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58 :上書き第9話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/27(火) 18 21 19 ID Quf4Ljbq 昨日のように、あるいは条件反射のように、加奈の視線を感じた瞬間俺は島村との距離を置いた。 その一瞬の動作だけで俺の息は荒くなる、心臓の鼓動音が聞こえてくる、胸が破裂しそうになる。 加奈の存在が、”いい意味”でも”悪い意味”でも俺の心をかき乱している。 そんな俺の精神状態を覗き込むように加奈は笑顔を崩さないまま、相変わらずの光沢を失い黒々とした目を細めてくる。 「誠人くんのクラスの人に聞いたら”他の人と”どっかに行ったって言ってたから探したんだよ?勝手に行っちゃうなんて意地悪だなぁ」 「悪い加奈…」 「素直でよろしい!」 表面上は何の変哲もないやり取り、いつもと違うところと言えば加奈の目が俺を凝視したまま笑っていないのと、加奈の笑顔が明らかに”貼り付けた”ものだという事だ。 無理に笑顔を取り繕っているのが口元の僅かな痙攣から読み取れる、その動揺した様子が俺の中で一つの確信を生む。 ”加奈が俺と島村の『距離』を見ていた”という確信を。 そう、加奈はいつからかは分からないが少なくとも俺と島村が危うく”行為”に及びそうになったところは見ているはずだ、なのに…妙だ。 加奈は昨日とは違って、偽りの笑顔を通したまま”その事”について一切言及してこないのだ。 何事もなかったかのように、まるで、”自分が見た事”を全否定しその事実を直視しないかの如く。 ”直視しない”と言えばもう一つ加奈には大きな異変があった事にようやく気付いた…加奈の奴、先程俺に話し掛けてきてからずっと島村の事を見てない。 チラ見すらしない、視線は動かず真っ直ぐ俺の事だけを見つめてくる…恰も今この場にいるのは俺と自分だけで、”島村なんていない”と言い聞かせているように。 そんな風に明らかに常軌を逸している加奈が足取り軽そうに、しかし地面をしっかり踏みしめるようにゆっくりと俺の下へと歩み寄ってくる。 「さっ、一緒に帰ろ!今日は誠人くんのお母さんいないからあたしの家に泊まっていかない?」 「ッ!な、何で加奈が俺の母さんの事を知ってるんだよ!?」 「さて何故でしょう?強いて言うなら、”恋人同士だから”かな?フフフ…」 俺は露骨に動揺を示してしまった、それが加奈の怪しい含み笑いを引き起こす原因になってしまうと分かっていながら反応せずにはいられなかった。 加奈の言う通り、母さんは今日何かの会のイベントで一泊の旅行に行っている。 問題はその事を俺は一切口外していないのに何故加奈が知っているのかという事だ…まさか盗撮…って少し冷静になれ。 俺が言わなくたって母さんは加奈の母さんである君代さんに言っているかもしれない、そこを通して加奈に伝わったと考えれば自然じゃないか。 確かではないがそんな事は君代さんに尋ねればすぐ確認出来る、問題はそこじゃない。 こんな単純な事を理解するのにこれ程の時間を有する今の”俺の精神状態こそが”問題なのだ。 ただでさえ叫んで逃げ出したい状況なのに、加奈の巧みな言葉遣いに俺の思考は混乱させられている、正常な判断を下せずにいる。 加奈を”元に戻す”と意気込んでおきながら、ミイラ捕りがミイラになってしまいましたじゃ話にならない。 とにかく今は波を立てない、石橋は渡らない、それを肝に銘じなければ。 加奈が”島村の存在”を直視していないという現状はかなりマズイが、幸い今はそれが非常に望ましい。 加奈が島村への敵意を忘れているのならば”最悪の事態”には発展しない。 このままこの場は潔く去って加奈を落ち着かせてからゆっくり心の緩和を進めて行けば良い。 「あたし、お母さんと最近お菓子作りを始めたから食べさせてあげるよ!」 「是非ともご馳走させて貰うよ」 俺と視線を外さないまま俺との距離を詰め、さしのべてくる加奈の手を掴もうとする。 「人の事無視するなんて、結構な態度ですね」 「はい?」 その手は空を切る、代わりに島村の言葉に踵を返した加奈の背中に触れる。 その背中は少女のものとは思えない程俺には邪悪なまでに巨大に見えた。 島村が…加奈に火を点けてしまった。 59 :上書き第9話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/27(火) 18 22 21 ID Quf4Ljbq 先程まで俺だけを見つめていた加奈の目が島村へと向けられる、俺の時と違いメラメラと苛立ちが溢れているのが揺れる眼球から見て取れる。 加奈にとって”島村の存在を認める事”と”俺と島村の『行為』を認める事”は同意義だから、動揺するのも頷ける。 何て風に冷静に場を解説している場合じゃない。 「あっ…島村さん、いたんですか?」 「えぇ、あなたがここに来るより前から”ずっと”誠人くんといますよ」 はっきりと加奈は今下唇を噛んだ、その証拠に加奈の下唇から血が滲み出ているのが確認出来る。 滲む血は加奈の島村に対する憎しみを顕著に示している。 それを島村も分かっているからか、分かっていないからかは分からないが、いつものように腕を組み余裕そうに加奈を見下ろしている。 こんな具体的に口で出さず相手の腹を探り心を絞ろうとする女同士の緊迫した状況に、俺は立ち尽くすしかなかった。 自分の無力さの程を思い知らされ欠片程のプライドが切り捨てられてしまう。 「それともう一つ、盗み聞きは人としてどうかと思いますよ?」 「なっ…」 「盗み聞き!?」 思わず叫んでしまった。 加奈の方を向いて更に叫びそうになるのを何とか堪える、加奈が島村の言葉に動揺している。 動揺しているという事は……… 「その様子から見て図星ですね」 その問いの答えを一足先に答える島村。 「そこの壁からあなたの長髪が風になびいているのが見えましたよ?」 島村は加奈が出てきた方向を指差しながら嘲るようにクスクス笑う。 俺は全く気付かなかった、逆の方向を向いていたからな…ってちょっと待てよ。 という事は島村は、加奈が見ている事を”知っていた”上で見せ付けてやるようにしたという事か…。 とんでもない女だ。 島村の理不尽な一方的な攻撃に防戦一方の加奈、目と目の間に皺をつくり渾身の力で島村を睨みつけている。 加奈がここまで怒っているのは初めて…いや、最早”怒っている”とかいう次元の話じゃない。 こんなにいがみ合っている人間同士を俺は昼ドラのドロドロ恋愛劇でしか見た事がない。 「あたしの駄目出しばかりしていますが、島村さんこそどうなんですか?」 「何がですか?」 「あなただって”今朝の騒ぎ”は知っていますよね?”あたしと誠人くんが付き合っている事”知っているんですよね?」 「その発言は盗み聞きしていた事の自白と捉えてよろしいんですね?」 「黙れっ!!!」 長い沈黙がはしった。 今まで一度だって聞いた事のない、こんなに大声を張り上げる加奈を。 既に断崖絶壁に追い詰められたように息苦しくしている、事実今の状況はその通りなのだと思う。 島村が「やれやれ」と呆れた感じで呟きながら手慣れたように眼鏡の位置を直した。 「あたしたちの仲を知っておきながら”邪魔”するなんて、酷過ぎるっ!」 加奈の言葉に余裕さは欠片も感じられない、焦りと緊張で喋り方も思った事をそのまま言っているような感じだ。 「何をそんなにムキになっているんです?別にあなたと誠人くんの関係が強国なものであるなら私の事なんて気にする必要はないはずですよ」 対する島村は俄然冷静な態度を崩さない。 相手の言葉全てに反論出来ると言いたげな自信たっぷりの目が眼鏡越しに光っている。 「あたしたちの仲は絶対にこわれないわよ!ねっ?誠人くん!」 「あぁ!」 突然話を振られた俺は反射的にそう答えてしまった。 まぁそう言うつもりだったから別に問題はないが、自分がここまで緊迫していたという事を再確認し改めて驚いた。 頭の中で必死に二人の一挙一動を整理する俺をよそに、即答した事を満足に思ったのか、加奈は”俺にだけ”純粋に微笑みかけた。 そしてすぐに島村へと視線を戻す。 「ほら!あんたなんかじゃあたしたちの仲は壊せないのよ!」 俺からの援護に心から喜び、束の間の勝機に打ち震える加奈。 しかし、やはり”俺たち”は島村を侮っていた。 「確認を要しなければならない関係なんて、”ない”に等しいですね」 60 :上書き第9話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/27(火) 18 23 11 ID Quf4Ljbq 多分”俺たち”は同時にキレた。 島村に、”部外者”に自分たちの関係を否定された事にかつてない程に怒りが込み上げた。 本来なら、俺は女である島村であろうと容赦なくその胸倉を掴み叫んでいただろう。 しかし、加奈の素早く且つ不自然な動きに俺は見とれた。 慣れたように胸ポケットから”何か”を取り出そうとしている加奈、そして、それの招待が分かった瞬間… 「誠人くん離してっ!」 俺は加奈の腕を力一杯握り締めた。 痛がっている加奈の様子に心を痛めながらも、俺は改めて加奈の手に握られている”物”が何かを確認し戦慄した。 それは、何の変哲もない”カッター”、刃が出ていない為”今のところ”は殺傷能力ゼロだ。 しかし、親指を数センチ上げるだけでそれは簡単に人を殺める凶器と化す。 無我夢中で俺の腕を振りほどこうとする加奈を何とか押さえ付ける、もし今この手を離したら加奈は一体何をするというのだろうか…考えただけで背筋が凍る。 「こんな奴ッ!あたしたちの邪魔をするこんな人間をかばわないでっ!!!」 「落ち着け加奈!」 俺が加奈を見るとその視線は別の方向、島村の方向を憎々しく見つめていた。 俺もその方向に首を傾げると、俺たちのこんな様子をまるで楽しむように、滑稽に思うように島村はニヤついていた。 その表情を見て理性を失いそうになるのを必死に抑える、今は加奈を何とかしなければならない。 「加奈、このカッターを離すんだ!」 「あたしは誠人くんがいればそれでいいのにっ!なのにこの女はっ!」 「やめろォ!!!」 俺の声が響いた瞬間、加奈が視点が定まらない目をキョロキョロさせながら体だけ俺に向けてきた。 「え?」という間の抜けた声と共にカッターが加奈の手から滑り落ちる。 俺の発した大声によってより一層静けさが強調された体育館裏にカッターの落ちる音が響く。 俺も、島村も、そして、加奈も、呆然とする中最初にこの沈黙を切り裂いたのは、 「あ…あ………あ…」 加奈のうめき声だった。 加奈が吐き気を催したように口に両手を当て、そこから加奈のうめき声が漏れる。 俺だけを見ながらよろよろと後退りする加奈。 「加奈、どこ行く気だ?」 俺への返答は依然変わらないうめき声だけだった。 俺と徐々に距離を置いていく加奈、小刻みに全身を震わせながら、目に涙を溜め何か言いたげな様子だ。 そんな加奈が発した言葉は、思わず意外と思ってしまうものだった。 「………ごめ…んなさ………い…」 絞り出した言葉はかすれていた。 その言葉を言い残すと、加奈は俺に背を向け走り出していった。 「加奈ッ!」 呼び止めたがそんな俺の声を無視して加奈はどんどん先に行ってしまう。 しばらく呆然とした後追い掛けてみたが、加奈が出てきた壁の分かれ道の左右どちらにも加奈の姿は確認出来なかった。 「加奈…」 何度も呟く、そうすれば戻ってきてくれる気がして…。 「誠人くんはあの人のどこが好きなんですかね?」 そんな俺の期待虚しく、背後から聞こえたのは島村の声だった。 その透き通るような声で先程俺たちに”何を”言ったのか思い出して無性に腹が立った。 島村の言葉を無視し、加奈が放置した加奈の鞄を拾い上げると、島村に俺自ら近寄る。 ちょっと勢いをつければすぐに接触してしまう程近寄った、それ程の距離で行ってやらないと気が済まない。 「何か?」と言いたげなとぼけた表情の島村に俺は思い切りその想いをぶつけてやった。 「今度加奈を侮辱するような事言ったら殺すぞ」 自分でも驚いた、まさか俺の口から”殺す”なんて言葉が出るとは。 しかし、俺は軽はずみでそんな事は絶対言わない、だからこれは本心なんだろう。 吐き捨ててやった後はさっさと島村に背を向ける、この女の顔を一秒でも見ているのはご免だった。 「加奈さんを侮辱してやった時のあなたの顔、格好良かったですよ」 61 :上書き第9話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/27(火) 18 24 10 ID Quf4Ljbq 昨日加奈と抱き合った時のように陽が僅かに覗く、そんな夕方の道を俺は一人で歩いている。 周りには誰もいなく、小鳥のさえずりが聞こえてくる程静かだ。 あましにも静か過ぎて自分の存在が一人浮き、より一層”孤独”である事を思い知らされる。 今までは加奈と一緒にいたから、加奈と一緒に歩いたから、加奈と一緒に笑い合ったから、寂しさなんて感じなかった。 しかし、こうして初めて加奈のいない帰路を踏みしめて俺は孤独感を痛感している。 加奈の存在がこんなにも大切だと分かり切っていた事を再確認する、そして先程自分が加奈にしてしまった事を思い出し拳を握り締めた。 ”あの状況”ではああするしかなかったとはいえ、加奈の気持ちも考慮したもっと上手い対応が出来なかったのかと反省と自問を同時に行う。 加奈は俺が好きなだけだ、ただそれがいき過ぎているだけ…いや行き過ぎるなんてある訳ないかと一人で笑った。 加奈からの愛情なら腹を壊してでも全て頂く、どんなに歪んでいても”加奈からのだから”構わない。 こんなにも好きなのに、何が噛み合わないのだろう…? まぁその答え探しは今度に回そう、今は加奈に謝りたい思いで一杯だった。 きっと家に寄っていったら喜ぶに違いない…俺は”この事態”を楽観視し過ぎていた。 陽はとっくに沈み、街灯が灯り始めた頃、俺はようやく家に着きそうになった。 自分の家と加奈の家と先にどっちに行くか迷いながら向かい合っている二軒を見渡すと、遠くからではっきりしないが人影を発見した。 特に気にはしないつもりだったが、明らかにその人影がこちらの存在に気付くと手を降ってきたのを確認して気が変わった。 少々足早に歩を進めていくと、次第に何か言っている声も聞こえてきた。 その声と、その内容を理解した瞬間、同時にその人影の招待も分かった。 「誠人くーん!」 「君代さん!」 まだ顔ははっきりとしないが、この声で俺を名前で呼ぶのは加奈の母さんである君代さんだけだ。 君代さんとの遭遇で寂しさが紛れたなと安堵していると、君代さんが突然催促し出す。 「誠人くん、早く来てーっ!」 あの穏やかな君代さんが俺を急かすというのは中々ない事だ。 不思議に思い、近付いてみて驚いた、君代さんの顔が困惑と焦りに満ちていたからだ。 「君代さん、どうしたんですか?」 「誠人くん、それが加奈が!加奈がっ!」 鬼気迫る君代さんの表情、それがこの周りで起こっている事態の深刻さを示している。 普段の君代さんからは考えられない程の慌て様に俺にも緊張がはしり、冷や汗が頬につたわった。 「落ち着いて下せず!一体何があったんですか!?」 そう言いながら君代さんの両肩を掴む、自分が思った以上に早口だったのは、俺自信も焦りを隠せないからだ。 さっき君代さんが呼んだ名前…加奈に何が起こったのか、気にならない訳がない。 ただでさえさっきまでなし崩し的に半ば喧嘩別れのようになって加奈を見失ってしまったのだ、責任を感じる。 「加奈が部屋に閉じ篭ったまま出てこないのよ!」 「!」 俺は一瞬にして現実の残酷さを思い知らされた。 俺は考えるよりも先に走り出した、多分本能的な行動だったと思う。 鞄を放り投げて、君代さんが何か言っているのも全て無視して加奈の下へと急いだ。 走りながら後悔や責任や使命感といった様々な感情が俺の中を渦巻く。 どうして”こうなる事”を予期出来なかったのか、思慮の浅い自分をこれでもかという位呪った。 62 :上書き第9話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/27(火) 18 25 07 ID Quf4Ljbq 今日は朝から”異変”だらけだった、それこそ数え切れない位、日常がねじ曲がる位狂っていた。 そんな限りなく非日常に近い日常に身を置いていたから、感覚が麻痺してしまっていたんだろう。 それが、加奈がさっき小声でうめきながら去っていき”俺と一緒に帰ろうとしない”というのが”おかしい”事だという事に気付かせなくした原因なんだと理解した。 しかし、”感覚が麻痺していた”事だけが今の事態への引き金になった訳ではない、それ以上にもう一つ最大の要因がある。 あの時、加奈がうめきながら俺に何かを絶望したような視線を浴びせてきた時、その目には間違いなく”正気”が宿っていた。 行き過ぎる事のない…まぁ繰り返し言うが”行き過ぎの愛”なんて存在しないが、そんな純粋に人を、俺を愛している時の目だった。 俺に対して”上書き”しようとする時の目じゃない、鮮やかな色で彩られた美しい目をしていた、”だから”だ。 そこだけが俺が微かに記憶の底にある”日常”の風景だったから気付けなかったのだ。 つまり、俺が戻そうとしたのは”狂気に満ちた加奈”であって”正気の加奈”ではない、だからあの時の”正気の加奈”に対して危機感を感じなかったのだ。 そして、ここまでに探り当てたピースを合わせて一つの結論が出た…”加奈は正気と狂気の間にいる”。 正気と狂気が混合しているのだ、この状態の時は非常に危ない。 正気だけなら純粋、狂気だけならそれもまた純粋、しかし”二つ”が混ざったらどうなる? 単純にプラスにマイナスを乗法して”マイナス”という訳にはいかないだろう。 ”相反する二つの明確な目的”が衝突した後の結末………これはあくまで推測でしかないが、”本来の目的”を見失う事になりかねないと思う。 具体的に何が起こるのかは想像すら出来ないが、少なくとも”加奈の幸せ”が実現するとは思えない。 それだけは防がなければ、加奈が誤った判断で自ら”幸せの可能性”を潰してしまったら何もかもが水泡にきしてしまう。 何が起こるか分からないのに、目処さえつかない未来の未然防止の為だけに俺は加奈の下へと急ぐ。 恐ろしい程思考が働く事に僅かに自分も”おかしく”なったなと失笑しながらひたすら走った。 許可もなく加奈の家のドアを乱暴に開け、靴を乱雑に玄関に放り出した。 昨日来たのにまるで別世界かのように暗い家屋内を徘徊し、加奈の部屋へと通じる階段を駆け上がる。 焦れば焦る程息が絶え絶えになり、十数段上の二階が遥か彼方に感じる。 焦れったくなる中二階へと到達し、すぐ横にある加奈の部屋のドアを躊躇なく開けようとする。 しかし当然のようにそこには俺の侵入を拒む鍵がかかっている 「加奈っ、俺だ!」 焦りが募り乱暴に部屋のドアを叩く、しかし返事は返ってこない。 その事が俺の心を引き裂く、”加奈が俺を拒んでいる”ような気がして。 しかし今の俺はかなり行動的になっていて、傷付いている暇なんてないと割り切りすぐさまドアに体ごとぶち当たる。 さすがに一回じゃ開かないが高校男子の力だ、徐々に感触を掴みかけたと思った瞬間固く閉ざされたドアがとうとう開いた…そして、”その先”の光景を見て、初めて自分の加奈だけの為の躊躇ない行動に自画自賛したくなった。 「加奈ァー!」 俺は幽閉されたように黙りこくって”ある事”をしようとしていた加奈の腕を掴んだ。 その衝撃で、一糸纏わない加奈の腕から鋭く輝くカッターが”あの時”のように床に落ちた。 落ちたカッターを瞬時に拾い上げ、刃をしまうと自らの懐にしまう。 一時的な危機回避に一瞬の安息を得る、そしてその部屋の有り様を見て動悸が激しくなるのを感じた。 昨日見た部屋とは比べようもない、本当に同じ場所なのか疑いたくなる。 63 :上書き第9話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/27(火) 18 25 51 ID Quf4Ljbq 規則正しく並べられた書物は殆どが本棚から投げ出され床に散乱している、水玉の布団は無惨に引き裂かれ、机の棚は何かを漁られたかのように全開になっていた。 そして最も驚くべき事は加奈の制服を俺が踏んでいるという事…そう、加奈は服を一枚も着ていないのだ。 もしこんな荒れ果てた場でなければ、小さな膨らみの先にある更に小さな山を思わず見てしまうところだった。 まだまだ幼い体に目を取られそうになるところで何とか煩悩を吹き払い、加奈の目を見る。 加奈も俺を見つめている、いきなりの来訪者に驚いている様子だ。 という事は俺が部屋に入ってきたところで俺の存在に気付いた、つまり俺が部屋を破ろうとしていた時には”加奈にはその音が聞こえていなかった”、それ程なまでに”一つの事”に熱中していたという事に恐怖を覚えながら加奈に問い掛ける。 「加奈、今何しようとしていた?」 「何って、”いらない物”を捨てようとしていたんだよ」 加奈は微笑みながら自分の左腕を指差した。 そう、俺が部屋に入った時見た光景とは…加奈が自らの左腕にカッターを添えているというシーンだった。 今思い出すと身震いがした。 俺を見上げ微笑む加奈の笑顔が、”俺の為に”必死に頑張って作っているものだという事に何となく気付き胸が苦しくなる。 「ごめんね…誠人くん」 「何で謝るんだよ?」 「だって、あたしが”欲張り”だから」 加奈の笑顔がみるみる内に崩れていく、その事に罪悪感を感じつつ、加奈の言っている意味の解読に俺は必死になっていた。 加奈が謝っているのは島村にカッターをつきつけた事か? しかしそれは俺に謝るべき事じゃない…考える俺をよそに、加奈は俺を見つめ続けている、その目は”正気”、しかししようとしていた事は”狂気”、俺の恐れた事態にやはりなっていた。 「あたし…”あの時”…誠人くんがあたしに怒鳴ってきた時分からなかったんだ…」 「分からないって、一体何がだよ?」 「島村さんには怒らないのに”あたしにだけ”怒った理由…」 その言葉が深く、深く俺の心に突き刺さる。 加奈に言われて思い出した、俺は”加奈にしか”怒らなかった、いや正確には加奈はそう思っている。 島村の侮辱的な発言に俺はキレかけた、でも加奈も同時にキレたからそれを防ぐ為に俺は加奈に”自分が島村に怒っている”事を見せられなかった。 加奈に”あんな顔”をさせたのは俺のせいじゃないかと理解し、この場から消えたくなった。 何も言えない俺をよそに、加奈は続ける。 「でも部屋で考えて分かったんだ、あたしが”欲張り”だからいけなかったんだって。”誠人くんがいてくれれば”他に何もいらないとか言っておきながら、”誠人くんを独占する権利”まで欲していたあたしが悪かったんだよ…」 加奈が言っているのはきっと今朝の”あの紙”の事だと思った。 あれは加奈が俺を独占しようとした心の象徴だから。 「あたし”誠人くん以外のものは何もいらない”、本も服も友達も何もいらない!だから色々と”捨てた”けどまだ足りない気がして…」 ここまできてようやくこの部屋の有り様と加奈の姿の理由を理解した。 「だから”あたし自身”も切り捨てようと思ったの…誠人くんがいればあたしは…誠人くんがいないと………”生きていけないよ”!何を捨てても構わない、だから誠人くんだけにはどうしてもいて欲しいの!好きなの!好きなんだよ!」 目の前で必死に涙を堪えている加奈を前に、俺は抱き締めたい衝撃を抑えきれなかった。 裸の加奈の小さな体を力一杯抱き締める、その体は柔らかくて、良い匂いがして、愛しくて………ここまで自分を愛している少女を危うく自滅させてしまうところだった自分自身への怒りで頭が爆発しそうになった。 それを堪え、加奈に優しく囁きかける。 「ごめん…こんなになるまで………俺が…」 俺の謝罪に、俺の胸に顔を埋めていた加奈が瞬時に顔を上げる。 その顔は嬉しそうな悲しそうな…”人間味溢れる”ものだった。 「謝らないで!あたしが…」 「もう…思い詰めないでくれ…!」 更に加奈を抱く力を強くし、加奈の言葉を封じる。 驚きながらも加奈は、かつてない程安らいでいる表情をしていた。 そんな加奈に俺は言い放った。 「加奈、”今日母さんいないから”、俺ん家来ないか?」 俺はどういうつもりで言っているのだろうか…分からない。 しかし少なくとも… 「うん…」 一瞬驚きながらも加奈の面した小顔でこくんと頷いた様子を、俺は”了承”と受け取った。
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25 :上書き第8話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/26(月) 00 50 30 ID 7vA5fpNJ 「まだかなぁ…」 腕時計の時間を見て思わず呟いてしまった声は周りのざわめきにかき消される。 いつものように数分の連絡事項だけで幕を閉じたHRの後は自習時間…という名目の自由時間になる。 担任も終業時間になるまでは職員室に戻ってしまうから、喋り場と大して変わらない。 当然勉強している奴なんかほぼ皆無で、皆周りの人間との会話に忙しそうだ。 さっきの質問攻めで今日一日分喋ってしまったような気がして、そして何より考え事をしたくなかったので俺は腕枕を作り机に突っ伏した。 疲れているが寝つけない、幾ら目を閉じても全然眠気は襲ってこない。 こういう時だけ都合の良いものだと観念した俺は寝る事を諦め肘をついた。 そして加奈の事を考える…加奈についての事はあり過ぎて頭が爆発しそうだ。 その無駄に多過ぎる事柄に共通する一つのキーワード…”何故加奈がそこまでするのか?”ていう疑問にぶち当たりすぐにそれは壊れさる。 奢りでも何でもなくその理由はただ一つ、”加奈が俺を好きだから”だ。 そんな事は分かっている、加奈と俺が相思相愛な事も、加奈が俺を好き過ぎる故に”今日のような事”をしたのだって分かっている。 分かっているから心配なのだ、加奈が確実に昔の純粋な面影をなくしていき、やがて更に純粋に”なり過ぎる”のが心配なんだ。 今の加奈を見る限り、明らかに加奈は冷静でない、いや冷静過ぎる気がする。 物事を深く考え過ぎて目の前の簡単な事を取り溢すのではないかと思う。 もしそうなれば…具体的な想像は出来ないが、”ヤバイ事になる”のは間違いないと思う。 そうなる前に加奈を正気にしないと……… 『キーン・コーン・カーン・コーン』 そんな俺の決意を後押しするように終業のチャイムが鳴った。 担任が適当に教室に戻ってきて適当に挨拶を済ませ適当に教室を出て行く。 いつもの日常のリズムに微妙な満足感を覚えながら俺はトイレに行こうとして廊下を見た…そして驚いた。 「誠人くんっ、ヤッホー!」 本来なら別に驚くべき場面じゃない。 しかし普段学校内では極力会わないようにと言っているはずだから驚いてしまった、そこにいたのは加奈だ。 廊下から手を振りながら教室にあたかもそこの住人のように当たり前に入って来た。 突然の来訪者に俺だけでなく他のクラスメイトも加奈に注目する、その中にはニヤニヤしながら俺を見てくる奴もいた。 その存在を気にしないで椅子から立ち上がり、歩いてくる加奈に歩み寄る。 「どうしたの、怖い顔して?」 頭を45度傾ける加奈の眼前に立つ。 少々険しい顔を作り、本当に心苦しいが結構キツ目に問い掛ける。 「どうしてここに来てんだよ?」 「え?”彼氏と彼女”が一緒にいるのは当然じゃない?」 俺からの強めの口調での問いにあくまで淡々と答える加奈。 いつもならすぐに謝ってくるのに、全く動揺した様子のない”静かな返答”が俺の背筋を冷たく貫いた。 「学校内では極力会わないって決めてたはずだろ?」 「誠人くん、そんなのおかしいと思う。過ごした時間だけ仲も深まっていくものでしょ?」 「それは…」 何とか言い返したかったが、今の加奈には何を言っても勝てない気がする。 加奈の言っている事は間違っていない、寧ろ俺がしている事の方が間違っているのではないか? 誰がおかしいのか分からなくなり混乱する俺をよそに、周りは急に賑やかになっていくのを感じる。 「沢崎、加奈ちゃんの言っている事は間違ってないぞ」、「お熱いねぇ!」、俺たちに野次が飛ぶ。 こういう時だけは本当にお節介だなと言いかけたところを何とか堪える。 他のクラスメイトが加奈を姫を扱うように丁寧に俺の席に座らせても、文句は言わなかった、言えなかった。 「加奈ちゃん、あたしたち応援してるからね!あんな”姑息な事”する奴なんかに負けないでね」 女生徒の一人が試合前のボクシング選手に喝を入れるセコンドのように拳を力一杯握り締めている。 それに笑顔で応える加奈。 その女生徒が言った”姑息な事”とは今朝の”あの紙”の事を言っているのだろう…その事が分かった時俺は加奈の顔を反射的に見てしまった。 周りからの冷やかしに困ったような笑顔を浮かべる加奈…この顔を見て限りなく確信に近い推測をした。 加奈が”あの紙”の文面を他者がやったように見せたのには、周りからの同情や応援を受けるという付加目的もあったという推測を。 果たして俺の目の前にいるのは、”本当に”加奈なのか…? 教室内のざわめきに反し、俺は一人沈黙を守っていた。 26 :上書き第8話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/26(月) 00 51 04 ID 7vA5fpNJ 「ふぅ…終わったか…」 終業の鐘の音を聞き俺は溜め息をついた。 結局あの後加奈は休み時間毎に俺の下へ訪れた。 昼飯まで周りから冷やかしを受けながら一緒に食べた。 生徒がどんどん俺と加奈をセットのように認識していく…俺にとっては悪い流れだ。 このままではプライベートと学校生活が同化してしまう、最も避けたかった状況へと事態は進んでいっている。 しかし、止める術は俺には見付けられない。 加奈が笑顔だからそれでいいじゃないかと甘い考えにも逃げようとしたがそれは断じて認められない。 今幸せなだけでは駄目なのだ、加奈には”ずっと”幸せでいて欲しい。 だからこそここで俺が諦める訳にはいかない、決心だけは一人前の俺、その背中を誰かに叩かれる。 振り向くとそこには島村がいた。 相変わらずの大きな眼鏡の位置を慣れた手付きで直している。 「何だよ、島村?」 「不機嫌なのは分かりますが、私にやつ当たりというのは酷いと思いますよ」 この女はやはり侮れない…。 島村と昨日”あんな所”で会いさえしなければ…そんな筋違いな苛立ちをさりげなくぶつけたのを完璧に見抜かれてしまった。 何も言えなくなる俺をよそに、島村は鞄を持ったまま腕を組み、俺の耳に向かって小声で話し掛けてくる。 「”昨日の場所”に一緒に来て下さい」 「”昨日”の場所?」 俺が若干大きめの声で言うと、島村は顔を軽く赤くしながら口元に指を立てた、”昨日の命令”の時のように。 しかしあの時と違って今の島村の指は震えている、実に女の子らしい反応だなと親父くさい事を考えてしまう。 周りを心配そうに見渡す仕草から推測するに、どうやらクラスの他の奴には”本性”を見せたくないようだ。 やけに可愛らしいところもあるじゃないかと思いながら重い腰を上げる。 それを了承のサインと受け取ったのか、島村は踵を返し教室から出て行った、まぁ今は島村に服従している立場だから無理矢理にでも行かされていたんだろうけど。 少々情けなく思いながら島村の後ろ姿を眺めていると、髪から僅かに覗く耳がまだ真っ赤になっていた。 笑いそうになるのを堪えながら、俺は島村の後を追って行った。 ”ここ”、体育館裏に女の子と来るのはこれで三度目だ。 何も変わっていない、昨日島村の本性を垣間見た時と何も変わらない。 「ここは静かで落ち着きますね」 「そうだな」 音はないが殺風景という訳ではないこの広々とした空間に浸っている島村。 時折吹く風でなびく短髪を押さえる仕草はやはり”女の子らしい”。 これで性格さえ治せばきっと彼氏の一人や二人幾らでも出来るんだろうな…って俺島村に彼氏がいるかなんて知らないな。 興味はあるが聞く程の事じゃないし、万が一聞いて機嫌を損ねられたらまた面倒な事になるんで押し黙る。 「短刀直入に言います、”あの紙”の犯人は城井さんなんじゃないでしょうか?」 「なっ!?」 しまった、そう思った。 島村の不意打ちに反応してしまった自分が憎らしい。 今笑ってとぼければ全てが丸く収まっただろうに、こんな露骨な反応をしてしまっては肯定しているようなものだ。 「そうなんですね?」 「あっ…その…」 「やっぱりそうでしたか、沢崎くんと違って城井さんが大して驚いていなかったんでもしやと思ったんですが…」 どこで俺たちを見てたんだというどうでもいい疑問を頭の奥底に封じ込める。 俺の様子を一瞬見た島村が納得したような表情を浮かべる。 島村に…他人に、加奈が”やってしまった事”がバレてしまった。 もしバラされたら…いつもならもっと考えて行動するのに、俺はひどく慌てていてすぐに島村の両肩を掴んだ。 「頼むっ!島村、この事は誰にも言わないでくれ!」 「え?」 27 :上書き第8話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/26(月) 00 52 16 ID 7vA5fpNJ 島村を何とか言いくるめなければ、そうしないと加奈が…。 俺は必死に島村を説得した。 「加奈に悪気はなかったんだ、ちょっと俺との仲を自慢したかっただけなんだよ!ずっと奴隷でいいからこの事は誰にも…」 「”あの事”と引き替えに…と言ったら?」 「”あの事”って…!」 島村が俺より低い位置から俺を見下ろす視線で問い掛けてきた。 ”あの事”とは、俺が女子トイレから出てきた事を言っているんだと瞬時に理解する。 いきなりの問いに戸惑う、だってもし”あの事”がバラされれば俺の高校生活が終わる。 俺の青春に有終の美を飾れなくなる…。 「構わない、”あの事”をバラしていいから”この事”だけは言わないでくれ!」 でも加奈の人生に比べれば自分の人生を捨てるなんて簡単だ。 加奈が幸せじゃないなら俺はどんなに充実した日々を送れたとしても幸せにはなれない。 加奈が幸せならそれでいいんだ、その一心を視線に乗せて島村に送る。 視線が交錯する、お互いに相手の考えを読み取ろうとするように。 しばらくして俺の顔を凝視していた島村が突然ニヤけた、無垢な少々のように。 「何真剣になっているんですか、私がそんな事するような人間に見えます?」 思わず「見える」と言いそうになるのを何とか堪えた。 そして考える、島村はどういうつもりなのかと。 「安心して下さい、どちらの事も始めから言う気なんてありませんよ」 意外な言葉だった。 まさか”あの”島村が…俺を縛っている”縄”の存在を切り捨てるような発言をするから。 始めから言う気がないなんて言ってしまったら俺を”あの事”で縛る事はもう出来なくなるじゃないか…頭が混乱している俺に更に島村が追い討ちをかけてくる。 「いい機会ですし、もう”奴隷”から解放しますよ!」 「え、何でだよ!?」 「そちらこそ何ですか、まだ奴隷になっていたかったんですか?」 「そんな訳ないだろ!」 思わずムキになってしまう俺を楽しそうに笑う島村。 本当にこの女の考えは読めない、そのくせこちらの考えは全て見透かされている気がしてならない。 島村の心中は分からないが、とりあえず半永久奴隷からの解放は素直に嬉しい。 昨日は正直絶望したが、まさか一日で終わるとは。 嬉しさついでに俺は何も考えずに素朴な質問をぶつける。 「なぁ、なんで加奈がやったって事を確認しようとしたんだ?言う気がないなら知ったところで意味がないだろ?」 「何言っているんですか、ライバルの性格を把握するのは略奪愛の基本ですよ」 ………ん? 今なんか明らかに変な事を言ったような気がした。 気のせいかと思い聞き流そうとした俺、しかしそれを残酷に島村は拒んだ。 「まぁ”あんな事”して誠人くんを困らせているような女に負ける気なんてありませんがね」 「は?何を言ってんだお前は?」 思った事がそのまま口から漏れた。 だって本当に意味が分からない、突然俺の事名前で呼ぶし、”負ける気がしない”って誰に対して言っているんだ? 次の瞬間、様々な俺の疑問を”一言で”島村は片付けてくれた。 「私あなたの事好きなんですよ?まさか気付いてなかったなんて事はないですよね?」 28 :上書き第8話 ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/26(月) 00 52 47 ID 7vA5fpNJ 今島村は何と言った…”好き”?俺を? ”島村が俺の事を好き”? 呆然とする俺に呆れ顔で島村は眼鏡の奥に隠した鋭い視線を向けてきた。 俺を切り裂くように見つめてくる。 「本当に気付いていなかったんですか?好きな人でもないと相手を奴隷にしようだなんと思いませんよ」 言われて何となく納得した。 確かにその通りだ。 指を舐めさせるなんて普通の人間にやらせる訳がない…。 首元へのキスマークを含めて、今までの行動は全て俺への好意からだったのか? そう仮定した途端全てが噛み合った。 まさかこんな意外なところに解答があったなんて…俺は愕然としながら改めて島村の顔を眺めた。 その顔は言いたい事を吐き出せたからか、爽快感に満ち溢れていた。 「ま、という事で」 そう言うと島村が俺に近付いてきた。 俺は島村と真っ正面に向き合いながら硬直しているので距離差はどんどん縮まっていく。 やがて靴一個分までに接近してきた島村、何の躊躇いもなく右手をするりと首元に回し、艶っぽい声で囁く。 「これから”よろしくね”、誠人くん?」 あまりにも近過ぎる俺たちの顔、思わず紅潮させてしまうと島村が子供のようにクスクス笑った。 「本当に可愛いんだから…」 そう言うと、島村の言葉の魔力に縛られた俺の口と島村の口が触れそうになる…”触れそうになった”。 「ハハ、誠人くん見ぃっつけた!あは」 そして一気に魔法はとけ現実に引き戻された、目の色を失っている少女の小刻みに震えた声によって。 「か、加奈ッ!?」 俺は一体どれだけ神に翻弄されればいいんだ…? 目の前の最悪な状況を前にして、俺は運命を呪った。
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420 :上書き6話後編 Bルート ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/20(火) 19 39 45 ID d5rR2kul 俺は加奈と一瞬目を合わせ、そして…やはり本当の事を言おうと決心した。 このまま嘘に嘘を重ねてもいつかは必ず崩れさる、それならいっそ今言ってしまうべきだ。 それに何より、加奈に嘘をこれ以上つくのは苦しい。 加奈が真っ直ぐ俺を想ってくれているのに、その想いを裏切るなんて俺には出来ない。 まぁ当然未だに俺の首筋に蒼白く残っているキスマークの事は口が裂けても言えないが…。 胸に手を当て、一旦咳払いをした後、俺は静かに加奈を見つめる。 半分目の色を失いかけている少女を白昼夢から目覚めさせる為、俺ははっきりと耳に届くよう精一杯の努力をして声を張り上げる。 「加奈!最初にこれから言う事に嘘はない事を約束する!最後まで全部聞いてくれッ!」 相変わらず俺の顔を下から覗き込むだけの加奈、表情に一切の変化はないが、それこそが了承のサインだと解釈して俺は続ける。 「時間に沿って話すと、まず加奈が女子トイレから出て行ったよな?あの後俺は”女子トイレ内で”一人になったんだよ…この意味分かるか?」 「…あっ!」 数秒後に加奈は驚ろいた表情で手を口に当てる、”あの時”以来久しぶりに生気の通ったような反応に胸を撫で下ろす。 そわそわしている加奈をよそに、一つ一つ俺自身も記憶を辿りながら淡々と言うべき事を整理していく。 「女子トイレで一人になった俺は一か八かで出て行ったんだが、ここで見事に島村…保健室で俺と一緒にいた奴と鉢合わせになっちまったんだ。変なとこだけは妙にツイてて運命を呪ったね」 半分冗談な風に言って場の雰囲気を緩和しようとしたが加奈は笑わない、見事なまでのスベりっぷりに腰を抜かしそうになりながらも何とか冷静さを保つ。 今は一瞬の気の緩みも命取りだ…一つ間違えれば全てが狂ってしまう、そんな気がした。 「そんな感じで島村に”女子トイレから出てきた変態”ってレッテルを貼られてしまった俺は、口止条件として今島村の半永久奴隷になっちまったって訳だ」 これで良しッ! 自分に二重はなまるを付けてやりたい位の出来だ、と思う。 とりあえずどこにもおかしなところはなかったはずだ。 作文を褒められた小学生のような気分に浸りながら、加奈の反応を待つ。 俺はやるべき事はした、後は”人事を尽くして天命を待つ”って奴だ。 頭の中で甘い未来像への願望を抱きながら加奈を見ると…加奈は当てた手を口に当てたまま小刻みに震えていた。 まさか…と一瞬思ったが加奈は狂いかけてはいなかった、その証拠に加奈の目は人間らしく黒々と濡れて光っていた。 「加奈…泣いてるのか?」 何故泣いているのか、俺には全く見当がつかなかった。 その後の加奈の返答を聞いて、自分がどれだけ鈍いか思い知らされた。 「…それじゃあ…全部、全部あたしの…誠人くんがこんな事になったのは全部あたしの責任…!」 後悔した…俺は加奈のこんなすぐにでも壊れてしまいそうな顔を見る為に一部始終を話した訳ではない。 本当の事とはいえ、もっと言い方というものがあったはずだ。 加奈を悲しませるなんて、俺は一番してはいけない事をしてしまった。 本気で頭を抱えて思い切り叫びたくなる中、加奈が踵を返し走ろうとする。 突然の出来事に戸惑いながらも、俺は片腕で加奈の肩を掴み動きを制止させる。 小さな体が一生懸命前へ進もうとする姿はそれはそれで可愛いななんて不埒な事を考えながら加奈に問う。 「どこに行く気だよ?」 「離して誠人くん!」 いつになく強きな加奈、理性の片鱗が見えるのでとりあえず正気なようだ。 「あたし、今から島村さんの家に行く!全部あたしが悪いんだって伝えるッ!」 「なっ!?」 寸分の迷いもないその視線に一瞬圧倒されそうになるが、気を持ち直し加奈の体を反転させる。 今日保健室でも同じ事をした…しかしあの時とは目的が違う。 俺の言葉を聞かせる為に正面から向かい合う。 「やめてくれ加奈」 「何で!?このままじゃ誠人くんがあたしのせいで…!島村さんを説得して、誠人くんの誤解を解いて解放したいから…ッ!」 「加奈ッ!」 421 :上書き6話後編 Bルート ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/20(火) 19 40 23 ID d5rR2kul ビクリと体を震わせながらキョトンとする加奈。 今日一番の大声に、発した俺も驚いた。 近くの民家に響く程の声に少々自粛しつつ、訴えるように加奈に言い掛ける。 「そんな事したら島村に加奈が俺にした事がバレてしまう、他人に”あの事”を知られてしまったら学校にいられるなんて保証は何処にもなくなっちまう!」 加奈が学校に来れなくなる、加奈の青春を俺が奪う。 そんな事許される訳がない。 それは阻止しなければならない。 「でも…でもぉ…!」 加奈の頬に伝い落ちる純潔の涙、それを左手で下から丁寧になぞり上げる。 止めどなく溢れる涙が加奈の目尻で輝いている。 加奈はやはり加奈だ、俺の事を一番に想ってくれているのだろう…奇妙な確信がある。 自分をここまで愛してくれる子は滅多にいないだろう。 そんな少女の人生の一ページに汚い落書きなど絶対にさせない、その一心で続ける。 「俺は大丈夫だよ…自力で何とかしてみせる。だから加奈、”俺からのお願い”だ、学校をやめなければならなくない事に繋がるような事はしないでくれ…!」 これが俺の今言える全て…そして、加奈に伝えるべき全て。 「そんな、ズルいよ!そんな言い方されたら断れないじゃん…!」 泣きながら加奈は俺の胸に飛込んでくる。 俺の胸元が加奈の溢れんばかりの想いの結晶によって美しく濡れていく。 この涙は俺が出させた涙…でも、加奈の人生にこれ以上皹が入らなくて良かった。 加奈、ごめんな…。 俺は本当にズルいよ、自分の為に加奈に選択肢のない状況を与えて…。 でも、これで良い…これで加奈が幸せになれるなら、俺はいくらでも憎まれ役を買ってやる。 その決心を体言化するように、俺は加奈が泣き止むまでその小柄な体を抱き締め続けた。 加奈の髪に顔を埋めながら加奈の匂いを体中で感じ取り、このまま時間を止めてしまいたかった…。 陽が没し、俺たちを舞台上の主人公のように月光のスポットライトが照らした。 「誠人くん…」 「どうした加奈?」 何分抱き合ったか分からない…加奈が泣き止むまで、死ぬまで待つ覚悟のあった俺にとっては一瞬のようにも思えた。 泣き止んだ加奈がまだ濡れている黒い眼差しを俺に浴びせてくる。 「今からあたしん家来て!」 俺の左手を小さな両手で掴み、懇願する加奈。 犬か何かの小動物が主人に甘えるような目…求愛行動のようにも見えた。 「…わかったよ…」 「ありがとう!」 加奈の顔に光が射し込む。 何でそんな事を言い出したのかは分からないが、俺と加奈の家は近い、別に時間帯を気にする必要はない。 それに加奈を泣かせたんだ、出来る限りに最大の努力をしてその償いをしたい。 「早く行こ!」 急かして俺の手を引く加奈に少しでも負担をかけないように、俺も加奈のスピードに合わせ歩いていった。 422 :上書き6話後編 Bルート ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/20(火) 19 41 19 ID d5rR2kul 「ただいまぁ!」 「お邪魔します」 俺の声は加奈の声によってかき消された。 慣れた感じで屈んで靴を揃えている加奈の姿を見て懐かしい気分になった。 加奈の家に入るのは久しぶりだ。 中学生までは結構来ていたが、高校生になって携帯を買ってもらってからはメールでの会話がほとんどだった。 朝半開きのドアから覗く落ち着いた茶色を基調とした玄関を見る位だった。 俺が靴を脱ごうとすると、近くから忙しい足音が聞こえてくる。 玄関を真っ直ぐ行き突き当たりの壁から中肉中背の女性が現れた。 地味なエプロンをつけているが、愛嬌のある顔が明るい印象を持たせるこの人は加奈の母親の君代さんだ。 この人とは朝加奈の寝坊を共に呆れながら時々語り合ったりしているので遠慮がちな気持ちにはならない。 世代を越えた友達という感じだ。 「加奈お帰り!あれ、誠人くんもどうしたんだい?」 笑顔が似合う、口元が笑い釣り上がる感じが加奈に似ている、さすが親子だ。 「ちょっと加奈の部屋に寄ってくんです、すぐ済みますんで」 「まぁまぁ」とわざとじゃなく大袈裟に口元に手を当てる、癖まで親譲りか。 「久しぶりなんだからゆっくりしていって。序でに晩飯も食べていくかい?」 「いやいや気を使わないで下さい。すぐ帰りますんで」 ”すぐ”なのかは分からないが、この場を取り繕う為に言う。 若干残念そうに見上げる君代さんを尻目に、俺は加奈の誘導で加奈の部屋へと行った。 部屋まで行く途中は懐かしい居心地の良さに浸っていたが、加奈の部屋に行くと一気にそれを忘れてしまった。 「上がって」 手招きされるままに部屋へ入ると、そこは加奈の匂いに満ちていた。 加奈の匂いが俺の鼻から体全体へと染み込み、馴染んでいく。 部屋の前でその余韻に浸っていると加奈が不思議そうにこちらを見てくるので慌てて足を踏み入れた。 中には可愛いらしいぬいぐるみが幾つもあり、可愛らしい装飾が施されていた。 俺の部屋より明らかに小物が多いはずなのに、床にはゴミ一つとてない。 漫画本で雪崩が頻繁に発生する俺の部屋とは大違い…というより比べる事も失礼だな。 帰ったら一度自分の部屋を整理しようと軽い決心をしつつ部屋の様相を目に焼き付ける。 加奈がいつもここで生活してるのかと考えると微笑ましくなる。 きっとパジャマ姿で机に突っ伏してるんだろうな、なんて色々想像の世界を膨らませる。 そんな中、加奈が自分のベッドを指差す、水色の涼し気な感じのベッドを。 「誠人くん、座って」 無言で頷き、加奈の隣に座ろうとするが、加奈は立ったままだ。 変に思いつつ一人で寂しくベッドに座る。 「加奈は座らないの?」 「あたしはここに…」 そう言うと加奈はどこからともなく座布団を持ってきて、俺の前に置いてチョコンと座る。 女の子らしい部屋には不釣り合いな、渋い感じの座布団だ。 気を取られたがそれを振り払い、笑顔を向ける加奈に本題をかける。 「それで、何で俺を呼んだんだ?」 俺は本題を切り出しただけだ、なのに加奈が急に頬を紅く染めた。 頭から湯気でもたつんじゃないかと思う位、病的なまでに紅い。 「そ、それは…」 手を擦り合わせ挙動不振な加奈、露骨にモジモジした様子に思わず近くでその顔を見たくなってしまう。 しかし、近付いてきたのは顔ではなく、加奈の人差し指だった。 小刻みに震えている、何をそんなに緊張してるのかと思った。 「……て」 「え?」 ボソッと呟くように何かを言った加奈。 相変わらず顔は真っ赤だ。 何を言われたのか分からず、もう一度聞こうとした時、それより前に加奈が消え入りそうな小さな声で言った。 「…舐めて…」 「舐めて?」 頭に疑問符がたつ俺。 しかし、執拗にこちらに人差し指を突き付けてくる加奈を見て、”あの時”と同じ状況だと瞬時に理解した。 決定的に違うのはその位置が逆転している事、さりげない加奈の優しさに感動しつつ、加奈に確認を取る。 「指…をか?」 423 :上書き6話後編 Bルート ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/20(火) 19 42 07 ID d5rR2kul 返事の代わりに更に顔を赤らめた加奈。 無言でうつ向く様は、本当に可愛かった。 「い…いいのか?」 正直したいと思った。 好きな子の指、舐めたいと思うのはおかしい感情じゃない…はず。 うつ向いていた加奈が顔を上げる。 突然視線が合いドキッとするが、お互いに離す事はしない、いや出来ない。 「いいの………大丈夫。誠人くんの口…記憶…あたしが”上書き”してあげるから…」 ”上書き”…この言葉を聞くといつも恐怖を感じる。 幼い頃から刷り込まれた狂気の宴…でも、今俺は満面の笑顔を向ける加奈を前に、その言葉に最高の心地良さを感じた。 目でお互いの意思を確認し合い、一拍置いてから俺は生唾を飲み込んだ。 「じゃ、じゃあ…いくぞ?」 頷く加奈を確認し、ようやく震えの収まった人差し指を、丁寧に口にくわえた。 「ひゃっ!」 「あっ!ごめん!」 突然の加奈の悲鳴にすぐに口を離し顔を引っ込める。 しかし罪悪感を俺が感じる間もなく、加奈が無理矢理指を俺の口に入れてきた。 「ごめん…今のは…驚いただけだから…続けて」 …こんな色っぽい顔の加奈を俺は見た事がない。 息荒げな加奈を見て、正直かなり興奮してる。 彼女にこんな表情されたら男としては反応せずにはいられない。 「誠人くん、息荒い…顔が犯罪者だよ…」 そう言って笑う加奈が愛しい。 子供のままな加奈が可愛い。 俺だけの加奈でいて欲しい。 その証として、俺は口に含んだ加奈の指を優しく舌でなぞった。 「ま…こと…くんぁ…」 口を押さえ細めた目で俺を見つめてくる…こんな幸せがあったなんて。 俺が一回動かす度に漏れる声が俺の聴覚を支配する。 目を閉じると頭には淫らな妄想がリアルに映し出されている。 犯罪者というのもあながち嘘じゃないなと思った。 「加奈…」 指を舐めながら彼女の名前を口ずさむ、このまま押し倒したい…本気でそう思った。 自制心が加奈の声を聞く度崩れかける。 衝動に駆られるままいこうとするのを必死に抑える。 「もう…いいかな」 不意に加奈が指を引き抜く。 その指は名残惜しそうに濡れていた…というのは俺の勝手な思い込みで、実際名残惜しかったのは俺の方だろう。 「これで”上書き”し終えたね」 加奈の声が弾ける、俺はというと頭の片隅に僅かながら期待していた”その次”への未練を捨てきれずにいた。 本当に男はどうしようもない生き物だな…自己嫌悪に陥る。 でも、加奈の笑顔が俺にとっては何よりの宝だ。 加奈が笑ってくれているのが一番だ。 息を吐き、ベッドから立ち上がろうとする。 「加奈ありがとな。そんじゃ俺はこれで…」 「あっ、待って。やり残した事がまだっ!」 「ん、何?」 俺が加奈に近付こうとした瞬間、俺の体―正確には首の辺り―が掴まれグイと引き寄せられ、瞬く間に加奈と唇が触れ合う。 そして驚く暇もなく一瞬で離れる。 本当に一瞬…しかし確かに触れ合った。 「これは、あたしからの謝罪とお礼!」 ”謝罪とお礼”とは粋な事をしてくれる…一杯食わされたよ。 はにかむ少女を見つめながら、俺は何とか抱き締めたい衝動を堪えた。 加奈…本当に好きだよ…。 424 :上書き6話後編 Bルート ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/02/20(火) 19 42 54 ID d5rR2kul ―――――――――――――――――――― 「はぁ…はぁ…誠人くんの匂い…」 ベッドに顔を埋めながら、さっきまで誠人くんとしてた事を思い出して、息が荒くなる。 まさか誠人くんに指を舐めさせる事になるなんて…おまけにキスまで…。 別に初めてではないけど、”本気で”あたしからしたのは初めてだ。 今思うと大胆な事の連続だったと思う。 本当は…あの雰囲気なら”その先”もあると思っていたけど…。 さすがにそこまではあたしも誠人くんもお互いに勇気がなかった。 でもあたしと誠人くんの関係はそこらのセックスで繋がっているような汚い連中のそれとは訳が違う。 お互いの気持ちが通じ合った時にこそすべきだ。 いつかその時がきたら、誠人くんから…そんな甘美な妄想に浸る。 それにしても、あの島村という女は何て外道なんだろう…? 誠人くんの弱味を握って、自分の奴隷にしようとするなんて。 どうせ誠人くんとセックスしたいだけの女に決まっている…! 正直殺してやりたかったが、今回の件に関してはあたしにも過失があった、それは認める。 それに免じて今回だけは許そうと思う。 しかし、二度とこんな間違いが起きないように、今からしなくては…。 今すぐしなければ島村のような女がまた誠人くんを誘惑するかもしれない…。 勿論誠人くんがあたしを裏切る訳ない事は今日確信したが、押しの弱い誠人くんが強引にというケースは十分考えられる。 それで傷でも付けて汚そうものなら…! 大丈夫…大丈夫だよ誠人くん? 誠人くんはあたしが絶対に守ってみせる。 その為には何をしなければならないのか、気付かせてくれたあの島村に感謝はしない。 さぁ、今すぐ取り掛からなくては、時間は待ってくれない。 あたしは笑いながらベッドから起き上がり、”すべき事”を始めた…。 ―――――――――――――――――――― 加奈の誤解も解けて、一件落着だ。 昼休みから急に運気が低下していると思っていたが、それは加奈とのキスの為の伏線だったのかな、なんて都合の良い解釈をする。 「島村に付けられた”これ”も見られずに済んだしな」 首筋に触れながら鏡で確かめる。 軽く色褪せてきている、明日には消えているだろう。 それで明日からは元通りの日常に戻る。 俺は浮かれ気分で帰宅した。 明日何が起こるかなんて、俺はこの時想像だに出来なかった…。
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64 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/06/30(土) 23 27 41 ID Vw45L8oY ”本当の恐怖”を感じると、体は微動だにしてくれず、頭は悪い方向へどんどん想像を 膨らませていく――そんなことを聞いたことがある。 正直それは違うと思っていた。恐怖を認識したらすぐにそこから逃げようとするだろう し、必死に状況を打破する策を考える為に思考を巡らせもするはずだと信じていたから。 事実今まで加奈には結構”見られちゃマズイもの”を目撃されてきたけど、その度に俺は 何とか乗り切っていた。保健室での一件は島村の助け――今となってはそれが本意だった のかは定かではないが――を借りて丸く収められたし、体育館裏でのことも島村に対して 敵意を露わにしていた加奈を結果的に宥められた。それは、それらの状況が全て言い訳や 最善の行動でとりあえずはどうにかなる程度のものだったからだ。逆に言えば、そのこと がわかっていたからこそ、心に巣食う畏怖を騙しながら行動を起こすことができた……。 ――つまり、俺が加奈を見据えたまま立ち上がることができないのは、今までのような 生温かいものじゃない”本当の恐怖”を覚えているからなんだろう。 加奈に『上書き』されている時に似た冷え切った思考がそんな結論を導き出していた。 俺が島村に”傷付けられている”という現実を目の当たりにして、加奈がどんな行動を 取ってくるかなんてわかっている。加奈は俺に掠り傷ですら付くのを許しはしなかった。 放っておけばすぐ治るような本当に小さい傷を”汚された証”と称し、”自分が付けた” ということに『上書き』してくる。自分の好きな人に他の人間が触れてほしくないという 当たり前の欲求を歪に肥大化させてしまった、俺の唯一無二の想い人――城井加奈。その 彼女が、俺の体が屈折した手段で汚し続けられているのを見れば、”それ以上に屈折した 手段で、それ以上に浄化する為に、それ以上に傷付ければいい”と考えるのは目に見えて いる。ただでさえ気を失いそうなほど暴行を加えられているというのに、それを更に凌駕 する苦痛を与えられたとしたら、俺は多分――。 そんな末路をも冷静に受け止めることができるのは――受け入れるのを拒否して感覚が 麻痺しているだけかもしれないが――俺が諦観しているからだ。言い訳しようのない事態 を前にして、もう何をしても無駄だと心が訴えかけているんだ。今までと違い今回は加奈 に事の一部始終を見られてしまっている。どんなことを言ったとしても、それは加奈の耳 には届かないだろう。”今まで”と同じように。そして俺は『上書き』”される”……。 もしかしたら加害者の島村に対して何かするかもしれないが、だからといって俺の運命が 変わる訳でもない。結局俺の小ずるい努力なんて、二人の女の子を傷付けて、挙句の果て は自身を破滅させるだけ……。滑稽過ぎる。何だか急に虚しくなってきた。今まで上手く やっていけていたつもりだったが、それは俺のただの思い込みでしかなかったって訳か。 視線の先で肩を震わす加奈の存在が、俺に奇妙な絶望感を煽ってきた。 自分が恐い状況にあることはわかっているはずなのに、不思議と恐怖という実感が全然 湧かない。あまりにも大きい恐怖を感じることを心が拒否したということなのであろう。 俺、無意識下でも逃避している……。――そんな人間がどうして人を幸せにできるんだ? 「はは……」 自嘲気味に笑いながら、せめてもの意地で加奈から目を逸らすことはしない。今逃げて いる分際で下らない自尊心なんかを持ち合わせているからこんなことになったのかな、と 思いながらほぼ生気を失った視線を加奈に投げ掛け続ける。機能としてだけは見ることの できる加奈の表情は、予想通り”受け入れ難い現実”を突きつけられたことで色を失って いる。それが嵐の前の静けさということを知っているだけに穏やかな気分にはなれない。 そんな顔を眺めていると――『上書き』してくる時もそうだが――、一つ疑問に思う。 ――加奈はどうして俺のことが好きなんだ? こんな『幼馴染』ってだけしか接点がなく、目立ったような美点もないような俺なんか の為に、どうして”そんな顔”をしてくれるんだ? どうして『上書き』してくるんだ? こんな疑問に答えなんてないのはわかっている。俺だってどうして加奈が好きなのかを 訊かれたら答えられない。だって、加奈とはずっと昔から一緒にいたし、それが当たり前 だと思っていたから。だが、俺の加奈への想いが思い込みなんかではないってことだけは 絶対に断言できる。 そう、理由なんてあってないようなものだ。どんなに探したって、絶対だと言い切れる ような解答がある訳がない。 65 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/06/30(土) 23 28 46 ID Vw45L8oY それでも俺がそのことを追究したいと思うのは、自責の念に駆られているからだ。この ままではこんなにも俺のことを好きでいてくれている加奈に申し訳が立たない。何もして やれずただ膨張した独占欲の赴くまま『過ち』を犯させてしまった。誰よりも加奈のこと を知っているはずだった俺が――確実に狂気に蝕まれている加奈の様子を見てきたこの俺 が――、一番近くにいた存在であるはずの俺が何一ついい方向に事を進められなかった。 もう、この『罪』を抱えたまま死にたい。……いや、これから死ぬんだったっけ……。 「加奈さん……ッ!」 近くから島村の声が聞こえる。顔こそ俺は見ていないが、さっきまでの不気味なまでの 冷静さはどこへやら、動揺を隠し切れていないのが声色からわかる。そんな不安定な声を 聞いていると嫌でも、二週間前俺が島村に”遅過ぎる告白”をした時の様子を思い出す。 そこで不意に島村が俺のことを好きだという事実が脳裏に過ぎった。思い返せば、島村 も加奈と同じくらい俺のことを愛してくれていたのかもしれない。方向性こそ違えど、俺 を好きであるという点では加奈と同じ。そして今になってようやく気付いたが、結構加奈 と島村は似ている。二人共どっちかと言えばサディストなところとか、俺の為には形振り 構わないところとか――俺のせいで狂ってしまったところとか。 俺は加奈だけに止まらず、島村のことも滅茶苦茶にしてしまったんだ。島村は俺のこと を好きになった『きっかけ』があるようなことを匂わせていたが、どんな理由にせよ普通 彼女持ちの男を手に入れようと思うか? それほどの理由ってのは一体何なんだ……? 興味はあるが、訊くほどの気力は最早残っていなかった。島村に痛みつけられた箇所の 苦痛のせいもあるが、何より心が後ろ向きな考えしかしてくれないのが一番辛い。恐怖を 感じることさえ放棄した完全な無気力状態――それが俺の結末だ。周りの人間を散々掻き 回した挙句、地面の上で無様に転がっているクズ男――俺に相応しい『最期』だったな。 「来ないで下さい……! まだ駄目なんです……まだ……まだ……」 頼りなさそうに震える島村の声が耳に入ってくる。そこから感じ取ることのできる露骨 に動じた様子は、正直かなり人間味に溢れている気がした。今までの島村の周りへの対応 には殆ど『素』が感じられなかった。ただの無意識的な行動なのか、それともトラブルを 避ける為に他者と壁を隔てる手段なのか、理由はわからない。しかし、俺に怪我をさせて しまって何度も心配をして声を掛けてきた時や、クラスの人間に自分と俺の関係を知られ そうになって赤面していた時の島村には”それ”が感じられる。何の歪みもない、純粋な 一人の女の子としての一面を垣間見ることができる。それが、島村の真の姿なんだろう。 ……あれ? そうなると、俺はとんでもない勘違い野郎ってことになる。 俺は今まで危害を加えてくる島村の姿を『本性』として受け止めていた。しかし、実際 の島村は、いい意味で”普通の女の子”であって。俺は島村のことを理解せずに、自分の 都合に合わせて”良かれ”と勝手に思った道を選んでいた訳か。――最低だな。 「誠人くんは渡しません……! あなたになんか渡しません……絶対に」 突如首に腕を絡まれたと思ったらそのまま体を起こされた。そして俺の体は島村の体へ と引き寄せられる。痛いほど強い力で島村は俺を離すまいと言いたげに抱き抱えている。 その力に反して押し付けられた島村の体は柔らかい。ずっと嗅いでいたいと思えるほどの いい匂いもする。そこに『性』の違いを改めて感じる。島村は普通の女の子だ。きっと俺 なんかに惚れさえしなければ、他の男と付き合って真っ当な幸せを歩んでいたんだろう。 そう思うと罪悪感を覚える。島村は俺のことをこんなに好いているというのに、俺は今の 今まで島村に対して『勘違い』をし続けていたのだ。愛を受ける資格なんて俺にはない。 それでも島村の温かみに快楽を感じている自分に嫌悪しつつ、加奈に”最悪の光景”を 披露し続ける。今までの俺ならこんな状況を加奈に見られたらだとか色々考えて、すぐに 島村から離れていただろうな。それは自分の保身の為であり、加奈の為でもあった……。 手遅れな現実を享受し、俺は諦観と共に目を瞑ろうとする――刹那。 俺の目に映ったのは――。 俺に背を向け、走り出していった加奈の姿だった。 66 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/06/30(土) 23 29 49 ID Vw45L8oY 「加奈……!?」 自然と呆けた声が漏れた。 全く意味がわからない。加奈は俺を『上書き』する為に一目散に俺の下へ向かってくる はずなのに、実際は俺に背を向けて行ってしまった。”今までの”加奈なら俺が傷付く様 を黙って見ているだけだなんて理性的な行動が取れる訳がない。それなのに何でなんだ? ほぼ事実だと認識していたはずの推測が引っくり返ってしまって、俺は戸惑っている。 だけど、今俺の胸をじりじりと焼き焦しているのはそんな『疑念』だけではない。俺の 心を掻き回し、心臓を跳ね上がらせている真の要因――それは、『焦燥感』だ。 加奈に『上書き』されることを半ば諦め気味に享受しようとしていた――腹の底では、 傷付くことを恐れていた――その俺が抱くにしては明らかに矛盾している感情だ。だって このままおとなしくしていれば自分に危害を加える存在である加奈から離れられるのだ。 なのに、既に視界から消えてしまった加奈の姿を追いかけたいと思っているのは何故だ? ――馬鹿野郎。そんなの、加奈が好きだからに決まってるだろ。 今まで呆れるほど痛感させられ続けたこと。俺はどんな加奈だって好きなんだ。たとえ 狂っていたとしても、そんなこと些細な問題でしかないと思えるくらいに。加奈を愛して いる。だから失いたくない。離れていってほしくない。 初めて俺を拒絶するかの如く逃げ去っていった加奈を見て、どうしようもない不安が俺 の心中を支配している。このままでは加奈を失ってしまうのではないかという恐怖が余計 に俺の焦燥感に油を注ぐ。早く行かないと、二度と元に戻れない気がしてならない。 一緒にいるのが当たり前だった幼馴染を――加奈と離れてしまう。 その最悪の光景が脳裏に過ぎった瞬間、泥沼の奥底へと沈み続けていた『力』が完全に 奮い起こされた。有り余るほどの『意志』が爆発して、数分前までの自分を死ぬまで殴り 続けてやりたい気分だ。俺は何をやっていたんだ? ”何をやっても無駄”と勝手な憶測 で無気力という逃避手段への理由を作って『努力』を怠たる、なんてふざけ過ぎた話だ。 一番傷付いているのは、加奈なんだぞ? 『上書き』してくるのだって、俺が他の人に 傷付けられたことに――穢されたことに傷付いて、自分でその罪を被ってまで俺のことを 守ろうとしてくれているからだ。だけど、俺は油断が原因で傷を増やし続けた。それらを 何度も『上書き』していく内に、段々と制御が利かなくなっていて今の加奈が存在する。 ――ということは、加奈を狂わしたのは、俺か? 最低最悪の解答だった。加奈の狂気の循環を助長していたのが自分だってことくらいは わかっていたが、加奈が奇行に走るそもそもの原因は加奈の内に秘める大きい独占欲だと 思っていた。だが実際は、根源すらも俺が作り出していたんだ。俺が加奈を無意識の内に 煽って、それに反応した加奈をまた煽って、の繰り返しだ。『罪』を被っているのが加奈 なのをいいことに、俺に『上書き』してくる加奈を”狂っている”と解釈して、”救う” だとか最もらしいことほざいて正当化してたんだ。自分の『罪』から目を背けてたんだ。 「加奈……! 待ってくれ、加奈ッ!」 恥も外聞もなく、対象のいない情けない声を張り上げる。行き場を失った音が静寂の中 に溶け込む虚しさに孤独感を感じつつ、そんなことを気に掛けている時じゃないと自らを 叱咤する。 幸いにも俺は腐り切ってはいない。何故なら今の俺は、はっきりと思っているからだ。 ”謝りたい”と。今までの過ちを受け入れそれを悔い改め、その被害者となってしまった 加奈に謝罪をしたいと心から思えているからだ。”とりあえず”なんて軽いものでなく、 誠意を以って加奈に自分の好意を示したいという想い。それを俺は感じられているのだ。 後先なんてどうだっていい。加奈にとって最善であると思えることを遂行するまでだ。 俺は体中から漲る力を使って起き上がろうとする。が、 「! ま、誠人くん!? どこに行く気ですか! まさか……」 ほぼ本気で動こうとした俺の力は、それと同等かあるいはそれ以上の力によって虚しく 相殺されてしまう。そこでさっきまでの朧げな記憶が、俺が島村に抱き抱えられていると いう事実を突きつけてきた。慌てて離してもらおうと島村の方へ顔だけを向ける。 「まさか、加奈さんのところへ行くんですか? まさかですよね、誠人くん……!?」 今まで加奈のことだけで頭が一杯だったせいか、懐かしく感じさせた島村の顔は、余裕 の笑みで塗りつぶされていたものから、涙が悲嘆を彩るものへと様相を変えていた。 67 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/06/30(土) 23 31 26 ID Vw45L8oY 「行かせませんよ……!」 抱きつかれる力が急激に強まる。細い腕から出てるとは到底思えない強い力でより一層 拘束の手を強めてくる。言葉通り、絶対に逃がさないという意志が痛いほど感じ取れる。 とはいっても女の子の力だ。本気を出せばすぐに腕の中から抜け出せるだろう。しかし そうすることを俺が躊躇してしまったのは、涙に濡れた島村の顔を見てしまったが為だ。 その涙は俺が流させたものだ。誰も傷付けたくないと思いながら自分の保身も絶対に念頭 に置いていた、そんな利己的な俺の押しの弱さが招いた最悪の結果だ。そのことに対して 俺は責任を感じたいと欲しているのだ。”今すべきこと”から逃げ出す為の手段として。 それだけは絶対に、死んでもしてはならないことだ。 「ちょっと待ってくれればいいんです。すぐに私は『加奈さん』になります。そうすれば わかりますよ! 私と加奈さん、どっちがいいかってことが! 私は”今は”誠人くんに 痛い思いをさせてしまっていますが、誠人くんが私を愛してくれるというのであればもう 何もしません! ”それ以上のもの”は望みません! 私は加奈さんとは違うんですよ! 幸福を噛み締めることも知らずに、子供のように欲を露わにするあんな人とは違います! だから! だから……!」 島村が加奈を貶める発言をしていることに怒りはない。そんなことを言っているのは、 全て俺が原因なんだから。理性が理不尽な本能を押さえ込んでいる。今回だけはいつもの 呆れるくらい冷静な思考に感謝するしかないなと思いつつ、俺は体を思い切り捻る。 その勢いで、島村はいとも簡単に俺の体から放り出される。女の子にそんな対応をして しまうなんて申し訳ないと思いながら、自由になった体に溢れる力で即座に立ち上がり、 そのまま島村から数歩距離を取る。精神的動揺から来る動悸を抑えつつ島村を見下ろす。 一瞬視線を泳がせた後俺を見つけて安堵したかの如く息を吐いた島村は、しかし緩んだ 口元とは裏腹に目を”信じられない”と訴えかけるように見開かせていた。制服を肌蹴て 涙を目の淵に溜めながら見上げてくる島村のその凄惨な姿を前に、またしても心中に常時 用意されている自堕落な道への一歩を踏み出しそうになるのを何とか堪える。 「島村……聞いてくれ」 そして、優柔不断な過去の自分への決別の為に、俺は言葉を――紡いだ。 「俺はどんなことがあっても城井加奈を永遠に愛し続ける――それを、”お前に”誓う」 ”最善にして最悪の手段”で、俺は島村を守り、そして傷付けた。 「……聞きたくない……聞きたくない……」 体を震わしながら耳を塞ぎだした島村に、俺は更に残酷な仕打ちを続ける。 「頼む。聞いてくれ、島村。俺が好きなのは――」 「加奈さんなんですよね!?」 地面に座り込んでいた島村が瞬間の内に立ち上がり、精一杯の声を投げかけてきた。腹 の底から、そして心の底から搾り出しているような嗚咽混じりの声は、俺の心を揺さぶる には十分過ぎるほどのものだった。 「だから私は加奈さんになるんですよ! その私を誠人くんが好きになってさえくれれば 誠人くんは幸せになれます! してみせます! 姿形が同じ人間がいたとして、常に暴力 を振るうような人と相思相愛になれば愛情を注ぐ――その二人のどっちを取るんですか? お願いですから正気になって下さい。”あの人”じゃ誠人くんを幸せにはできません!」 捲し立てるように語り終えた島村は、胸の内にあった感情を全て吐き出したからか、肩 を上下させ怯えるような目線を俺に送っている。俺も視線を外さない。 島村の言っていることは正しいのかもしれない。加奈を選べば俺はこれからもその狂気 に身震いしながら生活しなければならないのかもしれない。それよりは島村のような女と 普通の恋人生活を送った方が客観的に見れば幸せなのかもしれない。だが、幸せは個人の 問題だ。――俺の幸せは、俺が決める。 一歩”前に”進みたい衝動を寸でのところで抑え、俺は一歩”後ろに”下がった。その 意図を理解した島村は、今まで天秤のように微妙な割合で揺れ動いていた表情を完全に黒 の絶望に歪ませた。そして俺は、その島村に追い討ちをかける。 「俺の幸せは――加奈を好きであり続けられることだ」 膝を地面につけて崩れ落ちる島村を見つめ続けながら、最後に、最低の一言を告げた。 「俺のことが好きなら、その幸せを――叶えさせてくれ」 そして―― 「いやぁあああああ!!!!!」 発狂の如き叫び声を発す島村に背を向け、俺は走り出した。 一言だけ言わせてもらえるなら言わせて欲しい――”ごめん”って。 68 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/06/30(土) 23 32 23 ID Vw45L8oY 走る。頭の中でひたすら加奈の名前を連呼しながら。多分その様を”俺が”見たら非常 に無様なものに映るだろう。先程までのことを思い返せば、それは俺が泣かしてしまった 少女から逃げているようだから。勿論そんな気は全然ない。”加奈を追いかける”ことを 大義名分にして島村から逃げるだなんてことは絶対にしていない。そのことは断言できる のだが、自分を好いてくれていた娘に対してあんな対応をしてしまったことに関しては心 を痛めずにはいられない。あれほど残酷な言葉をぶつけることが彼女にとって最良の対応 になってしまうまでの過程は俺が作り出したのだから、それに罪悪感を感じるなんて失礼 極まりないことだとはわかっている。だけど、それでもこんなことを思ってしまうんだ。 ――二人共傷付けずに済む方法はなかったのか、って。 今でもこべりついている”中途半端な優しさを振りまく偽善者”な俺がそう語りかけて くる。しつこく言い聞かせていたはずの答えを無理矢理捻じ曲げようとする未練たらたら な自分が未だに存在することが恥ずかしい。人間、どんなに表層的な余裕の態度を装えて もそう本心をリセットすることなんてできないもんだ――そんな風に開き直れたらどんな に楽なことか。当然島村に大きな傷を残してしまった俺なんかにはできないことだ。何年 もの間培ってきた甘ちゃんな俺がそれを許すはずがない。そう、俺が島村を傷付けたのは 事実だ。それでも――俺は”正しい道を歩めている”。自尊心や自己満足や、そういった 身勝手な感情に振り回されながらも、やっと正解への一途を辿っている。 ――それでいい。 たとえ心がついていけなくても、実際に周囲の人間に影響を及ぼす『行動』として俺は 頑張れている。今まで『自分』を軸にして考え行動してきた俺が、行動で以って他者への 労りを示せている。それは加奈が幸せになる為に俺が大いなる成長を遂げている証拠だ。 加奈の幸せを願う俺自信が良い方向に進めている。小さなことだがそれは重要なことだ。 だから走る。もっと『正解』に近付く為に。 ――ただ、一つだけ気掛かりなことがある。今は加奈を探すことに専念していて冷静に 思考できないからなのかもしれないが、さっきの島村の発言が妙に引っ掛かているのだ。 警鐘のように繰り返し聞こえてくるその言葉を整理してみるが、中々答えはわからない。 何か素通りしてはならないことを聞き落としているような気がしてならない。喉に小骨が 刺さっているようなその感覚に不快感を覚える。 思い出せ。島村は何て言ってた? 「あ」 しかし、漏れた自身の呆けた声が過去への回帰を中断させた。知らぬ間に上がっていた 息を整えながら、前方を見据える。 いた。 学校中至るところを探したが見つからなかった。友達に「帰ってた」と言われて荷物も 持たずに慌てて学校を飛び出した。いつもの通学路を隈なく見渡した。 俺に”そこまで”させるほど大きい存在である――城井加奈がいた。 俺と加奈が幾度となく談笑しながら登下校を繰り返した通学路の途中にある簡素な土手 の真ん中で佇んでいた。俺に背を向けているから表情はわからないが、俺がすべきことは 決まっている。再確認するまでもない。俺は躊躇なく一歩踏み出しながら叫ぶ。 「加奈ァーーッ!!」 土手に響き渡る俺の声。加奈に届ける為に体中から搾り出した声。加奈はすぐにその声 に反応するように小さく体を震わした。そしてゆっくり体を九十度俺の方へ向けてきた。 それでも俯いたままの顔と長い黒髪が邪魔して、表情を見ることは叶わない。右半身だけ をこちらに見せつけながら、加奈は無言でその場から動こうとはしない。俺までつられて 動くことが許されないような気がして数秒固まっていたが、すぐに業を煮やして重い足を 上げる。土手の急な傾斜を足早に下っていき、平地へと体を落ち着ける。 俺がいる坂の末端部と、その反対側にある川との間にいる加奈との距離は十メートルも ない。同じ間違いをし続けて、それでもここまで詰めた『正解』との距離。手を伸ばせば 届きそうな、それでいて果てしない距離。しかし”見えている”。道標があるから絶対に 迷うことのない光明への一本道。手放さない。貪欲で純粋な決意を胸に秘め、口を開く。 「加奈、俺――」 「――誠人くん」 加奈と向き合ったらまず最初に言おうと思っていた謝罪の言葉。それは加奈の小さくも 聞き逃しようのない澄んだ声によってかき消された。俺に断ることなく、俯いたまま加奈 は続ける。 「あたし、守ったよ。『約束』」 69 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/06/30(土) 23 33 13 ID Vw45L8oY 「――約束? 何言ってんだよ……」 「誠人くんが言ったんだよ。『誰も傷付けちゃ駄目だ』って」 加奈のその言葉が、”あの日”のことを思い出させた。加奈を俺の家に泊めてお互いに 相手への愛を再確認し合った夜のことを。あの日、確かに俺は加奈にその約束をさせた。 それは加奈に自身の狂気を認めさせ、戒めとさせる為にやったことだ。それは理解できる が、何故今そんなことを言い出すのかがわからない。その約束と加奈の行動とに一体何の 関連があるのかが全く見えてこない。加奈のことで”わからない”ことがあるという事実 が太い杭となり俺の胸に突き刺さる。その傷口から漏れ出す歯痒さに心が苛まれる。身を 焦がしながら、無言に徹するしか術のない自分に怒りを覚える。今まで如何に自分が加奈 との年月を無駄に垂れ流していたのか痛感させられる。それでも、深い自己嫌悪の闇の中 で無責任に感情を吐露し、自暴自棄に陥るなどという今までと同じ過ちを犯しはない。今 すべきことはそんな下らない自省なんかじゃないのだから。”わからなければ、知ろうと すれば良い”――奇しくも今問題になっている”あの日”に俺が加奈に誓ったことが思い 起こされた。そう、”わからない”ことを嘆いていても前進はない。”わかろうとする” ことの方がそれよりも大切なのだ。そのことを、自分本位に行動してきていたはずの過去 の俺は知っていた。 そういうことを思えていたから完全に腐食し切らずに済んだのかと一人で納得しつつ、 視線を前方に固定したまま固唾を呑んで加奈を見守る。長い沈黙が俺と加奈だけの世界を 徐々に作り上げていくような妙な感覚を覚えていること数秒――その世界は壊された。 「だから何もしなかった。誠人くんが傷付いているのを見ても、『上書き』したくても、 我慢したんだよ。何度も何度も、言い聞かせたんだよ――『我慢できなかったら誠人くん から嫌われちゃう』って……。そんなの耐えられない……誠人くんから嫌われちゃったら あたし生きていけない。それでもあたしの中の汚い心は誠人くんを傷付けようとするから ……『上書き』したいしたいって騒ぐから……逃げるしかなかった。傷付いた誠人くんを 直視しないようにすれば”あたしの中のあたし”を抑えられると思って。誠人くんから、 逃げるようになっちゃったのはごめんなさい……。でも、”そうすれば”何とかあたしは 平生を保てる。誠人くんを傷付けずに済む……。”離れれば”いいんだよ……」 ねぇ、と続けながら、加奈はようやく顔を上げた。そして、俺と目が合った瞬間、堰を 切ったように涙がその両目から零れた。顔だけでなく体もこちらへと向け、言葉だけでは なく加奈は悲壮感を露わにした表情で俺に主張してくる。 「頑張ったよねあたし? 誠人くんの”望む通り”になれたよね!? 偉いよねあたし! ……だから、嫌わないで……。これからも誠人くんの言う通りにし続けるから、何だって するから……だからお願い。あたしを嫌いにならないで……他の娘のとこ行っちゃったり しないで……誠人くん。あたしを……あたしを彼女のままでいさせてっ!! お願い!」 俺の両目を逃がすまいと見つめ続けてくる加奈。長い独白を終えた彼女は、全てを吐き 出した反動から感情の代わりに涙を流し続けながら咳き込むように嗚咽を漏らしている。 その姿を見ながら俺は――打ちひしがれるしかなかった。 俺はまたしても知らぬ間に罪を――それも、死に値する大罪を踏んでいた。俺が加奈に させた約束は、彼女との未来を心配してのことだった。事実この約束が果たされれば、俺 の身の安全は保障されるし、加奈が過ちを犯すこともなくなる。二人の幸せの為ならば、 良い事尽くめの選択だ。だが、やはり過去の俺は『自分』を軸でしか物事を考えられては いなかった。だから気付けなかった。その約束が加奈にとって――『鎖』になるってこと に。 それは残酷な『鎖』だ。加奈が俺の為なら何だってするなんてことはわかり切ってた。 だから、俺が「傷付けるな」と言えば加奈はそれに従う。でも、その無理矢理加奈の狂気 を抑え込む手段では、当然反発が返ってくる。その反発――俺を『上書き』したいという 衝動――を誤魔化す為に、加奈は「俺から離れればいい」と言った。確かにそうすれば、 加奈は限界ギリギリのところで理性を保っていられるのかもしれない。 だが、これは明らかに本末転倒なことだ。 だって、二人が幸せになる為に――、一緒になる為にやろうとしたことなのに、その為 に離れるだなんて、馬鹿げているにも程がある。 70 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/06/30(土) 23 35 29 ID Vw45L8oY 何でこんな矛盾が起こってしまったんだ? 自問自答の答えはすぐに導き出された。簡単なこと。わかってしまえば何てことない。 ――俺は、”変わろうとしなかった”。 今まで俺は加奈を普通の女の子にしようということばかりに目を取られていた。しかし 加奈を変えようとしてはいたが、自分が変わろうとは一度もしなかった。表面では何度も 気合いを入れ直したようなフリして、実際は自分では努力せず加奈を自分の都合良い様に 変えようとしていた。自覚なしで。最も性質の悪い、無意識下の行動で。「加奈の為なら 何だってする」だなんて意気込んでおきながら、今まで一度も”狂気に呑まれた加奈”を 受け入れようとしていなかったのが何よりの証拠だ。肉体的な苦痛に意識を持っていかれ て、俺への愛故に狂った加奈を愛しいと思えなかった。加奈の”いいところ”だけを見て それだけを『加奈』だと認識していた。上辺だけで加奈を”決め付けていた”……。 「ふざけんじゃねぇ!!」 気付けば叫んでいた。必死に我慢し続けていた自身への怒りがここにきて遂に臨界点を 越えてしまった。加奈は俺から嫌われない為に苦渋の選択をしようとした。加奈だけじゃ ない。島村だって、自分を捨ててまで変わろうとした。皆、”手に入れる為”に最大限の 努力をしてきている。なのに俺は一人何をしてきた? 何もしなくても自分を好きでいて くれる娘たちに依存して、俺は生意気に踏ん反り返ってたんじゃないか。 そんな自分が情けなくて、許せなくて。 「ま、誠人くん? どうしたの? 泣いてるの?」 加奈のその言葉を受け目を擦ってみると手に涙が付着した。どうやら本当に泣いている ようだ。格好悪いと思いながら、俺はその涙を止めようとするようにに天を仰いでみる。 もう夕方らしく、空は茜色に染まっている。その澄み切った空模様を見ていると、何だか 心が浄化されていくような錯覚に陥る。そんなことはしてはいけなことだとわかっている が、”今だけは”そう思わせて欲しい。 ――これからすることを、せめて綺麗な心で終えたいから。 一縷の願いと共に、俺は歩き出す。一歩一歩、加奈へと近付いて行く。 「誠人くん、駄目」 加奈が目と言葉で俺のことを止めようとしてくる。その強い意志に満ちた力に屈すこと なく、俺は歩を進めて行く。 「駄目だよ、誠人くん。そんなに近付いちゃあたし……」 俺と歩調を合わせるように、加奈は後退りする。俺と視線を合わせたまま。その目線は 恐怖を感じているのか揺れている。俺が近付くことによって、俺が一方的に『駄目』だと 決めつけた”加奈の本当”が抑えられなくなると思っているのであろう。そして、それに よって俺から嫌われることに、心底怯えているのだろう。 加奈を恐がらせていることに罪悪感を感じつつも、足を止めることはない。 「来ないで……お願い、来ないで!」 その叫びと共に加奈はゆっくりと後退っていた足を突然止め、制服のポケットから徐に カッターを取り出した。見覚えのある形。それはそうだ。そいつは加奈が島村を切りつけ ようとした時のものだから。 俺を威嚇するように睨みつけながら、カッターの刃を素早く出してくる。僅かに覗く陽 の光が、その存在を際立たせるように照らし出している。簡単に人の命を奪える凶器―― それにさえ臆することなく突き進んで行く。 加奈は驚きと戸惑いが混じったように表情を歪めながら、これ見よがしにカッターを俺 に突きつけてくる。きっと刃物を見せれば俺が止まると思ったのにそうならなかったから 状況を理解できないのだろう。だけどすぐわかる。これからその『答え』を示す。 「加奈」 一言告げてもう一歩近付く。俺と加奈の距離は加奈の腕とその手に握られたカッターの 長さの分だけにまで狭まっていた。殺意をまるで感じさせないその刃物を一瞥してから、 俺は”これからすることへの理由”を述べた。 「ごめん……好きだ」 そして、カッターを持った加奈の腕を掴み、それを――自分の首元へ刺し込んだ。 「え!?」 加奈の驚いた声が聞こえたと同時に、首元に冷たさを感じた。その寸秒後、それは一瞬 で生暖かいものへと変わる。肌にべたつく気持ち悪い感覚と共に、何かが流れていく認識 を覚えた。 「誠人くん!? 誠人くん! ……」 加奈の声が薄れかける。本格的にヤバイ。もたもたしていられない。このまま深い眠り へと堕ちていきたい欲を抑えながら、俺はもう一頑張りする為に心の内で叱咤をする。 もう声は出ないけど、行動で俺の気持ちを示す為に、喉下に刺さったカッターをすぐに 引き抜き――加奈にも突き刺した。 71 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/06/30(土) 23 36 32 ID Vw45L8oY 既に俺の返り血で制服を赤に染めていた加奈の首元から、勢い良く血が噴き出る。それ が俺の体をも赤く染め上げていく。俺たちの周囲が俺たちの血で、俺たちの赤に染まる。 これで良かったんだ。今まで加奈にばかり無理をさせて自分が変わる努力をしなかった 俺の、最後の思いやり――。”加奈を受け入れる”。一番簡単で、一番すべきはずのこと を、俺はした。俺のことを『上書き』したいと願う加奈の願望を叶える為に、俺は自分の 身を捧げた。 だけど、一時的な満足感に浸った後、加奈が罪悪感に苛まれ心を病むということは目に 見えていた。だから、加奈を将来的に苦しませない為に、加奈も殺すことにした。 物凄く身勝手なことだってわかっている。もしかしたら加奈は生きててやり残したこと があるのかもしれない。俺は加奈の『未来』を奪い去った。 でも、これが間違った選択だなんて風には、微塵も思っていない。だって。 目の前の加奈が、こんなに幸せそうに笑っているから。 俺の血を浴びながら、共に死の実感を共有し合いながら、まるで一心同体だとでも言い たそうな表情で、俺のことを見上げている。 ――これこそ、俺たちが目指した『幸せ』なんじゃないだろうか? お互いに崩れ落ちながら先に倒れた加奈に覆いかぶさるように倒れる。加奈の温もりに 包まれながら逝ける――なんて幸せなことなんだろうか。 きっと加奈もそう思っている。俺がそう思っているから。 「 」 喉から息が漏れて言葉で伝えられなかったけど、きっと加奈には伝わったはずだ。俺の 言いたかったこと――理解してくれているよな? 加奈のことを抱きながら、俺はようやく手に入れた幸せを噛み締めつつ、目を閉じた。 ――――――――――――――――――――
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320 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/03/11(日) 05 37 33 ID +Tw/UoDg 「今日一晩、加奈を俺ん家に泊めていいですか?」 左隣にいる加奈の肩に左腕を回しながら、ほとんど有無を言わせない口調で訊いた俺と視線を合わせた君代さんは、 一旦俺から自分の視線を加奈の方へと移し、加奈と数秒見つめ合った後僅かに口元を緩めながら静かに頷いた。 「ありがとうございます。明日の朝には帰しますんで、何か心配事あったらいつでも連絡下さい」 「ありがとう、お母さん。我侭言ってごめんなさい」 俺と加奈は深々と頭を下げる、そんな俺たちを君代さんはただ笑顔で見送ってくれた。 そんな気遣いに心から感謝した、正直今平常心でいられるだけでも凄いと思うのに。 加奈の奇行を間一髪で止めた後俺は加奈を抱き締めていた、 その光景は何秒か遅れて部屋までやってきた君代さんにしっかり見られていた。 自分の娘が全裸で男に抱き締められているという見様によっては卒倒してしまう程の光景を目撃し、更にその後 「一晩を共にさせてくれ」と追い討ちをかけられたにも拘らず憤慨しないのはかなりデキる人の証だと思う。 それは勿論何年も自分の娘の幼馴染として接している俺を信用しての事だとは理解していたが、 その『信用』というのが果たして”真の”了承の証なのかという事に強く疑問を抱いた。 君代さんは俺と加奈の関係を知ってはいるが、実際の付き合いとしては高校生になってもキス止まりだった。 だからそんな俺が”娘に『手』を出す訳がない”と解釈した上での了承であったとすれば、 今夜俺が加奈にしようとしている事は君代さんに対する裏切りに為り得てしまう訳だ。 確認したかったが、「”して”いいですか」なんてストレートに訊ける程俺の肝は据わっていない。 この歳で尚且つ夜に娘を預けるんだからそれが”了承の証”じゃないかと勝手に話を進めようともしたが、 今まで何度も世話を掛けてきて多大な感謝をしている君代さんに俺がそんな傲慢な態度を取れる筈もない。 さっきから”『する』事しか考えてないんじゃ”と男が一度は抱く自己嫌悪に陥る中、 顔を上げた俺と加奈に向かって君代さんが固い口を開いた。 「加奈を、よろしくね」 一切屈折のない微笑を浮かべながら、君代さんは俺に向かってウィンクを投げ掛けてくる。 少々刻まれている皺がいい具合に朗らかな印象を醸し出し、年齢よりも若く君代さんの顔を彩った。 その表情が、俺にとっては”了承”という『”許可”の信頼』の何よりの証明だと理解してホッと胸を撫で下ろす。 俺は「はい」と頷くと、傍らに置かれた加奈の荷物を持ち上げた後踵を返してドアを開ける。 「あっ、いいよ誠人くん、あたしが持つから!重たいでしょ?」 「すぐ向かい側までなんだから、気にすんなって」 慌てた様子で荷物に手を掛けようとする加奈の手を軽く避けてみせ、包帯の巻かれた右腕で加奈の頭を軽く叩く。 頬を膨らまして俺を睨む加奈を見て思わず笑いそうになるのを何とか堪えながら、俺はそのまま右腕を加奈の背中へと下ろす。 「失礼しました、君代さん」 「行って来ます、お母さん!」 一旦君代さんの方を向いて一礼した後、再び踵を返し加奈は俺の後についていった。 心の中で、もう一度君代さんにお礼を言った。 321 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/03/11(日) 05 38 14 ID +Tw/UoDg 「誠人くんの家って、久しぶりで何かドキドキするなぁ!」 「確かに加奈の家に行く事がほとんどだったからな」 先陣を切って自分の家のドアを開けた途端、加奈は俺とドアの間の隙間を縫うようにして家へと入り込んできた。 辺りを見渡し驚嘆したような声を漏らしながら目を輝かせている加奈は、”初めて”ここに来たような感じだった。 その様子を見て、幼き頃の懐かしい日々にタイムスリップしたような微笑ましさに満ち足りる一方で、 加奈のその態度に俺との間の微妙な溝を感じ、荷物を下ろしながら項垂れてしまう。 その初々しい仕草は、同時に『余所余所しさ』に繋がるようで、 今までの俺と加奈で積み上げてきた年月や思い出を全否定されたような心地がしたから。 そんな意気消沈中の俺とは対照的に、加奈は靴を脱いだ俺を手招きする。 「ねぇねぇ、誠人くんの部屋に行ってもいい?」 ”部屋”という単語で思い切り卑猥な妄想が脳裏に過ぎったのは男の性だよなと先走りそうな自分を自制する。 男ってのは『そういう事』に関しては一度決断すると頑なになるものなんだなと新たな自分を発見する。 「その前に飯食おう。こんな時間だし加奈も腹空いているだろ?」 僅かに距離が置かれている加奈に左腕についた腕時計を見せつけ、現在時刻を確認させる。 「それもそうだね!」 時計で時刻を確認すると、加奈は腹を擦りながら「えへへ」とはにかんだ。 その動作が妊婦のように見え、慌てて頭の中でその像を払拭する。 さっきから俺は自分の中で勝手に話を飛躍させ過ぎだな、自粛しないと嫌われるぞと肝に銘じながら加奈の下へと歩み寄る。 「そんじゃリビングで………あっ」 「ん?どうしたの誠人くん?」 思わず情けない声を漏らした俺に加奈が下から覗き込むように問い掛けてきた。 その顔が笑顔だからかなり罪悪感を感じてしまう、これからその笑顔を崩してしまうかもしれないから。 言うのが引けたが、冷汗流し続けて突っ立っているだけでは事態は前に進まないので仕方なく加奈の目を見る。 「あのな、加奈………今日母さんいないじゃん?」 「そうだね」 「だからって訳じゃないんだが、その…なんだ………」 言い渋っている俺を見つめる瞳に徐々に暗雲が垂れ込めているのが僅かに下がった眉毛から読み取れる。 こんな不安そうな表情を向けられると余計に罪悪感が増す これ以上こんな表情を見るのは精神的に辛いので、思い切りをつけて真実を伝える。 「今日は俺一人の予定だったから、飯は”簡単な物”にしようとした訳であって…」 「家にカップ麺だけしかないとか?」 先に結論を言われるとその悲惨な事実が生々しく突きつけられた気分になって黙り込むしかなかった。 俺は後先考えない男だなと自分を責める事しか出来なかった…そもそも俺料理出来ないのによく女の子を家に誘えたな。 頭の中で自虐的な発言を自らにぶつけている最中、加奈が俺の肩を掴んできた。 その表情は妙に活気付いているというか非常に楽しそうなものだった。 「大丈夫だよ、あたしが作ってあげるから!」 322 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/03/11(日) 05 38 58 ID +Tw/UoDg 「いやいや!俺から誘っといて飯作らすのはかなり気が引けるんだが…」 「でも作れないんでしょ?」 「うっ………」 さらりと加奈に自尊心をズタボロにされた気がした。 事実だから仕方ないとはいえ、これでは何だか母親の役割を加奈に押し付けているような感じがした。 どうすればいいのかと思案している内に、加奈は鼻歌を歌いながら台所へと突き進もうとする。 「多分冷蔵庫に余り物位はあると思うから大丈夫だよ」 軽くスキップ歩調の加奈の背中を見ながら、必死に俺にでも出来る事を探した。 親がいなければ万年カップラーメン生活になるであろう男が料理で出来る事を考えながら早急に加奈に追いつく。 俺とて男だ、いくら料理とはいえやはりそれを仮にも宿泊人である加奈に全てやらせるのは駄目だ、 その一心でとりあえず今出来る最高の誠意を言葉に込める。 「そんじゃせめて、何か手伝わせて。俺が出来る範囲で何でもコキ使ってくれていいから」 言った後自分でその言葉の意味を確認し、我ながら情けない譲歩案しか出せない事を嘆いた。 沈んだ面持ちで加奈の表情を伺うと、先程から変わらない笑顔のままで応えてくれた。 「分かった、何でもコキ使ってあげるからっ!」 どこにも捻くれたところのない真っ直ぐな視線を向けてくる加奈、だからかもしれないが、 今の加奈の発言にまたもや脳内妄想が駆け巡りそうになった自分に酷く自己嫌悪した。 加奈すまんな、君の彼氏は今現在どんな言動行動も自動的にエロに変換する中年親父みたいになってしまっている、 加奈を横目で流し見ながらそう心の中で謝罪した。 「頂きますっ!」 加奈は手を合わせながら意気揚々と叫んだ、しかし机に置かれているスプーンに手を伸ばそうとせず俺の表情を伺っている。 どうやら目の前でいい匂いを漂わせている根源のオムライス、その味の評価を気にしているようだ。 固い表情ではないが真剣味溢れる視線、これは失礼な事言えないなと思いながら俺も小さく「頂きます」を言った。 結局このオムライスだってほとんど加奈が作った物だ、俺がした事といえば冷蔵庫から残り物の食材を取り出して、 後は少々溜まっていた汚れ物の皿洗いをしただけだった。 将来色々と料理出来ないと不便だなと今更気付き、これは明日以降母に料理を習わないといけないなと本気で思った。 俺の決意はともかくとして…目の前の加奈と目線を合わせながら、加奈の成長ぶりに改めて感心させられた。 小さい頃は二人共君代さんが料理を作る後姿を眺めていたのに、加奈の方はすっかりエプロン姿が様になっている。 家庭的な事に関しては男はとことん女に置いていかれるなと女という存在の偉大さを噛み締めつつ、 料理をしていた為長い黒髪を後ろで縛っている加奈に笑顔を向ける。 さっきから料理に手をつけない俺を不審に思ったのか、「どうしたの?」と心配そうに尋ねてきた加奈をよそに俺はスプーンを取り 恥ずかし気もなくケチャップで『MAKOTO』という文字を書きそれをハートマークで囲んでいるオムライスにスプーンを添える。 割れた半熟卵の中から湯気の立つオムライスの欠片を意識的にではないが焦らすようにゆっくりと口に運んだ。 「美味っ」 口に広がる絶妙な甘辛の風味に、加奈の顔を呆然と見つめながら思わず本音がそのまま漏れた。 323 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/03/11(日) 05 39 34 ID +Tw/UoDg 「本当!?本当においしい?お世辞とかじゃなくて?」 「とんでもない!本当に美味いよ」 加奈を称えながら俺は夢中でオムライスに食らいつく、そんな俺の様子を見ながら加奈は楽しそうに笑っている。 そして俺の本音を聞いて満足したのか、加奈もようやくスプーンを手に取った。 「あっ、我ながら美味しい!」 俺に笑顔を向けたまま”口に注ぎ込む”という表現がぴったりな汚い食べ方の俺と違って丁寧にスプーンを口に持っていった。 そんな加奈を見ながら久しぶりに食べる彼女の手料理に俺は舌鼓を打った。 しばらく夢中で食べる俺を加奈が嬉しそうに眺めるという奇妙な図式が静かなリビングの中で繰り広げられた。 「加奈、本当に悪いな」 食事を終えた後、そう言いながら俺は二人分の食器を台所へと運んでいく。 せめて自分に出来る事だけは加奈に迷惑をかけたくなかったので、食器に関しては俺の専売特許状態となった。 食器を流し台に置き、蛇口を捻りながらどこか遠くの方を呆けるように見つめている加奈を盗み見する。 「結局自分の家で食うのと変わんなかっただろ?俺は本当の意味で美味しい思いしたけど、何か迷惑かけっぱなしだな」 「そんな事ないよ」 ボーっとしていた加奈がいきなり表情を引き締めながらこちらを見てきたので少々驚いた。 加奈はいつも抜けたような態度なのに妙なところでしっかりしているなと感心しながら、皿洗いを続ける。 「でも、いつもの味って何だか新鮮さに欠けたりしなかったか?」 「誠人くん平凡な味だなぁって思ったの…?」 「そんな訳ないだろ!」 急に沈みそうになる加奈に慌ててフォローを入れる、事実本当に美味かったし、 言葉では言えないが…”加奈と一緒に”食べれたんだから何でも美味いに決まっている。 少々焦ったが俺の発言を受けすぐに元の笑顔に戻る加奈を見て一安心する。 「あたしはね…”誠人くんと一緒に”食べれるならずっと同じご飯でも飽きないよ」 その言葉を聞いて思わず皿を落としそうになった、俺の心中でも読み取ったかのようなタイミングだったから。 玄関先で感じた僅かな溝が静かに埋まっていく情景が自然と心の中で浮かんだ。 言葉に表さずとも意思疎通の出来た感動を一杯に噛み締めつつ、加奈の方を向きほとんど勢いで伝える。 「お、俺もだよ!」 言った後加奈の顔を見ると、その顔は沸騰するんじゃないかと思う位頬から耳まで真っ赤に染まっていた。 つられて俺まで赤くなってしまう、そんな俺の顔を俺の言葉を受けた加奈が見てきて、お互いに可笑しく思った。 「あたしたち、客観的に見て、かなりバカップル…?」 「それでいいんじゃね?」 そう言ってやると堰が切れたように加奈と一緒に笑ってしまった。 スポンジでケチャップの痕を落としながらこの状況に多大な幸せを感じた。 このまま今日何事もなかった事にしたかった、そんな俺を現実へ引き戻すように加奈が口を開いた。 「それじゃ…誠人くんの部屋、行っていい?」 324 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/03/11(日) 05 41 01 ID +Tw/UoDg さっきまでの笑い声は突然途絶える、それは多分今神妙な面持ちであろう俺の表情が作り出した空気だ。 「あぁ…先行っててくれ。俺も食器片付けたらすぐ行くから」 「分かった」 椅子から立ち上がった加奈が、静かにリビングから出て行った、途中俺の方を向いた気もするが今は顔を合わせたくない。 水の流し音だけが響く台所内で、昨日から今日までの体験を頭の中で事細かに振り返る。 『非日常』に更に『非日常』が食い込みかなり濃厚な二日間だった気がする。 今は思い出したくない”あの女”との出会い、それによって加奈を泣かせてしまった事、 加奈のあまりの変貌ぶりに驚いた事、そして先程危うく大切なものを失いかけた事………全て清算しなくてはならない。 いつの間にか汚れが綺麗に落ちていた皿を乾燥機に入れながら、俺は決意を胸に加奈のいる部屋へと向かう。 予行練習なしの恋人とのコミュニケーション、久しぶりの緊迫感に冷汗が流れながらも高鳴る心臓を何とか抑えつける。 自分の部屋までの階段を一歩一歩上って行く、気のせいかやけに短く感じるのは、心の隅にある甘えが原因だろう。 現状に甘んじていればいいじゃないかという俺の心の弱さ、意気地なさを露骨に感じ、それを払拭する。 そして俺は部屋の扉の前に立つ、一つ間違えればまた加奈を悲しませるかもしれない、それでも開けなければならない。 このままの関係ではいけないのだ、俺と加奈の二人にとって今のままでは今日のような事を繰り返しかねない。 一度ここで積み上げてきた『互いの理解』というものを無視する覚悟がなければ常に崖っぷちにい続けなければならなくなる。 そんな不安定な関係は御免だ、俺にとってもだが加奈に常時不安を感じさせるような事をするのは俺自身を許せなくなる。 大丈夫だ、そう何度も言い聞かせながら俺は部屋の扉を開けた。 「お待たせ、加奈」 俺が扉を開けた先、俺は部屋の中を見渡すがそこに加奈の姿は見当たらない………と思ったがすぐに見つかった。 俺の部屋の中央に横たわっている皺だらけでくたくたの敷布団が変な形に盛り上がっている。 しかも僅かに上下もしている、その幼稚且つ可愛らしい行動を見て本当に自分と加奈が同い年なのかと疑った。 とりあえず、俺は敷布団のところまで歩み寄り、勢い良くそれを引っ剥がした。 「あっ!」 「何してるんだよ、加奈?」 布団の中には加奈が猫のように丸まりながら横たわっていた。 加奈は予想外だったのか一瞬驚きながらも、すぐに不機嫌そうな表情になった。 「見つけるの早過ぎだよ、誠人くん。もう少し慈悲の心というものはないの?」 「生憎、今はそれどころではないんでな」 俺が少々鬼気迫る表情で加奈と顔を合わせると、自然と加奈の顔も引き締まった。 俺の表情から何となくだが俺の真意を読み取ったようにも見えた。 もう引き下がれない、覚悟を決めなければならない。 「加奈、話がある。何も言わず、聞いてくれ…」 目線は外さない、外したら甘えが肥大化してこれ以上先の事を言えなくなると根拠のない確信を感じていたから。 だが、加奈と目を合わせていれば無理矢理にでも言わなければならなくなる気がする、それは結局加奈に 甘えているのかもしれない、それでもどうしても言いたいから、そこら辺の事は速やかに割り切った。 そんな俺に、加奈は無言でただ頷いた。 325 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/03/11(日) 05 41 47 ID +Tw/UoDg 「加奈、ごめん」 まずどうしても改まってもう一度言いたかった事、この言葉なしにこれからを語るのは今の俺には無理だ。 何も言わずただ俺を見つめ続ける加奈に、俺は話を続ける。 「今まで俺と加奈は上手くやってきていると思っていた。事実特に変な事もなかったし、このままでもいいと思った。 でも、昨日今日の事を考えてやっぱ”このまま”じゃ駄目なんだと思った。俺たちは生まれた時からずっと一緒で、 付き合いの長さで言えばお互い自分の親と同じ位だ。だからだったんと思う…俺いつの間にか加奈の事、 全部分かり切った気でいた。加奈の為に今何をすべきなのかだとか勝手に解釈して自分の考えを押し付けてた。 学校内では会わないようにしようだとか言ったのも、加奈の将来の事を考えての事だと言い聞かせて”分かった気でいる” 自分に自己満足してたんじゃないかと思う。自分にとっての大切な事を加奈にとっても同じなんだってすり替えてしまって…。 本当はどんなに付き合いの時間が長くたって、俺たちはまだまだ未熟なんだ。お互いを分かり切った気でいても、 まだまだ言葉で意思を伝え合わなきゃやっていけない関係なんだ、離れちゃいけないんだと思う。こんな事言うのは 俺たちの関係の程度を認めてしまうから本当に心苦しい…でも、俺は『妥協した幸せ』はいらない。手探りでも構わない、 お互いに言いたい事を言い合って、嫌なら嫌ってはっきり言って、そういう高め合う関係を築いていきたい…。 俺はこんな独り善がり甚だしい男だけど、それでも加奈を誰よりも好きだって自信を持って言える、お願いだ加奈。 こんな俺でも、これからも付き合い続けて下さい」 俺は一語一語噛み締めるように確認しながらその全てを加奈に伝え、頭を下げた。 俺の話中、加奈は本当にただ黙って聞いてくれた、その心遣いに心に感動の波紋が広がる。 いつだって加奈は俺の事を一番に考えてくれた、馬鹿な俺とは違い、常に俺の立場に立って尽くしてくれた。 そんな掛け替えのない存在、失いたくない………俺には加奈しかいない、俺は加奈しか欲しくないんだ。 必死に祈る中、耳に鼻を啜るような音が聞こえたので顔を見上げてみる、そして驚いた。 「加奈ッ!?どうしたんだよ!」 「だ、だって…まこ、誠人くんがそんな…そんな事言うから………嬉過ぎ、て………」 加奈は顔を涙に濡らしていた、スカートの裾を握りながら必死に我慢するように下を俯きながら。 また加奈の涙を見た、でも罪悪感は感じない、だって加奈は今”嬉しい”って言ってくれたから。 「な、何も泣く事…」 「誠人くん」 不意に加奈は立ち上がり俺の首元に両手を巻き付けて抱きついてきた。 いきなりの出来事に顔が赤くなりそうになるのを堪えるので精一杯だった。 そんな俺の胸に顔を押し当てるようにしながら、嗚咽が漏れる口を必死に開く加奈。 「あたしだって…あたしだって誠人くんに………。誠人くんがあたしを好きだって分かってるのに、他の人に傷つけられた って分かると我慢が出来なくなって傷付けちゃった…。あたしの欲深さが、意地汚い独占欲で誠人くんを何度も…。 本当なら嫌われて当然なのに、なのに誠人くんはこんなあたしでも受け入れてくれて…誠人くん…誠人くん………。 こんな、こんなあたしでも、これからも付き合ってくれますか?」 最後の方は聞き取るのがやっとな程小声だった、でも、想いは反比例するかのように俺の心に大きく響いた。 俺は何も言わず、加奈のその体を強く抱き締めた。 たとえ壊れてしまうと分かっていても離せなかったと思う、加奈が愛し過ぎたかたら…。 326 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/03/11(日) 05 42 34 ID +Tw/UoDg 俺は泣き止むまでずっと加奈を抱き締め続けていた、本当は泣き止んでも続けていたかったけど。 俺の上着の胸の辺りが加奈の涙でびちょびちょになるまで濡れ切ったところでようやく加奈は泣き止んだ。 泣き止んだ後は、床に座り込み加奈の黒髪を何度も何度も撫でてやった。 そうしてやると加奈はくすぐったそうに笑う、やっと見れた加奈の笑顔に心中穏やかになる。 いつの間にかずっと抱いていた不謹慎な感情は消え去っていた。 加奈の笑顔さえ見れれば”そんな事”は取るに足らない事、俺は加奈に微笑みかけながら静かに問い掛ける。 「加奈、そろそろ風呂入って来いよ。もうこんな時間だし」 机の上にある時計を指差す、すると加奈は何故か急に顔を真っ赤にした。 自分の発言に何か変なところはなかったかを確認し、妙にもじもじしている加奈の顔色を伺う。 「加奈…?どうしたんだ、顔赤いぞ?」 「ひぇっ!?」 すると突然素っ頓狂な奇声を発した。 何だか瞳も妙に濡れていて、さっきまで泣き続けた子供のような姿とは違ってかなり大人びて見えた。 「ま、まま、誠人くん先に入ってきて!?」 「え?俺の後でいいのか?」 「だ、だだだ大丈夫だから!」 全然大丈夫じゃないだろと言おうとしたが、何だか只ならぬ雰囲気なので突付くのは止める事にした。 俺は立ち上がって箪笥の中から下着類を取り出すと、そのまま部屋の扉へと向かう。 「なるべく早めにあがるから、加奈も準備しといていいぞ」 「う、うん…分かったよ………」 何故か俺と目線を合わせてくれない加奈、まぁその真意は風呂の後に聞こうと思い俺は部屋から出て行った。 ――――――――――――――――――――――――――――― 「ふぅ…」 誠人くんの部屋に一人残されたあたし、とりあえず何考えてるのか読まれなくて良かった。 それにしても、誠人くんがあそこまであたしを気遣ってくれていた事が本当に嬉しい。 誠人くんは自分の事”どうしようもない男”だって言ってたけど全然そんな事ないよ。 あたしを好きでいてくれないとあそこまで言えない、あそこまで想えないよ。 やっぱりあたしと誠人くんの間には誰も割って入るなんて出来っこない、あたしたちは結ばれるべき二人なんだ。 メルヘンチックな事を本気で信じながら、誠人くんが風呂からあがってきたらどうしようかと考えた。 だって、この時間にお風呂って事は………”そういう事”があるって思っていいんだよね? 誠人くんってキスまではしてくれるけどいつも”その先の事”はしてくれない、いいムードになった事も何度かあるけど、 大抵はそこで終わってしまう。 それはあたしを想っての事だって思う、友達に聞いたら男の人って”そういう事”に関してはかなり慎重なみたいだから。 少し残念には思うけど、それがあたしを想っての事だとは分かってるから嬉しかったりもするんだよね。 327 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/03/11(日) 05 55 00 ID +Tw/UoDg でも今のこの感じなら絶対………誠人くんだって”したい”って思ってると思う。 こういう時になると自分の貧相な体に落胆する。 牛乳飲んだりエクササイズしたりして色々と試したりはしたんだけど成長はほとんどしなくて、自分の体が恨めしくなる。 そんなあたしでも誠人くんは愛してくれるだろう、だから見栄えのない分誠人くんの為に少しでも尽くさないと。 あたしは頭の中で脳内イメージを膨らまそうとした、その瞬間突然何か音がした。 それがバイブ音だと分かるのに数秒かかった。 雰囲気が雰囲気なだけに一瞬その音に不埒な妄想をしてしまったのは誠人くんには内緒ね。 それは置いといて、あたしはバイブ音の発信源である誠人くんの机の上に置かれている携帯電話を手に取る。 ボタンを押しとりあえずバイブ音を止める、そして見てみるとメールが一通来ていた。 誠人くんには悪いなとは思いながら、好奇心という小悪魔に勝てなかったあたしは携帯を操作する。 ロックもかけていないところに自分への信頼を感じつつ、メールボックスを開き、そのメールの内容を確認した…。 ――――――――――――――――――――――――――――― 「加奈、もういいぞ」 俺が部屋の扉を開けると、加奈は体育座りをしながら黙り込んでいた。 その傍らには何故か俺の携帯電話が置かれている、何があったのか確認しようとした瞬間、加奈がすくっと立ち上がった。 下を向き俺と目線を合わせないまま俺に近付いてくる。 そして静かに口を開いた。 「誠人くん…”ちょっと”外行って来ていい?」 下を向いたままだから表情は読み取れない、しかし、声色からして何となく嫌な予感がした。 昨日の夕方、加奈に保健室での事を訊かれた時のような緊迫感を全身全霊で感じる。 こんな加奈の様子を前にして、俺は……… 1・すぐに携帯電話を確認する 2・そのまま行かせる 3・止める
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128 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/03/28(水) 20 06 18 ID EUQSeXtA 「加奈の、好きにしてくれ…」 俺には止める事が出来なかった。 別に止める理由もなかったし、加奈自身が”ちょっと”と言っているんだから本当に 些細な事なんだ。 そんな事をわざわざ気に留める必要もない、ある筈がない。 なのに……… 「ありがとう…」 俺と全く視線を合わそうともせず俺の傍を離れていこうとする加奈に、言い表せない ような奇妙な『不安』を感じているのは何でなんだ…? 俺は加奈の幼馴染だ…加奈の彼氏だ…”加奈が一番信頼してくれている”人間なんだ。 その俺が、加奈を信頼しないでどうするんだよ…っ! 沢崎誠人よ、お前はさっき加奈と誓い合ったばっかじゃなかったのか…? 独り善がりせず、意思疎通を通して相手との『信頼』を何よりも大切にする事を…。 だったら、加奈に対して多少なりも疑念を抱くというのは失礼な行為だ。 それに、『信頼』は”お互いが”信じ合って初めて成立する至極の関係だ。 ”一人でも”欠けたらそれはただの一方通行の感情にしか為り得ない…。 そして加奈のこの念を押すような感じを含む言葉は、俺を信頼しているが故のものだ。 そう、加奈の言葉には”許可への欲”ではなく、『念押し』の感じが強く滲んでいた。 それは加奈が俺を信頼していなければ自然に出来る筈がない芸当…。 加奈が俺を信頼している以上、”俺が”加奈を信頼すれば『信頼関係』は成立する。 だから、俺は『信頼関係』の確かさを加奈自身に求めた。 「…加奈、”気を付けてな”…?」 既に俺の前を通り過ぎ、部屋の扉の前に立っているであろうと思われる加奈は無言だ。 本当は今の俺を取り巻いている不安の根源を知りたくて加奈の表情を伺いたかったが、 その行為すらも加奈を信頼していない証拠になりそうで怖かった。 だから俺は振り向けなかった。 「心配してくれてありがとう、誠人くん。大丈夫だから…」 そう言い残すと、加奈は小さな音を立てながら部屋を出て行った…気がする。 加奈のこの言葉に甘えて、自分で納得して、加奈の表情も確認せずに送ってしまった。 …送って”しまった”? 俺は一体”何を”危惧しているんだ…? さっき加奈を信頼するって決心したんじゃなかったのか…? だったらおとなしく待っていれば良いんだ。 それが俺と加奈の『信頼』を築く為の一因となるんだから、それでいいじゃないか。 「ちょっと神経質になり過ぎだろ…馬鹿馬鹿しい…」 自分に悪態をつく事で仮初の安心を得ながら、俺は敷布団の中へと飛び込んだ。 そこからは話をするまで加奈が隠れていたからか、加奈の匂いが沁み込んでいた。 その匂いが懐かし味を帯びていたのは、いつも一緒にいて慣れていたからだろう。 それと同じように、俺たちは『幸せ』にも慣れていて気付けなかった事が多かった。 これからはそんな事も噛み締めていきたいと思いながら、俺はその布団の中でしばし 加奈の匂いに包まれながら夢心地に浸かる事にした。 「…加奈、早く帰って来いよ…」 129 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/03/28(水) 20 07 01 ID EUQSeXtA ―――――――――――――――――――― あたしは思う…好きな人と幸せになる為にはそれ相応の努力をしなければならないと。 その『努力』の形は様々だ。 まだ想いが通じ合っていなければ、好きな人を自分に振り向かせるところから始める。 直球勝負をするも善し、時間を掛けて徐々に落としていくも善し、方法は多種多様。 そうやって試行錯誤の末、好きな人と付き合う権利を手に入れた後は、その『権利』を 手放さないように一生懸命『努力』しなければならない。 付き合ってみて初めて見つけた好きな人の美点を指摘して上げる、逆に付き合っていて まだ好きな人が気付いていない自身の美点を見せてあげる…その他諸々。 その段階で勿論お互いに相手の欠点に気付く事もあるだろう。 それがきっかけで相手に失望し、別れてしまうケースは数え切れない程だ。 人は付き合うまではその相手に自分の『理想』を”重ねている”ものだから、それが 崩れ去った時のショックは確かに大きいものだと思う。 しかし、それはお互いに相手を『理解』してあげられなかった末の結末…自業自得だ。 ではもし、『努力』を重ね相手の全てを『理解』している上で付き合ったとしたら…? お互いに相手の欠点も全て受け入れられる、そんな『存在』に出会えたとしたら…? 二人は結ばれるべき…結ばれなければならない…結ばれる『運命』にある筈だ。 だって、積み重ねてきた『努力』の末に今の幸せを手に入れたのだから。 高め合った結果の『収束地』で二人だけの幸せな世界を堪能しているのだから。 「二人だけの、幸せな世界………かぁ…」 口に出すと、恥ずかしいながらも震えるような快感の奔る言葉。 じゃあ…その『世界』を何者かによって崩されかけたとしたら、どうすればいい? 勿論みすみす崩れ去る様を傍観している訳にはいかない。 行動を起こさなければ、『結果』は自らの下に訪れはしない。 その結果が良いものか悪いものかは定かではないが、少なくとも『結果』が欲しいなら 行動しなければならない…。 行動という名の『努力』をまたしなければならない。 そう、付き合うという事は、結局は”『努力』の連続”で成り立っているのだ。 もし、一瞬でも気を抜けばどんなに長い年月積み上げてきた『関係』も砂浜の砂上の ように脆く、簡単に崩れ去ってしまう。 だから、あたしは愛しの人…誠人くんとの幸せの為に、終わりのない『努力』を重ねる。 「絶対に、”守ってみせる”から…」 見ていて、見守っていて、誠人くん。 あたしは頑張るから…。 「”どんな”『手段』を使ってでも…」 今宵は満月、あたしは右手に構えた”誠人くんの家から”持ってきた包丁に誓う。 「誠人くんと共に、あたしは幸せを掴んでみせるからね…」 夜道を歩きながら、満月の眩い光が、希望の象徴である包丁を明るく包み込んだ。 ―――――――――――――――――――― 130 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/03/28(水) 20 08 01 ID EUQSeXtA 「遅い」 思わず呟いてしまう。 既に加奈が出て行ってから一時間以上経つ…もうすぐで日付も変わってしまう。 「遅い」 何度目か分からない言葉をまた呟く。 呟く事で意識を悪い方向から遠ざけようとしている意図が自分でも読み取れる。 意図的な行動だから当然と言えば当然だ。 でも、”『意図的』だと”自覚するのは正直言って物凄く怖い。 意図的に意識を遠ざけようとしているという事は、自分が悪い想像をしている事の証明 だからである。 さっき俺は確かに吹っ切った筈だ…加奈を信頼するって決心した筈だ…。 なのに、俺はまだ加奈を信じ切れていないのか…? 自問自答が頭を渦巻く中……… 『ガチャッ』 そんな音が下の階から響き、俺の思考を中断させた。 この音はもう十何年間、飽きても飽きても聞き続けたもの…聞き間違える訳がない。 俺の家の扉の開く音…『終わり』の音であり、『始まり』の音でもある。 その無味乾燥な音は、今だけは俺の心に喜悦感を充満させる引き金へとなった。 その音が鳴ったという事実が俺に告げるもう一つの事実…”加奈が帰って来た”。 それだけで十分だった。 加奈の言動に一抹の不安を覚えていて、それに翻弄されていた俺にとっては、加奈が 何事もなく戻って来た事だけが嬉しかった。 もう沈黙が支配する部屋の中で、「遅い」と不安を払拭する為に呟く必要もない。 これからはこの部屋で加奈と共に愛を囁き続けてやるのだ、そんな期待を膨らませる。 階段を一歩一歩着実に踏みしめている音が近付く毎に、その期待に現実感という装飾が 施されていく。 加奈との甘い関係は『終わり』、新しい日々の『始まり』…それは目の前の筈だった。 そして、俺が凝視している先にある部屋の扉、それが静かに開いていく…。 「加奈ッ! お帰り!」 俺の大声が部屋にうるさく響き渡った。 しかし、何故か返答は返ってこない。 加奈の奴、からかっているのか…そう思っていた刹那………俺は”それ”を見た。 普段何気なく見かけている…いや、見かけていると表現するのもおかしい。 だって、”それ”はあくまで”全体の中の『一部』”に過ぎず、意識すべきものでは ないのだ。 俺が”それ”が何なのかを認識してから数秒後、扉を隔てて声が聞こえてきた。 「”ただいま”」 『ボトッ』 その声と共に、”それ”は俺の傍に乱暴に投げ込まれた。 「は?」 その珍妙な声は、俺が”それ”を確認した際に出してしまったものだ。 俺が、細い細い、本当に細い、『腕』を見ての素直な感想だった。 そして……… 「どうも」 同時に扉から出てきたのは、今の今まで全く意識の外にいた存在…島村由紀だった。 131 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/03/28(水) 20 09 05 ID EUQSeXtA 「機嫌はどうですか?」 自分が放った物をまるで気にしていないように、島村はニヤリと笑った。 瞳は大きな眼鏡と長い前髪で隠れているが、口元だけが厭らしく弧を描いている。 この部屋にいるのは自分と俺だけだと言わんばかりの、”当たり前な”佇まい。 しかし、そこまで『常識』を演出したいなら、こいつは何故右手に…真っ赤に染まった 右手に、右手同様赤く彩られた長い鋸なんか持っているんだ? それに何より、右手だけじゃなく、こいつの全身も真っ赤に染まっている。 今放り投げた”誰かの腕”と手に持っている”赤い鋸”、この二つから連想してしまう 情景なんて『一つ』しかないじゃないか。 そう思いながらも、俺は無意識の内に現実逃避していた。 頭の中では必死に別の可能性を模索していた。 ”島村は俺を驚かせたいだけだ”、そう頭の中で何度も自分に言い聞かせていた。 「どうしたんですか、誠人くん? 顔怖いですよ…あっ」 島村は何かに気付いたように、自分の右手に持つ鋸を直視した。 「ごめんなさいね。別に誠人くんを脅かす気はなかったんですよ」 …ん? 前半はいい、「ごめんなさい」っての謝罪の言葉だ。 そこに示されている意図は、俺を脅かしてしまった事に対しての事だと解釈出来る。 しかし、後半に島村は何と言った…「”脅かす気”はなかった」だと? その発言は前半の言葉の意味も全否定してしまう…。 それに、脅かす気がなかったなら、お前は何でそんな格好をしているんだ…? それ以外に、どんな目的で以ってそんな格好をしているというんだ? 「ちょっと、『作業』する為にどうしても必要だったんで」 そう言うと、島村は一旦扉の後ろに回り、一つの袋を取り出した。 その黒い袋は、男である俺から見てもあり得ないと思う程の大きさである。 かなり重そうにそれを部屋の中へと入れた島村は、その中身を物色し始める。 そして、その中から素早く”何か”を取り出し、玩具箱を漁る子供のような手の仕草で それを先程同様俺の前へと放り投げた。 ―――足 ―――腕 ―――足 「あっ…あっ………」 それらが音を立てながら俺の前に道端の石ころのように転がっている。 声が段々抑えられなくなり…そして……… 「これで最後っとっ!」 ―――頭 そう、頭だ。 人の頭、鮮やかな黒を誇る長髪を宿した頭、女の子の頭、俺が何度も見続けてきた頭。 加奈の頭。 「胴体は重いんで省略しておきましたが、ご勘弁願いますね」 島村が何か言っている気がしたが、正確には聞き取れない。 俺の注目の全ては、眼前に静かに控えている加奈の頭…加奈の瞳に吸い込まれていて。 その虚ろな瞳が、色彩を全て失っても尚愛しく思える瞳が残酷に俺に訴えかけるように 見つめてくる、その現実を受け入れた瞬間… 「――――――――――ッ」 声を抑え切れそうになくなったと思ったが、強制的にその声は塞がれた。 「今は夜中、ご近所迷惑になるつもりですか?」 島村の赤い鋸が、加奈の血が染み付いているであろう鋸が、俺の首に添えられたから。 132 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/03/28(水) 20 10 07 ID EUQSeXtA 躊躇する事なく、島村は俺の首に鋸の切っ先を当てている。 金属の感情を宿さない冷たさと、感情を宿していたであろう加奈の鮮血の温かさが、 混ざり合って「ぬめり」とした気持ち悪い感覚を俺の皮膚に奔らせた。 「誠人くん、あの娘は…加奈さんは、駄目ですよ?」 楽しそうに俺の首に時折触れさせながら鋸を動かしている島村。 そう、本当に楽しそうだ、失ってしまった時間を逆行するかのように子供じみた笑みを 浮かべている。 「驚きましたよ…。こんな夜遅くに突然インターホンが鳴るんですから。誰かと思って 家内で確認してみたら…加奈さんがいるじゃないですか。しかも画面越しにでも分かる 位殺気がギンギンしているんですよ? 念の為に護身道具を持ちながら扉を開けたら、 瞬間加奈さん包丁を刺してこようとするんですよ、こんな感じにね」 島村が小さく奇声を発しながら持っている鋸を一旦引き、それを両手を器用に使って くるりと回し、自分の腹の方へと持っていき、刺すような動作を繰り返している。 一通り俺に見せ終わると、再び鋸を俺の首先に構えてくる。 「もし加奈さんが瞬きもせずにインターホン越しに私を睨みつけていなかったら、きっと 私油断していて刺されていたでしょうね。本当に警戒していて正解でしたよ。向かって くる加奈さんの胸に向かって、私は持っていたペーパーナイフをね…をね…グサッと、 刺してやりましたよ…フフフ…はっ、あーっはっはっはっハハハハハハハハハハ!!!」 今度は腹を抱えて盛大に笑い出した。 さっき近所迷惑云々言っていた奴とは思えない程、遠慮なしに俺の部屋で笑っていた。 島村の笑い声が俺の部屋に響く。 島村が静かにしたければ静かにし、笑いたければ笑う…この部屋の主導権は、完全に 島村のものだ。 やがて一頻り気の済むまで笑い終え、狂気の体言化の時間に幕が下ろされる。 「ご、ごめんなさいね…。あまりにも哀れだったもので。だってそうですよね?わざわざ 自ら殺されにくるなんて、馬鹿としか言い様がありません。”誠人くんの彼女”という 素晴らしい地位を獲得しておきながら、嫉妬に狂って私を殺そうとして誠人くん自身を 汚そうとするなんて、言っては悪いですが、”死んで当然の”屑だったんですよっ!!!」 島村は言いながら転がっていた加奈の首を力強く蹴飛ばした。 遠くの方へと飛ばされていく加奈の残骸…俺はそれをただ見てる事しか出来なかった。 「結局この女は、自分が”そういう事”をしたら誠人くんがどう思われるかすら考える事 の出来ない無能な屑、誠人くんには相応しくありません」 飛ばされた頭の方向に一瞬視線を向ける島村。 長い前髪がその動作で揺れて隠していた島村の瞳を俺に焼き付けさせた。 加奈の頭を見る島村の目は、頭だけになった加奈が向けてきた目と殆ど同じに思えた。 そこで加奈のバラバラの体を再び思い出し、吐き気を催した。 「ですが、私は違います。誠人くんの為を思って行動出来ます…。あっ、誤解のないよう 言っておきますが、私が加奈さんを殺したのは正当防衛という奴です。かなり憎かった んでバラバラにしてしまったのは、誠人くんから加奈さんを消す為止むを得なかった 行いとお受け止め願いますね」 島村は今確かに言った…”私が加奈を殺した”と。 ”加奈を殺された”、つまり”加奈は死んだ”…その事実を再確認し俺は涙を流した。 声はもう出ない、出そうとも思わない。 今はただ、”ある事”を考えていたかったから。 しかし、その思考はすぐに止まった。 ふと目をやった、俺の傍らに置いてあった何故か開いている携帯電話の中身が全てを 物語った。 『From 島村由紀 Sub (無題) 誠人くん、あなたは何で”あんな”子が好きなんですか?』 133 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/03/28(水) 20 11 05 ID EUQSeXtA 今まで俺はずっと考えていた。 島村が「加奈が自分を殺しに来た」と言った時かたずっと考えていた。 ”何故加奈が島村を殺そうとしてしまったのか”…と。 俺は加奈を愛する事を誓った、加奈も俺を愛すると誓ってくれた筈だったのに。 なのに、何でこんな事になってしまったのか? その『答え』は、俺の携帯に映し出されているメールを見てはっきりした。 つまり、加奈はこのメールを見て、島村が俺と加奈の関係を壊そうとしていると思って しまったんだろう。 思い返せば、様子のおかしかった加奈の傍らには不自然にも俺の携帯電話があった。 あの時、俺は何でその中身を確認しようとしなかった? あの時、俺は何で加奈を止める事が出来なかったのか? あの時、俺は何で加奈を素直に行かせてしまったのか? 今となってはもう分からない…過去は消える事のない足跡だ。 それをどんなに『上書き』しようとしたってそんなのは無駄な行いだ。 俺は、加奈の犯そうとした罪が『過去』のものになる前に、『上書き』出来ない状況に 陥る前に、先回りして対処しなければならなかったんだ。 その為には、”離れてはいけなかった”んだ。 俺は加奈と話をした時、確かに自分の口で言った筈だ。 ―――「俺たちはまだまだ未熟なんだ。お互いを分かり切った気でいても、まだまだ 言葉で意思を伝え合わなきゃやっていけない関係なんだ、離れちゃいけない んだと思う。」 離れても分かり合えるようなそんな強い関係じゃない。 言葉一つで簡単に崩れ去ってしまうような、そんな脆い関係。 だから片時も離れず、お互いを確かめ合いながら生きていく事を誓ったんじゃないか。 なのに俺は、こんな事を言っておきながら、まだ俺は自惚れていた。 その証拠に、加奈が自分を信じていると信じて疑わなかったじゃないか。 本当なら、あの時失礼を覚悟して加奈の行動を制止すべきだったのに、また俺の意思を 汲み取ってくれていると勘違いして、加奈を見殺しにしてしまったじゃないか。 ”加奈を殺したのは俺だ”。 「誠人くん、泣かないで下さい。すぐにあの娘の事なんか忘れますから…」 島村が首に鋸の切っ先を添えたまま、俺の眼前へと自らの顔を近付けて来る。 そして、次の瞬間、俺は唇を奪われた。 ほんの触れるだけのキス…それはあの日”謝罪とお礼”と称してしてくれた加奈からの ”初めての”キスと似ていて…あの時の笑顔を思い出させるには十分な行為だった。 すぐに唇を離した島村、離れ際に見えた島村の目は黒々としていて、しかし決して色を 失っている訳ではなかった。 とても純粋にその瞳は色鮮やかに輝いていて…本当にそれは加奈そっくりで…。 こんな事する資格なんてないのに、俺は流れる涙を止める事が出来なかった。 「すぐ加奈さんの事は『上書き』してあげます…。そして、『島村由紀』という名を誠人 くんの脳の奥底深くまで刻み込ませて上げます…。大丈夫ですよ、私となら絶対上手く いきます。私と新たな関係を築いていきましょう?」 B-2ルート「外れない首輪」 BAD END
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実際には効果がない場合でも「結界が張られた」と表示されるので注意 技能名 滅却 仏四 罰四 極楽 冥弐 因果 極改 神四 護唄 結四 略式 忍四 鎧弐 荒行 心頭滅却 ○ / / ○ ○ ○ / ○ / / / / / 仏の加護・四 / ○ / × × / ○ / / / / / 罰当たり・四 / / ○ × × / ○ / / / / / 極楽浄土 × ○ ○ ○ ○ ○ × ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 冥護結界・弐 × × ○ × ○ 因果応報 × × ○ × ○ 極楽浄土・改 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 神の加護・四 / / / × × ○ ○ / / / / / 加護の唄 × × × × ○ 結界・四 / / / × × / ○ ○ / / / 忍結界・四 / / / ○ × / ○ / / ○ / / 仕掛け鎧・弐 / / / × × / / / / ○ / 荒行 / / / × × / ○ / / / / ○ 武器付与 技能名 生命 気合 生命吸収・参 ○ ○ 気合吸収 × ○ 建御雷の神舞 ○ ○ 対象固定 上書きできない場合でも成功のグラフィックが出るので注意 成功グラフィックが出ても数秒で固定が切れることがあるので注意 技能名 挑発 一所 捨身 罵倒 陽動 怒号 挑発 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 一所懸命/改/極 × ○ ○ × ○ × 捨身飼虎 × ○ ○ × ○ × 罵倒 ○ ○ ○ ○ ○ ○ 陽動 × ○ ○ × ○ × 怒号 ○ ○ ○ ○ ○ ○
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http //www.dab.hi-ho.ne.jp/sasa/biboroku/unix/sed-i.html
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81 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2008/01/13(日) 21 43 21 ID 637IVz6l 「加奈を、本当に、好きか?」 島村の質問を、そのまま口にしてみる。 そうでもしないとそのまま聞き流してしまいそうな程、それは当たり前なことだ。 頭の中でも、言葉でも、繰り返し繰り返し確認してきた――俺という人間の前提。 「お前にしては愚問だな」 「真面目に答えて下さい」 準備していましたと言わんばかりに即答された。 完全に返答を読んでいなければ絶対に出来ないであろうスピードだった。 それだけ真剣なのだということは理解したが……改めて思う。 愚問にも程がある。 島村は何を言っているんだ? 自分で、俺が加奈を好きだということは分かっていると言っておきながら、何で再びその一言を要求しているんだ? 経験上島村がどこか呑み込み難い性格の持ち主だということは知っているが、同時に言っていることに意味があることも解していた。 だが今の島村は、俺の理解の範疇を完全に超えている。 何か目的あってのことだという確信はあるが、その周囲が煙っていて全く見えない。 兎にも角にも――俺に出来るのは、肯定することだけだ。 人様に誇れるほど大層なものは俺には何もないが、加奈への気持ちだけは負けない自信だけはある。 この唯一無二の感情は、誰にだって否定させはしない。 「加奈のことが、誰よりも好きだ――」 力強く宣言した俺をよそに、瞬きする間もなく、島村は俺の頬を叩いてきた。 それも、かなり重い平手打ちだ。 掌でやられた筈なのに、破裂音と言うには程遠い、鈍い音が響いた。 頬が腫れを通り越して打撲のように青ざめてるんじゃないかと心配してしまうほどの痛みが走る。 手で頬を押さえるという恥を忍びながら、若干呆然としたままの状態で島村を見返す。 「ふざけんのも大概にしろよ」 思わずそんな汚い言葉が漏れたのは、先程ニュアンス的に俺の加奈への想いを否認されたような気分になったというのもある。 しかし何よりも俺を怒りに駆り立てているのは、今俺を見下ろしている島村の目に、溢れんばかりの非難めいたものが込められているからだ。 言葉にはしないが、お前はどういった了見でそんな視線を浴びせてくるんだと言いたくなる。 お前の命令に近い要求を呑んでやったというのに、した途端の仕打ちがこれか。 さっきまでの穏やかな気持ちが払拭されてしまったよ、全く以ってな。 「ふざけて、そんな暴力振るう訳ありませんよ」 「どの口が言うんだ。人のことつい前まで奴隷扱いしておいて」 脳裏に浮かぶ男として屈辱としか表現し様のない光景。 少しだけ笑ってしまったのは、その惨めな姿が自分であるという事実を受け入れたくないが為に、客観視したからだ。 ますます、虚しくなった。 「何で笑っているんですか」 「どうでもいいことだ。それより、こんなに豪快にぶっ叩いてくれたんだ。何か意図あってのことだよな?」 「意味のない行動だってありますでしょうに」 「そんなことはどうでもいいから、俺の質問に答えてくれ」 島村から、悪びれた様子は欠片も見受けられない。 逆に清々しくなる程に当然を身に纏ったその立ち居振る舞いに、沸々湧いていた憤りも萎縮してしまった。 いつもそうだ、こいつは。 俺に対して、傲慢としか取れないような言動を、半強制的納得と共にぶつけてくる。 人並の頭があるなら、いつかそれが俺の逆鱗に触れる時が来るかもしれないという場合を想定出来る筈だ。 にも関わらず、島村はまるで――俺が怒っても、行動には出さないと確信しているかのように振舞っている。 そこまで、俺を信用――そう呼んでいいのかは定かではないが――出来るその要因は、一体何だというのだ? ……今更だが、考えるだけ無駄か。 とりあえず思い直して、間もなく島村が返してくるであろう解答に耳の全神経を集中する。 筋道すら見えなければ、永遠に正解には辿り着けないんだ。 「一つは……単なる、嫉妬です」 「は?」 「今のところは諦めるとは言いましたが、私が誠人くんを好きだという気持ちに変わりはありません。絶賛継続中なんですけど」 「あ……」 「もう少し、乙女心というものを分かって下さい。女の子は繊細なガラス玉なんですから」 「どの口が――」 言うんだか、とは言えなかった。 ふざけて開けてた大口に、島村の親指を除いた右手の四指がすっぽり入れられたからだ。 「憎まれ口しか叩けない、いけない口は、こうして塞いでしまいますからね」 82 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2008/01/13(日) 21 43 48 ID 637IVz6l 島村の指咥えるのって、これで二度目だな。 同じ女の子の指を強制的に二度も口に含まされるってのは、男としてどうなのかね。 自分の認識を遥か遠くへと追放しながら、追憶してみる。 一度目は、保健室で治療と称した拷問をされた時だったな。 あの時は、頭踏まれたりして、その影響で半ば自棄になって丹念に消毒液を舐め取ってやったんだったな。 ……そういえば、俺が意味を読み取れない素振りもあの頃から始まっていたな。 確か、島村の質問にへの返答に皮肉を込めたら、どこか物悲しい顔をしていたんだっけか。 結局、その真意も分からず終いだったな。 ま、今頃訊いたところで、当の島村本人が覚えている可能性は薄いし、何より俺の勘違いって線も捨て切れない。 どちらにせよ、今となってはどうでもいいことだ。 「あ」 いい加減、涎が溜まってきたので慌てて指を放す。 本来ならば顔を真っ赤にして早急に引き抜くべきところを、何を冷静に俺は数秒間も犬のように咥えていたんだ。 島村の言う通り、身体に受動的快楽を享受する経路みたいなものが確立してしまったのかもしれないな。 「ご主人様とペットごっこは、この辺りで打ち止めにしておこうぜ」 そう言いながら、口内に残った唾を嚥下した。 若干塩辛く感じたが、その理由を追究した先にはきっと恥ずかしい現実が待っているであろうから、そこで思考を打ち切った。 出来ればこの話題はそろそろ転換したい俺をよそに、島村は俺の涎で滑っている自身の指を色々な角度から凝視している。 見てるこっちも恥ずかしくなる程、島村は平然とそれを眺めている。 そのまま続けること十数秒。 「そうですね」 相変わらず自分の指を見るのに夢中になっている様子の島村は、若干心此処にあらずな不安定極まりない口調で呟いた。 それを聞いて、ひとまず安堵の一息を吐こうとしたのも束の間――。 いきなり、島村は自分の人差し指を舐めた。 その唐突さに一瞬度肝を抜かれつつ、何とか平生を装いながらその光景を見据える。 猶も島村はアイスバーでも舐めるかのように、中指、薬指と次々に咥えている。 そんな扇情的な場面を前にして、今俺の中で渦巻いているものはと言えば、情けないながらも「厭らしい」の一言……。 島村を本当の意味で“知る”までに俺が彼女に対して抱いていた清楚――と言うと大袈裟だが――なイメージとのギャップが大き過ぎるんだよな。 半分以上言い訳だけど。 「以前みたいに飾る必要なんてないんですよね」 若干追及したい節があったが、否定されなかった時の反応に困るだろうから無視することにした。 「今は一応ただの友達同士なんですから。友達って、そういう関係なんですよね? 誠人くん」 「そうなんじゃないのか……ねぇ?」 ――友達、か。 頭の中でその言葉を反芻してみるが、いまいち実感が掴めない。 別に気心の知れた友人がいなかった訳ではないが、彼ら(彼女ら)が果たして俺にどれだけの影響を与えていたのか? 俺を占める割合の中で、当然のことながら一番は加奈であり、後は言い方は悪いがその他のようなものだからな。 そんな風に一括り出来る程、友達って存在は矮小なものなのか? それとも、そう思うことは、単に俺が求め過ぎているだけだとでも言うのか? ……馬鹿だな、俺は。 普通の奴は、俺みたいに無駄に深く考えたりなんかしないよ。 皆、小さい頃に心で理解する術を学んでいるんだ――加奈のことに夢中な俺を除いて。 「だとしたら、私は加奈さんより少しだけ得したかもしれません」 俺の適当甚だしい回答に、表情はそのままながらも、島村は僅かながら声を和らげた。 罪悪感に心が軋む音が聞こえたような気がした。 「彼女って立場では決して見れない誠人くんの一面を、垣間見れたんですからね」 「それって――」 「そのこととも関係があるんですか、もう一つの理由を教えてあげます」 続きは遮られた。 だが、そのことはもうどうでも良くなっていた。 島村の言葉から察するに、俺の言おうとした疑問も全てひっくるめた解答を用意しているに違いない。 さっきまでそれを半ば怒りに任せて要求していたんだ。 素直に受け取るのが礼儀だ。 「後、話している間はおとなしく聞くだけで、割り込まないで下さいよ。私語厳禁、これ命令ですからね」 「わかったよ」 島村由紀――彼女に関する幾つもの疑点、それが分かるということへの期待からか、俺は子供のように嘗てない程ワクワクしていた。 「それじゃ、まずは一つ告白しておきます。宿題は早目に終わらせるタイプなんでね」 精一杯の深呼吸を披露した後、始めた。 「私、処女じゃないんですよ」 83 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2008/01/13(日) 21 44 15 ID 637IVz6l 俺は今、ドッと噴き出る冷汗を感じながらも、心底ホッとしている。 もし発言を禁じられていなければ、島村のあまりにも突発的且つ突飛な告白に対して、俺は何か答えなければなかったのだ。 異性の繊細極まりない問題に、果たして俺はどんな対応が出来ただろうか……? 仮に慰めたとして、それは“処女”の重要性を肯定することになり、そうでない彼女を傷付けてしまう。 かと言って平生を装ったとしても、単純に薄情だと思われてしまうかもしれない。 完全な袋小路――どんな反応も、彼女を追い詰めてしまうのではないか? 「処女喪失の時は、高一の夏。当時付き合っていた男とです」 必死に思慮している俺を置いてきぼりにして、島村は平気な顔でどんどんプライベートなところへと進んで行く。 その吹っ切れた感のある表情と口ぶりだけが、今の俺にとっては救いの手であった。 「事後の第一印象は、男の性欲旺盛な様です。だって、私と彼が付き合い始めたの、その三日前だったんですよ?」 “手”は払い除けられた。 とんだ勘違いをしていたことに、気付かされてしまった。 確かに、島村の淡白過ぎる物言いには、心残りは欠片も見受けられない。 代わりにそこに込められているのは、悲しみや怒りを超越した――純然たる、呆れ。 それは、本来の上下関係を無視した威圧感を備えており、又、俺に畏怖の念を与えるのに足るものであった。 「でも、私に彼を貶める権利はありません。彼の『愛している』が当時の私にとっては全てだったんですからね。馬鹿はお互い様ですよ」 すっかり冷静にさせられた思考の中で、俺を気持ち悪くしていたのは一種の矛盾であった。 女王の風格すら漂う、男を小馬鹿にした島村と、俺に一途に想いをぶつけてきた彼女――その二つの像が、全く一致しないのだ。 結局その根源を辿っていけば、島村が俺をあれ程に好いていた理由は何かという疑問にぶち当たるので、何も進んではいないんだがな。 「その頃の私は、それはもう“いい娘”でしたよ」 島村は、苦笑を間に置いた。 「朝は彼と一緒に登校する為に、まだ光がない時間に起きて、彼の弁当を持参して家まで迎えに行きました。 学校でも彼に恥じない彼女になるよう世間体を気にして過ごすようになりました。 彼と下校する為に部活も辞めました。夜は、彼が求める日はいつでも応じました」 島村から語られる過去の彼女の姿を脳裏に思い浮かべてみる。 あくまで傍観者としての率直な感想を述べるなら――。 「ちなみに、それは全て彼が私に要求してきたことなんですよ」 異常だ。 「まるでゲームみたいですよね。自分の操作通りに動いてくれる人間なんて。 薄気味悪いことこの上ありませんが、彼にとってはそれが至福だったんです」 彼女のそんな様子を見て注意を促さないどころか、逆に火に油を注ぐようなことをしでかすその男も。 「それが彼にとっての幸せと割り切って我慢していた、私にとっても」 傍目から見れば最低極まりないそんな男を妄信的に好きになっていた、島村も。 「“恋は盲目”とは良く言ったものです。私は献身的に尽くしました」 再び、苦笑を一つ。 「ですが、どんなゲームにもいつか必ず訪れてしまいます――“飽き”という段階がね。その後の展開は、大体予想つくでしょう」 言われなくても、今まで散々考えるということに没頭してきた身の俺にとって、それ位のことは訳ないことだ。 今までしてきた努力の継続では、彼氏を自分の下に繋ぎ止めておけない。 そんな状況に陥った島村が――恋の奴隷になった彼女が導き出す答えは、“足りない”ということ。 彼氏の非を決して認めない島村は、彼氏が離れていくのは自分の愛が足りないだけと信じて疑わないだろう。 彼氏は彼氏で、島村への好意を失くしたことでようやく客観的な視点で彼女を見て、気付いたに違いない――彼女の異常性に。 余計に彼氏は離れ、島村は原因を誤解したまま自ら彼氏に恐怖を植え付けるという、負の連鎖が形成される。 ……俺の想定し得る、最悪の結末だ。 「双方にとって非生産的な状況のまま、高二の春になりました。 春――あの男のことですし、けじめをつけるいい機会だとでも思ったのでしょう」 三度目の苦笑を、島村は漏らした。 今まで最も深く、そして陰気な感がした。 「とうとう、別れを言い渡されました」 84 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2008/01/13(日) 21 44 57 ID 637IVz6l 打って変って、自らの体験談を語るその口調には、やはり清々しさが漂っていた。 その言い草の軽快さたるや、まるで話すことを楽しんでいるかのようにすら思えてしまう程だ。 「当然反発しましたよ。省みると羞恥心で身が溶けそうな位取り乱して、とにかく何としてでも気を変えてもらおうとしましたね」 懐かしむように島村は遠くを見回しているが、俺の心にはそんな余裕は露ほどもない。 感覚的にはほんの前に俺は、正に島村が口にした自身の像と類似する姿を見せ付けられたのだから。 俺の為に体を傷付け、心を侵し、自分を捨てた――形振り構わない、一人の女としての姿。 それがくっきり脳裏に焼きついて離れてくれない。 今でも耳にこそばゆい甘い囁きと、何度も与えられた肉体的苦痛。 飴と鞭を駆使して翻弄された感覚が、体にも心にも染み付いている。 だが、それは決して忘れてはいけないものなのだと思う。 同情だとか罪悪感なんて理性的なことを抜きにして、ただ本能がそうあるべきだと訴えかけてくるから。 「そんな私の様子を見て、狼狽し切った彼が私に言ったこと……何だと思います?」 突然の問い掛けに一瞬戸惑い掛けたが、深呼吸をしている島村を見るに、回答は求められていないようだ。 胸を撫で下ろしていると、島村はゆっくりと俺の方へと近付いてくる。 そして何を思ったか、俺の右耳を親指と中指で抓んで、自分の口元に引っ張る。 「『もう俺に付き纏わないでくれっ!』」 島村の言葉は、至近距離だったのと壮絶な音量だったのとが災いして、聞き取れたものの耳が痛くなった。 キーンとかいう擬音が俺の周りを飛んでいる気がして、耳を押さえる他どうしようもない。 その上、声量という点を除いても、島村の先程の言葉には有無を言わせない気迫があった。 結果的に俺に出来るのは、馬鹿になりかけた耳を壊れ物のように撫でながら、島村の次の言葉を待っていることのみだ。 「彼に最後に感謝した瞬間でした。その言葉を聞いて、私はようやく夢から覚めることが出来たんですからね」 和解――島村が語るこの結末が、俺には少し腑に落ちなかった。 今の島村は俺が好きだということを考えれば当然のこととも言えるだろうが、彼女の常軌を逸した愛情を肌で感じ取った身としては、最終的にはあっさりと退いたことをおかしく思った。 「さて、誠人くん。問題です。私は何故こうもあっさり関係を断ったのか? あ、勿論もう喋っていいですからね」 「……」 「何ですか? その目は」 「いや、お前やっぱり俺の心の中見えてんじゃないかって思っただけだよ」 「そうだったらどれだけ幸せか」 真顔の島村をよそに、俺は女々しく髪を弄くっている。 島村からの問いに答えようなどとは微塵も思っていない。 正解が導ける筈がないと諦めているからというのもあるが、何よりも俺は勘違いすることを恐れていた。 相手の心中についての懐疑の末に間違った結論を出して、そのことで相手を傷付けることだけはもう沢山だった。 ――涙なんて、もう見たくない。 「ところで無言でいるのは、わからないってことでいいですね」 沈黙で肯定する。 「難しく考える必要なんてありません。簡単なことです。私は人として彼を見損なった。だから別れた。それだけです」 「見損なった?」 「女を人形のように使い古して、飽きたら自身の罪悪を自覚しないで一方的に相手のせいにする。どこに魅力があるのですか」 正直、意外だった。 あれだけ俺に対して一途に思いをぶつけてきた島村のことだから、前の相手にも同じだけの愛情を向けているのだと思っていた。 現にさっきまで島村が話していたことによれば、彼女は異常なほど元彼氏に尽くしていたようだ。 なのに、今は彼氏に未練どころか、逆に軽蔑している節すらある。 このことに対して、俺は失礼承知で尋ねずにはいられなかった。 「幾らなんでも、心変わり早過ぎないか?」 「全然」 島村は目を丸くして俺を見つめてきた。 心底言っている意味がわからないとでも言いたげな、おかしな表情をしている。 この即答に、俺は再び沈黙の殻に閉じこもる他の選択を取り上げられてしまった。 「すぐに男を代えられるような軽い女と思うのならご自由にどうぞ。でも、これだけは言っておきます」 息を若干大きく漏らしながら続けた。 「私は、弱い人は嫌いです」 85 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2008/01/13(日) 21 45 39 ID 637IVz6l 断固として捻じ曲げさせまいという心意気が伝わってくるその言い振りは、島村が胸を張っているような錯覚すら覚えさせた。 「自分の正当性を疑わず、自省をしない――彼のような心が脆い存在を好きにはなれません」 島村のことを軽い女だなんて思わないし、思える訳もない。 一人の相手にあそこまで執着する様は寧ろ、恋愛に対して実直だとすら評価出来るものだ。 だからこそ、島村が元彼氏への好意を完全に喪失した背景には、何か彼女自身の思考回路からの影響があるに違いない。 無論、俺には分からないが。 「彼は私に飽きて、そこで初めて客観視したことで私を気持ち悪く思ったんでしょう。 それは私も同じで、彼のあの言葉で事態を客観視したんです」 言いながら、島村は自分の顔を右人差し指で指した。 「誠人くん、あなたは私の過去を聞いた時、十中八九こう思った筈です。狂っている、と」 「そこまでは思っていないが……」 「なら異常だ、位ですかね。どちらにせよ、常識的に見れば明らかにおかしいと感じましたよね?」 問い掛けながら、目で『分かっている』と教えてくる……島村らしい、実に厭らしい攻めだ。 「全く以ってその通りです。彼は私を玩具にし、私は彼を愛すだけ。 お互い相手のことばかりで、自分を見つめようとしない――そんなの、恋愛とは呼べませんよね?」 ……恋愛とは呼べない……恋愛トハ呼ベナイ…………レンアイトハヨベナイ…………レンアイジャナイ……………… アレ? 「愛すことしかせず反省をしない、私が嫌いな人間に自身がなっていたショックもあって、私は彼と別れました。 ですが、その時はほんの少し、それこそ米粒ほどの未練があったんですよ。 それを完全に払拭してくれたのが、後の誠人くんとの出会いでした。 誠人くん、あなたは知らないでしょうけど、私はあなたのことをあの女子トイレの時以前から知っていたんですよ。 その時、あなたは丁度加奈さんに――“上書き”されているところでしたよ。 当時の光景を振り返ってみても、壮絶だったとしか言い様がない程、衝撃的でしたよ。 自分より一回りも小さな女の子に滅茶苦茶にされているあなたの姿は、惨めという言葉がお似合いでしたよ。 でも、泣きながら謝っている加奈さんを笑顔で許しているあなたの姿を見た瞬間、胸が高鳴りました。 『俺も悪い』と言いながら加奈さんの頭を撫でているあなたは、私が見てきた誰よりも格好良かった。 あなたとなら、自分の罪を認める強さのあるあなたとなら、私は幸せになれる……あなたが欲しい、こう思うようになったんです。 それからは密かに機会を伺っていたんですが、まさか女子トイレ前で会うとは思いませんでしたね。 しかも、また“上書き”されているんですから、二重に驚かされましたよ。 でも、そこから関係を持てるようになったんですから…………って、誠人くん、聞いているんですか?」 「……」 「誠人くん?」 「……どういうことだよ、島村? どうして、どうしてそんなこと言うんだよ!?」 荒れる息をそのまま、俺はベッドから瞬時に飛び退いて島村から距離を取った。 訝しげな視線を送る島村に対して、威嚇するように俺は彼女を睨みつけている。 「そんなことって、何のことですか? ほら、冷静になって――」 「来るなよっ!!」 立ち上がろうとした島村を言葉で制してみるものの、俺の言葉など意に介さず彼女はスッと立ち上がった。 更に俺は島村から離れる為に後退りした。 「本当にどうしたんですか? もしかしたら傷が深かったのかも……」 「おかしいぞ、この病院。さっき島村は大声を出した。そうでなくとも今俺は叫んだのに、何で看護婦も誰も来ないんだよ?」 島村と話している間は熱中していてそんな些細なことにすら気付かなかった。 それに、俺が今いるこの部屋にはベッドが幾つもあるのに、俺の以外は全て空席状態。 俺以外は患者が誰もいないなんて、どう考えたって変だ。 「誠人くん、落ち着いて下さい……。話し合いましょうよ……」 「もう一つ」 何よりも島村に追及したいことがある。 知りたいのは、あの言葉に関して――“故意があるかないか”ということ。 「お前は元彼氏と自分の関係を恋愛とは呼べないって言ったよな? それは、俺と加奈の関係に対しても言ったのかよ?」 86 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2008/01/13(日) 21 47 18 ID 637IVz6l お互いに相手のことばかりを気にして、自分の行動を振り返れない。 そんな緊張状態の中で何とか保たれてきた、俺と加奈の関係。 島村と元彼氏との関係に類似するそれを、島村は恋愛ではないと否定した。 自分は俺から身を引くと言っておきながらだ。 ……勿論、俺の思い過ごしだという可能性もある。 そうであってくれ。 いつもみたいに、馬鹿にして一蹴してくれ。 「ははは……私、馬鹿ですね」 束の間を置いて放たれた言葉。 似ているけど、違う。 『私』は余計だ。 素直に俺を馬鹿呼ばわりしてくれて構わないから……。 「気付いていましたよ、“矛盾”に。私が求めているものと、それがそうである為に必要なことは、決して交わらないってことにね。 でも……もう戻れないところまで来てしまったんです。私もあなたもね。こうなったら、形振り構っていられません……ははは」 島村が近付いてくる。 再び下がろうとしたが、壁にぶつかってしまった。 ドアを探したが、島村を挟んで逆側にあった。 逃げ道はない。 「誠人くん、私は二つ嘘をつきました。それを教えて、謝りますから、その暁には……ふふふ、ははは……」 島村しかいない。
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273 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00 17 09 ID l1rWfINJ 「眼鏡……?」 困惑した俺の口から漏れたのは、何とも間の抜けた言葉だった。 目の前で自分の眼鏡を情け容赦なく踏みつけてみせた島村を前に、俺は驚きを隠すこと ができなかった。島村の足元に目をやると、踏み潰された眼鏡は最早原型を留めておらず 様々な部分が拉げた状態で地面に横たわっていた。 その無残な最期を尻目に、俺は再び島村に目をやる。艶かしく濡れた瞳が俺のことだけ を真っ直ぐ見つめてくる。決して大きくない眼を無理矢理開かせている様を見ていると、 まるでその眼球の中に自分が束縛されているような錯覚に陥りそうになる。きっとそんな ことを考えてしまうのは、女子トイレから出てきたことを脅迫文句にして結構な仕打ちを 受けてきたという肉体の本能的察知と、島村が俺のことを好きだという事実――そして、 島村がたった今発した言葉が原因なんだと思う。 俺は今とてつもなく不吉な想像をしている。俺が島村に”想いを捨てろ”という要求を 突きつけた後から、島村の様子は若干おかしくなっていた。行き所を失った視線を泳がせ ながら、大切な玩具を取り上げられた子供のような絶望感漂う表情で、主人に捨てられた 子犬を思わせる震えた声で俺に必死に縋りつこうとしていた。 そして俺が完全な拒絶を示した後の突然の奇行と言動――それらが示す答えは一つだ。 ――島村は俺のことを諦めていない。 もし、島村が俺の”好意を持つなら友達としても付き合わない”という言葉の対象を、 『島村由紀』という人物一人だという風に考え、そこから脱却すれば俺からの愛を受ける 資格を得られると勘違いしてしまっているとしたら俺は最悪のミスを犯したことになる。 こんな常識では考えられないことを可能性として思いつくことができるのは、俺自身が 島村に翻弄されて狂っていった加奈と触れ合ったからだ。島村が加奈を『上書き』以外で 初めて狂気へと至らしめたからだ。つまり単純に物事をより受け入れやすくなったのだ。 奇しくも俺はそのことによって加奈との愛を再確認し見直す機会を得られた。だから、 島村の想いを拒絶したのだ。加奈が一番だということを教えてくれた島村に感謝し、これ 以上傷付けない為の最良の道を選んだはずだ。 しかし、結果的に島村は今虚ろな目で気持ち悪いくらいの笑顔を浮かべている。これは 完全に俺の誤算だった。俺は、島村の想いのほどを軽視していた。俺の加奈への愛がどれ ほど大きいのか伝えれば諦めてくれると思っていた。普通他の人のことを絶対的に好きで いる人間を好きでいられる人間なんていないと高を括っていた。 島村はこの恋愛が『略奪愛』だと言っていたじゃないか。それは、たとえどんなに意中 の人間が他の者を好いていようとも奪ってみせるという絶対揺らぐことのない決意の表れ ではないか。そこまでわかっていたなら、島村がどんな手を使おうとも俺を手に入れよう とするなんてことは容易に想像できたはずだ。その手段が、”意中の相手が好きな相手に なる”という単純且つ純真なものであったとしてもだ。 「用事が増えましたので今日は帰りますね、誠人くん」 固定した視線をそのまま、島村はそう言い残すと俺たちに近付いてくる。 「帰るって、これから授業が……」 「取るに足らないことです」 俺の言葉を遮り、島村は俺の横を通り過ぎると同時に視線を前に向けた。島村の足音が 俺の耳に鎖の金属音のように不気味に響き渡る中、俺は必死に何か言葉を紡ごうとした。 ここで何か言わなくては取り返しのつかないことになるという根拠のない想像が、脳裏を 過ぎったのだ。 だが、俺は言葉を発することはおろか、振り向くことすらできなかった。冷汗が体中を 濡らし、足が地面に貼りついたように動いてくれない。最早自分の意志の範疇を超えた、 本能レベルの危険察知に俺はただ怖気づいていた。振り向いた時、島村は一体どんな表情 をしているのか、知るのが怖かった。 俺が振り向くことは加奈を裏切ることに繋がるんだと自己正当化の論理を組み立ててる 最中、後ろから声が聞こえた。 「これから少しだけいなくなりますが、どうか寂しがらないで下さいね?」 言い聞かせるような柔らかい声が耳に入る。その声を聞いて、俺ははっきりと震えた。 島村の言葉の真意はわからなかったが、何か起こることは明白で、その”何か”に俺は かつてない恐怖を感じていた。こんな時になっても何も言えない臆病な自分を心中で罵り つつ足音が完全に消えるのを確認する。 ――そして体育館裏に再び静寂が訪れた。 274 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00 18 33 ID l1rWfINJ 島村が立ち去ったことがはっきりわかった後でも俺は指先一つ動かせなかった。体が俺 の意志を無視して膠着を守っている。きっと金縛りとはこんな感覚のことだろうと思う。 自分の安全が表面上は約束されているはずなのに、”見えない何か”によってその自由が 理不尽に奪われている状態。それは非常に居心地が悪い。すぐ近くに見えるはずの景色に いつまで経っても届かない時のような歯痒い気分と、可能なはずのことができない孤独に 似た恐怖が俺の背筋を擽った。 「誠人くん……?」 加奈の心配そうな声で俺はようやく我に帰る。結構長い時間立ち尽くしていたようだ。 さっきまで自分がいかに情けない表情で不安に息を荒げていたのか考えるとかなり恥ず かしくなったのだ、俺は慌てて加奈へと目線を向け笑顔を取繕う。どんなことよりもまず 最優先にしなければならないのは、”加奈が笑顔でいる”ということだ。俺はこんな不安 な表情を加奈にさせたいと思うほど加虐的な趣味は持ち合わせていない。 大体俺は島村を傷付けてまで加奈との幸せを選んだのというに、加奈までが暗雲を垂れ 込ましているのでは今までの決意が全て無意味なものになってしまう。島村の動向は気に なるが、今すべきことは決まっている。 「大丈夫だ」 俺は加奈の小さな肩を抱き寄せながら言う。それは加奈へだけではなく、自分自身にも 言い聞かせる為の言葉だ。 島村はこれから十中八九何か仕掛けてくる。絶対だと思っていいだろう。それは確実に 俺と加奈にとってプラスなことではないことは明白。もしかしたら今までよりはっきりと した形で俺たちの関係を壊しに掛かってくるかもしれない。そうなったら、歯止めをした 加奈には何もできない。俺がしなければならない。 そこでようやく俺はもう一つミスをしてしまったことに気付いた。 さっき島村がまだ俺のことを諦めないというニュアンスを含ませた発言をした時、俺は どうしてその時点で島村を強く拒絶しなかったのだろうか? 島村が俺たちの関係を壊す と宣言したも同じだと理解しておきながら、何故はっきりと「お前との関係は終わり」と 言うことができなかったのだろうか? 答えはわかりきっている。 単純に、押しが弱かっただけのことだ。 正直なところ俺は誰も傷付けたくなかった。それは相手を思い遣っているからだという のが半分と、俺が罪悪感から逃げたいからという自分本位な勝手な欲望が半分だ。何とか 後者の感情を振り払ってまで俺は島村に胸中を告げたつもりでいたが、振り払ってなんか いなかった。そんな風に思っていたのは俺の自己満足でしかなかった。 結局俺は半端な想いが相手を傷付けることを知っておきながら自分の精神の保守を優先 してしまったのではないだろうか? 「大丈夫だから……」 俺は下降気味になっていた思考に軌道修正を図る。こんな後の祭り的なこと考えること には寸分の意味もない。過去の失敗は取り返すことができない。俺がどういった心持ちで 島村への対応をしたのか今ではもうわからないが、そんなことは関係ない。 重要なのは、島村にまだ期待を持たせてしまっているという結果だ。 島村がまだ俺のことを諦めていない、しかももしかしたら島村自身がやってはいけない 選択をしようとしているという事態は防がなければならない。島村が何をしたとしても、 俺が島村を異性として好きになることはありえない。だから、島村がいかなる努力をした としてもその先に待ち受ける未来は『失恋』しかありえない。そのことよって傷付く程度 をこれ以上肥大化させない為に俺はこの道を選んだ。それは正しい選択だ。 そして、俺の独り善がりで曲げていいものじゃない。 「チャイム、鳴ったな……。行こうか、加奈」 始業を告げる鐘の音が校内に響き渡る。加奈にそう告げると、加奈は笑ってくれた。 俺も、偽りの笑顔で場を丸く収めつつ、体育館裏を後にする。大丈夫と何度も何度も、 言い聞かせながら。 その後、島村はしばらく学校に姿を現さなかった。 前の席にいつもいたはずの奴がいないのは妙に違和感あることで、俺は全く授業に集中 できなかった。日常とは違う光景に気持ち悪い新鮮感を覚えたというのもあるが、やはり その一番の原因は俺がまだ島村との関係を決別していないところにあると思う。勘違いを 続けている島村が俺の見えないところで何をしているのか、不安にならないはずがない。 俺は早く決着をつける為に島村が学校に来てくれることを願い続けた。 そしてあの日から二週間後、島村由紀はやってきた。 275 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00 19 56 ID l1rWfINJ 「すみません、遅れました」 ”そいつ”は前触れもなしに突然やって来た。日本史の授業中に俺が睡眠魔法にやられ かけ意識を手放そうとしていた時、控え目な声を発しつつ勢いよく教室のドアを開けた。 ドアの開く音にその声はかき消され気味だったが、俺には一体誰が入ってきたのか一発 でわかった。やっと会えると思い、俺は意気揚々と視線を声のした方向に向けた。 その瞬間、絶句したのは俺だけではなかった。 会話で騒がしく最早授業と言えるような空気ではなかった教室内が一瞬で静まった。俺 を含めた誰もが”そいつ”にそれぞれの思惑を乗せた視線を送っている。それは俺たちに 催眠術をかけていた日本史教師も例外ではなく、今にも壊れそうなボロい眼鏡をしきりに 動かしながら、”そいつ”のことを凝視している。 「失礼ですが、君はどこの生徒ですか?」 教師は言葉の通り失礼極まりないことを”そいつ”に尋ねた。だが、誰も教師のことを 咎めることはしないし、することもできないだろう。だって、それは教室内の生徒全員が 抱いている疑問だと思うから。 ”そいつ”は別段驚いた素振りを見せることもなく、視聴者に無料スマイルをばら撒く アイドルのように不敵な笑みを浮かべながら答えた。 「一年B組18番、島村由紀です」 その言葉に誰もが驚いた。静寂を保っていたはずの教室は瞬間騒然となる。こっそりと 話そうという配慮もなくお構いなしに近くにいる騒ぎ合っている、俺を除いて。 当然だと思う。これは俺の想像だが、クラスメートが持っていた『島村由紀』に対する イメージは、”眼鏡を掛けた沈黙キャラ”くらいのものだ。近くにいて愉快に思うことは ないし、不快に思うこともない。どこのクラスにでも一人はいる、おまけ的存在。 それが今自ら『島村由紀』だと名乗った目の前の女はどうだ。 特徴的な大きな眼鏡は跡形もなく消え、若干ミステリアスな雰囲気を醸し出していたと 思う長い前髪も適度な長さに切り揃えられている。顔もちゃんと化粧が施されている。 そして何より俺が恐怖を感じたのは――腰まで垂れ下がっている黒い長髪と、明らかに 小さくなった胸だ。 二週間前に俺が見た島村の髪は肩に掛かるか否か程度の短髪だった。それがこの短期間 でこんなに長くなるなんて絶対にあり得ない。それに胸だってそうだ。別に意識して島村 の胸を見ていた訳ではないが、その変化は簡単に察知できる。人並、というかそれ以上は あったと思われた胸が貧乳と言ってしまっていいほどの大きさになっている。ギャグでも 冗談でもなく、本当にそうなっている。島村が今までブラジャーにパットでも入れていた ならそれを抜いただけと解釈していいのだが、突然取る理由もないし、それについ前まで 化粧を全くしていなかったような女が見栄を張って胸を大きく見せたいと思うともとても 考えられない。髪の方は付け毛なんだろうけど、胸は一体どういうことだ? 俺が思考の旅に彷徨っている最中、島村は悠々と自分の席――俺の席の前まで向かって くる。歩いている時に周りのクラスメートが次々と島村に声を掛けているのが聞こえる。 その主な内容は「可愛い」や「綺麗」のような褒め称える言葉ばかり。男女問わず変化 を遂げた隠れていた美女に熱い視線を送っている。確かに島村は一般的視点から見れば、 かなり可愛くなったのだろう。俺も思っているから。 だが、皆外面的な変化ばかりに囚われて重要なことを一つ見落としている。そのことに 気付いているのは多分俺だけだろう。だって、”どちら”とも関連を持っているのはどこ を探しても俺以外いないからだ。 「またよろしくお願いしますね、誠人くん」 いつの間にか着席していた島村が俺の方に振り向きながら笑顔を携えて言った。それは 俺からすれば悪魔の微笑にしか見えなかった。 何故なら――『島村』の容姿は、限りなく『加奈』に酷似していたから。 授業中、教師の説明を無視した生徒のほとんどが島村に質問攻めを浴びせていている中 で、俺は一人で考え事をしていた。 俺は何を間違えたのか、俺は何をするべきだったのか、俺はこれから何をするべきなの か……。目の前で揺れる長い黒髪に動揺しつつも必死に考えた。 そして導き出した結論は、”わからないことが多過ぎる”、だった。 島村の胸中も何もかもがわからない。ならば今すべきことは一つだ。 俺は授業終了と同時に他の生徒に先駆け、島村に声を掛けた。 「”あそこ”に来てくれ……」 島村は一瞬光った視線を向けた後、黙って頷いた。 276 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00 20 59 ID l1rWfINJ 俺が向かった場所は説明する必要もないだろうが、あの体育館裏だ。 別に意識して向かった訳ではない。ただ、島村関連となると体が勝手にその方角目指し 突き進んでしまうようになっているだけだ。芸がないとかワンパターンだとか言われても 文句の『も』の字も出ないし、出そうとも思わない。それはほぼ形式化してしまったこと なんだろう。それに、やはり全ての原点から反省したいから。 「誠人くんも随分ここがお好きなようで。それで、私に用ですか?」 それがあるから呼び出した、という当たり前の言葉を飲み込んで、俺は授業中に思考に 靄をかけた疑問を片付けることから始めることにした。 「惚けるな。その髪は何だ? 二週間前に見た時より”かなり”伸びているようだが」 「あぁ、これのことですか」 島村は興味なさ気に上目で自身の綺麗に揃えられた前髪を流し見した後、少々不器用な 動きでその長い黒髪を掴むと、ゆっくりと掴んだ手を下ろした。それと同時に非現実的な 様相を呈していた長髪が外れ、そこからマトリョーシカ人形のように更に髪が覗く。それ は若干伸びていたものの、正真正銘俺が二週間前までに見ていた島村の地毛に相違ない。 「ただの付け毛です。ですが、髪はすぐに伸びますから安心して下さい。私の計算ですと この地毛が付毛と同じ長さになるのに二ヶ月程度でしょうかね。それまで一日千秋の心持 で待っていて下さい。期待すればするほど、それが叶った時の喜びは大きいですからね」 島村が慣れないウィンクを投げかけてくる。そんな嬉しそうに微笑みを見て俺は罪悪感 に苛まれる。だって、俺はそれを投げ返すことができないから。 「俺にはわからない。何でお前はそんなことをする?」 俺が心に引っ掛かっていた――というより引っ掛かっているということにしておきたい 疑問を尋ねると、一瞬狐に抓まれたような呆け顔をした後、さきほどから張り付いている ように変わらない笑顔を取り戻しながら一歩近付いてきた。 「それは本気で言っているんですか? 誠人くんから好かれる為に決まっているじゃない ですか。その手段として、好きな人が好む容姿になるというのは当然のことです」 「俺が好む容姿だと? 俺がいつ長髪が好きだなんて言った? そんな覚えはないぞ……」 俺はほぼ反射的にその質問をした。そしてその後激しい後悔に襲われた。俺はこの後に くる返答の内容を予想できている。その答えを聞きたくない。聞いてもし当たっていたら 俺はその瞬間戦慄するだろうから。触らぬ神に祟りなしってやつだ。 しかし、一方で俺は勢いに任せて言ってしまえてホッとしている一面もある。いずれに しても俺は”そのこと”について問わなければならなかったからだ。どんなに俺が自分の 都合で言いたくないとしてもそうしなければ島村の心理を読み取ることは不可能だから。 待つこと数秒、島村は更にもう一歩近付きながら今日一番の笑みを浮かべた。 「うふふ。……だって、”加奈さんは”とても髪が長いじゃないですか」 その言葉に俺が凍りついたのは言うまでもない。 俺が何か言おうとする暇も与えず、島村は次の言葉を紡ぐ。 「後ですね、先程から随分と私の『胸』を気にされているようなので言っておきますが」 俺が島村の胸ばっかり目で追ってしまっていたという更衣室を間違えて女子の着替えを 覗いてしまった小学校時代以上に恥ずかしい事実を突きつけられ、俺は赤面してしまう。 俯きつつ視線だけで島村の顔を覗くと、その頬はほんのり赤みが差していた。胸を見ら れていたということを恥ずかしがっているのか、中々可愛らしいなと思えるほど俺が余裕 じゃないのは明白だが、それでもその羞恥に震えた姿は男心を僅かに擽った。 普段からそうしていれば、今すぐにでも学園ミスコンでグランプリを取れるぞと言って やろうかと一瞬迷った刹那――突然島村が制服のリボンに手を掛け、一瞬で外した。 「し、島村ッ!?」 「”私から”目を逸らさないで下さいね、誠人くん」 慌てて視線を再び遠くに向けようとしたが、それを予期していたかのようなタイミング で島村に制されてしまう。その言葉には言われた俺にしかわからないであろう意味以上の ”重み”があって、俺は目線を島村から外すことができなくなった。 そんな俺をよそに、島村は上半身の制服を手際よく脱いでいく。友達と興味本位で一度 だけ見たAVで女優が確かそんな手つきで服を脱いでいたなんて不埒なことを思ってしまう のは、もう俺が情緒不安定の域に達しているという証なのだろう。 277 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00 21 58 ID l1rWfINJ 制服が脱ぎ捨てられると、そこには見るからに小さい水色のブラジャーが露わになって いた。別に下着なんかには欠片も興味がないが、バレているとわかっているのに尚下着を 凝視するというのは非常に気恥ずかしいものがある。本当に目を逸らしたかった。 見たくないけど本心では見たくてでもバレているから恥ずかしいけど見ないとならない なんてややこしい葛藤に苦しむ俺をよそに、島村はとうとうブラジャーにも手を掛ける。 そして―― 「見て下さい」 ブラジャーも外れ、『雪』のように真っ白な島村の胸が俺の視界に飛び込んだ。 それを見て色々と脱線を繰り返していた思考は完全に軌道修正を余儀なくされた。体中 が熱に絆され汗を垂れ流しているのに対し頭だけが凍結しそうなほど冷静になっていく。 それは頭ではわかっていても心では受け入れたくないという心の表れなのだろう。 何故俺がそんな精神状態にあるのか、それは――島村の白磁の二つの胸に痛々しい傷跡 が刻まれているからだ。 濁ったところなど見当たらない純白の肌を汚すように、生々しい傷跡は刻まれていた。 陸上競技場のフィールド上に野球ユニフォームで素振りをしている人間がいるような、 例えるならそんな違和感を瞬時に感じる。 俺が確認する限り傷は三つある。 二つは右胸と左胸にそれぞれ一つずつ付いているものだ。その傷は目立ちこそするが、 『比較的』小さいし綺麗に縫合もされている。故にそれを見たとしても「大変だったな」 と何かあったことを案じてやるくらいのことはするであろう、その程度の傷である。 問題なのは右胸にあるもう一つの傷である。俺はこの傷を見て放心状態になりかけたと 言っても過言ではないくらいのショックを受けた。だってその傷は、島村の右胸を左右に 分けるかの如く上から下に長く引かれていたからだ。その有様は思わず目を覆いたくなる ほどの悲惨さである。既に黒ずんでいるそれは、痛々しく腫れ上がっていて、俺が思うに その傷は多分一生消えないのではいだろうか。それほどその傷は、島村が俺の前から姿を 消した二週間の間にしていた『痕跡』をわざわざと見せ付けてきた。 「やはりこんな”醜いもの”がある胸じゃ興奮してくれませんか……」 俺が島村の胸に見とれていると、不意打ちのように島村の声が聞こえてきたので、半ば 現実逃避の意も含ませつつ胸から視線を外し顔を上げる。見ると島村が赤面しつつ一直線 に何かを見つめている。俺も島村の視線を辿り、その方向にあるのが俺の股間だとわかる と一歩下がる。それ自体に全く意味はなかったが、今の俺には気持ち悪い恥じらいの声を 発しながら自らの股間を手で隠すような余裕はなかったので、せめてもの抵抗である。 そして、同時に”赤面する島村”と”島村の発言”を受けて俺は一つの事実を知る。 ――俺、さっきまで島村の胸を舐め回すように見ていたな……。 別に下心はなかったが、花の女子高生にそんな陵辱をしてしまったことに罪悪感を覚え つつ、俺は視線を空にやりながらジェスチャーで島村に服を着ることを促す。一瞬躊躇い のような溜息が聞こえてきたが、それは聞き流すことにした。 「もう結構ですよ、お騒がせしました」 和気藹々とした声を聞いて、俺は視線を島村へと戻す。さっきのことを思い出すと見る のは悪い気もしたが、今はそれよりも重大なことがある。聞かなくてはならない。 「……さっきの『傷』は、一体どういうことだ……?」 「さっき言おうとしたのは、それに関連することについてなんですがね」 俺の質問を待ってましたと言わんばかりに島村は速攻で言葉を返してきた。口元が僅か にピクピク痙攣しているところを見ると、言いたくてうずうずしているようだ。好都合だ と俺は思い島村の言葉に耳を傾ける。 「私って一般女子並には胸があったようなんです。だから脂肪吸引してもらったんです。 だからしばらく音信不通だったという訳です。”もう大丈夫だ”と言うのに看護婦さんが しきりに”まだ駄目”って言ってくるので。二週間近く病室で誠人くんの写真を見続ける 生活は……それはそれで楽しかったんですが、やはり本物が一番ですね。まぁということ で、誠人くん好みの小さい胸になれた訳ですよ」 『俺好み』というのは”加奈の胸が小さいから”という事実が導き出した結論だろう。 色々と引っ掛かることがあったがそれは全て些細なことだ。島村の二つの小さな傷が、 何かの手術の跡だというのは大体予想できていたから驚きはしない。 問題は、もう一つの大きな傷の方だ。 278 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00 23 00 ID l1rWfINJ 「じゃあ……右胸にあった、あのどデカイ傷は一体どう説明するつもりなんだ?」 俺は理由もなく慎重に訊いた。 あんな傷見せられて、見過ごせるほど俺は無神経じゃない。もしあれも手術の跡なんだ というならその医者は間違いなくヤブ医者だから、一緒にそいつのいる病院まで行って、 慰謝料でも請求しに行こうということで済む。島村には悪いが、俺は一番それが平和的な 展開だと思っているし、それを望んでもいる。 沈黙を守る俺を一瞥した後、ニヤリと笑って島村は言った。 「これは、”自分で”付けたものです」 何の躊躇もなく、不思議そうにもせず、当たり前のようにはっきりと言ってのけた。 「こんなこと告白しちゃうと馬鹿扱いされちゃうかもしれませんがね、私”あの時”は気 がどうかしていたようで……。胸の脂肪落とす為に、間違えて胸を斬ればいいとか思って しまったんですよ。血しか出てくるはずないのに、何を考えてたんでしょうかね。母親に 発見されて慌てて病院に運ばれて助かったから良かったものの、あのままでは私は今頃、 ここにはいなかったでしょうね。まぁ別に胸を刺しても痛くはなかったんですがね……」 俺の名前を口ずさみながら刃物で胸を抉り笑っている島村の姿が脳裏に過ぎった。 笑顔でそう語る目の前の女の子は、馬鹿なんかじゃなく『狂人』という言葉の相応しい 人間だった。何でそんな怖いことを平気で笑いながら語れるのかわからない。聞いている 俺の方が怖くなってくる。その証拠に、気を緩ませたら崩れるほど足は震えている。 俺は、目の前の島村由紀を恐れている。 俺に好かれる為に自らの胸を引き裂こうとまでする、そんな盲目的に俺だけを見ている 少女にはっきりと怯えを感じている。逃げ出したい。惨めに地を這い蹲っても、踏まれて も、靴の裏を舐めろと言われても構わないから、今すぐに逃げ出したい。島村の全身から 発せられる『圧迫感』から開放されたいが為に、一秒でも早くこの場を去りたい。 今にも傾きそうな体を何とか支えながら、俺は生唾を飲み込む。 「……お前……島村……」 意味もなくその名前を口にする。 俺が”初めて”会話した時の島村は必死に頭を下げてくる健気な女の子だったな。いや ”健気なのは”今でも変わらないな。俺に好かれる為に自らを傷付けるのだからな。 思考の海原の中で溺れてしまいたいと思う俺に、島村は決定的な言葉を突きつけた。 「もう少しで、もう少しで誠人くんが好きな”加奈さんのように”なれますよ……」 その時、俺は知った。 島村は、”加奈のように”なれば俺から好かれると思っている。それは言い換えれば、 ”加奈の容姿を手に入れれば”ということだ。 つまり――島村は俺が”加奈の容姿”を好き、だと思っている。 言い聞かせているだけかもしれないが今はそんなことどうでもいい。ということは島村 は、とんでもない勘違いをしていることになる。 俺は加奈が好きだ。『容姿』も含めて。だが、それは”加奈が”好きだという前提の上 に成り立つ事象である。例えれば、加奈と全く同じ容姿の人間がもう一人いたとしても、 俺は加奈を選ぶ。つまり、俺が好きなのは『加奈』であり、”加奈の容姿”ではない。 だからどんなに島村が加奈の格好を真似しようともそれは俺にとって偽りでしかない。 そんなこと伝えていた気でいたが、俺が決着をつけようと島村に言った言葉は何だ? ――「俺には、”加奈しかいないんだ”」 俺自身信じられないがこの言葉を島村が、”加奈しかいない、つまり加奈しか俺好みの 容姿をした人間がいない、ということは加奈と同じ容姿になれば自分も俺が好きになって くれる可能性を得ることはできる”、と解釈していないという可能性は否定できない。 現に島村は俺を手に入れるという些細な理由の為に自傷行為をするまでに狂っている。 二週間前にも思い知ったことだが、俺は島村が『略奪』するとまで言ったその意識程度 を完璧に侮っていた。もっと『島村由紀』という人物を知るべきだったんだ。島村の精神 の保身を考えるなら、まず始めに俺の言葉によって島村がどう考えどう行動するのかを、 理解していなければならなかったんだ……。 そんなこと言っても手遅れで、今島村は”俺のせい”で不気味な笑みを浮かべている。 もう島村を傷付けないでフるなんて不可能な状況になっている。俺の言葉によっては、 島村は必要のない分まで傷付かなければならない。 その全ての責任は俺にある。言い逃れなんてできない。だから―― 279 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00 24 04 ID l1rWfINJ 「島村……辛くないか?」 島村の両肩を掴みながら目線を彼女へと固定する。島村は「はい?」と気の抜けた感じ の声を発しながら、意味がわかりませんよと言いた気な瞳で俺のことを見上げてくる。 「”こんなこと”してて、虚しくなってこないか?」 「虚しい? 何がでしょう? 私は自分が着実に誠人くん好みの女へと近付いていること に至高の幸福を感じていますがね。少々言っている意味が……」 うんうん唸っている島村をよそに、俺は何も考えずに喋ることを決意した。 余計なことを考えずに、心に思ったことを素直に口にすることにした。他人任せだが、 もう島村自身に俺の誠意を示してわかってもらうしかないと思う。色々策略を巡らした上 で言葉を選んだとしても今の島村にそれが届くとは到底思えない。それに、大体一番安全 な道ばかり選ぶような説得は不謹慎だ。島村を傷付けたくないと思うなら、本心を言って 俺の想いをぶつけるべきなのではないか? たとえそれで島村が傷付くとしてもその責任 は俺にあるんだから、全て俺が背に負ってやる。 「こんなこと言うのは無茶苦茶失礼だとはわかってるけど、俺は島村には化粧なんかして 欲しくないな。してない方が間違いなく”お前らしい”。流行なんかには流されませんよ 的なオーラが漂って神聖な感じがする。うん。眼鏡だってそうだ。あの明らかに昭和だろ と思わせるちょっと古そうなのが逆に魅力的っていうか? 何て言ったらいいのか俺には わかんないけど、とにかく俺は前のお前の方が」 「でも”前の私”は『加奈さん』より劣っているんですよね?」 やっと見出した道を島村は一言で封鎖した。 そして再確認させられる。島村の目的はあくまでも”俺から好かれること”。フられた 時に後味悪くならないようにする為の配慮なんかじゃない。だとしたら、最早俺にできる ことは何もない。島村と付き合うのは無理だし、かといって今の島村を止める自信も体中 どこを探ってもどこにも見当たらない。 ――全てが手遅れだったんだ。 一度のミスが命取りだった。そして問題なのはそれがどんなミスだとか、どこでそれを してしまっただとかそんな些細なことじゃない。”ミスをしたこと”自体が絶対にやって はならないことだったんだ。その証拠に、結果的に俺は今までの努力が全て無駄だったと 悟り、ただ立ち尽くすことしかできない。 万策尽きたとはこのことだな。もう笑うしかない。狂えるなら俺も狂ってしまいたい。 そうすれば、理性とか理屈だとか抜きにした本能のみで動けたんだろうか? そしたら、 俺は今頃見上げることしかできない壁を越えることができたんだろうか……? 思考を止めてしまいたいと本気で俺が思った時、 「誠人くん、何故私があなたを好きなのか……知ってますか? 正直に答えて下さい」 突然島村がそんなことを言い出してきた。 俺は質問の意味を理解するのに数秒要した後疲れきった脳細胞に鞭を打ち考えてみる。 それは時々思っていたがすぐに忘れてしまう程度の疑問だった。何故俺みたいなそこら 中に転がっているような男を何の接点もなしに好きになったのか? 接点といえば怪我を させられたくらいだ。あ、後女子トイレのことを忘れていたな。あれは永遠に封印したい 記憶だ。それはいいとしてやはり島村が俺に特別恋愛感情を抱くような事件はなかった。 当然俺は一目惚れされるほどのイケメンじゃないし、その可能性もゼロだ。 ……再び数秒考えた後、俺は首を横に振った。”正直に”と念を押されているし、仮に 嘘をついたとしてもそんなものはすぐにバレしまう。そうしたら俺の”不誠実な”行いで 島村を傷付けてしまうことになる。まさか島村だって、自分が好きな相手が大嘘つき野郎 だなんて思いたくもないだろう。 そう思われてでもいいから嫌われた方が良かったのかななんて考えていると、島村の方 から大袈裟な風な嘆息が聞こえる。 顔を上げてみると、島村は若干表情に悲哀の念を含ませつつ、厭らしいほどの笑みは何 があっても崩さないと言わんばかりに守っている。 「”覚えていませんか”。残念です……。まぁ”そういうところ”も好きですがね……」 そう言った後、島村はゆっくりとした足取りで地面を踏みしめながら、俺の方へと歩き 出してきた。俺は既に戦意喪失しており、その不穏な気配を察知しつつも足を動かすこと はしなかった。というよりできないし、しようとも思わなかった。一歩下がっても島村は 二歩近付いてくるだろうし、二歩下がれば四歩近付いてくるだろう。要は無駄。 280 :上書き ◆kNPkZ2h.ro [sage] :2007/05/08(火) 00 25 07 ID l1rWfINJ 距離はやがて胸が触れそうなほどにまで縮まる。互いの呼吸も感じ取れるほどの近さ。 また「好きだ」とでも耳元に囁いてくるのかと考えていたのも束の間――激しい破裂音 に似た音を静寂が支配する体育館裏に響かせつつ、島村はいきなり俺の頬を叩いた。 「うっ」 間抜けな声を発しつつ俺はその中々の強さに体を傾かせかけてしまった。ヒリヒリ痛む 右頬を押さえていると、今度は左頬をもぶたれた。しかもほぼ本気でだ。 俺もマゾじゃないし、男の沽券に関わるので一応無言で平手打ちを繰り出す島村を睨み つける。その俺の全力の覇気を乗せた視線をいとも簡単に交わすと、今度は腹を渾身の力 で殴られた――ってちょっと待て。 「ぐふっ、かはっ……!」 女の力だから致命傷にはならないものの、普段から怠惰な生活をしていていたもんで、 腹筋なんて全然鍛えていなかった。だから、俺は島村のボディーブローをほぼ直撃の力で 受け止めてしまった。 その痛みに情けないとは思いつつ地面に座り込んでしまう。肺から思い切り空気を絞り 出されてしまい呼吸が儘ならない。目を地面に向けながら手をつき、過呼吸を繰り返して いると島村が今度は耳元に囁きかけてきた。 「痛いですか? その痛みが記憶として残るんですからしっかり痛感して下さい。いずれ は加奈さんと”対等の立場”に立つことになるんですから、その時になって私と加奈さん のどちらかを選ぶ時に有利にことは進めなければなりません。誠人くんが”あのこと”を 覚えていらっしゃらないのは残念でしたが、それは元々誠人くん好みじゃない時の記憶。 そんなものはいりませんよね? 私は理解しました。過去に縋り続けていては、何も奪う ことはできません。過去は『上書き』して、新たな記憶を刷り込まなくてはなりません。 そうですよね?」 俺がボヤけた思考で理解できたのは、島村が俺に振るっているこの理不尽な暴力の目的 が、『島村由紀』という存在を刷り込ませる為だということだけだった。つまり、島村は いつかは加奈と全く同じ容姿になるつもりでいて、その時になれば自分は加奈と同じ土俵 に立っていると勘違いしている。そして同じ条件のものが揃った時に選ばれる為にはより 強い印象がある方が勝つ、その為に最も手っ取り早い方法が『苦痛』――そんな風な子供 じみた解釈をしたという訳だ。 島村の言う『過去』というのが何かまではわからないが、俺はもうどうでも良くなって いた。最早俺は抵抗を示すことのない島村の愛用サンドバック状態と化している。 再び叩かれたり殴られたりを繰り返しながら、もうこの意識を手放そうとしていた。何 ももう考えたくない。俺は頑張った方だと思う。相次ぐトラブルを、要所要所でなんとか 乗り越えここまできた。だが、最後の最後で”俺は非常になり切れなかった”。 島村を傷付けようが何をしようが諦めさせるという覚悟が俺にはなかった。だから今、 俺はこうして半笑いしている島村に嬉しそうに玩具にされている。これは俺が受けるべき 『罰』だ。目先のことばかり考えていたことへの『贖罪』だ。 後何発殴られれば俺は許されるのかななんてことを考えながら俺が遠い夢世界へと旅を しようとした刹那―― 「あ」 一言俺はそう漏らした後、自分の目の前にいる人間を見据えて、一瞬にして現実世界へ と引き戻された。 「何……コレ?」 加奈がいた。 同時に見られた。加奈に見られた。島村に殴られているところを加奈に見られた。 今まで保健室で島村との恥ずかしい行いやキスされかけたところを見られたりはした。 でも、これは”初めて”だった。 『上書き』すべき対象を刻まれ続けている俺の姿を加奈に見られたのは。