約 7,334 件
https://w.atwiki.jp/kawaii_khalifa/pages/18.html
『カリフ国家の諸制度―統治と行政』 発行:解放党(増補版)2005/1426年 P.O.Box 135190 Dr al-Ummah, Beirut, Lebanon 目次 増補版前書き 序文 カリフ国家の諸制度 ― 統治と行政 第1章:カリフ 称号 カリフの資格条件 就位の資格条件 カリフ任命手続 カリフ任命と忠誠誓約の具体的手順 カリフ臨時代行 候補者の絞込み 忠誠誓約の形態 カリフの唯一性 カリフの権限 カリフ立法のイスラーム法による制限 カリフ国家 非神政人治国家 カリフの任期 カリフの罷免 カリフ制樹立猶予期間 第2章:カリフ補佐(全権大臣) 全権補佐の資格条件 全権補佐の職務 全権補佐の任命と罷免 第3章:執行大臣 第4章:地方総督 カリフの地方総督監督義務 第5章:ジハード司令 - 軍部(軍隊) ジハード (1)軍隊 (2)国内治安 (3)軍需産業 (4)国際関係 軍隊の分類 軍司令官としてのカリフ 第6章:国内治安 治安部門の任務 第7章:外交 第8章:工業 第9章:司法 裁判官の分類 裁判官の資格条件 裁判官の任命 裁判官の給与 法廷の構成 風紀監督官 風紀監督官の権限 行政不正裁判官 行政不正裁判官御任命と罷免 カリフ国家樹立以前の契約、社会行為、裁判 第10章:行政機関(福祉) 非統治的行政機構 福祉政策 行政機構官吏資格者 第11章:国庫 第12章:情宣 情報メディアの許認可 情宣国家政策 第13章:国民議会(協議と査問) 協議の権利 査問の義務 国民議会議員選挙 国民議会選挙の方法 国民議会の議員資格 国民議会の議員任期 国民議会議員の権限 自由な発言、発議権 付録 旗章、旗印 国歌 増補版 前書き アッラーに称えあれ。アッラーフの使徒ムハンマドとその御家族、御一統、そして彼に従う者に祝福と平安あれ。 「アッラーは、汝らの中で信仰し、善行を為す者たちに、約束し給うた。彼ら以前の者たちに継がせ給うたように、彼らに大地を継がせ給い、また彼らのために嘉し給う宗教を彼らに堅固なものとし給い、恐怖の後で、代わりに安心を授け給う、と。彼らは我(アッラー)を崇め、我に何物も並置しない。しかしその後に不信仰に陥る者は、不義の輩である。」(クルアーン24章55節) またアッラーの使徒は言われた。 「おまえたちの中に預言者制はアッラーが望まれる間は続くが、彼は望まれる時にそれを取り上げられる。次いで尚武の王制が現れる。それはアッラーが望まれる間は続くが、彼は望まれる時にそれを取り上げられる。次いで専制王制が現れる。それはアッラーが望まれる間は続くが、彼は望まれる時にそれを取り上げられる。そして預言者職に倣うカリフ制が現れる。」こう語り終えてアッラーの使徒は黙された。(アフマド・ブン・ハンバル が収録するハディースより) 我々、解放党は、アッラーの御約束とアッラーの使徒ムハンマドの吉報の予言を信じ、ウンマ(ムスリム共同体)と協働し、カリフ制の再興のために献身する。 我々は、カリフの兵士となりその旗を掲げ、勝利を重ね、カリフ制の樹立に成功するようにと、その実現を確信しつつ、アッラーに祈る。アッラーにはそれはいとも容易いこと。 我々は本書では、明瞭で分かり易く実践的な表現で、カリフ国家の統治と行政の制度について、なによりも心から納得できて胸に響くような厳密な論証を行うようにと心がけた。 我々が本書を書くに至ったのは、今日のイスラーム世界に存在する多くの政治体制が、形式においても実質においても、本来のイスラームの統治制度とかけ離れていることによる。 実質については、現行の政治体制は全て、クルアーンとその使徒のスンナ(言行)に基礎をおかず、それを指針としておらず、むしろイスラーム的統治とは真逆の政体であることは、ムスリムたちの誰の目にも明らかである。それ誰にも異議がない明々白々たる事実である。但し、イスラームの統治体制が、制度面においては現行の(西欧の国民国家の)統治制度と大差なく、現在の人定法の統治制度と同様な構成と権限を有する内閣や省庁といったものがあっても構わない、と考える誤解の余地はあるかもしれない。 そこで我々は、カリフ国家の統治制度について、アッラーの御心により将来その実現を見る前に、その統治機構の姿を脳裏に思い描くことが出来るようにと、それを詳述することにした。またカリフ国家の旗章、旗印、将来発布するカリフ選挙法、忠誠誓約の形式、カリフが捕虜になった際の解放が見込まれる場合とそうでない場合の臨時代行の権限、地方警察の執行と行政の組織、治安部門の女性警官の任命、地方議会、国民議会の選挙法、国歌など、原著になかった必要事項を該当箇所に書き加えた。 アッラーが我々の勝利を早められ、我々の共同体が人類最善の共同体となり、カリフ国家が、世界最高の国家となり、世界の隅々にまで善と正義を広めることができるよう、我々に恩寵を垂れ、栄光と恵みを授け給いますように。そしてその時、信仰者はアッラーの神佑を喜び、アッラーは信ずる民の心を癒し給うでしょう。最後に我々は祈る。万世の主アッラーにこそ賞賛あれ。 序. カリフ国家の機構の詳細について論ずる前に、以下の点を先ず明らかにしておく必要がある。 (1)万世の主アッラーが義務として課されたイスラームの統治制度はカリフ制である。 この制度においては、アッラーの啓示に則る統治を行うために、アッラーの啓典クルアーンとその使徒ムハンマドのスンナ(言行)への忠誠の誓いに基づき、カリフが擁立されるのである。クルアーンとスンナと預言者ムハンマドの直弟子たちのコンセンサスの中に、それを示す典拠は無数に存在する。 クルアーンでは、至高なるアッラーは預言者ムハンマドに訓戒し以下のように述べられている。 「アッラーが啓示されたものによって彼らの間を治めよ。彼らの欲望に従い、汝のもとに齎された真理から逸れてはならない。」(クルアーン5章48節) 「アッラーが啓示されたものによって彼らの間を治め、彼らの欲望に従ってはならない。アッラーがお前に啓示されたものの一部から逸らせるように彼らが汝を誘惑することを警戒せよ。」(クルアーン5章49節) 彼らの間をアッラーの啓示に則って治めよ、との使徒ムハンマドへの訓戒は、彼のムスリム共同体への訓戒であり、それは、使徒ムハンマドの逝去後にアッラーの啓示に則って治める為政者を擁立せよ、との意味なのである。ここでの訓告の主題は義務を課すことであり、訓告の命令法は法理学の教える通り、厳命を示す文脈であるから、それは厳命を意味するのである。そしてこの「使徒ムハンマドの逝去後にアッラーの啓示に則って治める為政者」がカリフであり、このような統治制度がカリフ制なのである。他方、法定刑などの全ての法規の執行は義務であるが、為政者が存在しなければその執行が不可能である。そして義務の遂行に不可欠な行為はそれ自体もまた義務である。つまりイスラーム法を施行する為政者の擁立もまた義務なのである。そしてこのような為政者がカリフであり、この統治制度がカリフ制度なのである。 スンナについては、預言者の孫弟子のナーフィウは預言者の直弟子アブドッラー・ブン・ウマルが彼に以下のように語ったと伝えている。「私はアッラーの使徒が『服従から手を引いた者は、最後の審判の日にアッラーにまみえるが、彼には弁明の余地はない。忠誠誓約をせずに死んだ者は(イスラーム到来以前の)無明時代の死に方をしたことになる』と言われるのを聞いた」(ムスリム が収録するハディース) 預言者は全てのムスリムに忠誠誓約を立てるように命じ、忠誠誓約をせずに死んだ者を無明時代の死に方をしたのだと言われたが、アッラーの使徒の逝去後には、忠誠誓約は、カリフ以外の誰にも与えられることはない。それゆえ全てのムスリムにカリフに忠誠誓約をすることを義務付けるこのハディース(預言者ムハンマドの言行録)は、つまりその前提として全てのムスリムの忠誠誓約を受けるに相応しいカリフの存在をも義務付けているのである。 またムスリムが伝えるところでは、 アブー・ハーズィムは「私はアブー・フライラに5年間仕えたが彼はいつも預言者が以下のように言われた」と語っていた。「イスラエルの民は預言者によって統治されてきた。それで、一人の預言者が亡くなると次の預言者が跡を継いだ。だが私の後に預言者はもはやいないが、カリフ(後継者)が現れ、それは多数となろう。私の後に預言者はもはやいないが、カリフ(後継者)が現れ、それは多数となろう。一人一人順に忠誠を尽くし、アッラーが彼らに授けられた権限に従え。まことにアッラーは、彼が彼らに何をしたのか、彼らに尋ね給うであろう。」 これらのハディースには、ムスリムを統治する者がカリフであるとの言明があるが、預言者がカリフへの服従と、カリフ位に異を唱える者たちの討伐を命じられている以上、その言明はカリフ擁立を求めている、つまりカリフ擁立の命令であり、カリフへの反逆者の討伐によるカリフの守護の命令なのである。 またムスリムは預言者が「イマーム(カリフ)に忠誠を誓い、按手し信義を捧げた者は可能な限り服従し、彼に背く者が現れれば、その反逆者の首を刎ねよ。」と言われたと伝えている。カリフへの服従の命令は、カリフ擁立の命令を含意し、カリフに背く者の討伐の命令は、カリフは常に唯独りでなくてはならないとの厳命を文脈的に示しているのである。 また預言者ムハンマドの直弟子たちのコンセンサスについては、彼らはアッラーの逝去後にカリフを擁立する必要があることに合意し、先ずアブー・バクル(初代カリフ在位632-634年)を、次いでウマル(第2代カリフ在位634-644年)、次いでウスマーン(第3代カリフ在位644-656年)を、それぞれの死後にカリフとして擁立することで合意した。そして死体は死後直ぐに埋葬することが義務であるにもかかわらず、預言者が亡くなった後、直弟子たちが彼のカリフ(後継者)擁立に専心し、彼の埋葬を遅らせたことも、カリフ擁立についての彼らのコンセンサスを裏付けている。 また預言者の直弟子たちは、彼らの生涯にわたって、カリフの擁立が義務であることでは合意していた。彼らは誰がカリフに選ばれるべきかについては意見が対立していたが、アッラーの逝去に際しても、正統カリフのどの一人の死に際しても、カリフの擁立義務自体に関しては誰も反対する者はいなかった。預言者の直弟子たちのコンセンサスは、カリフ擁立の義務の明白かつ強力な証拠なのである。 (2)イスラームの統治制度(カリフ制)は、知られている世界のどの統治制度とも異なっている。 それは立脚する原理についても、諸事を処理する指針となる思想、概念、基準によっても、施行し適用する憲法や法律によっても、またイスラーム国家が成り立ち、世界の全ての統治体制と相違するその体制の形態においても、異なっているのである。 それは王制ではない。 イスラームは王制を認めず、カリフ制は王制に似てもいない。なぜなら王制では、王子が世襲によって王になり、ウンマ(国民)はそれに関与しないからである。他方、カリフ制においては、世襲はなく、ウンマの忠誠誓約が、カリフ就位の手順なのである。また王制は、王にのみ、彼以外の臣下の誰にもない大権、特権を認めている。また一部の王制では、王を法律の上に置き、ウンマ(国民)の象徴としており、王は君臨するが統治はしない。また別の王制では、王は自らの欲望のままに土地と臣民を処分し、君臨し、統治し、自分がいかなる悪行、不正を行おうとも、裁かれることを拒否する。 他方、カリフ制は、王制のような臣民の上に立ついかなる特権もカリフに認めず、裁判においても国民の一人と異なるような特権を与えない。またカリフは、王制のような意味において、国民の象徴であるわけでもない。カリフは、ウンマ(国民)に対してアッラーの聖法を施行するために、ウンマ(国民)が自ら選び忠誠を誓った統治と権力におけるウンマ(国民)の代行者に過ぎず、その全ての行為、裁定、国民の諸事、福利の処理において、イスラームの法規定によって束縛されているのである。 またカリフ制は帝国制でもない。 帝国制はイスラームと異なること甚だしい。イスラームが治める遠隔地方は、いかにその民族が多様で違っていようとも、唯一の中心に帰一するからである。イスラームは諸遠隔地方を帝国制によって統治するのではなく、逆に帝国制の反対の原理によって治めるのである。なぜならば帝国制は、帝国の遠隔諸地方における異なる民族を平等に扱わず、統治、富、経済において帝国の中心に特権を付与するからである。 イスラームの統治の仕方は、国家のどこにあっても被統治者たちを平等に扱い、民族主義を否定し、市民権を有する非ムスリムにも、イスラーム法に則って、臣民の権利と義務を与える。非ムスリムもムスリムが享有するのと同じく権利において公正に扱われ、またムスリムに課されるのと同じく義務においても公正に裁かれる。更に言うならば、裁判においてイスラームは、属する宗教・宗派が何であるかにかかわらず、たとえムスリムであっても、市民の誰にも他の者と違う特権を認めない。この平等性においてカリフ制は帝国制と異なり、遠隔諸地方を植民地化せず、搾取の場、中央だけに収益をもたらす財源とはしないのである。カリフ制は、いかに中央からの距離が離れていようとも、また住民の民族構成が多様であろうとも、地域の全体を単一の一体、全ての地域をカリフ国家の一部とみなし、全地域の住民に、中央と他の地域の住民と同じ権利を与え、全ての地域において、統治権、統治制度、立法権が等しく行き渡るようにするのである。 またカリフ制は連邦制でもない。 連邦制では、外交など共通の政策のみにおいて統一されている他は、諸地域が政治的自治権を有するが、カリフ制はあくまでも一体である。もしイスラーム国家の首都がエジプトのファイユーム地方であればカイロであるように、東部であれば中央アジアのホラサーン、西部であればモロッコのマラケシュとなるが、どの地域に対しても、国家財政、予算は単一で、地域にかかわりなくカリフ国家全域の住民全ての福利を考慮して支出される。たとえばある地域が資源と生産が需要の倍あったとしても、その地域には資源と生産高に応じてではなく需要に応じて財政支出される。つまりある地域の資源と生産が需要に追いつかなくても、それを考える必要はなく、その地域の資源と生産が需要をカヴァーするかしないかにかかわらず、国家の一般会計からその需要は賄われるのである。 またカリフ制は共和制でもない。 共和制は、そもそも王制の暴政に対する反動として、つまり王が自分の意のままに恣意的に土地と人を支配し、自分の望み通りに法を制定する主権、権力を有する暴政に対する反動として成立した。共和制の諸政体が生まれると、民主制と呼ばれるものでは、主権と権力は臣民に移管され、法律を定め、許可し、禁じ、善と悪を決めるのは臣民となる。統治権は、大統領(共和)制においては大統領とその大臣たちの手中に、議院内閣(共和)制では議会の手中にある。(王が統治権を剥奪され「君臨するが統治しない」立憲君主制においても同様に統治権は議会にある) 他方、イスラームにおいては、立法権は臣民には属さない。立法権はただアッラーのみに属し、アッラーを差し置いては誰にも何かを許し、禁ずる権利はない。人間に立法権を認めることは、イスラームにおいては重大な犯罪なのである。 「彼らはアッラーを差し置いて、彼らの中の律法学者や修道士たちを主と崇める」(9章31節)の聖句が啓示された時、アッラーの使徒は、この句を釈義して「彼ら(ユダヤ教徒、キリスト教徒)は人々に掟を定め、許されたもの、禁じられたものを決め、人々は彼らに服従していたのである」と説明された。 使徒が明らかにされた通り、これが「律法学者や修道士を主と崇めること」の聖句の意味であり、それはアッラーを差し置いて、許されたこと、禁じられたことを人間が定めることの罪の深さを示している。 またイスラームの統治行政は内閣を通じて行われるわけではない。カリフ制では人々の公益が集権化された単一の行政機構によって処理されるので、内閣制のように各大臣に他の大臣と区別された固有の職務、職権、予算があって、公益に関する一つの問題に関わる多くの官庁の管轄事項が重複し、煩雑を極め時間のかかる手続を経なくてはある省から別の省への権限、予算の移行ができず、人々の福祉の実現に困難をきたすようなことはない。 共和制においては、統治行政は各官庁に分権されており、集団体制で統治行政権を有する内閣がそれを集約する。他方、イスラームにおいては、(民主制の形態で)集合体として統治行政権を有する内閣は存在せず、カリフこそが、アッラーの啓典クルアーンと使徒のスンナ(言行)に則って国民(ウンマ)を治めるという条件で国民(ウンマ)が忠誠を誓った為政者であり、そのカリフが自分を助けてその様々な職務を分担する補佐(全権全権補佐)を任命する。これが語源的な意味での大臣(wuzar)、つまり、カリフが自分のために任命したカリフの補佐役(muwin)なのである。 イスラームにおける統治制度は、「臣民が立法権を有し、許可し、禁じ、善と悪を決め、自由の名の下にイスラーム法の規定に拘束されない」という民主制の真の意味においては、民主制ではない。ムスリムがこの真の意味での民主制を決して受け入れないことを不信仰の徒たちは理解している。それゆえ植民地主義の不信仰の国々(今日では特にアメリカが)は、民主制が為政者の選挙の手段であるかのごとくにムスリムたちを欺き、ムスリムの国々に民主制を輸出しようと謀っている。彼らは為政者の選挙に話を絞り、民主制の基礎は為政者の選挙であるかのような誤解を招く偽りのイメージをムスリムたちに抱かせ、ムスリムたちの民主制に対する認識を誤らせようとしている。なぜならムスリムの国々は、暴虐、不正、言論弾圧、抑圧(そして独裁)に苦しめられており、それはそれらの政権が王制を名乗っていようと共和制を名乗っていようと変わらないからである。ムスリムの国々はこうした不正と弾圧にあまりにも苦しめられているので、(独裁者から解放され、選挙で自分たちの支配者を選ぶことさえできるなら、どんな政体にでも飛びつくようになっているので)不信仰者たちは、為政者の選挙だということで民主制をムスリムの国々密輸するのは容易なのである。その際、彼らは民主制の本質であるところの「立法、許可、禁止が人間の主であるアッラーではなく、人間の権利となる」という事実を隠蔽しており、そのため、一部の者たちは(イスラーム主義者、そればかりか彼らの中の伝統的イスラーム学者までが)善意から、あるいは知っていながら確信犯として、この欺瞞の民主制を受け入れているのである。 もし彼らに「民主制とは何か」と尋ねれば、彼らは、「民主主義は為政者の選挙である」と考えて、「それではイスラームでも許されている」と答えるであろう。悪意の確信犯たちは、民主制の創始者たちが意図した真の意味を故意に隠蔽して話を逸らす。つまり、民主制とは人民主権であり。人民が多数決で望みのままに法を定め、許可し、禁じ、善と悪を定めることであり、個人は自分自身の行為については「自由」であり、民主主義と自由の名の下に、酒を飲もうと、姦通を犯そうと、背教しようと、聖なるものを誹謗中傷しようと、望みのままに振舞ってよいということなのである。これが民主制であり、これがその真相、意味するところ、本質なのである。イスラームを信ずるムスリムが、「民主制は許される」、あるいは「民主制はイスラームに属する」などとどうして言うことができようか? 国民(ウンマ)による為政者の選任、つまりカリフの選任について言えば、それはクルアーンとスンナの明文が定めていることなのである。イスラームにおいて主権は聖法(shar)に属するが、人々によるカリフに対する忠誠誓約が、カリフ就位の前提条件なのであり、かつて世界が独裁者の暗黒と王の専制の下に暮らしていた時代に、イスラームにおいてはカリフの選挙が実践されていたのである。 アブー・バクル、ウマル、ウスマーン、アリー(第4代カリフ在位656-666年)の正統カリフの選任の方法について研究した者は、「解き結ぶ者(有力者たち)」とムスリムの代表者たちのうちの一人がムスリムたちに服従が義務となるカリフになるために、彼らによる正統カリフたちに対する忠誠誓約がどのように締結されたかを明瞭に知ることが出来る。ムスリムの代表たち(それは首都マディーナの住民である)の見解を調べることを任されたアブドッラフマーン・ブン・アウフは、彼らの間を回り、あの家、この家と訪ね、誰彼となく聞き回り、男性にも女性にも、カリフの候補者の中から誰を選ぶかを質問した結果、最終的に人々の意見はウスマーンをカリフに選ぶことに落ち着き、彼に対して忠誠の誓いが締結されたのであった。 要約すると、民主制は不信仰の政体であるが、それは為政者が選挙で選ばれるからではない。それは本質的な問題ではないのである。そうではなく民主制の本質は立法権を万世の主アッラーから奪い人間に与えることなのである。アッラーは言われる。 「統治権はアッラーにのみ属する」(クルアーン12章40節、67節) また言われる。 「いや、汝(預言者ムハンマド)の主にかけて、彼らは自分たちの間で生じた紛争において汝を調停者とし、汝の裁定に対して心中に不満を抱かず、全てを委ねるのでない限り、信仰したことにはならない」(クルアーン4章65節) 立法権がアッラーのみに属することを示す典拠は数多く知られている。このことは、民主制が認めるところ「個人の自由」を別にしての話である。民主制の「個人の自由」により、男と女は、イスラーム法上許されているか禁じられているかを問題とすることなく、好きなことができるのである。またいかなる束縛もない背教と改宗の宗教的自由も同様である。そして更に様々な手段による強者による弱者の搾取を許す所有権の自由があり、富める者はますます豊かになり、貧しい者はますます困窮していくのである。思想の自由も同様で、それは真理の言葉についてではなく、ウンマ(ムスリム共同体)が神聖とみなすものに敵対する言論の自由でしかない。彼らは思想の自由の名によってイスラームを侮辱する者を優れた思想家とみなし、多くの賞を授けさえするのである。 それゆえ上述の通りで、イスラームの統治制度(カリフ制)は、王制でもなく、帝国制でもなく、連邦制でもなく、共和制でもなく、民主制でもないのである。 (3)カリフ国家の制度は、外見上、一面的には類似点があるとしても、現在知られている他のいかなる政治体制とも異なっている。 カリフ国家の制度は、アッラーの使徒がマディーナに移住し、そこにイスラーム国家を樹立した後で立ち上げられ、彼の逝去後、正統カリフたちが、それを踏襲した制度を引き継いでいる。 それについて書かれたクルアーンとスンナの明文を詳細に検討すれば、カリフ国家の統治と行政の機構は、およそ以下のようなものであることが分かる。 カリフ - 補佐(全権大臣) - 執行大臣 - 地方総督 - ジハード司令官 - 国内治安 - 外交 - 工業 - 司法 - 行政機構(福祉) - 国庫 - 情宣 国民議会(協議と査問) 次章以下では、アッラーが我々を勝利せしめ、正統カリフ制の再興を成功させ、イスラームとムスリムに栄光を授け、不信仰と不信仰の徒を卑しめ、全世界に善が広まるように、祈りつつ、これらのカリフ国家の制度の詳細と、その典拠について述べていきたい。 「アッラーは彼の命令を貫徹し給う。アッラーは万物に一定の分を定められた。」(クルアーン65章3節) アッラーこそ援けを求められるべき御方であらせられます。彼にのみこの身をお任せいたします。 1425年ズルヒッジャ月14日/2005年1月24日 カリフ国家の諸制度(統治と行政) 第1章:カリフ カリフは統治と権力、イスラーム聖法の諸法規の執行におけるウンマ(ムスリム共同体)の代行者である。というのは、イスラームは統治と権力をウンマのものとし、アッラーはウンマに聖法の法規の全てを執行することを義務付けられたが、ウンマの代理としてそれを代行する者が、ウンマの代わりを務めるからである。 そしてムスリムがカリフを擁立するのであるから、実際には、カリフは、統治と権力、イスラーム聖法の諸法規の執行におけるウンマの代行者なのである。カリフはウンマが忠誠を誓うことによってしかカリフになることはできないので、彼のカリフ位に対するその忠誠誓約がカリフをウンマの代行者とし、この忠誠誓約によるカリフ位の締結がカリフに権力を付与し、ウンマにカリフへの服従を義務付けるのである。 ムスリムの諸事を司る者は、ウンマの中の有力者たち「解き結ぶ者」が、カリフ就位後にイスラーム聖法を執行するとの条件で、カリフの資格を満たす者を納得して選んだ上でその者とカリフ位締結の忠誠誓約を交わすことによって初めてカリフとなるのである。 称号 彼を指す称号は、カリフ(アラビア語の原音では「ハリーファ(khalfa)」)、イマーム、あるいはアミール・アル=ムウミニーン(信徒の司令)であり、これらの称号は、真正なハディースや預言者ムハンマドの直弟子たちのコンセンサスの中で用いられており、正統カリフたちはこれらの称号で呼ばれたのである。 以下の預言者のハディースに、イスラームにおいて聖法を執行する為政者の称号が述べられているが、それがカリフ、あるいはイマームなのである。 「二人のカリフに忠誠が誓われた場合は、二人のうちの後の方を殺せ」 「イマームに忠誠を誓い、按手し信義を捧げた者は彼に服従せよ」 「お前たちのイマームで最善の者とは、お前たちがその者を愛し、またその者もお前たちを愛し、お前たちがその者に祝福を祈り、その者もお前たちのために祝福を祈るようなイマームである」 アミール・アル=ムウミニーン(信徒の司令官)の称号については、最も信頼できるのは、以下の伝承である。 ウマル・ブン・アブドルアズィーズ(ウマイヤ朝第8代カリフ在位717-720年)がアブー・バクル・スライマーン・ブン・アビー・ハスマに「初代カリフアブー・バクルの治世には、『アッラーの使徒のカリフ(後継者)より・・・』と書簡には書かれており、次いでウマルは初めは『アブー・バクルのカリフ・・・』と書いていた。それでは誰が最初に『アミール・アル=ムウミニーン(信徒の司令官)』と書いたのか?」と尋ねた。そこでアブー・バクル・スライマーン・ブン・アビー・ハスマは答えた。「最初のマッカから亡命した女性信徒の一人であったアル=シファーゥ が私に語ったところでは、第2代カリフウマル・ブン・アル=ハッターブがイラク総督に自分の許にイラクとその住民について尋ねたいので二人の強健な使者を送るようにとの書簡を送った。そこでイラク総督はラビード・ブン・ラビーアとアディー・ブン・ハーティムを送った。二人がマディーナに到着すると二人はラクダをモスクの中庭に停めてモスクに入ったが、そこでアムル・ブン・アル=アースに出会ったので、『アムルよ、アミール・アル=ムウミニーン(信徒の司令官)に取り次いでください』と言った。アムルは『お前たちは、彼の名称を正しく呼んだ。まさに彼は<司令官(アミール)>で、我々は<信徒(ムウミヌーン)>だ。』と言い、ウマルの許に駆けつけ、『貴方に平安あれ、アミール・アル=ムウミニーン(信徒の司令官)よ』と呼びかけた。そこでウマルは尋ねた『イブン・アル=アースよ、その名前は何か?我が主にかけて、お前の言ったことを説明せよ』アムルは答えた。「ラビード・ブン・ラビーアとアディー・ブン・ハーティムがマディーナにやって来てはラクダをモスクの中庭に停めて私のところにやって来て、『アムルよ、アミール・アル=ムウミニーン(信徒の司令官)に取り次いでください』と私に頼んだのです。アッラーにかけて、彼らは、あなたの名称を正しく呼びました。まさに私たちは信徒『(ムウミヌーン)』であなたは『私たちの司令官(アミール)』ですから。(アブー・バクル・スライマーン・ブン・アビー・ハスマは)続けて言った。「その時から彼は書簡にそう署名するようになりました。」 こうして預言者の直弟子たちの時代、およびその後も、カリフをその称号「アミール・アル=ムウミニーン(信徒の司令官)」で呼ぶことが定着したのである。 カリフの資格条件 カリフの有資格者となり、カリフ就位の忠誠誓約が締結されるためには、カリフは7項の資格条件を満たしていなくてはならない。この7項の資格条件は就位締結のための条件であり、そのうちの一項でも欠けていればカリフ位は成立しない。 就位締結条件 第1項:ムスリムであること 不信仰者には、カリフ位は無条件に無効であり、服従は義務ではない。なぜなら至高なるアッラーが「アッラーは不信仰者にムスリムの上に決して道を設け給わない」(4章141節)と言われているが、統治こそ、統治者が被統治者の上に立つ最も強い『道』であり、また未完了否定詞『決して・・・ない』という表現は、カリフであれ、それ以下の官職であれ、不信仰者がムスリムを支配し治めることは将来に亘って決してないとの決定的な禁止を示しているのである。不信仰者にムスリムの上に道をつけることをアッラーが禁じ給うた、ということは、ムスリムに対して、ムスリムが不信仰者を彼らムスリムの統治者に任ずることを禁じ給うた、ということを意味しているのである。 またカリフは「権威(wal al-amr)」であるが、アッラーは「信仰する者よ、アッラーに従い、使徒と汝らのうちの権威者に従え」(4章59節)「安全、あるいは危険な事柄が彼らにもたらされた時には彼らはそれを言いふらした。もし彼らがそれを使徒と彼らの中の権威者の許に持ち込んでいたならば」(4章83節)、ムスリムの権威がムスリムであることを条件クルアーンの中では「権威(ul al-amr)」の語は、彼らがムスリムであるような文脈でしか用いられない。それは「権威」はムスリムであることが条件であることを示しているのである。そしてカリフは彼自身が「権威」であり、補佐、官吏、総督などの権威者の任命者でもある以上、ムスリムであることが条件となるのである。 第2項:男性であること カリフが女性であることは許されない、つまりカリフは男でなければならず、「ペルシャ人がホスローの娘を女王に選んだとの報を聞いたアッラーの使徒は『女性に自分たちの政治を任せる民は栄えることはない』と言われた」とのハディース により、女性のカリフ位は有効ではない。女性による統治の政務、とはカリフとその下の統治にかかわる公職のことを指している。なぜならこのハディースのテーマはホスローの娘の女王就位であるが、それはホスロー(ホスロー2世、在位591-628年)の娘の就位のケースだけに限られた話ではなく、ハディースが述べる統治を特に扱ったテーマであり、万事に当てはまる一般論でもなく、統治のテーマの他には適用されないが、それは裁判、諮問議会、行政監査、為政者の選挙は含んでいない。これらは全て女性にも参与が明白に許されているのである。 第3項:成人であること アッラーの使徒は「3種の者からは筆が上げられる。(悪行が火獄行きの帳簿に記されない)すなわち、子供は成人するまで、眠っている者は目覚めるまで、痴呆の者は癒えるまで。」と言われているからである 。また別のヴァージョンの文言では「3種の者からは筆が上げられる。理性を失った狂人は正気に返るまで。眠っている者は目覚めるまで、子供は精通があるまで。」となっている。「筆が上げられる者」とは、イスラーム法上、責任能力者でなく、自分自身の問題を自分で処理しても有効とならないため、カリフ、あるいはそれより下の統治の役務に就いても有効ではないのである。なぜなら彼には行為能力がないからである。 またアル=ブハーリーの伝えるハディース「ザイナブ・ビント・フマイドが、『アッラーの使徒よ、息子と忠誠誓約を交わしてください』と頼んだが、預言者は『彼はまだ子供だ』と言われ、彼の頭を撫で、彼のために祈られた」 もまた子供がカリフとなることが許されないことの典拠となる。なぜなら子供の忠誠誓約が有効とみなされず、他人に対してカリフの忠誠誓約ができないなら、なおさら自分自身がカリフになることは許されないからである。 第4項:理性を備えていること 「3種の者からは筆が上げられる。・・・理性を失った狂人は正気に返るまで。」とのアッラーの使徒の言葉により、狂人のカリフ位は有効ではない。「筆が上げられた者」は責任能力者でない。なぜなら理性こそ義務付加の事由、法律行為の有効性の条件だからである。ところがカリフは統治の法律行為を行い、イスラーム聖法上の諸義務を果たさなければならない以上、狂人では務まらないのである。なぜなら狂人は自分自身の事柄においてすら法律行為を有効に行うことができない以上、人々の諸事に対する彼の法律行為はなおさら有効でないのである。 第5項:公正であること 悪人(のカリフ位)は有効ではない。正義は、カリフ位締結と継続の必要資格条件である。なぜならアッラーは「汝らの中の2人の義人を証人に立てよ」(65章2節)と言われ、証人に義人であることを条件として課されているが、カリフは証人よりも重要であるので、正義が証人の条件となるなら、カリフには尚更の条件として課されるのである。 第6項:自由人であること なぜなら奴隷は主人の所有物であり、自分自身のための法律行為を行うことができない以上、他人のために法律行為を行うこと、人々の上に立つ権威を持つことはなおさら出来ないからである。 第7項:有能であること カリフの職責を果たしうる能力の持ち主であること。なぜならそれは忠誠誓約が要請するところだからである。とういうのは、無能であれば、忠誠を誓ったクルアーンとスンナに則って公務を処理することができないからである。有能な人材の中から能力ある者がカリフとなるように、行政不正裁判所(makamah al-Malim)が無能力の審査を行わなければならない。 オプショナル条件 上記が、カリフ位締結の資格条件であった。この7条件以外の条件は、たとえクルアーンとスンナの明文の典拠が真正であったとしてもオプショナル条件であるか、あるいは真正な明文の定める規定となるだけであり、どれもカリフ位締結の必要条件ではない。なぜならカリフ位締結の必要条件であるためには、それが必要条件であることを示す典拠が、文脈的に義務であることを明示する決定的要請命令を含意していなければならないからである。そうした決定的要請命令を示す典拠がなければ、その条件はオプショナル条件であり、カリフ位締結の必要条件ではないが、上記の7条件以外には、決定的要請命令を示す典拠は存在しないため、この7条件のみが、締結の必要条件なのである。クライシュ族の出自や、独自裁量の許されるイスラーム学識や、武器の操作などの要請決定的でない典拠しかないそれ以外の条件は、言うならばオプショナル条件に過ぎないのである。 カリフ擁立の手続き イスラーム聖法がウンマ(ムスリム共同体)にカリフの擁立を義務付けた時、同時にカリフの擁立において採るべき手続きも定めている。その手続きはクルアーンとスンナと預言者の直弟子たちのコンセンサスで確定しているのであり、それは忠誠誓約なのである。カリフの擁立は、クルアーンとアッラーの使徒のスンナに則って、ムスリムたちが彼に対して忠誠を誓うことで成立する。「ムスリムたち」とは、カリフ制が存在している場合には先代のカリフの治めた民であり、カリフ制が不在である場合にはカリフ制が樹立される地の住人である。 統治者擁立手続きが忠誠誓約であることは、ムスリムの使徒に対する忠誠誓約と、イマームに対する忠誠誓約を使徒が我々に命じられたことによって定められている。ムスリムの使徒に対する忠誠誓約は、預言者としての使徒に対する忠誠誓約ではなく、あくまでも彼の統治に対する忠誠誓約であった。つまりそれは行為に関する忠誠誓約であり、信仰における忠誠誓約ではなかったのである。彼は統治者として、忠誠を誓われたのであり、預言者、使徒としてではない。なぜなら彼が預言者であること、使徒であることを認めるのは、信仰であり、忠誠誓約ではないからである。忠誠誓約は、国家元首としての彼に対して以外にはありえない。 忠誠誓約はクルアーンとスンナの中で述べられている。至高なるアッラーは言われた。 「預言者よ、おまえの許に信仰する女が来て、アッラーになにものをも同位とせず、盗みをせず、姦通をせず、子供たちを殺さず、手と足の間で捏造した虚偽をもたらさず、善においておまえたちが背かないことをおまえに誓約したなら、彼女らと誓約せよ・・・」(60章12節)また言われた。「まことにお前に忠誠を誓った者たちは、アッラーに忠誠を誓ったのに他ならない。アッラーの御手は彼らの上にある」(48章10節) またアル=ブハーリーはウバーダ・ブン・アル=サーミトが「我々はアッラーの使徒に対して、好むと好まざるとに関わらぬ聴従、権威者の命令に背かないこと、どこにいようとも真理を行い、語ること、アッラーに関して謗る者の非難を恐れぬことで、忠誠を誓った」と言ったと伝えている。 またムスリムは以下のハディースを伝えている。 「イマームに忠誠を誓い、按手し信義を捧げた者は彼に服従せよ。」 「二人のカリフに忠誠が誓われた場合は、二人のうちの後の方を殺せ。」 「イスラエルの民は預言者によって統治されてきた。それで、一人の預言者が亡くなると次の預言者が跡を継いだ。だが私の後に預言者はもはやいないが、カリフ(後継者)が現れ、それは多数となろう。私の後に預言者はもはやいないが、カリフ(後継者)が現れ、それは多数となろう。一人一人順に忠誠を尽くし、アッラーが彼らに授けられた権限に従え。まことにアッラーは、彼が彼らに何をしたのか、彼らに尋ね給う。」 クルアーンとスンナの明文は、カリフ擁立の手続きが忠誠誓約であることを明示している。預言者の直弟子たちはそれを理解し、それに倣った。正統カリフの忠誠誓約がその証しなのである。 『カリフ国家の諸制度 ― 統治と行政』①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪
https://w.atwiki.jp/avaloncode/pages/2.html
基礎知識 FAQ キャスト バグ 小ネタ・便利技 投票所 攻略 1章 / 2章 / 3章 4章 / 5章 / 6章 7章 / 8章 / 9章 10章 / 11章 データ コード キャラクター キャライベント モンスター / ボス 武器 アクセサリー アイテム 花 ミニゲーム ニュースフラッシュ 預言書 / 預言書目次 マップ マップテンプレ 世界地図 ローアンの街 ┣グラナ平原 ┣ローアンの街 ┗ローアンの街の家 フランネル城 ┣フランネル城 ┣抜け道 ┣ヒドゥンメイア ┗マステマの天空槍 ワーグリス砦 ┣ワーグリス砦 ┣トルナック氷洞 ┗氷洞最奥部 エルオス火山 ┗エルオス山 グラナトゥム地方 ┣グラナトゥム森林 ┣カルカゾス洞窟 ┣グラナトゥム高原 ┣地底湖アウェルヌス ┣猟師の道 ┗レルネア湿原 サミアド地方 ┣中央砂漠 ┣シリル遺跡 ┣西の砂漠 ┗東の砂漠 その他の場所 ┣ウェルドの大河 ┣バルガッツォ渓谷 ┗大鮫の顎 2ch 過去ログ スレテンプレ 更新履歴 取得中です。
https://w.atwiki.jp/mormon/pages/637.html
1列13 列王紀上 第13章 1列13 1 見よ、神の人が主の命によってユダからベテルにきた。その時ヤラベアムは祭壇の上に立って香をたい ていた。 1列13 2 神の人は祭壇にむかい主の命によって呼ばわって言った、”祭壇よ、祭壇よ、主はこう仰せられる、’見 よ、ダビデの家にひとりの子が生れる。その名をヨシヤという。彼はおまえの上で香をたく高き所の祭司らを、おまえ の上にささげる。また人の骨がおまえの上で焼かれる’”。 1列13 3 その日、彼はまた1つのしるしを示して言った、”主の言われたしるしはこれである、’見よ、祭壇は裂け、 その上にある灰はこぼれ出るであろう’”。 1列13 4 ヤラベアム王は神の人がベテルにある祭壇にむかって呼ばわる言葉を来いた時、祭壇から手を伸ばし て、”彼を捕えよ”と言ったが、彼にむかって伸ばした手が枯れて、ひっ込めることができなかった。 1列13 5 そして神の人が主の言葉をもって示したしるしのように祭壇は裂け、灰は祭壇からこぼれ出た。 1列13 6 王は神の人に言った、”あなたの神、主に願い、わたしのために祈って、わたしの手をもとに返らせてく ださい”。神の人が主に願ったので、王の手はもとに返って、前のようになった。 1列13 7 そこで王は神の人に言った、”わたしと一緒に家にきて、身を安めなさい。あなたに謝礼をさしあげましょ う”。 1列13 8 神の人は王に言った、”たとい、あなたの家の中ばをくださっても、わたしはあなたと一緒にまいりませ ん。またこの所では、パンも食べず水も飲みません。 1列13 9 主の言葉によってわたしは、’パンを食べてはならない、水を飲んではならない。また来た道から返って はならない’と命じられているからです”。 1列13 10 こうして彼はほかの道を行き、ベテルに来た道からは帰らなかった。 1列13 11 さてベテルにひとりの年老いた預言者が住んでいたが、そのむすこたちがきて、その日神の人がベテ ルでした事どもを彼に話した。また神の人が王に言った言葉をもその父に話した。 1列13 12 父が彼らに”その人はどの道を行ったか”と聞いたので、むすこたちはユダからきた神の人の行った道 を父に示した。 1列13 13 父はむすこたちに言った、”わたしのためにろばにくらを置きなさい”。彼らがろばにくらを置いたので、 彼はそれに乗り、 1列13 14 神の人のあとを追って行き、かしの木の下にすわっているのを見て、その人に言った、”あなたはユダ からこられた神の人ですか”。その人は言った、”そうです”。 1列13 15 そこで彼はその人に言った、”わたしと一緒に家にきてパンを食べてください”。 1列13 16 その人は言った、”わたしはあなたと一緒に引き返すことはできません。あなたと一緒に行くことはでき ません。またわたしはこの所であなたと一緒にパンも食べず水も飲みません。 1列13 17 主の言葉によってわたしは、’その所でパンを食べてはならない、水を飲んではならない。また来た道 から帰ってはならない’と謂れ手いるからです”。 1列13 18 彼はその人に言った、”わたしもあなたと同じ預言者ですが、天の使が主の命によってわたしに告げ て、’その人を一緒に家につれ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ’と言いました”。これは彼がその人を欺いたの である。 1列13 19 そこでその人は彼と一緒に引き返し、その家でパンを食べ、水を飲んだ。 1列13 20 彼らが食卓についていたとき、主の言葉が、その人をつれて帰った預言者に臨んだので、 1列13 21 彼はユダからきた神の人にむかい呼ばわって言った、”主はこう仰せられます、’あなたが主の言葉に そむき、あなたの神、主がお命じになった命令を守らず、 1列13 22 引き返して、主があなたに、パンを食べてはならない、水を飲んではならない、と言われた場所でパン を食べ、水を飲んだゆえ、あなたの死体はあなたの先祖の墓に行かないであろう’”。 1列13 23 そしてその人がパンを食べ、水を飲んだ後、彼はその人のため、すなわちつれ帰った預言者のために ろばにくらを置いた。 1列13 24 こうしてその人は立ち去ったが、道でししが彼に会って彼を殺した。そしてその死体は道に捨てられ、 ろばはそのかたわらに立ち、ししもまた死体のかたわらに立っていた。 1列13 25 人々はそこをとおって、道に捨てられている死体と、死体のかたわらに立っているししを見て、かの老 預言者の住んでいる町にきてそれを話した。 1列13 26 その人を道からつれて帰った預言者はそれを聞いて言った、”それは主の言葉にそむいた神の人だ。 主が彼に言われた言葉のように、主は彼をししにわたされ、ししが彼を裂き殺したのだ”。 1列13 27 そしてむすこたちに言った”わたしのためにろばにくらを置きなさい”。彼らが倉を置いたので、 1列13 28 彼は行って、死体が道に捨てられ、ろばとししが死体のかたわらに立っているのを見た。ししはその死 体を食べず、ろばも裂いていなかった。 1列13 29 そこで預言者は神の人の死体を取りあげ、それをろばに載せて町に持ち帰り、悲しんでそれを葬っ た。 1列13 30 すなわちその死体を自分の墓に納め、皆これがために”ああ、わが兄弟よ”と行って悲しんだ。 1列13 31 彼はそれを葬って後、むすこたちに行った、”わたしが死んだ時は、神の人を葬った墓に葬り、わたし の骨を彼の骨のかたわらに納めなさい。 1列13 32 彼が主の命によって、ベテルにある祭壇にむかい、またサマリヤの町々にある高き所のすべての家に むかって呼ばわった言葉は必ず成就するのです”。 1列13 33 この事の後も、ヤラベアムはその悪い道を離れて立ち返ることをせず、また一般の民を、高き所の祭司 に任命した。すなわち、だれでも好む者は、それを立てて高き所の祭司とした。 1列13 34 この事はヤラベアムの家の罪となって、ついにこれを地のおもてから断ち滅ぼすようになった。
https://w.atwiki.jp/sinsougou/pages/618.html
カリム・グラシアは預言者の著書にて預言した一説を見ながらその内容に眉をひそめていた 内容を要約すると再び何か大きな事件が起きる、と言うことなのだが 彼女は以前に「ユーノとできちゃった婚」と言う内容のものをなのはとフェイトの二人に示し 無限書庫にて一悶着を繰り広げてしまっている。 過ぎたことは仕方ないとして彼女は再び手の中にある預言を見る だが、この預言内容のウチ、鍵となる存在がいくつか欠けている。 それを考えるとこれを八神はやてに伝えるのも躊躇ってしまう。 ―――祟りを運ぶ夜にディーンの火が灯る 朱き狂気は再び炎を瞳に宿し 片割れを失った鋼の孤狼を討ち滅ぼす――― ORIGINAL GENERATIONS 第2話 君が戦う理由 ティアナとの一騒動から一週間、シンの中での六課の評価は変わっていた。 皆がそれぞれ何かを秘めていること。命を賭けているということ。 そしてそれを甘いと思った自分を恥じている。 ティアナに謝罪を入れようにもギスギスとした空気のため近寄りがたく 彼女達は今、ある村で起きた事件の調査に出向いている。 シンは留守番というわけだ。 何かをしたいという気持ちに薄々気づきながらも、自分には無理だと言い聞かせている。 シンには魔力がない、魔法が使えない。 そんな自分が出て行っても足手まといだ、と。 それを見守るフェイトだが、シン専用のデバイスはまだ調製中だ 右腕に装備の剣銃型デバイス、左腕には魔力コーティングのシールド 更にロングとショートのブレイドを一本ずつ、そして4本のサーベル 元々単一の機能しか発揮できないのだからとここまで充実した装備なのだが それ故調整に時間がかかっている。 おまけに魔力供給源にはロストロギアクラスのものを仕様している。 厳密に言えばそうではないのがだ、現存するモノは5つしかないのだ。 「バリアジャケットの代わりにアーマー…これは運動能力でカバーするしかないか」 シャーリーから送られてくるデータを見ながら溜息を吐く …もし、彼に魔力があったのなら、今頃はなのは達と調査に向かっているだろう。 どうしてもその一点が悔やまれる。 丁度その頃、なのは達は事件の起きた村での調査内容をまとめていたところだった。 生存者は無し。全ての村人が心臓を一突きで貫かれている。 これは異常だ。 この村に希少価値のあるモノなど無い。 これではただの殺戮ではないか。 「酷い…」 スバルは目の前の現実に眼を背けたくなる。 だが、眼を背ければまた犠牲者が出る可能性があるのだ。 「はい、私達の調査はこれで終了。一旦戻ろう」 奥で他の部隊の面々と話していたなのはが戻ってくる。 どうやら別部隊に現場を任せるようだ。 「悔しいけど、私達に出来ることはないよ」 そう告げてなのははスバル、ティアナの両名と六課への帰路に着いた。 シンはもういても立ってもいられなかった、 元来シン・アスカという人間は何も出来ない、と言うことが我慢できないのだ。 そして無理を承知でフェイトに頼み込んだ。 「お願いします。俺にも…戦わせてください」 フェイトからすれば待っていたとばかりなことだが意外と早く訪れたことに少し驚いていた 「それは、何のために?」 「…じっとしていることなんて出来ない。こんな俺にでも、出来ることがあるのなら」 そう、こんな自分でも、まだ救える人がいるのなら――― 思いを瞳に宿し、少年はフェイトを見つめる。 フェイトは確信する。彼なら大丈夫だ、と。 「分かった。準備が整い次第、君用のデバイスを渡すから少し待って」 その返事にシンは頷いて返す。 八神はやては自分のオフィスでカリムと連絡を取っていた。 また預言が来た、と言う話を小耳に挟んだからだ。 前回の騒ぎは彼女としては面白かったのだが、毎回あのような内容にはなるまい 「それで、今回のはどうなん?」 「それが…」 カリムはありのままを伝える。 「―――」 それを聞いたはやては一瞬考えを巡らす ディーンの火、鋼の孤狼については不明だが 朱き狂気とはシン・アスカのことでは?と 「分かったわ。こっちでも何か分かったらまた連絡するわ」 そう言って通信を切りながらまた考えを巡らす。 フェイトがシン・アスカを戦場に戻そうとしていたが、それは妙案ではないのだろうか? これから先に待ち受ける者、それを乗り越えるのに彼の力が必要になるのなら。 「…ええんやろうか」 結果的に自分は彼を利用することになる。 非情に徹するべきか、或いは、彼と信頼関係を築くべきか 今更ながら自分の甘さを痛感する。 それと同時に、昔を思い出す。 あと、少しで救えたはずの誰か。自分のために自らを犠牲にした誰か。 「同じ、なんかなぁ…」 あの少年も守りたいものを護れなかった悲しみを知っている。 自分と同じく、家族を失う悲しみを。 「―――」 考えて、はやては一つの決断を下す。 「あ、フェイトちゃん?ウチやねんけど…」 なのは達が帰って来たあと、なのはとフェイトははやてに呼び出された。 「彼、シン・アスカやねんけどな。本人が望なら正式に六課に配属させようと思うねん」 まさか、はやての口からもこのことが語られるとは思っていなかった二人は 少しの驚きと喜びの表情を見せる。 「もちろん、私情は抜きでや。カリムからの預言でな、彼と思われる節があったんや」 カリムの預言と聞き二人はほんの少し怪訝そうな顔をする 「まぁまぁ、あれは過ぎたことやねんし」 「それで、シンはどっちに配属するの?」 フェイトとしては出来ることなら自分の隊で面倒を見たいのだが名目上なのはが監察処分をする、と言うことになっている 「それやねんけどな、今回の事件に限りスターズ、ライトニングを合同で動かそうと思うねん」 意外な提示に二人は顔を見合わせる。 「今回の敵は躊躇いなく命を狙ってくる。下手に戦力を分散すれば…」 恐らく、誰かが犠牲になってしまう。 人数が多ければ良いというわけではないが、チームワークを駆使すれば致命傷は避けられるかも知れない それに隊長陣ならば一対一でも相手になる。 そう判断しての上だ。 「せやから、彼のことはよろしく頼む」 真剣な表情で告げるはやてに二人もまた真剣な面持ちで返す 自室にて シン・アスカは覚悟を決めていた。 ―――自分は再び戦場に戻る それが何を意味するかは分かっている。 けれども、何もしないでいることは出来ない。 この手でまだ守れるものがあるのならば、もう一度戦いの中に身を投じよう。 そして、あの少女、ティアナに謝りたい。 そう言えば、彼女はもう戻ってきているのはずだ。 シンの足は彼女の元へ向かい始めた。 前へ戻る 次へ進む 一覧へ
https://w.atwiki.jp/kawaii_khalifa/pages/22.html
3. 人民に直接宛てた手紙 預言者からナジュラーンの住民への手紙。 預言者のタミーム・アル=ダーリーへの手紙 「タミーム・アル=ダーリー(ラフム族のタミーム・ブン・アウス)が立ち上がって言った。『私にはパレスチナに隣人がいますが、彼らにはハブラーとアイヌーンという村があります。もしアッラーがあなたにシリアでの勝利を授け給えばその二つの村を私に下さい。』預言者が『両者はお前のものだ』と答えられると、彼は『そのことを私のために書いてください』と頼んだ。 そこで預言者は以下のように書かれた。 『慈悲遍く慈愛深きアッラーの御名によって。これはアッラーの使徒ムハンマドからタミーム・ブン・アウス・アル=ダーリーへの手紙である。ハブラーとバイト・アイヌーンの両村は、平地も山も、水も農作物も、馬も牛も全て彼(タミーム)とその子孫のものであり、何者もそこで彼を侵害せず、誰も彼らに不正を為してはならない。もし不正を働き、彼らから何かを奪う者があれば、その者にはアッラーと天使と人間全ての呪いがあろう。』 アリーがそれを書き留めた。 アブー・バクルがその地の総督となると彼は彼らに以下の手紙を送った。『慈悲遍く慈愛深きアッラーの御名によって。これは地の相続者とされたアッラーの使徒ムハンマドかの秘書アブー・バクルが、ダーリー家の者たちに書き送る手紙である。何者も彼らと彼らの所有するハブラーとバイトを侵害しない。アッラーに聞き従う者は両村でいかなる悪もなさない。両者の門に閂をかけ、悪党たちから守りなさい。』」 カリフには必要に応じて書記を任命することができる。書記を任命しなければ職務を果たせないなら、任命はむしろ義務になる。預言者伝の作者たちはアッラーの使徒には約20人の書記がいたと述べている。アル=ブハーリーはその『正伝集』の中で、アッラーの使徒がザイド・ブン・サービトにヘブライ語を習い、彼らが預言者に手紙を遣した場合に読み聞かせるように命じられ、ザイドは25日にわたってヘブライ語を習ったことを伝えている。またイブン・イスハークはアブドゥッラー・ブン・アル=ズバイルから「アッラーの使徒は、アブドゥッラー・ブン・アル=アルカム・ブン・アブド・ヤグースを書記に任じ、彼が使徒に代わって王たちに返書を認めた」と伝えている。 「また預言者の許にある男から手紙が届いた。そこで彼はアブドゥッラー・ブン・アル=アルカムに『私に代わって返事を書きなさい』と命じられたので、彼は返事を書き、それを預言者に読み聞かせた。すると預言者は『良い出来だ。うまく書けている。アッラーが彼を成功させ給いますように』と言われた。」(ハディース) ムハンマド・ブン・マスラマはアッラーの使徒の命令により、ムッラ族への手紙を書いた者であり、アリー・ブン・アビー・ターリブは条約が締結されたとき、和約が成立した時の協定文の書記であり、ムアイキーブ・ブン・アビー・ファーティマがその印璽官であった。 アル=ブハーリーはその『史書』の中で、ムハンマド・ブン・ビシャールから彼の祖父ムアイキーブについて「銀を飾り彩色された鉄のアッラーの使徒の指輪印は私の手中にあった。アル=ムアイキーブはアッラーの使徒の印璽官だった」と述べた、と伝えている。 第4章:総督 総督とは、カリフがカリフ国家の特定の地域に対する統治者、司令として任命する者である。カリフ国家が支配する土地は下位ユニットに分割されるが、その各ユニットが地域(wilyah)であり、各地域はさらに下位ユニットに分割され、そのそれぞれが地区(amlah)である。地域を管掌する者が総督(wl)、あるいは指令(amr)と呼ばれ、地区を管掌する者は区長(mil)、あるいは知事(kim)と呼ばれる。地区も下位の行政ユニットに分割されるが、その各ユニットが街区であり、その街区(qabah)もさらに最下位行政ユニットに分割される、その各ユニットが町内である。街区の長、町内の長は、いずれも行政官と呼ばれ、その職務は行政である。 総督は統治者である。なぜならここでは総督(wilyah)とは統治(ukm)を意味するからである。アラビア語辞典『包括(al-Qms al-Mu)』には、「何かを『waliya(管掌する)』とは、『その上にwilyah(権威)あるいはwalyah(近しさ)を持つこと』、あるいは動名詞(管掌)とも言われる。wilyahとは地位khuah、指揮権imrah、権力sulnである」 総督は統治者であるので、統治者の資格条件がその資格条件となるので、総督は男性、自由人、ムスリム、成人、正気、義人、そして適任者であることが資格条件となる。総督職はカリフか、カリフからその任命について代行を任せられた者から任命される必要があり、カリフによってしか、総督は任命されないのである。 地域権力や司令部の、つまり総督や司令の根拠は使徒の事跡である。使徒が諸国に総督を任命し、彼らにその地方の統治権を付与したことは史実である。使徒はムアーズ・ブン・ジャバルをアル=ジャナド、ズィヤード・ブン・ラビードをハドラマウト、アブー・ムーサー・アル=アシュアリーをザビードとアドンの総督に任命された。 使徒は、敬虔で知られた統治に優れた者、学識者の中から総督を選任し、それらの者の中から適任で、人民の心に信仰と国家への畏怖を植えつけられる者を選ばれた。 「アッラーの使徒は軍隊や遠征隊に司令を任命した時には、司令には特にアッラーを怖れることを、彼の配下のムスリムたちには善行を訓示されました。」(ハディース) 総督は彼の管区の司令でもあるので、このハディースに含意されているのである。 総督の罷免については、カリフが罷免すべきと考えるか、彼の管区の住民の大半かその代表が彼への不満か怒りを表明すれば罷免される。 それゆえ我々は以下の2つの目的で、地域住民から地域議会が選任されると定めた。 第一に、総督が管区の現実を把握する手助けである。と言うのは、彼らこそその管区の住人であり、その地について最も良く知っているので、彼らの知識と情報により、総督がその任務を滞りなく果たすことができるように助けることができるからである。 第二に必要な場合の総督の評定のためであり、もし議会が多数決で不信任を議決すればカリフは総督を罷免する。なぜならば使徒はバハレーン知事のアル=アラーゥ・ブン・アル=ハドラミーをアブド・カイス族の使節の苦情申し立てにより罷免したからである。またカリフには格別な理由なく総督を罷免することができる。使徒も特に理由なくイエメン総督のムアーズ・ブン・ジャバルを罷免されている。またウマル・ブン・アル=ハッターブも地方総督たちを理由の有無にかかわらず罷免しており、ザイヤード・ブン・アビー・スフヤーンの場合は理由を特定せず罷免し、サアド・ブン・アビー・ワッカースは人々の苦情により罷免し、「私が彼を罷免したのは無能故でも、背任のためでもない」と言った。これらの事例は、カリフは望むときに地方総督を罷免できるが、その管区の住人が苦情を申し立てたときには罷免すべきことを示している。 最初期の総督の職務は、2種類で、礼拝の職務と地租の職務であった。それゆえ歴史書は司令官たちの職権について語るときに、「礼拝の指令職」と「礼拝と地租の指令職」の二つの表現を用いている。つまり司令官は、礼拝と地租の司令であるか、礼拝だけの司令であるかのいずれかであったのである。しかし「礼拝の総督」、「礼拝の司令」の語は「人々の礼拝の先導職」だけを意味するわけではない。そうではなく、それは財務を除く全ての問題における権威を意味していたのである。つまり「礼拝」の語は徴税を除く統治行為の全てを意味していたのである。それゆえ地方総督が礼拝と地租を兼務していれば、それは即ちその視職権が包括的であったということなのであり、もしその職権が礼拝、あるいは地租に限られていれば、その職権は限定的であったのである。 これら全てにおいて限定的職権は、カリフの采配次第である。カリフはそれを地租に限定することも出来れば、裁判に限定する事もでき、また徴税、裁判、軍事を除く、といった限定も許され、国家行政、あるいは地域行政に役立つと思う何をしても許されるのである。なぜならば聖法は総督に特定の任務を定めていないが、逆に統治の全ての仕事を担うことも義務付けていないからである。ただ定められているのは、総督と指令の任務は統治と権力であること、彼がカリフの代行であること、特定の場所における司令であることだけなのである。そしてそれは使徒がなされたことだからである。それゆえカリフには職務によって、包括的な職権を授けることも、限定的な職権を授けることもできるのである。そしてそれは使徒の事跡に明らかなのであり、アムル・ブン・ハズムをイエメンで包括的職権を持つ総督に任じる一方、アリー・ブン・アビー・ターリはイエメンでの裁判権だけを授与したのであるイブン・ヒシャーム(歴史家、828年没)の『預言者伝(al-Srah)』にはアッラーの使徒がファルワ・ブンムサイクをザビードとマズハジュの諸部族の司令に任じ、浄財の徴収のためにハーリド・ブン・サイード・ブン・アル=アースを彼と共に派遣されたことが記されており、同じく同書には使徒がズィヤード・ブン・ラビードをハドラマウトに浄財の徴収のために派遣されたこと、アリー・ブン・アビー・ターリブをナジュラーンに浄財と地租の徴収のために遣わされたことが記されている。またアル=ハーキムが伝えているように、アリーはイエメンの裁判官としても派遣されている。また『全書(al-Istb)』(イブン・アブドルバッル、マーリキー派法学者、ハディース学者、1071年没)によると、使徒は、人々にクルアーンとイスラームの聖法を教え、彼らの間を裁くようにと、ムアーズ・ブン・ジャバルをアル=ジャナドに派遣されたが、同時に彼に、イエメン各地の司令たちが徴収した浄財を受け取る権限も授けられたのである。 カリフには包括的権限を有する総督を任命することも、限定的権限のみを有する総督を任命することも許されていた。しかしアッバース朝カリフが弱体化した時代には包括的権限により地方政権が独立し、カリフにはアッラーへの祈願の中で名前を読み上げられること、貨幣に名前が彫りこまれること以外に何の実権も持たなくなってしまったことから、包括権限の授与がイスラーム国家に害をもたらす原因となったことが明らかにされている。 総督は包括的権限を与えられて任命されることも許されるのと同様に、限定的権限を与えられて任命されることも許されるが、地方総督への包括的権限授与は時に国家に危害を及ぼすことがあるため、総督の敬神の念が弱まるとカリフからの独立を可能にさせるような事項を除いた限定的権限のみを与えて総督を任命することに決めるべきである。史実を調べるなら、そうした事項は、軍事、司法、財政である。それゆえ軍事、司法、財政に関しては、カリフ国家の他の(中央)機関と同様な(地方レベルでも)地方総督から独立のカリフ直属の機関が設立されるべきなのである。 総督はある地方から別の地方に転勤になることはないが、一旦解任され、新たに任命されることは可である。なぜなら使徒は総督たちを罷免しているが、総督をある地域から別の地域に転勤させた事例は伝わっていないからである。また総督職は契約の一つであり、明確な文言によって成立する。そして地域、あるいは地方総督の契約は総督が治める場所を特定しなくてはならず、総督はカリフから罷免されない限り、その場所における統治の権限は存続する。それゆえもし彼が別の場所に移動させられても、その移動によって最初の管区の総督を解任されることにはならず、移動させられた場所の総督に任命されたことにもならない。なぜなら最初の管区からの解任は彼の総督職からの解任の明言を必要とし、また移動させられた土地での総督の就任にはその土地を特定した新たな任命の契約を要するからである。それゆえ総督はある土地から別の土地に移動するのではなく、前任地で解任されて、新任地で新しい総督職に任命されるだけであることになるのである。 カリフによる総督の行為の査定義務 カリフは総督の行動を査定し、彼らを厳しく監督しなくてはならない。それはカリフ自ら行おうと、自分に代わって彼らを調査しその行状を明るみに出す者を任命してもどちらでもよい。またカリフの補佐にも自分の任地における総督の行動の監視し、自らが実見した彼らの行状あるいは、執行補佐の任務について前述したやり方で彼らを処して確認したことをカリフに報告する権限を有する。このようにカリフは常に総督の行状を注視し、追跡調査しなくてはならず、また様々な機会に彼らを一同に集め、あるいは一部を呼び出し、人民の彼らに対する苦情に耳を傾けなければならないのである。 預言者が総督を任命する時点で、ムアーズやアブー・ムーサーに対して行われたように彼らを試され、またアムル・ブン・ハズムに対して行われたようにいかに行動すべきかを説明され、またアバーン・ブン・サイードをバハレーン総督に任命された時に「アブド・カイス族に気を配り、彼らの長を優遇せよ」といわれたように、重要な案件に注意を促されたことが知られている。また預言者は総督たちを評定し、彼らの行状を明らかにし、彼らについて持ち込まれる情報に耳を傾け、総督の収入と支出を監査されていた。 「預言者はイブン・アル=ルトゥビーヤをスライム族の浄財徴収官に任じられた。彼が預言者の許に戻ってきたとき、預言者は彼を査問された。彼が『これはあなたに納めるもの(浄財)で、これは私に贈られた貰い物です』と答えると、預言者は、『お前が正しいなら、お前に贈り物がやって来るまで、お前は父の家にでも母の家にでも座して待っていなかったのか』と言われた。」(ハディース) またウマルは総督たちを厳しく監視し、ムハンマド・ブン・マスラマに彼らの調査と行状の解明の任を与えた。またウマルは巡礼の季節に総督たちを集め、彼らの行動について調べ、また彼らの行状を知るため、人民の総督たちに対する苦情を聞き、彼らと地域の行政について話し合った。ウマルについて以下のように伝えられている。「ある日、ウマルは周りの者に『もし私が知っている中で最善の者をお前たちの司令に任命し、その者に正義を命じたなら、私は自分の義務を果たしたことになると思うか』と尋ねた。人々が『はい』と答えると、ウマルは『いや、私が命じた通りに彼が行動したかどうかを、私が彼の行動を見て実際に確認するまでは、違う』と言った。」 ウマルは彼の総督や司令たちの評価に厳しく、その査定の峻厳さは証拠がなくても容疑だけで彼らの一人を罷免し、時には容疑とも言えない疑いで罷免することさえあった。ある日、そのことについて尋ねられて、ウマルは「簡単に人民に役に立つことは、彼らの司令官を別の司令官に替えることだ」と答えた。但しウマルは峻厳ながらも彼らを自由にし、彼らの統治における威厳を守り、彼らから意見を聞き、彼らの言い分に耳を傾け、もしその言い分に納得すれば、それを聞き入れることを躊躇わず、その後でその部下を誉めた。ある時、フムスの彼の司令ウマイル・ブン・サアドがフムスのモスクの説教壇で「権力者が峻厳である限り、イスラームは強靭である。権力者の峻厳さとは、剣による処刑、鞭打ちではなく、真理に則る裁き、正義の貫徹である。」と語ったとの話が彼の許に届いた。そこでウマルは彼について「ウマイルのような男が私のそばに居て、ムスリムたちのための仕事で私の手助けをしてくれたら、と思う」と称えたのである。 第5章.ジハードの司令-戦事省(軍部) ジハード ジハードはイスラーム(帰依)の頂点であり、また外の世界へのイスラームの宣教のためにイスラームが定めた方法の基本である。そしてイスラームの宣教は国内におけるイスラームの法規定の施行に次ぐイスラーム国家の存在理由とみなされる。 ジハードは、アッラーの御言葉の宣揚のための惟神の道における戦闘であり、戦闘には軍を要し、またそれに付随してその司令部、参謀、士官、兵士の設立、養成、その後の訓練、扶養養成を必要とし、また武器も必要となり、武器製造には工業がなくてはならない。それゆえ、工業もまた軍とジハードに不可欠なのである。それゆえカリフ国家の全ての工場は軍需産業を基礎として築かれねばならないのである。 また内政の安定は戦闘における軍の士気を高めるので、内政が不安定であるようなら、軍はジハードに出陣する以前に治安の確保に専念しなくてはならない。背後の国内の治安が乱れているままに出征したとしても、軍の戦闘能力は低下してしまうからである。 また他国との外交関係も、イスラームの宣教のための基本前提となる。 それゆえこの4省庁、つまり、軍、治安、工業、外交は、ジハードと関連するため、カリフがその司令を任命する統合領域とされることが出来るが、これらの省庁を分離し、各省庁にそれぞれ長官を任命し、軍に司令、指揮官を任命することも許される。なぜならば、アッラーの使徒は戦争において軍司令官たちを任命されたが、工業は彼らの管轄ではなく、工業には使徒は別の者を配されたからである。警察、巡査、強盗、窃盗の処分などの治安部門も同様であるが、外交部門も同じで、それぞれの長官を任命できる。アッラーの使徒からの同時代の王や諸侯への書簡もそれを示している。 これらの諸省庁のそれぞれに別々の責任者をおくことができることには、以下のような典拠がある。 1. 軍 使徒はマウタの戦いでザイド・ブン・ハーリサを司令官に任命し、更に彼が殉教した場合の後任の司令官たちも任命された。イブン・サアドはアッラーの使徒は「指揮官はザイド・ブン・ハーリサであるが、彼が殺されればジャアファル・ブン・アビー・ターリブが指揮を取り、彼も殺されるなら、アブドッラー・ブン・ラワーハが後任となる。彼も殺されるようムスリムたちの間で納得のいく者を一人選んで、その者を自分たちの長として上に立てよ。」と言われたと伝えている。またアル=ブハーリーもアブドゥッラー・ブン・ウマルが「アッラーの使徒はマウタの戦いでザイド・ブン・ハーリサを司令官に任命した・・・」と伝えている。またアル=ブハーリーとムスリムはアブドゥッラー・ブン・アル=アクワウから「私はザイドと出陣した。彼は我々の指揮官に任命されていた」と述べたと伝えている。またアル=ブハーリーとムスリムはアブドゥッラー・ブン・ウマルが「預言者は遠征軍を派遣され、ウサーマ・ブン・ザイドを軍の司令官に任命された。ところが一部の者が(若輩の)ザイドが司令官であることを批判した。そこで預言者は『お前たちは彼が司令官であることを批判しているが、以前にも彼の父(ザイド・ブン・・)を司令官とすることを批判した。アッラーによって彼は司令官に適任であったのに・・・』と言われた」と伝えている。預言者の直弟子たちはムウタの戦いを「司令官たちの戦い」と呼んでいた。ムスリムはブライダが「アッラーの使徒は軍や遠征隊に司令官を任命された時にはその司令官に訓告された・・・」と言ったと伝えている。 (*)アブー・バクルは背教者戦争とヤルムークの戦いでハーリドを総司令官に任じた。カリフは言った。「ハーリド・ブン・アル=ワリードを人々の司令官に任命した。『マディーナの援助者たち(anr)』の司令官にはサービト・ブン・カイス・ブン・シャッマースを任じたが、ハーリドは全体の総司令官である。」 アブー・バクルはシリアの全軍をハーリドの下に糾合した。イブン・ジャリール(アル=タバリー)は「アブー・バクルはイラクにいたハーリドに、シリアに向かい、シリアにいる軍の指揮を執るようにとの書簡を送った」と伝えている。ウマルがシリアの全軍をアブー・ウバイダの下に糾合した時に同じことをしたのである。イブン・アサーキルは「彼(アブー・ウバイダ)はシリアで総司令官(amr al-umar)と最初に命名された者である」と伝えている。 2. 治安 「カイス・ブン・サアド(イブン・ウバーダ・アル=アンサーリー・アル=ハズラジー)の預言者にとの関係は、王侯と警察長官のようであった。」(ハディース) 「カイス・ブン・サアドの預言者との関係は、王侯と警察長官のようであった。アル=アンサーリーは『つまり彼の身辺警護をつかさどっていた』と述べている」(ハディース) 「アッラーの使徒は、騎士であった私(アリー)とアル=ズバイルとアブー・マルサドを派遣し『ラウダ・ハージュ(地名。アブー・アワーナの伝承。他伝ではアブー・ハーフ)に行きなさい。そこにハーティブ・ブン・アビー・バルタアから多神教徒に宛てた手紙を隠し持った女性がいるので、彼女を私(預言者)の下に連行せよ。』と言われた。そこで我々は馬で出発し、アッラーの使徒が我々に言われた所でラクダに乗った彼女を見つけた。ハーティブ・ブン・アビー・バルタアはマッカの多神教徒たちにアッラーの使徒が彼らを急襲すると知らせる手紙を書いていた。我々が『手紙はどこだ』と詰問すると、彼女は『私は手紙など持っていません』と答えた。我々は彼女のラクダを停めて彼女の積荷を調べたが何も見つからなかった。私の二人の同僚(アル=ズバイルとアブー・マルサド)は『彼女は手紙を持っていないようだ』と言ったが、私は『アッラーの使徒が嘘を言われたことは一度もない。誓って、お前が手紙を差し出さないなら、お前を身ぐるみ剥いで調べる』と言い、彼女は布で頭を覆っていたのでその頭巾に触れた。そこで彼女は手紙を差し出した。そこで我々は彼女をアッラーの使徒の許に連行した。」(ハディース) 3. 工業 アッラーの使徒は投石器と戦車の製造を命じられた。 「アッラーの使徒はターイフの町の住民を包囲され、17日間にわたって彼らに投石器を向けられました」(ハディース) 「預言者はターイフの住人に対して投石器を向けられた」(ハディース) また『アレッポの行跡(al-Srah al-alabyah)』の著者(Nr al-Dn al-alab, 歴史家、1635年没)は「サルマーン・アル=ファーリスィーが『我々はイランでは城砦を攻めるときには投石器を建造して我々の敵を攻撃するのです』と言って預言者に投石器を教えたのである。サルマーンは自らの手でそれを建てたと言われている。」と述べている。 「ターイフの城壁の崩壊の日、アッラーの使徒の直弟子たちの一部は戦車の下に身を隠してターイフの城壁に焼き討ちをかけた。しかしサキーフ族は彼ら(預言者の直弟子たち)に灼けた鉄輪を浴びせかけたので、彼らが戦車から脱出したところ、サキーフは彼らに矢を射かけ、彼ら(預言者の直弟子たち)の多くを殺した。」 サルマーンが投石器を教えた、そして自らの手でそれを製作したとも言われるが、それには、預言者がそれを命ずる必要があった。『アレッポの歴史(al-Srah al-alabyah)』の「預言者に投石器を教えた」との表現に着目しなくてはならない。それは「預言者に投石器を作るように命ずるよう示唆した」という意味なのである。これらの伝承から、軍需産業はカリフの責任であるが、それを組織し、実行するにあたっては望みの者に手助けを求めることができる。それには司令官である必要はなく、担当官(mudr)であればよい。サルマーンも軍需産業の司令官であったわけではなく、投石器作成を担当しただけであり、自らもおそらく働いたのである。 軍需産業は義務である。なぜなら「彼らに対してお前たちのできる限りの武力と軍馬を備え、アッラーの敵と汝らの敵、そしてお前たちは知らないがアッラーがご存知のそれ以外の他の者たちを恐れさせよ」(8章60節)との至高者の御言葉で、威嚇(irhb)が求められているからである。そしてこうした威嚇は、軍備によってしか可能ではなく、軍備は工業の存在を要請するからである。それゆえこの節は付帯的必要の指示、あるいは「それなしに義務が履行できないことはそれ自体も義務である」との法原則から、軍需産業の育成の義務を示しているのであり、またジハードの義務の典拠もその付帯的必要の指示により工業育成の義務を示しているのである。 アッラーが育成を国家に義務付けられた工業は軍需産業には限られない。カリフ国家が育成すべきその他の工業は、『カリフ国家』の「財政」章に以下のように述べられている。 「工業:国家は人々の福利を実現するために2種類の工業を育成しなくてはならない。 第1種:公共財そのもの自体に関わる工業。例としては、石油採掘精製工場等の鉱物の発掘、精製、溶鉱工業など。この種の工業は資源そのものが公共財でムスリム全体の共有財産であるので当該の資源に従い公共財となり、その工業全体も公共財となり、国家がムスリム全体を代行して運営する。 第2種:重工業、武器製造に関わる工業。これらの工業は私的所有物であるので、私有財産であっても構わない。しかしこれらの工場、工業は莫大な資本を必要とするので個人では資本調達が困難である場合が多く、また今日の重火器は使徒とその後の正統カリフの時代のような個々人が所有する私的武器とはみなされず、むしろ国有化されているので、資本調達も国家が行うことになる。なぜなら自国民の庇護は国家の義務であるが、特に武器が恐ろしいほどに発達し、その原料調達が難しく膨大なコストを要するようになった今日では、軍需産業や重工業の育成は国家の義務となるのである。但しそれは個人がこうした工業を興してはならないということを意味しない。」 これらの工業の育成は国家の義務、つまりカリフの義務であり、カリフはその総裁を任命するが、総裁は自らそれを経営するか代行者に任せるかのいずれかを選ぶことができる。 4.外交 既に述べた通り、カリフと外国との仲介としての外交は、執行大臣の要務の一つである。 使徒とその後の正統カリフの治世の先例では、使徒と正統カリフたちは書記を、つまり執行大臣を介して自ら直接外交を執り行っていた。フダイビーヤの和議のための交渉や、和平協定の締結などを行っていたのは、使徒自身であった。ウマルはペルシャ皇帝ホスローの使者が使徒の許に到着し、使徒を探していたとき、使徒がマディーナの入り口で眠っているのを彼が見つけた、と伝えている。 カリフには執行大臣を介して外交を自ら執り行うこともできるし、国家の他のどの機関とも同じく、外交を管掌する担当官(mudr)を任命することもできる。 そしてこれらの4省庁はジハードの司令の省庁に統合することも可能である。なぜならその課題は相互に関連しているからである。 また既述の通りの使徒の前例に従って分立させることも可能である。これらの省庁の拡大と、特に我々が今日、目にしているところの、軍事部門、国内問題、諸国家とその手先、売国政治家層、犯罪の種類の増大、及び国際関係の複雑化、そして工業の多様化と技術の進化に伴い、ジハードの司令官の権限では処理しきれなくなってきている。そして国家の内部に、軍事力の中枢があることは、その敬神の念が弱まると、国家に害を及ぼす。これらの全てを考慮し、我々は、これらの諸省庁を以下のように国家機構の独立の諸機関としてカリフに直属する別個の省庁とすることに決めたい。 1. ジハードの司令官 -戦事省(軍部)(dirah arbyah) 2. 内務省(dirah amn dkhil) 3. 工業省(dirah inah) 4. 外務省(dirah khrijyah) 戦事省 戦事省(dirah arbyah)とは、国家機関の一つであり、その長は「ジハードの司令(amr)」と呼ばれる。ジハードの担当官(mudr)ではない。それは使徒が、ジハードの指揮官たちを司令と呼んでいたからである。 「指揮官はザイド・ブン・ハーリサであるが、彼が殺されればジャアファル・ブン・アビー・ターリブが指揮を取り、彼も殺されるなら、アブドッラー・ブン・ラワーハが後任となる。彼も殺されるようムスリムたちの間で納得のいく者を一人選んで、その者を自分たちの長として上に立てよ。」(ハディース) 「私(アブドゥッラー・ブン・アル=アクワウ)はザイドと出陣した。彼は我々の指揮官に任命されていた」(ハディース) 「預言者はマウタの戦いの遠征軍を派遣され、ウサーマ・ブン・ザイドを軍の司令官に任命された。ところが一部の者が(若輩の)ザイドが司令官であることを批判した。そこで預言者は『お前たちは彼が司令官であることを批判しているが、以前にも彼の父(ザイド・ブン・ハーリサ)を司令官とすることを批判した。アッラーによって彼は司令官に適任であったのに・・・』と言われた。」(ハディース) 預言者の直弟子たちはムウタの戦いを「司令官たちの戦い」と呼んでいた。 「アッラーの使徒は軍や遠征隊に司令官を任命された時にはその司令官に訓告された・・・」(ハディース) 戦事省は軍事に関わる万事、軍隊、兵站、兵器、軍事物資、武装など、及び、国防大学、軍事、使節団、必要なイスラーム教養、軍隊の一般教養、戦争と兵站に関わることを管掌する。敵性不信仰者たちの間にスパイを放つことも戦事省の権限に含まれ、そのための部局は戦事省に併設される。その典拠は使徒の前例から知られる。 これらは全て戦事省が管掌し、統括する。その名称は戦争と戦闘に関連している。戦争は軍を必要とし、軍はその兵站、司令、参謀から仕官と兵卒に至る組織化を要する。そして軍の組織化は装備と肉体的訓練、そして進歩に見合った様々な兵器の操縦法を含む兵術的訓練を必要とする。それゆえ戦術、軍事教練は戦争の必要事項の一つであり、兵術と兵器操縦の訓練も戦争の要件の一つなのである。 アッラーはムスリムに、イスラームのメッセージを全世界に広める使命の担い手たる名誉を授け、それを担う方法が宣教(dawah)とジハードであると定められ、ジハードを彼らに課された義務とされ、軍事訓練をも義務とされた。 15歳になった男性ムスリム全員にジハードに備えて軍事訓練が課される。一方、徴兵は連帯義務である。 軍事訓練の典拠は至高者の御言葉「試練が無くなり、宗教が全てアッラーに帰属するようになるまで、彼らと戦え」(2章193節)とアブー・ダーウードがアナス経由で伝えるアッラーの使徒の言葉「多神教徒たちとお前たちの財産と身体と舌でジハードを戦いなさい」である。今日の戦闘は聖法によって求められている敵の支配、国々の解放が実現する形でそれが遂行されるためには軍事訓練が必要なのである。それゆえ「それなしに義務が履行できないことはそれ自体も義務である」との法原則に則り、ジハードが義務であるのと同じく軍事訓練も義務なのである。なぜなら「戦え」は包括的であり、戦闘を命じていると同時に、戦闘を可能とすることをも命じているので、戦闘の要求はそれ(軍事訓練)も含んでいるからである。それよりも、至高者は「彼らに対してお前たちのできる限りの武力と軍馬を備えよ」(8章60節)と言われているが、訓練と高度な軍事経験こそ、「武力を備えること」なのである。なぜなら戦闘が可能になるにはそれが不可欠であるからであり、それ(軍事訓練)も武器や軍事物資のように「武力」に数えられるものの一部だからである。 徴兵とは、人々に武装を施し恒久的に軍の兵士に編入することである。つまりそれはジハードが要する条件を満たしてジハードを実際に遂行するジハード戦士の創出であり、それは義務なのである。なぜなら、実際に敵襲があるか否かにかかわらず、ジハードの遂行は、恒久的継続的義務だからである。それゆえ徴兵はジハードの規定に含まれる義務なのである。 15歳との年齢制限は以下のハディースである。 「イブン・ウマルが私(ナーフィウ)に言った。『ウフドの戦いの日、14歳だった私はアッラーの使徒に出征を申し出たが許可されなかった。塹壕の戦いの日、15歳になった私が出征を申し出たところ許可された。』私(ナーフィウ)はウマイヤ朝カリフウマル・ブン・アブドルアズィーズを訪れ、彼にこのハディースを伝えた。すると彼は『まことにそれは子供と大人の境界である』と言い、臣下の区長たちに、15歳以上のものを徴兵するように書き送った。」」 つまり彼らに軍の登記から兵士の給料を算定するように区長らに命じたのである。 我々もこれを採用しており、15歳に達した者には軍事訓練が課されるのである。 軍の分類 軍は2種類に分かれる。 第一は予備役であり、それは武器を取れる全てのムスリムである。 第二は常備軍で、彼らには公務員と同じく、国家予算から特定の給料が支給される。 これはジハードが義務であることの帰結である。全てのムスリムにジハードが課されており、その訓練も課されているので、全てのムスリムは予備役となる。ジハードは彼らの義務だからである。彼らの一部を常備軍とすることの典拠は、「それなしに義務が履行できないことはそれ自体も義務である」との法原則である。恒久的にジハードを行い、イスラームの土地とムスリムの財産を不信仰者から守ることは、常備軍がなければできないからである。それゆえイマームには常備軍の創設が義務付けられるのである。 この常備軍に公務員と同じく給料を支払うことについては、非ムスリムについては自明である。なぜなら不信仰者はジハードが求められていないが、申し出れば受け入れられるのであり、その場合に給料を与える典拠は以下のハディースである。 「預言者は彼と共に戦ったユダヤ教徒の一団に(戦利品を)分配された」 「サフワーン・ブン・ウマイヤは預言者と共にフナインの戦いに参戦したが、その時まだ多神教徒だった。しかし預言者は彼にフナインの戦いの戦利品を『懐柔された者』と共に彼にも分配された。」 である。 またこのハディースに基づき、不信仰者がイスラーム軍に入ること、そしてイスラーム軍に入ったことで彼に給料を与えることが許される。また用益(manfaah)に対する代償との契約との賃契約の定義が、賃契約は雇用者が被雇用者から用益を完済させられるあらゆる用益に対して許されていることを示しているが、軍役と戦闘は用益の一種なので、軍役と用益に対してある者と賃契約を結ぶ(雇用する)ことは許されるのである。あらゆる用益に対して賃契約が成立するとの一般的根拠が、不信仰者との軍役と戦闘に対する賃契約の合法性の根拠となるのである。 以上が非ムスリムへの給与の支払いの合法性の根拠であったが、ムスリムに関しても、ジハードが崇神行為(ibdah)であったとしても、ムスリムと軍役と戦闘に対して賃契約を結ぶことは、賃契約の合法性の一般的根拠により許されており、また崇神行為の遂行に対する賃契約がその用益が(崇神行為の)実行者以外に及ぶ場合には許されているためやはり許されている。その典拠は、「お前たちが賃金を得るのに最も相応しいものはクルアーンである」とのハディースである。 それゆえムスリムがクルアーンの教授、礼拝の先導、礼拝の呼びかけ等の崇神行為に対して賃契約を結ぶことが合法なのと同じく、軍役と戦闘に対して賃契約を結ぶことも合法なのである。これらは全てその用益が行為者以外にも及ぶ崇神行為だからである。ジハードが義務である当人のムスリムとのジハードに対して賃契約を結ぶことの許可についてはハディースの中にその明白な典拠がある。 「戦士には報償があり、賞金を払う者には、彼自身の報償と、戦士への報償がある」(ハディース) このハディースは自分の代わり戦ってもらうことで、他人に賃金を払う、つまり戦いのために人を雇用することの許可を示している。 「私の共同体の中で、戦って懸賞を得て、敵を撃退する者は、我が子に授乳して報酬を貰ったムーサーの母のようなものである」(ハディース) ここでの報酬(ajr)は賃金(ujrah)の意味である。という訳で、兵隊に公務員のように給与を懸賞とするのである。 ムスリム軍は、たとえ給料を貰っていたとしても、彼らがジハードを行ったことによってアッラーの御許で報償があるのである。それは前述のアル=ブハーリーの伝えるクルアーンを教えることで、それが敬神行為であるにもかかわらず賃金を得ても良い、つまりクルアーンを教えるとの意図に応じてアッラーの御許で報償があることを示すハディースによるのである。 イスラーム軍は複数の軍団から構成される統一軍である。これらの軍団のどの軍にも番号がつけられ、例えば、第1軍団、第3軍団のように呼ばれるか、地域や地方の名前にちなんで、例えばシリア軍団、エジプト軍団、サンアーゥ軍団などと呼ばれる。 イスラーム軍は特設の軍営に配属される。どの軍営にも、一軍団であれ、軍団の一部であれ、あるいは複数の軍団であれ、兵士の集団が配属される。ただしこれらの軍営は複数の地域に置かれなければならない。一部は軍事基地の中に置かれ、一部は常に移動する移動キャンプとされ、攻撃軍となる。どの軍営もアル=ハバーニヤ軍営などの固有名をつけられ、固有の軍旗を持つ。 こうした手続きは、軍団の名前を地域に因んで命名するか、固有の番号で呼ぶか等の、カリフの意見と判断(イジュティハード)に任され許可事項であるか、国防のために国境に軍団を配置したり、戦略的に重要な地の軍営に軍を配置する等、国防のために必要なことのように「それなしに義務が履行できないこと」の範疇に入るかのいずれかである。 ウマル・ブン・アル=ハッターブは軍営を地域ごとに分け、パレスチナに一兵団(failaq)、モスルに一兵団、そして国家の中枢部に一兵団を置き、自分の手許の難攻の地に指令待ちの臨戦態勢の一群団を置いていたのである。 『カリフ国家の諸制度 ― 統治と行政』⑥
https://w.atwiki.jp/undeerl/pages/285.html
アホの子孫(理:Afzarfrirga'd tarvelt, 有:Phaseetaa fo Kariaho Aphutsaaphriiga)とは、カリアホ=スカルムレイがハタ王国から悪徳惑星地球の人間を皆殺しにするために送ったスカルムレイ一族の子孫から構成されるケートニアー軍団の子孫。そのうち訛ってカリアホの子孫→アホの子孫→アフの子孫と変遷した。 そんなわけがあるか 概要 概要 アンポールネム4.1.3のアフツァーフリーガの一族の話に書いてあるのによると、「アフツァーフリーガの一族を知っていますか、彼らはここから別の世界に飛ばされました。彼らは神に、そして古来の預言者に背いたので全員が別の世界に飛ばされてしまいました。古来の預言者はアフツァーフリーガのリュヨ・レインと伝えられています。」とかタルフ・レチがほざいているが、結局のところKranteerlシリーズでは地球にいる絶滅しなかったケートニアーと言われていたが、結局日本には八ヶ崎翔太しか居なかったはずが、kranteerl y io lircaでは大量にアフの子孫が量産されてしまった。
https://w.atwiki.jp/gentoo64/pages/92.html
初期の異端一覧 ■50年頃 魔術師シモン(シモン・マグス) (→シモン派、メナンドロス派、カルポクラテス派へ派生) サマリアのギット村の魔術師。クラウディウス帝(41-54年)の時代、フィリポから洗礼を授かるが、按手の力を金銭で買おうとして使徒ペテロから叱責を受ける(使徒8:9-24)。その後、シモンはローマへ逃避して成功を収め、ティベル川の二つの橋の間に像を建てられた。その像には「聖なる神シモン(SIMONI DEO SANCTO)」と刻まれていたという。また、フェニキアのツロの娼婦ヘレネは、彼が輩出した第一のエンノイア(思考)であったという。あらゆる異端の第一号者、またグノーシス主義の開祖とも言われる。 ■65年頃 テブティス派 テブティス (→シモン派、クレオビオス派、ドシテウス派、ゴルタイウス派、マスボタイウス派へ派生) 主の兄弟ヤコブが殉教(62年)すると、主の従兄弟シメオンがエルサレム教会の2代目の司教に選出された。テブティスは自分が司教に選ばれなかったので、自らが属し、民の間に広まっていた七つの異端を利用して教会を汚し始めた。これらの異端から、シモン派、クレオビウス派、ドシテウス派、ゴルタイウス派、マスボタイウス派などが興った。さらにそれらから、メナンドロス派、マルキオン派、カルポクラテス派、ウァレンティノス派、バシリデス派、サトルニノス派が興った、という。 シモン派 シモン (→ケルド派へ派生) テブティス派から派生した魔術師シモンの教えを継承する異端。後にケルド派へ、そしてマルキオン派へと派生して行く。 クレオビウス派 クレオビウス 詳細は不明。 ドシテウス派 ドシテウス サマリア出身のグノーシス主義者。オリゲネス『ケルソス駁論』によれば、その集団は30人にも満たなかったという。 ゴルタイウス派 ゴルタイウス 詳細は不明。 マスボタイウス派 マスボタイウス 詳細は不明。 ■70年頃 メナンドロス派 メナンドロス (→サトルニノス派、バシリデス派へ派生) 魔術師シモンの後継者。サマリアのカパラタエア村出身。アンティオキアで活動。自らを天のアイオーンから遣わされた救い主だと語った。天使たちでさえ、彼の魔術と洗礼に導かれなければ、永遠の不死(不老不死)になることはできない、と説いた。 ■80年頃 サトルニノス派 サトルニノス (→エンクラティタイ派へ派生) メナンドロス派からの派生。アンティオキア出身。異端の学校をシリアに創設。結婚は堕落であると説いた。 ニコラオ派 ニコラオ アンティオキアの改宗者。ヨハネ黙示録2章6節にも言及される。ニコラオは使徒行伝6章5節に登場するステファノなどと共に使徒に任命された七人の執事の一人だったという。彼には美人の妻がおり、彼の嫉妬心を使徒たちから責められたので、自分の妻を引っぱり出して、彼女と寝たい者にそれを許した、という。彼は「肉を蔑視すべきである」と発言していた。彼を崇敬する一派はニコラオのこの言動を誤解して、性的放蕩を尽くした。しかし、ニコラオ自身は妻以外に触れることはなく、彼の娘たちも生涯処女で、一人息子も堕落しなかった。実際のところ、彼の言動の真意は情欲の放棄だった、という。あるいは、ニコラオ派は結婚を禁じていたのかも知れない。 ■90年頃 ケリントス派 ケリントス (→類似の異端 ネポス) 小アジアで活躍したグノーシス主義者。彼は『ヨハネ黙示録』を用いて、天使から啓示を受けたと言って預言した。彼はキリストの王国(千年王国)は地上に到来すると説いた。そして、キリストの王国は、千年間続く主との結婚の宴であり、信徒がその地上で肉欲を満たすこと(食事や同衾や饗宴)によって実現されると説いた。エイレナイオスは『異端駁論』の中で、ポリュカルポスの伝承を基にした物語を記した。使徒ヨハネがエフェソスで浴場に入る時、ケリントスが先に入っていたので、彼は浴場から飛び出した。ヨハネは、彼と同じ屋根の下にいるのも耐えられなかったため、その仲間に「さあ、逃げよう。浴場が崩れ落ちるぞ。真理の敵ケリントスが中にいるからだ」と言って、逃げるよう勧めたという。 ■120年頃 バシリデス派 バシリデス(120-145年頃) メナンドロス派からの派生。アレクサンドリアの最古のグノーシス主義者。ハドリアヌス帝(117-138年)とピウス帝(138-161年)の時代に活躍。異端の学校をエジプトに創設。彼は福音書の註解を24冊著した。自分のお抱えの預言者にバル・カバスとバル・コフを任命していた。彼は偶像への捧げ物を食べても、迫害の時に信仰を否認しても構わないと説いた。また、自分の教えを受ける信者には、五年間の守秘義務を命じた。彼の教説は、守秘義務を口実にして、師メナンドロスの教えを無限に拡大していったという。また、当時著名な作家だったアグリッパ・カストロは、彼の虚偽を暴露したと伝わる。 カルポクラテス派 カルポクラテス バシリデスと同時代人。メナンドロス系とは別の、グノーシス主義の父。彼も魔術師シモンの教えを説く。バシリデス派が守秘だったのとは異なり、シモンの魔術を公に伝えた。魔術、媚薬、夢をもたらすもの、介添えの悪霊(ダイモーン)などの猥雑な密儀を全て行わなければ、世界の支配者たち(アイオーンたち)から救われることはないと説いた。彼らの密儀が一般人のキリスト教に対する誤解を生じさせ、クリスチャンは近親相姦や汚れた食事をしていると非難されるようになったという。 ■140年頃 ケルド派 ケルド (→マルキオン派へ派生) シリア出身。ローマ第8代司教ヒュギヌス(136-140年)の時代にローマ教会で洗礼を受けた。しかし、異端の教えを密かに教え、教会から追放されたり戻ったりを繰り返したという。彼は、律法や預言者の教える旧約の神は、イエス・キリストの父なる神ではないと説いた。旧約の神は人に義を求めるが、キリストの父なる神は善だからである、と。マルキオンは彼の教えを継いだので、彼はマルキオン派の創始者だという。また、彼は元々はシモン派からの派生であったという。 ■150年頃 ウァレンティノス派 ウァレンティノス(110頃-160年頃) (→バルデサネス派へ派生) 黒海沿岸のシノペの司祭の子に生まれた。ローマ第8代司教ヒュギヌス(136-140年)の時代にローマに来た。アントニヌス・ピウス帝(138-161年)の時期に栄え、アニケトス司教(154-165年)の時代まで生きた。 マルクス派 マルクス 小アジアで活躍したウァレンティノス派。入会者の儀式では、ある呪文(一部の者はヘブライ語で)を唱えて、これから入会の儀式で行うことは、天界での合一を模した霊的な結婚である、と告げる。そして、入会者を水に連れて行き、洗礼を施しながら、「全宇宙の知られざる父の名において、すべてのものの母である真理の名において、イエスの中に降りて来られた方の名において」と宣言する。 マルキオン派 マルキオン (→アペレス派、ポティトス派、バシリスク派、スュネルス派、エンクラティス派へ派生) ケルドの後継者。ポントス出身。旧約の創造主はキリストの父なる神ではないと説き、旧約の神とは別の偉大な神(キリストの父なる神)を信じるように説く。彼は反ユダヤ主義的立場から旧約聖書を否定し、十のパウロ文書とルカ福音書から成る『マルキオン聖書』を作成した。マルキオン派は内部分裂していた。アペレスは一なる原理を信奉し、旧約の預言は敵対者(悪霊)からのものであると説いた。また、ポティトスやバシリスクは二つなる原理を信奉し、スュネルスは三つの原理があると説いていた。神についての見解がばらばらであったが、アペレスは、真理(神について)は徹底的に議論する必要などなく、各自が信じたまま信じればよいのであって、キリストを信じて良い業を行う者はみな救われる、と説いた。マルキオン派の中にも殉教者は多く存在した。 ■160年頃 モンタノス派 モンタノス (マクシミラ派、テオドトス派、テミソン派、アレクサンドロス派、ミリティアデス派) フリギヤ付近のミュシアのアルダバウ村で活動。プリスキラとマクシミラという二人の女預言者を引き連れ、恍惚状態で異言を語りながら預言して廻った。プリスキラは預言活動の為に夫を捨てたのに関わらず、処女と呼ばれていた。二人の女預言者は精神に異常をきたして自殺したという。彼らの預言の支持者にテオドトスがいる。結婚の解消(預言活動に専念する為に離婚すること)を教え、断食の法を作り、フリギヤの小さな町のペプザとテュミオンをエルサレムと改名し、そこに新しいエルサレムが到来すると説いた。そこに各地の人々を集め、献金を取り立てて、捧げ物という名目で物品を受け取り、自分の宣教者たちに給料を支払った。ヒエラポリスのアポリナリウスはモンタノス派を反駁した。ガラテアの教会は影響を受けて分裂した。 ■165年頃 アペレス派 アペレス マルキオン派の派生。一なる原理を説き、旧約の預言は敵対者(悪霊)からのものであると説いた。 ポティトス派 ポティトス マルキオン派の派生。二なる原理を説く。 バシリクス派 バシリクス マルキオン派の派生。二なる原理を説く。 スュネルス派 スュネルス マルキオン派の派生。三なる原理を説く。 ■170年頃 タティアノス派 タティアノス(エンクラティタイ(エンクラテイス)、セウェルス) エンクラティタイは独身を守り、肉や酒を遠ざけた禁欲者集団であった。彼らの教えの唱道者がタティアノスであった。彼はユスティノスの学生だったが、172年頃、独自の学校を開いた。サトルニノス、マルキオン、ウァレンティノスの影響を受け、目に見えぬアイオーンを説き、男女の結婚を否定し、アダム(最初の男性)の救いを否認した。彼は『ディア・テッサロン(四つを介して)』を著し、四福音書を合成して新たな福音書をまとめた。他にも多くの文書を著したが、『ギリシア人への言葉』では、モーセや旧約の預言者がギリシア人より古く優れていることを説いた。 アルキビアデス派 アルキビアデス 厳格な禁欲主義者で、肉を断ち、パンと水のみで生活した。しかし、闘技場の試練に遭った時、肉を断つことは躓きの元であると悟った。その後、殉教した。 テオドトス派 テオドトス モンタノス派。 マクシミラ派 マクシミラとプリスキラ モンタノス派。モンタノスに追従した二人の女預言者。アイシャドーを塗り、化粧に夢中だったという。 テミソン派 テミソン モンタノス派。多額の金銭を支払って殉教を免れたことがあった。それなのに、使徒パウロの真似をして公同書簡を著した。 アレクサンドロス派 アレクサンドロス モンタノス派。殉教者を名乗り、女預言者(マクシミラかプリスキラ)と共に貧しい人々から献金を取立てた。そのことでエフェソスの執政官に捕まったが、主の御名を語って放免されたという。 エビオン派 スュンマクス(シュンマコス) イエスは、マリアとヨセフの性交によって生まれ、律法の遵守によって義とされた貧しい普通の人間だったと説いた。他の同類のグループは、処女による降誕は否定しなかったが、イエスが神として先在したロゴス、ソフィアであることを告白しなかった。そして、両者とも、キリストへの信仰だけでは救われず、モーセの律法の遵守を強調した。彼らはパウロ書簡を否定し、パウロを律法の背教者とみなした。福音書は『へブル人への福音書』のみを用いた。スュンマクス(シュンマコス)は、オリゲネスの六欄対訳聖書『ヘクラプラ』で参照される七十人訳の翻訳者の一人であるが、彼もエビオン派で、彼は自著の註解書の中で『マタイ福音書』を批判していたという。ユリアナという女性は彼の弟子で、オリゲネスにその註解書を手渡したという。 ■180年頃 セウェルス派 セウェルス タティアノスの支持者による一派。旧約聖書と福音書を採用するが、使徒行伝とパウロ書簡を否定した。 フロリノス派 フロリノス ローマで活動。教会の長老であった。 ブラストス派 ブラストス ローマで活動。教会の長老であったが、フロリノスと共に背教した。 ■190年頃 バルデサネス派 バルデサネス(154-222年) シリアのエデッサ出身。25歳の時、エデッサの司教ヒュスタスペスの説教を聴いて洗礼を受けた。シリア語で著書を著しモンタノス派などを論駁した。そのうち『運命について』はギリシャ語に翻訳された。彼は最初ウァレンティノス派に属しており、ウァレンティノス派をも告発したが、その教えを完全に払拭はできていなかった。 ミリティアデス派 ミリティアデス モンタノス運動の指導者の一人。恍惚状態に陥って預言を語った。 テオドトス派 靴直しのテオドトス (アスクレピオドトス派、両替商のテオドトス派へ派生) ローマ司教ゼフュリヌス(199頃-217年)の時に活躍。キリストの神性を否定し、キリストは単なる人間だと説いた。ローマ司教ウィクトル(190-199年)により破門される。アスクレピオドトスや両替商のデオドトスは彼の弟子であった。 ■200年頃 プロクルス派 プロクルス フリギヤの異端(モンタノス派)の指導者。 ■210年頃 アスクレピオドトス派 アスクレピオドトス 靴直しのテオドトスの弟子。 テオドトス派 両替商のテオドトス 靴直しのテオドトスの弟子。彼らは聖書を改竄し、写本に手を加えた。また、ユークリッド幾何学やアリストテレス哲学を熱心に研究し、三段論法を用いて聖書を高等批評した。 ナタリウス 靴直しのテオドトスの弟子であるアスクレピオドトスと両替商のテオドトスに説得させられ、彼らがから毎月150デナリの給料をもらって、この異端の監督となった。しかし度々、主の幻を見て、天使たちから夜通し鞭打たれた後、ゼフュリヌス司教の下にひざまずき懺悔したという。 ■220年頃 ウァレンティノス派 アンブロシウス ウァレンティノス派を奉じていたが、オリゲネスに論駁されて悔い改めた。オリゲネスの弟子であり友人となった。そして、正統教会の執事となった。 サベリウス主義 サベリウス(?-260年頃) 北アフリカのキレナイカ出身。様態論(父と子と聖霊は唯一の神の様態(人格)が変化したもの)を説く。ローマ司教ゼフュリヌス(199頃-217年)の時、ローマで教えたが、神学者ヒッポリュトス(従属説論者)に批判されたことで、カリストス司教(217-222年)の時に破門された。リビヤのペンタポリスの首都プトレマイスで、サベリウス主義が盛んになったので、ディオニュシウス司教(259-268年)は彼を論駁した。 ■225年頃 アルテモン派 アルテモン(アルテマス) (→サモサタのパウロが再興) イエスは単なる人間であったが、神の霊の力を受けて、神の養子となったと説いた(養子説)。使徒時代からローマ司教ウィクトル(190-199年)までこの教えは受け継がれてきたと主張した。しかし、ウィクトルは同じくキリストの神性を否定したテオドトスを破門している。 ■240年頃 ベリュルス派 ベリュルス アラビアのボストラの司教。キリストは天にいる時は、その方固有の様態で先在していたわけでも、固有の神性をもっていたわけでもなく、その方の中に宿った父(の神性)だけをもっていた、と説いた。教会会議が開かれ(オリゲネスも出席)、彼の考えの誤謬は正されたという。 マニ(216頃-275年頃) ペルシア人。マニ教の開祖。242年3月20日、ペルシア王シャプール一世の即位式の日にクテシフォンで説教を開始。275年頃バラム一世により投獄されて死んだ。ゾロアスター教を基に、キリスト教や仏教やグノーシス主義を取り込んだ宗教。 ■250年頃 ノウァトス派 ノウァトス(ノウァティアヌス) 251年ローマ教会の対立教皇となる。主著『三位一体論』『ユダヤ人の食物について』。デキウス帝の迫害(249-250年)の際の棄教者の教会復帰を認めるか否かの問題で、ノウァトスは非妥協の厳格主義の立場を取った。 ネポス エジプトの司教。キリストの王国は地上に到来すると説いた。『ヨハネ黙示録』から根拠を得て、自説を『寓意論者たちへの反論』に著した。ディオニュシウスは『約束について』で彼に反論している。ケリントス派と類似している。 コラキオン ネポスの教えの指導者。 ■260年頃 アルテモン派の再興 サモサタのパウロ 260-268年までアンティオキア司教を務める。264-266年の間に彼の教えを審理するために、三回の教会会議が開かれ、268年に破門された。彼はアルテモンの教えを再興し、イエスは単なる人間であったが、神の霊の力を受けて、神の養子となったと説いた(養子説)。
https://w.atwiki.jp/idolish7tw/pages/756.html
千[情人節大逃脫] 稀有度 SHOUT BEAT MELODY SSR 3521 6330 3997 隊長技 隊伍的Beat值有100%的機率大幅提高 魅力技能 預言家的洞察 效果 LV.1 連擊判定每27次就有37%的機率使分數提高640 LV.2 連擊判定每26次就有39%的機率使分數提高1120 LV.3 連擊判定每25次就有41%的機率使分數提高1904 LV.4 連擊判定每24次就有43%的機率使分數提高3236 [部分編集] 台詞 依照我的預言,大和在5分鐘後會幫我按摩肩膀。 取得方式 ~Happy Valentine~ 限時高級甄選接連開跑!!、3種復刻限定高級甄選開跑!!、4th Anniversary!!2種復刻限定高級甄選開跑!!、4th Anniversary!!附贈白金i7收集冊付費星石復刻限定高級甄選登場!、復刻 情人節限定高級甄選開始!! 獲得物品 服裝
https://w.atwiki.jp/kawaii_khalifa/pages/20.html
カリフは法制化(法令制定)において聖法の規則に拘束される カリフは法制化において聖法の規則に拘束され、聖法の典拠から正しい推論によって演繹されたのではない規則を法制化することは禁じられる。カリフは法制化する諸規則において拘束され、課された法的推論の方法によって拘束される。それゆえカリフには以前に法制化した方法論と矛盾する方法論に基づく法規定の法制化は許されず、以前に法制化した法規定に反する命令を出すことも許されない。カリフはこのような二重の拘束に服するのである。 第一の拘束、つまりカリフが法制化において聖法の諸規則に拘束されることの典拠は、第一に、アッラーはカリフであれカリフ以外であれ、全てのムスリムに、行為の全てを聖法の規則に則った行動を課されたということである。 至高なるアッラーは言われる。「いや、汝の主にかけて、彼らの間で生じた諍いの裁定を汝に求めない限り彼らは信仰したことにはならない」(クルアーン4章60節) 聖法の規則に則って行動するためには、立法者の言葉の解釈が分かれた時、つまり聖法の規則が複数生じた場合には、一つの特定の規則の制定が必要となり、複数の規則の中から一つの特定の規則を法制化することがムスリムの義務となるのである。つまりイスラーム法規定を執行しようと望む時には、カリフがその任務を果たす、つまり統治を行う時には、カリフの義務となるのである。 第二に、カリフが忠誠を誓われた基礎になる忠誠誓約の文言が彼にイスラーム法の遵守を課すからである。というのは、それはクルアーンとスンナの実行を条件とする忠誠誓約であるので、カリフにはその双方から逸脱することは許されない。もし確信犯としてそれを逸脱すればそのカリフは不信仰に陥ったのである、確信犯ではなくそれを逸脱しても悪人、不正、罪人なのである。 第三に、カリフは聖法の執行のために擁立されたのであるから、ムスリムに対して執行するのに、聖法以外のものを採用することは許されない。なぜならば聖法はそうした行いを、イスラーム以外に裁定を求めることを信仰の否定の段階に達するとの断定を示す表現で、厳禁しているからである。そしてその意味は、カリフが諸規則の法制化、つまり法令の制定において、聖法の法規定のみに拘束されということであり、またもしそれ以外によって法令を制定するなら、その聖法以外のものを信じてのことなら不信仰に陥っており、信じてはいなかったとしても悪人、不正、罪人だということなのである。 第二の問題、つまりカリフが課された法的推論の方法によって拘束される根拠はカリフが執行する聖法の規則は、彼自身に対しての聖法の規則なのであって、彼以外の者に対しての聖法の規則ではないからである。つまり、それはカリフが自分の行動をそれに基づいて律するために法制化した聖法の規則なのであり、(それ自体が)聖法の規則であるわけではないからである。それゆえカリフが一つの法規定を演繹するか、あるいは他の学者の説に追随して(qallada)ある法規定の採用を採用した場合、その聖法の規則はカリフにとってはアッラーの法規定に他ならないので、他のムスリムたちに法制化するに当たっては、その聖法の規則を制定しなくてはならず、それに反する規則の制定は許されないのである。なぜなら(カリフが自分の判断で聖法の規則だと信じた規則に反する規則は)カリフ自身に関してはアッラーの法規定とはみなされないので、彼にとっては聖法の規則ではなく、それゆえ他のムスリムにとっても聖法の規則ではなくなるからである。そしてまたそれゆえにカリフは臣民に対して発布する命令においても彼が制定したこの聖法の規則に拘束され、彼自身が制定した法規定に反する命令を発することは許されないのである。なぜならもし自分が制定した法規定に反する命令を発したなら、聖法の規則に反する命令を発したのと同じことになるからであり、それゆえカリフには自分が制定した法規定に反する命令を発することはできないのである。 また法規定演繹(istinb)の方法論によって、聖法の規則の理解は異なってくる。それゆえカリフがもし聖法のクルアーンとスンナの明文から引き出されたものであるなら法規定の類推事因(illah)は聖法に適った類推事因であると考える一方、福利(malaah)は聖法に適った類推事因とはみなさず、明文に言及されない福利(malaah mursalah)は聖法上の典拠とみなさないなら、そう考えたことでカリフは独自に特定の法規定演繹の方法論を採用したことになり、その時点でその方法論に拘束される義務が生じ、明文に言及されない福利(malaah mursalah)を典拠とする法規定も、聖法のクルアーンとスンナの明文から引き出されたものでない類推事因(illah)に基づいた類推による法規定も法制化することは許されない。なぜならカリフはその典拠を聖法上の典拠と考えないので、その法規定はカリフ自身にとって聖法に適う法規定とはみなされない。それゆえ彼の見解ではそれは聖法上の法規定ではなく、カリフ自身にとって聖法の法規定とみなされない限り、他のムスリムにとっても聖法の法規定とはみなされないので、それはあたかも聖法の法規定ではない法規定を法制化したのと同様になるため、カリフにはそれが禁じられるのである。 もしカリフが「独自の法判断の出来ない追従者(muqallid)」であるか、「無限定な独自の法判断が出来る学者(mujtahid mulaq)」ではなく、特定問題のみの法判断しかできない学者であるか、法演繹の特定の方法論に拘束される学派の範囲内での選択判断のみができる学者である場合には、法制化にあたっては彼が追随する「独自判断のできる学者(mujtahid)」に従うか、自分の通暁した問題であれば典拠か、それに類するものがあれば、独自の判断を下す。この場合には、カリフにはただ自分が以前に制定した法規定に矛盾する命令を発布しないことのみが義務となるのである。 カリフ国家は世俗(basharyah)国家であり、神性(ilhyah)国家ではない イスラーム国家とはカリフ制である。そしてそれは現世のムスリム全てに対する総合的首長職である。「二人のカリフに忠誠が誓われた場合は、二人のうちの後の方を殺せ」とのハディース(ムスリム)により、ムスリムの土地のいかなる国においてであれ、一人のカリフに正当な忠誠誓約がなされ、一旦カリフ制が樹立されたならば、ムスリムにはこの世の他のあらゆる地域においても他のカリフ制を立てることは禁じられる。 そしてカリフ制は、イスラームのもたらす思想とその定めた規則に基づきイスラーム聖法の諸規則を施行し、世界中の人々にイスラームを知らせ、呼び招くイスラームの宣教を世界中に弘め、アッラーの道において闘うために樹立された。 カリフ(後継者)制はまたイマーム(指導者)制、イマーラ・アル=ムウミニーン(信徒の長)制とも言われる。そしてそれは現世的職務(manab dunyaw)であり、来世的(ukhraw)職務ではない。それはイスラームの教えを人々に施行し、人々の間にそれを広めるために存在するのであり、それは預言者職とは決定的に違っている。 というのは、預言者職は神職(manab ilh)であり、アッラーはそれを御望みの者に授与し給う。その職においては、預言者、あるいは使徒が、啓示を通じて、アッラーから聖法を授かる。一方、カリフ制は人的(bashar)職であり、ムスリムたちが、自分たちが望む者に忠誠を誓い、ムスリムの中で彼らが望むカリフを自分たちの上に擁立するのである。我らの長ムハンマドは、為政者であり、彼がもたらした聖法を施行した。彼は預言者職と使徒職を担うと同時に、イスラームの諸規則の実施のためにムスリムの首長職をも担われたのである。アッラーは彼に宣教を命じられたように、統治をも命じ給うた。「彼らの間をアッラーが啓示されたものによって裁け・・・」(5章49節)また曰く。「我らは汝が人々の間をアッラーが汝に示されたものによって裁くために真理をもって汝に啓典を下した」(4章105節)また彼に命じ給うた。「使徒よ、汝の主から汝に啓示されたものを伝えよ」(5章67節)また曰く「私にこのクルアーンが啓示された。それによって私がお前たちと届いた者に警告するようにと」(6章19節)「包まる者よ、立って警告せよ」(74章2節) このように使徒は(1)預言者職と使徒職、及び(2)彼に啓示されたアッラーの聖法(シャリーア)を執行するための現世におけるムスリムたちの首長職という二重の職務を担われていたの。他方、使徒の逝去後のカリフ制は、預言者ではないただの人間が担い手であり、彼らは人間が犯す過ち、不注意、失念、罪などを犯す。それは彼らが人間であり、預言者でも使徒でもないので、無謬ではないからである。使徒は既にイマーム(カリフ)が過ちを犯すことがあること、そして不正や堕落などによって人々の怒りを買うこともあることを予言されていた。いやそれどころかカリフが明白な不信仰に陥ることもあり、その場合にはそのカリフには服従の義務はなく、むしろ討伐されるべきことまで予言されているのである。ムスリムはアブー・フライラから預言者が「イマームはその背後で戦い、それによって身を守る盾に他ならない。もしイマームが畏くも尊きアッラーを畏れることを命じ正義を行うなら、それによって彼には褒賞があるが、そうしなければそれに対して応報がある。」と言われたと伝えているが、このハディースはイマームが無謬ではなく、敬神以外を命ずることもありうることを意味している。またムスリムはアブドゥッラー・ブン・マスウードから、アッラーの使徒が「私の後に専制、お前たちが嫌悪するいろいろなことが起きるだろう」と言われ、人々が「そういう時代に私たちがめぐり合わせた場合、どうするようにと貴方は命じられますか」と尋ねると、「お前たちに課された義務を果たし、お前たちに権利があることに関してはアッラーに求め祈りなさい」と答えられた、と伝えている。 「私たちは病気のウバーダ・ブン・アル=サーミトを見舞い、『アッラーが貴方を治してくださいますように。そして貴方が預言者から聞いた役に立つハディースを話してください。』と尋ねた。するとウバーダは答えました。『預言者が私たちを呼び、私たちは彼に忠誠を誓いました。彼は私たちに対して、私たちの好むことでも嫌うことでも、苦しい時も楽な時も、私たちに対する専制に対しても、権威を権威ある者から奪わないことで私たちが忠誠を誓うように言われました。そして、アッラーの許からの明証があなたがたにある明らかな不信仰をその者に見出さない限りは、と付け加えられました。』」(ハディース) 「出来る限り、ムスリムたちには法定刑の執行を回避せよ。もし抜け道があるなら彼に道を開いてやれ。イマーム(カリフ)が誤って赦免する方が誤って罰を下すよりも良い。」(ハディース) これらのハディースはカリフ(イマーム)が過り、忘れ、罪を犯しうることを明言している、にもかかわらずアッラーの使徒はカリフがイスラームに則って統治しており、明白な不信仰が顕わにならない限り、アッラーに背くことの命令を除き、服従を守ることを命じられたのである。それゆえアッラーの使徒の後のカリフたちは間違うこともあれば正しいこともあり、無謬ではなく、預言者でもないので、カリフ制は神的国家である、などとは言えない。そうではなくて、それは、イスラームの聖法の諸規則の施行のために、ムスリムがカリフに忠誠誓約を行う人的国家に過ぎないのである。 カリフの任期 カリフには特定の任期はない。聖法を護持し、その法規定を施行し、国事を行い、カリフの職責を果たす能力を保持している限り、カリフはその地位に留まる。なぜならばハディースに述べられた忠誠誓約の文言は無限定であり、特定の任期による制限がないからである。 「たとえお前たちの上に顔の潰れたエチオピア人の奴隷が総督に任命されようとも、聞き従え」(ハディース) また正統カリフたちは皆、(期間の)限定のない忠誠誓約を受けており、それはハディースに述べられている忠誠誓約であり、彼らには任期の限定はなかった。彼らは皆、忠誠誓約を受けてから死ぬまでカリフの任務を担っていたのであり、それはカリフには任期はなく、(期間)無限定であり、一旦忠誠誓約がなされたなら、シムまでカリフの位に留まることに対する預言者の直弟子たちのコンセンサスとなったのである。 但しカリフに解任事項か、罷免を義務付ける事態が生じた場合には、その時点で彼の任期は終了し罷免されるが、それはカリフ制における任期の特定ではなく、カリフの資格条件の欠格の発生なのである。忠誠誓約の文言はクルアーン、スンナ、と預言者の直弟子たちの間で確定しており、カリフ制を任期はないが、クルアーンとスンナ忠誠を誓ったもの、それはクルアーンとスンナの実践、その諸規則の施行の義務を負っており、もし聖法を護持しないか、それを施行しないならば、その罷免が義務となるのである。 カリフの罷免 カリフがその就位資格条件の一つでも失うと、イスラーム法上、カリフ位に留まることは許されず、罷免されねばならないが、その罷免の決定権を有するのは行政不正裁判所(makamah malim)のみであり、この行政不正裁判所だけがカリフがその就位資格条件を喪失したか否かを判定することが出来る。なぜならばカリフが罷免され、解任に値する事項とは、除去されるべき行政上の不正(malimah)であり、また裁判による事実認定を要する事件でもあるので、裁判官の前での認定が必要となるのである。行政不正裁判所こそ、行政上の不正を裁くために設立された法廷であり、その裁判官には行政上の不正を認定し裁く権限が付与されているのである。それゆえカリフが就位資格条件を喪失したかどうかを認定し罷免を決定するのは行政不正裁判所となるのである。但し、カリフには就位資格条件を失った場合、彼が自ら辞任すれば、それで問題は解決する。 ムスリムたちがカリフが就位資格条件の一つを失い罷免されねばならないと考え、カリフがそれに抵抗した場合は、「もし汝らが何事であれ相争うなら、それをアッラーと使徒の許に持ち込め」(4章59節)との至高者の御言葉により、その解決は裁判に委ねられる。このケースは、「汝らと権力者」つまり、権力者と人民(ウンマ)が争った場合であり、それを「アッラーと使徒の下に持ち込め」とは、裁判、つまり「行政不正裁判所」に訴えよ、との意味になるからである。 ムスリムが新カリフを擁立するまでの猶予期間 ムスリムが新カリフを擁立するまでに猶予される期間は、3昼夜であり、ムスリムは忠誠誓約なしに3夜を過ごすことは許されない。最長で3夜なのである。前任カリフが死ぬか罷免された時点から、新カリフの擁立が義務となるが、そのために専念しているという条件で、擁立が3昼夜までは遅れることが許される。もし3夜を超えてもカリフを擁立できなかった場合は、更に待たれる。ムスリムたちがカリフの擁立に専念し、それでも自分たちで克服することの出来ない圧倒的な障害があって3夜の間にそれを実現できなかった場合には、義務の履行のために力を尽くしたにもかかわらず自分たちにはどうしようもない事情によって遅れるにいたったことを無念に思っているなら、彼らの罪は免ぜられる。 「アッラーは我がウンマ(共同体)から加護、忘却、強制されたことを免責された」(ハディース) それゆえもしムスリムたちがカリフ擁立の義務の履行に従事していなかったならば、カリフが擁立されて彼らの義務が履行され消滅するまで、全員が罪に陥っているのである。カリフ擁立を怠ったことによって犯した罪に関しては、消えることはなく(最後の審判で)アッラーによる応報の罰を蒙るまで残り続ける。それは義務の履行を怠ることで、ムスリムが犯した他のあらゆる罪が罰されるのと同じことなのである。 カリフが空位になった場合に直ぐに忠誠誓約の手続に従事しなければならない典拠は使徒の直弟子たちが、使徒が逝去されたその日のうちからその埋葬よりも前に、サーイダ族の屋敷に集まりそれに取り掛かったことによる。アブー・バクルのカリフ就位の忠誠誓約はその当日に完了し、翌日には人々が預言者モスクに集まり、アブー・バクルと忠誠の誓いを交わしたのである。 カリフ擁立のためにムスリムに与えられる最長の猶予期間が3昼夜である根拠はウマルの例である。刺し傷が元で死ぬことが明らかになった時点で、ウマルは評議員を任命し、3日と期限を決め、その3日のうちに新カリフの合意が成立しなければ反対者、不同意者は預言者の高弟であり、評議員であってもを処刑せよ、と遺言し、その執行のために50人を任命した。この件は預言者の直弟子たちが見聞きしている場で行われたが、彼らの誰もそれを非難せず、異を唱えなかったので、ムスリムがカリフを空位のままで3昼夜以上放任することが許されないことは、預言者の直弟子たちのコンセンサスとなった。預言者の直弟子たちのコンセンサスはクルアーンとスンナと同じく聖法上の典拠なのである。アル=ブハーリーはアル=ミスワル・ブン・マフラマが「私が眠りについた時、アブドッラフマーンが扉を叩いて私を起こし『あなたは眠っていたようだが私はこの3日間(つまり3夜)、殆ど眠っていない』と言った」と伝えている。そして人々が夜明け前の礼拝を済ませた時、ウスマーンの忠誠誓約が完了したのである。 それゆえムスリムにはカリフ制の中央の空位に際しては新カリフの忠誠誓約に専心し、5日のうちにそれを完了させなければならない。カリフへの忠誠誓約に専念せず、カリフ制が滅びるままに黙殺した者は、カリフ制の消滅と黙認の時点から罪人となるのである。それが今日の状況でもあり、ムスリムは1342年ラジャブ月28日(西暦1924年3月3日)の(オスマン朝)カリフ制の廃止以来、その再興の日まで、カリフ制を再興していないことにより、有罪なのである。免責されるのは、誠実で献身的な組織と共にそのために真剣に献身している者だけであり、それによってのみ罪から救われるのである。そしてそれは「忠誠誓約をせずに死んだ者は(イスラーム到来以前の)無明時代の死に方をしたことになる」とのアッラーの使徒のハディースがその罪の深さを示している通り、大罪なのである。 『カリフ国家の諸制度 ― 統治と行政』④
https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/2.html
MENU トップページ コメント 旧約聖書 旧約聖書正典モーセ五書 歴史書 知恵文学 大預言書 小預言書 旧約聖書外典 旧約聖書偽典 新約聖書 新約聖書正典福音書共観福音書 ヨハネ福音書 使徒言行録(使徒行伝) パウロ書簡 公同書簡 ヨハネの黙示録 新約聖書外典外典福音書 使徒教父文書 正典目録 新約聖書の偽書 聖伝 基本信条(基本教理)三位一体 礼拝サクラメント(七つの秘跡) 祈祷文 教会芸術聖画像・イコン 絵画 音楽聖歌 ミサ曲 受難曲 映画 教会法七元徳 七つの大罪 聖人伝レゲンダ・アウレア 近代の逸話 マリア崇敬無原罪の御宿り 悲しみの聖母 聖母の被昇天 聖母戴冠 ユダヤ教史(マカバイ戦争以後) 宗教会議ヤムニア会議 ユダヤ教歴史書ヨセフス『ユダヤ古代誌』 ヨセフス『ユダヤ戦記』 キリスト教会史(使徒言行録以後) 教会史原始キリスト教 東西教会の分裂 教会大分裂 十字軍 宗教改革 公会議全地公会議 カトリック公認公会議 キリスト教会歴史書エウセビオス『教会史』 ソクラテス『教会史』 テオドレトス『教会史』 ソゾメヌス『教会史』 神学大全 祈祷書 キリスト教会・教派西方教会カトリック 聖公会 プロテスタント 東方教会東方正教会 異端派 預言・私的啓示聖マラキの預言 ミシェル・ノストラダムス師の予言集 キリストのご受難を幻に見て 聖母の出現グアダルペの聖母 ルルドの聖母 クノックの聖母 ファティマの聖母 大天使ミカエルの啓示モン・サン=ミシェル ガルガーノとモンテシエピ礼拝堂 ジャンヌ・ダルク キリスト教文学 アブラハムの宗教など ユダヤ教(前6世紀)タナハ タルムード キリスト教(1世紀) グノーシス主義(1世紀) イスラム教(7世紀)クルアーン ハディース ゾロアスター教(前6世紀以前)アヴェスター 仏教(前6世紀頃)パーリ仏典 大乗仏典 仏教聖典 神学 聖書神学 組織神学神論 キリスト論 聖霊論 天使論 悪霊論 神義論 歴史神学キリスト教美術史 教会音楽史 弁証学 実践神学 聖書批評学 高等批判(旧約聖書)モーセ五書への高等批評 メソポタミア神話 高等批判(新約聖書)Q資料 考古学 メソポタミアの洪水 小惑星アピン アブラハムの井戸 考古学的推察 アテン賛歌 ソレブ神殿の碑文 メルエンプタハ碑文 ハンムラビ法典 テル・ゲゼル遺跡 ターナクの祭儀台 テル・ダン碑文 メシャ碑文 カラク碑文 クンティレット・アジュルド遺跡のピトス シロアム碑文 ティーラ・プリズム イエスの時代のシナゴーグ フレゴンの日食記事 フラウィウス証言 ローマ人による諸記録 聖遺物トリノの聖骸布 ピラト碑文 ガリオ碑文 自然科学との関連 地球平面説神話 神の存在証明 天文学とキリスト教ベツレヘムの星 中世の天体音楽論 大洪水の否定論 科学による人種の起源 天動説と地動説 原子論とキリスト教 進化論とキリスト教 ビッグ・バン 太陽系と地球の歴史 聖書の主要な登場人物 イエス・キリスト 聖母マリア 洗礼者ヨハネ 主の兄弟ヤコブ 十二使徒使徒シモン・ペトロ マグダラのマリア 使徒マティア 使徒パウロ 最初の殉教者ステファノ 聖書翻訳 写本(旧約聖書)死海文書(クムラン写本) エン・ゲディ文書 カイロ写本 アレッポ写本 レニングラード写本 写本(新約聖書)バチカン写本 アレクサンドリア写本 シナイ写本 写本(新約聖書外典)オクシリンコス・パピルス ナグ・ハマディ写本 ベルリン写本 チャコス写本 異端文書ヘルメス選集 エイレナイオス『異端反駁』 エピファニオス『薬籠』 ヒッポリュトス『全異端反駁』 校訂本(旧約聖書)マソラ本文(TAN) 校訂本(新約聖書)テクストゥス・レセプトゥス(公認底本) ウェストコット・ホート ネストレ・アーラント 翻訳七十人訳聖書(SEP) ペシタ訳 タルグム ヘクサプラ ヴルガータ(VUL)グーテンベルク聖書 現代語訳聖書英語訳聖書 日本語訳聖書 ここを編集