約 250,096 件
https://w.atwiki.jp/obbligato/pages/64.html
哲学・倫理学的観点からのアプローチ imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 地理学と哲学、共通点なんてあるのでしょうか? 哲学はそもそも、「賢哲なる者の生き方を問うということでもある」というのは、 西洋哲学の教授が講義で言われたことですが、西洋哲学で取り扱われる主題には、 世界を説明する起源が含まれています。つまり、ある意味で哲学にとって地理学は、 現代人の視点で哲学を踏み出す第一歩であるのかも知れません。 逆に、地理学にとっての哲学は、古代の地理学を幅広い視点から見つめることの できる1つの大きな資料と言えます。 もしくは、哲学は決して西洋だけのモノではありません。 そして、過去のモノでもありません。 人が考え出す「思想」は、そこに人が居れば、必ず存在するのです。 広島大学文学部には、西洋哲学、インド哲学、中国思想文化学、倫理学の4つの コースが用意されています。それぞれは異なる学問で、異なる思想です。 ではなぜ、違う考えが生まれるのでしょうか? 違う人間同士が考えたことで、脳みそも違うのだから、考え方が違って当然だ。 というのは、ごく一般的な意見だと思う。 でも、異なる地域で異なる考え方が生まれただけでなく、一般的に正しいとされる 生き方も、一般的にその地域で信じられている概念にも視野を広げてみましょう。 「一般的」という言葉が出てきましたね。「一般的」というのは集団の発生に 基づく原理です。集団が多様な地域に点在することで、多様な「考え」がそれぞれ 発展したとは考えられないでしょうか。 そう考えると、ここでもやはり地理学的な側面から「空間」という言葉を 挙げることができます。 つまり、人間は1つの場所、1つの空間に集団を形成してきたのではなく、 集団と集団の間に発生した「距離」を克服しようと、現在も多様な哲学、倫理学が 研究されていると捉える事ができるのではないでしょうか。 …なんだか文学・語学と同じ流れになってしまいましたね(汗) ただし文学・語学に対して、哲学はそこで発生した人々の「考え方」そのものを 探究する学問であり、倫理学はここにいる「私たち」の「あるべき姿」について 探究する学問です。 よって、哲学や倫理学そのものに「地域性」が発生すると言えるのです。 つまり、哲学や倫理学そのものが「地域性」によって形成された「人々の考え」 という構造なので、地理学の研究対象となり得るのです。 この点と「時代背景による影響」という点ではむしろ、哲学や倫理学は歴史学に 共通点があると言っても良いかもしれません。 哲学や倫理学では、過去から現代に至っている価値観、世界観を通して、様々な 概念を追及する作業が行われますが、ここで概念が発生した「空間」を再現しよう とするという点では、文学・語学と共通点があるでしょう。 ここで頭の中に広がる「空間」は地理学そのものであり、それを「再現」すること で、その起源を「追及」するという作業が哲学であり、「再構成もしくは再考」する 作業が倫理学であると解釈できるのではないかと思います。
https://w.atwiki.jp/chaina_battle/pages/27.html
ハロルド・J・ティンパーリ(Harold John Timperley、中国表記 田伯烈、1898年 - 1954年)は、オーストラリアバンベリー出身のジャーナリスト。 略歴 ハロルド・ジョン・ティンパーリー(Harold John Timperley)は、1898年6月22日、 ウェスタン・オーストラリア、バンベリーで生まれる。幼くしてパースに移った。1914年、18歳のときデイリー・テレグラフ紙のレポーターとなったが、同年、第一次世界大戦に徴兵され、フランスとベルギーに従軍。1919年に帰国後、前職に戻るが、1921年に香港の新聞社に勤務するために中国に渡る。 1924年、北平(1924-1936年)に移りクリスチャン・サイエンス・モニター、APなど様々な新聞の特派員となった。1928年からマンチェスター・ガーディアン紙の特派員となる。1934年からASIA誌の顧問編集者となる。ティンパーリーはハロルドという名前を嫌いティム(Tim)と呼ばれていた。記事の著者名には H. J. Timperley という名前を使っている。 1936年5月頃、上海に事務所を移し、1年間マンチェスター・ガーディアン紙の専従特派員となるが、1937年5月にAP特派員として南京へ移動した。 1937年8月28日、鉄道部の広報誌 The Quaterly Review of Chinese Railway の編集をしていたエリザベス・J・チェインバースと南京の英国大使館で結婚した。9月初めに上海に移りフランス租界のアパートに据を構えた。第二次上海事変に際し、上海国際赤十字の副主席で難民委員会委員長であったフランス人神父ジャキノの設立した南市安全区に関与し、20万人以上の中国市民の保護に貢献した。 1937年、ティンパーリは、12月13日の南京陥落とその後の日本軍占領時に起きた南京大虐殺に際し、南京城内の安全区委員会のメンバーであったジョージ・フィッチ、マイナー・シール・ベイツからの報告や安全区委員会文書、その他各地の日本軍の暴行に関する報告や記事などをまとめ、『WHAT WAR MEANS』(戦争とは何か)を編集した。 1938年4月初めに上海からロンドンに向い、7月に『WHAT WAR MEANS』を刊行した その後、米国を旅行した後、マンチェスター・ガーディアン紙やASIA誌を辞し、1939年3月頃、重慶に入った。 1939年(4月?)-1943年3月、ティンパーリーは中国国民党の中央宣伝部(Ministry of Information)顧問となる。(俗説のように、「盧溝橋事件直後」ではない) その後、1943年-1945年まで、連合国(United Nations)のInformation Officeに勤務。 第二次世界大戦後、ティンパーリーは国連の様々な機関の役職についた。1946年、前年に開設されたばかりのUNRRAの上海事務所に勤務した。 インドネシアとオランダの紛争が深刻化すると、その仲介のために国連安全保障理事会は、インドネシアに対する仲裁委員会を設置した。ティンパーリーは事務方責任者として会議に参加した。 1948年10月に任期を終えたティンパーリーは、その後パリの国際連合教育科学文化機関事務所に勤務した。 1950年、仲裁委員会を通してインドネシアに信頼されていたティンパーリーは国際連合教育科学文化機関を辞して、インドネシア外務省の技術的な指導をするためにジャカルタへ渡った。 1951年、熱帯病に冒され、イギリス へ「帰国」した。その後、まもなくして英国クエーカーの団体である、リリジャス・ソサエティー・オブ・フレンズ(Religious Socierty of Friends)に接し、メンバーとして受け入れられた。 1952年に、ビクター・ゴランツがマンチェスター・ガーディアンへ宛てた手紙がきっかけとなり、War on Want (貧困への戦い)という団体が設立された。ティンパーリーはその初期の指導者として働き、1954年5月に開かれた最初の会議を組織した。 1954年11月25日、滞在先のベッドで意識不明のところを発見され、 イングランドクックフィールドの病院に救急車で搬送されたが、翌26日に死亡した。享年56であった。 著作 What War Means The Japanese Terror in China, London, Victor Gollancz Ltd,1938. (レフト・ブック・クラブ版と一般向版の2種がある) The Japanese Terror in China, New York, Modern Age Books, 1938. Japan A World Problem, New York, The John Day Company, 1942. Australia and the Australians, New York, Oxford University Press, 1942 Some Contrast Between China and Japan in The Light of History /10 page leaflet, London, The China Society, publication date unknown. The War on Want /5 page leaflet, London, Gledhill Ballinger Ltd., 1953 What War Means翻訳書: 中国語訳=由楊明訳『外人目睹中之日軍暴行』漢口民国出版社、1938年7月 日本語訳=訳者不明『外国人の見た日本軍の暴行』(中国語訳からの重訳、1938-1941年に軍関係者によって出版されたものと推定される) フランス語訳=MM.l Abbe Gripekoven et M.Harfort, Ce Que Signifie la Guerre , Belgioue,1940(推定),Amities Chinoises 日本語訳=洞富雄編『日中戦争史資料 9』河出書房新社、1973年(昭和48年) 『WHAT WAR MEANS』に関する議論 「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」(台北・党史館所蔵)という1941年に作成された文書は、国際宣伝処が『外国人目睹之日軍暴行』( What War Means の中国語書名)を宣伝書として編集印刷したとしている。(東中野修道『南京「虐殺」研究の最前線・平成十五年版』p.265-6)また、鈴木明著『新南京大虐殺のまぼろし』(飛鳥新社)にて初めてティンパーリが中華民国政府顧問の秘密宣伝員である事が暴露され、続いて北村稔著『「南京事件」の探求』(春秋新書)にて国際宣伝処処長曽虚白の回想記『曽虚白自伝(上集)』に「ティンパーリーとスマイスに金を払って目撃者として二冊の本を書いてもらった」記されていることから、これら資料の背後には国際宣伝処が関与していた事を示唆している。(『「南京事件」の探究』p.43-4) また「中国社会科学院近代史研究所翻訳室編『近代来華外国人名辞典』(1981年)」には、ティンパーリーについて「1937年盧溝橋事件後、国民党により欧米に派遣され宣伝工作に従事、続いて国民党中央宣伝部顧問に就任した」と明記されている。 一方、渡辺久志は、曽虚白がティンパーリーを日本軍占領下の南京にいたとする誤りを前提として語っていることなどを指摘、この証言には問題があるとする。また、曽虚白はティンパーリーが当時、中央宣伝部と関係あったとしていないとして渡辺は北村説に疑問を投げかけている。(『季刊 中帰連』21号 2002・夏, p.69-72) また、井上久志は「中央宣伝部国際宣伝処二十七年度工作報告」(中国第二歴史档案館所蔵)に「われわれはティンパリー本人および彼を通じてスマイスの書いた二冊の日本軍の南京大虐殺目撃実録を買い取り、印刷出版した」とあり、曽虚白の回想記の「二冊の本を書いてもらった」という記述は誤りとしている。(『現代歴史学と南京事件』p.249) 関連項目 南京大虐殺論争 参考文献 「新「南京大虐殺」のまぼろし」鈴木明 飛鳥新書 「「南京事件」の探求」北村稔 文春新書 「アンチヤマトイズムスを止めよ!」竹本忠雄 日本政策研究センター 渡辺久志「求めているのは実像か虚像か」(『中帰連』第21号、2002年夏号) 笠原十九司・吉田裕編『現代歴史学と南京事件』柏書房、2006年 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年2月16日 (土) 00 18。
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/1549.html
な 人名(50音順) ふりがな 大学名 専門 資料 反日度 中内功 なかうち いさお 流通科学大学 実業家。ダイエー創業者。ダイエー元会長・社長・グループCEO、経団連副会長、日本チェーンストア協会会長、流通科学大学学園長・理事長を歴任。護憲派。2005年に亡くなった人物。「ダイエー」を創業し、流通業界の現状を打開する為、価格破壊や規制撤廃に尽力した人物。しかし、90年代に入りワンマン経営が露見したり、経営戦略が時代に見合わなくなる等、ダイエーは凋落の一途を辿り、2001年にダイエーを退任している。氏は戦後民主主義による護憲派とは一線を画し、自身の大東亜戦争における過酷な体験が元で強固な護憲や、再軍備に反対の姿勢を貫く。また、日米同盟の堅持は不要で最小限に留めるべきで、北朝鮮に対しては暴発しない様和解の方向へ持っていくべきと発言している。民族性については、「世界の中の日本で、アジアの中の日本なんだから。だいたい、国境がどんどんなくなりつつある。為替にしたって、モノにしたって、人にしたって、ボーダレス化してすべて自由に動いていくでしょう。ヨーロッパも、EU内部ではどんどん障壁が取り除かれていきつつある。そういう時代に、日本文化の特殊性をことさら言いたてるのは、おかしいわな。」と発言。「ダイエー会長・中内功「戦争」と「革命」」より B 永江朗 ながえ あきら 早稲田大学 フリーライター。TBSラジオ「ストリーム」元・コメンテーター。保守系の文化人や政治家等、保守言論全般を嫌悪し徹底して叩く人物。 A 仲尾宏 なかお ひろし 京都造形芸術大学 前近代日朝関係史 定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワーク 賛同人朝鮮学校を支える会 呼びかけ人「高校無償化」措置を朝鮮学校に適用することを求める大学教員の会 呼びかけ人 A+ 中島岳志 なかじま たけし 北海道大学 政治学歴史学 国際法に基づき東京裁判を否定したパール判事のパール判決書の日本無罪論を著書『パール判事東京裁判批判と絶対平和主義』などでパール判事は平和主義者で9条護憲派であり日本に戦争犯罪者が存在し日本は有罪だと決め付け曲解する主張をする。「週刊金曜日」の編集委員に名を連ねる平和主義者。北海道新聞夕刊「論考2011」担当。2016年4月より北海道新聞夕刊「論壇時評」を執筆。 SSS+ 中原道子 なかはら みちこ 早稲田大学 東南アジア史 VAWW-NETジャパン 共同代表「韓国強制併合100年」共同行動日本実行委員会 呼びかけ人 A 中村尚司 なかむら ひさし 龍谷大学 経済学 定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワーク 賛同人 B 中野敏男 なかの としお 東京外国語大学 歴史社会学倫理学社会思想史 「高校無償化」措置を朝鮮学校に適用することを求める大学教員の会 呼びかけ人日の丸・君が代に対抗するネットワーク 呼びかけ人民族学校出身者の受験資格を求める国立大学教職員の声明 呼びかけ人 A 灘本昌久 なだもと まさひさ 京都産業大学 差別問題近現代史 両親の祖父母の代まで被差別部落出身の為か、上田正昭などのゼミに参加していた過去もある人物。 A に 人名(50音順) ふりがな 大学名 専門 資料 反日度 西岡琢也 にしおか たくや 大阪芸術大学 脚本家。日本シナリオ作家協会理事長。自虐史観の持ち主。自虐史観を前面に出したドラマも脚本している。 B ぬ 人名(50音順) ふりがな 大学名 専門 資料 反日度 ね 人名(50音順) ふりがな 大学名 専門 資料 反日度 の 人名(50音順) ふりがな 大学名 専門 資料 反日度
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/95.html
トップページ>韓国>歴史と現実 『歴史と現実』20、1996.6 企画:新羅統一記の政治と思想 河日植「新羅政治体制の運営原理」 南東信「義相華厳思想の歴史的理解」 特集:「世界化」時代の歴史教育 안병우「大学韓国史教育の現況と課題」 양호환「アメリカ歴史教育の動向と争点」 鄭在貞「強化と改革の道に入った日本の歴史教育:初・中等学校と大学の実態」 정현백「ドイツの歴史文化と歴史教育」 金栄漢「人文学の危機と歴史教育」 編集部「[討論]国史教育と「世界化」時代」 論文 도현철「高麗末期士大夫の仏教認識と対応」 지수걸「日帝下洪州地域エリート集団の道庁移転反対運動(1930.11-1932.10)」 곽건홍「1931-1945年工場幼年労働者の形成と性格」 書評 尹善泰「「中国社会史論戦」の受容と新しい国家形成論の展開:李徳晟『朝鮮古代社会研究』正音社、1949年」 趙誠乙「実学研究の深化と残った課題:유봉학『燕巌一派北学思想研究』一志社、1995年」 『歴史と現実』19、1996.3 共同研究:大韓帝国期権力機構の性格と運営 都冕会「[総論]政治史的側面から見た大韓帝国の歴史的性格」 呉蓮淑「大韓帝国期議政府の運営と位相」 차선혜「大韓帝国期警察制度の変化と性格」 趙宰坤「大韓帝国期軍事政策と軍事機構の運営」 論文 鄭秉峻「駐韓米軍政の「臨時韓国行政部」樹立構想と独立促成中央協議会」 전현수「1947年12月北韓の貨幣改革」 研究動向 余昊奎「韓国古代の国家形成」 書評 고부자「韓国服飾史研究の出発点:李如星、白揚当『朝鮮服飾考』1947年」 李迎春「朝鮮時代礼学史研究の指標:고영진『朝鮮中期礼学思想史』한길사、1995年」 『歴史と現実』18、1995.12 時論 安秉旭「汚辱された歴史の生産、その代償と主体」 企画:朝鮮社会をどう見るべきか 오종록「中世後期としての朝鮮社会:朝鮮社会の成立を中心に」 金盛祐「朝鮮社会の社会・経済的変化と時期区分」 고영진「朝鮮社会の政治・思想的変化と時期区分」 編集部「[討論]朝鮮社会をどう見るべきか」 論文 이영학「開港以後日帝の漁業浸透と朝鮮漁民の対応」 鄭泰憲「日帝下資金流出構造と租税政策」 研究動向 韓相権「朝鮮時期国家の地方支配研究現況:郡県制・外官研究を中心に」 書評 李秀日「マルクス主義農業経済学のために:印貞植『朝鮮の農業機構分析』(日)白揚社、1937年」 朴賛勝「韓国近代思想史の新しい枠組み:金度亨『大韓帝國期의 政治思想硏究』知識産業社、1994年」 지수걸「韓国青年運動史の新しい理解:韓国歴史研究会近現代青年運動史研究班『韓国近現代青年運動史』풀빛、1995年」 『歴史と現実』17、1995.9 共同研究:高麗武人集権期の政治構造 徐聖鎬「[総論]武人集権期政治史の再照明」 蔡雄錫「明宗代権力構造と政治運営」 오영선「崔氏集権期政権の基盤と政治運営」 강성원「元宗代の権力構造と政局の変化」 金仁昊「武人集権期文臣官僚の政治理念と政策:明宗18年詔書と封事10条の検討を中心に」 論文 박종진「高麗武人集権期の土地支配と経済施策」 呉洙彰「18世紀英祖・正祖の平安道に対する政策」 朴泰均「1954年第3代総選と政治地形の変化:自由党と民主国民党を中心に」 書評 강병희「未だ超えられない塔婆研究の古典:高裕燮『朝鮮塔婆의 硏究』乙酉文化社、1948年」 정병삼「仏教思想史研究の拡大された指標:金英美『新羅仏教思想史研究』民族社、1994年」 資料紹介 최유식「アメリカ大統領図書館所蔵韓国関連資料現況」 『歴史と現実』16、1995.6 特集:解放50年!分断の歴史、統一の歴史 노경채、都珍淳「[序説]世界史における韓半島の分断と統一」 이준식、朴泰均「支配勢力と分断の歴史」 辛珠柏、洪錫律、정창현「統一運動の歴史」 安秉旭、鄭秉峻「南北韓の統一政策と統一の課題」 노경채、김남식、趙東杰、정영태、조희연「討論要旨」 共同研究:16世紀朝鮮社会の歴史的位置 오종록「[総論]16世紀朝鮮社会の歴史的位置」 김건태「16世紀両班地主層の経済活動」 金盛祐「16世紀国家財政の危機と身分制の変化」 최이돈「16世紀士林中心の地方政治形成と民」 論文 김무진「朝鮮後期書堂の社会的性格」 이주철「土地改革以後北韓農村社会の変化:1946-1948年を中心に」 研究動向 김점숙「米軍政期経済政策の研究現況と課題」 書評 全虎兌「文献と現場の出会い:孫晋泰『朝鮮民族文化의 硏究』乙酉文化社、1948年」 이윤갑「大韓帝国の量田・地契発給事業をめぐる第2段階光武改革論争:韓国歴史研究会近代史分科土地台帳研究班『대한제국의 토지조사사업』민음사、1995年」 資料紹介 윤덕영「解放直後新聞資料現況」 『歴史と現実』15、1995.3 共同研究:高麗末政治状況と新興儒臣 朴宰佑「[総論]高麗末政治状況と新興儒臣」 李益柱「恭愍王代改革の推移と新興儒臣の成長」 홍영의「高麗末新興儒臣の推移と分岐」 최연식「恭愍王の政治的志向と政治運営」 김순자「高麗末対中国関係の変化と新興儒臣の事大論」 論文 余昊奎「3世紀高句麗の社会変動と統治体制の変化」 朱鎮五「1898年独立協会運動の主導勢力と支持基盤」 李栄昊「大韓帝国期内蔵院の外画運営と商業活動」 書評 정숭교「韓国教育史研究の基礎:李萬珪『朝鮮教育史』乙酉文化社、1946年」 남지대「朋党政治成立の構造的理解:崔異敦『朝鮮中期士林政治構造研究』一潮閣、1994年」 資料紹介 辛珠柏「中国東北地方歴史学界の研究動向と資料現況:延辺地方を中心に」 『歴史と現実』14、1994.12 企画:新羅統一期社会をどう見るべきか 김영미「新羅統一期仏教界の動向と推移」 강봉룡「新羅統一期の支配体制」 안병우「新羅統一期の経済制度」 박종진、南東信、河日植、李仁在、이병희「[討論]新羅統一期の社会性格」 論文 宋鎬晸「古朝鮮の国家的性格」 高東煥「朝鮮後期蔵氷役の変化と蔵氷業の発達」 鄭容郁「1947年の撤軍議論とアメリカの南韓占領政策」 研究試論 都冕会「甲午・光武年間の裁判制度」 書評 고영진「ハングルで書かれた最初の韓国儒学通史:玄相允『朝鮮儒学史』民衆書院、1949年」 朴泰均「近現代人物研究の主観性と客観性:김경일『이재유연구』; 심지연『허헌연구』; 廉仁鎬『김원봉연구』」 資料紹介 鄭秉峻「アメリカ内韓国現代史関連資料の現況と利用法:アメリカ国立文書記録管理庁を中心に」 『歴史と現実』13、1994.9 時論 정창현「東北アジア秩序の再編と南北関係の展望」 共同研究:17世紀朝鮮思想界の分化 17世紀儒学思想史研究班「[総論]17世紀後半思想史の新しい理解」 鄭在薫「17世紀後半老論学者の思想:宋時烈・金壽恒を中心に」 趙誠乙「17世紀後半老論勲戚の思想:金錫胄・金萬基を中心に」 鄭景姫「17世紀後半「転向老論」学者の思想:朴世采・金榦を中心に」 申炳周「17世紀後半少論学者の思想:尹拯・崔錫鼎を中心に」 정호훈「17世紀後半嶺南南人学者の思想:李玄逸を中心に」 고영진「17世紀後半近畿南人学者の思想:尹鑴・許穆・許積を中心に」 論文 임기환「広開土王碑の国烟と看烟:4・5世紀高句麗対民編成の一例」 오종록「朝鮮初期の国防政策:両界の国防を中心に」 백승철「16世紀富商大賈の成長と商業活動」 書評 문중량「韓国科学技術史の総合的体系化の最初の試み:洪以燮『朝鮮科学史』正音社、1946年」 高珽休「民族解放運動期韓中間「国際的連帯」の一断面:韓相禱『한국독립운동과 중국군관학교』文学と知性社、1994年」 資料紹介 韓相権「朝鮮時代法典編纂の流れと各種法律書の性格」 『歴史と現実』12、1994.6 企画:植民地朝鮮社会をどう見るべきか 鄭泰憲「日帝下経済史認識の定立のための試論」 姜昌一「日帝の朝鮮支配政策:植民地遺産問題と関連して」 지수걸、姜昌一、鄭泰憲、鄭在貞、朴賛勝、이승렬「[討論]植民地社会論の諸問題」 論文 김영미「新羅中期書記僧侶の人間観と社会認識:『無量寿経』研究を中心に」 辛珠柏「金日成の満州抗日遊撃運動についての研究」 研究動向 高麗末政治史研究班「高麗末政治史研究動向」 書評 이병희「未完の朝鮮封建社会論:白南雲『朝鮮封建社会経済史(上)』改造社、1937年」 김광철「14世紀高麗社会の矛盾構造と社会変化:韓国歴史研究会14世紀高麗社会性格研究班『14世紀高麗の政治と社会』民音社、1994年」 資料紹介 全虎兌「高句麗古墳壁画研究文献分類と検討」 申栄祐「「東学農民戦争」研究と日記資料」 『歴史と現実』11、1994.3 共同研究:世界大恐慌期民族解放運動 임경석「世界大恐慌期社会主義・民族主義勢力の情勢認識」 이애숙「世界大恐慌期社会主義陣営の戦術転換と新幹会解消問題」 김영근「世界大恐慌期労働力の性格とストライキ闘争」 이준식「世界大恐慌期革命的農民組合運動の階級・階層的性格」 論文 金仁杰「朝鮮後期在地士族の「居郷観」の変化」 李仁在「新羅統一期租税収取基準と等級烟:村落文書を中心に」 研究動向 武人執権期研究班「武人執権期研究動向と課題」 書評 李栄昊「東学と農民戦争研究の原型:金祥起『東學과 東學亂』東亜日報、1931年」 이영식「加耶史研究の市民権と仮説の事実化:金泰植『加耶連盟史』一潮閣、1993年」 資料紹介 鄭容郁「アメリカ国立文書館所在「労働」関連資料」 『歴史と現実』10、1993.12 特集1:韓国近現代史における帝国主義と知識人 이준식「日帝侵略期キリスト教知識人の対外認識と反キリスト教運動」 朴泰均「8・15直後米軍政の官吏充員と親日派」 洪錫律「4月民主抗争期中立化統一論」 特集2:歴史研究方法論と史的唯物論 김창호「歴史唯物論の再構成は果たして可能なのか」 배영수「社会史の理論的含意:エドワード・トマーソン(E.P Thomason)における階級と文化、そして歴史的唯物論」 지수걸「韓国近現代社会運動史研究の現況と課題」 강성호、이준식、김창호、배영수、지수걸、정현백「[討論]史的唯物論と韓国における受容」 論文 河日植「6世紀末新羅の力役動員体系:南山新城碑の記載様式についての再検討」 전병무「高麗忠恵王の商業活動と財政政策」 研究動向 전상숙「世界大恐慌期民族解放運動史研究動向」 書評 辛珠柏「1920年代農民運動についての新しい整理の機会:이준식『농촌사회변동과 농민운동』민영사、1993年」 資料紹介 전현수「解放直後北韓史研究の諸問題について:「ロシア対外政策文書保管所」所蔵北韓関係資料の検討」 『歴史と現実』9、1993.6 共同研究:12世紀前半期政治勢力と政治運営 蔡雄錫「[総論]12世紀前半期政治史の新しい理解」 徐聖鎬「肅宗代政局の推移と政治勢力」 朴宗基「睿宗代政治改革と政治勢力の変動」 오영선「仁宗代政治勢力の変動と政策の性格」 蔡雄錫「毅宗代政局の推移と政治運営」 企画:韓国近代の始まりはいつか 장동표「1860年代反侵略・反封建運動の意義」 李潤相「韓国現代史における開港の歴史的位置」 都冕会「近代=資本主義社会起点としての甲午改革」 都珍淳、李憲昶、이세영、李栄昊「[討論]韓国近代の起点の議論」 論文 김건태「16世紀両班家の「作介制」」 박철하「1920年代前半期社会主義青年運動と高麗共産青年会」 김점숙「1920-1930年代永同地域の社会運動」 研究動向 金盛祐「16・17世紀社会経済史研究現況」 書評 鄭秉峻「中央政治と地方政治の分類法:安鍾哲『광주・전남지방 현대사 연구:건준 및 인민위원회를 중심으로』한울、1991年」 資料紹介 김재순「朝鮮総督府公文書管理制度と総務処政府記録保存所所蔵日帝文書」 鄭容郁「解放以前アメリカの対韓政策構想資料」 『歴史と現実』8、1992.12 共同研究:17世紀前半朝鮮思想界の動向とその性格 고영진「[総論]17世紀前半義理名分論の強化と社会経済政策の対立」 呉恒寧「17世紀前半西人山林の思想:金長生・金尚憲を中心に」 趙誠乙「17世紀前半西人官僚の思想:金瑬・崔鳴吉・趙翼を中心に」 고영진「17世紀前半南人学者の思想:鄭経世・金應祖を中心に」 申炳周「17世紀前半北人官僚の思想:金藎国・南以恭・金世濂を中心に」 企画:世界各国の歴史教育動向Ⅱ 鄭在貞「日本歴史教育の現況と展望:新学習指導要領(1989年告示)を中心に」 Alexander Ganse、정현백「分断ドイツの歴史教育」 방영춘、백주현「中国の歴史教育」 論文 蔡雄錫「高麗中・後期「無頼」と「豪侠」の形態とその性格」 李仁在「『通度寺誌』「寺之四方山川裨補篇」の分析:新羅統一期・高麗時代の寺院経済の一事例」 書評 李益柱「高麗後期士大夫と権門勢族についての新しい理解:김광청『高麗後期勢族層権力』東亜大学校出版部、1991年」 鄭泰憲「「農民的路線」と「地主的路線」対立構造設定についての検討:홍성찬『한국근대농촌사회의 변동과 지추층』知識産業社、1992年」 研究動向 光武改革研究班「「光武改革」研究の現況と課題」 資料紹介 이희수「イスラム圏の韓国史関連資料紹介」 『歴史と現実』7、1992.6 巻頭論評 崔徳寿「韓国と日本、その歴史と現実」 共同研究:14世紀民の動向と「改革政治」 신안식「対蒙抗争期民の動向」 朴宗基「元干渉期民の動向」 権寧国「14世紀前半「改革政治」の内容とその性格」 李益柱「忠宣王即位年(1298)「改革政治」の性格」 企画:世界各国の歴史教育動向 강봉룡「[総論]歴史教育についての議論の進展のために」 김한종「イギリスの歴史教育」 양호환「アメリカの歴史教育:その歴史と問題点」 論文 이세영「大韓帝国期の戸口変動と階級構造」 이준식「日帝侵略機金海地方の農民運動」 이균영「コミンテルン第6回大会と植民地朝鮮の民族問題」 都珍淳「1945-1946年アメリカの対韓政策と右翼陣営の分化」 研究動向 中世2分科17世紀儒学思想班「朝鮮時代儒学思想研究:争点と課題」 書評 박영제「高麗後期仏教史研究方法論と資料の問題:채상식『高麗後期仏教史研究』一潮閣、1991年」 近代史分科土地台帳研究班「「内在的発展論」を仮装したもうひとつの植民主義歴史認識:宮嶋博史『朝鮮土地調査事業の研究』東京大学東洋文化研究所、1991年」 『歴史と現実』6、1991.12 巻頭論評 安秉旭「民族史の今日と明日」 共同研究植民地時期知識人と民族解放運動論 朴賛勝「[総論]植民地時期の知性史と民族解放運動」 이지원「日帝下安在鴻の現実認識と民族解放運動論」 朴賛勝「1910年代末~1920年代呂運亨の民族解放運動論」 김기승「1920年代安光泉の方向転換論と民族解放運動論」 高珽休、金光植、林大植、임경석、이이화、김철、지수걸「討論」 企画:診断!韓国史教育2 柳承烈「中等学校歴史教育の実態と改善方向」 박준성「大衆歴史教育の展開と課題」 論文 배종도「『高麗史』地理志の一考察:領属関係の基準年代推定を中心に」 高珽休「太平洋問題研究会朝鮮支会と朝鮮事情研究会」 研究動向 이영학「光武量田事業研究の動向と課題」 書評 안준범「一歩前へ二歩後ろへ:韓国歴史研究会1930年代研究班『日帝下社会主義運動史』한길사、1991年」 고성국「韓国現代史研究方法論についての諸問題:韓国歴史研究会現代史研究班『韓国現代史』1-4、풀빛、1991年」 資料紹介 韓相権「歴史研究の深化と史料利用の拡大:暗行御史関連資料の種類と史料的価値」 『歴史と現実』5、1991.6 共同研究:15世紀社会と農民 남지대「[総論]15世紀朝鮮社会と農民」 오종록「15世紀自然災害の特性と対策」 이병희「15世紀土地所有と農民」 남원우「15世紀流通経済と農民」 朴鎮愚「15世紀郷村統制機構と農民」 韓嬉淑「15世紀盗賊活動の社会的照明」 論文 이평래「高麗後期水利使節の拡充と水田開発」 韓相権「1811年黄海道谷山地方の農民抗争」 이종범「1908-1909年日帝の課税地調査に関する実証的検討:全羅南道求礼郡土旨面五美洞の事例」 조희연「1970年代非合法前衛組織の理念についての研究:「南民前」を中心に」 研究動向 羅末麗初研究班「羅末麗初豪族の研究動向:1960年代研究を中心に」 書評 王賢鍾「光武量田事業の多様な性格と狭い視角:김홍직 他『대한제국기의 토지제도』民音社、1991年」 『歴史と現実』4、1990.12 共同研究:統一前後時期新羅の国家と民 全虎兌「[総論]国家と民の関係から見た統一期新羅社会」 全徳在「4-6世紀農業生産力の発達と社会変動」 강봉룡「6-7世紀新羅の兵制と地方統治組織の改編」 李仁在「新羅統一前後期租税制度の変動」 全徳在、임기환、강봉룡、李仁哲、李仁在、金基興、全虎兌「討論」 企画:診断!韓国史教育1 백승철「大学における教養韓国史教育」 안병우「韓国史専攻教育の展開過程と教科課程の問題点」 特別寄稿 장석만「19世紀末~20世紀初韓中日三国の政教分離談論」 論文 鄭然泰「1930年代「朝鮮農地令」と日帝の農村統制」 鄭在貞「日本の高等学校「日本史」教科書に叙述された韓国思想」 研究動向 都珍淳、정창현「1950-70年代韓国社会運動についての研究動向と課題」 書評 河日植「国家成立史研究と方法論:韓国古代史研究会『한국고대국가의 형성』民音社、1990年」 金炫栄「朝鮮時代郷村社会史研究の新しい進展のために:郷村社会史研究会『朝鮮後期郷約研究』民音社、1990年」 김선경「朝鮮後期政治史認識の拡張:韓国歴史研究会19世紀政治史研究班『朝鮮政治史:1860-1863』青年社、1990年」 資料紹介 추만호「金石文の史料的性格と利用法;羅末麗初仏教金石文を中心に」 『歴史と現実』3、1990.5 時論 編集部「80年代韓国史研究の反省と90年代の課題」 特集:韓国中世社会の支配構造と「民」の成長 韓相権「[総論]支配構造と「民」の抵抗から見た中世社会」 朴宗基「高麗前期郷村支配構造の成立とその性格」 蔡雄錫「12、13世紀郷村社会の変動と「民」の対応」 오종록、朴鎮愚「高麗末朝鮮初郷村社会秩序の再編」 정진영「16、17世紀在地士族の郷村支配とその性格」 고석규、韓相権「18、19世紀封建矛盾の深化と「民」の成長」 金瑛河、金琪燮、金勲埴、정승모、이해준、이세영「第2回学術大討論会討論要旨」 企画 최영묵「北韓の歴史研究機関・研究誌及び研究者養成過程」 論文 李栄昊「甲午農民戦争以後東学農民の動向と民族運動」 이승렬「日帝下朝鮮人ゴム工業資本」 研究動向 宋基豪「北韓の渤海考古学と『渤海文化』」 羅愛子「開港期流通構造研究の現況」 書評 박종진「강진철『韓国中世土地所有研究』一潮閣、1989年」 資料紹介 임영태「韓国現代史関連回顧録・伝記資料目録」 編集部「北韓の韓国史関係単行本目録」 『歴史と現実』2、1989.12 時論 남지대「歴史学の南北交流のために」 論文 전우용「元山における植民地収奪体制の構築と労働者階級の成長」 金光雲「元山総ストライキを通じて見た労働者組織の建設問題」 안태정「1930年代元山地域の革命的労働運動(1930-1938):組織建設運動を中心に」 鄭泰憲、김경일、柳承烈、임경석、楊尚弦「[討論]1920-30年代労働運動と元山総ストライキ」 金炫栄「朝鮮後期南原の社会構造:士族支配構造の変化とその性格」 朴賛勝「日帝下の自治運動とその性格」 辛珠柏「1930年代反日民族統一戦線運動の展開過程」 研究動向 朴宗基「高麗前期社会史研究動向」 資料紹介 王賢鍾「甲午改革期『收租案』の分析方法」 지수걸「植民地時代新聞資料:김봉우 編『日帝下社会運動史資料集』」 『歴史と現実』1、1989.5 李栄昊「韓国近代民族問題の性格」 朱鎮五「韓国近代集権、官僚勢力の民族問題認識と対応」 金度亨「韓国近代在野支配勢力の民族問題認識と対応」 조성윤「韓国近代民衆の民族問題認識と対応」 崔徳寿、김항수、홍순권、박호성、河元鎬、都珍淳、朴賛勝「[討論]韓国近代の変革運動と民族問題」 宋鎬晸「北韓の古・中世史時期区分」 都珍淳「北韓歴史学界における近現代史時期区分論争とその変化」 金勲埴「15世紀民本イデオロギーとその変化」 노경채「韓国独立党の結成とその変遷(1930-1945)」 都冕会「分断された祖国、分断された民族史教育:『中学校用国定国史教科書改定本初稿』分析」 고석규「1862年農民抗争研究の論争点:망원韓国史研究室 19世紀農民抗争分科『1862年農民抗争』동녁、1988年」 정창현「北韓史学界の現代史研究:最近南韓に紹介された書籍を中心に」 강봉룡「蔚珍新羅居伐牟羅碑の再検討」 이세영「朝鮮時期農業史研究動向:最近の朝鮮時期社会経済史研究についての論争を中心に」 19世紀政治史研究班「『朝鮮王朝実録』人士記録の資料価値」 1-20 21-40 41-50 51-60 71-80 81-90 91-100
https://w.atwiki.jp/cgwj/pages/48.html
リパラオネ思想(理:Lipalain tisodel)とは、リパラオネ人やリパラオネ社会における宗教や哲学、考え方の系統を包括的に指すものである。太字は後に大きく派生し、発展した根源思想である。→で示されるものは後時代の思想への展開や影響を表す。 目次 古典古代 中世 近世 近代・現代 関連項目 古典古代 古代リパラオネ哲学(ルラディヌアル) コウネド ジムフグフド シャルド サルドムリレーン学派(→ヴェルテール) リステンプレーン学派 抽象ウェールフープ自然哲学 シャルドレーン学派 フィメノーウル学派 ヤッド……フィメノーウル学派実在論 メアパトロネスト思想 水家主武士心得 セノ・タロ(権利の書)……権利保障の始まり アプフェルシア……組合主義 古典教法学(→学統教法学) ラネーメ討伐論 サーム講和条約 フヅミ教法典''' エスネレスタニル リパラオネ教 ファシャグノタール アンポールネム ADLP 聖学会派 アカデミス(→ヴェルテール) 古理派(Xelken) 中理派 優生思想 スキュリオーティエ叙事詩 中世 リパラオネ教 教派 「リパラオネ教#教派一覧」を参照 四学統教献学(→文献学) 教識学(→ヴィト派認識論) 教注学(→フェク派認識論) 教法学(→近代法学) アレス学派的教法学 偶像崇拝の禁止規定 物としての信仰 聖別否定論 古典学派教法学 視野主義的古教法学(→ヴェルテール) グリフトクゥノ サルシュナース(→レシュト) パイグ人陰謀説 ブラーデン・アルヴェクトゥス 新クローメ主義(→ヴェルテール) 近世 神的想起記号説 ヴェルテール・シュテック・レヴァーニ ヴェフィス市民革命(市民革命主義) ヒンゲンファール・カルターデャ サラリス主義(→スカートゥ主義) 宗哲目的論 ヴェルテール批評学派(リパラオネ観念論) 社会関係論 主体認識学 憐憫の教法学 近代認識論ヴィト派認識論 フェク派認識論 近代文献学 近代観念論歴史学近代リパラオネ観念論的歴史哲学(リャフェーア) リタ派 歴史自由主義 レシュト ヴァラー・フェレザ 右派レシュト 反戦派 レシュト右翼連合 理民族主義(リパナス)(→リパラオネ民族主義) 中道派 社会派 アルフィサザン・リツ 左派レシュト レシュト左派連合(→チャショーテ) 詩学・文学批評理論(→イェスカ主義詩学) 形式主義(→純文学) 創造主義(→大衆文学) リパラオネ・スピリチュアリズム ヴォルシ主義 近代・現代 現代翻訳理論 近代的保守主義 スカートゥ主義 新エステシア主義 リパラオネ民族主義 リパラオネ大衆主義 リパラオネ民族自決主義 フィシャ・ステデラフ ステデラフ的民主主義 レシェール・ヴェンタフ レヴェン学派 第零世代 オーレン・ドゥ・デヴァニエ・オーヴァハイト 第一世代 レシェール・イスナシュテイユ(レヴェン学派ではないとされることもある) 第二世代 夏火雪(ショー・カーン・レート) ラブレイ=デシ・ヘルツァーヴィヤ 有時間的筆物行為 意識主義的政治哲学 フィセン学派 クロノリアリ(ティ)ック 第三世代 スカースナ・イヴァネ・ルディェシャファ スカースナ・イヴァネ・ルディェシャフィス 無時間的理想法制批判理論 第四世代 ラ・レヴェネゼー 非心圧的民会主義 ネフコン/無党派 共和国革命派(チャショーテ) 保守チャショーテ クワク共産主義 恋愛共産主義 恋愛自由主義 革新チャショーテ ユエスレオネ主義 イェスカ主義 イェスカ主義(アポラ派) ユノア・イェスカ主義 武力革命論 ユミリア主義 ハタ・イェスカ主義 ハタ・イェスカ主義(解放派) ハタ・イェスカ主義(ハフルテュ派) 蒼葵主義(フォーリーメード科学中央評議会) 新イェスカ学派(アイン・イェスカ主義) ラーヴェ=イェスカ主義(産業労働派) トスペンニュィス=イェスカ主義(エメルダ派) イェスカ主義(勤労民草派) 闘争的イェスカ主義 新イェスカ主義的批評理論 筆評理論 非人間可能性主義・包括的人間主義刻印主義 民主イェスカ主義 説得主義反革命的イェスカ主義 イェスカ倫理学 レアル・イェスカ主義 政治的維持思考批判 億論/億理学 応用億理学 シャーシュ学派 イェスカ主義詩学 イェスカ主義的文学批評理論 関連項目 リパラオネ リパラオネ文学
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/27.html
トップページ>韓国>韓国史学報 『韓国史学報』40、2010.8 論壇 尹京鎮「高麗太祖代鎮設置についての再検討:礼山鎮・神光鎮を中心に」 한기문「高麗時代僧侶出家の様相と思想的背景」 윤용혁「高麗都城としての江都の再問題」 申解淳「17世紀前後東班所属下級京衙前制度の変化:書吏を中心に」 홍기표「清陰金尚憲の『南槎録』所載記事の誤謬と争点」 金友哲「哲宗2年(1851)李明燮謀叛事件の性格」 鄭泰憲「朝鮮総督府の慶尚合同銀行経営権掌握過程と日本人銀行としての吸収」 特集:朝鮮前期高麗関係記録の分析を通じた高麗時代相の復元 金昌賢「高麗及び朝鮮前期道教の比較とそれを通じた高麗道教の復元:太一信仰を中心に」 이정란「高麗・朝鮮前期王室府の財政機構的面貌と運営方式の変化」 李正浩「麗末鮮初自然災害発生と高麗・朝鮮政府の対策」 金蘭玉「高麗・朝鮮前期雑類の構成と階層的異質性」 朴胤珍「高麗天台宗の宗派問題:朝鮮初天台宗の禅宗帰属の歴史的背景」 史料研究 校監訳註『破閑集』(3) 『韓国史学報』39、2010.5 김경복「古墳壁画に表れた高句麗の竈と食事の風習」 김병인・김도영「高麗前期金属貨幣と店舗」 李在勲「太宗代節制使・牌頭と中央軍の指揮」 裵亢燮「19世紀支配秩序の変化と政治文化の変容:仁政願望の向方を中心に」 金素伶「純宗皇帝の南・西巡幸と忠君愛国論」 김기승「朴殷植の民族と世界認識:競争と共生の二重奏」 崔在聖「日帝強占期植民地金融機関の活動と驪州・順天地域の変化」 김인식「制憲議会期安在鴻の大韓民国輔成強化論」 이창현「韓国の民間人虐殺事件裁判研究:慶州内南面虐殺事件裁判事例を中心に」 史料研究 校監訳註『破閑集』(2) 『韓国史学報』38、2010.2 論壇 홍영호「『三国史記』地理志溟州領県棟隄県の位置比定と意味」 김학수「朝鮮後期嶺南地域士族家門の学派・政派的分化とその存在様相:松堂門人久庵金就文(1509~1570)家門を中心に」 宋亮燮「均役法施行期雑役価の詳定と地方財政運営の変化:忠清道地域を中心に」 崔妵姫「19世紀在地士族層の親族結集努力と内的亀裂様相:湖南地域善山柳氏家の親族活動を中心に」 洪俊和「大韓帝国期日本借款交渉とその性格(1898~1904)」 平井一臣「世界恐慌と帝国日本」 許殷「朴正煕政権下社会開発戦略と争点」 이정은「1970年代初中盤二度の経済危機と朴正煕政府の対応」 特集:朝鮮後期~日帝時期農村地域の伝統と近代 김건태「朝鮮後期契の財政運営様相とその性格:全羅道長興郡龍山面上金里の書契を中心に」 李庸起「日帝時期模範部落の内面とその記憶:全南康津郡城田面秀陽里の事例を中心に」 박종린「日帝時期康津の再編と社会運動の地域的様相」 史料研究 校監訳註『破閑集』(1) 『韓国史学報』37、2009.11 論壇 김상현「百済武王代仏教界の動向と弥勒寺」 정재윤「弥勒寺舎利奉安記を通じて見た武王・義慈王代の政治的動向」 최의광「新羅元聖王の王位継承と国人」 金甲童「高麗前期王妃の称外姓問題」 邊東明「高麗末麗水の長生浦歌」 尹晶「粛宗代神徳王后本宮追祔議論と本宮認識の変化」 이정일「朝鮮後期箕子認識に表れた儒教文明と普遍性」 趙允旋「朝鮮後期英祖31年乙亥獄事の推移と政治的意味」 임경석「コミンテルン高麗総局会議録研究」 김재웅「北韓の論理を通じて再構成されたアメリカの像(1945~1950)」 박정수「『東北朝鮮人民報』を通じて見た延辺朝鮮族の6・25戦争」 特集:韓国上古時代の信仰と祭祀 崔光植「韓国青銅器時代岩刻画の起源についての試論:内蒙古赤峰一帯岩刻画との関係を中心に」 鄭雲龍「韓国上古時代の祭祀意識とその継承」 박승범「扶余国の神話的変動と東明神話の私・公間的推移」 朴大在「三韓の「臘日祭祀」と竈信仰」 『韓国史学報』36、2009.8 論壇 한형주「朝鮮前期宗廟「同堂異室制」の批判と重建論争」 김경태「壬辰倭乱後強化交渉期国書問題の再検討」 趙成山「朝鮮後期少論系の東音認識と訓民正音研究」 김만일「本庵金鍾厚尚書論の性格:既存註釈書の受容と批判を中心に」 朴銀淑「開港期(1876~1894)漢城府五部の差別的変化と資本主義的都市化」 特集Ⅰ:韓国史における辺境、辺境としての韓国 篠原啓方「北燕を巡る高句麗の政策と国際秩序認識:対北魏、対宋関係を中心に」 李美智「1231・1232年対蒙表文を通じて見た高麗の蒙古に対する外交的対応」 정다함「麗末鮮初の東アジア秩序と朝鮮における漢語、漢吏文、訓民正音」 説林 손춘일「豆満江以北における朝鮮人社会の形成」 特集Ⅱ:益山百済弥勒寺址の再発見 朴賢淑「百済武王の益山経営と弥勒寺」 梁正錫「弥勒寺址塔址の調査過程についての検討」 나경수「薯童説話と百済武王の弥勒寺」 批評論文 芮大烈「アメリカ歴史学界の北韓史認識批判:Charles Armstrongを中心に」 『韓国史学報』35、2009.5 論壇 정호섭「高句麗王陵級大型積石塚の型式と編年」 백영미「三国及び統一新羅の戸口関連資料の検討と帳簿の作成」 都賢喆「宗法の観点から見た高麗末王権の変動」 박진훈「麗末鮮初原州地域における通婚様態:原州元氏を中心に」 김윤주「朝鮮初功臣冊封と開国・靖社・佐命功臣の政治的動向」 류창규「太宗代河崙の楽章創作とその政治的意味」 김현숙「19・20世紀坡平尹氏門中の農地所有と農業経営:忠南論山市魯城面丙舍里を中心に」 朴性俊「甲午改革~大韓帝国期公文書の保存期間起算と策定基準」 金允嬉「露日戦争期日本軍協力韓人研究:日本政府の勲褒賞者を中心に」 김주용「満州地域の都市化と韓人移住の実態:奉天と安東を中心に」 廉仁鎬「中国桂林で展開された朝鮮義勇隊隊本部の抗日運動(1938.11-1940.3)」 『韓国史学報』34、2009.2 論壇 李康漢「恭愍王代財政運用の検討及び忠宣王代政策志向との比較」 姜制勲「朝鮮初期正至会礼意識の整備と運用」 이정철「朝鮮時代貢物分定方式の変化と大同の語義」 조형열「協同組合運動社の組織過程と主導層の現実認識(1926-1928)」 特集:日帝時期経済法令の植民地性とその遺産Ⅱ 許英蘭「生活市場関係法令の植民地性と脱植民地化:「市場規則」と「市場法」の比較」 曺銘根「朝鮮銀行法に内在した植民地中央銀行制度の矛盾:監督権の所在を巡る議論を中心に」 批評論文 朴元熇「「東アジア史としての韓国史」構想のための再論」 『韓国史学報』33、2008.11 論壇 朴大在「扶余の王権と王位継承:2-3世紀を中心に」 金徳原「元暁と義湘の女性観についての考察」 趙法鍾「高仙芝と高句麗紙「蠻紙」についての検討」 김종복「8-9世紀渤海と日本の外交的葛藤と解消」 金昌謙「高麗顕宗代東宮官の設置」 金昌賢「高麗時代西海道地域の位相と寺院」 韓基汶「高麗時代開京報恩寺の創建と太祖真殿」 金友哲「仁祖24年(1646)安益信謀叛事件とその意味」 呉恒寧「尤菴宋時烈文集の編纂と刊行」 권기중「朝鮮後期郷吏層の婚姻ネットワーク:『慶尚道丹城県戸籍大帳』を中心に」 裵亢燮「露館播遷時期(1896-1898)朝鮮人のロシア認識」 김명구「中日戦争期朝鮮における「内戦一致論」の受容と論理」 特集:遺物・遺跡を通じて見た百済社会 우재병「3-5世紀百済地域素環頭刀を通じて見た百済・加耶・倭の交易体系」 이남석「百済の冠帽・冠飾と地方統治体制」 윤용혁「公州松山里6号墳の使臣図壁画について」 史料研究 『三国遺事』點校(5) 書評 朴宰佑「高麗政治制度の構造と運営:李貞薫『高麗前期政治制度研究』, 혜안、2007年 」 『韓国史学報』32、2008.8 論壇 이동희「最近研究成果で見た漢江・臨津江流域積石塚の性格」 정요근「元干渉期駅利用受容の急増とその対策」 李益柱「『牧隠詩藁』を通じて見た高麗末李穡の日常:1379年(禑王5)の事例」 金日宇「高麗・朝鮮時代外部勢力の済州進入と済州女性」 차장섭「朝鮮後期女性の譜学教育」 宮嶋博史「朝鮮後期支配階層の再生産構造:比較研究のための初歩的な探究」 李成妊「朝鮮後期同姓村落構成員の婚姻関係:丹城県法勿也面商山金氏の事例を中心に」 최병택「日帝下戦時体制期(1937-1945)林業動員策と山林資源供出」 特集:日帝時期経済法令の植民地性とその遺産Ⅰ 문영주「朝鮮総督府の西欧協同組合模倣と植民地的変容:金融組合法令を中心に」 김명수「解放後韓国信託業の動向と信託法規の整備:1968年韓国信託銀行の設立まで」 宋圭振「日帝下「日本関税法」の朝鮮適用と変容」 이송순「植民地朝鮮の食料管理制度と解放後良穀管理制度の比較:食糧管理法令についての分析を中心に」 史料研究 『三国遺事』點校(4) 『韓国史学報』31、2008.5 論文 이동훈「高句麗遺民『高徳墓誌銘』」 박명호「神文王の教書を通じて見た金軍官の政治的性格:骨品貴族の官僚化の視角から」 尹京鎮「高麗末朝鮮初西海・南海僑郡事例の分析:全羅道・忠清道・西海道地域の事例」 정호훈「朝鮮後期『小学』刊行の推移とその性格」 한지희「粛宗初「紅袖の変」と明聖王后金氏の政治的役割」 成淑璟「大韓帝国期「怠け者の朝鮮人」談論と近代的労働者の創出」 이주철「1950年代北韓農業共同化の穀物生産成果研究」 『韓国史学報』30、2008.2 論壇 하문식「支石墓の特異型式についての研究:「変形卓子式支石墓」問題と関連して」 蔡美夏「中国大学歴史教材の「統一新羅」叙述とその内容分析」 이창섭「11世紀初東女真海賊に対する高麗の対応」 崔聖銀「13世紀高麗木造阿弥陀仏像と腹蔵墨書銘」 任松子「1950年代労働組織と李承晩・自由党権力との関係」 林鍾明「脱植民地時期(1945-1950)南韓の地理教育と国土表象」 崔光植「『孫晋泰遺稿集』の内容と性格」 特集:1907年ハーグ平和会議と大韓帝国、そして列強 崔徳寿「第2次ハーグ平和会議(1907)と大韓帝国言論の世界認識:『皇城新聞』と『大韓毎日申報』を中心に」 Koen De Ceuster「1907年ハーグ特使の成功と挫折」 최덕규「1907年ハーグ平和会議とロシアの対韓政策」 韓承勲「乙巳勒約を前後したイギリスの対韓政策」 최정수「第2次ハーグ平和会議とアメリカの「世界平和戦略」:「国際警察」と「弱い国家」処理問題を中心に」 『韓国史学報』29、2007.11 論壇 朴賛興「満鮮史観における韓国古代史認識研究」 김두진「『三国遺事』板本の校勘と訳註本」 李貞信「高麗時代瓦生産体制とその変化」 尹晶「在位前半期(1725-1746)英祖の君臣関係の理解:「君臣分義論」の適用と志向を中心に」 김경란「朝鮮後期良役政策の展開と匠人把握の変化」 金素伶「甲午改革期(1894-1895)教科書の中の「国民」」 高珽休「上海臨時政府の初期財政運営と借款交渉:臨時大統領李承晩の役割を中心に」 特集:補遺 趙明哲「独島の領有権についての戦略的考察:日本の対独島方針を中心に」 批評論文 김보광「高麗・モンゴル(元)関係研究における『元高麗紀事』の活用と価値」 『韓国史学報』28、2007.8 論壇 梁正錫「営繕令を通じて見た『三国史記』屋舎条」 洪俊和「雲南・大韓シンジケート借款と列強の介入(1901-1902)」 신용옥「右派勢力の軍政立法の試みと朝鮮臨時約憲制定の政治的性格」 김재웅「北韓の38線接境地域政策と接境社会の形成:1948-1949年江原道麟蹄郡を中心に」 전현수「解放直後北韓の国家予算(1945-1948)」 曺銘根「解放後韓国中央銀行制度改編の議論:朝鮮銀行案と財務部案を中心に」 批評特集:韓日両国の独島研究現況と課題 申東珪「近世時期(朝鮮後期・江戸時代)韓・日間独島研究の争点と問題点の考察」 엄찬호「開化期独島の研究成果と争点」 韓哲昊「明治時期日本の独島政策と認識についての研究の争点と課題」 具仙姫「解放後連合国の独島領土処理に関する韓・日独島研究の争点と今後の展望」 『韓国史学報』27、2007.5 論壇 邊東明「朝鮮時代突山島防踏鎮の設置とその構造」 姜制勲「朝鮮成宗代朝会儀式と朝会運営」 朴性淳「勉菴崔益鉉の心主理説研究:尤庵宋時烈の心説に対する彼の態度を中心に」 임경석「1922年ヴェルフネウジンスク大会の決裂」 류시현「解放後崔南善の活動と彼に関する「記憶」」 廉仁鎬「中国国共内戦期満州国民党地区韓人の動向(1948):瀋陽居住韓人の脱出と帰還を中心に」 特集:人的関係情報の活用方案と中世の社会構成原理 李正浩「高麗後期別墅の造成と機能」 金蘭玉「麗末鮮初政治変動と排他的家門意識:鄭道伝を中心に」 이정란「辛旽党与家門の祖上隠しと褒貶論」 육정임「宋代祖上祭祀と祭礼の再構想:階級の表象における宗族結集の手段から」 『韓国史学報』26、2007.2 論壇 金貞培「『三国史記』宝臧王紀史論に見える「柳公権小説」問題」 朴京哲「麗羅戦争史の再検討」 洪琦杓「高麗前期詔書現況と分類」 李鐵漢「高麗時代本品行頭制の運営と変化」 임용한「朝鮮後期首領善政碑の分析:安城・竹山・果川の事例を中心に」 宋亮燮「1896年智島郡創設と西南海島嶼支配構造の再編:呉宖黙の『智島郡叢瑣録』を中心に」 朴性俊「大韓帝国期海税管轄権を巡る葛藤と内蔵院の海税管轄権掌握」 崔善雄「1920年代初韓国共産主義運動の脱自由主義化過程:上海派高麗共産党国内支部を中心に」 『韓国史学報』25、2006.11 論壇 趙法鍾「中国学界の古朝鮮研究の検討:東北工程前後時期の研究を中心に」 李永植「加耶と高句麗の交流史研究」 辛善惠「新羅中古期仏教界の動向と僧政」 윤용혁「軽部慈恩の百済古墳調査と遺物」 李貞信「高麗時代銅の使用現況と銅所」 신수정「武臣政権期定安任氏任濡系の婚姻網」 박진철「朝鮮後期郷校の青衿儒生と在地士族の動向:羅州『青衿案』分析を中心に」 崔鎮旭「申櫶(1811-1884)の内修禦洋論研究」 李憲柱「第2次修信使の活動と『朝鮮策略』の導入」 金允嬉「露日対立期(1898-1904)『皇城新聞』の二重志向性と自強論:連帯と排除の接合」 김미정「東学・天道教の女性観の変化」 車美姫「3次教育過程期(1974-1981)中等国史科の独立背景と国史教育内容の特性」 特集:『輿地図書』を通じて見た朝鮮後期国家の地方体制 변주승「『輿地図書』の性格と道別特性」 이상식「『輿地図書』を通じて見た地方行政体系の構成及び運営原理:忠清道地域を中心に」 文勇植「『輿地図書』を通じて見た18世紀朝鮮の還穀運営の実態」 李哲成「『輿地図書』に表れた田結税項目のテキスト的理解」 徐鍾泰「『輿地図書』の物産条項研究」 金友哲「『輿地図書』「姓氏」条の検討」 批評論文 장경희「朝鮮後期王室工芸史研究の成果と課題」 『韓国史学報』24、2006.8 論壇 朴大在「弁韓の「王」と狗邪国:3世紀前半を中心に」 朴龍雲「儒州(始寧・文化)柳氏の事例を通じて見た高麗社会の一断面:「嘉靖譜」を参考にして」 尹薫杓「朝鮮初期附過法の施行」 정다함「朝鮮初期壮勇隊の設置背景と運営実態」 呉恒寧「朝鮮前期史禍の様相とその性格:制度と現実の相互規定についての小考」 鄭泰憲「京城府財政の歳入構成と時期別特徴」 尹海東「日帝時期面制の実施と近代的官僚・行政制度の導入」 特集:渤海の中央と地方 임상선「渤海の都城体制とその特徴」 金東宇「渤海の地方統治体制運営とその変化」 김은국「8-10世紀東アジアの中の渤海交通路」 『韓国史学報』23、2006.5 論壇 박선미「近代史学以後の古朝鮮史研究の現況と争点」 우재병「5-6世紀百済住居・暖房・墓制文化の倭国伝播とその背景」 李仁在「高麗前期弘慶寺創建と三教共存論」 李益柱「墓誌銘資料を通じて見た高麗後期官人の生涯:金賆(1248-1301)の事例」 金順南「朝鮮世祖代体察使韓明澮について」 裵亢燮「中・後期義兵戦争時期羅州地域郷吏層の動向」 河元鎬「韓末栄山江流域と木浦の商品流通」 이주철「1950年代朝鮮労働党の下部組織再編」 特集:8-10世紀東アジアの文物交流 윤재운「8-10世紀渤海の文物交流」 방병선「羅末麗初韓中陶瓷交流」 강봉룡「新羅末~高麗時代西南海地域の韓・中海上交通路と拠点浦口」 『韓国史学報』22、2006.2 論壇 邊東明「城隍神金忍訓孫兢訓と梁山・蜜陽」 金仁昊「高麗時代聖俗の境界と個人的な行き来」 朴晋勲「高麗人の贅沢・虚栄と倹約認識」 권내현「朝鮮初期奴婢宗族と均分の実状」 양홍준「統監府時期刑事警察制度と犯罪捜査」 류시현「植民地時期ラッセル(Bertrand Russell)の『社会改造の原理』の翻訳と受容」 特集:東アジア中世の族譜編纂と官人社会 陸貞任「宋元代族譜修撰とその社会的意義」 李鎮漢「『成化安東権氏世譜』に記載された高麗後期の官職」 車長燮「綾城具氏族譜の刊行とその特徴」 『韓国史学報』21、2005.11 論壇 琴京淑「高句麗古墳壁画に表れた人物像と身分」 李康来「『三国史記』と『三国遺事』の王代暦比較研究」 趙成山「17世紀中・後半ソウル・京畿地域西人の経世学と政策理念」 손병규「甲午時期財政改革の意味:朝鮮王朝財政システムの観点から」 韓哲昊「開港期日本の治外法権適用論理と韓国の対応」 特集:韓国中世の社会構成論理 金蘭玉「麗末鮮初墓誌銘の家系記録方式」 신수정「高麗時代慶源李氏家門の政治的変化における婚姻網:李資義・李資謙の乱と関連して」 이정란「政治都監活動に表れた家の中の個人とその行動方式」 李正浩「高麗後期安東権氏家門の経済的基盤:権仲時-権守平系列を中心に」 朴元熇「崔溥『漂海録』翻訳譯述評」 1-20 21-40 41-60
https://w.atwiki.jp/wug-world/pages/107.html
本ページではファタ・モルガナ帝国における教育制度について解説する。 沿革 教育制度の誕生 大学入試改革 制度 一般教育制度 初等準備教育 初等教育 中等教育 高等教育 大学制度 大学入試制度 主要な大学一覧 沿革 教育制度の誕生 ファタ・モルガナ帝国に最初に明文化された教育制度が制定されたのはIU100年頃であり、それが高度な教育システムへと拡充されたのは700年代頃であった。制定当初は初等学校のみが設置され、これらははじめから義務教育制度の対象とされた。学費は無償であった。711年に高等教育機関である大学が設置されたものの、793年に独立した中等教育学校が開設されるまでは初等学校と大学の間に「隙間」が存在する状態であった。隙間を埋める存在である中等教育は大学に内包されており、且つその大学に入学試験が存在したことから、初等学校とは別に「中等教育準備学校」と呼ばれる学校が制度、国家の介在無しに存在する状態となっていた。これらの学校は公立の中等教育学校が独立した後も私立の中等教育学校として残存するものが大半であった。 大学入試改革 IU1520年頃に国内で産業革命が発生すると、労働者と共に研究者、技術者人材の需要が急激に増加し、これに伴い国内の大学のニーズも爆増した。 大学の設置からその時に至るまで、入試には大学が自ら作成した試験問題のみが用いられていたものの、受験生の数が各大学のキャパシティを大幅に超過してスケジュールが上手く進まないといった問題が生じ始めた。この為受験生の数を各大学の管理許容量内に収める為に、受験生を篩にかける必要性が唱えられ始める。これを受けて政府は大学入試の共通一次試験の設置を模索し始めた。1531年の「大学入学試験共通一次試験設置に関する法律(通称 イザルーネ法)」制定に伴い「大学入学試験共通一次試験(府 Kauhdho Destih Jirk ren Tzahneaberthirk rae,KDJT)」制度が生まれた。この制度は現在でも継続されている。 制度 一般教育制度 初等準備教育 初等準備教育学校は3歳の者が入学対象となる3年制の学校で、いわゆる幼稚園に近いものである。初等準備教育自体は慣習的に生まれたものが後になって制度化されたもので、初等準備教育学校以外にも幼児教育学校、予備教育学校など同じような学校が存在している。これらはカリキュラムの観点から見ると基本的に同一である。 初等教育 初等教育は6歳の者を入学対象に初等学校と呼ばれる施設で6年に渡って行われる。公立の初等学校は学費が全面的に無償である。 最初の3年では公用語である現代ファシル語の読み書き、基礎的な算術、運動教育などが行われ、4年目から6年目にかけてはこれらに科学基礎、社会基礎、宗教学基礎、総合美術が追加される。 初等教育カリキュラム 1学年 2学年 3学年 4学年 5学年 6学年 現代府語 算術 科学基礎 社会基礎 宗教基礎 総合美術 運動 道徳 中等教育 中等教育学校で行われる。中等教育学校は13歳の者が入学対象となり、以後6年間在籍することとなる。初等教育で履修した科目が細分化(算術→代数学、幾何学、進学カリキュラム4年目からは解析学が追加など)され、より発展的、専門的な分野を学習することになる。 4年目からは大学進学希望者、就職希望者をそれぞれ進学カリキュラム、職業技能カリキュラムに分けて教育が行われる。 中等教育職業技能カリキュラム 1学年 2学年 3学年 4学年 5学年 6学年 現代府語 代数学 幾何学 総合科学 社会学 宗教学 絵画美術 音楽美術 運動 職業技能 道徳 中等教育進学カリキュラム 1学年 2学年 3学年 4学年 5学年 6学年 現代府語 代数学 幾何学 解析学 物理学 化学 生物学 地理学 現代社会学 歴史学 宗教学 絵画美術 音楽美術 運動 道徳 高等教育 高等教育機関は大学がこれに相当する。大学は中等教育を修了した18歳以上の者に入学試験受験資格が与えられ、その中で入試に合格した者のみが入学を許可される。高等教育では高度に細分化された教科から、学部学科の範疇の中で各々が希望するものを自由に選択して学修することが出来る。科目は大学、学部、学科によって極めて多彩である為、学部学科毎の必修科目を除けば科目選択は完全にその者次第である。その為このページでその全てを網羅することは不可能である為、以下には一つの例としてマーズカクス帝国大学の学部学科の一覧を記載する。 マーズカクス帝国大学 学部学科一覧 宗教法学部 法学科外国法学科宗教学科 国文学部 現代ファシル語学科ファシア文学科哲学科 外国語学部 グランダ語学科シャノワール語学科ワーシイワ語学科エレイス語学科アライド語学科リベント語学科晋迅語学科本京語学科星羅語学科ミュルネニヤ語学科 工学部 電気工学科電子工学科船舶工学科機械工学科建築工学科情報工学科生物工学科宇宙工学科 物理学部 物理学科数学科宇宙物理学科気象学科海洋物理学科 化学部 化学科応用化学科 生物学部 生物学科海洋生物学科分類学科遺伝学科 政治経済学部 政治学科経済学科 教育学部 言語教育学科科学教育学科社会教育学科外国語教育学科美術教育学科宗教教育学科心理教育学科 大学制度 帝国の大学は極めて数が少なく、大学進学率も決して高くないがその代わりに大学の学生は概して極めて優秀とされる。大学内では自治意識の高い自由な風潮が強く、それ故に優秀にも拘わらず問題行動の多い大学もある。 大学生の平均的な能力は世界的に高いが、そんなファ帝の大学生でも「彼処だけは異常だ」と口を揃えるのがマーズカクス帝国大学である。国家戦略に大きく影響を及ぼすマーズカクス帝大だけは他の大学と試験方式から校風に至るまで徹底して異なり、いわゆる天才、それも生半可でない者達の集まりである。 大学入試制度 KDJTが全大学共通の一次試験である。私立大学にも全ての入試方式において本試験を使用することが義務付けられている。 制限時間は無く、回答時間が記録され試験結果の導出に使用される。 科目 方式 問数 配点 現代国語Majiad Fathir 短答記述長文記述 462 1問2点*46問1問4点*2問 計48問100点 古典Xaedho Fathir 短答記述長文記述 481 1問2点*48問1問4点*1問 計49問100点 代数学 記述 54 1問1点*20問、1問2点*30問、1問5点*4問 計54問100点 幾何学 記述 22 1問2点*20問、1問5点*2問 計22問50点 解析学 記述 22 1問2点*20問、1問5点*2問 計22問50点 社会政治学 短答記述 50 1問2点*50問 計50問100点 歴史学 短答記述 50 1問2点*50問 計50問100点 物理学 短答記述 54 1問1点*20問、1問2点*30問、1問5点*4問 計54問100点 化学 短答記述 22 1問2点*20問、1問5点*2問 計22問50点 生物学 短答記述 22 1問2点*20問、1問5点*2問 計22問50点 課外活動報告 長文記述 1 1問*100点 主要な大学一覧 マーズカクス帝国大学 歴史上初の近代的大学であり、世界大学番付のトップである。他の大学とは決定的に異なり、IQテスト然とした適性検査を始め各分野で極めて難易度の高い入学試験が科せられる為世界基準での参考偏差値が89を超える異常な値となっている。極めて入学難易度が高い故にここに入学できる者ならば官公庁や一流企業へ入るのも造作もないと言われているが、一般的な受験生からはあまりにも遠い世界であるが為にその実態はあまり知られていない。特に理工系学科ではレーレフェムタ研究室の軍事研究などを始めファタ・モルガナ国家との結びつきが極めて強く、それ故にここに入れる程に能力の高い人材であればどんなに社会性に乏しくても研究室に残るという形で国家お抱えの人材になれる。 ラーヴィランス工科大学 国内では極めて希少な私立大学の一角であり、理工学分野で世界的な権威を持つ。反骨精神豊かな校風で、核開発サークルやマーズカクス帝大校舎爆破サークルの創設など学生による厄介ないたずらが後を絶たない。 レムカクス帝国大学 東部の大都市レムカクスに所在する帝国大学で、同都市の外れに非常に大規模なキャンパスを構える。実際に大学システムの実証実験として設立された経緯があり、制度の上でも都市学園とされている。キャンパス近郊にある陸戦隊の演習場からの騒音被害に耐えかねた結果、学生たちが結託しエアソフトガンを持って演習場に侵攻したことがある(レムカクス演習場侵入事件)。 マーズカクス高等法律学校 マーズカクスにある高等法律学校。その歴史は大学より遥かに古く、紀元前1600年代まで遡る。現代においても宗教法学界で最も権威ある機関の一角。
https://w.atwiki.jp/sentai-kaijin/pages/1387.html
「A殿、面目ない…」 【名前】 タイマーのバクトフージER 【読み方】 たいまーのばくとふーじいーあーる 【声】 坂口候一 【登場作品】 天装戦隊ゴセイジャー 【登場話】 epic39「エピック・ゼロ」epic40「ストロング・アラタ」 【所属】 機械禦鏖帝国マトリンティス 【分類】 時間限定逆回転機能タイマータイプマトロイド 【地形】 過去 【特技】 リバースタイマー、鉄壁カブト式ヘルメット、重鋲磨肝怒槍 【指令】 「タイムリバース」機能によって人類を混乱に陥れる 【趣味】 歴史学 【生物モチーフ】 カブトガニ 【その他のモチーフ】 裃 【名前の由来】 バック・トゥ・ザ・フューチャー 【詳細】 10サイのロボゴーグの鬼才ブレインによって開発された時間限定逆回転機能タイマータイプマトロイド。 時間エネルギーを捻じ曲げ、経過した時間を10秒間巻き戻せるリバースタイマーを胸部に搭載し、これにより相手のあらゆる攻撃を瞬時に巻き戻した後にやり返す事ができる 魔虫兵ビービをレッドとピンクに倒されても上述の能力で復活させ、ブラックとイエローの攻撃を受ける前の時間に巻き戻した後に反撃する。 更に格闘戦でもゴセイナイトと互角に戦い、「超天装もなかった事にする」という高い性能と厄介な特殊能力でゴセイジャーを苦戦させる。 その後、スーパーゴセイレッドと戦うサイボーグのブレドRUNのサポートとしてビービネイルによって巨大化する。 ゴセイアルティメットの攻撃をタイムリバースで無効化しようとするが、攻撃の押し合いの最中にブレドRUNが謎のパワーを放つ。 そのパワーとの干渉によって遥か過去の世界にタイムスリップしてしまう異常作用が起き、レッドと共に天の塔破壊以前の世界に飛ばされてしまう。 現代に戻る為にレッドを倒そうとするが、過去のゴセイジャーに阻止され、天の塔破壊以前のゴセイジャーは戦闘経験が不足している為に圧倒する。 しかし、奮起したレッドに率いられたゴセイジャーの連携に怯み、ゴセイダイナミックで胸部のリバースタイマーを破壊されてしまう。 現代に帰還後、ビービネイルによって再度巨大化する。 グランドゴセイグレートを両目からの光線で攻撃するも通用せず、グランドランサーの攻撃に怯み、最期はグランドグレートストライクを受け爆散した。 【余談】 生物モチーフはカブトガニであり、頭部や両手足などにカブトガニの意匠が見られる。 武器の「重鋲磨肝怒槍(じゅうびょうまきもどそう)」は「10秒巻き戻そう」の語呂合わせとなっている。 頭部のカブトガニを笠のように被っており、裃を着ているように見え、一人称が「身共」という事などから「博徒」(タイマーのバクトフージER)をかけていると窺える。 上述の能力による攻撃の無効化と味方の参戦に加え、巨大戦ではこの頃の主力だったゴセイアルティメットと互角以上の戦いを繰り広げ、通常のマトロイドの中では最強のスペックを誇っている事が窺える。 デザインを担当した酉澤安施氏によれば、「タイムスリップする敵として『生きる化石』と言われるカブトガニをモチーフに選び、シナリオの記述に合わせるように侍風の裃スタイルにした」らしい(『百化繚乱[下之巻]』より)。 通常怪人で巨大化を解除し、再度巨大化したのは彼だけとなっている。 カブトガニをモチーフにした怪人はスーパー戦隊シリーズにおいて『超電子バイオマン』のカブトカンス以来の登場となる(所属組織も機械の帝国となっている)。
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/113.html
トップページ>歴史>法史学研究 『法史学研究』49、2014.4 研究論文 김대홍「朝鮮時代「大明律」不応為条に関する研究」 권재문「田税権の法的性質:旧韓国期民事判決に現れた田税慣習を中心に」 이승일「大韓帝国期外国人の不動産抵当及び売買と民事紛争:ハルバートの家屋紛争(1900-1902)を中心に」 조시현「日本軍「慰安婦」問題における歴史と法」 金昌禄「李恒寧の法思想Ⅰ:植民地朝鮮の法学徒」 이종근「ハンムラビ法に現れたバビロンのアイデンティティについての法史学的考察」 『法史学研究』48、2013.10 研究論文 임상혁「高麗の法体系と朝鮮への影響:判・題・教などの王法を中心に」 김영석「推鞫の意味変化と分類」 전종익「19世紀末公権力作用と公平の原則:独立新聞の法制改革論を中心に」 이승일「1890年代韓国の典当慣行と典当立法」 文竣暎「旧韓国期の賃貸付紛争と全貰慣習:民事判決資料を通じた接近」 金昌禄 「尾高朝雄の法思想Ⅱ:敗戦前後日本の連続を弁証した「モノス主権論」者」 서을오「使用取得要件としての善意要求視点:特にUlp. D. 41, 3, 10 pr. (16 ed.)の解釈と関連して」 安鍾哲「ハワイ移住民問題の歴史的争点とアメリカ連邦大法院の関連判決分析」 『法史学研究』47、2013.4 研究論文 鄭肯植「韓国の家系継承における女性の地位:植民地期女性戸主を中心に」 岡崎まゆみ「植民地期朝鮮民事法の戸主権機能:明治民報の「家」制度との比較分析的接近」 金昌禄「韓日過去清算の法的構造」 한상돈「西夏天盛律令の為不道」 윤성현「J. S. Mill民主主義論の基礎概念としての熟議」 史料翻訳 성중모「『ユスティニアヌス法学提要』ハングル初訳」 『法史学研究』46、2012.10 特集:東アジアの民法の受容と展開:民法の歴史的基礎と民法改正の課題 徐敏「歴史的視角から見た韓国民法の改正」 趙曉耕、辛知延「伝統的民法観念と現代民法の体系:中国古代民法価値の再論」 林真貴子、文竣暎「近代法システム継受期の日本の裁判所での紛争解決実践」 王泰升、辛知延「日帝統治前期台湾における民事法制の変革:法院制度及び慣習法を中心に」 曾文亮、辛知延「日治前期(1895-1922)台湾総督府法院の民事判決における「旧慣」:日治法院档案を中心に」 沈羲基「東アジア伝統社会の慣習法概念についての批判的検討:日本植民地当局による慣習調査を中心に」 文竣暎「韓末と植民地時期裁判制度の変化と民事紛争:裁判統計の分析を中心に」 水林彪、金昌禄「西洋近代民法の諸類型」 研究論文 吉川絢子「近代初期韓国の民法学受容と判事に対する影響:1900-1910年代離婚法を中心に」 李昇一「日帝強占期韓国慣習調査資料の所蔵現況と分類・記述:国史編纂委員会と水原博物館資料を中心に」 金昌禄「尾高朝雄の法思想:尾高朝雄と植民地朝鮮」 성중모「アナンケ(ἀνάγκη)とディケ(Δίκη):神話と法理論の間」 김유석「イソクラテスと概念性の修辞学:「エウティヌスに反論して」を中心に」 史料翻訳 성중모「『ユスティニアヌス法学提要』ハングル初訳」 『法史学研究』45、2012.4 研究論文 崔秉祚「朝鮮時代の罪刑法廷主義断想:遡及入法の問題を中心に」 金孝全「養正義塾の法学教育」 박준석「トマス・アクィナスの二重効果論証」 史料翻訳 성중모「『ユスティニアヌス法学提要』ハングル初訳」 『法史学研究』44、2011.10 研究論文 정우석「宋代編管刑の登場とその施行上の特徴:『名公書判清明集』を中心に」 전종익「中国近代憲法と天然資源規定の導入」 申宇澈「清末立憲君主制憲法小考」 이영록「光武・建陽期不動産二重売買及び二重抵当に関する研究:高等裁判所及び平理院判決を中心に」 김대홍「朝鮮時代於宇同淫風事件の全貌と当時の法的議論」 吉川絢子「日帝時期離婚訴訟と日本人判事:1910年代を中心に」 이정선「1910-23年内鮮結婚法制の成立過程とその意味」 崔秉祚「15世紀中盤世宗代朝鮮の法理議論:断罪無正条と不応為条の関係」 翻訳論文 Sung Hyun Nam、남성현(訳)「テオドシウス1世の宗教政策と彼の法律参謀達(皇室法務総監達)」 史料翻訳 성중모「『ユスティニアヌス法学提要』ハングル初訳」 書評 김상준「文竣暎『법원과 검찰의 탄생 사법의 역사로 읽는 대한민국』歴史批評社、2010年」 李国運「文竣暎『법원과 검찰의 탄생 사법의 역사로 읽는 대한민국』歴史批評社、2010年」 文竣暎「書評に対する回答」 『法史学研究』43、2011.4 特集:法学専門大学院体制下における基礎法学教育 文竣暎「法学専門大学院体制下の教育の価値と役割」 이계일「変化した法学教育体制下法哲学教育の現況と課題」 이상수「ロースクール学生が見た望ましい法社会学講義の構造:現象学的実績研究方法による図出」 차선자「法学専門大学院におけるジェンダー法学の教育」 李国運「アマースト(Amherst)へ行く道」 一般論文 김건우「旧韓末金斗源の呈訴活動と領事裁判権の実例」 『法史学研究』42、2010.10 論文 최병조「法の前に「美顔」は有利か? ルティルリアナ(Rutiliana)の原状回復請求事件」 이영록「韓国における「民主共和国」の概念史」 朴鍾賢「プラトンの政治理論体系における「法律(Nomoi)の意義」 김성룡「客観的帰属理論の発展史」 『法史学研究』41、2010.4 論文 田中俊光「『新昌令推断日記』を通じて見た中宗代謀逆事件の発生背景と詔獄節次の実態」 金孝全「野澤武之助と近代韓国の法学教育」 신우철「裁判の全制性:その概念の屈曲の憲法史」 한동훈「フランスの王政復古体制と議院内閣制の胎動」 송석윤「1870/71年ドイツ統一と連邦制憲法」 김대홍「イスラムフドゥド刑罰(Hudud Theft)と比例性の原則:窃盗罪の身体切断刑を中心に」 박준석「アリストテレスの互恵性(ἀντιπεπονθòϛ)について」 研究動向 장용준「宋代訴訟制度についての研究動向」 1-20 21-40 41-60
https://w.atwiki.jp/tal_dorei/pages/18.html
以下の概要はコバルト・ソウルのモンクやアラバスター・リセウムの歴史学者たちによって維持されている、学者の集いや歴史的書庫によって知られている内容である。 学生たちは彼らの歴史的な探求の旅をその最初から始めるのだ。他者が真実を暴き出す一方で、学生たちは彼らの道筋をたどることを重視する。 にもかかわらず、我々がどこから来たのか、歴史から何を学べるのかは、より良い運命を描き出す方法なのである。