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イングランドの歴史 前のページに戻る 全部見ると、頭痛がしてくるイングランドの歴史・。・ 注‥‥参考にしている資料が古いため、最近の研究による史料と食い違っている箇所があるかもしれませんが、ご容赦下さい。 ローマ帝国時代 0043年 ブリタニア州創設。 0122年 ブリタニアにハドリアヌスの長城(リメス)建設(~0127年)。この頃、ゲルマン民族のローマ帝国内への侵入が始まる。 0180年 ゲルマン人のローマ帝国内への居住が始まる。 0375年 民族大移動開始。 0395年 ローマ帝国、東西に分裂。 0410年 西ローマのホノリウス帝、属州ブリタニアの放棄を決定。進駐ローマ軍撤収(大陸側でのゲルマン諸族対策に転戦)⇔ ブリタニア略史 0449年 アングロ・サクソン諸部族のブリテン島への進入が本格化。以降、先住のケルト系ブリトン人と、アングロ・サクソンとの交戦が断続的に行われ、ケルト系住民は辺境部に追いやられる。ただし、都市部でローマ化していたブリトン人や、都市部に残留したローマ臣民は、概ねアングロ・サクソンたちに融和していく。6世紀末頃までに、アングロ・サクソン族は、イングランド地域で支配的になる。当初、後の諸王国の原型となる部族国家は20ほどあり、これらが9世紀にかけて、いわゆる7王国(ヘプターキー)に統合されていくことに。 イングランドでは、まずケント王国が優勢になったが、次にマーシア王国がイングランドの覇権を獲得する間際まで行った。しかし、ヴァイキング(デーン人)の来寇が激しくなり、イングランド諸王国は打撃を受ける。 アングロ・サクソン時代(七王国時代) 0597年 ベネディクト会のアウグスティヌス、教皇グレゴリウス1世の命で、布教のためケント王国のカンタベリーに渡来。ケント王エグゼベルト受洗。 0601年 カンタベリー大司教座設置。 0664年 ウィットピの教会会議。ローマ・カトリック教義が公認され、アイルランド系修道会の教義は異端とされた。以降、イングランド地域では、南部から教区制度が整えられていく。 0700年 この頃『ベオルフ』の文書化成立。 0731年 尊者ベーダ(673年~735年)、『イングランド人の教会史』を著す。 ☆●●●● この頃から、デーン人(ヴァイキング)によるブリテン島、アイルランド島への襲撃が活発に。 0802年 エグベルト、ウェセックス王位に就任(~839年)。この頃からウェセックス王国台頭。 0829年 エグベルト王のもとで、イングランドにウェセックス王国による統一王朝が成立。 第一次ウェセックス朝時代 0850年 デーン人、ブリテン島、アイルランド島への侵入を開始。 ☆●●●● この頃、ケルト民族首長のロードリ、ウェールズ地域で勢力を伸ばす。また、ブリテン島北部で、ダルダリア王国のケニス王が、スコット人とピクト人とを統合。 0871年 アルフレッド(大王)、ウェセックス王位に就任。各地域でデーン人を撃退する一方で、イングランド北東地域のデーン人勢力と講和。デーン・ロウ地域が成立。ウェセックス朝とデーン・ロウ地域の間に相互不可侵協定が成立。 0900年 この頃『アングロ・サクソン年代記』の編集が始まる。 0901年 アルフレッド王死没。アルフレッド王の後継者たちにより、デーン・ロウ地域への支配力が回復。 0950年 ウェセックス朝によって、現在のイングランドの版図が確立される。 0980年 この頃から、デーン人によるブリテン島、アイルランド島への襲撃が再度、激化。 デーン朝時代 1016年 デーン人の王カヌート、イングランドを征服。イングランド王として即位(在位、~1035年)。後世「北海帝国」と呼ばれる広域を支配。 第2次ウェセックス朝時代 1042年 ノルマンディーに亡命していたウェセックス朝のエドワード帰還。イングランドを奪還、王位に就任。エドワード懺悔王(在位、~1066年)しウェセックス朝を復興。 ☆●●●● この頃、ケルト民族の首長のグリフィズ、ウェールズ地域で勢力を増す。11世紀頃までに、ウェールズ地方は、北部のグウィネッズ、中部のポウィス、南部のハイバースに勢力圏が分化。それぞれが公国を称すようになる。 ノルマン朝時代 1066年 「ノルマン・コンクウェスト」 同年のエドワード懺悔王の死没後、後継問題でイングランドは混乱。ウェセックス公ハロルドの即位に、ノルウェー王ハーラルとノルマンディー公ギョームとが相次ぎ出兵。最終的には、ギョームがウィリアム1世(征服王)としてイングランド王位に就任(在位、~1087年)。ノルマン朝成立。 1086年 ウィリアム1世、ソールズベリに諸候を集め、直接受封者以外からも臣従の誓いを受ける(ソールズベリの誓い)。また、国土の検地を命じ、調査結果を『ドームズデー=ブック』にまとめさせる。 1087年 ウィリアム1世が死没。後継者闘争の末、ウィリアム1世の3男ルーファズが、ウィリアム2世(赤顔王)としていち早く王位に就任(在位、~1100年)。 1091年 イングランドの混乱に乗じるように。スコットランドのマルカム1世、イングランドに侵攻。ウィリアム2世はこれを破って臣従の礼をとらせる。 1096年 第1回十字軍遠征進発(~1099年)。ウィリアム1世の長男、ノルマンディー公ロベール参加。 1100年 ウィリアム2世、狩猟中に事故死。王位は、ウィリアム1世の4男ヘンリーが、諸候の支持のもと、ヘンリー1世として王座に(在位、~1135年)。反対する諸侯も多かっため、戴冠憲章を発布。 1106年 タンブレの戦いで、ヘンリー1世、長兄ロベールを捕える。以降、イングランド国王が、ノルマンディー公国の支配者も兼ねる。 1135年 ヘンリー1世の死後、後継者に指名されていた娘のマティルダ(アンジュー伯夫人)が王座に就くが、従兄妹のスティーブン(ヘンリー1世の妹の子)も王位を主張(在位、~1154年)イングランドは、事実上の内戦状態に。(スティーブンの乱、~1153年) 1147年 第2回十字軍遠征進発(~1149年)。 1153年 スティーブンとマティルダとの間で、次期王位をマティルダの息子アンリが継承することで和議成立。 プランタジネット朝(アンジュー朝)時代 1154年 スティーブンが死没。アンジュー伯アンリ(マティルダの息子)が、ヘンリー2世としてイングランド王位に就く(在位、~1189年)。 ☆●●●●この頃『アーサー王物語』が成立。「聖杯」と「ロンギヌスの槍」を巡って、十字軍の目的が変容。 1164年 「クラレンドン法」成立。 1167年 オックスフォード大学創立。 1186年 アキテーヌ公になっていたリチャード、父、ヘンリー2世に謀反。 1189年 ヘンリー2世が死没。アキテーヌ公リチャード、リチャード1世(獅子心王)として王位に就く(在位、~1199年)。しかし、間も無く第3回十字軍遠征に参加(~1192年)。王国の国政は、王母エレアノールが執り仕切ることに。 1194年 イングランドが莫大な身の代金を支払い、リチャード1世解放される。 1199年 アテキーヌ公領シュリュでフランス軍と交戦中にリチャード1世戦死。ヘンリー1世の末子、ジョン(失地王)がイングランド王位に(在位、~1216年)。 1203年 リチャード1世が後継者に指名していたアーサーが、ジョン派に暗殺される。これをきっかけに、大陸側でフランス王家と交戦状態に。 1208年 ジョン王、ローマ教皇インノケンティウス3世と政争。 1209年 ケンブリッジ大学創立。 ☆●●●●ジョン、破門される。 1214年 ブビーヌの戦いで、仏に敗北。大陸における領土を失う。 1215年 ジョン王、「大憲章(マグナ・カルタ)」に署名。ただし、この時は数ヵ月でマグナ・カルタ破棄が宣言された。これを不満とする貴族たちが反乱に踏み切る。 ☆●●●●この頃、都市の自治権が拡大。 1216年 ジョン王病死。 1217年 ジョン王の息子、ヘンリー、有力諸候に擁立され、ヘンリー3世として王位に就く(在位、~1272年)。 1229年 ヘンリー3世、大陸での領土を回復すべく出兵。 1242年 ヘンリー3世、大陸での領土を回復すべく再出兵。 1258年 レスター伯シモン・ド・モンフォール、貴族や聖職者を伴い反乱。この頃、ウェールズでグゥイネッズ公ノウェリン・アプ・グリフィズが支配的になり「ウェールズ大公」と称す。グリフィズは、シモン・ド・モンフォールと同盟関係を結ぶ。 1259年 ヘンリー3世、反乱軍と「オックスフォード条令」締結。 1262年 ヘンリー3世、「オックスフォード条令」破棄を宣言し、モンフォールを追放。 1264年 シモン・ド・モンフォールによる貴族の反乱。ヘンリー3世、ルイースの戦で捕虜になる。 1265年 「オックスフォード条令」に基づき「シモンド・モンフォールの議会」開催。ヘンリー3世、議会で、「オックスフォード条令」と「マグナ・カルタ」とを正式承認。同年、国王軍と改革派諸候とのイプシャームの戦い。 ☆●●●●この頃から、農奴解放がすすむ。 1266年 シモン・ド・モンフォール戦死。 1267年 この頃、ヘンリー3世、グウィネッズのグリフィズに、ウェールズ大公の称号を公認する。 1272年 ヘンリー3世死没。当時、シリア・パレスティナに遠征していたヘンリー3世の長男エドワード、諸候から国王に推挙される。 1273年 帰国したエドワード、エドワード1世として、王位に就く(在位、1272年~1307年)。 1277年 ウェールズ大公グリフィズの弟ダフィズがエドワード1世に反乱。エドワード1世、ウェールズ地域に侵攻(~1284年)。 1282年 この年、ウェールズ大公グリフィズ、弟ダフィズの反乱に参加するも戦死。後に、「ウェールズ最後の王」とあだ名されるようになる。ダフィズ、はカンブリア山脈の山岳地帯に逃れ、ウェールズ大公を称す。 1283年 ダフィズ、エドワード1世の策略で捕えられ、処刑される。 1284年 ウェールズ、イングランドに実質的に併合される。 1291年 スコットランドと交戦状態に入る。 1295年 模範議会招集。 1301年 エドワード1世の息子エドワード、プリンス・オブ・ウェールズとして立太子。以降、イングランド王太子が、プリンス・オブ・ウェールズと称す慣習が定着。 1307年 エドワード1世、スコットランド遠征の途上、病死。王太子エドワードが、エドワード2世として王位に就く(在位、~1327年)。エドワード2世には治世中、失政が多く、貴族による議会の権限が強まった。 1313年 イングランド軍、相次ぐ敗北により、スコットランド地域から撤収。 1323年 スコットランドのロバート1世が教皇庁から受けていた破門が解除。ロバート1世のスコットランド王位も公認される。 1326年 エドワード2世の王妃イザベラ・オブ・フランス(フランス王、フィリップ4世の娘)と、その愛人、マーチ伯ロジャー・ド・モーティマーらの軍勢が、王子エドワードを擁しロンドンに侵攻。エドワード2世は逃亡。 1327年 エドワード2世廃位。エドワード3世、15歳で王母イザベラとマーチ伯モーティマーの摂政の元に即位(在位、~1377年)。イザベラとモーティマーの摂政は、1330年まで続く。 ☆●●●●この頃から、牧羊が発達。 1337年 エドワード3世、フィリップ6世に対し、フランス王位を主張。フィリップ6世はスコットランド王国と呼応し、イングランドの保有していたアキテーヌ領を没収。 1339年 エドワード3世が宣戦を布告。いわゆる百年戦争勃発(~1453年)。 1343年 イングランド議会が、二院制に。 1346年 クレシーの戦い。 1347年 大陸でペスト大流行。人口の3分の2が死亡する。 1348年 ブリテン島でペスト大流行。 1356年 ポワティエの戦い。 1360年 エドワード3世、フィリップ6世と講和(ブルターニュ=カレー和議、または、ブレティニの和約)。しかし、その後もイングランドは、フランス国内の勢力争いに巻き込まれる形で交戦を続け、結局は、ほとんどの大陸所領を失うことに。 1367年 エドワード黒太子のイスパニア遠征。 1375年 エドワード3世、フィリップ6世と再講和(ブルースの和議)。 ☆●●●●金納地代、普及。ヨーマンが台頭。農奴制は、終末期に。 1376年 エドワード黒太子死没。その息子、リチャードがコーンウォール公に叙され、皇太子に指名される。 1377年 エドワード3世、死没。リチャード2世、10歳で即位(在位、~1399年) 1381年 ワット・タイラーの乱 1383年 リチャード2世、親政を開始。 1398年 リチャード2世、従兄弟であるヘンリー・ボリングブロクのランカスター公領を没収。ヘンリーは国外追放に。 1399年 イングランドに上陸したヘンリー・ボリングブロクに、リチャード2世の専横に不満を抱いていた貴族らが同調。リチャード2世は、アイルランド遠征からの帰路途上を襲撃され捕えられた。ロンドン塔に幽閉され、議会の決定で廃位に。 ランカスター朝時代 1399年 ヘンリー・ボリングブロク、ヘンリー4世として即位(在位、~1413年)。ランカスター朝成立。 1400年 チョーサー、『カンタベリー物語』を発表。 1407年 ヘンリー4世、傍系にあたりランカスター公の子孫には、王位の継承を認めない旨を宣言。 1413年 ヘンリー4世病没。同年、息子ヘンリー5世即位(在位、~1422年)。ヘンリー5世は、即位後、ただちに積極的な大陸政策を実行。フランス国内での、ブルゴーニュ派とアルマニャック派との内紛に乗じて出兵。 1415年 アザンクールの戦いで、フランス軍を撃破。 1420年 ヘンリー5世、フランス王女キャサリン・オブ・フランス(カテリーヌ)と婚姻。トロワ条約を締結し、ヘンリー5世の子孫にフランス王位継承権を認めさせる。 1422年 ヘンリー5世、急死。息子のヘンリーが、ヘンリー6世として生後9ヵ月で王位を継承(在位、~1461年)。ヘンリー6世は、一時フランス王位も兼ねたが、精神に障害を持っていたと思われ、政治の実権は有力諸候や王妃らに委ねられ続けた。 1453年 百年戦争、イングランド勢の敗退で終結。 ヨーク朝・ランカスター朝併立時代 1455年 ヨーク公リチャード、ヘンリー6世のランカスター朝に反乱。バラ戦争はじまる(~1485年)。この戦争を通して、ノルマン朝以来の有力貴族の勢力が衰退。テューダー朝時代に、名門貴族と地方貴族との勢力が逆転するが、その条件はバラ戦争で整う。 1460年 ヨーク公リチャード、戦死。 1461年 ヨーク公リチャードの息子、エドワード、ヘンリー6世を廃位させる。 ☆●●●●この頃、ウェールズで大反乱「ウェイン・グリンドゥルの乱」発生。バラ戦争の混乱が続いていたイングランド王朝は、これの鎮定に10年を要する。 1461年 ヨーク公リチャードの息子エドワード、エドワード4世として即位(在位、~1483年、ただし、1470年~1471年に中断期あり)。ヨーク朝成立。 1470年 エドワード4世は、フランス王家と距離を置く姿勢を示し、親フランス派だったはウォーリック伯リチャード・ネヴィルと対立。リチャード・ネヴィルは、ランカスター派の貴族と計って謀反。ランカスター朝のヘンリー6世が復位される。 追放されたエドワード4世は、ネーデルラント(オランダ)に逃れたが、弟、グロスター公リチャードと計り反撃に転じる。 1471年 エドワード4世ら、ウォーリック伯とランカスター派を破って復位。ヘンリー6世は廃位される。 1483年 エドワード4世、フランス出兵の準備中に急死。息子、エドワードが、エドワード5世として12歳で即位。ところが、戴冠式挙行前に、父方の叔父で摂政のグロースター公リチャードが、母方の叔父でエドワードの側近だったリヴァース伯アンソニー・ウッドヴィルを逮捕し処刑。その後、エドワード5世は弟ヨーク公リチャードとともにロンドン塔に幽閉。議会はエドワード5世の王位継承権の無効とグロスター公リチャードの王位継承を議決。エドワード5世は2ヵ月ほどで退位。グロスター公リチャード、リチャード3世として即位(在位、~1485年)。 1485年 ランカスター家の流れを汲むリッチモンド伯ヘンリー・テュダーが、亡命先のフランスから軍勢を率い侵攻。迎え撃ったリチャード3世は戦死(ボズワースの戦い)。バラ戦争が終結。 テューダー朝時代 1485年 リッチモンド伯ヘンリー、ヘンリー7世として即位(在位、~1509年)。テューダー朝成立。しかし、彼が、1407年にヘンリー4世が嫡出子を含め王位継承権を認めない旨を宣言していたランカスター公の家系の出身であったことから、その着位直後から、王位を自称する者が続出。 ☆●●●●囲い込み運動(エンクロージャー)が始まる。 1486年 ヘンリー7世、ヨーク家のエリザベスと婚姻。 1487年 王室付き星庁室創設。 1497年 ジョン・カボット北米海岸を探検する(~1498年)。 1509年 ヘンリー7世、病死。次男ヘンリー、ヘンリー8世として即位(在位、~1547年)。 1514年 ロンドン郊外で、エンクロージャーに反対する暴動が勃発。 1515年 エンクロージャー制限令。 1515年 トマス・ウルージの専権。 1516年 トマス・モア『ユートピア』を発表。 ☆●●●●絶対主義体制固まる。 1533年 ヘンリー8世、王妃キャサリンを離別(聖職者に結婚無効を宣言させる)し、アン・ブーリンと婚姻。同年、教皇クレメンス7世、キャサリンとの結婚無効取り消しとアン・ブーリンとの結婚無効とを宣言。イングランド議会で、教皇庁への上告を禁止する法、聖職者が就任後の初収入を税として教皇庁に納めることを禁止する法が制定される。 1534年 国王至上法(首長令)制定。イングランド国教会創建。 1536年 小修道院解散法制定。 同年、ウェールズがイングランドに完全併合される。アイルランド、イングランド国教会を受け入れさせられる。 1539年 大修道院解散法制定。6ヶ条公布。 1542年 この年から、ヘンリー8世、アイルランド王も自称するようになる。 1547年 ヘンリー8世、死没。息子エドワードが、9歳でエドワード6世として即位(在位、~1553年)。 1549年 礼拝統一法制定。 1553年 エドワード6世、15歳で病没。同年7月、ノーサンバランド公、ヘンリー7世の孫、ジェーン・グレイを第4代にあたる女王として擁立。しかし、前後してノーフォーク公に擁立されたヘンリー8世の王女、メアリーが即位。結局、メアリー1世(在位、~1558年)が、イングランド女王位を獲得し、アイルランド女王も兼任。ジェーン・グレイは処刑され、後世「9日間の女王」と呼ばれるようになる。実際の在位期間は9日間とも2週間とも言われる。熱心なカソリック信徒だったメアリー1世は、王国のカソリック復興を断行。国教会派を含むプロテスタントは弾圧され、女王は“ブラッディー・メアリー(血塗れのメアリー)”と呼ばれるようになる。 1553年 メアリー1世、カソリックの強国イスパニアの皇太子フェリペと婚約。これに反対し、ケントで反乱が起きたが鎮圧される。この反乱に加担した嫌疑で、異母妹であるエリザベスがロンドン塔に幽閉。結局、無罪となりロンドン塔からは出られるが、かわりにウッドストックの離宮に軟禁される。 1554年 メアリー1世、フェリペと成婚。これ以降、イングランドは、当時戦われていたフランスとイスパニアとの戦争に関与していく。 1556年 フェリペ、イスパニアに帰国し、イスパニア国王フェリペ2世として即位。 1558年 メアリー1世、急死。同年、フランスとイスパニアとの戦争で、イングランド最後の大陸領だったカレーが失われる。 1558年 11月エリザベス1世、即位(在位、~1603年)。 1559年 第2次国王至上法制定。第2次礼拝統一法制定(統一令)。 1561年 トマス・グレシャムの進言により、幣制改革を行う。 1563年 徒弟法の制定。 1568年 エリザベス1世の異母姉(と多くの文献にはあるが、実際には、従姉妹の子になる)で、スコットランド女王だったメアリー・ステュアート、スコットランドで反対派貴族に捕えられ、息子への譲位を強いられた後、イングランドに亡命。イングランドのカトリック派貴族に、メアリー・ステュアート擁立の動きがあったことから、エリザベス1世は、メアリーをロンドン塔に軟禁することに。 1570年 エリザベス1世、教皇庁から破門さる。 1571年 レパントの海戦にて、連合国軍、オスマン・トルコ軍を撃破。ここから大航海時代が始まったとする説が主流。 1577年 ネーデルランドと同盟。 1577年 フランシス・ドレイクが世界周航に挑戦。 1580年 フランシス・ドレイクが世界周航を果たして帰還。 1581年 ネーデルラント北部7州、イスパニアからの独立を宣言。エリザベス1世はこれを支援。 1584年 北アメリカで、ウォールター・ローリーがヴァージニアに到達。ロアノーク島に植民するも失敗する。 1585年 ネーデルランドに援軍を派遣。 1587年 エリザベス1世、軟禁していたスコットランド女王メアリー・ステュアートの処刑を命ず。謀反の証拠があったため、と伝えられている。 1588年 イスパニアのフェリペ2世、イングランドのネーデルラント革命支援と、女王特許の私掠船による、イスパニア商船襲撃とを理由にアルマダ(無敵艦隊)を侵攻させる。イングランド艦隊、これを撃退。 1595年 アイルランドで、オニールの乱(~1603年)。 1596年 シェイクスピア『真夏の夜の夢』を発表。 1600年 イングランドの東インド会社設立。 1601年 度重なる戦費の捻出のよる財政危機で、議会がエリザベス1世を強硬に非難。女王はこれにいわゆる「黄金演説」で応じ、非難の緩和に成功。 1603年 エリザベス1世死没。 ステュアート朝時代 1603年 エリザベス1世の遺言により、当時スコットランド王だった、ジェイムズ6世(メアリー・ステュアートの息子)がイングランド王位を継承。ステュアート朝成立。ジェイムズ6世、イングランド王ジェイムズ1世として即位、アイルランド王も兼ねることに(在位、~1625年)。以降、イングランド王国とスコットランド王国は、同君連合の体制に。 1604年 ハンプトン・コート会議。イングランドの代表的聖職者を招いた会議の席上、ジェイムズ1世はカトリックと清教徒の両極派を排除することを宣言。これにより、カトリックと清教徒の両方から反感を買う。 1605年 カトリック教徒による、国王、重臣らを狙った爆弾テロ未遂(火薬陰謀事件)発覚。 1606年 ロンドン・プリマス両会社に北米特権許可。 1606年 ユニオン・フラッグ(Original Union Flag)の制定。ジェームズ1世がデザインしたらしい。 1607年 北アメリカで、イングランド系開拓団、ジェームズ・タウンを建設。 ☆●●●●エンクロージャーに反対する暴動が起こる。 ☆●●●●ジェームズ1世、しばしば王権神授説を唱える。 1608年 北アメリカで、フランス系開拓団、ケベックに入植。 1611年 国教会欽定訳聖書刊行。 同年、ムガール帝国が、イングランド商館の設置を承認。この頃、イングランドからアルスター地方(アイルランド北部)への植民本格化。 1620年 フランシス・ベーコン『新オルガズム』発表。 1620年 ピルグリム・ファーザーズ、北アメリカに移住。 1621年 下院、ジェームズ1世の専制に大抗議。 1625年 ジェイムズ1世死没。後継は、ジェイムズ1世の次男、チャールズ1世(在位、~1649年)。 1626年 北アメリカで、ネーデルラント系開拓団が、ニュー・アムステルダムを建設。 1628年 権利請願提出。チャールズ1世は、一旦、これを受託。 1628年 ハーベイ、血液循環の法則発見。 1629年 チャールズ1世、議会の指導的貴族を投獄したうえで議会を解散。親政を断行(無議会時代、~1640年)。急進的なプロテスタントである、ピューリタンの弾圧を行う。 1635年 船舶税施行。 1637年 ハムデン事件。 1637年 この頃からスコットランドで、反国教会活動活発化。反イングランド活動につながっていく。 1639年 スコットランドの反乱。 1640年 ジェイムズ1世、スコットランドの反乱を鎮圧するための戦費を求め、議会を招集するも短期間で解散を命ず(短期議会、4~5月)。直後に、再度議会招集を余儀なくされる(長期議会、11月~)。 1641年 3年議会法制定(議会大諌奏書)。同年、アイルランドで大反乱。 1642年 イングランド内乱勃発(後世ピューリタン革命と呼ばれる)。 1645年 イングランドの反乱軍(ピューリタン勢)、騎兵隊を主力にした“ニュー・モデル軍”を組織。第1次内乱の終結。ネーズビーの戦いで王党派を破る。 1646年 ジェイムズ1世、スコットランド軍に捕えられる。後、脱出。 1648年 イングランドで第2次内乱勃発。残部議会は存続。同年11月、ジェイムズ1世、議会軍に捕えられる。 1649年 チャールズ1世処刑。 共和制時代 1649年 イングランドに共和国成立。同年、オリヴァー・クロムウェル率いる軍勢、アイルランドに侵攻。同年、スコットランド軍とダンバーの戦い。 1651年 ネーデルラントの中継貿易を制限する航海条令制定。 1651年 ホッブズ『リヴァイアサン』発表。 1652年 第1次英蘭戦争勃発(~1654年)。 1653年 残部議会解散。権利章典起草。クロムウェルによる護国卿独裁体制に移行(~1660年)。 1658年 オリヴァー・クロムウェル病没。息子、リチャード・クロムウェルが、護国卿の地位を継承。 1659年 リチャード・クロムウェル、護国卿辞任を了承(在任、8ヵ月)。 王政復古(後期ステュアート朝)時代 1660年 長老派が、チャールズ1世の息子、チャールズを亡命先から招き、王位を承認し王政復古。イングランド王チャールズ2世(在位、~1685年)。リチャード・クロムウェル、フランスに亡命。以降名を変え、パリで市井の生活を送る(1712年死没)。 ☆●●●●ニュートン、万有引力の法則を発見。 1662年 第3次礼拝統一法。 1664年 北アメリカで、イングランド軍、ニュー・アムステルダムを征服。 1665年 第2次英蘭戦争(~1667年)。フランス軍もネーデルラントに侵攻。同年、ロンドンでペスト大流行。 1666年 ロンドン大火。 1667年 ミルトン『失楽園』を発表。 1667年 ネーデルランド継承戦争が起こり、オランダが一方的に撤退する形で、第2次英蘭戦争終結。 1670年 フランスと「ドーバー密約」を交わす。 1672年 第3次ネーデルラント戦争(~1674年)。フランス軍もネーデルラントに侵攻。オラニエ公ウィリアム、ネーデルラント総督に就任。同年、第1次信仰自由宣言公布。 1673年 審査律制定。 1675年 グリニッジ天文台が完成。 1679年 王位継承を巡り、議会が紛糾。トーリー派、ホイッグ派に分かれ、後の政党のルーツとなる。 1679年 人身保護律制定。 1680年 フィルマー『父権論』発表。 1684年 バンヤン『天路歴程』発表。 1685年 チャールズ2世死没。後継は王弟だったジェームズ2世(在位、~1689年)。同年、チャールズ2世の庶子モンマス公が王位を求め軍勢を率いて侵攻。 1687年 ニュートン『プリンキピア』発表。 1688年 第3次信仰自由宣言公布。議会が、カトリック信徒のジェームズ2世に反発し、チャールズ2世の孫娘メアリーと、その夫オラニエ公ウィリアムをブリテン島に招聘。無血クーデタ(名誉革命)で、ジェームズ2世はフランスに亡命。メアリー2世(在位、~1694年)と、ウィリアム3世(在位、~1702年)、共同統治者として即位。 1689年 仮議会招集。寛容法制定。権利章典成立。英国議会政治が確立する。ジェームズ2世、フランスに支援されアイルランドを制圧。北アメリカでイングランド系植民地と、カナダのフランス系植民地との戦争(ウィリアム王戦争)起きる(~1697年)。 1690年 イングランド軍、アイルランドでのボイン川の戦いにてジェームズ軍を破る。同年、インドでイングランドの東インド会社が、ウィリアム要塞を後のカルカッタの地に建設。 1690年 ロック『市民政府二論』を発表。 1693年 イングランド王国に国債制度導入。 1694年 メアリー2世、病没。ウィリアム3世、単独王に。 1694年 イングランド銀行創立。 1702年 ウィリアム3世、事故死(落馬)。後継は、メアリー2世の妹、アン(アン女王、在位、~1714年)。同年、スペイン継承戦争本格化(~1713年)。同年、北アメリカの植民地でアン女王戦争起きる(~1713年)。 1704年 イングランド艦隊、ジブラルタル占拠。 1707年 イングランド、スコットランドと連合。グレート・ブリテン連合王国が成立。 1713年 ユトレヒト条約で、イギリス(と、ここからは表記する)が北米における支配権を確立。 1714年 アン女王が死没。 ハノーヴァー朝時代 1714年 議会によりハノーヴァー選帝侯であったジョージが招聘、ジョージ1世として即位(在位~1727年)。ハノーヴァー朝が成立。王朝名は、第一次世界大戦時に変更されるが、これが現在まで続く王朝となっている。 1719年 デフォー『ロビンソン・クルーソー』発表。 1720年 南海泡沫会社事件。 1721年 ウォルポール内閣成立(1721年~1742年)。責任内閣制の始まり。 1726年 スウィフト『ガリバー旅行記』発表。 1727年 対スペイン戦争(~1729年)。 1733年 ジョン・ケイ、飛びヒの発明。 1733年 糖蜜条令発布。 1739年 ジェンキンズの耳の戦争(北米での対スペイン戦争、~1748年)。 1740年 オーストリア継承戦争勃発(~1748年)。 1742年 フランスの北米植民地を攻撃。 1744年 ジョージ王戦争(~1748年)。 1745年 9月28日。ドルリー・レーン王立劇場において『God Save the King』が初めて公式に演奏され、以後、爆発的に広まる。 1753年 大英博物館創立。 1755年 フレンチ・インディアン戦争(~1763年)。 1756年 七年戦争(~1763年)。 1757年 ニューカッスル内閣。 1758年 ヒューム『人間悟性論』発表。 1759年 ケベックを占領。 1760年 モントリオールを占領。フランスとの北米戦争において、イギリスの勝利が確定。 1760年 ジョージ2世が死没。息子のジョージ3世が即位(~1820年)。 1763年 パリ条約(フランスの北米における植民地をイギリスに割譲)。 1764年 ハーグリーヴス、ジェニー紡績機を発明。 1764年 砂糖条令を発布。 1765年 ワットが蒸気機関を改良、実用化する。 1765年 印紙条令を発布。バージニア決議により、植民地側が、これを拒否。1766年に撤回。 1767年 タウンゼント条令(鉛・紙・ガラス・茶などに課税)発布。 1769年 アークライト、水力紡績機を発明。 1773年 茶条令発布。 1774年 第1回大陸会議。 1775年 レキシントン・コンコードの戦い。アメリカ独立戦争勃発(~1781年)。 1776年 アダム・スミス『国富論』発表。 1776年 7月4日「アメリカ独立宣言」。 1777年 サラトガの戦い。 1778年 米仏同盟。 1779年 米西同盟。 1779年 クロンプトン、ミュール紡績機を発明。 1781年 ヨークタウン陥落(イギリス軍降伏)。 1783年 パリ条約(イギリス、アメリカの独立を承認)。 ☆●●●●ヴェルサイユ条約(アメリカ独立戦争における、フランス・スペインとの講和条約)。 1785年 カートライト、力織機を発明。 1788年 ギボン『ローマ帝国衰亡史』を発表。 1791年 トマス・ペイン『人権論』を発表。 1793年 第1回対仏大同盟(英・普・墺・西・サルディニア/~1797年)。 1795年 オランダに宣戦布告、ケープ、セイロン占領。 1795年 救貧法。 1796年 ジェンナー、種痘法を発見。 1798年 マルサス『人口論』を発表。 1799年 第2回対仏大同盟(英・露・墺・土・両シチリア/~1802年)。 1799年 アイルランド反乱。 1800年 マルタ島を占領。 1801年 アイルランド合併。グレートブリテン・アイルランド連合王国の成立。 1801年 ユニオン・フラッグ(Current Union Flag)の制定。大英帝国の国旗となる。 以後の歴史については、省略させていただきます。
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ウィリアム・マーシャルイングランド1146~1219統率:A 武力:A 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------初代ペンブルック伯、ロングヴィル伯、アールマーシャル。馬上試合では500戦以上負けなかったという。若ヘンリー王、ヘンリー2世、リチャード1世、ジョン王、ヘンリー3世に仕えた。王の摂政を務め、マグナ・カルタ調印の際は貴族の調整役を担当した。 シモン・ド・モンフォールイングランド(フランス・モンフォール)1208~1265統率:B 武力:C 政治:B 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------フランス、モンフォールの生まれで、十字軍にも参加した。第6代レスター伯に序せられるが、ヘンリー3世の失策に業を煮やして反乱「シモン・ド・モンフォールの乱」を起こし、オックスフォード条項を認めさせた。 ジョンイングランド1167~1216統率:D 武力:D 政治:E 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------プランタジネット朝第3代イングランド国王。ヘンリー2世の五男。ヘンリー2世が幼年のジョンに領土を与えなかったことから、『欠地王』と呼ばれる。フランス国王フィリップ2世と争い、大陸の領土の大半を失ったため『失地王』とも呼ばれた。国王が貴族や聖職者の権利を認めるという形でマグナ・カルタを制定させられた。 ヒューバート・ウォルターイングランド????~1205統率:A 武力:C 政治:B 知力:A 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------カンタベリー大司教兼大法官。リチャード1世の腹心で、第3回十字軍にも参加する。リチャード1世が神聖ローマ帝国に囚われると、身代金集めに奔走した。帰国後は、新税制や法の整備に努め、コロナー制なども導入した。 ベレンガリア(ベレンガリア・オブ・ナヴァール)イングランド(生まれはナバラ王国)1165?~1230統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------リチャード1世の王妃。ナバラ国王サンチョ6世の娘。キプロスでリチャード1世と結婚すると、そのまま十字軍の遠征に同行する。夫の死後は妹のシャンパーニュ伯妃ブランカの元に身を寄せ、生涯イングランドの土を踏まなかった。 ヘンリー3世イングランド1207~1272統率:D 武力:C 政治:D 知力:C 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------プランタジネット朝第4代イングランド国王で、ジョン王の息子。父が失った大陸の領土回復を図るが失敗し、フランス王に臣従を誓うことを条件にガスコーニュ地方領有を認められた。国内では失政が続き、シモン・ド・モンフォールの反抗を引き起こし、イングランド王室が議会の権能を認めるオックスフォード条項を認めさせられた。 ロジャー・ベーコンイングランド1214~1294統率:D 武力:D 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------哲学者。フランシスコ派修道士。スコラ学者だが、理論だけでなく経験や実験観察を重視し、現代科学の先駆者となった。 ロバート・グロステストイングランド(サフォーク近郊)1175?~1253統率:B 武力:C 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------神学者。リンカーン司教。オックスフォード大学総長として科学的検証の手法を築き、ロジャー・ベーコンなどに影響を与えた。聖職者の自立性を重んじた改革運動を行ない、イングランド王ヘンリー3世や教皇インノケンティウス4世などと対立した。
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戻る イングランド新背番号 (※Championshipは2部と表記) GK(イングランド) DF(イングランド) MF(イングランド) FW(イングランド)
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イングランドジュニアユース(中学・世界編) イングランドジュニアユース(中学・世界編) / ロブソン[イングランドJY] / その他の選手 コメント 簡易版パラメータ説明 グレード ポジション MAXLV 総合 OFE SHO DRI PAS CAT レア度 適正ポジション マックスレベル 総合力 オフェンス シュート ドリブル パス キャッチ DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA PUN ディフェンス ブロック タックル パスカット パワー スピード テクニック スタミナ パンチング ※LV部分等に 色がついてる場合は未確認データです。 ロブソン[イングランドJY] 詳細データ グレード ポジション MAXLV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN ブロンズ DF LV40 70 65 66 64 66 73 74 74 73 79 65 66 74 34 33 ブロンズ+ DF LV50 73 68 69 66 69 77 78 77 76 83 67 69 77 37 36 シルバー DF LV60 78 70 72 68 70 85 90 85 80 95 71 72 80 38 38 シルバー+ DF LV70 81 72 75 70 72 88 94 88 83 99 74 75 83 41 41 ゴールド DF LV80 91 83 85 81 83 98 98 99 98 105 82 83 97 41 41 ゴールド+ DF LV90 94 85 88 83 86 101 101 103 106 109 84 86 100 44 44 プラチナ DF LV100 100 90 91 89 91 110 110 115 105 115 90 91 110 45 45 プラチナ+ DF LV110 103 93 94 91 94 113 113 119 108 119 92 94 113 48 48 ビッグバン DF LV100 79 70 71 69 72 90 102 90 80 97 70 69 73 42 42 ドリーム DF LV100 130 112 103 124 110 144 147 139 146 147 123 124 140 60 60 ドリーム+ DF LV110 133 114 105 127 112 147 151 142 149 151 126 127 143 63 63 ▼SPロブソン杯報酬 (画像) ※ニコ版のみ(?) SP杯 弱 DF LV1 79 71 69 71 74 89 96 90 82 99 71 71 75 38 38 SP杯 中 FW/MF/DF LV1 83 74 71 74 78 94 100 92 90 100 73 74 82 40 40 SP杯 強 FW/MF/DF LV1 86 79 73 82 82 97 103 97 92 102 75 76 87 42 42 イングランドジュニアユース(中学・世界編) / ロブソン[イングランドJY] / その他の選手 コメント その他の選手 詳細データ 名前 ポジション MAXLV 総合 OFE SHO DRI PAS DEF BLO TAC CUT POW SPD TEC STA CAT PUN ディーン FW LV40 61 64 68 68 58 58 58 58 58 63 57 58 68 34 34 ライト FW LV40 60 64 68 68 57 57 55 57 59 58 63 63 58 33 33 アーロン MF LV40 59 61 56 59 69 56 56 56 57 63 57 62 57 35 35 アラン MF LV40 59 62 58 59 69 56 57 56 56 58 63 61 58 33 34 コネリー MF LV40 59 63 58 60 72 55 56 55 55 58 59 61 57 35 34 ディラン MF LV40 60 63 58 60 71 56 56 56 58 53 68 62 60 35 34 エドガー DF LV40 63 56 55 55 59 71 72 71 71 73 57 62 63 35 33 ハーマン DF LV40 60 55 54 55 57 70 71 70 69 61 55 58 57 35 33 ルイス DF LV40 60 56 55 55 58 70 70 70 70 59 56 57 58 33 35 ロビンソン GK LV40 83 58 59 58 59 58 58 57 59 50 53 52 50 82 84 イングランドジュニアユース(中学・世界編) / ロブソン[イングランドJY] / その他の選手 コメント コメント 誤りの指摘、追加情報など、このページの内容に関するコメントのみお願いします。※未確認データをwiki編集する際はLV部分や該当項目に BGCOLOR(thistle) で色を付けて判別できるようにお願いします。 ↓能力を書きこむ際には下記テンプレの利用をお願いします。wikiに反映してくれる方の負担が減ります。 |?|LV??|||||||||||||||| |ポジション|MAXLV|総合|OFE|SHO|DRI|PAS|DEF|BLO|TAC|CUT|POW|SPD|TEC|STA|CAT|PUN| 記入例)|FW|LV40|23|23|25|21|24|21|21|20|22|21|32|24|24|5|5| 名前 コメント すべてのコメントを見る
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黒太子エドワードのお父さん。序盤と終盤にしか登場しないため夫婦そろってほぼ空気という酷いことに。 ストーリーの序盤で息子と喧嘩してしまう。それ以降はあまりでなくなる。が、クリア後は暇ができたのかよく戦場に登場するようになった。 親子そろって同じ兵科でロイヤルランサー →父親
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イギリス イギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国) はイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドです。 16世紀は イングランド王国 。 イングランド王国の地方(カウンティ)…貴族領地の参考程度に こちらは17世紀初めの 地方(カウンティ) です。21世紀の地方(カウンティ)とはちょびっと違うのでご注意。 「名称+ シャー の有無」はよく分からなかったので地図の通り。 ちなみに Ship money は17世紀中頃まであった沿岸地域の住民に課す税金。王様が 議会 の承認ナシに課せる税金の1つだそーです。 wikipedia England and Wales. Assessments to Ship-money, 1636(1905年:Charles Colbeck著「The Public Schools Historical Atlas」) イングランド あ行 ウォリックシャー ウェストモーランド ウィルトシャー ウスターシャー エセックス オックスフォードシャー か行 カンバーランド グロスタシャー ケント ケンブリッジシャー コーンウォール さ行 サセックス サフォーク サマセット サリー シュロップシャー スタッフォードシャー た行 ダービーシャー ダラム チェシャー デヴォン ドーセット な行 ノーサンバーランド ノーサンプトンシャー ノーフォーク ノッティンガムシャー は行 バークシャー ハートフォードシャー バッキンガムシャー ハンティンドンシャー ハンプシャー ベッドフォードシャー ヘレフォードシャー ま行 ミドルセックス や行 ヨークシャー ら行 ラトランド ランカシャー リンカンシャー レスターシャー ウェールズ あ行 アングルシー か行 カーナーヴォンシャー カーマーゼンシャー グラモーガン ケレディジョン た行 デンビーシャー は行 フリントシャー ブレックノックシャー ペンブルックシャー ま行 メリオネスシャー モンマスシャー モントゴメリーシャー ら行 ラドナーシャー
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イングランドにおける特色(ホームグロウン等)のまとめ。 イギリス(イングランド・ウェールズ・スコットランド・北アイルランド)、およびアイルランド国籍の選手は国内選手扱いとなる。 ・選手登録(プレミアリーグ) リーグ戦に登録できるのは25人まで。 25人のうち8人は自国育成選手を含めること。 (自国育成選手=21歳の誕生日までに最低3シーズンあるいは36ヶ月間、イングランドもしくはウェールズ のク ラブに在籍した選手。国籍や登録時の年齢は問わない。) 21歳以下の選手は25人枠に含まない EU外の選手は労働ビザの審査が入る。取得条件は以下の通り 1.過去2年間で代表Aマッチ(親善試合を除く公式戦)の75%以上に出場していること 2.過去2年間のFIFAランキングの平均順位が70以上の国の代表選手であること ・選手登録(チャンピョンシップ) リーグ戦に登録できるのは25人まで。 25人のうち10人は自国育成選手を含めること。 (自国育成選手=21歳の誕生日までに最低3シーズンあるいは36ヶ月間、イングランドもしくはウェールズ のクラブに在籍した選手。国籍や登録時の年齢は問わない。) 21歳以下の選手は25人枠に含まない ベンチ入り選手は5人まで EU外の選手は労働ビザの審査が入る。取得条件は以下の通り 1.過去2年間で代表Aマッチ(親善試合を除く公式戦)の75%以上に出場していること 2.過去2年間のFIFAランキングの平均順位が70以上の国の代表選手であること このため、2部のチームでも各国の代表選手(日本なら阿部)が揃っており、レベルは高い。 そのため、カップ戦ではしばしばジャイアントキリング(下克上)が起こる。 ・例外規定 労働ビザが認可される規定は以下の通り。 1.過去2年間で代表Aマッチ(親善試合を除く公式戦)の75%以上に出場していること 2.過去2年間のFIFAランキングの平均順位が70以上の国の代表選手であること しかし、例外的に認められるケースもある。 アーセナル所属の宮市選手など、Aマッチ経験がない選手でも認められるケースもある。 また、最近A代表に召集され、レンタル移籍などで欧州ですでに活躍している選手などは認められるケースがある。
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イングランドにおける特色(ホームグロウン等)のまとめ。 イギリス(イングランド・ウェールズ・スコットランド・北アイルランド)、およびアイルランド国籍の選手は国内選手扱いとなる。 ・選手登録(プレミアリーグ) リーグ戦に登録できるのは25人まで。 25人のうち8人は自国育成選手を含めること。 (自国育成選手=21歳の誕生日までに最低3シーズンあるいは36ヶ月間、イングランドもしくはウェールズ のク ラブに在籍した選手。国籍や登録時の年齢は問わない。) 21歳以下の選手は25人枠に含まない EU外の選手は労働ビザの審査が入る。取得条件は以下の通り 1.過去2年間で代表Aマッチ(親善試合を除く公式戦)の75%以上に出場していること 2.過去2年間のFIFAランキングの平均順位が70以上の国の代表選手であること ・選手登録(チャンピョンシップ) リーグ戦に登録できるのは25人まで。 25人のうち10人は自国育成選手を含めること。 (自国育成選手=21歳の誕生日までに最低3シーズンあるいは36ヶ月間、イングランドもしくはウェールズ のクラブに在籍した選手。国籍や登録時の年齢は問わない。) 21歳以下の選手は25人枠に含まない EU外の選手は労働ビザの審査が入る。取得条件は以下の通り 1.過去2年間で代表Aマッチ(親善試合を除く公式戦)の75%以上に出場していること 2.過去2年間のFIFAランキングの平均順位が70以上の国の代表選手であること このため、2部のチームでも各国の代表選手(日本なら阿部)が揃っており、レベルは高い。 そのため、カップ戦ではしばしばジャイアントキリング(下克上)が起こる。 ・例外規定 労働ビザが認可される規定は以下の通り。 1.過去2年間で代表Aマッチ(親善試合を除く公式戦)の75%以上に出場していること 2.過去2年間のFIFAランキングの平均順位が70以上の国の代表選手であること しかし、例外的に認められるケースもある。 アーセナルの宮市選手など、Aマッチ経験がない選手でも認められるケースもある。 また、最近A代表に召集され、レンタル移籍などで欧州ですでに活躍している選手などは認められるケースがある。
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ホームタウン/イングランド ホームタウン/イングランド [#dda8ed3a] スタジアム [#s432775e] クラブハウス [#gd6227c7] イングランド専用設備 [#n58d9113] Lv4以降の設備 [#mf432b28] オフィス [#g1ad15a7] スカウト [#pafa6ba1] コメントフォーム Divistion 8 7 6 5 4 3 2 1 スタジアム Lv1 Lv2 Lv2 Lv3 Lv4 Lv4 Lv5 Lv5 クラブハウス Lv1 Lv2 Lv2 Lv3 Lv4 Lv4 Lv5 Lv5 オフィス Lv1 Lv2 Lv2 Lv3 Lv4 Lv4 Lv5 Lv5 基本統制値 3 5 8 11 14 17 20 23 チケット代 5 6 8 10 12 15 17 20 * イングランド人8名(スタメン+ベンチ)で最大統制値+4 スタジアム * レベル:スタジアムのレベルです。 * 建設上限:スタジアム設備の改築LV上限です。 * 収容:スタジアムの最大収容人数です。 レベル 建設上限 収容 設備数 特殊設備数 改築費用 1 Lv1 10,000 1 0 0 2 Lv1 20,000 1 0 1,000,000 3 Lv2 30,000 2 0 3,000,000 * Lv4から「設備重視」「バランス」「収容重視」に分岐。 ■設備重視型 レベル 建設上限 収容 設備数 特殊設備数 改築費用 4 Lv3 40,000 4 1 10,000,000 5 Lv3 50,000 3 2 15,000,000 ■バランス型 レベル 建設上限 収容 設備数 特殊設備数 改築費用 4 Lv3 46,000 3 1 12,000,000 5 Lv3 52,000 4 2 18,000,000 ■収容数重視型 レベル 建設上限 収容 設備数 特殊設備数 改築費用 4 Lv3 52,000 2 0 14,000,000 5 Lv3 74,000 3 0 21,000,000 クラブハウス * レベル:クラブハウスのレベルです。 * 建設上限:クラブハウス設備の改築LV上限です。 * 各国共通設備はホームタウン参照 レベル 建設上限 設備数 特殊設備 改築費用 1 Lv1 1 0 0 2 Lv1 2 0 700,000 3 Lv2 3 0 2,100,000 Lv4から「テクニック重視型」「フィジカル重視型」「インテリジェンス重視型」に分岐。 LV5以降変更不可? ■テクニック重視型 レベル 設備Lv 設備可能数 特殊設備数 建設費 4 Lv3 4 1 7,000,000 5 Lv3 5 2 12,400,000 ■フィジカル重視型 レベル 設備Lv 設備可能数 特殊設備数 建設費 4 Lv3 4 1 7,000,000 5 Lv3 5 1 12,400,000 ■インテリジェンス重視型 レベル 設備Lv 設備可能数 特殊設備数 建設費 4 Lv3 4 1 7,000,000 5 Lv3 5 2 12,400,000 イングランド専用設備 設備名:効果 セントラルMFコーチ室:高レアのMF系カード取得 SMF特別コーチ室:高レアのMF系カード取得 パワー系DFコーチ室:高レアのMF系カード取得 Lv4以降の設備 フィットネスルーム(テクニック重視):スキル系練習の上昇率が大きくアップ/オフェンス・ディフェンス系カードを取得 ウェイトトレーニング室(フィジカル重視):フィジカル系能力の上昇率が大きくアップ/フィジカル系カードを取得 戦術訓練室(インテリジェンス重視) インテリジェンス系能力の上昇率が大きくアップ/メンタル系カードを取得 オフィス * レベル:オフィスのレベルです。 * 建設上限:オフィス設備の改築LV上限です。 各国共通設備はホームタウン参照 レベル 建設上限 スカウト数 設備数 改築費 1 Lv1 2 1 0 2 Lv1 2 1 700,000 3 Lv2 2 2 2,100,000 Lv4から「設備重視」「バランス」「スカウト重視」に分岐。 設備重視型 レベル 建設上限 設備数 特殊設備数 スカウト数 改築費 維持費 4 Lv3 4 1 2 7,000,000 35,000 5 Lv3 5 2 2 7,000,000 35,000 バランス型 レベル 建設上限 設備数 特殊設備数 スカウト数 改築費 維持費 4 Lv3 3 1 3 7,000,000 35,000 5 Lv3 3 1 3 7,000,000 35,000 スカウト重視型 レベル 建設上限 設備数 特殊設備数 スカウト数 改築費 維持費 4 Lv3 2 0 4 7,000,000 35,000 5 Lv3 2 1 4 7,000,000 35,000 イングランド独自設備 効果 MF適正調査室 低レアリティのMFのポジションカードを取得 DF適正調査室 低レアリティのDFのポジションカードを取得 その他地域特別調査室 その他地域で獲得した選手の能力がアップその他地域エリアカードを取得 スカウト * 挿せるカードのランクはオフィスLVとともに上がります。 * レベル3から、スカウトに挿せるカードのランクが全て1段階上昇します。 * LV4以降は型により変わる模様 初期 カード 欧州A 欧州B 欧州C 欧州D 北中米 南米 アフリカ アジア F UUU 20.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 F CCC 20.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 施設LV4からスカウトを最大2名増やすことかできます 追加 カード 欧州A 欧州B 欧州C 欧州D 北中米 南米 アフリカ アジア F UUU 20.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 ? ? ? ? ? ? ? ? ? ? コメントフォーム 名前 コメント すべてのコメントを見る
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