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2012年(平成24年)における今上天皇は明仁(第125代天皇)。今上は漢語であり、『史記』秦始皇本紀に「今上知天下、」云々とある。「聖上」と同じように、現在の帝(みかど)を意味する語である。当今(とうぎん)ともいう。「いまのうへ」というやまとことばを漢字で書いて今上としたとの説は、「からごころ」を排除する国学の影響によるものとされる。日本や唐以前の中国では、敬意を示すものについてはっきりした言い方を持たない文化があり、当代の天皇の呼称もあまり発達しなかった。しかし、大正天皇や昭和天皇と並べて表記したい場合に、「今上」もしくは「今上陛下」では言葉のすわりがよくないことと、「今上天皇」と表記すると語感から客観的な表現に感じられるため、中立を求められる表現の中で使用される頻度が高くなってきた。また皇后美智子も「今上陛下」と公の場では呼んでいる。 ■ 昭和ヒトケタ生まれの陛下 「DEEPLY JAPAN(2018-12-23 23 36 41)」より / 今日は今上陛下のお誕生日。天皇として最後のお誕生日ということで比較的長い動画を公開されている。 テレビでは朝からこの話をしていた模様で、沖縄への思いは変わらない、というところや、平成の時代が戦争のない時代だったことに安堵しているという言葉が取り上げられていた。戦争のない時代だったことに安堵しているというのは本当に心からの本心だろうなと思った。 (※mono....以下動画は下枠のものと同じなので略) / 私が、おお、と思ったのは、平成の時代状況を語る下り。東西冷戦も終わり、 これからは国際社会は平和な時代を迎えるのではないかと希望を持ちました。 しかしその後の世界の動きは必ずしも望んだ方向には進みませんでした。 望んだ方向には進まなかった、つまり、私はそれを望んでなかった、ということ。 これはとても強いおっしゃりようだと思う。ただの事実文じゃない。 私流に解釈すれば、つまり、冷戦終結を語り人々に幸福を約束したかのようなふりをしながら、その多幸感を己の欲のために利用した奴らがいたことはまったく残念な話だったぞ、という話ではないかと思うわけです。 NATO東方拡大:ゴルバチョフはマジで約束されていた 2017-12-15 18 07 35 | 欧州情勢複雑怪奇 冷戦終結の多幸感を利用したツケを払うアメリカ そのような認識を示されたことを、同時代を生きた者としてうれしく思った。 ■ 昭和ヒトケタ生まれ そして、この姿勢の天皇がイヤであるばっかりに、日本の「右派」の一部は天皇を輩出するご家族に対して、ほとんど人権侵害もいいとこといった大攻勢をかけて、自分の好みの奴を作ろうと画策していていたのだろうと思う。こういう人たちにとって天皇は「玉」でしかないから。 そういう中で、いわゆる「先の大戦」で犠牲になった人々が多々あり、その果てに今日を築いていることを忘れないように伝えていくことが重要だ、とのお考えからいろんなところに行かれたんでしょう。 (※mono....中ほど略、詳細はサイト記事で) / といったことから昭和8年生まれの今上陛下を思うに、「先の戦争」に対する感じ方は圧倒的で、そして長い世代だろうと拝察してきた。そしてお立場から来るのであろうある種の慚愧の念をそのままにせず、それを責任感に繋げているという点では優れた資質を持った勇気のある人だとも思ってる。 ■ 大日本帝国を終わらせる 総じて思うに、今上陛下のお仕事は、大日本帝国を終わらせることだったのではあるまいかなどとも思う。本当はこれは、1945年か、あるいは1947年から開始されるべきだったことだが、いわゆる冷戦によってそれができなかった。 だからこそ、冷戦という特異な時代が終わった今、自分の仕事は近隣諸国との過去を清算し、大日本帝国ではなく日本にすることだとお考えになったのではなかろうかと拝察する。 だからこそ、即位式にあたって、日本国憲法の堅持を誓われた。 (※mono....以下続きは略、詳細はサイト記事で) ■ 中露の反応 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) ★ 天皇誕生日、一般参賀に平成最多の8万2850人 「毎日新聞(最終更新 12月23日 19時27分)」より (※mono....前後略、詳細はサイト記事で) / 大阪府泉佐野市から初めて来たという平嶋清彦さん(83)は「(誕生日に先立って行われた)記者会見も、今日のお言葉も心に染みた。いつも国民を心配していただき、感謝の気持ちでいっぱい」と感無量の表情だった。「平成生まれとして一度は陛下に会いたかった」という広島県呉市の女性(28)は「被災者や被爆者を思って広島に来てくださった。陛下は国民に元気をくれた。退位後はゆっくりしてほしい」と話した。 ■ 天皇陛下85歳 平成最後の誕生日会見=宮内庁提供映像(2018年12月23日) THE PAGE(ザ・ページ) 2018/12/22 に公開 天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えられ、これに先立つ記者会見で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵しています」と振り返った。陛下は2019年4月30日に退位されるため、平成最後の誕生日会見となった。 【全文書き起こし】天皇陛下85歳 誕生日会見 ★ 天皇としての旅、支えられ感謝 陛下85歳 最後の会見 「産経新聞(2018.12.23 00 00)」より / 天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、皇居・宮殿で記者会見に臨み、来年4月30日の譲位を前に「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と謝意を伝えられた。また、象徴天皇として「譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたい」と決意を示された。 今後、陛下が記者会見を行う予定はなく、今回が最後の機会となった。 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) ★ 陛下、声震わせ「象徴の旅」を回顧 最後の記者会見全文 「日本経済新聞(2018/12/23 0 00)」より ★ 天皇陛下、85歳…戦争なく「心から安堵」 「読売新聞(2018年12月23日 06時00分)」より ★ 「天皇としての旅を終えようとしている今…」 会見全文 「朝日新聞(2018年12月23日00時00分)」より ■ ”天皇の保守批判”は危険な予兆ー伝統vs.パーソナルカルト 「万国時事周覧(2017.5.21)」より / 本日、ネット上に前代未聞のニュースが掲載されていました。天皇譲位(退位)問題につき、保守系の識者が有識者会議のヒアリングで述べた見解について、”陛下がショックを受けた”とする旨の強い不満が首相官邸に伝えられたというのです。宮内庁幹部の説明によれば、象徴天皇としての生き方を”全否定”されたと受け止めたようですが、この今上天皇の発言は、あまりにも危険なのではないでしょうか。 この件で懸念すべきは、第1に、識者の発言であれ、今上天皇が、公然と日本国民の言論を批判したことです。おそらく、この批判の真意は、”有識者会議から皇室の意向に反する考えを持つ識者は排除せよ”ということなのでしょう。となりますと、言論の自由は日本国憲法において国民に保障された自由てすので、今般の”異なる意見”を排除し、自由な言論封じ込めを目的とした批判は、憲法違反の行為ともなりかねません。日本国民の中には、宮中祭祀を専らとする明治以前の天皇への回帰を支持する声も少なくありませんので、天皇が言論を弾圧したとする印象は、国民との関係において致命的な意味を持ちます。 第2に、今上天皇の批判の矛先が、保守系識者であったことです。保守系の人々とは、皇室に対して人並み以上に最大限の敬意を払い、不祥事にも目をつぶり、その権威の維持に誠心誠意努めてきた人々です。いわば、皇室の藩屏であったのですが、その保守層に対して不満を述べたのですから、恩を仇で返すようなものでもあります。そして、この姿勢は、皇室が、社会改造を良しとする左派に与していることを示してもおり、この観点から見ますと、”眞子さま婚約”の一件も頷けます。 第3に、今上天皇の不満は、首相官邸に伝えられたという事実です。(※mono....以下略、詳細はブログ記事で) ■ ブログ「国際情勢の分析と予測」のコメント欄より / unknown (unknown) 2016-09-23 20 46 19 絶対絶命の危機に追い込まれているアメリカ軍産複合金融悪魔どもが、起死回生を狙って、天皇陛下のお命と金塊を狙って、宮内庁長官に、彼ら(軍産複合体悪魔)の息のかかった人物を送り込んでも不思議はありません。なぜか、急に元もとの宮内庁長官が、辞めさせられて、今月の9月28日に新しい宮内庁長官(松本氏)が就任することになっています。この9月28日という日付けですが、ちょうどこの日(9月28日)から4日間、10月1日まで、天皇陛下は、岩手県をご行幸されることになっています。ちょうど、この日に、新しい宮内庁長官が来るというのも、何か、引っ掛かkります。で、今回の天皇陛下の岩手ご訪問ですが、詳しい日程やお泊りになられるホテルまで、なぜか、朝日新聞の記事に載っています。天皇陛下が、ご宿泊予定のホテル名まで、事前に、新聞(朝日新聞)に載せるのは、危険極まりないと思います。天皇陛下がご宿泊予定のホテル名が、ご訪問の前に事前に新聞に出たことなど、これまであるでしょうか?私は、あまり、記憶にないですが。この日(岩手訪問)の日から、新しい宮内庁長官。そして、事前に、天皇陛下のお泊りになられるホテル名が、報道機関に明らかになっている不思議。なんか、(悪の臭いが)臭います。 ■ 先帝陛下の戦争責任を追及しなくてはなるまい。 「帝国政府声明文-- 戦勝国は日本だった(2016.8.19)」より / 明仁陛下が「あの戦争が間違った戦争だった」というなら、その間違った戦争を発動し、300万の民を死に追いやった先帝陛下の戦争責任を追及しなくてはなるまい。 明仁陛下よ、昭和陛下の戦争責任を追及されよ。何故追求しない。 先帝陛下に戦争責任があると言うことになれば、常に何事にも潔よかった先帝陛下は直ちに御退位されたことであろう。そうなると、次の天皇は貴殿ではなく先帝陛下のご兄弟となり、貴殿に天皇就任の目はなかったことになる。 なのに何故貴殿は天皇の地位についておられる? どうしてもあの戦争を間違えた戦争であると主張されるなら、貴殿は就任時に遡って退位されるべきである。 先帝陛下が戦争犯罪者であると言うことになるなら、貴殿の皇位継承の正当性について疑問符がつく。 先帝と英霊を卑下すると言うことは貴殿は遡って退位することになるということなのである。よくよく考えられよ。 以上、英霊からの意思を伝える。 ■ 追悼式のお言葉に思うこと 「井沢満ブログ(2016.8.19)」より / 靖国神社での国民集会に参列させていただいてから あっという間に一年が過ぎ、歳月の足取りの速さに息を呑む思いです。 本日、本来は「靖国で会おうぜ」を合言葉に散華されたおみたまのためには、 靖国神社で開いていただきたき追悼式典が、すぐ近くの武道館で開かれましたが、率直なことを言わせていただければ、天皇陛下のお言葉に悲しみを 覚えます。悲しみは我が悲しみなのか、英霊の涙に感応しての それなのか、よくわからないのでございますが・・・・ 安倍総理の、 「未だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも脳裏から離れることはありません。お一人でも多くの方々が故郷に戻っていただけるよう、全力を尽くします」 情の通った言葉にしみじみと頷くのです。言葉のみではなく、ご本人が遺骨収集にお心を砕いていらっしゃることをよく存じ上げているし、慰霊地では地に跪いての深き深き礼です。 その安倍総理の言葉が最初にあるだけに・・・・ 天皇陛下のお言葉の、戦火で散った方々への思いの・・・・・・何と申せばよいのか・・・・不敬を畏れて言葉が続かぬのですが・・・・ 抜粋ははばかられますので、畏れながら全文を引用させて頂きます。 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。 終戦以来既に七十年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません。 ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」 了 「悲しみ」と「深い反省」・・・・・ 日本の繁栄は、国民のたゆみない努力の上にあるのみならず、天皇のみ名のもとに散華せし数多の命の礎の上にあるので、戦後を支えた来たわたくしどもへのお言葉よりも、英霊へのお言葉が欲しかったと・・・・・こう申し上げることは不遜でございましょうか。 「深い反省」と言われては、親のため子のため、幼い妹のため、故郷のためと ゼロ戦で突っ込んでいった十代の魂が、慰められましょうや、と どうにもこの、彼らの魂と拙きわが心が本日はシンクロして、つらき思いを致します。 日本のみ反省しなければならぬような、悪い一方の戦争でございましたでしょうか。 白人の植民地主義との戦いでもあり、アジア開放はそのためになり、 その意味では勝ち戦ではございませんでしたでしょうか。 戦争はもとより避けねばならぬものですが、しかし追い込まれて立ち上がらざるをえない戦もあります。 先の戦争がそうでした。少なくともその側面はございました。 何も勇躍、侵略の目的で戦を始めたのではございません。 ルーズベルトにそそのかされ、ABCD包囲網に囲まれて やむなく立ち上がった戦争で、あの勝ち戦の将軍マッカーサーさえ アメリカで「あれは日本の自衛の戦争であった」と証言しています。 そして何より・・・・・何より・・・・・昭和天皇が、そうおっしゃっています。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ また慰霊で謝罪かよ 「二階堂ドットコム(2016.8.15)」より / 生きてる奴に何とか言えよ!慰霊慰霊慰霊反省反省反省って。そんなことばっかり言ってるからダメなんだよ。 昔は「ダメなら都変える」くらいだろ。生きてる奴が一番大事なんだよ。もう慰霊だの反省だのつまんない事言うなよ。 まだらボケはどうしようもねぇな。神でも何でもねぇじゃねぇか。ただの老人じゃん。 大体、いまの天皇は「左翼の方が話がわかる」とか言ってるくらいの無知だからね(これほんとの話。誰から聞いたか俺の近くの人はわかるはず)。どうしようもないんだよ。 ■ 天皇陛下お言葉表明に係わる私見 陳情文書準備の必要性 「祖国創生(2016.8.15)」より / 実は、法整備的には、集団的自衛権解釈の見直し、平和安全法制、テロ3法、特定秘密保護法案、の次に来る法改正は、スパイ防止法法制化、皇室典範見直しあるいは自衛隊法改正が政治課題となるだろうと予想していた。 政権として憲法改正できる議席が獲得できてはいるものの、そういう選択肢はあるという前提で書いてきた。 皇室典範見直しについては、そう問題提起するきっかけがなくては話にならない。このことは説明しなくても理解いただけると思う。 改正はそう簡単にはいかないのだ。 また、憲法改正手続きについて、今回の天皇のお言葉発言が手続き作業的には延期効果をもたらす可能性があることは承知している。 憲法改正 スパイ防止法法制化 自衛隊法改正 皇室典範改正 表面的には憲法改正は遠のいたと見るだろう。 しかし、私は違うと思っている。 今上陛下のお言葉発言のお蔭で、少なくとも数年以内に憲法改正が数回行われたとして、改正しなくてはならないネタが、増えたと解釈しているのだ。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ーーーーー ■ 天皇陛下お言葉表明に係わる私見 総論編 「祖国創生(2016.8.13)」より / 本稿では、標記について総論的スタンスで述べさせていただく。 私個人は、遺言みたいな形で問題提起がなされることを想定していた。遺言みたいな形で遺された場合、仮にそれが憲法違反だった場合でも尊重すべきという意見が大勢となるだろう。それゆえ遺言という形でなく、生前でのお言葉表明でほっとしていたところである。 従って、以下にあるように 天皇陛下の「生前退位」リークが、国民への暖かな配慮だった可能性 http //www.mag2.com/p/news/215536?utm_medium=email utm_source=mag_news_9999 utm_campaign=mag_news_0812 国民への暖かな配慮がお言葉表明の動機にまずあって、リーク報道が為された可能性を指摘するのである。 なぜなら、今上陛下は、宮中祭祀を熱心に為されていた方と伺っていたからだ。 (宮中祭祀に不熱心な天皇陛下だった場合は、解釈はやや悲観的になる。) 続いて、お言葉表明後の東宮、秋篠宮家退出時間報道を読んでみたい。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 【日本国憲法改正】 ■ 天皇陛下のフィリピン戦役に関する御発言は憲法9条を守れとの勅(みことのり) 「東京kittyアンテナ(2016.1.28)」より / 天皇皇后両陛下がフィリピン戦役における日比の戦没者を慰霊される旅に出られた。お二人とも万全とは言えない健康状態にも関わらす、お命を削って慰霊に取り組んでいる佇まいに一層の重みを感じる。 安倍首相が国会演説で参議院選挙に勝利した後の憲法改正に言及したこの時期における天皇陛下の平和に関する御発言は、普通に考えれば憲法9条改正への絶対反対と、それを推進する安倍政権打倒を希望するもので、平家追討を命じた古の宣旨と同じ政治的意味を持つ勅(みことのり)とをもわざるを得ない。 ヲレは安倍首相を極めて高く評価してをり、先般の安保関連法にも戦争抑止のため必要とをもっているが、天皇陛下の勅に関しては鼎祚(ていそ)の弥栄(いやさか)を希う(こいねがう)者の一人としてその重さを鑑みざるを得ない。 現在の制度では天皇陛下には一切の政治的権力は存在しない。だが、民主主義体制は悠久の日本の歴史から見れば一瞬の泡沫(うたかた)の様なものだ。陛下がここまで言うということは、夏の参議院選挙で自民党が勝つ見込みはない。陛下の意を汲まんと欲する人々はいずれ燎原の如く広がるであろうからだ。それどころか共産党が天皇陛下を平和のシンボルとして掲げるという自民党にとっては悪夢のシナリオまで見えて来た。甘利大臣の問題など微塵にすぎない。事態の推移を慎重に見守っている。 日本の歴史が、また1ページ(@w荒 ■ 今上陛下がアジア解放戦争を否定する時、その言動は自分の先祖の間抜けぶりを指摘することになる。 「帝国政府声明文 安濃豊-戦勝国は日本だった(2016.1.27)」より / 今上陛下はフィリピン共和国を国賓として訪問され、大歓迎を受けているそうである。国賓を招くことが出来る国家とはもちろん独立国家であるわけだが、フィリピンはいつ独立したのであろうか。 謝罪反省好きな今上陛下は昨日、マニラ戦において犠牲者が出たのは日本軍のせいであるかのような反省を行ったそうだ。 マニラを無差別砲爆撃したのは米軍である。1899年フィリピン植民地をスペインから横取りした時、米軍は80万人の反米フィリピン人を虐殺した。前歴持ちの米軍にとってマニラを無差別爆撃することなど日常に過ぎないのだ。 フィリピンは何時独立したか? 昭和18年10月14日である。その日日本軍の軍政が撤廃され、正式に「フィリピン共和国」として独立した。 参考: http //www.geocities.jp/taratooi2545/page012.html フィリピンに出かけていって謝罪反省するなら、今上陛下は昭和18年に日本軍が独立させてしまったことを反省謝罪しなくてはならない。「独立させてごめんなさい」というべきである。 フィリピン戦では日本軍とともに「愛国同志会」、通称「マカピリ」も独立維持のために戦った。マカピリに参加したのはアメリカ植民地時代に貧困に苦しんでいた人々で、4千人~5千人に上った。 参考: http //www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/phiripin_senso/phiripin_senso.htm 日本軍を悪とするなら、マカビリ兵も悪としなくてはいけない。何故なら独立のために白人軍と戦ったのだから。陛下はマカビリ兵も否定する気であろうか。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 天皇ご謀反 保守がなぜ「不敬」の一言で白痴化するのか?《転載自由》 「BBの覚醒記録(2015.8.21)」より / BBの天皇陛下批判に対して、興味深い投稿を頂いたのでそれにお応えする形でいささか拙論を述べてみたいと思います。 「不敬」の一言で、現在の天皇皇后両陛下及び皇太子の国を損ねかねない 左傾化に対して、それを直視できない保守は愛国の轍を外れたエセ保守である、というのがBBの主張です。 それに対して、思考停止の保守連中の感性は「不敬である」とその一言で論説そのものを拒絶してしまいます。新興宗教の教祖が否定された時の、脊髄反射と似通うところがあります。ものの理非曲直の次元ではなく、教祖に対しての言挙げ自体がいけないのです。 しかし「なぜ、いけないのか」という質問に答えられる者はいません。 いけないのだから、いけないのだ、ということでしょうか。もはや理性の介在する余地はなく、思考として健全な状態にあるとは言えないでしょう。 不敬と、パブロフの犬的に口にする人たちは不敬の定義を承知でしょうか? 不敬行為とは、客体に対する軽蔑の意を表示し、その尊厳を害する一切の行為を指すとされています。 正当な批判が、上記に該当するかどうかが判断の別れめでしょう。 まず、侮蔑には端的に該当しませんね。批判と侮蔑をごっちゃにするレベルの人達は論外です。尊厳を害するかどうかが、決め手でしょうが明治大帝にご意見申し上げていた忠臣がいて、明治大帝はそれを排除なさっていません。 正統な批判とは何か。天皇に国を害する言動ある時である、と一応して良いと思います。 歴史を見れば、島流しにあった複数の天皇は国への謀反で流されています。 戦前は侮蔑と尊厳を害する行為に加えて、現人神否定も不敬とされていました。 おそらく、問答無用の批判否定派は、現人神として崇める感性をいまだ引きずっているのかもしれません。しかし、天皇自らが神聖については否定されました。それを受け入れぬ感性の者達がいるとしても、それならそれで、神が憲法論をなさるなどあるべきことではないでしょう。 天皇ご謀反に該当する歴史は、大化の改新、薬子の乱など複数あり少なくはありません。近くは後醍醐天皇による元弘の乱、有栖川宮熾仁親王による江戸政権への反乱があるでしょう。 暗殺や入水という自殺以外に、死罪になった天皇はいませんが死罪につぐ流刑になった天皇は何人もいます。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 【終戦の日】 ■ 天皇陛下のお言葉検証 「あるウソつきのブログ(2015.8.17)」より / 終戦記念日における、天皇陛下のお言葉の検証を、今年はしようと思っていた。 と、言うのは、当ブログコメント欄にて、以下のやりとりがあったからである。 【拙】安倍談話の重要性 http //blog.goo.ne.jp/jpakiyo/e/d1153b78f06912cc565f5e3d8be36f3f Unknown(H) 2015-08-05 05 37 06 (前略)気になるのが、最近噂になっている天皇談話です。 天皇は政治的な行動をとってはならないことになっていますが、政府の反対を押し切ってパラオ訪問強行など、気になる行動も見受けられました。 国際的には天皇>>総理大臣ですから、非常に面白くないことになります。 流石に無いと言いたいとこですが不安はぬぐえません。 Unknown (通り道) 2015-08-05 12 42 56 安倍談話が重要?まさか! 天皇陛下が戦後70年の「談話」を発表される。こっちのほうが上でしょ! 閣議決定のない安倍談話など井戸端会議と同じ!意味なしですよ 天皇談話について (あきよし@管理人) 2015-08-05 22 59 12 正直、陰謀論の類だと思っています。 天皇陛下が政治的圧力とか、普通に考えたらほぼ不可能でしょう。 むしろコレを流して安倍談話を牽制し、公明党との着地点を左寄りにしようとしていると考える方がよほど有り得そうで、まだ説得力がマシな話です。 (※mono.--中ほど長文略、詳細はブログ記事で) / 陛下がどうお考えであれ、政治的な横槍を考慮される事はないのだ。 それを、まるで陛下の代弁者のように騙るリテラの禍々しいこと。これぞ、「虎の威を借る狐」だ。 談話発表前のNHKの報道もそうだったが、左翼系の報道は必ず連中の願望が加味されている。連中は、自分の言葉が力を持っている事を知っているからだ。 それは、無論右側も同様なのだが、力が強い故に、左翼系の方が悪質で、許せないものと感じるのである。 連中は、ウソはつかないが、本当の事は言っていない。 常に、「ウソをついていないなら、どこでごまかすつもりなのだろうか」という観点で、左翼系ニュースは見ていないといけない。 【終戦の日】 ■ 深い反省は戦没者之霊には残酷だ 「気付くこと思うこと(2015.8.16)」より / Yahoo!ニュース http //headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150816-00000044-san-soci 終戦70年、平和の誓い 戦没者追悼式 天皇陛下「深い反省」 (※mono.--引用記事略) / 天皇が、『全国戦没者之霊』に対し、「深い反省」を述べられても、天皇や日本の為に戦い亡くなった方達はどういう気持ちになるだろう…と思いました。 天皇から、あの戦争の反省を伝えられ、一体全体、何のために命をかけて戦ったのか…と、悲しい気持ちにならないでしょうか。 今上天皇に責任があるわけではないので…という考え方もできるのかもしれませんが、だったら、何が何でも戦争を回避するとか、鶴の一声ならぬ御上の一声で降伏できたのだから、もっともっと早く降伏すればよかったんじゃないの?と言いたくなります。 海外にお気持ちを向けることは必要でしょうが、この日、この場所で、『全国戦没者之霊』に対してというのは、天皇を信じて命をかけた日本人には惨い仕打ちだと思いました。 皇后の「A級戦犯」発言といい、皇太子、雅子さんの好き勝手といい、日本国民より、海外や身内しか見ていないようで残念に思います。 今後、天皇になった皇太子が何を言うのかと思うと、ゾッとします。 ーーーーー ■ 天皇陛下はアンチ安倍政権・・・・・でしょ、やっぱり 「BBの覚醒記録(2015.8.17)」より / かねがね、ある種の保守の言論の矛盾が不可解でした。 保守を任じるなら、概ね安倍政権に賛同のはずです。賛同でなければ対案を出すべきですが。 ところが、天皇陛下皇后陛下皇太子殿下の左傾言動は見て見ぬふり、あるいは牽強付会の擁護論。 どう擁護しようと、平和憲法護持というご主張なら、そして英霊を「A級戦犯」呼ばわりなら、一般ではこれを左翼と申します。皇后陛下は五日市憲法など持ちだされるし、元GHQメンバーに対して堂々たる賛意・支持を表明していらっしゃいます。 と拙ブログでは述べてきた訳ですが、ある種の保守は相変わらず無反応、たまに語彙乏しい「不敬」で思考ストップしたのがコメ欄に現れるだけ。 アメリカでも、天皇陛下は安倍談話に対抗した、と捉えられてますけどね。 普通に今までの言葉の両者の相違を考えれば、天皇ご一家は改憲を党是とする自民党に、そして安倍政権に反対を表明していらっしゃいます。 憲法護持を主張なさりながら、憲法で禁じられている政治と外交に影響する言動をお取りになることもいかがなものかと、思われますが。 <首相70年談話>「反省」天皇陛下と対照的 米メディア (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) / 第一、慰霊祭で「反省」って戦没者に失礼ではございませんか? 反省ということは、あれはいけない戦争であった、と。 いけない戦争で亡くなったのが、戦没者ならそれって無駄死になんですか? 犬死になんでしょうか。 マッカーサーですら「自衛のための戦争だった」と公に語っているというのに。 二言目には「不敬」で思考停止する自称保守の人たちは、現在の皇室のていたらくが、GHQの仕組んだレールの終着駅であったことを、思い知るべきです。 保守が戦うべき相手は、皇室ではなくその背後にある戦勝国残滓なのだと、なぜ理解できないのでしょうね。 ■ 共産党と、韓国人に絶賛される天皇って? 「BBの覚醒記録(2015.5.7)」より / 韓国人による日王(天皇)の評判 http //oboega-01.blog.jp/archives/1023387272.html ◆今の明仁日王は、代表的な反戦主義者で親韓派で、過去の日本の蛮行を心から謝罪する賢明な王です。 一度も靖国を参拝しておらず、反戦活動に支援をしたりして、自分の意志をのぞかせるなど、本当に先代の王とは違う賢明な王です。 その子供も明仁王によく教育を受けたので、現代の日王家はあまり悪い人ではありません。 ◆王族は韓半島渡来人の血統だから綺麗だね! 注:佳子さまのことですが、韓半島渡来云々は、天皇陛下の次の お言葉からです。 「日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。 韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。 宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。 こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。 日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。 私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。 武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博士が代々招へいされるようになりました。 また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております」 百済と現在の朝鮮と何の関係もありません。 武寧王は日本から半島へ渡ったという説もあるぐらいなのに。 軽々にこういう発言をなさってはまずい、ということもお解りにならないのでしょうか。 保守連中は、韓国のほうが曲解していると、天皇陛下をかばうのですが、 無理。はっきりおっしゃってるし、そしてその結果韓国には天皇家=朝鮮人が 定着しちゃったじゃありませんか。宮内庁を通じて抗議すべきことでしたね。 そして皇后は皇后で「韓国に謝罪に行きたい」として、あたかも 韓国慕情のような歌を詠まれる。 そしてサイパン慰霊では、予定にはなかったという触れ込みで おそらく当初から織り込んでいらした、韓国人慰霊碑に低頭。 天皇陛下がお語りになられている時に、低頭なさらない 皇后陛下が韓国人慰霊碑の前で低頭。 週刊文春記事 <「皇后さまはこうおっしゃったのです。陛下は戦後七十年の節目にパラオと韓国をご訪問されたいお気持ちです、と」> 来年は戦後70年、日韓国交正常化50周年の節目の年である。しかも28年前、皇太子夫妻だった天皇皇后は韓国を訪問することが決まっていた のだが、美智子さんの病気のため断念したということがあったため、お二人にとっては格別の想いがあるというのである。 (※mono.--以下引用長文略、詳細はブログ記事で) / 前々から推論としては述べていましたが・・・・こうしてみると、正田家は祖父母の代からほぼ全員、カトリック教徒ではないでしょうか。 皇后陛下も生誕時に受洗されているかもしれませんね・・・・・というのは 皇后の祖母正田きぬさんと、フロジャック神父の経緯からも推し量るのですが。 フロジャック神父のことは相当詳しくあちこちで拾えるのですが、正田きぬさんと、正田美智子さんとの密接な関わりは、初期の書物一冊(絶版)のみにあるきりで、フロジャック神父が、(同和地区を含む)館林で布教していた事実さえ、記載されていないのは、奇妙なことだと言わざるを得ません。 皇后陛下の入内の前後に動いた複数の人々が、全員カトリック、プロテスタントの 違いはあれ、キリスト教徒であることに、ある意志を感じざるを得ません。 GHQマッカーサーが、キリスト教を神道追放、日本洗脳の手段として 用いたことは事実で、それゆえ皇室内でバイブルクラスが持たれたりして いました。(昭和天皇は悩まれていたようで「天皇の国師」他に記述) カトリックじたいの是非を、あげつらうことは出来ません。しかしながら、仏教との親和力と違い、神道とは水と油、バッティングする世界です。、 世俗的意味での融和はありますが、信仰上は相和しません。 またそれゆえ、マッカーサーが皇室と日本の国体弱体化の道具として 使ったのでしょう。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 天皇陛下のご感想(新年に当たり) 「宮内庁(H27年)」より / 昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。 また,東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時,それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ,地域を守っていくことが,いかに重要かということを感じています。 本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。 この1年が,我が国の人々,そして世界の人々にとり,幸せな年となることを心より祈ります。 (英文) ■ 天皇誕生日の会見 - 豪雪地帯の高齢者の雪下ろしへの陛下の言及 「世に倦む日日(2014.12.24)」より / 「新聞に大きく取り上げられるような災害ではありませんが、常々心に掛かっていることとして多雪地帯での雪害による事故死があります。日本全体で昨冬の間に雪で亡くなった人の数が95人に達しています。この数値は広島市の大雨による災害や御嶽山の噴火による災害の死者数を上回っています。私自身高齢になって転びやすくなっていることを感じているものですから、高齢者の屋根の雪下ろしはいつも心配しています。高齢者の屋根の上での作業などに配慮が行き届き、高齢者が雪の多い地域でも安全に住めるような道が開けることを願ってやみません」。天皇誕生日の会見の中にこの一節があり、各局の夜のニュース番組で取り上げられた。報ステの古館伊知郎は、天皇陛下の慈悲深さに感激したコメントを発していたが、NHKは何もコメントを加えなかった。この問題は、テレビを見ながら気になっていた問題だったので、よくぞ一石を投じてくれたと天皇陛下に感謝を言いたい。この発言は、単に天皇個人の心のやさしさとか慈悲深さを表しているという問題ではなく、行政の怠慢や社会の無神経が指摘されている問題なのだ。天皇陛下は、リーダーとして社会と行政に問題提起をしているのである。これでいいのかと。つまり、豪雪地帯に住む高齢者に対する社会の酷薄と行政の無責任を批判しているのだ。このまま放置してはいけないと言い、対策を講じよと言っているのだ。 + 続き 雪下ろしの事故死の報道を見ながら、誰も何も言わないことを異常だと思っていた。誰かが何か言わなくてはいけないはずで、対策に即刻動くべきだと言わなくてはいけなかったはずだ。NHKは、この報道を続けながら、キャスターがコメントする場面はなく、単に「気象庁では厳重に注意するよう呼びかけています」だけを言っていた。古館伊知郎は、被害に遭っている豪雪地帯の高齢者に同情する素振りを示しつつ、「皆さん、十分お気をつけ下さい」で次のニュースに移っていた。この問題を、行政が動くべき問題として捉えているマスコミはない。そういう世論も起こらない。天皇陛下と皇后陛下は、きっと皇居でテレビを見ながら、それはおかしいと感じていたはずなのだ。社会が、政府が、救済を果たすべき問題として捉え、問題解決に動くのが当然ではないかと。そして、リーダーとして代弁したのだ。私は、今回の天皇陛下の発言には、かなり皇后陛下の働きかけがあったものと推測する。皇后陛下は、常々、この国の高齢者のことについて発言していた。その証拠となる情報の断片があるはずだと思って、ネットを掻き回してみたが、検索ですぐに探し出すことができない。皇后陛下がよく言っていたのは、この国の戦後復興に尽くし、今の繁栄の基礎を築いた高齢者たちが、人生の終盤を幸福に暮らすことのできるような福祉社会であるべきだというメッセージで、今の日本はそうなってないという苦言だった。 その皇后陛下のメッセージがいつのものだったか、正確に思い出すことができない。小泉改革の「聖域なき構造改革」の弊害が言われていた頃だったか、それとももっと後の民主党政権時代の、社会保障と税に絡めたところの、現役世代重視の論議が起きたときだったか、よく覚えていない。皇后陛下は時代の変化を敏感にキャッチし、弱者となった高齢者が蔑ろにされようとしている政策思想と、それを正当化するプロパガンダを撒き散らすマスコミの論調と、それに影響されている世論状況に気づき、機会を見つけては抵抗する姿勢を示していた。高齢者福祉の理念が失われている。今の日本経済を作ってくれた高齢者に対して、感謝して福祉制度の充実で応えるという態度がなくなっている。そのことを、かなり明確な批判の言葉で皇后陛下は語っていた。嘗ては、1990年代までは、お年寄りを大切にという意識があり、身体が徐々に不自由になる高齢者に内在する視線があり、それが政策にも産業にもよく反映され、少しずつ福祉国家が充実して完成してゆく日本だったのに、それが崩れてゆき、弱者である高齢者を「お荷物なコスト」として突き放して考えるようになった時代の空気の変化に、皇后陛下は静かに不服を申し立てていた。雪下ろしの件は、本来、テレビ報道のキャスターが問題提起しなくてはいけないことで、新聞が社説で書かなくてはいけないことだ。官民が具体的な知恵を出せと。政府と産業界は何かできないのかと。 天皇陛下は、会見の中で昨冬の雪害の犠牲者の数を述べ、多くの人が雪下ろしの作業中に転落事故死している事実を指摘した。これは、当然、天皇陛下が宮内庁を通じて調べさせ、政府(警察庁)から数字を取ったものだ。豪雪地帯の集落に住む高齢者は、命がけで雪下ろしの作業をしている。不注意で屋根から滑り落ちているというのがマスコミ報道の説明の仕方だけれど、本人からすれば、ほとんど一か八かの窮地で、落ちなくてよかった、今日は命を落とさずに済んだという感覚なのに違いない。戦時中のB29の空襲と同じだ。転落死のリスクを賭けてやらざるを得ないのは、それをしないと雪で屋根が潰されて死ぬからである。そうした切実な状況が、テレビ報道からは伝わって来ない。自己責任になっている。屋根から落ちたのは本人の不注意、都会の子どもが雪下ろしを手伝ってやれ、地域で助け合え、ボランティアで何とかしろ、という含意と前提で報道をしていて、視聴者もそれで済ませている。他人事として雪国の高齢者の不幸を眺めていて、次の話題に画面が切り替わった瞬間に忘れている。本当は、行政(政府)の不作為と社会の無責任による犠牲者なのだ。孤立させられているのであり、見捨てられているのだ。それは、単に高齢者だけでなく、北陸や東北や北海道の過疎地が、その全体が見捨てられていることに他ならない。この季節、新潟や長野が大雪であればあるだけ、東京は晴れて空気が乾燥している。風もなく快晴で、家へ帰ってテレビをつけると、他人が大雪で苦しんでいる。 天皇陛下の言い方を真似すれば、新聞ではあまり大きな記事にならないが、高齢者介護で限界になった弱者の世帯で、殺人や心中が頻発している。天皇陛下ではないので、役所に数字を調べさせることができない。テレビでときどき、天気予報の前にベタ扱いで纏めて並べられるニュースの中に、この種の事件が入っているときがある。キャスターのコメントは入らない。詳しい事情は取材されない。今年、子どもを捨てて餓死させた父親の件はよく報道され、政府が子どもについては監視する素振りを示しているが、老人については全く注意が向けられていない。これらの介護がらみの悲惨な事件について、できれば記者が追跡取材して、裁判の結果を教えてもらいたいものだと思う。どんな判決が出ているのだろう。というのは、殺人で有罪にすることは難しいと思うからだ。本来なら、病院に入って、そこで臨終を迎える患者が、無理やり家に住まわされ、医師や看護師の代わりに家族が面倒を見させられている。殺害して生を終わらせ、介護を終わらせるという形にする他に、果たしてどういう選択があったのかという問題だ。これから、多くの高齢者が家族に殺される最期を迎えるのであり、介護をする家族は殺人犯になって刑務所に入る決断をしないといけない。システムとして、制度がそれを個々に要請しているのであり、一番弱くて貧しくて助けをもらえないところから、そうした悲劇に各自が身を置かなくてはいけない。介護がらみの殺人は、それが殺人であるとすれば、国家による処刑であり、家族に死刑執行をさせているのと同じだ。 「楢山節考」よりも救いのない、残酷な現代版「楢山節考」だ。おそらく、今後、司法が加害者の家族を無罪にするケースが多発するだろう。殺していいよと、無罪だよと、悪いことじゃないよと、仕方ないじゃないかと。安倍晋三は、来年度予算の編成で、社会保障について「聖域を設けない削減」を指示し、社会保障の効率化と集中をすると宣言した。「聖域なき」は小泉改革に戻るという意味であり、「集中」というのは子育て世代や現役世代のための社会保障に切り換えるという意味だ。弱者である高齢者はその対象から除外される。総選挙では争点にもならなかった。しかし、それにしても、雪下ろしロボットについて誰も論じないのはどういうことだろう。人手がないのなら、ロボットで問題解決すると、そういう考え方を誰も言わないのはどうしてだろう。昔だったら、松下や日立や東芝がすぐに開発プロジェクトを立ち上げたはずだ。そんなに難しい技術だろうか。誰かがアイディアとコンセプトを打ち上げれば、我も我もと似たようなエンジニアが参入して、そこでわいわい押しくら饅頭をしながら、いつの間にか製品が出来上がっているのが日本の製造業だった。ロボット開発がメーカーで言われるようになって、もう20年の時間は経っている。まともに人の役に立つものは何もできず、米国の軍事に活躍するものばかりが生み出された。そして、日本はこの分野で遅れをとっている。溜息が出る。介護の現場で、要介護者をよいしょと持ち上げる場面があり、腰を痛めるとか何とか言っているのを見て、どうしてこの需要に応える介護ロボットが出現しないのかと不思議に思い続けている。 日本の理工系の実力が落ちたからか。人間が変わったからか。イマジネーションがないからか。介護費用と介護報酬の問題を、ロボット技術でブレイクスルーしてやると、それが日本を救う道だと、そう一念発起する技術者や経営者が出ないのはどういうことか。経産省と厚労省と文科省がプロジェクトを立ち上げないのはどうしてなのか。提唱するリーダーが出ないのはどうしてなのか。よく分からない。おそらく、将来、日本以上の高齢化と少子化が社会を襲う中国で、介護ロボットが先に開発され大量生産されるだろ ■ かたじけなさに涙こぼるる 「BBの覚醒記録(2013.6.17)」より (※ 詳細はブログ記事で。) / 沿道で、おびただしい日の丸がいっせいに振られる。 冒頭の典雅なる儀式に、なにゆえにか理屈にはあらず、かたじけなさに自ずと頭垂れ 涙がこぼれます。皇室は必要とは思うものの、さしたる心酔者でもないのですが・・・。 こちらが本来の皇室のお姿、佇まいです。 天照大御神、神武天皇の古来より、2千600有余年連綿と連なる 日本人の血がざわめき、また鎮まります。 日本人の心をゆすり、日ノ本の民であることを 誇りと共に自覚致します。 / 畏れながら皇太子妃に即位の儀は絶対にご無理。 精神的にも物理的にも。 オランダでの儀典に際し、僅か数百グラムのティアラが重いと 忌避された皇太子妃が、なにゆえおすべらかしと十二単で、 世界の視線が一点に集る中、長い廊下を歩めましょうか。 さなきだに、神域を避ける方です。神域もあの方を穢れとして 忌むでしょう。霊的に不浄です。 皇后陛下お出ましなき式典となれば2千600年、先帝たちが繋がれてきた皇室の糸が、そこでぷつりと切れます。日本の伝統の終焉です。 それでよろしいのか。 本当にそれでよろしいのか。 国民が声上げねば政府は動かぬのかもしれません。 ※ ■ 天皇陛下は究極の「ゲートキーパー」である 「夕刻の備忘録(2012.3.6)」より ・陛下の命懸けの祈りの日々を少しでも知れば、ここに書いたことの意味が少しは分かって貰えるのではないか。来る11日の震災慰霊祭に向けて、手術を強行されたと聞く。僅かばかりのリハビリ期間も配慮に入れての、ギリギリの御判断であったと聞く。 ※ ■ 天皇陛下 万歳! 「飯山一郎のLittleHP(2012.2.15)」より ・「天皇は、常に、国民とともにあゆむ」 この御言葉の裏の意味、即ち、今上陛下の御心は 「天皇は、国民が死ぬときは、ともに崩(ほう)ず!」 これを直訳すると、「天皇は、国民とともに死ぬ!」 と、解釈申し上げるほかはない。 ・そうして実際、今上陛下は、 「マイコプラズマによる感染症を患い,入院を余儀なくされた…」 と、国民に向けて御言葉を下された…。(天皇陛下お誕生日の御言葉)。 そしてまた、今回の心筋梗塞の御症状と、18日の冠動脈バイパス手術である。 今上陛下は、御自分の御不幸を全て御承知の上で、『東北巡幸』を執拗にお続けになっておられた…。 「天皇は、常に、国民とともにあゆむ」 この御言葉に、今上陛下は、徹頭徹尾、徹してこられた…。 これほど「国民主義」に徹された天皇は、長い長い日本国の歴史のなかでも稀な御存在であられる。 それだけに、いま、今上天皇陛下が、尚一層、おいたわしくてならない! こう、多くの国民が心を痛めているはずである。 そうであるから…、 (昔、ちゃちな軍国主義者が叫んだのとは全く違う意味で)愚生は祈りたい! 皇居を遥拝しつつ、衷心からの祈りを捧げたい。 「天皇陛下 万歳!」 と。 .
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登録日:2012/02/17(金) 19 53 29 更新日:2023/01/06 Fri 03 24 28NEW! 所要時間:約 7 分で読めます ▽タグ一覧 だいかいじんおうじ(大怪人王子) 三角関係 不倫 人物 大海人皇子 大甘 天武天皇 天皇 日本史 歴史 用心深い 近親相姦 天武天皇とは7世紀の日本に実在した人物。 皇太子時代は大海人皇子(おおあまのおうじ)と呼ばれていた。 兄は大化の改新の立役者にして天皇にもなった天智天皇であり、正妻は天智天皇の娘である鸕野讃良皇女で、彼の死後には彼女が持統天皇として後を継いでいる。 ●人妻ゆゑに さて、天武天皇の逸話として有名なものとしてある歌が残されている。 ある日、天智天皇は皇太子である天武天皇(この頃は大海人皇子と呼ぶべきか)や群臣を連れて薬猟に出かけた。 薬猟とは早い話ピクニックのようなものだと思ってもらえれば大丈夫。 その一行の中に額田王という女性がいた。 この額田王は小説などではよく美女として描写されるが、実際にどうであったかは諸説ある。まあ、美人だった方がこの後の展開にロマンが出るのだが。 この額田王が薬猟の中で大海人皇子に以下のような歌を詠んでいる。 「あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」 これに対する大海人皇子の返歌がこれ。 「紫草の 匂へる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも」 これを意訳するとこんな感じになる。 「あん…駄目よこんな所で誘うなんて……野守さんに見られちゃう……///」 「君が美しくて好きなんだ。人妻だけど辛抱堪らない。」 これで大方察しがつくことだろう。 この歌は二人の不倫関係について歌っているのだ。 が 実を言うとこの二人、夫婦である 夫婦である 大事なことなので2回言いました。 ( ゚Д゚) (゚Д゚) 訳が分からなくなってきた人も多いだろう。 何で夫婦がわざわざ人妻だのなんだののたまうのだろうか。 新手のプレイか何かとさえ思えてしまう。 ●三角関係 これを解決するために、「野守は見ずや」の部分に注目してみよう。 野守とはつまり見張りのことを意味する。 もし野守が何かを発見した場合、当然上司に報告するだろう。 その報告は段々と上に伝わっていき、最終的には一番偉い人に報告がいくはずである。 では今回の薬猟において一番偉い人は誰だっただろうか? 当然、天智天皇その人である。 つまり、実質的には野守ではなく、天皇に見られたら困るような関係ではないかと推測された。 ここからある仮説が導き出される。 額田王は元は大海人皇子の妻であったが、後に天智天皇の妻となる。しかし、その後もなお大海人皇子と額田王は恋仲が続いていた。 つまり、天皇とその弟が1人の女性をめぐって争うという三角関係であったとする説である。 ●宴会の席での座興 やたらとドラマチックな三角関係説であるが、学説では多くの学者がこれに異論を唱えている。 その理由としては、この歌が万葉集の雑歌という分類に収録されていることが挙げられる。 通常、恋人同士が送りあった歌であるならば相聞という分類に収録されるはずであるからだ。 また、そもそも天皇に隠れての恋仲という超ド級スキャンダルがなんで公に万葉集に収録されているんだという突っ込みもある。 このような反論に対応する形で唱えられている説が、この歌は宴席での座興目的のものだったという説である。 「天皇が参加する行事では天皇が最も偉いのは当然のこと。だからこの行事中はこの身は天皇のものなの。 駄目…いくらあなたでもこんな所でラブコールを送られたら困っちゃうわ。」 「あかねさす~」の歌にはこのような意味があるという。 要は天皇をヨイショし、場を湧かせようというものだというのだ。 大海人皇子の方もこれに乗る形として、「人妻だけど好きなんだ」というユーモアで返したということのようだ。 一見すると夫婦で不倫という奇妙奇天烈な状況のようだが、このような背景があったということらしい。 ●なぜこのような歌が詠まれたのか ここまでの話を聞いて、大海人皇子がやけに卑屈な態度であると思った人もいるだろう。 三角関係説に立てば、妻を寝取られているのにも関わらずなおも兄に従っていることになる。 座興説に立てば、妻に自分の身を売るような形で天皇に媚を売らせ、さらには自分もそれに乗っかっている。 どちらにしても、ある種自らの妻を兄に差し出しているような形となる。 なぜここまでの行為をしたのだろうか。 これには天智天皇の後継者についての問題があった。 元々天智天皇と大海人皇子の兄弟仲は良好であったとされている。 大海人皇子は大化の改新を断行した兄を尊敬して献身的にサポートを行い、兄の方もそんな弟に全幅の信頼を置いていたようだ。 その証拠に天智天皇は13年間に渡って左大臣の地位を空位にし、実質的に大海人皇子を左大臣格として遇している。 天智天皇の後継者としても大海人皇子は筆頭候補であったようだ。 その状況が一変したのは671年。 天智天皇の息子の大きなお友だ…大友皇子が太政大臣の位につき、新たに左大臣が任命されてからである。 大海人皇子のために空位が続いていた左大臣に人を配し、その上の役職として太政大臣という役職を作って息子に与えたのだ。 これを天皇の心変わりと見ても無理のないことだろう。 ここにきて後継者レースで大友皇子に一歩劣る形になってしまった大海人皇子。 だが、大化の改新の立役者で強大な権力を有していた兄に逆らったとしても早々に負けることは目に見えていた。 そこで大海人皇子は表面上は大友皇子の太政大臣就任を歓迎し、自らは仏道に励んだ。 先程の歌が詠まれたのもこの頃である。 その後、大海人皇子に千載一遇のチャンスがやってくる。 重い病にかかった天智天皇が後継者として大海人皇子を指名したのだ。 皇子にしてみれば待ちに待った機会である。 のだが。 大海人皇子「まだあわてるような時間じゃない。」 ここまで耐え忍んできた大海人皇子はかなり用心深くなっていた。 兄の申し出が自分を試していると考えたのだ。 後継者としては大友皇子が一歩リードしていたはず。もしここで申し出を受けたら謀反を考えているとして殺されてしまうのではないか。 そう考えた大海人皇子は申し出を断るとそのまま出家、吉野に引きこもってしまうのだった。 結局天智天皇の後は大友皇子が継ぐことになったのだが、新興豪族たちを中心とした勢力が大海人皇子の元に集まり決起。 叔父と甥との間で戦争が起こってしまう。有名な壬申の乱である。 古代日本最大の戦いとも呼ばれる激戦となったが瀬田橋の戦いにて大友皇子側が大敗、そのまま大友皇子が自決したため(*1)大海人皇子側の勝利となった。 ちなみに大友皇子は「大海人皇子と額田王の娘」十市皇女を娶っていたのだが、彼女は難を逃れ父の元で生涯を終えた(『火の鳥 太陽編』では夫に殺されたが)。 その後大海人皇子は即位し天武天皇と名乗ることになり、 壬申の乱で乱れた秩序の回復と、天智天皇が推し進めた中央集権体制をより強化する形での改革を進めていくのであった。 ●余談 学者の間では否定論が広まりつつある三角関係説であるが、世間では未だにこちらを知識として記憶している人が多く、 創作作品ではもっぱらこちらが題材とされることが多い。 何せ展開がすごくドラマチックなのだ。 美しい才媛を巡って天皇とその弟が争うという展開はいかにも大衆受けしそうなロマンに満ち溢れている。 そのため、古典ファン、特に女性の古典ファンの間でも根強い人気を誇っている。 あまりの人気っぷりのため、 とある学者が「額田王はよく美女って言われるけどぶっちゃけ根拠ないんですよね」という旨の発言をしたところ、逆上した聴衆に詰め寄られた 別の学者が「額田王をめぐる三角関係は実は史実ではないかもしれない」という発言を講演で言ったところ、講演を聞いていた婦人が泣きながら撤回を要求してきた などの逸話が残っている。 またここまでの話は全て「大海人皇子は天智天皇の弟である」と言う前提に立っているが、 「実は生まれた年が不明」・「いくら古代でも姪を嫁にするか?」・「そもそも何で娘と結ばれていた甥を倒したんだ?」等の疑問から 『実は兄弟の順は逆だったんだよ!』 『実は大海人皇子は不義の子だったんだよ!』(漫画『天智と天武』での設定) 等と様々な説が論じられている。 追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 泉涌寺の御黒戸を見ると天武系統の天皇家は黒歴史扱いなんだよな。 -- 名無しさん (2015-02-05 22 37 01) なんか聞いた話じゃ、天皇家の人間じゃなくて渡来人とかいう説もあるそうだな -- (2015-02-05 22 52 33) 個人的には天武天皇の正体は天智天皇の異父兄の漢皇子だと思う -- 名無しさん (2015-08-18 06 25 00) まぁこの頃も調べれば源平合戦、戦国時代、幕末並みに面白いからな -- (2016-06-04 15 34 08) 壬申の乱を舞台にした歴史SLG出ないかなぁ知られている人少ないけど、当主しか人物がいない全国版のシステムをベースにすればいけると思うんだ。 -- 名無しさん (2016-08-03 20 45 47) ロマンやなぁ -- 名無しさん (2016-10-05 13 43 49) まさに不倫は文化だ -- 名無しさん (2016-10-05 14 22 11) 渡来人そのものというのはさすがに突飛すぎるが、渡来人を親または祖父にもつ、ならあり得なくもないらしい -- 名無しさん (2016-10-05 19 35 04) とりあえず抗議した人たちはくっそキモいので親指立てて溶鉱炉にでも沈んでほしい -- 名無しさん (2016-10-05 21 45 10) 姪を嫁にするのはこの頃は普通。異母ならきょうだいでもありだった時代だよ。 -- 名無しさん (2017-10-26 09 07 23) ↑ 遺伝のリスクなんてわからんしなぁ。他人を家に入れることでしがらみとか力関係も呼び込むことを考えたら身内で済まそうと言うのも理解できる -- 名無しさん (2017-10-26 09 50 25) ちなみに天武天皇の死因は三種の神器の1つ草薙の剣の祟りらしい -- 名無しさん (2019-05-03 00 49 35) やる夫大海人皇子、天武天皇が面白いよね -- 名無しさん (2019-05-03 01 05 47) 項目名天武天皇に変えた方が良くない? -- 名無しさん (2021-04-21 00 57 38) 項目名を天武天皇に変更しました -- 名無しさん (2022-02-25 02 42 19) 一応王や皇帝を即位前の名前で呼ぶのは不敬とされているので。 -- 名無しさん (2022-02-25 02 47 01) でも結局光仁天皇の即位によって天武系でしばらくは固めていた皇位がまた天智系に戻ってしまったという -- 名無しさん (2023-01-06 02 50 45) 名前 コメント
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【元ネタ】史実 【CLASS】アーチャー 【マスター】 【真名】聖武天皇 【性別】男性 【身長・体重】166cm・60kg 【属性】秩序・善 【ステータス】筋力D 耐久C 敏捷C 魔力A 幸運A 宝具A++ 【クラス別スキル】 対魔力:A A以下の魔術は全てキャンセル。 事実上、現代の魔術師では聖武天皇に傷をつけられない。 『陽寶劔・陰寶劔』によりランクが上がっている。 単独行動:B マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。 ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。 【固有スキル】 法術:A 神仏の教えに、己の力を上乗せして成立させる仏教系の魔術。 その特性上、霊的・魔的なモノに対しては絶大な威力を持つ。 黄金律:A 身体の黄金比ではなく、人生において金銭がどれほどついて回るかの宿命。 大富豪でもやっていける金ピカぶり。一生金には困らない。 信仰の加護:A 一つの宗教観に殉じた者のみが持つスキル。 加護とはいうが、最高存在からの恩恵はない。 あるのは信心から生まれる、自己の精神・肉体の絶対性のみである 【宝具】 『古都の宝庫(ゲート・オブ・ジパング)』 ランク:E~A+ 種別:対人宝具 レンジ: 最大捕捉: 正倉院へ繋がる扉を開く文書。 空間を繋げ、正倉院の中にある道具を自由に取り出せるようになる。 使用者の財があればあるほど強力な宝具となるのは言うまでもない。 『東大寺大仏殿(マハー・ヴァイローチャナ)』 ランク:A++ 種別:結界宝具 レンジ: 最大捕捉:1000人 世界最大の木造建築物・東大寺を再現した固有結界。 この結界内では、聖武天皇の持つあらゆる宝具がAランク以上の対城宝具と化す。 これは盧舎那仏の恩恵、そして大仏に対する人々の願いによるものである 【Weapon】 『陽寶劔・陰寶劔(ようのほうけん・いんのほうけん)』 聖武天皇の遺愛物である二振りの宝剣。 『古都の宝庫』から取り出すことが可能である。 【解説】 日本(奈良時代)の第45代天皇。即位前の名は首皇子(おびとのみこ)。 尊号(諡号)を天璽国押開豊桜彦天皇(あめしるしくにおしはらきとよさくらひこのすめらみこと)、 勝宝感神聖武皇帝(しょうほうかんじんしょうむこうてい)、とも言う。 文武天皇の第一皇子として生まれたが、7歳で父と死別、母の宮子も心的障害に陥ったため、その後は長く会うことはなかった。 このため、同年に文武天皇の母である元明天皇が中継ぎの天皇として即位した。24歳のときに元正天皇より皇位を譲られて即位することになる。 天平年間は災害や疫病が多発したため、聖武天皇は仏教に深く帰依し、東大寺や国分寺・国分尼寺建立の詔を発する。 天平勝宝8年天平勝宝8年(756年)に天武天皇の2世王・道祖王を皇太子にする遺言を残して崩御した。
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【元ネタ】日本神話 【CLASS】アーチャー 【マスター】 【真名】景行天皇 【性別】男性 【身長・体重】184cm・109kg 【属性】秩序・悪 【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷B 魔力B 幸運C 宝具C 【クラス別スキル】 対魔力:C 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。 単独行動:E マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。 ランクEならば、マスターを失っても数時間は現界可能。 【固有スキル】 神性:B 神霊適性を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。 天照大御神の直系にあたる。 カリスマ(偽):C 卓越した言論による人心掌握術。 その技術は主に国家運営や籠絡に転用される。 占術:B 成否吉凶や天候を占じ、邪を祓い瑞兆を得る法。 卜占一般に通じる魔術体系だが、景行天皇のそれは神道系に属する。 【宝具】 『帝踏石(たいとういわ)』 ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:5~40 最大捕捉:50人 土蜘蛛への戦勝を占い天を舞った巨石。 誓約がかけられたこの岩の“重さ”は景行天皇の掌中にあり、 岩蹴りによる攻撃、重量譲渡による妨害、自重増による耐性獲得等を可能とする。 無重量状態で岩を放ち(蹴り)、着弾付近で“重さ”を復活させることで、 投擲兵装としては規格外のウェイトが対軍規模の破壊を生み出す。 【Weapon】 『無銘・戦槌』 土蜘蛛討伐のために椿から造られ、精鋭に持たせた槌。 椿の霊性と強度を両立させた凶悪な鈍器であり、一種の礼装のようにも機能する。 【解説】 第12代天皇。大足彦忍代別天皇。日本武尊の父。80人の子がいたという。 豊後国の土蜘蛛を征服し、武勇に優れたと称される天皇だが、 景行天皇記の記述の殆どは、息子・日本武尊の事績に費やされている。 記紀から見て取れる日本武尊の逸話には相違が多く、 父親としての接し方に雲泥の差がある他、書紀では景行天皇が思国歌を歌っている。 また、贈り物で呼び集めた相手や、降服した敵を皆殺しにしたり、 寵愛した熊襲の娘に父殺しをさせて、それを用済みになったら殺したりと、 全体的なやり口が息子以上にえげつない。小碓の外道は遺伝だろう。 柏峡大野には大石があり、天皇は神威を伺って、 「吾が土蜘蛛を討てるならば、この石を蹴ったら柏の葉のごとく舞い上がれ」 と言って石を蹴ると、石は言葉通りに柏葉のように宙を舞った。 曰く、小倉朽網の「帝踏石」がそれと伝わる。(ていとうせき)という読みもある。
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天皇大権:EX (神武天皇(リメイク)) 現人神たる天皇が有する権能。 様々な効果を齎すが、サーヴァントとしてのセイバーは主に自軍全体に強力な"加護"を授ける統帥権、まつろわぬ者共に強烈な"重圧"を掛ける非常大権を行使する。 後世の大日本帝国時代に明文化され、現代では失われた大権だが、初代天皇であるセイバーはEXランクで本スキルを有する。 天皇大権:C (道鏡) 現人神たる天皇が有する権能。 様々な効果を齎すが、アルターエゴの場合は主に令呪による命令の強化または破却を行う立法大権を行使する。 本来は"戦前"の歴代天皇しか持ち得ない大権だが、宝具『八幡宮偽宣之帝』により例外的に獲得する。
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えんゆうてんのう。男性。第64代天皇 父 円融天皇 兄 冷泉天皇
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119代天皇。後次が途絶え、一時欣子内親王(よしこないしんのう)が 即位する事になっていたが、天明の大飢饉が発生したことで辞退、 代わりに、将来欣子内親王と結婚する事を条件に、養子となった事にして 急遽即位した天皇、在位1779年~1817年。 本来天皇になる家系ではなく、即位はしたものの天皇の仕事について 知識が及んでいない事を自覚し、諸国の学者を集めて ”天皇とは何か”を研究させた。 それが勤皇思想を高め、後に王政復古につながっていく。 (以上、ISIS本座「バジラな神々」)
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781年即位。 天智天皇系。父は光仁天皇。母は高野新笠。 天武天皇の血統を全く持たない。
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鳩山は確信的に政治利用鳩山「体調に問題がないのなら、要人に会えるだけ会っていただきたい。(ルールは知っていたが)」 経緯11月 12月 12月14日 12月15日 12月16日~25日 日程の情報源と関連ニュース 12月14日小沢発言 12月15日前原国交相問題発言 メディア報道状況と確認メール先政府などの連絡先 文章例12月23日天皇誕生日に『天皇論』を買うイベント 抗議声明 鳩山首相「私は天皇陛下ご自身も(韓国訪韓)その思いを強く持っておられると理解している」 「よく考えてもらいたい」「よく考えてもらいたい」天皇陛下のお言葉に岡田外相が意見(*1) 「歓迎されるなら結構なこと」小沢氏、天皇陛下の韓国訪問「歓迎されるなら結構なこと」 桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫だから日韓は友好関係を」小沢氏「桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫だから日韓は友好関係を」日本の植民地支配について謝罪 平野官房長官「天皇陛下の影響力はやはり大きい」→記者会見後に「表現は妥当ではない」として修正「陛下の影響力大」=その後、発言を修正-平野官房長官(2009/12/14-19 13) 鳩山『「外宮・内宮」を「げぐう・ないぐう」』と発音。 鳩山首相、伊勢神宮を伊勢神社と認識 このページに関する情報、ぜひお寄せください ハトミミ 鳩山は確信的に政治利用 鳩山「国賓の接遇や外国訪問は、憲法の国事行為に記されておりません。私は出来れば、憲法改正の議論の中でこのようなことも国事行為と謳われるべきではないかと申し上げたい」2008年6月5日@20091220サンデープロジェクト 鳩山「体調に問題がないのなら、要人に会えるだけ会っていただきたい。(ルールは知っていたが)」 「2度とあってほしくない」宮内庁長官「ルールは、国の大小にかかわらず実施してきて、政治的重要性で変わるべきものではない」 鳩山「政治利用ではない」 ↑↑羽毛田宮内庁長官「憲法上も大きく狂う」「これは政治利用にあたる」 http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/091211/plc0912112222019-n1.htm 官房長官「1か月ルールはよく知らないが、政治的に日中関係は非常に重要、ぜひお願いできないかと申し上げた」 http //www.nhk.or.jp/news/k10014349041000.html 実際は・・羽毛田長官は1カ月前ルールの趣旨を説明し、理解を求めたが、「官房長官は『日中関係は重要だから』の一点張り http //sankei.jp.msn.com/culture/imperial/091212/imp0912122004004-n1.htm 民主党議員『昭和天皇の和歌引用は政治利用』と過去に追求 +クリックで開きます 首相が施政方針演説の中で昭和天皇の詠んだ和歌を引用したことについて江田議員は「まだ影響力の強く残っている天皇の和歌を、あなたのメッセージの説得力を補強するために使うのは、天皇の政治利用であり、慎むべき」と首相を批判した。首相は、「この歌を読むたびに感動している。私は天皇の政治利用にはあたらないと考える」と説得力を欠く答弁を行った。 2002年http //www.dpj.or.jp/news/?num=1205 天皇陛下は超激務 閣議、前政権までは朝。鳩山政権下では閣議を夕方に開くケースが増える ↓ 陛下の書類に目を通し、署名するなどして決裁される夜間執務が増える 12月には夜間のお務めの常態化を懸念する声 ↓ 2月2日午後5時半からの閣議を受け、執務終了は午後9時すぎ 2月2日天皇陛下、体調崩される 週末まで静養 ↓ 4日負担になっているとの記者の指摘を受けて 平野「天皇陛下の公務の時間がずれているということもあると思う」と認める しかし、軽減策には言及せず「ご理解をいただかなければいけない部分もある」と http //sankei.jp.msn.com/culture/imperial/100202/imp1002021815002-n1.htm 経緯 ※各新聞の報道に微妙な時間差があります。最終参考:読売新聞 11月 ここまでの経過 11月11日 彭麗媛氏(習近平・副国家主席夫人)が来日、皇太子殿下の前で公演(大手マスコミは、ほぼ沈黙) 習氏の妻で人民解放軍の人気歌手、彭麗媛さんが11月に東京・学習院大で公演した際にも、皇太子さまが私的に会場を訪れて鑑賞し、言葉を交わされたという。中国にとって、天皇陛下との外交は「政治」そのものであり、中国は今回、様々な手を打って準備した。(*2) 佐々淳行氏「皇太子殿下が観劇したオペラの歌手は習副主席の妻。勘ぐってしまう」「鳩山政権"朝貢の図"、正視に耐えぬ」(*3) 11月中旬 中国「日本が「1カ月ルール」を厳格適用しないと楽観」日本政府を試す狙い? 香港紙・リンゴ日報後継者問題の対立が原因か=副主席の「天皇会見」申請遅れ(*4) 11月20日 楊潔?中国外相が小沢一郎民主党幹事長に国会議事堂内で習国家副主席の訪日成功のための協力を求める。楊潔外相と鳩山由紀夫首相が首相官邸で会談@wikipedia 11月25日 東宮御所にて、陛下御即位20年及び両陛下御成婚50年祝賀の内宴。「梓室内管弦楽団」演奏有り。 降参を意味するようなジェスチャー 鳩山由紀夫首相の万歳三唱 居眠り 菅直人副総理兼財務相と松野頼久官房副長官(*5) 11月26日 外務省を通じて宮内庁に要請(1ヶ月前までに連絡をするというルール無視)tvasahi朝日23日受付24日要請 その後中国大使館の依頼を受けた、山岡国対委員長が鳩山首相や平野官房長官、岡田外相、羽毛田宮内庁長官に電話。「小沢の意向だ」と圧力をかけたが、鳩山首相は1ヶ月ルールを理由に拒否。(*6) 11月27日 宮内庁拒否「ルールに照らして応じかねる」「陛下の体調(が優れない)」 11/29 習、来日を発表 外務省、宮内庁に書面で会談を申請→お断り 11月30日 外務省正式に中国側に「会見は無理」と通告 首相と官房長官、いったんは見送り了承 12月 12月3日 王光亜外務次官が、宮本駐中国大使を中国外務省に呼びつけて、「訪日の成功は天皇との会見にかかっている」と迫る。宮本氏は外務省に「官邸を説得しろ」と伝えるが、岡田外相の「1ヶ月ルールは守るべき」の一言で工作は不発に。(*7) 12月4日 鳩山と小沢が会談 後に、鳩山「小沢と会談した→幻だったことにしましょう→お会いしました」 12月7日 崔天凱・駐日中国大使が中曽根元首相の元を訪れ、会見の実現を依頼。(*8) 中曽根『ここまで頼んでるんだから協力してやれ』と電話 平野官房長官に(*9) 首相官邸の指示を受けて中曽根氏と面会ルールの説明で中曽根氏「了解した」会見を強要せず(*10) 後に、中曽根氏「(会見は慣行に)従ってやるのが正しい」(*11) 鳩山が平野に「何とかできないか。非常に重要なんだけど」 平野「日中関係の重要性にかんがみ、ぜひお願いする」電話で2度にわたり長官に特例扱いを要請 宮内庁「政府内で重視されてきたルールであり、尊重してほしい」 12月8日 小沢から鳩山に「何をやっとるのか」「ゴチャゴチャやっとらんで早くせい」「オレの面子を潰す気か!」(8日頃 産経)(*12) 12月9日 午前 一度断る「陛下のご健康がすぐれず、会見に応じるのは難しい」日本政府から中国政府へ 小沢氏に「もし天皇との会見をセッティングしてくれたら、胡錦濤国家主席が大訪中団の民主党議員全員と握手・写真撮影をする」「反日感情の強い中国で、日本の議員にここまでサービスしたことがわかれば、胡錦濤に批判が出るのは確実だった。事実、胡錦濤が訪中団を迎えた映像は中国内で報じられなかった」(*13) 民主・小沢氏「努力します」と中国大使に発言していた事が判明-天皇陛下特例会見 小沢、平野に電話で「なんとかしろ」と指示 中国側、天皇会見いったん見送り容認「健康配慮なら」(9日頃)(*14) 小沢"完全オフレコ"の場で怒りを爆発「俺は1ヶ月ルールがあるから、前からちゃんとやっておくように言ってたんだ。なのに平野は、なんの調整もしてなかった。それも俺の責任になるのか!」(*15) 12月10日 140人の民主党国会議員全員が胡錦濤中国国家主席、握手 写真撮影中国側が難色→小沢氏「そんなに時間はかからないはずだ」小沢一郎幹事長が「だったら行かない」民主党国際局長の藤田幸久参院議員「<時間がかかり過ぎる>ことを理由に(中国側)一度断る」「小沢氏は普段から『長い演説をするよりも、握手と写真の方が重要だ』と考えており、それを中国側にも求めたということではないか」(*16) 震え上がった鳩山首相の指示を受けた平野官房長官が電話(*17) 夕方、再度平野から宮内庁に電話で「君の言うのもわかるけど、日中関係は重要だから政府官邸としてのお願いだ」と強い口調で要求 平野官房長官、最後は「総理の指示だ」と強引に説き伏せる@週刊新潮の記事から推測 12月11日 習近平副国家主席と天皇陛下の会談が決定(ルール無視の特例で決定。異例の決定)宮内庁長官が異例の経緯説明 中国外務省「日程調整に感謝する」と談話発表 12月12日 記者「(特例で陛下と会見の)習副主席について…」→鳩山首相「すみません。時間がないので」 12月13日 民主党の国会対策副委員長石関貴志氏「日本が中国との友好をどれだけ重視しているかの表れだ」 12月14日 習近平副国家主席が来日 習近平について(外部) 中国の次期国家主席の最有力候補と言われる習近平国家副主席は、 75ウルムチ事件における虐殺の張本人であると言える。 ドタキャン小沢の会見中止「習副主席との会見、正式決定じゃないから中止にしました」→民主党幹部「マスコミが批判するからだ」小沢会談中止について 鳩山「しゃくし定規に考えるよりも、本当に大事な方であれば、お会いになっていただく」 小沢「宮内庁長官、内閣方針にどうこう言うなら辞表出して言え。→宮内庁長官「辞めるつもりはありません」 小沢氏の批判に反論 体調悪いなら、副主席面会以外の行事休めばいい」 小沢「天皇陛下の行為は、国民が選んだ内閣の助言で行うべき」 「批判するのは、憲法や民主主義を理解できぬ人間」 小沢幹事長「天皇陛下に聞いたら『手違いで遅れたかもしれないが(中国副主席に)会いましょう』と必ずおっしゃる」 民主・小沢氏「30日ルール、誰が作ったんだ?」…1995年当時、政権与党代表幹事は「鳩山由紀夫氏」 問題を受け、警視庁が小沢一郎民主党幹事長の警護を強化 14日 来日した中国副主席「周到な手配に感謝」 天皇陛下との会見について→鳩山「次代のリーダーとして来ていただき、日中関係の将来に素晴らしいことだ」と歓迎←かなりの問題発言 鳩山「もしも会えなければ中国の皆さんの感情は非常に傷つけられた」 鳩山「ふっ、あの方はあまり困らない方ですから」 □□□ 鳩山内閣総辞職と天皇陛下と習氏の会見中止を求める決議文まとめる 神道政治連盟国会議員懇談会など3団体 福山外務副大臣「日中関係を考えると、ことさら騒ぐよりも、 友好に向け前を向いた方がいい」 山岡「官房長官とのやりとりを発表すること自体異常だ」とあしき慣習批判「中国にしてみれば手続きが悪かったから会わせないというのは納得できない」と評価 政府筋「前政権のルールは知らないし、報道に違和感を持っている」 鈴木宗男「尊皇精神に欠けている。陛下は(会見を)受けられたのだから、決まった後に言うのは陛下にとんでもなく失礼だ」宮内庁長官に対し(*18) □□□ 世耕議員「各所街灯に中国国旗が掲揚されている。国家元首の来日の時にしかやらないことのはずなのに」(外国要人来日の際の国旗掲揚は原則、来日が閣議案件で決定・了解される国賓や公賓の場合のみ、今回の2国は国賓や公賓ではないため該当せず、先方から国旗掲揚の要請もなかった(*19))14日、霞が関一丁目交差点から霞が関二丁目の様子lightboxプラグインエラー ご指定のファイルがありません。アップロード済みのファイル名を指定してください。※ウルグアイ元首も来日してるのに国旗掲揚無しhttp //tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1260759795/ □□□ ジャーナリスト・内田誠「本当に、酷いことやってくれたなと思いますね。」 ※有志による動画キャプチャ:http //www.youtube.com/watch?v=HwLP1J0VqPA 山岡「これは小沢幹事長の意向だ」@ktvアンカー 翌日、山本アナは身内に不幸で休み(15日)17日アンカーには出演し圧力等を自ら否定 12月15日 大原康男国学院大教授「(お出ましになった)天皇陛下がお心を安らかに保たれなければならない日だった」宮中で「賢所御神楽(かしこどころみかぐら)の儀」の祭祀が行われた日(*20) 参考:引用元スピリチュアルin鎌倉 わたしは誰ですか、私の歩く道はありますか この日は朝早くから天皇皇后、皇太子皇太子妃など神事参加のともどもはすべて潔斎(きよめ)を行います。 ですからこの日に国事行為はもとより異国人との公的な引見、会見、接見、拝謁などの行事は一切入りません。 なのに、ごり押し不敬政治介入で・・・・。 「賢所御神楽」は例年12月15日です。「「賢所御神楽」とは天照大神(アマテラスオオミカミ)の ご神霊を慰め、さらなるご加護を願って祈り捧げる皇室重要神事です。10時間にも及びますが、 完全非公開で行われます。どんな神事なのか、bokuごときが知るわけにもいきませんので 法学博士・所功(ところいさお)教授の著書『天皇のまつりごと-象徴としての祭祀と公務』(2009年5月刊・NHK出版)から一部を丸写しさせていただきます。 ダイアナ妃,オバマ米大統領,タイ王族ソムサワリー殿下,中国共産党の習近平副主席 宮内庁に意見1千件超、羽毛田長官支持が多数 お茶の水女子大名誉教授「小沢には敬意が感じられない」 「天皇陛下、お気の毒」「陛下が疲れてる?いいんじゃない?今回」…特例会見、街では69人が宮内庁・31人が小沢氏支持 自宅の警護に当たる警察官を増員した。また、習副主席が宿泊するホテルでも、通常よりも多くの機動隊員を配置 2012年、日中国交正常化40周年に合わせて「皇太子訪中」への支障懸念も 陛下会見への抗議活動でウイグル人逮捕 東京・経団連会館前 中国外務省「日本の手配は周到である」と評価-天皇陛下特例会見 鳩山「宮内庁長官発言、習副主席が来日中なのに…残念」「中国の指導者になるであろう方。日本国民全体で歓迎すべき」 小沢「私の信念は間違っていない」「一官僚が記者会見するな」改めて宮内庁長官を批判 長妻大臣「適切な判断だ。政治利用には当たらない 亀井大臣「政治的かどうかは役人が判断する立場にない」 中井洽拉致問題担当相は「どこが政治利用なのか分からない。将来の中国の指導者にお会いいただくことは日中友好に大変大事なことだ」 福島ずほ大臣「決まったことを尊重したい」 鳩山「和やかに会談されたことは(日中)両国関係にとって良かった。それが一つの結果だ 鳩山「事実だけを受け止めて、そのことによってよしとしたい」異例の事態などに対して 亀井「(宮内庁長官)いい男だから辞めることはない」 岡田「(実現は)難しい話と認識していた」ルールが守られなかったことで 菅直人副総理・国家戦略担当相「他の行政庁と違う」 羽毛田氏に一定の理解を示す 小沢「おれはまったく正しいことを言っているのに、なんで新聞に書き立てられるんだ。テレビも批判してるが、誤解されている!」 志位共産党委員長「外国賓客と天皇との会見は国事行為ではない。小沢さんこそ憲法をよく読むべきだ」 ところが、平野「それでもどうしても陛下のですね、あれがあれば、再度お断りになるんじゃないんでしょうか」陛下の健康問題があるならば、宮内庁側が再度断ってきたはずだと強調、決定したのは、あくまで宮内庁サイドだという認識を示す@TBS 12月16日~25日 鳩山「今、お答えできない」宮内庁の羽毛田信吾長官を処分について 民主・田中真紀子氏 「他の皇族が対応する方法もあった。内閣と宮内庁が協議すればよかった」「両陛下に負担掛かりすぎ」 http //headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091216-00000080-jij-pol 首相、天皇陛下と習近平氏の会見を評価「結果はよかった」 http //sankei.jp.msn.com/politics/policy/091216/plc0912161757019-n1.htm 小沢氏の宮内庁長官辞任要求発言で民主党本部に苦情電話殺到 http //sankei.jp.msn.com/politics/situation/091216/stt0912161917011-n1.htm 12月17日 小沢「(羽毛田信吾宮内庁長官)あいつこそどうかしている。天皇の権威をカサにきている」と批判(*21) 福島「きっちり反省材料にして今後はルールを守り、尊重していくべきだ」(*22) 12月18日 自民党、「天皇陛下を政治利用した責任重大」と鳩山内閣の即時総辞職求めることで一致(*23) 国際問題評論家山岡清二氏「天皇はもともと政治的な存在であり、何をしようとも、政治的な意味をもっているのです。変に神聖化したり、隠してしまうよりは、日本の政府のために働いてもらうことは正しい。それなのに、一公務員の宮内庁長官が自分の判断で潰そうとする。意図的に問題をズラして、次元の違う議論に持っていこうとする。これはやってはいけないことです。(*24) 鳩山「成功だ」→温首相「成功は鳩山首相の尽力のおかげだ」と評価(*25) 12月19日 読売新聞の渡邉会長「1か月ルール」は「官僚的でバカバカしい」(*26) 12月20日 細野副幹事長「学説が分かれます 国事行為の中にこういうものも含まれるという説もある(石破:それは非常に少数ですよね)いや、必ずしもそうではない・・・大事なポイントは、これだけは言わせてください、大事なポイントは、これが国事行為にあたるかどうか問題でないんです・・略(書き起こし)」「(長官が)中でいろいろ言うのはいいが、外向きに出すのはどうなのか」(*27) 安倍元首相「天皇陛下にかかわることでも日本のルールは破ることができる、と中国に思わせてしまった。民主党は選挙に勝てば何でもできると考えている。このごう慢さは許せない」収録は金曜日(*28) 12月21日 小沢一郎「憲法で規定している国事行為にはそのものはありません」と述べて撤回 12月22日 宮内庁の金沢一郎・皇室医務主管は22日、皇后さまの祭祀(さいし)への出席について「年初の祭祀についてはお控えいただき、来年3月の春季皇霊祭への出席を目標にリハビリを続けていただく」と発表(*29) 12月23日 天皇誕生日に過去最高の一般参賀者2万4000人 76歳の誕生日祝い一般参賀 「皆さん健やかに新年を」(*30) 12月24日 天皇陛下「ごくろうさまね」→鳩山首相「まだ試行錯誤の中で…」 陛下「今度はまた国会も割合に早く始まるんですか」→「まだ決めてませんが、そういうことになるんじゃないかと思います」閣僚らとご昼食(*31) 亀井「権力の象徴である江戸城(跡地)にお住まいになるのは立場上ふさわしくないのではないか。京都か広島にお住まいになってはどうか」一方的に→陛下「京都は好きです」(*32) 12月27日 亀井氏は記者団に「明治期に幕府の権力の象徴の跡にこの後、入られたことが、その後の歴史で政治利用みたいな形になってしまった」(*33)2003/09/17亀井「首相になったら(天皇には)茨城でも京都にでもお移りいただく」「天皇は文化的存在で文化の一部そのものだ。そういう方に権力の象徴である江戸城に入っていただいたことは間違いだ」(*34) 12月28日 石破「『天皇陛下がこのように述べた』と軽々に口にするのは政治家と しての規律を欠いている」(*35) 大島「今一度、天皇は国民統合の象徴、とする憲法を読んでほしい。あまりにも陛下に対する言葉が粗雑すぎるし、政治的利用をしているのではないか。強く憤りを感じると同時に、やってはならぬことだ」(*36) 12月31日 小沢氏の「陛下のお考えはこうだ」と勝手に決めつけた発言、戦前の青年将校や軍部の思考回路みたいだ-中日新聞(*37) □□□ □□□ □□□ 日程の情報源と関連ニュース 情報源-容量オーバーにつき移動 @wikipedia→wikipediaの利用規約に基づき表示-継承-3.0 ライセンスが適用されます。出典は記事の脚注等を参照ください 12月14日小沢発言 重要なポイント 天皇陛下が行っていいのは「国事のみ」です。憲法で定められています。 助言は内閣によって行われますが、「小沢は内閣の一員ではありません」。 天皇陛下が接受するのは「大使と公使」。習近平国家副主席は大使でも公使でもありません。 よって、今回の謁見は国事ではありませんし、小沢が絡んでいるなら越権行為です。 さらに、今回の行為は明確な憲法違反です。 2009年12月14日 小沢幹事長 天皇の政治的利用について http //www.youtube.com/watch?v=XMOTNaTMTsU http //www.nicovideo.jp/watch/sm9092305 ノーカット 宮内庁「公的行為なので内閣の助言と承認は必要ない」(*38) 小沢の発言(一部書き起こし部分掲載) 小沢「だからなんて憲法になんて書いてある?……国事行為は内閣の助言と承認で行われるんだよ。 ……そうでしょ?天皇陛下の行為は国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんです全て。 それが日本国憲法の理念であり本心なんだ。だから何とかという(羽毛田宮内庁長官を指す)宮内庁の役人が どうだこうだどうだこうだ言ったそうだけど、全く日本国憲法を民主主義というものを理解してない 人間の発言としか思えない。ちょっともう私には信じられない。 しかも内閣の一部局じゃないですか。一部局の一役人が内閣の方針、内閣の決定したことに 君ら(記者全体をさして)と同じ人らに会見して方針をどうだこうだというのは続き 憲法 この会見に対して 原口「決してそういうことがあるはずもないし、そして陛下がそういうことを思われるわけもないと思います」 +クリックで開きます 小沢幹事長の記者会見について 答:その隣国の大変重要な方が陛下にお会いになるということを政治利用と言うからには、その根拠があるはずでございまして、事実関係を聞いてみたいと思います。陛下を政治利用するなんていうことを考える人は内閣の中に一人も居ないわけで、そのような発言が、政府を構成する一役所をつかさどるる者からもし出たということが事実であれば、重大な関心を持って調べてみたいと思います。決してそういうことがあるはずもないし、そして陛下がそういうことを思われるわけもないと思います http //www.soumu.go.jp/menu_news/kaiken/02koho01_000075.html 平野博文官房長官「コメントする立場にない」。 藤井裕久財務相は「特に申し上げることはない」とだけ述べた。 長妻昭厚生労働相「具体的背景や、発言の前提になる情報を承知していない」 http //www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2009121602000076.html 共産党の志位和夫委員長 『(↑14日小沢発言)国事行為そのものをよく把握しないまま「マスコミの理解がおかしい」と決めつけた発言だ。志位共産党委員長「外国賓客と天皇との会見は国事行為ではない。小沢さんこそ憲法をよく読むべきだ」』 共産党志位委員長 小沢氏への反論 岡田克也外相18日「国事行為は憲法に規定されたものなので、国事行為ではない。公的行為というのが普通の解釈だ」(*39) 民主党の渡部「政治主導は天皇陛下の問題では全く関係ない。これは日本の国体に関する問題で、慎まなければならない」「太平洋戦争の歴史を考えれば、政治家はどんなことがあっても天皇陛下を自分たちの都合のいいことに利用するなんてことは考えてはいけない」とも強調(*40)参考 小沢訪中団留守時の料亭メンバー(渡部恒三元衆院副議長,岡田克也外相 前原誠司国土交通相 仙谷由人行政刷新担当相 野田佳彦財務副大臣 枝野幸男元政調会 玄葉光一郎衆院財務金融委員長 樽床伸二衆院環境委員長 12月21日 小沢幹事長、習中国副主席特例会見で「国事行為」論は撤回 民主党の小沢一郎「憲法で規定している国事行為にはそのものはありません」と述べて撤回。「憲法との理念と考え方は、天皇陛下の行動は内閣の助言と承認によって、行われなければならない」「天皇陛下にお伺いすれば、(特例会見を)喜んでやってくださるものと私は思っております」「天皇陛下には全くのプライベートはないに等しい」(*41) 小沢「羽毛田なにがしという宮内庁長官が、政府がこういう判断だと言っているのに、一部局の役人が、会見まで開いて悪態をつく。とんでもない話だ。頭にきた、僕は」「丁寧に答えたつもりだが、あまりにも(マスコミが)無知でびっくりした」とマスコミを批判 21日、テレビ東京の番組収録(*42) メモ62 ハトミミページ上部へ 12月15日前原国交相問題発言 前原国交相「天皇特例会見、自民党の元首相から要請あった」 →岡田外相「事実かとうか不明」谷垣氏「何のための発言?」 鳩山由紀夫首相「どなたかからということに関して、申し上げることはしない」夕 平野博文官房長官も記者会見で「コメントは差し控えたい」夕 【事実の場合】 →「民主党政権の官邸なのに、中曽根元総理の言いなりで動いて会見ねじ込み。大問題。」 【虚偽の場合】 →「民主党が批難された事を"自民党のせい"と嘘をついて、誤魔化そうとした。大問題。」 7日ごろ、首相官邸の指示を受けて中曽根氏と面会し、1カ月ルールの内容を説明した。 これに対し、同氏は「了解した」と答え、会見を強要するようなことはなかったという。(*43) 中曽根氏「(会見は慣行に)従ってやるのが正しい」(*44) 上杉隆 文化放送1134なう。天皇陛下との会見要請は「中曽根元首相」と言及。ソースは前原国土交通大臣です。へへへ。 約1時間前 webで http //twitter.com/uesugitakashi 片山さつき (中曽根元総理の関与についての報道) この軽さって、何なんでしょう、偽メール、ちょっと思いだしますね。 でも、この軽さが、事態を2対1で止めてる、と感じます。軽さに勝つ方法は? http //twitter.com/katayama_s 世耕弘成 つらつら考えるに、もし「自民党筋からの働きかけ」だったら、 習問題が発覚した初期段階から民主党政権は大騒ぎしていたのではないでしょうか? SekoHiroshige いろいろ当たっていますが、自民党筋の元総理とは誰か? まったく判明しません。 うわさレベルはいろいろ流れていますが。 前原さんが 「自民党筋の働きかけで1ヶ月ルールを破ることになった」 言うんだったら、ご自身が説明、立証する必要ありです。 http //twitter.com/SekoHiroshige ソース http //mainichi.jp/select/seiji/news/20091216k0000m010046000c.html 前原「政権交代が行われたので1ヶ月ルールもう一度議論した方がいい」(*45) 天皇陛下と習副主席の会見について 新党さきがけ副院内幹事(1994年07月~1995年01月) 新党さきがけ政調副会長(1994年07月~1996年09月) 新党さきがけ外務部会長(1994年07月~1996年09月) 新党さきがけ防衛部会長(1994年07月~1996年09月) http //www.asahi.com/topics/%E5%89%8D%E5%8E%9F%E8%AA%A0%E5%8F%B8.php 「前原国交相の『天皇特例会見、自民の元首相が…』発言、永田メール事件と同じことに」…永田町関係者(*46) □□□ サンデープロジェクト12月13日 俵「一ヶ月ルールを破ったことについてどう思いますか?」 町村「やめるべき」 公明・高木「やめるべき」 みん党・浅尾「やめるべき」 共産・小池「やめるべき」 国新・亀井「やめるべき」 社民・阿部「やめるべき」 俵「あれっ?連立相手のお二人も反対ですか。民主党の渡辺(周)さんは?」 渡辺総務副大臣「やるべきではなかったと思う。今回だけの例外とすべき」 俵「いや、だからその例外を作るのが良くないんだって!なんで例外にするのよ」 渡辺総務副大臣「もうくり返してはいけない」 町村「小沢さんが決めたから反対できないんですよ。小沢内閣なんです。」 総務副大臣が首相批判=天皇特例会見「やめた方がいい」 http //www.jiji.com/jc/c?g=pol_30 k=2009121300041 ハトミミページ上部へ メディア報道状況と確認メール先 ページのサイズが大きくなりすぎた為、移動 メディア報道状況と確認メール先 政府などの連絡先 通常の業務を妨げないように、 可能な限りメール、FAX、郵便で意見しましょう。また、外務省の中の人から「できればFAXか郵便(書簡)で抗議がほしい」と要望があったそうです(*47) 文章例 【抗議文001】無記名抗議文001.pdf 【抗議文002】総理・議員宛て抗議文002.pdf ※ネットプリントでも印刷できます。http //www.printing.ne.jp/ 無記名【抗議文001】 54341232 総理・議員宛て【抗議文002】 51602180 未来のみちしるべのブログより拡散 「特例会見問題」について厳重抗議します(テキスト) 民主党 TEL:03-3595-9988 FAX:03-3595-9961 メール:https //form.dpj.or.jp/contact/ 民主党本部 〒100-8914 東京都千代田区永田町1丁目11-1 小沢一郎 TEL:03-3508-7175 FAX:03-3503-0096 (議員会館) TEL:0197-24-3851 (岩手県 小沢後援会事務所) 鳩山由紀夫 TEL:03-3508-7334 FAX:03-3502-5295 (議員会館) TEL:0143-43-8108 FAX:0143-43-8577 (北海道 室蘭 事務所) メール:yuai@hatoyama.gr.jp 平野博文 TEL:03-3508-7080 FAX:03-3502-5025 (議員会館) TEL:072-841-2501 FAX:072-844-6502 (大阪府 枚方事務所) メール:http //www.hhirano.jp/opinion.html 各府省への意見・要望を一括メール(匿名で全省庁にまとめて送れます) メール:https //www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose 首相官邸 TEL:03-3581-0101 FAX:03-3581-3883 メール:http //www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html 首相官邸 〒100-0014 東京都千代田区永田町2丁目3-1 内閣官房 TEL:03-5253-2111 メール:http //www.cas.go.jp/goiken.html 内閣府 メール:http //www.cao.go.jp/goiken.html 内閣府 〒100-8914 東京都千代田区永田町1丁目6-1 外務省 TEL:03-3580-3311 メール:https //www3.mofa.go.jp/mofaj/mail/qa.html 宮内庁 TEL:03-3213-1111 メール:information@kunaicho.go.jp 国民新党 メール:http //www.kokumin.or.jp/opinion/ 社民党 メール:http //www5.sdp.or.jp/central/inq/inq.htm 1日2通 無料のFAX(管理人未確認) MyFAX Free http //www.myfax.com/free/ (参考情報)Webブラウザから無料でFAX送信!41カ国に送信可能な「MyFax Free」 http //internet.watch.impress.co.jp/docs/column/biz_tool/20090617_294353.html 有効な方法としては、電話やEメールよりFAXのようです。 実物があるほうが見た目で効果あります。 夜中でも送信できますし、翌朝に山のようにFAXが届いていると脅威です。 【電凸】天皇陛下と中国国家副主席謁見に抗議 http //gimpo.2ch.net/test/read.cgi/event/1260520738/ 12月23日天皇誕生日に『天皇論』を買うイベント 終了 抗議声明 自民党として正式な抗議声明1 谷垣禎一総裁談話(2009.12.14) http //www.jimin.jp/jimin/hatsugen/hatsugen-232.html 正式な抗議声明2 谷垣禎一総裁記者会見(2009.12.15) http //www.youtube.com/watch?v=xrvoeFHtpzM http //www.jimin.jp/jimin/kaiken/2112/211215.html 安倍晋三メルマガ 09年12月14日~ http //www.s-abe.or.jp/mailmagazine/1258 http //sankei.jp.msn.com/politics/situation/091216/stt0912161300007-n1.htm 西田昌司・稲田朋美ほかの発言録 天皇陛下の「政治利用」に関する自民党の検証会・初会合 http //abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1371841/ 非公式見解動画 政調副会長 下村博文+ネットメディア局長 新藤義孝 「天皇陛下の『政治利用』に断固抗議する!」 http //www.youtube.com/watch?v=DK-hOrxd6lY 外交部会長 小野寺五典「天皇陛下を政治利用するなんて!」怒りの訴え http //www.youtube.com/watch?v=CZ_W0UgE79c ブログ系サイトにて 石破茂「習近平・中華人民共和国副主席の天皇陛下との会見について」 http //ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-f538.html 高市早苗「民主党の対中土下座外交と天皇陛下の政治利用に抗議します」 http //rep.sanae.gr.jp/index_tusin3.html 西村康稔 http //www.yasutoshi.jp/cgi-bin/blog/index.cgi 佐藤正久(ヒゲ隊長) http //east.tegelog.jp/?blogid=24 塚田一郎 http //blog.livedoor.jp/t_ichiro01/ 溝手顕正 http //mizote.exblog.jp/ 政府と民主を糾弾! 特例会見問題で日本会議 http //sankei.jp.msn.com/politics/situation/091221/stt0912211831010-n1.htm 鳩山首相「私は天皇陛下ご自身も(韓国訪韓)その思いを強く持っておられると理解している」 10月9日 日韓首脳会談 http //sankei.jp.msn.com/culture/imperial/091223/imp0912230248001-n1.htm 「よく考えてもらいたい」 10月23日 「よく考えてもらいたい」天皇陛下のお言葉に岡田外相が意見(*48) 同日夕の記者会見 岡田「本来工夫されるべきではないか」「もう少し自由度があっていい」(*49) □ 民主党の西岡武夫参院議院運営委員長が批判「天皇陛下の政治的中立を考えれば、お言葉のスタイルについて軽々に言うべきではない。極めて不適切だ」(*50) ↓反論 岡田「天皇陛下の国会開会式にあたってのごあいさつというのは、国事行為ではないが、それに準ずる行為。一定の制約があるのは事実だが、制約があるということと、同じ言葉を繰り返すことは違う」(*51) 岡田「具体的にこういうことを言うべきだと言ったわけではない。陛下のご意思として従来と同じように続けるというのなら、それは陛下の判断だ」(*52) □ 岡田事務所(国会事務所443号室、男性担当者)「あの発言は陛下に向けてしたものではない。『宮内庁』に対して発言したものです!」「開会式のお言葉は、陛下ご自身が作成されてるのではなく、実は『宮内庁』の役人が作っている」(*53) ↓ 宮内庁広報課、女性担当者「国会の開会式での御言葉は、宮内庁では作成しておりません。『内閣』が作成しています」(*54) 宮内庁の羽毛田信吾長官「陛下の憲法上のお立場をふまえれば、毎回違うお言葉になるような性格のものではない」「陛下の国会開会式でのお言葉は国事行為に準じた位置付けであり、閣議で決定される」(*55) 別の宮内庁幹部「憲法では、天皇は『国政に関する権能を有しない』と規定しており、政治そのものを扱う国会でのお言葉は慎重にも慎重であるべきと思う。中身が同じであっても陛下は毎回気持ちを込めて読んでおられる」(*56) ↓ 内閣府、内閣官房総務官室、女性担当者「宮内庁の回答で正しいです。開会式のお言葉の原案は、総務官室で作成しています」(*57) □ 福島瑞穂消費者・少子化担当相「天皇陛下のお言葉は慎重に考えられるべきだ。政治利用が起きたらまずい」(*58) 憲法の学説では、開会式での天皇のおことばは公的行為と位置づけられていて、国会関係者の一人は、「内閣の助言と承認は天皇の政治利用を防ぐことが目的。そもそも、公的行為で天皇の思いを伝える必要はない」と指摘している ↓ 10月24日 「 陛下のお言葉にまで触れるとは何事か。うぬぼれ以外の何ものでもない」 自民の大島幹事長が批判 朝日新聞 10月26日 今回は従来と同じ内容(*59) 10月27日 岡田「毎回と言わずとも、内閣官房で(お言葉の)案を作る時に違う表現が検討されてもいいのでないか」「私が陛下のお言葉に異を唱えたように受け取られたことで、首相にもご迷惑を掛けた」、「首相のコメントは閣僚として真摯に受け止めなければならない」(*60) 岡田外務相が「2ちゃんねる」に削除要請したのは、「天皇陛下を中傷したという捏造?書き込み」についてだった(*61) ↑の件に関連して全鯖「超」大型規制発動 ハトミミページ上部へ 「歓迎されるなら結構なこと」 小沢氏、天皇陛下の韓国訪問「歓迎されるなら結構なこと」 http //headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091212-00000065-jij-pol ハトミミページ上部へ 桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫だから日韓は友好関係を」 小沢氏「桓武天皇の生母は百済の武寧王の子孫だから日韓は友好関係を」日本の植民地支配について謝罪 http //www.nishinippon.co.jp/nnp/item/140345 小沢一郎12月12日 韓国にて 「天皇を訪韓させることもできる」 「天皇陛下の行動は、日本政府が自由に決めることが出来ると憲法に規定されている。 」 韓国人が日本に移り住み、初代天皇になった。 仁徳天皇陵を発掘したらはっきりするはずである。と著名な先生が唱えている。 これ以上言うと日本に帰れなくなるが歴史的事実であろう。 天皇陛下も「桓武天皇の生母は百済の王女だった」と認めている。 日本人は自立心が足りない国民だ 1/5 5 08 韓国文化が日本では何の抵抗も偏見もなく受け入れられている 2/5 1 48 韓国の権力者が海を渡って九州→奈良へ行き、政権を樹立した、それが初代天皇の神武天皇 4 00 古墳は宮内庁管轄であって発掘が許されてない 発掘させれば歴史の謎が明らかになるだろう 4 44 韓国人が初代天皇説を私があまり唱えると国に帰れなくなるが、多分歴史的な事実であろうと思っております 7 48 「『平安京を作った桓武天皇の聖母は百済の王女』と天皇陛下自身認めている」と発言 3/5 3 55 日本人は島国で平和な暮らしをしてきたから自立心に欠ける 自分で勉強し、自分で判断し、自分で責任を負うという自立心が最も足りない国民 4/5 0 52 アメリカ人は単純 5/5 5 21 子どもの週休2日制廃止を主張 http //www.youtube.com/watch?v=xOhxYH9Uyuc (1/5) http //www.youtube.com/watch?v=YPLj86CyUkQ (2/5) http //www.youtube.com/watch?v=mDBXwgOTLGg (3/5) http //www.youtube.com/watch?v=i5wiTy7OsE8 (4/5) http //www.youtube.com/watch?v=R8T_eSSKPi8 (5/5) (管理人未確認) ハトミミページ上部へ 平野官房長官「天皇陛下の影響力はやはり大きい」→記者会見後に「表現は妥当ではない」として修正 「陛下の影響力大」=その後、発言を修正-平野官房長官(2009/12/14-19 13) http //www.jiji.com/jc/c?g=pol_30 k=2009121400791 ハトミミページ上部へ 鳩山『「外宮・内宮」を「げぐう・ないぐう」』と発音。 正しくは「ないくう」「げくう」 http //ja.wikipedia.org/wiki/伊勢神宮 http //www8.ocn.ne.jp/~torasima/local/lo-2.html ソース http //www.news24.jp/feature/feature70.html 鳩山首相、伊勢神宮を伊勢神社と認識 http //www.asahi.com/seikenkotai2009/TKY201001040200.html このページに関する情報、ぜひお寄せください URLなどの情報源をできるだけ添えください。よろしくお願いします 匿名可 情報 すべてのコメントを見る
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Template 半保護S?Template 基礎情報 天皇? 昭和天皇(しょうわてんのう、1901年(明治34年)4月29日 - 1989年(昭和64年)1月7日)は、日本の第124代天皇。名は裕仁(ひろひと)。印は若竹(わかたけ)。歴代天皇の中で(神話上を除き)在位期間は最も長く、最も長寿であった。 (現在の)今上天皇の実父にあたる。 略歴 thumb|200px|[[香淳皇后とともに。]] thumb|200px|[[1922年、イギリス皇太子エドワード・デイヴィッド(右)訪日時、貞明皇后(中)とともに。]] thumb|200px|[[1928年、即位の礼。]] thumb|200px|[[1946年11月3日、日本国憲法に署名。]] 昭和天皇は、1901年(明治34年)4月29日(22時10分)、大正天皇と皇后・九条節子(貞明皇后)の第一皇子として、東京府東京市赤坂区青山(現、東京都港区元赤坂)の東宮御所で生まれた。名は裕仁(ひろひと)、御称号は迪宮(みちのみや)。生後70日で枢密顧問官の伯爵・川村純義に預けられ、沼津御用邸で養育された。1908年(明治40年)、学習院初等科に入学し、学習院院長・乃木希典(陸軍大将)の厳格な教育を受けた。初等科在学中の1912年(大正元年)、皇族身位令の定めにより陸海軍少尉に任官し、近衛歩兵第一連隊および第一艦隊附となった。1914年(大正3年)3月、学習院初等科を卒業。 1916年(大正5年)年、立太子礼を経て皇太子となった。1918年(大正7年)、久邇宮良子女王が皇太子妃に内定。1919年(大正8年)、満18歳となり、成年式が執り行なわれた。大正天皇の病状悪化の中で、1921年(大正10年)3月3日から同年9月3日まで、イギリスをはじめヨーロッパ諸国を歴訪。同年11月25日、20歳で摂政に就任し、摂政宮と称された。同年12月27日には、虎ノ門付近で狙撃されるが、命中を免れ命を取り留めた(虎ノ門事件)。1924年(大正13年)に、久邇宮良子女王と結婚した。 1926年(大正15年)12月25日、大正天皇崩御を受け践祚して第124代天皇となり、昭和に改元(昭和とは)別の元号が予定されていたが、正式発表前に外部に漏れ、東京日日新聞に発表されてしまったため昭和に変更されたと伝わる(光文事件)。。1928年(昭和3年)11月、京都御所で即位の大礼を行なった。以後、終戦まで国策決定に深く関与し、特に軍事・外交政策にはしばしば独自の判断を示した。1933年(昭和8年)12月23日、皇太子・継宮明仁親王が降誕(誕生)。1945年(昭和20年)8月、ポツダム宣言受諾を決定し、同15日、戦争終結を告げるラジオ放送(玉音放送)により、歴代天皇で初めて国民に天皇の声を聞かせた。1946年(昭和21年)1月1日の詔書(いわゆる人間宣言)により、天皇の神格性や「世界ヲ支配スベキ運命」などを否定し、新日本建設への希望を述べた。 1947年(昭和22年)に施行された日本国憲法において 天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とされ、「国政に関する権能を有しない」とされたが、占領期にはGHQ総司令官ダグラス・マッカーサーとの会見などにより、独自の政治的影響力を保持した。1952年(昭和27年)4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効して日本が独立を回復し、報告のため伊勢神宮と神武天皇の畝傍山陵、明治天皇の伏見桃山陵、靖国神社をそれぞれ参拝した。 戦後は、天皇としての公務の傍ら、生物学研究者としての業績をあげた。1971年(昭和46年)、皇后と共にイギリス、オランダなどを歴訪。1975年(昭和50年)には、皇后と共にアメリカ合衆国を訪問した。1981年(昭和56年)、新年一般参賀にて初めて「お言葉」を述べた。1986年(昭和61年)には在位60年記念式典が挙行され、(神代を除き)歴代天皇で最長の在位期間を記録した。 1987年(昭和62年)9月22日、歴代天皇で初めて開腹手術を受けた。1988年(昭和63年)8月15日、全国戦没者追悼式に出席。これが公の場への、最後の出席となった。1989年(昭和64年)1月7日午前6時33分、十二指腸乳頭周囲腫瘍により崩御(死去)。87歳と、歴代の天皇で(神代を除き)最も長寿であった。在位中の元号である昭和より、昭和天皇と追号された。 同年(平成元年)2月24日、新宿御苑において大喪の礼が行なわれ、武蔵野陵に埋葬された。 年表 1901年(明治34年)4月29日(22時10分)、大正天皇と皇后・九条節子(貞明皇后)の第一皇子として青山の東宮御所で生まれる。称号は迪宮(みちのみや)。生後70日で枢密顧問官の伯爵川村純義に預けられ、沼津御用邸で養育される。 1908年(明治40年)学習院初等科に入学。学習院院長・乃木希典(陸軍大将)から厳格な教育を受ける。 1912年(大正元年)陸海軍少尉 近衛歩兵第一連隊・第一艦隊附となる。 1914年(大正3年)3月、学習院初等科を卒業。4月、陸海軍中尉任官。 1916年(大正5年)陸海軍大尉昇任。立太子礼を経て皇太子となる。 1918年(大正7年)久邇宮良子女王が妃に内定する。 1919年(大正8年)成年式。 1919年(大正8年)陸海軍少佐に昇任。 1921年(大正10年)3月3日から同年9月3日までイギリスをはじめヨーロッパ諸国を歴訪する。ロンドンにおいて、ロバート・ベーデン・パウエル卿と謁見し、英国ボーイスカウトの最高功労章であるシルバー・ウルフ章を贈呈される。 1921年11月25日、20歳で摂政に就任する(摂政宮と称される)。 1923年(大正12年)10月、陸海軍中佐昇任。12月27日、虎ノ門付近で無政府主義者の難波大助に狙撃されるが、命中を免れ命を取り留める。(虎ノ門事件) 1924年(大正13年)に久邇宮良子女王と結婚。 1925年(大正14年)10月、陸海軍大佐に昇任。 1926年(大正15年)12月25日、大正天皇の崩御により践祚し、昭和と改元。葉山の御用邸内において剣璽渡御の儀を行なう。 1926年(昭和元年)第124代天皇、陸海軍大元帥となる。 1928年(昭和3年)11月、京都御所にて即位の大礼を行なう。12月、御大典記念観兵式。 1929年(昭和4年)神島(和歌山県田辺市)への行幸の際、南方熊楠から、粘菌などに関する進講を受ける。 1933年(昭和8年)12月23日、皇太子継宮明仁親王降誕(皇族の誕生を示す用語)。 1940年(昭和15年)皇居前広場において皇紀2600年奉祝式典に出席。 1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争開戦。 1945年(昭和20年)8月15日正午、国民に対してラジオ放送を通じて「戦争終結」を告げた(玉音放送)。歴代天皇で初めて、一般国民に天皇の肉声を聞かせる。9月2日、東京湾内・アメリカ軍艦・ミズーリ号上にて日本政府および軍代表が降伏文書に署名する。 1946年(昭和21年)1月1日、新日本建設に関する詔書を煥発する。 1952年(昭和27年)4月28日、サンフランシスコ講和条約発効。講和報告のため伊勢神宮と畝傍山陵・桃山陵、靖国神社をそれぞれ参拝。 1959年(昭和34年)、皇太子明仁親王と正田美智子の成婚に出席(朝見の儀において)。 1962年(昭和37年)南紀白浜にて30年前に訪れた神島を眺めつつ、熊楠をしのぶ歌「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」を詠んだ。 1971年(昭和46年)9月27日より香淳皇后とともにイギリス、オランダなどを歴訪する。オランダでは生卵を投げつけられるという事件があった。 1975年(昭和50年)9月30日から同年10月14日まで皇后とともにアメリカを訪問する。 1981年(昭和56年)新年一般参賀で初めて参集した国民に向かい「お言葉」を述べる。 1987年(昭和62年)9月22日、歴代天皇で初めての開腹手術。 1988年(昭和63年)8月15日、全国戦没者追悼式に御出席、これが公の場への最後の御出席となる。 1989年(昭和64年)1月7日・午前6時33分、十二指腸乳頭周囲腫瘍により崩御(死去)、87歳。 1989年(平成元年)2月24日、新宿御苑において大喪の礼が行われ、武蔵野陵に埋葬される(日本国憲法と(現行の)皇室典範を経て葬られた最初の天皇)。 系譜 昭和天皇の父は大正天皇、母は皇后・九条節子(くじょう・さだこ)(貞明皇后)。父方の祖父は明治天皇、祖母は典侍・柳原愛子。母方の祖父は九条道孝、祖母は野間幾子。 系図 Template 皇室明治以降? 皇子女 香淳皇后との間に7人の皇子女を儲ける。以下誕生順。 照宮成子内親王(てるのみや しげこ、1925年-1961年) - 東久邇宮盛厚王妃 久宮祐子内親王(ひさのみや さちこ、1927年-1928年) 孝宮和子内親王(たかのみや かずこ、1929年-1989年) - 鷹司平通夫人 順宮厚子内親王(よりのみや あつこ、1931年-) - 池田隆政夫人 継宮明仁親王(つぐのみや あきひと、1933年-) - 第125代天皇・今上天皇 義宮正仁親王(よしのみや まさひと、1935年- ) - 常陸宮 清宮貴子内親王(すがのみや たかこ、1939年- ) - 島津久永夫人 主な出来事 宮中某重大事件 Template Main? 1919年(大正8年)11月に元老・山縣有朋が、「皇太子裕仁親王妃に内定」と発表されていた良子女王の家系(島津家)に色盲遺伝があるとして婚約破棄を進言した事件。「良子でなければならぬのだ」との裕仁親王本人の意志が尊重されて、「婚約に変更なし」と発表された。 山縣は皇室を思って進言したのだが長閥の巨頭として非難された。山縣は責任を感じて大正10年3月、枢密院議長・元老など全ての辞表を提出したが 5月、優詔にて却下された。この事件に関して山縣はその後一言も語らなかったという。 婚礼の儀の延期と関東大震災 1923年(大正12年)の関東大震災により、同年秋季予定されていた皇太子裕仁親王(当時摂政であった)の婚礼の儀は延期されることとなった。本来なら関東という一地方で起きた地震であるので、国事である皇族の婚礼を延長することはせず遷都するのが通例であったが、東京の惨状を視察した裕仁親王の意向により延期となった。 この関東大震災で裕仁親王は、後に「加藤のおかげで命拾いをした」と語っている。背景には、霞関離宮が修理中であったため箱根(大きな震災を被った)に行く予定であったが、加藤友三郎内閣総理大臣が死去し、政変が起きていたため東京の宮城(皇居)に留まったことがある(1973年の記者会見より。会見記録は高橋紘「陛下、お尋ね申し上げまする」に詳しい)。 また後年、昭和天皇は次のように述懐している。「その 惨憺たる様子に対して、まことに感慨無量でありました」(1981年の記者会見より) 田中義一首相を叱責 満州某重大事件の責任者処分に関して、内閣総理大臣・田中義一は責任者を厳正に処罰すると昭和天皇に約束したが、軍や閣内の反対もあって処罰しなかった時、天皇は「それでは前の話と違うではないか」と田中の食言を激しく叱責した。その結果、田中内閣は総辞職したとされる(田中はその直後に死去)。 田中内閣時には、若い天皇が政治の教育係ともいえる牧野伸顕内大臣の指導の下、選挙目当てでの内務省の人事異動への注意など積極的な政治関与を見せていた。そのため、軍人や右翼・国粋主義者の間では、この事件が牧野らの「陰謀」によるもので、意志の強くない天皇がこれに引きずられたとのイメージが広がった。天皇の政治への意気込みは空回りしたばかりか、権威の揺らぎすら生じさせることとなった。 この事件で、天皇はその後の政治的関与について臆病になったという。 なお、『昭和天皇独白録』には、「辞表を出してはどうか」と天皇が田中に内閣総辞職を迫ったという記述があるが、当時の一次史料(『牧野伸顕日記』など)を照らしあわせるとそこまで踏み込んだ発言はなかった可能性が高い。 天皇機関説事件 1935年(昭和10年)、天皇機関説が排撃された天皇機関説事件について、昭和天皇は侍従武官長・本庄繁に「美濃部説の通りではないか。自分は天皇機関説で良い」と言った。 昭和天皇が帝王学を受けた頃には憲法学の通説であり、昭和天皇自身、「美濃部は忠臣である」と述べていたにもかかわらず、直接・間接には何ら行動を起こすことはなかった。機関説に関しての述懐を、昭和天皇のリベラルな性格の証左としながら、同時に美濃部擁護で動かなかったことを君主の非政治性へのこだわりとする記述は、しばしば見られるが、現実にはそれほど単純でない。 機関説は、国家法人説と呼ばれるドイツの学説に由来するが、この学説は国家の本質を「法人」とする点において主権および主権者の存在をあいまいにする意図をもった学説であり、当時すでに、後発資本主義国であり、外見的立憲主義の典型とされていたドイツにおいてさえ「時代遅れ」とされていた。しかし、戦前期の日本においては、天皇を国家の一機関として観念するという点において、社会科学的思考と結びつく側面をもつと同時に、吉野作造の「民本主義」と並んで護憲運動や大正デモクラシーの理論的バックボーンを演じていたことは、日本資本主義がドイツよりもさらに後発であることと立憲主義がさらに外見的であったことを反映していた。しかし、昭和天皇がそこまでの理解を持っていたかは疑問である。昭和天皇の理解していた機関説は、「一機関」としての性質を強調する一木-美濃部ラインのものではなく、有機体の「頭部」であることを強調する、清水澄の学説に近かったとする説もある。 二・二六事件 1936年(昭和11年)に起きた陸軍皇道派青年将校らによる二・二六事件の際、侍従武官長・本庄繁陸軍大将の「彼らも国を憂えて起こした行動で必ずしも咎めるものではないかと存じます」との進言に、昭和天皇は怒りも露に「朕が頼みとする股肱の老臣を殺害する、かくの如き凶暴の将校の精神に何ら許すべきものがあると言うのか。老臣たちを悉く倒すは朕が首を真綿で締めるに等しき行為ではないか」、さらに「お前達がやらぬなら朕自ら近衛師団を率いてこれを鎮圧に当たらん」と発言したとされる。この事は「君臨すれども統治せず」の立憲君主の立場を採っていた天皇が、政府機能の麻痺に直面し初めて自らの意思を述べたとも言える。これによって決起軍は反乱軍と認定され、事件は速やかに解決に向かったのである。この時の発言を、太平洋戦争終結のいわゆる“ご聖断”と合わせて、「立憲君主としての立場(一線)を超えた行為だった」とか「あの時はまだ若かったから」と後に語ったと言われている。なお、1975年(昭和50年)にエリザベス女王が来日した際、影の首謀者と言われることもある真崎甚三郎の息子を昭和天皇は自分の通訳に選んでいる。 真珠湾攻撃・開戦詔勅 1941年(昭和16年)9月6日の御前会議で、対英米戦は避けられないものとして決定された。御前会議では発言しないことが通例となっていた昭和天皇はこの席で敢えて発言をし、明治天皇御製の 「四方の海 みなはらからと 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらん」 (四方の海にある国々は皆兄弟姉妹と思う世に なぜ波風が騒ぎ立てるのであろう) という短歌を詠み上げた。 昭和天皇自身は開戦には消極的であったと言われている。しかし、戦争が始まった後の1941年12月25日には日本軍の勝利を確信して、「平和克復後は南洋を見たし、日本の領土となる処なれば支障なからむ」と語ったと小倉庫次の日記に記されている。 戦争指導 thumb|250px|[[1943年6月24日、戦艦武蔵に行幸した昭和天皇(中央)]] 戦争末期のころは文字通り世界中で日本軍が戦火をあげていた状況で、昭和天皇は各地の戦況を淡々と質問していた。この点で昭和天皇の記憶力は凄まじいものがあったと思われ、実際に幾つか指示等もしている。また、この様なやりとりのなかで答えてしまったがために、後にはひけずにニュージーランドなどオセアニア付近へ戦局を広げねばならなくなってしまった経緯が存在する。 和平に向けて 1945年(昭和20年)1月6日、アメリカ軍がルソン島上陸の準備をしているとの報を受けて、昭和天皇は木戸幸一に重臣の意見を聞くことを求めた。この時、木戸は陸海両総長と閣僚の招集を勧めている『木戸幸一日記』一月六日(土) 下巻 一一六四頁。 一月三十日(火) 下巻 一一六七頁 近衛が木戸に斡旋を求めている。上巻 三一頁 「解題」岡義武による序文 木戸と宮内大臣の松平恒雄とが協議し、重臣が個々に拝謁することになった。。 準備は木戸が行い、軍部を刺激しないように秘密裏に行われた。表向きは重臣が天機を奉伺するという名目であった『侍従長の回想』「天皇の終戦秘密工作」P.43-P.54 木戸が参内を制限していたため近衛文麿が運動して重臣との会談を実現させたという説があるが、藤田はこれを信じていない。。 そのなかで特筆すべきものとしては、2月14日に行われた近衛文麿の上奏がある。近衛は敗戦必至であるとして、和平の妨害、敗戦に伴う共産主義革命を防ぐために、軍内の革新派の一味を粛清すべきだと提案している。昭和天皇は近衛の言うとおりの人事が出来ないことを指摘しており、近衛の策は実行されなかった「時局ニ関スル重臣奉答録」『木戸幸一関係文書』 四九五頁-四九八頁『侍従長の回想』「陽の目を見た近衛上奏文」P.55-P.67。Template main? 東京大空襲の戦渦を視察し、関東大震災につづく帝都の破壊に直面した昭和天皇は、これをもって終戦を決意したと後に述懐しているTemplate 要出典?。8月9日にポツダム宣言受諾決議案について長時間議論したが結論が出なかっため、首相・鈴木貫太郎の判断により天皇の判断(御聖断)を仰ぐことになった議論は午前10時半からの最高戦争指導会議から二回の閣議、御前会議を経て全て終了したのが翌10日午前2時20分であった。会議により出席者は異なるが、最高戦争指導会議では受諾賛成が鈴木(首相)、東郷(外相)、米内(海相)、受諾反対が阿南(陸相)、梅津(参謀総長)、豊田(軍司令部総長)であった。御前会議ではこれに平沼(枢密院議長)が加わる。鈴木が六閣僚に意見を聞くと、平沼が軍代表に質問した後に賛成に回り3対3となった。このとき平沼も天皇に御聖断を求めている。二時間にわたる会議の末に鈴木が行動を起した。。 昭和天皇は受諾の意思を表明し、8月15日、玉音放送。終戦となった。後に昭和天皇は侍従長の藤田尚徳に対して「誰の責任にも触れず、権限も侵さないで、自由に私の意見を述べ得る機会を初めて与えられたのだ。だから、私は予て考えていた所信を述べて、戦争をやめさせたのである」「私と臥薪嘗胆した鈴木であったからこそ、このことが出来たのだと思っている」と述べている『大日本帝国の興亡』5巻 平和への道「七部 耐え難きを耐え 1 ポツダム宣言受諾」P.203-P.213(章題 ページ番号はハヤカワ文庫版)『侍従長の回想』会議の経過については「聖断下る」P.118-P.136。昭和天皇の発言は「異例、天皇の心境吐露」P.207-P.208からの引用。。 人間宣言 thumb|250px|right|昭和天皇(右)と[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサーの会見で(1945年)]] 1946年(昭和21年)1月1日、人間宣言を渙発。この詔書はGHQの指導下にあったマスコミにより天皇の神格否定として喧伝され、国民に大きな衝撃を与えた。 これと前後して、天皇がGHQ本部を表敬訪問した際に撮影された、GHQ総司令官でアメリカ陸軍のダグラス・マッカーサー元帥と一緒に並んだ全身写真が公開(情報局により「不敬」を理由に発禁処分)されている。天皇が正装のモーニングを着用し直立不動でいるのに対し、マッカーサーがラフな服装で腰に手を当てたリラックスした態度であることに、国民は改めて敗戦の重みを思い知らされた。天皇はマッカーサーに比べて身長が低かったことも衝撃を与えている。 thumb|250px|[[アメリカ合衆国大統領ジェラルド・R・フォード夫妻と昭和天皇、香淳皇后。1975年10月2日、アメリカ合衆国にて]] thumb|250px|[[アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガン夫妻と昭和天皇(右)。1983年11月9日、東京都にて]] 外遊 皇太子時代の1921年(大正10年)3月3日から同年9月3日までの間、イギリスやフランス、ベルギー、イタリア、バチカンなどを公式訪問した。これは史上初の皇太子の訪欧皇太子の外遊の初例は、1907年(明治40年)の嘉仁親王(後の大正天皇)による大韓帝国訪問である。この当時の大韓帝国は日韓協約により事実上大日本帝国の保護国であったが、正式にはまだ併合前の「外国」であった。であり、国内には反対意見も根強かったが、山県有朋や西園寺公望などの元老らの尽力により実現した。出発は新聞で大々的に報じられた。お召し艦には巡洋艦香取が用いられた。イギリスでは日英同盟のパートナーとして大歓迎を受け、国王ジョージ5世やロイド・ジョージ首相らと会見した。ジョージ5世はバッキンガム宮殿での最初の夜、慣れぬ外国で緊張する当時の裕仁親王に父のように接し緊張を解いたという。イタリアでは国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世らと会見した他、各国で公式晩餐会に出席したり、第一次世界大戦当時の激戦地などを訪れた。後に昭和天皇はこの外遊が非常に印象的であったと述べている。 1971年(昭和46年)には9月27日から10月14日にかけて17日間、再度イギリスやオランダ、スイスなどヨーロッパ諸国7カ国を訪問した。訪問先には数えられていないが、このとき、経由地としてアラスカのアンカレッジに立ち寄っており、実質的にアメリカも訪問している。当初の訪問地であるデンマークやベルギー、フランスなどでは暖かく歓迎された。フランスでは旧知であるエドワード8世と再会、しばし歓談している。しかし当時両国が植民地支配していたビルマやインドネシア戦線で旧日本軍の捕虜となった退役軍人が多いイギリスとオランダでは、彼らの抗議活動に遭遇することになった。特にインドネシアの宗主国であったオランダにおいては生卵や魔法瓶を投げつけられ、同行した香淳皇后が憔悴したほど抗議はひどいものであった。 また、1975年(昭和50年)にはフォード大統領の招待によって9月30日から10月14日まで14日間にわたって、アメリカ合衆国を公式訪問した。天皇の訪米は史上初の出来事である。これに先立つこと10余年前、皇太子明仁親王夫妻が訪米しており、この訪米は皇太子夫妻のつけた道筋をたどってのものといえる。なお、1973年(昭和48年)、1974年(昭和49年)にも訪米が計画されたが、調整不足もあって実現には至らなかった。訪米前にはアメリカ人は天皇の訪米にあまり関心がないという報道がなされ、侍従長・入江相政によると天皇に対する激しい憎しみを露わにしたアメリカ人もいたといい、関係者を悩ませた。天皇はウィリアムズバーグに到着して後、2週間にわたってアメリカに滞在し、訪米前の予想を覆してワシントンD.C.やロサンゼルスなど、訪問先各地で大歓迎を受けた。10月2日フォード大統領との公式会見、10月3日のアーリントン国立墓地に眠る無名戦士の墓への献花、10月4日のニューヨークでのロックフェラー邸訪問とアメリカのマスコミは連日大々的に報道し、新聞紙面のトップは天皇の写真で埋まった。ニューヨーク訪問時には、真珠湾攻撃の生き残りで構成されるパールハーバー生存者協会が天皇歓迎決議を行っている。訪米中は学者らしく、植物園などでのエピソードが多かった。ホワイトハウス晩餐会でのスピーチでは、戦後アメリカが日本の再建に協力したことへの感謝の辞などが読み上げられた。ロサンゼルス滞在時にはディズニーランドを訪問し、ミッキーマウスの隣で微笑む写真も新聞の紙面を飾った。同地ではミッキーマウスの腕時計を購入したことが話題になった。昭和天皇の外遊はこの訪米が最後のものであった。2007年現在13回の海外訪問を行なっている今上天皇と比較しても回数はごくわずかである。しかし、二度の外遊はいずれも第二次世界大戦の痛手からの回復、国際社会への復帰を印象付けるに十分以上の成果を挙げたといえる。帰国の当日には二種類の記念切手が発行されており、この訪米が一大事業であったことを物語っている。 行幸 thumb|250px|right|[[昭和22年(1947年)石川県で開催の第二回国民体育大会の折り、山中温泉で栢野大杉を見上げる昭和天皇。あまりの大きさに暫し言葉もなく見上げたと伝ふ。]] 戦後は1946年(昭和21年)2月から約9年かけて日本全国を巡幸し、各地で国民の熱烈な歓迎を受けた。三池炭鉱の地下1000メートルもの地底深くや満州からの引揚者が入植した浅間山麓開拓地などにも赴いている。開拓地までの道路は当時整備されておらず、約2キロの道のりを徒歩で村まで赴いた。1947年(昭和22年)には原爆投下後初めて広島に行幸し、「家が建ったね」と復興に安堵する言葉を口にした。その他、行幸先でのエピソード、御製も非常に多い(天覧の大杉のエピソード参照)。全国46都道府県を巡幸するも、沖縄巡幸だけは沖縄が米軍の占領下にあったためついに果たすことができず、死の床にあっても「もうだめか」と沖縄巡幸を行なえないことを悔やんでいた。 また、1964年(昭和39年)の東京オリンピック、1970年(昭和45年)の大阪万国博覧会、1972年(昭和47年)の札幌オリンピック、バブル経済前夜の1985年(昭和60年)のつくば博の開会式にも出席している。これらイベントの成功にどれほど寄与したか正確に計ることはできないが、特に敗戦から立ち直りかけた時期のイベントである東京オリンピックの成功には大きな影響を与えたと見られている。病臥した1987年(昭和62年)秋にも、沖縄海邦国体への出席が予定されていた。病臥し自ら訪沖することが不可能と判明した後は皇太子明仁親王を名代として派遣しお言葉を伝えた。これに関して、「思はざる病となりぬ沖縄をたづね果たさむつとめありしを」との御製が伝わり、深い悔恨の念が思われる。代理として訪沖した皇太子明仁親王(今上天皇)は沖縄入りし代表者と会見した際、「確かにお預かりしてまいりました」と手にしたお言葉をおしいただき、真摯にこれを代読した。 スポーツ観戦 Template Main? 皇太子時代から大変な好角家であり、戦前戦後合わせて51回も国技館に天覧相撲に赴いている。特に戦後は1955年(昭和30年)以降、病臥する1987年(昭和62年)までに40回、ほとんど毎年赴いており、贔屓の力士も蔵間、富士桜、霧島など複数が伝わっている。特に富士桜の取り組みには身を乗り出して観戦したと言われ、同タイプの力士であり毎回熱戦となる麒麟児との取り組みはしばしば天覧相撲の日に組まれた。 1959年(昭和34年)には天覧試合として、プロ野球の巨人-阪神戦いわゆる「伝統の一戦」を観戦している。天覧試合に際しては当時の大映の永田雅一社長がこれを大変な栄誉としてとらえる言を残しており、相撲、野球の振興に与えた影響は計り知れないと言える。この後プロ野球において天覧試合は行われなかったが、プロ以外では1966年(昭和41年)11月8日の日米野球ドジャース戦が天覧に付されている。 「崩御」前後 1988年(昭和63年)の暮れに入って病臥すると、各地に病気平癒を願う記帳所が設けられたが、どこの記帳所でも多数の国民が記帳を行った。病臥の報道から一週間で記帳を行った国民は235万人にものぼり、最終的な記帳者の総数は900万人に達した。 1988年9月19日に吐血してから1989年(昭和64年)1月7日に崩御するまでの期間は、テレビなどでバラエティの派手な演出などが不謹慎であるという理由で自粛になった。なおこの「自粛」は、同年の流行語となった。このほか、病状に変化があった際は直ちに報道特番が流され、人気番組でも放送が中止・中断されることがあった。 1988年の中日ドラゴンズのリーグ優勝ビールかけおよびパレードの自粛 1988年の明治神宮野球大会中止 井上陽水出演のCM(日産自動車 セフィーロ)で「みなさんお元気ですか?」の音声カット 五木ひろしの結婚披露宴の中止(更には一般市民でも自粛・延期する人が続出した) 全日本プロレス出場プロレスラー流血自粛(新日本プロレスは流血続行) 1988年の「日本歌謡大賞」が中止 笑っていいとも!のオープニングテーマの自粛・差し替え ロート製薬のオープニングキャッチ自粛 伝統行事の中止・縮小 このほか、多数のCMが所謂自粛バージョンになっている。 昭和天皇が病気で倒れた後は暫くの間、公式行事や儀式、歌舞音曲を伴う行事が自粛された。 大相撲初場所の開催を1日延期して1月9日から行う 崩御後2日間に渡って、TVはCMなしでニュースおよび追悼特番のみの放送(ただしNHK教育テレビではほぼ通常放送であった。) 各放送局とも「Xデー」と呼んで、密かに特番体制を準備していた。事前の噂では、5日間追悼番組が放映されることになっていたが、レンタルビデオ店に客が殺到するなど、特番自体の視聴率が振るわなかったことや、経営上の判断から2日間で特番体制は解除されたと言われている。 1989年の全国高校ラグビー決勝中止(大阪府・大阪工業大学高等学校と茨城県・茗溪学園高等学校の両校優勝) 1989年の全国高校サッカー選手権大会が2日間順延 1989年の爆風スランプ武道館ライブ順延 1989年1月8日のラジオ体操の中止 1989年1月8日の公演を宝塚歌劇団が中止 学校や塾では始業式を遅らせたり授業を中止するところも多数あった。 このほか、地下鉄通路の広告の照明までが落とされたり、パチンコ屋ですら店内で音楽を流さなかったなどの出来事も起こっている。 1989年(昭和64年)1月7日午前6時35分に危篤報道があり(実際は午前6時33分に崩御)、NHKをはじめとする各放送局は一斉に特別報道体制に入った。この時NHKでは青地に黄色の丸ゴシック体で「臨時ニュース」というテロップと共にチャイムを鳴らした。7時56分、藤森昭一宮内庁長官(当時)が「天皇陛下におかせられましては、本日午前6時33分吹上御所において崩御あらせられました」と発表。直後NHKでは黒地に白の楷書体の手書き筆字で「天皇陛下崩御」というテロップに切り替わり、チャイムが鳴らされた。このときのチャイムは「a 8 e 8 cis 8 a 8 e 8 a 8 e 8 cis 8 a 8 e 8 cis 8 e 8 a 8 a 8 e 8 cis 8 e 8 a 2」というものであった(これは臨時ニュースにおいてNHKが用いる通常のチャイム「a 8 e 8 cis 8 a 8 e 8 e 8 cis 4 a 8 e 8 cis 8 e 8 a 2」と微妙に違い、長い)。同日14時36分に新元号発表の記者会見が始まる冒頭には、記者会見場に入場する小渕恵三内閣官房長官(当時)の映像をバックにスーパーインポーズで「新元号決まる」というテロップが表示され、再び同じチャイムが鳴らされた。小渕が着席し、「ただいま終了しました閣議で「元号を改める政令」が決定され、第1回臨時閣議後に申しました通り、本日中に公布される予定であります。新しい元号は、平成であります」と言って額に入った「平成」の文字のしたためられた色紙を掲げた。このエピソードから小渕は「平成おじさん」と称されることになった。この新元号は毎日新聞が最も早く報じ、「リベンジを果たした」と光文事件と結びつけた報道がなされた。 危篤発表直後および崩御発表から翌1月8日終日まではNHK(総合)および民放各局が特別報道体制に入り、CMの自粛、昭和天皇の業績を偲ぶ番組、崩御報道を受けてのニュースなどが放送された。7日の新聞朝刊には通常のニュースや通常のテレビ番組編成が掲載されていたが、号外および夕刊には各新聞ほとんど最大級の活字で「天皇陛下崩御」と打たれ、テレビ番組欄も通常放送を行ったNHK教育の欄以外はほとんど白紙に近いものが掲載された。特別報道体制内の番組(前年末からの危篤報道を受けてあらかじめ製作していたもの)にて昭和史が回顧され「激動の昭和」という言葉が繰り返し用いられ、以後定着した。日付の切り替わる前には「昭和が終わる」ことに思いを馳せた人々が町の時計塔の写真を取る、二重橋などの名所に佇み日付変更の瞬間を待つなどの姿が報道された。 翌1月8日から新聞活字には「平成元年」の文字が初めて現れることになった。 昭和64年は7日間しかなかったため、「昭和64年」が刻印された硬貨は希少であると認識されがちだが、これは正しくない。実際には「平成元年」の金型が手配される平成元年3月頃までは「昭和64年」の硬貨は発行され続けており、他の年と比較してその数が際立って少ないということはない。 1989年(平成元年)2月24日に大喪の礼が執り行われ、武蔵野陵に埋葬された。 昭和天皇崩御の日、1989年1月7日のNHK朝の「ワイドニュース」(6時36分から3時間24分間)の平均視聴率は32.6%、大喪の礼の日のNHK「ニューススペシャル・昭和天皇大喪の日」(8時30分から4時間40分間)の平均視聴率は44.5%を記録した(視聴率はビデオリサーチ・関東地区調べによる)。 崩御後、1988年まで天皇誕生日であった4月29日はみどりの日という国民の祝日となった。2007年からは、昭和の日に祝日名称が変更された。 各地の記帳所、記帳所の設置された場所 皇居前記帳所 千葉県民記帳所 葉山御用邸通用門記帳所 名古屋熱田神宮境内記帳所 京都御所前記帳所 福岡市庁舎内記帳所 東京都大島町 天皇陛下病気お見舞い記帳所 ※同町は伊豆大島に存在し、前年には三原山噴火という天災に見舞われたばかりであった。 関連項目 CMが放送されなかった日 後半は、昭和天皇-2、昭和天皇-3参照 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年5月5日 (月) 16 14。