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#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (184.jpg) 名称 イングランド王太子 エドワード黒太子 名前 エドワード・オブ・ウッドストック 兵種 片手剣 固有スキル 所属1 イングランド王国 所属2 - 性別 男性 シリーズ 初期登場英雄 イラスト Juno Jeong 声優 中村悠一【1】 【1330生-76没】イングランド王エドワード3世の皇太子。ウェールズ公、アキテーヌ公。父に従ってフランスに侵攻。16歳でクレシーの戦いに参加し歴史的な大勝利に貢献する。騎行戦術を展開して大陸領土を拡大しつつ、長弓による迎撃戦での絶対優位を確立。ポワティエの戦いを初め多くの重要な会戦で常勝を飾り「黒太子」と畏怖された。 成長 体力 攻撃 防御 知力 早熟型 283 736 290 291 晩成型 コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
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イングランド(England) は英国、グレートブリテン島の南半分ほどのうち、南西部(ウェールズ)を除いた地域名。イングランドは「アングル人の土地、国」の意味であり、フランス語名アングルテル(Angleterre)も同じである。 かつてイングランド王国であったが、ウェールズ(1536年)、スコットランド(1709年)、アイルランド(1800年)を併合し、大英帝国を築いた(アイルランドのうち、北アイルランド以外はのちに独立)。 16世紀はチューダー朝(1485年 - 1603年)の時代で、第2代ヘンリー8世が英国国教会を樹立し、カトリック修道会などを弾圧したり、逆にメアリー1世のカトリック回帰が国内に混乱をもたらすなどの動揺があった。また、フランスともカレーをはじめとする大陸の拠点をめぐって争っていた。世紀後半のエリザベス1世の治世は政治的にはイングランド絶対主義の、文化的にはイギリス・ルネサンスの最盛期と見なされている(*1)。 【画像】『図説 イングランドの教会堂』 ノストラダムス関連 ノストラダムスの予言には Angleterre やその住民を指す Anglois (現代語では Anglais)がしばしば登場する。現代フランス語での Angleterre は「イングランド」と「イギリス」(グレートブリテン・北アイルランド連合王国)の両方の意味になりうるが、あくまでも16世紀にはイングランドの意味しかなかった。 ノストラダムスの予言能力を信じる立場からすれば、ノストラダムスは当然、連合王国の出現を見通していたということになるのだろうが、およそ中立的な評価とは言いがたい。 旧来の信奉者側の日本語訳では、しばしば無神経に「イギリス」と訳出されることは珍しくなかったが、上記の理由から、当「大事典」では少なくとも16世紀の文脈では Angleterre を「イングランド」、Anglois を「イングランド人」(ないしイングランドの形容詞形)として訳出している。 『予言集』では以下の登場例がある。 Angleterre 百詩篇第3巻70番 百詩篇第5巻51番(未作成) 百詩篇第8巻76番 百詩篇第10巻100番 六行詩50番 六行詩54番 Anglois(e) 百詩篇第3巻9番(未作成) 百詩篇第3巻16番(未作成) 百詩篇第3巻80番 百詩篇第4巻54番 百詩篇第5巻34番 百詩篇第5巻35番 百詩篇第5巻59番 百詩篇第5巻93番 百詩篇第6巻12番 百詩篇第8巻60番 百詩篇第9巻6番(未作成) 百詩篇第9巻38番(未作成) ほか、関連語として以下がある。 Anglican 百詩篇第8巻58番(未作成) Anglique 百詩篇第10巻42番 百詩篇第10巻56番(未作成) ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
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Henry VII (1457/1/28 - 1509/4/21) テューダー朝初代のイングランド王 最初の切手(1897年、カナダ・ニューファンドランド発行)
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アゼルスタンイングランド895~939統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------イングランドのサクソン系のイングランド王。ウェドモーアの和議以降デーン人に支配されていたデーンロウを奪還し、そのイングランド化を図った。子はなく、王位は弟のエドモンド1世が継いだ。 エドワード殉教王イングランド962~978統率:E 武力:E 政治:E 知力:D 文化:D 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------ウェスト・サクソン王国の王。幼くして王位に就くが暗殺される。遺体をめぐって、いくつかの奇跡が起こり、後に聖人に列せられた。 エドワード長兄王イングランド871~924統率:B 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------アルフレッド大王の息子で、イングランドのサクソン系のイングランド王。
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イングランド王国 難易度★☆☆☆☆ 初期領土 ロンドン ノッティンガム カン クリア条件 ショート フランス、スコットランドの滅亡 支配地域15ヵ国以上 ロング エルサレムの獲得 支配地域45ヵ国以上 imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (m2tw_ing_map.png) グランドキャンペーン開始直後から使用できる5大国の一つ 隣接する国家は北にスコットランド王国、海を挟んで南にフランス王国と2か国のみであり地政学的に非常に恵まれた立地である。 また国家固有のロングボウ兵が杭を設置出来とても優秀。 短評 初期立地条件◎ 兵種○ 重装剣士とロングボウ射手がチート級 ブリテン島制圧すればアントワープを東端の橋頭保にしてイベリア半島方面に侵攻すれば楽勝 序盤の進め方 北進 第一の標的はスコットランド。序盤の兵種は貧弱で初期の保有領土もエジンバラのみで滅亡させるまでに時間もかからない。 下準備として周辺の反乱地域を奪取する。ヨーク→カーナボンの順番で獲ろう。ヨークはスコットランドも狙ってくるので時間をかけずに素早く陥落させよう。 場合によっては傭兵を雇ってもいい。ダブリンは遠く、村で有るため現時点で占領しても旨味はないのでスルーでよい。 占領した反乱地域の統治があらかた整ったらヨーク方面からエジンバラに向けて軍を進撃させる。 軍編成としてはこの時点での兵種差はさほどないので徴募槍兵、市民兵を主力にして足りなければ市民槍兵で嵩増しして質より量で行くのがよい。(支配地域数の多さでゴリ押す) 難易度が上がるとインバネスを占拠しており延長戦が発生する。 北仏を平定 スコットランド平定後にカンを中心に対フランス戦線を動かす。 スコットランド平定中はカン領内に見張り塔、要塞を建設し防衛に勤しむ。余裕があれば反乱拠点のレンヌは攻めても大丈夫。だがブルージュは止めておいたほうがいい。反乱軍の質も高く占拠するとフランスとの軍事的緊張が高まり望まないタイミングでの開戦になってしまう可能性が高い。貿易拠点として非常に美味しいんだが… カンからは徴募槍兵、ロングボウ射手を主に雇用しブリテン本国から市民槍兵をカンに移送し軍を編成しよう。フランスはやはり騎兵が多いので槍兵でアソバンテージをとりたいところ。 レンヌ、アンジュを奪取し道を整備して3地域間の連絡線を構築する。トゥールーズからやってくる部隊を警戒しつつパリ周辺にいるフランス軍を各個撃破しパリ→ランスと攻略する。このタイミングでブルージュも占拠しておこう。アントワープもといきたいところだがアントワープを獲ると神聖ローマ帝国もしくわデンマーク王国との衝突が濃厚となるので一考が必要。 侵攻方向を決める 北仏を平定しフランスはトゥールーズ、マルセイユと残ってると思うがアンジュ・トゥールーズ間でも4、5ターンかかる位遠く不測の事態に対応しにくいのでしっかり北仏での内政を行い大軍でもって南仏には向いたい。またこの時期になるとボルドーをスペイン、メスを神聖ローマ、ディジョンをミラノ、アントワープをデンマークと各国が進出してくるのでそれら他国の動向しだいではフランスと和平し矛先を変えるのもよし。 イングランドの有効な戦術 imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (m2tw_ing_senzyutu.png) 中世のイングランド軍と言えばダブリン戦術が有名だが本作においても「待ち」戦法が滅法有用である。 最前列に杭持ちのロングボウ兵を配置。2列目に歩兵。両翼に騎兵。最後列中央に将軍を配す。 敵軍が中央に突貫してくるのをロングボウ兵で削り、敵兵と味方弓兵が接敵する前に歩兵戦列と弓戦列を前後入れ替える。歩兵は杭を盾にしながら戦列を維持し、弓兵は曲射にて歩兵を援護する。騎兵は敵機動部隊が迫ってきた場合の対処と機を見ての敵軍戦列後方からの突撃を行う。正直馬鹿凸してくる敵には負けようがないくらい強力な戦術である。
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イングランド王国 難易度★☆☆☆☆ 初期領土 ロンドン ノッティンガム カン クリア条件 ショート フランス、スコットランドの滅亡 支配地域15ヵ国以上 ロング エルサレムの獲得 支配地域45ヵ国以上 グランドキャンペーン開始直後から使用できる5大国の一つ 隣接する国家は北にスコットランド王国、海を挟んで南にフランス王国と2か国のみであり地政学的に非常に恵まれた立地である。 また国家固有のロングボウ兵が杭を設置出来とても優秀。 短評 初期立地条件◎ 兵種○ 重装剣士とロングボウ射手がチート級 ブリテン島制圧すればアントワープを東端の橋頭保にしてイベリア半島方面に侵攻すれば楽勝 序盤の進め方 北進 第一の標的はスコットランド。序盤の兵種は貧弱で初期の保有領土もエジンバラのみで滅亡させるまでに時間もかからない。 下準備として周辺の反乱地域を奪取する。ヨーク→カーナボンの順番で獲ろう。ヨークはスコットランドも狙ってくるので時間をかけずに素早く陥落させよう。 場合によっては傭兵を雇ってもいい。ダブリンは遠く、村で有るため現時点で占領しても旨味はないのでスルーでよい。 占領した反乱地域の統治があらかた整ったらヨーク方面からエジンバラに向けて軍を進撃させる。 軍編成としてはこの時点での兵種差はさほどないので徴募槍兵、市民兵を主力にして足りなければ市民槍兵で嵩増しして質より量で行くのがよい。(支配地域数の多さでゴリ押す) 難易度が上がるとインバネスを占拠しており延長戦が発生する。 北仏を平定 スコットランド平定後にカンを中心に対フランス戦線を動かす。 スコットランド平定中はカン領内に見張り塔、要塞を建設し防衛に勤しむ。余裕があれば反乱拠点のレンヌは攻めても大丈夫。だがブルージュは止めておいたほうがいい。反乱軍の質も高く占拠するとフランスとの軍事的緊張が高まり望まないタイミングでの開戦になってしまう可能性が高い。貿易拠点として非常に美味しいんだが… カンからは徴募槍兵、ロングボウ射手を主に雇用しブリテン本国から市民槍兵をカンに移送し軍を編成しよう。フランスはやはり騎兵が多いので槍兵でアソバンテージをとりたいところ。 レンヌ、アンジュを奪取し道を整備して3地域間の連絡線を構築する。トゥールーズからやってくる部隊を警戒しつつパリ周辺にいるフランス軍を各個撃破しパリ→ランスと攻略する。このタイミングでブルージュも占拠しておこう。アントワープもといきたいところだがアントワープを獲ると神聖ローマ帝国もしくわデンマーク王国との衝突が濃厚となるので一考が必要。 侵攻方向を決める 北仏を平定しフランスはトゥールーズ、マルセイユと残ってると思うがアンジュ・トゥールーズ間でも4、5ターンかかる位遠く不測の事態に対応しにくいのでしっかり北仏での内政を行い大軍でもって南仏には向いたい。またこの時期になるとボルドーをスペイン、メスを神聖ローマ、ディジョンをミラノ、アントワープをデンマークと各国が進出してくるのでそれら他国の動向しだいではフランスと和平し矛先を変えるのもよし。 イングランドの有効な戦術 中世のイングランド軍と言えばダブリン戦術が有名だが本作においても「待ち」戦法が滅法有用である。 最前列に杭持ちのロングボウ兵を配置。2列目に歩兵。両翼に騎兵。最後列中央に将軍を配す。 敵軍が中央に突貫してくるのをロングボウ兵で削り、敵兵と味方弓兵が接敵する前に歩兵戦列と弓戦列を前後入れ替える。歩兵は杭を盾にしながら戦列を維持し、弓兵は曲射にて歩兵を援護する。騎兵は敵機動部隊が迫ってきた場合の対処と機を見ての敵軍戦列後方からの突撃を行う。正直馬鹿凸してくる敵には負けようがないくらい強力な戦術である。
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マーガレットオブイングランド(2)(マーガレット・オブ・イングランド) イングランド王の系譜に登場する人物。 関連: エドワードイッセイ (エドワード1世、父) エリナーオブカスティル (エリナー・オブ・カスティル、母) ジャンニセイ(21) (ジャン2世、夫) 別名: マルグリットダングルテル (マルグリット・ダングルテル)
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William I (1027/ - 1087/9/9) イングランド王 最初の切手/出身国最初の切手(1969年、英国グアンジー発行)=左
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ウィリアム1世(ノルマンディー公ギョーム1世)イングランド/フランス1027~1087統率:A 武力:B 政治:C 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------ノルマンディー公にして、ノルマン朝イングランドの初代国王で、『ウィリアム征服王』と称される。ノルマンディーからイングランドに侵攻し、ウィリアム1世が行なったイングランド征服を、『ノルマン・コンクェスト』という。国王裁判所を設置し、世界初の土地台帳ドゥームズデイ・ブックを作った。 ウィリアム2世(ギョーム2世)イングランド/フランス1060~1100統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------ノルマン朝イングランドの第2代国王。その髭が赤毛であったことから『赤顔王(ルーファス)』と称された。スコットランド王マルカム3世を討ち取り、スコットランドを支配下に収めた。 エゼルレッド2世イングランド968~1016統率:D 武力:D 政治:D 知力:E 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------イングランドの王。『エゼルレッド無思慮王』とも称される。デーン人の侵入の度に退去料を支払っていた。ノルマンディー公クヌートの妻エマと結婚したが、後の『ノルマン・コンクェスト』の原因となった。 エドワード懺悔王イングランド1004~1066統率:C 武力:D 政治:D 知力:C 文化:C 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------イングランドのサクソン系の国王で、エゼルレッド2世の息子。四半世紀をノルマンディーの修道院で過ごしたが、異父兄弟ハーデクヌーズとノルマンディーの共同統治者となる。ウェストミンスター寺院を建設し、後に列聖される。 ゴダイヴァ夫人イングランド990~1067統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------ナーシア伯レオフリックの夫人。夫と共に各地に修道院や教会堂の建設を支援した。伝説では、夫の圧政を諫めるためにコヴェントリーの街を裸で馬に乗って行進したという。ノルマン・コンクェスト後もアングロサクソン人として、また女性として唯一の領主として記録されている。 ハーデクヌーズイングランド/フランス????~1042統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------イングランドのデーン系の国王。スキョル朝第5代デンマーク王。ノルマンディー公クヌートとエマの息子で、エドワード懺悔王の異父兄弟。父の死後、イングランド王とノルマンディー公を継ぐ。 ハロルド1世イングランド/フランス????~????(11世紀)統率:D 武力:C 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------イングランドのデーン系の国王。ノルマンディー公クヌートとエルフィフの息子。『兎足王』と呼ばれた。 ハロルド・ゴドウィンソン(ハロルド2世)イングランド/フランス1022~1066統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------最後のアングロ・サクソン系のイングランド王。 マティルダ・オブ・フランダースイングランド(生まれはフランス)1031~1083統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:B 魅力:B--------------------------------------------------------------------------------ウィリアム1世の王妃。フランドル伯ボードゥアン5世の娘。ウィリアム1世とは遠縁であるため一時は婚姻の無効を宣告された。ウィリアム1世のイングランド侵攻を称えるバイユーのタペストリーを作った。
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+ロバート・セシルと王ジェームズ6世の「円滑な王位継承の準備」 1601年2月王ジェームズ6世は「次のイングランド王にしてね♥」とマー伯 J. Erskine をイングランドへ送ります。 でもお目当ての交渉相手エセックス伯 ロバート・デヴァルー (女王エリザベス1世の重臣)が処刑( エセックスの反乱 )。げっ! 3月なんとかロバート・セシル(女王エリザベス1世の重臣)の信頼をゲト。王位継承の交渉が始まります。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (準備.JPG) Van de Passe family 画「James I and his royal progeny」(1622年) ちなみに王ジェームズ6世の娘 エリザベス は女王エリザベス1世へ敬意を表した命名です。次のイングランド王にしてね♥ 娘エリザベスとボヘミア王 フリードリヒ5世 の娘 ゾフィー は 王ジョージ1世 ( ハノーヴァー朝 )の母親。 21世紀のイギリス王室( ウィンザー朝 )も娘エリザベスの家系に繋がってます。 系図 を見た方が分かりやすいかも。 ロバート・セシルと王ジェームズ6世の「円滑な王位継承の準備」(Secret correspondence:秘密の手紙) ロバート・セシルは「円滑な王位継承の準備」のために王ジェームズ6世へ「段取り八分仕上げ二分」を徹底させます。 イングランド議会 へ王位継承の承認を求めないコト。 ロバート・セシルと王ジェームズ6世(名代マー伯たち)の王位継承に関する手紙のやりとりは絶対に女王エリザベス1世に悟られないコト。 「秘密の手紙」は1601年5月~1603年3月までコッソリ続きます。偽名やアレコレ経由( 外交用郵袋 とか)をご利用。 手紙に登場する個人名には番号をご利用。 John Bruce 著「Correspondence of James VI with Cecil」(1861年)によると登場する番号はこんな感じです。 イングランド スコットランド 0 ノーサンバーランド伯 Henry Percy 8 キンロス卿 Edward Bruce (王ジェームズ6世の名代) 2 ウォルター・ローリー (おそらく) 9 Mr. David Foulis(王ジェームズ6世の名代) 3 ノーサンプトン伯 Henry Howard 7 コバム男爵 Henry Brooke 10 ロバート・セシル 20 マー伯J. Erskine(王ジェームズ6世の名代) 24 女王エリザベス1世 30 王ジェームズ6世 40 ロバート・セシルの仲間(名前が解明されてない) 「秘密の手紙」がやりとりされてる間、女王エリザベス1世と王ジェームズ6世の関係に特別な変化はありません。 でも1602年6月頃までには女王エリザベス1世の印象は良くなってるっぽい。 歴史家 John Duncan Mackie 曰く「前年より王ジェームズ6世への手紙が親しげだし年金の支給も増額してる」そうです。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (準備:秘密の手紙.JPG)ロバート・セシルの手紙「Letter from Robert Cecil, Earl of Salisbury, to Henry Griffen, calling upon him to contribute to the war against the rebels in Ireland, 1602 Oct. 13.」 こちらの画はロバート・セシルの直筆です(内容は本文とはぜーんぜん関係ないの)。ロバートってこんな字を書くのね。 女王エリザベス1世が「秘密の手紙」に気が付いてたかは不明。 後に元・エセックス伯の秘書 H. Wotton (エセックス伯が処刑されたので海外へ逃亡中)が語った逸話があります。 ある日女王エリザベス1世はスコットランドから到着した手紙に気が付きました。 女王エリ「ロバート、お前の肩掛けカバンの中をお見せ」 ロバート「陛下、このカバンは不潔だし臭います」 その後ロバート・セシルは女王エリザベス1世に風通してニオイの取れた手紙(別モノ?)を見せましたとさ。 +ロバート・セシルと王ジェームズ6世の「王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世に即位」 晩年の女王エリザベス1世は親しい友人たちの死で鬱状態。1603年3月病に倒れると明らかに死の影が忍び寄ってきます。 ロバート・セシルは王ジェームズ6世へ「イングランド王位継承の同意書」を送付。 3月24日夜2-3時女王エリザベス1世が リッチモンド宮殿 (女王エリザベス1世の大好きな自宅)で亡くなります。享年69。 wikipedia #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (即位.JPG) Paul Delaroche 画「The Death of Elizabeth I, Queen of England」(1828年:ルーヴル美術館) 「イングランド王ジェームズ1世の王位継承」の宣言 女王エリザベス1世が亡くなった数時間後、ロバート・セシルと枢密院は予め準備してた計画を実行します( 秘密の手紙 )。 ロンドンで「イングランド王ジェームズ1世の王位継承」を宣言。 数日後女王エリザベス1世のご遺体は 艀 で ホワイトホール宮殿 へ運ばれます。4月28日 ウェストミンスター寺院 に埋葬。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (即位:宣言.JPG)M. Boudreau画「Funeral of Queen Elizabeth I, 28th of April, 1603」 女王エリザベス1世のご遺体は鉛で包んだ木製棺に納棺されました。棺の上には彩られた木製の 葬儀彫像 (funeral effigy)。 紫色のビロードで覆った棺は4頭の 葦毛馬 に引かれた チャリオット でウェストミンスター寺院へ。 王ヘンリー7世 (女王エリザベス1世の祖父)の 埋葬室 に埋葬されます。1606年女王メアリー1世(〃の異母姉)のお墓へ移葬。 ~ Westminster Abbey (Elizabeth I)さんより~ 王ジェームズ1世の上洛 4月5日王ジェームズ1世はエディンバラを発ってロンドンへゆっくり南下します。新しい王様を各地が大歓迎。 王ジェームズ1世は「石製ベッド(couch)がフワフワな羽毛ベッド(bed)に代わった」と豊かなイングランドにビックリ。 女王エリザベス1世の葬儀が終わった5月7日ロンドンへ入城。7月25日イングランド王の 即位式 が行われます。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (即位:上洛.JPG)作者不明「Coronation of James I」(1831年) ちなみに新しい王様を大歓迎のハネムーン期間はあっという間に終了します。最初の試練は イングランド議会 の態度。 なにかと「王様って所詮はスコットランド人。イングランド人じゃない。」と言われちゃうの。 王ジェームズ1世は グレートブリテン (同君連合)の王様のつもりだったけど、皆さんにとって2国は別モノです。 wikipedia ちなみにちなみに王ジェームズ1世はスコットランドに「3年毎に戻るからね」と約束してイングランドへ旅立ちました。 でも実際に戻ったのは1617年の1回だけ。 スコットランドの統治は王様の名代 スコットランド高等弁務官 にお願いしてます。 +女王エリザベス1世と元・女王メアリー(王ジェームズ1世の母親)のお墓の引っ越し 1587年元・女王メアリーは ピーターバラ大聖堂 、1603年女王エリザベス1世は 王ヘンリー7世 の 埋葬室 に埋葬されました。 王ジェームズ1世は女王エリザベス1世の棺を女王メアリー1世のお墓へ移葬。 その後元・女王メアリー(王ジェームズ1世の母親)の棺も ウェストミンスター寺院 へ移葬します。2人はお向かいさん。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (お墓の引っ越し.JPG)歴代の王が眠るウェストミンスター寺院(ロンドン) 女王エリザベス1世と元・女王メアリーのお墓はウェストミンスター寺院の東側 Henry VII Chapel にあります。 ちなみに正面 聖母礼拝堂 は1940年 バトル・オブ・ブリテン で損壊。 空軍元帥トレンチャード子爵 H. Trenchard の働きで修復。勇敢に戦ったパイロット1,497人の栄誉名簿が奉納されてます。 wikipedia 女王エリザベス1世のお墓の引っ越し 1606年王ジェームズ1世は女王エリザベス1世の棺を女王メアリー1世(女王エリザベス1世の義母姉)のお墓へ移葬します。 白い大理石のモニュメントも建築。 ちなみにこちらの4頭のライオン像は金メッキされてました。 宝珠 と 王笏 は数世紀前に盗まれたのでレプリカ。 ~ Westminster Abbey (Elizabeth I)さんより~ #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (お墓の引っ越し:女王エリザベス1世.JPG)女王エリザベス1世と女王メアリー1世のお墓 モニュメントにはラテン語の墓碑も付いてます(訳は超テキトー)。2人のお墓なのに女王メアリー1世は完全スルー。 復活したとき険悪にならない? っていうか、そもそもなんで王ジェームズ1世は2人を一緒にしたんでしょね。 天蓋の墓碑(頭側) Memoriae Aeternae Elizabethae, Angliae, Franciae, Hi∣berniae* Reginae R. Henrici VIII. fil. R. Hen. VII. nept. R. Edw. IV. pronept. Pa∣triae, Parenti, Religionis, honorum Artium altrici, plurimarum linguarum pe∣ritia, praeclaris tum animi tum corporis dotibus regiisque virtutibus supra sexum Principi incomparabili Jacobus Magnae Britanniae, Franciae, Hiberniae Rex virtutum Regnorum haeres bene merenti pie posuit. イングランド、フランス及びアイルランドの女王、王ヘンリー8世の娘、王ヘンリー7世の孫娘、王エドワード4世のひ孫娘。信仰の擁護者、教養と全ての言語、優雅な天分と豪壮な美徳を備えたる国の母エリザベス1世。 彼女の美徳と王国を受け継ぐ グレートブリテン ( 同君連合 )、フランス及びアイルランドの王。信心深く公正なジェームズ1世によりモニュメントを建造する。 天蓋の墓碑(足側) Memoriae Sacrum. Religione ad primaevam sinceritatem re∣staurata, pace fundata, moneta ad justum valorem reducta, rebellione domestica vin∣dicata, Gallia malis intestinis praecipiti sublevata, Belgio sustentato, Hispanica classe profligata, Hibernia pulsis Hispanis Rebellibus ad deditionem coactis pa∣cata, redditibus utriusque Academiae lege Annonaria plurimum adauctis, toto de∣nique Anglia ditata, prudentissiméque annos 45. administrata Elizabetha Re∣gina victrix, triumphatrix, pietatis stu∣diosissima, foelicissima, placida morte Septuagenaria soluta, mortales reliquias dum Christo jubente resurgant immorta∣les, in hac Ecclesia celeberrima ab ipsa conservata, denuo fundata, deposuit. Obiit 24. Martii, anno salutis. M. DC. II. Regni XLV. Aetatis LXX. 45年の君臨において本来の宗教への回復(英国国教会)、平和の確立、大改鋳( グレシャムの法則 )、国内反乱を鎮圧、分断されたフランスへの救援( ユグノー戦争 )、ネーデルラントへの支援( 八十年戦争 )、無敵艦隊を撃破( アルマダ海戦 )、スペインに支援されたアイルランド反乱軍をほぼ鎮圧( ティロン伯の反乱 )、法整備によるboth universitiesの増収、そしてイングランドを繁栄へ導いた最も慎重な支配者。 勝利の栄光に輝き、最も厳しく信心深く、最も幸福な…(中略)…女王エリザベス1世。70年の人生と45年の君臨を終えて アンノ・ドミニ(主の誕生元年) 1602年3月2(=西暦1603年)死の眠りに就く。 モニュメント下の墓碑 Regno consors urnâ hic obdormimus Elizabetha Maria sorores in spe resurrectionis. 王座とお墓のパートナー、姉妹エリザベス1世とメアリーは 復活 のときまでここに眠る。 元・女王メアリー(王ジェームズ1世の母親)のお墓の引っ越し 1606年王ジェームズ1世は元・女王メアリーの棺をウェストミンスター寺院へ移葬します。女王エリザベス1世の南側。 白い大理石のモニュメントも建築。 女王エリザベス1世のモニュメントより高いんだって。足元には スコットランド王の紋章 「赤いライオン」が立ってます。 ~ Westminster Abbey (Mary Queen of Scots)さんより~ #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (お墓の引っ越し:元・女王メアリー.JPG)元・女王メアリーのお墓 ちなみにお隣は マーガレット・ダグラス のお墓。棺で息子ダメ夫ダーンリー卿 ヘンリー・ステュアート が跪いてます。 ダメ夫ダーンリー卿は元・女王メアリーの2番目の夫(王ジェームズ1世の父親)。 もしかしたら元・女王メアリーは「 ダメ夫ダーンリー卿殺害事件 の共犯者」かもしれません( 小箱の手紙 )。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (お墓の引っ越し:元・女王メアリー2.JPG)マーガレット・ダグラスのお墓 モニュメントにはラテン語の墓碑も付いてます(訳は超テキトー)。女王の偉業を讃える記載はまったくナシ。 とにかくイングランドとの血統の繋がりを強調してるっぽい。 アレコレやらかした陰謀の「共犯はウソ」で、「ウソ」のせいで処刑されたと主張してるっぽいです。 天蓋の墓碑かしら? スコットランド及びフランスの女王、スコットランド王ジェームズ5世の娘、唯一の王位継承者。イングランド王ヘンリー7世のひ孫-彼の長女マーガレット・テューダーを通して-、イングランド王エドワード4世の玄孫-彼の長女エリザベス・オブ・ヨークを通して-。フランス王フランソワ2世の王妃、そして生前のイングランド王位継承者。グレートブリテンの王ジェームズ1世の母メアリー。…(中略)…20年間の勾留中も勇敢かつ壮健であり、アホアホたちからの誹謗と戦い、そして敵の斧に倒れる。…(中略)…後生の全てがこの不幸な殺人の目撃者である。46年の人生を終えてキリスト紀元1587年2月8日死の眠りに就く。あーたらかーたら 後生の人々は彼女の身の潔白( ダメ夫ダーンリー卿殺害事件 、 バビントン事件 、…)を証明し、この世から不当な処刑人、拷問、投獄、絞首台を消し去らなければならない。…(中略)…彼女の人生は神より幸福と受難のときを与えられた。そして吉兆の運命である アテーナー 、 ミューズ 、 ディアーナ 、運命の三女神(the Fates revere)の恩寵を受けた王ジェームズ1世を産み落とした。偉大なる婚姻、偉大なる血統、最も偉大なる彼女の後継者。ウソが娘、花嫁、王ジェームズ1世の母親を奪い去った。あーたらかーたら H.N(ノーサンプトン伯 ヘンリー・ハワード )ここに謹んで哀悼の意を表する。