約 541,754 件
https://w.atwiki.jp/wiki11_navyfield/pages/161.html
戦闘機の戦術 BB乗りからの御言葉 一説では、現在最も戦闘の勝敗に関係するのは、BBの腕と、CVの戦闘機とそれを操作する腕です。 確かにBB5は強力ですが、相手の位置が判らなければ強力な戦闘力を生かせません。 逆転の発想で、最前線に戦闘機を配備し敵の視界を無くせば、相手BBの攻撃を著しく制約できます。 敵の爆雷機も、戦闘機の餌食にしてしまえば良いのです。 ただし戦闘機のみの編成をする場合は、火力的な援助ができないので、 戦CVがどんなに強力でも、肝心のBBにそれを生かして十分に働く腕前が無ければ、戦CVの効果も失われます。 攻撃を放棄して他艦に託す意味から、他人に依存する度合いが大きく、 特に不特定多数が集まる一般戦や大艦隊などでは、 集まった面子によって大きく左右されるゆえに博打要素が高く、戦略という観点からは今ひとつです。 爆撃/雷撃Pを2人ほど乗せておけば、戦略的にも多少安定し、戦術の幅も広がります。 戦のみCVは、事前にしっかりと打合せや準備のできるギルド戦や港湾戦、リーグ戦などでこそ その真価を発揮するといえるでしょう。 運用法について 戦闘機は基本的に、相手偵察機を落とすことに専念しましょう。 戦闘機を相手にするときは、少し戦ってみて、どちらが強いか確認して、 自分が強ければ積極的に戦い、弱い場合は極力避けたほうが良いです。 戦闘機を運用するとき、爆雷の警戒を怠らないように。 敵CVの位置が判ると、爆撃コースの判定が楽になります。 また、味方の視界が足りない場合は戦で補ってあましょう。 敵CVが全滅しているなら、1機だけ出せば良いでしょう。 LV80以上でなければ対戦闘機には厳しいです。 それ以下の場合は、偵察落しを優先し、基本的に対戦闘機は避けましょう。 (Lv100を超えると対戦闘機も楽になります。) もし対峙してしまったり、対峙させないといけないときは、 ①敵戦が追尾してきたら、(機銃が強い)味方船舶の方に誘導しつつ高度を下げる。 ②巴戦に持ち込み、弾切れをおこさせて無力化させる。 ③どうしても高いLVの戦を落としたい場合には、相手の3倍できれば4倍の数だと大体勝ちます。 など、対策の取りようはあります。 基本的に、味方AA艦の射程内で攻撃していると、砲撃されます。 巻き添えを避けるために、味方の前、ちょうど敵BBと味方BBの間あたりを飛ぶようにしましょう。 攻撃前の爆雷を追尾中の場合は損失覚悟で味方AAに"撃たれる"ことも大切です。一応火力ですから。 戦闘機が味方に落とされるのは当たり前です、覚悟しておいてください。 戦闘機の配置場所 ①味方主力艦前方→味方移動や敵CV移動による調整を忘れずに。 ②敵AAが弱い場合、敵主力の上空で偵察機に圧力をかけるのもよいでしょう。 ③敵の爆雷飛来コースに配置して、早いうちから攻撃する。 ④敵CV上空あるいはやや味方よりの位置で艦載機発進を封鎖。 など。 その他状況に応じて柔軟な運用が求められます。 注意事項 偵察機を低空で運用し、戦を低空に誘い込み、機銃で落とす船も増えています。 英米CVはこれをやられると高LVでも全滅しますから、低空に釣り込まれないように注意してください。 また、封鎖中には相手CVの発進準備が完了しているので、燃料切れ→敵機発進の流れでピンチを招くので注意。 一部のCVには帰還するフリをして、相手が発進したところに襲い掛かる手口が通用する場合があります。 自分や護衛対象の付近には、滅多なこと(全滅間際とか)がなければ配置しないでください。 戦闘機ラヴなCV(戦CV)について 戦CVとは、爆撃Pや雷撃Pを搭載せず「戦だけ」で戦うCVのこと。 ただし、爆撃や雷撃Pが一人、ないし二人積んだ「戦寄りCV」は、戦略の幅が広がるので一考の価値あり。 ①心構え 戦CVは味方の攻撃によって勝利するものである。 戦CVはそれをわきまえて"謙虚"でなければならない。 勝ったら味方のおかげであり、"負けたら自分のせい"である。 WISで叩かれても謙虚に受け止めるのがよい、ただしやるならば徹底せよ。 待機時は沈黙せよ。自ら「戦だけ」などと言ってはいけない。相手が気づかない場合もある。 戦CVが嫌いな人は比較的多い。支配力が強く、戦CV以外のみんなが楽しめないことが多い割に 攻撃は他人任せになるからなど。 特に大型CVでの戦のみは、晒されることは覚悟せよ。 注意事項 戦闘機は、爆雷機に比べて、戦力値が極端に低く設定されています。 (戦力値→大艦隊Ⅱでのオートバランスの基準、大艦隊Ⅱ入室で確認できる。) よって、戦CVは極端に"バランスを崩し"、戦闘を無味乾燥なものにする恐れがあることを念頭に置いて行動してほしい。 ②作り方 材料: 戦P:3~6人 少なくても3人は高LVであることが望ましい CV:1隻 CV2ぐらいがおすすめ。 戦闘機:2次、3次はお好みで 2次:機銃に強くねばりあり。対偵爆雷は並、対戦闘機は3次に匹敵。発艦準備早め。燃料切れ早し。 3次:速度あり。高火力。対偵爆雷向き。戦闘機にも強し。 ③戦い方 とにかく戦を出す。偵察を落とす。前線に送る。敵BB上空に張り付く。CVに張り付く。敵視界を潰し、味方視界を確保。以上。 帰還させる・させないは考え方によるが、戦は自動追尾機能つきAAミサイルと割り切って使うのも一つの手だ。 燃料切れで帰還を始めたら、奥に突っ込ませると視界確保・CV探索・発進したばかりの敵爆雷迎撃などの効果が期待できる。 途中、相手戦にLV負けしてもめげない。量で勝負。相手も戦CVでなければ、向こうが先に戦切れを起こす。 ムラなく発進させた上、戦うときは1箇所に集中させると、強力な戦い方ができる。
https://w.atwiki.jp/assault_lily/pages/170.html
御台場迎撃戦第5部隊 御台場迎撃戦にて、最後に大ボスである「巣無しのアルトラ」を討つ予定だった部隊。隊長は野口志奈乃。(*1) しかし、作戦の途中であまりの快進撃に勢いづき過ぎてしまい、那賀大串女学園の面々がヒュージの陽動につられ深追いをし、千田昊苺が負傷するという、御台場迎撃戦中唯一にして最大の失態を犯してしまった。 失地回復を計り、川端蛍が避難民のルート確保のためヒュージを堰き止める戦いを提案、辰巳橋(*2)の上に陣取った。 大型ヒュージこそいなかったもののおびただしい数の小型ヒュージが出現、中には特型のミドル級も混じっていたため、全員戦死を覚悟し、文字通り必死に戦った。 第5部隊の救援に駆けつけたのは第3部隊であり、共に死線を潜り抜けたため、この2つの隊のリリィは仲が良い。 メンバー 名前 レアスキル ポジション 所属ガーデン ヘッドライナー 千田昊苺 円環の御手 AZ 那賀大串女学園 吉村・Thi・梅 縮地 AZ/TZ 百合ヶ丘女学院 川端蛍 円環の御手 AZ/TZ 御台場女学校 遠野捺輝 円環の御手 AZ/TZ 百合ヶ丘女学院 佐々木靖奈 ルナティックトランサー TZ 那賀大串女学園 大角梓氣 TZ 百合ヶ丘女学院 野口志奈乃 レジスタ TZ 那賀大串女学園 宮本煌椋 レジスタ TZ/BZ イルマ女子美術高校 団塚英里彩 ヘリオスフィア BZ 那賀大串女学園 サブメンバー 中林海七 円環の御手 TZ イルマ女子美術高校 初期ポジション 戦術 佐々木靖奈はルナティックトランサーと軍神の加護を持ち、「狂気の司令塔」をこなした。 戦績
https://w.atwiki.jp/generation-genesis/pages/236.html
効果 発動ユニット 習得キャラクター 備考 効果 Lv ACEPOINT ACEPOINT累計 備考 1 - - 戦闘機系のユニットに搭乗した時、攻撃力+20 2 700 700 戦闘機系のユニットに搭乗した時、攻撃力+20、機動力+10 3 1500 2200 戦闘機系のユニットに搭乗した時、攻撃力+25、機動力+10 4 2400 4600 戦闘機系のユニットに搭乗した時、攻撃力+30、機動力+15 5 3400 9000 戦闘機系のユニットに搭乗した時、攻撃力+40、機動力+15 MAX 4500 13500 戦闘機系のユニットに搭乗した時、攻撃力+50、機動力+20 発動ユニット + 戦闘機系 作品 機体名 機動戦士ガンダム コア・ファイターコア・ブースターパブリクドップドップ(ガルマ・ザビ機)ガトル MSV セイバーフィッシュ 機動戦士ガンダム MSIGLOO 黙示録0079 コア・ブースターII インターセプトタイプ 機動戦士ガンダム 第08MS小隊 ジェット・コア・ブースター戦闘ヘリ【ジオン公国軍】 ジオニックフロント 機動戦士ガンダム0079 戦闘ヘリ【地球連邦軍】 機動戦士Ζガンダム Gディフェンサー 機動戦士ガンダムΖΖ コア・ファイター【ΖΖガンダム】 GGENERATIONシリーズ ギャプラン改 習得キャラクター 作品 キャラクター 習得Lv 備考 機動戦士ガンダム セイラ・マス 10 スレッガー・ロウ 1 リュウ・ホセイ 14 機動戦士Zガンダム ベルトーチカ・イルマ 1 カツ・コバヤシ 3 Gジェネオリジナル ジュナス・リアム 14 備考 コアファイターのようなただの戦闘機以外にもヘリやギャプラン改が対象。Zやリゼル等可変型MSは変形しても対象外。
https://w.atwiki.jp/assault_lily/pages/169.html
御台場迎撃戦第4部隊 御台場迎撃戦にて、後詰として第1部隊の後方に配置されていたが、第5部隊の失態をカバーするために市民の避難ルートと最終防衛線の維持を担当した部隊。(*1) 隊の中心となったのはメルクリウスのティシア・パウムガルトナー。新海千景、黒木・フランシスカ・百合亜の才能を引き出し開花させた。(*2) 大型ヒュージや変種ヒュージの討伐などの「リリィとしての功名」は他部隊に譲ったが(*3)、市民を守るために、また仲間たちがアルトラ級との戦いを有利に進められるように活躍したため「栄光の第4部隊」と称えられた。(*4) 時間制限付きの厳しいミッションも多く、控えメンバーを含めて負傷者を出しながらも全力で戦った。(*5) メンバー 名前 レアスキル ポジション 所属ガーデン ヘッドライナー 新海千景 ルナティックトランサー AZ アルケミラ女学館 曽我菘 フェイズトランセンデンス AZ/TZ 御台場女学校 西郷紅 ルナティックトランサー AZ/TZ 御台場女学校 今川誉 円環の御手 AZ/TZ 百合ヶ丘女学院 弘瀬湊 円環の御手 TZ/BZ 御台場女学校 黒木・フランシスカ・百合亜 テスタメント TZ ルドビコ女学院 山梨日羽梨 レジスタ TZ 百合ヶ丘女学院 リーアリデル・エッシェンバッハ ファンタズム BZ 聖メルクリウス ティシア・パウムガルトナー 円環の御手 BZ 聖メルクリウス サブメンバー 本間秋日 ヘリオスフィア BZ 神庭女子藝術高校 小津一二三 アルケミラ女学館 伊丹桜織 アルケミラ女学館 (青海地区死守戦に参加) 竹久央 円環の御手 AZ 御台場女学校 河鍋薺 ファンタズム AZ 御台場女学校 初期ポジション 戦術 戦績 青海地区死守戦:御台場迎撃戦終盤、内陸に上陸しようとするヒュージの侵攻阻止と一般市民の避難完了までの時間稼ぎを要求された死闘(*6)
https://w.atwiki.jp/namacha/pages/254.html
■MiG-21PF性能緒元 重量 5,150kg 全長 14.10m 全幅 7.15m 全高 4.71m エンジン ツマンスキーR-11 6,120kg 1基 最大速度 マッハ2.1 航続距離 1,600km 上昇限度 19,000m 武装 Gsh-23L 23mm連装機関砲 R-3赤外線誘導空対空ミサイル(AA-2 Atoll) 各種爆弾等最大2,000kg 乗員 1名 MiG-21(NATOコード:Fishbed/フィッシュべッド)は旧ソ連(ロシア)で開発された近距離迎撃戦闘機である。ミコヤン・グレビッチ設計局で1954年から開発が始まり、後退角付きの主翼を持つYe-2とデルタ翼のYe-4が試作され、これを元にさらにYe-6が開発されてMig-21の原型となった。Ye-6は1957年に初飛行に成功、1958年からMiG-21として生産が承認された。MiG-21は世界中に輸出され、各型合わせて10,000機以上が生産されたといわれる。現在でも東欧やアフリカで第1線戦闘機として使用されている。 MiG-21は機体が軽量・小型で取り扱い易く、素晴らしい運動性能を持つ戦闘機である。翼端を切り落としたデルタ翼を中央に配し、機首にショック・コーン付きの空気取り入れ口を持つ。ショック・コーン内にレーダーを装備するが、大きさが制限されるためアンテナの小さな物しか搭載できず、これがMiG-21の弱点の一つとなっている。MiG-21PF(NATOコード:Fishbed-D/フィッシュベッドD)は最初の全天候型MiG-21で、R2L「ハイ・フィックス」全天候レーダーを装備している。またエンジンをR-11F-2SV-300に換装し、さらにドラッグ・シュートやKAP-2K自動操縦システムを新たに装備、コックピット後方のドーサルも大型化されて燃料搭載量が増加している。MiG-21PFMフィッシュベッドFはさらに操縦席周りを大幅に改良し、KM-1射出座席を装備したタイプ。キャノピーが前ヒンジ型から右ヒンジの横開きになり、機関砲ポッドも携行可能になった。 北朝鮮はソ連からMiG-21PF/PFMを200機以上供与されたとされている。また中国からもMiG-21の中国版コピーであるF-7B(J-7II/殲撃7II)を供与されたようだ(数量不明:30~50機程度?)。そのうち現在稼動状態にあるのは約120機といわれ、北朝鮮空軍戦闘機の主力を成していると思われる。MiG-21は構造が簡素なだけに運用が容易で、恐らくMiG-29やMiG-23よりも高い稼働率を維持しているだろう。韓国国防部の発表によれば、2000年に北朝鮮はカザフスタンから40機(34機の説も有)のMiG-21bisを部品の状態で輸入し、国内で組み立てて実戦配備したという。カザフスタンはこの後に韓国政府から猛烈な抗議を受け、独断でMiG-21を北朝鮮に輸出した国防相を更迭した。北朝鮮はMiG-21(J-7)を各戦闘機連隊に分散配置している。 1969年4月15日、北朝鮮空軍のMiG-21 2機がアメリカ海軍第1艦隊偵察飛行隊(VQ-1)所属のEC-121M電子偵察機(PR21/135749)を撃墜した。北朝鮮は定期的に偵察に来るEC-121Mを厄介者と考えており、これを叩き落す計画を綿密に立てた。まず彼らは平壌の北にある北倉(プクチャン)基地から2機のMiG-21を分解して運び出し、米軍の偵察衛星に察知されないよう夜の間に鉄道で朝鮮半島北東部のオラン基地運んだ。オラン基地では大型のテントが張られ、到着したMiG-21はすぐにその中で組み立てられた。さらに鉄板を敷いた急造滑走路が海岸に近い砂地に造られ、米軍EC-121Mの接近情報を待った。4月15日、北朝鮮のレーダーがいつも通り早朝の厚木基地を離陸し、新潟から日本海に入って北朝鮮東岸に接近するEC-121Mを探知した。待機していたMiG-21のパイロットは軍高官からの直接命令を受けて直ちに発進、海岸線を越えたところでアフターバーナーに点火して、敵のレーダーを逃れるため海上超低空を高速で目標に向かった。2機のMiG-21はそのまま気付かれる事無くEC-121Mに接近しこれを肉眼で確認、EC-121Mの正面で急上昇し反転降下してから後方に付き、まず1番機がR-3赤外線誘導空対空ミサイル(NATOコード:AA-2 Atoll/アトール)2発を発射、ミサイルはEC-121Mのエンジンに吸い込まれて爆発した。続いて2番機が後方からK-13 2発を発射、胴体部分に直撃しEC-121Mは爆発して四散した。この後、現場に急行したソ連の情報収集船が大急ぎでEC-121Mの残骸を回収したという。なおEC-121Mは常に公海上を飛んでおり、北朝鮮領空は侵犯していなかった。撃墜されたのも公海上である。 1968年1月19日、東海で韓国海軍哨戒艇と北朝鮮沿岸砲が交戦した時、MiG-21 2機が上空で援護した。 1968年1月23日、ウォンサン沖の米海軍情報収集艦プエブロ号を拿捕した時、MiG-21数機が上空で援護した。 1969年4月15日、MiG-21 2機がウォンサン沖上空で米海軍EC-121M電子偵察機を撃墜した。 1977年6月17日、MiG-21が非武装地帯の北朝鮮管理地区に不時着した米陸軍のCH-47を攻撃、撃破した。 2000年12月13日、夜間訓練飛行中のMiG-21 2機が空中衝突で墜落した。 ▼点検中のMiG-21 ▼夜間発進訓練を行うMiG-21 ▼R-3赤外線誘導空対空ミサイル(AA-2 Atoll)を搭載するMiG-21 ▼爆弾を投下するMiG-21 ▼北朝鮮空軍のF-7B ▼北朝鮮の飛行場に置かれたMiG-21/F-7のダミー ▼北朝鮮の順川基地(第1戦闘機師団)に駐機するMiG-21/F-7 ▼北朝鮮の元山基地(第2戦闘機師団)に駐機するMiG-21/F-7 ▼北朝鮮の谷山基地(第3戦闘機師団)に駐機するMiG-21/F-7 【参考資料】 月刊航空ファン(文林堂) Jウイング特別編集 戦闘機年鑑2005-2006(青木謙知/イカロス出版) 別冊航空情報 世界航空機年鑑2005(酣燈社) 北朝鮮軍の全貌(清水惇/光人社) Grobal Security 北朝鮮空軍 2009-04-05 01 42 33 (Sun)
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/28801.html
登録日:2014/06/10 (火) 18 14 00 更新日:2024/07/16 Tue 21 38 01 所要時間:約 ? 分で読めます ▽タグ一覧 エンジン以外は大正義 中島の集大成 例によってgdgdなエンジン周り 四式戦闘機 大日本帝国 大東亜決戦機 戦闘機 日本最良の戦闘機 疾風 航空機 陸軍 四式戦闘機は、大日本帝国陸軍が運用した単座戦闘機である。愛称は疾風、連合軍のコードネームは「Frank(フランク)」。 コードネームの由来は鹵獲機の飛行試験とコードネーム付与に関わっていたフランク・マッコイ陸軍大佐に由来するそうな。 中島製戦闘機の集大成とも言える高性能な戦闘機である。例によってエンジンは残念だったわけだが 性能諸元(一型甲) 開発経緯 機体の特徴 戦歴 バリエーション アニヲタ視点の四式戦闘機 性能諸元(一型甲) 試作名称 キ84-Ⅰ甲 全長 9.92m 全高 3.38m 全幅 11.24m 翼面積 21.00㎡ 自重 2,698kg 最大重量 3,890kg 最高速度 624km/h(高度6,000m) 上昇限度 12,400m 航続距離 2,500~2,920km 発動機 中島四式(ハ45)空冷複列星形18気筒 公称1,800馬力1基 総生産機数 約3,000機 武装 機首12.7mm機関砲2門、翼内20mm機関砲2門 爆装 最大250kg爆弾×2 開発経緯 1941年12月29日。キ44(後の鐘馗)の発展型を開発するよう中島に指示が出される。その内容はというと、 最高速度680km/h以上、20mm機関砲2門、12.7mm機関砲2門を装備、隼級の航続距離、あらゆる任務に柔軟に対応可能な高性能万能戦闘機 というダイナミック無茶ぶりだった。と言うかお前ら、まだ20mm機関砲開発の目処すら立ってなかっただろ…… まあともかく、キ44-Ⅲの設計をベースに翼面積と燃料搭載量を増やした性能向上型として開発がスタートする。 が、当初から太平洋戦線での運用が決まっていたため「もっと航続距離を伸ばして、オナシャス!」ということになり、 翼面荷重を計画値に収めると同時に燃料搭載量の増大を図った結果、重量増→翼面積増→重量増という悪循環に陥る。 さらに前線の「もっと火力と装甲の強い機体を作って」という要求まで届いてキレた小山悌以下開発チームは、いっそ吹っ切れてしまった。 紆余曲折の結果、計画重量を大幅にブッチする重装戦闘機として43年3月に試作初号機が完成する。 飛行試験では陸軍機最速級の624km/hを叩き出し、立ち会った陸軍将校が「よくぞこんな素晴らしい機体を……中島マジ天使」と感涙にむせんだという。 しかしエンジンが性能はともかく稼働安定性と信頼性に欠ける誉さんだったため、エンジントラブルには最後まで悩まされることとなった。 というか、試験期間中に解決できなかったので量産しながら改善することになった。 エンジンに問題はあるがとにかく高性能ということで、荒蒔義次陸軍少佐の提言により、増加試作機を大量生産して 運用試験しながらコンバット・プローヴンという方式を取ることになり、翌44年3月に四式戦闘機として制式採用の運びとなる。 「大東亜決戦機」として陸軍の新たな主力たるを期待されての事だった。機体全体の総生産機数は約3,500機。 機体の特徴 端的に言うと小さい。と言っても2,000馬力級の重戦闘機としては、というだけであって、サイズ的には飛燕とトントンといったところ。 機体の設計自体は隼や鍾馗を踏襲した保守的と言ってもいいものだが、同時に生産性も高く、 結果的に火力・機動力・防御力がハイレベルで大量生産できるという超大正義な戦闘機となった。あれ、陣営違くね? ただしエンジンは信頼性が死亡宣告スレスレ。 急旋回に頼りすぎる古参パイロットの要求をのむと機体強度と重量増に出力が追いつかなくなるため、多少強度を抑えても軽量化を図り、 かわりに操縦系統を意図的に重くして対応している。 これはベテランには不評だったが、さすがは腐っても帝国軍機、設計と技術の進歩で重いが格闘性能も維持はしており、 実際に運用したパイロットからは「格闘戦もできる重戦って素敵だろ?」「一式と二式のいいとこ取り」という評価を受けている。 陸軍の単発単座戦闘機としては初めて計画段階から20mm機関砲の装備を要求された機体であり、飛燕と並ぶ大火力機だった。 が、さすがに各国の趨勢からしてみると軽武装(*1)だったので、開発の初期段階から武装強化型の開発が始まっている。 防御能力は12.7mm対応で、防弾ガラスと防弾板でコクピットを丁寧に鎧っている。 戦歴 疾風の初陣に臨んだのは菊水紋を部隊章にいただく飛行第22戦隊。戦隊長はキ84のテストパイロットであり ノモンハン以来のエース・岩橋譲三陸軍少佐で、麾下のパイロットも航空審査部から抽出された精鋭揃い。 整備隊長には同じくキ84の整備班長として疾風に精通した中村考大尉が任命された。疾風運用への陸軍の意気込みがうかがえる。 同隊は当初フィリピン戦線へ投入される予定だったが、現地部隊の嘆願もあって米軍新鋭機の参戦で苦戦を強いられていた中国戦線へ期限付きで投入される。 その後入れ替わりで参陣した第25戦隊と85戦隊が本機を運用してP-51を相手に善戦し、一時的とはいえ中国上空の制空権回復に寄与する。 フィリピン戦の前哨戦たる台湾沖航空戦においては、日本側航空基地を空襲する米海軍機を迎撃したが、ほぼ奇襲に近い不利な状況下で連携も満足にとれず苦戦を強いられている。 この時対戦した主敵はグラマンF6Fヘルキャットであり、 日本側パイロット達の評価としては、「四式戦はグラマンF6Fより速度は優るが旋回性能で劣り、全般的に苦手な相手」といったもの。性能以前に不利な空戦を強いられたことが厳しい評価に繋がってしまったともいえる。 本機の主戦場となったフィリピン戦では絶対的数的劣勢からタコ殴りにされることもあったが、一時的にレイテ湾上空の制空権を確保して多号作戦における第1師団上陸成功に貢献するなどの戦果を挙げ、 米軍も戦闘データから「高速で運動性も高く、被弾にも強い。要注意すべし」と評価している。 エンジンの稼働安定性の低さや低下していく部品の質が足を引っ張ってはいたが、第47戦隊では整備隊長刈谷正意大尉の指揮のもと、 指揮小隊による整備状況と飛行時間の一括掌握と徹底的かつ適切な整備で稼働率を後送機抜きで常時100%に保つという驚異的な結果を出している。 とはいえこれは欧米では当たり前の整備方式であり、エンジンがどうこう言うより帝国軍全体がこういった後方要員の教育や 補給の立ち遅れをどうにかできなかったことのほうが大きい。 45年5月20日のデータによると、本土で運用されていた本機の稼働率は大体42%前後だったという。 その後も絶望的な状況下で本土防空戦や沖縄戦に投入されたが、多くのベテランを失い、さらに戦局も秒読み段階となった 末期にはろくな戦果を挙げることはできなかった。 米軍のレポートでは四式戦闘機の性能を高度20,000フィート(6,100m)で427mph(687km/h)としており、これは同高度でのP-51やP-47を上回っている。この数値について「鹵獲機を用いた戦後の飛行試験で、火器を除去して徹底した整備とハイオクガソリン、高品質な点火プラグを装備した結果である」とされることが多いが、実際にテストした結果なのか、それとも推測値なのかは不明である。 機体の火力・防御力・運動性をあわせて米軍からは「The best Japanese fighter(日本最良の戦闘機)」と賞賛された。 現在はフィリピン戦で鹵獲された飛行第11戦隊所属機が、世界唯一の現存機として知覧の特攻平和会館に展示されている。 戦後に民間放出されてレストアによる性能維持がされていた機体を元海軍パイロットの実業家が購入したもので、 73年の里帰り当時は華麗な飛行でファンの目を楽しませた。 陸自の宇都宮飛行場で富士重工業の整備を受けながら保管されていたが、オーナーの死後に売却先の嵐山美術館で劣悪な管理と マニアの風上にも置けないアホどもの部品盗難のせいで飛行不能となり、最終的に特攻平和会館で屋内展示されている。 本機を日本へ譲渡した当時のオーナーのライキンス氏は、嵐山での顛末を聞いて返還を深く悔いたという。 バリエーション ○一型甲(キ84-Ⅰ甲) 制空戦闘重視の基本タイプ。生産された機体の大半がこの形式。 ○一型乙(キ84-Ⅰ乙) 機首の12.7mm機関砲を20mmに強化した対爆撃機邀撃タイプ。生産機数不明。 ○キ84-Ⅰ丙 一型乙からさらに翼内砲を30mm機関砲に換装した重装強化型。試作機のみ。 ○キ84-Ⅰ丁 一型乙の操縦席後方に20mm機関砲1門を斜銃として追加装備した夜間戦闘型。試作のみ。 ○キ84-Ⅱ 金属資源消費削減のために機体の一部を木製部品に置換した計画機。 ○キ84-Ⅲ 排気タービンを追加装備した高々度性能強化型。計画のみ。 ○キ84-Ⅳ エンジンを高々度性能に優れた強化型に換装した計画機。 ○キ84サ号 水エタノール噴射を酸素噴射に変更した高々度性能強化実験機。テスト中に終戦。 ○キ106、キ113 アルミ合金不足を鑑み、機体を木製(キ106)ないし鋼製化(キ113)したもの。 強度不足や量産性の悪化などから計画中止した失敗作。 ○キ116 満州飛行機で五式戦と同じエンジンに換装した転換生産試験機。最高速は低下したが信頼性向上と重量軽減に成功。 詳細な飛行試験を迎える前に満州にソ連が侵攻したため、機体・設計図ともに処分された。 ○キ117 エンジン出力を強化した性能向上型。設計中に終戦。 アニヲタ視点の四式戦闘機 帝国陸軍の登場するウォーシミュレーションにはおおむね参戦していると見て間違いはないだろう。出さない理由もないし。 とりあえず飛ばしたかったらIl-2をやればいい。Ⅰ丙が帝国陸軍機を代表して強機体の一角に食い込んでいる。 シューター向けには「ストライカーズ1945Ⅱ」で自機として使用可能。高性能で初心者向けといった位置づけとなっている。 ゲームアーカイブスから落とせるのでPSPでやってみるのも一興か。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] これ項目名間違ってない? 飛燕じゃなくて疾風でしょ -- 名無しさん (2014-06-10 19 21 09) 大日本帝国陸軍の戦闘機の中で最も好き。海軍では紫電改だな。 -- 名無しさん (2014-11-30 20 32 40) 二式単戦もいじってやってくだしゃい -- wara_b (2017-07-04 16 28 03) 子供の頃は4枚羽根のプロペラを見て「なるほど、だから『四式』なのか」と間違った理解をしてたw -- 名無しさん (2018-05-31 11 42 59) 部品を盗んだクズどもは地獄に落ちろ -- 名無しさん (2020-09-17 01 05 36) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kokomadeyonda/pages/118.html
川崎 五式戦闘機「飛燕改」 陸軍機 四式戦闘機として疾風と正式採用機の座を争っていた。 『飛燕改』は速度こそ600キロに達してはいない(それでも要求速度は満たしている)が、軽快な運動性と良好な操縦性を誇り、何よりエンジンも機体も既存の三式戦闘機飛燕を改良した物で信頼性が高かった。 これは『疾風』の新型エンジンの信頼性に未だ疑問符がついている状態では、決して無視できない優位点と言えるだろう。さらに『疾風』にとって悪い事に、『飛燕改』は既存の設備で今すぐ量産が可能であった。陸軍の戦闘機が三式シリーズで統一できるのも魅力であった。 結果四式戦闘機は疾風、五式戦闘機は飛燕改という形で落ち着いたことになる。 帝國陸軍としてはあくまで主力は疾風であるが部隊配備が早く済む飛燕改は補完戦力としての意味もある。 ちなみに年間生産計画は三式戦飛燕と五式戦飛燕改各々50機程度、あわせて年間100機程度の予定である。 これは只でさえ製作の難しい液冷発動機を粗製乱造されるよりはしっかりと高品質な物を作るようにという軍の方針が反映されている。 大陸で最初に配置されたのはマルセイユで、1個戦隊である。 最高速度592キロ/毎時
https://w.atwiki.jp/kokomadeyonda/pages/35.html
帝國陸軍の戦闘機。通称「疾風」。略称「四式戦」。 決定時には、三式戦闘機空冷改造型(五式戦闘機として採用)と四式戦闘機の座を争った結果、帝國陸軍の次期主力戦闘機の地位を確保する。 2,000馬力のハ-45空冷エンジンを搭載し、600キロ毎時を超える高速を捻り出す。 『帝國召喚』の世界では基本武装は12.7ミリ機関砲×6ですが、簡単に12.7ミリ機関砲×8または12.7ミリ機関砲×2+20ミリ機関砲×4に増強できる構造になっています、これも最高速度と並んだ大きなセールスポイントです。 速度:624キロ毎時。 年間生産機数:100~150機程度 レムリア派遣軍には総督領防衛の為配備されている。
https://w.atwiki.jp/wiki11_navyfield/pages/414.html
米戦闘機 F4F ワイルドキャット Lv 40 速度 570 価格 390 攻撃 100 容積 60 視野 915 耐久 214 準備 10.00秒 防御 32 航続 約160秒 米一次戦。 まず、この機体しか使えないパイロットで、 対戦闘機は確実落とされるので無理がある。 また、速度があまり速くないので、偵察機以外を落とすのにも苦労する。 F6F ヘルキャット Lv 60 速度 610 価格 430 攻撃 115 容積 80 視野 873 耐久 184 準備 11.00秒 防御 30 航続 約149秒 米二次戦。 この機体からやっと敵機の撃墜がスムーズにできるようになる。 航続時間長めなうえ、高い防御は他国戦に比べ有利に働くだろう。 F4U コルセア Lv 75 速度 640 価格 460 攻撃 155 容積 100 視野 865 耐久 172 準備 12.00秒 防御 28 航続 約143秒 米三次戦。 あいかわらず高いレベルでバランスが取れた優秀な機体。 いろんな任務に使いまわせる。 P-51B マスタング Lv 100 速度 660 価格 490 攻撃 195 容積 120 視野 840 耐久 164 準備 13.00秒 防御 25 航続 約132秒 米四次戦。 速度、火力が高く、爆雷偵を落とすには最適の機体。 対戦闘機戦も強いが、耐久が少なめなので当て直しをされるとあっさりやられるので 当て方に注意が必要。 P-55 アセンダー Lv 40~74 速度 712 価格 440 攻撃 388 容積 120 視野 523 耐久 171 準備 7.20秒 防御 14 航続 約51秒 米局地戦。 XP-55はカーチス社がアメリカ陸軍用に開発した試作戦闘機。 愛称はアセンダー。 震電に似たデザインで忠実では安定性不良等の問題から開発中止となっている。 ゲーム上ではかなり高性能。 ただ、航続時間がかなり短いので、使い方は他の戦と大きく変わる。 航空機紹介へ戻る・米偵察機へ・米雷撃機へ・米爆撃機へ 他国戦闘機:英・日・独・仏・蘇
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/28777.html
登録日:2014/06/08 (日) 01 07 00 更新日:2024/01/30 Tue 20 15 24 所要時間:約 8 分で読めます ▽タグ一覧 ベテラン「軽戦こそ至高(キリッ」→「鍾馗を乗りこなしてこそ陸鷲(ドヤァ」 二式単座戦闘機 二式戦闘機 大日本帝国 戦闘機 航空機 迎撃機 鍾馗 陸軍 二式単座戦闘機は、大日本帝国陸軍で運用された戦闘機である。 愛称は鍾馗で、連合軍のコードネームは「Tojo(トージョー、東條英機陸軍大将から)」。 帝国陸軍が開発した初の重単座戦闘機で、その特性から自国軍人よりも敵国軍人に好評な機体だった。 まあ、最終的には本機のパイロットであることがステータスになったのだが 項目名は二式複座戦闘機(屠龍)との区別のために戦後のマニア間で広まったもので、制式名称は「二式戦闘機」。 性能諸元(二型丙) 開発経緯 機体の特徴 戦歴敵国での評価 自国での評価 バリエーション 創作における二式戦 性能諸元(二型丙) 試作名称 キ44-Ⅱ丙 全幅 9.45m 全長 8.85m 全高 3.25m 翼面積 15m2 翼面荷重 184.67 kg/m2 自重 2,109kg 正規全備重量 2,764kg 発動機 ハ109(離昇1,500馬力)1基 最高速度 605km/h(高度5,200m) 上昇力 5,000mまで4分26秒 航続距離 1,600km(落下タンク有) 武装 胴体12.7mm機関砲2門、翼内12.7mm機関砲2門(携行弾数各250発) 爆装 30kg~100kg爆弾2発または250kg爆弾1発 開発経緯 中島が開発した九七式戦闘機は極めて優れた軽戦闘機だったが、発展性という面では片手落ちだった。 また、欧米で研究の進みつつある重装甲・重武装な高速戦闘機の必要性を認識した陸軍参謀本部は、1937-38年の兵器研究方針で以下の3機種の研究開発を模索する。 すなわち、双発護衛戦闘機論に基く長距離複座戦闘機(後の屠龍)、重火力で速度重視の重単座戦闘機、重単座戦闘機の保険としてパワー不足を格闘戦能力で補う軽単座戦闘機である。 この方針に基き、中島・川崎・三菱の3社に軽戦と重戦の研究開発指示が出されることとなり、これに対する中島の回答が後の隼と本機だった。 が、隼設計チームの青木邦雄曰く、「隼も重戦を目指してはいたんだけど、なまじ経験がなかったものだから。結果的に軽戦になっちゃったんだよなぁ」ということだったらしい。 試作指示自体は早かったものの、重戦闘機の開発経験のなさから開発は難航。 基本仕様をまとめるだけでも手間取る始末で、スケジュールは後回しにされた。 青木曰く、鍾馗は隼不採用時の保険で、研究機としての側面が強かったという。 中島ではとりあえずの目標としてBf109を設定し、20mm機関砲を搭載する高速戦闘機として開発を開始する。 ちなみに20mm機関砲は生産の目処が立たなかったのでポシャった。 そのため初期仕様は翼内に12.7mm2門、機首に7.7mm2門。 重戦としてもお寒いばかりの低火力であり、重装備()という悲しみを背負ってしまう。 一方エンジンは当時最高の出力を有していた爆撃機用のハ41を使用し、機首以降の胴体をゴリゴリ絞ることで空気抵抗を軽減。 短めの主翼と合わせ、高速かつ一撃離脱に長けた機体として仕上がっている。 隼同様に防弾鋼板もちゃんと装備されており、少なくとも12.7mmには十分耐えられるとされた。 試作機の初飛行は40年の10月だが、飛行試験では火力と機動性こそ優れるものの、離着陸性能や旋回性の悪さ(帝国軍基準)が指摘される。 また、エンジンの稼働安定性も問題とされた。 このため、軽戦崇拝・格闘戦至上主義者からの評判は最悪と言ってもいいレベルだった。 と言うかこいつらのせいで帝国陸軍の戦闘機開発は思っくそ立ち遅れた。 開発中にノモンハンの戦訓で露呈した軽戦の限界や重戦闘機の必要性を痛感(*1)していた上層部にとっては、現場の言い分なんぞ知るか、くらいは言いたかったと思われる。 というか、言っても後世の人間は否定できんよ、これ……… もっとも、上記現場の一部からの不評に関わらず、キ84(四式戦闘機)に至るまで軽単座戦闘機/重単座戦闘機という種別に基づく戦闘機開発は継続して行われており、本機への不評が陸軍における高速重武装戦闘機の開発を遅らせたという認識は、史実の評価としては誤りである。 また、貧弱な武装という評価に関しても、本機が曲がりなりにも発動機周りの不調を克服して実戦に投入されたのが敵味方とも戦闘機の重武装化が進んだ昭和18(1943)年夏以降であることが主因であり、計画当時の基準からすれば12.7㎜機関砲4門という武装は決して低火力と蔑まれるものではない。 歩み出しからして前途多難な鍾馗だったが、輸入したBf109E-7との模擬戦では総合性能で圧勝。 欧米の新鋭重戦に対して十二分に対抗可能ということが判明する。 来日したテストパイロット曰く、「日本のパイロット全員がこいつを乗りこなせたら、日本空軍は世界最強にもなれるだろう」だそうで、欧米基準で見ればかなり高性能だったようだ。 もっとも当時は既に改設計で大幅な性能向上を果たしたF型が実戦投入されており、ライバルであるイギリスの名機スピットファイアもE型より高性能なMk.Vに移行していたというオチが付くが。 上層部のトラウマと模擬戦結果が噛み合った結果、運用試験を経て42年2月に制式採用された。 機体の特徴 国立国会図書館の電子資料で本機の操縦マニュアルが公開されているので、「機種転換したばかりの新人パイロット」が最前線で使いこなせる範囲内の性能や特性は此方を参照されるとよく分かる。(http //dl.ndl.go.jp/info ndljp/pid/8318149) 「小型軽量の機体に大馬力エンジンを搭載し、相応の防御力と巡航性能も備える」と言うコンセプト。 速度最優先で設計されており、空気抵抗を抑えるためにエンジンブロック以降の胴体は極力絞り込まれている。 この点では大出力かつ太い胴体の雷電とは対照的。 外見上の最大の特徴は水平尾翼のかなり後方に据え付けられた垂直尾翼。 これは糸川英夫の構想によるもので、ブランコに乗る2人の子供を見て思いついたという。 縦横の運動を互いに連動させず、各々を独立させた操縦系にすることで、機動から射撃体勢に移行する際の安定性を高めることに成功した。 このため射撃安定性と命中精度は上々で、この構造は疾風にも受け継がれた。 一方で高さの低い垂直尾翼は離着陸時安定性低下を招き、「暴れ馬」だの「殺人機」だの「若いのを乗せられん」だのと散々だったらしい。 一撃離脱と急上昇・急降下に耐えるべく主翼は頑強に設計され、後には40mm砲を搭載可能なまでの強度を示した。 重戦の明確なカテゴライズがなかったので急降下制限速度は隼と同レベル(650km/h)に設定されているが(*2)、実際には850km/h以上で引き起こしても大丈夫だったという。 また、ある程度格闘戦にも耐えられるよう、隼と同型の蝶形フラップが実装されている。 戦歴 増加試作機と一型を受領した独立飛行47中隊によって初めて実戦投入される。 太平洋戦争緒戦の南方作戦に従軍したが、航続距離の短さ(帝国陸軍基準)から活躍の機会には恵まれなかった。 この時本機に搭乗していた黒江保彦大尉は戦後に「小気味よい出足、素晴らしい上昇力、軽快な舵の効きなど、私個人にとっては非常に感動的な飛行機でした」と語っている。 実際、低い低いとバカにされた運動性は帝国軍基準であり、欧米諸国の機体からすれば高速高旋回の油断ならぬ強敵だったわけだ。 同中隊は42年のドゥーリットル空襲を機に本土へ呼び戻される。 九七戦では米軍爆撃機を邀撃し得ないとされ、上昇性と速力に優れる本機を迎撃機に充てるとの判断だった。 同年12月にはより高出力で稼働性も改善されたハ109にエンジンが換装され、二型の型式を授かり主力生産仕様となる。 これ以降は主に本土防空や中国戦線に投入されることとなった。 44年以降B-29の来襲が始まると、外地に展開していた部隊も呼び戻され、本土防空に駆り出される。 帝国軍機の性で高々度性能に劣るため、必ずしも対等であったとは言いがたいが、数少ないB-29に抗しうる機体として終戦まで絶望的な本土防空戦に従事し続けた。 エンジンの信頼性の低さや疾風の実用化に目処が立ったことなどを受けて、44年末に生産終了した。 敵国での評価 TAIC(米海軍航空情報部)による鹵獲機の試験報告書によると、「急降下性能と上昇力が傑出しており、インターセプターとして最も適切である」という評価が下されている。 TAICではほかにも紫電一一型や雷電二一型、飛燕、疾風の性能調査を行っているが、これらの中で最も迎撃機として優れている、という結論であったようだ。 また、実際に交戦したパイロットたちにとっても、一撃離脱戦で互角に渡り合いながら旋回戦でグイグイ食らいついてくる本機はなかなか手強いものだったという。 自国での評価 当初はボロクソに酷評されていたが、実戦運用の結果運動性にもさして問題はなく、火力と機動性に惚れ込んだエースや一撃離脱戦法に理解のあるベテランが乗機に選んでいった。 結果、43年次には「鍾馗を乗りこなしてこそ陸鷲」と搭乗そのものがステータスと化す。 一方で整備側からは「エンジンの信頼性オワコンなんですがそれは……」とあまり評判はよろしくなかったらしい。 太平洋戦争初期から本機を運用していた「かわせみ部隊」こと第47戦隊の整備士官の刈谷正意氏によると、「九七式戦闘機のエンジンと比べると細々手のかかるエンジンだったが、本体の故障は少なく、こまめにに整備すればよく働いた」とエンジンの基本設計と機体とのマッチングには問題は無いとしつつも、基礎部品の研究・品質管理でアメリカに劣っていた点に関しては苦言を呈している。 鍾馗搭乗のパイロットの中でもトップエースである上坊良太郎氏は戦後の著書で 「故障も少なく使い易い戦闘機であったが、高度7000mを超えると無理が出る」 とB29迎撃に必要な高高度性能には不満を漏らしているが、機体の信頼性と操縦性、7000m以下の高度における運用時の使い勝手は絶賛している。 まあ、どこぞのガラスハートよりは数倍マシではあったと思うが また、「若手は乗せられない」と言われていたが、むしろ九七戦や隼に慣れたベテランよりも、学徒動員兵や若手のほうが柔軟に対応できていたという。 高速重火力という特性はむしろ、気概に満ちた若手にこそ支持されたとか。 コツを掴めば操縦性は悪くない・・・ものの、本機の操縦特性に馴染んだパイロットが二式複戦での訓練中に本機得意の急加速・急降下突撃戦法を行った結果、機体を壊して命辛々不時着する羽目になった・・・と馴染んだら馴染んだで、他の機体の操縦に支障をきたした例も報告されている。 ちなみに、一般には隼の後継機とされる疾風だが、中島曰く「あれ、隼じゃなくて鍾馗の正統後継機だから。そこに隼の要素をぶっ込んだだけなんだけどね」だそうで。 皮肉にも、実戦投入を機に評価が反転した機体である。 大戦末期に第47戦隊に配属されて主に四式戦に搭乗した一楽節雄氏によると、「四式戦は安定感のある素直な操縦性の飛行機だが、自分はテキパキと舵が効き、突っ込みの速い二式戦の方が戦闘機らしいと思う」と回想しており、米軍機の中でも運動性に長じたF6Fを格闘戦で圧倒する二式戦の目撃談を報告している。 糸川曰く、「一式戦闘機「隼」は時宜を得て有名だが、自分で最高の傑作だと思っているのは、それの次に設計した「鍾馗」戦闘機である」。 まあ、技術者からしたら既存の技術の発展型でしかない隼より新機軸を色々試した鍾馗の方が思いいれあるよね。 バリエーション ○一型甲(キ44-Ⅰ甲)、一型乙(キ44-Ⅰ乙) 最初期生産型……というより増加試作機の実戦投入用型式番号。 エンジンの信頼性や稼働安定性に欠けるとしてエンジン換装が急務とされ、合計生産機数は40機程度。 乙では胴体の7.7mm機銃が12.7mmに換装されている。 ○二型甲(キ44-Ⅱ甲) エンジンをより高性能なハ109に交換した主力生産仕様。武装は一型甲に準ずる。 ○二型乙(キ44-Ⅱ乙) 対大型爆撃機用に翼内機銃を撤去し、ロケット弾を投射する40mm機関砲を搭載可能とした重装邀撃型。 フレーム強度の限界で発射限界数は片翼わずか8発だが、当たればB-29も一撃必倒。 改善されてなおエンジン信頼性に欠ける本機の運用が継続された最大の理由。 ○二型丙(キ44-Ⅱ丙) 照準器を光像式に交換したり、細々とした面を改善した最終生産型。武装は一型乙に準ずる。 ○三型(キ44-Ⅲ) 推力式単排気管や大出力の新世代エンジンを搭載する第二次性能向上型。 試作機完成時点で疾風の開発が進んでおり、計画のみに終わった。 創作における二式戦 ウォーシミュレーションをプレイしてね 地味にIl-Ⅱには未参戦。 War Thunderに7.7ミリ×2と12.7ミリの一型・12.7ミリ4挺の二型丙・40ミリ砲搭載型の二型乙が登場している。 追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 東條英機由来のコードネーム「Tojo」は、大型エンジン搭載による丸っこいカウルをハゲ頭に見立ててのものなのかな。 -- 名無しさん (2020-01-30 17 14 09) War Thunderで使用したけど超ぶっ壊れ機体()!速い・曲がる・火力有りの -- 名無しさん (2022-11-18 13 50 13) ↑やべーやつ(二型丙)。格上相手にも余裕で通用するのはおかしいよ! -- 名無しさん (2022-11-18 13 51 41) 名前 コメント