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順位 名前 優勝 準優 四強 配当 総合 的中 配当 1 1 3 バネナロ 21 8 9 67.07 2 2 8 地鶏塩チャーシュー麺 20 4 11 49.9 3 3 2 へなちょこボール 19 6 7 79.55 4 3 7 大阪桐蔭fan 19 8 8 50.06 5 3 12 こうしゅ 19 4 11 45.56 6 3 20 ぷー 19 5 11 37.14 7 7 4 ひーさん 18 6 10 61.12 8 7 11 toshi.k 18 6 11 46.18 9 7 15 PLファン 18 6 9 44.37 10 7 16 もとちゃん 18 7 11 44.07 11 11 13 こんにゃくん 17 9 11 45.18 12 11 14 リョウ 17 7 11 44.54 13 11 19 ペルオヒーオ 17 7 10 39.98 14 13 10 ボブ830 16 6 7 48.34 15 13 22 シクベ 16 8 8 35.28 16 13 27 @世紀末 16 8 9 27.88 17 17 1 わたがし 15 5 6 123.45 18 18 9 逆転のみかん 14 4 12 48.89 19 18 18 YNRSS 14 5 11 40.71 20 18 23 みえじん 14 5 12 33.82 21 18 25 まー@東京 14 8 9 28.59 22 22 5 アロザレーナ 13 5 9 54.64 23 22 26 みかん会長 13 3 9 28.37 24 24 24 第八天魔王 12 11 14 30.93 25 25 6 大魔神 10 9 13 51.73 26 25 17 ks 10 6 2 42.24 27 25 28 Dモレル 10 8 9 16.55 28 28 30 なんJスピリッツ@全越最弱 7 7 11 13.14 29 29 21 里井 5 9 7 35.8 30 30 29 ぺー 2 4 7 15.49 31 31 31 真・最強伝説 1 3 1 10.33 備考 順位:的中数>配当 配当:オッズの合計 みんなの予想 地区名 第八天魔王 なんJスピリッツ@全越最弱 大阪桐蔭fan Dモレル ペルオヒーオ PLファン もとちゃん バネナロ ぷー へなちょこボール ひーさん YNRSS ぺー 大魔神 シクベ アロザレーナ みえじん まー@東京 みかん会長 こうしゅ 地鶏塩チャーシュー麺 ks ボブ830 リョウ toshi.k 逆転のみかん 真・最強伝説 @世紀末 里井 こんにゃくん わたがし 配当 北北海道 白樺学園 武修館 白樺学園 旭川志峯 白樺学園 クラーク国際 旭川明成 旭川明成 白樺学園 白樺学園 白樺学園 白樺学園 遠軽 白樺学園 旭川実 旭川明成 クラーク国際 クラーク国際 稚内大谷 遠軽 クラーク国際 旭川志峯 クラーク国際 旭川実 旭川志峯 白樺学園 稚内大谷 武修館 滝川西 白樺学園 旭川志峯 6.2 南北海道 北照 東海大札幌 北海 駒大苫小牧 北海 北海 札幌大谷 北海 北海 北海 北海 札幌大谷 立命館慶祥 北照 東海大札幌 北海 北海 立命館慶祥 北海 北海 北海 北海 北海 北海 北海 北海 函館大有斗 北海 鵡川 立命館慶祥 北海 1.63 青森県 八戸学院光星 青森山田 八戸学院光星 八戸学院光星 八戸学院光星 八戸学院光星 八戸学院光星 八戸学院光星 八戸学院光星 八戸学院光星 八戸学院光星 八戸学院光星 弘前東 八戸工大一 八戸学院光星 八戸学院光星 青森山田 八戸学院光星 八戸学院光星 八戸学院光星 八戸学院光星 青森山田 八戸学院光星 八戸学院光星 青森山田 青森山田 弘前工 八戸学院光星 八戸工大一 八戸学院光星 八戸学院光星 1.4 岩手県 花巻東 花巻東 花巻東 花巻東 花巻東 花巻東 花巻東 花巻東 花巻東 花巻東 花巻東 盛岡大附 盛岡三 一関学院 花巻東 花巻東 花巻東 花巻東 花巻東 花巻東 花巻東 花巻東 久慈 花巻東 花巻東 一関学院 久慈 花巻東 一関学院 花巻東 専大北上 1.34 秋田県 秋田商 明桜 明桜 能代松陽 明桜 明桜 秋田商 明桜 明桜 明桜 明桜 能代松陽 秋田南 明桜 明桜 秋田南 能代松陽 明桜 能代松陽 由利 明桜 能代松陽 明桜 明桜 秋田商 能代松陽 大館鳳鳴 明桜 秋田商 明桜 秋田商 1.93 山形県 山形中央 鶴岡東 山形中央 東海大山形 山形中央 東海大山形 鶴岡東 日大山形 鶴岡東 山形中央 鶴岡東 日大山形 九里学園 山形中央 山形中央 山形中央 鶴岡東 山形中央 鶴岡東 鶴岡東 鶴岡東 山形城北 酒田東 日大山形 鶴岡東 山形中央 山形学院 山形中央 山形中央 山形中央 酒田光陵 10.33 宮城県 仙台育英 仙台育英 仙台育英 仙台育英 仙台育英 仙台育英 仙台育英 仙台育英 仙台育英 仙台育英 仙台育英 仙台育英 仙台商 仙台育英 仙台育英 東北 東北 仙台育英 仙台育英 仙台育英 仙台育英 仙台育英 東北 仙台育英 仙台育英 仙台育英 古川学園 仙台育英 仙台育英 仙台育英 仙台育英 1.19 福島県 聖光学院 聖光学院 聖光学院 聖光学院 聖光学院 聖光学院 聖光学院 聖光学院 聖光学院 聖光学院 聖光学院 日大東北 田村 聖光学院 聖光学院 学法石川 聖光学院 聖光学院 聖光学院 聖光学院 聖光学院 聖光学院 聖光学院 聖光学院 聖光学院 聖光学院 いわき光洋 聖光学院 福島商 聖光学院 田村 1.24 茨城県 土浦日大 常総学院 常総学院 つくば秀英 霞ヶ浦 常総学院 土浦日大 土浦日大 土浦日大 霞ヶ浦 土浦日大 常総学院 常磐大 常磐大 土浦日大 常総学院 常総学院 土浦日大 常総学院 霞ヶ浦 常総学院 土浦日大 土浦日大 常総学院 常総学院 常総学院 石岡一 土浦日大 水戸商 土浦日大 常総学院 2.81 栃木県 作新学院 作新学院 作新学院 石橋 作新学院 作新学院 作新学院 作新学院 作新学院 作新学院 作新学院 作新学院 青藍泰斗 國學院栃木 作新学院 作新学院 作新学院 作新学院 國學院栃木 作新学院 作新学院 文星芸大附 作新学院 作新学院 作新学院 作新学院 小山 作新学院 宇都宮白楊 作新学院 文星芸大附 15.5 群馬県 健大高崎 健大高崎 健大高崎 健大高崎 健大高崎 健大高崎 前橋育英 健大高崎 健大高崎 前橋商 前橋育英 健大高崎 明和県央 健大高崎 健大高崎 前橋育英 健大高崎 健大高崎 健大高崎 健大高崎 健大高崎 常磐 健大高崎 前橋育英 健大高崎 前橋商 利根商 前橋育英 前橋商 前橋育英 東農大二 10.33 埼玉県 花咲徳栄 昌平 花咲徳栄 花咲徳栄 浦和学院 浦和学院 昌平 浦和学院 昌平 花咲徳栄 浦和学院 浦和学院 昌平 花咲徳栄 浦和学院 浦和学院 昌平 昌平 花咲徳栄 浦和学院 昌平 昌平 昌平 昌平 浦和学院 花咲徳栄 山村学園 昌平 川越東 浦和学院 市川越 千葉県 専大松戸 専大松戸 拓大紅陵 専大松戸 木更津総合 専大松戸 専大松戸 木更津総合 専大松戸 中央学院 専大松戸 専大松戸 幕張総合 市船橋 専大松戸 専大松戸 専大松戸 専大松戸 木更津総合 専大松戸 専大松戸 拓大紅陵 専大松戸 専大松戸 専大松戸 木更津総合 千葉黎明 専大松戸 拓大紅陵 専大松戸 専大松戸 東東京 帝京 帝京 関東第一 二松學舍大附 帝京 帝京 関東第一 帝京 二松學舍大附 二松學舍大附 帝京 二松學舍大附 東京成徳大 帝京 関東第一 帝京 帝京 帝京 帝京 帝京 帝京 岩倉 関東第一 帝京 関東第一 修徳 雪谷 関東第一 日大豊山 帝京 帝京 0 西東京 桜美林 創価 日大三 早稲田実 日大三 日大三 東海大菅生 日大三 日大三 日大三 桜美林 東海大菅生 佼成学園 八王子 東海大菅生 日大三 東海大菅生 日大三 八王子 国士舘 東海大菅生 小平 日大三 日大三 日大三 日大三 佼成学園 日大三 田無 日大三 東海大菅生 神奈川県 横浜 横浜隼人 横浜 慶應義塾 横浜 慶應義塾 慶應義塾 相洋 横浜 桐光学園 慶應義塾 横浜 相洋 横浜 横浜 慶應義塾 慶應義塾 横浜 慶應義塾 慶應義塾 慶應義塾 横浜創学館 横浜 慶應義塾 横浜 慶應義塾 県相模原 横浜 横浜 東海大相模 慶應義塾 2.58 山梨県 山梨学院 山梨学院 山梨学院 山梨学院 山梨学院 山梨学院 山梨学院 山梨学院 山梨学院 駿台甲府 山梨学院 山梨学院 駿台甲府 山梨学院 山梨学院 山梨学院 山梨学院 山梨学院 山梨学院 山梨学院 山梨学院 駿台甲府 東海大甲府 山梨学院 山梨学院 山梨学院 駿台甲府 山梨学院 東海大甲府 山梨学院 山梨学院 15.5 新潟県 中越 帝京長岡 中越 帝京長岡 日本文理 日本文理 帝京長岡 帝京長岡 日本文理 日本文理 日本文理 日本文理 帝京長岡 帝京長岡 中越 日本文理 中越 帝京長岡 日本文理 帝京長岡 日本文理 中越 中越 中越 日本文理 帝京長岡 中越 中越 糸魚川白嶺 帝京長岡 帝京長岡 0 富山県 氷見 高岡商 富山第一 氷見 氷見 富山商 富山商 富山第一 富山第一 高岡第一 富山第一 富山第一 氷見 富山第一 富山第一 氷見 富山第一 富山第一 富山第一 氷見 富山商 富山商 氷見 氷見 富山第一 富山第一 石動 高岡商 富山商 高岡第一 高岡商 長野県 松商学園 松商学園 上田西 松商学園 上田西 松商学園 松商学園 上田西 松商学園 東海大諏訪 上田西 松商学園 松本第一 松商学園 松商学園 松本国際 上田西 松商学園 佐久長聖 上田西 上田西 松本第一 松商学園 松商学園 松商学園 上田西 松本国際 松商学園 長野商 松商学園 松商学園 3.87 石川県 日本航空石川 遊学館 金沢 星稜 星稜 星稜 星稜 日本航空石川 星稜 日本航空石川 日本航空石川 星稜 北陸学院 日本航空石川 星稜 小松大谷 星稜 星稜 日本航空石川 星稜 日本航空石川 飯田 星稜 星稜 星稜 星稜 金沢龍谷 星稜 穴水 遊学館 星稜 1.93 福井県 福井商 敦賀気比 敦賀気比 敦賀気比 敦賀気比 敦賀気比 福井商 福井商 敦賀気比 福井工大福井 福井商 敦賀気比 丹生 福井商 敦賀気比 敦賀気比 福井商 敦賀気比 敦賀気比 福井工大福井 福井商 高志 敦賀気比 福井商 敦賀気比 丹生 美方 福井商 福井商 福井商 北陸 静岡県 浜松開誠館 静岡 藤枝明誠 常葉大菊川 加藤学園 常葉大菊川 浜松開誠館 日大三島 日大三島 浜松開誠館 常葉大菊川 加藤学園 浜松開誠館 浜松開誠館 常葉大菊川 常葉大菊川 加藤学園 常葉大菊川 静岡 加藤学園 日大三島 常葉大菊川 常葉大菊川 加藤学園 常葉大菊川 浜松開誠館 富士 加藤学園 常葉大菊川 加藤学園 浜松工 愛知県 至学館 愛工大名電 愛工大名電 東邦 東邦 東邦 東邦 至学館 東邦 誉 愛工大名電 東邦 愛知啓成 愛工大名電 東邦 享栄 東邦 東邦 愛工大名電 至学館 東邦 愛工大名電 享栄 東邦 愛工大名電 東邦 誉 東邦 日本福祉大附 至学館 東邦 岐阜県 岐阜城北 県岐阜商 中京 帝京大可児 大垣日大 県岐阜商 大垣日大 大垣日大 大垣日大 県岐阜商 大垣日大 大垣日大 岐阜 県岐阜商 中京 県岐阜商 中京 県岐阜商 大垣日大 大垣日大 大垣日大 岐阜 県岐阜商 県岐阜商 大垣日大 県岐阜商 市岐阜商 県岐阜商 県岐阜商 大垣日大 県岐阜商 三重県 津田学園 三重 三重 三重 津商 三重 津田学園 津商 津田学園 津商 いなべ総合 三重 皇學館 津田学園 海星 三重 津商 三重 三重 津商 津商 三重 津田学園 三重 津田学園 津商 鈴鹿 三重 三重 三重 津商 31 滋賀県 立命館守山 滋賀学園 近江 彦根総合 近江 近江 近江 滋賀学園 近江 滋賀短大附 近江 近江 立命館守山 滋賀学園 滋賀学園 立命館守山 近江 滋賀学園 近江 滋賀学園 近江 滋賀学園 近江 近江 近江 立命館守山 瀬田工 近江 瀬田工 近江 近江 京都府 龍谷大平安 京都国際 立命館宇治 龍谷大平安 龍谷大平安 京都国際 龍谷大平安 京都国際 京都国際 京都国際 龍谷大平安 龍谷大平安 乙訓 京都国際 龍谷大平安 福知山成美 龍谷大平安 龍谷大平安 龍谷大平安 龍谷大平安 京都国際 京都国際 龍谷大平安 龍谷大平安 龍谷大平安 京都国際 西城陽 京都国際 鳥羽 京都国際 立命館宇治 大阪府 履正社 関西創価 大阪桐蔭 大阪桐蔭 大阪桐蔭 大阪桐蔭 大阪桐蔭 大阪桐蔭 大阪桐蔭 履正社 大阪桐蔭 履正社 興國 大阪桐蔭 大阪桐蔭 近大附 大阪桐蔭 大阪桐蔭 大阪桐蔭 大阪桐蔭 金光大阪 金光大阪 大阪桐蔭 大阪桐蔭 大阪桐蔭 金光大阪 上宮 大阪桐蔭 大阪 大阪桐蔭 履正社 兵庫県 神戸国際大附 神戸国際大附 明石商 報徳学園 報徳学園 報徳学園 神戸国際大附 神戸国際大附 報徳学園 神戸国際大附 報徳学園 滝川二 須磨翔風 神戸国際大附 報徳学園 社 報徳学園 報徳学園 報徳学園 報徳学園 滝川二 報徳学園 報徳学園 報徳学園 神戸国際大附 神戸国際大附 神戸学院大附 報徳学園 神戸国際大附 神戸国際大附 報徳学園 奈良県 智辯学園 智辯学園 智辯学園 高田商 智辯学園 智辯学園 智辯学園 智辯学園 智辯学園 智辯学園 天理 智辯学園 橿原学院 智辯学園 智辯学園 智辯学園 天理 智辯学園 天理 智辯学園 智辯学園 橿原 智辯学園 智辯学園 智辯学園 智辯学園 生駒 智辯学園 奈良大附 智辯学園 天理 和歌山県 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 和歌山南陵 市和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 熊野 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 近大新宮 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 智辯和歌山 鳥取県 鳥取城北 八頭 米子西 鳥取城北 鳥取城北 鳥取城北 鳥取城北 鳥取城北 鳥取城北 米子松蔭 鳥取城北 鳥取城北 米子西 米子松蔭 鳥取城北 米子東 鳥取城北 鳥取城北 鳥取城北 鳥取城北 鳥取城北 境 八頭 鳥取城北 鳥取城北 鳥取城北 倉吉総合産 鳥取城北 境 米子松蔭 鳥取商 31 島根県 開星 開星 益田東 平田 浜田 浜田 浜田 立正大淞南 浜田 立正大淞南 大社 大社 大田 石見智翠館 浜田 浜田 石見智翠館 浜田 石見智翠館 大社 石見智翠館 浜田 浜田 開星 浜田 浜田 平田 浜田 三刀屋 立正大淞南 浜田 10.33 岡山県 倉敷商 創志学園 おかやま山陽 岡山学芸館 岡山学芸館 倉敷商 創志学園 岡山学芸館 岡山学芸館 岡山学芸館 玉野光南 創志学園 岡山商大附 岡山学芸館 創志学園 岡山学芸館 岡山学芸館 創志学園 岡山学芸館 岡山学芸館 岡山学芸館 おかやま山陽 創志学園 岡山学芸館 おかやま山陽 おかやま山陽 岡山東商 岡山学芸館 倉敷商 玉野光南 岡山学芸館 広島県 広島新庄 広島新庄 広島新庄 広陵 広陵 広陵 広陵 広陵 広陵 広陵 広陵 広陵 呉港 広陵 広陵 広陵 広陵 広陵 広陵 広陵 広陵 崇徳 広陵 広陵 広陵 広島新庄 呉港 広陵 広島商 広陵 広陵 山口県 南陽工 下関国際 宇部鴻城 光 宇部鴻城 下関国際 高川学園 宇部鴻城 高川学園 宇部鴻城 下関国際 高川学園 早鞆 高川学園 高川学園 宇部鴻城 宇部鴻城 高川学園 宇部商 高川学園 宇部鴻城 下関国際 下関国際 宇部鴻城 下関国際 高川学園 宇部商 高川学園 周防大島 宇部鴻城 下関国際 3.44 香川県 英明 尽誠学園 英明 英明 高松商 高松商 高松商 英明 英明 英明 高松商 高松商 大手前高松 尽誠学園 高松商 英明 英明 高松商 高松商 英明 英明 高松商 尽誠学園 高松商 英明 高松商 丸亀 高松商 英明 寒川 高松商 2.58 徳島県 鳴門 生光学園 鳴門渦潮 城東 徳島商 鳴門 鳴門 鳴門 鳴門 徳島商 鳴門 鳴門 城東 城東 鳴門 鳴門 鳴門 鳴門 鳴門 徳島商 鳴門 鳴門渦潮 小松島 阿南光 鳴門 阿南光 海部 鳴門 小松島西 生光学園 徳島商 7.75 愛媛県 松山学院 松山商 松山商 松山商 帝京五 松山商 松山学院 今治西 松山学院 松山商 帝京五 松山商 松山学院 松山商 宇和島東 松山学院 宇和島東 今治西 済美 松山商 帝京五 帝京五 帝京五 今治西 松山学院 松山学院 西条 帝京五 丹原 松山学院 今治西 高知県 明徳義塾 明徳義塾 明徳義塾 高知 高知 明徳義塾 明徳義塾 明徳義塾 明徳義塾 高知中央 明徳義塾 高知 高知中央 明徳義塾 明徳義塾 明徳義塾 明徳義塾 明徳義塾 明徳義塾 明徳義塾 明徳義塾 梼原 明徳義塾 明徳義塾 明徳義塾 明徳義塾 高知中央 明徳義塾 高知 明徳義塾 明徳義塾 10.33 福岡県 飯塚 福岡大大濠 飯塚 東福岡 西日本短大附 九州国際大附 九州国際大附 西日本短大附 西日本短大附 飯塚 西日本短大附 西日本短大附 福岡大大濠 福岡大大濠 飯塚 東海大福岡 福岡大大濠 福岡大大濠 九州国際大附 西日本短大附 福岡大大濠 筑陽学園 福岡大大濠 九州国際大附 九州国際大附 飯塚 久留米商 西日本短大附 香椎 九州国際大附 西日本短大附 5.16 佐賀県 佐賀商 佐賀北 龍谷 神埼清明 佐賀北 佐賀北 佐賀商 佐賀北 佐賀北 龍谷 唐津商 佐賀北 神埼清明 神埼清明 佐賀商 佐賀北 佐賀北 佐賀北 佐賀北 龍谷 佐賀北 佐賀学園 佐賀北 佐賀北 佐賀商 佐賀商 小城 佐賀北 佐賀商 佐賀北 佐賀北 0 長崎県 大崎 大崎 創成館 海星 海星 大崎 大崎 創成館 大崎 創成館 海星 長崎日大 九州文化学園 大崎 創成館 大崎 長崎日大 大崎 長崎日大 大崎 海星 海星 長崎日大 長崎日大 大崎 創成館 九州文化学園 長崎日大 長崎日大 海星 海星 6.2 熊本県 東海大星翔 九州学院 東海大星翔 文徳 有明 熊本工 東海大星翔 東海大星翔 東海大星翔 九州学院 熊本工 東海大星翔 有明 東海大星翔 東海大星翔 文徳 文徳 東海大星翔 秀岳館 東海大星翔 有明 熊本商 九州学院 文徳 東海大星翔 九州学院 熊本国府 東海大星翔 球磨工 九州学院 熊本工 2.58 大分県 柳ヶ浦 大分 明豊 大分商 大分舞鶴 明豊 明豊 大分商 明豊 明豊 大分商 明豊 日本文理大附 大分舞鶴 明豊 藤蔭 明豊 大分舞鶴 明豊 明豊 明豊 大分商 明豊 大分舞鶴 明豊 明豊 大分 明豊 大分商 明豊 大分商 1.93 宮崎県 日南学園 日南学園 延岡学園 高鍋 日南学園 日南学園 延岡学園 延岡学園 延岡学園 延岡学園 日南学園 日南学園 小林秀峰 小林秀峰 日南学園 日南学園 延岡学園 宮崎商 日章学園 高鍋 日南学園 宮崎商 高鍋 日南学園 延岡学園 日南学園 日章学園 延岡学園 都城商 延岡学園 延岡学園 0 鹿児島県 鹿児島城西 鹿屋中央 鹿児島城西 鹿児島城西 鹿児島城西 鹿児島実 鹿児島城西 神村学園 神村学園 鹿児島城西 神村学園 樟南 国分中央 鹿児島城西 神村学園 鹿児島城西 鹿児島城西 鹿児島城西 樟南 神村学園 神村学園 鹿屋中央 神村学園 神村学園 鹿児島城西 鹿児島城西 国分中央 鹿児島城西 鹿児島工 鹿児島城西 鹿児島実 3.87 沖縄県 沖縄尚学 ウェルネス沖縄 沖縄尚学 沖縄尚学 沖縄尚学 ウェルネス沖縄 沖縄尚学 沖縄尚学 沖縄尚学 興南 沖縄尚学 沖縄尚学 ウェルネス沖縄 沖縄尚学 沖縄尚学 沖縄尚学 沖縄尚学 沖縄尚学 沖縄尚学 沖縄尚学 沖縄尚学 沖縄尚学 沖縄尚学 ウェルネス沖縄 ウェルネス沖縄 沖縄尚学 前原 沖縄尚学 宜野座 ウェルネス沖縄 沖縄尚学 1.4
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あえかなる世界の終わりに メーカー 確認バージョン セーブデータ キャラメルBOX 修正なし SAGAOZ あえかなる世界の終わりに 千冬 セーブ1から リップル セーブ2から ナギ セーブ3から ひまわり セーブ4から 柚子 セーブ5から 千冬 6月5日 円周の直径に対する比率を計算させる降参する 6月6日 一理あるが──珈琲を淹れてやる直接的に 6月7日 近江に声をかけるとりあえず話し掛けるNAIP 6月8日 多い方が──近江を気遣うそ・れ・と・もっ♪ 6月9日 女だな不味いああ、頼むよ 6月10日 別に構わない自分で使うリップルに任せる 6月11日 [セーブ1] 柚子を誘う 【CG回収】 セーブ1から 6月11日 ひとりで気にするな 6月12日 ゲームをする 6月13日 別に……素直に謝罪する 6月14日 仕方ない近江へ手を差し伸べる [セーブ2] キスをする 【千冬 END】 リップル セーブ2から 6月14日 抱擁する 6月19日 適当に誤魔化す 6月20日 説明する払ってやるベッドに移す身体の心配をする 6月21日 昼食を作る買ってくるひまわりの部屋に行く 6月22日 起こさないショットビアー 6月23日 リップルを擁護するリップルに声をかける正直に話す [セーブ3] 立ち去るより仕方ない 6月24日 まあ、構わないぜ 6月25日 別に構わないリップル 6月26日 ゲームに関してカーズに関して 6月27日 「天国への架け橋」に関して「湖の精」に関して紫陽花NAIP 6月29日 馬子にも衣装ひまわりの膝を心配する 【リップル END】 ナギ セーブ3から 6月23日 方法を考える 6月24日 まあ、構わないぜ 6月25日 [セーブ4] 少し様子を見るひまわり 6月26日 ゲームに関してカーズに関して 6月27日 「天国への架け橋」に関して「湖の精」に関して向日葵ダイバー 6月29日 馬子にも衣装ひまわりの膝を心配する 【ナギ END】 ひまわり セーブ4から 6月25日 助けに入るひまわり 6月26日 ゲームに関してカーズに関して 6月27日 「天国への架け橋」に関して「湖の精」に関して向日葵戻るNAIP 6月29日 なかなか似合っているひまわりの傷の手当てをする 6月30日 [セーブ5] 唇に── 【ひまわり END】 柚子 セーブ5から 6月30日 額に── 【柚子 END】
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浪人リスト 21 名前:管理スレ556参照@シェルター[sage] 投稿日:2014/05/07(水) 23 10 16.30 ID +FKzppsQ データその3 抱え込めそうな武将リスト 1 明石全登 豊臣秀吉の中国大返しの時に姫路に人質に出された人なのでワンチャン宇喜多から保護可能? キリシタンで優秀なのは皆様ご存知のとおり 2 姉帯兼信 九戸の乱で兄兼興と奮戦。銃創を十四ヶ所に受けたため馬上で腹を切り、刀を飲み込んで馬から落ちて切腹を遂げた剛の者 ちょうど元服したころ(15~16歳?) 3真田信繁 いわゆる幸村。1582年に元服。15歳です 4岡部長盛 岡部正綱嫡男。1583年に正綱の死で家督を継ぐ。水軍武将。岡部康綱という兄がいる?ので引き抜きは可能か 5丹羽氏重 丹羽氏勝の子。1580年に父親が信長に追放されている。森長可に討ち取られたが池田軍を3度打ち破った若き勇将 6 新関久正 最上家臣。新関因幡大堰をはじめとした治水事業で大きく貢献 鶴ヶ城建築も担当した東北屈指の内政官。年齢的に仕官したばかりか 7 石川五右衛門 丹後国の伊久知城を本拠とした豪族石川氏の出とする説を採用するなら この年にちょうどこの城が落城して浪人になっている。NINJA! 8 小野忠明(神子上 典膳) 1582年時13歳。7年後に正木大膳と一騎打ちして引き分ける。 一刀流は習う前だが剣術はもう一流なはず 9 服部康成 伊賀出身の忍者。現在16~17歳。関ヶ原で津軽為信に300石で仕え、武功を上げ、昇進して家老としても活躍する万能型 伊賀は天正伊賀の乱のせいで反信長感情が強い ■武将(スキルは武士一般は略してます) 六角義治(1545~1612)現在地山城国上賀茂? 信長の野望 統率36武勇70智謀17政治28義理16 弓A 六角氏当主。義賢子。観音寺騒動で当主でなくなるが信長上洛後も織田に抵抗しゲリラ活動を続け 父の降伏後も反織田で活動。後に秀吉の弓の師範となる。父の元にいる可能性が高い 想定されるスキル:弓術(達人)ゲリラ戦(学生)など 六角義定(1547~1620)現在地山城国上賀茂? 六角氏最後の当主。義治弟。観音寺騒動後当主。信長上洛後知り合いの甲斐武田氏の下に逃げ込み 織田と抗戦していた。武田家滅亡時に逃走。父親と一緒でなくても行き先くらいは知ってるはず 徹底した反織田の人 想定されるスキル:弓術(達人) 林一吉(?~1604)現在地山城国京 1580年(天正8年)8月18日、父の林秀貞と共に信長から追放される。京都に隠棲。 1582年(天正10年)6月2日、京都本能寺で信長が明智光秀の謀反(本能寺の変)により死去したことにより、播磨国姫路に赴いて山内一豊に仕えた。 後山内氏家老格。織田信長が生きている間は絶対許さなかった人なので本家に関わりのある人は現状雇えない 想定されるスキル:政務(学生or一般)? 赤井直義(1570~1653)現在地山城国京 丹波の赤鬼の子。数えで現在15歳。元服した頃。父・叔父の死後京都に隠棲中 大阪の陣で藤堂高虎の下で足軽大将 想定されるスキル:武士(学生)止まり? 赤井幸家(?~1606)現在地不明。直義なら知ってる? 丹波三尾山城主、赤鬼と畏怖された赤井直正の弟。赤井直正の死去に伴い 但馬竹田城へ出陣中に、その隙をついて織田家の明智軍により居城 三尾山城を攻め落とされる その後も直正死後の赤井氏を盛り立てたが、赤井氏の本拠、黒井城を攻め落とされ 幸家は諸国を放浪、晩年は丹波多紀郡(現 篠山市)に戻り同地で没したという。 想定されるスキル:武士(達人) 三好政勝(1536~1631)丹波宇津? 太閤立志伝5 統率59武勇79政治47智謀16魅力72野心40 三好政康弟?京兆細川氏家臣。右衛門大夫・因幡守・為三・一任斎。三好家臣になった後信長に降伏。 元亀3年(1572年)には松永久秀・義継と細川信良の抗争の中で、松永方に属して信長に叛旗。 本能寺の変後に豊臣秀吉に仕えたとされ、次に史料に登場するのは天正20年(1592年)の文禄の役に際して、 肥前名護屋の本丸番衆を務める馬廻の「三好為三」として登場。秀吉死後家康に仕え大坂の陣にも出陣し、96歳の長寿を全うした。 元々丹波宇津城周辺で活動していたので丹波の宇津に隠棲している可能性が高い 想定されるスキル:武士(達人) ■医者 長沢道寿(?~1637)現在地山城国京 江戸初期の医者。号は柳庵,丹陽坊,売薬山人。父の理慶も医者で山内一豊に仕えた。 曲直瀬玄朔と吉田宗恂 に医を学び,のち一豊に従って父と共に土佐に移り,父の没後(1611)家督を継いだが, 間もなくこれを辞して上京。織田信雄に仕え,これも辞して以後は市井の医として活躍,「土佐の道寿」と医名を博した。 長沢理慶(?~1611)現在地山城国京 阿波の人といわれ、のち京都に出て足利幕府に仕え、河内の国に所領を得ていたが、天正の頃に浪人して京都に移り、 医を業にしたといわれる。天正十三年(一五八五)山内一豊が近江の長浜で理慶と嫡子理成を召出し、 慶長六年(一六○一)一豊が土佐に移った時に随従して、土佐藩の最初の医官として仕えた 江村専斎(1565~1664)現在地山城国京 永禄年間に播州三石城主の江村民部大輔孝与が織田信長に圧せられて出奔し、京都に隠棲した。専斎はその孫にあたる。 秦宗巴に従って医を学び、濂洛の学を修め、儒医をもって肥後熊本藩主の加藤清正に仕えた。 加藤の死後は京都に帰り、寛永年間に美作津山藩主の森忠政に招かれ、賓師の礼をもって遇された。 専斎は90歳を超えても眼や耳が衰えることなく、強壮であった。後水尾天皇に養生法を尋ねられて 「養生の秘訣は別儀なし、飲食些く思慮も些し、ただ些の一字を体得するにあり」と答えた ■商人 武野宗瓦(1550~1614)和泉国天神之森 武野紹鴎の子。名は信材,また為久。通称新五郎。後見人だった義兄の今井宗久との財産の返還訴訟で敗訴 本願寺信仰も加えて信長・秀吉の迫害を受けたが、駿府の徳川家康を頼って秀吉との間はとりなされた 慶長16(1611)年家康の命で豊臣秀頼に茶の湯で仕え、大坂で没している。現在は信長によって堺から追放真っ最中 拾ってあげれば反織田でがんばってくれそう 参考 ttps //www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/naniwa060408.html 食野正久(めしの。大饗おおあえ、讃岐楠木)(生没年不詳)現在地和泉国佐野 和田長盛子。楠正虎の従兄弟叔父。次郎左衛門。1617年に楠正成の愛刀を信貴山に奉納している 正久の代から廻船業を営み始める。正治とも。食野家が海運の豪商となる祖 活動の始まりが1590年代からなのでまだ商家は持っていないと判断 ■刀工など 越前康継(1554~1621)現在地近江国坂本 通称下坂市左衛門。近江国志賀郡西坂本生まれ。父下坂広長に鍛冶を伝授された後諸国を放浪する 慶長年間に越前に定住。「肥後大掾」を受領し、家康の次男越前福井城主結城秀康のお抱え鍛冶となった 葵の紋を使うことを許された名工。年齢的にまだ父の下で修行中か 埋忠明寿(1558~1631)現在地山城国京 金工師として足利将軍家に仕えた。新刀以降の鍛刀法である水挫し法を考案したと言われ、新刀鍛冶の祖と仰がれる 初代肥前忠吉の師でもあり刀工として以上に金工師としての作品が現存は多い 将軍家との繋がりから信長にいい感情は抱いていなさそう 楽常慶(1561~1635)現在地山城国京 陶芸家。田中宗慶の次男。千利休の一門か。利休の下で茶器を作っていたが楽吉左衛門家の2代目を兄がいながら襲名した 襲名理由は利休の死によって利休の影響が濃い長男の襲名を避けるためという説がある。慶長年間以後に自名入りの作陶を開始 楽焼の作風を広げる業績を残す。秀忠が亡くなったときには幕命で墓前の香炉を制作した 次男坊なので引き抜きはしやすいか 吉野・五條地区 淀屋常安(1560~1622)現在地大和国吉野 山城国岡本荘の武家の出身だったが、織田信長に討たれ商人を目指すようになった。 苗字を出身地の岡本、通称を三郎右衛門、名を与三郎、のちに善右衛門とした。 隠居し仏門に入ってからは常安の号を名乗った。なお前期淀屋の歴代当主も三郎右衛門を名乗った 蘇我理右衛門(1572~1636)現在地河内国五條 数えで12歳 住友財閥の業祖と呼ばれ、家祖と呼ばれる義弟の住友政友とともに、創業者の1人に位置づけられる人 銅吹き(銅精錬)、銅細工の技術を堺で習得し、1590年、19歳で京都寺町五条に銅吹きと銅細工の店を開業し 「泉屋」と称した。堺に南蛮吹きを広めた人。現在は細工師の下で修行中。南蛮吹き教えるって言ったらほいほいついてきそう 熱心な涅槃宗の信者なので、そこから攻めるのもいいかも 近江地区 三雲成持(現在地近江国三雲村) 統率50武勇58智謀48政治45義理61 足軽C 六角方の国人。1575年まで六角再興のため活動も降伏 1584年に織田信雄に仕えるまで浪人(旧領で細々と活動中、明確な知行などは持っていない) 甲賀の名門一族。甲賀二十一家の一つであり、代々六角氏に仕えた。六角義賢、義治を織田から匿い 彼らも逃亡先として選ぶ程度に信頼されている。 「三雲一族一人も信長に降参せず義を重んじ三度の誓約を守る。 」と絶賛された忠義の士 浅井井頼(現在地近江国内?) 浅井長政の三男(または次男)で浅井万福丸の弟とされる。 現在13歳。信長の残党狩りから逃れ1583年の賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)側に属し、 その後に豊臣秀次、豊臣秀保の家臣となり、600石の知行を与えられる 吉田源八郎重氏(1562~1631)現在地近江国吉田〔目賀田城そば〕 日置流印西派の祖。吉田重氏の娘を嫁にとる。21歳と若い&六角家臣筋で反織田。 浅井政高(1560~1615)現在地近江国高島郷 田屋(浅井)明政婿養子。通称田尾茂左衛門。義母は浅井鶴千代。妻は海津局。小谷城での戦いで義父明政死後 初めは生田姓、後に田尾姓を名乗る。秀吉が淀殿を側室にした時呼び寄せに応じて出仕するまで帰農 妻海津局は宗正寺にいる出家した母の下にいる。反織田で帰農してるくらいなので安いはず 堀徳印 (生没年不詳)現在地近江国八幡野村城址周辺 父堀定澄の仕える六角氏が織田によって近江から駆逐されて後医師。子の堀杏庵が曲直瀬正純に学んでいるので 師は曲直瀬正盛か。子も近江生まれ(1585)なので、近江で医師をしている可能性が高い 医師としてだけでなく元武家&反織田なので武家としての再興と医師としての仕事をセットで頼んだほうが良さそう 小杉五郎右衛門(初代、生没年不詳)現在地近江国五個荘 六角家臣位田源右衛門(鯰江に所領)の家臣だったが、六角氏衰退後帰農。1717年より北陸への行商を始める一族の初代 小杉産業の祖。近江商人。五個荘で商売を始めるのは信長死後なので今は農民 岡田弥三右衛門(1568~1654)現在地近江国安土城下 岡田家は六角家臣で元武士の家柄だが六角衰退で帰農した家である 呉服太物による行商で財を成し八戸や松前に進出。日本海側の松前藩御用商人となった 14,15歳で家を出て安土城下に暮らしているが、本格的に店を持って商売をし始めた記録は 信長死後八幡の開発が秀次の下で行われるようになってからのため、現在は安土のどこかの商家で 手代か丁稚奉公をしている最中と考えられる(家を出て1,2年なので) 参考 ttp //libdspace.biwako.shiga-u.ac.jp/dspace/bitstream/10441/8347/2/KEIZAI%20SHIRYOKAN%20KIYO_019_025-082Z%20uemura.pdf 和田治太夫(生没年不詳)現在地近江国日野 近江・日野の鉄砲鍛治年寄、和田家は代々治太夫の名を当主が使い、明治時代まで鉄砲鍛治を生業とした 蒲生氏郷が家督を継いだ1584年以降堺の鉄砲術を学ぶため氏郷により堺に派遣されるが、現状ではただの鉄砲鍛冶 丹波・若狭編 荒木氏綱(?~1582?)現在地丹波国東本荘(堺から4日) 信長の野望 統率72武勇77知略63政治12義理88 足軽B騎馬C兵器B 元波多野家臣。丹波多紀郡の人。織田軍を何度も撃破したが1579年に主君波多野秀治死後降伏 以後は主家をたてて嫡子を出仕させ隠居生活を送る。本能寺の変後光秀の下に駆けつけ勢田で戦死したといわれる 両津の叔父? 波多野定吉(生没年不詳)現在地丹波国味間文保寺 波多野秀治子。幼名甚蔵。1579年の落城時は幼年だったため、乳母に連れられて城を脱出し 丹波国味間の文保寺に匿われた。成人後還俗して波多野右衛門尉定吉と名乗り篠山藩に仕えた。 →本人の能力より、波多野氏再興の旗頭として適任。現在10歳くらい? 吉見守重(生没年不詳)現在地丹波国氷上郡鹿集 氷上郡鹿集城主吉見則重の子。赤井家臣。助太夫。1578年、明智光秀による鹿集城落城で父を失い、 赤井直正病没後帰農した。本能寺後嫡男吉見治重は織田信包に仕えた。 朝倉光景(土橋吉六、現在地若狭国大飯郡高浜城) 生没年不詳 朝倉義景または景鏡子。溝口秀勝娘を娶る。土橋姓は朝倉景鏡が信長降伏後に名乗った姓だが 景鏡死亡時に息子は全員死亡しているはず?義景子だったら反織田ですね。一応そっちを自称してる 溝口伊織家初代当主。妻の父溝口秀勝の年齢(35歳)考えるとそろそろ元服か 逸見虎清(へんみとらきよ、現在地不明。若狭か?) 生没年不詳 逸見昌経子。若狭武田重臣逸見家の嫡子。信長に仕えていた父が1581年に死亡した後その遺領8,000石のうち、高浜城5,000石は溝口秀勝に、 新知分3,000石は武田元明にそれぞれ分配され信長によって意図的に逸見氏を没落させられたためほぼ確実に浪人 そもそも九州近辺に残ってる人材 塩谷安芸守(えんや、生没年不詳)現在地周防国岩国 塩冶高清の嫡男。但馬海賊衆を率いた父と共に織田と戦ったが破れ父は奈佐日本之助と共に自刃 その後毛利の下に逃げ込み吉川元春の下で60石の家臣となっている 反織田の水軍は地味に少ないので貴重&毛利降伏で居づらいはず&雇いやすい知行レベル 家臣団として塩冶秀詮、塩冶秀国が生存 塩谷高久(?~1633)現在地周防国岩国 兄の安芸守と共に吉川の下に逃げ込んだ。江戸以降も血族が繋がっているのはこちら 兄と一緒についてくるかも? 江原源右衛門(初代長崎屋源右衛門、?~1620)現在地長崎 徳川家康の時代に江戸日本橋にて薬種問屋を営む。将軍拝謁のため江戸にきた長崎のオランダ商館長(カピタン)一行に 定宿(江戸阿蘭陀宿)を提供し、江戸時代250年間その職務についた。長崎出身なので現在は長崎在住 年齢的にまだ商家を自力で持っていないと判断(60前後で亡くなったらしい?現在20歳くらい?) 参考 ttp //yasuda.iobb.net/wp-googleearth_e/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B%E5%8C%97%E3%83%BB%E5%86%85%E7%A5%9E%E7%94%B0%E3%83%BB%E4%B8%A1%E5%9B%BD%E3%83% BB%E6%B5%9C%E7%94%BA-2/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B1%8B%E8%B7%A1 ttp //kotobank.jp/word/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%B1%8B%E6%BA%90%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80%28%E5%88%9D%E4%BB%A3%29 原田孫七郎(生没年不詳)現在地長崎 ガスパル原田。キリスト教徒。原田喜右衛門の一族で手代。フィリピン貿易に従事し,マニラに居住して,スペイン語に通じていた 1591年スペイン領フィリピンに日本国への朝貢を要求する内容の書状を持ってマニラのスペイン領フィリピンの総督 ゴメス・ペレス・ダスマリニャスのもとに出向き交渉したが失敗した。海外情勢に詳しかった 多分大金積まないと引き抜けないかも 村山等安(1566?~1619)現在地長崎 アントン村山。キリスト教徒。文禄の役の際に名護屋に在陣していた豊臣秀吉に謁見し、長崎の地子銀25貫を納めさせる代わりに、 御免地(地子御免除の特別地域)以外の直轄地を預かる長崎代官になりたいと願い、許可された 秀吉の死後も長崎の代官を務め、呂宋壺の他に生糸・印子・金・鉛・水銀などの貿易を行い富を得た 新興の長崎商人と対立して元和5年(1619年)10月26日に江戸で斬首、一族も長崎で処刑された 天正年間に長崎に移住したとされているので、長崎に移ってきたばかりで商売を始めてないと強弁してみる 高田行長(生没年不詳)現在地豊後高田 豊後国府中の高田派の刀工。寛文新刀のひとつ。慶長年間に活躍。高田派は大友氏をパトロンとしたが 耳川以後衰退をはじめ、大友氏改易などで衰退した。江戸期は万人向けの刀を大量に供給して再度繁栄した 現在絶賛パトロン募集中 小山左馬介(生没年不詳)現在地肥後国菊池 1570年前後から活躍した肥後刀工同田貫の1人。銘を九州肥後同田貫、肥後州同田貫、肥後国菊池住同田貫などと切り、 個銘(刀工の名)のある人はこのくらいしか発見できなかった・・・。普通に近場なのでお金で雇いませう 信国助左衛門吉貞(?~1640)現在地豊後国宇佐安心院周辺 刀工。1592年に独自袋槍を開発している。筑前信国派初代。初め吉定、俗名常六、助左衛門。1582年から父と共に浪人 堀川国広(1531~1614)現在地日向 刀工。日向国飫肥に生まれて伊東家に仕える藩士であったが主家没落後諸国を放浪して刀工を続けた 1590年に足利学校で鍛刀。1599年から京堀川一条に定住。1584年2月に日向の飯田新七良藤原祐安に刀をうってるので 現在は日向国内にいる可能性高し
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近江伊賀 尾張伊勢 近江伊賀 玉手箱番号 武将名 レア度 設置施設 備考 1 堀尾吉晴 C 金庫(壱) お市コレクション「+佐久間安政(飛騨)→佐久間信盛」 2 古田織部 C 水田(壱) 3 山田おあん C 市(壱) 4 浅井長時 C 鍛冶屋(壱) お市コレクション「+村上義明(越後)→堀秀政」 5 織田信包 B 鉄砲砦(弐) 6 織田信雄 B 木工座(弐) 7 織田秀信 B 金庫(弐) 主将 森可成 B 金庫(弐) 森蘭丸コレクション「+津軽信牧(陸奥・国主)→池田恒興」 国主 濃姫 S - 無双武将 地方大名 織田信長 S - 無双武将 尾張伊勢 玉手箱番号 武将名 レア度 設置施設 備考 1 北畠具教 C 兵舎(壱) 2 生駒一正 C 鍛冶屋(壱) 3 木造長正 C 兵糧庫(壱) 4 幸田彦右衛門 C 兵舎(壱) 5 前田玄以 C 兵糧庫(壱) 6 河尻秀隆 B 兵舎(弐) 7 佐久間信盛 B 兵舎(弐) お市コレクション「+堀秀政(なし)→織田信忠」 主将 織田信孝 B 鉄砲砦(弐) 国主 森蘭丸 S - 無双武将
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制覇目標 走井餅を食す 三井寺力餅を食す しじみ飯を食す 2012/03/11制覇! 近江に来たので近江神宮を参拝。 今年一年人の輪を大切にできますように。 三井寺前で三井寺力餅を購入。目標1つめ達成。 しじみ飯 湖舟http //www.e510.jp/koshu/ 外からでもしじみの美味しそうな香りが漂ってきます。 はずれなしの予感! 昼食にしじみ飯をいただきました。 期待を裏切らない美味しさ。 メインのしじみ飯以外にも、しじみ入り赤だし、しじみの佃煮としじみ尽くしで、何を食べてもおいしい。大満足です。目標2つめ達成。 大津イメージキャラクターおおつ光ルくんw ほうじ茶ソフト 最初は、お!ソフトクリームなのにさっぱりしてる!と思いましたが、量が多い; 食べ終わる頃には体の芯まで冷えました... 帰りに京都と滋賀の県境にある、走り井餅本家http //www.hashiriimochi.co.jp/で走り井餅を購入し今回のせいは目標をクリアしました。
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兵法書作成 使用アイテム:筆記用具 名前 生産数 材料 甲州軍学書写本 2 甲州軍学書?:1、白紙の本:1 遠州軍学書写本 2 遠州軍学書?:1、白紙の本:1 三河流軍学書写本 2 三河流軍学書?:1、白紙の本:1 尾張流軍学書写本 2 尾張流軍学書?:1、白紙の本:1 美濃流軍学書写本 2 美濃流軍学書?:1、白紙の本:1 越州軍学書写本 2 越州軍学書?:1、白紙の本:1 相州軍学書写本 2 相州軍学書?:1、白紙の本:1 加賀流軍学書写本 2 加賀流軍学書?:1、白紙の本:1 越前流軍学書写本 2 越前流軍学書?:1、白紙の本:1 近江流軍学書写本 2 近江流軍学書?:1、白紙の本:1 伊賀流軍学書写本 2 伊賀流軍学書?:1、白紙の本:1 将軍家軍学書写本 2 将軍家軍学書?:1、白紙の本:1 摂津流軍学書写本 2 摂津流軍学書?:1、白紙の本:1 紀州軍学書写本 2 紀州軍学書?:1、白紙の本:1 参考 軍学書早見表
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―1948年、初冬、日本海軍拠点。 岸壁に腰掛け、夕陽を眺める非常に大柄な女性。 彼女は駿河。金田中佐という人物の発案した、空前絶後の50万トン戦艦だ。 しかし、その巨躯は一度動かすと大量の重油を消費し、また多数ある砲塔も使用後の整備には大変な労力が必要とされた。 巨大なひとつの戦艦で国を守れば良い。この突飛なアイデアを実現してみた代償は、あまりにも大きかった。 実際には、複数の通常型戦艦を分散させたほうが、余程効率的だったのだ。彼女の存在は、日本海軍にとって高い勉強料となった。 さりとて、コストをかけて作った戦艦であり、解体も非常にコストがかかることが試算でわかっていた。 生かそうにも殺そうにも困る駿河は、海軍のお荷物と化していたのだ。 とりあえず、動かさないでおこう。それが、海軍の答えだった。 就役以来ずっとそんな扱いであった。先の大戦でも、そして、今次大戦でも出撃の機会は無い。 彼女はすっかり不貞腐れてしまっていた。 そんな彼女に、声をかける者が居た。 「よぉ!そこに居るのは駿河だろ!なぁ!」 駿河は返事をすることはなかったが、声の主は構わず近付いてくる。 「へへ、大先輩になんて口の効き方だって思ってるかもしれねーけど、悪いがアタイは柄にないことは出来ねえんだ、すまねーな」 彼女は因幡。大和型戦艦と同期であったが、艤装の不調によりやはり出撃する機会に恵まれないでいる戦艦だ。 「はぁー、綺麗だな。アタイたち二人しか見てないなんて勿体ねえよ」 やはり駿河は返事をしないが、因幡は声をかけ続ける。 「な、駿河。アンタ毎日ずーっとここでこうしてるよな。戦うために作られて、戦いに出られないんじゃーな」 駿河はゆっくりと頷く。 「アタイも気持ちは痛いほどわかるぜ!アタイだって調子さえ良けりゃ、大和型の連中だって、近江のジジイだって凌駕できるかもしんねーのによ!」 近江、という単語に駿河はピクッと反応し、因幡を睨む。 「おっ、やっとこっち向いてくれたな。ああ、わりぃ、近江のおっさんはアタイだって尊敬してる。アンタの気を引きたくて言ってみただけさ」 駿河の視点は再び夕陽を見つめる。 「そうだよな、アンタは進水前から近江のおっさんに世話になってたんだよな」 駿河はまた、コクコクと頷く。 「近江のおっさんもだし、金剛型、扶桑型、伊勢型、赤城加賀、長門型に三輪の師匠、狐久里丸に下総に…アンタはいろんなヤツと一緒に過ごしてきたんだと思う」 因幡もまた夕陽を見つめ、少し伸びをする。 「同じ艦船には世話されたり、慕われたり、人並みの愛情を受けてこられたはずだ。だけどよ」 因幡は大きくため息をついた。 「だけどよ、軍の連中はアンタに冷た過ぎだ。アタイの何倍も長い時間、戦いに出さずに居るんだろ」 駿河は目を閉じる。ここで過ごした長い時間を思い出した。 「アタイの勝手な妄想だけどよ、もうじきこの戦争も終いが近いと思うんだ」 海軍では『断号作戦』なる、連合軍艦隊へ仕掛ける規模の大きな艦隊決戦の準備が進んでいた。 そんなことをするのは、終わりが近いからに他ならない。 「それでも、軍の連中はアンタを動かそうって気は無いだろうな……残念なこったけど」 駿河は因幡の言葉を黙って聞き続けていた。 「たぶんアタイも出れないまま終わっちまうんだろうな。その後、この国はどうなっちまうんだか」 終戦後の日本。連合軍がどのように日本を統治するというのだろう。二人には全く想像がつかなかった。 「ま、アタイはいいよ。アタイは白兎神だ。戦艦じゃなくなったとしても帰る場所はある」 そう言うと、因幡は駿河の手に自らの手を重ねた。 「だがアンタは違う。ただ純粋に戦いのために生み出されたのに、その役割を全うできないでいる。このまま終わっちゃいけねえよ」 そのまま手を握る因幡。駿河は戸惑いを覚えていた。 「実はな、アンタを一度海へ出すのに充分なだけの資材を、工廠の使われてない区画にこっそり集めてあるんだ。随分時間がかかったが……」 駿河は驚く表情を見せる。滅多にこんな表情はしない。 「ソイツで、アンタはこの国がどうにかなっちまってから……いや、その前でだって構わない。好きなとこへ行って、好きなことやりな」 因幡はそっと手を放した。 「それがアタイの願いだ。伝えたからな。それだけさ、じゃーな」 駿河の元を離れる因幡。駿河は、離れゆく彼女を何も言わず見守っていた。 このしばらくのち、駿河は基地を抜け出し、英艦隊と遭遇することになる。 これを英艦隊は日本海軍の攻撃とみなし、近隣に展開していた氷山空母ウリエルに対応させ、駿河と激しい戦いを繰り広げることとなった。 だがしかし、それはまた別の話だ。 (おわり)
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金剛輪寺 滋賀県愛荘町、湖東三山のひとつ、金剛輪寺の御朱印です。こちらは近江西国霊場第15番の御朱印「聖観世音」です。 こちらは湖国十一面観音霊場の御朱印です。 近江七福神「大黒天」の御朱印です。 神仏霊場の御朱印です。 いずれの御朱印も堂内納経所でいただきました。 拝観受付のところにも納経所があります。こちらでいただける御朱印は、印影が異なります。肩印も本尊印も、堂内納経所でいただけるものとは別のものでした。 御詠歌の御朱印です。 びわ湖百八霊場の御朱印です。 秘仏御開帳時にいただけた御朱印です。御開帳の印があります。記念の散華にも御朱印をいただきました。 境内の明寿院にていただけた「最古大黒天」の御朱印です。 平成30年湖東三山のキャンペーンでいただけた金紙の御朱印です。 令和元年にいただけた「千躰地蔵尊」です。 ★この寺院にはオリジナル御朱印帳があります。 金剛輪寺の御朱印帳です。寺名の記載はありませんが、表紙裏には十一面観音様の御姿が印刷されています。サイズは16cm×11cmです。 ★住所 滋賀県愛知郡愛荘町松尾寺874 -
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登録日:2010/10/29 Fri 13 35 12 更新日:2024/06/29 Sat 00 04 05NEW! 所要時間:約 14 分で読めます ▽タグ一覧 117系 153系 221系 223系 225系 JR京都線 JR神戸線 JR西日本 アーバンネットワーク 列車 新快速 特急殺し 琵琶湖線 看板列車 種別 鉄道 電車でGO! A 新快速 12号車 姫 路 HIMEJI Special Rapid Service 新快速(しんかいそく)とは、鉄道における快速列車の種別の一つ。2024年現在、JR西日本とJR東海の2社で設定されている。 一口に「新快速」と言えども、JR西日本とJR東海のそれでは生い立ちから設定理由に至るまでの全てに違いがある。 本項ではJR西日本の新快速について解説する。 ◆概要 京阪神地区の東海道・山陽本線(案内上の名称は琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)で運行される最速達種別である。 速度、早さ、利便性、快適性などの全てにおいてトップクラスの評価を受けており、京阪神間の都市間輸送列車として通勤・通学から行楽までの様々な用途に対応する。 首都圏で運行される「特別快速」に相当する種別で、英語表記も特別快速と同じ「Special Rapid Service」だが、新設される列車らしいインパクトが欲しいとの要望からこの名称となった。 特にJR化以降の運転時間および運転区間拡大、最高速度の向上と停車駅の追加、更にそれに伴う緩急接続の強化などが尽くヒットし、阪急電鉄や阪神電車、京阪電車といった並走私鉄他社から乗客を奪還することに成功。一躍アーバンネットワークの看板列車となり、JR西日本になくてはならない存在となった。 近年では京阪神地区を走るJR線の通称としても使用されていることからも、本列車のポピュラーさがうかがえるだろう。 反面、運転区間が広範囲(最長で福井県の敦賀駅から兵庫県の播州赤穂駅まで)に及ぶことから他線区のダイヤの乱れを持ち込みやすいことや、 利用者が集中するにも関わらず、短い両数の列車が存在して乗降に時間が掛かり、新快速自身が遅延の発生源となっていることが問題視されている。 このうち、後者については12両編成での運転時間の拡大で解消に努めており、2017年のダイヤ改正でほぼすべての列車が米原〜姫路間で12両編成となった。 2019年春からは、並行する京阪特急の「プレミアムカー」に次いで有料着席サービスの「Aシート」のサービスを開始。 京阪神間における同様のサービスは1980年に廃止された快速のグリーン車以来となるが、こちらは普通車の指定席扱いとなっている。 ◆ダイヤ 朝夕ラッシュ時と早朝深夜を除き、毎時4本が運転される。 日中だと、京都方は1本が湖西線経由の敦賀発着、1本が野洲発着、1本が長浜発着、1本が琵琶湖線経由の近江塩津発着であり、神戸方は全列車姫路発着である。 それ以外の時間帯には琵琶湖線経由の敦賀、大阪、米原、近江今津、永原、草津、網干、上郡、播州赤穂発着(永原、草津は始発のみ)の列車が設定される。 12両編成で運転されるのは米原〜網干間と近江今津〜山科間のみであり、それ以外の区間まで足を伸ばす列車は途中の駅で増解結を行う。この関係上、始発駅で乗車した車両が列車の終点まで行かない場合がたまにある。 また、京都駅で前8両を米原行き、後ろ4両を湖西線経由敦賀行きに分割する列車と、米原駅で長浜発の列車(米原まで普通)と近江塩津発の列車を連結する多層建て列車が平日1日1本ずつある。 9時30分から22時までの新快速は上下ともに大阪駅と京都駅を0分・15分・30分・45分に発車する。ただし、17時〜19時台は大阪始発列車が京都方へ3本、神戸方へ5本、15分間隔で挟まる。この始発列車は8両編成で運転される。 朝ラッシュ時は8〜10分間隔で運転される。 緩急接続は多くの列車が京都駅で京都発着の普通に、大阪駅で普通に、加古川駅で快速(毎時2本は加古川始終着)に連絡する。 これに加えて野洲発着の快速は米原方面発着の新快速に、野洲発着の新快速は米原方面発着の快速にそれぞれ野洲駅で連絡する。湖西線経由敦賀発着の列車は下りが大津京駅、上りが堅田駅で普通に連絡する。 また、米原を通る新快速は基本的に米原駅で大垣方面の列車と接続し、姫路発着の新快速は約半数が姫路駅で播州赤穂行きまたは上郡方面への列車と接続する。 ◆歴史 1970年 10月1日、京都~西明石間に設定される。当初は首都圏から転属してきた113系を使用し、10時から15時までの間に60分間隔で運転されていた。 ▼当時の停車駅 京都‐大阪‐三ノ宮‐明石‐西明石 1971年 4月26日、運転区間の東端が草津駅となる。 ▼当時の停車駅 草津‐石山‐大津‐京都‐大阪‐三ノ宮‐明石‐西明石 1972年 3月15日、使用車両を山陽新幹線岡山開業によって余剰となった153系に変更。運転間隔が15分となり大増発される。うち1本は姫路駅発着となる。 ▼当時の停車駅 ()内の駅は姫路駅発着列車のみ通過 草津‐石山‐大津‐京都‐大阪‐三ノ宮‐明石‐(西明石)‐加古川‐姫路 1973年 10月1日、姫路駅発着列車が毎時2本に増発される。 1974年 7月、湖西線への直通運転を開始。 1978年 10月2日、神戸駅が停車駅に追加される。 ▼当時の停車駅 ()内の駅は姫路駅発着列車のみ通過 草津‐石山‐大津‐京都‐大阪‐三ノ宮‐神戸‐明石‐(西明石)‐加古川‐姫路 1980年 1月22日、老朽化した153系の置き換えおよび阪急6300系・京阪3000系(初代)に対抗するべく、新型車両117系の投入を開始。当時の最高速度は110km/h。 7月9日、117系が20編成揃い、全ての新快速が117系での運転となる。153系は一部の車両が廃車となったほかは、塗装を湘南色にして首都圏などに転属した。 1985年 3月14日、内側線の最高速度向上により、停車駅に新大阪駅が追加。 朝夕に彦根駅発着の新快速が登場し、更に1往復が外側線走行となる。草津駅発着列車も日中毎時2本となる。 ▼当時の停車駅 「…」はこの間各駅停車、()内の駅は姫路駅発着列車のみ通過 彦根…草津‐石山‐大津‐京都‐新大阪‐大阪‐三ノ宮‐神戸‐明石‐(西明石)‐加古川‐姫路 1986年 11月1日、国鉄最後のダイヤ改正。 外側線が大阪鉄道管理局に開放され、新快速全列車を外側線走行(新大阪~大阪間のみ内側線)に変更。これによって新快速・快速・普通の全ての種別において所要時間が短縮される。 外側線走行になったことによって西明石駅での折り返しが難しくなったため、全列車を姫路駅発着とし、西明石駅を全列車停車駅に昇格。 彦根駅発着列車を日中にも設定し、草津駅以東でも快速運転を開始する。山科駅が停車駅に追加される。 ▼当時の停車駅 彦根‐能登川‐近江八幡‐野洲‐守山‐草津‐石山‐大津‐山科‐京都‐新大阪‐大阪‐三ノ宮‐神戸‐明石‐西明石‐加古川‐姫路 1988年 3月13日、JR化後初のダイヤ改正。夕方ラッシュ時に10往復増発され、米原駅発着列車が登場する。 ▼当時の停車駅 米原‐彦根‐能登川‐近江八幡‐野洲‐守山‐草津‐石山‐大津‐山科‐京都‐新大阪‐大阪‐三ノ宮‐神戸‐明石‐西明石‐加古川‐姫路 1989年 3月11日、遂に朝ラッシュ時に新快速が登場。 最終列車を神戸方面・京都方面ともに大阪駅23時発に繰り下げ、現在の新快速が終日に渡って運転されるダイヤの基礎を作る。 琵琶湖線の運転区間が全列車彦根駅から米原駅に変更される。 増発された新快速用と、新生JRのイメージリーダーとして221系投入開始。 1990年 3月10日、日中の停車駅に高槻駅と芦屋駅が追加される。 最高速度の向上(110km/h→115km/h)により、所要時間は変わらず。京都駅以東で内側線運転に戻る。 ▼当時の停車駅 ()内の駅は日中のみ停車 米原‐彦根‐能登川‐近江八幡‐野洲‐守山‐草津‐石山‐大津‐山科‐京都‐(高槻)‐新大阪‐大阪‐(芦屋)‐三ノ宮‐神戸‐明石‐西明石‐加古川‐姫路 1991年 3月16日、早朝と深夜の1往復を除く新快速全列車が221系での運転となり、120km/h運転を開始する。大阪~新大阪間を内側線走行に変更。 9月14日、北陸本線米原‐長浜間が直流電化され、長浜駅への直通運転を開始する。 ▼当時の停車駅 「…」は各駅停車区間、()内の駅は日中のみ停車 長浜…米原‐彦根‐能登川‐近江八幡‐野洲‐守山‐草津‐石山‐大津‐山科‐京都‐(高槻)‐新大阪‐大阪‐(芦屋)‐三ノ宮‐神戸‐明石‐西明石‐加古川‐姫路 1992年 3月14日、117・221系の組成変更完了に伴い、これまで6両編成が基本であった新快速を8両編成または12両編成での運転に変更する。 1995年 1月17日、阪神・淡路大震災で被災。JR神戸線が寸断され、当日は全線で運転見合わせ。 1月18日、JR神戸線・大阪~尼崎間、西明石~姫路間で運転再開。新快速は琵琶湖線・JR京都線方面のみ大阪発着で運転。 1月25日、JR神戸線・尼崎~芦屋、須磨~西明石間運転再開。芦屋までの運転再開に伴い、大阪~甲子園口間普通で新快速運転再開。 2月8日、JR神戸線芦屋~住吉間、神戸~須磨間運転再開。新快速は芦屋発着で正式に運転再開。 2月9日、大阪~芦屋間で快速が運転を再開したため、新快速を住吉発着に変更。後にも先にも新快速が正式に住吉に停車したのはこの時限りである。 3月16日、復旧工事の難航していた六甲道駅周辺の復旧工事がほぼ完了し、JR西日本が運輸省(当時)の審査に合格すれば3月下旬~4月上旬にJR神戸線の運転を再開すると発表。 3月30日に検査が実施され無事にこれをパス。 4月1日、JR神戸線が全線で運転を再開し、阪神・淡路大震災から復旧。 阪神間での復旧1番乗りであり、乗客の集中が予測されたことから各地から余剰車を集めてラッシュ時に臨時新快速を設定。8分等間隔で運転する。 8月12日、各地の余剰車を返却するため、130km/h運転可能な223系1000番台投入開始。 私鉄各社の復旧後も臨時新快速の運転を継続。 9月1日、平日朝晩を除いて新快速全列車が高槻駅・芦屋駅停車となる。 夕方の姫路方面行き新快速が18時30分~19時15分の間で7.5分間隔運転となる。 1996年 3月16日、湖西線の運転区間が近江今津駅または永原駅まで拡大され、快速運転が復活。大半の米原発着列車を長浜発着とする。 朝夕ラッシュ時の臨時新快速を定期列車に格上げ。21時台が15分間隔での運転となる。 ▼湖西線内の当時の停車駅 「…」は各駅停車区間 京都‐山科‐西大津‐比叡山坂本‐堅田‐近江舞子…近江今津…永原 1997年 3月8日、JR東西線開業に伴い、尼崎駅を停車駅に追加。また、高槻駅が終日停車となる。 ▼当時の停車駅 「…」は各駅停車区間、()内の駅は平日朝晩のみ通過 長浜…米原‐彦根‐能登川‐近江八幡‐野洲‐守山‐草津‐石山‐大津‐山科‐京都‐高槻‐新大阪‐大阪‐尼崎‐(芦屋)‐三ノ宮‐神戸‐明石‐西明石‐加古川‐姫路 1999年 5月10日、223系2000番台を新快速に投入し、朝ラッシュ時の新快速を223系に統一。 草津駅‐西明石駅間で通勤電車としては国内最速にして史上初となる130km/h運転を開始する。 この改正で、1往復だけ残っていた117系による新快速が223系に置き換えられ、117系は定期新快速運用から撤退。 2000年 3月11日、新快速全列車を223系に統一し、米原駅‐姫路駅間で130km/h運転を開始。 この時の所要時間が現時点における京阪神圏新快速の最速記録である。 221系は定期新快速運用から撤退し、アーバンネットワーク各線の快速のサービスアップのために散らばって行った。 2003年 12月1日、芦屋駅を終日停車駅に格上げ。朝ラッシュ時の快速を223系に統一して時速130km運転とし、芦屋駅での新快速待避を解消。 ▼当時の停車駅 「…」は各駅停車区間 長浜…米原‐彦根‐能登川‐近江八幡‐野洲‐守山‐草津‐石山‐大津‐山科‐京都‐高槻‐新大阪‐大阪‐尼崎‐芦屋‐三ノ宮‐神戸‐明石‐西明石‐加古川‐姫路 2004年 10月16日、朝ラッシュ時に増発。京都方面から大阪駅に8分に1本新快速が運転されるようになり、快速と合わせて大幅な増発を実現。 2005年 3月1日、日中にも赤穂線・播州赤穂まで直通運転を開始。 加古川駅高架工事完成によって加古川駅がこれまでの2面3線から2面4線となったことにより、下りは加古川駅、上りは東加古川駅で実施していた普通の新快速待避駅を加古川駅に統一。上下とも加古川駅での新快速と普通の緩急接続が実現。 ▼当時の停車駅 「…」は各駅停車区間 長浜…米原‐彦根‐能登川‐近江八幡‐野洲‐守山‐草津‐石山‐大津‐山科‐京都‐高槻‐新大阪‐大阪‐尼崎‐芦屋‐三ノ宮‐神戸‐明石‐西明石‐加古川‐姫路…播州赤穂 2006年 3月18日、前年4月25日に発生した福知山線脱線事故を受けて、余裕時分の大幅な追加などダイヤの全面的な見直しを実施。 大阪~三ノ宮間が事故前の19分から20分に、大阪~京都間が27分から28分に、大阪~姫路間が57分から1時間1分となる。 10月21日、湖西線・永原~近江塩津間、北陸本線・長浜~敦賀間が直流電化され、新快速が直通運転を開始。 ▼当時の停車駅 「…」は各駅停車区間 <北陸本線、琵琶湖線、JR京都線、JR神戸線> 敦賀…米原‐彦根‐能登川‐近江八幡‐野洲‐守山‐草津‐石山‐大津‐山科‐京都‐高槻‐新大阪‐大阪‐尼崎‐芦屋‐三ノ宮‐神戸‐明石‐西明石‐加古川‐姫路…播州赤穂 <湖西線> 敦賀…近江舞子‐堅田‐比叡山坂本‐大津京‐山科‐京都‐(以西上記と同様) 2009年 3月14日、深夜時間帯の快速の一部を吸収して増発。0時台にまで運転時間帯が拡大される。 最終列車は上下とも大阪駅0時25分発で、下りが西明石行き、上りが京都行きである。 下り西明石行きは西明石到着後の回送の関係上、兵庫~西明石間で電車線走行となる。 この区間の電車線に新快速が走るのは、1986年11月のダイヤ改正以来23年ぶり。 2010年 12月1日、新型車両225系が投入される。営業初日から新快速運用にも入っている。 2011年 3月12日、全ての新快速が新たに南草津駅に停車。 225系の投入によって8両固定編成が増え、実現可能となったことから土曜・休日ダイヤの新快速を終日12両編成で運転。新快速の混雑緩和が図られている。 2013年 3月16日、夕方ラッシュ時下りに大阪駅発の新快速を2本増発し、7.5分間隔での運転時間帯が17時45分~19時15分の1時間30分に拡大。 225系8両編成が7本出揃ったことにより、朝ラッシュ時の全ての新快速と夕ラッシュ時以降の大阪駅発の新快速を除く全ての新快速が12両編成での運転となる。 12月8日、新大阪駅の配線改良により、新大阪-大阪でも外側線で走行するようになる。 2016年 3月26日、高槻駅の最優等種別専用ホームが使用開始され、高槻で普通と新快速の緩急接続ができなくなった。芦屋と三ノ宮での緩急接続も廃止された。 また、昼間の播州赤穂発着列車が姫路で分離され、日中はすべての新快速が姫路折り返しになった。 2017年 3月4日、路線記号導入により、種別幕更新。湖西線経由のものは B 、その他には A が付記されるようになった。 また、ごく一部の列車を除き米原〜姫路間で終日12両運転されるようになった。 2018年 3月17日、休日午前の時間帯の新快速を2本増発。 これまで湖西線から京都・大阪方面へ向かっていた新快速2本を大阪行きとし、新たに草津発の新快速を2本新設した。 これにより、琵琶湖線の草津-大津では休日9時・10時代は時間あたり3本から4本、JR京都線内では時間あたり5本の新快速が走る。 2019年 3月16日、一部の新快速の9号車に有料座席車「Aシート」の連結開始。 料金は均一で500円。当初は自由席式となっていた。運行本数は1日2往復。 2022年 3月12日、「Aシート」の全席指定席化。 2023年 3月18日、225系の新造車導入に伴い、「Aシート」連結列車が6往復に拡大。 ◆歴代の使用車両 定期新快速 初代 113系 1970年10月1日~1972年3月14日 2代 153系 1972年3月15日~1980年7月8日 3代 117系 1980年1月22日~1999年5月9日 4代 221系 1989年3月11日~2000年3月10日 5代 223系1000・2000番代 1995年8月12日~現役 6代 225系0・100番代 2010年12月1日~現役 臨時新快速 113系 117系 221系 神戸ルミナリエの時期の定番。しかし2013年は体質改善工事施工で余裕がないため、223系6000番代にその任を譲り充当されていない。 関西の鉄道ファンからは体質改善工事施工車の臨時新快速充当が待たれている。 207系 2004年5月に運転されて以来しばらく運転がなかったが、2013年8月18日にサザンオールスターズのライブ開催に伴う臨時新快速運転の際に久々に充当。 321系 2013年8月19日に神戸で開催されたサザンオールスターズのライブに伴う臨時新快速運転の際に初充当。 321系の新快速充当により、JR神戸・京都線・琵琶湖線・湖西線を営業運転で走る全ての通勤・近郊形電車が新快速への充当歴を持つこととなった。 223系 6000番代(網干総合車両所・宮原支所 所属車) 2013年冬の神戸ルミナリエ開催に伴う臨時新快速で初登場。 現在221系に余裕がないことから221系に代わる臨時新快速用車両として今後の充当が期待される。 通常の223系とは異なる2基のパンタグラフ、貫通扉と乗務員用扉のオレンジラインが識別ポイントである。 追記・修正はホーム上で大阪に先着する列車を確認してからお願いします。 A 新追記 1 項目 修 正 CORRECTION Special Editor Service △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 学生・サラリーマンの味方。 -- 名無しさん (2014-06-29 10 56 46) タグの痴漢車両って何?詳細教えて -- 名無しさん (2014-07-08 16 44 37) 名前 コメント
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若狭街道 鯖街道と総称される道はもともと若狭や美浜と京を行き来した若狭越えの道であったもののようで、その範囲は概ね、琵琶湖西岸(水路としての琵琶湖を含む)と、頭巾山から長老ヶ岳にかけて連なる峰の間のようである。 西近江路全線を鯖街道とするのならば日本海側は敦賀から高浜辺りの港町が起点の範囲になりそう。 現在鯖街道と言えば、小浜市から(国道162号、)国道27号線、国道303号線、国道367号線(、川端通)を経て出町柳へ至るこの若狭街道のことらしい。 一応、起点は小浜市のいづみ町商店街、終点は出町商店街にある。 終点のほうは、この商店街と言うよりも出町橋にある鯖街道口のほうが分かりやすく明確で終点らしいため、ここでは出町橋とする。 休日に自転車で行きたくも無いし。 起点にしても、商店街内部より、小浜駅前辺りのほうが街道口としては分かりやすく明確で起点らしいと思う。 こちらは休日閑散としているが、やはりどこかひとつの商店街の一点をそうするのはどうも違う気がする。 ちなみに出町橋は左京区と上京区の境界だが、出町商店街は上京区のため、左京区までとするとやはり出町橋終点が合う。 花折トンネル北にあるトンネルは全て旧道?により回避できる(国道を行くよりしんどい、特に登りは)。 鯖街道は、当時のルートを今でもたどることが出来るが、自転車でそれを往復するには貧弱な自分の場合、2日がかりになりそう。 自転車ではなく、走ることによってこのルートを走破する鯖街道マウンテンマラソンというものもある様。 コンパートメント症候群なんかでなければ、マラソンに関係なくチャレンジしてみても良かったが。 道の駅 若狭熊川宿、くつき新本陣 峠 水坂トンネル(or水坂峠)、檜峠、花折峠orトンネル、途中越 道所在地 福井県小浜市~若狭町、滋賀県高島市~大津市、京都市左京区 距離 片道74.64km、往復149.28km 路面距離 多分片道75km、往復150kmぐらい 最大標高 488m 最大標高差 498m(!?) 平均勾配 スタート いづみ商店街or小浜駅前交差点 ゴール 出町橋 地図 ルート地図 出町橋起点終点往復 出町橋から 舗装状態 良好 路面状況 概ね良好だが一部砂利類多め 交通量等 多い 水坂トンネルも1つと数えると、4つの峠を超える。 峠が2つずつセットになっている。 平均勾配はマイナス。 車、バイクともに多い。 迂回出来るトンネルが多い。 いづみ町商店街から 舗装状態 良好 路面状況 概ね良好だが一部砂利類多め 交通量等 多い こちらのルートが道としては順路。 平均勾配はプラス。 なんとなく道の雰囲気が名前負けしている感じがする。 鯖街道の内、京都市内と小浜市をつなぐ国道メインのルートは他にもR162の周山街道と、R161とR303メインの琵琶湖西岸を廻る西近江路がある。 距離が長く、コースの雰囲気無視で登りが少ないという意味で楽な道が良ければ、西近江路。 距離が短く、雰囲気そこそこヒルクライムもそこそこなら、若狭街道。 距離が長く、峠越えも多いが、雰囲気も良いのが周山街道。 国道メインのルートでは、一番きついけど周山街道が一番好き。 西近江路のR161、R367それぞれの交差点間のR303は走った事が無い。 走行ルート 出町橋から いづみ町商店街から 未走行ルート 無し いづみ町商店街内にある鯖街道起点の石。 この方向に進むと商店街を出てr14に入る。 商店街を出たところで小浜駅側へ左折し、駅からは国道をたどる。 出町橋西詰めにある石柱。 鯖街道の終点。