約 70,391 件
https://w.atwiki.jp/jfsdf/pages/235.html
865 名前:<平成日本召還拾遺物語> ◆OZummJyEIo 投稿日:2006/09/12(火) 23 28 22 [ Nz0LbtT6 ] ○新しき機械竜4 1/2 沖縄は旧米軍嘉手納基地の一角に建てられた総合航空航宙博物館。 そこは世界でも最大規模の、平成日本が運用した、或いは運用している機体のほぼ全てを網羅する、 航空機の博物館であった。 大は旧世界の遺物たる大型民間航空機B-747型機から、小は個人携帯用ヘリコプターまで。 新旧民間軍事を問わず、ほぼ全てが収められていた。 それらの中で一番に良い場所――戦闘機コーナーの先頭に平成日本及び 連合国 の正式採用主力機たる F-3戦闘機、烈風が展示されていた。 開発当初はxFE-1と呼称されていた本機がE(輸出用)の文字を外され、更にはF-2に続く3と云うナンバーを 与えられたのは、この廉価な汎用機に対し航空自衛隊が如何に期待していたかと云う事を物語って いるだろう。 この他にも、国民に対する宣伝の面もあった。 日本政府は大量の予算を投じて整備するのが、現在の航空自衛隊主力であるジェット戦闘機に対し 劣っている様に見える、否、実際問題として性能的には比べられる筈も無いプロペラ機を大量に採用する事で 国民が、国家への不信、平成日本が落魄してきているのでは無いかとの不安を抱かせない様にと、 考えていたのだ。 又、その前に補助戦闘機として採用していたFL-1の存在を糊塗する為にも、F-3の採用は大々的に 国民に宣伝される事となったのだ。 その為に、XFE-1が正式採用される際に航空機命名基準の改定が成されたのだった。 ピカピカに磨かれた姿は、見世物として展示される今でも[ 連合国 空の守護者]の渾名に相応しい 威厳に満ちていた。 「まさかここまで売れるとは思わなかったがね」 背広姿の小柄な男性、F-3の設計主任がサングラス越しに濃緑の機体を見上げた。 確かに烈風は売れていた。 輸出用のA型と国内用のB型から始まった烈風の生産は、A/B型の能力向上(汎用)型であるC/D型、 対地攻撃能力強化型のE型(※輸出専用)、機体構造を修正して艦載化したF型、設計の一部をを再設計 して機体構造の一新をした艦載型F2型、C型の夜戦能力向上型のI型、F型を元に早期警戒システムを 搭載したG型まで、現時点でも1500機を超える数が配備/売却され、更にはまだまだ生産が行われて いるのだ。 売れすぎとすら言っても良いだろう。 「嬉しいかい?」 そう問いかけたのは、航空自衛隊制服を着込んだ男であった。 設計主任に比べて、やや以上に横幅が太い。 XFE-1のテストパイロットであった大山少佐(当時一尉)であった。 日に焼けた顔に良く似合った、丸めがねをかけている。 「まぁね。そりゃ嬉しいですよ。鬼児扱いだったのが川崎蹴飛ばして大売れだってんだから愉快痛快ですがな。 しかし、久しぶりですな大山さん」 「ああ、お互い元気そうで何より」 共にXFE-1と云うプロペラ機に平成日本の未来、希望を夢見た男たちだった。 方や富士重工業の航空機部門における中心的設計技師。 F-3の改良型のみならず、そのコンポーネントを流用した低価格軽輸送/連絡機の開発に尽力していた。 方や航空自衛隊でも有数のプロペラ戦闘機通のベテランパイロット。 航空自衛隊の新設部隊のみならず、 連合国 参加諸国で新設される航空部隊の練成に尽力している。 夢叶っての忙しい立場。 それゆえにF-3の正式採用後には2人が直接顔を合わせる事など数回も無かった。 866 名前:<平成日本召還拾遺物語> ◆OZummJyEIo 投稿日:2006/09/12(火) 23 28 56 [ Nz0LbtT6 ] ○新しき機械竜4 2/2 そんな2人が一緒居る理由は、転移後10年近い月日を掛けて漸く完成した国産ステルス戦闘機、F-5の 完成披露式典に呼ばれたからだった。 F-5戦闘機、愛称は“颶風”。 F-22に比べてやや大型な機体に、先進的ステルス技術とレーダー技術、更にはF-22戦闘機を解析し、 実用化された大出力エンジンとを搭載した機。 F-22に匹敵する(凌駕では無い事が日本の航空技術の限界であった)戦闘機であった。 日本に於ける最大の風、その名を冠するにたる機体ではあった。 尤も、その調達予定数は162機(5個飛行隊分+α)と、1000近い航空機を保有する航空自衛隊の中で、 主力機と呼ぶには少数であった。 如何に予算規模が拡大しているとは云え、1機辺りの調達価格が140億を超えるのだから仕方の無い 現実であった。 そう、今後も航空自衛隊及び海上自衛隊の主力はF-3であり続けるのだった。 神州東部に新設された富士重工業の神州第一航空工場では、大馬力で量産が続けられていた。 「まだ改良を続けるのか?」 「ええ。F2型で実験できた新機軸を盛り込んだ、そうですねH型とでも云うべきものを構想してますよ」 楽しそうに笑う設計主任。 基本的には国内向けですが、と云う。 F-5系のものも採用が認められたんですよと。 量産効果による、F-5の価格低下を狙った面もあった。 が、それ以上に航空自衛隊の主力であるとの意識が大きかった。 平成日本が新たな世界にて得た翼は、更なる飛躍を行うのだった。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/3888.html
645 :百年戦争:2016/09/20(火) 00 00 27 ハワイ・ホノルル海軍病院に収容された嶋田繁太郎は、自分が放り込まれた世界の現実に頭を抱えていた。 「いったいこの世界はどうなっているんだ」 1905年第四次太平洋戦争。 何がどうしてこうなったのかさっぱり分からない混沌に、嶋田はひたすらに混乱するしかなかった。 そうして海軍病院の病室で唸り続ける嶋田に、主治医が『これはダメかも分からんね』と同僚に話し、海軍省に嶋田の退役を勧める書類を準備し始めた頃、一人の男がやってくる。 「……調子はどうだ、嶋ハン」 「ああ、だいぶ良いよ……高野」 「高野、か――俺が本当に高野だと思うか?」 見舞いに来てくれた同期生の言葉に嶋田は身体を強張らせ、続く言葉に驚愕する。 「この『山本五十六』と一緒に博打を打たないか『嶋田繁太郎宰相閣下』?」 夢幻会の憂鬱 1845年に日米間で戦争が勃発すると、当事者であるアメリカは困惑する。 そもそもアメリカ艦隊がハワイへとやってきたのは捕鯨船の補給地の確保と、イギリスの寡占状態(他にスペインとポルトガル。フランスは百年戦争の結果完全にアジアから追い出されていた)にあるアジア市場への進出が目的であり、日本に戦争を吹っ掛けるつもりなどは全くなかったのだ。 それなのにアメリカが日本に強硬な姿勢を取ったのは対日貿易がイギリスの独占に近い状態であり、さらにイギリス自身が日本の情報を欧州に広げようとしなかったために、アメリカが日本の事をまるで知らなかったからに過ぎない。 第二次百年戦争の間中イギリスが雇った日本人傭兵と日本自身に酷い目に遭わされ続け、インドの植民地を根こそぎにされたフランスは日本の事を他の欧州諸国より詳しく知っていたが、聞かれてもいない事をフランスがアメリカに教えてやる義理は無かった。 何より日本自身が特に積極的に欧州と交流を持とうとしていなかった事(オランダもフランスもイギリスの支援で植民地を一方的に攻撃されただけ)がアメリカの日本知らずに拍車をかけた。 草原の代わりに海を行きかうインディアン。軽く戦列艦の大砲で脅せは七面鳥を持って降伏してくる。 その程度にしか日本の事を考えていなかったアメリカは、まさか日本から宣戦布告されるなどとは夢にも思っていなかった。 そんなアメリカの無知は非情な現実となってアメリカの予測を大いに裏切る事になる。 太平洋に進出し始めていたアメリカ船舶は、日米開戦と同時に旭日旗を掲げた日本艦船によって次々と拿捕撃沈されていき、逆にアメリカが太平洋へと送り込んだ艦船は夢幻会の開き直りから150年以上海原を駆けまわっていた幕府海軍に全く対抗する事が出来なかった。 青筋を浮かべたイギリスがカナダ国境に兵力を配置しながらホワイトハウスに怒鳴り込んできて、アメリカはようやく事態の深刻さを理解する。 『もう一度だけ聞くが、大人しく日本に謝るつもりはないのか?』 最後通牒その物でしかない質問に、日本はイギリスの抱える原住民の部族国家とはまるで違う存在であるのだと思い知らされたアメリカは慌てて和平交渉の仲介を依頼。 これをアメリカ船舶を見つけるのが困難になり西海岸への上陸を計画していた日本がしぶしぶながら了承し、1847年に第一次太平洋戦争はひどく呆気なく終結をみる。 647 :百年戦争:2016/09/20(火) 00 01 58 アメリカは『和平仲介』の代償としてイギリスと係争中であったオレゴン・カントリーの南半分を購入させられることになり、有色人種に謝罪させられたアメリカは屈辱に震えながら軍事力増強を始め、これを七月革命で共和制になったフランスが支援。 1848年。腹いせのように米墨戦争へと突き進んでいった。 もう一方の当事者である日本の織田幕府は敵軍を撃破して謝罪を引き出させた事に一応の満足をしていたが、さすがに老朽化し始めていた国家制度に頭を悩ませていた。 成立から200年以上が経過した幕藩体制は途中で東南アジアさえ飲み込み、夢幻会が悲鳴を上げながら改正と更新を繰り返して一応は安定していたが、天皇家と将軍家の二重権威で治める世襲制軍事政権という物が時代に合わなくなって来ているのは明らかだった。 アジア太平洋を統治する多民族多宗教国家(しかも産業革命済み)で幕末祭りなど想像したくもない夢幻会は、ほとんど泣きながら明治維新の下準備を開始。 物理的精神的な死者を多数出しながら国内改革に勤しんでいく。 そして長い付き合いで日本のこの動きを察知したイギリスはジョンブルの本領を発揮し、日本を混乱させてそのアジア利権を浸食しようと――出来なかった。 イギリスが日本をけしかけて発生したオランダの消滅が、欧州大陸の力関係を大きくフランス優位に傾けていたからだ。 フランスは1678年にオランダを飲み込む事に成功すると、イギリスと日本によって壊滅させられたオランダの海運力ではなく、アムステルダムに蓄積された金融資本の力を駆使して欧州大陸全土に影響を及ぼし始めた。 未だ統一されていないドイツ・イタリア、民族資本の未発達なロシア・トルコに資本を貸し付けて影響力を確保し、欧州からイギリスを排除しようと画策。 各国への影響を強めすぎた結果ナポレオン戦争で欧州諸国の反発を受けて敗北するも金融資本を足場に影響力は保持しており、ドイツ・イタリアの過半を飲み込んで現代のローマ帝国になりかねない可能性を十分に秘めていた。 イギリスはこのフランスに対抗する為に植民地としてしか扱っていなかったアイルランド政策を変更し(アメリカに人材を流したくない夢幻会からの入れ知恵もあった)、1845年に発生したジャガイモ飢饉を全力で救済することまでやっていた。 それなのにここで日本を混乱させ、まかり間違ってフランス側に走られたら大英帝国は消滅する。 日本が体制改革に失敗した所にフランスが介入してアジア利権を奪われるだけでも致命傷になるだろう。 自分の想像に恐怖したイギリスは日本が首を傾げるほど日本の国内改革に協力的になっていく。 648 :百年戦争:2016/09/20(火) 00 02 32 1850年。米墨戦争が終結。 アメリカは太平洋側への出口を完全に確保するとカルフォルニアのゴールドラッシュとフランス資本を利用し、不要になったメキシコ湾艦隊を転用する事で日本に壊滅させられた太平洋側海軍力の拡大を開始。 これを日本への侵略準備と認識した織田幕府はアメリカに対抗する戦力の整備を始めるが、日米が明確に対立するよりも早くアメリカ国内での対立が深刻化する。 奴隷制を巡る対立、南北の産業構造の差異、そして対外進出の是非。 素朴であるが故に差別的な南部住民は、膨大な資金を投じてアジア市場に進出しようとする北部住民に異議を唱え始めたのだ。 史実とは異なる様相を見せ始めた 南北戦争の予兆を知った織田幕府が、南北対立をアメリカ弱体化に利用する事を決定。 明治維新に向けて全力を挙げる夢幻会が慌てて阻止に動くが、その努力も空しく奴隷制の南部に肩入れしている有色人国家・日本という混沌を産み出してしまう。 1861年。南北戦争が発生すると日本はアメリカ連合国を承認。 激怒した合衆国からの宣戦布告を受けて第二次太平洋戦争が勃発する。 ハワイへと侵攻してきた合衆国太平洋艦隊との第二次ハワイ沖海戦に勝利すると西海岸上陸作戦を実施。 人口の希薄なカルフォルニア全土を占領すると、南軍と共同してアリゾナ・ニューメキシコを連合国側に引き入れる事に成功させる。 人種差別による様々な軋轢を南軍との間に積み上げつつも北米大陸へと派兵。北部に人口で劣る南軍の貴重な戦力として合衆国と戦い続けた。 幕府軍がビックスバーグとゲティスバーグの勝利に貢献する事で南北の戦線維持に成功すると、1864年大統領選挙で主戦派のリンカーンが落選して和平派のマクレランが当選。1865年に南北停戦と日本との講和が合意される。 産業開発と保護貿易の北部合衆国にフランス資本が進出し、資源輸出と自由貿易を行う南部連合国と日本イギリスが貿易する事で北米は大西洋から太平洋にいたるラインで分断されてしまう事になった。 この事態に夢幻会は頭を抱えつつ日本の国内改革の総仕上げを実行。 1867年に大政奉還を実現させ、明治維新を達成する。 10年以上の下準備が可能であった為に広大な領域で混乱がほとんど発生しなかったことが、夢幻会唯一の慰めであった。 しかしながらこの南北戦争の結果は北部合衆国の日本への恨みを更に蓄積させる事になり、第三次太平洋戦争への火種へと繋がっていくことになる。 650 :百年戦争:2016/09/20(火) 00 05 03 投下は以上でした wiki転載などOKです どうしても文章じゃなく年表風になってしまう
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/8568.html
国際連合 / 日本国憲法改訂 / 憲法改正・敵国条項・緊急事態法と保健ファシズム + ニュースサーチ 旧敵国条項をめぐるイデオロギー言説について - アゴラ 国連のあり方など - アゴラ 【Podcast】国連は連合国 日本は今も敵国扱い 音声で聴く 歴史の真相 - 産経ニュース ジャニーズ性加害問題、国連作業部会が事務所代表から聞き取り「数百人が性的搾取と虐待、深く憂慮すべき疑念 ... - 中日新聞 日本がいまだに「国連の常任理事国」になれない本当の理由 | ゴールドオンライン - 幻冬舎ゴールドオンライン 国連の改革と強化等に向けた提言 | 政策 | ニュース - 自由民主党 米国追従の対中包囲は自滅の道 れいわ新選組・山本太郎の訴え 戦争経済で肥大化する軍産複合体 アジアを戦場にさせぬ ... - 長周新聞 自衛隊初の海外派遣 「武力行使でない」との政治決断に至るまで:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 小林よしのり氏が猛批判。ロシアを擁護する鈴木宗男氏の呆れた「北方領土」発言 - ページ 2 / 5 - まぐまぐニュース! - まぐまぐ! 小林よしのり氏が猛批判。ロシアを擁護する鈴木宗男氏の呆れた「北方領土」発言 - ページ 3 / 5 - まぐまぐニュース! - まぐまぐ! 【連載・終戦企画】憲法と安保考える時 台湾有事、日本にも危機感(2/全4回) - 岐阜新聞 れいわ山本代表が主張する「旧敵国条項があるから反撃能力を持つことはできない」は本当か(田上嘉一 ... - Yahoo!ニュース 小池都知事「国連本部を東京に移す」の本気度 「安保理はどういう役目なのか」機能不全を批判 - J-CASTニュース いつまで日本は「敵国」か?=死文化されても消えない「旧敵国条項」―日中領土紛争にも絡む? - Record China バイデン米大統領、日本の国連安保理常任理事国入りを支持 岸田首相明かす【日米首脳会談】 - Business Insider Japan 戦争情勢に抗う結集軸つくる れいわ新選組・山本太郎 参議院選に向け連日の全国行脚 - 長周新聞 ウクライナで戦争をするための「拒否権」絶対に認められない | | 衛藤征士郎 - 毎日新聞 世界の平和を守る国連に | お知らせ | ニュース - 自由民主党 ”国連安保理の改革に向けた外交努力を” 自民党 首相に提言へ - nhk.or.jp 自民党が国連改革を提言 首相「改革実現に全力」も高すぎる壁:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 国際連合と联合国など - アゴラ 「日本は世界平和に貢献していく」旧敵国条項の削除、米へ異例の打診:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 【衆院選2021】政党政策アンケート:れいわ新選組 - 自社 【一筆多論】露は国連の悪用をやめよ 遠藤良介(2/2ページ) - 産経ニュース WHOの問題は氷山の一角…「国連」のお粗末すぎる内情(大原 浩) @gendai_biz - 現代ビジネス 北方領土:ロシアに対してあるべき「毅然たる外交」とは? - アゴラ 自爆ドローンや原子力魚雷…ロシア、無人兵器の開発次々:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 「北方領土は合法的にロシアに移った」ラブロフ発言は正当か。ソ連もかつて旧敵国条項の無効を認めていた - ハフポスト日本版 「第2次大戦の結果を認めないのは、世界で日本だけ」 ロシアのラブロフ外相、「北方領土」呼称も問題視 - ハフポスト日本版 戦後70年、いまだに敗戦国扱いされる日本 - 東洋経済オンライン 開催報告 主催:日本国際連合協会福岡県本部 - Ministry of Foreign Affairs of Japan 戦後70年、いまだに敗戦国扱いされる日本 - 東洋経済オンライン 露外相が北方領土の「旧敵国条項」発言 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語(THE PAGE) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 安倍首相、常任理事国入りに意欲 “中国が最大の壁”と海外メディアは悲観的 - NewSphere 【国連改革】 - Ministry of Foreign Affairs of Japan 国連改革の報告書提出/諮問委がアナン事務総長に - しんぶん赤旗 ● 敵国条項〔Wikipedia〕 + 露外相が北方領土の「旧敵国条項」発言 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語 ■ 露外相が北方領土の「旧敵国条項」発言 早稲田塾講師・坂東太郎の時事用語 「THE PAGE(2015.6.3)」より / ロシアのラブロフ外相は先月、同国メディアのインタビューに答え、日ロ間の懸案になっている北方領土問題に絡んで「日本は第二次大戦の結果に疑問を付ける唯一の国だ」と述べ、さらに国際連言憲章(国連憲章)の「旧敵国条項」にも触れて戦勝国の行為は神聖で揺るぎない」とも発言しました。日本は反発しています。そこで、そもそも旧敵国条項とは何なのかについて考えてみました。 【地図】イチから分かる「北方領土問題」 「旧敵国条項」とは? 第二次世界大戦は日本やドイツを中心とする「枢軸国」と、イギリス、フランス、アメリカ、ソ連(現在の継承国はロシア)といった「連合国」の間で争われました。戦局が連合国有利に傾いた頃から戦後処理の話し合いが持たれ、日本の敗戦で終結した直後の1945年10月に51か国で発足したのが国連です。つまり戦争当事者の片方だけで設けた組織で、英語表記は「連合国」も「国連」もUnited Nationsです。 したがって戦時の色彩が憲章にも残っていて、代表的なのが安全保障理事会(安保理)常任理事国の存在と旧敵国条項でしょう。 旧敵国条項の特色は主に2点あります。国連の原則は戦争禁止。安保理の許可なくして武力行使できません。しかし旧敵国に対しては憲章57条で地域機構(例えば北大西洋条約機構など)が例外的に無許可で行使できます。もう1点は、107条で旧敵国に対する第二次世界大戦終結の際の取り決めが国連憲章に優先するというものです。 憲章には旧敵国がどこか明記されていません。しかし歴史的な流れから旧敵国は枢軸国側でしょう。1990年の国会答弁で外務省の委員は「具体的には日本ですとかドイツですとかイタリア、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドでございます」と述べています。一方、条項を行使できるのは国連原加盟国とみられます。 ラブロフ外相の意図 そもそも北方領土が問題となるのは日ロ両方の言い分に弱点があるから。日本側がつらいのは1951年のサンフランシスコ講和条約(サ条約)で「千島列島」「を放棄する」と約束した点。日本は北方4島は「千島列島に含まれない」としていますが、ソ連はそもそもサ条約を調印していません。 また日本は当時日ソ中立条約を結んでいたので、45年8月9日の対日参戦は条約違反とも訴えます。しかしソ連は同年2月のヤルタ協定で参戦の交換条件に「千島列島ハ『ソヴィエト』連邦ニ引渡サルヘシ」と米英首脳と密約しており、有効だと主張します。終戦の日も日本では連合国に降伏するポツダム宣言を前日受諾した旨を昭和天皇が伝えた8月15日としているのに対して、ロシアは2010年7月に、日本の降伏文書調印日である9月2日を「第二次世界大戦終結記念日」と定めました。9月2日までとなると今の北方領土の多くはソ連軍に占領されています。 唯一の合意文書といえるのは1956年の日ソ共同宣言で、平和条約締結と引き換えに歯舞、色丹は返却するという規定です。しかし条約はまだ結ばれておらず、日本は宣言にない国後、択捉の返還も訴えています。 要するに日ロともに決め手を欠くのです。そこで持ち出してきたのが旧敵国条項というわけです。この手法は1989年の日ソ平和条約作業グループ協議でソ連が初めて持ち出してきました。107条から「憲章のいかなる規定も、戦争の結果としてとり、又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない」ので「戦争の結果としてと」った北方領土はソ連のものだと。この時、日本はソ連の言い分を違法行為を合法化する難癖と反発しました。と同時に、旧敵国条項がこのように用いられるのは日本が国連入りして久しく、分担金も多く担ってきたのにあまりに不合理だという意見も出たのです。 ラブロフ発言は、ウクライナ情勢で欧米と足をそろえて経済制裁してきた日本へのあてつけもあるでしょう。グルジア(ジョージア)とウクライナで欧米が認めない国境変更や「独立」を後押ししている以上、極東の領土問題だけベタ下りするわけにもいかないですから。 「旧敵国条項」の現在 憲章は2条で国連加盟国すべてに主権平等の原則を基礎としています。終戦直後で旧敵国とされる国々が加盟していなかった(というか出来るはずがなかった)時点では、旧敵国条項も意味があったでしょうが、日本が1956年に、東西ドイツは73年に、イタリアも55年に加盟しており、ずいぶん月日が経ちました。 95年には国連総会が条項を「時代遅れ」とし、早期に削除する決議を採択しています。実際に憲章を改正するには文案を明らかにした決議案が総会で3分の2以上で採択されなければなりません。たぶんこれは確実でしょう。 問題は、次の段階で安保理常任理事国を含む加盟国の3分の2が批准(国内手続きの完了)して、初めて効力を持ちます。この批准作業が大変。条項撤廃に前向きな国々も、どうせならば同じく「時代遅れ」の批判がつきまとう安保理改革と一緒にやってしまいたいと考えているようです。ところが何かと角突き合わせている常任理事5か国も、こと「常任」(永久に理事)と、それのみが持つ拒否権に関しては、一致して「我々だけで」が真意のようで遅々として進みません。 とはいえ、旧敵国条項の削除そのものは95年段階で正式に約束されているのです。それを持ち出して、北方領土問題の正当性を言い立てるロシアは(1)そもそも筋違い、(2)時代遅れ、の二重の錯誤を犯しているといわざるを得ず、菅義偉官房長官の「ロシア側の主張に根拠はないし(外相の)指摘は全くあたらない」という記者会見での反論は当然といえましょう。 ただラブロフ外相の「日本は第二次大戦の結果に疑問を付ける唯一の国」発言は、北方領土問題に限定すれば的外れなものの、「先の大戦の結果に納得していない敗戦国」と拡大解釈される言動が要人からあれば、思わぬ正当性を与えかねない毒針でもあります。条項が撤廃されてもUnited Nations原加盟国の旧敵国であったのは揺るぎない事実で、そのUnited Nationsに入った以上、多少面白くない解釈、例えば「お前は永久に国連では(条項がなくなっても)旧敵国だ」と扱われても甘受しなければならない部分があります。といって不当な差別に屈するわけにもいきません。外交の力が問われています。 ■坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て現在、早稲田塾論文科講師、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など。【早稲田塾公式サイト】 ● 敵国条項が日本を限りなくアメリカに従属させている【敵国条項撤廃に断固反対する反日国家アメリカ】 「♪高校生のブログ♪柏発信(2021-02-23 18 07 33 )」より 敵国条項ですね 宣戦布告無しに 攻撃出来ます ロシアが開発した 最新鋭ミサイルは 首相官邸まで 僅か1分で到達します 最新鋭ミサイル一発で 終わりです 防御出来ません これが現実で有り 敵国条項は死文化では無い。 条約に死文化なんて有りません 自民党政権与党では 日本は滅びます 政権交代求む🇯🇵 https //t.co/v79IrjOtbs — issey🍉 (@T8Cy4yf9YhKPytv) June 26, 2024 敵国条項ですね 宣戦布告無しに 攻撃出来ます ロシアが開発した 最新鋭ミサイルは 首相官邸まで 僅か1分で到達します 最新鋭ミサイル一発で 終わりです 防御出来ません これが現実で有り 敵国条項は死文化では無い。 条約に死文化なんて有りません 自民党政権与党では 日本は滅びます 政権交代求む🇯🇵 ーーー ロシア外務省「露日関係悪化の原因は岸田政権が選択した反露政策にある。日本が憲法改正、軍隊の保持を禁止した憲法9条を改正すれば、ロシアは自国の安全を守るための対抗措置を取らざるを得なくなる」https //t.co/us8eK3tkmF SNS「敵国条項も解決できてないのに憲法を変えるのは危険」 — NewsSharing (@newssharing1) June 26, 2024 ※ https //twitter.com/rara1111122222/status/1739240846787277011 『日本も核兵器をもって抑止力強化だ!』 『改憲して戦える国に!』 なんて勇ましいことを言っている方は、敵国条項を学んでくださいね 人口削減政策を進めている日本政府が、国民を守るわけないでしょう わざと敵国条項を発動させ、日本の国土を火の海にすることは目に見えています@kishida230 https //t.co/qN3sxFtZh5 pic.twitter.com/yBLybnXMVj — はな (@rara1111122222) December 25, 2023 違います。国連憲章からは削除されていません。政界ではタブーなのです。 敵国条項が生きているから日米合同委員会もCSlSも日本に圧力を加えてくるのです↓。独も米軍から自由ではないです。欧州で最大の米軍基地は独です。今、独の米軍基地では宇兵も訓練してるらしい。https //t.co/760DgwPsT8 — なびすけすたいる [完全押しつけ憲法]はウソ/ 97条削除+緊急事態条項+敵国条項で亡国 (@nvskjp) May 7, 2022 米英ロによるヤルタ会談で合意されている以上、英米が反対はできないし、国連による終戦時の境界とされてしまったと考えるのが妥当。 この境界を変更しようという動きがある場合、国連憲章敵国条項で、自宣戦布告なしに「敵国」(日本)を攻撃でき、他国は止められないとしている。 敵国条項が問題。 https //t.co/z6STa0m9yE — Eyelet2012 (@Eyelet2012) March 20, 2022 【日本国憲法改正】 敵国条項撤廃に一貫して反対しているのは何を隠そう米国だ。日本を永久に従属国とする為である。9条改正は本来これを撤廃してからで、今改正すれば中国始め周辺国は日本を即軍事攻撃できる。つまり改憲の目的はそれを分かってやるつもりかNWOに必要な緊急事態条項の加憲だ。https //t.co/tx7DROmhSs — Transporter (@retopsnart) February 23, 2021 ーーーーー ■ 敵国条項が日本を限りなくアメリカに従属させている【敵国条項撤廃に断固反対する反日国家アメリカ】 「♪高校生のブログ♪柏発信(2021-02-23 18 07 33 )」より / {(※mono.....重要。詳細はサイト記事で) } 事実上死文化した条項 敵国条項は依然国連憲章上から削除に至っていないが、第53条と第107条は、敵国の全てが国際連合に加盟している現状では国連憲章制定時と状況が大きく変化したため、事実上死文化した条項と考えられている。 — ひまわり暇子 (@KxJLwIS1gqJQpOv) December 26, 2020 ■ 憲法9条は戦争憲法だったのか?(その1) 「刮目天(かつもくてん)のブログだ!(2017.9.14)」より ■ 憲法9条は戦争憲法だったのか?(その2) ■ 憲法9条は戦争憲法だったのか?(その3) ■ 憲法9条は戦争憲法だったのか?(その4) ■ 憲法9条は戦争憲法だったのか?(その5) 2017.9.17 / 【付録】占領憲法廃止と国連敵国条項について 占領憲法廃止は日本が現在の危機的状況を乗り越えるための、最も即応性があり、普通の国家に戻る唯一の手段とご理解ください。 9条改正では、国民投票という経験したことのないものがあり、特に核攻撃を受けたような混乱状態では本当に実施できるのか分かりません。そして、改正限界説が適用された場合には、改正できたとしても基本原則を温存しなくてはならず、5回に渡って考えてきたインチキ平和主義と日本弱体化の諸制度を排除することはできませんから(一番まずいのは皇位継承問題に臣民が口出しし、時の国民によって皇位が廃止されるかもしれないということです。完全に日本ではなくなり、シナかコリアと同じ国に堕ちることになりますよ( _ ) そして、国連敵国条項は日本が侵略的な軍事行動を起こしたときに発動されると思いますが、占領憲法廃止で自動的に発動されるわけはありません。 実際問題、安保理決議が必要でしょうから、特に日米同盟・日英同盟・日仏同盟などを有効にしておけば、反日国が敵国条項を盾に日本を攻撃しても逆に、国連で非難されることになるでしょう。 これを敵国条項を廃止する理由にもできます。 日本が自由主義陣営の一翼として活躍することを同盟国も期待していますから、問題はないと考えています。 もしも敵国条項が一方的に適用されるならば日米同盟がある現在でも発令されているはずですよね。 占領憲法廃止が即、戦前の全体主義の暗黒社会に戻るというのは護憲派のプロパガンダですよ。日本はファシズムの侵略国だというのも同様ですね。このプロパガンダはシナ共産党やコリアやトランプ政権以前の米国政府の工作でしょう。 日本が占領憲法を廃止しても平和国家としての行動は変わるわけでないという宣言は理解してもらう必要がありますが、今までの日本の状況を見れば「自分の国は自分で護る」という普通の国家に戻るわけですから、反日国家以外は十分に理解してもらえるでしょう。 政府は北朝鮮対策として、巡航ミサイル導入を本格検討するそうだ。しかし、ロシアと中国が黙っているかな。日本はいまだに国連の敵国条項の対象国で、日本が攻撃の準備をするだけで、連合国のロシアや中国は、国連の決議なしに敵国条項の対象国を攻撃することを、国連自身が認めているんだから。 — 高野敦志 (@lebleudeciel38) 2017年5月6日 ところで、そんな名目で巡航ミサイル買ったって、一発も打つことは許されない。なぜかってと国連憲章の敵国条項があるから。日本が手前の都合で「自衛だ」と言い張っても、国連の承諾なしに打てばそれは「先制攻撃」で「侵略」で、その時点で日本は国連の敵になる。 https //t.co/yGaV8YqAyn — kaz hagiwara(萩原 一彦) (@reservologic) 2017年5月6日 政府は巡航ミサイル導入を本格検討するらしい。 日本は国連の敵国条項の対象国に当たるんだが、導入に賛否ある意見の中で一切敵国条項を想定した意見が出てきていないのが非常に残念。 — Орлан★@反出生主義 (@oruran_1144) 2017年5月6日 私も9条改正には反対ではないんですよ。でも現実は敵国条項がある。相手国が日本に攻撃されると感じたら国連安保理で許可を取らなくても日本に対して先制攻撃してもいい。まずは敵国条項の撤廃からです。敵国条項を撤廃した上で9条のことを議論するべきです。#ヤバすぎる緊急事態条項 pic.twitter.com/s720u4pC7X — 汐留@趣味垢 (@shiodome_256) 2017年5月3日 期限切れ兵器の処分と最新兵器の実戦試験をアメリカが北朝鮮でやろうとする時に、安倍晋三は「評価する」などと無能丸出しの発言をして日本国民を危険にさらすが、交戦権があるとでも思ってるのか?「明治〜日本軍〜自民党」と醜態さらし続け、国連が「敵国条項」に位置付ける日本の立場を自覚しろ。 pic.twitter.com/SdDUdteJN7 — 武士道平和党 (@BushidoHeiwa) 2017年5月2日 【日本国憲法改正】 ■ 安倍内閣の憲法改正に賛成する人々。 「侍JP:日本人なら反安倍 : 反新自由主義・反グローバリズム(2017.5.3)」より / 安倍晋三首相は3日、憲法改正を求める集会にビデオメッセージを寄せ、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と表明した。首相は改正項目として9条を挙げて「1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという考え方は国民的な議論に値する」との考えを示した。 18年秋の自民党総裁選での3選を前提に、自らの悲願である憲法改正の実現に意欲を示した。野党の反発は必至だ。 首相がメッセージを寄せたのは、日本会議が主導する美しい日本の憲法をつくる国民の会などの改憲集会。 (※mono....中略、詳細はブログ記事で) / 国連の敵国条項に日本が設定されています。 ※注:敵国条項-Wikipedia 今のまま9条を改正したら、 国連常任理事国から武力行使を受けてしまう可能性が高いのに、 賛成している輩は一体何を考えているのでしょうか? 中国韓国がムカつく、だからアメリカと一緒に攻撃しちゃえ、くらいにしか 考えていないのではないでしょうか? 一つ前の記事でも取り上げましたが、特アに反日感情を植え付けているのは、 アメリカ、=国連 なのです。 これさえ分かっていれば賛成するわけがないと思いますが、 それがわからないのでしょうか? しかも緊急事態条項が含まれていて、国民が与党に逆らえない状態を作り出す項目まであるのに! (※mono....以下略) ■ 若者に未来はあるか 「henokaapa(2017.4.29)」より / 今回日本の保守政治が政治だけでなく文化まで壊していることを、今回の桑原さんの蔵書廃棄は改めて日本人に示した、と言ってもいい。偏った独りよがりの特にこの国の保守文化は人から広い視野を奪い自ら孤立へと歩む道程を示している、そして共謀罪の成立はこの国の未来への扉を自分から閉ざす行為だという事は、その閉鎖性から多くの人にも感じられていると思う。 (※mono....中略) / だからこそ戦後アメリカをはじめ国連安全保障理事国は日本に武力を持たせない方法を選んだのだ。そして今も敵国条項は生きているのが何故なのか、日本人はしっかり認識しておく必要がある、危険な国という認識がなければ敵国条項などとうになくなっている筈で、国連費用の20㌫も負担し続けた日本は本来ならとっくに国連総長が生まれても良い筈だった、しかし敵国条項を冠した国から国連総長が輩出されるわけはない。そういう現実をこの国の保守政治は戦争の責任とともに常に無視し続けている、それほど国際社会では今もって日本の保守政治を警戒し続けていることを日本の国民は忘れてはならないのだ、何故アメリカが今も中国と安全保障で繋がっているのか、私たちは忘れてはならない。そういう厳然とした事実を無視して自分たちの都合のいいように物事を歪曲して国民に伝えるのがこの国の保守政治であり、安倍政権の共謀罪成立の意図なのだという事を、国民は心して受け止めなければ、この国はまた滅亡へと向かう過ちを犯すことは火を見るより確かなことだ。 ■ その手があったか…!中国が『敵国条項』で尖閣侵攻を正当化してきた 「NAVERまとめ(2016.12.19)」より (※mono....櫛の歯的引用) / ▼まだ削除されてないの? 95年に削除を求める決議が採択された 出典 国連の「敵国条項」は、なぜなくならない? | web R25 国連憲章の改正は、加盟国の3分の2以上の国々が国内手続きに従った批准をしなければならない、というえらく面倒な手続きが必要なために、決議によって条項を“死文化”することにした。 「いつの日か憲章を改定するときがあれば敵国条項を削除すべきだ」と決議されたのであって、厳密にはいまでも敵国条項は残っている。 出典 【湯浅博の世界読解】日米安保は無効? 国連の「敵国条項」かざす中国の危険+(1/3ページ) - MSN産経ニュース / ▼そして現在、中国は国連やワシントンで… 「“日本は旧敵国なので、その侵略に対しては国連安保理決議なしに攻撃できる”と主張している」 出典 ザ・ボイス そこまで言うか! - AMラジオ 1242 ニッポン放送 / 「日米安保条約という二国間の条約よりも国連憲章のほうが上だ」 出典 ぼやきくっくり | 「アンカー」中国が尖閣挑発を正当化する根拠は『敵国条項』&安倍政権にすり寄るロシアと北朝鮮 中国は「日米安保条約という二国間の条約よりも国連憲章のほうが上だから、尖閣問題に関してアメリカは手を出すな」という主旨でロビー活動を展開しているという。 ▼中国は過去にも… 「敗戦国が勝者の領土を占領する道理があるのか」 出典 中国当局の傲慢トンデモ発言 「敗戦国が戦勝国の領土を占拠する道理ない」 J-CASTニュース 「反ファシズム戦争の勝利の成果を否定しようとしている」 出典 人民日報 国連は日本が国際秩序に挑戦するための舞台ではない お気に入り詳細を見る 「尖閣諸島問題での日本の行動は、国連憲章の目的と原則を踏みにじるものだ。」 出典 中国当局の傲慢トンデモ発言 「敗戦国が戦勝国の領土を占拠する道理ない」 J-CASTニュース ■ 【戦勝国:国連で敵国条項が外れていないのは、いまだに日本だけなんですよ!】安倍総理の米国スピーチの大成功からスタートする! 「誰もが知りたい、あの事実、その理由!(2015.5.10)」より (※mono....前半略) / 日本と米国が、今回の安倍総理の訪米で日米 の親密度の現れとして、日本国内でのメディア からは、その様子が伝えれらて来たが、こうい う時にこそ冷徹に日米関係の実情や国際政治 の本質を見直す必要がある。 そのことを痛切に見せ付けられ、また感じさせられ た一文を発見した。 それは、 第二次世界大戦敗戦後、日本は、 実は、当時の”大日本帝国”として敗戦したままの状態 であり国際政治での立場として、敗戦国のまま国連に 加盟している条文のままなので、これだけ戦後、途上国 支援や世界貢献をして来ておりながら、いまだに立場と しては、相変わらず単なる敗戦敵国だということなのだ。 (一方的に、戦勝国側に攻撃されてもしょうがない敵国 条項の対象国というどんでもな状態のままなのである) ここに、大きな国際政治上の差がでており、それが 日本国民の意識と紛争発生時の迫りくる危機との大い なるギャップなのだ。 これは、実に恐ろしい差のため利用された時には、 日本に存亡の危機をもたらすという事実がある。 (※mono....中略) / 同時期に敗戦国であった ”ドイツ、イタリア、日本”の3国 では、今やドイツ、イタリアは、NATO加盟国として、 正式に同盟国になっており、敵国条項を(国連)勝利者国 側からはずされている状況である。 今の現状の日本は、単に米国との同盟を結ん だのみの状態であり、国際連合の(条文)の中では、 敵国 (日本)が再度戦争を起こそうと画策したと判断 されただけで、いつでも戦勝国側 (米・英・中・ロシアほか戦勝国など:本来は、当時の蒋介石 政権の中華民国のみの権利だが)は、無条件で日本を攻撃 できるという! 条文になっているのは、ご存知であったでしょうか? 国際政治では、そういうことなのです! 日本にとって、まことに持って由々しき状態なのです。 (※mono....以下略) ★■ 【地球儀俯瞰 安倍外交の挑戦】常任理事国入りより「敵国条項」削除が先 「zakzak(2014.10.12)」より (※mono....櫛の歯的引用。詳細はサイト記事で) / 安倍晋三首相は9月25日、国連総会の一般討論演説に立った。来年の国連創設70年をにらみ、国連安全保障理事会の改革を訴え、「ふさわしい役割を担っていきたい」と、日本の常任理事国入りに意欲を示した。 / だが、米国、ロシア、英国、フランス、中国の全5常任理事国の批准がなければ発効しない。中国は依然反対だ。韓国、イタリア、メキシコなど「G4」近隣国でつくる「コンセンサス連合」の反対も根強い。外務省幹部も「目算は立っていない」と話す。 1945年に創設された国連の英語名は「ユナイテッド・ネイションズ(UN)」。日本語訳は国際連合だが、英訳では「連合国」、つまり第2次世界大戦で、日本やドイツなどの「枢軸国」と戦った国々のことだ。国連憲章にはいまでも「敵国条項」が残る。ある国を攻撃する場合は必ず国連安保理の承認が必要なのだが、旧枢軸国に再侵略の企てがある場合は先制攻撃が可能で、国連安保理の承認は不要という規定だ。 / 94年11月の国連総会第6委員会では、旧敵国条項削除を憲章改正特別委員会に求める決議が採択された。95年12月の国連総会では「53条と107条の国連憲章からの削除を求める決議」が採択されたが、正式手続きには至っていない。 このまま敵国条項を放置するのは危険だ。中国は、民主党政権が断行した沖縄県・尖閣諸島の国有化を「日本は中国への侵略を行っている」「日本の行動は、戦後の国際秩序と原則への重大な挑戦だ」などと批判している。敵国条項で日本を追い込もうとする思惑が透けてみえる。 ただ、78年に結ばれた日中平和友好条約第1条第2項は「日中双方は、国連憲章の原則に基づいて、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力または武力による威嚇に訴えないことを確認する」と規定している。この条約が、中国による先制攻撃を違法とする根拠になっている。条約がなければ、日本は最も攻めやすい国なのだ。 常任理事国入りは理想だが、まずは、この「敵国条項」削除が先ではないだろうか。国家安全保障を重視する安倍政権は真剣に検討してほしい。 (ジャーナリスト・長田達治) ■ 国連憲章の「敵国条項」がヤバい~「日本人の99%が知らない戦後洗脳史」 「のびやかな暮らし(2014.7.10)」より (※mono....櫛の歯的引用) / / 本書で白眉なのは、いくつかあります。 1.戦後は終わっていない明確な証拠 2.天皇家の資産の秘密~実は莫大な資産 3.戦後レジームは、日本の官僚や企業経営者も作ったところがある 4.日本の戦後処理をしたのはGHQではなく、実質、ウォール街の連中 5.日本から資本家とリーダーが誕生しない仕組みを作った 6.国連憲章の「敵国条項」問題~日本に対して軍事攻撃することは許されている といったところでしょうか。 / 「敵国条項」とは、「日本が戦争の準備を始めている」と、 「近隣諸国」が判断しただけで、日本を攻撃して良いとする条項といいます。 「ええっ!!」っとなるわけです。 これは唖然とします。 というのも、たとえば、中国が 「おいおい、日本、軍拡しているぞ、戦争する気じゃないか」 と勝手に判断して、国連に決議を求めて、万一、「そうですな」となれば、 日本は、軍事攻撃を仕掛けられてしまうと。 で、中国は、{今、国連決議無しで、日本を攻撃できるようなロビー活動を 熱心に行っている}と。 (※mono....以下略) ■ 国連憲章53条に規定された「敵国6ヵ国」のゆくえ 「ヒロさん日記(2005.11.25)」より (※mono....前後略) / 国際連合憲章:敵国条項 内容は、第二次世界大戦の際に枢軸国だった日本、ドイツ、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、フィンランドを対象(イタリアは途中で枢軸国から脱退し、連合国側に立って日独に宣戦したので除外)に、これら諸国が国連憲章等に違反した軍事行動を起こした際、旧連合国が国連決議等の拘束力に優先して軍事制裁を課す事が出来るとした差別条項だが、戦後半世紀が経過し、日・独が国連の中でも重要な地位を占める現状においては死文化条項であり、時勢に合わない等理由から、1995年の国連総会にで同条項の国連憲章からの削除を求める決議が圧倒的多数で採択されたが、安全保障理事会改組問題の難航で、国連憲章の改正に支障を来しており削除自体は未だ実現していない。 日本とドイツが敵国になっているのは有名だが、コマネチのルーマニア、ヨーグルトのブルガリア、フン族のハンガリー、シベリウスのフィンランドも、いまだに全世界を敵に回す「盟友」であったとは知らなかった。(イタリアは抜け駆けかい。裏切り者!) .
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/279.html
前半は第一次世界大戦参照 イタリア戦線 Template main? イタリアは名目上は1882年からドイツおよびオーストリアと三国同盟を締結していたが、いわゆる「未回収のイタリア」と呼ばれた南チロル、イストリア、ダルマチアといったオーストリアとの領土問題を抱えており、仏伊通商条約を理由に局外中立を宣言していた。しかし1915年4月にイギリス・フランスの働きかけによりロンドン協定に調印し、オーストリアへ宣戦布告した。 伊墺国境の山岳地帯という地形的有利を得たオーストリア軍に対し、貧弱な装備しか持たないイタリア軍は苦戦を強いられた。単調な作戦ばかりのルイージ・カドルナの指揮の拙さも手伝い、戦術的勝利を重ねながら決定的な勝利を得る事ができないでいたイタリア陸軍だったが、第四次イゾンツォの戦いでオーストリア軍に打撃を与えた(この時、オーストリア軍はドイツ軍に救援を要請している)のに続き、アジアーゴ攻勢の頓挫やブルシーロフ攻勢の大敗によって弱体化していたオーストリア軍を破ってゴリツィアを占領した。イタリア軍の攻勢は既に崩壊しつつあったオーストリア軍を確実に追い詰めていき、第十一次イゾンツォの戦いでバインジッツァ高地を占領した。 しかし1917年秋、友軍の危機を救う必要があったドイツ軍は東部戦線の状態が一段落ついたこともあり、オーストリア軍に突撃歩兵を含む援軍を派遣した。指揮権もオーストリア軍からドイツ軍へと移され、10月26日にドイツ軍指揮官オットー・フォン・ベロウはロシアのブルシーロフ攻勢を模倣した浸透戦術を用いて、イタリア陸軍に大打撃を与えた(カポレットの戦い)。これにより12マイル後方のタリアメント川に下がったイタリア軍は、新たな指揮官アルマンド・ディアズと英仏の支援の元に戦線を建て直し、勢い付いたオーストリア軍をピアーヴェ川の戦いで破って進軍を押しとどめた。ディアズはヴィットリオ・ヴェネトの戦いでオーストリア軍との戦いに決着を付ける。 カポレットの戦いの後、連合国側はイタリアのラパッロで会談した。其処でそれまでの個別の戦争指導を改め、ヴェルサイユに連合国最高会議を設立して各国の状況を考慮しながら統一された戦争計画を推進する事を決めた。 東部戦線 ロシアの撤退とルーマニアの敗北 Template main? 西部戦線が塹壕線で膠着した頃、東部戦線では流動的な状況が続いていた。緒戦でロシア軍はオーストリア領ガリツィアおよびドイツ領東プロイセンへ進攻したが、東プロイセンではタンネンベルクの戦いでドイツ軍に大敗した。ロシアの遅れた経済と軍事組織では、ドイツとオーストリアとを足し合わせた国力に対抗できないことが露呈した。1915年春、ロシア軍はガリツィアから撤退した。独墺軍は5月にポーランドの南国境でゴルリッツ突破戦を実施し、著しい前進を達成した。独墺軍は8月5日にワルシャワを占領、ロシア軍はポーランド全土を放棄した。これは「大撤退」とも呼ばれる。 1916年6月、ロシア軍は東ガリツィアにおいて浸透戦術を用いたブルシーロフ攻勢を実施し、オーストリア軍に大損害を負わせた。しかし勝利した戦区の指揮官を支援することに他の将軍が躊躇したために戦果を拡大させることはできなかった。ブルシーロフ攻勢の成功を見て、8月にルーマニアが連合国側に立って参戦した。しかし弱体なルーマニア軍は短期間のうちに撃破され、12月6日にブカレストが中央同盟軍に落ちた。 セルビアの敗北とテッサロニキ戦線の開拓 セルビアは1914年8月から12月における3回のオーストリア軍の侵攻を防いでいた。1915年9月、ブルガリアが中央同盟国側に立った参戦を確約したことで、中央同盟国はセルビアへの攻勢を計画した。10月、ドイツ軍がドナウ川を渡河しベオグラードに突入、ブルガリア軍が南部国境を突破した。セルビア軍と国王はアルバニアとギリシアへの逃亡を余儀なくされた。 セルビア軍の敗北の末、英仏軍はテッサロニキへ上陸してセルビア軍を支援するとともに、ギリシア政府に対して連合国側に立って参戦するよう圧力を掛けた。特にフランス軍はギリシャの中立を無視し、ギリシャのコールフ島を占拠して、新たに戦線を開げた。これはテッサロニキ戦線と呼ばれていた。1915年から1918年にかけて、イギリス、フランスおよびロシアとセルビアの残軍はこのところでブルガリアと対峙していた。1917年4月~6月、イギリス軍はブルガリアに対する攻撃に失敗したものの、ギリシャが協商国側で参戦し、協商国側は有利になった。 1918年、連合軍の総攻撃に伴い、兵力が足りないドイツ軍は連合軍に降伏した。既に戦争遂行能力に問題のあったブルガリアでは国内で反乱が起き、民衆の間で戦争をやめる掛け声が高まりつつあった。停戦が宣言されるまで反乱は止まらなかった。敗戦後の混乱で、当時ブルガリア王であったフェルディナンド1世は英仏の圧力を受け、退位しなければならなかった。 ロシア革命 right|thumb|220px|[[10月革命におけるウラジーミル・レーニンペトログラード 1917年]] Template main? 戦争が長期化するにつれて、ロシア政府の戦争指導に対し、兵士と民衆の不満が増大した。皇帝ニコライ2世は内政不安についての現状認識が欠けたままであり、皇后アレクサンドラの政治はさらに無能だった。こうして各方面から抗議が巻き起こり、1916年末に保守的な貴族によりアレクサンドラの寵臣グリゴリー・ラスプーチンが暗殺される事態に至る。 1917年3月、首都ペトログラード(現在のサンクトペテルブルク)で起こったデモが拡大し、ニコライ2世は遂に退位を宣言、中道派臨時政府が成立した。だが戦線と国内の両方で手の付けられない大混乱が続いた。ウラジーミル・レーニンが指導する急進的な左翼ボリシェヴィキ党は、こうした混乱を権力を獲得するために戦略的に使用した。10月24日、ボリシェヴィキは武力行動を開始。ペトログラードの要所を制圧し、臨時政府を打倒した。 12月、ボリシェヴィキ政府は中央同盟国との休戦交渉を開始した、初めボリシェヴィキ政府はヨーロッパの労働者の蜂起を当てにして中央同盟国が出した条件を拒絶した。そうしている間に、1918年2月にボリシェヴィキと対立していたウクライナ国民共和国が中央同盟国と結び、中央同盟軍が戦争を再開、瞬く間に全ウクライナを奪回した。窮地に立たされたボリシェヴィキ政府は3月3日にブレスト=リトフスク条約に同意した。それは戦争を終結させる代わりに、中央同盟国へフィンランド、バルト地方、ポーランドおよびウクライナを含む広大な領土を割譲するという厳しい内容だった。 シベリア出兵 Template main? ロシアが戦争から離脱したことで、日本、イギリス、アメリカをはじめとする連合軍は、革命政府に対抗する皇帝派を支援するため、革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出することを口実にロシアへ出兵した。連合軍はバレンツ海に面したアルハンゲリスクと、太平洋側のウラジオストクに上陸した。出兵は第一次世界大戦の終結後も継続され、1925年の日本軍の北樺太撤収を最後に終了した。 終盤戦 Template main? アメリカ参戦 thumb|right|220px|[[ウッドロウ・ウィルソン|ウィルソン大統領の演説ドイツのとの外交関係断絶を発表している]] thumb|220px|right|[[毒ガスの被害を受けたイギリス兵フランダース 1918年]] アメリカ合衆国は長い間モンロー主義に基づき、ヨーロッパでの国際紛争には関与しない孤立主義を取っていた。しかし1917年の初めにドイツが無制限潜水艦作戦を再開したこと、さらにツィンメルマン電報事件が発覚したことで、ドイツに対する世論の怒りが湧き上がり国交断絶に至った。さらに大統領ウッドロウ・ウィルソンは連邦議会へ対ドイツ宣戦を要請し、上院は82対6、下院は373対50をもってこれを決議、1917年4月6日にアメリカはドイツへ宣戦布告した。ウィルソンは、オーストリアとは別途平和を保ちたいと考えたが、オーストリアはドイツとの関係を捨てなかったため、アメリカは1917年12月にオーストリアに対しても宣戦布告した。 アメリカ陸軍と州兵はメキシコの「山賊」パンチョ・ビリャを追いかけるために、既に1916年に戦時体制を取っており、それが動員を速めるのに役立った。アメリカ海軍は連合国艦隊に参加するため大西洋各地に艦隊を送った。しかしアメリカが西部戦線へ陸軍兵力を送り込むことが可能になるまでには時間が必要だった。英仏はアメリカ軍の歩兵を英仏軍部隊へ分散させて配属させることを主張したが、アメリカ遠征軍指揮官ジョン・パーシング将軍はこれを承諾しなかった。だが、パーシングは英仏軍ではとうに使われなくなっていた正面攻撃戦術に固執し、結果としてアメリカ軍は1918年夏と秋の作戦で非常に高い死傷率を経験した。 ドイツ軍の春季攻勢 ドイツ軍は、ボリシェヴィキ政府と講和したことで、東部戦線から西部戦線へ部隊を転進させることができるようになった。西部戦線へ送り込まれるドイツ軍の増援と、新しく連合軍に加わるアメリカ軍とによって、戦争の最終結果は西部戦線で決定されることになった。皮肉なことではあるが、ブレスト=リトフスク条約で中央同盟国が占領した領土が小さかったなら、ドイツ軍はより多くの兵力を西部戦線へ投入でき、戦争の結末も違っていたかもしれない。 ドイツ参謀次長エーリヒ・ルーデンドルフは、アメリカ軍の到着により、これ以上長引く戦争に勝利することはできないことを悟っていた。更に、戦争の長期化によりヨーロッパ全土で社会崩壊と革命の可能性が高まることを恐れるようになった。しかし、東部戦線からの増援と新しい歩兵戦術の使用により、西部戦線での迅速な攻勢によって決定的な勝利を得ることに大きな望みを賭けていた。作戦は英仏両軍の中間に攻勢をかけて分断し、イギリス軍を北に圧迫してドーバー海峡へと追いやることを目標としていた。決定的な勝利を得るために、浸透戦術の徹底、航空機の活用、詳細な砲撃計画、毒ガスの大規模な使用が図られた。 1918年3月21日、1918年春季攻勢の緒戦であるミヒャエル作戦が発動された。ドイツ軍は英仏両軍の間隙を突くことに成功し、8日間の戦闘により65キロもの前進に成功した。パリ東方100キロに到達したドイツ軍は、1914年以来初めてパリを砲撃の射程圏内に収めた。3門のクルップ製超大型列車砲がパリに183発の砲弾を撃ち込み、多くの市民がパリから脱出した。ヴィルヘルム2世は3月24日を国民の祝日であると宣言した。ドイツ人の多くが勝利を確信した。 連合軍の最終攻勢 ドイツ軍の攻勢を受けて、英仏両軍は指揮系統の統一に同意し、総司令官としてフェルディナン・フォッシュが任命された。フォッシュによる巧みな戦線の再構築によってルーデンドルフが意図していた突破の可能性は消滅し、従来と同様の消耗戦の様相を呈してきた。5月にはアメリカ軍師団が初めて前線に投入され、夏までには毎月30万人の兵士がアメリカから輸送された。総兵力210万人のアメリカ軍の登場によって、それまで均衡を保っていた西部戦線に変化が生じた。 フォシュはドイツ軍の攻勢によってマルヌ付近に形成された突起部に対する攻撃を企画し、7月に第二次マルヌ会戦が発生した。攻撃はこれまでに見ない成功を収め、翌8月には突起部が解消された。この戦闘が終了した2日後にはアミアンの戦いが開始され、600輌以上の戦車と800機の飛行機を使用したこの戦闘では全前線において前線突破に成功し、ヒンデンブルクはこの8月8日をドイツ軍にとり最悪の一日と称することになった。9月になるとジョン・パーシングに率いられたアメリカ軍が50万以上の兵力を投入したサン・ミッシェルの戦いが開始された。これに続いてアメリカ軍は10個師団を投入してムーズ・アルゴンヌ攻勢を実施した。 戦争終結 ドイツ革命 Template main? ドイツでは人的資源が枯渇し、経済的、社会的な混乱は頂点に達していた。反戦運動は頻繁に発生し、陸軍の士気は低下した。工業生産は1913年に比べて53パーセント落ちていた。ドイツに敗北が切迫しているというニュースはドイツ軍全体に広がった。海軍提督ラインハルト・シェアとルーデンドルフは、艦隊を出撃させて起死回生を図ることとしたが、出撃の情報がキール軍港の水兵まで届くと、水兵の多くは非公式の外出をとった。つまり自殺の企て以外の何ものでもないとしか思えない攻撃に参加することを拒絶したのだった。10月26日にヴィルヘルム2世はルーデンドルフを解任した。 しかしながらルーデンドルフは、1918年9月の終わりから、帝国議会のメンバー、特にマティアス・エルツベルガーが率いる与党中道派、リベラル派と社会民主党に権力を委譲していた。ルーデンドルフ自身は伝統主義的保守主義者だったが、彼はドイツを民主化する新しい改革を提起することによって、皇帝の統治を継続することができ、ロシアで見られたような社会主義革命の危険性を減らすと信じた。 社会民主党のマックス・フォン・バーデン公爵が責任者になり、和平交渉が彼の所掌下に置かれた。フォン・バーデンは立憲君主制か帝政の完全な廃止かの間で迷っていたが、1918年11月9日にフィリップ・シャイデマンが帝国議事堂の最上階のバルコニーからドイツを共和国であると宣言すると、フォン・バーデンは、皇帝自身が心を決める前に、皇帝が退位する予定だと発表した。帝制は崩壊し、新しいドイツが生まれた。これがワイマール共和国である。 休戦協定 中央同盟国の中で最初に休戦協定に署名したのはブルガリアだった(1918年9月29日)。トルコは10月30日に降伏した。オーストリアとの休戦は11月4日午後3時に発効した。オーストリアとハンガリーは、ハプスブルグ体制の崩壊の時点で既に、別々の休戦協定に署名していた。 ドイツでは11月9日に共和国の成立が宣言され、ドイツ帝国は終わりを迎えた。翌日ヴィルヘルム2世はオランダへ亡命した。11月11日にパリ郊外コンピエーニュの森に置かれた食堂車2419Dの車内において、ドイツは連合軍との休戦協定に署名し、11月11日午前11時に軍事行動は停止されたこの日を各国では「休戦記念日」と呼び祝っている。。公式には戦争はヴェルサイユ条約の締結により終わった。 日本の参戦 Template main? 日本は日英同盟に基づいて連合国の一員として参戦し、陸軍はドイツが権益を持つ中華民国山東省の租借地青島を攻略、海軍は南洋諸島を攻略した他、1917年にはインド洋と地中海で連合国側商船の護衛と救助活動を行った。またロシア革命後の1919年にシベリア出兵を実施した。 これらの数多くの実績により、大日本帝国も連合国の5大国の一国としてパリ講和会議に参加し、パラオやマーシャル諸島などの、それまでドイツが支配下に置いていた赤道以北の南洋群島を信託統治領として譲り受けるとともに、国際連盟の常任理事国となった。 戦時下においては陸海軍とも国際法を遵守し、ドイツ軍捕虜を丁重に扱った。青島で捕獲した捕虜約4,700名は徳島県板東など12か所の収容所に送られたが、特に板東捕虜収容所での扱いはきわめて丁寧で、ドイツ兵は地元住民との交流も許され、ドイツ料理やビールをはじめ、数多くのドイツ文化が日本人に伝えられた。ベートーベンの「交響曲第9番」はこのときドイツ人捕虜によって演奏され、はじめて日本に伝えられた。 影響 犠牲者 Template 右? 古い思想の戦争のまま始められた第一次世界大戦は、開戦当時には予想もしなかった結果をもって終了した。長期にわたった戦争は膨大な犠牲者を生み出した。戦闘員の戦死者は900万人、非戦闘員の死者は1,000万人、負傷者は2,200万人と推定されている。国別の戦死者はドイツ177万人、オーストリア120万人、イギリス91万人、フランス136万人、ロシア170万人、イタリア65万人、アメリカ13万人に及んだ。またこの戦争によって、当時流行していたスペイン風邪が船舶を伝い伝染して世界的に猛威をふるい、戦没者を上回る数の病没者を出した。 これまでの戦争では、戦勝国は戦費や戦争による損失の全部または一部を敗戦国からの賠償金によって取り戻すことが普通だったが、第一次世界大戦による損害はもはや敗戦国に負わせられるようなものではなかった。しかしながら、莫大な資源・国富の消耗、そして膨大な死者を生み出した戦争を人々は憎悪し、敗戦国に過酷な条件を突きつけることとなった。 ヴェルサイユ体制 第一次世界大戦は、ヨーロッパの君主制の消滅をもたらし、旧世界秩序を決定的に破壊した。ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、そしてロシア帝国の4つの帝国が分解した。ホーエンツォレルン家、ハプスブルク家、オスマン家、そしてロマノフ家の4つの王家は中世以来の権力を持っていたが、この戦争中か戦後に没落した。またこの戦争は、ボリシェヴィキがロシア革命を起こす契機となり、20世紀に社会主義が世界を席巻する契機となった。 1919年にパリ講和会議が始まる。ドイツでは皇帝家であるホーエンツォレルン家を始めすべての王侯貴族が追放された。またヴェルサイユ条約により巨額の賠償金を課せられたために激しいインフレーションが引き起こされた。さらに条約によりドイツ人が居住する領土を割譲させられたことで、ルール問題、ズデーテン問題、ポーランド回廊問題が発生した。これらの問題は第二次世界大戦の直接の原因となった。 オーストリアでも600年以上に渡って君臨してきたハプスブルク家が追放された。多民族国家だったオーストリアは、サン=ジェルマン条約により、民族自決の大義のもと旧帝国内の地域がこぞって独立、従来の4分の1にまで領土を減らされ小国に転落した。中央ヨーロッパには新しい国家チェコスロバキアとユーゴスラビアが生まれ、ポーランドが復活した。 オスマントルコはセーヴル条約により多くの領土を減らされた。この時イギリスがアラブ人とユダヤ人の双方にパレスチナでの国家建設を約束したことが後のパレスチナ問題につながってゆく。オスマントルコは講和締結をめぐる論争の中で崩壊し、近代民主主義国家トルコが誕生した。ギリシャとトルコの希土戦争は1924年に終わるが、これが第一次世界大戦に直接起因する最後の戦争である。旧オスマン帝国の崩壊は現代につながる国際紛争の原因を生み出した。アラブ諸国とイスラエルの衝突、キプロスを巡るギリシャとトルコの対立、1980年代のイラン・イラク戦争、1990年代の湾岸戦争とユーゴスラビア紛争、そして21世紀のイラク戦争である。 国際平和への努力 第一次世界大戦による災厄の巨大さを目の当たりにしたことで、国際社会では厭戦感が広がった。戦後の国際関係においては平和協調が図られた。1920年にウィルソン大統領の提唱により人類史上初の国際平和機構である国際連盟が設立され、1925年にはロカルノ条約、1928年には主要国間で不戦条約(ケロッグ=ブリアン協定)が締結された。 しかしながら、これら国際平和のためのさまざまな努力もむなしく、第一次世界大戦の原因と結果をめぐる多くの戦後処理の失敗と、世界恐慌による経済危機により、共産主義がさらに勢力を得て、それに伴いイタリアではファシズムが、ドイツではナチズムが台頭する。戦争終結のわずか20年後、人類史上類のない被害をもたらす世界大戦が再び繰り返されるのである。 年表 thumb|200px|アメリカ陸軍の募兵ポスター br / 欧州における悲惨な戦状が伝えられているにも関わらず多くの若者が入隊した。 br / ポスターの人物は[[アンクル・サム。]] thumb|200px|フランスのハイ・ウッド・セメトリー br / イギリスでは赤い[[ヒナゲシ|ポピーが第一次世界大戦における犠牲の象徴とされている]] 1914年 6月28日 - ボスニアでサラエボ事件発生 7月28日 - オーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告 8月 - ロシア、ドイツ、フランス、イギリスが参戦、タンネンベルクの戦い 8月23日 - 日本がドイツに宣戦布告 9月 - マルヌ会戦 9月2日 - 日本軍がドイツ権益地の山東省に上陸 10月 - 日本軍がドイツ領南洋諸島攻略(日独戦争) 10月7日 - 山東省・済南攻略 11月 - オスマントルコが参戦 11月7日 - ドイツ租借地青島を攻略(青島の戦い) 12月 - デンマーク、ノルウェー、スウェーデンが中立宣言 1915年 1月 - 日本が中華民国にいわゆる21か条の要求を送付 4月 - イープルの戦い。ドイツ軍が毒ガスを初使用 4月 - ガリポリの戦い(- 1916年1月) 5月 - ルシタニア号事件、イタリアがオーストリア=ハンガリーに宣戦布告 10月 - ブルガリア王国がセルビアに宣戦布告 1916年 2月 - ヴェルダンの戦い 5月 - ユトランド沖海戦 7月 - ソンムの戦い 1917年 ドイツ海軍が無制限潜水艦作戦を開始。日本の駆逐艦隊が地中海に派遣 3月 - ロシア革命(2月革命)。暫定政府設立 4月 - アメリカ参戦 11月 - ロシア革命(10月革命)。ボリシェヴィキが権力を掌握 11月26日 - フィンランド独立宣言 1918年 1月 - フィンランドで赤衛軍と白衛軍によるフィンランド内戦が発生 3月 - ブレスト=リトフスク条約締結。ロシアボリシェヴィキ政権が同盟国側と単独講和 8月 - チェコ軍団救出を名目としてシベリア出兵開始。ロシア内戦の激化 9月 - ブルガリアが降伏 10月 - オスマントルコが降伏 11月3日 - ドイツのキール軍港で水兵の反乱が発生。ドイツ革命の開始 11月4日 - オーストリア降伏 11月10日 - ヴィルヘルム2世が退位。オランダへ亡命 11月11日 - コンピエーニュにおいてドイツ軍と連合国軍との間の休戦協定成立。 1919年 1月28日 - パリ講和会議開会。 6月28日 - ヴェルサイユ条約調印。第一次世界大戦終結。 9月19日 - サンジェルマン条約(対オーストリア講和条約)調印。 11月27日 - ヌイイ条約(対ブルガリア講和条約)調印。 1920年 1月10日 - ヴェルサイユ条約発効。国際連盟発足。 6月4日 - トリアノン条約(対ハンガリー講和条約)調印。 8月21日 - セーヴル条約(対トルコ講和条約)調印。トルコ議会、批准を否決。 第一次世界大戦を題材とした作品 小説 アンリ・バルビュス 『砲火』(1916) エルンスト・ユンガー 『鋼鉄の嵐の中で』(1920) エーリッヒ・マリア・レマルク 『西部戦線異状なし』(1929) アーネスト・ヘミングウェイ 『武器よさらば』(1929) 映画 『担へ銃』 1918年アメリカ、監督・主演・脚本チャールズ・チャップリンチャップリンの代表的な無声映画。内容はコミカルだが、塹壕での日常生活を詳細に描いている。 『西部戦線異状なし』 1930年アメリカ、監督ルイス・マイルストーン、主演リュー・エアーズエーリッヒ・マリア・レマルクの同名小説を映画化。世界最初の反戦映画とも呼ばれており、日本で初公開された時は検閲で多数の場面が削除された。この年のアカデミー賞で作品賞など二部門受賞している。なお、主人公が狙撃される有名なラストシーンは原作には存在しない映画オリジナルのものである。 『武器よさらば』 1932年アメリカ、監督フランク・ボーゼイジ、主演ゲイリー・クーパー、1957年アメリカ、監督チャールズ・ヴィダー1929年に発表されたアーネスト・ヘミングウェイの同名小説を映画化。第一次世界大戦のイタリアを舞台に、アメリカ人のイタリア兵フレデリック・ヘンリーとイギリス人看護婦キャサリン・バークレイとの恋を描く。ヘミングウェイ自身のイタリア北部戦線での従軍記者としての体験をもとにしている。 『大いなる幻影』La Grande Illusion 1937年フランス、監督ジャン・ルノワール、主演ジャン・ギャバン 『突撃』 1957年アメリカ、監督スタンリー・キューブリック、主演カーク・ダグラス 『アラビアのロレンス』 1962年イギリス、監督デヴィッド・リーン、主演ピーター・オトゥール主人公のトマス・エドワード・ロレンスはイギリスの情報部員将校としてアラブ義勇軍と行動を共にした。アラブ独立を約束したにもかかわらず、イギリスは秘密裏にフランスとサイクス・ピコ協定を締結。戦後中東地域は列強により分割され、アラブ世界の独立を願ったロレンスの夢は裏切られた。 『青島要塞爆撃命令』 1964年日本(東宝)青島のビスマルク要塞を攻撃する草創期の日本海軍航空隊を描く。 『ジョニーは戦場へ行った』 1971年アメリカ、監督ダルトン・トランボ、主演ティモシー・ボトムズ 『誓い(原題 ガリポリ)』 1982年オーストラリア、監督ピーター・ウィアー、主演メル・ギブソンオーストリア軍の兵士として戦争に参加した2人の若者の姿を通じて、ガリポリ戦線における悲劇を描く。 『ザ・トレンチ―塹壕―』 1999年イギリスソンムの戦いでの塹壕戦を描く。 『ロング・エンゲージメント』 2004年フランス、監督ジャン=ピエール・ジュネ、主演オドレイ・トトゥ西部戦線での塹壕戦の様子がリアルに描かれる。 『戦場のアリア』 2005年フランス・ドイツ・イギリス合作大戦中のクリスマスイブ、フランス前線各地にて「クリスマス休戦」が行われたという。 『バルトの楽園』 2006年日本(東映)板東俘虜収容所でのドイツ兵と地元住民との交流を描く。 『フライボーイズ』 2006年アメリカ、監督トニー・ビル、主演ジェームズ・フランコ、ジャン・レノアメリカがまだ中立の立場を崩さない中、自らの意思でフランス軍に参戦したアメリカ青年たちの実話を元に、70億円の制作費を投じて描かれたフライトアクション。 脚注 Template reflist? 参考文献 ジェームズ・ジョル(池田清訳)『第一次大戦の起原』(みすず書房、1997年)ISBN 462203378X ジェームズ・ジョル(池田清訳)『ヨーロッパ100年史 1』(みすず書房、1975年)ISBN 4622016990 バーバラ・タックマン(山室まりや訳) 『八月の砲声 上・下』(筑摩書房、2004年)ISBN 4480088679 リデル・ハート(上村達雄訳)『第一次世界大戦 上・下』(中央公論新社、2001年)ISBN 4120031004 A・J・P・テイラー(倉田稔訳)『目で見る戦史 第一次世界大戦』(新評論、1980年)ISBN 4794823215 ピエール・ルヌーヴァン(西海太郎編訳)『ドイツ軍敗れたり』(白水社、1987年)ISBN 4560029466 室潔『ドイツ軍部の政治史 1914~1933』(早稲田大学出版部、1989年)ISBN 4657890301 江口朴郎『帝国主義の時代』(岩波書店、1969) 中山治一『新書西洋史7 帝国主義の展開』(講談社、1973年)ISBN 4061157175 義井博『カイザーの世界政策と第一次世界大戦』(清水書院、1984年)ISBN 4389440489 関榮次『日英同盟 日本外交の栄光と凋落』(学習研究社、2003年)ISBN 4054020194 片岡覚太郎, C.W. ニコル『日本海軍地中海遠征記―若き海軍主計中尉の見た第一次世界大戦』(河出書房新社、2001年)ISBN 4309223729 斎藤聖二『日独青島戦争 秘 大正三年日独戦史 別巻2』(ゆまに書房、2001年)ISBN 487802058 ジェイ・マレイ・ウィンター(猪口邦子監修、小林章夫監訳)『20世紀の歴史13 第1次世界大戦・上 政治家と将軍の戦争』(平凡社、1990年)ISBN 4582495133 ジェイ・マレイ・ウィンター(猪口邦子監修、深田甫監訳)『20世紀の歴史14 第1次世界大戦・下 兵士と市民の戦争』(平凡社、1990年)ISBN 4582495141 毎日ムック編集部『毎日ムック20世紀の記憶 第1次世界大戦 1914-1919』(毎日新聞社、1999年)ISBN 4620791156 歴史群像編集部『戦略・戦術・兵器詳解 図説・第一次世界大戦・上 1914-16 開戦と塹壕戦』(学習研究社、2008年)ISBN 9784056050233 歴史群像編集部『戦略・戦術・兵器詳解 図説・第一次世界大戦・下 1916-18 総力戦と新兵器』(学習研究社、2008年)ISBN 9784056050516 関連項目 バルカン戦争 イースター蜂起 ロシア内戦 ウクライナ内戦 バスマチ運動 シベリア出兵 ウクライナ・ソビエト戦争 ポーランド・ウクライナ戦争 ポーランド・ソビエト戦争 希土戦争 スペインかぜ ラザール・ポンティセリ 外部リンク Template Commons cat? 第一次大戦 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月13日 (木) 12 37。
https://w.atwiki.jp/battle_goddess/pages/92.html
[部分編集] 中原地域 【アヴァタール地方】 【セアール地方】 【ニース地方】 【レルン地方】 【腐海の地】 【アヴァタール地方東域】 ・レウィニア神権国 王都プレイア レンテの村 セリカの屋敷 城塞都市シーランス ・マクルの街 ・リブリィール山脈 遺絃の渓谷 ・ミルフェの街 ・セバスの門 ・メルキア帝国 センタクス領 帝都インヴィティア バーニエ領 ディナスティ領 キサラ領 ・意戎の山嶺 ・ドラブナ ・カドラ廃坑 ・地下都市フノーロ ・エレン・ダ・メイル ・廃都ノヒア ・ルスカの街 ・ドゥム=ニール ・キート村 ヴインゴールヴ宮殿 ・ルモルーネ公国 ・メルキア帝国 ・スティンルーラ王国 ・ベルリア王国 王都ランヴァーナ ・リスルナ王国 ・クライナの集落 ・ユン・ガソル連合国 ・バリアレス都市国家連合 ・カバキの村 ・アンナローツェ王国 ・エディカーヌ帝国 ・ミニエ街 ・ザフハ部族国 ・紅き月神殿 ・ラナハイム王国 [部分編集] 北方地域 【レスペレント地方】 【北方諸国】 ・メンフィル王国(帝国) 王都ミルス 城塞都市カウルーン ヒルチナ金鉱 エシタ村 カルナック砦 アウストラル街道 ・スリージ王国 王都ミエーリ 黒魔女の祭壇跡 ・カルッシャ王国 王都ルクシリア ユーリエの街 ブロノス砦 ・ペルークメイル ・フレスラント王国 王都ザイファーン ブレジ銀鉱 ・リークメイル ・ミースメイル ・レスペレント都市国家群 ルミアの街 ラクの街 サラン街道 ・クラナ王国 王都コーステント ヴォード城 ・イオメルの樹塔 ・ブレアード迷宮 ・イウーロ連峰 ・セルノ王国 王都レティカ ・ティルニーノ部族国 ニーノの街 ・バルジア王国 王都ホトス ツーサ村 ・グルーノ魔族国 背徳の塔 ・ミレティア保護領 ペステの街 [部分編集] 南方地域 【ディジュネール地方】 【セテトリ地方】 【南方諸国】 ・ニアクール ・ミケルティ王国連合 サンタリア アムレシィ アムレント ユイドラ コテエリル ・ロセアン山脈 焔の祭壇 ・ディスナフロディ神権国 セトラ=セラ ・セトの街 ・勅封の斜宮 忘焔の山 ・フェマ山脈 ・ソフ武将国 ソフ=レトル ・ミサンシェル ・ユイドラ ・シセティカ湖 ・ユマ湖 ・絶壁の教会跡 [部分編集] 東方地域 【ケレース地方】 ・ターペ=エトフ ・ガンナシア王国 オメール山 ・イソラ王国 ・冥き途 ・華鏡の畔 ・トラスメイル ・フレイシア湾 ・北華鏡の集落 [部分編集] 西方地域 【リガナール半島地方】 【西ロアン地方】 【西方諸国】 ・ザルフ=グレイス ラエドラ城 ・シャハル連合体 衛星都市シイバ 都市国家ミオス ・山岳ガリウフ ・テルフィオン連邦 テルフィス ・ルア=グレイスメイル王国 青珊瑚の森 御陵の庵 ・ベルテガーライル リアの町 ・ヴァシナル公国 エテの街 歪みの主根 ・ルーファベルテ ・フレルディナ王国 王都ローズメイ ・ヴァリ=グレイメイル ・セウレン ・ワハシェゴラ ・クノンミシュリ ・ドルアーギア帝国 王都アルグラード ・ベテルーラ ・スペリア ・蜂蜜の荒地 タービア ・ドルプケイス
https://w.atwiki.jp/choroq_game/pages/759.html
トップページ チョロQマリン Qボート Qボート ハンレイ メニュー 概要 各レースTA参考タイム 元ネタ ◆概要 各パラメータ 数値 各パラメータの順位 出力 20 10位(他3隻と同率) スピード 276 17位(同率) 減衰 60 旋回 30 7位(同率) 急旋回 415 重さ 1200 17位(他2隻と同率) ※各パラメータの順位は水上用 海のどうぶつを除く、水中用Qボート全体で比較した場合。減衰・急旋回の順位は数値の効果が判明していない為未記入。 ナンバー・分類・攻撃 コレクションナンバー No.128 分類 小型潜水艦 攻撃 通常魚雷 最後の水中コース「ホットクラスター」のおすすめ船である小型潜水艦。 バランス型で扱いやすいがホットクラスター以外ではスピードが低い為、同コース以外の4コースでは「潜水艦」カテゴリの船に比べるとタイムは遅い。エンジョイ用や縛り用、アイスプレートの宝箱や優勝賞品を入手できていない場合のつなぎ用だと言える。 同コースのおすすめ船であるXていと比較すると、此方の方が若干重量が重い。 ◆各レースTA参考タイム 各コース名 コースタイム 「潜航艇」内順位 全体順位 ワーレコⅠ更新 ワーレコⅡ更新 コーラルリーフ 02'46"73 5位 20位 ○ ○ ディープシティ 02'39"35 8位 23位 ○ ○ ジュラシックシー 04'32"49 4位 18位 ○ ○ アイスプレート 05'15"46 6位 20位 ○ ○ ホットクラスター 03'46"73 4位 10位 ○ ○ ◆元ネタ 元ネタは1863年7月に進水したアメリカ連合国海軍の潜水艦「H・L・ハンリー」。完全に潜水する事は出来なかった模様。 歴史上初めて敵艦を撃沈した潜水艦であり、戦争全体で見ると与えた損害は小さく、ハンリー自身も自身の武装の水雷に巻き込まれ(*1)沈没、乗組員も全滅という結果に終わってしまったが、歴史的には後世に残る戦闘となった。 2000年8月8日に引き揚げられることになり、ハンリーは調査後に保存されている。 データ(Wikipediaより引用) 主武装:外装水雷1基速力:4ノット ビーバー ゼーフント コメント欄 名前 コメントログ
https://w.atwiki.jp/bato/pages/36.html
ルーセントの歴史 マーカス暦433年、ルーセント三代目当主、女帝ガイウス・ヴィレム・ヴォークネス・ルーセントは、人類種自体の宿敵であった魔族の王を撃破した。その戦いで倒れた盟友である大竜「エイト・ヘッズ」の骨を使って彼女が戦いの跡地に墓碑を建てたのが、ルーセント建国の起源である。友の墓を守っていたガイウスの元に自然と人々が集まり、マーカス暦445年(ガイウス歴元年)には正式に建国が宣言された。 その後しばらくガイウス王の元ささやかな繁栄を享受していたが、やがてルーセントを危険視する人類勢力との対立が表面化。ガイウス王が崩御した翌年、マーカス暦460年/ガイウス歴15年には、後には「殺人戦争」と呼ばれるルーセント派と反ルーセント派との戦争が勃発した。 数年続いた戦争は、ルーセント派の圧勝に終わった。この戦争の勝利により、ルーセントとルーセントに協力した一派は、現在の聖ウニヴェルズ教国領を除く、旧フェルセン域の全地域を獲得。マーカス暦463年/ガイウス歴18年、ルーセント帝国が成立した。その領域は首都を中心とした皇帝直轄領、八つの王国及び諸候の領土によって構成され、そのまま三百年間あまりの平和が続いた。 その平和が破られたのは、マーカス暦781年/ガイウス歴339年のこと。突如旧フェルセン領域外からの侵攻を受け、長い平和に慣れたルーセントは苦戦を強いられた。その上、敵勢力が現ヘイム領において大悪魔の召還に成功し、一時は帝都エイト・ヘッズが陥落寸前に至った。しかし、最終的には後のヘイム初代国王ユーグ・"ケープ"・ロベールの活躍により、大悪魔は倒され、また国境での争いもルーセントの勝利に終わった。そして、ユーグとルーセント領ヘイム女王の婚姻が許され、ヘイムは「結納の品」としてユーグに送られ、マーカス暦787年/ガイウス歴344年、独立国家としてのヘイム王国が成立した。これにより、当初あった八王国は、七王国にその数減らした。 その七王国が現在の六王国に減少したのは、マーカス暦866年/ガイウス歴423年のゲリオン独立戦争が原因である。殺人戦争終結以来、ルーセント皇帝は「エラン・ドグマ」と呼ばれる反動政策を打ち出し、機械技術の開発、利用を禁じた。しかし、時のルーセント領ゲリオン王国女王アウグスト・レコン・ダ・ゲリオンは、皇帝の度重なる警告を無視し、改革開放政策を推進した。その結果商品経済化が進み、ゲリオンは大いに栄えたが、代わりに他の領域での相対的貧困化が進んだ。事を重く見た皇帝は、ゲリオンからの一切の輸入を禁じたが、ゲリオンは、それを帝国によるゲリオンの放棄だと宣言し、一気に帝国からの独立を宣言した。その後の交渉も決裂し、皇帝はゲリオン女王の抹殺を宣言、「両」国に戦争が勃発した。 戦局は、当然ながら、ルーセントの圧倒的優位の元に進んだ。ゲリオン側は、ルーセントでは伝統的に禁じ手とされた庶民の徴兵を行い、傭兵軍を編成して応戦したが、どちらもルーセント戦士の敵でなかった。開戦からわずか十日でゲリオン首都クロイツベルグは包囲され、陥落を待つばかりとなった。 しかし、追いつめられた女王アウグストは、更なる禁じ手を用いた。ゲリオンの地の守護天使との直接契約である。その契約の元、アウグストは天使を自身の体に降臨させ、代わりに領域内という限定付きながら、文字通り「神の力」の行使を可能となった。その結果クロイツベルグ周辺に布陣したルーセント戦士の多くが死亡、戦争は膠着状態に陥った。最終的には、皇帝自らの親征が行われる直前、ヘイム国王が仲介に入り、ルーセントによるゲリオンの独立承認と、ゲリオンのルーセントの鎖国承認及びルーセント域内のゲリオン財産の放棄を条件に、終戦が成立した。 ゲリオン独立戦争以降、ルーセント皇帝は「皇帝」の地位を放棄し、自らを「皇王」と宣言した。それに伴い、ルーセント「帝国」はルーセント「古皇国」にその名を変えた。その後、ルーセントは近年に至るまでの鎖国を続ける。その結果国内での進歩は停滞したが、時折の天災を除けば、平穏な社会が実現した。だが、戦争は再びマーカス暦914年/ガイウス歴471年のヘイム革命を発端として勃発。ヘイム革命により虜囚となったヘイム王族の身柄を、親族としての立場から、引き渡しを要求したルーセント皇帝に対し、ゲリオンは、突如皇帝の要求を内政干渉と批判、事は一気にヘイム・ゲリオン連合とルーセント帝国間の軍事衝突に発展した。 独立戦争以来、機械技術を発展させ、徴兵制度の拡充を図ったゲリオンは、その軍事力を大幅に上昇させていた。戦車や毒ガス、それに航空艦隊等といった新兵器が次々と投入され、また同じく徴兵制を敷いたヘイムとの同盟により、連合軍の兵数は250万人を超えた。これに対するルーセントは全軍合わせてわずか6万人。しかも、表面的には中立を宣言した聖ウニヴェルズ教国も、様々な形でゲリオン・ヘイム連合を支援し、更にアングリア地下連邦からも次々と義勇軍が連合軍側で参戦した。 戦闘は長期に及んだ。局地的な戦闘ではルーセントが連勝したものの、多方面からの連合軍の侵攻の前に、ルーセントは撤退に次ぐ撤退を余儀なくされた。開戦から三年後のマーカス暦917年/ガイウス歴474年には、国土の70%以上が連合軍に占領されるに至った。 だが、その優勢は、すぐにルーセントの「良識」の上に成り立っていたことが明らかになった。 同年十二月。ルーセント皇帝は、悪名高き「隠月作戦」を発動。生き残ったルーセントの戦士の殆どが単身で敵陣突破し、直接連合国首都に侵入した。そして、行政機構を目標とした、大殺戮を開始した。後に「血の十二月」と呼ばれたその期間、非戦闘員を含めた多くの人々が殺害され、連合国は戦争の継続が不可能になった。その後、非戦闘員の殺戮に激怒したアングリア地下連邦が正式に参戦しかけるが、皇王自ら殴り込みをかけたことにより、連邦も沈黙。マーカス暦918年/ガイウス歴475年、戦争は集結した。 その後、戦後創立されたルシング条約機構に参加するなど、ルーセントは積極的に国際社会に建設に参加。マーカス暦946年/ガイウス歴503年には、流黒の民殲滅戦に、ゲリオン帝国やヘイム共和国と共に参加した。そして現在に至る。
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/5915.html
682: 加賀 :2019/09/22(日) 17 10 45 HOST om126193188174.23.openmobile.ne.jp 670 「海軍は沖縄沖で消滅したよ」 「五艦隊と残存艦艇はいますけどね」 「それでも大掛かりな艦隊運用は出来ないし実質の消滅だよ」 「それで講和交渉は……?」 「連合国の主張は無条件降伏だとさ」 「あれだけ壊滅しておいてですか?」 「だがアメリカとは和平停戦は出来る」 「……まさか……」 「そのまさかだよ」 4月27日、皇居にて古賀は陛下に上奏の時、ただ一言述べた。 「陛下、我が連合艦隊は本日を以て消滅しました」 古賀は沖縄沖海戦の結果報告書を陛下に提出、それらを全て読んだ陛下は涙ながらに頷いたのである。一方、スイスでもアレン・ダレスと重光葵(吉田や下村も同行)が密かに和平交渉に動いていた。 「こ、これは……」 「全ては事実です」 驚愕するダレスに下村がズイッと身を乗り出す。ダレスが持つ報告書の内容とは「米国のマンハッタン計画に関する基本情報及びソ連がそれを完成させるまでの時期推定」が記載されていた。しかも米国内に存在していた「レッドセル」、ソ連の協力者や情報提供者の名簿とその行動内容がその中には含まれているのである。 「……確認のための調査をしても?」 「構いません。ですが今はまず沖縄での現時点での戦闘停止です」 「うむ。プレジデントもそれについては承諾している。では5月1日で?」 「構いません」 斯くして5月1日を以て日米は戦闘を停止する停戦協定が受諾されると同時にアメリカは直ちに調査を開始する。その間、米海軍も大鉈を振り回す事を始めた。 即ち沖縄攻略ーー『アイスバーグ・オペレーション』を主導したキングらを予備役にして追放する事だった。 沖縄沖海戦で米海軍は戦艦(新式)を全て喪失し残ったのは『コロラド』等旧式戦艦のみである。空母については正規空母7隻が残ってはいるが五航艦の攻撃で2隻が大破してハワイへ帰還途中だった。 本来であればウルシー泊地を使用するはずだがウルシー泊地は『剣号作戦』の攻撃でほぼ使用不能でありまた潜水艦隊により通商破壊作戦が活発を増しておりそのためハワイへの直接帰還だったのだ。 一応、英太平洋艦隊と金武湾で勢力を維持しているが英太平洋艦隊も第五艦隊との戦闘でプライドはほぼ消滅しているので口の悪い水兵等からは「ジョンブルは弾除けすらなれんのか」と罵倒すらしていた。 671: 加賀 :2019/09/22(日) 16 38 11 HOST om126193188174.23.openmobile.ne.jp それはさておき、キングが更迭されたのを皮切りに多くの海軍の高級官僚が更迭され表舞台から叩き出された。哀れだったのは臨時で機動部隊を率いていたミッチャーである。 本来であれば機動部隊を率いていたマケインが責任を負うのだがマケインが心臓発作で死去した事で臨時指揮官にのしあがったミッチャーに白羽の矢が建ってしまったのだ。更にキング派と対立していた太平洋艦隊司令長官タワーズ大将も更迭された事で米太平洋艦隊は一時的な人事不省に陥るのであるがそれでも腹の虫が治まらないのは米陸軍と政界である。 米陸軍はフィリピンに続き沖縄でも戦力を壊滅させられバックナー中将をも戦死させられているのだ。政界は政界でダレスからもたらされた紙爆弾(後にジュネーブ爆弾とも言われる)により親ソ親中で固まっていた政界グループが一掃される羽目になり和平派が浸透する事となる。 そして5月5日、再び開催された和平交渉でアメリカは『無条件降伏』から『条件付き降伏』に変更し日本への進駐を求め日本もそれを受け入れる形で『日本は連合国ではなくアメリカに降伏をする』事になったのである。 その報にイギリスのチャーチル達は激怒するも大統領のウォーレスにしてみれば「ほぼ太平洋で何も役に立っていないイギリス軍がしゃしゃり出たら日本の進駐計画が遅くなるだろう」と鼻で笑うのである。 実際、イギリス軍はビルマにて反撃はしていたが直前でインパール作戦を中止していた陸軍第15軍は防衛に転じており転生者等の活躍でビルマに攻め込む英軍の輸送機を第五飛行師団が積極的に撃墜したりと逆飢餓状態にさせたりしていた。 そのためビルマ方面はやや日本側が優勢だったりするのだ。なお、5月15日にワシントンにて条件付き降伏を宣言したワシントン宣言が発せられた事で日本も条件付き降伏を承諾するのだがそこに待ったをかけたのが陸軍強硬派だった。 「海軍は消滅したが我が陸軍は消滅していない!! 本土決戦にて米軍を叩きのめしてやるのが唯一無二の選択だ!!」 5月20日、陸軍強硬派は後に『5・20事件』と言われるクーデターを決行、強硬派は近衛師団司令部を占拠するに至る。海軍は横須賀に帰還した『長門』以下の艦隊が出撃し三度に渡る降伏勧告後に近衛師団司令部を砲撃して強硬派をもろとも粉砕したのである。 「馬鹿どもが。地獄の鬼達と戦争ごっこをしていろ」 『長門』艦橋で近衛師団司令部粉砕の報を聞いた栗田中将はそう呟くのであった。クーデターを鎮圧した日本はワシントン宣言を受諾、斯くして6月1日に日米はワシントンにて『ワシントン講和条約』が締結され日米の戦争は終わりを告げたのであるがそうは問屋が下ろさない国がいたのである。 673: 加賀 :2019/09/22(日) 16 42 30 HOST om126193188174.23.openmobile.ne.jp さらばキング。また会えたら 日付は違うがワシントン宣言 強硬派のクーデター(クーデター!クーデターですよP!) 『長門』、近衛師団司令部を粉砕(全主砲、斉射!て――ッ!!) 次回、Ураааааааа!!!!(答えじゃねーか) 683: 加賀 :2019/09/22(日) 17 16 09 HOST om126193188174.23.openmobile.ne.jp 5月1日以降のは停戦協定に修正しました
https://w.atwiki.jp/trio/pages/60.html
ネオ「おはよう諸君。さて授業を始めるぞ」 オルガ「その前に質問。昨日のアレはなんだったの?」 ネオ「アレ?ああ。ミスター・ジブリールね。実はあの花火の後に食堂でちょっと飲んでたんだよ そしたらあのおっさんにそれを聞いてみたら、 『なぜ私だけ連ザに出番がない!!』と、駄々をこねだしてね」 ステラ「子供みたい」 ネオ「(君が言うな…)まぁ。そんなもんだ。で、今日は少しレベルの高いところに入る」 クロト「数・学!」 ネオ「連立方程式といってだな、まぁひとつ例題を出すぞ。 ダガー2機と、ウィンダム1機を作ろうとすると、500C.Eドルかかるとする(通貨は適当です) しかし、ダガー1機で、ウィンダム2機を作ろうとすると、700C.Eドルかかるとすると、 ダガー1機、ウィンダム1機はそれぞれいくらで作れるでしょうか? アウル。どうやったら解けると思う?」 アウル「えーっと、100とか200とか当てはめていってみて、ぴったりの割合を探す」 ネオ「うーん。だめだ。それでは例えばデストロイが15000C.Eドルだったとしたら面倒だろう? そこで、連立方程式というのを使う」 シャニ「どうやって?」 ネオ「まず、ダガーの価格をx、ウィンダムの価格をyと置く。 次に、その文字を使い式を作る。すると、 『2x+ y=500 x+2y=700』 と置ける。ここで、上の式の全体を2倍してやると、4x+2y=1000となる。ここまではいいか?」 スティング「両辺にかけるから、問題はないわけだ」 ネオ「そう。そして良く見ると?上の式と下の式。2yという、まったく同じ項があるのが分かるな? つまり、下の式を、2倍した上の式から引いてやると…どういう式になるか。オルガ君」 オルガ「あーっと。3x=300…あ。yが消えた」 ネオ「そう。どちらか、または両方の式をいじって、共通の文字を一つ二つと消し、1文字の式にする。 そうして出た式を解いてやると、すぐに答えが出る。x…つまりダガーは1機100C.Eドルである」 クロト「で、それをどっかの式に入れるのか」 ネオ「そうだ。まぁどれでもいいが、xに100を入れるとyが300とでてくる。これが連立方程式だ」 アウル「で?これができるとなんの役に立つの?」 ネオ「………えーっと、じゃあ、もう少し練習してみようか」 ステラ「はなしそらした…」 1時間後 ネオ「というわけで、未知数1つに付き、1つの方程式が必要なわけだ。だから逆に言えば 方程式が3つ作れれば、3つまでの未知数を求めることができる」 クロト「慣れてくると、簡・単!」 ネオ「数学ってのは、できると楽しい。まぁ、できるまでがつらいんだけどな。じゃあ問題を出すぞ」 『次の連立方程式を求めよ 吉良君がトリィ、桃ハロ、幼少時の写真をいくつか持っています。そこへ、 グラサンにスーツの格好をした人が3人やってきました。生え際のやばそうな青い髪の少年と、 時折謎の電波言葉を話すピンク色の髪の少女。そして、吉良君の姉の代理だと言い張る金髪少女。 青髪の少年はトリィを2匹と、桃ハロを0匹、写真を1枚かって、82C.Eドル払って行きました。 ピンク髪の少女はトリィを1匹、桃ハロを3匹、写真を2枚かって、行きました。 金髪少女は桃ハロを2匹、写真を1枚、トリィを4匹かって、行きました。 桃ハロはいま、1匹28C.Eドルで売られています。 さて、トリィと写真の値段。そして二人の少女が払った値段はいくらでしょう?』 アウル「相談は?」 ネオ「なしだ」 オルガ「しゃあねぇ。えーっと…」 6馬鹿「…………………」 ネオ「そろそろいいか?今回は分からない数字は4つ。じゃあ一人ずつ聞いていってみるか。 クロト。写真の値段は?」 クロト「1・6!!」 ネオ「シャニ。ピンクの髪の少女はいくら払う?」 シャニ「149C.Eドル」 ネオ「スティング。トリィはいくらだ?」 スティング「33C.Eドル」 ネオ「…ステラ?金髪少女はいくら払うんだ?」 ステラ「………158」 ネオ「…他のやつはいくらになった?」 オルガ「204C.Eドル」 ネオ「そっちが正解。ステラは問題にだまされたな」 ステラ「だまされた?」 ネオ「トリィ、桃ハロ、写真の順番で2人言われたから、最後の金髪少女もその順番だと思い込んだんだ」 アウル「ひっかけねぇ」 ネオ「ま、常に冷静であれってことだ」 ムルタ「ま、確かにあの6人は冷静さが少々欠けていますからね」 ジブリ「で、みんなしてうさぎで傷心を癒している。と」 ステラ「イージスぅ。大人って汚いよね」 アウル「そうそう。ストライクはああいう大人になっちゃだめだぞ」 ナタル「…凄いいわれようですね」 オルガ「よしよし。餌をやるからな。俺達の分までたーんと食え」 シャニ「お互いの餌は取り合うなよ」 スティング「そうそう。もう、どこぞのおっさん二人は、自分の地位を取り合っているんだから」 ムルタ「私たちですか…」 ジブリ「まぁ、ブルーコスモスの盟主としては、一人で十分だからねぇ」 クロト「いつもきれいになぁ。でも、どこぞの軽い人みたいに外見は派手になっても、内面は黒くなっちゃだめだぞ」 ネオ「腹黒いねぇ…」 ナタル「とりあえず女の子がいたら声をかけるのはやめていただけますか?」 ムルタ「ああ。だめですよ。艦長さん。うさぎは寂しくなると死ぬといういわれがあるように…」 ジブリ「この人はナンパがなければ死んでしまうんです」 ネオ「そこまでは…いくらなんでも」 ナタル「では、アラスカ基地に行った際にはナンパを完全に禁止いたします。よろしいですね?」 ネオ「ぶーぶー。横暴だー」 ステラ「おうぼうだー」 ナタル「やかましい!!以前私が始末書を書かされたんです!!それがどれだけつらかったか…」 ネオ「…その節は大変ご迷惑をおかけいたしました。本当にごめんなさい」 ムルタ「まぁまぁ。その辺でいいでしょう。さて行きますか。では皆さん?また明日…」 つづく
https://w.atwiki.jp/kodanuki/pages/20.html
考察にあたっての前提条件 王都襲撃の参加メンバー 暗号 + ... 封をくぐるなら剥ぎとられる神秘の枚数で良い。 四つの魔法を見るだろう。避けては通れない。 法典、子供部屋、星の舟、兵士、未来、果樹園。あなたは出会う。 登場する語 四つの魔法 典型魔法(竜人)--第二世界 召喚魔法(ドワーフ)--第三世界 ?魔法(獣人)--第四世界 誘導魔法(エルフ)--第五世界 法典 + ... 原文ではコキュートスと書かれている可能性が高いその場合、コキュートスとは法典(魔法発生装置)でなく、祭典(魔物たちの相互ネットワーク「こきゅーとす」)を指しているかもしれない 古代遺跡の最奥(第九圏) エルフの地下通路を利用した移動法だ。古代遺跡につながる直結路であり、遺跡の奥には法典がある。 古代遺跡は方舟の表層 古代遺跡の扉は開かなかった…… 魔の宝剣は不良品だったらしい。 王都(方舟)のひと? 子供部屋 + ... アリア家に(精神制御系の異能持ちに)共通する観念の一つ 心の中に「扉」がある。扉の奥は、生命の根源に根差す「何か」が眠る「子供部屋」だ。それはアリア家の人間に共通する観念の一つだった。 扉を開けると、顔のない子供が色とりどりの積み木で遊んでいる。 差し出された手には積み木が乗っている。小さな手だ。その手は、幼い頃の自分の――。 クレアボヤンス 顔のない子供 物体干渉はその片腕から精神制御を産み、精神制御はその顔から一つ目一つ耳の兄弟(鼻を持ったものと(受信系)口を持ったもの(送信系))を産んだ アリア家→山腹のひと? 星の舟 + ... 砂の宝剣?→ドミニオン→火口のひと? 空中庭園?方舟? 兵士 + ... 兵士→庭園のひと? 未来 + ... 苗木を見守る一人の魔物 木のひと 雪の宝剣 かまくらのひと 果樹園 + ... 魔改造の実 水の宝剣 海底のひと あなた + ... 連合国の古い言葉で、「魔王」は「あなた」を意味する二人称だ。 古代語 ハイリスク・ハイリターン すべてを得るものはすべてを失う 学府 肉体への魔力の浸食 その他 すべての物質をリサで再現できるなら、すべての物質をリサに分解しうるか?