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目次 1.私の住む「愛と慈悲の世界」は、五月の若葉緑の世界 2.ここ九次元世界では超高層ビルの最上限にいる気分 3.地上の世界を一望する 4.高次元の霊は、地上人の心が手にとるように分かる 5.高次元世界は波動の世界 6.三千二百年前、地上のモーゼを指導した私 7.逆に今回、地上の高橋信次の指導霊はモーゼだった 8.九次元の世界はスイスの別荘地のようだ 9.地上にいる妻や娘への心配 10.テレビ局のような私の住まい 11.モーゼ、イエス、ブッダの住居 12.パルテノン神殿に住むゼウス 13.中国様式の王宮に住む孔子 14.個性の差はあれ愛と慈悲は九次元人の専売特許 15.地上の人たちよ、愛と慈悲の世界を目指せ 1.私の住む「愛と慈悲の世界」は、五月の若葉緑の世界 今日は第3章「愛と慈悲の世界」についてお話をしたいと思います。この霊示をしている時、地上は今、一月です。正月休みが終って、地方に行った方はUターンし、また東京にいる人も、お屠蘇(とそ)気分も抜けて、ふたたびせわしく働き始めている頃です。まあ、こういう寒い、厳しい一月ですけれども、こういう時には、どちらかというと人びとは、愛とか慈悲とかいう言葉を忘れがちです。 けれども、私たちがいるこの高次元の世界っていうのは、いつも春か夏のようにポカポカです。あったかいんですね。愛と慈悲って何かということがわかんなくても、愛と慈悲っていうのは、この世界を見ればわかりますよって、言えます。まわりがポカポカしてて非常に気持ちいいんです。 まあ春から夏、ただ灼熱(しゃくねつ)の夏といえば、ちょっと地獄に近いけれど。そこまで行きません。私がいるようなところというのは、たいていそう、五月ですね。地上でいうと若葉緑の頃、いちばんさわやかな頃ですね。ああいう惑じなんです。そういう世界に住んでいます。 まあ同じ春でも、もうちょっと早春の方が好きだといって、桜の花が咲くような気候、こういう気候を好きな人もおります。そういう人は、そういうところに住んでいますけれども、私が住んでいるところはちょうど若葉緑の世界、こういうところです。 皆さんは、私がどういう世界にいるかっていうことが、よく分からないでしょうから、地上の皆さんに分かるように、ちょっと今日は特別サービスをして、私の日常生活を踏まえて、愛と慈悲へと話を進めていきたいと思います。 2.ここ九次元世界では超高層ビルの最上限にいる気分 そういうことで、私もこちらへ来て十年になります。さあ地上の人たちは、高橋信次は十年経ったらどうしているかな、お墓の中に入っているのかな、あるいは、どこかのお寺のあたりでうろうろしているのかな、それとも川か何かの中で藻屑(もくず)となって流れているのかな、どういうふうになっているのかな、とみんな想像しているでしょう。生前あれだけ講演会でしゃべりまくっていた男が、何もしゃべらなくなるとは、本当に死んだら、何もかもなくなっちゃうのかなあ。まあ、こういうふうに思う人も数多いかと思います。 しかし皆さん、どうか安心して下さい。私は地上でしゃべってはおりませんが、あの世でしゃべりまくっております。「元気ハツラツ、オロナミンC」でやりまくっているわけなのです。 それではどういうところにおるかと言えばね、先般、谷口雅春先生という生長の家の総裁をしていた方が亡くなって、その後一直線に如来界最上段階に還ってきたなんて、霊言集の中で聞こえのいいことを言っていましたから、私も負けているわけにはいかんのです。ちょっとは、いいことを言っておきましょう。 死んでまもなく私は、幽界を過ぎ、霊界を過ぎ、神界を過ぎ、菩薩界を過ぎ、如来界を過ぎ、如来界最上段階を通り過ぎて、宇宙界という九次元世界へと、まっしぐらに還ってきました。 また後ほど、神理問答集とか、そういうところでも話が出ておりますけれども、この世界というのは、本当に素晴らしい世界です。 ここは、とても眺望がいいんです。地上の皆さんは登山が趣味の人と、そうでない人とがいらっしやるけれども、まあ、どこでもいい、高尾山でもいいし、富士山でもいい。きれいな山に登って下界を眺めて見ると、非常にすがすがしい気分になります。清々(せいせい)した気分になりますね。そうして地上の人間たちの心の中のゴミゴミした生活、こうしたものを見ると非常に憐(あわ)れに見えます。同じ地上の人間であっても高い山に登って、きれいな空気と、素晴らしい香り、あるいは景色、こういうものに恵まれて、下界を眺めると自分が一段偉くなったような、そういう素晴らしい気持ちになりますけれども、これはちょうど私たちも一緒です。そういうふうな九次元世界っていうところに還ってくると、非常に世界がうまく見渡せるのです。 山の上に立っているのではないんですけれども、ちょうど新宿にある、住友生命か何かの超高層ビルに上っていくような感じで、エレベーターで、スーツと上がっていくのですね。そして一番上のところに着いて、窓から見ると、新宿、そして東京全体が、一望のもとに見えるのです。 同じように、私たちの世界にいると、いろいろな世界が一望のもとに見えます。ちょうどまあ高層ビルの上と一緒なんですね。それで下を見ているのと一緒です。 ですから地上の世界もよーく分かるし、地上の人たちっていうのはちょうど、住友生命ビルの一番上の展望室から地面、地べたと言ってもいいでしょう、地べたを歩いている人たちを見ているのと一緒なんですよ。 3.地上の世界を一望する ところが、そのいわゆる地べたを歩いている人たちというのは、私がね、その高層ビルの上で見ているっていうことを知らないんです。交差点か何か一生懸命歩いちゃって、歩道橋なんて渡っちゃって、トコトコ歩いているのですよ。「さあ今日は寒いから何にしようかな。やっぱりスキヤキにしようか」なんて思っているんです。「スキヤキにすると、やっぱりネギがいるかな。まあお肉は安いのがあったからいいけど、東京ネギはちょっとデカ過ぎるかな」とかね、いろんなことを考えているのですよ。「やっぱり、しらたきもいるかなあ」とかね。「お餅(もち)入れるのは私好きじゃないんだけれども、うちの主人が関西出身でね。ああいう四角い餅なんか放り込むんだから、四角い餅も買わなきゃいけないかなあ」とか、こんなことを考えます。 まあ、東京では丸餅を入れます。本当はね、なぜ丸い餅を入れるかというと、丸い餅っていうのは円満、夫婦円満、家庭円満、これを象徴しているから丸い餅を入れなくてはいけない。そういうことで四角い餅でも、こんがり焼いてまあるくしてから放り込むのが本当の餅の食べ方です。これはお雑煮(ぞうに)の話ですから、ちょっと話がずれました。 そういうことで「今日はスキヤキにしようかな」って、考えながら道を歩いている人たち、あるいは彼女を一時間待ったけれどとうとう来てくれない。シュンとしている男性ね、いますよ。木枯らし吹いちゃって寒いところで、マフラー首にまいちゃって、彼女はとうとう来なかった。「やっぱり僕たちは、もうダメなんだろうか。神様、仏様、高橋信次様、私たちの愛はもうダメなんでしょうか。私は不滅の愛というものを信じていたのに、もうダメなんでしょうか。神様がおられなければ仏様。仏様がおられなければ高橋信次様。どうか私を救って下さい」なんてね。GLA誌パタパタしたってダメなんです。 そんなことをしても私は上から笑っているだけで、どうしようもないんです。エレベーターを降りていっていたら、彼どんどん先へ行っちゃうから、降りてるひまがないんです。そういうことで、いろいろ見ています。 あるいはね、鳩か何かがちょろちょろと飛んできてね、道端に止まっている。で餌(えさ)か何かを啄(ついば)もうとしていると、人間の変なのが出てきてポンと蹴飛(けと)ばそうとするからあわてて、飛び去ったりしてね。「ああ心臓に悪かった」なんて、鳩が心臓を押さえて飛んでいっている姿、こんなのをよく見ているのです。 4.高次元の霊は、地上人の心が手にとるように分かる こういうふうにたとえて言っているんだけれども、あなた方ごぞんじのように高層ビルから見ると、地上が、そういうふうに見える。それだけではなくて私たちの世界にいると、こういう下界にいる人たちの考えていること、心の中で思っていることが、一つ一つ手にとるように分かるのです。こういうところが違いなんですね。 とくに高次元にいると、地上にいる人たちの心の中の動きというのが手に取るように分かります。地上の人たちだけじゃなくて、あの世の諸霊たちの考えていること、これも手に取るように分かります。それも一人、二人の心を凝視すれば分かるという感じじゃなくて、スーッと分かってしまう感じなんですね。 たとえば新宿なら新宿の交差点あたり、今、紀伊國屋か何かあるけれども、紀伊國屋の前で、いっぱいデートの待ち合わせしているけれども、ああいうのをパッと見るとだいたいスーッと分かるのですね。このうち大体一割が待ちぼうけ、多分ソデにされるであろうと一発で分かってしまいます。見ていると、大体分かるのです。 カップルが三十組ぐらい公園の入り口あたりでうろうろしているけれども、そのうちの十八組は別れるであろう。十二組は結婚しそうになるけれども、その中の四組は多分同棲(どうせい)のままで終るだろう。こんなの、見ただけで分かっちゃうんです。一瞬です。 皆さんはこういうことを信じられないだろうけれども、私たちの世界に来るとすぐ分かっちゃうのですね。手に取るように分かります。こういう不思議な世界なのです。 ただ、こちらの世界に住んでいると、だんだんそういうふうなことが通常のこと、ごく普通のこと、そう感じるようになってきます。 5.高次元世界は波動の世界 そういうことで、私のいる世界に、地上にいる皆さんを、ご案内してお見せするとしましょう。どういうふうになるかっていうことを説明しますと、まあ、視覚的に言えばどうかっていうと、まわりは、さっきも、若葉緑と言いましたけれども、非常に美しい緑があるのです。私たちの状態を、ガス体みたいだって言っている人もいます。けれども、もちろん、実体はそういうふうに言えるのだけれども、やはり人間的感覚に訴えて見ることは可能なのです。 たとえ話をするなら、テレビなんかがそうですね。テレビ局は電波を一生懸命流しているわけなんだけれども、あなた方は買い物していても、散歩していても、コーヒーを飲んでいても、あるいはハブ茶を飲んでいても、そうぃう電波の存在というのを忘れています。 ところが、そこにテレビを置いてね、東芝さんかソニーか何か。ソニーの色がいいとすると、ソニーのカラーテレビを置くと、それでスイッチ入れちやうと、あら不思議ですね、アフリカの景色とか、オーストラリアとかいろいろ映るわけです。オーストラリアでカンガルーが跳んだりしているのが映りますね。こういうふうなんですね。 だから、本当は目にみえぬ電波が飛んでおっても、それを分かるようにすれば、つまり視覚化すると、テレビの中でカンガルーがピコピコ飛んでいるような感じですね。実際にそこにオー・ストラリアがあるかといえばありゃしないのです。ありゃしないけれども、そういう装置を設けるとオーストラリアみたいなのが見えてきます。そしてカンガルーは生き生きと動いていますね。 こういうふうに私たちの世界でも、本当は実体として見れば、これは意識の世界であり、想念の世界であり、波動の世界なのです。ですから皆さん方でいえば、目に見えぬ電波の世界のようなもので、実体はなかなかつかめないのです。手にとってつかむわけにはいかないのです。 ただ地上にいる人間に分かるような形で、訴えかけるとどうなるか。つまり、地上の人をこちらに、九次元世界につれてきて、「じゃあ九次元をご案内しましょう」という場合にどうしたらいいのかというと、今、いったテレビ装置と一緒なのです。こういうものを見せるわけですね。テレビ装置みたいなのを見せる。あるいはそういう特殊なメガネみたいなのをかけさせて見せると、まわりの世界が映像として見えるのですね。そういう電波の世界が景色となって見えるわけです。 ですから私なんかは、まだ地上を去って短いから、そういう景色を結構楽しんでいるのです。 6.三千二百年前、地上のモーゼを指導した私 ところが古い人というか、モーゼみたいな三千二百年も地上では何もしとらん男というのは、そんな景色の中を歩いてもしょうがないから、電波みたいな形をとっておってピカピカ光りながら飛んでおるのです。だから「モーゼ」って呼ぶと稲光がピカピカと飛んできてね、「オッ、この稲光は、もしかしてモーゼか」とか言ってね、稲光が飛んでいくところをパッと手でつかむのです。パチっと右手でつかむと、「ウーン、見破られたか」ってね、姿を現すと、そこに古代エジプト時代の姿のモーゼが立っとるわけです。身長ニメートル越えています。大きな男です。こういう男がどんどん歩いておったら、田舎の景色が壊れちゃうから、普通は見せるわけにはいかんのです。だから稲光みたいにピカピカと飛んでおるわけです。 天上界のプリズムの光でいうとモーゼの色というのは赤い色ですから、赤い稲光がピカピカ飛んでおるのです。だからこれを目にも止まらぬ早さでパチッとね、打ち落とすわけです。蝿叩(はえたた)きのようにパチッと打ち落とすと、そこで、「アッ、イテッ」と頭を押さえながら出てくるのはこれはモーゼです。 ムクッと起きて、「お前やったな。貴様、よくもやってくれたな。俺をモーゼと知ってのことか」と、こういうわけですね。「おう、知ってのことだよ。お前は、俺をだれだか知っているか」「ウーン、おぬしは高橋信次だろう」「ウン、そのとおり高橋信次に対して意見が言えると思うか」ってね。そうはいかんのです。「モーゼさん、今から三千二百年前にあなたが地上に出た時に、あなたを天上界から指導したのはだーれ。言ってごらんなさい。言ってごらんなさい、だれですか」「ウーンそうですね、あの時にシナイの山に登った私を指導してくれた霊人がいましたねえ」「そうですね。シナイ山であなたを指導した霊人がいます。その人はどういう指導をしたのですかねえ」そうすると、「いやあ、あのシナイの山で『我はありてある者だ』とか、『イスラエルの神だ』とか、『ヤーヴェって神様だ』と、そういうふうに名のった神様がいました。メラメラメラと炎みたいに芝が燃えちやって、そんな神様の声が聞こえてきました。そしてその神様を信じとったらいろんな奇蹟が起きました」ってね。「エジプトで王様に追いかけられた時も、紅海を真二つに割って私たちを逃がしてくれたのも、その神様でした」と。 あるいはシナイの山でモーゼが四十日間、まあこの四十日間というのは、大袈裟(おおげさ)だけれどもね。腹がへったから長く感じて四十日間いたように思ったわけです。実際は四十日間いなかったわけだけれども、山へ登って一応四十日間ってことになっているからその間瞑想しておると、天が裂けて声が聞こえてきた。「モーゼよ、我は汝の神。汝らイスラエルの神。我以外に神なし」という声が聞こえてきました。それで有名な「十戒(じっかい)」というのがモーゼに授けられましたね。これは皆さん、内容はご存知です、「我以外に神なし」と言って、偉い神様がいばっていました。「だれですかそれモーゼさん、それ言ったのはだれですか」って言ったら、「ウーンそれ言ったのはまあヤーヴェとかエホバとか言っているけれども、本当は最近で肉体を持った人というと、もしかして高橋信次っていう人だったりして」「そうだろう。ねえ、それであなた私に説教するつもりか」「ウーン、でもタンコブ痛いから言いたいんだよ」なんて言ってね。「そういえば、その時にお世話になったなあ」って、タンコブをさすりながらモーゼがすごすごと帰ろうとします。 7.逆に今回、地上の高橋信次の指導霊はモーゼだった しかし彼は、「ちょっと待った」と立ち止まりました。「こら高橋信次。お前、人のことばかり言って、自分のことを忘れているじゃないか。お前が高電工業を起こして事業をやっとって、まあ浅草にハ起(やおき)ビルなんか建てちゃって、一生懸命サウナ風呂か超音波風呂か知らんけど、そんなのつくって、人の体の垢(あか)を落とそうなんて考えて、それで金儲けしよう、銭儲けしようとしていた時に、そのお前のほっぺたをパチッとたたいて神の道を教えたのはだれだったか、言ってみろ」と、モーゼは振り返って言いました。高橋信次「ウーン」と一瞬言葉が詰まりました。「ウーン、言ってみれば、それはワン・ツー・スリーという指導霊だった」。 ワン・ツー・スリーと名乗る古代エジプトの霊が出て来て、「高橋信次よ、お前、何をやっておるか。お前そんなことをしている暇かあるのか。お前ね、コンピューター機器だけ使っているのが仕事じゃないぞ。お前、電気屋じゃないぞ。お前、そんなことをしてね、お風呂屋なんか始めるつもりか。最後にはお前。×xx風呂。改め゛○○○ランド゛なんかやるんじゃないか」なんてね、そういう厳しいお声がかかってきました。ワン・ツー・スリーっていう人から。 そうすると、「そうですか、ばれましたか、私の醜(みにく)い心の中が。いや金儲けさえできれば私は……」「何を馬鹿なことを言っとるかお前は。心を入れ替えてお前は反省しなさい、三日以内に悟れ。悟れなかったら、お前の家庭はめちゃくちゃ、お前はもう狂い死にするぞ。それでもええのか、悟れ」ってね。そして、「厳しくあなたを指導したのは一体だれであったか」「はー、ワン・ツー・スリー」「ワン・ツー・スリーとは一体だれであるか」「ウーンまあよく考えてみれば、モーゼっていう人でしたね、本当は。本名は」。 「それみたことか。私は三千二百年前にあなたにご指導を受けたけれども、最近ここ十年ほど前にあなたを指導したのは一体だれか」「はあーモーゼ様です」「そうだろう。折角(せっかく)人が気分よくビカピカと稲光で飛んでいたのに、よりによってそのモーゼを蝿叩(はえたた)きで打ち落とすとは何事であるか」と言い返されます。「ウーン、言われてみりゃあそうかな。古い恩というのは忘れられるものだけれども、最近の恩というのは忘れちゃいけない。恩を忘れるようじゃいけない」。 私は生前よく言いました。感謝ということにはね、報恩という行為がともなわなければ意味がない、感謝に対しては報恩です。こう言いました。「そのことを教えたのはだーれ」「モーゼ様です」「そうでしょ。私があの世から、インスピレーションを与えて、あなたにそう言わせたのでしょ。じゃ、あなたその教えを実践していますか。ね、あなた生前『心行(しんぎょう)』とかいうお経をつくって、人間は心と行いが大事ですよ、なんて言っていたでしょ。心の中だけで感謝と報恩を思っていても、行いはどうなったの」と言われ、「あーモーゼ様、大変失礼しました。あなた様のおかけで現在の私があります。本当にありがとうございました。あなた様のおかけで、私は未熟な悟りを得て、未熟に教えて、そして死後GLAが混乱しました」なんて言ったらモーゼ怒っちゃいますから、そういうわけにはいかないですね。「いやそうじゃありませんけれども、あなた様のご指導のよろしきを得て、私は見事に悟り、人びとを救うことができました」。こういうことを言うと、これでモーゼの気分が良くなります。「まあそう言ってくれればね、いい気分だから、ちょっとまたひとっ走りいくか」ってピカピカしながら向こうの山まで飛んでいくのです。こういう世界です。 8.九次元の世界はスイスの別荘地のようだ これはあなた方に分かるように言っているのだけれども、こちらはそういうふうに本来は、光とか、想念の世界です。ところが人間的に分かるように言えばね、やはり私たちの世界でも、風光明媚(ふうこうめいび)な景色もあるし、丘もあれば池もある。湖もある。そういうきれいな世界です。 まあ表現してみるとすれば、そうだね、スイスか何かの非常にきれいな景色のああいうところです。住みたいでしょう、別荘か何かを建てて。しかもいいことには、「別荘を建てたいな、別荘がほしいなあ」と思うと、もう湖のほとりにポンと別荘が建っちゃう、これが私たちの世界なのです。 別荘の中に入って、「安楽イスがはしいな」と思うと、ポンと安楽イスが出ちゃう。安楽イスでウトウトと揺れていると、「暖炉(だんろ)がほしいなあ。ちょっと冬になってきたかな」と思うと暖炉がポンと出てくる。ああ嬉しいね、暖炉が出てくる。「薪(まき)がほしいなあ、柴(しば)刈りにいこうかな」と思ったら柴刈りにいく必要がなくて、薪がポンと着きます。「火をつけたいなあ」と思ったら、火がメラメラと燃えてきます。こういう素晴らしい世界です。「ミルクが飲みたいなあ」と思えばミルクが出てくる。「蜂蜜(はちみつ)をなめたいなあ」と思えば、蜂蜜がなめられる。とにかく素晴らしいです。 9.地上にいる妻や娘への心配 いないのは、母ちゃんと娘だけです。それだけはいません。残念ながらね。私の家内、高橋一栄は、まだ地上でやっとります。早く来なさいと言いたいけれど、まだ寿命があるから、そういうわけにはいかないです。まあ頑張って下さい。 それから私の娘の佳子っていうのも、GLAで頑張っているようです。もうそろそろ三十になったかね。まあ、こんなことを言っちゃいけないけれどもね、娘三十、父ちゃんは心配しています。時どきは便りをよこしなさい。田舎の父ちゃんは心配していますよ。どうしていますかって、本当は言いたいんですよ。けれどもあなたの便りがないから、返事を書けないんですよ。どうしていますか。そういう気持ちがあります。 私はあの世で、そういうようにスイスの湖畔のようなところで暖炉に火が燃えている部屋にいます。そして皆さんに分かるように言えば、目の前に水晶玉みたいのをポンと出してね、その水晶玉を見つめていると、下界の姿が映ってきます。下界が映るとGLAの八起ビルか何か、もう閑散としちゃって、「あーもう寂(さび)れてきているなあ」とかね。 水晶玉が分からない人は、これはテレビでもいいですね。テレビ局のテレビで、もう何十台もテレビがあって、今、ロケシーン中のいろんな角度から映ります。こういうふうに次つぎと地上のいろいろな姿が見える。こういうテレビと言ってもいいです。そういうようにも、できるんですね。ま、こんな世界です。 10.テレビ局のような私の住まい だからあなた方、地上からみれば、「高橋さんもすいぶん淋しい思いをしているんじゃないか。一人で孤独なんじゃない」なんて言ってくれるけれども、孤独なんです。実際そうなんですよ。私の友だちは古い人ばっかりでね。もう三千年前、二千年前、五千年前とか一万年前とか、こんな古い人ばっかりがいて話が合わんのです。 今言ったように、水晶玉を通して地上を見るなんていうと、彼ら古い人も分かってくれるんですがね。実際は、私の場合、近ごろはNHKの番組を見るようにテレビを使っていますから。この部屋の中を見て下さい。テレビが十台あって、チャンネルを変えれば、アフリカだって、日本だって、アメリカだってみんな映ります。これ四次元映すテレビ、これ五次元映すテレビですよ。これ七次元映すテレビね。スイッ千はこれです。手で押すだけでポンポンチャンネルが変わります。 こんなのあなた方知っていますか。実際ノコノコと畳の上をはっていって、スイッチを変えるんじゃないんですよ。そんなことするから、夫婦で喧嘩が絶えなかったのです。「1」チャンネルを見るとか「3」チャンネルを見るとかいって、夫婦で喧嘩が絶えなかったこともありましたね。「おまえが行ってチャンネル変えろ」と。「私は今、ご飯を食べているのにあんた行って変えて来なさい」ってね。こういう夫婦喧嘩がありました、昔は。ところが最近はあなた、テレビもリモコンですよ。ポチポチとボタンを押せば、チャンネルが変わるんですよ。これで夫婦喧嘩も、なくなりました。古い人たちは、こういうことを知りません。私だけです。こういうことでリモコン式のボタンを押しながらいろいろなテレビの番組を見て、地上とか、四次元、五次元を見ています。こういうことをしています。 11.モーゼ、イエス、ブッダの住居 そういう新しいことを私はしているけれども、モーゼなんか掘っ建て小屋に住んでいますから、「ずんぶん変わったじゃないの。あんたいいことやってくれるじゃないの」と言ってるわけです。 イエス様なんかどうしているかっていうと、そりゃあイエス様っていうとイメージがあります。もちろん教会です。あの世、九次元世界に教会をつくっています。教会みたいなところで、やはり十字架かけて、一生懸命朝の祈り、夕べの祈りをやって、地上の皆様に一生懸命恵みを垂(た)れているのです。これがイエス様の世界です。 まあブッダの家ってね、今、ちょっと留守していますけれども、ブッダの家というのがあります。ブッダの家っちゅうのは、やっぱり、まあどっちかというと、洞窟だというと怒っちゃうだろうから、洞窟じゃないんですよ。洞窟で六年間修行はしましたけれども、洞窟に住んでいるわけではありません。ブッダの家っちゅうのはやっぱり束洋風のね、何ともいえない家なんです。インド風でもないし、仏教が中国に渡ったから、中国風でもあって、日本建築でもあったりして、何かよく分からないんだけれども、そういうふうな束洋風の建物があるんです。そこにブッダの家ってのがありましてね。まあ、そういう家があるんです。それがブッダの家です。いわば日本建築です。 12.パルテノン神殿に住むゼウス 他にもありますけれどもね。たとえば、何からいこうかね。有名な人からいくと、まあゼウスさんて有名ですね。九次元にゼウスさんているけど、ゼウスの家なんてあなたどんな家だと思いますか。そりゃそうです、もうパルテノン神殿です。もうそりゃ格が違います。立派な大理石です。大理石で建っています。素晴らしい白い大理石です。階段があってね、トン、トン、トン上がっていって「ゼウス様」なんていうと、奥の方の大理石でできた噴水からパーツと水が噴いちゃって、紅色に霧がかかってきちゃって、そして「何か用か」ってゼウスがスーツと体を現してきます。こんなところに住んでいるのがゼウスですね。こういうような違いがあります。 高橋信次みたいにテレビ局とか、そんなのを持っている家に住んでいるんじゃありません。向こうはパルテノン神殿です。 13.中国様式の王宮に住む孔子 あるいは他に何だろう、あー孔子、孔子様がいます。あなた分かっていますでしょう。チャイューズですよ。そりゃ、あなた来々軒(らいらいけん)です。来々軒の世界で、もちろんそういう中国の王宮に住んでいます。これが孔子様の世界。まあ分かるように言えば、そういうことですよ。長い衣裳を着てやっています。チョビ髭生やしています。なます髭ですか、生やしてやっとります。まあ、こういう世界なんです。 14.個性の差はあれ愛と慈悲は九次元人の専売特許 ただね、私たちの世界の本当にいいところは、何かというと、それぞれの人がそれぞれの個性を持ってやってるけれども、皆さん共通しているところがあるのです。 今言った高橋信次みたいにネクタイしめて、そしてテレビを見てみたり。あるいは、チャンチャンコを着てね、私も、もう還暦ですから、チャンチャンコを着て、茶の間でひっくりかえったりしている人と、パルテノン神殿の中を歩いている人、あるいは、来々軒のラーメン食べながらのれんをくぐっている人、こういう人たち、外見はいろいろな違いがあるんですけれども、そういう個性の差はさておいて、私たちの世界は、本当に愛と慈悲という、この二つの言葉で貫かれているのです。 愛といえばイエス様ね。慈悲といえばブッダ。そういうことですけれども、イエスとブッダだけの専売特許ではなくて、愛と慈悲ということはね、みんなのやっぱり専売特許なのですよ。 そういう意味で、皆さんがね、九次元でも、多少競争もしているんだけれども、どれだけ愛と慈悲とを下次元の世界へ垂れていくかということを皆研究しているのです。 イエス様は教会で十字を切りながら一生懸命考えているし、孔子様は来々軒の中を通りながら、ラーメンのドンブリの模様なんか考えながら、中国人民をどうやって教おうかと、そういうことを思っています。 モーゼはモーゼで、まあ杖を振りながら、「この杖はもう蛇にならん。昔はよく蛇になって、空中を飛んだものだけど、最近の杖は蛇にならんから、新式のを買わにやいかん」なんて考えながら、「しかし私は、地上の人たちを救いたい」こういうことを言っています。 とくにモーゼっていうのは今、地獄霊たちの要するに掃討(そうとう)作戦、掃討っていったらまずいかな、地獄霊たちを救出するというような大きな役目を持ってて忙しいんです。だから赤い稲妻になって九次元からピカピカ光って四次元まで飛んでいくんです。そして地獄の軍隊を一生懸命やっつけております。これがモーゼです。こういうことをやっています。 こういうふうに私たちの世界というのは、ほんとうに愛と慈悲の世界なのです。 15.地上の人たちよ、愛と慈悲の世界を目指せ 地上で皆さん愛と慈悲なんて、言っている人多いでしょうけれど、本当の愛と慈悲というのはね、人間の一日二十四時間すべてが、人類救済のために使われている、そういう生き方っていうのが、本当の愛と慈悲なんですよ。 ところが、地上の人はどうしてもそうはいかない。それはね、「今日のお昼ごはん何を食べようか」とか、「今日のカップラーメンがまずかったんでねえ。やはり孔子様にお願いして、もっとおいしいカップラーメン買わにゃいかん」とか、「晩ごはんのチヤンコ鍋はあまり食べ過ぎると、相撲取りみたいになっちゃうから、千代の富士は、もっと肥った方がいいけれども、普通の人は、そんなに肥っちゃいけない」と、こういうことになります。 こういうふうに地上の人たちは、束縛されることが非常に多いから、どうしてもそこから脱出できません。ところが私たちには束縛がないから、精一杯人びとを救うことができます。こういう自由な世界です。 ですから、私たちは、今毎日、八次元をどうするか、七次元をどうするかです。こういう如来、菩薩の人たちを指導したり、あるいは地獄で迷っている人たちをどうやって救おうか。あるいは地上の人たちに、法の神理をどうやって伝えるか。こういうことを日夜みんなで話し合っています。九次元世界十人の人たちと話し合いながら、そういうことを日夜やってそれぞれで努力しています。 そして力が足りない時には、お互いに協力しながらやっています。私とモーゼが協力したり、あるいはイエス様とブッダが協力したり、孔子様とマイトレーヤという人が協力したり、いろんなことがあります。そういうことをしてるんですよ。そういうふうにすべての時間を人のために生かせる。 地上にいたら、そうはいかないのです。風呂に入ったらシャンプーで頭を洗わにゃいかん、こういう苦労がありますけど、私たちの世界にはそういうことがない。すべてを人のために使える。こういう愛と慈悲の世界に生きています。 皆さんはね、こういう九次元世界に、できるだけこの地上の世界を近づけるために、努力していただきたいのです。それが地上に出ているあなた方、光の指導霊たち、あるいは光の指導霊の指導を受けて、学んでいる人たちの仕事なんですよ。 そういうことで今日はまあ、大ざっぱにね、私のいる世界の話をしましたけれども、愛と慈悲との世界というのはまさしく、私の住んでいる九次元世界のことなんです。 今日でどうですか、私の世界が分かったでしょうか。稲妻の世界でありNHKの世界なんです。ま、そういうことで今日のお話は終りにします。
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目次 1.現代日本への天使の再来 2.九次元の地球儀 3.いかにして地上の時刻を知るか 4.意識を集中しただけで地球のどの地点でなにが起きているかわかる 5.私の仕事は日本各地に散らばった光の天使を目覚めさせること 6.天上界に還(かえ)っても、いまだに救世の熱意は冷(さ)めない 7.三名の如来、五十名の菩薩、百数十名の諸天善神たち 8.全国の光の天使よ、集結せよ 9.救世運動は、タイ、インドネシア、オーストラリアヘと広がる 10.GLAでの過去世認定の誤り 11.如来や菩薩の条件 12.過去世の名に執われず、もう一度原点に立ち返れ (1987年2月3日の霊示) 1.現代日本への天使の再来 きょうは、「天使の再来」という題がつきました。天使の再来ってなんなのでしょうね。 きょうはね、まあそんなに長く話をするつもりはないのですけれども、三つほど重点をしぼって話をしていきたいと思います。 第一点はね、いま日本という地に出ている天使軍団の話、第二点は、これから未来世の話をちょっとしましょうね。 それから三番目に、また申しわけないけれどもGLAの話をちょっとだけしようかなと思っています。まあ許していただけましょうかね。 印刷屋さんのおかげで、大量出版屋さんのおかげで活字組んでいただいて、高橋信次の個人的なことをいっぱい言うと申しわけないんだけれども、まあ売れますからいいでしょう。 自信を持って話を進めていこうと思います。 そういうことで、まずきょうは「天使の再来」という題ですけれども最初に私はいま、現代の日本に降(お)りている光の天使たちについてお話をしたいと思います。 もう霊言集の固定読者になっているかたがたは、いろんな光の天使たちが、過去幾転生繰り返して、さまざまな文明の地に生まれ、そしてまたいま、数多く日本の地にも生まれてきておるということを、すでに知っておられると思います。 たしかに日本という国はね、いま、私たちの世界から見てみるとひじょうに霊的なバイブレーションといいますかね、それが高まってきています。 2.九次元の地球儀 さて、ちょうど九次元にある私の近代的な家屋のなかには、理科系の人向きの設計技士みたいな人が使うようなスチール製のきれいな机があります。 まあそこで回転椅子に座ってギコギコやりながら、こう思索にふけったり、ものを書いたり、私はやっとるわけです。 そのスチール製の上品な、定価が少なくとも四、五万円以上するような、安いか高いかは判断をまかせますけれども、その机の左のはしっこには地球儀を置いています。 そして窓際にね、この地球儀を置いて窓から射してくる、南のほうから射してくる九次元の、ちょっとまぶしすぎるぐらいの明るい太陽の光をまともに受けながら、私の目はつぶれることなく、外の景色を眺めておるわけです。 そしてときどきですね、仕事の手を休めて左手を伸ばして、その地球儀をちょっとたぐり寄せてクルクルクルクルと、こうまわすわけですね。 人差指でクルクルクルクルまわすと日本が見えたり、アフリカが見えたり、ソ連が見えたり、アメリカが見えたり、いろんな国が見えます。 そしてね、この地球儀っていうのがみなさんね、旺文社とか学研とか、そういうところの付録の地球儀とは、ちょっとちがうのです。 そういうのじゃなくてね、私の地球儀はひじょうに性能のいい地球儀で、まあ直系三十センチぐらいの地球儀なんですけれども、それがね実物の地球そっくりなんですよ。 まさしく、もう手を突込めば太平洋にポシヤツと手がはいるような、そういう生々しい地球儀なんです。 だから水があり、エペレスト山があり、いろんなそういう姿がまざまざと見えて、水があるんじゃ下に漏って困るんじゃないかという人もいるかもしれませんが、その水が、どっこい落ちないのですね。 地球儀のなかに引力が働いていますから、水が落ちないように一生懸命くい止めているのですね。 まあそういう地球儀が水晶の玉の代わりに私の机の上にあります。 そしてそれをクルクルクルとまわしますね。そうすると、たとえばヒマラヤ山脈があってエベレストなんて山がありますね。 ああこのエベレスト山は、ちょっと前に出た『日蓮聖人霊示集』のカバーデザインに使われたエベレストだな。フーン、フーン、フンこういうところにあったんだなあなんてね。こういうのが見えます。 あるいは対馬海峡あたりで波が起きているなってね。竜巻ではないけれども、ちょっと風がきつくてパシャパシャと波が立っている。 これは、もしかすると『谷口雅春霊言集』のカバーデザインに使った、あの波かしらってね。 こういうむずかしいことを私は瞑想しながら、その地球儀を眺めておるわけであります。 3.いかにして地上の時刻を知るか そして地球が一日、二十四時間かけてクルクルまわっておるように、私の目の前の地球儀もね、ゆっくり、ゆっくりとクルクルとまわっておるのですね。 そうして、ちょうど、どこの時間がね、いま、何時かっていうのがすぐわかるようになっているのですね。便利なんですよ、みなさんね。 その地球儀の上にね、なんといいますかね、カーソルみたいのがあってね。それが動いていくんですよ。 ちょうど私が合わせてやれば、そのカーソルが動いたところが、ちょうど昼飯の時間に合うようになるんです。 どこで、お昼御飯食べているかわかるように、ちょうど、お昼御飯食べているところに、そのカーソルが動いていってピターッと止まるんです。 あ、いま、アフリカがお昼御飯の時間で、アフリカの人たちが手でね御飯食べているなあとかね。しばらく動いていくと、お、インドだ、インドだってね。こりゃカレーの匂いがしてきたなんてね。カレーを手で混ぜて食べているなって。こういうのが見えるんです。 中国のほうへ行くと、お昼から中華料理食っとるなってね。そりゃそうだろう。 そうしていろんな地球儀がだんだん動いていってね、カーソルがいろんなところを指して、いろんなところの、お昼御飯がわかるのです。 私は食道楽ですから、いろんなところで、お昼御飯食べているものをジィーッと見ているんですね。 まあ、こういうふうにして目の前で地球儀が、やっぱり地球の二十四時間に合わしてゆっくりまわっておるのです。 4.意識を集中しただけで地球のどの地点でなにが起きているかわかる だからあの世に時間がないから、あなたなら高橋信次がね、なんで私たちのやっていることがわかるのかと思うでしょうけれども、どっこいわかるのです。 そういうふうに私の机の上には地球儀があって、その地球儀がゆっくり回転していて、どこが何時かピタッとわかるのです。だから三時の時もわかるのですよ。 あの世には時間がないけれども、地上の時間がピタッとわかるようなしくみがちゃんとあるんですね。 そうして、そういう地球儀を眺めておると、ちょうどね、ジィーッと見つめておるとね、拡大鏡で見るようにね、だんだんその世界が見えてくるのですね。 だから太平洋にあるタヒチの島なんかポツンとこの地球儀に点があるけれども、高橋信次が意識を集中してタヒチではいま、可愛い子いるかなあと思ってジィーッと見ていると、その島がね目の前にドーンと大きくなってきて見えてくるんですね。 そしてじっさいにタヒチの上空で私がヘリコプターに乗って飛んでいるような気持ちになって、わかるのですね。 そしたら、あそこの子がミス・タヒチじゃないかなんてね。そういうふうに一発でわかります。 そしてまたタヒチに興味がなくなると、またズーッと視界が小さくなってきてタヒチの島っていうのは、地球儀のなかの一点になってポンと止まります。こんなもんなんです。 で地球儀のなかの日本を見てて、ああ日本はどうやっておるのかなーと思うとズーッとこう見ていくと、ガンガンガンガン目に近づいてきてね、大きくなってくるわけです。 そしたらゼロ戦に乗ったような感じでね、高橋信次がブーンってね、ブーンっていうとカナブンかハチみたいですけれども、まあハチでもいいですよ。 ハチになったみたいな感じで地球に近づいてくると、地球がドンドンドンドン大きくなってくる。そして見えてくるわけですね、上空から。 すると、おっ、九州が見えてきたな。 GLAの会員ちょっと減っとるかな、とかね。まあこういうのがわかります。 九州の佐賀県のお寺の坊さんが一生懸命、手紙書いておるなとかね。 あるいはジーッと見ていると上野にある印刷屋のおじさんが一生懸命、いま『正心法語』読んでいるなとかね、こんなのが見えるんですね。 こういうのが拡大鏡みたいに見えてきます。 おもしろい世界なんです。みなさんね、こういうふうに自由自在の世界なんで、こんなのありがたいですよ。 みなさんなんてビデオなんか買って一生懸命見ておるんでしょうけれども、そんなもん見なくても意識集中しただけで、地球のどの地点でなにが起きているか一発でわかるんですね。 そして拡大鏡で見るように、その世界が大きくなって、ズーッと目を通していくとなかで動いている人の心のなかまでわかっちゃうんですね。 きょうの晩御飯なんにしようかと思ってウロウロしている女性の心のなかなんて一発でわかっちゃうのですね。 そして高橋信次の霊言を収録するときのお茶が、これがコーヒーになるか、紅茶になるか、日本茶になるか。 あるいはアシタバ茶になるか、ほうじ茶になるか、あるいは玄米茶になるかね。 こういうのを、たとえば女性が考えているのが一発でわかります。 私は玄米茶よりも、むしろアシタバ茶のほうが飲みたかったのに、きょうは残念ながら玄米茶であるとかね。 こういうことを思いながら私は、はるかなる九次元世界から地上に降りてきて、この霊言を語っておるわけです。 5.私の仕事は日本各地に散らばった光の天使を目覚めさせること さて前置きが長くなりましたが、そういう私の世界の地球儀を眺めてみると、地球上のいくつかの世界に光が出ておるのですね。ポッポッポッと光が出ています。 ですから日本を見ていると、日本というのをジィーッと見ていると、日本のやっぱり東京のあたりを中心にしてね、ポッポッと光が出ているのですね。 ちょうどホタルのお尻が光っておるように光がポッポッと出て点滅しているのですね。 こういう光が出ているということはなにかというとね、正法神理が説かれているという意味なんですね。 正法神理が説かれているところというのはポッポッと光が出ているのです。 ちょうど、だからいま、日本ですね。日本の東京でポッポッポッと光がついてます。 まだね日本各地にも、そういうなんといいますかね、ホタルさんがいっぱい各地に散らばっておるのですね。 ホタルちゅうのはね、お尻が煌々(こうこう)と光りますが、これが光の天使なんですね。 ホタルでも昼間は光らないでしょう。夜になって、お日様が沈んでいくと、こっちの水は甘いぞって飛んできてポッポッと光るのがホタルですね。 こっいうふうに光の天使たちがいま、日本の地に多数生まれておるんだけれども、昼間のホタルのように、まだ灯がついていない人がおるのですね。 そして東京とか、大阪とか、名古屋とか、あるいは九州、北海道、中国地方、四国、こういうところに私たちの世界から送り込んだホタルがいっぱいおると思うんだけれども、まだ、お尻に灯がついていないのが多いんですね。 ただ東京のなかではポッポッポッ、いま、灯がついてきて見えてきます。 あと四国のホタル、あるいは九州のホタル、北海道の小樽のホタル、こういうのがどうしておるのかね。 私はちょっと気になって毎日見てます。 やがてこうした送り込まれているホタルたちの、お尻から灯が出てくるでしょう。ポッポッポッと光が出てくるでしょう。これを見ているんですね。 こういうのが主として私の一日の日課なんですよ、みなさん。高橋信次がなにをしているか心配でしょうけれども、これが日課なんですよ。 地球儀をクルクルまわしながらね、どこでホタルがいま、点滅しているのか、これを見ているのです。 そしてホタルの火のつきかたが悪いと、ちょっと、ちょっくら行ってくるよ、てなもんで、外出着に着替えて、飛行服に着替えて、ブーンと飛んでいくのです。 三次元のほうへ降りてきて、あっちこっち棒でつっつくんです。 ちょうどね、ニメートルぐらいの棒を持っててね、みなさんがた、見えないでしょうけれども、羽はやして、ハチみたいに飛んできてね、ブーンと飛んできて、この人、ちょっと眠っているなというところにくると、指導霊が居眠りしていますから、「カーカー。」と居眠りしていますから、その精神棒、持ってきてパシーッと叩くんですね。 頭をパシーッと叩くと、昼寝していた指導霊や守護霊がパッと目を開いて「アレ!なにをするんだ。」ってね。そしたら「なにすんだって、おまえ、居眠りしているじゃないか。」 ってね。 そしたら守護霊が「居眠りしてなにが悪いのだ。したっていいじやないか。」ってね。 「いま、太平の世の中なんだから、わしゃ寝ているのが好きなのに。」ってね。 「あんた、なに寝ているのかね。寝るのは夜だけにしなさい。昼間から寝ちゃあダメなんですよ。」 ってね。 「あんたなんのために守護霊やっているの。」ってね。 「お宅のホタル灯がついてないじゃないの。」 ってね。 「ウーン厳しいこというね。そういえば、あんたさんはホタルさんの親分さんでいらっしゃいますか。」 ってね。 なにか、ずいぶん大きめの太めのホタルさんで、なんか体長百六十三センチメートルね、体重七十五キロぐらいあるような大きめのホタルさんが飛んできて、なにかポッポッ光っておるようだからね。 守護霊も驚いちゃって、こんな大きいホタル見たことがない。こんなホタルが精神棒人れるんじゃ、こらあたいへんだっちゅうんでね。 「わかりました。ただいま、点火いたします。」 ってね。 火打ち石でね、なんというか火を起こす石でね、パシッパシッパシツと、こう叩いてね、ホタルのお尻に灯をつけるわけです。 まあ、こういうことをやるのが私の仕事で、いま、日本各地に飛んでいっては眠っている守護霊を精神棒でパシーツと叩きながらね、火つけ石でね、灯をつけさしとるのです。カチカチカチってね、やらしとるんです。 日本中の眠っているホタルたちに「目を覚ましなさい。」これを言ってまわってます。 6.天上界に還(かえ)っても、いまだに救世の熱意は冷(さ)めない だけどもじっさい、空を飛んでひとりひとりに言ってまわっているとたいへん疲れるんですね。 エネルギーが切れて、私もお腹(なか)が空いてきますから、そればかりでは困るんですね。 だから、いま、『高橋信次霊言集』だとか『高橋信次霊示集』だとか、いろいろ使いわけしながら、こうして本を出しとるわけです。 こうして日本各地の何万、何十万の読者にね、読まそうとしているのですね。 そうすると私が飛んでいって精神棒で殴っていかなくても、本を読んだら、「おーっ、これは高橋先生じゃないか。」ってね。 「まちがいない。いやあ懐かしいねえー、十年ぶりだね。」なんて、「いやあ、出てきましたねえ、ついに出るべきもんが、出るべきものが出ましたねえ。」なんてね。 こういうふうに、あっちこっちで、いっています。つぶやいている声が、みんな聞こえてきます。 えーそういうことで、私の本を読んでね、いろんな人が反応しているのが見えます。 反応しているけど、まだ灯がついていないのでね、これは、ちょっと守護霊集めてね、教育したりしなきゃあいかん。 まあ、こういうことでね、みなさん、やらなきゃならないことが、やたらあってたいへん忙しいんですよ。 高橋信次が暇かと思ったって、そんなことないんです。もう一日のうち大部分は地球の上に出てきて飛びまわっておるのです。 私にはUFOなんてありませんから、もうこの身、このままで出てきて、つつきまわっとるんです。 でまあ、私の霊言集をね、まあ、できるだけ早く、できるだけ多くの人に、できるだけ大量に読んでいただきたいというのが私の願いなんです。 そのために私みずからが、出版社の開拓をしたり、あるいは宣伝の方法を言ったり、一生懸命尻を叩いておるのです。 まあ、これがね、私たちの救世の願いなのですね。 まあ、この前、『幸福瞑想法』(土屋書店刊)という本のなかで、ブッダ意識というのは、「私にはまだ執着がある、それは世のひとびとを救いたいという意識じゃ。この世のひとびとを救済したいという意識が若干残っています。」なんてかっこういいこと言っていましたけれども、私の執着も、まさしく同じであって、世のひとびとを救済したいと、こういう執着が残ってるわけです。 こういう清い執着が残っとるんです。どうかみなさん、この執着を取ってください、私のね。 私の、この清い執着さえなくなってしまえば、つまりみなさんのしかるべき人たちのお尻に灯がともってね、ホタルみたいに光ってくれれば、私は、もう安心して執着を断って成仏できるのです。 そして地球圏外から出て、どこか隕石(いんせき)かなにかに宿りながら生きていけるのです。 まあ、私はそういうふうに成仏できることを願っておるんですけど、なかなか、そうはいかんのですね。そういう執着がなくなりません。 そういうことで仕事をしています。 7.三名の如来、五十名の菩薩、百数十名の諸天善神たち でね、いま、私が見ていると、日本には、光の指導霊が、けっこう出ておるんです。 そうだね、いわゆる如来っていうのが出ているか、出ていないかまあ、これは、ちょっと秘密もあるからね、まあ言えないんですね。 けれども、ウン、もしかしたら如来になるかならないか。はいるかはいらないか。ややこしい微妙だなというような人というのはいるんですね。 いま、1歳の赤ん坊から、まあ0歳でもいいけれど、0歳の赤ん坊から、九十歳のおじいちゃん、おばあちゃんまで入れてみると、そういうふうになるかならないかというスレスレの人っていうのは、まあ、三人ぐらいは、いるのです。じつはね。 菩薩になるか、如来になるか、わからないっていうような境涯の人というのは三人ぐらい出ているのですね。 こういう人たちにね、ほんとうに灯がつくかどうかね、これがひじょうに私たち心配なんですよ。いるんです三人ぐらいね。 そうすると、ここまでいうと、かつてGLAで私の教えを受けた人たちは、「おれじゃないか。」と言い寄る人がおると思います。 けれども、まあ、それは話をよーく最後まで聞いてから判断してくださいね。そういうことなんです。 そういうことでね、まあ三人ぐらいね、七次元から八次元の、その境目ぐらいの人たちがいます。 こういう人たちに灯がつくのを私は待っています。 それから、いわゆる七次元の菩薩というような人たち、日本に、けっこういま、多いんですね。 まあ、どうでしょうかね、私の目に映るかぎり、まあ、そうだね、いわゆる光の天使としての菩薩の人っていうのは、まあ、五十人はいるかな。 生きている人で、五十人ぐらいいると思いますよ。もともと菩薩の人というのは五十人ぐらい出ているでしょう。 ただ五十人のなかで、まあ現在、菩薩の自覚を持って生きている人は何人おるかっていうと、これは心もとないね。ひじょうに心もとないです。 まあ菩薩の悟りを開いている人っていうと、そうだね五十人のうち、まあ、これを聞いてガッカリする人がいっぱいいて困るだろうけどね。 そうだね、菩薩の意識がある人が六人ぐらいかなあ、いま、見ててね。五十人出ているうちの六人ぐらいが、なんとか菩薩っぽい悟りを持っておるようです。 まあ、これも、かつての私の弟子たちがいろいろ聞きたいでしょうから、これは、またのちほど話します。こういうことで、まだ四十数名、目覚めておらんのです。 これ以外にも、もちろん神界上段階の諸天善神たち、いっぱい出ていますね。こういう人たちも今世、まあブッダの法に触れて悟る機会が与えられています。 そうすれば、やがて菩薩としての悟りに至って活躍する機会も、もちろんあるのですね。こういう諸天善神たちもそうとう出ていますよ。 まあ、将来、予定されている、そういう人たちも、そうだね、やっぱり数十人いるようですね。いるみたいですね。こういう人たちがいます。 まあ、こういうふうにね、全体としたら、そういうふうに菩薩、あるいは諸天善神のかたがた、こういう光の天使といわれるかたがたが、日本には、まあ、そうだねぜんぶかき集めたら、そらあ百人越えます、もっといます。百人から二百人近く出ておるでしょう。 けれども消え込んでおるホタルもおるんでね、正確な数がつかみにくいですけども、百から二百は、おるのです。少なくともね。 こういう人たちが、まだ目覚めずに産業界にいたり、あるいは教育界にいたり、政治家やってたり、まあ、いろいろしておるわけです。 まあ目覚めて宗教界にはいってきておる人もおります。まあ、百か二百ぐらいおるのです。そういう諸如来、諸菩薩がね。 8.全国の光の天使よ、集結せよ こういう人たちがまちがいなく私たちの教えにたどりついて、まあひとつの大きな中心をなしていくことを私たちは願っとるわけです。 そのためにね、日夜ハッパをかけてね。ドンドンドンドン本を出せといって、昼御飯も食べられないぐらいまで仕事が山積みになっているわけです。こうやって本を出さしとるわけですね。 そして多くの人たちに気づいてほしい、目覚めてほしいと思うわけなんです。そういうことでね。 いま、私たちが願っておること、希望しておることは、いまから二千数百年前のインドの釈迦教団のように、そうした光の天使たちが、やはり百名、二百名集まってくることをいま、祈っとるのです。 日本各地に散らばった光の勢力たちが、やっぱり結集してこないとほんとうの意味での文明創り、宗教改革、あるいは救世の事業っていうのは成せないのです。 それぞれがバラバラでね、あっち、こっちで飛んだり、跳ねたりしているようではダメなんです。 菩薩どうしでね、「俺のほうが偉い。」、「いや、おまえのほうが偉くない。」とかね、いろんなことをやっているとぜんぜんダメなんです。 それぞれ一宗一派を起こしてなんとか会とかいっぱい創っちゃってやっているようではダメなんです。 早く結集してこなければいかんのです。ほんとうの力が出るためにはね。 そういうことで、なんとか、ここ数年のうちに、そうした散りばめられた光の勢力たちを一点に集めたいと思っておるのです。 そのために私たちはね、まあ過剰サービスとも言えるような霊言を、仏教系もキリスト教系も神道系も、あるいは古代ユダヤ教、儒教、道教、あるいはGLA教、こういうものまで提示してすべての勢力をいま、集めようとしています。 こうやって光の壁を創っておかないとね、これからの厳しい魔界の試練に耐えていけないのです。 みなさんは、ぼんやりしておりますけれども、だんだんに全世界というのが、いろんな暗い事件に見舞われていくんです。一時期ね。ですから闇の勢力が地上を覆(おお)うように見えるのです。 したがって、この時期にね、いま、日本にポコポコ光がついてますけれども、光の勢力を結集してね、光のドームを創らなきゃいけないのです。そのためには早く全国津々浦々からひとびとを集めにゃいかんのです。 まあ、こういうことで私たちはやっとるのです。 どうか私の言葉を読んでもね、「自分こそ、そうじゃないか。」ってね。この勘違い、けっこう多いんですけれどもね。 来ておる人で、ちょっとまちがっちゃってね、求職運動かなんかしちゃって、「自分こそ、そのきたるべき光の天使じゃありませんか。」とかね、一生懸命ゆうとる人もいます。 まあ、これも誤解も多いですから気をつけてください。まあ、たいてい七、八割は誤解ですから。 光の天使ならみずから、お尻を光らせてみなさいってことですね。誤解がずいぶん多いでしょうけれどもね。 まあ、そういう誤解を除けば、ほんとうに光の天使たちも、きっと寄ってくるはずです。それを私も期待してます。まあ、それがねきょうの「天使の再来」の第一点です。 9.救世運動は、タイ、インドネシア、オーストラリアヘと広がる 第二点はね、これからも、この救世運動というのは地上に広がっていきます。日本を中心に、これから五十年間、ひじょうに大きな盛り上がりが出てきます。 そして、これから東南アジアのほうにもね、光の指導霊が数多く出ることが予定されています。 西暦二千数百年には、タイとか、あるいはインドネシアのジャカルタとか、こういうところにも如来界から偉大な光の天使を送り込む予定になっています。 あるいは、やがてね、オーストラリアのほうにも偉大な光の大指導霊が出るでしょう。 オーストラリアは、その昔、イギリスからのようするに罪人の流刑の地であって、人材に恵まれておりませんでしたけれども、いま、ひじょうにいい土地になってきておりますね。ひじょうにすばらしい国になってきつつあります。 人口は、まだ二千万人か、三千万人ぐらいでしょうけど広大な土地です。日本の二十数倍の広大な土地で、すばらしいきれいな景色があります。 こうしたところにいま、心清い人たちがだんだん集まってきてますね。 やがてね、オーストラリアからも大きな光が出てくるでしょう。私たちには、それがはっきりわかります。 そしてまもなく、まず海外の支部なんかも、オーストラリアにできると思いますけれども、そういうのがひとつのきっかけとなってね、やがてオーストラリアにも神理が広がっていくでしょう。 そして、そこに、また偉大な光の指導霊が出ます。 ですから、タイのバンコック、そしてインドネシアのジャカルタ、それからシンガポールにも出ますよ。シンガポールにも偉大な光の指導霊が出ます。 それからオーストラリア、ここにも、ここ百年ぐらいのうちに光の天使が出ます。みな、如来界の人です。 まあ、九次元の人はいまのところの、予定はまだされておりませんけれどもね、ここ五百年ぐらいは。八次元からはね、上段階の偉大な光の大指導霊が出ることになっておりますから。 日本のみなさん、あなたがたの現在の神理の復興運動というのは、そんなに、ちっちゃいもんじゃないんですよ。 これからインドネシアに、東南アジアに、そしてオーストラリアにと広がっていくんです。もう予定されておるんですよ。つぎつぎと段階がもう予定されておるのです。 タスキかけてね、もう五十年走って、「もう、くたびれた。あー困った。暑い。あー水が飲みたい。レモンがほしい。」なんていって毛布にくるまれて倒れかかってくるときにはね、つぎの走者が走り始めるのです。 もう、それは決まっておるのです。 だからみなさん、その最初のスタートなんです。いまがね。第一走者なんですからがんばらにゃいかんのです。まあ、そういうことであります。 10.GLAでの過去世認定の誤り まあGLAの人たちにたいしても、ちょっとだけ天使の再来について意見をいっておきましょう。 まあ私が出たときに、ずいぶん偉いかたがたがまわりに、いっぱい出たことになっておるのですね。まあ、ずいぶん如来や菩薩がボコボコ出ちゃって、すごい人材が豊富だったんですね。 それだけの人材がいたのに、なんか高橋信次がいなくなると、急になんか消えちゃってね。「あれっ、あの人たち、どこへ行ったのかなあ。知らないけど、どこへ行っちゃったのかなあ。おかしいなあ。」なんてね、思っている人がいっぱいいるでしょう。 この前も、ちょっと言いましたけれども、たしかにね、過去、現在、未来を見通すという、三世を見通す力をいちおう持っとるということになっておるわけであります。 けれども、いかんせん、やっぱりね、露払い、あるいはパイオニアというのはね、ひじょうにむずかしいのです。初めてやるとね、やっぱりテキストがないもんですからまちがいも多いのですね。 そういうことで、いろいろちょっと誤解もあったし、それから私自身の知識量の不足っていうのもありました。 私が電気屋のオヤジでね、「電気のことはわかります。宗教のことはわかりません。」で胸張っていばってね、宗教のことはわからないし、本なんか読んだことないけれどもね、「これは仏教の仏典のなかの第何巻、第何章に出てくる現象で、あるいは聖書のなかで、ここに出てくる現象です。」なんていうことを、一生懸命、偉そうに言ってました。 「読んだことないのに、わかるなんて偉そうに言わずに、ちゃんと読んでから言いなさい。」と親切に、あの世で言ってくださる人もいます。 そのとおりなんですね。一生懸命、勉強してから言えばよかったんです。 聖書読んだことない人が、おまえ、過去世でイエスの弟子のなんだった、かんだったいったら、そりゃ、まあ混乱が起きるんですよ、当然ながらね。 仏典読んでいない人が、おまえ、釈迦弟子のなんだった。そのときになにかを寄進したなんとかだったね。そのときに便所掃除をしたのは、あなただった。そのときにミルクを差しだしたのはあなただった。そのときに絹を持ってきたのはあなた。そのときにお粥(かゆ)をだしたのは、あなた。 こういうことを一生懸命いって歩いたのだけれども、やっぱり知識がないっていうのはね、いかんせん悲しいことでしてね、誤解もずいぶん多かったのです。 ですから私の現象のなかで、インド時代の過去世というのを、ひもといた人がいっぱい出てきましたけれども、まあ当たっているのもあるし、当たっていないのもあるのです。 「おまえ、これだろう。」っていったら「うん、そうだ。」という人がいてね。 「じやあ、そうなんだろう。」という人がいてね、けっこうあるんですよね、そういう誤解が。 ですから、まあ、これはほんとうは正誤表作ってね、一冊の本にしなければいかんのですけれども。 11.如来や菩薩の条件 生きている人のなかで、私に言われたことを後生だいじに思って、私は過去世に、こうだったっていうんで、生きている人がいっぱいいます。 そのわりには現状があまりひどいもんで、悩みの種になっている人がいます。ほんとうのことを言うと、過去世で偉くなかったとしたら、もう安心しちゃってね。 「やっぱりそうでしたか。ああ、楽になったね。ああ、これで肩のコリが取れちゃった。一気にもう治りました。」とね、こういう人もいると思いますけれども。 具体的な名前を出せないのがひじょうに残念でしょうがないのですが、まあ私の弟子たちでね、いま、一派を起こしている人たちは、まあ誤解をしている人たちがずいぶん多いようです。 九州のかたでもひじょうに誤解をして、まあ「宇宙即我」を悟ったと思っておるかたですけれども、やっぱり、ちょっと、これも誤解の口であったようです。 本人は、私に言われたということでね、後生だいじに思っておるようだけれども、やっぱり宇宙即我というのは、そうかんたんには悟れんのです。 そう悟ったような気がしただけであってね、それがほんとうの宇宙即我じゃあないんですね。 宇宙即我は、やっぱり本物の如来じゃないと悟れないんですね。 もし如来が、私の弟子におれば、もうちゃんとした教団をひき継いでやっております。それができないということはね、やはり、その人は如来ではないということなのですよ。 如来の条件というのはみなさんね、自分で新たに一宗一派を起こしていける人、新しい時代を築いていけるような人、このぐらいの人が如来なのですよ。 単なる宗教の復興運動をやっておるだけじゃ、これは菩薩なんですね。中興の祖ぐらいでは菩薩なんです。 GLAの高橋信次の教えの中興さえ、できんようではね、菩薩といえるかどうかも怪(あや)しいんです。 あるいは、あるところにもいるでしょう。 モーゼのような気持ちで一生懸命、法を説いてやっている人がいますね。こういう人なんかも、おそらく自分が、もう八次元というよりは、九次元の存在だと思っとるかもしれませんけれども、どっこい九次元のモーゼは、こっちにちゃんとおりますし、彼はモーゼの分身でもありません。 モーゼの分身が出とるというなら、あなた、そりゃ東京湾ぐらいまっぶたつにしてごらんなさい。 できますか、できんでしょう。たぶんできないと思いますよ。できないのです。そんな力、ありゃしないのです。 そういうことでみなさん如来というのをひじょうに誤解しておるけども、如来というのはね、独自で新しい文明の基礎になるような法を説ける人なんです。ひとりでやるんです。 私の弟子になって、クモの子散らすように散らばって、あっちこっちでガァーガァー言っているのが如来じゃないのです。そんな如来など、おらんのです。 菩薩であるのならば、正しい教えで、ちゃんとひとびとを導けるはずなんです。それであってこその菩薩です。 菩薩であるならばね、二代目の教祖や、三代目の教祖ぐらい、ちゃんとできるんです。まあ、もとが菩薩だっていうことじゃなくてね――。 現在、菩薩の境地であればということですよ。当然のことです。 12.過去世の名に執われず、もう一度原点に立ち返れ まあ、そういうことでほんとうは私も、はっきりと言いたいことがいっぱいあるんですけれども、それを言うとね、傷つく人もおるし、恥をかく人もいるからね。 講演会でみなさんの前でね、「私は過去世、なにだったんですよ。」なんて言っている人がいますから、それがかわいそうだから言えないんです。 私だって講演会で言ったことありますね。 私をつかまえて、会場の人が出てきて、「ゼウス様、お久しうございます。」「ウンウン、まあ。」まあ、ゼウス様って言われたら、そう悪い気がしないので、私だって、うなずいたこともあります。 「ブッダ様」と言われたら、それももちろん悪い気はしないから「そりゃそうだ、いや懐かしい。」と言ったことあるし、いや「私は天台智覬です。」と言ったことだって、もちろんあります。 私は悲しいことにね、私のまちがいが、ちょっと霊的な自覚がたりなかったために、私の体のなかにはいってきたもの、私を支配して語ったことがある者は、ぜんぶ、私自身だと思ったことがあるんですね。ところがじっさいは、そうじゃないんです。 もちろん高橋信次の生命体というのは、個性を持った高橋信次以外にもありましたけれども、それはエル・ランティという巨大な生命体であってね。 その意識が、ちょこちょこ出てきているようなことはないのです。反省的瞑想というようなことを、それが出てきていうことはないんです。 まあ、そういうのは過去世の仏法者たちであってね、もちろん私の、ある意味では、弟子筋にあたるけれども、そういう人が私を通じて語っておったんです。それを勘違いしたことがありましたね。 そういうことで、ひじょうにみなさん、私にも原因がありますけれども、まちがいが多かったと思います。 ですから如来の条件はね、ひとり立って正しい法を起こしていけるぐらいの人、これが如来であり、菩薩というのはね、正しい法灯を継いでいけるような人、これが菩薩なんですよ。 だから、いま、諸宗でわかれて足の引っぱり合いだけしておるようじゃ菩薩でもないっていうことです。 これをはっきりしなければいけません。自覚してください私の言葉をね、自覚をしてみてください。 まあ、これは私にも原因があるから、あまりみなさんに、厳しいことはいえないけれどもね。そういうつもりで生きてください。 ですから過去世で自分は偉かったなんて思ってね、ふんぞり返っているような人は、もう一回ね、それを取り去ったときに自分自身が偉いかどうかをね、もういっぺん、考えてください。 GLAの教えのなかでいちばんいけないのは、過去世で、その人が偉かったから、いまも偉いといって、えばっておるのがいちばんいけないのです。 過去世、偉くなくてもよいのです。無名でもよいのです。今世でいいことを言っているのが偉いのです。 そういうことでね、過去世のことを、いろんなこと、みんな意識しすぎるけれども、過去世で偉い人か、どうかということを気にしないで、今世で偉くなるようにがんばんなさいね。 それがとくに私はGLA系統の人たちに、言わねばならんことだと思う。 過去世、自分がシャーリープトラであっただとか、モーゼの弟子のアロンであったとか、まあいってみれば親鸞(しんらん)であったとかね、聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)であったとか、いろいろ言われたかたもいるでしょう。 けれども、そうしたことが事実かどうか別として、それらに関係なく、あなた自身が、現在、如来の境地に達しているか、菩薩の心を持って修行しているかどうか、これをもう一回ね、原点に立ち返って考えてみてください。 私は、これをとくにね、みなさんがたにお願いしたいと思います。 まだみなさん、亡くなるまでには、五年や十年の人生はあるでしょう。その間にじゅうぶん反省していただければね、あの世で、私が一生懸命、あなたがたを説教する手聞か、省けるから助かるんです。 どうか努力してみてください。 まあ長くなってもいけませんから、きょうは天使の再来という話をね、そういう話でしめくくりたいと思います。ありがとうございました。
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高橋元貞(たかはしもとさだ) 文政4年(1821)-明治3年(1870) ■人物伝 高橋元貞(たかはしもとさだ) 仙台藩天文学者 高橋恒三郎。高橋淵黙、玉城と号す。幕末に土御門家で活躍していた数学者のグループ「武田派」に高橋元貞の名前が見つかります。数学者・武田真元の高弟である福田正複の弟子でした。さらに「高橋恒三郎元貞、後に玉城という。淵黙と号す。元仙台の藩にありて、同藩武田某に従いて暦算を学ぶ。とあり、武田司馬にも学んでいました。「明治3年に東京に歿す」とあります。また、「仙台人物大辞書」によれば、「高橋恒三郎:安永五年朏暦(みかづきこよみ)を作る。これがもとで仲間に忌嫌われ出奔す。」とありますが、いさかいの原因は判りません。朏こよみには『晩香山路先生門人』とあります。幕府日官の属吏となり・・・とあることから、山路諧孝か彰常についていたようです。明治3年50才の時、東京の地で亡くなっています。 草刈玄水暦書込日誌には、高橋元貞なる人物が登場するが、同一人物かどうかは解らない。 新暦百算法を改算する タカハシ・シンゾー【高橋信三】天文家。仙臺の人、安政五年朏暦(ミカツキコヨミ)を作る、之が爲に同僚に嫌忌せられ、遂に出奔したリと云ふ、其の傳記詳ならず。 タカハシ・ツネサブロー【高橋恒三郎】天文家。大阪の数學家武田真元の門人なり、安政文久頃の人、仙臺の天文吏となる。 ■高橋淵黙年表 文政4年(1821) 生まれる 安政4年(1857) 安政五年朏暦を作る。38才。 安政6年(1857) 安政七年朏暦を作る。40才。 万延元年(1860) 門人、万延二年朏暦を作る。 慶応元年(1865) 閏5月7日南部遊歴人、高橋元貞なる者来り一泊を乞ふ、 不許して百文を与ひ漸く帰り候事(草刈玄水暦書込日誌) 明治3年(1870) 東京で没する。50才。 ■師弟関係 武田保勝─┐ │ 福田正複─┼──高橋元貞─┬─日和佐壱信(阿州) │ │ 山路晩香─┘ └─坂東厚孝(阿州) ■基礎資料
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目次 1.新文明には三つの柱がある 2.新文明の第一の柱――霊性実証の時代 3.神が、この世に二種の人間を置かなかった理由 4.信仰とは、認識力の増大を意味する 5.これから、霊界の研究者が尊敬されるようになる時代が来る 6.新文明の第二の柱①――原始に還れという復興運動がおこる時代 7.新文明の第二の桂②――未来産業型の文明時代 8.新文明の第三の柱――精神的な帰属が社会的ステータスをつくる時代 9.これからは、神理を勉強していることが資格になる時代が来る 10.今後、「高橋信次コース終了認定」免許が出る時代が来るかもしれない (1987年8月15日の霊示) 1.新文明には三つの柱がある さて、第五章、「神理文明論」という章になりました。これで私の霊訓集が終わるんですねえ。 みなさんうれしいですね。とうとう来ましたよ。何冊読みたいですか。 僕はね、読者のみなさんのお力次第なんだけど、五冊ぐらいで終わりたくないですねー。できたら十冊、ちょっと声が大きくなって二十冊、小さくなって三十冊、もうちょっと小さくなって五十冊ぐらいやりたいなーって思ってるんだけど、そのぐらい読みたいって言ってくれないかなーと思ってね。 まあ、でもあるじゃない、よく世界の名作全集なんて言ってね。第一回配本、第二回配本なんて、あれだって三十冊も五十冊もあるじゃない、配本がね。二ヵ月おきぐらいに来るんでしょ。だから私の霊訓集もそうした第何回配本ぐらいのつもりでね、出るの楽しみにしてくれなきゃいけない。 でも読者のなかにはいるでしょう。「本が多くって、まあいっぱいいっぱい出しちゃって、もうこんなに読めるか。」って言うから、読めなくていいんです。私の本だけをずーっと読んでいきゃいいんですよ、みなさんね。 私は一貫教育してますから、一冊目から最後まで読めばね、みなさんの人生もピカピカに光って、そしてもうあの世で絶対いいとこ行けて、そしてあの世の勉強も終わるような、そういう教育システムっていうのを考えてますから、もう安心してね、ついてきたらいいんです。 だから、本が多すぎて読めないとか忙しい人は、私の本だけを頼りにしてね、これを持っていきゃいい。ね、毎日会社に。ま、行けると思いますよ。 私はね、むずかしいこと言わないんです。お子様やお母様や、爺ちゃん、婆ちゃまにもわかるように、話してるんですね。だから、OLなんかの間に私の本はずいぶん人気が高いんですね。 入会願書っていうのがあって、霊言集の感想を書いてるんですねえ。それで、私もときどき見せてもらってるんだけども、「もう高橋先生大好き。」ってね、OLですよ、たいていあなた。 ね、たいてい二十代だけど、二十代後半のちょっとうれ残りかかっとるOLが多いんだけども、「高橋先生、大好きです。」ってね、「ユーモラスでとってもステキなおじさん。」ってね、「私大好きだわー。」なんてね、言ってるかたいっぱいいますよ。女性です。 私は女性に人気があるんです。たぶんそのかた美人だと思いますね。「とっても好き。」って言う人ね。「高橋信次とっても好き。」って言う人は、たぶん美人でね、頭がよくて、そしてみんなから好かれてて、もうお父さん、お母さんからも評判がよくてね。 会社でも上司の受けがよくて、同僚の受けがよくてね、そして同じ女の子どうしからも、ひじょうに好かれている女の子、こういう人が私の本を読んで、感動するんだと思うんですね。 だから私の本読んで感動した人は、心がきれいなかたですから、そういう心のきれいなかたはやっぱり外面に表われるんですね。そして、えー外面も美しくなり、人からも好かれ、そしてすばらしい毎日を送っていけるようになるんですねえ。まあそういうふうに思っているんです。 さて、本章では神理文明論ですね、ずいぶん大きくかまえてみました。この意味は、神理に基づいた文明論ということになるわけですね。まあ、そういうふうに考えていただいてけっこうであろうと思います。 さて、神理文明論というのは、これからどうした文明を創っていかねばならんのか、と、そういうことでもあるわけですね。それでけっきょくは、私たちのこれからの課題ということでもあるんですね。 この本書において、私たちの今後の文明構築の課題というものをいくつか、呈示しておきたい。まあこういうふうに思うんですね。 さあ、では来たるべき新しい文明っていうのは、いったいいかなる文明でありましょうか。どのような文明が来るのでしょうか。これをね、考えてみたい。こう思うんですね。 そうしてみると、これからの文明っていうのはね、僕はね、大きく考えて三つの柱があると思うんです。三つの柱ですね。 2.新文明の第一の柱――霊性実証の時代 第一の柱はなにかって言うと、これはね、「霊性実証の時代」であります。ね、霊性の実証時代、これが第一の柱なんですね。 これは霊性って言いましてね、霊的な性質ですね。人間が霊的なる存在であるっていうことのね、実証の時代、これが来なきゃいけない。ま、こう思うんですね。 だってみなさんね、真実は真実なんですから、ね。みなさんね、これマイク握ってね、私マイク握ってしゃべっとるんですよ。ね、これ霊ですよ。霊が言ってるんです。 霊がね、私は霊だって言ってるんですね。霊が私は零(ゼロ)だって言ってるんじゃなくて、ゼロじゃなくて霊(零)だって言ってるんですよ。いいですかね。そういうことなんです。 ある人は先日言ってましたよね。「そんな霊があるって言うならあんたね、そんなら霊に色がついとりゃええじゃないか。」ってね。 「そんな無色透明で見えんからいかんのだ。」ね。「ピンク色かなんかでサーッと出てくりゃいいんじゃ。」ってね、ネグリジェみたいなん着て霊が。夜な夜なピンク色でサーッと出て来たら楽しくて楽しくて、「霊よ来い来い、また来いよ。」ってね。「こっちの水は甘いぞ。」ってね。 そして霊よ来い来いして、ピンク色のなんかネグリジェ着た霊が出てきたら、そしたらね、便利でいいよね。あー認めた、認めたって、たしかにいるねー、いるねーってね。 「あー僕はこんどはピンク色のつぎは水玉模様がいいや。」なんてね。水玉模様の霊出て来いなんてね、はい出てきました。なんてね。 夏は暑いからやっぱりなーんちゅうかなあ、えー夏は暑いからこうござっていうんかな、「ござ巻いたような霊出てこい。」なんて言ったらねえ、高橋信次がござなんか巻いて「はい出てきたぞー。」なんてね。「ござでござりー。」ってね。こういうふうに出てくるかもしれませんね。 こういうふうに霊に色があってね、かたちがあってみんなが見えたら、証明もいらんじゃないか。まあそういう人もなかにはいらっしゃるでしょう。 たしかにそりゃそうだけど、ねえ、しかしねえ、霊がそんなござかぶって出てくるぐらいならね、あんたね、なーんで霊にならにゃいかんのだ。そんなんだったらもうそのままこの地上でみな生活しとりゃええんだね。そうでしょ。 霊が霊になるっちゅうのは、こことはちがう世界で生活しとるからそれでええんだな。そんなこの地上で見えるような確認できるようなあれだったら、べつに霊にならんでええわな。 そんなんだったらもうやめちゃって、霊になるのやめちゃって、青虫がね、あなたサナギになって、チョウチョになるようになりゃええんだ。 だから人間七十年やったら、八十年でもいいよ、人間八十年やったらね、死んだように横たわってね、しばらくしとったら、体コチコチに固まってね。 しまいに繭(まゆ)みたいになって、固まっちゃって、半年ぐらい固まったままでね、あなたね、銀行の金庫のなかかね、貸し金庫のなかか、あるいは魚河岸(うおがし)のね、なんか鮪(まぐろ)の冷凍庫のなかほうり込まれてね。 半年ぐらい固まっとったら、半年ぐらいしてあったかくなってきたらなんか取り出してみたら、パカツと真二つに割れちゃってね、なかからぜんぜんちがうの出てきたりね。 こういうようにして、あなた、こんど羽が生えた人間出てきてね。こんどは、もういったん死んだらつぎは、羽が生えてなんか、空中飛べるようになると、人間こんなんでもいいんですよ。そら考える勇気はありますよ。そらおもしろいでしょうな。こういうふうにすりゃあな。 3.神が、この世に二種の人間を置かなかった理由 だけどまあ、この世に二種類の人間は置かなかったんですね。だからまあ神様のその辺は芸術センスの問題でね。 この芸術センスが「5」だか「4」だか僕はよくわがらん。ねえ、点数がよくわかんない。ただこういうふうになっとんだな。だから僕はいまもう一回人間創りなおすとしたら、そんなんでもいいと思うんだね。 だから六十、七十になったらどんな美人でもきたなくなるんだろう。いやだろう。だからコチコチになって死んじゃって、鮪(まぐろ)の削りぶしみたいになっちゃって、あら鰹(かつお)か、鰹の削りぶしみたいになっちゃって固まっちゃってね。 それで半年ぐらい冬眠して、そしてサナギになって、サナギから出てきたら、こんど、ね、羽が生えちゃって、なにか生えちゃって、ブンブン、空飛べるようにね、そうしたらすばらしいよね。 ある者はだからそうしたサナギになる前に、えーよく悟った人がね、こんどはサナギから出てきたときに羽が生えて空が飛べる。 しかし悟らんかった霊はどうなるかっちゅうたら、こんど出てきたら手足がなくなって魚になっとると。そして悟らんかった霊はサナギから出てきたら、海のなかドボンとはいって海のなかで泳いどると。 でお魚さんになっちゃう、ね。で、悟った霊はエンゼルみたいに空飛べる、ね。こういうのでもあってもおもしろいかもわかんないねー。どうだろうか、ね。 こういう二種類にしたらもう天国、地獄言わなくたってね。サナギになったあとお魚さんになっちゃうのと、ね、人魚だな、顔はいいわ人間でも、下半身が人魚で、人魚姫みたいに海のなか泳がないかんのと、羽が生えて、空が飛べるのと、こう二種類創ってもいいんだよな。そうしたらおもしろいね。 そしてこんど人魚とエンゼルがまた適当な年齢になったら、もうエンゼルやめちゃってもう羽が歳とってとれちゃって落ちちゃって、ね。 人魚もなんか産卵しちゃって、卵産んだら人魚も消えちゃってね、卵になる。卵がまた人間になるとかね。こういうふうな循環考えてもよかったのかもしれないね。 ただね、神さん考えられたのは、そんな目に見えるかたちでね、信賞必罰がはっきり見えるのはね、あまりおもしろくないと思うんだなあ。 ね、パン食い競争といっしょでさ。あそこ行ったらパンがぶら下がっている。あそこ行ったら牛乳飲まにゃいかん、あそこで顔洗わにゃいかんなんてね、目に見えるのおもしろくないじゃない。 そうじゃなくて探検でね、これ森のなかでいったいなにが出るかわかんない。大蛇が出るか、乙姫さんが出るかなにかわかんない。とにかく手探りで森のなか進んでいく。これがおもしろいんだな。これがスリルと探検がね。 ところがパン食い競争みたいにあなた、見渡しゃもう百メートル先までなにがぶら下がってるかみな見える。 ね、あとなんか黄な粉のなかに飴かなんかはいっちゃってプープープープー吹いて顔真白になって、食べなきゃいけないとかね。こんなんみな見えちゃうね。おもしろくないわね、たいしたことねえや、ね。 だから、それで人間諭(さと)すのがだいじだよねえ。 おめえ鳥になりたいっちゅうんか。空飛びたいならねえ、もっと修行しなさい、なんてね。お魚になりたきゃそんでいいよ、なんてね。そんなのもう子供みたいでバカバカしいじゃない。わからんからいいってね。 だから霊っていうものを色ついてピンク色で飛ばさないようにしておる理由は、やっぱり人間のこの精神的なね、えーなんと言いますかね、価値を高めるためにそういうふうにしとるんですねえ。 4.信仰とは、認識力の増大を意味する やっぱりね、けっきょくなんて言いますか、信じるってことは宗教にはつきものですけれども、信じるっていうことがつきものの背景にはね、そこに大いなる精神的な飛躍ってのがあるんだね。精神の飛躍。飛翔感ていうのがあるんですね。これがあるわけです。 あなたね、自分が確認したものだけを信じるっていうのはね、これはりっぱなように思うよ、一見ね。科学的実証精神のように思うよ。もう自分が確認したものだけを信じる。 じゃあアメリカ行ってない人はアメリカのあるのを信じないの筋なんじゃないですか、ねえ。月行ったことのない人は月がないことを思うのは筋なんじゃないですか。どうでしょうか、ね。僕はそう思うんですよ。 そんなら霊だけをそんなこと言わずに、じゃあほかのことだっていっしょじゃないですかってね。軽井沢行ったことない人は、軽井沢なんてあんなの神話じゃないかって言っとりゃいいんだよ。そうだろう、ね。 自分が経験したときが、ことだけがすべてで、真実で、経験してないことは真実でないって言うならそういうこったな、ね。じゃあその結果どうなるんだ人間は。 自分が確認できて、経験できたものだけが真実で、そうでないものはそうじゃないって言ってどうなるんだ。人間はね、けっきょく手さぐりといっしょだろ。ちがうか。 手さぐりで生きとる人間てけっきょくなんだ。そしたらあなたね、アリと変わらんぜ。アリと。 あなたがた地上はっとるアリ見てごらん。ねえ、かわいそうだよねえ。もう右曲がり左曲がり、もうあっちまわりこっちまわり見てたら一時間、見てたら一時間グルグルグルグル一メートルぐらいのところまわっとんだろ。ちがうか。地面のね。あっちあたり、こっちあたりグルグルグルグルまわっとる。触角動かしてね。触角でさわってるんだよ、一生懸命。 ね、ああいうアリさんみたいな人生になっちゃうんだな。かわいそうだろ。ね、もう一段高い認識力がないんだな。自分の置かれとる立場、あるいはこの世界というものにたいする認識っていうものができない。アリさんはね。こういうことだ。 だから経験論、実証精神だいじだけど、それがようするに自分を小さくして、そして認識力を低めておるなら意味がないな。だから信ずるっていうこと、信仰っていうことの意味は、認識力の増大を意味するんですね。 つまり、目や口や鼻や手ざわりで感ずるもの以外を感じとるってことでしょ、信ずるっていうことは。ちがうか。全身全霊で感じるっていうんでしょ、ね。それは認識力が高まったことだ。認識力が。 認識力が高まるっていうのはどういうことかって言うと、わかる範囲が広がるってことだな。物事がわかる範囲が広がる。 物事がわかる範囲が広がるってことはどういうことかって言うと、アリさんよりは人間さんでしょ。アリさんよりはバッタさんかもしれない。バッタさんよりはお亀さん。お亀さんよりはウサギさんやらなにや知りませんがね。 あるいは、犬、犬よりは人間、そうかもしれないね。人間よりはじゃあ神様だな。認識力が高まるってことは神様にそれだけ近づいていくってことだ。ちがうだろうか、ね。そういうことでしょ。 5.これから、霊界の研究者が尊敬されるようになる時代が来る だから、自分が確認したことだけしか信じないって言うんなら、人類は何世代にも、何十世代、何千世代にもわたって生まれ変わってきたけど、それぞれの人間が、自分が確認したものしか信じられないって言うんなら、文明や文化の進歩はなにもないことになる。そうだろう。 もう一回ゼロから始めて、ね。一足す一がほんとに二かどうか、もう一回確認しなきゃいけない。ちがうだろうか、ね。そういうことだね。 だからあるていど前提とする部分があって、文化や文明は進んどるんですな。そのなかにはたんなる信仰とはちがうけれども、信ずるという行為がやはりあるし、それを受け入れるという行為はあるんだな。僕はそう思う。 だからこれからの時代はね、まず第一に霊性の時代であって、そうした目に見えぬ霊の世界が厳にあるということに対する実証、ほんとうにそっちの意味の実証精神ね。これはいってきますよ。 で、科学者なんていろいろ言ってるけど、この霊界のね、研究者なんていうのはものすごく尊敬されるようになる時代が来ますよ。第一人者なんてね。 いまだったら医学界の第一人者、ねえ物理学の第一人者なんて尊敬されてるけど、それが霊界の第一人者なんて言ったら「なーに言ってんの、気持ち悪い。バカにして。」ってね。バカにされちゃいますね。 ところがこれから霊界研究の第一人者って言ったら「ほーすごいなー。」ってね。こういうふうになってくるでしょう。まあこれが霊性の時代ってことの第一点ですね。だから文明、新しい文明のね、第一。 6.新文明の第二の柱①――原始に還れという復興運動がおこる時代 第二はね、これからの時代の特徴の第二点は、第二の時代はいったいなにかと言いますとね、えーまあこれからもう一度ね、文明の再考、というのが始まっていきますね、再考。 文明、現代ある科学文明っていうのが、これがいいものかどうかっていうことが、もう一度考えなおされる時代ね。こうした時代にこれからはいっていくんですね。 それはなにかって言うとね、二つに分かれるんですね。 これはなんか『孔子の霊言』かなんかにもあったそうですけども、ますます科学文明を発達させていこうとする方向と、原始に還れ、昔に還れという復興運動、この二つの潮流が巻き起こってきますね。どっちも神理は神理なんですね。 なんで都会でネクタイぶら下げてね、ギュウギュウ電車にゆられて、会社冷暖房きいとるかどうか知らんが、会社のなかでね、一日中働かなきゃいかんのかと。こんなの人間の本来の性質に向いていない。こういうふうに主張する人が出てきて、それに賛同する人も出るでしょう。 そういう人たちが武者小路実篤じゃありませんが、新しき村運動じゃないけどね。そうした原始に還れと、自然に還る、自然の美しさに還ると、いうふうな運動をね、展開、積極的展開をする時代がこれから始まってきますよ。 おおいにそういうことを唱道する人が出てきます。それはそれでひとつの動きだと思う。 やはりね、都会が人間を進歩、発展させるところもあるが、堕落させてる面もひじょうに多い。そんな堕落させるような素材をそのままにしておかないで、そうしたものがない、もう一度新たに造りなおす時代ね、造りなおすという時代、これをやはり考える。そういう時期が来るんですね。 リンカーンじゃございませんが丸太小屋をね、自分で作る。ね、みんなね、小さいころは喜び感じたんだよ。自分でいろんなもの作ったことをね。 ボーイスカウトだか、村の少年だか知らんがね、自分で小屋を作ってみたりね。自分で穴を掘ってね、それで上に茅(かや)かなんか葺(ふ)いちゃってね。そして探検ごっこやってみたりね。 そうしたことにずいぶん生き甲斐感じてたわけだよ。いつかしらそんなの生き甲斐忘れちゃった。ね、自分で新たにいろんなもの作っていくっていうこと。ね、農作物だってそう、動物を飼うことだってそうね。 畑正憲さんて言うんか、ムツゴロウの動物王国とか言って、北海道やらどっか、なんとか村やら知らんけど、どっかでやっとんだろう、ムツゴロウ共和国とかね。ああいうのがね、まあひとつのなんて言うんかひとつのあれになりますよ。 あのムツゴロウさん、あれ諸天善神のひとりだよ、ね。ああいうのは稲荷大明神って言ってね、動物を指導しておる霊人がおるんだな。そういう人のなかのひとりですよ。 まあ、ああいう人がやるわけだな。ああいう時代になるわけです。僕はこれでもいいと思うんだよね。 文明でかならずしも進歩する人ばかりじゃないんだな。毒されることが多い人も多いと思うんだ、ね。 だってあなたね、都会行きゃあもうほんと悪の臭いがしちゃって、新宿歌舞伎町とかね、あなた銀座のどこそことかね、渋谷のどこそこ、上野の某所、あるいは千葉のナントカ町、ね、川崎のナントカ町。 こんなところってのはあなたね、まあそりゃ聖人君子だってあんまりそんなとこ住んでたらね、だんだんだんだんやっぱりフラフラフラフラし始めますね。ないほうがいいわけですね。 そういう意味では、そういうものはないってこともいいんですね。軽井沢には風俗営業がない。そういう町もだいじなわけなんですね。ないとどうしようもないですからねえ。あるとやっぱりフラフラ行きますわね。ないこともけっこうなんですね。 だから自然のなかでね、そんな風俗営業ないようなところで、生活することもだいじですよ。そうじゃないでしょうかね。それが人間向上させることにもなる、ね。 7.新文明の第二の桂②――未来産業型の文明時代 で、これがひとつの流れだし、もうひとつの流れとしては、いわゆるもっと科学技術の進歩ですね。まだまだこんなんじゃあ物足りない。どんどん作り出してみよう。いろんなものを作り出してみる。 それから、やっぱり好奇心旺盛な人はどんどん月へ行き、金星へ行き、ねえ、ほかに太陽系からも出て探検してみたい。宇宙人とも握手してみたい。こんな人もおるでしょう、ね。 『太陽の法』っていう本読むと、なんだか金星人がおったらしい、ね。エル・ミオーレっていう神霊が治めとったらしい、統治者がおったらしい。 「ちょっと金星ツアー行こう。」ってね。「金星人の化石を見つける会」なんてね、できちゃって、金星ツアーして、どこかに埋まっとらんかと一生懸命シャベルで掘ったりしてね。そんな人も出るかもしれない。 そうした新しい経験でもって、それで進歩する人もいるでしょうから、まあそれはそれでけっこうでしょう。 後者について、宇宙時代についてもうちょっと言えばね、宇宙人との交流っていうのが、これがますます積極的になってきますよ。彼らもまた新たな世界観求めて来とるんですね。 いま、地球自体、だいたい法が出尽くしたと思うかもしれないが、宇宙人と接触するとこんどまたちがった法がね、感じられますよ。地球の法だけがすべてじゃないんですよ。 私は前のほうの章でも言いましたけどね。そんなお札(さつ)交換してなんかしとるの見たら不思議に感じるって言ったけども、そういうほかの惑星の考え学んだら、また人間気がつかない教えってのも増えてね、そして新たな考えかたっていうのを学ぶかもしれないね。まあそういうふうに思いますよ。 だからそういう宇宙時代も来るし、UFOも現在十何種類来てますから、地球にね。やがてだんだん確認されていくでありましょう。 彼らが来とる理由は、新しい文明のなかに参入したいという気持ちもあるし、あるいは地球を偵察に来とるとこもあるし、もと私たちが来た母星からもちょっとは来とるんですがね、確認しにね。いろいろやっとるんですが、理由はいろいろあるんですけどね。 ま、これはまた『高橋信次の空飛ぶ円盤』(「高橋信次のUFOと宇宙」として刊行)でもなにかまた一回組まにゃいかんかもしれませんね。ちょっとこの本章のなかで言うのはむずかしい。まあそういうことがありますね。 ですから第一の柱として、霊性の時代が来るって言ったけども、第二番目の柱で時代が二極分解して、原始に還れ、それと未来産業型の文明時代へと行くと。こういう二極分解するでしょう。で、それぞれ神理はそのなかにあると。こういう話しましたね。 8.新文明の第三の柱――精神的な帰属が社会的ステータスをつくる時代 じゃあ、第三番目の時代はいったいなにでありましょうか、ね。これはね、まあ先ほどの霊性の時代ということにひじょうに関係するわけなんですね。 つまりひじょうにそれと似かよっておって、空海さんなんかも『空海の霊言』のなかで言っておられたように思いますが、これからはね、精神的な帰属というものが、社会的ステータスをつくる、そういう時代が来ます。 精神的な帰属。つまり宗教なら宗教、なにを信じておるか、あるいは道徳ならどうした道徳を信じておるか。どうした教えというものを実践しておるかね。 こうしたことが社会的ステータスシンボルになる時代がやってきます。これは不思議ですがね。 いまだいたいみな名刺だして、「なんとか会社の専務です。」ね。「部長です。」「なんと平社員です。」って、やっとるわけですね。 そうじゃなくて、空海さんが言っておられるように、まあ、いっしょですが、自分はえー「講師をしておる。」とか、ね。「自分はGLAの後始末をした人間だ。」とか、ね。 「自分は高橋信次亡きあと別派作って、世の中混乱に陥れた人間だ。」と、ま、これは論外でございますが、こういうのは別にすれば、精神的な帰属っていうのが、その人のやはり値打ちを表わすようになる時代がやって来ますよ。 だからいまは宗教やっても「なんだかバカみたいな。」って言うけれども、これからどういう団体に帰属しておるかっていうことはね、その人の値打ちね、魂の値打ちを決める時代が来る。 ま、いま入会試験むずかしいのやってますが、これなんかその走りなんですね、時代の、ね。 ゴルフの会員権だけが高いなんてそんなのとんでもありませんよ、ねえ。どこそこゴルフ会でやれるとかね。こんなんだけがあなたね、値打ちじゃありませんよ。 これから神理の団体っていうのはね、ほんとうに魂を磨く団体になっていきますから、どの団体に属しておるかね、これがね、社会的ステータスになってきますよ。 こういう時代、価値逆転の時代がね、始まりますよ。ね、これだいじですし、僕たちそれをねらってるんですね。 9.これからは、神理を勉強していることが資格になる時代が来る えー神理価値ってことはずいぶん言いましたけども、前章でも言いましたけども、これからそういう価値逆転の時代でね。 いままでは宗教にはいってるちゅうのは隠さなきゃいけなかったけども、これからは、はいってるっていうことが値打ちになってきて自慢になってくる、ね。自分のステータスになる。 で、むしろ会社に勤めてるっていうことなんかそんなのどうでもいいことでね、どこの会社に勤めてようが、なにやろうが、そんなの漁師やってようが、あんた木こりやっとろうが、会社の重役やっとろうが関係ない。 それはね、生業(なりわい)を立てるためにやっとるんだ。そうじゃなくて土、日あるいは普段の夜、いったいなにやっとるかね、これがだいじになってくる。これを競うようになる、ね。ま、そういう時代にならにゃうそです。ほんとうに魂磨くということがだいじになる時代ね。 だからいまねえ、こそこそといろんな神理の伝道手伝ってる人おると思うけど、これからそれを堂々と言う時代になってくるよ。これから堂々と、ね。資格の時代になるよ。神理も。 資格の時代が始まる。新たな、ね。えー魂を磨いているってことにたいする資格の、大いなる資格の時代が来る。こういうふうに思いますね。 それでないとおかしいよねー。文部省認定、英語検定だけあるでしょう。一級だとかあなた二級だとか三級だとかね。 最近は一級と二級の間に差があるから準一級なんて作ったらしいよ、文部省ね。こんなことばっかりやってね、もうええ大人があんた英語の試験ばかり勉強してるんだ。もったいないよー。 英語なんかあなたアメリカにこんど生まれりゃええんだよ、ね。転生してアメリカに生まれりゃ英語しゃべれるじゃないねえ。 日本に生まれりゃ日本語勉強できるんだよ。そんなのわかっとるんだからもう、ほどほどにすりゃええんだ、そんなことね。 そんなんじゃなくてね、これからどれだけね、神理の勉強してるかね、これがほんとうは役に立つかもしれないよ。 だからこれから神理が資格の時代にはいってくるぞ。ね、楽しいじゃないか。そんなんがあって、みんながね、日本国民がね、われを競って神理を勉強し始めるって。これはいいことですよー、ねえ。 文部省の教育はいいとしても、そんな英語だとか、あなた無線通信士の技能だとか、針灸だとかなんだかんだとまああるかもしらんけど、まあそれもけっこうだけども、いろんな国家資格あるわなあ。まああるけどたいしたことはないわなあ。死んであの世へ持って還るほどのものはほとんどないんだ、資格はな。 だからこれから神理を勉強してるってことが資格になる時代になると思います。そして神理の団体もね、いわゆるほんとうに信ずるか信じないか、まあそういうふうなオカルト的なあれじゃなくてね。ひじょうに教育的な側面というものを多く持ってくる、そういう時代がやってくると思うんですねえ。 だからこういうこと言ってた人いたけどねえ、通信教育の時代なんて言ってたけども、そうなるかもしれませんね。 これから法というのがあるていど定型化され、類型化されてね、ほんとう通信教育でもできるような、そういう時代ほんとうに来ると思いますよ、もうすぐ、これそう遠くないですよ。 10.今後、「高橋信次コース終了認定」免許が出る時代が来るかもしれない だからいろんな教えがあるけれども、もう教えが多すぎるからもういくつかね、分けて、とにかく高橋信次コースってあって、高橋信次コースってのは、幸福の科学出版から出てる高橋信次霊訓集、たとえば全二十巻がテキストである。 で、これで単位があってね。前期は第一巻から第五巻、ね。後期は第六巻から第十巻。そしてこの基礎コースをマスターしたらつぎに応用コースヘはいっていく。で、第十一巻から第十五巻、ね。それから卒業コース、第十六巻から第二十巻、こういうふうにこう範囲が決まってね。 そして、三年計画ぐらいで、社会人の生涯学習で、「高橋信次コース終了認定」こういうのが出ます。 「あーよかったー。」ね。「終了認定出た。じゃどうしようかな。まあじゃあこれ卒業したから、じゃあちょっと谷口雅春コース行ってみるかー。」って言ったら、つぎまた三年ぐらい「光明思想研修」なんてね。 谷口雅春コース三年ぐらいやって、「また免許いっちょ取ったー。」ってね。こういうので何枚も取ってね。勉強の手段がそこでできてくる。こういう時代になってくるかもしれませんね。いいことですよ。どんどんマスターしてくる。 これだけ天上界の先生がいっぱいおるんだから。あの世還ったってもう消化不良でできないですよ、だんだん。この世のうちに早目にマスターしておきましょうね。 そしてあの世に還ったらね、ちょっと見せてね、資格、「もうこれとこれと終了してますから。」って「おっそうか。じゃあつぎはもう残ってんのはまあ岩登りとあなた木登りの仙人の修行しかねえから、ちょっと仙人界行ってこい。」なんて言われてね、カクッときたりするかもしれませんが、まあそういうことはあるかもしれませんが、まあね、あの世でもどうせ勉強するんだから、この世でできる機会にね、バッチリ勉強してね、どんどん優等生になっていただきたい。 まあそういう話で神理文明論と称しましてね、えー三つの柱立てて話をしました。霊的なことが実証される時代。そういう時代が来るということ。 それから文明の類型として、えー自然に還れ型と、未来産業型と、二つに分かれてくるであろうっていうこと。 それから三番目に、えーこれから霊的なものがね、勉強が資格の時代になってくるよ。それからステータスシンボルになってくる時代が来るよ、ね。まあこういうことを話しました。 まあこういう未来を先取りしてね、みなさんもね、日々努力精進してください。そしたら賢い人間と言われるようになるんですね。じゃあまた、お会いしましょう。
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プロフィール 凡例 捕手 2 1978/8/7 182/85 右右 岡山
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後藤瑞穂をお気に入りに追加 後藤瑞穂とは 後藤瑞穂の85%は柳の樹皮で出来ています。後藤瑞穂の8%はやましさで出来ています。後藤瑞穂の6%はマイナスイオンで出来ています。後藤瑞穂の1%は電波で出来ています。 後藤瑞穂@ウィキペディア 後藤瑞穂 後藤瑞穂の報道 <「医」を拓く 名古屋大医学部150年> (4)高橋信次、杉田虔一郎 - 中日新聞 岐セン ホホバオイル用いた柔軟加工を提案 サステナブル新商品 来期5万メートルの受注目指す (中部経済新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 白バイやGTOなど約30台が集結 年末の安全なまちづくり県民運動始まる | 東海地方のニュース【CBC news】 - CBCテレビ 上毛新聞ご愛読ありがとう懸賞2021 感謝賞当選者発表 - 上毛新聞ニュース 県青少年読書感想文コン 入賞作品、決まる 10点全国へ /岐阜 - 毎日新聞 令和3年度明るい選挙ポスター金賞及び銀賞入選者の発表(市政情報) - city.nagoya.jp 諸鈍のデイゴ並木保全へ 加計呂麻島 瀬戸内町が樹勢回復事業(南海日日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース アニメ「Sonny Boy」後藤ヒロキら追加キャスト6人、特番の放送も発表に(コメントあり) - ナタリー 後藤瑞穂をキャッシュ サイト名 URL 後藤瑞穂の掲示板 名前(HN) カキコミ すべてのコメントを見る 後藤瑞穂のリンク #blogsearch2 ページ先頭へ 後藤瑞穂 このページについて このページは後藤瑞穂のインターネット上の情報を時系列に網羅したリンク集のようなものです。ブックマークしておけば、日々更新される後藤瑞穂に関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
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2007年08月03日 (金) 18時10分01秒 「1円以上は、領収書添付」「対象は全ての政治団体」…自民党、政治資金規正法の再改正へ 自民党の中川秀直幹事長は1日の記者会見で、安倍晋三首相が政治資金の透明化に向けて検討を指示した政治資金規正法の再改正では、事務所費の領収書添付の義務付け対象をすべての政治団体に拡大し、公表すべき領収書の額も「1件1円以上」にしたい考えを示した。先の国会で与党提出により成立させた改正政資法は領収書添付義務を資金管理団体の人件費を除く経常経費(事務所費、光熱水費、備品・消耗品費)で1件5万円以上に限定しているが、対象外である赤城徳彦農相の関連政治団体の事務所費問題が指摘され、「ザル法」との批判があった。中川氏は会見で「7万ほどある政治団体でどこまでが国会議員関連か法制上、区別できないので、すべての政治団体を対象に、1円以上から公開しろというのが(参院選での)民意と受け止めた」と強調。政資法再改正案は秋の臨時国会に提出するが、これに先立ち策定する党内規にも、関連政治団体の1円以上の領収書公表を盛り込みたい意向を示した。 2ちゃんねる 【参議院本会議。政治資金規正法法案の反対 討論において】 関連記事 維新 馬場氏らの告発状 寄付上限超え政治資金規正法違反疑い|NHK 関西のニュース - nhk.or.jp 【速報】兵庫県で新たに8人感染確認 感染者1人が死亡 新型コロナ - www.fnn.jp 政活費領収書ネット公開、山形県議の76%賛成 不正受給受け調査 - 毎日新聞 - 毎日新聞 連続赤字の企業から違法献金 自民・棚橋氏の支部 8日付で返還(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 棚橋泰文議員側に違法献金 連続赤字の地元企業から計24万円 - 毎日新聞 - 毎日新聞 自民・維新議員に政治資金問題が続出!石原伸晃氏はコロナ助成金受給、なぜか「ほら貝」購入者も(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 棚橋衆院議員側へ違法献金 連続赤字の食肉加工会社 - 山陰中央新報 維新・馬場氏が収支報告書訂正/村上氏の寄付を誤記載 - 四国新聞 政治資金報告書、7道県はネットに全公表せず 「チェックの機会奪う」指摘(京都新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 文通費問題で「税金のシロアリ」「やる気なし」は維新! 足立康史が橋下徹とのバトルで “セルフ領収証OK”は「松井代表の決定」と証言(2021年12月7日)|BIGLOBEニュース - BIGLOBEニュース 1日で100万円 常識外れの「とても受け取れない」文通費 | | 小野泰輔 - 毎日新聞 Dappi発信元の社長は“友人” 山本元農水相のサイト関与「ポケットマネーで謝礼」専門家「規正法違反では」(BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 〈文書入手〉中止のパーティ券代を「活用する」山本元地方創生相に政治資金規正法違反の疑い|ニフティニュース - ニフティニュース 長崎知事が代表の自民党支部 県内企業からの寄付を返金へ|NHK 山梨県のニュース - nhk.or.jp 〈文書入手〉中止のパーティ券代を「活用する」山本元地方創生相に政治資金規正法違反の疑い - 文春オンライン 政治資金 4年連続減 県内20年分 コロナで活動制限か - 47NEWS 支出の4割超が“使い道不明”…愛知県知事リコール運動の活動団体 支出計2542万円に領収書の添付なし - tokai-tv.com 使途に制限ない「政治資金」 維新・足立康史議員はアイスや駄菓子購入(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 街宣車整備巡り政治資金規正法違反か、右翼団体会長を逮捕 | カナロコ by 神奈川新聞 - カナロコ(神奈川新聞) 【政治資金収支報告書】自民5団体が1千万円超の「特定パーティー」 1回の収入最多は三原じゅん子氏(カナロコ by 神奈川新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 政治資金収支報告書 デジタル化進まず オンライン提出は2.7% - NHK NEWS WEB ニュースワード「政治資金収支報告書」(時事通信) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 閣僚8人が収入1000万円超の「特定パーティー」大臣規範の開催自粛軽視 - ニッカンスポーツ キャリア官僚の競争率は過去最低に…東大生の「官僚離れ」が進んでいる根本原因(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 維新松井代表 政策活動費巡る橋下氏との食い違いに「言ってできないことは僕は言わない」(東スポWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「桜を見る会」前日懇親会 安倍元首相元公設秘書ら再び不起訴 - NHK NEWS WEB 二之湯智 国家公安委員長、防災相 引退表明したベテランの「思い出作り」で初入閣(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 安倍元首相の秘書ら2人を再び不起訴処分に 桜を見る会夕食会問題 - 東京新聞 末松信介文科大臣は自他ともに認める門外漢 初入閣は来夏改選の“ハク付け”のため(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 与野党5党、法の『抜け穴』利用で資金支出… 橋下徹さんが古巣にクギ 「これが改革政党? 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目次 1.地上のひとびとに、一言でも多く、一行でも多くの神理を伝えたい 2.高橋信次の霊言を世に問う機会はいま以外にない 3.かつてモーゼに旧約聖書の『創世記』を書かせた私が、いま、「新創世記」を語る 4.アトランティス大陸の沈没を信じない現代人 5.ギリシャの哲学者プラトンがアトランティスの存在を知っていた理由 6.プラトンは幽体離脱によって如来界、菩薩界を見て「イデア説」を唱えた 7.アトランティスには生体エネルギーを使った飛行船があった 8.アトランティスの自動車はヒラメ型 9.職能制民主主義があった 10.まちがった新興宗教家のクーデターに倒れたアガシャー大王 11.アトランティスの沈没とアモンのエジプトヘの脱出 12.日本人の源流ムー文明とインド洋のレムリア文明 13.現代人よ、現代文明を最高だと思うな 1.地上のひとびとに、一言でも多く、一行でも多くの神理を伝えたい 高橋信次です。また私の霊訓集を世に問う機会を与えられたことをうれしく思います。 まあ地上にいるみなさんは、私がたて続けに世の中に霊訓集を送っていくから、高橋信次というのはなんと忙しい男だろうと思っておると思いますけれど、じっさい、私はほんとうに忙しいんです。なぜ忙しいかって言うと、地上にいる人たちを一日も早く、目覚めさせたいという気持ちが強いんですね。 また私の教えを継いでいる者たち、そしてさまざまに混乱している弟子たち、あるいは私の教えを受けなくとも、ほんとうの神理というものを求めて日夜学んでいる人たち、こういう人たちのことを考えると、私は一日もこちらでゆっくりとできないんです。ひとつでも多くの神理を世に伝えたいというのが私の気持ちなんです。 いま、日本には一億二千万人以上の人間がおりますけれども、このなかでもやはり心ある人たちっていうのは、いるんですね。それは一定の数であってそう多くはありませんけれども、心ある人たちっていうのはいます。そして彼らは、つまり心ある人たちは、神理を求めている。 けれどもほんものの神理の書というのが、生きている間なかなかこの地上では見当たらんのですよ。宣伝だけでよく売れている小説の本だとか、まあ金儲けの本だとか、こういうのは、いっぱい出ておりますけれども、神理の本のなかで、ほんとうの真実を伝えるのは少ないんですね。 霊界ブームで、最近は霊界のことを伝える本もずいぶん多くありますけれども、そのなかの大部分、私たちの目から見て九割五分以上は、おかしなものです。少なくとも霊的現象として見たら、まともじゃないのがほとんどです。 そして地獄の霊たちのそそのかしを受けながら、それを神様、仏様、あるいは高級霊だと思って、一生懸命言っている人がいっぱいいるんですね。 どっちもこっちもそういうおかしいのばかりで、こういう混乱を見るにつけても、私たちは一日も早く、一冊でも多く、真実の書というものをひとびとに伝えねばならんと思います。 まあそれは地上にいる大川隆法さんたちの活動にも、もちろん限界があるだろうし、出版社のみなさんにも、そうそう無理ばかりはお願いできないし、そういう限界はあるでしょうけれども、やはり私は一日でも早く、一冊でも多くの神理の書を世に問うて、世のひとびとを目覚めさすことこそが、私たちのほんとうの仕事だと思うし、また最近地上に肉体を持った高橋信次としてのやりうる最高の仕事だと思うのですね。 私はいま、こちらに還ってきて、もう地位とか名誉とかそんなものは、なにもこだわるものはないのです。また金儲けするわけじゃないんです。 高橋信次の霊訓集が出たところで、それでいくら売れてもね、私のふところのなかには一円もはいらないのです。そんな印税なんか一円もはいってこないし、地上で評判がいいからってこちらの世界でも、ランクが上がるわけでもないんです。そんなことぜんぜんありません。 そういうことはまったく関係ありません。地位も名誉も、金もなにもないんです。地獄の三途(さんず)の河を渡るときには、六文銭がいります。けれども、私たちのように安らぎのある世界に還ってきている人たちには、もうお金は必要ないんですね。 そういうことで、私は私利私欲のためにやっておるわけではありません。ほんとうに純粋な気持ちから、地上のみなさんに一言でも多くの、一行でも多くの神理というのをお伝えしたいと切に願っておるわけです。 そういうわけで私は霊言をして、今後もたたみかけていきたいと思います。 ほんものであるということの証明のためには、やはりあるていど数を出していかねばならぬと私は思っております。一冊だけでは創作だと思われるでしょう。 では高橋信次が、二冊、三冊、四冊、五冊、と世にその考えを問うたときに、それがにせ物だというふうに言うことができるでしょうか。たぶんできなくなってくると思います。私は霊言の真実性を疑う人が多いこともまたこの世の事実である以上、あるていどの数を出して、私の思想というものを全面に出していきたいと思います。 こうして、十年前(一九七六年)のこの地上を去ったときに私が考えていたことだけではなくて、あの世の世界、すなわちこちらの九次元世界というところに私はおりますけれども、九次元の世界に還ってきてから、私が体験したこと、そして私が悟ったことを、あるいは私が生きていたときに言い忘れたこと、また修正したいこと、こういうことをどんどん言っていきたいのですね。 2.高橋信次の霊言を世に問う機会はいま以外にない こういうふうに霊言として私の考えを、この世に伝えることができる機会というのは、もうおそらく二度とはないと思うのです。 地上のみなさんは、高橋信次の霊訓集があまり出てくるので、もう読むのに忙しく、「そんなにいっぱい出さなくてもいいから、一冊なら一冊で遠慮してくれんか。」と。「あんまり出ると、お金もかかるし、それから目も悪くなるし、勉強時間がなくなるから、もうやめてくれんか。」という声もあるかもしれませんけれども、どっこいそうはいかんのです。 大川隆法さんがあの世に還ればもうこんな霊言はできんのですから、生きているうちにもう十二分に使ってね、できるだけ多く彼を使ってがんばらにゃいかんのですね。 ですから、まあ最近の人間だから、ずいぶんでしゃばってくるなあと思われるむきもあるでしょうけれども、古い人はもういいんです。最近の人はどんどんどんどん言わないとね。言いたいことが山のようにたまっていますから。 イエス様やモーゼ様みたいな古い人は、もう言いたいことがたまっていても、もう二千年も三千年もたてば、化石みたいになって、口を開けばコロンと、化石みたいな恐竜の卵みたいのが出てくるぐらいでしょうけれども、私みたいに死んでまだ十年ぐらいの人間というのは、もう考えつけば、あの人もいるし、この人もいるしね。 あの人にもこういうことを言っておきたい。この人にもこれ言っておきたいし。著書を見るとあそこはちがっておったとかね。いっぱいあるんです。言いたいことが。 だからずいぶん、高橋信次がおしゃべりをしておると思うかもしれないけれども、やはり地上の人たちは、このおしゃべりに耐えるだけの「忍辱の心」というのを養って精進せねばならんわけです。 3.かつてモーゼに旧約聖書の『創世記』を書かせた私が、いま、「新創世記」を語る さてまあ枕詞(まくらことば)はそれぐらいにして、本日は、「新創世記」というタイトルで話すことにします。ずいぶんいきおいのいい題で、「まあがんばっとるじゃないか」という声もあるでしょうけれども、やはりね、私はほんとういうと、創世記を語るのが私のいちばん得意なところなんですね。 いまから三千百数十年前に、モーゼという人がエジプトの地に生まれて、そしてイスラエルの民を解放して、カナンの地ですね、あこがれのカナンの地、ユダヤの地に人々を導いたときに、天上界から現在と同じように私はモーゼを指導しておりました。 そのときに私がモーゼに書かした書というのが『創世記』という書物です。これはみなさん旧約聖書のなかでモーゼ五書のなかで『創世記』っていうのが最初にありますね。これがありますけれども、これをモーゼに書かしたのは当時の私だったわけです。 天上界からこういうふうに霊言という形で、モーゼにやはり通信を送っておって、モーゼがそれを聞いて書きとめたのが、モーゼの『創世記』なのです。 ですからその創世記も三千年たってちょっと古くなりましたので、ちょっと新しい創世記を書かにゃならんと思うのです。それがこの「新創世記」です。 まあ私の娘で、高橋佳子というのがおって、『真創世記 地獄編』、『天上編』、『黙示編』なんて書いておるから、またまねしとるんじゃないかというけれども、よく読んでいただければ向こうの『真創世記』は、真実の真でありまして、私の「新創世記」は新しいの新でありますから、けっして著作権侵害にはならんわけであります。新しく創世記を語るわけです。 さて地上のみなさんはね、こういう時期にどうしてそういう創世記、地上の成り立ちということを話す必要があるのかということを不思議に思われるかもしれません。まあそんなことを聞いたところでね、ひとりの人間も救われるわけではないし、興味本位にすぎるんじゃないかと、こう思う人もずいぶんいると思います。 けれどもね、やはり私は、人類の価値観、価値概念というものを転換すべきときがきておると思うのですね。 いまの日本人でもいいし、外国人でもいいけれども、経験主義的な人のものの考え方というのは、人類の歴史っていうのはやっぱり、四千年か、五千年ぐらいに思っているのですね。せいぜい四千年、五千年。日本の歴史だって二千数百年だし、まあユダヤのほうだって、イエス様がまだ生きていた人だということは知っているけれども、モーゼもまあなんとか生きていた人らしい。まあ三千年ぐらい前の人。 ギリシャ・ローマ神話のギリシャ神話の神々になってくると、もうちょっとこれはあやしいんですね。これはもう神代(かみよ)の世界、神話の世界になって、ほんとうにギリシャの神様なんていたのかどうかわからなくなってきていますね、実在の人かどうか。ゼウスさんなんていう人ほんとうにいたのかな。アポロンなんて人いたのかな。アポロ宇宙船は知っておるけれども、アポロンなんて知らないという人がいっぱいいると思います。 「それは、たぶんギリシャ・ローマ神話かなんかで、世界の名作シリーズかなにかのなかにはいっているぐらいで、ほんとうは歴史上の事実ではないんじゃないですか。」という人が多いと思いますね。 ギリシャでゼウスが法を説いたときっていうのはいまから三千七、八百年前ですから、四千年前までいかないわけです。四千年近く前になるともう、人間はそれはもう夢幻(ゆめまぼろし)、神代の時代の作り話ということになっちゃいますね。こういうことです。 4.アトランティス大陸の沈没を信じない現代人 たかだか一万年ぐらい前にアトランティスという大陸があって、それが一夜にして没してね、大西洋に沈んだということを話しただけでも、人びとは信じないんです。現代人たちはね。信じないんです、一万年も前のことまでわかんないと。 「ほんとうでしょうかね。一万年前に、ほんとうにアトランティス大陸なんてあったんでしょうかね。たしか私たちが習ったんでは、一万年前っていうと、縄文時代よりもっと昔ですから、石器時代かなんかでね。これはちょうど人類がいたとしてもね、腰のまわりに虎の皮かなにかを巻いて、そして石斧を持ってコンコンとやっておったにちがいない。」と。 「まあ火を起こすことぐらいは知っていたかもしれないけれども、それもたぶん木と木をこすり合わせて『エンヤエンヤ』とやって煙をパーツと出すとか、あるいは、トナカイの骨かなにかけずってやっていたころにちがいない。」と。 「そんなころにアトランティス文明なんて、そんな、ほんとうにあったんですか。」と。「私はとうてい信じられないですね。」と言っています。 あるいは名誉毀損(きそん)にならないようにやわらげて言いますけれども、最近はね、元東大教授の優秀な物理学者、地球物理学者なんかもね、地殻変動とかいろいろ調べた結果、アトランティス大陸というのはやっぱりなかったんだ、ムー大陸もなかったんだ、なんて言っていますね。 まあしかたありません。それは現在ある資料だけを見て、それを判断しているんだから、それはしょうがないんですね。 まあそれはしかたないことです。一夜にして地殻変動が起きればね、地上の証拠っていうのはほとんどなくなります。 5.ギリシャの哲学者プラトンがアトランティスの存在を知っていた理由 アトランティス大陸があったという証拠は、いちばん最近というのか、いちばん古いというのか、よくわからないけれども、それがでてくるのはね、ギリシャの哲学者でプラトンという人の書物のなかです。 まあソクラテスのことを、一生懸命書いた人のことですけれど、プラトンという人の本のなかにアトランティスという大陸があったということが書かれていますね。これがまあアトランティスについての最古の記録ではないかということで言われています。 じゃあ、「プラトンというのは二千四百年ぐらい前の人だから、なんで一万年も前のことがわかるんですか。」と。 「そんなのわかるわけがないじゃないですか。」と、言う人がいると思います。 「たぶんこれは想像の話じゃないでしょうかね。」と言う人がいると思いますけれども、プラトンという哲学者がアトランティスのことを知っていたのは、ふたつの理由があるのです。 ひとつはね、エジプトというところには、そのギリシャの哲学時代よりはるか以前に高度な文明というのがあったんですけれどもね。 いまもスフィンクスとかあるいはピラミッドとかがありますけれども四千年前、五千年前といわれていますね。そういうピラミッドがあるけれども、そうしたピラミッドのなかの古文書のなかには、そういうかつてのアトランティス大陸のことが書かれていたのですね。 それに関する文献というのがあったんです。プラトンという人は、その文献を読んだことがあるのです。これがひとつ。 それからもうひとつは、プラトンという人はやはり霊能者であったのです。 現代の人たちは彼をふつうの哲学者というふうに考え、哲学者でかつ霊能者である人なんかいるわけないと思いますけれども、ギリシャの哲学者たちは霊能者が多かったのです。ソクラテスもプラトンも霊能者なのです。 ですから、ちょうど大川隆法が、いま、私の言葉を受けているように、さまざまな聖霊たちの言葉を受けておったのですね。そう、ソクラテスもプラトンも霊能者だったのです。 けれどもアリストテレスは霊能者じゃなかったんですね。その結果、彼が書いた哲学の体系というのはひじょうにむずかしいものになりました。 そしてアリストテレスという哲学者は、自然科学の祖ともなったし、まあ哲学の祖とも言われておりますけれども、ひじょうに合理主義者ですね。なぜ合理主義者かっていうと、彼自身が霊体験を経験していないからです。 つまりプラトンとアリストテレスの差はそこにあるのですね。 アリストテレスは自分より何十歳か上のプラトンを、先生が生きていたときに批判したら怒られるから、先生がポックリいってからプラトンの「イデア説」を批判しているわけです。 けれども、その批判というのはじつはあたっていないんですね。プラトンという人は霊能者であって、自分自身いろんなことを体験しておったけれども、アリストテレスはそういう体験がなかったからわからなかったことが多いのです。 その結果、西洋の合理主義文明というのが出てきたんですね、アリストテレスから。 それでプラトンの思想というのがなかなかわからなくて、オカルト的に解釈されてきたということがあったわけです。そういう事実があったのですね。 6.プラトンは幽体離脱によって如来界、菩薩界を見て「イデア説」を唱えた プラトンという哲学者は、ちょうど近代のスウェーデンボルグという大霊能者と同じであったわけです。スウェーデンボルグは科学者でもあったし、さまざまな役職も兼ねた偉い人ですけれども、この人が幽体離脱といって、肉体を抜けだしてあの世を見ていたように、プラトンも見ていたのです。 つまりあの世の世界を見てきてね、「イデアの世界」、イデアという理想の世界があるということを一生懸命書いたのです。 霊界があるとか、幽界があるとか書いたら、心霊ブームのなかの現代人はハタと膝をたたくかもしれないが、プラトンはかしこいから当時の人たちの誤解を避けてそんなことは言わなかったのですね。幽界見てきた、霊界見てきた、と言わずに、イデアの世界という理想郷があるという話をしているのです。 そしてじっさいは、あの世の如来界や菩薩界を見てきて、そこにあるものをなんとかこの地上で実現させようとして一生懸命本を書いたのですね。そういう偉い人だったのです。 こういうふうに宗教上の天才というのは、いつも、時代を何千年も抜きんでているから、その同時代に真実のことを語ることができなくて、やはり比喩(ひゆ)で語るのですね。こういうことがあったわけです。 ですから、プラトンも当時やはり幽体離脱して天上界に還って「アーカーシャの記録」って言うけれど、「アガシャーの記録」とも言いますけれども、そういう霊界の記録書というのがあるのですね。歴史書があるのです。これを見てきたのです。 そしてアトランティスというのがじっさい沈んでいるということを知りました。また彼の指導霊をしていた人も、そういうことを伝えましたね。それで文章のなかに書いておるのです。 しかし、プラトンの記述あたりで、早くも信憑性(しんぴょうせい)がなくなるのが現代です。地上の人間の理解の範囲では二千年、三千年でもとても大きな話になってしまいます。 7.アトランティスには生体エネルギーを使った飛行船があった ところがじっさいは一万年前に、アトランティス大陸が大西洋の現代のバーミューダというところにあって、ほんとうに栄えとったのです。そのときにはもう飛行機があったのですね。みなさん驚くでしょうけれど。 「飛行機だなんて、あなた高橋信次さん、あなたちょっと頭がおかしいんじゃないですかね。二十世紀になって初めて飛んだのですよ。」ってね。 二十世紀の初頭にやっとプロペラの二枚羽根の飛行機が飛びました。当時は第一次大戦のころ、まだ、そんなに実力がなくてね。 敵の飛行機とすれちがってもおたがいに手をふって「ヤーヤー元気か。」なんてね。 「イヤーワシも元気でやっとるよ。お宅、偵察ですか。」なんてね。 「偵察でやっとるんですよ。」なんてね、やっとったんです。珍しくてね。 そのうち飛行機どうしでそんな偵察のあいさつばかりしていてはいかんということで、もっとまじめに戦争しろということになり、敵の戦闘機を見つけたら、ちょっと上のほうへ飛んでいってレンガ落としたりしてね。レンガ投げつけて向こうの飛行機落とそうとしたりしました。こんなことをやっていました。今世紀の初めには。 それが第二次大戦のときにはもうゼロ戦が飛んだりね、B29が飛んだりしたことはみなさんご記億のとおりです。 そしていま、みなさんコンコルドの時代です。それからスペース・シャトルの時代です。こういうふうに時代が進んできております。 ですから人類の、どこの歴史をひも解いても、千年前、二千年前に飛行機が飛んだという話はないのです。そこで、一万年前の人の力でそんな飛行機が飛ぶはずがないとみなさん思うでしょうが、じっさい飛んどったんです。これは事実なんです。 これはこちらの世界にくるとすべて明らかになるのですね。飛行機といっても現代のようなコンコルドじゃありません、もちろん。 当時の飛行機っていうのは飛行船のようなものなのですね。いわゆる飛行船です。 そしてエネルギー源として使っておったのが、生体エネルギーってやつでね。ちょうど植物が発芽する時にでるエネルギーがありますけれども、ああいうふうに細胞分裂を起こすときに熱が出ますね。熱エネルギーが出ます。 これを転化する。うまく変化させてエネルギー源とする、という方法を当時持っておったんです。 アトランティス人というのはね。こういう変化のエネルギーというのを使ってさまざまな動力を作っとったんです。 ですから石炭でもなかったし、電気でもなかったんです。そういうふうな生命エネルギー、生体エネルギーというのを抽出することに成功して、そういうエネルギーを使っていました。これを使って飛行機を飛ぱしとったのです。 8.アトランティスの自動車はヒラメ型 あるいは地上にはね、みなさんおどろくでしょうけれども、やはり自動車に近いものかあったのです。 まあかたちはぜんぜんちがいますよ。かたちはぜんぜんちがいましてね、わかりやすくいってみれば、私が見ると、ちょうどヒラメみたいなかっこうしていますね。ヒラメかエイみたいなかっこうしてて、ああいうふうな、まあスルメですな。スルメってありますけれど、ああいうかたちしているんですね。 三角形で後ろから尻尾が出ているかたちしているんですけれども、それで下にコマが出ているのですね。コマが二輪出ています。前にひとつと後ろにひとつ。前輪、後輪がありますね。 オートバイといっしょの原理ですね。そしてああいうふうなエイみたいなかたちをしています。これで後ろにちっちゃなプロペラつけていて、これをクルクルまわしながら走っとるのです。こういう自動車がありました。こういう時代なんですね。 9.職能制民主主義があった また政治の原理ってどうかというと、政治も現代の民主主義に近いような政治っていうのがもうあったんです。 まあ民主主義というのも近代の発明かなんかに思ってね、十九世紀のリンカーン以来の「人民の、人民による、人民のための政治」なんていうので、これで民主主義の概念かでてきたなんて、進歩したなんていってるけど、とんでもないんです。 もうそんなのとっくの昔からあるんですね。アトランティスの時代にも民主主義はありました。 このときの民主主義というのはね、現在のたとえば政治の制度とちがうのです。 現代のような投票制度とはちょっとちがいましてね。いねば産業別で政治家を選出するようなそういう民主主義をやっていましたね。 たとえば農民なら農民。神主なら神主。神官なら神官ね。軍人なら軍人。あるいは、技術者なら技術者。こういうふうにいろんな「職能制」っていうのか、これがありますけれども、このなかから選挙でね、代表者を選んで政治をするようなそういうしくみかあったんです。 そしてその政治の頂点だったのはだれかというと、これが宗教家だったんですね。宗教家がやっていました、政治をね。そしてそれを補佐するのが科学者だったんです。 ですから当時アとフンティスの文明では科学が発展して、科学が宗教を助けるというようなのが原則だったわけです。 10.まちがった新興宗教家のクーデターに倒れたアガシャー大王 ところがこれがね、アトランティスの末期、いまからどうですかね、一万年前ごろ、まあはっきりした年数はいえませんけれども、そのころ、末期の百年ぐらいっていうのはたいへん時代が乱れてきたのですね。 宗教家のなかにまちがったひとびとがいっぱい出てきました。 現在も二十世紀の後半に変な宗教家がいっぱい出てますね。変な新興宗教の中には、まったくおかしな宗教家がいっぱい出てますけれども、同じような宗教がアトランティスの末期も、ボコポコ出てたんです、いっぱい。 そうしていわゆる正法神理というのが失われる時代というのがあったんです。 このときに最後の光の大指導霊としてアガシャー大王ってかたが出られたのですね。アガシャー大王というかたは、イエス・キリストの生命体の一部なんですけど、こういうかたが地上に出られました。そして彼は最高の政治指導者でもあり、宗教指導者でもあって、ひとびとに心のありかたを説いておりました。しかし、現代と同じようなまちがった新興宗教の教団というのがひじょうに大きくなってきて、いま流にいうと何百万という教団になってきて、それが政治にもちょっかいを出すようになってきた。そしていわゆるクーデターみたいのを企てたのですね。 こうして当時の王宮の中では、いわゆる光の天使たち、心ある宗教家たちがずいぶん政治、経済を牛耳っとったんだけれども、彼らを捕らえてしまったんですね。 捕らえてしまって、そしてソ連の[赤の広場]じゃありませんけれども、広場にしょっぴいて、穴を掘らし、いけにえにするというような、残虐な行為の結果、ひじょうに数多くの、何十人もの光の天使たちが彼らの手にかかって死にました。 ようするに、一時期、悪魔に天使たちが負けたようなかたちがでたのですね。そしてアガシャー大王自身も囚われの身となり、やがて死んでいきます。 11.アトランティスの沈没とアモンのエジプトヘの脱出 しかし当時、アガシャーの息子、つまり長男がいました。光の指導霊として有名なアモンはアガシャーの息子なんです。 このアモンというのが、アトランティスから逃れたんですね。まあここからいわゆる飛行船で逃れて現在のエジプトのほうへと逃げていったんですね。 もちろん、このとき、何人かの文化人たちを連れていきました。 こうしてアトランティスの文明というのが、いまから九千数百年前、一万年近く前に、エジプトの地に受け継がれていったのです。 けれどもそのあと、光の天使たちがまちがった宗教家たちのクーデターによって処刑されて、しばらくののち、アトランティスの大地を不調和な想念のくもりがおおったわけです。 そうしてやがて恐るべき天変地異が来たのですね。地球というのは、前にも言ったことがあるけれど、ひとつの生命体であってね。不調和な波動というのが地上をおおうと、地殻変動(ちかくへんどう)が起こるんです。 こういうふうなしくみになっているのですね。作用・反作用の法則になっているわけです。 それで、アトランティスを黒い想念体がおおったときに地上にやはり変化が起きて、アトランティスというのが一夜にして没したことになっています。 じっさいは三段階ぐらいにわかれたんですけれどもね。最後の島の部分が一夜にして没したわけです。そうしてまったく大陸というのが、影をひそめてしまったわけです。 そしていま、何千メートルの海底に沈んどるわけですね。こういうふうにして大きな文明が潰(つい)え去ったわけだけれども、そのころの光の天使たちの教えの一部分がエジプトに流れていきました。つまり、アモンによってエジプトに継かれていきました。 そしてやがてエジプトでもさまざまな光の指導霊たちが出て来ました。クラリオという神霊が出てきたし、そののちモーゼも出てきてるしね。エジプトというところはずいふん神理の種がまかれたところです。そりゃそうです。人類は大昔地上に来たときに、最初に着陸したのがエジプトであって、エジプトの地は昔から神理伝道の地であったわけですね。 12.日本人の源流ムー文明とインド洋のレムリア文明 さてそれがアトランティスの歴史ですけれども、アトランティスのもっと前にも文明がありました。 やはりみなさん聞いておられますけれども、ムー文明というのがあったんですね。これもやはりいまから一万五、六千年前に栄えて、だんだん消えていった文明で、太平洋にあったんです。現在のポリネシアのあたりを中心としてあったんです。 そしてこの文明もやはり沈没していきました。一部の島を残してね、そのムーの文明の子孫たちのうち、優秀な者たちがいまの日本に流れてきているんですね。日本人の源流です。 日本人というのは韓国から来ただとか、ネパールから来ただとかいろいろいっておるけれども、日本人のなかでのほんとうの知識階層っていうのは、このムーの大陸から来とるのです。そしてそののちやはり朝鮮とか中国からもいろんな人が来てまざったんですけれどもね。彼らはあとがら来た民族なんです、ほんとうは一万数千年前にムーという大陸から出てきたんです。これが日本人の源流です。ですからひじょうにレベルが高いのですね。 ムーの時代にもやはりさまざまな文明がありました。飛行機はありませんでしたけれども、船ですね、大きな艦船というのはあったのです。そして太平洋をずいぶん走り回っていました。こういう文明があったんです。 またムーの前にもレムリア文明がありました。これはいまのインド洋ですね。ここにも大きい文明がありましたね。ムーよりもっと前です。 13.現代人よ、現代文明を最高だと思うな こういったふうに人類史上では、けっして現代の文明というのが最高じゃないのです。何時(いつ)の時代にもね、ちょっと前をめくってみると、高い文明があるのです。 このように人類の文明というのは、山の峰みたいなものでね。あそこが高くなったりここが低くなったり。高くなったり低くなったりして続いてきているのです。 これが文明なんです。これが正しい文明の姿なのですね。 そして私たちは、ほんとうはここ数千年というような短い期間において活動したんじゃなくて、ほんとうの文明づくりの歴史というものは、じつは百万年よりももっと古いのです。 いま、北京原人だとか、あるいは南アフリカの原人ですか、ピテカントロプス・エレクトウスというのですか、こういうのが五十万年前だとか、百万年前だとか、いわれています。 あるいはヒマラヤの雪男が人類の祖先だとか、いろいろなこといわれていますね。けれどもそうじゃないんです。もっと昔からいるんです、人類というのは。もっともっと昔からいるんです。 「じゃあ、そんな昔にいるのに、どうしてその証拠がないのか」と。 「地面掘ったら石油ぐらいしか出てこんじゃないか」と。 あるいは「貝殻集めた貝塚ぐらいしか出てこんじゃないか」と。 「そんなの信じられるか。」というけれども、ほんとうのしくみはじつに巧妙なんですね。 じっさいに文明というのは、やはり洗いざらいというかね、新しく移るときにはひじょうに巧妙に過去の姿を消し去っていくのです。痕跡(こんせき)もなく。こういう歴史なんですね。 ですから、ほんとうは石油が出てくるような深いところにいろんな過去の文明が埋まっとるのです。そんな地表のほうにあるんじゃないんです。まあそういうことなんです。 まあ以上、今日は簡単に人類史を見てきました。新創世記って題でね。 全部は語りつくせませんでしたけれども。ほんとうの人類の歴史というのは、たかだかここ三、四千年じゃあありません。もっと古いんです。 そしてそもそも人類はどこから来て、どういうふうになったかというのは、またそれは機会をあらためて話すことがあるでしょうけれども、とりあえず地上のみなさんに言いたいことは、現代の文明が最高じゃありませんよ。過去にも現代ぐらいの文明はみんな通過してきた、経過してきた偉大な魂なんですよ。 心のなかをひもとけば、心の秘密をひもとけば、そういう叡知(えいち)がみんな眠っているんですよ。それを忘れちゃいけません。そして現代の文明のなかで胡座(あぐら)をかいておごってはいけません。 過去の宗教人たち、思想家たちは、みんな古い人だから、霊だとか魂だとか信じていたけれど、この科学万能の世の中で、そんなもの通用しないなんて知識人の多くは思っておるでしょうけれども、そうじゃないんです。それがまったく知識がない証拠なんです。 ほんとうの知識というのは、人類の文明にはなんどもなんども高い頂(いただき)があったんだということを、これを知るところから出発するんです。 ノアの洪水というような現象が起き、文明が押し流されて、一部の人だけが逃れていくという事件は、過去何回となくあったんです。 まずそれを知ってください。そしてそれを知ることこそ新しい文明を、これから創っていくためにひとつのきっかけともなり、原動力ともなるのです。 まずそうした正しい歴史観を持ってください。そうしたときに、これから二十一世紀にかけて新しい文明が起きてきます。その意味が、正しい意味がはっきり地上のみなさんにもわかるようになると思います。 ま、かけ足で見てきましたけれども、まあ新創世記ということで、まずお話をしました。明日は「甦(よみがえ)る仏教」ということで話をしたいと思います。
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目次 1.「心と行ない」はわが教えの中心 2.心のなかの思いのチェックと行ないのチェック 3.「心」と「行ない」双方のバランスが重要 4.不自由しないていどの金銭的余裕が必要 5.心と肉体の調和のたいせつさ 6.八正道に基づいた心の探究 7.「思い」と「念」 8.「行ない」としての「正しく見る」、「正しく語る」 9.反省によって希望のある人生の第一歩を踏み出せ (1987年8月13日の霊示) 1.「心と行ない」はわが教えの中心 では三章、「心と行ない」という題で講演をしたいと思います。まあ心と行ないというのは、私の教えの、これほんとう、中心も中心ですね。前章の中道もそうですが、心と行ない、これを説くためにまあ出たようなもんなのですね。 高橋信次の人生、いったいなにを言うたかというと、ようするに心と行ないのこれの調和ですね。これを僕は言いたかったのですね。けっきょくはこれなんです。 なんか去年だったか、観音寺の村上和尚さんがなんか『心と行ない』なんて本をだしちゃってね。最近行ないがどうなったのか心配なんだけれども、まあ私のね、生前の教えを受けて、なんかそんな本書いたようですね。 弟子たちのことを言い始めると、また心と行ないがイライラしてくるからもうあんまり言いたくないんですけれども、まああのね、単純なことですけれどもだいじな発見だと思うんですね。 「人間ね、いちばんだいじなのは心と行ないですよ。」ってね。言われてみりゃあそうかなと思うけれども、意外に気がついていないのですね。 「何とかさん、あなたの人生でいちばんだいじなものはなんだと思いますか。」と、こうたとえば質問しますね。 「そんなのあんた高橋さん、当然ですよ、お金ですよ。」こういうかもしれない。 で、ある人は「なにを言ってるんですか子供よ、子供にちがいないわ。」なんてね。 「なに言ってるんですか、結婚ですよ。結婚さえできりゃあ、それさえあれば。」なんていう人もいるかもしれない。 あるいは「マイクさえ握れたらもう幸せ。」ってこんな人もいるかもしれませんね。 あるいは「もうテレビの画面に顔が映ることが幸せ。」って言う人もいるかもしれません。まあなにがだいじかっていうと、いろんな考えかたがあるでありましょう。 ただ大きく言えばね、やっぱり心と行ないなんですね。片方だけじゃ駄目なんですね。「僕は心がきれいだったなあ。」なんてねえ、「心はきれいだってそして洞窟のなかで一生終わった。」なんて、これは駄目なんですね。行ないがない。こんなの駄目なんですよ、役に立っとらんからぜんぜんなんの役にも立っとらんからね。 やっぱり人間はこの心がよくて、そしてやっぱりね、世のひとびとのためのお役に立たにゃいかんのですね。そういうことで行ないということ、これもひじょうにだいじなんですね。またこれは両方だいじであるという教えでもあるけれども日々の指針でもあるわけですね。 2.心のなかの思いのチェックと行ないのチェック 日々の指針でチェックすべきところが心のなかの思いのチェックね。それから行ないのチェックね。両方だいじなんですよ。 「僕はなにひとつ人のことを悪く思いませんでした。」なんて道を通るたびに人の顔を叩いて歩いておったりしてね。 「いや手が勝手に動いているので物理的現象です。本来肉体なしですからなぐったってぜんぜん関係ないんです。」なんてね、「心のなかでなんにも思っていませんでした。」なんてね、こんなの駄目なんですね。 だから無意識のうちに行ないが変なんっていうのいっぱいいるんですね。これはもうほんとうにいるんですよ。そう不自然な行ないをしている人ね、気がついていないだけでね。読者のみなさんのなかにもいっぱいいるんですよ。 高橋信次霊言シリーズはほんとうにいい本だから、そんなのもう万引きして帰ったってかまわないんだ。こんないい本ただでやはり世のひとびとに拡げるのは当然で、こんなのはお金取ってはいけない。だから書店で売っているけれどこんな資本主義の原理って通らない。 心の世界ってそんなもんじゃないね。やっぱり神様は無所得のままにね、愛と慈悲を与えておるのだから、高橋信次霊言シリーズを、これは無所得のままにやっぱり配らにゃいかん。そういうことで本屋からサーッと一冊抜いて懐(ふところ)へいれて帰る。こんなの駄目ですよ。 それは世の中の原理がわかっていない。 あなたね、本だってタダじゃできないんですよ。本を作るためには紙がいるんですよ。インクもいるんですよ。紙代とインク代だけじゃございませんよ。 活字代っていうのがいるんですよ。活字も造らにゃいかんですよ。それだけじゃありませんよ。活字を拾っている人の労賃というものがいるんですよ。賃金があるんですよ。 印刷屋も食っとるんですよ。その印刷屋の下で製本屋が製本しとるんですよ。製本屋で製本したものをこんどは出版社がこれまた取次店に売り出しているんですよ。取次店に出すときには千二百円じゃありませんよ。これはもっともっと安いお金じゃないと取次店には出せないのですよ。 取次店はまたコミッションを取ってそれで生活して書店に出しているんですよ。書店がまたこれで二割ぐらいかね一割か二割か知らんがそれで利益を上げてやっとるんですよ。そういうもんですよ。 そういう経済原理があってお金がかかっておるということを知らずしてね。こんないい本ただで配るの当然だなんてね。 ただ配るというと、たとえばそれを強制したらどうなるか。その結果そりゃいいですよ。当然いいけど、じゃその制作費それじゃやっている霊言集つくっている人みんなただ働きせねばいかんですか。じゃあそのためにはどうせねばいかんのですか。またほかで働いてこなきゃいかんわけだな。収入得なきゃいけない。 ただで本を作っているのはいいけれども全国まわって歩いてこんど寄付受けてまわって「寄付ください、寄付ください。」って一件一件まわってね「寄付ください、高橋信次霊言シリーズを無料で発行するために寄付ください。」ってね。そして本を読みもしない人から寄付をつのってそして読む人はぜんぜん金を払わない。 これはほんとうにいいかどうかよーく考えたらいいんだよね。やっぱり自分の勉強のために本を買っているわけでね。 ほんとうは自分で読むものは自分で身銭を切らないとほんとうに自分のものにはならないんですね。そうですよ。 そんなもの人からもらってね、そりゃもらって読む人もいっぱいいるだろうけど、もらってばかりいるっていうのはこんなものタメにならないんですよ。それは値打ちです。値打ちの見かたでね、どう見るかですね。 一冊千円、いや千二百円の本だ。高いなあと思うかもしらんけれども、じゃそれは活字を紙代と思っているがなかにはいっている思想はどうかね。高橋信次が語った本なんてことはね、これは一億円払ってもありえないことですよ。高橋信次の復活なんてことはね、これはないことですよ。ありえないことですよ。 みなさん、もうこんなの一ページ百万円ぐらいですよ。それだけ値打ちがあるんだな、それをわからなきゃいけない。 3.「心」と「行ない」双方のバランスが重要 だから心だけを追究するとね、人間また不自然になるんだな。心だけを追究すると、またバランスの悪い人間になっちゃう。ほんとう心はええんだけれども、なんかもうこの世離れした先生なんていっぱいいるんだね。 なにかっていうと先生のところへ訪ねて行ったり電話すると、ただいま瞑想中、ただいま瞑想中なんてね、そんな先生もどこかにいるはずね。 それから「あらいまね、ガブリエルが目の前に現われちゃってね、そうなのよフィリピン行けば金鉱が埋まってるのよ。ね、あなたなんでみんな行かないんでしょうかね。フィリピン行けばそうよ、あそこのとこよ。この島の端っこのところ金鉱埋まってるの。そういう通信を受けたのよ、だれか行って掘らないかしら。」とかね。 あるいは「日本海にね、宝船が沈んでいるのよ。そう私は教わったのよ。だれかやればいいのにねえ。」なんてね、家のなかに四畳半のアパートにこもって霊と話ばかりしていたら、やっぱり行ないのほうがおかしくなっちゃうんですよ。 それで古代インドスタイルで道を歩いたら、買物なんかしてたら、いろんな人が見ればほんとうおかしく見えちゃうんですよ。そういうことになりますね。 だからつまり、両方でね、両輪なんですね。やっぱり問題があるんだね。ね、行ないはいいけど心のほうはさっぱりだっちゅう人もいるかもしれませんね。 もうやることはいいことやってると思うんですけど、心のなかはもうねたみと嫉妬の山だったりしてね。口から言うことはもうほんとうにいいことばっかり言ってて、もう心のなかは嫉妬で煮えくり返っている。こんなこといっぱいあるんですよ。世の中ね。 政治家なんかとくにそうですね。行ないのほうはね、口ではいいことを言ってもう天下国家論じてね。私がいかにみなさんのためを思ってね、みなさんを幸福にしたいか。 白い手袋をはめて手振っちゃって「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。高橋信次最後のお願いでございます。衆議院選挙、高橋信次、最後のお願い。もう最後のお願いでございます。」とね。 「みなさんいま物価を下げ、そしてみなさまの手に正しい国政を取り戻しましょう。」なんてね。ウグイス嬢が「ありがとうございます。ありがとうございます。ご声援ありがとうございます。」なんてね。で、街の人、道行く人ペーッてつば吐いているのにね。一生懸命言っていますね。 まあこういうふうに、外面いいことあったって心のなかはぜんぜんちがうこと考えていることもありますね。 当選さえすりゃね、あとはこっちのものだ。ようするに公約なんて踏みにじったってもう忘れて憶えてはしないんだよ。 国民なんて公約なんてそんなもの甘いんだから、憶えてはいないんだ、と思っちゃえばいいんだ。もうともかく税金は下げますね。みなさんの利益になるようになります、こういうことを言っとけばええんだ。はいったら恨まれムうが自由だ、なんてね。 いっぱいいますよ、こんな人。ぜんぜん駄目ですね。そういうことなんです。 だからこの世を去ってあの世還ってもね、やはりもちろん心が中心だけれども、心と行ないと両方ね、裁かれるのですね。 だから昔はようするに地獄に堕ちる人っていうと行ないのほうね。行為だけのことよく考えられましたね。人を殺したら地獄に堕ちる。それから物を盗んだら地獄に堕ちるね。隣の家の妻を貪(むさぼ)ったら地獄に堕ちる。 こういうことをいろいろまあ言われておりましたが、じゃそれさえしなけりゃいいのか。戒律となってね、戒律さえ守ればええのかといったら、戒律守ったのに「あれおかしいなあ、ストーンと堕ちちゃった。」っていっぱいあるんですね。 戒律は守ったけれど心のなかは真黒けっていうの。そりゃあそうですよ。人は殺さなかったね、たまたま気が弱かったから。 人は殺さなかったけど心のなかは毎晩毎晩「殺したい、あいつを殺したい、殺したい。」こんなこと一生思って死んであの世に行ったら、そりゃ行くところは地獄ですよ。 そんなところへ行っちゃいますね。だから意外にこの辺がわかんないんですね。 だからイエス様が聖書のなかで言ってますねえ。心のなかでやはり思ったことも罪だということを言ってますねえ。 「心のなかで姦淫したる者は実際に姦淫したのといっしょだ。」ということを言っていますねえ。こんなのは知らない人だと困っちゃうんですね。 「こんなそんなひどい。そりゃねえでしょうイエス様。」ってね。「心のなかで思っただけでじっさいに子供ができちゃったりしたらいろいろ問題があるでしょうが、心のなかで思ったってあなたなにも子供ができないしね。未婚の母にもならないし、悪くないじゃないの。」なんて言うけど、まあそりゃね。 そりゃあの世へ行けば心しかなくなるんでね。心のなかでいつも悪いこと考えていりゃ、そりゃ悪いところへ行くんですね。そりゃしょうがないやねえ。 そりゃ行ないはよかったなんてね。そりゃそういうわけにはいかないんですね。だからまあその辺がむずかしいんですよ。 だからじゃあアリ一匹殺さない、心のなかでアリ一匹殺さない。「しまった、きのう蚊を一匹つぶしてしまった。パチンと蚊をやっちゃった。もう僕の罪は許されない。もう心と行ないも悪かったから地獄で永遠の業火(ごうか)に焼かれる。」なんて、まあそういう極端もあるけれども、まあその辺ね、両方やはりよく見ていかねばならんのですよ。 4.不自由しないていどの金銭的余裕が必要 だからねえ、まあかえってね、その行ないを制限することによってこんど心を縛っちゃう場合もあるんだなあ。これがむずかしいんだよね。 だからもうお金はいけない、お金はいけないっていうことでたとえば決めつけられてね、行ないのほうでようするにとにかくお金に縁のない行ないばっかりやると、こんど逆にこれがひっかかるんだな、心のなかでね。 お金、お金、お金ね、ひっかかってくるんだね。ようするに金儲けをしちゃあいけない。お金を使っちゃあいけない。もらってもいけない。まあそれだからお金は動かないはずでね。心のなかではほんとうそのお金のことでもう頭がいっぱい。そんなことではいけないね。 そんなんじゃなくて、適度にお金を使って適度に儲けている人のほうがなんのさしつかえもないかもしれませんねえ。僕はそう思いますよ。 だからねえ、そりゃ神理のやっぱり協力者もそうでね。やっぱり僕はいっしょだと思いますよ。行ないを制限することによって心を縛るということがあるという話をいま、しておったわけですが。 まあねえ、だからたとえば正法行者ね、手伝いたいという人がいっぱい来ておるわけでありますけれども、まあなんて言いますかね、ただこういう神理の手伝いをするとようするにお金をもらっちゃあいけないと。 たとえば頭のなかで思い込んじゃうとまあそれがね、ひっかかりになって苦しんじゃうね。 カアちゃん、子供との調和ね、「子供はまだ小学校よ、あなたどうするの。」なんて言われて「子供は小学校だとたいへんだけれども、しかしこんな神理手伝ってお金もらうのはいけない。一銭ももらえない。」で葛藤に苦しんでね、しょうがないから貯金はたいて田舎の土地を売って生活をするか、なんてね、なっちゃうと苦しみになっちゃいますね。 なんか田舎の山三個売ったなんてね。そんならやっぱりまた近所でね、噂になっちゃう。「へんな教えにこっちゃって山三つ売ったらしいわ。」なんてこうなっちゃうね。 だからまあね、僕はね、前回の中道とも関係するけれども、まあ世間からそうおかしく言われないていどにね、やはりなんと言いますかね、調和ある生きかたといいますかね、これだいじじゃないかな。 だからお金も、お金に不自由しないていどのお金ね、ありあまると悪いことするけれども、不自由しないていどのお金ね。これだいじだと思いますよ。 そうすると心のバランス、行ないのバランスがとれてくる。 まあ仕事もそうだね、多すぎてもやっぱりおかしくなるし、少なすぎても駄目ですね。仕事がぜんぜんないと悩みになるし、多すぎるとアップアップいっちゃう。だから仕事のことをほしいと思わず多すぎると思わないていどのね、仕事だいじですね。まあそういうことですね。 5.心と肉体の調和のたいせつさ だから中道という話も先ほどしましたが、やはり心と行ないはね、適度の調和は僕はだいじだと思いますよ。 だからね、なるべく自然体でいくとするならば、まあふつうはありえるかたちでのね、生きかたがいいんじゃないかな。 だから釈尊の生きかたなんかもね、まあある意味では中道と言いつつもちょっと極端はあったと思いますよ。けっこう極端から極端にゆれたと思うんだな。 王宮の栄華、二十九年間栄華の生活をしてそのあとこんどは洞窟のなかで六年。そのあとボロを着て布施をもらいながら生きていく。心は錦かも知らんけれども外はボロボロと。まあこういう生きかただったよね。 まあそのまま真似はできないね。そういうことがあると思うんで、まあ精神的なるもの、精神的なものはすべてであるなんて教えを垂れるかたもいらっしゃるけれども、まあほどほどもだいじだね。 だから色心不二っていうこともあるけれども、心と肉体ね、これは不二一体であると、両方だいじだと、そりゃそうですね。 心さえ磨いとけばいいんだといっても、そりゃあね講演会のとき、栄養剤の一本も飲めば元気も出るんでね。そりゃそうなんですよ、天上界の光だけ受けて講演をやるわけでなくて栄養ドリンクの一本も飲めば、そりゃあ元気はいい。 声の出る薬を飲めばいい声が出る。そりゃああるんですね。そうしたことはあります。だからまあ外面と内面のね両方をだいじにしていく、こういうことがひじょうに僕はだいじだと思いますね。 6.八正道に基づいた心の探究 心とはなにか。だいじだとするその心はなにかというとね、これはひとつには八正道だね。八正道に基づいた心のありかたの探究、これがだいじですね。 で、八正道に基づいた心の探究ってなにかっていうと、まあ正しく見るっていうことがまずひとつですね。 だからまあ心のなかを分析するときに自分は正しく見たかね。それから正しく語ったか。正しく思ったか。正しく仕事をしたか。あるいは正しく生活をしたか。正しく精進をしたか。正しく念じたか。正しく定に入ったか。まあこういうことがありますね。 こういうことを基準でもってね、まあこれが心と行ないを両方みてますね。八正道というのは行ないと心と両方はいってますね。 正しく見るっていうのは、まあこれは行ないでありましょう。それから正しく、たとえば語るっていうこともこれも行ないですね。 それから正しく生活をする、一日の日々の生活が規則正しいもので人間的な知恵からはずれていないものかどうかね、神理に則した生活をしたかどうか。これだいじなことですね。生活が乱れておったらどうしようもありません。 夜中の三時になったらアルコール飲んで外でね、わめき始めるとか、犬といっしょに遠吠えするとかやり始めたら、たいへんなことになりますね。こんなんじゃ駄目ですね。人間としてやっぱり規律のある生活、だいじですね。 あるいはこれ以外にも、まあ正しく念ずる。まあこれは心の作用でしょうね。どっちかといったらね、心の作用ですから。 正しく精進する。精進するといったら現代的にいうとまあ勉強だろうね。神理の勉強する。霊言集を読む。そしてそれを人に話したりする。まあこういうのも精進でしょうね。 正しく定に入る。精神統一の時間を持つというのかな。まあこれも行ないのほうでしょう。 だから八正道のなかにも行ないの部分があって、見る、語る、それから生活する。仕事をする、定に入ると、こういうところが行ないでございましょう。 7.「思い」と「念」 これ以外に正しく思うね。正しく念ずる。まあこういうところが心の部分でしょうね。正しい思いっていうのはずいぶん大きいけれども「思い」と「念ずる」ね、これがだいじですね。 正しく思うっていうのはどういうことかというと、一日の生活というのは反省して心のなかに去来した思いというのを点検するということですね。これが正しく思うということ。これになるわけですね。 正しく念ずるというのは、まあある意味では現代では自己実現でありますね。自分の将来のことをみんな思っておるでしょう。 ただこの時に正しい自己実現のありかたを思っているかどうかね。こういうことですなあ。神様の心に反した方向で思ってないかどうかね。こういうことを考えることかだいじですよ。僕はそう思いますね。だからまあ両方ですね。 「念」というのはようするに、一定の方向性を持っておるのですね。そしてそちらに向かっていく。これが念ですね。 それから「思い」というのはそういうものじゃなくて、寄せては引くような波のようにね、寄せては引き、寄せては引きする。これが「思い」ですね。だから一日のうちもそうした思いが寄せたり引いたりしとるわけですね。 それからそれとはまたべつにね、念(おも)いというのは念というのはね、川のように一定の方向性をもって流れ落ちてる。これを念というのですね。だから正しい思いの「思い」は海岸線の波です。寄せたり引いたりしています。 ところが「念」というのは川ですね。上から下へ下っていく方向性をもってね、勢いをもって下っておる、これが念ですね。 だから川と海ですな。海と川、これが思いと念ですね。この二つなんですね。 思いと念、これが心のなかを流れておるということなんですね。心のなかを流れておる水、これが思いと念の部分だということで、だから心の部分というのは主として波の部分と川の部分、この二つ。海と川、この二つをよく考えてみるということだね。 で行ないは正しく見たのかどうかね、語ったかどうか、こうしたことを点検していくんだね。 じゃあ心のなかの正しい思いっていったいなんだろうか。 正しい思いってなにかな、考えてみるとけっきょくね、これが神の属性に合った思いということですね。すなわち否定的な思い、マイナスの思いでないことだな。 マイナスの思いってなにかというと、たとえば人を不幸にする思いだね。あるいは自分自身を不幸にする思い、これはマイナスの思いですな。 自分自身を不幸にする思いっていうのはなにかっていったら、まあ愚痴、不平、不満ね、足ることを知らん欲望、嫉妬心、こんなのはみんな自分を不幸にしますねえ。 そうでしょう、恨み、つらみ、それから人を不幸にするものもあるねえ。怒り、こんなのはそうでしょう。怒りの思い、まあ憎しみの思いもそうだな。怒りとか憎しみ、こういうものは他人を不幸にする思いですね。 まあこういう極端な恨み、羨望、こんなのそうだろう。他人にたいするマイナスの感情だね。それから自分に対するマイナスの感情、両方ある。 こういう、自分も幸せにならず他人も幸せにならんような生きかたというのは駄目なわけですねえ。だから両者を生かせるような思いかどうかね、こういう点検だな。プラスの思いかどうか。 念というのはようするに、いわゆる自己実現の推進エネルギーですから。自分がときどき思うでしょう、将来のこと考えるでしょう、みんなね。来年はどうなっているかなあってね。 来年は仕事うまくいってるかなあ。肩叩きされるのかなあ、それとも家が建っているかなあ。失業をして失業保険もらっているかなあ。病気しているかなあ。健康かなあ。いろんなこと思いますね先のこと。これ念ですね。 だからこれも積極的な建設的な面を持っているかどうかね。そして、建設的というのは自分にとっても発展的な方向であるし、他人や社会を生かすような思いであるかどうかね、こういうことがだいじですね。この二つがまあ心の部分に当たるでしょう。 8.「行ない」としての「正しく見る」、「正しく語る」 あと行ないの部分は、まず正しく見るということですねえ。見るということは、もうこれは心の部分にそうとう関係していますがねえ。 見るというのは慢然と、ようするに目の網膜に姿が映るだけを見るとは言わないね、見たことをどう思うかということにつながっているから思いとも関係しておりますが、ただやはり、フィルターをかけてね、サングラスかけて色メガネで人を見たりね、ものごとを見たりしていないかどうかということだね。そういう極端な見かたがあるのですねえ。 だから研修会なんか行って、ある人がたとえばワンワンと泣いたとする。それをある人が見れば、ああ感動の涙を流していると見る。ある人が見れば、悪霊が憑いてあばれとったと見る。事実がどっちかを知らない。 ただそういうふうに物の見かたというのはちがうわけですね。こういうことがあるわけです。 まあそれ以外にも、たとえばなんといいますかね、「見る」のつぎは「語る」ですねえ。「語る」でも同じですねえ。悪しき言葉というのはあるのですねえ。 その言葉が人の心に突きささる。こういうことだってあるのですね。心のなかに突きささるような言葉、こういうのはありますね。 だいたい人が不幸になるのは言葉ですね。こういう言葉が突きささっていきます。こういうことがありますねえ。 これ以外にも言葉以外にもありますが、それは、まあ書いたものなんかそうだろうねえ。言葉というのは口走ったものだけじゃなくて、手紙とかありますね。 よくありますねえ。怒りの手紙なんか夜書いて出すななんて。朝まで置いといてね、出す前にもう一回見てから出しなさいって言いますね、よく。 夜は感情的になってすごいこと書いているのですね。「もう絶交だ。」なんてね。 「許さない。殺してやる。」なんて書く。朝見たら、朝日のなかですかして見るとね、「なんだかおかしい。」 っていうことありますね。 だから語るだけじゃなくて書く言葉も同じですね。だいじです。人を不幸にしちゃいますし、自分も不幸にしちゃいますね。いったん発した言葉というのは、ようするに他人を不幸にして自分のところにまた還ってくるものですね。 だから言葉の訓練、ひじょうにだいじですね。 9.反省によって希望のある人生の第一歩を踏み出せ それからあと正しい生活ということね。これはまあ枠をはずさない、則(のり)をはずさない生活ですね。こういうことがひじょうにだいじです。 まあこれ以外にはそうだね、あとは仕事だね。仕事のやりかたというのはまたべつなときに話はしなければいけないと思うけれども、現代的神理にかなった生きかたね、仕事というのはまたべつな機会を設けて話をしなければいかんでしょう。 あと定(じょう)の入りかたね、精神統一のしかた、これは専門だね、宗教なんかの、毎日毎日自分を正すための精神統一ということも必要と、まあこういうことですね。まあそういうことです。 だからいま思いと行ないと、まあそういうことでふり返ってきましたが、やはり人間というのはね、ぼんやりと自分自身を、なんの気なく毎日を生きておりますからよくよくね、自分というものをふり返り、やっぱり見なおしていかねばいかん。 そのためにはいくつかの視点、反省点、というものを設けてね。やっていかねばいかん。まあそういうことなんですねえ。 だからよくその辺をね、考えてやっていきなさい。まあかんたんでありますけれども、心と行ないということでこれがいちばんだいじですよ。この基本の部分をね、忘れないでください。 まあ反省とかについてはね、またあらためて話すこともあるでしょうが、その心と行ないの不調和をようするに取り除く方向が反省であるわけなんですね。 反省ということによって私たちはその不調和の想念を取り除き、不調和の行動というのを改めることができるのですね。そしてより光り輝いた生活へと第一歩を歩むことができるのですね。 だからこうした心と行ないをようするに点検して、そしてやる作業が反省ということですね。反省によって私たちは誤りを正し、正しい人生、希望のある人生への第一歩を踏みだしていくことができるのですね。まあそういうふうに思ってくださいね。まあ以上です。
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