約 541 件
https://w.atwiki.jp/ktrosaka/pages/13.html
概要 ラインカラーは青 路線番号は「KS」 路線データ 路線名 稲阪本線 ラインカラー 青 運営事業者名 京東鉄道 区間 稲川-大阪 路線距離 518.8km 軌間 1,067mm&1,435mm(三線軌条) 駅数 113駅 複線区間 全線(管内のみ) 電化区間 全線 電気方式 直流1500V(架空線式) 閉塞方式 車内閉塞方式(移動閉塞方式) 営業係数(2012年度下半期) 保安装置 ATS-GX 運転指令所 大阪運行指令所(亀山-大阪) 営業最高速度 160km/h 駅一覧 駅ナンバー 駅名 読み 普通 区快 快速 新快速 特急 備考 KS73 亀山駅 かめやま ○ ○ ○ ○ 紀伊・阪和本線乗換 KS74 関駅 せき ○ ○ KS75 加太駅 かだ ○ ○ KS76 柘植駅 つげ ○ ○ ○ KS77 新堂駅 しんどう ○ ○ KS78 佐那具駅 さなぐ ○ ○ KS79 伊賀上野駅 いがうえの ○ ○ ○ ○ KS80 島ヶ原駅 しまがはら ○ ○ KS81 月ヶ瀬口駅 つきがせぐち ○ ○ KS82 山城大河原駅 やましろおおかわら ○ ○ KS83 京鉄笠置駅 きょうてつかさぎ ○ ○ ※ KS84 加茂駅 かも ○ ○ ○ KS85 木津駅 きず ○ ○ ○ ○ ○ 大都鉄道大台線乗り換え KS86 京鉄西木津駅 きょうてつしんきづ ○ ○ ○ KS87 祝園駅 ほうその ○ ○ ○ KS88 下狛駅 しもはく ○ ○ ○ KS89 京鉄三山木駅 きょうてつみやまき ○ ○ ○ KS90 同志社前駅 どうししゃまえ ○ ○ ○ ○ KS91 京田辺駅 きょうたなべ ○ ○ ○ ○ KS92 大住駅 おおすみ ○ ○ ○ KS93 松井山手駅 まついやまて ○ ○ ○ ○ ※ KS94 長尾駅 ながお ○ ○ ○ ○ ※ KS95 藤坂駅 ふじさか ○ ○ KS96 津田駅 つだ ○ ○ KS97 河内磐船駅 かわちいわふね ○ ○ ○ ※ ラッシュ時は新快速停車 KS98 星田駅 ほしだ ○ ○ KS99 東寝屋川駅 ひがしねやがわ ○ ○ KS100 忍ヶ丘駅 しのぶがおか ○ ○ KS101 四条畷駅 しじょうなわて ○ ○ ○ ○ KS102 野崎駅 のざき ○ KS103 深野駅 ふかの ○ KS104 住道駅 すみのどう ○ ○ ○ ○ ○ KS105 灰塚駅 はいづか ○ KS106 鴻池新田駅 こうのいけしんでん ○ KS107 徳庵駅 とくあん ○ KS108 放出駅 はなてん ○ ○ ○ ○ ※ KS109 鴫野駅 しぎの ○ KS110 京橋駅 きょうばし ○ ○ ○ ○ ○ KS111 片町駅 かたまち ○ ○ ○ KS112 南森町駅 みなみもりまち ○ ○ ○ KS113 大阪駅 おおさか ○ ○ ○ ○ ○ 運行形態 普通 快速 新快速 快速「ながしも」 2015年3月14日より区間短縮される「れいむ」の大阪方の代替列車。 停車駅は大阪・京橋・住道・長尾・木津・伊賀上野・亀山・四日市・桑名・名古屋
https://w.atwiki.jp/mishakuji/pages/431.html
三国越 【みくにごえ】 三国越林道にある県境峠 京都府道62号交差点から三重県側林道起点間の基幹と、一部その周辺道。 林道自体は京都と三重しか通っていない。 林道は本来の三国越え峠を通っていないが、林道峠に取り付きがある。 峠は元の三国越えに準じて京都と三重の県境となるが、京都側は峠ひとつ手前のピークが最大標高となる。 途中童仙房集落を横切る。 峠位置 京都府南山城村/三重県伊賀市 道所在地 京都府和束町-笠置町-南山城村-三重県伊賀市 距離 京都側 20.55km三重側 6.15km 路面距離(計算値) 京都側 20.62km三重側 6.18km 最大標高 京都側 587m三重側 581m 最大標高差 京都側 462m三重側 398m 平均勾配 京都側 2.5%(ピークまで)三重側 6.5% 舗装状態 京都側 4三重側 5 路面状況 京都側 4三重側 4 交通量等 京都側 3三重側 2 スタート 京都側 白栖橋交差点三重側 林道起点交差点 ゴール 京都三重県境峠 地図 ルート地図 京都側三重側 三重県側からの三国越峠位置。 ピークは切り通されている辺りとなる。 写真のとおり降雪時期、日の当たる三重側の積雪は少なく、峠を越えた京都側は童仙房集落まで雪道となる。 京都市内在住で、冬、雪が降り出したら北山やめて南山と考えている場合、この区間とその周辺をコースに入れるのはそういう覚悟をしたほうがいい。 京都側 スタートは三国越林道西側に倣い白栖橋交差点とした。 ゴールは最大標高ではなく、県境峠とした。 アップダウンが多く、ここを含めて100km以上走れば累積標高から山岳ライドになる。 季節にも寄るのかもしれないが、大体路側帯周辺は落葉などがたまっている。 降雪があると、童仙房集落より東側の積もり方が激しくなる。 見晴らしがいいのは最初のピーク手前辺りのみ。 三重側 6kmあるコースのほとんどがカーブによって構成されている。 ほぼストレートというものを除く小さいカーブを含めると50箇所ほどカーブがある。 こちら側は、落葉よりも落石や土砂が目立つ。 谷面側は桜並木になっている。 峠から少し下ったところに三国越の石碑がある。 こちら側は展望台に登らずとも結構見晴らしが良い。 登坂走行ルート 京都側(○(撮影パンク寄り道除く)) 三重側(○) 登坂未走行ルート なし 京都側スタート地点。 京都側林道起点はもっと先。 京都側林道起点。 三重県側スタート地点。 三重県側林道三国越線起点。 京都府側からの峠。 この写真は上の日とは別で積雪直前。 同日三重県側からの峠。 積雪写真と同じようなアングルで。 この1ヵ月後ぐらいにああなっていた。 おそらく京都滋賀県境側からの三国越え。 日の関係で見づらいが、シングルトラックを登りきったところに一部小高くなっている峠がある。 別角度、おそらく滋賀三重県境側からの三国越え。 ここにも桜の木が植わっている。 林道と三国越えの間にある展望台。 一応屋根付きのベンチがあるが、冬は寒い。 灰皿もありタバコ臭い。 展望台からの景色。 かすんでいなければ綺麗なのかもしれない。
https://w.atwiki.jp/us_zuishu/pages/11.html
瑞州合衆国連邦の歴史(ずいしゅうがっしゅうこくれんぽうのれきし)では、瑞州合衆国連邦の歴史について述べる。 + 目次 瑞州の黎明期 丹朝八洲 東西朝時代 東丹朝八洲・西丹朝八洲 五朝夷戎 潘朝八洲 継承戦争 柴朝八洲 濃尾の乱 南北諸朝時代 単朝弖南 瑞 嶺山の陣 沢谷合戦 封建制 北瑞 後罕 征南鎮府 前期戦国時代 豊河時代 後期戦国時代 笠置幕府 前史 前期笠置時代 中期笠置時代 後期笠置時代 共和制への移行 東西戦争 開戦 西部戦線 東部戦線 終戦 帝国主義 瑞州内戦 考古学 狩猟時代鉄器時代渡洋文明 前八洲 古八洲政権 玄鷲 丹 南部三王朝(南蛮) 東西朝期 西丹 東丹 東丹(再統一) 五朝夷戎 鷲戎 玄夷 東五朝 後八洲 潘 合罕 柴 南北諸朝 北朝津 南朝衛 統一国家 単 瑞 再分離 北瑞 後罕(南瑞) 柳朝時代 北瑞 征南鎮府 柳政統一 西海都護府 前期戦国 (地域国家分立) 豊河時代 御宿幕府 後期戦国 (地域国家分立) 設楽古海家 笠置時代 古海幕府 幕共移行 共和制瑞州 南瑞州共和連合 瑞州合衆国連邦 軍民対立 鹿毛川幕府 現代 瑞州の黎明期 古くから倭語→日本語を使用してきた。 約1万2千年前の氷河期の終わり頃、瑞州の地には、日本列島から島伝いに太平洋を渡って東進してきた日本人の1グループ(先瑞洲人)がいた。彼らは大型哺乳動物や中・小型哺乳動物を狩猟対象とし生活していた。大型の哺乳動物は季節によって広範囲に移動を繰り返すので、それを追って彼らもキャンプ生活を営みながら、頻繁に移動を繰り返していた(狩猟時代)。しかし紀元前8世紀ごろ、彼らは鉄器の製造を軸として力を蓄え、移住生活でなくても定住で生活が可能な生活にシフトしていった。その中で、血縁関係にある者たちが集まって「村」を作り、やがてはほかの村と争って支配下に加えることが多くなった(鉄器時代)。また、紀元前5世紀から6世紀頃、中国大陸から渡来してきたグループが漢字を伝えたため、土器~鉄器時代の記録を漢文を用いて後世に残している。また、中国大陸や日本列島からやって来る者は多く、漢字や瑞州語(日本語)は中国本土や日本列島と同等の進化を遂げることとなった。これは渡洋文明と呼ばれる。 しかし、村が巨大化するにつれて、住人の統率は難しくなっていったようで、ついには同じ村・民族同士でも争ってしまうような時代に突入した(紀元前2世紀頃)。ここで勝利した者を頂点として、その者が指導する「洲(読みはクニ)」と呼ばれる地域的政治集団が徐々に各地に形成されていった。 1世紀・2世紀前後に各洲が抗争を繰り返し、各地に地域的連合国家を形成した。中でも、8つの洲で構成される八洲政権が最も有力であり、これが王朝に発展したとする説が有力である。3世紀ごろに、八洲政権の首長(王)は豪族(地方首長)を従えて統一国家建設を進めた。この時期に、瑞州語を操り、瑞州地域の中央辺りに住む八洲人としての自覚が次第に芽生えたとされる。 丹朝八洲 丹朝 Tan dynasty 首都 豊都(遠淡海州豊比市)丹城(尾治州扶桑市) 公用語 古瑞州語 皇帝 225年 - 261年 黎文斌(開世帝) 298年 - 299年 幽縦帝 建国 225年 別称 丹、大丹、古瑞洲 国姓 黎 丹朝の始まりは黎文斌である。彼は八洲政権を構成していた8つの洲(黎洲、季洲、吽洲、沙洲、潘洲、駿洲、信洲、陸洲)を支配していた豪族全ての血を引く人物であり、豪族たちの合議により八洲政権の首長となった。これより以前は八洲政権は豪族たちの合議により政治が為されていたが、黎春光以後は彼の血筋の者が首長として政治を執り行うようになった。二代目の黎雅嘉は「八洲」の国号、「王」号に代わる「皇帝」号を設定した。これは対外的な権威付けであると考えられる。この後、黎文斌には開世帝の諡号が贈られた。 丹の王朝名は黎文斌の出身地である黎洲丹羽郡にちなむ。これは現在の尾治州扶桑市に相当する。 丹朝は地方豪族と中央の王(黎氏)による緩やかな連合体であったため、支配地域は現在の北西地方や中央地方の一部に限られ、全国的な統一政権とはならなかった。瑞州南東部にはテオティワカン文明やオルメカ文明、マヤ文明の勢力がおり、彼らは弖南(てなん)、織売(おるめ)、合罕(がっかん)の王朝を創始して丹朝に対抗した。また瑞州北西部には遊牧民族であるチチメカ族(玄鷲、げんしゅう)がおり、これも丹朝に対抗した。沖思帝の時代には南部の潘洲や沙洲が陥落し弖南の攻勢にさらされたため、豊都から丹城に遷都されている。丹城が選ばれた理由は、かつて黎洲の都であったからである。 八洲政権→丹朝 黎文斌(開世帝、225~261):各州の抗争を鎮圧し、丹朝を打ち立てた建国者である。 黎雅嘉(定道帝、261~284) 沖思帝(284~295) 礼熙帝(295~298):乙卯の乱(295~299)により実弟の幽縦帝に王位を追われてしまう。 幽縦帝(298~299):乙卯の乱(295~299)により実兄から王位を奪うものの、後に礼熙帝に敗北し、地方へ落ち延びる。 東西朝時代 乙卯の乱により皇帝を名乗る者が二人出現し、それぞれが国を東西に二分(東丹朝、西丹朝)したため、東西朝時代と呼ばれる。 東丹朝八洲・西丹朝八洲 東丹朝 br;Totan dynasty 首都 豊都(参河州豊橋市) 公用語 古瑞州語 皇帝 299年 - 300年 幽縦帝 建国 299年 別称 東丹、東洲 国姓 黎 西丹朝 Seitan dynasty 首都 丹城(尾治州扶桑市) 公用語 古瑞州語 皇帝 299年 - 321年 礼熙帝 建国 299年 別称 西丹、西洲 国姓 黎 乙卯の乱で敗走した幽縦帝はかつての丹の都である豊都に辿り着き、ここを本拠地として礼熙帝の軍に対抗した。勢力に劣る幽縦帝は圧政を敷き民衆からの反感を買ったが、弖南や織売、合罕の三国に贈り物をするなどの懐柔策を用い、後顧の憂いを断った(蛮丹の盟)。しかしながら305年、その圧政についに民衆の不満が爆発し、豊都の乱で幽縦帝やその長男は殺害され、後継者争いの火種となるのを避けるために幽閉されていた次男が帝位を継いだ。これが文賢帝である。文賢帝やその息子の凱介帝は善政を敷き、国を安定化させた。 一方西丹は、礼熙帝も誠崇帝も最初から善政を敷いていた。しかし霊繆帝は暗愚であり、放蕩生活に溺れた末、341年には玄鷲との戦いに敗れて戦死した。残された哀懐帝はまだ10歳と幼く、東丹の首脳部は西丹に和平交渉を持ちかけるも断られた。翌342年、ついに東丹が西進を開始し、丹城はあっけなく陥落して西丹は滅亡した。この際、礼熙帝統の皇族は皆殺しにされた。 こうして東丹は悲願の両朝統一を成し遂げたが、北西部には未だ玄鷲の勢力が残っており、凱介帝自身も345年に勢力争いに巻き込まれ暗殺されてしまい、統一期間はたった3年で終わった。 東丹 幽縦帝(299~305):東丹(幽縦帝統)の祖。 文賢帝(305~321) 凱介帝(337~345) 西丹 礼熙帝(299~321):西丹(礼熙帝統)の祖。 誠崇帝(321~337) 霊繆帝(337~341) 哀懐帝(341~342) 五朝夷戎 東丹が勢力争いで凋落すると、各地の有力者たちが活気づいて地方国家が分立した。玄鷲は、東丹の滅亡と時を同じくして西部に勢力を持つ鷲戎(じゅじゅう)、北東部に勢力を持つの玄夷(げんい)の二つに分裂し、またそれぞれが次第に八洲人と同化していった。南では特に力を持った五朝が分立し、北では鷲戎と玄夷が勢力を持っていた時代を、東西朝時代の中でも特に五朝夷戎時代と呼ぶ。なお、弖南や織売、合罕の南東部三国は南蛮と呼ばれ、東五朝の内に入らない。 東五朝、およびその従属国家 国名 姓氏 領地 備考 先衛(せんえい) 白姓衛氏 静駿州の一部、重賀州の一部、紀山州の一部 南北諸朝時代の「衛」と区別するため先を付けて呼ばれる。 白姜(はくきょう) 姜氏 先衛に従属 鄭(てい) 鄭氏 先衛に従属 朱参(しゅさん) 朱姓洪氏 遠淡海州南部、近海州の大半 蔡栄(さいえい) 隗姓蔡氏 朱参に従属 南宮(なんきゅう) 南宮姓 朱参に従属 朱単(しゅぜん) 朱姓 朱参に従属 梁崗(りょうこう) 梁姓馮氏 梁丹(りょうたん) 黎姓 遠淡海州豊比市一帯 梁崗の保護下 大武(たいぶ) 武氏 尾治州大武市一帯 梁崗に従属 林紫(りんし) 万俟姓公氏 西鄭(せいてい) 蒲姓鄭氏 林紫に従属 季潘(きばん) 季姓潘氏 林紫に従属 暁北(ぎょうほく) 許姓江氏 曾師(ぞうし) 戎姓師氏 暁北に従属。元は鷲戎族貴族 龍鳳(りゅうほう) 戎姓龍氏 暁北に従属。元は鷲戎族貴族 玄石(げんごく) 玄姓石氏 暁北に従属。元は玄夷族貴族 鍾諏(しょうしゅ) 鍾氏 暁北に従属 西朝 国名 氏族 領地 備考 木曾(きそ) 鷲戎族 中濃州木曾市一帯 東朝文化に迎合した鷲戎系貴族が八洲人化して建てた国家。 鳴波(めいば) 玄夷族 波島州一帯 東朝文化に迎合した玄夷系貴族が八洲人化して建てた国家。 潘朝八洲 潘朝 Pan dynasty 首都 豊都(参河州豊橋市) 公用語 古瑞州語 皇帝 408年 - 413年 潘国亮(雍宣帝) 471年 - 499年 孝哲帝 建国 406年 別称 潘、大潘、古瑞洲 国姓 潘 潘氏のルーツは玄夷族の地方貴族にまで遡るとされ、明確に記録上に現れるのは五代目とされる潘雲紀からである。鳴波国において、潘雲紀は軍の武将としての扱いを受けていたが、同時に野心高い人物でもあったようで、巧みな謀略を駆使してついには鳴波皇族の外戚にまで上り詰めた。その後彼は敵対勢力の放った刺客に暗殺されるも、その息子である潘国亮もやはり野心高く、鳴波に反旗を翻して独立。400年に潘の建国を宣言し、その二年後には鳴波を滅ぼした。 この新興勢力に対し五朝や木曾は警戒の色を強め、藍帆などによる連衡策(五朝および木曾を横に束ね、北の脅威である潘に対抗する)などが提唱された。一時は対潘大同盟が結成される事態となり潘は窮地に陥るも、潘国亮は宰相・胡又儒が提唱した合従策(潘と五朝・木曾で個別に同盟を結び、縦に連結する)を取り入れ、ピンチを乗り切った。その後潘国亮は国家を挙げて南下を開始し、五朝の一つである梁崗の保護下にあった丹朝の末裔国家・梁丹国および豊都を支配下に置くと、丹朝皇族家の末代である黎宜雅から禅譲を受けて雍宣帝として即位した。これを以って潘朝八洲が成立したと見なされるが、かつての丹朝の支配領域を再統一するまではこの後も数年掛かっている。 成立当時の八洲政権や丹朝、そして潘朝の支配地域は、現代瑞州の全域に及ぶものでなく、北西や南東などはまだ領域外だった。しかし南東の弖南や織売に対しては、紀元5世紀頃に潘朝による征服がなされ、支配下となった。特に5世紀前半は、北米・南米遠征も計画され、実際に侵攻が行われる(北狄・南蛮征伐)など帝国としての対外志向が強まった時期だが、5世紀中盤に入り、こうした動きも沈静化した。 八洲は5世紀前半から中華の法体系・社会制度を急速に摂取し、古代の中央集権国家としての完成を見た。 一方で、八洲は潘朝の統治下で安定したかのように思われたが、第三代皇帝である孝哲帝が後継者を決めないまま厠で急死したために、各地の領主たちが自らに都合の良い皇族を担ぎ上げて皇帝に推挙するお家騒動が勃発。やがては武力抗争にまで発展し、継承戦争が始まる。 継承戦争 後継者として有力と見られていたのは孝哲帝の弟である潘博然であり、博然のもとには豪氏や郭氏といった氏族が集まっていた。しかし豪氏と並ぶ有力氏族である秦氏は孝哲帝の外戚である黄鵬を推薦し、意見を異とした両勢力は武力に訴えた。 当初こそ潘博然の側が優勢であったが、450年に彼が急死(急性アルコール中毒と言われる)すると、その勢いは衰えた。翌年に黄鵬は即位を宣言したが、国号を「黄」に変え、継承戦争に功績のあった諸侯に封土を与えた上で、丹朝のような合議体による理想政治を目指したため、中央集権を理想とする秦氏の造反を招いた。このため、黄鵬は潘朝の皇帝と見做されていない。 一方で、孝哲帝の第二皇子である潘江春は、鎮北将軍として八洲北部防衛の任に当たっており、懐柔のために鷲戎族の貴族の娘と結婚し、姓を柴に変えていた。継承戦争勃発直後は北走した木曾国の残党(北曾)と戦っており、候補として名前を挙げられることはあっても、とても後継者争いに口を出せる状況ではなかった。459年に彼が戦死した後も嫡子の柴子良が引き続き任務に当たっていたが、467年に玄夷を鎮圧すると、黄鵬や秦氏に反発する豪氏や郭氏から皇帝候補として担ぎ出され、継承戦争に参戦した。 潘朝八洲 潘国亮(雍宣帝、408~413):東朝文化に迎合した玄夷系貴族が八洲人化した氏族の出身とされる。 粛武帝(413~437):南方や北方の異民族を攻め滅ぼしたり屈服させる。 孝哲帝(437~445):後継者を決めないまま急死した。 柴朝八洲 柴朝 Sai dynasty 首都 中城(常陸中州荊城市) 公用語 古瑞州語 皇帝 471年 - 480年 柴子良(明寧帝) 608年 - 610年 孝哲帝 建国 551年 別称 柴、大柴、古瑞洲 国姓 柴 継承戦争を終結させた柴子良は、潘朝が首都としていた豊都に入京すると、471年に即位した。 これまでの王朝である黎や潘は中華に大きく影響を受けた統治システムや社会文化であったのが、柴の翼公帝が即位した頃から次第に中華文化との剥離が著しいものとなり、人名なども瑞州独自のものとなっていった。 濃尾の乱 六代目皇帝・干虚帝は非常に愚鈍で好色な皇帝であったと伝えられる。国中の美女を集めては王宮で侍らせており、臣下に讒言する者があれば自ら手討ちにするか、そうでなければ無実の罪を着せて処刑するなど、恐怖政治を敷いた。一方で対外戦争に関しては「天賦の才」を発揮したとされ、潘朝継承戦争にどさくさに紛れて八洲支配下から独立していた弖南や織売に侵攻、これを支配領域に取り戻した。戦後の論功行賞により封土を加増された地方豪族も多くいたため、臣下の間では不満こそ溜まっていったが、それが大爆発を起こすような事態にはならなかった。 しかし、干虚帝が崩御し次男の元章帝が即位すると事態は一変した。元章帝の異母兄で長男の柴道成は、父の干虚帝に讒言したことと、母の身分が低いことで皇位継承順では下位に位置していたが、長幼の序を理屈として自身が皇帝になるべきと主張。それに賛同する名門の衛氏(尾治)や真浦氏(信濃)などを中心とする諸侯と共に蜂起し、609年2月に濃尾の乱が勃発した。 また、元章帝は父親の政治を反省し、荒廃した国内を立て直すために中央集権化を推し進めようとしていたのだが、その中に「諸侯の封土削減・皇帝直轄領の増加」という政策が含まれていたため、諸侯たちが反発したのも乱の原因であった。これらの政策は一般庶民たちからは支持を得たものの、諸侯たちにとっては不愉快なものであったのだ。 609年12月7日、柴軍は道成軍を急襲し、総大将の道成を殺害する(飯田の戦い)。しかし諸侯たちは新たに、衛氏の当主である衛士門を総大将とし、再び柴軍に挑んだ。戦上手として知られた衛士門の指揮に、柴軍は敗北を重ね、610年10月24日には鹿児島の戦いで柴軍が殲滅され、元章帝は戦死。残された皇族たちも捕縛・処刑され、ここに柴朝は滅亡した。 仲朝八洲 柴子良(明寧帝、471~480) 翼公帝(480~497) 和厚帝(497~508) 礼理帝(508~539) 安高帝(539~572) 干虚帝(572~577):悪政により求心力を失う。 元章帝(577~610):治世の末期に濃尾の乱が発生、衛氏・真浦氏連合軍に敗北し、殺害される。ここに柴朝は滅亡する。 南北諸朝時代 柴朝が滅亡した後、濃尾の乱で連合を組んだ衛士門・真浦秀志は反目し合い、それぞれが独自に王家の創立を宣言する。611年、衛氏と真浦氏の対立は武力衝突に発展し、庄内川の戦いで真浦軍が衛軍を撃破、衛氏は本拠地であった尾治を失い、南方に逃れることとなる。これを以て真浦氏の建てた北朝(津朝とも)と、衛氏の建てた南朝(衛朝とも)が並立する南北朝時代の始まりであるとする説が一般的である。 真浦氏・衛氏による南北朝並立の時代は30年足らずで終了した。後衛は本拠地や従属していた異民族の領域を失っても、他の氏族と結んだ婚姻関係を軸に良好な統治を行ったのに対し、津の統治は上手く行くことがなく、二代目の皇帝・真浦俊直の死後にさらに十三国に分離した。 南北朝時代 国名 姓氏 領地 備考 後衛(こうえい) 白姓衛氏 瑞州南部 五朝夷戎時代の「衛」と区別するため後を付けて呼ばれる。南朝衛とも。 津(しん) 海姓真浦氏 瑞州北部 海津、大津とも呼ばれる。 八代(やつしろ) 南宮姓全氏 梨甲州 北朝十三国の一つ。 武江(ぶこう) 隗姓播野氏 那橡州、埼武江州、神相州 北朝十三国の一つ。 周芳(しゅうほう) 周姓齋氏 山防州 北朝十三国の一つ。「すわ」とも。 羽州(うしゅう) 秋姓 秋羽州 北朝十三国の一つ。 楠成(なんじょう) 成姓鄭氏 濃波州、林播州 北朝十三国の一つ。 常陸(ひたち) 成姓鄭氏 常陸中州、能石州、嶺狭州 通常北朝十三国とは数えられない。のちに鄭橘、嶺に分裂する。 鄭橘(ていきつ) 成姓鄭氏 常陸中州 北朝十三国の一つ。 嶺(れい) 干氏 能石州、嶺狭州、波島州 北朝十三国の一つ。 対島(つしま) 朱姓 岩陸州 北朝十三国の一つ。 武遠(ぶえん) 武姓杜氏 中濃州、濃前州 北朝十三国の一つ。 高(こう) 高姓 三勢州、嶋海州 北朝十三国の一つ。後に単朝に組み入れられるが、その間に主君の愚鈍を理由とする「飯高崩れ」が発生し、統治者が家臣だった八重氏に代わる。 板(ばん) 板姓城氏 重賀州 北朝十三国の一つ。 淡海(あわうみ) 冷姓木菱氏 尾治州、遠淡海州、近海州 北朝十三国の一つ。 紀州(きしゅう) 井姓 紀山州、静駿州 北朝十三国の一つ。 単朝弖南 単朝 Zen dynasty 首都 岡山(吉備作州岡山市) 公用語 弖南語上代瑞州語 皇帝 610年 - 654年 単富賢(忠壮帝) 737年 - 740年 慎舒帝 建国 551年 別称 単、弖南 国姓 単 柴は対外戦争で領土を拡大し、南蛮と呼ばれていた異民族である弖南や織売を従属させ、各地域に督部を置いて彼らを支配していた。しかし濃尾の乱の混乱で、支配地域に置かれていた督部の権力も次第に減衰していた。609年末、備州の弖南族・羅國辰が蜂起し、備州督部を攻め滅ぼすと、弖南国家の再建を宣言した。しかし羅國辰は未だ若く、後継ぎもないままに、翌年正月の酒の席で急死する(死因は急性アルコール中毒とみられる)。困り切った弖南の各族長たちは、羅國辰の従兄であり、勇将の誉れ高かった単富賢を擁立し、皇帝に即位させた。これを以って単朝が始まったとみられる。 富賢は国力を温存するために、向かってくる敵には対処するものの、南北朝の争乱で混乱していた八洲への介入は避けていた。また同盟や契約を駆使し、北朝十三国のどれかに力を貸すなどの方針を以って力を伸ばし、次代の誠崇帝の時代、670年代前半には織売や合罕も糾合して一大勢力となっていた。社会基盤も整い、期は熟したと判断した三代目の彭強帝は八洲への侵攻を開始。721年までには南北朝全ての領域が単朝の支配下に入り、八洲は初めて異民族により統一された。 しかしながら八洲人の反抗も根強く、単朝の支配も安定しなかった。729年に八洲人官僚である許政宏と趙義憲が許趙の乱を引き起こすと、仁容帝は武勇で知られ単に忠誠を誓っていた八重伸隆を鎮圧に派遣した。一旦は反乱の鎮圧に成功するものの、732年に今度は伸隆が反乱を起こし(単勢戦争)、有効な対処策も見つからないままに単の支配領域はみるみる削り取られ、740年に首都の岡山が陥落。幼少の慎舒帝は行方不明となり、ここに単は滅亡した。 瑞 瑞朝 Zui dynasty 首都 鈴鹿(三勢州鈴鹿市) 公用語 瑞州語 皇帝 740年 - 749年 八重伸隆 813年 - 839年 八重忠隆 建国 740年 国姓 八重 北朝十三国の一つ・高の重臣で、数多くの周辺諸国との戦争で武勇を轟かせていた八重伸隆は、主君である高一輝の愚鈍を理由に飯高崩れを引き起こす(724年)。一輝は就寝中に襲撃、暗殺された。大河内氏は一輝に嫡子がいなかったため廃絶となり、また裏工作により高国の家臣たちの支持も集めた伸隆は、同国の実権を握った。伸隆は、急速に力を伸ばしてきた単へ歯向かうことは得策ではないと判断し、単へ帰順した。その結果、仁容帝にその武勇の才を見込まれ、伸隆は単の重臣として召し抱えられた。 729年に八洲人官僚である許政宏と趙義憲が許趙の乱を引き起こすと、仁容帝は伸隆を鎮圧に派遣した。許軍や趙軍に対する二方面作戦を強いられ苦戦するものの、伸隆は一旦は反乱の鎮圧に成功する。しかし単の支配能力の低下や腐敗を見て取った伸隆は、今度は自分が単に反旗を翻した(単勢戦争)。八重軍叛逆の報に、仁容帝は驚きのあまり吐血、失神し、そのまま崩御した。次代の逸淵帝は、戦上手で知られる伸隆に対し有効策を取ることができず、また勢いに乗る伸隆が単の重臣たちを大量に調略したために、瞬く間に支配地域を失っていった。逸淵帝本人も737年に崩御し、後を幼子の慎舒帝が継いだものの、残った家臣たちにそれを守り立てて単の支配を復活させる力はもう残っていなかった。 740年に単の首都である岡山を攻め落とした伸隆は、皇帝の座に就き(八重戴冠)、瑞朝を新しく開いた。首都は鈴鹿(三勢州)。「瑞」、つまり天が善政に感じてくだす、めでたいしるしへの期待としてこの国号を設定したと考えられる。またこの頃になると、皇帝の「諡号」の伝統が消失し、皇帝名は「本人の名+帝」で表記されるようになっていった。この時読み方としては、名の部分が全て音読みで読むことが非常に多い(例:八重伸隆(やえのぶたか)→伸隆帝(しんりゅうてい))。 即位後、伸隆帝は次なる標的を、許趙の乱や単勢戦争のどさくさに乗じて独立した小国家群を標的を定めたものの、瑞の勢いを既に知っていた数か国はすぐに降伏した。伸隆帝は戦場での苛烈さや野心の高さ、計算高さとは対照的に、配下に対しては慈悲深い人物でもあり、投降した君主家である城氏と木菱氏らを家臣団に加え入れている。降伏したいずれの主君筋も伸隆帝は厚遇したことから、家臣団の結束力はより強いものとなった。そしてこれは瑞の政権運営の原動力となった他、瑞の重臣格の家は貴族となり、現在でも存続しているような名家となった。しかしながら、降伏を拒んだ国に対しては、伸隆帝は徹底的な制圧戦を展開した。 747年に鄭橘、武遠を滅ぼした伸隆帝は、高くそびえたつ山々に囲まれうかつに手出しのできない後嶺と、未だ統一のされていない西海半島地域を天秤にかけ、748年に半島征伐を決意。総動員した船上戦力と、半島の付け根にある梨甲地域を支配する八代を攻め落としてからなだれ込む地上戦力の二軍を分けた伸隆帝は勝利を確信していた。しかし、菊多沖海戦の勝利の報に喜んだのもつかの間、自らも山々に囲まれて飛び出てくることはないだろうと踏んでいた後嶺が侵攻を開始し、波島地方を占拠したという急報が届いた。波島は首都の鈴鹿の目と鼻の先であり、しばし逡巡した伸隆帝は、船上戦力を引き戻して嶺へ急行させるも、749年に後嶺軍と向かい合った御嶽山の陣中にて、風邪をこじらせて没してしまう。遺言通りに帝位と家督を相続した嫡子の芳隆帝は対嶺戦の続行を指示しつつ、八代方面軍の指揮官の真方頼実に和睦を指示。ひとまず西海半島への戦役は中止され、瑞は後嶺との戦争に全力を投入することとなる。 嶺山の陣 750年、瑞軍上層部(柳営と称される)は集結しつつある全軍を三手に分け、山防方面から嶺狭を攻撃する嶺狭方面軍、常陸中や濃前方面から能石を攻撃する能石方面軍、重賀や三勢方面から波島を攻撃する波島方面軍が編制された。それぞれの方面軍大将には鎮北将軍、鎮西将軍、鎮東将軍の位が与えられ、それぞれ右藤吉胤・藪上邦茂・衛昌晃の三人が将軍職を拝命した。また、内政統治に忙しい皇帝に代わり、継続して集中的に全軍を指揮できる階位として輔国大将軍の位が新設され、大鳥井重輝が大将軍位に就いた。輔国大将軍は柳営のトップであり、軍政・軍略面に関して非常に大きな権限を有していた。 同年十二月、にらみ合いを破り、帝国軍が嶺の勢力範囲に進出するも、後嶺軍は地の利を最大に活かしてこれらを撃退。何度目かの侵攻失敗に際し、一度鈴鹿に帰っていた芳隆帝から(激励のつもりで)視察を行うという報告を受けた重輝は、皇帝の到着までになんとかして後嶺を攻め滅ぼさないといけないと焦り始め、ついには自身が陣頭指揮を執ると宣言。機動力を重視し、重装備で移動速度の遅い近衛兵の護衛を付けずに出撃するも、後嶺軍伏兵の挟撃に遭い討ち死にを遂げる。後任には木菱宜之が着任した。 木菱はこの時数え年で76歳という高齢であったが、十三国時代を淡海の王として生き抜いてきたその老練的な手腕は衰えを知らず、的確に軍を動かすことで後嶺軍を徐々に後退させた。752年4月、能石を制圧したことで嶺狭・波島で後嶺が分断されてしまい、「瑞帝国内での自治を認めてくれないなら戦うまで」という消極的主戦論を唱える嶺狭の後嶺(西嶺)と「帝国の首都・鈴鹿のある三勢まであと少し、攻め込めば勝てる」という積極的主戦論を唱える波島の嶺(東嶺)の二つに分かれた。東嶺がこのような主張をしたのは、東嶺の成り立ちとして、もともとは開戦時に嶺本土から出撃して波島を占拠した遠征軍が主体となって統治する軍事国家であったからで、冷静な判断を下せず血の気が盛んだったことによる。東嶺はもとより、瑞洲の中央政権による統一を目指す芳隆帝としては西嶺の主張も受け入れるわけにはいかず、結局は二つを相手にし戦うこととなってしまった。翌年、三勢から出撃した皇帝直下の近衛軍と鎮東将軍の軍勢の挟撃にあい東嶺は滅亡。残る西嶺もよく抵抗したものの、760年までには降伏した。 8世紀から9世紀にかけて、戦乱に巻き込まれた地方豪族や有力農民は、勢力の維持・拡大を図り、武装するようになった。彼らはしばしば各地で紛争を起こすようになり、政府は制圧のために中下級の貴族(公家と呼ばれる)を押領使や追捕使に任じて、各地に派遣したが、中には在庁官人となってそのまま定着するものも現れるようになった。これが武士の起こりである。武士は家子や郎党を率いて戦を繰り返したが、やがて連合体である武士団へと成長した。中でも中央貴族の系譜を引く平沢氏と熊谷氏は、軍事貴族である武家となって、武士を二分する勢力に成長した。また、戦時にのみ設置される最高司令部である柳営が、嶺山の陣における占領地域で軍政を敷いたことで、武家の領域支配の先例が確立された。これは後に、領域統治主体が皇帝から、軍を直接指揮できる将軍に移っていく遠因となる。 八重尾朝瑞洲 八重尾伸隆(740~749) 八重尾芳隆(750~758) 八重尾正隆(759~774) 八重尾憲隆(775~812) 八重尾忠隆(813~839) 沢谷合戦 沢谷合戦期(たくこくがっせんき)とは、武家の二強として成長した平沢氏と熊谷氏による対立、戦乱の時代である。瑞朝の皇帝・忠隆帝が後継者決めに腐心している最中に亡くなってしまったため、忠隆帝の弟である清隆を推す平沢氏(能石平沢家)と、忠隆帝の側室が産んだ年少の遺児、徳千代を推す熊谷氏(参河熊谷家)で対立が勃発した。その対立は次第に軍事的な衝突となっていき、統一国家・瑞朝は瓦解してしまった。 戦乱は150年以上にも及び、当然の帰結として後継者たちもみんな死んでしまって、沢谷合戦は後継者決めの戦争から平沢氏・熊谷氏の権力闘争という構図に変化してしまっていた。1001年、鉢伏山の戦いで平沢氏が滅ぶと、名実ともに熊谷氏が瑞洲のトップの座に就いた。しかしこの混乱に乗じ、合罕の末裔・乙孩氏が自身の領地で独立を志向。やがて古代南蛮や瑞の伝統を糾合した罕(後罕)が成立し、熊谷瑞洲と拮抗を始める。 封建制 10世紀から12世紀にかけて、旧来の皇帝を中心とする古代の律令国家体制が大きく変質し、武士の熊谷氏らが実権を掌握する武家政権が保守的貴族勢力と拮抗しながら国内を統治する中世国家へと移行した。熊谷氏が継承した瑞(北瑞)と、後罕(南瑞)が併存する体制はしばらく続いたが、1153年には北瑞が設置した軍事機関・征南鎮府が後罕を滅ぼした。 北瑞 瑞 Zui dynasty (Northern) 首都 京(瑞京府) 公用語 瑞州語 君主 1001年 - 1015年 熊谷辰秋 1138年 - 1161年 熊谷利秋 1172年 - 1175年 熊谷信秋 成立 1001年 別称 瑞洲、熊谷瑞洲 熊谷氏は八重氏から帝位と国を継承したが、実体としては諸侯の連合体であり、熊谷氏は封土や官位を諸侯に分与する権限こそあったものの、これまでの皇帝のような強力な統治権限を全土に行使することはできなかった。このことから、多くの「洲(クニ)」が連帯して開かれた王朝であることを示す「瑞洲」が別称として用いられるようになり、これが現在の「瑞州」という国名に繋がる。熊谷氏は自らの直轄地のみに直接の権力を振る得たが、このときその直轄地かつ拠点であった近海州の一部地域を「京」と改称し、首都とした。現在の瑞京である。また皇帝の位階もだんだんと廃れていくことになる。 それでもなお、第6代・熊谷利秋の頃には王朝は全盛期を迎えた。利秋は制度改革を進め、辺境防備を指揮する、最も信頼する重臣を配置した地方行政拠点である「鎮府」、それを輔弼する諸侯による「都護府」を配置した。鎮府の長たる将軍には大武家が抜擢され、東域鎮府(安東将軍:桜町家)、西域鎮府(安西将軍:城衛家)、南域鎮府(寧南将軍:朱雀山家)、北域鎮府(寧北将軍:深草家)の4鎮府が置かれた。1144年、利秋は後罕の打破を決意。南域鎮府が攻勢を主眼とした編成の「征南鎮府」に改編され、今までにらみ合いの状態であった対後罕戦線が再燃する。 北瑞 熊谷辰秋(1001~1015) 熊谷光秋(1016~1036) 熊谷康秋(1037~1059) 熊谷邦秋(1060~1103) 熊谷昌秋(1104~1137) 熊谷利秋(1138~1161) 熊谷宗秋(1162~1171) 熊谷信秋(1166~1175) 後罕 罕 Kan dynasty 首都 門府(穴門州穴門市) 公用語 瑞州語 皇帝 1003年 - 1018年 乙孩正嗣 1145年 - 1153年 乙孩崇洋 建国 1003年 別称 井、瑞洲 国姓 乙孩 南部瑞洲を拠点とした後罕は、首都を穴門国・門府と定め、郡県制を採用した。 1144年ごろから北瑞の再侵攻が始まり、またその先鋒を担った征南将軍の朱雀山義広が無類の戦上手であったこともあり、後罕は次第に追い詰められていく。門府まで北瑞が迫った1153年7月18日、皇帝・乙孩崇洋が陪臣の外所貴彰に殺害され、ここに後罕は滅亡した(玄武門の変)。 後罕 乙孩正嗣(1003~1018) 乙孩正公(1019~1031) 乙孩正信(1032~1057) 乙孩俊康(1058~1078) 乙孩宗俊(1079~1085) 乙孩武嗣(1086~1121) 乙孩正洋(1122~1144) 乙孩崇洋(1145~1153) 征南鎮府 征南鎮府 Margrave toward Southern Region 首都 豊河(参河州豊川)→門府(穴門州穴門市) 公用語 瑞州語 征南将軍 1144年 - 1179年 朱雀山義広 1179年 - 1389年 保坂康正 建国 1175年 別称 東関柳営、朱雀山政権 北瑞第6代・熊谷利秋が進めた制度改革により誕生した、辺境防備を指揮する、最も信頼する重臣を配置した地方行政拠点である「鎮府」のうち、南域鎮府が前身である。南域鎮府の長、寧南将軍には朱雀山勝広が任じられ、他の将軍位ともども世襲することが定められた。1143年に勝広が病死し、嫡男の義広がこれを継いだ。翌年、南域鎮府は攻勢を主眼とした編成の「征南鎮府」に改編され、義広も「征南将軍」となる。以降、義広は対後罕戦で前線を張り続けた。 玄武門の変後、義広は後罕の謀反人である外所貴彰を鳥屋野潟の戦いで討ち取り、門府を掌握した。旧後罕の領域に、征南鎮府の管轄下にある都護府を大幅に増やしたため、朱雀山氏の勢力自体も急成長した。軍閥「征南鎮閥」として勢力を拡大し続ける征南鎮府を危険視して、熊谷利秋は征南鎮府を南域鎮府に、征南将軍を寧南将軍に戻し、戦時編成を解除する勅令を出したものの、義広は「南蛮の脅威一掃され難し」としてこれを拒絶した。しかし義広は、自身が上京しての釈明と、血判の作成、嫡男の政広を人質に差し出したことにより、利秋の怒りを鎮めることに成功した。 1161年に利秋が死去すると、義広は手のひらを返したように、熊谷氏の許可なしに有力武家との婚姻仲介を進めるなど、血判の誓約内容に違反した行動をとるようになる。利秋の後を継いだ宗秋が軍備を整えているのを知るや否や、1164年、義広は管轄下の都護府に出陣命令を発し、京へ向けての進撃を開始した。数度の会戦を経て、1166年、宗秋は京を放棄し、東域鎮府を頼って落ち伸びた。義広は京へ入城し、宗秋のはとこにして幼年の信秋のみを残して、熊谷氏の縁戚を一人残らず探し出し殺害するか、または出家させた。 以後、義広は信秋を擁立した政権を確立し、寧北将軍として北域鎮府を率いていた深草家もこれに同調。宗秋を奉じる東域鎮府(桜町家)、西域鎮府(城衛家)との争いになった。1171年には那張の戦いで宗秋を戦死させ、戦う理由が消滅した二家とも和睦。信秋を傀儡とする体制がこのまま続くかと思われたが、1175年、信秋が流行り病をこじらせて、後継ぎを残さぬまま死去し、熊谷氏が断絶してしまう。 もはや圧倒的な武力を前に各将軍家も朱雀山家に従属せざるを得ず、北瑞の政府官僚も征南鎮閥出身者に挿げ替えられたことで、朱雀山家の天下が一時は確定した。もはや義広は帝位を必要とせず、将軍による武家政権(東関柳営)が瑞州の史上初めて成立した [(*1)] 。しかし代替わり時の混乱を狙った政権奪取という、義広が成し遂げたこの偉業は、むしろ悪しき先例として後世に影響を及ぼした。義広が死去した1179年、朱雀山家の暴挙に不満を抱いていた、西域鎮府管轄下の西海都護府を率いる城衛守隆 [(*2)] が反乱を起こし、主君にして主家筋の安西将軍・城衛秀勝を殺害し、西海半島を自身の勢力下とした。柳営によって全国が統一された期間は4年ほどであり、以後しばらくの間、西海都護府勢力と征南鎮府勢力が並存する。 征南将軍 朱雀山義広(1144~1179) 朱雀山康広(1179~1185) 朱雀山武広(1185~1199) 朱雀山秀広(1199~1207) 朱雀山泰広(1207~1209):最期まで後継者を明確に指名しなかったため、後継者争いである二条の乱を引き起こす。 朱雀山正二郎(1209~1214):和良の遺児であるが、二条の乱に敗れて戦死。 朱雀山清広(1214~1215):泰広の弟。二条の乱には勝利するも、稲沢の変で重臣に謀殺される。 東関柳営は5代目・泰広が急死し、後継者を明確に指名しなかったため、後継者争いである二条の乱が勃発する。泰広の遺児である正二郎はまだ2歳であったため、泰広の弟である清広を推す重臣・相野田重浩と、正二郎を推す屋宜正芳の間で意見が割れたためである。二条の乱は当初屋宜軍が優勢であり、正二郎は一度は正式に将軍位に就くが、西海都護府の介入もあり、戦局はだんだんと悪化、泥沼化した。1214年12月、正二郎は陣中にいたところを間諜(スパイ)によって暗殺される。流石に非道な戦い方であると、勝ったはずの清広・相野田軍の元から離反者が続発し、清広は一度は念願の将軍位に就いたわけであるが、翌年には重臣の裏切りに遭い謀殺されてしまう(稲沢の変)。 朱雀山家の本家筋が絶え、東関柳営も内乱によって瓦解すると、各地の諸侯が自らの覇を唱えて争いを始めた。地域国家が乱立する前期戦国時代が始まって、いよいよ収集がつかなくなった。 前期戦国時代 13世紀から15世紀までの時期には社会の中世的な分権化が一層進展したが、政争による統一政権の衰退を決定機として、13世紀前半頃から大名勢力による地域国家の形成が急速に進んだ(戦国時代)。この戦国大名たちは、もともとは封建制によって各地を領有した武家であり、その武力を背景に、自国こそが正統な統一国家であることを主張した。この地域国家の形成は中世社会の再統合へと繋がり、一度は御宿家による統一政権が発足した。一般的に、二条の乱からこの御宿幕府の成立までの時代を「前期戦国時代」と呼ぶ。 豊河時代 御宿幕府 Mishuku Shogunate 首都 豊河(参河州豊川市) 公用語 瑞州語 上将軍 1391年 - 1399年 御宿直隆 1448年 - 1453年 御宿尚徳 建国 1391年 別称 瑞洲 上将軍 御宿直隆(1391~1399) 御宿仁隆(1399~1414) 御宿正隆(1414~1427) 御宿有隆(1427~1432) 御宿知徳(1432~1440) 御宿克徳(1440~1448) 御宿尚徳(1448~1453) 朱雀山将軍家の傍流である参河御宿家は、前期戦国時代末期に御宿直隆という名将を生み、数々の合戦を経て御宿家の天下を勝ち取った。彼は朱雀山将軍家から征南将軍位を引き継ぎ、次いで輔国大将軍位への昇格を主張した。この時代、輔国大将軍位への任命権者である皇帝位は既に無く、(既に誰も名乗っていなかったが)他の3将軍位の請求権を持つ深草宗家、近衛桜町家、岩陸城衛家と協議した結果、皇帝を輔弼する「輔国」大将軍は不適当であり、将軍位より上の「上将軍」位への就任が適当であるという判断が下された。この結果、御宿直隆は上将軍職に就き、1391年に御宿幕府を開いた。以後、御宿幕府の滅亡までを、政庁が置かれた豊河にちなみ「豊河時代」と呼ぶ。 上将軍家である御宿家は、家臣の大名である下坂直孝が豊河に攻め入ったことによって、1453年に滅亡した(近衛門の変)。当時の上将軍であった尚徳はまだ7歳であり、補佐すべきである公家たちは誰が実権を握るか抗争しており、腐敗していた政権に見切りをつけた下坂によって、周りの公家ともども上将軍は打ち倒されてしまったのである。尚徳は自害に追い込まれた。 後期戦国時代 最終盤では権力はほぼ無きに等しい状態であったものの、幕府というストッパーを失った瑞洲国内では再び戦乱が拡大し、16世紀末に古海武利によって瑞洲の統一政権(笠置幕府もしくは古海幕府)が樹立されるに至り、近世へと移行した。 前期を含めた戦国期においては、北朝十三国の末裔を自認するなど、特徴的な国の出現も散見される。例えば後期戦国時代に、嶋津国答志郡付近で興った「後鳳」は、五朝夷戎時代から続く名家が指導する、土着の武士層による一揆のもと成立したとされ、今でいう選挙王政を採用するなど、かなり特異である。 笠置幕府 前史 古海氏 設楽古海家:主流で、設楽家とも称される。自分たちでもその名乗りを使っていたようであり、古海武清が「設楽武清」と記名した書状が現在でも残っている。 八名古海家:八名家とも称される。 額田古海家:額田家とも称される。 渥美古海家:渥美家とも称される。 碧海古海家:碧海家とも称される。 三勢古海家:本司名氏から改名した頃に分家し、三勢国に土着し三勢氏・三勢家を名乗った。 大名家の中でも、かつての王家、皇帝家の末裔(とされる者)を王に戴いて、大名自体は幕府を開き実権を握るという場合や、先祖に将軍家があると主張し、将軍家の復活を期して幕府を再興させる場合があった。後者の最もたる例は古海氏である。古海家の系図を辿ると、11世紀から12世紀の東西朝時代に幕府を開き、瑞洲東部を支配した熊谷氏にまで遡ることができる。また、井王朝に滅ぼされた熊谷利秋以降、征夷大将軍の位は誰にも与えられていないことから、戦国大名となった古海氏は後裔である自らも征夷大将軍の官位を引き継ぐことが可能と主張し、1510年頃から時の当主によって征夷大将軍を自称するようになる。誤解されがちであるが、この頃には既に「官位を授与する目上の存在」は国内に消失しており、古海氏や他の氏族が将軍家と名乗っても(王家の自称と同様)それは自称に過ぎず、意味を為さないものであった。しかしながら古海氏が勢力を伸ばすと、その実力を背景とした「自称」は外部からきちんと認められるものになり、また古海氏に官位の認定権が生じることとなった。こうして、後の幕府を支えていくこととなる、将軍家をトップとした官位体制が確立した。 古海氏は、元は熊谷氏の傍流であり、熊谷幕府時代には本司名氏(もとしなし)を名乗る幕臣の立場にあった。熊谷氏の本拠地であった参河国内に領地を有していたものの、国境の設楽郡などを有するにとどまり、あまり表舞台には立たない一族であった。しかし、その後の小井戸朝や保坂朝時代を巧みに生き抜き、15世紀まで家名を存続させていた。1512年、若くして設楽古海家の当主となった古海武清は、先祖が将軍家であり、後任者がいなくなったが故に、自らも将軍となる権利があるとして征夷大将軍を自称。その天才的な内政手腕と軍事能力を以て他国を次々と屈服させ、参河・紀山・嶋海を制した。武清は親戚一同をまとめ上げる能力にも秀でていたようであり、効果的に軍を動かし戦国の覇者となるために、それまで直接指揮を行っていた古海軍を方面ごとに分け、方面軍司令官には八名・額田・渥美・碧海の各家の当主(幼少の場合は代理)を据えた。しかし1534年、参河国豊邦において、些細な出来事で恨みを持った家臣・新岡信久に暗殺されてしまった(豊邦の変)。新岡は逃亡したものの、父親暗殺の報を受けた武清の嫡男・正武が参河国内に非常線を張り、あえなく捕縛、処刑された。 古海氏当主の座は正武が継ぎ、父親の方針を引き継いで対外領土拡大政策を採った。正武は非常に開明的な思想を持っていたようで、嶋海国の港が支配下にあるのをいいことに、重臣・浦谷重成を正使として欧州へ使節を送り、膨大な知識を入手した(浦谷遣欧使節団)。この使節団には欧州の見分や知識の入手以外にも外交交渉の使命があったようだが、不発に終わったようである。正武は静駿・筑紫・薩摩を平定している最中にも欧州の研究を行っており、家臣団ともども欧州の優れた軍略に驚き、自国に適合するように取り入れることを計画。この軍制・戦略改革は成功し、古海軍は瑞洲や欧州のいずれの戦略にも似ることのない、独自の軍制度を確立。精強無比の強さを誇る最強の軍へと変貌した。よく訓練され、優れた指揮官に率いられた古海軍は連戦に連勝を重ね、1587年に正武が病没する頃には尾治以南の南瑞洲や三勢国を支配下においていた。 前期笠置時代 笠置幕府 Kasagi Shogunate 首都 京(瑞京府) 公用語 瑞州語 将軍 1599年 - 1617年 古海武利 1767年 - 1775年 古海武広 成立 1599年 別称 古海幕府 正武の病没後、家督は嫡男の次男・英武が継いだ。英武も父と同じく領土拡大政策を採り、間崎朝後嶺や後八重尾朝、鳴神朝と言った名門大名家を撃破し、1597年には北海半島以外のほぼ全土を掌握していた。しかし戦ばかりに明け暮れ、正室さえ取らなかった英武には当然として嫡子が無く、1598年に英武が膵臓癌(と思われる症状)で没すると後継者問題が急浮上する。 後継者問題で倒れた王朝はこれまでにも数多くあったため、重臣団は平和裏に後継者を確定することを誓った。会議の結果、碧海家に養子として出されていた英武の異母弟・碧海武利を設楽家に呼び戻すことで一致。武利はこれを快諾し、1599年に征夷大将軍への就任の儀を執り行い、政庁を京の笠置町に置いた。これを以って笠置幕府が正式に成立したと見做される。 中期笠置時代 後期笠置時代 19世紀中ごろに入り、欧米列強との接触が飛躍的に増えると、列強各国に対する他者意識の裏返しとしての「瑞洲」・「瑞洲人」意識がさらに強まり、ほぼ現代の「瑞州」・「瑞州人」意識と一致するまでに至った。大航海時代以降、米州各国が欧米列強の植民地とされる中で、瑞州が欧化政策を維持しつつ独立を長く保ったことは、後の国民国家意識にそのまま繋がる民族・国民意識の醸成をもたらし、結果として革命戦争以降の近代国家建設がスムーズに行われる基礎となった。また、この時期から瑞洲の「洲」の文字が、書き換え字である「州」に変わっていった。以前より「瑞州」表記は散発的に確認されていたが、時代の流れとして「瑞州」表記に置き換わっていったのはこの時代が初めてである。 共和制への移行 古海幕府は20代・275年もの治世を保っていたが、欧米列強からの文化流入や機械技術の伝授に加え、欧米列強の「市民自治」「共和制」の考えが輸入されると、「ただ一人の強いリーダー」の行う政治に限界を感じたのか、20代将軍・古海武広は「共和制瑞州」の構想を諸邦の首長たちに伝え、共和制瑞州の発展を願いながら、1775年に幕府の幕を自ら下し(天治奉還)、臨時連邦政府が形作られ、共和制瑞州が本格的に始動するための準備を始めた。しかし共和制瑞州構想で触れられた、共和制のトップである大統領職を狙って、南東地域の旧藩主たちや公家の末裔たちが団結し、「独立宣言」を発して、参河・岡豆以東9州が南瑞州共和連合として蜂起した(1776蜂起)。彼らは大統領職に、中世の絶対王政君主レベルの権限があると勘違いしており、君主を話し合いで決めるものの、決まった後は政治のすべてをその君主や付属機関に委ねると解釈していたのである。その為、瑞州全土から希望者を募って大統領決めを行うまでは合議制として、南瑞州共和連合は明確なリーダーを定めなかった。一方、北西地域の首長たちは共和制・大統領制を正しく理解したのに加え、瑞州の風土では連邦制の導入が相応しいとし、諸邦を「州(シュウ)」として再編。また、1776年7月15日に初の民主的な大統領選挙(第一回瑞州大統領選)を行い、思想面での建国の父と呼べる古海武広を大統領に据えた。古海は諸州規約を制定し、国号を「瑞州合衆国連邦」と設定し、旧幕府軍や北西諸邦の兵を集めた近代化軍(瑞州合衆国軍)を組織。自分を総司令官、部下の武官を各方面軍司令官のポストに据え、南瑞州共和連合との全面対決に進んでいった。 東西戦争 開戦 十数年に渡る緊張関係の末、1791年に東西戦争(革命戦争、Zuish Civil War)が開戦。この戦争では瑞州史上初めて近代的な機械技術が主戦力として投入された。4月12日に東軍(共和連合軍)が西軍(合衆国軍)の前線基地(紀山-参河州境)である孝子峠の要塞を砲撃して戦端が開かれた(孝子峠要塞の戦い)。古海は合衆国に残ったすべての州に孝子峠要塞などの奪回を呼び掛け、軍事的な協力を要請した。 4月19日には古海が東部海岸線の海上封鎖を宣言した。この封鎖は大西洋岸から太平洋岸までにわたり、東部経済を締め付けていった。この海上封鎖を解かんと、共和連合海軍による散発的な攻撃や砲撃が合衆国海軍に向け行われたが、いずれにおいても封鎖を解くことはできなかった。 戦闘名称 月日 州 勝者 特記事項 孝子峠要塞の戦い 4月12日 紀山州 東軍 洞海湾砲戦 4月19日 筑紫州 西軍 葦毛湿原の戦い 4月19日-21日 参河州 西軍 西部戦線 東西戦争は広大な地域で戦われたが、主な戦線としては西海岸の西部戦線と、中央山脈以西の東部戦線とに大別することができる。そして、東西戦争の最も主要な戦線であり、規模の大きな戦闘が繰り返し起こったのは西部戦線の方だった。これは、首都である瑞京が存在する西海岸の方が開発が進んでおり人口も多かったうえ、西部の中心都市の磐田市・東部の中心都市の御陵下市のどちらもが西海岸側に位置していたためである。さらに、両都市間に険しい山岳などの障害になる地形も少なかった。また、共和連合と合衆国連邦どちらも瑞京を首都として定義し、自然と両軍ともに相手の中心都市や瑞京をめざし進撃することが多かった。こうして、西部戦線(特に瑞京付近)で激しい戦いが多く繰り広げられることとなった。 孝子峠要塞の戦い以後、両軍共に軍隊の創出で大わらわであった。古海大統領は反乱軍を抑えるために7万を超えるの志願兵の召集を命令した。発足したばかりの陸軍には、十分な戦力といえるのは16000名の兵士程度しかいなかったのだ。陸軍は旧幕府軍からの古参兵である年長の玉田克己中将に指揮されていた。共和連合の方は、一握りの旧幕府軍士官と兵士、そしてかつての民兵団の一部が東軍に加わった。東軍の体系は各州によって整えられた。しかし、強い中央政府に対する各州の嫌悪感で助長された連合国防衛軍の分散した性格は戦争の間の東軍の弱みの一つであった。 東部戦線 西部戦線とは地理的懸隔もあってやや独立した動きとなっていたが、戦争後半では西部との連携が重要な課題となった。 西部戦線は当時もその後の歴史的な整理の段階でも、東部戦線よりかなり多くの注目を集めていた。これはその対立する両軍の主要都市が近く西部の大都市に大きな新聞の発行所が集中しており、西部で名声を博した人物がいたからでもある。このために西軍が東部で東軍を叩き、東部の領土を侵略していったことは、ほとんど気付かれないままであった。 孝子峠要塞の戦い後、紀山州から出撃した梶原和弘少将率いる西軍(紀山軍)は紀山と参河の州境である孝子峠要塞の奪還、及び弓張山地の突破を目指しており、第一次参河方面打通作戦を発動するに至った。すでに弓張山地の葦毛湿原を占領していた紀山州軍は、勢いそのままに孝子峠要塞の周辺にあり、東軍(参河軍)の兵站ルートの経由地点であった竜ヶ岩洞砦や石巻山要塞に攻め寄せ、これを陥落させた。 竜ヶ岩洞砦や石巻山要塞で撃破され、後退する東軍を押しとどめたのは米川啓之将軍率いる援軍であった。米川は旧幕府軍の陸軍歩兵奉行(少将クラス)であり、作戦指揮に精通していた。撤退してきた東軍と援軍とを合わせ、指揮系統がボロボロになっていた参河軍を再編し、的場峠に築かれた防衛ラインを用いて的確な防衛線を行った(的場の戦い)。西軍はこの堅固な防衛ラインを突破できず攻めあぐね、かといって引くわけにもいかず、自軍も防衛ラインを構築し相手の攻撃に備えた。的場の戦いにおいて、結局両軍は散発的な戦闘を五か月も繰り返したが、どちらも防衛ラインを突破するわけでもなく、結果として梶原が他地域の援軍に紀山軍を回すために撤退し、引き分けに終わっている。 戦闘名称 月日 州 勝者 特記事項 第一次参河打通作戦 竜ヶ岩洞砦の戦い 4月25日-26日 参河州 西軍 第一次石巻山要塞の戦い 4月31日-5月2日 参河州 西軍 的場の戦い 5月15日-10月14日 参河州 引き分け 第二次石巻山要塞の戦い 6月24日-25日 参河州 西軍 防衛ラインの隙をついて東軍が石巻山の奪還に乗り出し、奇襲攻撃を行ったが、西軍が防衛に成功。 終戦 1795年に東西戦争は合衆国の勝利で終結し、静駿講和条約が結ばれ、共和連合は解体された。しかし、南瑞州共和連合が、不勉強の勘違いによって蜂起した国家であったことから「南瑞州人は無知、無学」という偏見が生まれ、南東地域に対する地域差別はその後も続くことになる。 1797年12月17日には、連合規約に代えてさらに中央集権的な合衆国憲法が激論の末に制定される。1799年6月4日に発効され、同年に「やることは全て終えた」と古海は6選もした(というよりあまりにも古海が人気であり、市民が大統領選をボイコットした)大統領職を辞すが、結局は第8回大統領選(ボイコットにより第2回~第7回は『失われた選挙戦』となった)でまた担がれ、78歳の高齢で大統領に当選した。これより高齢の大統領はこの後には生まれていない。 瑞州は、「自由」と「民主主義」を掲げたことから、近代のの共和制国家としても、当時としては珍しい民主主義国家であった。 帝国主義 先述した通り、大航海時代以降、米州各国が欧米列強の植民地とされる中で、瑞州が欧化政策を維持しつつ独立を長く保ち、政権の交代にも(曲がりなりにも)成功したことは、後の国民国家意識にそのまま繋がる民族・国民意識、そして愛国心のさらなる醸成をもたらした。 瑞州内戦
https://w.atwiki.jp/hamonep_league/pages/53.html
青春アカペラ甲子園 全国ハモネプリーグ2020 今聴いて欲しい ぼくたちのハーモニー 放送日:2020年7月4日 地区予選出場グループ:171組 ※9年ぶりの学生のみが参加可能な大会 ※開催当時は世界的に感染症が流行しており、他人との接触や外出を控えるようにとの要請があった ◯審査員12名とINSPiの吉田圭介が①ハーモニー、②ボーカル、③アレンジ、④テクニック、⑤リズムを各100点の500点満点で採点し、点数が各ブロックで最も高かった5組が決勝に進出する。 Aブロック グループ名 得点 曲名 歌手名 / 年 出身 まんぷく 445 マリーゴールド あいみょん / 2018 東京・東京大学他 音てまり 431 フレア Superfly / 2019 滋賀・立命館大学滋賀県キャンパス インターハーモニー 436 海 その愛 加山雄三 / 1976 東京・セントメリーズインターナショナルスクール Bブロック グループ名 得点 曲名 歌手名 / 年 出身 アルペジオ 454 最後の雨 中西保志 / 1992 北海道・北海学園大学 まいける.jp 470 紅蓮華 LiSA / 2019 東京・慶応、明治、法政大学ほか あまがさ 458 白日 King Gnu / 2019 東京・明治大学 ※アルペジオはリモートでの参加 Cブロック グループ名 得点 曲名 歌手名 / 年 出身 ザ・コンティニューズ 482 宿命 Official髭男dism / 2019 兵庫、愛知、広島、三重他 ブロス 470 I LOVE Official髭男dism / 2020 東京・慶応、明治、駒沢、東京外国語大学 シンフォニア 491 Pretender Official髭男dism / 2019 東京・東京大学、中央大学他 ザ・コンティニューズは敗者復活枠で決勝進出 Dブロック グループ名 得点 曲名 歌手名 / 年 出身 いちごぐみ 438 パプリカ Foorin / 2018 東京・中学生~大学生 トンファンニューヨ 437 BORN THIS WAY LADY GAGA / 2011 東京 伽藍堂ベイビー 457 東京ブギウギ 笠置シヅ子 / 1947 東京・明星大学 Eブロック グループ名 得点 曲名 歌手名 / 年 出身 サツキバエ 445 フライングゲット AKB48 / 2011 愛知・日本福祉大学 桶川ルマンド 473 かもめが翔んだ日 渡辺真知子 / 1978 東京・東京外国語大学他 ツワブキ 450 馬と鹿 米津玄師 / 2019 東京・日本大学 ※ツワブキはリモートでの参加 決勝 ◯ブロック勝者+敗者復活枠の計6組、審査員+ゲストが採点する530点満点 ※敗者復活枠は、敗退グループの中で最も点数が高かったチームを選出 グループ名 曲名 歌手名 / 年 結果 まんぷく 笑顔 いきものがかり / 2013 444+23=467 まいける.jp さよならエレジー 菅田将暉 / 2018 460+27=487 シンフォニア いとしき日々よ 平井堅 / 2011 465+27=492 伽藍堂ベイビー イミテイション・ゴールド 山口百恵 / 1977 450+22=472 桶川ルマンド 瞳をとじて 平井堅 / 2004 481+29=510 ザ・コンティニューズ 何度でも DREAMS COME TRUE / 2005 491+28=519・優勝 ◯ゲスト EXIT(りんたろー。、兼近大樹) ジェシー(SixTONES) HIKAKIN 平均点:n点 決勝披露予定曲 グループ名 曲名
https://w.atwiki.jp/shimin/pages/17.html
編集者は市町村の項目について空欄を埋めていく。 また表外のその他、備考欄に追記情報や条例URLのリンクを記入していく。 編集について、項目の内容についての説明は「項目内容」を参照。 市町村 記入年月 自治基本条例/まちづくり基本条例など 住民投票条例/市民投票条例など 備考 条例名称 状況 市民参画 参画資格者 最高規範性 条例名称 状況 形態 投票資格者 結果の取扱 京都市 H23-03 (市民参加推進条例) H15.8.1施行 可能 定義無し なし 現在なし (住民投票)門川市長記者会見 福知山市 H23-01 現在なし 舞鶴市 H23-01 現在なし 綾部市 H23-01 現在なし 宇治市 H23-01 現在なし 宮津市 H23-01 現在なし 亀岡市 H23-01 現在なし 城陽市 H23-01 現在なし 向日市 H23-01 現在なし 長岡京市 H23-02 (市民協働のまちづくり指針) (H22.3施行) 可能 ・市民 ・外国人 なし 現在なし 市民協働のまちづくり指針 八幡市 H23-01 自治基本条例 検討中 京田辺市 H23-01 現在なし 京丹後市 H23-02 まちづくり基本条例 施行 H20.4.1 可能 ・市民 ・外国人 あり 検討中 個別 (市民) (外国人) 可能性あり あらかじめ市長が発表 ・過去に参政権付与実績あり? ・市民と行政の協働推進指針 南丹市 H23-02 (市民参加と協働の推進に関する条例) (H22.4.1施行) 可能 ・市民 ・子供 ・外国人 なし 現在なし 木津川市 H23-01 現在なし 大山崎町 H23-01 現在なし 久御山町 H23-01 現在なし 井手町 H23-01 現在なし 宇治田原町 H23-02 (ともに創るまちづくり推進条例) (H22.4.1施行) 可能 ・市民 ・外国人 なし 現在なし 笠置町 H23-01 現在なし 和束町 H23-01 現在なし 精華町 H23-01 現在なし 南山城村 H23-01 現在なし 京丹波町 H23-01 現在なし 伊根町 H23-01 現在なし 与謝野町 H23-01 現在なし その他、備考欄 ※注意:条例リンクはPDFのURLでは無く、PDFリンクが掲載されているページURLへのリンクとする ※注意:改行はシフト+エンター ◆京都市 市民参加推進条例www.city.kyoto.jp/somu/bunsyo/REISYS/reiki_honbun/ak10211121.html基本条例ほどの内容ではない代表民主制を基本としているが、市民参加を推進している。 ◆福知山市 市民協働まちづくり検討会 第1回で自治基本条例について触れているwww.city.fukuchiyama.kyoto.jp/modules/smartnews/category.php ◆舞鶴市 地方自治法に基づく住民投票条例制定請求の実績あり。結果は議会で請求否決 www.city.maizuru.kyoto.jp/contents/7d631f14042337f/7d631f14042337f5.html 平成24年は、舞鶴市と中国大連市が友好30周年www.city.maizuru.kyoto.jp/cgi-bin/odb-get.exe ◆綾部市 平成22年6月の定例会で自治基本条例に対する市長の見解が述べられた。市民の声により判断する意向 www.city.ayabe.kyoto.jp/view.rbz ◆宇治市 宇治市良好な居住環境の整備及び景観の形成を図るためのまちづくりに関する条例(基本条例の内容でなし) www.city.uji.kyoto.jp/cmsfiles/contents/0000004/4203/matizukuri-jourei.pdf ◆宮津市 ◆亀岡市 ◆城陽市 ◆向日市 まちづくり条例はあるが、基本条例の内容でなしwww.city.muko.kyoto.jp/shisei/machidukuri/machidukuri_jourei.html 平成22年3月24日永住外国人に対する地方参政権付与に反対する意見書、否決 www.city.muko.kyoto.jp/shigikai/h22-01-2.html 市民協働推進条例では、市民の定義が広域www.city.muko.kyoto.jp/shisei/shiminkyoudou/shiminkyoudou_jourei.html ◆長岡京市 まちづくり条例はあるが、基本条例の内容でなしwww.city.nagaokakyo.kyoto.jp/html/reiki/reiki_honbun/ab40002641.html 市議会では、永住外国人に対する地方参政権の付与に関する意見書(法案については地方の意見を聞くよう求める) gikai.city.nagaokakyo.kyoto.jp/gijiroku/cgi-bin2/GetText3.exe ◆八幡市 第4次八幡市騒動計画2007~2016の中で「自治基本条例等」の検討を行うと明記 www.city.yawata.kyoto.jp/info/machidukuri/download_yawatasogo4/keikaku6.pdf/view◆京田辺市 市議会では自治基本条例制定を要求する意見もあるが、条例化は段階的に研修しながらとの回答ありwww.kyotanabe.jp/0000000832.html 今後出てくる可能性はあり ◆京丹後市 まちづくり基本条例www.city.kyotango.lg.jp/shisei/furusato/machidukuri/index.html 市民の定義に国籍の記述がなく、市民に入る住民の説明で「住民票の有無にかかわらず」とあり、外国人も含まれると思われる。市のHP内ご意見箱NO.13平成16年10月12日 構造改革特区による永住外国人への参政権付与についてで 市の考え方が分かるが、付与に前向きwww.city.kyotango.lg.jp/cms/shisei/ikenbako/iken/index.php ◆南丹市 市民参加と協働の推進に関する条例www.city.nantan.kyoto.jp/simin-kyoudou/jyourei.html基本条例の内容でなし、但し、市民の定義は広域。 ◆木津川市 ◆大山崎町 ◆久御山町 ◆井手町 ◆宇治田原町 宇治田原町ともに創るまちづくり推進条例平成22年4月1日は基本条例の内容ではないが、 通勤、通学する人までも「住民」と定義しているwww.town.ujitawara.kyoto.jp/admin/reform/mati/index13.html ◆笠置町 ◆和束町 ◆精華町 地方自治法による自治基本条例制定請求が否決された事ありwww.town.seika.kyoto.jp/contents_detail.php ◆南山城村 ◆京丹波町 ◆伊根町 ◆与謝野町
https://w.atwiki.jp/nanohass/pages/2217.html
第0話 未知との遭遇 はるか昔の、ある世界のお話です。 その世界には「魔法」と「科学」というものがありました。 どちらも人々にたくさんの喜びと、同時に悲しみも与えられるものでした。 最初は、みんなはその二つを喜びのためだけに使おうとしていました。 でも、次第に悲しみを与えることに使おうとする、悪い人も現れて行きました。 その数はどんどんと増えていきます。 ついに、「魔法」と「科学」は、人々が憎しみ合うためのものでしかなくなってしまいます。 そして、その二つの力によって人々はもちろん、世界も疲れ果ててしまいました。 その時、一人の正義の魔法使いが現れます。 魔法使いはたくさんの人々や動物たち、植物、さらには大地までも他の世界に移動させる大きな魔法を作り上げます。 でも、それではみんなを助けることはできません。 たくさんの人々を助けるといっても、助けられない人のほうが多いのです。 魔法使いは考えます。 どうしたらみんなを幸せにできるだろう? そんなこと、魔法使いであっても一人の人間にはできる筈はありません。 魔法使いはあることを考え出しました。 そんなことをできるのは神様だけです。 それなら、神様を作ればいいじゃないか。 魔法使いは早速神様を作り始めます。 そしてたくさんの時間をかけて、ついに神様のたまごを作り出しました。 でも、それはあまりにも遅かったのです。 世界はもう死んでしまいました。 魔法使いは生き残ったわずかな生き物と、少しの大地をほかの世界に移動させます。 魔法使いはその世界の空に、大地を浮かせ、空の大地に人々を住まわせました。 空に浮かぶ大地は、そこに住む人々に「大陸」と呼ばれるようになります。 魔法使いは前の世界のようなことにならないよう、神様を育てることにしました。 でも、魔法使いはこの大陸を管理するのに精一杯です。 そこで神様を育てる人を選ぶことにしました。 神様の力はとても、とても大きなものです。 だからその力を悪用しないよう、神様が「悪魔」にならないよう、心の清らかな人が選ばれました。 神様はたまごから孵ると、「親」の下で成長し、世界に「平和であり続ける力」を与えます。 そして、その後、神様は再びたまごに戻り、残した力が切れるまでの千年という長い間を眠り続けます。 千年後再び神様は目覚め、「親」の下で成長し、再び眠り、その千年後に目覚めるというサイクルを繰り返すのです。 こうして、空に浮かぶ大陸と世界は、神様――「神獣」の加護の下、いつまでもいつまでも平和にあり続けました。 無限書庫に存在する、ある童話より (―――スバル!西側の遺跡から回り込んで! エリオとキャロは上空からフリードで追撃! 一気に追い詰めるわよ!) (オッケイ、ティア!) (了解しました!) 一人の男を機動六課フォワード部隊スバル、ティアナ、エリオ、キャロ、それにフリードリヒが追跡する。 男はフリードの放つ火球や、エリオの電撃などの攻撃を掻い潜り、密林におおわれた、かつての古代文明の都市の跡地を低空飛行する。 機動六課フォワード部隊は次元犯罪者五名を追跡していた。 普通、このような仕事は、執務官やその配下の武装隊が担当するものである。 古代遺物管理部の一課である機動六課が犯罪者を追跡しているのは訳があった。 その日、ある世界で正体不明のエネルギー反応が感知された。 このような「正体不明」のエネルギー反応である場合、ほぼ全てといっていい割合でその原因はロストロギアである。 その反応の強大さから、「奇跡の部隊」である機動六課にそのロストロギアの確保が命じられたのだ。 六課のフォワードメンバーがその世界に到着したとき、現場の古代遺跡は五人の男によって荒らされていた。 ロストロギアを不法に入手しようとする盗掘者であった。 彼らはそれぞれ一つずつ、虹色に光る宝石を所持していた。 それが件のロストロギアであろう。 機動六課と盗掘者達。 両者にとって互いの存在はイレギュラーであったが、別段気にすることではなかった。 ただ六課にとってはロストロギアの盗掘者を確保という仕事が増えただけであり、盗掘者達にとっては邪魔ものの排除という手間ができただけ。 真に予想外であったことと言えば、 ―――――互いの力が、予想以上に大きかったということだけ。 衝突する。 盗掘者の一人の槍から放たれたこれ以上にないという奇襲は、シグナムの剣によって防がれた。 互いが愕然とする。 今の一撃は盗掘者のうちの最高の実力者が放った、最高の奇襲であり、最高の技でもあった。 対して、六課のメンバーは今の一撃にシグナムしか反応できていなかった。 一言で言うのならば、彼女の近接戦闘能力に加えて騎士としてのカンの成果であろう。 そして、この状況から導き出された事実をその場にいた全員は一瞬で理解する。 盗掘者達は目の前の者たち、少なくとも桃色の長髪の女は自分達より実力が上であるということ。 六課メンバーは盗掘者達の実力が自分たちと伯仲しているということ。 今のやり取りで捉えられた情報の、わずかな相違。 六課は相手を「強敵」として認識し、 盗掘者達は、「逃げた方が良い強敵」として認識した。 閃光が走る。 先手を取ったのは盗掘者の側であった。 盗掘者の一人が放った閃光の意味を、六課は理解できない。 それが攻撃のための目くらましであるのか、攻撃に伴った二次的な作用の光であるのか。 結果、導き出される最良の行動は退避だ。 シールドを張りつつ後方へ跳躍する。 そして放たれるべき攻撃に備える。 光が晴れるとそこには――― 「いない―――!?」 そこで彼らは理解する。 盗掘者の放った閃光は、逃げるためのモノであったのだと。 「一流の騎士ではなく、一流の盗掘者であったというわけか――!」 シグナムは不快気に漏らす。 あれほどの一撃を放った男に、彼女は内心で称賛を与えていた。 槍型のデバイスとそれによる一撃により、彼女はかつて自身が屠った、誇り高い一人の騎士を思い出していた。 盗掘者を誇り高い騎士と重ね合わせたことを恥じ、心のうちで彼に詫びた。 「スターズ01からロングアーチへ。盗掘者およびターゲットを見失いました。 至急補足をお願いします。」 なのはが指令部であるロングアーチに通信を入れる。 無論、盗掘者達を追跡するためである。 「はい、補足は完了しています。 盗掘者はその遺跡の外を各個別れて逃走中です。 それぞれの座標は…」 通信士主任のシャリオから盗掘者からの座標が告げられる。 そしてスターズ、ライトニング両分隊の隊長格は4人が個別に盗掘者を追い、残りの4人が協力して最後の一人を追うことになった。 「急いでください!遅ければ多重転送で補足ができなくなる恐れがあります。」 シャリオからの通信、次いで。 「ここでやつらを逃がしたら大変なことになるかもしれへん。 みんな、頼んだで!」 部隊長のはやてからの檄が飛ぶ。 「了解!」 こうして機動六課フォワード部隊の盗掘者追跡劇が始まった。 ここで話は冒頭に戻る。 4人は男をある遺跡へと追い詰めた。 自分達より高ランクの空戦魔導師である男を確保するには、その機動力を封じ、さらには四人が同時に攻撃できる場所が必要であったからだ。 「時空管理局古代遺物管理部機動六課です。 時空管理局の名においてあなたを逮捕します。」 ティアナが男に向かって告げる。 フードを深くかぶった男の表情はよくわからないが、口元がにやりと歪むのを見た。 「さすがは彼の時空管理局。 君たちのような子供が私を追い詰めるとはね。 特にリーダーの洞察力はすばらしいよ。私の力を瞬時に見抜き、仲間の力を最大限に利用して私をここに誘導した。 追い詰められてしまうとわかりながら、私はここに来ざるを得なかったわけだ。」 ぱちぱちぱち。 その拍手と、男の口から語られるのはまぎれもなく心からの称賛だ。 その態度は、ここでおとなしく捕らないということを語っている。 「確かに君たちの総合力は私の力を上回る。 もし私を追い詰めたのがここではなかったら、あるいは私がこの遺跡についてくわしくなかったら私はおとなしく捕まるしかなかっただろうね。」 男は地に手をつくと、魔法陣が発動した。 次の瞬間、轟音と共に巨大な地震が発生した。 否、この遺跡そのものが振動しているのである。 遺跡の至る箇所に亀裂ができ始め、ついに崩壊を始めた。 天井の一部が音をたてて落下する。 シールドを張り、なんとかこれに対処する。 「君たちの敗因は、私と君たちのこの遺跡についての知識の差だ。」 男は飛び上り、崩れた天井から脱出する。 足止めには十分だ。 これから転送魔法を多重に発動させ、今現在行われているであろう、補足を掻い潜りつつ他の世界へ移動する。 他の四人もあとで合流するであろう。 例え実力では先ほどの邪魔者達に及ばずとも、逃げることに専念すれば十分可能なはずだ。 いや、あの四人は自分を上回る実力者たちなのだ。 できないはずはない。 男はほくそ笑みながら魔法陣を発動させる。 否、発動しようとした。 男はナニカを感知してその場から飛びのいたのである。 そして、左足の激痛。 魔力のバランスが崩れ、落下する。 何とかバランスを立て直し、着地に成功した。 何があった? あの強大な魔力は、いったいなんだった? 砲撃? 馬鹿な、周囲に人の気配は感じられなかった。 そのような遠距離からの砲撃ならば、魔力は必ず減退する。 それがあれほど強力なのはあり得ない。 それに、ガキどもの仲間は同志たちを追いかけているはず。 ここにいるはずが―――― 「なのはの砲撃を避けやがったか。 大したカンの良さだな。」 声。 男は上空へと目を向ける。 「あれほどの距離ではなかったならば、例え足に当たっただけでも戦闘不能になるだろうな。 もっとも、近距離でならば避けるという芸当出来る筈もないがな。」 「確かにそうだけど、なのはの完璧な不意打ちをよけるってことだけでもすごいことだよ。 他の人たちもそうだったけど、ただの盗掘者にしておくにはおしいくらい。」 男は目を疑った。 他の同志たちを追っていたはずの女が三人、そこに存在している。 いや、自分を砲撃した者を含めれば四人。 それが意味するところは――― 「バカな!これほどの短時間で我が同志たちを捕らえたというのか!!」 「確かに、貴様らの実力は予想をはるかに上回っていた。 あのままでは逃がしてしまう可能性が高かったのでな。 ―――司令部から限定解除の許可が下りたのだ。」 愕然とする。 我らが長の最高の一撃を防いでおきながら、相手は全力を出してはいなかっただと――! 地上からは先ほどの子供四人と飛龍が、上空には女魔導師が一人合流する。 「抵抗はやめなさい。 大人しくするならば手荒なことはしません。」 金髪の女、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンが告げる。 男はデバイスを地におき、両手を上に掲げると、 ロストロギアを発動させた。 まばゆい光。 そして、溢れる魔力の奔流。 その虹色に輝く光は使用者の呼び声に答えんと脈動を始める。 「正気なの!?いったいそれがどういうものかわからずに、しかも完全な状態でない状態で発動させるなんて!」 なのはが叫ぶ。 そしてシグナムとヴィータの二人がそれを阻止せんとと男に飛びかかる。 しかし遅い。 その光はその場にいる全員を飲み込んだ。 浮遊感。 そして、落下。 光が晴れる。 スバル・ナカジマは自分がはるか天空にいるのを確認する。 ウイングロードを発動させる。 そのさなか、盗掘者を視界にとらえる。 他の者は近くにいないようである。 このままでは、転送魔術で逃げられかねない。 スバルは異動魔術であるウイングロードを発動させる。 光の道を男の元まで瞬時に架ける。 「リボルバー……」 しかし、実際は男は先のロストロギア発動により魔力の大半を消費しており、転送魔法など出来る状態ではなかった。 ただそこに浮遊するだけが精いっぱいであり、移動すらままならぬ状態だったのだ。 もし彼女が男に投降を呼びかけたのであれば男はおとなしく応じたであろう。 つまるところ、彼女の行動余計なものであり、更なる余計な厄介事を招いた現況であった。 「シュ――――ットオォ!!」 すれ違いざま、男の顎をリボルバーナックルが打ち抜く。 スバルは知る由もなかった。 彼女のこの行動によって、この世界の安寧を崩す脅威が招かれ―――― 自身が、年下の男とともに、「子育て」をする羽目になってしまうことを――――。 スバルのこぶしは男の顎を完璧に捕らえた。 彼女の高速移動によって威力が倍加した拳で脳が揺さぶられ、男は昏倒し、落下する。 そこではた、と気づく。 いつもどおりに何も考えず行動してみたものの、今は自分をフォローしてくれる人間などいないということを。 無論、男はそのままこの星の引力に引かれたまま、落下する。 「やば―――!」 男の落下を阻止するために急いでウイングロードを操作する。 スバルの眼は完全に男しかとらえていなかった。 それに加え、男を打ち抜くために上げた速度は、簡単には止められない。 それらが、この事故を引き起こした原因だろう。 『警告!前方に人影あり。緊急回避します。』 突然のマッハキャリバーからの警告。 急いで前方を確認する。そこには――― 「ちょっと―――――ッ」 サーフボードのようなもので飛行しているスバルと同年代くらいの少女と、その手には大きな卵のようなもの。 「危ない!!」 マッハキャリバーによる緊急回避と少女のブレーキにより、衝突は免れた。 しかし、その反動で少女の手から卵のようなモノがこぼれ落ちる。 「うそ――――ッ」 少女の悲鳴染みた言葉が木霊する。 スバルはウイングロードを操作して、落下している男を受け止めたのち、その物体も受けとめようとする。 しかし、ソレはウイングロードを通過して、ものすごい勢いで落下していった。 「え――――!?」 その出来事に愕然とする。 少女も、卵を追いかけるように急降下していく。 あとには驚きと戸惑いでどうしていいかわからないスバルと、のびた男だけが残った。 同時刻、第97管理外世界、地上。 上空でスバルとその少女の事故が起きていた時刻、その場所の真下にはある中学校の野球グラウンドが存在し、そこでは野球部が練習を行っていた。 カキーン。 金属バットでボールをたたく音が聞こえる。 ボールはライト方向へ大きく弧を描きながら飛んで行った。 「行ったぞ、ライトーッ。」 捕手から右翼手へ指示が飛んだ。 それに答えるように右翼手がボールを追いかける。 「はいはい、はいはい。まかせてちょーだい。」 右翼手の少年がボールの落下地点で待機する。 そして、見事にキャッチ。 「超楽勝ッ。」 少年はうれしそうにキャッチしたボールを弄ぶ。 「今日は調子いいじゃねぇか、笠置。」 「いつもの顔面キャッチはどうしたー?」 その少年の名は、笠置八満。 この中学校の野球部に所属し、ボールを顔面でキャッチしてしまうという悪癖と、その悪どさによってこの学校では有名人であったりする。 そして、この少年がスバルとともに、「子育て」を行う、「親」にあたる人間であった。 先輩から名物である顔面キャッチが今日は見られないことについて笑いながら答えていた。 「いや――――。 今日朝から縁起よかったんスよ―――。 茶柱は立つし、テストのヤマはあたるし、トイレに紙はついてたし。 今ならどんなものでも捕れる自信あるもんね。」 自信たっぷりに答える。 しかし、ほかの部員達に、 「顔面でならな。」「想像つくよな。」 などと言われる始末であり、実際次の瞬間にはその通りになってしまうことになる。 ちょうど、八満の頭上。 空気を切り裂きながら猛スピードでナニカが落ちてくる。 「おい笠置…ッ、危ない!上!!」 「は?」 先輩の忠告によって顔を上にあげる。 そこに、空から降ってきた、ソレが直撃した。 こうして、管理局と、第97管理外世界の地上と、空の大陸。 交わらないはずの三者が、一つのたまごのもとで、交わることになる。 笠置八満と、スバル・ナカジマによる、「神様」の育成が始まる。 Lyrical!とキマイラ、はじまります。 目次へ 次へ
https://w.atwiki.jp/urgent1business/pages/18.html
日連・帝連航空母艦の種類 通常空母/軽空母/水素力軽空母(AVH) ▪ 正規空母には艦載機の搭載等が劣るが安価で多く建造できる。 正規空母/水素力航空母艦(CVH) ▪ 軽空母よりも高価で量産が用意ではないが、中型の戦略爆撃機などの中型艦載機も搭載可能 1km級超弩級強襲揚陸型水素力航空母艦(LVH) ▪ 日連には一隻しか配備できないほど高価だが、単艦の打撃力は絶大であり、さらにほとんどの空軍機の発着艦 格納が可能(大型の戦略爆撃機は発着艦のみ可能) 艦種 軽空母 計八隻 + 大鷹型 同型艦 大鷹 雲鷹 冲鷹 海鷹 武装 八糎高角砲六基 CIWS 八基 VLS 対潜噴進砲 八基 シースパロー 八基 ハープーン 四基 十二㍉単装機銃 二十基 主機4 スクリュ−4基 32.5ノット + 改大鷹型/飛鷹型 同型艦 飛鷹 隼鷹 神鷹 龍驤 武装 八糎高角砲六基 CIWS 八基 VLS 対潜噴進砲 八基 シースパロー 八基 主機4 スクリュ−4基 32.5ノット 正規空母 計十六隻 + 信濃型 四番艦以外は戦艦 同型艦 信濃 紀伊 尾張 瑞鳳 椎柴 武装 八糎高角砲八基 CIWS 十一基 VLS 対潜噴進砲 八基 シースパロー 十基 ハープーン 四基 大型ハープーン 二基 十二㍉単装機銃 二八基 探照灯 艦載機 HB-8 SFu-32 Fu-31 IJB-1 主機4 スクリュ−4基 30.5ノット + 改信濃・瑞鳳型/大鳳型 同型艦 大鳳 鳳翔 祥鳳 武装 八糎高角砲六基 CIWS 六基 VLS 対潜噴進砲 八基 シースパロー 八基 ハープーン 四基 十二㍉単装機銃 二十基 主機4 スクリュ−4基 30.5ノット + 赤城型 同型艦 赤城 加賀 天城 土佐 武装 八糎高角砲二基 八糎単装砲二基 SIWS五基 SRAM四基 28式対空ミサイル 主機4 スクリュ−4基 28.5ノット + 改赤城型/翔鶴型 同型艦 翔鶴 瑞鶴 若祥 武装 八糎高角砲六基 CIWS 六基 VLS 対潜噴進砲 八基 シースパロー 八基 ハープーン 四基 十二㍉単装機銃 二十基 主機4 スクリュ−4基 28.5ノット + 雲龍型 同型艦 雲龍 葛城 笠置 阿蘇 生駒 武装 八糎高角砲六基 CIWS 六基 VLS 対潜噴進砲 八基 シースパロー 八基 ハープーン 四基 十二㍉単装機銃 二十基 主機4 スクリュ−4基 28.5ノット 超弩級強襲揚陸型水素力航空母艦 計一隻 + 改太鳳型・出雲型 ▪ 兵装 五十口径八糎高角速射砲 一四式六一㌢酸素魚雷発射管 SIWS SRAM SRAL 六〇口径40㍉三連装機関砲 対空噴進砲 対潜噴進砲 5式極超音速巡航ミサイル 90式巡航ミサイル 08式対潜ミサイル 29式対空ミサイル 12.7㍉機銃 探照灯 大型クレーン一基 カタパルト六基 主機八基 スクリュー六基 ▪ 艦載機 SFu-32 秋水改 Fu-31 橘花改 IJB-1 深山 E-4 天雷 P-5 天雷丙 C-5 天雷改 Tu-32 秋水乙 大発動艇(搭載艇) HB-10 ヘビーテン EFu-33 景雲 FX-22 桜花 その他空軍機
https://w.atwiki.jp/greeenwiki/pages/9.html
==ありそうな団体== ありそうな団体を勝手に立ち上げて噂だけを書くコーナー ===日本国民ファーストの会=== #文字通り 「日本国民が第一」。 #*生活の党#国民の生活が第一の噂|国民の生活が第一とはちょっと違う。 #日本国民の定義は日本国籍を持っていること 。 #日本国民の利益 ≠都道府県民の利益ではないので日本の政党#都民ファーストの会|都民ファーストとぶつかるかもしれない。 #この政党に入る右派系議員は 「ライト」、左派系議員は「レフト」と呼ばれているらしい。 #*代表は「ピッチャー」、幹事長は「キャッチャー」。 #熱狂的支持者は 「ファシスト」と呼ばれている。(たぶん嘘) #外国人はもちろん大嫌い 。 #なぜか皇室については賛否両論 。 #*皇族は国民じゃないとして廃止を主張するグループと日本国民なら皇室を敬うべきというグループに分かれる。 ===全日本アニメーター組合=== #アニメーターが安月給すぎてきれた人たちで作られた組合 。 #ストライキも辞さないので怒らせたらアニメ業界は冷や冷や 。 ==合併構想== 政令指定都市などを目指していろいろ合併を考えてみると #滋賀2市構想 #*大津市+草津市+野洲市+栗東市+守山市+高島市=大津市 #*彦根市+長浜市+近江八幡市+甲賀市+湖南市+東近江市+米原市+日野町+竜王町+愛荘町+豊郷町+甲良町+多賀町=彦根市 #京都4市構想 #*京都市+亀岡市=京都市 #*宇治市+久御山+城陽市+井手町+宇治田原町+向日市+長岡京市+大山崎町+八幡市+京田辺市+木津川市+笠置町+和束町+精華町+南山城村=山城市 #*福知山市+南丹市+綾部市+京丹波町=京丹波市 #*伊根町+与謝野町+宮津市+京丹後市+舞鶴市=丹後市 #大阪8市構想 #*大阪市+守口市=大阪市 #*堺市+松原市=堺市 #*豊中市+池田市+吹田市+箕面市+豊能町+能勢町=千里市 #*高槻市+茨木市+摂津市+島本町=北摂市 #*東大阪市+四條畷市+大東市+門真市=東大阪市 #*枚方市+交野市+寝屋川市=北河内市 #*太子町+河南町+千早赤阪村+河内長野市+大阪狭山市+羽曳野市+藤井寺市+柏原市+八尾市+富田林市=南河内市 #*熊取町+田尻町+岬町+阪南市+泉南市+泉佐野市+貝塚市+岸和田市+和泉市+泉大津市+高石市+忠岡町=泉州市 #兵庫8市構想 #*神戸市+明石市=神戸市 #*洲本市+南あわじ市+淡路市=淡路島市 #*芦屋市+西宮市+宝塚市+三田市=阪神市 #*篠山市+丹波市=丹波国市 #*尼崎市+伊丹市+川西市+猪名川町=武庫川市 #*加古川市+稲美町+播磨町+三木市+高砂市+小野市+加東市+西脇市+多可町+加西市=加古川市 #*姫路市+市川町+福崎町+神河町+相生市+赤穂市+たつの市+宍粟市+太子町+上郡町+佐用町=姫路市 #*豊岡市+養父市+朝来市+香美町+新温泉町=但馬市 #島根再編案 #*松江市+出雲市+安来市+雲南市+奥出雲町+飯南町=松江市 #*浜田市+益田市+大田市+江津市+川本町+美郷町+邑南町+津和野町+吉賀町=石見市 #*海士町+西ノ島町+知夫村+隠岐の島町=隠岐町
https://w.atwiki.jp/vip-shinrei/pages/13.html
■北海道 ・北海道 北海道にある近所の市営墓地 平和の滝 地下鉄琴似駅のトイレ ■東北 ・青森県 ・秋田県 ・岩手県 ・山形県 ・宮城県 ・福島県 ■関東 ・千葉県 佐倉市上座にある幽霊屋敷 佐倉氏にあるホテル江戸城 旧日本陸軍の慰霊碑 ちびっこ天国周辺 佐倉市・江原処刑台跡地 木更津の廃病院 みのり台廃墟 ・茨城県 ・埼玉県 埼玉県にある岩槻公園 三ツ沼 東松山遊園地跡 ・栃木県 ・群馬県 ・東京都 東京都にある白金トンネル他 青梅市にある旧吹上トンネル 青梅市にある旧旧吹上トンネル 青梅市にある一家心中した廃屋 足立区にある江北橋 白金トンネル 青山墓地 谷中霊園 ・神奈川県 横浜市戸塚区:日限山公園 横浜市戸塚区:お化けトンネル 横浜市中区:打越橋 横浜市中区:旧港湾廃病院 横浜市中区:見晴らしトンネル 横浜市中区:白滝不動尊 横浜市中区:本牧十二天 横浜市中区:間門小学校 横浜市中区:三渓園 横浜市中区:旧大鳥小学校 横浜市中区:本牧山頂公園 川崎市高津区:緑ヶ丘霊園 ■甲信越 ・山梨県 ・長野県 軽井沢大橋 ・新潟県 ■北陸 ・富山県 ・石川県 牛首トンネル ・福井県 東尋坊 ■東海 ・静岡県 伊豆の旧天城トンネル 樹海 ・岐阜県 丸山ダム ・愛知県 名古屋にある名古屋氏の自宅周辺 名古屋にある金城埠頭 平和公園 岩船神社 金山湖 五色園 長久手古戦場跡 喜惚治橋 佐布里池 白薔薇学園 定光寺 名古屋港 岩屋寺 ・三重県 ■近畿 ・滋賀県 大塚団地 NHK電波塔付近のトイレに凸 琵琶湖 瀬田川ダム 比叡山(滋賀) ・京都府 化野念仏寺 東山トンネル 清滝トンネル 丸太町通り沿いのマンション 深泥池 大内山 竜安寺朱山 血の池 大沢池 後宇多天皇陵 広沢池 比叡山(京都) 比叡山スキー場跡 ロープウェイ高祖谷駅跡 愛宕山 愛宕山スキー場跡 愛宕神社 愛宕山ホテル跡 愛宕山キャンプ場跡 ケーブル跡 空也の滝 衣笠山 仁和寺 御室八十八ヶ所霊場 船岡山 建勲神社 清水寺 北野天満宮 天神紙屋川橋 妖怪ストリート 平野神社 神護寺 金閣寺 大徳寺 八坂神社 知恩院 円山公園 宝ヶ池 宝ヶ池トンネル 旧狐坂のヘアピンカーブ 五条大橋先の山道の中のトンネル 天瀬ダム(宇治川ライン) ビルマ僧院 貴船神社 一条戻り橋 保津峡トンネル 笠置旅館 首塚大明神 三段池公園 ・奈良県 どんづるぼう 生駒トンネル ・大阪府 豊中市にある服部緑地 箕面市にある箕面駅 妙見山しおきば 能勢妙見 吹田市にある吉志部神社 諏訪神社(チン電さん) 医王岩 箕面の滝 二ノ切池公園 江坂のトンネル 泉の広場 北摂霊園 てくら橋 高槻地下倉庫 昭和山 箕面防空壕 樫切山トンネル 吹田市山田の名神脇道 ビックカメラ 天保山 舞島 富田駅踏切 源氏の滝 大阪城 吹田MBS 一龍旅館 千里中央公園 相生坂 新今宮の踏切 大江神社 野鳥園 柴島浄水場 冥応寺 象の像 止々呂美の廃墟群 北千里公園 七寶寺 常宣寺 太子橋中公園 法栄寺 鶴見緑地 梅田ケンタッキー DDハウス 阪急梅田 あべのベルタ 天王寺駅前歩道橋 ATC 谷町4丁目駅 扇町公園 くろんど池 安威地下倉庫 耳原公園 ほととぎす旅館 生け贄神社 ・和歌山県 ・兵庫県 裏六甲 六甲牧場 ゼロ戦墓地 おめこ岩 宝塚の社宅廃墟 猪名川射撃場 一庫ダム 旧西宮砲台 吹上トンネル周辺の山(神戸市西区) 鐘ヶ坂トンネル 摩耶観光ホテル 三草山 武田尾廃線跡(生瀬トンネル) ■中国 ・鳥取県 ・島根県 ・岡山県 ・広島県 ・山口県 ■四国 ・徳島県 ・香川県 ・愛媛県 ・高知県 ■九州 ・福岡県 犬鳴峠 ・佐賀県 ・長崎県 ・大分県 ・熊本県 ・宮崎県 ・鹿児島県 ・沖縄県
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/26447.html
登録日:2009/05/29 Fri 22 10 40 更新日:2021/06/10 Thu 01 32 36 所要時間:約 3 分で読めます ▽タグ一覧 AXL Like a Butler 〇〇〇のごとく! なんちゃって執事 エロゲー ゲーム シャァイニングゥ~指先ィ~ バカゲー バッドエンドに定評のあるゲーム 名曲 執事 2009年2月27日に発売されたAXL第五作目 入荷本数が少なかったためか、売り切れになる店が続出し、一時期入手が困難になりかけた。 タイトルを直訳すると「執事のごとく」 はい、そこアレのパクリとか言わない。 主題歌は茶太が歌う「グルッポ」 基本はギャグで、どんな困難でもノリで何とかしちゃう。差分の大半もSD画。 しかし、長谷川製なのでBAD ENDが本当に救われない。 まあ、前々作と比べれば大したことないが。 ルートはトゥルー、ノーマル、バッドの3種類のEDがある。 ストーリー 鳴海和樹の住む御星町には庶民には決して入ることの出来ないセレブのための学園・私立御星向学院学園がある。付いた別名が高額院 その高額院が全学費諸経費免除の特待生を募集することになり、日本中から集まった総受験者は85000人にも上った。 その中で合格者はたった一人、和樹の幼馴染の弓野奏だった。 予期せぬ事態に慌てふためく奏に届いた入学案内書で執事の同伴が必須であることを知る。 奏は和樹に自分の執事になってくれるよう1216回目の「一生のお願い」をするのであった。 キャラクター説明 鳴海和樹 主人公。何でもできる社交的でイケメンの完璧超人。 かなりモテまくるが、エロゲ主人公なので基本はフラグクラッシャー。 不死身ではない。 足技が得意。 弓野奏 声:有栖川みや美 今作のメインヒロイン 和樹の住むアパートの大家の娘で幼馴染のシンデレラガール。 卓越した貧乏テクニックとセレブとの対決で庶民文化ブームを巻き起こす。 どうしようもないレベルの天然で、藁人形を貰っても素で喜んでいた。 ちなみに、髪型はツーサイドアップ。 何気に酒豪。 御星更紗 声:青山ゆかり 今作の青山さんでツンデレ。 御星一族の次期当主のお嬢様。一度見たものなら大体できるチートまがいのお嬢様。 BAD ENDは半ば奏ルート。 セーラ・アップルトン 声:海原エレナ ホテル王を父親に持つ、アメリカ人。ファザコン。 和樹達とは初めから仲が良い。だが、「和樹」発音だけは上手く言えない。 和樹とはハートとボディーで通じ合える仲。 庶民対決では死にかけた。ミイラになってたが気のせい。 秋津原瑞穂 声:松田理沙 六右衛門のロリメイド。メイドとしては完璧だが、毒舌。 デレの破壊力が凄まじい。 笠置霧子 声:石川こよみ 学院から派遣されたメイドを管轄するメイド長兼保健体育の教師。ドジッ娘。よく和樹達の飯をタカる。 彼女にルートもあるが、短い。そして一つだけ。 実は和樹とそんなに年が離れてない。なん…だと……? どうやら前々作の護衛してる人達と関係がある様子 天河由宇 声:壬生中将 更紗の執事であり、双子の兄。ガチホモではない。中性洗剤のような男。 浦安六右衛門 声:空乃太陽 武士の一族である浦安家の跡取り息子。侍なのに重度のオタという斬新なキャラ。 和樹達の初めての友達。 かくし芸にてワサビ一気食いをした猛者。 ダリル・マッケンジー 声:プログレス セーラの執事…というかカウボーイ。真性の巨乳好き。 超一流の死亡フラグメーカーにして最強のフラグクラッシャー(恋愛も含む)。 追記・修正よろしくお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] ちょっと前にクリアした、プリンセスフロンティアに比べると序盤の押しが弱いが進むにつれて同レベルになる -- 名無しさん (2013-12-17 10 54 28) 名前 コメント