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トイレのドアを閉め、鍵をかけた梨花は、目の前の便座を見やって、ふぅと深い溜息をつく。 用を足すでもなく、しばし躊躇うように立ち尽くしていたが、おもむろにぺたんと便座に座り込むと、勢いよくスカートの下のショーツを下ろす。 そして両足の間に右手をかざす。掌は微かに震えていた。これからする行為を嫌悪しているかのようだ。 そこでもしばし躊躇って硬直するが、やがて両目を固く閉じるや、その掌を自らの秘所へと誘う。 閉じられた秘唇を軽く愛撫し、刺激を与える。 「んっ、んあっ、んんっ」 割れ目へと指先を挿し込み、己が花園の入口を静かにこじ開け、三ヶ月前に咲かせたばかりの花を自ら弄び始める。 三ヶ月前と三週間前にそこへと挿し込まれた、彼の指と男根の感覚を思い出しながら。 「んはっ、あん、はぁっ……け……い…いちぃ…んっ」 外に漏れないよう必死に息を押し殺そうとつつも、しかしその口から零れるは、今は遥か遠くにいる最愛の人、そして未来の夫と定めし者の名。 指の動きは次第に早く、荒々しくなってゆき、ぬちゅっぐちゅっ…という淫靡な水音が混ざり始める。下の便器に、微かに糸を引いた滴がつうっと零れてゆく。 「けい…いちぃ…あっ…んっ…んはっ、…け…いいち…圭一っ」 微かな声で恋人の名を呼び続ける。呼んでも彼に声は届かない、彼は来てくれない。そのやり場のない思いが更に指を、手を、腕を加速させる。 「っ!!圭一っ、あっ――――――くっはっ…」 びくんっと全身を大きく痙攣させ、一瞬天井を仰いで絶頂を迎えた梨花は―――しかし、転瞬がくんとうな垂れて、快感とはかけ離れた表情を浮かべる。 寂寥、憂鬱、嫌悪、煩悶、そして慕情のない交ぜになった歪んだ顔。 無言でがっくりと俯いた梨花の口から………やがて嗚咽が漏れる。 「くっ、うくっ、ううっ……あ…いたい…、うっ、あなたに…逢いたい…傍にいたい」 瞳から零れる涙を拭おうとして、右手をかざし―――その手が自慰で汚れていることに顔を顰めるのだった。 「ううっ、ぐっ…こんなんじゃ…ダメね。でも…やっぱり自分に嘘はつけない。ぐすっ…どうすればいいの?」 東京は、雛見沢からあまりにも遠かった。 圭一が戻ってくる事も、梨花が出向く事も、決して容易ではない。 大学進学で旅立って以来、彼が戻ってきたのは六月の綿流し祭の一夜きり。 進学以前は、毎日当たり前のように逢っていたことを思えば、覚悟していたとは言えあまりに辛い現実だった。 旅立ちの前の晩、そして奉納演舞の後の晩に彼と肌を重ねた感覚が、遠く感じられる。 ただ寂しさを紛らわせるために、その感覚を追い求めて自慰に耽ってしまう自分が余りにも情けない。 「こんなことじゃ、ダメよね。逢いたければ逢いに行けばいい。そのためには――」 左手で涙を拭い、右手の穢れを紙で拭き取った梨花は、ある決意を固めるのだった。 バイトを終えた圭一は、この日も疲労困憊の重い足取りでアパートに戻ってきた。 ふと手帳で明日の予定を確認する。暦は八月。お盆明けで明日のバイトは休みであった。 口から溜息と共に、弱音が漏れる。――あぁ帰りたい。みんなに…梨花に逢いたいなぁ。 梨花は今頃夏休みであろう。何をしているのだろうか。 戻りたくとも、圭一の財政は学費と生活費だけでもカツカツで、六月に一度帰るのが精一杯だったのだ。 大事な収入源になっているファミレスのバイトのシフトに、度々大きな穴を開けてしまうわけにもいかない。 (やっぱり、親父の言葉に甘えるべきだったかなぁ……いや、そうもいかないか) 圭一は内心でぼやき、そして頭を振る。この日の朝から昼の間、圭一の両親が不意にアパートを訪れていたのだ。お盆期間にあった東京での仕事の帰りに立ち寄ったのだという。 いうまでもないが東京と雛見沢を往復すると、結構な金額が飛ぶ。 仕事ゆえ交通費を支給されているのであろう両親とはわけが違う――と、圭一は思っていたのだが、実はそうでもないということを、未だに彼は知らない。 そんな圭一は、帰り際冗談交じりに父親が言った「新幹線代肩代わりしてやるから一緒に帰省するか?」という誘惑についつい乗りそうになるのを必死に堪えるのだった。 その一方で梨花が来るのもきっと難しいだろう、と圭一は諦観していた。彼女はまだ高校生だ。しかも両親が居ない身の。 幾らなんでも公由さんとかに、俺と逢うための交通費などはそうそう強請れないだろう。 「…やっぱり辛いよなぁ、遠距離恋愛ってヤツは」 憂鬱な表情で鍵を差し込み、ドアを開けて―――そして圭一は息を飲んだ。 「あ……け、圭一っ!圭一っ!!」 ドアを開けて、圭一が部屋の明かりが点いていることに驚く間もなく、玄関で待ち構えていたエプロン姿の梨花がその胸に思いっきり飛び込んできた。圭一がバランスを崩して倒れこむくらい強引に。 「おかえりなさいっ!!逢いたかったわ、圭一♪」 「…り、梨花っ!?き、来てたのか。なら連絡の一本ぐらいしろよっ!びっくりしたじゃねぇか!!」 「だって驚かせようと思ったんだもの♪」 「だからってなぁ……」 この時圭一はまだ知らなかったが、梨花を圭一のアパートに手引きしたのは、彼の両親だった。圭一がバイトに行っている隙に、ちょうど入れ替わりの形になったのだ。でなければ田舎娘の梨花が、初めての東京訪問ですんなりと圭一の住まいには辿り着けなかっただろう。 「まぁ一応住所は教えてあったし、合鍵はうちの両親にでも借りたんだとして、旅費はどうしたんだ?」 「園崎家のツテでアルバイトを始めたのよ。エンジェルモートの」 「何だってっ!?梨花がバイト?しかもエンジェルモートだと?よく公由さんが許したなぁ」 後見人になっている公由村長が、梨花にバイトを許すとは俄かには考えられない圭一だった。しかも、いささかケシカラン制服のエンジェルモートのだ。 「勿論反対されたわよ。でも背に腹は代えられないわ。すねを齧ることなく圭一と大っぴらに逢うためなら」 「そっか。頑張ったんだな。嬉しいぞ、梨花」 「疲れたでしょ?ご飯にする、それともお風呂にする?」 こういう時どう答えるべきか、何故か圭一は解っていた。彼もまた、健全な男子だったから。しかも辛抱を強いられている立場の。 「もちろん梨花を頂く」 そう言って圭一は有無を言わさぬ勢いで、梨花の唇を塞ぐのだった。 キスを終えた二人は、万年床よろしく部屋に敷かれたままの布団の上に移動する。 圭一が帰宅してから、ずっと頬を緩ませっぱなしの梨花がエプロンと上着とスカートを脱ぐと、場違いにもその下から体操服が露になる。 そして持ってきたカバンの一つをガサゴソと漁って、そこから妙なものを取り出す。 「ふふふ、圭一。今日は大サービスよ」 「な、なにぃ!?そ、それはっ!!」 「み~☆今日のボクは圭一のにゃーにゃーなのですよ。いっぱいいっぱい愛でて欲しいのです。圭一のミルクがたくさん欲しいのです。にゃーにゃー」 「り、梨花ぁあ!!ぐはっ!!」 猫耳と鈴付き首輪、そして尻尾を体操服で装備した梨花にKOされた圭一は、その場で卒倒した。 倒れた圭一が復活するよりも早く、しだれ寄った猫耳梨花は、ズボンのファスナーを開け、パンツを下ろしてしまう。 「…もう…我慢できない…の。早く圭一のが欲しい」 屹立した圭一の分身を愛しげに愛撫すると、梨花は待ちかねたかのようにパクッと咥える。 「り…梨花…あ、気持ちいい…いいぞ…上手くなったなぁ…。しかもその姿…ヤバイ、ヤバすぎるっ!」 その場に横たわったまま、立ち直る間もなく下半身からこみ上げる快楽に襲われた圭一は、至福の声を上げながら、猫耳付きの頭を撫でる。 「はむ、んん…んふぅ…、んん…んむ…むふ…ちゅぱ」 梨花は一心不乱に圭一の分身を口でしごく。そのピストンは激しく、上下する度に首輪の鈴がチリンチリンと音を立てる。 「へぇいいひ、おいひい…んっ…じゅる、んむ…」 平素我慢を強いられていた圭一の分身の強張りは、梨花の熱い口内での愛撫に対してあまりにも脆かった。 「あ、あは…スマン、お、俺もう…ダメだ。で、出るぅう!」 実に呆気なく、圭一は一回目の放出を梨花の口内で果たす。たちまち梨花の口内は、激しく痙攣する分身から迸る精液で満たされる。 「はむ、ん!?―――むぐっ…んご、んんんんっ…ごく、くふん…ごふぉ…ん…こくん、ん、ごくん…ごくん、…ごくん…んふっ」 流石に全ては収まりきれず、口の両端から白濁の液を滴らせながらも、梨花は圭一のミルクの大半を飲み干すのだった。 そして口からこぼれた液も舌と指で綺麗に拭って、 「こくん…くはぁ、はぁ…あ、け、圭一のミルク、おいしかったのですよ…にゃー」 と、猫が顔を洗う仕草を真似る姿を見て、圭一は再び卒倒…もとい昇天しそうになってしまった。 「おいしいって…。あんまり無理すんなよ…」 梨花が圭一の精液を飲み干すのは、これが初めてのことである。圭一がまだ高校に通っていた頃に試みたのだが、その時はむせて吐き出してしまっていた。 「…だって、これが未来の妻の務めなのです。ご主人さまのために頑張るのです。にゃーにゃー」 「くぅ~!たまんねぇな!!ったく梨花のその顔、可愛過ぎるぞ!!」 その言葉に感激した圭一は、梨花を抱きしめて愛しげに頬ずりするのだった。 まったく、疲れて帰って来たかと思えば、何という手荒な…もとい熱烈な歓迎だろうか? 梨花が遥々来てくれただけでも狂喜乱舞なのに、よもやこんなコスプレご奉仕まで!! 成長しつつも未だにあどけなさの残る梨花が、体操服に猫のパーツを付けた姿は実に凶悪極まりない。 「こ、今度は俺の番だな。梨花を気持ちよくさせてやるぜ」 何故かちょっと惜しいとは思いつつ、俺は梨花のブルマをショーツごとゆっくりと脱がす。 そして、目の当たりにするのはこれで通算三夜目となる梨花の秘密の花園が―――薄く生えた芝生と、膣内への入口が、無防備に俺の前に曝け出される。 微かに割れ目が濡れているようにも見えたが、挿入にはまだ早そうだ。 俺は東京に出てきてから新たに入手した参考資料―――あくまで、梨花との営みをレベルアップするための教材であって、決して己が欲求不満の発散のためではないぞ――を脳内に反芻する。 過去二夜は手先でかき回したが、今回は―――― 「そんな…顔を近づけないで…。恥ずかしいし、圭一の息がかかって…」 梨花の両腿の間にすっぽり頭を埋めた俺は、その言葉を無視して秘唇をゆっくり指でこじ開けて、そこに口から出した舌を近づける。 「け、圭一?あ、ひゃっ、そんな…だめぇ。そんなとこ…き、汚いのにっ…ん」 ぺちゃ、ぴちゃ…と淫靡な水音―――わざと大仰に荒々しく口と舌を動かす。三度目の開園を迎えた梨花の花園は、たちまち俺の唾液に穢れてゆく。花園の蜜と混じりあいながら。 「ひゃっ、あん、っんは、はん!け、けいいちのしたが…ぁん、は、はげしくぅ、んっ、あ、いいっ!」 心なしか、指で弄った前回や前々回よりも、梨花の嬌声はより激しいように思えた。そんなとき、舌先が豆のような隆起を捉える。 「きゃっ、けいいち…そこは…やぁ…。あ、あたまが…しびれ…ぇえっ、ああん!!」 そこがクリトリスだということを参考資料教本で最近知った俺は、ぽっちり勃ったらそこを重点的に攻めるべしというマニュアルに則り、舌先で突いて転がす。 「ああんっ、だ、だめぇええええ!!――――んはっ」 快楽の頂点を迎えた梨花がびくんと大きく仰け反った刹那、花園のスプリンクラーが作動して―――秘所から盛大に潮を吹くのだった。 「でも困ったなぁ…梨花が来るなんて思わなかったから、ゴムの持ち合わせがないぞ。うっかり中出ししたらヤバイし…」 「…ゴムのこと?なら大丈夫よ。…ほら」 圭一のぼやきで我に返った私は、猫パーツや体操服が収められていた方のバッグから小箱を差し出す。 こんなこともあろうかと、私はバッチリ用意していたのだ。 というか、こういうことには妙に親身なところのある詩音にもらっていたものなのだが。 「ったく、梨花には敵わないぜ。ヤル気満々じゃねぇか」 何だか私がひどく淫乱な女であるかのような言い回しにも思えたが、彼恋しさに何度も自慰をイタしてしまっていた身では返す言葉も無い。 だって、それだけあなたが好きなんだから、さびしかったんだから仕方が無いじゃない。 「…なぁ、今日は…梨花が上に乗ってみないか?」 「えっ?」 私から渡されたゴムを自分の分身に付けた圭一は、おもむろに言った。 彼に促されて体操服の上着を脱いでいた私は、思わずきょとんとなる。 「今まで、挿れた後は俺が梨花を上や後ろから突いてばっかりだったからなぁ」 私の返答を待たず、圭一は仰向けに横たわり、上に跨るように促す。 初めての夜、そして祭の夜―――二夜の本番で私は、ひたすら圭一にその身を委ねて、彼の成すがままだった。 それでも私はよかった。 百年の時の牢獄を彷徨った末に見つけた、最愛の人に抱かれるだけでも十二分に嬉しかったのだ。 しかし圭一は、今回は私にその身を委ねようと言う。 本当にいいのかと、圭一の上に跨った私はおずおずと下にいる彼を“見下ろす”。 視線を合わせると、圭一はニヤリと笑って頷く。 その瞬間、私の背中にぞくりと電撃が走り、言いようのない衝動がこみ上げてくる。 意を決した私は、圭一の分身に手をかけ、彼の口で弄られていやらしくぐちゃぐちゃになった己が秘唇へと添える。 対して圭一はそれを促すかのように、私の腿に添えた手に力を込めて挿入を誘う。 彼にこの身を貫かれることへの恐れなどもうない。でも私は、何故か腰が震えた。 きっとそれは恐れなどではなく、未知の快感への扉を開ける事への躍動なのだろう。 私はゆっくりと腰を下ろして―――― 「あ…ふぁっ、あっ…あはっ、け、圭一っ!」 侵入した圭一の分身が、力強く私の膣内を突き上げる。さながら昇龍の如く。 その感覚に頭が真っ白に弾け飛んだ私は、それまでと一転して腰を一気に下ろす。 「あ、ふぁあぁ、ああんっ―――!!」 私の膣が全て圭一のもので満たされる―――奥まで全部。 「…く、全部挿入ったぞ…そうだ、腰を動かしてみろ」 「ふぇ?」 下の圭一からの声に、快感に痺れて何が何だかわからなくなっていた私は、思わず間の抜けた声を上げる。 「り、梨花の思うままに、動かすんだ。きっと、すっごく気持ちいいぞ」 まだ、この先があるというのか。ならばイキたい。 今やまともに思考など出来る状態じゃない筈なのに、何故かその考えに至って奮い立った私は即座に腰を動かし始めるのだった。 きっとそれは、本能のなせる業なのだろう。 上下前後にとでたらめに腰を動かす度に、ぬちゃ、ぬちゃ、と淫靡な音が響く。 「あっ、んあっ、はぁん…く、あっ、あっ、んあっ、」 「あ、あぁ、こ、こうして下から見上げるのもっ、くっ…オツなもんだなぁ…。今の梨花…すっげぇ綺麗だぜっ、エロい、エロすぎるぞ!!」 そんなことを圭一は下から言ってくるものだから、私は両目をぎゅっと瞑って天井を向き、精一杯抗議する。 「バ、バカッ!け、圭一のせいよっ!!あんっ、圭一が…私をっ、んっ、こ、こんな風にしちゃったのよっ!!…で、でも…んっ、はっ、こ、こんな姿を見せられるのも、圭一だけ、なんだからっ!!ああん、腰が勝手に…やぁん、こんなのっ…こんな私…」 ふと気が付けば、無意識の内に私は右手で激しく自分の乳房を揉みしだいていた。 既に腰は止まらなくなり、私は全身を振るわせて圭一の上で暴れまわっていた。 暴風に曝された木々の如く、長い髪が揺れていた。 こんなにも気持ちいいなんて。他でもない圭一の眼前で、こんなにも乱れた姿を露にするなんて。 その恥ずかしさが――私の快感を、動きを更に加速させる。 「んっ、んっ、いい、いいわっ、圭一っ!!」 「俺もだ、すっげぇ気持ちいい、くはっ」 あぁ、圭一も気持ちがいいのか。私を弄ぶだけでなく、私に弄ばれるのも好きなのか。 初めての夜に圭一は私達のつながりを「お互いに煽ったり煽られたりする、そんな関係」と言っていたが、本当にそうかもしれない。 などとおぼろげに思っていた時―― 「んっ、んっ、っ!…あんっ、そこっ!」 下から圭一の手が伸びて、私のもう一方の乳房に手をかけて揉み始めたのだ。 自らの手と圭一の手で両胸に与えられるその刺激で、私はもう限界だった。 「あ、だ、だめぇ…あ、わ…たし、あたまがしびれて…あん、も、だ、だめぇえええええ!!」 「く、俺もだ、で、出るっ」 沙都子に内緒で、詩音にこっそりと読まされたとある本に描かれていた。こうして絶頂に昇りつめる事を――― 「圭一、圭一っ!わ、わたし…もう、イ、イッ、イッちゃう…!!っああぁぁん!!…………かはっ」 刹那、圭一の分身が私の膣内で痙攣して一際激しく暴れまわった―――― 絶頂と反比例するかのように、圭一の胸の上にがっくりと崩れ落ち、その胸の温もりと鼓動をひしと感じながら、私はぼんやりと思う。 ひょっとしたら、私は圭一の上に乗っかるのが好きなのかもしれない。 己の思うままに、圭一を蹂躙し、彼の上で全てを曝け出して暴れまわるのが好きなのかもしれない。 私は漠然と予感する。 これはきっと病みつきになる。もしかしたら私は――― 「なぁ。梨花には、将来の夢ってあるか」 「えっ?」 梨花を抱えながら起き上がった俺は、梨花から分身を引き抜くと、ゴムを外してティッシュで残滓を拭おうとした。 だが、ようやく我に返った梨花はそれを制して先端を綺麗に舐めとろうと舌を出す。 健気な未来の妻の頭を撫でながら、俺は天井を仰いでふと問いかけたのだ。 「大学進んでまだ四ヶ月そこそこだけど、俺にはおぼろげにだけど形になってきてるぜ」 机代わりに使っているテーブルの脇の段ボールを指差した。 そこには、進学後梨花から「神道の勉強の足しにでも」と送ってきた、古手家所蔵の古文書の類が入っている。 「ある程度は解ってたけど、やっぱりこの世界はしきたりとか戒律とか伝統とかが山のようにあったりするんだな。…それを無闇にぶち壊すつもりはない。けど、俺は古手神社を、片田舎の寂れた小さな神社で終わらせたくもないな。のんびりとのどかに神主業やって終えるのもまた人生だけど。出来れば、沢山の人が参拝に来る賑やかな神社にしたくないか?」 己が分身に付いた残滓を舐め終えて、股間から顔を上げた梨花は、冴えない表情で呟く。 「将来…。ボクに出来ることは…古手家にお婿さんを招いて、その跡継ぎの子供を産むことくらいなのですよ。それがボクの役割なのです。…母猫は仔猫をみゃーみゃー産んで、お乳を与えて…それで――」 何故か昔の口調でそう言った梨花の顔には、どこか諦観が込められていたようにも見えた。 さっきから付けたままの猫耳が、鈴付きの首輪が――梨花の言葉を妙に肯定させているようにも思える。 そんな猫耳梨花を見ていると――母猫のお乳に群がる沢山の仔猫の図が一瞬脳裏を過ぎて、眼前の彼女とダブって見える。 梨花は古手家を存続させるための、ただの繋ぎなのか? 犬猫のように、ただ跡継ぎを産んで育ててそれで人生お仕舞いなのか? そんなのはおかしい―――俺は梨花の猫耳カチューシャを頭から取り、鈴付き首輪も外して両方とも放り投げた。 それから腹の底から精一杯の力を込めた声で語りかける。 「そんなんじゃ…つまらないだろ?俺は梨花を、家存続のための道具になんてしないぜ。あの日言ったよな?俺は梨花の力になりたいと同時に、梨花も俺の力になってほしいと。この前原圭一が、古手家に飛び込んで骨を埋めようってんだ!将来俺が動くのにはみんなの力が要る。もちろん梨花の力もだぜ?古手家直系の人間として、いや何より俺の妻として、新米神主の俺を全力でサポートしてくれ!!なっ!!」 そう言って俺は、梨花を両手で力一杯抱き寄せ、わしわしとその頭を撫でる。 お互いに素肌で触れ合い、髪をかき回す感触。温もりも心臓の鼓動もひしと伝わってくる。 「私が…圭一を…サポート」 「あぁ。いろいろ話は聞いてる。古手家が親類もなく、御三家の中でも力の無い末席ってな。なら、俺達が力をあわせて、これから新しい古手家を創って、古手神社を立派にしてやろうぜ!そして子供の代になる頃には、園崎家や公由家なんかに負けない、雛見沢屈指の名家にしてやろうじゃねぇか!」 俺は右手で拳を握り締め、梨花を抱える左手にもより一層力を込めて笑いかけた。 腕の中で、最初は冴えない顔でぽかんとしていた梨花も、次第に瞳に輝きが宿り、口元を綻ばせて、 「圭一……そうね。圭一と力をあわせれば、出来そうな気がする」 と言って、俺をひしと抱きしめ返す。 「今はまだ…中出しも出来ねぇ立場だけど、将来はバンバン子供作って分家も創っちまおう。園崎家なんかに負けねぇぞ!」 「圭一…。あなたは…かつて雛見沢の澱んだ悪弊を打ち破っただけでなく、私と古手家の未来も、切り開いてくれるというのね。…あはははははっ、いいわっ!面白いわっ!やっぱり圭一でよかった!」 「そう思えば、将来が楽しみにもなるだろ?…実は俺もさ、最近ちょっとへこたれそうになってたんだよ。でも、今日梨花が来てくれてこうしていたら、くすぶってた炎がまた燃え上がってきたぜ!梨花は俺の大事なパートナーだ。だから…愛してる」 「私もよ。また元気がわいてきたわ。まるで、運命に疲弊していた私に力を与えてくれたあの頃みたいに。だから好きなのよ」 「ああ、好きだ。愛してるぞ、梨花」 そして俺は梨花としばし唇を重ね、お互いに行為の余韻に浸りつつ、将来への誓いを確かめ合うのだった。 「なぁ、梨花は何時までここにいられるんだ?」 「ふふっ、何時までだと思う?……もちろん夏休みギリギリまでいるつもりよ」 「ってことは……あと二週間も!?大丈夫なのか?」 「アルバイトの一ヶ月分のお給料と、今日圭一のご両親に預かった差し入れ。無駄にはしないわ」 「あ~あ、結局親父やお袋にまた借りを作っちまったか。まぁ今はありがたく受け取っておくかな」 前原の名字を捨てて、古手に婿入りしてしまう将来像を既に仄めかしてしまっているというのに。 それに対して、きっと思うところもあるだろうに。 それでも何かと支援してくれる両親に、圭一は内心で手を拝むのだった。 「それに、私がいないと圭一もイロイロと溜まっちゃうでしょ?こんなもので発散して欲しくないし」 梨花は、おもむろに万年床の下から一冊の本を取り出す。 その表紙を見るや、圭一はたちまち顔面蒼白になる。 両親に見つからないよう、厳重に隠蔽していた筈なのに。 「そ、それはっ!?…待て、誤解だっ!そ、そ、それはだな…梨花とより気持ち良くなるためにアレコレ学ぶための教材であってだな…」 両手を振ってアタフタする圭一に、梨花は小悪魔のような笑みを浮かべて―― 「………み~☆ボクはぜんぜん怒ってなんかいないのですよ。せめてこれから二週間は、こんなものがいらないくらいに、圭一を楽しませるのです。それが未来の奥様の責務なのです。そして…………私も楽しませてね。私の未来の…だ、ん、な、さ、ま」 くすくすと妖艶に笑いながら、梨花は圭一の縮こまった分身を思いっきりぎゅっと握る。 やっぱり、その笑顔と声音と手には怒りの微粒子も込められているのでは、と少しだけ慄く圭一だった。 「ぐあっ、本当に悪かった!…で、でも、傍にいてくれるのは嬉しいな。二週間限定の同居生活か。そういや明日は丁度休みだし、一緒に遊びにいくか」 「望むところよ。でも圭一、これは同棲よ。ど、う、せ、い。くすっ、改めて宜しくね。圭一、明日は楽しみにしてるわ。初めての東京巡りをあなたと一緒に…くすっ」 圭一の分身を握った梨花は、それを手荒にしごき始める。二回戦を熱烈に希望しているのは明白だった。 それを拒否する理由など一切無い圭一は、苦笑しながら梨花の頭を撫でてそれに応える。 それから一晩中、二人は別離の寂しさを忘れるべく、互いに激しく燃え上がるのだった。 こうして、圭一と梨花の短い夏の同棲生活が始まった―――― 夜の調教に続く
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第七章 準備 編入試験も無事終わりトンボ返りをしてきた俺は、自宅に付いて頭を抱えた。 何故かそこにはSOS団の全員が居て、母親や妹と共にいそいそと荷造りの手伝いをしていたからだ。 当然、俺の部屋もそのターゲットになっており、もうそれだけで俺は部屋に入る気も失せてしまったのだが、着替えがあるのでそうも言ってられず渋々ドアを開けると、部屋はそれはもう無惨な姿に変わり果てていた。 ハルヒのニヤニヤ笑いと朝比奈さんの頬を赤らめた姿を見て、まぁある程度予想は付いていたのだが、隠していたお宝DVDや雑誌などが綺麗に机の上に並べられていた。 「事前に告知したじゃない。処分しなかったアンタが悪い!」 はいはい、そーでしたね。でも、引っ越し便が来るのは明後日だぜ。引っ越しを手伝ってくれるのは、その日だけで良かったのに。 「アンタ大丈夫?引っ越しでも何でも、余裕を持って準備しておかないといけないでしょ?それに……」 ハルヒは俺に人差し指を突きつけて言い放った。 「SOS団全員が揃って活動できるかもしれない最後のチャンスなのよ?一日だけじゃもったいないわ!」 なるほど、これが春休みイベントの代わりとか言ってたな、こいつ。わかったよ。俺のプライバシーは既に無いも同然だから、付き合ってやるぜ。そうだな、じゃあ明日は谷口や国木田も呼ぶか。一応準団員だしな。 「ただし!机の上にある物体は、引っ越しの最後までそこに飾っておくこと!」 何を言い出しやがりますか、この女。これはどんな拷問だ?羞恥プレイか? 俺は部屋の真ん中で天を仰いだ。 翌日、朝九時。 近くの公園の桜が満開だというニュースをお袋から聞きながら朝食を取っていたら、チャイムが鳴った。 そこには昨日に引き続きSOS団全員が揃っており、それに鶴屋さん+谷口&国木田を加えた総勢7人がいた。しかも、妙にテンションが高い。もしかして、こいつら暇なのか? 「まだまだ来るわよ!」 おいハルヒ。引っ越しは明日だぞ?あと誰が来るのか正直に言いなさい。せめて俺の机の上にあるもの位は目に付かないところに移動したいからさ。 「却下だっていったでしょ?キョンの真実をみんなに晒し出してやるんだから!」 待てコラ。SOS団だけならともかく、他の面々にだな…… 「すいません、シュークリーム作ってたら遅れちゃったのね」 「……ごめんなさい、遅刻しちゃいました」 聞き慣れた声に戦慄が走る。恐る恐る振り向くと、そこには可愛いケーキの大箱を抱えた阪中とジャージ姿のミヨキチの姿があった。おい、こいつらも呼んだのかよ。 「あ~~ミヨちゃん、来てくれたんだ~~~」 俺が驚愕の声を発するより早く、妹がミヨキチに抱きついた。妹よ……ミヨキチを呼んだのはお前か。 「昨日、涼宮さんが電話くれたのねん?キョンくんのお引っ越しの、お手伝いしてくれないかって。ルソーの恩人のお引っ越しなら、やっぱりお手伝いしないとねん」 阪中、その気持ちとシュークリームだけ、有り難く頂いておく。 「お引っ越しのお手伝いをしたいと思って。明日は塾の試験だから、今日しかこれなかったんです……お邪魔でしたでしょうか?」 いや、そんなことはないぞ、ミヨキチ。春休み中なのに悪かったな、それより塾の試験勉強の方はいいのか? がんばれよ。 さ~~~て俺は自分の部屋の片付けを……ってオイ、ハルヒ!手を離せ! 「な~~に言ってんのキョン?まずこの二人にアンタの部屋のブツを見て貰わなきゃね!」 はああぁぁぁ?????止めろ、マジでマズイって!! ハルヒに羽交い締めされた俺は、阪中とミヨキチをとっちらかった俺の部屋へいそいそと案内する妹に向けてダメ!ヤメロ!とありったけの視線を向けた。だが妹はその視線を華麗にスルーすると、階段を掛け上がっていった。 ……30分後、俺の部屋から出てきた二人の態度は、妙によそよそしいものだった。 「キョンくんって……ああいう趣味だったのねん??」 ああ、妙な誤解をしないでくれ!せめてクラス会には呼んで欲しいぞ!そう佐伯には伝えてくれ、阪中!がっくりと肩を落とした俺に、ミヨキチが耳元で囁いてくれた。 「……あの、えっと……お兄さんがああいうのが好きなら、あたし……」 いや、何を考えているんだミヨキチ?あくまでもあれは一般高校生男子の性癖に収まる物であってだな…… 「私ちょっとびっくりしましたけど……でもお兄さんも普通の男の人だって判ったら、凄く安心したって言うか、その……えっと、気にしないで下さい!」 あー、ミヨキチ。色々気を遣ってくれたのはありがたいが、この世から消えてしまいたいぞ、俺は。 いろんな意味でな。 ……ハルヒ。いくらイベントとはいえ、そこまで人を貶めるか。人を指さしちゃいけませんって、学校で習わなかったのか?つか、鶴屋さんも、そこまで笑わなくてもいいでしょ? 何だかんだで引っ越し準備も終わりに近づき、お袋がSOS団全員+有志の連中にお茶を出していたときだ。 突然ハルヒが立ち上がった。 「キョン、ちょっとこっちへ来なさい」 脊髄反射で、訳も分からず付いていく俺。この反応速度は、自分でも賞賛に値するね。妹よ、ニヤニヤするんじゃありません。谷口と国木田、その笑いを含んだ顔をやめろ。気色悪い。 玄関をくぐり、家の前に出たあたりでハルヒは振り返った。ふと気付くと、俺の後ろには段ボールを抱えた古泉と、それに付き従うように朝比奈さんと長門がいた。 「みんなで相談した結果、アンタに餞別をあげることに決定したわ。喜びなさい!」 餞別?俺に?朝比奈さんや長門のものなら是非とも頂きたいが…… 「何?何か文句でもあるっての?」 イイエ、ゴザイマセン。 「よろしい。では、古泉くん」 「はい、閣下」 古泉はうやうやしく段ボールを掲げ、俺に手渡した。 満足そうなハルヒの顔を見ながら、俺は箱を開けようとした。と、途端にハルヒの声が飛んできた。 「ダメよ、ここで開けちゃ!」 何でだよ。別に良いじゃないか。 「う……と、とにかく絶対ダメ!そうね、新学期が始まったら開けなさい!団長命令だから!」 新学期て。じゃあ何か、もう半月近くもこれは封印しとけってのか? 「そうよ。別に生ものとかは入っていないから、安心しなさい」 いや、そう言う事じゃなくてだな……そう言おうとした俺は、その後のハルヒの言葉に耳を疑った。 「じゃあ、お返しを貰うわよ」 はあ??何のことだ?? 「何言ってんの?餞別貰ったら、お返しするのが当たり前でしょ?アンタ、人として常識が足りないんじゃない?」 お前にだけは言われたくない台詞だな。しかも突然そんなこと言われても、こっちは何も準備していないぜ? 「あら、良いわよ。キョンの私物を貰うだけだから」 って、おい!待て!何を持っていく気だ?俺にだって大切なものはある。持って行かれたらマズイものだってあるんだぞ? 「あったり前じゃない!あたし達だって泥棒じゃないんだから、アンタの許可くらい取るわよ」 そ……そうか。なら、良い……のか? 何だかよく分からないうちに丸め込まれてしまった俺は、玄関先にある俺の荷物が詰まった段ボールを物色している3人を見て、盛大にため息をついた。 「……これ」 長門が差し出してきたのは、俺のくたびれた北高の制服だった。まあ、もう北高に戻ることはないから、もう不要と言えば不要なんだよな。ブレザーとネクタイ、ズボンか。長門に掛けた迷惑を考えるとこれでも安いくらいかもしれない。いいぜ、持っていけ。 「……ありがとう」 長門の頬が少し赤らんで見えたのは、俺の錯覚では無いと思いたい。 「あたしはこれが欲しいですう」 朝比奈さんが取り出してきたのは、私服のジャケットだった。 あー、良いですけど、これもかなりくたびれてますよ。俺の私服なんで、そんなに高いものじゃないですし。 「いいんです。これって、一番最初に不思議探索したときに着ていたものですよね?」 ああ、そうか。あの時の。朝比奈さんが、実は未来人だと聞かされたときの服だっけ。 「ええ、だからなのかな。キョンくんはこの服のイメージがあるんです」 光栄です。差し上げますよ。 「ありがとうございますぅ~~」 「じゃあ、僕はこれを」 古泉が持ってきたのは、レトロな感じのボードゲームだった。あれ、これは確か…… 「ええ、これは僕があなたに唯一勝つことが出来たゲームです。是非、記念にと」 ああ、そうか。でもそれ、パソコン版が出てるぜ?英語だがな。 「ええ、知ってますよ。でもこの手のゲームは、やはりアナログでないと面白くありませんし、何よりあなたに勝ったという記憶に価値があるのですから」 そんなにご大層なものじゃないと思うが。いいぜ、くれてやる。 「ありがとうございます。このゲーム盤を見ると、僕に負けたあなたの悔しそうな顔が今でも鮮明に思い浮かびますよ」 前言撤回。お前には何一つ、くれてやるものはない。 「冗談です。大切にしますよ」 「あたしは……これ!」 ハルヒは段ボールからのお宝発掘をやめて、玄関の脇に止めていた俺の愛車に手を掛けた。自転車? お前、自前の持ってるんじゃないか? 「持ってるわよ。でも、これが欲しいの」 それ、俺が中学の時から乗ってる奴だから、もうボロボロだぜ?整備なんかもまともにやってないしな。 「分かってるわよ」 ……そうか。良いよ、持っていけ。 満足そうに頷くハルヒを見て、俺はほっとした。コイツのことだから、別のとんでもないものを要求されるんじゃないかと思っていたからな。例の青少年御用達DVDとかな。 「さて」 それぞれ満足のいくものを貰い満足そうな顔をしているSOS団全員の顔を見渡したハルヒだったが、ここでコイツは俺が全く予想もしなかった行動に出た。 「鶴屋さ~ん、こっちは全員貰ったわ!あとはみんなで引っ越しの手間賃を選んで!」 ななななななななななんですとぉぉぉぉぉぉぉ!!???? 「了解っさ~~、さあ、みんな!引っ越し賃を貰いに行くにょろよ!」 は~~い、とか、う~~すとか、各々元気の良い返事で玄関先に出てきた面々は、それぞれ勝手に俺の荷物の入った段ボールを漁り始めた。 もうあきれ果てて声も出ない。勝手にしてくれ、もう。 第八章 キョンの引っ越しへ
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第十九章 誤解 佐々木の乗った飛行機が西に空に消えていったのを確認した俺は、市街地に向かうリムジンバス乗り場へと向かった。大きな荷物を抱えた客がごった返すリムジンバス乗り場の片隅に、見慣れた人影が二つあった。 スマイルを顔に貼り付けた優男と、アッシュブロンドの小柄な女性。 古泉と長門だった。 「お待ちしてました」 「……」 懐かしい古泉のスマイルと、長門の三点リーダ。だが俺は、それを無視してバスの昇降口へに向かった。 やっと最近、あの時の事を思い出さなくなってきたんだ。 長門には悪いが、当事者である古泉と今更話すことは何もないからな。 突然、体が動かなくなる。振り向くと、いつの間にそこに移動したのか、長門が俺の服の裾を掴んでいた。 漆黒の闇に似た瞳が、俺の目を捕らえる。 「……一緒に来て欲しい」 古泉はともかく、長門にそう言われたら言うことを聞かないわけにはいかないか。 俺は乗りかけたリムジンバスを降り、古泉、長門と共にハイヤー乗り場に向かった。毎度お馴染みの黒塗りハイヤー。だが、俺はこのハイヤーには良い思い出がない。 最初は古泉との神人見物、最近では……いや、やめておこう。 俺たちが乗ったハイヤーは静かに動き始めた。妙な振動もなく加速していくハイヤー。もちろん運転手は新川さんではなかったが、この人も『機関』の人間なんだろう。 ハイヤーの中では一言の会話もなかった。饒舌な古泉も何も話そうとしなかったし、長門は言わずもがなだ。 かといって俺から話し出すのも何だか癪だしな。沈黙が車内を制していた。 ハイヤーはしばらく走ると、空港そばのランプから高速道路へと乗り入れた。流石に俺は動揺し、助手席の古泉に話しかけた。 「……どこに行くつもりだ?」 「少々、人払いをしておきたい話でしてね」 助手席から、こちらを見ずに古泉が応えた。 「まず、ご連絡です。涼宮さんは大学に合格されました」 「……そうかい。それは良かったな」 「僭越ながら、僕と、長門さんもです」 「お前はともかく、長門、おめでとう」 「……たいしたことではない」 数ミリ首を傾げた長門は、じっと前の方をの空間を凝視したまま動かない。 本を読んでいないなんて、珍しいこともあるもんだ。 古泉は助手席から、いつもの0円スマイル貼り付けた顔をこちらに向けた。 「実は、あなたでなければ解決できない事態が発生しまして、ここまで来ました」 「俺じゃなきゃ、ってことは『涼宮』絡みか」 『涼宮』と突き放した言い方をした俺の言葉に、古泉は一瞬驚いた顔をしたがすぐまた元の顔に戻った。 「……ええ『涼宮さん』絡みです」 「そうか。でも、もう俺は関係ないだろ?大体何でわざわざ『涼宮』の起こしたトラブルを俺の所に持ってくるんだ?」 「今回のことはあなたに原因があります。そして……あなたにしか解決できないことなんです」 「なんのこった」 「あなたの軽はずみな行動が世界を終わらせるかもしれない。そして、あなたはそれをしてしまった」 「ほう、軽はずみな行動ね。俺にはそんな事をした覚えはさらさら無いのだが」 古泉の顔が、微妙に変化した。目から微笑みが消え、真剣さが籠もった。 「まさか、あの2次試験の日のことをお忘れではないですよね?あなたが涼宮さんに対してやったことを?」 「パーティをすっぽかした件か。だがアレは事前にこちらから断りを入れていたはずだ。大体、当日いきなり言われてもだな」 「涼宮さんは、あなたがこの一年間頑張ったことを非常に喜んでいました。ですから、久々に会うあなたを労う意味も込めて2次試験終了後にパーティを企画したんです。それをあなたは台無しにした」 「だからそれは」 「夜行列車に間に合わない、ですか。あなたが乗る夜行列車が何時に出るかなどと言う事は、時刻表を見れば分かりますよ。試験終了後から発車時間までは、少なくとも4時間はあったはずですが?それとも、あなたは涼宮さんのパーティに出席する時間はなくても、佐々木さんとの御会食の時間はあったと言うことですか」 「……何が言いたい」 「正直、あなたが何を考えているのか僕には分かりませんが、一つの疑いを持っています。あなたが涼宮さんから佐々木さんに心変わりをしたのではないか、という疑いです」 「な……」 俺の心臓を突き刺すような言葉が古泉の口から飛び出した。その言葉を100%否定できる自信が今の俺には無い。何故なら心変わりとは言わないまでも、佐々木の衝撃的な告白の時から、俺はアイツのことを”女”として見始めていたのだから。 「確かに、佐々木さんは魅力的な女性です。しかもあなたとは一年間一緒に受験勉強をした仲だ。あなたは『親友』と仰るかもしれませんが、周りから見れば……」 「黙れ」 自分でも驚くほど冷たい声が出た。 ここまでは一緒にいた長門の顔を立てて、黙って古泉の話を聞いてやったが、もう我慢ならない。 「ほう、やはり図星だったようですね。ですが、それが軽はずみな行動だと……」 俺の一喝にも全く動じなかった古泉が、再びその口を開いた 「黙れと言っている」 そんな俺の返事を聞いて、それまでこちらを向いていた古泉が前の方に向き直った。 ミラー越しに見える、まるで獲物を目の前にした肉食獣のような顔。 猫なで声とはこういうのを言うのだろうと思う声で、古泉は言った。 「それでも、我々はあなたを見捨てたりはしません。何故なら、それが涼宮さんが望んだことだからです」 俺は古泉のその言葉で、ずっと心の奥底に封印していようとしていた、あの件をぶちまけることに決めた。 後がどうなろうと、知ったことか。 「古泉」 「なんでしょう?」 「お前は何故『涼宮』の側にいてやらない?」 「……ご存じの通り、僕たちはあくまでも涼宮さんのメンタル面の担当ですからね。残念ですが現実世界では無力に等しいのです」 「そうじゃない。『涼宮』には「お前」という恋人が居るのに、なんで『涼宮』に振られた俺が、わざわざフォローしてやらなければいけないんだと聞いているんだ」 車の中に沈黙が流れた。 「……今、なんと?」 「だから……お前は『涼宮』の恋人なのに、なんで俺を引っ張り出すのか?と聞いたんだ」 「??仰る意味がよく分からないのですが、僕は涼宮さんとそう言ったお付き合いはしておりませんよ。以前あなたに言ったように、僕は身の程というのを十分にわきまえているつもりですから」 「ならば聞くが、2次試験当日の朝に、俺が駅前で見たあの光景は幻だったのか?」 古泉の息を呑む声が聞こえた。ゆっくりとこちらを振り返る。 「……見ていたのですか?」 「ああ。それと、二人でスイートルームに向かっていくところもな」 脳内の奥底に封印していた、二度と思い出したくないあの光景が再び脳内にフラッシュバックされる。 「待ってください。僕と涼宮さんはあなたが考えているような関係ではありません。誤解です」 「誤解?駅前で抱き合ったり、一緒のスイートルームに泊まるのが誤解というなら、この世に誤解は生まれないぜ?今更そんなことを言われても、信用できるわけ無いだろ。それに」 今まで胸の奥に溜まっていた鬱憤を、一気に吐き出すように俺は続けた。 「国木田や阪中も『お前らはラブラブ』って言っていた。つまりそれは、少なくても俺が居ない一年の間に周りの連中に揶揄されるような関係になっていたという事じゃないか。これのどこが俺の誤解なんだ?大体、去年の11月以降、俺は『涼宮』とはメールでしかやり取りしていない。それからはこっちから電話しても留守電だし、掛かってくることは無かった。2次試験が終わって、卒業式が終わって、合格発表があって、それでも連絡すらよこさない『涼宮』だぜ?もう『涼宮』には俺は必要ないんだろうよ。お前というイケメンエスパーが居るからな」 「……違う」 一気に捲し立てていた俺の言葉を遮るようにして、長門が割り込んだ。 「……涼宮ハルヒと古泉一樹は恋愛関係、所謂恋人と呼ばれる関係ではない。涼宮ハルヒの恋愛感情は常に貴方に向いている。これは事実。私が保証する」 気がつくと、長門は俺の腕を掴んでいた。 どうやら俺は、話ながら前の座席の背もたれを叩いていたようだ。 手が赤くなっている。ちょっと痛い。 「……確かに当日の二人の言動のみから推測すると、貴方が誤解を抱くのは当然。また、それにより貴方は精神的不安定に陥り、2次試験で本来の実力を発揮できなかったと推測される」 ここで長門は古泉の方に向き直り、断言した。 「古泉一樹。現在のこの状況は、貴方のミス、不手際が直接の原因と推測される」 絶句する古泉。その顔からは、既にいつものスマイルが消え失せていた。 珍しく落ち着かない表情で俺と長門を交互に見渡し、しばらくの沈黙の後、困ったような笑顔を作った。 「そうでしたか。それではあなたが誤解するのも無理はありませんね。僕の不手際が原因だったとは。はは、こりゃ懲罰ものだ」 再び前に向き直り、ちらりと運転手の方を見る古泉。だが運転手は何も聞かなかったかのように、運転を継続していた。 「……でも、さっきの古泉一樹の言葉は本当。涼宮ハルヒは貴方を待っている。信じて」 古泉から俺の顔に視線を移し、真剣な表情で俺を見つめる長門。 長門が言うならその話、信じてやっても良いが。 黙り込んで座席に沈み込んでしまった俺の顔を覗き込むようにしていた長門が、やっと俺の腕を放す。 「……僕はあなたが佐々木さんに心変わりしたのではないかと疑っていましたが、それこそ誤解でしたね。すいません、謝罪します」 その言葉に俺がなんの反応も示さないことを気にもかけず、古泉は話を続けた。 「状況をご説明する前に、まずあなたの誤解を解かなければなりませんね。それには、今年一年間の我々の行動を最初からご説明しなければなりませんが……と、その前に」 古泉は運転手に何事かを告げると、ミラー越しにこちらを見た。 「飲み物などいかがでしょう?」 黒塗りハイヤーは、静かにサービスエリアを出た。 本当なら、小腹も空いてきたことだしレストランでメシでも食いたかったのだが、時間に余裕が無いと長門の一言で缶コーヒーのみを購入し、俺たちは再び車上の人になった。 「……どこに向かっているんだ?このままだと県外に出ちまうぜ?」 「空港ですよ。もう一つのね」 空港?ああ、そう言えば県北に小さな地方空港があったな。 「ちょっと待て!もしかして俺が連れて行かれるのは……」 「ええ、涼宮さんの所です。チャーター便で飛んで貰います」 「待てよ、俺はまだ『涼宮』の所に行くとは言ってないぜ?」 「分かってますよ。でも僕の話を最後まで聞けば、あなたは必ず涼宮さんに会いたくなるはずです。必ずね」 自信たっぷりに断言する古泉。先ほどのショックから抜け出したようで、いつもの口調に戻っていた。 「では、順にご説明します。まず、あなたが引っ越されてからの涼宮さんは、しばらくの間は落ち着いていました。閉鎖空間も出現せず、特進クラスで勉強に精を出されていたんです。ところが、GWの遠征が終わったあたりから少々異変が現れ始めました。実はあなたが転校したことで我々『機関』も、出動の機会が増えるのではないかという意見が大勢を占めていました。ところが新学期が始まってからGWまでの間に出現した『閉鎖空間』は僅かに一回のみです。しかもかなり規模が小さく、すぐに消滅してしまったそうです。駆けつけた仲間によると、そこには神人も現れませんでした」 「それはアレか、新学期初めて電話で『涼宮』と話した、あの時か」 「ええ、そうです。実は、それ以降あの2次試験の日まで『閉鎖空間』は出現していなかったんです」 「『閉鎖空間』の出現回数が減ったと言うことは良い事じゃないか」 アイツも大人になったと言うことなんだろうよ。一年近くも出現していないなんて新記録じゃないか? 「ところが、事はそう単純ではありません。過去、毎年涼宮さんが『閉鎖空間』を作り出す日があったのを覚えていますか?」 「ああ」 7月8日、七夕だ。翌日になると偉く不機嫌な顔をしていたから、良く覚えてる。 もちろん、自分がやったことも含めてな。 未来遡行。校庭の落書き。3年間の時間凍結。異時間同位体。朝比奈さん(大)。そして、ジョン・スミス。忘れられるわけがない。 「そう、その七夕の日も『閉鎖空間』は発生しませんでした。実はある理由で涼宮さんは『閉鎖空間』を生成できなくなってしまったんです。……ああ、詳しくは長門さんに説明して頂きますからここでは省きます。『閉鎖空間』でストレスを発散させることが出来なくなった涼宮さんは、徐々に奇異な行動を起こすようになりました。授業中数時間単位で機嫌が良くなったり悪くなったり、前席の僕の上着の背中がシャーペンの穴だらけになったり……いやはや、それに振り回された僕も大変でした」 「お前が『涼宮』の前の席だったとはな。ある意味同情するぜ」 ……つーか、それは以前俺がやられていたことそのままじゃねーか。 「おそらく涼宮さんは長い間『閉鎖空間』を生み出して、その中でご自分のストレスを解消されていたので、それ以外のストレス解消法をあまりご存じではなかったのではないかと思います。僕はそんな涼宮さんのストレス解消のために、色々なイベントを実行しました。もちろんそれ以外の平日のケアも忘れずにね。まあ『機関』の援助があるとはいえ僕は一介の高校生ですから、それほど手の込んだことは出来ません。映画やゲーセン、ショッピング、市中探検などですがね。たまには長門さんもご一緒されることもあったのですが、ほとんどが僕と涼宮さんでした」 「それ、事情を知らなければラブラブの恋人同士なんじゃないか……ああ、そういうことか」 「ええ、やっと事情をご理解いただけましたか」 「まあな。端から見ても美男美女のカップルだから、何も知らない連中にとっては、さぞお似合いに見えたんだろうさ。くそ」 「最後の言葉は、褒め言葉に頂いておきます」 ルームミラー越しに、古泉のニヤケ顔が見えた。 「ただ、貴方からの電話やメールなどが届いたときは、それだけで一気にストレスを解消するようでしてね。かつての……ああ、あなたが居たときに良く見せていたあの笑顔を僕たちに振る舞ってくれました。この時ばかりは流石に貴方に嫉妬を覚えましたが」 ああ、そうかい。それは良かったな。 「昨年11月、例の全国模試の結果が発表されたときは凄かったですよ。あなたが全国上位200位の中に入っていた時のことですね。彼女のテンションはこの一年の中でも最高のものでした。あなたにも祝福の電話が行っていたはずです」 「ああ、貰ったさ。さすが支部長ね!とか訳分からんことを言われた気がするが」 「それがあの時点の涼宮さんからの、最高の賛辞ですよ。ただ、そのあと涼宮さんは急に落ち込まれました。僕や長門さんが理由を聞いても、事情は教えては頂けませんでしたがね。どうやらあなたからの電話も全て留守電にしていたみたいですし、あなたとのやりとりは、全てメールだけにした、とも聞きました」 「あれは俺も未だに理由が分からん。お前は分かったのか?」 「いえ、涼宮さんの考えることを、僕が全て理解できるわけではありません。ただ、考えられるのは……恐らく涼宮さんは『嫉妬心』を抱いたのではではないかと」 「そりゃまたえらく飛躍した考えだぜ、古泉。『涼宮』が嫉妬するって??一体誰に?」 「佐々木さんですよ。おそらく涼宮さんは、あなたを矯正……と言いますか、涼宮さんの志望する大学を受験出来るレベルに学力を向上させることが出来るのは、自分だけと考えていたのではないでしょうか。ところがあなたは、佐々木さんと朝倉さんの指導を受けて、あそこまでレベルを上げてきた。涼宮さんは、自分のためにここまでレベルを上げてくれたあなたに歓喜した反面、あなたの成績向上の裏に誰が居るのかまで考えてしまったのではないかと思います。涼宮さんは、センター試験終了後のあなたからのメールを見て志望学部を工学部にしました。あなたと一緒の学部に行きたかったみたいですね」 やっぱりバカだアイツ。そんなことで将来を決めてどうするよ? そんな俺の考えを知らぬかのように、古泉の独演会は続く。 「涼宮さんは2次試験の直前、僕に3つの頼み事をしました。ひとつめは、宿泊予定のホテルで試験最終日に打ち上げパーティをしたいから、その手配をして欲しいと言うこと。ふたつめは、あなたが到着する朝、駅に迎えに行きたいから、車の手配をして欲しいと言うこと」 古泉はそこで一旦言葉を切り、ミラー越しに俺の目を見つめた。 「そしてみっつめは、試験が終わった日の夜、二人で泊まれる部屋を予約して欲しいということでした」 「………それがスイートルームだった訳か」 「ええ。涼宮さんは二人で宿泊できればいいと言うお考えのようでしたが、我々『機関』としても、祝福の意味も込めて、スイートルームにしたんです。無事にパーティ会場もスイートルームも押さえることが出来て我々もほっとしたのですが……当日になって、問題が発生しました。新川のハイヤーがトラブルを起こし、代車を手配するのに手間取ってしまったんです。何とか駅には到着したものの、既にあなた方は到着した後でして、我々とすれ違ってしまったんです。おかげで僕は、涼宮さんに公衆の面前で怒られてしまいました」 「ああ、それが俺がバスの中から見たやつか。お前は何をやらかしたんだ?と思っていたが」 「ええ。涼宮さんはタクシーであなたの宿泊先に行くつもりのようでしたが、新川からもうすぐ着く、との連絡が入りましたので、涼宮さんに伝えました。「キョンをびっくりさせてやる!」と満面の笑顔で僕に抱きついてこられたときは、流石にびっくりしましたがね。ところが、あなたの投宿予定のホテル前で待っていたにもかかわらず、あなたは現れませんでした。昼前になってもあなたが現れないので、とうとう業を煮やした涼宮さんがフロントで確認したところ、既に荷物を置いて外出されたと」 「あの時の記憶は曖昧なんだが、ホテルの正面ではなく裏口から入ったような記憶がある。出るときもそっちから出たな」 「我々の投宿するホテルに向かう車の中では大変でしたよ。「あのバカキョン!このあたしが折角迎えに来てやったのに!」とね。もっとも、件のホテルでスイートルームを案内したときには機嫌が直っておられたようですが」 「だが、俺と佐々木はあの日の夜の夜行で帰ることになっていたんだ。当日に、いきなり宿泊と言われても困惑したと思うんだが」 まあアイツがそこまで気にかけるとは思わないがな。 「佐々木さんについては別の宿をご案内する予定でしたし、翌日のお二人の航空機のチケットも既に手配済み でした。残念ながら、無駄になってしまいましたが……」 「既に全て準備完了だったわけか。それなら事前にそれとなく教えてくれても良かったんじゃないか?」 いたずらっ子のような目で、古泉は0円スマイルを3割増しにした。 「それでは『サプライズ』の意味が無いじゃないですか」 サプライズ、ねえ。2次試験当日の朝にそんなことをされてもな。アイツらしいといえばアイツらしいが。 しかし古泉は、先ほど3割増しにしたスマイルを、3割減のスマイルに変化させた。 「問題はそのあとです。あの後……あなたたちが乗った夜行列車が出てしまった後です。あれほど暴れていた涼宮さんが、突然気を失ってしまいました。僕たちはとりあえず、件のホテルのスイートルームに涼宮さんを運び込み、医者を呼んだんです。事情を説明すると、おそらくかなり精神的に参っているんだろうと言うことで鎮静剤を打って貰いました」 古泉はそこまで一気に吐き出すように言い、ため息をついた。 「それから、涼宮さんは目を覚ましていません」 「な………なんだと?あれから……2次試験が終わってから、ひと月近くも、ずっとか?」 「現在も昏睡状態のままです。あなたパーティに来てくれなかったことが余程ショックだったのでしょうね。涼宮さんの昏倒と同時に発生した『閉鎖空間』も未だに消滅していません。涼宮さんの心は、おそらく『閉鎖空間』の中に閉じこもってしまっているのではないかと思います」 「閉鎖空間が消滅していないって?アレは放置しておくと拙いんじゃないのか?下手をするとその、世界改変とかが起きるんだろ?」 「今現在では、拡張の兆しは出ていませんし、神人も出現していないようです。ただ、このまま放置しておく訳にはいきません。しかもその閉鎖空間に我々はごく短時間しか入り込めませんでした。でもおそらくあなたならば涼宮さんを……我々があなたをお迎えに挙がった理由が分かりましたか?」 「……ああ」 そういうことかい。全くやっかいなことになったな。 やれやれ。 長い古泉の話も一段落付いたようだ。双方の誤解──主に俺と古泉が原因だが──で、とんでもないことになっていたようだ。 今回の騒動の被害者は、間違いなくハルヒだ。 アイツに謝って許してもらえるとは到底思えない。だが、いや、それでも俺は…… 「悪いが、色々整理したい」 「ごゆっくりどうぞ。空港にはあと小一時間ほどかかりますので、その間に考えを纏めておいてください」 俺はハイヤーのシートに深く体を沈め、これからどうすべきかと思考の海に沈んでいった。 第二十章 悪夢へ
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第二十章 悪夢 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。 俺は今、階段を駆け上っている。間に合わない、そんな焦りだけが足を動かしている。階段の終わりが見えてきたとき、発車ベルが鳴り響く。俺は疲れて棒になりそうだった足に鞭を打ち、プラットホームに走り出た。 そこには、あの時の夜行列車がもう発車直前と言った状態で発車ベルが鳴りやむのを待っていた。 ……あ れ?これは夢?俺は今、一体…… そうだ。ここは、あの時のあの駅だ。だが俺はあの時、もう既に夜行に乗り込んでいたはず…… 「キョン!」 頭の中に聞き慣れた声が響く。ハルヒ? 戸惑う俺の思考とは別に、体が勝手に動く。 体がドアに向かって走り出そうとしたとき発車ベルが鳴りやみ、ドアが閉まった。 ああ……分かった。これは多分、夢じゃない。あの時のハルヒの記憶だ。 でも何故?何故俺はこんなものを見ている? そんな俺の思考とは別に、ハルヒは夜行列車の窓を次々と覗き込み……そして俺と佐々木のいる窓にたどり着いた。そこには、口をぽかんと開けてこちらを凝視している俺と佐々木がいた。 そこにいた俺は、まるで石化魔法が掛かったように微動だにしなかった。ハルヒが常々「間抜け面」と言っていた意味が分かったような気がする。 「……キョン。やっと……やっと会えたのに、なんで……どうして……」 俺の意志とは別に、口から言葉が紡ぎ出された。泣き声が混じったハルヒの声だ。 ふと視線が間抜け面をしていた俺の顔から、その隣に向いた。そこには…… 困惑したような顔の佐々木がいた。ハルヒと目が合うと、佐々木はにっこりと微笑み返してきた。だが、その微笑みの中にはほんの僅か「優越感」が垣間見えたような気がした。 俺はあの時、ハルヒを見ていて気付かなかったが佐々木はこんな顔をしていたのか。 ハルヒの体は、もう今発車しようとしていた夜行列車の窓に飛びついた。 「……なんで?なんでアンタがキョンの隣にいるの?」 俺と佐々木に交互に視線を送りながらハルヒは叫ぶ。 「アタシの誘いを断っただけに留まらず、佐々木さんとデートだなんてなかなか良い度胸だわね、キョン!さっさと降りなさい!アンタのためにわざわざパーティを開いてやったって言うのに!重大発表もまだしてないのよ!アンタがいないと、意味無いのよ!早くそこから降りなさい!降りてアタシと一緒に来なさい!」 そこまで言ったとき、体が窓から引き剥がされた。 「危ないですよ!涼宮さん!」 「ハルにゃん、気持ちは分かるけど危ないっさ!」 「……危険。離れるべき」 「君たち何をやっているんだ!危ないから離れなさい!」 古泉、鶴屋さん、長門、そして二人の駅員に体を取り押さえられたが、それでもハルヒは叫ぶのを止めない。 「ちょ、離しなさいよ!ええい、もう!古泉君、鶴屋さん、有希、離して!団長命令だから!お願い離して!お願いだから……キョンが、キョンが行っちゃうの!お願い、お願いだから離して!!」 「少々発車時にトラブルがありましたが、寝台特急○○、1分遅れで発車いたします」 構内アナウンスが流れ、夜行列車は動き始めた。 「あ……あ……行っちゃう!キョンが行っちゃう……待って、待ってよ!誰か止めてよ!この列車を止めて!お願い、お願いだからぁ………止めてぇ……」 そこで俺の意識は暗転し、何も見えなくなった。 「心拍数、血圧共に上昇。うなされている」 その長門の声で目が覚めた。俺は考え事をしているうちに眠ってしまったようだ。 悪い、寝てしまったようだ。どのくらい寝てた? 「……20分ほど。あなたはうなされていた」 そうか。さっきあんな話を聞いた後じゃな……夢見が悪くてもしょうがないさ。 そう長門に応えつつも、俺はあれが夢だとは思えなかった。おそらく、あの時に本当にあった事実。 勘違いで、誤解で、ハルヒを追いつめてしまった俺の罪は重い。いくら事情を知らなかったとはいえ、あの時パーティに参加しておけば、全ての誤解は氷解していたんだな。今更ながら悔やまれるぜ。 喉がカラカラだ。俺はさっき買った缶コーヒーを啜った。ぬるい。 「考えは纏まりましたか?」 「ああ」 ミラー越しにこちらを確認する古泉と目が合った。さっきの夢が本当なら、コイツにも迷惑を掛けてしまったことになる。悪かった、と素直に古泉に言えない俺は、まだどこかにわだかまりがあったのかもしれない。 「ハルヒに会う。アイツを救いたい」 「……やっと、以前の呼び名に戻してくれましたね。あなたが決心してくれて、僕も一安心です」 古泉も以前のような表情に戻っており、長門もいつもの無表情ながらも、ほっとしたような感情を目の奥に宿らせていた。 「……着いた」 思考の海から顔を上げると、そこは先ほどの空港とは比べものにならないほど小さな空港に到着していた。 俺もこの空港のことは話にしか聞いていなかったので、実際に見るのは初めてだったが、素人の目から見てもかなり小さいことだけは分かった。……なんだ、素人って? ハイヤーは空港ビルの前には止まらず、すぐ脇の「関係者以外立ち入り禁止」とプレートの下がったゲートを通過して、駐機場に向かった。そこで俺たちを待っていたのは、尾翼に大きく「Tsuruya」と書かれた小型のビジネスジェット機だった。Tsuruya……鶴屋さんちのか? ハイヤーが側に停車するとすぐ、ビジネスジェットのエンジンが回り始めた。タービンの金切り音が、徐々に高くなっていく。 「もう準備は出来ています。さあ、早く」 古泉が助手席のドアを開けて、俺に話しかけた。既に長門はハイヤーの前に立っている。いつ降りたんだ? ハイヤーのドアが開くのももどかしく、俺は自分でドアを開け放つと、古泉と長門の後を追って走り始めた。 「キョンく~~ん、こっちこっち!」 ビジネスジェットの昇降口から、懐かしい顔が俺を呼んだ。 客室乗務員姿の鶴屋さんだった。……なんでコスプレしてるんですか? 「ひっさしぶりだねえ!こんな形で再会するとは思っても見なかったけどさっ!」 ああ、その元気百倍のパワーを俺にも少し分けてください。ちょっと色々あって、精神的に疲れてますので。 「ん~~~、あたしは良いけど、有希っこが怖いんで止めとくっさ!さあ、乗った乗った!」 鶴屋さんは一瞬考え込むような仕草を見せたがすぐに元に戻り、俺たちに搭乗するように促した。 有希っこ?……長門がどうかしたのか? 俺の隣に佇み、じっと鶴屋さんを睨んでいた長門はその視線をこちらに向けた。怖い、怖いから長門!その高分子カッターと化したような鋭い視線は止めろ! 「……問題ない」 プイ、と横を向いた長門は、既に乗り込んでいた古泉の後を追うように機体に乗り込んだ。 「……貴方も早く」 お、おう。分かった。殺気溢れる長門の後を追い、俺も早速機体に乗り込む。 10人程度しか乗れない小型のビジネスジェットだが、中は意外に広い。適当に目に付いた席に座り、シートベルトを締めると、機体は滑走路に向けてタキシングし始めた。 「アッテンションプリーズ!これから当機は離陸するっさ!さっさとシートベルトを締めるにょろ!」 ……異様にテンションの高い客室乗務員だな。まあ、鶴屋さんだが。 俺の頭がそんな感想を紡ぎ出していると、テンションの高い客室乗務員がカウントを始めた。 「では、発進するにょろ!5,4,3,2,1……GO!」 鶴屋さんのかけ声と共に、一気に滑走路を突進するビジネスジェット。ぐあ、こ、この加速は……まるでジェットコースター並みの加速に顔をしかめる俺。程なくふわり、と宙に浮いた。 「I can fly!」 ……鶴屋さん。飛んでいるのは飛行機であって、貴方ではありませんよ? 第二十一章 ちからへ
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第十九章 誤解 佐々木の乗った飛行機が西に空に消えていったのを確認した俺は、市街地に向かうリムジンバス乗り場へと向かった。大きな荷物を抱えた客がごった返すリムジンバス乗り場の片隅に、見慣れた人影が二つあった。 スマイルを顔に貼り付けた優男と、アッシュブロンドの小柄な女性。 古泉と長門だった。 「お待ちしてました」 「……」 懐かしい古泉のスマイルと、長門の三点リーダ。だが俺は、それを無視してバスの昇降口へに向かった。 やっと最近、あの時の事を思い出さなくなってきたんだ。 長門には悪いが、当事者である古泉と今更話すことは何もないからな。 突然、体が動かなくなる。振り向くと、いつの間にそこに移動したのか、長門が俺の服の裾を掴んでいた。 漆黒の闇に似た瞳が、俺の目を捕らえる。 「……一緒に来て欲しい」 古泉はともかく、長門にそう言われたら言うことを聞かないわけにはいかないか。 俺は乗りかけたリムジンバスを降り、古泉、長門と共にハイヤー乗り場に向かった。毎度お馴染みの黒塗りハイヤー。だが、俺はこのハイヤーには良い思い出がない。 最初は古泉との神人見物、最近では……いや、やめておこう。 俺たちが乗ったハイヤーは静かに動き始めた。妙な振動もなく加速していくハイヤー。もちろん運転手は新川さんではなかったが、この人も『機関』の人間なんだろう。 ハイヤーの中では一言の会話もなかった。饒舌な古泉も何も話そうとしなかったし、長門は言わずもがなだ。 かといって俺から話し出すのも何だか癪だしな。沈黙が車内を制していた。 ハイヤーはしばらく走ると、空港そばのランプから高速道路へと乗り入れた。流石に俺は動揺し、助手席の古泉に話しかけた。 「……どこに行くつもりだ?」 「少々、人払いをしておきたい話でしてね」 助手席から、こちらを見ずに古泉が応えた。 「まず、ご連絡です。涼宮さんは大学に合格されました」 「……そうかい。それは良かったな」 「僭越ながら、僕と、長門さんもです」 「お前はともかく、長門、おめでとう」 「……たいしたことではない」 数ミリ首を傾げた長門は、じっと前の方をの空間を凝視したまま動かない。 本を読んでいないなんて、珍しいこともあるもんだ。 古泉は助手席から、いつもの0円スマイル貼り付けた顔をこちらに向けた。 「実は、あなたでなければ解決できない事態が発生しまして、ここまで来ました」 「俺じゃなきゃ、ってことは『涼宮』絡みか」 『涼宮』と突き放した言い方をした俺の言葉に、古泉は一瞬驚いた顔をしたがすぐまた元の顔に戻った。 「……ええ『涼宮さん』絡みです」 「そうか。でも、もう俺は関係ないだろ?大体何でわざわざ『涼宮』の起こしたトラブルを俺の所に持ってくるんだ?」 「今回のことはあなたに原因があります。そして……あなたにしか解決できないことなんです」 「なんのこった」 「あなたの軽はずみな行動が世界を終わらせるかもしれない。そして、あなたはそれをしてしまった」 「ほう、軽はずみな行動ね。俺にはそんな事をした覚えはさらさら無いのだが」 古泉の顔が、微妙に変化した。目から微笑みが消え、真剣さが籠もった。 「まさか、あの2次試験の日のことをお忘れではないですよね?あなたが涼宮さんに対してやったことを?」 「パーティをすっぽかした件か。だがアレは事前にこちらから断りを入れていたはずだ。大体、当日いきなり言われてもだな」 「涼宮さんは、あなたがこの一年間頑張ったことを非常に喜んでいました。ですから、久々に会うあなたを労う意味も込めて2次試験終了後にパーティを企画したんです。それをあなたは台無しにした」 「だからそれは」 「夜行列車に間に合わない、ですか。あなたが乗る夜行列車が何時に出るかなどと言う事は、時刻表を見れば分かりますよ。試験終了後から発車時間までは、少なくとも4時間はあったはずですが?それとも、あなたは涼宮さんのパーティに出席する時間はなくても、佐々木さんとの御会食の時間はあったと言うことですか」 「……何が言いたい」 「正直、あなたが何を考えているのか僕には分かりませんが、一つの疑いを持っています。あなたが涼宮さんから佐々木さんに心変わりをしたのではないか、という疑いです」 「な……」 俺の心臓を突き刺すような言葉が古泉の口から飛び出した。その言葉を100%否定できる自信が今の俺には無い。何故なら心変わりとは言わないまでも、佐々木の衝撃的な告白の時から、俺はアイツのことを”女”として見始めていたのだから。 「確かに、佐々木さんは魅力的な女性です。しかもあなたとは一年間一緒に受験勉強をした仲だ。あなたは『親友』と仰るかもしれませんが、周りから見れば……」 「黙れ」 自分でも驚くほど冷たい声が出た。 ここまでは一緒にいた長門の顔を立てて、黙って古泉の話を聞いてやったが、もう我慢ならない。 「ほう、やはり図星だったようですね。ですが、それが軽はずみな行動だと……」 俺の一喝にも全く動じなかった古泉が、再びその口を開いた 「黙れと言っている」 そんな俺の返事を聞いて、それまでこちらを向いていた古泉が前の方に向き直った。 ミラー越しに見える、まるで獲物を目の前にした肉食獣のような顔。 猫なで声とはこういうのを言うのだろうと思う声で、古泉は言った。 「それでも、我々はあなたを見捨てたりはしません。何故なら、それが涼宮さんが望んだことだからです」 俺は古泉のその言葉で、ずっと心の奥底に封印していようとしていた、あの件をぶちまけることに決めた。 後がどうなろうと、知ったことか。 「古泉」 「なんでしょう?」 「お前は何故『涼宮』の側にいてやらない?」 「……ご存じの通り、僕たちはあくまでも涼宮さんのメンタル面の担当ですからね。残念ですが現実世界では無力に等しいのです」 「そうじゃない。『涼宮』には「お前」という恋人が居るのに、なんで『涼宮』に振られた俺が、わざわざフォローしてやらなければいけないんだと聞いているんだ」 車の中に沈黙が流れた。 「……今、なんと?」 「だから……お前は『涼宮』の恋人なのに、なんで俺を引っ張り出すのか?と聞いたんだ」 「??仰る意味がよく分からないのですが、僕は涼宮さんとそう言ったお付き合いはしておりませんよ。以前あなたに言ったように、僕は身の程というのを十分にわきまえているつもりですから」 「ならば聞くが、2次試験当日の朝に、俺が駅前で見たあの光景は幻だったのか?」 古泉の息を呑む声が聞こえた。ゆっくりとこちらを振り返る。 「……見ていたのですか?」 「ああ。それと、二人でスイートルームに向かっていくところもな」 脳内の奥底に封印していた、二度と思い出したくないあの光景が再び脳内にフラッシュバックされる。 「待ってください。僕と涼宮さんはあなたが考えているような関係ではありません。誤解です」 「誤解?駅前で抱き合ったり、一緒のスイートルームに泊まるのが誤解というなら、この世に誤解は生まれないぜ?今更そんなことを言われても、信用できるわけ無いだろ。それに」 今まで胸の奥に溜まっていた鬱憤を、一気に吐き出すように俺は続けた。 「国木田や阪中も『お前らはラブラブ』って言っていた。つまりそれは、少なくても俺が居ない一年の間に周りの連中に揶揄されるような関係になっていたという事じゃないか。これのどこが俺の誤解なんだ?大体、去年の11月以降、俺は『涼宮』とはメールでしかやり取りしていない。それからはこっちから電話しても留守電だし、掛かってくることは無かった。2次試験が終わって、卒業式が終わって、合格発表があって、それでも連絡すらよこさない『涼宮』だぜ?もう『涼宮』には俺は必要ないんだろうよ。お前というイケメンエスパーが居るからな」 「……違う」 一気に捲し立てていた俺の言葉を遮るようにして、長門が割り込んだ。 「……涼宮ハルヒと古泉一樹は恋愛関係、所謂恋人と呼ばれる関係ではない。涼宮ハルヒの恋愛感情は常に貴方に向いている。これは事実。私が保証する」 気がつくと、長門は俺の腕を掴んでいた。 どうやら俺は、話ながら前の座席の背もたれを叩いていたようだ。 手が赤くなっている。ちょっと痛い。 「……確かに当日の二人の言動のみから推測すると、貴方が誤解を抱くのは当然。また、それにより貴方は精神的不安定に陥り、2次試験で本来の実力を発揮できなかったと推測される」 ここで長門は古泉の方に向き直り、断言した。 「古泉一樹。現在のこの状況は、貴方のミス、不手際が直接の原因と推測される」 絶句する古泉。その顔からは、既にいつものスマイルが消え失せていた。 珍しく落ち着かない表情で俺と長門を交互に見渡し、しばらくの沈黙の後、困ったような笑顔を作った。 「そうでしたか。それではあなたが誤解するのも無理はありませんね。僕の不手際が原因だったとは。はは、こりゃ懲罰ものだ」 再び前に向き直り、ちらりと運転手の方を見る古泉。だが運転手は何も聞かなかったかのように、運転を継続していた。 「……でも、さっきの古泉一樹の言葉は本当。涼宮ハルヒは貴方を待っている。信じて」 古泉から俺の顔に視線を移し、真剣な表情で俺を見つめる長門。 長門が言うならその話、信じてやっても良いが。 黙り込んで座席に沈み込んでしまった俺の顔を覗き込むようにしていた長門が、やっと俺の腕を放す。 「……僕はあなたが佐々木さんに心変わりしたのではないかと疑っていましたが、それこそ誤解でしたね。すいません、謝罪します」 その言葉に俺がなんの反応も示さないことを気にもかけず、古泉は話を続けた。 「状況をご説明する前に、まずあなたの誤解を解かなければなりませんね。それには、今年一年間の我々の行動を最初からご説明しなければなりませんが……と、その前に」 古泉は運転手に何事かを告げると、ミラー越しにこちらを見た。 「飲み物などいかがでしょう?」 黒塗りハイヤーは、静かにサービスエリアを出た。 本当なら、小腹も空いてきたことだしレストランでメシでも食いたかったのだが、時間に余裕が無いと長門の一言で缶コーヒーのみを購入し、俺たちは再び車上の人になった。 「……どこに向かっているんだ?このままだと県外に出ちまうぜ?」 「空港ですよ。もう一つのね」 空港?ああ、そう言えば県北に小さな地方空港があったな。 「ちょっと待て!もしかして俺が連れて行かれるのは……」 「ええ、涼宮さんの所です。チャーター便で飛んで貰います」 「待てよ、俺はまだ『涼宮』の所に行くとは言ってないぜ?」 「分かってますよ。でも僕の話を最後まで聞けば、あなたは必ず涼宮さんに会いたくなるはずです。必ずね」 自信たっぷりに断言する古泉。先ほどのショックから抜け出したようで、いつもの口調に戻っていた。 「では、順にご説明します。まず、あなたが引っ越されてからの涼宮さんは、しばらくの間は落ち着いていました。閉鎖空間も出現せず、特進クラスで勉強に精を出されていたんです。ところが、GWの遠征が終わったあたりから少々異変が現れ始めました。実はあなたが転校したことで我々『機関』も、出動の機会が増えるのではないかという意見が大勢を占めていました。ところが新学期が始まってからGWまでの間に出現した『閉鎖空間』は僅かに一回のみです。しかもかなり規模が小さく、すぐに消滅してしまったそうです。駆けつけた仲間によると、そこには神人も現れませんでした」 「それはアレか、新学期初めて電話で『涼宮』と話した、あの時か」 「ええ、そうです。実は、それ以降あの2次試験の日まで『閉鎖空間』は出現していなかったんです」 「『閉鎖空間』の出現回数が減ったと言うことは良い事じゃないか」 アイツも大人になったと言うことなんだろうよ。一年近くも出現していないなんて新記録じゃないか? 「ところが、事はそう単純ではありません。過去、毎年涼宮さんが『閉鎖空間』を作り出す日があったのを覚えていますか?」 「ああ」 7月8日、七夕だ。翌日になると偉く不機嫌な顔をしていたから、良く覚えてる。 もちろん、自分がやったことも含めてな。 未来遡行。校庭の落書き。3年間の時間凍結。異時間同位体。朝比奈さん(大)。そして、ジョン・スミス。忘れられるわけがない。 「そう、その七夕の日も『閉鎖空間』は発生しませんでした。実はある理由で涼宮さんは『閉鎖空間』を生成できなくなってしまったんです。……ああ、詳しくは長門さんに説明して頂きますからここでは省きます。『閉鎖空間』でストレスを発散させることが出来なくなった涼宮さんは、徐々に奇異な行動を起こすようになりました。授業中数時間単位で機嫌が良くなったり悪くなったり、前席の僕の上着の背中がシャーペンの穴だらけになったり……いやはや、それに振り回された僕も大変でした」 「お前が『涼宮』の前の席だったとはな。ある意味同情するぜ」 ……つーか、それは以前俺がやられていたことそのままじゃねーか。 「おそらく涼宮さんは長い間『閉鎖空間』を生み出して、その中でご自分のストレスを解消されていたので、それ以外のストレス解消法をあまりご存じではなかったのではないかと思います。僕はそんな涼宮さんのストレス解消のために、色々なイベントを実行しました。もちろんそれ以外の平日のケアも忘れずにね。まあ『機関』の援助があるとはいえ僕は一介の高校生ですから、それほど手の込んだことは出来ません。映画やゲーセン、ショッピング、市中探検などですがね。たまには長門さんもご一緒されることもあったのですが、ほとんどが僕と涼宮さんでした」 「それ、事情を知らなければラブラブの恋人同士なんじゃないか……ああ、そういうことか」 「ええ、やっと事情をご理解いただけましたか」 「まあな。端から見ても美男美女のカップルだから、何も知らない連中にとっては、さぞお似合いに見えたんだろうさ。くそ」 「最後の言葉は、褒め言葉に頂いておきます」 ルームミラー越しに、古泉のニヤケ顔が見えた。 「ただ、貴方からの電話やメールなどが届いたときは、それだけで一気にストレスを解消するようでしてね。かつての……ああ、あなたが居たときに良く見せていたあの笑顔を僕たちに振る舞ってくれました。この時ばかりは流石に貴方に嫉妬を覚えましたが」 ああ、そうかい。それは良かったな。 「昨年11月、例の全国模試の結果が発表されたときは凄かったですよ。あなたが全国上位200位の中に入っていた時のことですね。彼女のテンションはこの一年の中でも最高のものでした。あなたにも祝福の電話が行っていたはずです」 「ああ、貰ったさ。さすが支部長ね!とか訳分からんことを言われた気がするが」 「それがあの時点の涼宮さんからの、最高の賛辞ですよ。ただ、そのあと涼宮さんは急に落ち込まれました。僕や長門さんが理由を聞いても、事情は教えては頂けませんでしたがね。どうやらあなたからの電話も全て留守電にしていたみたいですし、あなたとのやりとりは、全てメールだけにした、とも聞きました」 「あれは俺も未だに理由が分からん。お前は分かったのか?」 「いえ、涼宮さんの考えることを、僕が全て理解できるわけではありません。ただ、考えられるのは……恐らく涼宮さんは『嫉妬心』を抱いたのではではないかと」 「そりゃまたえらく飛躍した考えだぜ、古泉。『涼宮』が嫉妬するって??一体誰に?」 「佐々木さんですよ。おそらく涼宮さんは、あなたを矯正……と言いますか、涼宮さんの志望する大学を受験出来るレベルに学力を向上させることが出来るのは、自分だけと考えていたのではないでしょうか。ところがあなたは、佐々木さんと朝倉さんの指導を受けて、あそこまでレベルを上げてきた。涼宮さんは、自分のためにここまでレベルを上げてくれたあなたに歓喜した反面、あなたの成績向上の裏に誰が居るのかまで考えてしまったのではないかと思います。涼宮さんは、センター試験終了後のあなたからのメールを見て志望学部を工学部にしました。あなたと一緒の学部に行きたかったみたいですね」 やっぱりバカだアイツ。そんなことで将来を決めてどうするよ? そんな俺の考えを知らぬかのように、古泉の独演会は続く。 「涼宮さんは2次試験の直前、僕に3つの頼み事をしました。ひとつめは、宿泊予定のホテルで試験最終日に打ち上げパーティをしたいから、その手配をして欲しいと言うこと。ふたつめは、あなたが到着する朝、駅に迎えに行きたいから、車の手配をして欲しいと言うこと」 古泉はそこで一旦言葉を切り、ミラー越しに俺の目を見つめた。 「そしてみっつめは、試験が終わった日の夜、二人で泊まれる部屋を予約して欲しいということでした」 「………それがスイートルームだった訳か」 「ええ。涼宮さんは二人で宿泊できればいいと言うお考えのようでしたが、我々『機関』としても、祝福の意味も込めて、スイートルームにしたんです。無事にパーティ会場もスイートルームも押さえることが出来て我々もほっとしたのですが……当日になって、問題が発生しました。新川のハイヤーがトラブルを起こし、代車を手配するのに手間取ってしまったんです。何とか駅には到着したものの、既にあなた方は到着した後でして、我々とすれ違ってしまったんです。おかげで僕は、涼宮さんに公衆の面前で怒られてしまいました」 「ああ、それが俺がバスの中から見たやつか。お前は何をやらかしたんだ?と思っていたが」 「ええ。涼宮さんはタクシーであなたの宿泊先に行くつもりのようでしたが、新川からもうすぐ着く、との連絡が入りましたので、涼宮さんに伝えました。「キョンをびっくりさせてやる!」と満面の笑顔で僕に抱きついてこられたときは、流石にびっくりしましたがね。ところが、あなたの投宿予定のホテル前で待っていたにもかかわらず、あなたは現れませんでした。昼前になってもあなたが現れないので、とうとう業を煮やした涼宮さんがフロントで確認したところ、既に荷物を置いて外出されたと」 「あの時の記憶は曖昧なんだが、ホテルの正面ではなく裏口から入ったような記憶がある。出るときもそっちから出たな」 「我々の投宿するホテルに向かう車の中では大変でしたよ。「あのバカキョン!このあたしが折角迎えに来てやったのに!」とね。もっとも、件のホテルでスイートルームを案内したときには機嫌が直っておられたようですが」 「だが、俺と佐々木はあの日の夜の夜行で帰ることになっていたんだ。当日に、いきなり宿泊と言われても困惑したと思うんだが」 まあアイツがそこまで気にかけるとは思わないがな。 「佐々木さんについては別の宿をご案内する予定でしたし、翌日のお二人の航空機のチケットも既に手配済み でした。残念ながら、無駄になってしまいましたが……」 「既に全て準備完了だったわけか。それなら事前にそれとなく教えてくれても良かったんじゃないか?」 いたずらっ子のような目で、古泉は0円スマイルを3割増しにした。 「それでは『サプライズ』の意味が無いじゃないですか」 サプライズ、ねえ。2次試験当日の朝にそんなことをされてもな。アイツらしいといえばアイツらしいが。 しかし古泉は、先ほど3割増しにしたスマイルを、3割減のスマイルに変化させた。 「問題はそのあとです。あの後……あなたたちが乗った夜行列車が出てしまった後です。あれほど暴れていた涼宮さんが、突然気を失ってしまいました。僕たちはとりあえず、件のホテルのスイートルームに涼宮さんを運び込み、医者を呼んだんです。事情を説明すると、おそらくかなり精神的に参っているんだろうと言うことで鎮静剤を打って貰いました」 古泉はそこまで一気に吐き出すように言い、ため息をついた。 「それから、涼宮さんは目を覚ましていません」 「な………なんだと?あれから……2次試験が終わってから、ひと月近くも、ずっとか?」 「現在も昏睡状態のままです。あなたパーティに来てくれなかったことが余程ショックだったのでしょうね。涼宮さんの昏倒と同時に発生した『閉鎖空間』も未だに消滅していません。涼宮さんの心は、おそらく『閉鎖空間』の中に閉じこもってしまっているのではないかと思います」 「閉鎖空間が消滅していないって?アレは放置しておくと拙いんじゃないのか?下手をするとその、世界改変とかが起きるんだろ?」 「今現在では、拡張の兆しは出ていませんし、神人も出現していないようです。ただ、このまま放置しておく訳にはいきません。しかもその閉鎖空間に我々はごく短時間しか入り込めませんでした。でもおそらくあなたならば涼宮さんを……我々があなたをお迎えに挙がった理由が分かりましたか?」 「……ああ」 そういうことかい。全くやっかいなことになったな。 やれやれ。 長い古泉の話も一段落付いたようだ。双方の誤解──主に俺と古泉が原因だが──で、とんでもないことになっていたようだ。 今回の騒動の被害者は、間違いなくハルヒだ。 アイツに謝って許してもらえるとは到底思えない。だが、いや、それでも俺は…… 「悪いが、色々整理したい」 「ごゆっくりどうぞ。空港にはあと小一時間ほどかかりますので、その間に考えを纏めておいてください」 俺はハイヤーのシートに深く体を沈め、これからどうすべきかと思考の海に沈んでいった。 第二十章 悪夢へ
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A あの日から私達は想い合った。まるで恋人のように。些細な喧嘩もした事あるし。それでも、想い合った。でも、恋人ではない。 その理由は単純。 好きとか付き合おうとか明確な言葉がお互いなかった。 私達はお互い最後の一歩を踏み出せずにいた。 明確な言葉がほしいと思うし、ちゃんと言いたいと思う。でも、このままでも良いとも思ってしまう。 長い時間が過ぎ、私は四年生に、のっちはまた三年生として春を迎えた。 この時期に多いのが新歓。毎年のように繰り返されるそれは私からしてみればどうでもよかった。たいして面白くもないし、先輩である私達がお金持たなきゃいけないし。 バカそうな顔をした男が先輩可愛いですねなんて言ってくる。 下心が丸見えですから!もう、頭に来るよ! イライラしながら家に帰るとのっちからメールが着ていた。 「最近会ってないね。あ〜ちゃん元気?今度、良いバンドのライブあるからおいでよ!」 のっちも新歓で毎日飲みに行っていて全く会えていなかった。 「元気だよ!ライブ最近見てないから行きたい!」 そう返事だけ返し、眠りにつく。 数日後、久しぶりにライブハウスに行く。 すっかり、仕事を覚えたのっちはバーカウンターにいた。 「あ〜ちゃん!久しぶり!」 「久しぶりだね!二度目の三年生頑張ってる?」 「頑張ってるよ!ただ、周りが若すぎてついていけないねw」 「ついていけないって一個しか年変わんないじゃんw」 「まぁ、そうなんだけどさwあ!お勧めのバンド、今日トリだから見てってね!」 「うん!わかった!」 のっちと話しながら待っていると、やっと、トリのバンドが始まった。 のっちが言ってた通り、凄い良いバンドだった。 そのバンドがやった曲で「近距離恋愛」という曲があった。 「僕らはまだいい会えない訳ではないし」 そう。私達は会えないわけじゃない。会おうと思えばいつでも会える。 「どこにいたって僕らは想い出せるから孤独な夜などないのさ」 そう。私達の心の中にはお互いが存在している。 「近距離恋愛はすれ違いの日々だ」 どんなに側にいても、すれ違ってしまう。 誰でも経験する近距離恋愛も遠距離恋愛と同じくらい辛いもの。 私達はすれ違っているかな? ねぇ、のっち。私達の近距離恋愛は上手くいってるのかな? ほんとはね、あ〜ちゃん不安なんだ。 つづく
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第九章 新天地 生まれ育った町を出て、翌日の朝。俺と家族はやっと目的地の駅に着いていた。 ……夜行列車なんて初めて乗ったが、いくら寝台席があるとはいえ熟睡なんざ出来るもんじゃないね。 せいぜいうとうとするくらいが関の山だ、ということが身にしみて分かった。それでも、前日までの引っ越し騒ぎがあったせいで幾分は眠れたらしい。妹は熟睡していたようで、朝起きるといつもの笑顔に戻っていた。 俺としては、いつものボディプレスが無かっただけ、ましかもしれん。 電車を降りた俺たち家族は、思いもよらない寒さに身を縮ませた。寒い。 今3月下旬だよな?なんでこんなに寒いんだ? 慣れない気候に辟易した俺たちは、そそくさと改札に向かった。 改札を抜け駅前に出た俺たちを、ぴかぴかの大型セダンの新車の脇に立った得意満面の親父が出迎えた。 俺の編入試験の時一緒に来て、そのままこちらに残り仕事をしていた親父は、家族の姿を見つけるとまるで新しいおもちゃを見せびらかす子供のような顔で、車の屋根をポンポンと叩いた。なんだこの車は? 「買った」 マジかよ。 「社長たるもの、車の一つも無きゃな。それより、早く乗れ。引っ越し便がそろそろ来る頃だぞ」 車のトランクに手荷物を押し込み、俺たち家族は車に乗り込んだ。しかしまあ……よくこんな高級車を買えたもんだ。国産車とはいえ、安いもんじゃなかっただろうに。 「ここらへんじゃ、車がないと生活できないんだよ。交通手段がないからな」 ゆっくりと車を走らせる親父がぽつりと言った。そうなのか?バスとか電車とか自転車とか、いくらでも有りそうな感じだが。 「まあ、おいおい分かるさ。」 さて、引っ越し先にはまだ荷物は到着していなかったが、それよりも俺と妹は家自体の大きさに驚いていた。 以前の家と比べると、当社比2倍という所か?部屋の数も多いし、庭も広い。ガレージも大型自家用車を2台楽におけるほどのスペースが有る。周りはいかにも「高級住宅地」って感じの家が整然と建ち並んでいる。 「ここが、今日から我々の新しい家だ」 親父が自慢げに紹介し、親父から鍵を受け取ったお袋が、いそいそとドアを開ける。 家の中からお袋と妹の「へえ~~」とか「うわぁ、広~~い」等という叫声が上がるのを聞きながら、親父に尋ねた。どうしたんだ、この家? 「これも買った。中古だがな」 何だと?車にしろ家にしろ、俺んちはそんなものをポンポン買えるほど裕福だった覚えは無いのだが? 「登録上は、この家も車も新会社の資産になってる。いわば、社用車と社宅、だな」 なるほど……って事は、親父が事業に失敗すれば、俺らはここから叩き出され車も没収されるわけだな。 「さい先の悪いこと言わんでくれ。そうならないように、がんばってるんだ」 ブスッとしてこちらを睨む親父。悪い、言い過ぎた。 「まあ、良い、ホントのことだからな。それより中に入ってみろ。驚くぞ」 親父に促されるまま、俺は玄関をくぐった。 「広~~い!ねぇねぇキョンくん、あたしの部屋すっごい広いのよぉ~~」 妹が自分に割り当てられた部屋を見て、感嘆の言葉を出した。以前の妹の部屋は確か六畳だったはずだが、この部屋は八畳間か?では、自分の部屋はと見れば…… 「キョンくんの部屋、もっと広いねぇ~~~」 ……十二畳間でフローリングですか。つか、広すぎないか、これ。 「どう?気に入った?」 下の階から、お袋が声を掛けてくる。 「すっご~~い、広いの!うん、気に入った~~~!」 大はしゃぎしている妹がお袋の質問に答えながら、階下に手を振る。コイツは悩みがなさそうで良いな。 その時点で、親父がいないのに気がついた。外を見ると車も無い……逃げたか? 「あれ、親父は?」 「何だか、仕事の打ち合わせって言ってたけど、引っ越しの手伝いするのがイヤなんじゃないの?全く自分の家の引っ越しだってのに、何考えてんのかしら、あの唐変木」 唐変木て。意味分からんぞ、お袋よ。 ぶつぶつ言っていたお袋は、諦めたように俺たちに目を向けた。 「じゃあ、引っ越し便が来るまで自由にしてなさい」 妹は「は~~い!」と元気よく応え、部屋に戻っていった。俺も部屋に戻り、前の家から運び込まれる荷物をどのように配置しようか考えてみた。しかし……以前は六畳間だったから、ほぼ倍の広さの部屋なわけだ。 荷物を配置してもスカスカだろうな。無駄に広いって感じがするが、まあそのうち埋まるだろ。 さて、どのようなレイアウトにしようかと思案していると、携帯が鳴った。 着信:長門有希 長門だった。 「長門か」 「……目的地への到着を確認」 「おう、無事着いたぜ。多少疲れてはいるがな」 「……そう」 「そっちは変わりないか?」 「……ない」 「そうか。生存確認ってワケか、この電話は」 「……貴方に電話したのは、別件」 「なに?」 「……貴方のこと」 「俺がどうかしたのか?」 そこで長門は一瞬言葉を句切り、間を置いた。 「……貴方が涼宮ハルヒの元を一時的に去ることにより、状況に変化が生まれることを情報統合思念体は予想していた。しかし、今日まで特に大きな情報改変は確認されていない。ただし、貴方が涼宮ハルヒの『鍵』であることに大きな変更はないと情報統合思念体は考えている。貴方の身に危険が生じる可能性が増えると情報統合思念体は判断し、貴方を護衛及び観測するためのインターフェイスを派遣することになった」 つまり、俺も観測対象になったという訳か? 「……そう。私の観測範囲を広げれば、貴方に迫る危険には十分に対応可能であると情報統合思念体に報告したが、もし貴方に急遽危険が迫った場合、即時対応という意味では不十分と見なされた。そのため、貴方専用のインターフェイスを付けることとなった。なお古泉一樹の『機関』や朝比奈みくるの組織も、おそらく我々と似たような行動を取るだろう」 俺専用の護衛兼観察係、ですか。嬉しいんだか悲しいんだか。 そいつらは俺に自己紹介をしてくれるのかね? 「……わからない。情報統合思念体でも派閥によって思惑が違う。貴方に正体を明かした方がよいと判断するならば、そのようにするだろう。私にはそれ以上の情報が与えられていない」 そうですか。ただ、お前のパトロンの『派閥』がどうのって話を聞くとだな、脇腹のあたりがズキズキしたりするのは、俺のトラウマになってしまったんだが。 「……頑張って」 ああ、頑張るさ。伊達に2年もSOS団にいたワケじゃあない。多少のことでは驚かなくなってるしな。 「……そうではない。涼宮ハルヒと約束した事柄。私という個体も、貴方がこちらに戻ってきてくれることを切望している」 ……おい、なんでそのことを知ってるんだ? お前と朝比奈さんはあの時もう居なかったじゃ……って、長門のことだ、知らないことは無いんだろう。 「……ナイショ」 久々の長門の冗談のような台詞を最後に、携帯は切れた。 結局、やっぱりというか、当然というか。ここまで来てもハルヒやSOS団と俺は、縁が切れないらしい。 これじゃSOS団支部ってのを本当に立ち上げてみても良いかもしれないね。 ハルヒや古泉にも、無事到着したと連絡をしようと、携帯のメモリを呼び出していたとき、引っ越し便が到着した。これからまた肉体労働かと思うとげんなりしてくるが、とりあえずこの引っ越しを終わらせない限りは寝る場所にも困ってしまうし、飯も食えない。なんせ、俺のベッドも食器もあの荷物の中だからな。 階段を下り外へ出て、なんとなく玄関の脇で引っ越し便を見ていた。 引っ越し便のお手伝い人数は……運転手を含めて5人か。当然、向こうを手伝ってくれた人とは違うようだ。 彼らはトラックの前で点呼を取ると、荷物を下ろし始める。まずは隙間を埋めていた毛布を取り出し、同時に段ボールをトラックの側に敷き始めた。 流石プロ。手際の良さに感心して見入っていると、助手席からバインダーを小脇に抱えた作業服姿の女性が小走りにこちらにやってきた。 あれ……?? 「こんちにわ、お待たせしました。引っ越し便です」 「はあ~~い……お待ちしてました」 「では早速作業に掛からせていただきます」 お袋に挨拶し、再び小走りに外に出てきた女性に声を掛けた。 「……何でこんなところに居るんですか?森さん?」 足を止め、こちらを振り向いた女性は『機関』所属にして古泉の上司?森園生さんだった。いつぞやのメイドルックやスーツ姿と違って、作業着姿も板に付いている。 「ええ、引っ越しのお手伝いに参りました。それと、あなたにお伝えしたい事がありましたので」 多分、さっき長門から聞いた件なんだろう。 ありがとうございます。わざわざ伝えに来てくれたんですか。 訝しげな顔をした森さんに、俺は先程長門から聞いたことを説明した。 「さすがは長門さんですね。既に連絡済みとは」 いや、俺もその件はさっき聞いたばかりなんですが。 「彼女の言ったことは事実です。というわけで、我々も貴方の護衛を近くに置かせていただきます」 はあ、やっぱりね。出来れば、誰が来るのかを教えて頂くわけにはいきませんか? 「まあ、そのうち分かりますよ。それまでのお楽しみと言うことで」 ……まさか古泉が同じクラスに転校して来るというのは無しですよ? 「彼には、涼宮ハルヒの監視という任務がありますので、それはありません。それでも、貴方が全く知らない方ではありませんよ」 誰ですか?教えて貰うわけには…… 人差し指を口元に持ってきた森さんは、輝くような笑顔でこういった。 「……禁則事項です」 ……そう言う冗談はやめてください。イヤ、マジで。 引っ越し便(実は『機関』)の人たちの、プロ顔負けの手際の良さも手伝ってなのか、荷物の搬入は思いの外順調に進んだ。引っ越しの荷解きも大体終わり、あとは各々の細かい片付けが残った時点で『機関』の面々は帰っていった。是非夕食でもというお袋の言葉を「申し訳ありません。我々にはまだ仕事がありますので」と名残惜しそうに断った彼らは、来たときと同じようにトラックと随伴のワゴン車に乗って、夕闇の中に消えていった。 簡単な夕食を掻き込み、部屋に戻ったところで携帯の着信に気がついた。 履歴にはハルヒと古泉、朝比奈さんの名前が載っている。ああ、そう言えば到着の連絡してなかったな。 まずハルヒに……と携帯を取ったところで、電話が鳴った。 着信:古泉一樹 「古泉か」 「はい、ご無事そうで何よりです」 「ああ、無事に付いたぜ。引っ越しも一段落した。その……森さん達のおかげでな」 「……それはそれは。となれば、こちらの用件はもうご存じですね」 俺は、長門から聞いた話を古泉に話した。『機関』の意向を知っているのと知らないのでは、今後の対応が変わってくるだろうし、何よりコイツには「事情は知っている」ことを話しておかなければと思ったからな。 「そうですか。そこまでご存じならば、僕からは何も言うことはありません」 古泉の、ちょっと困ったようなにやけ顔が頭に浮かんだ。 「ところで涼宮さんにご連絡は?」 ああ、これからだ。今掛けようかと思ったら、おまえから掛かってきたんだ。 「そうですか、これは失礼しました。涼宮さんは、おそらくあなたからの連絡を首を長くして待っておられるはずです。それでは、また」 それだけ言うと、古泉からの電話は切れた。 ああ、そうだ。ハルヒハルヒ。 呼び出し音一回で出やがった。 「もしも……」 「遅~~~い!何やってたのよ!このバカキョン!」 いきなりそれかい。 お前な、引っ越しの翌日は荷物整理と片付けだろうが。こっちは大変な状態なんだぞ。 「知らない」 うわ、そこで一蹴しますか、こいつは。 「……心配してたんだから。到着したら、きちんと連絡しなさい!」 ああ、すまんな。それに関しては悪かった。 「そっちは、どう?上手くやっていけそう?」 着いたばかりでまだ分からんが、同じ日本だ。言葉も通じるし、問題ないんじゃないか? 「そっか。じゃあ、受験勉強も大丈夫ってワケね!」 そう言う意味かよ。まあ、日本全国やることは同じだ、大丈夫だろ。やれるところまでやってみるさ。 「ああ、そうだ。引っ越しの時に言い忘れていたけど、SOS団本部からの通達よ!!月イチで不思議報告をすること!良いわね!」 はあ??何のことだ??不思議報告だと?? 「あんたね!SOS団支部長って言う肩書きを忘れたワケじゃないでしょうね。こっちとそっちでは全然生活環境が違うんだから、不思議の一つくらい見つけるのがSOS団団員として当然のことなのよ!」 イヤ確かに生活環境というか、自然形態も違うから不思議な事の一つくらいはあるかもしれんが……って待て待て!俺たちは受験生だぞ!しかも俺は、お前の志望大学に入るためには脇目もふらずに勉強しなければいけないんだが? 「……う~~ん、そう言われればそうよね……ああ、じゃあ不思議なことを見つけておきなさい!調査自体はSOS団本部がやるわ。そうね、手始めはGWあたりを予定しておくから」 え~~と、それはつまり…… 「SOS団初の遠征!『GW不思議探索ツアー』決定ね!じゃ!おやすみ!」 おい!まてこら……という俺の叫びも空しく、携帯は既に切れていた。 はあ~~、と言う盛大なため息が俺の耳に聞こえてきたのは、空耳ではないだろう。吐いたのは俺だからな。 GWの予想……と言うより惨状を予測していた俺は、ふと時計に目をやった。時計は無情にも23時をとうに過ぎていた。やばい!朝比奈さんに連絡しなきゃ。 何度か携帯に掛けてみたものの、いっこうに出る気配はなかった。寝ちまったのかな?まあ、深夜に電話するのもどうかと思った俺は、明日もあるさと思い直し、とりあえずそれだけは確保した寝床に潜り込んだ。 第十章 護衛へ
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第十一章 親友 新しい学校への登校初日。 昨日中等部に入学したばかりの妹は、早速気の合う友人を見つけたらしい。昨日の夕食時に、溢れんばかりの笑顔で報告してくれた。まあ、この調子でうまく学校に馴染んで欲しいものだ。 「おはようございます」 「おう!おはよう!」 一昨日来た高等部の職員室で、担任に挨拶した。朝のSHR前と言うことで、職員室の中はかなり慌ただしかったが、真新しい制服を着た俺を担任は明るく出迎えてくれた。朝っぱらから進路指導でもしていたのか、担任の前には女子生徒が座っていた。 「今日からだな。一年間頑張って、良い大学に行ってくれよ」 「はあ……頑張ります」 「何だ何だ、覇気が無いな。そんなので大丈夫なのか?」 担任の呆れたような声を聞き流そうとしたとき、彼の前に座っていた女子生徒がすっと立ち上がった。 「先生、彼はやるときはやる男です。心配要りません」 あれ?どこかで聞いたような声……?それにこの後ろ姿は…… 「くくっ、久しぶりだねキョン。また会えて光栄の極みだ」 振り返ったその女子生徒の顔を見た俺は、さぞかし間抜けな表情をしていたことだろう。 佐々木???? 「何だ、お前ら知り合いか?……って、同じ事をついこの間言ったような」 記憶の海から過去の事象を引っ張り上げようとしている担任を尻目に、この場にいないはずの俺の親友は、こう言った。 「これから一年、よろしく」 新学期最初の、新しい学校の新しいクラスでのHRに新たな転校生、と言えば転校生の自己紹介の場と相場は決まっているわけだ。だがこの学校は転入・転出が激しく、学期の最初と最後には必ず転校生がいる、というのはずいぶん後になってから聞かされた話だ。だから、新しいクラスの連中も、転校生には特に興味を持っていないようなのは当然だと言えるかもしれない。 ただ、進学クラスであるSクラスに一気に二人も、そのうち一人は『日本全国、進学校と言えば誰でも知っている』学校からの編入となれば、話は別だ。もちろん、それは俺ではなく佐々木のことなのだが。 自己紹介を終わった俺たちは、担任に言われるまま指定された席に着いた。 どうでも良いが、窓際後方最後尾に佐々木、その前に俺という、俺にとっては大変馴染み深いポジションに収まったのは何故だろうね?ただまあ、後ろに座っているのがハルヒではなく佐々木であり、俺の前がクラス委員である朝倉であると言うことは、何らかの因縁や思惑が感じられないでもない。 「キョンくん、前後ろの席だね。一緒に受験勉強頑張ろう」 屈託のない笑顔を向けてくる朝倉。昨日の話を頭から信じるほど俺は世間知らずではないつもりだが、今は場の空気に合わせておいた方がよいだろう。 「ああ、これから一年宜しくな」 ……それとなく妙な圧力を後方から受けるのは、多分俺の気のせいだと思う。 三年生一学期、初日終了後の放課後。 今日はHRと始業式のみの短縮授業で、授業は明日からだ。ここら辺はどこの高校でも変わらないらしい。 そう言えば、転校生というのはどこでも質問攻めにされるらしいが、俺の方は殆ど何も聞かれていない。気が楽と言えば楽だが、それはそれで何だか寂しい気がする。 その代わりに質問の矢面に立たされたのが佐々木だった。放課後だというのに、佐々木の周りにはクラスの連中が集まり、佐々木を質問攻めにしていた。色々と歪曲された表現ではあったが質問の内容は一つだった。 何故あの進学校からこんな所に転校してきたのか? 佐々木は色々とはぐらかしていたようだ。確かにその話題には俺もたいそう興味があったのだが、あまりこの場で根掘り葉掘り聞くのもどうかと思ったので、俺は鞄を持って席を立った。学食で飯でも食ってから……と考えて、ふと思った。学食ってどこにあるんだろう?そういえば、俺はこの学校の中をまだよく知らない。 朝倉に案内して貰う予定が、アレだったからな。しょうがない、探検気分で色々回ってみるか。 転校なんて初めての経験だから、SOS団その1としてハルヒへの報告のネタにでもなるだろう。 「あ、キョン、帰るのかい?待ってくれよ」 俺が鞄を持って立ち上がったのを見て、佐々木も鞄を持ってクラス連中の輪を抜けてきた。 「あ、キョンくん?一緒に帰ろ?」 佐々木の側にいた朝倉までも付いてきた。 クラスの連中は「キョン??何それ??」と頭の上に疑問符を掲げている。 ……ああ、ここでも俺の名前は「キョン」で決まったな、などとバカなことを思いつつ、俺は校内探検に繰り出した。 中高一貫校とはいえ、校内には特別興味を引くものはなかった。強いて言えば、地元の産業や風習を学ぶという授業があることくらいか。地元の人間にとっては当たり前のことなのかもしれないが、他からやってきた人間にとっては非常に興味深いだろう。ただ、それを授業に組み込むのはどうかと思うぞ。 3人で廊下を歩きながら、改めて朝倉を佐々木に紹介した。 もちろん朝倉がSクラスのクラス委員であることは、朝倉自身が佐々木への自己紹介で話していたのだが、俺は朝倉がかつては北高で同じクラスだったことや、3ヶ月あまりでカナダに転校してしまい『偶然』この学校で再会したことなどを伝えた。 「それはそれは。なかなかおもしろい偶然だね。まるで誰かが計らったようだよ」 くくっ、と喉を鳴らす佐々木を見て、ああこいつの勘の良さは変わっていないな、と思った。何故なら、俺はわざと『朝倉は長門と同じヒューマノイドインターフェースだ』と言うことは伝えなかったからな。それでも佐々木は何かを感じ取ったようだが。 「それよりキョン、僕のことを朝倉さんに紹介してくれよ」 ああ、そうだな。とは言っても朝倉のことだ。おそらく長門や喜緑さんと同期を取っていて、佐々木のことは全てお見通しなんだろう。 それでも俺は朝倉に、改めて佐々木のことを紹介した。 中学校3年生の時の同級生であること、同じ塾に通い受験戦争を乗り越えた仲間であること、そして、俺の『親友』であること。『親友』という言葉が出たとき、一瞬佐々木の顔が固まったように見えたが、すぐ元に戻った。何だったんだ、今のは? 朝倉に校内の案内をして貰い、学食にて遅い昼食を終えた俺たち三人は帰路についていた。朝倉は学校そばのマンション、佐々木は俺の家からちょうどショッピングセンターを挟んだ反対側にあると言うことだった。 「ここね、桜並木なんだよ」 朝倉が、規則正しく並ぶ街路樹を指さす。 ほう、桜が満開になったらさぞかし綺麗なことだろうな……って、まだ咲いてないのか?もう四月だぞ? 「くくっ、キョン。君はここら辺の桜開花予想日を知っているかい?」 佐々木が、本当に困った奴だと言わんばかりに俺に問いかけた。 いいや、知らん。 「GW直前なんだよ。だから、まだつぼみが膨らんですらいないじゃないか」 GW直前??そんなに遅いのか?まだ一ヶ月近くもあるじゃないか。あっちでは、俺が引っ越ししていたときにはもう咲いていたんだぜ? 一瞬、桜吹雪の中で仁王立ちしているハルヒの姿が頭に浮かんだ。 「それだけ地方によって違うと言うことさ。特に、桜の開花予想や梅雨入り/開け、海開きの日なんかは差が著しい。こういうのを見ると、日本は上下左右に長いというのが実感できると思わないか?」 確かにそうだな、と日本地図を頭の中に思い浮かべながら俺は答えた。向こうじゃもう桜は散っているだろうし、こっちはまだだ。下手すると向こうとこっちが同じ日本だなんて思えないかもな。 「じゃあ、また明日」 朝倉がマンションに入っていくのを確認して俺は佐々木の家の方に歩き始めた。色々と聞いておきたいこともあったからな。とはいえ、どうやって話を切り出そうか迷っていたが、珍しく佐々木の方から話し出した。 「キョン。僕は君に謝らなければいけない」 何のことだ?お前が俺に対して謝るようなことは、俺の記憶の限りでは何もないはずだぞ? 「そう、そうなのかもしれない。キミはどんな状況でも甘んじて受け入れてしまう、そんな優しさと度量の深さを持っている。だからこそ、僕は君に謝りたいんだ」 悪い、俺はお前が何を言っているのか分からないんだが? 「実はね……今のこの状況を作り出したのは、僕なんだと思う」 ……なんだと?どういうことだ? まさかお前にも世界改変の能力が備わっちまったてのか? 「キミのお父様が勤務している会社と、僕の父の会社がライバル関係にあるのをキミは知っていたかい?」 知らん。初耳だぞ、そんなことは。 「そうか。キミは、もう少しご両親の話をまともに聞いた方が良いのかもしれないな」 ほっとけ、人んちの事情はどうでも良いだろ。それよりどういう事なんだ、さっきのことは。 「そうだな、丁度一年ほど前だ。父の会社が新しい事業を立ち上げることになり、父がそこのリーダーになったんだ。社内外からそれなりの人材を揃えてはみたものの、今までの仕事とは全く畑が違うこの新事業をどのように展開していくのか、グループ内やプロジェクト内でも色々と意見が分かれていたらしいんだ。僅か半年でプロジェクト内での対立が起きてしまったんだな。ほとほと困った父は、半年くらい前に僕にそのことを話してくれた。夕食時の会社の愚痴、といった感じだったがね」 俺も親父に新事業とやらの話を聞いたが、さっぱりわからなかったがな。それが今後どうやって商売に繋がるかは、皆目見当も付かん。 「画期的な事業というのは、最初は何を目的としてどこを目指しているのか、他人の目には全く分からないものなのだよ。それで、父の愚痴を一通り聞いた僕は、自分の意見と感想を話したんだ。父は、僕の意見に痛く感動したらしく、その意見を元に事業計画を修正し、会社に上げたらすんなり通ってしまったらしい。そのあたりで、同じ事業に参入しようとしていたキミのお父様の会社が、父の会社の動きに気付いて……ここから先は、キミがよく知っている通りさ。つまり、僕のアドバイスが回り回ってキミがここにいることになってしまったと言うことになる」 ……なんてこった。じゃあ、あの電話の時には…… 「ああ。あの時はもう僕の家族は引っ越しすることが決まっていて、僕はどうするのかと相談していたときだったんだ。一応、全国的にも名の知れた進学校だったし、学校にも女子寮があるから、そこに入ることがほぼ決まっていたんだ」 そっか。でも、なんでお前はここに居るんだ?そのまま向こうの寮に入っていれば、大学なんかは選び放題だったのに。 一瞬驚いたような目で佐々木は俺をまじまじと見つめ、それから視線を足下に落とし、ため息をついた。 「……ある意味、日常に飽き飽きしていたからかな」 どこかで聞いたような台詞を佐々木は呟いた。 「キミは、僕の向こうでの日常生活を知っているかい?毎朝、満員電車に乗って学校へ行く。勉強のための勉強をしたあとは、受験のためだけの勉強をしに塾へ行く。家に帰ったら学校の勉強のための予習と復習、塾の勉強のための予習と復習。それが終わったら志望大学の予想問題集に取りかかって……今までの2年間、僕はずっとそうした生活を過ごしてきた。それでも、自宅に居れば何とか安らぎの時間も持てるんだが、これが寮になるとなかなかそうもいかない。高校最後の一年間、毎日毎日そんな生活を続けて……これがキミは楽しいと思うのかい?」 うわ……というのが、正直な俺の感想だった。進学校ってのは、お前でさえそこまでやらなきゃいかんのか? 「気を抜いたら、あっという間に抜かれてしまうからね。そう言った意味では、あの学校で本当の友達なんて出来ないさ。僕は、もっと余裕を持って勉学に励みたいんだ。だからある意味、北高に進路を取った国木田が羨ましかったんだよ」 くくっ、と喉を鳴らす佐々木。国木田か。 あいつは飄々と勉学に遊びに邁進してたっけな。そういえば、アイツは三年次のクラスは特進クラスにすると言ってたが、上手くやってるんだろうか? 「だから、キミからのあの電話が来たとき本当に驚いたんだ。僕がキョンと同じ学校に転校したら……新しい何かを得られるかもしれないって、そう思った。だから、僕はここにいる」 いつの間にか佐々木は俺の前に立ち、やわらかな微笑みを浮かべていた。 「キョン。キミがどこの大学を志望しているのかは知らないが、出来れば一緒の大学に行きたいと僕は思っている。中学三年以来だが、僕と一緒に受験戦争を戦わないか?」 凛とした瞳に宿る力強い光。俺はその瞳に吸い込まれるような感覚を覚え、分かったと言葉を発していた。 「そうかキョン!嬉しいよ!」 更に瞳に喜びの色を加えた佐々木は、俺の手を取って握手した。 「ところで」 すぐ脇の結構大きな家を指さして、佐々木は言った。 「ここが僕の家だ。ここまで送ってきてもらって有り難いが流石にまだ引っ越し荷物が片付いていなくてね。お茶くらいなら出せるのだが……」 ああ、すまんな。俺は帰るわ。お前の家が分かっただけでも今日はOKだ。 それにな、俺がここにいるのは決してお前のせいじゃない。 俺が転校を決断したからだ。だから、そんなに気に病むな。 「ありがとう、キョン。気をつけて」 「ああ、じゃあな」 道すがら、様々な考えが頭の中を通り過ぎていった。 朝倉がクラス委員の進学クラスで、佐々木と一緒に受験勉強……か。 ハルヒ達と遠く離れ、縁が切れてしまったと思っていた不思議達は、俺のこの巻き込まれ体質が気に入ってしまったのか、新しい縁を提供してくれたようだ。 やれやれだ。 第十二章 決意.へ
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第十一章 親友 新しい学校への登校初日。 昨日中等部に入学したばかりの妹は、早速気の合う友人を見つけたらしい。昨日の夕食時に、溢れんばかりの笑顔で報告してくれた。まあ、この調子でうまく学校に馴染んで欲しいものだ。 「おはようございます」 「おう!おはよう!」 一昨日来た高等部の職員室で、担任に挨拶した。朝のSHR前と言うことで、職員室の中はかなり慌ただしかったが、真新しい制服を着た俺を担任は明るく出迎えてくれた。朝っぱらから進路指導でもしていたのか、担任の前には女子生徒が座っていた。 「今日からだな。一年間頑張って、良い大学に行ってくれよ」 「はあ……頑張ります」 「何だ何だ、覇気が無いな。そんなので大丈夫なのか?」 担任の呆れたような声を聞き流そうとしたとき、彼の前に座っていた女子生徒がすっと立ち上がった。 「先生、彼はやるときはやる男です。心配要りません」 あれ?どこかで聞いたような声……?それにこの後ろ姿は…… 「くくっ、久しぶりだねキョン。また会えて光栄の極みだ」 振り返ったその女子生徒の顔を見た俺は、さぞかし間抜けな表情をしていたことだろう。 佐々木???? 「何だ、お前ら知り合いか?……って、同じ事をついこの間言ったような」 記憶の海から過去の事象を引っ張り上げようとしている担任を尻目に、この場にいないはずの俺の親友は、こう言った。 「これから一年、よろしく」 新学期最初の、新しい学校の新しいクラスでのHRに新たな転校生、と言えば転校生の自己紹介の場と相場は決まっているわけだ。だがこの学校は転入・転出が激しく、学期の最初と最後には必ず転校生がいる、というのはずいぶん後になってから聞かされた話だ。だから、新しいクラスの連中も、転校生には特に興味を持っていないようなのは当然だと言えるかもしれない。 ただ、進学クラスであるSクラスに一気に二人も、そのうち一人は『日本全国、進学校と言えば誰でも知っている』学校からの編入となれば、話は別だ。もちろん、それは俺ではなく佐々木のことなのだが。 自己紹介を終わった俺たちは、担任に言われるまま指定された席に着いた。 どうでも良いが、窓際後方最後尾に佐々木、その前に俺という、俺にとっては大変馴染み深いポジションに収まったのは何故だろうね?ただまあ、後ろに座っているのがハルヒではなく佐々木であり、俺の前がクラス委員である朝倉であると言うことは、何らかの因縁や思惑が感じられないでもない。 「キョンくん、前後ろの席だね。一緒に受験勉強頑張ろう」 屈託のない笑顔を向けてくる朝倉。昨日の話を頭から信じるほど俺は世間知らずではないつもりだが、今は場の空気に合わせておいた方がよいだろう。 「ああ、これから一年宜しくな」 ……それとなく妙な圧力を後方から受けるのは、多分俺の気のせいだと思う。 三年生一学期、初日終了後の放課後。 今日はHRと始業式のみの短縮授業で、授業は明日からだ。ここら辺はどこの高校でも変わらないらしい。 そう言えば、転校生というのはどこでも質問攻めにされるらしいが、俺の方は殆ど何も聞かれていない。気が楽と言えば楽だが、それはそれで何だか寂しい気がする。 その代わりに質問の矢面に立たされたのが佐々木だった。放課後だというのに、佐々木の周りにはクラスの連中が集まり、佐々木を質問攻めにしていた。色々と歪曲された表現ではあったが質問の内容は一つだった。 何故あの進学校からこんな所に転校してきたのか? 佐々木は色々とはぐらかしていたようだ。確かにその話題には俺もたいそう興味があったのだが、あまりこの場で根掘り葉掘り聞くのもどうかと思ったので、俺は鞄を持って席を立った。学食で飯でも食ってから……と考えて、ふと思った。学食ってどこにあるんだろう?そういえば、俺はこの学校の中をまだよく知らない。 朝倉に案内して貰う予定が、アレだったからな。しょうがない、探検気分で色々回ってみるか。 転校なんて初めての経験だから、SOS団その1としてハルヒへの報告のネタにでもなるだろう。 「あ、キョン、帰るのかい?待ってくれよ」 俺が鞄を持って立ち上がったのを見て、佐々木も鞄を持ってクラス連中の輪を抜けてきた。 「あ、キョンくん?一緒に帰ろ?」 佐々木の側にいた朝倉までも付いてきた。 クラスの連中は「キョン??何それ??」と頭の上に疑問符を掲げている。 ……ああ、ここでも俺の名前は「キョン」で決まったな、などとバカなことを思いつつ、俺は校内探検に繰り出した。 中高一貫校とはいえ、校内には特別興味を引くものはなかった。強いて言えば、地元の産業や風習を学ぶという授業があることくらいか。地元の人間にとっては当たり前のことなのかもしれないが、他からやってきた人間にとっては非常に興味深いだろう。ただ、それを授業に組み込むのはどうかと思うぞ。 3人で廊下を歩きながら、改めて朝倉を佐々木に紹介した。 もちろん朝倉がSクラスのクラス委員であることは、朝倉自身が佐々木への自己紹介で話していたのだが、俺は朝倉がかつては北高で同じクラスだったことや、3ヶ月あまりでカナダに転校してしまい『偶然』この学校で再会したことなどを伝えた。 「それはそれは。なかなかおもしろい偶然だね。まるで誰かが計らったようだよ」 くくっ、と喉を鳴らす佐々木を見て、ああこいつの勘の良さは変わっていないな、と思った。何故なら、俺はわざと『朝倉は長門と同じヒューマノイドインターフェースだ』と言うことは伝えなかったからな。それでも佐々木は何かを感じ取ったようだが。 「それよりキョン、僕のことを朝倉さんに紹介してくれよ」 ああ、そうだな。とは言っても朝倉のことだ。おそらく長門や喜緑さんと同期を取っていて、佐々木のことは全てお見通しなんだろう。 それでも俺は朝倉に、改めて佐々木のことを紹介した。 中学校3年生の時の同級生であること、同じ塾に通い受験戦争を乗り越えた仲間であること、そして、俺の『親友』であること。『親友』という言葉が出たとき、一瞬佐々木の顔が固まったように見えたが、すぐ元に戻った。何だったんだ、今のは? 朝倉に校内の案内をして貰い、学食にて遅い昼食を終えた俺たち三人は帰路についていた。朝倉は学校そばのマンション、佐々木は俺の家からちょうどショッピングセンターを挟んだ反対側にあると言うことだった。 「ここね、桜並木なんだよ」 朝倉が、規則正しく並ぶ街路樹を指さす。 ほう、桜が満開になったらさぞかし綺麗なことだろうな……って、まだ咲いてないのか?もう四月だぞ? 「くくっ、キョン。君はここら辺の桜開花予想日を知っているかい?」 佐々木が、本当に困った奴だと言わんばかりに俺に問いかけた。 いいや、知らん。 「GW直前なんだよ。だから、まだつぼみが膨らんですらいないじゃないか」 GW直前??そんなに遅いのか?まだ一ヶ月近くもあるじゃないか。あっちでは、俺が引っ越ししていたときにはもう咲いていたんだぜ? 一瞬、桜吹雪の中で仁王立ちしているハルヒの姿が頭に浮かんだ。 「それだけ地方によって違うと言うことさ。特に、桜の開花予想や梅雨入り/開け、海開きの日なんかは差が著しい。こういうのを見ると、日本は上下左右に長いというのが実感できると思わないか?」 確かにそうだな、と日本地図を頭の中に思い浮かべながら俺は答えた。向こうじゃもう桜は散っているだろうし、こっちはまだだ。下手すると向こうとこっちが同じ日本だなんて思えないかもな。 「じゃあ、また明日」 朝倉がマンションに入っていくのを確認して俺は佐々木の家の方に歩き始めた。色々と聞いておきたいこともあったからな。とはいえ、どうやって話を切り出そうか迷っていたが、珍しく佐々木の方から話し出した。 「キョン。僕は君に謝らなければいけない」 何のことだ?お前が俺に対して謝るようなことは、俺の記憶の限りでは何もないはずだぞ? 「そう、そうなのかもしれない。キミはどんな状況でも甘んじて受け入れてしまう、そんな優しさと度量の深さを持っている。だからこそ、僕は君に謝りたいんだ」 悪い、俺はお前が何を言っているのか分からないんだが? 「実はね……今のこの状況を作り出したのは、僕なんだと思う」 ……なんだと?どういうことだ? まさかお前にも世界改変の能力が備わっちまったてのか? 「キミのお父様が勤務している会社と、僕の父の会社がライバル関係にあるのをキミは知っていたかい?」 知らん。初耳だぞ、そんなことは。 「そうか。キミは、もう少しご両親の話をまともに聞いた方が良いのかもしれないな」 ほっとけ、人んちの事情はどうでも良いだろ。それよりどういう事なんだ、さっきのことは。 「そうだな、丁度一年ほど前だ。父の会社が新しい事業を立ち上げることになり、父がそこのリーダーになったんだ。社内外からそれなりの人材を揃えてはみたものの、今までの仕事とは全く畑が違うこの新事業をどのように展開していくのか、グループ内やプロジェクト内でも色々と意見が分かれていたらしいんだ。僅か半年でプロジェクト内での対立が起きてしまったんだな。ほとほと困った父は、半年くらい前に僕にそのことを話してくれた。夕食時の会社の愚痴、といった感じだったがね」 俺も親父に新事業とやらの話を聞いたが、さっぱりわからなかったがな。それが今後どうやって商売に繋がるかは、皆目見当も付かん。 「画期的な事業というのは、最初は何を目的としてどこを目指しているのか、他人の目には全く分からないものなのだよ。それで、父の愚痴を一通り聞いた僕は、自分の意見と感想を話したんだ。父は、僕の意見に痛く感動したらしく、その意見を元に事業計画を修正し、会社に上げたらすんなり通ってしまったらしい。そのあたりで、同じ事業に参入しようとしていたキミのお父様の会社が、父の会社の動きに気付いて……ここから先は、キミがよく知っている通りさ。つまり、僕のアドバイスが回り回ってキミがここにいることになってしまったと言うことになる」 ……なんてこった。じゃあ、あの電話の時には…… 「ああ。あの時はもう僕の家族は引っ越しすることが決まっていて、僕はどうするのかと相談していたときだったんだ。一応、全国的にも名の知れた進学校だったし、学校にも女子寮があるから、そこに入ることがほぼ決まっていたんだ」 そっか。でも、なんでお前はここに居るんだ?そのまま向こうの寮に入っていれば、大学なんかは選び放題だったのに。 一瞬驚いたような目で佐々木は俺をまじまじと見つめ、それから視線を足下に落とし、ため息をついた。 「……ある意味、日常に飽き飽きしていたからかな」 どこかで聞いたような台詞を佐々木は呟いた。 「キミは、僕の向こうでの日常生活を知っているかい?毎朝、満員電車に乗って学校へ行く。勉強のための勉強をしたあとは、受験のためだけの勉強をしに塾へ行く。家に帰ったら学校の勉強のための予習と復習、塾の勉強のための予習と復習。それが終わったら志望大学の予想問題集に取りかかって……今までの2年間、僕はずっとそうした生活を過ごしてきた。それでも、自宅に居れば何とか安らぎの時間も持てるんだが、これが寮になるとなかなかそうもいかない。高校最後の一年間、毎日毎日そんな生活を続けて……これがキミは楽しいと思うのかい?」 うわ……というのが、正直な俺の感想だった。進学校ってのは、お前でさえそこまでやらなきゃいかんのか? 「気を抜いたら、あっという間に抜かれてしまうからね。そう言った意味では、あの学校で本当の友達なんて出来ないさ。僕は、もっと余裕を持って勉学に励みたいんだ。だからある意味、北高に進路を取った国木田が羨ましかったんだよ」 くくっ、と喉を鳴らす佐々木。国木田か。 あいつは飄々と勉学に遊びに邁進してたっけな。そういえば、アイツは三年次のクラスは特進クラスにすると言ってたが、上手くやってるんだろうか? 「だから、キミからのあの電話が来たとき本当に驚いたんだ。僕がキョンと同じ学校に転校したら……新しい何かを得られるかもしれないって、そう思った。だから、僕はここにいる」 いつの間にか佐々木は俺の前に立ち、やわらかな微笑みを浮かべていた。 「キョン。キミがどこの大学を志望しているのかは知らないが、出来れば一緒の大学に行きたいと僕は思っている。中学三年以来だが、僕と一緒に受験戦争を戦わないか?」 凛とした瞳に宿る力強い光。俺はその瞳に吸い込まれるような感覚を覚え、分かったと言葉を発していた。 「そうかキョン!嬉しいよ!」 更に瞳に喜びの色を加えた佐々木は、俺の手を取って握手した。 「ところで」 すぐ脇の結構大きな家を指さして、佐々木は言った。 「ここが僕の家だ。ここまで送ってきてもらって有り難いが流石にまだ引っ越し荷物が片付いていなくてね。お茶くらいなら出せるのだが……」 ああ、すまんな。俺は帰るわ。お前の家が分かっただけでも今日はOKだ。 それにな、俺がここにいるのは決してお前のせいじゃない。 俺が転校を決断したからだ。だから、そんなに気に病むな。 「ありがとう、キョン。気をつけて」 「ああ、じゃあな」 道すがら、様々な考えが頭の中を通り過ぎていった。 朝倉がクラス委員の進学クラスで、佐々木と一緒に受験勉強……か。 ハルヒ達と遠く離れ、縁が切れてしまったと思っていた不思議達は、俺のこの巻き込まれ体質が気に入ってしまったのか、新しい縁を提供してくれたようだ。 やれやれだ。 第十二章 決意.へ
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第九章 新天地 生まれ育った町を出て、翌日の朝。俺と家族はやっと目的地の駅に着いていた。 ……夜行列車なんて初めて乗ったが、いくら寝台席があるとはいえ熟睡なんざ出来るもんじゃないね。 せいぜいうとうとするくらいが関の山だ、ということが身にしみて分かった。それでも、前日までの引っ越し騒ぎがあったせいで幾分は眠れたらしい。妹は熟睡していたようで、朝起きるといつもの笑顔に戻っていた。 俺としては、いつものボディプレスが無かっただけ、ましかもしれん。 電車を降りた俺たち家族は、思いもよらない寒さに身を縮ませた。寒い。 今3月下旬だよな?なんでこんなに寒いんだ? 慣れない気候に辟易した俺たちは、そそくさと改札に向かった。 改札を抜け駅前に出た俺たちを、ぴかぴかの大型セダンの新車の脇に立った得意満面の親父が出迎えた。 俺の編入試験の時一緒に来て、そのままこちらに残り仕事をしていた親父は、家族の姿を見つけるとまるで新しいおもちゃを見せびらかす子供のような顔で、車の屋根をポンポンと叩いた。なんだこの車は? 「買った」 マジかよ。 「社長たるもの、車の一つも無きゃな。それより、早く乗れ。引っ越し便がそろそろ来る頃だぞ」 車のトランクに手荷物を押し込み、俺たち家族は車に乗り込んだ。しかしまあ……よくこんな高級車を買えたもんだ。国産車とはいえ、安いもんじゃなかっただろうに。 「ここらへんじゃ、車がないと生活できないんだよ。交通手段がないからな」 ゆっくりと車を走らせる親父がぽつりと言った。そうなのか?バスとか電車とか自転車とか、いくらでも有りそうな感じだが。 「まあ、おいおい分かるさ。」 さて、引っ越し先にはまだ荷物は到着していなかったが、それよりも俺と妹は家自体の大きさに驚いていた。 以前の家と比べると、当社比2倍という所か?部屋の数も多いし、庭も広い。ガレージも大型自家用車を2台楽におけるほどのスペースが有る。周りはいかにも「高級住宅地」って感じの家が整然と建ち並んでいる。 「ここが、今日から我々の新しい家だ」 親父が自慢げに紹介し、親父から鍵を受け取ったお袋が、いそいそとドアを開ける。 家の中からお袋と妹の「へえ~~」とか「うわぁ、広~~い」等という叫声が上がるのを聞きながら、親父に尋ねた。どうしたんだ、この家? 「これも買った。中古だがな」 何だと?車にしろ家にしろ、俺んちはそんなものをポンポン買えるほど裕福だった覚えは無いのだが? 「登録上は、この家も車も新会社の資産になってる。いわば、社用車と社宅、だな」 なるほど……って事は、親父が事業に失敗すれば、俺らはここから叩き出され車も没収されるわけだな。 「さい先の悪いこと言わんでくれ。そうならないように、がんばってるんだ」 ブスッとしてこちらを睨む親父。悪い、言い過ぎた。 「まあ、良い、ホントのことだからな。それより中に入ってみろ。驚くぞ」 親父に促されるまま、俺は玄関をくぐった。 「広~~い!ねぇねぇキョンくん、あたしの部屋すっごい広いのよぉ~~」 妹が自分に割り当てられた部屋を見て、感嘆の言葉を出した。以前の妹の部屋は確か六畳だったはずだが、この部屋は八畳間か?では、自分の部屋はと見れば…… 「キョンくんの部屋、もっと広いねぇ~~~」 ……十二畳間でフローリングですか。つか、広すぎないか、これ。 「どう?気に入った?」 下の階から、お袋が声を掛けてくる。 「すっご~~い、広いの!うん、気に入った~~~!」 大はしゃぎしている妹がお袋の質問に答えながら、階下に手を振る。コイツは悩みがなさそうで良いな。 その時点で、親父がいないのに気がついた。外を見ると車も無い……逃げたか? 「あれ、親父は?」 「何だか、仕事の打ち合わせって言ってたけど、引っ越しの手伝いするのがイヤなんじゃないの?全く自分の家の引っ越しだってのに、何考えてんのかしら、あの唐変木」 唐変木て。意味分からんぞ、お袋よ。 ぶつぶつ言っていたお袋は、諦めたように俺たちに目を向けた。 「じゃあ、引っ越し便が来るまで自由にしてなさい」 妹は「は~~い!」と元気よく応え、部屋に戻っていった。俺も部屋に戻り、前の家から運び込まれる荷物をどのように配置しようか考えてみた。しかし……以前は六畳間だったから、ほぼ倍の広さの部屋なわけだ。 荷物を配置してもスカスカだろうな。無駄に広いって感じがするが、まあそのうち埋まるだろ。 さて、どのようなレイアウトにしようかと思案していると、携帯が鳴った。 着信:長門有希 長門だった。 「長門か」 「……目的地への到着を確認」 「おう、無事着いたぜ。多少疲れてはいるがな」 「……そう」 「そっちは変わりないか?」 「……ない」 「そうか。生存確認ってワケか、この電話は」 「……貴方に電話したのは、別件」 「なに?」 「……貴方のこと」 「俺がどうかしたのか?」 そこで長門は一瞬言葉を句切り、間を置いた。 「……貴方が涼宮ハルヒの元を一時的に去ることにより、状況に変化が生まれることを情報統合思念体は予想していた。しかし、今日まで特に大きな情報改変は確認されていない。ただし、貴方が涼宮ハルヒの『鍵』であることに大きな変更はないと情報統合思念体は考えている。貴方の身に危険が生じる可能性が増えると情報統合思念体は判断し、貴方を護衛及び観測するためのインターフェイスを派遣することになった」 つまり、俺も観測対象になったという訳か? 「……そう。私の観測範囲を広げれば、貴方に迫る危険には十分に対応可能であると情報統合思念体に報告したが、もし貴方に急遽危険が迫った場合、即時対応という意味では不十分と見なされた。そのため、貴方専用のインターフェイスを付けることとなった。なお古泉一樹の『機関』や朝比奈みくるの組織も、おそらく我々と似たような行動を取るだろう」 俺専用の護衛兼観察係、ですか。嬉しいんだか悲しいんだか。 そいつらは俺に自己紹介をしてくれるのかね? 「……わからない。情報統合思念体でも派閥によって思惑が違う。貴方に正体を明かした方がよいと判断するならば、そのようにするだろう。私にはそれ以上の情報が与えられていない」 そうですか。ただ、お前のパトロンの『派閥』がどうのって話を聞くとだな、脇腹のあたりがズキズキしたりするのは、俺のトラウマになってしまったんだが。 「……頑張って」 ああ、頑張るさ。伊達に2年もSOS団にいたワケじゃあない。多少のことでは驚かなくなってるしな。 「……そうではない。涼宮ハルヒと約束した事柄。私という個体も、貴方がこちらに戻ってきてくれることを切望している」 ……おい、なんでそのことを知ってるんだ? お前と朝比奈さんはあの時もう居なかったじゃ……って、長門のことだ、知らないことは無いんだろう。 「……ナイショ」 久々の長門の冗談のような台詞を最後に、携帯は切れた。 結局、やっぱりというか、当然というか。ここまで来てもハルヒやSOS団と俺は、縁が切れないらしい。 これじゃSOS団支部ってのを本当に立ち上げてみても良いかもしれないね。 ハルヒや古泉にも、無事到着したと連絡をしようと、携帯のメモリを呼び出していたとき、引っ越し便が到着した。これからまた肉体労働かと思うとげんなりしてくるが、とりあえずこの引っ越しを終わらせない限りは寝る場所にも困ってしまうし、飯も食えない。なんせ、俺のベッドも食器もあの荷物の中だからな。 階段を下り外へ出て、なんとなく玄関の脇で引っ越し便を見ていた。 引っ越し便のお手伝い人数は……運転手を含めて5人か。当然、向こうを手伝ってくれた人とは違うようだ。 彼らはトラックの前で点呼を取ると、荷物を下ろし始める。まずは隙間を埋めていた毛布を取り出し、同時に段ボールをトラックの側に敷き始めた。 流石プロ。手際の良さに感心して見入っていると、助手席からバインダーを小脇に抱えた作業服姿の女性が小走りにこちらにやってきた。 あれ……?? 「こんちにわ、お待たせしました。引っ越し便です」 「はあ~~い……お待ちしてました」 「では早速作業に掛からせていただきます」 お袋に挨拶し、再び小走りに外に出てきた女性に声を掛けた。 「……何でこんなところに居るんですか?森さん?」 足を止め、こちらを振り向いた女性は『機関』所属にして古泉の上司?森園生さんだった。いつぞやのメイドルックやスーツ姿と違って、作業着姿も板に付いている。 「ええ、引っ越しのお手伝いに参りました。それと、あなたにお伝えしたい事がありましたので」 多分、さっき長門から聞いた件なんだろう。 ありがとうございます。わざわざ伝えに来てくれたんですか。 訝しげな顔をした森さんに、俺は先程長門から聞いたことを説明した。 「さすがは長門さんですね。既に連絡済みとは」 いや、俺もその件はさっき聞いたばかりなんですが。 「彼女の言ったことは事実です。というわけで、我々も貴方の護衛を近くに置かせていただきます」 はあ、やっぱりね。出来れば、誰が来るのかを教えて頂くわけにはいきませんか? 「まあ、そのうち分かりますよ。それまでのお楽しみと言うことで」 ……まさか古泉が同じクラスに転校して来るというのは無しですよ? 「彼には、涼宮ハルヒの監視という任務がありますので、それはありません。それでも、貴方が全く知らない方ではありませんよ」 誰ですか?教えて貰うわけには…… 人差し指を口元に持ってきた森さんは、輝くような笑顔でこういった。 「……禁則事項です」 ……そう言う冗談はやめてください。イヤ、マジで。 引っ越し便(実は『機関』)の人たちの、プロ顔負けの手際の良さも手伝ってなのか、荷物の搬入は思いの外順調に進んだ。引っ越しの荷解きも大体終わり、あとは各々の細かい片付けが残った時点で『機関』の面々は帰っていった。是非夕食でもというお袋の言葉を「申し訳ありません。我々にはまだ仕事がありますので」と名残惜しそうに断った彼らは、来たときと同じようにトラックと随伴のワゴン車に乗って、夕闇の中に消えていった。 簡単な夕食を掻き込み、部屋に戻ったところで携帯の着信に気がついた。 履歴にはハルヒと古泉、朝比奈さんの名前が載っている。ああ、そう言えば到着の連絡してなかったな。 まずハルヒに……と携帯を取ったところで、電話が鳴った。 着信:古泉一樹 「古泉か」 「はい、ご無事そうで何よりです」 「ああ、無事に付いたぜ。引っ越しも一段落した。その……森さん達のおかげでな」 「……それはそれは。となれば、こちらの用件はもうご存じですね」 俺は、長門から聞いた話を古泉に話した。『機関』の意向を知っているのと知らないのでは、今後の対応が変わってくるだろうし、何よりコイツには「事情は知っている」ことを話しておかなければと思ったからな。 「そうですか。そこまでご存じならば、僕からは何も言うことはありません」 古泉の、ちょっと困ったようなにやけ顔が頭に浮かんだ。 「ところで涼宮さんにご連絡は?」 ああ、これからだ。今掛けようかと思ったら、おまえから掛かってきたんだ。 「そうですか、これは失礼しました。涼宮さんは、おそらくあなたからの連絡を首を長くして待っておられるはずです。それでは、また」 それだけ言うと、古泉からの電話は切れた。 ああ、そうだ。ハルヒハルヒ。 呼び出し音一回で出やがった。 「もしも……」 「遅~~~い!何やってたのよ!このバカキョン!」 いきなりそれかい。 お前な、引っ越しの翌日は荷物整理と片付けだろうが。こっちは大変な状態なんだぞ。 「知らない」 うわ、そこで一蹴しますか、こいつは。 「……心配してたんだから。到着したら、きちんと連絡しなさい!」 ああ、すまんな。それに関しては悪かった。 「そっちは、どう?上手くやっていけそう?」 着いたばかりでまだ分からんが、同じ日本だ。言葉も通じるし、問題ないんじゃないか? 「そっか。じゃあ、受験勉強も大丈夫ってワケね!」 そう言う意味かよ。まあ、日本全国やることは同じだ、大丈夫だろ。やれるところまでやってみるさ。 「ああ、そうだ。引っ越しの時に言い忘れていたけど、SOS団本部からの通達よ!!月イチで不思議報告をすること!良いわね!」 はあ??何のことだ??不思議報告だと?? 「あんたね!SOS団支部長って言う肩書きを忘れたワケじゃないでしょうね。こっちとそっちでは全然生活環境が違うんだから、不思議の一つくらい見つけるのがSOS団団員として当然のことなのよ!」 イヤ確かに生活環境というか、自然形態も違うから不思議な事の一つくらいはあるかもしれんが……って待て待て!俺たちは受験生だぞ!しかも俺は、お前の志望大学に入るためには脇目もふらずに勉強しなければいけないんだが? 「……う~~ん、そう言われればそうよね……ああ、じゃあ不思議なことを見つけておきなさい!調査自体はSOS団本部がやるわ。そうね、手始めはGWあたりを予定しておくから」 え~~と、それはつまり…… 「SOS団初の遠征!『GW不思議探索ツアー』決定ね!じゃ!おやすみ!」 おい!まてこら……という俺の叫びも空しく、携帯は既に切れていた。 はあ~~、と言う盛大なため息が俺の耳に聞こえてきたのは、空耳ではないだろう。吐いたのは俺だからな。 GWの予想……と言うより惨状を予測していた俺は、ふと時計に目をやった。時計は無情にも23時をとうに過ぎていた。やばい!朝比奈さんに連絡しなきゃ。 何度か携帯に掛けてみたものの、いっこうに出る気配はなかった。寝ちまったのかな?まあ、深夜に電話するのもどうかと思った俺は、明日もあるさと思い直し、とりあえずそれだけは確保した寝床に潜り込んだ。 第十章 護衛へ