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死刑賛成派と反対はの対談スレ◆Part25 312 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/17(金) 11 56 36 ID kvX0Fjit0 傍聴席@名無しさんでいっぱい sage 2010/09/17(金) 11 56 36 ID kvX0Fjit0 302, 305 >他者に人間の命を奪う行為を強制せずに済む。 →廃止論者だけに通用する理由。辛くてもやらなくてはならないことはある。 他者に、命を奪う行為を無理強いするのは、死刑のデメリット。 >・抑止力は証明なし →死んだ人間が再犯しないことだけは証明あり 終身刑でどれだけ抑えれるかによる。つまり終身刑囚の再犯を限りなく0に近づけた時、 有意差が大きく生じないので比較対象に成りうるかということ。 >・外部圧力は抗うことで、逆に国益を損なう恐れがある。 →否定はしないが現実的ではない。 心の問題として、くみした方が良いのか、抗った方が良いのか扱うのならば、 どっちとも言えない結果になる。 >・民主主義:裁判員制度で死刑を出したくないという世論が高まれば死刑廃止もありうる。 →否定はしないが可能性は薄いだろう。 可能性が薄いかどうかは、現時点で判断できないのでは。 →政策と個人の倫理を同一視する理論では、 お金や自由は奪ってもいいのだ、という教育もなされることになる。 人間の命の扱いまで、政策で扱えることを国民に示すことにもなるが? 318 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/17(金) 12 29 47 ID FfrXayLd0 傍聴席@名無しさんでいっぱい sage 2010/09/17(金) 12 29 47 ID FfrXayLd0 312 >他者に、命を奪う行為を無理強いするのは、死刑のデメリット。 →他者に、金銭や人生を奪う行為を無理強いするのは、刑罰のデメリット。 そっちを無視するダブルスタンダードが問題。 >終身刑でどれだけ抑えれるかによる。つまり終身刑囚の再犯を限りなく0に近づけた時、 >有意差が大きく生じないので比較対象に成りうるかということ。 →どの道、終身刑の再犯率が死刑の再犯率を下回ることはないのが問題。 →「有意差」などと言うが、そこにあるのは人の命。一件であろうとそれを無視するのは廃止論の理念と矛盾する。 >心の問題として、くみした方が良いのか、抗った方が良いのか扱うのならば、 >どっちとも言えない結果になる。 →従う方はそれで良いが、廃止国が圧力を掛ける側となると、廃止論側に矛盾が生じる。 それを無視するのであれば、自分には甘い理想だということになる。 >可能性が薄いかどうかは、現時点で判断できないのでは。 →逆転するほど劇的に世論が高まる気配がない。したがって薄いと判断する。 廃止論自身が廃止論の足を引っ張っているのも一因。 >人間の命の扱いまで、政策で扱えることを国民に示すことにもなるが? →現在、罰は罪の重さに対応して与えられるものであって、政策と個人の倫理を同一視したものではない。 また、政策が命の扱いをしてはいけないという合意もない。 350 死刑制度には反対です。 2010/09/17(金) 15 09 14 ID V5j+Hxsl0 死刑制度には反対です。 2010/09/17(金) 15 09 14 ID V5j+Hxsl0 335 ・死刑に代わる刑罰(対案)を言わない 死刑廃止は、何かに代えるものではなく「廃止するもの」だと思っているので、 代案という考えはありません。 まぁ、経過処置的な終身刑とかは良く話題にでますが。 廃止支持者の考えを納得いきませんか? 「代えるものではなく廃止するもの」そう考える事がおかしいですか? 401 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/17(金) 21 51 10 ID uMiDgR7g0 傍聴席@名無しさんでいっぱい sage 2010/09/17(金) 21 51 10 ID uMiDgR7g0 396 正直良く解らん 終身刑やどっかの懲役260年みたいな事に否定的なのかな それとも、代案を出して死刑廃止ではなく、あくまで民意の盛り上がりのみで 廃止したいから、取引のようでやだって事なのか 434 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/18(土) 09 26 46 ID h142Ux780 傍聴席@名無しさんでいっぱい sage 2010/09/18(土) 09 26 46 ID h142Ux780 人間に意思決定の自由があるかないかは肯定、否定、中間論があるが私は否定説をとる。 従って、刑法においては違法(法益侵害)はあろうとも、 責任(反規範的人格態度に対する道義的非難)という概念は処罰する側からの自己満足の概念であり、 処罰される側には意思決定の自由がない以上、「殺さないことも選択できたのに、なぜ殺すほうを選択したんだ。」などと言っても無意味。 そもそも、あの時点での福田には犯罪をしないという脳の情報処理による行動は期待しえなかったのだから。 それが俺が福田を非難しない理由であり、福田を非難できない以上、非難を理由としての死刑の選択もしない理由だ。 将来的な改善は福田の持って生まれた人格と今後の福田のあみだくじの線(福田の脳の情報処理)次第だが、 終身刑導入を持って社会防衛、福田の再犯の可能性は塀の中で完結する。 例えば、サカキバラは家庭から出て、医療少年院、少年院の生活で改善し、そこで暖かい人との出会いもあり、人格が変わった。 つまり、あみだくじの線がサカキバラを違う方向へと導いたのだ。 当然、ここには経済的余裕が必要となるが、死刑囚100人の日本で、一人年300万円としても3億円で足りる。 日本の国家予算から見ればチリや埃程度の金額。国民一人当たり年間3円の金額。 感情的に許せないという反論があろうが、上記のとおり、福田に意思決定の選択の余地がなかった以上、 福田の不幸なあみだくじの因果の流れに同情こそすれ、非難するのは酷だ。 永山が兄弟は犯罪者にならなかったのに、永山だけが犯罪者になったから不幸な家庭環境は原因とならないとか、 不幸な家庭環境でもまっとうに生きているから云々という反論もあるが、全く反論になっていない。 あみだくじの線は一人一人違うし、持って生まれた人格も人間は皆違う。 あみだくじのスタート地点(生誕時の人格、脳機能)は人によって違うし、 人間が導かれるあみだくじの線(外部的環境因子)の数は星の数ほどある天文学的な線なのだ。 君の今の人格、今この瞬間の思考は、遺伝的生来的人格と、生誕後に与えられた情報の連鎖を脳内処理して、今この瞬間の君の思考がある。 自由意思などありえない。従って、行為後に犯罪者を非難し、刑罰を与えることは犯罪者への意思決定の因子(外部的環境因子)として有効だが、 行為時の犯罪者を非難することは非難する側の自分勝手な自己満足に過ぎん。 刑罰が外部的環境因子として与えられた場合に、犯罪者を改善更正させる外部的環境因子として機能するのかという問いがあろうが、 ある者には機能するであろうし、ある者には機能しないであろう。 人間の意思(自由意思ではない)決定は、生来的人格(生まれた時点での脳)が 外部的環境因子(生誕後に脳の意思決定に影響する全ての因子)の影響を受け、人格が形成され、 それによって形成された意思(脳機能)が外部的環境因子の影響を受け、それによって人格が外部的環境因子の影響を受けの繰り返しである。 生来的人格と外部的環境因子の数、それによって形成された人格は計測不能、認識不能であるゆえ、 どの外部的環境因子がどのように影響するかなど明らかにはできない。 終身刑導入が人間実存の本質から導かれる論理的帰結。 438 反対に反対なのだ 2010/09/18(土) 09 48 15 ID VRHbA5kX0 反対に反対なのだ 2010/09/18(土) 09 48 15 ID VRHbA5kX0 ID h142Ux780君 一応目が痛いながらも読んでみたが >終身刑導入が人間実存の本質から導かれる論理的帰結。 人間実存の本質って何? 君のは「起承結」 承諾させるために色々と持論展開しているが、何を持って終身刑導入が是だと言うのか。 我々の意識を転ずるにはムリがあるな。 さて仕事仕事 456 廃止派? 2010/09/18(土) 15 40 55 ID Snc0HQ750 廃止派? sage 2010/09/18(土) 15 40 55 ID Snc0HQ750 冤罪と死刑存廃の議論とは関係ない理由 ・冤罪は死刑になるような凶悪犯罪だけに関わらず、他の軽犯罪にも起こり得る問題 ・冤罪の可能性から死刑廃止の理由にはならず、むしろ冤罪の予防(捜査、裁判、教育など)システムや保障制度を整備すべき ・冤罪の疑惑のある事件については法務省は死刑執行を停滞し、再審請求の受理をする。 ・冤罪で死刑判決を受けずとも無期懲役や終身刑では、むごいことには変わりはないし、両者とも取り返しのつかない点で同じである ・冤罪の可能性は残るが、死刑制度は国民が議会により可決した制度であり、公共の福祉または社会制度の維持のためには仕方のないことである ・冤罪の可能性のために、疑いようもない凶悪犯罪者を死刑にしないのはおかしい (・死刑制度が廃止されれば、冤罪がなくなるというわけではない) (・死刑廃止すれば冤罪を起こしてもいいということになり、かえって冤罪を増やしてしまう) (・全ての犯罪に冤罪の可能性があるといえるので、全ての犯罪を有罪にはできなくなるのでは?) (・冤罪の可能性は残るとしても、それを限りなく0に近づければ統計的に無視できる) (・そもそも疑われるような人が悪い) これだけかい?これだけなら、冤罪が死刑廃止の根拠の一つにならないとはいいきれないと思うよ。 「人間が司法を行う以上、間違いは必ず起きる。もし死刑執行後に、冤罪とわかったときどうしようもなくなってしまうだろ。」 の意見の前に存置派は論点をずらすこと以外に、反論できるうまい言葉が見当たらないと思うよ。 508 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/18(土) 17 59 21 ID h142Ux780 傍聴席@名無しさんでいっぱい sage 2010/09/18(土) 17 59 21 ID h142Ux780 現実に今の裁判は道義的責任論を前提に判決文を裁判官は書いているし、 自由意思を前提に加害者を非難しているのが社会の多数だろが。 全説を議論のまな板いに載せて、考えている国民など僅少だろが。 自由意思論を取るからこそ道義的責任論を取れるのであり、 そこから行為者人格を非難して、極刑として死刑にしやすい思考の流れになる。 自由意思否定論をとれば社会的責任論、終身刑で目的は達成しやすいという思考の流れに傾きやすい。 そもそも死刑制度が現状ある以上、 論じるべきは死刑廃止論であり、死刑肯定論ではない。 終身刑論が完全否定されていない現状で、死刑があること自体が誤りなのだ。 刑罰として死刑が終身刑より重いとすれば、 終身刑論が全否定されなければ、死刑廃止、終身刑導入であるべきなのだ。 これは人権制限は最小限度でなければ何らないという基本的人権概念から導かれよう。 そもそも、生きるという権利は自然権、前国家的権利である。 ゆえに、死刑を廃止し、終身刑にし、またある場合には無期懲役にし、 仮に出所した者がいたら、本村氏過去に主張の如く、おのれの手で殺させ、本村氏を別途殺人罪で起訴すればいいのだ。 しかる後、自由意思の存在の証明後に、最大限の道義的責任の死刑という刑罰、場合によってはを作ればよいのだ。 終身刑導入後に終身刑囚を事後的に死刑にすることは、現行刑訴法では無理だが、法改正すればできないことはない。 なぜなら、死刑論者が後で死刑廃止論に転向したいときに、 おのれが死刑肯定論に立って死刑にしてしまった者に対する贖罪の重荷を背負うこととなるのだ。 それは、足利事件の冤罪に対する贖罪とまったく同じだ。 その意味で、 死刑肯定論者は死刑廃止論を批判することのみをするべきであり、 死刑肯定論を論じるべきはないのだ。 本村氏のように死刑肯定論を論じ、行脚し、テレビでも主張する男は、 今後の人生において、考えが変わって、 死刑廃止論に転向したくともできない、 なぜなら、面子、自己同一性が崩壊し、PDSよろしく、脳神経が機能障害を起こし、人格が崩壊してしまうからな。 ここにいる死刑肯定論者も同じ。 脳神経の機能障害を恐れ、自由意思が証明できないにもかかわらず、頑なまでに死刑論にこだわるのだ。 引くに引けなくなってしまうのだ。 それはブログが荒れた足利事件の県警の刑事とまったく同じだ。 その意味で本村氏の行動は思慮分別に欠けている。 論ずべきは死刑肯定論ではなく、死刑廃止論を否定することのみなのだ。 本村氏は死刑肯定論を論じたが、死刑否定論を全て論破することができずに終わった。 死刑廃止論を論破できなければ、終身刑論に与するしか選択肢はないのだ。 本村氏の最後の拠り所は被害者感情のみとなる。 逆は真ではない、なぜなら、一度死刑にしたものを生き返らせることは不可能なのだ。 510 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/18(土) 18 03 21 ID h142Ux780 傍聴席@名無しさんでいっぱい sage 2010/09/18(土) 18 03 21 ID h142Ux780 人間は精子と卵子との結合によって、生物となり、 脳機能が生じる。これは自分の自由意思で生まれたのではなく、 生まれさせられたに過ぎない。 犯罪者の本質は脳、脳以外のなにものでもない。 その脳は脳を持っている本人の自由意思で生じたものではなく、 精子と卵子との結合によって、自然に生じさせられたもの。 脳の所有者たる犯罪者には当該脳を生じさせた責任はない。 脳の生来的特質+外部的環境因子によって人間行動が生じる。 この過程に自由意思の介在する余地はない、ゼロ、nothingだ。 ゆえに、 加害者たる脳の所有者の人権を保障するのは当然の事理。 加害者たる脳の所有者は生来的に持たされた脳と外部的環境因子によって 必然的に人を殺しただけの話。 被害者の人権が保障されるのは当たり前の話。 議論すべきは加害者の人権をどこまで保障するか、逆に言うと、どこまで制限するか。 そして、おのれの選択によって脳を持ち、外部的環境因子を得たわけではない以上、 社会的責任として隔離される、つまりは終身刑にされればそれですむ話だ。 それを超えて死刑にするのは加害者の人権無視もはななだしい。 514 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/18(土) 18 10 06 ID h142Ux780 傍聴席@名無しさんでいっぱい sage 2010/09/18(土) 18 10 06 ID h142Ux780 511 責任は取らせる、 だがそれは自由意志を前提とした道義的責任(死刑)ではなく、 自由意志否定を前提とした社会的責任(終身刑)。 520 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/18(土) 18 17 31 ID h142Ux780 傍聴席@名無しさんでいっぱい sage 2010/09/18(土) 18 17 31 ID h142Ux780 現状の「被害者遺族が死刑を望んでいるから死刑にする」という被害者感情、 これ自体が被害者は死んでおる以上、被害者遺族は2次的被害者に過ぎないが、 これを肯定したとして、 検察、裁判所のあり方として、被害者感情をその理由とするならば、 被害者遺族が死刑を望んでいるか否かで死刑判決を個別基準で出すこととなる。 仮に100人を殺した殺人者がいたとしても、 偶然、被害者遺族が100人とも死刑を求めないならば、 死刑にしない判決を出せるか、出せやしないのだ。 ならば、応報刑論を持ち出すしかない。 被害者感情を理由としての死刑は、 1人を殺しても死刑にできることもあれば、10人を殺しても死刑にならないこともありうる。 まさに、 被害者遺族の感情次第で判決がことなるわけだ。 運悪く(?)本村氏の親族を殺せば死刑、 運よく死刑廃止論者の親族を殺せば何人殺しても終身刑。 これが論理というものだ。 529 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/18(土) 18 30 25 ID h142Ux780 傍聴席@名無しさんでいっぱい sage 2010/09/18(土) 18 30 25 ID h142Ux780 喜怒哀楽の感情、思想、すべて、個々人の生成するものなり。 関連した話題だが、生成変形文法理論という言語理論がある。 人間はいかにして言語を習得するか。それまでは生誕後の周囲の人物の言語を真似て文型や文法理論を習得すると考えられていた。 だが、子供は明らかに教わっていない文型や修飾構造の文を生成することがわかった。 そこで、生まれた時点から脳内に言語生成構造の機能が備わっておるという理論が提示された。 人の思考も今まで教わったものを切った貼ったするだけでなく、時として、独創的なものを創造する。 だが、それとて、自由意思ではなく、脳のシノプスの電気信号の接触による生来的脳と生誕後に習得した情報との生産物なのであろう。 自由意思否定論に接すると、人間が空しくなる気分なのかもしらんが、何もそんな考えに陥る必要はない。 当方はそういう意味においては人間も機械と同じだと考えておるが、だが、人間は人間だ、 だから、面白いし、また悲しい存在なのだ。 自由意思否定論に接すれば、最初は面食らう。 意思というものを子供の頃から教わり、それを自由意思と同義に思っていた人間が、突然、自由意思否定論に出会えば、 強い拒絶反応を起こす者が出るのもそれは当然の脳の反応であろう。 当方も最初は自由意思の否定という概念がピンとこなかった。 また、自我意識の強いもの、今まで自分で生きてきた、自分の力でがんばってきたという意識の強いものほど自由意思は否定したがる傾向にあると思う。 当方もまたそうであった。 だが、いろいろな人と出会い、多種多様な人間に触れ、視野が広がるにつれ、人というものは色々なものを背負って生きているのだと実感しておる。 本村氏もまだ若いときに妻子を殺されたので、そこまで人にやさしくなるだけの人間に対する理解を求めるほうが酷というものだとも当方は思っておる。 もっとも、あくまでも当方は自由意思否定論だが、本村氏には同情する、福田にも。 自由意思否定論に立つと、犯罪者天国、無責任主義になるかの誤解は誤解なり。 自由意思否定を前提に社会的防衛のため、そして、そのような意思(自由意思ではない!)改造のための外部的環境因子として、 そしてまた、社会防衛のためにも社会的責任は取ってもらう。 つまりは、終身刑導入だ。 541 廃止派? 2010/09/18(土) 19 02 25 ID Snc0HQ750 廃止派? sage 2010/09/18(土) 19 02 25 ID Snc0HQ750 536 直接的に命を奪うということと、獄中死による死を 結果的に殺した もしくは 死亡した点で同じと言いたいのかい。 それでは、いつまでも論議が進まないのだよ。 死刑の代替刑でといわれる終身刑も、死刑囚が獄中死まで待つということだからな。 死刑が執行されれば、命は戻らないばかりか、直接的な名誉の回復はできなくなると同じことを言わせるなよ 必ずではないだろうが、死刑以外なら直接的な名誉の回復はできるだろう。 581 存置派 2010/09/18(土) 22 06 44 ID YE5XMa960 存置派 2010/09/18(土) 22 06 44 ID YE5XMa960 567 君に是非考慮して欲しいことが 「廃止状態の方がコストが安い」と主張する廃止派の中には 「死刑にする場合、非常に慎重な裁判が求められる」という点を挙げた者がいたことだ。 …言外に「終身刑なら(死刑に比べ)裁判・捜査がいい加減でも良い」ということだよ。 終身刑化、即、裁判・捜査の杜撰化とは言わないが、 同時に(よりによって廃止派から提示された)その可能性は否定できないと思うが。 599 存置派 2010/09/18(土) 22 59 32 ID YE5XMa960 存置派 2010/09/18(土) 22 59 32 ID YE5XMa960 596 いや、コストじゃなく 「廃止状態の方が冤罪起きやすくなるかもよ?」ってこと。 あと、君は冤罪死刑に感情を移入しているようだが、例えばその感受性を応用して 「冤罪で、長い間牢獄に繋がれ、終身刑囚として数多くの自由を規制され、 牢獄の中での人生に何の楽しみも見出せず、死ぬまで名誉が回復されることもなく、 冷たいベッドの上で、ある冬の朝、病死した男」とかを想像してみてくれるかな? 多分、他の人の言ってることの何割かが分かると思う。 607 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/18(土) 23 34 21 ID y+kH7B8di 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/18(土) 23 34 21 ID y+kH7B8di アムネスティ声明によると、 死刑で犯罪の背景は解決されない。 国は国民の命を奪ってはいけない。 残虐な行為として十数ヶ国でしか行われていない。 死刑が終身刑より抑止力がある証拠がない。 だけ見ると、廃止派が有利に思えるのに、 なんでここのスレでは存置派が有利に見えるんだろう。 日本政府は死刑に頼らない刑事司法制度を構築しろとまでいってるよ。 611 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/18(土) 23 45 27 ID tiejhjKDO 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/18(土) 23 45 27 ID tiejhjKDO 607 >死刑が終身刑より抑止力がある証拠がない。 例えばこの一文、何故そういう結論になったか解る? アムネスティは、廃止を謳ってる団体だ。 そういう奴らが、「死刑が終身刑より抑止力がある」という主張を覆す為のデータを集めて「覆せなかった」。 「証拠が無い」ってのは有り体に言えばそういう事で、突き詰めると、データは「死刑が終身刑より抑止力がある」という理論を肯定する方向を指し示す。 大きな団体が、主義をもって活動しているのに、その主義をデータや事実によって「肯定出来ない」。この時点で、死刑廃止論者側、アムネスティに有利に見せかけてあるのは所詮ハリボテって事だ。 622 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/19(日) 02 59 07 ID mvANKTb70 傍聴席@名無しさんでいっぱい sage 2010/09/19(日) 02 59 07 ID mvANKTb70 「なんで死刑にしてはいけないんだ」ではなく、 「なんで死刑にする必要があるんだ」ということである。 後期高齢者医療制度、なんで高齢者を姥捨て山に捨ててはいけないんだではなく、姥捨て山に捨てる必要があるのかと同様に、 生活保護(貧困者保護)、身体障害者保護、子育て保護、派遣労働者、非正社員保護、男女同権、 すべては、弱者保護のイデオロギー、主義だろ。 被害者保護は当たり前。 論じるべきは加害者保護、加害者の脳を脳神経科学からどう考えるかだろ。 脳神経科学、サイエンスから自由意思否定、社会的責任論、道義的責任否定となるわけだろ。 社会的責任とすれば、そのような脳を持ったゆえに、 脳以外に骨、肺、心臓、手足胴体といったものを持つ個体としての人間を殺す必要はあるのかということだろ。 自由意思のない犯罪者は 身体障害者、女、貧乏人、子持ちの主婦、子供、貧困労働者同様に保護されるべきというのと同列に、 保護論が主義として論じられるべきだろ。 竹中小泉アメリカ的な新自由主義、徹底した自由競争主義が死刑肯定主義なのであって、 社会主義、福祉主義、平等主義に立てば、 サイエンスとしての脳神経科学から自由意思否定論にたてば 主義としての死刑廃止主義、終身刑主義というイデオロギーになるわけだ。 選挙同様、サイエンスを前提に最後は主義の争い、 新自由主義、徹底した競争主義が死刑主義論者であって、 社会主義、福祉主義、平等主義が終身刑主義となるのである。 628 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/19(日) 08 36 35 ID mvANKTb70 傍聴席@名無しさんでいっぱい sage 2010/09/19(日) 08 36 35 ID mvANKTb70 自由意思否定論、肯定論はサイエンス、科学の問題。 自由意思否定論→社会的責任論 自由意思肯定論→道義的責任論 主義、イデオロギーの問題ではない。 主義としての死刑肯定論、廃止論、終身刑論は イデオロギーの問題、サイエンスの世界ではない。 それは自民党、民主党、社民党、共産党などの政治と同じ思想の自由の問題。 自由意思肯定論、否定論の議論こそが責任論を論じる際の サイエンス、科学たりうるもの。 イデオロギー論として死刑論を論じるのみでは思想の自由の問題。 脳科学者に論じさせることが肝要なり。 631 存置派 2010/09/19(日) 09 31 05 ID SEIcglJn0 存置派 2010/09/19(日) 09 31 05 ID SEIcglJn0 607 アムネスティ声明によると、死刑で犯罪の背景は解決されない →廃止しても解決しない。社会福祉政策と刑罰は無関係 国は国民の命を奪ってはいけない。 →国は、国民のために、一部の国民の命を奪うことを許されてます。 残虐な行為として十数ヶ国でしか行われていない。 →EUとその旧植民地を抜いて数えてみ。偉いことなるから。 死刑が終身刑より抑止力がある証拠がない。 →抑止力があるといえない証拠もない。 …文系なら「ある調査やリポートで、自分に有利な結論を出せなかった」っていうのが どれだけ絶望的なことなのか、よく分かると思う。 651 反対に反対なのだ 2010/09/19(日) 18 38 09 ID 5xpZGWIl0 反対に反対なのだ 2010/09/19(日) 18 38 09 ID 5xpZGWIl0 634 > 死刑執行後に、冤罪と分かったとき、どのような保障制度でもその命はもどらないし、直接的な名誉の回復もない。 死刑以外のの冤罪事件と異なり、死刑冤罪では、国家が強制的に寿命を終わらせ、直接的に殺してしまうからだ 死刑に限定した場合、命は戻らないが「名誉の回復」は可能だ・・・あくまで他者から見た視点だが。 それでは他の懲役刑で考えてみよう。 無期懲役や終身刑の場合、失われた当事者の得られたであろう「時間」は戻らない。 名誉の回復が本人に帰属されてもいかほどの満足感であろうか? 君は命の部分だけ特別扱いをして論理形成しているが >絶望、無念、怒りは如何ほどのものであろうか。 この定義を「命の重さ」>「時間の重さ」に置いている。 たしかに単純に考えれば命なんだが、その定義を自己の定規で当てはめることは不可能だと前レスで書いたはずだ。 そこの見直しをしてからロジックを形成した方がいいだろうね。 763 反対に反対なのだ 2010/09/20(月) 21 04 01 ID oIvqhvy70 反対に反対なのだ 2010/09/20(月) 21 04 01 ID oIvqhvy70 755 いや、だから他の国の価値観を比較することにムリがあると言ってるよね過去レスの数々で。 禁固何百年の思想が近代的合理性というなら、それこそエセヒューマニズムだろう。 国民の理解を得る為に「終身刑」という刑罰(一生出てこれないから安心)を機械的に刑罰に当てはめた結果であって これが合理的だと俺は思えない。(茶番であるともいえる) 832 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/21(火) 00 08 11 ID R55xz+ac0 傍聴席@名無しさんでいっぱい sage 2010/09/21(火) 00 08 11 ID R55xz+ac0 差別意識、排除意識、これは人間の脳の自己防衛本能から生じる。 差別、排除の意識が死刑を生む。 日本の場合、農民中心の共同体村国家、江戸幕府の長い統治、戦争時の人権制限の激しい統治、 戦後の高度成長期の製造業を主体とした組織構造。 これらが自由主義、個人の尊厳に制限的に働いた。 政財官の村的談合システムもこの現れである。 死刑を好むものは、被害者遺族が感情的に死刑を求める本村原理主義、被害者感情絶対主義を別にすれば、 自由主義、個人の尊厳という憲法の基本概念の回路が脳内でできていないことに起因する。 法律家に死刑廃止論者が多いのは、憲法を徹底的に学び、自由主義、個人の尊厳を叩き込まれ、 また、刑法を学び、自由意思否定論(社会的責任論)に対しても理解があるからである、 行為無価値、要するに行為者を道義的非難する道義的責任論が主体であったことも日本的文化構造に起因する。 とはいえ、日本の法律家、検察官、裁判官は論理としては道義的責任論に立っている者が多いが、 その矛盾は充分理解しておるのであり、 明治大正戦前教育を受けた者はその文化的背景から道義的責任論にたちやすいが、 科学が進歩し、脳に対する研究の進んだ今日、社会的責任論が主流となる環境は整っておる。、 いわゆる責任論において、社会的責任論ではなく、道義的責任論が主流となった理由は 国民の基本的人権に関する意識がそこまで高くなかったゆえである。 個人の尊厳、自由意思否定論、社会的責任論、これらの概念が根底にない者はそもそも死刑廃止論を理解する能力はないのである。 犯罪者の脳というものを尊重しつつ、社会防衛を図るには、終身刑をもって足りる。 国民の人権意識、人間の脳に対する理解を学校教育でより進める必要がある。 834 傍聴席@名無しさんでいっぱい 2010/09/21(火) 00 13 44 ID R55xz+ac0 傍聴席@名無しさんでいっぱい sage 2010/09/21(火) 00 13 44 ID R55xz+ac0 後期高齢者医療制度、なんで高齢者を姥捨て山に捨ててはいけないんだではなく、姥捨て山に捨てる必要があるのかと同様に、 男女平等、雇用機会均等法、生活保護(貧困者保護)、身体障害者保護、子育て保護、派遣労働者、非正社員保護、 これらは平等主義を前提とした弱者保護のイデオロギー、主義である。 これらと同列に死刑廃止がある。 被害者保護は当たり前。 論じるべきは加害者保護、加害者の脳を脳神経科学からどう考えるかである。 脳神経科学、サイエンスから自由意思否定、社会的責任論、道義的責任否定となるわけだろ。 社会的責任とすれば、そのような脳を持ったゆえに、 脳以外に骨、肺、心臓、手足胴体といったものを持つ個体としての人間を殺す必要はあるのかということだろ。 自由意思のない犯罪者は、 身体障害者、女、貧乏人、子持ちの主婦、子供、貧困労働者同様に保護されるべきというのと同列に、 保護論が主義として論じられるべきである。 竹中小泉アメリカ的な新自由主義、徹底した自由競争主義が死刑肯定主義なのであって、 社会主義、福祉主義、平等主義に立てば、 サイエンスとしての脳神経科学から自由意思否定論にたてば、 主義としての死刑廃止主義、終身刑主義というイデオロギーになる。 選挙同様、サイエンスを前提に最後は主義の争い、 新自由主義、徹底した競争主義と同列な主張が死刑主義論者であって、 社会主義、福祉主義、平等主義と同列な主張が終身刑主義となるわけである。 847 838 2010/09/21(火) 00 39 21 ID R55xz+ac0 838 sage 2010/09/21(火) 00 39 21 ID R55xz+ac0 人間に意思決定の自由があるかないかは肯定、否定、中間論があるが私は否定説をとる。 従って、刑法においては違法(法益侵害)はあろうとも、 責任(反規範的人格態度に対する道義的非難)という概念は処罰する側からの自己満足の概念であり、 処罰される側には意思決定の自由がない以上、「殺さないことも選択できたのに、なぜ殺すほうを選択したんだ。」などと言っても無意味。 そもそも、あの時点での福田には犯罪をしないという脳の情報処理による行動は期待しえなかったのだから。 それが俺が福田を非難しない理由であり、福田を非難できない以上、非難を理由としての死刑の選択もしない理由だ。 将来的な改善は福田の持って生まれた人格と今後の福田のあみだくじの線(福田の脳の情報処理)次第だが、終身刑導入を持って社会防衛、福田の再犯の可能性は塀の中で完結する。 例えば、サカキバラは家庭から出て、医療少年院、少年院の生活で改善し、そこで暖かい人との出会いもあり、人格が変わった。つまり、あみだくじの線がサカキバラを違う方向へと導いたのだ。 当然、ここには経済的余裕が必要となるが、死刑囚100人の日本で、一人年300万円としても3億円で足りる。日本の国家予算から見ればチリや埃程度の金額。国民一人当たり年間3円の金額。 感情的に許せないという反論があろうが、上記のとおり、福田に意思決定の選択の余地がなかった以上、福田の不幸なあみだくじの因果の流れに同情こそすれ、非難するのは酷だ。 永山が兄弟は犯罪者にならなかったのに、永山だけが犯罪者になったから不幸な家庭環境は原因とならないとか、不幸な家庭環境でもまっとうに生きているから云々という反論もあるが、全く反論になっていない。 848 838 2010/09/21(火) 00 40 18 ID R55xz+ac0 838 sage 2010/09/21(火) 00 40 18 ID R55xz+ac0 あみだくじの線は一人一人違うし、持って生まれた人格も人間は皆違う。 あみだくじのスタート地点(生誕時の人格、脳機能)は人によって違うし、 人間が導かれるあみだくじの線(外部的環境因子)の数は星の数ほどある天文学的な線なのだ。君の今の人格、今この瞬間の思考は、遺伝的生来的人格と、生誕後に与えられた情報の連鎖を脳内処理して、今この瞬間の君の思考がある。 自由意思などありえない。従って、行為後に犯罪者を非難し、刑罰を与えることは犯罪者への意思決定の因子(外部的環境因子)として有効だが、 行為時の犯罪者を非難することは非難する側の自分勝手な自己満足に過ぎん。 刑罰が外部的環境因子として与えられた場合に、犯罪者を改善更正させる外部的環境因子として機能するのかという問いがあろうが、 ある者には機能するであろうし、ある者には機能しないであろう。 人間の意思(自由意思ではない)決定は、生来的人格(生まれた時点での脳)が外部的環境因子(生誕後に脳の意思決定に影響する全ての因子)の影響を受け、人格が形成され、 それによって形成された意思(脳機能)が外部的環境因子の影響を受け、それによって人格が外部的環境因子の影響を受けの繰り返しである。 生来的人格と外部的環境因子の数、それによって形成された人格は計測不能、認識不能であるゆえ、どの外部的環境因子がどのように影響するかなど明らかにはできない。 終身刑導入が帰結。 872 838 2010/09/21(火) 04 40 42 ID R55xz+ac0 838 sage 2010/09/21(火) 04 40 42 ID R55xz+ac0 そもそも死刑制度が現状ある以上、 論じるべきは死刑廃止論であり、死刑肯定論ではない。 終身刑論が完全否定されていない現状で、死刑があること自体が誤りなのだ。 刑罰として死刑が終身刑より重いとすれば、 終身刑論が全否定されなければ、死刑廃止、終身刑導入であるべきなのだ。 これは人権制限は最小限度でなければ何らないという基本的人権概念から導かれよう。 そもそも、生きるという権利は自然権、前国家的権利である。 ゆえに、死刑を廃止し、終身刑にし、またある場合には無期懲役にし、 仮に出所した者がいたら、本村氏過去に主張の如く、おのれの手で殺させ、本村氏を別途殺人罪で起訴すればいいのだ。 しかる後、自由意思の存在の証明後に、最大限の道義的責任の死刑という刑罰、場合によってはを作ればよいのだ。 終身刑導入後に終身刑囚を事後的に死刑にすることは、現行刑訴法では無理だが、法改正すればできないことはない。 なぜなら、死刑論者が後で死刑廃止論に転向したいときに、 おのれが死刑肯定論に立って死刑にしてしまった者に対する贖罪の重荷を背負うこととなるのだ。 それは、足利事件の冤罪に対する贖罪とまったく同じだ。 その意味で、 死刑肯定論者は死刑廃止論を批判することのみをするべきであり、 死刑肯定論を論じるべきはないのだ。 本村氏のように死刑肯定論を論じ、行脚し、テレビでも主張する男は、 今後の人生において、考えが変わって、 死刑廃止論に転向したくともできない、 なぜなら、面子、自己同一性が崩壊し、PDSよろしく、脳神経が機能障害を起こし、人格が崩壊してしまうからな。 ここにいる死刑肯定論者も同じ。 脳神経の機能障害を恐れ、自由意思が証明できないにもかかわらず、頑なまでに死刑論にこだわるのだ。 引くに引けなくなってしまうのだ。 それはブログが荒れた足利事件の県警の刑事とまったく同じだ。 その意味で本村氏の行動は思慮分別に欠けている。 論ずべきは死刑肯定論ではなく、死刑廃止論を否定することのみなのだ。 本村氏は死刑肯定論を論じたが、死刑否定論を全て論破することができずに終わった。 死刑廃止論を論破できなければ、終身刑論に与するしか選択肢はないのだ。 本村氏の最後の拠り所は被害者感情のみとなる。 逆は真ではない、なぜなら、一度死刑にしたものを生き返らせることは不可能なのだ。 876 838 2010/09/21(火) 05 18 14 ID R55xz+ac0 838 sage 2010/09/21(火) 05 18 14 ID R55xz+ac0 人は殺人者と無関係に生きることはできない。 殺人者と出会いたくなければ無人島に住むしかない。 人間いるところに殺人者あり。 人を殺すも、殺されるも、人間社会の必然なり。 そもそも、このスレにいる死刑論者の脳は転向する脳ではない。 それは殺人者が殺人をするのと同じく必然の世界なり。 ゆえに、このスレは各説に立つ各自が思考のウォーミングアップをする場なり。 殺人者が殺人を犯すのと同様に、 意思決定の自由のない死刑論者はその自由のない意思によって死刑に固執する脳に支配されておる。 従って、このスレの死刑論者は決して転向をすることがないであろう。 それはまた、彼を支配する脳が頑なに転向することを拒むのは、 終身刑論者が死刑論者に転向することよりも強い脳の抵抗に支配される。 脳が強い拒否反応を示す。 自由意思のない脳の支配からは誰も逃れられない。 死刑存廃の決着は いまだ死刑存廃に関して詰めた思考をしたことのない人間、 思考がぐらついている人間に、 全主張を提示し、ニュートラルな人間、ぐらついている人間を説得し、 はっきりとした立場をとらせることにある。 そのために叩く、対立した説を叩く、論理をもって。 頑なまでに抵抗するであろうが。 かなりの部分は論理の問題。 最後の選択は純粋思弁的論理ではなく、主義の問題。 論はサイエンス・論理の世界なり、主義は価値観の世界なり。 人間に自由意思がなく、自由意思のない脳に支配されておるのはサイエンスの世界なり。 自由意思否定論、ゆえに社会的責任論、復讐権としては終身刑を与える主義、 復讐権として死刑を認めるか、終身刑にするかは人間観の価値観による判断なり。 どちらの選択もありえよう、あとは国民の判断なり。 当方、あくまでも自由意思否定論、自由意思のない殺人者の脳を生かす道を選択す。 自由意思否定論はサイエンス、科学の世界なり。 死刑論はイデオロギー、主義主張の世界なり。 選挙同様、100%の国民が同一政党に投票することはなかりけり。
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Wiki http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%96%99%E4%BD%8E%E9%A1%8D%E5%AE%BF%E6%B3%8A%E6%89%80 無料低額宿泊所(むりょうていがくしゅくはくじょ)とは、社会福祉法第2条第3項に規定されている第2種社会福祉事業の第8号にある「生計困難者のために、無料又は低額な料金で、簡易住宅を貸し付け、又は宿泊所その他の施設を利用させる事業」という記述に基づき設置される施設である。 その他リンク http //www.laqoo.net/hinkon/muryo.html 問題点 http //mainichi.jp/select/jiken/news/20100114ddm001040014000c.html http //sankei.jp.msn.com/economy/business/091203/biz0912032237031-n1.htm 予想通り。 ただ、ピンハネされても、ホームレス生活よりマシだとすれば、改善していることには違いないが。 後見制度と組み合わせるとかもうちょい考えればいいのにw (追記) 新ナニワ金融道の5巻でやってた。てか、ピンハネは刺されてないから(あくまで道義的な問題)、これから増えるんちゃうか? 先回りして、無料定額宿泊所比較のサイト作っとくか!!w http //mainichi.jp/select/wadai/news/20100113k0000e040075000c.html 今後助成金も出る予定。 関連事項 貧困ビジネス http //ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A7%E5%9B%B0%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9
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《Darkpact》 #whisper アンティ系のカード。 当然公式トーナメントルールでは禁止されているので、もしカードを持っていたとしても普通はあまり使う機会はないだろう。 アンティのカード1枚をただちに手に入れ、こちらのライブラリーの一番上に置いてしまう。 代償としてライブラリーの一番上にあったカードがアンティに入る。 アンティに何があるかによって、このカードの意味合いも大きく変わってしまうことになる。 アンティにある自分のカードが非常に大切なものなら、これで回収すればいいだろう。 それを失う危険性を回避できるし、同時にこのゲーム自体も有利になる。教示者のようなものだ。 相手のものがとんでもない高級品なら、これで奪えばいいだろう。 今即使えればうれしいし、色の都合などで使えなくても勝負に関係なくいいカードを手に入れられる。相手には恨まれそうだが。 アンティにあるのが全部どうでもいいレベルなら、これを使わなければいいだけの話。 フェイク・アンティ環境でも基本的には同様。 どちらかというと、自分のカードを回収する教示者的使い方のほうが多くなるだろう。 相手のカードがこちらのデッキにかみあっているのでなければ、わざわざ『使いづらい』カードを奪ってくる必要はない。 2001年8月のOracle変更でこのカード自身とアンティを交換するようになっていたが、2006年4月の変更で元に戻った。近年の「Oracleを印刷されたテキストに近付ける」という方針の一環であると思われるが、Forkなどでコピーしたときに(主に道義的に)問題があったこともあるだろう。 この効果では、あなたのライブラリーの一番上にあったカードのオーナーは変わらない。 通常は問題ないが、アンティにあるカードのオーナーが問題になる宝石の鳥/Jeweled Birdを使う場合は注意。 参考 カード個別評価:リバイズド(3rd) カード個別評価:アンリミテッド(2nd)
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220 :yukikaze:2011/12/06(火) 21 56 53 ロングが弾劾されても戦争続くかどうかちと考察。 ちなみに→136の設定を利用しています。 1943年3月13日。 この日、アメリカ合衆国大統領ヒューイ・ロングは、合衆国史上初めて 『弾劾裁判により罷免された大統領』という汚名を残して、ホワイトハウスより 叩き出された。 前年の大津波により東海岸が壊滅したことで、合衆国民の間では「ジャップと 戦争するよりも東海岸を救え」という声が強かったのだが、アメリカ軍の連戦連敗 の報に、ますます厭戦気分が強くなっていった。 政治的に追い詰められていたロングは、起死回生の手段として、日本本土に対する 化学兵器攻撃を行ったのだが、大部分は阻止され彼の目論見は失敗。 それどころか、日本の更なる激昂と、同攻撃によって犠牲になった捕虜の怒りを買うことになり 「だから反対したのだ」と、陸軍参謀総長が吐き捨てる結果になったのだった。 こうしたロングの醜態に、議会の議員たちは、政党の区別なく、彼を見限った。 彼らにしてみれば、ロングの愚行にこれ以上付き合うのはまっぴらごめんであり、 さっさと日本との戦争にけりをつけて、国土の復興に勤しんだ方が重要であった。 第一、戦争の原因であった中国での発砲事件が、彼らの自作自演であると暴露された以上、 議員たちからすれば、自分たちを騙した連中をわざわざ助けてやる必然性はどこにもなかった。 かくしてアメリカはロングを切り捨てて、この不毛な戦争を終わらせようとした。 だが、彼らは一つ重要なファクターを忘れていた。 彼らのこうした考えは、全て彼らの都合によるものであり、そしてそれを日本が 順守する義理も義務もないという事に。(続く) 225yukikaze 2011/12/06(火) 22 17 56 前述したように、ロングの化学兵器攻撃は日本を激昂させた。 彼らはこれまで「戦争は軍人がやるべきものであり、民間人を極力巻き込むべきではない」 という思想の元で戦っていた。無差別爆撃や無制限潜水艦作戦を行わなかったのがその例である。 彼らはそれを対外的には「武士道」と説明し、諸外国でも評価されてもいたのだが、 夢幻会の本音は「手当たり次第にぶっ壊したら、戦争終わった後で取立てなんてできないし、 無用な恨みを買うだけだろうが」という、崇高な理念など欠片もない打算的なものだったのだが。 だが、アメリカのこの掟破りな攻撃は、彼らが「外道」であると強調するのに十分であった。 彼らの怒りがどれほど凄まじかったと言えば、日本本土から後退するアメリカ艦隊に対して、 当時アラスカ攻撃をしていた第二艦隊が、対地攻撃を第三艦隊に任せて、ほぼ全速力で 突撃を開始。発見するや否や、ほぼ全力の航空攻撃を繰り出し、更には護衛部隊までもを 追撃部隊として突撃させ、それこそ1鑑残らず全滅させた。 この時、臨時砲戦部隊を指揮していた西村祥治少将は、日頃の温厚さをかなぐり捨てて 「全艦、弾がなくなるその瞬間まで、怒りを込めて奴らに撃ちまくれ」と命令したほどであった。 そしてアメリカは、日本のこうした怒りを知ってはいたものの、理解まではしていなかった。 彼らは、元凶であるロングさえ排除できれば日本の怒りは抑えられると判断していた。 例え民衆が激昂しようとも、国力差を理解している日本の首脳部は理性的な判断を示すであろうと。 彼らのこうした思いは、致命的な間違いを引き起こすことになる。(もう少し続く) 226 :yukikaze:2011/12/06(火) 22 47 51 1943年3月15日。 副大統領より昇格したガーナー大統領は、日本に対して停戦を訴える演説を行った。 タイミングとしてはそう悪いものではなかった。だが、彼はここで一つ間違いを犯した。 仮にこの停戦演説で、言い訳も何もせずに心からの謝罪をしていれば、また反応は違っていた かもしれない。 しかしながら、ガーナーが重要視していたのは、日本の反応よりも、これまでほとんど負けたことがない アメリカ国民に対して、いかに不利な情勢での停戦を受け入れさせるかという内政面での問題であった。 そうであるが故に、ガーナーの演説は、「アメリカはまだ戦う力は残しているものの、この戦争はロングが 引き起こしたことであり、そしてロングの愚行にアメリカ国民が付き合う必要性はどこにもない」という、 全ての責任をロングに押し付け、アメリカは日本に停戦をしてやったとみなされるような代物になった。 国内向けには満点と言える中身ではあった。だが、対外的に見た場合には最悪であった。 大の日本嫌いで知られていたヒトラーですら「仮に余が日本の指導者であったのなら、 それこそ国を灰にしてでも戦争を継続するわ」と、側近に呆れ果てて告げたほどであり 何より、日本国民はこの傲慢ともいえる演説に、「停戦だと? ふざけるな!! 戦う力が残されているというのならば、徹底的に叩き潰してやるわ」という声一色であった。 そして日本政府は、このアメリカ合衆国の声明に対し、こう返答することになる。 「ロング大統領を選んだのは誰か? アメリカ国民である。 ロング大統領の戦争を支持したのは誰か? それもアメリカ国民である。にも拘らず、ロングを選んだ過去は忘れ、自分たちはロングの被害者であるという。 世間ではこれを恥知らずであるというのだが、アメリカではそうではないらしい。 だが、我々はアメリカ国民に対して償いの機会を与えよう。以下、述べる条件を順守するというのならば 停戦を受け入れる」 そして日本が出した条件は、彼らの怒りを示すかのように厳しいものであった。 「ロングをはじめとする戦争指導者の処罰」を皮切りに、「アメリカ軍の軍備制限」 「戦争を推進した財閥やハースト系新聞の解体」「太平洋の非武装化」 等を要求として掲げ、更にそれらが成し得るまで、列強による査察団の常駐を 義務付けたのである。(後、1回続く) 236 :yukikaze:2011/12/06(火) 23 09 25 この日本政府の声明は、アメリカ国民に冷や水を浴びせるものであった。 彼らにしてみれば、元々戦争には乗り気ではなかったという観点から、 「ロングの馬鹿の行動をこちらで止めてやったんだ」という意識が強く、 日本側のこうした反応は、「こちらが譲歩してやっているのに、何を 調子に乗っていやがるんだ」という不快さを抱かせるものであった。 そしてこうした世論の動きを助長させたのが、名指しで批判された 財界とハースト系新聞であった。 彼らは口々に「道義的責任を盾にとって嵩に着る日本」というネガティブ キャンペーンを大々的に巻き起こし、停戦を撤回するように訴えた。 そして合衆国政府も、先の日本の回答を不快に思ったことから、こうした世論に乗る形で 「道義的責任を盾にとっての無法な要求は受け入れられない。平和を望むなら無条件で停戦を受け入れよ」 という宣言を出すことになる。 アメリカとしては「平和を愛するアメリカ」と「強欲な日本」というイメージを打ち出すことによって 国際的同情を獲得し、日本に対する圧力にしようと考えていたのである。 だが、アメリカの目論見はまるで役に立たなかった。 日本政府は、先の宣言に合わせる形で、英独伊仏に対して「我が国は貴国らと関係改善をする用意がある。 貴国らが、海軍力をまるで失ったアメリカ東海岸に攻め寄せ、大津波の被害を補填しようと 我が国は一切それを邪魔するつもりはない」と、秘密裏に宣言。 更に、これらの国の駐在武官たちを招いて、3式弾道弾と核実験を見学させ、「日本はアメリカ本土奥深くまで叩ける 槍を十分に確保している」ことを見せつけたのであった。 未だ潜在的な実力はあるが、回復するまでに多大な時間を要するであろうアメリカと、 強大な牙を有している日本。 国力に全くの余裕がない欧州各国がどちらかを選ぶかは自明の理であった。 彼らは明日のパンよりも、今日のパンこそ欲していたのだ。 世界各国が「アメリカは道義的責任感をまるで有していない」という批判の演説を 出す中で、日本が最初のーそしてこれから4ヶ月ほど続く攻撃が開始されたのは 1943年4月15日、デトロイトに叩き込まれた三式弾道弾の発射によるものであった。
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戦国の覇者/奇襲についての議論 最終更新日時 2007年10月28日このページの編集 【種別】 議論事項 【現在の議論項目】 ①奇襲の定義 ②そもそも奇襲は禁じるべき手段なのか? ③PC国家への奇襲とNPC国家への奇襲 ④奇襲に対する罰則の必要性とその内容 【意見】 ①(1)戦争状態に無い他家から、宣戦布告無しに、あるいは宣戦布告と同時に攻撃を受けた場合。 (2)戦争状態に無い他家から、宣戦布告無しに攻撃を受けた場合。 (3)友好関係にある他家から、宣戦布告無しに、あるいは宣戦布告と同時に攻撃を受けた場合。 ②(1)宣戦布告無しの奇襲はマナーとして禁ずるべき。 (2)仕様として可能であり、道義的デメリットも持つことから、特に禁ずる必要は無い。 (3)奇襲の予測も含めて戦略であり、特に禁ずる必要は無い。 ③(1)NPC国家への奇襲は奇襲と見做さない。 ④(1)他家に嫌われるなどのデメリットがある為、システム的な罰則は必要ない。 その他 携帯からの操作が可能であれば、奇襲がやりづらくなり、攻撃を察知する前に 挽回不可能なほどの大打撃を被る事は少なくなるのではないか? 【関連項目】 奇襲 ハイエナ 宣戦布告 掲示板をざっと見て、管理人であるYouth氏の見解も含め、まとめてみました。 -- 杜乃宮古 (2007-09-28 11 56 14) 他にも意見があれば、自分で追加するか、コメントとしてここに残しておいて下さい。 -- 杜乃宮古 (2007-09-28 11 56 59) ハイエナについてはより複雑な議論ですので、どなたか熟練者の方、作成をお願いしますm(_)m -- 名無しさん (2007-09-28 11 57 56) 名前 コメント
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ここは機種に関わらず、 ニコニコ動画・Youtube・USTなどにCall of Dutyの動画を投稿・配信している『生主・投稿者』を個別に紹介するまとめWikiです。 実況投稿者一覧 字幕投稿者一覧 ゆっくり実況者一覧 生放送主一覧 その他投稿者一覧 動画編集者一覧 書き方の例 ■本wiki利用規約 このwikiを観覧及び編集(無断転載等の触法行為も含む)した時点で、この規約に同意したものとします。 当wikiに関係した一切の行為について、全て権利は管理者へ譲渡され、その責任(法的責任を含む)は行為者自身が負うものとします。 日本および諸外国の現行法に違反、または犯罪を教唆する行為は禁止です。 あらゆる場合において個人の権利を侵害する情報の書き込みは禁止です。 当wikiに関わる行為・情報によって、現実/ゲーム及び各種コミュニティ内で損害やトラブル、または法的責務が発生しても当wiki管理人は一切の責任を負いかねます。 ここは『2ちゃんねる』ではありません。一般的な常識に基づいて利用してください。削除・変更など判断に迷うものは管理人の独断とします。 本人への事前・事後の連絡無く、当WIKIに集積された個人情報を第三者に開示する可能性があります。 また、本WIKIに関わる全ての情報、行為に関して管理人は保全性や健全性を一切保証しません。 当WIKIの管理・運営に関する全ての最終的な決定を行う権利は、管理人にあります。 ページやリンク、またはWIKIの削除、サイトの操作などは予告なく行われる場合がありますので、 管理人はこの行為において起きた損害・トラブルなどの法的、道義的責任を負わないものとします。 リンク先は管理外です。リンクを踏むのは自己責任です。管理人はこれらで受けた被害の責任を負いません。
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ガイドライン(利用規約) Lineage II 板 ガイドライン LineageIIについての話題であれば基本的に何でもおっけーです。 実況禁止 - こちら や こちら へ。 したらば利用規約 、日本および諸外国の現行法、 リネージュII 利用約款 に違反、またはそれを教唆する内容の書き込みは禁止です。 本名、住所、電話番号、また現実で個人を特定できるような情報の書き込みは禁止です。伏字等、推測出来る場合も駄目です。 当掲示板の閲覧と情報の利用、またあらゆる書き込み行為とその内容について、その行為者自身が全ての責任を負います。 またそれにより、現実/ゲーム内で各種の損害やトラブルが発生しても、当掲示板管理人および運営参画者は、一切の法的・道義的責任を負いません。 前項は、当掲示板の内容の明示的・暗示的な参照先(リンク等)についても同様です。 書き込み行為及びその内容に付随する、著作権や当人の個人情報コントロール権などの全ての権利は、書き込みが行われた時点で管理人に譲渡された物とみなします。 本人への事前・事後の連絡無く、当掲示板に集積された個人情報を、捜査機関などの第三者に開示する可能性があります。 また、本掲示板自身やその書き込み内容などについて、管理人は将来にわたる保全性や健全性を一切保証しません。 当掲示板の管理・運営に関する全ての最終的な決定を行う権利は、管理人にあることをご理解ください。 レスやスレッドの削除は予告なく行われる場合があります。 スレッドのタイトルにキャラクター名、血盟名またはそれを連想させるワードが書かれている場合、即削除対象です。 以上は、予告なしに変更されることがあります。あらかじめご了承ください。( 参考 ) 細かい基準は細則に書きます。 最終更新 2009-02-19
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議長、 御列席の皆様、 本件会合開催という、オバマ大統領の時宜を得たイニシアティブに感謝いたします。 唯一の被爆国としての道義的責任 本年の8月6日と9日、私は広島と長崎を訪れ、被爆者や被爆二世、三世の方々と直接話しました。わずか二発の原子爆弾によって20万人以上の市民の生命が奪われたことはもちろん、原爆投下から60年以上たった今日もなお、放射能の被害に苦しむ人々の姿を見て、私は心が詰まるのを禁じえませんでした。 世界の指導者の皆さんにも、ぜひ広島・長崎を訪れて核兵器の悲惨さを心に刻んでいただければと思います。 歴史の事実として言えば、我々は戦後の復興を遂げた後も、自らが核兵器を持つという道を選びませんでした。 1970年にはNPT(核兵器不拡散条約)に署名し、6年後に批准しました。1996年にはCTBT(包括的核実験禁止条約)に署名し、1年後に批准しております。 なぜ日本は、核兵器開発の潜在能力があるにもかかわらず、非核の道を歩んできたのでしょうか。日本は核兵器による攻撃を受けた唯一の国家であります。 しかし、我々は核軍拡の連鎖を断ち切る道を選びました。それこそが、唯一の被爆国として我が国が果たすべき道義的な責任だと信じたからであります。 近隣の国家が核開発を進めるたびに、「日本の核保有」を疑う声が出ると言います。だがそれは、被爆国としての責任を果たすため、核を持たないのだという我々の強い意志を知らないが故の話です。私は今日、日本が非核三原則を堅持することを改めて誓います。 「核兵器なき世界」への共鳴 しかし、日本が核兵器を持たないだけでは不十分であります。 核廃絶に対する日本の願いにも拘わらず、核保有国はいまだに膨大な数の核兵器を持ち、世界は核拡散の脅威にさらされています。 北朝鮮、イランの核問題、テロ組織による核物質・技術入手の可能性など、核不拡散の取組が重大な局面を迎えているのが厳しい現実であります。 だからこそ日本は、核廃絶に向けて先頭に立たなければなりません。 今年4月、オバマ大統領が「核兵器のない世界」の構想を示したことは、世界中の人々を勇気づけました。今こそ我々は、行動しなければなりません。 第一に、核保有国に対して核軍縮を求めます。透明性の確保と情報の開示が進めば、信頼醸成が可能となり、更なる核軍縮への好循環を生みます。 非核兵器地帯の創設は、P5と地域の非核兵器国との連携の下で進めることができれば、決議にあるように、核軍縮と拡散防止、ひいては世界と地域の平和と安定という目的に資するものとなり得ます。 第二に、CTBTの早期発効、カットオフ条約(兵器用核分裂物質生産禁止条約)の早期交渉開始を強く訴えたいと思います。 1954年3月1日、南太平洋ビキニ環礁における水爆実験で日本の第5福竜丸が被爆したことを私は思い起こします。 カットオフ条約によって「持てる国」の核兵器生産能力を凍結することは、核軍縮・不拡散の双方に貢献することになり、また、NPT体制をより平等なものにするためにも不可欠な措置であります。我々に浪費すべき時はありません。 第三に、日本自身が核軍縮・不拡散を主導する積極的な外交を展開します。 例えば、国連総会における核軍縮決議の提案、日豪による川口・エバンス国際委員会(核不拡散・核軍縮に関する国際委員会)の活動支援、IAEAの技術・専門性及び資源を強化するための取組を進めます。 エルバラダイ事務局長の果たしてきた役割に敬意を表し、天野次期事務局長の果たす役割にも期待し、サポートしていきたいと考えます。 第四に、新たな核拡散の動きに対し、積極的に対応します。 北朝鮮による核開発は我が国を含めた国際の平和と安全に対する脅威であり、断固として認めるわけにはいきません。 国連安保理決議第1874号の実効性を高めるため、更に必要な措置をとっていきます。イランの核問題に対しても懸念しております。 核不拡散に果たす国連安全保障理事会の役割は今後ますます高まっており、その強化を求めます。来年開催される核セキュリティ・サミットにも貢献したいと考えています。 第五に、今日採択された安保理決議にもあるように、原子力の平和利用にあたっては、拡散のリスクを低減し、保障措置・核セキュリティ・原子力安全の各項目について最高レベルの水準を遵守することが必要であります。 結語 これから来年5月のNPT運用検討会議までの間は、我々にとって「核兵器のない世界」に向けて現実的な第一歩を踏み出せるかどうかの、決定的に重要な時期であります。 核保有国であろうと、非核保有国であろうと、核軍縮・不拡散に向けて行動することは地球上のすべての国家の責任であります。 御清聴ありがとうございました。 出典:外務省ホームページより
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著作権等に対する本wikiの姿勢 著作権関係で参考にしたサイト 著作権法 デジタル・ネットワーク社会と著作権 | 著作権Q A | 公益社団法人著作権情報センター CRIC W3C 『"Deep Linking" in the World Wide Web』 「無断リンク禁止/直リンク禁止」命令に関する想定問答集 Wikipedia "引用" せっかくイロイロ調べたのでできるだけメモっておきます。 本Wikiでは、素人なりに努めて著作権法を意識して引用・参照していますので問題はないハズですが、完全だとも思っていません。 そこで、どういうスタンスで他サイトへのリンクや転載を行っているかを明示しておきます。 著作権法はWEBいじってれば必ず関わってくるところなので、備忘録的な意味もあります。 基本姿勢 まず大前提として、このwikiでは記事の転載はしていません。 参考サイトは基本的に参考でしかなく、技術を身に着けてから自分の文章で書いています。 コードについては"特にそれでなくてはならない"事情が無い限りは自分で書いています。 一部、公開されているコードを転載している箇所がありますが、アルゴリズムの範囲を越えない事、出典を明記している事、転載先ページの主目的として記載するのではなく、その解析を主なテーマとして利用しています。 ここで言うアルゴリズムとは、ある問題から解を導く成果物としてのソースコード全体ではなく、その解に至るためのいくつかのプロセスのうち、一部分を抜出して、その機能を実現するための手法や経路を指します。 リンクについて 次にリンクについてですが、ここらがちょっと揉める可能性のあるとこかなと思います。 いろいろ言い分はあるかもですが、法律的に問題ない事はわりとしっかり確認したので、いわゆる道義的側面は見て見ぬふりしてください。 当初はしっかりガッツリ書くつもりでしたが、お茶を濁す方針に決定。 だって個別にそのサイトの意向に沿えない理由を記述するのも、イチイチ相手の自分ルールに合わせてリンク貼るのもクッソ面倒だし(爆)、そうやって道義的側面とやらを考慮するとこちらの利益ばかりが一方的に害されるので玉虫色でお願いします。 ちなみに、このwikiに含まれる各記事に対するリンクはご自由にどうぞ。例えそれがここのwikiに対する批難だろうが、嘲笑だろうが、賞賛だろうが、そのリンクを拒む法律も大局的メリットもないので、あなた自身が法的責任を問われない範囲でうまい事やってください。 引用について 公表された記事の引用についても正しく使用する限りにおいては逆に著作権で保護されているそうなので、引用されたくない場合は記事を公表しないとか、閲覧を制限するとかしてください。 正しく使用するというのが、往々にして厄介なわけですけど、そこはこっちでがんばります。 と言っても、記事に関してはちゃんと噛み砕いてから自分の文章で書いてますので、その点は問題ないはずです。 ちなみに、著作権は本人の意思に関わらず発生するそうなので、当然このサイトの文章にも著作権が発生している事になるのでしょう。 しかし、私の権利がどうとかいうより、あなたが法律に怒られない範囲で、好きに使っていただいて結構です。 連絡とかお断りとかも不要です。仮にその目的が掲載記事に対するネガティブキャンペーンだったり、こき下ろす目的であったとしても、何ら問題はありません。 それをされるほどの価値があるとも思えませんけど。。。 ともかく、何にどう使っていただいても構いませんが、先にも述べたように法律にひっかかるレベルでの誹謗中傷はご自身のためにならないので、このwikiを褒めるにしろ馬鹿にするにしろ、ウマい事やってください。 あと、コードの転載はアルゴリズム(ある機能を実装する手法だとかテクニック。それだけでツールとしては使用できない)レベルに抑えてるので、著作権法の対象にはならないかなと思ってます。 それでも引用元は必ず記載するようにしていますので、問題があればご指摘ください。筋が通っていれば全力で対応いたします。 逆に言えば、このwikiにはほぼ単機能のアルゴリズムレベルでしかコードを記載していないので、転載しても何の問題もないという事になります。 関連法規 法律的には以下あたりが該当するみたいです。 該当要件みたいなものもあるみたいなので、拡大解釈、逸脱はしないようには気を付けました。 第30条の4 公表された著作物は、著作物の録音、録画その他の利用に係る技術の開発又は実用化のための試験の用に供する場合には、その必要と認められる限度において、利用することができる。 第32条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。