予定より配備が遅れた。修理中だったため、トモダチ作戦には参加していない。 2015年に燃料棒交換のため本国へ帰還。ロナルド・レーガンに後を譲った。 おまけ ニミッツ級の名の由来であるチェスター・ニミッツはWW2における太平洋の最高指揮官(マッカーサー担当の南西部除く)。 最終的に海軍元帥及び海軍トップの海軍作戦部長にまで登り詰めたすごい人。 ちなみに東郷平八郎を敬愛していたことでも有名で、戦後彼の座乗艦だった戦艦三笠が荒れ果てていることを知ると激怒し、海兵隊を歩哨に立たせて荒廃を阻止した他、私財の寄付に加えてアメリカ海軍をも動かして事実上の資金寄付(*1)を行わせるなど三笠の復元保存に尽力した。 そしてニミッツ級で唯一、政治家の名前じゃない。 ニミッツ級の建造費は一番艦で$6億、最終10番艦では$60億。通常動力キティーホーク級の倍以上。 維持費の方は1998年換算で$3億/艦・年、つまり毎年30億ドル=3000~4000億円が10隻の空母を維持するため「だけに」費やされている(*2)。 10隻いる空母はローテーションで整備や休養を行っており、前線で作戦行動するのは通常3隻程度。 内1隻は原子炉の燃料交換を兼ねた大規模な改造工事を4年くらいかけて行っており、完全な戦列外。 今はついこの間まで日本にいた「ジョージ・ワシントン」が順番待ちで下準備を始めているところ。 余談ながら1991年の湾岸戦争の際は、準備期間が半年あったためにローテーションを弄りまわし、当時在籍中12隻のうち半数の6隻を集結させた。 その中には長年日本で暮らしていたミッドウェイも含まれる。 もっとも無理矢理ローテーションを変えた弊害はすぐに現れ、戦後しばらく空母の整備体制は混乱をきたすことになったのだが。 外交的プレゼンス アメリカの大統領は世界中のどこかで紛争なりクーデターなり起きた場合、まず真っ先に「近くにいる空母は何か?」を問い合わせるのが慣例と言われている。 それほどまでにニミッツ級空母は外交的に大きな存在になっているわけだ。 特に核戦争が非現実的になった現在、空母はただそこに存在するだけで極めて大きな外交的メッセージとなる。 空母打撃群が1個でも国付近にきたら途上国だったら心肺停止するだろうし、新興国だったら失神、先進国でさえゲロを吐くだろう。 まだまだ50年はなんだかんだでアメリカは海上の覇者で居続けると思われる。 一例として、台湾海峡危機において空母2隻が敢えて海峡をつっきり、中華人民共和国に強烈な政治的メッセージを送ったことは事情通の間ではよく知られている。 これで空母の威力を思い知った中国が現在、国産空母建造に意を注いでいる原因とも(同時に対艦弾道ミサイルなる奇天烈兵器を開発したのも米空母を寄せ付けないため)。 後継艦 エンタープライズ級の後継も兼ねたジェラルド・R・フォード級を12隻建造する構想があり、2019年の時点で4番艦まで発注されている。 設計に関してはニミッツを参考にしているがコスト低減や新技術導入を主軸とした様々な相違点がある。 詳しくは本家Wiki参照のこと。 追記・修正お願いします。船体ぶった切る程の大規模な改造工事でなくとも構いませんので。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] しかしでけえな。空母とはいえあの大和よりでかいとは -- 名無しさん (2013-08-09 22 53 02) むしろ大和が小さいんだけどな -- 名無しさん (2013-08-09 23 01 12) 船体ぶった切ってまたくっつけて……って強度大丈夫? と思ったがそもそも空母ってぶつ切りにしたのをくっつけて作ってんのか -- 名無しさん (2013-08-09 23 36 03) ブロック工法って言うんだっけ? -- 名無しさん (2013-09-19 13 19 15) なんで空母にはお供の艦隊が必要なの?敵は飛行機が倒せばいいんじゃないの? 軍事素人なのでよく分からない -- 名無しさん (2013-11-27 22 02 23) ↑空母を即席海上基地と考えて欲しい。基地から戦線に部隊を送る重要な施設な訳だが基地そのものの攻撃力防御力は大した事無い。単艦で浮いてて空や海中から奇襲されたら人溜まりも無い。そこで基地を防衛する為にイージスと潜水艦が周辺に目を光らせている訳。 -- 名無しさん (2013-11-27 22 50 11) ↑解説ありがとう 空母が基地ならイージス艦は基地の警備みないなものか 納得 -- 名無しさん (2013-11-27 23 11 42) そうそう。空母は下手な国となら正面から殴り合える戦力を積む事が出来るが空母単体では単なる移動式の基地に過ぎない(移動式な所が最大の強みだが)因みに米軍はどんな国に基地を構えようと基地内に米国を再現する事が大好き(ボーリング場、映画館など)だが空母はその集大成とも言える。 -- 名無しさん (2013-11-28 00 01 47) お隣の某半島国家が空母作るとか言ってたけど、ありとあらゆる面で不可能だろ。アメリカでさえもて余してるんだからさ。 -- 名無しさん (2013-12-12 03 30 35) 10隻運用してるのを持て余すとは言わないんじゃないか…砲艦外交にも使ってるし。本当に持て余してるのはフランスみたいのじゃないか -- 名無しさん (2013-12-12 14 37 58) 持て余すってーか手に余ってるかな、事あるごとに議会から文句言われてるし 建設費も維持費も高すぎてな・・・1隻につき1日1億円は洒落にならん あと礼拝堂は4つあってうち1つはイスラム教のモスクらしい 航空要員あわせて6000人くらいだね -- 名無しさん (2014-03-02 14 09 30) ↑3もうあの半島はありとあらゆる面でおかしいのだから言ってやるな… -- 名無しさん (2014-03-02 18 23 51) ↑↑ディスカバリーチャンネル曰くジョン・C・ステニスCVN-74の乗員は5600人らしく建造費は30億$(当時)フォード級の記事もほしいな -- 名無しさん (2014-05-22 22 11 13) 航空戦力ランキング、1位アメリカ空軍←(´・ω・`)うん分かる分かる。2位アメリカ海軍←Σ(゜Д゜)ファッ?!! -- 名無しさん (2014-06-28 06 18 20) エゲレスのクイーンエリザベスも進水したし、日本も正規空母作ろう! -- 名無しさん (2014-07-06 19 32 33) どこぞのド阿保が本級からB-52が発艦出来ると吐かした。確かに、大東亜戦争時にドゥーリットル空襲というB-25を使った爆撃は有ったがな。言ったのは誰かって?其れは言えんな。福島瑞穂としか言えんよ。 -- 名無しさん (2014-08-02 07 15 01) 純粋な打撃用はアメリカ海軍くらいで後は艦隊防空がメインだからな -- 名無しさん (2014-08-02 11 11 27) 因みに今のCSGの編成は -- 名無しさん (2014-09-05 15 01 38) 失礼。編成は6隻。内容は空母×1、タイコンデロガ×2、アーレイバーク×2、潜水艦×1、補給艦×1。 -- 名無しさん (2014-09-05 15 09 52) ↑度々失礼。タイコンデロガ1隻でした。 -- 名無しさん (2014-09-08 11 14 05) また、1番艦~9番艦までは -- 名無しさん (2015-03-09 00 52 13) 途中送信失礼。また、1番艦~9番艦までは電磁式カタパルトであるが、最新の10番艦「ジョージ・H・W・ブッシュ」のみ開発が間に合わなかったため往来の蒸気式カタパルトに変更されている。とあるけど本当は1番艦~9番艦まではスチーム式カタパルトで、第10番艦「ジョージ・H・W・ブッシュ」に電磁式カタパルトを採用するつもりであったが、開発が間に合わないため従来通りのスチーム式カタパルトが搭載された。じゃね?第10番艦「ジョージ・H・W・ブッシュ」へ電磁式カタパルトを搭載しようと計画したのは「ジェラルド・R・フォード級」の為の試金石だろう。 -- 名無しさん (2015-03-09 01 01 11) つーか正直色々間違いだらけ。せめてWikipedia程度の内容は把握して書けよ。 -- 名無しさん (2015-03-09 09 48 32) 来歴ちょっと修正したわ -- 名無しさん (2015-04-01 02 31 23) ジェラルドRフォード級は原子炉の改良で燃料棒の使用期間が船体寿命の50年と同じになるから燃料棒交換のための半年間のドッグ入りがなくなるらしい。 -- 名無しさん (2015-04-23 23 43 14) ↑半年で済まんわ あれ船体ぶった切る大工事だからついでに近代化改装もやらかして、全部で3~4年くらいかかる -- 名無しさん (2015-04-24 00 02 04) 途上国ですらない半島の北に送り込んだら心肺停止どころか即死クラスじゃないか? -- 名無しさん (2016-02-18 12 37 35) ネームシップのニミッツは横須賀 -- 名無しさん (2016-03-05 17 48 24) ↑2 いや、発狂して、テポドン&ノドン乱射だろう……ガクブル -- 名無しさん (2016-08-01 07 14 00) なお空母本体のコストも極悪なのだが、載せる航空隊・・・つまりパイロットの養成含む費用も洒落にならんのだという。というのも空母や艦載機も進歩したものの着艦は相変わらずパイロットの技量に頼らざるを得ない為。艦載機の大型・高性能化に伴ってそれはさらに加速しているのだとか。戦艦の次に絶滅するのは空母かもしれない -- 名無しさん (2016-08-01 07 54 52) だいたい商船三井のBRASIL MARUと同じくらいの大きさか -- 名無しさん (2016-08-01 09 02 01) ↑2 だったら、外国まで軍用機を展開するのはどうするんだ……? -- 名無しさん (2016-08-01 09 16 55) ↑そう、現実的な問題として「派兵に基地を使えないところには空母が必須」だから予算や世論など諸々をなんとか凌ぎつつ空母運用を押し通してるのが現実なんだ。ゴリ押しできるアメリカン・パワーが凄いのは事実だが、いつか。そう、いつか。例えばイージス艦などの通常艦艇がさらに高性能化していけば、且つ空母運用に何某かのブレイクスルーが生まれなければ、とまで言われる程度には重い問題 -- 名無しさん (2016-08-01 09 45 37) 天下の空母打撃群も流石にゴジラさんには叶わなかったもよう……ソナー、レーダーからフルステルスはズルすぎるぞ怪獣王! -- 名無しさん (2018-02-02 01 31 16) 露天駐機中の機体が高波で落下とかデッキクルーが強風で落っこちた事故とかってあったりするのかな -- 名無しさん (2021-07-20 21 42 24) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/jreast205/pages/14.html
2006(平成18)年度武蔵野線の一部編成の組み換え 千ケヨM66編成組成 2007(平成19)年度宮ハエ24編成の踏切事故復旧 川越車両センターの保留車の整理1回目の組み換え:宮ハエ32編成に6扉車を組み込み 2回目の組み換え:宮ハエ1編成と宮ハエ32編成で付随車の交換 3回目の組み換え:宮ハエ26編成に6扉車を組み込み 4回目の組み換え:宮ハエ2編成と宮ハエ26編成で付随車の交換 保留車について 2008(平成20)年度川越車両センター保留車の廃車 千ケヨM36編成組成 2009(平成21)年度横クラH28編成組成と余剰車の廃車 横ナハ4編成の組み換えと仙センM19編成の組成 東京総合車両センター保留車の廃車 2006(平成18)年度 武蔵野線の一部編成の組み換え 武蔵野線(京葉車両センター)所属車のうち、千ケヨM23編成、千ケヨM26編成の間で編成組み換えを実施した。この2編成はどちらも寄せ集めタイプであるため、編成内での検査期限を揃える意味合いが強かった。 旧編成 京葉 1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車 7号車 8号車 クハ205 モハ205 モハ204 サハ205 サハ205 モハ205 モハ204 クハ204 M23 9 5045 5045 230 231 5046 5046 9 M26 12 5051 5051 150 151 5052 5052 12 新編成 京葉 1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車 7号車 8号車 クハ205 モハ205 モハ204 サハ205 サハ205 モハ205 モハ204 クハ204 M23 9 5045 5045 230 231 5052 5052 9 M26 12 5051 5051 150 151 5046 5046 12 千ケヨM66編成組成 2007年3月18日ダイヤ改正で、武蔵野線(京葉車両センター)の運用が増加するため、8両編成1本を増配することになった。武蔵野線に配置されている車両は、205系5000番台(4M4T)が8両編成35本、205系0番台(6M2T)が8両編成4本と全て205系電車に統一されていることから、増配置する分についても機器取り扱いの点から205系電車にすることが望ましかったため、他の205系電車運用線区からの転用で賄うことになった。 205系電車運用線区のうち、205系に統一されず別の形式と共に使用されているのは、京葉線(201系も配置)、南武線(209系も配置)、八高・川越線(209系も配置)であったが、8両編成を組成する必要があることや、この頃に進行していた中央線快速電車(豊田車両センター)へのE233系電車の投入で同線の201系電車の廃車が進行していたということもあり、中央線快速電車から廃車予定だった201系電車10両編成1本を京葉線へ転用し、京葉線所属の205系電車の千ケヨ23編成を8両編成に短縮して武蔵野線へ転用することになった。 転入前 京葉 10号車 9号車 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 転出日 クハ205 モハ205 モハ204 サハ205 モハ205 モハ204 サハ205 モハ205 モハ204 クハ204 23 15 43 43 29 44 44 30 45 45 15 2007.03.08 転入時 京葉 1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車 7号車 8号車 改造 転入日 クハ205 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 クハ204 M66 15 43 43 44 44 45 45 15 大宮 2007.03.08 この転用に際しては、205系0番台のまま6M2Tの8両編成を組成し、余剰となったサハ205-29・30については廃車前提で習志野運輸区へ疎開留置されることになった。 2007(平成19)年度 宮ハエ24編成の踏切事故復旧 2007年1月21日に川越線指扇-日進間で発生した踏切事故は、宮ハエ24編成が事故当該編成となり、事故の影響により一部車両が損傷した。この編成のうちクハ205-153号、モハ204-386号、モハ205-388号は大宮総合車両センターで修理されることになったが、事故による衝撃で損傷の激しかったモハ205-386号と、踏切事故で損傷した自動車が炎上している真横に緊急停車したため延焼したモハ204-388号は修理が困難と判断されたため、事故廃車されることになった。 電動車ユニットを組む相方を失ったモハ204-386号とモハ205-388号については、この2両で新たな電動車ユニットを組んだうえで5号車だったモハ205-388号を、モハ205-386号の組み込まれていた9号車に移動させたが、これにより4号車と5号車に組み込まれる車両が無くなってしまった。当時は205系電車に電動車の保留車は無いため、武蔵野線で205系電車の増配置を行った時と同じ方法で、中央線快速電車(豊田車両センター)の201系電車10両編成1本を京葉線(京葉車両センター)へ転用し、京葉線の千ケヨ21編成の電動車2両を宮ハエ24編成に組み込むことで対応されることになった。事故廃車が決まったモハ204-388号は電動発電機(MG)搭載車のため、同じくMG搭載車のモハ205/204-277が埼京・川越線(川越車両センター)へ転出することになった。 旧編成 川越 10号車 9号車 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 クハ205 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 サハ204 サハ204 クハ204 24 143 386 386 387 387 388 388 41 47 143 新10号車 川越区保留車 新8号車 新7号車 新6号車 新9号車 川越区保留車 新3号車 新2号車 新1号車 京葉 10号車 9号車 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 転出日 クハ205 モハ205 モハ204 サハ205 モハ205 モハ204 サハ205 モハ205 モハ204 クハ204 21 103 276 276 218 368 368 219 277 277 103 2007.05.21 京葉区保留車 新5号車 新4号車 京葉区保留車 新編成 川越 10号車 9号車 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 改造 転入日 クハ205 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 サハ204 サハ204 クハ204 24 143 388 386 387 387 277 277 41 47 143 大宮 2007.05.21 この組み換えにより組成された新・宮ハエ24編成は埼京・川越線の運用に復帰したが、電動車2両を失った千ケヨ21編成は、しばらく8両編成の状態で大宮総合車両センター東大宮センターに、京葉車両センター所属の保留車として疎開留置されることになった。 川越車両センターの保留車の整理 2008年に入ってから、川越車両センターで保留車を整理する動きがみられるようになった。 1回目の組み換え:宮ハエ32編成に6扉車を組み込み 2008年1月8日に、宮ハエ32編成へ6扉車が2両組み込まれた。4扉付随車のサハ205-107・108が抜き取られ、川越車両センター所属の保留車だったサハ204-1・2を組み込んだもので、営業運転にも投入されている。 新編成 川越 10号車 9号車 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 クハ205 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 サハ204 サハ204 クハ204 32 54 160 160 161 161 162 162 1 2 54 2回目の組み換え:宮ハエ1編成と宮ハエ32編成で付随車の交換 2018年1月16日に、宮ハエ1編成の4扉付随車のサハ205-146・147と、宮ハエ32編成の6扉車サハ204-1・2が交換された。 新編成 川越 10号車 9号車 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 クハ205 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 サハ204 サハ204 クハ204 1 89 237 237 238 238 239 239 1 2 89 川越 10号車 9号車 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 クハ205 モハ205 モハ204 サハ205 モハ205 モハ204 サハ205 モハ205 モハ204 クハ204 32 54 160 160 146 161 161 147 162 162 54 3回目の組み換え:宮ハエ26編成に6扉車を組み込み 2008年2月5日に、宮ハエ32編成へ6扉車が2両組み込まれた。4扉付随車のサハ205-220・221が抜き取られ、川越車両センター所属の保留車だったサハ204-3・4を組み込んだもので、営業運転にも投入されている。 新編成 川越 10号車 9号車 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 クハ205 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 サハ204 サハ204 クハ204 26 137 370 370 371 371 372 372 3 4 137 4回目の組み換え:宮ハエ2編成と宮ハエ26編成で付随車の交換 2018年2月12日に、宮ハエ2編成の4扉付随車のサハ205-148・149と、宮ハエ26編成の6扉車サハ204-3・4が交換された。 新編成 川越 10号車 9号車 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 クハ205 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 サハ204 サハ204 クハ204 1 90 240 240 241 241 242 242 3 4 90 川越 10号車 9号車 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 クハ205 モハ205 モハ204 サハ205 モハ205 モハ204 サハ205 モハ205 モハ204 クハ204 26 137 370 370 148 371 371 149 372 372 137 保留車について 一連の組み換えで宮ハエ26編成から抜き取られたサハ205-220・221と宮ハエ32編成から抜き取られたサハ205-107・108は、しばらく川越車両センター所属の保留車として籍を置くことになった。このような組み換えが行われた理由として、デジタル無線に対応するための改造工事を埼京・川越線(川越車両センター)所属の車両へ実施するにあたり、宮ハエ26編成と宮ハエ32編成は改造順が後期になったため、廃車にする予定の無かったサハ204-1~4と4扉付随車を交換することで、改造対象の車両を4両削減する狙いがあったと考えられる。宮ハエ26編成と宮ハエ32編成をそのまま6扉車組み込み編成として運用しなかったのは、あくまでも6扉車の組み込み対象車両は、大転配計画の時から宮ハエ1編成と宮ハエ2編成に決まっていたからと考えられる。この2編成の4扉付随車は6扉車を組み込めば廃車になるところだったが、デジタル無線対応改造工事を施工していたため、未施工の4扉付随車と差し替えて継続使用をすることが決まった。 2008(平成20)年度 川越車両センター保留車の廃車 埼京・川越線(川越車両センター)では、2007年度の6扉車関連の組み換えにより余剰となったサハ205-107・108・220・221と、事故で損傷し復旧することのできなかったモハ205-386、モハ204-388の計6両が保留車となっていた。当時のJR東日本の状況としては、東京総合車両センターに付随車2両(サハ205-45・60)が、京葉車両センターに8両編成を組成可能な先頭車付き4M4Tの保留車編成(元・千ケヨ21編成)が在籍しているという背景事情があった。保留車の数が多くなったことや、他の形式の電車も含めた転配も可能という事情から、川越車両センター所属の保留車については、廃車が決まった。廃車となる6両は全て郡山総合車両センターへ入場し、2008年6月19日付で除籍された。205系電車で初めての廃車である。 廃車 川越 9号車 4号車 7号車 4号車 7号車 4号車 廃車 備考 モハ205 モハ204 サハ205 サハ205 サハ205 サハ205 24 386 388 2008.06.19 解体(郡山総合車両センター) 26 220 221 32 107 108 千ケヨM36編成組成 京葉線(京葉車両センター)所属の千ケヨ21編成は、2007年度に電動車2両を踏切事故で被災した埼京・川越線(川越車両センター)所属の宮ハエ24編成へ供出して以降は長らく保留車となっていた。先頭車のクハ205/204-103は新製配置がATS線区の南武線のためATC非対応の運転台を採用していることから転用先が限られることもあり、205系5000番台に改造してATS線区の武蔵野線(京葉車両センター)へ転用することになった。これにより、2006年度の車両増配置の際に転入した千ケヨM66編成を置き換えて、他の路線へ玉突き転配することになった。 転入前 京葉 10号車 9号車 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 転出日 クハ205 モハ205 モハ204 サハ205 モハ205 モハ204 サハ205 モハ205 モハ204 クハ205 21 103 276 276 218 368 368 219 103 2008.12.05 新1号車 新2号車 新3号車 新4号車 新6号車 新7号車 新5号車 転用済 新8号車 転入時 京葉 1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車 7号車 8号車 改造 転入日 クハ205 モハ205 モハ204 サハ205 サハ205 モハ205 モハ204 クハ205 M36 103 5071(M276) 5071(M 276) 218 219 5072(M368) 5072(M 368) 103 長野 2008.12.05 205系5000番台の誕生は2005年12月5日改造の千ケヨM35編成以来3年ぶり36編成目で、これが最後となった。モハ204-5072の種車はMG非搭載車だが、MG搭載工事が施工されている。 2009(平成21)年度 横クラH28編成組成と余剰車の廃車 2009年3月14日のダイヤ改正で、横浜線(鎌倉車両センター)では増発が行われた。これに伴い車両の増配置が必要となったが、横浜線は205系電車に統一されているいることから、増配置する分についても機器取り扱いの点から205系電車にすることが望ましかったため、他の205系電車運用線区からの転用で賄うことになった。 この頃、武蔵野線(京葉車両センター)では、千ケヨM36編成を組成したことで千ケヨM66編成が余剰となっていた。武蔵野線と横浜線はどちらも8両編成ではあるが、武蔵野線向けは6M2T、横浜線向けは4M4Tとなっていることから、そのまま転用することはできなかった。そのため、千ケヨM66編成が京葉線(京葉車両センター)所属の千ケヨ23編成(6M4Tの10両編成)だった時まで組み込んでいたサハ205-29・30と、編成中間の電動発電機(MG)を搭載していないモハ205/204-44を入れ替えて横浜線へ転用することになった。 サハ205-29・30は廃車前提で習志野運輸区に疎開留置していたが、営業運転への復帰が決まったため205系電車配置区の川越車両センターへ移動して整備を行った上で、大宮総合車両センターに入場した。千ケヨM66編成のうち転用される6両についても、千ケヨM36編成の営業運転入りを待って大宮総合車両センターへ入場した。 横浜線転属はダイヤ改正には間に合わず、年度をまたいだ2009年4月30日付となった。6扉車が手配できなかったため、横浜線で初めてオール4扉車の8両編成を組成したが、付随車の連結位置は6扉車連結編成と同じ2・5号車となった。 なお、この転用に際して余剰となったモハ205/204-44は、2009年度から京葉線(京葉車両センター)へE233系5000番台を導入し、同線所属の205系電車に編成単位での廃車が発生する予定になっているなど、205系電車の保留車を残しておく必要性が乏しかったため、余剰廃車になることが決まった。 転入前 京葉 1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車 7号車 8号車 転出日 クハ205 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 クハ205 M66 15 43 43 44 44 45 45 15 2009.04.30 新8号車 新7号車 新6号車 京葉区保留車 新4号車 新3号車 新1号車 ※京葉車両センター保留車:サハ205形29号(新5号車)・30号(新2号車)(2両とも京葉線仕様) 転入時 鎌倉 8号車 7号車 6号車 5号車 4号車 3号車 2号車 1号車 改造 転入日 クハ205 モハ205 モハ204 サハ205 モハ205 モハ204 サハ205 クハ204 H28 15 43 43 29 45 45 30 15 大宮 2009.04.30 廃車 京葉 4号車 5号車 廃車 備考 モハ205 モハ204 M66 44 44 2009.06.04 解体(長野総合車両センター) 横ナハ4編成の組み換えと仙センM19編成の組成 横ナハ4編成組み換えの背景 南武線(中原電車区)所属の横ナハ4編成は、2008年10月26日に所属している中原電車区で整備作業中に発生した事故により、モハ205/モハ204-236号が故障したため、運用に投入できない状況となっていた。電気系統で重大な故障が発生したことから修理の可否が検討されたが、後述する理由によりモハ204-236と同じ電動発電機(MG)を搭載した電動車ユニット1組が確保されたことから、この車両をモハ205/204-236と交換して横ナハ4編成に組み込み、運用復帰をすることになった。モハ205/204-236は、2010年6月16日付で事故廃車となっている。 仙センM19編成組成の背景 仙石線(仙台車両センター)は、2004年度までに205系3000番台が4両編成18本投入されたことで、一旦は205系電車に統一された。しかし、当時は仙石線多賀城駅付近で連続立体交差事業が進行しており、進行中は多賀城駅での折り返しができず東塩釜駅まで回送する必要が生じた(実際は一部列車で東塩釜駅まで/からの延長運転を実施していた模様である)ことから運用数が増加し、配置車両数も1編成増やす必要が生じた。205系3000番台の投入が進んでいた当時からこのことは予想されていたため、置き換えられた103系電車のうち4両編成1本だけは廃車にせず仙台車両センター所属の保留車としておき、実際に運用増となったタイミングで、トイレの設置や補助電源装置の静止型インバータ(SIV)への換装など、205系電車に一部の仕様を揃えるなどした車両を復帰させた。しかし、103系電車は老朽化が進んでいたことから多賀城駅付近の立体交差事業が終了するまで運用し続けることは非現実的と判断され、205系3100番台で置き換えることになった。なお、立体交差事業終了後に増加した分の車両をどう処遇する予定だったのかは不明である。 205系3100番台の改造種車には、同じく改造先頭車のクハ205/204-1203を組み込んでいる南武線(中原電車区)所属の横ナハ48編成が選ばれ、クハ205-1203、モハ205/204-19、クハ204-1203が205系3100番台の第19編成に改造された。既存の205系3100番台は、18編成全てのモハ204形が電動発電機(MG)非搭載車であったため補助電源装置に静止型インバータ(SIV)を搭載していたという事情から、MG搭載車を種車としてはいるもののモハ204-3119号は補助電源装置をSIVに換装している。なお、南武線で車両が不足する分については、京浜東北・根岸線(浦和電車区)へのE233系1000番台の投入に伴って廃車される予定であった209系0番台のうち6両を、209系2200番台に改造して運用することで対応した。 旧編成 中原 1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車 転出日 クハ205 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 クハ204 4 88 235 235 236 236 88 48 1203 19 19 21 21 1203 2009.10.20 新編成 中原 1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車 クハ205 モハ205 モハ204 モハ205 モハ204 クハ204 4 88 235 235 21 21 88 仙台 4号車 3号車 2号車 1号車 改造 転入日 クハ205 モハ205 モハ204 クハ204 M19 3119(1203) 3119(19) 3119(19) 3119(1203) 郡山 2009.10.20 廃車 中原 4号車 5号車 廃車 備考 モハ205 モハ204 4 236 236 2010.06.16 解体(長野総合車両センター) 東京総合車両センター保留車の廃車 2005年度に山手線(東京総合車両センター)で205系電車の運用が終了した後も、大転配計画で余剰となったサハ205-45・60は東京総合車両センターに保留車として所属していた。しかし、2009年度から京葉線(京葉車両センター)へE233系5000番台を導入し、同線所属の205系電車に編成単位での廃車が発生する予定になっているなど、205系電車の保留車を残しておく必要性が乏しかったため、余剰廃車になることが決まった。 廃車 東京 7号車 4号車 廃車 備考 サハ205 サハ205 23 45 2010.03.05 解体(東京総合車両センター) 30 60
https://w.atwiki.jp/tokyo_toden/pages/13.html
都電7000形は、1954年(昭和29年)に登場した東京都交通局の路面電車。 本項では、7000形を大規模改修し2016年(平成28年)に登場した7700形についても記述する。 基本情報 運用者東京都交通局 製造年1954年 - 1956年 製造数83両 総数93両(改造車含む) 運用終了2017年6月11日 主要諸元 軌間1,372 mm 電気方式直流600V (架空電車線方式) 最高運転速度40 km/h 車両定員96名 自重15.5 t (旧車体) 16.5 t (新車体) 全長12,520 mm 全幅2,203 mm 全高3,685 mm 台車D20A 主電動機出力60 kW 52kW(新製当時) 搭載数2 駆動方式吊り掛け式1段減速平歯車方式 出力120 kW 制御方式抵抗制御 制動装置直通空気ブレーキ 保安装置なし 備考この表は主に、1977年以降の新車体のことを指す。 登場から荒川線成立まで 1954年に、前扉・中扉という扉配置で登場した。 大きく3つのグループに分けられ、杉並線を除く各線に配置された。扉の下に見通し窓があり、 前面が二枚窓と言う点は共通である。 1次グループ(7001 - 7030) 1954年に製造されたグループで、新造車と車体更新車がある。正面窓は運転台側が一段で、 反対側は二段窓の二枚窓である。ボディは全く同じだが、細かく分けると以下の3タイプに分かれる。 7001 - 7019 新造車で、台車はD18形を採用した。それまでの都電のイメージを刷新する塗色と外見で登場したが、 走行メカニズムはそれ以前と同じ直接制御である。 前面二枚窓にしたにもかかわらず6000形などと同様に直接制御のため、コントローラーの大きさや 前扉との関係で当時の運転士から運転台が狭いとの指摘があったことから、1965年(昭和40年)以降に 19両全車が2000形に酷似した中央窓の大きい三枚窓(中央窓はHゴム固定)に改造されている。 大塚車庫や早稲田車庫等を中心に配置され、路線縮小後は残存路線に転属した。1971年(昭和46年)3月 に大塚車庫(16系統)等が廃止されると7両(7006・7009 - 7011・7014・7016・7019)が廃車され、 トップナンバーの7001を始めとした残り12両が、墨田・江東地区の路線が全廃される (この時廃止された路線は、台東区(浅草や上野を走った24系統)・千代田区(須田町付近)・中央区(月島まで来ていた23系統など)にまたがっていた。)1972年(昭和47年)11月まで使用された。 7020 直角カルダン駆動を採用した高性能試作車として製造された。1次グループ唯一の間接制御車で、 台車は東芝の試作台車TT-101形である。5500形等その他の特殊車と同様に三田車庫に在籍し、 1967年(昭和42年)12月の同車庫廃止と共に廃車された。 7021 - 7030 1000形と1100形の下回りを流用して新造車体を載せた車体更新車で、 台車は元の車両からD10形およびD16形を流用している。 目黒車庫や神明町車庫、さらには荒川車庫にも在籍していたが、都電第1次廃止で余剰車となり、 1967年12月 - 1968年(昭和43年)1月に全車廃車となっている。7020とこのグループは、前面が最後まで二枚窓だった。 2次グループ(7031 - 7050) 1955年(昭和30年)に製造された。台車はD20形である。このグループから全車間接制御車となった。 運転台が拡張され、また正面窓は視界改善のためどちらも一段(運転台側の窓がわずかに小さく、 また換気のため二枚とも少し上方へスライドして開けられる構造)となった。また、 車体の角がさらに丸みを帯びたデザインになっている。 1970年(昭和45年)に7032 - 7034・7036 - 7042の10両が函館市交通局(函館市電)に譲渡されて1000形となったが、 譲渡されなかった10両は錦糸堀車庫に集結して1972年11月まで活躍した。 3次グループ(7051 - 7093) 2次グループの約半年後となる1955年末から翌1956年(昭和31年)にかけて製造された。台車はD20A形である。 正面窓が2次グループより天地方向に拡大されているのが大きな特徴である。なお、原型はZパンタであったが、 後にビューゲルに改造されている。 荒川線成立後 東京都電は全廃の予定だったが、27・32系統の存続が決まり、路線縮小の中で、製造年の新しい3次グループは次第に 荒川電車営業所に集められた。そして、1972年11月の墨田・江東地区の路線廃止後、柳島車庫から一部の車両が転属し、 7055 - 7089のうち31両(7079・7080・7085・7088は廃車のため欠番)が残った。残存した車両は6000形や7500形と共通で運用された。 1974年(昭和49年)10月1日、27・32系統を統合し荒川線に改称。さらに、1978年(昭和53年)のワンマン化に向け、 1977年(昭和52年)から31両全車をアルナ工機製の新造車体へ更新した。運転台マスコンなどの電装品、 台車やブレーキなどの主要機器はすべて流用された。「日本車輌名古屋」銘のマスコン機器などに種車の名残を留める。 同時に車両番号は新たに付番され、7001 - 7031に揃えられた。なお、新番号は改造順ではなく旧番号の若い順から付番された。 新造車体は更新車ながら前面1枚窓・直線基調の軽快なデザインで、その後日本各地に登場した広島電鉄3500形等の路面電車に 影響を与えた。また、ホームの嵩上げによるステップ廃止と、車内への車椅子スペース設置といったバリアフリーへの対応が 先進的と評価され、1978年鉄道友の会のローレル賞を受賞した。 1986年(昭和61年)から、7500形の車体更新に合わせた冷房化改造および塗装変更、LED式車内旅客案内表示器の新設、 集電装置をビューゲルからパンタグラフに換装するなどの改造が行われた (離線対策と、冷房装置のインバータへの干渉を防ぐために換装された。7500形更新車も当初はビューゲルを装備していたが、早期に換装された)。 8501への代替などで1991年(平成3年)1月に7011が、同年3月に7006が廃車された。7011は市川市に保存され、7006は江東区の施設に置かれている。 1992年(平成4年)6月、8502と8503の導入により7009と7028が改造の上、モ3500形として豊橋鉄道に譲渡。 1993年(平成5年)7月、8504と8505の導入で7000形の最後の非冷房車2両(7012と7014)が廃車された。 この2両は、当初都電博物館の展示物として保存を構想されていたが、資金難のため断念され解体された。 これ以後の荒川線では6152(6000形、イベント用「一球さん号」)と7504(7500形)のみが非冷房車となった(現在は廃車)。 2000年(平成12年)4月28日には7017と7021がモ3500形の増備車として豊橋鉄道に譲渡された。 2002年(平成14年)から、前面行先表示器の1枠化(ワンマン表示を撤去)、車内旅客案内表示器と 降車用ボタンの更新などを含めた再更新工事が施工された。前面と側面の行先表示器は従来の幕式からLED式に交換されたが、 車両によって書体が異なっている。また、7001・7019・7020・7022・7025の5両の集電装置をシングルアーム式パンタグラフへ 換装したが、2011年度に行われた8500形への転用に伴い、7020(後述の追突事故により廃車)を除く4両が再び 菱形パンタグラフ(7500形の廃車による発生品)に戻された。 2005年(平成17年)、7022(旧7076)の塗装を車体更新時(非冷房車当時)のものに復元。同時に除雪用ラッセルの取付対応工事も施された(かつては6000形6152号が降雪時に運用されたが、同車の廃車による。)。 2007年(平成19年)5月26日から6月10日まで、9000形の登場を記念して7001・7008・7010の3両の車体に花電車のラッピングが 施された。側面には「平成19年 新しく懐かしく レトロ車両 都電荒川線が変わります」のメッセージが掲げられていた。 また、車番表示も書体を変更し、ドア上部にのみに施されていた。 2013年(平成25年)11月9日、7001がツーマン時代(車体更新前)の赤帯塗装となった。更新車体と赤帯塗装の組み合わせはこれが初である。 7000形の終焉 8800形とともに近年まで荒川線で最多の車両数を占めていた7000形は、2018年(平成30年)1月時点で3両が在籍していた。 1955年12月の新製配置以来荒川電車営業所を離れたことがない車両は7001(旧7055)が唯一である(3次グループで荒川電車営業所に新製配置されたのは同車のみであった。旧7056→7002も新製配置は荒川車庫だったが、こちらは転属歴がある。)。 1955 - 56(昭和30 - 31)年に新製されて以来、約60年の長きにわたって使用される間に各部の更新が行われており、 新製当初からの部材はマスコンカバー・マスコンハンドル・台車外枠などごく一部に限られている。 7020は2006年(平成18年)6月13日に梶原 - 栄町間を試運転中に追突される事故で大きく破損し、休車となった。 破損部にブルーシートをかけられ、シングルアーム式パンタグラフと冷房装置(1基)が撤去された状態で荒川車庫内に 留置されていたが、2008年(平成20年)3月31日付で廃車された。 2011年(平成23年)3月31日には7004が廃車となった。これは2012年度に計画されていた 「東京都交通局次期経営計画 ステップアップ2010」における7000形1両の廃車・新型車両への置き換えの前倒しで、 同年3月13日をもって営業運転を終了した7500形最後の2両(7511・7512)とともに廃車した。 同年9月、廃車理由は不明ながら7027が廃車された。同月の7511と7512、7004の解体工場への搬出の際に併せて搬出・解体された。 2012年(平成24年)12月28日から7008の前面の銀杏マークが青く塗られ、マークの中に「おつかれさま」と記載された。 その2日後の30日に同車は営業運転を終了、翌日の大晦日をもって除籍された。翌2013年(平成25年)2月17日に、 同車のお別れイベントとしてミニ撮影会が行われた。 2015年9月からは8900形の営業運転が開始され、2016年(平成28年)までに過半数の車両が8900形に置き換えられた。 同年5月15日の東京都交通局の報道[6]で、7026(旧7082)が2015年中に引退することが告知された。6月7日の 「路面電車の日記念イベント」にて撮影会を行い、同月28日で営業運行を終了、9月18日に廃車、10月下旬に京王重機整備北野事業所へ搬出された。 5月末には7007(旧7061)が営業運行を終了した。休車状態で1か月間留置された後、7月上旬に京王重機整備北野事業所へ搬出された。 最初の導入車である8901と8902の営業運転開始に伴い、7013(旧7067)・7025(旧7081)が廃車、10月下旬に2両とも 解体場(東武鉄道北館林荷扱所)へ搬出された。なお、同月18日の「荒川線の日記念イベント」では7025の運転席部品一式等の部品が販売された。 8903・8904の新造による営業開始に伴い、2015年12月8日に7019(旧7073)・7023(旧7077)が営業を終了している。 8905・8906の新造による営業開始に伴い、2016年2月14日に7031(旧7089)、3月13日に7018(旧7072)、3月27日に7015(旧7069)が 営業を終了。うち7031と7015が4月上旬に、続いて7018も京王重機整備北野事業所へ搬出された。 8907・8908の新造による営業開始に伴い、2016年7月28日に7010(旧7064)、8月2日に7005(旧7059)が営業を終了。 10月に2両とも京王重機整備北野事業所へ搬出された。 2016年5月からは、後述する7000形の車体を改造・流用した7700形の営業運転が開始され、翌2017年(平成29年)までに 過半数の車両が7700形に置き換えられた。 7701の営業開始に伴い、2016年6月1日に7016(旧7070)、6月30日に7024(旧7078)が営業を終了している。 7702・7703の営業開始に伴い、2016年8月28日に7030(旧7087)、9月30日に7029(旧7086)が営業を終了している。 2017年3月25日からは7001号車と7022号車に、同年6月上旬までの予定で引退記念ヘッドマークを取り付けて運行しており、 4月30日に7001(旧7055)が営業を終了し、6月11日に7022(旧7076)が営業を終了。これにより、旅客運用から退いた。 2017年6月11日、荒川電車営業所でありがとう7000形イベントが行われた。 車両番号 旧番号 車体更新日 冷房改造日 廃車日 廃車後の処遇 備考 700170551978年2月3日1990年12月11日現役 2017年4月30日で運用離脱 700270561978年2月3日1990年12月11日2018年12月26日 都電落語会に使用されていた。 700370571978年2月24日1991年3月7日2016年 解体 冷房化後ワンマン通常塗装 700470581977年12月5日1989年12月19日2011年3月31日 解体 700570591978年3月3日1988年3月24日2016年8月2日 車体は7708号に流用 700670601978年3月3日未更新1991年3月31日 車体半分が研修用として保存 700770611977年11月19日1987年3月27日2015年5月 車体は7701号に流用 700870621977年12月10日1988年1月12日2012年12月31日 大田区内で静態保存 700970631978年1月27日未更新1992年6月6日 豊橋鉄道に譲渡(モ3501) 701070641978年2月10日1988年10月11日2016年7月29日 車体は7707号に流用 701170651978年1月27日未更新1991年1月31日 千葉県市川市内で静態保存 701270661977年12月10日未更新1993年9月20日 701370671978年3月3日1991年3月15日2015年10月 解体 701470681978年2月10日未更新1993年9月20日 701570691977年12月17日1988年1月22日2016年3月 車体は7704号に流用 701670701977年12月17日1988年3月23日2016年 解体 701770711977年12月14日1989年12月19日1999年4月28日 豊橋鉄道に譲渡(モ3503) 701870721978年1月20日1988年3月24日2016年6月 車体は7705号に流用 701970731977年11月16日1987年3月16日2015年12月 解体 702070741978年2月17日1989年1月20日2008年3月31日 解体 2006年6月事故により運用離脱 702170751978年12月24日1987年11月19日1999年4月28日 豊橋鉄道に譲渡(モ3504) 702270761978年1月14日1990年3月2日2018年12月27日 解体 702370771977年11月19日1987年1月23日2015年12月 解体 702470781978年2月17日1990年11月22日2016年8月 車体は7706号に流用 702570811978年3月10日1988年12月16日2015年10月 解体 702670821978年3月10日1989年3月23日2015年9月28日 車体は7702号に流用 702770831977年12月5日1989年10月18日2011年9月 解体 702870841977年1月16日未更新1992年6月6日 豊橋鉄道に譲渡(モ3502) 702970861977年11月26日1989年10月17日2016年 解体 703070871977年11月26日1987年10月27日2016年 解体 703170891978年3月24日1988年11月7日2016年3月 車体は7703号に流用 東京都交通局7700形電車 2016年3月に東京都交通局は、同年5月より7000形に大規模な改修を行った7700形車両を導入することを発表した。 このため、これまで7000形の置き換え用として製造されていた8900形は、予定の半分の8両で製造を打ち切った。 これは廃車となった7000形の車体や冷暖房装置・放送装置などを再利用し、室内のシートの更新や降車ボタンの新設、 乗降扉の拡大や東京都交通局内の若手職員らによる「荒川線アピールプロジェクトチーム」の発案による モダンレトロな塗装の採用などで、車体デザインの見直しを図るのと同時に、車体新造前から使用され 製造後60年を経過する下回りを、8900形と同一の台車とVVVF制御装置を搭載して一新し(吊り掛け駆動からカルダン駆動に変更。これは高性能化と共にVVVFインバータ制御への改造を伴ったもので、高性能化と共にVVVFインバータ制御への改造を伴った車両はこの他に相鉄3000系電車の例がある。)、 エネルギー効率の向上と乗り心地の改善を図って新車並みの設備に改造しようというものである。8両がこの改修を受けた。 1両あたりの改造費は1億3000万円。これらの改造は京王重機整備北野事業所で行われ、以下のように改番された。 車両番号 旧番号 運行開始日 車体色 備考 770170072016年5月30日 みどり色 770270262016年8月11日 みどり色 770370312016年8月11日 あお色 770470152016年8月20日 あお色 770570182016年11月5日 あお色 770670242016年11月27日 えんじ色 770770102017年2月23日 えんじ色 770870052017年3月7日 えんじ色 2016年5月15日に7701号車を使用した試乗会が実施された後、同年5月30日に、7701号車が営業運転を開始している。 そして同年8月11日に7702号車と7703号車、8月20日に7704号車、11月5日に7705号車、11月27日に7706号車、翌2017年2月23日に7707号車、3月7日には最後の7708号車が営業運転を開始した。 車体塗色は7701・7702号車が緑色基調、7703 - 7705号車が青色基調、7706 - 7708号車がえんじ色基調にそれぞれ変更されている。 保存車 7000形は確認されている物で9両が保存された。現在は6両(未更新は2両)が現存している。 7021 福島県いわき市の四倉小学校に車体のみ保存されていたが後に荒廃し、撤去されている。 7022 1968年に廃車後、埼玉県入間郡毛呂山町の「新しき村」に車体のみ保存されている。設置から数年は方向幕もあり、状態は良好であったが1970年代に屋根が設置された際、方向幕は取り外されている。その後1995年にかけて放置され、1996年に一度修復され、その後も定期的に修復がされていた。2018年に大規模な改修工事が行われ、失われた方向幕等が復元された他、現役時代の塗装に塗り替えられた。その後も定期的に補修されている。また、この車体は八高線高麗川 - 毛呂間の車窓からも確認する事ができる。 7023 廃車後、1968年3月から千葉県市川市の東京養育院に静態保存され、遊具として利用されていたが撤去され、現存しない。 また、当車は保存時に車番が何らかの理由で本来の「7023」から「7030」に書き換えられていた。 7024 廃車後、静岡県富士市の市立元吉原小学校に静態保存されている。SLと一緒に専用の屋内に保存されているが、長年塗り替え等が行われておらず。車内に塗られた塗料が剥げる等、老朽化が目立つ。 7033(函館市企業局交通部1006号) 廃車後、函館酪農公社に車体のみ(2015年頃に台車が付く)が静態保存されていたが、2019年頃に解体、撤去された。 (再更新)7001 2017年春の引退後、荒川車庫内に通常は6086と並んで保存されていて、イベント時に公開される事もある。 (更新)7006 廃車後、車体半分が東京都交通局の研修所に研修用施設として設置されている。通常は非公開。 (再更新)7008 廃車後、東京都大田区に譲渡され、 大鳥居駅近辺にある区立萩中公園内の「ガラクタ公園」に 静態保存されている。LED式行先表示器は撤去されており、代わりに白地に黒文字で「萩中交通公園」「ガラクタ公園」と書かれた 方向幕が掲出されている。遊具という扱いで設置されている為、機器類が欠損、少々痛みが目立っている。 (更新)7011 廃車後、千葉県市川市の大和田公園(都営地下鉄新宿線大和田換気所付近)に 静態保存されている。柵で囲まれた状態で保存されており、野外に保存されている為車体の経年劣化がみられていたが、近年再塗装が行われた。車内はおおむね廃車時の状態を保っている。 他の事業者への影響 土佐電気鉄道600形電車は、登場当時の本形式をモデルに製造された車両である。 豊橋鉄道モ3500形電車は、本形式の7009・7028・7017・7021を譲渡・改造した車両である。改造後、以下のように改番されている。 7009 → モ3501(1992年譲渡) 7028 → モ3502(同上) 7017 → モ3503(2000年譲渡) 7021 → モ3504(同上)
https://w.atwiki.jp/dunpoo/pages/916.html
■政局10Ⅳ から ■政局11Ⅱ へ 110221 内閣支持率20% 発足以来最低 朝日新聞世論調査 [朝日] 110218 予算関連法、年度内成立困難 首相の進退が焦点に [朝日] 110216 小沢氏の党員資格停止 民主幹事会決定「判決確定まで」 [朝日] 110209 消費増税「11年度末までに法案」 党首討論で首相明言 [朝日] 110206 名古屋トリプル投票 河村・大村氏が当選、市議会は解散 [朝日] 110201 小沢元代表の処分、党員資格停止を軸に検討 民主執行部 [朝日] 110201 陸山会土地取引事件を巡り、小沢元代表を強制起訴 [朝日] 110129 民主、強気の国会運営 低姿勢から一転、主導権狙う [朝日] 110128 首相、「疎い」とは「詳しく聞いていないという意味」 [朝日] 110127 谷垣氏「解散を」、首相「まず協議を」 衆院代表質問 [朝日] 110124 熟議の国会めざす 野党に議論呼びかけ 首相が施政方針 [朝日] 110124 「菅政権は債務不履行」「約束ほご」野党が対決姿勢鮮明 [朝日] 110121 民主、小沢氏の喚問容認へ 政倫審出席の議決断念 [朝日] 110120 「日米同盟の再出発」掲げる 菅首相が外交演説 [朝日] 110117 与謝野氏起用「評価しない」50% 朝日新聞世論調査 [朝日] 110114 「税と社会保障を一体改革」 第2次菅改造内閣が発足 [朝日] 110103 菅氏「権力を掌握する」 首相と小沢氏、新年会で火花 [朝日] 110221 内閣支持率20% 発足以来最低 朝日新聞世論調査 [朝日] 朝日新聞社が19、20日に実施した全国定例世論調査(電話)によると、菅直人内閣の支持率は20%で、昨年6月の内閣発足以来最低となった。不支持率も62%で最高。また、菅首相の進退について聞いたところ、「早くやめてほしい」が49%で、「続けてほしい」の30%を上回った。 内閣支持率は、民主党代表選があった昨年9月には6割近くあったが、その後下がり続け、昨年12月には過去最低の21%を記録。1月に実施した内閣改造後の調査では26%(不支持率54%)に回復したものの、再び下がった。政党支持別にみると、民主支持層で前回1月の69%から62%に低下。全体の5割以上を占める無党派層でも、14%から11%に下がった。 「菅さんに首相を続けてほしいか、早くやめてほしいか」との質問では、「続けてほしい」が民主支持層で60%だったが、自民支持層で17%、無党派層では25%だった。「早くやめてほしい」は、民主支持層で25%だったのに対し、自民支持層で66%、無党派層では49%だった。 「今後も民主党を中心にした政権が続いた方がよいか」と尋ねると、「続いた方がよい」が昨年11月調査で32%だったが、今回は22%と落ち込んだ。菅内閣発足後、3割を切ったのは初めてとなる。 「仮にいま投票をするとしたら」として聞いた衆院比例区の投票先でも、民主党19%、自民党25%。政党支持率は、民主党19%、自民党18%などとなっている。 衆院の解散・総選挙については「できるだけ早く実施すべきだ」39%を、「急ぐ必要はない」49%が上回った。ただ、早い解散・総選挙を求める声は昨年11月の31%、12月の34%からやや増えた。 一方、民主党内の小沢一郎元代表に近い国会議員から菅首相の退陣を求める動きが出ていることについては「評価する」が19%で、「評価しない」が69%に上った。 110218 予算関連法、年度内成立困難 首相の進退が焦点に [朝日] 2011年度予算関連法案のうち、赤字国債発行のための特例公債法案など主要法案の年度内成立が困難な情勢となった。17日に会派離脱を表明した民主党の衆院議員16人は予算関連法案の採決で造反する構えで、同調者が広がる可能性もある。社民党も民主党との政策協議に否定的で、衆院の再可決に必要な3分の2議席確保の見通しは立たなくなった。民主党内には関連法案の成立と引き換えに菅直人首相の退陣もやむを得ないという声が出始めており、首相の進退が焦点になってきた。 菅首相は17日、渡辺浩一郎衆院議員(比例東京ブロック)ら比例単独当選の16人が「民主党政権交代に責任を持つ会」と称する新会派立ち上げを表明したことについて、記者団に「まったく理解できない行動だ」と批判。これらの議員が2009年衆院選の政権公約(マニフェスト)見直しを批判していることに「マニフェストの見直しは、せんだっての党大会で承認された」と反論した。 新年度予算案は3月2日までには衆院を通過し、年度内に成立する見通し。首相や党執行部は予算関連法案もなお年度内成立を探る構えだが、状況は厳しい。会派離脱の動きについて、岡田克也幹事長は17日の記者会見で「パフォーマンスと言われても仕方ない」と批判する一方、渡辺氏ら16人の処分には「めくじらを立てるほどでもない」と沈静化を図る方針だ。 ただ、16人は小沢一郎元代表に近く、小沢氏もこうした動きを容認しており、同調者がさらに広がる可能性もある。 また、党内情勢が混乱してきた民主党に対して、社民党幹部は同日、「こちらと協議している一方で、足元がぐらついている。このような状態では事実上、協議は打ち切りだ」と指摘。予算案と予算関連法案をめぐる政策協議から撤退する方向だ。 首相はこれまで、野党多数の参院で否決されても、社民党の協力を得て衆院3分の2の議席で再可決する道筋を描いていた。その国会戦略の根幹が揺らぎ、特例公債法案の年度内成立が図れなければ、92.4兆円の新年度予算案のうち4割強の40.7兆円の財源は賄えなくなる。4月以降は毎月入ってくる税収などで乗り切らねばならないという異例の事態になる。 また、税制改正法案や子ども手当法案も成立の見通しが立っていない。法人実効税率の5%引き下げや成年扶養控除の縮小・廃止などが実現できなくなるほか、子ども手当は4月から自公政権時代の児童手当に戻さねばならず、システム移行などで現場の自治体に混乱も予想される。 内閣支持率は低迷しており、菅内閣の取り組みへの国民世論は厳しい。4月以降に混乱が生じ、国民生活にも影響が出てきた場合、政権批判が高まる可能性もある。 このため、昨年9月の党代表選で首相を支持した議員からも、野党の協力を得るためには首相の退陣もやむを得ないとの声が出始めている。前原誠司外相グループのある議員は「首相のクビと引き換えに予算関連法案を通すしかない」と語る。 民主党最大の支持団体である連合の古賀伸明会長も同日の会見で、「統一(地方)選を目の前に控え、中央の政党がこのような状況になることは我々の活動にも大きな影響を与えかねない」と苦言を呈した。 110216 小沢氏の党員資格停止 民主幹事会決定「判決確定まで」 [朝日] 民主党は15日の常任幹事会で、強制起訴された小沢一郎元代表の党員資格を判決が確定するまで停止する処分を決めた。裁判の長期化が予想されるなか、事実上の「無期限停止」といえ、小沢氏の影響力低下は必至だ。一方、処分を強行した菅直人首相への反発も強まっており、菅政権の基盤は大きく揺らいでいる。 15日の常任幹事会では、岡田克也幹事長が「これまで役員会で慎重に検討してきた」として小沢氏の処分に理解を求めた。小沢氏に近い議員からは「国会議員の強制起訴は初のケース」「党の結束を乱す処分がいいのか」との異論が相次ぎ、最終的に土肥隆一常任幹事会議長の判断で採決に持ち込まれた。採決に加わった32人のうち、反対は10人程度にとどまり、賛成多数で役員会の提起通りの処分が了承された。 今後は、党倫理委員会(委員長・渡部恒三最高顧問)の追認を経て、常任幹事会が早ければ今週中にもこの処分を最終決定する。 党員資格停止は、党が定める3段階の処分のうち最も軽いが、党から選挙区総支部への資金提供が停止されるほか、代表選への立候補の道も閉ざされる。小沢氏は昨年9月の代表選に立候補し、国会議員の200票を集めて求心力を保っただけに、判決が確定するまでという長期間の資格停止は痛手だ。 一方で、「脱小沢」路線を鮮明にして処分を主導し、党内に亀裂をつくった首相や岡田氏への批判も、民主党内には広がっている。 小沢氏直系の衆院議員で作る「一新会」の鈴木克昌会長(総務副大臣)は15日、岡田氏に対し、処分に反対する文書を提出した。小沢氏に近い議員の間では、地域政党「減税日本」を率いる河村たかし名古屋市長との連携を目指す動きもある。 首相は、新年度予算が成立した場合の執行に必要な予算関連法案について、野党が多数の参院で否決されても、衆院の「3分の2」の賛成による再可決、成立を目指す。だが、小沢氏に近い議員が数人でも造反すれば、関連法案が年度内に成立しない事態となる。政権は一気に窮地に追い込まれ、これまで首相を支持してきた議員からも首相退陣による局面打開を求める声が出かねない。 110209 消費増税「11年度末までに法案」 党首討論で首相明言 [朝日] 菅直人首相は9日、菅政権で初めての党首討論で、消費増税を含む税制改正法案を2011年度末までに示す考えを表明した。法案が成立しても、増税を実施する前に衆院を解散することも明言した。 首相は09年に自公政権下で成立した改正所得税法の付則で「消費増税を含めた法制上の措置を11年度までに講じる」とされていることに触れ、「11年度末までに法的な対応をしなければならない。法案が成立しても、税と社会保障の共通番号の整備などいろいろなことが予想される。(増税を)実施する前に必ず国民に判断を仰ぐ」と明言。4月に社会保障の改革案、6月に消費増税と社会保障の一体改革案をまとめる方針を改めて表明し、与野党協議への参加を呼びかけた。 自民党が求めている衆院解散・総選挙については「長年積み残してきた課題をさらに先送りすることになる。4年間の実績をもって政権交代を繰り返すのが望ましい」とし、早期解散に慎重な考えを示した。 これに対し、自民党の谷垣禎一総裁は与野党協議に入る条件として解散を要求。公明党の山口那津男代表は社会保障の具体的な改革案が示されるまでは協議に応じない考えを示した。 110206 名古屋トリプル投票 河村・大村氏が当選、市議会は解散 [朝日] 名古屋市長選、愛知県知事選、名古屋市議会の解散の是非を問う住民投票が6日、投開票された。市長選では地域政党「減税日本」代表の河村たかし氏(62)が再選を果たし、知事選では同党推薦の大村秀章氏(50)が初当選。河村氏が主導した住民投票は賛成多数で、政令指定市で初めてリコールが成立し、即日解散された。4月の統一地方選を前に、支援した候補が惨敗した民主、自民の2大政党には大きな打撃となった。 河村氏は地域政党「大阪維新の会」代表の大阪府の橋下徹知事と連携しており、4月の大阪府議選や大阪市議選で過半数獲得をめざす橋下知事への追い風となりそうだ。一方、政権運営に行き詰まりを見せ始めている菅直人首相は厳しい結果を突きつけられた形だ。 河村氏は、公約の市民税の10%恒久減税が民主、自民が多数を占める市議会に否決されたため、任期を2年以上残して1月に辞職し、出直し市長選に臨んだ。さらに市議報酬の半減をめぐって対立を深めた河村氏はリコール運動を仕掛け、住民投票実施にこぎつけた。 市議会側は減税は1年限りとし、報酬半減にも消極的で「庶民革命VS.保身議会」との河村氏の訴えが、有権者をとらえたようだ。知事選でも河村氏は自民党前衆院議員で知名度の高い大村氏を擁立し、二人三脚で支持を広げた。 愛知県は2009年の衆院選で民主が15小選挙区を独占した「民主王国」。王国の崩壊は地方組織の脆弱(ぜいじゃく)ぶりを改めて露呈したことになり、4月の統一選でも厳しい戦いを強いられるのは必至だ。 政権奪還を目指す自民も市長選では独自候補を擁立できず、民主の推薦候補を支援せざるを得なかった。知事選では支援候補がいたが、一部の国会議員は大村氏支持に流れ、野党転落後の求心力の低下を印象づけた。参院選で躍進したみんなの党も支持は広がらなかった。市長選は自主投票、知事選は大村氏を県本部支持とした公明党を除くと、主要政党はすべて敗北したことになる。 出直し名古屋市議選は3月13日に投開票される。河村氏は「減税日本」から約40人を擁立し、定数75の過半数確保をめざす。大村氏も独自の地域政党「日本一愛知の会」から統一選の愛知県議選に候補を立てる予定だ。 4月の統一選では、愛知や大阪だけでなく、こうした地域政党が相次いで誕生する可能性もある。ただ、愛知や大阪の地域政党の動きは圧倒的な人気を誇る河村、橋下両氏の発信力に負うところが大きいこともあり、どれだけ広がりを見せるかは未知数だ。 投票率は、名古屋市長選が54.14%(2009年50.54%)、愛知県知事選が52.52%(07年52.11%)だった。 110201 小沢元代表の処分、党員資格停止を軸に検討 民主執行部 [朝日] 民主党執行部は、小沢一郎元代表が離党しない意向を表明したことを受け、党倫理規則に基づいて処分する方向で調整に入った。党員資格停止を軸に検討する。「政治とカネ」の問題に厳しい姿勢を示し、小沢氏の証人喚問を求める自民、公明両党との連携を探る狙いがある。 ただ、小沢氏に近い議員の強い反発は必至だ。執行部は今後、役員会などで議論を重ね、世論や国会の動向を見極めて処分の時期を探る。 小沢氏は31日、国会内で記者団に「私は何一つやましいところはない。引き続き民主党議員として誠心誠意取り組む」と述べた。菅直人首相から求められていた衆院政治倫理審査会への出席にも事実上応じない意向を示した。ただ裁判は長期化が予想され、政治活動が制約されて影響力が低下することは必至だ。 首相は31日、首相官邸で記者団に「大変残念だ。(処分は)幹事長を中心に役員会で議論する」と述べた。岡田克也幹事長は記者会見で「まずは自ら判断されるべきだ」と自発的離党を促す一方、「政党として国民に理解されるプロセスと結果が重要だ」とも述べ、自ら離党しなければ処分に踏み切る考えを示唆した。 小沢氏の有罪は立証が難しいとの見方もあるが、岡田氏は「国会で説明されていない」と指摘。政倫審出席に応じないことを重視して処分を検討する考えを示した。通常国会の予算審議で野党の追及をかわすためにも党として処分し、けじめをつけることが不可欠との判断だ。 民主党倫理規則では、処分は重い順に「除籍(除名)」「離党勧告」「党員資格の停止」がある。執行部は「本人が起訴内容を認めていないため除籍は困難」と判断。離党勧告しても小沢氏が応じる可能性が低いとみて、最も軽い党員資格停止を軸に検討する方針だ。党員資格が停止されれば党からの資金が受けられなくなるうえ、総選挙での公認も受けられず、代表選への立候補資格もなくなる。 110201 陸山会土地取引事件を巡り、小沢元代表を強制起訴 [朝日] 小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件で、東京第五検察審査会の「起訴議決」を受けて検察官役に指定された弁護士は31日、政治資金規正法違反(虚偽記載)罪で小沢氏を東京地裁に起訴した。市民の判断で政治家が強制起訴されたのは初めて。小沢氏は同日、離党しない考えを明らかにした。 小沢氏は「私が無実であることは裁判でおのずと明らかになる」とも述べた。弁護団は、事前に証拠や争点を絞り込むための公判前整理手続きが長期間かかり、初公判は早くても夏以降になるとみている。その後の判決時期については見通しがたっていない。 指定弁護士は起訴後の会見で、有罪を得られる見込みについて「有罪を確信したから起訴するのではなく、起訴議決がされたので職務として起訴した」とする一方、「良心には恥じない」と話した。政治資金収支報告書の提出前に小沢氏に「報告した」とする元秘書の衆院議員・石川知裕被告(37)らの捜査段階の供述は起訴議決の基になったが、石川議員らが無罪主張に転じている点について「それ以外の多くの客観的証拠がそろっている」と自信も見せた。 小沢氏側は、第五審査会が起訴議決で、審査対象の告発内容に含まれていない「小沢氏からの借入金4億円不記載」を「犯罪事実」と認定したことを「無効だ」と反発したが、起訴内容は「犯罪事実」を踏襲した。指定弁護士は「議決の事実をそのまま起訴して裁判所に判断を仰ぐのが職責。我々が独自に削って良いものではない」と説明。裁判では争点の一つとなる。 第五審査会は、土地購入と同時期に小沢氏が銀行から融資を受けた別の4億円を陸山会に転貸したことを「本来の原資を隠す偽装工作」とし、融資書類に小沢氏が署名していた事実も重視した。そのうえで関与を否定した小沢氏の供述は「著しく不合理で信用できない」と退け、「公正な法廷で黒白をつけるのが検察審査会の制度」としていた。 起訴状によると、陸山会は2004年10月、小沢氏から4億円を借り入れ、東京都世田谷区の土地を約3億5千万円で購入。しかし、小沢氏は石川議員ら元秘書3人=同法違反罪で起訴=と共謀、自身が貸し付けた4億円を陸山会の04年分の収支報告書に収入(借入金)として記載しなかった。さらに土地代金は05年1月に支払ったと偽り、04年分ではなく05年分の収支報告書に約3億5千万円の支出と資産を記載したとされる。 09年5月施行の改正検察審査会法に基づく強制起訴は、兵庫県明石市の歩道橋事故、JR宝塚線(福知山線)の脱線事故、未公開株の上場をめぐる沖縄の詐欺事件の例がある。いずれも公判は始まっていない。(久木良太) 110129 民主、強気の国会運営 低姿勢から一転、主導権狙う [朝日] 民主党は28日、野党欠席のまま衆院予算委員会で新年度予算案の趣旨説明に踏み切った。野党に低姿勢で接した結果、閣僚への問責決議で主導権を奪われた昨年の臨時国会の反省を踏まえ、強気の国会運営に方針転換した。野党の審議拒否は長くは続かないとみて、週明けの31日から与党単独でも基本的質疑に入る構えだ。 自民、公明、共産、みんなの野党4党は「民主党は予算委の前に小沢一郎元代表の証人喚問を実現する姿勢を明確にすべきだ」と主張。趣旨説明を週明けの31日以降に先送りするよう求めたが、民主党は応じなかった。28日の予算委には民主、社民、国民新の3党が出席したものの、中井洽衆院予算委員長は、野党4党が不在のまま開会を宣言。4党は反発し、31日の基本的質疑には出席せず、審議拒否で抵抗する構えをみせている。 民主党の安住淳国会対策委員長は記者会見で「日程協議で闘争するやり方はどうか。一日休めば、国会議員は一日さぼったことになる」と4党を強く牽制(けんせい)。民主党の中川正春筆頭理事も「証人喚問は予算審議と切り離すべきで、野党の主張は国会を混乱させるだけだ」と批判した。 民主党は円滑な審議入りを目指し、野党が結束して求めていた仙谷由人前官房長官の交代を受け入れて通常国会に臨んだ。一方、野党の要求に応じるばかりでは国会の主導権をつかめないと判断。予算審議前の小沢氏の証人喚問を拒否しても、野党が審議拒否で結束を続けることは難しいとみて強硬路線に転じた。 野党4党は28日、共同で記者会見。自民党の武部勤筆頭理事は「冒頭から職権で委員会を開くのは前代未聞」と反発し、公明党の漆原良夫国対委員長も「話し合う姿勢が全くない。熟議の環境を壊している」と強調した。 110128 首相、「疎い」とは「詳しく聞いていないという意味」 [朝日] 菅直人首相は28日午前の閣僚懇談会で、米格付け会社による日本国債の格付けが引き下げられたことに「そういうことに疎いので」と述べた前日の発言を自ら取り上げ、「詳しく聞いていないという意味であり、格付けに詳しくないということではない」と釈明した。 同日午前の参院代表質問では、公明党の山口那津男代表が「昨日の首相発言には耳を疑った」と批判。これに対して首相は「『疎い』というのは情報が入っていないということを申し上げた」と弁明した。さらに「財務相時代に、財政や国債の重要さは嫌というほど認識させられた」とも述べた。 野党は、一斉に首相の発言を批判。首相の資質を疑問視する声も上がった。 自民党の石原伸晃幹事長は28日午前、記者団に「この総理を仰いでいる限り『最大不幸社会』だ」と指摘。同党の逢沢一郎国会対策委員長は国会内の会合で「日本のトップリーダーがその程度の認識しかないのか。こういう方がダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)に行かれて大丈夫なのか」と批判した。公明党幹部も「国債に疎い人に国民は総理大臣を任せたくはないだろう」と指摘した。 一方閣僚からは、閣議後の会見で首相をかばう発言が相次いだ。野田佳彦財務相は「まだしっかり情報が入っていないという意味で表現をされたと思う。格付けや国債問題そのものに疎いはずはない」。与謝野馨経済財政相も「格付けに総理がコメントするのは、世界各国あまり例を聞いたことがない」と語った。 110127 谷垣氏「解散を」、首相「まず協議を」 衆院代表質問 [朝日] 衆院解散か、与野党協議か――。2大政党が真っ向からぶつかる通常国会で、衆院の代表質問が26日始まった。自民党の谷垣禎一総裁は与野党協議に入る条件に「解散」を掲げた。菅直人首相は早期解散を否定し、与野党協議への参加を求めた。双方の描くねじれ国会の打開策は相いれず、政治の停滞が続く。 谷垣氏が代表質問で訴えたのは、衆院解散・総選挙の一点に尽きる。首相が呼びかけている消費増税などの与野党協議について「国民の信を問うことをもって首相の覚悟と受け止め、税制抜本改革の与野党協議に真摯(しんし)かつ積極的に参加したい」と明言。解散前には協議に応じられないとの姿勢を鮮明にした。 谷垣氏が与野党協議を警戒するのは、首相の誘いに乗って協議のテーブルにつけば菅政権の延命に手を貸すことになり、今年最大の目標に掲げる衆院解散が遠のくからだ。 自民党内では谷垣氏の指導力不足への不満が強く、今年中に解散に追い込めなければ来年9月の総裁任期を待たずに総裁交代を求める声が噴出しかねない。谷垣氏はもともと消費増税論者だが、足元の党内は政策協議に乗ることを許さない状況だ。 谷垣氏は代表質問で「消費税の成案を得る前に解散すべきだ」とも強調し、首相が税制改革の基本方針を示す6月までの解散を迫った。首相がもう一つの与野党協議の呼び水に期待する環太平洋経済連携協定(TPP)については自民党内の意見が割れており具体的な言及を避けた。 早期解散に追い込めず長期戦になれば、与野党協議を拒み続ける自民党に世論の批判が向く可能性もある。谷垣氏に時間的余裕はあまりない。 ◇ 一方、菅首相の谷垣氏への答弁は、低姿勢を示しながら、政権への理解と与野党協議を求めるものだった。 110124 熟議の国会めざす 野党に議論呼びかけ 首相が施政方針 [朝日] 菅直人首相は24日午後、衆参両院の本会議で施政方針演説を行った。首相は消費増税と社会保障の一体改革と環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉参加問題を改めて政権の最重要課題に掲げる。特に社会保障で自民、公明両党が与党時代に与野党の超党派で合意形成を進めるよう提言していたことを指摘。野党各党に議論を呼びかけ、「熟議の国会」をめざす構えだ。 第177通常国会はこの日召集され、6月22日まで150日間の論戦が始まる。 首相は演説で、今年の年頭所感でも取り上げた「平成の開国」「最小不幸社会の実現」「不条理をただす政治」の三つを掲げ、「国づくりの理念」と位置づける。 「平成の開国」は、現在を明治維新、戦後の改革に続く「第三の開国」と指摘。「貿易・投資の自由化、人材交流の円滑化で踏み出す」と語り、韓国や欧州連合(EU)などとの経済連携協定(EPA)交渉の再開や立ち上げに加え、日中韓自由貿易協定(FTA)の共同研究推進も目標に掲げる。 開国の目玉として環太平洋パートナーシップ協定(TPP)を取り上げ、「今年6月をめどに交渉参加について結論を出す」と宣言する。同時に、貿易自由化で影響を受ける農林漁業の再生も「待ったなしの課題」と位置づけ、農業者戸別所得補償制度に加え、商工業と連携した6次産業化や農地集約による大規模化などを訴える。 「最小不幸社会の実現」では少子高齢化など社会・経済状況の変化を踏まえ、「社会保障制度を根本的に改革する必要に直面している」と強調。「国民にある程度の負担をお願いすることは避けられない」と語り、6月までに社会保障改革の全体像と、消費税を含む税制抜本改革の基本方針を示すことを打ち出す。 これに関連して首相は昨年自民党がまとめた「税制改正についての基本的考え方」や公明党の「新しい福祉社会ビジョン」に言及。「問題意識と論点はすでに共有されている」と与野党協議を呼びかける。 「不条理をただす政治」では、社会から孤立する人への対策や政治資金の一層の透明化などを指摘する。民主党の小沢一郎元代表をめぐる「政治とカネ」の問題には具体的に触れない方向だ。 外交・安全保障では、日米同盟の深化に向けて今年5月に予定している首相の訪米時に21世紀の日米同盟ビジョンを示すと宣言。沖縄の米軍基地問題では「沖縄だけ負担軽減が遅れていることは慚愧(ざんき)に堪えない」と語り、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題については「沖縄の皆さまに誠心誠意説明し、理解を求めながら、危険性の一刻も早い除去に最優先で取り組む」と述べる。(金子桂一) 110124 「菅政権は債務不履行」「約束ほご」野党が対決姿勢鮮明 [朝日] 自民党の谷垣禎一総裁は24日の全議員懇談会で「菅政権は国民との契約が債務不履行になっている。今国会は、どちらが国民に議論を信用していただけるかの戦いだ」と政権を追及する考えを強調した。公明党の山口那津男代表も参院議員総会で「民主党の歩みは、国民と約束したマニフェストの破綻(はたん)のプロセスだった。約束が守れない政権に、どこまで正当性があるのか」と菅政権への対決姿勢を鮮明にした。 社民党の福島瑞穂党首は両院議員総会で「民主党は『4年間は消費税をあげない』という約束をほごにしている。おかしいと歯止めをかけ、場合によってはしっかり対決する」と是々非々の立場で臨む考えを示した。 一方、菅直人首相(民主党代表)は24日、民主党両院議員総会で「野党も対案を出して私たちと議論をたたかわせ、取り入れるべきものがあれば取り入れていく建設的国会にしていかなければならない」と述べ、野党側に国会での合意形成に参加するよう呼びかけた。「社会保障と財源の議論、貿易自由化など、野党の方がこういった議論から逃げようという姿勢も見える。それでは国会の意味がない」と野党側を牽制(けんせい)もした。 110121 民主、小沢氏の喚問容認へ 政倫審出席の議決断念 [朝日] 民主党の岡田克也幹事長は20日、小沢一郎元代表に衆院政治倫理審査会(政倫審)への出席を求める議決を断念することを表明した。野党が要求する証人喚問を容認する形で、小沢氏の国会招致を目指す方針に転換する。ただ、全会一致原則などがあり、喚問実現は簡単ではなく、党執行部は小沢氏の強制起訴を待って、離党勧告に踏み切ることも検討し始めた。 小沢氏は20日、土肥隆一政倫審会長に対し、事実上出席を拒否する文書を提出した。政倫審での議決に強制力はなく、岡田氏は同日夕、愛知県豊橋市で「はっきりこれだけ拒絶されるということであれば、議決しても政倫審に出てこられないわけだから(議決に)意味がない」と記者団に語り、議決断念を表明した。 岡田氏はそのうえで「国会で説明する手段は、政倫審か証人喚問かしかない。政倫審がノーということになると、(証人喚問を求める)野党の声が力を得てしまう。今後は党の中での議論が必要だ」と述べた。野党の要求を容認する形で、出席に強制力がある証人喚問の実現に切り替える考えを示したものだ。 ただ、証人喚問は慣例で全会一致が原則だ。小沢氏に近い国民新党の亀井静香代表が賛成する保証はない。証人喚問の舞台となる衆院予算委員会の民主党委員を賛成の議員でそろえることにも、小沢氏を支持する議員が強く抵抗するのは必至で、実現には困難が予想される。 岡田氏は昨年末から「小沢氏が政倫審への出席を自ら申し出ない限り、通常国会前に政倫審で出席を求める議決を行う」と繰り返し表明してきた。だが、小沢氏は拒否する姿勢を崩さず、野党も政倫審での議決を拒否する姿勢を強めていた。岡田氏は24日の通常国会召集を前に野党の意向を尊重せざるを得ず、政倫審での議決断念に追い込まれた格好だ。 一方、小沢氏の国会招致が実現しなければ、今度は小沢氏の問題を批判し続けてきた菅直人首相の政治姿勢が根本から問われかねない。このため、岡田氏ら党執行部は小沢氏の強制起訴後に党常任幹事会で離党勧告を決め、政治とカネの問題に対する厳しい姿勢を示す検討に入った。 首相は20日、「小沢さんは条件をつけないで政倫審に出ると約束されていたが、状況が変わった。岡田幹事長と今後のことについて相談したい」と記者団に語った。 110120 「日米同盟の再出発」掲げる 菅首相が外交演説 [朝日] 菅直人首相は20日、東京都内のホテルで財界関係者や各国駐日大使らを前に外交・安全保障政策について演説した。昨年6月の内閣発足後、菅政権としての包括的な外交演説を行うのは初めて。日米同盟を基軸に据えるとともに、「平成の開国」を掲げて経済・資源外交を進める考えを改めて打ち出した。 演説では「5本の柱」として(1)日米基軸の再出発(2)アジア外交の新展開(3)経済外交の推進(4)地球規模の課題への取り組み(5)安全保障環境への日本自身の的確な対応を表明。 日米同盟を「政権交代にかかわらず維持、強化されるべき日本外交の基軸」と位置づけた。今春に予定する訪米の際に、日米同盟の将来ビジョンを示す考えを示した。 アジア外交では、中国や韓国、ロシア、豪州などとの協力関係を重視。アジア太平洋経済協力会議(APEC)などの枠組みを活用するとした。中国に対しては「透明性を欠いた国防力の強化や海洋活動の活発化に懸念を抱かざるをえない」と指摘。昨年秋の尖閣諸島沖衝突事件を「極めて残念な出来事」としたうえで、両国で戦略的互恵関係を深める必要性を訴えた。鳩山由紀夫前首相がアジア重視の象徴として掲げた「東アジア共同体」構想には触れなかった。 経済・資源外交では、「平成の開国」の実現が今年の最優先課題だと指摘。貿易だけでなく人材交流を含めた経済連携の重要性を主張した。環太平洋パートナーシップ協定(TPP)への交渉参加について「今年6月をめどに結論を出す」とした。 首相がこの時期に外交演説に踏み切ったのは、「外交政策が定まらない」という批判への危機感からだ。昨年末、首相は「国民にまとまった形で外交の考え方を話したい」として、演説の準備を指示。笹森清内閣特別顧問が役員で、経済人や各国大使らが出席する非営利団体「民間外交推進協会」の演説会を舞台に選んだ。 菅政権は発足以降、尖閣事件や北朝鮮による砲撃事件など外交懸案への対応に追われ、内閣支持率は低下。首相は「(外交対応が)部分部分で切り取られている」と不満を募らせた。24日に開会する通常国会の施政方針演説でも外交分野を盛り込むものの、「ほんの一部」(首相周辺)に過ぎないため、「菅外交」の全体像を示すことにした。 この日の演説では、米軍普天間飛行場移設問題で沖縄の理解をどう得るかという具体的な道筋は示されず、首相が韓国と約束した朝鮮半島由来の図書の返還の見通しにも触れなかった。(倉重奈苗) 110117 与謝野氏起用「評価しない」50% 朝日新聞世論調査 [朝日] 朝日新聞社が15、16日に実施した全国定例世論調査(電話)によると、菅直人内閣の支持率は26%で、昨年12月の前回調査の21%からやや増えた。不支持率は54%(前回60%)。内閣改造で、社会保障と税の「一体改革担当相」に与謝野馨氏を起用した人事に対しては「評価しない」が50%に達し、「評価する」の31%を大きく上回った。 世論調査―質問と回答〈1月15、16日実施〉 菅首相に「期待する」との意見は前回とほぼ同じ35%で、内閣改造による政権浮揚効果はいま一つのようだ。 参院で問責決議を受け、去就が焦点となっていた仙谷由人官房長官の交代については「評価する」が47%で「評価しない」の34%を上回る。後任の官房長官に枝野幸男氏を起用した人事は「評価する」41%、「評価しない」39%と見方が分かれた。 改造の目玉人事である与謝野氏の起用は、民主支持層で「評価する」51%、「評価しない」36%なのに対し、与謝野氏がかつて所属した自民の支持層では24%対64%と「評価しない」が多数を占めた。 一方、菅首相が「社会保障とその財源について議論し、6月までに方向性を示したい」と述べ、消費税引き上げの議論に積極的であることを紹介したうえで、それに対する首相の姿勢を聞いた質問では「評価しない」48%が「評価する」39%を上回った。 民主支持層では「評価する」が56%、「評価しない」が35%。これに対し、自民支持層では「評価しない」が52%と多いものの、「評価する」も40%に上る。自民支持層の内閣支持が8%しかないことを考えると、かなりの割合で社会保障と税の一体改革に限っては理解を示している、ともいえる。 菅首相は一体改革を超党派で議論しようとして与謝野氏を起用したが、首相の社会保障・消費税引き上げの議論への姿勢を評価するという人の中でも、与謝野氏の起用については「評価する」42%、「評価しない」45%で意見が分かれた。 また菅首相は、社会保障と税の一体改革と並んで環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉への参加に意欲を示している。これに関連して、農産物の関税を大幅に引き下げ、貿易の自由化を一層進めることの賛否を聞いたところ、「賛成」が41%、「反対」が39%だった。 110114 「税と社会保障を一体改革」 第2次菅改造内閣が発足 [朝日] 菅第2次改造内閣が14日、発足した。菅直人首相は同日夕、首相官邸で記者会見し、「安心できる社会保障制度のあり方と持続可能な財源について、国民的な議論を高めたい」と述べ、税と社会保障の一体改革に意欲を示した。年金制度改革では、民主党が掲げる全額税方式による最低保障年金の創設にはこだわらない姿勢を示した。また、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)への参加問題と農業改革も重要課題に据えた。 首相は会見で、改革の進め方について「社会保障制度のあり方を考えていく中で、持続可能な財源のあり方についても議論する」と指摘。議論は、制度のあり方から財源問題へと二段構えで進める考えを示した。 その上で、2009年衆院選政権公約(マニフェスト)にも盛り込んだ全額税方式による最低保障年金創設について「民主党の提案をベースにしながらも、根源的な改革に向かって他の議論を含めて議論されることは十分あっていい」と言及。首相が呼びかけている税と社会保障の超党派協議に野党を巻き込むため、現行の社会保険方式に歩み寄る姿勢を示した。 さらに、税方式についても「公約を議論した当時からの人口構成の変化、今後5年、10年先の変化を考えれば、そのころの前提がそのままでいいのか考えるのは当然だ」と指摘。衆院選マニフェストの修正もありうるとの考えを示した。 首相は税と社会保障一体改革について、自民党時代から財政再建派で知られる与謝野馨・元たちあがれ日本共同代表を経済財政相に「一本釣り」し、与謝野氏を中心に議論を進める意向だ。会見では、与謝野氏起用の狙いについて「問題の責任者になってもらったことは内閣改造の一つの大きな性格の表れだ」と期待を込めた。 ただ、民主党内では最低保障年金の創設にこだわる意見が根強い。与謝野氏はこの日、記者団に「なるべく早く具体的な案をつくって世に問いたい」と強調したが、年金制度改革については「社会保険方式で進むことが具体的であり、実現可能性がある」と述べており、政権内の意見調整に手間取る可能性もある。 首相は与野党の協議を進めた上で、今年6月をめどに具体案を取りまとめたい考えだ。ただ、野党側はかつて民主党批判を繰り返していた与謝野氏が政権入りしたことに反発しており、協議を始めるめどすらついていない。 一方、首相は「平成の開国」を掲げ、TPP交渉の参加にも意欲を示した。TPP推進派の海江田万里氏を経済財政相から経済産業相へ横滑りさせたことをテコに、6月ごろの結論をめざす考えだ。「日本の農業はこのままでは成り立たなくなる」として農業改革も取り上げ、「(TPPとの)二つを両立させる道筋をしっかりと打ち出していきたい」と訴えた。 このほか、内閣改造と民主党役員人事の狙いについて「民主党の危機を乗り越えるためでなく、日本の危機を乗り越えていく上で最強の体制をつくるという考えで進めた」と強調。通常国会での対応について「できるだけ早い機会に積極的に党首討論に応じたい」などと語り、野党側に審議への協力を求めた。 今回の改造で、首相は参院で問責決議を可決された仙谷由人・前官房長官、馬淵澄夫・前国土交通相のほか、参院に問責決議を提出された岡崎トミ子・前国家公安委員長の3氏をいずれも退任させた。首相はこれまで、参院問責の法的拘束力に疑問を示す発言をしたこともあったが、この日の会見では「そういうことをベースに行った改造ではない」と述べるにとどめた。 110103 菅氏「権力を掌握する」 首相と小沢氏、新年会で火花 [朝日] 菅直人首相と民主党の小沢一郎元代表が1日午後の同じ時間帯に、別々に新年会を開き、側近らを集めて今年の抱負を語った。小沢氏がいつ衆院政治倫理審査会(政倫審)に出席するべきなのか、主張に開きがある両者が、互いを意識した発言で見えない火花を散らした。 菅首相は1日午後、約5時間にわたって首相公邸で新年会を開催。閣内から仙谷由人官房長官、北沢俊美防衛相、蓮舫行政刷新相ら、民主党側から枝野幸男幹事長代理、江田五月前参院議長など衆参約45議員が参加した。 出席者によると、首相はあいさつで「今年は自分らしさをしっかり出したい」と宣言。さらに「臨時国会は守りに徹したが通常国会はそうはさせない。やりたいことをやるために権力を掌握する」と意気込みを見せた。 首相は例年元日、東京都内の自宅に側近議員や知人を招いており、今年は首相の希望で「祝賀会」を開いた。公邸内の私生活スペースを使い、首相側がすしやおでんなどを用意した。 一方、小沢元代表は都内の自宅で新年会を開き、原口一博前総務相、山岡賢次副代表、細野豪志前幹事長代理、谷亮子参院議員ら衆参約120議員が参加した。 小沢氏はあいさつで、自らの自民党幹事長時代に参院が与党少数ながら法案成立にこぎ着けた事例を挙げながら「ねじれ国会になったんだから仕方ない、という理屈は通用しない」と、菅政権の国会運営を暗に批判。その上で「本当の議会制民主主義と、国民の生活が第一の政治を実現したい」と訴えた。 小沢氏は自らの「政治とカネ」の問題については「私自身、皆さんにご迷惑ばっかりかけております」と触れただけだった。ただ、昨年末には自ら政倫審出席を表明しており、局面を打開すべきなのは参院で問責を受けた仙谷氏らを抱える首相側だとの主張だ。参加者は「小沢氏はかなり高揚していた」と話した。