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相抜け あいぬけ 足軽稽古下郎技 あしがるけいこげろうわざ 一眼二足三胆四力 いちがんにそくさんたんしりき 一源三流 いちげんさんりゅう 一刀三礼 一刀流 一寸の見切り 一拍子の打ち 居付く いつく 異能力士に三役なし イメージトレーニング 居の打ち いろ 色の打ち いわおの構え 一国一允可 いんが 陰陽の足 うこう 右轉左轉出身の剣 うてんさてんでみのけん 縁のあたり えんのあたり 円明流 えんめいりゅう お止め流 おとめりゅう 面を刺す おもてをさす 参照:索引 - 剣道用語 - Weblio スポーツ より 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販
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◎「剣道」名称の変化 剣道は、われわれの先祖が戦場で刀剣をもって相手と戦った技術が、時代や社会の移り変わりとともに、しだいに戦いとしての性格を失い、スポーツ・修養・護身・芸能などの目的でおこなわれるようになったものであります。 剣道という名称は古い中国の文献にや、江戸時代の剣道書にも2,3出てきていますが、この名称が学校の体育教材として正式に取り上げられたのは、大正15年(1926年)改正の「学校体操教授要目」が最初になります。 奈良時代には撃剣(げきけん)、平安時代から鎌倉時代をへて室町時代中ごろまでは太刀打(たちうち)室町時代末期から江戸時代初期にかけては兵法(へいほう・ひょうほう)の名称が多く用いられてきました。江戸時代には兵法のほかに剣術(けんじゅつ)、撃剣(げきけん)、剣法(けんぽう)、刀法(とうほう)、剣技(けんぎ)、剣道(けんどう)などの名称が用いられていましたが、もっとも多用された名称は剣術で、明治・大正を通じては撃剣(げきけん)の名称が多く用いられていました。 これは榊原鍵吉(さかきばらけんきち)にはじまる「撃剣興行」の全国的盛行の影響であったと考えられています。 大正に入っては「剣道」の名称が多く用いられ、昭和に入っては「剣道」以外の名称はほとんど使われなくなりました。 ◎剣道の歴史 金属製の刀剣が大陸から朝鮮半島を経て、壱岐・対馬の島づたいに伝来したのは日本の古墳時代、崇神天皇(すいじんてんのう)のころと言われています。したがって剣術の出現は金属製刀剣の出現とともに始まったと言ってよいが、初期の刀剣は長大な平造りの直刀で、数も少なく武器としてよりも、所持者の地位、名誉、権力の象徴であったと思われます。 それが武器として用いられる様になるにつれ、反りのある彎刀(わんとう)に変わって行き、折れ曲がりせず軽くてよく切れる、いわゆる「日本刀」が出現し、刀法技術も進歩していきました。 直刀から彎刀への移行は明らかではありませんが、12世紀の中ごろから終わりにかけての、源平時代にはすでに彎刀一色でありました。 しかし、この時代は騎馬戦はなやかな時代であり、馬上での弓矢の戦いが中心で、刀法も相手と刀を交えて斬り結ぶというよりも、馬上から片手で振り回す技術が中心でした。 鎌倉時代から室町時代にかけては、蒙古来襲の影響もあって戦術にも変化があり、太刀打ちの技術が槍術とともに進んで行きました。武技としての兵法は室町末期の戦国時代に著しく進歩し、素朴な甲冑兵法から精錬された素肌兵法へと変わり、太刀数も多くなり技法も一段と高度化し体系化され、一流一派をなしてこれを指導する者があらわれ、日本独自の剣法が芽生えて、今日の剣道の基礎となっていきました。 参照:「剣道の歴史」より http //www.nava21.ne.jp/~susaty/kendo/rekishi.htm 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道 通販 / 竹刀 通販
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◆昇段審査◆ 段位の審査、受審資格について簡単にまとめてみました。 参考にさせて頂いたのは全日本剣道連盟により発表されているものです。 詳しくは全日本剣道連盟のホームページに掲載されていますので、こちらもご覧下さい。 段位は、初段ないし八段とし、それぞれ次の各号の基準に該当する者に与えられる。 (1)初段は、剣道の基本を修習し、技倆良なる者 (2)二段は、剣道の基本を修得し、技倆良好なる者 (3)三段は、剣道の基本を修錬し、技倆優なる者 (4)四段は、剣道の基本と応用を修熟し、技倆優良なる者 (5)五段は、剣道の基本と応用に錬熟し、技倆秀なる者 (6)六段は、剣道の精義に錬達し、技倆優秀なる者 (7)七段は、剣道の精義に熟達し、技倆秀逸なる者 (8)八段は、剣道の奥義に通暁、成熟し、技倆円熟なる者 加盟団体の審査 (1)初段ないし五段の審査は、全剣連会長が加盟団体に委任して行う。 (2)前項の審査は、本規則によるほか、別に定めるところによりこれを行う。 受審資格 1.段位を受審しようとする者は、加盟団体の登録会員であって、次の各号の条件を満たさな ければならない。 (1)初段・・・一級受有者で、中学校2年生以上の者 (2)二段・・・初段受有後1年以上修業した者 (3)三段・・・二段受有後2年以上修業した者 (4)四段・・・三段受有後3年以上修業した者 (5)五段・・・四段受有後4年以上修業した者 (6)六段・・・五段受有後5年以上修業した者 (7)七段・・・六段受有後6年以上修業した者 (8)八段・・・七段受有後10年以上修業し、年齢46歳以上の者 2.次の各号のいずれかに該当し、加盟団体会長が特段の事由があると認めて許可した者は、 前項の規定にかかわらず当該段位を受審することができる。 (1)二段ないし五段の受審を希望し、次の年齢に達した者 二段・・・35歳 三段・・・40歳 四段・・・45歳 五段・・・50歳 (2)初段ないし五段の受審を希望し、次の修業年限を経て、特に優秀と認められる者 初段・・・一級受有者 二段・・・初段受有後3か月 三段・・・二段受有後1年 四段・・・三段受有後2年 五段・・・四段受有後3年 (3)六段ないし八段の受審を希望し、年齢60歳以上で、次の修業年限を経た者 六段・・・五段受有後2年 七段・・・六段受有後3年 八段・・・七段受有後5年 審査の方法 1.段位の審査は、実技、日本剣道形(以下「形」という。)および学科について行う。 2.学科の審査は、筆記試験により行う。 3.初段ないし七段の審査において、形または学科審査の不合格者は、その科目を再受審する ことができる。 4.八段の実技審査は、第一次と第二次を行い、第一次に合格した者が、第二次を受審するこ とができる。 5.八段の形および学科審査は、実技審査合格者について講習を行ったうえで実施する。 6.前5項に規定するもののほか、審査の方法および運営については別に定める。 審査の合否 1.初段ないし三段の審査は、審査員3名以上の合意により合格とする。 2.四段ないし七段の審査は、審査員5名以上の合意により合格とする。 3.八段の第一次実技審査は、審査員5名以上の合意により合格とし、第二次実技審査は、審 査員7名以上の合意により合格とする。 4.六段および七段の学科審査は、2名以上の合意により合格とする。 5.八段の形および学科審査は、2名以上の合意により合格とする。 特別措置 1.全剣連会長は、六段ないし八段の審査に関し、合格の決定を不当と認めたときは、全剣連 選考委員会の意見を聴いてこれを取り消すことができる。 2.全剣連会長は、六段ないし八段の審査に関し、特段の事由があると認める受審者について は、審査会の評決を斟酌したうえ、全剣連選考委員会の意見を聴いて、これを合格とする ことができる。 3.全剣連会長は、六段ないし八段の審査に関し、不正の手段によって審査を受け、または受 けようとした者に対しては、合格を取り消し、またはその審査を停止することができる。 4.前項の規定は、加盟団体が行う初段ないし五段の審査において準用する。 参照:昇段審査より http //www.nava21.ne.jp/~susaty/kendo/syoudan.htm 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販
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◆ヤ行の部 四つ習い 「師に習い、友に習い、己に習い、場に習う」と言うのが昔からの四つ習いであり、すべて何を習得するにも師にも習い友にもたずね自らも反省し更に実地に修練して場になれることが必要であり、一つのことを成就するにはかくの如く、あらゆる角度からの勉強と研究が必要だと、その事上練磨の大切さを説いたものである。 よみと勘 よみとは思考の積み重ねの結論であり、勘とは甚しい力と書き、五感を絶した瞬間的ひらめきである。 勘は修練によって自然に体得されるものであり、試合の打ちは大抵勘によるものが多い。 参照:剣道用語辞典 ヤ行 より 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販
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割り稽古 これはお茶の言葉で、お茶はたてて飲むだけでなく、襖の明け方、立て方、品物の並べ方などそのやり方作法に一層の意義があるものであり、そうしたものを部分的に学ぶことを割り稽古という。 剣道でもただお面こ小手の打合いだけでなく、稽古着袴のつけ方、立ち方座り方などにも道としての大きな意義があるものであり、こうしたことをおろそかにせず大事に学びとっていくことが剣道の割り稽古である。 参照:剣道用語辞典 より 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販
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◆ラ行の部 理業一致(りぎょういっち) 理は理合いであり業は技である。剣道を学ぶには理に偏してもいけないし、技ばかりに片寄ってもよくない。理を根底にして技を磨いて行くのが理想であり、理と技とを一元的に修練するのが理業一致である。事理一致も全く同じ意味である。 理念 そのものの「理想とする概念」を理念という。 剣道の理念といえば剣道の理想とする概念であり、目的とはいささか異なるものである。目的とはその理念を体して打ち立てられる具体的指標である。 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販
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相抜け(あいぬけ) これは針ヶ谷夕雲が剣道の極所を説いたものとして古来貴ばれてきた言葉であるがその真意を的確に表現することはむずかしい。 相抜けは相打ちではない。相打ちはどちらも傷つくが、相抜けは双方共に空を打たせて、いずれも無事であり、太刀の勝負より心の勝負を教えたもので、聖人の太刀合いとも言われている。 いずれかを勝ちと定めんいずれをか 負けと申さん合いの相抜け 足軽稽古下郎技(あしがるけいこげろうわざ) 稽古にも理合いにも風格もなく、最も卑しい稽古のやり方をいう。百姓稽古木引(ひゃくしょうげいここび)き技も同じ意味である。 一眼二足三胆四力(いちがんにそくさんたんしりき) これは剣道修行の大事な要素をその重要度に応じて示したものである。 一眼―剣道で一番大事なことは相手の思考動作を見破る眼力であり洞察力である。二足―初心者は手先で打って足がこれに伴わない。むかしから見学の心得に「技を見ないで足を見よ」ということがあるが、技の根元は足であり、足の踏み方使い方は剣道で最も重要視されるものである。三胆―胆は胆力であり度胸である。ものに動ぜぬ胆力と決断力であり不動の意味である。四力―力は体力でなくて技術の力であり、わざ前のことである。剣道はすべて技術を最後にもって来たところにこの教えの尊さがある。 一源三流(いちげんさんりゅう) 家のためには汗を流す。友のためには涙を流す。国のためには血を流すという武士の魂を伝えた源流館の教えだといわれている。 一国一允可(いんが) 昔の流祖はその流派の秘剣が乱用されるのを恐れ、その流派の「極意剣」の伝授は一国のうちで最高のもの唯一人にしか授けなかった。 又、「唯授(ゆいじゅ)一人」ともいわれ、日本中唯一にしか与えなかった宝山流のような厳しい流儀もあった。昔はそのくらい流儀流派の極意剣は大事にされたものである。 イメージトレーニング、メンタルリハーサル これは最近のスポーツ界で非常に重要視されている訓練法で、常に頭の中にさまざまの状態を描いてそれに対応するトレーニングをやる。 或は精神的訓練をやることで剣道で言えば思念工夫であり、昔から伝わる静思黙考の独り稽古である。他のスポーツでもイメージトレーニングの重要さを教えているが、剣道こそはこれが最も大事であり、昔の剣聖流祖が神社仏閣に参籠し、あるいは岩窟に籠って修行して悟りをひらき、さらに難行苦行の夢寐(むび)の間に開眼するなどはすべてこれ現代流に言えばイメージトレーニングでありメンタルリハーサルの成果である。 最近剣道をやる者はただ道場の打合いだけを剣道修業と心得ているが、本当の修行はイメージトレーニングやメンタルリハーサルによって得た剣理剣法を道場で実際に試みてその正否をただし、さらに演練(えんれん)を重ねて行くのが本当の意味の剣道の稽古である。その大事なイメージトレーニングを忘れては道の修行にもならないし剣道の上達も覚束もない。剣道修行の最も心すべき一条だろう。 居付く(いつく) 稽古中に足が床板について、軽快自由に動けない状態。あるいは試合中に精神的機能が一時止って瞬間的動作の出来ない状態。したがってこれは大きな隙であり、相手にとっては逃してはならぬ打突の好機である。 一寸の見切り、二寸のひらき 一寸の見切りは宮元武蔵の有名な言葉で、相手の太刀がまさにあたらんとする一寸のところで体をかわすこと。 太刀風三寸にして身をかわすということと同じ原理である。二寸のひらめきとは柳生流の教えで、人の頭の幅は四、五寸であるからわずかに二寸ひらけばその太刀をかわすことができる。その体のひらきを教えたもので心理的には一寸の見切りと同じである。 一刀三礼 仏像師が仏像を彫るとき、一刀を振るう前に三度の祈りを捧げて彫る如く、剣道も一刀を振るう度に真摯の祈りを込めて指導せよという心の持ち方を教えたものである。 一刀流 伊藤一刀斎の創始にかかる。 一刀流は二刀流に対しての呼称ではなく、一心一刀で信念の一刀に生命をかける精神であり、更に一刀万刀に変じ、万刀一刀に帰すという根本理念に基づいて命名されたもので流祖一刀斎の名前をとったものではない。 一拍子の打ち 現代剣道における一拍子の打ちとは動作が二挙動にならぬように打つこと。 例えば、すり上げ面の場合に「すり上げ」と「打ち」が二つにならぬように一挙動で打つ。結局「打つ途中においてすり上げる」心がけが大事であり、太刀も心も一連のものとならなければならない。兵法三十五ヶ条の「一拍子の打ち」とは表現的に若干ニュアンスの違いがある。上泉勢守は「いかなる事態からもまっすぐに一拍子の太刀の出せること」を最高至極の剣として、これを転(まろばし)と読んでいた。 異能力士に三役なし 相撲の言葉であるが基本的な正しいことをやらずに特異なやり方で勝つ力士は決して三役まで上ることはできないということで剣道でも変剣難剣で勝っても正道を踏まなければ決してそれは大成しないということである。 いわおの構え(巖の身) 心身共に巖の如くいささかも動ぜぬ寂然不動の構え。 剣道の基本である。(宮本武蔵) 陰陽の足 剣道の打突には片足ばかり動かしてはいけない。 いかなる場合も右足が出たら左足が必ずこれにつき、両足が同じように動いて体の安定を保ち、打突を正確にしなければならない。それが陰陽の足である。 有構、無構(うこう、むこう) 構えはあれども無きが如きもので、心の構えがあれば太刀の構えは不要であり、構えにこだわってはならないという武蔵の教えであるが、これはでき上がった人にして初めていえることで始めのうちは「構えの極りは中段と心得るべし、中段の構え本意なり」と武蔵自信もいっているように初心者のうちは構えを堅確にすることは最も大事なことである。 右轉左轉出身の剣(うてんさてんでみのけん) これは溝口一刀流の秘剣といわれているが相手の攻撃に対してひいてはいけないということである。 右にひらくか左に転ずるか、さもなくば前に出ろということである。柳生流に右旋左転の言葉があるが、結局は「たんだ踏みこめ神妙の剣」がその極意剣である。真剣勝負の心の持ち方を教えている。 縁のあたり(えんのあたり) 相手のた太刀を払っても叩いてもあるいは受けても相手の竹刀にあたったら、そらは相手を打つ縁であって、それを合図に必ず打ち込まなければならない。そこは逃してはならない勝機であり、それを縁のあたりというのである。 円明流(えんめいりゅう) 武蔵流のことである。武蔵は幼にして父より十手を習い、それを土台にして剣法を工夫して円明流と称した。「心月円明」をとったものといわれている。 お止め流(おとめりゅう) 柳生流と小野派一刀流は将軍家指南の流儀であり、これは他流との仕合を禁止された。それは将軍家ご指南が他流との仕合で負けでもしたら、それこそ面目を失墜し、将軍家の権威にもかかわるということで、他流との仕合は一切禁止されたので、これをお止め流と呼んだ。 面を刺す(おもてをさす) 相対した時は絶えず相手の心を制し、相手が動いたら剣先でその面を刺す心で前に出よ。 これは真剣勝負のコツでいかなる場合も退いてはいけないという宮本武蔵の教えである。 参照:剣道用語辞典 より http //www.budogu.jp/column/kotoba.html 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販
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日本剣道協会(にほんけんどうきょうかい)とは、剣道を統括する団体の1つ。全日本剣道連盟が主導している現行の剣道に異を唱え、真の武道としての剣道を追求するために設立された。 目次 [非表示] * 1 概要 * 2 試合形式 * 3 段位 * 4 活動 * 5 外部リンク * 6 関連項目 概要 [編集] 剣道は、全日本剣道連盟が剣道の講習会の開催、指導者の養成、称号や段級の審査及び授与などを行っているが、連盟が主導する剣道はスポーツ化しており、本来の武道の姿を失っているとの批判が根強くあった。 羽賀準一の弟子である園田直たちが中心となり、神道無念流の影響を強く残した一剣会羽賀道場が設立された。さらに一剣会羽賀道場から分かれ、現在の剣道に異を唱える形で高橋靖夫や須井詔康が新しく設立したのが、日本剣道協会である。 称号や段級の審査及び授与も独自の基準を制定しており、試合形式も異なる。 試合形式 [編集] 竹刀を使った攻撃だけでなく、体当たり、足払い、組打ちも認めている。 段位 [編集] 実力を重視するため、少年であっても、実力があれば高位の段位を与えるとしている。 活動 [編集] 東京都を中心に活動している。特に練馬区で活動が活発であり、本部と8つの支部は全て練馬区にある。 外部リンク [編集] * 日本剣道協会 * 一剣会羽賀道場 関連項目 [編集] * 剣道 * 全日本剣道連盟 * 一剣会羽賀道場 参照:ウィキペディア「日本剣道協会」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%89%A3%E9%81%93%E5%8D%94%E4%BC%9A 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道 通販 / 竹刀 通販
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あ [編集] * 荒井充 * 安藤戒牛 * 井口清 * 石田和外 * 石田利也 * 伊藤雅二 * 岩佐英範 * 内村良一 * 栄花直輝 * 栄花英幸 * 大澤規男 * 太田義人 * 大麻勇次 * 小川金之助 * 小川忠太郎 * 小川功 * 小澤丘 * 大城戸功 * 奥園国義 * 小沼宏至 * 井上公義 か [編集] * 風見敏 * 菊川省吾 * 片岡昇(ケン・ケンセイ) * 川上岑志 * 小関太郎 * 川木一也 * 木和田大起 * 川添哲夫 * 近藤利雄 さ [編集] * 斎村五郎 * 佐々木季邦 * 佐藤卯吉 * 佐藤貞雄 * 佐藤忠三 * 佐藤博光 * 作道正夫 * 笹森順造 * 清水保次郎 * 正代賢司 * 鈴木剛 * 角正武 た [編集] * 大長九郎 * 高鍋進 * 高野佐三郎 * 竹中健太郎 * 近本巧 * 千葉仁 * 辻村祥典 * 寺地賢二郎 * 寺地種寿 * 寺地四幸 * 寺本将司 * 戸田忠男 な [編集] * 中倉清 * 中村宗助 * 中村太郎 * 中村藤吉 * 中山博道 は [編集] * 羽賀準一 * 羽柴稔惇 * 橋本龍太郎 * 原田源次 * 原田悟 * 古澤庸臣 * 原田哲夫 * 東一良 * 堀口清 * 馬場武雄 * 馬場武典 * 馬場勇司 * 馬場英樹 * 畠中宏輔 ま [編集] * 真砂威 * 松野義慶 * 三島由紀夫 * 宮崎史裕 * 宮崎正裕 * 村山千夏 * 持田盛二 * 森寅雄 * 森田文十郎 や [編集] * 山田博徳 * 吉田一秀 * 吉本政美 * 米屋勇一 わ [編集] * 和田晋 * 若生大輔 関連項目 [編集] * 剣道 参照:ウィキペディア「剣道家一覧」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%A3%E9%81%93%E5%AE%B6%E4%B8%80%E8%A6%A7 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道 通販 / 竹刀 通販
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持田 盛二(もちだ もりじ、1885年(明治18年)1月26日 - 1974年(昭和49年)2月9日)は、大正から昭和にかけての日本の剣道家。剣道範士十段。号は邦良。 高野佐三郎、中山博道と並ぶ昭和の剣聖の一人で、史上5人しかいない剣道十段のうちの一人。 戦前、高野の明信館と中山の有信館が剣道の二大勢力であったが、持田はどちらにも与することなく、独自の立場を貫いた。 講談社の創業者である野間清治が設立した野間道場を中心に警視庁や学習院中等科・高等科等でも指導した。 父である持田善作は、法神流剣法の第4代正統継承者である根井行雄の高弟で、自宅に道場を設けて門人を指南していた。 略歴 [編集] * 1885年(明治18年) - 群馬県勢多郡下川淵村(現前橋市)に生まれる * 1891年(明治24年) - 父・善作より法神流剣法を学び始める * 1907年(明治40年) - 大日本武徳会武術教員養成所に入所。大日本武徳会剣道師範であった内藤高治より北辰一刀流剣術を学ぶ(免許皆伝)。 * 1911年(明治44年) - 大日本武徳会より精錬証を授与される * 1919年(大正8年) - 大日本武徳会より教士号を授与される * 1925年(大正14年) - 朝鮮総督府警察局の剣道師範となる(1930年(昭和5年)まで奉職) * 1927年(昭和2年) - 大日本武徳会より、武道家として最高の称号である範士号を授与される * 1929年(昭和4年) - 御大礼記念天覧武道大会において指定選士の部に出場し、優勝する * 1930年(昭和5年) - 野間道場の師範として招聘される。講談社入社 * 1957年(昭和32年) - 剣道十段に昇進 * 1961年(昭和36年) - 紫綬褒章受賞 遺訓 [編集] 私は剣道の基礎を体で覚えるのに五十年かかった。 私の剣道は五十を過ぎてから本当の修行に入った。心で剣道しようとしたからである。 六十歳になると足腰が弱くなる。この弱さを補うのは心である。心を働かして弱点を強くするように努めた。 七十歳になると身体全体が弱くなる。こんどは心を動かさない修行をした。心が動かなくなれば、相手の心がこちらの鏡に映ってくる。心を静かに動かされないよう努めた。 八十歳になると心は動かなくなった。だが時々雑念が入る。心の中に雑念を入れないように修行している。 参照:ウィキペディア「持田盛二」より http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8C%81%E7%94%B0%E7%9B%9B%E4%BA%8C 榎本劍修堂 / 劒人倶楽部 埼玉県さいたま市見沼区大谷399 剣道具 通販 / 竹刀 通販