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(投稿者:捜査官候補生) 登録タグ:おっぱい スタリア メード 捜査官候補生 海戦メード 概要 「水中で私に勝てると思って?」 スタリア諸島自治連合国所属の海戦メード。 MAID部隊内で一番の水中活動時間を誇る(2時間)。水中での彼女の動きはまるで人魚と言われるほど 泳ぎが得意。また、非常に胸が大きくスタイル抜群であり、人間相手に色仕掛けを仕掛けることもあり、 性格が悪いと言われることがある。 料理は大の苦手でまったくできない。レシピが存在してもなぜか非常に不味いものが出来上がるほどである。 ただし、スタリア出身のとある三人は姉のように慕っているらしい。 一人称は「わたくし」 また、泳ぎに邪魔にならないのか不思議ではあるが、髪の毛は地上にいると踵まで届く長さである。 髪の毛の色は濃青(darkblue #00008B) 服装胸元を大きく開いて、やや和服に近い服である。 ただし水中にいるときはややヒラヒラ(絵板の草案の感じ?)の服を着ている。 通称:「一撃必殺のセニア」 出身:スタリア諸島自治連合国 所属:スタリア諸島自治連合国MAID部隊 装備:白兵戦用銛「ライトニングトライデント」 身長:168cm 誕生:11月3日 年齢:外見20歳(実年齢5歳) 教育担当官:- スタイル ★★★★★ 料理 ★ 色仕掛け ★★★★★ 性格 ★★ ライトニングトライデント 長さが3メートルもある巨大な三叉の銛。その威力は絶大であるが、大きすぎて浮力のある水中以外では MAIDといえ、持つことができないほどの重量がある。なお、水中では槍の後ろからウォータージェット推進で推力を得ている。 関連項目
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788 :641,642:2015/11/21(土) 17 29 17 日米蜜月(ユーラシア共産化)ルート考察擬き 大戦に置ける主要会戦記録 『第二次世界大戦~枢軸軍の大反攻~(アメリカ軍編その1)』 『第四次カリブ海海戦』 度重なるカリブ海連合国側植民地への補給船団の損害についに根負けした連合国が、カリブ海より全面撤退する為に大規模な輸送船団を編成し、又之を撃滅しに来るであろうアメリカ海軍に対して一撃を入れる為に、当時の連合国海軍の優秀な戦艦や空母等水上艦艇を多数派遣するも、連合国の想定を遥かに上回る戦力を有していたアメリカ海軍大西洋艦隊、そして遠路遥々増援に来た復讐心に燃え盛っている亡命オランダ海軍によって真正面から輸送船団ごと纏めて撃砕された戦い。 この海戦により連合国は多数の優良な大型艦艇、輸送船舶を喪失し、そしてカリブ海は実質的に『ステイツのプライベートビーチ』状態となり、アメリカ本土攻撃と言うアメリカ人にとって最悪の悪夢が正真正銘、永遠に幻へとなった。 インド洋でソ連海軍の至宝である中型正規空母が二隻とも漁礁になって、その一報を聞いたとあるソ連人が奇声を上げて気絶した頃より数か月後の事、連合国によるカリブ海植民地地域への補給作戦は少しずつ苦しくなり始めていた。『アメリカ本土への攻撃を行う事によりアメリカ人の戦意と士気を低下させ、アメリカをこの戦争から脱落させる』為に、カリブ海植民地を保持してアメリカ本土に向けて多数の潜水艦や航空機による通商破壊や本土爆撃を行っていたのだが、攻勢を掛けた初期は損害に見合う戦果を立ててはいたが、アメリカ海軍からの早期反撃によって独ソ潜水艦隊が一時壊滅状態なった例と同じく、輸送船団も四発爆撃機や対艦攻撃機、又ガトー級 潜水艦、更には高速戦艦や重巡洋艦が基軸に据えられた水上打撃艦隊によって多数が撃沈、撃破され続け、何とか届け事が出来た物資も通り魔的に襲撃して来るアメリカ艦隊や重爆撃機によって大多数が焼き払われたりと、最早アメリカ本土を攻撃する為にカリブを維持するだけの必要性が失われつつあった。これ以上意地を張っても戦力を失うだけの『百害有って一利無し』でしか無かった。 その為、カリブ海に喰らい付いている連合国側の兵員を撤退させるべく、連合国は大規模な救出船団を編成していたが、そんな折に『アメリカ大西洋艦隊、カリブ海連合国側植民地地域を制圧するべく出撃準備中』との諜報情報が舞い込む。だがこれをある意味好機と判断した連合国総司令部は『輸送船団を囮として、アメリカ艦隊に奇襲を仕掛けて大打撃を与え、その後にカリブ海方面軍を救出する』為に、イギリス、ドイツ、フランス、各国海軍の主要戦力を総動員した一大攻勢作戦を発起。半分『手段』が『目的化』していたが、連合軍はそれに気付かないまま、または気付こうとしないまま、気付かないふりをして、カリブ海に艦隊を送り込んでいった。 カリブ海救出艦隊の編成は、輸送船団に主にイギリスの駆逐艦と軽巡洋艦、商船改造の護衛空母が護衛に就き、主力の打撃艦隊には、ドイツから戦艦『ビスマルク』『テルピッツ』空母『グラーフ・ツッペリン』重巡洋艦『アドミラル・ヒッパー』『プリンツ・オイゲン』『ザイドリッツ』『リュッツオウ』、そして『ライプツィヒ級軽巡洋艦』の『ライプツィヒ』『ニュルンベルク』、駆逐艦十隻。 789 :641,642:2015/11/21(土) 17 32 24 イギリスよりフッド級戦艦の『フッド』『アンソン』、レナウン級戦艦の『レナウン』『レパルス』突貫建造と一部簡略化で何とか戦力化に成功したライオン級戦艦『ライオン』『テメレーア』、空母『イーグル』『グローリアス』『カイジャレス』、『コロッサス級戦時急造空母』である『コロッサス』『ヴェンジャンス』、重巡洋艦『ノーフォーク級』の 『ノーフォーク』『ドーセットシャー』、『ヨーク級重巡洋艦』である『ヨーク』『エクセター』、防空巡洋艦である『ダイドー級』に属する『フィービ』『ボナヴェンチャー』とその『ダイドー級』の改良型であるイギリス海軍の艦隊防空の切り札である『ベローナ級軽巡洋艦』の『ベローナ』『スパルタン』『ロイヤリスト』、駆逐艦多数。 フランス海軍からは最新鋭戦艦『リシュリュー』『ジャン・バール』、ジョッフル級空母『パンルヴェ』『ドゥメルグ』、『シュフラン級重巡洋艦』に類する『シュフラン』『コルベール』『フォッシュ』、就役して余り間の無いフランス海軍最新鋭防空巡洋艦の『ド・グラース』『ギッシャン』、防空と対潜に特化したフランス版史実秋月型の様な存在である『ル・アルディ級駆逐艦』十二隻。 これに加えて、既に通商破壊戦で苦しい状況でありながらも何とか生き残って、通商破壊から現在では船団護衛で成果を挙げ続けていたドイツ海軍のドイッチュラント級装甲艦『アドミラル・シェーア』『アドミラル・グラーフ・シュペー』(ネームシップの『ドイッチュラント』は『エンタープライズ』の艦載機隊により、既に戦没)が別働隊として駆逐艦と一緒に陽動に動き回っており、仮にこの連合国大艦隊が壊滅したら、大西洋の海上戦力の過半が消滅すると言う、連合国の大きな賭けであった。 独国より戦艦二隻、装甲艦二隻、空母一隻、重巡三隻、軽巡二隻、駆逐艦一〇隻。 英国より戦艦六隻、空母三隻、軽空母二隻、重巡四隻、防巡五隻、駆逐艦多数。 仏国より戦艦二隻、空母二隻、重巡三隻、防巡二隻、駆逐艦一二隻。 共同訓練を積んでいたとは言え、流石に此処まで多数かつ性能も其々違う各国の艦艇を、僅か一、二年程度の訓練で同一艦隊での艦隊運動を取るのは不可能である為に、この期に及んでも独英仏それぞれの艦隊は混ざり合う事無く、各国ごとに艦隊を編成していた。実際、連合軍内でも海軍関係では一日の長が有る英仏は共同での艦隊運動を行えるように訓練をしていたところ、信号、無電の受信、通達ミス等によって、イギリス海軍の駆逐艦がフランス海軍の戦艦『ダンケルク級』と衝突して艦首部分に突き刺さり、今海戦に参加出来る筈も無い損傷を負っていたりもしていたのだ。これについ先日まで『ポケット戦艦』ことドイッチュラント級装甲艦が最大の艦艇で、巨大戦艦や大型空母の運用経験が少ないドイツ海軍を混ぜた場合の末路は、大体予想はついていた。 790 :641,642:2015/11/21(土) 17 36 08 各個撃破される可能性よりも、無理に編成した同一艦隊での事故等が発生する可能性を危険視した連合国が、独英仏それぞれで一国での艦隊を編成して、安全な範囲での同一航路を取りながらカリブ海に進撃を開始した頃、アメリカ大西洋艦隊は、太平洋を横断して援軍に来た亡命オランダ海軍との共同訓練、編成作業を完了しており、五大湖生まれで初陣ながらも既に偵察、哨戒任務で活躍していたガトー級潜水艦『パファー』から齎された連合国海軍がカリブ海に到着するのを今か今かとオランダ人と一緒に首を長くして待ち受けていた。緒戦の『第一次カリブ海海戦』では、敵軍の卑劣な奇襲攻撃の前に、民間船の護衛も有ってずっと受け身の戦闘展開の末に戦艦『コロラド』その他多数を失う屈辱を味わっており、『第二次カリブ海海戦』では捕捉時点から遁走一択だった連合国海軍を捉えきれずに不十分な戦果に留まっており、『第三次カリブ海海戦』に至っては、新鋭空母を動員したとはいえただの潜水艦狩りであった。今まさに目の前に転がり込んでくる『艦隊決戦』の切符を手にした海軍軍人が、メジャーリーグのワールドシリーズ最終戦の試合観戦前の野球少年の様な状態になっても仕方が無いだろう。お蔭でこの頃には、異様に忙しなく落ち着かない水兵や海軍軍人の姿が良く酒場や港湾付近、軍艦周辺で多数目撃されている体たらくだった。未確認情報によると、その中には兵や下士官どころか佐官や将校すら混じっていたそうな。 そうした中で連合軍艦隊の出撃をガトー級の索敵にて確認した枢軸海軍は、文字通りに小躍りしながら艦隊を出撃させた。編成は、アメリカ海軍からは既存戦艦である『サウスダコタ』『インディアナ』『マサチューセッツ』『アラバマ』に加え、日本との技術協力によりこの世に生誕した46㎝50口径3連装砲4基の最新鋭の『アイオワ級戦艦』『アイオワ』『ニュージャージー』『ミズーリ』『ウィスコンシン』『イリノイ』『ケンタッキー』。航空母艦は既存空母枠から『レキシントン』『サラトガ』『ヨークタウン』『エンタープライズ』『ホーネット』、新造の最新鋭空母として『リプライザル級装甲空母』より『リプライザル』『シャングリラ』『レイク・シャンプレイン』『マックヘンリー』、既存重巡洋艦からニューオーリンズ級『サンフランシスコ』『ヴィンセンス』、初陣の重巡洋艦の『ボルティモア級重巡洋艦』の『ボルティモア』『シカゴ』『ロサンゼルス』『ピッツバーグ』、軽巡洋艦からはブルックリン級軽巡洋艦から『ブルックリン』『フィラデルフィア』『ホノルル』、最新鋭防空巡洋艦より『アトランタ級防空巡洋艦』の『アトランタ』『サンディエゴ』『フリント』『ジュノー』『スポケーン』『サンファン』、駆逐艦からは現在企業努力の甲斐も有って、既存駆逐艦全てを廃艦に追いやる勢いで政府の想定を遥かに上回る速度での無数に建造が進み過ぎていて水兵の方の養成が追いかない気配すら見られている勢いの『フレッチャー級駆逐艦』が推参していた。因みにこのフレッチャー級駆逐艦は『日本海軍の陽炎駆逐艦のアメリカ版』と言われる程、船体や防御装甲配置等が似通っているが、実際は日米で共同研究して出来た万能駆逐艦原案を、日米それぞれが使いやすい様に改変して建造したからである。 そしてアメリカ大西洋艦隊と轡を共にするオランダ海軍からは、太平洋での猛訓練の結果、日米海軍と遜色無い連度を有し、憎き連合国海軍と戦えると有って士気も極めて高い状態にある41㎝45口径3連装砲3基最大速力28ノットのアメリカ産『アムステルダム級高速戦艦』の『アムステルダム』『ハールレム』、改装により更に戦力価値が高まった35.6㎝45口径3連装砲3基のスペックを持つ日本産『セレベス級戦艦』『セレベス』『タラカン』、史実エセックス級クラスの能力を持つ日本産正規空母『マールテン・トロンプ』『ヤーコプ・ロッヘフェーン』、増勢の進む日本艦隊から格安で譲渡された飛鷹型軽空母『エーンドラヒト』『ブレデロエ』『レルウィッチ』トロンプ級軽巡洋艦『トロンプ』『ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク』、日本海軍水雷戦隊用軽巡洋艦の阿賀野型の設計図を購入して自力建造したデ・ロイテル軽巡洋艦『デ・ロイテル』『デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン』『エーンドラハト』、オランダ本国、そしてインドネシアで建造されていたホラント級駆逐艦。 791 :641,642:2015/11/21(土) 17 39 54 オランダ海軍こそ未だアメリカとの連携が日本と比べると少しばかり危うい為に連合国海軍側と同じく独立した艦隊編成ではあるが、そんな事は大した問題になりそうにほどに枢軸国、否、緒戦以外はマトモに大型艦艇を喪失せずに新造艦を大量に受け取り続けたアメリカ海軍は雪達磨式に強大化していた。また急激に増加した水兵の連度も、ベテランの戦前兵よりは劣りはするも、戦時徴兵、志願兵としては結構な高連度を誇っていた。その為に、今戦争では政治関係以外では殆ど外野状態に追いやられている亡命英仏政府所属の海軍がアメリカ海軍を正しく化け物を見る目で茫然と見ていた位であった。又、極一般的欧州列強の常識を持つ亡命政府の視点では、開戦から三年と経たない内に『超弩級戦艦』『正規空母』『巡洋艦』『大型駆逐艦』『潜水艦』『輸送艦』『戦車師団』『機械化、自動車化師団』『各種航空艦隊』その他諸々を、一切の抜けなくそれこそ怒涛の勢いで戦力化して行く速さが理解の範疇外に有った。理屈としては何となく分かっていても、感覚の方が付いていけていなかったのである。そして極東の列島型大陸国家でもコレと大よそ同等のスピードでの戦力編成が進んでいる事に関しては、半分別世界の出来事にすら感じている人間すら居た。 英仏亡命政府所属海軍の将兵からの見送りを受けながら出撃した枢軸国海軍は、流石にロイヤルネイビーの意地か、艦隊に張り付いていたガトー級潜水艦『ドラム』を発見して必死の爆雷攻撃の末に撃退した為に、『ドラム』が敵艦隊を失探した海域状況や事前情報から敵艦隊が存在する予測海域を、多数の最新鋭艦攻『A-1 スカイレイダー』が偵察に飛び立っていた。無論艦載機だけでは無く、『アルバコア』を代表例として最早連合国船舶、艦船に対する枢軸国艦船の中でも死神筆頭格になっているガトー級潜水艦や、枢軸国勢力圏から多数放たれる陸軍航空隊の『B-17 フライングフォートレス』、日米共同開発しロールアウト直後の最新鋭機で絶賛大増産中の『B-29 スーパーフォートレス』等も濃密な偵察網を敷き、大西洋艦隊と亡命オランダ海軍の支援に当っていた。因みに作戦としては至極単純に『輸送船団が諸島に取りつき、艦隊が逃げられない状態の時に殴りかかり、敵艦隊追撃から取りこぼした艦船は基地航空隊と潜水艦、余裕が有れば水上艦艇も参加した上で潰す』、である。無論、状況に応じて洋上撃滅に変更になる可能性も十分に考えられているが。 自らの位置が既に敵に発覚している気配を感じている連合国海軍だったが、枢軸側の思惑を何となく察しつつも、かと言ってカリブ海で必死に戦っている同胞を見捨てて逃げ去る訳にも行かず、イギリス海軍が切望し、配備された新型艦攻の『フェアリー バラクーダ』を中心とした機体が、索敵に回っていた。尚連合国側の艦載機開発だが、ドイツやイギリスの指導の下如何にか効率的な工業力の再編に成功したフランスだったが、戦前からの状況や赤化時の一時的停滞によって生まれた数年の新型機開発の空白期間が大きく響き、『新型機開発能力無し』と連合国総司令部から見做された為に、フランス人にとっては屈辱的な事に、フランスの航空機生産力は主にイギリス艦載機とドイツ、ソ連陸上機のライセンス生産に回されていた。ドイツの場合、やはり経験の少なさや国家的志向等の問題も有り、『Fw190』を艦載機型にして新型艦上戦闘機が開発されるまでの繋ぎとして提供出来た以外は、陸上機や戦闘車両、新型小銃開発に注力した為に余り手助けは出来なかった。盟主のソ連に至っては、死力を尽くして建造した中型空母二隻を呆気無くインド洋に沈めてからは、殆ど艦載機開発に興味を示していなかった。その為に相変わらずイギリス単独で艦載機開発を賄わされていた。フランスの生産力が一応マトモに使えるようになり、またソ連、ドイツ、フランス各国との技術共有、フィードバックが進み、艦載機開発する為の壁が一部取り払われて開発期間が短縮出来ていたりしたので、少し前と比べれば『多少は』楽になりはしていたのは事実だが。 792 :641,642:2015/11/21(土) 17 44 17 そんな艦載機開発では内実火の車の連合軍は、時折対潜哨戒の序に艦隊捜索に出撃していたと思われる『カタリナ』飛行艇を『Fw190T』『シーファイア』が叩き落したり、しつこく艦隊に張り付く潜水艦に大量に爆雷を浪費して行った末に、カリブ海の連合国側植民地域に無事到着。輸送船団が其々の島に接岸し、装備を爆破処理した裸一貫の陸兵や航空兵を拾いあげていった。そして回収作業工程の三割ほどが終了した頃に、苦労して進出して来たドイツ海軍潜水艦『U-511』より敵艦隊発見の一方が入る。爆雷攻撃にて頭を塞がれて艦体や通信機器が損壊し半死半生と言えるような状況だった為に『敵艦隊発見』しか報告出来なかったが、敵地に居る連合国艦隊にとって値千金の報告であった。 十中八九、枢軸国は動かせる艦艇全てを投入するだろうと、連合国側は想定していたからだ。但しカリブ海に出て来る敵戦力想定は『既存艦艇+新鋭大型主力艦艇4隻程度』と言う大きく的を外した代物であったが。 既にこの頃にもなると、連合国が日本やアメリカに潜入させた諜報員のことごとくが、日本では特別高等警察、アメリカではOSSに摘発されて牢屋か土の下、若しくは海底に放り込まれているか、現地の様々な意味で豊かな生活に全面降伏して自首した後枢軸国側に寝返ったかのどちらかの末路を辿っており、枢軸側は摘発した諜報員に成りすましたり、寝返った諜報員を使って連合国側に色々と適当な情報を流していた。そしてこの諜報網が綺麗サッパリと壊滅している現状が連合国に伝わったのは、枢軸軍が欧州本土に侵攻して暫く経ってからの事であった為、この時は枢軸側が選別して流した情報を元に連合国側は敵戦力判定、想定を行っていた。またこういう事情も有って、艦隊が欧州本土に引き籠っていた間、代わりに枢軸国に攻勢をかけていた潜水艦、航空機による戦果を過大に判定して、幻の戦果を国民に向けて大々的に発表したりもしていた。長引いてきた戦争で中弛み的士気低下の気配が見られる連合国の『人民』の士気向上の為にも、何かしらの戦果が必要だったのもあるが。 連合国側の戦力として、『戦艦八隻』『正規空母六隻』『軽空母二隻』『重巡八隻』『軽巡二隻』『防巡七隻』『駆逐艦』、枢軸国側…アメリカ大西洋艦隊の想定戦力として『戦艦八隻(既存戦艦6、新鋭戦艦2)』『正規空母七隻(既存空母5、新鋭空母2)』『重巡六隻』『軽巡、乃至防巡一〇隻』『駆逐艦』。見た目『何とかなる』様に見える戦力差であり、連合国側の艦載機も漸く誰から見ても完全に陳腐化した『ソードフィッシュ』から『アベンジャー』と対等の性能を持つと思われる『バラクーダ』に、戦闘機も『シーファイア』や『Fw190T』に完全に機種転換出来た事も、連合国側が積極姿勢を見せた要因の一つでもあった。 そんなある意味幸せな夢に浸っている連合国海軍だったが、冷や水を浴びせられる様に前触れ無く突然不信電波を至近距離で受信した事で一時混乱する事になる。先ず間違い無く 枢軸国の潜水艦による、自艦隊の所在を報告する電信で有る事は確実で有った。その為に、連合国艦隊は空母からは『バラクーダ』を、戦艦や重巡洋艦からは英仏独それぞれ特色のある水上偵察機を多数発艦され、押っ取り刀での偵察を開始した。因みに彼らはこの時点では知る由も無かったが、艦隊の位置情報を枢軸側に連絡した潜水艦は既に敵味方問わずに『連合軍有数の厄災』と呼ばれているあの『アルバコア』である。幾度も船団襲撃や艦隊発見による戦果を挙げ続けるのみならず、果てには欧州だけでなく、世界中の豪華客船の中でもトップクラスの優秀さを誇る『クイーン・エリザベス(書類上は『フリ-ダム(自由)』に改名されている)』が、徴用されて兵員輸送船としてカリブ海に航行していた際、完全なる偶然から『アルバコア』が捕捉して先行量産されたばかりの必殺の『磁気感応酸素魚雷』を三発直撃させ、一度の攻撃で轟沈させた事から既に『アルバコア』には連合国から多額の賞金が懸けられていたが、この偵察成功の事が連合国に知れ渡ると、今まで掛けられていた賞金額が五倍近くにまで跳ね上がったと言う。 793 :641,642:2015/11/21(土) 17 47 04 一方『アルバコア』から値千金の情報を受信した枢軸艦隊は、既に格納庫内に完全武装状態で準備していた『F6F ヘルキャット』『A-1 スカイレイダー』を、全艦に装備済みのカタパルトをフル活用して多数発艦させて『人類史上最大規模の艦隊決戦』に向けて勇躍進撃を開始した。新鋭の復讐の名を持つ『リプライザル級装甲空母』を率いるのは、アメリカきっての空母機動艦隊戦に関しての指揮能力の高さを誇り、日本の山口多門提督と同じ様な勇猛果敢さも併せ持つ闘将『ウィリアム・ハルゼー』、ヨークタウン級航空母艦のネームシップ『ヨークタウン』に座乗するのは、パイロット出身で、徹底的に自己主張を避ける寡黙な性格ながらも、その不思議な魅力と枢軸海軍内でもトップクラスの指揮能力を 持つ為に部下から絶大な支持を自然と集める『マーク・ミッチャー』、アメリカ海軍最強の鉄砲屋であり、今海戦ではアメリカ最新鋭戦艦のアイオワ級に乗りこむ事が出来て何度も神と日米の造船屋に感謝している『ウィリス・A・リー』、大規模な艦隊の総括指揮を任命されて「散歩する暇も無い」と苦笑いしている『レイモンド・スプールアンス』。艦隊の能力や数もそうだが、後の軍事研究家や軍オタが喜びのあまり気絶しかねない位のアメリカ海軍の歴史に残る名将や勇将を総動員した絢爛豪華な編成であった。 連合国側も、何とかニコイチ修理等で稼働状態を保っていたカリブ海方面軍の偵察機から、枢軸艦隊の位置を特定。偵察機は殆ど枢軸艦隊の位置情報以上の報告を出来ないまま、上空警戒に回っていた『F6F』に一撃で叩き落されていたが、この情報を受け取った連合国艦隊は即座に攻撃隊を出撃させる。攻撃機はイギリスの『バラクーダ』、護衛機は『Fw190T』と言う編成であった。本来ならば『シーファイア』も付けたかったのだが、増漕を満載にしても航続距離が相も変わらずな短さだったので、『シーファイア』よりも未だ長い航続距離を誇る『フォッケウルフ』が付けられたのだ。無論、『シーファイア』は論外とするも、『フォッケウルフ』自体も艦載機としてはかなり短い航続距離しか保持していないのだが。加えて補足ではあるが、連合国では艦載型急降下爆撃機の開発は全く進んでいない為、攻撃機は『バラクーダ』に一本化されている。一度『Ju87 スツーカ』を艦載機に改造してみたのだが、脚部強度による発着艦問題云々以前に試験段階で既に航続距離がどうしようもなく短く、仮に『スツーカ』を対艦攻撃させようとしたら、敵艦隊の鼻面まで近づかない限り発艦させられない事が判明した為に、制式採用される事無く没となった。 枢軸、連合双方から放たれた攻撃隊は、先に敵艦隊の位置を特定した直後に全力出撃させた枢軸艦隊の第一次攻撃部隊が連合国艦隊を敵攻撃部隊より先んじて捕捉。当然艦隊を守る為に上空で舞っていた多数の『シーファイア』『Fw190T』が枢軸軍の攻撃機『A-1 スカイレイダー』を撃墜する為に増速し、枢軸側も攻撃機を守る為に『F6F ヘルキャット』が、己の任務を果たすべく連合国戦闘機隊との航空戦へと突入した。…が、戦力や状況的に、連合国パイロットの闘志や技量で何とか出来る様な戦況では無かった。 倉崎とノースロップが台風の如くあらぶった末に生まれた『F6F ヘルキャット』。日本では『烈風』と『隼』の名前を与えられている、この戦闘機を操る天空の騎兵隊を指揮する『ジョン・サッチ中佐』の巧みな戦闘指揮により、当時の欧州戦闘機でもトップクラスの性能を誇った『スピットファイア』『Fw190』は、マトモに攻撃隊に喰らい付けないどころか、一部は慣れない海上戦闘の為か、『ヘルキャット』の巧みな戦闘機動に翻弄された末に海面や友軍機に激突したり、空中分解を誘発させられたりと言う、いわゆる『マニューバーキル』すら喰らった機体すらいた。ただ仮に連合国 海軍の艦載戦闘機隊の連度や機体性能が『ヘルキャット』と同等だったとしても、投入機数差が歴然としている為、結果は如何足掻こうが先ず大差無かったと後の歴史家から冷酷に結論付けられている。 794 :641,642:2015/11/21(土) 17 49 55 交戦開始から20分強で、連合国側の防空戦闘機隊の3割弱が撃砕され、残る部隊も『ヘルキャット』の猛攻の前に逃げ回るか防戦一方となった為に、『スカイレイダー』攻撃隊は悠々と『輪形陣の外側の駆逐艦と巡洋艦』に集中攻撃を開始した。無論これは第一次攻撃隊の独断では無く、図上演習等の結果『味方機や戦況に余裕が有る場合、なるべくなら防空陣形を崩してからの主力艦攻撃の方が望ましい』との答えが導き出されており、その答えに基づいての攻撃であった。実際の所、本命は第一次攻撃隊の出撃後に微妙にタイムラグを設けて出撃させた第二次攻撃隊であったりする。 連合国艦隊が『駆逐艦と巡洋艦』を集中的に撃沈すると言う戦術教本に無い行動を取った事に、艦隊の上下を問わずに衝撃を受け、そして防空陣形に巨大な大穴が開けられた事に大わらわとなるも、その連合国艦隊に対して間髪入れずに、第一次攻撃隊が穿った巨大な風穴を容易く突破した第二次攻撃隊による猛攻が直撃し、インド洋でソ連機動艦隊が味わった絶望を、今度は連合国主要国海軍全てが等しく味わう事になった。 枢軸軍の第二次攻撃隊が最初に襲い掛かったのは、艦隊規模が一番大きく、また正規空母3、軽空母2と空母の数も一番多かったイギリス艦隊であった。『コロラド達の仇』と言う意識が有ったとも言われているが、今海戦に参加したアメリカ人パイロットは皆その事に関しては否定若しくは沈黙している。この時のイギリス艦隊は、第一次攻撃隊により既に防空巡洋艦5隻の内『フィービ』『ボナヴェンチャー』『スパルタン』、重巡『ヨーク』、駆逐艦8隻を撃沈されて輪形陣の片側に配備された艦艇が丸ごと消滅しているような状況であり、微弱な妨害を難なく突破した第二次攻撃隊の『スカイレイダー』隊は、鈍重な艦体を必死に動かして生き残ろうともがく哀れな獲物を照準器に捉え、自らの機体に多数搭載した対艦魚雷を一辺の容赦なく叩き込んだ。 日米の空母と比べるとかなり防御力が低く、魚雷攻撃には特段に弱いイギリス空母の末路は悲惨であった。『イーグル』『カイジャレス』は片側に集中的に被雷し、総員退艦令を出す間も与えられる事無く短時間で轟沈。『グローリアス』は対艦徹甲爆弾が四発直撃し、艦内が爆圧と破片で大惨事となる中、衝撃で航空機用燃料が多量漏れ出した末に、未だ格納庫内に残存していた予備機、弾薬、そして艦体構造物全ての可燃性物質諸共引火し、被弾から15分と経たない内に爆沈。『グローリアス』搭乗員の生存者は一人も確認されなかった、壮絶な最期を遂げた。残っていた『コロッサス級軽空母』も、『ヴェンジャンス』は僚艦の正規空母達と同じ末路を辿り、唯一『コロッサス』のみがボロボロになりつつも航行可能な状態で何とか生存していた。 当然の事ながらも、この新時代の航空機がもたらした厄災はイギリスだけでは無く、フランス、そしてドイツにも分け隔てる事無く襲い掛かった。回避運動等の結果による連合国艦隊の位置関係から、第二次攻撃隊の次の標的はフランス艦隊になった。イギリス艦隊と同じく輪形陣を崩され、全速力で突入して来た攻撃隊により、ジョッフル級空母『パンルヴェ』撃沈、『ドゥメルグ』中破し戦闘不能、撤退中にガトー級潜水艦『カヴァラ』からの、爆雷攻撃を受ける直前に放ったまぐれ魚雷一発を受け、耐え切れずに沈没。被雷から沈没までにかなりの時間がかかった為に、生存した乗員の殆どが脱出に成功したのが『ドゥメルグ』にとって、唯一の慰め、救いだろう。フランス海軍最新鋭防空巡洋艦の『ド・グラース』『ギッシャン』は、防空艦である為に第一次攻撃隊に集中攻撃を受けて撃沈。イギリス艦隊に向けられた攻撃機隊よりも数は少なかったが、結局の所、対空兵器の火力も連射速度も『スカイレイダー』と戦うには不足気味であった以上、力負けするのは自明の理であった。ただ、艦載戦闘機に『シーファイア』で無くより攻撃力の有る『Fw190T』を採用していた為か、イギリス艦隊よりは気持ち被害が少なく感じられるが。 795 :641,642:2015/11/21(土) 17 52 39 英仏艦隊がアメリカ大西洋艦隊の空母艦載機隊の猛攻により、空母部隊が壊滅状態に追いやられていっているその脇で、ドイツ艦隊は亡命オランダ艦隊の艦載機隊と対決していた。 こちらはドイツ海軍がルフトバッフェから土下座して借り受けた熟練航空兵が『Fw190T』に乗って奮戦した為、機材は日米と共用ではあるも、コレと言ったエースパイロットや歴戦兵が居らず、割と平均的な部隊でしか無かった亡命オランダ機動艦隊は空母『グラーフ・ツッペリン』重巡『ザイドリッツ』『リュッツオウ』駆逐艦二隻を撃沈し、戦艦『ビスマルク』に僅かな損傷を与えるに留まった。因みに借り受けたルフトバッフェのエースたちは、その過半数が生存する事に成功するも母艦が撃沈された為に不時着水を余儀なくされ、駆逐艦に救助された後に一足早く撤退しており、この後の艦隊決戦に巻き込まれる事無く脱出に成功していた。 此処まで艦艇の被害が凄まじいと逆に清々しさを感じさせられる程なのだが、連合軍が放った攻撃隊に関しても、艦艇と同じく枢軸軍の圧倒的戦力の前に、空母や戦艦の元に辿り着く前に加速度的に磨り潰されていった末に、壊滅的打撃を受ける羽目に有ってしまう。連合軍の攻撃隊を護衛する『Fw190T』は、アメリカ、亡命オランダ両海軍の空母艦載機隊所属の『F6F ヘルキャット』によって形成された濃密な『蜘蛛の糸』に絡め取られて、大半が『バラクーダ』の護衛任務を全う出来ないまま『ヘルキャット』相手の空戦で多くの熟練パイロットが空中で爆散するか、海面にダイブするかの二択を強制され、魚雷や対艦爆弾を抱えた『バラクーダ』も殆どが叩き落された護衛機と運命を共にする事になるが、極一部の幸運、若しくは神ががり的技量を保持していたらしい『Fw190T』と『バラクーダ』が『ヘルキャット』の群れを突破して艦隊を目視で捉えるも、『アトランタ級防空巡洋艦』と『ブルックリン級軽巡洋艦』、『フレッチャー級駆逐艦』から遠慮無用かつ豪勢に放たれる『砲撃の暴風雨』によって『モンタナ級戦艦』や『リプライザル級装甲空母』が一発も対空砲を撃つ事すら無く、連合軍の攻撃隊は 撃滅された。唯でさえ『壁』と表現したくなる程の対空砲火の量に加えて、新規開発された『近接信管』によって、数値的には僅か数パーセントでは有るも、対空砲火の有効炸裂率は強化されていた。『たかが数パーセント』では有ったが、その数パーセントの差は『砲撃の暴風雨』にとって、極めて大きな差であった。 枢軸軍の二派に亘る猛攻により、膨大な補助艦艇に加えて、カリブ海まで連れて来た連合国海軍の貴重な航空母艦全てが消滅する事態に、連合国艦隊司令部は恐慌状態になった末に責任を他国に押し付け合う無意味な愚行を行ってしまうも、暫くして『敵戦艦部隊、自艦隊に向け突進中』の報告が飛び込んで来るにあたって、取り敢えず『全空母消滅』の事は棚上げにして、生存した艦艇を再編成し、輸送船搭乗に成功したカリブ海方面軍を本国へ撤退させるべく、進撃して行く事となる。公式では『戦友を必ず守る』との事にて悲壮感溢れた形なれど士気は高かったと書かれているが、実際には『スカイレイダー』のみならず、『ヘルキャット』にすら機銃掃射やロケット弾攻撃を受けて結構な艦艇には多数の死者、負傷者、行方不明者が続出しており、ズタボロになった戦友や『元戦友』への対処を殆どの乗員が否応無しに行わされており、その為に戦意はかなり萎えていた状態だったと証言する乗員も居た事から、連合国側の公式発表には疑問符が付けられて語られる事が多い。確かに公式発表の様に自己犠牲精神を発揮して乗員全てが死兵化して士気が極限まで高まっていた艦艇も存在していたとは有り得なくも無いが、公式発表では『艦隊全ての乗員』と明言していたのだから、眉唾扱いされるのは当たり前なのかもしれない。 796 :641,642:2015/11/21(土) 17 56 14 枢軸、連合両軍が会敵し、交戦を開始したのは、夕日の残り火が微かに残る日没直後であった。枢軸、連合共にレーダーは装備されている為、比較的視認し難い状況ではあったが、レーダーと弾着観測機のお蔭で敵艦隊を発見するのは大して問題無かった。だが、連合側がアメリカ大西洋艦隊の新造戦艦で編成されたと推定した艦隊を完全に捕捉した時には、 情報を受け取った人間全てが驚愕と絶望の絶叫を挙げる事になった。事前情報では、アメリカの新造戦艦は『サウスダコタ級戦艦』の拡大版、つまり亡命オランダ海軍所属の『アムステルダム級高速戦艦』の様な41㎝砲戦艦と言われていたのに、蓋を開けてみれば『46㎝50口径3連装砲4基』装備の、連合国所属のどの戦艦よりも遥かに強大な巨大戦艦であり、『有り得ない!』と叫ぶ人間に対して叩き付けられた『自戦艦の艦橋を超える水柱を生んだ砲撃』が、今自分たちが相対している戦艦が正真正銘、圧倒的格上で有る事を強制的に理解させられた。そして状況を遅まきながら理解した連合国艦隊司令部は即時撤退を下命するも、連合軍を逃さない為に敢えて『砲撃可能圏内に入っても沈黙していた』アメリカ艦隊の攻撃から逃れるには、『戦うには弱すぎ、逃げるには遅すぎ』た。 この時期だと同時期に就役し、インド洋に実戦投入された日本の『大和型戦艦』位しかマトモに殴り合える相手が居ない『アイオワ級戦艦』6隻と正面衝突する羽目に有ったイギリス艦隊は悲惨であった。隻数で言えば両艦隊ともに『6隻』ずつで有るのは確かなのだが、イギリス艦隊の戦艦は『巡洋戦艦上がり』が4隻に加えて、最新鋭の『ライオン級戦艦』も『41㎝砲戦艦』であり、『46㎝50口径砲戦艦』として極限まで昇華した性能を誇る『アイオワ級戦艦』の前では、彼女たちは『ライオン』では無くただの『子猫』でしかなかった。 交戦直後に、先頭に立って突撃して来た『アイオワ』の第二斉射によって『ライオン』の艦橋基部と第二砲塔付近に3発命中し、一瞬で轟沈。続けざまに二番艦『テレメーア』には『ニュージャージー』の砲撃が一発艦尾付近に命中。舵ごと艦尾を抉り取られた為に速度は一気に低下し、イギリス艦隊は衝突を避ける為に散々バラバラに回頭。伝統に則って先頭に立って突撃して来た艦隊指揮官を初っ端に『ライオン』ごと喪失したイギリス軍は統制を失い、『レナウン』に座乗していた次席指揮官が何とか体制を立て直そうとするも、遠路遥々と戦域に多数飛来したB-29を改造した電子制圧機『B-30 レッドアイ』の電波妨害によって通信を徹底的に妨害されて連携手段が喪失してしまった為に、イギリス艦隊は只々、初陣かつ初の歴史上最大規模の艦隊決戦で歓喜の砲声を轟かせながら縦横無尽に大暴れする『アイオワ』達に食い殺されるだけの存在にまで成り下がって行った。最終的に最大でも小破程度の損害しか受けなかった『アイオワ級』が他艦隊の援護に向い、駆逐艦や軽巡洋艦が救助活動を開始した時には、『ライオン』『テレメーア』『アンソン』『レナウン』『レパルス』は海上から消滅し、『フッド』のみが至近弾のみで済んで奇跡的に大破状態で浮かんでいるも、航行すら不可能な状態で交戦継続出来る筈も無く、『フッド』は枢軸軍に回収された後、アメリカの工廠で修理、大改装されて、自由イギリス軍に配置される事になる。 一方自軍の戦艦部隊を掩護すべきイギリス巡洋艦部隊のノーフォーク級重巡洋艦『ノーフォーク』『ドーセッシャー』、ヨーク級重巡洋艦『エクセター』、ベローナ級軽巡洋艦『ベローナ』『ロイヤリスト』だが、『B-30 レッドアイ』による電波妨害によって『直ぐ傍に居る僚艦とすら通信断絶状態』と言う経験した事の無い事態で混乱する中、快速そのままに勇躍突貫して来たアメリカ海軍のニューオーリンズ級『サンフランシスコ』『ヴィンセンス』ボルティモア級『ロサンゼルス』『ピッツバーグ』の強襲を受ける。隻数で言えば一応イギリス海軍側の方が多いのだが、電波妨害によって各味方艦との連携がマトモに取れる状況で無く、発光信号による通信も『経験不足で行う夜戦』『未知の攻撃による心理的衝撃』『通信途絶によって発生した艦隊行動の乱れ』と言う三個の要因によってイギリス艦隊は数の利を全く生かせないまま散発的に反撃し、設計思想の違いによる米英巡洋艦の直接的戦闘能力の圧倒的格差も相まって一方的に叩かれ続け、実質的に何もできないまま撃沈破されていった。 797 :641,642:2015/11/21(土) 17 58 54 ドイツ艦隊と砲撃戦を交わしたのは、亡命オランダ海軍所属の戦艦部隊であった。元々2対4と隻数の時点で倍の差が有る上に、後世から『ビスマルク級戦艦』は『最新鋭の旧式戦艦』と揶揄されたように、設計段階からして古い思考の元に建造されており、敵手の亡命オランダ海軍には、枢軸軍最新鋭戦艦の『アイオワ級』や『大和型』よりも一段劣るとは言え、同数で有れば連合国海軍所属の全ての新鋭戦艦と対等どころか優位に戦えかねない『アムステルダム級高速戦艦』の『アムステルダム』『ハールレム』が存在し、オマケとばかりに大改装を終えた『セレベス級戦艦』の『セレベス』『タラカン』も援護に来ていたのだ。日米海軍と戦前から濃密な交流、演習を積んでいたオランダ海軍と、陸軍国家で敗戦後の軍備制限やその他諸々の諸事情から海軍再建にかなり時間のかかったドイツ海軍とでは、練度的にもかなりの開きが有った。その為、ドイツ海軍は初手からランダム回避で輸送船団や艦隊離脱の時間を稼ぐべく、マトモに組み合おうともせずに全力で逃げ回った。 一応予想されていた事とは言え、本当に初手から逃げに走るドイツ艦隊に対して若干の呆れと多大な同情心を持ってしまった亡命オランダ海軍だが、それ以上の感傷も抱く事無く『アムステルダム』『ハールレム』が『ビスマルク』『テルピッツ』を、『セレベス』『タラカン』がドイツ艦隊に合流した『アドミラル・シェーア』『アドミラル・グラーフ・シュペー』に砲撃を加え、トロンプ級軽巡洋艦『トロンプ』『ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク』、デ・ロイテル軽巡洋艦『デ・ロイテル』『デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン』『エーンドラハト』、ホラント級駆逐艦が航空攻撃で既に中小破している重巡洋艦『アドミラル・ヒッパー』『プリンツ・オイゲン』、そして『ライプツィヒ級軽巡洋艦』の『ライプツィヒ』『ニュルンベルク』、そして『Z級駆逐艦』との砲撃戦を展開する。 時間稼ぎを念頭に置いて妨害の為の砲撃に徹するドイツ海軍に対して全速力で追いかける図式となった亡命オランダ海軍との砲撃戦は、『アムステルダム』から放たれた一弾が『ビスマルク』の第四砲塔の天蓋を撃ち抜き、爆砕した時より転換期を迎える。艦隊運動の結果、亡命オランダ海軍を主戦域から引き離せたと判断したドイツ海軍が僅かに注意をそらした隙に、砲術班全員のあらゆる感情が込められた砲撃によって引き起こされた物であった。弾薬庫誘爆と言った最悪の事態こそ免れたものの、被弾時、砲塔の爆砕時の衝撃により機関部に衝撃が走り、速度と動きが鈍った所に41㎝砲弾が二発命中。そこから先は逃走を諦めた『ビスマルク』と『アムステルダム』との一騎打ちになるも、既に損傷を負っていた 『ビスマルク』に勝ち目は無く、『アムステルダム』の副砲を破壊し小規模な火災を発生させたのを最大の戦果として、このカリブの海に没した。一方相方の『テルピッツ』に関しては、退避航路を取り続けた末最終的に追いついてきた『ハールレム』との殴り合いとなり、『ハールレム』との交戦の末に第一、第二砲塔が崩壊し副砲、対空砲群も全滅状態となった代償に、『テルピッツ』は『ハールレム』に対して命中弾一発、それも艦橋部分に直撃させて一時指揮不能状態にさせた末に、『ビスマルク』からの撤退命令に従い全力で遁走。奇跡的に落ち武者狩りのガトー級潜水艦と鉢合わせする事無く大西洋を突破して命からがらブレスト港へと入港し、ドイツ海軍で唯一生還に成功した大型艦艇となった。尚装甲艦『アドミラル・シェーア』『アドミラル・グラーフ・シュペー』は順当に『セレベス』『タラカン』によって撃沈されている。 798 :641,642:2015/11/21(土) 18 01 43 独海軍重巡『アドミラル・ヒッパー』『プリンツ・オイゲン』軽巡『ライプツィヒ』『ニュルンベルク』駆逐艦八隻と蘭海軍の軽巡『トロンプ』『ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク』『デ・ロイテル』『デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン』『エーンドラハト』ホラント級駆逐艦による海戦は、数に勝るオランダ海軍が、兎角手当たり次第に60口径20.3cm連装砲を撃ちまくるドイツ海軍の重巡に苦戦していた。仮に艦艇を喪失しても日米から幾らでも入手可能では有るが、人員損失は如何足掻いても免れない為、人的資源に限りがある為成る丈損害を抑えたい亡命オランダ軍の事情も有って、こちらではオランダ海軍の方が牽制と拘束戦闘を行っている状態だった。そして、この優位な戦況展開に勢いに乗ってしまった『アドミラル・ヒッパー』と『プリンツ・オイゲン』は、目の前に転がってきた戦功を打ち立てる機会に勇躍してトロンプ級軽巡洋艦『トロンプ』『ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク』に砲撃し続けたが、目の前の『獲物』に夢中になって仕舞ったが為に、独軽巡『ライプツィヒ』『ニュルンベルク』を砲撃戦で袋叩きにして手早く片づけたオランダ版阿賀野型軽巡の『デ・ロイテル』『デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン』『エーンドラハト』に急接近され、日本海軍直伝の酸素魚雷の一斉雷撃を受けた末に、『ビスマルク』達と同じく、このカリブ海にて永遠に漁礁となる末路を遂げた。 ドイツ艦隊が亡命オランダ艦隊に撃破された頃、イギリス艦隊並みに悲惨な戦闘を強いられたフランス艦隊は、こんな戦場に連れ出してきた連合国上層部全てを、有りとあらゆる表現で罵倒し、呪詛の言葉を吐き続けていた。何故ならば、戦艦『リシュリュー』『ジャン・バール』重巡『シュフラン』『コルベール』『フォッシュ』ル・アルディ級駆逐艦と言う小規模艦隊に対して、 枢軸軍は戦艦『サウスダコタ』『インディアナ』『マサチューセッツ』『アラバマ』重巡『サンフランシスコ』『ヴィンセンス』『ボルティモア』『シカゴ』軽巡『ブルックリン』『フィラデルフィア』『ホノルル』フレッチャー級駆逐艦多数と言う明らか過ぎる過剰戦力を叩き付けて来たのである。ドイツ海軍は亡命オランダ海軍を引き付けて戦域から離脱中である為に増援は期待できず、そして今海戦に参加した中でも最大の戦艦戦力を誇るイギリス艦隊は、良く分からない通信を友軍艦隊に投げて来て以降は音信不通になっていた。この様な状況で、自艦隊に勝る敵艦隊と交戦を余儀無くされたのだから、フランス人は色々と罵ったとしても責めるに責められないだろう。ただ主に罵倒する対象は飽く迄『イギリス艦隊』にであって、ドイツ艦隊は経験や戦力が少ない中、有力なオランダ艦隊を引き受けているから、フランス人からは素直に賞賛の言葉が送られていたが。 だが、そんな不利な状況でも、カリブ海に連合軍内でも多数の自国戦力を送り込んでいた為に何が何でも味方部隊を撤退させなければならなかったフランス艦隊は…崩れなかった。否、寧ろこの『第四次カリブ海海戦』に置いて、唯一全うに統制の執れた艦隊決戦を行い、奮戦の末枢軸軍にマトモな損害を与えたと高い評価を与えられすらもしていた。先ず、巡洋艦同士の戦闘では、その重巡洋艦として極めて高いレベルに纏まっていた事から一時連合軍から小型戦艦と誤認されたボルチモア級『ボルティモア』『シカゴ』対空火力が多少減少した代わりに戦前就役艦艇としては対艦戦闘力はかなり高い破壊力を持つニューオリンズ級『サンフランシスコ』『ヴィンセンス』を前にして、フランス海軍のシュフラン級重巡洋艦『シュフラン』『コルベール』『フォッシュ』は、初手から55㎝魚雷を放ち、又照明弾や探照灯を発射、照射する等してアメリカ巡洋艦部隊に対して機先を制して強引に戦闘の主導権を捥ぎ取り、数の不利を承知で果敢に海戦を挑みかかった。 799 :641,642:2015/11/21(土) 18 05 21 フランス艦隊からの想定外の心理的奇襲攻撃を受けた『ボルティモア』を基幹とするアメリカ巡洋艦部隊だが、主に砲撃が集中した『ボルティモア級』は基準排水量で一万五千トン強を誇る巨体であり、それに見合った強固な防御力や攻撃力も張り巡らされ『ボルティモア級を沈めたければ酸素魚雷か有力な高速戦艦を持って来い』と設計者が豪語する重巡洋艦であり、ベテランの既存艦艇乗員からの転籍者も居るとは言え、之が初実戦である新人が多くを占める乗員構成であっても大して問題無いと考えられていた。その為、フランス重巡洋艦の想定外の奇襲に虚を突かれて主導権を一時奪われ、シュフラン級重巡洋艦に先に命中弾を受ける失態を見せるも、ボルティモア級二隻の強固な防御力の前にシュフラン級の『Model 1924 20.3cm(50口径)連装砲』では機関砲や水上機設備を破壊する以上の事は出来ず、やや時間を掛けるも序盤の奇襲から立ち直った『ボルティモア』『シカゴ』の容赦無き砲火と、この二隻がフランス重巡洋艦の砲撃を集中して受け止めていた為に余裕を持って狙いを定めた『サンフランシスコ』『ヴィンセンス』からの砲撃で、主導権はアメリカ側に奪還された。 主導権がアメリカ側に渡った後は、フランス艦隊も覆せない劣勢を悟り、通り魔宜しく残っていた魚雷を敵艦隊に撃ち込んで撤収しようと目論むも、被弾炎上し火達磨になりつつもアメリカ艦に喰らい付いてきた『レペー』に代表されるル・アルディ級駆逐艦の猛追をあしらいつつ突入して来た軽巡『ブルックリン』『フィラデルフィア』『ホノルル』フレッチャー級駆逐艦が退路上に立ち塞がり、フランス重巡洋艦の針路を予測して撃ち込んだ酸素魚雷が、既に『サンフランシスコ』の主砲弾が2発被弾していた『シュフラン』には息の根を止める4発、『コルベール』には艦橋下部に集中して 3発被雷し、両艦とも爆沈。先行していた『シュフラン』と『コルベール』が盾となる形で酸素魚雷の網を逃れ『フォッシュ』は、逃走は不可能として撤退を断念し、転舵して絶望的戦力差での砲撃戦を展開。既に轟沈した二艦が与えた損傷と合わせて『ボルティモア』を如何にか中破判定に持ち込んだ代償に、『フォッシュ』はアメリカ海軍巡洋艦部隊から無数の砲撃を受けて大破炎上し、最終的に行き足が止まって止めを刺そうとしたフレッチャー級駆逐艦『ニコラス』が近づいた直後に、弾薬庫に延焼した『フォッシュ』は故国から遠く離れたカリブの海で散華した。尚『フォッシュ』爆沈後、吹き飛んだ艦艇構造物の一部が接近していた『ニコラス』に直撃して前部砲塔が全壊すると言う海戦史上前代未聞の歴史的珍事が発生したのもこの時である。 米仏軽快快速部隊の戦闘が終結した頃、同じくフランス海軍『リシュリュー』『ジャン・バール』とアメリカ海軍『サウスダコタ』『インディアナ』『マサチューセッツ』『アラバマ』による艦隊決戦も佳境を迎えていた。数にして4対2と言う劣勢下に置かれたフランス戦艦部隊だが、『連合国側海軍最強戦艦』と密かに語られている『リシュリュー級』がそう易々と膝を折る筈も無く、逆に最大30ノットを誇る快速を活かしてアメリカ戦艦部隊の砲撃を逃れ、反撃に『インディアナ』に対して痛打を与えて戦線離脱、『マサチューセッツ』に二発命中弾を与え副砲群が壊滅、『サウスダコタ』へ直撃弾を与えて一時通信設備を損傷させアメリカ側の指揮系統を一時攪乱する等、フランス海軍軍人の面目躍如の奮闘を新大陸人に見せつけていた。だがアメリカ人もただやられていただけでは無く、被弾する寸前に『サウスダコタ』が放った41㎝砲弾が『リシュリュー』の第一砲塔天蓋を貫通し爆砕。『マサチューセッツ』『アラバマ』も『ジャン・バール』に集中砲火を加え、此方は第二砲塔に重大な損傷を与え、砲塔旋回機能を封殺した上に測定儀やレーダーを破壊し、実質的に戦力外にする事に成功する。 800 :641,642:2015/11/21(土) 18 07 26 『インディアナ』撃破の代償に自戦艦部隊主砲の砲撃力が激減してしまったフランス艦隊は、これ以上戦闘を継続しても無意味に損害が増すだけだと判断し、撤退命令が下されるも『リシュリュー』『ジャン・バール』が転舵し始めた直後に『リシュリュー』のレーダーが特大の艦影反応を映しだし、フランス艦隊司令部に最悪の悲観的予測が過った瞬間『ジャン・バール』周辺に常識外れの巨大な水柱と四発の被弾を確認。『ジャン・バール』はマトモに何かしらの反応を示す事も出来ずに瞬時に轟沈。イギリス戦艦部隊を撃滅した後『サウスダコタ』からの通信を元にフランス戦艦を包囲する様に 展開し、脅しの心算で放った『アイオワ級』6隻の46㎝砲弾の仕業であった。その後、戦艦部隊だけでなく巡洋艦や駆逐艦すらも参加した包囲の中で完全に孤立した『リシュリュー』は突破を断念。 アメリカ艦隊からの名誉ある降伏勧告を受け入れ、この『リシュリュー』降伏を持って『第四次カリブ海海戦』は実質的に終結した。 その後、共産化欧州艦隊が全滅した一報と、イギリス製護衛空母の偵察機が捉えたアメリカ艦隊の威容を遅まきながら知ったカリブ海脱出船団は完全にパニック状態に陥る。輸送船不足と言う事で絶対に安全であると誤魔化して民間船も強引に持ち出した事も相まっての事態だった。そして、このまま船団を組んでいても殲滅されるのを待つばかりと判断して輸送船団の指揮官は船団を解体して其々独行で欧州へとのがれる事を指示。輸送船は指示に従い自らの出せる最大速力を持ってアメリカ、オランダ艦隊の魔の手から逃れようとするも、夜通しで再編成を完了した空母機動艦隊の艦載機、落ち武者狩りとして大量に配置したガトー級潜水艦、そして先ほどの海戦の興奮が未だに収まっていない米蘭打撃艦隊の砲口から逃げ果せられる道理は無く、船団の8割弱が撃沈乃至降伏を余儀なくされ、共産軍の一挙両得の目論みは完膚なきまでに粉砕された。インド洋海戦でのイギリス艦隊の惨敗と合わせて多数の艦艇を喪い、外洋に大きなリアクションを取る事が不可能になった共産欧州軍は、欧州本土防衛の整備を進めて行く事になる。 余談だが、共産欧州艦隊を殲滅後に、アメリカ陸軍や海兵隊がカリブ海の連合国側植民地を占領して回っていたのだが、その際に陸地に取り残された、若しくは撃沈された輸送船から命辛々上陸した少数の連合軍兵と交戦している。その際、黒人兵が味方兵と保護した現地住民に向って投げ込まれた手榴弾に覆いかぶさり、自らの命と引き換えに戦友と民間人を守ったと言う事件が有った。この事を知った軍上層部や政府は彼の勇気ある行動を称え、勲章を与える等して彼を英雄として戦意高揚の意味も込めて宣伝したのだが、これに白人至上主義者が噛みついた。白人至上主義者の主張を要約すれば『神に選ばれし白人様をさて置いて、捨て駒として扱うべき劣等愚劣な有色人如きを重用するばかりか、勲章授与や英雄として称えるとは何事か!』と言う事で有ったが、日本軍や亡命オランダ軍と言う頼もしい戦友が存在するとは言え、ユーラシア全てが敵に回っているような現在の状況を鑑みて、白人種だけで戦力編成したら確実に戦力不足になるのは目に見えて居た上、有色人種に対して差別的行動を取ったら、今までアメリカと共に『最高の友人』として歩み続けている日本帝国と要らぬ亀裂を生んでしまうし、加えて『自由と正義の国アメリカ合衆国』としては、ポーランド人やユダヤ人を迫害している情報が有る共産陣営と同一視される様な言動は、政治的にも国是的にもイデオロギー的にも経済的にも、身命を賭して何が何でも避ける必要が有った。 801 :641,642:2015/11/21(土) 18 09 23 一応既に日露戦争後より始まっていた各種宣伝工作や政府からの融和政策の甲斐も有って、有色人種と白人種間の対立は、確かに有色人種の列強である日本帝国やインドネシア人を大切に扱っているオランダよりは僅かに劣るものの、欧州一般の常識からしてみれば有り得ない位に少なかった。その為に、今回の白人至上主義者の猛抗議もアメリカ人の多くや有識者からは白い目で睨まれるか、過激な所では『友人を侮辱された』と激怒して名誉棄損を訴え、件の白人至上主義者に対して『白人』が何人も訴訟を起こしても居た。そしてそんな状況で白人至上主義者の要求が通る筈も無く、この戦死した黒人兵士への名誉はシッカリと守られた。 後世の歴史家からは、今回のこの事件によって、アメリカ合衆国史上二つ目の最大級のトラウマである、第二次世界大戦終結後に発生した白人至上主義者による武装蜂起である『テキサス・カリフォルニア暴動』…通称『第二次南北戦争』が発生する火種となったと言われているが、当時の政府は共産軍との戦争や中立・同盟国との様々な調整に忙しく、又様々な慰撫、教導政策とアメリカ人の良識と言う物を過信し過ぎており、まるで噴火直前の活火山の様にマグマを溜め込んだ白人至上主義者の鬱屈や不満を察知する事は出来なかった。当時の政府官僚曰く『まさか、あの馬鹿共が此処までやらかすとは思っても居なかった』と言う一言が、『周囲全てが敵』『頼れるのは自分達のみ』とまで思い込んで勝手に追い詰められていた狂信的白人至上主義者たちの状況を、世間一般のアメリカ人全てが完全に甘く見ていた事を表していた。 . 802 :641,642:2015/11/21(土) 18 10 33 ハイ、以上になります。本当にスミマセン。こんなに長くなってしまいまして…
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thumb|320px|アメリカ国立公文書館に現存する計画書による日本の[[分割統治計画。東京23区は米中ソ英4か国、近畿と福井県は米中2か国による共同統治。]] 日本の分割統治計画(にほんのぶんかつとうちけいかく)は、第二次世界大戦において、ドイツやオーストリアが降伏後米・英・ソ・仏4カ国に分割統治されたように、本土決戦後の日本も北海道・本州・九州・四国を連合国それぞれが統治しようとした計画。 概要 実際の歴史 連合国は第二次世界大戦中、日本が明治維新以降に『暴力的に獲得した地域』を連合国によって分割する方針を打ち出していた。連合国は日本降伏後、かかる地域を以下のように分割占領した。 ソ連 南樺太(ポーツマス条約で獲得、内地、1943年3月31日までは外地) 千島列島(樺太・千島交換条約で獲得、内地) 朝鮮北緯38度線以北(日韓併合条約で獲得、外地) 関東州(旅順・大連)(ポーツマス条約で獲得、租借地。1950年代に中国へ返還) アメリカ 朝鮮北緯38度線以南(日韓併合条約で獲得、外地) 沖縄(琉球処分、内地) 奄美(連合国は沖縄の一部と解釈) 旧十島村は、軍政下に置かれた島(現十島村)とそれ以外の島(現三島村)に分割された。 小笠原(明治に領有宣言) 委任統治領南洋群島(ヴェルサイユ条約で獲得) 中華民国 台湾(下関条約で獲得、外地) これらは、1945年(昭和20年)の日本降伏後、速やかに実行された。 これら占領地域には、日本が内地とした地域もあり、その点で言えば、日本領土は史実でも分割されている。しかし、本土決戦の回避により、上記以外の日本本土を構成する北海道・本州・四国・九州及び付属島嶼は、連合国軍最高司令官総司令部(通称GHQ、実質は米国)によって1952年(昭和27年)まで統一した占領統治下におかれ、分割されることはなかった。本計画では、これらの本土地域も細かく分割することになっており、この項目で指す分割とは、この計画を指している。 計画による統治区域 アメリカにある国立公文書館に現存する計画書によると、北海道と東北はソ連占領地域、関東・中部・福井県を除く北陸及び三重県付近はアメリカ占領地域、四国は中華民国占領地域、中国・九州はイギリス占領地域として統治し、首都東京の23区は米・中・ソ・英の、福井県を含む近畿は中華民国とアメリカの共同管理下に置くという計画であった(地図参照)。 廃案 この計画が廃案となった理由ははっきりしていない。有力な説としては以下が挙げられる。 米軍が原子爆弾の開発・運用に成功し、核戦力を入手した事。 核戦力の獲得に乗じ、ヤルタ会談で合意した事項の幾つかを撤回する動き・兆候をソ連が推測・警戒した事。 ドイツ降伏直前で急死した親ソ連のルーズベルト大統領に代わり就任していたトルーマン大統領による対ソ連外交政策転換の兆しへの嫌悪・不満。 アメリカがチャーチル英国首相から繰り返し警告されていた、戦後の社会主義国との対立を睨み、極東での陣地拡大と基地化を目論んでいた事。 その他にも、以下のような説などさまざまな主張がある。 終戦直前、ソ連が南樺太や千島列島に加えて、北海道北部(留萌市 - 釧路市を結ぶ線から北東側全域。留萌市・釧路市については分割せずソ連が占領)をも併合しようとする貪欲な姿勢を見せたため。 日本で学んだ経験のある蒋介石が「報怨以徳」(怨みに報いるに徳を以ってする)に基づいた反対意見を出した為。 ダグラス・マッカーサーと親密な吉田茂の猛反発があったため。 アメリカが権益を独占しようとした策略。 対日戦で中心的役割を果し、かつ日本を占領したのは米国軍部隊であるにも関らず、その日本をイギリス人、ロシア人、中国人と後から分割統治することに対する反発。実際にドイツや朝鮮半島など、連合国で分割統治計画があった地域でもほぼ自軍の占領範囲を統治することになった。 ポツダム宣言は、北海道、本州、四国および九州と諸小島を領土とし、内地の一体性を認めているため、これを後から分割統治とすると、宣言内容と矛盾してしまう。ポツダム宣言を反故にすると、速やかに帝国陸軍を武装解除できず、日本軍は降伏を撤回し、最後の一兵まで戦う可能性があったとも言われる。 いずれにせよ、この計画が実行されなかった事は日本にとっては良い結果をもたらしたといえよう。仮にドイツや朝鮮半島、ベトナムのように資本主義を支持する国と社会主義を支持する国で分割統治された場合、前述の国の例を鑑みれば、そのまま複数の国に分断されてしまい、最悪の場合は朝鮮戦争やベトナム戦争のように、日本人同士が相討つ事態になる可能性があった。また東京の共同管理にもベルリンと同様の困難を伴ったであろう。また、すべての困難を乗り越えてドイツのように国家の再統合を達成しても、旧西ドイツと旧東ドイツのように互いの国民の精神や生活水準に著しい差異が生じ、現在の日本においても見られる日本人同士での対立や差別が顕在化する可能性があった。 関連項目 分割統治 分断国家 架空の日本 五分後の世界 連合国軍占領下の日本 外部リンク 幻の日本分割占領案 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年12月10日 (水) 10 25。
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≪戻る≫ 世界がさばく東京裁判 佐藤 和男 (「MARC」データベースより) 東京裁判を批判していたのは、パール判事だけではなかった。世界14カ国の識者が問う、連合国の戦争責任。多数の書籍から引用・抜粋して収集した批判論集。 詳細 単行本 出版社 明成社; 改訂版 (2005/08) ISBN-10 4944219369 ISBN-13 978-4944219360 発売日: 2005/08 商品の寸法 18.8 x 12.8 x 2 cm なお、 『世界がさばく東京裁判―85人の外国人識者が語る連合国批判/終戦五十周年国民委員会』 ISBN-10 4916029097 というのは同じ本(改訂前の本)です。 名前 コメント
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855 :641,642:2015/10/06(火) 22 59 51 日米蜜月(ユーラシア共産化)ルート考察擬き 大戦に置ける主要会戦記録 『第二次世界大戦~連合軍の戦線整理と撤退~』 『ウラジオストック攻略戦』 連合軍と枢軸軍との全面戦争が勃発した後、日本海に於けるソ連海軍最大の海軍拠点であるウラジオストックを、海上からは日本帝国所属の海軍陸戦隊と就役直後の航空母艦『翔鶴』『瑞鶴』の航空隊、戦艦『扶桑』『山城』の艦砲射撃、陸上からは満州帝国陸軍と満州帝国航空隊、そして大韓帝国軍の総攻撃により、ウラジオを奪取した戦い。今会戦では、ソ連軍が既に最低限の兵力以外を撤退させていた為、激戦を予想していた枢軸国軍側が拍子抜けしても居る。 第二次世界大戦開幕後の最初期の戦闘は、基本的に『満州国境地帯』『カリブ海』『東南アジア』方面にて発生しており、開戦の原因となった一つの会戦である『黄海海戦』が発生した後は、日本海は戦前の通りの『エンペラーのバスタブ』の姿を取り戻していた。第二次世界大戦が勃発したと言うのに、『黄海海戦』以後全く日本海に敵潜水艦を認めないこの事態に、日本人は下は水兵や内地の一般人、上は天皇陛下を含む軍政官財それぞれの上層部が疑問を抱いていた。まさか『黄海海戦』が終結した時には、ウラジオストック方面に展開していた連合軍潜水艦隊が全滅していたとは露とも思っていなかったのである。その為に『連合軍は何かしらの反撃手段をウラジオストックで整えている最中』だと勝手に早合点し、満州帝国と大韓帝国にも援軍要請を行った上で、自軍は陸上部隊を支援する為に、連合艦隊から艦砲射撃用に戦艦『扶桑』『山城』に加えて、航空援護に就役したばかりの『翔鶴』『瑞鶴』の投入準備を整えた上で『ウラジオストック攻略作戦』を発動させた。 満州帝国軍からは対中、対ソ用に回さなければならない兵力が膨大である為に、動かせたのは精鋭の四個師団程度だったが、大韓帝国軍は連合国と国境を接しているのは、今から攻め込むウラジオストックのみで有る為、殆ど動かせる全軍を投入。日本帝国軍も上述の海上戦力に加えて、上陸戦に手慣れた日本版海兵隊の様な存在である海軍陸戦隊を動員。各方面からの陸空同時攻撃を敢行するも、既にウラジオストックに駐留していたソ連軍は、戦略的に孤立状態の場所での無意味な流血を望まなかったトロツキーの指示にて治安維持用の現地民兵を除いて全軍撤退状態であり、枢軸軍は『敵部隊』とでは無く『無数の地雷と機雷の群れ』と戦わされる羽目に合い、しかもウラジオストックを無血で放棄するとは想像の埒外にも有った為、暫くの間ウラジオストック攻略部隊は、存在しない『敵部隊』を血眼になって捜索すると言う笑うに笑えない事態にすら陥っていた。 856 :641,642:2015/10/06(火) 23 02 30 最終的に、経験の少なさが祟ってか、地雷原に数回大韓帝国軍が踏み入ったり、ソ連海軍が置き土産に放った機雷によって、連合艦隊の球磨型軽巡洋艦『木曽』綾波型駆逐艦『朝霧』朝潮型駆逐艦『霞』撃沈と言う損害こそ受けた物の、ウラジオストックの制圧には成功。領有権に関しては、歴史を遡れば元々満州人の土地であった為に、満州帝国の管理下へと移管された。部外者からは『満州と日韓との間で領土配分で揉めるのではないか』と言う話も出たりもしたが、日本帝国からしてみれば、民族気質からして大陸に広大な直轄領土を保有するのは国是にそぐわないし、大韓帝国側は自国領開発で手一杯な上元々領土欲はそこまで無かったし、実質自国軍はソ韓国境地帯より大して進軍出来ていなかった為に領土請求する資格等無いと考えられていた事も有り、特に異論が出る事も無かった。 『タスマン海海戦』 今までの『白豪主義』に基づく有色人種迫害政策の結果、政治的に枢軸国側に組する事が出来なくなっていた為に連合国側に所属していたオーストラリアを戦争から早期離脱させる為に、戦艦『長門』『陸奥』軽空母『祥鳳』『瑞鳳』『龍驤』重巡洋艦『青葉』『衣笠』を主軸とする艦隊が通商破壊戦を行いつつ侵攻し、迎撃に出たオーストラリア海軍を一戦で殲滅した戦い。余りにも一方的過ぎる戦闘の為に枢軸側はオーストラリアが戦争から離脱すると常識的に考えるも、当のオーストラリアからは出来もしない徹底抗戦が叫ばれると言う結果に終わってしまった。 第二次世界大戦が開幕する前より、オーストラリアは日米に対して一方的な敵意を抱いていた。日本に対しては、言わずもがなの『白豪主義』に基づく根拠の無い優越感からくる差別意識であり、米国に対しては『白人の誇りを忘れた恥知らず共』と言う勝手な言い掛かりからくる敵意であり、当然ながら日米両国も、理不尽かつ一方的な敵意を向けられているのにそれに反発を示さない訳は無く、日米とオーストラリアの溝は、開戦当時には殆ど国交断絶の5歩手前程度に悪化していた。連合国と日米で全面戦争が始りそうだと全世界に伝わった時、『世界で一番この戦争を喜んで迎い入れた』とすら言われていた程だった。 だがオーストラリア人全員が喜んでいた訳でもなく、日米と相対す軍隊の面々は皆一様に暗い顔で頭を抱えていた。当時のオーストラリアは大した工業力の無い農業国であり、必然的に高度な工業力と経済力を必要とする軍需産業は皆無であり、艦艇から重砲等の多くの兵器は基本的に全部宗主国のイギリスから購入、譲渡されている状態であり、そのような状態では自力で航空機や戦闘車両を大量に量産、開発出来る日米に対抗出来る事等不可能だった。何せ、当時のオーストラリアには対日米軍拡政策による無茶な軍拡のせいで、一定の修理や簡単な部品製造以外はマトモに期待出来ない様なレベルだったのだ。部品の輸入が途絶したら、現在のオーストラリア軍が保有する艦艇も戦闘車両も時間が経てば使用不能になる。こんな惨状で世界列強の筆頭格である日本帝国とアメリカ合衆国の両国と戦争になる事を喜べるような軍人は居なかった。少なくとも現状を直視できるように教育された、将官、佐官以上の高級将官に関しては。 857 :641,642:2015/10/06(火) 23 05 01 そして彼らオーストラリア軍人の憂鬱な感傷を知る由も無く、フィリピン在中のアメリカ東洋艦隊と一航戦と二航戦、そして金剛四姉妹はインドシナとインド洋方面の抑えに回され、戦艦『長門』を旗艦とする南遣艦隊が丁度進出を終えた為、今回のオーストラリアへの攻撃任務に就くように告げられ、出撃した。彼女たちは少し大回りをして珊瑚海に入り、ケアンズやタウンズビル等のオーストラリア北部の都市に存在する軍事基地を、『長門』と『陸奥』は沖合に待機して存在を隠蔽しつつ、『瑞鳳』『祥鳳』『龍驤』の艦載機と『青葉』『衣笠』の艦砲射撃で破壊し、オーストラリア海軍が釣り出されるのを待っていた。そしてその釣り出しは、枢軸国諜報組織とオーストラリア諜報部員の活躍により、オーストラリア政府がこの北部へ攻撃した連合艦隊の編成が『重巡と軽空母を中核とした通商破壊艦隊』と誤認識し、海軍に出撃を命令した事から、枢軸側の目論み通りに見事に釣り出す事に成功した。 オーストラリア海軍所属の、『ケント級』重巡洋艦の『オーストラリア』『キャンベラ』『シドニー』、『パース級軽巡洋艦』の『パース』『ホバート』『アデレート』、『トライバル級駆逐艦』合計六隻、『Q級駆逐艦』合計四隻…文字通りの全力出撃で、航空機の威力を封殺する為に夜間に連合艦隊の『重巡と軽空母を中核とした通商破壊艦隊』に突入するも、交戦距離に入る以前に彼らの搭乗する艦艇周囲には、明らかに重巡洋艦搭載の主砲では無い火力の砲撃が多数叩き込まれ、搭載していたレーダーや見張り員からの情報では、どう考えても相手には『戦艦』が存在しているとしか考えられず、出撃したオーストラリア艦隊はこの時点で『嵌められた』と悟るも、豪艦隊司令部より撤退命令が下された直後に、 旗艦の重巡『オーストラリア』に対して戦艦『陸奥』の41㎝砲弾が三発直撃し轟沈。オーストラリア艦隊は『撤退命令直後に旗艦轟沈』と言う事態に混乱し、三々五々に潰走を始め、日本艦隊は脇目も振らずに逃げ出すオーストラリア艦隊に容赦無く砲撃を続行。止めに夜明けと同時の黎明航空攻撃を敢行し、出撃したオーストラリア艦隊は『トライバル級駆逐艦』二隻、『Q級駆逐艦』一隻を除き浮揚修理など到底不可能な海域で撃沈された。 『タスマン海海戦』後、行きがけの駄賃とばかりに通り魔的にオーストラリア南部の諸都市を奇襲後、大した損害も無く作戦目標を達成した南遣艦隊は悠々と帰還。海軍が壊滅し、軍事基地も壊乱状態になったオーストラリアは対外軍事リアクションを取る事が一切不可能になり『勝負は決した』と常識的に判断した日米両政府より降伏勧告が出されるも、オーストラリア政府は之を即座に拒否。軍内部では国土全てを焦土としてでも戦おうとする過激な将校が、在来の将校を排除して主導的位置を奪取しており、政府や国民も恐怖と情報不足から枢軸国との徹底抗戦を支持。その為、枢軸国はオーストラリアを戦争から完全に脱落させる為には、この『世界最小の大陸』に陸上戦力を送り込まざる負えなくなる羽目になる。敵戦力は数える程度しか居ないとは言え、その『広さ』自体が枢軸軍に多大な負担を背負わせる事位、将校や下士官だけでは無く、歴史好きな一般兵辺りなら分かりきった事であった。因みに、この情報を知った某T氏とその眷属や仕事仲間は『大して意味の無い無駄な金使わせるな田舎者どもが…』と言った意味合いの言葉を口々に発していたそうである。 391 :641,642:2015/10/15(木) 20 06 21 『セイロン島沖海戦』 指揮官として塚原二三四大将が率いる航空母艦『赤城』『加賀』『飛龍』『蒼龍』『翔鶴』『瑞鶴』戦艦『金剛』『比叡』『榛名』『霧島』を主戦力とする大艦隊がインド洋に駐留する連合国の海空戦力に打撃を与えるべく出撃し、諜報や情報分析にてこの出撃を察知した連合国がセイロン島にまで引き寄せての撃滅戦を企図するも、日本艦隊からの反撃で物の見事に連合国側の戦力が消し飛んだ戦い。連合国側の喪失戦力は主に航空戦力だったが、唯一ソ連海軍のみが、イギリス海軍の航空母艦『アークロイヤル』を参照して戦前より建造されたソ連海軍航空母艦『スヴェルドロフスク』『ミンクス』の内『スヴェルドロフスク』を航空戦で喪失し、残る『ミンクス』も『伊 58』に轟沈させられる散々な結果に終わった。 『第三次カリブ海海戦(対潜哨戒)』にて多数の潜水艦を撃沈して、独ソ海軍潜水艦隊を一時半身不随に近い状態に追いやった後、カリブ海に存在する連合国側植民地、そしてその植民地に補給に向かう艦船に対して、陸上施設にはアメリカ陸軍航空隊が誇る『蒼穹の要塞』B-17が、連合軍船舶には新鋭潜水艦である『ガトー級』が虱潰しに打撃を与え、連合国側に多少の揚陸成功の引き換えに多数の船舶や物資の喪失と言う地味に精神的、物理的に損害を与え続けていた頃、日本本土からは未来の連合艦隊司令長官と一部では噂されている英才『塚原二三四大将』率いる、正規空母6隻、高速戦艦4隻を艦隊の基幹に据えられた『第一機動艦隊』が、一路インド洋に向けて出港していた。目標は、インド洋に進出して来た事が暗号解読等で判明したイギリス、ソ連空母部隊である。『翔鶴』『瑞鶴』は就役後に『ウラジオストック攻略戦』に参戦し、実戦経験が一応有るとは言え、流石に無理があると言われていたが、塚原大将は『『翔鶴』『瑞鶴』の乗員や航空隊は、既に必要十分な連度を保有している』として、之を退けていた。 一方『第一機動艦隊』の標的となったインド洋に存在する連合国海軍は、ソ連海軍の新鋭空母『スヴェルドロフスク』『ミンクス』を増援として迎え入れてはいたが、それ以外ではイギリス海軍のイラストリアス級空母『イラストリアス』『フォーミダブル』『ヴィクトリアス』の装甲空母三隻しか、インド洋には航空母艦は存在しておらず、それに加えて艦載機に関しても、未だに『シーハリケーン』や『ソードフィッシュ』等の御馴染みかつ性能不足が判明している既存機体のままであり、一部『シーファイア』が追加された以外は今まで通りだった。現在、連合国は必死に新型機の開発を推進しているも、連合国の主要国家であるドイツ、ソ連、フランスは陸軍国であり、艦載機の開発は不得手であるどころか、ドイツは自らが課した軍備制限のせいで空母は現在『グラーフ・ツェッペリン』を壁に幾度もぶち当たりながら建造中の『初心者』であり、ソ連海軍は機材は兎も角中身は日本海海戦と赤化のダメージが響き、イギリス海軍と比べると『素人』であった。フランス海軍が一番この三カ国内ではマシではあったが、フランス国内の工業力が英独仏と比べて未だに『不合理』『未熟』である為に一部技術的アドバイス以外で新型艦載機開発でイギリスに手を貸せるレベルには無く、実質イギリス一国での艦載機開発を賄う羽目にあっていた。それでいてイギリス海軍は新型艦載機開発に失敗し続けて陸戦機を艦載機に改造して何とかしている状態でもあり、何時もの皮肉も忘れて『陸上戦闘機と互角以上に戦える艦載戦闘機』を開発、運用している日米海軍を本気で羨ましがっていた。 392 :641,642:2015/10/15(木) 20 09 27 だが無い物を強請っても天から降ってくる訳も無く、インド洋連合国海軍は手持ちの艦載機部隊と基地航空隊で日本海軍の『第一機動艦隊』を『撃退』する事を余儀なくされる。仮に日本艦隊がインド洋を蹂躙するのを傍観して居れば、確実に好機と見たインド人が蜂起すると見られていたし、『インド』を失えば、連合国、特にイギリスの戦力補充能力は激減する為、絶対にこの艦隊を撃退する必要が有った。その為、喧々諤々の大論争の結果『質の不利は数で補うべし』との事にて、各種欺瞞工作によって『第一機動艦隊』をセイロン島まで誘き寄せ、総力を持って袋叩きにすると言う作戦案が通り、各種無電やイギリスの諜報力を総動員して日本艦隊の誘因に連合国は奔走する。最初から放棄が決まっていた『アンダマンニコバル諸島』に『満足に機密書類を処理出来ないまま慌てて逃走した』様に見せかける工作を施したのがその代表例であった。その後、日本艦隊は『アンダマンニコバル諸島』を無血占領後、『第一機動艦隊』が既存機をマレー半島から飛来した機体と入れ替えた事が暗号解読、無線傍受にて分かり、セイロン島に向けて一路進撃しているのを偵察に出ていたドイツ海軍の潜水艦UボートⅨC型『U-129』が発見。この情報を入手した連合国は仕掛けた罠に嵌った日本海軍を嘲笑いつつ、セイロン島基地航空隊と空母艦載機隊に対して出撃を命令し、命令に従い出撃した連合国航空機部隊は日本側より盛大な反撃を受け、壊滅する事になる。 『第一機動艦隊』が『アンダマンニコバル諸島』制圧後に入手した『機密書類』や無線傍受、本土から送られてくる諜報情報が『インドから撤退』『セイロン島に撤退する為の物資集積所有り』等と言う物であり、一見すると不自然な所は見られなかったが、空母『加賀』に乗り込んでいた参謀『神 重徳』がこの情報に疑問を投げかけた事から、連合国側の思惑はアッサリとあらぬ方向へと捻じ曲がって行った。既に連合国の機動部隊と交戦したアメリカからの情報で『敵艦載戦闘機の性能はF4F≒九七式戦闘機以下』と言う事が伝わっている為『艦隊保全主義に則り撤退したのだろう』と、連合国の艦艇供給能力的に楽観的に捉えた参謀や高級将官が多かったのだが、神大佐と数名のみが罠の可能性を強硬に主張し、これを受け入れた塚原大将が、マレー半島を経由して簡易とは言え飛行場が設立されたコタバル諸島に来ていた九七式艦上戦闘機を追加で一部入れ替え、露天駐機も行って戦闘機の数を増やし、セイロン島に突入したのであった。 作戦の前提として『情報工作に引っ掛かった日本艦隊は、攻撃力強化の為に戦闘機を減らして爆撃機主体で来る』と言う物だった為に、セイロン島の基地航空隊からは『ブレニム Mk. IV』『アミオ 354』『DB-3(後の『Il-4』)』が、増漕を着けても護衛戦闘機の航続距離が全く足りなかった事も有り、爆撃機部隊のみで九七式艦上戦闘機の群れと交戦。イギリス軍の『ブレニム Mk. IV』は兎も角、フランス軍の『アミオ 354』、ソ連軍の『DB-3』は日本艦隊との交戦以前に、訓練は積んでいても対艦攻撃の実戦経験が皆無であり、重い魚雷や爆弾を抱えて鈍い動きしか出来ず、銃座からの反撃も海上戦闘に手慣れて機敏に飛び回る九七式の前では精細を欠き、最終的に空母艦載機部隊より先行して『第一機動艦隊』に突入した連合国基地航空部隊は輪形陣の一番外側の陽炎型駆逐艦の壁すら飛び越える事も出来ずに多数が叩き落され、敗走。 393 :641,642:2015/10/15(木) 20 13 52 イギリス海軍『イラストリアス』『フォーミダブル』『ヴィクトリアス』の艦載機部隊は基地航空隊が敗走する直前に戦場に到着し、敗走する味方機を無視して突撃するも、輪形陣の外側を攻撃して防空網に穴をあける等の工夫を取らずに一直線に空母目がけて突撃して来た為に、少し前の巡洋艦並みの艦体を持ち、対空対艦問わない汎用性に優れた新型両用砲や各種新型の電探やソナー、爆雷、そして日本海軍が誇る61㎝5連装酸素魚雷発射管を備えた『今大戦最高の艦隊決戦型駆逐艦』と自画自賛する新鋭の『陽炎型駆逐艦』による対空砲火で編隊が掻き乱されて少なくない数が被弾、撃墜され、 『陽炎型』の輪を突破しても、元々高かった対空火力が改装で更に強化された『最上型重巡洋艦』、そして建造が急加速しての就役後初の実戦参加で気合の入っている最新鋭の『沙流型防空巡洋艦』が放つ大量の対空砲弾相手では、布張り複葉機と言う特殊な構造によって生まれた高い耐弾性を頼りに、さまざまな幸運の元で活躍して来た『ソードフィッシュ』を筆頭とした連合国艦載機部隊は、完全に自らの機材が時代遅れであると連合国海軍に思い知らされる被撃墜数と、自爆機一機による陽炎型駆逐艦『不知火』の中破、最上型重巡洋艦『三隈』に魚雷命中一本による小破、空母『蒼龍』に爆撃の至近弾一発と言う過小戦果で終わるしかなかった。 『第一機動艦隊』に伝統の『見敵必殺』精神の元、全力出撃で差し向けた艦載機が一撃で壊滅した事に動揺し、全力で遁走したイギリス機動部隊を脅威では無くなったと判断した日本艦隊はコレを放置し、既にこの海域に来ているとの情報を入手していたソ連海軍航空母艦『スヴェルドロフスク』『ミンクス』、アメリカ人通称『ブラッディ・ロシアンロイヤルズ』の捜索へと移行していた。当時の『第一機動艦隊』の面々は、本来なら先のイギリス軍と基地航空隊の攻勢に併せて攻撃して来る筈と想定していたのに、結局来なかったこの二空母が一体どこに居るのかが検討も付いていなかった。コタバル諸島に遠路奇襲を仕掛けに行っている等の突拍子も無い話が作戦会議で出たりもしていたが、合理的な一流海軍国出身の彼らの常識では『艦載機部隊が進撃路を間違えて迷子になって交戦出来なかった挙句、『進撃』か『撤退』かで揉めてインド洋を未だに彷徨っている』等と言う事態は全く想定出来なかった。ある意味彼らは『先年漸く再建が始まった共産主義国家の海軍』の事を知識としては知っていても余り理解出来ておらず、それ故に過大評価し過ぎていたのかもしれない。 その為、偵察機がソ連機動部隊がインド洋に居るのを発見した際、少しばかりの間『何故コイツラはこんな所にいる?!』と混乱したりもしている。 一方のソ連艦隊だが、初陣の艦載機部隊が航法を間違えて明後日の方に進撃して『第一機動部隊』との交戦に失敗し、帰投後の着艦時に二機がオーバーランして海没、三機が脚部を甲板に叩き付けて圧し折り使用不能になると言うアカ嫌いで有名な某アメリカ陸軍将軍抱腹絶倒物の大惨事を前に『撤退』を主張するソ連艦隊司令部と『進撃』を主張する政治士官と言う、共産系国家ではある種日常的に見られる御馴染みの対立が発生していた。方や 艦隊司令部は『既に機は逸した』と考えて艦隊保全の方向に思考が傾いており、方や『アレだけの連合軍機の攻撃で無傷でいられる筈は無い』とする政治士官との議論の溝は深まるばかりであり、最終的に艦隊司令部は何とか政治士官の説得に成功するも、説得に成功するまでにかなりの時間を費やしてしまっており、その為、艦載機部隊が帰投後即座に退避して居れば逃走に成功した可能性を自ら潰して『第一機動艦隊』の偵察機に発見される事態を招いてしまっていた。だがこの時のソ連艦隊は、戦争の女神の気紛れか、若しくは初陣者に時折与えられる幸運に中途半端に恵まれており、被発見時の時刻は午後であり、時間的に『第一機動艦隊』からの航空攻撃は一回目が終わって直ぐに日没する状況の為『一撃凌げば』撤退可能とソ連艦隊司令部は目算を立てた。線香花火の様な儚い希望では有ったが、すがる物が何もないよりは遥かにマシだった。 394 :641,642:2015/10/15(木) 20 17 52 偵察機に発見されたソ連艦隊が、何とか修得していた輪形陣にて『スヴェルドロフスク』『ミンクス』から戦闘機を発艦させている頃、『第一機動艦隊』からは大急ぎで多数発艦させた攻撃隊が艦隊上空で速やかに編隊を編成して最大速度でソ連艦隊に向けて突撃を開始していた。事前の予想に基づいて行っていた偵察が、ソ連艦隊が彷徨っていたせいでことごとく外れて最終的に発見した時には午後、夕刻より前程度の時間帯であり、時間的に一回薄暮攻撃をするのが限界であり、下手を打って戦闘が長時間長引けば、最悪夜間帰投の可能性も少なからずある為に、日本軍パイロットは熟練や中堅、新人問わずに『早くソ連艦隊を沈めて帰ろう』と言う思いが強かった。元々お国柄なのか、職人芸や熟練の技を持つ人間を軍民問わずに育成したがる日本人の軍隊らしく、特に艦載機パイロットの技量は全世界の海軍航空隊の中でも抜きんでいてはいたが、そんな彼らでも『夜間発着艦』と言うのは至難の業、と言うよりも、当時の各種機材の技術的限界から流石に無理であった。着艦する空母とその周囲を煌煌と明かりを灯せば可能と言えば可能ではあったが、それでも事故が発生する可能性は高かったし、それにそんな事をすれば連合国の潜水艦が喜び勇んで襲撃する為に『夜間戦闘』の選択肢はとれる筈も無かった。 そんな日本側の心情はさて置き、綺麗に組み上げられた編隊を殆ど崩す事無くソ連機動部隊に辿り着いた日本軍攻撃隊の護衛機は、先ずセオリー通りに突入して来たソ連機動部隊艦上戦闘機部隊に向けて飛び出し、交戦を開始するも短期間で決着がついた。当然、日本側の圧勝と言う形で。日本の『第一機動艦隊』側は、殆ど圧勝状態でとあるエースパイロットからは『演習の方がよっぽど大変だ』と言われるレベルではあったが、日本側は既にマレー半島で実戦経験を積んでいたのに対して、ソ連側は実戦経験は無い上に、彼らが操る機体もイギリス海軍航空隊と同じく、陸上機を改造して使用している為に不具合が多発している上に、それ以前の問題として新鋭機である『ラボ-チキン LaGG-3』は優先的に極東軍に配備されており、結果艦載用戦闘機としてソヴィエト海軍に多数宛がわれたのはまさかの『I-16』であった。この事を知ったソヴィエト海軍総司令官は複数回確認をしつこく行った末に絶望の余り気絶しており、又同盟国海軍の艦載機、つまりイギリス海軍の艦載機を購入しようにも、イギリスの工業力では自国分の生産に加えてソ連艦隊の機体も調達するのは難しい為に、結局一部『シーハリケーン』を購入、譲渡して貰ったのと如何にか一定数確保出来た『LaGG-3』以外は搭載機数の内、『I-16』を幾らかを艦載戦闘機にせざる負えず、『物量』『連度』『経験』『機材』。士気以外の全てにおいて日本側に劣っていたソ連軍が勝てる道理は何処にも無かった。 短期間でソ連海軍防空戦闘機隊は日本戦闘機隊に殲滅され、攻撃隊は自軍やアメリカ軍と比べたら『小雨より多少はマシ…?』程度の対空砲火を難無く突破しての猛攻を展開するも、日没までに帰投するまでの制限時間がかなり短く、またソ連艦隊も『ツシマ沖海戦』の二の舞を避けるべく、せめて空母だけでも守ろうと必死の回避運動を展開した事も有り、『スヴェルドロフスク』撃沈、『ミンクス』中破。護衛として随伴していた三隻の巡洋艦『マクシム・ゴーリキー』『カリーニン』『リャピヂェーフスキイ』が纏めて轟沈し、駆逐艦も五隻撃沈されると言う大惨敗を喫するも、何とか日没まで『ミンクス』は逃げ回る事に成功。即時連合国勢力圏内に向けて一直線に全力で逃げ出すも、通信からソ連艦隊の情報を入手し、予測針路上に潜伏していた『伊 58』の放った新開発かつ先行量産型の『磁気感知信管搭載酸素魚雷』の雷撃により竜骨を叩き折られ、轟沈。何年もかけて必死に復活途上であった艦艇と水兵を多数インド洋で喪失する、ソ連にとって『藪を突いて剣虎兵を出す』最悪の結果に終わってしまった。 395 :641,642:2015/10/15(木) 20 21 35 連合軍の基地航空隊と『イラストリアス』『フォーミダブル』『ヴィクトリアス』艦載機隊の壊滅、そしてソ連機動艦隊の駆逐艦数隻を除く撃沈と言う損害に対する日本艦隊の損害は、ソ連艦隊壊滅の報に意気揚々と帰投中にドイツ潜水艦の雷撃で小破した空母『瑞鶴』駆逐艦『時津風』程度でしか無かった。 尚余談ではあるが、この『セイロン島沖海戦』でソ連海軍の至宝である『スヴェルドロフスク』『ミンクス』の撃沈報告を受けたソヴィエト社会主義共和国連邦の共産党書記長である『レフ・トロツキー』は、始めに『スヴェルドロフスク』が撃沈したとの報告を受けた時には一時茫然自失となるも何とか平静を保てたが、『ミンクス』が潜水艦に撃沈されたとの報告を受けた時には二度目の衝撃の余りに奇声を上げた後に卒倒したと一説には言われており、後にこの逸話を知った日本海軍の広報部や慰問部では『弓道着を着た複数人の女性が某書記長風ロシア人に大量の矢を撃ち込む姿』絵や『学生用水着を着た少女が某書記長風ロシア人の鳩尾に笑顔で魚雷を捻じ込む姿』絵が作られ、発刊されたり、『第一機動艦隊』の艦内新聞での戦果報告の末尾に『レフ・トロツキー 精神的中破』、『伊 58』の艦内での戦果報告では『レフ・トロツキー 精神的大破』と洒落で語られたりもしている。 『第二次満州防衛戦(満州理会戦)』 極東ソ連陸軍と、政治的要因として援軍に来た中華軍、日米満州駐留軍とその両国が鍛え上げた満州陸軍が満を持して激突した、極東戦線で最大規模の陸上会戦。空戦では枢軸側が数の不利を覆して勝利するも。陸上ではソ連軍の鋼鉄の津波と暴風、中華軍の無数の肉弾攻撃により連合軍側が一時優位に戦況を展開する『陸軍超大国』の名に恥じない会戦でもあった為に、枢軸側は陸上兵器、連合側は航空兵器の開発が更に加速する原因ともなった。 カリブ海やマレー半島、オーストラリアにインド洋で様々な戦闘が繰り広げられている頃、この第二次世界大戦における一番始めの戦煙が立ち昇った満州では、序盤の対中華軍を殲滅した『第一次満州防衛戦』と、戦線整理で撤退していたのを攻略した『ウラジオストック攻略戦』を除くと、満ソ国境地帯では不気味な沈黙が漂っていた。勿論、国境地帯に配備されていた多数の要塞から放たれる、『扶桑型戦艦』や『伊勢型戦艦』に採用されている主砲を転用した36.5㎝砲は目に付く目標を砲撃し続けていたが、ソ連軍からの反応は余り芳しくなく、小競り合いの域を出ていなかった。 一方、確りと隠蔽されているソ連軍陣地内では、本国から『連合国の結束を見せる為』と称して送られてきた中華兵の事で悩んでいた。司令部は一応本国の政治的要求の意味を理解していたが、それでもこの『精鋭』である筈の中華兵が、確かに中華での対軍閥戦での戦闘経験は有れど、そして一般的な常識や規律を持った中華兵もそれなりに居はしたのだが、それ以外が想像以上に期待外れの面々が多すぎて『こんなお荷物抱えて如何やって常識的に戦えと』と頭を抱えており、主に規律維持を担当する政治士官も多数の中華兵が素で巻き起こす『アヘン喫煙』『物資横流し』等の多数の問題に振り回されて、中華との外交も考慮しなければならない事も有って心労の余りノイローゼにすらなった者も出てくる始末で、基本対立する事の多かった政治士官と前線部隊との関係がこの極東方面に限り、割と良好な関係を築けていると言う皮肉な状況も現れていた。主に政治士官に対する同情心からであったが。 396 :641,642:2015/10/15(木) 20 25 58 結局同盟国への援護部隊と言う名目で変な事をしない様に督戦部隊擬きを中華部隊の後方に就けて監視し、モスクワに中華兵の現状を報告する事でこの場を乗り切る事にした極東軍総司令官の『ゲオルギー・ジューコフ』大将は、各部隊に戦闘配置命令を出し、現状欧州方面の連合軍の練成強化に当っている『ミハイル・ニコラエヴィチ・トゥハチェフスキー』元帥が編み出した『縦深作戦理論』を、枢軸国軍に全力で叩き付けた。勝算は有った。極東軍に対して優先的に配備されていた『T-34 中戦車』『Ar-2 双発急降下爆撃機』『LaGG-3 戦闘機』又先行量産型として極少数では有ったが『イリューシン Il-2 攻撃機』といった強力な兵器の存在と、後方では面倒事ばかり起こすが、戦場では割と使えなくも無い中華軍の存在だった。後者に関しては、幾ら使い潰しても自らの懐が痛む訳では無いし、中華軍側からも戦果を求める声が強く上がっていた為に、激戦区に投入しても何も言われないアリバイも作れていた為でもあった。 そして一方、ソ連中華連合軍の攻勢を受ける日本、アメリカ、満州陸軍では、日本が開発した『九七式中戦車 チハ』と、その高性能から米国では自国風に改良して採用されている『M4 シャーマン』を主軸に据えられた機甲師団。機械化に優れているアメリカと、ロシアレベルの火力狂いの日本が多数持ち込んだ各種重砲、自走砲。現状対連合国戦でその性能で幾多の活躍を見せる『九七式戦闘機』『P-42 サンダーランス』、ロールアウトからそう間の無い最新鋭対地攻撃機『九八式襲撃機 天龍』『B-26 レッドストーム』、そして訓練を十分に積んだ多数の日米満の兵士達。事前に重厚な防御要塞を建築しており、既に亡命ロシア人、ロシア系アメリカ人、東北出身の白人の血が濃く容姿に表れている日本人で編成された特殊部隊が敵陣に潜入して情報収集や妨害工作を実行しており、天気予報も航空戦には絶好の快晴。日本かぶれのとあるアメリカ軍人曰く『天、地、人。全てが我らに味方』していると、特にロシア人の脅威を身を持って知っている訳では無いステイツ出身の兵士は考えている者がそれなりに居た。すぐ脇には長年訓練を共に積んだ日満兵が多数いるのだから、教科書でしかロシアの事を知らないアメリカ本国兵がその様な感想を抱いても致し方が無かったのだろう。いくら日満人に口酸っぱく繰り返し言われても、人間直接見なければ良く理解できない物なのだから。 早朝より始まったソ連軍の重砲部隊からの『万単位』の重砲から放たれる砲弾が枢軸軍陣地の多くに叩き込まれ続けるも、既に潜入していた特殊部隊から情報を入手していた枢軸軍は、最前列のトラップ満載の欺瞞陣地から撤退を完了しており、そうとは知らずに無駄に砲弾を使いまくるソ連軍だったが、ソ連軍独特の陸戦ドクトリンである『縦深作戦理論』に基づき、ソ連軍を何処か侮っていたアメリカ兵が蒼白になる程の常識外れな猛攻を、極東軍全ての戦力による『無停止進撃』を開始した。最終目標は、枢軸国満州方面軍の脳髄に相当する都市、満州国の首都である『奉天』だ。 397 :641,642:2015/10/15(木) 20 29 46 枢軸側の初期の防衛は想定の範囲内だった。巧妙に擬装され、工夫を凝らした『おもてなし』準備済みの場所に無造作に入り込んだソ連軍は、戦車、装甲車、歩兵、トラック等兵種を問わずに手榴弾や地雷による爆発で吹き飛んだり、ピアノ線でキャタピラを損傷するなどにより、日米満の工兵隊の『おもてなし』をソ連軍が 満身を持って受け取っているのが、本命の防御陣地に籠る兵士達にも見て取れていた。問題は、ソ連軍が『一切進撃速度を緩める事無く、負傷兵や損傷車両、戦死者を踏み越えて』自陣に向けて突撃を継続している事だった。無論、枢軸側も要塞からの砲撃に重砲の弾幕射撃や機甲部隊による反撃、更には歩兵部隊からの機銃攻撃等を盛大に行っていたが、そもそも想定以上に大量の敵戦力が突っ込んで来ている上に、前述の通りに損害に一切構う事無く進撃し続けるソ連軍の前では、それこそ途中から『狙わなくとも撃てば何かに当たる』状態になる程に、枢軸陸軍の対処能力を圧倒する飽和攻撃の前では焼石に水であった。 第一次防衛ラインはソ連軍と枢軸軍の血と鉄で埋まり、第二次防衛ラインにも複数の部分で深く食い込まれた上に一部では突破され、第三次防衛ラインにも一部の敵が取りつき始めており、仮にこの状態が継続して居れば、連合軍、枢軸軍共に膨大な流血の果てに、満ソ国境は突破されるかに思われた。 この状況に最初に変化をもたらしたのは、枢軸軍航空部隊だった。物量ではソ連側に分が有った物の、『LaGG-3 戦闘機』と『九七式戦闘機』『P-42 サンダーランス』との性能差に加え、日米ではとても戦場に出せる様な練度では無いパイロットすら投入していたソ連空軍との練度差によって、スペイン内戦に参戦した熟練パイロットもそれなりに混ざっていた為にかなり手古摺りはした物の、比較的早期に制空権の奪取に成功。陸上部隊の危機を前に一部見切り発車で出撃していた対地攻撃部隊が前線の戦車や歩兵部隊に対して手当たり次第に銃爆撃を開始。後方で屯していた4発重爆撃機の『連山』『B-17』も、一部の部隊が輸送部隊や輸送路の破壊だけで無く陸上部隊への攻撃を開始した事からソ連側の攻勢は鈍りだした。例え進撃したくとも燃料や損耗した車両への修理部品が無ければ戦車もトラックも動きようが無いし、食料や水、医薬品が無ければ、いかなる勇壮な革命戦士と言えども戦えないし動けない。極一部の兵士や部隊は、枢軸軍の補給物資や装備品を奪取して戦闘を継続するような例外的な者も居たが、そういった優秀な部隊でも自軍補給路の壊滅による軍全般に最終的に下された後退命令によって引き上げざる負えなかった。 そして、撤収して行くソ連軍を追撃するべく、日米の精鋭機甲師団が迂回してソ連軍後方に突撃し始めたのが、この会戦の分岐点であった。それぞれの車両に、刀や騎兵銃、剣虎や軍馬等のパーソナルマークが描かれたこの現代に蘇りし騎兵隊は、目の前に立ちふさがった赤い旗を掲げたロシア人が操る戦車を多数撃破して、ソ連戦車乗員に現世の空虚な『楽園』から『天国』へと向かう片道切符を笑顔で贈与した上で、この大軍勢を支えるソ連軍補給部隊を、その大火力と機動力を生かして徹底的に蹂躙。前線から撤退し切れて居なかった一部のソ連軍主要部隊に対して、燃料や部品不足による車両放棄や、物資欠乏による降伏を強要。更に止めとして枢軸軍の一部から『痛い子大隊連合軍』等と称されている『カラフルな髪の色をした少女』や『女性に擬人化された可愛い動物』の絵が描かれた襲撃機が、未だに抵抗を目論むソ連兵を丁寧に一つずつ潰して行き、この美しい『ヴァルキュリア』と『ルシファー』の活躍が、この『第二次満州防衛戦』、若しくは『満州理会戦』と呼ばれた戦史に残る大激戦のフィナーレを飾る事となった。 398 :641,642:2015/10/15(木) 20 31 46 この会戦の結果を見ると、最終的に共産連合軍の突破を許さなかった日米満軍の枢軸軍側の戦略的勝利、枢軸軍に多大な損害を与えたソ連、中華連合軍の戦術的勝利と言う評価が、後世の歴史家からは下されている。ソ連、中華連合軍側も数的には大打撃を受けてはいるのだが、枢軸軍側は基本的に年単位か、そうで無くともそれなりに時間を掛けて兵士を教育して戦地に投入するのが絶対的であるのに対して、共産連合軍、特に中華とソ連では大して教育せずに戦地に投入するのが極普通、日常的に行われている為に、所謂『兵士一人一人の価値』に、ソ連、中華側と日米満側には多大なズレが生じていた。又無教養で有るが故に、戦地で地獄を見ても『こんな物か』と比較的受け入れる事が出来た者が、特に中華出身者に多かった共産軍側に対して、文化的な生活を営み、列強兵士として恥ずかしくない教育を受けた日米満出身の兵士達にとって、『未だ息の有る戦友を踏み付け、轢き殺してでも突撃し、白旗を掲げても容赦なく生き地獄を味合わせられた末に殺される』軍隊の存在は衝撃的であり、心理的衝撃から後方に送られた兵士も多数存在した。それに付け加え、連合軍の猛攻で予想以上に各種車両や武器弾薬を消耗し、その優秀さから満州方面軍の兵站、補給関係を一手に握る、と言うより押し付けられた形の日本陸軍出身の『久野村 桃代少将』が、一応最悪の場合の想定の範囲内だったとは言えども、日米両超大国と陸軍強国の満州軍が大量消費した膨大な備蓄物資量に泡を吹き掛けながら物資の追加再集積に当る一幕も見られていた。 399 :641,642:2015/10/15(木) 20 35 48 以上になりまする―。さて、犬の散歩に行かねば 因みに第二次防衛ラインでは、宮崎 繁三郎閣下が敗走した日米満部隊を糾合して臨時軍を編成して必死の防戦を継続して、ソ連軍の後方に突き刺さった短刀となり、枢軸軍の反撃に合わせて包囲戦を展開する活躍を見せた…と只今脳内設定にて決定しました(オイ)
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(投稿者:捜査官候補生) 概要 深海への潜水能力という希有なスキルを持つMAIDたちのことを指す。 コアから泡状にエネルギーを放出し、膜状にしたものを自分にまとわすことにより潜行が可能になる。 特殊な「G」のジェリーフィッシュ種類に対応させるにスタリア諸島自治連合国が独自に開発したMAID部隊は 少数精鋭ながらすべてこの タイプのMAIDにあたる。 潜行時間はMAIDによって左右するが短くて30分、長くても2時間程度である。 なお、「ジェリーフィッシュ」は 水中に潜むため、地上や空中からでは攻撃できないので彼女たちの出番となる。 なお、少数精鋭や希有名能力のため、各国への派遣はされていない 関連項目 スタリア諸島自治連合国 蒼の大三角計画
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戦場 カンヌ/ ソヴィエト領フランス 副司令官 ウォーレン・フラー 敵司令官 ニコライ・モスクヴィン 次の目標はフランス・カンヌ。 連合国の指導者たちがソ連に捕らえられているのだ。 さらにカンヌの港はソ連海軍の寄港地にされてしまっている。 この事態にアメリカからエージェント・ターニャが駆けつけた。 彼女とスパイを使いソ連軍を排除するのだ。 目的1 スパイを港の施設に潜入させよ まずはスパイとターニャを使い、沖の小島を攻める。 島の入り口にはテスラコイルが設置されているので、 スパイで動力炉に進入して電力をカット→ターニャで爆破 を繰り返せばいい。 ソ連兵・熊・敵施設はまるまるターニャにお任せ。 敵兵を片付けたら順次、スパイを港のビルに潜入させよう。 足りなくなったら兵舎から順次生産すればいい。 目的2 連合国の指導者たちを救出せよ 連合国の指導者はマップ中央のコンベンションセンターに捕らえられている。 副官に指示を出せばすぐに駆けつけてくれる。 任せても大丈夫だろう。 目的3 ターニャを港湾管理施設に進入させよ すべての島のビルにスパイを潜入させたらターニャを3番目の島にある画像のビルに入らせる。 すると偽情報でソ連軍艦船が集まってくる。 そして爆破!これで完了。 目的4 ドレッドノートを撃沈せよ ボーナス目的1 ビンディケーターを解放せよ 目的3を達成したら3つ目の島の奥にある小島に向かおう。 空港があり爆撃機のビンディケーターが捕まっているはずだ。 周りのテスラコイルを排除すれば戦列に加わるので、 スパイで動力炉に進入して電力をカット→ターニャで爆破 をまたやればいい。 その後ターニャを使いドレッドノートを爆破する。 護衛のいない艦船は接近戦に弱い。 ターニャの独壇場だ。 目的5 敵基地を一掃せよ 後は陸で戦力を整え、モスクヴィンの基地を破壊するだけ。 楽勝である。
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韓国 ■ ナチス・ドイツの歴史を振り返り、あえて韓国に相当するような国を探せばオーストリアかもしれない。韓国は日本との過去を謝罪、反省しなければならないことになるが。 「株式日記と経済展望(2013.8.25)」より / 韓国はアメリカに対して日本を仮想敵国とするように提案したという事ですが、どうも理解に苦しむ提案だ。韓国の中央日報がそう報じているから本当なのだろう。反日教育を受けてきた世代が大人になって、政治家になればこのような意見を持つ韓国の大統領が出てきてもおかしくはない。 パククネ大統領もその一人なのでしょうが、どうもおかしな歴史教育が行われているようだ。日本をナチスドイツと同一視するのもおかしな事であり、日本はユダヤ人を600万人も殺していない。それなのにドイツは謝罪したのに日本は謝罪していないという論理は滅茶苦茶だ。だから旭日旗もナチスの旗と同一視している。 ナチスドイツが日本という事なら、韓国はナチスドイツに併合されたオーストリアに相当する。ならばオーストリアが従軍慰安婦に賠償せよとか戦時徴用に賠償せよとか要求しているだろうか? 日本とドイツが異なるのは日本は分割占領を逃れましたが、ドイツは東西に分割されましたが、オーストリアは独立を回復した。それに対して韓国は独立は回復しても南北に分断された。 むしろオーストリアのほうが極右政党の台頭が目立っているくらいなのですが、韓国の反日は自分たちが戦勝国であるという間違った教育がなされてきたのではないだろうか? どちらと言えばフランスのようにイギリスに亡命政権を作って、連合国として戦ってきたかのような意識なのだろう。しかし韓国には亡命政権など勝手にでっち上げて教育している。亡命政権があるのなら韓国軍が日本軍と戦った記録があるはずだ。 サンフランシスコ講和条約も、韓国は戦勝国として参加できるように働きかけたがアメリカに拒否されている。韓国は日本の一部として日本軍として戦ってきたのに、敗戦によって独立が連合国から与えられたものであり、独立戦争で勝ち得たものではないからトラウマになっている。 黒田氏は記事でこのように書いてる。「韓国には意図的な歴史の歪曲(わいきょく)がある。自らを日本やナチス・ドイツに対する戦勝国である連合国になぞらえ、日本を戦犯国といって非難するのがそうだ。」日本を戦犯国と断罪するのならば韓国も戦犯国であり日本を断罪する資格はない。 さらに、 「興味深いのはオーストリアはナチス・ドイツとの過去の関係を国際社会に謝罪していることだ。これでいくと韓国は日本との過去を謝罪、反省しなければならないことになるが…。」韓国はアジア諸国に謝罪したことがあっただろうか? しかし韓国の大統領が「村山談話」のような声明を発表したことはない。 韓国には日本と一緒に戦ったという意識がないのは、歴史教育によるものだろう。日本と韓国が戦争して勝って日本が韓国を植民地にしたわけではなく、双方の合意に基づく対等合併だったのだ。その前には大韓帝国があったのですが、国家として成り立たず中国やロシアの属国化するしかなかった。しかし日清日露戦争の結果日本の属国となった。 韓国人に自主独立の気概があれば、朝鮮半島が南北に分断されることもなかっただろう。南北に分断されたのは戦後に韓国の皇帝を追放してしてしまったからであり、韓国に皇帝が存在していれば北朝鮮の正当性がなくなったはずだ。しかし韓国の歴史教育では韓国の皇太子は日本に暗殺されたと教育しているそうです。 韓国の歴史教育は以前にも触れましたが、客観性や普遍性に乏しく、戦後においては漢字を廃止してハングルにしてしまったから、以前の学者の書いた文書が読めない。だからいい加減な歴史教育がなされても間違いが分からない。だからパククネ大統領の歴史認識にもおかしなところがあり、元寇の事は知らないようだ。 ■ 韓国の第2次世界大戦の終戦認識のおかしさ 「NO! KORIA」より / 日本の教科書では第2次世界大戦終戦時は、ポツダム宣言を受諾しその中の8番目「カイロ宣言(朝鮮の独立等)の条項は履行されるべき。又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに吾等(合衆国大統領、中華民国政府主席、及び英国総理大臣)の決定する諸小島に限られなければならない。」によって朝鮮を放棄したと教えられている訳ですが、韓国は学校の教科書で一体何を教えているのか皆さんご存知でしょうか。 「韓国は日本と独立戦争を戦って勝利して独立した」「(大韓民国)臨時政府は日本に宣戦布告して、連合軍と連絡を取りながら独立戦争を展開していった。わが民族の独立の意志が広く知られると、世界の強大国もわが国の独立を約束せずにはいられなくなった」と、当たり前のように教えられているのです。歴史を都合の良いように改変し、「第2次世界大戦の終戦前に臨時政府を樹立し(3.1運動)、日本・ドイツに独立戦争の宣戦布告。その独立戦争に勝ち世界大戦を終わらせ(光復節・8.15)、独立した上に地球に平和をもたらせた。」としたのです。 まず臨時政府と呼ばれるものが出来たのは1919年で終戦前に樹立したというのは全くのウソであり、その臨時政府が日本やドイツに宣戦布告したこともありません。この臨時政府と呼ばれるものは中華民国の上海で結成され、日中戦争勃発後は重慶に移ったのですが、枢軸国(日本やドイツ)・連合国(米国や英国)双方から「臨時政府」とはみなされず、国際的承認は得られませんでした。もちろん第二次世界大戦の参戦国としても連合国からも枢軸国からも認められることなく、戦後アメリカ軍により解体さました。当然ながら、サンフランシスコ講和条約への署名も認められませんでした。 こういった事実があるにも関わらず奇妙なことに、韓国憲法前文には次のようなことも書かれています。「三・一運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び、不義に抗拒した四・一九民主理念を継承し」。臨時政府の法統なる継承国なんて記している始末。もとよりこれが事実であるならば、北緯38度線を境としたアメリカ合衆国及びソビエト連邦の分割占領に至ることはどう転んでもあり得ないでしょう。 (※ 以下略。) ーーーーーーーーーー ■ 北朝鮮・韓国は第2次世界大戦で連合国・枢軸のどっちですか?それとも中立? 「Yahoo!知恵袋(2012.1.2)」より ベストアンサーに選ばれた回答 k9885705さん 一般に言われるアジアとして、スエズ運河~ダーダネルス海峡(トルコ)~ソ連(ロシア)~日本~オセアニアの中の1941年時の独立国を挙げますね 枢軸国 日本 タイ 満州国 南京国民政府(日本の間接統治) 枢軸側中立国 シリア(フランス陥落で独立したけど連合国に宣戦布告されて1941.6陥落><) レバノン(フランス陥落で独立したけど連合国に攻められて1941.6陥落><) ペルシャ(今のイラン、1941.8英国とソ連に突如侵攻されて傀儡政権樹立、連合国に) 中立国 チベット(1951年中国に併合) アフガニスタン トルコ(45年に連合国に参加) サウジアラビア 中立国? モンゴル(1945.8ソ連の同盟国として日本に宣戦、1941.6にドイツに宣戦布告もしています) 連合国 中国共産党(今の中国) 中国国民党(今の台湾) ネパール オーストラリア ニュージーランド イラク(英国の間接統治) オマーン(英国の間接統治) ブータン(イギリスの物資通過を認める) 主だった所を挙げますとこのような感じで分類できます。 細かいところを挙げますと、中国の桂,雲南,新疆,山西,各軍閥 中東の英仏植民地自治政府等が候補に挙がりますが一応他国の承認を得られている独立国を挙げると こんな感じになりました。意外と枢軸側の国も居たのですね^^; もいっこの質問事項の朝鮮と北朝鮮は残念ながら独立国と認められず日本の領土という様に認められていたので 国自体が存在しない。というよう回答になります。国が存在しないから回答出来ないのぅ… 同じような立場のアジアの国として、 インド→英国領 パキスタン→英国領 インドネシア→オランダ領 マレーシア→英国領 ベトナム→フランス領 カンボジア→フランス領 クェート→英国領 東ティモール→ポルトガル領 以上の国も独立国では無く○○領として認識されていたので実はその時代では意外と普通の事だったりします。 大分長くなってしまってスミマセンでしたm(_ _)m 補足…独立国は1国以上に独立の承認を得ている国と考えてるので満州国や南京国民政府の承認数はかなり少なかったりします(笑) ■ 韓国は戦勝国です。日本は敗戦国です。立場をわきまえて物申すべきですよね? 「Yahoo!知恵袋(2013.6.10)」より (※ この質問は釣り?っぽいが...) ■ 韓国の第二次大戦の戦争責任について 「OKWave(2008.8.24)」より / あるサイトで次のような記事を読みました。 「韓国は被害者ではなく日本の戦争に加担した加害者だった。 ところが、韓国は「朝鮮は植民地だった」と嘘をつき、責任逃れを続けている。 ドイツに併合されていたオーストリアは、加害者であることを認め、謝罪した。 しかもオーストリアは1938年から僅か6年の併合期間であり、 ドイツの軍事侵攻による併合なのだ! 日韓併合のような、正式な手続きを踏んだものではない。 ところが、日本に正式な手続きを経て併合されていた韓国は、 中国や東南アジア等に一度も謝罪していない どころか1ウォンも賠償していない。 韓国は、歴史捏造によって、被害者を演じる卑怯者である。」 なかなか、過激な意見なのですが、たしかに、消極的でも犯罪に加担した場合、 罪に問われます。しかし国の場合どうなのか。 また、オーストリアは本当に謝罪したのか、などどこまでが真実なのか、わからないので、 どこまでが真実なのか、詳しい方評論をおねがいします。 (※ 質問への回答記事はサイトで) .
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13: ホワイトベアー :2020/07/02(木) 21 42 06 HOST 157-14-177-16.tokyo.fdn.vectant.ne.jp 日米枢軸ルート 番外編 アメリカ市民戦争 プロローグ リンカーン大統領の就任を契機として1861年に勃発したアメリカ合衆国南北戦争、通称アメリカ市民戦争はアメリカ合衆国と言う国家が真の列強として脱皮する為の最後の御祓であったと言われている。 事実、この戦争以降のアメリカはそれまでバラバラであった国内を1つに纏めあげることができ、極東のドラゴンである大日本帝国に匹敵しうる唯一の超大国として坂の上の坂を上り続け、半世紀もたたずに世界第二位の国力と軍備を有する大国にまで成長するのだ。 そう言う意味もあって戦争はアメリカ合衆国と言う1つの人工国家の運命を決した戦争であった。 《アメリカ合衆国の栄華と発展 著者:レイモンド・エイムズ・スプルーアンス》より抜粋 第1話:アメリカ南北戦争が開戦するまで 後世において南北戦争が勃発してしまった原因はいくつか挙げられているが、その主要な原因は北部と南部の経済方針の違いと、北部人と南部人の移民に対する考え方の違いに求める事ができたと言われている。 もともと、アメリカ合衆国の経済体制は綿花や資源を欧州に輸出し、欧州からは工業製品を輸入するいわゆるプランテーション経済であった。しかし、1812年からの米英戦争によってイギリス海軍が欧州との航路を封鎖、工業製品が断絶してしまったこと契機として、農耕に向いていない西海岸北部地域を中心に工業化を精力的に進めており、当時のアメリカ合衆国北部は自らの工業力(と言う名の雇用)を守り、発展させることを最大の目的としていた。 これは当時世界最大の工業力を有していた日本との同盟関係の樹立後も変わらず、むしろ、日本から輸出されてきた安価かつ高品質な工業製品の流入を防ぐため、自国の品質が低く高い製品を駆逐されない様に日本や欧州に対しての高い関税障壁と工業化に必要な流動性の高い労働力を求めていく。 当然、こうした北部の主張は南部を中心に農耕に向いてた事からプランテーション農業をその中核とした経済体制をとり、それゆえに奴隷と言う安価な労働力と自由貿易に大きく頼っている南部の人々にとっては受け入れられるはずもなく、経済方針を巡った対立は日に日に激しさを増していた。 また、当時の北部や西海岸には日の丸企業が大挙して押し掛け、現地法人や合併会社を次々と設立し、その経済的・文化的影響力を強めていた。これは新しくアメリカ以外から来た移民が多く、実際にその恩恵を大きく受けている北部や、日系人の移民も少なくない西海岸の人々にとっては(日本企業や政府の宣伝工作や手厚い福利厚生もあり)そこまで敏感になることではなかったが、合衆国独立前後に移民してきた者も多く、進出している日経企業が少ないことからその恩恵を受けられない南部では、 「東洋の黄色い猿が移民たちと共謀してアメリカを乗っ取ろうとしている」 「北部の連中は自分達の利益の為に猿に尻尾を振り、アメリカを再び植民地にしようとしている」 「猿と北部の売国奴からアメリカの伝統と文化を、正当なるアメリカを守らなければならない」 と言う意見が無視できないレベルで存在しており、日本との関係すらも南北の対立の要因となっていた。 特に1832年税法を巡る連邦政府と南部の州との対立は戦争一歩手前まで行くことになる。 これは連邦議会で北部の国内産業を守る事を目的とした保護関税の継続や国内に投資する海外企業に対する減税を大きな目玉とした法案であり、北部および西海岸諸州に大きな恩恵を及ぼす税法であった。対して、輸出に経済の大半を頼る南部諸州はこの法案を有害であると考え、連邦議会に対する抗議活動を大々的に行い、サウスカロライナ州ではこの法案を執行しない事を宣言するなど反連邦政府的な行動をとっていった。 これを受けたジャクソン大統領はサウスカロライナの行動に激怒し、連邦議会で連邦法を国内で執行される為に連邦陸軍と連邦海軍の動員を可能とする《強制法案》を成立さると同時にサウスカロライナ州の各連邦軍基地の強化措置と駐留部隊の休暇取消しを断行、サウスカロライナ州に対して圧力を加えていった。 当初、アメリカ政府はもちろん多くのアメリカ人は圧倒的な軍事力を有するアメリカ連邦政府の圧力にサウスカロライナ州も折れるだろうと考えていたが、しかし、その考えは裏切られる事になる。 連邦政府の強硬的な対応を受けたサウスカロライナ州は州の境界内で新税法の無効を宣言する無効化条例を採択することにより、この関税を取り扱い、さらに州議会は条例を執行させる為に軍隊を組織することと武器を調達することの許可も含めていた統括的な法案を成立させ、連邦政府に対して手袋を投げつけた。 14: ホワイトベアー :2020/07/02(木) 21 46 28 HOST 157-14-177-16.tokyo.fdn.vectant.ne.jp サウスカロライナ州の脅しに対し、連邦政府は「強制法案」を発動させ、ジャクソン大統領の命令のもとチャールストン港にアメリカ海軍の7隻の装甲帯コルベットと1隻の装甲艦を派遣し、さらにサウスカロライナとその他の州を繋ぐ主要な交通路を封鎖を断行するチャールストン危機がおきるなどアメリカの分断は深刻なレベルに達していた。 一方でアメリカ合衆国と言う国家の団結を守るための政治的な競技も継続して行われており、このサウスカロライナ州と連邦政府の対立でも、法案を通す対価として逃亡奴隷の返還を含めた連邦全体の奴隷制の強化を容認する、カリフォルニアが州に昇格したときはそれを自由州とするかわりに逃亡奴隷取締法を強化すると言ういわゆる1850年の妥協など、多くの妥協が生まれるなど合衆国の分解を避ける為の施策も行われていた。その成果もあって、1850年代前半までのアメリカ合衆国は危ういと言う言葉が前に付くものの、北部と南部の政治的均衡は一応の安定を見ていたのであった。 しかし、第二次産業革命の推進と近代的資本の発展によって北部の経済と社会が変わるにつれ、政治は一部のエリートが語るものではなく、民衆が動かすものへと変化していった。 それは、すなわち北部でのポピュリズムの活発化を意味しており、理論が政治に入ってくることを許すことを意味していた。また、当時、著しい発達を迎えていたマスメディアは自らの出版数を増やすため、自らが理想とする政治を達成するために民衆を煽りたてていき、こうした要因によって古い2大政党制の安定感は崩壊へと誘われていく。 こうした流れを最も上手く活用したのは新進気鋭な新党である共和党であった。彼等はカリフォルニア州を自由州として、ニューメキシコ準州、ユタ準州については州に昇格する際に住民自らが奴隷州か自由州かを決定することができる人民民主制が議会で可決され、ミズーリ協定の無力化に反発した北部の奴隷制拡大反対論者によって結成された政党であり、それゆえに先進的を自称する知識人や北部に投資をしていた日本企業の影響力が大きいマスコミの支援を大きく得られたのだ。 また、西部海岸諸州は基本的に日本による影響力が大きい事から州として独立した全ての州は自由州となり、上院で少数派になる事を恐れた南部が北部や西部への敵対心を強めていった。 そして、アフリカ人の子孫が奴隷であるか否かに拘らず、アメリカ合衆国の市民にはなれないとし、アメリカ合衆国議会は連邦の領土内で奴隷制を禁じる権限がないとしたドレッド・スコット対サンフォード事件に関する判決や、強硬的な反奴隷主義者であるジョン=ブラウン主導による連邦軍武器保管庫占領事件などの事件が連続しておこり、北部と南部の対立は政治を巡るものからイデオロギーを巡るものへと変質していき、もはや平和的な解決はもはや望めない領域まで達してしまう。 そんな状況で行われた1860年アメリカ合衆国大統領選、後に南北戦争の引き金を引いたと言われる選挙では、共和党は二年前のスティーブン・ダグラス論争で共和党きっての反奴隷主義者として世間に知られているエイブラハム=リンカーンを大統領候補に、西部沿岸地域の黄金ラッシュのきっかけを作り、西部の不動産王として大きな影響力を有していた白人系日系2世のジョセフ・クージョーを副大統領候補とすることでアメリカ北部と西部の反奴隷的な人々の世論とアメリカ国内の産業界の支持を得ると共にアメリカのマスメディアに支配的な影響力を有していた日本資本の支持を受ける事に成功していた。 これにより、共和党はマスメディアによる宣伝支援や各種資本家からの潤沢な資金援助を得る事ができ、その宣伝能力と潤沢な資金を贅沢に使った選挙戦術を採ることで南部緒州を除いた選挙で極めて優勢的な立場に立つことができた。 対して、奴隷賛成派が多数を占め、現大統領を擁する民主党であるが、彼らの選挙戦術はオブラートに包んで表しても拙いものであった。 もともと民主党は奴隷制をある程度強化したり、妥協を破棄し国の新領土を南部の者達が支配する容認するなど民主党は南部寄りの姿勢を強く表しており、南北戦争前までは南部がアメリカ合衆国の国策を支配していた。 しかし、上記したように産業革命の到来と政治に理想の介入により、北部の民主党支持者のなかには南部の政策に反感を抱くものも出てきており、また、南部の民主党支持者では北部の民主党員の行動が「弱腰」に見え、苛立ちを募らせていた。 そんな状況で行われた1860年大統領選挙では、民主党は奴隷制の採否はその州の主権を有する人民が自由に決めることができる事項であり、連邦政府や他州の政府の容喙を入れるところではないとする「合衆国領土における人民主権理論」を提唱し、1858年には反奴隷制拡大主義者であったリンカーンと7度に渡る討論を行ったスティーブン・ダグラスを大統領候補とする事がほぼ内定していた。 15: ホワイトベアー :2020/07/02(木) 21 47 49 HOST 157-14-177-16.tokyo.fdn.vectant.ne.jp しかし、彼がリンカーンとの討論で唱えた 「フリーポート原理」と日系アメリカ人に対する融和的な姿勢に反感を抱いていた南部の一部民主党員が彼の指名に反対の姿勢をとり、第一回民主党大会でおよそ50人の南部系党員が退席し、結果として指名する大統領候補が決まらず、第二回民主党大会ではさらに残っていた55人の南部系民主党員が退席する。 そうして、やっとスティーブン・ダグラスを大統領候補に指名する事ができた民主党であったが、これを受けた南部の民主党員は正式に民主党から脱退、南部民主党と言う新しい政党を結成し、独自にジョン・ブレッキンリッジを大統領候補に指名する。 これによって民主党は票田である南部緒州を喪失、南部民主党も南部緒州のみだけでは選挙人数が少なく、南部の農園主層は国政を支配する手段を失うことになる。 これによってスティーブン・ダグラスは北部では圧倒的な支持を受ける共和党候補であるリンカーンと、南部では南部民主党候補であるジョン・ブレッキンリッジと戦うことになり、必然的に敗北、南部民主党のジョン・ブレッキンリッジも南部緒州でしか選挙人が取れず、新党である共和党が歴史的な大勝利を納めリンカーンが大統領に選出された。 これにより共和党は立法府である上下両院会と行政府であるホワイトハウスを抑えることになり、アメリカとしては初めて絶対多数を占める党になったことで、南部緒州の脱退指向派はもちろん南部の一般人ですら合衆国内に自分達の未来はないと考えが浸透していく。 そして、1860年12月20日、リンカーンの勝利がほぼ確定するや否や、アメリカ合衆国の州では最も強硬的な奴隷州であったサウスカロライナ州は特別議会を召集、サウスカロライナ州とアメリカ合衆国の名の下にある他の州との間に存続した連合は解消された」と宣言し、アメリカ合衆国からの独立を宣言した。 これに続くかのように翌1861年1月までにミシシッピ州、フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州、テキサス州も合衆国からの脱退を宣言、これら7つの州はリンカーンが大統領に就任する前である同年2月4日にアメリカ連合国の建国を宣言、首都をアラバマ州モンゴメリーにおき、ジェファーソン・デイヴィスを暫定大統領とした暫定政権を樹立させた。 そして、アメリカ連合国は合衆国議会に変わる新たな立法府としておかれた連合国臨時議会を設置、議会の承認の下に各州の州兵を統合する形で創設された連合国暫定軍を使い合衆国陸軍が有したほとんどの砦も含まれた形で連邦政府の財産および施設の強制接収と言う暴挙を行い始める。 連合国の暴挙を受けたジェームズ・ブキャナン合衆国大統領はサウスカロライナ州チャールストン港のサムター要塞など、連邦政府の支配下に残っている軍事施設の死守を合衆国陸軍および全州に命令、州兵の動員準備も開始する。 1861年3月4日、エイブラハム・リンカーンが合衆国大統領に就任した後もこの合衆国の方針は変わらず、軍事施設の接収を目指す連合国暫定軍と軍事施設を護る合衆国陸軍の緊張は爆発寸前までいたっていた。 こうしたアメリカの分断はアメリカ国内はもちろん多くの列強にも影響を及ぼしていく。 アメリカ合衆国の同盟国である大日本帝国は同盟国であり、自国の世界戦略におけるジョーカーでもあるアメリカ合衆国の分断と言う状況を許容できるはずもなく、列強の中では一番迅速に行動した。 もともと、日本の民意は奴隷制には反対的であった。しかし、日本公式見解は「奴隷制は同盟国であるアメリカ合衆国の主権の下に認められているから口を出すつもりはない」と一歩引いた姿勢をとっていた。 16: ホワイトベアー :2020/07/02(木) 21 48 21 HOST 157-14-177-16.tokyo.fdn.vectant.ne.jp だが南部州がアメリカからの分離を選択すると、日本はその立場を大きく変えることになる。 アメリカ連合国の建国宣言からわずか2日目にして、日本帝国政府はアメリカ連合国を名乗る州を「ならずものの集まりであり、秩序に武力を持って挑戦してきた[悪の枢軸]である」と過激なまでに非難、この非常事態に対して同盟国であるアメリカ合衆国に食料品や医薬品の供与、資金の提供、軍の派遣や武器の供与などありとあらゆる支援を惜しみなく行うと発表する。 そして、アメリカ合衆国からの返答を待たずに大日本帝国はアラスカへの臨時軍事演習を名目として2個警備艦隊、装甲巡洋艦4隻、防護巡洋艦8隻、水雷艇駆逐艦8隻からなる遣米艦隊と、騎兵1個師団、歩兵3個師団からなる遣米軍とそれを支え、アメリカ合衆国にも供与する為の大量の武器弾薬医療品を搭載した輸送船団をアメリカに向かわせた。 後に、南北戦争陰謀説の根拠ともなる日本帝国軍の素早い行動であるが、日本帝国がここまで早急に軍を送り込んだのは現実的な理由があった。それは日本とアメリカの距離である。 当時の日本がアメリカ合衆国北部緒州に軍を送るルートは主に2つに別れていた。一つはニューヨークから始まり、シカゴを経由してシアトル、ポーランド、サンフランシスコなど西部の主要港湾都市へと至る大陸横断鉄道を使うルート、もう一つはホーン岬を越えて大西洋に出るルートである。 しかし、大陸横断鉄道を選んでも最低でも2ヶ月半、ホーン岬経由なら北部緒州に到着するまでに半年はかかってしまう。その為、日本はすぐに行動せざるを得なかったのだ。 後に《チャールストンの戦い》と《サムター要塞の戦い》を経て南北戦争が開戦すると正式にアメリカ合衆国へと派遣されることになる遣米艦隊と遣米軍であるが、タイムロスを減らすために勇み足でその派遣を行った為、アメリカ合衆国より支援を拒否された場合にも備えられていた。 実際、アメリカ合衆国より支援を拒絶された場合は北米における日本最大の軍事都市である新原(史実アンカレッジ)に部隊を待機させる予定であった。 こうしてアメリカ合衆国とアメリカ連合国の問題に介入しようとする動きを隠そうとしないほど活発に動く大日本帝国と対照的に、極東の列強が動きを活発化させるに合わせて欧州の動きは低調であった。 アメリカ連合国はイギリスをはじめとした欧州列強に独立を認めさせ、欧州列強を味方に引き込む為に建国宣言から間をおかず、ウィリアム・ヤンシー、ピエール・ロスト、アンブローズ・マンの三名を中心とした外交使節を欧州に派遣していた。 特に、この外交使節はイギリスを味方に引き込む事を最大の目的としていた。これは、当時ではイギリスは世界最強の列強として知られており、アメリカ連合国はイギリスを味方につけることで北部緒州を威圧すると同時に、劣る国力を補おうとしたのだ。 17: ホワイトベアー :2020/07/02(木) 21 48 54 HOST 157-14-177-16.tokyo.fdn.vectant.ne.jp そして、アメリカ連合国の使節団や政府は、自らにアメリカ合衆国からの独立には法的な大義名分があり、さらにイギリスに対して綿花と言う強力な武器がある事からイギリスとの交渉の成功を確信していた。 そも、アメリカ連合国の独立はイギリスからの独立の理念に照らし合わせると、実は彼らに正統性があったのだ。なぜなら、アメリカ連合国の独立宣言の下地には『政府は被統治者の同意によるものであり,政府がその樹立された目的に対して破壊的になるときにはいつでも意のままにその政府を変革し,あるいは廃止するのは人民の権利である』と言う革命権理論と主権論があり、これは、アメリカ独立戦争時に独立政府が掲げた理念と一致するからである。 また、当時のイギリスの主要産業は軽工業であり、その材料である綿花はその八割をアメリカ南部からの輸入に頼っていた。それゆえにアメリカ連合国からの綿花の輸出がなければ経済的に大混乱に陥るとアメリカ連合国は考えていたのだ。 しかし、イギリスは南部緒州の、いやアメリカ連合国の思い通りには動かなかった。当時のイギリスの対応は、パーマストン内閣の外相であるジョン・ラッセルが直接会見に応じるなど、イギリスは表立ってはアメリカ連合国の使節団を盛大に歓迎する。しかし、実際に交渉に入ると、国交の樹立や軍事的、外交的支援などについては明確な約束は何一つしなかった。 なぜ、イギリスはアメリカ連合国に支援を約束しなかったか。その理由はいくつかあった。 まず第1に当時の欧州情勢である。当時の欧州ではヨーロッパに向けている野心を隠そうともしないフランス、ビスマルクの台頭によって影響力を日に日に拡大するプロイセン、その事を面白く思っていないオーストリアなど、その緊張が日に日に高まっており、イギリスの目もこうした欧州情勢に向いていたこと。 次に、もしかりにイギリスが南部緒州の味方についた場合、極東における唯一の列強であり、アメリカ合衆国の同盟国でもあり、介入する気を微塵も隠そうとしない大日本帝国がどのような行動をとるかがわからないと言うこと。 さらに、前年のアメリカ合衆国南部での綿花の大豊作から綿花自体が過多供給状態であり、そこにイギリス商人がこうしたアメリカの混乱を見越して綿花を大量に購入していた為、一年程度ならアメリカからの綿花の供給が止まっても問題ない事などもイギリスの不介入方針を後押ししていた。 そして、1861年4月12日、アメリカ連合国の使節団がイギリスから何らかの約束を引き出す前にアメリカ連合国暫定軍がアメリカ合衆国陸軍の籠るサムター要塞への救援艦隊に砲撃、南北戦争の火蓋が落とされた。 18: ホワイトベアー :2020/07/02(木) 21 53 41 HOST 157-14-177-16.tokyo.fdn.vectant.ne.jp 以上になります。日本連合SSでつまってしまったのとリアルの仕事のストレス発散の為の息抜きとスティームで買った某ゲームによって湧いたインスピレーションをもって書き上げました本作。久々に文章を書いたので拙い場所もあると思いますがご容赦ください。そして誤字などが気になったところがあったら是非ご指摘ください。 最後にwikiへの転載はOKです。
https://w.atwiki.jp/detoxjapan/pages/29.html
http //jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/5372/1308836046/2-3 2 :名無しさん:2011/06/26(日) 09 06 40 外国政府勢力の毒(未執筆) この毒の原点は、日本が第二次世界大戦で敗戦した事実から及んでいます(開戦理由については省きます)。 第二次世界大戦で、日本と直接的に戦火を交えた国であるアメリカが、二度と日本がアメリカに牙を剥かない様に、日本の牙を抜いてしまいました。 それは、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による、日本の骨抜き政策です。 GHQと言うのは、戦勝国である連合国が、ポツダム宣言の執行を行う為に日本に設置された機関です。 ポツダム宣言とは、連合国が日本に最後のチャンスを与える条文から始まり、日本に対して既にとどめを刺す準備は整っている旨を伝え、日本の平和的国家の樹立を目指すため、それが達成されるまではその領土を剥奪する。 その要求が呑めないのならば、直ちに日本を壊滅させると言う物です。 GHQ、つまり”連合国”軍最高司令官総司令部と言っても、そのほとんどがアメリカ人と少数のイギリス人によって構成されていました。 つまり、第二次世界大戦後、日本を作りなおしたのは、ほぼアメリカが行った事と考えてよいでしょう。 このGHQの政策によって、日本の中枢部から、戦時中に日本軍に協力的だった人達はその職を奪われ、その空いた職を補完する形で反戦的だった人達を、その重要な職に就かせました。 日本はこれによって、自虐史観を持つ政治家が多くなり、外交面でも及び腰になり、正当な主張をしなくなっていきました。 その日本の弱い態度を見ていた日本の周辺国家(中国、韓国、北朝鮮、ロシア)は、日本に対してどんどん強行的な姿勢になっていきました。 「強く出れば日本は怯む」と分かったからです。 これが、外国政府勢力の毒の原点です。 3 :ようずん:2011/06/26(日) 09 13 07 外国政府勢力の毒が全ての毒の原点であるから、他の毒を執筆する時は、この毒へのリンクがあれば良いかもしれない。