約 1,561 件
https://w.atwiki.jp/chisato_ojosama/pages/405.html
前へ 「ん・・・」 おでこに冷たい感触を覚えて、目を開けた。 「あれ・・・ここ」 見慣れたちょっと低めの天井。体に馴染んだベッド。気がつくと私はメイドルームにいた。傍らの椅子に座っている、冷熱用のジェルシートを持った舞波さんと目が合う。 「あ、めぐさん。よかった、気がついたんですね」 「・・・はい」 「舞美さんがこちらまでめぐさんをおんぶして来たんですよ。今また、お嬢様のお部屋に戻っていかれましたけど」 どうやらあんまり頭に血が上りすぎて、ぶっ倒れてしまったらしい。意識があったのは昼過ぎまでで、今はもうすでに日が落ちてきている。私は何時間も眠り続けていたみたいだ。 まだボーッとしてるけれど、バッチリ自分のしでかした事は覚えている。 確かに私はキレやすいほうだけど、今までの人生、我慢するところはきちんとできていたはずだった。一応優等生の部類に入る人間だったし、そんな自分を多少誇らしくも思っていた。それが、雇い主の娘様に向かって、バカ呼ばわり・・・ ふらつく頭を押さえながら、体を起こして両膝に手を置く。 「・・・舞波さん、いろいろ教えていただいたのに、恩を仇で返すような形になってしまって・・・」 「え?」 「こんなことを仕出かした以上、もうここに置いていただくことはできません。家に戻ったら、改めてお礼の手紙を書かせてもらいますので、よかったら住所とか」 「ウフフ、めぐさんたら。別に、誰も怒ってなんかいないですよ」 そう言って舞波さんは、視線をドアの方へ向けた。 「お嬢様・・・」 おずおずと、ドアの陰からお嬢様が姿を現した。強く握りしめられた手から、緊張が伝わってくる。 「おいで、千聖」 舞波さんに優しく手招きされて、ベッドサイドの椅子に腰をかけるお嬢様。 「・・・」 しきりに口を閉じたり開いたりしながら、困ったように眉を寄せて、私のほっぺたや頭に触れる。 もう取り乱したような様子はなく、泣きはらした赤い目のまま、じっと私を見つめていた。 「あ・・・えっと、」 あそこまで怒鳴った後で、どう話しかけたらいいのやら。お嬢様も、どうしたものかと言った表情で、舞波さんに助けを求めるような視線を向ける。 「千聖、めぐさんに渡すものがあるんだよね?」 舞波さんのアシストで、お嬢様の顔が若干明るくなる。スカートのポケットに手を突っ込むと、少し曲がった薄いピンクの封筒を、私の胸に押し付けた。 「手紙?」 “あとで読んで” 口パクでそう言うと、お嬢様はなぜか慌てたように部屋を出て行ってしまった。 封筒の中には、小さな小花模様の散りばめられた、香りつきの便箋が入っていた。そこに、“ごめんなさい”とだけ大きな文字が乗っかっていた。 「お嬢様・・・」 ごめんなさいは、私が言わなきゃいけないことなのに。後を追おうと立ち上がりかけたところを、舞波さんの手がそっと制した。 「・・・たぶん、今は1人でいたいのではないかと。」 「でも、」 「ウフフ、きっと照れてるんですよ。さっきめぐさんが倒れてしまった時だって、みんながびっくりするぐらいすっごく心配してたのに。結構恥ずかしがりやなんです、千聖。」 八重歯をのぞかせて、舞波さんはいつもみたいにおっとりと笑った。まるで可愛い妹の世間話みたいなテンションだ。 「はぁ・・・。いや、そんなことより」 舞波さんから溢れ出るのほほんオーラで、しばしぼんやりしてしまったものの、私はさっきの出来事を反芻して、背筋を伸ばした。 「・・・さっきも言いましたけど、誰もめぐさんのことを非難したりしてないです」 「あ・・・」 私が話を切り出す前に、舞波さんはやんわりさえぎるように、口を開いた。 「それどころか、旦那様と奥様は恐縮なさっていました。本来ならお2人から言わなければならなかったことを、めぐさんに言わせてしまった、と」 「いや、だって、千聖お嬢様の場合は事情が事情ですし。私は感情にまかせて・・・その、バカとか言っちゃったけど、そんな単純な話じゃなかったと思います。舞波さんもごめんなさい。」 「そんな・・・めぐさん。謝るのは私のほうです。自分がこれからどうしたいのかははっきりしているくせに、千聖を傷つけるのが怖くて、中途半端に接してきたから。結局、めぐさんにも千聖にも悲しい思いをさせることになってしまった。」 舞波さんは目を細めて、出窓の外へ顔を向けた。 「めぐさん。千聖は、私にとって、光なんです」 「光・・・」 「そう。真っ暗な迷路に迷い込んでいた私の前に現れて、手を繋いでくれた。千聖が私を見つけてくれたから、側に居て笑っていてくれたから、私はこうして笑う事ができるようになった。ちゃんと、自分の未来のことを考えられるようにもなった。 私は千聖を置いていくんじゃなくて、千聖の照らしてくれた道を、1人でもくじけないで歩いていきたいんです。元いた場所に戻るのは少し怖いけれど、もう逃げたくないから。千聖に恥じない人間になった時、また、笑って会いたい。」 とても穏やかだけれど、誰にも曲げられない強さを感じさせる舞波さんの表情。だけど、私は何だか物足りなさのようなものを覚えた。 「舞波さん、だけどそれ・・・ちゃんと、千聖お嬢様に伝えたんですか?」 「・・・いいえ。そこまでは」 「だめだよ、それじゃ」 今度は大きな声を出さないよう、気持ちを落ち着けながら、私は舞波さんの隣に立った。 「私、なんかわかった。舞波さんは優しいけど、結構ガンコ者だ。だからお嬢様は、今すごく混乱してるんだと思う。 初めて出来た友達で、いつも自分のことを思いやってくれるはずの舞波さんが、どう引き止めても残ってくれないなんて、すごくショックだったんじゃないかな。 それに、未来が見える舞波さんが自分の元から去っていくってことは、お嬢様の存在が、舞波さんにとって今後不必要になるって考えたとか。・・・まあこれは私の憶測なんだけど」 言葉を選びながらそう告げると、舞波さんはあっけに取られたような顔になった。 「・・・ガンコ。初めて言われた。でも、そのとおりだ」 ガンコだなんて言ったら、人によっては怒っちゃってもおかしくないのに、舞波さんは感慨深そうに何度もうなずいた。 「私、口下手だからつい、何でも端折って話す癖があって。千聖はすごく行間を読んでくれるから、そういうことに甘えていたのかもしれないな。めぐさんみたいに、ちゃんと気持ちを伝えられるようにならないと」 「ま、まあ、私はかなり言いすぎるところもあるんだけど・・・でもこのまま、何にも言わないでいなくなっちゃうより、たとえケンカになったって全部思ったこと言ったほうがいいって。 それでお嬢様がキーッって怒っちゃうようだったら、ちゃんと私が間に入るから。 明後日でしょう?帰るの。だったらまだ間に合うよ。 舞波さんは、私にとってだって、大切な友だちです。いっぱいキツイこと言ったけど、お嬢様のことも、好きだから。だから、私のこともっと頼って。二人には、ちゃんと友だちのまま、笑ってお別れしてほしい」 「・・・そうですよね。ありがとう。めぐさん」 かなり私の個人的な願望も込められていたけど・・・ちゃんと舞波さんの心には届いたみたいだった。 「私、必要なら悪役だって買って出ますよ。ほら何か、絵本であるじゃない。私がお嬢様を苛めているところに、舞波さんが偶然通りかかって・・・とか」 「もう、めぐさんたら」 だけど、事態は私たちの予想もしていなかった方向へと転がっていったのだった。 誤算1。 舞波さんとの話が終わり、すぐに謝ろうと思ってたのに、顛末を耳にし(弟様がおチクりになりやがった)部屋にやってきたメイド頭さんからこっぴどく叱られた私は、その場で3日間の謹慎処分となった。 当然、お嬢様への接触は禁止。部屋で反省文を書くのと、自己学習の時間に充てるよう言い渡された。 誤算2。 夜になって、舞波さんもお嬢様と話す機会を作ろうとしていたのだけれど、弟様や妹様達が千聖お嬢様と一緒に居たがったから、2人になることはできなかったみたいだ。 誤算3 翌日、その日中には仕事先の別荘に戻るという旦那様達からの言葉を受け、お嬢様は家族と一緒に居たいとスケッチブックに書き、朝食後すぐに遠方の御祖父母様のお家へ出かけて行ったらしい。 夕食後、旦那様達と別れ、執事さんと共に深夜に近い時間に戻ってきたお嬢様は、疲れ切った顔ですぐ部屋に戻ったという。 そのため、舞波さんはお屋敷での最後の夜も、お嬢様と顔をあわせることができなかったみたいだ。 そして、舞波さんがここから旅立つ日の夕方。 お嬢様は、お屋敷から姿を消した。 次へ TOP
https://w.atwiki.jp/chisato_ojosama/pages/351.html
前へ 1日目の業務は、同僚となるメイドさんたちへの自己紹介、清掃用具等各種備品の配置、舞波さんから私への引継ぎ等で終了した。お嬢様は朝食の後また睡眠を取られてしまって、その後もすれ違いが続いてしまったため、挨拶はできなかった。 「はー、疲れたぁ。」 「ふふ、お疲れ様です」 午後18時30分。終業時間。 10畳程の部屋に、私と舞波さんは並んで腰を下ろした。 ここは住み込みのメイド専用のお部屋。舞波さんが出て行く日まで、2人で共有させてもらうことになっている。 「とりあえず、楽な格好に着替えましょうか」 舞波さんはよっこいしょと立ち上がると、おもむろにエプロンを外して、ワンピース型のメイド服を一気に脱いだ。 「うわあ」 「えっ?」 意外と胸大き・・・じゃなくて、こんなおとなしそうな顔して、何て大胆な!舞波さんはお口あんぐりな私の顔を見て、「あっ、そっか」何てつぶやきながら、そそくさと私服のワンピースに着替えた。 「ごめんなさい、私、ちょっとおかしいみたいで」 「おかしい、って」 私もパーカーにハーフパンツという楽チンな格好に着替えつつ、舞波さんの話の続きを待つ。 「なんていうか、人と恥ずかしがるポイントとか、笑ったり怒ったりするポイントが違ったり。今もそんな感じなのかな・・・私はあんまり、人がいても平気で着替えたりしてしまうけど、やっぱり普通は隠しますよね?」 「いや、えーっと・・でも、そんなに気にしなくてもいいと思うけど」 その横顔があんまり寂しそうに見えたから、私は慌てて言葉をつないだ。 「私の友達・・・だった子にも変わった子はいますよ。すっごい可愛くてオシャレなのに、好きな食べ物がスルメだったり、チー鱈とかおつまみ系ばっかりなの。私自身も、自覚ないけど、結構考え方おかしいって言われるし。 だから、うーん、何かよくわからないけど、別に気にすることはないと思うんですけど。さっきはびっくりしちゃっただけで、引いたとかそういうことでもないし」 自分でも何を言いたいのかよくわからないけど、この人の悲しそうな顔というのはあんまり見たくない気がして、必死にフォローしてしまっている。 そんな私を、目をパチパチさせながら見ていた舞波さんは、やっと表情を崩して笑ってくれた。 「優しいんですね。」 「いや、全然。私なんて、本当ワガママで・・・」 「めぐさんは、お嬢様に似ているのかも。めぐさんと話してると、ちゃんと笑ったりできる」 舞波さんは大きな出窓まで移動して、その縁に腰掛けて私に向き直った。どっちかと言えば童顔な可愛らしい顔が、うっすら暗くなってきた夕闇の中で、憂いを感じる大人びたものに見える。 「私ね、宇宙人なんです」 「え?あはは・・・」 私の乾いた笑い声は、舞波さんの真剣な顔を見ていたら、すぐにしぼんでしまった。 「だから、もうずっと黙っていようと思って。なるべく存在を消して、感情も消して、いるんだかいないんだかわからなくなればいいのかなって。宇宙人だと迷惑をかけるけど、透明人間なら、誰にも気づかれないでしょ?」 「ごめん、言ってる意味が」 「このままおとなしく生きていれば、誰にも迷惑をかけないし、自分が苦しむこともない。それが最善のはずだったのに。私はやっぱり弱くて」 どうしよう。舞波さんのこの話の行き先が読めない。淡々と話しているのに、その表情は明らかに思いつめていた。 最初から順序立てて説明してもらえる雰囲気でもない。かといって、今口を挟んで止めることもできない。私は両膝の上で拳を作って、ただじっと見守ることしかできなかった。 ――♪♪♪ その時、張り詰めた部屋の空気を破るように、内線電話の軽快な音が鳴り響いた。 「あ・・・で、出ます」 私は慌てて立ち上がると、何もないところで蹴っつまずきながら、ヨロヨロと電話を取った。 「はい、村上です」 “・・・あ・・・・あの、私、です。えと、” ちょっと鼻にかかる声。フガフガした舌ったらずな喋り方。 「千聖お嬢様、ですよね?」 “え、えぇ、そうよ。勤務外時間にごめんなさい” 「いいえ、今、舞波さんに代わりますね」 “あ・・・違うの。舞波ちゃんじゃなくて、村上さんに” 「私ですか?」 “今、千聖の部屋に来ていただけるかしら?もう私服に着替えているなら、そのままで結構よ” 「でも・・・」 私はチラリと舞波さんの方を伺った。あんな状態の彼女を、一人にしておくのは気が引けた。 “行ってあげて” だけど、再び目を合わせた舞波さんは、もういつものおっとり優しい顔に戻っていた。口パクで私を促すと、エクボを見せてにっこり笑う。 「・・・・わかりました。参りますので、少々お待ちください。」 お嬢様が受話器を置く音を確認してから、私も電話を切る。 「千・・・お嬢様に、呼ばれたんでしょう?行ってあげてください。お嬢様、とても寂しがりなんですよ。・・・さっきは、ごめんなさい。もう平気ですから。」 「・・・はい。それじゃ、ちょっと行ってきます。」 少し照れくさそうに鼻の頭をかく舞波さんの表情で、私は、とりあえずもう大丈夫だと判断した。・・・・というか、一人になりたいのかな、ってなんとなく思ったのもあった。 スリッパの音を派手に立てないよう、廊下では小走り以上のスピードを出さないよう気をつけながら、私は舞波さんにもらったお屋敷の地図を片手にお嬢様の部屋を目指した。 「・・・遅かったのね。」 迷路のように入り組んだ(というか私の方向感覚のせいだけど・・・)お屋敷中をさまよって、やっとたどり着いた部屋の前には、腕組みをしたお嬢様が待っていた。 「すみません、迷ってしまって。」 「まあ。初日ですものね、千聖のおうちは広いから。さあ、中に入って。今、お茶を入れてもらうから」 「いえ、そんな、おかまいなく。私はメイドですし」 「今は違うわ。勤務時間を過ぎたら、千聖のお客様よ」 「はぁ・・・」 どうやら、子供っぽいとばかり思っていたお嬢様は、公私をしっかりわける分別がきちんとついていて、案外しっかりしたところもあるらしい。 そりゃそうか、一面に触れただけじゃ、その人の全体像なんてつかめるはずもない。ふと、さっきの舞波さんのことが頭をよぎった。 「そちらに座って。」 シンプルだけど、重厚でセンスのいい調度品に見入っていると、後ろから軽く服を引っ張られた。 促されるままに、アイボリーの大きなソファに腰掛ける。うわ、体が沈む。これは相当な高級品だろう。ちょっと緊張して、背筋が伸びる。 「あ・・・あの、ご立派な調度品ですね。この応接用のソファも、大きくていっぱい人が来ても大丈夫そう」 「・・・そんなにたくさん、お客様が来てくれることなんてないわ。学校にも、お友達はほとんどいないから」 「えー・・・と」 つい先日は、キャンキャンほえる子犬みたいに、私を威嚇していたお嬢様。なのに今日は打って変わって、なんだかしおらしい。 「初日のお仕事は、どうだった?舞波ちゃんは、村上さんはとても優秀で飲み込みが早いとおっしゃっていたわ。」 「恐れ入ります。まだ不手際もたくさんあると思いますが、明日以降もこちらで働かせていただけたら幸いです。」 「そう。」 自分から振った話題なのに、お嬢様はつまらなそうな顔をしている。 「あの・・・」 「なぁに?」 「何か、お悩みになっていることでも?」 「まぁ・・・どうして、そう思うの?私は村上さんを、お茶に誘っただけかもしれないのに」 レモンティーをかき混ぜていた、丸っこい指が止まる。黒目の大きな、茶色がかった瞳がこちらに向けられて、私は少しドキッとした。 「新人の、今日から勤務の私を、いきなり誘ってくださるとは思えません。それに、お嬢様は何だか寂しそうです。」 「寂しい・・・?あぁ、そうかもしれないわね。」 お嬢様はあいまいに笑うと、少しだけ私のほうへ体を寄せてきた。 「舞波ちゃんが、村上さんは鋭いって言っていたけれど・・・本当にそのとおりね。確かに、雑談のためにここへ来てもらったわけじゃないの。お願いがあって。」 「お願い、ですか。」 小さな唇から、ため息がこぼれる。一瞬伏せた目をまっすぐ私に向けると、お嬢様はよく通る声で言った。 「村上さん、舞波ちゃんを引き止めて。」 次へ TOP
https://w.atwiki.jp/chisato_ojosama/pages/292.html
前へ 「包帯、きつくないですか?」 「はい、大丈夫です。」 舞波さんは手際よく私の足に湿布を貼って、くるくると包帯で包んでいく。 ただの疲労だったみたいで、この後バス停まで歩くのにはもう支障がなさそうだった。 あまり長居をするのも悪いし、私は折を見て荷物の整理を始めた。そこで、お母さんに連絡をしていないことに気がついた。 まだ心配されるような時間じゃないけど、一応・・・そう思って、私は千聖ちゃんに「どうもお世話になりました。あの、電話をお借りしてもいいですか?」と切り出してみた。 「ええ、もちろん。ちょっと待っててね。コードレスのお電話、取ってくるわ」 「あ、私が行きますよ。」 「いいわ。舞波ちゃんはここにいてさしあげて。」 千聖ちゃんはぴょこんと立ち上がると、早足で部屋を出て行った。 ――沈黙。 私はこういう微妙な空気が苦手で、話題を見つけようと、ついおかしなことを口走ってしまった。 「・・・あの、何歳ですか?」 「え?」 「あ、いや、何か若いなーって。メイドさんなのに!同い年ぐらいなのかなとか思って」 あぁ、われながらデリカシーのないこと!一対一の会話のしょっぱながこれってどうなの。 「ふふふ。」 でも、舞波さんはそんな失礼な問いに怒るわけでもなく、ほっぺにえくぼを作って笑ってくれた。 「私、今15歳です。学年で言ったら、高校1年生。」 「そうなの?じゃあ同い年だ!」 なんとなく嬉しくて、思わず声が大きくなる。そんな私を見て、また舞波さんは「ふふ」と笑った。 「ん?」 「いえいえ。もっと年上の方かと思っていたから。びっくりしちゃって。」 orz そう、そうなんだ。私はよく言えば大人っぽい、悪く言えば老けて見られることが結構ある。ぜんぜん、気持ちは若いつもりなんですけど! 「ふふふふ」 よっぽどツボに入ったのか、舞波さんは目を細めて笑い続ける。不思議と嫌な感じはしなかった。 さっきの千聖ちゃんとのやりとりを見ていたら、おとなしい人のように感じられていたけれど、案外面白がりなとこもあるのかもしれない。 「・・・失礼しました。私、今学校に行っていないから、同い年の人と話すのが新鮮で。何か楽しくなっちゃった。」 「学校・・・行ってないんだ。じゃあ、ここで住み込みで働いてるってこと?」 「うーん。働いてるというか、ここ一週間ぐらい、置いてもらってるだけ。居候はなんとなく嫌だったから、家事の手伝いをさせてもらっていて。ちょうど今、お屋敷に人手が足りない時期だったみたいだし。」 人手が、足りない? 「ほ、本当に!?」 「うわぁ」 思わず顔を近づけて迫る。 「あの!よかったら私を雇ってもらえませんか!」 「雇う、って」 「私、住み込みで働けます!っていうか、住み込みがいいんです!結構、掃除とか得意なんで、お願いします!」 「・・・えーと、でも、それは私が決められることではないから・・・」 ――そうか、そりゃそうだ。 でも、私にとってこれは、家を出るための大きなチャンスだ。・・・・それに、ここはあの学校に近い。どうしても逃したくない。 「・・・でも、それはいいかもしれないですね。」 「えっ?」 私が一人メラメラ燃えていると、舞波さんが独り言のようにつぶやいた。 「めぐさんは、お嬢様とも気が合いそうですし。私から、提案させていただこうかな」 「気・・・合いそう?さっきなんて、思いっきり私の存在無視して舞波さんとしゃべってたじゃない。」 「ふふふ。お嬢様は、警戒してたり緊張してると、もっとギクシャク気を使っておかしな感じになるから。ああして普段どおりの態度でいるってことは、めぐさんのことはもう好きな人のカテゴリーに入れたってことだと思いますよ。」 ――何か、何か、この人って。本当に優しい人なんだな。 私は柄にもなくじーんときてしまった。 私を立てながら、お嬢様へのフォローも忘れない、けれどあくまでさりげないその心配り。千聖ちゃんがあそこまで舞波さんを慕う理由が、少しわかったような気がした。 「それに、私・・・」 「お待たせしました。ごめんなさいね、食堂に舞美・・寮の方がいらしてたから、少しお話をしてたの。お2人は、何のお話を?」 舞波さんの話の途中で、千聖ちゃんが戻ってきた。白い陶器のような質感の、大きな受話器を小さな手でしっかりにぎっている。 「お嬢様。よかった。愛さん、今、お仕事を探しているんですって。それで、お屋敷に住み込み」 「嫌よ。」 舞波さんの声を、千聖ちゃんがピシッとさえぎる。子供のようだと思っていたその声色の変化に、思わず息を呑んだ。 「千聖・・・」 「だめ。そんなこと・・・そんなの嫌!帰ってちょうだい。千聖は舞波ちゃんがいればいいの。帰って。」 “めぐがいてくれたら、それだけでいい。他の友達はいらない” 私の頭に、そんな言葉が甦ってきた。 あの時の雅の目が、声が、堰を切ったように頭の中を浸食していく。 「ごめんなさい、私」 いたたまれなくなって、私は荷物を掴んで部屋を飛び出した。 幸運なことに、今度は迷うことなく、広いお屋敷の出口にたどり着くことができた。 心臓のドキドキが止まらない。あの日から、なるべく考えないようにしていた雅の事を、今日1日でこんなに思い起こしてしまうなんて。 「待って、めぐさん」 玄関でスニーカーを履くのにてまどっていると、背後から舞波さんが追いかけてきた。相変わらずポーカーフェイスというか、何を考えているのかイマイチ掴めない、ごく普通の顔をしている。動揺しまくりな私や千聖ちゃんと大違いだ。 「お世話になったのに、ごめんなさい。」 とりあえずそう言ってみると、舞波さんは軽く首を横に振って「これ」と小さな紙を渡してきた。 「私のメールアドレスと、ケータイ番号です。良かったら、」 「舞波ちゃん!千聖をおいていかないで!」 「それじゃ、また今度。バス停までは、別の者がお送りしますから。」 そして舞波さんはくるりと踵を返して、その涙まじりの声の主のほうへ戻っていった。 次へ TOP
https://w.atwiki.jp/chisato_ojosama/pages/406.html
前へ 春だというのに、肌に刺さる空気は冷たく、私は羽織っていたストールを強く体に巻きつけた。 メイドも運転手も、誰もそばにはいない。誰にも何も言わず、こっそり家を出て来てしまった。今頃、大騒動になっているかもしれない。 “これからも千聖のそばに居てくれるなら、迎えに来て。このままお帰りになるなら、千聖には構わずに行って。” そんな手紙を、自分の部屋に置いてきた。きっともう、舞波ちゃんはあの魔法のような力で、私の居場所を突き止めているに違いない。来てくれるのかどうかは、わからないけれど。 学校へ行くための林道を逆方向に進んで、40分ぐらい歩いたところにある、小さな湖。 私はそのほとりにあるベンチに座り込んで、風に揺れる水面をぼんやりと眺めていた。 初めて舞波ちゃんが家に来た日、リップとパインを連れて、一緒に散歩に行った。 その時、“きっとこの先の道に、いい場所があるよ”そう言って舞波ちゃんが連れてきてくれたのが、ここだった。 家から遠いので毎日来る事は出来なかったけれど、私にとっては特別な場所。舞波ちゃんが見つけてくれた、素敵な空間だったから。 「・・・クシュン」 とはいえ、一人ぼっちで過ごすにはすこし物寂しい場所だ。 水の近くは冷えると、舞波ちゃんが言っていたのを思い出した。衝動的に出てきてしまったけれど、コートぐらい着てくるべきだったかもしれない。今更家には戻れないから、どうしようもないけれど。 もう日も落ちかけた時分に、私以外人気はなかった。誘拐されそうになって以来、こんな風に1人になることはなかったのに、不思議と怖いとは思わなかった。それよりも、ここを動きたくなかった。 こうして空気の良い静かな場所にいると、いろんなことが頭に浮かぶ。 あんな書き置きを残して、一体私は自分が何をしたいのか、まだ自分でもちゃんと理解できていない。 もちろん、舞波ちゃんにはこれからもお屋敷にいてほしいと思っている。だけど、何が何でも舞波ちゃんを引きとめようと考えていた頃とは考え方が変わってきたような気がする。少しはワガママな感情を抑えることができるようになったのかもしれない。 ――でも、こんな風に舞波ちゃんを試すような真似をして、きっとまた村上さんに叱られてしまうわね。 村上さんがあの大きな目を見開いて怒るのを想像すると、なぜか少しだけ心が明るくなった。 村上さんは私のワガママを許してくれないけれど、ただその場しのぎのために、心にもないことを言って私を慰めたりしない。だから、“バカ”なんて言われてしまったけれど、全く不愉快ではなかった。 むしろ、正しいことを言っていたとすら思う。 メイド長は村上さんのことをとても怒っていたけれど、早く謹慎が解けたらいいのに。何でも思ったことを言ってもらえるのは、嬉しい事だとわかったから。これからも千聖の家で働いてほしい。 村上さんは、必要以上に私を特別扱いしない。メイドとしてはよくないことかもしれないけれど、私はそれが嬉しい。舞波ちゃんと違ってすぐに眉を吊り上げるけれど、ちゃんと私のことを考えてくれている証拠だと思うから別に構わない。 ふと、舞のことが思い浮かんだ。 舞も、少し村上さんに似たところがあるのかもしれない。 まだ仲良くなってから1週間と少しぐらいしか経っていないけれど、舞は私をよく気にかけてくれる。“お嬢様”とは呼ばず、千聖と名前で呼んで普通に接してくれる。私を他の人と区別したりしない。とても嬉しいことだ。 学校を休むようになってからは、頻繁に家に来てくれるようになったし、声が出なくなったらインターネットや本で調べたことを色々と教えてくれた。 だけど、もっと仲良くなりたいと思って寮に誘ったら、舞は激しく首を横に振った。どうして嫌なのかは自分で考えてと言われた。 きっと、私が悪いのだと思うけれど、どうしたらいいのかわからない。 私には何か欠けているものがあるのだと思う。それが何なのか自分でわからない限りは、せっかく友だちになってくれた舞とも、これ以上親密になることは無理なのかもしれない。 舞美さんや愛理さんも、すごく私に親切にしてくれる。お2人が寮に来たばかりの頃と比べれば、少しずつだけれど打ち解けることができている。 たまに舞美さんと行く朝のランニングも、お庭で偶然会った愛理さんとボーッと過ごす時間も、とても楽しい。 でも、ふとした時に感じる私への遠慮や気づかいに、とても胸が痛む。 お2人は寮に入る条件として、私のお世話をしなければならないらしい。もしもそのことで、辛い気持ちになっているなら・・・そう考えると、私は自分の存在が、人を傷つけているようで悲しくなる。 やっぱり、私は一人ぼっちでいた方がいいんじゃないか、と思ってしまう。 舞波ちゃんと出会ったのは、丁度私がそうやってクヨクヨしている時期だった。 初対面の時から、舞波ちゃんはすぐに私の気持ちを理解してくれた。だから、私は舞波ちゃんに強く惹かれた。 舞波ちゃんは不思議な力を持っていて、誰にでも分け隔てなく優しくて、陽だまりのようにほんわり温かい。 太陽のように照りつける光じゃなくて、うとうととまどろんでしまうような穏やかな光。いつまでもそばにいて、私を照らしていてほしいと思った。 だから、舞波ちゃんがいなくなると知った時は、まるで暗い谷底に突き落とされてしまったような気分だった。 しかも、舞波ちゃんを辛い目に合わせた人達が住む街へと帰るのだという。その理由を、何度聞いても舞波ちゃんははっきり答えてはくれなかった。 私は打ちのめされて、塞ぎこみ、声を出す事すら出来なくなった。家族が帰ってくるほどの騒動になり、その騒動のさなかに村上さんに「ばか!」と怒鳴られたのだった。 「・・・フフ」 喉が震えて、少しだけ笑い声みたいなものが漏れた。あの時は本当にびっくりしたけれど・・・村上さんのおかげで、こうして少しは冷静になれた気がする。 もしも舞波ちゃんがお屋敷には残らず、帰るという決意を変えなかったとしても、私は舞波ちゃんを恨んだり、嫌いになったりすることは絶対にない。 いっぱい泣くかもしれないけれど、大好きな舞波ちゃんの決めたことなら、応援できると思う。 それでも、ここに舞波ちゃんが来てくれることは、私にとって最後の希望。あと1日でもいいから、私のために時間を設けてくれると信じたかった。・・・私が舞波ちゃんを好きなように、舞波ちゃんも私を思ってくれてると心から感じたかった。 「・・・・ックシュン」 二度目のくしゃみ。もう辺りはだいぶ暗くなっていた。湖の向こう岸の森も、暗く生い茂って手招きするかのように揺れる。・・・だんだん、怖いという感情が湧き上がってきた。 私は靴を脱いで、ベンチの上で体育座りのような体勢になった。行儀が悪いのはわかっていたけれど、昔から体を丸めていると、安心感を持つことができた。 おでこを膝につけて、ただひたすら大好きな人の名前を思う。 舞波ちゃん、私を見つけて。 「待っ・・・」 私の制止よりも先に、萩原さんの手は、ベンチの上で膝を抱えるお嬢様の肩を掴んだ。 「・・・!」 振り返ったお嬢様は、萩原さんと私たち――愛理さんと舞美さん、村上、を、驚いた様子で見比べた。 一体、いつからここにいたんだろう。小麦色の頬はうっすら青みがかり、唇も色を失い欠けている。 「・・・お嬢様、」 どこかおぼつかない足取りで、愛理さんが2人の元へ歩み寄った。お嬢様の手を握り締める。予想以上に冷たかったようで、小さく息を呑む音がした。 「・・・お嬢様、カイロ持って来ました。使ってください。寒かったよね、気づかなくてごめんなさい、お嬢様」 色白の愛理さんの、鼻の頭が赤くなった。 愛理さんは、お嬢様の手紙の第一発見者だった。今日は学校の用事で、お嬢様のお部屋に立ち寄るのが遅くなってしまったらしい。それで、責任を感じてしまっているのかもしれない。 「・・・千聖」 萩原さんも一度名前を呼んだっきり、肩を掴んだまま黙ってしまった。私だって、かける言葉が見つからない。私の手を掴む舞美さんの手に、痛いぐらい力が篭った。 “お嬢様は、湖にいると思います” 青ざめてうろたえる私たちに、舞波さんは一言そう告げると、淡々と荷物の整理に戻った。 萩原さんは今にも掴みかかりそうな勢いで怒っていたけれど、私はそれを制して、3人をここに連れてきた。・・・見つかって、本当によかった。 今頃舞波さんはもうお迎えが来て、お屋敷を発ってしまったかもしれない。でも、私はそれが薄情や冷酷だとは思わなかった。お屋敷には残れないから、舞波さんはここに来なかった。そこには、私たちにはわからないような苦しみがあったと思うから。 「お嬢様」 私の声に、お嬢様はビクッと肩を揺らした。母親に怒られるのを恐れる子供みたいだ。相手は一昨日あれだけ自分を怒鳴った人間なんだから、無理もない。 「お嬢様、帰ろう」 だから私は、なるべく優しい声を出した。 5月とは思えないほど寒い日に、薄着のまま大好きな人を待ち続けたその気持ちを思ったら、とても怒ることなんてできなかった。 「今日は寒いから、お嬢様の大好きなカルビクッパを作ってもらいましょう。あったまりますよ。お風呂は、檜の入浴剤を入れてみましょうか。今日は、お好きなテレビ番組がありましたね。眠くなるまでじっくりご覧になって・・・」 自分の声が、ひどく震えているのがわかった。だけど、喋り続けなければならなかった。私はメイドで、お嬢様の心をひどく傷つけて、まだそのことを謝ってなくて、だから・・・ ふと、頬に冷たい感触を覚えた。反射的に口を噤む。 お嬢様の小さな手が、私の顔に添えられていた。 次へ TOP
https://w.atwiki.jp/chisato_ojosama/pages/474.html
前へ プチホテルの駐車場で、感動の再会を果たした二人は、寄り添ってその場を離れていった。 当然のように、私たちも後ろをつけていく。・・・ただし、何となく抜き足差し足忍び足で。 「舞・・・」 心配そうに顔を覗き込むお姉ちゃんを、私はあえて無視して前方に意識を集中させた。 2人の肩が触れ合うたび、胸が痛む。 暑いような寒いような変な感覚で、頭がボーッとする。 恋人を奪われる、ってこんな感じなんだろうな。激情じゃなくて、じわじわと心を侵食していく虚脱感。 「ふふふ・・・」 「ちょっと、舞ちゃん大丈夫?」 今日のことは、私が計画したことだっていうのに、何て自分勝手なんだろう。あまりのガキッぽさに、笑いがこみあげてきた。 千聖の16歳の誕生日。私が初めて祝う、大好きな人の大切な1日。 だから、千聖が一番喜ぶことをしてあげたかった。そのために、私は1ヶ月も前からずーっとずーっと頭を捻っていた。 ありきたりじゃなくて、千聖が顔中くしゃくしゃにして笑ってくれて、できたらそのまま嬉し泣きでもしてくれちゃうぐらいのサプライズ。 そういうのを追求していったら、やっぱり彼女――舞波さんの力を頼らざるを得ないんじゃないかって結論に至った。それで、連絡を取って、こうして足を運んでもらったわけだけど・・・。 湖の畔に移動した二人は、何も言葉を交わさず、ただじっと見つめ合っていた。 千聖の黒目がちな瞳に、舞波さんの小動物みたいな瞳に、お互いの姿を映すだけ。 あの日、この場所で、2人がお別れした時と同じぐらい、静かな愛情に満ちている。そんな気がした。 ――いっそ、もっとはしゃいでくれたら良かったのに。 舞波さんがお屋敷に滞在していた時みたいに、もう誰の事も見えないってぐらいに舞波さんに夢中になってくれたら、ヤキモチのやきようがあったのに。 千聖はすごく喜んでいる。嬉しさのあまり、感情が停止して、目のまえの舞波ちゃんを目に焼き付けることしか出来なくなっているんだろう。 誰もさわれない二人だけの国。まさにそんな感じだ。 「・・・ちょっとホテル戻ってるから」 私は隣にいた鬼軍曹にそう告げると、踵を返した。 バカじゃないの。ほんとみっともない。好きな人の幸せ、一緒に喜んであげられないなんて。 理性ではそう思っていても、感情は抑えきれない。こんな気持ちを持て余しているって、誰にも気づかれないようにするのが精一杯。 「・・・舞の千聖なのに」 いつもの独り言も、今は虚しく心を空回りするだけ。 自分で計画したこととはいえ、予想以上、いや、もはや予想外といってもいいほどの千聖のリアクションは、私の心を確実に打ちのめしてしまった。 湖畔のホテルに戻り、フロントで部屋の鍵を受け取った私は、ポーンとベッドにダイブした。 舞波さんと千聖が一晩一緒にいられるよう、寮生と鬼軍曹でお金を出し合って取った部屋。 私が一番乗りに入ってゴロゴロするなんてありえないけど、今ものすごくへこんでるわけですし、これぐらい許して欲しい。・・・はいはい、どうせガキですよ、舞は。 いつもと違う天井を眺めながら、千聖と舞波さんのことをボーッと考える。 例えば、私と舞波さんが海でおぼれていたら、千聖はどっちを助けるんだろう。 例えば、私と舞波さんが激しく言い争っていたら、千聖はどっちの味方をするんだろう。 そんな不毛な疑問がエンドレスに頭を駆け巡って、がりがりと頭をかいた。 もう、どうして千聖のこととなると、私はこんなにもバカになってしまうんだろう。 栞菜やなっちゃん相手なら負ける気がしないのに、何で舞波さんには敗北感を味わわされてしまうんだろう。 せめて、私を挑発してくるような気の強い人だったら張り合えたのに。舞波さんはふわふわの雲みたいにつかみ所がなくて、最初からライバルにすらなってもらえない。 こんなことで悩むなんて全然私らしくないし、かっこ悪くて嫌だ。 「はぁ~あ・・・」 どうせ、まだみんなは戻ってこないんだし、思う存分マーキングしてやる。 ベッドにほっぺをすりすりさせながら、私はいつしか深い眠りに落ちていた。 ***** 「・・・舞?舞、起きてちょうだい。舞」 「んー・・・?」 乱暴に肩を揺すられて、深く閉じていた瞼を開ける。 「うわっ」 目に飛び込んできたのは、千聖のドアップ。 反射的に鼻をつまんでやると、仔犬みたいに顔をしかめて「ふにゃあ」とまぬけな声を出す。 「あははは」 「もう、何をするの、舞ったら!」 怒ってる顔を見せられるのも、何か嬉しい。 だって、こんな顔、舞波さんには見せないでしょ、絶対。 「舞、どれぐらい寝てたの?」 「そうね・・・小1時間ぐらいかしら」 「ふーん。・・・舞波さんは?」 あまり不機嫌が顔に出ないよう、注意深くそう聞くと、千聖はパチパチと目を瞬かせた。 「舞波ちゃんは、もうお帰りになったわ。御両親の滞在なさっているホテルに泊まるそうよ」 「は!?え!?嘘、え、何で」 私が計画していた予定は、こうだった。 千聖と舞波さんを対面させる→頃合を見て寮生は退散する→千聖と舞波さんはここで一泊する→明日の朝迎えに来る 舞波さんにも電話でその旨伝えておいたはずなのに、予想外の出来事に、私の思考は停止してしまった。 「・・・あのね、舞。上手く言えないけれど、私も舞波ちゃんも、何だか満足してしまったのよ」 「満足って」 「湖でね、私と舞波ちゃん、ほとんど何も話さずに、ただずっと見つめあっていたの。 言葉なんてなくても、舞波ちゃんのいろいろな気持ちが私の中にたくさん入ってきて。とても温かくて、安心したわ。 そうしたらね、舞波ちゃんも同じ風に感じてくれたのか、自然に、“じゃあ、また今度ね”なんて言葉が同時に出てきたのよ。だから、今日はもう、これでお別れするって決めたの」 舞波ちゃんと千聖は、テレパシーもできるのかしら、なんて千聖は微笑んだ。 「舞波さん、遠くに住んでるのに、本当にそれでいいの?次いつ会えるかわからないんだよ?」 「ええ。物理的な距離なんて、あまり問題ではないわ。今日、舞波ちゃんに会って、改めてそう思えたの。 どこにいても、私は舞波ちゃんを感じられるし、きっと舞波ちゃんもそう思ってくれている。・・・せっかく、ホテルまで用意してくださったのに、ごめんなさいね、舞」 「それは別にいいけどぉ・・・」 ふだんはボケーッとしてて危なっかしいくせに、妙に大人びた口調でそんなことを言われると、憎まれ口も引っ込んでしまう。 妙に大人っぽいっていうか、長女っぽいっていうか・・・。こういう時の千聖って、ちょっと近寄りがたいぐらい神秘的だと思う。 「・・・舞、帰りたくないな。ここに泊まりたい」 だから、私は感情の赴くまま、千聖に甘えてみることにした。 「あら・・・」 「いいでしょ?だって、キャンセル料もったいないじゃん。明日早起きしてここから歩いて学校行けば・・・ねえ、いいでしょぉ?」 イメージ的には、りーちゃんっぽい声色。・・・上手く出来てるかわからないけど。 自分の中の、最大限の“妹力”を引き出しながら、千聖の肩に頭をくっつける。 「ウフフフ・・・」 「何で笑うの」 「ウフフ、ごめんなさい。だってね、さっき、このお部屋をキャンセルしないと、っていう話をしていた時に、舞波ちゃんがこう言ったの。 “舞さんが、ちゃんと有効に使ってくれると思うから、このままとっておいたほうがいいよ”って」 「・・・・あっそ」 ――さすが、というかなんというか・・・。 行動を読まれちゃったって思うとなんかむかつくけど、それ以上に、やっぱすっごい人だなあなんてしみじみ思わされる。 んま、完全無欠(とかいってw)の舞様にだって、一人ぐらい敵わない相手がいたっていいんじゃないの?なーんて、やけに心地よい敗北感に、笑顔がこぼれてしまう。 「・・・ありがとう、舞」 ふと、千聖は真顔に戻って言った。 「素敵な誕生日プレゼントだったわ。私は幸せ者ね。大好きよ、舞」 「千聖・・・」 「ウフフ、いやだわ、私ったら。早くめぐに連絡して、荷物を・・・きゃんっ!」 照れて逃げようとする手を捕まえて、思いっきり自分の方へ引っ張る。 「舞・・・?」 「まだ。もうちょっとこのままでいて」 抱き着かれるの、あんまり好きじゃないってわかっているけれど、私は千聖の膝を枕にして、顔をうずめた。 「16歳の千聖も、舞のなんだからね」 「もう、舞ったら」 明日になったら、どうせみんなの千聖お嬢様に戻ってしまうんだから。 せっかく舞波さんがくれたチャンスだもん、今日は舞だけの千聖でいてもらおう。 「あまえんぼうなのね・・・ウフフ、何だか可愛いわ、舞」 「ふふん、うるさいよ・・・」 髪をすべる千聖の指の感触に身をゆだねながら、私は再び目を閉じて、つかの間の幸せの余韻に浸った。 ********* ノk|‘-‘)<とかなんとか言って、実は隣の部屋に泊まってるかんな!(ガチャ)ハロー、センt・・・マイ。アーンドプリティバストガール・チサト。ハーワーユ? (o・ⅴ・)! リ*・一・リ! 从・ゥ・从<よーし、みんなでマクラなげしよう(z)! ワクワク リ*・一・リ ワクワク (o・ⅴ・)<せっかくのいいムードが・・・ ノソ*^ o゚)<いいムード?はじめからそんなものなかったケロ!2人きりになんてさせるものか! 州 ´・ v ・)<ついでなのでもぉ軍団の皆さんも呼んでみました。ケッケッケ リ*・一・リ<まあ、楽しそう!やっぱり、皆さんで盛り上がるのが一番ね、舞? (o・ⅴ・)<ち・・・ちしゃとおおおおおおうおおおうおお 次へ TOP
https://w.atwiki.jp/chisato_ojosama/pages/401.html
前へ 翌日。 シフトよりもずっと早くに起きて、どこかへ出かけた舞波さんは、戻るなり私服のまま、お嬢様の部屋へ向かった。私は掃除がてら、後ろから様子見。 「お嬢・・・千聖」 ノックとともに呼びかける舞波さん。私服のときは、等身大のお嬢様の友人に戻るらしい。久しく聞いていなかった“千聖”という呼び方は、とても新鮮に感じられた。 「・・・」 細く扉が開く。おそるおそる、と言った具合に、小さなお顔が隙間から出てきた。いつものワガママっぷりはどこへやら、上目づかいで私と舞波さんを交互に伺い見るお嬢様。 「千聖。少し、話さない?ほら、これがあれば大丈夫」 お嬢様を安心させるかのように、舞波さんはペンと紙を見せてにっこり笑う。 「ね?今日は美味しいラフランスが手に入ったと料理長さんが言ってたから。一緒に食べよう」 「・・・」 お嬢様は少し口をパクパクさせた後、大きくうなずいて舞波さんの腕を掴んだ。声の出せない状態では、さすがに篭城を続けるのは困難だと判断したらしい。 ここに残ると言ってくれない舞波さんを拒絶していた手前、お嬢様はどんな態度を取ったらいいのかわからないらしく、困ったような顔をしていた。・・・そうやってしおらしくしてれば可愛いじゃん、とかいってw 「めぐさん、手が空いている時でいいから、お茶を入れてもらえますか?」 「はぁい、よろこんでっ」 私が妙に明るい声を出したのが気に入らないのか、お嬢様は眉を吊り上げて、“あっかんべー”をしてきた。んまっ、生意気な!即座に“お尻ペンペン”で応戦すると、悔しそうにうめいて地団駄を踏んだ。 「うふふ、もう、千聖ったら」 私にからかわれたのが良いきっかけになったらしい。お嬢様は私を指さしたり紙に何か書いたりしながら、じょじょに舞波さんに向ける視線を和らげていった。・・・ま、憎まれ役もたまには悪くないか。 2人に背中を向けて、超特急で拭き掃除を開始する。3階から玄関までガーッとモップを滑らせて行く途中、「あっ、村上さん」と後ろから声を掛けられた。 「あー、こんにちは」 「どうも、おつかれさまです」 昨日と同じメンツ。制服姿の愛理さんに舞美さん、萩原さん。各々お花や果物を持っているから、お嬢様のお見舞いだろう。 「どうです、お嬢様?声が出なくなってしまったって聞いたんですけど・・・」 大きなクマのぬいぐるみを抱きかかえた愛理さんが、体全体をくねっとさせる。・・別に、ふざけてるわけじゃないんだろうけど。催眠効果でもあるのか、その独特の動きを見てると、何だか力が抜ける。 「もう、舞美ちゃん!何で昨日のうちに千聖のこと教えてくれなかったの!?舞、すぐに駆けつけたのに。」 「だって、昨日はもう夜遅かったからさ。舞はお嬢様のことになると、突っ走っちゃうでしょ?」 一方、舞美さんは汗をかきかき萩原さんの口撃に頑張って反論しているみたいだ。・・・なるほど、こういう関係性か。 「大体、今日だって本当は家からここに直行したかったのに。どうせ学校なんて舞にとっては行っても行かなくても同じようなものなんだからねっ」 「まあまあ、細かいことはいいじゃないか!学生は本分の勉強が学校!あれ?なんか違う?」 「もー、舞美ちゃんは!・・・まあいいや。それで、千聖の容態はどうなんですか!?」 頭から湯気を出していた萩原さんは、その勢いのまま、私をぐるりとにらみつけてきた。この、クソ・・・いやいや。 自分のこめかみと口の端がヒクリと動いたのがわかった。だめよめぐ、私はメイド!どんな仕打ちにも耐えなければ、メイドマスター(?)の称号は与えられないわ! 「・・・ご心配なく。まだお声の方は治っていませんが、篭城は中止してくださいました。今、お部屋で舞波さんと一・緒・に仲良く過ごしていらっしゃいます」 「外に出てこられたんですね?安心しました、ケッケッケ。やっぱり篭っていたら体に悪いですもんね」 「さすが舞波さん、とかいってwよかったね、舞?」 安堵の表情を浮かべる2人とは対照的に、萩原さんは心底面白くなさそうな顔をしている。無言で私にノートと教科書を押し付けると、きびすを返して去っていこうとした。 「舞、どうしたのー?」 「別に。舞波さんがいるなら、舞はいい」 舞美さんの呼びかけに足を止めた萩原さんは、唇を尖らせる。 「あの、舞波さんのことが苦手でいらっしゃるんですか?」 「・・・別に、違いますけど。」 「あー、わかった。舞、ヤキモチやいてるんでしょう?」 どうやら、図星だったらしい。舞美さんを軽く睨んでいるけれど、その目にはあんまり迫力がない。 「舞ちゃん、せっかくお嬢様が誘ってくださってるんだし、寮に入ったら?そうしたらずっとお嬢様と一緒にいられるよ。舞ちゃんのお父さんとお母さんが了承してくれるなら・・・」 「・・・舞は、舞波さんの代わりじゃないもん。千聖は全然わかってない」 「あ・・・」 今度こそ振り返らず去っていく萩原さんは、怒りながら悲しんで、傷ついているようにも見えた。 「うーん。友情って、なかなか難しいですねぇ・・・」 お嬢様の学校生活のことはまったく知らないけれど、学年が違うのにこうしてお見舞いに来てくれる萩原さんが、お嬢様を本気で心配しているのはわかる。なのに、当の本人は違う人に夢中になっているんじゃ、くやしく思うのは当たり前なのかもしれない。 「・・・それじゃ、私はこれで。お嬢様と舞波さんにお茶を入れるんで」 「あ、わかりました。じゃあ私たちはまた後で来ますね。今日は旦那様たちもお帰りになるって聞いてるんで、その時にでも。・・・ぬいぐるみだけ、渡してもらっていいですか」 給仕用のワゴンの下段に愛理さんから受け取った特大のクマちゃんのぬいぐるみ、上段にラフランスのポッシェとハーブティ、舞美さんからのタオル(なぜ?)の差し入れを乗せて、お嬢様の部屋へ向かう。 ――それにしても、ちょっとしたお見舞いのためにこんな大きいぬいぐるみとは・・・。可愛らしい紙細工のメッセージカードまで添付してある。この心遣い、もしかして愛理さんもなかなかのお嬢様なんじゃないか。 部屋の前まで来ると、舞波さんの「うふふっ」って笑い声がした。当然ながらお嬢様の声は聞く事ができないけれど、和やかな雰囲気なのが伝わってくる。 「失礼しまーす・・」 「で、ここはこの指を・・・あ、めぐさん。どうもありがとうございます」 2人はソファに座っていた。私が入ってきたのも気にせず、お嬢様は大型のスクリーンと手元の本に熱心に見入っていた。 「手話・・・?」 「ええ、今朝買ってきたんです。もちろん筆談でも問題ありませんが、覚えておいて不便はないかなと。今2人で、初級編を勉強してるんですよ」 「え、舞波さんも覚えるの?だって・・・」 言いかけて、私はハッと口を噤んだ。お嬢様1人に苦労させないように、あえて一緒に勉強しているんだろう。 私なら、ちょっと上から目線で「教える」とか「補助してあげる」という発想になってしまうところだ。舞波さんの姿勢を見ているとつくづく勉強になる。 「うふふ。私、新しいことを覚えるのが好きなんです。手話が出来ると、千聖と人前でナイショの会話もできちゃう。なんちゃって」 千聖お嬢様は舞波さんの声に反応するように、声を出さずに笑って、舞波さんに寄り添った。 多分、お嬢様も舞波さんの思いやりをちゃんとわかっている。 だから部屋から出てきてくれたし、こうして一緒に勉強もしているんだと思う。なんだかんだ言っても、お嬢様は舞波さんと一緒にいたいんだろう。声が出ないという大事を抱えてるなんて信じられないくらい、すっごく穏やかな顔をしている。 「千聖、じゃあ復習しようか。一回テキスト閉じて」 真剣な面持ちで、画面に出された言葉を手話で表していく2人。・・・と思ったら 「・・・あれ?これ、何だったっけ」 テンポよく問題に答えていくお嬢様と対照的に、舞波さんは手をわきわきさせて苦笑している。別に、お嬢様を勝たせて優越感を持たせてあげようって感じじゃなくて、本当にてこずってる様子。 「・・・こうじゃなかった?」 思わず、さっきスクリーンに映っていた手の形を再現してみせる。 「あ、そうそう。それでした」 続く2問目3問目も、舞波さんはなかなか答えを出せない様子で、私がフォローとヒントを与えるというなんとも不思議な状況になってしまった。 「めぐさん、さっき少し見ただけなのに。頭がいいんですね」 「いえいえそんな。覚えるのは早いんですけど、すぐに忘れちゃうタイプなんで」 「それでも、うらやましいな。私、勉強でも運動でも、なかなかすぐには身にならなくて。ずっと覚えていることは得意なんですけど、パッと答えなきゃいけない時は困りものですよ」 なるほど。頭のいい人だな、とは思っていたけど、私とはまた違うみたい(自分で言っちゃいました、とかいってw) そもそも、私なら、ちょっとやってダメだったものはすぐに投げてしまう。あきらめないで根気よく課題に取り組めるというのは、素直にうらやましい。 「でも、飲み込みが悪いと、いろいろ工夫して身に付けられるという利点もあるんですよ。最初からできるより、楽しいことでしょ?」 利点、っていえるかわからないけど。と舞波さんは笑った。 「何か、いいですね」 「え?」 「舞波さんの考え方って、素敵」 「うふふ、そんな。めぐさんったら」 この私の毒気を抜いて、ほんわりした空気を作り出してしまうなんて。顔を見合わせてデヘヘと笑っていると、いきない私たちの間に、お嬢様がズボッと顔を突っ込んできた。 「うっわびっくりした!」 存在を無視されていたみたいで寂しかったのか、お嬢様は私から舞波さんを取り上げるように立ちはだかって、“べーっ”って舌を出してきた。 そして、両手の人差し指を立てて頭の上に角を作ってから私を指差した。 「んー・・・めぐさんを表す手話ってこと?」 我が意を得たり、と言った感じに、お嬢様の顔が明るくなった。角って・・・鬼か!鬼だって言いたいのか! さっそく覚えた手話を実践できたお嬢様は、満足そうにケラケラ笑った。 次へ TOP
https://w.atwiki.jp/okaishonen/pages/91.html
彼が卒業してから色々ありすぎてしまって、最近ではたまにしか思い出さなくなっていた。 卒業したての頃は、彼が『おうじさま』と書き、私が『おひめさま』と書いた写真を眺めては泣き続けた。 彼のいなくなった現場へ行くたび、いなくなった現実をつきつけられて寂しさが募った。 もう彼が帰ってはこないのだ、と。 それでも私がお仕事を続けてこられたのは、自分を必要としてくれる人がいてくれたおかげだと思う。 ファンレターに『桃子ちゃんの笑顔には励まされます』と書かれていると、私が人の役に立っていると単純に嬉しくなった。 彼も「桃子は人を癒す力があるよ」なんて真面目に語ってくれたこの言葉が、今の私を作っている。 「舞波ちゃんと桃ちゃんはどんな関係だったの?」 舞波”ちゃん”か、懐かしい響きだ。 千聖は舞波を兄のように慕っていたくせに、男の子だと知ってからも呼び方だけは変わらなかった。 それは今も変わらないみたいで、舞波が近くにいる感じがして嬉しくなる。 「恋人っていうほどの関係ではなかったけど、デートはしたかな」 今ではメンバーの誰ともプライベートでは会わなくなった私が、この頃はまだ気軽にメンバーと遊んでいた。 といっても、舞波ただ一人と。 私にも相談もせずにいなくなるとは思ってもいなかったから、次に会う約束なんかしていなかった。 毎日顔をあわせるのが当たり前だった私たちに別れが来るなんて冗談に思えた。 「ふぅん。舞波ちゃんと桃ちゃんならお似合いのカップルだよね。知ってれば、応援してあげてたのに」 「あんたの場合は応援どころか邪魔するだけでしょ。あんたが関わってくるといつもややこしくなるの」 「にゃははは、バレたぁ? でも、でも、舞波ちゃんと桃ちゃんなら応援したい気持ちになるよ。二人とも好きだもん」 表情がコロコロ変わるもので、バレたぁと言ったときは苦笑いをしていたくせに、好きだもんと言ったときは真剣そのものだった。 真剣な表情の千聖につられて、応援してもらってもダメなときはあるんだよ、と喉元まででかかった。 こんな言葉を言ったら、桃ちゃん大人ぶるなよ、と笑い飛ばしてくれるだろうか。 また真剣に返されでもしたら、無理にでも空気を変えようとしたかもしれない。 でも、その可能性はなくなった。 私は応援してくれたかもしれない千聖に対して、 「好きかぁ~私もね、千聖と舞美が好きだよ。だから、是非ともうまくいってほしいんだよね」 などと話を逸らしてしまっていた。 ←前のページ 次のページ→
https://w.atwiki.jp/chisato_ojosama/pages/353.html
前へ 「引き止めて、って」 「・・・村上さん、少しは舞波さんからご事情を聞いていらっしゃるのでしょう?」 お嬢様の視線がティーカップの中に落ちて、長いまつげが揺れる。 「私がお聞きしたのは、舞波さんが私と同い年で、今は学校に行ってなくて、ここ一週間ぐらいこちらに滞在していて、もうあと一週間で出て行かれるっていうことだけ・・・・です」 「そう。」 さっきの話は、かなりデリケートなことのように感じたから、とりあえず伏せておいた。 「舞波ちゃんは、ここを出て、元いた場所に戻ると言っているの。でも、そんなことをする必要はないのに。どうして・・・あんな人たちの所に」 「お嬢様・・・・」 「舞波ちゃんはここにいれば幸せになれるわ。学校だって、千聖と同じところに通えばいいじゃない」 小さな肩を震わせながら、半ば独り言のように喋り続けるお嬢様の横顔は、中学生の女の子がしていいようなものじゃない・・・本気の怒りを感じさせる迫力があった。 「私は、舞波ちゃんを傷つける人は許さないわ」 「待って、それは変だよ」 その威圧感に少し圧倒されつつも、なぜか私の心にはよくわからない闘争心が芽生える。 「変?どうして?」 「だって、出て行くと決めたのは舞波さん本人なんでしょう?ここにいれば幸せかどうかは、舞波さん本人にしかわからないんじゃないですか?」 「それは・・・っ、村上さんは、舞波さんのご事情を知らないからそんな無責任なことを言えるのよ」 「無責任ですって!」 ヤバい。冷静にならなきゃと思う気持ちはあるものの、私の持ち前の闘争心が、お嬢様の生意気発言をねじ伏せようと本能を煽ってくる。 「だったらお嬢様、お聞かせください。その舞波さんの事情とやらを。それで納得できたなら、ご命令に従いますから。」 「それは・・・言えないわ。勝手に私が話すべきではないもの」 「じゃあ悪いけど相談には乗れません。肝心なことは話してくれないんじゃ、何が正しくてどうするべきなのか、判断できないもん。それこそ、“無責任”なんじゃないですか」 「でもっ・・・でもっ・・・、村上さんは、メイドなんだから、千聖の言うことを聞きなさい!命令よ!」 「勤務時間外はメイドとして扱わないって言ったのはそっちでしょう!?自分の発言には責任を持ったらどうです!」 「何ですって!村上さんの意地悪!」 「意地悪で結構!私は譲れないとこは絶対譲らないんです!」 頭の中に“解雇”“謝罪賠償請求”などの単語が浮かんでいるけど、その程度じゃ私の口を止めることはできない。悪い癖だとは自分でも思う。よくもまぁ、今までの人生で、大きなトラブルがなくやってこれたものだ。 「・・・・ちょっと、何してるの」 その時、いきなり後ろから、妙に冷めた第三の声が響いた。 「・・・舞」 お嬢様の目線を辿ると、そこには腰に手を当てた女の子が立っていた。大きな目が、私だけを的確に捉えて威嚇してくる。負けじと睨み返して、私達の間に火花が散る。 「千聖。この人誰」 「今日から働くことになった、村上さんよ。」 「働く、って。メイドの口のききかたじゃなかったよ。どういう教育してるわけ?」 ――どうやら、結構前から私達のやりとりを聞いていたらしい。だからって、指をさすな指を! 「・・・失礼しました。分をわきまえない発言でした。申し訳ございません。」 だけど、言ってることは正しいと思う。第三の人物の登場でクールダウンした私は、素直に頭を下げた。 「・・・お望みであれば、退職届を書いてきます。解雇処分なら、甘んじて受け入れます。」 「まぁ・・・・どうして?」 「ですから、お嬢様の気分を害するようなことを・・・」 「別に、不快な思いはしていないけれど。村上さんはご自分の意見を言っただけでしょう?千聖の意見と違うからって、解雇なんておかしいわ。」 お嬢様は目をパチパチさせながら、不思議そうに首を傾げた。・・・本当、大人なんだか子供なんだかよくわかんない。 「千聖、もう用事済んだ?テキスト持ってきたんだけど」 「あ・・・ごめんなさい、舞。わざわざありがとう。村上さん、ご紹介が遅れてしまったけれど、こちらは私のお友達の舞よ。舞、こちらはメイドの村上さん。」 「よろしくお願いします。」 「どうも・・・」 正確には、私にとってははじめましてじゃないけれど。お屋敷の塀の外から、大きなその目をギラギラ光らせていたのは記憶にあたらしい。 「舞はね、学年は1個下だけれど、とても優秀なの。千聖の勉強をみてくださるのよ」 「はぁ、そう、ですか」 もうお嬢様の癇癪は一旦収まったみたいだけれど、こっちの“舞さん”とやらは未だ仏頂面で私を睨みつけている。そりゃそうだ、友達の家の召使が、従属すべき相手に歯向かって、大声で怒鳴りあっていたらいい気はしないだろう。 「村上さん。帰りがけでかまわないから、料理長に、舞が夕食をご一緒することを伝えておいて。」 「はい、わかりました。」 そろそろ引き際なのかもしれない。私は素直にうなずいて、柔らかいソファから身を起こした。 「あ・・・それから」 「はい」 ドアを開ける一歩手前で、お嬢様がもう一度私を引き止めた。 「私、村上さんが協力してくださらないことを、了承したわけではないわよ。ちゃんと納得すれば、舞波ちゃんを説得してくださるのでしょう?」 「え・・・それはぁ・・・うーん」 「村上さんを味方につけるのは骨が折れそうだけれど、千聖はあきらめないわ。」 「はぁ・・・」 何、その無駄なポジティブ思考!私は基本的に物事の白黒は常にはっきりつけておきたい性格だけど、あんまりとんちんかんなことを言われると、対処に困ってしまう。まして、相手は天然だ。悪意や敵意がない分、自分の出方がよくわからない。 「お休み中にお呼び立てしてごめんなさいね。今日はもう結構よ」 「あ、は、はい。では、また明日」 私は未だドアの前に立ち尽くしている舞さんにも会釈して、横を通り過ぎようとした。 “――何よ、舞波さん舞波さん、って” 「えっ」 思わず振り向くと、またキツイ目つきで睨まれてしまった。どうやら私に聞かせようっていうつもりの独り言ではなかったらしい。 「千聖、今日は英語やろっか。」 だけど舞さんはそれっきり、何事もなかったかのように涼しい顔で、部屋の奥へと足を進めていった。・・・何だろうな、いろんな思惑が入り乱れていて、これは思いのほかやっかいな自体に巻き込まれてしまったのかもしれない。 「おかえりなさい、めぐさん。」 「あ・・・ただいま」 部屋に戻ると、簡易テーブルで読書をしていた舞波さんが、かわいらしい八重歯を見せて微笑んだ。 「お嬢様、エキサイトしてたでしょう」 「あぁ、いや、別に・・」 「ごめんなさいね、めぐさんをおかしな立場に立たせてしまって」 やっぱり、この人には隠し事というか、物事をうやむやにしておくことはできないらしい。私は否定も肯定もしなかったけれど、その様子で、大体のことを察してしまったみたいだ。 だったらもう、この話を突き詰めていくしかない。どちらの味方になるつもりもないけれど、このまま中途半端に関わって、放置されるのも面白くはないから。 「もう、出て行くことは、舞波さんの中では揺ぎ無い決定事項なんでしょうか」 「・・・そうですね。よく考えて、決めたことですから」 その返答はあくまで淡々として柔らかい口調だったけれど、同時に、誰の意思も寄せ付けないような強さも感じた。お嬢様のように感情をダイレクトに表してくれるようなタイプではない分、舞波さんの言葉は重い。 「・・・・さっきの話の続きを、してもいいですか?」 私が押し黙っていると、舞波さんはふふ、と笑って体を近づけてきた。 「宇宙人っていうのは、学校に行ってたときのあだななんです。」 「あだなって・・・」 「前にも話したとおり、私は妙に勘が良かったり、人の言葉の裏が読めてしまったり、・・・あとは、そうですね、失くし物がどこにあるのかわかったり、そういうおかしな力があるんです。オカルトみたいな話なんですけど」 「いや・・・信じます。っていうか、実際私があの女子校を訪ねたのも当ててたし」 この短い付き合いの中でも、舞波さんは見栄を張ったり嘘をつくタイプじゃないのはよくわかった。それだけ誠実で、実直な人の言葉を信じられないわけがない。 「昔から私はかなりの人見知りで、なかなか友達ができなかったんです。でも、小学生の時、偶然この能力を、同級生の前で披露することがあって。 たしか、失くした消しゴムを見つけてあげたんだったかな・・・。で、“神様”なんて呼ばれるようになって、いきなり人気者になっちゃった。今までは仲間に入れなかった、休み時間の鬼ごっことか、ドッヂボールのグループに入れてもらえたり。・・・それで、調子に乗ってしまった。 私は確かにそういう不思議な能力があるけれど、漫画やドラマみたいに、百発百中というわけではないんです。当たることもある、ぐらいで。」 「・・・つまり、逆に言えば、当たらない時は当たらない。」 「そうです」 舞波さんはあいかわらず微笑して話を続けているというのに、私は変な汗をかいて、そわそわしていた。そんな私を気遣うように、舞波さんは、緊張で固く握られた私の手を包んでくれた。 「そのうち、顔も知らない違うクラスの子や上級生からも、物探しの依頼が来るようになってしまったんですけれど、こういうのって神様が見てるんでしょうね。段々と外れる回数が増えていって。 だんだんと、私が人の物を隠して、それを超能力で見つけたようにインチキしているんじゃないかという噂が流れました。」 「舞波さん・・」 「それでも、みんな表面上は仲良くしてくれる。でも、私はその笑顔の裏が見えてしまう。それがどうしようもなく辛かった。 今までのように自然に友達と接することができなくなって、神様だった私は、いつのまにか陰では宇宙人とか変人って呼ばれるようになっていました。 靴を隠されたり、グループ分けで仲間はずれというのもあったなぁ。ちょっとあれは辛かった。 こんなことになるなら、人見知りの頃のまま、ずっと一人ぼっちでいれば良かった。そしたら、誰も私の能力で混乱したり、嫌な気持ちになることはなかったのに」 「待ってよ、何で舞波さんが悪いみたいな話になるわけ」 黙って最後まで聞くつもりだったのに、私はたまらなくなって、ついに口を挟んだ。 「神様とか変な扱いをしたのは、周りの人たちでしょ?そんなふうに勝手に盛り上がって、自分たちの思うとおりの力じゃなかったら今度は勝手に失望して。」 「でも、私がのぼせ上がっていたのは事実ですから」 「仮にそうだとしても、それが人を傷つけていい理由になんてならない。何だ、陰口って。言いたいことがあるなら直接言うべきでしょ。ばっかみたい」 顔も知らない、これから知り合うこともないであろう人たちへの怒りが沸々とわいて来る。 私は短気だし、この性格が災いして人とぶつかることもしょっちゅうある。だけど、イジメや仲間はずれだけは絶対にしない。気に入らないことがあれば本人に言うし、戦う必要があるなら一人で向かっていく。謝るべきと判断したら謝る。それでいいじゃないか。 ――まあ、言ってるほどのことを実行できてるかはわからないけれど。雅のことだって、結局傷つけたまま宙ぶらりんになってしまってるし。 「うふふ。もう、私なんかのことで、そんなに怒らなくていいんですよ。本当、めぐさんとお嬢様は似ていらっしゃる。お嬢様にもこのお話をしたとき、とても怖い顔をしてた。」 「・・・お嬢様は、“舞波ちゃんは、あんな人たちの所に戻ることはないのに”と言っていました。何のことだかわからなかったけれど、イジメのことだったんですね」 私がそう切り出すと、舞波さんはふと笑顔を引っ込めて、真剣な表情に戻った。 「私は、今でもあれをイジメだとは思っていません。」 「どうして?」 「そんな風に思ったら、少しでも仲良くしてくれたクラスメートに失礼だから。原因が私にある以上、一方的な被害者のようには振舞えません。」 「でも・・・」 「結局私は、また一人になることを選びました。誰とも話さず、目立たずに生活していれば、誰にも迷惑がかからないから。 なのに、一度でも友達と過ごす時間を知ってしまったら、もうその楽しかった感覚からは逃れられなくなってしまうんですね。 休み時間、自分の後ろの席で盛り上がる声を聞くのが辛くて。お昼の時間、一人で給食を食べるのが悲しくて。 私は少しずつ、自分が誰で、どういう性格で、これからどうするべきなのか。そういうことがよくわからなくなっていきました。そして、ついに学校に行くことすらできなくなった。 その日から小学校はもちろん、地元の公立中学校にも、結局一度も行っていません。・・・これが、私が学校へ行っていない理由です。」 舞波さんはゆっくり目を閉じて、深いため息をついた。だけどその顔は沈んではいなかった。むしろ、大きなことをやりとげた後のような、すがすがしい達成感に満ちた表情にすら見える。 「ごめんなさいね、つまらない話をしてしまって」 「・・・いや、むしろつまらなくなさすぎて、何にも言えないんですけど」 舞波さんは強い。人を恨んだり憎んだりする気持ちを、全て自己責任のように処理してしまっている。だけど、傷ついた自分を赦して癒すことのできない弱い人でもある気がした。 「不登校になって、しばらくの間はずっと家にいました。両親は“舞波のペースでがんばればいい”と言ってくれたから、勉強したりボーッとしたり。そんな感じで過ごしていたんですけど」 次へ TOP
https://w.atwiki.jp/chisato_ojosama/pages/402.html
前へ 旦那様と奥様、ご子息方様ご一行は、昼過ぎぐらいにバタバタと戻ってきた。 私は完全に初対面になるけど、今日はゆっくりご挨拶なんて雰囲気じゃない。執事さんたちに荷物を預けた旦那様達は、一息入れる間もなくお嬢様の部屋へと向かった。 「ほら、村上さんも」 「わ、私?」 「あなたはお嬢様のお世話がメインでしょう」 メイド長さんに促されるまま、私は大家族の後ろにひっついて階段を上がっていった。 部屋の中では、まだお嬢様と舞波さんが一緒にいるみたいだった。奥様と旦那様は、思いのほか和やかな空気だったことに安心したみたいで、「千聖。」と軽く声をかけてドアを開けた。 「失礼しまーす・・・」 私も続いて中に入る。 「大お姉様、声でないんだって??何で?」 どことなくお嬢様に顔立ちの似た、若干小柄な弟様が、突然の来訪に驚くお嬢様にタックルをくらわせてジャレはじめた。・・・なんていうか、お姉ちゃんの一大事なのにあんまり心配していないらしい。 「ご無沙汰しています、おじ様、おば様。」 「舞波ちゃん・・・ごめんなさいね、千聖が迷惑をかけてしまって」 一方、弟くんと取っ組み合いを始めたお嬢様を尻目に、舞波さんと奥様達は穏やかに話を始めた。私も加わるならこっちだろう。そう思って、さりげなくソファの後ろに移動してみたんだけれど・・・ 「メイドさんも遊ぼう!」 「うわっ」 テンションの上がっているらしい、弟様に引っ張られて、お嬢様の大きなベッドの方に連れて行かれる。 「ちょ、ちょっと」 気がつくと右手を次女の明日菜お嬢様に取られていた。なすすべもない。私は仏頂面のお嬢様の前に座り込んで、無言で見つめあった。 「あの・・・旦那様達と、お話しなさらないでいいんですか?」 そう問いかけると、お嬢様は少しうつむいて、首を振った。 「お姉様?」 明日菜様が心配そうに顔を覗き込む。すると、お嬢様は画用紙を取って、明日菜様に差し出すようにして何か書き始めた。 こうして2人が並んだ顔を見てみると、何か不思議な感じだった。 お嬢様は凛々しくて精悍な顔立ちの旦那様似で、明日菜様は小動物みたいな目元にスッキリと優しげな顔立ちのお母様似。全然似てないように見えるけど、しぐさや表情はそっくり。面識がない時に、姉妹当てクイズとかやってたら、多分見破れたと思う。 「ええ・・・そうですね・・・ええ、明日菜もそう思います」 そんな可愛らしい目をくるくるはためかせながら、明日菜様はお嬢様の手元に見入っている。通じるかな?わかるかな?と不安そうに顔を見るお嬢様を安心させるように、何度も強くうなずいて、励ますように手を握っている。 お嬢様がかなり子供っぽい分、その振る舞いは大人びて見えて・・・どっちがお姉ちゃん?と私は心の中でひそかに突っ込んだ。 「メイドさん」 「はっ、はい」 ボーッとその光景に見入っていたら、いつのまにか私の目の前に明日菜様が来ていた。 「千聖お姉様が、メイドさんと2人で話したいそうなので。」 まだ遊びたい!とわめく弟様の首根っこを掴んで、明日菜様は旦那様たちの方へ行ってしまった。千聖お嬢様と私だけが取り残される。 「千聖お嬢様・・」 声をかけようとすると、“待って”とばかりにお嬢様は片手を前に突き出し、私を遮った。ジェスチャーで、「終わるまで、見ないで」と示しながら、また画用紙に向かってペンを走らせ出す。 手持ち無沙汰になった私は、聞き耳を立てるべく、舞波さんや旦那様たちの座るソファの方へ体を傾ける。 “もともと通っていた私立学校に、来月から・・・” “復学試験を受けて・・・” もうお嬢様の声についての話は終わったらしく、わりと和やかな雰囲気で、談笑しているみたいだ。 チラチラと私たちの方へ視線が向けられるものの、旦那様も奥様も、お嬢様に話しかける素振りは見せない。どうしてこういうことになってしまたのか、もう何となくわかっていらっしゃるのかもしれない。 冷たい、という風には感じなかった。とてもお忙しいらしいのに、こうしてお嬢様の一大事にお屋敷にお戻りになるぐらいだ。他人にはわからない、家族間の絆というのがあるんだろう。お嬢様もいつもより落ち着いて見える。 「旦那様、奥様。ご無沙汰しております」 しばらくすると、舞美さんと愛理さん、それから萩原さんが、うっすら開いたドアを押して、室内に入ってきた。 「あ、私、お茶を・・・」 立ち上がりかけたところを、お嬢様にエプロンのリボンを掴まれる。 「お嬢様、でも、萩原さんたちが・・・」 「・・・」 お嬢様は顔も上げずに、私を捕まえたまま、まだ黙々と何か書き続けていた。 お嬢様がこれだけ夢中になって、周りが見えなくなるぐらい打ち込んでいることって言ったら・・・・察しのいい萩原さんが、視界の隅で眉間に皺を寄せたのが見えた。 「・・・」 程なくして、お嬢様の手が止まる。 ソファにお尻を向けて、私に画用紙を見るよう促してくる。内容は、見るまでもなくわかっていたけれど・・・ 「・・・お嬢様。」 案の定、そこには“舞波ちゃんを、引き止めて”と書かれていた。 次のページには、お嬢様がどれだけ舞波さんを好きなのか、溢れ出しそうな思いをたくさん綴ってあった。 舞波さんと出会ったことで、一人ぼっちじゃなくなったこと。 お嬢様扱いしないで、“千聖”って呼んでもらえて嬉しかったこと。 舞波さんを傷つけた人たちが住んでる場所に、舞波さんを帰したくないこと。 だから、どうしても引き止めてほしいと、震える文字で、お嬢様は必死に訴えかけていた。 「・・・ダメだよ、お嬢様」 だけど、私はやっぱり、その思いを残酷に断ち切った。みるみるうちに、お嬢様の顔が、怒りと悲しみに染まっていく。 「っ・・!・・・・っ!!!」 ボロボロと涙を零しながら、画用紙を持ったまま、何度も私の体に拳をぶつけてくる。 「千聖・・・」 「止めないでください!誰も来ないで!」 慌ててこちらに来ようとする奥様達を、私は大声で振り切った。 雇われてる分際で、こんな偉そうな口を利くなんてありえない。だけど、真剣に私を頼ってくれて、心の中を見せてお嬢様に、中途半端な気持ちで応えるなんて私にはできなかった。 メイドじゃなくて、一個人として。お嬢様のことも舞波さんのことも大好きだから、ちゃんとぶつかり合いたかった。 「お嬢様、聞いて」 連日の篭城で、すっかり痩せてしまった細い腕を、両手でそっと握りしめる。 「・・・大丈夫だから。離れていても、舞波さんはお嬢様を忘れたりなんかしない。ここにいた時と同じ気持ちで、好きでいてくれるから」 けれど、お嬢様はかたくなに首を横に振るばかりだった。私は少しずつ、自分の頭がカッカと熱くなるのを感じた。 「みんな、お嬢様のこと心配してるんだよ。わからないの?」 「めぐさん・・・」 私の腕に落ちたのは、自分の涙なのか、お嬢様のなのか。もうよくわからない。 「・・・私は、舞波さんが声の出ないお嬢様を置いて去っていくのは、冷たくて薄情だって思ってた。でも、それは違ったの。舞波さんはお嬢様のこと思って泣いてた。 このままじゃ何も変わらないから、たとえ一時お嬢様を傷つけることになっても、離れなきゃいけないって。舞波さんはお嬢様のためにそう決断したの。お願い、舞波さんの気持ちをわかってあげてよ」 「っ・・・」 それでもお嬢様は、声にならない泣き声を漏らすばかりだった。 誰も何も言わない。異様に静まり返った空間で、私の荒い息とお嬢様の泣きじゃくる音だけが響く。 「なんで・・・舞がいるじゃん・・・・」 萩原さんがそうつぶやいて、部屋を出ようとするのが目に留まった。慌てて舞美さんが引き止める。お嬢様はそれも追いかけようとせず、未だ声を発することのできない口を懸命に動かして、私に必死に訴えかけてきた。 お嬢様の、小さな唇がはっきり綴る。 “私には、舞波ちゃんしかいないの” ――プツッ―― 自分の頭の中で、何かがキレたような気がした。 「・・・いーかげんにしろっ!舞波ちゃん舞波ちゃん舞波ちゃん舞波ちゃんって、そんなに舞波さんが信用できないの!?」 「ちょ、ちょっと、めぐさん」 「だってそうでしょ。舞波さんがお嬢様のことを好きだって信じられるなら、少し距離ができたぐらいで友情が壊れるなんて思わないでしょ!舞波さんのこと信じてない証拠じゃん! 大体、旦那様も奥様も明日菜様達も、お嬢様のために戻ってきたのに。舞美さんや愛理さんが毎日お見舞いに来てくれたのだって、知ってるでしょ?萩原さんなんて寮に入ってるわけじゃないのに、すっごく心配して来てくれてるんだよ。 なのに、なのに、何で舞波さんがいなくなったら一人ぼっちなんて悲しいこというんだよ。何で皆の気持ちがわからないの?このっ ばか!」 ―――あ・・・・・・・ 言ってしまった・・・ 「あ、あの・・・」 考えなしに発言して、後悔するのはいつもの悪い癖。だけど、これはいつものとレベルが違う。 私・・・バカっていった?仕えてるお屋敷の、お嬢様に?バカって??メイドの分際で? 旦那様も、奥様も、奥様の腕の中の下の妹様も、明日菜様も、弟様も、舞波さんも、愛理さんも、萩原さんも、舞美さんも、激しく泣いていたお嬢様さえも。みんな目を丸くして、口をOの字にぽかーんと開けて、私を見ていた。 「ち、違っ・・・いや、これは・・・・」 なぜか舌がもつれる。普通に立ってるつもりなのに、床がどんどんせりあがってきて、足元がフラついた。な、何だこれ? 「めぐさん!?」 いつになく慌てた顔の舞波さんが手を伸ばして、こっちに走ってくるのが見えた気がした。でももうよくわからない。 ゆっくり世界が暗転して、私の意識は途切れた。 次へ TOP
https://w.atwiki.jp/chisato_ojosama/pages/291.html
前へ 二人三脚ならぬ三人六脚のような状態でしばらく歩いていると、道の先に唐突に門扉が現れた。 「でかー・・・・」 まるで歴史ある博物館や大使館の入り口のようだ。周りを囲む蔦の絡まる塀は高く、奥に大きなレンガ造りの建物があることだけどうにか確認できる。 特別、高級住宅地でもない土地の、何てことない林道の横道に、まさかこんなものがあるとは想像できなかった。 私が口をぽかーんと開けて見入っているうちに、2人はそのまま足を進めて、門の正面に移動しようとしていた。 「ちょ、待って!こんなところ勝手に入ったら怒られちゃうよ!」 私は軽くパニックを起こして、幸か不幸か急に元気が戻ってきた。 「怒る・・・?どうしてかしら?私、叱られるようなことはしていないわ!」 「だってっ」 必死で足を踏ん張る私を、背の低い方の女の子が向きになって引っ張る。 「千聖。足、痛くしてるんだからそんなに引っ張っちゃだめだよ。」 そんな彼女を、“まいはちゃん”と呼ばれていたもう一人がそっと嗜める。そのまま、私の方に顔を向けて、「大丈夫ですよ」と言って口角を上げた。 「大きな建物ですけど、住宅ですから。」 「は・・・嘘。嘘!住宅って!こんな家ありえないから!」 確かにさっき、「お屋敷で手当て」とか言ってたのは覚えている。だけど、まさか、こんな・・・・私の常識で考えられる範疇を超えている。 「まあ、ありえないだなんて失礼ね。ここは千聖のおうちなのよ。」 わーわーわめく私に気を悪くしたのか、“ちさと”と名乗った背の低い子は、軽く眉をしかめた。 「ほら、見ていてちょうだい。」 私の手を離すと、監視カメラつきの呼び鈴のところまでパタパタと走っていく。そのままインターフォンを押すと、地鳴りのような音と共に、門扉が開かれていった。 「お帰りなさいませ、千聖お嬢様、舞波様。」 「お帰りなさいませ、千聖お嬢様、舞波様。」 漫画やドラマみたいに、門からお屋敷まで使用人さんがびっしり道を作って・・・とまではいかないけれど、2人のメイドさんと、1人の執事さんが深々と頭を下げて待っていた。 「ええ、ただいま。リップとパインを、お部屋に戻してちょうだい。それから、こちらの方が怪我をなさっているわ。手当てをしてさしあげたいの。」 背の小さい方の子が、ごく自然な口調で、メイドさんに指示を出す。 さっきは子供みたいな声でお嬢様言葉を話すのに違和感を感じていたけれど、この立ち振る舞いは・・・やっぱり、超お嬢様なんだと今更実感が沸いた。 「かしこまりました。舞波様、少しお時間が早いようですが・・・?」 「もう、私には様づけはいらないですよ。うーん・・・、着替えてから、こちらの方のお怪我の治療に立ち会います。千聖、じゃなかった千聖お嬢様、それでよろしいですか?」 「・・・わかったわ。医務室に行っているから、すぐに来て頂戴ね。」 まいはちゃんという名前のその人は、軽くうなずいて、小走りに走っていった。 屋敷の室内は言うまでもなく、私のような庶民には到底理解しがたい調度品で構成されていた。 大理石の床。趣味がいいんだか悪いんだかわからない骨董品。ひげのおじさんの銅像に、仙人みたいなおじいちゃんの肖像画。 歩きながらもぽかーんと口を開けてそれらに見入っていると、「こちらよ。」と小さな手が私の服の袖を引いた。 「うわ・・・」 細かな細工の施された金色のノブの向こうには、普通の病院の診察室みたいな設備が整っていた。 今はお医者様の姿は見えないから、さすがに常駐しているってわけじゃないんだろうけれど、そもそも医務室なんてものが家の中にあること自体がありえない。 「はい、これ。喉が渇いていたのでしょう?スポーツドリンクがいいって、舞波ちゃんが」 「あ、どうもありがとう。・・・・ねえ、ねえ、どういうことなの?」 「え?」 冷たい飲み物で喉を潤して、ベッドに腰掛けさせてもらってすぐ、私は口を開いた。 「あの、舞波さんて人は、あなたのお姉さんではないの?お友達?このおうちはあなたのおうちでしょ?どうしてあなたじゃなくて、舞波さんが着替えるの?ていうか、なんで舞波さんは、ここに着いた途端にあなたに敬語になったわけ?あと、お時間早いってどういう」 「ちょ、ちょっと待って。そんなにたくさん質問されても、わからないわ。それに、私、まだ貴女のお名前もお聞きしていなのに。」 「あ、ごめんなさい。確かにそうだわ」 今まで接したことのない立場の人とお近づきになるというこの状況に、つい興奮してマシンガントークをかましてしまった。 改めて自己紹介しようと背筋を伸ばすと、私がしゃべりだす前に、目の前のお嬢様が「舞波ちゃんは、」と語りだした。 「舞波ちゃんは、千聖のお姉さまではないの。千聖の叔父様の、奥様の弟様の、従兄弟に当たる方の娘さんでいらっしゃるのよ。」 「・・・・・・・つまり、血縁関係のない遠縁の親戚、ということ?」 「そう、そうなの!すごいわ、一度で理解してくださったの、貴女がはじめてよ。えっと・・・」 「愛です。友達はめぐって呼ぶよ」 「めぐ?可愛らしいニックネームなのね。私の名前は、千聖です」 そういって、お嬢様もとい千聖ちゃんは、空中に“千”“聖”という文字を描いた。 「綺麗な名前。」 「うふふ、ありがとうございます。でもね、舞波ちゃんのお名前もとても素敵なのよ。波が、舞うって書くの。」 そんな風に舞波さんの名前を説明してくれる顔はとても柔らかくて、まるで自分のことを自慢をしているかのように誇らしげに見えた。 「ねえ、千聖ちゃんは・・・学校には行っていないの?舞波さんも。」 少し空気が緩んだところで、私は一番気になっていたことを切り出してみた。千聖ちゃんの顔が、若干こわばったように感じた。 「あ、ごめん。何か立ち入ったこと聞いちゃったみたい」 「・・・いえ、あの、私のことはいいの。でも、舞波ちゃんは・・・。」 そうつぶやくと、千聖ちゃんはうつむいて黙り込んでしまった。 ああ、もう最悪だ。どうして私はこう、何でもずけずけ口に出してしまうんだろう。まだ知り合って間もない人じゃないか。 「私・・・誘拐、されそうになって・・・」 「えっ・・」 しばらく沈黙した後、千聖ちゃんは震える声でそうつぶやいた。 「だから、私はしばらく学校を休むようにって・・だって、怖かったから・・・」 「千・・」 許せない。こんなにちっちゃい子を、怖い目に合わせるなんて。短気な私は、話を聞いただけでむかむかしてきた。 「警察には行ったの?小学校の先生は?」 「小学・・?あの、つい最近の話なのよ。」 「・・・あ、そ、そう。そっか。」 ――中学生だったのか!おちびちゃんだし、全体的にあどけない印象だから、てっきり・・・ 「もちろん、警察には行ったわ。それに、寮の皆さんも心配してくださって」 「寮・・・?」 次から次へと、馴染みの無い単語が生まれてくる。出会ったばかりのお嬢様の、こんな深いご事情を聞くことになるとは・・・。重ね重ね、人生何があるかわかったもんじゃないと思う。 「寮っていうのはね、そこの裏に・・・」 コン、コン そのとき、軽快なノックの音が室内に響いた。 「失礼しまーす。・・お嬢様、入ってもよろしいでしょうか。」 「あっ!舞波ちゃん!」 まだ話の途中だというのに、その声を聞いたとたん、千聖ちゃんは目を輝かせて一直線にドアへ向かっていった。 「早く、入って頂戴。」 急かされて入室した舞波さんを見て、私は思わず「えーっ!」と声を上げてしまった。 飾り気のない濃紺のロングスカートに、白いレースのエプロン。エプロンと同じ光沢のある素材で作られたカチューシャ。 そう、“着替えてくる”と言ってしばらく姿を見せなかった舞波さんは、どういうわけかメイドさんに早変わりしていたのだった。 舞波さんはメイドさんだったんだ。すると、急に千聖ちゃんに対して敬語になったのは、お屋敷ではあくまでメイドという意識から?いやいや待てよ、でもさっき遠縁の親戚だって・・・ 「今ね、スポーツドリンクを飲んでいただいて、お話してたのよ。それでね、お名前も伺ったわ。愛さんとおっしゃるそうよ。」 わけがわからない私を放置状態にしたまま、千聖ちゃんは舞波ちゃんに話しかける。 千聖ちゃんのお尻に、ちぎれんばかりに振られている尻尾が見える気がした。本当に、舞波さんのことが大好きなんだなぁなんてしみじみ思う。 舞波さんは特に口を挟まず、うんうんとうなずきながら、優しい顔で千聖ちゃんの話を聞いていた。 「そうですか、それでは、体調のほうはもう大丈夫そうですか?」 「うん・・・いや、はい、おかげさまで。」 メイド服を身に纏った舞波さんは、さっきよりもずっと大人びて見えて、私は思わず敬語になってしまった。 「では、足の治療をいたしましょうか。お嬢様、お部屋に戻られますか?」 「いいわ。舞波ちゃんのそばにいる。」 ――おいおい、私のそばじゃなくて、舞波さんのそばかい。 どうでもいいツッコミを心の中で入れながら、私はまた舞波さんにうれしそうに話しかけている、千聖ちゃんの姿を眺めた。 次へ TOP